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一
家の中《ちう》二階《かい》は川に臨んで居た。其処《そこ》にこれから発《た》たうとする一家族が船の準備の出来る間を集つて待つて居た。七月の暑い日影《ひかげ》は岸の竹藪に偏《かたよ》つて流るゝ碧《あを》い瀬にキラキラと照つた。
涼しい樹陰《こかげ》に五六艘の和船《わせん》が集つて碇泊して居るさまが絵のやうに下に見えた。帆を舟一杯にひろげて干して居るものもあれば、陸《をか》から一生懸命に荷物を積んで居るものもある。此処等《ここら》で出来る瓦や木材や米や麦や――それ等は総て此川を上下する便船《びんせん》で都に運び出されることになつて居た。その向こうには、某町《なにがしまち》から某町《なにがしまち》に通ずる県道の舟橋がかゝつてゐて、駄馬《だば》や荷車の通る処に、橋の板の鳴る音が静かな午前の空気に轟いて聞えた。
橋のすぐ下では、船頭が五六人、せつせと竹の筏《いかだ》を組んで居た。
『婆様《ばあさま》、小用《こよう》が出ないか。船に乗つて了《しま》うと面倒だからな』
七十近い禿頭《はげあたま》の老爺《らうや》が傍《そば》に小さく坐つて居る六十五六の目のひたと盲《し》ひた老婆にかう言ふと、
『それぢや、面倒でも今一度連れて行つて貰うかな』
やがて婆さんは爺さんに手を曳《ひ》かれて静に長い縁側を厠《かはや》の方に行つた。
『よくそれでも世話を見なさるな』
これを見て居た六十五六の今一人の老爺《らうや》は、傍《そば》に居た五十二三の主婦に話しかけた。
主婦は老人や子供の世話に忙殺《ぼうさい》されて居た。荷積の指図もしなければならなかつた。送つて来て呉《く》れた人々の相手にもならなければならなかつた。長い間住んだ土地を別れて来るに就いてのいろ/\の追懐や覊絆《きづな》もあつた。
『中々《なかなか》あの真似は出来ませんよ』
かう言つたが、丁度《ちやうど》其時今歳《ことし》十一になる弟《おとと》の方が縁《ふち》の方に駈けて下《お》りて行くを見付けて、
『正《しやう》や、川の方に行くと危ぶないぞ!』
白絣《しろがすり》を着てメリンスの帯を緊《し》めた子は、それにも頓着せず、急いで川の下《した》の方に下《お》りて行つた。其処《そこ》にはもう十六になる兄が先に行つて居た。岸に繋《つな》がれた一艘の船には、長い間田舎家の茶の間に据ゑられた長火鉢だの、茶箪笥だのがそのまゝ積まれてあつた。
『それ、あの船だぜ!』
兄はかう弟《おとと》に言つた。
『どれや、どの船?』
『それ、火鉢があるぢやないか』
其船の船頭は目腐《めくさ》れの中年の男で、今一人の若い方の船頭は頻りに荷物を運んで居た。髪を束ねた上《かみ》さんは苫《とま》やら帆布《ほ》やらをせつせと片付けて居た。
一家族は此処《ここ》から一里ほど離れた昔の城下の士族町から来た。老人夫婦に取つても、主婦に取つても、長年《ながねん》住み馴れた土地や親しい人々に別れて来るのは辛かつた。東京に行つて、知らぬ土地の土になるのは厭《いや》だ! かう目の盲《し》ひた婆さんは言つた。長年《ながねん》苦労した種に芽が生えて、十分ではなくても、兎に角子息《むすこ》が月給取になつて、呼んで呉《く》れるのは嬉しいが、東京といふ処は石の上の住居《すまゐ》、一晩でも家賃といふものを出さずには寝られない。それよりはどんなにあばら屋でも、自分の家《うち》で足を長くして寝て居る方が好い。主婦もいざとなつてからかう言ひ出した。しかし月給取になつた子息《むすこ》を一人都に離して置くのも気がかりであつた。それに修業盛《しふげふざかり》の弟達《おととたち》の為めもあつた。
