神曲
author: ダンテ アリギエリ
第一曲
萬物を動かす者の榮光遍《あまね》く宇宙を貫くといへどもその輝《かゞやき》の及ぶこと一部に多く一部に少し 一―三
我は聖光《みひかり》を最《いと》多く受くる天にありて諸
の物を見たりき、されど彼處《かしこ》れて降《くだ》る者そを語るすべを知らずまた然《しか》するをえざるなり 四―六
これわれらの智、己が願ひに近きによりていと深く進み、追思もこれに伴《ともな》ふあたはざるによる 七―九
しかはあれ、かの聖なる王國たついてわが記憶に秘藏《ひめをさ》めしかぎりのことゞも、今わが歌の材たらむ 一〇―一二
あゝ善《よ》きアポルロよ、この最後《いやはて》の業《わざ》のために願はくは我を汝の徳の器《うつは》とし、汝の愛する桂《アルローロ》をうくるにふさはしき者たらしめよ 一三―一五
今まではパルナーゾの一の巓《いたゞき》にて足《た》りしかど、今は二つながら求めて殘りの馬場に入らざるべからず 一六―一八
願はくは汝わが胸に入り、かつてマルシーアをその身の鞘《さや》より拔き出せる時のごとくに氣息《いき》を嘘《ふ》け 一九―二一
あゝいと聖なる威力《ちから》よ、汝我をたすけ、我をしてわが腦裏に捺《お》されたる祝福《めぐみ》の國の薄《うす》れし象《かた》を顯《あら》はさしめなば 二二―二四
汝はわが汝の愛《めづ》る樹の下《もと》にゆきてその葉を冠となすを見む、詩題と汝、我にかく爲《する》をえしむればなり 二五―二七
父よ、皇帝《チェーザレ》または詩人の譽《ほまれ》のために摘《つ》まるゝことのいと罕《まれ》なれば(人の思ひの罪と恥なり) 二八―三〇
ペネオの女《むすめ》の葉人をして己にかはかしむるときは、悦び多きデルフォの神に喜びを加へざることあらじ 三一―三三
それ小さき火花にも大いなる焔ともなふ、おそらくは我より後、我にまさる馨ありて祈《ね》ぎ、チルラの應《こたへ》をうるにいたらむ 三四―三六
世界の燈《ともしび》多くの異《こと》なる處より上《のぼ》りて人間にあらはるれども、四の圈相合して三の十字を成す處より 三七―三九
出づれば、その道まさり、その伴ふ星またまさる、而《しか》してその己が性《さが》に從ひて世の蝋を整《とゝの》へ象《かた》を捺《お》すこといよ/\著《いちじる》し 四〇―四二
かしこを朝《あした》こゝを夕《ゆふべ》となしゝ日は殆どかゝる處よりいで、いまやかの半球みな白く、その他《ほか》は黒かりき 四三―四五
この時我見しに、ベアトリーチェは左に向ひて目を日にとめたり、鷲だにもかくばかりこれを凝視《みつめ》しことあらじ 四六―四八
第二の光線常に第一のそれよりいでゝ再び昇る、そのさま歸るを願ふ異郷の客に異ならず 四九―五一
かくのごとく、彼の爲《な》す所――目を傳ひてわが心の内に入りたる――よりわが爲す所いで、我は世の常を超《こ》えて目を日に注げり 五二―五四
元來《もとより》人の住處《すまひ》として造られたりしところなれば、こゝにてはわれらの力に餘りつゝかしこにてはわれらが爲すをうること多し 五五―五七
わが目のこれに堪《た》ふるをえしはたゞ些《すこし》の間なりしも、そがあたかも火よりいづる熱鐡の如く火花をあたりに散《ちら》すを見ざる程ならざりき 五八―六〇
しかして忽ち晝晝に加はり、さながらしかすることをうる者いま一の日輪にて天を飾れるごとく見えたり 六一―六三
ベアトリーチェはその目をひたすら永遠《とこしへ》の輪にそゝぎて立ち、我はわが目を上より移して彼にそゝげり 六四―六六
かれの姿を見るに及び、わが衷《うち》あたかもかのグラウコが己を海の神々の侶たらしむるにいたれる草を味へる時の如くになりき 六七―六九
|抑
《そも/\》超人の事たるこれを言葉に表《あら》はし難し、是故に恩惠《めぐみ》によりてこれが驗《ためし》を經《ふ》べき者この例をもて足《た》れりとすべし 七〇―七二
天を統治《すべをさ》むる愛よ、我は汝が最後に造りし我の一部に過ぎざりしか、こは聖火《みひかり》にて我を擧げし汝の知り給ふ所なり 七三―七五
慕はるゝにより汝が無窮となしゝ運行、汝の整《とゝの》へかつ頒《わか》つそのうるはしき調《しらべ》をもてわが心を引けるとき 七六―七八
日輪の焔いとひろく天を燃《もや》すと見えたり、雨または河といふともかくひろがれる湖《うみ》はつくらじ 七九―八一
音《おと》の奇《くす》しきと光の大いなるとは、その原因《もと》につき、未だ感じゝことなき程に強き願ひをわが心に燃《もや》したり 八二―八四
是においてか、我を知ることわがごとくなりし淑女、わが亂るゝ魂を鎭《しづ》めんとて、我の未だ問はざるさきに口を啓《ひら》き 八五―八七
いひけるは。汝謬《あやま》れる思ひをもて自ら己を愚《おろか》ならしむ。是故にこれを棄つれば見ゆるものをも汝は見るをえざるなり 八八―九〇
汝は汝の信ずるごとく今地上にあるにあらず、げに己が處を出でゝ馳《は》する電光《いなづま》疾《はや》しといへども汝のこれに歸るに及ばじ。 九一―九三
わが第一の疑ひはこれらの微笑《ほゝゑ》める短き詞《ことば》によりて解けしかど、一の新《あらた》なる疑ひ起りていよ/\いたく我を絡《から》めり 九四―九六
我即ち曰《い》ふ。かの大いなる驚異《あやしみ》につきてはわが心既に足りて安んず、されどいかにしてわれ此等の輕き物體を超《こ》えて上《のぼ》るや、今これを異《あやし》とす 九七―九九
是においてか彼、一の哀憐《あはれみ》の大息《といき》の後、狂へる子を見る母のごとく、目をわが方にむけて 一〇〇―一〇二
いふ。凡《およ》そありとしあらゆる物、皆その間に秩序を有す、しかしてこれは、宇宙を神の如くならしむる形式ぞかし 一〇三―一〇五
諸
の尊く造られし物、永遠《とこしへ》の威能《ちから》(これを目的《めあて》としてかゝる法《のり》は立てられき)の跡をこの中に見る 一〇六―一〇八
わがいふ秩序の中に自然はすべて傾けども、その分《ぶん》異《こと》なりて、己が源にいと近きあり然らざるあり 一〇九―一一一
是故にみな己が受けたる本能に導かれつゝ、存在の大海《おほうみ》をわたりて多くの異なる湊《みなと》にむかふ 一一二―一一四
火を月の方に送るも是《これ》、滅ぶる心を動かすも是、地を相寄せて一にするもまた是なり 一一五―一一七
またこの弓は、たゞ了知《さとり》なきものゝみならず、智あり愛あるものをも射放つ 一一八―一二〇
かく萬有の次第を立つる神の攝理は、いと疾《と》くめぐる天をつゝむ一の天をば、常にその光によりてしづかならしむ 一二一―一二三
今やかしこに、己が射放つ物をばすべて樂しき的《まと》にむくる弦《つる》の力我等を送る、あたかも定《さだま》れる場所におくるごとし 一二四―一二六
されどげに、材默《もだ》して應《こた》へざるため形しば/\技藝の工夫《くふう》に配《そ》はざるごとく 一二七―一二九
被造物《つくられしもの》またしば/\この路を離る、そはこれは、かく促《うなが》さるれども、もし最初の刺戟僞りの快樂《けらく》の爲に逸《そ》れて 一三〇―
これを地に向はしむれば、その行方《ゆくへ》を誤る(あたかも雲より火の墜《おつ》ることあるごとく)ことをうればなり ―一三五
わが量《はか》るところ正しくば、汝の登るはとある流れの高山より麓《ふもと》に下り行くごとし、何ぞ異《あやし》とするに足らんや 一三六―一三八
汝障礙《しやうげ》を脱しつゝなほ下に止まらば、是かへつて汝における一の不思議にて、地上に靜なることの燃ゆる火における如くなるべし。 一三九―一四一
かくいひて再び顏を天にむけたり 一四二―一四四
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第二曲
あゝ聽かんとて小舟《をぶね》に乘りつゝ、歌ひて進むわが船のあとを追ひ來れる人等よ 一―三
立歸りて再び汝等の岸を見よ、沖に浮びいづるなかれ、恐らくは汝等我を見ずしてさまよふにいたるべければなり 四―六
わがわたりゆく水は人いまだ越えしことなし、ミネルヴァ氣息《いき》を嘘《ふ》き、アポルロ我を導き、九のムーゼ我に北斗を指示す 七―九
また數少きも、天使の糧《かて》(世の人これによりて生くれど飽《あ》くにいたらず)にむかひて疾《と》く項《うなじ》を擧《あ》げし人等よ 一〇―一二
水の面《おもて》の再び平らかならざるさきにわが船路《ふなぢ》の跡をたどりつゝ海原《うなばら》遠く船を進めよ 一三―一五
イアソンが耕人《たがやすひと》となれるをコルコに渡れる勇士《つはもの》等の見し時にもまさりて汝等驚き異《あやし》まむ 一六―一八
神隨《かんながら》の王國を求むる本然永劫《えいごふ》の渇《かわき》われらを運び、その速なること殆ど天のめぐるに異ならず 一九―二一
ベアトリーチェは上方《うへ》を、我は彼を見き、しかして矢の弦《つる》を離れ、飛び、止《とゞ》まるばかりの間に 二二―二四
我は奇《くす》しき物ありてわが目をこれに惹《ひ》けるところに着きゐたり、是においてかわが心の作用《はたらき》をすべて知れる淑女 二五―二七
その美しさに劣《おと》らざる悦びを表《あら》はしわが方にむかひていふ。われらを第一の星と合せたまひし神に感謝の心を獻《さゝ》ぐべし。 二八―三〇
日に照らさるゝ金剛石のごとくにて、光れる、濃《こ》き、固き、磨ける雲われらを蔽ふと見えたりき 三一―三三
しかしてこの不朽の眞珠は、あたかも水の分れずして光線を受け入るゝごとく、我等を己の内に入れたり 三四―三六
一の量のいかにして他の量を容《い》れたりし――體、體の中に入らばこの事なきをえざるなり――やは人知り難し、されば我もし 三七―
肉體なりしならんには、神入相結ぶ次第を顯はすかの至聖者を見んとの願ひ、愈
強くわれらを燃《もや》さゞるをえず ―四二
信仰に由《よ》りて我等が認むる所の物もかしこにては知らるべし、但し證《あかし》せらるゝに非《あら》ず、人の信ずる第一の眞理の如くこの物自《おのづ》から明らかならむ 四三―四五
我答ふらく。わが淑女よ、我は人間世界より我を移したまへる者に、わが眞心《まごゝろ》を盡して感謝す 四六―四八
されど告げよ、この物體にありて、かの下界の人々にカインの物語を爲《な》さしむる多くの黒き斑《ほし》は何ぞや。 四九―五一
彼少しく微笑《ほゝゑ》みて後いふ。官能の鑰《かぎ》の開くをえざる處にて人思ひ誤るとも 五二―五四
げに汝今驚きの矢に刺さるべきにはあらず、諸
の官能にともなふ理性の翼の短きを汝すでに知ればなり 五五―五七
されど汝自らこれをいかに思ふや、我に告げよ。我。こゝにてわれらにさま/″\に見ゆるものは、思ふに體の粗密に由來す。 五八―六〇
彼。もしよく耳をわが反論に傾けなば、汝は必ず汝の思ひの全く虚僞に陷《おちい》れるを見む 六一―六三
それ第八の天球の汝等に示す光は多し、しかしてこれらはその質と量とにおいて各
あらはるゝ姿を異にす 六四―六六
もし粗密のみこれが原因《もと》ならば、同じ一の力にてたゞ頒《わか》たれし量を異にしまたはこれを等しうするもの凡《すべ》ての光の中にあらむ 六七―六九
力の異なるは諸
の形式の原理の相異なるによらざるをえず、然るに汝の説に從へば、これらは一を除くのほか皆亡び失はるにいたる 七〇―七二
さてまた粗なること、汝の尋《たづ》ぬるかの斑點《はんてん》の原因《もと》ならば、この遊星には、その材の全く乏しき處あるか 七三―七五
さらずば一の肉體が脂《あぶら》と肉とを頒《わか》つごとく、この物もまたその書《ふみ》の中に重《かさ》ぬる紙を異にせむ 七六―七八
もし第一の場合なりせば、こは日蝕の時、光の射貫《いぬ》く(他の粗なる物體に引入れらるゝ時の如く)ことによりて明らかならむ 七九―八一
されどこの事なきがゆゑに、殘るは第二の場合のみ、我もしこれを打消すをえば、汝の思ひの誤れること知らるべし 八二―八四
もしこの粗、穿《うが》ち貫《つらぬ》くにいたらずば、必ず一の極限《きはみ》あり、密こゝにこれを阻《はゞ》みてそのさらに進むをゆるさじ 八五―八七
しかしてかしこより日の光の反映《てりかへ》すこと、鉛を後方《うしろ》にかくす|玻
《はり》より色の歸るごとくなるべし 八八―九〇
是においてか汝はいはむ、奧深き方より反映《てりかへ》すがゆゑに、かしこにてはほかの處よりも光暗しと 九一―九三
汝等の學術の流れの源《もと》となる習《ならはし》なる經驗は――汝もしこれに徴せば――この異論より汝を解くべし 九四―九六
汝三の鏡をとりて、その二をば等しく汝より離し、殘る一をさらに離してさきの二の間に見えしめ 九七―九九
さてこれらに對《むか》ひつゝ、汝の後《うしろ》に一の光を置きてこれに三の鏡を照らさせ、その三より汝の方に反映《てりかへ》らせよ 一〇〇―一〇二
さらば汝は、遠き方よりかへる光が、量において及ばざれども、必ず等しくかゞやくを見む 一〇三―一〇五
今や汝の智、あたかも雪の下にある物、暖き光に射られて、はじめの色と冷《つめた》さとを 一〇六―
失ふごとくなりたれば、汝の目にきらめきてみゆるばかりに強き光を我は汝にさとらしむべし ―一一一
それいと聖なる平安を保つ天の中に一の物體のめぐるあり、これに包まるゝ凡《すべ》ての物の存在はみなこれが力に歸《き》す 一一二―一一四
その次にあたりてあまたの光ある天は、かの存在を頒ちて、これを己と分たるれども己の中に含まるゝさま/″\の本質に與へ 一一五―一一七
他の諸
の天は、各
異なる状《さま》により、その目的《めあて》と種《たね》とにむかひて、己が衷《うち》なる特性をとゝのふ 一一八―一二〇
かゝればこれらの宇宙の機關は、上より受けて下に及ぼし、次第を逐《お》ひて進むこと、今汝の知るごとし 一二一―一二三
汝よく我を視、汝の求むる眞理にむかひてわがこの處を過ぎ行くさまに心せよ、さらばこの後獨《ひと》りにて淺瀬を渡るをうるにいたらむ 一二四―一二六
そも/\諸天の運行とその力とは、あたかも鍛工《かぢ》より鐡槌《つち》の技《わざ》のいづるごとく、諸
のたふとき動者《うごかすもの》よりいでざるべからず 一二七―一二九
しかしてかのあまたの光に飾らるゝ天は、これをめぐらす奧深き心より印象《かた》を受けかつこれを捺《お》す 一三〇―一三二
また汝等の塵《ちり》の中なる魂がさま/″\の能力《ちから》に應じて異なる肢體《したい》にゆきわたるごとく 一三三―一三五
かの天を司《つかさど》るもの、またその徳をあまたにしてこれを諸
の星に及ぼし、しかして自ら一《いつ》なることを保《たも》ちてめぐる 一三六―一三八
さま/″\の力その活《い》かす貴《たふと》き物體(力のこれと結びあふこと生命《いのち》の汝等におけるが如し)と合して造る混合物《まぜもの》一《いつ》ならじ 一三九―一四一
悦び多き性《さが》より流れ出づるがゆゑに、この混《まじ》れる力、物體の中に輝き、あたかも生くる瞳の中に悦びのかゞやくごとし 一四二―一四四
光と光の間にて異なりと見ゆるものゝ原因《もと》、げに是にして粗密にあらず、是ぞ即ち形式の原理 一四五―
己が徳に從つてかの明暗を生ずる物なる。 ―一五〇
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第三曲
さきに愛をもてわが胸をあたゝめし日輪、是《ぜ》と非《ひ》との證《あかし》をなして、美しき眞理のたへなる姿を我に示せり 一―三
されば我は、わがはや誤らず疑はざるを自白せんため、物言はんとてほどよく頭《かうべ》を擧《あ》げしかど 四―六
このとき我に現はれし物あり、いとつよくわが心を惹《ひ》きてこれを見るに專《もつぱら》ならしめ、我をしてわが告白を忘れしむ 七―九
透《す》きとほりて曇《くもり》なき玻
または清く靜にてしかして底の見えわかぬまで深きにあらざる水に映《うつ》れば 一〇―一二
われらの俤《おもかげ》かすかに見えて、さながら白き額《ひたひ》の眞珠のたゞちに瞳に入らざるに似たり 一三―一五
我また語るを希《ねが》ふ多くのかゝる顏を見しかば、人と泉との間に戀を燃《もや》したるその誤りの裏をかへしき 一六―一八
かの顏を見るや、我はこれらを物に映《うつ》れる姿なりとし、その所有者《もちぬし》の誰なるをみんとて直ちに目をめぐらせり 一九―二一
されど何をも見ざりしかば、再びこれを前にめぐらし、うるはしき導者――彼は微笑《ほゝゑ》み、その聖なる目輝きゐたり――の光に注げり 二二―二四
彼我に曰ふ。汝の思ひの稚《をさな》きをみて我のほゝゑむを異《あや》しむなかれ、汝の足はなほいまだ眞理の上にかたく立たず 二五―二七
その常の如く汝を空《くう》にむかはしむ、そも/\汝の見るものは、誓ひを果さゞりしためこゝに逐はれし眞《まこと》の靈なり 二八―三〇
是故に彼等と語り、聽きて信ぜよ、彼等を安んずる眞《まこと》の光は、己を離れて彼等の足の迷ふを許さゞればなり。 三一―三三
我は即ち最も切《せち》に語るを求むるさまなりし魂にむかひ、あたかも願ひ深きに過ぎて心亂るゝ人の如く、いひけるは 三四―三六
あゝ生得《しやうとく》の幸《さち》ある靈よ、味はゝずして知るによしなき甘さをば、永遠《とこしへ》の生命《いのち》の光によりて味《あぢは》ふ者よ 三七―三九
汝の名と汝等の状態《ありさま》とを告げてわが心をたらはせよ、さらば我悦ばむ。是においてか彼ためらはず、かつ目に笑《ゑみ》をたゝへつゝ 四〇―四二
我等の愛は、その門を正しき願ひの前に閉ぢず、あたかも己が宮人《みやびと》達のみな己と等しきをねがふ愛に似たり 四三―四五
我は世にて尼なりき、汝もしよく記憶をたどらば、昔にまさるわが美しさも我を汝にかくさずして 四六―四八
汝は我のピッカルダなることを知らむ、これらの聖徒達とともに我こゝに置かれ、いとおそき球の中にて福《さいはひ》を受く 四九―五一
さてまたわれらの情は、たゞ聖靈の意《こゝろ》に適《かな》ふものにのみ燃《もや》さるゝが故に、その立つる秩序によりて整《とゝの》へらるゝことを悦ぶ 五二―五四
しかしてかくいたく劣《おと》りて見ゆる分のわれらに與へられたるは、われら誓ひを等閑《なほざり》にし、かつ缺く處ありしによるなり。 五五―五七
是においてか我彼に。汝等の奇《くす》しき姿の中には、何ならむ、いと聖なるものありて輝き、昔の容《かたち》變りたれば 五八―六〇
たゞちに思ひ出るをえざりき、されど汝の我にいへること今我をたすけ我をして汝を認め易《やす》からしむ 六一―六三
請《こ》ふ告げよ、汝等こゝにて福《さいはひ》なる者よ、汝等はさらに高き處に到りてさらに多く見またはさらに多くの友を得るを望むや。 六四―六六
他の魂等とともに彼まづ少しく微笑《ほゝゑ》みて後、初戀の火に燃ゆと見ゆるほど、いとよろこばしげに答ふらく 六七―六九
兄弟よ、愛の徳われらの意《こゝろ》を鎭《しづ》め、我等をしてわれらの有《も》つ物をのみ望みて他の物に渇《かわ》くなからしむ 七〇―七二
我等もしさらに高からんことをねがはゞ、われらの願ひは、われらをこゝと定むる者の意《こゝろ》に違ふ 七三―七五
もし愛の中にあることこゝにて肝要ならば、また汝もしよくこの愛の性《さが》を視《み》ば、汝はこれらの天にこの事あるをえざるを知らむ 七六―七八
げに常に神の聖意《みこゝろ》の中にとゞまり、これによりて我等の意《こゝろ》一となるは、これこの福《さいはひ》なる生の素《もと》なり 七九―八一
されば我等がこの王國の諸天に分れをる状《さま》は、王(我等の思ひを己が思ひに配《そ》はしむる)の心に適《かな》ふ如く全王國の心に適ふ 八二―八四
聖意《みこゝろ》はすなはちわれらの平和、その生み出だし自然の造る凡ての物の流れそゝぐ海ぞかし。 八五―八七
天のいづこも天堂にて、たゞかしこに至上の善の恩惠《めぐみ》の一樣に降《ふ》らざるのみなること是時我に明らかなりき 八八―九〇
されど人もし一の食物《くひもの》に飽き、なほ他に望む食物あれば、此を求めてしかして彼のために謝す 九一―九三
我も姿、詞《ことば》によりてまたかくの如くになしぬ、こは彼がいかなる機《はた》を織るにあたりて杼《ひ》を終りまで引かざりしやを彼より聞かんとてなりき 九四―九六
彼我に曰《い》ふ。完き生涯と勝《すぐ》るゝ徳とはひとりの淑女をさらに高き天に擧ぐ、その法《のり》に從ひて衣を着《き》|面
《かほおほひ》を付《つく》る者汝等の世にあり 九七―九九
彼等はかくしてかの新郎《はなむこ》、即ち愛より出るによりて己が心に適《かな》ふ誓ひをすべてうけいるゝ者と死に至るまで起臥《おきふし》を倶《とも》にせんとす 一〇〇―一〇二
かの淑女に從はんため我若うして世を遁《のが》れ、身に彼の衣を纏《まと》ひ、またわが誓ひをその派の道に結びたり 一〇三―一〇五
その後、善よりも惡に親しむ人々、かのうるはしき僧院より我を引放しにき、神知り給ふ、わが生涯のこの後いかになりしやを 一〇六―一〇八
またわが右にて汝に現はれ、われらの天のすべての光にもやさるゝこの一の輝《かゞやき》は 一〇九―一一一
わが身の上の物語を己が身の上の事と知る、彼も尼なりき、また同じさまにてその頭《かうべ》より聖なる|首
《かしらぎぬ》の陰《かげ》を奪はる 一一二―一一四
されど己が願ひに背《そむ》きまた良《よ》き習《ならはし》に背きてげに世に還《かへ》れる後にも、未だ嘗《かつ》て心の|面
《かほおほひ》を釋《と》くことなかりき 一一五―一一七
こはソアーヴェの第二の風によりて第三の風即ち最後の威力《ちから》を生みたるかの大いなるコスタンツァの光なり。 一一八―一二〇
かく我に語りて後、かれはアーヴェ・マリーアを歌ひいで、さてうたひつゝ、深き水に重き物の沈む如く消失《きえう》せき 一二一―一二三
見ゆるかぎり彼のあとを追ひしわが目は、これを見るをえざるに及び、さらに大いなる願ひの目的《めあて》にかへり來りて 一二四―一二六
全くベアトリーチェにそゝげり、されど淑女いとつよくわが目に煌《きら》めき、視力《みるちから》はじめこれに耐《た》へざりしかば 一二七―一二九
わが問これがために後《おく》れぬ。 一三〇―一三二
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第四曲
等《ひと》しく隔《へだた》り等しく誘《いざな》ふ二の食物《くひもの》の間にては、自由の人、その一をも齒に觸れざるさきに饑《う》ゑて死すべし 一―三
かくの如く、二匹の猛《たけ》き狼の慾と慾との間にては一匹の羔《こひつじ》ひとしくこれを恐れて動かず、二匹の鹿の間にては一匹の犬止まらむ 四―六
是故に、二の疑ひに等《ひと》しく促《うなが》されて、我默《もだ》せりとも、こは已《や》むをえざるにいづれば、我は己を責めもせじ讚《ほ》めもせじ 七―九
我は默せり、されどわが願ひとともにわが問は言葉に明らかに現はすよりもはるかに強くわが顏にゑがゝる 一〇―一二
ベアトリーチェはあたかもナブコッドノゾルの怒り(彼を殘忍非道となしたる)をしづめし時に當りてダニエルロの爲《な》しゝ如くになしき 一三―一五
即ち曰ふ。我は汝が二の願ひに引かるゝにより、汝の思ひむすぼれて言葉に出でざるを定《さだ》かに見るなり 一六―一八
汝論《あげつら》ふらく、善き願ひだに殘らんには、何故にわが功徳の量、人の暴虐《しへたげ》のために減《へ》るやと 一九―二一
加之《しかのみならず》、プラトネの教へしごとく、魂、星に歸るとみゆること、また汝に疑ひを起さしむ 二二―二四
この二こそ汝の思ひをひとしく壓《お》すところの問《とひ》なれ、されば我まづ毒多き方《かた》よりいはむ 二五―二七
セラフィーンの中にて神にいと近き者も、モイゼもサムエールもジョヴァンニ(汝いづれを選ぶとも)も、げにマリアさへ 二八―三〇
今汝に現はれし|諸
《もろ/\》の靈と天を異《こと》にして座するにあらず、またその存在の年數《としかず》これらと異なるにもあらず 三一―三三
凡《すべ》ての者みな第一の天を――飾る、たゞ永遠《とこしへ》の聖息《みいき》を感ずるの多少に從ひ、そのうるはしき生に差別《けぢめ》あるのみ 三四―三六
これらのこゝに現はれしは、この球がその分と定められたるゆゑならずしてその天界の最低《いとひく》きを示さんためなり 三七―三九
汝等の才に對《むか》ひてはかくして語らざるをえず、そは汝等の才は、後《のち》智に照らすにいたる物をもたゞ官能の作用《はたらき》によりて識《し》ればなり 四〇―四二
是においてか聖書は汝等の能力《ちから》に準じ、手と足とを神に附して他の意義に用ゐ 四三―四五
聖なる寺院は、ガブリエール、ミケール、及びかのトビアを癒《いや》しゝ天使をば人の姿によりて汝等にあらはす 四六―四八
ティメオが魂について論《あげつら》ふところは、こゝにて見ゆる物に似ず、これ彼はそのいふごとく信ずと思はるゝによりてなり 四九―五一
即ち魂が、自然のこれに肉體を司らしめし時、己の星より分れ出たるものなるを信じて、彼はこの物再びかしこに歸るといへり 五二―五四
或は彼の説く所、その語《ことば》の響と異なり、侮《あなど》るべからざる意義を有することあらむ 五五―五七
もしそれこれらの天にその影響の譽《ほまれ》も毀《そしり》も歸る意ならば、その矢いくばくか眞理に中《あた》らむ 五八―六〇
この原理誤り解《げ》せられてそのかみ殆ど全世界を枉《ま》げ、これをして迷ひのあまりジョーヴェ、メルクリオ、マルテと名づけしむ 六一―六三
汝を惱ますいま一の疑ひは毒少し、そはその邪惡も、汝を導きて我より離すあたはざればなり 六四―六六
われらの正義が人間の目に不正とみゆるは即ち信仰の過程《くわてい》にて異端邪説の過程にあらず 六七―六九
されど汝等の知慧よくこの眞理を穿《うが》つことをうるがゆゑに、我は汝の望むごとく汝に滿足をえさすべし 七〇―七二
もし暴《あらび》とは、強《し》ひらるゝ人いさゝかも強ふる人に與《くみ》せざる時生ずるものゝ謂《いひ》ならば、これらの魂はこれによりて罪を脱《のが》るゝことをえじ 七三―七五
そは意志は自ら願ふにあらざれば滅びず、あたかも火が千度《ちたび》強ひて撓《たわ》めらるともなほその中なる自然の力を現はす如く爲せばなり 七六―七八
是故に意志の屈するは、その多少を問はず、暴《あらび》にこれの從ふなり、而《しか》してこれらの魂は聖所《せいじよ》に歸るをうるにあたりてかくなしき 七九―八一
鐡架《てつきう》の上の苦しみに堪《た》へしロレンツォ、わが手につらかりしムツィオのごとく、彼等の意志全《まつた》かりせば 八二―八四
彼等が自由となるに及び、この意志直ちに彼等をしてその強ひられて離れし路に再び還《かへ》らしめしなるべし、されどかく固き意志極めて稀《まれ》なり 八五―八七
汝よくこれらの言葉を心にとめてさとれるか、さらばこの後汝をしば/\惱ますべかりし疑ひは、はや必ず解けたるならむ 八八―九〇
されど汝の眼前《めのまへ》に今なほ横たはる一の路あり、こはいと難《かた》き路なれば汝獨《ひと》りにてはこれを出でざるさきに疲れむ 九一―九三
我あきらかに汝に告げて、福《さいはひ》なる魂は常に第一の眞《まこと》に近くとゞまるがゆゑに僞《いつは》るあたはずといへることあり 九四―九六
後汝はコスタンツァがその|面
《かほおほひ》をば舊《もと》の如く慕へる事をピッカルダより聞きたるならむ、さればこれとわが今茲《こゝ》にいふ事と相反すとみゆ 九七―九九
兄弟よ、人難を免《まぬが》れんため、わが意に背《そむ》き、その爲すべきにあらざることをなしゝ例《ためし》は世に多し 一〇〇―一〇二
アルメオネが父に請《こ》はれて己が生の母を殺し、孝を失はじとて不孝となりしもその一なり 一〇三―一〇五
かゝる場合については、請ふ思へ、暴《あらび》意志とまじりて相共にはたらくがゆゑに、その罪いひのがるゝによしなきことを 一〇六―一〇八
絶對の意志は惡に與《くみ》せず、そのこれに與するは、拒《こば》みてかへつて尚大いなる苦難《なやみ》にあふを恐るゝことの如何に準ず 一〇九―一一一
さればピッカルダはかく語りて絶對の意志を指《さ》し、我は他の意志を指す、ふたりのいふところ倶に眞《まこと》なり。 一一二―一一四
一切の眞理の源なる泉よりいでし聖なる流れかくその波を揚《あ》げ、かくして二の願ひをしづめき 一一五―一一七
我即ち曰ふ。あゝ第一の愛に愛せらるゝ者よ、あゝいと聖なる淑女よ、汝の言《ことば》我を潤《うるほ》し我を暖め、かくして次第に我を生かしむ 一一八―一二〇
されどわが愛深からねば汝の恩惠《めぐみ》に謝するに足らず、願はくは全智全能者これに應《こた》へ給はんことを 一二一―一二三
我よく是を知る、我等の智は、かの眞《まこと》(これより外には眞なる物一だになし)に照らされざれば、飽《あ》くことあらじ 一二四―一二六
智のこれに達するや、あたかも洞の中に野獸《ののけもの》の憩《いこ》ふ如く、直ちにその中にいこふ、またこはこれに達するをう、然らずばいかなる願ひも空ならむ 一二七―一二九
是故に疑ひは眞理の根より芽の如くに生ず、しかしてこは峰より峰にわれらを促し巓《いたゞき》にいたらしむる自然の途なり 一三〇―一三二
淑女よ、この事我を誘ひ我を勵まし、いま一の明らかならざる眞理についてうや/\しく汝に問はしむ 一三三―一三五
請ふ告げよ、人その破れる誓ひの爲、汝等の天秤《はかり》に懸《か》くるも輕からぬほど他の善をもて汝等に贖《あがなひ》をなすことをうるや。 一三六―一三八
ベアトリーチェは愛の光のみち/\しいと聖なる目にて我を見き、さればわが視力《みるちから》これに勝たれで背《うしろ》を見せ 一三九―一四一
我は目を垂《た》れつゝ殆ど我を失へり。 一四二―一四四
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第五曲
われ世に比類《たぐひ》なきまで愛の焔に輝きつゝ汝にあらはれ、汝の目の力に勝つとも 一―三
こは全き視力――その認むるに從つて、認めし善に進み入る――より出づるがゆゑにあやしむなかれ 四―六
われあきらかに知る、見らるゝのみにてたえず愛を燃す永遠《とこしへ》の光、はや汝の智の中にかゞやくを 七―九
もし他の物汝等の愛を迷はさば、こはかの光の名殘がその中に映《さ》し入りて見誤らるゝによるのみ 一〇―一二
汝の知らんと欲するは、果《はた》されざりし誓ひをば人他の務《つとめ》によりて償《つぐの》ひ、魂をして論爭《あらそひ》を免《まぬが》れしむるをうるや否《いな》やといふ事是なり。 一三―一五
ベアトリーチェはかくこの曲《カント》をうたひいで、言葉を斷《た》たざる人のごとく、聖なる教へを續けていふ。 一六―一八
それ神がその裕《ゆたか》なる恩惠《めぐみ》により造りて與へ給へる物にて最もその徳に適《かな》ひかつその最も重んじ給ふ至大の賜《たまもの》は 一九―二一
即ち意志の自由なりき、知慧ある被造物は皆、またかれらに限り、昔これを受け今これを受く 二二―二四
いざ汝推《お》して知るべし、人肯《うけが》ひて神また肯ひかくして誓ひ成るならんには、そのいと貴《とほと》きものなることを 二五―二七
そは神と人との間に契約を結ぶにあたりては、わがいふ如く貴きこの寶犧牲《いけにへ》となり、かつかくなるも己が作用《はたらき》によればなり 二八―三〇
されば何物をもて償《つぐのひ》となすことをえむ、捧げし物を善く用ゐんと思ふは是※物《ぞうぶつ》[#「貝+藏」、U+8D1C、38-6]をもて善事を爲さんとねがふなり 三一―三三
汝既に要點を會得《ゑとく》す、されど聖なる寺院は誓ひより釋《と》き、わが汝にあらはしゝ眞理に背《そむ》くとみゆるがゆゑに 三四―三六
汝なほ食卓《つくゑ》に向ひてしばらく坐すべし、汝のくらへる硬《かた》き食物《くひもの》はその消化《こな》るゝ爲になほ助けを要《もと》むればなり 三七―三九
心を開きて、わが汝に示すものを受け、これをその中に收めよ、聽きて保《たも》たざるは知識をうるの道にあらじ 四〇―四二
それ二の物相合してこの犧牲《いけにへ》の要素を成す、一はその作らるゝ基《もと》となるもの一は即ち契約なり 四三―四五
後者は守るにあらざれば消えず、但しこれについては我既にいとさだかに述べたり 四六―四八
是故に希伯來人《エブレオびと》は、捧ぐる物の如何によりこれを易《か》ふるをえたれども(汝必ず是を知らん)、なほ献物《さゝげもの》をなさゞるをえざりき 四九―五一
前者即ち汝に材とし知らるゝものは、これを他の材に易《か》ふとも必ず咎《とが》となるにはあらず 五二―五四
されど黄白二の鑰《かぎ》のめぐるなくば何人もその背に負《お》へる荷を、心のまゝにとりかふべからず 五五―五七
かつ取らるゝ物が置かるゝ物を容《い》るゝことあたかも六の四における如くならずば、いかに易ふとも徒《いたづら》なるを信ずべし 五八―六〇
是故に己が價値《ねうち》によりていと重くいかなる天秤《はかり》をも引下《ひきさ》ぐる物にありては、他の費《つひえ》をもて償《つぐな》ふことをえざるなり 六一―六三
人よ誓ひを戲事《たはぶれごと》となす勿れ、これに忠なれ、されどイエプテのその最初の供物《くもつ》におけるごとく輕々しくこれを立るなかれ 六四―六六
守りてしかしてまされる惡を爲さんより、彼は宜《よろ》しく我あしかりきといふべきなりき、汝はまたギリシア人《びと》の大將のかく愚《おろか》なりしをみむ 六七―六九
さればイフィジェニアはその妍《みめよ》きがために泣き、かゝる神事《じんじ》を傳へ聞きたる賢者愚者をしてまた彼の爲に泣かしむ 七〇―七二
基督教徒《クリスティアーニ》よ、おも/\しく身を動かし、いかなる風にも動く羽のごとくなるなかれ、いかなる水も汝等を洗ふと思ふなかれ 七三―七五
汝等に舊約新約あり、寺院の牧者の導くあり、汝等これにて己が救ひを得るに足る 七六―七八
もし邪慾汝等に他の途《みち》を勸《すゝ》めなば、汝等人たれ、愚《おろか》なる羊となりて汝等の中の猶太人《ジュデーアびと》に笑はるゝなかれ 七九―八一
己が母の乳を棄て、思慮《こゝろ》なく、浮《うか》れつゝ、好みて自ら己と戰ふ羔《こひつじ》のごとく爲すなかれ。 八二―八四
わがこゝに記《しる》すごとく、ベアトリーチェかく我に、かくていとなつかしき氣色《けしき》にて、宇宙の最も生氣に富める處にむかへり 八五―八七
その沈默と變貌《かはれるすがた》とは、わが飽《あ》くなきの智、はや新しき問を起しゐたりしわが智に默《もだ》せと命じき 八八―九〇
しかしてあたかも弦《つる》のしづかならざる先に的《まと》に中《あた》る矢のごとく、われらは馳《は》せて第二の王國にいたれり 九一―九三
われ見しに、かの天の光の中に入りしとき、わが淑女いたくよろこび、かの星自らそがためいよ/\輝きぬ 九四―九六
星さへ變りてほゝゑみたりせば、己が性《さが》のみによりていかなるさまにも變るをうる我げにいかになりしぞや 九七―九九
しづかなる清き池の中にて、魚もしその餌とみゆる物の外《そと》より入來るをみれば、これが邊《ほとり》にはせよるごとく 一〇〇―一〇二
千餘の輝われらの方にはせよりき、おの/\いふ。見よわれらの愛をますべきものを。 一〇三―一〇五
しかして各
われらの許《もと》に來るに及び、我は魂が、その放つ光のあざやかなるによりて、あふるゝ悦びをあらはすを見たり 一〇六―一〇八
讀者よ、この物語續かずばその先を知るあたはざる汝の苦しみいかばかりなるやを思へ 一〇九―一一一
さらば汝自ら知らむ、これらのものわが目に明らかに見えし時、彼等よりその状態《ありさま》を聞かんと思ふわが願ひのいかに深かりしやを 一一二―一一四
あゝ良日《よきひ》の下《もと》に生れ、戰ひ未だ終らざるに恩惠《めぐみ》に許されて永遠《とこしへ》の凱旋の諸
の寶座《くらゐ》を見るを得る者よ 一一五―一一七
遍《あまね》く天に滿《み》つる光にわれらは燃《もや》さる、是故にわれらの光をうくるをねがはゞ、汝心のまゝに飽《あ》け。 一一八―一二〇
信心深きかの靈の一我にかくいへるとき、ベアトリーチェ曰ふ。いへ、いへ、臆《おく》する勿《なか》れ、かれらを神々の如く信ぜよ。 一二一―一二三
我よく汝が己の光の中に巣《す》くひて目よりこれを出すをみる、汝笑へば目煌《きら》めくによりてなり 一二四―一二六
されど尊き魂よ、我は汝の誰なるやを知らず、また他の光に蔽はれて人間に見えざる天の幸《さち》をば何故にうくるやを知らず。 一二七―一二九
さきに我に物言へる光にむかひて我かくいへり、是においてかそのかゞやくこと前よりはるかに強かりき 一三〇―一三二
あたかも日輪が(濃《こ》き水氣の幕その熱に噛盡《かみつく》さるれば)そのいと強き光に己をかくすごとく 一三三―一三五
かの聖なる姿は、まさる悦びのため己が光の中にかくれ、さてかく全く籠《こも》りつゝ、我に答へき 一三六―一三八
次の曲《カント》の歌ふごとく 一三九―一四一
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第六曲
コスタンティーンが鷲をして天の運行に逆《さから》はしめし(ラヴィーナを娶《めと》れる昔人《むかしのひと》に附きてこの鷲そのかみこれに順《したが》へり)時より以來《このかた》 一―三
二百年餘の間、神の鳥はエウローパの際涯《はて》、そがさきに出でし山々に近き處にとゞまり 四―六
かしこにてその聖なる翼の陰に世を治めつゝ、手より手に移り、さてかく變りてわが手に達せり 七―九
我は皇帝《チェーザレ》なりき、我はジュスティニアーノなり、今わが感ずる第一の愛の聖旨《みむね》によりてわれ律法《おきて》の中より過剩《あまれるもの》と無益物《えきなきもの》とを除きたり 一〇―一二
未だこの業《わざ》に當らざりしさき、われはクリストにたゞ一の性《さが》あるを信じ、かつかゝる信仰をもて足《た》れりとなしき 一三―一五
されど至高の牧者なるアガピート尊者、その言葉をもて我を正しき信仰に導けり 一六―一八
我は彼を信じたり、しかして今我彼の信ずる所をあきらかに見ることあたかも汝が一切の矛盾《むじゅん》の眞なり僞やなるを見るごとし 一九―二一
われ寺院と歩みを合せて進むに及び、神はその恩惠《めぐみ》により我を勵ましてこの貴き業《わざ》を爲さしむるをよしとし、我は全く身をこれに捧げ 二二―二四
武器をばわがベリサルに委ねたりしに、天の右手《めで》彼に結ばりて、わが休むべき休徴《しるし》となりき 二五―二七
さて我既に第一の問に答へ終りぬ、されどこの答の性《さが》に強《し》ひられ、なほ他の事を加ふ 二八―三〇
こは汝をしていかに深き理《ことわり》によりてかのいと聖なる旗に、これを我有《わがもの》となす者も將《はた》これに敵《はむか》ふ者も、ともに逆《さから》ふやを見しめん爲なり 三一―三三
パルランテがこれに王國を與へんとて死にし時を始めとし、見よいかなる徳のこれをあがむべき物とせしやを 三四―三六
汝知る、この物三百年餘の間アルバにとゞまり、その終り即ち三人《みたり》の三人とさらにこれがため戰ふ時に及べることを 三七―三九
また知る、この物サビーニの女達の禍ひよりルクレーチアの憂ひに至るまで七王の代に附近《あたり》の多くの民に勝ちていかなる業《わざ》をなしゝやを 四〇―四二
知る、この物秀でしローマ人等の手にありてブレンノ、ピルロ、その他の君主等及び共和の國々と戰ひ、いかなる業《わざ》をなしゝやを 四三―四五
(是等の戰ひにトルクァート、己が蓬髮《おどろのかみ》に因《ちな》みて名を呼ばれたるクインツィオ、及びデーチとファービとはわが悦びて甚《いた》く尊《たふと》む譽《ほまれ》を得たり) 四六―四八
アンニバーレに從ひて、ポーよ汝の源なるアルペの岩々を越えしアラビア人《びと》等の誇りをくじけるもこの物なりき 四九―五一
この物の下《もと》に、シピオネとポムペオとは年若うして凱旋したり、また汝の郷土に臨《のぞ》みて聳《そび》ゆる山にはこの物酷《つら》しと見えたりき 五二―五四
後、天が全世界を己の如く晴和《のどか》ならしめんと思ひし時に近き頃、ローマの意に從ひて、チェーザレこれを取りたりき 五五―五七
ヴァーロよりレーノに亘りてこの物の爲しゝことをばイサーラもエーラもセンナも見、ローダノを滿たすすべての溪《たに》もまた見たり 五八―六〇
ラヴェンナを出でゝルビコンを越えし後このものゝ爲しゝ事はいとはやければ、詞《ことば》も筆も伴《ともな》ふ能《あた》はじ 六一―六三
士卒を轉《めぐ》らしてスパーニアに向ひ、後ドゥラッツオにむかひ、またファルサーリアを撃《う》ちて熱きニーロにも痛みを覺えしむるにいたれり 六四―六六
そが出立ちし處なるアンタンドロとシモエンタ、またかのエットレの休《やすら》ふところを再び見、後、身を震《ふる》はして禍ひをトロメオに與へ 六七―六九
そこよりイウバの許《もと》に閃《ひらめ》き下り、後、汝等の西に轉《めぐ》りてかしこにポムペオの角《らつぱ》を聞けり 七〇―七二
次の旗手と共にこの物の爲しゝことをば、ブルートとカッシオ地獄に證《あかし》す、このものまたモーデナとペルージヤとを憂へしめたり 七三―七五
うれはしきクレオパトラは今もこの物の爲に泣く、彼はその前より逃げつゝ、蛇によりて俄《にはか》なる慘《むご》き死を遂《と》げき 七六―七八
かの旗手とともにこの物遠く紅の海邊《うみべ》に進み、彼とともに世界をば、イアーノの神殿《みや》の鎖《とざ》さるゝほどいと安泰《やすらか》ならしめき 七九―八一
されどわが語種《かたりぐさ》なるこの旗が、これに屬する世の王國の全體《すべて》に亘りて、さきに爲したりし事も後に爲すべかりし事も 八二―八四
小《さゝや》かにかつ朧《おぼろ》に見ゆるにいたらむ、人この物を、目を明らかにし思ひを清うして、第三のチェーザレの手に視なば 八五―八七
そはこの物彼の手にありしとき、我をはげます生くる正義は、己が怒りに報《むく》ゆるの譽《ほまれ》をこれに與へたればなり 八八―九〇
いざ汝わが反復語《くりかへしごと》を聞きて異《あや》しめ、この後この物ティトとともに、昔の罪を罰せんために進めり 九一―九三
またロンゴバルディの齒、聖なる寺院を嚼《か》みしとき、この物の翼の下にて勝ちつゝ、カルロ・マーニオこれを救へり 九四―九六
今や汝は、わがさきに難じし如き人々の何者なるやと凡《すべ》て汝等の禍ひの本なる彼等の罪のいかなるやとを自ら量《はか》り知るをえむ 九七―九九
彼《かれ》黄の百合を公《おほやけ》の旗に逆《さか》らはしむれば此《これ》一黨派の爲にこれを己が有《もの》となす、いづれか最も非なるを知らず 一〇〇―一〇二
ギベルリニをして行はしめよ、他の旗の下《もと》にその術を行はしめよ、この旗を正義と離す者何ぞ善《よ》くこれに從ふことあらむ 一〇三―一〇五
またこの新しきカルロをして己がグエルフィと共にこれを倒さず、かれよりも強き獅子より皮を奪ひしその爪を恐れしめよ 一〇六―一〇八
子が父の罪の爲に泣くこと古來例多し、彼をして神その紋所を彼の百合の爲に變へ給ふと信ぜしむる勿《なか》れ 一〇九―一一一
さてこの小さき星は、進みて多くの業《わざ》を爲しゝ諸
の善き靈にて飾らる、彼等のかく爲しゝは譽と美名《よきな》をえん爲なりき 一一二―一一四
しかして願ひ斯く路を誤りてかなたに昇れば、上方《うへ》に昇る眞《まこと》の愛、光を減ぜざるをえじ 一一五―一一七
されどわれらの報《むくい》が功徳と量を等しうすることわれらの悦びの一部を成す、われら彼の此より多からず少からざるを見ればなり 一一八―一二〇
生くる正義はこの事によりてわれらの情をうるはしうし、これをして一度《たび》も歪《ゆが》みて惡に陷るなからしむ 一二一―一二三
さま/″\の聲下界にて麗《うる》はしき節《ふし》となるごとく、さま/″\の座《くらゐ》わが世にてこの諸
の球の間のうるはしき詞《しらべ》を整《とゝの》ふ 一二四―一二六
またこの眞珠の中にはロメオの光の光るあり、彼の美しき大いなる業《わざ》は正しく報《むく》いられざりしかど 一二七―一二九
彼を陷れしプロヴェンツァ人《びと》等笑ふをえざりき、是故に他人《ひと》の善行をわが禍ひとなす者は即ち邪道を歩む者なり 一三〇―一三二
ラモンド・ベリンギエーリには四人《よたり》の女《むすめ》ありて皆王妃となれり、しかしてこは賤しき旗客ロメオの力によりてなりしに 一三三―一三五
後《のち》かれ讒者の言に動かされ、この正しき人(十にて七と五とをえさせし)に清算を求めき 一三六―一三八
是においてか老いて貧しき身をもちて彼去りぬ、世もし一口《ひとくち》一口と食を乞ひ求めし時のその固き心を知らば 一三九―一四一
(今もいたく讚《ほ》むれども)今よりもいたく彼をほむべし。 一四二―一四四
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第七曲
オザンナ、萬軍の聖なる神、己が光をもてこれらの王國の惠まるゝ火を上より照らしたまふ者。 一―三
二重《ふたへ》の光を重《かさ》ね纏《まと》ひしかの聖者は、その節《ふし》にあはせてめぐりつゝ、かく歌ふと見えたりき 四―六
しかしてこれもその他の者もみなまた舞ひいで、さていとはやき火花の如く、忽ちへだゝりてわが目にかくれぬ 七―九
われ疑ひをいだき、心の中にいひけるは。いへ、いへ、わが淑女にいへ、彼甘き雫《しづく》をもてわが渇《かわき》をとゞむるなれば。 一〇―一二
されどたゞ「ベ」と「イーチェ」のみにて我を統治《すべをさ》むる敬《うやまひ》我をして睡りに就く人の如く再びわが頭《かうべ》を垂れしむ 一三―一五
ベアトリーチェはたゞ少時《しばし》我をかくあらしめし後、火の中にさへ人を福《さいはひ》ならしむる微笑《ほゝゑみ》をもて我を照らしていひけるは 一六―一八
わが量《はか》るところ(こは謬《あやま》ることあらじ)によれば、汝思へらく、正しき罰いかにして正しく罰せらるゝをうるやと 一九―二一
されど我は速に汝の心を釋放《ときはな》つべし、いざ耳を傾けよ、そはわが詞《ことば》、大いなる教へを汝にさづくべければなり 二二―二四
それかの生れしにあらざる人は、己が益なる意志の銜《くつわ》に堪《た》へかねて、己を罪しつゝ、己がすべての子孫を罪せり 二五―二七
是においてか人類は、大いなる迷ひの中に、幾世の間、病みて下界に臥《ふ》ししかば、神の語《ことば》遂に世に降るをよしとし 二八―三〇
その永遠《とこしへ》の愛の作用《はたらき》のみにより、かの己が造主《つくりぬし》より離れし性《さが》を、かしこに神結《かみむすび》にて己と合せ給ひたり 三一―三三
いざ汝わが今語るところに心をとめよ、己が造主と結合《むすびあ》へるこの性は、その造られし時の如く純にして善なりしかど 三四―三六
眞理の道とおのが生命《いのち》に遠ざかり、自ら求めてかの樂園より逐《お》はれたりき 三七―三九
是故に合せられたる性《さが》より見れば、十字架の齎《もた》らしゝ刑罰は、正しく行はれしこと他に類《たぐひ》なし 四〇―四二
されどこれを受けし者、かゝる性をあはせし者の爲人《ひととなり》より見れば、正しからざることまた他に類なし 四三―四五
されば一の行爲《おこなひ》より樣々《さま/″\》の事出でぬ、そは一の死、神の聖意《みこゝろ》にも猶太人《ジュデーアびと》の心にも適ひたればなり、この死の爲に地は震ひ天は開きぬ 四六―四八
今や汝はさとりがたしと思はぬならむ、正しき罰後にいたりて正しき法廷《しらす》に罰せられきといふを聞くとも 四九―五一
されど我は今汝の心が、思ひより思ひに移りて一の|
《ふし》の中にむすぼれ、それより解放《ときはな》たれんことをばしきりに願ひつゝ待つを見るなり 五二―五四
汝いふ、我よくわが聞けるところをさとる、されど我は神が何故にわれらの贖《あがなひ》のためこの方法《てだて》をのみ選び給へるやを知らずと 五五―五七
兄弟よ、智もし愛の焔の中に熟せざればいかなる人もこの定《さだめ》を會得《ゑとく》せじ 五八―六〇
しかはあれ、この目標《しるし》は多く見られて少しくさとらるゝものなれば、我は何故にかゝる方法《てだて》の最もふさはしかりしやを告ぐべし 六一―六三
それ己より一切の嫉《ねた》みを卻《しりぞ》くる神の善は、己が中に燃えつゝ、光を放ちてその永遠《とこしへ》の美をあらはす 六四―六六
是より直に滴《したゝ》るものはその後滅びじ、これが自ら印を捺《お》すとき、象《かた》消ゆることなければなり 六七―六九
是より直に降下《ふりくだ》るものは全く自由なり、新しき物の力に服從《つきしたが》ふことなければなり 七〇―七二
かゝるものは最も是に類《たぐ》ふが故に最も是が心に適《かな》ふ、萬物を照らす聖なる焔は最も己に似る物の中に最も強く輝けばなり 七三―七五
しかしてこれらの幸《さち》はみな、人たる者の受くるところ、一つ缺くれば、人必ずその尊《たふと》さを失ふ 七六―七八
人の自由を奪ひ、これをして至上の善に似ざらしめ、その光に照らさるること從つて少きにいたらしむるものは罪のみ 七九―八一
もしそれ正しき刑罰を不義の快樂《けらく》に對《むか》はしめつゝ、罪のつくれる空處を滿《みた》すにあらざれば、人その尊さに歸ることなし 八二―八四
汝等の性《さが》は、その種子《たね》によりて悉《こと/″\》く罪を犯《をか》すに及び、樂園とともにこれらの尊き物を失ひ 八五―八七
淺瀬の一を渡らずしては、いかなる道によりても再びこれを得るをえざりき(汝よく思ひを凝《こ》らさばさとるなるべし) 八八―九〇
淺瀬とは、神がたゞその恩惠《めぐみ》によりて赦《ゆる》し給ふか、または人が自らその愚を贖《あがな》ふか即ち是なり 九一―九三
いざ汝力のかぎり目をわが詞にちかくよせつゝ、永遠《とこしへ》の思量《はからひ》の淵深く見よ 九四―九六
そも/\人は、その限りあるによりて、贖《あがなひ》をなす能はざりき、そは後神に順《したが》ひ心を卑《ひく》うして下《くだ》るとも、さきに逆きて 九七―
上らんとせし高さに應ずる能《あた》はざればなり、人自ら贖《あがな》ふの力なかりし理《ことわり》げに茲《こゝ》に存す ―一〇二
是故に神は己が道――即ちその一かまたは二――をもて、人をその完き生に復《かへ》したまふのほかなかりき 一〇三―一〇五
されど行ふ者の行は、これがいづる心の善をあらはすに從ひ、いよ/\悦ばるゝがゆゑに 一〇六―一〇八
宇宙に印影《かた》を捺《お》す神の善は、再び汝等を上げんため、己がすべての道によりて行ふを好めり 一〇九―一一一
また最終《いやはて》の夜と最始《いやさき》の晝との間に、これらの道のいづれによりても、かく尊《たふと》くかく偉《おほい》なる業《わざ》は爲されしことなし爲さるゝことあらじ 一一二―一一四
そは神は人をして再び身を上《あぐ》るに適《ふさは》しからしめん爲己を與へ給ひ、たゞ自ら赦すに優《まさ》る恩惠《めぐみ》をば現し給ひたればなり 一一五―一一七
神の子己を卑《ひく》うして肉體となり給はざりせば、他《ほか》のいかなる方法《てだて》といふとも正義に當るに足らざりしなるべし 一一八―一二〇
さて我は今、汝の願ひをすべてよく滿たさんため、溯《さかのぼ》りて一の事を説き示し、汝をしてわが如くこれを見るをえしめむ 一二一―一二三
汝いふ、我視るに、地水火風及びそのまじりあへるものみな滅び、永く保《たも》たじ 一二四―一二六
しかるにこれらは被造物《つくられしもの》なり――是故にわがいへること眞《まこと》ならばこれらには滅ぶるの患《うれへ》あるべきならず――と 一二七―一二九
兄弟よ、諸
の天使と、汝が居る處の純なる國とは、現在《いま》のごとき完き状態《さま》にて造られきといふをうれども 一三〇―一三二
汝の名指《なざ》しゝ諸
の元素およびこれより成る物は、造られし力これをとゝのふ 一三三―一三五
造られしはかれらの物質、造られしはかれらをめぐるこの諸
の星のうちのとゝのふる力なり 一三六―一三八
諸
の聖なる光の輝と|
轉《めぐり》とは、すべての獸及び草木《くさき》の魂をば、これとなりうべき原質よりひきいだせども 一三九―一四一
至上の慈愛は、たゞちに汝等の生命《いのち》を嘘《ふき》入れ、かつこれをして己を愛せしむるが故に、この物たえずこれを慕ひ求むるにいたる 一四二―一四四
さてまたこの理《ことわり》よりさらに推し及ぼして汝は汝等の更生《よみがへり》を知ることをえむ、もし第一の父母《ちゝはゝ》ともに造られし時 一四五―一四七
人の肉體のいかに造られしやを思ひみば
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第八曲
世は、その危ふかりし頃、美しきチプリーニアが第三のエピチクロをめぐりつゝ痴情の光を放つと信ずる習《ならはし》なりき 一―三
されば古《いにしへ》の人々その古の迷ひより、牲《いけにへ》を供《そな》へ誓願をかけて彼を崇《あが》めしのみならず 四―六
またディオネとクーピドをも崇めて彼をその母とし此をその子とし、かついへり、この子かつてディドの膝の上に坐しきと 七―九
かれらはまた、日輪に或ひは後《うしろ》或ひは前《まへ》より秋波《しうは》をおくる星の名を、わがかく歌の始めにうたふかの女神《めがみ》より取れり 一〇―一二
かの星の中に登れることを我は知らざりしかど、その中にありしことをば、わが淑女のいよ/\美しくなるを見て、かたく信じき 一三―一五
しかして火花焔のうちに見え、聲々のうちに判《わか》たるゝ(一動かず一往來《ゆきき》するときは)ごとく 一六―一八
我はかの光の中に、他の多くの光、輪を成して|
《めぐ》るを見たり、但し早さに優劣《まさりおとり》あるはその永劫《えいごふ》の視力の如何によりてなるべし 一九―二一
見ゆる風や見えざる風の、冷やかなる雲よりくだる疾《はや》しとも、これらのいと聖なる光が 二二―二四
尊きセラフィーニの中にまづ始まりし舞を棄てつゝ我等に來るを見たらん人には、たゞ靜にて遲しと思はれむ 二五―二七
さて最も先に現はれし者のなかにオザンナ響きぬ、こはいと妙《たへ》なりければ、我は爾後《そののち》再び聞かんと願はざることたえてなかりき 二八―三〇
かくてその一われらにいよ/\近づき來り、單獨《たゞひとり》にていふ。われらみな汝の好む所に從ひ汝を悦ばしめんとす 三一―三三
われらは天上の君達と圓を一にし、|
轉《めぐり》を一にし、渇《かわき》を一にしてまはる、汝嘗《かつ》て世にて彼等にいひけらく 三四―三六
汝等了知《さとり》をもて第三の天を動かす者よと、愛我等に滿つるが故に、汝の心に適《かな》はせんとて少時《しばらく》しづまるとも我等の悦び減《へ》ることあらじ。 三七―三九
われ目をうや/\しくわが淑女にそゝぎ、その思ひを定《さだ》かに知りてわが心を安んじゝ後 四〇―四二
再びこれをかの光――かく大いなることを約しゝ――にむかはせ、切《せつ》なる情を言葉にこめつゝ汝等は誰なりや告げよといへり 四三―四五
われ語れる時、新たなる喜び己が喜びに加はれるため、かの光が、その量と質とにおいて、優《まさ》りしことげにいかばかりぞや 四六―四八
さてかく變りて我に曰ふ。世はたゞしばし我を宿《やど》しき、もし時さらに長かりせば、來るべき多くの禍ひは避けられしものを 四九―五一
わが身のまはりに輝き出づるわが喜びは我を汝の目に見えざらしめ、我を隱してあたかも己が絹に卷かるゝ蟲の如くす 五二―五四
汝深く我を愛しき、是また宜《うべ》なり、我もし下界に長生《ながら》へたりせば、わが汝に表《あら》はす愛は葉のみにとゞまらざりしなるべし 五五―五七
ローダノがソルガと混《まじ》りし後に洗ふ左の岸は、時に及びてわがその君となるを望み 五八―六〇
バーリ、ガエタ及びカートナ際涯《はて》を占め、トロント、ヴェルデの流れて海に入る處なるアウソーニアの角《つの》もまたしか望みき 六一―六三
はやわが額《ひたひ》には、ドイツの岸を棄てし後ダヌービオの濕《うるほ》す國の冠かゞやきゐたり 六四―六六
またエウロに最もわづらはさるゝ灣の邊《ほとり》パキーノとペロロの間にて、ティフェオの爲ならずそこに生ずる硫黄の爲に烟《けむ》る 六七―
かの美しきトリナクリアは、カルロとリドルフォの裔《すゑ》我よりいでゝその王となるを今も望み待ちしなるべし ―七二
民の心を常に荒立《あらだつ》る虐政パレルモを動かして、死せよ死せよと叫ばしむるにいたらざりせば 七三―七五
またわが兄弟にして豫めこれを見たらんには、カタローニアの慾と貪とをはやくも避けて、その禍ひを自ら受くるにいたらざりしなるべし 七六―七八
そはげに彼にてもあれ他《ほか》の人にてもあれ、はや荷の重き彼の船にさらに荷を積むなからんため備へを成さゞるをえざればなり 七九―八一
物惜しみせぬ性《さが》より出でゝ吝《やぶさか》なりし彼の性は、貨殖に心專ならざる部下を要せむ。 八二―八四
わが君よ、我は汝の言《ことば》の我に注ぐ深き喜びが、一切の善の始まりかつ終る處にて汝に見らるゝことわがこれを見る如しと 八五―
信ずるがゆゑに、その喜びいよ/\深し、我また汝が神を見てしかしてこれをさとるを愛《め》づ ―九〇
汝我に悦びをえさせぬ、さればまた教へをえさせよ(汝語りて我に疑ひを起さしめたればなり)――苦《にが》き物いかにして甘き種より出づるや。 九一―九三
我かく彼に、彼即ち我に。我もし汝に一の眞理を示すをえば、汝は汝の尋《たづ》ぬる事に顏を向《むく》ること今背をむくる如くなるべし 九四―九六
汝の昇る王國を遍《あまね》くめぐらしかつ悦ばすところの善は、これらの大いなる物體において、己が攝理を力とならしむ 九七―九九
また諸
の自然のみ、自《おのづか》ら完き意《こゝろ》の中に齊《とゝのへ》らるゝにあらずして、かれらとともにその安寧もまた然《しか》せらる 一〇〇―一〇二
是故にこの弓の射放つものは、みな豫《あらかじ》め定められたる目的《めあて》にむかひて落ち、あたかも己が的《まと》にむけられし物の如し 一〇三―一〇五
もしこの事微《なか》りせば、今汝の過行く天は、その果《み》を技藝に結ばずして破壞にむすぶにいたるべし 一〇六―一〇八
しかしてこはある事ならじ、もし此等の星を動かす諸
の智備はらず、またかく此等を完からしめざりし第一の智に缺處《かくるところ》あるにあらずば 一〇九―一一一
汝この眞理をなほも明かにせんと願ふや。我。否《いな》然《しか》らず、我は自然が必要の事に當りて疲るゝ能はざるを知ればなり。 一一二―一一四
彼即ちまた。いざいへ、世の人もし一市民たらずば禍ひなりや。我答ふ。然り、その理《ことわり》は我問はじ。 一一五―一一七
人各
世に住むさまを異にし異なる職務《つとめ》をなすにあらずして市民たることを得るや、汝等の師の記《しる》す所正しくば然《しか》らず。 一一八―一二〇
かく彼論じてこゝに及び、さて結びていふ。かゝれば汝等の業《わざ》の根も、また異ならざるをえず 一二一―一二三
是故に一人《ひとり》はソロネ、一人はセルゼ、一人はメルキゼデク、また一人は空《そら》を飛びつゝわが子を失へる者とし生る 一二四―一二六
人なる蝋に印を捺《お》す諸
の天の力は、善く己が技《わざ》を爲せども彼家《かのや》此家《このや》の差別《けじめ》を立てず 一二七―一二九
是においてかエサウはヤコブと種《たね》を異にし、またクイリーノは人がこれをマルテに歸するにいたれるほど父の賤《いや》しき者なりき 一三〇―一三二
もし神の攝理勝たずば、生れし性《さが》は生みたるものと常に同じ道に進まむ 一三三―一三五
汝の後《うしろ》にありしもの今前にあり、されど汝と語るわが悦びを汝に知らしめんため、われなほ一の事を加へて汝の表衣《うはぎ》となさんとす 一三六―一三八
それ性《さが》は、命運これに配《そ》はざれば、あたかも處を得ざる種のごとく、その終りを善くすることなし 一三九―一四一
しかして下界もしその心を自然の据《す》うる基《もとゐ》にとめてこれに從はゞその民榮《さか》えむ 一四二―一四四
しかるに汝等は、劒を腰に帶びんがために生れし者を枉《ま》げて僧とし、法《のり》を説くべき者を王とす 一四五―一四七
是においてか汝等の歩履《あゆみ》道を離る。 一四八―一五〇
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第九曲
美しきクレメンツァよ、汝のカルロはわが疑ひを解きし後、我にその子孫のあふべき欺罔《たばかり》の事を告げたり 一―三
されどまた、默して年をその移るに任せよといひしかば、我は汝等の禍ひの後に正しき歎き來らんといふのほか何をもいふをえざるなり 四―六
さてかの聖なる光の生命《いのち》は、萬物を足らはす善の滿《み》たす如く己を滿たす日輪にはや再びむかひゐたりき 七―九
あゝ迷へる魂等よ、不信心なる被造物等よ、心をかゝる善にそむけて頭《かうべ》を空しき物にむくとは 一〇―一二
時に見よ、いま一の光、わが方に進み出で、我を悦ばせんとの願ひを外部《そと》の輝に現はせり 一三―一五
さきのごとく我に注げるベアトリーチェの目は、うれしくもわが願ひを容《い》るゝことをば定《さだ》かに我に知らしめき 一六―一八
我曰《い》ふ。あゝ福《さいはひ》なる靈よ、請《こ》ふ速にわが望みをかなへ、わが思ふ所汝に映《うつ》りて見ゆとの證《あかし》を我にえさせよ。 一九―二一
是においてか未だ我に知られざりしかの光、さきに歌ひゐたる處なる深處《ふかみ》より、あたかも善行を悦ぶ人の如く、續いていふ 二二―二四
邪《よこしま》なるイタリアの國の一部、リアルトとブレンタ、ピアーヴァの源との間の地に 二五―二七
いと高しといふにあらねど一の山の聳《そび》ゆるあり、かつて一の炬火《たいまつ》こゝより下りていたくこの地方を荒しき 二八―三〇
我とこれとは一の根より生れたり、我はクニッツァと呼ばれにき、わがこゝに輝くはこの星の光に勝たれたればなり 三一―三三
されど我今喜びて自らわが命運の原因《もと》を赦《ゆる》し、心せこれに惱《なや》まさじ、こは恐らくは世俗の人にさとりがたしと見ゆるならむ 三四―三六
われらの天の中のこの光りて貴き珠《たま》、我にいと近き珠の名は今も高く世に聞ゆ、またその滅びざるさきに 三七―三九
この第百年はなほ五度《いつたび》も重ならむ、見よ人たる者己を勝《すぐ》るゝ者となし、第二の生をば第一の生に殘さしむべきならざるやを 四〇―四二
さるにターリアメントとアディーチェに圍まるゝ現在《いま》の群集《ぐんじゆう》これを思はず、撃《う》たるれどもなほ悔《く》いじ 四三―四五
されどパードヴァは、その民頑《かたくな》にして義に背《そむ》くにより、程なく招の邊《ほとり》にて、かのヴィチェンツァを洗ふ水を變へむ 四六―四八
またシーレとカニアーンの落合ふ處は、或者これを治め、頭を高うして歩めども、彼を捕へんとて人はや網を造りたり 四九―五一
フェルトロもまたその非道の牧者の罪の爲に泣かむ、かつその罪はいと惡くしてマルタに入れられし者にさへ類《たぐひ》を見ざる程ならむ 五二―五四
己が黨派に忠なることを示さんとてこのやさしき僧の與ふるフェルラーラ人《びと》の血は、げにいと大いなる桶ならでは ―五五
これを容《い》るゝをえざるべく、|※《オンチャ》[#「オンス」の単位記号、63-7]に分けてこれを量《はか》らばその人疲れむ、而《しか》してかゝる贈物《おくりもの》は本國《ところ》の慣習《ならはし》に適《かな》ふなるべし ―六〇
諸
の鏡上方《うへ》にあり、汝等これを寶座《ツローニ》といふ、審判《さばき》の神そこより我等を照らすがゆゑに我等皆これらの言葉を眞《まこと》とす。 六一―六三
かくいひて默《もだ》し、さきのごとく輪に加はりてめぐりつゝ、心をほかにむくるに似たりき 六四―六六
名高き者とはやわが知りしかの殘りの喜びは、日の光に當る良《よ》き紅玉《あかだま》の如くわが目に見えたり 六七―六九
上にては悦びによりて、強き光のえらるゝこと、世にて笑のえらるゝ如し、されど下にては心の悲しきにつれて魂黒く外《そと》にあらはる 七〇―七二
我曰ふ。福なる靈よ、神萬物を見給ひ、汝の目神に入る、是故にいかなる願ひも汝にかくるゝことあらじ 七三―七五
もしそれ然らば、六の翼を緇衣となす信心深き火とともに歌ひてとこしへに天を樂します汝の聲 七六―七八
何ぞわが諸
の願ひを滿たさゞる、もしわが汝の衷《うち》に入ること汝のわが衷に入るごとくならば、我豈《あに》汝の問を待たんや。 七九―八一
このとき彼曰ふ。地を卷く海を除《のぞ》きては、水湛《たゝ》ふる溪《たに》の中にて最《いと》大いなるもの 八二―八四
相容《あひい》れざる二の岸の間にて、日に逆《さから》ひて遠く延びゆき、さきに天涯となれる所を子牛線《しごせん》となす 八五―八七
我はこの溪の邊《ほとり》、エブロとマークラ(短き流れによりてゼーノヴァ人《びと》とトスカーナ人とを分つ)の間に住める者なりき 八八―九〇
そのかみ己が血をもて湊を熱くせしわが故郷《ふるさと》はブッジェーアと殆ど日出《ひので》日沒《ひのいり》を同うす 九一―九三
わが名を知れる人々我をフォルコと呼べり、我今象《かた》をこの天に捺《お》す、この天我に捺《お》しゝごとし 九四―九六
そはシケオとクレウザとを虐《しひた》げしベロの女《むすめ》も、デモフォーンテに欺かれたるロドペーアも、またイオレを心に 九七―
包める頃のアルチーデも、齡《とし》に適《ふさ》はしかりし間の我より強くは、思ひに燃えざりければなり ―一〇二
しかはあれ、こゝにては我等悔《く》いず、たゞ笑ふ、こは罪の爲ならで(再び心に浮ばざれば)、定め、整《とゝの》ふる力のためなり 一〇三―一〇五
こゝにては我等、かく大いなる御業《みわざ》を飾る技巧を視、天界に下界を治めしむる善を知る 一〇六―一〇八
されどこの球の中に生じゝ汝の願ひ悉《こと/″\》く滿たされんため、我なほ語《ことば》を繼《つ》がざるべからず 一〇九―一一一
汝は誰《た》がこの光(あたかも清き水に映ずる日の光の如くわが傍《かたへ》に閃《ひらめ》くところの)の中にあるやを知らんと欲す 一一二―一一四
いざ知るべし、ラアブこのうちにやすらふ、彼われらの組に加はりその印をこれに捺すこと他に類《たぐひ》なし 一一五―一一七
人の世界の投ぐる影、尖《とが》れる端《はし》となる處なるこの天は、クリストの凱旋に加はる魂の中彼をば最も先に受けたり 一一八―一二〇
左右の掌《たなごゝろ》にて獲《ゑ》たる尊き勝利のしるしとして彼を天の一におくは、げにふさはしき事なりき 一二一―一二三
そは彼ヨスエを聖地――今やこの地殆ど法王の記憶に觸れじ――にたすけてその最初の榮光をこれにえさせたればなり 一二四―一二六
はじめて己が造主《つくりぬし》に背《そむ》き、嫉《ねた》みによりて深き歎きを殘せる者の建てたりし汝の邑《まち》は 一二七―一二九
詛《のろ》ひの花を生じて散らす、こは牧者を狼となして、羊、羔《こひつじ》をさまよはしゝもの 一三〇―一三二
これがために福音と諸
の大いなる師とは棄てられ、人專ら寺院の法規《おきて》を學ぶことその紙端《かみのはし》にあらはるゝ如し 一三三―一三五
これにこそ法王もカルディナレもその心をとむるなれ、彼等の思ひはガブリエルロが翼を伸《の》べし處なるナツァレッテに到らじ 一三六―一三八
されどヴァティカーノ、その他ローマの中の選ばれし地にてピエートロに從へる軍人《いくさびと》等の墓となりたる所はみな 一三九―一四一
この姦淫より直ちに釋放たるべし。 一四二―一四四
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第十曲
言ひ難き第一の力は、己が子を、彼と此との永遠《とこしへ》の息《いき》なる愛とともにうちまもりつゝ 一―三
心または處にめぐるすべての物をば、いと妙《たへ》なる次第を立てゝ造れるが故に、これを見る者必ずかの力を味ふ 四―六
讀者よされば目を擧げて我とともに天球にむかひ、一の運行の他と相觸《あひふ》るゝところを望み 七―九
よろこびて師の技《わざ》を見よ、師はその心の中に深くこれを愛し、目をこれより離すことなし 一〇―一二
見よ諸
の星を携《たづさ》ふる一の圈、かれらを呼求むる世を足らはさんとて、斜《なゝめ》にかしこより岐《わか》れ出づるを 一三―一五
もしかれらの道傾斜《なぞへ》ならずば、天の力多くは空しく、下界の活動《はたらき》殆どみな止まむ 一六―一八
またもし直線とこれとの距離《へだゝり》今より多きか少きときは、宇宙の秩序は上にも下にも多く缺くべし 一九―二一
いざ讀者よ、未だ疲れざるさきに疾く喜ぶをえんと願はゞ、汝の椅子に殘りて、わが少しく味はしめしことを思ひめぐらせ 二二―二四
我はや汝の前に置きたり、汝今より自ら食《は》むべし、わが筆の獻《さゝ》げられたる歌題はわが心を悉《こと/″\》くこれに傾けしむればなり 二五―二七
自然の最《いと》大いなる僕《しもべ》にて、天の力を世界に捺《お》し、かつ己が光をもてわれらのために時を量《はか》るもの 二八―三〇
わがさきにいへる處と合し、かの螺旋《らせん》即ちそが日毎《ひごと》に早く己を現はすその條《すぢ》を傳ひてめぐれり 三一―三三
我この物とともにありき、されど登れることを覺えず、あたかも思ひ始むるまでは思ひの起るを知らざる人の如くなりき 三四―三六
かく一の善よりこれにまさる善に導き、しかして己が爲す事の、時を占むるにいたらざるほどいと早きはベアトリーチェなり 三七―三九
わが入りし日の中にさへ色によらで光によりて現はるゝとは、げにそのものゝ自ら輝くこといかばかりなりけむ 四〇―四二
たとひわれ、才と技巧と練達を呼び求むとも、これを語りて人をして心に描かしむるをえんや、人たゞ信じて自ら視るを願ふべし 四三―四五
またわれらの想像の力低うしてかゝる高さに到らずとも異《あや》しむに足らず、そは未だ日よりも上に目の及べることなければなり 四六―四八
尊き父の第四の族《やから》かゝる姿にてかしこにありき、父は氣息《いき》を嘘《ふ》く状《さま》と子を生むさまとを示しつゝ絶えずこれを飽《あ》かしめ給ふ 四九―五一
ベアトリーチェ曰ふ。感謝せよ、恩惠《めぐみ》によりて汝を擧げつゝこの見ゆべき日にいたらんめし諸
の天使の日に感謝せよ。 五二―五四
人の心いかに畏敬の念に傾き、またいかに喜び進みて己を神に棒げんとすとも 五五―五七
