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美濃部民子夫人に献ず
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美濃部民子様
わたくしは今年の秋の初に、少しの暇を得ましたので、明治卅三年から最近までに作りました自分の詩の草稿を整理し、其中から四百廿壱篇を撰んで此の一冊にまとめました。かうしてまとめて置けば、他日わたくしの子どもたちが何かの底から見附け出し、母の生活の記録の断片として読んでくれるかも知れないくらゐに考へてゐましたのですが、幸なことに、実業之日本社の御厚意に由り、このやうに印刷して下さることになりました。
ついては、奥様、この一冊を奥様に捧げさせて頂くことを、何とぞお許し下さいまし。
奥様は久しい以前から御自身の園にお手づからお作りになつてゐる薔薇の花を、毎年春から冬へかけて、お手づからお採りになつては屡わたくしに贈つて下さいます。お女中に持たせて来て頂くばかりで無く、郊外からのお帰りに、その花のみづみづしい間にと思召して、御自身でわざわざお立寄り下さることさへ度度であるのに、わたくしは何時も何時も感激して居ます。わたくしは奥様のお優しいお心の花であり匂ひであるその薔薇の花に、この十年の間、どれだけ励まされ、どれだけ和らげられてゐるか知れません。何時も何時もかたじけないことだと喜んで居ます。
この一冊は、決して奥様のお優しいお心に酬い得るもので無く、奥様から頂くいろいろの秀れた美くしい薔薇の花に比べ得るものでも無いのですが、唯だわたくしの一生に、折にふれて心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩ですけれども、わたくしと云ふ素人の手作りである点だけが奥様の薔薇と似てゐることに由つて、この光も香もない一冊をお受け下さいまし。
永い年月に草稿が失はれたので是れに収め得なかつたもの、また意識して省いたものが併せて二百篇もあらうと思ひます。今日までの作を総べて整理して一冊にしたと云ふ意味で「全集」の名を附けました。制作の年代が既に自分にも分らなくなつてゐるものが多いので、ほぼ似寄つた心情のものを類聚して篇を分ちました。統一の無いのはわたくしの心の姿として御覧を願ひます。
山下新太郎先生が装幀のお筆を執つて下さいましたことは、奥様も、他の友人達も、一般の読者達も、共に喜んで下さいますことと思ひます。
與謝野晶子
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装幀 山下新太郎先生
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與謝野晶子
晶子詩篇全集
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雲片片
(小曲五十六章)
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[#ここから2段組み]
如何《いか》なれば草よ、
風吹けば一方《ひとかた》に寄る。
人の身は然《しか》らず、
己《おの》が心の向き向きに寄る。
何《なに》か善《よ》き、何《なに》か悪《あ》しき、
知らず、唯《た》だ人は向き向き。
わが家《いへ》の天井に鼠《ねずみ》栖《す》めり、
きしきしと音するは
鑿《のみ》とりて像を彫《きざ》む人
夜《よ》も寝ぬが如《ごと》し。
またその妻と踊りては
廻るひびき
競馬の勢《きほひ》あり。
わが物書く上に
屋根裏の砂ぼこり
はらはらと散るも
彼等いかで知らん。
されど我は思ふ、
我は鼠《ねずみ》と共に栖《す》めるなり、
彼等に食ひ物あれ、
よき温かき巣あれ、
天井に孔《あな》をも開《あ》けて
折折《をりをり》に我を覗《のぞ》けよ。
わが心、程《ほど》を踰《こ》えて
高ぶり、他《た》を凌《しの》ぐ時、
何時《いつ》も何時《いつ》も君を憶《おも》ふ。
わが心、消えなんばかり
はかなげに滅入《めい》れば、また
何時《いつ》も何時《いつ》も君を憶《おも》ふ。
つつましく、謙《へりくだ》り、
しかも命と身を投げ出《い》だして
人と真理の愛に強き君、
ああ我が賀川豐彦《とよひこ》の君。
時として独《ひとり》を守る。
時として皆と親《したし》む。
おほかたは険《けは》しき方《かた》に
先《ま》づ行《ゆ》きて命傷つく。
こしかたも是《こ》れ、
行《ゆ》く末《すゑ》も是《こ》れ。
許せ、我が斯《か》かる気儘《きまゝ》を。
野の秋更けて、露霜《つゆしも》に
打たるものの哀れさよ。
いよいよ赤む蓼《たで》の茎、
黒き実まじるコスモスの花、
さてはまた雑草のうら枯《か》れて
斑《まだら》を作る黄と緑。
唯《た》だ一事《ひとこと》の知りたさに
彼《か》れを読み、其《そ》れを読み、
われ知らず夜《よ》を更かし、
取り散らす数数《かずかず》の書の
座を繞《めぐ》る古き巻巻《まきまき》。
客人《まらうど》[#ルビの「まらうど」は底本では「まろうど」]よ、これを見たまへ、
秋の野の臥《ふ》す猪《ゐ》の床《とこ》の
萩《はぎ》の花とも。
ともに歌へば、歌へば、
よろこび身にぞ余る。
賢きも智を忘れ、
富みたるも財を忘れ、
貧しき我等も労を忘れて、
愛と美と涙の中に
和楽《わらく》する一味《いちみ》の人。
歌は長きも好《よ》し、
悠揚《いうやう》として朗《ほがら》かなるは
天に似よ、海に似よ。
短きは更に好し、
ちらとの微笑《びせう》、端的の叫び。
とにかくに楽し、
ともに歌へば、歌へば。
わが恋を人問ひ給《たま》ふ。
わが恋を如何《いか》に答へん、
譬《たと》ふれば小《ちさ》き塔なり、
礎《いしずゑ》に二人《ふたり》の命、
真柱《まばしら》に愛を立てつつ、
層《そう》ごとに学と芸術、
汗と血を塗りて固めぬ。
塔は是《こ》れ無極《むきよく》の塔、
更に積み、更に重ねて、
世の風と雨に当らん。
猶《なほ》卑《ひく》し、今立つ所、
猶《なほ》狭し、今見る所、
天《あま》つ日も多くは射《さ》さず、
寒きこと二月の如《ごと》し。
頼めるは、微《かすか》なれども
唯《た》だ一つ内《うち》なる光。
わが行《ゆ》く路《みち》は常日頃《つねひごろ》
三人《みたり》四人《よたり》とつれだちぬ、
また時として唯《た》だ一人《ひとり》。
一人《ひとり》行《ゆ》く日も華やかに、
三人《みたり》四人《よたり》と行《ゆ》くときは
更にこころの楽《たのし》めり。
我等は選《え》りぬ、己《おの》が路《みち》、
一《ひと》すぢなれど己《おの》が路《みち》、
けはしけれども己《おの》が路《みち》。
病みぬる人は思ふこと
身の病《やまひ》をば先《さ》きとして
すべてを思ふ習ひなり。
我は年頃《としごろ》恋をして
世の大方《おほかた》を後《のち》にしぬ。
かかる立場の止《や》み難《がた》し、
人に似ざれと、偏《かたよ》れど。
ここで誰《たれ》の車が困つたか、
泥が二尺の口を開《あ》いて
鉄の輪にひたと吸ひ付き、
三度《みたび》四度《よたび》、人の滑《すべ》つた跡も見える。
其時《そのとき》、両脚《りやうあし》を槓杆《こうかん》とし、
全身の力を集めて
一気に引上げた心は
鉄ならば火を噴いたであらう。
ああ、自《みづか》ら励《はげ》む者は
折折《をりをり》、これだけの事にも
その二つと無い命を賭《か》ける。
木は皆その自《みづか》らの根で
地に縛られてゐる。
鳥は朝飛んでも
日暮には巣に返される。
人の身も同じこと、
自由な魂《たましひ》を持ちながら
同じ区、同じ町、同じ番地、
同じ寝台《ねだい》に起き臥《ふ》しする。
わたしは先生のお宅を出る。
先生の視線が私の背中にある、
わたしは其《そ》れを感じる、
葉巻の香りが私を追つて来る、
わたしは其《そ》れを感じる。
玄関から御門《ごもん》までの
赤土の坂、並木道、
太陽と松の幹が太い縞《しま》を作つてゐる。
わたしはぱつと日傘を拡げて、
左の手に持ち直す、
頂いた紫陽花《あぢさゐ》の重たい花束。
どこかで蝉《せみ》が一つ鳴く。
風ふく夜《よ》なかに
夜《よ》まはりの拍子木《ひやうしぎ》の音、
唯《た》だ二片《ふたひら》の木なれど、
樫《かし》の木の堅くして、
年《とし》経《へ》つつ、
手ずれ、膏《あぶら》じみ、
心《しん》から重たく、
二つ触れては澄み入《い》り、
嚠喨《りうりやう》たる拍子木《ひやうしぎ》の音、
如何《いか》に夜《よ》まはりの心も
みづから打ち
みづから聴きて楽しからん。
部屋ごとに点《つ》けよ、
百燭《しよく》の光。
瓶《かめ》ごとに生《い》けよ、
ひなげしと薔薇《ばら》と。
慰むるためならず、
懲《こ》らしむるためなり。
ここに一人《ひとり》の女、
讃《ほ》むるを忘れ、
感謝を忘れ、
小《ちさ》き事一つに
つと泣かまほしくなりぬ。
三十を越えて未《いま》だ娶《めと》らぬ
詩人大學《だいがく》先生の前に
実在の恋人現れよ、
その詩を読む女は多けれど、
詩人の手より
誰《た》が家《いへ》の女《むすめ》か放たしめん、
マリイ・ロオランサンの扇。
城《じやう》が島《しま》の
岬のはて、
笹《さゝ》しげり、
黄ばみて濡《ぬ》れ、
その下に赤き|切《きりぎし》、
近き汀《みぎは》は瑠璃《るり》、
沖はコバルト、
ここに来て暫《しば》し坐《すわ》れば
春のかぜ我にあつまる。
トンネルを又一つ出《い》でて
海の景色かはる、
心かはる。
静浦《しづうら》の口の津。
わが敬《けい》する龍三郎《りゆうざぶらう》[#ルビの「りゆうざぶらう」は底本では「りうざぶらう」]の君、
幾度《いくたび》か此《この》水を描《か》き給《たま》へり。
切りたる石は白く、
船に当る日は桃色、
磯《いそ》の路《みち》は観《み》つつ曲る、
猶《なほ》しばし歩《あゆ》まん。
ルサイユ宮《きゆう》[#ルビの「きゆう」は底本では「きう」]を過ぎしかど、
われは是《こ》れに勝《まさ》る花を見ざりき。
牡丹《ぼたん》よ、
葉は地中海の桔梗色《ききやういろ》と群青《ぐんじやう》とを盛り重ね、
花は印度《いんど》の太陽の赤光《しやくくわう》を懸けたり。
たとひ色相《しきさう》はすべて空《むな》しとも、
何《なに》か傷《いた》まん、
牡丹《ぼたん》を見つつある間《あひだ》は
豊麗炎※《えんねつ》[#「執/れんが」、U+24360、11-上-10]の夢に我の浸《ひた》れば。
佳《よ》きかな、美《うつ》くしきかな、
矢を番《つが》へて、臂《ひぢ》張り、
引き絞りたる弓の形《かたち》。
射よ、射よ、子等《こら》よ、
鳥ならずして、射よ、
唯《た》だ彼《か》の空を。
的《まと》を思ふことなかれ、
子等《こら》と弓との共に作る
その形《かたち》こそいみじけれ、
唯《た》だ射よ、彼《か》の空を。
わが思ひ、この朝ぞ
秋に澄み、一つに集まる。
愛と、死と、芸術と、
玲瓏《れいろう》として涼し。
目を上げて見れば
かの青空《あをそら》も我《わ》れなり、
その木立《こだち》も我《わ》れなり、
前なる狗子草《ゑのころぐさ》も
涙しとどに溜《た》めて
やがて泣ける我《わ》れなり。
蓼《たで》枯れて茎猶《なほ》紅《あか》し、
竹さへも秋に黄ばみぬ。
園《その》の路《みち》草に隠れて、
草の露昼も乾かず。
咲き残るダリアの花の
泣く如《ごと》く花粉をこぼす。
童部《わらはべ》よ、追ふことなかれ、
向日葵《ひまはり》の実を食《は》む小鳥。
翅《つばさ》無き身の悲しきかな、
常にありぬ、猶《なほ》ありぬ、
大空高く飛ぶ心。
我《わ》れは痩馬《やせうま》、黙黙《もくもく》と
重き荷を負ふ。人知らず、
人知らず、人知らず。
外《よそ》の国より胆太《きもぶと》に
そつと降りたる飛行船、
夜《よ》の間《ま》に去れば跡も無し。
我はおろかな飛行船、
君が心を覗《のぞ》くとて、
見あらはされた飛行船。
六《む》もと七《なゝ》もと立つ柳、
冬は見えしか、一列の
廃墟《はいきよ》に遺《のこ》る柱廊《ちゆうらう》[#ルビの「ちゆうらう」は底本では「ちうらう」]と。
春の光に立つ柳、
今日《けふ》こそ見ゆれ、美《うつ》くしく、
これは翡翠《ひすゐ》の殿《との》づくり。
ものを知らざる易者かな、
我手《わがて》を見んと求むるは。
そなたに告げん、我がために
占ふことは遅れたり。
かの世のことは知らねども、
わがこの諸手《もろで》、この世にて、
上なき幸《さち》も、わざはひも、
取るべき限り満たされぬ。
甥《をひ》なる者の歎くやう、
「二十《はたち》越ゆれど、詩を書かず、
踊《をどり》を知らず、琴弾かず、
これ若き日と云《い》ふべきや、
富む家《いへ》の子と云《い》ふべきや。」
これを聞きたる若き叔母、
目の盲《し》ひたれば、手探りに、
甥《をひ》の手を執《と》り云《い》ひにけり、
「いと好《よ》し、今は家《いへ》を出よ、
寂《さび》しき我に似るなかれ。」
花を見上げて「悲し」とは
君なにごとを云《い》ひたまふ。
嬉《うれ》しき問ひよ、さればなり、
春の盛りの短くて、
早たそがれの青病《クロシス》が、
敏《さと》き感じにわななける
女の白き身の上に
毒の沁《し》むごと近づけば。
おもちやの熊《くま》を抱く時は
熊《くま》の兄とも思ふらし、
母に先だち行《ゆ》く時は
母より路《みち》を知りげなり。
五歳《いつゝ》に満たぬアウギユスト、
みづから恃《たの》むその性《さが》を
母はよしやと笑《ゑ》みながら、
はた涙ぐむ、人知れず。
紅梅《こうばい》と菜《な》の花を生《い》けた壺《つぼ》。
正月の卓《テエブル》に
格別かはつた飾りも無い。
せめて、こんな暇にと、
絵具箱を開《あ》けて、
わたしは下手《へた》な写生をする。
紅梅《こうばい》と菜《な》の花を生《い》けた壺《つぼ》。
唯《た》だ一つ、あなたに
お尋ねします。
あなたは、今、
民衆の中《なか》に在るのか、
民衆の外《そと》に在るのか、
そのお答《こたへ》次第で、
あなたと私とは
永劫《えいごふ》[#ルビの「えいごふ」は底本では「えいがふ」]、天と地とに
別れてしまひます。
白きレエスを透《とほ》す秋の光
木立《こだち》と芝生との反射、
外《そと》も内《うち》も
浅葱《あさぎ》の色に明るし。
立ちて窓を開けば
木犀《もくせい》の香《か》冷《ひや》やかに流れ入《い》る。
椅子《いす》の上に少しさし俯《うつ》向き、
己《おの》が手の静脈の
ほのかに青きを見詰めながら、
静かなり、今朝《けさ》の心。
歌はんとして躊躇《ためら》へり、
かかる事、昨日《きのふ》無かりき。
善《よ》し悪《あ》しを云《い》ふも慵《ものう》し、
これもまた此《この》日の心。
我《わ》れは今ひともとの草、
つつましく濡《ぬ》れて項垂《うなだ》る[#「項垂る」は底本では「頂垂る」]。
悲しみを喜びにして
爽《さわや》かに大いなる秋。
何《なん》として青く、
青く沈み入《い》る今宵《こよひ》の心ぞ。
指に挟《はさ》む筆は鉄の重味、
書きさして見詰むる紙に
水の光流る。
求めたまふや、わが歌を。
かかる寂《さび》しきわが歌を。
それは昨日《きのふ》の一《ひと》しづく、
底に残りし薔薇《ばら》の水。
それは千《ち》とせの一《ひと》かけら、
砂に埋《うも》れし青き玉《たま》。
憎む、
どの玉葱《たまねぎ》も冷《ひやゝ》かに
我を見詰めて緑なり。
憎む、
その皿の余りに白し、
寒し、痛し。
憎む、
如何《いか》なれば二方《にはう》の壁よ、
云《い》ひ合せて耳を立つるぞ。
堪《た》へ難《がた》く悲しければ
我は云《い》ひぬ「船に乗らん。」
乗りつれど猶《なほ》さびしさに
また云《い》ひぬ「月の出を待たん。」
海は閉ぢたる書物の如《ごと》く
呼び掛くること無く、
しばらくして、円《まる》き月
波に跳《をど》りつれば云《い》ひぬ、
「長き竿《さを》の欲《ほ》し、
かの珊瑚《さんご》の魚《うを》を釣る。」
鉢のなかの
活溌《くわつぱつ》な緋目高《ひめだか》よ、
赤く焼けた釘《くぎ》で
なぜ、そんなに無駄に
水に孔《あな》を開《あ》けるのか。
気の毒な先覚者よ、
革命は水の上に無い。
星が四方《しはう》の桟敷に
きらきらする。
今夜の月は支那《しな》の役者、
やさしい西施《せいし》に扮《ふん》して、
白い絹団扇《うちは》で顔を隠し、
ほがらかに秋を歌ふ。
その路《みち》をずつと行《ゆ》くと
死の海に落ち込むと教へられ、
中途で引返した私、
卑怯《ひけふ》な利口者《りこうもの》であつた私、
それ以来、私の前には
岐路《えだみち》と
迂路《まはりみち》とばかりが続いてゐる。
空には七月の太陽、
白い壁と白い河岸《かし》通りには
海から上《のぼ》る帆柱の影。
どこかで鋼鉄の板を叩《たゝ》く
船大工の槌《つち》がひびく。
私の肘《ひぢ》をつく窓には
快い南風《みなみかぜ》。
窓の直《す》ぐ下の潮は
ペパミントの酒《さけ》になる。
我を値踏《ねぶみ》す、かの人ら。
げに買はるべき我ならめ、
かの太陽に値《ね》のあらば。
先《ま》づ天《あま》つ日を、次に薔薇《ばら》、
それに見とれて時経《ときへ》しが、
疲れたる目を移さんと、
して漸《やうや》くに君を見き。
そこの椿《つばき》に木隠《こがく》れて
何《なに》を覗《のぞ》くや、春の風。
忍ぶとすれど、身じろぎに
赤い椿《つばき》の花が散る。
君の心を究《きは》めんと、
じつと黙《もだ》してある身にも
似るか、素直な春の風、
赤い笑《ゑ》まひが先に立つ。
扇を取れば舞をこそ、
筆をにぎれば歌をこそ、
胸ときめきて思ふなれ。
若き心はとこしへに
春を留《とゞ》むるすべを知る。
花屋の温室《むろ》に、すくすくと
きさくな枝の桃が咲く。
覗《のぞ》くことをば怠るな、
人の心も温室《むろ》なれば。
なみなみ注《つ》げる杯《さかづき》を
眺めて眸《まみ》の湿《うる》むとは、
如何《いか》に嬉《うれ》しき心ぞや。
いざ干したまへ、猶《なほ》注《つ》がん、
後《のち》なる酒は淡《うす》くとも、
君の知りたる酒なれば、
我の追ひ注《つ》ぐ酒なれば。
鳥羽の山より海見れば、
清き涙が頬《ほ》を伝ふ。
人この故を問はであれ、
口に云《い》ふとも尽きじかし。
知らんとならば共に見よ、
臥《ふ》せる美神《ニユス》の肌のごと
すべて微笑《ほゝゑ》む入江をば。
志摩の国こそ希臘《ギリシヤ》なれ。
弥生《やよひ》はじめの糸雨《いとさめ》に
岡《をか》の草こそ青むなれ。
雪に跳《をど》りし若駒《わかごま》の
ひづめのあとの窪《くぼ》みをも
円《まろ》く埋《うづ》めて青むなれ。
あれ、琵琶《びは》のおと、俄《には》かにも
初心《うぶ》な涙の琵琶《びは》のおと。
高い軒《のき》から、明方《あけがた》の
夢に流れる琵琶《びは》のおと。
二月の雨のしほらしや、
咲かぬ花をば恨めども、
ブリキの樋《とひ》に身を隠し、
それと云《い》はずに琵琶《びは》を弾く。
夜更《よふ》けた辻《つじ》の薄墨の
痩《や》せた柳よ、糸やなぎ。
七日《なぬか》の月が細細《ほそほそ》と
高い屋根から覗《のぞ》けども、
なんぼ柳は寂《さび》しかろ。
物思ふ身も独りぼち。
落葉《おちば》した木は|Y《ワイ》の字を
墨くろぐろと空に書き、
思ひ切つたる明星《みやうじやう》は
黄金《きん》の句点を一つ打つ。
薄く削つた白金《プラチナ》の
神経質の粉雪よ、
瘧《おこり》を慄《ふる》ふ電線に
ちくちく触《さは》る粉雪よ。
我もやうやく街に立ち、
物乞《こ》ふために歌ふなり。
ああ、我歌《わがうた》を誰《た》れ知らん、
惜しき頸輪《くびわ》の緒《を》を解きて
日毎《ひごと》に散らす珠《たま》ぞとは。
思《おもひ》は長し、尽き難《がた》し、
歌は何《いづ》れも断章《フラグマン》。
たとひ万年生きばとて
飽くこと知らぬ我なれば、
恋の初めのここちせん。
羽《はね》の斑《まだら》は刺青《いれずみ》か、
短気なやうな蝶《てふ》が来る。
今日《けふ》の入日《いりひ》の悲しさよ。
思ひなしかは知らねども、
短気なやうな蝶《てふ》が来る。
彼《か》れも取りたし、其《そ》れも欲《ほ》し、
飽かぬ心の止《や》み難《がた》し。
時は短し、身は一つ、
多く取らんは難《かた》からめ、
中に極めて優れしを
今は得んとぞ願ふなる。
されば近きをさし措《お》きて、
及ばぬ方《かた》へ手を伸ぶる。
[#ここで段組み終わり]
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小鳥の巣
(押韻小曲五十九章)
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[#ここから2段組み]
小序。詩を作り終りて常に感ずることは、我国の詩に押韻の体なきために、句の独立性の確実に対する不安なり。散文の横書にあらずやと云ふ非難は、放縦なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この欠点を救ひて押韻の新体を試みる風の起らんこと、我が年久しき願ひなり。みづから興に触れて折折に試みたる拙きものより、次に其一部を抄せんとす。押韻の法は唐以前の古詩、または欧洲の詩を参照し、主として内心の自律的発展に本づきながら、多少の推敲を加へたり。コンソナンツを避けざるは仏蘭西近代の詩に同じ。毎句に同韻を押し、または隔句に同語を繰返して韻に押すは漢土の古詩に例多し。(一九二八年春)
×
砂を掘つたら血が噴いて、
入れた泥鰌《どぢやう》が竜《りよう》になる。
ここで暫《しばら》く絶句して、
序文に凝《こ》つて夜《よ》が明けて、
覚めた夢から針が降る。
×
時に先だち歌ふ人、
しひたげられて光る人、
豚に黄金《こがね》をくれる人、
にがい笑《わらひ》を隠す人、
いつも一人《ひとり》で帰る人。
×
赤い桜をそそのかし、
風の癖《くせ》なるしのび足、
ひとりで聞けば恋慕《れんぼ》らし。
雨はもとより春の糸、
窓の柳も春の糸。
×
見る夢ならば大きかれ、
美《うつ》くしけれど遠き夢、
険《けは》しけれども近き夢。
われは前をば選びつれ、
わかき仲間は後《のち》の夢。
×
すべてが消える、武蔵野の
砂を吹きまく風の中、
人も荷馬車も風の中。
すべてが消える、金《きん》の輪の
太陽までが風の中。
×
花を抱きつつをののきぬ、
花はこころに被《かぶ》さりぬ。
論じたまふな、善《よ》き、悪《あ》しき、
何《なに》か此《この》世に分《わか》つべき。
花と我とはかがやきぬ。
×
凡骨《ぼんこつ》さんの大事がる
薄い細身の鉄の鑿《のみ》。
髪に触れても刄《は》の欠ける
もろい鑿《のみ》ゆゑ大事がる。
わたしも同じもろい鑿《のみ》。
×
林檎《りんご》が腐る、香《か》を放つ、
冷たい香《か》ゆゑ堪《た》へられぬ。
林檎《りんご》が腐る、人は死ぬ、
最後の文《ふみ》が人を打つ、
わたしは君を悲《かなし》まぬ。
×
いつもわたしのむらごころ、
真紅《しんく》の薔薇《ばら》を摘むこころ、
雪を素足で踏むこころ、
青い沖をば行《ゆ》くこころ、
切れた絃《いと》をばつぐこころ。
×
韻がひびかぬ、死んでゐる、
それで頻《しき》りに書いてみる。
皆さんの愚痴、おのが無智、
誰《た》れが覗《のぞ》いた垣の中《うち》、
戸は立てられぬ人の口。
×
泥の郊外、雨が降る、
濡《ぬ》れた竈《かまど》に木がいぶる、
踏切番が旗を振る、
ぼうぼうとした草の中
屑屋《くづや》も買はぬ人の故《ふる》。
×
指のさはりのやはらかな
青い煙の匂《にほ》やかな、
好きな細巻、名は|DIANA《デイアナ》。
命の闇《やみ》に火をつけて、
光る刹那《せつな》の夢の華。
×
青い空から鳥がくる、
野辺《のべ》のけしきは既に春、
細い枝にも花がある。
遠い高嶺《たかね》と我がこころ
すこしの雪がまだ残る。
×
槌《つち》を上げる手、鍬《くは》打つ手、
扇を持つ手、筆とる手、
炭をつかむ手、児《こ》を抱く手、
かげに隠れて唯《た》だひとつ
見えぬは天をゆびさす手。
×
高い木末《こずゑ》に葉が落ちて
あらはに見える、小鳥の巣。
鳥は飛び去り、冬が来て、
風が吹きまく砂つぶて。
ひろい野中《のなか》の小鳥の巣。
×
人は黒黒《くろぐろ》ぬり消せど
すかして見える底の金《きん》。
時の言葉は隔《へだ》つれど
冴《さ》ゆるは歌の金《きん》の韻。
ままよ、暫《しばら》く隅《すみ》に居ん。
×
いつか大きくなるままに
子らは寝に来《こ》ず、母の側《そば》。
母はまだまだ云《い》ひたきに、
金《きん》のお日様、唖《おし》の驢馬《ろば》、
おとぎ噺《ばなし》が云《い》ひたきに。
×
ふくろふがなく、宵になく、
山の法師がつれてなく。
わたしは泣かない気でゐれど、
からりと晴れた今朝《けさ》の窓
あまりに青い空に泣く。
×
おち葉した木が空を打ち、
枝も小枝も腕を張る。
ほんにどの木も冬に勝ち、
しかと大地《たいち》に立つてゐる。
女ごころはいぢけがち。
×
玉葱《たまねぎ》の香《か》を嗅《か》がせても
青い蛙《かへる》はむかんかく。
裂けた心を目にしても
廿《にじふ》世紀は横を向く、
太陽までがすまし行《ゆ》く。
×
話は春の雪の沙汰《さた》、
しろい孔雀《くじやく》のそだてかた、
巴里《パリイ》の夢をもたらした
荻野《をぎの》綾子《あやこ》の宵の唄《うた》、
我子《わがこ》がつくる薔薇《ばら》の畑《はた》。
×
誰《た》れも彼方《かなた》へ行《ゆ》きたがる、
明るい道へ目を見張る、
おそらく其処《そこ》に春がある。
なぜか行《ゆ》くほどその道が
今日《けふ》のわたしに遠ざかる。
×
青い小鳥のひかる羽《はね》、
わかい小鳥の躍る胸、
遠い海をば渡りかね、[#「渡りかね、」は底本では「渡りかね、」」]
泣いてゐるとは誰《だ》れが知ろ、
まだ薄雪の消えぬ峰。
×
つうちで象をつうくつた[#「つうくつた」は底本では「つくつた」]、
大きな象が目に立つた、
象の祭がさあかえた、
象が俄《には》かに吼《ほ》えだした、
吼《ほ》えたら象がこおわれた。
×
まぜ合はすのは目ぶんりやう、
その振るときのたのしさう。
かつくてえるのことでない、
わたしの知つたことでない、
若い手で振る無産党。
×
鳥を追ふとて安壽姫《あんじゆひめ》、
母に逢《あ》ひたや、ほおやらほ。
わたしも逢《あ》ひたや、猶《なほ》ひと目、
載せて帰らぬ遠い夢、
どこにゐるやら、真赤《まつか》な帆。
×
鳥屋が百舌《もず》を飼はぬこと、
そのひと声に百鳥《ももどり》が
おそれて唖《おし》に変ること、
それに加へて、あの人が
なぜか折折《をりをり》だまること。
×
逆《さか》しに植ゑた戯れに
あかい芽をふく杖《つゑ》がある。
指を触れたか触れぬ間《ま》に
石から虹《にじ》が舞ひあがる。
寝てゐた豹《へう》の目が光る。
×
われにつれなき今日《けふ》の時、
花を摘み摘み行《ゆ》き去りぬ。
唯《た》だやさしきは明日《あす》の時、
われに著《き》せんと、光る衣《きぬ》
千《ち》とせをかけて手に編みぬ。
×
がらすを通し雪が積む、
こころの桟《さん》に雪が積む、
透《す》いて見えるは枯れすすき、
うすい紅梅《こうばい》、やぶつばき、
青いかなしい雪が積む。
×
はやりを追へば切りがない、
合言葉をばけいべつせい。
よくも揃《そろ》うた赤インキ、
ろしあまがひの左書《ひだりが》き、
先《ま》づは二三日《にさにち》あたらしい。
×
うぐひす、そなたも雪の中、
うぐひす、そなたも悲しいか。
春の寒さに音《ね》が細る、
こころ余れど身が凍《こほ》る。
うぐひす、そなたも雪の中。
×
あまりに明るい、奥までも
開《あ》けはなちたるがらんだう、
つばめの出入《でいり》によけれども
ないしよに逢《あ》ふになんとせう、
闇夜《やみよ》も風が身に沁《し》まう。
×
摘め、摘め、誰《た》れも春の薔薇《ばら》、
今日《けふ》の盛りの紅《あか》い薔薇《ばら》、
今日《けふ》に倦《あ》いたら明日《あす》の薔薇《ばら》、
とがるつぼみの青い薔薇《ばら》、
摘め、摘め、誰《た》れも春の薔薇《ばら》。
×
己《おの》が痛さを知らぬ虫、
折れた脚《あし》をも食《は》むであろ。
人の言葉を持たぬ牛、
云《い》はずに死ぬることであろ。
ああ虫で無し、牛でなし。
×
夢にをりをり蛇を斬《き》る、
蛇に巻かれて我が力
為《し》ようこと無しに蛇を斬《き》る。
それも苦しい夢か知ら、
人が心で人を斬《き》る。
×
身を云《い》ふに過ぐ、外《ほか》を見よ、
黙黙《もくもく》として我等あり、
我が痛さより痛きなり。
他《た》を見るに過ぐ、目を閉ぢよ、
乏しきものは己《おの》れなり。
×
論ずるをんな糸採《と》らず、
みちびく男たがやさず、
大学を出ていと賢《さか》し、
言葉は多し、手は白し、
之《こ》れを耻《は》ぢずば何《なに》を耻《は》づ。
×
人に哀れを乞《こ》ひて後《のち》、
涙を流す我が命。
うら耻《はづ》かしと知りながら、
すべて貧しい身すぎから。
ああ我《わ》れとても人の中《うち》。
×
浪《なみ》のひかりか、月の出か、
寝覚《ねざめ》を照《てら》す、窓の中。
遠いところで鴨《かも》が啼《な》き、
心に透《とほ》る、海の秋。
宿は岬の松の岡《をか》。
×
十国《じつこく》峠、名を聞いて
高い所に来たと知る。
世《よ》離《はな》れたれば、人を見て
路《みち》を譲らぬ牛もある。
海に真赤《まつか》な日が落ちる。
×
すべての人を思ふより、
唯《た》だ一人《ひとり》には背《そむ》くなり。
いと寂《さび》しきも我が心、
いと楽しきも我が心。
すべての人を思ふより。
×
雲雀《ひばり》は揚がる、麦生《むぎふ》から。
わたしの歌は涙から。
空の雲雀《ひばり》もさびしかろ、
はてなく青いあの虚《うつ》ろ、
ともに已《や》まれぬ歌ながら。
×
鏡の間《ま》より出《い》づるとき、
今朝《けさ》の心ぞやはらかき。
鏡の間《ま》には塵《ちり》も無し、
あとに静かに映れかし、
鸚哥《インコ》の色の紅《べに》つばき。
×
そこにありしは唯《た》だ二日、
十和田の水が其《そ》の秋の
呼吸《いき》を猶《なほ》する、夢の中。
痩《や》せて此頃《このごろ》おもざしの
青ざめゆくも水ゆゑか。
×
つと休らへば素直なり、
藤《ふぢ》のもとなる低き椅子《いす》。
花を透《とほ》して日のひかり
うす紫の陰影《かげ》を着《き》す。
物みな今日《けふ》は身に与《くみ》す。
×
海の颶風《あらし》は遠慮無し、
船を吹くこと矢の如《ごと》し。
わたしの船の上がるとき、
かなたの船は横を向き、
つひに別れて西ひがし。
×
笛にして吹く麦の茎、
よくなる時は裂ける時。
恋の脆《もろ》さも麦の笛、
思ひつめたる心ゆゑ
よく鳴る時は裂ける時。
×
地獄の底の火に触れた、
薔薇《ばら》に埋《うづ》まる床《とこ》に寝た、
金《きん》の獅子《しし》にも乗り馴《な》れた、
天《てん》に中《ちう》する日も飽《あ》いた、
己《おの》が歌にも聞き恍《ほ》れた。
×
春風《はるかぜ》の把《と》る彩《あや》の筆
すべての物の上を撫《な》で、
光と色に尽《つく》す派手。
ことに優れてめでたきは
牡丹《ぼたん》の花と人の袖《そで》。
×
涙に濡《ぬ》れて火が燃えぬ。
今日《けふ》の言葉に気息《いき》がせぬ、
絵筆を把《と》れど色が出ぬ、
わたしの窓に鳥が来《こ》ぬ、
空には白い月が死ぬ。
×
あの白鳥《はくてう》も近く来る、
すべての花も目を見はる、
青い柳も手を伸べる。
君を迎へて春の園《その》
路《みち》の砂にも歌がある。
×
大空《おほそら》ならば指ささん、
立つ波ならば濡《ぬ》れてみん、
咲く花ならば手に摘まん。
心ばかりは形無《かたちな》し、
偽りとても如何《いか》にせん。
×
人わが門《かど》を乗りて行《ゆ》く、
やがて消え去る、森の奥。
今日《けふ》も南の風が吹く。
馬に乗る身は厭《いと》はぬか、
野を白くする砂の中。
×
鳥の心を君知るや、
巣は雨ふりて冷ゆるとも
雛《ひな》を素直に育てばや、
育てし雛《ひな》を吹く風も
塵《ちり》も無き日に放たばや。
×
牡丹《ぼたん》のうへに牡丹《ぼたん》ちり、
真赤《まつか》に燃えて重なれば、
いよいよ青し、庭の芝。
ああ散ることも光なり、
かくの如《ごと》くに派手なれば。[#「なれば。」は底本では「なれば、」]
×
閨《ねや》にて聞けば[#「聞けば」は底本では「聞けは」]朝の雨
半《なかば》は現実《うつゝ》、なかば夢。
やはらかに降る、花に降る、
わが髪に降る、草に降る、
うす桃色の糸の雨。
×
赤い椿《つばき》の散る軒《のき》に
埃《ほこり》のつもる臼《うす》と杵《きね》、
莚《むしろ》に干すは何《なん》の種。
少し離れて垣《かき》越《こ》しに
帆柱ばかり見える船。
×
三《み》たび曲つて上《のぼ》る路《みち》、
曲り目ごとに木立《こだち》より
青い入江《いりえ》の見える路《みち》、
椿《つばき》に歌ふ山の鳥
花踏みちらす苔《こけ》の路《みち》。
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夢と現実
(雑詩四十章)
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明日《あす》よ、明日《あす》よ、
そなたはわたしの前にあつて
まだ踏まぬ未来の
不可思議の路《みち》である。
どんなに苦しい日にも、わたしは
そなたに憬《こが》れて励《はげ》み、
どんなに楽《たのし》い日にも、わたしは
そなたを望んで踊りあがる。
明日《あす》よ、明日《あす》よ、
死と飢《うゑ》とに追はれて歩くわたしは
たびたびそなたに失望する。
そなたがやがて平凡な今日《けふ》に変り、
灰色をした昨日《きのふ》になつてゆくのを
いつも、いつもわたしは恨んで居る。
そなたこそ人を釣る好《よ》い香《にほひ》の餌《ゑさ》だ、
光に似た煙だと咀《のろ》ふことさへある。
けれど、わたしはそなたを頼んで、
祭の前夜の子供のやうに
「明日《あす》よ、明日《あす》よ」と歌ふ。
わたしの前には
まだまだ新しい無限の明日《あす》がある。
よしや、そなたが涙を、悔《くい》を、愛を、
名を、歓楽を、何《なに》を持つて来ようとも[#「来ようとも」は底本では「来やうとも」]、
そなたこそ今日《けふ》のわたしを引く力である。
わが敬《けい》する画家よ、
願《ねがは》くは、我がために、
一枚の像を描《ゑが》きたまへ。
バツクには唯《た》だ深夜の空、
無智と死と疑惑との色なる黒に、
深き悲痛の脂色《やにいろ》を交ぜたまへ。
髪みだせる裸の女、
そは青ざめし肉塊とのみや見えん。
じつと身ゆるぎもせず坐《すわ》りて、
尽きぬ涙を手に受けつつ傾く。
前なる目に見えぬ無底《むてい》の淵《ふち》を覗《のぞ》く姿勢《かたち》。
目は疲れてあり、
泣く前に、余りに現実を見たるため。
口は堅く緊《しま》りぬ、
未《いま》だ一《ひと》たびも言はず歌はざる其《そ》れの如《ごと》く。
わが敬《けい》する画家よ、
若《も》し此《この》像の女に、
明日《あす》と云《い》ふ日のありと知らば、
トワルの何《いづ》れかに黄金《きん》の目の光る一羽《いちは》の梟《ふくろふ》を添へ給《たま》へ。
されど、そは君が意に任せん、わが知らぬことなり。
