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登場人名
エスカラス、ローナの領主。
パーリス、領主の親族、年若き貴公子。
キャピューレット┐
├相確執せる二名族の長者。
モンタギュー ┘
キャピューレットが一族の一老人(叔父)。
ローミオー、モンタギューの息。
マーキューシオー、領主の親族にしてローミオーの友。
ベンーリオー、モンタギューの甥にしてローミオーの友。
チッバルト、キャピューレットが妻の甥。
ロレンス法師、フランシス派の僧。
ヂョン、同じ派の僧。
バルターザー、ローミオーの下人。
サンプソン(或ひはサムソン)┐
├キャピューレット家の下人。
グレゴリー ┘
ピーター、ヂューリエットが乳母の下人。
エーブラハム、モンタギューの下人。
藥種屋の老人。
樂人甲、乙、丙。
パーリスの侍童《こしゃう》。他の侍童《こしゃう》。警吏一人。
モンタギュー夫人、モンタギューの妻。
キャピューレット夫人、キャピューレットの妻。
ヂューリエット、キャピューレットの女。
ヂューリエットの乳母。
其他ローナの市民。兩家の親族。假裝舞踏者、門衞、
番衆、侍者等。
序詞役。
場所 ローナ。マンチュア。
(本文は、譯詞との釣合ひ上、固有名詞の發音に手心を加へたる部分あり。但し爰に録したるものが最も正しきに近しと知られたし。)
[#改丁]
ロミオとヂュリエット
序詞役《じょしやく》出《で》る。
序詞役 威權《ゐけん》相如《あひし》く二名族《めいぞく》が、
處《ところ》は花《はな》のローナにて、
古《ふる》き怨恨《うらみ》を又《また》も新《あら》たに、
血《ち》で血《ち》を洗《あら》ふ市内鬪爭《うちわげんくわ》。
かゝる怨家《ゑんか》の胎内《たいない》より薄運《はくうん》の二情人《じゃうじん》、
惡縁《あくえん》慘《むご》く破《やぶ》れて身《み》を宿怨《しゅくゑん》と共《とも》に埋《うづ》む。
死《し》の影《かげ》の附纒《つきまと》ふ危《あやふ》き戀《こひ》の履歴《りれき》、
子等《こら》が非業《ひごふ》に果《は》てぬるまでは、
如何《いか》にしても解《と》けかねし親々《おや/\》の忿《いかり》、
是《こ》れぞ今《いま》より二時間《じかん》の吾等《われら》が演劇《えんげき》、
御心《みこゝろ》長《なが》く御覽《ごらん》ぜられさふらはゞ、
足《たら》はぬ所《ところ》は相勵《あひはげ》みて償《つぐの》ひ申《まう》さん。
序詞役《じょしやく》入《はひ》る。
[#改ページ]
カピューレット家《け》の下人《げにん》サンプソンとグレゴリーとが劍《けん》と楯《たて》とを持《も》って出《で》る。
サン やい、グレゴリー、誓言《せいごん》ぢゃ、こちとらは石炭《コール》なんぞは擔《かつ》ぐまいぞよ、假《かり》にも。(不面目な賤しい仕事《しごと》なんぞはすまいぞよ)。
グレ さうとも/\、そんな事《こと》をすりゃ、奴隷《コーリヤー》も同然《どうぜん》ぢゃわい。
サン いやさ、俺《おら》が癇《コーラー》に障《さは》るが最後《さいご》、すぐにも引《ひ》ッこ拔《ぬ》いてくれようといふンぢゃ。
グレ さうよなァ、頸根《くびね》ッ子《こ》は、成《な》ろうなら、頸輪《コラー》(首枷《くびかせ》)から引《ひ》ッこ拔《ぬ》いてゐるがよいてや。(罪人にはならぬがよいてや)。
サン 俺《おれ》が腹《はら》を立《た》ったとなりゃ、忽《たちま》ち(敵手《あひて》をば)眞二《まっぷた》つにしてくれる。
(以下、口合《パンニング》は邦語《はうご》に直譯《ちょくやく》しては通《つう》ぜざれば、意《い》を取《と》りて義譯《ぎやく》す。後段《こうだん》にも斯《か》かる例《れい》しば/\あるべし。)
グレ ところが、其《その》立《た》つまでが手間《てま》が取《と》れうて。
サン 何《なん》の、すぐ立《た》つわい、モンタギュー家《け》の飼犬《かひいぬ》を見《み》たゞけでも。
グレ はて、立《た》つと言《い》へば不動《ゐすわり》ぢゃがや。不動《ゐすわり》は立往生《たちわうじゃう》ぢゃ。出向《でむか》うて往《ゆ》かけんけりゃ鬪爭《けんくわ》にァならぬわい。
サン はて、飼犬《いぬ》を見《み》たゞけでも向《むか》うてゆくわい。モンタギューの奴等《やつら》と見《み》りゃ、男《をとこ》でも女《をんな》でも關《かま》うたことァない。
グレ へッ、關《かま》はいで放任《ほう》っておくのでがな、それが汝《おぬし》の弱蟲《よわむし》の證據《しょうこ》ぢゃ。
サン したり。そこで、とかく弱蟲《よわむし》の女子《をなご》ばかりが玩弄《かま》はれまするとけつかる。いや、俺《おれ》は、野郎《やらう》をば抛《はふ》り出《だ》し、女郎《めらう》をば制裁《かま》はう。
グレ 鬪戰《たゝきあひ》は、主人衆《だんなしゅ》や吾等《おれたち》男共《をとこども》のすることぢゃ。
サン いざ鬪爭《けんくわ》となりゃ、そんな斟酌《しんしゃく》は要《い》らんこっちゃ。男共《をとこども》を叩《たゝ》きみじいたら、女共《をんなども》をもやっつけてくれう。
グレ やっつける?
サン それ、彼奴等《きゃつら》の「額《はち》」を打破《ぶちわ》ってくれうわい。意味《いみ》は如何樣《どのやう》にも取《と》らっせいよ。
グレ それは先方《あひて》の感《かん》じ次第《しだい》ぢゃ。
サン はて、身《み》に沁々《しみ/″\》と感《かん》じようわい、俺《おれ》も隨分《ずゐぶん》と評判《ひゃうばん》の女《をんな》たらしぢゃに依《よ》って。
グレ へん、魚《さかな》でなうて幸福《しあはせ》ぢゃわい、汝《おぬし》が魚《さかな》なら、女《をんな》たらしでは無《な》うて總菜《そうざい》の鹽大口魚《しほだら》と來《き》てけつからう。……(一方を見て)拔《ぬ》けよ(劍を)、モンタギューの奴等《やつら》が來《き》たわい。
此時《このとき》モンタギュー家《け》の下人《げにん》、エブラハムとバルターザーとが一方《ぱう》へ出《で》る。
サン さ、拔《ぬ》いたわ、鬪爭《けんくわ》を買《か》はっせい、尻押《しりおし》をせう。
グレ 何《なん》ぢゃ! 尻《しり》に帆《ほ》を掛《か》ける?
サン 心配《しんぱい》すない。
グレ 何《なん》の、汝《おぬし》を!
サン 此方《こち》の非分《ひぶん》にならぬやうに、先方《むかう》から發端《しか》けさせい。
グレ 行違《ゆきちが》ふ途端《とたん》に睨《にら》みつけてくれう、如何《どう》思《おも》やがらうと關《かま》ふものかえ。
サン うんにゃ、如何《どう》爲《し》やがらうと關《かま》ふものかえ。俺《おれ》は指《ゆび》の爪《つめ》を噛《か》んでくれう、それで默《だま》ってゐりゃ恥《はぢ》さらしぢゃ。
雙方《さうはう》行違《ゆきちが》ふ。サンプソン指《ゆび》の爪《つめ》を噛《か》んで見《み》する。
エブラ お手前《てまへ》は吾等《われら》に對《むか》うて指《ゆび》の爪《つめ》を噛《か》まっしゃったな?
サン 如何《いか》にも爪《つめ》を噛《か》みまする。
エブラ 吾等《われら》に對《むか》うて噛《か》まっしゃるのか?
サン (グレゴリーを顧みて)然《うん》と言《い》うても、理分《りぶん》か?
グレ いゝや。
サン (エブラに對ひて)いゝや、足下《おぬし》たちに對《むか》うて噛《か》みはせんが、噛《か》む。
グレ こりゃ鬪爭《けんくわ》を賣《う》らっしゃるのぢゃな?
エブラ 鬪爭《けんくわ》! いや、決《けっ》して。
サン 鬪爭《けんくわ》なら敵手《あひて》にならう。汝等《おぬしたち》には負《ま》けんぞ。
エブラ 勝《か》ちもすまい。
サン むゝ。……
と詰《つま》る。此時《このとき》上手《かみて》よりモンタギューの親族《しんぞく》ベンーリオー出《で》る。
グレ (サンプソンに對ひ、小聲にて)勝《か》つわいと言《い》はっせい。(下手を見やりて)あそこへ殿《との》の親族《しんぞく》の一人《ひとり》が來《わ》せた。
サン うんにゃ、勝《か》つわい。
エブラ |《うそ》を吐《つ》け。
サン 拔《ぬ》け、男《をとこ》なら。グレゴリー、えいか、頼《たの》むぞよ、しっかり。
サンプソンとエブラハムと劍《けん》を拔《ぬ》いて戰《たゝか》ふ。ベンーリオー此《この》體《てい》を見《み》て駈《か》け來《きた》り、劍《けん》を拔《ぬ》き、割《わ》って入《はひ》る。
ベン 待《ま》った/\! 藏《をさ》めい劍《けん》を。こゝな向不見《むかうみず》が。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》の甥《をひ》チッバルト下手《しもて》より出《で》る。
チッバ やア、下司《げす》下郎《げらう》を敵手《あひて》にして汝《おぬし》は劍《けん》を拔《ぬ》かうでな? ベンーリオー、こちを向《む》け、命《いのち》を取《と》ってくれう。
と劍《けん》を拔《ぬ》く。
ベン いや、これは和睦《わぼく》させうためにしたことぢゃ。劍《けん》を藏《をさ》めい、でなくば、其《その》劍《けん》を以《もっ》て予《わし》と共《とも》に、こいつらを引分《ひきわ》けておくりゃれ。
チッバ 何《なん》ぢゃ、拔《ぬ》いてゐながら、和睦《わぼく》ぢゃ! 和睦《わぼく》といふ語《ことば》は大嫌《だいきら》ひぢゃ、地獄《ぢごく》ほどに、モンタギューの奴等《やつら》ほどに、汝《うぬ》ほどにぢゃ。卑怯者《ひけふもの》め、覺悟《かくご》せい!
突《つ》いてかゝる。ベンーリオー餘義《よぎ》なく敵手《あひて》になる。此《この》途端《とたん》、兩家《りゃうけ》の關係者《くわんけいじゃ》、双方《さうはう》より出《い》で來《きた》り、入亂《いりみだ》れて鬪《たゝか》ふ。市民《しみん》及《およ》び警吏長等《けいりちゃうら》棍棒《クラッブ》を携《たづさ》へて出《い》で來《きた》る。
警吏長 棍棒組《こんぼうぐみ》よ、戟組《ほこぐみ》よ! 打《う》て/\! 打据《うちす》ゑいカピューレットを! モンタギューを打据《うちす》ゑい!
カピューレット長者《ちゃうじゃ》寢衣《ねまき》のまゝにて、其《その》妻《つま》カピューレット夫人《ふじん》はそれを止《とゞ》めつゝ、出《で》る。
カピ長 此《この》騷動《さわぎ》は何事《なにごと》ぢゃ? やア/\、予《よ》が長《なが》い劍《けん》を持《も》て、長《なが》い劍《けん》を。
カピ妻 杖《つゑ》をば、杖《つゑ》をば! 何《なん》の爲《ため》に長《なが》い劍《けん》を?
カピ長 えい、劍《けん》ぢゃといふに。見《み》いあれを、モンタギューの長者《ちゃうじゃ》めが來《き》をって、俺《おれ》に見《み》よがしに刃《やいば》を揮《ふ》りをる。
モンタギュー長者《ちゃうじゃ》白刃《しらは》を堤《さ》げ、其《その》妻《つま》モンタギュー夫人《ふじん》それを止《とゞ》めつゝ、出《で》る。
モン長 おのれ、カピューレットめ!……とめるな、放《はな》せ。
モン妻 鬪《たゝか》はう爲《ため》になら、一歩《ひとあし》でも出《だ》させますな。
領主《りゃうしゅ》の公爵《こうしゃく》エスカラス、從者《じゅうしゃ》多勢《おほぜい》を引連《ひきつ》れて出《で》る。
領主 やア、平和《へいわ》を亂《みだ》す暴人《ばうじん》ども、同胞《どうばう》の血《ち》を以《もっ》て刃金《はがね》を穢《けが》す不埓奴《ふらちやつ》……聽《き》きをらぬな?……やア/\、汝等《おのれら》、邪《よこし》まなる嗔恚《しんに》の炎《ほのほ》を己《おの》が血管《けっくわん》より流《なが》れ出《いづ》る紫《むらさき》の泉《いづみ》を以《もっ》て消《け》さうと試《こゝろ》むる獸類《けだもの》ども、嚴罰《げんばつ》を怖《おそ》るゝならば、其《その》血腥《ちなまぐさ》い手《て》から兇暴《きょうばう》の劍《けん》を抛《なげう》ち、怒《いか》れる領主《りゃうしゅ》が宣言《ことば》を聽《き》け。カピューレットよ、モンタギューよ、汝等《なんぢら》二人《にん》の由《よし》も無《な》き爭論《あらそひ》が原《もと》となって、同胞《どうばう》の鬪諍《とうぢょう》既《すで》に三度《みたび》に及《およ》び、市内《しない》の騷擾《さうぜう》一方《ひとかた》ならぬによって、當《たう》ローナの故老共《こらうども》、其身《そのみ》にふさはしき老實《らうじつ》の飾《かざり》を脱棄《ぬぎす》て、何《なん》十年《ねん》と用《もち》ひざりしため、古《ふる》び錆《さ》びついたる戟共《ほこども》を同《おな》じく年老《としお》いたる手々《てんで》に把《と》り、汝等《なんぢら》が心《こゝろ》に錆《さ》びつきし意趣《いしゅ》の中裁《ちゅうさい》に力《ちから》を費《つひや》す。爾後《じご》再《ふたゝ》び公安《こうあん》を亂《みだ》るに於《おい》ては汝等《なんぢら》が命《いのち》は無《な》いぞよ。今日《こんにち》は餘《よ》の者共《ものども》は皆《みな》立退《たちさ》れ、カピューレットは予《よ》に從《したが》ひ參《まゐ》れ。モンタギュー、其方《そち》は、此《この》午後《ひるご》に、尚《な》ほ申《まう》し聞《き》かすこともあれば、裁判所《さいばんしょ》フリータウンへ參向《さんかう》せい。更《あらた》めて申《まう》すぞ、命《いのち》が惜《を》しくば、皆《みな》立退《たちさ》れ。
モンタギュー夫婦《ふうふ》とベンーリオーだけ殘《のこ》りて皆《みな》入《はひ》る。
モン長 此《この》舊《ふる》い爭端《さうたん》をば何者《なにもの》が新《あたら》しう發《ひら》きをったか? 甥《をひ》よ、おぬしは最初《はじめ》から傍《そば》にゐたか?
ベン いや、私《わたくし》が參《まゐ》った頃《ころ》には、敵《てき》の下人《げにん》と御家來衆《ごけらいしゅ》とがもう既《すで》に戰《たゝか》うてをりました。それを引分《ひきわ》けうとて拔劍《ぬ》きましたる途端《とたん》に、彼《あ》のチッバルトの我武者《がむしゃ》めが劍《けん》を拔《ぬ》いて駈付《かけつ》け、鬪戰《たゝかひ》を挑《いど》み、白刃《しらは》を|揮
《ふりまは》し、徒《いたづ》らに虚空《こくう》をば斫《き》りまする程《ほど》に、風《かぜ》は習々《しふ/\》と音《おと》を立《た》てゝ彼《か》れが不覺《ふかく》を嘲《あざけ》る風情《ふぜい》。かくて互《たが》ひに衝《つ》いつ撃《う》っつの折《をり》から、おひ/\多人數《たにんず》馳加《はせくは》はり、左右《さいふ》に別《わか》れて戰《たゝか》ふ處《ところ》へ、領主《との》が見《み》えさせられ、左右《さう》なく引別《ひきわけ》と相成《あひな》りました。
モン妻 おゝ、ロミオは何處《どこ》に?(ベンーリオーに)今日《けふ》そなた逢《あ》はしましたか? 此《この》騷動《さうどう》に關係《かゝりあ》うてゐなんだは、ま、何《なに》よりも喜《よろこ》ばしい。
ベン さア、今朝《けさ》、東《ひがし》の金《きん》の窓《まど》から朝日影《あさひかげ》のまだ覗《のぞ》きませぬ頃《ころ》、胸《むね》の悶《もだへ》を慰《なぐさ》めませうと、郊外《かうぐわい》に出《で》ましたところ、市《まち》からは西《にし》に當《あた》る、とある楓《かへで》の杜蔭《もりかげ》に、見《み》れば、其樣《そん》な早朝《あさまだき》に、御子息《ごしそく》が歩《ある》いてござる、近《ちか》づけば、それと見《み》て取《と》り、忽《たちま》ちのうちに杜《もり》の繁《しげ》みへ。人目《ひとめ》を避《さ》くるは相身互《あひみたが》ひ、浮世《うきよ》を煩《うるさ》う思《おも》ふ折《をり》には、身一《みひと》つでさへも多《おほ》いくらゐ、強《あなが》ち同志《つれ》を追《お》はずともと、只《たゞ》もう己《おの》が心《こゝろ》の後《あと》をのみ追《お》うて、人目《ひとめ》を避《さ》くる其人《そのひと》をば此方《こちら》からも避《さ》けました。
モン長 げに、幾朝《いくあさ》も/\、未《まだ》乾《ひ》ぬ露《つゆ》に涙《なみだ》を置添《おきそ》へ、雲《くも》には吐息《といき》の雲《くも》を加《くは》へて、彷徨《うろつ》いてゐるのを見掛《みか》けたとか。されども遠《とほ》い東方《ひんがし》の、曙姫《あけぼのひめ》の寢所《ねどころ》から、あの活々《いき/\》した太陽《たいやう》が小昏《をぐら》い帳《とばり》を開《あ》けかくれば、重《おも》い心《こゝろ》の倅《せがれ》めは其《その》明《あか》るさから迯戻《にげもど》り、窓《まど》を閉《と》ぢ、日《ひ》を嫌《きら》うて、我《わ》れから夜《よる》をば製《つく》りをる。良《よ》い分別《ふんべつ》をして此《この》病《やまひ》の根《ね》を絶《た》たねば、一定《ぢゃう》、忌《いま》はしい不祥《ふしゃう》の基《もとゐ》。
ベン で叔父上《をぢうへ》には其《その》根《ね》を御《ご》ぞんじでござりますか?
モン長 いや、知《し》りもせねば、知《し》らせもせぬわい。
ベン 質問《きゝたゞ》して御覽《ごらう》じたことがござりますか?
モン長 予《わし》はもとより、親《した》しい誰《た》れ彼《か》れにも探《さぐ》らせたれども、倅《せがれ》めは、只《たゞ》もう其《その》胸《むね》の内《うち》に、何事《なにごと》をも祕《ひ》し隱《かく》して、いっかな餘人《よじん》には知《し》らせぬゆゑ、探《さぐ》ることも發見《みいだ》すことも出來《でき》ぬ有樣《ありさま》――それが身《み》の爲《ため》にならぬのは知《し》れてあれど――可憐《いたい》けな蕾《つぼみ》の其《その》うるはしい花瓣《はなびら》が、風《かぜ》にも開《ひら》かず、日光《ひ》にもまだ照映《てりは》えぬうちに、意地惡《いぢわる》の螟蛉《あをむし》めにあさましう食《は》まれてしまふやうに。彼《あ》れが愁歎《なげき》の源《もと》さへ知《し》れゝば、直《すぐ》にも療治《れいぢ》したう思《おも》ふのぢゃが。
此時《このとき》ロミオ物思《ものおも》ひ顏《がほ》にて一方《ぱう》へ出《で》る。
ベン あれ、あそこへロミオどのが。お避《はづ》しなされませ。私《わたくし》が聞質《きゝたゞ》して見《み》ませう。どうしても拒《こば》まッしゃらうかも知《し》れぬが。
モン長 それが首尾《しゅび》よう自白《うちあ》けさせる役《やく》に立《た》てばよいが。……奧《おく》、さ、參《まゐ》らう。
モンタギュー夫婦《ふうふ》入《はひ》る。ロミオ近《ちか》づく。
ベン や、お早《はや》うござる。
ロミオ そんなに早《はや》うござるか?
ベン 今《いま》九時《じ》を打《う》ったばかり。
ロミオ あゝ/\、味氣無《あぢきな》い時間《じかん》は長《なが》い。……今《いま》急《いそ》いで去《い》んだは予《わし》の父《ちゝ》でござったか?
ベン いかにも。どういふ味氣《あぢき》ない事《こと》があって、時《とき》を長《なが》いとは被言《おっしゃ》る?
ロミオ 得《え》れば時《とき》が短《みじか》うなるが、其物《そのもの》が得《え》られぬゆゑ。
ベン 戀《こひ》ぢゃな?
(此《この》あたりも、一問《もん》、一答《たふ》こと/″\く口合式《パンニングしき》の警句《けいく》にして、到底《たうてい》、原語通《げんごどほ》りには譯《やく》しがたきゆゑ、義譯《ぎやく》とす。)
ロミオ 人《ひと》の爲《ため》に……
ベン 戀人《こひゞと》の爲《ため》に?
ロミオ 戀《こ》ひ焦《こが》るゝ效《かひ》もなく、其人《そのひと》の爲《ため》に蔑視《さげす》まれて。
ベン やれ/\、柔和《やさ》しらしう見《み》ゆる彼《あ》の戀《こひ》めが、そんな酷《むご》いことや手荒《てあら》いことをしますか?
ロミオ あゝ/\! 戀《こひ》めは始終《しゞゅう》目隱《めかく》しをしてゐて、目《め》は無《な》けれども存分《ぞんぶん》其《その》的《まと》をば射《い》とめをる!……え、何處《どこ》で食事《しょくじ》をしようぞ?……(四下《あたり》を見して)あゝ/\! こりゃまア何《なん》といふ淺《あさ》ましい騷擾《さうぜう》? いや、其《その》仔細《しさい》はお言《い》やるには及《およ》ばぬ、殘《のこ》らず聞《き》いた。是《こ》れ皆《みな》憎《にく》いが原《もと》とは言《い》へ、可愛《かはゆ》いにも深《ふか》い/\縁《えん》がある……すれば是《こ》りゃ憎《にく》みながらの可愛《かはゆ》さ! 可愛《かはゆ》いながらの憎《にく》さといふもの! 無《む》から出《で》た有《う》ぢゃ! 悲《かな》しい戲《たはぶ》れ、沈《しづ》んだ浮氣《うはき》、目易《めやす》い醜《みにく》さ、重《おも》い羽毛《はね》、白《しろ》い煤《すゝ》、冷《つめた》い火《ひ》、健康《すこやか》な病體《びゃうたい》、醒《さ》めた眠《ねむり》! あゝ、有《あ》りのまゝとは同《おな》じでない物《もの》! 恰《ちょう》ど其樣《そのやう》な切《せつ》ない戀《こひ》を感《かん》じながら、戀《こひ》の誠《まこと》をば感《かん》ぜぬ切《せつ》なさ!……何《なん》で笑《わら》ふンぢゃ?
(斯《か》くの如《ごと》き對照式《たいせうしき》の綺語《きご》――技巧的《ぎこうてき》な比喩語《ひゆご》――を竝《なら》ぶることはシェークスピヤの青年期《せいねんき》にはイギリス文壇《ぶんだん》の流行《りうかう》なりしなり。以下《いか》にも同例《どうれい》多《おほ》し。)
ベン 何《なん》の、泣《な》いてゐるぢゃ。
ロミオ 泣《な》くとは、何故《なぜ》に?
ベン その歎《なげ》きを思《おも》ひやって。
ロミオ はて、それは深切《しんせつ》の爲過《しすご》し。いっそ迷惑《めいわく》。おのが心痛《しんつう》ばかりでも心臟《しんざう》が痛《いた》うなるのに、足下《きみ》までが泣《な》いてくりゃると、一段《だん》と胸《むね》が迫《せま》る。足下《きみ》の同情《どうじゃう》は多過《おほす》ぎる予《わし》の悲痛《かなしみ》に、只《たゞ》悲痛《かなしみ》を添《そ》へるばかり。戀《こひ》は溜息《ためいき》の蒸氣《ゆげ》に立《た》つ濃《こ》い煙《けむり》、激《げき》しては眼《め》の裡《うち》に火花《ひばな》を散《ち》らし、窮《きう》しては涙《なみだ》の雨《あめ》を以《もっ》て大海《おほうみ》の水量《みかさ》をも増《ま》す。さて其外《そのほか》では、何《なん》であらうか? 性根《しゃうね》の亂《みだ》れぬ亂心《らんしん》……息《いき》の根《ね》をも杜《と》むる苦《にが》い物《もの》。……命《いのち》を砂糖漬《さとうづけ》にする程《ほど》の甘《あま》い物《もの》。さらば。
ベン まったり! 一しょに行《ゆ》かう。予《わし》を棄《す》てゝ行《ゆ》くとはひどい。
ロミオ とうに棄《す》てゝしまうた身《み》ぢゃ。予《わし》は爰《こゝ》にはゐぬ、これはロミオでは無《な》い、ロミオは何處《どこ》か他所《よそ》にゐよう。
ベン いや、眞實《しんじつ》の白状《はくじゃう》をなされ、こなたが戀《こ》ひ慕《した》ふ人《ひと》とは誰《た》れぢゃ?
ロミオ 白状《はくじゃう》せいとは、予《わし》に拷問《がうもん》の苦痛《くるしみ》をさせうとてか?
ベン 拷問《がうもん》! 何《なん》の、只《たゞ》まッすぐに自白《はくじゃう》なされといふのぢゃ。
ロミオ はて、それは病人《びゃうにん》の遺言《ゆゐごん》を白状《はくじゃう》と呼《よ》ぶやうなもの、わるい上《うへ》にわるい異名《いみゃう》! が、白状《はくじゃう》せう、予《わし》には戀女《こひをんな》がある。
ベン 戀《こひ》と睨《にら》んだ時《とき》に、それ程《ほど》は見拔《みぬ》いてゐた。
ロミオ ても偉《きつ》い射手《いて》ぢゃの! そして其《その》女《おんな》は誰《た》れが目《め》にも立《た》つ美人《びじん》。
ベン 目《め》に立《た》つ的《まと》ならば、射落《いおと》すことは容易《たやす》からう。
ロミオ はて、其《その》覘《ねらひ》は外《はづ》れた。戀愛神《キューピッド》の弱弓《よわゆみ》では射落《いおと》されぬ女《をんな》ぢゃ。處女神《ダイヤナ》の徳《とく》を具《そな》へ、貞操《ていさう》の鐵《てつ》の鎧《よろひ》に身《み》を固《かた》めて、戀《こひ》の稚《をさな》い孱弱矢《へろ/\や》なぞでは些小《いさゝか》の手創《てきず》をも負《お》はぬ女《をんな》。言寄《いひよ》る語《ことば》に圍《かこ》まれても、戀《こひ》する眼《まなこ》に襲《おそ》はれても、いっかな心《こゝろ》を動《うご》かさぬ、賢人《けんじん》を墮落《だらく》さする黄金《こがね》にも前垂《まへだれ》をば擴《ひろ》げぬ。おゝ、限《かぎ》りない美《うつく》しさには富《と》みながら、其《その》美《うつく》しさは只《たゞ》一代限《だいかぎ》り、死《し》ねば種《たね》までも盡《つ》くるとは、貧乏《しがな》い/\運命《うんめい》!
ベン では其《その》女《をんな》は嫁入《よめいり》はせぬと誓《ちか》うたのぢゃな?
ロミオ いかにも。其《その》物吝《ものをし》みが甚《いか》い損失《そんしつ》。折角《せっかく》の美《うつく》しさも、其《その》偏屈《へんくつ》ゆゑに餓死《うゑじに》をして、其《その》美《うつく》しさを子孫《しそん》には能《よ》う傳《つた》へぬ。美《うつく》しうて、賢《かしこ》うて、予《わし》を思《おも》ひ死《じに》さする程《ほど》に賢過《かしこす》ぎた美人《びじん》ゆゑ、恐《おそ》らくは冥利《みゃうり》が盡《つ》き、よもや天國《てんごく》へは登《のぼ》れまい。彼女《あれ》が戀《こひ》はせぬと誓《ちか》うたゝめ、予《わし》は斯《か》うして物《もの》を言《い》うてゐるものゝ、生《い》きながら死《し》んでゐるのぢゃ。
ベン ま、予《わし》の言《い》ふことを聽《き》いて、其《その》女《をんな》をばお忘《わす》れなされ。
ロミオ おゝ! 教《をし》へてくれい、どうしたら忘《わす》れられるか?
ベン もッと目《め》に自由《じいう》を與《あた》へて、あちこちの他《ほか》の美人《びじん》を見《み》たらよからう。
ロミオ 他《ほか》のと較《くら》ぶれば|彌《いよ/\》彼女《あれ》をば絶美《ぜつび》ぢゃと言《い》はねばならぬことになる。美人《びじん》の額《ひたひ》に觸《ふ》るゝ彼《あ》の幸福《しあはせ》な假面《めん》どもは、孰《ど》れも黒々《くろ/″\》と製《つく》ってはあれど、それが却《かへ》って其《その》底《そこ》の白《しろ》い面《かほ》を思出《おもひだ》さする。目《め》を失《なく》した男《をとこ》が、其《その》失《なく》した目《め》といふ寶《たから》をば忘《わす》れぬ例《ためし》。如何《どん》な拔群《ばつくん》な美人《びじん》をお見《み》せあっても、それは只《たゞ》其《その》拔群《ばつくん》な美《び》をも拔《ぬ》く拔群《ばつくん》な美人《びじん》を思出《おもひだ》さす備忘帳《おぼえちゃう》に過《す》ぎぬであらう。さらば。忘《わす》るゝ法《はふ》を教《をし》ふることは足下《きみ》の力《ちから》では出來《でき》ぬ。
ベン 教《をし》へかたの不足《ふそく》は其中《そのうち》に償《つぐな》はう、借《か》りたまゝでは死《し》ぬまいぞ。
二人《ふたり》ともに入《はひ》る。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》を先《さき》に、年若《としわか》き貴公子《きこうし》パリス(下人《げにん》一人《にん》從《つ》いて)出《で》る。
カピ長 モンタギューとても右《みぎ》同樣《どうやう》の懲罰《おとがめ》にて謹愼《きんしん》を仰附《おほせつ》けられた。したが、吾々《われ/\》老人《らうじん》に取《と》っては、平和《へいわ》を守《まも》ることはさまで困難《むづか》しうはあるまいでござる。
パリス 何《いづ》れも名譽《めいよ》の家柄《いへがら》であらせらるゝに、久《ひさ》しう確執《なかたがひ》をなされたはお氣《き》の毒《どく》な儀《ぎ》でござった。時《とき》に、吾等《われら》が申入《まうしい》れた事《こと》の御返答《ごへんたふ》は?
カピ長 先度《せんど》申《まう》した通《とほ》りを繰返《くりかへ》すまでゞござる。何分《なにぶん》にも世間《せけん》知らず、まだ十四度《よど》とは年《とし》の變移目《かはりめ》をば見《み》ぬ女《むすめ》、せめてもう二夏《ふたなつ》の榮枯《わかばおちば》を見《み》せいでは、適齡《としごろ》とも思《おも》ひかねます。
パリス 姫《ひめ》よりも若《わか》うて、見事《みごと》、母親《はゝおや》になってゐるのがござるのに。
カピ長 いや、速《はや》う成《な》るものは速《はや》う壞《くづ》るゝ。末《すゑ》の頼《たの》みを皆《みな》枯《から》し、只《たゞ》一粒《ひとつぶ》だけ殘《のこ》った種子《たね》、此土《このよ》で頼《たの》もしいは彼兒《あれ》ばかりでござる。さりながら、パリスどの、先《ま》づ言寄《いひよ》って女《むすめ》の心《こゝろ》をば動《うご》かしめされ。彼女《あれ》の諾否《いなや》が肝腎《かんじん》、吾等《われら》の意志《こゝろ》は添物《そへもの》、女《むすめ》が諾《うけひ》く上《うへ》は吾等《われら》の承諾《しょうだく》は其《その》取捨《しゅしゃ》の外《ほか》には出《で》ませぬ。今宵《こよひ》、家例《かれい》に因《よ》り、宴會《えんくわい》を催《もよふ》しまして、日頃《ひごろ》別懇《べっこん》の方々《かた/″\》を多勢《おほぜい》客人《まろうど》に招《まね》きましたが、貴下《こなた》が其《その》組《くみ》に加《くは》はらせらるゝは一段《だん》と吾家《わがや》の面目《めんもく》にござる。今宵《こよひ》、陋屋《らうをく》にて、地《ち》を蹈《ふ》む明星《みょうじゃう》が群《む》れ輝《かゞや》き、暗天《やみぞら》をさへも明《あかる》う照《て》らすを御覽《ごらん》あれ。譬《たと》へば、緩漫《なまのろ》い冬《ふゆ》の後《しり》へに華《はなや》かな春《はる》めが來《く》るのを見《み》て、血氣壯《けっきさかん》な若《わか》い手合《てあひ》が感《かん》ずるやうな樂《たの》しさ、愉快《こゝろよ》さを、蕾《つぼみ》の花《はな》の少女《をとめ》らと立交《たちまじ》らうて、今宵《こよひ》我家《わがや》で領《りゃう》せられませうず。悉《こと/″\》く聽《き》き、悉《こと/″\》く視《み》て、さて後《のち》に最《いっ》ち價値《ねうち》のあるのを取《と》らッしゃれ。熟《とく》と觀《み》らるゝと、女《むすめ》も其《その》一人《ひとり》として數《かず》には入《はひ》ってゐても、勘定《かんぢゃう》には入《はひ》らぬかも知《し》れぬ。さゝ、一しょにござれ。……(下人に)やい、汝《そち》はローナ中《ぢゅう》を|駈
《かけまは》って(書附を渡し)爰《こゝ》に名前《なまへ》の書《か》いてある人達《ひとたち》を見附《みつ》けて、今宵《こよひ》我《わが》邸《やしき》で懇《ねんごろ》に御入來《ごじゅらい》をお待《ま》ち申《まう》すと言《い》へ。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》とパリスと入《はひ》る。
下人 こゝに名前《なまへ》の書《か》いてある人達《ひとたち》を見附《みつ》けい! えゝと、靴屋《くつや》は尺《ものさし》で稼《かせ》げか、裁縫師《したてや》は足型《あしかた》で稼《かせ》げ、漁夫《れふし》は筆《ふで》で稼《かせ》げ、畫工《ゑかき》は網《あみ》で稼《かせ》げと書《か》いてあるわい。こゝに名前《なまへ》の書《か》いてある人達《ひとたち》を見附《みつ》けて來《こ》いと言附《いひつ》かったが、書手《かきて》が如何樣《どのやう》な名前《なまへ》を書《か》きをったやら、こりゃ一向《かう》に見附《みつ》からぬわい。學者《ものしり》の處《ところ》へ往《ゆ》かにゃならぬ。……(一方を見て)お、ちょうどよい。
ベンーリオー先《さき》にロミオ從《つ》いて出《で》る。
ベン 馬鹿《ばか》な! そこがそれ、火《ひ》は火《ひ》で壓《おさ》へられ、苦《く》は苦《く》で減《げん》ぜられる例《ためし》ぢゃ。逆《ぎゃく》に囘轉《まは》ると目《め》が眩《ま》うたのが癒《なほ》り、死《し》ぬる程《ほど》の哀愁《かなしみ》も別《べつ》の哀愁《かなしみ》があると忘《わす》れらるゝ。新《あたら》しい毒《どく》を目《め》に染《し》ませて舊《ふる》い毒《どく》を拔《ぬ》くがよい。
ロミオ それには車前草《おんばこ》が一ち好《よ》からう。
ベン それとは?
ロミオ 脛《すね》の傷《けが》には。
ベン ローミオー、貴下《こなた》は氣《き》が狂《ちが》うたのか?
ロミオ 氣《き》は狂《ちが》はぬが、狂人《きちがひ》よりも辛《つら》い境界《きゃうがい》……牢獄《らうごく》に鎖込《とぢこ》められ、食《しょく》を斷《た》たれ、笞《むちう》たれ、苛責《かしゃく》せられ……(下人の近づいたのを見て)や、機嫌《きげん》よう。
下人 はい、御機嫌《ごきげん》ようござりませ。旦那《だんな》は能《よ》う讀《よ》まッしゃりますか?
ロミオ いかにも……不幸《ふしあはせ》に逢《あ》ふて、身《み》の不運《ふうん》を解《よ》むわい。
下人 はて、その樣《やう》な事《こと》は書《ほん》が無《な》くても知《し》れましょ。いや、眼《まなこ》で讀《よ》むものをば讀《よ》まッしゃりますかと聞《き》きますのぢゃ。
ロミオ さア、其《その》文字《もじ》や其《その》言語《ことば》を知《し》ってをればなう。
下人 正直《しゃうぢき》なことを言《い》はっしゃる。御機嫌《ごきげん》ようござらっしゃりませ!
下人《げにん》行《ゆ》きかくる。
ロミオ まて/\、讀《よ》めるわい。
下人《げにん》より書附《かきつけ》を受取《うけと》りて讀《よ》む。
マーチノー殿《どの》、同じく夫人《おくがた》及《およ》び令孃方《むずめごがた》。アンセルム伯《はく》、同《おな》じく美《うつき》しき令妹達《いもとごがた》。トルー
オー殿《どの》後室《こうしつ》。
プラセンシオー殿《どの》、同《おな》じく可憐《かれん》なる姪御達《めひごたち》。マーキューシオー、同《おな》じく舍弟《しゃてい》レンタイン。
叔父御《をぢご》カピューレット殿《どの》、同《おな》じく夫人《ふじん》、同《おな》じく令孃達《むすめごがた》。麗《うるは》しき姪《めひ》のローザライン。リヤ。
レンシオー殿《どの》、同《おな》じく令甥《をひご》チッバルト。リューシオー及《およ》び快活《くわいくわつ》なるヘレナ。
書附《かきつけ》を下人《げにん》に返《かへ》しながら。
美人揃《びじんぞろひ》ぢゃ。何處《どこ》へ集《あつま》るのぢゃ此《この》手合《てあひ》は?
下人 えゝ、あの……
ロミオ え、あの夜會《やくわい》にか?
下人 手前方《てまへかた》へ。
ロミオ 手前方《てまへかた》とは?
下人 主人方《しゅじんかた》へ。
ロミオ いかさま、それを眞先《まっさき》に問《と》ふべきであった。
下人 問《と》はっしゃらいでも申《まう》しませう。手前《てまへ》主人《しゅじん》はカピューレット長者《ちゃうじゃ》でござります。若《も》し貴下《こなた》がモンタギュー家《け》の方《かた》でござらっしゃらぬならば、來《わ》せて酒杯《さかづき》を取《と》らッしゃりませ。御機嫌《ごきげん》ようござりませう!
下人《げにん》入《はひ》る。
ベン 其《その》カピューレットの例會《れいくわい》に、足下《きみ》の戀《こ》ひ慕《した》ふローザラインが、此《この》
ローナで評判《ひゃうばん》のあらゆる美人達《びじんたち》と同席《どうせき》するは良《よ》い都合《つがふ》ぢゃ。そこへ往《い》て、昏《くら》まぬ目《め》で、予《わし》が見《み》する或《ある》顏《かほ》とローザラインのとをお見比《みくら》べあったら、白鳥《はくてう》と思《おも》うてござったのが鴉《からす》のやうにも見《み》えうぞ。
ロミオ 信仰《しんかう》の堅《かた》い此《この》眼《まなこ》に、假《かり》にも其樣《そのやう》な不信心《ふしんじん》が起《おこ》るならば、涙《なみだ》は炎《ほのほ》とも變《かは》りをれ! 何度《なんど》溺《おぼ》れても死《し》にをらぬ此《この》明透《すきとほ》る異端《げだう》め、|《うそ》を言《い》うた科《とが》で火刑《ひあぶり》にせられをれ! 何《なん》ぢゃ、予《わし》の戀人《こひびと》よりも美《うつく》しい! 何《なに》もかも見通《みとほ》しの太陽《たいやう》でも、現世《このよ》創《はじま》って以來《このかた》、又《また》とは彼女程《あれほど》の女《をなご》をば見《み》なんだのぢゃ。
ベン さ、傍《わき》に誰《た》れも居《ゐ》ず、右《みぎ》の目《め》にも左《ひだり》の目《め》にもローザラインばかりを懸較《かけくら》べておゐやった時《とき》には、美《うつく》しうも見《み》えつらうが、其《その》水晶《すゐしゃう》の秤皿《はかりざら》に、今宵《こよひ》予《わし》が見《み》する或《ある》目《め》ざましい美人《びじん》を懸《か》けて、さて後《のち》に、其《その》戀姫《こひびめ》どのと貫目《くわんめ》を較《くら》べて御覽《ごらう》じたなら、今《いま》は最《いっ》ち善《よ》う見《み》ゆるのが最早《もはや》善《よ》うは見《み》えまいぞや。
ロミオ それを見《み》たうは無《な》けれど、自分《こち》のゝ美麗《りっぱ》さを見《み》ようために、一しょに往《ゆ》かう。
二人共《ふたりとも》入《はひ》る。
カピューレット夫人《ふじん》を先《さき》に、乳母《うば》從《つ》いて出《で》る。
カピ妻 乳母《うば》よ、女《むすめ》は何處《どこ》にゐます? 呼《よ》んでくりゃれ。
乳母 はれま、十二の年《とし》の清淨潔白《しゃうじゃうけっぱく》を賭《か》けますがな、ござれと善《よ》う言《い》うておいたに。……(奧に向ひて)もしえ、羊兒《こひつじ》さん! もしえ、姫鳥《ひめどり》さん!……鶴龜々々《つるかめ/\》!……あのお兒《こ》は何處《どこ》へ往《ゆ》かッしゃったか!……もしえ、ヂュリエットさま!
ヂュリエット出《で》る。
ヂュリ 何《なに》え! 呼《よ》びゃるのは誰《た》れぢゃ?
乳母 お母《かゝ》さまぢゃ。
ヂュリ はい、母《はゝ》さま。何御用《なにごよう》?
カピ妻 用《よう》とは斯《か》うぢゃ。乳母《うば》や、ちっとの間《ま》退席《はづ》してたも、内密《ないしょう》の話《はなし》ぢゃによって。……いや/\、乳母《うば》、戻《もど》りゃ、一通《ひとゝほ》り聽《き》いておいて貰《もら》うたはうがよかった。知《し》っての通《とほ》り、女《むすめ》の齡《とし》も喃《なう》、既《もう》おひ/\適齡《としごろ》ぢゃ。
乳母 はい/\、存《ぞん》じてをりますとも、孃《ぢゃう》さまの年齡《おとし》なら、何時間《なんじかん》と言《い》ふことまで。
カピ妻 まだ眞實《ほんたう》の十四にはなりませぬ。
乳母 ならっしゃりませぬとも、此《この》齒《は》を十四本《ほん》賭《か》けますがな……と言《い》うても、其《その》十四本《ほん》が、ほんに/\、もう只《たった》四本《ほん》しかござりませぬわい。……初穗節《はつほまつり》(八朔)までは最早《もう》幾日《いくか》でござりますえ?
