桜さく島

author: 竹久 夢二

路《みち》

青《あを》い野原《のはら》のなかを、白《しろ》い路《みち》がながく/\つヾいた。

母《はヽ》とも姉《あね》とも乳母《うば》とも、いまはおぼえもない。

おぶさつたその女《をんな》が泣《な》くので、私《わたし》もさそはれてわけはしらずに、ほろ/\泣《な》いてゐた。

女《をんな》の肩《かた》に頬《ほヽ》をよせると、キモノの花模様《はなもやう》が涙《なみだ》のなかに咲《さ》いたり蕾《つぼ》んだりした、白《しろ》い花片《はなびら》が芝居《しばゐ》の雪《ゆき》のやうに青《あほ》い空《そら》へちら/\と光《ひか》つては消《き》えしました。

黄楊《つげ》のさし櫛《ぐし》がおちたのかと思《おも》つたら、それは|三ヶ月《みかづき》だつた。

黒髪《くろかみ》のかげの根付《ねづけ》の珠《たま》は、空《そら》へとんでいつては青《あを》く光《ひか》つた。

また赤《あか》い簪《かんざし》のふさは、ゆら/\とゆれるたんびに草原《くさはら》へおちては狐扇《きつねあふぎ》の花《はな》に化《ば》けた。

少年《せうねん》の不可思議《ふかしぎ》な夢《ゆめ》は、白《しろ》い路《みち》をはてしもなく辿《たど》つた。

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死《し》

花道《はなみち》のうへにかざしたつくり桜《ざくら》の間《あひだ》から、涙《なみだ》ぐむだカンテラが数《かず》しれずかヾやいてゐた。はやしがすむのをきっかけに、あの世《よ》からひヾいてくるかとおもはれるやうなわびしい釣鐘《つりがね》の音《ね》がきこえる。

金《きん》の小鳥《ことり》のやうないたいけな姫君《ひめぎみ》は、百日鬘《ひやくにちかつら》の山賊《さんぞく》がふりかざした刃《やいば》の下《した》に手《て》をあはせて、絶《た》えいる声《こえ》にこの世《よ》の暇乞《いとまごひ》をするのであつた。

「南《な》 無《む》 阿《あ》 弥《み》 陀《だ》 仏《ぶつ》」

きらりと光《ひか》る金属《きんぞく》のもとに、黒髪《くろかみ》うつくしい襟足《えりあし》ががっくりとまへにうちのめつた。血汐《ちしほ》のしたヽる生首《なまくび》をひっさげた山賊《さんぞく》は、黒《くろ》い口《くち》をゆがめてから/\からと打笑《うちわら》つた。

あヽお姫様《ひいさま》は斬《き》られたのか。

それは少年《せうねん》のためには「死《し》の最初《さいしよ》の発見《はつけん》」であつた。

もう姫君《ひめぎみ》は死《し》んだのだ、死《し》んでしまへば、もうこの世《よ》で花《はな》も、鳥《とり》も、歌《うた》も、再《ふたヽ》びきくこともみることもできないのだ。

涙《なみだ》は少年《せうねん》の胸《むね》をこみあげこみあげ頬《ほ》をながれた。

「死顔《しにがほ》」も「黒《くろ》き笑《わらひ》も」泪《なみだ》にとけて、カンテラの光《ひかり》のなかへぎらぎらときえていつた、舞台《ぶたい》も桟敷《さじき》も金色《こんじき》の波《なみ》のなかにたヾよふた。

その時《とき》、黒装束《くろせうぞく》に覆面《ふくめん》した怪物《くわいぶつ》が澤村路之助丈えと染《そ》めぬいた幕《まく》の裏《うら》からあらはれいでヽ赤《あか》い毛布《けつと》をたれて、姫君《ひめぎみ》の死骸《しがい》をば金泥《きんでい》の襖《ふすま》[#ルビの「ふすま」は底本では「うすま」]のうらへと掃《は》いていつてしまつた。