さて画家よ、彩料《さいれう》には
わが好むパステルを用ひたまへ、
剥落《はくらく》と褪色《たいしよく》とは
恐らく此《この》像の女の運命なるべければ。
晶子、ヅアラツストラを一日一夜《いちにちいちや》に読み終り、
その暁《あかつき》、ほつれし髪を掻《かき》上げて呟《つぶや》きぬ、
「辞《ことば》の過ぎたるかな」と。
しかも、晶子の動悸《どうき》は羅《うすもの》を透《とほ》して慄《ふる》へ、
その全身の汗は産《さん》の夜《よ》の如《ごと》くなりき。
さて十日《とをか》経《へ》たり。
晶子は青ざめて胃弱の人の如《ごと》く、
この十日《とをか》、良人《をつと》と多く語らず、我子等《わがこら》を抱《いだ》かず。
晶子の幻《まぼろし》に見るは、ヅアラツストラの
黒き巨像の上げたる右の手なり。
茜《あかね》と云《い》ふ草の葉を搾《しぼ》れば
臙脂《べに》はいつでも採《と》れるとばかり
わたしは今日《けふ》まで思つてゐた。
鉱物からも、虫からも
立派な臙脂《べに》は採《と》れるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに真赤《まつか》な臙脂《べに》の採《と》れるのを。
アウギユスト、アウギユスト、
わたしの五歳《いつつ》になるアウギユスト、
おまへこそは「真実」の典型。
おまへが両手を拡げて
自然にする身振の一つでも、
わたしは、どうして、
わたしの言葉に訳すことが出来よう。
わたしは唯《た》だ
ほれぼれと其《そ》れを眺めるだけですよ、
喜んで目を見張るだけですよ。
アウギユスト、アウギユスト、
母の粗末な芸術なんかが
ああ、何《なん》にならう。
私はおまへに由《よ》つて知ることが出来た。
真実の彫刻を、
真実の歌を、
真実の音楽を、
そして真実の愛を。
おまへは一瞬ごとに
神変《しんぺん》不思議を示し、
玲瓏《れいろう》円転として踊り廻る。
硝子《ガラス》の外《そと》のあけぼのは
青白《あおしろ》き繭《まゆ》のここち……
今一《ひと》すぢ仄《ほの》かに
音せぬ枝珊瑚《えださんご》の光を引きて、
わが産室《うぶや》の壁を匍《は》ふものあり。
と見れば、嬉《うれ》し、
初冬《はつふゆ》のかよわなる
日の蝶《てふ》の出《い》づるなり。[#「出づるなり。」は底本では「出づるなり、」]
ここに在るは、
八《や》たび死より逃れて還《かへ》れる女――
青ざめし女われと、
生れて五日《いつか》目なる
我が藪椿《やぶつばき》の堅き蕾《つぼみ》なす娘エレンヌと
一瓶《いちびん》の薔薇《ばら》と、
さて初恋の如《ごと》く含羞《はにか》める
うす桃色の日の蝶《てふ》と……
静かに清清《すがすが》しき曙《あけぼの》かな。
尊《たふと》くなつかしき日よ、われは今、
戦ひに傷つきたる者の如《ごと》く
疲れて低く横たはりぬ。
されど、わが新しき感激は
拝日《はいにち》教徒の信の如《ごと》し、
わがさしのぶる諸手《もろで》を受けよ、
日よ、曙《あけぼの》の女王《ぢよわう》よ。
日よ、君にも夜《よる》と冬の悩みあり、
千万年の昔より幾億たび、
死の苦に堪《た》へて若返る
天《あま》つ焔の力の雄雄《をを》しきかな。
われは猶《なほ》君に従はん、
わが生きて返れるは纔《わずか》に八《や》たびのみ
纔《わづか》に八《や》たび絶叫と、血と、
死の闇《やみ》とを超えしのみ。
ああ颱風、
初秋《はつあき》の野を越えて
都を襲ふ颱風、
汝《なんぢ》こそ逞《たくま》しき大馬《おほうま》の群《むれ》なれ。
黄銅《くわうどう》の背《せな》、
鉄の脚《あし》、黄金《きん》の蹄《ひづめ》、
眼に遠き太陽を掛け、
鬣《たてがみ》に銀を散らしぬ。
火の鼻息《はないき》に
水晶の雨を吹き、
暴《あら》く斜めに、
駆歩《くほ》す、駆歩《くほ》す。
ああ抑《おさ》へがたき
天《てん》の大馬《おほうま》の群《むれ》よ、
怒《いか》れるや、
戯れて遊ぶや。
大樹《だいじゆ》は逃《のが》れんとして、
地中の足を挙げ、
骨を挫《くじ》き、手を折る。
空には飛ぶ鳥も無し。
人は怖《おそ》れて戸を鎖《さ》せど、
世を裂く蹄《ひづめ》の音に
屋根は崩れ、
家《いへ》は船よりも揺れぬ。
ああ颱風、
人は汝《なんぢ》によりて、
今こそ覚《さ》むれ、
気不精《きぶしやう》と沮喪《そさう》とより。
こころよきかな、全身は
巨大なる象牙《ざうげ》の
喇叭《らつぱ》のここちして、
颱風と共に嘶《いなゝ》く。
おお十一月、
冬が始まる。
冬よ、冬よ、
わたしはそなたを讃《たゝ》へる。
弱い者と
怠《なま》け者とには
もとより辛《つら》い季節。
しかし、四季の中に、
どうしてそなたを欠くことが出来よう。
健《すこや》かな者と
勇敢な者とが
試《た》めされる季節、
否《いな》、みづから試《た》めす季節。
おお冬よ、
そなたの灰色の空は
人を圧《あつ》しる。
けれども、常に心の曇らぬ人は
その空の陰鬱《いんうつ》に克《か》つて、
そなたの贈る
沍寒《ごかん》[#ルビの「ごかん」は底本では「ごうかん」]と、霜と、
雪と、北風とのなかに、
常に晴やかな太陽を望み、
春の香《か》を嗅《か》ぎ、
夏の光を感じることが出来る。
青春を引立てる季節、
ほんたうに血を流す
活動の季節、
意力を鞭《むち》打つ季節、
幻想を醗酵する季節、
冬よ、そなたの前に、
一人《ひとり》の厭人主義者《ミザントロオプ》も無ければ、
一人《ひとり》の卑怯《ひけふ》者も無い、
人は皆、十二の偉勲を建てた
ヘルクレスの子孫のやうに見える。
わたしは更に冬を讃《たゝ》へる。
まあ何《なん》と云《い》ふ
優しい、なつかしい他《た》の一面を
冬よ、そなたの持つてゐることぞ。
その永い、しめやかな夜《よる》。……
榾《ほだ》を焚《た》く田舎の囲炉裏《いろり》……
都会のサロンの煖炉《ストオブ》……
おお家庭の季節、夜会《やくわい》の季節
会話の、読書の、
音楽の、劇の、踊《をどり》の、
愛の、鑑賞の、哲学の季節、
乳呑児《ちのみご》のために
罎《びん》の牛乳の腐らぬ季節、
小《ち》さいセエヴルの杯《さかづき》で
夜会服《ロオブデコルテ》の
貴女《きぢよ》も飲むリキユルの季節。
とり分《わ》き日本では
寒念仏《かんねんぶつ》の、
臘八《らふはち》坐禅の、
夜業の、寒稽古《かんげいこ》の、
砧《きぬた》の、香《かう》の、
茶の湯の季節、
紫の二枚襲《がさね》に
唐織《からおり》の帯の落着く季節、
梅もどきの、
寒菊《かんぎく》の、
茶の花の、
寒牡丹《かんぼたん》の季節、
寺寺《てらでら》の鐘の冴《さ》える季節、
おお厳粛な一面の裏面《うら》に、
心憎きまで、
物の哀れさを知りぬいた冬よ、
楽《たのし》んで溺《おぼ》れぬ季節、
感性と理性との調和した季節。
そなたは万物の無尽蔵、
ああ、わたしは冬の不思議を直視した。
嬉《うれ》しや、今、
その冬が始まる、始まる。
収穫《とりいれ》の後《のち》の田に
落穂《おちほ》を拾ふ女、
日の出前に霜を踏んで
工場《こうば》に急ぐ男、
兄弟よ、とにかく私達は働かう、
一層働かう、
冬の日の汗する快さは
わたし達無産者の景福《けいふく》である。
おお十一月、
冬が始まる。
友の額《ひたひ》のうへに
刷毛《はけ》の硬さもて逆立《さかだ》つ黒髪、
その先すこしく渦巻き、
中に人差指ほど
過《あやま》ちて絵具の――
ブラン・ダルジヤンの附《つ》きしかと……
また見直せば
遠山《とほやま》の襞《ひだ》に
雪一筋《ひとすぢ》降れるかと。
然《しか》れども
友は童顔、
いつまでも若き日の如《ごと》く
物言へば頬《ほ》の染《そ》み、
目は微笑《ほゝゑ》みて、
いつまでも童顔、
年《とし》四十《しじふ》となり給《たま》へども。
年《とし》四十《しじふ》となり給《たま》へども、
若き人、
みづみづしき人、
初秋《はつあき》の陽光を全身に受けて、
人生の真紅《しんく》の木《こ》の実
そのものと見ゆる人。
友は何処《いづこ》に行《い》く、
猶《なほ》も猶《なほ》も高きへ、広きへ、
胸張りて、踏みしめて行《い》く。
われはその足音に聞き入《い》り、
その行方《ゆくへ》を見守る。
科学者にして詩人、
他《た》に幾倍する友の欲の
重《おも》りかに華やげるかな。
同じ世に生れて
相知れること二十年、
友の見る世界の片端に
我も曾《かつ》て触れにき。
さは云《い》へど、今はわれ
今はわれ漸《やうや》くに寂《さび》し。
譬《たと》ふれば我心《わがこゝろ》は
薄墨いろの桜、
唯《た》だ時として
雛罌粟《ひなげし》の夢を見るのみ。
羨《うらや》まし、
友は童顔、
いつまでも童顔、
今日《けふ》逢《あ》へば、いみじき
気高《けだか》ささへも添ひ給《たま》へる。
金糸雀《カナリア》の雛《ひな》を飼ふよりは
我子《わがこ》を飼ふぞおもしろき。
雛《ひな》の初毛《うぶげ》はみすぼらし、
おぼつかなしや、足取《あしどり》も。
盥《たらひ》のなかに湯浴《ゆあ》みする
よき肉づきの生みの児《こ》の
白き裸を見るときは、
母の心を引立たす。
手足も、胴も、面《おも》ざしも
汝《な》を飼ふ親に似たるこそ、
かの異類なる金糸雀《カナリヤ》の
雛《ひな》にまさりて親しけれ。
かくて、いつしか親の如《ごと》、
物を思はれ、物云《い》はん。
詩人、琴弾《ことひき》、医師、学者、
王、将軍にならずとも、
大船《おほふね》の火夫《くわふ》、いさなとり、
乃至《ないし》活字を拾ふとも、
我は我子《わがこ》をはぐくまん、
金糸雀《カナリヤ》の雛《ひな》を飼ふよりは。
(一九〇一年作)
いとしき、いとしき我子等《わがこら》よ、
世に生れしは禍《わざはひ》か、
誰《たれ》か之《これ》を「否《いな》」と云《い》はん。
されど、また君達は知れかし、
之《これ》がために、我等――親も、子も――
一切の因襲を超えて、
自由と愛に生き得《う》ることを、
みづからの力に由《よ》りて、
新らしき世界を始め得《う》ることを。
いとしき、いとしき我子等《わがこら》よ、
世に生れしは幸ひか、
誰《たれ》か之《これ》を「否《いな》」と云《い》はん。
いとしき、いとしき我子等《わがこら》よ、
今、君達のために、
この母は告げん。
君達は知れかし、
我等《わがら》の家《いへ》に誇るべき祖先なきを、
私有する一尺の土地も無きを、
遊惰《いうだ》の日を送る財《さい》も無きを。
君達はまた知れかし、
我等――親も子も――
行手《ゆくて》には悲痛の森、
寂寞《せきばく》の路《みち》、
その避けがたきことを。
人の身にして己《おの》が児《こ》を
愛することは天地《あめつち》の
成しのままなる心なり。
けものも、鳥も、物云《い》はぬ
木さへ、草さへ、おのづから
雛《ひな》と種《たね》とをはぐくみぬ。
児等《こら》に食《は》ません欲なくば
人はおほかた怠《おこた》らん。
児等《こら》の栄えを思はずば
人は其《その》身を慎まじ。
児《こ》の美《うつ》くしさ素直さに
すべての親は浄《きよ》まりぬ。
さても悲しや、今の世は
働く能《のう》を持ちながら、
職に離るる親多し。
いとしき心余れども
児《こ》を養はんこと難《がた》し。
如何《いか》にすべきぞ、人に問ふ。
正月を、わたしは
元日《ぐわんじつ》から月末《つきずゑ》まで
大なまけになまけてゐる。
勿論《もちろん》遊ぶことは骨が折れぬ、
けれど、外《ほか》から思ふほど
決して、決して、おもしろくはない。
わたしはあの鼠色《ねずみいろ》の雲だ、
晴れた空に
重苦しく停《とゞま》つて、
陰鬱《いんうつ》な心を見せて居る雲だ。
わたしは断《た》えず動きたい、
何《なに》かをしたい、
さうでなければ、この家《いへ》の
大勢が皆飢ゑねばならぬ。
わたしはいらいらする。
それでゐて何《なに》も手に附《つ》かない、
人知れず廻る
なまけぐせの毒酒《どくしゆ》に
ああ、わたしは中《あ》てられた。
今日《けふ》こそは何《なに》かしようと思ふばかりで、
わたしは毎日
つくねんと原稿紙《し》を見詰めてゐる。
もう、わたしの上に
春の日は射《さ》さないのか、
春の鳥は啼《な》かないのか。
わたしの内《うち》の火は消えたか。
あのじつと涙を呑《の》むやうな
鼠色《ねずみいろ》の雲よ、
そなたも泣きたかろ、泣きたかろ。
正月は唯《た》だ徒《いたづ》らに経《た》つて行《ゆ》く。
おお、寒い風が吹く。
皆さん、
もう夜明《よあけ》前ですよ。
お互《たがひ》に大切なことは
「気を附《つ》け」の一語《いちご》。
まだ見えて居ます、
われわれの上に
大きな黒い手。
唯《た》だ片手ながら、
空に聳《そび》えて動かず、
その指は
じつと「死」を[#「「死」を」は底本では「「死」と」]指してゐます。
石で圧《お》されたやうに
我我の呼吸《いき》は苦しい。
けれど、皆さん、
我我は目が覚めてゐます。
今こそはつきりとした心で
見ることが出来ます、
太陽の在所《ありか》を。
また知ることが出来ます、
華やかな朝の近づくことを。
大きな黒い手、
それは弥《いや》が上に黒い。
その指は猶《なほ》
じつと「死」を指して居ます。
われわれの上に。
わが絵師よ、
わが像を描《か》き給《たま》はんとならば、
願《ねがは》くば、ただ写したまへ、
わが瞳《ひとみ》のみを、ただ一つ。
宇宙の中心が
太陽の火にある如《ごと》く、
われを端的に語る星は、
瞳《ひとみ》にこそあれ。
おお、愛欲の焔《ほのほ》、
陶酔の虹《にじ》、
直観の電光、
芸術本能の噴水。
わが絵師よ、
紺青《こんじやう》をもて塗り潰《つ》ぶしたる布に、
ただ一つ、写したまへ、
わが金色《こんじき》の瞳《ひとみ》を。
大錯誤《おほまちがひ》の時が来た、
赤い恐怖《おそれ》の時が来た、
野蛮が濶《ひろ》い羽《はね》を伸し、
文明人が一斉に
食人族《しよくじんぞく》の仮面《めん》を被《き》る。
ひとり世界を敵とする、
日耳曼人《ゲルマンじん》の大胆さ、
健気《けなげ》さ、しかし此様《このやう》な
悪の力の偏重《へんちよう》が
調節されずに已《や》まれよか。
いまは戦ふ時である、
戦嫌《いくさぎら》ひのわたしさへ
今日《けふ》此頃《このごろ》は気が昂《あが》る。
世界の霊と身と骨が
一度に呻《うめ》く時が来た。
大陣痛《だいぢんつう》の時が来た、
生みの悩みの時が来た。
荒い血汐《ちしほ》の洗礼で、
世界は更に新しい
知らぬ命を生むであろ。
其《そ》れがすべての人類に
真の平和を持ち来《きた》す
精神《アアム》でなくて何《な》んであろ。
どんな犠牲を払う[#「払う」はママ]ても
いまは戦ふ時である。
歌はどうして作る。
じつと観《み》、
じつと愛し、
じつと抱きしめて作る。
何《なに》を。
「真実」を。
「真実」は何処《どこ》に在る。
最も近くに在る。
いつも自分と一所《いつしよ》に、
この目の観《み》る下《もと》、
この心の愛する前、
わが両手の中に。
「真実」は
美《うつ》くしい人魚、
跳《は》ね且《か》つ踊る、
ぴちぴちと踊る。
わが両手の中で、
わが感激の涙に濡《ぬ》れながら。
疑ふ人は来て見よ、
わが両手の中の人魚は
自然の海を出たまま、
一つ一つの鱗《うろこ》が
大理石《おほりせき》[#ルビの「おほりせき」はママ]の純白《じゆんぱく》のうへに
薔薇《ばら》の花の反射を持つてゐる。
みんな何《なに》かを持つてゐる、
みんな何《なに》かを持つてゐる。
後ろから来る女の一列《いちれつ》、
みんな何《なに》かを持つてゐる。
一人《ひとり》は右の手の上に
小さな青玉《せいぎよく》の宝塔。
一人《ひとり》は薔薇《ばら》と睡蓮《すいれん》の
ふくいくと香る花束。
一人《ひとり》は左の腋《わき》に
革表紙《かはべうし》の金字《きんじ》の書物。
一人《ひとり》は肩の上に地球儀。
一人《ひとり》は両手に大きな竪琴《たてごと》。
わたしには何《な》んにも無い
わたしには何《な》んにも無い。
身一つで踊るより外《ほか》に
わたしには何《な》んにも無い。
押しやれども、
またしても膝《ひざ》に上《のぼ》る黒猫。
生きた天鵝絨《びろうど》よ、
憎からぬ黒猫の手ざはり。
ねむたげな黒猫の目、
その奥から射る野性の力。
どうした機会《はずみ》[#ルビの「はずみ」は底本では「はみ」]やら、をりをり、
緑金《りよくこん》に光るわが膝《ひざ》の黒猫。
競馬の馬の打勝たんとする鋭さならで
曲馬《きよくば》の馬は我を棄《す》てし
服従の素速《すばや》き気転なり。
曲馬《きよくば》の馬の痩《や》せたるは、
競馬の馬の逞《たくま》しく美《うつ》くしき優形《やさがた》と異なりぬ。
常に飢《ひも》じきが為《た》め。
競馬の馬もいと稀《まれ》に鞭《むち》を受く。
されど寧《むし》ろ求めて鞭《むち》打たれ、その刺戟に跳《をど》る。
曲馬《きよくば》の馬の爛《たゞ》れて癒《い》ゆる間《ま》なき打傷《うちきず》と何《いづ》れぞ。
競馬の馬と、曲馬《きよくば》の馬と、
偶《たまた》ま市《いち》の大通《おほどほり》に行《ゆ》き会ひし時、
競馬の馬はその同族の堕落を見て涙ぐみぬ。
曲馬《きよくば》の馬は泣くべき暇《いとま》も無し、
慳貪《けんどん》なる黒奴《くろんぼ》の曲馬《きよくば》師は
広告のため、楽隊の囃《はや》しに伴《つ》れて彼を歩《あゆ》ませぬ……
手風琴《てふうきん》が鳴る……
そんなに、そんなに、
驢馬《ろば》が啼《な》くやうな、
鉄葉《ブリキ》が慄《ふる》へるやうな、
歯が浮くやうな、
厭《いや》な手風琴《てふうきん》を鳴らさないで下さい。
鳴らさないで下さい、
そんなに仰山《ぎやうさん》な手風琴《てふうきん》を、
近所合壁《がつぺき》から邪慳《じやけん》に。
あれ、柱の割目《われめ》にも、
電灯の球《たま》の中にも、
天井にも、卓の抽出《ひきだし》にも、
手風琴《てふうきん》の波が流れ込む。
だれた手風琴《てふうきん》、
しよざいなさの手風琴《てふうきん》、
しみつたれた手風琴《てふうきん》、
からさわぎの手風琴《てふうきん》、
鼻風邪を引いた手風琴《てふうきん》、
中風症《よい/\》の手風琴《てふうきん》……
いろんな手風琴《てふうきん》を鳴らさないで下さい、
わたしには此《この》夜中《よなか》に、
じつと耳を澄まして
聞かねばならぬ声がある……[#「……」は底本では「‥‥」]
聞きたい聞きたい声がある……
遠い星あかりのやうな声、
金髪の一筋《ひとすぢ》のやうな声、
水晶質の細い声……
手風琴《てふうきん》を鳴らさないで下さい。
わたしに還《かへ》らうとするあの幽《かす》かな声が
乱される……紛れる……
途切れる……掻《か》き消される……
ああどうしよう……また逃げて行つてしまつた……
「手風琴《てふうきん》を鳴らすな」と
思ひ切つて怒鳴《どな》つて見たが、
わたしにはもう声が無い、
有るのは真剣な態度《ゼスト》ばかり……
手風琴《てふうきん》が鳴る……煩《うる》さく鳴る……
柱も、電灯も、
天井も、卓も、瓶《かめ》の花も、
手風琴《てふうきん》に合せて踊つてゐる……
さうだ、こんな処《ところ》に待つて居ず
駆け出さう、あの闇《やみ》の方へ。
……さて、わたしの声が彷徨《さまよ》つてゐるのは
森か、荒野《あらの》か、海のはてか……
ああ、どなたでも教へて下さい、
わたしの大事な貴《たふと》い声の在処《ありか》を。
「我」とは何《なに》か、斯《か》く問へば
物みな急に後込《しりごみ》し、
あたりは白く静まりぬ。
いとよし、答ふる声なくば
みづから内《うち》に事《こと》問はん。
「我」とは何《なに》か、斯《か》く問へば
愛《あい》、憎《ぞう》、喜《き》、怒《ど》と名のりつつ
四人《よたり》の女あらはれぬ。
また智《ち》と信《しん》と名のりつつ
二人《ふたり》の男あらはれぬ。
われは其等《それら》をうち眺め、
しばらくありてつぶやきぬ。
「心の中のもののけよ、
そは皆われに映りたる
世と他人との姿なり。
知らんとするは、ほだされず
模《ま》ねず、雑《まじ》らず、従はぬ、
初生《うぶ》本来の我なるを、
消えよ」と云《い》へば、諸声《もろごゑ》に
泣き、憤《いきどほ》り、罵《のゝし》りぬ。
今こそわれは冷《ひやゝ》かに
いとよく我を見得《みう》るなれ。
「我」とは何《なに》か、答へぬも
まことあはれや、唖《おし》にして、
踊《をどり》を知れる肉なれば。
たそがれどきか、明方《あけがた》か、
わたしの泣くは決まり無し。
蛋白石色《オパアルいろ》[#「蛋白石色」は底本では「胥白石色」]のあの空が
ふつと渦巻く海に見え、
波間《なみま》に[#「波間に」は底本では「波問に」]もがく白い手の
老《ふ》けたサツフオオ、死にきれぬ
若い心のサツフオオを
ありあり眺めて共に泣く。
また虻《あぶ》が啼《な》く昼さがり、
金の箔《はく》おく連翹《れんげう》と、
銀と翡翠《ひすゐ》の象篏《ざうがん》の
丁子《ちやうじ》の花の香《か》のなかで、
|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、66-下-13]い吐息をほつと吐《つ》く
若い吉三《きちさ》の前髪を
わたしの指は撫《な》でながら、
そよ風のやうに泣いてゐる。
榛名山《はるなさん》の一角に、
段また段を成して、
羅馬《ロオマ》時代の
野外劇場《アンフイテアトル》[#ルビの「アンフイテアトル」は底本では「アンフイテトアル」]の如《ごと》く、
斜めに刻み附《つ》けられた
桟敷形《がた》の伊香保《いかほ》の街。
屋根の上に屋根、
部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿《やど》である。
そして、榛《はん》の若葉の光が
柔かい緑で
街全体を濡《ぬら》してゐる。
街を縦に貫く本道《ほんだう》は
雑多の店に縁《ふち》どられて、
長い長い石の階段を作り、
伊香保《いかほ》神社の前にまで、
|H《エツチ》の字を無数に積み上げて、
殊更《ことさら》に建築家と絵師とを喜ばせる。
木魂《こだま》は声の霊、
如何《いか》に微《かす》かなる声をも
早く感じ、早く知る。
常に時に先だつ彼女は
また常に若し。
近き世の木魂《こだま》は
市《いち》の中、大路《おほぢ》の
並木の蔭《かげ》に佇《たゝず》み、
常に耳を澄まして聞く。
新しき生活の
諧音《かいおん》の
如何《いか》に生じ、
如何《いか》に移るべきかを。
木魂《こだま》は稀《まれ》にも
肉身《にくしん》を示さず、
人の狎《な》れて
驚かざらんことを怖《おそ》る。
唯《た》だ折折《をりをり》に
叫び且《か》つ笑ふのみ。
小高《こだか》い丘の上へ、
何《なに》かを叫ぼうとして、
後《あと》から、後《あと》からと
駆け登つて行《ゆ》く人。
丘の下には
多勢《おほぜい》の人間が眠つてゐる。
もう、夜《よる》では無い、
太陽は中天《ちうてん》に近づいてゐる。
登つて行《ゆ》く人、行《ゆ》く人が
丘の上に顔を出し、
胸を張り、両手を拡げて、
「兄弟よ」と呼ばはる時、
さつと血煙《ちけぶり》がその胸から立つ、
そして直《す》ぐ其《その》人は後ろに倒れる。
陰険な狙撃《そげき》の矢に中《あた》つたのである。
次の人も、また次の人も、
みんな丘の上で同じ様に倒れる。
丘の下には
眠つてゐる人ばかりで無い、
目を覚《さま》した人人《ひとびと》の中から
丘に登る予言者と
その予言者を殺す反逆者とが現れる。
多勢《おほぜい》の人間は何《なに》も知らずにゐる。
もう、夜《よる》では無い、
太陽は中天《ちうてん》に近づいて光つてゐる。
詩は実感の彫刻、
行《ぎやう》と行《ぎやう》、
節《せつ》と節《せつ》との間《あひだ》に陰影《かげ》がある。
細部を包む
陰影《いんえい》は奥行《おくゆき》、
それの深さに比例して、
自然の肉の片はしが
くつきりと
行《ぎやう》の表《おもて》に浮き上がれ。
わたしの詩は粘土細工、
実感の彫刻は
材料に由《よ》りません。
省け、省け、
一線も
余計なものを加へまい。
自然の肉の片はしが
くつきりと
行《ぎやう》の表《おもて》に浮き上がれ。
宇宙から生れて
宇宙のなかにゐる私が、
どうしてか、
その宇宙から離れてゐる。
だから、私は寂《さび》しい、
あなたと居ても寂《さび》しい。
けれど、また、折折《をりをり》、
私は宇宙に還《かへ》つて、
私が宇宙か、
宇宙が私か、解《わか》らなくなる。
その時、私の心臓が宇宙の心臓、
その時、私の目が宇宙の目、
その時、私が泣くと、
万事を忘れて泣くと、
屹度《きつと》雨が降る。
でも、今日《けふ》の私は寂《さび》しい、
その宇宙から離れてゐる。
あなたと居ても寂《さび》しい。
ひともとの
冬枯《ふゆがれ》の
円葉柳《まろはやなぎ》は
野の上に
ゴシツク風の塔を立て、
その下《もと》に
野を越えて
白く光るは
遠からぬ
都の街の屋根と壁。
ここまでは
振返《ふりかへ》り
都ぞ見ゆる。
後ろ髪
引かるる思ひ為《せ》ぬは無し。
さて一歩、
つれなくも
円葉柳《まろはやなぎ》を
離るれば、
誰《たれ》も帰らぬ旅の人。
わが髪は
又もほつるる。
朝ゆふに
なほざりならず櫛《くし》とれど。
ああ、誰《たれ》か
髪美《うつ》くしく
一《ひと》すぢも
乱さぬことを忘るべき。
ほつるるは
髪の性《さが》なり、
やがて又
抑《おさ》へがたなき思ひなり。
わが知れる一柱《ひとはしら》の神の御名《みな》を讃《たた》へまつる。
あはれ欠けざることなき「孤独清貧《せいひん》」の御霊《みたま》、
ぐれんどうの命《みこと》よ。
ぐれんどうの命《みこと》にも著《つ》け給《たま》ふ衣《きぬ》あり。
よれよれの皺《しは》の波、酒染《さかじみ》の雲、
煙草《たばこ》の焼痕《やけあと》の霰《あられ》模様。
もとより痩《や》せに痩《や》せ給《たま》へば
衣《きぬ》を透《とほ》して乾物《ひもの》の如《ごと》く骨だちぬ。
背丈の高きは冬の老木《おいき》のむきだしなるが如《ごと》し。
ぐれんどうの命《みこと》の|顳《こめかみ》は音楽なり、
断《た》えず不思議なる何事《なにごと》かを弾きぬ。
どす黒く青き筋肉の蛇の節《ふし》廻し………
わが知れる芸術家の集りて、
女と酒とのある処《ところ》、
ぐれんどうの命《みこと》必ず暴風《あらし》の如《ごと》く来《きた》りて罵《のゝし》り給《たま》ふ。
何処《いづこ》より来給《きたま》ふや、知り難《がた》し、
一所《いつしよ》不住《ふぢゆう》の神なり、
きちがひ茄子《なす》の夢の如《ごと》く過ぎ給《たま》ふ神なり。
ぐれんどうの命《みこと》の御言葉《みことば》の荒さよ。
人皆その眷属《けんぞく》の如《ごと》くないがしろに呼ばれながら、
猶《なほ》この神と笑ひ興ずることを喜びぬ。
あれ、あれ、あれ、
後《あと》から後《あと》からとのし掛つて、
ぐいぐいと喉元《のどもと》を締める
凡俗の生《せい》の圧迫………
心は気息《いき》を次《つ》ぐ間《ま》も無く、
どうすればいいかと
唯《た》だ右へ左へうろうろ………
もう是《こ》れが癖になつた心は、
大やうな、初心《うぶ》な、
時には迂濶《うくわつ》らしくも見えた
あの好《す》いたらしい様子を丸《まる》で失ひ、
氷のやうに冴《さ》えた
細身の刄先《はさき》を苛苛《いらいら》と
ふだんに尖《とが》らす冷たさ。
そして心は見て見ぬ振《ふり》……
凡俗の生《せい》の圧迫に
思ひきりぶつ突《つ》かつて、
思ひきり撥《は》ねとばされ、
ばつたり圧《お》しへされた
これ、この無残な蛙《かへる》を――
わたしの青白い肉を。
けれど蛙《かへる》は死なない、
びくびくと顫《ふる》ひつづけ、
次の刹那《せつな》に
もう直《す》ぐ前へ一歩、一歩、
裂けてはみだした膓《はらわた》を
両手で抱きかかへて跳ぶ、跳ぶ。
そして此《こ》の人間の蛙《かへる》からは血が滴《た》れる。
でも猶《なほ》心は見て見ぬ振《ふり》……
泣かうにも涙が切れた、
叫ぼうにも声が立たぬ。
乾いた心の唇をじつと噛《か》みしめ、
黙つて唯《た》だうろうろと|《もが》くのは
人形だ、人形だ、
苦痛の弾機《ばね》の上に乗つた人形だ。
被眼布《めかくし》したる女にて我がありしを、
その被眼布《めかくし》は却《かへ》りて我《わ》れに
奇《く》しき光を導き、
よく物を透《とほ》して見せつるを、
我が行《ゆ》く方《かた》に淡紅《うすあか》き、白き、
とりどりの石の柱ありて倚《よ》りしを、
花束と、没薬《もつやく》と、黄金《わうごん》の枝の果物と、
我が水鏡《みづかゞみ》する青玉《せいぎよく》の泉と、
また我に接吻《くちづ》けて羽羽《はば》たく白鳥《はくてう》と、
其等《それら》みな我の傍《かたへ》を離れざりしを。
ああ、我が被眼布《めかくし》は落ちぬ。
天地《あめつち》は忽《たちま》ちに状変《さまかは》り、
うすぐらき中に我は立つ。
こは既に日の入《い》りはてしか、
夜《よ》のまだ明けざるか、
はた、とこしへに光なく、音なく、
望《のぞみ》なく、楽《たのし》みなく、
唯《た》だ大いなる陰影《かげ》のたなびく国なるか。
否《いな》とよ、思へば、
これや我が目の俄《には》かにも盲《し》ひしならめ。
古き世界は古きままに、
日は真赤《まつか》なる空を渡り、
花は緑の枝に咲きみだれ、
人は皆春のさかりに、
鳥のごとく歌ひ交《かは》し、
うま酒は盃《さかづき》より滴《したゝ》れど、
われ一人《ひとり》そを見ざるにやあらん。
否《いな》とよ、また思へば、幸ひは
かの肉色《にくいろ》の被眼布《めかくし》にこそありけれ、
いでや再びそれを結ばん。
われは戦《をのゝ》く身を屈《かゞ》めて
闇《やみ》の底に冷たき手をさし伸ぶ。
あな、悲し、わが推《お》しあての手探りに、
肉色《にくいろ》の被眼布《めかくし》は触るる由《よし》も無し。
とゆき、かくゆき、さまよへる此処《ここ》は何処《いづこ》ぞ、
かき曇りたる我が目にも其《そ》れと知るは、
永き夜《よ》の土を一際《ひときは》黒く圧《お》す
静かに寂《さび》しき扁柏《いとすぎ》の森の蔭《かげ》なるらし。
頼む男のありながら
添はれずと云《い》ふ君を見て、
一所《いつしよ》に泣くは易《やす》けれど、
泣いて添はれる由《よし》も無し。
何《なに》なぐさめて云《い》はんにも
甲斐《かひ》なき明日《あす》の見通され、
それと知る身は本意《ほい》なくも
うち黙《もだ》すこそ苦しけれ。
片おもひとて恋は恋、
ひとり光れる宝玉《はうぎよく》を
君が抱《いだ》きて悶《もだ》ゆるも
人の羨《うらや》む幸《さち》ながら、
海をよく知る船長は
早くも暴風《しけ》を避《さ》くと云《い》ひ、
賢き人は涙もて
身を浄《きよ》むるを知ると云《い》ふ。
君は何《いづ》れを択《えら》ぶらん、
かく問ふことも我はせず、
うち黙《もだ》すこそ苦しけれ。
君は何《いづ》れを択《えら》ぶらん。
君死にたまふことなかれ
(旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末《すゑ》に生れし君なれば
親のなさけは勝《まさ》りしも、
親は刄《やいば》をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四《にじふし》までを育てしや。
堺《さかい》の街のあきびとの
老舗《しにせ》を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事《なにごと》ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家《いへ》の習ひに無きことを。
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出《い》でまさね[#「出でまさね」は底本では「出でませね」]、
互《かたみ》に人の血を流し、
獣《けもの》の道《みち》に死ねよとは、
死ぬるを人の誉《ほま》れとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何《いか》で思《おぼ》されん。
ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君《ちゝぎみ》に
おくれたまへる母君《はゝぎみ》は、
歎きのなかに、いたましく、
我子《わがこ》を召《め》され、家《いへ》を守《も》り、
安《やす》しと聞ける大御代《おほみよ》も
母の白髪《しらが》は増さりゆく。
暖簾《のれん》のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻《にひづま》を
君忘るるや、思へるや。
十月《とつき》も添はで別れたる
少女《をとめ》ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰《たれ》を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。
うれしや、うれしや、梅蘭芳《メイランフワン》
今夜、世界は
(ほんに、まあ、華美《はで》な唐画《たうぐわ》の世界、)
真赤《まつか》な、真赤《まつか》な
石竹《せきちく》の色をして匂《にほ》ひます。
おお、あなた故に、梅蘭芳《メイランフワン》、
あなたの美《うつ》くしい楊貴妃《やうきひ》ゆゑに、梅蘭芳《メイランフワン》、
愛に焦《こが》れた女ごころが
この不思議な芳《かんば》しい酒となり、
世界を浸《ひた》して流れます。
梅蘭芳《メイランフワン》、
あなたも酔《ゑ》つてゐる、
あなたの楊貴妃《やうきひ》も酔《ゑ》つてゐる、
世界も酔《ゑ》つてゐる、
わたしも酔《ゑ》つてゐる、
むしやうに高いソプラノの
支那《しな》の鼓弓《こきう》も酔《ゑ》つてゐる。
うれしや、うれしや、梅蘭芳《メイランフワン》。
京之介の絵
(少年雑誌のために)
これは不思議な家《いへ》の絵だ、
家《いへ》では無くて塔の絵だ。
見上げる限り、頑丈《ぐわんぢやう》に
五階重ねた鉄づくり。
入口《いりくち》からは機関車が
煙を吐いて首を出し、
二階の上の露台《ろたい》には
大《だい》起重機が据ゑてある。
また、三階の正面は
大きな窓が向日葵《ひまはり》の
花で一《いつ》ぱい飾られて、
そこに誰《たれ》やら一人《ひとり》ゐる。
四階《しかい》の窓の横からは
長い梯子《はしご》が地に届き、
五階は更に最大の
望遠鏡が天に向く。
塔の尖端《さき》には黄金《きん》の旗、
「平和」の文字が靡《なび》いてる。
そして、此《この》絵を描《か》いたのは
小《ち》さい、優しい京之介《きやうのすけ》。
鳩と京之介
(少年雑誌のために)
秋の嵐《あらし》が荒《あ》れだして、
どの街の木も横倒《よこたふ》し。
屋根の瓦《かはら》も、破風板《はふいた》も、
剥《は》がれて紙のやうに飛ぶ。
おお、この荒《あ》れに、どの屋根で、
何《なに》に打たれて傷《きず》したか、
可愛《かは》いい一羽《いちは》のしら鳩《はと》が
前の通りへ落ちて来た。
それと見るより八歳《やつ》になる、
小《ち》さい、優しい、京之介《きやうのすけ》、
嵐《あらし》の中に駆け寄つて、
じつと両手で抱き上げた。
傷《きず》した鳩《はと》は背が少し
うす桃色に染《そ》んでゐる。
それを眺めた京之介《きやうのすけ》、
もう一《いつ》ぱいに目がうるむ。