これらの詞《ことば》を聞ける時のわがさまに及ばじ、わが愛こと/″\く神に注がれ、ベアトリーチェはそがために少時《しばし》忘られき 五八―六〇
されど怒らず、いとうつくしく微笑《ほゝゑ》みたれば、そのゑめる目の耀《かゞやき》はわが合ひし心をわかちて多くの物にむかはしむ 六一―六三
われ見しに多くの生くる勝《すぐ》るゝ光、われらを中心となし己を一の輪となしき、その聲のうるはしきこと姿の輝くにまさりたり 六四―六六
空氣孕《みごも》り、帶となるべき糸を保《たも》つにいたるとき、われらは|屡
《しば/″\》ラートナの女《むすめ》の亦かくの如く卷かるゝを見る 六七―六九
そも/\天の王宮(かしこより我は歸りぬ)には、いと貴く美しくして王土の外《そと》に齎《もた》らすをえざる寶多し 七〇―七二
これらの光の歌もその一なりき、かしこに飛登るべき羽を備へざる者は、かなたの消息《おとづれ》を唖《おふし》に求めよ 七三―七五
これらの燃ゆる日輪、かくうたひつゝわれらを三度《みたび》、動かざる極に近き星のごとくに|
《めぐ》れる時 七六―七八
かれらはあたかも踊り終らぬ女等が、新しき節《ふし》を聞くまで耳傾けつゝ、默《もだ》して止まるごとく見えたり 七九―八一
かくてその一の中より聲いでゝ曰ふ。眞《まこと》の愛を燃《もや》しかつ愛するによりて増し加はる恩惠《めぐみ》の光 八二―八四
汝の衷《うち》につよく輝き、後また昇らざる者の降ることなきかの階《きざはし》を傳ひ汝を上方《うへ》に導くがゆゑに 八五―八七
己が壜子《とくり》の酒を與へて汝の渇《かわき》をとゞむることをせざる者は、その自由ならざること、海に注《そゝ》がざる水に等し 八八―九〇
汝はこの花圈《はなわ》(汝を強うして天に登らしむる美しき淑女を圍み、悦びてこれを視る物)がいかなる草木《くさき》の花に飾らるゝやを知らんとす 九一―九三
我はドメーニコに導かれ、迷はずばよく肥《こ》ゆるところなる道を歩む聖なる群《むれ》の羔《こひつじ》の一なりき 九四―九六
右にて我にいと近きはわが兄弟たり師たりし者なり、彼はコローニアのアルベルトといひ、我はアクイーノのトマスといへり 九七―九九
このほかすべての者の事を汝かく定《さだ》かにせんと思はゞ、わが言葉に續きつゝこの福なる花圈《はなわ》にそひて汝の目を|
《めぐ》らすべし 一〇〇―一〇二
次の焔はグラツィアーンの笑ひより出づ、彼は天堂において嘉《よみ》せらるゝほど二の法廷を助けし者なり 一〇三―一〇五
またその傍《かたへ》にてわれらの組を飾る焔はピエートロ即ちかの貧しき女に傚《なら》ひ己が寶を聖なる寺院に捧げし者なり 一〇六―一〇八
われらの中の最美物《いとうつくしきもの》なる第五の光は、下界擧《こぞ》りてその消息《おとづれ》に饑《うゝ》るほどなる戀より吹出づ 一〇九―一一一
そがなかにはいと深き知慧を受けたる尊き心あり、眞もし眞ならば、智においてこれと並ぶべき者興りしことなし 一一二―一一四
またその傍《かたへ》なるかの蝋燭の光を見よ、こは肉體の中にありて、天使の性《さが》とその役《つとめ》とをいと深く見し者なりき 一一五―一一七
次の小《ちひ》さき光の中《なか》には、己が書《ふみ》をアウグスティーンの用《もち》ゐに供《そな》へしかの信仰の保護者ほゝゑむ 一一八―一二〇
さてわが讚詞《ほめことば》を逐《お》ひて汝の心の目を光より光に移さば、汝は既に第八の光に渇《かわ》きつゝあらむ 一二一―一二三
そがなかには、己が言《ことば》を善く聽く人に、虚僞《いつはり》の世を現はす聖なる魂、一切の善を見るによりて悦ぶ 一二四―一二六
このものゝ追はれて出でし肉體はいまチェルダウロにあり、己は殉教と流鼠《りゆうそ》とよりこの平安に來れるなりき 一二七―一二九
その先に、イシドロ、ベーダ及び想ふこと人たる者の上に出でしリッカルドの息《いき》の、燃えて焔を放つを見よ 一三〇―一三二
また左《さ》にて我にいと近きは、その深き思ひの中にて、死の來るを遲しと見し一の靈の光なり 一三三―一三五
これぞ藁《わら》の街《まち》にて教へ、嫉《ねた》まるゝべき眞理を證《あかし》せしシジエーリのとこしへの光なる。 一三六―一三八
かくてあたかも神の新婦《はなよめ》が朝の歌をば新郎《はなむこ》の爲にうたひその愛を得んとて立つ時われらを呼ぶ時辰儀《じしんぎ》の 一三九―一四一
一部他の一部を、曳《ひ》きかつ押して音妙《おとたへ》にチン/\と鳴り、神に心向へる靈を愛にてあふれしむるごとく 一四二―一四四
我は榮光の輪のめぐりつゝ、喜び限りなき處ならでは知るあたはざる和合と美とにその聲々をあはすを見たり。 一四五―一四七
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第十一曲
あゝ人間の愚《おろか》なる心勞《こゝろづかひ》よ、汝をして翼を鼓《う》ちて下らしむるは、そも/\いかに誤り多き推理ぞや 一―三
一人《ひとり》は法に一人は醫に走り、ひとりは僧官を追ひ、ひとりは暴力または詭辯《きべん》によりて治めんとし 四―六
一人《ひとり》は奪ひ取らんとし、一人は公務に就かんとし、一人は肉の快樂《けらく》に迷ひてこれに耽り、ひとりは安佚《あんいつ》を貪《むさ》ぼれる 七―九
間《ま》に、我はすべてこれらの物より釋《と》かれ、ベアトリーチェとともに、かくはな/″\しく天に迎へ入れられき 一〇―一二
さていづれの靈もかの圈の中、さきにそのありし處に歸れるとき、動かざることあたかも燭臺に立つ蝋燭《ろうそく》の如くなりき 一三―一五
しかしてさきに我に物言へる光、いよ/\あざやかになりてほゝゑみ、内より聲を出して曰《い》ふ 一六―一八
われ永遠《とこしへ》の光を視て汝の思ひの出來《いできた》る本《もと》を知る、なほかの光に照らされてわれ自ら輝くごとし 一九―二一
汝はさきにわが「よく肥《こ》ゆるところ」といひまた「これと並ぶべき者生れしことなし」といへるをあやしみ 二二―
汝の了解《さとり》に適《ふさ》はしきまで明らかなるゆきわたりたる言葉にてその説示されんことを願ふ、げにこゝにこそ具《つぶさ》に辨《わ》くべき事はあるなれ ―二七
それ被造物《つくられしもの》の目の視きはむる能はざるまでいと深き思量《はからひ》をもて宇宙を治むる神の攝理は 二八―三〇
かの新婦《はなよめ》――即ち大聲《おほごゑ》によばはりつゝ尊き血をもてこれと縁《えにし》を結べる者の新婦――をしてその愛《いつくし》む者の許《もと》に往《ゆ》くにあたり 三一―三三
心を安んじかつ彼にいよ/\忠實《まめやか》ならしめんとて、これがためにその左右の導者となるべき二人《ふたり》の君を定めたり 三四―三六
その一人《ひとり》は熱情全くセラフィーノのごとく、ひとりは知慧によりてケルビーノの光を地上に放てり 三七―三九
我その一人《ひとり》の事をいはむ、かれらの業《わざ》の目的《めあて》は一なるがゆゑに、いづれにてもひとりを讚《ほ》むるはふたりをほむることなればなり 四〇―四二
トゥピーノと、ウバルド尊者に選ばれし丘よりくだる水との間に、とある高山《たかやま》より、肥沃の坂の垂《た》るゝあり 四三―四五
(この山よりペルージアは、ポルタ・ソレにて暑さ寒さを受く、また坂の後方《うしろ》にはノチェーラとグアルドと重き軛《くびき》の爲に泣く) 四六―四八
この坂の中嶮《けは》しさのいたく破るゝ處より、一の日輪世に出でたり――あたかもこれがをりふしガンジェより出るごとく 四九―五一
是故にこの處のことをいふ者、もし應《ふさ》はしくいはんと思はゞ、アーシェージといはずして(語《ことば》足らざれば)東方《オリエンテ》といふべし 五二―五四
昇りて久しからざるに、彼は早くもその大いなる徳をもて地に若干《そこばく》の勵みを覺えしむ 五五―五七
そは彼若き時、ひとりだに悦びの戸を開きて迎ふる者なき(死を迎へざるごとく)女の爲に父と爭ひ 五八―六〇
而して己が靈の法廷《しらす》に、父の前にて、これと縁《えにし》を結びし後、日毎《ひごと》に深くこれを愛したればなり 六一―六三
それかの女《をんな》は、最初《はじめ》の夫を失ひてより、千百年餘の間、蔑視《さげす》まれ疎《うと》んぜられて、彼の出るにいたるまで招かるゝことあらざりき 六四―六六
かの女が、アミクラーテと倶《とも》にありて、かの全世界を恐れしめたる者の聲にも驚かざりきといふ風聞《うはさ》さへこれに益なく 六七―六九
かの女が、心堅《かた》く膽大《きもふと》ければ、マリアを下に殘しつゝ、クリストとともに十字架に上《のぼ》りし事さへこれが益とならざりき 七〇―七二
されどわが物語あまりに朧《おぼろ》に進まざるため、汝は今、わがこの長き言《ことば》の中なる戀人等の、フランチェスコと貧なるを知れ 七三―七五
かれらの和合とそのよろこべる姿とは、愛、驚、及び敬ひを、聖なる思ひの原因《もと》たらしめき 七六―七八
かゝれば尊きベルナルドは第一に沓《くつ》をぬぎ、かく大いなる平安を逐《お》ひて走り、走れどもなほおそしとおもへり 七九―八一
あゝ未知の富《とみ》肥沃《ひよく》の財寶《たから》よ、エジディオ沓を脱《ぬ》ぎ、シルヴェストロ沓をぬぎて共に新郎《はなむこ》に從へり、新婦《はなよめ》いたく心に適《かな》ひたるによる 八二―八四
かくてかの父たり師たりし者は己が戀人及びはや卑《いや》しき紐《ひも》を帶とせし家族《やから》とともに出立《いでた》てり 八五―八七
またピエートロ・ベルナルドネの子たりし爲にも、奇《くす》しくさげすまるべき姿の爲にも、心の怯額《おくれ》を壓《お》さず 八八―九〇
王者の如くインノチェンツィオにその嚴《いかめ》しき企《くはだて》を明《あか》し、己が分派《わかれ》のために彼より最初の印を受けたり 九一―九三
貧しき民の彼――そのいと妙《たへ》なる生涯はむしろ天の榮光の中に歌はるゝかたよかるべし――に從ふ者増しゝ後 九四―九六
永遠《とこしへ》の靈は、オノリオの手を經て、この法主《ほふしゆ》の聖なる志に第二の冠を戴かしめき 九七―九九
さて彼殉教に渇き、驕《おご》るソルダンの目前《めのまへ》にて、クリストとその從者等のことを宣べしも 一〇〇―一〇二
民心熟せず、歸依者《きえしや》なきを見、空しく止まらんよりはイタリアの草の實をえんとて歸り、その時 一〇三―一〇五
テーヴェロとアルノの間の粗《あら》き巖の中にて最後の印をクリストより受け、二年《ふたとせ》の間これを己が身に帶《お》びき 一〇六―一〇八
彼を選びてかゝる幸《さいはひ》に到らしめ給ひし者、彼を召し、身を卑《ひく》うして彼の得たる報《むくい》をば與ふるをよしとし給へる時 一〇九―一一一
正しき嗣子《よつぎ》等に薦《すゝ》むるごとく彼その兄弟達に己が最愛の女を薦め、まめやかにこれを愛せと命じ 一一二―一一四
かくして尊き魂は、かの女の懷《ふところ》を離れて己が王國に歸るを願へり、またその肉體の爲に他の柩《ひつぎ》を求めざりき 一一五―一一七
いざ思へ、大海《おほうみ》に浮ぶピエートロの船の行方《ゆくへ》を誤らしめざるにあたりて彼の侶《りよ》たるに適《ふさ》はしき人のいかなる者にてありしやを 一一八―一二〇
是ぞわれらの教祖なりける、かゝれば汝は、およそ彼に從ひてその命ずる如く爲す者の者の、良貨《よきしろもの》を積むをさとらむ 一二一―一二三
されど彼の牧《か》ふ群《むれ》は新しき食物《くひもの》をいたく貪り、そがためかなたこなたの山路《やまぢ》に分れ散らざるをえざるにいたれり 一二四―一二六
しかして彼の羊遠く迷ひていよ/\彼を離るれば、いよ/\乳に乏しくなりて圈《をり》に歸る 一二七―一二九
げにその中には害を恐れ牧者に近く身を置くものあり、されど少許《すこし》の布にてかれらの僧衣《ころも》を造るに足るほどその數少し 一三〇―一三二
さてもしわが言葉微《かすか》ならずば、またもし汝心をとめて聽きたらんには、しかしてわが既にいへることを再び心に想ひ起さば 一三三―一三五
汝の願ひの一部は滿《み》つべし、そは汝削《けづ》られし木を見、何故に革紐《かはひも》を纏《まと》ふ者が「迷はずばよく肥《こ》ゆるところ」と 一三六―一三八
論《あげつ》らふやを知るべければなり。
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第十二曲
かの福なる焔最終《をはり》の語《ことば》をいへるとき、聖なる碾石《ひきうす》たゞちに|
《めぐ》りはじめたり 一―三
しかしてその未だ一周《ひとめぐり》せざるまに、いま一の碾石まろくこれを圍《かこ》みつゝ、舞をば舞に歌をば歌にあはせたり 四―六
この歌は、かのうるはしき笛よりいで、さながら元の輝《かゞやき》が映《うつ》れる光に優《まさ》る如く、われらのムーゼわれらのシレーネにまさる 七―九
イウノネその侍女《はしため》に命ずれば、相並び色も等しき二の弓、やはらかき雲の中に張られ 一〇―一二
(外《そと》の弓内《うち》の弓より生る、その状《さま》かの流離《さすらひ》の女、日の爲に消ゆる霧かとばかり戀の爲に消たる者の言葉に似たり) 一三―一五
世の人々をして、神がノエと立て給ひし契約にもとづき、世界にふたゝび洪水なきを卜《ぼく》せしむ 一六―一八
かくの如く、これらの不朽の薔薇の二の花圈《はなわ》はわれらの周圍《まはり》をめぐり、またかくの如く、その外の圈《わ》内の圈と相適《あひかな》ひたり 一九―二一
喜びの舞と尊き大いなる祝《いはひ》――光、光と樂しく快くかつ歌ひかつ照しあふ――とが 二二―二四
あたかもその好むところに從つて共に閉ぢ共に開かざるをえざる目の如く、時と意志とを同うしてともに靜になりし後 二五―二七
新しき光の一の中《なか》よりとある聲出で、我をば星を指す針のごとくそなたにむかしめき 二八―三〇
いふ。我を美しうする愛我を促して今《いま》一人《ひとり》の導者の事を語らしむ――彼の爲に、わが師いまかく稱《たゝ》へられたり 三一―三三
一《ひとり》のをる處には他もまた請《しやう》ぜられ、さきに二人《ふたり》が心を合《あは》せて戰へる如く、その榮光をもともに輝かすを宜《よろ》しとす 三四―三六
いと高き價を拂ひて武器を新にしたるクリストの軍隊が、旗の後《うしろ》より、遲く、怖《お》ぢつゝ、疎《まばら》になりて進みゐしころ 三七―三九
永遠《とこしへ》に治め給ふ帝《みかど》は、かのおぼつかなき軍人《いくさびと》等の爲に、かれらの徳によるにあらでたゞ己が恩惠《めぐみ》によりて備《そなへ》をなし 四〇―四二
さきにいはれしごとく二人《ふたり》の勇士《ますらを》を遣《おく》りて己が新婦《はなよめ》を扶《たす》け給へり、かれらの言《ことば》と行《おこなひ》とにより迷へる人々道に歸りき 四三―四五
若葉をひらきこれをもてエウローパの衣《ころも》を新ならしめんため爽《さわや》かなる西風《ゼツヒロ》の起るところ 四六―四八
浪打際《なみうちぎは》――日は時として長く疾《はや》く進みて後、かの浪のかなたにて萬人《よろづのひと》の目にかくる――よりいと遠くはあらぬあたりに 四九―五一
幸《さち》多きカラロガあり、從ひ從ふる獅子を表《あら》はすかの大いなる楯《たて》にまもらる 五二―五四
かしこに、クリストの信仰を慕ふ戀人、味方にやさしく敵につれなき聖なる剛者《つはもの》生れたり 五五―五七
かれの心はその造られし時、生《いく》る力をもてたゞちに滿たされたりしかば、母に宿《やど》りゐてこれを豫言者たらしめき 五八―六〇
彼と信仰の間の縁《えにし》、聖盤《サクロフォンテ》のほとりに結ばれ、かれらかしこにて相互《かたみ》の救ひをその聘物《おくりもの》となしゝ後 六一―六三
かれに代りて肯《うけが》へる女は、かれとその嗣子《よつぎ》等とより出づるにいたる奇《く》しき果《み》を己が眠れる間に見たり 六四―六六
しかして彼の爲人《ひとゝなり》を語《ことば》の形に顯《あら》はさんため、靈この處よりくだり、彼は全く主のものなればその意をとりて名となせり 六七―六九
彼即ちドメーニコと呼ばれき、我は彼をば、クリストにえらばれその園にてこれをたすけし農夫にたとへむ 七〇―七二
げに彼はクリストの使《つかひ》またその弟子なることを示せり、かれに現はれし最初の愛はクリストの與へ給ひし第一の訓《さとし》に向ひたればなり 七三―七五
かれの乳母《めのと》は、かれが屡
目を醒しつゝ默して地に伏し、その状《さま》我このために生るといふが如きを見たり 七六―七八
あゝ彼の父こそ眞《まこと》にフェリーチェ、かれの母こそ眞にジョヴァンナ(若しこれに世の釋《と》く如き意義あらば)といふべけれ 七九―八一
人々が今、かのオスティア人《びと》またはタッデオの後《あと》を逐《お》ひつゝ勞して求むる世の爲ならで、まことのマンナの愛の爲に 八二―八四
彼は程なく大いなる師となり、葡萄の園――園丁《にはつくり》あしくばたゞちに白まむ――をめぐりはじめき 八五―八七
彼が法座(正しき貧者《ひんじや》を今は普の如くいたはらず、されどこはこれに坐する劣《おと》れる者の罪にして法座その物の罪ならじ)に求めしは 八八―九〇
六をえて二三を頒《わか》つことにあらず、最初に空《あ》きたる官をうるの幸《さち》にもあらず、また神の貧者に屬する什一にもあらで 九一―九三
汝をかこむ二十四本の草木《くさき》の元《もと》なる種のために、かの迷へる世と戰ふの許《もと》なりしぞかし 九四―九六
かくてかれは教理、意志、及び使徒の任務《つとめ》をもてあたかも激流の、高き脈より押出さるゝごとくに進み 九七―九九
勢猛《たけ》く異端邪説の雜木《ざつぼく》を打ち、さからふ力のいと大いなる處にては打つことまたいと強かりき 一〇〇―一〇二
この後さま/″\の流れ彼より出でたり、カトリックの園これによりて潤《うるほ》ひ、その叢樹《こだち》いよ/\榮ゆ 一〇三―一〇五
聖なる寺院が自ら衞《まも》りかつ戰場にその内亂を鎭《しづ》めしとき乘りし車の一の輪げにかくの如くならば 一〇六―一〇八
殘の輪――わが來らざるさきにトムマのいたく稱《たゝ》へたる――の秀づること必ずや汝にあきらかならむ 一〇九―一一一
されどこの輪の周圍《まはり》のいと高きところの殘しゝ轍《あと》を人かへりみず、良酒《よきさけ》のありしところに黴《かび》生ず 一一二―一一四
彼の足跡《あしあと》を踏み傳ひて直く進みしかれの家族《やから》は全くその方向《むき》を變へ、指を踵《かゝと》の方に投ぐ 一一五―一一七
しかしてかくあしく耕すことのいかなる收穫《かりいれ》に終るやは、程なく知られむ、その時至らば莠《はぐさ》は穀倉《くら》を奪はるゝをかこつべければなり 一一八―一二〇
しかはあれ、人もしわれらの書《ふみ》を一枚《ひとひら》また一枚としらべなば、我はありし昔のまゝなりと録《しる》さるゝ紙の今猶《なほ》あるを見む 一二一―一二三
されどこはカザールまたはアクアスパルタよりならじ、かしこより來りてかの文書《かきもの》に係《たづさ》はる者或ひはこれを避け或ひはこれを縮《ちゞ》む 一二四―一二六
さて我はボナヴェントゥラ・ダ・バーニオレジオの生命《いのち》なり、大いなる職務《つとめ》を果さんためわれ常に世の心勞《こゝろづかひ》を後《あと》にせり 一二七―一二九
イルルミナートとアウグスティンこゝにあり、彼等は紐によりて神の友となりたる最初の素足《すあし》の貧者の中にありき 一三〇―一三二
ウーゴ・ダ・サン・ヴィットレ彼等と倶《とも》に茲《こゝ》にあり、またピエートロ・マンジァドレ及び世にて十二の卷《まき》に輝くピエートロ・イスパーノあり 一三三―一三五
豫言者ナタン、京《きやう》の僧正クリソストモ、アンセルモ、及び第一の學術に手を下すをいとはざりしドナートあり 一三六―一三八
ラバーノこゝにあり、また豫言の靈を授けられたるカーラブリアの僧都ジョヴァッキーノわが傍《かたへ》にかゞやく 一三九―一四一
フラア・トムマーゾの燃ゆる誠《まこと》とそのふさはしき言《ことば》とは我を動かしてかく大いなる武士《ものゝふ》を競《きそ》ひ讚《ほ》めしめ 一四二―一四四
かつ我とともにこれらの侶を動かしたりき。 一四五―一四七
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第十三曲
わが今視し物をよくさとらむとねがふ人は、心の中に描きみよ(しかしてわが語る間、その描ける物を堅《かた》き巖《いはほ》の如くに保《たも》て) 一―三
空氣いかに密なりともなほこれに勝つばかりいと燦《あざや》かなる光にてこゝかしこに天を活《い》かす十五の星を 四―六
われらの天の懷《ふところ》をもて夜も晝も足れりとし、轅《ながえ》をめぐらしつゝかくれぬ北斗を描きみよ 七―九
またかの車軸――第一の輪これがまはりをめぐる――の端《はし》より起る角笛《つのぶえ》の口をゑがきみよ 一〇―一二
即ちこれらのもの己をもてあたかもミノスの女《むすめ》が死の冷《つめた》さを覺えし時に造れるごとき徴號《しるし》を二つ天につくり 一三―一五
一はその光を他の一の内に保ち、かつ相共にめぐりつゝ一は先《さき》に一は後《あと》より行く状《さま》を 一六―一八
さらば眞《まこと》の星宿《ほしのやどり》と、わが立處《たちど》をかこみめぐる二重《ふたへ》の舞とをおぼろに認めむ 一九―二一
そはこれがわが世の習《ならひ》を超《こ》ゆること、さながら諸天の中の最《いと》疾《と》きものゝ|
《めぐ》る早さがキアーナの水の流れに優《まさ》る如くなればなり 二二―二四
かしこにかれらの歌へるはバッコに非《あら》ずペアーナにあらず、三一《みつひとつ》言る神の性《さが》、及び一となれる神人《かみひと》二の性《さが》なりき 二五―二七
歌も舞も終りにいたれば、これらの聖なる光は、その心をわれらにとめつゝ、彼より此と思ひを移すを悦べり 二八―三〇
かの神の貧しき人の奇《く》しき一生を我に語れる光、相和する聖徒の中《なか》にて、このとき靜寂《しづかさ》を破りて 三一―三三
曰ふ。一の穗碎かれ、その實すでに蓄《たくは》へらるゝがゆゑに、うるはしき愛我を招きてさらに殘の穗を打たしむ 三四―三六
汝思へらく、己が味《あぢはひ》のため全世界をして價《あたひ》を拂はしめし女の美しき頬を造らんとて肋骨《あばらぼね》を拔きし胸にも 三七―三九
槍に刺され、一切の罪の重さにまさる贖《あがなひ》をそのあとさきになしゝ胸にも 四〇―四二
この二を造れる威能《ちから》は、凡そ人たる者の受くるをうるかぎりの光を悉《こと/″\》く注《そゝ》ぎ入れたるなりと 四三―四五
是故に汝は、さきに我汝に告げて、かの第五の光につゝまるゝ福《さいはひ》には並ぶ者なしといへるを異《あや》しむ 四六―四八
いざ目を開きてわが答ふるところを望め、さらば汝は汝の思ひとわが言《ことば》とが眞理において一となること圓の中心の如きを見む 四九―五一
それ滅びざるものも滅びうるものも、みな愛によりてわれらの主の生みたまふ觀念の耀《かゞやき》にほかならず 五二―五四
そはかの活光《いくるひかり》、即ち己が源の光よりいでゝこれを離れずまたこれらと三一に結ばる愛を離れざるもの 五五―五七
自ら永遠《とこしへ》に一となりて殘りつゝ、その恩惠《めぐみ》によりて己が光線を、あたかも鏡に映《うつ》す如く、九の物に集むればなり 五八―六〇
さてこの光線こゝより降りて最も劣《おと》れる物に及ぶ、而《しか》してかく業《わざ》より業に移るに從ひ力愈
弱く遂には只はかなき苟且《かりそめ》の物をのみ造るにいたる 六一―六三
苟且《かりそめ》の物とは|
《めぐ》る諸天が種によりまたは種によらずして生ずる所の産物をいふ 六四―六六
またかゝる物の蝋とこの蝋を整ふるものとは一樣にあらず、されば觀念に印せられてその中に輝く光或ひは多く或ひは少し 六七―六九
是においてか類において同じ木も善果《よきみ》惡果《あしきみ》を結び、汝等もまた才を異にして生るゝにいたる 七〇―七二
蝋もし全く備はり、天の及ぼす力いとつよくば、印の光みなあらはれむ 七三―七五
されど自然は常に乏しき光を與ふ、即ちそのはたらくさまあたかも技《わざ》に精《くは》しけれど手の震ふ技術家の如し 七六―七八
もしそれ熱愛材をとゝのへ、第一の力の燦《あざや》かなる視力を印せば、物みな極めて完全ならむ 七九―八一
さればこそ土は往昔《そのかみ》生物の極めて完全なるに適《ふさ》はしく造られ、また處女《をとめ》は孕《みごも》りしなれ 八二―八四
是故に人たるものゝ性《さが》がこの二者《ふたり》の性の如くになれること先にもあらず後にもあらずと汝の思ふを我は好《よし》とす 八五―八七
さて我もしさらに説進まずば、汝はまづ、さらばかの者いかでその此類《たぐひ》を見ずやといはむ 八八―九〇
されど顯《あら》はれざる事の明らかに顯はれん爲、彼の何人なりしやを思へ、またその求めよといはれし時彼を動かして請《こ》はしめし原因《もと》を思へ 九一―九三
わがいへるところ朧《おぼろ》なりとも汝なほ定《さだ》かに知らむ、彼の王者なりし事を、またその知慧を求めしは即ち良王《よきわう》とならん爲にて
天上の動者《うごかすもの》の數を知らん爲にも、必然と偶然とが必然を造ることありや否《いな》やを知らん爲にも 九七―九九
第一の動《うごき》の有無《うむ》を知らん爲にも、はたまた一の直角なき三角形が半圓の内に造らるゝをうるや否やを知らん爲にもあらざりしを 一〇〇―一〇二
是故に汝もしさきにわがいへることゝ此事とを思ひみなば、わが謂《い》ふところの比類《たぐひ》なき智とは王者の深慮《ふかきおもんばかり》を指すをみむ 一〇三―一〇五
またもし明らかなる目を興りしといふ語《ことば》にむけなば、こは數多くして良者《よきもの》稀《まれ》なる王達にのみ關《かゝ》はるをみむ 一〇六―一〇八
かく別《わか》ちてわが言《ことば》を受けよ、さらばそは第一の父及びわれらの愛する者についての汝の信仰と並び立つべし 一〇九―一一一
汝この事をもて常に足の鉛とし、汝の見ざる然《しか》と否《いな》とにむかひては疲れし人の如く徐《しづか》に進め 一一二―一一四
肯《うべな》ふべき時にてもまたいなむべき時にても、彼と此とを別たずしてしかする者はいみじき愚者にほかならず 一一五―一一七
そは輕々しく事を斷ずれば誤り易《やす》く、情また尋《つ》いで智を絆《ほだ》すにいたればなり 一一八―一二〇
眞理を漁《あさ》りて、技《わざ》を有せざる者は、その歸るや出立つ時と状《さま》を異にす、豈《あに》空《むな》しく岸を離れ去るのみならんや 一二一―一二三
パルメニーデ、メリッソ、ブリッソ、そのほか行きつゝ行方《ゆくへ》を知らざりし多くの人々みな世にむかひて明かにこれが證《あかし》をなす 一二四―一二六
サベルリオ、アルリオ及びあたかも劒の如く聖書を映《うつ》してその直《なほ》き顏を歪《ゆが》めし愚者また然《しか》り 一二七―一二九
されば人々餘りに安んじて事を判じ、さながら畑《はた》にある穗をばその熟せざるさきに評價《ねぶみ》する人の如くなるなかれ 一三〇―一三二
そはわれ茨《いばら》が、冬の間は堅《かた》く恐ろしく見ゆれども、後その梢《こずゑ》に薔薇《しやうび》の花をいたゞくを見 一三三―一三五
また船が直《なほ》く疾《と》く海を渡りて航路《ふなぢ》を終へつゝ、遂に港の入口に沈むを見しことあればなり 一三六―一三八
ドンナ・ベルタもセル・マルティーノも、一人《ひとり》盜み一人物を獻《さゝ》ぐるを見て、神の審判《さばき》かれらにあらはると思ふ勿《なか》れ 一三九―一四一
恐らくは彼起き此倒るゝことあらむ。 一四二―一四四
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第十四曲
圓《まる》き器《うつは》の中なる水、外《そと》または内《うち》より打たるれば、その波動中心より縁《ふち》にまたは縁より中心に及ぶ 一―三
トムマーゾのたふとき生命《いのち》默《もだ》しゝとき、この事たちまちわが心に浮べり 四―六
こは彼の言《ことば》と彼に續いて物言へるベアトリーチェの言とよりこれに似たる事生じゝによる、淑女曰ふ 七―九
いまひとつの眞理をばこの者求めて根に到らざるをえず、されど聲はもとより未だ思ひによりてさへこれを汝等にいはざるなり 一〇―一二
請《こ》ふ彼に告げよ、汝等靈體を飾る光は、今のごとくとこしへに汝等とともに殘るや否《いな》やを 一三―一五
またもし殘らば、請ふ告げよ、汝等が再び見ゆるにいたる時、その光いかにして汝等の目を害《そこな》はざるをうべきやを。 一六―一八
たとへば輪に舞ふ人々が、悦び増せば、これに促《うなが》され引かれつゝ、相共に聲を高うし、姿に樂しみを現はすごとく 一九―二一
かの二の聖なる圓は、急なるうや/\しき願ひをきゝて、その|
《めぐ》るさまと妙《たへ》なる節《ふし》とに新なる悦びを現はせり 二二―二四
およそ人の天に生きんとて地に死ぬるを悲しむ者は、永劫の雨の爽《さわや》かなるを未だかしこに見ざる者なり 二五―二七
さてかの一と二と三、即ち永遠《とこしへ》に生き、かつとこしへに三と二と一にて治め、限られずして萬物を限り給ふものをば 二八―三〇
かの諸
の靈いづれも三度《たび》うたひたり、その妙《たへ》なる調《しらべ》はげにいかなる功徳の報《むくい》となすにも適《ふさ》はしかるべし 三一―三三
我また小き方《かた》の圓の中なる最《いと》神々しき光の中に一の柔かき聲を聞たり、マリアに語れる天使の聲もかくやありけむ 三四―三六
その答ふる所にいふ。天堂の樂しみ續くかぎり、我等の愛光を放ちてかゝる衣をわれらのまはりに現はさむ 三七―三九
その燦《あざや》かさは愛の強さに伴ひ、愛の強さは視力《みるちから》に伴ひ、しかして是またその功徳を超えて受くるところの恩惠《めぐみ》に準ず 四〇―四二
尊くせられ聖《きよ》められし肉再びわれらに着せらるゝ時、われらの身はその悉く備はるによりて、いよ/\めづべき物となるべし 四三―四五
是故に至上の善が我等にめぐむすべての光、われらに神を視るをえしむる光は増さむ 四六―四八
是においてか視力《みるちから》増し、これに燃《もや》さるゝ愛も増し、愛よりいづる光も増さむ 四九―五一
されど炭が焔を出し、しかして白熱をもてこれに勝ちつゝ己が姿をまもるごとく 五二―五四
この耀――今われらを包む――は、たえず地に被《おほ》はるゝ肉よりも、そのあらはるゝさま劣るべし 五五―五七
またかく大いなる光と雖、われらを疲れしむる能はじ、そは肉體の諸
の機關強くして、我等を悦ばす力あるすべての物に堪《た》ふればなり。 五八―六〇
いと疾《と》くいちはやくかの歌の組二ながらアーメンといひ、死にたる體《からだ》をうるの願ひをあきらかに示すごとくなりき 六一―六三
またこの願ひは恐らくは彼等自らの爲のみならず、父母《ちゝはゝ》その他彼等が未だ不朽の焔とならざる先に愛しゝ者の爲なりしならむ 六四―六六
時に見よ、一樣に燦《あざや》かなる一の光あたりに現はれ、かしこにありし光のかなたにてさながら輝く天涯に似たりき 六七―六九
また日の暮初《くれそ》むる頃、新に天に現はれ出づるものありて、その見ゆるは眞《まこと》か否かわきがたきごとく 七〇―七二
我はかしこに多くの新しき靈ありて、かの二の輪の外《そと》に一の圓を造りゐたるを見きとおぼえぬ 七三―七五
あゝ聖靈の眞《まこと》の閃《きらめき》よ、その不意にしてかつ輝くこといかばかりなりけむ、わが目くらみて堪ふるをえざりき 七六―七八
されどベアトリーチェは、記憶の及ぶあたはざるまでいと美しくかつ微笑《ほゝゑ》みて見えしかば 七九―八一
わが目これより力を受けて再び自ら擧ぐるをえ、我はたゞわが淑女とともにいよいよ尊き救ひに移りゐたるを見たり 八二―八四
わがさらに高く昇れることを定かに知りしは、常よりも紅《あか》くみえし星の、燃ゆる笑ひによりてなりき 八五―八七
我わが心を盡し、萬人《よろづのひと》のひとしく用ゐる言葉にて、この新なる恩惠《めぐみ》に適《ふさ》はしき燔祭《はんさい》を神に獻《さゝ》げ 八八―九〇
しかして供物《くもつ》の火未だわが胸の中に盡きざるさきに、我はこの獻物《さゝげもの》の嘉納《かなふ》せられしことを知りたり 九一―九三
そは多くの輝二の光線の中にて我に現はれ、あゝかくかれらを飾るエリオスよとわがいへるほど燦《あざや》かにかつ赤かりければなり 九四―九六
たとへば銀河が、大小さま/″\の光を列《つら》ねて宇宙の兩極の間に白み、いと賢き者にさへ疑ひをいだかしむるごとく 九七―九九
かの光線は、星座となりつゝ、火星の深處《ふかみ》に、象限《しやうげん》相結びて圓の中に造るその貴き標識《しるし》をつくれり 一〇〇―一〇二
さて茲《こゝ》に到りてわが記憶才に勝つ、そはかの十字架の上にクリスト煌《かゞや》き給ひしかど我は適《ふさ》はしき譬《たと》へを得るをえざればなり 一〇三―一〇五
されど己が十字架をとりてクリストに從ふ者は、いつかかの光明の中に閃《ひら》めくクリストを見てわがかく省《はぶ》くを責めざるならむ 一〇六―一〇八
桁《けた》より桁にまた頂《いたゞき》と脚《あし》との間に諸
の光動き、相會ふ時にも過ぐるときにもかれらは強くきらめけり 一〇九―一一一
己を護《まも》らんため智《さとり》と技《わざ》とをもて人々の作る陰を分けつゝをりふし條《すぢ》を引く光の中に、長き短き極微の物體 一一二―
或ひは直《なほ》く或ひは曲《ゆが》み、或ひは疾く或ひは遲く、たえずその容《かたち》を變へて動くさままたかくの如し ―一一七
また譬《たと》へば多くの絃《いと》にて調子《しらべ》を合せし琵琶《びわ》や琴が、節《ふし》を知らざる者にさへ、鼓音《ひくね》妙《たへ》にきこゆるごとく 一一八―一二〇
かしこに顯《あらは》れし諸
の光より一のうるはしき音《おと》十字架の上にあつまり、歌を解《げ》しえざりし我もこれに心を奪はれき 一二一―一二三
されど我よくそが尊き讚美なるを知りたり、そは起《た》ちて勝てといふ詞、解せざれどなは聞く人に聞ゆる如く、我に聞えたればなり 一二四―一二六
わが愛これに燃やされしこといかばかりぞや、げに是時にいたるまで、かくうるはしき絆《きづな》をもて我を繋《つな》げるもの一だになし 一二七―一二九
恐らくはわがこの言《ことば》、かの美しき目(これを視ればわが願ひ安んず)の與ふる樂をかろんじ、餘りに輕率《かるはずみ》なりと見えむ 一三〇―一三二
されど人もし一切の美を捺《お》す諸
の生くる印がその高きに從つて愈
強く働く事と、わが未だ彼處《かしこ》にてかの目に向はざりし事とを思はゞ 一三三―一三五
わが辯解《いひひら》かんため自ら責むるその事をもて我を責めず、かつわが眞《まこと》を告ぐるを見む、そはかの聖なる樂しみをわれ今除きていへるに非ず 一三六―一三八
これまたその登るに從つていよ/\清くなればなり 一三九―一四一
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第十五曲
慾を惡意のあらはすごとくまつたき愛をつねにあらはす善意によりて 一―三
かのうるはしき琴は默《もだ》し、天の右手《めで》の弛《ゆる》べて締《し》むる聖なる絃《いと》はしづまりき 四―六
そも/\これらの靈體は、我をして彼等に請ふの願ひを起さしめんとて皆齊《ひと》しく默《もだ》しゝなれば、いかで正しき請《こひ》に耳を傾けざらんや 七―九
苟且《かりそめ》の物を愛するため自ら永遠《とこしへ》にこの愛を失ふ人のはてしなく歎くにいたるも宜《むべ》なる哉《かな》 一〇―一二
靜なる、清き、晴和《のどけ》き空《そら》に、ゆくりなき火しば/\流れて、やすらかなりし目を動かし 一三―一五
位置を變ふる星と見ゆれど、たゞその燃え立ちし處にては失せし星なくかつその永く保たぬごとくに 一六―一八
かの十字架の右の桁《けた》より、かしこに輝く星座の中の星一つ馳せ下りて脚《あし》にいたれり 一九―二一
またこの珠《たま》は下るにあたりてその紐を離れず、光の線《すぢ》を傳ひて走り、さながら雪花石《アラバストロ》の後《うしろ》の火の如く見えき 二二―二四
アンキーゼの魂が淨土《エリジオ》にてわが子を見いとやさしく迎へしさまも(われらの最《いと》大いなるムーザに信をおくべくば)かくやありけむ 二五―二七
あゝわが血族《うから》よ、あゝ上より注がれし神の恩惠《めぐみ》よ、汝の外誰の爲にか天《あめ》の戸の二度《たび》開かれしことやある。 二八―三〇
かの光かく、是に於てか我これに心をとめ、後《のち》目をめぐらしてわが淑女を見れば、わが驚きは二重《ふたへ》となりぬ 三一―三三
そは我をしてわが目にてわが恩惠《めぐみ》わが天堂の底を認むと思はしむるほどの微笑《ほゝゑみ》その目のうちに燃えゐたればなり 三四―三六
かくてかの靈、聲姿ともにゆかしく、その初の音《ことば》に添へて物言へり、されど奧深くしてさとるをえざりき 三七―三九
但しこは彼が、好みて我より隱れしにあらず、已《や》むをえざるにいづ、人間の的《まと》よりもその思ふところ高ければなり 四〇―四二
しかしてその熱愛の弓冷えゆき、そがためその言《ことば》人智の的の方《かた》に下るにおよび 四三―四五
わがさとれる第一の事にいふ。讚《ほ》むべき哉三一《みつひとつ》にいます者、汝わが子孫をかくねんごろに眷顧《かへりみ》たまふ。 四六―四八
また續いて曰ふ。白きも黒きも變ることなき大いなる書《ふみ》を讀みてより、樂しくも久しく饑《うゑ》を覺えしに 四九―五一
子よ汝はこれをこの光(我この中《うち》にて汝に物言ふ)のなかにて鎭《しづ》めぬ、こはかく高く飛ばしめんため羽を汝に着せし淑女の恩惠《めぐみ》によれり 五二―五四
汝信ずらく、汝の思ひは第一の思ひより我に移り、その状《さま》あたかも一《いち》なる數の知らるゝ時五と六とこれより分れ出るに似たりと 五五―五七
さればこそわが誰なるやまた何故にこの樂しき群《むれ》の中にて特《こと》によろこばしく見ゆるやを汝は我に問はざるなれ 五八―六〇
汝の信ずる所正し、そは大いなるも小《ちひさ》きもすべてこの生を享《う》くる者は汝の思ひが未だ成らざるさきに現はるゝかの鏡を見ればなり 六一―六三
されど我をして目を醒《さま》しゐて永遠《とこしへ》に見しめまたうるはしき願ひに渇《かは》かしむる聖なる愛のいよ/\遂《と》げられんため 六四―六六
恐れず憚《はゞか》らずかつ悦ばしき聲をもて思ひを響かし願ひをひゞかせよ、わが答ははや定まりぬ。 六七―六九
我はベアトリーチェにむかへり、この時淑女わが語らざるにはやくも聞きて、我に一の徴《しるし》を與へ、わが願ひの翼を伸ばしき 七〇―七二
我即ち曰ふ。第一の平等者《びやうとうじや》汝等に現はるゝや、汝等各自《おの/\》の愛と智とはその重《おも》さ等しくなりき 七三―七五
これ熱と光とをもて汝等を照らしかつ暖めし日輪が、これに比《たぐ》ふに足る物なきまでその平等を保つによる 七六―七八
されど人間にありては、汝等のよく知る理由《ことわり》にもとづき、意《おも》ふことと表《あら》はす力とその翼同じからず 七九―八一
是故に人間の我、自らこの不同を感ずるにより、父の如く汝の歡《よろこ》び迎ふるをたゞ心にて謝するのみ 八二―八四
我誠に汝に請《こ》ふ、この貴き寶を飾る生くる黄玉《わうぎよく》よ、汝の名を告げてわが願ひを滿《み》たせ。 八五―八七
あゝわが葉よ。汝を待つさへわが喜びなりき、我こそ汝の根なりけれ。彼まづかく我に答へ 八八―九〇
後また曰《い》ひけるは。汝の家族《やから》の名の本《もと》にて、第一の臺《うてな》に山を|
《めぐ》ることはや百年餘《もゝとせあまり》に及べる者は 九一―九三
我には子汝には曾祖父《そうそふ》なりき、汝須《すべか》らく彼の爲にその長き勞苦をば汝の業《わざ》によりて短うすべし 九四―九六
それフィオレンツァはその昔の城壁――今もかしこより第三時と第九時との鐘聞ゆ――の内にて平和を保ち、かつ節《ひか》へかつ愼《つつし》めり 九七―九九
かしこに索《くさり》も冠もなく、飾れる沓《くつ》を穿《は》く女も、締むる人よりなほ目立つべき帶もなかりき 一〇〇―一〇二
まだその頃は女子《によし》生るとも父の恐れとならざりき、その婚期《とき》その聘禮《おくりもの》いづれも度《のり》を超《こ》えざりければなり 一〇三―一〇五
かしこに人の住まざる家なく、室《しつ》の内にて爲《せ》らるゝことを教へんとてサルダナパロの來れることもあらざりき 一〇六―一〇八
まだその頃は汝等のウッチェルラトイオもモンテマーロにまさらざりき――今その榮《さかえ》のまさるごとく、この後衰《おとろへ》もまたまさらむ 一〇九―一一一
我はベルリンチオーン・ベルティが革紐《かわひも》と骨との帶を卷きて出で、またその妻が假粧《けさう》せずして鏡を離れ來るを見たり 一一二―一一四
またネルリの家長《いへをさ》とヴェッキオの家長《いへをさ》とが皮のみの衣をもて、その妻等が紡錘《つむ》と麻とをもて、心に足《た》れりとするを見たり 一一五―一一七
あゝ幸《さち》多き女等よ、彼等は一人だにその墓につきて恐れず、また未だフランスの故によりて獨《ひと》り臥床《ふしど》に殘されず 一一八―一二〇
ひとりは目を醒《さめ》しゐて搖籃《ゆりかご》を守り、またあやしつゝ、父母《ちゝはゝ》の心をばまづ樂します言《ことば》を用ゐ 一二一―一二三
ひとりは絲を紡《つむ》ぎつゝ、わが家《や》の人々と、トロイア人《びと》、フィエソレ、ローマの物語などなしき、チアンゲルラや 一二四―
ラーポ・サルテレルロの如き者その頃ありしならんには、チンチンナートやコルニーリアの今における如く、いと異《あや》しとせられしなるべし ―一二九
かく平穩《やすらか》にかく美しく邑《まち》の人々の住みゐたる中《なか》に、かく頼もしかりし民、かくうるはしかりし客舍に 一三〇―一三二
マリア――唱名の聲高きを開きて――我を加へ給へり、汝等の昔の授洗所にて我は基督教徒《クリスティアーノ》となり、カッチアグイーダとなりたりき 一三三―一三五
わが兄弟なりし者にモロントとエリゼオとあり、わが妻はポーの溪《たに》よりわが許《もと》に來れり、汝の姓《うぢ》かの女より出づ 一三六―一三八
後われ皇帝クルラードに事《つか》へ、その騎士の帶をさづけられしほど功《いさを》によりていと大いなる恩寵《めぐみ》をえたり 一三九―一四一
我彼に從ひて出で、牧者達の過のため汝等の領地を侵《おか》す人々の不義の律法《おきて》と戰ひ 一四二―一四四
かしこにてかの穢《けが》れし民の手に罹《かゝ》りて虚僞《いつはり》の世――多くの魂これを愛するがゆゑに穢る――より解かれ 一四五―一四七
殉教よりこの平安に移りにき。 一四八―一五〇
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第十六曲
あゝ人の血統《ちすぢ》のたゞ小《さゝや》かなる尊貴《たふとさ》よ、情の衰ふるところなる世に、汝人々をして汝に誇るにいたらしむとも 一―三
我重《かさ》ねてこれを異《あや》しとすることあらじ、そは愛欲の逸《そ》れざるところ即ち天にて我自ら汝に誇りたればなり 四―六
げに汝は短くなり易《やす》き衣のごとし、日に日に補ひ足されずば、時は鋏《はさみ》をもて周圍《まはり》をめぐらむ 七―九
ローマの第一に許しゝ語《ことば》しかしてその族《やから》の中にて最も廢《すた》れし語なるヴォイを始めに、我再び語りいづれば 一〇―一二
少しく離れゐたりしベアトリーチェは、笑《ゑみ》を含み、さながら書《ふみ》に殘るかのジネーヴラの最初の咎《とが》を見て咳《しはぶ》きし女の如く見えき 一三―一五
我曰《い》ひけらく。汝《ヴォイ》はわが父なり、汝いたく我をはげまして物言はしめ、また我を高うして我にまさる者とならしむ 一六―一八
いと多くの流れにより嬉しさわが心に滿《み》つれば、心は自らその壞《やぶ》れずしてこれに堪《た》ふるをうるを悦ぶ 一九―二一
さればわが愛する遠祖《とほつおや》よ、請《こ》ふ我に告げよ、汝の先祖達は誰なりしや、汝童《わらべ》なりし時、年は幾何《いくばく》の數をか示せる 二二―二四
請ふ告げよ、聖《サン》ジョヴァンニの羊の圈《をり》はその頃いかばかり大いなりしや、またその内にて高座《かみざ》に就くに適《ふさ》はしき民は誰なりしや。 二五―二七
たとへば炭風に吹かれ、燃えて焔を放つごとく、我はかの光のわが媚ぶる言《ことば》をきゝて輝くを見たり 二八―三〇
しかしてこの物いよ/\美しくわが目に見ゆるに從ひ、いよ/\麗《うるは》しき柔《やはら》かき聲にて(但し近代《ちかきよ》の言葉を用ゐで) 三一―三三
我に曰ひけるは。アーヴェのいはれし日より、今は聖徒なるわが母、子を生み、宿《やど》しゝ我を世にいだせる時までに 三四―三六
この火は五百八十囘己が獅子の處にゆき、その足の下にてあらたに燃えたり 三七―三九
またわが先祖達と我とは、汝等の年毎の競技に與《あづか》りて走る者がかの邑《まち》の最後の區劃《わかち》を最初に見る處にて生れき 四〇―四二
わが列祖の事につきては汝これを聞きて足れりとすべし、彼等の誰なりしやまた何處《いづこ》よりこゝに來りしやは寧《むし》ろ言はざるを宜《むべ》とす 四三―四五
その頃マルテと洗禮者《バッティスタ》との間にありて武器を執《と》るをえし者は、すべて合せて、今住む者の五分《ぶ》一なりき 四六―四八
されど今カムピ、チェルタルド、及びフェギーネと混《まじ》れる斯民《このたみ》、その頃はいと賤しき工匠《たくみ》にいたるまで純なりき 四九―五一
あゝこれらの人々皆隣人《となりびと》にして、ガルルッツォとトレスピアーノとに汝等の境あらん方《かた》、かれらを容《い》れてかのアグリオンの賤男《しづのを》 五二―
またはシーニアの賤男(公職《おおやけのつとめ》を賣らんとはや目を鋭うする)の惡臭《をしう》を忍ぶにまさることいかばかりぞや ―五七
もし世の最も劣《おと》れる人々、チェーザレと繼《まゝ》しからず、あたかも母のわが兒におけるごとくこまやかなりせば 五八―六〇
かの今フィレンツェ人《びと》となりて兩替しかつ商賣《あきなひ》するひとりの人は、その祖父が物乞へる處なるシミフォンテに歸りしなるべく 六一―六三
モンテムルロは今も昔の伯等《きみたち》に屬し、チェルキはアーコネの寺領に殘り、ボンデルモンティは恐らくはヴァルディグレーヴェに殘れるなるべし 六四―六六
人々の入亂るゝことは、食に食を重ぬることの肉體における如くにて、常にこの邑《まち》の禍ひの始めなりき 六七―六九
盲《めしひ》の牡牛は盲の羔《こひつじ》よりも疾《と》く倒る、一《ひとつ》の劒《つるぎ》五《いつ》にまさりて切味《きれあぢ》よきことしば/\是あり 七〇―七二
汝もしルーニとウルビサーリアとがはや滅び、キウーシとシニガーリアとがまたその後《あと》を追ふを見ば 七三―七五
家族《やから》の消失するを聞くとも異《あや》しみ訝《いぶか》ることなからむ、邑《まち》さへ絶ゆるにいたるをおもひて 七六―七八
そも/\汝等に屬する物はみな汝等の如く朽《く》つ、たゞ永く續く物にありては、汝等の生命《いのち》の短きによりて、この事隱るゝのみ 七九―八一
しかして月天の運行が、たえず渚《なぎさ》をば、蔽《おほ》ふてはまた露《あら》はす如く、命運フィオレンツァをあしらふがゆゑに 八二―八四
美名《よきな》を時の中に失ふ貴きフィレンツェ人《びと》についてわが語るところのことも異《あや》しと思はれざるならむ 八五―八七
我はウーギ、カテルリニ、フィリッピ、グレーチ、オルマンニ、及びアルベリキ等なだゝる市民のはや倒れかゝるを見 八八―九〇
またラ・サンネルラ及びラルカの家長《いへをさ》、ソルダニエーリ、アルディンギ、及びボスティーキ等のその舊《ふる》きがごとく大いなるを見たり 九一―九三
今新なるいと重き罪を積み置く――その重さにてたゞちに船を損ふならむ――かの門の邊《ほとり》には 九四―九六
ラヴィニアーニ住み居たり、伯爵《コンテ》グイード、及びその後貴きベルリンチオーネの名を襲《つ》げる者皆これより出づ 九七―九九
ラ・プレッサの家長《いへをさ》は既に治むる道を知り、ガリガーイオは黄金裝《こがねづくり》の柄《つか》と鍔《つば》とを既にその家にて持てり 一〇〇―一〇二
「ヴァイオ」の柱、サッケッティ、ジユオキ、フィファンティ、バルッチ、ガルリ、及びかの桝目の爲に赤らむ家族《やから》いづれも既に大なりき 一〇三―一〇五
カルフッチの出でし木の根もまた既に大なりき、シツィイとアルリグッチとは既に貴《たか》き座に押されたり 一〇六―一〇八
かの己が傲慢《たかぶり》の爲遂に滅ぶにいたれる家族《やから》もわが見し頃はいかなりしぞや、黄金《こがね》の丸《たま》はそのすべての偉業をもてフィオレンツァを飾り 一〇九―一一一
汝等の寺院の空《あ》くごとに相集《あひつど》ひて身を肥《こ》やす人々の父もまたかくなしき 一一二―一一四
逃ぐる者をば龍となりて追ひ、齒や財布を見する者には羔《こひつじ》のごとく柔和《おとな》しきかの僭越の族《うから》 一一五―一一七
既に興れり、されど素姓《うぢ》賤しかりしかば、ウベルティーン・ドナートはその後舅が彼をばかれらの縁者となしゝを喜ばざりき 一一八―一二〇
カーポンサッコは既にフィエソレを出でゝ市場《いちば》にくだり、ジウダとインファンガートとは既に良《よき》市民となりゐたり 一二一―一二三
今我信じ難くして而して眞《まこと》なる事を告げむ、ラ・ペーラの家族《やから》に因《ちな》みて名づけし門より人かの小さき城壁の内に入りし事即ち是なり 一二四―一二六
トムマーゾの祭によりて名と徳とをたえず顯《あら》はすかの大いなる領主《バーロネ》の美しき紋所を分け用ゐる者は、いづれも 一二七―一二九
騎士の位と殊遇とを彼より受けき、たゞ縁《へり》にてこれを卷くもの今日庶民と相結ぶのみ 一三〇―一三二
グアルテロッティもイムポルトゥーニも既に榮えき、もし彼等に新なる隣人《となりびと》等微《なか》りせば、ボルゴは今愈
よ靜なりしならむ 一三三―一三五
義憤《ただしきいかり》の爲に汝等を殺し汝等の樂しき生活を斷《た》ち、かくして汝等の嘆を生み出せる家は 一三六―一三八
その所縁《ゆかり》の家族《やから》と倶《とも》に崇《あが》められき、あゝブオンデルモンテよ、汝が人の勸《すゝ》めを容《い》れ、これと縁《えにし》を結ぶを避けしはげにいかなる禍《わざは》ひぞや 一三九―一四一
汝はじめてこの邑《まち》に來るにあたり神汝をエーマに與へ給ひたりせば、多くの人々今悲しまで喜べるものを 一四二―一四四
フィオレンツァはその平和終る時、犧牲《いけにへ》をば、橋を護《まも》るかの缺石《かけいし》に獻げざるをえざりしなりき 一四五―一四七
我はフィオレンツァにこれらの家族《やから》と他の諸
の家族とありて、歎くべき謂れなきまでそのいと安らかなるを見たり 一四八―一五〇
またこれらの家族《やから》ありて、その民榮えかつ正しかりければ、百合は未だ倒《さかさ》に竿に着けられしことなく 一五一―一五三
分離の爲紅に變ることもなかりき 一五四
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第十七曲
今猶《なほ》父をして子に對《むか》ひて吝《やぶさか》ならしむる者、人の己を誹《そし》るを聞き、事の眞《まこと》を定《さだ》かにせんためクリメーネの許《もと》に行きしことあり 一―三
我また彼の如くなりき、而してベアトリーチェも、また先にわがために處を變へしかの聖なる燈《ともしび》も、わが彼の如くなりしを知りき 四―六
是故に我淑女我に曰ふ。汝の願ひの焔を放て、そが汝の心の象《かた》をあざやかにうけていづるばかりに 七―九
されどこは汝の言《ことば》によりてわれらの知識の増さん爲ならず、汝が渇《かわき》を告ぐるに慣《な》れ、人をして汝に飮ますをえしめん爲なり。 一〇―一二
あゝ愛するわが根よ(汝いと高くせられ、あたかも人智が一の三角の内に二の鈍角の容《い》れられざるを知るごとく 一三―一五
苟且《かりそめ》の事をその未だ在らざるさきに知るにいたる、これ時の現在《いま》ならぬはなき一の點を視るがゆゑなり) 一六―一八
われヴィルジリオと倶《とも》にありて、諸
の魂を癒《いや》す山に登り、また死の世界にくだれる間に 一九―二一
わが將來《ゆくすゑ》の事につきて諸
のいたましき言《ことば》を聞きたり、但し命運我を撃《う》つとも我よく自らとれに堪《た》ふるをうるを覺ゆ 二二―二四
是故にいかなる災《わざはひ》のわが身に迫《せま》るやを聞かばわが願ひ滿《み》つべし、これ豫《あらかじ》め見ゆる矢はその中る力弱ければなり。 二五―二七
さきに我に物言へる光にむかひて我かくいひ、ベアトリーチェの望むごとくわが願ひを明《あか》したり 二八―三〇
諸
の罪を取去る神の羔《こひつじ》未だ殺されざりし昔、愚《おろか》なる民を惑《まど》はしゝその語《ことば》の如く朧《おぼろ》ならず 三一―三三
明らかにいひ定かに語りてかの父の愛、己が微笑《ほゝゑみ》の中に隱れかつ顯《あら》はれつゝ、答ふらく 三四―三六
それ苟且《かりそめ》の事即ち汝等の物質の書《ふみ》より外に延びざる事はみな永遠《とこしへ》の目に映ず 三七―三九
されど映ずるが爲にこの事必ず起るにあらず、船流れを下りゆけどもそのうつる目の然らしむるにあらざるに似たり 四〇―四二
この永遠の目より汝の行末のわが目に入り來ることあたかも樂器よりうるはしき和合の音の耳に入り來る如し 四三―四五
イッポリートが無情邪險の繼母《まゝはゝ》の爲にアテーネを去れるごとく、汝フィオレンツァを去らざるべからず 四六―四八
日毎《ひごと》にクリストの賣買《うりかひ》せらるゝ處にてこれを思ひめぐらす者これを願ひかつはや企圖《たくみ》ぬ、さればまた直ちにこれを行はむ 四九―五一
虐《しひた》げられし人々に世はその常の如く罪を歸すべし、されど刑罰はこれを頒《わか》ち與ふるものなる眞《まこと》の爲の證《あかし》とならむ 五二―五四
いと深く愛する物をば汝悉《こと/″\》く棄て去らむ、是即ち流罪《るざい》の弓の第一に射放つ矢なり 五五―五七
他人《ひと》の麺麭《パン》のいかばかり苦《にが》く他人《ひと》の階子《はしご》の昇降《のぼりくだり》のいかばかりつらきやを汝自ら驗《ため》しみむ 五八―六〇
しかして最も重く汝の肩を壓《お》すものは、汝とともにこの溪《たに》に落つる邪惡庸愚の侶なるべし 六一―六三
かれら全く恩を忘れ狂ひ猛《たけ》りて汝に背《そむ》かむ、されどかれら(汝にあらず)はこれが爲に程なく顏を赤うせむ 六四―六六
かれらの行爲《おこなひ》は獸の如きその性《さが》の證《あかし》とならむ、されば汝唯一人《たゞひとり》を一の黨派たらしむるかた汝にとりて善《よ》かるべし 六七―六九
汝の第一の避所《さけどころ》第一の旅舍《やどり》は、聖なる鳥を梯子《はしご》の上におくかの大いなるロムバルディア人《びと》の情《なさけ》ならむ 七〇―七二
彼汝に對《むか》ひて深き好意《よしみ》を有《も》つが故に、爲す事と求むる事との中《うち》他の人々の間にてはいと遲きものも汝等二人《ふたり》の間にては先となるべし 七三―七五
己が功《いさを》の世に顯《あら》はるゝにいたるばかりこの強き星の力を生るゝ時に受けたる者をば汝彼の許《もと》に見む 七六―七八
人々未だこの者を知らじ、そはその年若く諸天のこれをめぐれることたゞ九年《こゝのとせ》のみなればなり 七九―八一
されどかのグアスコニア人《びと》が未だ貴きアルリーゴを欺《あざむ》かざるさきにその徳の光は、銀《かね》をも疲《つかれ》をも心にとめざる事において現はれむ 八二―八四
その諸
の榮《はえ》ある業《わざ》はこの後遍《あまね》く世に知られ、その敵さへこれについて口を噤《つぐ》むをえざるにいたらむ 八五―八七
汝彼と彼の恩惠《めぐみ》とを望み待て、彼あるによりて多くの民改まり、貧富互《かたみ》に地を更《か》へむ 八八―九〇
汝また彼の事を心に記して携《たづさ》へ行くべし、されど人に言ふ莫《なか》れ。かくて彼は面《まのあたり》見る者もなほ信ずまじきことどもを告げ 九一―九三
後加ふらく。子よ、汝が聞きたる事の解説《ときあかし》は即ち是なり、是ぞ多からぬ年の後方《うしろ》にかくるゝ係蹄《わな》なる 九四―九六
されど汝の隣人《となりびと》等を妬《ねた》むなかれ、汝の生命《いのち》はかれらの邪惡の罰よりも遙に遠き未來に亘るべければなり。 九七―九九
かの聖なる魂默《もだ》し、經《たていと》を張りてわが渡したる織物に緯《よこいと》を入れ終りしことをあらはせる時 一〇〇―一〇二
あたかも疑ひをいだく者が、智あり徳あり愛ある人の教へを希《ねが》ふごとく、我曰《いひ》けるは 一〇三―一〇五
わが父よ、我よく時の我に打撃を與へんとてわが方《かた》に急ぎ進むを見る、しかしてこは思慮なき人にいと重く加へらるべき打撃なり 一〇六―一〇八
是故にわれ先見をもて身を固《かた》むるを宜《よ》しとす、さらばたとひ最愛の地を奪はるともその他の地をばわが歌の爲に失ふことなからむ 一〇九―一一一
果《はてし》なき苦しみの世にくだり、またわが淑女の目に擧げられて美しき巓をばわが離れしその山をめぐり 一一二―一一四
後また光より光に移りつゝ天を經《へ》てわが知るをえたる事を我もし語らば、そは多くの人にとりて味《あぢはひ》甚だ辛《から》かるべし 一一五―一一七
されど我もし眞理に對《むか》ひて卑怯の友たらんには、今を昔と呼ぶ人々の間に生命《いのち》を失ふの恐れあり。 一一八―一二〇
かのわが寶のほゝゑむ姿を包みし光は、まづ日の光にあたる黄金《こがね》の鏡のごとく煌《きらめ》き 一二一―一二三
かくて答ふらく。己が罪または他人《ひと》の罪の爲に曇れる心は、げに汝の言《ことば》を烈《はげ》しと感ぜむ 一二四―一二六
しかはあれ、一切の虚僞《いつはり》を棄てつゝ、汝の見し事をこと/″\くあらはし、瘡《かさ》ある處は人のこれを掻くに任《まか》せよ 一二七―一二九
汝の聲はその味《あぢ》はじめ厭《いと》はしとも、後消化《こな》るゝに及び極めて肝要なる滋養《やしなひ》を殘すによりてなり 一三〇―一三二
汝の叫びの爲す所あたかも最《いと》高き巓をいと強くうつ風の如し、是豈《あに》譽《ほまれ》のたゞ小《さゝ》やかなる證《あかし》ならんや 一三三―一三五
是故にこれらの天にても、かの山にても、またかの苦患《なやみ》の溪にても、汝に示されしは、名の世に知らるゝ魂のみ 一三六―一三八
そは例を引きてその根知られずあらはれず、證《あかし》して明らかならざれば、人聞くとも心安まらず、信をこれに置かざればなり。 一三九―一四一
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第十八曲
福《さいはひ》なるかの鏡は今たゞ己が思ひを樂しみ、我はわが思ひを味ひつゝ、甘さをもて苦しさを和げゐたりしに 一―三
我を神のみもとに導きゐたる淑女いひけるは。思ひを變へよ、一切の虐《しひたげ》を輕むるものにわが近きを思ふべし。 四―六
我はわが慰藉《なぐさめ》の慕はしき聲を聞きて身を轉《めぐら》せり、されどこの時かの聖なる目の中にいかなる愛をわが見しや、こゝに記《しる》さじ 七―九
これ我自らわが言《ことば》を頼《たの》まざるのみならず、導く者なくばかく遠く記憶に溯《さかのぼ》る能《あた》はざるによりてなり 一〇―一二
かの刹那《せつな》のことについてわが語るを得るは是のみ、曰く、彼を視るに及びわが情は他の一切の願ひより解かると 一三―一五
ベアトリーチェを直ちに照らせる永遠《とこしへ》の喜びその第二の姿をば美しき目に現はしてわが心を足《たら》はしゐたりしとき 一六―一八
一の微笑《ほゝゑみ》の光をもて我を服《したが》へつゝ淑女曰ふ。身を轉《めぐら》してしかして聽け、わが目の中にのみ天堂あるにあらざればなり。 一九―二一
情もし魂を悉く占むるばかりに強ければ、目に現はるゝことまゝ世に例《ためし》あり 二二―二四
かくの如く、我はわがふりかへりて見し聖なる光の輝の中に、なほしばし我と語るの意あるを認めき 二五―二七
このものいふ。頂によりて生き、常に實を結び、たえて葉を失はぬ木のこの第五座に 二八―三〇
福なる諸
の靈あり、かれらは天に來らざりしさき、いかなるムーザをも富《と》ますばかり世に名聲《きこえ》高かりき 三一―三三
是故にかの十字架の桁《けた》を見よ、我今名をいはん、さらばその者あたかも雲の中にてその疾《と》き火の爲《な》す如き技《わざ》をかしこに爲すべし。 三四―三六
ヨスエの名いはるゝや、我は忽ち一の光の十字架を傳ひて動くを見たり、げに言《いふ》と爲《なす》といづれの先なりしやを知らず 三七―三九
尊きマッカベオの名とともに、我はいま一の光の|
《めぐ》りつゝ進み出づるを見たり、しかして喜悦《よろこび》はかの獨樂《こま》の糸なりき 四〇―四二
またカルロ・マーニョとオルランドとの呼ばれし時にも、我は心をとめて他の二の光を見、宛然《さながら》己が飛立つ鷹に目の伴ふ如くなりき 四三―四五
後またグイリエルモ、レノアルド、公爵《ドウーカ》ゴッティフレーディ、及びルベルト・グイスカールドわが目を引きてかの十字架を傳はしむ 四六―四八
かくて我に物言へる魂、他の光の間に移り混《まじ》りつゝ、天の歌人《うたびと》の中にても技《わざ》のいたく勝《すぐ》るゝことを我に示せり 四九―五一
われ身をめぐらして右に向ひ、ベアトリーチェによりて、その言《ことば》または動作《ふるまひ》に表《あら》はるゝわが務を知らんとせしに 五二―五四
姿平常《つね》にまさり最終《をはり》の時にもまさるばかり、その目清くたのしげなりき 五五―五七
また善を行ふにあたり心に感ずる喜びのいよ/\大いなるによりて、人己が徳の進むを日毎に自ら知るごとく 五八―六〇
我はかの奇《く》しき聖業《みわざ》のいよ/\美しくなるを見て、天とともにわが|
《めぐ》る輪のその弧《アルコ》を増しゝを知れり 六一―六三
しかして色白き女が、その顏より羞恥《はぢらひ》の荷をおろせば、たゞ束《つか》の間《ま》に變るごとく 六四―六六
われ回顧《ふりかへ》りしときわが見るもの變りゐたり、こは己の内に我を容《い》れし温和なる第六の星の白さの爲なりき 六七―六九
我見しに、かのジョーヴェの燈火《ともしび》の中には愛の煌《きらめき》のあるありて、われらの言語《ことば》をわが目に現はせり 七〇―七二
しかしてたとへば岸より立ちさながら己が食物《くひもの》を見しを祝ふに似たる群鳥《むらどり》の、相連《あひつらな》りて忽ち圓を作りまた忽ち他《ほか》の形を作る如く 七三―七五
諸
の聖者はかの諸
の光の中にて飛びつゝ歌ひ、相寄りて忽ち|D《デイ》忽ち|I《イ》忽ち|L《エルレ》の形を作れり 七六―七八
かれらはまづ歌ひつゝ己が節《ふし》に合せて動き、さてこれらの文字の一となるや、しばらく止まりて默《もだ》しゝなりき 七九―八一
あゝ女神《めがみ》ペガーゼアよ(汝才に榮光を與へてその生命《いのち》を長うす、才が汝の助けによりて諸邑諸國に及ぼす所またかくの如し) 八二―八四
願はくは汝の光をもて我を照らし我をして彼等の象《かたち》をそのわが心にある如く示すをえしめよ、願はくは汝の力をこれらの短き句に現はせ 八五―八七
さてかれらは七の五倍の母字子字となりて顯はれ、我はまた一部一部を、その言顯はしゝ次第に從ひて、心に記《と》めたり 八八―九〇
|Diligite《ディーリギテ》 |iustitiam《イウスティティアム》 是全畫面の始めの語《ことば》なる動詞と名詞にてその終りの語は |Quiiudicatis《クイーイウディカーチス》 |terram《テルラム》 なりき 九一―九三
かくて第五の語《ことば》の中の|M《エムメ》にいたり、彼等かく並べるまゝ止まりたれば、かしこにては木星宛然《さながら》金にて飾れる銀と見えたり 九四―九六
我またMの頂の處に他の諸
の光降り、歌ひつゝ――己の許《もと》に彼等を導く善の事ならむ――そこに靜まるを見たり 九七―九九
かくてあたかも燃えたる薪を打てば數しれぬ火花出づる(愚者これによりて占《うらなひ》をなす習ひあり)ごとく 一〇〇―一〇二
かしこより千餘の光出で、かれらを燃す日輪の定むるところに從ひて、或者高く或者少しく昇ると見えたり 一〇三―一〇五
しかして各その處にしづまりしとき、我はかの飾れる火が一羽の鷲の首《かしら》と頸《くび》とを表はすを見たり 一〇六―一〇八
そも/\かしこに畫く者はこれを導く者あるにあらず、彼自ら導く、かれよりぞ巣を作るの本《もと》なる力いづるなる 一〇九―一一一
さて他の聖者の群《むれ》即ち先にエムメにて百合となりて悦ぶ如く見えし者は、少しく動きつゝかの印象《かた》を捺《お》し終りたり 一一二―一一四
あゝ麗しき星よ、世の正義が汝の飾る天の力にもとづくことを我に明らかならしめしはいかなる珠いかばかり數多き珠ぞや 一一五―一一七
是故に我は汝の動《うごき》汝の力の汝なる聖意《みこゝろ》に祈る、汝の光を害ふ烟の出る處をみそなはし 一一八―一二〇
血と殉教とをもて築きあげし神殿《みや》の内に賣買《うりかひ》の行はるゝためいま一たび聖怒《みいかり》を起し給へと 一二一―一二三
あゝわが視る天の軍人《いくさびと》等よ、惡例《あしきためし》に傚ひて迷はざるなき地上の人々のために祈れ 一二四―一二六
昔は劒《つるぎ》をもて戰鬪《いくさ》をする習ひなりしに、今はかの慈悲深き父が誰にもいなみ給はぬ麺麭《パン》をばこゝかしこより奪ひて戰ふ 一二七―一二九
されど汝、たゞ消さんとて録《しる》す者よ、汝が荒す葡萄園《ぶだうばたけ》の爲に死にたるピエートロとパオロとは今も生くることを思へ 一三〇―一三二
うべ汝は曰はむ、たゞ獨りにて住むを好み、かつ一踊《ひとをどり》のため教へに殉ずるにいたれる者に我專らわが願ひを据ゑたれば 一三三―一三五
我は漁夫をもポロをも知らずと 一三六―一三八
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第十九曲
うるはしき樂しみのために悦ぶ魂等が相結びて造りなしゝかの美しき象《かたち》は、翼を開きてわが前に現はる 一―三
かれらはいづれも小さき紅玉《あかだま》が日輪の燃えて輝く光を受けつゝわが目にこれを反映《てりかへ》らしむる如く見えたり 四―六
しかしてわが今述べんとするところは、聲これを傳へ、墨これを録《しる》しゝことなく、想像もこれを懷《いだ》きしことなし 七―九
そは我見かつ聞きしに、嘴《くちばし》物言ひ、その聲の中にはわれらとわれらのとの意《こゝろ》なるわれとわがと響きたればなり 一〇―一二
いふ。正しく慈悲深かりしため、こゝにはわれ今高くせられて、願ひに負けざる榮光をうけ 一三―一五
また地には、かしこの惡しき人々さへ美《ほ》むるばかりの――かれら美《ほ》むれど鑑《かゞみ》に傚《なら》はず――わが記念《かたみ》を遺しぬ。 一六―一八
たとへば數多き熾火《おきび》よりたゞ一の熱のいづるを感ずる如く、數多き愛の造れるかの象《かたち》よりたゞ一の響きいでたり 一九―二一
是においてか我直に。あゝ永遠《とこしへ》の喜びの不斷の花よ、汝等は己がすべての薫《かをり》をたゞ一と我に思はしむ 二二―二四
請ふ語りてわが大いなる斷食《だんじき》を破れ、地上に食物《くひもの》をえざりしため我久しく饑《う》ゑゐたればなり 二五―二七
我よく是を知る、神の正義天上の他の王國をその鏡となさば、汝等の王國も亦幔《まく》を隔《へだ》てゝこれを視じ 二八―三〇
汝等はわが聽かんと思ふ心のいかばかり深きやを知る、また何の疑ひのかく長く我を饑ゑしめしやを知る。 三一―三三
鷹その被物《かぶりもの》を脱《と》らるれば、頭を動かし翼を搏《う》ち、願ひと勢《いきほひ》とを示すごとく 三四―三六
神の恩惠《めぐみ》の讚美にて編めるこの旗章《はたじるし》は、天に樂しむ者のみ知れる歌をうたひてその悦びを表《あら》はせり 三七―三九
かくていふ。宇宙の極《はて》に圓規《コムパス》をめぐらし、隱るゝ物と顯るゝ物とを遍《あまね》くその内に頒《わか》ちし者は 四〇―四二
己が言《ことば》の限りなく優《まさ》らざるにいたるほど、その力をば全宇宙に印する能はざりき 四三―四五
しかして萬《よろづ》の被造物《つくられしもの》の長《をさ》なりしかの第一の不遜者《ふそんじや》が光を待たざるによりて熟《う》まざる先に墜《おと》し事よくこれを證《あかし》す 四六―四八
されば彼に劣る一切の性《さが》が、己をもて己を量る無窮の善を受入れんには器《うつは》あまりに小さき事もまたこれによりて明らかならむ 四九―五一
是故に、萬物の中に滿つる聖意《みこゝろ》の光のたゞ一線《ひとすぢ》ならざるをえざる我等の視力は 五二―五四
その性《さが》として、己が源を己に見ゆるものよりも遙かかなたに認めざるほど強きにいたらじ 五五―五七
かゝれば汝等の世の享くる視力が無窮の正義に入りゆく状《さま》は、目の海におけるごとし 五八―六〇
目は汀《みぎは》より底を見れども沖にてはこれを見じ、されどかしこに底なきにあらず、深きが爲に隱るゝのみ 六一―六三
曇《くもり》しらぬ蒼空《あをぞら》より來るものゝ外光なし、否《いな》闇あり、即ち肉の陰またはその毒なり 六四―六六
生くる正義を汝に匿《かく》しこれについてかくしげく汝に問を發《おこ》さしめたる隱所《かくれどころ》は、今よく汝の前に開かる 六七―六九
汝曰《いひ》けらく、人インドの岸に生れ(かしこにはクリストの事を説く者なく、讀む者も書く者もなし) 七〇―七二
人間の理性の導くかぎり、その思ふ所爲《な》すところみな善く言行《ことばおこなひ》に罪なけれど 七三―七五
たゞ洗禮《バッテスモ》を受けず信仰に入らずして死《し》ぬるあらんに、かゝる人を罰する正義いづこにありや、彼信ぜざるもその咎《とが》將《はた》いづこにありやと 七六―七八
|抑
《そも/\》汝は何者なれば一布指《スパンナ》の先をも見る能はずして席に着き、千哩《ミーリア》のかなたを審《さば》かんと欲するや 七九―八一
聖書汝等の上にあらずば、げに我とともに事を究めんとつとむる者にいたく疑ふの事由《いはれ》はあらむ 八二―八四
