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門野《かどの》、御存知《ごぞんじ》でいらっしゃいましょう。十年以前になくなった先《せん》の夫なのでございます。こんなに月日がたちますと、門野と口に出していって見ましても、一向《いっこう》他人様《ひとさま》の様《よう》で、あの出来事にしましても、何だかこう、夢ではなかったかしら、なんて思われるほどでございます。門野家へ私がお嫁入りをしましたのは、どうした御縁からでございましたかしら、申すまでもなく、お嫁入り前に、お互《たがい》に好き合っていたなんて、そんなみだらなのではなく、仲人《なこうど》が母を説《と》きつけて、母が又私に申し聞かせて、それを、おぼこ娘の私は、どう否《いな》やが申せましょう。おきまりでございますわ。畳にのの字を書きながら、ついうなずいてしまったのでございます。
でも、あの人が私の夫になる方かと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔位は見知っていましたけれど、噂《うわさ》によれば、何となく気むずかしい方の様だがとか、あんな綺麗《きれい》な方のことだから、ええ、御承知かも知れませんが、門野というのは、それはそれは、凄《すご》い様な美男子で、いいえ、おのろけではございません。美しいといいます中《うち》にも、病身なせいもあったのでございましょう、どこやら陰気で、青白く、透き通る様な、ですから、一層水際立った殿御《とのご》ぶりだったのでございますが、それが、ただ美しい以上に、何かこう凄い感じを与えたのでございます。その様に綺麗な方のことですから、きっと外《ほか》に美しい娘さんもおありでしょうし、もしそうでないとしましても、私の様なこのお多福《たふく》が、どうまあ一生可愛がって貰《もら》えよう、などと色々取越《とりこし》苦労もしますれば、従ってお友達だとか、召使などの、その方《かた》の噂話にも聞き耳を立てるといった調子なのでございます。
そんな風にして、段々洩《も》れ聞いた所を寄せ集めて見ますと、心配をしていた、一方のみだらな噂などはこれっぱかりもない代りには、もう一つの気むずかし屋の方は、どうして一通りでないことが分って来たのでございます。いわば変人とでも申すのでございましょう。お友達なども少く、多くは内の中に引込み勝ちで、それに一番いけないのは、女ぎらいという噂すらあったのでございます。それも、遊びのおつき合いをなさらぬための、そんな噂なら別条はないのですけれど、本当の女ぎらいらしく、私との縁談にしましてからが、元々親御《おやご》さん達のお考えで、仲人に立った方は、私の方よりは、却《かえっ》て先方の御本人を説きふせるのに骨が折れたほどだと申すのでございます。尤《もっと》もそんなハッキリした噂を聞いた訳ではなく、誰かが一寸《ちょっと》口をすべらせたのから、私が、お嫁入りの前の娘の敏感で独合点《ひとりがってん》をしていたのかも知れません。いいえ、いざお嫁入りをして、あんな目にあいますまでは、本当に私の独合点に過ぎないのだと、しいてもそんな風に、こちらに都合のよい様に、気休めを考えていたことでございます。これで、いくらか、うぬぼれもあったのでございますわね。
あの時分の娘々した気持を思い出しますと、われながら可愛らしい様《よう》でございます。一方ではそんな不安を感じながら、でも、隣町の呉服屋《ごふくや》へ衣裳《いしょう》の見立に参ったり、それを家中《うちじゅう》の手で裁縫したり、道具類だとか、細々《こまごま》した手廻《まわ》りの品々を用意したり、その中へ先方からは立派な結納《ゆいのう》が届く、お友達にはお祝いの言葉やら、羨望《せんぼう》の言葉やら、誰かにあえばひやかされるのがなれっこになってしまって、それが又恥かしいほど嬉《うれ》しくて、家中にみちみちた花《はな》やかな空気が、十九の娘を、もう有頂天《うちょうてん》にしてしまったのでございます。
一つは、どの様な変人であろうが、気むずかし屋さんであろうが、今申す水際立った殿御振《ぶり》に、私はすっかり魅せられていたのでもございましょう。それに又、そんな性質の方に限って、情が濃《こまや》かなのではないか、私なら私一人を守って、凡《すべ》ての愛情という愛情を私一人に注ぎつくして、可愛がって下さるのではないか、などと、私はまあなんてお人よしに出来ていたのでございましょう。そんな風に思っても見るのでございました。
初めの間は、遠い先のことの様に、指折数えていた日取りが、夢の間《ま》に近づいて、近づくに従って、甘い空想がずっと現実的な恐れに代って、いざ当日、御婚礼の行列が門前に勢揃いをいたします。その行列が又、自慢に申すのではありませんが、十幾《いく》つりの私の町にしては飛切り立派なものでしたが、それの中にはさまって、車に乗る時の心持というものは、どなたも味わいなさることでしょうけれど、本当にもう、気が遠くなる様でございましたっけ、まるで屠所の羊でございますわね。精神的に恐しいばかりでなく、もう身内がずきずき痛む様な、それはもう、何と申してよろしいのやら。……
何がどうなったのですか、兎《と》も角《かく》も夢中で御婚礼を済《すま》せて、一日二日は、夜さえ眠ったのやら眠らなかったのやら、舅《しゅうと》姑《しゅうとめ》がどの様な方なのか、召使達が幾人いるか、挨拶《あいさつ》もし、挨拶されていながらも、まるで頭に残っていないという有様なのでございます。するともう、里帰り、夫と車を並べて、夫の後姿《うしろすがた》を眺めながら走っていても、それが夢なのか現《うつつ》なのか、……まあ、私はこんなことばかりおしゃべりしていまして、御免下さいまし、肝心の御話がどこかへ行ってしまいますわね。