鳩《はと》を供《く》れよと、口口《くちぐち》に
腕白《わんぱく》どもが呼ばはれど、
大人《おとな》のやうに沈著《おちつ》いて、
頭《かぶり》を振つた京之介《きやうのすけ》。
Aの字の歌
(少年雑誌のために)
|Ai《アイ》 (愛《あい》)の頭字《かしらじ》、片仮名と
アルハベツトの書き初《はじ》め、
わたしの好きな|A《エエ》の字を
いろいろに見て歌ひましよ。
飾り気《け》の無い|A《エエ》の字は
掘立《ほつたて》小屋の入《はひ》り口《くち》、
奥に見えるは板敷《いたじき》か、
茣蓙《ござ》か、囲炉裏《いろり》か、飯台《はんだい》か。
小《ち》さくて繊弱《きやしや》な|A《エエ》の字は
遠い岬に灯台を
ほつそりとして一つ立て、
それを繞《めぐ》るは白い浪《なみ》。
いつも優しい|A《エエ》の字は
象牙《ざうげ》の琴柱《ことぢ》、その傍《そば》に
目には見えぬが、好《よ》い節《ふし》を
幻《まぼろし》の手が弾いてゐる。
いつも明るい|A《エエ》の字は
白水晶《しろずゐしやう》の三稜鏡《プリズム》に
七《なな》つの羽《はね》の美《うつ》くしい
光の鳥をじつと抱く。
元気に満ちた|A《エエ》の字は
広い沙漠《さばく》の砂を踏み
さつく、さつくと大足《おほあし》に、
あちらを向いて急ぐ人。
つんとすました|A《エエ》の字は
オリンプ山《ざん》の頂《いただき》に
槍《やり》に代へたる銀白《ぎんはく》の
鵞《が》ペンの尖《さき》を立ててゐる。
時にさびしい|A《エエ》の字は
半身《はんしん》だけを窓に出し、
肱《ひぢ》をば突いて空を見る
三角頭巾《づきん》の尼すがた。
しかも威《ゐ》のある|A《エエ》の字は
埃及《エヂプト》の野の朝ゆふに
雲の間《あひだ》の日を浴びて
はるかに光る金字塔《ピラミツド》[#ルビの「ピラミツド」は底本では「ピラミツト」]。
そして折折《をりをり》|A《エエ》の字は
道化役者のピエロオの
赤い尖《とが》つた帽となり、
わたしの前に踊り出す。
蟻の歌
(少年雑誌のために)
蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
黒い沢山《たくさん》の蟻《あり》よ、
お前さん達の行列を見ると、
|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》、
|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》……
幾万と並んだ
|8《はち》の字の生きた鎖が動く。
蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
そんなに並んで何処《どこ》へ行《ゆ》く。
行軍《かうぐん》か、
運動会か、
二千メエトル競走か、
それとも遠いブラジルへ
移住して行《ゆ》く一隊か。
蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
繊弱《かよわ》な体で
なんと云《い》ふ活撥《くわつぱつ》なことだ。
全身を太陽に暴露《さら》して、
疲れもせず、
怠《なま》けもせず、
さつさ、さつさと進んで行《ゆ》く。
蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
お前さん達はみんな
可愛《かは》いい、元気な|8《はち》の字少年隊。
行《ゆ》くがよい、
行《ゆ》くがよい、
|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》、
|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》、|8《はち》………[#「………」は底本では「‥‥‥」]
[#ここで段組み終わり]
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壺の花
(小曲十五章)
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[#ここから2段組み]
一本のコスモスが笑つてゐる。
その上に、どつしりと
太陽が腰を掛けてゐる。
そして、きやしやなコスモスの花が
なぜか、少しも撓《たわ》まない、
その太陽の重味に。
百姓の爺《ぢい》さんの、汚《よご》れた、
硬い、節《ふし》くれだつた手、
ちよいと見ると、褐色《かつしよく》の、
朝鮮人蔘《にんじん》の燻製《くんせい》のやうな手、
おお、之《これ》がほんたうの労働の手、
これがほんたうの祈祷《きたう》の手。
二枚ある著物《きもの》なら
一枚脱ぐのは易《やす》い。
知れきつた道理を言はないで下さい。
今ここに有るのは一枚も一枚、
十人《じふにん》の人数《にんず》に対して一枚、
結局、どうしたら好《い》いのでせう。
小さな硯《すゞり》で朱《しゆ》を擦《す》る時、
ふと、巴里《パリイ》の霧の中の
珊瑚紅《さんごこう》の日が一点
わたしの書斎の帷《とばり》[#ルビの「とばり」は底本では「とぼり」]に浮《うか》び、
それがまた、梅蘭芳《メイランフワン》の
楊貴妃《やうきひ》の酔《ゑ》つた目附《めつき》に変つて行《ゆ》く。
思はぬで無し、
知らぬで無し、
云《い》はぬでも無し、
唯《た》だ其《そ》れの仲間に入《い》らぬのは、
余りに事の手荒《てあら》なれば、
歌ふ心に遠ければ。
わたしは小さな|《ばつた》を
幾つも幾つも抑《おさ》へることが好きですわ。
わたしの手のなかで、
なんと云《い》ふ、いきいきした
この虫達の反抗力でせう。
まるで |BASTILLE《バスチユ》 の破獄《らうやぶり》ですわ。
蚊よ、そなたの前で、
人間の臆病心《おくびやうしん》は
拡大鏡となり、
また拡声器ともなる。
吸血鬼の幻影、
鬼女《きぢよ》の歎声《たんせい》。
火に来ては死に、
火に来ては死ぬ。
愚鈍《ぐどん》な虫の本能よ。
同じ火刑《くわけい》の試練を
幾万年くり返す積《つも》りか。
蛾《が》と、さうして人間の女。
水浅葱《みづあさぎ》の朝顔の花、
それを見る刹那《せつな》に、
美《うつ》くしい地中海が目に見えて、
わたしは平野丸《ひらのまる》に乗つてゐる。
それから、ボチセリイの
派手なイナスの誕生が前に現れる。
罷《まか》り出ましたは、夏の夜《よ》の
虫の一座の立《た》て者で御座る。
歌ふことは致しませねど、
態度を御覧下されえ。
人間の学者批評家にも
わたしのやうな諸君がゐらせられる。
男性の専制以上に
残忍を極める女性の専制。
蟷螂《かまきり》の雌《めす》は
その雄《をす》を食べてしまふ。
種《しゆ》を殖《ふ》やす外《ほか》に
恋愛を知らない蟷螂《かまきり》。
もう、玉虫の一対《つがひ》を
綺麗《きれい》な手箱に飼ふ娘もありません。
青磁色《せいじいろ》の流行が
廃《すた》れたよりも寂《さび》しい事ですね。
今の娘に感激の無いのは、
玉虫に毒があるよりも
いたましい事ですね。
漸《やうや》くに我《わ》れ今は寂《さび》し、
独り在るは寂《さび》し、
薔薇《ばら》を嗅《か》げども寂《さび》し、
君と語れども寂《さび》し、
筆執《と》りて書けども寂《さび》し、
高く歌へば更に寂《さび》し。
落葉《おちば》して人目に附《つ》きぬ、
わが庭の高き木末《こずゑ》に
小鳥の巣一つ懸かれり。
飛び去りて鳥の影無し、
小鳥の巣、霜の置くのみ、
小鳥の巣、日の照《てら》すのみ。
我が藤子《ふぢこ》九《ここの》つながら、
小学の級長ながら、
夜更《よふ》けては独り目覚《めざ》めて
寝台《ねだい》より親を呼ぶなり。
「お蒲団《ふとん》がまた落ちました。」
我が藤子《ふぢこ》風引くなかれ。
[#ここで段組み終わり]
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薔薇の陰影
(雑詩廿五章)
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[#ここから2段組み]
暗い梯子《はしご》を上《のぼ》るとき
女の脚《あし》は顫《ふる》へてた。
四角な卓に椅子《いす》一つ、
側《そば》の小さな書棚《しよたな》には
手ずれた赤い布表紙
金字《きんじ》の本が光つてた。
こんな屋根裏に室借《まがり》する
男ごころのおもしろさ。
女を椅子《いす》に掛けさせて、
「驚いたでせう」と言ひながら、
男は葉巻に火を点《つ》けた。
舞うて疲れた女なら、
男の肩に手を掛けて、
汗と香油《かうゆ》の熱《ほて》る頬《ほ》を
男の胸に附《つ》けよもの。
男の注《つ》いだペパミント[#「ペパミント」は底本では「ペハミント」]
男の手から飲まうもの。
わたしは舞も知りません。
わたしは男も知りません。
ひとりぼつちで片隅に。――
いえ、いえ、あなたも知りません。
寒水石《かんすゐせき》のてえぶるに
薄い硝子《がらす》の花の鉢。
櫂《かひ》の形《かたち》のしやぼてんの
真赤《まつか》な花に目をやれば、
来る日で無いと知りながら
来る日のやうに待つ心。
無地の御納戸《おなんど》、うすい衣《きぬ》、
台湾竹《たいわんちく》のきやしやな椅子《いす》。
恋をする身は待つがよい、
待つて涙の落ちるほど。
わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
いついつ見ても若い方《かた》、
いついつ見てもきやしやな方《かた》、
品《ひん》のいい方《かた》、静かな方《かた》。
古い細身の槍《やり》のよに。
わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
ものおやさしい、清《す》んだ音《ね》の
乙《おつ》の調子で話す方《かた》、
ふらんす、ろしあの小説を
わたしの為《た》めに話す方《かた》。
わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
それで何処《どこ》やら暗い方《かた》、
はしやぐやうでも滅入《めい》る方《かた》、
舞妓《まひこ》の顔がをりをりに、
扇の蔭《かげ》となるやうに。
[#「故郷」は底本では「故」]
堺《さかい》の街の妙国寺、
その門前の庖丁屋《はうちよや》の
浅葱《あさぎ》納簾《のれん》の間《あひだ》から
光る刄物《はもの》のかなしさか。
御寺《おてら》の庭の塀の内《うち》、
鳥の尾のよにやはらかな
青い芽をふく蘇鉄《そてつ》をば
立つて見上げたかなしさか。
御堂《おだう》の前の十《とを》の墓、
仏蘭西船《フランスぶね》に斬《き》り入《い》つた
重い科《とが》ゆゑ死んだ人、
その思出《おもひで》のかなしさか。
いいえ、それではありませぬ。
生れ故郷に来《き》は来《き》たが、
親の無い身は巡礼の
さびしい気持になりました。
「わたしは死ぬ気」とつい言つて、
その驚いた、青ざめた、
慄《ふる》へた男を見た日から、
わたしは死ぬ気が無くなつた。
まことを云《い》へば其《その》日から
わたしの世界を知りました。
いつも男はおどおどと
わたしの言葉に答へかね、
いつも男は酔《ゑ》つた振《ふり》。
あの見え透《す》いた酔《ゑ》つた振《ふり》。
「あなた、初めの約束の
塔から手を取つて跳びませう。」
場末《ばずゑ》の寄席《よせ》のさびしさは
夏の夜《よ》ながら秋げしき。
枯れた蓬《よもぎ》の細茎《ほそぐき》を
風の吹くよな三味線《しやみせん》に
曲弾《きよくびき》の音《ね》のはらはらと
螽斯《ばつた》の雨が降りかかる。
寄席《よせ》の手前の枳殻垣《きこくがき》、
わたしは一人《ひとり》、灯《ひ》の暗い、
狭い湯殿で湯をつかひ、
髪を洗へば夜《よ》が更ける。
こきむらさきの杜若《かきつばた》
採《と》ろと水際《みぎは》につくばんで
濡《ぬ》れた袂《たもと》をしぼる身は、
ふと小娘《こむすめ》の気に返る。
男の机に倚《よ》り掛り、
男の遣《つか》ふペンを執《と》り、
男のするよに字を書けば、
また初恋の気に返る。
逗子《づし》の旅からはるばると
浜なでしこをありがたう。
髪に挿せとのことながら、
避暑地の浜の遊びをば
知らぬわたしが挿したなら、
真黒《まつくろ》に焦げて枯れませう。
ゆるい斜面をほろほろと
踏めば崩れる砂山に、
水著《みづぎ》すがたの脛白《はぎじろ》と
なでしこを摘む楽しさは
女のわたしの知らぬこと。
浜なでしこをありがたう。
むかしの恋の気の長さ、
のんべんくだりと日を重ね、
互《たがひ》にくどくど云《い》ひ交《かは》す。
当世《たうせい》の恋のはげしさよ、
常《つね》は素知《そし》らぬ振《ふり》ながら、
刹那《せつな》に胸の張りつめて
しやうも、やうも無い日には、
マグネシユウムを焚《た》くやうに、
機関の湯気の漏るやうに、
悲鳴を上げて身もだえて
あの白鳥《はくてう》が死ぬやうに。
いたましく、いたましく、
流行《はやり》の風《かぜ》に三人《みたり》まで
我児《わがこ》ぞ病める。
梅霖《つゆ》の雨しとどと降るに、汗流れ、
こんこんと、苦しき喉《のど》に咳《せき》するよ。
兄なるは身を焼く|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、100-上-6]に父を呼び、
泣きむづかるを、その父が
抱《いだ》きすかして、売薬の
安知歇林《アンチピリン》を飲ませども、
咳《せき》しつつ、半《なかば》ゑづきぬ[#「ゑづきぬ」は底本では「えづきぬ」]。
あはれ、此夜《このよ》のむし暑さ、
氷ぶくろを取りかへて、
団扇《うちは》とり児等《こら》を扇《あふ》げば、
蚊帳《かや》ごしに蚊のむれぞ鳴く。
如何《いか》に若き男、
ダイヤの玉《たま》を百持てこ。
空手《むなで》しながら採《と》り得《う》べき
物とや思ふ、あはれ愚かに。
たをやめの、たをやめの紅《あか》きくちびる。
男こそ慰めはあれ、
おほぎみの側《そば》にも在りぬ、
みいくさに出《い》でても行《ゆ》きぬ、
酒《さか》ほがひ、夜通《よどほ》し遊び、
腹立《だ》ちて罵《のゝし》りかはす。
男こそ慰めはあれ、
少女《をとめ》らに己《おの》が名を告《の》り、
厭《あ》きぬれば棄《す》てて惜《をし》まず。
わが見るは人の身なれば、
死の夢を、沙漠《さばく》のなかの
青ざめし月のごとくに。
また見るは、女にしあれば
消し難《がた》き世のなかの夢。
名工《めいこう》のきたへし刀
一尺に満たぬ短き、
するどさを我は思ひぬ。
あるときは異国人《とつくにびと》の
三角の尖《さき》あるメスを
われ得《え》まく切《せち》に願ひぬ。
いと憎き男の胸に
利《と》き白刄《しらは》あてなん刹那《せつな》、
たらたらと我袖《わがそで》にさへ
指にさへ散るべき、紅《あか》き
血を思ひ、我《わ》れほくそ笑《ゑ》み、
こころよく身さへ慄《ふる》ふよ。
その時か、にくき男の
云《い》ひがたき心宥《ゆる》さめ。
しかは云《い》へ、突かんとすなる
その胸に、夜《よる》としなれば、
額《ぬか》よせて、いとうら安《やす》の
夢に入《い》る人も我なり。
男はた、いとしとばかり
その胸に我《わ》れかき抱《いだ》き、
眠ること未《いま》だ忘れず。
その胸を今日《けふ》は仮《か》さずと
たはぶれに云《い》ふことあらば、
我《わ》れ如何《いか》に佗《わび》しからまし。
鴨頭草《つきくさ》のあはれに哀《かな》しきかな、
わが袖《そで》のごとく濡《ぬ》れがちに、
濃き空色の上目《うはめ》しぬ、
文月《ふづき》の朝の木《こ》のもとの
板井のほとり。
はかなかる花にはあれど、
月見草《つきみさう》、
ふるさとの野を思ひ出《い》で、
わが母のこと思ひ出《い》で、
初恋の日を思ひ出《い》で、
指にはさみぬ、月見草《つきみさう》。
われはをみな、
それゆゑに
ものを思ふ。
にしき、こがね、
女御《にようご》、后《きさき》、
すべて得《え》ばや。
ひとり眠る
わびしさは
をとこ知らじ。
黒きひとみ、
ながき髪、
しじに濡《ぬ》れぬ。
恋し、恋し、
はらだたし、
ねたし、悲し。
ひがむ気短《きみじ》かな鵯鳥《ひよどり》は
木末《こずゑ》の雪を揺りこぼし、
枝から枝へ、甲高《かんだか》に
凍《い》てつく冬の笛を吹く。
それを聞く
わたしの心も裂けるよに。
それでも木蔭《こかげ》の下枝《しづえ》には
あれ、もう、愛らしい鶯《うぐひす》が
雪解《ゆきげ》の水の小《こ》ながれに
軽く反《そり》打つ身を映し、
ちちと啼《な》く、ちちと啼《な》く。
その小啼《ささなき》は低くても、
春ですわね、春ですわね。
わが歌の仮名文字よ、
あはれ、ほつほつ、
止所《とめど》なく乱れ散る涙のしづく。
誰《たれ》かまた手に結び玉《たま》とは愛《め》でん、
みにくくも乱れ散る涙のしづく。
あはれ、この文字、我が夫《せ》な読みそ、
君ぬらさじと堰《せ》きとむる
しがらみの句切《くぎり》の淀《よど》に
青き愁《うれひ》の水渋《みしぶ》いざよふ。
みなしごの十二《じふに》のをとめ、
きのふより我家《わがいへ》に来て、
四《よ》つになる子の守《もり》をしぬ。
筆と紙、子守は持ちて、
筋《すぢ》を引き、環《くわん》をゑがきて、
箪笥《たんす》てふ物を教へぬ。
我子《わがこ》らは箪笥《たんす》を知らず、
不思議なる絵ぞと思へる。
あこがれまし、
いざなはれまし、
あはれ、寂《さび》しき、寂《さび》しき此《この》日を。
だまされまし、賺《すか》されまし、
よしや、よしや、
見殺《みごろ》しに人のするとも。
わかき男は来るたびに
よき金口《きんくち》の煙草《たばこ》のむ。
そのよき香り、新しき
愁《うれへ》のごとくやはらかに、
煙《けぶり》と共にただよひぬ。
わかき男は知らざらん、
君が来るたび、人知れず、
我が怖《おそ》るるも、喜ぶも、
唯《た》だその手なる煙草《たばこ》のみ。
素焼の壺《つぼ》にらちもなく
投げては挿せど、百合《ゆり》の花、
ひとり秀《ひい》でて、清らかな
雪のひかりと白さとを
貴《あて》な金紗《きんしや》の匂《にほ》はしい
エルに隠す面《おも》ざしは、
二十歳《はたち》ばかりのつつましい
そして気高《けだか》い、やさがたの
侯爵夫人《マルキイズ》にもたとへよう。
とり合せたる金蓮花《きんれんくわ》、
麝香《じやかう》なでしこ、鈴蘭《すゞらん》は
そぞろがはしく手を伸べて、
宝玉函《はうぎよくいれ》の蓋《ふた》をあけ、
黄金《きん》の腕環《うでわ》や紫の
斑入《ふいり》の玉《たま》の耳かざり、
真珠の頸環《くびわ》、どの花も
|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、106-上-6]い吐息を投げながら、
華奢《くわしや》と匂《にほ》ひを競《きそ》ひげに、
まばゆいばかり差出せど
あはれ、其等《それら》の楽欲《げうよく》と、
世の常の美を軽《かろ》く見て、
わが侯爵夫人《マルキイズ》、なにごとを
いと深げにも、静かにも
思ひつづけて微笑《ほゝゑ》むか。
花の秘密は知り難《がた》い、
けれど、百合《ゆり》をば見てゐると、
わたしの心は涯《はて》もなく
拡がつて行《ゆ》く、伸びて行《ゆ》く。
我《わ》れと我身《わがみ》を抱くやうに
世界の人をひしと抱き、
|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、106-下-5]と、涙と、まごころの
中に一所《いつしよ》に融《と》け合つて
生きたいやうな、清らかな
愛の心になつて行《ゆ》く。
[#ここで段組み終わり]
[#改丁]
[#ここからページの左右中央]
月を釣る
(小曲卅五章)
[#改丁]
[#ここから2段組み]
人は暑い昼に釣る、
わたしは涼しい夜《よる》に釣る。
流れさうで流れぬ糸が面白い、
水だけが流れる。
わたしの釣鈎《つりばり》に餌《ゑさ》は要《い》らない、
わたしは唯《た》だ月を釣る。
唯《た》だ一人《ひとり》ある日よりも、
大勢とゐる席で、
わが姿、しよんぼりと細《ほそ》りやつるる。
平生《へいぜい》は湯のやうに沸《わ》く涙も
かう云《い》ふ日には凍るやらん。
立枠《たてわく》模様の水浅葱《みづあさぎ》、はでな単衣《ひとへ》を著《き》たれども、
わが姿、人にまじればうら寂《さび》しや。
わが家《いへ》の八月の日の午後、
庭の盥《たらひ》に子供らの飼ふ緋目高《ひめだか》は
生湯《なまゆ》の水に浮き上がり、
琺瑯色《はふらういろ》の日光に
焼釘《やけくぎ》の頭《あたま》を並べて呼吸《いき》をする。
その上にモザイク形《がた》の影を落《おと》す
静かに大きな金網。
木《こ》の葉は皆あぶら汗に光り、
隣の肥えた白い猫は
木の根に眠つたまま死ぬやらん。
わがする幅広《はゞびろ》の帯こそ大蛇《だいじや》なれ、
じりじりと、じりじりと巻きしむる。
夜あけ方《がた》に降つた夕立が
庭に流した白い砂、
こなひだ見て来た岩代《いはしろ》の
摺上川《すりがみがは》が想《おも》はれる。
砂に埋《うも》れて顔を出す
濡《ぬ》れた黄いろの月見草《つきみさう》、
あれ、あの花が憎いほど
わたしの心をさし覗《のぞ》き、
思ひなしかは知らねども、
やつれた私を引き立たす。
過ぎこし方《かた》を思へば
空わたる月のごとく、
流るる星のごとくなりき。
行方《ゆくへ》知らぬ身をば歎かじ、
わが道は明日《あす》も弧《こ》を描《ゑが》かん、
踊りつつ往《ゆ》かん、
曳《ひ》くひかり、水色の長き裳《も》の如《ごと》くならん。
芸術はわれを此処《ここ》にまで導きぬ、
今《こん》[#ルビの「こん」はママ]こそ云《い》はめ、
われ、芸術を彼処《かしこ》に伴ひ行《ゆ》かん、
より真実に、より光ある処《ところ》へと。
われは軛《くびき》となりて挽《ひ》かれ、
駿足《しゆんそく》の馬となりて挽《ひ》き、
車となりてわれを運ぶ。
わが名は「真実」なれども
「力」と呼ぶこそすべてなれ。
まはれ、まはれ、走馬灯《そうまとう》。
走馬灯《そうまとう》は幾たびまはればとて、
曲もなき同じふやけし馬の絵なれど、
猶《なほ》まはれ、まはれ、
まはらぬは寂《さび》しきを。
桂氏《かつらし》の馬は西園寺氏《さいをんじし》の馬に
今こそまはりゆくなれ、まはれ、まはれ。
女、三越《みつこし》の売出しに行《ゆ》きて、
寄切《よせぎれ》の前にのみ一日《ひとひ》ありき。
帰りきて、かくと云《い》へば、
男は独り棋盤《ごばん》に向ひて
五目並べの稽古《けいこ》してありしと云《い》ふ。
(零《れい》と零《れい》とを重ねたる今日《けふ》の日の空《むな》しさよ。)
さて男は疲れて黙《もだ》し、また語らず、
女も終《つひ》に買物を語らざりき。
その買ひて帰れるは
纔《わづか》に高浪織《たかなみおり》の帯の片側《かたかは》に過ぎざれど。
それは細き麦稈《むぎわら》、
しやぼん玉を吹くによけれど、竿《さを》とはしがたし、
まして、まして柱とは。
されど、麦稈《むぎわら》も束として火を附《つ》くれば
ゆゆしくも家《いへ》を焼く。
わがをさな児《ご》は賢し、
束とはせず、しやぼん玉を吹いて行《ゆ》くよ。
一切を要す、
われは憧《あこが》るる霊《たましひ》なり。
物をしみな為《せ》そ、
若《も》し齎《もたら》す物の猶《なほ》ありとならば。――
初めに取れる果実《このみ》は年経《としふ》れど紅《あか》し、
われこそ物を損ぜずして愛《め》づるすべを知るなれ。
「常に杖《つゑ》に倚《よ》りて行《ゆ》く者は
その杖《つゑ》を失ひし時、自《みづか》らをも失はん。
われは我にて行《ゆ》かばや」と、われ語る。
友は笑ひて、さて云《い》ひぬ、
「な偽《いつは》りそ、
つとばかり涙さしぐむ君ならずや、
恋人の名を耳にするにも。」
古き物の猶《なほ》権威ある世なりければ
彼《かれ》は日本の女にて東の隅にありき。
また彼《かれ》は精錬せられざりしかば
猶《なほ》鉱《あらがね》のままなりき。
みづからを白金《プラチナ》の質《しつ》と知りながら……
物を書きさし、思ひさし、
広東《カントン》蜜柑《みかん》をむいたれば、
藍《あゐ》と鬱金《うこん》に染まる爪《つめ》。
江戸の昔の廣重《ひろしげ》の
名所づくしの絵を刷つた
版師《はんし》の指は斯《か》うもあらうか。
藍《あゐ》と鬱金《うこん》に染まる爪《つめ》。
堅苦しく、うはべの律義《りちぎ》のみを喜ぶ国、
しかも、かるはずみなる移り気《ぎ》の国、
支那《しな》人ほどの根気なくて、浅く利己主義なる国、
亜米利加《アメリカ》の富なくて、亜米利加《アメリカ》化する国、
疑惑と戦慄《せんりつ》とを感ぜざる国、
男みな背を屈《かゞ》めて宿命論者となりゆく国、
めでたく、うら安《やす》く、万万歳《ばんばんざい》の国。
髪かき上ぐる手ざはりが
何《なに》やら温泉場《ば》にゐるやうな
軽い気分にわたしをする。
この間《ま》に手紙を書きませう、
朝の書斎は凍《こほ》れども、
「君を思ふ」と巴里《パリイ》宛《あて》に。
女は在る限り
粗《あら》けづりの明治の女ばかり。
唯《た》だ一人《ひとり》あの若い詩人がゐて
今日《けふ》の会は引き立つ。
永井荷風《かふう》の書くやうな
おちついた、抒情詩的な物言ひ、
また歌麿《うたまろ》の版画の
「上の息子」の身のこなし。
わが小《ち》さい娘の髪を撫《な》でるとき、
なにか知ら、生れ故郷が懐《おも》はれる。
母がこと、亡き姉のこと、伯母がこと、
あれや、其《そ》れ、とりとめもない事ながら、
片時《かたとき》は黄金《こがね》の雨が降りかかる。
三月《さんぐわつ》の昼のひかり、
わが書斎に匍《は》ふ藤《ふぢ》むらさき。
そのなかに光《ひかる》の顔の白、
七瀬《なゝせ》の帯の赤、
机に掛けた布の脂色《やにいろ》、
みな生生《いきいき》と温かに……
されど唯《た》だ壺《つぼ》の彼岸桜《ひがんさくら》と
わが姿とのみは淡く寒し。
君の久しく留守なれば
静物の如《ごと》く我も在るらん。
障子あくれば薄明り、
しづかに暮れるたそがれに、
をりをりまじる薄雪は
錫箔《すゞはく》よりもたよりなし。
ほつれた髪にとりすがり、
わたしの顔をさし覗《のぞ》く
雪のこころの寂《さび》しさよ。
しづくとなつて融《と》けてゆく
雪のこころもさうであらう、
まして、わたしは何《な》んとすべきぞ。
衣桁《いかう》の帯からこぼれる
艶《なま》めいた昼の光の肉色《にくいろ》。
その下に黒猫は目覚《めざ》めて、
あれ、思ふぞんぶんに伸びをする。
世界は今、黒猫の所有《もの》になる。
打つ真似《まね》をすれば、
尾を立てて後《あと》しざる黒猫、
まんまろく、かはゆく……
けれど、わたしの手は
錫箔《すゞはく》のやうに薄く冷たく閃《ひら》めいた。
おお、厭《いや》な手よ。
ちぎれちぎれの雲見れば、
風ある空もむしやくしやと
むか腹《ばら》立てて泣きたいか。
さう云《い》ふ間《ま》にも、粒なみだ、
泣いて心が直るよに、
春の日の入《い》り、紅《べに》さした
よい目元から降りかかる。
濡《ぬ》らせ、濡《ぬ》らせ、
我髪《わがかみ》濡《ぬ》らせ、通り雨。
二夜《ふたよ》三夜《みよ》こそ円寝《まろね》もよろし。
君なき閨《ねや》へ入《い》ろとせず、
椅子《いす》ある居間の月あかり、
黄ざくら色の衣《きぬ》を著《き》て、
つつましやかなうたた臥《ふ》し。
まだ見る夢はありながら、
うらなく明《あ》くる春のみじか夜《よ》。
散りがたの赤むらさきの牡丹《ぼたん》の花、
青磁の大鉢《おほばち》のなかに幽《かす》かにそよぐ。
侠《きやん》なるむだづかひの終りに
早くも迫る苦しき日の怖《おそ》れを
回避する心もち……
ええ、よし、それもよし。
女、女、
女は王よりもよろづ贅沢《ぜいたく》に、
世界の香料と、貴金属と、宝石と、
花と、絹布《けんぷ》とは女こそ使用《つか》ふなれ。
女の心臓のかよわなる血の花弁《はなびら》の旋律《ふしまはし》は
ベエトオフエンの音楽のどの傑作にも勝《まさ》り、
湯殿に隠《こも》りて素肌のまま足の爪《つめ》切る時すら、
女の誇りに印度《いんど》の仏も知らぬほくそゑみあり。
言ひ寄る男をつれなく過ぐす自由も
女に許されたる楽しき特権にして、
相手の男の相場に負けて破産する日も、
女は猶《なほ》恋の小唄《こうた》を口吟《くちずさ》みて男ごころを和《やはら》ぐ。
たとへ放火《ひつけ》殺人《ひとごろし》の大罪《だいざい》にて監獄に入《い》るとも、
男の如《ごと》く二分刈《にぶがり》とならず、黒髪は墓のあなたまで浪《なみ》打ちぬ。
婦人運動を排する諸声《もろごゑ》の如何《いか》に高ければとて、
女は何時《いつ》までも新しきゲエテ、カント、ニウトンを生み、
人間は永久《とこしへ》うらわかき母の慈愛に育ちゆく。
女、女、日本の女よ、
いざ諸共《もろとも》に自《みづか》らを知らん。
黄と、紅《べに》と、みどり、
生《なま》な色どり……
|粉細工《しんこざいく》のやうなチユウリツプの花よ、葉よ。
それを活《い》ける白い磁の鉢、
きやしやな女の手、
た、た、た、た、と注《さ》す水のおと。
ああ、なんと生生《いきいき》した昼であろ。
|粉細工《しんこざいく》のやうなチユウリツプの花よ、葉よ。
皐月《さつき》なかばの晴れた日に、
気早《きばや》い蝉《せみ》が一つ啼《な》き、
何《なに》とて啼《な》いたか知らねども、
森の若葉はその日から
火を吐くやうな息をする。
君の心は知らねども……
崖《がけ》の上なる教会の
古びた壁の脂《やに》の色、
常に静かでよいけれど、
高い庇《ひさし》の陰にある
円《まる》い小窓《こまど》の摺硝子《すりがらす》、
誰《たれ》やら一人《ひとり》うるみ目に
空を見上げて泣くやうな、
それが寂《さび》しく気にかかる。
台所の閾《しきゐ》に腰すゑた
古《ふる》洋服の酔《ゑ》つぱらひ、
そつとしてお置きよ、あのままに。
ものもらひとは勿体《もつたい》ない、
髪の乱れも、蒼《あを》い目も、
ボウドレエルに似てるわね。
つやなき髪に、焼鏝《やきごて》を
誰《た》が当《あ》てよとは云《い》はねども、
はずみ心に縮らせば、
焼けてほろほろ膝《ひざ》に散り、
半《なかば》うしなふ前髪の
くちをし、悲し、あぢきなし。
あはれと思へ、三十路《みそぢ》へて
猶《なほ》人恋《こ》ふる女の身。
浜の日の出の空見れば、
あかね木綿の幕を張り、
静かな海に敷きつめた
廣重《ひろしげ》の絵の水あさぎ。
(それもわたしの思ひなし)
あちらを向いた黒い島。
青き夜《よ》なり。
九段《くだん》の坂を上《のぼ》り詰めて
振返りつつ見下《みお》ろすことの嬉《うれ》しや。
消え残る屋根の雪の色に
近き家家《いへいへ》は石造《いしづくり》の心地し、
神田、日本橋、
遠き街街《まちまち》の灯《ひ》のかげは
緑金《りよくこん》と、銀と、紅玉《こうぎよく》の
星の海を作れり。
電車の轢《きし》り………
飯田町《いひだまち》駅の汽笛………
ふと、われは涙ぐみぬ、
高きモンマルトルの
段をなせる路《みち》を行《ゆ》きて、
君を眺めし
夕《ゆふべ》の巴里《パリイ》を思ひ出《い》でつれば。
あわただしい師走《しはす》、
今年の師走《しはす》
一箇月《いつかげつ》三十一日は外《よそ》のこと、
わたしの心の暦《こよみ》では、
わづか五六日《ごろくにち》で暮れて行《ゆ》く。
すべてを為《し》さし、思ひさし、
なんにも云《い》はぬ女にて、
する、する、すると幕になる。
騒音と塵《ちり》の都、
乱民《らんみん》と賤民《せんみん》の都、
静思《せいし》の暇《いとま》なくて
多弁の世となりぬ。
舌と筆の暴力は
腕の其《そ》れに劣らず。
ここにして勝たんとせば
唯《た》だ吠《ほ》えよ、大声に吠《ほ》えよ、
さて猛《たけ》く続けよ。
卑しきを忘れし男、
醜きを耻《は》ぢざる女、
げに君達の名は強者《きやうしや》なり。
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第一の陣痛
(雑詩四十一章)
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わたしは今日《けふ》病んでゐる、
生理的に病んでゐる。
わたしは黙つて目を開《あ》いて
産前《さんぜん》の床《とこ》に横になつてゐる。
なぜだらう、わたしは
度度《たびたび》死ぬ目に遭つてゐながら、
痛みと、血と、叫びに慣れて居ながら、
制しきれない不安と恐怖とに慄《ふる》へてゐる。
若いお医者がわたしを慰めて、
生むことの幸福《しあはせ》を述べて下された。
そんな事ならわたしの方が余計に知つてゐる。
それが今なんの役に立たう。
知識も現実で無い、
経験も過去のものである。
みんな黙つて居て下さい、
みんな傍観者の位置を越えずに居て下さい。
わたしは唯《た》だ一人《ひとり》、
天にも地にも唯《た》だ一人《ひとり》、
じつと唇を噛《か》みしめて
わたし自身の不可抗力を待ちませう。
生むことは、現に
わたしの内から爆《は》ぜる
唯《た》だ一つの真実創造、
もう是非の隙《すき》も無い。
今、第一の陣痛……
太陽は俄《には》かに青白くなり、
世界は冷《ひや》やかに鎮《しづ》まる。
さうして、わたしは唯《た》だ一人《ひとり》………
二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。
それはおまへの命の
自《みづか》ら勝たうとする力が――
純粋な征服の力が
怒りの形《かたち》と
痙攣《けいれん》の発作《ほつさ》とになつて
電火《でんくわ》のやうに閃《ひらめ》いたのだよ。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう、
けれど母は驚いた、
またしみじみと嬉《うれ》しかつた。
おまへは、他日《たじつ》、一人《ひとり》の男として、
昂然《かうぜん》とみづから立つことが出来る、
清く雄雄《をを》しく立つことが出来る、
また思ひ切り人と自然を愛することが出来る、
(征服の中枢は愛である、)
また疑惑と、苦痛と、死と、
嫉妬《しつと》と、卑劣と、嘲罵《てうば》と、
圧制と、曲学《きよくがく》と、因襲と、
暴富《ぼうふ》と、人爵《じんしやく》とに打克《うちが》つことが出来る。
それだ、その純粋な一撃だ、
それがおまへの生涯の全部だ。
わたしはおまへの掌《てのひら》が
獅子《しし》の児《こ》のやうに打つた
鋭い一撃の痛さの下《もと》で
かう云《い》ふ白金《はくきん》の予感を覚えて嬉《うれ》しかつた。
そして同時に、おまへと共通の力が
母自身にも潜《ひそ》んでゐるのを感じて、
わたしはおまへの打つた頬《ほ》も
打たない頬《ほ》までも|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、127-上-12]くなつた。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう。
けれど、おまへが大人になつて、
思想する時にも、働く時にも、
恋する時にも、戦ふ時にも、
これを取り出してお読み。
二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。
猶《なほ》かはいいアウギユストよ、