死《し》んだのではない、死《し》んだのではない、あれは芝居《しばゐ》といふものだと母《はヽ》は泪《なみだ》をふいてくれた。

さうして少年《せうねん》のやぶれた心《こヽろ》はつくのはれたけれど、舞台《ぶたい》のうへで姫君《ひめぎみ》のきられたといふことは忘《わす》れられない記臆《きおく》であつた。また赤毛布《あかけつと》の裡《うら》をば、死《し》んだ姫君《ひめぎみ》が歩《ある》いたのも、不可思儀《ふかしぎ》な発見《はつけん》であつた。

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傀儡師《くわいらいし》

…………大阪《おほさか》をたちのいても、わたしが姿《すがた》眼《め》に

    たてば、借行輿《かりかご》に日《ひ》をおくり………………

口三味線《くちさみせん》の浄瑠璃《じやうるり》が庭《には》の飛石《とびいし》づたひにちかづいてくるのを、すぐ私《わたし》どもはきヽつけました。五十三次《つぎ》の絵双六《ゑすごろく》をなげだして、障子《しやうじ》を細目《ほそめ》にあけた姉《あね》の袂《たもと》のしたからそつと外面《とのも》をみました。

四十ばかりの漢《をとこ》でした、頭《あたま》には浅黄《あさぎ》のヅキンをかぶり、身《み》には墨染《すみぞめ》のキモノをつけ、手《て》も足《あし》もカウカケにつヽんでゐました、その眼《め》は、遠《とほ》い国《くに》の藍《あを》い海《うみ》をおもはせるやうにかヾやいてゐました。棒《ばう》のさきには、鎧《よろい》をきたサムライや、赤《あか》い振袖《ふりそで》をきたオイランがだらりと首《くび》も手《て》をたれてゐました。

漢《をとこ》は自分《じぶん》のかたる浄瑠璃《じやうるり》に、さも情《じやう》がうつったやうな身振《みぶり》をして人形《にんぎやう》をつかつてゐました。

赤《あか》い襠《しかけ》をきた人形《にんぎやう》は、白《しろ》い手拭《てぬぐひ》のしたに黒《くろ》い眸《ひとみ》をみひらいて、遠《とほ》くきた旅《たび》をおもひやるやうに顔《かほ》をふりあげました。

…………奈良《なら》の旅籠《はたご》や三輪《みわ》の茶屋《ちやや》…………

    五日《か》、三日《か》夜《よ》をあかし…………

と指《ゆび》おりかぞえ

…………二十日《はつか》あまりに四十両《りやう》、つかひはたし

    て二歩《ぶ》のこる、金《かね》ゆへ大事《だいじ》の忠兵衛《ちゆうべえ》さ

    ん…………

といつて、傍《かたは》らに首《くび》をたれた忠兵衛《ちゆうべえ》をみやつたガラスの眼《め》には泪《なみだ》があるのかとおもはれました。

…………科人《とがにん》にしたもわたしから、さぞにくかろう

    お腹《はら》もたとう…………

思《おも》ひせまつて梅川《うめかは》は、袖《たもと》をだいてよろ/\よろ、私《わたし》の方《はう》へよろめいて、はつと踏《ふ》みとまつて、手《て》をあげた時《とき》、白《しろ》い指《ゆび》がかちりと鳴《な》つたのです。