そうして、御婚礼のごたごたが一段落つきますと、案じるよりは生むが易いと申しますか、門野は噂程の変人というでもなく、却て世間並よりは物柔かで、私などにも、それは優しくしてくれるのでございます。私はほっと安心いたしますと、今までの苦痛に近い緊張が、すっかりほぐれてしまいまして、人生というものは、こんなにも幸福なものであったのかしら、なんて思う様になって参ったのでございます。それに舅姑御二人とも、お嫁入前に母親が心づけてくれましたことなど、まるで無駄に思われたほど、好《よ》い御方《おかた》ですし、外には、門野は一人子だものですから、小舅《こじゅうと》などもなく、却て気抜けのする位、御嫁さんなんて気苦労の入《い》らぬものだと思われたのでございました。
門野の男ぶりは、いいえ、そうじゃございませんのよ。これがやっぱり、お話の内なのでございますわ。そうして一しょに暮す様になって見ますと、遠くから、垣間《かいま》見《み》ていたのと違って、私にとっては、生れてはじめての、この世にたった一人の方なのですもの、それは当り前でございましょうけれど、日が経つにつれて、段々立《たち》まさって見え、その水際立った男ぶりが、類《たぐい》なきものに思われ初《はじ》めたのでございます。いいえ、お顔が綺麗だとか、そんなことばかりではありません。恋なんて何と不思議なものでございましょう、門野の世間並をはずれた所が、変人というほどではなくても、何とやら憂鬱《ゆううつ》で、しょっちゅう一途《いちず》に物を思いつづけている様な、しんねりむっつりとした、それで、縹緻《きりょう》はと申せば、今いう透き通る様な美男子なのでございますよ、それがもう、いうにいわれぬ魅力となって、十九の小娘を、さんざんに責めさいなんだのでございます。
ほんとうに世界が一変したのでございます。二た親のもとで育てられていた十九年を現実世界にたとえますなら、御婚礼の後《のち》の、それが不幸にもたった半年ばかりの間ではありましたけれど、その間はまるで夢の世界か、お伽噺《とぎばなし》の世界に住んでいる気持でございました。大げさに申しますれば、浦島太郎《うらしまたろう》が乙姫様《おとひめさま》の御寵愛《ごちょうあい》を受けたという龍宮《りゅうぐう》世界、あれでございますわ、今から考えますと、その時分の私は、本当に浦島太郎の様に幸福だったのでございますわ。世間では、お嫁入りはつらいものとなっていますのに、私のはまるで正反対ですわね。いいえ、そう申すよりは、そのつらい所まで行かぬ内に、あの恐ろしい破綻《はたん》が参ったという方が当たっているのかも知れませんけれど。
その半年の間を、どの様にして暮しましたことやら、ただもう楽《たのし》かったと申す外に、こまごましたことなど忘れても居りますし、それに、このお話には大して関係のないことですから、おのろけめいた思出話は止しにいたしましょうけれど、門野が私を可愛がってくれましたことは、それはもう、世間のどの様な女房思いの御亭主でも、とても真似《まね》も出来ないほどでございました。無論私は、それをただただ有難いことに思って、いわば陶酔してしまって、何の疑いを抱く余裕もなかったのでございますが、この門野が私を可愛がり過ぎたということには、あとになって考えますと、実に恐しい意味があったのでございます。といって、何も可愛がり過ぎたのが破綻の元だと申す訳ではありません、あの人は、真心をこめて、私を可愛がろうと努力していたに過ぎないのでございます。それが決して、だましてやろうという様な心持ではなかったのですから、あの人が努力すればするほど、私はそれを真《ま》に受けて、真《しん》から手頼《たよ》って行く、身も心も投げ出してすがりついて行く、という訳でございました。ではなぜ、あの人がそんな努力をしましたか、尤もこれらのことは、ずっとずっと後《あと》になって、やっと気づいたのではありますけれど、それには、実に恐ろしい理由があったのでございます。
「変だな」と気がついたのは、御婚礼から丁度半年ほどたった時分でございました。今から思えば、あの時、門野の力が、私を可愛がろうとする努力が、いたましくも尽きはててしまったものに相違ありません。その隙《すき》に乗じて、もう一つの魅力が、グングンとあの人を、そちらの方へひっぱり出したのでございましょう。
男の愛というものが、どの様なものであるか、小娘の私が知ろう筈《はず》はありません。門野の様な愛し方こそ、すべての男の、いいえ、どの男にも勝《まさ》った愛し方に相違ないと、長い間信じ切っていたのでございます。ところが、これほど信じ切っていた私でも、やがて、少しずつ少しずつ、門野の愛に何とやら偽《いつわ》りの分子を含むことを、感づき初《はじ》めないではいられませんでした。……………………そのエクスタシイは形の上に過ぎなくて、心では、何か遙《はるか》なものを追っている、妙に冷い空虚を感じたのでございます。私を眺める愛撫のまなざしの奥には、もう一つの冷い目が、遠くの方を凝視しているのでございます。愛の言葉を囁《ささや》いてくれます、あの人の声音《こわね》すら、何とやらうつろで、機械仕掛の声の様にも思われるのでございます。でも、まさか、その愛情が最初から総《すべ》て偽りであったなどとは、当時の私には思いも及ばぬことでした。これはきっと、あの人の愛が私から離れて、どこかの人に移りはじめたしるしではあるまいか、そんな風に疑《うたぐ》って見るのが、やっとだったのでございます。