おまへは母の胎《たい》に居て
欧羅巴《ヨオロツパ》を観《み》てあるいたんだよ。
母と一所《いつしよ》にしたその旅の記憶を
おまへの成人するにつれて
おまへの叡智が思ひ出すであらう。
ミケル・アンゼロやロダンのしたことも、
ナポレオンやパスツウルのしたことも、
それだ、その純粋な一撃だ、
その猛猛《たけ/″\》しい恍惚《くわうこつ》の一撃だ。[#「一撃だ。」は底本では「一撃だ、」]
(一九一四年十一月二十日)
さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。
(顔を洗うた親子八人《はちにん》、)
みんなが二つのちやぶ台を囲みませう、
みんなが洗ひ立ての白い胸布《セルツト》を当てませう。
独り赤さんのアウギユストだけは
おとなしく母さんの膝《ひざ》の横に坐《すわ》るのねえ。
お早う、
お早う、
それ、アウギユストもお辞儀をしますよ、お早う、
何時《いつ》もの二斤《にきん》の仏蘭西麺包《フランスパン》に
今日《けふ》はバタとジヤムもある、
三合の牛乳《ちち》もある、
珍しい青豌豆《えんどう》の御飯に、
参州《さんしう》味噌の蜆《しゞみ》汁、
うづら豆、
それから新漬《しんづけ》の蕪菁《かぶ》もある。
みんな好きな物を勝手におあがり、
ゆつくりとおあがり、
たくさんにおあがり。
朝の御飯は贅沢《ぜいたく》に食べる、
午《ひる》の御飯は肥《こ》えるやうに食べる、
夜《よる》の御飯は楽《たのし》みに食べる、
それは全《まつた》く他人《よそ》のこと。
我家《うち》の様な家《いへ》の御飯はね、
三度が三度、
父さんや母さんは働く為《ため》に食べる、
子供のあなた達は、よく遊び、
よく大きくなり、よく歌ひ、
よく学校へ行《ゆ》き、本を読み、
よく物を知るやうに食べる。
ゆつくりおあがり、
たくさんにおあがり。
せめて日曜の朝だけは
父さんや母さんも人並に
ゆつくりみんなと食べませう。
お茶を飲んだら元気よく
日曜学校へお行《ゆ》き、
みんなでお行《ゆ》き。
さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。
いいえ、いいえ、現代の
生活と芸術に、
どうして肉ばかりでゐられよう、
単純な、盲目《めくら》な、
そしてヒステリツクな、
肉ばかりでゐられよう。
五感が七《しち》感に殖《ふ》える、
いや、五十《ごじつ》感、百感にも殖《ふ》える。
理性と、本能と、
真と、夢と、徳とが手を繋《つな》ぐ。
すべてが細かに実《み》が入《い》つて、
すべてが千千《ちぢ》に入《い》りまじり、
突風《とつぷう》と火の中に
すべてが急に角《かく》を描《か》く。
芸も、思想も、戦争も、
国も、個人も、宗教も、
恋も、政治も、労働も、
すべてが幾何学的に合《あは》されて、
神秘な踊《をどり》を断《た》えず舞ふ
大《だい》建築に変り行《ゆ》く。
ほんに、じつとしてはゐられぬ、
わたしも全身を投げ出して、
踊ろ、踊ろ。
踊つて止《や》まぬ殿堂の
白と赤との大理石《マルブル》の
人像柱《クリアテイイド》の一本に
諸手《もろて》を挙げて加はらう。
阿片《あへん》が燻《いぶ》る……
発動機《モツウル》が爆《は》ぜる……
楽《がく》が裂ける……
わが出《い》でんとする城の鉄の門に
斯《か》くこそ記《し》るされたれ。
その字の色は真紅《しんく》、
恐らくは先《さ》きに突破せし人の
みづから指を咬《か》める血ならん。
「生くることの権利と、
其《そ》のための一切の必要。」
われは戦慄《せんりつ》し且《か》つ躊躇《ため》らひしが、
やがて微笑《ほゝゑ》みて頷《うなづ》きぬ。
さて、すべて身に著《つ》けし物を脱ぎて
われを逐《お》ひ来《きた》りし人人《ひとびと》に投げ与へ、
われは玲瓏《れいろう》たる身一つにて逃《のが》れ出《い》でぬ。
されど一歩して
ほつと呼吸《いき》をつきし時、
あはれ目に入《い》るは
万里一白《いつぱく》の雪の広野《ひろの》……
われは自由を得たれども、
わが所有は、この刹那《せつな》、
否《いな》、永劫《えいごふ》[#ルビの「えいごふ」は底本では「えいがふ」]に、
この繊弱《かよわ》き身一つの外《ほか》に無かりき。
われは再び戦慄《せんりつ》したれども、
唯《た》だ一途《いちづ》に雪の上を進みぬ。
三日《みつか》の後《のち》
われは大いなる三つの岐路《きろ》に出《い》でたり。
ニイチエの過ぎたる路《みち》、
トルストイの過ぎたる路《みち》、
ドストイエフスキイの過ぎたる路《みち》、
われは其《そ》の何《いづ》れをも択《えら》びかねて、
沈黙と逡巡《しゆんじゆん》の中に、
暫《しばら》く此処《ここ》に停《とゞ》まりつつあり。
わが上の太陽は青白く、
冬の風四方《よも》に吹きすさぶ……
両手にて抱《いだ》かんとし、
手の先にて掴《つか》まんとする我等よ、
我等は過《あやま》ちつつあり。
手を揚げて、我等の
抱《いだ》けるは空《くう》の空《くう》、
我等の掴《つか》みたるは非我《ひが》。
唯《た》だ我等を疲れしめて、
すべて滑《すべ》り、
すべて逃《のが》れ去る。
いでや手の代りに
全身を拡げよ、
我等の所有は此内《このうち》にこそあれ。
我を以《もつ》て我を抱《いだ》けよ。
我を以《もつ》て我を掴《つか》め、
我に勝《まさ》る真実は無し。
友よ、今ここに
我世《わがよ》の心を言はん。
我は常に行《ゆ》き著《つ》かで
途《みち》の半《なかば》にある如《ごと》し、
また常に重きを負ひて
喘《あへ》ぐ人の如《ごと》し、
また寂《さび》しきことは
年長《とした》けし石婦《うまずめ》の如《ごと》し。
さて百千の段ある坂を
我はひた登りに登る。
わが世の力となるは
後ろより苛《さいな》む苦痛なり。
われは愧《は》づ、
静かなる日送りを。
そは怠惰と不純とを編める
灰色の大網《おほあみ》にして、
黄金《わうごん》の時を捕《とら》へんとしながら、
獲《う》る所は疑惑と悔《くい》のみ。
我が諸手《もろて》は常に高く張り、
我が目は常に見上げ、
我が口は常に呼び、
我が足は常に急ぐ。
されど、友よ、
ああ、かの太陽は遠し。
霧の籠《こ》めた、太洋《たいやう》の離れ島、
此島《このしま》の街はまだ寝てゐる。
どの茅屋《わらや》の戸の透間《すきま》からも
まだ夜《よる》の明りが日本酒色《いろ》を洩《もら》してゐる。
たまたま赤んぼの啼《な》く声はするけれど、
大人は皆たわいもない[#「たわいもない」は底本では「たはいもない」]夢に耽《ふけ》つてゐる。
突然、入港の号砲を轟《とゞろ》かせて
わたし達は夜中《よなか》に此処《ここ》へ著《つ》いた。
さうして時計を見ると、今、
陸の諸国でもう朝飯《あさはん》の済んだ頃《ころ》だ、
わたし達はまだホテルが見附《みつ》からない。
まだ兄弟の誰《た》れにも遇《あ》はない。
年《ねん》ぢゆう[#「年ぢゆう」は底本では「年ぢう」]旅してゐるわたし達は
世界を一つの公園と見てゐる。
さうして、自由に航海しながら、
なつかしい生れ故郷の此島《このしま》へ帰つて来た。
島の人間は奇怪な侵入者、
不思議な放浪者《バガボンド》[#ルビの「バガボンド」は底本では「バカホンド」]だと罵《のゝし》らう。
わたし達は彼等を覚《さま》さねばならない、
彼等を生《せい》の力に溢《あふ》れさせねばならない。
よその街でするやうに、
飛行機と露西亜《ロシア》バレエの調子で
彼等と一所《いつしよ》に踊らねばならない、
此島《このしま》もわたし達の公園の一部である。
何《なに》かためらふ、内気なる
わが繊弱《かよわ》なるたましひよ、
幼児《をさなご》のごと慄《わなゝ》きて
な言ひそ、死をば避けましと。
正しきに就《つ》け、たましひよ、
戦へ、戦へ、みづからの
しあはせのため、悔ゆるなく、
恨むことなく、勇みあれ。
飽くこと知らぬ口にこそ
世の苦しみも甘からめ。
わがたましひよ、立ち上がり、
生《せい》に勝たんと叫べかし。
わが暫《しばら》く立ちて沈吟《ちんぎん》せしは
三筋《みすぢ》ある岐《わか》れ路《みち》の中程《なかほど》なりき。
一つの路《みち》は崎嶇《きく》たる
石山《いしやま》の巓《いたゞき》に攀《よ》ぢ登り、
一つの路《みち》は暗き大野の
扁柏《いとすぎ》の森の奥に迷ひ、
一つの路《みち》は河に沿ひて
平沙《へいしや》の上を滑《すべ》り行《ゆ》けり。
われは幾度《いくたび》か引返さんとしぬ、
来《こ》し方《かた》の道には
人間《にんげん》三月《さんぐわつ》の花開き、
紫の霞《かすみ》、
金色《こんじき》の太陽、
甘き花の香《か》、
柔かきそよ風、
われは唯《た》だ幸ひの中に酔《ゑ》ひしかば。
されど今は行《ゆ》かん、
かの高き石山《いしやま》の彼方《かなた》、
あはれ其処《そこ》にこそ
猶《なほ》我を生かす路《みち》はあらめ。
わが願ふは最早《もはや》安息にあらず、
夢にあらず、思出《おもひで》にあらず、
よしや、足に血は流るとも、
一歩一歩、真実へ近づかん。
ああ森の巨人、
千年の大樹《だいじゆ》よ、
わたしはそなたの前に
一人《ひとり》のつつましい自然崇拝教徒である。
そなたはダビデ王のやうに
勇ましい拳《こぶし》を上げて
地上の赦《ゆる》しがたい
何《な》んの悪を打たうとするのか。
また、そなたはアトラス王が
世界を背中に負つてゐるやうに、
かの青空と太陽とを
両手で支へようとするのか。
そしてまた、そなたは
どうやら、心の奥で、
常に悩み、
常にじつと忍んでゐる。
それがわたしに解《わか》る、
そなたの鬱蒼《うつさう》たる枝葉《えだは》が
休む間《ま》無しに汗を流し、
休む間《ま》無しに戦《わなゝ》くので。
さう思つてそなたを仰ぐと、
希臘《ギリシヤ》闘士の胴のやうな
そなたの逞《たくま》しい幹が
全世界の苦痛の重さを
唯《た》だひとりで背負つて、
永遠の中に立つてゐるやうに見える。
或《ある》時、風と戦つては
そなたの梢《こづゑ》は波のやうに逆立《さかだ》ち、
荒海《あらうみ》の響《ひゞき》を立てて
勝利の歌を揚げ、
また或《ある》時、積む雪に圧《お》されながらも
そなたの目は日光の前に赤く笑つてゐる。
千年の大樹《だいじゆ》よ、
蜉蝣《ふいう》の命を持つ人間のわたしが
どんなにそなたに由《よ》つて
元気づけられることぞ。
わたしはそなたの蔭《かげ》を踏んで思ひ、
そなたの幹を撫《な》でて歌つてゐる。
ああ、願はくは、死後にも、
わたしはそなたの根方《ねがた》に葬られて、
そなたの清らかな樹液《セエヴ》と
隠れた|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、137-下-2]い涙とを吸ひながら、
更にわたしの地下の
飽くこと知らぬ愛情を続けたい。
なつかしい大樹《だいじゆ》よ、
もう、そなたは森の中に居ない、
常にわたしの魂《たましひ》の上に
爽《さわ》やかな広い蔭《かげ》を投げてゐる。
森の木蔭《こかげ》は日に遠く、
早く涼しくなるままに、
繊弱《かよわ》く低き下草《したくさ》は
葉末《はずゑ》の色の褪《あ》せ初《そ》めぬ。
われは雑草、しかれども
猶《なほ》わが欲を煽《あふ》らまし、
もろ手を延《の》べて遠ざかる
夏の光を追ひなまし。
死なじ、飽くまで生きんとて、
みづから恃《たの》むたましひは
かの大樹《だいじゆ》にもゆづらじな、
われは雑草、しかれども。
踊《をどり》、
踊《をどり》、
桃と桜の
咲いたる庭で、
これも花かや、紫に
円《まる》く輪を描《か》く子供の踊《をどり》。
踊《をどり》、
踊《をどり》、
天をさし上げ、
地を踏みしめて、
みんな凛凛《りゝ》しい身の構へ、
物に怖《おそ》れぬ男の踊《をどり》。
踊《をどり》、
踊《をどり》、
身をば斜めに
袂《たもと》をかざし、
振れば逆《さか》らふ風《かぜ》も無い、
派手に優しい女の踊《をどり》。
踊《をどり》、
踊《をどり》、
鍬《くは》を執《と》る振《ふり》、
糸引く姿、
そして世の中いつまでも
円《まる》く輪を描《か》く子供の踊《をどり》。
「働く外《ほか》は無いよ、」
「こんなに働いてゐるよ、僕達は、」
威勢のいい声が
頻《しき》りに聞《きこ》える。
わたしは其《その》声を目当《めあて》に近寄つた。
薄暗い砂の上に寝そべつて、
煙草《たばこ》の煙を吹きながら、
五六人の男が[#「男が」は底本では「男か」]
おなじやうなことを言つてゐる。
わたしもしよざいが無いので、
「まつたくですね」と声を掛けた。
すると、学生らしい一人《ひとり》が
「君は感心な働き者だ、
女で居ながら、」
斯《か》うわたしに言つた。
わたしはまだ働いたことも無いが、
褒《ほ》められた嬉《うれ》しさに
「お仲間よ」と言ひ返した。
けれども、目を挙げると、
その人達の塊《かたまり》の向うに、
夜《よる》の色を一層濃くして、
まつ黒黒《くろぐろ》と
大勢の人間が坐《すわ》つてゐる。
みんな黙つて俯《うつ》向き、
一秒の間《ま》も休まず、
力いつぱい、せつせと、
大きな網を編んでゐる。
三十女《さんじふをんな》の心は
陰影《かげ》も、煙《けぶり》も、
音も無い火の塊《かたまり》、
夕焼《ゆふやけ》の空に
一輪真赤《まつか》な太陽、
唯《た》だじつと徹《てつ》して燃えてゐる。
わが愛欲は限り無し、
今日《けふ》のためより明日《あす》のため、
香油をぞ塗る、更に塗る。
知るや、知らずや、恋人よ、
この楽しさを告げんとて
わが唇を君に寄す。
今夜の空は血を流し、
そして俄《には》かに気の触れた
嵐《あらし》が長い笛を吹き、
海になびいた藻《も》のやうに
断《た》えずゆらめく木の上を、
海月《くらげ》のやうに青ざめた
月がよろよろ泳ぎゆく。
真昼のなかに夜《よる》が来た。
空を行《ゆ》く日は青ざめて
氷のやうに冷えてゐる。
わたしの心を通るのは
黒黒《くろぐろ》とした蝶《てふ》のむれ。
新たに活《い》けた薔薇《ばら》ながら
古い香りを立ててゐる。
初めて聞いた言葉にも
昨日《きのふ》の声がまじつてる。
真実心《しんじつしん》を見せたまへ。
ほんに寂《さび》しい時が来た、
驚くことが無くなつた。
薄くらがりに青ざめて、
しよんぼり独り手を重ね、
恋の歌にも身が入《い》らぬ。
あはれ、やうやく我心《わがこゝろ》、
怖《おそ》るることを知り初《そ》めぬ、
たそがれ時の近づくに。
否《いな》とは云《い》へど、我心《わがこゝろ》、
あはれ、やうやくうら寒し。
山の動く日きたる、
かく云《い》へど、人これを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ、
その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。
されど、そは信ぜずともよし、
人よ、ああ、唯《た》だこれを信ぜよ、
すべて眠りし女、
今ぞ目覚《めざ》めて動くなる。
一人称にてのみ物書かばや、
我は寂《さび》しき片隅の女ぞ。
一人称にてのみ物書かばや、
我は、我は。
額《ひたひ》にも、肩にも、
わが髪ぞほつるる。
しほたれて湯滝《ゆだき》に打たるる心もち……
ほつとつく溜息《ためいき》は火の如《ごと》く且《か》つ狂ほし。
かかること知らぬ男、
我を褒《ほ》め、やがてまた譏《そし》るらん。
われは愛《め》づ、新しき薄手《うすで》の白磁の鉢を。
水もこれに湛《たた》ふれば涙と流れ、
花もこれに投げ入《い》るれば火とぞ燃ゆる。
恐るるは粗忽《そこつ》なる男の手に砕けんこと、
素焼の土器よりも更に脆《もろ》く、かよわく……
青く、且《か》つ白く、
剃刀《かみそり》の刄《は》のこころよきかな。
暑き草いきれにきりぎりす啼《な》き、
ハモニカを近所の下宿にて吹くは憂《う》たて[#「憂たて」は底本では「憂れた」]けれども、
我が油じみし櫛笥《くしげ》の底をかき探れば、
陸奥紙《みちのくがみ》に包みし細身の剃刀《かみそり》こそ出《い》づるなれ。
にがきか、からきか、煙草《たばこ》の味。
煙草の味は云《い》ひがたし。
甘《うま》きぞと云《い》はば、粗忽《そこつ》者、
蜜《みつ》、砂糖の類《たぐひ》と思はん。
我は近頃《ちかごろ》煙草《たばこ》を喫《の》み習へど、
喫《の》むことを人に秘めぬ。
蔭口《かげぐち》に、男に似ると云《い》はるるはよし、
唯《た》だ恐る、かの粗忽《そこつ》者こそ世に多けれ。
「鞭《むち》を忘るな」と
ヅアラツストラは云《い》ひけり。
「女こそ牛なれ、羊なれ。」
附《つ》け足して我ぞ云《い》はまし、
「野に放《はな》てよ」
わが祖母の母は我が知らぬ人なれども、
すべてに華奢《きやしや》を好みしとよ。
水晶の珠数《じゆず》にも倦《あ》き、珊瑚《さんご》の珠数《じゆず》にも倦《あ》き、
この青玉《せいぎよく》の珠数《じゆず》を爪繰《つまぐ》りしとよ。
我はこの青玉《せいぎよく》の珠数《じゆず》を解きほぐして、
貧しさに与ふべき玩具《おもちや》なきまま、
一つ一つ我が子等《こら》の手にぞ置くなる。
わが歌の短ければ、
言葉を省くと人思へり。
わが歌に省くべきもの無し、
また何《なに》を附《つ》け足さん。
わが心は魚《うを》ならねば鰓《えら》を持たず、
唯《た》だ一息にこそ歌ふなれ。
すいつちよよ、すいつちよよ、
初秋《はつあき》の小《ち》さき篳篥《ひちりき》を吹くすいつちよよ、
その声に青き蚊帳《かや》は更に青し。
すいつちよよ、なぜに声をば途切らすぞ、
初秋《はつあき》の夜《よ》の蚊帳《かや》は錫箔《すゞはく》の如《ごと》く冷たきを……
すいつちよよ、すいつちよよ。
あぶら蝉《ぜみ》の、じじ、じじと啼《な》くは
アルボオス石鹸《しやぼん》の泡なり、
慳貪《けんどん》なる商人《あきびと》の方形《はうけい》に開《ひら》く大口《おほぐち》なり、
手掴《てづか》みの二銭銅貨なり、
いつの世もざらにある芸術の批評なり。
夏の夜《よ》のどしやぶりの雨……
わが家《いへ》は泥田《どろた》の底となるらん。
柱みな草の如《ごと》くに撓《たわ》み、
それを伝ふ雨漏りの水は蛇の如《ごと》し。
寝汗の香《か》……哀れなる弱き子の歯ぎしり……
青き蚊帳《かや》は蛙《かへる》の喉《のど》の如《ごと》くに膨《ふく》れ、
肩なる髪は眼子菜《ひるむしろ》のやうに戦《そよ》ぐ。
このなかに青白き我顔《わがかほ》こそ
芥《あくた》に流れて寄れる月見草《つきみさう》の蕊《しべ》なれ。
相共《あひとも》にその自《みづか》らの力を試さぬ人と行《ゆ》かじ、
彼等の心には隙《すき》あり、油断あり。
よしもなき事ども――
善悪と云《い》ふ事どもを思へるよ。
過去はたとひ青き、酸《す》き、充《み》たざる、
如何《いか》にありしとも、
今は甘きか、匂《にほ》はしきか、
今は舌を刺す力あるか、無きか、
君よ、今の役に立たぬ果実《このみ》を摘むなかれ。
商人《あきびと》らの催せる饗宴《きやうえん》に、
我の一人《ひとり》まじれるは奇異ならん、
我の周囲は目にて満ちぬ。
商人《あきびと》らよ、晩餐《ばんさん》を振舞へるは君達なれど、
我の食らふは猶《なほ》我の舌の味《あぢは》ふなり。
さて、商人《あきびと》らよ、
おのおの、その最近の仕事に就《つ》いて誇りかに語れ、
我はさる事をも聴くを喜ぶ。
かの歯車は断間《たえま》なく動けり、
静かなるまでいと忙《せは》しく動けり、
彼《か》れに空《むな》しき言葉無し、
彼《か》れのなかに一切を刻むやらん。
すべて異性の手より受取るは、
温かく、やさしく、匂《にほ》はしく、派手に、
胸の血の奇《あや》しくもときめくよ。
女のみありて、
女の手より女の手へ渡る物のうら寂《さび》しく、
冷たく、力なく、
かの茶人《ちやじん》の間《あひだ》に受渡す言葉の如《ごと》く
寒くいぢけて、質素《ぢみ》[#ルビの「ぢみ」は底本では「じみ」]なるかな。
このゆゑに我は女の味方ならず、
このゆゑに我は裏切らぬ男を嫌ふ。
かの袴《はかま》のみけばけばしくて
寂《さび》しげなる女のむれよ、
かの傷もたぬ紳士よ。
わが心は油よ、
より多く火をば好めど、
水に附《つ》き流るるも是非なや。
鞣《なめ》さざる象皮《ざうひ》の如《ごと》く、
受精せざる蛋《たまご》の如《ごと》く、
胎《たい》を出《い》でて早くも老《お》いし顔する駱駝《らくだ》の子の如《ごと》く、
目を過ぐるもの、凡《およ》そこの三種《みくさ》を出《い》でず。
彼等は此《この》国の一流の人人《ひとびと》なり。
白蟻《しろあり》の仔虫《しちう》こそいたましけれ、
職虫《しよくちう》の勝手なる刺激に由《よ》り、
兵虫《へいちう》とも、生殖虫とも、職虫《しよくちう》とも、
即《すなは》ち変へらるるなり。
職虫《しよくちう》の勝手なる、無残なる刺激は
陋劣《ろうれつ》にも食物《しよくもつ》をもてす。
さてまた、其等《それら》各種の虫の多きに過ぐれば
職虫《しよくちう》はやがて刺し殺して食らふとよ。
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幻想と風景
(雑詩八十七章)
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今、暁《あかつき》の
太陽の会釈に、
金色《こんじき》の笑ひ
天の隅隅《すみずみ》に降り注ぐ。
彼《か》れは目覚《めざ》めたり、
光る鶴嘴《つるはし》
幅びろき胸、
うしろに靡《なび》く
空色の髪、
わが青年は
悠揚《いうやう》として立ち上がる。
裸体なる彼《か》れが
冒険の旅は
太陽のみ知りて、
空より見て羨《うらや》めり。
青年の行手《ゆくて》には、
蒼茫《さうばう》たる
無辺の大地、
その上に、遥《はる》かに長く
濃き紫の一線
縦に、前へ、
路《みち》の如《ごと》く横たはるは、
唯《た》だ、彼《か》れの歩み行《ゆ》く
孤独の影のみ。
今、暁《あかつき》の
太陽のみ
光の手を伸べて
彼《か》れを見送る。
おお大地震《だいぢしん》と猛火、
その急激な襲来にも
我我は堪《た》へた。
一難また一難、
何《な》んでも来《こ》よ、
それを踏み越えて行《ゆ》く用意が
しかと何時《いつ》でもある。
大自然のあきめくら、
見くびつてくれるな、
人間には備はつてゐる、
刹那《せつな》に永遠を見通す目、
それから、上下左右へ
即座に方向転移の出来る
飛躍自在の魂《たましひ》。
おお此《こ》の魂《たましひ》である、
鋼《はがね》の質を持つた種子《たね》、
火の中からでも芽をふくものは。
おお此《こ》の魂《たましひ》である、
天の日、太洋《たいやう》の浪《なみ》、
それと共に若やかに
燃え上がり躍り上がるのは。
我我は「無用」を破壊して進む。
見よ、大自然の暴威も
時に我我の助手を勤める。
我我は「必要」を創造して進む。
見よ、溌溂《はつらつ》たる素朴と
未曾有《みぞう》[#ルビの「みぞう」は底本では「みそうう」]の喜びの
精神と様式とが前に現れる。
誰《たれ》も昨日《きのふ》に囚《とら》はれるな、
我我の生活のみづみづしい絵を
塗りの剥《は》げた額縁に入《い》れるな。
手は断《た》えず一《いち》から図を引け、
トタンと荒木《あらき》の柱との間《あひだ》に、
汗と破格の歌とを以《もつ》て
かんかんと槌《つち》の音を響かせよ。
法外な幻想に、
愛と、真実と、労働と、
科学とを織り交ぜよ。
古臭い優美と泣虫とを捨てよ、
歴史的哲学と、資本主義と、
性別と、階級別とを超えた所に、
我我は皆自己を試さう。
新しく生きる者に
日は常に元日《ぐわんじつ》、
時は常に春。
百の禍《わざはひ》も何《なに》ぞ、
千の戦《たゝかひ》で勝たう。
おお窓毎《まどごと》に裸の太陽、
軒毎《のきごと》に雪の解けるしづく。
今、一千九百十九年の
最初の太陽が昇る。
美《うつ》くしいパステルの
粉《こな》絵具に似た、
浅緑《あさみどり》と淡黄《うすき》と
菫《すみれ》いろとの
透《す》きとほりつつ降り注ぐ
静かなる暁《あかつき》の光の中、
東の空の一端に、
天をつんざく
珊瑚紅《さんごこう》の熔岩《ラ》――
新しい世界の噴火……
わたしは此時《このとき》、
新しい目を逸《そら》さうとして、
思はずも見た、
おお、彼処《かしこ》にある、
巨大なダンテの半面像《シルエツト》が、
巍然《ぎぜん》として、天の半《なかば》に。
それはバルジエロの壁に描《か》かれた
青い冠《かんむり》に赤い上衣《うはぎ》、
細面《ほそおもて》に
凛凛《りゝ》しい上目《うはめ》づかひの
若き日の詩人と同じ姿である。
あれ、あれ、「新生」のダンテが
その優《やさ》しく気高《けだか》い顔を
一《いつ》ぱいに紅《あか》くして微笑《ほゝゑ》む。
人人《ひとびと》よ、戦後の第一年に、
わたしと同じ不思議が見たくば、
いざ仰《あふ》げ、共に、
朱《しゆ》に染まる今朝《けさ》の富士を。
石垣の上に細路《ほそみち》、
そして、また、上に石垣、
磯《いそ》の潮で
千年の「時」が磨減《すりへ》らした
大きな円石《まろいし》を
層層《そうそう》と積み重ねた石垣。
どの石垣の間《あひだ》からも
椿《つばき》の木が生《は》えてゐる。
|琅《らうかん》のやうな白い幹、
青銅のやうに光る葉、
小柄な支那《しな》の貴女《きぢよ》が
笑つた口のやうな紅《あか》い花。
石垣の崩れた処《ところ》には
山の切崖《きりぎし》が
煉瓦色《れんがいろ》の肌を出し、
下には海に沈んだ円石《まろいし》が
浅瀬の水を透《とほ》して
亀《かめ》の甲のやうに並んでゐる。
沖の初島《はつしま》の方から
折折《をりをり》に風が吹く。
その度に、近い所で
小《ち》さい浪頭《なみがしら》がさつと立ち、
石垣の椿《つばき》が身を揺《ゆす》つて
落ちた花がぼたりと水に浮く。
正月元日《ぐわんじつ》、里《さと》ずまひ、
喜びありて眺むれば、
まだ木枯《こがらし》はをりをりに
向ひの丘を過ぎながら
高い鼓弓《こきふ》を鳴らせども、
軒端《のきは》の日ざし温かに、
ちらり、ほらりと梅が咲く。
上には晴れた空の色、
濃いお納戸《なんど》の支那繻子《しなじゆす》に、
光、光と云《い》ふ文字を
銀糸《ぎんし》で置いた繍《ぬひ》の袖《そで》、
春が著《き》て来た上衣《うはぎ》をば
枝に掛けたか、打香《うちかを》り、
ちらり、ほらりと梅が咲く。
薄暗がりの地平に
大火の祭。
空が焦げる、
海が燃える。
珊瑚紅《さんごこう》から
黄金《わうごん》の光へ、
眩《まば》ゆくも変りゆく
焔《ほのほ》の舞。
曙《あけぼの》の雲間《くもま》から
子供らしい円《まろ》い頬《ほ》を
真赤《まつか》に染めて笑ふ
地上の山山。
今、焔《ほのほ》は一《ひと》揺れし、
世界に降らす金粉《きんぷん》。
不死鳥《フエニクス》の羽羽《はば》たきだ。
太陽が現れる。
春が来た。
せまい庭にも日があたり、
張物板《はりものいた》の紅絹《もみ》のきれ、
立つ陽炎《かげろふ》も身をそそる。
春が来た。
亜鉛《とたん》の屋根に、ちよちよと、
妻に焦《こが》れてまんまろな
ふくら雀《すゞめ》もよい形《かたち》。
春が来た。
遠い旅路の良人《をつと》から
使《つかひ》に来たか、見に来たか、
わたしを泣かせに唯《た》だ来たか。
春が来た。
朝の汁《スウプ》にきりきざむ
蕗《ふき》の薹《たう》にも春が来た、
青いうれしい春が来た。
春よ春、
街に来てゐる春よ春、
横顔さへもなぜ見せぬ。
春よ春、
うす衣《ぎぬ》すらもはおらずに
二月の肌を惜《をし》むのか。
早く注《さ》せ、
あの大川《おほかは》に紫を、
其処《そこ》の並木にうすべにを。
春よ春、
そなたの肌のぬくもりを
微風《そよかぜ》として軒《のき》に置け。
その手には
屹度《きつと》、蜜《みつ》の香《か》、薔薇《ばら》の夢、
乳《ちゝ》のやうなる雨の糸。
想《おも》ふさへ
好《よ》しや、そなたの贈り物、
そして恋する赤い時。
春よ春、
おお、横顔をちらと見た。
緑の雪が散りかかる。
わが前に梅の花、
淡《うす》き緑を注《さ》したる白、
ルイ十四世《じふしせ》の白、
上には瑠璃《るり》色の
支那絹《しなぎぬ》の空、
目も遥《はる》に。
わが前に梅の花、
心は今、
白金《はくきん》の巣に
香《か》に酔《ゑ》ふ小鳥、
ほれぼれと、一節《ひとふし》、
高音《たかね》に歌はまほし。
わが前に梅の花、
心は更に、
空想の中なる、
羅馬《ロオマ》を見下《みおろ》す丘の上の、
大理石の柱廊《ちゆうらう》[#ルビの「ちゆうらう」は底本では「ちうらう」]に
片手を掛けたり。
おお、ひと枝の
花屋の荷のうへの
紅梅の花、
薄暗《うすくら》い長屋の隅で
ポウブルな母と娘が
つぎ貼《は》りした障子の中の
冬の明《あか》りに、
うつむいて言葉すくなく、
わづかな帛片《きれ》と
糊《のり》と、鋏《はさみ》と、木の枝と、
青ざめた指とを用ひて、
手細工《てざいく》に造つた花と云《い》はうか。
いぢらしい花よ、
涙と人工との
羽二重の赤玉《あかだま》を綴《つゞ》つた花よ、
わたしは悲しい程そなたを好く。
なぜと云《い》ふなら、
そなたの中に私がある、
私の中にそなたがある。
そなたと私とは
厳寒《げんかん》と北風《きたかぜ》とに曝《さら》されて、
あの三月《さんぐわつ》に先だち、
怖《おそ》る怖《おそ》る笑つてゐる。
空は瑠璃《るり》いろ、雨のあと、
並木の柳、まんまろく
なびく新芽の浅みどり。
すこし離れて見るときは、
散歩の路《みち》の少女《をとめ》らが
深深《ふかぶか》とさす日傘《パラソル》か。
蔭《かげ》に立寄り見る時は、
絵のなかに舞ふ鳳凰《ほうわう》の
雲より垂れた錦尾《にしきを》か。
空は瑠璃《るり》いろ、雨のあと、
並木の柳、その枝を
引けば翡翠《ひすゐ》の露が散る。
牛込見附《うしごめみつけ》の青い色、
わけて柳のさばき髪《がみ》、
それが映つた濠《ほり》の水。
柳の蔭《かげ》のしつとりと
黒く濡《ぬ》れたる朝じめり。
垂れた柳とすれすれに
白い護謨輪《ごむわ》の馳《は》せ去れば、
あとに我児《わがこ》の靴のおと。
黄いろな電車を遣《や》りすごし、
見上げた高い神楽坂《かぐらざか》、
何《なに》やら軽《かろ》く、人ごみに
気おくれのする快さ。
我児《わがこ》の手からすと離れ、
風船玉《だま》が飛んでゆく、
軒《のき》から軒《のき》へ揚《あが》りゆく。
柳の青む頃《ころ》ながら、
二月の風は殺気《さつき》だち、
都の街の其処《そこ》ここに
砂の毒瓦斯《どくがす》、砂の灰、
砂の地雷を噴き上げる。
よろよろとして、濠端《ほりばた》に
山高帽を抑《おさ》へたる
洋服づれの逃げ足の
操人形《あやつり》に似る可笑《をか》しさを、
外目《よそめ》に笑ふひまも無く、
さと我顔《わがかほ》に吹きつくる
痛き飛礫《つぶて》に目ふさげば、
軽《かろ》き眩暈《めまひ》に身は傾《かし》ぎ、
思はずにじむ涙さへ
砂の音して、あぢきなし。
二月の風の憎きかな、
乱るる裾《すそ》は手に取れど、
髪も袂《たもと》も鍋鶴《なべづる》の
灰色したる心地して、
砂の煙《けぶり》に羽羽《はば》たきぬ。
にはかに人の胸を打つ
高い音《ね》じめの弥生《やよひ》かな、
支那《しな》の鼓弓《こきう》の弥生《やよひ》かな。
かぼそい靴を爪立《つまだ》てて
くるりと旋《めぐ》る弥生《やよひ》かな、
露西亜《ロシア》バレエの弥生《やよひ》かな。
薔薇《ばら》に並んだチユウリツプ、
黄金《きん》[#ルビの「きん」は底本では「ん」]」と白との弥生《やよひ》かな、
ルイ十四世《じふしせい》の弥生《やよひ》かな。
ああ、今やつと目の醒《さ》めた
はればれとせぬ、薄い黄の
メランコリツクの太陽よ、
霜、氷、雪、北風の
諒闇《りやうあん》の日は過ぎたのに、
永く見詰めて寝通《ねとほ》した
暗い一間《ひとま》を脱け出して、
柳並木の河岸《かし》通《どほ》り
塗り替へられた水色の
きやしやな露椅子《バンク》に腰を掛け、
白い諸手《もろて》を細杖《ほそづゑ》の
銀の把手《とつて》に置きながら、
風を怖《おそ》れて外套《ぐわいたう》の
淡《うす》い焦茶の襟を立て、
病《やまひ》あがりの青ざめた
顔を埋《うづ》めて下を向く
若い男の太陽よ。
しかし早くも、美《うつ》くしい
うすくれなゐの微笑《ほゝゑみ》は
太陽の頬《ほ》にさつと照り、
掩《おほ》ひ切れざる喜びの
底ぢからある目差《まなざし》は
金《きん》の光をちらと射る。
あたりを見れば、桃さくら、
エリオトロオプ、チユウリツプ、
小町《こまち》娘を選《よ》りぬいた
花の踊りの幾むれが
春の歌をば口口《くちぐち》に
細い腕《かひな》をさしのべて、
ああ太陽よ、新しく
そなたを祝ふ朝が来た。
もとより若い太陽に
春は途中の駅《しく》なれば、
いざ此処《ここ》にして胸を張り
全身の血を香らせて
花と青葉を呼吸せよ、
いざ魂《たましひ》をすこやかに
はた清くして、晶液《しやうえき》の
滴《したゝ》る水に身を洗へ。
やがて、そなたの行先《ゆくさき》は
すべての溝が毒に沸《わ》き、
すべての街が悪に燃え、
腐れた匂《にほ》ひ、|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、165-上-4]い気息《いき》、
雨と洪水、黴《かび》と汗、
蠕虫《うじ》[#ルビの「うじ」は底本では「うぢ」]、バクテリヤ、泥と人、
其等《それら》の物の入《い》りまじり、
濁り、泡立ち、咽《む》せ返る
夏の都を越えながら、
汚《けが》れず、病まず、悲《かなし》まず、
信と勇気の象形《うらかた》に
細身の剣と百合《ゆり》を取り、
ああ太陽よ、悠揚《いうやう》と
秋の野山に分け入《い》れよ、
其処《そこ》にそなたの唇は
黄金《きん》の果実《このみ》に飽くであろ。
雑草こそは賢けれ、
野にも街にも人の踏む
路《みち》を残して青むなり。
雑草こそは正しけれ、
如何《いか》なる窪《くぼ》も平《たひら》かに
円《まろ》く埋《うづ》めて青むなり。
雑草こそは情《なさけ》あれ、
獣《けもの》のひづめ、鳥の脚《あし》、
すべてを載せて青むなり。
雑草こそは尊《たふと》けれ、
雨の降る日も、晴れし日も、
微笑《ほゝゑ》みながら青むなり。
すくすく伸びた枝毎《えだごと》に
円《まろ》くふくらむ好《よ》い蕾《つぼみ》。
若い健気《けなげ》な創造の
力に満ちた桃の花。
この世紀から改まる
女ごころの譬《たとへ》にも
私は引かう、華やかに
この美《うつ》くしい桃の花。
ひと目見るなり、太陽も、
風も、空気も、人の頬《ほ》も、
さつと真赤《まつか》に酔《ゑ》はされる
愛と匂《にほ》ひの桃の花。
女の明日《あす》の※情《ねつじやう》[#「執/れんが」、U+24360、166-下-6]が
世をば平和にする如《ごと》く、
今日《けふ》の世界を三月《さんぐわつ》の
絶頂に置く桃の花。
ああ三月《さんぐわつ》のそよかぜ、
蜜《みつ》と、香《か》と、日光とに
そのたをやかな身を浸して、
春の舞台に登るそよかぜ。
そなたこそ若き日の初恋の
あまき心を歌ふ序曲なれ。
たよたよとして微触《ほの》かなれども、
いと長きその喜びは既に溢《あふ》る。
また、そなたこそ美しきジユリエツトの
ロメオに投げし燃ゆる目なれ。
また、フランチエスカとパウロとの[#「パウロとの」は底本では「バウロとの」]