カピ妻 二週間《しうかん》と零餘《はした》が幾《いく》らか。
乳母 零餘《はした》が如何《どう》あらうと、一年《ねん》三百六十日《にち》の中《うち》で、初穗節《はつほまつり》の夜《よる》になれば、恰《ちゃう》どお十四にならッしゃります。スーザンと孃《ぢゃう》とは……南無《なむ》あみだぶ……同《おな》い齡《どし》でござりました。スーザンは神樣《かみさま》のお傍《そば》に居《を》りまする、私《わたくし》には過《す》ぎた奴《やつ》でござりましたが。……それはさうと、只今《たゞいま》申《まう》しました通《とほ》り、初穗節《はつほまつり》の夜《よる》になると、恰《ちゃう》どお十四にならッしゃります、大丈夫《だいぢゃうぶ》でござります、はい、善《よ》う記《おぼ》えて居《を》りまする。地震《ぢしん》があってから恰《ちゃう》ど最早《もう》十一年目《ねんめ》……忘《わす》れもしませぬ……一年《ねん》三百六十日《にち》の中《うち》で、はい、其日《そのひ》に乳離《ちばな》れをなされました。妾《わたし》が乳首《ちゝくび》へ苦艾《にがよもぎ》を塗《まぶ》って鳩小舍《はとごや》の壁際《かべぎは》で日向《ひなた》ぼっこりをして……殿樣《とのさま》と貴下《こなた》はマンチュアにござらしゃりました……いや、まだ/\耄《ぼ》きゃしませぬ。それはさうと、只今《たゞいま》も申《まう》しました通《とほ》り、妾《わたし》の乳《ちゝ》の尖所《さき》の苦艾《にがよもぎ》を嘗《な》めさっしゃると、苦《にが》いので、阿呆《あはう》どのがむづかって、乳《ちゝ》をなァ憎《にく》がって! すると鳩小舍《はとごや》が、がた/\/\。わしに出《で》て行《ゆ》けといふにゃ及《およ》ばんと思《おも》うてゐたのに。……それから既《もう》十一年《ねん》、其時《そのとき》になァ單身立《ひとりだち》をさっしゃりましたぢゃ、いや、眞《ほん》の事《こと》、彼方此方《あっちこっち》と|駈《かけまは》らッしゃって、恰《ちゃう》ど其《その》前《まえ》の日《ひ》に小額《こびたひ》に怪我《けが》さッしゃって……其時《そのとき》亡夫《やど》が……南無安養界《なむやんやうかい》! 面白《おもしろ》い人《ひと》でなァ……孃《ぢゃう》を抱起《だきおこ》して「これ、俯向《うつむき》に轉倒《ころ》ばしゃったな? 今《いま》に一段《もっと》怜悧者《りこうもの》にならッしゃると、仰向《あふむけ》に轉倒《ころ》ばっしゃらう、なァ、孃《いと》?」と言《い》ふとな、ま、いかなこと、此《この》お兒《こ》がいの、ふいと啼止《なきやま》っしゃって、「唯《あい》」ぢゃといの。(笑ふ)戲談《じゃうだん》が今《いま》となって眞《ほん》の事《こと》になったと思《おも》ふと! ほんに/\、千年《ねん》生《い》きたとても、これが忘《わす》れられることかいな。「仰向《あふむけ》に轉倒《ころ》ばっしゃらう、なァ、孃《いと》」と言《い》ふと、阿呆《あはう》どのが啼止《なきだま》って、「唯《あい》」ぢゃといの。(笑ふ)
カピ妻 もうよう、もうよい、お默《だま》り。
乳母 はい/\、默《だま》りまする、でもな、笑《わら》はいではをられませぬ、啼《な》くのを止《や》めて、「唯《あい》」と言《い》はッしゃったと思《おも》ふと。でもな、眞實《ほんたう》に小額《こびたひ》の處《ところ》に雛鷄《ひよっこ》のお睾丸程《きんたまほど》の大《おほ》きな腫瘤《こぶ》が出來《でき》ましたぞや、危《あぶな》いことよの、それで甚《きつ》う啼入《なきい》らッしゃった。亡夫《やど》が「これ、俯向《うつむき》に轉倒《ころ》ばしゃったか? 今《いま》に適齡《としごろ》にならッしゃると仰向《あふむけ》に轉倒《ころ》ばッしゃらう、なァ、孃《いと》?」といふとな、啼止《なきだま》って「唯《あい》」ぢゃといの。(笑ふ)。
ヂュリ そして汝《そなた》も默《だま》りゃ。默《だま》ってたも、と言《い》へば。
乳母 はい/\、もうしまひました。南無冥加《なむみょうが》あらせたまへ! 多勢《おほぜい》育《そだ》てた嬰兒《あかさん》の中《うち》で最《いっ》ち可憐《いたいけ》であったはお前《まへ》ぢゃ。其《その》お前《まへ》の御婚禮《ごこんれい》を見《み》ることが出來《でく》れば、予《わし》の本望《ほんまう》でござります。
カピ妻 さ、其《その》婚禮《こんれい》の事《こと》を話《はな》さうとしたのぢゃ。むすめよ、そもじは婚禮《こんれい》がしたいか、どうぢゃ?
ヂュリ 其樣《そのやう》な名譽事《めいよごと》は、わしゃまだ夢《ゆめ》にも思《おも》ふてゐぬ。
乳母 ま、名譽事《めいよごと》といの! わしばかりが乳《ちゝ》を献《あ》げたので無《な》かったなら、其《その》智慧《ちゑ》は乳《ちゝ》から入《はひ》ったとも言《い》ひませうずに。
カピ妻 ならば、今《いま》、よう思《おも》ふて見《み》や、そもじよりも年下《としした》の姫御前《ひめごぜ》で、とうに、此《この》ローナで、母親《はゝおや》におなりゃったのもある。わしも、今《いま》思《おも》へば、そもじと同《おな》じ程《ほど》の年齡《としごろ》に嫁入《よめい》って、そもじを生《まう》けました。摘《つ》まんで言《い》へば、斯《か》うぢゃ、あのパリス殿《どの》がそもじを内室《うちかた》にしたいといの。
乳母 ま、あのよな! 姫《ひい》さまえ、あのよなお方《かた》、世界中《せかいぢゅう》の女衆《をなごしゅ》が……ほんに奇麗《きれい》な、蝋細工《らうざいく》見《み》たやうな。
カピ妻 此《この》ローナに夏《なつ》が來《き》ても、あのやうな花《はな》は咲《さ》かぬ。
乳母 ほんとに花《はな》ぢゃ、眞實《ほん/″\》の活《い》きた花《はな》ぢゃ。
夫人 どうぞいの、あのやうなお方《かた》を可愛《いと》しいと思《おも》はぬか? 今宵《こよひ》の宴會《えんくわい》には彼方《あのかた》も見《み》ゆる筈《はず》、パリス殿《どの》の顏《かほ》といふ一卷《ひとまき》の書《ふみ》を善《よ》う讀《よ》んで、美《び》の筆《ふで》で物《もの》してある懷《なつか》しい意味《いみ》をば味《あぢ》はや。顏中《かほぢゅう》のどこも/\釣合《つりあひ》が善《よ》う取《と》れて、何一《なにひと》つ不足《ふそく》はないが、萬《まん》一にも、呑込《のみこ》めぬ不審《ふしん》があったら、傍註《わきちゅう》ほどに物《もの》を言《い》ふ眼附《めつき》を見《み》や。したが、此《この》戀《こひ》の一卷《ひとまき》に只一《たゞひと》つ足《た》らはぬことゝいふは、表紙《おもてがみ》がまだ附《つ》かず、美《うつく》しう綴《と》ぢても無《な》い。魚《うを》はまだ沖中《おきなか》にぢゃ。總《そう》じて内《うち》の美《び》を韜《つゝ》むは外《ほか》の美《び》の身《み》の譽《ほま》れ、金玉《きんぎょく》の物語《ものがたり》を金《きん》の鈎子《はさみがね》に抱《だ》かすれば、誰《た》が目《め》にも立派《りっぱ》な寶物《たからもの》。彼君《かのきみ》の有《も》たせます限《かぎ》りの物《もの》がそもじのとなることゆゑ、嫁入《よめいり》しやればとて、其方《そなた》に何《なん》の損《そん》も無《な》いのぢゃ。
乳母 損《そん》どころかいな! 女子《をなご》は男《をとこ》ゆゑに肥《ふと》りますわいの。
カピ妻 さ、ちゃッと言《い》や、パリス殿《どの》をお好《す》きゃることが出來《でき》るか?
ヂュリ さア、好《す》いても見《み》ませう、見《み》て好《す》かるゝものなら。とはいへ、わたしの目《め》の矢頃《やごろ》は、母《はゝ》さまのお許《ゆる》しをば限《かぎ》りにして、それより強《きつ》うは射込《いこ》まぬやうにいたしませう。
下人《げにん》出《で》る。
下人 お方《かた》さま、お客人《きゃくじん》も渡《わた》らせられ、御膳部《ごぜんぶ》も出《で》ました、貴下《こなた》をばお召《めし》、姫《ひい》さまをばお尋《たづ》ね、乳母《おんば》どのはお庖厨《だいどころ》で大小言《おほこゞと》、何《なに》もかも大紛亂《おほらんちき》。小僕《わたくし》めはこれからお給仕《きふじ》に參《まゐ》らにゃなりませぬ。すぐにいらせられませい。
カピ妻 すぐ行《ゆ》こ。(下人入《はひ》る)……ヂュリエットや、さ、若伯《わかとの》が待《ま》ってぢゃ。
乳母 さ、早《はや》う往《い》て、嬉《うれ》しい晝《ひる》に嬉《うれ》しい夜《よる》をば添《そ》へさっしゃれ。
皆々《みな/\》入《はひ》る。
|國巡禮《くわいこくじゅんれい》に假裝《かさう》したるロミオを先《さき》に、マーキューシオー、ベン
ーリオー、おの/\思《おも》ひ/\の假裝《かさう》、他《ほか》に五六人《にん》、いづれも道外《だうけ》たる假面《かめん》を携《たづさ》へ、炬火持《たいまつもち》、太鼓係等《たいこがゝりとう》、多勢《おほぜい》ひきつれて出《で》る。
ロミオ 何《なん》と、例《れい》の通《とほ》りに斷口上《ことわりこうじゃう》を言《い》うて入場《はひ》ったものか、但《たゞ》しは無《な》しにせうか?
ベン あのやうな冗繁《あくど》いことは最早《もう》流行《はや》らぬ。肩飾《かたかけ》で目飾《めかくし》をしたキューピッドに彩色《さいしき》した韃靼形《だったんがた》の小弓《こゆみ》を持《も》たせて、案山子《かゞし》のやうに、娘達《むすめたち》を|追
《おひまは》さするのは最早《もう》陳《ふる》い。それから後見《こうけん》に附《つ》けて貰《もら》うて、覺束無《おぼつかな》げに例《れい》の入場《にふぢゃう》の長白《つらね》を述《の》べるのも嬉《うれ》しう無《な》い。先方《さき》が如何《どう》思《おも》はうとも、此方《こっち》は此方《こっち》で、思《おも》ふ存分《ぞんぶん》に踊《をど》りぬいて還《かへ》らう。
ロミオ (炬火持に對ひ)俺《おれ》に炬火《たいまつ》を與《く》れい。俺《おれ》には迚《とて》も浮《う》かれた眞似《まね》は出來《でき》ぬ。餘《あんま》り氣《き》が重《おも》いによって、寧《いっ》そ明《あかる》いものを持《も》たう。
マーキュ いや/\、ロミオどん、是非《ぜひ》とも足下《おぬし》を踊《をど》らせねばならぬ。
ロミオ いや/\、滅相《めっさう》な。足下《きみ》の舞踏靴《をどりぐつ》の底《そこ》は輕《かる》いが、予《わし》の心《こゝろ》の底《そこ》は鉛《なまり》のやうに重《おも》いによって、踊《をど》ることはおろか、歩《ある》きたうもない。
マーキュ はて、足下《おぬし》は戀人《こひびと》ではないか? すればキューピッドの翼《はね》でも借《か》りて、鴉《からす》や鳶《とび》のやうに翔《かけ》ったがよからう。
ロミオ 彼奴《あいつ》の箭先《やさき》かゝってゐるゆゑ、翼《はね》を借《か》りたとても翔《かけ》られぬわい、鳶《とび》や鴉《からす》のやうにも飛《と》べず、悲《かな》しい思《おも》ひに繋《つな》がれてゐるゆゑ、鷹《たか》のやうに高《たか》うも飛《と》べぬ。戀《こひ》の重荷《おもに》に壓伏《おしつ》けらるゝばかりぢゃ。
マーキュ 何《なん》ぢゃ、壓伏《おしつ》ける? あの戀《こひ》に重荷《おもに》を? さりとは温柔《やさ》しい者《もの》を慘酷《むごたら》しう扱《あつか》うたものぢゃ。
ロミオ なに、戀《こひ》を温柔《やさ》しい? 温柔《やさ》しいどころか、粗暴《がさつ》な殘忍《あらけな》い者《もの》ぢゃ。荊棘《いばら》のやうに人《ひと》の心《むね》を刺《さ》すわい。
マーキュ はて、戀《こひ》めが殘忍《あらけな》いことをすれば、此方《こち》からも殘忍《あらけな》うしたがよい。刺《さ》しをったら、此方《こっち》からも刺《さ》して、壓倒《へこま》したがよい。(從者を顧みて)……面《つら》を隱《かく》す假面《めん》を與《く》れ。
從者《じゅうしゃ》より假面《めん》を受取《うけと》り、被《かぶ》らうとして
醜男面《ひょっとこづら》に假面《めん》は無用《むよう》ぢゃ!(と假面を抛出《なげだ》しながら)誰《た》れが皿眼《さらまなこ》で、此《この》見《み》ともない面《つら》を見《み》やがらうと儘《まゝ》ぢゃ! 出額《でこすけ》が赧《あか》うなるばかりぢゃわい。
ベン さア/\、敲戸《たゝ》いて入《はひ》ったり。入《はひ》ったらば、直《すぐ》一しょに踊《をど》り出《だ》さうぞよ。
ロミオ (從者にむかひ)俺《おれ》には炬火《たいまつ》を與《く》れ。氣《き》の輕《かる》い陽氣《やうき》な手合《てあひ》は、舞踏靴《をどりぐつ》の踵《かゝと》で澤山《たんと》無感覺《むかんかく》な燈心草《とうしんぐさ》を擽《こそぐ》ったがよい。俺《おれ》は、祖父《ぢゝい》の訓言通《をしへどほ》り、蝋燭持《らうそくもち》をして高見《たかみ》の見物《けんぶつ》。「好《よ》い目《め》が出《で》た時《とき》、中止《や》めるは老巧者《くろと》」ぢゃ。
(舞踏室《ぶたふしつ》又《また》は客室《きゃくしつ》の床上《ゆかうへ》に刈《か》り集《あつ》めたるばかりの燈心草《とうしんぐさ》(藺《ゐ》)を敷《し》きしは當時《たうじ》の上流《じゃうりう》の習《なら》はしなり。)
マーキュ へん「黒《くろ》い鼠《ねずみ》」と來《く》りゃ夜警吏《よまはり》の定文句《きまりもんく》ぢゃが、もしも足下《きみ》が「黒馬《くろうま》」なら、「沼《ぬま》」からではなく、はて、恐惶《おほそれ》ながら、足下《きみ》が首《くび》ッたけ沒《はま》ってゐる戀《こひ》の淵樣《ふちさま》から引上《ひきあ》げてもやらうに。……(皆々に對ひ)おい、どうした? こりゃ晝《ひる》の炬火《たいまつ》ぢゃわ。(むだな費《つひ》えぢゃ。)
ロミオ 何《なん》の其樣《そん》なことが。
マーキュ はて、斯《か》う愚圖《ぐず》ついてゐるのは、晝間《ひるま》炬火《たいまつ》を燃《つ》けてゐるも同然《どうぜん》と言《い》ふのぢゃ。これ、善《よ》い意味《いみ》に取《と》りゃれ。五智《ち》に只《たゞ》一度《ど》ッきりといふのが分別智《ふんべつち》ぢゃが、善《よ》い意味《いみ》の事《こと》になら、分別智《ふんべつち》が常《つね》に五度《ど》も働《はたら》く。
ロミオ さア、會《くわい》へ行《ゆ》かうとはわるい意味《いみ》でもなからう、が、行《ゆ》くのは智慧者《ちえしゃ》の所爲《しょゐ》ではない。
マーキュ とは何故《なぜ》に?
ロミオ 昨夜《ゆうべ》予《わし》は夢《ゆめ》を見《み》た。
マーキュ 俺《おれ》も見《み》た。
ロミオ そして足下《きみ》の夢《ゆめ》は?
マーキュ 空想家《ゆめをみるをとこ》は囈言《ねごと》や空言《そらごと》を言《い》ふのが癖《くせ》ぢゃといふことを。
ロミオ 囈言《ねごと》や空言《そらごと》の中《うち》にも動《うご》かぬ眞理《まこと》が籠《こも》ってゐる。
マーキュ おゝ、それならば、あの、足下《きみ》は昨夜《ゆうべ》はマブ媛《ひめ》(夢妖精)とお臥《ね》やったな! 彼奴《あいつ》は妄想《もうざう》を産《う》まする産婆《さんば》ぢゃ、町年寄《まちどしより》の指輪《ゆびわ》に光《ひか》る瑪瑙玉《めなうだま》よりも小《ちひ》さい姿《すがた》で、芥子粒《けしつぶ》の一群《ぐん》に車《くるま》を牽《ひか》せて、眠《ねぶ》ってゐる人間《にんげん》の鼻柱《はなばしら》を横切《よこぎ》りをる。其《その》車《くるま》の輻《や》は手長蜘蛛《てながぐも》の脛《すね》、天蓋《てんがい》は蝗蟲《いなご》の翼《はね》、|※《むながい》[#「革+引」、40-5]は姫蜘蛛《ひめぐも》の絲《いと》、頸輪《くびわ》は水《みづ》のやうな月《つき》の光線《ひかり》、鞭《むち》は蟋蟀《こほろぎ》の骨《ほね》、其《その》革紐《かはひも》は豆《まめ》の薄膜《うすかは》、御者《ぎょしゃ》は懶惰《ぶしゃう》な婢《はしため》の指頭《ゆびさき》から發掘《ほじりだ》す彼《か》の圓蟲《まるむし》といふ奴《やつ》の半分《はんぶん》がたも無《な》い鼠裝束《ねずみしゃうぞく》の小《ちひ》さい羽蟲《はむし》、車體《しゃたい》は榛《はしばみ》の實《み》の殼《から》、それをば太古《おほむかし》から妖精《すだま》の車工《くるまし》と定《きま》ってゐる栗鼠《りす》と|《ぢむし》とが製《つく》りをった。さて、此樣《このやう》な行裝《ぎゃうさう》で、彼奴《きゃつ》が毎夜々々《まいよ/\》、戀人共《こひびとども》の頭腦《あたま》の中《なか》を|馳
《かけまは》ると、それが忽《たちま》ち種々《さま/″\》の夢《ゆめ》となる。廷臣《ていしん》の膝《ひざ》を走《はし》れば平身低頭《へいしんていとう》の夢《ゆめ》となり、代言人《だいげんにん》の指《ゆび》を走《はし》れば忽《たちま》ち謝金《しゃきん》の夢《ゆめ》となり、美人《びじん》の唇《くちびる》を走《はし》れば忽《たちま》ち接吻《キッス》の夢《ゆめ》となる。……其《その》唇《くちびる》を、時《とき》とすると、マブめ、腹《はら》を立《た》って水腫《みづぶくれ》に爛《たゞ》れさせをる、息《いき》が香菓子《にほひぐわし》で臭《くさ》いからぢゃ。或《ある》ひはまた廷臣《ていしん》の鼻《はな》の上《うへ》を走《はし》る、と叙任《ぢょにん》を嗅出《かぎだ》す夢《ゆめ》を見《み》る、或《ある》ひは獻納豚《をさめぶた》の尻尾《しっぽ》の毛《け》で牧師《ぼくし》の鼻《はな》を擽《こそぐ》ると、僧《ばうず》め、寺領《じりゃう》が殖《ふ》えたと見《み》る。或《ある》ひは兵卒《へいそつ》の頸筋元《くびすぢもと》を|駈
《かけまは》る、すると敵《てき》の首《くび》を取《と》る夢《ゆめ》やら、攻略《のっとり》やら、伏兵《ふせぜい》やら、西班牙《イスパニア》の名劍《めいけん》やら、底拔《そこぬけ》の祝盃《しゅくはい》やら、途端《とたん》に耳元《みゝもと》で陣太鼓《ぢんだいこ》、飛上《とびあが》る、目《め》を覺《さま》す、おびえ駭《おどろ》いて、一言二言《ひとことふたこと》祈《いのり》をする、又《また》就眠《ねい》る。乃至《ないし》は眞夜中《まよなか》に馬《うま》の鬣《たてがみ》を紛糾《こぐらか》らせ、又《また》は懶惰女《ぶしゃうをんな》の頭髮《かみのけ》を滅茶滅茶《めちゃめちゃ》に縺《もつ》れさせて、解《と》けたら不幸《ふかう》の前兆《ぜんてう》ぢゃ、なぞと氣《き》を揉《も》まするもマブが惡戲《いたづら》。或《ある》ひは娘共《むすめども》が仰向《あふむけ》に臥《ね》てゐる時分《じぶん》に、上《うへ》から無上《むしゃう》に壓迫《おさへつ》けて、つい忍耐《がまん》する癖《くせ》を附《つ》け、難《なん》なく強者《つはもの》にしてのくるも彼奴《きゃつ》の業《わざ》。乃至《ないし》は……
ロミオ しッ/\、もう止《や》めた、止《や》めた! 足下《きみ》は意義《たわい》もないことをばかりお言《い》やる。
マーキュ さもさうず、夢《ゆめ》の話《はなし》ぢゃ。夢《ゆめ》は空想《くうさう》の兒《こ》で、役《やく》に立《た》たぬ腦《なう》から生《うま》るゝ。そも/\空想《くうさう》は、空氣《くうき》よりも仄《ほのか》なもので、今《いま》は北國《ほっこく》の結氷《こほり》に言寄《いひよ》るかと思《おも》へば、忽《たちま》ち腹《はら》を立《た》てゝ吹變《ふきかは》って、南《みなみ》の露《つゆ》に心《こゝろ》を寄《よ》するといふ其《その》風《かぜ》よりも浮氣《うはき》なものぢゃ。
ベン 其《その》風《かぜ》に似《に》た浮《うか》れ話《ばなし》に、大分《だいぶん》の時《とき》が潰《つぶ》れた。ようせぬと、夜會《やくわい》が果《は》てゝ、時後《ときおく》れになってしまはう。
ロミオ (獨語のやうに)俺《おれ》はまた早《はや》まりはせぬかと思《おも》ふ。運《うん》の星《ほし》に懸《かゝ》ってある或《さる》怖《おそろ》しい宿命《しゅくめい》が、今宵《こよひ》の宴《えん》に端《はし》を開《ひら》いて、世《よ》に倦《う》み果《は》てた我《わが》命數《めいすう》を、非業無慚《ひごふむざん》の最期《さいご》によって、絶《た》たうとするのではないか知《し》らぬ。とはいへ、一生《しゃう》の航路《ふなぢ》をば一《ひと》へに神《かみ》に任《まか》した此身《このみ》!……(一同に對ひ)さ、さ、元氣《げんき》な人達《ひとたち》。
ベン 打《う》て、太鼓《たいこ》を。
一同《どう》揃《そろ》うて入《はひ》る。
樂人共《がくじんども》控《ひか》へてゐる。給仕人共《きふじにんども》、布巾《ふきん》を携《たづさ》へて出《い》で來《きた》り、取散《とりち》らしたる盃盤《はいばん》をかたづくる。
甲給仕 ポトパンは何處《どこ》へ往《う》せた? かたづける手傳《てつだ》ひをしをらぬ。かたづけ役《やく》の癖《くせ》に! 拭役《ふきやく》の癖《くせ》に!
乙給仕 饗應《もてなし》の式作法《しきさはふ》一切《さい》を、一人《ひとり》や二人《ふたり》の、洗《あら》ひもせぬ手《て》でしてのくるやうでは、穢《むさ》いことぢゃ。
甲給仕 疊椅子《たゝみいす》を彼方《あっち》へ、膳棚《ぜんだな》もかたづけて。よしか、其《その》皿《さら》も頼《たの》んだ。おいおい、杏菓子《あんずぐわし》を一片《ひときれ》だけ取除《とっと》いてくりゃ。それから足下《おぬし》、深切《しんせつ》があるなら、門番《もんばん》にさう言《い》うて、スーザンとネルを入《はひ》らせてくりゃ。(奧に向つて[#「向つて」はママ])……アントニー! ポトパン!
丙(ポトパン)と丁(アントニー)と出《い》で來《きた》る。
丙 唯《おう》、こゝにゐるわい。
甲給仕 足下《おぬし》をば、大廣間《おほびろま》で、最前《さっき》から呼ばってぢゃ、探《さが》してぢゃ、|尋《たづねまは》してぢゃ。
丁 さう彼方此方《あッちこッち》に居《を》ることは出來《でき》んわ。(一同に對ひ)ささ、働《はたら》いた働《はたら》いた。暫時《ちっとのま》ぢゃ、働《はたら》いた/\。さうして長生《ながいき》すりゃ持丸長者《もちまるちゃうじゃ》ぢゃ。
一同《どう》かたづけながら入《はひ》る。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》を先《さき》に、ヂュリエット及《およ》び同族《どうぞく》の者《もの》多勢《おほぜい》一方《ぱう》より出《い》で、他方《たはう》より出《い》で來《きた》る賓客《ひんきゃく》の男女《なんにょ》及《およ》びロミオ、マーキューシオー等《ら》假裝者《かさうしゃ》の一群《ぐん》を迎《むか》ふる。
カピ長 (ロミオの一群に)ようこそ、方々《かた/″\》! 肉刺《まめ》で患《なや》んで居《を》らん婦人《ふじん》は、何《いづ》れも喜《よろこ》んで舞踏敵手《おあひて》になりませうわい。……(婦人連に對ひ)あァ、はァ、姫御前《ひめごぜ》たち! 舞踏《をど》るを否《いや》ぢゃと被言《おしゃ》る仁《ひと》があるか? 品取《ひんど》って舞踏《をど》らッしゃらぬ仁《ひと》は、誓文《せいもん》、肉刺《まめ》が出來《でき》てゐるンぢゃらう。何《なん》と圖星《づぼし》であらうが?……(ロミオらに對ひ)ようこそ! 吾等《われら》とても假面《めん》を被《つ》けて、美人《びじん》の耳《みみ》へ氣《き》に入《い》りさうな話《はなし》を囁《さゝや》いたこともござったが、あゝ、それは既《も》う過去《むかし》ぢゃ、遠《とほ》い/\過去《むかし》ぢゃ。……方々《かた/″\》、ようこそ來《わ》せられた……(樂人を顧みて)さゝ、樂人共《がくじんども》、はじめい。……(一同に對ひ)開《ひら》いた/\! つゝと開《ひら》いて、さゝ、舞踏《をど》ったり、娘達《むすめたち》。
樂《がく》を奏《そう》しはじむる。男女《なんにょ》手《て》を取《と》りあうて舞踏《をど》る。
もっと燭火《あかし》を持《も》て、家來共《けらいども》! 食卓《テーブル》を疊《たゝ》んでしまうて、爐《ろ》の火《ひ》を消《け》せ、餘《あま》り室内《ざしき》が熱《あつ》うなったわ。……あゝ、こりゃ思《おも》ひがけん好《よ》い慰樂《なぐさみ》であったわい。……(同族の一老人に對ひて)いや、叔父御《をぢご》、まま腰《こし》を下《おろ》しめされ、貴下《こなた》も予《わし》も最早《もう》舞踏時代《ダンスじだい》を過《すご》してしまうた。お互《たが》ひに假面《めん》を着《つ》けて以來《このかた》、もう何年《なんねん》にならうかの?
カピ叔 大丈夫《だいぢゃうぶ》、三十年《ねん》ぢゃ。
カピ長 何《なん》と被言《おしゃ》る! まさかに然程《さほど》ではない、まさかに。リューセンシオーの婚禮以來《こんれいいらい》ぢゃによって、すぐ鼻《はな》の先《さき》にペンテコスト(祭日)が來《き》たとして、二十五年《ねん》、あの時《をり》に被假面《かぶ》ったのぢゃ。
カピ叔 いや、もそっと經《た》つ、もそっと。彼《あ》れの倅《せがれ》がもそっと年《とし》を取《と》ってをる。もう三十ぢゃ。
カピ長 確《しか》とさやうか? あの倅《せがれ》には、つい二年程前《ねんほどまへ》かたまでは、後見人《こうけんにん》が附《つ》いてをった。
此間《このあひだ》ロミオは道外假面《だうけめん》を被《かぶ》ったるまゝ獨《ひと》り離《はな》れて見《み》てゐる。其中《そのうち》ヂュリエットと一武官《ナイト》と手《て》を取《と》りあうて舞踏《をど》りはじむる。
ロミオ (傍の給仕に對ひて)あの武家《ぶけ》と手《て》を取《と》りあうてござる彼《あの》姫《ひめ》は何誰《どなた》ぢゃ?
給仕 小僕《わたくし》は存《ぞん》じませぬ。
ロミオ おゝ、あの姫《ひめ》の美麗《あてやか》さで、輝《かゞや》く燭火《ともしび》が又《また》一段《だん》と輝《かゞや》くわい! 夜《よる》の頬《ほゝ》に照映《てりは》ゆる彼《あ》の姫《ひめ》が風情《ふぜい》は、宛然《さながら》黒人種《エシオツプ》の耳元《みゝもと》に希代《きたい》の寶玉《はうぎょく》が懸《かゝ》ったやう、使《つか》はうには餘《あま》り勿體無《もったいな》く、下界《げかい》の物《もの》としては餘《あま》り靈妙《いみ》じい! あゝ、あの姫《ひめ》が餘《よ》の女共《をんなども》に立交《たちまじ》らうてゐるのは、雪《ゆき》はづかしい白鳩《しらはと》が鴉《からす》の群《むれ》に降《お》りたやう。此《この》一舞踏《ひとをどり》が濟《す》んだなら、姫《ひめ》の居處《ゐどころ》に目《め》を着《つ》け、此《この》賤《いや》しい手《て》を、彼《あ》の君《きみ》の玉手《ぎょくしゅ》に觸《ふ》れ、せめてもの男冥利《をとこみゃうり》にせう。あゝ、俺《おれ》は今《いま》までに戀《こひ》をしたか? やい、眼《まなこ》よ、せなんだと誓言《せいごん》せい! 今夜《こんや》といふ今夜《こんや》までは、眞《まこと》の美人《びじん》をば見《み》なんだわい。
此中《このうち》來賓中《らいひんちゅう》のチッバルト此《この》聲《こゑ》を聞咎《きゝとが》めたる思入《おもひいれ》にて前《まへ》に進《すゝ》む。
チッバ あの聲音《こわね》はモンタギュー家《け》の奴《やつ》に相違《さうゐ》ない。……(從者に對ひ)予《よ》が細刃劍《ほそみ》を持《も》て。……何《なん》ぢゃ? 下司奴《げすやっこ》めが、道外假面《だうけめん》に面《おもて》を隱《かく》して、此《この》祝典《しゅくてん》を蹈附《ふみつけ》にしようとは不埓《ふらち》ぢゃ! カピューレットの正統《しゃうとう》たる權利《けんり》を以《もっ》て、彼奴《きゃつ》めをば打殺《ぶちころ》しても、俺《おれ》ゃ罪惡《ざいあく》とは思《おも》はぬわい。
カピ長 はて、甥《をひ》よ、何《なん》としたのぢゃ! おぬしは何《なん》で其樣《そのやう》に息卷《いきま》くのぢゃ?
チッバ 叔父上《をぢうへ》、あれは敵方《てきがた》のモンタギューでござる。今夜《こんや》の祝典《しゅくてん》を辱《はづかし》めん惡意《あくい》を抱《いだ》いて來《き》をったのでござる。
カピ長 年若《としわか》のロミオではないか?
チッバ でござる、そのロミオ奴《め》でござる。
カピ長 まゝ、堪忍《かんにん》して、放任《うちす》てゝおきゃれ、立派《りっぱ》な紳士《しんし》らしう立振舞《たちふるま》うてをる上《うへ》に、實《じつ》を言《い》へば、日頃《ひごろ》ローナが、徳《とく》もあり行状《ぎゃうじゃう》もよい若者《わかもの》と自慢《じまん》の種《たね》にしてゐるロミオぢゃ。全市《ぜんし》の富《とみ》に易《か》へても、我家《わがや》で危害《きがい》を加《くは》へたうない。ぢゃによって、堪忍《かんにん》して見《み》ぬ介《ふり》をしてゐやれ。これは予《よ》の意志《いし》ぢゃ、予《よ》を重《おも》んじておくりゃらば、顏色《がんしょく》を麗《うるは》しうし、其《その》むづかしい貌《かほ》を止《や》めておくりゃれ。祝宴最中《いはひもなか》に不似合《ふにあひ》ぢゃわい。
チッバ いや、不似合《ふにあひ》でござらん、あんな奴《やつ》が居《ゐ》るからは。堪忍《かんにん》はなりませぬ。
カピ長 はて、堪忍《かんにん》せにゃなりませぬ。これさ、どうしたもの! せにゃならぬといふに。これさ/\、こゝの主長《あるじ》は乃公《おれ》では無《な》いか? 汝《おぬし》か? さゝゝ。汝《おぬし》が堪忍《かんにん》ならん! はれやれ、汝《おぬし》は來賓中《らいひんちゅう》に大鬪爭《おほげんくわ》を起《おこ》させうぞよ! 大騷動《おほさうどう》を爲出來《しでか》さうわい! えゝ、汝《おぬし》のやうなのが、その!
チッバ でも、これは耻辱《ちじょく》でござる。
カピ長 さゝゝ、沒分曉漢《わからんをとこ》ぢゃ。確《しか》と然樣《さやう》か? 其樣《そのやう》なことをすれば身爲《みだめ》になるまい。……すれば、何《なん》ぢゃな、では乃公《おれ》の命令《いふこと》を聽《き》かぬ! はて、今《いま》が時《とき》ぢゃ。……(來賓の方に向ひて)よう/\、出來《でき》た!(又チッバルトに對ひ)向不見《むかうみず》にも程《ほど》があるわさ、さゝ。はて、靜《しづ》かに、若《も》し……(從者を顧みて)もそっと燭火《あかし》を持《も》て、燭火《あかし》を!……(又チッバルトに對ひ)どうしたものぢゃ! 是非《ぜひ》とも靜《しづ》かにして貰《もら》はう。……(來賓《らいひん》に對《むか》ひ)陽氣《やうき》に/\!
チッバ 無理往生《むりわうじゃう》の堪忍《かんにん》と持前《もちまへ》の癇癪《かんしゃく》との出逢《であ》ひがしらで、挨拶《あいさつ》の反《そり》が合《あは》ぬゆゑ、肉體中《からだぢゅう》が顫動《ふるへ》るわい。引退《ひきさが》らう。併《しか》し今《いま》こそ甘《あま》ったるう見《み》えてをる汝《うぬ》が今夜《こんや》の推參《すゐさん》に、やがて苦《にが》い味《あぢ》を見《み》せてくれうぞ。
チッバルト入《はひ》る。
此間《このあひだ》にロミオは假面《かめん》のまゝ、巡禮姿《じゅんれいすがた》のまゝにてヂュリエットに近《ちか》づき、膝《ひざ》まづきて恭《うや/\》しく其《その》手《て》を取《と》る。
ロミオ 此《この》賤《いや》しい手《て》で尊《たふと》い御堂《みだう》を汚《けが》したを罪《つみ》とあらば、面《かほ》を赧《あか》うした二人《ふたり》の巡禮《じゅんれい》、此《この》唇《くちびる》めの接觸《キッス》を以《もっ》て、粗《あら》い手《て》の穢《よご》した痕《あと》を滑《なめら》かに淨《きよ》めませう。
ヂュリ 巡禮《じゅんれい》どの、作法《さはふ》に善《よ》う合《かな》うた御信仰《ごしんかう》ぢゃに、其樣《そのやう》におッしゃッては、其《その》お手《て》に甚《いか》ァい氣《き》の毒《どく》。聖者《せいじゃ》がたにも御手《みて》はある、其《その》御手《みて》に觸《ふ》るゝのが巡禮《じゅんれい》の接吻禮《キッス》とやら。
ロミオ でも聖者《せいじゃ》にも唇《くちびる》があり、巡禮《じゅんれい》にも唇《くちびる》がござりまする。
ヂュリ さア、それはお祈願《いのり》だけに用《もち》ふるもの。
此《この》問答《もんだふ》のうちに、二人《ふたり》はやゝ群衆《ぐんしゅう》と離《はな》るゝ。
ロミオ おゝ、いでさらば、我《わが》聖者《せいじゃ》よ、手《て》の爲《な》す所爲《わざ》を唇《くちびる》に爲《な》さしめたまへ。唇《くちびる》が祈《いの》りまする、聽《ゆる》したまへ、さもなくば、信心《しんじん》も破《やぶ》れ、心《こゝろ》も亂《みだ》れまする。
ヂュリ 切《せつ》なる祈願《いのり》の心《こゝろ》は酌《く》んでも、動《うご》かぬのが聖者《せいじゃ》の心《こゝろ》。
ロミオ では、お動《うご》きなされな、祈願《いのり》の御報《おむくい》をいたゞきます。
と接吻《キッス》する。
斯《か》うして貴孃《あなた》のお唇《くちびる》で、私《わたし》の罪《つみ》が此《この》唇《くちびる》から清《きよ》められ、拭《ぬぐ》はれました。
ヂュリ では、其《その》罪《つみ》は妾《わたし》の唇《くちびる》へ移《うつ》りましたのかえ?
ロミオ 何《なに》、わたしの罪《つみ》が移《うつ》った? おゝ、嬉《うれ》しうもお咎《とが》めなされた! では、其《その》罪《つみ》を戻《もど》して下《くだ》され。
と又《また》接吻《キッス》する。
ヂュリ ても、まア、御均等《ごきんとう》な。
乳母《うば》出《で》る。
乳母 姫《ひい》さま、お母《かゝ》さまがお話《はなし》がありますといな。
これにてヂュリエット離《はな》るゝ。
ロミオ あの方《かた》の母御《はゝご》とは、何誰《どなた》ぢゃ?
乳母 はて、お若《わか》い方《かた》、母御樣《はゝごさま》は此《この》お邸《やしき》の内室《おかた》さまぢゃがな、よいお仁《ひと》で、御發明《ごはつめい》な、御貞節《ごていせつ》な。わしは、今《いま》貴下《こなた》が話《はな》してござらしゃった孃《ぢゃう》さまを育《そだ》てました。もしえ、あの子《こ》を手《て》に入《い》れさッしゃるお仁《ひと》は、澤山々々《たんと/\》貨幣《ちんから》にありつきますぞや。
乳母《うば》離《はな》るゝ。
ロミオ ではカピューレットの女《むすめ》か? おゝ、怖《おそろ》しい勘定狂《かんぢゃうくる》はせ! 俺《おれ》の命《いのち》はこりゃもう敵《かたき》からの借物《かりもの》ぢゃわ。
此時《このとき》、ベンーリオー近寄《ちかよ》りて
ベン さア、歸《かへ》らう/\。娯樂《たのしみ》はもう頂點《ちゃうてん》ぢゃ。
ロミオ なるほど、さうらしい。(獨語のやうに)なりゃこそ|彌《いよ/\》心《こゝろ》が不安《ふあん》になる。
賓客等《ひんきゃくら》おひ/\歸《かへ》り支度《じたく》をする。
カピ長 あ、いや、方々《かた/″\》、お歸《かへ》り支度《じたく》をなされな。粗末《そまつ》な點心《ごだん》ながら、只今《たゞいま》準備中《よういちゅう》でござる。(皆々代る/″\長者に近づきて、小聲に挨拶して歸りゆく)……でござるか? はて、然《しか》らば、何《いづ》れも忝《かたじけ》なうござった。かたじけなうござる。御機嫌《ごきげん》ようござりませ。……(從者に向ひ)もそっと燭火《あかし》を持《も》て、こゝへ!……(賓客を送り果てゝ、家人の方に向ひ)さゝ、此上《このうへ》は、寢《ね》やう/\。あゝ、こりゃ、とんと夜《よ》が更《ふ》けたわ。どりゃ俺《おれ》も休《やす》まう。
一同《いちどう》次第《しだい》に入《はひ》る。ヂュリエットと乳母《うば》と殘《のこ》りて、出行《いでゆ》く客《きゃく》を見送《みおく》る。
ヂュリ 乳母《うば》、こゝへ來《き》や。あのお方《かた》は誰《だ》れ?
乳母 タイビリオーさまのお嗣子《あとゝり》でござります。
ヂュリ 今《いま》戸口《とぐち》から出《で》てゆかうとしてゐるのは誰《だ》れ?
乳母 さいな、ペトルーチオーさまの若樣《わかさま》でござりましょ。
ヂュリ あの方《かた》は、ありゃ誰《だ》れ? その後《あと》から行《ゆ》かッしゃる……ありゃ踊《をど》らなんだ人《ひと》ぢゃ。
乳母 存《ぞん》じませぬ。
ヂュリ さ、往《い》て、問《と》うて來《き》や。……
乳母《うば》離《はな》るゝ。
もしも婚禮《こんれい》が濟《す》んだお方《かた》なら、墓《はか》が予《わし》の新床《にひどこ》とならうも知《し》れぬ。
乳母《うば》戻《もど》り來《きた》る。
乳母 名《な》はロミオと言《い》うて、お邸《うち》とは敵《かたき》どうしのモンタギュー家《け》の若《わか》ぢゃといな。
ヂュリ (獨語的に)類無《たぐひな》いわが戀《こひ》が、類《たぐひ》ないわが憎怨《にくしみ》から生《うま》れるとは! とも知《し》らで早《はや》う見知《みし》り、然《さ》うと知《し》った時《とき》はもう晩蒔《おそまき》! あさましい因果《いんぐわ》な戀《こひ》、憎《にく》い敵《かたき》をば可愛《かはゆ》いと思《おも》はにゃならぬ。
乳母 何《なん》ぢゃいな、それは? 何《なに》を言《い》うてござる?