疑いというものの癖《くせ》として、一度そうしてきざしが現れますと、丁度夕立雲が広がる時の様な、恐しい早さでもって、相手の一挙一動、どんな微細な点までも、それが私の心一杯に、深い深い疑惑の雲となって、群《むら》がり立つのでございます。あの時の御言葉の裏にはきっとこういう意味を含んでいたに相違ない。いつやらの御不在は、あれは一体どこへいらしったのであろう。こんなこともあった、あんなこともあったと、疑い出しますと際限がなく、よく申す、足の下の地面が、突然なくなって、そこへ大きな真暗な空洞が開けて、はて知れぬ地獄へ吸い込まれて行く感じなのでございます。
ところが、それほどの疑惑にも拘《かかわ》らず、私は何一つ、疑い以上の、ハッキリしたものを掴《つか》むことは出来ないのでございました。門野が家《うち》をあけると申しましても、極く僅《わずか》の間で、それが大抵《たいてい》は行先《ゆきさき》が知れているのですし、日記帳だとか手紙類、写真までも、こっそり調べて見ましても、あの人の心持を確め得る様な跡は、少しも見つかりはしないのでございます。ひょっとしたら、娘心のあさはかにも、根もないことを疑って、無駄な苦労を求めているのではないかしら、幾度か、そんな風に反省して見ましても、一度根を張った疑惑は、どう解こうすべもなく、ともすれば、私の存在をさえ忘れ果てた形で、ぼんやりと一つ所を見つめて、物思いに耽《ふけ》っているあの人の姿を見るにつけ、やっぱり何かあるに相違ない、きっときっと、それに極《きま》っている。では、もしや、あれではないのかしら。といいますのは、門野は先から申します様に、非常に憂鬱なたちだものですから、自然引込《ひっこみ》思案で、一間《ま》にとじ籠《こも》って本を読んでいる様な時間が多く、それも、書斎では気が散っていけないと申し、裏に建っていました土蔵の二階へ上《あが》って、幸いそこに先祖から伝わった古い書物が沢山《たくさん》積んでありましたので、薄暗い所で、夜などは昔ながらの雪洞《ぼんぼり》をともして、一人ぼっちで書見《しょけん》をするのが、あの人の、もっと若い時分からの、一つの楽《たのし》みになっていたのでございます。それが、私が参ってから半年ばかりというものは、忘れた様に、土蔵のそばへ足ぶみもしなくなっていたのが、ついその頃になって、又しても、繁々《しげしげ》と土蔵へ入る様になって参ったのでございます。この事柄に何か意味がありはしないか。私はふとそこへ気がついたのでございました。
土蔵の二階で書見をするというのは少し風変りと申せ、別段とがむべきことでもなく、何の怪しい訳もない、と一応はそう思うのですけれど、又考え直せば、私としましては、出来るだけ気を配って、門野の一挙一動を監視もし、あの人の持物なども検《しら》べましたのに、何の変った所もなく、それで、一方ではあの抜けがらの愛情、うつろの目、そして時には私の存在をすら忘れたかと見える物思いでございましょう。もう蔵の二階を疑いでもする外には、何のてだても残っていないのでございます。それに妙なのは、あの人が蔵へ行きますのが、極って夜更けなことで、時には隣に寝ています私の寝息を窺《うかが》う様にして、こっそりと床《とこ》の中を抜け出して、御小用《おこよう》にでもいらっしったのかと思っていますと、そのまま長い間帰っていらっしゃらない。縁側《えんがわ》に出て見れば、土蔵の窓から、ぼんやりとあかりがついているのでございます。何となく凄い様な、いうにいわれない感じに打たれることが屡々《しばしば》なのでございます。土蔵だけは、お嫁入りの当時、一巡《ひとまわり》中を見せて貰いましたのと時候の変り目に一二度入ったばかりで、たとえ、そこへ門野がとじ籠っていましても、まさか、蔵の中に私をうとうとしくする原因がひそんでいようとも考えられませんので、別段、あとをつけて見たこともなく、従って蔵の二階だけが、これまで、私の監視を脱《のが》れていたのでございますが、それをすら、今は疑いの目を以《もっ》て見なければならなくなったのでございます。
お嫁入りをしましたのが春の半《なかば》、夫に疑いを抱き始めましたのがその秋の丁度名月時分でございました。今でも不思議に覚えていますのは、門野が縁側に向うむきに蹲《うずくま》って、青白い月光に洗われながら、長い間じっと物思いに耽っていた、あのうしろ姿、それを見て、どういう訳か、妙に胸を打たれましたのが、あの疑惑のきっかけになったのでございます。それから、やがてその疑いが深まって行き、遂には、あさましくも、門野のあとをつけて、土蔵の中へ入るまでになったのが、その秋の終りのことでございました。
何というはかない縁《えにし》でありましょう。あの様にも私を有頂天にさせた、夫の深い愛情が(先にも申す通り、それは決して本当の愛情ではなかったのですけれど)たった半年の間にさめてしまって、私は今度は玉手箱をあけた浦島太郎の様に、生れて初めての陶酔境から、ハッと眼覚めると、そこには恐しい疑惑と嫉妬《しっと》の、無限《むげん》地獄が口を開いて待っていたのでございます。
でも最初は、土蔵の中が怪しいなどとハッキリ考えていた訳ではなく、疑惑に責められるまま、たった一人の時の夫の姿を垣間見て、出来るならば迷いを晴らしたい、どうかそこに私を安心させる様なものがあってくれます様にと祈りながら、一方ではその様な泥坊じみた行いが恐しく、といって一度思い立ったことを、今更中止するのは、どうにも心残りなままに、ある晩のこと、袷《あわせ》一枚ではもう肌寒い位で、この頃まで庭に鳴きしきっていました、秋の虫共も、いつか声をひそめ、それに丁度闇夜で、庭下駄《にわげた》で土蔵への道々、空をながめますと、星は綺麗でしたけれど、それが非常に遠く感じられ、不思議と物淋《ものさび》しい晩のことでありましたが、私はとうとう、土蔵へ忍びこんで、そこの二階にいる筈の夫の隙見《すきみ》を企《くわだ》てたのでございます。