額《ぬか》寄せて心酔《ゑ》ひつつ読みし書《ふみ》なれ。
ああ三月《さんぐわつ》のそよかぜ、
今、そなたの第一の微笑《ほゝゑ》みに、
人も、花も、胡蝶《こてふ》も、
わなわなと胸踊る、胸踊る。
花の中なる京をんな、
薄花《うすはな》ざくら眺むれば、
女ごころに晴れがまし。
女同士とおもへども、
女同士の気安さの
中に何《なに》やら晴れがまし。
春の遊びを愛《め》づる君、
知り給《たま》へるや、この花の
分けていみじき一時《ひととき》を。
日は今西に移り行《ゆ》き、
知り給《たま》へるや、木《こ》がくれて、
青味を帯びしひと時を。
日は今西に移り行《ゆ》き、
静かに霞《かす》む春の昼、
花は泣かねど人ぞ泣く。
赤くぼかした八重ざくら、
その蔭《かげ》ゆけば、ほんのりと、
歌舞伎《かぶき》芝居に見るやうな
江戸の明《あか》りが顔にさし、
ひと枝折れば、むすめ気《ぎ》の、
おもはゆながら、絃《いと》につれ、
何《なに》か一《ひと》さし舞ひたけれ。
さてまた小雨《こさめ》ふりつづき、
目を泣き脹《は》らす八重ざくら、
その散りがたの艶《いろ》めけば、
豊國《とよくに》の絵にあるやうな、
繻子《じゆす》の黒味の落ちついた
昔の帯をきゆうと締め、
身もしなやかに眺めばや。
工場《こうば》の窓で今日《けふ》聞くは
慣れぬ稼《かせ》ぎの涙雨《なみだあめ》、
弥生《やよひ》と云《い》へど、美《うつ》くしい
柳の枝に降りもせず、
煉瓦《れんが》の塀や、煙突や、
トタンの屋根に濡《ぬ》れかかり、
煤《すゝ》と煙を溶《と》きながら、
石炭殻《がら》に沁《し》んでゆく。
雨はいぢらし、思ひ出す、
こんな雨にも思ひ出す、
母がこと、また姉がこと、
そして門田《かどた》のれんげ草。
賓客《まらうど》[#ルビの「まらうど」は底本では「まろうど」]よ、
いざ入《い》りたまへ、
否《いな》、しばし待ちたまへ、
その入口《いりくち》の閾《しきゐ》に。
知りたまふや、賓客《まらうど》よ、
ここに我心《わがこゝろ》は
幸運の俄《には》かに来《きた》れる如《ごと》く、
いみじくも惑へるなり。
なつかしき人、
今、われに
これを得させたまへり、
一抱《ひとかゝ》へのかずかずの薔薇《ばら》。
如何《いか》にすべきぞ、
この堆《うづたか》き
めでたき薔薇《ばら》を、
両手《もろで》に余る薔薇《ばら》を。
この花束のままに[#「花束のままに」は底本では「花束のまにまに」]
太き壺《つぼ》にや活《い》けん、
とりどりに
小《ち》さき瓶《かめ》にや分《わか》たん。
先《ま》づ、何《なに》はあれ、
この薄黄《うすき》なる大輪《たいりん》を
賓客《まらうど》よ、
君が掌《てのひら》に置かん。
花に足る喜びは、
美《うつ》くしきアントニオを載せて
羅馬《ロオマ》を船出《ふなで》せし
クレオパトラも知らじ。
まして、風流《ふうりう》の大守《たいしゆ》、
十二の金印《きんいん》を佩《お》びて、
楊州《やうしう》に下《くだ》る楽《たのし》みは
言ふべくも無し。
いざ入《い》りたまへ、
今日《けふ》こそ我が仮の家《いへ》も、
賓客《まらうど》よ、君を迎へて、
飽かず飽かず語らまほしけれ。
×
一つの薔薇《ばら》の瓶《かめ》は
梅原さんの
寝たる女の絵の前に置かん。
一つの薔薇《ばら》の瓶《かめ》は
ロダンの写真と
並べて置かん。
一つの薔薇《ばら》の瓶《かめ》は
君と我との
間《あひだ》の卓に置かん。
さてまた二つの薔薇《ばら》の瓶《かめ》は
子供達の
部屋部屋に分けて置かん。
あとの一つの瓶《かめ》は
何処《いづこ》にか置くべき。
化粧《けはひ》の間《ま》にか、
あの粗末なる鏡に
影映らば
花のためにいとほし。
若き藻風《さうふう》の君の
来たまはん時のために、
客間の卓の
葉巻の箱に添へて置かん。
×
今日《けふ》、わが家《いへ》には
どの室《しつ》にも薔薇《ばら》あり。
我等は生きぬ、
香味《かうみ》と、色と、
春と、愛と、
光との中に。
なつかしき博士《はかせ》夫人、
その花園《はなぞの》の薔薇《ばら》を、
朝露《あさつゆ》の中に摘みて、
かくこそ豊かに
贈りたまひつれ。
どの室《しつ》にも薔薇《ばら》あり。
同じ都に住みつつ、
我は未《いま》だその君を
まのあたり見ざれど、
匂《にほ》はしき御心《みこころ》の程は知りぬ、
何時《いつ》も、何時《いつ》も、
花を摘みて賜《たま》へば。
×
われは宵より
暁《あかつき》がたまで
書斎にありき。
物書くに筆躍りて
狂ほしくはずむ心は
※病《ねつびやう》[#「執/れんが」、U+24360、172-下-7]の人に似たりき。
振返れば、
隅なる書架の上に、
博士《はかせ》夫人の賜《たま》へる
焔《ほのほ》の色の薔薇《ばら》ありき。
思はずも、我は
手を伸べて叫びぬ、
「おお、我が待ちし
七つの太陽は其処《そこ》に」と。
×
今朝《けさ》、わが家《いへ》の
どの室《しつ》の薔薇《ばら》も、
皆、唇なり。
春の唇、
本能の唇、
恋人の唇、
詩人の唇、
皆、微笑《ほゝゑ》める唇なり、
皆、歌へる唇なり。
×
あはれ、何《なん》たる、
若やかに、
好色好色《すきずき》しき
微風《そよかぜ》ならん。
青磁の瓶《かめ》の蔭《かげ》に
宵より忍び居て、
この暁《あかつき》、
大輪《たいりん》の薔薇《ばら》の
仄《ほの》かに落ちし
真赤《まつか》なる
一片《ひとひら》の下《もと》に、
あへなくも圧《お》されて、
息を香《か》に代へぬ。
×
瓶毎《かめごと》に
わが侍《かしづ》き護《まも》る
宝玉《はうぎよく》の如《ごと》き
めでたき薔薇《ばら》、
天《あま》つ日の如《ごと》き
盛りの薔薇《ばら》、
恋知らぬ天童《てんどう》の如《ごと》き
清らなる薔薇《ばら》、
これらの花よ、
人間の身の
われ知りぬ、
及び難《がた》しと。
此処《ここ》に
われに親しきは、
肉身の深き底より
已《や》むに已《や》まれず
燃えあがる※情《ねつじやう》[#「執/れんが」、U+24360、174-上-12]の
其《そ》れにひとしき紅《あか》き薔薇《ばら》、
はた、逸早《いちはや》く
愁《うれひ》を知るや、
青ざめて、
月の光に似たる薔薇《ばら》、
深き疑惑に沈み入《い》る
烏羽玉《うはたま》の黒き薔薇《ばら》。
×
薔薇《ばら》がこぼれる。
ほろりと、秋の真昼、
緑の四角な瓶《かめ》から
卓の上へ静かにこぼれる。
泡のやうな塊《かたまり》、
月の光のやうな線、
ラフワエルの花神《フロラ》の絵の肉色《にくいろ》。
つつましやかな薔薇《ばら》は
散る日にも悲しみを秘めて、
修道院の壁に凭《よ》る
尼達のやうには青ざめず、
清く貴《あて》やかな処女の
高い、温かい寂《さび》しさと、
みづから抑《おさ》へかねた妙香《めうかう》の
金色《こんじき》をした雰囲気《アトモスフエエル》との中に、
わたしの書斎を浸してゐる。
×
まあ華やかな、
けだかい、燃え輝いた、
咲きの盛りの五月《ごぐわつ》の薔薇《ばら》。
どうして来てくれたの、
このみすぼらしい部屋へ、
この疵《きず》だらけの卓《テエブル》の上へ、
薔薇《ばら》よ、そなたは
どんな貴女《きぢよ》の飾りにも、
どんな美しい恋人の贈物にも、
ふさはしい最上の花である。
もう若さの去つた、
そして平凡な月並の苦労をしてゐる、
哀れな忙《せは》しい私が
どうして、そなたの友であらう。
人間の花季《はなどき》は短い、
そなたを見て、私は
今ひしひしと是《こ》れを感じる。
でも、薔薇《ばら》よ、
私は窓掛を引いて、
そなたを陰影《かげ》の中に置く。
それは、あの太陽に
そなたを奪はせないためだ、
猶《なほ》、自分を守るやうに、
そなたを守りたいためだ。
おお、真赤《まつか》なる神秘の花、
天啓の花、牡丹《ぼたん》。
ひとり地上にありて
かの太陽の心を知れる花、牡丹《ぼたん》。
愛の花、|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、176-上-8]の花、
幻想の花、焔《ほのほ》の花、牡丹《ぼたん》。
コンテツス・ド・ノワイユを、
ルノワアルを、梅蘭芳《メイランフワン》を、
梅原龍三郎《りようざぶらう》を連想する花、牡丹《ぼたん》。
おお、そなたは、また、
宇宙の不思議に酔《ゑ》へる哲人の
大歓喜《だいくわんぎ》を示す記号《アンブレエム》、牡丹《ぼたん》。
また詩人が常に建つる
※情《ねつじやう》[#「執/れんが」、U+24360、176-下-5]の宝楼《はうろう》の
柱頭《ちゆうとう》[#ルビの「ちゆうとう」は底本では「ちうとう」]を飾る火焔模様、牡丹《ぼたん》。
また、青春の秘経《ひきやう》の奥に
愛と栄華を保証する
運命の黄金《きん》の大印《たいいん》、牡丹《ぼたん》。
おお、そなたは、また、
新しき思想が我に差出す
甘き接吻《ベエゼ》の唇、牡丹《ぼたん》。
我は狂ほしき眩暈《めまひ》の中に
そを受けぬ、そを吸ひぬ、
|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、177-上-1]き、|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、177-上-1]きヒユウマニズムの唇、牡丹《ぼたん》。
おお、今こそ目を閉ぢて見る我が奥に、
そなたは我が愛、我が心臓、
我が真赤《まつか》なる心の花、牡丹《ぼたん》。
初夏《はつなつ》が来た、初夏《はつなつ》は
髪をきれいに梳《す》き分けた
十六七の美少年。
さくら色した肉附《にくづき》に、
ようも似合うた詰襟《つめえり》の
みどりの上衣《うはぎ》、しろづぼん。
初夏《はつなつ》が来た、初夏《はつなつ》は
青い焔《ほのほ》を沸《わ》き立たす
南の海の精であろ。
きやしやな前歯に麦の茎
ちよいと噛《か》み切り吹く笛も
つつみ難《がた》ない火の調子。
初夏《はつなつ》が来た、初夏《はつなつ》は
ほそいづぼんに、赤い靴、
杖《つゑ》を振り振り駆けて来た。
そよろと匂《にほ》ふ追風《おひかぜ》に、
枳殻《きこく》の若芽、けしの花、
青梅《あをうめ》の実も身をゆする。
初夏《はつなつ》が来た、初夏《はつなつ》は
五行ばかりの新しい
恋の小唄《こうた》をくちずさみ、
女の呼吸《いき》のする窓へ、
物を思へど、蒼白《あをじろ》い
百合《ゆり》の陰翳《かげ》をば投げに来た。
おお、暑い夏、今年の夏、
ほんとうに夏らしい夏、
不足の言ひやうのない夏、
太陽のむき出しな
心臓の皷動《こどう》に調子を合せて、
万物が一斉に
うんと力《りき》み返り、
肺一《いつ》ぱいの息を太くつき
たらたらと汗を流し、
芽と共に花を、
花と共に香りを、
愛と共に歌を、
歌と共に踊りを、
内から投げ出さずにゐられない夏、
金色《こんじき》に光る夏、
真紅《しんく》に炎上する夏、
火の粉《こ》を振撒《ふりま》く夏、
機関銃で掃射する夏、
沸騰する焼酎《せうちう》の夏、
乱舞する獅子頭《ししかしら》の夏、
かう云《い》ふ夏のあるために
万物は目を覚《さま》し、
天地《てんち》初生《しよせい》の元気を復活し、
救はれる、救はれる、
沈滞と怠慢とから、
安易と姑息《こそく》とから、
小さな怨嗟《ゑんさ》から、
見苦《みぐるし》い自己忘却から、
サンチマンタルから、
無用の論議から……
おお、密雲の近づく中の
霹靂《へきれき》の一音《いちおん》、
それが振鈴《しんれい》だ、
見よ、今、
赫灼《かくしやく》たる夏の女王《ぢよわう》の登場。
ああ、五月《ごぐわつ》、
そなたは、美《うつ》くしい
季節の処女《をとめ》
太陽の花嫁。
そなたの為《た》めに、
野は躑躅《つゝじ》を、
水は杜若《かきつばた》を、
森は藤《ふぢ》を捧《さゝ》げる。
微風《そよかぜ》も、蜜蜂《みつばち》も、
はた杜鵑《ほとゝぎす》も、
唯《た》だそなたを
讃《ほ》めて歌ふ。
五月《ごぐわつ》よ、そなたの
桃色の微笑《ほゝゑみ》は
木蔭《こかげ》の薔薇《ばら》の
花の上にもある。
五月《ごぐわつ》は好《よ》い月、花の月、
芽の月、香《か》の月、色《いろ》の月、
ポプラ、マロニエ、プラタアヌ、
つつじ、芍薬《しやくやく》、藤《ふぢ》、蘇枋《すはう》、
リラ、チユウリツプ、罌粟《けし》の月、
女の服のかろがろと
薄くなる月、恋の月、
巻冠《まきかんむり》に矢を背負ひ、
葵《あふひ》をかざす京人《きやうびと》が
馬競《うまくら》べする祭月《まつりづき》、
巴里《パリイ》の街の少女等《をとめら》が
花の祭に美《うつ》くしい
貴《あて》な女王《ぢよわう》を選ぶ月、
わたしのことを云《い》ふならば
シベリアを行《ゆ》き、独逸《ドイツ》行《ゆ》き、
君を慕うてはるばると
その巴里《パリイ》まで著《つ》いた月、
菖蒲《あやめ》の太刀《たち》と幟《のぼり》とで
去年うまれた四男《よなん》目の
アウギユストをば祝ふ月、
狭い書斎の窓ごしに
明るい空と棕櫚《しゆろ》の木が
馬来《マレエ》の島を想《おも》はせる
微風《そよかぜ》の月、青い月、
プラチナ色《いろ》の雲の月、
蜜蜂《みつばち》の月、蝶《てふ》の月、
蟻《あり》も蛾《が》となり、金糸雀《かなりや》も
卵を抱《いだ》く生《うみ》の月、
何《なに》やら物に誘《そゝ》られる
官能の月、肉の月、
ヴウヴレエ酒の、香料の、
踊《をどり》の、楽《がく》の、歌の月、
わたしを中に万物《ばんぶつ》が
堅く抱きしめ、縺《もつ》れ合ひ、
呻《うめ》き、くちづけ、汗をかく
太陽の月、青海《あをうみ》の、
森の、公園《パルク》の、噴水の、
庭の、屋前《テラス》の、離亭《ちん》の月、
やれ来た、五月《ごぐわつ》、麦藁《むぎわら》で
細い薄手《うすで》の硝杯《こつぷ》から
レモン水《すゐ》をば吸ふやうな
あまい眩暈《めまひ》を投げに来た。
四月の末《すゑ》に街行《ゆ》けば、
気ちがひじみた風が吹く。
砂と、汐気《しほけ》と、泥の香《か》と、
温気《うんき》を混ぜた南風《みなみかぜ》。
細柄《ほそえ》の日傘わが手から
気球のやうに逃げよとし、
髪や、袂《たもと》や、裾《すそ》まはり
羽ばたくやうに舞ひ揚《あが》る。
人も、車も、牛、馬も
同じ路《みち》踏む都とて、
電車、自転車、監獄車、
自動車づれの狼藉《らうぜき》さ[#「狼藉さ」は底本では「狼籍さ」]。
鼻息荒く吼《ほ》えながら、
人を侮り、脅《おびや》かし、
浮足立《た》たせ、周章《あわ》てさせ、
逃げ惑はせて、あはや今、
踏みにじらんと追ひ迫り、
さて、その刹那《せつな》、冷《ひやゝ》かに、
からかふやうに、勝つたよに、
見返りもせず去つて行《ゆ》く。
そして神田の四つ辻《つじ》に、
下駄を切らして俯《うつ》向いた
わたしの顔を憎らしく
覗《のぞ》いて遊ぶ南風《みなみかぜ》。
おお、海が高まる、高まる。
若い、やさしい五月《ごぐわつ》の胸、
群青色《ぐんじやういろ》の海が高まる。
金岡《かなをか》の金泥《こんでい》の厚さ、
光悦《くわうえつ》の線の太さ、
寫樂《しやらく》の神経のきびきびしさ、
其等《それら》を一つに融《と》かして
音楽のやうに海が高まる。
さうして、その先に
美しい海の乳首《ちゝくび》と見える
まんまるい一点の紅《あか》い帆。
それを中心に
今、海は一段と緊張し、
高まる、高まる、高まる。
おお、若い命が高まる。
わたしと一所《いつしよ》に海が高まる。
今年も五月《ごぐわつ》、チユウリツプ、
見る目まばゆくぱつと咲く、
猩猩緋《しやう/″\ひ》に咲く、黄金《きん》に咲く、
紅《べに》と白とをまぜて咲く、
人に構はず派手に咲く。
今日《けふ》も冷たく降る雨は
白く尽きざる涙にて、
世界を掩《おほ》ふ梅雨空《つゆぞら》は
重たき繻子《しゆす》の喪《も》の掛布《かけふ》。
空は空とて悲しきか、
かなしみ多き我胸《わがむね》も
墨と銀との泣き交《かは》す
ゆふべの色に変る頃。
庭に繁《しげ》れる雑草も
見る人によりあはれなり、
心に上《のぼ》る雑念《ざふねん》も
一一《いち/\》見れば捨てがたし。
あはれなり、捨てがたし、
捨てがたし、あはれなり。
うすずみ色の梅雨空《つゆぞら》に、
屋根の上から、ふわふわと
たんぽぽの穂が[#「穂が」は底本では「穂か」]白く散る。
|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、184-下-2]と笑ひを失つた
老いた世界の肌皮《はだかは》が
枯れて剥《は》がれて落ちるのか。
たんぽぽの穂の散るままに、
ちらと滑稽《おど》けた骸骨《がいこつ》が
前に踊つて消えて行《い》く。
何《なに》か心の無かるべき。
ほつと気息《いき》をばつきながら
思ひあまりて散るならん、
梅雨《つゆ》[#ルビの「つゆ」は底本では「づゆ」]の晴間《はれま》の屋根の草。
一《ひと》むら立てる屋根の草、
何《な》んの草とも知らざりき。
梅雨《つゆ》の晴間《はれま》に見上ぐれば、
綿より脆《もろ》く、白髪《しらが》より
細く、はかなく、折折《をりをり》に
たんぽぽの穂がふわと散る。
ああ、さみだれよ、昨日《きのふ》まで、
そなたを憎いと思つてた。
魔障《ましやう》の雲がはびこつて
地を亡《ほろ》ぼそと降るやうに。
もし、さみだれが世に絶えて
唯《た》だ乾く日のつづきなば、
都も、山も、花園も、
サハラの沙《すな》となるであろ。
恋を命とする身には
涙の添ひてうらがなし。
空を恋路にたとへなば、
そのさみだれはため涙。
降れ、しとしとと、しとしとと、
赤をまじへた、温かい
黒の中から、さみだれよ、
網形《あみがた》に引け、銀の糸。
ああ、さみだれよ、そなたのみ、
わが名も骨も朽ちる日に、
埋《うも》れた墓を洗ひ出し、
涙の手もて拭《ぬぐ》ふのは。
隅田川、
隅田川、
いつ見ても
土の色して
かき濁り、
黙《もく》して流《なが》る。
今は我身《わがみ》に
引きくらべ、
土より出たる
隅田川、
隅田川、
ひとしく悲し。
行《ゆ》く人は
悪を離れず、
行《ゆ》く水は
土を離れず。
隅田川、
隅田川。
あはれ、日の出、
山山《やまやま》は酔《ゑ》へる如《ごと》く、
みな喜びに身を揺《ゆす》りて、
黄金《きん》と朱《しゆ》の笑《ゑ》まひを交《かは》し、
海と云《い》ふ海は皆、
虹《にじ》よりも眩《まば》ゆき
黄金《きん》と五彩の橋を浮《うか》べて、
「日よ、先《ま》づ
此処《ここ》より過ぎたまへ」とさし招き、
さて、日の脚《あし》に口づけんとす。
あはれ、日の出、
万象《ばんしやう》は
一瞬にして、奇蹟の如《ごと》く
すべて変れり。
大寺《おほてら》の屋根に
鳩《はと》のむれは羽羽《はば》たき、
裏街に眠りし
運河のどす黒《ぐろ》き水にも
銀と珊瑚《さんご》のゆるき波を揚げて、
早くも動く船あり。
人、いづこにか
静かに怠りて在り得《う》べき。
あはれ、日の出、
神神《かうがう》しき日の出、
われもまた
かの喬木《けうぼく》の如《ごと》く、
光明《くわうみやう》赫灼《かくしやく》のなかに、
高く二つの手を開《ひら》きて、
新しき日を抱《いだ》かまし。
虞美人草《ぐびじんさう》の散るままに、
淫《たは》れた風も肩先を
深く斬《き》られて血を浴びる。
虞美人草《ぐびじんさう》の散るままに、
畑《はた》は火焔の渠《ほり》となり、
入日《いりひ》の海へ流れゆく。
虞美人草《ぐびじんさう》も、わが恋も、
ああ、散るままに散るままに、
散るままにこそまばゆけれ。
この草原《くさはら》に、誰《だれ》であろ、
波斯《ペルシヤ》の布の花模様、
真赤《まつか》な刺繍《ぬひ》を置いたのは。
いえ、いえ、これは太陽が
土を浄《きよ》めて世に降らす
点、点、点、点、不思議の火。
いえ、いえ、これは「水無月《みなづき》」が
真夏の愛を地に送る
|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、188-下-11]いくちづけ、燃ゆる星眸《まみ》。
いえ、いえ、これは人同志
恋に焦《こが》れた心臓の
象形《うらかた》に咲く罌粟《けし》の花。
おお、罌粟《けし》の花、罌粟《けし》の花、
わたしのやうに一心《いつしん》に
思ひつめたる罌粟《けし》の花。
河からさつと風が吹く。
風に吹かれて、さわさわと
大きく靡《なび》く原の蘆《あし》。
蘆《あし》の間《あひだ》を縫ふ路《みち》の
何処《どこ》かで人の話しごゑ、
そして近づく馬の|《だく》。
小高《こだか》い岡《をか》に突き当り
路《みち》は左へ一廻《ひとめぐ》り。
私は岡《をか》へ駈《か》け上がる。
下を通るは、馬の背に
男のやうな帽を被《き》た
亜米利加《アメリカ》婦人の二人《ふたり》づれ。
緑を伸べた地平には、
遠い工場《こうば》の煙突が
赤い点をば一つ置く。
ああ夏が来た。この昼の
若葉を透《とほ》す日の色は
ほんに酒ならペパミント、
黄金《きん》と緑を振り注ぎ、
広く障子を開《あ》けたれば、
子供のやうな微風《そよかぜ》が
衣桁《いかう》に掛けた友染《いうせん》の
長い襦袢《じゆばん》に戯れる。
ああ夏が来た。こんな日は
君もどんなに恋しかろ、
巴里《パリイ》の広場、街並木、
珈琲店《カツフエ》の[#「珈琲店の」は底本では「琲珈店の」]前庭《テラス》、|Boi《ボワ》 の池。
私も筆の手を止めて、
晴れた |Seine《セエヌ》 の濃紫《こむらさき》
今その水が目に浮《うか》び、
じつと涙に濡《ぬ》れました。
ああ夏が来た、夏が来た。
二人《ふたり》の画家とつれだつて、
君と私が |Amian《アミアン》 の
塔を観《み》たのも夏である。
二度と行《ゆ》かれる国で無し、
私に帽をさし出した
お寺の前の乞食《こじき》らに
物を遣《や》らずになぜ来たか。
庭いちめんにこころよく
すくすく繁《しげ》る雑草よ、
弥生《やよひ》の花に飽いた目は
ほれぼれとして其《そ》れに向く。
人の気づかぬ草ながら、
十三塔《じふさんたふ》を高く立て
風の吹くたび舞ふもある。
女らしくも手を伸ばし、
誰《た》れを追ふのか、抱《いだ》くのか、
上目《うはめ》づかひに泣くもある。
五月《ごぐわつ》のすゑの外光《ぐわいくわう》に
汗の香《か》のする全身を
香炉《かうろ》としつつ焚《た》くもある。
名をすら知らぬ草ながら、
葉の形《かた》見れば限り無し、
さかづきの形《かた》、とんぼ形《がた》、
のこぎりの形《かた》、楯《たて》の形《かた》、
ペン尖《さき》の形《かた》、針の形《かた》。
また葉の色も限り無し、
青梅《あをうめ》の色、鶸茶色《ひわちやいろ》、[#「鶸茶色、」は底本では「鶸茶色」]
緑青《ろくしやう》の色、空の色、
それに裏葉《うらは》の海の色。
青玉色《せいぎよくいろ》に透《す》きとほり、
地にへばりつく或《あ》る葉には
緑を帯びた仏蘭西《フランス》の
牡蠣《かき》の薄身《うすみ》を思ひ出し、
なまあたたかい曇天《どんてん》に
細かな砂の灰が降り、
南の風に草原《くさはら》が
のろい廻渦《うねり》を立てる日は、
六《む》坪ばかりの庭ながら
紅海沖《こうかいおき》が目に浮《うか》ぶ。
洗濯物を入れたまま
大きな盥《たらひ》が庭を流れ、
地が俄《には》かに二三尺《じやく》も低くなつたやうに
姫向日葵《ひめひまはり》の鬱金《うこん》の花の尖《さき》だけが見え、
ごむ手毬《でまり》がついと縁の下から出て、
潜水服を著《き》たお伽噺《とぎばなし》の怪物の顧眄《みえ》をしながら
腐つた紅《あか》いダリアの花に取り縋《すが》る。
五六枚しめた雨戸の間間《あひだあひだ》から覗《のぞ》く家族の顔は
どれも栗毛《くりげ》の馬の顔である。
雨はますます白い刄《やいば》のやうに横に降る。
わたしは颶風《あらし》にほぐれる裾《すそ》を片手に抑《おさ》へて、
泡立つて行《ゆ》く濁流を胸がすく程じつと眺める。
膝《ひざ》ぼしまで水に漬《つか》つた郵便配達夫を
人の木が歩いて来たのだと見ると、
濡《ぬ》れた足の儘《まゝ》廊下で跳《をど》り狂ふ子供等は
真鯉《まごひ》の子のやうにも思はれた。
ときどき不安と驚奇《きやうき》との気分の中で、
今日《けふ》の雨のやうに、
物の評価の顛倒《ひつくりかへ》るのは面白い。
青いすいつちよよ、
青い蚊帳《かや》に来て啼《な》く青いすいつちよよ、
青いすいつちよの心では
恋せぬ昔の私と思ふらん、
寂《さび》しい寂《さび》しい私と思ふらん。
思へば和泉《いづみ》の国にて聞いたその声も
今聞く声も変り無し、
きさくな、世《よ》づかぬ小娘の青いすいつちよよ。
[#1行アキは底本ではなし]青いすいつちよよ、
青いすいつちよは、なぜ啼《な》きさして黙《だま》るぞ。
わたしの外《ほか》に聞き慣れぬ男の気息《いき》に羞《はぢ》らふか、
やつれの見えるわたしの頬《ほ》、
ほつれたるわたしの髪をじつと見て、
虫の心も咽《むせ》んだか。
青いすいつちよよ、
何《なに》も歎《なげ》くな、驚くな、
わたしはすべて幸福《しあはせ》だ、
いざ、今日《けふ》此頃《このごろ》を語らはん、
来てとまれ、
わたしの左の白い腕《かひな》を借《か》すほどに。
おお美《うつ》くしい勝浦、
山が緑の
優しい両手を伸ばした中に、
海と街とを抱いてゐる。
此処《ここ》へ来ると、
人間も、船も、鳥も、
青空に掛る円《まろ》い雲も、
すべてが平和な子供になる。
太洋《たいやう》で荒れる波も、
この浜の砂の上では、
柔かな鳴海《なるみ》絞りの袂《たもと》を
軽《かろ》く拡げて戯れる。
それは山に姿を仮《か》りて
静かに抱く者があるからだ。
おお美《うつ》くしい勝浦、
此処《ここ》に私は「愛」を見た。
木《こ》の間《ま》の泉の夜《よ》となる哀《かな》しさ、
静けき若葉の身ぶるひ、夜霧の白い息。
木《こ》の間《ま》の泉の夜《よ》となる哀《かな》しさ、
微風《そよかぜ》なげけば、花の香《か》ぬれつつ身悶《みもだ》えぬ。
木《こ》の間《ま》の泉の夜《よ》となる哀《かな》しさ、
黄金《こがね》のさし櫛《くし》、月姫《つきひめ》うるみて彷徨《さまよ》へり。
木《こ》の間《ま》の泉の夜《よ》となる哀《かな》しさ、
笛、笛、笛、笛、我等も哀《かな》しき笛を吹く。
草の上に
更に高く、
唯《た》だ一《ひと》もと、
二尺ばかり伸びて出た草。
かよわい、薄い、
細長い四五片《へん》の葉が
朝涼《あさすゞ》の中に垂れて描《ゑが》く
女らしい曲線。
優しい草よ、
はかなげな草よ、
全身に
青玉《せいぎよく》の質《しつ》を持ちながら、
七月の初めに
もう秋を感じてゐる。
青い仄《ほの》かな悲哀、
おお、草よ、
これがそなたのすべてか。
蛇《へび》よ、そなたを見る時、
わたしは二元論者になる。
美と醜と
二つの分裂が
宇宙に並存《へいぞん》するのを見る。
蛇よ、そなたを思ふ時、
わたしの愛の一辺《いつぺん》が解《わか》る。
わたしの愛はまだ絶対のもので無い。
蛮人《ばんじん》と、偽善者と、
盗賊と、奸商《かんしやう》と、
平俗な詩人とを恕《ゆる》すわたしも、
蛇よ、そなたばかりは
わたしの目の外《ほか》に置きたい。
木の蔭《かげ》になつた、青暗《あおぐら》い
わたしの書斎のなかへ、
午後になると、
いろんな蜻蛉《とんぼ》が止まりに来る。
天井の隅や
額《がく》のふちで、
かさこそと
銀の響《ひゞき》の羽《はね》ざはり……
わたしは俯向《うつむ》いて
物を書きながら、
心のなかで
かう呟《つぶや》く、
其処《そこ》には恋に疲れた天使達、
此処《ここ》には恋に疲れた女一人《ひとり》。
夏、真赤《まつか》な裸をした夏、
おまへは何《なん》と云《い》ふ強い力で
わたしを圧《おさ》へつけるのか。
おまへに抵抗するために、
わたしは今、
冬から春の間《あひだ》に貯《た》めた
命の力を強く強く使はされる。
夏、おまへは現実の中の
|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、197-上-4]し切つた意志だ。
わたしはおまへに負けない、
わたしはおまへを取入《とりい》れよう、
おまへに騎《の》つて行《い》かう、
太陽の使《つかひ》、真昼《まひる》の霊、
涙と影を踏みにじる力者《りきしや》。
夏、おまへに由《よ》つてわたしは今、
特別な昂奮《かうふん》が
偉大な情※《じやうねつ》[#「執/れんが」、U+24360、197-上-12]と怖《おそろ》しい直覚とを以《もつ》て
わたしの脈管《みやくくわん》に流れるのを感じる。
なんと云《い》ふ神神《かうがう》しい感興、
おお、|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、197-下-2]した砂を踏んで行《ゆ》かう。
わたしは生きる、力一《ちからいつ》ぱい、
汗を拭《ふ》き拭《ふ》き、ペンを手にして。
今、宇宙の生気《せいき》が
わたしに十分感電してゐる。
わたしは法悦に有頂天にならうとする。
雲が一片《いつぺん》あの空から覗《のぞ》いてゐる。
雲よ、おまへも放たれてゐる仲間か。
よい夏だ、
夏がわたしと一所《いつしよ》に燃え上がる。
海が急に膨《ふく》れ上がり、
起《た》ち上がり、
前脚《まへあし》を上げた
千匹《せんびき》の大馬《おほうま》になつて
まつしぐらに押寄《おしよ》せる。
一刹那《いつせつな》、背を乾《ほ》してゐた
岩と云《い》ふ岩が
身構へをする隙《すき》も無く、
だ、だ、だ、だ、ど、どおん、
海は岩の上に倒れかかる。
磯《いそ》は忽《たちま》ち一面、
銀の溶液で掩《おほ》はれる。
やがて其《そ》れが滑《すべ》り落ちる時、
真珠を飾つた雪白《せつぱく》の絹で
さつと撫《な》でられぬ岩も無い。
一つの紫色《むらさきいろ》をした岩の上には、
波の中の月桂樹《げつけいじゆ》――
緑の昆布《こんぶ》が一つ捧《さゝ》げられる。
飛沫《しぶき》と爆音との彼方《かなた》に、
海はまた遠退《とほの》いて行《ゆ》く。
手紙が山田温泉から著《つ》いた。
どんなに涼しい朝、
山風《やまかぜ》に吹かれながら、
紙の端《はし》を左の手で
抑《おさ》へ抑《おさ》へして書かれたか。
この快闊《くわいくわつ》な手紙、
涙には濡《ぬ》れて来《こ》ずとも、
信濃の山の雲のしづくが
そつと落ち掛つたことであらう。
涼しい風、そよ風、
折折《をりをり》あまえるやうに[#「あまえるやうに」は底本では「あまへるやうに」]
窓から入《はひ》る風。
風の中の美《うつ》くしい女怪《シレエネ》、
わたしの髪にじやれ、
わたしの机の紙を翻《ひるが》へし、
わたしの汗を乾かし、
わたしの気分を
浅瀬の若鮎《わかあゆ》のやうに、
溌溂《はつらつ》と跳《は》ね反《かへ》らせる風。
九月一日《いちじつ》、地震の記念日、
ああ東京、横浜、
相模、伊豆、安房の
各地に生き残つた者の心に、
どうして、のんきらしく、
あの日を振返る余裕があらう。
私達は誰《たれ》も、誰《たれ》も、
あの日のつづきにゐる。
まだまだ致命的な、
大きな恐怖のなかに、
刻一刻ふるへてゐる。
激震の急襲、
それは決して過ぎ去りはしない、
次の刹那《せつな》に来る、
明日《あす》に、明後日《あさつて》に来る。
私達は油断なく其《そ》れに身構へる。
喪《も》から喪《も》へ、
地獄から地獄へ、
心の上のおごそかな事実、
ああこの不安をどうしよう、
笑ふことも出来ない、
紛らすことも出来ない、
理詰で無くすることも出来ない。
若《も》しも誰《たれ》かが
大平楽《たいへいらく》な[#「大平楽《たいへいらく》な」はママ]気分になつて、
もう一年《いちねん》たつた今日《こんにち》、
あのやうなカタストロフは無いと云《い》ふなら、
それこそ迷信家を以《もつ》て呼ばう。
さう云《い》ふ迷信家のためにだけ、
有ることの許される
九月一日《いちじつ》、地震の記念日。
今年も取出《とりだ》して掛ける、
地震の夏の古い簾《すだれ》。
あの時、皆が逃げ出したあとに
この簾《すだれ》は掛かつてゐた。
誰《た》れがおまへを気にしよう[#「気にしよう」は底本では「気にしやう」]、
置き去《ざ》りにされ、
家《いへ》と一所《いつしよ》に揺れ、
風下《かざしも》の火事の煙《けぶり》を浴びながら。
もし私の家《うち》も焼けてゐたら、
簾《すだれ》よ、おまへが
第一の犠牲となつたであらう。
三日目に家《うち》に入《はひ》つた私が
蘇生《そせい》の喜びに胸を躍らせ、
さらさらと簾《すだれ》を巻いて、
二階から見上げた空の
大きさ、青さ、みづみづしさ。
簾《すだれ》は古く汚《よご》れてゐる、
その糸は切れかけてゐる。
でも、なつかしい簾《すだれ》よ、
共に災厄《さいやく》をのがれた簾《すだれ》よ、
おまへを手づから巻くたびに、
新しい感謝が
四年前の九月のやうに沸《わ》く。
おまへも私も生きてゐる。
虫干《むしぼし》の日に現れたる
女の帽のかずかず、
欧羅巴《ヨオロツパ》の旅にて
わが被《き》たりしもの。
おお、一千九百十二年の
巴里《パリイ》の流行《モオド》。
リボンと、花と、
羽《はね》飾りとは褪《あ》せたれど、
思出《おもひで》は古酒《こしゆ》の如《ごと》く甘し。
埃《ほこり》と黴《かび》を透《とほ》して
是等《これら》の帽の上に
セエヌの水の匂《にほ》ひ、
サン・クルウの森の雫《しづく》、
ハイド・パアクの霧、
ミユンヘンの霜、維納《ウイン》の雨、
アムステルダムの入日《いりひ》の色、
さては、また、
バガテルの薔薇《ばら》の香《か》、
仏蘭西座《フランスざ》の人いきれ、
猶《なほ》残れるや、残らぬや、
思出《おもひで》は古酒《こしゆ》の如《ごと》く甘し。
アウギユスト・ロダンは
この帽の下《もと》にて
我手《わがて》に口づけ、
ラパン・アジルに集《あつま》る
新しき詩人と画家の群《むれ》は
この帽を被《き》たる我を
中央に据ゑて歌ひき。
別れの握手の後《のち》、
猶《なほ》一たびこの帽を擡《もた》げて、
優雅なる詩人レニエの姿を
我こそ振返りしか。
ああ、すべて十《と》とせの前《まへ》、
思出《おもひで》は古酒《こしゆ》の如《ごと》く甘し。
今夜、わたしの心に詩がある。
簗《やな》の上で跳《は》ねる
銀の魚《うを》のやうに。
桃色の薄雲の中を奔《はし》る
まん円《まる》い月のやうに。
風と露とに揺《ゆす》れる
細い緑の若竹《わかたけ》のやうに。
今夜、私の心に詩がある。
私はじつと其《その》詩を抑《おさ》へる。
魚《さかな》はいよいよ跳《は》ねる。
月はいよいよ奔《はし》る。
竹はいよいよ揺《ゆす》れる。
苦しい此時《このとき》、
楽しい此時《このとき》。
夕立の風
軒《のき》の簾《すだれ》を動かし、
部屋の内《うち》暗くなりて
片時《かたとき》涼しければ、
我は物を書きさし、
空を見上げて、雨を聴きぬ。
書きさせる紙の上に
何時《いつ》しか来《きた》りし蜂《はち》一つ。
よき姿の蜂《はち》よ、
腰の細さ糸に似て、
身に塗れる金《きん》は
何《なに》の花粉よりか成れる。
好《よ》し、我が文字の上を
蜂《はち》の匍《は》ふに任せん。
わが匂《にほ》ひなき歌は
素枯《すが》れし花に等し、
せめて弥生《やよひ》の名残《なごり》を求めて
蜂《はち》の匍《は》ふに任せん。
おお咲いた、ダリヤの花が咲いた、
明るい朱《しゆ》に、紫に、冴《さ》えた黄金《きん》に。