ヂュリ 歌《うた》ぢゃ……今《いま》がた一しょに舞踏《をど》った人《ひと》に教《をし》へて貰《もら》うた歌《うた》ぢゃ。
奧《おく》にて「ヂュリエット」と呼《よ》ぶ。
乳母 はい/\、只今《たゞいま》!……さゝ、參《まゐ》りましょ。お客人《きゃくじん》は皆《みな》もう歸《かへ》ってしまはッしゃれた。
ヂュリエットを促《うなが》して入《はひ》る。
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序詞役《じょしやく》出《で》る。
序詞役 扨《さて》も老《お》いにたる情慾《じゃうよく》は方《まさ》に最期《いまは》の床《とこ》に眠《ねぶ》りて、
うら若《わか》き戀情《れんじゃう》が其跡《そのあと》を襲《つ》ぐべく起出《おきい》づる。
曾《かつ》ては憧《あこが》れて、爲《ため》に死《し》なんとまで呻《うめ》きつる其《その》美女《びぢょ》も
今《いま》の目《め》には美《うつく》しとも見《み》えず、ヂュリエット姫《ひめ》に比《くら》べては。
かくて戀《こ》ひつ戀《こ》はれつ、二人《ふたり》は一樣《やう》に色《いろ》に迷《まよ》へり、
然《しか》はあれど、歎顏《かこちがほ》に、敵《かたき》の子《こ》に言寄《いひよ》る辛《つら》さ、
女《をんな》もまた鉤《つりばり》より戀《こひ》の甘餌《あまゑさ》を盜《ぬす》む怖《おそろ》しさ。
敵《かたき》どしなれば誓約《かねごと》をも世《よ》の人並《ひとなみ》には告《つ》げがたく、
姫《ひめ》も同《おな》じ思《おも》ひながら、逢《あ》ふべき傳手《つて》は更《さら》に少《すく》なし。
さもあれ、情火《じゃうくわ》は力《ちから》を、時《とき》は便宜《びんぎ》を與《あた》へければ、
限《かぎり》なき危《あやふ》さの中《うち》に、二人《ふたり》は限《かぎり》なく嬉《うれ》しく逢《あ》へり。
序詞役《じょしやく》入《はひ》る。
ロミオ出《で》る。
ロミオ 心臟《しんざう》が此處《こゝ》に殘《のこ》ってゐるのに、何《なん》で歸《かへ》ることが出來《でき》ようぞい? 鈍《どん》な土塊《つちくれ》め、引返《ひッかへ》して、おのが中心《たましひ》を搜《さが》しをれ。
石垣《いしがき》を攀《よ》ぢて庭内《ていない》へ飛下《とびお》りる。
ベンーリオーとマーキューシオーと出る。
ベン ローミオー! ロミオどの! ローミオー!
マーキュ 彼奴《あいつ》めは怜悧者《りこうもの》ぢゃ、一定《てっきり》とうに拔駈《ぬけがけ》して、今頃《いまごろ》は(家《うち》に)臥《ね》てゐるのであらう。
ベン いや/\、此方《こっち》へ走《はし》って來《き》て、此《この》石垣《いしがき》を飛越《とびこ》えた。マーキューシオーどの、呼《よ》んで見《み》さっしゃい。
マーキュ いや、序《ついで》に祈《いの》り出《だ》して見《み》よう。……(呪文の口眞似にて)ローミオーよ! 浮氣《うはき》よ! 狂人《きゃうじん》よ! 煩惱《ぼんなう》よ! 戀人《こひびと》よ! 溜息《ためいき》の姿《すがた》にて出現《しゅつげん》めされ。たッた一句《く》をでも宣言《おほ》せられたならば、小生《それがし》は滿足《まんぞく》いたす。只《たゞ》「嗚呼《あゝ》」とだけ叫《さけ》ばっしゃい、たッた一言《ひとこと》、戀《ラヴ》とか、鳩《ダヴ》とか宣言《おほ》せられい。此方《こち》の昔馴染《むかしなじみ》のーナス殿《どの》を美《ほ》めさっしゃい、乃至《ないし》は盲目《めんない》の息子殿《むすこどの》、例《れい》のコーフェーチュアの王《わう》さんが乞食娘《こじきむすめ》に惚《ほ》れた時分《じぶん》に、見事《みごと》圖星《づぼし》を射中《いあ》てたといふ彼《あ》の弓取《ゆみと》りのキューピッドに何《なん》とか綽號《あだな》でも附《つ》けさっしゃい。……聞《きこ》えぬな、動《うご》かぬな、出《で》て來《こ》ぬな。はて、お猿《さる》どのは亡《な》くなられたさうな。こりゃ|彌
《いよ/\》祈《いの》らねばならぬ。……(又祈祷の口眞似)あはれ、ローザラインの彼《あ》の星《ほし》のやうな眼附《まみつき》、あの高々《たか/″\》とした額《ひたひ》、あの眞紅《まっくれなゐ》の唇《くちびる》、あの可憐《かはゆら》しい足《あし》、あの眞直《まっすぐ》な脛《すね》、あのぶる/\と顫《ふる》へる太股《ふともゝ》乃至《ないし》其《その》近邊《ちかま》にある處々《ところ/″\》に掛《か》けて祈《いの》りまするぞ。速《すみや》かに御正體《ごしゃうたい》を現《あらは》せられい。
ベン 聞《きこ》えたら、腹《はら》を立《た》たうぞ。
マーキュ 何《なん》の腹《はら》を立《た》たう。若《も》し戀女《こひをんな》の魔《ま》の輪近《わぢか》くへ奇異《おつりき》な魔物《まもの》を祈《いの》り出《だ》して、彼女《おてき》が調伏《てうぶく》してしまふまで、それを突立《つッた》たせておいたならば、それこそ惡戲《てんごう》でもあらうけれど、今《いま》のは正直正當《しゃうぢきしゃうたう》な呪文《じゅもん》ぢゃ、彼女《おてき》の名《な》を借《か》りて、ロミオめを祈《いの》り出《だ》さうとしたまでの事《こと》ぢゃ。
ベン こりゃ何《なん》でも、木《こ》の間《ま》に隱《かく》れて、夜露《よつゆ》と濡《ぬ》れの幕《まく》という洒落《しゃれ》であらう。戀《こひ》は盲《めくら》といふから、闇《やみ》は恰《ちょう》どお誂《あつら》へぢゃ。
マーキュ はて、戀《こひ》が盲《めくら》なら的《まと》を射中《いあ》てることは出來《でき》まい。今頃《いまごろ》はロミオめ、枇杷《びわ》の木蔭《こかげ》に蹲踞《しゃが》んで、あゝ、予《わし》の戀人《おてき》が、あの娘共《むすめども》が内密《ないしょ》で笑《わら》ふ此《この》枇杷《びは》のやうならば、何《なん》のかのと念《ねん》じて居《ゐ》よう。おゝ、ロミオ、若《も》し足下《おぬし》の戀人《おてき》が、な、それ、開放《あけっぱな》しの何《なに》とやらで、そして足下《おぬし》が彼女《あれ》の細長林檎《ほそながりんご》であつたなら![#「あつたなら!」はママ] ロミオ、さらば。野天《のてん》の床《とこ》では寒《さぶ》うて寢《ね》られぬ、下司床《げすどこ》で臥《ね》よう。さ、往《ゆ》かうか?
ベン では、去《いな》う。見附《みつ》けられまいと爲《し》てゐるものを搜《さが》すのは無要《むだ》ぢゃ。
二人《ふたり》とも入《はひ》る。
ロミオ前《まへ》に出《で》る。
ロミオ 人《ひと》の痛手《いたで》を嘲《あざけ》りをる、自身《じしん》で創《きず》を負《お》うたことの無《な》い奴《やつ》は。……
此時《このとき》ヂュリエット二階《かい》の窓《まど》に現《あらは》るゝ。
や、待《ま》てよ! あの窓《まど》から洩《も》るゝ光明《あかり》は? あれは、東方《ひがし》、なればヂュリエットは太陽《たいやう》ぢゃ!……あゝ、昇《のぼ》れ、麗《うるは》しい太陽《たいやう》よ、そして嫉妬深《りんきぶか》い月《つき》を殺《ころ》せ、彼奴《あいつ》は腰元《こしもと》の卿《そもじ》の方《はう》が美《うつく》しいのを恨《くや》しがって、あの通《とほ》り、蒼《あを》ざめて居《ゐ》る。あの嫉妬家《やきもちやき》に奉公《ほうこう》するのはよしゃれ。彼奴《あいつ》の制服《しきせ》は青白《あをじろ》い可嫌《いや》な色《いろ》ぢゃゆゑ、阿呆《あはう》の外《ほか》は誰《た》れも着《き》ぬ、脱《ぬ》いでしまや。……おゝ、ありゃ姫《ひめ》ぢゃ。戀人《こひびと》ぢゃ! あゝ、此《この》情《こゝろ》を知《し》らせたいなア!……何《なに》やら言《い》うてゐる。いや、何《なに》も言《い》うてはゐぬ。言《い》はいでもかまはぬ、あの目《め》が物《もの》を言《い》ふ。あの目《め》へ返答《へんたふ》をせふ。……あゝ、こりゃあんまり厚顏《あつかま》しかった。俺《おれ》に言《い》うてゐるのでは無《な》い。大空中《おほぞらぢゅう》で最《いっ》ち美《うつく》しい二箇《ふたつ》の星《ほし》が、何《なに》か用《よう》があって餘所《よそ》へ行《ゆ》くとて、其間《そのあひだ》代《かは》って光《ひか》ってくれと姫《ひめ》の眼《め》に頼《たの》んだのぢゃな。若《も》し眼《め》が星《ほし》の座《ざ》に直《なほ》り、星《ほし》が姫《ひめ》の頭《つむり》に宿《やど》ったら、何《なん》とあらう! 姫《ひめ》の頬《ほゝ》の美《うつく》しさには星《ほし》も羞耻《はにか》まうぞ、日光《にっくわう》の前《まへ》の燈《ランプ》のやうに。然《しか》るに天《てん》へ上《のぼ》った姫《ひめ》の眼《め》は、大空中《おほぞらぢゅう》を殘《のこ》る隈《くま》もなう照《て》らさうによって、鳥《とり》どもが晝《ひる》かと思《おも》うて、嘸《さぞ》啼立《なきた》つることであらう。あれ、頬《ほゝ》を掌《てのひら》へもたせてゐる! おゝ、あの頬《ほゝ》に觸《ふ》れようために、あの手袋《てぶくろ》になりたいなア!
ヂュリ あゝ/\!
ロミオ 物《もの》を言《い》うた。おゝ、今《いま》一度《ど》物《もの》言《い》うて下《くだ》され、天人《てんにん》どの! さうして高《たか》い處《ところ》に光《ひか》り輝《かゞや》いておゐやる姿《すがた》は、驚《おどろ》き異《あやし》んで、後《あと》へ退《さが》って、目《め》を白《しろ》うして見上《みあ》げてゐる人間共《にんげんども》の頭上《とうじゃう》を、翼《はね》のある天《てん》の使《つかひ》が、徐《しづ》かに漂《たゞよ》ふ雲《くも》に騎《の》って、虚空《こくう》の中心《たゞなか》を渡《わた》ってゐるやう!
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故《なぜ》卿《おまへ》はロミオぢゃ! 父御《てゝご》をも、自身《じしん》の名《な》をも棄《す》てゝしまや。それが否《いや》ならば、せめても予《わし》の戀人《こひゞと》ぢゃと誓言《せいごん》して下《くだ》され。すれば、予《わし》ゃ最早《もう》カピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞《き》かうか? すぐ物《もの》を言《い》はうか?
ヂュリ 名前《なまへ》だけが予《わし》の敵《かたき》ぢゃ。モンタギューでなうても立派《りっぱ》な卿《おまへ》。モンタギューが何《なん》ぢゃ! 手《て》でも、足《あし》でも、腕《かひな》でも、面《かほ》でも無《な》い、人《ひと》の身《み》に附《つ》いた物《もの》ではない。おゝ、何《なに》か他《ほか》の名前《なまへ》にしや。名《な》が何《なん》ぢゃ? 薔薇《ばら》の花《はな》は、他《ほか》の名《な》で呼《よ》んでも、同《おな》じやうに善《よ》い香《か》がする。ロミオとても其通《そのとほ》り、ロミオでなうても、名《な》は棄《す》てゝも、其《その》持前《もちまへ》のいみじい、貴《たふと》い徳《とく》は殘《のこ》らう。……ロミオどの、おのが有《もの》でもない名《な》を棄《す》てゝ、其代《そのかは》りに、予《わし》の身《み》をも、心《こゝろ》をも取《と》って下《くだ》され。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取《と》りませう。言葉《ことば》を其儘《そのまゝ》。一言《ひとこと》、戀人《こひゞと》ぢゃと言《い》うて下《くだ》され、直《すぐ》にも洗禮《せんれい》を受《う》けませう。今日《けふ》からは最早《もう》ロミオで無《な》い。
ヂュリ や、誰《た》れぢゃ、夜《よる》の闇《やみ》に包《つゝ》まれて、内密事《ないしょうごと》を聞《き》きゃった其方《そなた》は?
ロミオ 名《な》は何《なん》と言《い》うたものか予《わし》は知《し》らぬ。なう、我《わが》聖者《せいじゃ》よ、わが名《な》は君《きみ》の敵《かたき》ぢゃとあるゆゑ、自分《じぶん》ながら憎《にく》うて/\、紙《かみ》に書《か》いてあるものなら、引破《ひきやぶ》ってしまひたい。
ヂュリ お前《まへ》の言葉《ことば》はまだ百言《こと》とは聞《き》かなんだが、其《その》聲《こゑ》には記憶《おぼえ》がある。ロミオどのでは無《な》いか、モンタギューの?
ロミオ 孰《どち》らでもない、卿《そもじ》が嫌《きら》ひぢゃと言《い》やるならば。
ヂュリ ま、どうして此處《こゝ》へ? して、まア何《なん》の爲《ため》に? あの石垣《いしがき》は高《たか》いゆゑ容易《たやす》うは攀《のぼ》られぬに、それにお前《まへ》の身分《みぶん》は、若《も》し家《うち》の者《もの》が見附《みつ》くれば、忽《たちま》ちお命《いのち》が無《な》からうずに。
ロミオ あの石垣《いしがき》は、戀《こひ》の輕《かる》い翼《つばさ》で踰《こ》えた。如何《いか》な鐵壁《てっぺき》も戀《こひ》を遮《さへぎ》ることは出來《でき》ぬ。戀《こひ》は欲《ほっ》すれば如何樣《どのやう》な事《こと》をも敢《あへ》てするもの。卿《そもじ》の家《うち》の人達《ひとたち》とても予《わし》を止《とゞ》むる力《ちから》は有《も》たぬ。
ヂュリ でも見附《みつ》くれば殺《ころ》しませうぞえ。
ロミオ あゝ、彼等《かれら》十人《にん》、二十人《にん》の劍《けん》よりも、それ、その卿《そもじ》の眼《まなこ》にこそ人《ひと》を殺《ころ》す力《ちから》はあれ。唯《たゞ》もう可愛《かはゆ》い目《め》をして下《くだ》され、彼等《かれら》に憎《にく》まれうと何《なん》の厭《いと》はう。
ヂュリ 予《わし》ゃ何樣《どのやう》な事《こと》があっても、お前《まへ》をば見附《みつ》けさせたうない。
ロミオ 幸《さいは》ひ夜《よる》の衣《ころも》を被《き》てゐる、見附《みつ》けらるゝ筈《はず》はない。とはいへ卿《そもじ》に愛《あい》せられずば、立地《たちどころ》に見附《みつ》けられ、憎《にく》まれて、殺《ころ》されたい、愛《あい》されぬ苦《くるし》みを延《のば》さうより。
ヂュリ 誰《た》が案内《しるべ》をしておいでなされた?
ロミオ 戀《こひ》が案内《しるべ》ぢゃ。尋《たづ》ねて見《み》い、と眞先《まっさき》に促進《すゝ》めたも戀《こひ》なれば、智慧《ちゑ》を借《か》したも戀《こひ》、目《め》を借《か》したも戀《こひ》、予《わし》は舵取《かぢとり》ではないけれども、此樣《このやう》な貨《たから》を得《え》ようためなら、千里《り》萬里《り》の荒海《あらうみ》の、其先《そのさき》の濱《はま》へでも冐險《ばうけん》しよう。
ヂュリ 夜《よる》といふ假面《めん》を附《つ》けてゐればこそ、でなくば恥《はづ》かしさに此《この》頬《ほゝ》が眞赤《まっか》にならう、今宵《こよひ》言《い》うたことをついお前《まへ》に聽《き》かれたゆゑ。予《わし》とても、體裁《ていさい》つくり、そなことを言《い》ひはせぬ、と言《い》ひたいは山々《やま/\》なれど、式《しき》や作法《さはふ》は、もうおさらば! もし、予《わし》を可愛《いと》しう思《おも》うて下《くだ》さるか?「唯《うん》」と被言《おッしゃ》るであらうがな。そして、それをまた實《まこと》と思《おも》はう。でも誓言《せいごん》などなされると(却《かへ》って)心元《こゝろもと》ない、戀人《こひゞと》が誓言《せいごん》を破《やぶ》るのはヂョーヴ神《じん》も只《たゞ》笑《わら》うてお濟《す》ましなさるといふゆゑ。おゝ、ロミオどの、可愛《いと》しう思《おも》うて下《くだ》さるが實《まこと》なら、其通《そのとほ》り誠實《せいじつ》に言《い》うて下《くだ》され。それとも、餘《あ》まり手輕《てがる》う手《て》に入《い》ったとお思《おも》ひなさるやうならば、故《わざ》と怖《こは》い貌《かほ》をして、憎《にく》さうに否《いや》と言《い》はう、たとひお言寄《いひよ》りなされても。さもなくば、世界《せかい》かけて否《いや》とは言《い》はぬ。あゝ、モンタギューどの、このやうに愚《おろ》からしう言《い》うたなら、わしを蓮葉《はすは》なともお思《おも》ひなさらうが、巧妙《じゃうず》に餘所々々《よそ/\》しう作《つく》りすます人達《ひとたち》より、もそッと眞實《しんじつ》な女子《をなご》になって見《み》せう。いゝえ、わしとても、若《も》し戀《こひ》の祕密《ないしょう》を聽《き》かれなんだら、もッと餘所々々《よそ/\》しうしたであらう。ぢゃによって、お恕《ゆる》しなされ、斯《か》う速《はや》う靡《なび》いたをば浮氣《うはき》ゆゑと思《おも》うて下《くだ》さるな、夜《よる》の暗《やみ》に油斷《ゆだん》して、つい下心《したごゝろ》を知《し》られたゝめぢゃ。
ロミオ 姫《ひめ》よ、あの實《み》を結《むす》ぶ樹々《きゞ》の梢《こずゑ》の尖々《さき/″\》をば白銀色《しろがねいろ》に彩《いろど》ってゐるあの月《つき》を誓語《ちかひ》に懸《か》け……
ヂュリ おゝ、|《まは》る夜毎《よごと》に位置《ゐち》の變《かは》る不貞節《ふていせつ》な月《つき》なんぞを誓言《せいごん》にお懸《か》けなさるな。お前《まへ》の心《こゝろ》が月《つき》のやうに變《かは》るとわるい。
ロミオ では、何《なに》を誓語《ちかひ》に懸《か》けよう?
ヂュリ 誓言《せいごん》には及《およ》びませぬ。若《も》し又《また》、誓言《せいごん》なさるなら、わたしが神樣《かみさま》とも思《おも》ふお前《まへ》の身《み》をお懸《か》けなされ、すればお言葉《ことば》を信《しん》じませう。
ロミオ 予《わし》の眞心《こゝろ》が眞實《しんじつ》戀《こ》ひ慕《した》ふ……
ヂュリ あゝ、もし、誓言《せいごん》は、およしなされ。嬉《うれ》しいとは思《おも》へども、今宵《こよひ》すぐに約束《やくそく》するのは、粗忽《そこつ》らしうて、無分別《むぶんべつ》で、早急《さっきふ》で、あッといふ間《ま》に消《き》える稻妻《いなづま》のやうで、嬉《うれ》しうない。戀《こひ》しいお人《ひと》、さよなら! 此《この》戀《こひ》の莟《つぼみ》は、皐月《さつき》の風《かぜ》に育《そだ》てられて、又《また》逢《あ》ふまでには美《うつく》しう咲《さ》くであらう。さよなら/\! お前《まへ》の胸《むね》にも予《わし》の胸《むね》にも、なつかしい安息《あんそく》の宿《やど》りますやう!
ロミオ すりゃ、これぎりで別《わか》れようといふのか?
ヂュリ では、どうせいと被言《おッしゃ》るのぢゃ?
ロミオ 予《わし》の誓言《ちかひ》と取換《とりかへ》に、卿《そなた》の眞實《しんじつ》の誓言《ちかひ》が聽《き》きたい。
ヂュリ わしの誓言《ちかひ》は、さう言《い》はれぬ前《さき》に、献《あ》げてしまうた。もう一度《ど》献《あ》げらるゝやうであって欲《ほ》しい。
ロミオ では、取戻《とりもど》したいか? 何《なん》の爲《ため》に?
ヂュリ 有《あ》る限《かぎ》りを改《あらた》めて獻《あ》げうために。とはいへ、それも、畢竟《ひっきゃう》は、戀《こひ》しいからのこと、献《あ》げたいと思《おも》ふ心《こゝろ》も海《うみ》、戀《こひ》しいと思《おも》ふ心《こゝろ》も海《うみ》の、其《その》底《そこ》は測《はか》り知《し》られぬ。献《あ》ぐれば献《あ》ぐる程《ほど》、尚《なほ》戀《こひ》しさの増《ま》すばかりで、どちらにも限《かぎり》は無《な》い。
此時《このとき》、奧《おく》にて乳母《うば》の聲《こゑ》にて呼《よ》ぶ。
奧《おく》で何《なに》やら、かしましい聲《こゑ》がする。戀《こひ》しいお方《かた》、さよなら……あいあい、乳母《うば》、今《いま》すぐに!……モンタギューどの、必《かなら》ず渝《かは》らず。ちょと待《ま》ってゝ下《くだ》され、すぐ又《また》戻《もど》って來《こ》う。
ヂュリエット入《はひ》る。
ロミオ おゝ、有難《ありがた》い、かたじけない、何《なん》といふ嬉《うれ》しい夜《よる》! が、夜《よる》ぢゃによって、もしや夢《ゆめ》ではないか知《し》らぬ。現《うつゝ》にしては、餘《あんま》り嬉《うれ》し過《す》ぎて|《うそ》らしい。
ヂュリエット再《ふたゝ》び階上《かいじゃう》に現《あら》はるゝ。
ヂュリ ロミオどの、もう三言《みこと》だけ、それで今宵《こよひ》は別《わか》れませう。これ、お前《まへ》の心《こゝろ》に虚僞《いつはり》がなく、まこと夫婦《めをと》にならう氣《き》なら、明日《あす》才覺《さいかく》して使者《つかひ》をば上《あ》げませうほどに、何日《いつ》、何處《どこ》で式《しき》を擧《あ》ぐるといふ返辭《へんじ》をして下《くだ》され、すれば、一生《しゃう》の運命《うんめい》をばお前《まへ》の足下《あしもと》に抛出《なげだ》して、世界《せかい》の如何《どん》な端《はて》までも、わしの殿御《とのご》として隨《つ》いてゆきませう。
乳母 (奧にて)姫《ひい》さま!
ヂュリ あい、今《いま》すぐに。……したが、萬《まん》一にも正《たゞ》しうないお心《こゝろ》を有《も》ってござらば、どうぞ……
乳母 (奧にて)姫《ひい》さま!
ヂュリ 今《いま》すぐに行《ゆ》くわいの。……縁談《えんだん》を斷然《ふっゝり》止《や》め、予《わし》をば勝手《かって》に泣《な》かして下《くだ》され。明日《あす》使《つか》ひを送《あ》げませうぞ。
ロミオ 後《のち》の生《よ》をも誓言《ちかひ》にかけて……
ヂュリ 千《せん》たびも萬《まん》たびも御機嫌《ごきげん》よう。
ヂュリエット入《はひ》る。
ロミオ 千《せん》たびも萬《まん》たびも俺《おれ》は機嫌《きげん》がわるうなったわ、卿《そもじ》といふ光明《ひかり》が消《き》えたによって。戀人《こひゞと》に逢《あ》ふ嬉《うれ》しさは、寺子共《てらこども》が書物《しょもつ》に離《はな》るゝ心持《こゝろもち》と同《おな》じぢゃが、別《わか》るゝ時《とき》の切《せつ》なさは、澁面《じふめん》つくる寺屋通《てらやがよ》ひぢゃ。
ロミオそろ/\と退《さが》る。
ヂュリエット又《また》階上《かいぢゃう》に現《あらは》れて、窃《そっ》と口笛《くちぶえ》を鳴《な》らす。
ヂュリ |hist《ヒスト》! ローミオー! |hist《ヒスト》!……おゝ、こちの雄鷹《をたか》をば呼返《よびかへ》す鷹匠《たかじゃう》の聲《こゑ》が欲《ほ》しいなア、囚人《とらはれ》の身《み》ゆゑ聲《こゑ》が嗄《しゃが》れて、高々《たか/″\》とは能《よ》う呼《よ》ばぬ。さもなかったなら、木魂姫《こだまひめ》が臥《ね》てゐる其《その》洞穴《ほらあな》が裂《さ》くる程《ほど》に、また、あの姫《ひめ》の空《うつろ》な聲《こゑ》が予《わし》の聲《こゑ》よりも嗄《しゃが》るゝ程《ほど》に、ロミオ/\と呼《よ》ばうものを。
ロミオ や、俺《おれ》の名《な》を呼《よ》ぶは戀人《こひゞと》ぢゃ。あゝ、戀人《こひゞと》の夜《よる》の聲音《こわね》は、白銀《しろがね》の鈴《すゞ》のやうにやさしうて、聞《き》けば聞《き》くほどなつかしい!
ヂュリ ローミオー!
ロミオ 戀人《こひゞと》か?
ヂュリ 明日《あす》、何時頃《なんじごろ》に使《つか》ひを送《あ》げうぞ?
ロミオ 九時《じ》に。
ヂュリ あい、ちがへはせぬ。あゝ、その時《とき》までが二十年《ねん》! あれ、忘《わす》れた、何《なん》でお前《まへ》を呼返《よびかへ》したのやら?
ロミオ 思《おも》ひ出《だ》しなさるまで、斯《か》うして此處《こゝ》に立《た》ってゐよう。
ヂュリ さうしてゐて欲《ほ》しいから、わたしゃ尚《なほ》と忘《わす》れませう。一しょにゐたい、といふ事《こと》ばかりは忘《わす》れずに。
ロミオ 予《わし》は又《また》いつまでも斯《か》うして此處《こゝ》に立《た》ってゐよう、卿《そもじ》にも忘《わす》れさせ、自分《じぶん》も此家《こゝ》の事《こと》の外《ほか》は皆《みんな》忘《わす》れて。
ヂュリ もう夜《よ》が明《あ》くる。往《い》んで欲《ほ》しいとは思《おも》へども、小鳥《ことり》の脚《あし》に、氣儘少女《きまゝむすめ》が、囚人《めしうど》の鎖《くさり》のやうに絲《いと》を附《つ》けて、ちょと放《はな》しては引戻《ひきもど》し、又《また》飛《と》ばしては引戻《ひきもど》すがやうに、お前《まへ》を往《い》なしたうもあるが、惜《を》しうもある。
ロミオ 卿《そもじ》の小鳥《ことり》になりたいなア!
ヂュリ お前《まへ》を小鳥《ことり》にしたいなア! したが、餘《あんま》り可愛《かはゆ》がって、つい殺《ころ》してはならぬゆゑ、もうこれで、さよなら! さよなら! あゝ、別《わか》れといふものは悲《かな》し懷《なつか》しいものぢゃ。夜《よ》が明《あ》くるまで、斯《か》うしてさよならを言《い》うてゐたい。
ヂュリエット入《はひ》る。
ロミオ 卿《そもじ》の目《め》には安眠《あんみん》が、卿《そもじ》の胸《むね》には安心《あんしん》の宿《やど》るやう! あゝ、其《その》安眠《あんみん》とも安心《あんしん》ともなって、君《きみ》の美《うつく》しい胸《むね》や目《め》に宿《やど》りたいなア!……これから上人《しゃうにん》の庵《いほり》へ往《い》て、今宵《こよひ》の仕合《しあは》せを話《はな》した上《うへ》、何《なに》かと助力《ぢょりょく》を求《もと》めよう。
ロミオ入《はひ》る。
ロレンス法師《ほふし》提籃《さげかご》を携《たづさ》へて出《で》る。
ロレ 灰色目《はひいろめ》の旦《あした》が顰縮面《しかめつら》の夜《よる》に對《むか》うて笑《ゑ》めば、光明《ひかり》の縞《しま》が東方《とうばう》の雲《くも》を彩《いろど》り、剥《は》げかゝる暗《やみ》は、日《ひ》の神《かみ》の火《ひ》の輪《わ》の前《まへ》に、さながら醉人《ゑひどれ》のやうに蹣跚《よろめ》く。どりゃ、太陽《ひ》が其《その》燃《も》ゆるやうな眼《まなこ》を擧《あ》げて今日《けふ》の晝《ひる》を慰《なぐさ》め、昨夜《さくや》の濕氣《しっき》を乾《かわか》す前《まへ》に、毒《どく》ある草《くさ》や貴《たふと》い液《しる》を出《だ》す花《はな》どもを摘《つ》んで、吾等《われら》の此《この》籃《かご》を一杯《ぱい》にせねばならぬ。萬有《ばんいう》の母《はゝ》たる大地《だいぢ》は其《その》墓所《はかどころ》でもあり、又《また》其《その》埋葬地《まいさうち》たるものが其《その》子宮《こぶくろ》でもある、さて其《その》子宮《こぶくろ》より千差《さ》萬別《べつ》の兒供《こども》が生《うま》れ、其《その》胸《むね》をまさぐりて乳《ち》を吸《す》ふやうに、更《さら》に何《なに》か一種宛《ひとくさづゝ》靈妙《いみ》じい殊《こと》なる效能《かうのう》のある千種《しゅ》萬種《しゅ》を吸出《すひい》だす。あゝ、夥《おびたゞ》しいは草《くさ》や木《き》や金石《きんせき》どもの其《その》本質《ほんしつ》に籠《こも》れる奇特《きどく》ぢゃ。地上《ちじゃう》に存《そん》する物《もの》たる限《かぎ》り、如何《いか》な惡《あ》しい品《しな》も何等《なにら》かの益《えき》を供《きょう》せざるは無《な》く、又《また》如何《いか》な善《よ》いものも用法《ようはふ》正《たゞ》しからざれば其《その》性《せい》に悖《もと》り、圖《はか》らざる弊《へい》を生《しゃう》ずる習《なら》ひ。美徳《びとく》も法《はふ》を誤《あやま》れば惡徳《あくとく》と化《くわ》し、惡徳《あくとく》も用處《ようしょ》を得《え》て威嚴《ゐげん》を生《しゃう》ず。此《この》孱弱《かよわ》い、幼稚《いとけな》い蕚《はなぶさ》の裡《うち》に毒《どく》も宿《よど》れば藥力《やくりき》もある、嗅《か》いでは身體中《からだぢゅう》を慰《なぐさ》むれども、嘗《な》むるときは心臟《しんざう》と共《とも》に五官《くわん》を殺《ころ》す。かゝる敵《かたき》が、植物界《しょくぶつかい》にも、人間界《にんげんかい》にも、常《つね》に陣《ぢん》どって相鬪《あひたゝか》ふ……仁心《じんしん》と害心《がいしん》とが……而《しかう》して惡《あ》しい方《かた》が勝《か》つときは、忽《たちま》ち毒蟲《どくむし》に取附《とりつ》かれて、其《その》植物《しょくぶつ》は枯果《かれは》つる。
ロミオ出《で》る。
ロミオ お早《はや》うござります。
ロレ 冥加《みゃうが》あらせたまへ! 誰《た》れぢゃ、此《この》早朝《さうてう》に、なつかしい其《その》聲音《こわね》は? ほう、若《わか》い癖《くせ》に早起《はやおき》は、心《こゝろ》に煩悶《わづらひ》のある證據《しょうこ》ぢゃ。老《おい》の目《め》は苦勞《くらう》に覺《さ》め勝《が》ち、苦勞《くらう》の宿《やど》る處《ところ》には兎角《とかく》睡眠《すゐみん》の宿《やど》らぬものぢゃが、心《こゝろ》に創《きず》が無《な》く腦《なう》に蟠《わだかま》りのない若《わか》い者《もの》は、手足《てあし》を横《よこ》にするや否《いな》や、好《よ》い心持《こゝろもち》に眠《ねむ》らるゝ筈《はず》ぢゃに、かう早《はや》う起《お》きさしゃったは、こりゃ何《なに》か煩悶《わづらひ》が無《な》うてはならぬ。さうでなくば、こちのロミオは、昨夜《ゆうべ》は床《とこ》に就《つ》かなんだのぢゃな。
ロミオ 其通《そのとほ》りでござる、眠《ね》なんだ故《ゆゑ》にこそ嬉《うれ》しい安心《あんしん》。
ロレ 神《かみ》よ、罪《つみ》を赦《ゆる》させられい! さてはローザラインと一しょぢゃな!
ロミオ ローザラインと一しょぢゃと被言《おッしゃ》るか? 其《その》名前《なまへ》も、其《その》名前《なまへ》に伴《ともな》ふ悲痛《かなしみ》も、予《わし》ゃ最早《もう》みんな忘《わす》れてしまうた。
ロレ それでこそ好《よ》い子《こ》ぢゃ。すれば、何處《どこ》におゐやったのぢゃ?
ロミオ 二度《ど》と問《と》はれいでも話《はな》しませう。仇敵《かたき》の家《いへ》で酒宴《しゅえん》の最中《さいちゅう》、だまし撃《うち》に予《わし》に創《きず》を負《お》はした者《もの》があったを、此方《こち》からも手《て》を負《お》はした。二人《ふたり》の受《う》けた創《きず》は貴僧《こなた》の藥力《やくりき》を借《か》れば治《なほ》る。なう、上人《しゃうにん》、予《わし》は其《その》敵《てき》を憎《にく》みはせぬ、かうして頼《たの》みに來《き》たのも、互《たが》ひの身《み》の爲《ため》を思《おも》ふからぢゃ。
ロレ はて、明白《はっきり》と素直《すなほ》に被言《おッしゃ》れ。懺悔《ざんげ》が謎《なぞ》のやうであると、赦免《みゆるし》も謎《なぞ》のやうなことにならう。
ロミオ されば明白《はっきり》と言《い》はうが、予《わし》はカピューレット家《け》のあの美《うつく》しい娘《むすめ》を又《また》と無《な》い戀人《こひゞと》と定《き》めてしまうた。予《わし》が定《き》めたれば先方《むかう》もまた其通《そのとほ》りに定《き》めたのでござる。手筈《てはず》は皆《みな》濟《す》んだ、殘《のこ》るは貴僧《こなた》に行《おこな》うて貰《もら》ふ神聖《しんせい》な式《しき》ばかり。何時《いつ》、何處《どこ》で、如何《どう》して逢《あ》うて、如何《どう》言寄《いひよ》って、如何《どん》な誓言《せいごん》をしたかは、歩《ある》きながら話《はな》しませうほどに、先《ま》づ承引《しょういん》して下《くだ》され、今日《けふ》婚禮《こんれい》さすることを。
ロレ 祖師《そし》フランシス上人《しゃうにん》! こりゃまた何《なん》たる變《かは》りやうぢゃ! あれほどに戀《こ》ひ焦《こが》れておゐやつた[#「おゐやつた」はママ]ローザラインを最早《もう》棄《す》てゝおしまやったか? されば若《わか》い手合《てあひ》の戀《こひ》は其《その》心《こゝろ》には宿《やど》らいで其《その》眼中《がんちゅう》に宿《やど》ると見《み》えた。|Jesu《ヂェシュー》 |Maria《マリヤ》! どれほど苦《にが》い水《みづ》が其《その》蒼白《あをじろ》い頬《ほゝ》をローザラインの爲《ため》に洗《あら》うたことやら? 幾何《どれほど》の鹽辛水《しほからみづ》を無用《むだ》にしたことやら、今《いま》は餘波《なごり》さへもない其《その》戀《こひ》を味《あぢ》つけうために! 卿《そなた》の溜息《ためいき》はまだ大空《おほぞら》に湯氣《ゆげ》と立昇《たちのぼ》り、卿《そなた》の先頃《さきごろ》の呻吟聲《うなりごゑ》はまだ此《この》老《おい》の耳《みゝ》に鳴《な》ってゐる。それ、まだ其《その》頬《ほゝ》に古《ふる》い涙《なみだ》の汚《よご》れが拭《ぬぐ》はれいで殘《のこ》ってある。卿《そなた》はやはり卿《そなた》で、あの愁歎《なげき》は卿《そなた》の愁歎《なげき》であったなら、それは皆《みな》ローザラインの爲《ため》であったに、なりゃ、其《その》心《こゝろ》が變《かは》ったか? すれば、此《この》一語《ご》を唱《とな》へしめ……女《をんな》は心《こゝろ》の移《うつ》る筈《はず》、男心《をとこごころ》さへも堅固《けんご》にあらず。
ロミオ 貴僧《こなた》はローザラインに戀《こひ》をすなというて、幾《いく》たびもお叱《しか》りゃったぞよ。
ロレ 戀《こひ》をすなではない、溺《おぼ》るなと言《い》うたのぢゃ。
ロミオ そして戀《こひ》を葬《ほうむ》れと被言《おしゃ》ったぞよ。
ロレ 前《まへ》のを墓《はか》に葬《ほうむ》って、別《べつ》のを掘出《ほりだ》せとは曾《つひ》ぞ言《い》はぬ。
ロミオ なう、叱《しか》って下《くだ》さるな。此度《こんど》の女《をんな》は、此方《こち》で思《おも》へば、彼方《あち》でも思《おも》ひ、此方《こち》で慕《した》へば、彼方《あち》でも慕《した》ふ。以前《さき》のはさうで無《な》かった。
ロレ おゝ、それは、卿《そなた》の戀《こひ》をば、能《よ》う會得《ゑとく》してもゐぬことを、只《たゞ》口頭《くちさき》で誦《よ》む類《たぐひ》ぢゃと見拔《みぬ》いてゐた爲《ため》でもあらう。したが、こゝな浮氣者《うはきもの》、ま、予《わし》と一しょに來《き》やれ、仔細《しさい》あって助力《ぢょりき》せう、……此《この》縁組《えんぐみ》が原《もと》で兩家《りゃうけ》の確執《かくしつ》を和睦《わぼく》に變《か》へまいものでもない。
ロミオ おゝ、速《はや》う。早急《さっきふ》に濟《す》まさにゃならぬ。
ロレ いや、賢《かしこ》う徐《ゆる》うぢゃ。馳出《かけだ》す者《もの》は蹉躓《けつまづ》くわい。
ロレンス先《さき》に、ロミオ從《つ》ひて入《はひ》る。
ベンーリオーとマーキューシオーと出《で》る。
マーキュ ロミオめは何處《どこ》へ往《ゆ》きをったか? 歸《かへ》らなんだか昨夜《ゆうべ》は?
ベン うん、父者《てゝぢゃ》の家《いへ》へは。家來《けらい》に逢《あ》うて聞《き》いた。
マーキュ はて、あの蒼白《あをじろ》い情無《じゃうな》し女《をんな》のローザラインめが散々《さん/″\》に奴《やつ》を苦《くるし》めるによって、果《はて》は狂人《きちがひ》にもなりかねまいわい。
ベン カピューレットの一族《ぞく》のチッバルトが、ロミオが父者《てゝぢゃ》へ宛《あ》てゝ、書面《しょめん》をば送《おく》ったさうな。
マーキュ 誓文《せいもん》、決鬪状《けっとうじゃう》であらう。
ベン ロミオは返事《へんじ》をやるであらう。
マーキュ 字《じ》の書《か》ける程《ほど》の者《もの》なら、返事《へんじ》をせいでか?
ベン いや、しかけられたからは、立合《たちあ》はうと返事《へんじ》をせう。
マーキュ あゝ、ロミオの奴《やつ》め、奴《やつ》は最早《もう》死《し》んでゐるわい! あの眞白《まッしろ》な小婦《あまッちょ》の黒《くろ》い目《め》でしてやられた、耳《みゝ》は戀歌《こひか》で射貫《いとほ》される、心臟《しんざう》の眞中央《まッたゞなか》は例《れい》の盲小僧《めくらこぞう》の彼《あ》の稽古矢《けいこや》で打碎《ぶちくた》かれる。何《どう》して、あのチッバルトと立合《たちあ》ふことなぞが出來《でけ》うぞい。
ベン え、如何《どん》な男《やつ》ぢゃチッバルトは?
マーキュ 昔話《むかしばなし》の猫王《チッバルト》ぢゃと思《おも》うたら當《あて》が違《ちが》はう。見事《みごと》武士道《ぶしだう》の式作法《しきさはふ》に精通《せいつう》遊《あそ》ばしたお達人《たつじん》さまぢゃ。譜本《ふほん》で歌《うた》を唱《うた》ふやうに、時《ま》も距離《きょり》も釣合《つりあひ》も違《ちが》へず、一《ひい》、二《ふう》と間《ま》を置《お》いて、三《みッ》つと言《い》ふ途端《とたん》に敵手《あひて》の胸元《むなもと》へ貫通《ずぶり》、絹鈕《きぬぼたん》をも芋刺《いもざし》にしようといふ決鬪師《けっとうし》ぢゃ。例《れい》の第《だい》一條《でう》、第《だい》二條《でう》を口癖《くちぐせ》にする決鬪師《けっとうし》の嫡々《ちゃき/\》ぢゃ。あゝ、百發《ぱつ》百中《ちゅう》の進《すゝ》み突《づき》とござい! 次《つぎ》は逆突《ぎゃくづき》? 參《まゐ》ったか突《づき》とござる!
ベン え、何突《なにづき》?
マーキュ 白癩《びゃくらい》、あのやうな變妙來《へんめうらい》な、異樣《おつ》に氣取《きど》った口吻《ものいひ》をしをる奴《やつ》は斃《くたば》りをれ、陳奮漢《ちんぷんかん》め! 「イエスも照覽《せうらん》あれ、拔群《ばっくん》な劍士《けんし》でござる! いや、拔群《ばっくん》な丈夫《ますらを》でござる!」 へん、拔群《ばっくん》な淫婦《すべた》でござるが聞《き》いて呆《あき》れるわい。何《なん》と、お祖父《ぢい》さん、情無《なさけな》い世《よ》の中《なか》となったではござらぬか、朝《あさ》から晩《ばん》まで流行《りうかう》を|仕入《しいれまは》って、口《くち》さへ開《あ》けば |pardonnez《パルドンネ》|-mois《モア》, |pardonnez《パルドンネ》|-mois《モア》! 新型《しんがた》の細袴《ずぼん》を穿《は》かねば、半時《はんとき》、片時《へんし》も立《た》ってをられぬ如是《あゝいふ》|
共《あぶども》に惱《なやま》されねばならぬとは? おゝ、又《また》しても |bon《ぼん》! |bon《ぼん》! ぶん/\!
ロミオ出る。
ベン ロミオが來《わ》せた、ロミオが。
マーキュ |《はららご》を拔《ぬ》かれた鯡《にしん》の干物《ひもの》といふ面附《つらつき》ぢゃ。おゝ、にしは、にしは、てもまア憫然《あさま》しい魚類《ぎょるゐ》とはなられたな! こりゃ最早《もう》ペトラークが得意《とくい》の戀歌《こひか》をお手《て》の物《もの》ともござらう。ローラなどはロミオが愛姫《ひめ》に比《くら》べては山出《やまだ》しの下婢《はしため》ぢゃ、もっとも、歌《うた》だけはローラが遙《はる》かに上等《じゃうとう》のを作《つく》って貰《もら》うた。はて、ダイドーは自墮落女《じだらくをんな》で、クレオパトラは赤面《あかつら》の乞食女《こじきをんな》、ヘレンやヒーローは賣女《ばいぢょ》、賤女《せんぢょ》で、シスビは碧瞳《あをめだま》ぢゃ何《なん》のかのと申《まう》せども、所詮《しょせん》は取《と》るに足《た》らぬ。……なうなう、ロミオの君《きみ》、えへん、|bonjour《ボンジュール》! これはフランス式《しき》の細袴《ほそずぼん》に對《たい》してのフランス式《しき》の御挨拶《ごあいさつ》でござる。昨夜《ゆうべ》は、ようも巧々《うま/\》と贋金《にせがね》を掴《つか》ませやったの。
ロミオ 二人《ふたり》ともお早《はや》うござる。なに、贋金《にせがね》とは?