もう母屋《おもや》では、御両親をはじめ召使達も、とっくに床についておりました。田舎《いなか》町の広い屋敷のことでございますから、まだ十時頃というのに、しんと静まり返って、蔵まで参りますのに、真っ暗なしげみを通るのが、こわい様でございました。その道が又、御天気でもじめじめした様な地面で、しげみの中には、大きな蝦蟇《がま》が住んでいて、グルルル……グルルル……といやな鳴き声さえ立てるのでございましょう。それをやっと辛抱《しんぼう》して、蔵の中へたどりついても、そこも同じ様に真っ暗で、樟脳《しょうのう》のほのかな薫《かお》りに混って、冷い、かび臭い蔵特有の一種の匂いが、ゾーッと身を包むのでございます。もし心の中に嫉妬の火が燃えていなかったら、十九の小娘に、どうまああの様な真似が出来ましょう。本当に恋ほど恐しいものはございませんわね。
闇の中を手探りで、二階への階段まで近づき、そっと上を覗いて見ますと、暗いのも道理、梯子段《はしごだん》を上《のぼ》った所の落し戸が、ピッタリ締《しま》っているのでございます。私は息を殺して、一段一段と音のせぬ様に注意しながら、やっとのことで梯子の上まで昇り、ソッと落し戸を押し試みて見ましたが、門野の用心深いことには、上から締りをして、開かぬ様になっているではございませんか。ただ御本を読むのなら、何も錠まで卸《おろ》さなくてもと、そんな一寸したことまでが、気懸《きがか》りの種になるのでございます。
どうしようかしら。ここを叩《たた》いて開けて頂こうかしら。いやいや、この夜更けに、そんなことをしたなら、はしたない心の内を見すかされ、猶更《なおさら》疎《うと》んじられはしないかしら。でも、この様な、蛇の生殺しの様な状態が、いつまでも続くのだったら、とても私には耐えられない。一そ思い切って、ここを開けて頂いて、母屋から離れた蔵の中を幸いに、今夜こそ、日頃の疑いを夫の前にさらけ出して、あの人の本当の心持を聞いて見ようかしら。などと、とつおいつ思い惑って、落し戸の下に佇《たたず》んでいました時、丁度その時、実に恐ろしいことが起こったのでございます。
その晩、どうして私が蔵の中へなど参ったのでございましょう。夜更けに蔵の二階で、何事のあろう筈もないことは、常識で考えても分りそうなものですのに、ほんとうに馬鹿馬鹿しい様な、疑心暗鬼《ぎしんあんき》から、ついそこへ参ったというのは、理窟《りくつ》では説明の出来ない、何かの感応があったのでございましょうか。俗にいう虫の知らせでもあったのでございましょうか。この世には、時々常識では判断のつかない様な、意外なことが起るものでございます。その時、私は蔵の二階から、ひそひそ話《ばなし》の声を、それも男女二人の話声《はなしごえ》を、洩れ聞いたのでございました。男の声はいうまでもなく門野のでしたが、相手の女は一体全体何者でございましょうか。
まさかまさかと思っていました、私の疑いが、余りに明かな事実となって現れたのを見ますと、世慣れぬ小娘の私は、ただもうハッとして、腹立たしいよりは恐ろしく、恐ろしさと、身も世もあらぬ悲しさに、ワッと泣き出したいのを、僅にくいしめて、瘧《おこり》の様に身を戦《おのの》かせながら、でも、そんなでいて、やっぱり上の話声に聞き耳を立てないではいられなかったのでございます。
「この様なおう瀬を続けていては、あたし、あなたの奥様にすみませんわね」
細々《ほそぼそ》とした女の声は、それが余りに低いために、殆ど聞き取れぬほどでありましたが、聞えぬ所は想像で補って、やっと意味を取ることが出来たのでございます。声の調子で察しますと、女は私よりは三つ四つ年かさで、しかし私の様にこんな太っちょうではなく、ほっそりとした、丁度泉鏡花さんの小説に出て来る様な、夢の様に美しい方に違いないのでございます。
「私もそれを思わぬではないが」と、門野の声がいうのでございます「いつもいって聞かせる通り私はもう出来るだけのことをして、あの京子《きょうこ》を愛しようと努めたのだけれど、悲しいことには、それがやっぱり駄目《だめ》なのだ。若い時から馴染《なじみ》を重ねたお前のことが、どう思い返しても、思い返しても、私にはあきらめ兼ねるのだ。京子にはお詫《わび》のしようもないほど済まぬことだけれど、済まない済まないと思いながら、やっぱり、私はこうして、夜毎にお前の顔を見ないではいられぬのだ。どうか私の切ない心の内を察しておくれ」
門野の声ははっきりと、妙に切口上《きりこうじょう》に、せりふめいて、私の心に食い入る様に響いて来るのでございます。
「嬉しうございます。あなたの様な美しい方に、あの御立派な奥様をさし置いて、それほどに思って頂くとは、私はまあ、何という果報者《かほうもの》でしょう。嬉しうございますわ」
そして、極度に鋭敏になった私の耳は、女が門野の膝《ひざ》にでももたれたらしい気勢《けはい》を感じるのでございます。……………………………………………………………………………………
まあ御想像なすっても下さいませ。私のその時の心持がどの様でございましたか。もし今の年でしたら、何の構うことがあるものですか、いきなり、戸を叩き破ってでも、二人のそばへ駈込んで、恨みつらみのありたけを、並べもしたでしょうけれど、何を申すにも、まだ小娘の当時では、とてもその様な勇気が出るものではございません。込み上げて来る悲しさを、袂《たもと》の端で、じっと押えて、おろおろと、その場を立去りも得《え》せず、死ぬる思いを続けたことでございます。