破れた障子をすつかりお開《あ》け、
思ひがけない幸福《しあはせ》が来たやうに。
黒ずんだ緑に、灰がかつた青、
陰気な常盤木《ときはぎ》ばかりが立て込んで
春と云《い》ふ日を知らなんだ庭へ、
永い冬から一足《いつそく》飛びに夏が来た。
それも遅れて七月に。
まあ、うれしい、
ダリヤよ、
わたしは思はず両手をおまへに差延べる。
この開《ひら》いて尖《とが》つた白い指を
何《なん》と見る、ダリヤよ。
しかし、もう、わたしの目には
ダリヤもない、指もない、
唯《た》だ光と、|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、205-上-3]と、匂《にほ》ひと、楽欲《げうよく》とに
眩暈《めまひ》して慄《ふる》へた
わたしの心の花の象《ざう》があるばかり。
どこかの屋根へ早くから
群れて集《あつま》り、かあ、かあと
啼《な》いた鴉《からす》に目が覚めて、
透《すか》して見れば蚊帳《かや》ごしに
もう戸の外《そと》は白《しら》んでる。
細い雨戸を開《あ》けたれば、
脹《は》れぼつたいやうな目遣《めづか》ひの
鴨頭草《つきくさ》の花咲きみだれ、
荒れた庭とも云《い》ふばかり
しつとり青い露がおく。
日本の夏の朝らしい
このひと時の涼しさは、
人まで、身まで、骨までも
水晶質となるやうに、
しみじみ清く濡《ぬ》れとほる。
[#1行アキは底本ではなし]厨《くりや》へ行つて水道の
栓をねぢれば、たた、たたと
思ひ余つた胸のよに、
バケツへ落ちて盛り上がる
心《こゝろ》丈夫な水音も、
わたしの立つた板敷へ
裏口の戸の間《あひだ》から
新聞くばりがばつさりと
投げこんで行《ゆ》く物音も、
薄暗がりにここちよや。
蝉《せみ》が啼《な》く。
燻《いぶ》るよに、じじと一つ、
わたしの家《いへ》の桐《きり》の木に。
その音《ね》につれて、そこ、かしこ、
蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、
いろんな蝉《せみ》が啼《な》き出した。
わたしの家《いへ》の蝉《せみ》の音《ね》が
最初の口火、
いま山の手の番町《ばんちやう》の
どの庭、どの木、どの屋根も
七月の真赤《まつか》な吐息の火に焦《こ》げる。
枝にも、葉にも、瓦《かはら》にも、
軒《のき》にも、戸にも、簾《すだれ》にも、
流れるやうな朱《しゆ》を注《さ》した
光のなかで蝉《せみ》が啼《な》く。
無駄と知らずに、根気よく、
砂を握《つか》んでずらす蝉《せみ》。
鍋《なべ》の油を煮たぎらし、
呪《のろ》ひごとする悪の蝉《せみ》。
重い苦患《くげん》に身悶《みもだ》えて、
鉄の鎖をゆする蝉《せみ》。
悟りめかして、しゆ、しゆ、しゆ、しゆと
水晶の珠数《じゆず》を鳴らす蝉《せみ》。
思ひ出しては一《ひと》しきり
泣きじやくりする恋の蝉《せみ》。
蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、
|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、207-下-1]い真夏の日もすがら、
蝉《せみ》の音《ね》は
啼《な》き止《や》んで、また啼《な》き次ぐ。
さて誰《だれ》が知ろ、
啼《な》かず、叫ばず、ただひとり
蔭《かげ》にかくれて、微《かす》かにも
羽ばたきをする雌《めす》の蝉《せみ》。
朝露《あさつゆ》のおくままに、天地《あめつち》は
サフイイルと、青玉《せいぎよく》と
真珠を盛つたギヤマンの室《しつ》。
朝の日の昇るまま、天地《あめつち》は
黄金《わうごん》と、しろがねと
珊瑚《さんご》をまぜたモザイクの壁。
その中に歌ふトレモロ――秋の初風《はつかぜ》。
初秋《はつあき》は来《き》ぬ、白麻《しらあさ》の
明るき蚊帳《かや》に臥《ふ》しながら、
夜《よ》の更けゆけば水色の
麻の軽《かろ》きを襟近く
打被《うちかづ》くまで涼しかり。
上の我子《わがこ》は二人《ふたり》づれ
大人《おとな》の如《ごと》く遠く行《ゆ》き、
夏の休みを陸奥《みちのく》の
山辺《やまべ》の友の家《いへ》に居て
今朝《けさ》うれしくも帰りきぬ。
休みのはてに己《おの》が子と
別るる鄙《ひな》の親達は
夏の尽くるや惜しからん、
都に住めるしあはせは
秋の立つにも身に知らる。
貧しけれども、わが家《いへ》の
今日《けふ》の夕食《ゆふげ》の楽しさよ、
黒川郡《くろがはぐん》の山辺《やまべ》にて
我子《わがこ》の採《と》れる百合《ゆり》の根を
我子《わがこ》と共にあぢはへば。
世界はいと静かに
涼しき夜《よる》の帳《とばり》に睡《ねむ》り、
黄金《こがね》の魚《うを》一つ
その差延べし手に光りぬ、
初秋《はつあき》の月。
紫水晶《むらさきずゐしやう》の海は
黒き大地《だいぢ》に並び夢みて、
一つの波は彼方《かなた》より
柔かき節奏《ふしどり》に
その上を馳《は》せ来《きた》る。
波は次第に高まる、
麦の畝《うね》の風に逆《さか》ふ如《ごと》く。
さて長き磯《いそ》の上に
拡がり、拡がる、
しろがねの網《あみ》として。
波は幾度《いくたび》もくり返し
奇《く》しき光の魚《うを》を抱かんとす。
されど網《あみ》を知らで、
常に高く彼処《かしこ》に光りぬ、
初秋《はつあき》の月。
誇りかな春に比べて、
優しい、優しい秋。
目に見えない刷毛《はけ》を
秋は手にして、
日蔭《ひかげ》の土、
風に吹かれる雲、
街の並木、
茅《かや》の葉、
葛《かづら》の蔓《つる》、
雑草の花にも、
一つ一つ似合はしい
好《よ》い色を択《えら》んで、
まんべんなく、細細《こまごま》と、
みんなを彩《ゑど》つて行《ゆ》く。
御覧《ごらん》よ、
その畑《はたけ》に並んだ、
小鳥の脚《あし》よりも繊弱《きやしや》な
蕎麦《そば》の茎にも、
夕焼の空のやうな
美《うつ》くしい臙脂紫《ゑんじむらさき》……
これが秋です。
優しい、優しい秋。
少し冷たく、匂《にほ》はしく、
清く、はかなく、たよたよと、
コスモスの花、高く咲く。
秋の心を知る花か、
うすももいろに高く咲く。
初秋《はつあき》の日の砂の上に
ひろき葉一つ、はかなくも
薄黄《うすき》を帯びし灰色の
影をば曳《ひ》きて落ち来《きた》る。
あはれ傷つく鳥ならば
血に染《そ》みつつも叫ばまし、
秋に堪《た》へざる落葉《おちば》こそ
反古《ほご》にひとしき音《おと》すなれ。
秋は薄手《うすで》の杯《さかづき》か、
ちんからりんと杯洗《はいせん》に触れて沈むよな虫が啼《な》く。
秋は妹の日傘《パラソル》か、
きやしやな翡翠《ひすゐ》の柄《え》の把手《とつて》、
明るい黄色《きいろ》の日があたる。
さて、また、秋は廿二三《にじふにさん》の今様《いまやう》づくり、
青みを帯びたお納戸《なんど》の著丈《きだけ》すらりと、
白茶地《しらちやぢ》に金糸《きんし》の多い色紙形《しきしがた》、唐織《からおり》の帯も眩《まばゆ》く、
園遊会の片隅のいたや楓《もみぢ》の蔭《かげ》を行《ゆ》き、
少し伏目に、まつ白な菊の花壇をじつと見る。
それから後ろのわたしと顔を見合せて、
「まあ、いい所で」と走り寄り、
「どうしてそんなにお痩《や》せだ」と、
十歳《とを》の時、別れた姉のやうな口振《くちぶり》は、
優しい、優しい秋だこと。
葡萄《ぶだう》いろの秋の空を仰《あふ》[#ルビの「あふ」は底本では「おほ」]げば、
初めて斯《か》かるみづみづしき空を見たる心地す。
われ今日《けふ》まで何《なに》をしてありけん、
厨《くりや》と書斎に在《あ》りしことの寂《さび》しきを知らざりしかな。
わが心今更《いまさら》の如《ごと》く解かれたるを感ず。
葡萄色《ぶだういろ》の秋の空は露にうるほふ、
斯《か》かる日にあはれ田舎へ行《ゆ》かまし。
そこにて掘りたての里芋を煮る吊鍋《つりなべ》の湯気を嗅《か》ぎ、
そこにて尻尾《しりを》ふる百舌《もず》の甲高《かんだか》なる叫びを聞き、
そこにて刈稲《かりいね》を積みて帰る牛と馬とを眺め、
そこにて鳥兜《とりかぶと》と野菊《のきく》と赤き蓼《たで》とを摘まばや。
葡萄《ぶだう》いろの秋の空はまた田舎の朝によろし。
砂川《すなかは》の板橋の上に片われ月《づき》しろく残り、
「川魚御料理《かはうをおんれうり》」の家《いへ》は未《いま》だ寝たれど、
百姓屋の軒毎《のきごと》に立つる朝食《あさげ》の煙は
街道《がいだう》の丈《たけ》高き欅《けやき》の並木に迷ひ、
籾《もみ》する石臼《いしうす》の音、近所隣《となり》にごろごろとゆるぎ初《そ》むれば、
「とつちやん[#「とつちやん」は底本では「とつちんや」]」と小《ちさ》き末《すゑ》娘に呼ばれて、門先《かどさき》の井戸の許《もと》に鎌磨《かまと》ぐ老爺《おやぢ》もあり。
かかる時、たとへば渋谷の道玄坂の如《ごと》く、
突きあたりて曲る、行手《ゆくて》の見えざる広き坂を、
今結びし藁鞋《わらぢ》の紐《ひも》の切目《きりめ》すがすがしく、
男も女も脚絆《きやはん》して足早《あしばや》に上《のぼ》りゆく旅姿こそをかしからめ。
葡萄《ぶだう》いろの秋の空の、されど又さびしきよ。
われを父母《ちゝはゝ》ありし故郷《ふるさと》の幼心《をさなごゝろ》に返し、
恋知らぬ素直なる処女《をとめ》の如《ごと》くにし、
中《なか》六番町の庭の無花果《いちじく》の[#「無花果の」は底本では「無果花の」]木の下《もと》、
手を組みて云《い》ひ知らぬ淡《あは》き愁《うれひ》に立たしめぬ、
おそらくは此朝《このあさ》の無花果《いちじく》のしづくよ、すべて涙ならん。
けたたましく
私を喚《よ》んだ百舌《もず》は何処《どこ》か。
私は筆を擱《お》いて門《もん》を出た。
思はず五六町《ちやう》を歩いて、
今丘の上に来た。
見渡す野のはてに
青く晴れた山、
日を薄桃色《うすもゝいろ》に受けた山、
白い雲から抜け出して
更に天を望む山。
今朝《けさ》の空はコバルトに
少し白を交ぜて濡《ぬ》れ、
その下の稲田《いなだ》は
黄金《きん》の総《ふさ》で埋《うづ》まり、
何処《どこ》にも広がる太陽の笑顔。
そよ風も悦《よろこ》びを堪《こら》へかね、
その静かな足取《あしどり》を
急に踊りの振《ふり》に換へて、
またしても円《まろ》く大きく
芒《すゝき》の原を滑《す》べる。
縦横《たてよこ》の路《みち》は
幾すぢの銀を野に引き、
或《ある》ものは森の彼方《かなた》に隠れ、
或《ある》ものは近き村の口から
荷馬車と共に出て来る。
ああ野は秋の最中《もなか》、
胸一《いつ》ぱいに空気を吸へば、
人を清く健《すこ》[#ルビの「すこ」は底本では「すこや」]やかにする
黒土《くろつち》の香《か》、草の香《か》、
穀物の香《か》、水の香《か》。
私はじつと
其等《それら》の香《か》の中に浸《ひた》る。
またやがて浸《ひた》ると云《い》はう、
爽《さは》やかに美しい大自然の
悠久《いうきう》の中に。
此《こ》の小《ち》さい私の感激を
人の言葉に代へて云《い》ふ者は、
私の側《そば》に立つて
紅《あか》い涙を著《つ》けたやうな
ひとむらの犬蓼《いぬたで》の花。
十一月の海の上を通る
快い朝方《あさがた》の風がある。
それに乗つて海峡を越える
無数の桃色の帆、金色《こんじき》の帆、
皆、朝日を一《いつ》ぱいに受けてゐる。
わたしはたつた一人《ひとり》
浜の草原《くさはら》に蹲踞《しやが》んで、
翡翠色《ひすゐいろ》の海峡に
あとから、あとからと浮《うき》出して来る
船の帆の花片《はなびら》に眺め入《い》る。
わたしの周囲には、
草が狐色《きつねいろ》の毛氈《まうせん》を拡げ、
中には、灌木《かんぼく》の
銀の綿帽子を著《つ》けた杪《こずゑ》や
牡丹色《ぼたんいろ》の茎が光る。
後ろの方では、
何処《どこ》の街の工場《こうば》か、
遠い所で一《ひと》しきり、
甘えるやうな汽笛の音《おと》が
長い金属の線を空に引く。
秋の盛りの美《うつ》くしや、
|《はこべ》の葉さへ小さなる
黄金《こがね》の印《いん》をあまた佩《お》び、
野葡萄《のぶだう》さへも瑠璃《るり》を掛く。[#「掛く。」は底本では「掛く」]
百舌《もず》も鶸《ひは》[#ルビの「ひは」は底本では「ひよ」]も肥えまさり、
里の雀《すゞめ》も鳥らしく
晴れたる空に群れて飛び、
蜂《はち》も巣毎《すごと》に子の歌ふ。
小豆色《あづきいろ》する房垂れて
鶏頭《けいとう》高く咲く庭に、
一《ひと》しきり射《さ》す日の入りも
涙ぐむまで身に沁《し》みぬ。
朝顔の花うらやまし、
秋もやうやく更けゆくに、
真垣《まがき》を越えて、丈《たけ》高き
梢《こづゑ》にさへも攀《よ》ぢゆくよ。
朝顔の花、人ならば
匂《にほ》ふ盛りの久しきを
世や憎みなん、それゆゑに
思はぬ恥も受けつべし。
朝顔の花、めでたくも
百千《もゝち》の色のさかづきに
夏より秋を注《つ》ぎながら、
飽くこと知らで日にぞ酔《ゑ》ふ。
路《みち》は一《ひと》すぢ、並木路、
赤い入日《いりひ》が斜《はす》に射《さ》し、
点、点、点、点、朱《しゆ》の斑《まだら》……
桜のもみぢ、柿《かき》もみぢ、
点描派《ポアンチユリスト》の絵が燃える。
路《みち》は一《ひと》すぢ、さんらんと
彩色硝子《さいしきガラス》に照《てら》された
廊《らう》を踏むよな酔《ゑひ》ごこち、
そして心《しん》からしみじみと
涙ぐましい気にもなる。
路《みち》は一《ひと》すぢ、ひとり行《ゆ》く
わたしのためにあの空も
心中立《しんぢゆうだて》[#ルビの「しんぢゆうだて」は底本では「しんぢうだて」]に毒を飲み、
臨終《いまは》のきはにさし伸べる
赤い入日《いりひ》の唇か。
路《みち》は一《ひと》すぢ、この先に
サツフオオの住む家《いへ》があろ。
其処《そこ》には雪が降つて居よ。
出て行《ゆ》ことして今一度
泣くサツフオオが目に見える。
路《みち》は一《ひと》すぢ、秋の路《みち》、
物の盛りの尽きる路《みち》、
おお美《うつ》くしや、急ぐまい、
点、点、点、点、しばらくは
わたしの髪も朱《しゆ》の斑《まだら》……
狭い書斎の電灯よ、
紐《ひも》で縛られ、さかさまに
吊《つ》り下げられた電灯よ、
わたしと共に十二時を
越してますます目が冴《さ》える
不眠症なる電灯よ。
わたしの夜《よる》の太陽よ、
たつた一つの電灯よ、
わたしの暗い心から
吐息と共に込み上げる
思想の水を導いて
机にてらす電灯よ。
そなたの顔も青白い、
わたしの顔も青白い。
地下室に似る沈黙に、
気は張り詰めて居ながらも、
ちらと戦《わなゝ》く電灯よ、
わたしも稀《まれ》に身をゆする。
夜《よる》は冷たく更けてゆく。
何《なに》とも知らぬ不安さよ、
近づく朝を怖《おそ》れるか、
才《さい》の終りを予知するか、
女ごころと電灯と
じつと寂《さび》しく聴き入《い》れば、
死を隠したる片隅の
陰気な蔭《かげ》のくらがりに、
柱時計の意地わるが
人の仕事と命とに
差引《さしひき》つけて、こつ、こつと
算盤《そろばん》を弾《はじ》く球《たま》の音《おと》。
壺《つぼ》には、萎《しぼ》みゆくままに、
取換《とりか》へない白茶色《しらちやいろ》の薔薇《ばら》の花。
その横の廉物《やすもの》の仏蘭西皿《フランスざら》に
腐りゆく林檎《りんご》と華櫚《くわりん》の果《み》。
其等《それら》の花と果実《このみ》から
ほのかに、ほのかに立ち昇る
佳《よ》き香《にほひ》の音楽、
わたしは是《こ》れを聴くことが好きだ。
盛りの花のみを愛《め》でた
青春の日と事変《ことかは》り、
わたしは今、
命の秋の
身も世もあらぬ寂《さび》しさに、
深刻の愛と
頽唐《たいたう》の美と
其等《それら》に半死の心臓を温《あた》ためながら、
常に真珠の涙を待つてゐる。
昨日《きのふ》も今日《けふ》も曇つてゐる
銀灰色《ぎんくわいしよく》の空、冷たい空、
雲の彼方《かなた》では
もう霰《あられ》の用意が出来て居よう[#「居よう」は底本では「居やう」]。
どの木も涙つぽく、
たより無げに、
黄なる葉を疎《まば》らに余《あま》して、
小心《せうしん》に静まりかへつてゐる。
みんな敗残の人のやうだ。
小鳥までが臆病《おくびやう》に、
過敏になつて、
ちよいとした風《ふう》にも、あたふたと、
うら枯《が》れた茂みへ潜《もぐ》り込む。
ああ十一月、
季節の喪《も》だ、
冬の墓地の白い門が目に浮《うか》ぶ。
公園の噴水よ、
せめてお前でも歌へばいいのに、
狐色《きつねいろ》の落葉《おちば》の沈んだ池へ
さかさまに大理石の身を投げて、
お前が第一に感激を無くしてゐる。
十一月の灰色の
くもり玻璃《がらす》の空のもと、
唸《うな》りを立てて、荒《あら》らかに、
ばさり、ばさりと鞭《むち》を振る
あはれ木枯《こがらし》、汝《な》がままに、
緑青《ろくしやう》の蝶《てふ》、紅《あか》き羽《はね》、
琥珀《こはく》と銀の貝の殻《から》、
黄なる文反古《ふみほご》、錆《さ》びし櫛《くし》、
とばかり見えて、はらはらと
木《こ》の葉は脆《もろ》く飛びかひぬ。
あはれ、今はた、木《こ》の間《ま》には
四月五月の花も無し、
若き緑の枝も無し、
香《か》も夢も無し、微風《そよかぜ》の
囁《さゝや》くあまき声も無し。
かの楽しげに歌ひつる
小鳥のむれは何処《いづこ》ぞや。
鳥は啼《な》けども、刺す如《ごと》き
百舌《もず》と鵯鳥《ひよどり》、しからずば
枝を踏み折る山鴉《やまがらす》。
諸木《もろき》は何《なに》を思へるや、
銀杏《いてふ》、木蓮《もくれん》、朴《ほゝ》、楓《かへで》、
かの男木《おとこぎ》も、その女木《めぎ》も
痩《や》せて骨だつ全身を
冬に晒《さら》してをののきぬ。
やがて小暗《をぐら》き夜《よる》は来《こ》ん、
しぐるる雲はここ過ぎて
白き涙を落すべし、
月はさびしく青ざめて
森の廃墟《はいきよ》を照《てら》さまし。
されど諸木《もろき》は死なじかし。
また若返る春のため
新しき芽と蕾《つぼみ》とを
老いざる枝に秘めながら、
されど諸木《もろき》は死なじかし。
ほろほろと……また、かさこそと……
おち葉《ば》……おち葉《ば》……夜《よ》もすがら……
庇《ひさし》をすべり……戸に縋《すが》り……
土に頽《くづ》るる音《おと》聞けば……
脆《もろ》き廃物……薄き滓《かす》……
錆《さ》びし鍋銭《なべせん》……焼けし金箔《はく》……
渋色《しぶいろ》の反古《ほご》……檀《だん》の灰……
さては女のさだ過ぎて
歎く雑歌《ざふか》の断章《フラグマン》……
うら悲《がな》しくも行毎《ぎやうごと》に
「死」の韻を押す断章《フラグマン》……
空は紫
その下《もと》に真黒《まくろ》なる
一列の冬の並木……
かなたには青物の畑《はた》海の如《ごと》く、
午前の日、霜に光れり。
われらが前を過ぎ去りし
農夫とその荷車とは
畑中《はたなか》の路《みち》の涯《はて》に
今、脂色《やにいろ》の点となりぬ。
物をな云《い》ひそ、君よ、
味《あぢは》ひたまへ、この刹那《せつな》、
二人《ふたり》を浸《ひた》す神妙の
黙《もく》の趣《おもむき》……
白がちのコバルトの
うす寒き師走《しはす》の夜《よ》、
書斎の隅なる
セエヴルの鉢より
幾つかのくわりんの果《み》は身動《みじろ》げり。
あはれ百合《ゆり》よりも甘し、
鈴蘭《すゞらん》よりも清し、
あはれ白き羽二重の如《ごと》く軽《かる》し、
黄金《きん》の針の如《ごと》く痛し、
熟したるくわりんの果《み》のかをり。
くわりんの果《み》に迫るは
つれなき風、からき夜寒《よさむ》、
あざ笑ふ電灯のひかり、
いづこぞや、かの四月の太陽は、
かの七月の露は。
されど、今、くわりんの果《み》には
苦痛と自負と入りまじり、
空《むな》しく腐らじとする
その心《しん》の堪《こら》へ力《ぢから》は
黄なる蛋白石《オパアル》の[#「蛋白石の」は底本では「胥白石の」]肌を汗ばませぬ。
ああ、くわりんの果《み》は
冬と風とにも亡《ほろぼ》されず、
心と、肉と、晶液《しやうえき》と、
内なる尊《たふと》き物皆を香《か》として
永劫《えいごふ》[#ルビの「えいごふ」は底本では「えいがふ」]の間《あひだ》にたなびき行《ゆ》く。
雪が止《や》んだ、
太陽が笑顔を見せる。
庭に積《つも》つた雪は
硝子《がらす》越しに
ほんのりと薔薇《ばら》色をして、
綿のやうに温かい。
小作《こづく》りな女の、
年よりは若く見える、
髷《まげ》を小さく結《ゆ》つた、
品《ひん》の好《い》い[#「好い」は底本では「如い」]お祖母《ばあ》さんは、
古風な糸車《いとぐるま》の前で
黙つて紡《つむ》いでゐる。
太陽が部屋へ入《はひ》つて、
お祖母《ばあ》さんの左の手に
そつと唇を触れる。
お祖母《ばあ》さんは何時《いつ》の間《ま》にか
美《うつ》くしい薔薇《ばら》色の雪を
黙つて紡《つむ》いでゐる。
ああ憎き冬よ、
わが家《いへ》のために、冬は
恐怖《おそれ》なり、咀《のろ》ひなり、
闖入者《ちんにふしや》なり、
虐殺なり、喪《も》なり。
街街《まちまち》の柳の葉を揺《ゆ》り落して、
錆《さ》びたる銅線の如《ごと》く枝のみを慄《ふる》はしめ、
園《その》の菊を枝炭《えだずみ》の如《ごと》く灰白《はいじろ》ませ、
家畜の蹄《ひづめ》を霜の上にのめらしめて、
ああ猶《なほ》飽くことを知らざるや、冬よ。
冬は更に人間を襲ひて、
先《ま》づわが家《いへ》に来《きた》りぬ。
冬は風となりて戸を穿《うが》ち、
縁《えん》よりせり出し、
霜となりて畳に潜《ひそ》めり。
冬はインフルエンザとなり、
喘息《ぜんそく》となり、
気管支炎となり、
肺炎となりて、
親と子と八人《はちにん》を責め苛《さいな》む。
わが家《いへ》は飢ゑと死に隣《となり》し、
寒さと、|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、225-下-11]と、咳《せき》と、
|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、225-下-12]の香《か》と、汗と、吸入《きふにふ》の蒸気と、
呻吟《しんぎん》と、叫びと、悶絶《もんぜつ》と、
啖《たん》と、薬と、涙とに満《み》てり。
かくて十日《とをか》……猶《なほ》癒《い》えず
ああ我心《わがこゝろ》は狂はんとす、
短劔《たんけん》を執《と》りて、
ただ一撃に刺さばや、
憎き、憎き冬よ、その背を。
冬枯《ふゆがれ》の裾野《すその》に
ひともと
しら樺《かば》の木は光る。
その葉は落ち尽《つく》して、
白き生身《いきみ》を
女性《によしやう》の如《ごと》く
師走《しはす》の風に曝《さら》し、
何《なに》を祈るや、独り
双手《もろで》を空に張る。
日は今、遥《はる》かに低き
うす紫の
遠山《とほやま》に沈み去り、
その余光《よくわう》の中に、
しら樺《かば》の木は
悲しき殉教者の血を、
その胸より、
たらたらと
落葉《おちば》の上に流す。
夜《よ》が明けた。
風も、大気も、
鉛色《なまりいろ》の空も、
野も、水も
みな気息《いき》を殺してゐる。
唯《た》だ見るのは
地上一尺の大雪……
それが畝畝《うね/\》の直線を
すつかり隠して、
いろんな三角の形《かたち》を
大川《おほかは》に沿うた
歪形《いびつ》な畑《はたけ》に盛り上げ、
光を受けた部分は
板硝子《いたがらす》のやうに反射し、
蔭《かげ》になつた所は
粗悪な洋紙《やうし》を撒《ま》きちらしたやうに
鈍《にぶ》く艶《つや》を消してゐる。
そして所所《ところどころ》に
幾つかの
不格好《ぶかくかう》な胴像《トルソ》が
どれも痛痛《いたいた》しく
手を失ひ、
脚《あし》を断たれて、
真白《まつしろ》な胸に
黒い血をにじませながら立つてゐる。
それは枝を払はれたまま、
じつと、いきんで、
死なずに春を待つてゐる
太い櫟《くぬぎ》の幹である。
たとへば私達のやうな者である。
鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
近い処に一羽《いちは》、
少し離れて十四五羽《は》。
鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
半紙の上に黒く
大人《おとな》が書いた字のやうだ。
鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
「かあ」と一羽《いちは》が啼《な》けば
寂《さび》しく「かあ」と皆が啼《な》く。
鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
餌《ゑさ》が無いのでじいつと
動きもせねば飛びもせぬ。
[#ここで段組み終わり]
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西土往来
(欧洲旅行前及び旅中の詩廿九章)
[#改丁]
[#ここから2段組み]
退船《たいせん》の銅鑼《どら》いま鳴り渡り、
見送《みおくり》の人人《ひとびと》君を囲めり。
君は忙《せは》しげに人人《ひとびと》と手を握る。
われは泣かんとはづむ心の毬《まり》を辛《から》くも抑《おさ》へ、
人人《ひとびと》の中を脱《ぬ》けて小走《こばし》りに、
うしろの甲板《でつき》に隠《かく》るれば、
波より射返《いかへ》す白きひかり墓の如《ごと》し。
この二三分………四五分の寂《さび》しさ、
われ一人《ひとり》のけ者の如《ごと》し、
君と人人《ひとびと》とのみ笑ひさざめく。
恐らく遠く行《ゆ》く旅の身は君ならで、
この寂《さび》しき、寂《さび》しき我ならん。
退船《たいせん》の銅鑼《どら》又ひびく。
残刻《ざんこく》に、されどまた痛快に、
わが一人《ひとり》とり残されし冷たき心を苛《さいな》むその銅鑼《どら》……
込み合へる人人《ひとびと》に促され、押され、慰められ、
我は力なき毬《まり》の如《ごと》く、ふらふらと船を下《くだ》る。
乗り移りし小蒸汽《こじようき》より見上ぐれば、
今更に※田丸《あつたまる》[#「執/れんが」、U+24360、231-下-7]の船梯子《ふなばしご》の高さよ。
ああ君と我とは早くも千里万《ばん》里の差………
わが小蒸汽《こじようき》は堪《た》へかねし如《ごと》く終《つひ》に啜《すゝ》り泣くに………
一声《いつせい》、二声《にせい》………
千百《せんびやく》の悲鳴をほつと吐息に換へ、
「ああなつかしや」と心細きわが魂《たましひ》の、
臨終《いまは》の念の如《ごと》くに打洩《うちもら》す|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、232-上-1]き涙の白金《はくきん》の幾滴《いくてき》………
君が船は無言のままに港を出《い》づ。
船と船、人人《ひとびと》は叫びかはせど、
かなたに立てる君と此処《ここ》に坐《すわ》れる我とは、
静かに、静かに、二つの石像の如《ごと》く別れゆく……
(一九一一年十一月十一日神戸にて)
わが夫《せ》の君海に浮《うか》びて去りしより、
わが見る夜毎《よごと》の夢、また、すべて海に浮《うか》ぶ。
或夜《あるよ》は黒きわたつみの上、
片手に乱るる裾《すそ》をおさへて、素足のまま、
君が大船《おほふね》の舳先《へさき》に立ち、
白き蝋燭《らふそく》の銀の光を高くさしかざせば、
滴《したゝ》る蝋《らふ》のしづく涙と共に散りて、
黄なる睡蓮《すいれん》の花となり、又しろき鱗《うろこ》の魚《うを》となりぬ。
かかる夢見しは覚めたる後《のち》も清清《すがすが》し。
[#1行アキは底本ではなし]されど、又、かなしきは或夜《あるよ》の夢なりき。
君が大船《おほふね》の窓の火ややに消えゆき、
唯《た》だ一つ残れる最後の薄き光に、
われ外《そと》より硝子《がらす》ごしにさし覗《のぞ》けば、
われならぬ面《おも》やつれせしわが影既に内《うち》にありて、
あはれ君が棺《ひつぎ》の前にさめざめと泣き伏すなり。
「われをも内《うち》に入《い》れ給《たま》へ」と叫べど、
外《そと》は波風の音おどろしく、
内《うち》はうらうへに鉛の如《ごと》く静かに重く冷たし。
泣けるわが影は
氷の如《ごと》く、霞《かすみ》の如《ごと》く、透《す》きとほる影の身なれば、
わが声を聴かぬにやあらん。
われは胸も裂くるばかり苛立《いらだ》ち、
扉の方《かた》より馳《は》せ入《い》らんと、
三《み》たび五《いつ》たび甲板《でつき》の上を繞《めぐ》れど、
皆堅く鎖《とざ》して入《い》るべき口も無し。
もとの硝子《がらす》窓に寄りて足ずりする時、
第三のわが影、艫《とも》の方《かた》の渦巻く浪《なみ》にまじり、
青白く長き手に抜手《ぬきで》きつて泳ぎつつ、
「は、は、は、は、そは皆物好きなるわが夫《せ》の君のわれを試《た》めす戯れぞ」と笑ひき。
覚めて後《のち》、我はその第三の我を憎みて、
日《ひ》ひと日《ひ》腹だちぬ。
良人《をつと》の留守の一人《ひとり》寝に、
わたしは何《なに》を著《き》て寝よう。
日本の女のすべて著《き》る
じみな寝間著《ねまき》はみすぼらし、
非人《ひにん》の姿「死」の下絵、
わが子の前もけすさまじ。
わたしは矢張《やはり》ちりめんの
夜明《よあけ》の色の茜染《あかねぞめ》、
長襦袢《ながじゆばん》をば選びましよ。
重い狭霧《さぎり》がしつとりと
花に降るよな肌ざはり、
女に生れたしあはせも
これを著《き》るたび思はれる。
斜《はす》に裾《すそ》曳《ひ》く長襦袢《ながじゆばん》、
つい解けかかる襟もとを
軽く合せるその時は、
何《なん》のあてなくあこがれて
若さに逸《はや》るたましひを
じつと抑《おさ》へる心もち。
それに、わたしの好きなのは、
白蝋《はくらふ》の灯《ひ》にてらされた
夢見ごころの長襦袢《ながじゆばん》、
この匂《にほ》はしい明りゆゑ、
君なき閨《ねや》もみじろげば
息づむまでに艶《なまめ》かし。
児等《こら》が寝すがた、今一度、
見まはしながら灯《ひ》をば消し、
寒い二月の床《とこ》のうへ、
こぼれる脛《はぎ》を裾《すそ》に巻き、
つつましやかに足曲げて、
夜著《よぎ》を被《かづ》けば、可笑《をか》しくも
君を見初《みそ》めたその頃《ころ》の
娘ごころに帰りゆく。
旅の良人《をつと》も、今ごろは
巴里《パリイ》の宿のまどろみに、
極楽鳥の姿する
わたしを夢に見てゐるか。
わたしはあまりに気が滅入《めい》る。
なんの自分を案じましよ、
君を恋しと思ひ過ぎ、
引き立ち過ぎて気が滅入《めい》る。
「初恋の日は帰らず」と、
わたしの恋の琴の緒《を》に
その弾き歌は用が無い。
昔にまさる燃える気息《いき》。
昔にまさるため涙。
人目をつつむ苦しさに、
鳴りを沈めた琴の絃《いと》、
じつと哀《かな》しく張り詰める。
巴里《パリイ》の大路《おほぢ》を行《ゆ》く君は
わたしの外《ほか》に在るとても、
わたしは君の外《ほか》に無い、
君の外《ほか》には世さへ無い。
君よ、わたしの遣瀬《やるせ》なさ、
三月《みつき》待つ間《ま》に身が細り、
四月《よつき》の今日《けふ》は狂ひ死《じ》に
するかとばかり気が滅入《めい》る。
人並ならぬ恋すれば、
人並ならぬ物おもひ。
其《そ》れもわたしの幸福《しあはせ》と
思ひ返せど気が滅入《めい》る。
昨日《きのふ》の恋は朝の恋、
またのどかなる昼の恋。
今日《けふ》する恋は狂ほしい
真赤《まつか》な入日《いりひ》の一《ひと》さかり。
とは思へども気が滅入《めい》る。
若《も》しもそのまま旅に居て
君帰らずばなんとせう。
わたしは矢張《やはり》気が滅入《めい》る。
久しき留守に倚《よ》りかかる
君が手なれの竹の椅子《いす》。
とる針よりも、糸よりも、
女ごころのかぼそさよ。
膝《ひざ》になびいた一《ひと》ひらの
江戸紫に置く繍《ぬひ》は、
ひまなく恋に燃える血の
真赤な胸の罌粟《けし》の花。
花に添ひたる海の色、
ふかみどりなる罌粟《けし》の葉は、
君が越えたる浪形《なみがた》に
流れて落ちるわが涙。
さは云《い》へ、女のたのしみは、
わが繍《ぬ》ふ罌粟《けし》の「夢」にさへ
花をば揺する風に似て、
君が気息《いき》こそ通《かよ》ふなれ。
いざ、天《てん》の日は我がために
金《きん》の車をきしらせよ。
颶風《あらし》の羽《はね》は東より
いざ、こころよく我を追へ。
黄泉《よみ》の底まで、泣きながら、
頼む男を尋ねたる
その昔にもえや劣る。
女の恋のせつなさよ。
晶子や物に狂ふらん、
燃ゆる我が火を抱きながら、
天《あま》がけりゆく、西へ行《ゆ》く、
巴里《パリイ》の君へ逢《あ》ひに行《ゆ》く。
(一九一二年五月作)
あはれならずや、その雛《ひな》を
荒巌《あらいは》の上の巣に遺《のこ》し、
恋しき兄鷹《せう》を尋ねんと、
颶風《あらし》の空に下《お》りながら、
雛《ひな》の啼《な》く音《ね》にためらへる
若き女鷹《めだか》の若《も》しあらば。――
それは窶《やつ》れて遠く行《ゆ》く
今日《けふ》の門出の我が心。
いとしき児《こ》らよ、ゆるせかし、
しばし待てかし、若き日を
猶《なほ》夢を見るこの母は
汝《な》が父をこそ頼むなれ。
巴里《パリイ》に著《つ》いた三日目に
大きい真赤《まつか》な芍薬《しやくやく》を
帽の飾りに附《つ》けました。
こんな事して身の末《すゑ》が
どうなるやらと言ひながら。
土から俄《には》かに
孵化《ふくわ》して出た蛾《が》のやうに、
わたしは突然、
地下電車《メトロ》から地上へ匐《は》ひ上がる。
大きな凱旋門《がいせんもん》がまんなかに立つてゐる。
それを繞《めぐ》つて
マロニエの並木が明るい緑を盛上げ、
そして人間と、自動車と、乗合馬車と、
乗合自動車との点と塊《マツス》が
命ある物の
整然とした混乱と
自主独立の進行とを、
断間《たえま》無しに
八方《はつぱう》の街から繰出し、
此処《ここ》を縦横《じゆうわう》[#ルビの「じゆうわう」は底本では「じうわう」]に縫つて、
断間《たえま》無しに
八方《はつぱう》の街へ繰込んでゐる。
おお、此処《ここ》は偉大なエトワアルの広場……
わたしは思はずじつと立ち竦《すく》む。
わたしは思つた、――
これで自分は此処《ここ》へ二度来る。
この前来た時は
いろんな車に轢《ひ》き殺され相《さう》で、
怖《こは》くて、
広場を横断する勇気が無かつた。
そして輻《ふく》になつた路《みち》を一つ一つ越えて、
モンソオ公園へ行《ゆ》く路《みち》の
アヴニウ・ウツスの入口《いりくち》を見附《みつ》ける為《た》めに、
広場の円の端を
長い間ぐるぐると歩《あ》るいてゐた。
どうした気持のせいでか、
アヴニウ・ウツスの入口《いりくち》を見附《みつ》け損《そこな》つたので、
凱旋門《がいせんもん》を中心に
二度も三度も広場の円の端を
馬鹿《ばか》らしく歩《あ》るき廻つてゐるのであつた。
けれど今日《けふ》は用意がある。
わたしは地図を研究して来てゐる。
今日《けふ》わたしの行《ゆ》くのは
バルザツク街《まち》の裁縫師《タイユウル》の家《いへ》だ。
バルザツク街《まち》へ出るには、
この広場を前へ
真直《まつすぐ》に横断すればいいのである。
わたしは斯《か》う思つたが、併《しか》し、
真直《まつすぐ》に広場を横断するには