マーキュ 吾々《われ/\》の目《め》をお拔《ぬ》きゃって。後《あと》は言《い》はいでもぢゃ。
ロミオ マーキューシオーどの、恕《ゆる》して下《くだ》され、實《じつ》は是非《ぜひ》ない所用《しょよう》があったからぢゃ。あんな際《をり》には、つい、その、禮《れい》を曲《ま》ぐることがある習《なら》ひぢゃ。
マーキュ ふん、あんな際《をり》には、足腰《あしこし》の曲《ま》げ方《かた》が異《ちが》ふといふのぢゃな?
ロミオ といふのは、慇懃《ねんごろ》に挨拶《あいさつ》するためといふ意《こゝろ》か?
マーキュ 其通《そのとほ》り、御深切《ごねんごろ》な解釋《かいしゃく》ぢゃ。
ロミオ これはまた御丁寧《ごていねい》なお言葉《ことば》ぢゃ。
マーキュ はて、禮法《れいはふ》にかけては一代《だい》の精華《ピンク》とも崇《あが》められてゐる乃公《おれ》ぢゃ。
ロミオ 精華《ピンク》とは名譽《めいよ》の異名《いみゃう》か?
マーキュ いかにも。
ロミオ では、予《わし》の舞踏靴《ぶたふぐつ》は名譽《めいよ》なものぢゃ、此通《このとほ》り孔《ピンク》だらけぢゃによって。
マーキュ 出來《でき》た。此上《このうへ》は洒落競《しゃれくら》べぢゃぞ。これ、足下《おぬし》の其《その》薄《うす》っぺらな靴《くつ》の底《そこ》は、今《いま》に悉《こと/″\》く磨《す》り減《へ》って、果《はて》は見苦《みぐる》しい眞《ま》ッ赤《か》な足《あし》を出《だ》しゃらうぞよ。
ロミオ はて、見《み》ぐるしい眞《ま》ッ赤《か》な恥《はぢ》を駄洒落《だじゃ》るとは足下《おぬし》のこと。それ、もう、薄《うす》っぺらな智慧《ちゑ》の底《そこ》が見《み》えるわ!
マーキュ おい、應援《たす》けてくれ、ベンーリオー。智慧《ちゑ》の息《いき》が切《き》れるわ。
ロミオ 鞭《むち》を加《あ》てい、鞭《むち》を、もっと/\。さうで無《な》いと「勝《か》った」と呼《よ》ぶぞよ。
マーキュ いや、こんな阿呆《あほ》らしい拔駈《ぬけがけ》の競爭《きゃうさう》は最早《もう》中止《やめ》ぢゃ。何故《なぜ》と言《い》へ、足下《おぬし》は最初《はじめ》からぬけてゐるわ。何《なん》と、頭拔《づぬ》けた洒落《しゃれ》であらうが。
ロミオ 成程《なるほど》、愚鈍者事《ぬけさくごと》にかけては、足下《おぬし》は生得《うまれつき》頭拔《づぬ》けてゐる。
マーキュ 巧《うま》く脱《ぬ》けをったな、咬《か》むぞよ。
ロミオ はて「咬《か》んでたもるな、阿呆鳥《あはうどり》どのよ」ぢゃ。
マーキュ 足下《おぬし》の洒落《しゃれ》は橙々酢《だい/\ず》といふ格《かく》ぢゃ、藥味《やくみ》にしたら酸《すッ》ぱからう。
ロミオ ぢゃによって、かうした味《あぢ》の脱《ぬ》けた代物《しろもの》に撒布《ふりか》けてゐるのぢゃ。
マーキュ おゝ、ても善《よ》う|《まは》るわ、寸《すん》から尺《しゃく》に伸《の》びる莫大小口《めりやすぐち》とは足下《おぬし》の口《くち》ぢゃ。
ロミオ はて、伸《の》びると言《い》へば、その伸《の》びるとは足下《きみ》の鼻《はな》の下《した》ぢゃ、今《いま》天下《てんか》に並《なら》びもない拔作《ぬけさく》どのとは足下《きみ》のことぢゃ。
マーキュ (笑って)何《なん》と、かう洒落《しゃ》れのめしてゐるはうが、惚《ほ》れたの、腫《は》れたのと呻吟《うめ》いてゐるよりは優《まし》であらうが? 今日《けふ》こそは、つッともう人好《ひとずき》のする立派《りっぱ》なロミオぢゃ、今日《けふ》こそは正面《しゃうめん》、側面《そくめん》、何處《どこ》から見《み》ても正《しゃう》めん贋無《まがひな》しのロミオぢゃ。女《をんな》の事《こと》で愁言《なきごと》言《い》ふは、例《たと》へば、彼《あ》の弄僕《あはう》めが、見《み》ともない面《つら》をして、例《れい》の棒切《ボーブル》をおったてゝ……
ベン もう止《や》めた、もう止《や》めた。
マーキュ しかけた一件《けん》を、止《や》めいとは如何《どう》ぢゃ?
ベン 默《だま》ってゐたら、尚《な》ほ其上《そのうへ》に、何《なに》を爲出《しいだ》さうも知《し》れぬわい。
マーキュ 大《おほ》ちがひぢゃ、何《なに》をしようぞい。事《こと》はとうに終《す》んだわ。もう何《なに》もする氣《き》は無《な》い。
ロミオ やれ/\、お上品《じゃうひん》な問答《もんだふ》!
(此《この》原詞《げんし》は“Here's goodly gear.”此《この》意味《いみ》不分明《ふふんめい》。乳母《うば》とピーターとの來《きた》るを見附《みつ》けての評語《ひゃうご》とも、マーキューシオーとベンーリオーの猥雜《わいざつ》な問答《もんだふ》を反語的《はんごてき》に評《ひゃう》したるものと解《かい》せらる。こゝには後者《こうしゃ》を正《たゞ》しと見《み》て、其義《そのぎ》に譯《やく》しておきたり。)
乳母《うば》が先《さき》に、下人《げにん》ピーター大《おほ》きな扇子《せんす》を持《も》ちて從《つ》いて出《で》る。
マーキュ 船《ふね》ぢゃ/\!
ベン 二艘《さう》々々《/\》。男襦袢《をす》と女襦袢《めす》ぢゃ。
乳母 ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 予《わし》の扇子《せんす》を。
マーキュ ピーターどんや、扇子《せんす》で面《つら》を隱《かく》さうちふのぢゃ、扇子《せんす》の方《はう》が美《うつく》しいからなう。
乳母 殿方《とのがた》、お早《はや》うござります。
マーキュ 御婦人《ごふじん》、お晩《おそ》うござります。
乳母 え、晩《おそ》うござりますとえ。
マーキュ いかにも。それ、その日時計《ひどけい》の淫亂《すけべい》な手《て》が午過《ひるすぎ》の標《しるし》に達《とゞ》いてゐるわさ。
乳母 はれま、此人《このひと》は! 何《なん》たるお人《ひと》ぢゃお前《まへ》は?
ロミオ 御婦人《ごふじん》、これは事壞《ことこは》しの爲《ため》に神樣《かみさま》が造《つく》らせられた男《をとこ》ぢゃ。
乳母 ほんに、巧《うま》いことを被言《おっしゃ》る。事壞《ことこは》しの爲《ため》に出來《でき》た人《ひと》ぢゃといの! あの、殿方《とのがた》え、ロミオの若樣《わかさま》には何處《どこ》へゐたら逢《あ》はれうかの、御存《ごぞん》じなら教《をし》へて下《くだ》され。
ロミオ 予《わし》が教《をし》へう。したが、其《その》若樣《わかさま》は|彌《いよ/\》逢《あ》はッしゃる時分《じぶん》には、尋《たづ》ねてござる今《いま》よりは老《ふ》けてゐませうぞ。はて、最《いっ》ち年少《としわか》のロミオは予《わし》ぢゃ。これより粗《まづ》いのは今《いま》はない。
乳母 てもま、巧《うま》いことを被言《おっしゃ》る。
マーキュ 何《なん》ぢゃ、最《いっ》ち粗《まづ》いのをば甘美《うま》い? はて、巧《うま》い意味《いみ》の取《と》りやうぢゃの。賢女《けんぢょ》々々。
乳母 貴下《こなた》がロミオさまなら、何處《どこ》ぞで改《あらた》めて御密會《ごみっくわい》(御面會)がお願《ねが》ひ申《まう》したうござります。
ベン (笑って)今《いま》に、優待といふ積《つも》りで、誘惑をはじめかねまい。
マーキュ 慶庵婆《ぜげん》だ/\! 來《き》た/\!
ロミオ 來《き》たとは何《なに》が?
マーキュ はて、兎《うさぎ》ではない、兎《うさぎ》にしても脂肪《あぶら》の滿《の》った奴《やつ》ではなうて、節肉祭式《レントしき》の肉饅頭《にくまんぢう》、食《く》はぬうちから、陳《ふる》びて、萎《しな》びて……
(歌ふ)。やんれ、黴《かび》の生《は》えた雌兎《めすうさぎ》、
やんれ、黴《かび》の生《は》えた雌兎《めすうさぎ》、
レント祭《さい》には相應《さうおう》なれど
黴《か》びた兎《うさぎ》ぢゃ二十人《にん》でも食《く》へぬ、
食《く》はぬうちから黴《か》びたと聞《き》けば……
ロミオ、父御《てゝご》の館《うち》へおぢゃれ。あそこで飮《の》まうぞ。
ロミオ 後《あと》から行《ゆ》かう。
マーキュ お媼《ばゝ》どん、さらば。さらば/\。
「姫《ひめ》さん/\/\……」
流行《りうかう》の小唄《こうた》を唱《うた》ひながらベンーリオーと共《とも》にマーキューシオー入《はひ》る。
乳母 はい、御機嫌《ごきげん》よう。……もし/\、あの人《ひと》は、ま、何《なん》といふ無作法《ぶさはふ》な若《わか》い衆《しゅ》でござるぞ? あくたいもくたいばかり言《い》うて。
ロミオ あれは自分《じぶん》の饒舌《しゃべ》るのを聽《き》くことの好《す》きな男《をとこ》、一月《ひとつき》かゝってもやり切《き》れぬやうな事《こと》を、一分間《ぶんかん》で饒舌《しゃべ》り立《た》てようといふ男《をとこ》ぢゃ。
乳母 おのれ、わしの事《こと》を何《なん》とでも言《い》うて見《み》をれ、目《め》に物《もの》を見《み》せうぞい。よしんば見《み》かけより強《つよ》からうと、あんな奴《やつ》がまだ別《べつ》に二十人《にん》あらうと、大事《だいじ》ない。自力《じりき》で敵《かな》はぬなら、人《ひと》を頼《たの》むわいの。碌《ろく》でなしの和郎《わろ》め! 彼奴《あいつ》らに阿呆《あはう》にされて堪《たま》るかいの。彼奴《あいつ》らの無頼仲間《ごろつきなかま》ぢゃありゃせぬわい。……(下人に對ひて)汝《おのし》も傍《そば》に立《た》ってゐながら、予《わし》が隨意的《えいやう》にされてゐるのを、見《み》てゐるとは何《なん》の事《こッ》ちゃい。
ピータ 誰《た》れもお前《まへ》を隨意的《えいやう》には爲《し》やせぬがや。若《も》しも其樣《そない》なことがあれば、此《この》利劍《わざもの》を引拔《ひきぬ》かいでかいの。こりゃ拔《ぬ》かんければならん場合《ばあひ》ぢゃとさへ思《おも》うたら、わしゃ人《ひと》に負《ま》くるこっちゃない。
乳母 えゝ、ほんに/\、悔《くや》しうて/\、身體中《からだぢゅう》が顫《ふる》へるわいの。碌《ろく》でなしの和郎《わろ》めが!……(ロミオに對ひて)もし/\、貴下《こなた》さまえ、最前《さいぜん》も申《まう》しましたが、妾《わし》の姫《ひい》さまが、貴下《こなた》を搜《さが》して來《こ》いとの吩咐《いひつけ》でな、其《その》仔細《わけ》は後《あと》にして、先《ま》づ言《い》うて置《お》くことがござります、若《も》しも貴下《こなた》が、世間《せけん》で言《い》ふやうに、阿呆《あはう》の極樂《ごくらく》へ姫《ひい》さまを伴《つ》れて行《ゆ》かっしゃるやうならば、ほんに/\、世間《せけん》で言《い》ふ通《とほ》り、不埓《ふらち》な事《こと》ぢゃ。何故《なぜ》と被言《おッしゃ》りませ、姫《ひい》さまはまだ齡《とし》がゆかッしゃらぬによって、騙《だま》さッしゃるやうであれば、ほんにそれは惡《わる》いこっちゃ、御婦人《ごふじん》を騙《だま》さッしゃるは卑怯《ひけふ》ぢゃ、非道《ひだう》ぢゃ。
ロミオ お乳母《うば》どの、おぬしのお姫《ひい》さんへ慇懃《ねんごろ》に傳《つた》へて下《くだ》され。予《わし》は飽迄《あくまで》も言《い》うておく……
乳母 はれ、善《よ》いお仁《ひと》や、ほんに其通《そのとほ》り申《まう》しましょわいな。ほんに、ま、何樣《どのやう》に喜《よろこ》ばッしゃらう。
ロミオ 其通《そのとほ》りにとは、何《なに》を? まだ何《なに》も言《い》やせぬのに。
乳母 飽迄《あくまで》も言《い》うて置《お》く、とおッしゃったと言《い》や、それが立派《りっぱ》なお言傳手《ことづて》ぢゃがな。
ロミオ なう、姫《ひめ》に勸《すゝ》めて下《くだ》され、此《この》晝過《ひるすぎ》に、何《なん》とか才覺《さいかく》して懺悔式《ざんげしき》に來《こ》らるゝやう。あのロレンス殿《どの》の庵室《あんじつ》で、懺悔《ざんげ》の式《しき》を濟《す》まして婚禮《こんれい》する心《こゝろ》なれば。こりゃ骨折賃《ほねをりちん》ぢゃ。
乳母 いえ、めっさうな。一錢《せん》も戴《いたゞ》きませぬ。
ロミオ まゝ、是非《ぜひ》とも。
乳母 では、此《この》晝過《ひるすぎ》に? む、む、其樣《そのやう》にいたしましょ。
乳母《うば》行《ゆ》きかくる。
ロミオ あ、これ、お待《ま》ち。やがて、あの寺《てら》の塀外《へいそと》へ、おぬしに渡《わた》す爲《ため》に、繩梯子《なはばしご》のやうに編《あ》み合《あは》せたものを家來《けらい》に持《も》たせて遣《や》りませう。それこそは忍《しの》ぶ夜半《やは》に嬉《うれ》しい事《こと》の頂點《ちゃうてん》へ此身《このみ》を運《はこ》ぶ縁《えん》の綱《つな》。……さよなら。眞實《しんじつ》を盡《つく》しておくりゃれ、きっと骨折《ほねをり》の報《むくひ》はせう。さらば。姫《ひめ》へ宜《よろ》しう傳《つた》へて下《くだ》され。
乳母 御機嫌《ごきげん》やういらせられませい!……あ、もし/\。
ロミオ 何《なん》とかお言《い》やったか?
乳母 御家來《ごけらい》は口《くち》の堅《かた》いお人《ひと》かいな? 二人《ふたり》ぎりの祕密《ひみつ》は洩《も》れぬ、三人目《にんめ》が居《を》らねば、と言《い》ひますぞや。
ロミオ 大丈夫《だいぢゃうぶ》ぢゃ、鋼鐡《はがね》のやうに堅《かた》い男《をとこ》ぢゃ。
乳母 それならば。こちの姫《ひい》さまはな、それは/\憐《しほら》しうて……ほんに、ほんに、まだ幼《ちひさ》うて、分別《たわい》もないことを言《い》うてゞあった時分《じぶん》は……お、あのな、パリス樣《さま》と言《い》うて、お立派《りっぱ》な方《かた》がな、どうぞして物《もの》にせうと氣《き》を揉《も》まっしゃるのぢゃが、あのよな人《ひと》に逢《あ》ふよりは、予《わし》ゃ蟾蜍《ひきがへる》に逢《あ》うたはうが優《まし》ぢゃ、と言《い》うてな、あの蟾蜍《ひきがへる》に。予《わし》も折々《をり/\》は腹《はら》を立《た》っても見《み》ますのぢゃ、パリスどのゝ方《はう》が、ずっと好《よ》い男《をとこ》ぢゃと言《い》うてな。すると、眞《ほん》の事《こと》ぢゃ、孃《ぢゃう》は眞蒼《まっさを》な顏《かほ》にならっしゃる、圖無《づな》い白布《しろぬの》のやうに。え、ロミオと萬迭香《ローヅメリ》とは、頭字《かしらじ》が同《おな》じかいな?
ロミオ いかにも。それが、何《なん》としたぞ? 兩方《りゃうはう》とも|R《アール》ぢゃ。
乳母 はれま、人《ひと》を! そりゃ、犬《いぬ》の名《な》ぢゃがな。|R《アール》がお前《まへ》の……いやいや、何《なに》か他《ほか》の字《じ》に相違《さうゐ》ないわいの。……何《なん》でもな、貴下《こなた》と萬迭香《ローズメリ》とが如何《どう》とやらしたといふ、何《なん》ぢゃ知《し》らんが、面白《おもしろ》さうな額言《がくげん》(格言)とやらを作《つく》らしゃってぢゃ、貴下《こなた》が聞《き》かッしゃれば喜《よろこ》ばッしゃらうやうな。
ロミオ 姫《ひめ》に宜《よろ》しう言《い》うて下《くだ》され。
ロミオ入る。
乳母 はい/\、申《まう》しましょとも。……ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 先《さき》へ、そして急歩的《とっと》と。
乳母《うば》とピーターと入《はひ》る。
ヂュリエット出る。
ヂュリ 乳母《うば》を出《だ》してやった時《とき》、時計《とけい》は九《こゝの》つを打《う》ってゐた。半時間《はんじかん》で歸《かへ》るといふ約束《やくそく》。若《も》しや逢《あ》へなんだかも知《し》れぬ。いや/\、さうでは無《な》い。えゝも、乳母《うば》めは跛足《ちんば》ぢゃ! 戀《こひ》の使者《つかひ》には思念《おもひ》をこそ、思念《おもひ》は殘《のこ》る夜《よる》の影《かげ》を遠山蔭《とほやまかげ》に追退《おひの》ける旭光《あさひ》の速《はや》さよりも十倍《ばい》も速《はや》いといふ。ぢゃによって、戀《こひ》の神《かみ》の御輦《みくるま》は翼輕《はねがる》の鳩《はと》が牽《ひ》き、風《かぜ》のやうに速《はや》いキューピッドにも双《ふた》つの翼《はね》がある。あれ、もう太陽《たいやう》は、今日《けふ》の旅路《たびぢ》の峠《たうげ》までも達《とゞ》いてゐる。九時《じ》から十二時《じ》までの長《なが》い/\三時間《じかん》、それぢゃのに、まだ歸《かへ》って來《こ》ぬ。乳母《うば》めに、情《じゃう》が燃《も》えてゐたら、若《わか》い温《あたゝ》かい血《ち》があったら、テニスの球《たま》のやうに、予《わし》が吩咐《いひつ》くるや否《いな》や戀人《こひゞと》の許《とこ》へ飛《と》んで行《ゆ》き、また戀人《こひゞと》の返辭《へんじ》と共《とも》に予《わし》の手元《てもと》へ飛返《とびかへ》って來《き》つらうもの。……あゝ、老人《らうじん》といふものは、死《し》んでゞもゐるかのやうに、太儀《たいぎ》さうに緩漫《のろ/\》と、重《おも》くるしう、蒼白《あをじろ》う、鉛《なまり》のやうに……
乳母《うば》がピーターを從《つ》れて出る。
おゝ、嬉《うれ》しや、歸《かへ》って來《き》た。……なう乳母《うば》いの、如何《どう》ぞいの? あの方《かた》に逢《あ》やったかや?……侶《とも》は彼方《あち》へ。
乳母 ピーター。……入口《いりくち》に控《ひか》へてゐや。
ピーター入る。
ヂュリ さ、乳母《うば》いの。……ま、何《なん》で其樣《そのやう》な情《なさけ》ない顏《かほ》してゐやる? 悲《かな》しい消息《しらせ》であらうとも、せめて嬉《うれ》しさうに言《い》うてたも。若《も》し嬉《うれ》しい消息《しらせ》なら、それを其樣《そん》な顏《かほ》をして彈《ひ》きゃるのは、床《ゆか》しい知《し》らせの琴《こと》の調《しら》べを臺無《だいな》しにしてしまふといふもの。
乳母 おゝ、辛度《しんど》! 暫時《ちいと》まァ休《やす》まして下《くだ》され。あゝ/\、骨々《ほね/″\》が痛《いた》うて痛《いた》うて! ま、どの位《くらゐ》ほッつきまはったことやら!
ヂュリ 予《わし》の骨々《ほね/″\》を其方《そなた》に與《や》っても、速《はや》う其《その》消息《しらせ》が此方《こっち》へ欲《ほ》しい。これ、どうぞ聞《き》かしてたも。なう、乳母《うば》や、乳母《うば》いなう、如何《どう》ぢゃぞいの?
乳母 ま、氣忙《きぜは》しい! 暫時《ちいと》の間《ま》が待《ま》てぬかいな? 息《いき》が切《き》れて物《もの》が言《い》はれぬではないかいな?
ヂュリ 息《いき》が切《き》れて言《い》はれぬと言《い》やる程《ほど》なら、息《いき》は切《き》れてゐぬ筈《はず》ぢゃ。何《なん》のかのと言譯《いひわけ》してゐやるのが肝腎《かんじん》の一言《ひとこと》より長《なが》いわいの。これ、吉《きつ》か、凶《きょう》か? 速《はや》う言《い》や。それさへ言《い》うてたもったら、詳細事《くはしいこと》は後《あと》でもよい。速《はや》う安心《あんしん》さしてたも、吉《きつ》か、凶《きょう》か?
乳母 はて、お前《まへ》は阿呆《あほ》らしいお人《ひと》ぢゃ、あのやうな男《をとこ》を選《えら》ばッしゃるとは目《め》が無《な》いのぢゃ。ロミオ! ありゃ不可《いけ》んわいの。面附《つらつき》こそは誰《た》れよりも見《み》よけれ、脛附《すねつき》が十人並《にんなみ》以上《いじゃう》ぢゃ、それから手《て》や足《あし》や胴《どう》やは彼《か》れ此《こ》れ言《い》ふが程《ほど》も無《な》いが、外《ほか》には、ま、類《るゐ》が無《な》い。行儀作法《ぎゃうぎさはふ》の生粹《きっすゐ》ぢゃありやせん[#「ありやせん」はママ]、でも眞《ほん》の事《こと》、仔羊《こひつじ》のやうに、温和《おとな》しい人《ひと》ぢゃ。さァ/\/\、小女《いと》よ、信心《しんじん》さっしゃれ。……え、もう終《す》みましたかえ、お晝《ひる》の食事《しょくじ》は?
ヂュリ いゝえ/\。其樣《そん》な事《こと》は、もう夙《とう》に知《し》ってゐる。婚禮《こんれい》の事《こと》をば何《なん》と言《い》うてぢゃ? さ、それを。
乳母 はれ、頭痛《づつう》がする! あゝ、何《なん》といふ頭痛《づつう》であらう! 頭《あたま》が|粉《こな/″\》に碎《くだ》けてしまひさうに疼《うづ》くわいの。脊中《せなか》ぢゃ。……そっち/\。……おゝ、脊中《せなか》が、脊中《せなか》が! ほんに貴孃《こなた》が怨《うら》めしいわいの、遠《とほ》い遠《とほ》い處《ところ》へ太儀《たいぎ》な使者《つかひ》に出《だ》さッしやって[#「出《だ》さッしやって」はママ]、如是《こん》な死《し》ぬるやうな思《おも》ひをさすとは!
ヂュリ ほんに氣《き》の毒《どく》ぢゃ、氣分《きぶん》が惡《わる》うてはなァ。したが、乳母《うば》、乳母《うば》や、乳母《うば》いなう、何卒《どうぞ》言《い》うてたも、戀人《こひゞと》が何《なん》と被言《おッしゃ》った?
乳母 さいな、あの方《かた》の言《い》はッしゃるには、行儀《ぎゃうぎ》もよければ深切《しんせつ》でもあり、男振《をとこぶり》はよし、器量人《きりゃうじん》でもあり、流石《さすが》に身分《みぶん》のある殿方《とのがた》らしう……お母《かゝ》さまは何處《どこ》にぢゃ?
ヂュリ 母《はゝ》さまは何處《どこ》にぢゃ? 母樣《はゝさま》は家《うち》にぢゃ。何處《どこ》に行《ゆ》かしゃらうぞ? 何《なに》を言《い》やるぞい!「あの方《かた》が被言《おッしゃ》るには、身分《みぶん》のある殿方《とのがた》らしう、お母樣《かゝさま》は何處《どこ》にぢゃ?」
乳母 はれ、まア! そのやうに熱《あつ》くならッしゃるな。これさ、まァ、ほんに/\。それが痛《いた》む節々《ふし/″\》の塗藥《ぬりぐすり》になりますかいの? これからは自分《じぶん》で使《つか》ひ歩《ある》きをばさっしゃったがよい。
ヂュリ まァ、仰山《ぎゃうさん》な騷《さわ》ぎぢゃ!……これの、ロミオが何《なん》と被言《おッしゃ》った?
乳母 お前《まへ》今日《けふ》はお參詣《まゐり》に往《い》ても可《よ》いといふお許可《ゆるし》が出《で》ましたかえ?
ヂュリ あいの。
乳母 では、なう、急《いそ》いでロレンス樣《さま》の庵室《あんじつ》まで往《ゆ》かっしゃれ。あそこでお前《まへ》を内室《うちかた》になさるゝ人《ひと》が待《ま》ってぢゃ。そりゃこそ頬邊《ほっぺた》へ放埓《みだら》な血《ち》めが上《のぼ》るわ、所詮《つまり》は何《なに》を聞《き》いても直《すぐ》に眞赤《まっか》にならッしゃらうぢゃまで。速《はや》うお寺《てら》へ。予《わし》はまた別《べつ》の方《はう》へ往《い》て梯子《はしご》を取《と》って來《こ》ねばならぬ、其《その》梯子《はしご》でお前《まへ》の戀人《こひびと》が、今宵《こよひ》暗《くら》うなるが最後《さいご》、鳥《とり》の巣《す》へ登《のぼ》らッしゃるのぢゃ。予《わし》は只《たゞ》もう齷齬《あくせく》とお前《まへ》を喜《よろこ》ばさうと念《おも》うて。したが、やがて夜《よる》になると、お前《まへ》も骨《ほね》が折《を》れうぞや。さ、予《わし》は食事《しょくじ》をせう。貴孃《こなた》は庵室《あんじつ》へ速《はや》うゆかしゃれ。
ヂュリ 速《はや》う其《その》幸福《しあはせ》に!……乳母《うば》や、きげんよう。
二人《ふたり》とも入る。
ロレンス法師《ほふし》が先《さき》に、ロミオ從《つ》いて出る。
ロレ 諸天善神《しょてんぜんじん》、願《ねが》はくは此《この》神聖《しんせい》なる式《しき》に笑《ゑ》ませられませい、ゆめ後日《ごじつ》悲哀《かなしみ》を降《くだ》さしまして御譴責《ごけんせき》遊《あそ》ばされますな。
ロミオ アーメン、アーメン! 如何《どん》な悲哀《かなしみ》が來《こ》ようとも、姫《ひめ》の顏《かほ》を見《み》る嬉《うれ》しさの其《その》刹那《せつな》には易《かへ》られない。神聖《たふと》い語《ことば》で二人《ふたり》の手《て》を結《むす》び合《あ》はして下《くだ》されば、戀《こひ》を亡《ほろぼ》す死《し》の爲《ため》に此身《このみ》が如何樣《どのやう》にならうとまゝ。妻《つま》と呼《よ》ぶことさへ叶《かな》へば、心殘《こゝろのこ》りはない。
ロレ さうした過激《くわげき》の歡樂《くわんらく》は、とかく過激《くわげき》の終《をはり》を遂《と》ぐる。火《ひ》と煙硝《えんせう》とが抱合《だきあ》へば忽《たちま》ち爆發《ばくはつ》するがやうに、勝誇《かちほこ》る最中《さなか》にでも滅《ほろ》び失《う》せる。上《うへ》なう甘《あま》い蜂蜜《はちみつ》は旨過《うます》ぎて厭《いや》らしく、食《く》うて見《み》ようといふ氣《き》が鈍《にぶ》る。ぢゃによって、戀《こひ》も程《ほど》よう。程《ほど》よい戀《こひ》は長《なが》う續《つゞ》く、速《はや》きに過《す》ぐるは猶《なほ》遲《おそ》きに過《す》ぐるが如《ごと》しぢゃ。
ヂュリエット出る。
それ、姫《ひめ》が來《わ》せた。おゝ、あのやうな輕《かる》い足《あし》では、いつまで蹈《ふ》むとも、堅《かた》い石道《いしみち》は磨《へ》るまいわい。戀人《こひびと》は、夏《なつ》の風《かぜ》に戲《たはむ》れ遊《あそ》ぶあの埓《らち》もない絲遊《かげろふ》に騎《のッ》かっても、落《お》ちぬであらう。さほどに輕《かる》いものが空《あだ》な歡樂《たのしみ》!
ヂュリ (ロレンスを抱きて)教父《けふふ》さま、ごきげんよろしう!
ロレ 其《その》お返禮《かへし》は、二人分《ふたりぶん》、ロミオの口《くち》から。
ヂュリ (ロミオを抱きて)ではロミオにも。でないとお返禮《かへし》が多過《おほすぎ》よう。
ロミオ あゝ、ヂュリエット、今日《けふ》を嬉《うれ》しい、かたじけないと思《おも》ふ心《こゝろ》が予《わし》と同《おな》じに滿腔《いっぱい》なら、しかもそれを現《あらは》す力《ちから》が予《わし》よりも多《おほ》いなら、今日《けふ》の出會《であひ》で二人《ふたり》が感《かん》ずる此《この》夢《ゆめ》のやうな嬉《うれ》しさを、床《ゆか》しい天樂《てんがく》のやうな卿《そもじ》の聲《こゑ》で、四邊《あたり》の空氣《くうき》も融解《とろ》くるばかりに、なつかしう奏《かな》でゝ下《くだ》され。
ヂュリ 内實《なかみ》の十分《ぶん》な思想《しさう》は、言葉《ことば》の花《はな》で飾《かざ》るには及《およ》ばぬ。算《かぞ》へらるゝ身代《しんだい》は貧《まづ》しいのぢゃ。妾《わし》の戀《こひ》は、分量《ぶんりゃう》が大《おほ》きう/\なったゆゑに、今《いま》は其《その》半分《はんぶん》をも計算《かんぢゃう》することが出來《でき》ぬわいの。
ロレ さゝ、予《わし》と一しょにござれ。速《はや》う濟《すま》してのけう。慮外《りょぐわい》ながら、尊《たふと》い教會《けうくわい》が二人《ふたり》を一人《ひとり》に合體《がったい》さするまでは、さし對《むか》ひでゐてはなりませぬのぢゃ。
ロレンスに從《つ》いて二人《ふたり》とも入る。
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マーキューシオー先《さき》に、ベンーリオー、侍童《こわらは》、下人等《しもべら》從《つ》いて出《で》る。
ベン マーキューシオーどの、もう歸《かへ》らう。暑《あつ》くはある、カピューレット家《け》の奴等《やつら》が出歩《である》いてもゐる、出會《でっくは》したが最後《さいご》、鬪爭《けんくわ》をせねばなるまい。かういふ暑《あつ》い日《ひ》には、えて氣《き》ちがひめいた血《ち》が騷《さわ》ぐものぢゃ。
マーキュ おい、酒亭《さかや》へ入《はひ》った當座《たうざ》には、劍《けん》を食卓《テーブル》の下《した》へ叩《たゝ》きつけて「神《かみ》よ、願《ねが》はくは此奴《こいつ》に必要《ひつえう》あらしめたまふな」なぞといってゐながら、忽《たちま》ち二杯目《はいめ》の酒《さけ》が利《き》いて、何《なん》の必要《ひつえう》も無《な》いのに、給仕人《きふじにん》を敵手《あひて》に引《ひ》っこぬく手合《てあひ》があるが、足下《おぬし》が其《その》仲間《なかま》ぢゃ。
ベン 予《わし》がそんな仲間《なかま》か?
マーキュ さゝ、足下《おぬし》はイタリーで誰《た》れにも負《ひけ》を取《と》らぬ易怒男《おこりむし》ぢゃ、直《ぢき》に怒《おこ》るやうに仕向《しむ》けられる、仕向《しむ》けらるれば直《すぐ》怒《おこ》る。
ベン して何《なん》にするんぢゃ?
(此《この》原詞《げんし》は“And what to?”「して何《なん》の爲《ため》に?」といふ義《ぎ》。マーキューシオーはそれをわざと“And what two?”の意味《いみ》に取《と》りて例《れい》の駄洒落《だじゃれ》のキッカケとする。)
マーキュ 何人《なんにん》? いや、足下《おぬし》のやうなのが二人《ふたり》とゐたら、忽《たちま》ち殺《ころ》しあうてしまはうから、二人《ふたり》ともゐなくならう。はて、足下《おぬし》なぞは髭《ひげ》の毛《け》一筋《すぢ》の多《おほ》い少《すく》ないが原《もと》でも叩《たゝ》き合《あ》ふ。或《ある》ひは足下《おぬし》の目《め》の色《いろ》が榛色《はしばみいろ》ぢゃによって、そこで相手《あひて》が榛《はしばみ》の實《み》を噛割《かみわ》ったと言《い》ふだけの事《こと》で、鬪爭《けんくわ》を買《か》ひかねぬ。その眼《まなこ》でなうて、そんな鬪爭《けんくわ》を買《か》ふ眼《まなこ》が何處《どこ》にあらう? 足下《おぬし》の頭《あたま》には鷄卵《たまご》に黄蛋《きみ》が充實《つま》ってゐるやうに、鬪爭《けんくわ》が充滿《いっぱい》ぢゃ、しかも度々《たび/″\》打撲《どや》されたので、少許《ちっと》腐爛氣味《くされぎみ》ぢゃわい。足下《おぬし》は、街中《まちなか》で咳《せき》をして足下《おぬし》の飼犬《かひいぬ》の日向《ひなた》ぼこりを驚《おどろ》かしたと言《い》うて、或《ある》男《をとこ》と鬪爭《けんくわ》をした。復活祭前《イースターまへ》に新調胴衣《したておろし》を着《き》たと言《い》うて、或《ある》裁縫師《したてや》と掴《つか》み合《あ》ひ、新《あたら》しい靴《くつ》に古《ふる》い紐《ひも》を附《つ》けをったと言《い》うて、誰某《たれやら》とも爭論《いが》み合《あ》うた。それでゐて俺《おれ》に鬪爭《けんくわ》をすまいぞと異見《いけん》めいたことを被言《おし》ゃるのか?
ベン 予《わし》が足下《きみ》ほど鬪爭好《けんくわずき》と言《い》ふことが實《ぢゃう》なら、無條件《ろは》で此《この》命《いのち》を一時間位《じかんぐらゐ》は賣《う》ってやってもよいわい。
マーキュ ろはぢゃ! ろッはッは! ろッはッは!(と笑ふ)。
チッバルトを先《さき》に、カピューレットの黨人《たうじん》出る。
ベン や、カピューレットのやつらが來《き》をった。
マーキュ へん、かまふものかえ。
チッバ 俺《おれ》に附着《くッつ》いて來《こ》う、彼奴等《きゃつら》と談《だん》じてくれう。……(ベンーリオーらに)諸氏《かた/″\》、機嫌《きげん》よう。一言《ごん》申《まう》したうござる。
マーキュ ただ一言《ごん》でござるか? 何《なに》かお添《そ》へなさい。一言《ごん》兼《けん》一撃《げき》としたら如何《どう》ぢゃ?
チッバ 機會《きっかけ》さへ與《おこ》しゃらば、何時《いつ》でも敵手《あひて》になり申《まう》さう。
マーキュ 此方《こち》から與《おこ》さねば、其方《そち》では機會《きっかけ》が出來《でき》ぬと被言《おしゃ》るか?
チッバ マーキューシオー、足下《おぬし》は平生《ふだん》あのロミオと調子《てうし》を合《あは》せて……
マーキュ 何《なん》ぢゃ、調子《てうし》を合《あは》せて? 吾等《われら》を樂人扱《がくにんあつか》ひにするのか? 樂人扱《がくにんあつか》ひに爲《す》りゃ、耳《みゝ》を顛覆《でんぐりかへ》らする音樂《おんがく》を聞《きか》す。準備《ようい》せい。(劍に手を掛けて)乃公《おれ》の胡弓《こきう》は此劍《これ》ぢゃ、今《いま》に足下《おぬし》を踊《をど》らせて見《み》せう。畜生《ちくしゃう》、調子《てうし》を合《あは》す!
ベン こゝは往來《わうらい》ぢゃ、どうぞ閑寂《ひそか》な處《ところ》で冷靜《しづか》に談判《だんぱん》をするか、さもなくば別《わか》れたがよい。衆人《ひと》が見《み》るわ。
マーキュ 見《み》る爲《ため》の眼《まなこ》ぢゃ、見《み》るがえいわ。他《ひと》が如何《どう》思《おも》はうと介意《かま》ふものかえ。
ロミオ出る。
チッバ 足下《おぬし》とは中直《なかなほ》りぢゃ。あそこへ奴《やつ》が來《き》をった。
マーキュ 奴《やつ》ぢゃ? へん、ロミオが足下《おぬし》の奴《やっこ》なものか? 何時《いつ》足下《おぬし》が給服《しきせ》を着《き》せた? はて、先《さき》に立《た》って決鬪場《ばしょ》へ行《ゆ》きゃれ、ロミオも隨行《とも》をせう。それが奴《やっこ》の役《やく》なら、ロミオは足下樣《おぬしさま》のお抱奴《かゝへやっこ》ぢゃ。
チッバ (ロミオに對ひて)やい、ロミオ、足下《おぬし》に對《たい》する俺《おれ》が情合《じゃうあひ》からは是限《これぎり》しか言《い》へぬ。……汝《おのれ》は惡漢《あくたう》ぢゃ。
ロミオ チッバルト、足下《きみ》を愛《あい》する仔細《しさい》があって、怒《いか》らねばならぬ其《その》挨拶《あいさつ》をもわるうは取《と》らぬ。予《わし》は惡漢《あくたう》ではない。さらば、足下《きみ》は予《わし》を知《し》らぬのぢゃ。
ロミオ行《ゆ》きかくる。
チッバ 小僧《わっぱ》め、それが無禮《ぶれい》の辨解《いひわけ》にはならぬぞ。戻《もど》って拔劍《ぬ》け。
ロミオ 予《わし》は無禮《ぶれい》をした覺《おぼ》えはない、いや、其《その》仔細《しさい》の分《わか》るまでは迚《とて》も會得《ゑとく》のゆかぬ程《ほど》に予《わし》は足下《きみ》を愛《あい》してゐるのぢゃ。カピューレットどの、予《わし》は今《いま》カピューレットといふ其《その》名前《なまへ》を我名《わがな》も同樣《どうやう》に大切《たいせつ》に思《おも》うてゐる、まゝ、堪忍《かんにん》さっしゃれ。
マーキュ おゝ、柔弱《てぬる》い、不面目《ふめんもく》な、卑劣《ひれつ》な降參《かうさん》! 此上《このうへ》は劍《けん》あるのみぢゃ。(劍を拔く)。チッバルト、いやさ、猫王《ねこまた》どの、お往《ゆ》きゃらうか?
チッバ 何《なん》ぞ俺《おれ》に用《よう》があるか?
マーキュ 猫王《ねこまた》どの、九箇《こゝのつ》あるといふ足下《おぬし》の命《いのち》が只《たッた》一《ひと》つだけ所望《しょもう》したいが、其後《そののち》の擧動次第《しこなししだい》で殘《のこ》る八箇《やッつ》も叩《たゝ》き挫《みじ》くまいものでもない。耳形《みゝがた》の|《つか》を掴《つか》んで其《その》劍《けん》をお拔《ぬ》きゃれ、速《はや》うせぬと乃公《おれ》の劍《けん》が足下《おぬし》の耳元《みゝもと》へお見舞《みま》ひ申《まう》すぞ。
チッバ 合點《がってん》だ。
劍《けん》を拔《ぬ》く。
ロミオ マーキューシオー君《くん》、まア/\、劍《けん》を。
マーキュ さ、突《つ》いて來《こ》い。
チッバルトとマーキューシオーと鬪《たゝか》ふ。
ロミオ 拔劍《ぬ》け、ベンーリオー、二人《ふたり》の武器《えもの》を叩《たゝ》き落《おと》さう。これさ/\、恥《はぢ》ぢゃ/\、亂暴《らんばう》をすな? チッバルト、マーキューシオー、領主《との》の嚴命《げんめい》では無《な》いか、
ローナの街頭《まちなか》で鬪諍《たゝかひ》をしてはならぬ筈《はず》ぢゃ。これさ、チッバルト! マーキューシオー!
此《この》|立《たちまは》りの間《あひだ》にマーキューシオーはチッバルトに突かるゝ。
チッバルト及《およ》び其《その》黨人《たうじん》入る。
マーキュ やられた! 畜生《ちくしゃう》、兩方《りゃうはう》の奴等《やつら》め! やられたわい。去《い》にをったか、彼奴《きゃつ》め無創《むきず》で?
ベン や、手《て》を負《お》うたか足下《きみ》は?
マーキュ 唯《うん》、唯《うん》、引掻《ひっか》かれた/\。はて、これで十分《ぶん》ぢゃ。侍童《こやっこ》めは何處《どこ》にをる? 小奴《やっこ》、はよ往《い》って下科醫者《げくわいしゃ》を呼《よ》んで來《こ》い。
ロミオ これ、氣《き》を確《たしか》に。手傷《てきず》は決《けっ》して重《おも》うはない。
マーキュ さうぢゃ。井戸《ゐど》ほどに深《ふか》くも無《な》ければ、教會《けうくわい》の入口程《いりぐちほど》には廣《ひろ》くもない、が十分《ぶん》ぢゃ、役《やく》には立《た》つ。明日《あす》訪《たづ》ねてくれい、すれば墓《はか》の中《なか》から御挨拶《ごあいさつ》ぢゃ。先《ま》づ乃公《おれ》の一生《しゃう》も、誓文《せいもん》、總仕舞《そうじまひ》が澄《す》んでしまうた。……畜生《ちくしゃう》、兩方《りゃうはう》の奴等《やつら》め!……うぬ! 犬《いぬ》、鼠《ねずみ》、|鼠《はつかねずみ》、猫股《ねこまた》、人間《にんげん》を引掻《ひっか》いて殺《ころ》しをる! 一二三《ひふうみい》で劍《けん》を使《つか》ふ駄法螺吹家《だぼらふき》め! 破落戸《ごろつき》、惡黨《あくたう》! 何《なん》で眞中《まんなか》へ飛込《とびこ》んだんぢゃ足下《おぬし》は! 足下《おぬし》の腕《うで》の下《した》でやられた。
ロミオ みんな爲《ため》を思《おも》うてしたのぢゃ。
マーキュ おい、ベンーリオー、何處《どこ》ぞ家《うち》の中《なか》へ伴《つ》れて行《い》ってくれ、速《はや》うせぬと氣絶《きぜつ》しさうぢゃ。畜生《ちくしゃう》、兩方《りょうはう》の奴等《やつら》! とう/\俺《おれ》を蛆蟲《うじむし》の餌食《ゑじき》にしてしまひをった。參《まゐ》った、しっかり參《まゐ》った。畜生《ちくしゃう》、兩方《りゃうはう》の奴等《やつら》!