あゝ地上の動物よ、愚《おろか》なる心よ、それおのづから善なる第一の意志は、己即ち至上の善より未だ離れしことあらじ 八五―八七
凡て物の正しきはこれと和するの如何による、造られし善の中これを己が許に引く物一だになし、この善光を放つがゆゑにかの善生ず。 八八―九〇
餌を雛に與へ終りて鸛《こふづる》巣の上をめぐり、雛は餌をえてその母を視るごとく 九一―九三
いと多き議《はからひ》に促《うなが》されてかの福なる象《かたち》翼を動かし、また我はわが目を擧げたり 九四―九六
さてめぐりつゝ歌ひ、かつ曰ふ。汝のわが歌を解《げ》せざる如く、汝等人間は永遠《とこしへ》の審判《さばき》をげせじ。 九七―九九
ローマ人《びと》に世界の崇《あがめ》をうけしめし徴號《しるし》をばなほ保ちつゝ、聖靈の光る火しづまりて後 一〇〇―一〇二
かの者またいふ。クリストが木に懸《か》けられ給ひし時より前にも後にも彼を信ぜざりし人の、この國に登り來れることなし 一〇三―一〇五
されど見よ、クリスト、クリストとよばゝる人にて、審判《さばき》のときには、クリストを知らざる人よりも遠く彼を離るべき者多し 一〇六―一〇八
かゝる基督教徒《クリスティアーニ》をばエチオピア人《びと》罪に定めむ、こは人二の群《むれ》にわかたれ、彼永遠《とこしへ》に富み此貧しからん時なり 一〇九―一一一
汝等の王達の汚辱をすべて録《しる》しゝ書《ふみ》の開かるゝを見る時、ペルシア人《びと》彼等に何をかいふをえざらむ 一一二―一一四
そこにはアルベルトの行爲《おこなひ》の中、ほどなく筆を運ばしむる事見ゆべし、その行爲によりてプラーガの王國の荒らさるゝこと即ち是なり 一一五―一一七
そこには猪《ゐのしゝ》に衝《つ》かれて死すべき者が、貨幣《かね》の模擬《まがへ》を造りつゝ、センナの邊《ほとり》に齎《もたら》すところの患《うれへ》見ゆべし 一一八―一二〇
そこにはかのスコットランド人《びと》とイギリス人とを狂はし、そのいづれをも己が境の内に止まる能はざらしむる傲慢《たかぶり》(渇《かわき》を起す)見ゆべし 一二一―一二三
スパニアの王とボエムメの王(この人嘗《かつ》て徳を知らずまた求めしこともなし)との淫樂《いんらく》と懦弱《だじやく》の生活と見ゆべし 一二四―一二六
イエルサレムメの跛者《あしなへ》の善は一の|I《イ》にて記《しる》され、一の|M《エムメ》はその惡の記號《しるし》となりて見ゆべし 一二七―一二九
アンキーゼが長生《ながきいのち》を畢《を》へし處なる火の島を治むる者の強慾と怯懦《けふだ》と見ゆべし 一三〇―一三二
またかれのいみじき小人なるをさとらせんため、その記録には略字を用ゐて、些《すこし》の場所に多くの事を言現はさむ 一三三―一三五
またいと秀《ひい》づる家系《いへがら》と二の冠とを辱めたるその叔父と兄弟との惡しき行《おこなひ》は何人にも明らかなるべし 一三六―一三八
またポルトガルロの王とノルヴェジアの王とはかの書《ふみ》によりて知らるべし、ヴェネージアの貨幣《かね》を見て禍ひを招けるラシアの王また然り 一三九―一四一
あゝ重ねて虐政を忍ばずばウンガリアは福なる哉、取卷く山を固《かため》となさばナヴァルラは福なる哉 一四二―一四四
またこの事の契約として、ニコシアとファマゴスタとが今既にその獸――他の獸の傍《かたへ》を去らざる――の爲に 一四五―一四七
嘆き叫ぶを人皆信ぜよ。
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第二十曲
全世界を照らすもの、わが半球より、遠くくだりて、晝いたるところに盡くれば 一―三
さきにはこれにのみ燃《もや》さるゝ天、忽ち多くの光――一の光をうけて輝く――によりて再び己を現はすにいたる 四―六
かゝる天の現象《すがた》なりき、世界とその導者達との徴號《しるし》の尊き嘴默《もだ》しゝ時、わが心に浮べるものは 七―九
そはかの諸
の生くる光は、みないよ/\強く光りつゝ、わが記憶より逃げ易《やす》く消え易き歌をうたひいでたればなり 一〇―一二
あゝ微笑《ほゝゑみ》の衣を纏《まと》ふうるはしき愛よ、聖なる思ひの息《いき》のみ通へるかの諸
の笛の中に汝はいかに熱《あつ》く見えしよ 一三―一五
第六の光を飾る諸
の貴きかゞやける珠、その妙《たへ》なる天使の歌を絶《た》ちしとき 一六―一八
我は清らかに石より石と傳ひ下りて己が源の豐《ゆたか》なるを示す流れのとある低語《さゝやき》を聞くとおぼえき 一九―二一
しかしてたとへば琵琶《びわ》の頸にて、音《おと》その調《しらべ》を得《え》、篳篥《ひちりき》の孔にて、入來る風またこれを得るごとく 二二―二四
かの鷲の低語《さゝやき》は、待つ間もあらず頸を傳ひて――そが空《うつろ》なりしごとく――上《のぼ》り來れり 二五―二七
さてかしこに聲となり、かしこよりその嘴を過ぎ言葉の體《かたち》を成して出づ、この言葉こそわがこれを録《しる》しゝ心の待ちゐたるものなれ 二八―三〇
我に曰ふ。わが身の一部、即ち物を見、かつ地上の鷲にありてはよく日輪に堪ふるところを今汝心して視るべし 三一―三三
そはわが用ゐて形をとゝなふ諸
の火の中《うち》、目となりてわが首《かうべ》が輝く者、かれらの凡ての位のうちの第一を占むればなり 三四―三六
眞中《まなか》に光りて瞳となるは、聖靈の歌人《うたびと》、邑《まち》より邑にかの匱《はこ》を移しゝ者なり 三七―三九
今彼は、己が歌の徳――己が思ひよりこの歌のいでたるかぎり――をば、これにふさはしき報《むくい》によりて知る 四〇―四二
輪を造りて我眉となる五の火の中、わが嘴《くちばし》にいと近きは、寡婦《やもめ》をばその子の事にて慰めし者なり 四三―四五
今彼は、クリストに從はざることのいかに貴き價を拂ふにいたるやを知る、そは彼この麗《うるは》しき世とその反《うら》とを親しく味ひたればなり 四六―四八
またわがいへる圓のうちの弓形《ゆみがた》上《のぼ》る處にて彼に續くは、眞《まこと》の悔《くひ》によりて死を延べし者なり 四九―五一
今彼は、適《ふさ》はしき祈り下界にて、今日《けふ》の事を明日《あす》になすとも、永遠《とこしへ》の審判《さばき》に變りなきを知る 五二―五四
次なる者は、牧者に讓らんとて(その志善かりしかど結べる果《み》惡《あ》しかりき)律法《おきて》及び我とともに己をギリシアのものとなせり 五五―五七
今彼は、その善行より出でたる惡の、たとひ世を亡ぼすとも、己を害《そこな》はざるを知る 五八―六〇
弓形下《くだ》る處に見ゆるはグリエルモといへる者なり、カルロとフェデリーゴと在るが爲に嘆く國彼なきが爲に泣く 六一―六三
今彼は、天のいかばかり正しき王を慕ふやを知り、今もこれをその輝く姿に表はす 六四―六六
トロイア人《びと》リフェオがこの輪の聖なる光の中の第五なるを、誤り多き下界にては誰か信ぜむ 六七―六九
今彼は、神の恩惠《めぐみ》について世のさとりえざる多くの事を知る、その目も底を認めざれども。 七〇―七二
まづ歌ひつゝ空に漂ふ可憐《いとほし》の雲雀《ひばり》が、やがて自ら最後《をはり》の節《ふし》のうるはしさに愛《め》で、心足りて默《もだ》すごとく 七三―七五
永遠《とこしへ》の悦び(これが願ふところに從ひ萬物皆そのあるごとくなるにいたる)の印せる像《かたち》も心足らへる如く見えき 七六―七八
しかしてかしこにては我のわが疑ひにおけるあたかも|玻
《はり》のその被《おほ》ふ色におけるに似たりしかど、この疑ひは默《もだ》して時を待つに堪へず 七九―八一
己が重《おも》さの力をもて、これらの事は何ぞやといふ言《ことば》をばわが口より押出したり、またこれと共に我は大いなる喜びの閃《ひらめ》くを見き 八二―八四
かくてかの尊《たふと》き徴號《しるし》、いよ/\つよく目を燃やしつゝ、我をながく驚異《あやしみ》のうちにとめおかじとて、答ふらく 八五―八七
我見るに、汝がこれらの事を信ずるは、わがこれを言ふが爲にてその所以を知れるに非ず、されば事信ぜられて猶隱る 八八―九〇
汝はあたかも物を名によりてよく會得《ゑとく》すれども、その本質にいたりては人これを現はさゞれば知る能はざる者の如し 九一―九三
それ天の王國は、熱き愛及び生くる望みに侵さる、これらのもの聖意《みこゝろ》に勝つによりてなり 九四―九六
されどその状《さま》人々を從ふる如きに非ず、そがこれに勝つはこれ自ら勝《か》たれんと思へばなり、しかして勝れつゝ己が仁慈《いつくしみ》によりて勝つ 九七―九九
さて眉の中なる第一と第五の生命《いのち》が天使の國に描かるゝを見て汝これを異《あや》しめども 一〇〇―一〇二
かれらはその肉體を出るに當り汝の思ふ如く異教徒なりしに非ず、基督教徒《クリスティアーニ》にて、彼は痛むべき足此は痛める足を固く信じき 一〇三―一〇五
即ちその一者《ひとり》は、善意《よきおもひ》に戻《もど》る者なき處なる地獄より骨に歸れり、是|抑
《そも/\》生くる望みの報《むくい》にて 一〇六―一〇八
この生くる望みこそ、彼の甦りその思ひの移るをうるにいたらんため神に捧げまつれる祈りに力をえしめたりしなれ 一〇九―一一一
件《くだん》の尊き魂は肉に歸りて(たゞ少時《しばし》これに宿りき)、己を助くるをうるものを信じ 一一二―一一四
信じつゝ眞《まこと》の愛の火に燃えしかば、第二の死に臨みては、この樂しみを享《う》くるに適《ふさ》はしくなりゐたり 一一五―一一七
また一者《ひとり》は、被造物《つくられしもの》未だ嘗《かつ》て目を第一の波に及ぼしゝことなきまでいと深き泉より流れ出る恩惠《めぐみ》により 一一八―一二〇
その愛を世にてこと/″\く正義に向けたり、是故に恩惠《めぐみ》恩惠に加はり、神彼の目を開きて我等の未來の贖《あがなひ》を見しめぬ 一二一―一二三
是においてか彼これを信じ、其後異教の惡臭《をしう》を忍ばず、かつその事にて多くの悖《もと》れる人々を責めたり 一二四―一二六
汝がかの右の輪の邊《ほとり》に見しみたりの淑女は、洗禮《バッテスモ》の事ありし時より一千年餘の先に當りて彼の洗禮となりたりき 一二七―一二九
あゝ永遠《とこしへ》の定《さだめ》よ、第一の原因《もと》を見きはむるをえざる目に汝の根の遠ざかることいかばかりぞや 一三〇―一三二
また汝等人間よ愼みて事を斷ぜよ、われら神を見る者といへども猶《なほ》凡ての選ばれし者を知らじ 一三三―一三五
而して我等かく缺處《かくるところ》あるを悦ぶ、我等の幸《さいはひ》は神の思召《おぼしめ》す事をわれらもまた思ふといふその幸によりて全うせらるればなり。 一三六―一三八
かくかの神の象《かたち》、わが近眼《ちかめ》をいやさんとて、われにこゝちよき藥を與へき 一三九―一四一
しかしてたとへば巧みに琵琶を奏《かな》づる者が、絃《いと》の震動《ゆるぎ》を、巧みに歌ふ者と合《あは》せて、歌に興を添ふるごとく 一四二―一四四
(憶ひ出づれば)我は鷲の語る間、二のたふとき光が言葉につれて焔を動かし、そのさま雙《さう》の目の 一四五―一四七
時齊《ひと》しく瞬《またゝ》くに似たるを見たり
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第二十一曲
はやわが目は再びわが淑女の顏に注《そゝ》がれ、目とともに意《こゝろ》もこれに注がれて他の一切の思ひを離れき 一―三
この時淑女ほゝゑまずして我に曰ふ。我もしほゝゑまば、汝はあたかも灰となりしときのセーメレの如くになるべし 四―六
これ永遠《とこしへ》の宮殿《みや》の階《きざはし》を傳ひていよ/\高く登るに從ひいよ/\燃ゆる(汝の見し如く)わが美しさは 七―九
和《やはら》げらるゝに非《あらざ》ればいと強く赫《かゞや》くが故に、人たる汝の力その光に當りてさながら雷に碎かるゝ小枝の如くなるによるなり 一〇―一二
われらは擧げられて第七の輝の中にあり、こは燃ゆる獅子の胸の下にてその力とまじりつゝ今下方を照らすもの 一三―一五
汝意《こゝろ》を雙の目の行方《ゆくへ》にとめてかれらを鏡とし、いまこの鏡に見ゆる像《かたち》をこれに映《うつ》せ。 一六―一八
我わが思ひを變へしそのとき、かのたふとき姿のうちにわが目いかなる喜びをえしや、そを知る者は 一九―二一
彼方《かなた》と此方《こなた》とを權《はか》り比《くら》べてしかして知らむ、わが天上の案内者《しるべ》の命に從ふことのいかばかり我に樂しかりしやを 二二―二四
世界のまはりをめぐりつゝその名立《なだゝ》る導者の――一切の邪惡かれの治下《みよ》に滅びにき――名を負《お》ふ水晶の中に 二五―二七
我は一の樹梯《はしだて》を見たり、こは日の光に照らさるゝ黄金《こがね》の色にて、わが目の及ぶあたはざるほど高く聳《そび》えき 二八―三〇
我また段《きだ》を傳ひて諸
の光の降るを見たり、その數《かず》は最《いと》多く、我をして天に現はるゝ一切の光かしこより注がると思はしむ 三一―三三
自然の習《ならひ》とて、晝の始め、冷やかなる羽をあたゝめんため、鴉《からす》むらがりて飛び 三四―三六
後或者は往《ゆ》きて還《かへ》らず、或者はさきにいでたちし處にむかひ、或者は殘りゐてめぐる 三七―三九
むらがり降れるかの煌《きらめき》も、とある段《きだ》に着くに及びて、またかくの如く爲すと見えたり 四〇―四二
しかして我等にいと近く止まれる光殊《こと》に燦《あざやか》になりければ、われ心の中にいふ、我よく汝の我に示す愛を見ると 四三―四五
されど何時《いつ》如何《いか》に言ひまたは默《もだ》すべきやを我に教ふる淑女身を動かすことをせざりき、是においてかわが願ひに背《そむ》き我は問はざるを可《よし》とせり 四六―四八
是時淑女、萬物を見る者に照らして、わが默《もだ》す所以《ゆゑん》を見、汝の熱き願ひを解くべしと我にいふ 四九―五一
我即ち曰ひけるは。わが功徳は我をして汝の答を得しむるに足らず、されど問ふことを我に許す淑女の故によりて請ふ 五二―五四
己が悦びの中にかくるゝ尊き生命《いのち》よ、汝いかなればかくわが身に近づけるやを我に知らせよ 五五―五七
また天堂の妙《たへ》なる調《しらべ》が、下なる諸
の天にてはいとうや/\しく響くなるに、この天にてはいかなれば默《もだ》すやを告げよ。 五八―六〇
答へて我に曰ふ。汝の耳は目の如く人間のものなるがゆゑに、ベアトリーチェの微笑《ほゝゑ》まざると同じ理によりてこゝに歌なし 六一―六三
聖なる梯子《はしご》の段《きだ》を傳ひてわがかく下れるは、たゞ言《ことば》とわが纏《まと》ふ光とをもて汝を喜ばしめんためなり 六四―六六
またわが特《こと》に早かりしも愛の優《まさ》る爲ならじ、汝に焔の現はす如く、優《まさ》るかさなくも等しき愛かしこに高く燃ゆればなり 六七―六九
たゞ我等をば宇宙を治め給ふ聖旨《みむね》の疾《と》き僕《しもべ》となす尊き愛ぞ、汝の視るごとく、こゝにて鬮《くじ》を頒《わか》つなる。 七〇―七二
我曰《い》ふ。聖なる燈火《ともしび》よ、我よく知る、この王宮にては、永遠《とこしへ》の攝理に從ふためには自由の愛にて足ることを 七三―七五
されど何故に汝の侶《とも》を措《お》き汝ひとり豫《あらかじ》め選ばれてこの職《つとめ》を爲すにいたれるや、これわが悟り難《がた》しとする所なり。 七六―七八
わが未だ最後《をはり》の語《ことば》をいはざるさきに、かの光は己が眞中《まなか》を中心として疾《と》き碾石《ひきうす》の如くめぐりき 七九―八一
かくして後そのうちの愛答ふらく。我を包む光を貫いて神の光わが上にとゞまり 八二―八四
その力わが視力《みるちから》と結合《むすびあ》ひつゝ我をはるかに我より高うし、我をしてその出る處なる至高者《いとたかきもの》を見るをえしむ 八五―八七
この見ることこそ我を輝かす悦びの本《もと》なれ、そはわが目の燦《あざや》かなるに從ひ、焔も燦かなればなり 八八―九〇
されどいと強く天にかゞやく魂も、目をいとかたく神にとむるセラフィーノも、汝の願ひを滿すをえじ 九一―九三
これ汝の尋ぬる事は永遠《とこしへ》の定《さだめ》の淵深きところにありて、凡ての造られし目を離るゝによる 九四―九六
汝歸らばこれを人の世に傳へ、かゝる目的《めあて》にむかひて敢《あへ》てまた足を運ぶことなからしむべし 九七―九九
こゝにては光る心も地にては烟《けぶ》る、是故に思へ、天に容《い》れられてさへその爲すをえざる事をいかで下界に爲しえんや。 一〇〇―一〇二
これらの言葉我を控《ひか》へしめたれば、我はこの問を棄て、自ら抑《ひか》へつゝたゞ謙《へりくだ》りてその誰なりしやを問へり 一〇三―一〇五
イタリアの二の岸の間、汝の郷土《ふるさと》よりいと遠くはあらざる處に雷《いかづち》の音遙に下に聞ゆるばかり高く聳ゆる岩ありて 一〇六―一〇八
一の峰を成す、この峰カートリアと呼ばれ、これが下にはたゞ禮拜《らいはい》の爲に用ゐる習なりし一の庵《いほり》聖《きよ》めらる。 一〇九―一一一
かの者三度《みたび》我に語りてまづかくいひ、後また續いていひけるは。かしこにて我ひたすら神に事《つか》へ 一一二―一一四
默想に心を足《たら》はしつゝ、橄欖《かんらん》の液《しる》の食物《くひもの》のみにて、輕く暑さ寒さを過せり 一一五―一一七
昔はかの僧院、これらの天のため、實《み》をさはに結びしに、今はいと空しくなりぬ、かゝればその状《さま》必ず直に顯《あら》はれん 一一八―一二〇
我はかしこにてピエートロ・ダミアーノといひ、アドリアティコの岸なるわれらの淑女の家にてはピエートロ・ペッカトルといへり 一二一―一二三
餘命幾何《いくばく》もなかりしころ、強《し》ひて請《こ》はれて我かの帽を受く、こは傳へらるゝごとに優《すぐ》れる惡に移る物 一二四―一二六
チエファスの來るや、聖靈の大いなる器《うつは》の來るや、身痩《や》せ足に沓《くつ》なく、いかなる宿《やど》の糧《かて》をもくらへり 一二七―一二九
しかるに近代《ちかきよ》の牧者等は、己を左右より支ふる者と導く者と(身いと重ければなり)裳裾《もすそ》をかゝぐる者とを求む 一三〇―一三二
かれらまたその表衣《うはぎ》にて乘馬《じようめ》を蔽《おほ》ふ、これ一枚の皮の下にて二匹の獸の出るなり、あゝ何の忍耐ぞ、怺《こら》へてこゝにいたるとは。 一三三―一三五
かくいへる時、我は多くの焔が段《きだ》より段にくだりてめぐり、かつめぐるごとにいよ/\美しくなるを見き 一三六―一三八
かくてかれらはこの焔のほとりに來り止まりて叫び、世に此《たぐひ》なきまで強き響きを起せり 一三九―一四一
されど我はその雷《いかづち》に堪へずして、聲の何たるを解《げ》せざりき 一四二―一四四
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第二十二曲
驚異《おどろき》のあまり、我は身をわが導者に向はしむ、その状《さま》事ある毎《ごと》に己が第一の恃處《たのみどころ》に馳せ歸る稚兒《をさなご》の如くなりき 一―三
この時淑女、あたかも蒼《あをざ》めて息《いき》はずむ子を、その心をば常に勵《はげ》ます聲をもて、たゞちに宥《なだ》むる母のごとく 四―六
我に曰ふ。汝は汝が天に在《ある》を知らざるや、天は凡て聖にして、こゝに爲さるゝ事、皆熱き愛より出るを知らざるや 七―九
かの叫びさへかくまで汝を動かせるに、歌とわが笑とは、汝をいかに變らしめけむ、今汝これを量《はか》り知りうべし 一〇―一二
もしかの叫びの祈る所をさとりたりせば、汝はこれにより、汝の死なざるさきに見るべき刑罰を、既に知りたりしものを 一三―一五
そも/\天上の劒《つるぎ》たるや、斬るに當りて急《いそ》がず遲《おく》れじ、たゞ望みつゝまたは恐れつゝそを待つ者にかゝる事ありと見ゆるのみ 一六―一八
されど汝今身を他《ほか》の者の方《かた》にむくべし、わがいふごとく目を轉《めぐ》らさば、多くの名高き靈を見るべければなり。 一九―二一
彼の好むごとく我は目を向け、百の小さき球の群《むれ》ゐてその光を交《かは》しつゝいよ/\美しくなれるを見たり 二二―二四
我はさながら過ぐるを恐れて願ひの刺戟を衷《うち》に抑へ敢《あへ》て問はざる人のごとく立ちゐたるに 二五―二七
かの眞珠のうちの最《いと》大いにして最《いと》強く光るもの、己が事につきわが願ひを滿《みた》さんとて進み出でたり 二八―三〇
かくて聲その中《なか》にて曰ふ。汝もしわれらのうちに燃ゆる愛をわがごとく見ば、汝の思ひを言現はさむ 三一―三三
されど汝が、待つことにより、たふとき目的《めあて》に後《おく》れざるため、我は汝のかく愼しみて敢ていはざるその思ひに答ふべし 三四―三六
坂にカッシーノある山にては、往昔《そのかみ》巓に登りゆく迷へる曲《ゆが》める人多かりき 三七―三九
しかして我等をいと高うする眞理をば地に齎《ひと》しゝ者の名を、はじめてかの山に傳へしものは即ち我なり 四〇―四二
またいと深き恩惠《めぐみ》わが上に輝きたれば、我そのまはりの村里《むらざと》をして、世界を惑はしゝ不淨の禮拜《らいはい》を脱《のが》れしむ 四三―四五
さてこれらの火は皆默想に心を寄せ、聖なる花と實とを生ずる熱によりて燃《もや》されし人々なりき 四六―四八
こゝにマッカリオあり、こゝにロモアルドあり、またこゝに足を僧院の内に止めて道心堅固《けんご》なりしわが兄弟達あり。 四九―五一
我彼に。我と語りて汝が示す所の愛と汝等のすべての焔にわが見て心をとむる好《よ》き姿とは 五二―五四
わが信頼の念を伸べ、そのさま日の光が薔薇を伸《の》べてその力のかぎり開くにいたらしむるごとし 五五―五七
是故に父よ汝に請ふ、われ大いなる恩惠《めぐみ》を受けて汝の貌《かたち》を顯《あらは》に見るをうべきや否《いな》や、定《さだ》かに我に知らしめよ。 五八―六〇
是においてか彼。兄弟よ、汝の尊き願ひは最後の球にて滿《みた》さるべし、こはわが願ひも他の凡ての願ひも皆滿《みた》さるゝところなり 六一―六三
かしこにては誰《た》が願ひも備はり、熟し、圓《まどか》なり、かの球においてのみこれが各部はその常にありしところにとゞまる 六四―六六
そはこれ場所を占むるにあらず、軸を有《も》つに非《あらざ》ればなり、われらの梯子《はしご》これに達し、かく汝の目より消ゆ 六七―六九
族長ヤコブその頂の高くかしこに到るを見たり、こはこれがいと多くの天使を載せつゝ彼に現はれし時なりき 七〇―七二
然るに今はこれに登らんとて地より足を離す者なし、わが制《おきて》は紙を損《そこな》はんがために殘るのみ 七三―七五
僧坊たりしむかしの壁は巣窟となりぬ、法衣《ころも》はあしき粉《こな》の滿ちたる袋なり 七六―七八
げに不當の高利といふとも、神の聖旨《みむね》に逆《さから》ふこと、僧侶の心をかく狂はしむる果《み》には及ばじ 七九―八一
そは寺院の貯《たくはへ》は皆神によりて求むる民の物にて、親戚またはさらに賤《いや》しき人々の物ならざればなり 八二―八四
そも/\人間の肉はいと弱し、されば世にては、善く始められし事も、樫《かし》の生出《おひいづ》るより實を結ぶにいたるまでだに續かじ 八五―八七
ピエルは金銀なきに、我は祈りと斷食《だんじき》とをもて、業《わざ》を始め、フランチェスコは身を卑《ひく》うしてその集《つどひ》を起せり 八八―九〇
汝これらのものゝ濫觴《おこり》をたづね後またその迷ひ入りたる處をさぐらば、白の黒くなれるを見む 九一―九三
しかはあれ、神の聖旨《みむね》によりてヨルダンの退《しざ》り海の逃ぐるは、救ひをこゝに見るよりもなほ異《あや》しと見えしなるべし。 九四―九六
かく我に曰ひて後、かれその侶に加はれり、侶は互に寄り近づけり、しかして全衆あたかも旋風の如く上に昇れり 九七―九九
うるはしき淑女はたゞ一の表示《しるし》をもて我を促《うな》がし彼等につゞいてかの梯子《はしご》を上らしむ、その力かくわが自然に勝ちたりき 一〇〇―一〇二
また人の昇降《のぼりくだり》するに當りて自然に從ふ處なるこの下界にては、動くこといかに速かなりともわが翼に此《たぐ》ふに足《た》らじ 一〇三―一〇五
讀者よ(願はくはかの聖なる凱旋にわが歸るをえんことを、我これを求めて屡
わが罪に泣き、わが胸を打つ) 一〇六―一〇八
わがかの金牛に續く天宮を見てその内に入りしごとく早くは汝豈《あに》指を火に入れて引かんや 一〇九―一一一
あゝ榮光の星よ、大いなる力滿つる光よ、我は汝等よりわがすべての才(そはいかなるものなりとも)の出づるを認む 一一二―一一四
我はじめてトスカーナの空氣を吸ひし時、一切の滅ぶる生命《いのち》の父なる者、汝等と共に出で汝等とともに隱れにき 一一五―一一七
後ゆたかなる恩惠《めぐみ》をうけ、汝等をめぐらす貴き天に入りし時、我は圖《はか》らずも汝等の處に着けり 一一八―一二〇
汝等にこそわが魂は、これを己が許《もと》に引くその難所をば超《こ》ゆるに適《ふさ》はしき力をえんとて、今うや/\くしく嘆願《なげく》なれ 一二一―一二三
ベアトリーチェ曰ふ。汝は汝の目を瞭《あきらか》にし鋭くせざるをえざるほど、終極《いやはて》の救ひに近づけり 一二四―一二六
されば汝が未だこれに入らざるさきに、俯《うつむ》き望みて、いかばかりの世界をばわがすでに汝の足の下におきしやを見よ 一二七―一二九
これ凱旋の群衆《ぐんじゆう》喜ばしくこの圓《まろ》き天をわけ來るとき、樂しみ極《きは》まる汝の心のこれに現はれんためぞかし。 一三〇―一三二
われ目を戻して七の天球をこと/″\く望み、さてわが球のさまを見てその劣れる姿のために微笑《ほゝゑ》めり 一三三―一三五
しかしてこれをばいと賤しと判ずる心を我はいと善しと認む、思ひを他の物にむくる人はげに直《なほ》しといふをえむ 一三六―一三八
我はラートナの女《むすめ》がかの影(さきに我をして彼に粗《そ》あり密ありと思はしめたる原因《もと》なりし)なくて燃ゆるを見たり 一三九―一四一
イペリオネよ、こゝにてわが目は汝の子の姿に堪《た》へき、我またマイアとディオネとが彼の周邊《まはり》にかつ彼に近く動くを見たり 一四二―一四四
次に父と子との間にてジョーヴェの和《やはら》ぐるを望み、かれらがその處をば變ふる次第を明らかにしき 一四五―一四七
しかして凡《すべ》て七《なゝつ》の星は、その大いさとそのはやさとその住處《すまひ》の隔たるさまとを我に示せり 一四八―一五〇
われ不朽の雙兒とともにめぐれる間に、人をしていと猛《あら》くならしむる小さき麥場《うちば》、山より河口《かはぐち》にいたるまで悉《こと/″\》く我に現はれき 一五一―一五三
かくて後我は目をかの美しき目にむかはしむ 一五四―一五六
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第二十三曲
物見えわかぬ夜《よる》の間《あひだ》、なつかしき木の葉のうちにて、己がいつくしむ雛とともに巣に休みゐたる鳥が 一―三
かれらの慕はしき姿を見、かつかれらに食《くら》はしむる物をえん――これがためには大いなる勞苦も樂し――とて 四―六
時ならざるに梢にいたり、曉の生るゝをのみうちまもりつゝ、燃ゆる思ひをもて日を待つごとく 七―九
わが淑女は、頭《かうべ》を擧げ心をとめて立ち、日脚《ひあし》の最も遲しとみゆるところにむかへり 一〇―一二
されば彼の待ち憧《あこが》るゝを見、我はあたかも願ひに物を求めつゝ希望《のぞみ》に心を足《たら》はす人の如くになれり 一三―一五
されど彼と此との二の時、即ちわが待つことゝ天のいよ/\赫《かゞや》くを見ることゝの間はたゞしばしのみなりき 一六―一八
ベアトリーチェ曰《い》ふ。見よ、クリストの凱旋の軍を、またこれらの球の|
轉《めぐり》によりて刈取られし一切の實《み》を。 一九―二一
淑女の顏はすべて燃ゆるごとく見え、その目にはわが語らずして已《や》むのほかなき程に大いなる喜悦《よろこび》滿てり 二二―二四
澄《すみ》わたれる望月《もちづき》の空に、トリヴィアが、天の懷《ふところ》をすべて彩色《いろど》る永遠《とこしへ》のニンフェにまじりてほゝゑむごとく 二五―二七
我は千《ちゞ》の燈火《ともしび》の上に一の日輪ありてかれらをこと/″\く燃《もや》し、その状《さま》わが日輪の、星におけるに似たるを見たり 二八―三〇
しかしてかの光る者その生くる光を貫いていと燦《あざや》かにわが顏を照らしたれば、わが目これに堪《た》ふるをえざりき 三一―三三
あゝベアトリーチェわがうるはしき慕はしき導者よ、彼我に曰ふ。汝の視力に勝つものは、防ぐに術《すべ》なき力なり 三四―三六
こゝにこそ、天地《あめつち》の間の路を開きてそのかみ人のいと久しく願ひし事をかなへたるその知慧と力とあるなれ。 三七―三九
たとへば火が雲の容《い》るゝ能《あた》はざるまで延びゆきて遂にこれを破り、その性《さが》に背《そむ》きて地にくだるごとく 四〇―四二
わが心はかの諸
の饗《もてなし》のためにひろがりて己を離れ、そのいかになりしやを自ら思ひ出で難し 四三―四五
いざ目を啓《ひら》きてわが姿を見よ、汝諸
の物を見てはやわが微笑《ほゝゑみ》に堪ふるにいたりたればなり。 四六―四八
過去《こしかた》を録《しる》す書《ふみ》の中より消失することなきほどの感謝をば受くるにふさはしきこの勸《すゝめ》を聞きし時 四九―
我はあたかも忘れし夢をその名殘によりて心に浮べんといたづらに力《つと》むる人のごとくなりき ―五四
たとひポリンニアとその姉妹達とがかれらのいと甘き乳をもていとよく養ひし諸
の舌今擧《こぞ》りて鳴りて 五五―五七
我を助くとも、聖なる微笑《ほゝゑみ》とそがいかばかり聖なる姿を燦《あざや》かにせしやを歌ふにあたり、眞《まこと》の千分《ぶ》一にも到らじ 五八―六〇
是故に天堂を描く時、この聖なる詩は、行手《ゆくて》の道の斷《き》れたるを見る人のごとく、跳《をどり》越えざるをえざるなり 六一―六三
されど題《テーマ》の重きことゝ人間の肩のこれを負《お》ふことゝを思はゞ、たとひこれが下にてゆるぐとも、誰しも肩を責めざるならむ 六四―六六
この勇ましき舳《へさき》のわけゆく路は、小舟またはほねをしみする舟人《ふなびと》の進みうべきところにあらじ 六七―六九
汝何ぞわが顏をのみいたく慕ひて、クリストの光の下《もと》に花咲く美しき園をかへりみざるや 七〇―七二
かしこに薔薇あり、こはその中《なか》にて神の言《ことば》肉となり給へるもの、かしこに諸
の百合あり、こはその薫《かをり》にて人に善道《よきみち》をとらしめしもの。 七三―七五
ベアトリーチェかく、また我は、その勸《すゝめ》に心すべて傾きゐたれば、再び身を弱き眼《まなこ》の戰《いくさ》に委《ゆだ》ねき 七六―七八
日の光雲間《くもま》をわけてあざやかに映《さ》す花の野を、わが目嘗《かつ》て陰に蔽はれて見しことあり 七九―八一
かくの如く、燃ゆる光に上より照らされて輝く者のあまたの群《むれ》を我は見き、その輝の本を見ずして 八二―八四
あゝかくかれらに印影《かた》を捺《お》す慈愛の力よ、汝は力足らざる目にその見るをりをえしめんとて自ら高く昇れるなりき 八五―八七
あさなゆふなわが常に呼びまつる美しき花の名を聞き、我わが魂をこと/″\くあつめて、いと大いなる火をみつむ 八八―九〇
しかして下界にて秀でしごとく天上にてもまた秀づるかの生くる星の質と量とがわが二の目に描かれしとき 九一―九三
天の奧より冠の如き輪形《わがた》を成せる一の燈火《ともしび》降りてこの星を卷き、またこれが周圍《まはり》をめぐれり 九四―九六
世にいと妙《たへ》にひゞきて魂をいと強く惹《ひ》く調《しらべ》といふとも、かの琴――いとあざやかなる天を飾る 九七―
かの美しき碧玉《あをだま》の冠となりし――の音にくらぶれば、雲の裂けてとゞろくごとく思はるべし ―一〇二
われはこれ天使の愛なり、われらの願ひの宿《やど》なりし胎《たい》よりいづるそのたふとき悦びを我今めぐる 一〇三―一〇五
我はめぐらむ、天の淑女よ、汝爾子《みこ》のあとを逐ひゆき、至高球《いとたかききう》をして、汝のこれに入るにより、いよ/\聖ならしむるまで。 一〇六―一〇八
めぐりつゝかくうたひをはれば、他の光はすべてマリアの聖名《みな》を唱《とな》へり 一〇九―一一一
宇宙の諸天をこと/″\く蔽ひ、神の聖息《みいき》と法《のり》とをうけて熱いと強く生氣いと旺《さかん》なる王衣《おうのころも》は 一一二―一一四
その内面《うちがは》われらを遠く上方《うへ》に離れゐたるため、わがをりし處にては、その状《さま》未だ我に見えねば 一一五―一一七
冠を戴きつゝ己が子のあとより昇れる焔に、わが目ともなふあたはざりき 一一八―一二〇
しかしてたとへば、乳を吸ひし後、愛燃えて外《そと》にあらはれ、腕《かひな》を母の方《かた》に伸《の》ぶる稚兒《をさなご》のごとく 一二一―一二三
これらの光る火、いづれもその焔を上方《うへ》に伸べ、そがマリアにむかひていだく尊き愛を我に示しき 一二四―一二六
かくてかれらはレーギーナ・コイリーをうたひつゝわが眼前《めのまへ》に殘りゐたり、その歌いと妙《たへ》にしてこれが喜び一度《たび》も我を離れしことなし 一二七―一二九
あゝこれらの最《いと》も富める櫃《はこ》に――こは下界にて種を蒔《ま》くに適《ふさ》はしき地なりき――收めし物の豐かなることいかばかりぞや 一三〇―一三二
こゝにはかれらそのバビローニアの流刑《るけい》に泣きつゝ黄金《こがね》をかしこに棄てゝえたる財寶《たから》にて生き、かつこれを樂しむ 一三三―一三五
こゝにはいと大いなる榮光の鑰を保つ者、神の、またマリアの尊き子の下《もと》にて、舊新二つの集會《つどひ》とともに 一三六―
その戰勝《かちいくさ》を祝ふ ―一四一
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第二十四曲
あゝ尊き羔《こひつじ》(彼汝等に食を與へて常に汝等の願ひを滿たす)の大いなる晩餐《ゆふげ》に選ばれて列る侶等よ 一―三
神の恩惠《めぐみ》により、此人汝等の食卓《つくゑ》より落つる物をば、死が未だ彼の期《とき》を定めざるさきに豫《あらかじ》め味ふなれば 四―六
心をかれのいと深き願ひにとめ、少しくかれを露にて潤《うる》ほせ、汝等は彼の思ふ事の出づる本《もと》なる泉の水をたえず飮むなり。 七―九
ベアトリーチェかく、またかの喜べる魂等は、動かざる軸の貫《つらぬ》く球となりて、そのはげしく燃ゆることあたかも彗星《はうきぼし》に似たりき 一〇―一二
しかして時辰儀《じしんぎ》にては、その裝置《しかけ》の輪|
《めぐ》るにあたり、これに心をとむる人に、初めの輪しづまりて終りの輪飛ぶと見ゆるごとく 一三―一五
これらの球は、或は速く或は遲くさま/″\に舞ひ、我をしてかれらの富を量《はか》るをえしめき 一六―一八
さていと美しと我に見えし球の中より一の火出づ、こはいと福なる火にて、かしこに殘れる者一としてこれより燦《あざやか》なるはなかりき 一九―二一
この火歌ひつゝベアトリーチェの周邊《まはり》をめぐること三度《たび》、その歌いと聖なりければ我今心に浮べんとすれども効《かひ》なし 二二―二四
是故にわが筆跳越《をどりこ》えてこれを録《しる》さじ、われらの想像は、况《まし》て言葉は、かゝる|襞
《ひだ》にとりて色明《あかる》きに過ればなり 二五―二七
あゝかくうや/\しくわれらに請ふわが聖なる姉妹よ、汝の燃ゆる愛によりて汝は我をかの美しき球より解けり。 二八―三〇
かの福なる火は、止まりて後、息《いき》をわが淑女に向けつゝ、わがいへるごとく語れるなりき 三一―三三
この時淑女。あゝわれらの主がこの奇《く》しき悦びの鑰《かぎ》(下界に主の齎《もたら》し給ひし)を委《ゆだ》ね給へる丈夫《ますらを》の永遠《とこしへ》の光よ 三四―三六
嘗《かつ》て汝に海の上を歩ましめし信仰に就き、輕き重き種々《さま/″\》の事をもて、汝の好むごとく彼を試みよ 三七―三九
彼善く愛し善く望みかつ信ずるや否や、汝これを知る、そは汝目を萬物《よろづのもの》の描かれて視ゆるところにとむればなり 四〇―四二
されどこの王國が民を得たるは眞《まこと》の信仰によるがゆゑに、これに榮光あらしめんため、これの事を語る機《をり》の彼に來るを宜《むべ》とす。 四三―四五
あたかも學士が、師の問を發《おこ》すを待ちつゝ、これを論《あげつら》はんため――これを決《きむ》るためならず――默《もだ》して備を成すごとく 四六―四八
我はかゝる問者に答へかつかゝる告白をなすをえんため、淑女の語りゐたる間に、一切の理《ことはり》をもて備を成せり 四九―五一
いへ、良き基督教徒《クリスティアーノ》よ、汝の思ふ所を明《あか》せ、そも/\信仰といふは何ぞや。我即ち頭《かうべ》を擧げてこの言《ことば》の出でし處なる光を見 五二―五四
後ベアトリーチェにむかへば、かれ直に我に示してわが心の泉より水を注ぎいださしむ 五五―五七
我曰ふ。大いなる長《をさ》の前にてわがいひあらはすを許す恩惠《めぐみ》、願はくは我をしてよくわが思ひを述ぶるをえしめよ。 五八―六〇
かくて續いて曰ふ。父よ、汝とともに、ローマを正しき路に就かせし汝の愛する兄弟の、眞《まこと》の筆の録《しる》すごとく 六一―六三
信仰とは望まるゝ物の基見えざる物の證《あかし》なり、しかして是その本質と見ゆ。 六四―六六
是時聲曰ふ。汝の思ふ所正し、されど彼が何故にこれをまづ基の中に置き、後證《あかし》の中に置きしやを汝よくさとるや否《いな》や。 六七―六九
我即ち。こゝにて我にあらはるゝもろ/\の奧深き事物も、全く下界の目にかくれ 七〇―七二
かしこにてはその在りとせらるゝことたゞ信によるのみ、人この信の上に高き望みを築くがゆゑに、この物即ち基に當る 七三―七五
また人他《ほか》の物を見ず、たゞこの信によりて理《ことわ》らざるをえざるがゆゑに、この物即ち證《あかし》にあたる。 七六―七八
是時聲曰ふ。凡そ教へによりて世に知らるゝものみなかくの如く解《げ》せられんには、詭辯者の才かしこに容れられざるにいたらむ。 七九―八一
かくかの燃ゆる愛言《ことば》に出《いだ》し、後加ふらく。この貨幣の混合物《まぜもの》とその重さとは汝既にいとよく檢《しら》べぬ 八二―八四
されどいへ、汝はこれを己が財布の中に有《も》つや。我即ち。然り、そを鑄《い》し樣《さま》に何の疑はしき事もなきまで光りて圓《まる》し。 八五―八七
この時、かしこに輝きゐたるかの光の奧より聲出でゝいふ。一切の徳の礎《いしずゑ》なるこの貴き珠は 八八―九〇
そも/\いづこより汝の許《もと》に來れるや。我。舊新二種の皮の上にゆたかに注ぐ聖靈の雨は 九一―九三
これが眞《まこと》を我に示しゝ論法にて、その鋭きに此《くら》ぶれば、いかなる證明も鈍《にぶ》しとみゆ。 九四―九六
聲次《つい》で曰ふ。かく汝に論決せしむる舊新二つの命題を、汝が神の言《ことば》となすは何故ぞや。 九七―九九
我。この眞理を我に現はす所の證《あかし》が、ともなへる諸
の業《わざ》(即ち自然がその爲鐡《くろがね》を燒きまたは鐡床《かなしき》を打しことなき)なり 一〇〇―一〇二
聲我に答ふらく。いへ、これらの業の行はれしを汝に定かならしむるものは誰ぞや、他なし、自ら證《あかし》を求むる者ぞ汝にこれを誓ふなる。 一〇三―一〇五
我曰ふ。奇蹟なきに世キリストの教へに歸依《きえ》せば、是かへつて一の大いなる奇蹟にて、他の凡ての奇蹟はその百分《ぶ》一にも當らじ 一〇六―一〇八
そは汝、貧しく、饑《う》ゑつゝ、畠《はた》に入り、良木《よきき》の種を蒔《ま》きたればなり(この木昔葡萄《ぶどう》なりしも今荊棘《いばら》となりぬ)。 一〇九―一一一
かくいひ終れる時、尊き聖なる宮人《みやびと》等、天上の歌の調《しらべ》妙《たへ》に、「われら神を讚美す」と歌ひ、諸
の球に響きわたらしむ 一一二―一一四
しかして問質《とひたゞ》しつゝかく枝より枝に我をみちびき、はや我とともに梢に近づきゐたる長《をさ》 一一五―一一七
重ねて曰ふ。汝の心と契《ちぎ》る恩惠《めぐみ》、今までふさはしく汝の口を啓《ひら》けるがゆゑに 一一八―一二〇
我は出でしものを可《よし》とす、されど汝何を信ずるや、また何によりてかく信ずるにいたれるや、今これを我に述ぶべし。 一二一―一二三
我曰ふ。あゝ聖なる父よ、墓の邊《ほとり》にて若《わか》き足に勝ちしほどかたく信じゐたりしものを今見る靈よ 一二四―一二六
汝は我にわがとくいだける信の本體をこゝにあらはさんことを望み、かつまたこれがゆゑよしを問ふ 一二七―一二九
わが答は是なり、我は一神《ひとりのかみ》、唯一《たゞひとり》にて永遠《とこしへ》にいまし、愛と願ひとをもてすべての天を動かしつゝ自ら動かざる神を信ず 一三〇―一三二
しかして、かゝる信仰に對しては、我に物理哲理の證《あかし》あるのみならじ、モイゼ、諸
の豫言者、詩篇、聖傳 一三三―
及び汝等即ち燃ゆる靈に淨められし後書録《かきしる》せる人々によりこゝより降下《ふりくだ》る眞理もまた我にこの信を與ふ ―一三八
我また永遠《とこしへ》の三位を信ず、しかしてこれらの本《もと》は一、一にして三なれば、おしなべてソノといひエステといふをうるを信ず 一三九―一四一
わがいふところの奧深き神のさまをば、福音の教へいくたびもわが心に印す 一四二―一四四
是ぞ源、是ぞ火花、後延びて強き炎となり、あたかも天《そら》の星のごとくわが心に煌めくものなる。 一四五―一四七
己を悦ばす事を聞く主《しゆ》が、僕《しもべ》やがて默《もだ》すとき、その報知《しらせ》にめでゝ、直ちにこれを抱くごとく 一四八―一五〇
かの使徒の光――我に命じて語らしめし――は、わが默しゝ時、直ちに歌ひて我を祝しつゝ、三度《たび》わが周圍《まはり》をめぐれり 一五一―
わが言《ことば》かくその意《こゝろ》に適《かな》へるなりき。 ―一五六
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第二十五曲
年久しく我を窶《やつ》れしむるほど天地《あめつち》ともに手を下しゝ聖なる詩、もしかの麗はしき圈《をり》―― 一―
かしこに軍《いくさ》を起す狼どもの敵《あだ》、羔《こひつじ》としてわが眠りゐし處――より我を閉《し》め出《いだ》すその殘忍に勝つこともあらば ―六
その時我は變れる聲と變れる毛とをもて詩人として歸りゆき、わが洗禮《バッテスモ》の盤のほとりに冠を戴かむ 七―九
そは我かしこにて、魂を神に知らすものなる信仰に入り、後ピエートロこれが爲にかくわが額《ひたひ》の周圍《まはり》をめぐりたればなり 一〇―一二
クリストがその代理者の初果《はつなり》として殘しゝ者の出でし球より、このとき一の光こなたに進めり 一三―一五
わが淑女いたく悦びて我にいふ。見よ、見よ、かの長《をさ》を見よ、かれの爲にこそ下界にて人ガーリツィアに詣《まうづ》るなれ。 一六―一八
鳩その侶《とも》の傍《かたへ》に飛びくだるとき、かれもこれも|
《めぐ》りつゝさゝやきつゝ、互《かたみ》に愛をあらはすごとく 一九―二一
我はひとりの大いなる貴き君が他のかゝる君に迎へられ、かれらを飽《あ》かしむる天上の糧《かて》をばともに讚《ほ》め稱《たゝ》ふるを見き 二二―二四
されど會繹《えしやく》終れる時、かれらはいづれも、我に顏を垂《た》れしむるほど強く燃えつゝ、默《もだ》してわが前にとゞまれり 二五―二七
是時ベアトリーチェ微笑《ほゝゑ》みて曰ふ。われらの王宮の惠みのゆたかなるを録《しる》しゝなだゝる生命《いのち》よ 二八―三〇
望みをばこの高き處に響き渡らすべし、汝知る、イエスが、己をいとよく三人《みたり》に顯はし給ひし毎に、汝のこれを象《かたど》れるを。 三一―三三
頭《かうべ》を擧げよ、しかして心を強くせよ、人の世界よりこゝに登り來るものは、みなわれらの光によりて熟せざるをえざればなり。 三四―三六
この勵ます言《ことば》第二の火よりわが許《もと》に來れり、是においてか我は目を擧げ、かの先に重きに過ぎてこれを垂《た》れしめし山を見ぬ 三七―三九
恩惠《めぐみ》によりてわれらの帝《みかど》は、汝が、未だ死なざるさきに、その諸
の伯達《きみたち》と内殿に會ふことを許し 四〇―四二
汝をしてこの王宮の眞状《まことのさま》を見、これにより望み即ち下界に於て正しき愛を促《うなが》すものをば、汝と他《ほか》の人々の心に、強むるをえしめ給ふなれば 四三―四五
その望みの何なりや、いかに汝の心に咲くや、またいづこより汝の許に來れるやをいへ。第二の光續いてさらにかく曰へり 四六―四八
わが翼の羽を導いてかく高く飛ばしめしかの慈悲深き淑女、是時我より先に答へていふ 四九―五一
わが軍を遍《あまね》く照らすかの日輪に録《しる》さるゝごとく、戰鬪《たゝかひ》に參《あづか》る寺院にては彼より多くの望みをいだく子一人《ひとり》だになし 五二―五四
是故にかれは、その軍役《いくさのつとめ》を終へざるさきにエジプトを出で、イエルサレムメに來りて見ることを許さる 五五―五七
さて他《ほか》の二の事、即ち汝が、知らんとてならず、たゞ彼をしてこの徳のいかばかり汝の心に適《かな》ふやを傳へしめんとて問ひし事は 五八―六〇
我是を彼に委《ゆだ》ぬ、そは是彼に難からず虚榮の本《もと》とならざればなり、彼これに答ふべし、また願はくは神恩《かみのめぐみ》彼にかく爲《な》すをえしめ給へ。 六一―六三
あたかも弟子が、その精《くわ》しく知れる事においては、わが才能《ちから》を現はさんため、疾《と》くかつ喜びて師に答ふるごとく 六四―六六
我曰ひけるは。望みとは未來の榮光の確《かた》き期待にて、かゝる期待は神の恩惠《めぐみ》と先立つ功徳より生ず 六七―六九
この光多くの星より我許《わがもと》に來れど、はじめてこれをわが心に注げるは、最大《いとおほ》いなる導者を歌へる最大いなる歌人《うたびと》たりし者なりき 七〇―七二
かれその聖歌の中にいふ、爾名《みな》を知る者は望みを汝におくべしと、また誰か我の如く信じてしかしてこれを知らざらんや 七三―七五
かれの雫《しづく》とともに汝その後《のち》書《ふみ》のうちにて我にこれを滴《したゝ》らし、我をして滿たされて汝等の雨を他《ほか》の人々にも降らさしむ。 七六―七八
わが語りゐたる間、かの火の生くる懷《ふところ》のうちにとある閃《ひらめき》、俄にかつ屡
顫《ふる》ひ、そのさま電光《いなづま》の如くなりき 七九―八一
かくていふ。棕櫚《しゆろ》をうるまで、戰場《いくさのには》を出づる時まで、我にともなへる徳にむかひ今も我を燃《もや》す愛 八二―八四
我に勸《すゝ》めて再び汝――この徳を慕ふ者なる――と語らしむ、されば請ふ、望みの汝に何を約するやを告げよ。 八五―八七
我。新舊二つの聖經標《みふみしるし》を建《た》つ、この標こそ我にこれを指示《さししめ》すなれ、神が友となしたまへる魂につき 八八―九〇
イザヤは、かれらいづれも己が郷土《ふるさと》にて二重《ふたへ》の衣を着るべしといへり、己が郷土とは即ちこのうるはしき生の事なり 九一―九三
また汝の兄弟は、白衣《しろきころも》のことを述べしところにて、さらに詳《つまび》らかにこの默示をわれらにあらはす。 九四―九六
かくいひ終れる時、スペーレント・イン・テーまづわれらの上に聞え、舞ふ者こと/″\くこれに和したり 九七―九九
次いでかれらの中にて一の光いと強く輝けり、げにもし巨蟹宮に一のかゝる水晶あらば、冬の一月《ひとつき》はたゞ一の晝とならむ 一〇〇―一〇二
またたとへば喜ぶ處女《をとめ》が、その短處《おちど》の爲ならず、たゞ新婦《はなよめ》の祝ひのために、起《た》ち、行き、踊りに加はるごとく 一〇三―一〇五
かの輝く光は、己が燃ゆる愛に應じて圓くめぐれる二の光の許《もと》に來れり 一〇六―一〇八
かくてかしこにて歌と節とを合はせ、またわが淑女は、默《もだ》して動かざる新婦《はなよめ》のごとく、目をかれらにとむ 一〇六―一〇八
こは昔われらの伽藍鳥《ペルリカーノ》の胸に倚《よ》りし者、また選ばれて十字架の上より大いなる務を委《ゆだ》ねられし者なり。 一一二―一一四
わが淑女かく、されどその言《ことば》のためにその目を移さず、これをかたくとむることいはざる先の如くなりき 一一五―一一七
瞳を定めて、日の少しく虧《か》くるを見んと力《つと》むる人は、見んとてかへつて見る能はざるにいたる 一一八―一二〇
わがかの最後の火におけるもまたかくの如くなりき、是時聲曰ふ。汝何ぞこゝに在らざる物を視んとて汝の目を眩《まばゆ》うするや 一二一―一二三
わが肉體は土にして地にあり、またわれらの數《かず》が永遠《とこしへ》の聖旨《みむね》に配《そ》ふにいたるまでは他の肉體と共にかしこにあらむ 一二四―一二六
二襲《かさね》の衣を着つゝ尊き僧院にあるものは、昇りし二の光のみ、汝これを汝等の世に傳ふべし。 一二七―一二九
かくいへるとき、焔の舞は、三の氣吹《いぶき》の音《おと》のまじれるうるはしき歌とともにしづまり 一三〇―一三二
さながら水を掻きゐたる櫂《かひ》が、疲勞《つかれ》または危き事を避けんため、一の笛の音《ね》とともにみな止まる如くなりき 一三三―一三五
あゝわが心の亂れいかなりしぞや、そは我是時身を轉《めぐ》らしてベアトリーチェを見んとせしかど(我彼に近くかつ福の世にありながら) 一三六―
見るをえざりければなり ―一四一
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第二十六曲
わが視力の盡きしことにて我危ぶみゐたりしとき、これを盡きしめしかの輝く焔より一の聲出でゝわが心を惹けり 一―三
曰ふ。我を見て失ひし目の作用《はたらき》をば汝の再び得るまでは、語りてこれを償《つぐの》ふをよしとす 四―六
さればまづ、いへ、汝の魂何處《いづこ》をめざすや、かつまた信ぜよ、汝の視力は亂れしのみにて、滅び失せしにあらざるを 七―九
そは汝を導いてこの聖地を過ぐる淑女は、アナーニアの手の有《も》てる力を目にもてばなり 一〇―一二
我曰ふ。遲速《おそきはやき》を問はずたゞ彼の心のまゝにわが目癒《い》ゆべし、こは彼が、絶えず我を燃《もや》す火をもて入來りし時の門なりき 一三―一五
さてこの王宮を幸《さきは》ふ善こそ、或は低く或は高く愛のわが爲に讀むかぎりの文字《もじ》のアルファにしてオメガなれ。 一六―一八
目の俄にくらめるための恐れを我より取去れるその聲、我をして重ねて語るの意を起さしむ 一九―二一
その言《ことば》に曰ふ。げに汝はさらに細かき篩にて漉さゞるべからず、誰《た》が汝の弓をかゝる的《まと》に向けしめしやをいはざるべからず。 二二―二四
我。哲理の論ずる所によりまたこゝより降る權威によりて、かゝる愛は、我に象《かた》を捺《お》さゞるべからず 二五―二七
これ善は、その善なるかぎり、知らるゝとともに愛を燃《もや》し、かつその含む善の多きに從ひて愛また大いなるによる 二八―三〇
されば己の外に存する善がいづれもたゞ己の光の一線《すぢ》に過ぎざるほど勝《すぐ》るゝ者に向ひては 三一―三三
この證《あかし》の基《もとゐ》なる眞理をわきまふる人の心、他の者にむかふ時にまさりて愛しつゝ進まざるをえじ 三四―三六
我に凡ての永遠《とこしへ》の物の第一の愛を示すもの、かゝる眞理をわが智に明《あか》し 三七―三九
眞《まこと》の作者、即ち己が事を語りて我汝に一切の徳を見すべしとモイゼにいへる者の聲これを明し 四〇―四二
汝も亦、かの尊き公布《ふれ》により、他《ほか》のすべての告示《しらせ》にまさりて、こゝの秘密を下界に徇《とな》へつゝ、我にこれを明すなり。 四三―四五
是時聲曰ふ。人智及びこれと相和する權威によりて、汝の愛のうちの最《いと》大いなるもの神にむかふ 四六―四八
されど汝は、神の方《かた》に汝を引寄する綱のこの外《ほか》にもあるを覺ゆるや、請ふ更にこれを告げこの愛が幾個《いくつ》の齒にて汝を噛むやを言現《いひあら》はすべし。 四九―五一
クリストの鷲の聖なる思ひ隱れざりき、否《いな》我はよく彼のわが告白をばいづこに導かんとせしやを知りて 五二―五四
即ちまたいひけるは。齒をもて心を神に向はしむるをうるもの、みなわが愛と結び合へり 五五―五七
そは宇宙の存在、我の存在、我を活かしめんとて彼の受けし死、及び凡そ信ずる人の我と等しく望むものは 五八―六〇
先に述べし生くる認識とともに、我を悖《もと》れる愛の海より引きて、正しき愛の岸に置きたればなり 六一―六三
永遠《とこしへ》の園丁《にはつくり》の園にあまねく茂る葉を、我は神がかれらに授け給ふ幸《さいはひ》の度に從ひて愛す。 六四―六六
我默《もだ》しゝとき、忽ち一のいとうるはしき歌天に響き、わが淑女全衆に和して、聖なり聖なり聖なりといへり 六七―六九
鋭き光にあへば、物視る靈が、膜より膜に進み入るその輝に馳せ向ふため、眠り覺まされ 七〇―七二
覺めたる人は、判ずる力己を助くるにいたるまで、己が俄にさめし次第を知らで、その視る物におびゆるごとく 七三―七五
ベアトリーチェは、千哩《ミーリア》の先をも照らす己が目の光をもて、一切の埃《ほこり》をわが目より拂ひ 七六―七八
我は是時前よりもよく見るをえて、第四の光のわれらとともにあるを知り、いたく驚きてこれが事を問へり 七九―八一
わが淑女。この光の中には、第一の力のはじめて造れる第一の魂その造主《つくりぬし》を慕ふ。 八二―八四
たとへば風過ぐるとき、枝はその尖《さき》を垂《た》るれど、己が力に擡《もた》げられて、後また己を高むるごとく 八五―八七
我は彼の語れる間、いたく異《あや》しみて頭《かうべ》を低《た》れしも、語るの願ひに燃されて、後再び心を強うし 八八―九〇
曰ひけるは。あゝ熟して結べる唯一《たゞひとつ》の果實《このみ》よ、あゝ新婦《はなよめ》といふ新婦を女《むすめ》子婦《よめ》に有《も》つ昔の父よ 九一―九三
我いとうや/\しく汝に祈《ね》ぐ、請ふ語れ、わが願ひは汝の知るところなれば、汝の言《ことば》を疾《と》く聞かんため、我いはじ。 九四―九六
獸包まれて身を搖動《ゆりうごか》し、包む物またこれとともに動くがゆゑに、願ひを現はさゞるををえざることあり 九七―九九
かくの如く、第一の魂は、いかに悦びつゝわが望みに添はんとせしやを、その蔽物《おほひ》によりて我に示しき 一〇〇―一〇二
かくていふ。汝我に言現はさずとも、わが汝の願ひを知ること、およそ汝にいと明らかなることを汝の知るにもまさる 一〇三―一〇五
こは我これを眞《まこと》の鏡――この鏡萬物を己に映《うつ》せど、一物としてこれを己に映《うつ》すはなし――に照して見るによりてなり 一〇六―一〇八
汝の聞かんと欲するは、この淑女がかく長き階《きぎはし》をば汝に昇るをえしめし處なる高き園の中に神の我を置給ひしは幾年前《いくとせさき》なりしやといふ事 一〇九―一一一
これがいつまでわが目の樂なりしやといふ事、大いなる憤《いきどほり》の眞《まこと》の原因《もと》、またわが用ゐわが作れる言葉の事即ち是なり 一一二―一一四
さて我子よ、かの大いなる流刑《るけい》の原因《もと》は、木實《このみ》を味《あぢは》へるその事ならで、たゞ分を超《こ》えたることなり 一一五―一一七
我は汝の淑女がヴィルジリオを出立《いでた》ゝしめし處にありて、四千三百二年の間この集會《つどひ》を慕ひたり 一一八―一二〇
また地に住みし間に、我は日が九百三十回、その道にあたるすべての光に歸るを見たり 一二一―一二三
わが用ゐし言葉は、ネムブロットの族《やから》がかの成し終へ難き業《わざ》を試みしその時よりも久しき以前《さき》に悉く絶えにき 一二四―一二六
そは人の好む所天にともなひて改まるがゆゑに、理性より生じてしかして永遠《とこしへ》に續くべきもの未だ一つだにありしことなければなり 一二七―一二九
|抑
《そも/\》人の物言ふは自然の業《わざ》なり、されどかく言ひかくいふことは自然これを汝等に委《ゆだ》ね汝等の好むまゝに爲さしむ 一三〇―一三二
わが未だ地獄に降りて苦しみをうけざりしさきには、我を裏《つゝ》む喜悦《よろこび》の本《もと》なる至上の善、世にて|I《イ》と呼ばれ 一三三―一三五
その後|EL《エル》と呼ばれにき、是亦宜《うべ》なり、そは人の習慣《ならはし》は、さながら枝の上なる葉の、彼散りて此生ずるに似たればなり 一三六―一三八
かの波の上いと高く聳《そび》ゆる山に、罪なくしてまた罪ありてわが住みしは、第一時より、日の象限《しやうげん》を變ふるとともに 一三九―
第六時に次ぐ時までの間なりき。 ―一四四
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第二十七曲
父に子に聖靈に榮光あれ。天堂擧《こぞ》りてかく唱《とな》へ、そのうるはしき歌をもて我を醉はしむ 一―三
わが見し物は宇宙の一微笑《ひとゑみ》のごとくなりき、是故にわが醉《ゑひ》耳よりも目よりも入りたり 四―六
あゝ樂しみよ、あゝいひがたき歡びよ、あゝ愛と平和とより成る完《まつた》き生よ、あゝ慾なき恐れなき富よ 七―九
わが目の前には四《よつ》の燈火《ともしび》燃えゐたり、しかして第一に來れるものいよ/\あざやかになり 一〇―一二
かつその姿を改めぬ、木星《ジョーヴェ》もし火星《マルテ》とともに鳥にして羽を交換《とりかは》しなば、またかくの如くなるべし 一三―一五
次序《ついで》と任務《つとめ》とをこゝにて頒《わか》ち與ふる攝理、四方《よも》の聖徒達をしてしづかならしめしとき 一六―一八
わが聞ける言《ことば》にいふ。われ色を變ふと雖も異《あや》しむ莫《なか》れ、そはわが語るを聞きて是等の者みな色を變ふるを汝見るべければなり 一九―二一
わが地位、わが地位、わが地位(神の子の聖前《みまへ》にては今も空《むな》し)を世にて奪ふ者 二二―二四
わが墓所《はかどころ》をば血と穢《けがれ》との溝となせり、是においてか天上より墮《お》ちし悖《もと》れる者も下界に己が心を和らぐ。 二五―二七
是時我は、日と相對《あひむか》ふによりて朝《あした》夕《ゆふべ》に雲を染めなす色の、遍《あまね》く天に漲《みなぎ》るを見たり 二八―三〇
しかしてたとへばしとやかなる淑女が、心に怖《おそ》るゝことなけれど、他人《ひと》の過失《おちど》をたゞ聞くのみにてはぢらふごとく 三一―三三
ベアトリーチェは容貌《かたち》を變へき、思ふに比類《たぐひ》なき威能《ちから》の患《なや》み給ひし時にも、天かく暗くなりしなるべし 三四―三六
かくてピエートロ、容貌《かたち》の變るに劣らざるまでかはれる聲にて、續いて曰ふ 三七―三九
抑
クリストの新婦《はなよめ》を、わが血及びリーン、クレートの血にてはぐゝめるは、これをして黄金《こがね》をうるの手段《てだて》たらしめん爲ならず 四〇―四二
否《いな》この樂しき生を得ん爲にこそ、シストもピオもカーリストもウルバーノも、多くの苦患《なやみ》の後血を注げるなれ 四三―四五
基督教徒《クリスティアーニ》なる民の一部我等の繼承者《けいしようじや》の右に坐し、その一部左に坐するは、われらの志しゝところにあらじ 四六―四八
我に委《ゆだ》ねられし鑰《かぎ》が、受洗者《じゆせんじや》と戰ふための旗のしるしとなることもまた然《しか》り 四九―五一
我を印の象《かた》となして、贏利虚妄《えいりきよまう》の特典に捺《お》し、われをして屡
かつ恥ぢかつ憤《おこ》らしむることも亦然り 五二―五四
こゝ天上より眺むれば、牧者の衣を着たる暴《あら》き狼隨處《いたるところ》の牧場《まきば》に見ゆ、あゝ神の擁護《みまもり》よ、何ぞ今も起《た》たざるや 五五―五七
カオルサ人《びと》等とグアスコニア人等、はや我等の血を飮まんとす、ああ善き始めよ、汝の落行先《おちゆくさき》はいかなる惡しき終りぞや 五八―六〇
されど思ふに、シピオによりローマに世界の榮光を保たしめたる尊き攝理、直ちに助け給ふべし 六一―六三
また子よ、汝は肉體の重さのため再び下界に歸るべければ、口を啓《ひら》け、わが隱さゞる事を隱す莫《なか》れ。 六四―六六
日輪天の磨羯《まかつ》の角《つの》に觸るゝとき、凍《こほ》れる水氣片《ひら》を成してわが世の空《そら》より降るごとく 六七―六九
我はかの飾れる精氣より、さきにわれらとともにかしこに止まれる凱旋《がいせん》の水氣片《ひら》をなして昇るを見たり 七〇―七二
わが目はかれらの姿にともなひ、間《あはひ》の大いなるによりさらに先を見るをえざるにいたりてやみぬ 七三―七五
是においてか淑女、わが仰ぎ見ざるを視、我にいふ。目を垂《た》れて汝の|
《めぐ》れるさまを見るべし。 七六―七八
我見しに、はじめわが見し時より以來《このかた》、我は第一帶の半《なかば》よりその端《はし》に亘る弧線《アルコ》を悉くめぐり終へゐたり 七九―八一
さればガーデのかなたにはウリッセの狂《くるほ》しき船路《ふなぢ》見え、近くこなたには、エウローパがゆかしき荷となりし處なる岸見えぬ 八二―八四
日輪もし一天宮餘を隔《へだ》てゝわが足の下に|
《めぐ》りをらずば、この小さき麥場《うちば》なほ廣く我に現はれたりしなるべし 八五―八七
たえずわが淑女と契る戀心《こひごゝろ》、常よりもはげしく燃えつゝ、わが目を再び彼にむかしむ 八八―九〇
げに自然や技《わざ》が、心を獲んためまづ目を捉《とら》へんとて、人の肉體やその繪姿《ゑすがた》に造れる餌《ゑば》 九一―九三
すべて合はさるとも、わが彼のほゝゑむ顏に向へるとき我を照らしゝ聖なる樂しみに此ぶれば物の數ならじと見ゆべし 九四―九六
しかしてかく見しことよりわが受けたる力は、我をレーダの美しき巣より引離して、いと疾《はや》き天に押し入れき 九七―九九
これが各部皆いと強く輝きて高くかつみな同じ状《さま》なれば、我はベアトリーチェがその孰《いづ》れを選びてわが居る處となしゝやを知らじ 一〇〇―一〇二
されど淑女は、わが願ひを見、その顏に神の悦び現はると思ふばかりいとうれしくほゝゑみていふ 一〇三―一〇五
中心を鎭《しづ》め、その周圍《まはり》なる一切の物を動かす宇宙の性《さが》は、己が源より出づるごとく、こゝよりいづ 一〇六―一〇八
またこの天には神意《みこころ》の外《ほか》處《ところ》なし、しかしてこれを轉らす愛とこれが降《ふら》す力とはこの神意の中に燃ゆ 一〇九―一一一
一の圈の光と愛これを容るゝことあたかもこれが他の諸
の圈を容《い》るゝに似たり、しかしてこの圈を司《つかさど》る者はたゞこれを包む者のみ 一一二―一一四
またこれが運行は他の運行によりて測《はか》られじ、されど他の運行は皆これによりて量《はか》らる、猶十のその半《なかば》と五分《ぶ》一とによりて測らるゝ如し 一一五―一一七
されば時なるものが、その根をかゝる鉢に保ち、葉を他の諸
の鉢にたもつ次第は、今汝に明らかならむ 一一八―一二〇
あゝ慾よ、汝は人間を深く汝の下に沈め、ひとりだに汝の波より目を擡《もた》ぐるをえざるにいたらしむ 一二一―一二三
意志は人々のうちに良花《よきはな》と咲けども、雨の止まざるにより、眞《まこと》の李《すもゝ》惡しき實に變る 一二四―一二六
信と純とはたゞ童兒《わらべ》の中にあるのみ、頬に鬚《ひげ》の生《お》ひざるさきにいづれも逃ぐ 一二七―一二九
片言《かたこと》をいふ間斷食《だんじき》を守る者も、舌ゆるむ時至れば、いかなる月の頃にてもすべての食物《くひもの》を貪りくらひ 一三〇―一三二
片言をいふ間母を愛しこれに從ふ者も、言語《ことば》調《とゝの》ふ時いたれば、これが葬らるゝを見んとねがふ 一三三―一三五
かくの如く、朝《あした》を齎し夕《ゆふべ》を殘しゆくものゝ美しき女《むすめ》の肌は、はじめ白くして後黒し 一三六―一三八
汝これを異《あや》しとするなからんため、思ひみよ、地には治むる者なきことを、人の族《やから》道を誤るもこの故ぞかし 一三九―一四一
されど第一月が、世にかの百分《ぶ》一の等閑《なほざり》にせらるゝため、全く冬を離るゝにいたらざるまに、諸
の天は鳴轟き 一四二―一四四
待ちに待ちし嵐起りて、艫《とも》を舳《へさき》の方《かた》にめぐらし、千船《ちふね》を直く走らしむべし 一四五―一四七
かくてぞ花の後に眞《まこと》の實あらむ。 一四八―一五〇
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第二十八曲
我をして心を天堂に置かしむる淑女、幸《さち》なき人間の現世《げんぜ》を難じつゝその眞状《まことのさま》をあらはしゝ時 一―三
我はあたかも、見ず思はざるさきに己が後方《うしろ》にともされし燈火《ともしび》の焔を鏡に見 四―六
玻
の果して眞《まこと》を告ぐるや否やを見んとて身を轉らし、此と彼と相合ふこと歌のその譜《ふ》におけるに似たるを見る 七―
人の如く(記憶によりて思ひ出づれば)、かの美しき目即ち愛がこれをもて紐《ひも》を造りて我を捉《とら》へし目を見たり ―一二
かくてふりかへり、人がつら/\かの天のめぐるを視るとき常にかしこに現はるゝものわが目に觸るゝに及び 一三―一五
我は鋭き光を放つ一點を見たり、げにかゝる光に照らされんには、いかなる目も、そのいと鋭きが爲に閉ぢざるをえじ 一六―一八
また世より最小《いとちひ》さく見ゆる星さへ、星の星と並ぶごとくかの點とならびなば、さながら月と見ゆるならむ 一九―二一
月日《つきひ》の暈《かさ》が、これを支《さゝ》ふる水氣のいと濃《こ》き時にあたり、これを彩《いろど》る光を卷きつゝその邊《ほとり》に見ゆるばかりの 二二―二四
間《あはひ》を隔《へだ》てゝ、一の火輪《ひのわ》かの點のまはりをめぐり、その早きこと、いと速に世界を卷く運行にさへまさると思はるゝ程なりき 二五―二七
また是は第二の輪に、第二は第三、第三は第四、第四は第五、第五は第六の輪に卷かる 二八―三〇
第七の輪これに續いて上方《うへ》にあり、今やいたくひろがりたれば、ユーノの使者《つかひ》完全《まつた》しともこれを容《い》るゝに足らざるなるべし 三一―三三
第八第九の輪また然り、しかしていづれもその數《かず》が一《いち》を距《へだゝ》ること遠きに從ひ、|
《めぐ》ることいよ/\遲く 三四―三六
また清き火花にいと近きものは、これが眞《まこと》に與《あづ》かること他にまさる爲ならむ、その焔いと燦《あざや》かなりき 三七―三九
わがいたく思ひ惑《まど》ふを見て淑女曰ふ。天もすべての自然も、かの一點にこそ懸《かゝ》るなれ 四〇―四二
見よこれにいと近き輪を、しかして知るべし、その|
《めぐ》ることかく早きは、燃ゆる愛の刺戟を受くるによるなるを。 四三―四五
我彼に。宇宙もしわがこれらの輪に見るごとき次第を保《たも》たば、わが前に置かるゝもの我を飽かしめしならむ 四六―四八
されど官能界にありては、諸
の回轉その中心を遠ざかるに從つていよ/\聖なるを見るをう 四九―五一
是故にこの妙《たへ》なる、天使の神殿《みや》、即ちたゞ愛と光とをその境界《さかひ》とする處にて、わが顏ひ全く成るをうべくば 五二―五四
請《こ》ふさらに何故に模寫《うつし》と樣式《かた》とが一樣ならざるやを我に告げよ、我自らこれを想ふはいたづらなればなり。 五五―五七
汝の指かゝる纈《むすび》を解くをえずとも異《あや》しむに足らず、こはその試みられざるによりていと固くなりたればなり。 五八―六〇
わが淑女かく、而して又曰ふ。もし飽くことを願はゞ、わが汝に告ぐる事を聽き、才を鋭うしてこれにむかへ 六一―六三
それ諸
の球體は、遍《あまね》くその各部に亘りてひろがる力の多少に從ひ、或は廣く或は狹し 六四―六六
徳大なればその生ずる福祉《さいはひ》もまた必ず大に、體大なれば(而してその各部等しく完全なれば)その容《い》るゝ福祉《ふくし》もまた從つて大なり 六七―六九
是においてか己と共に殘の宇宙を悉く轉《めぐ》らす球は、愛と智とのともにいと多き輪に適《かな》ふ 七〇―七二
是故に汝の量《はかり》を、圓《まる》く汝に現はるゝものゝ外見《みえ》に据《す》ゑずして力に据ゑなば 七三―七五
汝はいづれの天も、その天使と――即ち大いなるは優れると、小さきは劣れると――奇《くす》しく相應ずるを見む。 七六―七八
ボーレアがそのいと温和《おだやか》なる方《かた》の頬より吹くとき、半球の空あざやかに澄みわたり 七九―八一
さきにこれを曇らせし霧拂はれ消えて、天その隨處の美を示しつゝほゝゑむにいたる 八二―八四
わが淑女がその明らかなる答を我に與へしとき、我またかくの如くになり、眞《まこと》を見ること天の星を見るに似たりき 八五―八七
しかしてその言《ことば》終るや、諸
の輪火花を放ち、そのさま熱鐡の火花を散らすに異なるなかりき 八八―九〇
火花は各
その火にともなへり、またその數《かず》はいと多くして、將棊《しようぎ》を倍するに優ること幾千といふ程なりき 九一―九三
我は彼等がかれらをその常にありし處に保ちかつ永遠《とこしへ》に保つべきかの動かざる點に向ひ、組々《くみ/″\》にオザンナを歌ふを聞けり 九四―九六
淑女わが心の中の疑ひを見て曰ふ。最初《はじめ》の二つの輪はセラフィニとケルビとを汝に示せり 九七―九九
かれらのかく速に己が絆|に《きづな》從ふは、及ぶ限りかの點に己を似せんとすればなり、而してその視る位置の高きに準じてかく爲すをう 一〇〇―一〇二
かれらの周圍《まはり》を轉《めぐ》る諸
の愛は、神の聖前《みまへ》の寶座《フローニ》と呼ばる、第一の三《みつ》の組かれらに終りたればなり 一〇三―一〇五
汝知るべし、一切の智の休らふ處なる眞《まこと》をばかれらが見るの深きに應じてその悦び大いなるを 一〇六―一〇八
かゝれば福祉《さいはひ》が見る事に原《もと》づき愛すること(即ち後に來る事)にもとづかざる次第もこれによりて明らかならむ 一〇九―一一一
また、見る事の量《はかり》となるは功徳にて、恩惠《めぐみ》と善心《よきこゝろ》とより生る、次序《ついで》をたてゝ物の進むことかくの如し 一一二―一一四
同じくこの永劫《えいごふ》の春――夜の白羊宮もこれを掠《かす》めじ――に萌出《もえいづ》る第二の三《みつ》の組は 一一五―一一七
永遠《とこしへ》にオザンナを歌ひつゝ、その三《みつ》を造り成す三の喜悦《よろこび》の位の中に三の妙《たへ》なる音《ね》をひゞかしむ 一一八―一二〇