縦横《じゆうわう》に絶間《たえま》無く馳《は》せちがふ
速度の速い、いろんな車が怖《こは》くてならぬ。
広場へ出るが最期
二三歩で
轢《ひ》き倒されて傷をするか、
轢《ひ》き殺されてしまふかするであらう……
この時、わたしに、突然、
何《なん》とも言ひやうのない
叡智と威力とが内《うち》から湧《わ》いて、
わたしの全身を生きた鋼鉄の人にした。
そして日傘《パラソル》と嚢《サツク》とを提《さ》げたわたしは
決然として、馬車、自動車、
乗合馬車、乗合自動車の渦の中を真直《まつすぐ》に横ぎり、
あわてず、走らず、
逡巡《しゆんじゆん》せずに進んだ。
それは仏蘭西《フランス》の男女の歩《あ》るくが如《ごと》くに歩《あ》るいたのであつた。
そして、わたしは、
わたしが斯《か》うして悠悠《いういう》と歩《あ》るけば、
速度の疾《はや》いいろんな怖《おそ》ろしい車が
却《かへ》つて、わたしの左右に
わたしを愛して停《とゞ》まるものであることを知つた。
わたしは新しい喜悦に胸を跳《をど》らせながら、
斜めにバルザツク街《まち》へ入《はひ》つて行つた。
そして裁縫師《タイユウル》の家《いへ》では
午後二時の約束通り、
わたしの繻子《しゆす》のロオヴの仮縫《かりぬひ》を終つて
若い主人夫婦がわたしを待つてゐた。
ルウヴル宮《きゆう》[#ルビの「きゆう」は底本では「きう」]の正面も、
中庭にある桃色の
凱旋門《がいせんもん》もやはらかに
紫がかつて暮れてゆく。
花壇の花もほのぼのと
赤と白とが薄くなり、
並んで通る恋人も
ひと組ひと組暮れてゆく。
君とわたしも石段に
腰掛けながら暮れてゆく。
ルサイユの宮《みや》の
大理石の階《かい》を降《くだ》り、
後庭《こうてい》の六月の
花と、香《か》と、光の間《あひだ》を過ぎて
われ等《ら》三人《みたり》の日本人は
広大なる森の中に入《い》りぬ。
二百《にびやく》年を経たる|《ぶな》の大樹《だいじゆ》は
明るき緑の天幕《てんと》を空に張り、
その下《もと》に紫の苔《こけ》生《お》ひて、
物古《ものふ》りし石の卓一つ
匐《は》ふ蔦《つた》の黄緑《わうりよく》の若葉と
薄赤き蔓《つる》とに埋《うづ》まれり。
二人《ふたり》の男は石の卓に肘《ひぢ》つきて
苔《こけ》の上に横たはり、
われは上衣《うはぎ》を脱ぎて
|《ぶな》の根がたに蹲踞《うづくま》りぬ。
快き静けさよ、かなたの梢《こずゑ》に小鳥の高音《たかね》……
近き涼風《すゞかぜ》の中に立麝香草《たちじやかうさう》の香り……
わが心は宮《みや》の中《うち》に見たる
ルイ王とナポレオン皇帝との
華麗と豪奢《がうしや》とに酔《ゑ》ひつつあり。
后《きさき》達の寝室の清清《すがすが》しき白と金色《こんじき》……
モリエエルの演じたる
宮廷劇場の静かな猩猩緋《しやう/″\ひ》……
されど、楽しきわが夢は覚めぬ。
目まぐるしき過去の世紀は
かの王后《わうこう》の栄華と共に亡びぬ。
わが目に映るは今
脆《もろ》き人間の外《ほか》に立てる
|《ぶな》の大樹と石の卓とばかり。
ああ、われは寂《さび》し、
わが追ひつつありしは
人間の短命の生《せい》なりき。
いでや、森よ、
われは千年の森の心を得て、
悠悠《いう/\》と人間の街に帰るよしもがな。
さあ、あなた、磯《いそ》へ出ませう、
夜通《やどほ》[#ルビの「やどほ」はママ]し涙に濡《ぬ》れた
気高《けだか》い、清い目を
世界が今開《あ》けました。
おお、夏の暁《あかつき》、
この暁《あかつき》の大地の美しいこと、
天使の見る夢よりも、
聖母の肌よりも。
海峡には、ほのぼのと
白い透綾《すきや》の霧が降つて居ます。
そして其処《そこ》の、近い、
黒い暗礁の
疎《まば》らに出た岩の上に
鷺《さぎ》が五六羽《は》、
首を羽《はね》の下に入《い》れて、
脚《あし》を浅い水に浸《つ》けて、
じつとまだ眠つてゐます。
彼等を驚かさないやうに、
水際《みづぎは》の砂の上を、そつと、
素足で歩《あ》るいて行《ゆ》きませう。
まあ、神神《かう/″\》しいほど、
涼しい風だこと……
世界の初めにエデンの園で
若いイヴの髪を吹いたのも此《この》風でせう。
ここにも常に若い
みづみづしい愛の世界があるのに、
なぜ、わたし達は自由に
裸のままで吹かれて行《ゆ》かないのでせう。
けれど、また、風に吹かれて、
帆のやうに袂《たもと》の揚がる快さには
日本の著物《きもの》の幸福《しあはせ》が思はれます。
御覧《ごらん》なさい、
わたし達の歩みに合せて、
もう海が踊り始めました。
緑玉《エメラルド》の女衣《ロオブ》に
水晶と黄金《きん》の笹縁《さゝべり》……
浮き上がりつつ、沈みつつ、
沈みつつ、浮き上がりつつ……
そして、その拡がつた長い裾《すそ》が
わたし達の素足と縺《もつ》れ合ひ、
そしてまた、ざぶるうん、ざぶるうんと
間《ま》を置いて海の|鐃《ねうばち》が鳴らされます。
あら、鷺《さぎ》が皆立つて行《ゆ》きます、
俄《には》かに紅鷺《べにさぎ》のやうに赤く染まつて……
日が昇るのですね、
霧の中から。
秋の歌はそよろと響く
白楊《はくやう》と毛欅《ぶな》の森の奥に。
かの歌を聞きつつ、我等は
しづかに語らめ、しづかに。
褪《さ》めたる朱《しゆ》か、
剥《は》がれたる黄金《きん》か、
風無くて木《こ》の葉は散りぬ、
な払ひそ、よしや、衣《きぬ》にとまるとも。
それもまた木《こ》の葉の如《ごと》く、
かろやかに一つ白き蝶《てふ》
舞ひて降《くだ》れば、尖《とが》りたる
赤むらさきの草ぞゆするる。
眠れ、眠れ、疲れたる
春夏《はるなつ》の踊子《をどりこ》よ、蝶《てふ》よ。
かぼそき路《みち》を行《ゆ》きつつ、猶《なほ》我等は
しづかに語らめ、しづかに。
おお、此処《ここ》に、岩に隠れて
ころころと鳴る泉あり、
水の歌ふは我等が為《た》めならん、
君よ、今は語りたまふな。
たそがれの路《みち》、
森の中に一《ひと》すぢ、
呪《のろ》はれた路《みち》、薄白《うすじろ》き路《みち》、
靄《もや》の奥へ影となり遠ざかる、
あはれ死にゆく路《みち》。
うち沈みて静かな路《みち》。
ひともと[#「ひともと」は底本では「もともと」]何《な》んの木であらう、
その枯れた裸の腕《かひな》を挙げ、
小暗《をぐら》きかなしみの中に、
心疲れた路《みち》を見送る。
たそがれの路《みち》の別れに、樺《かば》の木と
榛《はん》の森は気が狂《ふ》れたらし、
あれ、谺響《こだま》が返す幽《かす》かな吐息……
幽《かす》かな冷たい、調子はづれの高笑ひ……
また幽《かす》かな啜《すゝ》り泣き……
蛋白石色《オパアルいろ》の珠数珠《じゆずだま》の実の
頸飾《くびかざり》を草の上に留《とゞ》め、
薄墨色の音せぬ古池を繞《めぐ》りて、
靄《もや》の奥へ影となりて遠ざかる、
あはれ、たそがれの森の路《みち》……
(一九一二年巴里にて)
水に渇《かつ》えた白緑《はくろく》の
ひろい麦生《むぎふ》を、すと斜《はす》に
翔《かけ》る燕《つばめ》のあわてもの、
何《なに》の使《つかひ》に急ぐのか、
よろこびあまる身のこなし。
続いて、さつと、またさつと、
生《なま》あたたかい南風《みなみかぜ》
ロアルを越して吹く度《たび》に、
白楊《はくやう》の樹《き》がさわさわと
待つてゐたよに身を揺《ゆす》る。
河底《かはぞこ》にゐた家鴨《あひる》らは
岸へ上《のぼ》つて、アカシヤの
蔭《かげ》にがやがや啼《な》きわめき、
燕《つばめ》は遠く去つたのか、
もう麦畑《むぎばた》に影も無い。
それは皆皆よい知らせ、
暫《しばら》くの間《ま》に風は止《や》み、
雨が降る、降る、ほそぼそと
金《きん》の糸やら絹の糸[#「絹の糸」は底本では「絹糸の」]、
真珠の糸の雨が降る。
嬉《うれ》しや、これが仏蘭西《フランス》の
雨にわたしの濡《ぬ》れ初《はじ》め。
軽い婦人服《ロオブ》に、きやしやな靴、
ツウルの野辺《のべ》の雛罌粟《コクリコ》の
赤い小路《こみち》を君と行《ゆ》き。
濡《ぬ》れよとままよ、濡《ぬ》れたらば、
わたしの帽のチウリツプ
いつそ色をば増しませう、
増さずば捨てて、代りには
野にある花を摘んで挿そ。
そして昔のカテドラル
あの下蔭《したかげ》で休みましよ。
雨が降る、降る、ほそぼそと
金《きん》の糸やら、絹の糸、
真珠の糸の雨が降る。
(ロアルは仏蘭西南部の[#「南部の」は底本では「南都の」]河なり)
ほんにセエヌ川よ、いつ見ても
灰がかりたる浅みどり……
陰影《かげ》に隠れたうすものか、
泣いた夜明《よあけ》の黒髪か。
いいえ、セエヌ川は泣きませぬ。
橋から覗《のぞ》くわたしこそ
旅にやつれたわたしこそ……
あれ、じつと、紅玉《リユビイ》の涙のにじむこと……
船にも岸にも灯《ひ》がともる。
セエヌ川よ、
やつばりそなたも泣いてゐる、
女ごころのセエヌ川……
大輪《たいりん》に咲く仏蘭西《フランス》の
芍薬《しやくやく》こそは真赤《まつか》なれ。
枕《まくら》にひと夜《よ》置きたれば
わが乱れ髪夢にして
みづからを焼く火となりぬ。
真赤《まつか》な土が照り返す
だらだら坂《ざか》の二側《ふたかは》に、
アカシヤの樹《き》のつづく路《みち》。
あれ、あの森の右の方《かた》、
飴色《あめいろ》をした屋根と屋根、
あの間《あひだ》から群青《ぐんじやう》を
ちらと抹《なす》つたセエヌ川……
[#1行アキは底本ではなし]涼しい風が吹いて来る、
マロニエの香《か》と水の香《か》と。
これが日本の畑《はたけ》なら
青い「ぎいす」が鳴くであろ。
黄ばんだ麦と雛罌粟《ひなげし》と、
黄金《きん》に交ぜたる朱《しゆ》の赤さ。
誰《た》が挽《ひ》き捨てた荷車か、
眠い目をして、路《みち》ばたに
じつと立ちたる馬の影。
「 |MAITRE《メエトル》 |RODIN《ロダン》 の別荘は。」
問ふ二人《ふたり》より、側《そば》に立つ
|KIMONO《キモノ》 姿のわたしをば
不思議と見入る田舎人《ゐなかびと》。
「メエトル・ロダンの別荘は
ただ真直《まつすぐ》に行《ゆ》きなさい、
木の間《あひだ》から、その庭の
風見車《かざみぐるま》が見えませう。」
巴里《パリイ》から来た三人《さんにん》の
胸は俄《には》かにときめいた。
アカシヤの樹《き》のつづく路《みち》。
空をかき裂《さ》く羽《はね》の音……
今日《けふ》も飛行機が漕《こ》いで来る。
巴里《パリイ》の上を一《ひと》すぢに、
モンマルトルへ漕《こ》いで来る。
ちよいと望遠鏡をわたしにも……
一人《ひとり》は女です……笑つてる……
アカシアの枝が邪魔になる……
[#1行アキは底本ではなし]何処《どこ》へ行《ゆ》くのか知らねども、
毎日飛べば大空の
青い眺めも寂《さび》しかろ。
かき消えて行《ゆ》く飛行機の
夏の日中《ひなか》の羽《はね》の音……
あれ、あれ、通る、飛行機が、
今日《けふ》も巴里《パリイ》をすぢかひに、
風切る音をふるはせて、
身軽なこなし、高高《たかだか》と
羽《はね》をひろげたよい形《かたち》。
オペラ眼鏡《グラス》を目にあてて、
空を踏まへた胆太《きもぶと》の
若い乗手《のりて》を見上ぐれば、
少し捻《ひね》つた機体から
きらと反射の金《きん》が散る。
若い乗手《のりて》のいさましさ、
後ろを見捨て、死を忘れ。
片時《かたどき》やまぬ新らしい
力となつて飛んで行《ゆ》く、
前へ、未来へ、ましぐらに。
暗殺酒鋪《キヤバレエ・ダツサツサン》
(巴里モンマルトルにて)
閾《しきゐ》を内へ跨《また》ぐとき、
墓窟《カバウ》の口を踏むやうな
暗い怖《おび》えが身に迫る。
煙草《たばこ》のけぶり、人いきれ、
酒類《しゆるゐ》の匂《にほ》ひ、灯《ひ》の明《あか》り、
黒と桃色、黄と青と……
あれ、はたはたと手の音が
きもの姿に帽を著《き》た
わたしを迎へて爆《は》ぜ裂ける。
鬼のむれかと想《おも》はれる
人の塊《かたまり》、そこ、かしこ。
もやもや曇る狭い室《しつ》。
×
淡い眩暈《めまひ》のするままに
君が腕《かひな》を軽く取り、
物珍《めづ》らしくさし覗《のぞ》く
知らぬ人等《ひとら》に会釈して、
扇で半《なか》ば頬《ほ》を隠し、
わたしは其処《そこ》に掛けてゐた。
ボウドレエルに似た像が
荒い苦悶《くもん》を食ひしばり、
手を後ろ手《で》に縛られて
煤《すゝ》びた壁に吊《つる》された、
その足もとの横長い
粗木《あらき》づくりの腰掛に。
「この酒鋪《キヤバレエ》の名物は、
四百《しひやく》年へた古家《ふるいへ》の
きたないことと、剽軽《へうきん》な[#「剽軽な」は底本では「飄軽な」]
また正直なあの老爺《おやぢ》、
それにお客は漫画家と
若い詩人に限ること。」
こんな話を友はする。
×
濶《ひろ》い股衣《ヅボン》の大股《おほまた》に
老爺《おやぢ》は寄つて、三人《さんにん》の
日本の客の手を取つた。
伸びるがままに乱れたる
髪も頬髭《ほひげ》も灰白《はひじろ》み、
赤い上被《タブリエ》、青い服、
それも汚《よご》れて裂けたまま。
太い目元に皺《しわ》の寄る
屈托《くつたく》のない笑顔して、
盛高《もりだか》の頬《ほ》と鼻先の
林檎色《りんごいろ》した美《うつ》くしさ。
老爺《おやぢ》の手から、前の卓、
わたしの小《ち》さい杯《さかづき》に
注《つ》がれた酒はムウドンの
丘の上から初秋《はつあき》の
セエヌの水を見るやうな
濃い紫を湛《たた》へてる。
×
「聴け、我が子等《こら》」と客達を
叱《しか》るやうなる叫びごゑ。
老爺《おやぢ》はやをら中央《まんなか》の
麦稈《むぎわら》椅子《いす》に掛けながら、
マンドリンをば膝《ひざ》にして、
「皆さん、今夜は珍しい
日本の詩人をもてなして、
ルレエヌをば歌ひましよ。」
老爺《おやぢ》の声の止《や》まぬ間《ま》に
拍手の音が降りかかる[#「かかる」は底本では「かがる」]。
赤い毛をした、痩形《やせがた》の、
モデル女も泳ぐよに
一人《ひとり》の画家の膝《ひざ》を下《を》り、
口笛を吹く、手を挙げる。
驟雨《オラアジユ》は過ぎ行《ゆ》く、
巴里《パリイ》を越えて、
ブロオニユの森のあたりへ。
今、かなたに、
樺色《かばいろ》と灰色の空の
板硝子《いたがらす》を裂く雷《らい》の音、
青玉《せいぎよく》の電《いなづま》の瀑《たき》。
猶《なほ》見ゆ、遠山《とほやま》の尖《さき》の如《ごと》く聳《そば》だつ
薄墨《うすすみ》のオペラの屋根の上、
霧の奥に、
猩猩緋《しやう/″\ひ》と黄金《きん》の
光の女服《ロオブ》を脱ぎ放ち、
裸となりて雨を浴ぶる
夏の女皇《ぢよくわう》の
仄白《ほのじろ》き八月の太陽。
猶《なほ》、濡《ぬ》れわたる街の並木の
アカシヤとブラタアヌは
汗と塵埃《ほこり》と|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、254-下-7]を洗はれて、
その喜びに手を振り、
頭《かしら》を返し踊るもあり。
カツフエのテラスに花咲く
万寿菊《まんじゆぎく》と薔薇《ばら》は
斜《はす》に吹く涼風《すゞかぜ》の拍子に乗りて
そぞろがはしく
ワルツを舞はんとするもあり。
猶《なほ》、そのいみじき
灌奠《ラバシヨン》の余沫《よまつ》は
枝より、屋根より、
はらはらと降らせぬ、
水晶の粒を、
銀の粒を、真珠の粒を。
驟雨《オラアジユ》は過ぎ行《ゆ》く、
爽《さわ》やかに、こころよく。
それを見送るは
祭の列の如《ごと》く楽し。
わがある七《しち》階の家《いへ》も、
わが住む三階の窓より見ゆる
近き四方《しはう》の家家《いへいへ》も、
窓毎《まどごと》に光を受けし人の顔、
顔毎《かほごと》に朱《しゆ》の笑《ゑ》まひ……
テアトル・フランセエズ[#「フランセエズ」は底本では「フランセエエ」]の二階目の、
紅《あか》い天鵞絨《びろうど》を張りつめた
看棚《ロオジユ》の中に唯《た》だ二人《ふたり》
君と並べば、いそいそと
跳《をど》る心のおもしろや。
もう幕開《まくあき》の鈴が鳴る。
第一列のバルコンに、
肌の透《す》き照る薄ごろも、
白い孔雀《くじやく》を見るやうに
銀を散らした裳《も》を曳《ひ》いて、
駝鳥《だてう》の羽《はね》のしろ扇、
胸に一《いち》りん白い薔薇《ばら》、
しろいづくめの三人《さんにん》は
マネが描《か》くよな美人づれ、
望遠鏡《めがね》の銃《つゝ》が四方《しはう》から
みな其処《そこ》へ向くめでたさよ。
また三階の右側に、
うす桃色のコルサアジユ、
金《きん》の繍《ぬひ》ある裳《も》を著《つ》けた
華美《はで》な姿の小女《こをんな》が
ほそい首筋、きやしやな腕、
指環《ゆびわ》の星の光る手で
少し伏目に物を読み、
折折《をりをり》あとを振返る
人待顔《ひとまちがほ》の美《うつ》くしさ。
あら厭《いや》、前のバルコンへ、
厚いくちびる、白い目の
アラビヤらしい黒奴《くろんぼ》が
襟も腕《かひな》も指さきも
きらきら光る、おなじよな
黒い女を伴《つ》れて来た。
どしん、どしんと三度程
舞台を叩《たゝ》く音がして、
しづかに揚《あが》る黄金《きん》の幕。
よごれた上衣《うはぎ》、古づぼん、
血に染《そ》むやうな赤ちよつき、
コツペが書いた詩の中の
人を殺した老鍛冶《らうかぢ》が
法官達の居ならんだ
前に引かれる痛ましさ、
足の運びもよろよろと……
おお、ムネ・シユリイ、見るからに
老優の芸の偉大さよ。
九月の初め、ミユンヘンは
早くも秋の更けゆくか、
モツアルト街《まち》、日は射《さ》せど
ホテルの朝のつめたさよ。
青き出窓の欄干《らんかん》に
匍《は》ひかぶされる蔦《つた》の葉は
朱《しゆ》と紅《くれなゐ》と黄金《きん》を染め
照れども朝のつめたさよ。
鏡の前に立ちながら
諸手《もろで》に締むるコルセツト、
ちひさき銀のボタンにも
しみじみ朝のつめたさよ。
ああ重苦しく、赤黒《ぐろ》く、
高く、濶《ひろ》く、奥深い穹窿《きゆうりゆう》[#ルビの「きゆうりゆう」は底本では「きうりゆう」]の、
神秘な人工の威圧と、
沸沸《ふつふつ》と迸《ほとばし》る銀白《ぎんぱく》の蒸気と、
爆《は》ぜる火と、哮《ほ》える鉄と[#「鉄と」は底本では「鉄ど」]、
人間の動悸《どうき》、汗の香《か》、
および靴音とに、
絶えず窒息《いきづま》り、
絶えず戦慄《せんりつ》する
伯林《ベルリン》の厳《おごそ》かなる大停車場《ぢやう》。
ああ此処《ここ》なんだ、世界の人類が
静止の代りに活動を、
善の代りに力を、
弛緩《ちくわん》の代りに緊張を、
平和の代りに苦闘を、
涙の代りに生血《いきち》を、
信仰の代りに実行を、
自《みづか》ら探し求めて出入《でい》りする、
現代の偉大な、新しい
生命を主とする本寺《カテドラル》は。
此処《ここ》に大きなプラツトフオオムが
地中海の沿岸のやうに横たはり、
その下に波打つ幾線の鉄の縄が
世界の隅隅《すみずみ》までを繋《つな》ぎ合せ、
それに断《た》えず手繰《たぐ》り寄せられて、
汽車は此処《ここ》へ三分間毎《ごと》に東西南北より著《ちやく》し、
また三分間毎《ごと》に東西南北へ此処《ここ》を出て行《ゆ》く。
此処《ここ》に世界のあらゆる目覚《めざ》めた人人《ひとびと》は、
髪の黒いのも、赤いのも、
目の碧《あお》いのも、黄いろいのも。
みんな乗りはづすまい、
降りはぐれまいと気を配り、
固《もと》より発車を報《しら》せる鈴《べる》も無ければ、
みんな自分で検《しら》べて大切な自分の「時《とき》」を知つてゐる。
どんな危険も、どんな冒険も此処《ここ》にある。
どんな鋭音《ソプラノ》も、どんな騒音も此処《ここ》にある、
どんな期待も、どんな昂奮《かうふん》も、どんな痙攣《けいれん》も、
どんな接吻《せつぷん》も、どんな告別《アデイユ》も此処《ここ》にある。
どんな異国の珍しい酒、果物、煙草《たばこ》、香料、
麻、絹布《けんふ》、毛織物、
また書物、新聞、美術品、郵便物も此処《ここ》にある。
此処《ここ》では何《なに》もかも全身の気息《いき》のつまるやうな、
全身の筋《すぢ》のはちきれるやうな、
全身の血の蒸発するやうな、
鋭い、忙《せは》しい、白※《はくねつ》[#「執/れんが」、U+24360、259-下-1]の肉感の歓びに満ちてゐる。
どうして少しの隙《すき》や猶予があらう、
あつけらかんと眺めてゐる休息があらう、
乗り遅れたからと云《い》つて誰《だれ》が気の毒がらう。
此処《ここ》では皆の人が唯《た》だ自分の行先《ゆくさき》ばかりを考へる。
此処《ここ》へ出入《でい》りする人人《ひとびと》は
男も女も皆選ばれて来た優者《いうしや》の風《ふう》があり、
額《ひたひ》がしつとりと汗ばんで、
光を睨《にら》み返すやうな目附《めつき》をして、
口は歌ふ前のやうにきゆつと緊《しま》り、
肩と胸が張つて、
腰から足の先までは
きやしやな、しかも堅固な植物の幹が歩《あ》るいてゐるやうである。
みんなの神経は苛苛《いらいら》としてゐるけれど、
みんなの意志は悠揚《いうやう》として、
鉄の軸のやうに正しく動いてゐる。
みんながどの刹那《せつな》をも空《むな》しくせずに
ほんとうに生きてる人達だ、ほんとうに動いてゐる人達だ。
あれ、巨象《マンモス》[#ルビの「マンモス」は底本では「モンマス」]のやうな大機関車を先《さ》きにして、
どの汽車よりも大きな地響《ぢひゞき》を立てて、
ウラジホストツクからブリユツセルまでを、
十二日間で突破する、
ノオル・デキスプレスの最大急行列車が入《はひ》つて来た。
怖《おそ》ろしい威厳を持つた機関車は
今、世界の凡《すべ》ての機関車を圧倒するやうにして駐《とま》つた。
ああ、わたしも是《こ》れに乗つて来たんだ、
ああ、またわたしも是《こ》れに乗つて行《ゆ》くんだ。
秋の日が――
旅人の身につまされやすい
秋の日が夕《ゆふべ》となり、
薄むらさきに煙《けぶ》つた街の
高い家《いへ》と家《いへ》との間《あひだ》に、
今、太陽が
万年青《おもと》の果《み》のやうに真紅《しんく》に
しつとりと濡《ぬ》れて落ちて行《ゆ》く。
反対な側《がは》の屋根の上には、
港の船の帆ばしらが
どれも色硝子《いろがらす》の棒を立て並べ、
そのなかに港の波が
幻惑の彩色《さいしき》を打混《うちま》ぜて
ぎらぎらとモネの絵のやうに光る。
よく見ると、その波の半《なかば》は
無数の帆ばしらの尖《さき》から翻《ひるが》へる[#「翻へる」は底本では「翻へる。」]
細長い藍色《あゐいろ》の旗である。
あなた、窓へ来て御覧なさい、
手紙を書くのは後《あと》にしませう、
まあ、この和蘭陀《おらんだ》の海の
美《うつ》くしい入日《いりび》。
わたし達は、まだ幸ひに若くて、
かうして、アムステルダムのホテルの
五階の窓に顔を並べて、
この佳《よ》い入日《いりび》を眺めてゐるのですね。
と云《い》つて、
明日《あす》わたし達が此処《ここ》を立つてしまつたら、
復《また》と此《こ》の港が見られませうか。
あれ、直《す》ぐ窓の下の通りに、
猩猩緋《しやう/″\ひ》の上衣《うはぎ》を黒の上に著《き》た
一隊の男の児《こ》の行列、
何《なん》と云《い》ふ可愛《かは》いい
小学の制服なんでせう。
ああ、東京の子供達は
どうしてゐるでせう。
黒く大いなる起重機
我が五階の前に立ち塞《ふさ》がり、
その下に数町《すうちやう》離れて
沖に掛かれる汽船の灯《ひ》
黄菊《きぎく》の花を並ぶ。
税関の彼方《かなた》、
桟橋に寄る浪《なみ》のたぶたぶと
折折《をりをり》に鳴りて白し。
いづこの酒場の窓よりぞ、
ギタルに合はする船人《ふなびと》の唄《うた》
秋の夜風《よかぜ》に混《まじ》り、
波止場に沿ふ散歩道は
落葉《おちば》したる木立《こだち》の幹に
海の反射淡く残りぬ。
うら寒し、はるばる来《き》つる
アムステルダムの一夜《いちや》。
知らざりしかな、昨日《きのふ》まで、
わが悲《かなし》みをわが物と。
あまりに君にかかはりて。
君の笑《ゑ》む日をまのあたり
巴里《パリイ》の街に見る我《わ》れの
あはれ何《なに》とて寂《さび》しきか。
君が心は躍《をど》れども、
わが|※《あつ》[#「執/れんが」、U+24360、262-下-10]かりし火は濡《ぬ》れて、
自《みづか》らを泣く時のきぬ。
わが聞く楽《がく》はしほたれぬ、
わが見る薔薇《ばら》はうす白《じろ》し、
わが執《と》る酒は酢に似たり。
ああ、わが心已《や》む間《ま》なく、
東の空にとどめこし
我子《わがこ》の上に帰りゆく。
君は何《なに》かを読みながら、
マロニエの樹《き》の染《そ》み出した
斜《はす》な径《こみち》を、花の香《か》の
濡《ぬ》れて呼吸《いき》つく方《かた》へ去り、
わたしは毛欅《ぶな》の大木の
しだれた枝に日を避けて、
五色《ごしき》の糸を巻いたよな
円《まる》い花壇を左にし、
少しはなれた紫の
木立《こだち》と、青い水のよに
ひろがる芝を前にして、
絵具の箱を開《あ》けた時、
おお、雀《すゞめ》、雀《すゞめ》、
一つ寄り、
二つ寄り、
はら、はら、はらと、
十《とを》、二十《にじふ》、数知れず、
きやしやな黄色《きいろ》の椅子《いす》の前、
わたしへ向いて寄る雀《すゞめ》。
それ、お食べ、
それ、お食べ、
今日《けふ》もわたしは用意して、
麺麭《パン》とお米を持つて来た。
それ、お食べ、
雀《すゞめ》、雀《すゞめ》、雀《すゞめ》たち、
聖母の前の鳩《はと》のよに、
素直なかはいい雀《すゞめ》たち。
わたしは国に居た時に、
朝起きても筆、
夜《よ》が更けても筆、
祭も、日曜も、春秋《はるあき》も、
休む間《ま》無しに筆とつて、
小鳥に餌《ゑ》をば遣《や》るやうな
気安い時を持たなんだ。
おお、美《うつ》くしく円《まる》い背と
小《ちさ》い頭とくちばしが
わたしへ向いて並ぶこと。
見れば何《いづ》れも子のやうな、
わたしの忘れぬ子のやうな……
わたしは小声《こごゑ》で呼びませう、
それ光《ひかる》さん、
かはいい七《なな》ちやん、
秀《しげる》さん、麟坊《りんばう》さん、八峰《やつを》[#ルビの「やつを」は底本では「やつ」]さん……
あれ、まあ挙げた手に怖《おそ》れ、
逃げる一つのあの雀《すゞめ》、
お前は里に居た為《た》めに
親になじまぬ佐保《さほ》ちやんか。
わたしは何《なに》か云《い》つてゐた、
気が狂《ちが》ふので無いか知ら……
どうして気安いことがあろ、
ああ、気に掛る、気に掛る、
子供の事が又しても……
せはしい日本の日送りも
心ならずに執《と》る筆も、
身の衰へも、わが髪の
早く落ちるも皆子ゆゑ。
子供を忘れ、身を忘れ、
こんな旅寝《たびね》を、はるばると
思ひ立つたは何《なに》ゆゑか。
子をば育《はぐく》む大切な
母のわたしの時間から、
雀《すゞめ》に餌《ゑ》をばやる暇を
偸《ぬす》みに来たは何《なに》ゆゑか。
うつかりと君が言葉に絆《ほだ》されて………
いいえ、いいえ、
みんなわたしの心から………
あれ、雀《すゞめ》が飛んでしまつた。
それはあなたのせゐでした[#「せゐでした」は底本では「せいでした」]。
みんな、みんな、雀《すゞめ》が飛んでしまひました。
あなた、わたしは何《ど》うしても
先に日本へ帰ります。
もう、もう絵なんか描《か》きません。
雀《すゞめ》、雀《すゞめ》、
モンソオ公園の雀《すゞめ》、
そなたに餌《ゑ》をも遣《や》りません。
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冷たい夕飯
(雑詩卅四章)
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[#ここから2段組み]
我手《わがて》の花は人染《そ》めず、
みづからの香《か》と、おのが色。
さはれ、盛りの短《みじ》かさよ、
夕《ゆふべ》を待たで萎《しを》れゆく。
我手《わがて》の花は誰《た》れ知らん、
入日《いりひ》の後《のち》に見る如《ごと》き
うすくれなゐを頬《ほ》に残し、
淡き香《か》をもて呼吸《いき》[#ルビの「いき」は底本では「い」]すれど。
我手《わがて》の花は萎《しを》れゆく……
いと小《ささ》やかにつつましき
わが魂《たましひ》の花なれば
萎《しを》れゆくまますべなきか。
藤《ふぢ》とつつじの咲きつづく
四月五月に知り初《そ》めて、
わたしは絶えず此処《ここ》へ来る。
森の木蔭《こかげ》を細《こま》やかに
曲つて昇る赤い路《みち》。
わたしは此処《ここ》で花の香《か》に
恋の吐息の噴《ふ》くを聞き、
広い青葉の翻《かへ》るのに
若い男のさし伸べる
優しい腕の線を見た。
わたしは此処《ここ》で鳥の音《ね》が
胸の拍子に合ふを知り、
花のしづくを美しい
蝶《てふ》と一所《いつしよ》に浴びながら、
甘い木《こ》の実を口にした。
今はあらはな冬である。
霜と、落葉《おちば》と、木枯《こがらし》と、
爛《たゞ》れた傷を見るやうに
一《ひと》すぢ残る赤い路《みち》……
わたしは此処《ここ》へ泣きに来る。
「砂を掴《つか》んで、日もすがら
砂の塔をば建てる人
惜しくはないか[#「ないか」は底本では「ないが」]、其時《そのとき》が、
さては無益《むやく》な其《その》労が。
しかも両手で掴《つか》めども、
指のひまから砂が洩《も》る、
する、する、すると砂が洩《も》る、
軽《かろ》く、悲しく、砂が洩《も》る。
寄せて、抑《おさ》へて、積み上げて、
抱《かゝ》へた手をば放す時、
砂から出来た砂の塔
直《す》ぐに崩れて砂になる。」
砂の塔をば建てる人
これに答へて呟《つぶや》くは、
「時が惜しくて砂を積む、
命が惜しくて砂を積む。」
空の嵐《あらし》よ、呼ぶ勿《なか》れ、
山を傾け、野を砕き、
所《ところ》定めず行《ゆ》くことは
地に住むわれに堪《た》へ難《がた》し。
野の花の香《か》よ、呼ぶ勿《なか》れ、
若《も》し花の香《か》となるならば
われは刹那《せつな》を香らせて
やがて跡なく消えはてん。
木《こ》の間《ま》の鳥よ、呼ぶ勿《なか》れ、
汝《な》れは固《もと》より羽《はね》ありて
枝より枝に遊びつつ、
花より花に歌ふなり。
すべての物よ、呼ぶ勿《なか》れ、
われは変らぬ囁《さゝや》きを
乏しき声にくり返し
初恋の巣にとどまりぬ。
善《よ》しや、悪《あ》しやを言ふ人の
稀《まれ》にあるこそ嬉《うれ》しけれ、
ものかずならで隅にある
わが歌のため、我《わ》れのため。
いざ知りたまへ、わが歌は
泣くに代へたるうす笑ひ、
灰に著《き》せたる色硝子《いろがらす》、
死に隣りたる踊《をどり》なり。
また知りたまへ、この我《わ》れは
春と夏とに行《ゆ》き逢《あ》はで、
秋の光を早く吸ひ、
月のごとくに青ざめぬ。
闇に釣る船
(安成二郎氏の歌集「貧乏と恋と」の序詩)
真黒《まつくろ》な夜《よる》の海で
わたしは一人《ひとり》釣つてゐる。
空には嵐《あらし》が吼《ほ》え、
四方《しはう》には渦が鳴る。
細い竿《さを》の割に
可《か》なり沢山《たくさん》に釣れた。
小さな船の中《なか》七分《しちぶ》通り
光る、光る、銀白《ぎんぱく》の魚《さかな》が。
けれど、鉤《はり》を離すと、直《す》ぐ、
どの魚《うを》もみんな死《あが》つてしまふ。
わたしの釣らうとするのは
こんなんぢやない、決して。
わたしは知つてゐる、わたしの船が
だんだんと沖へ流れてゆくことを、
そして海がだんだんと
深く険《けは》しくなつてゆくことを。
そして、わたしの欲《ほ》しいと思ふ
不思議な命の魚《うを》は
どうやら、わたしの糸のとどかない
底の底を泳いでゐる。
わたしは夜明《よあけ》までに
是非とも其魚《そのうを》が釣りたい。
もう糸では間《ま》に合はぬ、
わたしは身を跳《をど》らして掴《つか》まう。
あれ、見知らぬ船が通る……
わたしは慄《おのゝ》く……
もしや、あの船が先《さ》きに
底の人魚を釣つたのぢやないか。
ああ我等は貧し。
貧しきは
身に病《やまひ》ある人の如《ごと》く、
隠れし罪ある人の如《ごと》く、
また遠く流浪《るろう》する人の如《ごと》く、
常に怖《おび》え、
常に安《やす》からず、
常に心寒《こゝろさむ》し。
また、貧しきは
常に身を卑《ひく》くし、
常に力を売り、
常に他人と物の
駄獣《だじう》および器械となり、
常に僻《ひが》み、
常に呟《つぶや》く。
常に苦《くるし》み、
常に疲れ、
常に死に隣りし、
常に耻《はぢ》と、恨みと、
常に不眠と飢《うゑ》と、
常にさもしき欲と、
常に劇《はげ》しき労働と、
常に涙とを繰返す。
ああ我等、
是《こ》れを突破する日は何時《いつ》ぞ、
恐らくは生《せい》のあなた、
死の時ならでは……
されど我等は唯《た》だ行《ゆ》く、
この灰色の一路《いちろ》を。
こんな日がある。厭《いや》な日だ。
わたしは唯《た》だ一つの物として
地上に置かれてあるばかり、
何《な》んの力もない、
何《な》んの自由もない、
何《な》んの思想もない。
なんだか云《い》つてみたく、
なんだか動いてみたいと感じながら、
鳥の居ない籠《かご》のやうに
わたしは全《まつた》く空虚《から》である。
あの希望はどうした、
あの思出《おもひで》はどうした。
手持不沙汰《ぶさた》でゐるわたしを
人は呑気《のんき》らしくも見て取らう、
また好《い》いやうに解釈して
浮世ばなれがしたとも云《い》ふであろ、
口の悪《わ》るい、噂《うはさ》の好きな人達は
衰へたとも伝へよう。
何《な》んとでも言へ……とは思つてみるが、
それではわたしの気が済まぬ。
をりをりに気が附《つ》くと、
屋外《そと》には嵐《あらし》……
戸が寒相《さむさう》にわななき、
垣と軒《のき》がきしめく……
どこかで幽《かす》かに鳴る二点警鐘《ふたつばん》……
子供等を寝かせたのは
もう昨日《きのふ》のことのやうである。
狭い書斎の灯《ひ》の下《もと》で
良人《をつと》は黙つて物を読み、
わたしも黙つて筆を執《と》る。
きり……きり……きり……きり……
何《なに》かしら、冴《さ》えた低い音が、
ふと聞《きこ》えて途切《とぎ》れた……
きり……きり……きり……きり……
あら、また途切《とぎ》れた……
嵐《あらし》の音にも紛れず、
直《す》ぐ私の後ろでするやうに、
今したあの音は、
臆病《おくびやう》な、低い、そして真剣な音だ……
命のある者の立てる快い音だ……
或《あ》る直覚が私に閃《ひらめ》く……鋼鉄質の其《その》音……
私は小さな声で云《い》つた、
「あなた、何《なに》か音がしますのね」
良人《をつと》は黙つてうなづいた。
其時《そのとき》また、きり……きり……きり……きり……
「追つて遣《や》らう、
今夜なんか這入《はひ》[#ルビの「はひ」は底本では「はい」]られては、
こちらから謝らなければならない」
と云《い》つて、良人《をつと》は、
笑ひながら立ち上がつた。
私は筆を止《や》めずにゐる。
私には今の、嵐《あらし》の中で戸を切る、
臆病《おくびやう》な、低い、そして真剣な音が
自分の仕事の伴奏のやうに、[#「やうに、」は底本では「やうに。」]
ぴつたりと合つて快い。
もう女中も寝たらしく、
良人《をつと》は次の間《ま》で、
みづから燐寸《まつち》を擦つて、
そして手燭《てしよく》と木太刀《きだち》とを提《さ》げて、
廊下へ出て行つた。
間《ま》も無く、ちり、りんと鈴が鳴つて、