やがて、ハッと気がつきますと、ハタハタと、板《いた》の間《ま》を歩く音がして、誰かが落し戸の方へ近づいて参るのでございます。今ここで顔を合わせては、私にしましても、又先方にしましても、あんまり恥かしいことですから、私は急いで梯子段を下《おり》ると、蔵の外へ出て、その辺の暗闇へ、そっと身をひそめ、一つには、そうして女奴《め》の顔をよく見覚えてやりましょうと、恨みに燃える目をみはったのでございます。ガタガタと、落し戸を開く音がして、パッと明りがさし、雪洞を片手に、それでも足音を忍ばせて下りて来ましたのは、まごう方《かた》なき私の夫、そのあとに続く奴めと、いきまいて待てど暮せど、もうあの人は、蔵の大戸をガラガラと締めて、私の隠れている前を通り過ぎ、庭下駄の音が遠ざかっていったのに、女は下りて来る気勢もないのでございます。
蔵のことゆえ一方口で、窓はあっても、皆金網で張りつめてありますので、外《ほか》に出口はない筈。それが、こんなに待っても、戸の開く気勢も見えぬのは、余りといえば不思議なことでございます。第一、門野が、そんな大切な女を一人あとに残して、立去る訳もありません。これはもしや、長い間の企《たく》らみで、蔵のどこかに、秘密な抜け穴でも拵《こしら》えてあるのではなかろうか。そう思えば、真っ暗な穴の中を、恋に狂った女が、男にあいたさ一心で、怖わさも忘れ、ゴソゴソと匍《は》っている景色が幻の様に目に浮かび、その幽《かす》かな物音さえも聞える様で、私は俄に、そんな闇の中に一人でいるのが怖《こ》わくなったのでございます。また夫が私のいないのを不審に思ってはと、それも気がかりなものですから、兎も角も、その晩は、それだけで、母屋の方へ引返《ひきかえ》すことにいたしました。
それ以来、私は幾度闇夜の蔵へ忍んで参ったことでございましょう。そして、そこで、夫達の様々の睦言《むつごと》を立聞きしては、どの様に、身も世もあらぬ思いをいたしたことでございましょう。その度毎《たびごと》に、どうかして相手の女を見てやりましょうと、色々に苦心をしたのですけれど、いつも最初の晩の通り、蔵から出て来るのは夫の門野だけで、女の姿なぞはチラリとも見えはしないのでございます。ある時はマッチを用意して行きまして、夫が立去るのを見すまし、ソッと蔵の二階へ上《あが》って、マッチの光でその辺を探し廻ったこともありましたが、どこへ隠れる暇《いとま》もないのに、女の姿はもう影もささぬのでございます。またある時は、夫の隙を窺って、昼間、蔵の中へ忍び込み、隅から隅を覗き廻って、もしや抜け道でもありはしないか、又ひょっとして、窓の金網でも破れてはしないかと、様々に検べて見たのですけれど、蔵の中には、鼠《ねずみ》一匹逃げ出す隙間も見当たらぬのでございました。
何という不思議でございましょう。それを確めますと、私はもう、悲しさ口惜《くや》しさよりも、いうにいわれぬ不気味さに、思わずゾッとしないではいられませんでした。そうしてその翌晩になれば、どこから忍んで参るのか、やっぱり、いつもの艶《なま》めかしい囁き声が、夫との睦言を繰返《くりかえ》し、又幽霊の様に、いずことも知れず消え去ってしまうのでございます。もしや何かの生霊《いきりょう》が、門野に魅入《みい》っているのではないでしょうか。生来憂鬱で、どことなく普通の人と違った所のある、蛇を思わせる様な門野には(それ故《ゆえ》に又、私はあれほども、あの人に魅せられていたのかも知れません)そうした、生霊という様な、異形《いぎょう》のものが、魅入り易いのではありますまいか。などと考えますと、はては、門野自身が、何かこう魔性《ましょう》のものにさえ見え出して、何とも形容の出来ない、変な気持になって参るのでございます。一《いっ》そのこと、里へ帰って、一伍一什《いちぶしじゅう》を話そうか、それとも、門野の親御さま達に、このことをお知らせしようか、私は余りの怖わさ不気味さに幾度《いくたび》かそれを決心しかけたのですけれど、でも、まるで雲を掴む様な、怪談めいた事柄を、うかつにいい出しては頭から笑われそうで、却て恥をかく様なことがあってはならぬと、娘心にもヤッと堪《こら》えて、一日二日と、その決心を延ばしていたのでございます。考えて見ますと、その時分から、私は随分きかん坊でもあったのでございますわね。
そして、ある晩のことでございました。私はふと妙なことに気づいたのでございます。それは、蔵の二階で、門野達のいつものおう瀬が済みまして、門野がいざ二階を下りるという時に、パタンと軽く、何かの蓋《ふた》のしまる音がして、それから、カチカチと錠前でも卸すらしい気勢がしたのでございます。よく考えて見れば、この物音は、ごく幽かではありましたが、いつの晩にも必ず聞いた様に思われるのでございます。蔵の二階でそのような音を立てるものは、そこに幾つも並んでいます長持《ながもち》の外《ほか》にはありません。さては相手の女は長持の中に隠れているのではないかしら。生きた人間なれば、食事も摂《と》らなければならず、第一、息苦しい長持の中に、そんな長い間忍んでいられよう道理はない筈ですけれど、なぜか、私には、それがもう間違いのない事実の様に思われて来るのでございます。
そこへ気がつきますと、もうじっとしてはいられません。どうかして、長持の鍵を盗み出して、長持の蓋をあけて、相手の女奴を見てやらないでは気が済まぬのでございます。なあに、いざとなったら、くいついてでも、ひっ掻いてでも、あんな女に負けてなるものか、もうその女が長持の中に隠れているときまりでもした様に、私は歯ぎしりを噛んで、夜のあけるのを待ったものでございます。