この組の中には三種《みくさ》の神あり、第一は統治《ドミナーツィオニ》、次は懿徳《ヴィルトゥーディ》、第三の位は威能《ボデスターディ》[#ルビの「ボデスターディ」はママ]なり 一二一―一二三
次で最後《をはり》に最《いと》近《ちか》く踊り|
《めぐ》る二の群《むれ》は主權《ブリンチパーティ》[#ルビの「ブリンチパーティ」はママ]と首天使《アルカンゼリ》にて、最後《をはり》にをどるは、すべて樂しき天使なり 一二四―一二六
これらの位みな上方《うへ》を視る、かれらまたその力を強く下方《した》に及ぼすがゆゑに、みな神の方《かた》に引かれしかしてみな引く 一二七―一二九
さてディオニージオは、心をこめてこれらの位の事を思ひめぐらし、わがごとくこれが名をいひこれを別つにいたりたり 一三〇―一三二
されどその後グレゴーリオ彼を離れき、是においてか目をこの天にて開くに及び、自ら顧みて微笑《ほゝゑ》めり 一三三―一三五
またたとひ人たる者がかくかくれたる眞《まこと》をば世に述べたりとて異《あや》しむ勿《なか》れ、こゝ天上にてこれを見し者、これらの輪に關《かゝ》はる 一三六―
他の多くの眞《まこと》とともにこれを彼に現はせるなれば。 ―一四一
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第二十九曲
ラートナのふたりの子、白羊と天秤《てんびん》とに蔽はれて、齊《ひと》しく天涯を帶とする頃 一―三
天心が權衡《けんこう》を保つ刹那《せつな》より、彼も此も半球を換《か》へかの帶を離れつゝ權衡を破るにいたる程の間 四―六
ベアトリーチェは、わが目に勝ちたるかの一點をつら/\視つゝ、笑《ゑみ》を顏にうかべて默《もだ》し 七―九
かくて曰ふ。汝の聞かんと願ふことを我問はで告ぐ、そは我これを一切の處と時との集まる點にて見たればなり 一〇―一二
|抑
《そも/\》永遠《とこしへ》の愛は、己が幸《さいはひ》を増さん爲ならず(こはあるをえざる事なり)、たゞその光が照りわたりつゝ、我在りといふをえんため 一三―
時を超《こ》え他の一切の限《かぎり》を超え、己が無窮の中にありて、その心のまゝに己をば諸
の新しき愛のうちに現はせり ―一八
またその先にも、爲すなきが如くにて休らひゐざりき、そはこれらの水の上に神の動き給ひしは、先後《あとさき》に起れる事にあらざればなり 一九―二一
形式と物質と、或は合ひ或は離れて、あたかも三《みつ》の弦《つる》ある弓より三の矢の出る如く出で、缺くるところなき物となりたり 二二―二四
しかして光が、|玻
《はり》琥珀《こはく》または水晶を照らす時、その入來るより入終るまでの間に些《すこし》の隙《ひま》もなきごとく 二五―二七
かの三《みつ》の形の業《わざ》は、みな直に成り備《そな》はりてその主より輝き出で、いづれを始めと別ちがたし 二八―三〇
また時を同じうしてこの三の物の間に秩序は造られ立てられき、而して純なる作用を授けられしもの宇宙の頂となり 三一―三三
純なる勢能最低處《いとひくきところ》を保ち、中央には一の繋《つなぎ》、繋離るゝことなきほどにいと固《かた》く、勢能を作用と結び合せき 三四―三六
イエロニモは、天使達がその餘の宇宙の造られし時より幾百年の久しきさきに造られしことを録《しる》せるも 三七―三九
わがいふ眞《まこと》は聖靈を受けたる作者達のしば/\書《ふみ》にしるしゝところ、汝よく心をとめなば自らこれをさとるをえむ 四〇―四二
また理性もいくばくかこの眞《まこと》を知らしむ、そは諸
の動者《うごかすもの》がかく久しく全からざりしとはその認めざることなればなり 四三―四五
今や汝これらの愛の、いづこに、いつ、いかに造られたりしやを知る、されば汝の願ひの中三《みつ》の焔ははや消えたり 四六―四八
數《かず》を二十までかぞふるばかりの時をもおかず、天使の一部は、汝等の原素のうちのいと低きものを亂し 四九―五一
その餘の天使は、殘りゐて、汝の見るごとき技《わざ》を始む(かくする喜びいと大いなりければ、かれら|
《めぐ》り止《や》むことあらじ) 五二―五四
墮落の原因《もと》は、汝の見しごとく宇宙一切の重さに壓《お》されをる者の、詛《のろ》ふべき傲慢《たかぶり》なりき 五五―五七
またこゝに見ゆる天使達は、謙《へりくだ》りて、かの善即ちかれらをしてかく深く悟るにいたらしめたる者よりかれらの出しを認めたれば 五八―六〇
恩惠《めぐみ》の光と己が功徳とによりてその視る力増したりき、是故にその意志備りて固し 六一―六三
汝疑ふなかれ、信ぜよ、恩惠《めぐみ》を受くるは功徳にて、この功徳は恩惠を迎ふる情の多少に應ずることを 六四―六六
汝もしわが言《ことば》をさとりたらんには、たとひ他《ほか》の助けなしとも、今やこの集會《つどひ》につきて多くの事を想ふをえむ 六七―六九
されど地上汝等の諸
の學寮にては、天使に了知、記憶、及び意志ありと教へらるゝがゆゑに 七〇―七二
我さらに語り、汝をして、かゝる教へにおける言葉の明らかならざるため下界にて紛《まが》ふ眞理の純なる姿を見しむべし 七三―七五
そも/\これらの者は、神の聖顏《みかほ》を見て悦びし時よりこの方、目をこれ(一物としてこれにかくるゝはなし)に背《そむ》けしことなし 七六―七八
是故にその見ること新しき物に阻《はば》まれじ、是故にまたその想《おもひ》の分れたる爲、記憶に訴ふることを要せじ 七九―八一
されば世にては人眠らざるに夢を見つゝ、或は眞《まこと》をいふと信じ或はしかすと信ぜざるなり、後者は罪も恥《はぢ》もまさる 八二―八四
汝等世の人、理《ことわり》を究《きわ》むるにあたりて同一《おなじひとつ》の路を歩まず、これ外見《みえ》を飾るの慾と思ひとに迷はさるゝによりてなり 八五―八七
されどこれとても、神の書《ふみ》の疎《うと》んぜられまたは曲げらるゝに此《くら》ぶれば、そが天上にうくる憎惡《にくしみ》なほ輕し 八八―九〇
かの書《ふみ》を世に播《ま》かんためいくばくの血流されしや、謙《へりくだ》りてこれに親しむ者いかばかり聖意《みこゝろ》に適《かな》ふやを人思はず 九一―九三
各
外見《みえ》のために力め、さま/″\の異説を立つれば、これらはまた教を説く者の論《あげつら》ふところとなりて福音ものいはじ 九四―九六
ひとりいふ、クリストの受難の時は、月退《しざ》りて中間《なか》を隔《へだ》てしため、日の光地に達せざりきと 九七―九九
またひとりいふ、こは光の自ら隱れしためなり、されば猶太人《ジュデーアびと》のみならずスパニア人《びと》もインド人も等しくその缺くるを見たりと 一〇〇―一〇二
ラーポとビンドいかにフィオレンツァに多しとも、年毎《としごと》にこゝかしこにて教壇より叫ばるゝかゝる浮説の多きには若《し》かず 一〇三―一〇五
是故に何をも知らぬ羊は、風を食ひて牧場より歸る、また己が禍ひを見ざることも彼等を罪なしとするに足らじ 一〇六―一〇八
クリストはその最初の弟子達に向ひ、往きて徒言《あだこと》を世に宣傳《のべつた》へといひ給はず、眞《まこと》の礎《いしずゑ》をかれらに授け給ひたり 一〇九―一一一
この礎のみぞかれらの唱《とな》へしところなる、されば信仰を燃《もや》さん爲に戰ふにあたり、かれらは福音を楯《たて》とも槍ともなしたりき 一一二―一一四
今や人々戲言《ざれごと》と戲語《たはけ》とをもて教へを説き、たゞよく笑はしむれば僧帽脹《ふく》る、かれらの求むるものこの外《ほか》になし 一一五―一一七
されど帽の端《はし》には一羽の鳥の巣くふあり、俗衆これを見ばその頼む罪の赦の何物なるやを知るをえむ 一一八―一二〇
是においてかいと愚《おろか》なること地にはびこり、定かにすべき證《あかし》なきに、人すべての約束の邊《ほとり》に集《つど》ひ 一二一―一二三
聖アントニオは(贋造《まがへ》の貨幣《かね》を拂ひつゝ)これによりて、その豚と、豚より穢《けが》れし者とを肥《こや》す 一二四―一二六
されど我等主題を遠く離れたれば、今目を轉《めぐ》らして正路を見るべし、さらば時とともに途《みち》を短うするをえむ 一二七―一二九
それ天使は數《かず》きはめて多きに達し、人間の言葉も思ひもともなふあたはじ 一三〇―一三二
汝よくダニエールの現はしゝ事を思はゞ、その幾千なる語《ことば》のうちに定かなる數かくるゝを知らむ 一三三―一三五
彼等はかれらをすべて照らす第一の光を受く、但し受くる状態《ありさま》に至りては、この光と結び合ふ諸
の輝の如くに多し 一三六―一三八
是においてか、情愛は會得《ゑとく》の作用にともなふがゆゑに、かれらのうちのうるはしき愛その熱《あつ》さ微温《ぬる》さを異にす 一三九―一四一
見よ今永遠《とこしへ》の力の高さと廣さとを、そはこのもの己が爲にかく多くの鏡を造りてそれらの中に碎くれども 一四二―一四四
一たるを失はざること始めの如くなればなり。 一四五―一四七
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第三十曲
第六時はおよそ六千哩《ミーリア》のかなたに燃え、この世界の陰傾きてはや殆んど水平をなすに 一―三
いたれば、いや高き天の中央《たゞなか》白みはじめて、まづとある星、この世に見ゆる力を失ひ 四―六
かくて日のいと燦《あざや》かなる侍女《はしため》のさらに進み來るにつれ、天は光より光と閉ぢゆき、そのいと美しきものにまで及ぶ 七―九
己が包むものに包まると見えつゝわが目に勝ちし一點のまはりに永遠《とこしへ》に舞ふかの凱旋も、またかくの如く 一〇―一二
次第に消えて見えずなりき、是故に何をも見ざることゝ愛とは、我を促《うなが》して目をベアトリーチェに向けしむ 一三―一五
たとひ今にいたるまで彼につきていひたる事をみな一の讚美の中に含ましむとも、わが務《つとめ》を果すに足らじ 一六―一八
わが見し美は、豈《あに》たゞ人の理解《さとり》を超《こ》ゆるのみならんや、我誠に信ずらく、これを悉く樂しむ者その造主《つくりぬし》の外になしと 一九―二一
げに茲《こゝ》にいたり我は自らわが及ばざりしを認む、喜曲または悲曲の作者もその題《テーマ》の難きに處してかく挫《くぢ》けしことはあらじ 二二―二四
そは日輪の、いと弱き視力におけるごとく、かのうるはしき微笑の記憶は、わが心より心その物を掠むればなり 二五―二七
この世にはじめて彼の顏を見し日より、かく視るにいたるまで、我たえず歌をもてこれにともなひたりしかど 二八―三〇
今は歌ひつゝその美を追ひてさらに進むことかなはずなりぬ、いかなる藝術の士も力盡くればまたかくの如し 三一―三三
さてかれは、かく我をしてわが喇叭《らつぱ》(こはその難き歌をはや終へんとす)よりなほ大いなる音にかれを委《ゆだ》ねしむるほどになりつゝ 三四―三六
敏《と》き導者に似たる動作《みぶり》と聲とをもて重ねていふ。われらは最《いと》大いなる體を出でゝ、純なる光の天に來れり 三七―三九
この光は智の光にて愛これに滿《み》ち、この愛は眞《まこと》の幸《さいはひ》の愛にて悦びこれに滿ち、この悦び一切の樂しみにまさる 四〇―四二
汝はこゝにて天堂の二隊《ふたて》の軍《いくさ》をともに見るべし、而《しか》してその一隊《ひとて》をば最後《をはり》の審判《さばき》の時汝に現はるゝその姿にて見む。 四三―四五
俄に閃《ひらめ》く電光《いなづま》が、物見る諸
の靈を亂し、いと強き物の與ふる作用《はたらき》をも目より奪ふにいたるごとく 四六―四八
生くる光わが身のまはりを照らし、その輝《かゞやき》の|面
《かほおほひ》をもて我を卷きたれば、何物も我に見えざりき 四九―五一
この天をしづむる愛は、常にかゝる會釋《ゑしやく》をもて己が許《もと》に歡《よろこ》び迎ふ、これ蝋燭をその焔に適《ふさ》はしからしめん爲なり。 五二―五四
これらのつゞまやかなる言葉わが耳に入るや否や、我はわが力の常よりも増しゐたるをさとりき 五五―五七
しかして新しき視力わが衷《うち》に燃え、いかなる光にてもわが目の防ぎえざるほど燦《あざ》やかなるはなきにいたれり 五八―六〇
さて我見しに、河のごとき形の光、妙《たへ》なる春をゑがきたる二つの岸の間にありていとつよく輝き 六一―六三
この流れよりは、諸
の生くる火出でゝ左右の花の中《なか》に止まり、さながら紅玉《あかだま》を黄金《こがね》に嵌《はさ》むるに異ならず 六四―六六
かくて香に醉へるごとく再び奇《く》しき淵に沈みき、しかして入る火と出づる火と相亞《あひつ》げり 六七―六九
汝が見る物のことを知らんとて今汝を燃しかつ促《うなが》す深き願ひは、そのいよ/\切なるに從ひいよ/\わが心に適《かな》ふ 七〇―七二
されどかゝる渇《かわき》をとゞむるにあたり、汝まづこの水を飮まざるべからず。わが目の日輪かく我にいひ 七三―七五
さらに加ふらく。河、入り出る諸
の珠《たま》、及び草の微笑《ほゝゑみ》は、その眞状《まことのさま》を豫《あらかじ》め示す象《かたち》なり 七六―七八
こはこれらの物その物の難《かた》きゆゑならず、汝に缺くるところありて視力未ださまで強からざるによる。 七九―八一
常よりもいと遲く目を覺しゝ嬰兒《をさなご》が、顏を乳の方《かた》にむけつゝ身を投ぐる疾《はや》ささへ 八二―八四
目をば優《まさ》る鏡とせんとてわがかの水(人をしてその中《なか》にて優れる者とならしめん爲流れ出《いづ》る)の方《かた》に身を屈《かゞ》めしその早さには如《し》かじ 八五―八七
しかしてわが瞼《まぶた》の縁《ふち》この水を飮める刹那《せつな》に、その長き形は、變りて圓《まる》く成ると見えたり 八八―九〇
かくてあたかも假面《めん》を被《かう》むれる人々が、己を隱しゝ假《かり》の姿を棄つるとき、前と異なりて見ゆる如く 九一―九三
花も火もさらに大いなる悦びに變り、我はあきらかに二組の天の宮人《みやびと》達を見たり 九四―九六
あゝ眞《まこと》の王國の尊き凱旋を我に示せる神の輝よ、願はくは我に力を與へて、わがこれを見し次第を言はしめよ 九七―九九
かしこに光あり、こは造主《つくりぬし》をばかの被造物《つくられしもの》即ち彼を見るによりてのみその平安を得る物に見えしむる光にて 一〇〇―一〇二
その周邊《まはり》を日輪の帶となすとも緩《ゆる》きに過ぐと思はるゝほど廣く圓形《まるがた》に延びをり 一〇三―一〇五
そが見ゆるかぎりはみな、プリーモ・モービレの頂より反映《てりかへ》す一線《ひとすぢ》の光(かの天この光より生命《いのち》と力とを受く)より成る 一〇六―一〇八
しかして邱《をか》が、緑草《あをくさ》や花に富める頃、わが飾れるさまを見ん爲かとばかり、己が姿をその麓《ふもと》の水に映《うつ》すごとく 一〇九―一一一
すべてわれらの中《うち》天に歸りたりし者、かの光の上にありてこれを圍《かこ》み繞《めぐ》りつゝ、千餘の列より己を映《うつ》せり 一一二―一一四
そのいと低き階《きだ》さへかく大いなる光を己が中に集むるに、花片《はなびら》果るところにてはこの薔薇の廣さいかばかりぞや 一一五―一一七
わが視力《みるちから》は廣さ高さのために亂れず、かの悦びの量と質とをすべてとらへき 一一八―一二〇
近きも遠きもかしこにては加へじ減《ひ》かじ、神の親しくしろしめし給ふ處にては自然の法《のり》さらに行はれざればなり 一二一―一二三
段《きだ》また段と延びをり、とこしへに春ならしむる日輪にむかひて讚美の香《か》を放つ無窮の薔薇の黄なるところに 一二四―一二六
ベアトリーチェは、あたかも物言はんと思ひつゝ言はざる人の如くなりし我を惹行《ひきゆ》き、さて曰《いひ》けるは。見よ白衣《びやくえ》の群《むれ》のいかばかり大いなるやを 一二七―一二九
見よわれらの都のその周圍《まはり》いかばかり廣きやを、見よわれらの席の塞《ふさが》りて、この後こゝに待たるゝ民いかばかり數少きやを 一三〇―一三二
かの大いなる座、即ちその上にはや置かるゝ冠の爲汝が目をとむる座には、汝の未だこの婚筵《こんえん》に連《つらな》りて食せざるさきに 一三三―一三五
尊きアルリーゴの魂(下界に帝となるべき)坐すべし、彼はイタリアを直くせんとてその備へのかしこに成らざる先に行かむ 一三六―一三八
汝等は無明の慾に迷ひ、あたかも死ぬるばかりに饑《う》ゑつゝ乳母《めのと》を逐ひやる嬰鬼《をさなご》の如くなりたり 一三九―一四一
しかして顯《あらは》にもひそかにも彼と異なる道を行く者、その時神の廳《つかさ》の長《をさ》たらむ 一四二―一四四
されど神がこの者に聖なる職《つとめ》を許し給ふはその後たゞ少時《しばし》のみ、彼はシモン・マーゴの己が報いをうくる處に投げ入れられ 一四五―一四七
かのアラーエア人《びと》をして愈
深く沈ましむべければなり。 一四八―一五〇
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第三十一曲
クリストの己が血をもて新婦《はなよめ》となしたまへる聖軍は、かく純白の薔薇の形となりて我に現はれき 一―三
されど殘の一軍《ひとて》(これが愛を燃すものゝ榮光と、これをかく秀でしめし威徳とを、飛びつゝ見かつ歌ふところの)は 四―六
蜂の一群《むれ》が、或時は花の中に入り、或時はその勞苦の味《あぢ》の生ずるところに歸るごとく 七―九
かのいと多くの花片《はなびら》にて飾らるゝ大いなる花の中にくだり、さて再びかしこより、その愛の常に止まる處にのぼれり 一〇―一二
かれらの顏はみな生くる焔、翼は黄金《こがね》にて、その他《ほか》はいかなる雪も及ばざるまで白かりき 一三―一五
席より席と花の中にくだる時、かれらは脇を扇《あふ》ぎて得たりし平和と熱とを傳へたり 一六―一八
またかく大いなる群《むれ》飛交《とびかは》しつゝ上なる物と花の間を隔《へだ》つれども、目も輝もこれに妨げられざりき 一九―二一
そは神の光宇宙をばその功徳に準じて貫《つらぬ》き、何物もこれが障礙《しょうがい》となることあたはざればなり 二二―二四
この安らけき樂しき國、舊《ふる》き民新しき民の群居《むれゐ》る國は、目をも愛をも全く一の目標《めあて》にむけたり 二五―二七
あゝ唯一《たゞひとつ》の星によりてかれらの目に閃きつゝかくこれを飽かしむる三重《みへ》の光よ、願はくはわが世の嵐を望み見よ 二八―三〇
未開の人々、エリーチェがその愛兒《いとしご》とともにめぐりつゝ日毎《ひごと》に蔽《おほ》ふ方《かた》より來り 三一―三三
ローマとそのいかめしき業《わざ》――ラテラーノが人間の爲すところのものに優れる頃の――とを見ていたく驚きたらんには 三四―三六
人の世より神の世に、時より永劫に、フィオレンツァより、正しき健《すこや》かなる民の許《もと》に來れる我 三七―三九
豈《あに》いかばかりの驚きにてか滿されざらんや、げに驚きと悦びの間にありて、我は聞かず言はざるを願へり 四〇―四二
しかして巡禮が、その誓願をかけし神殿《みや》の中にて邊《あたり》を見つゝ心を慰め、はやその状《さま》を人に傳へんと望む如く 四三―四五
我は目をかの生くる光に馳せつゝ、諸
の段《きだ》に沿《そ》ひ、或ひは上或ひは下或ひは周圍《まはり》にこれを移し 四六―四八
神の光や己が微笑《ほゝゑみ》に裝《よそ》はれ、愛の勸《すゝ》むる諸
の顏と、すべての愼《つゝしみ》にて飾らるゝ諸
の擧動《ふるまひ》とを見たり 四九―五一
おしなべての天堂の形をわれ既に悉く認めたれど、未だそのいづれのところにも目を据《す》ゑざりき 五二―五四
かくて新しき願ひに燃され、我はわが心に疑ひをいだかしめし物につきてわが淑女に問はんため身をめぐらせるに 五五―五七
わが志《こゝろざ》しゝ事我に臨《のぞ》みし事と違へり、わが見んと思ひしはベアトリーチェにてわが見しは一人《ひとり》の翁《おきな》なりき、その衣は榮光の民の如く 五八―六〇
目にも頬にも仁愛の悦びあふれ、その姿は、やさしき父たるにふさはしきまで慈悲深かりき 六一―六三
彼何處《いづこ》にありや。我は直にかく曰《い》へり、是においてか彼。汝の願ひを滿さんためベアトリーチェ我をしてわが座を離れしむ 六四―六六
汝仰ぎてかの最高《いとたか》き段《きだ》より第三に當る圓を見よ、さらば彼をその功徳によりてえたる寶座《くらゐ》の上にて再び見む。 六七―六九
我答へず、目を擧げて淑女を見しに、永遠《とこしへ》の光彼より反映《てりかへ》しつゝその冠となりゐたり 七〇―七二
人の目いかなる海の深處《ふかみ》に沈むとも、雷《いかづち》の鳴るいと高きところよりその遠く隔《へだ》たること 七三―七五
わが目の彼處《かしこ》にてベアトリーチェを離れしに及ばじ、されど是我に係《かゝはり》なかりき、そはその姿間《あひだ》に混《まじ》る物なくしてわが許《もと》に下りたればなり 七六―七八
あゝわが望みを強うする者、わが救ひのために忍びて己が足跡《あしあと》を地獄に殘すにいたれる淑女よ 七九―八一
わが見しすべての物につき、我は恩惠《めぐみ》と強さとを汝の力汝の徳よりいづと認む 八二―八四
汝は適《ふさ》はしき道と方法《てだて》とを盡し、我を奴僕《ぬぼく》の役《つとめ》より引きてしかして自由に就かしめぬ 八五―八七
汝の癒《いや》しゝわが魂が汝の意《こゝろ》にかなふさまにて肉體より解かるゝことをえんため、願はくは汝の賜をわが衷《うち》に護《まも》れ。 八八―九〇
我かく請《こ》へり、また淑女は、かのごとく遠しと見ゆる處にてほゝゑみて我を視《み》、その後永遠《とこしへ》の泉にむかへり 九一―九三
聖なる翁曰ふ。汝の覊旅《たびぢ》を全うせんため(願ひと聖なる愛とはこのために我を遣《つか》はしゝなりき) 九四―九六
目を遍《あまね》くこの園の上に馳《は》せよ、これを見ば汝の視力は、神の光を分けていよ/\遠く上《のぼ》るをうるべければなり 九七―九九
またわが全く燃えつゝ愛する天の女王、われらに一切の恩惠《めぐみ》を與へむ、我は即ち彼に忠なるベルナルドなるによりてなり。 一〇〇―一〇二
わがヴェロニカを見んとて例《たと》へばクロアツィアより人の來ることあらんに、久しく傳へ聞きゐたるため、その人飽《あ》くことを知らず 一〇三―一〇五
これが示さるゝ間、心の中にていはむ、わが主ゼス・クリスト眞神《まことのかみ》よ、さてはかゝる御姿《おんすがた》にてましましゝかと 一〇六―一〇八
現世《このよ》にて默想のうちにかの平安を味へる者の生くる愛を見しとき、我またかゝる人に似たりき 一〇九―一一一
彼曰ふ。恩惠《めぐみ》の子よ、目を低うして底にのみ注ぎなば、汝この法悦の状《さま》を知るをえじ 一一二―一一四
されば諸
の圈を望みてそのいと遠きものに及べ、この王國の從ひ事へまつる女王の、坐せるを見るにいたるまで。 一一五―一一七
われ目を擧げぬ、しかしてたとへば朝《あした》には天涯の東の方《かた》が、日の傾く方にまさるごとく 一一八―一二〇
我は目にて(溪より山は行くかとばかり)縁《ふち》の一部が光において殘るすべての頂に勝ちゐたるを見たり 一二一―一二三
またたとへば、フェトンテのあつかひかねし車の轅《ながえ》の待たるゝ處はいと強く燃え、そのかなたこなたにては光衰ふるごとく 一二四―一二六
かの平和の焔章旗《オリアヒアムマ》は、その中央《たゞなか》つよくかゞやき、左右にあたりて焔一樣に薄らげり 一二七―一二九
しかしてかの中央《たゞなか》には、光も技《わざ》も各異なれる千餘の天使、翼をひらきて歡び舞ひ 一三〇―一三二
凡《すべ》ての聖者達の目の悦びなりし一の美、かれらの舞ふを見歌ふを聞きてほゝゑめり 一三三―一三五
われたとひ想像におけるごとく言葉に富むとも、その樂しさの萬分一《まんぶいち》をもあえて述ぶることをせじ 一三六―一三八
ベルナルドは、その燃ゆる愛の目的《めあて》にわが目の切《せち》に注がるゝを見て、己が目をもいとなつかしげにこれにむけ 一三九―一四一
わが目をしていよ/\見るの願ひに燃えしむ 一四二―一四四
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第三十二曲
愛の目を己が悦びにとめつゝ、かの默想者《もくさうじや》、進みて師の役《つとめ》をとり、聖なる言葉にて曰《い》ひけるは 一―三
マリアの塞《ふさ》ぎて膏|を《あぶら》ぬりし疵――これを開きこれを深くせし者はその足元なるいと美しき女なり 四―六
第三の座より成る列の中、この女の下には、汝の見るごとく、ラケールとベアトリーチェと坐す 七―九
サラ、レベッカ、ユディット、及び己が咎《とが》をいたみて我を憐みたまへといへるその歌人《うたびと》の曾祖母《そうそぼ》たりし女が 一〇―一二
列より列と次第をたてゝ下に坐するを汝見るべし(我その人々の名を擧げつゝ花片《はなびら》より花片と薔薇を傳ひて下るにつれ) 一三―一五
また第七の段《きだ》より下には、この段にいたるまでの如く、希伯來人《エブレオびと》の女達相續きて花のすべての髮を分く 一六―一八
そは信仰がクリストを見しさまに從ひ、かれらはこの聖なる階《きざはし》をわかつ壁なればなり 一九―二一
此方《こなた》、即ち花の花片《はなびら》のみな全《まつた》きところには、クリストの降り給ふを信ぜる者坐し 二二―二四
彼方《かなた》、即ち諸
の半圓の、空處に斷《た》たるゝところには、降り給へるクリストに目をむけし者坐す 二五―二七
またこなたには、天の淑女の榮光の座とその下の諸
の座とがかく大いなる隔《へだて》となるごとく 二八―三〇
對《むかひ》が方《かた》には、常に聖にして、曠野、殉教、尋《つい》で二年《ふたとせ》の間地獄に堪《た》へしかの大いなるジョヴァンニの座またこれとなり 三一―三三
彼の下にフランチュスコ、ベネデット、アウグスティーノ、及びその他の人々定《さだめ》によりてかく隔《へだて》て、圓より圓に下りて遂にこの處にいたる 三四―三六
いざ見よ神の尊《たふと》き攝理を、そは信仰の二の姿相等しくこの園に滿つべければなり 三七―三九
また知るべし、二《ふたつ》の區劃《しきり》を線《すぢ》の半《なかば》にて截《き》る段《きだ》より下にある者は、己が功徳によりてかしこに坐するにあらず 四〇―四二
他人《ひと》の功徳によりて(但し或る約束の下に)しかすと、これらは皆自ら擇ぶ眞《まこと》の力のあらざる先に解放たれし靈なればなり 四三―四五
汝よくかれらを見かれらに耳を傾けなば、顏や稚《をさな》き聲によりてよくこれをさとるをえむ 四六―四八
今や汝異《あや》しみ、あやしみてしかして物言はず、されど鋭《さと》き思ひに汝の緊《し》めらるゝ強き紲《きづな》を我汝の爲に解くべし 四九―五一
|抑
《そも/\》この王國廣しといへども、その中には、悲しみも渇《かわき》も饑《う》えもなきが如く、偶然の事一《ひとつ》だになし 五二―五四
そは汝の視る一切の物、永遠《とこしへ》の律法《おきて》によりて定められ、指輪はこゝにて、まさしく指に適《あ》へばなり 五五―五七
されば急ぎて眞《まこと》の生に來れるこの人々のこゝに受くる福《さいはひ》に多少あるも故なしとせじ 五八―六〇
いかなる願ひも敢てまたさらに望むことなきまで大いなる愛と悦びのうちにこの國をを康《やす》んじたまふ王は 六一―六三
己が樂しき聖顏《みかほ》のまへにて凡《すべ》ての心を造りつゝ、聖旨《みむね》のまゝに異なる恩惠《めぐみ》を與へ給ふ、汝今この事あるをもて足れりとすべし 六四―六六
しかしてこは定かに明らかに聖書に録《しる》さる、即ち母の胎内にて怒りを起しゝ雙兒《ふたご》のことにつきてなり 六七―六九
是故にかゝる恩惠《めぐみ》の髮の色の如何に從ひ、いと高き光は、これにふさはしき冠とならざるをえじ 七〇―七二
さればかれらは、己が行爲《おこなひ》の徳によらず、たゞ最初の視力の鋭さ異なるによりてその置かるゝ段《きだ》を異にす 七三―七五
世の未だ新しき頃には、罪なき事に加へてたゞ兩親《ふたおや》の信仰あれば、げに救ひをうるに足り 七六―七八
第一の世終れる後には、男子《なんし》は割禮によりてその罪なき羽に力を得ざるべからざりしが 七九―八一
恩惠《めぐみ》の時いたれる後には、クリストの全き洗禮《バッテスモ》を受けざる罪なき稚兒《をさなご》かの低き處に抑《と》められき 八二―八四
いざいとよくクリストに似たる顏をみよ、その輝のみ汝をしてクリストを見るをえしむればなり。 八五―八七
我見しに、諸
の聖なる心(かの高き處をわけて飛ばんために造られし)の齎《もた》らす大いなる悦びかの顏に降注《ふりそゝ》ぎたり 八八―九〇
げに先にわが見たる物一としてこれの如く驚をもてわが心を奪ひしはなく、かく神に似しものを我に示せるはなし 九一―九三
しかしてさきに彼の上に降れる愛、幸《さち》あれマリア恩惠《めぐみ》滿つ者よと歌ひつゝ、その翼をかれの前にひらけば 九四―九六
天の宮人《みやびと》達四方よりこの聖歌に和し、いづれの姿も是によりていよ/\燦《きらび》やかになりたりき 九七―九九
あゝ永遠《とこしへ》の定《さだめ》によりて坐するそのうるはしき處を去りつゝ、わがためにこゝに下るをいとはざる聖なる父よ 一〇〇―一〇二
かのいたく喜びてわれらの女王の目に見入り、燃ゆと見ゆるほどこれを慕ふ天使は誰ぞや。 一〇三―一〇五
あたかも朝の星の日におけるごとくマリアによりて美しくなれる者の教へを、我はかく再び請《こ》へり 一〇六―一〇八
彼我に。天使または魂にあるをうるかぎりの剛《つよ》さと雅《みや》びとはみな彼にあり、われらもまたその然るをねがふ 一〇九―一一一
そは神の子がわれらの荷を負《お》はんと思ひ給ひしとき、棕櫚《しゆろ》を持ちてマリアの許《もと》に下れるものは彼なればなり 一一二―一一四
されどいざわが語り進むにつれて目を移し、このいと正しき信心深き帝國の大いなる高官《つかさ》達を見よ 一一五―一一七
かの高き處に坐し、皇妃にいと近きがゆゑにいと福《さいはひ》なるふたりのものは、この薔薇の二つの根に當る 一一八―一二〇
左の方にて彼と並ぶは、膽《きも》大《ふと》く味へるため人類をしてかゝる苦《にが》さを味ふにいたらしめし父 一二一―一二三
右なるは、聖なる寺院の古の父、この愛《め》づべき花の二《ふたつ》の鑰《かぎ》をクリストより委《ゆだ》ねられし者なり 一二四―一二六
また槍と釘とによりて得られし美しき新婦《はなよめ》のその時々の幸《さち》なさをば、己が死なざるさきにすべて見し者 一二七―一二九
これが傍に坐し、左の者の傍には、恩を忘れ心恒《つね》なくかつ背《そむ》き易《やす》き民マンナに生命《いのち》を支《さゝ》へし頃かれらを率《ひき》ゐし導者坐す 一三〇―一三二
ピエートロと相對《あひむか》ひてアンナの坐するを見よ、彼はいたくよろこびて己が女《むすめ》を見、オザンナを歌ひつゝなほ目を放たじ 一三三―一三五
また最《いと》大いなる家長《いへをさ》の對《むかひ》には、汝が馳《は》せ下らんとて目を垂《た》れしとき汝の淑女を起《た》たしめしルーチア坐す 一三六―一三八
されど汝の睡りの時疾《と》く過ぐるがゆゑに、あたかも良《よ》き縫物師《ぬひものし》のその有《も》つ織物《きれ》に適《あは》せて衣を造る如く、我等こゝに言《ことば》を止《とゞ》めて 一三九―一四一
目を第一の愛にむけむ、さらば汝は、彼の方《かた》を望みつゝ、汝の及ぶかぎり深くその輝を見るをうべし 一四二―一四四
しかはあれ、汝己が翼を動かし、進むと思ひつゝ或ひは退《しりぞ》く莫《なか》らんため、祈りによりて、恩惠《めぐみ》を受ること肝要なり 一四五―一四七
汝を助くるをうる淑女の恩惠《めぐみ》を、また汝は汝の心のわが言葉より離れざるほど、愛をもて我にともなへ。 一四八―一五〇
かくいひ終りて彼この聖なる祈りをさゝぐ 一五一―一五三
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第三十三曲
處女《をとめ》なる母わが子の女《むすめ》、被造物《つくられしもの》にまさりて己を低くししかして高くせらるゝ者、永遠《とこしへ》の聖旨《みむね》の確《かた》き目的《めあて》よ 一―三
人たるものを尊《たふと》くし、これが造主《つくりぬし》をしてこれに造らるゝをさへ厭はざるにいたらしめしは汝なり 四―六
汝の胎用にて愛はあらたに燃えたりき、その熱《あつ》さによりてこそ永遠《とこしへ》の平和のうちにこの花かくは咲きしなれ 七―九
こゝにては我等にとりて汝は愛の亭午《まひる》の燈火《ともしび》、下界人間のなかにては望みの活泉《いくるいづみ》なり 一〇―一二
淑女よ、汝いと大いにしていと強し、是故に恩惠《めぐみ》を求めて汝に就かざる者あらば、これが願ひは翼なくして飛ばんと思ふに異《こと》ならじ 一三―一五
汝の厚き志はたゞ請ふ者をのみ助くるならで、自ら進みて求めに先んずること多し 一六―一八
汝に慈悲あり、汝に哀憐惠與《あいれんえいよ》あり、被造物《つくられしもの》のうちなる善といふ善みな汝のうちに集まる 一九―二一
今こゝに、宇宙のいと低き沼よりこの處にいたるまで、靈の三界を一々《ひとつ/″\》見し者 二二―二四
伏して汝に請ひ、恩惠《めぐみ》によりて力をうけつゝ、終極《いやはて》の救ひの方にいよ/\高くその目を擧ぐるをうるを求む 二五―二七
また彼の見んことを己が願ふよりも深くは、己自ら見んと願ひし事なき我、わが祈りを悉く汝に捧げかつその足らざるなきを祈る 二八―三〇
願はくは汝の祈りによりて浮世《ふせい》一切の雲を彼より拂ひ、かくして彼にこよなき悦びを現はしたまへ 三一―三三
我またさらに汝に請ふ、思ひの成らざるなき女王よ、かく見まつりて後かれの心を永く健全《すこやか》ならしめたまへ 三四―三六
願はくは彼を護りて世の雜念に勝たしめ給へ、見よベアトリーチェがすべての聖徒達と共にわが諸
の祈りを扶《たす》け汝に向ひて合掌するを。 三七―三九
神に愛《め》でられ尊まるゝ目は、祈れる者の上に注ぎて、信心深き祈りのいかばかりかの淑女の心に適《かな》ふやを我等に示し 四〇―四二
後永遠《とこしへ》の光にむかへり、げに被造物《つくられしもの》の目にてその中《うち》をかく明らかに見るはなしと思はる 四三―四五
また我は凡ての望みの極《はて》に近づきゐたるがゆゑに、燃ゆる願ひおのづから心の中にて熄《や》むをおぼえき 四六―四八
ベルナルドは、我をして仰がしめんとて、微笑《ほゝゑ》みつゝ表示《しるし》を我に與へしかど、我は自らはやその思ふごとくなしゐたり 四九―五一
そはわが目明らかになり、本來眞《まこと》なる高き光の輝のうちにいよ/\深く入りたればなり 五二―五四
さてこの後わが見しものは人の言葉より大いなりき、言葉はかゝる姿に及ばず、記憶はかゝる大いさに及ばじ 五五―五七
我はあたかも夢に物を見てしかして醒むれば、餘情のみさだかに殘りて他は心に浮び來らざる人の如し 五八―六〇
そはわが見しもの殆んどこと/″\く消え、これより生るゝうるはしさのみ今猶心に滴《したゝ》ればなり 六一―六三
雪、日に溶くるも、シビルラの託宣、輕き木葉《このは》の上にて風に散り失するも、またかくやあらむ 六四―六六
あゝ至上の光、いと高く人の思ひを超ゆる者よ、汝の現はれしさまをすこしく再びわが心に貸し 六七―六九
わが舌を強くして、汝の榮光の閃《きらめき》を、一なりとも後代《のちのよ》の民に遺すをえしめよ 七〇―七二
そはいさゝかわが記憶にうかび、すこしくこの詩に響くによりて、汝の勝利はいよ/\よく知らるゝにいたるべければなり 七三―七五
わが堪へし活光《いくるひかり》の鋭《するど》さげにいかばかりなりしぞや、さればもしこれを離れたらんには、思ふにわが目くるめきしならむ 七六―七八
想ひ出れば、我はこのためにこそ、いよ/\心を堅《かた》うして堪《た》へ、遂にわが目を無限《かぎりなき》威力《ちから》と合はすにいたれるなれ 七九―八一
あゝ我をして視る力の盡くるまで、永遠《とこしへ》の光の中に敢て目を注《そゝ》がしめし恩惠《めぐみ》はいかに裕《ゆたか》なるかな 八二―八四
我見しに、かの光の奧には、遍《あまね》く宇宙に枚《ひら》となりて分れ散るもの集り合ひ、愛によりて一《ひとつ》の卷《まき》に綴《つゞ》られゐたり 八五―八七
實在、偶在、及びその特性相混《まじ》れども、その混る状《さま》によりて、かのものはたゞ單一の光に外ならざるがごとくなりき 八八―九〇
萬物を齊《とゝの》へこれをかく結び合はすものをば我は自ら見たりと信ず、そはこれをいふ時我わが悦びのいよ/\さはなるを覺ゆればなり 九一―九三
たゞ一の瞬間《またゝくま》さへ、我にとりては、かのネッツーノをしてアルゴの影に驚かしめし企圖《くはだて》における二千五百年よりもなほ深き睡りなり 九四―九六
さてかくわが心は全く奪はれ、固く熟視《みつめ》て動かず移らず、かつ視るに從つていよ/\燃えたり 九七―九九
かの光にむかへば、人甘んじて身をこれにそむけつゝ他の物を見るをえざるにいたる 一〇〇―一〇二
これ意志の目的《めあて》なる善みなこのうちに集まり、この外《そと》にては、こゝにて完《まつた》き物も完からざるによりてなり 一〇三―一〇五
今やわが言《ことば》は(わが想起《おもひいづ》ることにつきてさへ)、まだ乳房《ちぶさ》にて舌を濡らす嬰兒《をさなご》の言《ことば》よりもなほ足《た》らじ 一〇六―一〇八
わが見し生くる光の中にさま/″\の姿のありし爲ならず(この光はいつも昔と變らじ) 一〇九―一一一
わが視る力の見るにつれて強まれるため、たゞ一の姿は、わが變るに從ひ、さま/″\に見えたるなりき 一一二―一一四
高き光の奧深くして燦《あざや》かなるがなかに、現はれし三《みつ》の圓あり、その色三にして大いさ同じ 一一五―一一七
その一はイリのイリにおけるごとく他の一の光をうけて返すと見え、第三なるは彼方《かなた》此方《こなた》より等しく吐かるゝ火に似たり 一一八―一二〇
あゝわが想《おもひ》に此《くら》ぶれば言《ことば》の足らず弱きこといかばかりぞや、而してこの想すらわが見しものに此ぶればこれを些《すこし》といふにも當らじ 一二一―一二三
あゝ永遠《とこしへ》の光よ、己が中にのみいまし、己のみ己を知り、しかして己に知られ己を知りつゝ、愛し微笑《ほゝゑ》み給ふ者よ 一二四―一二六
反映《てりかへ》す光のごとく汝の生むとみえし輪は、わが目しばしこれをまもりゐたるとき 一二七―一二九
同じ色にて、その内に、人の像《かたち》を描き出しゝさまなりければ、わが視る力をわれすべてこれに注げり 一三〇―一三二
あたかも力を盡して圓を量《はか》らんとつとめつゝなほ己が要《もと》むる原理に思ひいたらざる幾何學者《きかがくしや》の如く 一三三―一三五
我はかの異象《いしやう》を見、かの像《かたち》のいかにして圓と合へるや、いかにしてかしこにその處を得しやを知らんとせしかど 一三六―一三八
わが翼これにふさはしからざりしに、この時一の光わが心を射てその願ひを滿たしき 一三九―一四一
さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、されどわが願ひと思ひとは宛然《さながら》一樣に動く輪の如く、はや愛に|
《めぐ》らさる 一四二―一四四
日やそのほかのすべての星を動かす愛に。 一四五―一四七
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註
(地、は『神曲(地獄篇)』。淨、は『神曲(淨火篇)』。天、は『神曲(天堂篇)』の略)
第一曲
ダンテ、ベアトリーチェとともに第一天(月)にむかひて昇り、みちすがら淑女の教へを聽く
一―三
〔動かす者〕神(淨、二五・七〇及び『コンヴィヴィオ』三・一五・一五五以下參照)
〔一部に〕神の榮光はいたらぬくまなし、されど受くる者の力に從ひその受くる光に多少あり
四―六
〔天〕エムピレオの天(ダンテがカン・クランデに與ふる書四三八行以下參照)
〔知らず〕知らざるは忘るればなり、えざるは言葉及ばざれはなり(同上、五七三―五行參照)
七―九
〔己が願ひ〕神。我等の智その終極の目的なる神に近きがゆゑに神を見、神を知らんとて奧深く進み入るなり
一三―一五
〔アポルロ〕アポロン、ゼウスとレトの間の子(淨、二〇・一三〇―三二註參照)、こゝにては詩の神として
〔愛する桂〕アポロン、河神ペネウスの女なるニンファ、ダフネを慕ひてこれを追ふ、ダフネその及ばざるを見、救ひを己が父に請ひ遂に化して桂樹となる。アポロン即ちその枝を抱き樹に接吻《くちづけ》していふ「われ汝をわが妻となす能はざれば、せめては汝をわが木となさむ、あゝ桂《ラウロ》よ、汝は常にわが髮わが琴わが|胡
《やなぐひ》の餝《かざり》となるべし」云々(オウィディウス『メタモルフォセス』一・四五二以下)。桂は詩人の榮冠なり
一六―一八
地獄、淨火の二篇においてはムーサの助けのみにて足りしかど、天堂篇においてはこれに加へてさらにアポロンの助けを借らざるべからず、これ詩題のいよ/\聖にしていよ/\難きによりてなり
〔一の巓〕パルナーゾ(パルナッソス)(淨、二・六四―六註參照)に二の峯あること神話に見ゆ(『メタモルフォセス』一・三一六以下等)されどダンテがその一をムーサの、他をアポロンのとゞまる所とせしは、やゝ中古の傳説と異なれり
一九―二一
マルシュアスに勝ちし時のごとき美妙の樂をダンテに奏せしめよとの意。「氣息《いき》を嘘《ふ》く」は靈感を與ふるなり
〔マルシーア〕フリュギアのサテュロス、マルシュアス。アテナの棄てし笛を拾ひてこれを吹き、遂にアポロンと技を競べんことを求む。アポロン琴を彈じ歌をうたひてこれに勝ち、その僭上を惡《にく》むのあまりこれが身の皮を剥ぐ(『メタモルフォセス』六・三八二以下參照)
二二―二四
〔汝我をたすけ〕原、「汝己を我に貸し」
二五―二七
〔詩題と汝〕詩題の崇高と汝の祐助
二八―三〇
〔チェーザレ〕皇帝。桂はまた凱旋のしるしとして、皇帝武將等の冠となれり
〔人の思ひの〕人、俗情に役せられ、かゝる榮冠をうるにいたること甚だ罕《まれ》なり
三一―三三
〔ペネオの女の葉〕桂の葉。ペネオはペネウス。
〔デルフォの神〕アポロン。デルポイ(デルフォ)はパルナッソスの麓の町にてアポロンの聖地なり。スカルタッツィニ曰く、「詩は形さま/″\なれどおしなべて人間の慰藉となるものなれば、悦び多しといへるなり」と(?)桂冠を望み求むるものあれば、アポロンの喜び愈
深し
三四―三六
〔小さき火花に〕ダンテの詩に勵まされてダンテよりもさらに大いなる詩人いで、アポロンの助けにより、さらによく天堂の歌をうたふことあるべきをいへり
〔チルラ〕アポロン。但しパルナッソスの二の峯の名一定せざれば、ダンテがキルラ(チルラ)をその一と見做してかく曰へるか、或ひはパルナッソスより程遠からぬキルラの町(同じくアポロンの聖地)を指して曰へるか明らかならず
三七―三九
〔世界の燈〕太陽。四時の變遷に從つて地平線上多くの異なる點よりあらはる
〔四の圈〕春分に至れば太陽は四の圈即ち地平線、黄道、赤道、及び二分徑圈相交叉して三の十字を造る一點よりいづ(ムーア『ダンテ研究』第三卷六〇頁以下參照)
註釋者或ひは曰。四の圈は四大徳(淨、一・二二―四註參照)の象徴にて三の十字は教理の三徳の象徴なりと
四〇―四二
〔道まさり〕春日は四季を通じて最も樂しく麗はしければ
〔星〕白羊宮の星。そのまさるは地上に及ぼす影響の善きをいふ、天地の創造せられし時、太陽は白羊宮にありてその運行を始めしなり(地、一・三七―四五註參照)
〔世の蝋〕太陽が光熱によりてその力を世に及ぼしこれに活力を與へこれを幸ならしむることの愈
著しきを、印象《かた》を蝋の上に現はすことのあざやかなるにたとへしなり
四三―四五
〔かしこ〕野火
〔こゝ〕わが世界
〔殆ど〕太陽白羊宮にあれども、はや春分(三月二十一日)を過ぎて北に向へるがゆゑにかくいへり(今は四月十三日)
〔かの半球〕南半球。今は淨火の正午
〔その他〕北半球。イエルサレムの夜半
ダンテが樂園にエウノエの水を飮みしは正午の事なり(淨、三三・一〇三―五)、しかして水を飮みて後直ちに月天に向へるなり(スカルタッツィニ註參照)、さればこの一聯の前半は單に日出時の太陽の位置をいへるものにて天に昇らんとするの時をいへるものにはあらず
ダンテは日暮れて後(絶望を表はす)地獄に入り、夜の明くる頃(希望を表はす)淨火に達し、正午(完全を表はす)に天に向ひて登れり(ムーアの『ダンテ研究』第二卷二六五頁參照)
四六―四八
〔左に〕東(淨、二九・一〇―一二、同三二・一六―八參照)より轉じて北に。南半球正午の太陽は東にむかふ者の左にあり
〔鷲〕その眼よく太陽を直視すと信ぜられたればなり
四九―五一
第一の光線は投射線にて第二の光線は反射線なり。光線光澤ある物體に當り反射して元に還ることあたかも目的地に達しゝ旅客の再び郷に歸るに似たり
五二―五四
ベアトリーチェが太陽を見しことダンテの同感に訴へ、ダンテまたこれに做ふにいたりたれば、前者の動作より後者のそれの生れしこと、なほ反射線の投射線より生るゝ如し
五五―五七
地上の樂園は神が永遠の幸福の契約として人類に與へ給ひし處なれば(淨、二八・九一―三參照)、かの地特殊の神恩により、北半球の世界にては人の爲し能はざる事にて樂園に爲すをうること多し。ダンテが太陽を直視しえしもその一例なり、こはいふまでもなく人の罪淨まりてよく神恩の光を仰ぐをうるの意を寓す
六一―六三
光の俄に増したるは既に樂園を離れて急速に昇りゐたればなり
〔者〕神
六四―六六
〔永遠の輪〕諸天
六七―六九
ダンテ未だ長く太陽を見るをえざれど、ベアトリーチェの姿を通じて神恩彼の上に注ぎ、彼を超人の境に入らしむ
〔グラウコ〕グラウコス。エウボイアの漁夫、嘗て海濱に置きたる魚が、あたりの草に觸るゝとともに俄に勢を得躍りて海に入るを見て自らまたその草を噛みしに、是時性情忽焉として變じ、續いて海に入りて海神となれり(『メタモルフォセス』一三・八九八以下參照)
七〇―七二
〔是故に〕神恩によりて他日かゝる超人の經驗を自ら有するにいたる人々今はたゞこのグラウコスの例をもて足れりとすべし
七三―七五
〔愛〕神
〔我は〕我はたゞわが靈魂のみにて天に昇れるか、將《は》た肉體と共にありてしかせるか(コリント後、一二・三參照)
〔最後に造りし〕形體既に成りて後、神の嘘入《ふきい》れ給ふ新しき靈(淨、二五・六七以下參照)。但し Novellamente を新たに、即ち自然の作用によらずして神の新たに造り給へる義に解する人あり
〔聖火〕ベアトリーチェの姿に映じゝ神恩の光
七六―七八
〔慕はる〕諸天の永遠に運行するは神を慕ひ、神と相結ばん爲なり(『コンヴィヴィオ』二・四・一九以下參照)
〔調〕運行によりて諸天の間に生ずる美妙の音調。ダンテは主としてキケロの説に據れり。頒つは諸天の間に頒つなり、整ふは各天各種の音をよく和合せしむるなり
七九―八一
註釋者曰。ダンテ既に火焔界に達したるが故に光の天に漲れるを見たりと。されどこの一聯によるも次に見ゆるベアトリーチェの説明によるも、ダンテが果して火焔界を意味せるや或ひはたゞ昇ること早く從つて太陽に近づくこと早きがゆゑにかくいへるや明らかならず、パッセリーニ(G.L.Passerini)註參照
八五―八七
〔我の未だ〕原文、「我の問はんとて(わが口を啓かざる)さきに」
九一―九三
〔己が處〕火焔界
〔これに〕汝の處に、即ち天に。人の魂天よりいでゝ天に歸るをいふ
九七―九九
〔輕き物體〕空氣と火
一〇三―一〇五
宇宙萬物は皆その間に秩序を有す、この秩序ありてこそ萬物調和し、はじめて茲に完全なる神の姿を現はすなれ
一〇六―一〇八
天使や人類の如き被造物は、この秩序において、神の大能及び大智の印跡を認む
〔目的と〕この秩序の終極の目的は神にあり、即ち萬物を神の如くならしむるにあり
一〇九―一一一
かゝる秩序の中に、凡ての被造物は皆その目的《めあて》なる神を望めど、天與の位置に高低ありその務《つとめ》また皆異なれば、火や地球の如く神にいと遠きあり、また諸天使の如く神にいと近きあり
一一二―一一四
萬物皆同じ程度において神に近づく能はず、その本能に導かれて各
適歸するところ(湊)を異にす
〔存在の大海〕空間
一一五―一一七
この本能あるによりて火は地球と月との間なる火焔界に向ひて昇り、これあるによりて理智なき動物(滅ぶる心)もその生を營み、これあるによりて地球はその各部相結合して離るゝことなし(『コンヴィヴィオ』三・三・五―一三參照)
〔相寄せて〕重力によりて中心に向ふをいふ
一一八―一二〇
この本能(弓)は理智なきものにのみその作用を及ぼすに非ず、理智あるものにもこれを及ぼす
一二一―一二三
〔一の天〕エムピレオの天、至高充全の天にして動かず。いと疾くめぐる天はプリーモ・モービレ即ち第九天なり
一二四―一二六
〔的〕目的《めあて》。物その處を得て初めて安んず、故に樂しといふ
〔弦の力〕本能の力
〔定れる場所〕安住所と定まれるところ
一二七―一二九
たとへば彫刻などにて、美術家の意匠すぐるともその用ゐる材がかゝる意匠を現はすに適せざるため、出來ばえ思はしからぬごとく
一三〇―一三五
神を求むる自然の傾向はなほ美術家のすぐれたる意匠の如し、僞りの快樂に誘はれて人その行方《ゆくへ》を誤るは猶材の惡しくして結果の工夫に配《そ》はざるごとし
〔かく促さる〕本能に促されて人自然に天を望めど
〔最初の刺戟〕即ち本能の刺戟。自由の意志の濫用によりて人を地に向はしむ
〔火〕電光。火本來の性質に背き、上昇せずして降下するなり
一三九―一四一
〔障礙〕罪の(淨、三三・一四二―五參照)
〔火〕火焔界以外にありては火の靜なる事なし。以上ベアトリーチェの言、多くトマス・アクイナスの『神學大全』の所説と一致す、今一々引照せず
第二曲
第一天(月)に達し、ベアトリーチェまづダンテの爲に月面の斑點に關する原理を説く
一―三
天堂篇の充分なる理解は他の二篇に此し科學並びに宗教上さらに大いなる豫備知識を要求するがゆゑにダンテはこの曲最初の六聯において讀者に警戒を與へたり
四―六
汝等の知識の範圍内に汝等の研究の歩をとゞめ、それより先に進むなかれ、恐らくは力足らざるため汝等この天堂の歌をさとるをえじ
七―九
〔わがわたりゆく水〕我よりさきに天堂の歌をうたへる人なし
〔ミネルヴァ〕知慧の女神にて學藝の守護者たり。氣息を嘘くはその徳を風として船を進むるなり
一〇―一二
〔天使の糧〕この語ヴルガータに見ゆ(詩篇七七・二五)。靈の糧即ち眞の智の義なり(『コンヴィヴィオ』一・一・五一以下參照)。靈界の知識は世人の眞《まこと》の糧なれども、これに飽くをうるはたゞ天上においてのみ
〔項を擧げ〕心を向け
一六―一八
〔イアソン〕(地、一八・八五―七並びに註參照)、イアソン、コルキスにいたり、金の羊毛を與へんことを王アレイエテスに請ふ、王まづ彼をして焔の息《いき》を吐く二匹の牡牛に軛をつけしめかつカドモス(地、二五・九七―九)の殺せる龍の齒をはその耕しゝ處に播かしむ、イアソン、王女メディア(地、一八・九四―六)の妖術により自若としてこの難に當る、見る人驚嘆せざるはなし(『メタモルフォセス』七・一以下參照)
〔勇士等〕アルゴナウタイ遠征隊に加はれる人々
一九―二一
〔神隨の〕deiforme 神に似たる。中山昌樹氏の譯語に據れり、神隨の王國はエムピレオの天なり
〔本然〕本能の力によりて慕ふ心
二二―二四
〔弦〕noce 弩弓の一部にて彎き張れる弦の當るところ
「止まる」目標に中りて止まるをいふ。原文、逆に「止まり、飛び、弦を離る」とあるは、いづれが早きかわけがたき程なるを表はせるなり、天、二二・一〇九―一一に、原文「指を引きて火に入れんや」とあるに同じ
二五―二七
〔奇しき物〕月球
二八―三〇
〔第一の星〕宇宙の中心にある地球より數へて第一に當る星、即ち月
三七―四二
ダンテもし肉體のまゝにて月球に入り而して月面に罅隙を生ぜざりしとせばこは全く不思議の現象にほかならず、二個の物體が同時にかつ同處に存在すること能はざるは是物理の通則なればなり、故にダンテはこの通則より推して、キリストの兼備へ給へる神人兩性の事に及び、これを見、これを知るの願ひ愈
切なるべしといへり
四三―四五
神人の合一等すべて世上の人のたゞ信仰によりて眞《まこと》と認むる深遠微妙の現象も天においては道理の證明をまたずたゞ直覺によりて人よくさとることをうべし(コリント前、一三・一二參照)
〔第一の眞理〕人智のおのづから眞と認むるもの、生得の觀念に照して眞と知るもの、自明の眞理
四九―五一
〔カイン〕月の斑點に關するカイン物語(地、二〇・一二四―六並びに註參照)
五二―五七
〔官能の〕官能の力によりて知るをえざる事物においては人思ひ誤るともあやしむに足らず、理性もしたゞ官能に信頼せば、超官能の現象に對しその作用を伸ぶること能はざれはなり
五八―六〇
月面に見ゆる斑點の原因を物質の粗密に歸しゝ説。『コンヴィヴィオ』に出づ(二、一四・六九以下)
六四―六六
〔第八の天球〕恒星天。この天にある多くの星(光)は、その光の色も度もさま/″\にして一ならじ
六七―六九
もし物體の粗密以外に光の異なる原因なしとせば、これらの星の地上に及ぼす影響はその程度に於て或ひは不同ならんもその性質においては皆同一ならむ
恒星天に光異なる種々の星あるは、月天の光の一樣ならざるに似たり、故にベアトリーチェは後者の事を説かんため例を前者にとれるなり
七〇―七二
しかるに恒星天の諸星は皆その與ふる影響の性質を異にす、知るべし光の異なる原因物體の粗密のみにあらざることを
〔形式の原理〕Principii formali 物の類別性と勢能とを構成するもの。複數を用ゐしは、たゞ一のみならざればなり
〔一〕同原理の一なる粗密
七三―七八
斑點もし體の粗なるにもとづくとせば、光の暗き處にては、(一)粗質月球を貫通するか、さらずば(二)粗と密と相重ならむ
〔肉體〕同一の肉體の中に脂肪と筋肉とあるごとく、月の中に、質の粗なる部分と密なる部分と層を成して相接すべし
〔書〕紙の重なりて書册となるを、層の重なりて月球となるにたとへしなり
七九―八一
粗質月球を貫通すとせば、日蝕の時、日光その部分を射貫き、世人の目に見ゆるにいたらむ
八五―八七
粗質月球を貫かずは、粗が密の爲に路を遮られて、さらに進む能はざるところ換言すれば粗終りて密始まるところ、即ち粗密相接するところあり
九一―九三
〔奧深き〕月面より反射せずして月球の内部より反射するがゆゑに、反射の光微かにして斑點爲に生ずと
一〇三―一〇五
中央にありて遠き鏡の反射する光は左右の鏡の反射する光よりその量劣れどこれと質を同うす、されば月球の内部より反射すともその光何ぞ斑點となりてあらはるゝにいたらむ
一〇六―一一一
汝の智既に謬見を去りその名殘をも止めざるにいたりたれば、我今汝にかの斑點の眞の原因を説示すべし
〔下にある物〕雪に蔽はれゐたる地、但し原語 suggetto を實體(雪の)と解する人あり
〔色と冷さ〕雪の。ベアトリーチェの言を日光に、ダンテの智を土に、謬見を土の假の色なる白色に、その結果を冷さにたとへしなり
〔光〕眞理の光
一一二―一一四
〔天〕エムピレオの天
〔一の物體〕プリーモ・モービレの天。この天に包まるゝ諸天及び地球がその秩序安寧を保つは、この天がエムピレオの天より受けて有する力による(『コンヴィヴィオ』二・一五・一二二以下參照)
一一五―一一七
恒星天はプリーモ・モービレより受けし力をその中にある(恒星天の中 あれどもこの天と同一ならずして種々の特性を有する)多くの星に傳ふ
〔光〕vedute 目に映ずる物。星
〔本質〕恒星。各
その特質を有すればなり。但し七の天の意に解するを得
一一八―一二〇
〔目的と種〕穀物の成長し實を結びて其目的を果し、その實また種となりて實を結ぶにいたるごとく、恒星天の下なる七の天はその上より受けし力によりて己が特性をとゝのへ己が特殊の存在を保ちつゝさらにその力を下に及ぼす、故にその衷に有する力は果《くわ》にして因《いん》なり
一二一―一二三
〔宇宙の機關〕諸天
〔上より受け〕その上なる天より力(影響)を受け
〔次第を逐ひ〕第八天より第一天まで
一二四―一二六
〔我を〕異本、「今」
〔汝の求むる〕わがかく論じつゝ月の斑點の眞の原因に到達する次第に注意すべし、さらばこの後わが助けを借らずして自ら眞理を認むるをえむ
一二七―一二九
〔動者〕天使(『コンヴィヴィオ』二・五・四―八、及び地、七・七三―五並びに註參照)
一三〇―一三二
かの恒星天を見よ、この天はこれを轉らす奧妙の智即ちこの天を司どる天使よりその力を受け、これをその中なる諸
の星に頒ち與ふ
例を恒星天にとれるは類想によること前述のごとし
一三三―一三五
汝等の肉に宿る魂たゞ一なれども、視聽及びその他の官能に應じ肢體の各部に亘りてさま/″\の作用《はたらき》を現はすごとく
一三六―一三八
第八天を司る天使一なれども、この天の中の星多く、特性異なれば、これらの星に及ぶ天使の力一ならじ
〔天を司るもの〕inteligenza(了智)聖智、即ち天使
一三九―一四一
諸天を司る諸天使の力相異なるが故に、これらの異なる力がその轉らす諸天と合して生ずる結果同じからず
〔生命の〕人の生命肉體と結ばる如く
一四二―一四四
力かく一樣ならざれどもいづれも皆悦び多き神の性《さが》より出づるがゆゑに、各
その司る星と合して(混れる力)光り輝くことあたかも燃ゆる瞳の中に喜びのかゞやくごとし
一四五―一四八
斑點の原因はこの混《まじ》れる力の相違にて粗密にあらず
力の相違は一天と他の天(星と星)との間に存するのみならず、同一の天のうちにてもまたこれを見るをうべし、月の斑點は月の各部における力の相違にてこの相違は各部その完全の度を異にし天使の力の及ぶこと從つて異なるに基づく
第三曲
ダンテ月天にあり、誓ひを全うせざりし者の魂にあふ、その一ピッカルダ・ドナーティ、ダンテに己が身の上の事と皇妃コンスタンツェの事とを告ぐ
一―三
〔さきに〕世にて(淨、三〇・三四以下參照)
〔日輪〕ベアトリーチェ
一六―一八
〔人と泉〕泉に映れる己が姿を戀慕へるナルキッソスの傳説を指す(地、三〇―一二七―九註參照)
〔誤りの裏〕ナルキッソスは影を實物と思ひ誤り、ダンテは實物を影と思ひ誤れり
二二―二四
〔光〕目の
二五―二七
〔汝の足は〕汝の思ひは眞理を基礎とせず、たゞ官能に信頼するがゆゑに誤り易し
二八―三〇
〔こゝに〕聖徒はすべてエムピレオの天にあり、たゞその受くる福の一樣ならざるをダンテに示しかつこれに天上の眞を教ふる便宜上かりに諸天にわかれて詩人の目に現はれしに過ぎず(天、四・二八以下參照)
〔長の〕影ならぬ
三一―三三
〔光〕神。眞の光を離るとは眞そのものにまします神を離れて眞にあらざることをいふ義
三四―三六
〔最も切に〕俗縁の關係上(淨、二三・四六―八註參照)
〔魂〕フォレーゼ及びコルソ・ドナーティ(淨、二四・八二―七註參照)の姉妹ピッカルダ
〔願ひ〕ダンテにおいてはピッカルダと語るの願ひ
三七―三九
〔甘さ〕天上の悦び
〔永遠の生命の光によりて〕神の光を仰ぎ見て
四三―四五
〔己が宮人達〕すべて天堂に福を受くる者
〔等しきをねがふ〕愛は神の愛なり。神は愛にましまし天堂擧りて己の如く愛に燃えんことを願ひ給ふ
四六―四八
〔尼〕vergine sorella(童貞尼)聖キアーラ(九七―九註參照)派の此丘尼
四九―五一
〔球〕月天。古説によれば最小の天にしてその運行最遲し
五二―五四
我等はたゞ神がその聖旨《みむね》のまに/\われらに與へ給ふ福をのみ求むるが故に、神の立て給ふ秩序に從つていかなる程度の福を享くともこれに滿足せざることなし
六四―六六
〔さらに多く見〕さらに多く天上の福を見かつその福をうくる魂のうちに友をうるを求むること
但し、pi
vedere を近づきて神を見るの意とし、pi
farvi amici をいよ/\神と親しむの意とする人多し
スカルタッツィニは amici を前後に通はしめ、前者を舊友と再會する意に、後者を新らしき友を得る意に解せり
七〇―七二
〔愛の徳〕愛は嫉まず(コリント前、一三・四)
七六―七八
〔性〕聖徒を完全に神意と適合せしむるものは愛なり
七九―八一
〔一となる〕神の聖意《みこゝろ》と
八二―八四
〔諸天〕di soglia in soglia(soglia=soglio)座より座に、即ち天また天と
〔王〕神。われらの意《こゝろ》を聖意《みこゝろ》と適合するにいたらせ給ふ
八五―八七
神の直接または間接(即ち自然を通じて)に造り給ふ宇宙萬物は、その終局の目的、福祉の本源(平和)なる神を望み神に合せんとして進む、ゆゑに神はさながら諸水の四方より注ぎ入る大海に似たり
八八―九〇
いかなる天にある者もみな福を受く、たゞ己が功徳に從ひ、そのうくる福に多少あるのみ
九四―九六
〔姿、詞に〕動作と言葉とにより。ピッカルダに、その教へを垂れしを謝し、かつ新なる教へを請へり
〔いかなる機を〕その全うせざりし誓ひの何なるやを聞かんとて
九七―九九
〔淑女〕聖キアーラ(一一九四―一二五三年)。アッシージの人、同郷の出、聖フランチェスコの高徳を慕ひて遁世しかつその助言を受けて一二一二年童貞院の基を開きその規約を定む
一〇〇―一〇二
〔新郎〕キリスト(マタイ、九・一五等)。これと起臥を倶にするは、晝夜のわかちなくキリストに奉仕するなり
一〇三―一〇五
〔また〕またその嚴正なる規約を守りて一生を送らんと誓ひたり
一〇六―一〇八
〔人々〕ドナーティ家の人々、特にピッカルダの兄弟コルソ
古註によれば、コルソは他の人々と共に尼寺の中に忍び入りてピッカルダを奪ひ、これをフィレンツェの人ロッセルリーニ・デルラ・トーザに嫁《とつ》がしめたりといふ、但し眞僞明らかならず
一〇九―一一一
〔すべての光〕月天にて最強き光。月天の諸靈のうち徳最も大いなればなるべし
一一二―一一四
〔聖なる首
〕尼のしるしの面
一一五―一一七
〔良き習〕比丘尼の還俗を許さざる
〔心の面
を〕心はいつも尼にてありたり
一一八―一二〇
〔ソアーヴェ〕シュヴァーベン、ドイツ西南の一州。ホーエンシュタウフェン王家こゝより出づ
〔第二の風〕ホーエンシュタウフェン王家の第二の君即ちハインリヒ六世。第一の風はフリートリヒ一世にて第三の風はフリートリヒ二世なり。ブランク(L.G.Blanc)の説によればこれを風といへるはシュヴァーベン家の諸帝の權力猛くして而して永く續かざることあたかも一陣の暴風に似たるがゆゑなり、但し異説多し
〔最後の威力〕威力は皇帝の意なるべし、最後といへるは、その後皇帝なきにあらざりしも實これにともなはざればなり
〔コスタンツァ〕コンスタンツェ。シケリアの最初の王ロージエーロ(ルツジエーロ)の末女、一一五四年に生れ、同八五年皇帝ハインリヒ六世の妃となりてフリートリヒ二世を生み、一一九八年に死す
傳説に曰。コンスタンツェ尼となりて久しく尼寺のうちにあり、皇帝フリートリヒ一世これをわが子ハインリヒ六世の妃とし、この結婚によりてシケリアを己が帝國の領土に加へんため、密かに謀りて強ひて尼寺を去らしむ云々、但しこの説今は虚構と認めらる(ムーア『ダンテ研究』第二卷二七六頁參照)
一二一―一二三
〔アーヴェ・マリーア〕(マリアよ幸《さち》あれ、ルカ、一・二八にいづる天使の詞)、聖母にさゝぐる祈りの歌
一二四―一二六
〔願ひの目的〕ベアトリーチェ
第四曲
ダンテの二の疑ひに對し、ベアトリーチェは、人の魂星に歸るといふ古説の非を辯じ、かつ意志の自由を説く、ダンテまたさらに一の疑ひを擧げて淑女の教を乞ふ
一―三
トマス・アクイナスの『神學大全』(一、二、一三・六)に據れり。ピッカルダの言は二つの疑問をダンテの心に起し、等しくその解答を求めしがゆゑにダンテ選擇に惑ひて問ふこと能はざりきとなり、次聯の例また同じ、オウィディウスの『メタモルフォセス』(五・一六四以下)に饑ゑたる虎の譬へあるなど思ひ合はすべし
〔自由の人〕自由の意志を有し、いづれをも選ぶをうる人
四―六
〔犬〕何れを逐ふべきか知らずして
一三―一五
〔ナブコッドノゾル〕ネブカドネザル。バビロニアの王なり、嘗て夢の爲に心をなやまし、所の智者等を召して夢とその解釋《ときあかし》とをともに奏せと命じ、かれらの答ふる能はざるを見、怒りのあまり悉くこれを殺さんとす、ダニエル(ダニエルロ)異象により一切を知りて王に奏し、智者等を救ふ(地、一四・一〇三―五註參照)
ベアトリーチェがダンテの言を俟たずしてその疑ひを知りかつこれを解きてその心をしづめしこと、猶ダニエルが王に問はずしてその夢を知りかつこれをときあかしてその怒りをなだめしごとし
一九―二一
誓ひを果さんとの意志だに變らずば、たとひ他人の暴虐にあひてその志を全うせずとも、罪その人に歸せざるに似たり
二二―二四
プラトンの言に、人の魂は星より出でゝ肉體に宿り、死とともに再び星に歸るとあり、汝も現に魂星にあるを見て、この言を或ひは正しかるべしと思へり
二五―二七
〔毒多き〕キリスト教の信仰に反すれば
二八―三〇
〔セラフィーン〕(複數)セラピム、諸天使中最も高貴なるもの(イザヤ、六・二參照)
〔モイゼ〕モーセ。舊約時代の偉人(地、四・五・五―六三參照)
〔サムエール〕サムエル。ヘブライ民族最後の士師にてヘブライ王國の建設者たり(サムエル前、一・二〇以下)
〔いづれを〕キリスト十二弟子の一なるヨハネにてもパブテスマのヨハネにても
三一―三六
諸天使諸聖徒皆エムピレオの天にあり、福の度異なれども、存在の永遠なるは一なり
〔永遠の聖息〕神よりいづる福。福の度異なるはこれを享くる者の力異なるによる
四〇―四二
〔かく〕具體的に
〔後智に〕人は靈的事物を直に智に訴へてさとり難し、その事物まづ具體化して官能に訴へ官能はこれが印象を想像に想像はこれを智に傳へ智はたらきてはじめてさとる
〔官能の作用〕sensato 官能的物象即ち官能の捉ふる物象の義
四三―四五
〔手と足〕或ひは神の手(歴代志略下三〇・一二等)といひ或は神の足
(イザヤ、六六・一等)などいへるも、たゞ靈的事物を具體化せるに外ならず
四六―四八
〔ガブリエール〕ガブリエル。天使の長(ダニエル、八・一六及びルカ、一・一九等)
〔ミケール〕ミケル。同天使の長(地、七・一〇―一二註參照)
〔トビアを癒しゝ天使〕敬虔なるイスラエル人トビアの目を癒しゝ天使の長ラファエル(トビア、三・二五)
四九―五一
〔ティメオが〕プラトンがその『ティマエウス』と題する對話篇に
ティマエウス(ティメオ)はピュタゴラス派に屬するギリシアの哲人にてプラトンの友なり
ダンテ時代にカルチディオのラテン譯ありきといふ、恐らくはダンテこれによりて『ティマエウス』を知りゐたるならむ
〔似ず〕月天に現はるゝものは靈界の眞理の具體的表示にて、ティマイオスの意はその詞の文字通りなりと思はるれば
五八―六〇
もし星に歸るものは魂その者に非ずして、その星の影響の譽や毀なりとの意ならば、換言すればもし諸
の星の力、肉に宿れる魂に及び、これをして或ひは善に或ひは惡に向はしむとの意ならば、その言に幾許の眞理あらむ
〔矢〕原、〔弓〕
六一―六三
〔この原理〕星の影響の
〔ジョーヴェ、メルクリオ〕神話の神々の名、人々星辰の影響を過重視するの餘り、その信ずる神々の力、星にありとし、その名を星に附するにいたれり。たとへば火星に武徳ありとしてこれに軍神アレス(マルテ)の名を附し金星に戀愛の徳ありとしてこれに戀愛の女神アプロディテの名を附しゝがごとし
〔名づけしむ〕或星をジョーヴェ、或星をメルクリオ、或星をマルテと
六四―六六
〔我〕神學の象徴としてのベアトリーチェ、即ち眞《まこと》の信仰
六七―六九
神の正義(審判)は奧妙にして量るべからず(ロマ、一一・三三)されば人間の目に不正とみゆとも、こは寧信仰に進むの一階段にて異端に導くの道にあらず、何となれば、不正と見ゆるは奧妙不測のしるしにて、奧妙なりと知るは信仰に入るの本《もと》なればなり
〔われらの〕天上の
〔過程〕argomento 今スカルタッツィニの註解にもとづきて假にこの語を用ゐたり、異説或は「證《あかし》」の義とし或は「議論」(問題)の意とす、委しくはスカルタッツィニの註を見よ
七三―七五
眞《まこと》の暴《あらび》とは、虐げらるゝ人これがためにいさゝかもその意志を屈せざる場合にのみ生ず、意志は他人の左右し能はざるものなればなり、ピッカルダ、コンスタンツェのごとき、これ眞の暴にあへるにあらず、從つてこれを理由としてその罪をいひひらく能はざるなり
七六―七八
〔火が〕火はいく度これを下方に向はしむともその本然の力によりて必ずまた上方に向ふごとく
七九―八一
〔聖所〕尼寺。身は強ひて聖所より引離さるとも、意志だに屈せずは、他人の抑壓を脱するとともに再び聖所に歸るべきなり、歸るをえて而して歸らざるはその意志の屈せるなり、罪茲にあり。但しいつ、いかに歸るをえしやは明ならず
八二―八四
〔ロレンツォ〕聖ラウレンティウス。皇帝ヴァレリアヌスの迫害の犧牲となりて鐡架の上に燒かれ自若として死せる(二五八年)ローマの殉教者
〔ムツィオ〕ローマの一青年カイウス・ムキウス・コルドゥス・スカエヴォラ。エトルリア王ポルセナを殺してローマの危急を救はんとせしも果さず、その失敗の罪を己が右手に歸し、王の目前にて自らこれを燒けり(『コンヴィヴィオ』四、五・一一五以下參照)
八八―九〇
〔疑ひは……解け〕原、「論は消滅し」
九一―九三
〔路〕困難
九四―九六
〔あきらかに〕天、三・三一―三
〔第一の眞〕眞の源なる神
九七―九九
〔聞きたる〕天、三・一一五―七
〔されば〕聖徒は僞らず是故にピッカルダの言すべて眞なり、然るにピッカルダはコンスタンツェが尼寺を離れし後も心に尼となりゐたりといひ、我は今かれらの意志暴《あらび》の前に屈したりといへり、さればピッカルダの言、わが言と相反すと見ゆべし
一〇三―一〇五
〔アルメオネ〕アルクマイオン。父アンピアラオスの仇を報いんとて母エリピュレを殺せる者(淨、一二・四九―五一註參照)
〔父に請はれ〕もし戰ひに死せばエリピュレを殺せと豫めその子に命じ置きしなり
アルクマイオンは父の命に背くことを母を殺すことよりもさらに大なる罪と思ひたればなり
一〇六―一〇八
〔暴意志と〕人の暴《あらび》のみならず己の意志(相對の)も加はりて
一〇九―一一一
絶對の意志は暴に屈せず、たゞ相對の意志之に屈す、即ちもし屈せずして飽まで抵抗せばさらに大いなる禍ひに陷るあらんを恐れてこれに屈するなり