ベンーリオーに介抱《かいはう》せられて、マーキューシオー入《はひ》る。
ロミオ 領主《りゃうしゅ》には近親《きんしん》たる信友《しんいう》のマーキューシオーが俺故《おれゆゑ》あのやうな重傷《ふかで》を負《お》ひ、俺《おれ》はまた只《たゞ》一時程《ときほど》縁者《えんじゃ》となったあのチッバルト故《ゆゑ》に汚名《をめい》を受《う》けた。おゝ、ヂュリエット、卿《おまひ》の艶麗《あてやか》さが俺《おれ》を柔弱《にうじゃく》にならせて、日頃《ひごろ》鍛《きた》うておいた勇氣《ゆうき》の鋒《きっさき》が鈍《にぶ》ってしまうた。
ベンーリオー又《また》出る。
ベン おゝ、ロミオ/\、マーキューシオーはお死《し》にゃったぞよ! あの勇敢《ゆうかん》な魂《たましひ》は氣短《きみじか》に此世《このよ》を厭《いと》うて、雲《くも》の上《うへ》へ昇《のぼ》ってしまうた。
ロミオ けふの此《この》惡運《あくうん》は此儘《このまゝ》では濟《す》むまい。これは只《たゞ》不幸《ふしあはせ》の手始《てはじめ》、つゞく不幸《ふかう》が此《この》結局《しまつ》をせねばならぬ。
チッバルト又《また》出る。
ベン 我武者《がむしゃ》のチッバルトめが又《また》來《き》をった。
ロミオ なに、無事《ぶじ》で、勝誇《かちほこ》って? マーキューシオーが殺《ころ》されたのに! 此上《このうへ》は禮儀《れいぎ》も寛大《くわんだい》も天外《てんぐわい》に抛《なげう》った。|《ほのほ》を眼《まなこ》の忿怨神《いかりのかみ》よ、案内者《あんないじゃ》となってくれい!……(チッバルトに對ひ)やい、チッバルト、先刻《せんこく》足下《おぬし》が俺《おれ》にくれた「惡漢《あくたう》」の名《な》は今《いま》返《かへ》す、受取《うけと》れ。マーキューシオーの魂《たましひ》がつい頭上《とうじゃう》に立迷《たちまよ》うて同伴者《どうばんじゃ》を求《もと》めてゐる、足下《おぬし》か、俺《おれ》か、兩人《ふたり》ながらか、同伴《どうばん》をせねばならぬぞ。
チッバ 青《あを》二才《さい》どの、最初《さいしょ》同伴《つれだ》って來《き》た足下《おぬし》ぢゃ、冥土《あのよ》へ行《ゆ》くも一しょにお往《ゆ》きゃれ。
ロミオ それは此劍《これ》が決《き》めるわ。
二人《ふたり》鬪《たゝか》ふ。チッバルト倒《たふ》るゝ。
ベン ロミオ、速《はや》う! 速《はや》う迯《に》げた! あれ、市人《まちびと》が騷《さわ》ぎはじむる。チッバルトは落命《らくめい》ぢゃ。狼狽《うろた》へてゐるところでない。捕《とら》へられたならば、領主《りゃうしゅ》は死罪《しざい》を宣告《せんこく》せう。速《はや》う落《お》ちた、速《はや》う/\!
ロミオ おゝ、俺《おれ》ゃ運命《うんめい》の玩弄物《もてあそび》ぢゃわい!
ベン おい、何《なに》をしてゐるのぢゃ?
ロミオ入る。
市人等《まちびとら》出る。
甲市人 マーキューシオーを殺《ころ》した奴《やつ》は何方《どちら》へ逃《に》げました? 人殺《ひとごろ》しのチッバルトは何方《どっち》へ逃《に》げました?
ベン そこにゐるのがチッバルトでござる。
甲市人 ござれ、吾等《われら》と一しょに。御領主《ごりゃうしゅ》の命《おほせ》でござる、ござれ。
此時《このとき》、領主《りゃうしゅ》公爵《こうしゃく》、多勢《おほぜい》の從者《じゅうしゃ》を引連《ひきつ》れて出る。モンタギュー長者夫婦《ちゃうじゃふうふ》、カピューレット長者夫婦《ちゃうじゃふうふ》、其他《そのた》多勢《おほぜい》出る。
領主 その不埓《ふらち》な爭鬪《さうとう》を始《はじ》めた者共《ものども》は何方《いづれ》にをる?
ベン 憚《はゞか》りながら、此《この》不運《ふうん》なる騷擾《さうぜう》のあさましき經緯《ゆくたて》は手前《てまへ》が言上《ごんじゃう》いたしませう。それに倒《たふ》れをりまする男《をとこ》が御親戚《ごしんせき》のマーキューシオーどのを殺害《せつがい》しましたるをロミオと申《まう》す若人《わかうど》が討取《うちと》ってござります。
カピ妻 なに、チッバルト! おゝ、わしの甥《をひ》の、弟《おとうと》の子《こ》の! おゝ、御領主《とのさま》! おゝ、甥《をひ》よ! わが夫《つま》! おゝ、大事《だいじ》の/\、親族《うから》の血汐《ちしほ》が流《なが》されてゐる! 公平《こうへい》な御領主《ごりゃうしゅ》さま、モンタギューの血《ち》を流《なが》して吾等《われら》のを償《つぐな》うて下《くだ》さりませい。おゝ、甥《をひ》よ/\!
領主 ベンーリオーよ、此《この》無慚《むざん》な鬪諍《とうじゃう》を始《はじ》めたのは誰《た》れぢゃ?
ベン チッバルトにござります、ロミオに殺《ころ》されたましたる。ロミオは言葉《ことば》穩《おだや》かに、此《この》爭端《さうたん》の取《とる》に足《た》らぬ由《よし》を反省《はんせい》させ、二《ふた》つには殿《との》のお怒《いかり》を思《おも》ひやれ、と聲色《せいしょく》を和《やは》らげ、膝《ひざ》を曲《ま》げて、さま/″\に申《まう》しましたなれども、中裁《ちゅうさい》には耳《みゝ》を假《か》しませぬチッバルト、理不盡《りふじん》なる怒《いかり》の切先《きっさき》、只《たゞ》一突《ひとつき》にとマーキューシオー殿《どの》の胸元《むなもと》をめがけて突《つ》いてかゝりまする、此方《こなた》も同《おな》じく血氣《けっき》の勇士《ゆうし》、なにを小才覺《ちょこざい》なと立向《たちむか》ひ、氷《こほり》の死《し》の手《て》をば引外《ひッぱづ》して右手《めて》に附入《つけい》りまする手練《しゅれん》の切先《きっさき》、それを撥反《はねかへ》すチッバルト。ロミオは其時《そのとき》聲《こゑ》高《たか》く「お待《ま》ちゃれ、兩氏《かた/″\》! 退《ひ》いた/\!」といふより速《はや》く劍《けん》を拔《ぬ》いて、その怖《おそ》ろしい切先《きっさき》をば、叩伏《たゝきふ》せ/\、二人《にん》が間《あひだ》に割《わ》って入《い》る、腕《かひな》の下《した》よりチッバルトが突出《つきだ》しましたる毒刃《どくじん》に、マーキューシオーどのは敢無《あへな》い最期《さいご》。さて、チッバルトは其儘《そのまゝ》一旦《たん》逃去《にげさ》りましたが、やがて又《また》取《と》って返《かへ》すを、今《いま》や復讐《ふくしう》の念《ねん》に滿《み》ちたるロミオが見《み》るよりも、電光《でんくわう》の如《ごと》く切《き》ってかゝり、引分《ひきわ》けまする間《ひま》さへもござらぬうちに、チッバルトは突殺《つきころ》され、倒《たふ》るゝ途端《とたん》に身《み》を飜《ひるがへ》し、ロミオは逃去《にげさ》ってござりまする。此儀《このぎ》相違《さうゐ》あらば、ベン
ーリオーが命《いのち》を召《め》されませう。
カピ妻 此《この》仁《じん》はモンタギューの親戚《しんせき》ゆゑ、贔屓心《ひいきごゝろ》がさもない事《こと》を申《まう》させまする。此《この》不正《ふせい》な爭鬪《たゝかひ》には二十人餘《にんよ》も關係《かゝづら》うて只《たんだ》一人《ひとり》を殺《ころ》したに相違《さうゐ》ござりませぬ。殿《との》さまに願《ねが》ひまする、是非《ぜひ》ともお成敗《せいばい》の下《くだ》さりませい。ロミオはチッバルトを殺《ころ》したからは、生《いか》してはおかれませぬ。
領主 ロミオはチッバルトを、チッバルトはマーキューシオーを殺《ころ》したとすれば、マーキューシオーの血《ち》を償《つぐな》ふべき者《もの》は誰《た》れぢゃ?
モン長 それはロミオではござりませぬ、彼《か》れはマーキューシオーどのゝ親友《しんいう》でござる。倅《せがれ》が曲事《きょくじ》は國法《こくはふ》によって絶《た》たるべきチッバルトの命《いのち》を絶《た》ったまでゝござります。
領主 其《その》曲事《きょくじ》ゆゑに、即刻《そっこく》追放《つゐはう》を申附《まうしつ》くる。汝等《なんぢら》の偏執《へんしふ》に予等《われら》までも卷込《まきこ》まれ、其《その》粗暴《そばう》の鬪諍《とうじゃう》によって我《わが》血族《けつぞく》の血汐《ちしほ》を流《なが》した。わが此《この》不幸《ふかう》を汝等《なんぢら》にも悔《くや》ます爲《ため》、きびしい科料《くわれう》を課《くわ》さうずるわ。陳辯《いひわけ》も|分《ぶんそ》も聽《き》かぬ。涙《なみだ》も祈祷《きとう》も罪《つみ》をば贖《あがな》はぬぞよ。それゆゑに何《なに》も申《まう》すな。急《いそ》ぎロミオを退去《たちさ》らせい。さもなうて見附《みつ》けられなば、其時《そのとき》が即《やが》て最期《さいご》ぢゃ。此《この》死骸《しがい》を荷《にな》ひゆきて、予《よ》が命《めい》を待《ま》て。人殺《ひとごろ》しを憫《あはれ》むは人《ひと》を殺《ころ》すにひとしいわい。
ヂュリエット出る。
ヂュリ 驅《か》けよ速《はや》う、火《ひ》の脚《あし》の若駒《わかごま》よ、日《ひ》の神《かみ》の宿《やど》ります今宵《こよひ》の宿《やど》へ。フェートンのやうな御者《ぎょしゃ》がゐたなら、西《にし》へ/\と鞭《むち》をあてゝ、すぐにも夜《よる》を將《つ》れて來《こ》うもの、曇《くも》った夜《よる》を。隙間《すきま》もなう黒《くろ》い帳《とばり》を引渡《ひきわた》せ、戀《こひ》を助《たす》くる夜《よる》の闇《やみ》、其《その》闇《やみ》に町《まち》の者《もの》の目《め》も閉《ふさ》がれて、ロミオが、見《み》られもせず、噂《うはさ》もされず、予《わし》の此《この》腕《かひな》の中《なか》へ飛込《とびこ》んでござらうやうに。戀人《こひゞと》は其《その》麗《うるは》しい身《み》の光明《ひかり》で、戀路《こひぢ》の闇《やみ》をも照《て》らすといふ。若《も》し又《また》戀《こひ》が盲《めくら》ならば、夜《よる》こそ戀《こひ》には一段《だん》と似合《にあ》ふ筈《はず》。さア、來《き》やれ、夜《よる》よ、黒《くろ》づくめの服《きもの》を被《き》た、見《み》るから眞面目《まじめ》な、嚴格《いかめ》しい老女《らうぢょ》どの、速《はや》う來《き》て教《をし》へてたも、清淨無垢《しゃうじゃうむく》の操《みさを》を二《ふた》つ賭《か》けた此《この》勝負《しょうぶ》に負《ま》ける工夫《くふう》を教《をし》へてたも。汝《そなた》の黒《くろ》い外套《マントル》で頬《ほゝ》に羽《は》ばたく初心《うぶ》な血《ち》をすッぽりと包《つゝ》んでたも、すれば臆病《おくびゃう》な此《この》心《こゝろ》も、見《み》ぬゆゑに強《きつ》うなって、何《なに》するも戀《こひ》の自然《しぜん》と思《おも》ふであらう。夜《よる》よ、來《き》やれ、速《はや》う來《き》やれ、ローミオー! あゝ、夜《よる》の晝《ひる》とはお前《まへ》の事《こと》ぢゃ。夜《よる》の翼《つばさ》に降《お》りたお前《まへ》は、鴉《からす》の背《せ》に今《いま》降《ふ》りかゝる其《その》雪《ゆき》の白《しろ》う見《み》ゆるよりも白《しろ》いであらう。速《はや》う來《こ》い、やさしい、懷《なつか》しい夜《よる》の闇《やみ》、さ、予《わし》のロミオを賜《た》もれ。ロミオがお死《し》にゃれば、汝《そち》に遣《や》らう程《ほど》に、細截《きりこまざ》いて星《ほし》にせい、したら大空《おほぞら》が見《み》かはすばかり美《うつく》しうなって、世界中《せかいぢゅう》の者《もの》が夜《よる》に惚《ほ》れ、もう誰《た》れもあの爛々《ぎら/\》した太陽《たいやう》を拜《をが》まぬやうにもなるであらう。おゝ、戀《こひ》の屋敷《やしき》は買《か》うたれど、おのが住居《すまひ》にはまだならぬ、身《み》は人《ひと》に賣《う》ったれど、まだ賞翫《しゃうくわん》はして貰《もら》へぬ。あゝ、待《ま》つ間《ま》がもどかしい、祭《まつり》の前《まへ》の晩《ばん》に氣《き》をいらつ子供《こども》のやうに、製《こしら》へて貰《もら》うた晴着《はれぎ》はあっても、被《き》ることが成《な》らぬので。……おゝ、あれ、乳母《うば》が。きっと消息《しらせ》ぢゃ。ロミオの名《な》をでも告《つ》ぐる舌《した》は天人《てんにん》の聲《こゑ》と聞《きこ》ゆる。……これ、乳母《うば》、何《なん》の消息《しらせ》ぢゃ? 持《も》ってゐやるは何《なん》ぢゃ? ロミオが取《と》って來《こ》いと言《い》やった綱《つな》かや?
乳母 あい/\、綱《つな》ぢゃ。
綱《つな》を抛出《はふりだ》す。
ヂュリ あゝ、まア! 何事《なにごと》が起《おこ》ったのぢゃ? 何《なん》で其方《そなた》は手《て》を絞《しぼ》るのぢゃ?
乳母 あゝ、かなしや! 死《し》なしゃった/\/\! もう無效《だめ》でござります、もう無效《だめ》でござります。あゝ、かなしや!……逝《い》なしゃった、殺《ころ》されさっしゃった、死《し》なしゃった!
ヂュリ え、それほどに天《てん》が無慈悲《むじひ》か!
乳母 天《てん》は如何《どう》あらうと、ロミオは無慈悲《むじひ》ぢゃ。おゝ、ロミオどのが、ロミオどのが! ……誰《た》れが思《おも》ひがけうぞい? ロミオどのが!
ヂュリ 何《なん》で予《わし》に氣《き》を揉《もま》すのぢゃ? 其樣《そのやう》な怖《おそろ》しい唸《うな》り聲《ごゑ》は地獄《ぢごく》でなうては聞《き》かれぬ筈《はず》ぢゃ。ロミオが自害《じがい》でもなされたか? これ、唯《あい》と言《い》って見《み》や、その唯《あい》といふ一言《ひとこと》が、只《たゞ》一目《ひとめ》で人《ひと》を殺《ころ》す毒龍《コカトリス》の目《め》にもまして、怖《おそろ》しい憂目《うきめ》を見《み》する。其樣《そのやう》な羽目《はめ》とならば、予《わし》の身《み》は最早《もう》駄目《だめ》ぢゃ。これ、お死《し》にゃったが實《ぢゃう》ならば、唯《あい》と言《い》や。さうでなくば否《いな》と言《い》や。たった一言《ひとこと》二言《ふたこと》で此身《このみ》の生死《しゃうし》が決《きま》るのぢや[#「決《きま》るのぢや」はママ]。
乳母 其《その》創《きず》を見《み》ましたが、此眼《このめ》で見《み》ましたが……南無《なむ》さんぼう!……ちょうど此《この》お立派《りっぱ》な胸元《むなもと》に。いた/\しい、無慚《むざん》な、いた/\しい死顏《しにがほ》。蒼白《あをじろ》う、灰《はひ》のやうに蒼白《あをじろ》うなって、血《ち》みどろになって、どこもどこも血《ち》が凝《こご》りついて。見《み》ると其儘《そのまゝ》、わしゃ氣《き》を失《うし》なうてしまひましたわいの。
ヂュリ おゝ、裂《さ》けよ! 此《この》胸《むね》よ! 破産《はさん》した不幸《みじめ》な心《こゝろ》よ、一思《ひとおも》ひに裂《さ》けてしまうてくれい! 目《め》も此上《このうへ》は牢《らう》へ入《はひ》れ、もう自由《じいう》を見《み》るな! 穢《けがらは》しい塵芥《ちりあくた》め、元《もと》の土塊《つちくれ》へ歸《かへ》りをれ、活《い》きて働《はたら》くには及《およ》ばぬわい、ロミオと一しょに同《おな》じ柩車《ひつぎ》の積荷《つみに》となりをれ!
乳母 おゝ、チッバルトどの、チッバルトどの、此上《このうへ》もない頼《たの》もしいお方《かた》であったに! おゝ、お懇《ねんごろ》なチッバルトどの! お立派《りっぱ》なお方《かた》! お前《まへ》が亡《な》くならっしゃるのを生《い》きてゐて見《み》ようとは!
ヂュリ や、こりゃ、風向《かざむき》が變《ちが》うたわ、如何《どう》した暴風雨《あらし》ぢゃ? ロミオが殺《ころ》されて、そしてチッバルトもお死《し》にゃったか? 大事《だいじ》な從兄《いとこ》も、尚《な》ほ大事《だいじ》なロミオどのも? もしさうならば、大審判日《おほさばきのひ》の喇叭手《らっぱしゅ》よ、世《よ》は最早《もう》絶滅《をはり》ぢゃと宣告《せんこく》せい! あの二人《ふたり》が逝《い》にゃったなら、生《い》きてゐる甲斐《かひ》はない!
乳母 チッバルトどのはお死《し》にゃって、ロミオどのは追放《つゐはう》ぢゃ。下手人《げしゅにん》のロミオどのは追放《つゐはう》にならッしゃったのぢゃ。
ヂュリ おゝ/\!……あのロミオの手《て》でチッバルトを?
乳母 さよぢゃ/\。あゝ/\、さよぢゃわいの!
ヂュリ おゝ、花《はな》の顏《かほ》に潛《ひそ》む蝮《まむし》の心《こゝろ》! あんな奇麗《きれい》な洞穴《ほらあな》にも毒龍《どくりう》は棲《すま》ふものか? 面《かほ》は天使《てんし》、心《こゝろ》は夜叉《やしゃ》! 美《うつく》しい虐君《ぎゃくゝん》ぢゃ! 鳩《はと》の翼《はね》被《き》た鴉《からす》ぢゃ! 狼根性《おほかみこんじゃう》の仔羊《こひつじ》ぢゃ! 見《み》た目《め》は神々《かう/″\》しうて心《こゝろ》は卑《さも》しい! 外面《うはべ》とは裏表《うらうへ》! いやしい聖僧《ひじり》、氣高《けたか》い惡黨《あくたう》! おゝ、造化主《ざうくわしゅ》よ、あのやうな可憐《いと》しらしい人間《にんげん》の肉體《にくたい》にすら夜叉《やしゃ》の魂《たましひ》を宿《やど》らせたなら、地獄《ぢごく》の夜叉《やしゃ》の肉體《からだ》には何者《なにもの》を住《す》ませうとや? あんな内容《なかみ》にあのやうな表紙《へうし》を附《つ》けた書《ほん》があらうか? あんな華麗《りっぱ》な宮殿《きゅうでん》に虚僞《うそ》譎詐《いつはり》が棲《すま》はうとは!
乳母 さゝ、頼《たの》まれぬ、信《しん》ぜられぬ、不正直《ふしゃうぢき》は男《をとこ》の習《なら》ひぢゃ。どれも/\|吐《うそつき》、誓言破《せいごんやぶ》り、ろくでなしの詐僞者《いつはりもの》ぢゃ。あゝ、彼僮《あいつ》めは何處《どこ》へ往《い》にをったぞ? 火酒《しゃうちゅう》を持《も》て來《き》てくりゃ。此《この》苦《くる》しみ、此《この》歎《なげ》き、此《この》悲《かな》しみで、わしゃ齡《とし》を取《と》ってしまふわいの。ロミオの奴《やつ》、恥掻《はぢか》きをれ!
ヂュリ そのやうなことを言《い》ふ汝《そち》の舌《した》こそ腐《くさ》りをれ! 恥《はぢ》を掻《か》かしゃる身分《みぶん》かいの、彼方《あのかた》の額《ひたひ》には恥《はぢ》などは恥《はづ》かしがって能《よ》う坐《すわ》らぬ。あれこそは此世《このよ》の名譽《めいよ》といふ名譽《めいよ》が、只《た》った一人《ほとり》王樣《わうさま》となって、坐《すわ》る帝座《ていざ》ぢゃ。おゝ、何《なん》といふ獸物《けだもの》ぢゃ予《わし》は、かりにも彼《あ》の方《かた》を惡《わる》ういふとは!
乳母 從兄《いとこ》どのを殺《ころ》した人《ひと》をお前《まへ》は善《よ》う言《い》はうでな?
ヂュリ 殿御《とのご》ぢゃ、惡《わる》う言《い》うてならうか! あゝ、我《わが》夫《つま》、どの舌《した》で滑《すべ》ッこうせうぞ、つい三時《みとき》が程《ほど》連添《つれそ》うた妻《つま》の口《くち》で創《きず》だらけにしたお前《まへ》の名《な》を? とは言《い》ひながら何故《なぜ》殺《ころ》した汝《おのれ》は、予《わし》の從兄《いとこ》を? さア、お前《まへ》をば從兄《いとこ》めが殺《ころ》したでもあらうによって。戻《もど》れ、おろかな涙《なみだ》め、元《もと》の泉《いづみ》へ戻《もど》りをれ。悲歎《かなしみ》に献《さゝ》ぐる貢《みつぎ》を間違《まちが》へて喜悦《よろこび》に献上《まゐら》せをる。チッバルトが殺《ころ》したでもあらう我《わが》夫《つま》は生存《いきながら》へて、我《わが》夫《つま》を殺《ころ》したでもあらうチッバルトが死《し》んだのぢゃ。すれば、嬉《うれ》しいことばかり、予《わし》ゃ何《なん》で泣《な》くのぢゃ? 最前《さいぜん》聞《き》いた一言《ひとこと》が、その一言《ひとこと》が、チッバルトが死《し》にゃったよりも悲《かな》しいのぢゃ。辛《つら》い、忘《わす》れたい。おゝ、それが切實《ひし/\》と思《おも》ひ出《だ》さるゝ、怖《おそろ》しい罪惡《ざいあく》を罪人《ざいにん》が忘《わす》れぬやうに。「チッバルトは死《し》なしゃれた、そしてロミオは……追放《つゐはう》!」……「追放《つゐはう》」……其《その》「追放《つゐはう》」といふ一言《ひとこと》がチッバルトを一萬人《まんにん》も殺《ころ》してのけた。チッバルトが死《し》にゃったばかりでも可《よ》い程《ほど》の不幸《ふしあはせ》であったものを。若《も》し又《また》不幸《ふしあはせ》は同伴《つれ》を好《この》み、是非《ぜひ》とも他《ほか》の不幸《ふしあはせ》を同伴《つれだ》って來《こ》ねばならぬなら、「チッバルトが死《し》なしゃれた」というた次《つぎ》に、父《とゝ》さまとか、母《はゝ》さまとか、乃至《ないし》お二人《ふたり》もろともとか、乳母《うば》が何故《なぜ》言《い》ひをらぬ。すればまだしも尋常《ひととほり》の憂悲歎《うきかなしみ》で濟《す》まうものを。チッバルトがお死《し》にゃった上《うへ》に、殿《しんが》りに「ロミオは追放《つゐはう》」。追放《つゐはう》と聞《き》くからは、父母《ちゝはゝ》もチッバルトもロミオもヂュリエットも皆々《みんな/\》殺《ころ》されてしまうたのぢゃ。「ロミオは追放《つゐはう》!」其《その》一言《ひとこと》が人《ひと》を殺《ころ》す力《ちから》には際《はて》も量《はかり》も限《きり》も界《さかひ》も無《な》いわいの。言葉《ことば》では言《い》ひ盡《つく》されぬ不幸《ふしあはせ》ぢゃ。……なう、父樣《とゝさま》や母樣《はゝさま》は何處《どこ》にぢゃ。
乳母 チッバルトどのゝ死骸《なきがら》に取着《とりつ》いてお泣《な》きゃってでござります。彼方《あち》へ往《い》かしゃるなら案内《あんない》をしませう。
ヂュリ 涙《なみだ》で創口《きずぐち》を洗《あら》はしゃるがよい、其《その》涙《なみだ》の乾《ひ》る頃《ころ》にはロミオの追放《つゐはう》を悔《くや》む予《わし》の涙《なみだ》も大概《たいがい》盡《つけ》う。其《その》綱《つな》を拾《ひろ》うてたも。……ても憫然《ふびん》な綱《つな》よの、汝等《おぬしら》は欺《だま》されたなう、汝等《おぬしら》も予《わし》もぢゃ、ロミオが追放《つゐはう》になりゃったによって。ロミオは汝等《おぬしら》をば寢室《ねま》への通路《かよひぢ》にせうとお思《おも》やったに、予《わし》は志望《おもひ》を能《え》い遂《と》げいで、處女《をとめ》のまゝで世《よ》を去《さ》るのぢゃ。さ、綱《つな》よ。さ、乳母《うば》よ。これから婚禮《こんれい》の床《とこ》へ往《ゆ》かう。ロミオではない死神《しにがみ》よ、予《わし》は此身《このみ》を任《まか》さうわいの!
乳母 速《はや》う居間《ゐま》へゆかしゃれ。お前《まへ》を喜《よろこ》ばす眞實《ほん/″\》のロミオを搜《さが》して來《こ》う。其《その》居處《ゐどこ》は知《し》ってをる。これの、こちのロミオどのは、今宵《こよひ》こゝへ來《き》やしゃる筈《はず》ぢゃ。わしが往《い》て呼《よ》んで來《こ》う。はて、ロレンスさまの庵室《あんじつ》に、ロミオは隱《かく》れてござらッしゃります。
ヂュリ おゝ、速《はや》う逢《あ》うて! そして此《この》指輪《ゆびわ》を予《わし》の勳爵士《ナイト》どのに手渡《てわた》して、訣別《いとまごひ》にござるやう傳《つた》へてたも。
二人《ふたり》ともに入る。
ロレンス法師《ほふし》出る。
ロレ ロミオよ、出《で》てござれ、出《で》てござれよ、こりゃ人目《ひとめ》を怕《おそ》れ憚《はゞか》る男《をとこ》。あゝ、卿《そなた》は憂苦勞《うきくらう》に見込《みこ》まれて、不幸《ふしあはせ》と縁組《えんぐみ》をお爲《し》やったのぢゃわ。
ロミオ出る。
ロミオ 師《し》の御坊《ごばう》か、消息《たより》は何《なん》とぢゃ? 殿《との》の宣告《いひわたし》は何《なん》とあったぞ? まだ知《し》らぬ何樣《どのやう》な不幸《ふしあはせ》が、予《わし》と知合《しりあひ》にならうといふのぢゃ?
ロレ されば、其《その》可厭《いやな》友達衆《ともだちしゅ》に和子《わこ》は親《した》しみが多過《おほす》ぎるわい。お宣告《いひわたし》を知《し》らせに來《き》た。
ロミオ 一定《ぢゃう》、命《いのち》を召《め》されうでな?
ロレ いや、寛大《くわんだい》なお宣告《いひわたし》、一命《めい》は召《め》されいで、追放《つゐはう》にせいとの命令《おほせ》ぢゃ。
ロミオ なに、追放《つゐはう》! 慈悲《じひ》ぢゃ、死罪《しざい》と言《い》うて下《くだ》され。謫竄《さすらへ》の身《み》となるは死《し》ぬるよりも怖《おそろ》しい。追放《つゐはう》と言《い》うて下《くだ》さるな。
ロレ いや、ローナからは追放《つゐはう》ぢゃが、世界《せかい》は廣《ひろ》い、まゝ、落着《おちつ》いてござれ。
ロミオ ローナの市《まち》を離《はな》れては世界《せかい》は無《な》い、有《あ》るものは只《たゞ》煉獄《れんごく》ぢゃ、苛責《かしゃく》ぢゃ、地獄《ぢごく》ぢゃ。此處《こゝ》から逐《お》はるゝは世界《せかい》から逐《お》はるゝも同《おな》じ事《こと》、世界《せかい》から逐《お》はるゝは殺《ころ》さるゝも同《おな》じ事《こと》、すれば追放《つゐはう》とは死罪《しざい》の隱《かく》し名《な》ぢゃ。死罪《しざい》の事《こと》を追放《つゐはう》といはッしゃるは、黄金《わうごん》の斧鉞《まさかり》で予《わし》の首《くび》を刎《は》ねておいて、汝《そち》は幸福《しあはせ》ぢゃと笑《わら》うてござるやうなものぢゃ。
ロレ おゝ、罪深《つみふか》や/\! おゝ、作法知《さはふし》らず、恩知《おんし》らず! これ、卿《そなた》の罪科《ざいくわ》は國法《こくはふ》では死罪《しざい》とある、然《しか》るに慈悲深《じひぶか》い御領主《ごりゃうしゅ》が卿《そなた》の肩《かた》を持《も》ち、御法《ごはふ》を曲《ま》げ、怖《おそろ》しい死罪《しざい》の名《な》を追放《つゐはう》とは變《か》へさせられた。其《その》難有《ありがた》いお慈悲《じひ》が分《わか》らぬか!
ロミオ 慈悲《じひ》ではなうて、そりゃ苛責《かしゃく》ぢゃ。ヂュリエットがゐやる此處《こゝ》は天國《てんごく》、こゝに住《す》む限《かぎ》りは猫《ねこ》も犬《いぬ》も|鼠《はつかねずみ》も、どのやうな屑々物《はかないもの》も、姫《ひめ》の顏《かほ》が見《み》らるゝゆゑ天國《てんごく》にゐるのぢゃが、ロミオにはそれが能《かな》はぬ。腐肉《くされにく》に集《たか》る蒼蠅《あをばへ》でもロミオには優《ま》す幸福者《しあはせもの》ぢゃ、風雅《みや》びた分際《ぶんざい》ぢゃ。彼奴等《あいつら》は可憐《いと》しいヂュリエットの手《て》の白玉《はくぎょく》を掴《つか》むことも出來《でく》る、また姫《ひめ》の脣《くちびる》から……其《その》上下《うへした》の脣《くちびる》が、淨《きよ》い温淑《しとやか》な處女氣《をぼこぎ》で、互《たが》ひに密接《ひた》と合《あ》ふのをさへ惡《わる》いことゝ思《おも》うてか、いつも眞赤《まっか》になってゐる……其《その》姫《ひめ》の脣《くちびる》から永劫《えいがう》死《し》なぬ天福《てんぷく》を窃《そっ》と盜《ぬす》むことも出來《でく》る、ロミオにはそれが能《かな》はぬ。ロミオは追放《つゐはう》の身《み》の上《うへ》ぢゃ。蒼蠅《あをばへ》でも能《よ》うすることをロミオばかりは能《よ》うせぬ、彼奴等《あいつら》は自由《じいう》の身《み》、吾等《われら》は追放《つゐはう》! これでも足下《おぬし》は追放《つゐはう》を死罪《しざい》でないとおしゃるかいの? 調合《てうがふ》した毒《どく》はないか、研《と》ぎすました刃《やいば》はないか、如何《いか》に卑《いや》しうても大事《だいじ》ない、一思《ひとおも》ひに死《し》ぬ法《はふ》は無《な》いか?……「追放《つゐはう》」……「追放《つゐはう》」で殺《ころ》さるゝのは俺《おれ》ゃ否《いや》ぢゃ! おゝ、御坊《ごばう》よ、追放《つゐはう》とは墮獄《だごく》の輩《やから》が用《もち》ふる語《ことば》、唸《うな》り聲《ごゑ》が附物《つきもの》。そのやうな語《ことば》を聞《き》かせて予《わし》を切《き》りさいなむとは酷《むご》いわい、つれないわい、それでも高僧《かうそう》か、司悔僧《しくわいそう》か、教導師《けうどうし》か、莫逆《ばくぎゃく》と誓《ちか》うた信友《しんいう》か?
ロレ はてさて、愚《おろか》な狂人《きちがひ》どの、ま、予《わし》の言《い》ふことを聽《き》かっしゃれ。
ロミオ きっとまた追放《つゐはう》といふことを被言《おしゃ》るであらう。
ロレ いや、其《その》語《ことば》の鋭鋒《きっさき》を防《ふせ》ぐ甲胄《よろひ》を與《おま》さう。逆境《ぎゃくきゃう》の甘《あま》い乳《ちゝ》ぢゃと謂《い》ふ哲學《てつがく》こそは人《ひと》の心《こゝろ》の慰《なぐさ》め草《ぐさ》ぢゃ、よしや追放《つゐはう》の身《み》とならうと。
ロミオ それ、また「追放《つゐはう》」と! えゝ、哲學《てつがく》め、腐《くさ》りをれ! 哲學《てつがく》でヂュリエットが出來《でき》、市《まち》が移《うつ》され、領主《りゃうしゅ》の宣告《せんこく》が取消《とりけ》さるれば知《し》らぬこと、哲學《てつがく》が何《なん》の役《やく》に立《た》つ、何《なん》にならう? もう聽《き》かぬ。
ロレ おゝ、すれば狂人《きちがひ》には耳《みゝ》が無《な》いと見《み》える。
ロミオ 無《な》い筈《はず》ぢゃ、賢《かしこ》い人《ひと》にさへ目《め》が無《な》い世《よ》ぢゃ。
ロレ いや、卿《そなた》の今《いま》の身《み》の上《うへ》について、談《だん》じたい事《こと》があるのぢゃ。
ロミオ 身《み》に感《かん》じておゐやらぬ事《こと》を、何《なん》で談《だん》ずることが出來《でけ》う。足下《こなた》が予程《わしほど》に齡《とし》が若《わか》うて、あのヂュリエットが戀人《こひびと》で、婚禮《こんれい》の式《しき》を擧《あ》げて只《たんだ》一時《とき》も經《た》たぬうちにチッバルトをば殺《ころ》して、予《わし》のやうに戀《こ》ひ焦《こが》れ、予《わし》のやうにあさましう追放《つゐはう》された上《うへ》でなら、予《わし》に談《だん》ずることも出來《でけ》うずれ、このやうに頭髮《かみのけ》を掻毟《かきむし》って、ま此樣《このやう》に地上《ぢびた》に倒《たふ》れて、まだ掘《ほ》らぬ墓穴《はかあな》の尺《しゃく》を取《と》ることも出來《でけ》うずれ!
ロミオ頭髮《かみのけ》を掻毟《かきむし》り仰向《あふむけ》に倒《たふ》れて歎《なげ》く。此時《このとき》奧《おく》にて戸《と》を叩《たゝ》く音《おと》。
ロレ 起《た》ちゃれ。案内《あんない》がある。ロミオや、速《はや》う身《み》を匿《かく》しゃれ。
ロミオ 俺《おれ》ゃ匿《かく》れぬ。胸《むね》の惱悶《なやみ》の唸《うめ》きの息《いき》が霧《きり》のやうに立籠《たちこ》めて追手《おって》の目《め》を塞《ふさ》いだら知《し》らぬこと。
戸《と》を叩《たゝ》く音《おと》。
ロレ あれ、あの叩《たゝ》くことは!……誰《た》れぢゃな!……速《はや》う起《た》ちゃ。捕《とら》へられうぞよ。……暫《しばら》く/\!……立《た》ちゃ/\。
叩《たゝ》く音《おと》。
予《わし》の書齋《しょさい》へ。……只今々々《たゞいま/\》!……はてさて、愚《おろ》かにも程《ほど》があるわ!……はい/\、只今《たゞいま》參《まゐ》ります!
叩《たゝ》く音《おと》。
けたゝましうお叩《たゝ》きゃるは何人《どなた》ぢゃ? どこから見《み》えたぞ? 何《なん》の御用《ごよう》ぢゃ?
乳母 (内にて)用《よう》は入《はひ》ってから申《まう》しまする、ヂュリエットさまからでござります。
ロレ なれば、ようこそ。
戸《と》を開《あ》くる、乳母《うば》入來《いりきた》る。
乳母 おゝ、御坊《ごばう》さま、御坊《ごばう》さま、姫《ひめ》さまの殿御《とのご》は何處《どこ》にござらッしゃります、ロミオさまは何處《どこ》に?
ロレ それ、そこに地上《ちじゃう》に、おのが涙《なみだ》に醉《ゑ》うて。
乳母 おゝ/\、こちの姫《ひめ》さまも、ま、ちょうど其通《そのとほ》りぢゃがな!
ロレ ても、いたましい悲哀《ひあひ》の感應《かんおう》! 氣《き》の毒《どく》な境遇《きゃうぐう》!
乳母 こちのも其通《そのとほ》りに平伏《へたば》って、泣面《べそ》かいて、哭立《なきた》てゝぢゃ。立《た》たッしゃれ/\。男《をとこ》なら立《た》たッしゃりませ。姫《ひめ》の爲《ため》ぢゃ、ヂュリエットどのの爲《ため》ぢゃ、起《お》きさッしゃれ、立《た》たしませ。(此時ロミオ唸《うめ》く。)何《なん》で其樣《そのやう》に歎《なげ》かッしゃるのぢゃ、何《なん》で其樣《そのやう》に大業《おほげふ》に?
ロミオ (俄に起ち上りて)おゝ、乳母《おんば》!
乳母 あゝ、もし! これさ、もし! はて、死《し》ぬれば何《なに》もかも結局《おしまひ》ぢゃがな。
ロミオ 今《いま》ヂュリエットと被言《おしゃ》ったの? 姫《ひめ》は何《なん》としてぢゃ? 姫《ひめ》は予《わし》を二人《ふたり》が中《なか》の歡樂《くわんらく》の其《その》水子《みづご》を姫《ひめ》の身内《みうち》の血《ち》で汚《よご》した怖《おそろ》しい殺人者《ひとごろし》と思《おも》うてはゐやらぬか? 何處《どこ》にぢゃ? 何《なん》としてぢゃ? わしの内密妻《ないしょづま》は破《やぶ》れた互《たが》ひの誓文《せいもん》を何《なん》と言《い》うてぢゃ?
乳母 おゝ、何《なに》も言《い》はッしゃらいで、泣《な》いてばっかり。寢床《ねどこ》の上《うへ》に倒《たふ》れさっしゃるかと思《おも》ふと、即《やが》て又《また》飛《と》び起《お》きてチッバルトと呼《よ》ばらっしゃる、かと思《おも》ふと、ロミオと呼《よ》ばって、又《また》横倒《よこたふ》しにならっしゃります。
ロミオ すりゃ、其《その》名前《なまへ》に胸板《むないた》を射拔《いぬ》かれたやうに思《おも》うて、其《その》名前《なまへ》の持主《もちぬし》が大事《だいじ》の近親《うから》を殺《ころ》したゆゑ。おゝ、御坊《ごばう》、をしへて下《くだ》され、此《この》肉體《にくたい》の何《ど》のあたりに、予《わし》の醜穢《けがらは》しい名《な》は宿《やど》ってゐるぞ? さ、をしへて下《くだ》され、其《その》憎《にく》い居所《ゐどころ》を切裂《霧さ》いてくれう。
劍《けん》を拔《ぬ》く。
ロレ まゝゝ、滅相《めっそう》なことをすまい。これ、男《をとこ》ではないか? 姿《すがた》を見《み》れば男《をとこ》ぢゃが、其《その》涙《なみだ》は宛然《さながら》の女子《をなご》ぢゃ。狂氣《きちがひ》めいた其《その》振舞《ふるまひ》は理性《りせい》のない獸類同然《けだものどうぜん》。男《をとこ》らしうも女《をなご》らしうも見《み》えて、獸類《けだもの》らしうも見《み》ゆる見《み》ともない振舞《ふるまひ》! はてさて、呆《あき》れ果《は》てた。誓文《せいもん》、予《わし》は今少《もすこ》し立派《りっぱ》な氣質《きだて》ぢゃと思《おも》うてゐたに。チッバルトを殺《ころ》した上《うへ》に、おのが身《み》をも殺《ころ》さうとや? 自《みづか》ら墮地獄《だぢごく》の罪《つみ》を犯《をか》して、卿《そなた》ゆゑにこそ生《い》きてゐやるあの姫《ひめ》をも殺《ころ》さうとや? 何《なん》で卿《そなた》は出生《しゅっしゃう》を呪《のろ》ひ、天《てん》を、地《ち》を呪《のろ》ふのぢゃ? 生《せい》と天《てん》と地《ち》と此《この》三《み》つが相合《あひあ》うて出來《でき》た身《み》をば、つい無分別《むふんべつ》に棄《す》てうでな? 馬鹿《ばか》な、馬鹿《ばか》な! 姿《すがた》を、戀《こひ》を、分別《ふんべつ》を辱《はづかし》むる振舞《ふるまひ》といふものぢゃ。譬《たと》へば、吝嗇者《りんしょくもの》のやうに貨《たから》は夥《おびたゞ》しう有《も》ってをっても、正《たゞ》しう用《もち》ふることを知《し》らぬ、姿《すがた》をも、戀《こひ》をも、分別《ふんべつ》をも、其身《そのみ》の盛飾《かざり》となるやうには。卿《そなた》の其《その》氣高《けだか》い姿《すがた》は徒《ほん》の蝋細工同樣《らうざいくどうやう》、男《をとこ》の勇氣《ゆうき》からは外《はづ》れたものぢゃ。卿《そなた》の戀《こひ》の盟約《ちかひ》は内容《なかみ》の無《な》い空誓文《からぜいもん》、なりゃこそ養育《はごく》まうと誓《ちか》うた戀《こひ》をも殺《ころ》してのけうと爲《し》やるのぢゃ、卿《そなた》の分別《ふんべつ》は姿《すがた》や戀《こひ》の飾《かざり》ぢゃが、本體《ほんたい》が善《よ》うないので不具《かたは》となり、愚《おろか》な卒《そつ》が藥筐《くすりいれ》の火藥《くわやく》のやうに、扱《あつか》ひかたがわるいので爆發《ばくはつ》し、我《わ》れと我《わ》が武器《ぶき》で身《み》を滅《ほろぼ》す。こりゃ、しっかりとお爲《し》やらう! つい最前《いまがた》まで戀《こひ》しさに死《し》ぬる苦《くる》しみを爲《し》てござった其《その》戀人《こひゞと》のヂュリエットは恙《つゝが》ない。すれば、それが先《ま》づ幸福《しあはせ》。またチッバルトは卿《そなた》を殺《ころ》したでもあらうずに、卿《そなた》がチッバルトを殺《ころ》した。それもまた一《ひと》つの幸福《しあはせ》。次《つぎ》に死罪《しざい》ともあるべき國法《こくはふ》は卿《そなた》の身方《みかた》となって追放《つゐはう》で事濟《ことず》み。それもまた一《ひと》つの幸福《しあはせ》。天《てん》の恩惠《めぐみ》は重《かさ》ね/″\脊《せ》に下《くだ》り、幸福《かうふく》が餘所行姿《よそゆきすがた》で言寄《いひよ》りをる。それに何《なん》ぢゃ、意地《いぢ》くねの曲《まが》った少女《こめらう》のやうに、口先《くちさき》を尖《とが》らせて運命《うんめい》を呪《のろ》ひ、戀《こひ》を呪《のろ》ふ。氣《き》を附《つ》けゃ、氣《き》を附《つ》けゃ、さういふ輩《やから》があさましい最期《さいご》を遂《と》ぐる。さゝ、豫定通《さだめどほ》り、戀人《こひゞと》の許《もと》へ往《い》て、居間《ゐま》へ攀《よ》ぢ登《のぼ》り、速《はや》う慰《なぐさ》めてやりめされ。したが、夜番《よばん》の置《お》かれぬうちに別《わか》れませうぞ、マンチュアへ往《ゆ》かれぬやうになってはならぬ。マンチュアに蟄《ちっ》してゐやる間《あひだ》に、わしが機《をり》を見《み》て二人《ふたり》が内祝言《ないしうげん》の顛末《もとすゑ》を公《おほやけ》にし、兩家《りゃうけ》の確執《かくしつ》を調停《てうてい》し、御領主《ごりゃうしゅ》の赦《ゆるし》を乞《こ》ひ、やがて卿《そなた》を呼返《よびかへ》すことにせう、其折《そのをり》の喜悦《よろこび》は出《で》て行《ゆ》く今《いま》の悲痛《かなしみ》の千萬倍《せんまんばい》であらうぞよ。……乳母《おんば》、先《さき》へ往《ゆ》きゃれ。姫《ひめ》によう傳《つた》へたもれ、家内中《かないぢゅう》を早《はや》う就褥《ねか》しめさと被言《おしゃ》れ、歎《なげ》きに疲《つか》れたれば眠《ね》むるは定《ぢゃう》ぢゃ。ロミオは今直《いますぐ》參《まゐ》らるゝ。
乳母 はれま、結構《けっこう》なお教訓《けうくん》ぢゃ、夜《よ》すがら此處《こゝ》に居殘《ゐのこ》っても、聽聞《ちゃうもん》がしたいわいの。てもま、學問《がくもん》は偉《きつ》いものぢゃな! 殿《との》さん、貴方《こなた》が來《き》さしますことを姫《ひい》さまに申《まう》しましょ。
ロミオ さういうて、戀人《こひゞと》に、叱《しか》る準備《したしらべ》をさせてたもれ。
乳母 もしえ、この指輪《ゆびわ》は姫《ひい》さまから、わしに貴下《こなた》へ上《あ》げませいと言《い》うて。さ、速《はや》う、急《いそ》がしゃれ、甚《いか》う夜《よ》が深《ふ》けたによって。
乳母《うば》入る。
ロミオ おゝ、これで心《こゝろ》が安《やす》らいだわ!