その翌日、門野の手文庫から鍵を盗み出すことは、案外易々《やすやす》と成功いたしました。その時分には、私はもうまるで夢中ではありましたけれど、それでも、十九の小娘にしましては、身に余る大仕事でございました。それまでとても、眠られぬ夜が続き、さぞかし顔色も青ざめ、身体《からだ》も痩《や》せ細っていたことでありましょう。幸い御両親とは離れた部屋に起《お》き伏《ふし》していましたのと、夫の門野は、あの人自身のことで夢中になっていましたのとで、その半月ばかりの間を、怪しまれもせず過ごすことが出来たのでございます。さて、鍵を持って、昼間でも薄暗い、冷たい土の匂いのする、土蔵の中へ忍び込んだ時の気持、それがまあ、どんなでございましたか。よくまああの様な真似が出来たものだと、今思えば、一そ不思議な気もするのでございます。
ところが鍵を盗み出す前でしたか、それとも蔵の二階へ上《あが》りながらでありましたか、千々《ちぢ》に乱れる心の中《うち》で、わたしはふと滑稽なことを考えたものでございます。どうでもよいことではありますけれど、ついでに申上げて置きましょうか。それは、先日からのあの話声は、もしや門野が独《ひとり》で、声色《こわいろ》を使っていたのではないかという疑いでございました。まるで落し話の様な想像ではありますが、例えば小説を書きますためとか、お芝居を演じますためとかに、人に聞えない蔵の二階で、そっとせりふのやり取りを稽古《けいこ》していらしったのではあるまいか、そして、長持の中には女なぞではなくて、ひょっとしたら、芝居の衣裳でも隠してあるのではないか、という途方もない疑いでございました。ほほほほほほ、私はもうのぼせ上っていたのでございますわね。意識が混乱して、ふとその様な、我身に都合のよい妄想が、浮かび上るほど、それほど私の頭は乱れ切っていたのでございます。なぜと申して、あの睦言の意味を考えましても、その様な馬鹿馬鹿しい声色を使う人が、どこの世界にあるものでございますか。
門野家は町でも知られた旧家だものですから、蔵の二階には、先祖以来の様々の古めかしい品々が、まるで骨董屋《こっとうや》の店先の様に並んでいるのでございます。三方の壁には今申す丹塗《にぬ》りの長持が、ズラリと並び、一方の隅には、昔風の縦に長い本箱が、五つ六つ、その上には、本箱に入り切らぬ黄表紙、青表紙が、虫の食った背中を見せて、ほこりまみれに積み重ねてあります。棚の上には、古びた軸物の箱だとか、大きな紋のついた両掛け、葛籠《つづら》の類、古めかしい陶器類、それらに混って、異様に目を惹《ひ》きますのは、鉄漿《おはぐろ》の道具だという、巨大なお椀《わん》の様な塗物《ぬりもの》、塗り盥《だらい》、それには皆、年数がたって赤くなってはいますけれど、一々金紋《きんもん》が蒔絵《まきえ》になっているのでございます。それから一番不気味なのは、階段を上《あが》ったすぐの所に、まるで生きた人間の様に鎧櫃《よろいびつ》の上に腰かけている、二つの飾り具足《ぐそく》、一つは黒糸縅《くろいとおどし》のいかめしいので、もう一つはあれが緋縅《ひおどし》と申すのでしょうか、黒ずんで、所々糸が切れてはいましたけれど、それが昔は、火の様に燃えて、さぞかし立派なものだったのでございましょう。兜《かぶと》もちゃんと頂いて、それに鼻から下を覆う、あの恐ろしい鉄の面までも揃っているのでございます。昼でも薄暗い蔵の中で、それをじっと見ていますと、今にも籠手《こて》、脛当《すねあて》が動き出して、丁度頭の上に懸けてある、大身《おおみ》の槍《やり》を取るかとも思われ、いきなりキャッと叫んで、逃げ出したい気持さえいたすのでございます。
小さな窓から、金網を越して、淡い秋の光がさしてはいますけれど、その窓があまりに小さいため、蔵の中は、隅の方になると、夜の様に暗く、そこに蒔絵だとか、金具だとかいうものだけが、魑魅魍魎《ちみもうりょう》の目の様に、怪しく、鈍く、光っているのでございます。その中で、あの生霊の妄想を思い出しでもしようものなら、女の身で、どうまあ辛抱が出来ましょう。その怖わさ恐ろしさを、やっと堪《こら》えて、兎も角も、長持を開くことが出来ましたのは、やっぱり、恋という曲者《くせもの》の強い力でございましょうね。
まさかそんなことがと思いながら、でも何となく薄気味悪くて、一つ一つ長持の蓋を開く時には、からだ中から冷いものがにじみ出し、ハッと息も止まる思いでございました。ところが、その蓋を持上げて、まるで棺桶《かんおけ》の中でも覗く気で、思い切って、グッと首を入れて見ますと、予期していました通り、或《あるい》は予期に反して、どれもこれも古めかしい衣類だとか、夜具、美しい文庫類などが入っているばかりで、何の疑わしいものも出ては来ないのでございます。でも、あの極った様に聞えて来た、蓋のしまる音、錠前のおりる音は、一体何を意味するのでありましょう。おかしい、おかしいと思いながら、ふと目にとまったのは、最後に開いた長持の中に、幾つかの白木の箱がつみ重なっていて、その表に、床《ゆか》しいお家流で「お雛様《ひなさま》」だとか「五人囃子《ばやし》」だとか「三人上戸《じょうご》」だとか、書き記《しる》してある、雛人形の箱でございました。私は、どこにも怪しいものがいないことを確めて、いくらか安心していたのでもありましょう、その際ながら、女らしい好奇心から、ふとそれらの箱を開けて見る気になりました。