一一二―一一四
コンスタンツェの意志は絶對に暴に屈せるならねば此丘尼の生涯を慕へるは事實なれども、恐怖の念に左右せられて相對にこれに屈せるなり、ピッカルダは絶對の意志を指して屈せずといひ我は相對の意志を指して屈せりといふ、彼此兩立す
一一五―一一七
〔泉〕神
〔流れ〕ベアトリーチェ
一一八―一二〇
〔愛に〕原、「愛する者に」。神に
〔潤し……暖め〕水の潤や太陽の熱によりて草木の生き出づるごとく
一二一―一二三
〔これに應へ〕わが爲に汝の恩惠《めぐみ》にむくい
一二四―一二六
〔眞〕神
一二七―一二九
智は自然に眞を知るを求む、すべて自然に生ずる願ひは空ならじ、是故に眞を知ること可能なり、しかして智眞に達すれば悦びをその中にうることあたかも走り疲れし獸がしづかに己が洞窟の中に休むに似たり(コルノルディ、G.M.Cornoldi)
一三〇―一三二
人かく自然に眞を求むるがゆゑに一知はさらに一疑を生じ、眞より眞に進みて次第に終極の眞(神)にむかふ
一三三―一三五
〔この事〕以上わがいへる凡ての事
一三六―一三八
〔汝等の天秤〕天上の天秤《はかり》に。神の正義が、かゝる善行をもてこの罪を贖ふに足るとなすまで
〔汝等に〕天に對して
第五曲
ベアトリーチェは誓ひの神聖なることゝこれに易ふるをうる物のことを論じてダンテの疑ひを解き、後相倶に水星天にいたる
一―三
〔愛〕神の愛。神の光ベアトリーチェに反映するなり
四―六
〔全き視力〕ベアトリーチェの。視力完全なるがゆゑに神の光に接するも眩暈せずかへつて愈
光の内に進み入るなり(神を視神を知るに從ひ神を愛するの愛いよ/\深し)
スカルタッツィニの引用せる出エジプト記(三四・二九以下)に、モーゼ神と物言ひて山を下りし時、イスラエルの民その顏光を放つを視、恐れてこれに近づかざりしこと見ゆ
七―九
〔永遠の光〕神の光。神の光は一たびこれを視る者をして永久に己を愛せしむ(『コンヴィヴィオ』三、一四・五一以下參照)
一〇―一二
〔その中に〕迷はす物の中に。世に屬する空しき幸をも人誤り見て眞の幸となしこれを追ひ求むるなり(淨、一六・八五―九三參照)
一三―一五
〔論爭〕法廷の論爭、即ち神の正義に對し己が爲に論辯すること。これを免るゝは誓ひを果さゞりし罪の釋かるゝなり
一六―一八
〔この曲をうたひいで〕第五曲の始めにベアトリーチェの言葉を載せしをかくいへり
一九―二一
〔造りて〕creando 創造の時の義
二二―二四
創造の始めより今に至るまで凡て了知ある被造物即ち諸天使及び人類はこの意志の自由(淨、一六・六七以下參照)を與へらる
二五―二七
〔人肯ひて〕人約束を立て、神これを嘉し給ひ
二八―三〇
〔寶〕自由意志。誓ひを立つるは自由意志そのものゝ作用によりて自由意志を神に獻ぐるなり
三一―三三
是故にいかなる善事も、破約の罪を贖ふに足らず、意志の自由を一たび神に獻げつゝ、後その自由を用ゐて他の善を爲さんとするは、これ※[#「貝+藏」、U+8D1C、231-6]物をもて善を行はんとするに等し
三四―三六
〔要點〕誓約そのものはいかなる善行によりても贖はるべきにあらざること
四三―四五
誓約の要素に二あり、一はその材(誓約の對象なる童貞、斷食等)、他はその形式(神に約して己が自由意志を獻ぐる事)なり。以下ベアトリーチェの言を摘記すれば左の如し
(一)誓約は破るべからず、故に果すに非ざれば消えじ、たゞ獻ぐる物その物は或はこれを變ずるを得(四六―五四行)
(二)物を易ふるに當りては必ずまづ寺院の許諾を受けざるべからず、かつ易へて獻ぐる物前に獻げし物よりも尚大ならざるべからず(五五―六三行)
(三)是故に誓ひを立つるにあたりては人これを輕視せず必ず充分の注意をこれに拂ふを要す(六四―八四行)
四九―五一
〔希伯來人〕モーゼの律法に從ひ誓約の獻物《さゝげもの》をなすことレビ記(二七・一以下)に見ゆ
〔如何により〕獻物の中には易へうべき物あり(レビ、二七・一一以下等)易へうべからざる物あり(同二七・九―一〇等)
五五―五七
何人も寺院(即ち聖職にありてかゝる權能を有する者)の許諾を俟たずたゞ己が意志に從つて誓約の材を變ふるをえず
〔黄白二の鑰〕僧侶の權能及び技能の象徴なる金銀の鑰(淨、九・一一五以下參照)
五八―六〇
〔六の四に〕單に大小を表はせるにて數字上の比較にあらず、モーゼの律法にては五分の一を加ふべしとあり(レビ、二七・一三等)
六一―六三
是故に供物の價値甚大にしてこれに相當すべき物他にあらざるときはいかなる善行を以てすとも交換を許さず、童貞の誓ひの如きこの種に屬す
六四―六六
〔イエプテ〕イエフタ。ガラードの勇士にて後イスラエル人の士師となれる者。イスラエル人の爲にアンモン人と戰ふに當り神に誓ひて曰ふ、汝もし敵をわが手にわたし給はゞ、わが歸らん時わが家の戸より出で來りて我を迎ふる者わが燔祭の獻物となるべしと、しかるにその勝ちて歸るや、彼を迎へし者はわが獨子なる女《むすめ》なりき(士師記一一・三〇以下)
〔最初の供物〕ヴルガータに「最初に出で來る者」とあるによれり
〔輕々しく〕bieci(目を斜《はす》にして)、目を斜にして物を視る時はその眞相を認め難し、故にこの語轉じて「思慮なく」の意に用ゐらる(スカルタッツィニ)
誓ひを守るに忠なるはよし、されどこれを立つるに當りては熟慮を要す
六七―六九
〔守りて〕即ちその女を殺して。輕々しく誓約を立つれば、守りてかへつて守らざるよりも大いなる惡に陷ることあり
〔ギリシア人の大將〕アガメムノン。トロイア役におけるギリシア軍の主將たり、トロイアに渡らんとすれども順風を得ず空しくアウリスに止まるを憂へ、もしこれを得ばその年生るゝものゝ中最も美しきものをアルテミスに獻ぐべしと誓ひし爲、遂にわが女《むすめ》イピゲネイアを犧牲せざるべからざるにいたれり
七〇―七二
〔かゝる神事を〕かく酷《むご》き犧牲《いけにへ》の事を
七三―七五
〔身を動かし〕こゝにては誓約を爲すこと
〔いかなる水も〕誓約の履行をたやすく免ぜられうべしと思ふ勿れ
七六―七八
聖書の教へを守り寺院の導きに從はゞ救ひを得む、漫りに誓ふはこれを得るの道にあらず
七九―八一
己の慾のため誓願をなすの念起らば、汝等これに盲從せず、人間としてこれに逆へ、さらずば汝等の中に住するユダヤ人等(即ち舊約の律法に從つて誓約を神聖視する)汝等キリスト教徒が誓約に對して思慮なきを笑はむ
八二―八四
〔母の乳を〕聖書の教へや寺院の導きを離るゝ者は乳を離るゝ羔の如し
〔自ら己と戰ふ〕ただ獨りにて狂へる如くはねまはるをいふ
八五―八七
〔處〕太陽もしくは赤道。但しいづれにても上方の事
八八―九〇
〔變れる〕高く登るに從つてベアトリーチェの姿いよ/\美しく、いよ/\強く輝けばなり
九一―九三
〔第二の王國〕水星天
九七―九九
〔いかなるさま〕いかなる印象(喜びや悲しみの)をも受け易き
一〇三―一〇五
〔輝〕世の榮譽を求めし人々の靈
〔ますべきもの〕ダンテを指す。われらの愛は、かれの疑ひを解くによりて現はれ、現はるゝによりて愈
増すべし
一〇五―一一〇七
あゝ福を享けんが爲に生れ、未だ死せざるさきに神恩によりてエムピレオの天を視るを得る者よ
〔戰〕地上の生命(ヨブ、七・一參照)
一一八―一二〇
〔光〕神の恩愛の光
一二一―一二三
〔靈の一〕ユスティニアヌス(天、六・一〇―一二參照)
〔神々〕誤らず僞らざる(ヨハネ、一〇・三四―五參照)
一二四―一二六
〔巣くひ〕包まれ
一二七―一二九
〔他の光〕日光。ダンテは『コンヴィヴィオ』の中に、水星は最小の星にしてかつ他のいづれの星よりも太陽の光に多く蔽はるといへり(二、一四・九一以下)
一三〇―一三二
〔前よりはるかに〕光の増すは悦の増すなり
一三三―一三五
日の面《おもて》水氣に隔てらるゝときは光和らぐがゆゑにこれを視ることをうれども(淨、三〇・二五―七參照)、水氣熱の爲に飛散すれば、光直射して仰ぎ見難し(淨、一七・五二―四參照)
〔幕〕原、「和らぐること」
月天にては諸靈の姿そを包む光の爲に微かに見え、水星天にてはこの光なほ増して、近づかざれば光のみ見ゆ、(喜び常よりも大いなる時姿全く見えざることユスティニアヌスの例にて知らる)、また金星天にては光さらに増して聖徒の姿全く見えず、太陽天火星天と天の次第に高きに從つてかれらの光いよ/\強し
第六曲
皇帝ユスティニアヌスの靈水星天にてダンテに己が身の上の事と「ローマの鷲」の事とを告ぐ
一―三
〔コスタンティーン〕コンスタンティヌス一世(地、一九・一一五―七註參照)。三二四年帝國の首都をローマよりビザンティウム(今のイスタンブール)に移せり
〔鷲〕ローマ帝國の旗章《はたじるし》(淨、一〇・七九―八一參照)として帝國の權勢を代表す
〔天の運行に逆はしめし〕西より東に移らしめし
〔ラヴィーナ〕ラウィニア王ラティノスの女にてアエネアスの妻となれる者(地、四・一二四―六參照)
〔昔人〕アエネアス(地、一・七三―五並びに註參照)。トロイア沒落の後アエネアス、イタリアに赴けり、帝業の基を起せる者なるがゆゑに、鷲これにともなひて天の運行と同じく東より西に行けりといへるなり
四―六
〔二百年餘〕三二四年より五二七年(ユスティニアヌス即位の年)まで
或ひは曰。ダンテはブルネット・ラティーニの記録に從ひ、遷都を三三三年、ユスティニアヌスの即位を五三九年の事とせるなりと
〔神の鳥〕鷲
〔エウローパの際涯〕ヨーロッパの東端にあるビザンティウム。トロイアを距ること遠からず
〔山々〕トロイア地方の山々。鷲さきにアエネアスにともなひてこの山々よりいでたり
七―九
〔手より手に〕皇帝より皇帝に
一〇―一二
〔ジュスティニアーノ〕ユスティニアヌス一世(四八二―五六五年)。ヴァンダル族及びオストロゴート族と戰ひて武名を揚ぐ、されどその最も世に知らるゝにいたれるはかのローマ法の編成によりてなり
〔第一の愛の聖旨により〕聖靈にはげまされ
一三―一五
〔一の性〕神性。キリストにおいて、人性は神性中に沒しその存在を失へりとなすエウチキオ(三七八―四五四年)一派の異端。但しユスティニアヌスの妻テオドラはこの派の熱心なる信仰者なりしもユスティニアヌスはかゝる信仰を懷きしにあらず、ダンテ或ひはブルネット・ラティーニの言によりてかく録せるにあらざるかと註釋者いふ
一六―一八
〔アガピート〕アガペトゥス一世(五三五年より翌六年まで法王たり)。オストロゴートの王テオダトゥスの爲にユスティニアヌスと和を謀らんとてコンスタンティノポリスに赴き、かしこに死す、その間彼は皇帝に説きて異端者を罰せしめきと傳へらる
一九―二一
〔信ずる所〕キリストにおける神人の兩性
〔一切の矛盾〕肯定眞なれば否定僞りに、否定眞なれば肯定僞りなり。明かなる見易き事の一例として擧ぐ
二二―二四
〔寺院と歩みを合せ〕寺院の教義と説を同じうしてキリストの兩性を信ずるに及び
二五―二七
〔ベリサル〕ベリサリウス。ユスティニアヌス部下の名將(五六五年死)
〔天の右手〕天佑によりて彼多くの勝利をえたれば、その武運のめでたきを見て、我は自ら平和の事業(即ち律法の編成)にたづさはることの天意に從ふ所以なるを知れり
二八―三〇
〔第一の問〕我は汝の誰なるやを知らず(天、五・一二七)
〔性に〕鷲の物語をなしかつ身は昔皇帝なりしを告げたることに
三一―三三
〔深き理によりて〕反語、理不盡にも
〔我有と〕これを獨占して一黨の利を圖らんとするギベルリニも、これに敵抗するグエルフィも
三四―三六
〔パルランテ〕パルラス。エヴァンドロ(ギリシアのアルカディアの人にて、ラチオに來りその一部の王となれる者)の子なり、アエネアスを助けてツルヌス(地、一・一〇六―八註參照)と戰ひ、これに死す(『アエネイス』八―一〇卷)。パルランテはローマ帝國建設の犧牲者なればかくいへり
〔徳〕ローマの諸英雄の武徳
この一聯の中 e cominci
以下を地の文とし、「見よいかなる徳のこれをあがむべき物とせしやを。かくてパルラスがこれに王國を與へんため身を殺しゝ時の事より語りはじむ」と讀む人あり、ムーアまた然り。今 cominci
の主格を virt
とする説に從ひ、意を汲みてかくは譯しつ
三七―三九
〔アルバ〕アルバ・ロンガといへるラチオの町(ローマの東南アルバーノ湖附近)。傳説によれば、アエネアスの子アスカヌスの建てしものにて、アエネアスの子孫こゝを治むること三百年餘なりきといふ
〔三人の三人と〕アルバ・ロンガとローマとの爭ひを指す。アルバのクリアティウス(Curiazi)家の兄弟三人とローマのホラティウス家の兄弟三人と相爭ひしが、ローマ方遂に勝ちてアルバの主權を奪ひたり
傳説に曰。ローマはアルバの王女シルウィアの子ロムロスの建てしところにて、アルバと分立し王政を布きゐたるが、その第三の王オスチリオの代にこの爭ひありてアルバ倒ると(『デ・モナルキア』二、一一・二二以下參照)
〔さらにこれがため〕今一度旗のため、これ以前にも爭ひたればさらにといへり
四〇―四二
〔サビーニの女達の禍ひ〕王政の始めといふ如し。ロムロスの代に、ローマ人等その近隣の一族サビーニの女子を奪ひて妻とせりと傳へらる
〔ルクレーチアの憂ひ〕ルクレーチアがセクストゥスに辱められしこと(地、四・一二七―三二註參照)。ローマ最後の王タルクイニウスがローマを逐はれしもわが子クストゥスの惡行その一因となれるなり、故にルクレーチアの憂ひは王政の終りを表はす
〔七王〕ロムルス、ヌーマ、ツルヌス、アンクス・マルキウス、タルクイニウス・プリスクス、セルウィウス・ツルリウス、タルクイニウス・スペルブス
四三―四五
〔ブレンノ〕ブレンヌス。ガルリア人の大將、前四世紀の末ローマに押寄せ火を放つてこれを攻む、ローマの人フーリオ・カミルロ不意に起ちて敵を破り、故國をその難より救ふ
〔ピルロ〕エピロス(ギリシアの)王。ピルロス前三世紀の後半二囘に亘りてイタリアを攻めしも成らずして去る(地、一二・一三三―八註參照)
〔共和の國々〕collegi或は、同盟の君主等
四六―四八
〔トルクァート〕ティトゥス・マンリウスといへるローマ人にてトルクァートはその異名なり、ガルリア人及びラチオ人と戰ひてこれに勝つ(前四世紀)
ラチオ人と戰へる時己が子軍令を犯しゝかばこれに死刑を宣せりといふ(『コンヴィヴィオ』四・五・一一八以下參照)
〔クインツィオ〕ルキウス・クインティウス。ローマの人、鋤を棄て執政となりて敵を破り(前五世紀)任滿ちてまた耕作に從事す(『コンヴィヴィオ』四・五・一三〇以下參照)。キンキナトゥス(縮毛)の異名あり
〔デーチ〕父子三代に亘りて(その名をいづれもプブリウス・デキクス・ムースといへり)祖國の爲敵手に死せる(前四―三世紀)ローマ人(『デ・モナルキア』二、五・一二八―三〇參照)
〔ファービ〕ローマの名門。著名のローマ人多くこの一門より出づ、就中最著名なるは第二ポエニ戰爭の際(前三世紀)所謂遲延戰略を用ゐてカルタゴの驍將ハンニバルを惱ましゝクイントゥス・ファビウス・マクシムスなり
〔甚く尊む〕mirro(沒藥を塗る)藥品を用ゐて腐敗を防ぐ如く、永く尊びて忘れざるをいふ、天上に妬なければなり
四九―五一
〔アンニバーレ〕ハンニバル。カルタゴの名將、第二ポエニ戰爭の始め(前二一八年)ポー河の水源地なる西方アルピの連峰を越えてイタリアに闖入し連戰連勝優勢なりしが、後利を失ひてアフリカに歸れり
〔アラビア人等〕カルタゴ人等。ダンテ時代には北アフリカの住民をおしなべてアラビア人と呼びなせり、カルタゴ人をアラビア人といへるは、地、一・六八にウェルギリウスの父母をロムバルディといへるごとく一種の時代錯誤なり(ムーアの『用語批判』三四二頁參照)
五二―五四
〔シピオネ〕プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名將、未だ丁年ならざるにハンニバルとチチーノ及びカンネに戰ひ二十歳にしてイスパニアを征服し、三十三歳にしてザマ(地、三一・一一五―七註參照)にハンニバルを破れり
〔ポムペオ〕大ポムペイウス。年少の頃既にシルラを助けてマリウスの徒黨と戰ひ、後各地に轉戰して勝利を得たり、ローマが彼の爲に凱旋式を擧げしはその二十五歳の時(前八一年)の事なりき
〔山〕フィエソレの山、ダンテの生地フィレンツェその下にあり(地、一五・六一―三註參照)
〔酷し〕ローマ人がフィエソレを攻落しゝこと
五五―五七
天上の平和を地上にも及ばしめんと神の思召し給へる時に、換言すれは、キリストの降臨に近き頃ローマの民及び議會の意に從ひ、ユーリウス・カエサルこの旗を手に取れり
ダンテ思へらく、帝國の建設は世界平和の曙光なり、カエサルはなほヨハネの如く救世主の爲にその道を備へし者なりと(『コンヴィヴィオ』四、五・一六以下參照)
五八―六〇
以下七二行までユーリウス・カエサルの事蹟を擧ぐ
〔ヴァーロよりレーノに亘りて〕ガルリア・トランサルピーナ(アルピ外のガルリア)にてといふ如し。ヴァール(ヴァーロ)はフランスの東南端の河にて古、外ガルリアと内ガルリアとの境を劃し、レーノ即ちライン河は古、外ガルリアとゲルマニアとの境を劃せり。鷲の旗がカエサルの手にありてこの地方にあげし功績を、その沿道の諸水見たりといへるなり
〔イサーラ〕今のイゼール。フランスのローヌ河に注ぐ河の名
〔エーラ〕同じくローヌに注ぐサオン河
〔センナ〕パリを貫流するセーヌ河
六一―六三
〔ラヴェンナを出で〕ガルリア征服の後カエサルがラヴェンナより出でゝ内亂を平定せること(地、二八・九七―九註參照)。ルビコン河は昔ガルリア・チサルピーナ(アルピ内のガルリア)とイタリアとの境を劃せり
六四―六六
〔スパーニアに〕内亂鎭靜の後イスパニアに行きてポムペイウス一味の者を攻めし事(淨、一八・一〇〇―一〇二參照)
〔ドゥラッツオ〕アドリアティコの東岸にあるギリシアの町。カエサルこゝにてポムペイウスの軍に圍まる
〔ファルサーリア〕テッサリアの町。この附近にてカエサル大いにポムペイウスを破る(前四八年)
〔ニーロ〕エジプトのナイル河。ファルサリア役の餘波エジプトに及びてかの地の禍ひとなれるをいふ。ポムペイウス、ファルサリアに敗れてエジプトに逃れ、身を國王プトレマイオス十二世に寄せ、かへつてその殺す所となれり
六七―六九
ファルサリアの戰ひの後、イロイア頽廢の跡を見んとてカエサル、小アジアに赴けることルカヌスの『ファルサリア』(九・九五〇以下參照)に見ゆ
〔アンタンドロ〕フリジア海濱の一高地にある町。アエネアスこゝより舟出してイタリアにむかへり(『アエネイス』三・五以下參照)
〔シモエンタ〕(Lat.Simois)トロイア附近を流るゝ川(『アエネイス』一・一〇〇參照)
〔エットレ〕トロイア王プリアモスの長子(地、四・一二二)。エットレの墓の事『アエネイス』(五・三七一)に見ゆ
〔禍ひ〕カエサルがエジプト王プトレマイオスを廢して王の姉妹クレオパトラを立てしこと
七〇―七二
〔イウバ〕マウリターニアの王ポムペイウスに與せる爲カエサルの攻むる所となりて自殺す
〔汝等の西〕イタリアの西に當るイスパニア。こゝにポムペイウスの二子及びその黨與猶餘勢を保ちてカエサルに抗せしが、ムンダの戰ひに敗れ(前四五年)、内亂遂に平定す
七三―七五
〔次の旗手〕オクタウィアヌス・アウグストゥス。フィリッピの戰ひに敵を敗り、敵將プルート及びカッシオこれに死す(前四二年)
〔地獄に證す〕(地、三四・六四以下參照)カエサルを弑せし非道の報《むくい》はフィリッピ敗衂の怨みとなり、さらにルチーフエロの永劫の苛責となれり、かれらの悶え苦しむは即ちその罪その罰の證《あかし》なり
〔モーデナ〕(フィレンツェの北六十餘哩)オクタウィアヌスこの町の附近にてマルクス・アントニウスを破れり(前四三年)
〔ペルージヤ〕(ウムブリア州、テーヴェレ右岸の町)アントニウスの兄弟ルーチオこゝにてオクタウィアヌスに虜へらる(前四一年)
七六―七八
〔クレオパトラ〕地、五・六一―三註參照
〔その前より〕アクティクムの海戰にマルクス・アントニウスとともに敗れて(前三一年)
七九―八一
〔紅の海邊〕紅海の岸。オクタウィアヌスのエジプト征服を指す
〔イアーノの神殿〕イアーノはローマの神話に見ゆる古イタリアの神の名にてその神殿ローマに多し、而してその重《おも》なるものゝ戸はたゞ平和の時にのみとざさるゝ習なりきといふ。エジプトの征服とともに戰亂終局に至りたればかく
八二―八七
ティベリウスの代に起れることの重大なるに比ぶれは、この代の以前及び以後に於ける帝國の偉業も物の數ならじ
〔これに屬する世の王國〕ローマの領土といふごとし
〔第三のチェーザレ〕皇帝ティベリウス(一四年より三七年まで皇帝たり)
八八―九〇
正義の神はティベリウスの代に、キリストの死によりて、アダムの罪に對する神の怒りを和ぐるの譽をばローマ人に與へ給へり
〔我をはげます〕我を動かしてかく汝と語らしむる
〔これに〕ローマの權能の下にキリストの磔殺行はれたればなり
九一―九三
〔反復語〕vendetta(復讎、刑罰)が二重に用ゐられしこと、即ち前者は(邦譯にて)アダムの罪に對する刑罰にてキリストの死を意味し、後者はキリストの死に對する刑罰にてイエルサレムの沒落を意味す
但し原語 replico を單に「答ふる」、「附加する」等の意に解する人あり
〔ティト〕イエルサレムを毀てる者(淨、二一・八二並びに註參照)
〔昔の罪の〕天、七・一九以下に委し。神の正義に從つてこの二重の刑罰を行へるは即ちローマの權能の象徴なる「鷲」の偉業に外ならじ
九四―九六
〔ロンゴバルディ〕六世紀の後年イタリアに侵入しその北部に強國を建てしゲルマン族、寺院を噛むはローマの寺院を迫害するなり
シャルルマーニュ、(地、三一・一七)は法王ハドリアヌス一世の請を容れ、ロンゴバルディを攻めてその最後の王デジデーリオを廢せり、但しこは七七四年の事にて、法王レオ三世(七九五年より八一六年まで法王たり)がシャルルに帝冠を戴かしめしは八〇〇年の事なり、戴冠以前に溯りて鷲の翼の下といふこと可ならざるに非ざれども、『デ・モナルキア』(三、一一・五)にシャルル、ハドリアヌスより帝冠を受くとあるより見れば、ダンテのこの記事を年代錯誤によるとなすの説また理なきにあらじ
この一聯及び以下數聯に於ける出來事はユスティニアヌスの治世以後の事なり、皇帝の靈はウェルギリウスの如く、よくその死後の世のありさまを知りゐたり
九七―九九
〔さきに〕三一―三行
一〇〇―一〇二
グェルフィ黨はフランス(グェルフィの首領なるプーリア王シャルル二世)の力を藉りて帝國に反抗し、ギベルリニ黨は私黨の利慾の爲にこれを我有となす、二者倶に非なり
〔黄の百合〕フランス王家の紋章、青地に三の金の百合
〔公の旗〕全帝國の旗なる「鷲」
一〇三―一〇五
ギベルリニは己が野心を滿たすに當りて鷲の旗を用ゐるべからず、この旗は正義を世に布く爲の物なれば、ギベルリニの如く不正不義の爲にこれを用ゐるは、即ちその神聖を汚すなり
一〇六―一〇八
シャルルはその率ゐるグエルフィと共にローマの帝業を地に倒さんとするごとき非望を抱かず、彼シャルルよりもさらに強き君主等を征服したる帝國の力を恐るべし
〔新しきカルロ〕アプリア王シャルル(カルロ)二世(淨、二〇・七九―八一註參照)。新しといへるは九六行のシャルルマーニュ(カルロマーニオ)に對してなり
〔爪〕鷲の爪即ち帝國の力
一〇九―一一一
〔子が〕彼その非行を改めずは報《むくい》或ひは子に及ばむ。シャルルの多くの子の中、父のために禍ひをうけし者ある意を含む、されど誰を指し何を指しゝや明ならず
〔紋所〕鷲の。この紋所は神がその定め給ふところによりて地上平和の使命を帶ぶる帝國の徴號《しるし》なれば
〔變へ〕「鷲」廢れて「百合」のみ殘ること、即ち帝國の大權シャルル一家に移ること
一一二―一一四
〔小さき星〕水星(天、五・一二七―九註參照)
一一五―一一七
人その最大の目的を離れて地上の榮耀を望む時は、神の愛必ず減ず。眞の愛とは神に對する愛を指す
一二一―一二三
われらは神の過不足なき應報を知るが故に、情清く、さらに大いなる福をえんと願ひまたはこれを受くる者を嫉むが如きことたえてなし
一二四―一二六
〔下界にて〕gi
『ダンテ學會版』にこの一語なし(Diverse voci fanno dolci note)
〔さま/″\の座〕天上の福に種々の階級あり、階級によりて諸靈の音異なれども皆よく相和して一美妙の調を成す
スカルタッツィニは、こは思ふに諸天の和合音〔天、一・七六―八參照)を指せるならんといへり、樣々の福はさま/″\の天に現はさるればなり
一二七―一二九
〔眞珠〕さきには月を指してかくいへり(天、二・三四)。水星
〔ロメオ〕註釋者曰。ロミュー・ド・ヴィルヌユーヴ(ロメオ)の實説左の如し、ロミューはプロヴァンスの伯爵レーモン・ベランジェ四世の執事なり、一二四五年レーモン死せる時その領地を司どりて伯の末女ベアトリス即ちシャルル・ダンジュー一世の妻となりし(淨、七・一二七―九註參照)者の後見となり、一二五〇年プロヴァンスに死す。されどダンテ時代の傳説(特にヴィルラーニの記録)によればロミューは生れ賤しき一巡禮者なり、彼レーモン伯の徳を傳聞してこれに事へその擢拔を受けて財政を整理し他の收入大いに増加す、彼また伯の四人の女をして悉く王妃とならしめ誠心誠意その主の爲を謀れるもプロヴァンスの貴族等の讒にあひて伯の許を去る、而して何人もその行方《ゆくへ》を知らずと
ロミューが何故に水星天にあるやは明かならず、スカルタッツィニは謙讓による功名家(umili ambiziosi)の一例なるべしといへり
一三〇―一三二
〔笑〕ロミューを陷るゝも何等利する所なきをいふ、プロヴァンスは温和なるレーモンの手より苛酷なるシャルル・ダンジュー一家の手に移りたればなり(淨、二〇・六一以下並びに註參照)
〔他人の〕或は、「他人の善行を己が禍ひに轉ずる(人の善行を見妬み誹りて自ら罪に陷る)者は」
一三三―一三五
〔王妃〕長女マルグリットはフランス王ルイ九世に、次女エレオノールはイギリス王ヘンリー三世に、三女サンシヤは同ヘンリーの兄弟にてローマ人の王となれるリチャードに、末女ベアトリスはシャルル・ダンジュー一世に嫁す
〔賤しき〕或は、「謙讓の」
〔放客〕註釋者曰。romeo は巡禮者特にローマへの巡禮者の意なれば、このロメオを巡禮者となすの説出でしなりと(岩波文庫版ダンテ『新生』一〇〇頁參照)
一三六―一三八
讒者の言によりてロミューの誠實を疑ひ、收支の決算を求む、しかるに決算に及びその資産のかへつて膨脹しゐたるを知れり
一四二
〔ほむべし〕衣食の爲に志を屈せず逆境に處して亂れざる。ダンテが自己の境遇にひきくらべ、ユスティニアヌスの口を藉りてかくいへることいふまでもなし
第七曲
ユスティニアヌスの靈去りて後、ベアトリーチェはダンテの爲に、キリストの死、十字架の贖、及び靈魂の不滅を論ず
一―三
〔オザンナ〕神を讚美する語
〔火〕諸天使及び諸聖徒
四―六
〔二重の光〕神の光と己が光(一―三行)。或ひは曰、皇帝と立法者との光を指すと
〔聖者〕sustanza(主要の本質即ち靈)、ユスティニアヌスの靈を指す
一〇―一二
〔甘き雫〕眞理の滴
一三―一五
されどたゞ淑女の名の一部を聞きてさへわが心に湧く畏敬の念はわが頭《かうべ》を壓し、我をしてこれを擧げて敢て彼女に問ふ能はざらしむ
一六―一八
〔火の中〕(淨、二七・五二以下參照)
一九―二一
〔正しき罰〕ユスティニアヌスのいへること(天、六・八八―九三)
二五―二七
〔生れしにあらざる〕神の直接に造り給へる人即ちアダム
〔己が益なる〕意志の銜(禁斷の果《このみ》に就いて意志の上に神の加へ給ひし制限)に堪ふれば己が益なるを、しかせずして
二八―三〇
〔迷ひ〕正路を失ふこと
〔幾世の間〕淨、三三・六一―三並びに註參照
〔神の語〕キリスト(ヨハネ、一・一以下)
三一―三三
〔その永遠の〕たゞ聖靈のはたらきにより(魔女の懷胎に於ける)
〔性〕人性
三四―三六
〔己が造主と〕キリストのうちなる人性は、個性としては、創造時の如く至純至善なりしも
三七―三九
全人性の上より見れば、始祖の禍ひを受けて刑罰に價す
〔眞理の道と〕眞の道眞の生命なる神を離れ
四〇―四五
キリストの中なる人性は罰すべし、神牲は犯すべからず
四六―四八
さればキリストの磔殺といふ一の行爲よりこの結果生じたり、(一)神は人類の罪の贖はるゝによりてこれを喜び給ひ、ユダヤ人は己が怨みのはれしによりてこれを喜べり、前者は正義にもとづき後者は嫉みにもとづく、而してこの死によりて地は震ひ(マタイ、二七・五一)、天は聖者の爲に開けぬ
四九―五一
〔正しき法廷〕ティト。イエルサレムを毀ちて仇をユダヤ人に報いしがゆゑにかくいへり(淨、二一・八二以下並びに註、及び天、六・九一―三並びに註參照)
五二―五四
〔
〕疑ひ
五五―五七
〔方法〕キリストの死
五八―六〇
經驗によりて神の愛を知りよく天上の事物に通ずる者にあらざれば、奧妙なる贖罪の理をさとる能はじ
六一―六三
〔目標〕贖罪の教理
六四―六六
〔嫉み〕livore 愛に反する凡ての情を指す
〔あらはす〕その徳を一切の被造物の中にあらはす
六七―六九
直接に神の善より滴るもの即ち神が自然を介せずして直接に造り給へる物は永遠に存在す、これ神の御手の業《わざ》は不朽不變なればなり
七〇―七二
神の直接に造り給へる物はまた全く自由なり、これ神以外のものゝ影響に從屬せざるによる
〔新しき物〕第二原因(第一原因なる神に對して)、變化するがゆゑに新しといへり
但しこゝに所謂直接の被造物のうちには、天、二九・三四にいづる「純なる勢能」を含まずと見ゆ
七三―七五
神の直接に造り給へる物は神に最も近きがゆゑにまた最も神意に適ふ
〔聖なる焔〕即ち神の善、神の慈愛の光
七六―七八
〔これらの〕不死、自由、神に似ること
七九―八一
〔自由を奪ひ〕惡を行ふ者は罪の奴隷なり、自由なし(ヨハネ、八・三四)
八二―八四
〔空處を〕、罪の爲に失へるものを再び得るに非ざれば
八五―八七
〔種子〕祖先、即ち始祖アダム
九一―九三
〔淺瀬〕罪より神恩に歸る道。この道二あり、(一)神がたゞその慈愛によりて赦し給ふか、(二)人自らその罪を贖ふか、是なり
九四―九六
〔永遠の〕神慮の奧深きところを見よ
九七―一〇二
人が神の如くならんと(創世、三・五)欲して神命に背けるは是無限の僭上なり、無限の僭上は無限の謙遜によりてはじめて贖はる、しかるに人は有限にして不完全なる者なるがゆゑに、いかなる謙遜いかなる從順を以てすとも始祖の僭上始祖の悖逆を償ふに足らず、從つて自らその罪を贖ふの力なし
一〇三―一〇五
〔己が道〕慈悲と正義の二道
〔その一か〕慈悲のみによるか
一〇六―一一一
すべて行爲はその源なる心の善を現はせばあらはすほど他の者を悦ばすがゆゑに、宇宙萬物に愛の光を注ぎ給ふ神は、汝等人間をば昔の尊さに歸らせんため、その道を盡すをよしとし給へり
一一二―一一四
世の始め(最始の晝、即ち神が光を造り給へる日)より世の終り即ち最後の審判にいたるまでの間に、贖罪の如く尊き業《わざ》は、慈悲によりても正義によりても爲されじ。贖罪は空前にして絶後なる神の尊き御業《みわざ》なり
一一五―一一七
〔神は〕神は人類をその墮落より救はんため人の肉體に宿りて苦しみを受け給ひ
一一八―一二〇
〔正義に當るに〕神の正義にふさはしき贖ひをなすに
一二一―一二三
以下滅するものと滅せざるものとの別を説く
〔溯りて〕六七―九行にいへること
一三〇―一三五
諸天及び天使は今現にあるごとき完全なる状態において直接神に造られしものなれば滅びず、されど地水火風の四原素及びその化合より成る一切の物は他の力によりて形成せらるゝものなるがゆゑに滅ぶ
〔造られし力〕神の直接に造り給へる力、第二原因、星辰の影響
一三六―一三八
地水火風の材となる物質、及びこの四原素の周圍を
轉する星辰が物を形成する力は、ともに直接の被造物なり
〔とゝのふる力〕virt
informante 特殊の存在を保たしむる力(不滅の物質を材として地水火風及び其他の物を形成しこれに各
その性質を保たしむる如き)
一三九―一四一
〔聖なる光〕星辰
〔これとなりうべき原質〕complession potenziata 星辰の影響により、集合して禽獸草木の魂と成るの可能性を有する物質
一四二―一四四
汝等人間の魂は神の直接に造り給へる物なれば滅びじ、而して神はこの魂に神を愛するの愛を與へ、これをして常に神と結ばんことを求めしむ(淨、二五・七〇以下及び『コンヴィヴィオ』三、二・五六―九參照)
一四五―一四八
神の直接に造り給へる物は不滅なりとの原則より推して、人の肉體の甦をも信ずるをえむ、神がアダム、エヴァを造り給へる時はその肉體をも直接に造り給へるなれば(創世、二・七)、たとひ罪の爲死とともに滅ぶとも最後の審判の日至れば再び魂と結ばれてその不朽の衣とならむ
第八曲
ダンテ、ベアトリーチェと金星天にいたり、世にて戀の炎に燃えし多くの靈を見る、その一カール・マルテル、ダンテを迎へこれと語りて人の性情の相異なる所以を陳ぶ
一―三
〔危ふかりし〕異教の神々を奉じ、永遠の刑罰を蒙るの恐れありし昔
〔チプリーニア〕戀の女神アプロディテ(ウェヌス・ヴェーネレ)、キュプロス島に生立ちしよりこの異名あり。金星
〔エピチクロ〕大圈の周邊に中心を有する小圈。プトレマイオスの學説によれば諸遊星は東より西にめぐる外、二の固有の運動を有す、その一は即ちその軌道の周邊(その天の赤道)に小圈を畫きつゝ西より東に
るものにて、この小圈をエピチクロといふ(ムーア『ダンテ研究』第三卷三四頁以下參照)、第三のエピチクロは月より數へて第三の星即ち金星(昔の天文による)のそれなりと知るべし(圖解中太陽以外の星の周圍の點線はエピチクロなり)
七―九
〔ディオネ〕オケアヌとテティス(共に古の神の名)の間の女。アプロディテはゼウスとディオネの間の女なり
〔クーピド〕エロス。アプロディテの子にて戀の神なり
〔ディドの膝〕『アエネイス』一・六五七以下に、ヴェーネレ(アプロディテ)がアエネアスに對する戀の火をディド(地、五・六一―三註參照)の胸に燃さんとて、まづわが兒クーピド(エロス)をアエネアスの子アスカニウスの姿に變へ、ディドの膝に抱かしめしこと見ゆ
一〇―一二
〔或ひは後或ひは前〕宵の明星となりて現はるゝ時は日沒後なれば後といひ、明《あけ》の明星となりて現はるゝ時は日出前なれば前といへり
〔星の名〕金星をヴェーネレと名づく
一三―一五
〔いよ/\美しく〕ベアトリーチェは天より天と、神の御座《くらゐ》に近づくに從つていよ/\その美を増すなり
一六―一八
〔一動かず〕一音に變化なく、一音に震動高低の變化あるとき
一九―二一
〔かの光〕光る星、金星
〔多くの光〕諸聖徒
〔永劫の視力〕永遠に神を視ること。
る早さは見神(即ち福の度)の多少に準ず
二二―二七
〔見ゆる風〕電光
〔冷やかなる雲〕アリストテレスの説に曰く。熱くして乾ける氣上昇し、冷やかなる雲に當りて空氣を亂し風を生ずるにいたると、又曰く、電光とは單に風の燃燒によりて見ゆるにいたるものの謂と(ムーアの『ダンテ研究』第一卷一三二―三頁參照)
〔セラフィーニ〕諸天使中最高貴なるもの(天、四・二八―三〇註參照)
〔舞を棄て〕エムピレオの天にてセラフィーニと共に舞ひゐたる諸靈ダンテに現はれんとて降り來れるなり。一九―二一行にいへる舞はエムピレオの天にて始まれるものなるがゆゑにまづといふ
三一―三三
〔その一〕カール・マルテル(カルロ・マルテルロ)。シャルル・ダンジュー二世の長子、一二七一年に生れ、一二九〇年ハンガリアの王冠を受け(されどその實權は分家なる三世の手にありき)、一二九五年に死す。註釋者曰、カールはフランスより歸り來れるその兩親に會はんため、一二九四年の始めナポリよりフィレンツェに赴き少時かしこに滯在せることあればその際ダンテと相識るにいたりしならんと
三四―三六
〔君達〕principi 天、二八・一二五にいづる principati と同じ天使諸階級の一にして金星天を司る者
〔圓を一にし〕共に圓を畫きて轉ること、空間を表はす
〔
轉を一にし〕共にめぐりて永遠に亘ること、時間を表はす
〔渇を一にし〕神を慕ふ心、衷なる情を表はす
三七―三九
〔汝等了知をもて〕『コンヴィヴィオ』第二卷の始めに出づる第一カンツォネの起句、この解同書二・六・一五一以下に見ゆ
但し、金星天を司る天使、『コンヴィヴィオ』にては principati に非ずして troni なり(天、二八・九七―九註參照)
〔少時しづまるとも〕神の愛と同胞の愛との相矛盾せざることを表はす(フィラレテス Philalethes)
四〇―四二
ダンテはかの靈と語らん爲その許をば目にてベアトリーチェに請へるなり
四三―四五
〔約しゝ〕三二―三行
四六―四八
〔新たなる喜び〕問者に答へてこれに滿足を與へ己が愛を現はすをうるの喜び(天、五・一三〇以下參照)
四九―五一
〔もし〕我もし長命なりしならば、今より後に起らんとする多くの禍ひは、未發に防ぐをえたりしものを
カーシーニ曰く。こゝにいふ禍ひは、ラーナの説によれは貪慾なるロベルトの惡政を指し、オッチモの説に從へばアンジュー方とアラゴン方とのシケリア爭奪戰を指す、されど恐くはダンテは或る一の確たる事實を指せるにあらで、シャルル二世及びロベルトの下《もと》にナポリ王國を苦しめし種々の禍ひを總括していへるならむと(七六行以下參照)
五二―五四
光のわが身を隱すこと、繭の蠶をかくすごとし
五五―五七
〔葉のみに〕さらに深き根強き愛を表はせるならむ
ダンテはマルテルに對し深き敬愛と大いなる希望とを懷きゐたりと見ゆ、されど兩者の關係については定かなること知り難し、マルテルが金星天にある理由も恐くはたゞダンテのみよくこれを知れるならむ
五八―六〇
〔左の岸〕プロヴァンス。ローン河の東にある伯爵領地、ソルガはアヴィニオン附近にてローンに合する小川の名
プロヴァンスはカルロ一世の代にナポリ王の所領となれるものなれば(淨、七・一二四―六註及び淨、二〇・六一―三註參照)シャルル二世の死後は當然マルテルに屬すべきなりき
〔時に及びて〕シャルル二世は一三〇九年に死せり、マルテル早世してこの時を見ず
六一―六三
ナポリ王國もまたマルテルの君臨を望みゐたり
〔バーリ〕アドリアティコ海邊の町
〔ガエタ〕チルレーノ海邊の町
〔カートナ〕カーラブリア州の南端の村
〔際涯を占め〕s'imborga カーシーニの説に、borghi は中古、市の境に列なれる家屋の意に用ゐたればこゝにてはこれらの町々がナポリ王國の際端にあるをいへるならんとあるに從ひてかく
〔トロント〕マルケとナポリとの境を流れてアドリアティコ海に注ぐ河
〔ヴェルデ〕ガリリアーノ河のこと(淨、三・一三―三二註參照)
〔アウソーニア〕イタリアの古名(ウリッセの子アウソネに因みて呼べる)。アウソーニアの角《つの》とはイタリア南方の一端なるナポリ王國を指せる也
マルテル一男二女を殘し父に先立ちて死す、而してシャルル二世の死後、マルテルの弟(即ちシャルルの第三男)ロベルトはマルテルの子カルロ・ロベルト(一三四二年死)を斥けてナポリ王國の權を握れり(一三〇九年)
六四―六六
マルテルがハンガリア王冠を戴けること
マルテルの母マリアはハンガリア王ラヂスラーオ四世の姉妹なり、一二九〇年ラヂスラーオ死して嗣子なくマルテルその王冠を受く
〔ダヌービオ〕ダニューブ。ドイツより起りてハンガリアを貫流する大河
六七―七五
我またシケリアに君たりしならむ、この國惡政に苦しみてその主權に背き、遂にフランス人の覊絆を脱するにいたらざりせば
〔灣〕カターニア灣。東風(エウロ)最も多し
〔パキーノ〕シケリア島東南端の岬、今カーポ・パッサーロといふ
〔ペロロ〕同東北端の岬、(今のカーポ・ファーロ)
〔ティフェオ〕或ひはティフォ(地、三一・一二四)、ゼウスの電光に撃たれシケリアに葬られし巨人、その頭エトナ山下にありて口より火焔を吐出す(オウィデウス、『メタモルフォセス』五・三四六以下參照)
〔トリナクリア〕Trinacria シケリアの古名(三の岬あるより呼べるギリシア名、三の岬とは前出パキーノ、ペロロの二と、島の西方にあるリリベオ即ち今のカーポ・マルサーラの岬とを指す)
〔カルロとリドルフォ〕父(或は祖父)のカルロと外舅ルドルフの子孫我より生れて
マルテルの妻クレメンツァは皇帝ルドルフ(淨、七・九四―六參照)の女なり
〔虐政〕アンジュー家の
〔パレルモ〕シケリアの首都にて、かの有名なるシケリアの虐殺(一二八二年)の始まれるところ。この虐殺の後シケリアはアンジュー家を離れてアラゴン家に歸せり
〔死せよ〕フランス人に對する群集の叫び
七六―七八
〔わが兄弟〕弟ロベルト(ルイ)シャルル二世自由の身となりし時(淨、二〇・七九―八一並びに註參照)、その第三子ロベルト(ルイ)は兄のルドヴィコ(ルイ)と共にアラゴン方《がた》の人質となりて一二八八年より同九五年までカタローニア(イスパニアの)に止まれり、この幽閉の間ロベルトは多くのカタローニア人と交りを結び、一三〇九年ナポリ王となるに及びて彼等をかしこに招きかつ重くこれを用ゐぬ、しかるに彼等強慾にして民を虐げしかば、民心アンジュー家を離るゝにいたれり
〔豫めこれを〕虐政の臣民に及ぼす結果如何を、王位に即かざる先に知りたらんには
マルテルはロベルト即位後の非政及びその結果を豫知してかくいへるなり
七九―八一
〔彼にても〕ロベルト自身かまたはその親戚知友等
〔荷の重き彼の船〕ロベルトの貪欲の爲既に重き負擔に苦しむかの三國
〔さらに荷を〕廷臣等の貪慾によりてその負擔をさらに重くする莫らん爲
八二―八四
〔物惜しみせぬ性〕父シャルル二世の。シャルル二世がその女ベアトリスをフェルラーラの君に與へて莫大の金をえしこと淨火篇(二〇・七九―八一)に見ゆ、さればこゝにては單にその子ロベルトと此していへるか、或はシャルルに貪慾と寛仁の相混れる性あるをいへるか明ならず、なほ言者がシャルルの子なるを思ふべし(ムーアの『ダンテ研究』第二卷二九三―四頁參照)
八五―九〇
汝の言の我に與ふる喜びは汝自らの(これを神の鏡に映《うつ》して)知るところなるを信ずるによりて愈
深し、而して汝のわが喜びをば神を視てさとることもまたわが悦ぶ所なり。前者は主として明かに友に知らるゝの事實を指し、後者は主として友の知る所以を指す、但し九〇行の il の意明らかならざるがゆゑに異説あり
〔一切の善の〕一切の善の本末なる神によりて
九一―九三
〔苦き物〕良き種より惡しき果の生ずる如く、良き父より惡しき子の生るゝをいふ
九四―九六
〔顏を〕顏を向くるはその事、前に現はれて知るゝなり、背をむくるは後にかくれて知れざるなり
九七―九九
生るゝ者の性情はたゞ生む者の性情によるのみならず、また諸天の力を受くるものなる事をいはん爲、以下一一一行まで、神の攝理が星辰の力となりて萬物にその影響を及ぼし、神の豫め立て給ふ目的《めあて》に向つて進むを論ず
〔善〕神。神は諸天運行の本にてまたその悦びの始なり
〔大いなる物體〕神の攝理は諸天において一種の力となり、この力諸天を通じて人間及び他の被造物にその影響を及ぼす
一〇〇―一〇二
神はたゞ自然の諸物の存在を定め給ふのみならず、またその安寧をも定め給ひ、諸物皆秩序を保ち健全にかつ永續して神の立て給ふ目的《めあて》にむかふことをえしむ
〔自ら完き意〕神意。被造物の完きは自ら完きに非ず、神によりて完きなり
一〇三―一〇五
諸天の影響は神の豫め定め給へる目的《めあて》に達せんがため諸物に及び、あたかも狙ひ放たれし物の、的に向ひて進むごとし
一〇六―一〇八
若し諸天の影響にかゝる目的なくその働き偶然ならば、その結果萬物の間に調和なく美なく、自然は渾沌に歸するあるのみ
一〇九―一一一
諸天の働きもしかく盲目的なりとせば、こは諸天を司る諸天使(諸ての智)の不完全に歸せざるをえず、諸天使もし不完全なりとせば、こは彼等を不完全なる者に造り宇宙の秩序を保つに堪へざらしめし神の不完全に歸せざるをえず、而してこはありうべき事ならじ
一一二―一一四
〔自然〕諸天の働き
一一五―一一七
以下一二六行まで、神の攝理が世人の福祉と一致すること。即ち人は皆社會の一員なれば、各
その性情傾向及び才能を異にし從つてその職分を異にするを論ず
〔一市民たらずは〕一社會を形成して互ひに扶助することをせず孤獨の生を營まば
〔問はじ〕問はずして明らかなれば
一一八―一二〇
〔汝等の師〕アリストテレス。『倫理學』及び『政治學』の諸處に(『コンヴィヴィオ』四・四・四四以下參照)
一二一―一二三
〔業の根〕行爲の本なる性情傾向
一二四―一二六
〔ソロネ〕ソロン。有名なるアテナイの立法家にしてギリシア七賢の一なり(前七世紀)
〔セルゼ〕ペルシアの武將(淨、二八・七〇―七二並びに註參照)
〔メルキゼデク〕舊約時代の祭司長(創世、一四・一八)。サレム王メルキゼデクが祭司の典型として重きをなす所以ヘブル書(七・一以下)に見ゆ
〔わが子を失へる者〕工匠の典型としてダイダロスを擧ぐ(地、一七・一〇六以下並びに註參照)わが子は即ちイカルスなり
一二七―一二九
以下一三五行まで、諸天の影響はよく人界に及びてさま/″\の性向を生ずれども種族家系等の區別を立てざるが故に父子同じからざることあり、要するに是皆神の攝理にもとづくものなるを論ず
一三〇―一三二
〔エサウはヤコブと〕エサウとヤコブ(ジャコッベ)とは共にイサクの子にて雙生《ふたご》の兄弟なりしもその生得の性(種)同じからず、エサウは獵を好みて野の人となり、ヤコブは平和を愛して天幕に住めり(創世、二五・二一以下參照)
〔クイリーノ〕(槍を揮ふ者、勇士の義)、神に祭られし後のロムロスの一名。ローマの建設者なるロムロスの父は身分賤しき者なりしゆゑ、人々軍神マルテ(ギリシアにてはアレス)をばその父なりと稱するにいたれり
一三三―一三五
神の攝理諸天星辰の影響となりて世に及ぶにあらずば、子は親と全くその性を同うすべし
一三六―一三八
〔汝の後に〕九四―六行參照
〔表衣となさん〕最後に表衣《うはぎ》を着て身の裝ひを終ふるごとく、この最後の教へを受けて汝の知識を全うすべし
一三九―一四一
人もしその性向に逆ひその本分にあらざる業をなし職を選べは、地の利を得ざる種の如く(『コンヴィヴィオ』三・三・二一以下參照)決して良き結果にいたらじ
一四二―一四四
〔自然の据うる基〕諸天の影響より生ずる性向
第九曲
ダンテなほ金星天にありて暴君エッツェリーノ・ダ・ローマーノ三世の姉妹クニッツァ及びマルセイユのフォルコと語る
一―三
〔クレメンツァ〕クレマンス。カール・マルテルの女、一二九〇年頃生れ、一三一五年フランス王ルイ十世に嫁す、その死はダンテの後にあり
一説に曰く、こはマルテルの妻クレメンツァ(天、八・六七―七五註參照)の事にてその女クレメンツァの事にあらずと。前説後説何れにも難あり、「美しきクレメンツァよ、汝のカルロ」といへる言葉の上より見れば妻たる者に適はしく子たる者に適はしからず(スカルタッツィニの『ダンテ事典』參照)、されどマルテルの妻は一二九五年に死したればこれに向ひてかく呼びかくること穩當ならず、今しばらく前説に從ふ
〔欺罔〕特にマルテルの子ロベルトがナポリの王位を叔父ロベルトに奪はれしこと(天、八・六一―三註參照)
四―六
〔汝等の禍〕汝等カルロの子孫の受くる禍ひ。カルロ・ロベルトのうくる虐はとりもなほさずその一家その姉妹等の禍ひなればかくいへり
〔正しき歎〕虐ぐる者その虐の爲に正しき罰を受くること。但し王ロベルトの受くる罰とはたゞ一般にアンジュー王家の衰頽を指していへるなるべし
七―九
〔生命〕カール・マルテルの靈
〔日輪〕神。神は至上の善にましまし、萬物にその力に應じて福を與へ給ふ、かくの如くかの靈もまた神より眞の福を受く
一六―一八
〔さきのごとく〕カール・マルテルと語るの許を請へる時の如く(天、八・四〇―四二參照)
一九―二一
〔速に〕わが問を待たずして我に答へ、汝が神の鏡に映してよくわが心の中を見るを得との證《あかし》を與へよ
二二―二四
〔さきに歌ひゐたる〕天、八・二八―三〇參照。深處とは光の内部をいふ
二五―二七
邪惡の國イタリアの一部なる
〔リアルト〕ヴェネツィア市の一部を形成する島の名、ヴェネツィア市を代表す
〔ブレンタ〕アルピより出でゝヴェネツィア附近に注ぐ河(地、一五・七―九參照)
〔ピアーヴァ〕アルピより出で、ヴェネツィア市の東北に當りてヴェネツィア灣に注ぐ河
マルカ・トリヴィジアーナはヴェネツィア(南)とアルピの峰(北)の間にあり
二八―三〇
〔山〕ローマーノ山、山上に「エッツェリーニ」家の城ありき
〔炬火〕エッツェリーノ・ダ・ローマーノ三世。傳説に曰く、その母夢にマルカ・トリヴィジアーナの全土を燒盡せる一炬火を生むと見て彼を生めりと。エッツェリーノは第七獄第一圓にあり(地、一二・一〇九以下參照)
三一―三三
〔一の根〕同父母。父はエッツェリーノ二世、母はその第三の妻アデライデ・デーリ・アルベルティ
〔クニッツァ〕エッツェリーノ二世の末女、性放縱にして情人多く三たびその夫を更ふ、されど晩年フィレンツェに住して改悔の歳月を送り慈善の行爲多かりきといふ(十三世紀)
〔この星の光に〕金星の影響を受けて多情なりしため
三四―三六
我はかの多情の罪の爲に今わが心を惱まさずかへつて喜びをもてこれに對することをう、これ汝等世俗の人の解し難しとするところならむ
戀愛の情は一たび淨まれば即ち神にむかひて燃ゆる愛の火となる、クニッツァ改悔によりて濁れる愛を清《す》める愛に變じ、自らその救はるゝにいたれるを喜ぶなり
〔命運の原因〕在世の日の罪、即ちクニッツァをしてさらに高き天の福を受けざらしめしもの。まづ神に赦され而して後自ら赦すなり
三七―三九
〔珠〕フォルコの靈(九四行以下參照)
四〇―四二
〔第百年は〕定數五百年を不定數多年の意に用ゐたり
〔第二の生〕死後世に殘る美名
四三―四五
〔ターリアメントとアディーチェ〕マルカ・トリヴィジアーナをその東(ターリアメント)西(アディーチェ)の境にある二の河にてあらはせるなり
〔これ〕善行によりて美名を竹帛に垂るゝこと
〔撃たる〕エッツェリーノ及びその他の暴君の壓制を受けて苦しめども
四六―四八
以下六〇行まで、己が郷國に關するクニッツァの豫言
〔パードヴァ〕註釋者曰く。一三一四年カン・グランデが皇帝の代理としてヴェツェンツァのギベルリニを助け、パードヴァのグェルフィを破りて沼(即ちバッキリオネ河がヴェツェンツァの附近にて造る沼)の水を紅に染めしをいふと
カーシーニの引用せるアンドレーア・グローリア(Andrea Gloria)の説に曰く。こは一三一一年以降におけるパードヴァ、ヴェツェンツァ兩市の爭ひをいへり、ヴェツェンツァ人水の缺乏によりてパードヴァ人に勝たんと欲しバッキリオネ(即ちヴェツェンツァを經てパードヴァに流るゝ河)の河水を他に轉流せしむ、パードヴァ人すなはち疏水工事によりてブレンタの河水の一部を導き、水なきバッキリオネの流域に流れ入らしむ(一三一四年)、ダンテの所謂水を變ずとは是なり、沼(palude)とはブルセガーナ附近の名にてブレンテルラの細流バッキリオネに落合ふところなり、パードヴァ人工事を施してこの細流を延長しかつ廣大ならしめ、由て以てブレンタの水を引けりと
四九―五一
〔落合ふ處〕トレヴィーゾ。シーレ、カニアーノの兩河こゝにて落合ふ
〔或者〕リッカルド・ダ・カーミノ。淨、一六・一二四に出づるゲラルドの子にてニーノ・ヴィスコンティの女ジョヴァンナ(淨、八・七〇―七二)の夫なり、一三一二年怨みを受けて不意に殺さる
ゲラルドの死は一三〇六年なれど一三〇〇年頃リッカルド既に實際の政治にたづさはりゐたりと見ゆ
〔網〕regna(島を捕ふる網)網を造るは殺害を企つるなり、傳へ曰ふ、リッカルド己が邸内にて將棊を差しゐたる時、相手の客、リッカルドの家僕と示し合せてこれにその主を殺さしむと
五二―五四
〔フェルトロ〕(フェルトレ)トレヴィーゾの北にある町
〔牧者〕アレッサンドロ・ノヴェルロ。一二九八年より一三二〇年までフェルトレの僧正たり、一三一四年七月フェルラーラの君にてグエルフィ黨なるビーノ・デルラ・トーザの請に應じ、己の許に保護を求めし多くのフェルラーラ人(ギベルリニに屬する)をこれに渡し、かれらを死に致らしむ
〔マルタ〕僧侶を罰する一牢獄の名として最有力なるは、(一)ボルセーナ湖畔の「マルタ」、(二)ヴィテルボの「マルタ」なり。されどダンテがこの中何れを指せるや或はまた他の「マルタ」を指せるや明ならず
近時このマルタをもて一般牢獄の名となすの説あり(一九二〇年一月二日發刊「タイムス」文藝附録トインピー博士寄書參照)、但しダンテがこゝに、重罪を罰する一牢獄の名もしくは一種の牢獄の名としてマルタの語を用ゐたりと見なす方語氣に力を添ふるに似たり、しはらく後日の研究に俟つ
五五―六〇
〔黨派〕グエルフィ
〔かゝる贈物〕かく恐ろしき贈物も、背信非道の行の盛なるマルカ・トリヴィジアーナの慣習としてはめづらしからじ
六一―六三
クニッツァは己が豫言の的確なるを記せんとてかく曰へり
〔上方〕エムピレオの天
〔寶座〕第三位の天使。直接に神の光を受けてこれを諸聖徒に傳ふるがゆゑに鏡といふ
〔審判の神〕神の審判は皆この天使を通じて我等に啓示せらるゝがゆゑにわが言眞なり
六四―六六
〔さきのどとく〕天、八・一九―二一參照
六七―六九
〔知りし〕クニッツァの言によりて(三七行以下參照)
〔喜び〕聖徒
七〇―七二
天上の喜びは聖徒の強き光に現はれ、地上の悦は人間の笑に現はる、たゞ地獄にては魂の内部の悲外部の黒さにあらはるゝのみ
七三―七五
〔目神に入る〕よく神を見るをいふ、聖徒達は神を見、その鏡に照してまたよく萬物を視るなり
〔いかなる願ひも〕言葉に現はれざる願ひも
七六―七八
〔火〕セラフィーニ(天、八・二二以下參照)。輝くが故に火といふ、六の翼あり(イザヤ六・二)
七九―八一
〔もしわが〕わが心の中を汝の知る如く汝の心の中を我知らば、換言すれば、我もし汝なりせば、問はるゝを待たで答ふべし
八二―八四
〔地を卷く海〕大洋
〔を除きては〕Fuor di フラティチェルリの説に從ふ。「より出でゝ」と解する人あり
〔最大いなるもの〕地中海
八五―八七
〔相容れざる〕discordanti 南北の反對面にある意の外、ヨーロッパとアフリカとの政教習俗等相異なる意をも含めしならむ(ムーアの『ダンテ研究』第三卷一二六頁脚注參照)
〔日に逆ひて〕西より東に
〔さきに天涯と〕西瑞[#「西瑞」はママ](ガデス)より見て天涯なる圈は東端(イエルサレム)より見て天心なり。西端の日出は東端の正午に當る、換言すれば、東西の兩端相距ること九十度なり
地中海の延長は四十二度に過ぎざれども、ダンテはその時代の謬見に從つて約九十度と見做しゝなるべし
さきにといへるは單に測定の出發點としての時を指せるにて先後あるにあらず、人もし地中海の一端より忽ち他端に到るをえば、西端にて地平線上に見えし太陽は東端にて子午線上に見ゆべしとの意なり(トーザー H.F.Tozer)
八八―九〇
〔エブロとマークラ〕イスパニアのエブロ河とイタリアのマーグラ河(ルーニジアーナにあり)。フォルコの郷里マルセイユは即ちこの兩河の間にあり
〔短き〕マーグラは六四キロメートル程の小河なる上、昔トスカーナとゼーノヴァ兩共和國の堺を劃せるはその一部に過ぎざりき
九一―九三
〔己が血をもて〕ブルートゥスがカエサルの命を受けてマッシリア(マルセイユ)の海戰に勝ち殺戮を行へる時(前四九年)の事を指す
〔ブッジェーア〕アフリカの北岸アルゼリアにあり、中古の要港(特にマルセイユとの通商上)としてこゝに擧ぐ、マルセイユと略その經度を同うするが故にかく
九四―九六
〔フォルコ〕(或はフォルケット)、ゼーノヴァよりマルセイユに移住せる商人の子、十二世紀の後半に生れ、トロヴァドル派の詩人となり、情事多し、後無常を觀じて僧となり、一二〇五年トロサ(フランスの南にある町)の僧正に任ぜられ、アルビジョア派(十二世紀に起れる異端派)の人々をいたく迫害し、一二三一年に死す
〔象を〕フォルコの象を捺すはその光を金星天に輝かすなり、金星天の象を捺せるはその影響によりて戀の火を燃せるなり
九七―一〇二
〔ベロの女〕ディド(地、五・六一―三註參照)、チュルス(聖書ツロ)王ベルスの女。アエネアスを慕ひて、亡夫スュカエウス及びアエネアスの先妻クレウザの靈を虐げしなり
〔ロドペーア〕フュルリス。トラキア王シトネの女、ロドペ山(トラキアにあり)の附近に住めるよりこの異名あり、傳説に曰、テセウスの子デモポオーン(デモフォーンテ)これを娶らんと約してその郷里アテナイに赴き期に至れども歸らざりしかば、フュルリス欺かると思ひて縊死すと
〔アルチーデ〕ヘラクレスの異名、ヘラクレス、テッサリア王エウリュトスの女イオレを愛して、その妻ディアネイラの嫉妬を招きネッソスの毒に感じて死す(地、一二・六七―九註參照)
〔齡〕pelo(毛)老ゆれば白くなるによりて齡の義あり、齡に適はしき間とは若き時の續く間をいふ
一〇三―一〇五
〔再び心に〕レーテの水に洗ひ去られて
〔定め、整ふる力〕星辰の影響を人に與へつゝ(定め)、遂に救に到らしめ給ふ(整ふる)神の力
一〇六―一〇八
我等は天地萬物を美《うつくし》うする神の微妙の御働《みはたらき》を見、諸天の影響を下界に及ぼしこれを導いて向上せしめ給ふ神の善き攝理を認む
〔かく大いなる神業〕創造の御業
異本、「かく大いなる愛をもて」
〔天界に下界を治めしむる〕或ひは torna を轉らしむ(下界のまはりを)の意に解する人あり
異本、「下界を天界に向はしむる」
一一五―一一七
〔ラアブ〕ラハブ。エリコの遊女、ヨシュアの遣はしゝ二人の間者をかくまひ、その徳によりて己が一家災を免かる(ヨシュア、二、同六・一七、ヘブル、一一・三一、ヤコブ、二・二五)
〔やすらふ〕永遠の救ひをえ完き平和を樂しむをいふ
〔その印を〕その光をもて我等を照らす、而してその光は我等の中の最強き光なり
一一八―一二〇
詩人時代の天文學によれば地球の投ぐる圓錐状の影は金星にまで及ぶ(ムーアの『ダンテ研究』三卷二九―三〇頁參照)
註釋者曰く。是下方の三天においてダンテに現はるゝ諸靈が世に屬する種々の汚點をその生涯にとゞめし意を寓すと
〔クリストの凱旋〕天、二三・一九―二一參照
一二一―一二三
〔左右の掌にて〕合掌して。祈りをもて
〔勝利〕ヨシェア(ジョスエ)がエリコにて得たる
或曰く。左右の掌は釘にて打たれし左右の手即ちキリストの十字架にて勝利はキリストの勝利なり、中世ラハブは寺院の典型と見なされ、その家の窓に結びつけし赤き紐(ヨシュア、二・一八)はキリストの血の象徴と見なされたればかくいへりと、委しくはスカルタッツィニの註を見よ
一二四―一二六
〔法王の〕法王ボニファキウス八世が聖地をサラセン人の蹂躙に任じて顧みざりしこと(地、二七・八五以下並びに註參照)
〔最初の榮光〕最初の軍功即ちエリコの奪略
一二七―一二九
聖地と法王との事をいへるに因みて、以下寺院に屬する者の貪欲を責む
〔者〕惡魔。人類の幸福を嫉み、これを誘ひて罪に陷れ、歎きの本なる禍ひを殘せり(地、一・一〇九――一一參照)
〔汝の邑〕フィレンツェ。貪慾嫉妬のはびこれる處(地、六・四九、一五・六七――九參照)なれば惡魔これを建つといへり
一三〇―一三二
〔詛ひの花〕フィレンツェの金貨即ちフィオリーノ。その一面に百合の花形あれば花といひ(地、三〇・八八―九〇註參照)、僧侶等これを貪るあまりに人を正しく導かずしてかへつてこれを迷はしむれば詛ひといへり。羊羔とは老若を問はずすべて牧者の保護の下にある信徒を指す
一三三―一三五
〔これがために〕この貨幣を貪るによりて
〔大いなる師〕聖父の教へ
〔寺院の法規〕Decretali おしなべて寺院の法典を指す。僧侶等聖書及びこ高僧の著作を棄てゝひとりこの書に熱中するは單にこれによりて名譽地位從つて金錢を得んと欲すればなり
〔紙端に〕紙端に種々の書入れをなすをいふ
一三六―一三八
〔これに〕貨殖に
〔ナツァレッテ〕ナザレ。キリストの郷里にて、天使ガブリエルが處女マリアに神子の降誕を告げ知らしゝところ(ルカ、一・二六以下)。こゝにては聖地パレスティナを代表す
一三九―一四二
〔ヴァティカーノ〕ローマの名所にて聖ペテロの墓及びその宮殿のあるところ
〔選ばれし地〕神に選ばれて神聖となれる場所
〔軍人等〕ペテロの例に傚へる殉教者
〔姦淫〕キリストの新婦(寺院)の。姦淫より釋放たるとは貪慾の爲に亂れし寺院の政治を離るゝをいふ
但しこの解放の豫言明ならず、註釋者或ひはこれをボニファキウス八世の死(一三〇三年)とし、或は法王廳のアヴィニオンに移れる(一三〇五年)事とし、或ひはハインリヒ七世のイタリアに來れる(一三一一年)こととし、或ひは地、一・一〇〇以下及び淨、二〇・一三以下に出づる獵犬と同じとす
第十曲
ダンテ導かれて太陽天にいたれば、哲人及び神學者の靈集まりてこれをかこむ、その一トマス・アクイナス、ダンテと語り、かつこれにその十一の侶の名を告ぐ
一―六
父なる神はその子キリスト及び聖靈によりて天地萬物を創造し給へり、而してこれらの被造物の間には極めて美妙なる秩序あるがゆゑにこれを觀これを思ふ者必ず神の大能を窺ひ知るにいたる
〔第一の力〕父なる神
〔愛〕聖靈。父と子とより出づ
神學上の一論爭點なり、ダンテはトマスその他所謂正統派《オルソドックス》の人々の説に從へり
〔うちまもり〕父なる神が子を通じて宇宙を造り給へるをいふ
〔心または處〕心に現はるゝものは靈に屬する物、空間に存在するものは物質に屬する物
〔これを〕この秩序を
七―九
〔ところ〕晝夜平分點。即ち黄道(太陽の年毎の運行)と赤道(太陽の日毎の運行)との截點(一三――五行註參照)
一〇―一二
〔師〕神
〔目を〕神はその創造の御業《みわざ》を善《よし》とし給ふのみならず、常に萬物の安寧秩序を顧み給ふ
一三―一五
〔圈〕獸帶。即ち冬至線を南に、夏至線を北にし、黄道に沿ひて西より東に進み、春分秋分に至りて斜に赤道を截斷する想像の大圈
〔呼求むる〕せは獸帶の諸星のさま/″\なる影響を要するを指す
〔かしこ〕かの赤道の一點
一六―一八
もし獸帶かく傾斜せずして赤道と平行せば、星の影響に變化なく同一の影響同一の場所にのみ及び、他に及ばざるが故に(多くは空し)、さま/″\の影響によりて活動する下界はその活力の大部分を失ふにいたらむ
一九―二一
獸帶の南北に傾斜する度今より多きか少き時は、温度、季節、晝夜の長短、風雨霜雪の分布等悉く今と異なるにいたり、地上の秩序爲に亂れむ、地上の秩序の亂るゝは天の秩序の亂るゝなり
〔上にも下にも〕天にも地にも
或は二一行の mondano を地球上の意とし「上下」を南北兩半球と解する人あり、されど一七―八行に nelciel と qua gi
とを對此せるより見れば前説まさると思はる
二二――二四
〔疲れざる〕求むるのみにて得ざれば疲る
〔椅子に殘り〕研究の爲に殘りて
〔少しく味はしめしこと〕「師の技」につきてわがこゝに少しくいへること
二五―二七
〔食む〕思ひめぐらしてさとること
〔わが筆の〕我わが長き詩題に驅られこれに心專なる爲、今茲に詳かにこの一の事を述べがたし
二八―三〇
〔僕〕太陽
〔天の力を〕その上なる諸天よりうけし力を世界に與へ
〔己が光をもて〕即ちその
轉によりて人、時を量り知るをいふ
三一――三三
〔處〕前記の截點にあたる處にて、この處と合すといふはなほ白羊宮の星と列るといふ如し、太陽はこの時既に截點を過ぎて北に進みゐたればなり
太陽春分にいたりて白羊宮に入り、秋分にいたりて天秤宮に入る、神曲示現の時は春なれば、こゝにては前者を指せり
〔螺旋〕東より西に
ると共に赤道を中心として或ひは南或ひは北に傾くが故にその道螺旋状を成す(『コンヴィヴィオ』三・五・一四二以下參照)、こゝにては北に向ひて登る螺旋
〔早く〕春分以降夏至にいたるまで太陽北に進むに從つて日は次第に夜よりも長し
三四―三六
〔我この物と〕我は太陽天に入りたり、されどあまりに早くして、登り行けることを知らず
〔思ひ始むるまでは〕思ひはからずも心に生じて、思ひのあることを知れどもその生じゝ次第を知らざる
三七―三九
〔善よりこれにまさる〕一天より、さらに高き一天に導き
四〇―四二
〔色によらで〕太陽と色の異なるによりてその天の中に明かに見ゆるにあらで、光のこれにまさるによりてしか見ゆるとは
〔そのもの〕太陽天にてダンテに現はるゝ賢哲の諸靈
四三―四五
〔信じ〕人たゞかく強き光あることを信じ、いつか天堂にて自らこれを成るを願ふべし
三七行より四五行に亘る三聯ムーア本にては「あゝ己が爲す事の、時を占むるにいたらざるほどいと早く、一の善より、まされる善に移りゆく(愈
美しくなる)ベアトリーチェはその自ら輝くこといかばかりなりけむ、わが入りし日の中にさへ色によらで光によりて現はるゝ者にありては、たとひわれ、才と技巧と練達を呼び求むとも」云々とあり
四六―四八
人は未だ太陽よりも強き光を見しことなければ、かゝる光を想像し能はざるも宜なり
四九―五一
〔尊き父の〕神の第四の族、即ち第四天(太陽天)の諸靈
〔氣息を嘘く〕氣息《いき》は聖靈なり、父と子より出づ(一―三行參照)。神は三一の眞理をかれらに示し給ふ、賢哲といへども地上においてはこの至奧至妙の理を極むるあたはず、今天上にて親しく神の啓示をうけ、これに達するを喜ぶなり
五二――五四
〔天使の日〕見えざる靈の日即ち神
六一――六三
ベアトリーチェは己が忘られしことを怒らずかへつて滿足の微笑を見せたれば、その目の輝は、專ら神に向ひゐたるダンテの心を呼戻し、彼をしてその身邊の事物を見るにいたらしむ
六四―六六
〔勝るゝ〕太陽の光よりも
〔われらを〕ダンテとベアトリーチェとを取卷き、かれらを中心として一圓形を畫けるなり
六七――六九
月のまはりに暈《かさ》の現はるゝさままたかくの如し
〔暈り〕水蒸氣を多く含み
〔暈となるべき糸〕暈となるべき光の糸
〔ラートナの女〕月。ゼウスとラートナの間の女ヂアーナを月と見なせるなり(淨、二〇・一三〇――三二並びに註參照)
七〇―七二
〔王土の外に〕王土内ならでは知るに由なき。言葉にては傳へ難き
註釋者曰く。繪畫彫刻等極めて貴重なる美術品類の國外輸出を禁ずることあるより、この此喩出づと
七三―七五
〔光〕諸靈
〔かしこに〕自ら天堂に到るべき準備をせずして天上の美を知らんとするも何ぞよくその望を達せむ
七六―七八
〔日輪〕靈
〔極に近き星の如く〕極に近き星が極を中心とし常に同一の距離を保ちてめぐる如く、諸の靈はベアトリーチェとダンテとを中心としてめぐれり
七九―八一
註釋者曰く。こは譬へを舞の歌(ballata)にとれるなり、號頭《おんどとり》一つ處にとゞまりつゝまづ最初の一節を歌ひその歌終れば圓形を造りて立てる一群の舞姫皆舞ひめぐりつゝこれを繰返し歌終りて止まる、次に號頭なほも一つ處にありて次の一節をうたひその歌終れば全群また新に舞ひめぐり、かくして次第に舞ひ終るにいたる、この舞方ダンテ時代において特にトスカーナに行はると(カーシーニ註參照)
八二―八四
〔その一〕「燃ゆる日輪」の一
〔恩惠の光〕神恩の光。眞《まこと》の愛これより出づ
八五―八七
〔また昇らざる〕一たび天上の幸福を味へる者はたとひ地上に歸るとも僞りの快樂に迷はず道心堅固なるがゆゑに死後必ずまた天に登る(淨、二・九一――三並びに註參照)
〔階〕天より天と昇る階
八八―九〇
教へをもて汝の求知の念を滿足せしめざる者は、その自然の性を枉ぐる(自由ならざる)こと海に注がざる水の如し
水は皆低きにつきて海に流れ入らんとする自然の性を有する如く、我等は皆汝の願ひを滿さんとする性向を有す
九一―九三
〔花圈〕ベアトリーチェとダンテとをまろく圍める一群の靈。ダンテはこれらの靈の誰なるやを知らんと願へるなり
九四―九六
我は聖ドミニクス派の僧なりき
〔迷はずばよく肥ゆ〕世の誘惑に從はずは高徳に達す(天、一一・二二以下參照)
九七―九九
〔兄弟〕宗教上の
〔アルベルト〕アルベルトゥス・マグヌス。中古最も卓越せる哲學者兼神學者の一、一二〇六年シェヴァーベン(天、三・一一八―二〇註參照)のラウインゲンに生れ、一二八〇年ケルン(レーノ即ちライン河畔の町)に死す、彼がドメニコ派の人となれるは一二二二年の頃にてそれより二十幾年の後ケルンにて教へを授く、著作多し、その學識のいかに博かりしやは百學の師(Doctor universalis)の名あるによりて知りぬべし
〔トマス〕トマス・アクイナス。アクイーノ(ローマとナポリの中間モンテ・カシノの附近にある町)の伯爵家の出、一二二五年の頃父の領地ロッカセッカに生る、初めナポリの大學に學び、一二四三年ドメニコ派の僧となり、後ケルンに赴きてアルベルトゥスに師事しまた彼と共にパリに到る、一二四八年以降ケルン、パリ、及びナポリの各地にてその業を授け、一二七四年リオンの宗教會議に連らんためナポリを出で途にて病をえて死す(淨、二〇・六七――九並びに註參照)
トマスは中古の大知識にて著作多し、就中その『神學大全』(Summa theologiae)は今猶ローマ寺院の寶典たり、ダンテの神學説に甚だ顯著なる影響を與へしもこの書なり
一〇三―一〇五
〔グラツィアーン〕グラティアヌス。有名なるイタリアの寺院法學者、十二世紀の人、その編纂せる(一一四〇年頃)寺院法即ち所謂「グラツィアーノの寺院法」として世に知らるゝものは、聖書の本文、使徒の信條、宗教會議の法規、法王の令旨並びに諸聖父の拔萃文より成り、僧俗二法の調和をはかれる(二の法廷を助けし)ものなりといふ
一〇六―一〇八
〔ピエートロ〕ペトルス・ロムバルドゥス。(ロムバルディアなるノヴァーラ地方の生れなればこの名ありといふ)。十二世紀の始めに生れ、一一六〇年に死す、その編成せる教法集四卷(Sententiarum Iibri IV)はアウグスティヌス及びその他の諸聖父のキリスト教理に關する論説を集めしものにて實に寺院の寶と稱すべく、爾後この書の研究者註釋者甚だ多く、ペトルスは爲に教法先生(Magister sententiarum)の名にて廣く世に知らるゝにいたれりといふ
〔貧しき女〕二個の小錢を神に獻げし寡婦(ルカ、二一・一以下)
こは教法集の序詞に「かの貧しき女の如く、我等の貧窮の中より若干《そこばく》の財を主に獻げんと」云々とあるに因みてなりといふ