ロレ さ、速《はや》う往《ゆ》きゃれ。さらばぢゃ。貴下《こなた》の幸運《かううん》は只《たゞ》此《この》一《ひと》つに繋《かゝ》る、夜番《よばん》の置《お》かれぬうちに出立《しゅったつ》するか、さなくば夜明《よあ》くる頃《ころ》姿《すがた》を窶《やつ》して此《この》市《まち》を遠《とほ》ざかるか、二《ふた》つに一《ひと》つぢゃ。マンチュアに蟄《ちっ》してござれ、忠實《まめやか》な僕《をとこ》を求《もと》め、時折《ときおり》、其《その》男《をとこ》して此方《こなた》の吉左右《きッさう》を知《し》らせう。さ、手《て》を。もう晩《おそ》い。さらばぢゃ、機嫌《きげん》よう。
ロミオ 此上《このうへ》も無《な》い歡樂《よろこび》が予《わし》を呼《よ》ぶのでなかったら、斯《こ》う早急《さっきふ》に別《わか》るゝのは悲《かな》しいことであらう。恙《つゝが》なうござりませ。
二人《ふたり》左右《さいう》に別《わか》れて入る。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》、同《おな》じく夫人《ふじん》及《およ》びパリス出る。
カピ長 かやうな珍變《ちんぺん》が起《おこ》ったによって、女《むすめ》に説《と》き聞《きか》す暇《いとま》もござらなんだ。女《むすめ》もチッバルトを甚《きつ》う懷《なつか》しう思《おも》うてをったに、また吾等《われら》とても同樣《どうやう》ぢゃに。さりながら人《ひと》は皆《みな》死《し》ぬるやうに生《うま》れたもの。もう今宵《こよひ》は晩《おそ》うござる、女《むすめ》は降《お》りては參《まゐ》るまいぢゃまで。貴下《こなた》がござったればこそ、さもなくば吾等《われら》とても、一時《とき》も前《さき》に、臥床《やす》んだでござらう。
パリス かういふ愁傷《なげき》の最中《さなか》には祝言《しうげん》の話《はなし》も出來《でき》まい。お内《うち》かた、おさらばでござる。娘御《むすめご》によろしう傳《つた》へて下《くだ》され。
カピ妻 心得《こゝろえ》ました、女《むすめ》の心《こゝろ》は明日《あす》早《はや》う質《たゞ》しましょ。今宵《こよひ》は悲嘆《なげき》に囚《とら》はれて、閉籠《とぢこ》めてのみ居《ゐ》まする。
パリス行《ゆ》きかくる。
カピ長 いや、なう、パリスどの、女《むすめ》は敢《あへ》て献《けん》じまする。彼《か》れめは何事《なにごと》たりとも吾等《われら》の意志《こゝろざし》には背《そむ》くまいでござる、いや、其儀《そのぎ》は聊《いさゝか》も疑《うたが》ひ申《まう》さぬ。……奧《おく》よ、其許《そなた》は寢《ね》る前《まへ》に女《むすめ》に逢《あ》うて、婿《むこ》がねパリスどのゝ深《ふか》い心入《こゝろいれ》の程《ほど》を知《し》らせて、よいかの、次《つぎ》の水曜日《すゐえうび》には……いや、待《ま》ちゃれ、けふは何曜日《なにえうび》ぢゃ?
パリス 月曜日《げつえうび》でござる。
カピ長 月曜日《げつえうび》! はゝア! かうッと、水曜日《すゐえうび》はちと急《きふ》ぢゃ。木曜日《もくえうび》にせう。……女《むすめ》に、木曜日《もくえうび》には此《この》殿《との》と祝言《しふげん》さすると被言《おしゃ》れ。ようござるか? 此《この》早急《さっきふ》に異議《いぎ》はござらぬか? 業々《げふ/\》しうはすまい、ほんの近《ちか》しい輩《やから》一兩名《りゃうめい》、はて、何故《なぜ》と被言《おしゃ》れ、近親《きんしん》チッバルトが殺《ころ》されて間《ま》がないことゆゑ、盛宴《せいゑん》を催《もよふ》すときは無情《むじゃう》な行爲《しこなし》とも思《おも》はれうによって。されば、近《ちか》しい友達《ともだち》をば只《たんだ》五六名《めい》限《かぎ》り招《まね》くことにしませう。……したが、貴下《こなた》、木曜日《もくえうび》でようござるか?
パリス 吾等《われら》は其《その》木曜日《もくえうび》が明日《あす》であってほしうござる。
カピ長 さらば、先《ま》づお歸《かへ》りあれ。なれば木曜日《もくえうび》と定《き》めまする。……卿《そなた》は寢《ね》る前《まへ》に女《むすめ》に逢《あ》うて、當日《たうじつ》の準備《こゝろまうけ》をさせたがよい。……おさらばでござる。予《わし》が居間《ゐま》へ燭火《あかし》を持《も》て! はれやれ、晩《おそ》うなったわい、こりゃ軈《やが》てお早《はや》うと言《い》はねばなるまい。……さゝ、お休《やす》みなされ。
パリスと夫婦《ふうふ》と左右《さいう》に分《わか》れて入る。
ロミオとヂュリエットと樓上《ろうじゃう》の窓口《まどぐち》に現《あらは》るゝ。
ヂュリ 去《いな》うとや? 夜《よ》はまだ明《あ》きゃせぬのに。怖《こはが》ってござるお前《まへ》の耳《みゝ》に聞《きこ》えたは雲雀《ひばり》ではなうてナイチンゲールであったもの。夜毎《よごと》に彼處《あそこ》の柘榴《じゃくろ》へ來《き》て、あのやうに囀《さへず》りをる。なア、今《いま》のは一定《きっと》ナイチンゲールであらうぞ。
ロミオ いや/\、旦《あさ》を知《し》らする雲雀《ひばり》ぢゃ、ナイチンゲールの聲《こゑ》ではない。戀人《こひびと》よ、あれ、お見《み》やれ、意地《いぢ》の惡《わる》い横縞《よこじま》めが東《ひがし》の空《そら》の雲《くも》の裂目《さけめ》にあのやうな縁《へり》を附《つ》けをる。夜《よる》の燭火《ともしび》は燃《も》え盡《つ》きて、嬉《うれ》しげな旦《あした》めが霧立《きりた》つ山《やま》の巓《いたゞき》にもう足《あし》を爪立《つまだ》てゝゐる。速《はや》う往《い》ぬれば命《いのち》助《たす》かり、停《とゞ》まれば死《し》なねばならぬ。
ヂュリ あの光明《ひかり》は朝《あさ》ぢゃない、いえ/\、朝日《あさひ》ではないわいの。ありゃ太陽《たいやう》がお前《まへ》の爲《ため》に、今宵《こよひ》マンチュアへの道案内《みちしるべ》に炬火持《たいまつもち》の役《やく》さしょとて、急《きふ》に呼出《よびだ》した光《ひか》り物《もの》ぢゃ。ぢゃによって、大事《だいじ》ない、まだ去《いな》しゃるには及《およ》ばぬ。
ロミオ 捕《とら》はれうと、死罪《しざい》にならうと、恨《うらみ》はない、卿《そもじ》の望《のぞみ》とあれば。あの灰色《はひいろ》は朝《あさ》の眼《め》で無《な》いとも言《い》はう、ありゃ嫦娥《シンシヤ》の額《ひたひ》から照返《てりかへ》す白光《びゃくくわう》ぢゃ。また吾等《われら》の頭《かしら》の上《うへ》で大空《おほぞら》高《たか》う鳴響《なりひゞ》くあの奏樂《そうがく》も、雲雀《ひばり》の聲《こゑ》では無《な》いと言《い》はう。去《い》にたいよりも此處《こゝ》に居《ゐ》たいが幾層倍《いくそうばい》ぢゃ。さ、死《し》よ、來《きた》れ、喜《よろこ》んで迎《むか》へう! それがヂュリエットの望《のぞみ》ぢゃ。さ、戀人《こひびと》、どうぢゃ? もっと話《はな》さう。朝《あさ》ではない。
ヂュリ いや、朝《あさ》ぢゃ、朝《あさ》ぢゃ。速《はや》う去《いな》しませ、速《はや》う/\! 聞辛《きゝづら》い、蹴立《けた》たましい高調子《たかてうし》で、調子外《てうしはづ》れに啼立《なきだ》つるは、ありゃ雲雀《ひばり》ぢゃ。雲雀《ひばり》の聲《こゑ》は懷《なつか》しいとは虚僞《いつはり》、なつかしい人《ひと》を引分《ひきわ》けをる。蟇《ひき》と目《め》を交換《とりか》へたとは事實《まこと》か? ならば何故《なぜ》聲《こゑ》までも交換《とりか》へなんだぞ? あの聲《こゑ》があればこそ、抱《いだ》きあうた腕《かひな》と腕《かひな》を引離《ひきはな》し、朝彦《あさびこ》覺《さま》す歌聲《うたごゑ》で、可愛《いと》しいお前《まへ》を追立《おひた》てをる。おゝ、速《はや》う去《いな》しませ、だん/″\明《あか》るうなって來《く》る。
ロミオ 明《あか》るうなればなる程《ほど》、暗《くら》うなる二人《ふたり》が身《み》の上《うへ》。
乳母《うば》出る。
乳母 姫《ひい》さま!
ヂュリ 乳母《うば》か?
乳母 御方樣《おんかたさま》が只今《たゞいま》お居間《ゐま》へ入《い》らせられます。夜《よ》は明《あ》けた、もし、油斷《ゆだん》なう心《こゝろ》を配《くば》って。
ヂュリ なりゃ、窓《まど》よ、日光《ひ》を内《うち》へ、命《いのち》を外《そと》へ。
ロミオ おさらば、おさらば! これを名殘《なごり》に(と接吻して)降《お》りて去《いな》う。
樓《ろう》を下《お》りかくる。
ヂュリ (樓上より)お前《まへ》もう去《いな》しますか? あゝ、戀人《こひびと》よ、殿御《とのご》よ、わが夫《つま》よ、戀人《こひびと》よ! きっと毎日《まいにち》消息《たより》して下《くだ》され。これ、一時《とき》も百日《にち》なれば、一分《ぷん》も百日《にち》ぢゃ。おゝ、そんな風《ふう》に勘定《かんぢゃう》したら、また逢《あ》ふまでには予《わし》は老年《としより》になってしまはう!
ロミオ さらばぢゃ! かりそめにも機會《きくわい》さへあれば消息《たより》を怠《おこた》ることではない。
ヂュリ おゝ、また逢《あ》はれうかいの?
ロミオ 念《ねん》には及《およ》ばぬ。今《いま》の此《この》憂苦勞《うきくらう》は、後《のち》の樂《たの》しい昔語《むかしがたり》ぢゃ。
ヂュリ おゝ、如何《どう》せうぞ! 心《こゝろ》めが忌《いまは》しい取越苦勞《とりこしぐらう》をさせをる。下《した》にゐやしゃるのを此處《こゝ》から見《み》ると、どうやら墓《はか》の底《そこ》の死人《しにん》のやう。目《め》の故《せゐ》か知《し》らねども、お前《まへ》の顏《かほ》が蒼《あを》う見《み》ゆる。
ロミオ 眞實《しんじつ》、予《わし》の目《め》にも、卿《そもじ》の顏《かほ》が然《さ》う見《み》ゆる。憂悲愁《うきかなしみ》が互《たが》ひの血汐《ちしほ》を涸《か》らしたのぢゃ。おさらば、おさらば!
ロミオ入る。
ヂュリ おゝ、運命神《うんめい》よ、運命神《うんめい》よ! 皆《みな》が汝《そち》を浮氣者《うはきもの》ぢゃといふ。いかに汝《そち》が浮氣《うはき》であらうと、世《よ》に聞《きこ》えた堅實《かたぎ》な人《ひと》を何《なん》とすることも出來《でき》まい。いや、やっぱり浮氣《うはき》がよい、そしたら彼《あ》の人《ひと》を直《すぐ》|《あ》いて予《わし》へ返《かへ》してたもらうによって。
カピ妻 (内にて)女《むすめ》や/\! 起《お》きてかいの?
ヂュリ 誰《た》れぢゃ呼《よ》ぶは? 母《かゝ》さまか知《し》らぬ。晩《おそ》うまで眠《ねぶ》らいでか、早《はや》うから目《め》を覺《さま》してか? 何事《なにごと》があって、見《み》えたやら?
カピューレット夫人《ふじん》出る。
カピ妻 ま、其方《そなた》、如何《どう》ぞしやったか?
ヂュリ 心地《こゝち》がわるうござります。
カピ妻 いつまでも從兄《いとこ》どのゝのことを悔《くや》んでゐやるか? これの、涙《なみだ》で洗《あら》うたら墓《はか》から出《で》て來《き》やると思《おも》うてか? 出《で》て來《き》やったとても生《い》かすことは出來《でき》まい。ぢゃによって、思《おも》ひ切《き》りゃ。歎《なげ》くは愛情《まごゝろ》の深《ふか》い證《しるし》ぢゃが、餘《あま》りに深《ふか》う歎《なげ》くは分別《ふんべつ》の足《たら》はぬ證《しるし》ぢゃ。
ヂュリ でも此樣《このやう》な不幸《ふしあはせ》は存分《ぞんぶん》に泣《な》いてのけたい。
カピ妻 存分《ぞんぶん》にお泣《な》きゃらうと、不幸《ふしあはせ》な人《ひと》が歸《かへ》りはせぬ。
ヂュリ 返《かへ》らぬことゝ思《おも》うても、存分《ぞんぶん》に泣《な》かいではをられぬ。
カピ妻 では、其方《そなた》は、殺《ころ》した當《たう》の惡黨《あくたう》が尚《まだ》存《ながら》へてゐくさるのを、然程《さほど》にはお泣《な》きゃらぬな?
ヂュリ え、惡黨《あくたう》とはえ?
カピ妻 あのロミオの惡黨《あくたう》。
ヂュリ (傍を向き)惡黨《あくたう》と彼《あ》の人《ひと》では大《おほ》きな相違《ちがひ》ぢゃ!……神樣《かみさま》、あの者《もの》を赦《ゆる》させられませ! わたしは眞實《しんじつ》赦《ゆる》してゐます。とは言《い》へ、思《おも》ひ出《だ》すと、悲《かな》しうてなりませぬ。
カピ妻 と言《い》ふのも、あの二心《ふたごころ》の下手人《げしゅにん》めが生存《いきながら》へてをるからぢゃ。
ヂュリ あい、さうぢゃ、わたしの此《この》手《て》が能《よ》う達《とゞ》かぬ遠《とほ》い處《ところ》に。わたしの手《て》一《ひと》つで從兄《いとこ》どのゝ敵《かたき》が討《う》ちたい。
カピ妻 敵《かたき》は一定《きっと》取《と》ってやります。懸念《けねん》には及《およ》ばぬ。すれば、最早《もう》泣《な》きゃんな。あの追放人《おひはらはれ》の無頼漢《ならずもの》が住《す》んでゐるマンチュアに使《つかひ》を送《おく》り、さる男《をとこ》に言《い》ひ含《ふく》めて尋常《よのつね》ならぬ飮物《のみもの》を彼奴《あいつ》めに飮《の》ませませう、すれば即《やが》てチッバルトが冥途《めいど》の道伴《みちづれ》。さうなれば其方《そなた》の心《こゝろ》も慰《なぐさ》まう。
ヂュリ ほんにロミオの顏《かほ》を……死顏《しにがほ》を……見《み》るまでは、妾《わたし》ゃ如何《どう》しても心《こゝろ》が勇《いさ》まぬ、從兄《いとこ》がお死《し》にゃったのが、それ程《ほど》に心《こゝろ》に沁《し》みて悲《かな》しい。母《かゝ》さま、其《その》毒《どく》を持《も》って行《ゆ》く使《つかひ》の男《をとこ》とやらが定《きま》ったら、藥《くすり》は妾《わたし》が調合《てうがふ》せう、ロミオがそれを手《て》に入《い》れたら、直《すぐ》にも安眠《あんみん》しをるやうに。おゝ、彼奴《あいつ》の名《な》を聞《き》くと身《み》が顫《ふるへ》る。もどかしいなア、チッバルトを殺《ころ》しをった彼奴《あいつ》の肉體《からだ》をば掻毟《かきむし》って、懷《なつか》しい/\從兄《いとこ》への此《この》眞情《まごゝろ》を見《み》することも出來《でき》ぬか!
カピ妻 方法《てだて》は自身《じしん》で工夫《くふう》しやれ、使者《つかひ》は予《わし》が搜《さが》しませう。それはさうと、めでたい報道《しらせ》を持《も》って來《き》たぞや。
ヂュリ めでたい事《こと》とは耳寄《みゝよ》りな、此樣《このやう》な辛《つら》い時《とき》に。それは何樣《どのやう》な事《こと》でござります?
カピ妻 はて、其方《そなた》は仁情深《なさけぶか》い父御《てゝご》をお有《も》ちゃってぢゃ。其方《そなた》に愁歎《なげき》を忘《わす》れさせうとて、俄《にはか》にめでたい日《ひ》をお定《さだ》めなされた、予《わし》も其方《そなた》も曾《つひ》ぞ思《おも》ひがけぬめでたい日《ひ》を。
ヂュリ はれま、母樣《かゝさま》、それはまた何樣《どのやう》な?
カピ妻 はて、女《むすめ》よ、次《つぎ》の木曜日《もくえうび》の朝《あさ》早《はや》う、あの風流《みやび》な、立派《りっぱ》な若殿《わかとの》のパリスどのが、セント・ピーターの會堂《くわいだう》で、めでたう其方《そなた》を花嫁御《はなよめご》にお爲《し》やる筈《はず》ぢゃ。
ヂュリ そのセント・ピーターの會堂《くわいだう》懸《か》けて、いゝや、ピーターどのをも誓言《ちかひ》にかけて、何《なん》のそれがめでたからう! 嫁入《よめいり》はせぬわいの。何《なん》といふ早急《さっきふ》ぢゃ。申入《まうしいれ》も聞《き》かぬうちに婚禮《こんれい》とは何事《なにごと》ぢゃ? 父《とゝ》さまに言《い》うて下《くだ》され、わたしは嫁入《よめいり》はまだしませぬ。嫁入《よめいり》すれば如何《どう》あってもロミオへ往《ゆ》く、憎《にく》いと思《い》ふあのロミオへ、パリスどのへ往《ゆ》くよりは。まア、ほんに、思《おも》ひがけない!
カピ妻 あれ、父御《ちゝご》がわせた。自身《じしん》で然《さ》う言《い》うて、父御《ちゝご》がそれを其方《そなた》から聞《き》いて、何《なん》と思《おも》はしゃるかを見《み》たがよい。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》先《さき》に乳母《うば》從《つ》いて出る。
カピ長 日《ひ》が沈《しず》むと露《つゆ》が降《お》りるは尋常《よのつね》ぢゃが、甥《をひ》の日沒《ひのいり》には如瀧雨《どしゃぶり》ぢゃ。どうぢゃ! 噴水像《みづふき》どの! え、まだ泣《な》いておぢゃるか? え、いつまでも雨天《しけ》つゞきか? 其許《おぬし》は只《たんだ》一《ひと》つの小《ちひ》さい身體《からだ》で、船《ふね》にもなれば、海《うみ》にも風《かぜ》にもなりゃる。先《ま》づ目《め》は海《うみ》ぢゃ、終始《たえず》涙《なみだ》の滿干《みちひき》がある、身體《からだ》は船《ふね》、其《その》鹽辛《しほから》い浪《なみ》を走《はし》る、溜息《ためいき》は風《かぜ》ぢゃ、涙《なみだ》の浪《なみ》と共《とも》に|荒《あれまは》り、涙《なみだ》はまたそれを得《え》て|倍
《ます/\》荒《あ》るゝ、はて、和《なぎ》が急《きふ》に來《こ》なんだら、命《いのち》の船《ふね》が顛覆《ひっくりかへ》ってしまふわい。……何《なん》とぢゃ、卿《そなた》! 吩咐《いひつ》けた通《とほ》りをお語《かた》りゃったか?
カピ妻 はい、申《まう》しましたなれど、有難《ありがた》うはござりますが、望《のぞ》まぬと言《い》うてゐます。阿呆《あはう》めは墓《はか》へ嫁入《よめいり》したがようござります!
カピ長 ま、待《ま》たしませ! 如何《どう》したと言《い》はします、いさや、どうしたと被言《おしゃ》るのぢゃ? え! 望《のぞ》まぬ? 有難《ありがた》いとは思《おも》はぬか? 其《その》身《み》の名譽《めいよ》ぢゃと思《おも》はぬか? おのれ、嬉《うれ》しいとも思《おも》ひをらぬか、あのやうな、分不相應《ぶんふさうおう》の貴人《きにん》を親《おや》が婿《むこ》にしてとらしたをば?
ヂュリ さア、名譽《めいよ》ぢゃとは思《おも》はねど、嬉《うれ》しいとは思《おも》ひまする。嫌《いや》なものを名譽《めいよ》には能《よ》うせねど、其《その》嫌《いや》なことも妾《わたし》を可愛《かわゆ》さにして下《くだ》されたと思《おも》へば嬉《うれ》しい。
カピ長 何《なん》ぢゃ、何《なん》ぢゃ! 小理窟屋《こりくつや》が! 何《なん》ぢゃそれは? 「名譽《めいよ》ぢゃ」、「嬉《うれ》しいと思《おも》ひまする」、「嬉《うれ》しいと思《おも》ひませぬ」。しかも尚《なほ》「名譽《めいよ》ぢゃとは思《おも》ひませぬ」はて、こゝな我儘《わがまゝ》どの、嬉《うれ》しがったり名譽《めいよ》がったりする間《ひま》に、其《その》上等《けっこう》な脚節《すねふし》でも調査《しら》べておきゃ、次《つぎ》の木曜日《もくえうび》にパリスと一しょに會堂《くわいだう》へ行《ゆ》くために。さうでないと、簀子《すのこ》の上《うへ》へ叩《たゝ》き伏《ふ》せて、引摺《ひきず》って行《ゆ》かうぞよ。おのれ、萎黄病《ゐわうびゃう》で死《し》んだやうな面《つら》をしをって! うぬ/\、碌《ろく》でなし! おのれ、白蝋面《びゃくろうづら》めが!
長者《ちゃうじゃ》立《た》ちかゝる。
カピ妻 あさましい! 貴下《こなた》は氣《き》でも狂《くる》うたか?
ヂュリエット父《ちゝ》の前《まへ》に膝《ひざ》まづく。
ヂュリ もうし、父上《ちゝうへ》、膝《ひざ》をついて願《ねが》ひまする、たった一言《ひとこと》堪忍《かんにん》して聽《き》いて下《くだ》され。
カピ長 くたばりをれ、碌《ろく》でなしめが! 不孝千萬《ふかうせんばん》な奴《やつ》ぢゃ! こりゃやい、次《つぎ》の木曜日《もくえうび》に教會堂《けうくわいだう》へ往《ゆ》きをらう。往《ゆ》かずば、又《また》と此《この》顏《かほ》を見《み》るな。言《い》ふな、答《こた》へるな、返答《へんたふ》するな。此《この》指《ゆび》がむづ/\するわい。……奧《おく》よ、子《こ》をば神《かみ》が只《たゞ》一人《ひとり》しか賜《たまは》らなんだのを不足《ふそく》らしう思《おも》うたこともあったが、今《いま》となっては此奴《こやつ》一人《ひとり》すら多過《おほす》ぎる、取《と》りも直《なほ》さず、呪咀《じゅそ》ぢゃ、禍厄《わざはひ》ぢゃ、うぬ/\、賤婢《はしたをんな》め!
乳母 はれまア、可愛相《かはいさう》に! 其樣《そのやう》に叱《しか》らしゃりますは、殿《との》さま、それは貴下《こなた》が無理《むり》でござります。
カピ長 なゝ、なぜぢゃ、賢女《けんぢょ》どの! 聰明樣《おりこうさま》、まゝ、お默《だま》りなされ。喋々語《べちゃつ》きたくば、とっとゝ彼方《あち》へ往《い》て、冗口仲間《むだぐちなかま》と饒舌《しゃべ》れ。
乳母 お爲《ため》にならぬことは言《い》ひませぬわいの。
カピ長 はい、さやうなら、御機嫌《ごきげん》よう!
乳母 物言《ものい》うては、わるいかいな?
カピ長 默《だま》れ、むが/\むが/\と、阿呆《あはう》め! 其許《おぬし》の御託宣《ごたくせん》は、冗口仲間《むだぐちなかま》と酒《さけ》でも飮合《のみあ》ふ時《とき》に被言《おしゃ》れ、こゝには用《よう》は無《な》いわ。
乳母 貴下《こなた》は餘《あま》り逆上《のぼ》せてござる。
カピ長 はて、氣《き》ちがひにもなるわさ。晝《ひる》も夜《よる》も、季《き》も節《せつ》も、念々刻々《ねん/\こく/\》、働《はたら》いてゐよが、遊《あそ》んでゐよが、只《たゞ》一人《ひとり》ゐよが、多勢《おほぜい》と共《とも》にゐよが、女《むすめ》めが縁邊《えんぺん》を苦勞《くらう》にせなんだ時《とき》は無《な》い。やっとの事《こと》で、門閥家《もんばつか》の、良《よ》い領地有《りゃうちもち》の、年《とし》の若《わか》い、教育《けういく》も立派《りっぱ》な、何樣《なにさま》才徳《さいとく》の具足《ぐそく》した男《をとこ》は斯《か》うもありたいもの、と望《のぞ》まるゝ通《とほ》りに出來上《できあが》ってゐる婿《むこ》を搜《さが》して、供給《あてが》へば、見《み》ともない、吠面《ほえづら》さかいて、泣偶人《なきにんぎゃう》め、幸福《しあはせ》をば幸福《しあはせ》とも思《おも》ひをらいで、「嫁入《よめいり》はせぬ」の、「戀《こひ》は知《し》らぬ」の、「まだ年齡《としは》がゆかぬ」の、「赦《ゆる》して下《くだ》されい」の、と吐《ぬか》しをる。したが、嫁入《よめいり》をせぬとならば、赦《ゆる》してもくれう。好《す》きな處《ところ》で草食《くさは》みをれ、此處《こゝ》には住《すま》さぬわい。やい、よう思《おも》へ、よう考《かんが》へをれ、戲言《たはぶれごと》は言《い》はぬ乃公《おれ》ぢゃ。木曜日《もくえうび》は今《いま》の間《ま》、胸《むね》に手《て》を置《お》いて思案《しあん》せい。我子《わがこ》ならば親友《しんいう》の許《もと》へ遣《や》る、さなくば首《くび》を縊《くゝ》らうと、乞食《こじき》をせうと、餓《う》ゑて途上死《のたれじに》をしをらうとまゝぢゃ、誓文《せいもん》、我子《わがこ》とは思《おも》はぬわい、また何一《なにひと》つたりと、汝《おのれ》には與《く》れまいぞよ。よいか、二言《ごん》は無《な》いぞよ。誓言《せいごん》は破《やぶ》らぬぞよ。
長者《ちゃうじゃ》入《はひ》る。ヂュリエット泣倒《なきたふ》るゝ。
ヂュリ 大空《おほぞら》の雲《くも》の中《なか》にも此《この》悲痛《かなしみ》の底《そこ》を見透《みとほ》す慈悲《じひ》は無《な》いか? おゝ、母《かゝ》さま、わたしを見棄《みす》てゝ下《くだ》さりますな! 此《この》婚禮《こんれい》を延《のば》して下《くだ》され、せめて一月《ひとつき》、一週間《しうかん》。それも能《かな》はぬなら、チッバルトが臥《ね》てゐやる薄昏《うすぐら》い廟《べう》の中《なか》に婚禮《こんれい》の床《とこ》を設《まう》けて下《くだ》され。
カピ妻 わしに物《もの》を被言《おしゃ》んな、わしは最早《もう》何《なに》も言《い》ひますまいほどに。好《す》きにしや、もう其方《そなた》には關《かま》ひませぬほどに。
夫人《ふじん》入る。
ヂュリ おゝ!……おゝ、乳母《うば》や! 如何《どう》したらよいであらうぞ? 夫《をっと》は地上《ちじゃう》、誓約《ちかひ》は天上《てんじゃう》。何《なん》として其《その》誓約《ちかひ》が再《ふたゝ》び地上《ちじゃう》に戻《もど》らうぞ、其《その》夫《つま》が地《ち》を離《はな》れて天《てん》から取戻《とりもど》してたもらずば?……慰《なぐさ》めてたも、教《をし》へてたも。……かなしや/\、此身《このみ》のやうな孱弱《かよわ》い者《もの》を天《てん》までが陰謀《たくら》んで責《せ》めさいなむ!……これ、乳母《うば》、どうせう? 嬉《うれ》しいことを言《い》うてたも。何《なん》ぞ慰《なぐさ》めはないかいの?
乳母 誓文《せいもん》、ござります。ロミオどのは追放《つゐはう》の身《み》ぢゃほどに、世界《せかい》が崩《くづ》れうと、戻《もど》って來《き》て何《なん》のかのと言《い》はッしゃらう筈《はず》は無《な》い。よしや戻《もど》らッしゃるにせい、ほんの窃々《こつそり》の内密沙汰《ないしょざた》ぢゃ。すれば、かうなってしまうた上《うへ》は、あの若殿《わかとの》へ嫁入《よめい》らッしゃるが最《いっ》ち良《よ》い分別《ふんべつ》ぢゃ。おゝ、ほんに可憐《かはいら》しいお方《かた》。彼方《あなた》に比《くら》べてはロミオどのは雜巾《ざふきん》ぢゃ。萠黄色《もえぎいろ》の、活々《いき/\》とした美《うつく》しい眼附《めつき》、鷲《わし》の目《め》よりも立派《りっぱ》ぢゃ。ほんに/\、こんどのお配偶《つれあひ》こそ貴孃《こなた》のお幸福《しあはせ》であらうぞ、前《まへ》のよりはずっと優《まし》ぢゃ。よし然《さ》うでないにせい、前《まへ》のは最早《もう》絶滅《だめ》ぢゃ、いや、絶滅《だめ》も同樣《どうやう》ぢゃ、離《はな》れて住《す》んでござって、貴孃《こなた》のまゝにならぬによって。
ヂュリ そりや[#「そりや」はママ]其方《そなた》本氣《ほんき》で言《い》やるか?
乳母 はい、本氣《ほんき》でも本心《ほんしん》でもござります、でなくば罰《ばち》が當《あ》たれ!
ヂュリ 其通《そのとほ》りに!
乳母 えゝ?
ヂュリ なに、あの、其方《そなた》の慰《なぐさ》めで不思議《ふしぎ》に心《こゝろ》が安堵《おちつ》いた。奧《おく》へ往《い》て、母樣《はゝさま》に言《い》うてたも、父上《ちゝうへ》の御不興《ごふきょう》を受《う》けたゆゑ、懺悔《ざんげ》をして罪《つみ》を赦《ゆる》して貰《もら》はうとて、ロレンスどのゝ庵室《あんじつ》へわしが往《い》んだと。
乳母 はい/\、心得《こゝろえ》ました。それこそ賢《かしこ》い御分別《ごふんべつ》ぢゃ。
乳母《うば》入る。ヂュリエットじっと行方《ゆくかた》を見送《みおく》って
ヂュリ 罰當《ばちあた》りの夜叉《やしゃ》め! おゝ、惡魔《あくま》め! 予《わし》に誓約《ちかひ》を破《やぶ》らせうとしをるばかりか、前《まへ》には幾千度《いくせんたび》も比《くら》べ物《もの》の無《な》いやうに褒《ほ》めちぎった予《わし》の殿御《とのご》を其《その》同《おな》じ舌《した》で惡口《あくこう》しをる。……去《い》ね、相談敵手《さうだんあひて》にした其方《そち》ぢゃが、其方《そち》と予《わし》とは今《いま》からは心《こゝろ》は別々《べつ/\》。……御坊《ごばう》の許《ところ》へ往《い》て救《すく》ひを乞《こ》はう。事《こと》が皆《みな》破《やぶ》れても、死《し》ぬる力《ちから》は此身《このみ》に有《あ》る。
ヂュリエット入る。
[#改ページ]
ロレンス法師《ほふし》とパリスと出る。
ロレ 木曜日《もくえうび》と仰《おほ》せらるゝか? では早急《さっきふ》な事《こと》ぢゃ。
パリス 舅《しうと》カピューレットどのが其樣《そのやう》にしたいと被言《おしゃ》る。予《わし》とてもそれを遲《おそ》うしたいとは思《おも》ひませぬ。
ロレ 姫《ひめ》の心《こゝろ》はまだ知《し》らぬと仰《おほ》せらるゝ。すれば段取《だんどり》が素直《すなほ》でない、吾等《われら》は好《この》もしう思《おも》ひませぬ。
パリス チッバルトの落命《らくめい》をいみじう歎《なげ》いてゞあったゆゑ、涙《なみだ》の宿《やど》には戀神《ーナス》は笑《ゑ》まぬものと、縁談《えんだん》を差控《さしひか》へてゐたところ、餘《あま》り甚《きつ》う歎《なげ》いては姫《ひめ》の身《み》が心元《こゝろもと》ない、獨《ひとり》でゐれば洪水《こうずゐ》のやうに出《で》る涙《なみだ》も、交《まじ》らふ者《もの》があれば堰止《せきと》むることも出來《でき》るものと、舅御《しうとご》の才覺《さいかく》にて、急《きふ》に婚禮《こんれい》と事《こと》が決《きま》った。速《はや》うせねばならぬ仔細《わけ》を、何《なん》と會得《ゑとく》めされたか?
ロレ (傍を向きて)それは遲《おそ》うせねばならぬ仔細《わけ》が、此方《こち》に解《わか》ってをらなんだらなア!……あれ、御覽《ごらう》ぜ、姫《ひめ》が此庵《こゝ》にわせられた。
ヂュリエット出る。
パリス 嬉《うれ》しう逢《あ》ひました、我妻《わがつま》。
ヂュリ 妻《つま》とも呼《よ》ばしませ、婚禮《こんれい》が叶《かな》ふなら。
パリス 叶《かな》はいでならうか、此次《このつぎ》の木曜日《もくえうび》には?
ヂュリ 叶《かな》はいでならぬことは叶《かな》ふ筈《はず》ぢゃ。
ロレ こりゃ格言《かくげん》ぢゃわい。
パリス 今日《けふ》は師《し》の御坊《ごばう》に懺悔《ざんげ》をばしよう爲《ため》にわせられたか?
ヂュリ はい、というたなら、貴下《こなた》へ自白《ざんげ》をしたことになりませうぞ。
パリス 吾等《われら》を思《おも》うてゐるといふことを、御坊《ごばう》に打明《うちあ》けて言《い》うて下《くだ》され。
ヂュリ では、打明《うちあ》けて申《まう》しませう、わたしは御坊樣《ごばうさま》を思《おも》うてゐます。
パリス 吾等《われら》をも同《おな》じやうに思《おも》うてゐる、と言《い》うて下《くだ》されうがな。
ヂュリ さア、言《い》ふにせい、それは背《せ》で言《い》うてこそ價値《ねうち》もあれ、面《かほ》を見合《みあ》せて言《い》はうより。
パリス やれ、笑止《きのどく》や、卿《そなた》の面《かほ》は涙《なみだ》で甚《いか》う汚《よご》れてゐる。
ヂュリ 涙《なみだ》が何程《どれほど》の事《こと》をしませう、生得《うまれつき》、見《み》ともない面《かほ》ぢゃもの。
パリス 其樣《そのよ》なことを被言《おしゃ》るのは、われから我面《わがかほ》を讒訴《ざんそ》するのぢゃ。
ヂュリ 眞《ほん》の事《こと》は讒訴《ざんそ》とは言《い》はれぬ、ましてこれは後言《かげごと》ではない、直《ぢか》に面《かほ》に對《むか》うて言《い》うてゐるのぢゃもの。
パリス いや、卿《こなた》の面《かほ》は今《いま》では予《わし》の有《もの》ぢゃに、それをば其樣《そのやう》に惡《あ》しう被言《おしゃ》るのは讒訴《ざんそ》ぢゃ。
ヂュリ ほんに然《さう》もあらうか、妾《わたし》の有《もの》ではないゆゑ。……(ロレンスに)御坊樣《ごぼうさま》、今《いま》お暇《ひま》でござりますか、改《あらた》めて晩《ばん》のお祈祷頃《いのりごろ》に參《まゐ》りませうか?
ロレ いや、今《いま》でも故障《こしゃう》は無《な》い。……若殿《わかとの》、憚《はゞか》りぢゃが、暫《しばら》くの間《あひだ》、こゝを吾等《われら》に。
パリス おゝ、かりそめにも勤行《ごんぎゃう》のお妨《さまた》げをしてはならぬ!……ヂュリエットどの、木曜日《もくえうび》には朝《あさ》早《はや》うお迎《むかへ》に行《ゆ》きませうぜ。それまでは、おさらば。此《この》聖《きよ》い接吻《キッス》を保有《しま》っておいて下《くだ》され。
パリス入る。
ヂュリ おゝ、早《はや》う扉《と》を閉《し》めて、そしてしめてまうたら、わたしと一しょに泣《な》いて下《くだ》され。もう絶望《だめ》ぢゃ! 絶望《だめ》ぢゃ、絶望《だめ》ぢゃ!