一つ一つ外に取り出して、これがお雛様、これが左近《さこん》の桜、右近《うこん》の橘《たちばな》と、見て行くに従って、そこに、樟脳の匂いと一緒に、何とも古めかしく、物懐しい気持が漂って、昔物のきめの濃《こま》やかな人形の肌が、いつとなく、私を夢の国へ誘って行くのでございました。私はそうして、暫くの間は、雛人形で夢中になっていましたが、やがてふと気がつきますと、長持の一方の側《がわ》に、外《ほか》のとは違って、三尺以上もある様な長方形の白木の箱が、さも貴重品といった感じで、置かれてあるのでございます。その表には、同じくお家流で「拝領《はいりょう》」と記されてあります。何であろうと、そっと取り出して、それを開いて中の物を一目見ますと、ハッと何かの気に打たれて、私は思わず顔をそむけたのでございます。そして、その瞬間に霊感というのは、ああした場合を申すのでございましょうね、数日来の疑いが、もう、すっかり解けてしまったのでございます。
それほど私を驚かせたものが、ただ一個の人形に過ぎなかったと申せば、あなたはきっと「なあんだ」とお笑いなさるかも知れません。ですが、それは、あなたが、まだ本当の人形というものを、昔の人形師の名人が精根を尽くして、拵え上げた芸術品を、御存知ないからでございます。あなたはもしや、博物館の片隅なぞで、ふと古めかしい人形に出あって、その余りの生々《なまなま》しさに、何とも知れぬ戦慄《せんりつ》をお感じなすったことはないでしょうか。それが若《も》し女児《おなご》人形や稚児《ちご》人形であった時には、それの持つ、この世の外《ほか》の夢の様な魅力に、びっくりなすったことはないでしょうか。あなたは御みやげ人形といわれるものの、不思議な凄味《すごみ》を御存知でいらっしゃいましょうか。或は又、往昔衆道《おうせきしゅうどう》の盛んでございました時分、好き者達が、馴染の色若衆の似顔人形を刻ませて、日夜愛撫したという、あの奇態な事実を御存知でいらっしゃいましょうか。いいえ、その様な遠いことを申さずとも、例えば、文楽《ぶんらく》の浄瑠璃《じょうるり》人形にまつわる不思議な伝説、近代の名人安本亀八の生《いき》人形なぞを御承知でございましたなら、私がその時、ただ一個の人形を見て、あの様に驚いた心持を、十分御察し下さることが出来ると存じます。
私が長持の中で見つけました人形は後《のち》になって、門野のお父さまに、そっと御尋ねして知ったのでございますが、殿様から拝領の品とかで、安政《あんせい》の頃の名人形師立木と申す人の作と申すことでございます。俗に京人形と呼ばれておりますけれど、実は浮世《うきよ》人形とやらいうものなそうで、身《み》の丈《たけ》三尺余り、十歳ばかりの小児の大きさで、手足も完全に出来、頭には昔風の島田《しまだ》を結《ゆ》い、昔染の大柄友染《ゆうぜん》が着せてあるのでございます。これも後に伺ったのですけれど、それが立木という人形師の作風なのだそうで、そんな昔の出来にも拘らず、その女児人形は、不思議と近代的な顔をしているのでございます。真ッ赤に充血して何かを求めている様な、厚味のある唇《くちびる》、唇の両脇で二段になった豊頬《ほうきょう》、物いいたげにパッチリ開いた二重瞼《ふたえまぶた》、その上に大様《おおよう》に頬笑《ほほえ》んでいる濃い眉《まゆ》、そして何よりも不思議なのは、羽二重《はぶたえ》で紅綿《べにわた》を包んだ様に、ほんのりと色づいている、微妙な耳の魅力でございました。その花《はな》やかな、情慾的な顔が、時代のために幾分色があせて、唇の外《ほか》は妙に青ざめ、手垢《てあか》がついたものか、滑《なめら》かな肌がヌメヌメと汗ばんで、それゆえに、一層悩ましく、艶《なまめ》かしく見えるのでございます。
薄暗く、樟脳臭い、土蔵の中で、その人形を見ました時には、ふっくらと恰好よくふくらんだ乳のあたりが、呼吸をして、今にも唇がほころびそうで、その余りの生々しさに私はハッと身震《みぶるい》を感じたほどでありました。
まあ何ということでございましょう、私の夫は、命のない、冷たい人形を恋していたのでございます。この人形の不思議な魅力を見ましては、もう、その外に謎の解き様はありません。人嫌いな夫の性質、蔵の中の睦言、長持の蓋のしまる音、姿を見せぬ相手の女、色々の点を考え合せて、その女と申すのは、実はこの人形であったと解釈する外はないのでございます。
これは後になって、二三の方から伺ったことを、寄せ集めて、想像しているのでございますが、門野は生れながらに夢見勝ちな、不思議な性癖を持っていて、人間の女を恋する前に、ふとしたことから、長持の中の人形を発見して、それの持つ強い魅力に魂を奪われてしまったのでございましょう。あの人は、ずっと最初から、蔵の中で本なぞ読んではいなかったのでございます。ある方から伺いますと、人間が人形とか仏像とかに恋したためしは、昔から決して少くはないと申します。不幸にも私の夫がそうした男で、更に不幸なことには、その夫の家に偶然稀代《きだい》の名作人形が保存されていたのでございます。
人でなしの恋、この世の外《ほか》の恋でございます。その様な恋をするものは、一方では、生きた人間では味わうことの出来ない、悪夢の様な、或は又お伽噺の様な、不思議な歓楽に魂をしびらせながら、しかし又一方では、絶え間なき罪の苛責《かしゃく》に責められて、どうかしてその地獄を逃れたいと、あせりもがくのでございます。門野が、私を娶《めと》ったのも、無我夢中に私を愛しようと努めたのも、皆そのはかない苦悶《くもん》の跡に過ぎぬのではございませんか。そう思えば、あの睦言の「京子に済まぬ云々《うんぬん》」という、言葉の意味も解けて来るのでございます。夫が人形のために女の声色を使っていたことも、疑う余地はありません。ああ、私は、何という月日の下《もと》に生れた女でございましょう。
さて、私の懺悔《ざんげ》話と申しますのは、実はこれからあとの、恐ろしい出来事についてでございます。長々とつまらないおしゃべりをしました上に「まだ続きがあるのか」と、さぞうんざりなさいましょうが、いいえ、御心配には及びません。その要点と申しますのは、ほんの僅かな時間で、すっかりお話出来ることなのでございますから。