一〇九―一一一
〔第五の光〕ソロモン。ソロモンはダヴィデ王の子にてイスラエルの王なり
〔その消息〕ソロモンの魂の救はれしや否や(列王上、一一・一以下參照)は神學者間にとかくの議論ありし點なりければ(ヴァーノン『天堂篇解説』第一卷三五四―五頁參照)その眞の消息を聞かんと切に願ふなり
〔戀より〕特に「雅歌」の作者として
一一二―一一四
〔眞もし眞ならば〕眞その物なる聖書にして誤りなくば
〔これと並ぶべき者〕「我汝に賢き聽き心を與へたり、されば汝の先に汝の如き者なかりき、また汝の後に汝の如き者興らぎるべし」(列王上、三・一二)
一一五―一一七
〔光〕ディオニュシオス(デオヌシオ)。使徒パウロの教へを聽きてキリスト教徒となりしアレオパーゴの法官(使徒、一七・三四)。かの有名なる諸天使階級論(De caelesti Hierarchia)はディオニュシオスの作(實は後代の作)と見なされたれば天使の性云々といへるなり
一一八―一二〇
〔小さき光〕オロシウス(但し異説あり委しくはムーアの『批判』四五七頁以下を見よ)。イスパニアの高僧なり(四―五世紀)、聖アウグスティヌス(天、三二・三四――六註參照)の勸めに從ひキリスト教に對する異教徒の非難を論駁せんとて排異教徒史七卷を著はす。小さしといへるはその著作第一位にあらざればなるべし
〔用ゐに供へし〕アウグスティヌスの勸め及び助言に從つてかの書を著はし、アウグスティヌスをして自ら筆を執るに及ばざらしめし意
〔信仰の〕原文、「キリスト教時代の」
一二四―一二六
〔聖なる魂〕アニキウス・マンリウス・セヴェリヌス・ポエティウス、イタリアの政治家兼哲學者、紀元四八〇年頃ローマに生れ、五一〇年ローマのコンスルとなる、ゴート人の王テオドリクス、ボエティウスがゴート人の手よりローマを救ひ出さんと謀れるを疑ひこれをパヴィアに幽閉し後死刑に處す(五二五年)、その獄中に著はせる『哲學の慰め』(De consolatione philosophiae)はダンテの愛讀書の一なり(『コンヴィヴィオ』二、一三・一四――六參照)
〔一切の善〕神
一二七―一二九
〔チェルダウロ〕パヴィアなる聖ピエートロの寺院にてボエティウスの墓所
〔殉教〕異教徒の苛責の下に死せるがゆゑに寺院は彼を殉教者となせり
一三〇―一三二
〔イシドロ〕イシドールス。シヴィリア(イスパニアの)の僧正、六三六年に死す、博學にして著作多し
〔ベーダ〕イギリスの高僧兼史家(七三五年死)、著作多し、就中『英國寺院史』最もあらはる
〔リッカルド〕リシャールス。コットランド人にてパリ附近なる『聖ヴィクトル』僧院の院主なり(一一七三年頃死)、ダンテはカン・グランデに與ふる書の中(五五三――四行)にてその著『瞑想論』を擧げたり。人なる者云々とは彼の所論の神秘的超人的なるをいふ
一三三―一三八
〔死の來るを〕瞑想によりて世の無常を觀じ、解脱の道を死に求むるなり
〔藁の街〕(Fr. rue du Fouarre)パリの街の名、哲學の諸學校この街にありきといふ。藁の街にて教ふといふはなほパリ大擧の教授となれりといふ如し(カーシーニ)
〔嫉まるゝべき〕己が説の爲に敵をつくるの謂ならむ、但しその如何なる説なりしやは明ならず、註釋者曰く。
シジエーリ、パリの宗教裁判所にて異端の罪を受け、抗辯の爲イタリアのオルヴィエート(その頃ローマの法廷ありし處)にいたり、かしこにて一僧侶の手に斃ると(スカルタッツィニ註參照)
〔シジエーリ〕シジエーリ・ド・ブラバンテ。ベルギーの人にてアヴェルロイス系の哲學者なりといふ、傳不詳(十三世紀)
一三九―一四四
〔神の新婦〕寺院。新郎はキリスト
〔朝の歌を〕mattinar なる語は元來戀人等(男)がわが戀ふる女の家の前にてあさまだき歌をうたふ意なりといふ、かれらがかゝる歌をうたひて戀人の愛を得んとするを、寺院の會集が禮拜し祈祷して神の恩寵を受けんとするに譬へしなり
〔時〕早朝
〔時辰儀〕めざまし時計の一種なるべし、曳きかつ押すとは齒車の一が小槌を曳きかつ押して鈴《りん》を鳴らす意か、この時代に用ゐし自鳴鐘の構造明らかならざるがゆゑに定かにいひがたし。その秩序正しき運動と美妙の音とを諸靈の舞と歌とに此せり
〔神に心〕敬虔なる信徒の心を、神を愛するの愛にて
一四五―一四八
〔輪〕十二聖徒の輪
第十一曲
トマス・アクイナス、聖フランチェスコの物語をなす
一―三
〔推理〕天上の福は人間至上の欲望なるべきに、人の理性完からねば推理を誤り、地上の物をもて人間至上の欲望となす
四―六
〔醫〕aforismi(箴言)名醫ヒッポクラテス(地、四・一四三)の著書『箴言』に因みて醫學の意に用ゐたり
〔僧官〕神に事へん爲ならで富に事へんため。
〔詭辯〕他を欺きて
一三―一五
〔いづれの〕前曲に出づる十二の靈のいづれも。トマスの語れる間舞をやめし十二の靈、再び舞ひつゝベアトリーチェとダンテのまはりを一周し、後又再び止まれるなり
一六―一八
〔光〕トマスの
〔いよ/\あざやかに〕天、五・一〇三以下參照
一九―二一
わが輝は神より出づ、かくの如く我は神を視て(即ち神の鏡にうつして)汝の疑ひの本を知る
二二―二七
〔さきに〕天、一〇・九六
〔また〕天、一〇・一一四。但し surse(興る)と nacque の(生る)との差あり(オックスフォード版)
學會本、前後同じ(ムーア『用語批判』四六〇頁以下參照)
三一―三三
〔新婦〕寺院。新郎はキリストなり
〔大聲によばはり〕十字架上に(マタイ、二七・四六及び五〇等)
〔血をもて〕「主の寺院、即ち主が己の血をもて買給ひし寺院を」云々(使徒、二〇・二八)
〔愛む者〕新郎キリスト
三四―三六
「左右の」一は智をもて導き、一は愛をもて導く、次聯註參照
三七―三九
〔熱情〕フランチェスコの愛の強きをいへり、セラフィーノは愛に然ゆる天使なり
〔知慧〕ドミニクスの智の深きをいへり、ケルビーノは智に富む天使なり
愛は新婦をしていよ/\夫に忠實ならしめ、智はこれをして安んじて(異端邪説等の恐れなく)夫の許に往かしむ
四〇―四二
〔一人〕フランチェスコ
〔目的は一〕寺院の保護指導
四三―四五
まづフランチェスコの生地アッシージの地勢を陳ぶ
〔トゥピーノ〕アペンニノより出で、アッシージの南を流れ、キアーシオと合してテーヴェルに注ぐ小川の名
〔ウバルド尊者〕ウバルド・バルダッシーニ。一一二九年より一一六〇年までグッビオの僧正たり、その以前グッビオ諸山の一なるアンシアーノ山に卜居しゐたりといふ
〔選ばれし〕ウバルドは後再びかの地に隱遁してその一生を送る意圖ありしも果さゞりきといふ
〔水〕キアーシオ河。アンシアーノ山より出でアッシージの西を流れてトゥピーノと合する小川
〔高山〕スパーシオ山(アペンニノの分脈)。アッシージはこの山の西の腰にあり
〔肥沃の〕葡萄、橄欖の産地なれば
四六―四八
〔ペルージア〕アッシージの西の方約十五マイルにある町
〔ポルタ・ソレ〕アッシージに面するペルージアの門をかく呼べることありといふ。スバーシオの山々は夏期日光を反射し冬期雪に蔽はるゝが故に寒暑の影響をペルージアに及ぼすといへり
〔ノチェーラとグアルド〕スバーシオ山の後方即ち東(アッシージの東北)にある二邑
〔重き軛〕grave giogo ペルージアに從屬してその壓制に苦しめるをいふ
或曰く。こは「不毛の山地」の義にて、東方の地の急坂多く耕作の利なきをいひ、四五行の fertile costa と對照せしめしものなりと
四九―五一
〔嶮しさの〕山坂の急ならざる處より
〔日輪〕イタリアの高僧聖フランチェスコ(一一八二―一二二六年)
〔これ〕我等の居る處なるこの太陽
〔をりふし〕常に同じ地點より出づるにあらねばかくいへり。この太陽が夏期最強の光を放ちて東の方インドのガンジス河口より現はれ出づる如く
五二―五四
〔アーシェージ〕Ascesi アッシージ(Assisi)の古名
五五―五七
〔地に〕彼の例に傚ひて徳に進むの念を世人に起さしめしなり
五八―六〇
〔女〕貧(七三――五行)
〔父と爭ひ〕貧を選べる爲父の不興を蒙れること
この頃フランチェスコ衣類と馬とを賣りて得たる價を一寺院に喜捨し、爲に父の譴責を受けしことありといふ
六一―六三
〔己が靈の法廷〕アッシージの僧正の法廷。フランチェスコはこの僧正と父との前にて父の財産を繼がじと誓ひたり
六四―六六
〔最初の夫〕キリスト(七〇――七二行註參照)
六七―六九
〔アミクラーテ〕アミュクラス、ダルマーチアの貧しき漁夫、一茅屋と一艘の舟とはその全財産たり、カエサル對ポムペイウス戰亂の餘波を受けて略奪盛に行はれ人心恟々たりし時アミュクラス獨り赤貧と親しみ臥するに戸を閉づることなし、一日カエサル、アドリアティコ海を渡りてイタリアに赴かんためその茅屋に至れるに彼さらに驚かず、客のカエサルなるを知りて猶容易に船を出すを肯はざりき(『コンヴィヴィオ』四、一三・九七以下參照)
〔益なく〕かの女の益とならざること。世人はかゝる物語を聞くとも貧を愛するにいたらざれはなり
七〇―七二
〔マリアを〕ヨハネ傳一九・二五參照
〔クリストとともに〕キリストは貧に生れて貧に死し給へり、「狐に穴あり、空《そら》の鳥に巣あり、されど人の子には枕する所なし」(マタイ傳八・二〇)
七三―七五
〔長き言〕五八―七二行にいへること
七六―七八
フランチェスコが清貧と親しみ深くこれを愛せることは世の教訓となり、人多くその例に傚ふにいたれり
〔愛、驚、及び敬ひ〕世人は愛と驚嘆と畏敬とをもてかれらの和合喜悦を見、遂に自ら聖なる思ひを懷くにいたれり
七九―八一
〔ベルナルド〕ベルナルド・ダ・クワンタヴァルレ。アッシージの富豪、フランチェスコの最初の弟子となりてその産を貧者に分與す
〔沓をぬぎ〕師の例に傚ひ素足にて歩むこと
〔大いなる平安〕清貧の生活
八二―八四
〔未知の〕清貧は世人未知の富、裕に果を結ぶ(眞の福の果を)寶なり
〔エジディオ〕アッシージの人(一二七二年死)、その著 Verba aurea(金言)今に傳はる
〔シルヴェストロ〕アッシージの僧
〔新郎〕フランチェスコ。新婦は貧
八五―八七
フランチェスコがその派の規定に對して法王インノケンティウス三世(一一九八年より一二一六年まで法王たり)の准許をえん爲、貧(戀人)と弟子達(家族)とを伴ひローマに赴けること
〔卑しき紐〕フランチェスコ派の僧侶が帶となせる節多き細紐(地、二七・九一―三註參照)
八八―九〇
〔ピエートロ・ベルナルドネ〕フランチェスコの父にてアッシージの富める商人。フランチェスコはその生れの貴からざるをも、その姿のみすぼらしきをも恥とせず
九一―九三
〔嚴しき〕フランチェスコ派の規定の峻嚴にして容易に守り難き意を含む
〔最初の印〕フランチェスコがインノケンティウス三世より假准許を受けしは一二一〇年頃の事なりといふ
九四―九六
〔天の榮光の中に〕地上の僧達に歌はれん(フランチェスコ派の人々その師の生涯を合唱にて歌ふ習ひありたれば)よりは天にて諸天使諸聖徒にうたはれんかた
但しトマス自ら天にてかの聖者の一生を歌へるものなるがゆゑに異説多し
九七―九九
〔永遠の靈〕聖靈。神の恩寵ホノリウスを通じて准許をフランチェスコに與へ、その聖なる志を遂げしむ
〔オノリオ〕法王ホノリウス三世(一二一六年より一二二七年まで法王たり)。フランチェスコが彼より正式の准許を受けしは一二二三年の事なり
〔法主〕archimandrita 群羊の首《かしら》の義より轉じて僧官の意に用ゐらる、こゝにてはミノリ派(地、二三・一――三)の首僧即ちフランチェスコ
一〇〇―一〇二
年代順よりすれば九三行に續く。一二一九年フランチェスコは十二の高僧と共に十字軍に從つてエジプトに赴き、この地のサルタンを改宗せしめんためその目前にてキリストの教へを宣べたりといふ
〔從者等〕使徒及びその他の聖者達
一〇三―一〇五
〔草の實〕宣教の收穫
一〇六―一〇八
〔粗き巖〕テーヴェルの上流とアルノの上流との間即ちカセンティーノにあるアヴェルノ山。傳へ曰ふ、フランチェスコこゝにて四十日の斷食をなせりと
〔最後の印〕聖傷《みきず》の痕《あと》(Stimmate)なり、法王インノケンティウス及びホノリウスよりうけし准許の印に對して最後といふ、傳に曰く、一二二四年フランチェスコ、アヴェルノの岩山にてキリストに祈願をさゝげその受難の苦しみをわが身に知らせ給へと念ず、キリスト、セラフィーノの姿にてこれに現はれ、聖者の手足及び脅《あばら》に己が傷痕を印し給ふと
一〇九―一一一
〔かゝる幸に〕聖傷の痕を身に受くるほどの恩惠を下し給ひし神
一一二―一一四
〔女〕貧
一一五―一一七
〔他の〕貧の懷以外の。傳に曰く、死の近づくを知るやフランチェスコはその愛する寺院なるサンタ・マリア・デーリ・アンジェリに移るを願ひ、かしこにて貧に對する最後の愛を表はさんため衣を脱し地上に臥してその生を終ふと
一一八―一二〇
聖フランチェスコの人となりより推して、これとともに寺院指導の任に當れる聖ドメニコの人となりを知るをえむ
〔ピエートロの船〕寺院。異端邪説迫害殉教等の浪荒き大海を渡りて眞《まこと》の信仰の湊にむかふ
一二一―一二三
〔教祖〕ドミニクス派の基を起せる聖ドミニクス
〔良貨を〕ピエートロの船といへるに因みて。高徳の人となりて寶を天上に貯ふること
一二四―一二六
〔群〕ドミニクス派の僧侶等
〔新しき食物〕名譽地位ある僧職
〔山路〕salti 山や林の間の牧地
一二七―一二九
〔乳〕教への糧
一三〇―一三二
〔牧者に近く〕教祖の教へに從つてその派の戒律を守るをいふ
一三三―一三五
〔微〕朧にて解し難きこと
一三六―一三九
〔願ひの一部は〕疑ひの一は解くべし
〔削られし木〕わが削り取れる木片(迷はずは云々といへる言葉)の元木(出處即ちドミニクス派の僧の墮落)。但し異説多し
〔革紐を纏ふ者〕ドミニクス派の僧(この派の僧は革紐を帶とす)即ちわれトマス
異本、「非難」。これに從へば「迷はずばよく肥ゆるところといへる言葉の中の非難をさとるべければなり」
第十二曲
トマス語り終れる時、ダンテとその導者とを圍み繞れる他の一群の靈あり、其一ボナヴェントゥラ・ダ・バーニオレジオ聖ドミニクスの物語をなす
一―三
〔焔〕トマス・アクイナス
〔碾石〕ベアトリーチェとダンテとを圍める十二の靈。天、一〇・九二にこれを花圈《はなわ》といへる如く圓く圍み、かつは水平に
轉するがゆゑに碾石《ひきうす》といへり
七―九
〔笛〕靈の樂器即ち諸聖徒の聲
〔元の輝が〕直接に照らす光線が反射する光線よりもつよく輝く如く
〔われらのムーゼ〕世の詩人。
〔われらのシレーネ〕世の謳歌者《うたひて》(淨、一九・一九―二一註參照)
一〇――一二
〔侍女〕イリス。タウマスの女(淨、二一・五〇)、虹の女神にて神話の神々特にヘラの使者たり
〔二の弓〕二重の虹
一三―一五
〔外の弓〕二重の虹の中、外の大なる虹は内の小さき虹の反映なりと信ぜられたればかく
〔流離の女〕ニンファ・エーコ(反響)。空氣と地の間の女、の嫉みによりて言語の自由を失ひ、たゞ人の物言ふを聞きてその最後の言葉を繰返すに過ぎず、このニンファ、ナルキッソス(地、三〇・一二八)を見これを戀ふれども及ばず、形體全く憔悴してたゞ骨と聲のみ殘り、後骨は岩に變じ、聲のみ今に生くといふ(オウィディウスの『メタモルフォセス』三・三三九以下參照)。流離はニンフェの常なり、(淨、二九・四―六參照)
外部の虹の、内部の虹より生るゝを、反響の、聲より生るゝにたとへしなり
一六―一八
〔契約〕ノア(ノエ)の洪水の後、神がノアとその全家及びこれと共にありし鳥獸と契約を立て、世に再びかくの如き洪水あらしめじと言ひ給ひしこと(創世、九・八以下)、虹はその契約の徴《しるし》なり(同九・一三―七)
一九―二一
〔薔薇〕二重の圓を作れる諸聖徒
〔相適ひ〕歌をも舞をも合せしをいふ
二二―二四
〔祝〕諸靈が倶に歌ひ互ひに照らしてその福を表はすこと
二八―三〇
〔星を指す針〕北極星を指す磁針 磁針は一二一八年既にイタリアの航海者に知られたり、一三〇二年に至りフラーヴィオ・ジョイアこれを完成す(パッセリーニ)
三一―三三
〔我〕ボナヴェントゥラ(一二七――九行註參照)
〔彼の爲に〕聖ドミニクスの偉大なるをあらはさんため(天、一一・四〇―四二、一一八―二〇參照)
三四―三六
〔一のをる處には〕ひとりの事のいはるゝ時には他のひとりの事もいはれ
三七―三九
〔軍隊〕信徒等。これをアダムの罪より救ひ、これが陣立を新ならしめんとて救世主血を流し給へり
〔旗〕十字架
〔遲く、怖ぢつゝ、疎に〕遲きは熱心の足らざるなり、怖るは異端の爲に信仰の動搖するなり、疎なるは數少きなり
四〇―四二
神はかく覺束なき信徒の名をはかり給ひ
四三―四五
〔さきに〕天、一一・二八以下
〔己が新婦〕寺院。「神の新婦」(天、一〇・一四〇)
四六―四八〔西風〕即ち春風
〔ところ〕イスパニア
四九―五一
〔浪打際より〕グァスコーニア灣(ビスケー灣)より
〔時として〕夏至の頃。太陽は南に向ふに從つてかの灣に遠ざかるが故にかくいへり、長くは日の長きをいふ
〔萬人の〕南半球には住む人なければ
五二―五四
〔カラロガ〕カスティールの町(今のカラホルラ)。聖ドミニクス(ドメニコ)の生地なれば幸多きといへり
〔從ひ從ふる獅子〕城に從ひ城を從ふる獅子。カスティール王家の紋所は二頭の獅子と二個の城より成る、即ちその半には獅子城の下にあり(從ふ)、半には獅子城の上にあり(從ふる)
五五―五七
〔クリストの〕キリスト教の熱愛者
〔敵につれなき〕一〇〇―一〇二行參照
〔剛者〕イスパニアの高僧聖ドミニクス(一一七〇―一二二一年)
五八―六〇
〔豫言者〕夢によりてわが兒の常人ならざるべきを判ぜるなり。傳へ曰ふ、ドミニクス未だ胎内にありし時、その母夢に一匹の小犬を生む、これに黒白の斑あり、口には燃ゆる炬火《たいまつ》をくはへゐたりと(黒白の斑はドミニクス派の僧服を表はし、炬火は聖者の熱情をあらはす)
六一―六三
〔聖盤〕洗禮の水を容るゝ器《うつは》。洗禮によりて信仰と縁を結べるなり
〔相互の救ひ〕ドミニクスは信仰の有力なる保護者となり、信仰はドミニクスを永遠の福祉に導く
六四―六六
〔女〕教母。小兒に代りて授洗僧に答へ、儀式を脱《おち》なく濟せる女
〔嗣子等〕その派の僧達
〔眠れる間に〕教母は小兒の額の中央に光明燦かなる一の星あるを夢に見たり、これ彼が世の光となり諸民を導いて永遠の救ひに到らしむべき瑞相なりき
六七―六九
名を實に配《そ》はしめん爲、天の靈感父母にくだり、彼をドメニコ(=Dominicus 主のものなる)と名づけしむ
七〇―七二
〔その園〕寺院
七三―七五
〔第一の訓〕「汝完からんと思はゞ、往て汝の所有を賣りて貧者に施せ」(マタイ、一九・二一)第一のは主なるの義。トマスも清貧をキリストの訓《さとし》の第一に擧げたり
聖ドミニクスは未だ若かりし時、書籍やその他の所有物《もちもの》を賣りてその得たる價を貧民に施す等慈善の行爲多かりき
七〇行より七五行に亘る二聯にキリストといふ語三たび出づ、これ押韻の際ダンテは他の韻語を決してこれに配せざればなり、天、一四・一〇三以下、同一九の一〇三以下及び同三二・八二以下にもこの例あり
七六―七八
〔目を醒し〕ドミニクスはその幼兒屡
臥床をぬけいで、大地に臥しつゝ神に祈りをさゝげたりといふ
〔このために〕安逸を棄てゝ神に事《つか》へん爲に
七九―八一
〔フェリーチェ〕Felice の(幸運なる)、かゝる子を生みたる彼の父は誠にその名の如く福なり
〔ジョヴァンナ〕Giovanna(主の惠の義といふ)
〔若しこれに〕ヘブライの原語の意義明らかならざればかく曰へり
ダンテはこれらの言葉によりて、天上の聖徒の知識のなほ不完全なるを示せるか(天、四・四九以下參照)、或ひはその自ら言はんと欲する所これらの言葉に現はれしなるか、明らかに知り難し
八二―八四
今の世の人法學または醫學に走りて世の榮達を求むれども、彼は然らず、たゞ靈の糧を求め
〔オスティア人〕オスティアのカルディナレ及び僧正なりしエンリーコ・ディ・スーザ(一二七一年死)。寺院法に精しくその註疏及びその他の著作あり
〔タッデオ〕タッデオ・ダルデロット(一二九五年――或曰、一三〇三年――死)。フィレンツェの人にて名醫の聞え。高かりし者、醫學に關する著作多し
〔世の爲〕世に屬する利慾のため
〔まことのマンナ〕キリストのまことの教へ。マンナについては淨、一一・一三―五註參照
八五―八七
〔葡萄の園〕寺院。園をめぐるは寺院を保護するなり
〔白まむ〕白むは縁の色あせて枯るゝなり、牧者其人をえざれば寺院の敗頽するにたとふ
八八―九〇
〔法座〕法王を指す。ドミニクスが法王インノケンティウス三世の許をえんとてローマに赴けるは一二〇五年の事なり
〔これに坐する〕法王の位その物の罪に非ずして法王其人(特に神曲示現當時の法王ボニファキウス八世)の罪なり
九一―九三
〔六をえて〕不正所得を求むること(即ちその三分一または二分一を善用する條件にて)
〔最初に〕空《あ》くべき僧職を求めて己まづこれに就かんとすること
〔什一〕什一を私用に供すること。人々所得の十分一を獻じ、これを貧者の用に供する例あり、モーゼの律法にもとづく(申命、一四・二八以下參照)、これを什一といふ
以上は皆當時の僧侶の貪り求めし物なれば特に記して彼等の非を擧げしなり
九四―九六
〔二十四本の草木〕二個の輪を作りてダンテとベアトリーチェとを圍める二十四の靈
〔種〕信仰。聖徒は信仰の善果《よきみ》なり
〔迷へる世〕眞の信仰を離れて踏迷へる異端の徒、特にフランスのアルビジョンより起れるアルビジョアの異端
九七―九九
〔使徒の任務〕法王(インノケンティウス三世)の彼に與へし權
ドミニクスは異端者と戰はんため、プレディカトリ派を起しこれが准許を法王インノケンティウス三世に乞ひ辛うじてその口頭の許を得たり(正式の准許を得たるは一二一六年にて、時の法王ホノリウス三世よりなりき)
一〇〇―一〇二
〔處〕アルビジョアの勢力最盛なりしトロサ(フランスの南部にあり)地方
一〇三―一〇五
〔さま/″\の流れ〕種々の分派(プレディカトリ、ヴェルディーニ・モナスチーケ、テルチアーリ)
一〇六―一〇八
〔内亂〕同宗間の爭ひ、即ち異端
〔一の輪〕聖ドミニクス
一〇九―一一一
〔殘の輪〕聖フランチェスコ
〔トムマ〕聖トマス
一一二―一一四
されどフランチェスコ派の僧侶等その祖師の歩める道を踏み行かず、さきに善ありし所に今惡あり
〔良酒〕gromma 樽に附着する洒のかたまり。良酒を貯ふればこのかたまり生じ、惡酒を容れおけば黴生ず
一一五―一一七
〔家族〕フランチェスコ派の僧侶等
〔指を踵の〕フランチェスコが踵を踏めるところに彼等指を置く、即ち祖師の歩める道を逆行す
一一八―一二〇
〔莠は穀倉を〕多くの悖れる僧侶は寺院より逐はるべけれはなり。一三〇二年法王ボニファキウス八世が精神派(一二四―六行註參照)を異端視し、彼等をしてフランチェスコ派のみならずまた寺院より分離するにいたらしめしことを指せり
一二一―一二三
フランチェスコ派に屬する者をひとり/″\調べなば、今も昔の如く此派の戒律を正しく守る者あるを見む
一二四―一二六
かく優良なる人々はフランチェスコ派の中の過激派にも緩和派にも屬せじ、この兩派のその宗律に處するや、一(後者)はこれを和げ、他(前者)はこれを嚴くす
〔カザール〕ピエモンテの町。こゝよりウベルティーノ・ダ・カサーレ(一三三八年死)出づ、過激派(所謂精神派 Spirituali)の首領にて宗規を極度に嚴守せり
〔アクアスパルタ〕ウムブリアの町。こゝよりマッテオ・ダクアスパルタ(一三〇二年死)出づ、一二八七年フランチェスコ派の長となりて規約の緩和を是認せり
〔文書〕フランチェスコ派の宗規
一二七―一二九
〔ボナヴェントゥラ・ダ・バーニオレジオ〕名をジョヴァンニ・フィダンツァといふ、ボナヴェントゥラ(幸運)はその異名なり、一二二一年ボルセーナ湖附近のバーニオレジオ(今バーニオレア)に生れ、一二五六年フランチェスコ派の長となり、一二七四年リオンに死す、神學上の著作多し、また聖フランチェスコの傳を著はす、前曲に見ゆるフランチェスコの物語多くこの傳に據れり
〔世の〕原文、「左の」。註釋者の引用せる『神學要論』(トマスの)に曰く、知識及びその他の靈的財寶は右に屬し、一時の營養は左に屬すと
一三〇―一三二
〔イルルミナートとアウグスティン〕ともにフランチェスコの最初の弟子なれば最初の素足の貧者といへり
〔紐〕この派の僧の帶とせる細紐(地、二七・九一―三註參照)
一三三―一三五
〔ウーゴ・ダ・サン・ヴィットレ〕ユーグ・ド・サン・ヴィクトル。名高き神秘派の神學者、パリなる「聖ヴィクトル」僧院に入り、一一四一年に死す、著作多し、十曲に見ゆるリシャール(一三一行)及びペトルス・ロムバルドゥス(一〇七行)は彼を師とせりと傳へらる
〔ピエートロ・マンジァドレ〕ペトルス・コメステル。(マンジァドレ――多食者――は異名なり、書を嗜むによりてこの名ありといふ)フランスの神學者、十二世紀の始めイロワイエに生れ、一一六四年パリ大學に長たり、後、「聖ヴィクトル」僧院に退き一一七九年に死す、著書數卷あり、就中寺院史(Historiascholastica)最もあらはる
〔ピエートロ・イスパーノ〕ペドロ・ユリアーニといふ、リスボン(ポルトガルの)の人なり、一二七六年ハドリアヌス五世の後を承けて法王となりヨハンネス二十一世と稱す、翌七年ヴィテルポなる法王宮の一部崩潰しペドロ爲に壓死す、その著作に論理綱要十二卷あり
一三六―一三八
〔ナタン〕王ダヴィデの罪を責めしヘブライの豫言者(サムエル後、一二―一以下)
〔クリソストモ〕ヨハンネス・クリソストムスといふ、クリソストモ(黄金の口)はその能辯を表はせる異名なり、三四七年の頃アンテオケアに生れ、三九八年コンスタンティノポリスの大僧正となり、後廢せられて流竄の中に死す(四〇七年)
註釋者曰く。クリソストムスが皇帝アルカディウスの罪を責めしことナタンがダヴィデを責めしに似たればこゝにこの兩者を配せるなりと
〔アンセルモ〕聖アンセルムス。一〇三三年の頃ピエモンテのアオスタに生れ、一〇九三年イギリス王の知遇をえてカンターベリーの大僧正となり、一一〇九年に死す、著作多し
〔ドナート〕アエリウス・ドナートゥス。ローマの文法學者、四世紀の人にてテレンチオ及びウェルギリウスの註疏の外ローマの文法書を編纂す、この書長く教科書として世に用ゐられきといふ。第一の學術とは三文四數(地、四・一〇六――八註參照)の中の第一にあるもの即ち文法の義
一三九―一四一
〔ラバーノ〕ラバヌス・マウルス・マグネンティウス。ドイツのマインツの人、八四七年この地の大僧正となり、八五六年に死す、神學特に聖書に關する著作多し
〔ジョヴァッキーノ〕カラブリア州チェリコの人、フローラの僧院(コセンツァの附近にあり)の院主たり、一二〇二年に死す、豫言の靈云々は當時豫言者として知られたればかく言へるなり
一四二―一四四
〔フラア・トムマーゾ〕トマス・アクイナスが聖列に入れるはダンテの死後(一三二三年)の事なれば、「サン」といはずして「フラア」といへり
〔武士を競ひ讚め〕ドミニクス派のトマスが聖フランチェスコを激稱せるを聞き、フランチェスコ派の我またこれに劣らず聖ドミニクスを稀讚せんとの念を起し
一四五
〔侶を〕わが十一の侶を動かしてかつ舞ひかつ歌はしめたり
第十三曲
トマス・アクイナス再び語りいで、ソロモン王の智とアダム及びキリストの智との關係を論ず
一―三
以下一八行まで、讀者もしかの二十四人の聖徒の靈が二個の圓をつくり光を放ちて舞ひめぐるさまを知らんと欲せば、天の諸處に現はるゝ光強き十五の星と大熊星の七星及び小熊星の二星と、合せて二十四個の星が二の圓形の星座を造り大小二重の圓をゑがきつゝ相共にめぐりゆく状《さま》を想像せよとの意
四―六
〔勝つ〕濃厚なる大氣を貫いてその光を放つをいふ
七―九
〔われらの天〕北半球の天。その懷をもて足れりとするは常に北半球の天にありて沒せざるなり
〔轅をめぐらし〕囘轉し
一〇―一二
小熊星における諸星の按排はその状曲れる角の如し、故に角笛といふ。車軸は諸天運行の軸にてその端は即ち天極なり
〔第一の輪〕諸天運行の本なるプリーモ・モービレの天
〔端より起る〕角の尖端極めて北極に近きが故にかく
〔口〕他の一端、即ち角笛にたとふれば聲の出づるところ。小熊星七個の中の二個の星を指す
一三―一五
以上の二十四星相集りて二個の圓形の星宿となり
〔ミノスの女〕アリアドネ。テセウス(地、一二・一六――八註參照)に棄てられし後バッカスの憐みをうく、その死するやバッカスこれが冠を天に送り化して星宿(徴號)となす(オウィディウスの『メタモルフォセス』八・一七四以下參照)。
一六―一八
〔一は先に〕一導き一從ふ、即ち歩調を合せて同じ方向に
一九―二一
〔眞の星宿〕二十四の靈
二二―二四
前聯の意を承けて、明かに認むる能はざる理をあぐ
〔最疾きもの〕プリーモ・モービレ
〔キアーナ〕アレッツオ地方の河。沼澤多き地を過ぐるが故にダンテの時代にてはその水の流るゝこと甚だ遲かりきといふ(地、二九・四六―五一註參照)
但し、舞の早さをいへるに非ず、諸靈の光や美が人の想像以上なるをあらはせるのみ
二五―二七
〔バッコに〕異教徒がバッカスやアポロンの如き昔の神々を讚美せるに對して
〔ペアーナ〕アポロン神を稱《たゝ》へし歌
〔一となれる〕キリストにおいて
二八―三〇
〔思ひを移す〕歌や舞より心を轉じてダンテの願ひをかなへんとすること
三一―三三
〔光〕聖フランチェスコの物語をなせるトマス
〔聖徒〕numi 元來神々の義、神の如き二十四の靈
三四―三六
わが言葉によりて汝の疑ひの一(迷はずば云々についての)は解け、汝よくその理《ことわり》をさとりたれば、我今こゝに他の疑ひ(これと並ぶべき者云々についての)を解くべし
三七―三九
アダムの胸にも
〔女〕エヴァ。禁斷の果《み》をくらへるため禍ひを全世界に遺せり(淨、二九・二二以下參照)
〔肋骨を〕神がアダムより取りたる一本の肋骨をもてエヴァを造り給へるをいふ(創世、二・二一―二)
四〇―四二
キリストの胸にも
〔槍に刺され〕ヨハネ、一九・三四
〔あとさきに〕あとは槍に刺されし後、換言すればその死によりて、さきは刺されざりし先、換言すればその苦しみ多き生涯によりて
四三―四五
〔威能〕神の
〔光〕知識の
四六―四八
〔さきに〕天、一〇・一四二―四
〔福〕福なるソロモンの靈
〔異しむ〕アダム、キリストを措き、ひとりソロモンの智をもて古今に絶すとなすをあやしむなり
四九―五一
〔わが言〕即ちさきに言へること
五二―五四
一切の被造物は皆三一の神より出づる觀念(神の語《ことば》)の顯現なり
五五―五七
〔活光〕子
〔源の光〕父
〔愛〕聖靈
子なるキリストは父なる神及び聖靈とともに萬物を造り給へり
五八―六〇
〔自ら永遠に〕子の作用《はたらき》わかれて諸の物に及べど、子そのものは永遠に一なり(天、二・一三六――八參照)
〔九の物〕原文、「九の實在」。九個の天を司る九級の天使
三一の神のはたらき神の語《ことば》より諸天を司る者に及び、さらに諸天を通じて諸種の物質に及び、次第に下るに從つて次第に劣れる物を生ず
六一―六三
〔最も劣れる物〕ultime potenze(最後の勢能)、potenza は現に在るに非ず、たゞ在りうべき物
〔業より業〕子の作用《はたらき》上なる物にはじまりて次第に下なる物に移ること
〔苟且の物〕contingenze 在ることをえ在らざることをうる物即ち滅び失すべき被造物
六四―六六
〔種により〕動植物等。種によらざるものは礦物の類
六七―六九
かゝる産物の原料と、この原料を用ゐて諸物を形成する諸天の力とはいづれも一定不變ならざるが故に、物として神の光(觀念の光)を受けざるはなけれど、その受けて輝く光に多少あり(天、一・一―三並びに註參照)
七三―七五
材料もし凡ての點において備はり、かつこれに及ぼす天の影響極めて強くば、神の觀念の光皆顯はれむ(その物完全ならむ)
七六―七八
〔自然〕飼造の機關たる自然(諸天)
〔乏しき〕神の光を完全に傳ふる能はざるなり
七九―八一
されど三一の神直接にその作用《はたらき》を及ぼし給ふ時は被造物皆完全なるべし
〔熱愛〕聖靈。とゝのふるは印をうくるに適はしからしむるなり
〔第一の力〕父
〔燦かなる視力〕(智)即ち子
註釋者曰く。五二―四行にては父を主とし、五五行以下にては子を主とし、こゝにては聖靈を主として創造の働を言現はせり、是三者の働に過不足なきを示せるなりと
八二―八四
かく直接なる神の働により、土(即ちアダムの肉體となれる)は生物(即ち人)を極めて完全ならしむるに適はしき材となり、また同じ働により處女マリアはキリストを身に宿したり
八五―八七
〔如くに〕如く完全に
八八―九〇
〔かの者〕ソロモン
九一―九三
〔求めよといはれし〕神に(列王上、三・五)。神夢にソロモンに現はれ給ひ、その求むる所を問へるに、ソロモンこれに明君たるの資格をえさせ給へと乞ふ、神は彼が自己一身の爲に長壽富貴を求むることをせず、たゞひたすら父ダヴィデの位を辱めざらんと希ふにより、その願ひを嘉し給へり(同三・五――一二)
九四―九六
〔わがいへる〕我明らかにソロモンの名をいはざりしかど、猶わが言葉と聖書の記事とを照らし合せて
九七―九九
神學や論理に通ぜん爲にあらず
〔動者〕諸天の運行を司る天使
〔必然と偶然〕二前提の中、一必然にして一偶然ならばその結論必然なるを得るや否や
一〇〇―一〇二
哲學や數學に達せん爲にもあらず
〔第一の動〕他の動より生ぜざる動
一〇三―一〇五
〔わが謂ふところの〕原文、「わが思の矢の中る」
一〇六―一〇八
〔興りし〕Surse この動詞(sorgere)には、出る、生る、の意の外、立上るの意あれば王者が臣民の上に立つを現はすといへるなり
一〇九―一一一
〔別ちて〕ソロモンの智は王者の智を指し、その智即ち古今の王者に卓越せるの意なること、またアダムとキリストの智はかゝる制限を有せざること
〔信仰〕アダム(第一の父)並びにキリスト(われらの愛する者)の智の完全なるを信ずる(三七行以下)
一一二―一一四
汝この轍に鑑みてこの後また輕々しく事を斷ずる勿れ
〔足の鉛〕andar c
pi
di piombo(鉛の足にて行く、即ち警戒して徐かに歩む)等の句あるを思ふべし
一一八―一二〇
〔情また〕自説にかたよるの情、智を妨げて眞理を見るにいたらざらしむ
一二一―一二三
その備なくして眞理を求むるは寧ろ求めざるの優れるに若かず、そはその人、求むる所の眞理を得ざるのみならず、求めざる所の誤謬を得るにいたればなり
〔出立つ時と〕魚を捕へんとして而して技《わざ》を有せざれは、その人たゞ手を空うしてわが家に歸るのみならず、出立つ時と異なり、疲勞と失望を感ずるにいたる、眞理を求むる者またかくの如し
一二四―一二六
以下一二九行まで、眞を求めて誤を得し人々の例を擧ぐ
〔パルメニーデ〕パルメニデス。名高きギリシアの哲人、エレア學派に屬す、前五世紀
〔メリッソ〕メリッソス。同エレア學派の哲人にてパルメニデスの弟子なりといふ、前五世紀
〔ブリッソ〕ブリュソン。古代ギリシアの哲人
これらはいづれもアリストテレスの難じゝ人々なればこゝにあげたり、前二者の事『デ・モナルキア』(三・四・二六以下)にも見ゆ
一二七―一二九
〔サベルリオ〕サルベリウス。神の三一を否定せる三世紀の異端者(アフリカのペンタポリスに生る)
〔アルリオ〕アリウス。三―四世紀の人(リビアに生る)にてキリストの神性を否定せる異端者
〔聖書を〕聖書を誤解してその眞義(直き顏)を枉ぐることあたかも劒がその刄《は》に映《うつ》る人の顏を歪みて見えしむる如し
一三〇―一三二
以下人の魂の救ひや滅びに關しても輕々しく判ずまじきよしを述ぶ、こは前論の一例に屬するのみならず、またソロモンの救ひの事に關すればなり
一三九―一四一
〔ドンナ・ベルタも〕ベルタ女史もマルチーノ先生も。ダンテ時代にてはこれらの名を賤女《しづのめ》、賤男《しづのを》の意に用ゐたりと見ゆ
〔神の審判〕原文、〔神の思量《はからひ》の中にかれらを見る」。即ちかれらを見てその救ひまたは滅に關する神の聖旨《みむね》を知る
一四二
盜みする者悔いて救ひを得、喜捨する者罪を犯して滅びにいたることあらむ
第十四曲
ベアトリーチェの請に應じ、一靈ダンテの爲に肉體復活後における聖徒の状態を説く、かくてダンテその導者と共に第五天(火星)にいたれば、こゝには教へに殉じ又は信仰の爲に戰へる者の靈あり、十字架の形を作りて神を讚美す
一―九
圓形の器《うつは》の中なる水の動搖外部(縁)より起れば波動次第に小さくなりて中心に向ひ、内部(中心)より起れば波動次第に大きくなりて縁に向ふ、かくの如く、ダンテとベアトリーチェとを中心として圓く圍める聖徒の一群よりトマスの聲出でゝこの二者に達し、次にベアトリーチェの聲中心より出でゝかの一群に達したり
一〇―一二
〔この者〕ダンテ
〔思ひによりて〕ダンテの疑ひはたゞ起らんとせしのみなれば、よく心の中を視る聖徒と雖も知る能はざりしなり
一六―一八
〔再び見ゆるに〕最後の審判を經て靈魂再び肉體と合する時。目は即ち肉眼
二二―二四
〔急なる〕トマスの言につゞきて直ちにいひあらはせる(スカルタッツィニ)
〔新たなる悦び〕天、八・四六――八並びに註參照
二五―二七
人地に死するは天に生きん爲なり、地に死あるによりて歎き悲しむ者は天の福のいかに大いなるやを知らざる者なり
〔永劫の雨〕神恩の雨かぎりなく聖徒の上に降《ふ》り注ぎてこれを福ならしむること
〔かしこに〕我の如く天にて
二八―三〇
三一の神を
〔一と二と三〕一は父、二は父と子、三は父と子と聖靈
〔限られず〕淨、一一・一―三參照
三四―三六
〔神々しき光〕ソロモンを指していへるならむ(天、一〇・一〇九參照)、されどダンテが何故に特に彼を選べるやは明らかならず
〔天使〕ガブリエル(淨、一〇・三四以下參照)
三七―三九
〔衣〕光の
四〇―四二
〔視力〕神を視る力
〔是また〕神を視る力の多少は神の恩惠の多少に準じ、恩惠の多少は各人の功徳の多少に準ず。いかなる高徳の人といへどもその功徳以上に受くる神恩あるにあらざれは神を視るをえざるなり
四三―四五
〔備はる〕靈肉倶に(地、六・一〇六以下並びに註參照)
〔いよ/\めづべき〕光も美もまさり、いよ/\完きにいたるをいふ
四六―四八
〔光〕神恩の
五二―五七
炭焔を放てども焔の爲にかくれずしてその形を現はす如く、甦れる肉體はその光の爲にかくれず、これを貫いて見ゆるにいたらむ
五八―六〇
以上第一問に答へて、天上の聖徒は永久に光り輝くのみならず肉體の復活とともにいよ/\その美を増すをいひ、またこゝにては第二問に答へて、復活後の肉體はその諸機關極めて完全なればかゝる光を視るも目を害ふことなきをいへり
六四―六六
〔父母その他〕彼等は父母及び在世の日に睦び親める親戚知己等もまた靈肉の結合によりて天上の榮えを全うしかれらと相見るにいたらん事を願ふなり
六七―六九
〔かしこにありし〕即ち二群の聖徒のかなたにて
新しき一の光はさきの諸靈と同じく哲理神學に精しき靈の一群より出づる光にて、一樣に燦かなるはその群の中なる諸聖徒の光いづれも同じ樣《さま》に輝くなり
〔輝く天涯〕日出近き時の地平線
七〇―七二
日の暮初むる頃、多くの星空に現はるれど、名殘の日光に妨げられて、あるかなきかに見ゆる如く
七三―七五
〔かしこに〕かの光の中に
七六―七八
〔聖靈の〕聖靈の閃き聖徒の光となりて現はる
七九―八一
〔記憶の及ぶあたはざるまで〕原文、「記憶に伴はざる見物《みもの》の中に殘さゞるをえざるまで」
八二―八四
〔これより〕ベアトリーチェの姿より
〔いよ/\尊き救ひ〕さらに大いなる福即ち第五天
八五―八七
〔星〕火星。常よりも赤きは世に見るよりも赤き意
火星の赤き美しき光に接して後はじめて高く昇れるを知る、昇ること極めて早ければなり
八八―九〇
〔萬人の〕萬人共通の言葉、即ち心の聲
〔燔祭〕olocausto 犧牲の全部を神に獻ぐること、こゝにては眞心こめし感謝
九一―九三
〔供物の火未だ〕感謝の未だ終らぬさきに
九四―九六
〔輝〕信仰の戰士等。
〔二の光線〕十字形の(一〇〇――一〇二行參照)
〔エリオス〕Eli
s 神。但し出處明らかならず
九七―九九
〔賢き者〕銀河の何物なるやは古來賢哲の間の一疑問なりしをいふ
ダンテは『コンヴィヴィオ』(二、一五・四五―八六)において「かの銀河については哲人間に異説あり」と前提し、ピュタゴラスやアリストテレス等の諸説を擧げ、後者に關しては「その古譯に從へば銀河は肉眼にて判別し能はざるほど小さき無數の恒星に外ならず」云々といへり
一〇〇―一〇二
〔星座となり〕銀河の如く大小の光を列ね
〔深處〕表面に對して内部をいふ
〔象限相結びて〕圓を四等分する二直徑交叉して。
〔貴き標識〕十字架
一〇三―一〇五
〔わが記憶〕われ思ひ出づれども才足らざれは記し難し
一〇六―一〇八
キリストの教へに從ひよく信仰の爲に戰ふ者、天に登る時いたりて、かの十字架上に現はれ給ひしキリストの姿を見ば、筆の力の及ばざるを知り、、我を責むることなからむ
一〇九―一一一
〔桁〕corno 角《つの》、十字架の横木の、左右に角の如く突出するをいふ
〔きらめけり〕まさる喜びの爲
一一二―一二七
〔陰〕種々の工夫を施せる物(たとへは窓硝子の蔽物《おほひ》など)を用ゐて日光を防げる室の中に隙《すき》洩る光差入るかまたは殊更に少しばかりの光を導き入るゝ場合などには、ゆきわたれる光の中に見え難き極微の物體この光の中にありて左右上下に浮遊するさま明らかに目に映ず
一二四―一二六
〔起ちて勝て〕註釋者曰く。キリストの甦りて死に勝ち給へるをいふと、但し特に指せる聖歌ありや不明なり
一三〇―一三二
〔目〕ベアトリーチェの
〔かろんじ〕歌を聞くの喜びがベアトリーチェの目を見るの喜びにもまさるごとく聞えしめ
一三三―一三五
〔生くる印〕諸天。諸物はこれが力によりてその秩序を保つが故に一切の美を捺すといふ。生くといへるはその運行及びその與ふる影響によりてなり
〔高きに從つて〕天は高きに從つて愈
その力を増し愈
その美を顯はす、故に火星天の顯はす美は其下なる諸天の顯はす美にまさる
一三六―一三九
〔辯解かんため〕輕率とみゆる言葉に對し
〔自ら責むるその事〕ベアトリーチェの目を未だ火星天にて見ざりしこと。これを見ずといふはかの言葉に對する辯解にして同時にまた新たなる自白なり
〔我を責めず〕下方の諸天にまさりて火星天の顯はす美がまづダンテの心を奪ひ、爲に淑女の目を見ざらしめたりとて彼を責めず
〔眞を〕歌について、即ち一二七―九行にいへる事
〔聖なる樂しみ〕ベアトリーチェの目を見る樂しみ
〔除きて〕火星天の美をあぐるは即ちベアトリーチェの美のまされるを間接に言ふにほかならじ
第十五曲
ダンテの祖カッチアグイーダ、火星天にて詩人を迎へ、これにフィレンツェの昔を語り、また己が事を告ぐ
一―六
〔あらはす〕或は、溶くる。即ち慾の溶けて惡意となる如く、正しき愛溶けて善意となる義
〔まつたき〕原文、「正しく吹出づる」
〔善意〕ダンテにその願ひを言現はさしめんとの
〔琴〕第五天にて歌ふ聖徒の群
〔弛べて締むる〕天の右手即ち神が音を調へ給ふなり。絃は諸聖徒。しづまるは運動をやむるなり
一〇―一二
〔この愛〕聖徒の現はすまつたき愛
〔歎く〕地獄にて
一三―一五
〔火〕晴れし夕空に見ゆる流星(淨、五・三七――九參照)
〔目を〕人の。人驚きてこれを見るをいふ
一九―二一
〔星座〕十字架の中に輝く聖徒の群
二二―二四
〔珠〕二〇行の「星」即ち馳下れる聖徒。紐は十字架
〔雪花石の〕輝く十字架を傳ひ下る聖徒の光の見ゆることさながら雪花石(光りて透明なる)の後《うしろ》に動く火の見ゆる如し
二五―二七
〔アンキーゼ〕アンキセス。『アエネイス』(六・六八四以下)にアンキセスがわが子アエネアスの歩み來るを見直ちに手を伸べ涙を流してこれを歡び迎へしこといづ
〔エリジオ〕異教徒の説に、善人の魂のとゞまる處
〔ムーザ〕(詩神)『アエネイス』の作者ウェルギリウス(淨、七・一六―八に見ゆるソルデルロの言參照)
二八―三〇
カッチアグイーダの詞、この一聯すべてラテン語より成る
〔二度〕今と死後と
註釋者或はかの使徒パウロ(地、二・二八―三〇參照)が生前と死後と二たび天堂に入りたる例を引きて種々の議論をなせども、思ふにカッチアグイーダはたゞ大體の上よりかく曰ひしまでにて一二の例外に重きを置かざりしならむ、パウロの場合とダンテの場合とはもとより同一に非ざれども(カーシーニ註參照)、その差別によりてこの一聯を判ずること自然ならじ
三一―三三
〔二重〕一方にては一靈がダンテを己が血族と呼べるに驚き、他方にてはベアトリーチェの美の著しく増しゐたるに驚けるなり
三四―三六
〔天堂の底〕天上の幸福の極《きはみ》(天、一八・二一參照)
四〇―四二
〔我より隱れ〕わが悟る能はざることをいひ
四九―五一
われ未來の出來事を神の鏡に映しみて汝のこゝに來るを知り、長くその日を待侘びゐたり
〔大いなる書〕神の全智の書《ふみ》。この書の文字變ることなし。白の黒に變るは附加せらるゝなり、黒の白にかはるは刪除せらるゝなり
五二―五四
〔この光のなかにて〕即ちわが衷《うち》にて
〔淑女〕ベアトリーチェ
五五―五七
〔第一の思ひ〕一切の思ひの本源なる神
〔一なる〕一なる數、發して他の凡ての數となり、他の凡ての數皆一に歸す、ゆゑに一を知るは他の凡ての數を知るなり。かくの如くわれら聖徒は絶對の一にして一切の思ひの源なる神を視るにより、よく人の思ふ所を知るをうるなり
〔五と六〕一以外の數をいふ、定數をもて不定數を表はせるなり
六一―六三
〔大いなるも〕天上の聖徒達はその享くる福に多少あれども、いづれも神(鏡)によりて、人の思ふ所を知る
六四―六六
わが聖なる愛は我をしてたえず神を視しめ、また常に善き願ひを起さしむ、汝問はざるも我既に汝の疑ひを知り、汝謂はざるも、愛我をして答へしむ、されど汝口づから汝の願ひを言現はさばわが愛是によりていよ/\滿足するにいたらむ
七〇―七二
〔一の徴を與へ〕オックスフォード版によれり、異本「ほゝゑみて肯ひ」
七三―七五
以下八四行まで、天上にては智よく情に伴ひ思ひを言現はすこと自由なれども、人間にありては然らず、ゆゑにカッチアグイーダに對し言葉の感謝をさゝぐる能はざるよしをいへり
〔第一の平等者〕神。その力、知慧、愛皆無限なり
〔汝等に現はるゝや〕汝等天堂にて神を見るに及び
七六―七八
〔日輪〕神。愛の熱にて暖め智の光にて照らしたまふ
七九―八一
〔理由〕人間にかゝる制限ある理由は地上の我等の知らざるところ
八五―八七
〔寶〕十字架
九一―九三
〔家族の名〕アリギエーリ
〔第一の臺〕淨火の第一圈、即ち傲慢の罪を淨むるところ
〔百年餘〕ダンテの曾祖父アリギエーロ(アルディギエーロ)の死より一三〇〇年までの間
されどアリギエーロが一二〇一年の八月に猶生存しゐたるてと記録に存すといへば、ダンテ自ら彼の死せる年を知らざりしなるべし
〔者〕前記アリギエーロ
九四―九六
〔業〕祈り。汝彼の爲に祈りてはやく天に昇るの福をえしめよ(淨、一一・二四―六參照)
九七―九九
以下昔のフィレンツェの平安にして幸福なりし有樣を告ぐ
〔昔の城壁〕ローマ時代の城壁。これが改築は一一七二年頃の事なりといふ
〔鐘〕城壁に接して「バディーア」と稱するベネデクト派の僧院あり、その鐘時を報じたるなり、ダンテの時代にては城壁は改まりたれども僧院はなほ舊の處にありきといふ
第三時(午前六時より九時まで)の鐘はその終り即ち午前九時に鳴り、第九時(正午より午後三時まで)の鐘はその始め即ち正午に鳴りしなり、ゆゑに淨、二七・四にはnonaを正午の意に用ゐたり。但しこの二つの時に限れるにはあらず
一〇〇―一〇二
〔索〕catenella 金銀等の鎖にて頸飾りに用ゐしもの
〔冠〕corona 金銀眞珠の類を用ゐて作れる頭飾
〔飾れる沓を穿く〕contigiate 或ひは、「はなやかに飾れる」
一〇三―一〇五
〔その婚期その聘禮〕ダンテ時代にては女甚だ若くして嫁しかつ莫大なる持參金を要せりといふ
一〇六―一〇八
〔人の住まざる家〕家族小なるに關はらず、虚榮の爲、みつばよつばに殿づくりすること
〔サルダナパロ〕サルダナパロス。前七世紀のアッシリア王、奢侈柔弱を以て名高し。彼の來らざるはかゝる惡風未だフィレンツェに入らざるなり。「室の内にて爲らるゝこと」とは室内に金銀珠玉を列ね綺羅を飾ること
一〇九―一一一
當時フィレンツェはその華美なるにおいてローマに若《し》かざりしが後これを凌ぐにいたれり、されど今華美においてローマにまさる如く、この後廢頽の度においてもまたこれにまさるべし
〔ウッチェルラトイオ〕フィレンツェ附近の山。ボローニアより來る旅客こゝに到りてまづフィレンツェを望む
〔モンテマーロ〕今、モンテ・マーリオ。ローマ附近の山。ヴィテルボより來る旅客こゝに到りてまづローマを望む
一一二―一一四
〔ベルリンチオーン・ベルティ〕フィレンツェの貴族ラヴィニアーニ家の人にてかの「善きグアルドラーダ」(地、一六・三七)の父なり(十二世紀)
〔骨〕締金用の骨
一一五―一一七
〔ネルリ、ヴェッキオ〕倶にフィレンツェの貴族
〔皮のみの衣〕pelle scoperta(蔽はぬ皮)、表や裏を附けずして皮そのまゝを衣とせるもの
〔麻〕pennecchio 麻、羊毛等すべて竿にかけて紡ぐもの
一一八―一二〇
〔その墓に〕黨派の爭ひ等により追放せられて異郷の土に葬らるゝの恐なきをいふ
〔フランスの〕通商貿易のため夫異國に旅して妻獨り空閨を守ること
特にフランスを擧げたるは、十三・四世紀の頃フィレンツェの人々おもにかの國に行きて交易したればなり(カーシーニ)
一二一―一二三
〔言〕小兒の言語。親は子供の片言《かたこと》を聞きてまづ喜び、後これを眞似て子供をあやし眠らしむ
乳母なく侍女なく、名門の主婦自ら搖籃の傍にありてその幼兒を愛撫する質素の美風を擧げしなり
一二四―一二九
〔トロイア人、フィエソレ、ローマ〕いづれもフィレンツェ市の起原に密接の關係あれば、特によろこびてこれらの物語を聞きたるならむ。フィエソレについては地、一五・六一――三註參照
〔チアンゲルラ〕ダンテと時代を同うせるフィレンツェの女。惡女の典型としてこゝに
〔ラーポ・サルテレルロ〕不徳なるフィレンツェの状師、ダンテと同時代の人にてかつ彼と同時にフィレンツェより追放されし者
〔チンチンナート〕クインティウス(天、六・四六―八註參照)、質樸誠實の典型
〔コルニーリア〕グラックス兄弟の母(地、四・一二七――三二註參照)
〔いと異しと〕その頃惡人の極めて少かりしこと今善人の極めて稀《まれ》なるに似たり
一三三―一三五
〔マリア〕わが母産の苦しみに臨み聖母の名を唱へてその助けを求め(淨、二〇・一九―二一參照)、我を生みたり
〔昔の授洗所〕聖ジョヴァンニの洗禮所(地、一九・一六―二一參照)。その起原は七八世紀の昔に遡るといふ
〔カッチアグイーダとなり〕洗禮を受けてキリスト教徒となると同時にカッチアグイーダと名づけられしなり
『神曲』以外カッチアグイーダの事蹟を傳ふるものなし
一三六―一三八
〔モロントとエリゼオ〕傳不詳
〔ポーの溪〕フェルラーラ(ポー河附近の町)のアルディギエーリ家のことなりといふ、されど異説ありて明らかならず
一三九―一四一
〔クルラード〕ホーエンシュタウフェン家のコンラッド三世(一一五二年死)。一一四七年フランス王ルイ七世とともに第二十字軍を率ゐて聖地に入りしが軍利あらずして國に歸れり
一四二―一四四
〔牧者達の過のため〕法王等意を用ゐざるため(天、九・一二四―六參照)
〔汝等の領地〕當然キリスト教徒に屬すべき聖地
〔人々〕サラセン人
〔律法〕宗教
第十六曲
カッチアグイーダ、ダンテの請ひに應じてさらにフィレンツェの昔譚をなす
一―九
ダンテはカッチアグイーダの物語を聞きその祖先にかくの如き人あるを知りて自ら誇りを感じたれば、即ちこゝにこれを自白しかつ氏素姓その物の價値甚だ少きことをいへり
〔情の衰ふ〕世人の情は健全ならず弱くして迷ひ易し、ゆゑに眞に愛すべきものを愛せず、その誇りを氏素姓の如きに求む。
〔逸れざる〕虚僞の幸に向はず、常に眞の幸を求むる
迷ひなき天たありてさへ、われこの小《さゝや》かなる尊さに誇りを感じたれば、迷ひ多き世の人のこれに誇るも異しむ足らず
〔衣〕血統《ちすぢ》の尊さは美しき衣の如し、されど時なるもの鋏をもてたえずこの衣を斷ちこれを短うするが故に日に日に補ふにあらざれば身の飾りとなし難し(祖先の誇りも子孫の徳に補はれざれは永く保たじ)
一〇―一二
〔ヴォイ〕複數代名詞の voi(汝等)を單數代名詞 tu(汝)の代りに用ゐて敬意をあらはす。ローマ人がかく一人に對して複數代名詞を用ゐしことはまことは三世紀に始まれるなれど、かれらがカエサルに對してかゝる敬語を用ゐしをその濫觴とすとの説中古一般に信ぜられきといふ
前曲にてはダンテ、カッチアグイーダにむかひて tu の變化なる te(八五行)を用ゐたり。また『神曲』中ダンテがこの敬語(即ちヴォイ)を用ゐし例はブルネット・ラティーニ及びベアトリーチェに對せる場合に見ゆるのみ、但しこの語の變化を用ゐし例はその他にもあり
〔その族の中にて〕註釋者曰。他のイタリアの市民間にはこの複數の敬語今猶多く用ゐらるれどもローマの市民最も多く tu を用ふと
一三―一五
〔ジネーヴラ〕ギニヴァー(地、五・一二七以下參照)
〔女〕王妃ギニヴァーの侍女。ランスロットと王妃の戀を知り、咳《しはぶ》きしてこの咎を知れるを示せり。猶ダンテがその語《ことば》を改むるほど祖先に誇りを感ずるを見、世人共通の弱點に對してベアトリーチェの微笑せるに似たり
但し「最初の咎」の意明らかならず、ダンテが讀みたりと信ぜらるゝ『ランスロット物語』Lancelot du Lac によれば侍女の咳せしは王妃とランスロットとの睦言に對してなり(トインビー博士の『ダンテ考』Dante Studies and Researches にフランスの原文とその英譯と出づ)、されどダンテの記憶に誤りありきとも將又《はたまた》技巧の上より特に多少の變改を施せりとも解せられざるにあらざれは、從來の説に從つてかのふたりの間の接吻と見なすを妨げじ、パッセリーニ伯(一九一八年版註)は後記を採れり
一六―一八
〔汝〕原文には voi の語三たび出づ
一九―二一
〔多くの流れにより〕汝の言を聞き、さま/″\の原因により
〔壞れず〕人間の受くるをうる悦びには限りありて、その度を超ゆればかへつて心亂るゝ習なるに、今かゝる嬉しさに堪へて敢て壞れざるは即ち心其物の強き證左なれば心自らこれをよろこぶ
二二―二四
〔汝童なりし時、年は〕汝は何年に生れたりや
二五―二七
〔聖ジョヴァンニの羊の圈〕フィレンツェ、バプテスマのヨハネの守護の下にありたればかく(地、一三―一四二―四並びに註參照)。圈の大いさを問ふはその人口を聞くなり
二八―三〇
〔輝く〕問に答ふる喜びのため
三一―三三
〔近代の〕カッチアグイーダはその時代のフィレンツェの言葉を用ゐしと見ゆ
三四―三六
以下三九行まで第二問の答
〔アーヴェのいはれし日〕天使が聖子の降誕を聖母に告知しゝ日、換言すればキリストの降誕、よりわが生れし日までに。アヴェ(幸あれ)は天使ガブリエルの會釋の詞(淨、一〇・三四以下參照)
三七―三九
千九十年餘の歳月を經たり
〔この火〕火星。プトレマイオスの説に從へば火星は六百八十七日弱にてその一周を終ふ、故にその五百八十周を年數に換算すれば千九十一年餘となり、カッチアグイーダの生れし年千九十一年を得(ムーアの、『ダンテ研究』第三卷五九―六〇頁參照)
〔己が獅子の〕獅子宮に入ること。特にこの天宮を指せるは火星即ち軍神マルテに猛獸を配せんためなり、兩者の性向相通ずるがゆゑに己がといへり
四〇―四二
以下四五行まで第一問の答
〔年毎の競技〕バプテスマのヨハネの祭日(六月二十四日)に行はれし競馬
〔區劃〕sesto 昔フィレンツェ市を六區に分てるが故に各區を sesto(sestiere)といふ。最後の區劃は競馬の決勝點に最も近き處にてこの區をポルタ・サン・ピエーロといへり
註釋者日く。競技者は西方より町を横切りてその東端ポルタ・サン・ピエーロにいたる、さればこの區の中競技者の最初に見る處は即ちその西境なり、こゝはエリゼイ家の邸宅ありしところなればアリギエーリ家とエリゼイ家(天、一五・一三六)と親戚なりしこと知らると
四三―四五
〔これを〕エリゼイ家の邸宅ありしあたりはフィレンツェの舊家の多かりし處なれば、かしこに住めることを聞きて
〔言はざるを〕言ふは誇る所良なれは
四六―四八
第三問の答。常時フィレンツェの人口は一三〇〇年における同市の人口の五分一なりしを告ぐ
〔マルテと洗禮者との間〕マルテ(ギリシアにてはアレス)の像あるポンテ・ヴェッキオ(地、一三・一四五―七並びに註參照)と聖ヨハネ(ジョヴァンニ)の洗禮所との間。當時のフィレンツェ市をその南北の城壁によりて表はせり
〔今住む者〕現住者にして武器を執るを得る者
註釋者曰く。一三〇〇年にはフィレンツェの人口約七萬(この中武器を執るを得る者三萬)なりき、故にカッチアグイーダの頃には約一萬四千(兵たりうべき者六千)なりきと
四九―五一
以下末まで第四問の答
〔カムピ、チェルタルド、及びフェギーネ〕フィレンツェの附近にありてこの市に屬しゝ小さき町の名。カムピはビセンチオの溪に、チェルタルドはエルザの溪に、フェギーネはアルノの溪にあり
〔純なり〕これらの町より人々出でゝ市に移住するにいたれるまでに市民の血全く純なりき
五二―五七
これらの民各
其處に止まり、市その領域を漫りに大ならしめざりせば、諸民の混亂より生ずる禍は避けられしならむ
〔ガルルッツォとトレスピアーノ〕前者はフィレンツェの南二哩にある村、後者は同市の北三マイルにある村。昔の市領の境
〔汝等の境〕フィレンツェ領の境
〔アグリオン〕ペーザの溪の城
註釋者曰く。アグリオンの賤男とはメッセル・バルド・ダグリオネ即ちダンテと同時代の人にてフィレンツェ市に權勢を振ひ、かつ市の記録に關し淨、一二・一〇三―五(註參照)に見ゆる不正行爲ありし者を指すと
〔シーニア〕フィレンツェの西七マイルにある町
註釋者曰く。シーエアの賤男とはメッセル・ファーチオ・デーイ・モルバルヂニとて同じく市に權勢をふるひし汚吏の事なりと
五八―六〇
〔最も劣れる人々〕法王僧侶等寺院に屬する人々
〔チェーザレと繼《まゝ》しからず〕皇帝と爭はず
寺院が皇帝を敵視せるより政道その宜しきを失ひて爭亂止まず、市外の民難を避けて市内に入來り、市に秩序なく安寧なきに至れるをいふ、以下その例を擧ぐ
六一―六三
〔ひとりの人〕不明
〔物乞へる〕andava………a la cerca おもに僧侶の托鉢するをいふ
〔シミフォンテ〕エルザの溪にありし城。この城一二〇二年フィレンツェ人に毀たる
六四―六六
〔モンテムルロ〕ピストイアとプラートの間の城。この城もとグイード伯爵家の所有なりしがピストイア人の難に堪へずしてこれをフィレンツェ人に賣りたり(一二四五年)
〔チェルキ〕この一家はもとアーコネ(シエーヴェの溪にあり)の寺領なるモンテ・ディ・クローチェ城に住みしがこの城フィレンツェ人に奪はれし時(十二世紀の年頃)市に移住せり
〔ボンデルモンティ〕ブオンデルモンティ。グレーヴェの溪なるモンテブオーニの城主。一一三五年フィレンツェ人この域を奪ふ
七〇―七二
〔盲の牡牛〕體大にして智伴はざるを市の膨脹して而して治まらざるに譬ふ
〔五〕數多くして用ゐ難きを人口多くしてかへつて活動を缺くにたとふ。五はさきに五分一といへるに應ず
七三―七五
〔ルーニ〕昔の町の名〔地、二〇・四六―八註參照)
〔ウルビサーリア〕マルカ・ダンコナの昔の町の名
〔キウーシ〕トスカーナ州の南端にてヴァルディキアーナ(地、二九・四六―五一註參照)にある町の名
〔シニガーリア〕マルカ・ダンコナの町の名
八二―八四
〔渚をば〕潮の滿干《みちひ》によりて
八八―九〇
〔ウーギ、カテルリニ〕その他こゝに出づるものは皆カッチアグイーダの時代におけるフィレンツェ屈指の舊家なりしかど既にその頃より衰運に向ひゐたるなり
九一―九三
〔ラ・サンネルラ及びラルカ〕その他こゝに出づるものはみな名立たる舊家にてカッチアグイーダの時代においてはなほ盛なりしかどその後衰ふるにいたりたり
九四―九六
〔門〕ボルタ・サン・ピエーロ(聖ピエートロの門)。一三〇〇年の頃チェルキ家(六四―六行)この門のあたりに住みゐたり、「チェルキ」は白黨の首領となりて「ドナーティ」と爭ひ、フィレンツェ全市を爭亂の渦中に投じゝものなれば新なる罪を積むといへり
船はフィレンツェなり、チェルキ一家を容れてこれに權勢を得しめしため、フィレンツェの受くる禍ひ甚大なるをいふ
九七―九九
〔ラヴィニアーニ〕フィレンツェの名門。ボルタ・サン・ピエーロの邊《ほとり》にありしその邸宅グイード家に移り、後チェルキ家の所有となれり
〔伯爵グイード〕ラヴィニアーニの家長なるベルリンチオーネ・ベルティ(天、一五・一一二―四參照)の女グアルドラーダと老グイードとの結婚(地、一六・三七―九註參照)によりて多くのグイード「ラディニアーニ」より出づ、故に伯爵グイードとは老グイードの子孫なるグイーディの一門を指せるなるべし、地、一六・三八にいづるグイード・グエルラはその一人なり
〔名を襲げる者〕グアルドラーダの姉妹二人の中一はドナーティ家に嫁し、一はアーディマリ家に嫁したれば、その子孫にしてベルリンチオーネの名を襲げる者多かりき
一〇〇―一〇二
〔ラ・プレッサ〕フィレンツェの名門。「治むる道を知り」たるは大官となりゐたるなり
〔ガリガーイオ〕「ガリガーイ」家は同じくフィレンツェの名門にてギベルリニ黨に屬し勢甚だ盛なりしが後零落して見る影なきに至れりといふ
〔黄金裝の〕劒の柄に黄金を用ゐることは騎士にのみ許されしなり、故にかゝる劒を持てりとは騎士となりゐたる意
一〇三―一〇五
〔ヴァイオの柱〕フィレンツェの名門ピーリ家の事。vaio は栗鼠族の動物の名、紋章の語にてはその皮模樣を紋所に現はすをいふ、ピーリ家の家紋はヴァイオの一縱線(即ち柱)を赤地にあらはしゝものなれはかく言へり
〔サッケッティ、ジュオキ〕等フィレンツェの舊家名族を擧ぐ
〔赤らむ家族〕「キアラモンテージ」家。その一人鹽を市民に賣るに當りて不正の利益を貪れることあり(淨、一二・一〇三―五並びに註參照)
一〇六―一〇八
〔木の根〕「ドナーティ」家。この一門分れてドナーティ、カルフッチ、ウッチェルリーニ等の諸家となれり、特にカルフッチを擧げしはその早く頽廢したるによりてなるべし
〔シツィイとアルリグツチ〕いづれもその頃高官を得て時めきゐたるフィレンツェの家族
〔貴き座〕curule 美しく裝飾せる倚子にて昔ローマの高官の座に用ゐしもの
一〇九―一一一
〔家族〕フィレンツェ屈指の名族なりしウベルティ家。この一家の浮沈については、その出にて、「地獄を嘲けるに似た」るファリナータの條參照(地、一〇・三一以下並びに註)
〔黄金の丸〕フィレンツェの名族ラムベルティ家。その紋章青地に黄金の丸を現はせるによりてかくいへり、かのブオンデルモンテ殺害の事に與りしモスカ(地、二八・一〇六參照)は即ちこの家の出なり
一一二―一一四
〔人々〕ヴィスドミニ、トシンギの兩家の人々。フィレンツェ僧正領地の監督者たり、僧正の倚子空《あ》くことあればその後繼者定まるまで寺院の收入を司り、以て私腹を肥しきといふ
〔相集ひて〕stando a consistoro コンシストロとは法王とカルディナレ等高位の僧との會議もしくは會議の場所をいふ。こゝにては彼等の如く相會して、寺領の收入を處理する意
〔父〕祖先
一一五―一一七
〔族〕アーディマリ家。その分家に「アルゼンティ」(地、八・三一―三註參照)あり
一一八―一二〇
〔ウベルティーン・ドナート〕ベルリンチオーネ・ベルティの婿のウベルティーノは、舅ベルリンチオーネがその第三女をアーディマリ家の者に與へて(九七―九行註參照)彼(ウベルティーノ)をば彼等(アーディマリ家)の縁者たらしめしを喜ばざりき
一二一―一二三
〔カーボンサッコ〕カーボンサッキ家はフィエソレよりフィレンツェ舊市場(Mercato Vecchio)のあたりに移りしものにて十二世紀の頃市の高官この家族より出でたり
〔ジウダとインファンガート〕ジウディ、インファンガーティの兩家。いづれも十二世紀の頃に榮えしフィレンツェの家族
一二四―一二六
フィレンツェの昔の城壁の門の一なるペルッツァ門(Porta Peruzza)が「ラ・ペーラ」即ちペルッツィ(Peruzzi)一家の名に因みて名づけられしものなりとは(今は亡びて知る人もなき「ペーラ」の一家が城壁の門に名を與ふるほど昔盛なりしとは)誰か信ぜむ
一二七―一二九
〔領主〕皇帝オットー三世の代理者としてフィレンツェに任せるフーゴ侯爵
フーゴは一〇〇六年聖(使徒)トマスの祭日(十二月二十一日)に死せり、人々これをバディーア僧院に葬り、かつ年々この日において記念の祭典を行へり
〔紋所〕紅白七條の縱線。但しこの紋を用ゐし騎士の家族によりて多少の變更あり、故に「分け用ゐる」といへり
一三〇―一三二
〔騎士の〕フーゴはプルツィ、デルラ・ベルラ、ジャンドナーティ等フィレンツェの諸家族に騎士の位と貴族の殊遇とを與へたり
〔卷くもの〕ジヤーノ・デルラ・ベルラ。十三世紀の末、庶民の味方となりて權門勢家に反抗し、遂に郷國を棄てゝフランスに走れり。デルラ・ベルラ家の紋はフーゴの紋の周圍を細き金線にて卷けるもの
一三三―一三五
〔グアルテロッティ、イムポルトゥーニ〕ともに一時盛なりしフィレンツェの家族
〔隣人等〕モンテブオーニ城よりフィレンツェに移住せるブオンデルモンティ家(六四―六行註參照)
〔ボルゴ〕ボルゴ・サンチ・アポストリ。グアルテロッチとイムポルツーニの住みしところ、後ブオンデルモンティこの兩家の隣に住めり
一三六―一三八
〔家〕アーミデイ家。アーミデイ、ブオンデルモンティ兩家の爭ひについては地、二八・一〇六―八註參照。爭ひの始めは破約者に對するアーミデイ家の怒りなれば義憤といへり、この怒りのためブオンデルモンテ殺害せられ、兩家の爭ひはひいて全市民の爭ひとなり、多くの人々血を流し、市その平安を失へり
一三九―一四一
〔人の勸〕ドナーティ家の一婦人己が娘をブオンデルモンテに嫁《とつ》がせんとて破約をこれに勸めしをいふ
一四二―一四四
〔神汝を〕汝もしエーマ川に溺死してフィレンツェに入來らざりせば
〔エーマ〕ヴァル・ディ・グレーヴェなる小川の名。モンテブオーニよりフィレンツェに來るものこの川を過ぐ但しモンテブオーニの沒落は一一三五年にて、ブオンデルモンテの殺害は一二一五年の事なれば、一四〇行のブオンデルモンテは破約者を指せるに非ずしてその家族を指せるもの、また「汝はじめて」といへるはこの家族(即ち被害者の父祖)がはじめてフィレンツェに移り來れるをいへるならむ
一四五―一四七
〔缺石〕破損したるマルチの像にてポンテ・ヴェッキオの一端にありしもの(地、一三・一四五―七註參照)。ブオンデルモンテの殺されし處は即ちこの像の下なりき、故に被害者を指してマルテの牲《いけにへ》といへり
一五一―一五三
〔百合〕フィレンツェの旗(一五四行註參照)
〔倒に〕中古敵の旗を奪ふ時は竿を倒さにして戰場を引
し侮蔑の意を示す例ありきといふ。フィレンツェ軍が常に戰ひに勝ち、旗を敵手に委ねしことなき意
一五四
〔紅に〕市の昔の紋章は赤地に白の百合なりしが一二五一年グェルフィこれを變へて白地に赤の百合となせり
第十七曲
カッチアグイーダさらにダンテの問いに答へてその行末の事を豫言し、これに流刑の憂さつらさを告げ、かつその冥界の見聞を忌憚なく世に傳へんことを勸む
一―三
〔者〕パエトン(フェトン)。父アポロン(日)に請ひその許をえて火車を轉らせるため慘死す(地、一七・一〇六―一四註參照)、これ世の父たる者をして子の請ふ所に戒心せしむる一教訓なり
〔クリメーネ〕クリュメネー。パエトンの母。エパポス(ゼウスとイノの間の子)なる者パエトンを罵り汝は母のたゞ言を信じて父ならぬ父に誇るといふ、パエトン即ち母の許に行き己が父の果して日の神なるや否やを質《たゞ》せり(オウィディウスの『メタモルフォセス』一・七四八以下參照)
四―六
〔彼の如く〕パエトンがエパポスの言を聞きて眞を知らんと欲するの情切なりし如く、ダンテは己が未來に關しファリナータ(地、一〇・七九以下)、ブルネット(地、一・六一以下)、クルラード(淨、八・一三三以下)、オデリジ(淨、一一・一三九以下)等の豫言を聞きて眞を知るを求むるの情切なりしなり
〔燈〕カッチアグイーダ。ダンテを迎へん爲火星の十字架の右の桁より柱脚に馳せ下れること前に出づ(天、一五・一九―二一)
一〇―一二
〔増さん爲ならず〕神によりて汝の願ひを知るがゆゑに
〔渇〕願ひ
〔飮ます〕mesca(注《つ》ぐ。杯に酒を注ぐ類、ヴァーノン『天堂篇解説』第二卷三八頁參照)、願ひを叶はす
一三―一五
〔板〕piota 芝土の義より轉じて根即ち祖先
〔知るごとく〕知る如く精確に
一六―一八
〔點〕神。神は現在の如く過去と未來とを現給ふ
一九―二一
〔山〕淨火の
〔死の世界〕地獄
二八―三〇
〔光〕カッチアグイーダ
三一―三三
〔神の羔〕キリスト(ヨハネ、一・二九)
〔昔〕キリスト以前即ち異教時代に
〔朧〕異教の神々の託宣の如く曖昧ならず
三四―三六
〔父の愛〕慈愛深きわが祖先
〔己が微笑の〕光に包まれて見えざれどもその先によりて己が喜びを表はしつゝ
三七―三九
神は汝等の世に起る凡ての事を知り給ふ
〔物質の書より外に〕事の偶然に生ずるは(即ち人間自由の行動に歸着する種々の出來事あるは)たゞ物質界においてのみ、靈界においては事皆必然の理より生ず(天、三二・五二―四參照)
四〇―四二
〔船流れを〕船流れを下るが故に人見てこれが下るを知る、されど人目に映ずるが故に船動くに非ず、かくの如く神は全智によりて世の出來事を豫如し給へど、豫知し給ふこと原因となりてその事必ず起るにあらず
四六―四六
〔イッポリート〕ヒッポリュトス。テセウスの子。その繼母パエドラの讒にあひ、父の怒りに觸れてアテナイを逐はる(『メタモルフォセス』一五・四九三以下參照)
四九―五一
〔處〕ローマ。僧官、及びその他靈界に屬する物の日々賣買せらるゝところ