ロレ あゝ、これ、ヂュリエットや、其《そ》の悲歎《かなしみ》は善《よ》う知《し》ってをる! 何《なん》ぼう搾《しぼ》っても予《わし》の智慧《ちゑ》には能《あた》はぬ。次《つぎ》の木曜《もくえう》には、寸分《すんぶん》の猶豫《ゆうよ》もなう、彼《あ》の若《わか》と婚禮《こんれい》を爲《し》やらねばならぬと聞《き》いた。
ヂュリ いゝえ/\、それを中止《やめ》にする方便《てだて》が無《な》いなら、聞《き》いたなぞとおッしゃるな。お前《まへ》の智慧《ちえ》にも能《あた》はぬなら、つい予《わし》の覺悟《かくご》をば良《よ》い分別《ふんべつ》ぢゃと讃《ほ》めて下《くだ》され、すれば此《この》懷劒《くわいけん》で今直《いますぐ》に敢行《しての》けう。ロミオとわしの心《こゝろ》と心《こゝろ》を結《むす》び合《あ》はせたは神樣《かみさま》、手《て》と手《て》を繋《つな》いだはお前《まへ》。すれば、お前《まへ》がロミオへの封印代《ふいんがは》りにした此《この》手《て》を、他《あだ》し證書《しょうしょ》の封印《ふういん》に使《つか》はうより、又《また》僞《いつは》りの無《な》い此《この》心《こゝろ》を操《みさを》に背《そむ》いて他《あだ》し男《をとこ》に向《む》けうより、此《この》懷劒《くわいけん》で手《て》も心《こゝろ》も突殺《つきころ》してのけう。ぢゃによって今直《いますぐ》にお前《まへ》の長《なが》い年功《ねんこう》で良《よ》い思案《しあん》をして下《くだ》され。さもなくば、此《この》怖《おそろ》しい懷劒《くわいけん》を難儀《なんぎ》の瀬戸際《せどぎは》の行司《ぎゃうじ》にして、年《とし》の功《こう》も智慧《ちえ》の力《ちから》も如何《どう》とも能《よ》うせぬ女一人《をんなひとり》の面目《めんもく》を今《いま》こゝで裁決《とりさば》かす、見《み》て下《くだ》され。さ、早《はや》う何《なん》となと言《い》うて下《くだ》され。わしゃ早《はや》う死《し》にたい、お前《まへ》の言《い》ふことが何《なん》の役《やく》にも立《た》たぬやうなら。
ロレ まア、お待《ま》ちゃれ。助《たす》かる術《すべ》を思《おも》ひついたわ。必死《ひっし》の厄《やく》を脱《のが》れうためゆゑ必死《ひっし》の振舞《ふるまひ》をもせねばならぬ。パリスどのと祝言《しうげん》するよりも寧《いっ》そ自害《じがい》せうと程《ほど》の逞《たくま》しい意志《こゝろざし》がおりゃるなら、いゝやさ、恥辱《はぢ》を免《まぬか》れうために死《し》なうとさへお爲《し》やるならば、同《おな》じ望《のぞみ》のために死《し》ぬるに似《に》た一事《あること》をば多分《たぶん》敢行《しての》くることが出來《でけ》う。敢行《しての》けう意《こゝろ》なら救《すく》はるゝ術《すべ》を授《さづ》けう。
ヂュリ おゝ、パリスどのと祝言《しうげん》をせう程《ほど》なら、あの塔《たふ》の上《うへ》から飛《と》んで見《み》い、山賊《やまだち》の跳梁《はびこ》る夜道《よみち》を行《ゆ》け、蛇《へび》の棲《す》む叢《くさむら》に身《み》を潛《ひそ》めいとも言《い》はッしゃれ。吼《ほ》ゆる荒熊《あらくま》と一しょにも繋《つな》がれう、墓《はか》の中《なか》にも幽閉《おしこ》められう、から/\と鳴《な》る骸骨《がいこつ》や穢《むさ》い臭《くさ》い向脛《むかはぎ》や黄《き》ばんだ頤《あご》のない髑髏《しゃれかうべ》が夜々《よる/\》掩《おほ》ひ被《かぶさ》らうと。又《また》昨日《きのふ》今日《けふ》の新墓《しんばか》で死人《しびと》の墓衣《はかぎ》に苞《くる》まって隱《かく》れてゐよとも言《い》はッしゃれ。聞《き》いたばかりでも、例《つね》は身毛《みのけ》が彌立《よだ》ったが、大事《だいじ》の操《みさを》を立《た》つる爲《ため》なら、躊躇《ちゅうちょ》せいで敢行《しての》けう。
ロレ では、待《ま》ちゃれ。先《ま》づ今日《けふ》は立歸《たちかへ》って、嬉《うれ》しさうにもてなし、パリスどのとの祝言《しうげん》を承諾《しょうだく》しやれ。明日《あす》は水曜日《すいえうび》ぢゃ。明日《あす》は何《なん》とかして一人《ひとり》でお臥《ね》やれ、乳母《うば》をも同《おな》じ間《ま》には臥《ね》かさッしゃるな。床《とこ》にお入《はひ》りゃったら、(小さき藥瓶を取出し)此《この》瓶《びん》を取《と》って此《これ》なる藥水《やくすゐ》をばお飮《の》みゃれ。すると、即《やが》て慄然《ぞっ》として眠《ねむ》たいやうな氣持《きもち》が血管中《けっくわんぢゅう》に行渡《ゆきわた》り、脈搏《みゃくはく》も例《いつも》のやうではなうて、全《まった》く止《や》み、生《い》きてをるとは思《おも》はれぬ程《ほど》に呼吸《こきふ》も止《とま》り、體温《ぬくみ》も失《う》する。頬《ほゝ》、唇《くちびる》の薔薇《ばら》も褪《あ》せて、蒼白《あをじろ》い灰《はひ》と變《かは》る。目《め》の窓《まど》もはたと閉《と》づる、生活《いのち》の日《ひ》がつい暮《く》れて行《ゆ》く時《とき》のやうに。どこも/\硬固《しゃちこば》って、冷《つめた》うなって、自在《じざい》な活動《はたらき》をば失《うしな》うて、死切《しにき》ったやうにも見《み》えう。さて、此《この》死切《しにき》ったらしい相《すがた》で四十二時《とき》經《た》つときは、氣持《きもち》の好《よ》い睡《ねむり》から醒《さ》むるやうに、自然《しねん》と起《お》きさッしゃらう。然《しか》るに、翌朝《あくるあさ》、あの新郎殿《むこどの》が卿《おこと》を迎《むか》ひにとて來《わ》するころは、卿《おこと》は恰《ちゃう》ど死《し》んでゐる。すれば、當國《このくに》の風習通《ならはしどほ》りに、顏《かほ》は故《わざ》と隱《かく》さいで、最《いっち》良《よ》い晴衣《はれぎ》を着《き》せ、柩車《ひつぎぐるま》に載《の》せて、カピューレット家《け》代々《だい/\》の古《ふる》い廟舍《たまや》へ送《おく》られさッしゃらう。其間《そのひま》に、予《わし》の消息《しらせ》で、ロミオが此《この》計畫《けいくわく》を知《し》り、卿《おこと》が覺《さ》めさッしゃる前《まへ》に、此方《こち》へ來《く》ることとならう。予《わし》も共々《とも/″\》目覺《めさめ》まで番《ばん》をして、其夜《そのよ》の中《うち》にロミオが卿《おこと》をばマンチュアへ伴《つ》れて行《いな》う。卿《おこと》の心《こゝろ》さへ變《かは》らずば、女々《めゝ》しい臆病心《おくびゃうごゝろ》の爲《ため》に、敢行《しての》くる勇氣《ゆうき》さへ弛《ゆる》まなんだら、此度《このたび》の耻辱《はぢ》は脱《のが》れられうぞ。
ヂュリ 下《くだ》され、さ、それを。早《はや》うそれを! おゝ、何《なん》の臆病心《おくびゃうごゝろ》!
ロレ まゝ、歸《かへ》らしめ。(藥瓶を渡し)さらば、逞《たくま》しう覺悟《かくご》して、首尾《しゅび》よう事《こと》を爲遂《しと》げさッしゃれ。予《わし》はまた一《さる》法師《ほふし》に、卿《おこと》の殿御《とのご》への書面《しょめん》を持《も》たせ、急《いそ》いでマンチュアまで遣《や》りませう。
ヂュリ 戀《こひ》よ、予《わし》に力《ちから》をくれい! 力《ちから》さへあれば事《こと》は成《な》らう。……御坊《ごばう》さま、さらば。
左右《さいう》へ別《わか》れて入る。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》を先《さき》に、同《おな》じく夫人《ふじん》、乳母《うば》、并《なら》びに下人《げにん》甲《かふ》、乙《おつ》、從《つ》いて出る。
カピ長 こゝに書《か》いてあるだけの客人《きゃくじん》を招待《せうだい》せい。……
甲《かふ》の下人《げにん》入《はひ》る。乙《おつ》の下人《げにん》に向《むか》ひ
やい、汝《そち》は料理人《れうりにん》の老練《らうれん》な奴《やつ》を二十人《にん》ばかり雇《やと》うて來《こ》い。
乙下人 御懸念《ごけねん》なされますな、先《ま》づ指《ゆび》を嘗《な》めさせて見《み》て雇《やと》ひまする。
カピ長 それはまた如何《どう》した理由《わけ》ぢゃ?
乙下人 はて、うぬが指《ゆび》を能《よ》う嘗《な》めぬやうな奴《やつ》は不可《いけ》ぬ料理人《れうりにん》でござります。それゆゑ指《ゆび》を能《よ》う嘗《な》めぬ奴《やつ》は採用《とりあ》げませぬ。
カピ長 往《ゆ》け/\。……
乙《おつ》の下人《げにん》入る。
必定《ひつぢゃう》、何《なに》かと行屆《ゆきとゞ》かぬがちであらうわい。え、こりゃ、女《むすめ》はロレンス御坊《ごばう》の許《ところ》へ往《い》たか?
乳母 さよでござります。
カピ長 うゝ、御坊《ごばう》の庇《かげ》で、ちと料簡《れうけん》も直《なほ》りをらうわい。氣儘《きまゝ》な、沒分曉的《わからずや》の賤婦《あまっちゃ》めぢゃ。
ヂュリエット出る。
乳母 あれ、孃《ぢゃう》が嬉《うれ》しさうな顏《かほ》して、お懺悔《ざんげ》から歸《かへ》らしゃれた。
カピ長 どうぢゃ、剛情張《がうじょッぱり》が? どこを漫歩《ほつきある》いて? 何處《どこ》にゐたのぢゃ?
ヂュリ 父《とゝ》さまの命令《おほせごと》に省《そむ》いた不孝《ふかう》の罪《つみ》を悔《くや》むことを習《なら》うた處《ところ》に。(膝まづきて)かうして地《ち》に平伏《ひれふ》して父《とゝ》さまの赦《ゆるし》を乞《こ》へいと、あのロレンスどのが言《い》はれました。どうぞ堪忍《かんにん》して下《くだ》され! これからは善《よ》う命令《おほせつけ》を聽《き》きまする。
カピ長 それ、パリスどのを呼《よ》びにやって、速《はや》う此事《このこと》を知《し》らせい。明日《あす》は朝《あさ》の間《ま》に此《この》縁結《えんむす》びを濟《すま》さうわい。
ヂュリ その若《わか》にロレンスどのゝ庵室《あんじつ》で逢《あ》うたゆゑ、女《をなご》の謹愼《つゝしみ》に障《さは》らぬ限《かぎ》りの、ふさはしい會釋《ゑしゃく》をしておきました。
カピ長 はて、それは重疉々々《ちょうでう/\》。よし/\。起《た》ちゃ/\。(ヂュリエットを扶け起し)さうなうてはならぬ筈《はず》ぢゃ。……ま、ともかくも若《わか》に逢《あ》はうわ、さうぢゃ、はて、速《はや》う往《い》て彼《か》の人《ひと》を伴《つ》れて來《こ》いといふに。……さてはや、實《じつ》に高徳《かうとく》のあの上人《しゃうにん》、此《この》市中《まちぢゅう》の者《もの》で、誰《た》れ一人《ひとり》、彼《か》の人《ひと》の庇《かげ》を蒙《かうむ》らぬものはないわい。
ヂュリ 乳母《うば》や、一しょに部屋《へや》へ來《き》て、明日《あす》被《き》ねばならぬ最《いっ》ち似合《にあ》ふ晴衣《はれぎ》を手傳《てつだ》うて撰《えら》んでくりゃ。
カピ妻 木曜日《もくえうび》までは急《いそ》ぐに及《およ》ばぬ。まだ澤山《たくさん》間《ま》があるがな。
カピ長 乳母《うば》よ、往《ゆ》け一しょに。……明日《あす》教會《けうくわい》へ往《ゆ》くことにせう。
ヂュリエットと乳母《うば》と入る。
カピ妻 では、準備《ようい》をする暇《ひま》もあるまい。もう即《やが》て夜《よる》ぢゃ。
カピ長 なにさ/\、乃公《おれ》が馳驅奔走《かけずりまは》るわさ、さすれば、大丈夫《だいぢゃうぶ》、どうにかなるわさ。卿《そなた》は、ヂュリエットの許《とこ》へ往《い》て、着《き》る物《もの》を手傳《てつだ》うてやりゃ。乃公《おれ》は今夜《こんや》は寢《やす》むまい。はて、任《まか》せておきゃ。今夜《こんや》ほどは女房役《にょうばうやく》をせうわい。……(奧に向ひて)こりゃ、誰《た》れかゐぬか!……皆《みな》出拂《ではら》うてしまうた。むゝ、自身《じしん》でパリスどのゝ邸《やしき》へ往《い》て、明朝《あす》の準備《こゝろがまへ》をさせて來《こ》う。心《こゝろ》がおそろしう輕《かる》うなったわい、あの我儘者《わがまゝもの》めが改心《かいしん》しをったによって。
二人《ふたり》ともに入る。
ヂュリエットを先《さき》に乳母《うば》從《つ》いて出る。
ヂュリ あい、其《その》晴着《はれぎ》が最《いっ》ち佳《よ》い。それはさうと、乳母《うば》や、今宵《こよひ》は予《わし》をどうぞ一人《ひとり》で寢《ね》かしてくりゃ。知《し》ってゐやる通《とほ》りの、執拗《ねぢく》れた、此《この》罪深《つみふか》い心《こゝろ》を、神樣《かみさま》に赦《ゆる》して貰《もら》ふため、いろ/\とお祷《いのり》をせねばならぬ。
カピューレットの夫人《ふじん》出る。
カピ妻 え、何《なん》と、忙《いそが》しうおぢゃるなら、手傳《てつだ》ひませうか?
ヂュリ いゝえ、母樣《かゝさま》、明日《あす》の式《しき》に相應《ふさは》しい入用《いりよう》な品程《しなほど》は既《も》う撰出《えりだ》しておきました。それゆゑ、妾《わたし》にはお介意《かまひ》なう、乳母《うば》はお傍《そば》で夜中《よぢゅう》お使《つか》ひ下《くだ》されませ。かうした早急《さっきふ》な取込《とりこみ》ゆゑ、嘸《さぞ》お手《て》が足《た》りますまい。
カピ妻 では、機嫌《きげん》よう、床《とこ》に就《つ》いてお休《やす》み、それが何《なに》よりも大切《たいせつ》ぢゃほどに。
夫人《ふじん》乳母《うば》を伴《つ》れて入る。
ヂュリ さやうなら!……又《また》いつ逢《あ》はるゝやら。……おゝ、總身《そうみ》が寒《さむ》け立《だ》って、血管中《けっくわんぢゅう》に沁《し》み徹《とほ》る怖《おそ》ろしさに、命《いのち》の熱《ねつ》も凍結《こゞ》えさうな! 寧《いっ》そ皆《みな》を呼戻《よびもど》さうか? 乳母《うば》!……えゝ、乳母《うば》が何《なん》の役《やく》に立《た》つ? 怖《おそろ》しい此《この》一場《ば》は、一人《ひとり》で如何《どう》あっても勤《つと》めにゃならぬ。……さア、來《こ》い、瓶《びん》よ。
藥瓶《くすりびん》を取上《とりあ》げる。
とはいへ、若《も》し此《この》藥《くすり》に、何《なん》の效力《きゝめ》も無《な》かったなら? すれば、明日《あす》の朝《あさ》となって、結婚《けっこん》を爲《し》ようでな? いや/\。……それは此劍《これ》が(と懷劍を取り上げ)させぬ。……やい、其處《そこ》にさうしてゐい。(と懷劍を下に置く)。……萬《まん》一、此《この》藥《くすり》が毒藥《どくやく》であったら? ロミオどのと縁組《えんぐみ》させておきながら、此《こ》の婚禮《こんれい》をさすときは、宗門《しゅうもん》の恥《はぢ》となるによって、それで予《わし》を殺《ころ》さうといふ深《ふか》い陰謀《たくみ》の毒藥《どくやく》ではあるまいものでもない。いや/\、よもや其樣《そのやう》なこともあるまい、不斷《ふだん》から上人《しゃうにん》と人《ひと》に崇《あが》められた彼《あの》法師《ほふし》ぢゃ。……したが、墓《はか》の中《なか》に臥《ね》てゐる時分《じぶん》、まだロミオがお來《き》やらぬうちに、若《も》し目《め》が覺《さ》めたら何《なん》とせう? さア、それが怖《おそろ》しい! 其《その》窖《あなむろ》で呼吸《いき》が塞《つま》ってはしまやせぬか? 其《その》穢《むさ》い穴《あな》の中《なか》へは清《きよ》い空氣《くうき》は些程《つゆほど》も通《かよ》はぬゆゑ、ロミオどのが來《わ》する頃《ころ》には予《わし》ゃ死《し》んでしまうてゐねばなるまい。若《も》し生《い》きてゐるやうなら……時《とき》も時《とき》、處《ところ》も處《ところ》、墓《はか》も墓《はか》、年《とし》を經《へ》た埋葬所《はふむりどころ》、何《なん》百年《ねん》の其間《そのあひだ》の先祖《せんぞ》の骨《ほね》が填充《つま》ってあり、まだ此間《このあひだ》埋《う》めたばかりの彼《あ》のチッバルトも血《ち》まぶれの墓衣《はかぎ》のまゝで、定《さだ》めて腐《くさ》りかけてゐるであらうし、また眞夜中《まよなか》の幾時《いくとき》かは幽靈《いうれい》も出《で》るといふ……えゝ、どうしょう、目《め》が覺《さ》めたら?……厭《いや》らしい其《その》臭《にほひ》と、聞《き》けば必然《きっと》狂亂《きちがひ》になるといふ彼《あの》曼陀羅華《まんだらげ》を根《ね》びくやうな、凄《すご》い氣味《きみ》のわるい聲《こゑ》を聞《き》いたら……おゝ、早《はや》まって覺《さ》めた時分《じぶん》に、其樣《そのやう》な怖《おそろ》しい、畏《こは》いものに取卷《とりま》かれたら、氣《き》が違《ちが》はいでをられうか? 先祖《せんぞ》の衆《しゅう》の手《て》や足《あし》やを偶《ふ》と玩具《もてあそび》にはしはすまいか? 手傷《てきず》だらけのチッバルトを血《ち》みどろの墓衣《はかぎ》から引出《ひきだ》しゃせぬか? 狂氣《きゃうき》の餘《あま》り、世《よ》に聞《きこ》えた或《さる》親族《うから》の骨《ほね》を取上《とりあ》げ、棍棒《ばうぎれ》のやうに|揮《ふりまは》して、我《われ》と我手《わがて》で此《この》腦天《なうてん》をば摧《くだ》きゃせぬか? あれ/\! チッバルトの怨靈《をんりゃう》が、細刃《ほそみ》で斫《き》られた返報《へんぽう》をしようとて、ロミオを|追
《おひまは》してゐるのが見《み》ゆるやうぢゃ! あ、あれ、待《ま》ってたべ、チッバルト!……ロミオ、わしぢゃ! これはお前《まへ》を思《おも》うて飮《の》むのぢゃ。
と藥水《やくすゐ》を飮干《のみほ》すとやがて眩暈《げんうん》したる思入《おもひいれ》にて、寢臺《しんだい》の上《うへ》、帳《とばり》の内《うち》へ倒《たふ》れ込《こ》む。
カピューレット夫人《ふじん》と乳母《うば》と出る。
カピ妻 待《ま》ちゃ、乳母《うば》、此《この》鍵《かぎ》を持《も》って往《い》て、もそっと藥味《やくみ》を取《と》って來《き》てたも。
乳母 お庖厨《だいどころ》では、棗《なつめ》や|榲《まるめろ》を與《く》れいと呼《よ》んでゐます。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》出る。
カピ長 さゝゝゝゝ、働《はたら》け/\! 二番鷄《ばんどり》が啼《な》いたぞ、深夜鐘《カアヒウ》が鳴《な》ったわ、もう三時《じ》ぢゃ。こりゃアンヂェリカ、燒饅頭《やきまんぢう》はよいかの? 費用《つひえ》は介意《かま》ふな、費用《つひえ》は。
乳母 またしてもお干渉《せっかひ》を爲《し》やしゃります、さゝ、お就褥《やすみ》なされませ。誓文《せいもん》、明日《あす》は病人《びゃうにん》にならしゃりませうぞえ、此夜《こよひ》寢《ね》やしゃらぬと。
カピ長 うんにゃ、ちょっともぢゃ。はて、其前《そのぜん》には、もそっと些細《ささい》な事《こと》で、幾《いく》たびも夜明《よあか》しをしたものぢゃが、曾《つひ》ぞ病氣《びゃうき》なぞになったことは無《な》いわい。
カピ妻 さいの、其時分《そのじぶん》には甚《きつ》い鼠捕《ねずみと》りであったさうな。したが、わたしが不寢《ねず》の番《ばん》をするゆゑ、今《いま》は其樣《そのやう》な鼠《ねずみ》をば捕《と》らすことぢゃない。
夫人《ふじん》と乳母《うば》と入る。
カピ長 妬《や》きをるわい、妬《や》きをるわい!……
下人《げにん》三四人《にん》、炙串《うをぐし》、薪《まき》、籃《てかご》などを携《たづさ》へて出る。
やい/\、そりゃ何《なん》ぢゃ?
甲下人 料理番《れうりばん》のでござります、が、何《なん》ぢゃやら存《ぞん》じませぬ。
カピ長 急《いそ》げ/\。
甲《かふ》の下人《げにん》入る。
やい、もそっと枯《か》れた薪《まき》を取《と》って來《こ》い。ピーターに聞《き》け、すると、在處《ありしょ》をば教《をし》へるわい。
乙下人 眼《め》がござりますから、薪位《まきぐらゐ》は見附《みつ》けまする、へい、ピーターには及《およ》びませぬ。
乙《おつ》の下人《げにん》入る。
カピ長 南無三《なむさん》、やりをるわい。おもしろい下司野郎《げすやらう》め! 何《なん》ぢゃ、薪《まき》を見《み》る眼《め》ぢゃ? 乃公《おれ》ゃまた薪目《まきめ》くらかと思《おも》うた。……はれやれ、夜《よ》が明《あ》けたわ。今《いま》に彼《あ》の若《わか》が樂人共《がくじんども》を將《ゐ》て來《わ》するであらう、さうせうと被言《おしゃ》ったによって。
樂《がく》の音《ね》聞《きこ》ゆる。
もう來《わ》せたわ、……(奧に向ひて)乳母《うば》……奧《おく》よ! こりゃ、やい!……こりゃ乳母《うば》、乳母《うば》といへば!
乳母《うば》又《また》出る。
さゝ、ヂュリエットを起《おこ》して、着飾《きかざ》らせい。俺《おれ》は往《い》てパリスどのに挨拶《あいさつ》せう。……さゝ、急《いそ》げ/\。婿《むこ》どのは最早《もう》來《わ》せたわ。急《いそ》げ急《いそ》げ。
皆《みな》入る。
ヂュリエット前《まへ》の場《ば》の儘《まゝ》に寢床《ねどこ》に倒《たふ》れ臥《ふ》してゐる。床《とこ》には帳《とばり》がかけてある。乳母《うば》出る。
乳母 孃《ぢゃう》さま! これさ、孃《ぢゃう》さま! ヂュリエットさま! ぐっすりと睡入《ねい》ってぢゃな、定《ぢゃう》? はて、仔羊《こひつじ》さんえ! はて、姫《ひい》さまえ! ま、こゝなお寢坊《ねばう》さんえ! はて、可憐《いとしぼ》さん! これの、お姫《ひい》さま! 戀人《こひびと》さんえ! はてま、花嫁御《はなよめご》さんえ! えゝも、うんとも言《い》はっしゃらぬ。もう三文《もん》がた眠《ね》ようでな? なりゃ一週間《しうかん》がたも眠《ね》やっしゃれ、明日《あす》の晩《ばん》となると眠《ね》らるゝことではない、あの若《わか》がお前《まへ》を眠《ね》かさぬと根《ね》を据《す》ゑてぢゃ。……南無三寶《なむさんぼう》、ほんにまア善《よ》う眠込《ねこ》んでござることぢゃ! でも是非《ぜひ》起《おこ》さにゃならぬ。……孃《ぢゃう》さま孃《ぢゃう》さま/\! 其《その》床《とこ》の中《なか》へあの若《わか》が這入《はひ》らしゃってもよいかや? そしたら飛起《とびお》きさっしゃらうがな。何《なん》と然《さ》うであらうがな?(寢床の帳を開く)。ま、支度《したく》まで爲《し》やしゃれて! 着衣《め》したまゝで! それでまた寢《ね》たのかいな! どうしても起《おこ》さにゃなりませぬわい!(ゆすぶりながら)姫《ひい》さま! 姫《ひい》さま!……あゝ、かなしや! はれ、誰《た》れぞ來《き》て下《くだ》され、たれぞ! 姫《ひい》さまが死《し》なしゃってぢゃ! おゝ、悲《かな》しや/\、生《うま》れなんだが優《まし》であったものを! 速《はや》う火酒《しゃうちう》を持《も》って來《き》て下《くだ》され! 殿《との》さまえ、奧《おく》さま!
カピューレット夫人《ふじん》出る。
カピ妻 ま、何《なん》といふ騷《さわ》ぎぢゃ?
乳母 おゝ、かなしや/\!
カピ妻 如何《どう》したのぢゃ?
乳母 あれを、あれを! おゝ、悲《かな》しや/\!
カピ妻 (立寄りて)おゝ、おゝ! 女《むすめ》よ、我子《わがこ》よ、これ、生《い》きてたも、目《め》を開《あ》いてたも、其方《そなた》が死《し》にゃると、予《わし》も一しょに死《し》にますわいの。誰《た》れぞ來《き》て下《くだ》され! 人《ひと》を呼《よ》びゃ、人《ひと》を。
カピューレット長者《ちゃうじゃ》出る。
カピ長 どうしたものぢゃ、さ、速《はや》うヂュリエットを、殿御《とのご》が來《わ》せたに。
乳母 姫《ひい》さまは亡《な》くならしゃった、死《し》なしゃりました、亡《な》くならッしゃった。あら、かなしや/\!
カピ妻 あら、悲《かな》しや、女《むすめ》は死《し》にました、死《し》にました、死《し》にましたわいなう!
カピ長 やッ! どれ、どこに。……やれ、悲《かな》しや! こりゃ冷《つめた》いわ、血《ち》が沈《しず》んで、節々《ふし/\》が固硬《しゃちこば》って、こりゃ此《この》唇《くちびる》から息《いき》が離《はな》れてから最早《もう》久《ひさ》しい。廣《ひろ》い野邊《のべ》にも又《また》と無《な》い其《その》花《はな》に、時《とき》ならぬ霜《しも》が降《お》りたがやうに、死《し》んで行《ゆ》く女《むすめ》、ヂュリエット!
乳母 おゝ、かなしや/\!
カピ妻 おゝ、なさけなや/\!
カピ長 女《むすめ》を奪《うば》うて泣《な》かせをる死神《しにがみ》めに、此《この》舌《した》を縛《しば》られて、物《もの》を言《い》ふことが能《かな》はぬわい。
ロレンス法師《ほふし》とパリス、樂人《がくじん》らを引連《ひきつ》れて出る。
ロレ さゝ、嫁御寮《よめごれう》の教會行《けうくわいゆき》の身支度《みじたく》は整《とゝの》ひましたかの?
カピ長 いかにも、往《ゆ》きて再《ふたゝ》び還《かへ》らぬ支度《したく》が。おゝ、婿《むこ》どの、いざ婚禮《こんれい》の前《まへ》の夜《よ》に、死神《しにがみ》めが貴下《こなた》の妻《つま》を寢取《ねと》りをった。あれ、あのやうに花《はな》の相《すがた》の色《いろ》も褪《あ》せたわ。死神《しにがみ》が吾等《われら》の婿《むこ》、死神《しにがみ》が吾等《われら》の嗣子《あとつぎ》、此上《このうへ》は吾等《われら》も死《し》んで何《なに》もかも彼奴《あいつ》に與《く》れう、命《いのち》も財産《しんだい》も何《なに》もかも死神《しにがみ》めに與《く》れませうわい。
パリス 今朝《けさ》、面《かほ》を見《み》る嬉《うれ》しさをば、久《ひさ》しう待焦《まちこが》れてをったに、此樣《このやう》な樣《さま》を見《み》ようとは!
カピ妻 憎《にく》や、かなしや、あさましや、怨《うら》めしや! 休《やす》む間《ま》もなう|《めぐ》り行《ゆ》く長《なが》い年月《としつき》の間《あひだ》にも、又《また》と、こんな情《なさけ》ない日《ひ》があらうかいの! 只《たゞ》一人《ひとり》の、可愛《かはゆ》い一人《ひとり》の、大事《だいじ》の/\祕藏兒《ほんそご》をば、樂《たのし》みとも慰《なぐさ》めとも思《おも》うてゐたを、取《と》ってゆかれてしまうたと思《おも》へば、もう二度《ど》とは逢《あ》はれぬ處《ところ》へ!
乳母 おゝ、悲《かな》しや! おゝ、かなしや/\/\! こんな情《なさけ》ない、こんなあさましい日《ひ》には、わしゃ曾《つひ》ぞ遭《あ》うたことがない! おゝ、こんな! こんな! こんな! こんな怨《うら》めしい! こんな忌《いま》はしい惡日《あくにち》は、わしゃ曾《つひ》ぞ/\。おゝ、悲《かな》しや/\!
パリス 欺《だま》されて、中《なか》を裂《さ》かれて、侮辱《ぶじょく》されて、賤蔑《さげす》まれて、殺《ころ》されてしまうたのぢゃ。憎《にく》い死神《しにがみ》めに欺《だま》されたのぢゃ。慘酷《むご》い/\汝《おのれ》めには滅《ほろぼ》されたのぢゃ! おゝ、戀人《こひゞと》よ! 我《わが》命《いのち》よ! いや/\、命《いのち》とは言《い》はれぬ、死《し》んでしまうてゐやる我《わが》戀人《こひびと》!
カピ長 さげすまれ、困《くるし》められ、憎《にく》まれて、何《なん》の罪《つみ》もなうて殺《ころ》されてしまうたのぢゃ! あさましい惡日《あくにち》め、何《なん》で汝《おのれ》は吾家《わがや》へは來《き》をったぞ、此《この》めでたい式《しき》を殺《ころ》さうとて、此《この》めでたい式《しき》を殺《ころ》さうとて! おゝ、女《むすめ》よ! おゝ、女《むすめ》よ! 女《むすめ》どころかい、我《わが》靈魂《たましひ》よ! 其方《そなた》は死《し》にゃった! あゝ、あゝ! 女《むすめ》は死《し》んでしまうた、女《むすめ》が死《し》ねば俺《おれ》の樂《たのし》みも最早《もう》絶《た》えたわ。
ロレ しづまりめされ! 如何《どう》したものぢゃ! 起《おこ》ってしまうた騷《さわ》ぎは、騷《さわ》げばとて治《をさま》るものではない。そも/\此《この》娘御《むすめご》は天《てん》と貴下《こなた》の兩有《りゃうもち》ぢゃ、今《いま》や天《てん》の獨有《ひとりもち》となったは娘御《むすめご》の爲《ため》には幸福《しあはせ》。貴下《こなた》の有分《もちぶん》は死《し》が取《と》るといへば與《や》らぬわけにはゆかぬが、天《てん》の分《ぶん》は永劫《えいごふ》不滅《ふめつ》ぢゃ。娘御《むすめご》の出世《しゅっせ》を願《ねが》ひ、其《その》昇進《しょうしん》をば此世《このよ》の天國《てんごく》とも思《おも》はしゃった貴下《こなた》が、只今《たゞいま》娘御《むすめご》が雲《くも》の上《うへ》の眞《まこと》の天國《てんごく》へ昇進《しゃうしん》せられたのを、何《なん》として歎《なげ》かしゃるぞ! おゝ、安《やす》らかにならしゃれたを、其樣《そのやう》に取亂《とりみだ》して悲嘆《なげ》かしゃるは、正《たゞ》しう愛《あい》さっしゃる所以《ゆゑん》で無《な》い。婚《こん》して壽《じゅ》なるは必《かなら》ずしも良縁《りゃうゑん》ならず、婚《こん》して夭折《えうせつ》す、却《かへ》って良縁《りゃうえん》。さ、涙《なみだ》を乾《かわ》かして、迷迭香《まんねんくわう》を死骸《なきがら》に|《はさ》ましゃれ。そして習慣通《ならはしどほ》り、最《いっ》ち佳《よ》い晴衣《はれぎ》を着《き》せて、教會《けうくわい》へ送《おく》らっしゃれ。涙《なみだ》を禁《とど》めあへぬは痴《おろか》な情《じゃう》の自然《しぜん》なれども、理性《りせい》の眼《まなこ》からは笑草《わらひぐさ》でござるぞよ。
カピ長 婚儀《こんぎ》の爲《ため》にと準備《ようい》した一切《さい》が役目《やくめ》を變《か》へて葬儀《さうぎ》の用《よう》。祝《いは》ひの樂《がく》は哀《かな》しい鐘《かね》の音《ね》、めでたい盛宴《ちさう》が法事《ほふじ》の饗應《もてなし》、樂《たの》しい頌歌《しょうか》は哀《あは》れな挽歌《ばんか》、新床《にひどこ》に撒《ま》く花《はな》は葬《はふむ》る死骸《なきがら》の用《よう》に立《た》つ。何事《なにごと》も、皆《みな》うらはら。
ロレ 先《ま》づ奧《おく》に入《い》らせられい。……内室《おくがた》も一しょに入《い》らせられい。……パリスどのにも。……何《いづ》れも亡姫《なきひめ》の隨行《とも》をして墓場《はかば》へ行《ゆ》く準備《したく》をなされ。こりゃ何《なに》か仔細《しさい》あって天《てん》のお咎《とが》め、此上《このうへ》、天意《てんい》に逆《さから》うて、ゆめ/\御赫怒《みいかり》をば招《まね》かせらるゝな。
皆々《みな/\》入る。樂人《がくじん》らと乳母《うば》と殘《のこ》る。
甲樂人 こりゃ最早《もう》樂器《がくき》をしまうて歸《かへ》ってもよいであらう。
乳母 ほんに、御苦勞《ごくらう》でござったが、ま、しまはッしゃれ/\。して見《み》ようもない「事《こと》」になったのぢゃわいの。
乳母《うば》入る。
甲樂人 成程《なるほど》、御道理《ごもっとも》でござります、したが、今《いま》に如何《どう》にかなる「琴《こと》」でござりませう。
ピーター出《で》る。
ピータ 樂人《がくじん》さん、おゝ、樂人《がくじん》さん、「心《こゝろ》の慰《なぐさ》め、心《こゝろ》の慰《なぐさ》め」。乃公《おいら》を陽氣《やうき》にさせてくれる氣《き》なら、頼《たの》む、聽《き》かせてくれ、例《れい》の「心《こゝろ》の慰《なぐさ》め」を。
甲樂人 何故《なぜ》「心《こゝろ》の慰《なぐさ》め」をでござります?
ピータ はて、樂人《がくじん》さん、何故《なぜ》と言《い》うて、今《いま》、乃公《おれ》の心《こゝろ》の中《なか》では「予《わし》の心《こゝろ》は悲哀《かなしみ》に……」が始《はじ》まってゐる最中《さいちゅう》ぢゃ。ぢゃによって、何《なに》か可笑《をか》し悲哀《なさけな》い奴《やつ》をば聽《き》かせてくりゃ、乃公《おれ》は怏々《くさ/\》してかなはぬによって。
甲樂人 いや、滅相《めっさう》な、そんな氣分《きぶん》ぢゃござりませぬ。
ピータ 否《いや》ぢゃと被言《おしゃ》るか?
甲樂人 さやう。
ピータ よいわ、今《いま》に見《み》い、身體中《からだぢゅう》に鳴響《なりひび》くやうに支拂《しはら》うてくれうぞ。
甲樂人 何《なに》を支拂《しはら》はッしゃります?
ピータ 金《かね》ぢゃ無《な》いぞ、輕蔑《べっかっこう》をぢゃ。太鼓持扱《たいこもちあつか》ひにしてくれるわ。
甲樂人 すれば、此方《こち》も卿《こなた》をば從僕扱《さんぴんあつか》ひにしてくれう。
ピータ すれば、其《その》從僕《さんぴん》さまのお帶劍《こしのもの》を汝等《ぬしら》の賤頭《どたま》へ上《の》せてくれう。(短き鈍劍を拔いて揮りし)これ、大概《たいがい》で大言《ぶう/\》を止《や》めぬと、其《その》太鼓面《たいこづら》をはりまげて地《つち》ん中《なか》へめりこますぞよ、は如何《どう》だ?
甲樂人 それ、そのめったりはったりが音樂《ぶう/\》(律呂)と謂《い》ふものぢゃ。
乙樂人 もし/\、もう好《よ》い加減《かげん》に其《その》鈍劍《なまくら》を藏《しま》はっしゃれ、駄洒落《だしゃれ》も最早《もう》ぬきにさっしゃれ。
ピータ 何《なん》ぢゃ、劍《けん》を藏《しま》うて洒落《しゃれ》を拔《ぬ》け? よし! すれば、名劍《めいけん》を藏《しま》うて名洒落《めいじゃれ》で打挫《うちひし》いでくれう。さ、男《をとこ》らしう試合《しあ》うて見《み》い。
(歌ふ)鋭《するど》き悲愁《かなしみ》に心《こゝろ》傷《いた》み
我胸《わがむね》堪難《たへがた》く沈《しづ》める時《とき》、
其時《そのとき》音樂《おんがく》の銀《ぎん》の調《しらべ》は……
何故《なぜ》「銀《ぎん》の調《しらべ》」ぢゃ? 何故《なぜ》「音樂《おんがく》の銀《ぎん》の調《しらべ》」ぢゃ?……猫腸絃子《サイモン・キャトリング》どん、さ、何《なん》とぢゃ?
甲樂人 はて、銀《ぎん》は好《よ》い音色《ねいろ》を出《だ》すからでござります。
ピータ 中等《ちゅう》ぢゃな!……三絃胡弓子《ヒュー・レベック》どん、足下《おぬし》は?
乙樂人 銀《ぎん》の調《しらべ》と言《い》ふのは、はて、樂人《がくじん》は賃銀《ちんぎん》を儲《もう》くるからぢゃ。
ピータ これも中等《ちゅう》ぢゃ!……提琴柱子《ヂェームズ・サウンドポスト》どん、足下《おぬし》は?
丙樂人 予《わし》ゃ如何《どう》言《い》うてよいか知《し》らぬ。
ピータ ほい、眞平御免《まっぴらごめん》なれぢゃ。足下《おぬし》は唄方《うたかた》であったものを。乃公《おれ》が代《かは》って言《い》はう。そも/\「音樂《おんがく》の銀《ぎん》の調《しらべ》」と謂《い》っぱ、はて、とかく樂人《がくじん》は金貨には能《よ》うありつかぬからぢゃ。
(歌ふ)其時《そのとき》音樂《おんがく》の銀《ぎん》の調《しらべ》は
たちまち欝結《むすぼ》れし憂思《おもひ》を解《と》く。
ピーター歌《うた》ひながら入る。
甲樂人 何《なん》といふ煩《うるさ》い奴《やつ》ぢゃ彼奴《あいつ》は!
乙樂人 はッつけ野郎《やらう》め!……さ、奧《おく》へ往《い》て、會葬者《くわいさうじゃ》の來《く》るまで待《ま》ってゐて食事《もてなし》にありつかう。
皆《みな》入る。
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ロミオ出る。
ロミオ 頼《たの》もしらしい夢《ゆめ》の告《つげ》が實《まこと》ならば、やがて喜《よろこ》ばしい消息《たより》があらう。わが胸《むね》の主《ぬし》(戀の神)もいと安靜《やすら》かに鎭座《ちんざ》めされた、されば例《いつ》になく嬉《うれ》しうて/\、日《ひ》がな一日《ひとひ》心《こゝろ》が浮《う》かるゝ。俺《おれ》が死《し》んでゐると、姫《ひめ》が來《き》て、俺《おれ》の脣《くちびる》に接吻《せっぷん》して命《いのち》の息《いき》を吹込《ふきこ》んでくれたと見《み》た……死《し》んだ者《もの》が思案《しあん》するとは不思議《ふしぎ》な夢《ゆめ》!……すると、即《やが》て蘇生《いきかへ》って帝王《ていわう》となった夢《ゆめ》。あゝ/\! 戀《こひ》の影坊師《かげばうし》でさへ此位《このくらゐ》嬉《うれ》しいとすると、遂《と》げられた眞《まこと》の戀《こひ》は、まア、どんなに樂《たの》しからうぞ?
ロミオの下人《げにん》バルターザー長靴《ながぐつ》の旅裝《りょさう》にて出る。
や、ローナからの音信《たより》ぢゃ! どうぢゃ、バルターザー! 御坊《ごばう》からの消息《たより》は無《な》かったか? 姫《ひめ》は如何《どう》ぢゃ、父上《ちゝうへ》は御無事《ごぶじ》か? ヂュリエットは何《なに》としておゐやる? 先《ま》づ、それを聞《き》かう、姫《ひめ》さへ安穩《あんのん》なら何事《なにごと》も大事《だいじ》ないわい。
バル すれば、何事《なにごと》も大事《だいじ》ござりませぬ、姫《ひい》さまは御安穩《ごあんのん》にカピューレット家《け》代々《だい/\》のお墓所《はかどころ》にお休《やす》み、朽《く》ちぬ靈魂《みたま》は天使《てんし》がたと御《ご》一しょにござります。手前《てまへ》は姫《ひい》さまが御親類《ごしんるゐ》がたのお廟所《たまや》へ入《い》らせらるゝを見《み》るや否《いな》や、驛馬《はやうま》に飛乘《とびの》ってお知《し》らせに參《まゐ》りました。此樣《このやう》な惡《あ》しいお使《つかひ》も命置《おほせお》かせられた役目《やくめ》ゆゑでござります、御免《ごめん》なされませい。
ロミオ そりゃ實《まこと》か?……おのれ、怨《うら》めしい運星《うんせい》めら!……俺《おれ》の宿《やど》を知《し》ってゐような。筆《ふで》と紙《かみ》とを手《て》に入《い》れて、そして驛馬《はやうま》をも傭《やと》うてくれ。今宵《こよひ》のうちに出發《た》たうわ。
バル まゝ、お耐《こら》へなされませい、甚《いか》うお色《いろ》も蒼《あを》ざめて、物狂《ものぐる》ほしげな御樣子《ごやうす》、ひょんな事《こと》でも遊《あそ》ばしさうな。
ロミオ 馬鹿《ばか》な、何《なん》の、そんな事《こと》を! 俺《おれ》には介意《かま》はいで吩咐《いひつ》くることをせい。御坊《ごばう》からの書状《しょじゃう》は無《な》かったか?
バル いえ、ござりませぬ。
ロミオ よし/\。早《はや》う往《い》て、馬《うま》どもを傭《やと》うてくれ、やがて會《あ》はう。
バルターザー入る。ロミオ獨《ひとり》殘《のこ》る。
はて、ヂュリエット、今宵《こよひ》は一しょに臥《ね》ようぞ。……そこで、其《その》方法《てだて》ぢゃが……おゝ、害心《がいしん》よ、ても速《はや》う入《はひ》って來《き》をるなア、絶望《ぜつばう》した者《もの》の胸《むね》へは!……思《おも》ひ出《だ》すは彼《あの》藥種屋《やくしゅや》……たしか此邊《このあたり》に住《す》んでゐる筈《はず》……いつぞや見《み》た折《をり》は、身《み》に襤褸《つゞれ》を着《ゆ》て、藥草類《やくさうるゐ》を撰《え》ってをったが、顏《かほ》は痩枯《やせが》れ、眉毛《まゆげ》は蔽《おほ》い被《かぶさ》り、鋭《するど》い貧《ひん》に躯《み》を削《けづ》られて、殘《のこ》ったは骨《ほね》と皮《かは》。貧《まづ》しい店前《みせさき》には|※《おほがめ》[#「(口+口)/田/一/黽」、202-2]の甲《かふ》、鰐《わに》の剥製《はくせい》、不恰好《ぶかっかう》な魚《うを》の皮《かは》を吊《つる》して、周圍《まはり》の棚《たな》には空箱《からばこ》、緑色《りょくしょく》の土《つち》の壺《つぼ》、及《およ》び膀胱《ばうくわう》、黴《か》びた種子《たね》、使《つか》ひ殘《のこ》りの結繩《ゆはへなは》、乾枯《ひから》びた薔薇《ばら》などを口實《いひわけ》ほどに取散《とりち》らして貧羸《みすぼ》らしう飾《かざ》った店附《みせつき》。其《その》貧《まづ》しさを見《み》るまゝに、思《おも》はず獨語《ひとりご》って、此《この》マンチュアで毒《どく》を賣《う》れば、直《すぐ》にも命《いのち》を取《と》らるれども、若《も》しも毒《どく》が欲《ほ》しければ賣《う》りさうなのは此奴《こいつ》め、と思《おも》うたが、今日《けふ》ある知《し》らせであったまで。むゝ、あの貧人《ひんじん》から是非《ぜひ》毒《どく》を買《もと》めうわい。……何《なん》でも此《こ》の邊《へん》であった。祭日《さいじつ》ゆゑ貧乏店《びんばふみせ》が閉《しま》ってある。……いや、なう/\! 藥種屋《やくしゅや》はおりゃるか?
藥種屋《やくしゅや》出る。
藥種屋 かしましう呼《よ》ばッしゃるは誰《たれ》ぢゃ?