びっくりなすってはいけません。その恐ろしい出来事と申しますのは、実はこの私が人殺しの罪を犯したお話でございます。その様な大罪人が、どうして処罰をも受けないで安穏《あんのん》に暮しているかと申しますと、その人殺しは私自身直接に手を下した訳でなく、いわば間接の罪なものですから、たとえあの時私がすべてを自白していましても、罪を受けるほどのことはなかったのでございます。とはいえ、法律上の罪はなくとも、私は明かにあの人を死に導いた下手人《げしゅにん》でございます。それを、娘心のあさはかにも、一時の恐れにとりのぼせて、つい白状しないで過ごしましたことは、返す返すも申訳《もうしわけ》なく、それ以来ずっと今日《こんにち》まで、私は一夜としてやすらかに眠ったことはありません。今こうして懺悔話をいたしますのも、亡き夫への、せめてもの罪亡《つみほろ》ぼしでございます。
しかし、その当時の私は、恋に目がくらんでいたのでございましょう。私の恋敵《こいがたき》が、相手もあろうに生きた人間ではなくて、いかに名作とはいえ、冷い一個の人形だと分りますと、そんな無生《むしょう》の泥人形に見返られたかと、もう口惜しくて口惜しくて、口惜しいよりは畜生道《ちくしょうどう》の夫の心が浅間《あさま》しく、もしこの様な人形がなかったなら、こんなことにもなるまいと、はては立木という人形師さえうらめしく思われるのでございます。エエ、ままよこの人形奴《め》の、艶かしい這面《しゃっつら》を、叩きのめし、手足を引《ひっ》ちぎってしまったなら、門野とてまさか相手のない恋も出来はすまい。そう思うと、もう一ときも猶予《ゆうよ》がならず、その晩、念のために、もう一度夫と人形とのおう瀬を確めた上、翌早朝、蔵の二階へ駈上って、とうとう人形を滅茶滅茶《めちゃめちゃ》に引ちぎり目も鼻も口も分らぬ様に叩きつぶしてしまったのでございます。こうして置いて、夫のそぶりを注意すれば、まさかそんな筈はないのですけれど私の想像が間違っていたかどうかも分る訳なのでございます。
そうして丁度人間の轢死人《れきしにん》の様に、人形の首、胴、手足とばらばらになって、昨日に変る醜いむくろをさらしているのを見ますと、私はやっと胸をさすることが出来たのでございます。
その夜、何も知らぬ門野は、又しても私の寐息《ねいき》を窺いながら、雪洞をつけて、縁外《えんそと》の闇へと消えました。申すまでもなく人形とのおう瀬を急ぐのでございます。私は眠ったふりをしながら、そっとその後姿を見送って、一応は小気味のよい様な、しかし又何となく悲しい様な、不思議な感情を味わったことでございます。
人形の死骸を発見した時、あの人はどの様な態度を示すでしょう。異常な恋の恥かしさに、そっと人形のむくろを取り片づけて、そ知らぬふりをしているか、それとも、下手人を探し出して、怒《おこ》りつけるか、怒《いか》りのまま叩かれようと、怒鳴《どな》られようと、もしそうであったなら、私はどんなに嬉しかろう。門野が怒《おこ》るからには、あの人は人形と恋なぞしていなかったしるしなのですもの。私はもう気もそぞろに、じっと耳をすまして、土蔵の中の気勢を窺ったのでございます。
そうして、どれほど待ったことでしょう。待っても待っても、夫は帰って来ないのでございます。壊《こわ》れた人形を見た上は、蔵の中に何の用事もない筈のあの人が、もういつもほどの時間もたったのになぜ帰って来ないのでしょう。もしかしたら、相手はやっぱり人形ではなくて、生きた人間だったのでありましょうか。それを思うと気が気でなく、私はもう辛抱がしきれなくて、床《とこ》から起き上りますと、もう一つの雪洞を用意して、闇のしげみを蔵の方へと走るのでございました。
蔵の梯子段を駈上りながら、見れば例の落し戸は、いつになく開いたまま、それでも上には雪洞がともっていると見え、赤茶けた光りが、階段の下までも、ぼんやり照しております。ある予感にハッと胸を躍《おど》らせて、一飛びに階上へ飛上って、「旦那様」と叫びながら、雪洞のあかりにすかして見ますと、ああ私の不吉な予感は適中したのでございました。そこには夫のと、人形のと、二つのむくろが折り重なって、板《いた》の間《ま》は血潮《ちしお》の海、二人のそばに家重代《いえじゅうだい》の名刀が、血を啜《すす》ってころがっているのでございます。人間と土くれとの情死、それが滑稽に見えるどころか、何とも知れぬ厳粛《げんしゅく》なものが、サーッと私の胸を引しめて、声も出ず涙も出ず、ただもう茫然《ぼうぜん》と、そこに立ちつくす外はないのでございました。
見れば、私に叩きひしがれて、半《なかば》残った人形の唇から、さも人形自身が血を吐いたかの様に、血潮の飛沫が一しずく、その首を抱いた夫の腕の上へタラリと垂れて、そして人形は、断末魔《だんまつま》の不気味な笑いを笑っているのでございました。
底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四巻」春陽堂
1926(大正15)年9月26日発行
初出:「サンデー毎日」大阪毎日新聞社
1926(大正15)年10月1日
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
※「怒」に対するルビの「おこ」と「いか」の混在は底本通りです。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:まつもこ
2018年6月27日作成
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