〔思ひめぐらす者〕ダンテを虐げんと思ひ
らす者、即ち法王ボニファキウス八世とその―味の者
ダンテの追放されしは一三〇二年なれど、一三〇〇年即ちダンテがフィレンツェのプリオレたりし頃、彼は法王の處置畫策に反抗し既にその怨みを買ひゐたるなり
五二―五四
罪の汚名は敗者に被《お》はされむ、是世俗の常なればなり、されど神罰眞に罪ある者に下るに及びて敗者も汚名を雪ぐを得べし
〔刑罰〕白黨追放(一三〇二年)の後フィレンツェに起れる種々の災害、法王及びその一味の者の不運等を總括していへり
〔眞の爲の〕正しき刑罰は眞にもとづき、眞に罪ある者に下る、故に「眞」はその宜《よろしき》に從って刑罰を課する者といふをう。罪がかへつて時めく者にあることは刑罰これに臨むによりて明らかなるべし
五五―五七
〔愛する物〕郷土、家族、親戚、知己等
五八―六〇
郷土を逐はれて他家に寄寓し他人の憐によりてその食卓に就くのつらさを汝經驗して知るにいたらむ
六一―六三
最も大いなる苦痛を汝に感ぜしむる者は汝と倶に追放の憂目を見る白黨の人々なるべし
六四―六六
〔汝に背かむ〕追放されし白黨はフィレンツェの黒黨に對して屡
再擧を謀れり、而して一三〇四年ラストラの役ありし以前ダンテは白黨の首領等と交りを絶てりと見ゆ、おもふに彼等ダンテの好意的畫策を惡意に解して彼を怨めるによるならむ(カーシーニ註參照)、されどその時その事情いづれも定かに知り難し
〔顏〕原語、「顳
」。一三〇四年ラストラ(フィレンツェの北二マイルの村)の戰ひ敗れて血に塗れしをいへるならむ、或ひは曰く、事成らずして恥づる意と
七〇―七二
〔第一の〕一人一黨となりて後最初の
〔ロムバルディア人〕バルトロムメオ・デルラ・スカーラ(一三〇四年三月死)。アルベルト・デルラ・スカーラ(淨、一八・一二一―三註參照)の長子にて父の死後ヴェロナ(ロムバルディアの)に君たり、その家紋は金の梯子の上に黒鷲のとまれるもの
七三―七五
〔いと遲きもの〕爲すこと即ち與ふること。他の人々は乞はれて後に與ふれども、彼は然らず、汝の乞はざるさきに自ら進んで衣食を給せむ
七六―七八
〔強き星〕火星。この星の影響の下に生るゝ者武勇を好む
〔者〕カン・グランデ・デルラ・スカーラ。アルベルトの第三子。一二九一年三月に生れ、一三一一年兄アルポイノとともにヴェロナを治めかつ相ともに皇帝ハインリヒ七世の代理者となり、アルポイノの死(翌十二年)後ひとりヴェロナに君たり、一三二九年七月トレヴィーゾに死す。ダンテ及びその當時の人々、皇帝とギベルリニとの權勢の復興者としていたくこれに望みを囑せり
八二―八四
〔グアスコニア人〕法王クレメンス五世(地、一九・八二―四註參照)。ハインリヒ七世を、友としてイタリアに迎へ、その來るに及びて敵となれり。「欺かざるさき」とは一三一二年(即ちハインリヒがローマに帝冠を戴ける年)以前といふ如し
〔銀をも疲れをも〕富を求めず戰ひの疲れを厭はざること
九一―九三
〔信ずまじき〕己が目前に起るを見ん人もなほ信ずまじき異常のことゞも
九四―九六
〔聞きたる事〕地獄淨火にて聞きたる豫言(四―六行註參照)
〔年〕原、「囘轉」(太陽の)
九七―九九
〔隣人〕同郷人。その勝誇るを妬むなり
〔汝の生命は〕かれらは罪の報を受けて亡び、汝は永く美名に生くべし
一〇〇―一〇二
〔織物〕物語。これが經《たていと》を張るは問ふなり、緯《よこいと》を入るゝは答ふるなり
一〇六―一〇八
〔思慮なき人に〕備へず慮らずして命運の打撃を受けなばその、痛いよ/\甚だしからむ
一〇九―一一一
〔最愛の地〕フィレンツェ
〔その他の地〕流寓の地(複數)
〔わが歌の爲に〕我もし忌憚なく歌はゞ、その詩、人の怨みを招きて寄寓すべき處さへなきにいたるの恐れあり
一一二―一一四
〔淑女の目〕天、一・六四以下參照
一一五―一一七
〔光より光〕星より星
〔辛かるべし〕agrume は昔葱、大蒜《にんにく》等の如く舌を刺すに似たる味あるものをいへり
一一八―一二〇
されどまたもし實を語らずば、名を後の世に殘すをえざらむ
一二一―一二三
〔寶〕カッチアグイーダ
一二四―一二六
〔己が罪または〕罪己にあるかさらずば己が親戚知友等にありて心その爲にやましき者は
一二七―一二九
〔瘡ある處は〕汝の言を聞きて苦痛を感ずるだけの弱みある人には苦痛を感ぜしむるがよし
一三三―一三五
山高ければこれを撃つ風いと強し、かくの如く、汝の歌の中なる人はいづれもその名世に聞えまたは現に時めき榮ゆる者のみなればそを叱咤する汝の聲は強かるべし、而してかゝる者をもたゞ眞理に從つて恐れず憚らず攻める事は即ち攻める人の價値をば遺憾なく表はす所以なり
一三九―一四二
〔その根知られず〕例の出處なる(即ち例として擧げらるゝ)人物が世に知られず
〔明らかならざれは〕適切なる例を缺く爲、具體的に證明し難きなり
〔安まらず〕滿足せず
第十八曲
カッチアグイーダの告ぐる所によりてダンテは火星の十字架の中なる多くの靈の名を知りて後、ベアトリーチェと共に第六天(木星)にいたり、正義を地上に行へる者の眞の相連りて種々なる形をその光に現はすを見る
一―三
〔鏡〕カッチアグイーダ。聖徒は神の光を受けてこれを反映《てりかへ》らしむる鏡なれはかく
〔思ひ〕verbo(語《ことば》)、こゝにては無聲の語即ち思ひの義
カッチアグイーダ語り終りて默しつゝ天上の祝福を思ふ樂しき思ひに歸ればダンテはまた己が思ひに耽りつゝその美名に關する豫言の喜びをもて追放その他行末の非運に關する豫言の悲しみを和げゐたるなり
四―六
〔一切の虐を〕正義に從つて賞罰を行ひ給ふ神(ロマ、一二―一九參照)
七―九
〔慰藉〕ベアトリーチェ
一〇―一二
〔導く者なくば〕神恩特に下るにあらざれば
一三―一五
〔わが情は〕天上の愛ベアトリーチェの目に輝きてダンテの心の中なる一切の雜念を逐ひ拂へるなり
一六―一八
〔永遠の喜び〕聖徒の永遠の喜びなる神の光
〔第二の姿〕反映せる光。ダンテは神の光を直接に見しに爲らず、ベアトリーチェの目によりて見しなれば
一九―二一
〔身を轉して〕カッチアグイーダを見てその言を聽け
二八―三〇
〔木〕天堂。世にある木は根によりて生き、期《とき》いたりて初めて實を結び年毎にその葉を失へどもこの木は然らず、頂によりて生き(至高の天にいます神よりその生を安くるが故に)、たえず實を結び(新なる聖徒をえ)、永久に葉を失はじ(その美その福祉永遠に亘る)
〔第五座〕第五天
三一―三三
〔ムーザ〕詩人。いかなる大詩人にも良き材料を供給するほど
三四―三六
〔今〕異本、今の字なし
〔その疾き火〕雲の火即ち電光
三七―三九
〔ヨスエ〕ヨシュア。モーゼに次いでイスラエル民族を導ける舊約の偉人、その事蹟ヨシェア記に委し
〔言と爲と〕名のいはるゝと動くと
四〇―四二
〔マッカベオ〕ユダス・マッカベウス。ヘブライ人の自由の爲にシリアの暴君と爭へるもの(『マカベ』前第三章以下)
〔獨樂〕paleo 棒の先に糸をつけ、それにて打ちてまはす獨樂。糸の爲に獨樂の
る如く、喜びの爲にかの光めぐるなり
四三―四五
〔カルロ・マーニョとオルランド〕キリスト教の信仰の爲、異教徒と戰へる勇者として(地、三一・一六―八註參照)
〔目〕鷹匠の
四六―四八
〔グイリエルモ、レノアルド〕フランス中古の物語に名高きオレンジ伯ウイリアム及びこれに從ひてサラセン人と戰へりといふリノアルド(ルヌアール)
〔ゴッティフレーディ〕ゴットフレード・ド・ブイヨン(一一〇〇年死)。第一十字軍の指揮者として名高し
〔ルベルト・グイスカールド〕(一〇八五年死)、プーリア及びカーラブリアの君となりてサラセン人を逐へる者(地、二八・一三―八註參照)
四九―五一
〔我に示せり〕カッチアグイーダはこの時他の諸靈に加はりて歌ひいでたればなり
五二―五四
〔言または〕ベアトリーチェがその言葉または身振によりて、わが爲すべき事を我に示すならむと思ひて
五五―五七
〔最終の時〕七行以下にいへる
六一―六三
ベアトリーチェの美を増すを見て我等がさらに高き天に達せることを知り得たり
昇れるを昇ることによりて知るならずその結果として淑女の美の増すによりて知る、なほ徳の進むを進むことによりて知るならずその結果として喜びの増すによりて知るごとし
〔天とともに〕諸天は皆たえず
轉す、故にダンテはその一にとゞまる間、これとともに|
《めぐ》るなり
〔弧〕天は高きに從つて大なり、故に木星天は火星天よりもそのゑがく弧大なり
六四―六六
羞恥の爲赤くなりたる女の顏が、その念消ゆるとともに元の白色に返るごとく
六七―六九
〔わが見るもの〕火星の赤色より木星の白色に移りたれば
〔温和なる〕火星の熱さと土星の寒さとを、この二星の間にありて和らぐるが故にかく言へり(『コンヴィヴィオ』二・一四・一九四以下參照)
七〇―七二
〔ジョーヴェの燈火〕木星
〔愛の煌〕愛の光を放つ諸聖徒
〔われらの言語〕我等の用ゐる文字
七三―七五
〔己が食物を〕岸より立てる群鳥が、食物あるを見て、互に祝しあふごとく歌ひつゝ、相連りて
七六―七八
〔忽ちD〕九一―三行參照
八二―八四
〔ペガーゼア〕ムーサ。但し一をもて凡ての詩神を代表せしめしものなるか或ひは特にその一(多くの註釋者はカルリオペを指せりとす)を指していへるか明ならず
ペガソスといへる馬ムーサイに屬し、かつヒッポクレネの泉(ムーサの山エリコナにあり)はこの馬の蹄の跡なりとの傳説に因みてムーサをペガーゼーと呼ぶにいたれり
〔その生命を長うす〕これに不朽の名をえしむ
〔才が〕才は汝の助けにより諸國諸邑の事を歌ひてかれらの名を永く後の世に傳ふ
八五―八七
〔彼等の象〕諸
の聖徒の相連りて造れる象《かたち》
〔短き〕句數に限りあれば
八八―九〇
〔一部一部を〕象の變化するにつれ、文字重なりて音となり音加はりて語《ことば》となるを
九一―九三
〔Diligite iustitiam, etc.〕地を審判《さば》く者等よ、正義を愛せよ(『經外典』智慧一・一)
九四―九六
〔M〕この文字に特殊の寓意あるか、或ひは單に最後の文字にてかつ鷲の形を顯はすに便なればとてこれを選べるか明らかならず
寓意説にてはこれを mondo(世界)の第一字なりとも、または monarchia(帝國)のそれなりともいふ
〔金にて〕諸靈は金の如く輝き、木星は銀の如く光れり
九七―九九
〔頂〕ダンテ時代に用ゐしM字即ちゴシック形の首字は、一縱線の頂より二線彎曲して左右に垂れしものなりき
〔降り〕エムピレオの天より
〔善〕神。かの光(諸靈)をしてその心を神に向はしむ
一〇〇―一〇二
〔占をなす〕古註曰く。人爐邊にて薪の燃えさしを打ち、火花の出づるを見て、これぞわが羔わが仔豚わが金貨の數なるなどいひて樂しむ習ありきと
一〇三―一〇五
〔かしこより〕かの頂より
〔日輪〕神
一〇六―一〇八
〔鷲〕淨、三二・一一二にジョーヴェ(ゼウス)(ジョーヴェ及び木星の兩意に通ず)の鳥といへるもの。鷲はローマ帝國の旗章にて、ダンテの治國説に從ひ、地上に行はるべき正義を代表す
一〇九―一一一
かの鷲の象《かたち》を畫けるものは神なり、神は畫き給ふに當りて何をも模範とし給はじ、模範となる物あらざればなり、否自然は皆神に導かれその模範に從つて諸物を整ふ、されば自然の有する形成の力はすべて神に歸せざるをえじ帝國の制度の神意にもとづくものなる事を示さんとて特にかく言へるなるべし
〔巣を作る〕自然の中なる創造の力を、鳥が巣を造る例にて言現はせるならむ。鳥は自然にその巣を造る智を有す、而してこの智また神より出づ。特に巣を擧げしは鷲に因みてなり
一一二―一一四
さきに|M《エムメ》の文字を顯はしゐたる聖徒等は少しく位置を變へしのみにて鷲の形を造り終れり
〔百合となり〕Mは中古の紋章に用ゐし百合の花形に似たればかく言ふ。「エムメにて百合となる」とはエムメの文字をゑがきて百合の形を成しゐたる意
〔印象を〕鷲全體の形を。エムメの中央の縱線は身、左右の屈線は翼なり、これに一〇三―八行の首と頸とを加ふれば紋章状の一羽の鷲となる
一一五―一一七
〔星〕木星
〔汝の飾る天〕汝木星を飾の寶石とする第六天
〔明らかならしめ〕靈の表はしゝ文字と形とによりて、地上の正義が木星天の影響の結果なることを知れり
〔珠〕光り輝く諸聖徒
一一八―一二〇
〔力〕地上に及ぼす影響
〔汝の光を害ふ烟〕木星の光即ち正義を塞ぐ罪特に貪慾
〔處〕ローマ(天、一七・四九―五一參照)
一二一―一二三
〔血〕異本、「休徴」(即ち奇蹟)
〔神殿〕寺院を指す
〔いま一たび〕キリストかつてイエルサレムの神殿より、その中にて賣買する者共を逐出し給へること聖書に見ゆ(マタイ、二一・一二以下等)
一二四―一二六
〔視る〕今地上より心の眼にて仰ぎ見る
〔天の軍人等〕木星天の諸靈
〔惡例〕法王僧侶等の
一二七―一二九
〔麺麭〕靈の糧即ち神恩。これを奪ひて戰ふは破門、懲戒を武器とし、その職權を惡用して不正の利得を貪るなり
一三〇―一三二
〔汝〕ダンテが『神曲』のこの部分を記しゝ時法王たりしヨハンネス二十二世(一三一六年より一三三四年まで法王たり)
〔消さんとて録す〕後取消して報酬を得ん爲に懲戒破門の令旨を發する
〔葡萄園〕寺院(天、一二・八六).身を殺して寺院の建設につとめし聖ペテロと聖パウロ(共にローマにおいて教へに殉ぜり)とは今も天堂に在りて汝の爲す所を見るを思へ
一三三―一三六
かく曰はゞ汝は答へむ、「我は洗禮者ジョヴァンニ(の像《かた》あるフィレンツェの金貨)を渇仰するのあまり、ピエートロをもパオロをも知らず」と
〔獨りにて〕荒野に(ルカ、一・八〇)
〔一踊のため〕ヘロディアス(ヘロデ)の娘の(マタイ、一四・一以下)
〔漁犬〕聖ペテロ
この語淨、二二・六三にも見ゆ、されどウェルギリウスは「人を漁《すなど》る者」(マルコ、一・一七)の意に用ゐ、こゝにてはペテロの繼承者たる法王の口よりいでゝ侮蔑の意を含む
〔ポロ〕Polo パオロ(Paolo)の俗用體にて、こゝにては「漁夫」と同じく特に敬意を缺くを表はす。(パオロはパウロ)
第十九曲
木星天の諸靈ダンテの爲に神の正義を論じかつ當時の王達の例を引きて名實相伴はざるキリスト教徒の罪を責む
一―三
〔象〕鷲の(天、一八・九七以下)
一〇―一二
〔その聲の〕嘴より出づる聲は鷲を象どれる凡ての靈の聲なれどもわれらといはずしてわれといふ、これ數多けれどもその言ふ所一なればなり
一三―一五
〔願ひに負けざる〕一切の願ひにまさる(天、三二・六一―三參照)
但し「願ひによりて獲得し難き」(天上の榮光はたゞ願ひ求むるのみにて得べからず、この願ひに適はしき善行によりて初めて得べし)と解する人あり
一六―一八
〔鑑〕storia 物語に殘る諸靈の善行
一九―二一
〔愛〕靈。神を愛するの愛に燃ゆ
二二―二四
〔薫〕聲。聖徒を花に譬へしがゆゑに斯く
二五―二七
〔斷食〕求知の念。この疑ひの何なるやはダンテ自ら言はず、諸聖徒の答の中に現はる(七〇行以下)
二八―三〇
〔他の王國〕寶座《フローニ》の名ある天使達(天、九・六一―三並びに註參照)。かの天使達は直接に神の光を受けてこれを他の天に傳ふるが故に金星の諸靈もよく神の正義を知ると聞く、されば正義の爲にこの天にある汝等にして神の正義を朧に見るの理あらんや
三四―三六
〔被物〕狩場への途中鷹が光を見て騷がざるためその首にかむらす革製の頭巾
〔翼を搏ち〕はたゝきして喜ぶこと
〔願〕飛立たんとする
三七―三九
〔讚美〕聖徒達。かれらは神恩の、生くる讚美即ちその尊さを表はすものなり(地、二・一〇三參照)
四〇―四二
〔宇宙の極に〕あたかもコムパスをもて圓を劃く如く宇宙の範圍を定め、われらの知る物知らざる物を遍くその内に分布し給へる神
四三―四五
神の力は全宇宙に及ぶ、されどいかなる被造物も完全無缺ならざるがゆゑにその受くる神の力に限度あり、かゝれば聖智(己が言)ははるかに一切の被造智に超越す
四六―四八
前聯の意を證明せん爲魔王ルチーフェロのことを擧ぐ
〔長〕淨、一二・二五―六參照
〔光を待たざる〕神恩の光に浴するの日を待たざる(天、二九・五五―六三參照)
〔熟まざる先に〕彼もし謙《へりくだ》りて光を待ちゐたらんには、その智増し、その意志備はりてよく神意と合するに至りしならむ、しかるに彼慢心の爲神に背き、意志の備はらざる先に天より墜ちたり、一切被造物の長たるルチーフェロにして猶その視力足らずとせば況んや他の被造物においてをや
四九―五一
〔己をもて己を量る〕神は至上の善にして他に類《たぐひ》なし、故に神を量るものはたゞ神のみ(よく神を知る者神の外になし)、何物も神に此し神を量る標準となる能はざれはなり
〔器あまりに小さき〕ルチーフェロにして猶かつ充分に神の善神の力を受けざりし事を思はゞその他の被造物がさらに少き善を受くるに過ぎざる事また明らかならむ
五二―五四
〔我等の視力〕われらの智。異本、「汝等の視力」(人智)
五五―五七
我等の智いかに力むともその自然の性としてこれが源なる神意を知るをえず、否知るに近しとさへいふをえず
〔己に見ゆるもの〕われらの智に映ずるところ。眞の聖意はわれらの智に映ずる聖意よりなほ遙に先にあり
五八―六〇
〔汝等の世の享くる視力〕人智
六四―六六
眞《まこと》の光眞の智はたゞ神より來る、その他の光は光と見ゆれど闇なり、即ち官能智を暗まし(肉の陰)または罪に走らしむ(その毒)
六七―六九
〔隱所〕人智の充全ならずして、奧妙なる神の定を窺ひ知る能はざること
七〇―七二
〔インド〕インドの西北を流るゝ河。インドの岸は異教のアジアを代表す
七九―八一
〔スパンナ〕「パルモ」(地、三一・六五)に同じ、約九吋
〔席〕法廷の
八二―八四
聖書なくば人神の正義を疑ふも宜なり、故に聖書あるにその教を信ぜずして疑ふは愚なり
〔聖書汝等の〕聖書嚴として汝等の上にあり、神の正義の疑ふべからざるを教ふ(默示録一六・七等)、もしこれなくば
〔我とともに事を〕meco s'assottiglia 我と(語り)勉めてその才を用ゐ(て神の正義を解せんとす)る
八五―八七
〔おのづから〕他の善を受けて善なるにあらざる
〔第一の意志〕神意
〔離れ〕神意は常に至善にして變ることなし
八八―九〇
〔凡て物の〕物の正しきと然らざるとはそが神意に適ふと適はざるとによりて知らる、神意に適ふこと正義の唯一の標準ならば神意の正しきは言ふまでもなし(『デ・モナルキア』二、二・五〇―六一參照)
〔造られし善の〕被造物の善まづ神意を動かすに非ず、謝意の放つ至善の光元となりて他の善生ず。たとへばキリストを知る民は知らざる民より福なれども是その民の徳にもとづきて知るに至れるならざる如し、その民にいかなる徳ありともこはすべて神より出でしものなればなり
以上、神の正義に關することは極めて深遠微妙にて人智のよく悟り得べき所にあらず、たゞ信仰により聖書の教へを信ぜよといひ、ダンテの疑ひを解かずして疑ひを起すの非なるを述べしなり(ロマ、九・二〇以下參照)
九四―九六
〔いと多き議に〕鷲を象れる諸靈の意志に。與へし者も受けし者も共に喜ぶ状《さま》を表はせり
一〇〇―一〇二
〔徴號〕鷲の象
〔聖靈の光る火〕愛に燃ゆる聖徒等
一〇三―一〇五
人信仰によらざれば救はれざるをいへり
〔前にも後にも〕キリスト以前にてはキリストの降臨すべきを信じ、その以後にては降臨せるキリストを信じ
一〇六―一〇八
以下一一四行まで、名ありて實なきキリスト教徒が異教能よりもかへつて罪深きを述ぶ
〔クリスト、クリストと〕マタイ傳七・二一以下參照
一〇九―一一一
〔エチオピア人〕異教徒を代表す
〔罪に定めむ〕マタイ傳二一・四一―二參照
〔二の群〕マタイ傳二五・三一以下參照
〔富み〕富むは神恩の裕かなるをいひ、貧しきはこれを缺くをいふ
一一二―一一四
〔汝等の王達〕キリスト教國の諸王
〔書〕審判の日に開かるゝ生命《いのち》の書《ふみ》(默示録二〇・一二)
〔ペルシア人〕異教徒を代表す
〔何をか〕いかなる非難の言葉をか
一一五―一一七
以下廣く例をキリスト教國の君主にとりて、かれらが專ら正義を施すべき地位にありながらかへつて憎むべき罪惡を行ふことを難ず
〔そこには〕かの書の中には
〔アルベルト〕皇帝アルブレヒト一世(淨、六・九七一九註參照)。一三〇四年軍をボヘミアに進め、その同士を蹂躙す
〔筆〕神の筆(生命の書に書き入るゝ)
〔プラーガの王國〕プラーグ。プラーガを首都とする王國即ちボヘミア
一一八―一二〇
〔者〕フランス王フィリップ四世(淨、七・一〇九―一一註參照)。嘗て獵場にあり、一匹の野猪その馬を突く、王地に倒れ、日ならずして死す(一三一四年)
〔貨幣〕フィアンドラとの戰ひの頃(淨、二〇・四六―八註參照)軍費に窮して粗惡なる貨幣を鑄造す
〔センナの邊〕セーヌ(センナ)河の流るゝ都即ちパリ。王こゝにかの貨幣を發し、民その禍ひを被れり
一二一―一二三
〔スコッランド人〕一三〇六年より同二九年までスコットランド王たりしロバート・ブルースの事ならむ
〔イギリス人〕イギリス王エドワード二世(一三〇七年より一三二七年まで王たり)の事ならむ。但しエドワードとロバート・ブルースとの爭ひは一三〇〇年より後の事なれば異説あり
〔渇〕領土の慾
一二四―一二六
〔スパニアの王〕カスティール王フェルナンド四世(一二九五年より一三一二年まで王たり)
〔ボエムメの王〕ヴェンチェスラウス四世(淨、七・一〇〇―一〇二並びに註參照)やボエムメはボヘミア。
一二七―一二九
〔跛者〕アプリア王シャルル二世(淨、二〇・七九―八一並びに註參照)。生來の不具者にてかつは名のみながらイエルサレムの王なりければ、嘲りてイエルサレムの跛者といへり
〔一のI〕かの生命の書に善をI(即ち一)と記し惡をM(即ち千)と記す、惡ありて善なきを表はせるなり
但しこの一の善をシャルルの物惜みせぬこと(天、八・八二―四並びに註參照)と解する人あり、疑はし
一三〇―一三二
〔火の島〕シケリア。名高きエートナの火山あるによりてかく。『アエネイス』によれはアエネアスの父アンキセスはこの島の西海岸の町なるトラパーニ(古名 Drepanum)にて死せり(三・七〇七以下)
〔治むる者〕シケリア王フェデリコ二世(淨、七・一一八―二〇參照)シャルル・ダンシューと長くシケリアの主權を爭ひゐたりしが一三〇二年賤むべき契約の下にこれと和してその女を娶れり
皇帝ハインリヒ七世の死後フェデリコは勤王派の望みを負ひてピサの主權を希、ギベルリニの首領たらんとせしも、かしこに到るに及び、かの徒黨をば共に事を爲すに足らずとして棄てたり、ダンテも彼に望みを囑せる一人なればかゝる卑しき行爲を見てこれを憎むの念愈
甚だしかりしならむ(ムーアの『ダンテ研究』第二卷二九八頁以下參照)
一三三―一三五
かゝる小人の罪業を一々生命の書に録して、徒に場所を塞ぐことなからむ
一三六―一三八
〔叔父〕フリートリヒの叔父にてバレアロス諸島イスパニアの王なるハイメ(一二四三―一三一一年)
〔兄弟〕アラゴン王ハイメ(ヤーコモ)(淨、七・一一八―二〇並びに註參照)。二の冠はバレアロスとアラゴンの王冠
一三九―一四一
〔ポルトガルロの王〕ディオニシオ(一二七九年より一三二五年まで王たり)。貪婪の風評《うはさ》ありし者。ポルトガルロはポルトガル。
〔ノルヴェジアの王〕ハーコン七世(一二九九年より一三一九年まで王たり)。ノルヴェジアはノルウェー。
〔ラシアの王〕ラシア(近代のセルヴィアの一部なる中古の王國)王ステファーノ・ウーロス二世(一三〇七年死)
〔貸幣を見〕ヴェネーツィア(ヴェネージア)の貨幣を見てこれを模造し、汚名を殘すにいたれる意
一四二―一四四
〔ウンガリア〕一二九〇年カール・マルテル、ハンガリアの王冠を受けしも實際に政治を行へる者はアンドレア三世(一三〇一年死)なりき(天、八・三一―三註參照)、一三〇一年にいたりマルテルの子ロベルト(一三四二年死)王位を繼げり、アンドレアは良王なればこゝに重ねてといひてその以前の諸王の惡しかりしを示せるなり。ウンガリアはハンガリア。
〔ナヴァルラ〕ナヴァールもしその北方を圍むピレネイ諸山を固めとしてフランスの軛を防がば福ならむ
ナヴァール王アンリ一世の女ジョヴァンナ父についで王國を治め、一二八四年フィリップ四世に嫁して後も猶自らこれを治めしが、一三〇四年その死するやその子ルイこれを繼ぎルイ、フランス王(ルイ十世)となるに及びてこの國フランス王家に歸せり
一四五―一四八
〔この事の〕ナヴァールについていへる事(即ち自國を固めてフランス王の侵入を防ぐべきこと)の眞なるを豫め知らしむる例として
〔ニコシアとファマゴスタ〕キュプロス島の二都。一三〇〇年の頃フランスのアンリー二世ルニジアーノ家のキュプロス王としてこゝに虐政を布く。獸とは即ちこの王の事なり
〔他の〕こゝに掲げし如き他のキリスト教國の諸王とその歩調を倶にして同じく惡を行ふ
第二十曲
第六天の鷲その目に輝く六の靈の誰なりしやをダンテに告げ、かつその中なるトラヤヌス及びリフェオの救ひに關してダンテの懷ける疑ひを解き、永遠變らざる神の定のはるかに人智に超ゆるを述ぶ
四―六
〔一の光〕日光。諸星はいづれも太陽の光を受けて輝くといふ昔の學説に從へるなり(『コンヴィヴィオ』二・一四・一二四―六參照)
七―九
〔導者達〕帝王等
〔徴號〕即ち鷲
〔わが心に〕太陽沒して諸星輝くを鷲默して諸靈歌ふにたとへたり
一三―一五
〔微笑の衣を纏ふ〕法悦の光に包まるゝ
〔愛〕神を愛するの愛 この愛諸靈を悦の光に包むなり
〔笛〕歌ふ諸靈。吹入るゝ息《いき》によりて笛が美音を發する如く、神の愛聖なる思ひを動かして諸靈に歌をうたはしむ
異本、〔火衣〕
一六―一八
〔第六の光〕木星。これを飾る珠は即ち諸靈
一九―二一
〔源〕原、「頂」(即ち山の高處《たかみ》にある源)
二二―二四
絃《いと》を壓《お》す左手の指頭の變化によりて琵琶の音に曲節生じ、歌口より吹入るゝ風が孔の開閉によりて篳篥の音に曲節を與ふる如く
二八―三〇
〔わがこれを〕こはわが聞かんと願ひゐたりし言葉なれば我よくこれを心に記して忘れじとの意
三一―三三
〔一部〕即ち目
〔地上の〕原、「死すべき」(天上の鷲の不死なるに對して)
〔日輪に堪ふる〕天、一・四八並びに註參照
三四―三六
〔形〕鷲の
〔火〕輝く諸聖徒
〔凡ての位〕同じく鷲を象どる諸靈の中にてもその尊さに差別あるを示す
三七―三九
〔聖靈の歌人〕イスラエル王ダヴィデ(淨、一〇・五五以下參照)。神の靈感によりて歌ひたれば「聖靈の」といへり
〔匱〕神の匱。ダヴィデこれをアビナダブの家よりオベド・エドムの家に移し後又これをイエルサレムに移せり(サムエル後、六・一以下)
四〇―四二
〔己が思ひより〕ダヴィデの詩は王自身の思ひ(自由意志)と靈感とより成る、前者の徳は王に歸し後者の徳は聖靈に歸す
四三―四五
〔嘴にいと近き〕皇帝トラヤヌス
一寡婦の請を容れてその子の爲に復讎を約しゝ事前に出づ(淨、一〇・七三―九三)
四六―四八
〔この麗しき〕天堂の幸福と地獄の苦痛とをともに經驗し、キリストを信ぜざる者がいかなる憂目を地獄に見るに至るやを知る
トラヤヌスがグレゴーリウスの祈りの功徳によりて地獄の苦を脱しゝ事に就ては一〇六行以下及び淨、一〇・七三以下並びに註參照
四九―五一
〔圓〕四三行の「輪」
〔彼に續くは〕ユダ王ヒゼキヤ。病みてまさに死せんとせし時神に祈り求めしかば神即ちこれに十五年の齡を加へ給ひたり(列王下、二〇・一―七等)
〔眞の悔〕註釋者の曰へる如く、恐らくはダンテの記憶の誤りならむ、歴代下(三二・二六)に王その心の高慢《たかぶり》を改めて身を卑《ひく》くしたりとあれど、こは死を延べし後の事なればなり
五二―五四
〔永遠の審判に〕神眞實の祈を嘉納し、けふと定めしことをあすに延べ給ふともその審判その正義は依然として變らじ(淨、六・二八―三九參照)
五五―五七
〔次なる者〕皇帝コンスタンティヌス一世(地、一九・一一五―七並びに註參照)
〔牧者に讓らんとて〕ローマの領地を法王シルヴェステル一世にさゝげんとて
〔律法及び我〕律法と鷲(武)とをギリシア化するは、ローマ帝國の首都をビザンティウム(ギリシア人の建設せる)に移し文武の諸權を彼地より出づるにいたらしむるなり(天、六・一―三並びに註參照)
〔己を〕皇帝自らビザンティウムに赴けること
五八―六〇
〔世を亡ぼす〕ダンテ思へらく、遷都と寺院の富とはローマ帝國の衰頽を來し、ひいて全人類の不幸を招くにいたれりと
六一―六三
〔グリエルモ〕シケリア及びアプリアの王グリエルモ二世(一一五四―一一八九年)。一一六六年王位に即きて善政を布く
〔カルロ〕アプリア王シャルル二世(天、一九・一二七―九參照)
〔フェデリーゴ〕シケリア王フェデリコ二世(天、一九・一三〇―三五參照)
六七―六九
〔リフェオ〕リペウス。トロイア陷落の際ギリシア軍と戰ひて死せる勇士の名
リペウスの事たゞ『アエネイス』(二・三三九、三九四、四二六―七)に見ゆるのみ、アエネアスがトロイアの軍話《いくさばなし》をディドになしゝ言葉の中に「リペウスもまた倒る、彼はトロイア人《びと》の中にていと正しくいと直き者なりき」(二・四二六―七)とあり
〔誰か信ぜむ〕異教時代のリペウスが救ひを得て天にあらんとは
七六―七八
〔永遠の悦び〕神
〔これが願ふところに〕神意に從つて萬物は皆そのある如くなる(即ち神がかゝる物たらしめんと思ひ給ふ如くなる)にいたる
〔像〕鷲。鷲は神意にもとづく帝國の象徴なれば特に神の御手の印影《かた》をとゞむ(天、七・六七―九參照)といへり。かの鷲の默せるは、雲雀の己が歌に滿足して默す如く、これらの詞に滿足したるよりならむとの意
七九―八一
〔かしこにては〕ダンテの言葉を俟たずして、諸聖徒よくその疑ひの何なるやを知りしかど
八二―八四
〔これらの事〕わが見かつ聞きし事、即ち異教徒なるべきトラヤヌスとリペウスとが救はれて天にある事
九四―九六
〔熱き愛及び〕燃ゆる愛と強き希望とは(これなくば永遠の罰を受くべき者にありても)聖旨を動かし、これを有する者をして天堂の福を奪取することをえしむ
〔侵さる〕violenza pate マタイ傳一一・一二(ヴルガータの)に vim patitur とあるによれり
九七―九九
愛と望み聖旨に勝つは人が人に勝つ如く、強をもて弱を制するに非ず、聖旨自らその仁慈《いつくしみ》によりて勝たれんと願ひ給ふが故なり、さればこれが負くるはとりもなほさずその愛の勝つなり
一〇〇―一〇二
〔生命〕靈
〔天使の國〕天堂
一〇三―一〇五
〔彼は〕リペウスはキリストの降誕以前にありて救世主の贖ひあるべき事を信じ、トラヤヌスはその以後にありてかの贖ひありしことを信ぜり
〔痛むべき足〕釘にて十字架に打付けらるべき足。キリストの受難
一〇六―一〇八
〔一者〕トラヤヌスの靈
〔善意に戻る者なき〕地獄には改悔なし
〔生くる望〕グレゴリウスの。神は必ずその祈りを聽き給ふと固く信じて疑はざりしこと
一〇九―一一一
〔移るを〕改悔と信仰とに(地獄にては移る能はじ)
一一二―一二四
〔助くるをうるもの〕キリスト
一一八―一二〇
〔一者〕リペウス
〔泉〕神
一二一―一二三
〔神彼の目を開き〕リペウスの救ひに關することは皆ダンテの創意より出づ、但し野蠻の民と雖もその理性の聲に聽從する時、神恩これを救ひの道に導くことは當時の寺院の教へにあり
一二七―一二九
〔みたりの淑女〕凱旋車の右の輪の邊《ほとり》に立てるみたりの淑女、即ち教理の三徳なる信、望、愛(淨、二九・一二一以下)
〔一千年餘〕中古の記録に從へばトロイアの陷落は紀元前一一八四年の事なりといふ
〔彼の洗禮〕トマス・アクイナスの所謂改悔の洗禮 baptismus paenitentiae. リペウスは洗禮を受けざりしもこれに代るべき信仰と希望と愛とを有せり
一三〇―一三二
〔永遠の定〕predestinazion 人の救ひについて神の豫め定め給へること
〔第一の原因〕神
〔目〕人智
〔汝の根〕即ち神の定の原因《もと》
一三三―一三五
〔凡ての選ばれし者〕救はれて天上の福を享くる者の數。神の永遠の定の秘義
一三六―一三八
神の聖旨《みむね》とわれらの思ひと一致するはわれらの福を増しこれを全うする所以なり、故にわれら神の定の奧義を知らざれどもこは知らしめじとの聖旨より出づることなればわれらは知らざるに滿足して知らんと願ふことあらじ
一三九―一四一
〔神の象〕神のゑがき給へる鷲(天、一八・一〇九參照)
一四五―一四八
〔光〕トラヤヌスとリペウスの。焔を動かすは鷲の言葉がかれらの意と合するを表はすなり
〔瞬く〕二の光を二の目にたとへその運動の全く同じきを表はせり
第二十一曲
ダンテ導かれて第七天(土星天)にいたればこゝには一の金色の梯子を降る多くの靈(默想者)あり、その一聖ピエートロ・ダミアーノ詩人に近づきてこれが問に答ふ
四―六
〔セーメレ〕テバイ王カドモスの女。ジュノネの怨みを受け、これに欺かれてゼウスの榮光を見んと願ひ、見るに及びてその身燃ゆ(『メタモルフォセス』三・二五三以下及び地、三〇・一―三註參照)
七―九
〔宮殿の階〕諸天。これを傳ひてエムピレオの天(宮殿)にいたる
〔汝の見し〕天、五・九四以下、八・一三以下等
一〇―一二
〔力〕視力、即ち智力(比喩的に)
一三―一五
〔燃ゆる獅子の〕一三〇〇年四月の頃土星は獅子宮にありしなり
〔その力とまじり〕土星の影響は獅子宮の星の影響と混りてわが下界に及ぶ
註釋者曰く。獅子宮は猛獸に因みて熱さを表はし、土星は寒さをあらはす(淨、一九・一―三註參照)、冷熱相混じ相調節してその影響温和なりと
又曰く。土星は冷かなり、ゆゑに人を冷靜ならしめ、沈鬱ならしめ、これを瞑想に導くにいたると
一六―一八
〔かれら〕即ち汝の雙の目
〔この鏡〕土星、日光を受けて輝くがゆゑにかくいふ
一九―二一
ベアトリーチェの命に從ひわれ目を淑女より樹梯《はしだて》に移さんとせしその刹那、わが目がいかなる悦びを淑女のたふとき姿によりてえたりしや、これを知る者は
二二―二四
〔彼方と此方とを〕命に從ふの悦びと淑女を見るの喜びとを。ベアトリーチェを見るの悦びたとへん方なく大なるに、この大なる悦びをも棄てゝ目を他に移しゝことを思はゞ、命に從ふの悦びのいかに大なりしやを知らむ
二五―二七
〔その名立る導者〕世界の名立たる君主、即ち黄金時代のサトルノ王(地、一四・九四―六並びに註參照)
〔水晶〕土星《サトウルノ》。星の名かの王の名より來るがゆゑに「名を負ふ」といへり、金星の名の事これに類す(天、八・一〇―一二)
二八―三〇
〔樹梯〕諸靈が梯子を昇降するは心默想によりて神のみもとに達するを示す、創世記の古事によれり(天、二二・七〇以下並びに註參照)
三一―三三
〔光〕默想によりて徳より徳に進める魂
〔一切の光〕すべての星
四〇―四二
梯子を降る聖徒等はとある段に達すれば、別れ/\になりて或ひは昇り或ひは降り或ひはそこに止まるなり
四三―四五
〔我よく〕我は汝の光の増すにより、汝が愛をもて我と語りわが疑ひを解かんとするを知る
四六―四八
〔身を動かす〕言葉身振等にて示す但しこの一聯の主なる動詞原文にてはすべて現在なれば、これを他の文にあらずしてダンテの心の中の言葉の續と見る人あり
四九―五一
〔者〕神
五五―五七
〔己が悦びの〕己が悦びの先に包まるゝ尊き靈よ
五八―六〇
〔響く〕天、三・一二一―二、七・一―五、八・二八―三〇等
六七―六九
〔愛の優る〕わが侶等に
〔優るか〕この梯子にあらはるゝ聖徒達はいづれもその愛の我にまさるかさらずも我と等しき者のみにて、劣る者あらざればなり
七〇―七二
聖徒の爲す事はみな神の聖旨《みむね》によりて定まるを述ぶ
〔疾き僕〕喜びて(聖旨に)從ふ者
〔尊き愛〕神を愛するの愛
〔鬮を頒つ〕各自にその爲すべき役《つとめ》を割當つ。神を愛するによりてその定むる役を知り、喜びてこれを行ふなり
七三―七五
〔自由の愛〕神の命じ給ふを待たず、己が衷なる神の愛に動かされて各
その役を知りかつこれを行ふこと
七九―八一
〔碾石〕の如くめぐりて喜びを現はすなり、碾石《ひきうす》の譬へ前にもいづ(天、一二・三)
八二―八四
〔愛〕神の愛に燃ゆる魂
八五―八七
〔わが視力〕人は己が智力のみによりて光の源なる神を知るをえざるなり
八八―九〇
われ神を見ること明らかなればわが焔もまたこれた準じて燦かなり(天、一四・四〇―四二參照)、知るべし、わが光となる悦びは神を成るにもとづくを
九一―九三
われらかく神を成れどもわれらの中の、否天使の中のいとすぐるゝ者さへ聖意の奧を知り難し
〔セラフィーノ〕天、四・二八―三〇並びに註參照
九七―九九
〔かゝる目的に〕かく奧深き事を敢てまた究めんと力むることなからしむべし
一〇〇―一〇二
〔こゝにては〕天にては被造物の智神の光を受けて光れど地にては迷ひまた誤りの爲に暗む
〔天に容れられてさへ〕被造物の智は天に入りて後にさへかの秘義を悟りえざるに未だ地にある時に當りて何ぞこれをさとりえむ、換言すれば、天上の聖徒すらかゝる事を解しえざるに地上の人いかでこれを解しえんや
一〇六―一〇八
〔二の岸〕アドリアティコとティルレーノとの兩海岸
〔岩〕山、即ち中部アペンニノ連山を指す
一〇九―一一一
〔カートリア〕アペンニノに連なる一山にてグッビオとラ・ベルゴラの間にあり山腹に「カマルドリ」派に屬する一僧院(庵)ありき、「サンタ・クローチェ・ディ・フォンテ・アヴェルラーナ」即ち是なり、傳へ曰ふ、ダンテは一三一四年の頃足をこの僧院に止めしことありと
一一五―一一七
〔橄欖の液の〕橄欖の油のみにて味をつけし食物、即ち精進物
一一八―一二〇
道心堅固の者のみゐたるかの僧院は多くの魂をこれらの天に送りたりしに今や腐敗してこの事なし、しかしてその腐敗せる状態《ありさま》は神必ず刑罰によりて顯はし給はむ。但し神罰の何なりしやは明らかならず
一二一―一二三
〔ピエートロ・ダミアーノ〕ペトルス・ダミアーニ。名高き神學者、一〇〇七年頃ラヴェンナの貧家に生れ、その兄ダミアーノの厚意によりて學を終ふ(彼が自らピエートロ・ダミアーノと呼べるはこの恩を思ひてなり)、年三十にしてフォンテ・アヴェルラーナ僧院に遁れ、やがて選ばれて院主となる、一〇五八年オスティアの僧正兼カルディナレに任ぜられしも幾何もなく辭して再び僧院に歸り、一〇七二年ファーエンツァに死す、高徳大智の名僧にて神學に關する著作多し、ピエートロ・ペッカトレ(罪人ピエートロ)とはその自ら謙りて呼べる名なりといふ
〔われらの淑女の家〕僧院。註釋者曰く、こはコマッキオ(ラヴェンナの北)附近なる聖マリア・ポムポーザの僧院を指せるものにて、ピエートロ未だ一僧侶なりし時アヴェルラーナの院主の請ひによりかしこに行きて二年《とせ》ばかり止まりゐたることありと
但しピエートロはその後年にいたりてもなほペッカトレの名を用ゐしこと明らかなればこの一聯に就て異説甚だ多し、いづれも難あり。スカルタッツィニは一二二行の前半を後半と別ちて「かしこにて我はピエートロ・ダミアーノまたピエートロ・ペッカトレといひき、我またアドリアティコの岸なるわれらの淑女の家にありしことあり」と讀めり、この解最も難なし、されど聲調の自然をそこなふ
一二四―一二六
〔帽〕カルディナレの帽
〔傳へらるゝ〕高位の僧となる人物が次第に劣りゆくをいふ
一二七―一二九
以下一三五行まで前聯の末行に因みて僧官の奢侈を難す
〔チエファス〕(ケパ)、使徒ペテロ(ヨハネ、一・四二)
〔聖靈の大いなる器〕使徒パウロ、地、二・二八に「選《えらび》の器《うつは》」といへるもの
〔いかなる宿の〕ルカ、一〇・七參照
一三〇―一三二
〔己を〕今の僧官等は美食安佚によりてその身肥え、人の助けを借らざれは歩を運ぶ能はず、かつまた人に誇らん爲その裳裾を長くし特にこれをかゝぐる人を用ゐるにいたる
一三三―一三五
〔表衣にて〕またその表衣《うはぎ》は長く廣くして己が乘馬を蔽ふ、これ一枚の表衣(皮)をもて二匹の獸(僧と馬)を包むなり
〔何の忍耐ぞ〕神の忍耐はいかに大いなる哉
一三六―一三八
〔いよ/\美しく〕ペトルス・ダミアーニの義憤の言を聞きてこれに同感を表するなり
一四二
〔雷〕強き響き
第二十二曲
聖ベネデクトゥスがその開山の昔を語りかつ今の僧侶の腐敗を歎くを聞きて後、ダンテはベアトリーチェと共に第八天(恒星天)にいたり、七遊星と地球とを俯瞰す
一―三
〔恃處〕母(淨、三〇・四三―五參照)
一〇―一二
〔歌〕天、二一・五八以下參照
〔笑〕天、二一・四以下參照
一三―一五
〔刑罰〕牧者等の腐敗に對する神罰。恐らくはダンテの信仰にもとづく豫言にて、ボニファキウス八世の受難(淨、二〇・八五以下參照)。もしくほアヴィニオンに移れる(淨、三二・一五七以下參照)後の法王廳の屈辱等を特に指せるにはあらじ
一六―一八
〔望みつゝ〕天罰の他人に下らんことを願ふ者はその下るを遲しとし、己に下らんことを恐るゝ者はこれを速しとす
二二―二四
〔球〕光の球、即ち光に包まるゝ諸聖徒
二五―二七
〔過ぐるを〕問ふことの多きに過ぐるを
二八―三〇
〔眞珠〕輝く聖徒等
〔わが願ひ〕かの聖徒等の誤なるやを知らんと欲する願ひ
三一―三三
〔汝の思ひを〕汝の問がわれらの累とならざるを知り安んじて心の願ひを言現はさむ
三四―三六
〔たふとき目的〕神の御許《みもと》にいたる事
〔我〕聖ベネデクトゥス。四八〇年ウムブリア州のノルチアに生る、若年にして遁世し、スピアーコ(ローマの東)附近の岩窟に隱れ僅に一僧の布施を受けつゝ修すること年あり、その徳世に知られ弟子多くその許に集るに及びて十二の僧院を建つ、五二八年カーシーノ山(或ひはカッシーノ、ローマとナポリの中間にあり)に赴きアポロン(アポルロ)の宮殿を毀ちてベネデクトゥス派の僧院を起し、五四三年に死す
三七―三九
〔カッシーノ〕同じ名の山の側面にある小さき町
〔迷へる曲める人〕異教徒。アポロンを拜せんとて登山せり
四〇―四二
〔者〕キリスト、即ち福音の眞理を世人に齎し示せるもの
四六―四八
〔花と實〕思ひと行ひ
〔熱〕神を愛するの愛
四九―五一
〔マッカリオ〕聖マカリウス(四〇五年死)。アレクサンドレイアの人にて聖アントニウスの弟子なり、東方僧院の法規を定め、多くの隱者を統管す
カーシーニその他の説に據れり、異説或ひは同じくアントニウスの弟子なるエヂプト人マカリウス(三九一年死)を指すとし、或ひはダンテこれとアレクサンドレイアのマカリクスとを區別せざりしならんともいふ
〔ロモアルド〕聖ロムアルドゥス(一〇二七年死)。ラヴェンナの貴族オネスティ家の出、トスカーナなるカマルドリ僧院(淨、五・九四―六並びに註參照)の建設者にてカマルドリ派(ベネデクトゥス派の分派)の開祖なり
〔わが兄弟達〕ベネデクトゥス派の僧侶等
五二―五四
〔好き〕光によりて愛を現はす
五八―六〇
〔顯に〕隱す光なくして
六一―六三
〔最後の球〕エムピレオの天。ダンテがかの天にて聖ベネデクトゥスの姿を見しこと後に出づ(天、三二・三五)
〔わが願ひ〕ありのまゝの姿を示してダンテの望みを遂げしめんとの願ひをも含む
〔他の〕他の聖徒達の
六四―六六
〔備はり〕註釋者曰く。備はるは神を目的《めあて》とすればなり、熟するは諸聖徒各自の善根によりて善果を得る時至ればなり、圓なるは願ひ悉く神に容れられ缺くる處なければなりと
〔かの球に〕エムピレオの天は他の諸天と異りて不動なれば、その各部決して位置を變ふることなし
六七―六九
〔場所〕かの天は他の諸天と異りて空間に超越す、またかれらの如く軸ありて轉るにあらず
エムピレオの天については『コンヴィヴィオ』二、四・一三以下參照
七〇―七二
〔ヤコブ〕ヤコブがベテルにて夢に一の梯子を見しこと創世記に出づ、「見よ地に立てる一の梯子あり、その頂天に達し神の使者《つかひ》達昇降《のぼりくだり》す、また見よ主その上に立ち給ふ」云々(創世、二八・一二―一三)
七三―七五
〔これに登らんとて〕世の雜念を棄てゝ思ひを天に寄する者なし
〔わが制は〕ベネデクトゥス派の法規はたゞ徒に紙を費して寫し傳へらるゝのみ、守る者なし
異本、「紙を損はんがために世に殘るのみ」
七六―七八
善人の住む習ひなりし僧院は惡人の巣となり、不徳の輩《ともがら》身に法衣を纏ふ
七九―八一
〔高利〕高利を貪ることの神意に背くは既にいへり(地、一一・九一以下參照)
〔果〕寺の收入。これを貪りこれを私する僧侶の罪は高利を貪る罪にもまさる
八二―八四
〔民〕神の愛に訴へて施を求むる者即ち貧民
〔親戚または〕僧侶の親戚またはその妾婦等
八五―八七
〔善く始め〕たとへば僧院の如く、その建設の始めに於ては人よく法を守れども久しからずして破るにいたる
八八―九〇
〔ピエル〕使徒ペテロ(ピエートロ)は貧に安んじて福音宣傳の基を開き
〔金銀なきに〕ペテロが一跛者にむかひて「金銀は我になし」といへる(使徒、三・六)によれり
〔集〕convento その派の僧侶のみならず凡てこれに從ひその教の果を摘みて善に向ふ者の一團を指す(パッセリーニ)
九一―九三
汝先づ三者の事業をその始めに溯りて見、後この事業が彼等の末流の腐敗墮落によりていかなる状態となれるやを見ば善の惡に變れるを知らむ
九四―九六
僧侶等かく墮落して昔の面影を止めざれども、神の救ひの御手によりて再び徳に歸るの望みなきにあらず、またたとひこの事ありとも舊史に殘る奇蹟の如く不思議とすべきにあらざるなり
〔ヨルダン〕イスラエルの民をして渉らしめんため、この河の水逆流す(ヨシュア、三・一四以下)
〔海の〕紅海の水の分れしこと(淨、一八・一三三―五並びに註參照)
九七―九九
〔旋風の如く〕|
《めぐ》りつゝ
一〇〇―一〇二
〔自然〕即ち肉體の重さ
一〇三―一〇五
〔自然に從ふ〕物質の力にのみよる
一〇六―一〇八
〔願はくは〕事の眞なるを表はす爲に用ゐらる。かの凱旋にわが歸るをえんと願ふその願ひの眞《まこと》なるごとく、かの雙兒宮を見るとその内に入ると同時なりしは眞なり
〔聖なる凱旋〕天上永遠の福
一〇九―一一一
〔天宮〕雙兒宮。ダンテは第八天即ち恒星天に達しその十二宮の一なる雙兒宮に入りしなり
一一二―一一四
以下一二三行まで、ダンテは己と雙兒宮の星と因縁淺からざる次第を述べてこれが助けを求む
〔大いなる力〕雙兒宮の星はその下界に及ぼす影響によりて詩才や學才を啓發すとの古説あり、ダンテはこれらの星の影響の下に生れしがゆゑにその才をかの星の光に歸すといへるなり
一一五―一一七
わが生れし時太陽は雙兒宮にありき
注釋者曰く。一二六五年には五月十八日より六月十七日まで太陽雙兒宮にありき、故にダンテの生れし日はこの二つの時の間にありと(スカルタッツィニ註參照)
なほその日を五月の末となす説についてはスカルタッツィニ註第四卷(プロレゴメーニ)二四頁及びムーアの『ダンテ研究』第三卷五五―六頁參照
〔父なる者〕太陽。不滅の生命(人の魂)は神の直接に造り給ふものなれば滅ぶる生命の父といふ
一一八―一二〇
〔貴き天〕恒星天
一二一―一二三
〔己が許に引く〕難所が魂を引くとはダンテをしてその心を悉くこゝに集めしむるをいふ
〔難所〕天堂の旗の殘の部分即ち特に崇高にして敍し難きところ
一二四―一二六
〔救ひ〕或ひは福。終極の救ひは神なり(詩篇二七・一)
一二七―一二九
〔これに入らざる〕神の御許にいたらざる
一三〇―一三二
〔凱旋の群集〕キリストの凱旋に列る群集(天、二三・一九以下)
〔天〕etetra(精氣、轉じて天)
〔樂しみ極まる〕天上高き處にありて親しくその靈光に接し、さらに俯瞰して下界の眞相を識別す、故に心眼いよ/\瞭かに(雜念を離れ)いよ/\鋭し(徹底す)、人茲に到りて初めてよく至上の光を仰ぐを得む、樂しみ豈大いならずや
一三三―一三五
〔わが球〕原、「この球」。地球
一三六―一三八
〔他の物に〕天界の事物に
一三九―一四一
〔ラートナの女〕月(淨、二〇・一三〇―三二並びに註參照)
〔影〕ダンテは月の地球に面せざる部分を見たるなり、月面の明暗は月天の天使の力と月本來の力との結合によりて定まるが故にこの天使がその力を及ぼす部分即ち月の地球に面する部分にのみ斑點ありて、その力を受くる部分即ち面せざる部分にはなし
〔粗あり〕天、二・五八―六〇參照
一四二―一四四
〔イペリオネ〕太陽の父。ウラヌスと地《ゲー》の間の子
ダンテはオウィディウスがその『メタモルフォセス』第四卷(一九二、二四一)に太陽を指してイペリオネの子といへるに據れり
〔マイアとディオネ〕水星と金星。いづれも母によりて子を表はせり
マイアはアトランテ神の女にてメルクリウス(水星)の母(『メタモルフォセス』一・六六九―七〇等)、ディオネはヴェーネレ(金星)の母(天、八・七―九並びに參照)
一四五―一四七
〔父〕ジョーヴェ(木星)の父サトゥルノ(土星)
〔子〕ジョーヴェの子マルテ(火星)
〔和ぐる〕火星の暑さと土星の寒さとを(天、一八・六七―九並びに註參照)
〔處をば變ふる次第〕この三つの星が或る時は太陽に近よりて見え或る時はこれより遠ざかりて見ゆる理由。運行の工合
一四八―一五一
〔住處の隔たるさま〕星と星との間の距離
一五一―一五三
〔めぐれる間に〕即ちダンテが雙兒宮にありし間に
〔小さき麥場〕人の世界。狹きによりてかく言へり、人この小さき麥場《うちば》に住みつゝ利慾の爲に相爭ふ
〔山より河口〕複數、おしなべていへるなり
〔悉く〕果《はて》より果にいたるまで。但しダンテが俯瞰したるその刹那にかく悉く現はれしならず、太陽イエルサレムの子午線にありてダンテまた太陽とともに白羊宮にあるに非ざれば全地を視るをえざればなり(天、二七・八五―七註參照)
この一聯かく解するも猶多少の困難あり、故に或人はこれを理想の眺望即ちダンテが全地を一望の下に視たる意に解し、またトーザー氏は tutta を全部の意に非ずして巨細にの意なりとす
一五四
〔美しき目〕ベアトリーチェの
第二十三曲
ダンテ第八天にてキリストの凱旋を見る
一〇―一二
〔ところ〕正午の太陽のある處に當る天。太陽子午線を過ぐる時はその運行特に遲しと見ゆ(淨、三三・一〇三―五並びに註參照)
一三―一五
〔願ひに物を求め〕切に或物を得んと願ひ、未だ得ざれど、得るの望み充分なればその望みにて滿足する人の如く
一九―二一
〔凱旋の軍〕キリストの血によりて救はれし聖徒等
〔一切の實〕キリストの凱旋に列る諸聖徒は、諸天の善き影響をうけ(「これらの球の
轉によりて」)て徳に進み救ひを得るにいたれる者なればこの影響の果《み》に當る
二五―二七
〔トリヴィア〕月。ディアナ(月)の異名
〔ニンフェ〕諸
の星(淨、三一・一〇六參照)
二八―三〇
〔燈火〕諸聖徒
〔日輪〕キリスト
〔わが日輪の〕星は皆太陽の光をうけて輝く(天、二〇・四―六並びに註參照)
〔星〕viste superne(上方に見ゆる物)
三一―三三
〔光る者〕キリスト
〔その生くる光〕己の射放つ強き光
三四―三六
〔防ぐに術なき〕いかなる目もよくこれに堪ふるをえざる力なり。神の力は萬物に勝つ
三七―三九
〔天地の間の路〕人が天に登るの路
〔いと久しく〕淨、一〇・三四―六並びに註參照
〔知者と力〕神の力神の知惠なるキリスト(コリント前、一・二四參照)
四〇―四二
〔火〕電光
〔性〕火炎界に向つて昇るべき本來の性質(天、一・一三〇―三五參照)
四三―四五
わが心は天上の歡樂の爲にひろがりて己(心)を離れ(法悦の爲に意識を失ひ)たればその當時の心の状態を心自ら記憶せず
四六―四八
ベアトリーチェの笑顏を見るをえざりしダンテも(天、二一・四以下參照)、キリストの凱旋を見るに及びて視力増し、これを視るをうるにいたれり
四九―五四
〔書〕記憶の書《ふみ》
〔忘れし夢〕四七行の「諸
の物」に當る。心に殘る印象(喜びや悲しみの)によりて夢の何なりしやを思ひ浮べんとすれども能はざる(天、三三・五八―六〇參照)人の如く、ダンテは心の悦びを辿りてかの凱旋軍の偉觀を思ひ浮べんとせしかど能はざりき
五五―五七
〔ポリンニア〕ムーサイの一にて聖詩を司る神
(姉妹達〕他の八柱の神々
〔乳〕淨、二二・一〇一―二にホメロスを指して「ムーゼより最も多く乳を吸ひしギリシア人」といへり
〔諸
の舌今〕詩人等悉くその歌をもて今我を助くとも
五八―六〇
〔聖なる姿〕ベアトリーチェ自身の
この項異本に「そをいかばかり聖なる姿(即ちキリストの)の燦かにせしやを」とあり
六一―六三
天堂を敍するにあたり、言葉の及ぶ能はざる事物を省略して筆を進むることあたかも行人が小川や溝のその道を横切るを見これを跳越えて進み行く如し
〔聖なる詩〕材を聖なる事物に取れる詩
六七―六九
船は才なり、海路は詩材なり、これをわけゆくは歌ふなり(天、二・一―七參照)
七〇―七二
〔園〕聖徒の群
七三―七五
〔薔薇〕聖母マリア。寺院の祈祷文に聖母を指して Rosa mystica(奇《く》しき薔薇)といへり
〔神の言〕キリスト(ヨハネ、一・一四)
〔百合〕使徒達。即ち自ら例を示し福音を宣傳して人を正道に導ける者
七六―七八
〔弱き眼の戰〕弱き視力をもて強き光を視ること
七九―八一
〔陰〕雲の投ぐる。身陰にあるがゆゑに日は見えねどその光に照さるゝ處見ゆ
八二―八四
〔本〕キリスト
八五―八七
〔印影を捺す〕光を注ぐ
〔慈愛の力〕キリスト
〔力足らざる目に〕ダンテの視力猶足らずして未だキリストを見るをえざれば、キリスト自ら高く昇りてたゞその光の聖徒を照らすさまを見しむ
八八―九〇
〔花〕薔薇(七三行)
〔生くる星〕強く輝く星即ちマリア
〔質と量〕光の燦かさと大きさ
九四―九六
〔燈火〕天使ガブリエル。神子の降臨を告げ知らせんとてマリアの許に來れる天使なれば(淨、一〇・三四以下參照)。今また聖母の周圍《まはり》をめぐりて歌ふなり
九七―一〇二
〔琴〕ガブリエル
〔天〕エムピレオの天
〔碧玉〕マリア
〔裂けて〕電光の爲に
一〇三―一〇五
以下一〇八行までガブリエルの歌
〔天使の愛〕愛に燃ゆる天使
〔われらの願ひ〕われらの願ひの目的《めあて》なるキリスト
〔胎よりいづる〕たふとき悦びの出づるところなる胎のまはりをめぐる
一〇六―一〇八
〔至高球〕エムピレオ
一一二―一一四
以下、マリアはキリストのあとよりエムピレオに歸りてダンテの目にかくれ、殘れる聖徒達は聖母に對する愛を顯はしかつ調《しらべ》妙《たへ》に聖母頌を歌へるを敍す
〔諸天〕volumi(圓または囘轉)、月天より恒星天までの八個の天。これらの天を蔽ふ衣は第九天(プリーモ・モービレ)なり、この天はエムピレオに最《いと》近きがゆゑに直接に神の靈感とその性《さが》とをうけて熱いと強く生氣いと盛なり
〔熱〕至高の天を慕ひてこれに近づかんとするの愛(『コンヴィヴィオ』二・四・一九以下參照)
〔生氣いと〕その
轉の速度他の諸天にまさるをいふ
一一五―一一七
〔内面〕圓の内面。第八天にありて第九天を望むがゆゑにかく言へり
一一八―一二〇
〔霜を戴き〕ガブリエルの冠(九四―六行參照)を指す
〔焔〕聖母
一二七―一二九
〔レーギーナ・コイリー〕Regina coeli(天の女王)、更生祭の頃寺院に歌ふ頌詠にてその全文左の如し(但し各行アレルヤに終る、略して記さず)
天の女王よ、歡べ
適はしくも汝の生みたる者は
聖言《みことば》の如く甦りたればなり
われらの爲に神に祈れ
歡び樂しめ、處女《をとめ》マリアよ
主はまことに甦りたればなり
一三〇―一三二
これらの聖徒達が下界に積みし功徳によりて、今天上に享くる福はいかに大なる哉
〔櫃〕聖徒達
〔地〕bobolce 一區域の地(畠)をいふ。但し農婦又は種蒔く女の意に解する人あり
一三三―一三五
〔バビローニアの流刑〕地上の生活。昔ヘブライ人が虜となりてバビロニア(バビローニア)に移されし(列王下、二四―五章)ごとく、人は天の郷土を離れて地上に移り住めばなり(淨、二二・九四―六參照)
〔黄金を〕富貴を地上に求めず、惱み苦しみの中にて寶を天上に貯へしなり
一三六―一三九
〔鑰を保つ者〕使徒ペテロ(地、一九・九一―二參照)
〔舊新二つの集會〕舊新兩約の諸聖徒
第二十四曲
聖ペテロ、ダンテに信仰の事を問ふ
一―三
〔羔〕キリスト
〔食を與へて〕神恩限なきが故に聖徒の願ひ常に滿つ
〔晩餐〕羔の晩餐の事、聖書に出づ(默示、一九・九)。キリストの備へ給ふ晩餐は即ち天上の福なり、ルカ傳一四・一五に曰く、神の國にてパンを食ふ者は福なりと
〔侶等〕聖徒達
四―六
〔落つる物〕食物の遺屑《くづ》。これを集めて食するは、未だ聖徒と伍せざるさきに、あり餘る天上の福の一部を味ふなり(『コンヴィヴィオ』一、一・六七―七七參照)
七―九
〔願ひ〕求知の念
〔露〕知識の
〔思ふ事〕知らんと欲する事。その源は知識の泉なる神
一〇―一二
〔球〕(複數)、軸を中心として
る球の如くかの聖徒等はベアトリーチェ及びダンテを中心とし多くの輪を造りてめぐれり(天、一〇・七六―八參照)
一三―一五
〔初めの輪〕最も内部にありて最も小なるもの、その
る事最も遲し。而して終りの輪は最も外部にありて最も大に、その
ること最も速し
一六―一八
〔球〕carole 圓形に舞ふ舞のこと、こゝにては舞ひめぐる諸靈の群
〔富を量る〕舞の遲速によりてその群の幸福の大小を判ず(天、八・一九―二一參照)
一九―二一
〔一の火〕使徒ペテロ
〔福なる〕福の大なるは光の強きによりて知らる
〔かしこ〕かの球
二二―二四
〔三度〕三は完全數
二五―二七
〔劈
〕註釋者曰く。衣裳を畫くに當り、|劈
《ひだ》にぢみなる色を用ゐて他の部分と區別す、はでなる色を用ゐる時は劈
なることを知り難し、さればひだに適《ふさ》はしき色を所持せぬ畫家の己が技《わざ》をこゝに施しえざる如く、われらの不完全なる想像はかくまで尊くけだかき歌を思ひ浮ぶる能はざるなりと
二八―三〇
ペテロの詞
三四―三六
〔われらの主が〕地、一九・九一―二參照
〔奇しき悦び〕天堂。鑰は即ち前曲の末に「榮光の鑰」といへるもの
三七―三九
〔海の上を〕ペテロがキリストにならひて海上を歩めること(マタイ、四・二二以下)
四〇―四二
〔ところ〕神(天、一五・六一―三參照)
四三―四五
汝問はざるもよく彼の心を知る、されど信仰は人の救の要素なれば、彼をしてこれが事を語りてその尊さを顯はさしむべし
四六―四八
〔學士〕baccellier 大學の業を終へ、さらに高き學位の候補者たるを得る者。かゝる學位を得るに當り、中古の例に從ひ、まづ教師の提出する若干の問題を論證す
〔決るためならず〕提案に對する論證の主意をとりまとめて決論を下すは教師の爲す事なればなり
五二―五四
以下、ペテロ問ひダンテ答ふ
五五―五七
答ふるに當りてまづベアトリーチェの許を得
五八―六〇
〔長〕primipilo ローマ軍隊の話にて、第一隊の百夫長、戰に臨み最先に槍を揮ふ者。ピエートロは寺院屈指の勇士《ますらを》なればかく
〔恩惠〕神の
六一―六三
〔ローマを正しき〕ローマ人をキリストの教へに歸せしめし
〔汝の愛する兄爲〕パウロ(ペテロ後、三・一五參照)
〔録す〕ヘブル書(パウロの筆と信ぜられし)に
六四―六六
〔信仰とは〕ヘブル書一一・一。但しダンテはヴルガータにもとづきかつこれが解釋をトマス・アクイナスの『神學大全』に採れり
七〇―七五
天上にありて今わが明に認むるを得る靈界の事物は、官能によりて知らるゝものにあらざるが故に、地上の人目にてこれを視るをえず、たゞ信仰によりてこれが存在を許容するのみ、人はこの信仰を基礎とし、その在りと信ずるものを親しく視るに至るの望み、換言すれば福祉を得るにいたるの望みをその上に築くがゆゑに信仰は即ち基に當る
七六―七八
また人は靈界の事物をば他の證《あかし》を用ゐず(他の物を見ず)たゞ信仰の證によりて(即ち信仰にもとづく推理によりて)眞《まこと》とすべきものなるがゆゑに信仰は即ち證にあたる
七九―八一
〔凡そ教へに〕凡そ教訓によりて世人の學ぶ所のもの、汝が信仰を解する如く明確に解せられなば、詭辯者世にその才を施すの餘地なからむ
八二―八四
〔この貨幣〕信仰
〔混合物とその重さ〕合金の割合及び重さの如何によりて貨幣の眞僞を判ずる如く手落なく信仰の何たるを檢せりとの意
八五―八七
〔己が財布の〕己が心の
〔そを鑄し樣に〕贋造の疑ひなきまで(その眞なるを疑はざるほど)この貨幣(わがいだく信仰)は光りて(純にして)圓し(完し)
八八―九〇
〔珠〕信仰
九一―九三
〔舊新二種の〕舊新兩約書に注ぐ聖靈の惠《めぐみ》。即ち聖書に滿つる生産の示現
〔皮〕書《ふみ》。昔は文字を羊皮に録せり
九七―九九
〔命題〕Proposizion 三段論法における大小二の前提、こゝにては舊新兩約書、この兩書はダンテの信仰の眞なるを證するものなるが故にその決論に對する前提に等し
一〇〇―一〇二
聖書が神の言なることを證するものはこの言にともなふ奇蹟なり(マタイ、一六・二〇參照)
〔自然が〕自然の鍛へ上げ作りあげしにあらざる業《わざ》、即ち超自然の美
一〇三―一〇五
〔自ら證を求むる者〕聖書。聖書にのみ録《しる》さるゝ奇蹟によりて聖書の教への天啓なるを證せんとするは論理の原則に反すればなり
一〇六―一〇八
〔奇蹟なきに〕キリスト教の世に弘まれるは、とりもなほさず奇蹟の實際に行はれし證左なり、奇蹟なくしてかく弘まれりとせば、そは聖書中のすべての奇蹟を集むとも猶遙に及ばざるほど大いなる一の奇蹟なればなり。但しこの論法は昔より寺院の人の用ゐしもの
一〇九―一一一
最初キリスト教を世に宣傳へし人々が奇蹟の助けによらざればこれを弘めえざる境遇にありしをいへり
〔良木の〕良木の種を蒔くはキリスト教の信仰を植うるなり
〔葡萄〕寺院は園の如し(天、一二・八六參照)、その樹昔葡萄にて有徳の實を結びたれど今荊棘に變じて實なし
一一二―一一四
〔われら神を〕テー・デウム・ラウダームスの歌(淨、九・一三九―四一參照)
〔諸
の球〕多くの輪を造れる聖徒達(一一行)
一一五―一一七
〔枝より枝〕問より問。梢はその最後の個條
〔長〕baron 對建時代における領主の稱號より轉じて君主、偉人の義に用ゐまた聖者達の尊稱として用ゐしことあり
一一八―一二〇
〔契る〕donnea(婦人と睦びかたらふ義)、神恩と心との緊密なる關係を表はす。汝を愛し汝の心に宿りて汝を助くる神の惠み
一二一―一二三
〔出でしもの〕汝の答
一二四―一二六
〔墓の〕キリストの屍その墓に在らずと聞き、ペテロ(ピエートロ)とヨハネ共に馳せて墓に向ふ、ヨハネまづかしこに至る、されど第一にその内に入れる者はペテロなり(ヨハネ、二〇・一以下)
ヨハネ傳に「見て信ぜり」(同上八)とあるによりダンテはペテロの信仰ヨハネにまさりゐたりと解せり
〔もの〕榮光のキリスト
一三〇―一三二
〔愛と願ひと〕神を愛するの愛と、神を慕ひ神に近づかんとするの願ひとを與へて。この愛この願ひあるが故に諸天運行す(天、一・七六―七參照)
一三三―一三八
古より行はれし類別に從ひて舊新兩約書を擧ぐ、即ちモーゼの五書、豫言者の諸書及び詩篇は舊約書にて、四福音書及び使徒達の諸書は新約書なり
〔燃ゆる靈に〕聖靈の助により心に光明をえて後諸書を録せる使徒達
〔こゝより〕天より地に
一三九―一四一
〔ソノといひ〕ソノ(sono)は在りの複數形にてエステ(este*)はその單數形なり、三として複數動詞を用ゐるとも一として單數動詞を用ゐるともいづれにてもよしとの意
*esteはラテン語の est をイタリア化したるものにて當時の散文にもその用例ありといふ(フラティチェルリ及びパッセリーニ註參照)
一四二―一四四
〔福音の教へ〕マタイ傳二八・一九、ヨハネ傳一四・一六、コリント後書一三・一三等
一四五―一四七
〔是ぞ源〕神の三一を信ずることは即ち信仰の第一義にて、その他の信條皆これより出づ
第二十五曲
聖ヤコブ、ダンテに望みの事を問ふ、その後また聖ヨハネ現はれ己が内體に關するダンテの疑ひを解く
一―六
以下一二行まで、信仰の試問を敍し終れる時ダンテはその信仰の始めを思ひて「聖ジョヴァンニの洗禮所」に及び郷土フィレンツェをしのぶあまり、たゞ一個の詩人としてかしこに歸るの望みあるを陳ぶ
〔手を下しゝ〕材を供せる。『神曲』は天上の事と地上の事とをともに歌へるものなればなり
〔圈〕フィレンツェ(天、一六・二五―七參照)
〔狼〕惡くして強き者(フィレンツェ市民の)
〔羔〕善くして柔和なる者
〔閉め出す〕殘忍なる敵の怨みを受けてフィレンツェを逐はれしこと(『コンヴィヴィオ』一、三・二〇以下參照)
〔勝つ〕この詩によりてかの市民等わが詩才を認め、詩人の譽の爲我を郷土に歸らしむることあらば
七―九
〔變れる聲〕地上の戀愛を歌はずして壯嚴なる天上の事物を歌ふ聲
〔變れる毛〕(毛は原語羊毛とあり、五行の羔に因みてなり)老いて白髮となること
〔わが洗禮の盤のほとりに〕「聖ジョヴァンニの洗禮所」にて(地、一九・一六―二一註參照)
一〇―一二
〔かしこにて〕かの洗禮所に洗禮を受けてキリスト教の信仰に入り
〔魂を神に〕人信仰に由て神に近づく事を表はす
〔これが爲に〕この信仰の爲に
一三―一五
〔初果〕聖ペテロはキリストがその最初の代理者として世に殘し給へる者
〔球〕輪を造れる聖徒の一群(天、二四・一九―二〇)
〔一の光〕使徒ヤコブ(使徒ヨハネの兄弟)
一六―一八
〔長〕barone(天、二四・一一五―七註參照)
〔ガーリツィア〕聖ヤコブはイスパニア、ガーリツィア州なるサンティアーゴ・デ・コムポステルラに葬らるとの傳説により、中古かの地に行きてその宮に詣づるもの甚だ多かりきといふ
二二―一四
〔ひとりの〕聖ヤコブ
〔他の〕聖ペテロ
〔糧〕神恩の糧(天、二四・一以下參照)
二八―三〇
〔録しゝ〕ヤコブ書(一・五、一七參照)に。ダンテはその頃行はれし説に從ひヤコブ書を聖ヨハネの兄弟なるヤコブの書《ふみ》と思へるなり
三一―三三
〔響き渡らす〕ダンテと語りて
〔己をいとよく〕その神人の兩性を最もよく三人に顯はし給ひし
ヤイロの女の蘇生(マルコ、五・二二以下等)、キリストの變容(マタイ、一七・一以下等)、ゲッセマネの園の祈祷(マタイ、二六・三六以下等)の時主と共にありし者はたゞペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人のみなりき、ダンテはかゝる場合に主がかれらを教理の三徳即ち信仰(ペテロ)と望み(ヤコブ)と愛(ヨハネ)との象徴たらしめ給へりとの神學説に從へるなり
三四―三六
ヤコブの詞
〔人の世界より〕人間界より天上に登り來る者の諸官能はわれらの光に慣るゝによりて前よりも強く全きにいたる(熟す)がゆゑに後よくこれに堪ふるを得。
三七―三九
〔山〕ペテロとヤコブ。即ちさきにその強き光をもてダンテの目を垂れしめし者。山はその位の高きを表はす
四〇―四二
神はその恩寵により、汝の生きながら登り來りて諸
の聖徒達と御座近き天堂にて會ふことを許し給ひ
四三―四五
〔正しき愛〕神を愛するの愛。神に近づくをうるの望みこの愛を促すなり
四六―四八
〔汝の心に咲くや〕汝いかばかりの望みを心にいだくや
四九―五一
〔我より先に〕ベアトリーチェ、ダンテに代りて第二問に答ふ、ダンテ自ら己が望みのすぐれて大いなるをいはんは適はしき事ならざればなり
五二―五四
〔日輪〕凡ての聖徒を照らし給ふ神
〔戰鬪に參る寺院〕Chiesa militante(戰鬪の寺院)、地上の信徒。天上の聖徒をChiesa trion-fante(凱旋の寺院)といふに對す
五五―五七
是故に彼はその未だ死なざるさきに、人の世より天に來ることを許さる
〔エジプト〕昔ヘブライ人がエジプトに奴隷たりし事あるに因みて人の世をエジプトといへり(淨、二・四六―八註參照)
〔イエルサレムメ〕天堂。活神《いくるかみ》の都なる天のイエルサレム(ヘブル、一二・二二)
五八―六〇
〔知らんとてならず〕神によりて既に知ればなり(天、一七・一〇―一二參照)
〔傳へ〕世に
六七―六九
第一問の答
〔望みとは〕ダンテはこゝにペトロス・ロムバルドゥスの教法集(天、一〇・一〇六―八註參照)第三卷に見ゆる望みの定義を譯出せり
〔先立つ功徳〕人の善まづよく神恩と合するに非ざればその望みは空にして眞の望みにあらず
七〇―七二
以下七八行まで第三問の答
〔光〕即ち望み
〔星〕聖經諸書の作者
〔最大いなる導者〕神
〔最大いなる歌人〕王ダヴィデ
七三―七五
〔爾名を〕詩篇九・一〇。但しヴルガータに據れり。神を信じ聖名《みな》の尊さを知る者は天の榮光を待望むべし
七六―七八
〔かれの雫と〕ダヴィデの言とともに汝の言は我に望みを起さしめ
〔書のうち〕ヤコブ書には望みの事を明に言へる處なし、されど望みを起さしむべき言葉はこれあり(一・一二、二・五等參照)
七九―八一
〔かの火の生くる懷〕聖ヤコブの放つ強き光の正中《たゞなか》に
〔とある閃〕ダンテの答に滿足してその喜びの増すを表はす
八二―八四
〔棕櫚をうるまで〕教へに殉ずる時まで(使徒、一二・二)。棕櫚は勝利のしるし
〔戰場を出づる時〕死する時(戰場なる世を去る意)
〔徳〕望み。人天上の榮を享くればその望みすべて遂げ、またさらに望む所なし、たゞこの望みを徳としてなほこれを愛するのみ
八八―九〇
〔新舊二つの〕聖書は我に望みの目的《めあて》を指示せば、我はその示す所によりて望みの約するものを知る
〔神が友と〕神の選び給へる魂(天、一二・一三〇―三二參照)
或はこの一行を次の一聯と連ねずして「新舊二つの聖經《みふみ》は、神が友となしたまへる魂の目的を表はす、この目的こそ我にこれを指示すなれ」と讀む人あり
九一―九三
〔イザヤは〕イザヤ六一・七に。但しダンテはヴルガータの duplicia(二倍)を十節の衣の意を承けて二重の衣(靈と肉との受くる福)の義とし、terra sua(己が郷土)を人間の眞の郷土なる天堂の義とせり。靈肉相合して人はじめて全し、故に人の至上の幸福は死後肉體復活して靈體と合し共に天上永遠の福祉を享くるにあり、人に望みの約するものまたこの幸福に外ならず
九四―九六
〔汝の兄弟〕聖ヨハネ。默示録(七・九以下)にて
九七―九九
〔スペーレント・イン・テー〕Sperent in te(望みを汝におかむ)、詩篇九・一〇(七三―五行註參照)
一〇〇―一〇二
〔一の光〕聖ヨハネ
〔巨蟹宮に〕磨羯宮の反對面にある巨蟹宮の星は初冬の頃日出と共に入り日沒とともに出づ、故にもし巨蟹宮に聖ヨハネの如く輝く一の星(水晶)あらば冬の一個月(即ち太陽磨羯宮にある間)は夜なきにいたらむ
一〇三―一〇五
〔短處〕虚榮
一〇六―一〇八
〔愛に應じて〕愛の多少に應じて
る早さに差別あるなり。二の光はペテロとヤコブ
一一二―一一四