ロミオ ま、こゝへ來《き》やれ。かう見《み》たところ不如意《ふにょい》さうな。こりゃ此處《こゝ》に四十兩《りゃう》ある、予《わし》に毒藥《どくやく》を一匁《もんめ》ほど賣《う》ってくりゃれ、直《すぐ》に血管《けっくわん》に行渡《ゆきわた》って世《よ》に|果《あきは》てた飮主《のみぬし》を立地《たちどころ》に死《し》なすやうな、又《また》、射出《うちだ》された焔硝《えんせう》が怖《おそろ》しい大砲《たいはう》の胴中《どうなか》から激《はげ》しう急《きふ》に走《はし》り出《で》るやうに、息《いき》をば此《この》體内《みうち》から逐出《おひだ》してくれる毒《どく》が欲《ほ》しい。
藥種屋 されば、其樣《そのやう》な大毒藥《だいどくやく》をば貯《たくは》へてはをりまするが、マンチュアの御法度《ごはっと》では、賣《う》ったりゃ、命《いのち》がござりませぬ。
ロミオ 其樣《そのやう》に貧《まづ》しうあさましう暮《くら》してゐても、汝《おぬし》は死《し》ぬるのが怖《おそろ》しいか? 飢《うゑ》は頬《ほゝ》に、逼迫《ひっぱく》は眼《め》に、侮辱《ぶじょく》貧窮《ひんきう》は背《せ》に懸《かゝ》ってある。無情《つれな》い此《この》浮世《うきよ》に法度《はっと》はあっても、つゆ汝《おぬし》の爲《ため》にはならぬ。ならば、貧《ひん》を守《まも》るにも及《およ》ばぬ。法度《はっと》を犯《をか》して之《これ》を取《と》りゃれ。
藥種屋 意《こゝろ》は好《すゝ》みませねど、貧苦《ひんく》めがお言葉《ことば》に從《したが》ひまする。
ロミオ 此方《こち》も其《その》貧苦《ひんく》にこそ拂《はら》へ、意《こゝろ》には拂《はら》はぬわい。
藥種屋 (藥瓶を渡しながら)これをばお好《この》みの飮料《いんれう》に入《い》れて飮《の》ませられい。たとひ二十人力《にんりき》おじゃらしませうとも、立地《たちどころ》に片附《かたづ》かッしゃりませう。
ロミオ 此《この》黄金《こがね》を遣《つかは》すぞ、これこそは人《ひと》の心《こゝろ》の大毒藥《だいどくやく》ぢゃ、汝《おぬし》が賣《う》りかぬる此《この》些末《さまつ》なる藥種《やくしゅ》よりも此《この》濁世《ぢょくせ》では遙《はるか》に怖《おそろ》しい人殺《ひとごろ》しをするもの。汝《おぬし》では無《な》うて予《わし》こそは毒《どく》を賣《う》るのぢゃ。さらば。食物《たべもの》を買《もと》めて些《ち》と肉《にく》を附《つ》けたがよい。……(行きかけて藥瓶を見て)毒《どく》ではない興奮劑《きつけぐすり》よ、さア一しょに、ヂュリエットの墓《はか》へ來《こ》い、あそこで汝《そち》を使《つか》はにゃならぬ。
二人《ふたり》ともに入る。
フランシス派《は》の僧《そう》ヂョン出る。
ヂョン フランシス宗《しゅう》の御僧《おんそう》はゐさしますか! なう/\、御坊《ごばう》!
ロレンス法師《ほふし》出る。
ロレ あれはヂョン坊《ばう》の聲《こゑ》ぢゃ。……さてようこそお戻《もど》りゃったマンチュアから。してロミオは何《なん》と被言《おしゃ》った? 若《も》し筆《ふで》に物《もの》せられたならば、其《その》書面《しょめん》を見《み》せやれ、
ヂョン いやの、同伴者《どうばんしゃ》に連立《つれだ》たうとて、同門跣足《どうもんせんそく》の或《ある》御坊《ごばう》を尋《たづ》ねて、町《まち》で或《ある》病家《びゃうか》をお見舞《みま》やってゐるのに逢《あ》うたところ、町《まち》の檢疫《けんえき》の役人衆《やくにんしゅう》に兩人《ふたり》ながら時疫《じえき》の家《うち》にゐたものぢゃと疑《うたが》はれて、戸外《そと》へ出《づ》ることを禁《とゞ》められた、それゆゑマンチュアの急用《きふよう》も其場《そのば》で止《と》められてしまうたわいの。
ロレ すれば誰《たれ》が持《も》って往《い》んだぞ、ロミオへの予《わし》の書状《しょじゃう》は?
ヂョン はて、屆《とゞ》けることを能《よ》うせなんだのぢゃ。……これ、此通《このとほ》り持《も》って戻《もど》った。……此庵《こち》へ屆《とゞ》けうと思《おも》うてもな、皆《みな》が傳染《でんせん》を怖《こは》がりをるによって、使《つかひ》の男《をとこ》さへも雇《やと》へなんだわいの。
ロレ はれ、それは物怪《もっけ》の不運《ふうん》の! 眞實《しんじつ》、重大《ぢゅうだい》な容易《ようゐ》ならぬ用向《ようむき》の其《その》書面《しょめん》、それが等閑《なほざり》になった上《うへ》は、どのやうな一大事《だいじ》が出來《でけ》うも知《し》れぬ。御坊《ごばう》よ、早《はや》う往《い》て、何處《どこ》ぞで、鐵梃《かなてこ》を才覺《さいかく》して、急《いそ》いで此處《こゝ》へ持《も》って來《き》て下《くだ》され。
ヂョン うゝ、すれば、往《い》て持來《もてこ》う。
ヂョン坊《ばう》入る。
ロレ 此上《このうへ》は、そっと墓所《はかしょ》まで往《ゆ》かねばならぬ。此《この》三時《みとき》が間《あひだ》に、ヂュリエットは目《め》を覺《さま》さう。始終《しじゅう》をロミオに知《し》らせなんだとお知《し》りゃったら嘸《さぞ》予《わし》を怨《うら》むであらう。したが、マンチュアへは改《あらた》めて書送《かきおく》り、ロミオがお來《き》やるまでは、姫《ひめ》を庵室《あんじつ》にかくまっておかう。不便《ふびん》や、生《い》きた骸《むくろ》となって、死人《しにん》の墓《はか》の中《なか》に埋《うも》れてゐやる!
ロレンス入る。
パリス先《さき》に、侍童《こわらは》從《つ》いて、草花《くさばな》と炬火《たいまつ》とを携《たづさ》へて出《い》で來《きた》る。
パリス 侍童《わらは》よ、其《その》炬火《たいまつ》をおこせ。彼方《あち》へ往《い》て、つッと離《はな》れてゐい。……いや、それを消《け》せ、人目《ひとめ》に掛《かゝ》りたうない。あの水松《いちゐ》の下《した》で、長々《なが/\》と横《よこ》になって、此《この》洞《ほら》めいた地《ち》の上《うへ》に直《ひた》と耳《みゝ》を附《つ》けてゐい、穴《あな》を掘《ほ》るので、土《つち》が緩《ゆる》んで、和《やはら》いでゐるによって、踏《ふ》めば直《すぐ》に足音《あしあと》が聞《きこ》えう。したら、人《ひと》が來《き》たといふ知《し》らせに、口笛《くちぶえ》を吹《ふ》かうぞ。その花《はな》もおこせ。吩附《いひつ》けたやうにせい、さ。
侍童 (傍を向きて)こんな墓原《はかはら》に一人《ひとり》立《た》ってゐるのは怖《こは》らしい、が、ま、やって見《み》よう。
侍童《こわらは》|物《ものかげ》へ退《さが》る。
パリス (廟の前へ進みて)なつかしい花《はな》の我妹子《わぎもこ》、花《はな》を此《この》新床《にひどこ》の上《うへ》に撒《ま》いて……あゝ、天蓋《てんがい》は石《いし》や土塊《つちくれ》……其《その》撒《ま》いた草花《くさはな》に夜毎《よごと》に香《かほ》る水《みづ》を注《そゝ》がう。若《も》しそれが盡《つ》きたなら、歎《なげ》きに搾《しぼ》る予《わし》が涙《なみだ》を。和女《そもじ》への夜毎《よごと》の手向《たむけ》は、かうして花《はな》を撒《ま》いて泣《な》くことぢゃわい。
此時《このとき》、侍童《こわらは》あなたにて口笛《くちぶえ》を吹《ふ》く。
むゝ、侍童《こわらは》めが何《なに》か來《き》たと知《し》らせをる。いま/\しい、何者《なにもの》であらう、今頃《いまごろ》此邊《このあたり》へ彷徨《さまよ》うて、俺《おれ》が眞情《まごゝろ》の囘向《ゑかう》をば妨《さまた》げをる。や、炬火《たいまつ》を持《も》って來《く》るわ!……夜《よる》よ、ちっとの間《ま》、俺《おれ》を包《つゝ》んでくれい。
パリス退《さが》る。
ロミオ先《さき》に、バルターザー炬火《たいまつ》、鶴嘴等《つるはしとう》を携《たづさ》へて出る。
ロミオ 其《その》鶴嘴《つるはし》と鐵梃《かなてこ》を此方《こち》へ。こりゃ、此《この》書状《しょじゃう》をば、明日《あす》早《はや》う父上《ちゝうへ》へ屆《とゞ》けてくれ。其《その》炬火《たいまつ》をこちへ。さて、確《しか》と申附《まうしつ》くる、如何《いか》な事《こと》を見聞《みきゝ》せうとも、悉《こと/″\》く立離《たちはな》れ、予《わし》が仕事《しごと》の妨碍《さまたげ》をばすまいぞよ。予《わし》が廟《たまや》へ降《お》りるは、姫《ひめ》の面《かほ》を見《み》ようがためでもあるが、それよりも姫《ひめ》が身《み》に着《つ》けた貴《たふと》い指輪《ゆびわ》を或《ある》大切《たいせつ》な用《よう》に使《つか》はうため取外《とりはづ》して來《く》るのが主《おも》な目的《もくてき》ぢゃによって、早《はや》う往《い》ね。若《も》し疑《うたが》うて立戻《たちもど》り、予《わし》が所行《しょぎゃう》を窺《うかゝ》ひなど致《いた》さうなら、天《てん》も照覽《せうらん》あれ、汝《おのれ》が四肢《し》五體《たい》を寸々《すん/″\》に切裂《きりさ》き、飽《あ》くことを知《し》らぬ此《この》墓《はか》を肥《こや》すべく撒《ま》き散《ち》らさうぞよ。時刻《じこく》が時刻《じこく》ゆゑ、俺《おれ》の心《こゝろ》は殘忍《ざんにん》、兇暴《きょうばう》、餓《う》ゑたる虎《とら》、鳴渡《なりわた》る荒海《あらうみ》よりも猛《たけ》しいぞよ。
バルタ はい/\、立去《たちさ》りまする、お妨碍《さまたげ》は仕《つかまつ》りませぬ。
ロミオ それでこそ予《わし》への忠節《ちゅうせつ》。これを取《と》れ。(と金子を與へ)末長《すゑなが》うめでたう暮《くら》せ。さらばぢゃ。
バルタ (傍を向きて)あゝは言《い》はせられるが、ま、此邊《このあたり》にかくれてゐよう。お顏《かほ》の色《いろ》も心懸《こゝろがゝ》り、お心《こゝろ》の中《うち》も疑《うたが》はしい。
|物《ものかげ》へ退《さが》る。
ロミオ (廟の前に進みて)汝《おのれ》、死《し》の母胎《ぼたい》め、世《よ》に又《また》とない珍羞《ちんしゅう》を貪《むさぼ》り食《く》ひをった憎《にッく》い胃《ゐ》の腑《ふ》め、汝《おのれ》の腐《くさ》った顎《あぎと》をば、まッ此《こ》のやうに押開《おしひら》いて、(と廟の扉を抉《こ》ぢあけながら)汝《おのれ》への面當《つらあて》に、無理《むり》に食餌《ゑぢき》を填充《つめこ》まう。
廟扉《べうひ》を開《ひら》く。
パリス ありゃ追放《つゐはう》された高慢《かうまん》なモンタギューめぢゃ。彼奴《あいつ》が從兄《いとこ》を殺《ころ》したゆゑ、美《うつく》しい戀人《こひゞと》が、愁歎《しうたん》の餘《あま》りにお死《し》にゃったといふこと。こゝへ來《き》をったは、死骸《しがい》に侮辱《はづかしめ》を加《くは》へよう爲《ため》でがな。捉《とら》へてくれう。……やい、モンタギューめ、破廉恥《はれんち》な所行《しょぎゃう》を止《や》めい。怨《うらみ》を死骸《むくろ》にまで及《およ》ぼさうとは、墮地獄《だぢごく》の人非人《にんぴにん》め、引立《ひきた》つる、尋常《じんじゃう》に從《つ》いて來《こ》い。生《い》けてはおかぬぞ。
ロミオ いかにも、生《い》きてをられぬ身《み》ぢゃ。なればこそ此墓《こゝ》へは來《き》た。いやなう、若《わか》、命知《いのちし》らずの者《もの》に手出《てだ》しをなさるな。早《はや》うお迯《に》げなされ。此《この》亡者達《もうじゃたち》の事《こと》を思《おも》うて怖《おそ》れたがよい。予《わし》を腹立《はらだ》たせて、又《また》の罪惡《ざいあく》を犯《をか》させて下《くだ》さるな。おゝ、速《はや》う去《い》なしゃれ。眞實《しんじつ》、予《わし》は自分《じぶん》よりも足下《おぬし》を可愛《いと》しう思《おも》うてゐる、予《わし》は自殺《じさつ》をしようと覺悟《かくご》して此處《こゝ》へ來《き》た者《もの》であるに依《よ》って。さゝ、速《はや》う去《い》なしゃれ。生存《いきながら》へて、後日《ごじつ》、自分《じぶん》は、狂人《きちがひ》の仁情《なさけ》で、危《あやふ》い所《ところ》を助《たす》かったとお言《い》ひなされ。
パリス どう頼《たの》まうとも聽《き》かぬわい。重罪人《ぢゅうざいにん》として引立《ひきた》つるは。
ロミオ では俺《おれ》を怒《いか》らす氣《き》か? ならば、覺悟《かくご》せい!
二人《ふたり》劍《けん》を拔《ぬ》いて戰《たゝか》ふ。
侍童 大變《たいへん》ぢゃ、戰《たゝか》うてぢゃ! 速《はや》う夜番《よばん》の衆《しゅう》を呼《よ》んで來《こ》よう。
侍童《こわらは》入る。此中《このうち》にパリス手《て》を負《お》うて倒《たふ》るゝ。
パリス おゝ、しまうた!……仁情《なさけ》があるなら廟《べう》を開《ひら》いてヂュリエットと一しょに埋《うづ》めてくれい。
パリス息絶《いきた》ゆる。
ロミオ おゝ、承引《しょういん》したぞ。……面《おもて》を檢《しら》べて見《み》よう。……マーキューシオーの親戚《しんせき》のパリス殿《どの》ぢゃ! 馬《うま》に騎《の》って來《く》る途中《とちゅう》、家來《けらい》めが何《なん》とか言《い》うた、心《こゝろ》が亂《みだ》れてゐて善《よ》う聽《き》いてはゐなんだが? ヂュリエットと此《この》パリスとが婚禮《こんれい》をする筈《はず》であったとか言《い》うた。いや、さうは言《い》はなんだか? 夢《ゆめ》か? 今《いま》がたパリスが、ヂュリエットの事《こと》を言《い》うたゆゑ、それで此樣《こん》なことを思《おも》ふのか? 此《この》心《こゝろ》が狂《くる》うたか?……おゝお手《て》をおこしゃれ、薄運《はくうん》の名簿《めいぼ》の裡《うち》に、俺《おれ》と並《なら》べ書《がき》にせられた足下《おぬし》ぢゃ! 予《わし》が今《いま》埋《う》めて進《しん》ぜよう名譽《めいよ》の墓《はか》に。墓《はか》か? いや/\、こりゃ墓《はか》ではない、明《あか》り窓《まど》ぢゃ、なア、足下《きみ》。はて、ヂュリエットが居《ゐ》るゆゑに、其《その》艶麗《あてやか》さで、此《この》窖《あなむろ》が光《ひか》り輝《かゞや》く宴席《えんせき》とも見《み》ゆるわい。……死人《しにん》どのよ、死人《しにん》の手《て》で埋《う》められて、其處《そこ》で臥《ね》やれ。
パリスの死骸《しがい》を廟《べう》の中《なか》に横《よこ》たへる。
人《ひと》は動《やゝ》もすれば、其《その》最期《いまは》に心《こゝろ》が浮《う》かるゝ! それを看護人《かんごにん》が死《し》ぬる前《まへ》の電光《いなづま》と命《よ》んでゐる。おゝ、これが電光《いなづま》と言《い》はれようか?……おゝ、戀人《こひびと》よ! 我妻《わがつま》よ! 卿《そなた》の息《いき》の蜜《みつ》を吸《す》ひ盡《つく》した死神《しにがみ》も、卿《そなた》の艶麗《あてやか》さには能《え》い勝《か》たいでか、其《その》蒼白《あをじろ》い旗影《はたかげ》はなうて美《び》の旗章《はたじるし》の鮮《あざや》な此《この》唇《くちびる》、此《この》兩頬《りゃうほゝ》。……おゝ、チッバルト、足下《おぬし》も其處《そこ》にゐるか、血《ち》に染《そ》みたまゝで? まだ嫩若《うらわか》い足下《おぬし》を眞二《まッぷた》つにした其《その》同《おな》じ手《て》で、當《たう》の敵《かたき》を切殺《きりころ》して進《しん》ぜるが、せめてもの追善《つゐぜん》ぢゃ。從兄《いとこ》どの、赦《ゆる》してくれい。……あゝ、戀《こひ》しい、懷《なつか》しい、ヂュリエット、何《なん》として今尚《いまな》ほ斯《か》うも艶麗《あてやか》ぢゃ? 若《も》しや形《かたち》のない死神《しにがみ》が卿《そなた》の色香《いろか》に迷《まよ》うて、あの骨《ほね》ばかりの怪物《くわいぶつ》めが、己《おの》が嬖妾《おもひもの》にしようために、此《この》黒闇《くらやみ》に蓄《かこ》うておくのではないか知《し》らぬ。それが氣懸《きがゝ》りゆゑ、俺《おれ》ゃもう決《けっ》して此《この》暗《やみ》の館《やかた》を離《はな》れぬ。卿《そなた》の侍女《こしもと》の蛆共《うじども》と一しょに俺《おれ》ゃ永久《いつまで》も此處《こゝ》にゐよう。おゝ、今《いま》こゝで永劫安處《えいがふあんじょ》の法《はふ》を定《さだ》め、憂世《うきよ》に|《あ》き果《は》てた此《この》肉體《からだ》から薄運《ふしあはせ》の軛《くびき》を振落《ふりおと》さう。……眼《め》よ、見《み》よ、これが最後《なごり》ぢゃぞ! 腕《かひな》よ、抱《だ》け、これが最後《なごり》ぢゃ! おゝ、息《いき》の戸《と》の脣《くちびる》よ、人《ひと》の命《いのち》を長永《とこしなへ》に買占《かひし》むる死《し》の證文《しょうもん》に天下《てんが》晴《は》れた接吻《せっぷん》の奧印《おくいん》せよ!……(毒藥の瓶を取り出し)さ、來《こ》い、苦《にが》い、飮《の》みぐるしい案内者《あんないじゃ》よ! やい、命知《いのちし》らずの舵手《かんどり》よ、苦《くる》しい海《うみ》に病《や》み疲《つか》れた此《この》小船《こぶね》を、速《はや》う巖礁角《いはかど》へ乘上《のりあ》げてくれ!……さ、戀人《こひゞと》に!(と飮む)。おゝ、眞實《しんじつ》な彼《あの》藥種屋《やくしゅや》、效力《きゝめ》は忽《たちま》ち……かう接吻《せっぷん》して俺《おれ》ゃ死《し》ぬるわ。
ヂュリエットへ臥《ふ》し重《かさ》なるやうにして息絶《いきたゆ》る。
此時《このとき》、一方《ぱう》へロレンス法師《ほふし》が提燈《ちゃうちん》、鶴嘴《つるはし》、鋤等《すきとう》を携《たづさ》へて出《い》で來《きた》る。
ロレ 南無《なむ》やフランシス上人《しゃうにん》、護《まも》らせられい! はれ、けったいな、今宵《こよひ》此《この》老脚《らうきゃく》が幾《いく》たび墓穴《はかあな》に蹉躓《けつまづ》いたことやら!……誰《た》れぢゃ、そこにゐるのは?
バルタ 怪《け》しうは無《な》い者《もの》、貴僧《こなた》を善《よ》う存《ぞん》じてをる者《もの》でござる。
ロレ ほい、其許《そのもと》か! さらば問《と》はうが、あしこのあの炬火《たいまつ》は、ありゃ何《なん》でおじゃる、蛆蟲《うじむし》や目《め》も無《な》い髑髏《どくろ》を空《むな》しう照《てら》すあの光《ひかり》は? かう見《み》たところ、カペル家《け》の廟舍《たまや》の前《まへ》ぢゃが。
バルタ 其通《そのとほ》りにござります。あそこに主人《しゅじん》が居《を》られまする、御坊《ごばう》の可憐《いと》しう思《おも》はせらるゝ。
ロレ とは誰《た》れぢゃ?
バルタ ロミオさまでござります。
ロレ え、こゝへ參《まゐ》られて久《ひさ》しいか?
バルタ 半時餘《はんときあま》りになりまする。
ロレ なりゃ墓穴《はかあな》まで一しょにおじゃれ。
バルタ いや、僕《ぼく》は能《え》い行《ゆ》きませぬ。主人《しゅじん》は僕《わたくし》をば既《はや》往《い》んだとのみ思《おも》うてをられます。若《も》しも此處《こゝ》に止《とゞ》まって樣子《やうす》など窺《うかゞ》はうならば、斬殺《きりころ》してのけうと、怖《おそろ》しい見脈《けんみゃく》で嚇《おど》されました。
ロレ ならば、此處《こゝ》にござれ。予《わし》が獨《ひとり》で往《ゆ》かう。はて、氣懸《きがゝり》になって來《き》たわ。おゝ、こりゃ何《なに》か不祥《ふしゃう》な事《こと》が出來《しゅつらい》したのでは無《な》いか知《し》らぬまでい。
バルタ 最前《さいぜん》、此《この》水松《いちゐ》の蔭《かげ》で居眠《ゐねむ》ってゐますうちに、夢《ゆめ》うつゝに、主人《しゅじん》とさる人《ひと》とが戰《たゝか》うて、主人《しゅじん》が其人《そのひと》をば殺《ころ》したと見《み》ました。
ロレンスは廟《べう》の方《はう》へ進《すゝ》む。
ロレ ローミオー! あら、あら、何事《なにごと》ぢゃ此《この》血汐《ちしほ》は、これ、此《この》廟舍《たまや》の入口《いりくち》の石《いし》を染《そ》めた此《この》血汐《ちしほ》は? 主《ぬし》もない此《この》劍《つるぎ》は? 此樣《このやう》な平和《へいわ》の場所《ばしょ》に血《ち》まぶれにして棄《す》てゝあるは、こりゃ何《なん》としたことであらう?
と廟《べう》の中《なか》へ進《すゝ》み入《い》る。
や、ローミオー! おゝ、色《いろ》は蒼白《まッさを》!……外《ほか》にも誰《たれ》やら? や、パリスどのまで? 剩《あまつ》さへ血汐《ちしほ》に浸《ひた》って?……あゝ/\、何《なん》といふ無慚《むざん》な時刻《じこく》ぢゃ、如是《こんな》あさましい事《こと》をば一時《とき》に爲出來《しでか》すとは!……や、姫《ひめ》が身動《みうごき》爲《し》やる。
此時《このとき》ヂュリエット目《め》を開《ひら》く。
ヂュリ おゝ、嬉《うれ》しや御坊樣《ごばうさま》か! 殿御《とのご》は何處《どこ》にぢゃ? 行《ゆ》き處《どこ》は記《おぼ》えてゐる、おゝ、さうぢゃ、そこへ予《わし》は來《き》てゐるのぢゃ?
ロミオは何處《どこ》にぢゃ?
奧《おく》にて多勢《おほぜい》の人聲《ひとごゑ》する。
ロレ 人聲《ひとごゑ》がする。……こりゃ姫《ひめ》よ、ま、早《はや》う出《で》てござれ、そこは死《し》や疫癘《えきれい》や無理《むり》な睡眠《すゐみん》の宿《やど》ぢゃほどに。人間以上《にんげんいじゃう》の力《ちから》の爲《ため》に折角《せっかく》の計畫《はかりごと》が皆《みな》敗《やぶ》れた、さ、早《はや》うござれ。和女《そもじ》の殿御《とのご》は、それ、其處《そこ》に胸元《むなもと》にお死《し》にゃってぢゃ。パリスどのもぢゃ。さゝ、尼御達《あまごたち》の仲間中《うち》へ、頼《たの》うで和女《そもじ》を入《い》れておかう。あれ、夜番《よばん》が來《く》るわ、委細《ゐさい》の事《こと》は後《あと》で/\。さゝ、ヂュリエット、ござれ/\。予《わし》ゃもう此處《こゝ》には能《よ》うをらぬわ。
ロレンス狼狽《うろた》へて入る。
ヂュリ さ、速《はや》う去《いな》しゃれ、予《わし》は去《いな》ぬほどに。……こりゃ何《なん》ぢゃ? 戀人《こひゞと》が手《て》に握《にぎ》りゃったは盃《さかづき》か? さては毒《どく》を飮《の》んで非業《ひごふ》の最期《さいご》をお爲《し》やったのぢゃな。……まア、あたじけない! 皆《みん》な飮《の》んでしまうて、隨《つ》いて行《ゆ》かう予《わたし》の爲《ため》に只《たゞ》一滴《てき》をも殘《のこ》しておいてはくれぬ。……お前《まへ》の脣《くちびる》を吸《す》はうぞ。毒《どく》がまだ殘《のこ》って居《ゐ》たら、それこそは假《かり》の命《いのち》から實《まこと》の命《いのち》へ囘《かへ》らする大妙藥《だいめうやく》!……まだ温《ぬく》い、お前《まへ》の脣《くちびる》!
とロミオの死骸《しがい》に接吻《せっぷん》する。
此時《このとき》奧《おく》にて又《また》多勢《おほぜい》の人聲《ひとごゑ》する。
番甲 (奧にて)案内《あんない》せい。どちらぢゃ。
ヂュリ や、人聲《ひとごゑ》? なりゃ、片時《へんし》も早《はや》う。……おゝ、嬉《うれ》しや、短劍《たんけん》!(ロミオが佩びたる短劍を取りて)さ、鞘《さや》はこゝに。(と胸を貫き)そこに居附《ゐつ》いて、予《わし》を死《し》なせてくれ。
と息《いき》絶《た》ゆる。
夜番《よばん》の者《もの》甲《かふ》、乙《おつ》、丙《へい》、其他《そのた》多勢《おほぜい》パリスの侍童《こわらは》を案内者《あんないじゃ》にして出る。
侍童 こゝぢゃ。あの炬火《たいまつ》が燃《も》えてをる處《ところ》がそれぢゃ。
番甲 此邊《このあたり》は血《ち》だらけぢゃ。墓場《はかば》の界隈《かいわい》を探《さが》さっしゃい。さゝ、見《み》つけ次第《しだい》に、かまうたことは無《な》い、引立《ひきた》てめさ。
二三人《にん》入る。
はれ、無慚《むざん》な! こゝに若殿《わかとの》が殺《ころ》されてござる、のみならず、既《も》う二日《ふつか》も葬《はふむ》られてござったヂュリエットどのが、つい今《いま》がた死《し》なっしゃれたやうに血《ち》を流《なが》して、温《ぬく》いまゝで。……誰《た》れぞ早《はや》う御領主樣《ごりゃうしゅさま》へ。カピューレットどのゝ邸《やしき》へも走《はし》った。モンタギューどのを起《おこ》して來《こ》い。他《あと》の者《もの》は、探《さが》せ/\。
夜番頭《よばんかしら》の甲《かふ》のみ殘《のこ》りて皆々《みな/\》入る。
不運《ふうん》な人達《ひとたち》が臥《ね》ておりゃる地盤《グラウンド》だけは善《よ》う見《み》えるが、此《この》不運《ふうん》の眞《ほん》の原因《グラウンド》は、よう査《しら》べて見《み》ぬうちは分《わか》らぬわい。
夜番《よばん》の乙《おつ》、外《ほか》一二人《にん》バルターザーを引立《ひきた》てゝ出る。
番乙 これはロミオどのゝ家來《めしつかひ》でおりゃる。墓場《はかば》で見付《みつ》けました。
番甲 殿《との》さまの渡《わた》らせらるゝまで、逃《にが》さぬやうに護《まも》ってござれ。
他《た》の夜番《よばん》の者《もの》丙《へい》、ロレンス法師《ほふし》を引立《ひきた》てゝ出る。
番丙 これなる老僧《らうそう》は、顫《ふる》へながら溜息《といき》を吐《つ》き、涙《なみだ》を流《なが》してをりまする。只今《たゞいま》墓場《はかば》から參《まゐ》るところを取押《とりをさ》へて、これなる鋤《すき》と鶴嘴《つるはし》とを取上《とりあ》げました。
番甲 甚《いか》う胡散《うさん》な。その僧《ぼうず》をも留《と》めておかっしゃい。
領主《りゃうしゅ》、多勢《おほぜい》の從者《じゅうしゃ》を引連《ひきつ》れて出る。
領主 朝《あさ》まだきに如何《いか》なる珍事《ちんじ》が出來《しゅったい》したのぢゃ、予《よ》が夢《ゆめ》を驚《おどろ》かして呼出《よびい》だすは?
カピューレット長者夫婦《ちゃうじゃふうふ》、其他《そのた》出る。
カピ長 何《なん》とした事《こと》ぢゃ、街上《そと》にて人々《ひと/\》の叫《わめ》き立《た》つるは?
カピ妻 往來《わうらい》の人々《ひと/″\》は、或《ある》ひはロミオと呼《よ》び、或《ある》ひはヂュリエット、或《ある》ひはパリスと呼《よ》びかはして、聲々《こゑ/″\》に叫《わめ》き立《た》て、吾屋《わがや》の廟屋《たまや》へと急《いそ》ぎまする。
領主 吾等《われら》の耳《みゝ》を驚《おどろ》かす變事《へんじ》とは何事《なにごと》ぢゃ?
番甲 申上《まうしあ》げまする、こゝにパリス樣《さま》が殺《ころ》されて居《ゐ》させられます、またロミオにも、また其以前《そのいぜん》に死去《みまか》りました筈《はず》のヂュリエットにも、體温《ぬくもり》のあるまゝ、新《あたら》しく殺《ころ》されてをられまする。
領主 あくまでも手《て》を盡《つく》して此《この》虐殺《ぎゃくさつ》の所因《しょいん》を査《しら》べい。
番甲 これにをりまする老僧《らうそう》、また殺《ころ》されましたるロミオの僕《しもべ》一人《にん》、何《いづ》れも墓《はか》を發《あば》きまするに屈竟《くっきゃう》の道具《だうぐ》をば携《たづさ》へてをりまする。
カピ長 やゝ、これは! おゝ、我妻《わがつま》よ、あれ、見《み》さしませ、愛女《むすめ》の體内《みうち》から血《ち》が流《なが》るゝ! えゝ、此《この》劍《けん》は住家《すみか》をば間違《まちが》へをったわ。こやつが住《す》むべきモンタギューが腰《こし》なる宿《やど》は裳脱《もぬけ》の殼《から》で、無慚《むざん》や、愛女《むすめ》の胸《むね》が鞘《さや》!
カピ妻 おゝ、悲《かな》しや! 此《この》慘《いたま》しい死樣《しにざま》は、老《お》いゆく此身《このみ》をば墓《はか》へ急《いそ》がす死鐘《しにがね》ぢゃ。
モンタギュー長者《ちゃうじゃ》、其他《そのた》出る。
領主 さ、こゝへ、モンタギュー。時《とき》ならず早《はや》う起出《おきい》でめされたが、目《め》に入《い》るものは、時《とき》ならず早《はや》う臥《ね》た息子《むすこ》どのゝ寐姿《ねすがた》ぢゃ。
モン長 なう、情《なさけ》なや、我君《わがきみ》! 我子《わがこ》の追放《つゐはう》を歎悲《なげき》の餘《あま》りに衰《おとろ》へて、妻《つま》は昨夜《やぜん》相果《あひはて》ました。尚《なほ》此上《このうへ》にも老人《らうじん》をさいなむは如何《いか》なる不幸《ふかう》ぢゃ。
領主 あれ、あれをお見《み》ゃれ[#「お見《み》ゃれ」はママ]。
モン長 おゝ、汝《おのれ》、不所存者《ふしょぞんもの》めが! 父《ちゝ》を押退《おしの》けて先《さき》へ墓《はか》へ入《はひ》らうとは、何《なん》といふ作法知《さはふし》らずぢゃ、汝《おのれ》!
領主 暫時《しばらく》叫喚《けうくわん》の口《くち》を閉《と》ぢよ、先《ま》づ此《この》疑惑《ぎわく》を明《あきら》かにして其《その》源流《げんりう》を取調《とりしら》べん。然《しか》る後《のち》、われ將《は》た卿等《おんみら》の悲歎《なげき》を率《ひき》ゐて、敵《かたき》の命《いのち》をも取遣《とりつか》はさん。先《ま》づそれまでは悲歎《ひたん》を忍《しの》んで、此《この》不祥事《ふしゃうじ》の吟味《ぎんみ》を主《しゅ》とせい。……嫌疑《けんぎ》の徒輩《ともがら》を引出《ひきだ》せ。
ロレ 手前《てまへ》こそは、力量《りきりゃう》は最《いっ》ち不足《ふそく》ながら、時《とき》も處《ところ》も手前《てまへ》に不利《ふり》でござるゆゑ、此《この》怖《おそろ》しい殺人《ひとごろし》の第《だい》一番《ばん》の嫌疑者《けんぎしゃ》でござりませう。只今《たゞいま》此處《これ》にて呪《のろ》はるべくもあり、恕《ゆる》さるべくもある手前《てまへ》の所行《しょぎゃう》を告發《こくはつ》もし、辯解《べんかい》も仕《つかまつ》りませう。
領主 さらば、汝《そち》が存《ぞん》じをる限《かぎ》りを疾《と》く申《まう》せ。
ロレ 手短《てみじか》に申《まう》しませう、管《くだ》々しう申《まう》さうには命《いのち》が覺束《おぼつか》なうござりまする。……そこにお死《し》にゃったるロミオこそはヂュリエットが正《たゞ》しい夫《をっと》、またそこにお死《し》にゃったるヂュリエットこそはそのロミオが貞節《ていせつ》なる宿《やど》の妻《つま》、二人《ふたり》を嫁《めあは》したは手前《てまへ》。また二人《ふたり》が内祝言《ないしうげん》の日《ひ》はチッバルトどのゝ大厄日《だいやくじつ》、非業《ひごふ》の最期《さいご》が因《もと》となって新婿《にいむこ》どのには當市《たうし》お構《かま》ひの身《み》の上《うへ》となり、ヂュリエットどのゝ悲歎《ひたん》の種《たね》、さうとは知《し》らずチッバルトどのをお歎《なげ》きゃるとのみ思召《おぼしめ》され、其《その》歎《なげき》を除《のぞ》かうとてパリスどのへ無理強《むりじ》ひの婚禮沙汰《こんれいざた》、其時《そのとき》姫《ひめ》が庵室《いほり》へわせられ、此《この》二度《ど》の祝言《しうげん》を脱《のが》るゝ手段《すべ》を教《をし》へてくれい、然《さ》なくば此處《こゝ》で自害《じがい》すると半狂亂《はんきゃうらん》の面持《おもゝち》、是非《ぜひ》なく、自得《じとく》の法《はふ》により、眠劑《ねむりぐすり》を授《さづ》けましたところ、案《あん》の如《ごと》くに效力《きゝめ》ありて、死《し》せるにひとしき其《その》容態《ようだい》、手前《てまへ》其間《そのあひだ》に書状《しょじゃう》して、藥力《やくりき》の盡《つく》るは今宵《こよひ》、姫《ひめ》をば假《かり》の墓所《はかしょ》より、來《きた》りて救《すく》ひ出《だ》されよ、とロミオ方《かた》へ申《まう》し遣《や》りしに、使僧《しそう》ヂョンと申《まう》す者《もの》、不慮《ふりょ》の事《こと》にて抑留《ひきと》められ、夜前《やぜん》其《その》書《しょ》を持歸《もちかへ》ってござりまするゆゑ、目覺《めざ》めなば嘸《さぞ》當惑《たうわく》、と姫《ひめ》を救《すく》ひ出《いだ》さんため、只《たゞ》一人《ひとり》にて參《まゐ》りしは、窃《ひそか》に庵室《いほり》にかくまひおき、後日《ごじつ》機《をり》を見《み》て、ロミオへ送《おく》り屆《とゞ》けん存念《ぞんねん》、然《しか》るに參《まゐ》り見《み》れば、姫《ひめ》の目覺《めざ》むる少《すこ》しき前方《まへかた》、非業《ひがふ》の最期《さいご》はパリスどのとロミオどの。其中《そのうち》、姫《ひめ》の目覺《めざ》め[#「目覺《めざ》め」は底本では「目覺《めさ》め」]しゆゑ、天《てん》の爲《な》せる業《わざ》は是非《ぜひ》に及《およ》ばず、ともかく出《で》てござれ、と勸《すゝ》むるうちに、近《ちか》づく人聲《ひとごゑ》、予《われら》駭《おどろ》き逃出《にげいで》ましたが、絶望《ぜつばう》の餘《あまり》にや、姫《ひめ》は續《つゞ》いて參《まゐ》りもせず、やがて自害《じがい》を致《いた》したと相見《あひみ》えまする。手前《てまへ》が存《ぞん》じをりまするは是限《これぎ》り。内祝言《ないしうげん》の儀《ぎ》は乳母《うば》が善《よ》う承知《しょうち》の筈《はず》。何事《なにごと》にまれ、予《われら》が不埓《ふらち》と御檢斷《ごけんだん》遊《あそ》ばれうならば、餘命《よめい》幾何《いくばく》もなき老骨《らうこつ》、如何《いか》な御嚴刑《ごげんけい》にも處《しょ》せられませう。
領主 予《よ》は常《つね》に足下《おぬし》をば正《たゞ》しい僧《そう》と信《しん》じてをったわ。……ロミオの僕《しもべ》は何處《いずこ》にをる? 彼《か》れは此儀《このぎ》に對《たい》して何《なん》と申《まう》すぞ?
バルタ 僕《わたくし》めは、ヂュリエット樣《さま》お死去《しきょ》の事《こと》をば、マンチュアの主人方《しゅじんがた》へ傳《つた》へましたるところ、主人《しゅじん》は直《すぐ》に驛馬《はやうま》にて、彼處《かしこ》から御廟所《ごべうしょ》まで參《まゐ》られ、墓《はか》へ入《はひ》られまする前《まへ》に、此《この》書面《しょめん》を朝《あさ》早《はや》う親御樣《おやごさま》へ渡《わた》してくれいと申《まう》され、速《すみや》かに此處《こゝ》を立去《たちさ》らずば殺《ころ》してしまふぞと嚇《おど》されました。
領主 其《その》書面《しょめん》見《み》ようわ。これへ。……して、夜番《よばん》を呼起《よびおこ》した伯《はく》の侍童《こわらは》とやらは何處《どこ》に居《を》る?……こりや[#「こりや」はママ]、其方《そち》の主人《しゅじん》は此處《このところ》へは何《なに》しにわせたぞ?
侍童 御方《おんかた》の墓《はか》へ撒《まか》うとて花《はな》を持《も》ってわせられました。遠《とほ》くへ離《はな》れてゐいと仰《おほ》せられましたゆゑ、僕《わたくし》はさやう致《いた》しました。やがて燈火《あかり》を持《も》った人《ひと》がわせて、墓《はか》を發《ひら》かうと爲《し》やしゃるやいな、御主人《ごしゅじん》は劍《けん》を拔《ぬ》かしゃれました。それで僕《わたくし》は走出《かけいだ》して夜番《よばん》の衆《しゅう》を呼《よ》びました。
領主 此《この》書面《しょめん》にて僧《そう》が申條《まうしでう》の證《あかり》は立《た》ったり、情事《じゃうじ》の顛末《てんまつ》、女《をんな》が死去《しきょ》の報告《しらせ》また貧窮《ひんきう》なる藥種屋《やくしゅや》より毒藥《どくやく》を買求《かひもと》めてそれを持參《じさん》し、此處《これ》なる女《をんな》の墓《はか》の中《なか》にて自殺《じさつ》なさん底意《そこい》まで、明白《めいはく》と相成《あひな》ったわ。……仇敵同士《かたきどうし》は何《いづ》れにあるぞ? カピューレット! モンタギュー!……見《み》い、是《これ》皆《みな》汝等《おぬしたち》が相憎惡《にくみあひ》の懲罰《こらしめ》、天《てん》は故《わざ》と子供等《こどもら》を愛《あい》しあはせ、以《もっ》て汝等《おぬしら》が歡樂《よろこび》をば殺《ころ》させられたわ。予《われ》將《は》た汝等《おぬしら》の確執《なかたがひ》を等閑《なほざり》に視過《みすご》したる罪《つみ》によって、近親《うから》を二人《ふたり》までも失《うしな》うた。御罰《ごばつ》に漏《も》れたる者《もの》はない。
カピ長 おゝ、モンタギューどの、御手《おんて》をば與《あた》へさせられい。これをこそ愛女《むすめ》への御結納《ごゆひなう》とも思《おも》ひまする、他《ほか》に望《のぞみ》とてはござらぬわい。
モン長 いや、こなたよりはまだ參《まゐ》らするものがおぢゃる。吾等《われら》純金《じゅんきん》にて姫《ひめ》の像《ざう》を建《た》て申《まう》し、此《この》ローナが同《おな》じ呼名《よびな》で知《し》らるゝ限《かぎ》り、貞節《ていせつ》なヂュリエットどのゝ黄金《こがね》の像《ざう》をば上無《うへな》き記念《かたみ》と崇《あが》めさせん。
カピ長 女《むすめ》と並《なら》べてロミオどのゝ黄金《こがね》の像《ざう》をも建《た》て申《まう》そう、互《たが》ひの不和《ふわ》の憫然《ふびん》な犧牲《いけにえ》!
領主 物悲《ものがな》しげなる靜《しづ》けさをば此《この》朝景色《あさげしき》が齎《もたら》する。日《ひ》も悲《かな》しみてか、面《おもて》を見《み》せぬわ。いざ、共《とも》に彼方《かなた》へ往《い》て、盡《つ》きぬ愁歎《なげき》を語《かた》り合《あ》はん。赦《ゆる》すべき者《もの》もあれば、罰《ばっ》すべき者《もの》もある。哀《あは》れなる物語《ものがたり》は多《おほ》けれども、此《この》ロミオとヂュリエットの戀物語《こひものがたり》に優《まさ》るはないわい。
皆々《みな/\》徐《しず》かに入る。
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ロミオとヂュリエット (完)
底本:「ロミオとヂュリエット 新修シェークスピヤ全集 第二十五卷」中央公論社
1933(昭和8)年10月30日発行
※複数行にかかる波括弧には、けい線素片をあてました。
入力:osawa
校正:土屋隆
2010年7月23日作成
2010年11月9日修正
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「革+引」
40-5

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「(口+口)/田/一/黽」
202-2

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●図書カード