門の潜《くゞ》り戸が幽《かす》かに開《あ》いた。
「逃げたのだ、泥坊が」と、
私は初めてはつきり
嵐《あらし》の中の泥坊に気が附《つ》いた。
私達の財嚢《ぜにいれ》には、今夜、
小さな銀貨一枚しか無い。
私は私達の貧乏の惨めさよりも、
一人《ひとり》の知らぬ男の無駄骨を気の毒に思ふ。
きり……きり……きり……きり……と云《い》ふ音がまだ耳にある。
小猫、小猫、かはいい小猫、
坐《すわ》れば小《ちさ》く、まんまろく、
歩けばほつそりと、
美《うつ》くしい、真《ま》つ白な小猫、
生れて二月《ふたつき》たたぬ間《ま》に
孤蝶《こてふ》様のお宅から
わたしのうちへ来た小猫。
子供達が皆寝て、夜《よ》が更けた。
一人《ひとり》わたしが蚊に食はれ
書斎で黙つて物を書けば、
小猫よ、おまへは寂《さび》しいか、
わたしの後ろに身を擦り寄せて
小娘のやうな声で啼《な》く。
こんな時、
先《さき》の主人《あるじ》はお優しく
そつとおまへを膝《ひざ》に載せ
どんなにお撫《な》でになつたことであろ。
けれど、小猫よ、
わたしはおまへを抱く間《ま》がない、
わたしは今夜
もうあと十枚書かねばならんのよ。
夜《よ》がますます更けて、
午前二時の上野の鐘が幽《かす》かに鳴る。
そして、何《なに》にじやれるのか、
小猫の首の鈴が
次の間《ま》で鳴つてゐる。
今は
(私は正しく書いて置く、)
一千九百十六年一月十日の
午前二時四十《しじふ》二分。
そして此時《このとき》から十七《じふしち》分前に、
一つの不意な事件が
私を前後不覚に
くつくつと笑はせた。
宵の八時に
子供達を皆寝かせてから、
良人《をつと》と私はいつもの通り、
全《まつた》く黙つて書斎に居た。
一人《ひとり》は書物に見入つて
折折《をりをり》そつと辞書を引き、
一人《ひとり》は締切《しめきり》に遅れた
雑誌の原稿を書いて居た。
毎夜《まいよ》の習はし……
飯田町《いひだまち》を発した大貨物列車が
崖上《がけうへ》の中古《ちゆうぶる》な借家《しやくや》を
船のやうに揺盪《ゆす》つて通つた。
この器械的地震に対して
私達の反応は鈍い、
唯《た》だぼんやり
もう午前二時になつたと感じた外《ほか》は。
それから間《ま》も無くである。
庭に向いて机を据ゑた私と
雨戸を中に一尺の距離もない
直《す》ぐ鼻の先の外《そと》で、
突然、一つの嚔《くしやみ》が破裂した、
「泥坊の嚔《くしやみ》だ、」
刹那《せつな》にかう直感した私は
思はずくつくつと笑つた。
「何《な》んだね」と良人《をつと》が振《ふり》向いた時、
其《その》不可抗力の声に気まり悪く、
あわてて口を抑《おさ》へて、
そつと垣の向うへ逃げた者がある。
「泥坊が嚔《くしやみ》をしたんですわ、」
大洋の底のやうな六時間の沈黙が破れて、
二人《ふたり》の緊張が笑ひに融《と》けた。
こんなに滑稽《こつけい》な偶然と見える必然が世界にある。
川原《かはら》[#ルビの「かはら」は底本では「かははら」]の底の底の価《あたひ》なき
砂の身なれば人採《と》らず、
風の吹く日は塵《ちり》となり
雨の降る日は泥となり、
人、牛、馬の踏むままに
圧《お》しひしがれて世にありぬ。
稀《まれ》に川原《かはら》のそこ、かしこ、
れんげ、たんぽぽ、月見草《つきみさう》、
ひるがほ、野菊、白百合《しろゆり》の
むらむらと咲く日もあれど、
流れて寄れる種なれば
やがて流れて跡も無し。
ここの家《いへ》の名前人《なまへにん》は
総領の甚六がなつてゐる。
欲ばかり勝《か》つて
思ひやりの欠けてゐる兄だ。
不意に、隣の家《うち》へ押しかけて、
庇《かば》ひ手のない老人《としより》の
半身不随の亭主に、
「きさまの持つてゐる
目ぼしい地所や家蔵《いへくら》を寄越《よこ》せ。
おらは不断おめえに恩を掛けてゐる。
おらが居ねえもんなら、
おめえの財産なんか
遠《とほ》の昔に
近所から分《わ》け取《ど》りにされて居たんだ。
その恩返《おんかへ》しをしろ」と云《い》つた。
なんぼよいよいでも、
隣の爺《おやぢ》には、性根《しやうね》がある。
あるだけの智慧をしぼつて
甚六の言ひ掛《がか》りを拒《こば》んだ。
押問答が長引いて、
二人《ふたり》の声が段段と荒くなつた。
文句に詰つた甚六が
得意な最後の手を出して、
拳《こぶし》を振上げ相《さう》になつた時、
大勢の甚六の兄弟が
がやがやと寄つて来た。
「腰が弱《よ》ゑいなあ、兄貴、」
「脅《おど》しが足りねえなあ、兄貴、」
「もつと相手をいぢめねえ、」
「なぜ、いきなり刄物《はもの》を突き附《つ》けねえんだ、」
「文句なんか要《い》らねえ、腕づくだ、腕づくだ、」
こんなことを口口《くちぐち》に云《い》つて、
兄を罵《のゝし》る兄弟ばかりである、
兄を励ます兄弟ばかりである。
ほんとに兄を思ふ心から、
なぜ無法な言ひ掛《がか》りなんかしたんだと
兄の最初の発言を
咎《とが》める兄弟とては一人《ひとり》も居なかつた。
おお、怖《おそ》ろしい此処《ここ》の家《いへ》の
名前人《なまへにん》と家族。
ああ、此《この》国の
怖《おそ》るべく且《か》つ醜き
議会の心理を知らずして
衆議院の建物を見上ぐる勿《なか》れ。
禍《わざはひ》なるかな、
此処《ここ》に入《はひ》る者は悉《ことごと》く変性《へんせい》す。
たとへば悪貨の多き国に入《い》れば
大英国の金貨も
七日《なぬか》にて鑢《やすり》に削り取られ
其《その》正しき目方を減ずる如《ごと》く、
一たび此《この》門を跨《また》げば
良心と、徳と、
理性との平衝を失はずして
人は此処《ここ》に在り難《がた》し。
見よ、此処《ここ》は最も無智なる、
最も敗徳《はいとく》[#「敗徳」はママ]なる、
はた最も卑劣無作法なる
野人《やじん》本位を以《もつ》て
人の価値を
最も粗悪に平均する処《ところ》なり。
此処《ここ》に在る者は
民衆を代表せずして
私党を樹《た》て、
人類の愛を思はずして
動物的利己を計り、
公論の代りに
私語と怒号と罵声《ばせい》とを交換す。
此処《ここ》にして彼等の勝つは
固《もと》より正義にも、聡明《そうめい》にも、
大胆にも、雄弁にもあらず、
唯《た》だ彼等互《たがひ》に
阿附《あふ》し、模倣し、
妥協し、屈従して、
政権と黄金《わうごん》とを荷《にな》ふ
多数の駄獣《だじう》と
みづから変性《へんせい》するにあり。
彼等を選挙したるは誰《たれ》か、
彼等を寛容しつつあるは誰《たれ》か。
此《この》国の憲法は
彼等を逐《お》ふ力無し、
まして選挙権なき
われわれ大多数の
貧しき平民の力にては……
かくしつつ、年毎《としごと》に、
われわれの正義と愛、
われわれの血と汗、
われわれの自由と幸福は
最も臭《くさ》く醜き
彼等駄獣《だじう》の群《むれ》に
寝藁《ねわら》の如《ごと》く踏みにじらる……
米の値《ね》の例《れい》なくも昂《あが》りければ、
わが貧しき十人《じふにん》の家族は麦を食らふ。
わが子らは麦を嫌ひて
「お米の御飯を」と叫べり。
麦を粟《あは》に、また小豆《あづき》に改むれど、
猶《なほ》わが子らは「お米の御飯を」と叫べり。
わが子らを何《なん》と叱《しか》らん、
わかき母も心には米を好めば。
「部下の遺族をして
窮する者無からしめ給《たま》はんことを。
わが念頭に掛かるもの是《こ》れのみ」と、
佐久間大尉の遺書を思ひて、
今更にこころ咽《むせ》ばるる。
わたしは貧しき生れ、
小学を出て、今年十八。
田舎の局に雇はれ、
一日に五《ご》ヶ村《そん》を受持ち、
集配をして身は疲れ、
暮れて帰れば、母と子と
さびしい膳《ぜん》のさし向ひ、
蜆《しゞみ》の汁で、そそくさと
済ませば、何《なん》の話も無い。
たのしみは湯へ行《ゆ》くこと。
湯で聞けば、百姓の兄さ、
皆読んで来て善《よ》くする、
大衆文学の噂《うはさ》。
わたしは唯《た》だ知つてゐる、
その円本《ゑんほん》を配る重さ。
湯が両方の足に沁《し》む。
垢《あか》と土とで濁《にご》された
底でしばらく其《そ》れを揉《も》む。
ああ此《この》足が明日《あす》もまた
桑の間《あひだ》の路《みち》を踏む。
この月も二十日《はつか》になる。
すこしの楽《らく》も無い、
もう大きな雑誌が来る。
やりきれない、やりきれない、
休めば日給が引かれる。
小説家がうらやましい、
菊池寛《くわん》も人なれ、
こんな稼業は知るまい。
わたしは人の端くれ、
一日八十銭の集配。
バビロン人の築きたる
雲間《くもま》の塔は笑ふべし、
それにまさりて呪《のろ》はしき
巨大の塔は此処《ここ》にあり。
千億の石を積み上げて、
横は世界を巻きて展《の》び、
劔《つるぎ》を植ゑし頂《いたゞき》は
空わたる日を遮《さへぎ》りぬ。
何《なに》する壁ぞ、その内に
今日《けふ》を劃《しき》りて、人のため、
ひろびろしたる明日《あす》の日の
目路《めぢ》に入《い》るをば防ぎたり。
壁の下《もと》には万年の
小暗《をぐら》き蔭《かげ》の重《かさ》なれば、
病むが如《ごと》くに青ざめて
人は力を失ひぬ。
曇りたる目の見難《みがた》さに
行《ゆ》く方《かた》知らず泣くもあり、
羊の如《ごと》く押し合ひて
血を流しつつ死ぬもあり。
ああ人皆よ、何《なに》ゆゑに
古代の壁を出《い》でざるや、
永久《とは》の苦痛に泣きながら
猶《なほ》その壁を頼めるや。
をりをり強き人ありて
怒《いか》りて鉄の槌《つち》を振り、
つれなき壁の一隅《ひとすみ》を
崩さんとして穿《うが》てども、
衆を協《あは》せし[#「協せし」は底本では「恊せし」]凡夫《ぼんぷ》等は
彼《か》れを捕《とら》へて撲《う》ち殺し、
穿《うが》ちし壁をさかしらに
太き石もて繕《つく》ろひぬ。
さは云《い》へ壁を築きしは
もとより世世《よよ》の凡夫《ぼんぶ》なり、
稀《まれ》に出《い》で来《く》る天才の
至上の智慧に及ばんや。
時なり、今ぞ飛行機と
大重砲《だいぢゆうはう》の世は来《きた》る。
見よ、真先《まつさき》に、日の方《かた》へ、
「生きよ」と叫び飛ぶ群《むれ》を。
遠い遠い処《ところ》へ来て、
わたしは今へんな街を見てゐる。
へんな街だ、兵隊が居ない、
戦争《いくさ》をしようにも隣の国がない。
大学教授が消防夫を兼ねてゐる。
医者が薬価を取らず、
あべこべに、病気に応じて、
保養中の入費《にふひ》にと
国立銀行の小切手を呉《く》れる。
悪事を探訪する新聞記者が居ない、
てんで悪事が無いからなんだ。
大臣は居ても官省《くわんしやう》が無い、
大臣は畑《はたけ》へ出てゐる、
工場《こうぢやう》へ勤めてゐる、
牧場《ぼくぢやう》に働いてゐる、
小説を作つてゐる、絵を描いてゐる。
中には掃除車の御者《ぎよしや》をしてゐる者もある。
女は皆余計なおめかしをしない、
瀟洒《せうしや》とした清い美を保つて、
おしやべりをしない、
愚痴と生意気を云《い》はない、
そして男と同じ職を執《と》つてゐる。
特に裁判官は女の名誉職である。
勿論《もちろん》裁判所は民事も刑事も無い、
専《もつぱ》ら賞勲の公平を司《つかさど》つて、
弁護士には臨時に批評家がなる。
併《しか》し長長《ながなが》と無用な弁を振《ふる》ひはしない、
大抵は黙つてゐる、
稀《まれ》に口を出しても簡潔である。
それは裁決を受ける功労者の自白が率直だからだ、[#「だからだ、」は底本では「だからだ」]
同時に裁決する女が聡明《そうめい》だからだ。
また此《この》街には高利貸がない、
寺がない、教会がない、
探偵がない、
十種以上の雑誌がない、
書生芝居がない、
そのくせ、内閣会議も、
結婚披露も、葬式も、
文学会も、絵の会も、
教育会も、国会も、
音楽会も、踊《をどり》も、
勿論《もちろん》名優の芝居も、
幾つかある大国立劇場で催してゐる。
全《まつた》くへんな街だ、
わたしの自慢の東京と
大《おほ》ちがひの街だ。
遠い遠い処《ところ》へ来て
わたしは今へんな街を見てゐる。
大百貨店の売出《うりだ》しは
どの女の心をも誘惑《そそ》る、
祭よりも祝《いはひ》よりも誘惑《そそ》る。
一生涯、異性に心引かれぬ女はある、
子を生まうとしない女はある、
芝居を、音楽を、
茶を、小説を、歌を好まぬ女はある。
凡《おほよ》そ何処《どこ》にあらう、
三越《みつこし》と白木屋《しろきや》の売出《うりだ》しと聞いて、
胸を跳《をど》らさない女が、
俄《には》かに誇大妄想家とならない女が。……
その刹那《せつな》、女は皆、
(たとへ半反《はんたん》のモスリンを買ふため、
躊躇《ちうちよ》して、見切場《みきりば》に
半日《はんにち》を費《つひや》す身分の女とても、)
その気分は貴女《きぢよ》である、
人の中の孔雀《くじやく》である。
わたしは此《こ》の華やかな気分を好く。
早く神を撥無《はつむ》したわたしも、
美の前には、つつましい
永久の信者である。
けれども、近頃《ちかごろ》、
わたしに大きな不安と
深い恐怖とが感ぜられる。
わたしの興奮は直《す》ぐに覚め、
わたしの狂※《きやうねつ》[#「執/れんが」、U+24360、290-上-13]は直《す》ぐに冷えて行《ゆ》く。
一瞬の後《のち》に、わたしは屹度《きつと》、
「馬鹿《ばか》な亜弗利加《アフリカ》の僭王《せんわう》よ」
かう云《い》つて、わたし自身を叱《しか》り、
さうして赤面し、
はげしく良心的に苦《くるし》む。
大百貨店の閾《しきゐ》を跨《また》ぐ女に
掠奪者でない女があらうか。
掠奪者、この名は怖《おそ》ろしい、
しかし、この名に値する生活を
実行して愧《は》ぢぬ者は、
ああ、世界無数の女ではないか。
(その女の一人《ひとり》にわたしがゐる。)
女は父の、兄の、弟の、
良人《をつと》の、あらゆる男子の、
知識と情※《じやうねつ》[#「執/れんが」、U+24360、290-下-14]と血と汗とを集めた
労働の結果である財力を奪つて
我物《わがもの》の如《ごと》くに振舞つてゐる。
一掛《ひとかけ》の廉《やす》半襟を買ふ金《かね》とても
女自身の正当な所有では無い。
女が呉服屋へ、化粧品屋へ、
貴金属商へ支払ふ
あの莫大《ばくだい》な額の金《かね》は
すべて男子から搾取するのである。
女よ、
(その女の一人《ひとり》にわたしがゐる、)
無智、無能、無反省なお前に
男子からそんなに法外な報酬を受ける
立派な理由が何処《どこ》にあるか。
お前は娘として
その華麗な服装に匹敵する
どんなに気高《けだか》い愛を持ち、
どんなに聡明《そうめい》な思想を持つて、
世界の青年男子に尊敬され得《う》るか。
お前は妻として
どれだけ良人《をつと》の職業を理解し、
どれだけ其《そ》れを助成したか。
お前は良人《をつと》の伴侶《はんりよ》として
対等に何《なん》の問題を語り得《う》るか。
お前は一日の糧《かて》を買ふ代《しろ》をさへ
自分の勤労で酬《むく》いられた事があるか。
お前は母として
自分の子供に何《なに》を教へたか。
お前からでなくては与へられない程の
立派な精神的な何物《なにもの》かを
少しでも自分の子供に吹き込んだか。
お前は第一母たる真の責任を知つてゐるか。
ああ、わたしは是《こ》れを考へる、
さうして戦慄《せんりつ》する。
憎むべく、咀《のろ》ふべく、憐《あはれ》むべく、
愧《は》づべき女よ、わたし自身よ、
女は掠奪者、その遊惰性《いうだせい》と
依頼性とのために、
父、兄弟、良人《をつと》の力を盗み、
可愛《かは》いい我子《わがこ》の肉をさへ食《は》むのである。
わたしは三越《みつこし》や白木屋《しろきや》の中の
華やかな光景を好く。
わたしは不安も恐怖も無しに
再び「美」の神を愛したいと願ふ。
しかし、それは勇気を要する。
わたしは男に依《よ》る寄生状態から脱して、
わたしの魂《たましひ》と両手を
わたし自身の血で浄《きよ》めた後《のち》である。
わたしは先《ま》づ働かう、
わたしは一切の女に裏切る、
わたしは掠奪者の名から脱《のが》れよう。
女よ、わたし自身よ、
お前は一村《いつそん》、一市、一国の文化に
直接なにの貢献があるか。
大百貨店の売出《うりだ》しに
お前は特権ある者の如《ごと》く、
その矮《ひく》い、蒼白《そうはく》なからだを、
最上最貴の
有勲者《いうくんしや》として飾らうとする。
ああ、男の法外な寛容、
ああ、女の法外な僭越《せんえつ》。
(一九一八年作)
ああ、ああ、どうなつて行《い》くのでせう、
智慧も工夫も尽きました。
それが僅《わづ》かなおあしでありながら、
融通の附《つ》かないと云《い》ふことが
こんなに大きく私達を苦《くるし》めます。
正《たゞ》しく受取る物が
本屋の不景気から受取れずに、
幾月《いくつき》も苦しい遣繰《やりくり》や
恥を忘れた借りを重ねて、
ああ、たうとう行《ゆ》きづまりました。
人は私達の表面《うはべ》を見て、
くらしむきが下手《へた》だと云《い》ふでせう。
もちろん、下手《へた》に違ひありません、
でも、これ以上に働くことが
私達に出来るでせうか。
また働きに対する報酬の齟齬《そご》を
これ以下に忍ばねばならないと云《い》ふことが
怖《おそ》ろしい禍《わざはひ》でないでせうか。
少なくとも、私達の大勢の家族が
避け得られることでせうか。
今日《けふ》は勿論《もちろん》家賃を払ひませなんだ、
その外《ほか》の払ひには
二月《ふたつき》まへ、三月《みつき》まへからの借りが
義理わるく溜《たま》つてゐるのです。
それを延ばす言葉も
今までは当てがあつて云《い》つたことが
已《や》むを得ず嘘《うそ》になつたのでした。
しかし、今日《けふ》こそは、
嘘《うそ》になると知つて嘘《うそ》を云《い》ひました。
どうして、ほんたうの事が云《い》はれませう。
何《なに》も知らない子供達は
今日《けふ》の天長節を喜んでゐました。
中にも光《ひかる》は
明日《あす》の自分の誕生日を
毎年《まいとし》のやうに、気持よく、
弟や妹達と祝ふ積《つも》りでゐます。
子供達のみづみづしい顔を
二つのちやぶ台の四方《しはう》に見ながら、
ああ、私達ふたおやは
冷たい夕飯《ゆふはん》を頂きました。
もう私達は顛覆《てんぷく》するでせう、
隠して来たぼろを出すでせう、
体裁を云《い》つてゐられないでせう、
ほんたうに親子拾何人が餓《かつ》ゑるでせう。
全《まつた》くです、私達を
再び立て直す日が来ました。
耻と、自殺と、狂気とにすれすれになつて、
私達を試みる
赤裸裸の、極寒《ごくかん》の、
氷のなかの日が来ました。
(一九一七年十二月作)
真珠の貝は常に泣く。
人こそ知らね、大海《おほうみ》は
風吹かぬ日も浪《なみ》立てば、
浪《なみ》に揺られて貝の身の
処《ところ》さだめず伏しまろび、
千尋《ちひろ》の底に常に泣く。
まして、たまたま目に見えぬ
小さき砂の貝に入《い》り
浪《なみ》に揺らるる度《たび》ごとに
敏《さと》く優《やさ》しき身を刺せば、
避くる由《よし》なき苦しさに
貝は悶《もだ》えて常に泣く。
忍びて泣けど、折折《をりをり》に
涙は身よりにじみ出《い》で、
貝に籠《こも》れる一点の
小さき砂をうるほせば、
清く切なきその涙
はかなき砂を掩《おほ》ひつつ、
日ごとに玉《たま》と変れども、
貝は転《まろ》びて常に泣く。
東に昇る「あけぼの」は
その温《あたたか》き薔薇《ばら》色を、
夜《よる》行《ゆ》く月は水色を、
虹《にじ》は不思議の輝きを、
ともに空より投げかけて、
砂は真珠となりゆけど、
それとも知らず、貝の身は
浪《なみ》に揺られて常に泣く。
島の沖なる群青《ぐんじやう》の
とろりとしたる海の色、
ゆるいうねりが間《ま》を置いて
大きな梭《をさ》を振る度《たび》に
釣船一つ、まろまろと
盥《たらひ》のやうに高くなり、
また傾きて低くなり、
空と水とに浮き遊ぶ。
君と住む身も此《こ》れに似て
ひろびろとした愛なれば、
悲しきことも嬉《うれ》しきも
唯《た》だ永き日の波ぞかし。
あはれ、快きは夏なり。
万年の酒男《さかをとこ》太陽は
一時《ひととき》にその酒倉《さかぐら》を開《あ》けて、
光と、|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、297-上-1]と、芳香《はうかう》と、
七色《なないろ》との、
巨大なる罎《ブタイユ》の前に
人を引く。
あはれ、快きは夏なり。
人皆ギリシヤの古《いにしへ》の如《ごと》く
うすき衣《きぬ》[#ルビの「きぬ」は底本では「ぎぬ」]を著《つ》け、
はた生れながらの
裸となりて、
飽くまでも、湯の如《ごと》く、
光明《くわうみやう》歓喜《くわんぎ》の酒を浴ぶ。
あはれ、快きは夏なり。
人皆太陽に酔《ゑ》へる時、
忽《たちま》ち前に裂くるは
夕立のシトロン。
さて夜《よる》となれば、
金属質の涼風《すゞかぜ》と
水晶の月、夢を揺《ゆす》る。
ああ五月《ごぐわつ》、我等の世界は
太陽と、花と、麦の穂と、
瑠璃《るり》の空とをもて飾られ、
空気は酒室《さかむろ》の呼吸《いき》の如《ごと》く甘く、
光は孔雀《くじやく》の羽《はね》の如《ごと》く緑金《りよくこん》なり。
ああ五月《ごぐわつ》、万物は一新す、
竹の子も地を破り、
どくだみの花も蝶《てふ》を呼び、
蜂《はち》も卵を産む。
かかる時に、母の胎を出《い》でて
清く勇ましき初声《うぶごゑ》を揚ぐる児《こ》、
抱寝《だきね》して、其児《そのこ》に
初めて人間のマナを飲まする母、
はげしき※愛《ねつあい》[#「執/れんが」、U+24360、298-上-7]の中に手を執《と》る
婚莚《こんえん》の夜《よ》の若き二人《ふたり》、
若葉に露の置く如《ごと》く額《ひたひ》に汗して、
桑を摘み、麻を織る里人《さとびと》、
共に何《なに》たる景福《けいふく》の人人《ひとびと》ぞ。
たとひ此《この》日、欧洲の戦場に立ちて、
鉄と火の前に、
大悪《だいあく》非道の犠牲とならん勇士も、
また無料宿泊所の壁に凭《よ》りて
明日《あす》の朝飯《あさはん》の代《しろ》を持たぬ無職者も、
ああ五月《ごぐわつ》、此《この》月に遇《あ》へることは
如何《いか》に力満ちたる実感の生《せい》ならまし。
とある一つの抽斗《ひきだし》を開きて、
旅の記念の絵葉書をまさぐれば、
その下より巴里《パリイ》の新聞に包みたる
色褪《いろあ》せし花束は現れぬ。
おお、ロダン先生の庭の薔薇《ばら》のいろいろ……
我等二人《ふたり》はその日を如何《いか》で忘れん、
白髪《しらが》まじれる金髪の老貴女《きぢよ》、
濶《ひろ》き梔花色《くちなしいろ》の上衣《うはぎ》を被《はお》りたる、
けだかくも優《やさ》しきロダン夫人は、
みづから庭に下《お》りて、
露おく中に摘みたまひ、
我をかき抱《いだ》きつつ是《こ》れを取らせ給《たま》ひき。
花束よ、尊《たふと》く、なつかしき花束よ、
其《その》日の幸ひは猶《なほ》我等が心に新しきを、
纔《わづか》に三年の時は
無残にも、汝《そなた》を
埃及《エヂプト》のミイラに巻ける
五千年前《ぜん》の朽ちし布の
すさまじき茶褐色に等しからしむ。
われは良人《をつと》を呼びて、
曾《かつ》て其《その》日の帰路《きろ》、
夫人が我等を載せて送らせ給《たま》ひし
ロダン先生の馬車の上にて、
今一人《ひとり》の友と三人《みたり》
感激の中に嗅《か》ぎ合ひし如《ごと》く、
額《ぬか》を寄せて嗅《か》がんとすれば、
花は臨終《いまは》の人の歎く如《ごと》く、
つと仄《ほの》かなる香《にほひ》を立てながら、
二人《ふたり》の手の上に
さながら焦げたる紙の如《ごと》く、
あはれ、悲し、
ほろほろと砕け散りぬ。
おお、われは斯《か》かる時、
必ず冷《ひや》やかにあり難《がた》し、
我等が歓楽も今は
此《この》花と共に空《むな》しくやなるらん。
許したまへ、
涙を拭《ぬぐ》ふを。
良人《をつと》は云《い》ひぬ、
「わが庭の薔薇《ばら》の下《もと》に
この花の灰を撒《ま》けよ、
日本の土が
是《これ》に由《よ》りて浄《きよ》まるは
印度《いんど》の古き仏の牙《きば》を
教徒の齎《もたら》せるに勝《まさ》らん。」
暑し、暑し、
曇りたる日の温気《うんき》は
油《あぶら》障子の中にある如《ごと》し。
狭き書斎に陳《の》べたる
十鉢《とはち》の朝顔の花は
早くも我に先立ちて|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、300-下-4]を感じ、
友禅の小切《こぎれ》の
濡《ぬ》れて撓《たわ》める如《ごと》く、
また、書きさして裂きて丸《まろ》めし
或《ある》時の恋の反古《ほご》の如《ごと》く、
はかなく、いたましく、
みすぼらしく打萎《うちしを》れぬ。
暑し、暑し、
机の蔭《かげ》よりは
小《ちひさ》く憎き吸血魔
藪蚊《やぶか》こそ現れて、
膝《ひざ》を、足を、刺し初む。
されど、アウギユストは元気にて
彼方《かなた》の縁に水鉄砲を弄《いぢ》り、
健《けん》はすやすやと
枕蚊帳《まくらかや》の中に眠れり。
この隙《すき》に、君よ、
筆を擱《お》きて、
浴びたまはずや、水を。
たた、たたと落つる
水道の水は細けれど、
その水音《みづおと》に、昨日《きのふ》、
ふと我は偲《しの》びき、
サン・クルウの森の噴水。
わたしの庭の「かくれみの」
常緑樹《ときはぎ》ながらいたましや、
時も時とて、茱萸《ぐみ》[#ルビの「ぐみ」は底本では「ぐ」]にさへ、
枳殻《からたち》にさへ花の咲く
夏の初めにいたましや、
みどりの枝のそこかしこ、
たまたまひと葉《は》二葉《ふたは》づつ
日毎《ひごと》に目立つ濃い鬱金《うこん》、
若い白髪《しらが》を見るやうに
染めて落ちるがいたましや。
わたしの庭の「かくれみの、」
見れば泣かれる「かくれみの。」
西洋蝋燭《らふそく》の大理石よりも白きを硝子《がらす》の鉢に燃《もや》し、
夜更《よふ》くるまで黒檀《こくたん》の卓に物書けば幸福《しあはせ》多きかな。
あはれこの梔花色《くちなしいろ》の明りこそ
咲く花の如《ごと》き命を包む想像の狭霧《さぎり》なれ。
これを思へば昼は詩人の領《りやう》ならず、
天《あま》つ日は詩人の光ならず、
蓋《けだ》し阿弗利加《アフリカ》を沙漠《さばく》にしたる悪《あ》しき|※《ねつ》[#「執/れんが」、U+24360、302-上-7]の気息《いき》のみ。
うれしきは夢と幻惑と暗示とに富める白蝋《はくらふ》の明り。
この明りの中に五感と頭脳とを越え、
全身をもて嗅《か》ぎ、触れ、知る刹那《せつな》――
一切と個性とのいみじき調和、
理想の実現せらるる刹那《せつな》は来《きた》り、
ニイチエの「夜《よる》の歌」の中なる「総《すべ》ての泉」の如《ごと》く、
わが歌は盛高《もりだか》になみなみと迸《ほとばし》る。
とん、とん、とんと足拍子、
洞《ほら》を踏むよな足拍子、
つい嬉《うれ》しさに、秋の日の
長い廊下を走つたが、
何処《どこ》をどう行《ゆ》き、どう探し、
何《ど》うして採《と》つたか覚えねど、
わたしの袂《たもと》に入《はひ》つてた
きちがひ茄子《なす》と笑ひ茸《たけ》。
わたしは夢を見てゐるか、
もう気ちがひになつたのか、
あれ、あれ、世界が火になつた。
何処《どこ》かで人の笑ふ声。
九官鳥
九官鳥はいつの間《ま》に
誰《だれ》が教へて覚えたか、
わたしの名をばはつきりと
優しい声で「花子さん。」
「何《なに》か御用」と問うたれば、
九官鳥の憎らしや、
聞かぬ振《ふり》して、間《ま》を置いて、
「ちりん、ちりん」と電鈴《ベル》の真似《まね》。
「もう知らない」と行《ゆ》きかけて
わたしが云《い》へば、後ろから、
九官鳥のおどけ者、
「困る、困る」と高い声。
薔薇と花子
花子の庭の薔薇《ばら》の花、
花子の植ゑた薔薇《ばら》なれば
ほんによう似た花が咲く。
色は花子の頬《ほ》の色に、
花は花子のくちびるに、
ほんによう似た薔薇《ばら》の花。
花子の庭の薔薇《ばら》の花、
花が可愛《かは》いと、太陽も
黄金《きん》の油を振撒《ふりま》けば、
花が可愛《かは》いと、そよ風も
人目に見えぬ波形《なみがた》の
薄い透綾《すきや》を著《き》せに来る。
側《そば》で花子の歌ふ日は
薔薇《ばら》も香りの気息《いき》をして
花子のやうな声を出し、
側《そば》で花子の踊る日は
薔薇《ばら》もそよろと身を揺《ゆす》り
花子のやうな振《ふり》をする。
そして花子の留守の日は
涙をためた目を伏せて、
じつと俯《うつ》向く薔薇《ばら》の花。
花の心のしをらしや、
それも花子に生き写し。
花子の庭の薔薇《ばら》の花。
花子の熊
雪がしとしと降つてきた。
玩具《おもちや》の熊《くま》を抱きながら、
小さい花子は縁に出た。
山に生れた熊《くま》の子は
雪の降るのが好きであろ、
雪を見せよと縁に出た。
熊《くま》は冷たい雪よりも、
抱いた花子の温かい
優しい胸を喜んだ。
そして、花子の手の中で、
玩具《おもちや》の熊《くま》はひと寝入り。
雪はますます降り積《つも》る。
蜻蛉《とんぼ》の歌
汗の流れる七月は
蜻蛉《とんぼ》も夏の休暇《おやすみ》か。
街の子供と同じよに
避暑地の浜の砂に来て
群れつつ薄い袖《そで》を振る。
小《ち》さい花子が昼顔の
花を摘まうと手を出せば、
これをも白い花と見て
蜻蛉《とんぼ》が一つ指先へ
ついと気軽に降りて来た。
思はぬ事の嬉《うれ》しさに
花子の胸は轟《とゞろ》いた。
今美《うつ》くしい羽《はね》のある
小《ち》さい天使がじつとして
花子の指に止まつてる。
鴨頭草《つきくさ》の花、手に載せて
見れば涼しい空色の
花の瞳《ひとみ》がさし覗《のぞ》く、
わたしの胸の寂《さび》しさを。
鴨頭草《つきくさ》の花、空色の
花の瞳《ひとみ》のうるむのは、
暗い心を見透《とほ》して、
わたしのために歎くのか。
鴨頭草《つきくさ》の花、しばらくは
手にした花を捨てかねる。
土となるべき友ながら、
我も惜《をし》めば花も惜し。
鴨頭草《つきくさ》の花、夜《よ》となれば、
ほんにそなたは星の花、
わたしの指を枝として
しづかに銀の火を点《とも》す。
われは在り、片隅に。
或《ある》時は眠げにて、
或《ある》時は病める如《ごと》く、
或《ある》時は苦笑を忍びながら、
或《ある》時は鉄の枷《かせ》の
わが足にある如《ごと》く、
或《ある》時は飢ゑて
みづからの指を嘗《な》めつつ、
或《ある》時は涙の壺《つぼ》を覗《のぞ》き、
或《ある》時は青玉《せいぎよく》の
古き磬《けい》を打ち、
或《ある》時は臨終の
白鳥《はくてう》を見守り、
或《ある》時は指を挙げて
空に歌を書きつつ………
寂《さび》し、いと寂《さび》し、
われはあり、片隅に。
上野の鐘が鳴る。
午前三時、
しんしんと更けわたる
十一月の初めの或夜《あるよる》に、
東京の街の矮《ひく》い屋根を越えて、
上野の鐘が鳴る。
この声だ、
日本人の心の声は。
この声を聞くと
日本人の心は皆おちつく、
皆静かになる、
皆自力《じりき》を麻痺《まひ》して
他力《たりき》の信徒に変る。
上野の鐘が鳴る。
わたしは今、ちよいと
痙攣《けいれん》的な反抗が込み上げる。
けれど、わたしの内にある
祖先の血の弱さよ、はかなさよ、
明方《あけがた》の霜の置く
木の箱の家《いへ》の中で、
わたしは鐘の声を聞きながら、
じつと滅入《めい》つて
筆の手を休める。
上野の鐘が鳴る。
門《かど》に立つのは
うその苦学生、
うその廃兵、
うその主義者、志士、
馬車、自動車に乗るのは
うその紳士、大臣、
うその貴婦人、レディイ、
それから、新聞を見れば
うその裁判、
うその結婚、
さうして、うその教育。
浮世小路《こうぢ》は繁《しげ》けれど、
ついぞ真《まこと》に行《ゆ》き遇《あ》はぬ。
[#ここで段組み終わり]
[#改ページ]
今年畏《かしこ》くも御《ご》即位の大典を挙げさせ給《たま》ふ拾一月の一日《いちじつ》に、此《この》集の校正を終りぬ。読み返し行《ゆ》くに、愧《はづ》かしきことのみ多き心の跡なれば、昭《あき》らかに和《やは》らぎたる新《あら》た代《よ》の御光《みひかり》の下《もと》には、ひときは出《い》だし苦《ぐる》しき心地ぞする。晶子
晶子詩篇全集 終
底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社
1929(昭和4)年1月20日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。
※底本の総ルビをパララルビに変更しました。被ルビ文字の選定に当たっては、以下の方針で対処しました。
(1)「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」講談社(1980(昭55)年8月10日、1980(昭55)年12月10日)で採用されたものは付す。
(2)常用漢字表に記載されていない漢字、音訓等については原則として付す。
(3)読みにくいもの、読み誤りやすいものは付す。
底本では採用していない、表題へのルビ付けも避けませんでした。
※ルビ文字は原則として、底本に拠りました。底本のルビ付けに誤りが疑われる際は、以下の方針で対処しました。
(1)単純な脱字、欠字は修正して、注記しない。
(2)誤りは修正して注記する。
(3)旧仮名遣いの誤りは、修正して注記する。
(4)晶子の意図的な表記とするべきか誤りとするべきか判断の付かないものは、「ママ」と注記する。
(5)当該のルビが、総ルビのはずの底本で欠けていた場合にも、その旨は注記しない。
※疑わしい表記の一部は、「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」を参考にしてあらため、底本の形を、当該箇所に注記しました。
※各詩編表題の字下げは、4字分に統一しました。
※各詩編の行の折り返しは、底本では1字下げになっています。
※「暗殺酒舗」と「暗殺酒鋪」の混在は、底本通りにしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号1-5-86)を、大振りにつくっています。
入力:武田秀男
校正:kazuishi
ファイル作成:
2004年7月2日作成
2012年3月23日修正
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「執/れんが」、U+24360
11-上-10、66-下-13、100-上-6、106-上-6、106-下-5、127-上-12、137-下-2、165-上-4、166-下-6、172-下-7、174-上-12、176-上-8、176-下-5、177-上-1、177-上-1、184-下-2、188-下-11、197-上-4、197-上-12、197-下-2、205-上-3、207-下-1、225-下-11、225-下-12、231-下-7、232-上-1、254-下-7、259-下-1、262-下-10、290-上-13、290-下-14、297-上-1、298-上-7、300-下-4、302-上-7

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