私《わたし》は泣《な》きながら奥《おく》へはしりこみました。

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阿波鳴門順礼歌《あはのなるとじゅんれいうた》

ふる里《さと》をはる/″\

こヽに紀三井寺《きみいでら》

花《はな》の都《みやこ》も近《ちか》くなるらん

「お鶴《つる》は死《しな》ないんですねえ、母様《かあさま》」

「さいなあ、阿波《あは》の鳴門《なると》をこえて観音様《くわんのんさま》のお膝許《ひざもと》へいきやつたといのう」

「でも、お鶴《つる》はお祖母様《ばあさん》の手紙《てがみ》を母様《かあさま》にみせたの」

「さいなあ、お鶴《つる》の母御《はヽご》は、その手紙《てがみ》をお鶴《つる》の懐《ふところ》からとりだして読《よ》みながらよみながらお泣《なき》やつたといのう」

「母様《かあさま》、お鶴《つる》は死《し》んだの」

「なんの、死《し》ぬものぞいの。お鶴《つる》は観音様《くわんのんさま》のお膝許《ひざもと》へいつたのやがな」

「母様《かあさま》、お鶴《つる》はなんて言《い》つて歌《うた》つたの」

賽《さい》の河原《かはら》で砂手本《すなてほん》

一ツつんでは母《はヽ》のため

二ツつんでは父《ちヽ》のため

三千世界《さんぜんせかい》の親《おや》と子《こ》が

死出《しで》の旅路《たびぢ》をふだらくや

あすの夜《よ》たれか添乳《そへぢ》せん

「か……母様《かあさま》」

「なあに」

「お……お鶴《つる》は死《しな》ないんですねえ」

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母《はヽ》

二人《ふたり》の少年《せうねん》が泊《とま》つた家《いへ》は、隣村《りんそん》にも名《な》だたる豪家《がうか》であつた。門《もん》のわきには大《おほ》きな柊《ひいらぎ》の木《き》が、青《あを》い空《そら》にそヽりたつてゐた。

私《わたし》どもは柱《はしら》や障子《しやうじ》の骨《ほね》の黒《くろ》ずんだ隔座敷《ざしき》へとほされた。床《とこ》には棕梠《しゆろ》をかいた軸《ぢく》が掛《かヽ》つてゐたのをおぼえてゐる。

「健作《けんさく》の母《はヽ》でございます。学校《がつかう》ではもう常住《じやうぢう》健作《けんさく》がお世話様《せわさま》になりますとてね」

とお母様《かあさま》は言《い》はれて、私《わたし》の顔《かほ》をしみ/″\情《なさけ》ぶかい眸《ひとみ》でみられた。

私《わたし》は眼《め》をふせて、まへにおかれた初霜《はつしも》の皿《さら》の模様《もやう》へ視線《しせん》をやつてゐました。

「まあ」

と、思《おも》ひもかけぬ声《こえ》におどろいて、私《わたし》ははっと顔《かほ》をあげたのです。

お母様《かあさま》は、はしたない行《おこな》ひをおしつつむやうに

「草之助《さうのすけ》さんでござんしたか。ま、おほきくおなりやしたことわい、なんぼにおなりやんしたえ」

「十二です」

「まあそんなになりますかいなあ」と夢《ゆめ》みる眸《まなざし》をあげて「ようまあ、よつてくださんした」

思《おも》ひいつてこういはれた言葉《ことば》に、曾《かつ》ておもひもしらぬ感激《かんげき》をおぼえて、私はしみ/″\とよそのおばさんをみました。歯《は》を黒《くろ》くそめて眉《まゆ》の青《あほ》い人《ひと》で、その眼《め》には泪《なみだ》があつた。

縁側《えんがは》で南天《なんてん》の実《み》をみてゐたら、おばさんはうしろから私《わたし》の肩《かた》を袖《そで》で抱《だ》いて

「おばあさんもおたつしやですかえ」

ときかれた。

千代紙《よがみ》や江戸絵《えどゑ》をお土産《みやげ》にもらつて、明《あく》る日《ひ》、村《むら》へかへつてきました。

祭《まつり》の日《ひ》が暮《く》れて友達《ともだち》のうちへ泊《とま》つた一分始終《いちぶしヾう》を祖母《ばヾ》に話《はな》してきかせました。すると、祖母《ばヾ》は眼《め》をみはつて、そのかたは父《ちヽ》の最初《まへ》の「つれあひ」だつたと驚《おどろ》かれました。

この日《ひ》から、少年《せいねん》のちいさい胸《むね》には大《おほ》きな黒《くろ》い塊《かたまり》がおかれました。妬《ねた》ましさににて嬉《うれし》く、悲《かな》しさににて懐《なつか》しい物思《ものおもひ》をおぼえそめたのです。蔵《くら》のまへのサボテンのかげにかくれては私《わたし》とおなしに眼《め》のわきに黒子《ほくろ》のある、なつかしいその人《ひと》のことを、人しれず思《おも》ひやるならはせとなつたのです。ですが私《わたし》は、その人《ひと》が私《わたし》の「生《う》みの母《はヽ》」であるといふことをたしかめるのを恐《おそ》れました。やつぱりよそのおばさんです。私は、さう思つてゐねばなりませんでした。

