三蔵経蔵(Sutta)長部(D)マハーヴァッガパーリ9 大念処経9.1 身随観(かやーヌパッサナー)9.1.1 身随観息入息分Eevame2025/7/30さて比丘たちよ、比丘はいかにして身において身を観て住むか?ここに比丘たちよ、比丘は、林に行ったか、木の根元に行ったか、空き家に行ったか、結跏趺坐して身を真っ直ぐにし、 सामने ध्यानして स्मृतिを確立する。彼は気づきながら息をし、気づきながら息を吐く。 長く息を吸うときには、「長く息を吸う」と理解し、長く息を吐くときには、「長く息を吐く」と理解する。 短く息を吸うときには、「短く息を吸う」と理解し、短く息を吐くときには、「短く息を吐く」と理解する。 「全身を感じながら息を吸う」と訓練し、「全身を感じながら息を吐く」と訓練する。 「身体の造作を静めながら息を吸う」と訓練し、「身体の造作を静めながら息を吐く」と訓練する。 たとえば比丘たちよ、熟練した旋盤工または旋盤工の弟子が、長く回すときには「長く回す」と理解し、短く回すときには「短く回す」と理解するように、まさにそのように比丘たちよ、比丘は長く息を吸うときには「長く息を吸う」と理解し、長く息を吐くときには「長く息を吐く」と理解し、短く息を吸うときには「短く息を吸う」と理解し、短く息を吐くときには「短く息を吐く」と理解する。「全身を感じながら息を吸う」と訓練し、「全身を感じながら息を吐く」と訓練し、「身体の造作を静めながら息を吸う」と訓練し、「身体の造作を静めながら息を吐く」と訓練する。 このように、内において身において身を観て住み、外において身において身を観て住み、内外的において身において身を観て住む。または、身において生起の法を観て住み、消滅の法を観て住み、生起と消滅の法を観て住む。または、「身がある」という智慧と記憶のためだけの स्मृति が確立され、依存せずに住み、世の中の何も執着しない。このようにして比丘たちよ、比丘は身において身を観て住む。 息入息分を終える。220JACommentslogin and startStartpost