〔われらの伽藍鳥〕キリスト。伽藍鳥は己が血を注ぎて、死せる雛を蘇生せしむとの傳説(くはしくはスカルタッツィニの引用せるブルネット・ラティーニ著『テゾーロ』の一節參照)により、キリスト即ち十字架の血にて人類を生きかへらしむる救世主の象徴として中古弘く用ゐられきといふ
〔胸に倚りし者〕聖ヨハネ。最後の晩餐の時主の胸に倚りゐたり(ヨハネ、一三・二三)
〔大いなる務〕主に代り、子としてマリアに事ふること(ヨハネ、一九・二六―七)
一一五―一一七
〔その言の〕かく言ふ間も日を移さずしてかの使徒達を見つめゐたり
一一八―一二〇
太陽の分蝕を見んと力むる人は見んとするが爲に目くらみて何物をも見る能はざるにいたる
一二一―一二三
〔最後の火〕最後に現はれし光即ちヨハネ
〔汝何ぞ〕ヨハネの詞。ダンテはヨハネが肉體を有するや否やを見んとて特にこれを凝視《みつめ》たり、これキリストがヨハネについていへる言葉に「我もし彼のわが來るまで殘るを欲すとも」云々(ヨハネ、二一・二二)とあるにもとづきヨハネは肉體のまゝにて天に登れりとの傳説行はれたるによる
一二四―一二六
〔われらの數〕われら選ばれし者の數。神の豫め定め給へる聖徒の數の滿つるまで(默示、六・一一參照)、換言すれば最後の審判の時まで
一二七―一二九
今天に在りて靈と肉とを具備する者は、たゞキリストとマリアのみ、汝これを世人に告げてその誤りを正すべし
〔二襲の衣〕靈と肉、
〔僧院〕天堂(淨、一五・五五―七參照)
〔昇りし〕今より少しくさきにエムピレオに昇りし(天、二三・八五―七、及び一一二以下)
一三〇―一三二
〔三の〕三使徒の。聖ヨハネのさらに語りいづるに先立ち舞と歌とともにやみしこと
一三三―一三五
〔笛〕掛りの者の相圖の笛
一三六―一三九
〔福の世に〕天に在りて世の常ならぬ視力を有しつゝ
〔見るをえざりけれは〕聖ヨハネを見つめし爲その先に目くらみて淑女を見るをえざりしなり
第二十六曲
聖ヨハネ(ジョヴァンニ)、ダンテに愛の事を問ふ、ダンテ答へ終れる時始祖アダムの靈現はれ、詩人の望みに應じて己が昔の物語をなす
一―三
〔危ぶみ〕視力の滅びしにあらざるかと
〔焔〕聖ヨハネの光
七―九
〔汝の魂〕愛の向ふところを問へり
一〇―一二
〔アナーニア〕ダマスコの人、主の命に從ひサウロ(使徒パウロ)を訪ひて手をその上におき、彼をして再び物を見るをえしむ(使徒、九・一〇以下參照)
一三―一五
〔絶えず我を〕ベアトリーチェは愛の火をもてダンテの目より入來れり、即ちダンテはベアトリーチェのけだかき美しき姿を見て愛の火に燃えしなり
一六―一八
天堂の諸聖徒を凡て滿足せしむる善即ち神こそ、愛の我に與ふる強弱一切の刺戟の始めまた終りなれ。換言すれば、わが愛といふ愛ことごとく神にむかふ
〔わが爲に讀むかぎりの文字の〕di quanta scrittura Mi legge 異説多し。スカルタッツィニ曰く、淨、二・一一二にては愛、心の中に物言ひ、同二四・五二以下にては愛、衷に口授し、こゝにては愛、衷なる文字を讀む、こは衷なる書《ふみ》に既に録《しる》されし文字即ちダンテのいだく愛の事なり、されば「愛のわが爲に讀むかぎりの文字」とは愛に關してわが内にある凡てのもの即ちわがすべての愛をいひ、この愛を記録の一部心の書《ふみ》の一筆の如く見なせるなり、ダンテの言は歸する所、わがすべての愛の目的《めあて》は神なりといふに同じ、またこれに加へて「或ひは低く或ひは高く」(原、或ひは輕く或ひは強く)といへるはそのいだく愛といふ愛ことごとく神に獻げらるとの義なり云々
〔アルファ、オメガ〕始め、終り。ギリシア字母の最初の文字と最後の文字(默示、一・八參照)
一九―二一
〔我をして〕次の如く我に問ひ我をして
二二―二四
さらに明細に汝の思ふ所を述べ、誰が汝をして神を愛するに至らしめしやを我に告ぐべし
二五―二七
〔こゝより降る〕天より降る權威ある言、即ち聖書に現はるゝ天の啓示。ダンテの愛の動機は人と天との二つの教へなり
二八―三〇
以下三六行までの大意左のごとし
愛の向ふ所善にあり、善いよ/\全ければ愛またいよ/\大なり、神は至上の善にまします、故にこれを愛するの愛從つて最も大いならざるべからず
〔その善なるかぎり〕即ち善と認めらるゝかぎり
〔知らるゝとともに〕智によりてその何たること悟らるゝと同時に
三一―三三
神以外の善はたゞ至上の善なる神の一顯現、その榮光の一光輝に過ぎず
三四―三六
〔この證〕萬物にまさりて神を愛すべき理由
〔眞理〕神は至上の善なること
三七―三九
〔永遠の物〕諸天、天使、及び人の魂等。これらの被造物は皆神を慕ひ神を望む
〔示すもの〕物皆その第一原因と結ばんとするの願あることを教へし哲人として註釋者多くはアリストテレスを擧ぐ。但し異説多し
四〇―四二
〔眞の作者〕その言に僞りなき者即ち神。神自らモーゼに告げて「我汝に一切の善を見すべし」(ヴルガータ、出エジプト、三三・一九)といひ自らその善の完全なるを明《あか》し給へり
四三―五五
〔尊き公布〕默示録。特にその一の八に「我はアルファなりオメガなり始めなり終りなり」と言給へる全能者の言を傳へて神は一切の善の源なる意を寓し示せること
〔こゝの秘密を〕天上の秘密を聖書の他の部分にまさりて強く下界に響かしむること
四九―五一
〔幾個の齒にて〕齒にて噛むは刺戟を與ふるなり、汝の愛を神に向はしむる者理性と天啓の外に猶幾許《いくばく》ありやいへとの意
五二―五四
〔クリストの鷲〕聖ヨハネ。默示録四・七に出づる鷲を望ヨハネの象徴と見なす説にもとづき、キリスト教藝術にてはヨハネを往々鷲にて表はす
〔隱れ〕我に隱れ。ダンテはヨハネの思ひのある所を直ちにさとれるなり
五五―五七
〔齒をもて〕心を神に向はしむる一切の刺戟は皆我愛と結び合ひ、我をしてわが凡ての愛を神にさゝぐるにいたらしむ
五八―六〇
天地人類の存在によりて造物主の至善を知り、人類を救はん爲キリストの死し給ひし事を思ひて神の至愛を知り、天上永遠の幸福(望むもの)を思ひて神の至恩をしのび
六一―六三
〔認識〕神は至上の善なりとの。「生くる」は確たる
〔悖れる愛〕地に屬する物の愛(淨、三一・三四―六參照)
六四―六六
〔葉〕被造物、即ち神(園丁)のしろしめす宇宙(園)に遍く滿つるもの。「隣」を愛する(マタイ、一九・一九等)の愛を指す
六七―六九
〔聖なり〕默示録四・八に出づる頌詠によりて全衆神を讚美せるなり
七〇―七二
〔物見る靈〕spirto visivo 視神經を往來して、物を見るをえしむる力、即ち視力(『コンヴィヴィオ』二・一〇・三二以下參照)
〔膜より膜に〕光は眠れる者の目の膜より膜に進み入り、目の視力はこれに向ひて進むがゆゑにその人覺む
七三―七五
〔判ずる力〕estimativa 思ひめぐらす力。この力によりて己が覺めし次第を知り、あやしまずして己が前にあるものを見るを得
七九―八一
〔第四の光〕始祖アダムの靈
八二―八四
〔第一の力〕神
〔第一の魂〕最初の人間即ちアダム
九一―九三
〔熟して結べる〕アダムは造られし時既に大人なりければかく
〔唯一の〕スカルタッツィニ曰く。エヴァはアダムの一部なれは特にいはず、アダムがアダムとエヴァの意に用ゐられし例聖書に多し(創世、三・二二―四、ロマ、五・一二以下等)と
〔新婦と〕いかなる新婦もアダムの裔なればその女に當り、アダムの裔なる男子に嫁すればその子婦《よめ》に當る
九七―九九
〔包まれ〕衣などに
〔願ひ〕包みし物より脱るゝ願ひ。但し包みし物の動くによりてその内なる獸の願ひの表はるゝを、蔽はるゝ光の一きは輝き渡るによりてその内なるアダムの願ひ(ダンテの望みをかなへんとするの)の現はるゝに比べしのみ
一〇六―一〇八
〔鏡〕神(天、一五・六一―三參照)
〔萬物を〕萬物は皆完全に神の鏡に映ず、故に神を視る者よく萬物を視る、されど一物として完全に神を映《うつ》すはなし
〔己に映せど〕fa di s
pareglio 註釋者曰く。pareglio(=parelio)とは太陽の光線の屈折によりて空中に現はるゝ他の太陽の如きものをいふ、反映の義これより生ず、即ちこの句は己を(萬物の)反映者たらしむ換言すれば(萬物を)己に映らしむる意なりと
但しこの項異本あり、また異説多し
一〇九―一一一
以下一一四行まで、ダンテの問四あり、(一)アダムの造られし時より今に至るまで幾年經たるや、(二)アダムは樂園に幾許の間住みしや、(三)その犯せる罪の性質、(四)その用ゐし言語
〔長き階〕諸天
〔高き園〕淨火山上の園即ち地上の樂園
一一二―一一四
〔大いなる憤〕人類に對する神の怒り
一一五―一一七
第三問の答。但し當時の神學説に據れり
〔流刑〕樂園を逐はれし事。その眞の原因は木の實を食へるその事に非ずしてこれに伴ふ不從順と傲慢となり、即ち食ひて神命に背《そむ》けるのみならず、その食へるは己を神の如くにせんとの僭上心より出でしなり
トマス・アクイナスの『神學大全』(二、二、一六三・一)に曰く。人間の最初の罪は己が度を超えて靈の福を望めるにあり、これ傲慢に屬す、知るべし始祖の最初の罪は傲慢なりしを
一一八―一二〇
以下一三三行まで第一問の答。アダムは地に住めること九百三十年(創世、五・五)、リムボに在ること四千三百二年なり、而してキリストの死即ちアダムがリムボを出でし時より神曲示現の年までは千二百六十六年(地、二一・一一二―四並びに註參照)なればアダムの造られし時よりこの時に至るまでの間はすべて六千四百九十八年なり
ダンテは古の史家の説に從ひ、人類の創造よりキリストの死にいたるまでの間を五千二百三十二年となせるなり
〔處〕地獄のリムボ。ベアトリーチェこゝに降りウェルギリウスに請ひてダンテの急を救はしむ(地、二・五二以下參照)
〔この〕天上の諸聖徒の
一二一―一二三
〔すべての光〕太陽が一年間に通過する十二宮の星
一二四―一二六
以下一三八行まで第四問の答
〔ネムブロット〕バベルの高塔(成し終へ難き業)の建築者として(地、三一・七六―八並びに註及び淨、一二・三四―六並びに註參照)
〔悉く絶え〕ダンテは『デ・ウルガーリ・エーロクエンチアー』(一・六・四九以下)に、アダムの用ゐし言葉がバベルの高塔建築の時まで用ゐられその後もヘブライ人によりて用ゐられしこと即ちアダムの言葉はヘブライ語なりしことをいへり、こゝにてはこの説を正してかく
一二七―一二九
〔天にともなひて〕星辰の影響に從つて
〔理性より生じ〕言語もまた理性の一産物なり
一三〇―一三二
思想感情を表白するは自然の作用なれども、その方法にいたりては人間自由の選擇に屬す
一三三―一三五
われ在世の頃神は|I《イ》と呼ばれたり
Iの由來知り難し、恐らくはダンテの創意ならむ、アダムの用ゐし言語はすべて絶えたりといへば、ダンテの示さゞるかぎり、その意推し量《はか》らんやうなし
この語と一三六行の EL については異本多し(委しくはムーアの『神曲用語批判』四八六頁以下及びスカルタッツィニ註參照)
一三六―一三八
〔EL〕ヘブライの古語にて強き者の義なりといふ。この語『デ・ウルガーリ・エーロクエンチアー』一、四・二九にも見ゆ、但しアダムの用ゐし語として
一三九―一四二
第二問の答
〔山〕淨火の山、こゝにてはその巓にある樂園を指す
〔第一時より〕第一時は日出時に始まる、今傳説に從ひ天地の創造を春とすれば日出は午前六時頃なり、故にアダムが樂園に在りし間は午前六時頃より正午乃至午後一時(第七時)までの間即ち六時間乃至七時間なり
〔日の象限を〕太陽が象限、即ち圓の四分の一(六時間の行程、晝夜平分時にては日出より正午まで)を轉り終りて他の四分の一にさしかゝるとき、第六時終りて第七時これに次ぐ
アダムの樂園に在りし間の時については古より種々の想像説あり、短きは數時間長きは三十四年なりき、ダンテは前説に從へり
第二十七曲
聖ピエートロ(ペテロ)その繼承者の腐敗を嘆ず、かくて全衆みなエムピレオの天に歸れば、ダンテは俯きてわが世界を見、後ベアトリーチェと共に第九天(プリーモ・モービレ)にいたる
四―六
〔耳よりも目よりも〕天堂の歌の妙《たへ》なるに醉ひ、また全衆がさながら宇宙の一微笑の如くその悦びを表はしつゝ美しき光を放つ光景に醉ひ
七―九
〔富〕天上の聖徒達はその富即ち福を失ふの恐れなく、またその福にてすべて足るがゆゑに他に求むる物あらじ
一〇―一二
〔四の燈火〕三使徒とアダム。この中最初に來れるものはピエートロなり(天、二四・一九以下)
一三―一五
義憤の爲聖ピエートロの光赤色に變ず
〔木星もし〕木星もし火星と光を交換し、その白色變じて赤色とならば
一六―一八
〔次序と任務とを〕天上にては言ふにも默すにも動くにも止まるにも各
その時(次序)あり、聖徒達は各
この次第に從つて或は言ひ或は動く(任務)、しかしてこれを定むる者は即ち神なり
一九―二一
〔是等の者〕共通の情は諸聖徒をしてペテロと同じく義憤を起さしむ
二二―二四
〔わが地位〕法王の位(ペテロは地上最初の法王なればなり)。これを奪ふ者とは主として神曲示現當時の法王ボニファキウス八世を指す
〔神の子の〕その器に非ずしてその位に坐す、是即ち纂奪者也、たとひ世に法王と認めらるともキリスト、法王と認め給はじ、特にボニアァキウスは墮地獄の罪人かつは不正行爲によりて法王となれる者なれば(地、三・五八―六〇註及び地、一九・五二以下參照)位に在りとも無きに等し
二五―二七
〔わが墓所〕ローマ。傳説によれば使徒ピエートロかの地に葬らる
〔血と穢との溝〕無辜《むこ》の血の流され(地、二七・八五以下參照)種々の罪惡の行はるゝところ
〔悖れる者〕ルチーフェロ。神に背きて天より逐はれし魔王は聖なるローマが罪惡の府となれるを見、地獄にありてその心を慰むるなり
二八―三〇
〔色〕赤色。オウィディウスの『メタモルフォセス』(三・一八三以下)に、衣を脱ぎしディアナの姿を敍して「對へる日の光に染みし叢雲《むらくも》の色、または紅の朝の色」云々とあるに據れり
三一―三三
〔淑女〕身に恥づることなけれど、他人の罪を聞くに恥ぢてその顏を赤くす
三四―三六
〔此類なき威能〕キリスト。十字架上に死し給ひし時天暗くなりしこと聖書に見ゆ(マタイ、二七・四五等)。白色の光赤色に變じ、歡樂喜悦の光景悲憤のそれに變じたるを形容してかく
四〇―四二
〔クリストの新婦〕寺院。天、一〇・一三九―四一に「神の新婦」といへるもの
〔わが血及び〕われピエートロ及び初代の法王達が教へに殉じて寺院の基を起しかつこれを固めしは
〔リーン、クレート〕リーヌス、クレートゥス。いづれも一世紀にローマの僧正たりし殉教者
四三―四五
〔樂しき生〕天上無窮の幸福
〔シスト、ピオ、カーリスト、ウルバーノ〕いづれも二三世紀頃ローマの僧正たりし殉教者
四六―四八
同じ教へを奉ずる民相分れ、一は法王の右に坐してその愛顧を得、一は法王の左に坐してその憎惡を受くることはわれらの志にあらざりき
ダンテの時代における朋黨を指していへり、即ちグエルフィが法王の寵を得ギベルリニがこれに敵視せられしこと。但し左右の語は聖者より出づ(マタイ、二五・三三)
四九―五一
キリストの我に委ね給ひし天國の鑰を旗標《はたじるし》として同じキリスト教徒と戰ふこともわれらの志にあらざりき
十三世紀の頃法王の軍は寺院の鑰の標《しるし》をその軍旗に用ゐきといふ
〔受洗者と戰ふ〕主としてボニファキウス八世がコロンナ一家と戰へるを指す、地、二七・八八に「その敵はいづれもキリスト教徒にて」といへるもの即ち是
五二―五四
法王等がわれペテロの像を表はせる印をその文書に捺してシモニアを行ひ人を僞ることもわれらの志にあらざりき
五五―五七
〔暴き狼〕強慾非道の僧侶等。この語聖書より出づ(マタイ、七・一五)
五八―六〇
聖ペテロの豫言
〔カオルサ人等〕カオルサ(南フランス)の人にて一三一六年法王となりしヨハンネス二十二世(天、一八・一三〇以下並びに註參照)及びその一味の者
〔グアスコニア人等〕フランスのガスコエアの人にて一三〇五年法王となりしクレメンス五世(地、一九・八二―四並びに註參照)及びその一味の者
〔我等の血を〕われらの血にて築き固めし寺院を横領し、その産を私せんとす
〔善き始め〕創立當時の寺院を指す
六一―六三
〔シピオ〕スキピオ。ローマの大將スキピオ、ハンニバルの軍を敗りローマをして世界の覇權を保たしむ(天、六・五二―四註參照)
六七―六九
冬の日雪花片々として地上の空より舞下る如く
〔日輪天の〕十二月より一月にかけて太陽が天の十二宮の一なる磨羯宮にある間
七〇―七二
〔飾れる精氣〕聖徒の光にて飾られし第八天
〔凱旋の水氣〕勝利の光に輝く聖徒
七九―八一
〔はじめわが見し〕天、二二・一二七以下。ダンテはかの時よりこの方東より西に九十度を|
《めぐ》りゐたり(即ち六時間を經過して)
〔第一帶〕primo clima 古の地理學者は北半球を七帶に分てり、即ち日の最長限を標準として定めしものにてその幅同じからず、いづれも赤道と平行して東より西に亘る長百八十度なり、その第一帶は赤道以北十二度六分の五より二十度二分の一までの間を幅とす、ダンテの今居る處なる雙兒宮はかく地球の第一帶に當るべき天の一部にあり
〔半よりその端に〕帶の半即ちイエルサレムの子午線よりその端即ちイスパニアの子午線までの弧線(即ち九十度)。但しこはダンテが
り終へし間の距離を示せるものにてダンテの位置をいへるにあらず
八二―八四
西の方にてはイスパニアのかなたに大西洋見え、東の方にてはフェニキアの岸見えたり
〔ガーデ〕ガデス。ジブラルタル海峽の附近にありと想像せられし島の名
〔狂しき船路〕大西洋、即ちオデュセウスが「櫂を翼として狂ひ飛び」(地、二六・一二五)しところ
〔近く〕西の方遠く大海を望むに對して
〔エウローパ〕エウロペ。フェニキア王アゲノルの女。ゼウス牡牛に化してこれを誘ひ背に載せて去る(『メタモルフォセス』二・八三二成下參照)。地、五・四に出づるミノスは即ちゼウスとエウロペの間の子なり
フェニキアの岸はイエルサレムと殆んどその子午線を同うす、故にフェニキアの岸を見たりといふは猶イエルサレムを見たりといふ如し
八五―八七
〔一天宮餘〕ダンテは雙兒宮に太陽は白羊宮にあり、而してこの二宮の間に金牛宮あれば一天宮餘といへり、即ち太陽は三十度餘さらに西に進みゐたるなり
〔小さき麥場〕人の世界(天、二二・一五一)
〔なほ廣く〕フェニキアの岸よりもなほ東の方を
イエルサレムの先の見えざるは眼界の限られたるに非ずして日の光の及はざるなり、即ちこの時はガーデの正午イエルサレムの日沒と知るべし、ダンテは太陽より後るゝこと一天宮餘なれば註釋者或ひはその位置をイタリア(ガデスより四十五度。但しダンテの計算に從ふ)の直上《まうへ》とす
天、二二における俯瞰當時の太陽は即ちイエルサレムの子午線にあり、故にダンテは東の方ガンゼを見るをえ、その後二時間餘にして西の方ガデスを見るを得、さればダンテが雙兒宮にありて全地を視るに要する時間は即ちこの二時間餘なり
この項の解説概ねムーアに從ふ、委しくはその『ダンテ研究』第三卷六二頁以下を見よ(clima の解説については同書一三一頁以下參照)
八八―九〇
〔常よりも〕卑しき地球を見しによりて〈天、二二・一三六―八參照)
九一―九三
〔自然や技〕淨、三一・四九―五一參照
〔餌〕pasture(鳥を誘ふ爲の食物)美。自然は肉體に技は繪姿にその美を示す
九七―九九
〔レーダの美しき巣〕雙兒宮。レダ(レーダ)の二子カストルとポリュデウケースが雙兒宮の星となれりとの傳説に據る(淨、四・六一―三註參照)
〔いと疾き天〕プリーモ・モービレ(原動)。また全く透明なるによりて cielo Cristallino(水晶天)ともいふ(『コンヴィヴィオ』二、四・九以下參照)
一〇〇―一〇二
〔孰れを選びて〕この天のいづれの部分に我を着かしめしやを
一〇六―一〇八
宇宙の中心にある地球は靜止し諸天及びその内なる一切の被造物は運行す、これ宇宙自然の作用にてこの作用の始まるところは第九天なり
一〇九―一一一
〔處なし〕その存在する處なし。他の諸天は各
その上なる一の天に包まれその内に處を占むれど、第九天は然らず、たゞ神の聖意《みこゝろ》のうちに包まる
第九天はエムピレオの天に蔽はるれどエムピレオは神の御座《みくらゐ》にて他の諸天の如く物質より成るにあらねばかく言へり
〔愛〕第九天はかのエムピレオの天を慕ひその各部かの天の各部と結び合はんとして
る(『コンヴィヴィオ』二・四・一九以下參照)
〔降す力〕その下なる他の諸天に及ぼす力(天、二・一一二―四參照)
一一二―一一四
光と愛との滿ち充つるエムピレオの天は第九天を蔽ひ、その状あたかも第九天が他の諸天を蔽ふに似たり、而してエムピレオの天を司る者はこれを包む者即ち神のみ
一一五―一一七
〔測られじ〕弟九天は他の諸天の運行の源にて諸天にそれ/″\その運動の力を頒つものなれば、諸天運行の測定の本は第九天にあり、されど他の諸天の運行は各
異なるがゆゑに其一によりてその源なる第九天の運行を測定し難し
〔十の〕五を二倍し二を五倍して十なる數をうる如し。但しこは單に完全なる測定の可能なるを示せるに過ぎざるならむ
一一八―一二〇
時なるものは諸天體日毎の運行にもとづきて定めらる、第九天は運行の本なり、故にまた時の本(根)なり
〔鉢〕第九天。その運行目に見えず知り難し、根のかくれて知れざる如し
〔他の諸
の鉢〕他の諸天。人その運行によりて時を測るを得、葉の顯れて知らるゝ如し
一二一―一二三
以下一四一行まで、ベアトリーチェはダンテの地球遠望に因み一轉して人間の私慾を難ず
一二四―一二六
人に善心の花は咲けども、惡の誘ひに惑はされて、善行の實は結はじ
〔惡しき實〕bozzacchioni 李が花より實に變る頃長雨の爲發育宜しきを失ひ蟲に冒されて食ふべからざるに至るをいふ
一三〇―一三二
人生長すれば幼時の順良を失ひ、寺院の法《のり》をも守らざるにいたる
〔いかなる月の頃〕いかなる時、即ち斷食を守るべき時にも然らざる時にも。特に月といへるは滿月より數へて斷食の日を定むるの例あればなり
一三六―一三八
人間の性情が前記の如く善より惡に變ずるさまはあたかもその肌が年とともに幼時の美しき色を失ふに似たり。但しこの一聯異説多し
〔殘しゆくもの〕太陽
〔美しき女〕人間。天、二二・一一六に太陽を「一切の滅ぶる生命の父」といひ、また『デ・モナルキア』(一・九・六―七)にはアリストテレスの言を引用して「人は人と太陽とより生る」といへり
一三九―一四一
〔治むる者なき〕法王ありてその座空しく(二二―四行參照)、皇帝ありてその實なし(淨、六・七六以下參照)
一四二―一四四
以下偉人出現の豫言
〔百分一の〕ユーリウス・カエサルの改正暦に從へば一年は三百六十五日と六時間にて、これを實際の年に比すれば一年に約十二分即ち一日の約百分一の差あり、この差積りて百餘年に一日となる、されは幾千年の後には暦日實際の日を超えて遠く離れ第一月は冬ならずして春なるに至らむ(ムーアの『ダンテ研究』第三卷九五頁以下參照)
ユーリウス暦は一五八二年法王グレゴリウス十三世によりて改められき、ダンテの時代に暦日と實際の日との間に、八九日の差ありしもこの誤りによりてなり
但しこゝの文意は單に「久しからずして」といふごとし
一四五―一四七
〔艫を〕嵐が船の方向を變ずる如く偉人は人を惡より善にむかはしめ
〔千船〕人類
一四八
〔眞の實〕一二四―六行參照
第二十八曲
ダンテ第九天にて、九級の天使より成る九個の輪を見、ベアトリーチェの教へを受く
一―三
〔天堂に置かしむる〕imparadisa(わが心を高めて)天堂の事を思はしむる
但し、(わが心に)天堂の悦を與ふる意に解する人あり
四―六
以下二一行まで、ダンテがベアトリーチェの目に光鋭き一點の映ずるを見、その物の何なるやを知らんとて身を轉らしゝさまを敍す
〔燈火〕doppiero 大蝋燭の一種
〔鏡〕己が前なる
七―一二
〔此と彼と〕眞と玻
と(實物と映れる影と)
一三―一五
〔めぐるを視る〕わが今視る如く。ダンテは既に超人の視力を有す。「かの天」は第九天
〔現はるゝもの〕次聯に出づ
一六―一八
〔一點〕神。分つ可からず量るべからざる「點」をもて、形體の觀念を容れざる神性を表はす
一九―二一
〔並ぶごとく〕並びて天に現はるゝ如く
二二―二四
〔水氣のいと濃き〕かゝる時は暈《かさ》特に日月に近し
〔これを彩る光〕暈に色彩を與ふる日月
二五―二七
〔一の火の輪〕輪形を成せるセラフィーニ(天、四・二八―三〇並びに註參照)の一團
〔運行〕第九天の
二八―三〇
〔第二の〕第二の輪はケルビーニの一團。以下第九まですべて九個の輪によりて九級の天使を表はせり(九七行以下參照)
三一―三三
〔今や〕第七の輪にいたればもはや虹もその圓内にこれを容《い》るゝ能はじと見ゆる程大なり
〔ユーノの使者〕虹の女神イリーデ(天、一二・一〇―一二並びに註參照)
〔完全〕虹がたとひ完全なる圓をゑがきて現はるとも
三四―三六
〔然り〕次第に大きさを増して前の輪を卷くをいふ。
〔その數が〕第二第三と數のますに從つての義にて、一は「一點」を指すにあらず
三七―三九
〔清き火衣〕「一點」
〔これが眞に與かる〕di lei s'invera(その眞の中に入る)神性の何たるやを會得すること
四〇―四二
〔天も〕諸天及びそが下方に及ぼす影響は皆神に歸す。萬物は皆神の定め給ふ法《のり》に從つてはたらく。アリストテレスの「第一原因」を「一點」にあてはめしもの
四三―四五
〔愛〕神を慕ひ神に近づかんとてめぐるなり
四六―五一
諸天は宇宙の中心なる地球より遠ざかるに從つて
ること愈
早く、これらの輪はかの一點より遠ざかるに從つてめぐること愈
おそし、故にダンテは物質界の法則とこれらの輪の法則と相異なるをあやしめり
〔わが前に〕我は汝の言葉を聞きて滿足せるならむ。前に置くは食を調へて人に進むるに譬へしなり
〔諸
の囘轉〕諸天
〔聖なる〕完全なる。神の力を安くること多きがゆゑに
ることまた早し
五二―五四
〔神殿〕第九天
〔愛と光とを〕天、二七・一一二參照
〔我願〕第九天に生じゝ
五五―五七
〔模寫と樣式〕官能界と天使の輪(四六―五一行參照)
五八―六〇
〔試みられざるによりて〕何人も解かんとせしことなきによりて
六四―六六
物質界にありては力と大小と比例するをいへり
〔諸
の球體〕九個の天
〔力〕上より受けて下に與ふる力
六七―六九
力大なればその與ふる福(善き影響)もまた大に、體大なればその受けて有する福もまた大なり
七〇―七二
是故にこの最大の球、即ち他の八天を
轉せしむる第九天は、その力また最大なるにより、かの最小の輪、即ち神に最《いと》近くして愛も智も最勝るゝセラフィーニの群に相當す
七三―七五
是故に諸天使の輪を量《はか》るに當りその標準を形の大小に(官能界の時の如く)置かずして力の大小に置かんには
七六―七八
諸天にありては體の最大なるもの最も勝れ、天使の諸群にありては神に最も近きもの最もすぐる、而して勝るゝが故に疾く
る、是においてか第九天は第一輪(セラフィーニ)に相應し第八天は第二輪(ケルビーニ)に相應す、以下の諸天皆亦かくの如く各
これを司りこれに
轉を與ふる天使に相應す
〔大いなるは優れると〕大なる天はまされる天使と
七九―八一
〔ボーレア〕北風
〔頬〕註釋者曰く。人の顏をもて風位を示す事より來れり、ボーレア口を直くして吹けば北風となり、歪《ゆが》めて右の頬より吹けば北西の風となり左の頬より吹けば北東の風となると
叉曰く。北東の風は北西の風よりも温和にて、よく空の霧を拂ふと(ヴァーノン『天堂篇解説』第二卷三八一―二頁參照)
〔半球の空〕即ち見渡すかぎりの室
八二―八四
〔霧〕roffa 空を曇らす雲霧の類
〔その隨處〕ogni sua parroffa 最後の語については異説ありてその義定かならず、今一古註により Parte(部分)の意とせり
九一―九三
〔火花は〕火花即ち諸天使はその悦を表はさん爲こゝかしこより舞ひ立ちしかど、なほ各
己が屬する輪に附隨してめぐり、輪形をも
轉をも損ひ亂すことなかりき
〔將棊を倍する〕數の多きを形容していへり。傳説に曰く、將棊の發明者ペルシア王に謁す、王、將棊を見て喜び何にても望むものを與へんといふ、發明者即ち麥の一粒を將棊盤の目の數に從ひ順次に倍して(第一目に一粒、二目に二粒、次に四粒次に八粒、十六粒、三十二粒と次々に倍して最後の第六十四目にいたる)與へよと請ふ、王その望みの小なるを笑ふ、されど侍臣をしてこれを計らしむるに及び數の莫大(二十桁)にして、約を果す能はざるを知れりと
九四―九六
〔處に〕即ち天使注が各
神の定め給ひたる地位を保ちて永遠にその恩寵を受くるをいふ
〔オザンナ〕天、七・一參照
九七―九九
〔疑ひ〕天使の階級に關する疑ひ、諸聖父の説一ならざれはなり
(一)セラフィーニ以下の名稱は皆聖書より出づ(各條註參照)、寺院の聖父等この名稱により天使を種々の階級に別てり、即ちすべて三の組とし組毎に三級の天使を配す、但しその排列の法聖父によりて異同あり
(二)こゝに掲ぐる分類はすべて「諸天使階級論」に據る、こはディオニュシオスの作として(天、一〇・一一五―七註參照)中古世に行はれし書なり
(三)『コンヴィヴィオ』(二・六・四三以下)に出づる分類はこの分類と同一ならず、思ふにこれダンテがかの書以後その説を改めたるによるならむ
〔セラフィニ〕セラフィーニ。イザヤ書六・二等。プリーモ・モービレを司る天使
〔ケルビ〕ケルビーニ、ケルビム詩篇八〇・一等。恒星天を司る天使
一〇〇―一〇二
〔絆〕かれらを神と結び合はす愛の絆。これに從ふは愛に動かされて|
《めぐ》るなり
〔視る〕高き近き處より神を視るがゆゑにその高さ近さに應じて神に似るの度他にまさるなり
一〇三―一〇五
〔愛〕天使
〔神の聖前の〕直接に神の光を受けて之を諸聖徒に傳ふるがゆゑに(天、九・六一―三參照)かく
〔寶座〕コロサイ書一・一六等。土星天を司る天使
〔第一の三の〕されど何故にこれが爲「資産」と呼ばるゝや明かならず、恐らくは一〇五行の Perch
を Perche と讀み「是故に第一の三の組かれらに終る」と譯す方正しからむ(スカルタッツィニ一册本註參照)
一〇六―一〇八
〔眞〕神。一切の智に休安を與ふ(天、四・一二四以下參照)
一〇九―一一一
まづ神を見、神を知りて而して後神を愛す、故に見ることは愛することに先んず(天、一四・四〇―四二參照)トマス・アクイナスの神學説によれり
一一二―一一四
神を見るの如何は功徳即ち善行の多少に準じ、功徳は神恩とこれを迎ふる善心とより生ず
〔次序を〕神恩善心相結ばりて功徳に進み、功徳知に進み、知愛に進む
一一五―一一七
〔永劫の春〕天堂の
〔夜の白羊宮も〕秋期の凋落を知らざる。秋分にいたれば日は天秤宮に入るがゆゑに夜はその反對面の天宮即ち白羊宮にあり
一一八―一二〇
〔歌ひ〕sverna(冬を出づ)冬去り春來る時、鳥の喜びて歌ふことよりこの義生る
〔喜悦の位〕即ち天使の位
一二一―一二三
〔神〕地、七・八七參照
〔統治〕コロサイ書一・一六等。木星天を司る天使
〔懿徳〕エペソ書一・二一(能力)、火星天を司る天使
〔威能〕エペソ書一・二一等。太陽天を司る天使
一二四―一二六
〔主權〕コロサイ書一・一六等。金星天を司る天使
〔首天便〕テサロニケ前書四・一六等。水星天を司る天使
〔天使〕月天を司る天使
一二七―一二九
〔上方を〕かの一點即ち神を
〔引かれしかして〕自ら神の方に引かれつゝ、その下なるものを神の方に引く。たとへばセラフィーニが神に引かれつゝケルビーニを引き、ケルビーニがセラフィーニに引かれつゝツローニを引くごとし
一三三―一三五
〔グレゴーリオ〕法王グレゴリウス一世(淨、一〇・七三―五參照)
〔彼を離れ〕天使の分類においてディオニュシオスと異なる所あるをいふ
一三六―一三九
〔人たる者〕ディオニュシオスの如く
〔見し者〕使徒パウロ(地、二・二八―三〇並びに註參照)。パウロは天上にて得し知識をばディオニュシオスに傳へたりと信ぜられしによりてかく
〔輪〕天使の輪
第二十九曲
ベアトリーチェ天使を論ず
一―六
ベアトリーチェの默しゝ間の極めて短きを譬へにて表はせり。白羊宮は天秤宮と正反對面にあり、晝夜平分の頃日月の一白羊宮に一天秤宮にありて同時に地平線に懸ればそが天心を距ること共に相等しきが故にあたかも天心の秤《はかり》その平準を保つ如し、されど忽ちにして一は地平線上に昇り一は地平線下に降り、二者半球を異にするにいたる
〔ラートナのふたりの子〕日月(淨、二〇・一三〇―三二註參照)
〔權衡を保つ〕この項異本多し、委しくはムーアの『神曲用語批判』四九五頁以下參照
七―九
〔一點〕神(天、二八・一六)
一〇―一二
〔處と時〕一切の處一切の時皆神に集まる。神の知り給はざる處なく時なし
一三―一五
以下四八行まで、天使創造の理由、時、及び處等を論ず。この一聯にては萬物の創造がたゞ神の愛より出づるこれとをいへり、神は至上の幸にいませば己が幸を増すの要なし、たゞその榮光の顯現なる被造物をして各
悦びても存在を保つをえしめんため
〔その光〕神の榮光の反映なる被造物
〔我在りといふ〕萬物各
その存在を自覺して喜ぶこと
一六―一八
〔他の一切の限〕處。萬物創造の後始めて時間空間あり
〔新しき愛〕被造物。「永遠の愛」即ち神に對して
一九―二一
創造の御業《みわざ》は時間を超越する永遠のうちに行はれしものにて、これに先後なるものなし、創造の後には時間あれどもその前には時間なきがゆゑに創造の常に神休らひゐ給へりとはいひ難し
〔これらの水の上に〕創世記一の二に「神の靈諸
の水の面《おもて》に動けり」とあるによる、この一句なほ「創造の御業は」といふ如し
二二―二四
純なる形式(三一―三行註參照)、純なる物質、及び形式と物質との相混ぜるもの同時に神の聖旨《みむね》より出で、聖旨に適ふものとなりたり
二五―二七
光線が透明體を照らすとその中に入終るとは殆んど同時の作用なるごとく
二八―三〇
形式、物質及びこの二者の結合せるもの皆直ちにその存在を全うし、いづれも成り始むると成り終るとの間に時の區別なし
以上の三聯にてベアトリーチェは創造が凡て同時にかつ瞬時に行はれしことをいへり。註繹者曰く、ダンテはこの説においてアウグスティヌス、ペトルス・ロムバルドゥス及びトマス・アクイナスに從へりと
三一―三三
〔時を同じうして〕以上三つの物の造らるゝと同時に
〔純なる作用を〕作用の純なる者即ち純なる形式(諸天使)
「物その形式を有するにいたれば直ちにこれに從つて作用をあらはすが故に」トマス・アクイナスはその『神學大全』において「形式は即ち作用なり」といへり(ノルトン註參照)
〔宇宙の頂となり〕エムピレオの天に置かれ
三四―三六
〔純なる勢能〕他の作用を受くるに過ぎざる者即ち純なる物質
〔最低處〕月天の下
〔中央には〕天使と地球の間には形式と物質との固く相結ばれる者即ち他の作用を受けつゝ他に作用を及ぼす諸天(天、二・一二一―三參照)置かる
三七―三九
〔イエロニモ〕ヒエロニムス。ラテン寺院の聖父にて、その譯にかゝるヴルガータ最も著はる(四二〇年死)
〔録せる〕テモテ書一・二の註に。トマスはその『神學大全』においてヒエロニムスの説を駁せり
四〇―四二
〔眞〕天使達が殘りの宇宙と同時に造られしこと
〔作者達〕聖經諸事の作者等。但し出處明らかならず、註釋者は「エクレジアスチクス」十八の一なる「永生者時を同うして萬物を造り給へり」及び創世記一の一(トマス曰く。太初に神天地を造り給へりと創世記一の一に見ゆ、もしこれらより先に造られし物あらばこの事眞ならじ、是故に天使は形體的自然より先に造られたるにあらずと)を擧ぐ
四三―四五
〔諸
の動者〕諸天を司る天使達
〔全からざりし〕運行すべき諸天なくば運行を司る諸天使何ぞその務を果すをえむ、務を果す能はざるはその存在の意義なきなり、全からざること知るべし
四六―四八
〔これらの愛〕即ち天使
〔いづこに〕「宇宙の頂となり」(三二―三行)といひ、かれらがエムピレオの天にて造られし意を表はせばなり
〔いつ〕その餘の宇宙と同時に(一三行以下)
〔いかに〕「純なる作用」(三三行)として
四九―五一
以下六六行まで、背ける天使と忠なる天使とについて
〔二十まで〕當時の神學説に從ひ、天使の創造とその一部の墮落とが殆ど同時なりしをいへり
〔汝等の原素〕地水火風の四原素、その中最下方に在る物は地
〔亂し〕地、三四・一二一以下參照
五二―五四
〔技〕神(一點)のまはりを舞ひめぐること
五五―五七
〔墮落〕天使の一部の
〔宇宙一切の重さに〕即ち地球の中心にありて(地、三四・一一一並びに註參照)
〔者〕魔王ルチーフェロ
五八―六〇
〔善〕神の
〔悟る〕神を
六一―六三
〔功徳〕謙りて神恩を受くること(次聯參照)
〔視る〕神を
〔意志備りて〕罪を犯す能はざるまで
六四―六六
〔恩惠を〕神恩を受くるはその事既に功徳なり、而して喜びて神恩を迎へ入るゝ情愈
切なればこの功徳またいよ/\大なり
六七―六九
〔集會〕天使達
七〇―七二
以下八四行まで、天使の能力について。ベアトリーチェは天使に了知及び意志あることを否定せず、されど記憶あることを絶對に否定す、即ちこの點においてやゝトマスの説と違へり
七三―七五
〔言葉の明らかならざる〕特に記憶について言ふ、即ちこの語を普通に用ゐらるゝ意義に從つて一觀念または一事實を再び心に呼起す力とする場合の如し、天使はかゝる力を有せず、有するの要なければなり
七六―八一
神は一切の事物を視給ふ、故に一切の事物皆現在なり、諸天使また絶えず神の鏡に照してよく一切の事物を視る、故に新しき物入來りてその視る力を阻むことなし、視る力阻《はば》まれず忘るゝことあらずば何ぞまた憶ひ出づべきことあらむ
〔新しき物〕新しき物入來りて過去の事物の印象を亂す時、始めてこゝに忘るゝことあり思ひ起すの要生ず
〔想の分れたる爲〕per concetto diviso 印象心を離れ(新しき物のため)現に心に在らざるため、但し異説あり
八二―八四
〔夢を見〕眞理の基礎なき事物を想像し(天使に記憶ありといふ如き)
〔罪も恥も〕前者は夢を眞《まこと》と信ず、咎《とが》無智にあり、後者は自ら眞と信ぜずして虚榮の爲に眞なりといふ、咎惡意にあり
八五―八七
以下一二六行まで、ベアトリーチェは當時の説教者等を難ず
〔同一の路〕眞理に達するの路
八八―九〇
〔曲げらる〕曲解せらる
九一―九三
〔血〕殉教者の
九四―九六
〔福音ものいはじ〕説教者等福音を宣べ傳へずしてかゝる雜説にのみ空しく時を費すをいふ
九七―九九
福音の眞義に關係なき雜説の例を擧ぐ
〔クリストの〕キリスト磔殺の時地上遍く晦冥となりしを(マタイ、二七・四五等)日蝕の作用に歸せんとてこの説を爲す
〔月退りて〕當時月は太陽と反對の天にあり、故に地球と太陽との中間を隔てん爲には後退すること六天宮ならざるべからず
一〇〇―一〇二
また或人は曰ふ、こは月の爲ならず太陽自らその光を隱せる爲なれば、地上の闇は西の際涯《はて》より東の際涯に及びたりと
一〇三―一〇五
〔ラーポとビンド〕中古フィレンツェに最も多く用ゐられし名にてラーボはヤーコポの略、ビンドはヒルデブランドの略なりといふ
一〇六―一〇八
〔羊〕信徒
〔己が禍ひを〕益なき雜説を聞きて寺より歸るは無智の爲なれど、極めて肝要なる靈の糧につきてかく無智に、いかなる牧者にも信頼するは信徒自身その罪なきにあらざるなり
一〇九―一一一
〔眞の礎〕福音の眞理
一一五―一一七
〔僧帽脹る〕説教僧に自得の色あり
一一八―一二〇
〔鳥〕鬼(地、二二・九六參照)。聖靈の導によらず惡魔の靈感によりて言を發す、人もしその眞相を知らば罪の赦を得んとてかゝる僧に就くことの無益有害なるを覺らむ
一二一―一二三
〔是においてか〕教へを説く者かくの如くなるがゆゑに
〔證〕法王より赦罪の權を委ねられたりとの證。約束は即ち赦罪の約束
一二四―一二六
〔聖アントニオ〕聖アントニウス。エジプトの隱者にて僧院生活の基を起せる者(二五一―三五六年)。こゝにてはこの派に屬する僧侶等を指す、かれら施物をもて豚を飼ふ、フィレンツェ市にてもこれらの豚或ひは街路にさまよひ或ひは人家に闖入して市民の累となりしかど市民あへてその自由を妨げざりきといふ
〔贋造の貨幣を拂ひ〕無效なる赦罪を賣物として
〔これにより〕人々の愚にして信じ易きこと(一二一―三行)により
〔豚より穢れし者〕妾や墮落せる僧等
一二七―一二九
以下天使の數と天使における神の榮光の顯現とを論ず
〔正路〕天使論
〔時とともに〕この天に止まるべき時少くなりぬ、さればその少きに應じて疾くかの論を進むるをよしとす
一三三―一三五
〔ダニエール〕ダニエル書七・一〇
一三六―一三八
〔第一の光〕神の光
〔諸
の輝〕諸天使。かれら皆神の光を受くれど受くる度各異なるが故にその異なる度の數は天使の數と相等し
一三九―一四一
神より受くる光多ければ神を見神を知ること(會得の作用)從つて多く、神を知ること多ければ神を愛することまた深し(天、二八・一〇九以下參照)、是故に神に對する諸天使の愛各
その強さを異にす
一四二―一四五
〔鏡〕天使。神はその光をかく多くの天使に分ち與へ給へどその完全なること故の如し
第三十曲
ダンテ、ベアトリーチェとともにエムピレオの天にいたりて天上の薔薇を見る
一―三
以下の數聯にて、諸天使の輪の次第に見えずなれるを、曙の光のため空の星の次第に消ゆるに譬へたり
〔第六時〕正午
〔六千マイル〕ダンテは地球の周圍を二萬四百マイルとなせり(『コンヴィヴィオ』三・五・八○以下參照)、ゆゑに太陽六千マイルの東にある時はその地日出前約一時なり(ムーア『ダンテ研究』第三卷五八・一九頁參照)
〔この世界の〕地球はその圓錐状の陰を殆んど水平に西に投ず
七―九
〔侍女〕曙
一〇―一二
〔己が包むものに〕神(一點の光明)はかの天使の諸群に包み圍まると見ゆれども、實際はかれらを他の一切の被造物と同じく包容し給ふ
一六―一八
〔務〕vice 彼の事を敍すべき務。但し異説あり
二二―二四
〔喜曲、悲曲〕註釋者曰く。こは廣義の喜曲悲曲にて今の所謂喜劇悲劇の意に非ず、すべて詩風詩體の甚だ崇高醇雅なる作品を悲曲といひ、そのさまでならざるものを喜曲といへる中古の例に據《よ》りしなりと
二五―二七
〔わが心より〕わが心の作用《はたらき》を弱めて、憶ひ出づること能はざらしむ
三四―三六
ベアトリーチェの美は我にまさる詩人ならでは敍し難しとの意
〔ほどに〕ほどいと美しく
三七―三九
〔最《いと》大いなる體〕第九天
〔光の天〕エムピレオの天
四〇―四二
註釋者曰く。幸福の三段この中にあり、(一)智の光によりて神を見、(二)見て愛し、(三)愛して法悦に入る
四三―四五
〔二隊の軍〕天使と聖徒
〔一隊を〕聖徒達は光の中にかくれず、肉體そのまゝの姿にて汝に現はれむ
〔最後の審判〕この時至れば人間の靈再び肉の衣を着ること前に出づ(地、六・九八參照)
四六―五一
天堂の強き光にあたりてダンテの視力亂れ何物をも見る能はざりしをいふ
〔物見る諸
の靈〕天、二六・七〇―七二並びに註參照
〔いと強き物〕極めて強く輝く物。強き光の爲視力一たび亂るれば、いかに燦かなる物といへどもその印象を目に與へざるにいたる
五二―五四
ベアトリーチェの詞
〔愛〕神、即ちエムピレオの天に平安を與へ給ふ者
〔かゝる會釋〕かく強き光
〔蝋燭を〕天堂に入來る聖徒をして神を見るを得しめん爲まづ強き光に慣《な》れしむ。但し蝋燭の譬明らかならず、或ひは單に求むる光の強弱に從つて蝋燭を整ふる如く聖徒をして神の光に堪へうるやう豫め備へしむる意か
五八―六〇
〔防ぎ〕堪へ
六一―六三
〔春〕春の花(淨、二八・四九―五一參照)
六四―六六
河は神恩の光、火(原、火花)は天使、花は聖徒なり。ブーチ曰く、生くる火花流れより出でゝ花にとゞまる、これ神恩滿ちみつる天使(たえず神の愛に燃ゆるがゆゑに火花といふ)かの神の惠みによりて常に徳を行ふ(草は善行なり)聖徒達の魂を勵ますなりと
七三―七五
汝己が求知の願ひをかなへんと欲せば、まづこの光の流れを見、これによりていかなる物をもそのあるがまゝに見るをうるまで汝の視力を強くせよ
〔日輪〕ベアトリーチェ、即ちわが智を照らすもの(天、三・一參照)
七六―七八
〔珠〕topazii(黄玉)、「生くる火」のこと
〔草の微笑〕草を飾る花
〔豫め示す象〕原、「象徴的序論」ブランクの言に從へば、序が作物の内容を示す如く、河や火はその實際のものを(即ちやがてダンテの目に明らかに見ゆべきものを)前以て示す象《かたち》に外ならずとの義
七九―八一
〔難き〕acerbe(未熟なる)解し難き。但し不完全なるの意に解する人あり
八五―八七
〔目を〕わが視力をなほも強からしめんとて
〔優れる〕視る者の能力を増さん爲神より出づる光なれば
八八―九〇
〔わが瞼の〕わが目この光に觸れたる刹那に
九四―九六
〔悦び〕feste 樂しき光景。花は聖徒に、火は天使に變れるなり
九七―九九
〔凱旋〕天上に凱歌を奏する天使と聖徒
一〇〇―一〇二
〔光〕さきに河と見えし光
一〇三―一〇五
〔日輪の帶〕當時信ぜられし太陽の大きさについては『コンヴィヴィオ』四・八・五一以下參照
〔圓形〕註釋者曰く。圓は始めなく終りなし、是故に昔あり今あり後ある永遠の象徴なりと
一〇六―一〇八
かく大いなる圓形の光も神よりいづる一線《ひとすぢ》の光に過ぎず、プリーモ・モービレの天はこの光を受けてその生命(運行)と力(下方に及ぼす影響)とを得
一一二―一一四
聖徒等かの光の周圍に無數の列を造りて己をこれに映《うつ》す、而してその列外部に向ふに從つて次第に高く、あたかも圓形の劇場の如し、今全光景を薔薇の花と見なせば、中央の光は花の中心の黄なるところに當り周圍の列は花瓣にあたる
一一五―一一七
〔いと低き〕かの光に接する最小の列さへ太陽よりも大いなるに
一一八―一二〇
〔かの悦びの〕全光景を一目に視てそこに滿つる悦びの大いさ深さをすべて知りたり
一二一―一二三
〔近きも遠きも〕エムピレオの天にては距離の遠近も視力に影響を及ぼさず、遠き物近き物皆等しく明かに見ゆ
一二四―一二六
〔日輪〕神。「とこしへに春ならしむ」とはその榮光をもて永遠に天の萬軍を福ならしむること
一二七―一二九
〔白衣の群〕聖徒等白衣を着ること默示録の諸處に見ゆ(三・五、四・四等)
一三〇―一三二
〔われらの都〕所謂天上のイエルサレム(默示、二一・一〇以下參照)
一三三―一三五
〔汝の未だ〕汝の死せざるさきに。ハインリヒ七世はダンテに先立つこと八年にして死せり
〔婚筵に〕これに列りて食するは天上の福を享《う》くるなり(天、二四・一―三並びに註參照)
一三六―一三八
〔アルリーゴ〕ルクセンブルクのハインリヒ七世。一三〇八年十一月選ばれて皇帝となり、一三一三年八月死す、ダンテはイタリアの統一事業の完成につきて彼に多くの望みを囑しゐたりしなり
〔その備への〕ハインリヒの企業を妨ぐべき種々の障礙の取除かれざるさきに
一三九―一四一
皇帝(乳母)に反抗せるグエルフィ黨及び寺院の一派を主としてこゝに責めしなり
一四二―一四四
〔者〕クレメンス五世、陰に陽にハインリヒの敵となれる者(天、一七・八二―四並びに註參照)
〔その時〕ハインリヒがイタリアにいたれるは一三一一年にてその頃法王たりし者は即ちクレメンス五世なり
〔神の廳〕寺院
一四五―一四七
〔後〕ハインリヒの敵となりてその企圖を妨げし後、換言すればハインリヒの死後。クレメンスは一三一四年四月即ち皇帝の死後八ヶ月にして死せり
〔シモン・マーゴ〕地、一九・一並びに註參照
〔處〕第八獄第三嚢
〔投げ入られ〕地、一九・八二―四參照
一四八
〔アラーニア人〕ボニファキウス八世(淨、二〇・八五―七註參照)
〔愈
深く〕孔の中に(地、一九・七九―八四並びに註參照)
第三十一曲
ベアトリーチェその榮光の座に歸り、聖ベルナルドゥスをして己に代りてダンテの最後の導者たらしむ、ダンテ即ちこの導者の言に從ひ遍く天上の薔薇を見かつ特に聖母の光明を仰望す
一―三
〔血をもて〕死によりて贖《あがな》ひえたる聖徒達
四―六
〔殘の一軍〕天使達
〔ものゝ〕神の榮光と威徳とを
七―九
〔ところ〕巣。即ち働きてえたるものを甘き蜜となすところ
一〇―一二
〔愛〕神
一三―一五
註釋者或ひは曰く。この三の色は愛、智、純の表象なりと
一六―一八
諸天使花の中に降り、神より得たる平和と愛とを聖徒達に傳ふ
〔脇を扇ぎて〕翼を動かして、即ち神の御許《みもと》に飛行きて
一九―二一
〔上なる物〕神の寶座《みくらゐ》
〔目も輝も〕目(薔薇の中にある者の)が輝(神の)を見ることも輝が目に達することも
二二―二四
〔神の光〕神の光はいたらぬくまなし、たゞ多く受くるに足るもの多くこれを受け、然らざるもの少しくこれを受くるのみ(天、一・一以下參照)
〔何物も〕是故に天使達も
二五―二七
〔舊き民新しき民〕舊約新約兩時代の民
〔一の目標〕神
二八―三〇
〔星〕光。航海者の目標なる星に因みて(パッセリーニ)
〔三重の光〕一にして三なる神の光
〔嵐を〕天上の平安より思を地上の不安に致して神の祐助を祈るなり
三一―三三
〔エリーチェ〕カリスト。アルテミスに事《つか》へしニムフ(淨、二五・一三一並びに註參照)、化して宿星となる。こゝにては大熊星を指す
〔愛兒〕カリストの子アルカス、同じく化して宿星となる。こゝにては小熊星を指す
〔方〕逢か北の方、即ち大熊星の下に當る地方
三四―三六
〔いかめしき業〕宏大なる建築物等
〔ラテラーノ〕ローマの昔の皇居、但し一般にローマを代表す。皇居の莊麗他に類《たぐひ》なき頃といふはなほローマの全盛時代といふ如し
四三―四五
〔誓願〕その神殿に詣でんとの
四六―四八
〔生くる光〕天上の薔薇の
四九―五一
〔微笑〕喜びの光
〔愛の勸むる〕愛の現はるゝ(カーシーニ)。この句を「愛に誘ふ」即ち他の者を愛に導く意となす人あり
五八―六〇
〔一人の翁〕聖ベルナルドゥス(一〇九一―一一五三年)。フランス、ブルグンティーなるフォンティーヌに生れ、パリに學び、シトーの僧院に入り(一一一三年)、後多くの僧院をクレールヴォーに建設してこれが首僧たり、聖母を愛すること極めて深し、その著作に『デ・コンシデラチオネ』あり
聖ベルナルドゥスは默想を表示す、人默想によりて神恩を受け最もよく神を視るにいたるが故にベルナルドゥス淑女に代りてダンテに三一の微妙をうかゞふをえしむ、その聖母を深く愛することもまた詩人の最後の導者となれる一理由なり(ムーア『ダンテ研究』第二卷六二頁參照)
〔榮光の民の如く〕白し(天、三〇・一二九參照)
六四―六六
〔彼何處に〕名をいはず、情迫ればなり
六七―六九
〔第三〕第一列に聖母、第二列にエヴァ、第三列にラケルとベアトリーチェ(天、三二・四以下參照)
七〇―七二
〔永遠の光〕神の光ベアトリーチェに注ぎ、反映《てりかへ》してその冠となりゐたり。聖書に見ゆる輪《わ》後光は即ち受福者の福祉の象徴
七三―七八
人間の眼千尋の海の底深く沈みてその處より仰ぎ見ることありとも、その眼と地上の大氣の最《いと》高き處との間の距離は、わが目とベアトリーチェとの間の距離に及ばじ、されど我善く彼の姿を見たり、これかしこにては人が地上にて物を見る時の如く空氣や水などの物體を透して見るにあらですべて直觀によるが故に視力一切の距離に超越すればなり
〔沈む〕s'abbandona 沈むに任《まか》す意
七九―八一
以下九〇行まで、ダンテがベアトリーチェに語れる最後の詞にて、彼のこの淑女に對する愛と感謝と願ひとを言現はせるもの
〔地獄に〕地獄のリムボに(地、二・五二以下)
八二―八四
〔見し〕三界の歴程において
〔思惠と強さ〕我をしてかく視ることをえしめし神恩と力。これらの物はわが功徳より生るゝならで汝の力汝の徳よりいづ
八五―八七
〔奴僕の役〕罪の束縛
〔自由〕靈の
八八―九〇
〔賜〕即ち眞の自由
九一―九三
〔永遠の泉〕生命の泉、福の源なる神
九四―九六
〔願ひと聖なる愛〕ベアトリーチェのベルナルドゥスに請ひしことゝ淑女のダンテに對する愛
九七―九九
〔園〕聖徒の群(天、二三・七一參照)
〔神の光を〕神恩の光を傳ひて遂に神を見るをうべし
一〇〇―一〇二
〔天の女王〕聖母マリア
一〇三―一〇五
〔わが〕わがイタリアなる
〔ヴェロニカ〕Veronica(眞の像の義)。キリストの容貌を寫しとゞめし汗巾《あせふき》
傳説に曰く。キリスト十字架につけられんとてカルヴァーリにいたり給ふ、途に一婦人(或ひは曰く、ヴェロニカはこの婦人の名と)あり、主にその汗を拭はん爲汗巾を捧ぐ、主拭ひ終りて返し給へば聖顏まさしくその汗巾に寫りゐたりと。この汗巾はローマなる聖ピエートロの寺院に保存せられ(今も然り)たれば人々これを見んとて四方よりかの寺院に詣できといふ
〔クロアツィア〕今、ユーゴスラヴィアの南部の地方の名。但し一般に遠國を指す
一〇六―一〇八
〔示さるゝ間〕日を定めて人に見する例なりければ
一〇九―一一一
〔現世にて〕天上無窮の福を地上にて既に默想の中に味へる者、即ちベルナルドゥスの、聖なる愛に燃ゆる姿を見
一一八―一二〇
〔まさる〕光において
一二一―一二三
〔溪より山に〕薔薇のいと低き處よりそのいと高き列に日を移すをたとへて
〔頂〕山に因《ちな》みて薔薇の上部を指す
一二四―一二六
また譬へば太陽の將に現はれんとする處にては最《いと》強き光あり、其他の處にては距離(日出點よりの)の大なるに從つて光次第に衰ふる如く。
〔フェトンテ〕地、一七・一〇六以下並びに註參照。轅は日の車の轅
一二七―一二九
〔平和の焔章旗〕マリアの座を中心とせる天の一部
オリアヒアムマ(黄金の焔の義)は古のフランス諸王の旗なり、こは天使ガブリエルがかの王達に與へしものにてその下に戰ふ者勝たずといふことなしと傳ふ
この旗は黄金地に焔をあらはし出せるものなれはダンテは光に因みてかの天の一部を焔章旗といひ、地上戰鬪の旗に對して平和の文字を冠せるなり
一三〇―一三二
〔技〕飛びめぐるさまをいふ、その異なるは遲速あるなり。カーシーニ曰く、輝の異なるは愛の同じからざるを表はし、技の異なるは悦びの同じからざるを表はすと
一三三―一三五
〔美〕マリア
一三六―一三八
〔その樂しさ〕マリアの美のたのしさ
第三十二曲
聖ベルナルドゥス天上の薔薇における諸聖徒着座のさまをダンテに示教し、かつ彼をして聖母の温容を仰ぎ視しむ
一―三
〔己が悦び〕聖母マリア
四―六
〔庇〕罪の。マリア、キリストによりてこの庇を癒せり
〔美しき女〕エヴァ。神の直接に造り給へる者なれはいと美し。かれは禁斷の木の實をくらひて罪を犯し、かつこれをアダムに與へて子々孫々の禍ひを釀せり
七―九
〔ラケール〕ラケル。默想の生を表示す(淨、二七・一〇四並びに註參照)。またラケルのベアトリーチェと共に坐すること地、二・一〇一―二に見ゆ
一〇―一二
〔サラ〕アブラハム(地、四・五八)の妻(創世、一一・二九及び一七・一五等)
〔レベッカ〕イサク(地、四・五九)の妻(創世、二四・二以下)
〔ユディット〕ヘブライ族の勇婦(淨、一二・五八―六〇註參照)
〔歌人〕王ダヴィデ。詩篇五一(この歌 Miserere mei「我を憐みたまへ」に始まる)はダヴィデがウリアとその妻とに對する行爲を悔いて作れるものと信ぜられたればなり
〔曾祖母たりし女〕ルツ(ルツ、一・四以下)。王ダヴィデの曾祖父なるボアズ(ルツ、四・二一―二)の妻なり
一六―一八
〔花のすべての髮〕天上の薔薇のすべての花片
〔分く〕分岐線となるをいふ
天上の薔薇の花片(天、三〇・一一二―四註參照)すべて縱に二等分せらる、その一方の分岐線は最高の花片即ち最大の圓形の列より起りて最低の花片即ち光に接する最小の圓形の列に終り、他方の分岐線はこれと相對す、この二大部の中その一の上半即ち既に空席なきところにはキリスト以前の諸聖徒坐し他の一の上半即ち未だ空席あるところにはキリスト以後の諸聖徒坐す、而して下半は二大部に通じて小兒の席と定めらる、また二の分岐線の中その一即ち聖母より起るものは凡てヘブライ人の女達の席より成り、他の一即ち洗禮者ヨハネより起るものは凡て彼の事業を完うせんとつとめし聖者達の席より成る
一九―二一
〔クリストを見し〕キリストの出現を豫め信じゐたりし人々と、出現の後これを信ぜる人々とその信ずるさまの異るに從つて聖徒の列をわかつなり
二二―二四
〔全き〕原、「成熟せる」。座席のすべて塞がれるをいふ
二五―二七
〔諸
の半圓〕半圓をゑがく諸
の列
〔目を〕信仰の
三一―三三
〔ジョヴァンニ〕バプテスマのヨハネ
〔曠野〕、淨、二二・一五二參照。「殉教」、天、一八・一三五參照。「二年」、ヨハネの死よりキリストの死まで約二年の間地獄のリムボにあり
三四―三六
〔フランチェスコ〕アッシージの聖者(天、一一・四三以下)
〔ベネデット〕ノルチアの聖者(天、二二・二八以下並びに註參照)聖ベネデクトゥス。
〔アウグスティーノ〕聖アウグスティヌス。三五四年タガステ(昔のヌミディア)に生れる。ヒッポの僧正となりて四三〇年に死す、ラテン寺院の教父中最大なる者の一、ダンテよくその著作に通じ屡
これを引用せり(『コンヴィヴィオ』四・九・八三以下『デ・モナルキア』三・四・五一以下等)
三七―三九
〔園〕即ち天上の薔薇。註釋者曰く、キリスト以前は準備の時代なればその以後の如く多くの受福者を生むべきやうなし、ダンテがかく諸聖徒を均等に二分せる理由は重きをその詩的調和に置けるにありと
四〇―四五
最高の列と最低の列との中間に當りて二の分岐線を横斷する列より下はすべて稚兒の座席なり
〔他人の〕兩親の(七六―八行)
〔或る約束〕七六行以下參照
〔これらは皆〕皆理性の作用《はたらき》を有せざるさきに肉體を離れし靈なれば
四九―五一
〔異しみ〕己が功徳によらずして福を受くとせば何故にその座席(即ち福の度)に差別ありや、是ダンテの疑ひなり、ベルナルドゥス、ダンテの意中にこの疑ひあるを知り、こは奧妙深遠にして測るべからざる神意にいづと答ふ
〔鋭き思ひに〕理智より生ずる疑ひを信仰によりて解くなり
五五―五七
〔指輪は〕凡ての事皆神意と一致す
六四―六六
〔樂しき聖顏の〕淨、一六・八五―九三並びに註參照
〔この事〕人の魂には、既にその造らるゝ時に當りて、神より受くる恩惠に多少ある事。この事を知りて足れりとし、何故に神かく爲し給ふやと問ふ勿れ
六七―六九
例をエサウとヤコブの事に取れり(天、八・一三〇―三一參照)、かれらは母の胎内にて爭へる者(創世、二五・二二)
〔聖書に〕未だ胎内にある時既に神意によりて兄が弟に事ふべきこと定まれるなり(創世、二五・二三、マラキ、一・二―三、ロマ、九・一〇―一三參照)
七〇―七二
小兒等はその生時に安くる神恩の多少によりて福の度を異にす
〔髮の色〕はじめより神の與へ給ふ恩惠の度。生時に毛色の異なる如く、受くる恩惠の度異なればなり、エサウとヤコブとその色を異にせる(創世、二五・二五)に因みてかく言へり
〔いと高き光は〕神の聖光《みひかり》は各自の恩惠に適はしき冠となる、即ち生時の恩惠の多少に從つて各自の天上に受くる福異なるにいたる
七三―七五
〔最初の〕神を視る最初の力の鋭さ。この生得の力は神恩によりて得らるゝものなるが故にその鋭さの異なるは即ち生時に與へらるゝ神恩の異なるなり
七六―七八
〔新しき頃〕創造以後久しからざる頃、即ちアダムよりアブラハムまでの間。割禮はアブラハムにはじまる(創世、一七・一〇以下參照)
〔信仰〕救世主の出現に對する信仰
七九―八一
〔力〕天に登るの
八二―八四
〔恩惠の〕キリスト降世の後には
〔全き洗禮〕割禮が不完全なる洗禮なるに對して
〔低き處に〕地獄のリムボに
以上稚兒の救ひに關する三聯はすべてダンテ時代の教理特にトマス・アクイナスの『神學大全』の所説に據れり
八五―八七
〔顏〕聖母の。その美その輝きにおいて最もよく聖子に似たり
〔その輝のみ〕天、三一・九七―九參照
八八―九〇
〔聖なる心〕天使
〔齎らす〕神の御許より(天、三一・一六―八參照)
九四―九六
〔さきに〕第八天にて(天、二三・九四以下)
〔愛〕首天使ガブリエル
一〇〇―一〇二
〔父〕ベルナルドゥス。「こゝに下る」は薔薇の最《いと》低き處に下るなり
一〇六―一〇八
〔朝の星〕明《あけ》の明星。明星が日光を受けて美しくなる如く、ベルナルドゥスは聖母の光を受けて美しくなれるなり
一〇九―一一一
〔剛さ〕Baldezza 自信ありて物に動ぜぬこと
〔われらもまた〕聖徒の願ひすべて神意と一致するを表はす
一一二―一一四
〔われらの荷〕肉體の荷
〔棕櫚〕聖靈に見ゆ、神が凡ての女の中にて特にマリアを選び給へることを表はす、即ち他の女に對する勝利のしるしなり
一一五―一一七
〔高官達〕patrici(ローマの高官達)諸聖徒の中の特に勝《すぐ》るゝ者を指す、天堂を帝國といひマリアを皇妃といへるも同じくローマに因みてなり
一一八―一二〇
〔ふたり〕アダムとペテロ
〔二つの根〕アダムは降臨すべきキリストを信じゝ第一の人として、ペテロは降臨せるキリストを信じゝ第一の人として
一二一―一二三
〔左〕スカルタッツィニ曰く。舊約の教への新約に比して劣るを表はすと
〔味へる〕禁斷の木の實を
一二四―一二六
〔花の二の鑰〕薔薇(即ち天堂)の二の鑰(地、一九・九一一―二參照)
一二七―一二九
〔新婦〕寺院。十字架の死によりて主の建て給へるもの
〔見し者〕使徒ヨハネ(默示録の著者として)。禍ひ多き寺院の歴史を默示によりて豫め見し者
一三〇―一三二
〔民〕イスラエルの民。神恩を忘れ恒心なく神及び導者に背けるため屡
神怒りに觸れしこと聖書に見ゆ(申命、三二・一八等)
〔マンナ〕アラビアの曠野にて食へる(出エジプト、一六・一三以下)
〔導者〕モーゼ
一三三―一三五
〔アンナ〕聖母マリアの母堂アンナ。祭司マッタンの女にてヨアキムに嫁しマリアを生めりと傳へらる
一三六―一三八
〔家長〕全人類の家長アダム
〔馳せ下らんとて〕低地に(地、一・六一參照)。日を垂るゝは恐れと失望とな表はすなり
〔ルーチア〕聖ルーチア(地、二・九七並びに註參照)
一三九―一四一
〔睡の時〕我を忘れて物を見る如くなる時、即ち天堂の事物を知る爲神の與へ給ひし時間
一四二―一四四
〔第一の愛〕神。ダンテはさきに聖靈を指してかく言へり(地、三・六及び天、六・一一)
一四五―一四七
〔己が翼を動かし〕己が力のみに信頼して
一四八―一五〇
〔淑女〕聖母
第三十三曲
聖ベルナルドゥス、ダンテの爲聖母マリアに祈りをさゝぐ、ダンテこの祈りにより至上の光を仰ぎ望みて三一及び神人兩性の秘奧をさとり、至幸至福の境に達す
一―三
〔處女〕淨、二五・一二八參照
〔わが子〕キリスト。神としてはマリアの父、人としてはその子なり
〔己を低くし〕ルカ傳一・四八參照
〔永遠の聖旨の〕永遠變らざる神意により豫め選ばれて救世主の母たるべしと定まれるもの
七―九
〔愛〕神と人との間の愛。この愛の障礙となるものは罪なり、救世主世に降りて罪を贖ひ、愛あらたに燃ゆ
〔この花〕天上の薔薇
一〇―一二
〔亭午の〕正午の太陽に因みて光の強きをいふ。聖母は諸聖徒の愛を燃す焔なり
〔活泉〕盡きせぬ泉
一六―一八
〔求めに先んず〕淨、一七・五八―六〇註參照
二二―二四
〔宇宙のいと低き沼〕地獄
二五―二七
〔終極の救ひ〕神(天、二二・一二四參照)
二八―三〇
〔彼の〕彼をして終極の救ひを見るをえしめんとのわが願ひはその切なるにおいて、我自らこれを見んと思ふの願ひにかはらじ
三一―三三
〔汝の祈りによりて〕汝彼の爲神に祈りて
〔こよなき悦び〕神
三四―三六
〔かく見〕神を
四〇―四二
〔目〕マリアの目。父に愛《め》でられ子に尊まる(スカルタッツィニ)
〔祈れる者〕ベルナルドゥス
〔示し〕微笑によりて
四三―四五
〔光〕神。光にむかふは神の許をえんが爲なり
四六―四八
〔望みの極〕神
〔熄む〕願ひの必ず成るを信じて靜心《しづこゝろ》にかへれるをいふ
五二―五四
〔高き光〕神の光。たゞ神の光のみ本來眞なり、萬物の眞はこの光を頒つによりてはじめて存す
五八―六〇
天、二三・四九―五四參照
〔他は〕夢その物は
六一―六三
〔消え〕記憶より
六四―六六
事物の記憶より冷えゆくさまをさらに二の譬にて示せり
〔シビルラ〕キュマエ(ナポリの西の町)の巫女にてアエネアスを冥府に導ける者。その豫言を木の葉に録し秩序を立てゝこれを己が巖窟の内に藏す、風吹來りてこれを散らせば、散るに任せて再び顧ることなしといふ(『アエネイス』三・四四一以下參照)
七三―七五
〔勝利〕萬物に卓越して大なること
七六―七八
世の強き光は人強ひてこれを視んと力むればその目眩《くら》みて堪へ難し、神の光はこれと異なり、力めてこれに堪へこれを視る時は視力増し、一たび目を他に轉ずれはまたこれを視るをえず
八二―八四
〔視る力の盡くる〕わが視力の許すかぎり見るを得るまで
八五―八七
宇宙に散在する諸物諸象は一糸亂れず皆その本源なる神に合す、而してかく合せしむるものは即ち愛なり、この合一ありて諸物諸象存在の意義はじめて全し、これなくは宇宙はたゞ一渾沌のみ
八八―九〇
〔實在〕Sustanzia 自ら己が存在を保つ物
〔偶在〕accidenti 實在に附して存在する物
〔特性〕costume 特殊の作用
〔かのものは〕原、「わがいふ所のものは」
〔單一の光〕混るさまの安全なるを表はす
或ひは曰く、これ「微光」なり、即ちその混るさま極めて奧妙にして言語に盡し難ければ、わが言ふ所はわが見し物のたゞ微かなる幻影に過ぎじとの意と
九四―九六
世人が二千五百年の間にかのアルゴナウタイ遠征の事を忘れしにもまさりて我は示現の後僅か一瞬の間にかの光の事を忘れたり
〔ネッツーノ〕ポセイドン、海の神
〔アルゴ〕イアソン(地、一八・八五―七並びに註參照)の率ゐし遠征隊の乘れる船。海を渡れる最初の船なれば海神これに驚けるなり
〔二千五百年〕中古信ぜられし年代に從へばアルゴナウタイ遠征の事ありしはキリスト以前一二二三年なり
〔睡〕letargo 忘却。但し異説あり
九七―九九
意は九〇行に續く
〔熟視〕心眼をもて
一〇三―一〇五
〔この外にては〕萬物の善萬物の福は皆神より出づ、故に善の完きものたゞ神の光の中にあり
一〇六―一〇八
〔想起〕想ひいづることにつきてさへかくの如し、況んや見し物につきてをや
一〇九―一一一
以下一二六行まで三一の示現を敍す
一一二―一一四
神の姿の一樣ならざる如く見ゆるは姿その者の變るによるにあらずして見る者の目の力のかはるによるをいふ
一一五―一一七
〔三の圓〕父、子、聖靈の象徴。色異なるは顯現の異なるなり、大きさの同じきはいづれも等しく完きなり
一一八―一二〇
〔その一〕子。父より出づるがゆゑにその光の反映なりといへり
〔イリ〕イリス、虹。二重の虹のうち、一が他の反映なるごとく(天、一二・一〇―一五並びに註參照)
〔火〕聖靈(愛の火)は父と子よりいづ(天、一〇・一―三參照)
一二四―一二六
「永遠の光」より「己のみ己を知り」までは三一の神を指す、「己に知ら」るゝは子として父にさとらるゝなり、「己を知」るは父として子をさとるなり、「愛し微笑」むは聖靈のはたらき
一二七―一二九
以下一四一行まで神人兩性の示現を敍す
〔輪〕子の象徴なる輪
一三〇―一三二
〔同じ色〕原、「己が色」、即ちその輪と同じ色。この色にて人の像を畫けるは神と人と完全に結び合へることを表はす
一三三―一三五
〔圓を量らんと〕一定の圓を容積等しき方形に準じ、かくして圓を量らんと
ダンテは『デ・モナルキア』(三、三・九―一〇)にて、幾何學者がかゝる換算を知らざるをいひ、さらに『コンヴィヴィオ』(二・一四・二一七以下)にてその不可能なるをいへり
一三六―一三八
〔かの像〕人の像《かたち》いかにして神の圓とかくよく結び合へるや、いかにしてその中にあるをうるや。換言すれば神人合一の秘義
一三九―一四一
〔わが翼〕わが智力
〔一の光〕神恩の光
一四二―一四五
〔力を缺きたり〕心眼既に窮極の度に達し、さらに進みて天上の機微をうかゞふ能はざるをいふ
〔されど〕ダンテの思ふ所欲する所ことごとく神意と合するにいたれるをいふ
〔輪〕輪の各部相調和し、整然たる運動を保ちてめぐり進むごとく
〔愛〕神
〔動かす〕天堂の一篇「萬物を動かす者の榮光」にはじまり、「日やそのほかのすべての星を動かす愛」に終る
[#改丁]
□天界は凡て十天より成る、即ち中古の天文學による七遊星(月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星)の諸天及び恒星、プーリーモ・モービレ、エムピレオの三天是なり。エムピレオは眞の天堂にて神こゝにいまし諸天使諸聖徒また皆こゝに在り。されど諸聖徒はその享くる福の一樣ならざるを明かにし、各
その類に從ひてダンテと語り、諸天の地上に及ぼす影響を示すをえん爲その性に應じ七遊星の間に別れて詩人に現はる。しかして第八天にては諸聖徒皆キリストの凱旋軍となりて再びこれに現はれ、第九天にては諸天使その階級の數に從ひ九個の環となりてこれに現はる(圖にてはその定住の天なるエムピレオに置けり)。
□ダンテは地上の樂園を離れ、ベアトリーチェに導かれつゝ昇りゆき、地球に最も近き天より次第に遠き天にいたり、遂に至高の天に達し、ベアトリーチェの己が座席に歸るに及び、聖ベルナルドゥスの教へを受けまたその助けによりて至上の光明を仰ぎ、こゝに最後の天啓を受く。
□ダンテが天堂に費せる時間は明らかならず。
底本:「神曲(下)」岩波文庫、岩波書店
1958(昭和33)年8月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「神曲」の原文は、三行一組の句を連ねる形式を踏んでいます。底本は訳文の下に、「一」「四」「七」と数字を置いて、原文の句との対応を示していますが、このファイルでは、行末に「一―三」「四―六」「七―九」を置く形をとりました。
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2005年11月26日作成
2021年1月3日修正
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「貝+藏」、U+8D1C
38-6、231-6

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「オンス」の単位記号
63-7

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●図書カード