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窓《まど》のムスメ

中窓《ちうまど》の欄干《てすり》にもたれて雨《あま》だれをみてゐるムスメがあつた。

肩揚《かたあげ》のある羽織《はおり》には、椿《つばき》の模様《もやう》がついてゐた。髪《かみ》はおたばこぼんにゆつてゐたやうに思《おも》はれる。

俯向《うつむ》いてゐたゆえ、顔《かほ》はどんなであつたかそれはわからない。

けれど、五月雨《さみだれ》の頃《ころ》とて、淡青《ほのあを》い空気《くうき》にへだてられたその横顔《よこがほ》はほのかに思《おも》ひうかぶ。

戸外《とのも》にはカリンの木《き》がうはつて、淡紅《うすくれなゐ》の花《はな》の香《か》が暗《くら》い雨《あめ》の庭《には》にたちまよふてゐた。

それが何時《いつ》であつたとも、そのムスメが誰《たれ》であつたとも今《いま》は知《し》るよしもない。

母《はヽ》にきけど、そんな窓《まど》は見《み》たことがないといふ。

姉《あね》にきけど、そのやうなムスメは知《し》らぬといふ。

その頃《ころ》よんだリイダアなどの絵《ゑ》の女《むすめ》かとおもふけれど、それもたしかでない。

ムスメはつひに俯《うつむ》いたまヽ、いつまでも/\私《わたし》の記臆《きおく》に青白《あをじろ》い影《かげ》をなげ、灰色《はいいろ》の忘却《ばうきやく》のうへを銀《ぎん》の雨《あめ》が降《ふ》りしきる。

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炬燵《こたつ》のなか

………お庭《には》のまえの亀岡《かめをか》に

   君《きみ》をはじめてみるときは

   千代《ちよ》もへぬべき心地《ここち》して………

美迦野《みかの》さんは、炬燵布団《こたつぶとん》の綴糸《とぢいと》をまるい白《しろ》い指《ゆび》ではじきながら、離室《はなれ》の琴歌《ことうた》に声《こえ》をあはせた。

「あたしね、「黒髪《くろかみ》」をあげたらこんどは「春雨《はるさめ》」だわ。いヽわね。は る さ め…………」

「……………………」

私《わたし》はだまつて美迦野《みかの》さんの靨《えくぼ》にうつとりとみとれてゐた。

「草之助《さうのすけ》さんてば返事《へんじ》がない、いヽ嫁《よめ》さんでもとつたのかい」

「…………」私《わたし》は笑《わら》つてゐた。

「なぜだまつてるのさ。なにかおこつたの」

「うヽん」

「さ、一がさした」

「二がさした」

「三がさした」

「四がさした」

「五がさした」

「六がさした」

「七がさした」

「蜂《はち》がさした、ぶん/\ぶん………」

「いや、美迦《みか》さんはあんまりひどくつねるんだものな[#「な」は判読困難につき推定、コマ25-左-3]」

「いたかつて、ごめんなさい」

そう言《い》つて美迦野《みかの》さんは、あまへたやうにしんなりとしなだれかヽつて

「まあおかあいそうに」

と言《い》つて、赤《あか》くなつた私《わたし》の手《て》を熱《あつ》い唇《くちびる》でひつたりと吸《す》ひました。布団《ふとん》を眼深《まぶか》か[#「眼深《まぶか》か」はママ]にかぶつた小鳩《こばと》のやうに臆病《をくびやう》な少年《せうねん》はおど/\しながらも、女《おんな》のするがまヽにまかせてゐた。

少年《せうねん》は女《おんな》の顔《かほ》をみあげるのさえはづかしかつた。

底本:「桜さく島 見知らぬ世界」洛陽堂

   1912(明治45)年4月24日発行

※近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。

※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字にあらためました。

※文中の「…」は底本では1文字あたり4点ないしは5点の点線ですが、文字の幅に合わせた「…」で代用しました。

※歴史的仮名遣いから外れたものも、底本通り入力しました。

※促音「っ」の小書きの混在は底本のままとしました。

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:土屋隆

校正:田中敬三

2005年8月22日作成

2010年11月1日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

●表記について

このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
[#…]は、入力者による注を表す記号です。

●図書カード

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