親類や知人などは一月《ひとつき》も前から、お別れだと言つては、饂飩《うどん》を打つたり肴《さかな》を買つたりして、老夫婦や主婦を呼んで御馳走をした。
一人の娘は去年さる機屋《はたや》に望まれて嫁にやつた。今年の四月頃から懐妊の気味で、其の前から出るの入《はい》るのと言つて居たが、愈々《いよいよ》上京の話が決ると、『私《わたし》ばかり置いて行くのかえ、母《おつか》さん』と言つて泣きに来た。母親は、『まア、何《ど》うにでもするから、兎に角体が二つになるまで辛抱してお出《い》で』かう宥《なだ》めたり賺《すか》したりしたが、今朝《けさ》発《た》つて来る時にも、町の外《はづ》れまで送つて来て、大きな腹をして、垣《かき》の処に寄りかゝつて泣いて居た。
目の盲《し》ひたお婆さんは、車に乗ると眼が眩《まは》ると言ふので、昔御国替《おくにが》への時乗つて来たやうな軽尻馬《からしりうま》をわざわざ仕立てゝ、町の通をほつくり/\と遣《や》つて来た。『盲目《めくら》でも眼が廻るのかねえ』と誰かが言つた。
維新前から船の問屋の爺《おやぢ》を知つて居るお爺さんは、朝から禿頭を光らして出かけて行つて居た。
二
船の準備《したく》がやがて出来た。
長い踏板《ふみいた》が船縁《ふなべり》から岸に渡された。一番先に小さい弟《おとと》が元気よくそれを渡つて、深い船の中に飛んで下《お》りた。其処《そこ》まで送つて来た婿の機屋《はたや》が盲目《めくら》のお婆さんを負《おぶ》つて続いて渡つた。お爺さん、主婦、それから便船《びんせん》を幸ひに東京まで乗せて行つて貰はうといふ隣のお爺さんも乗つた。
船の中はちやんと整理がしてあつた。暑くないやうに、一ところ苫《とま》が葺《ふ》いてあつて、其処《そこ》に長火鉢や茶箪笥が置いてある。炭取には炭が入れられてある。いつでも茶位入れられるやうになつて居た。
酒好きのお爺さんは、徳利《とくり》に上酒を一升ほど入れて来たが、子供に引くりかへされぬやうにと、それを茶箪笥の隅に押附けて置いた。
『お貞《てい》、それは酒だからな……こぼさぬやうにして呉りやれ』
かう主婦に注意もした。
『これさへありや、まア、退屈も凌《しの》げますぢや?』
隣のお爺さんとこんなことを言つて笑ひ合つた。
主婦は舅の酒には苦労を仕抜《しぬ》いて来た。夫の生きて居る間は、酒の上で二人はよく親子喧嘩をした。親類に呼ばれて行く時には、屹度《きつと》酔つて管《くだ》を捲《ま》いた。夫に別れてからでも、町の居酒屋で泥酔して、使《つかひ》を受けて迎へに行つたことなどもあつた。嫁に来た当座には、何処《どこ》か酒のない国に行き度《た》いと思つた。母親はよくかう子供等に話して聞かせた。しかし此頃では年を取つてもう大分おとなしくなつた。
盲目《めくら》のお婆さんは、座が定ると、懐《ふところ》から手拭を出して、それを例のごとく三角にして冠《かぶ》つた。暢気《のんき》な鼻唄が唸|る《うな》るやうに聞え出した。
『暢気なものだねえ。もう鼻唄が出たよ』
母親は其処《そこ》に立つて居る次男に小声で言つた。
岸には送つて来た人々が並んだ。門の前で別れて来た人もあつた。町の入口で別れをつげた人もあつた。町はずれまで来て、さらば! を言つて行つた人もあつた。其川の岸まで来たのは最も親しい人達であつた。
次男を送つて来た一人の青年は、其友達のかうして東京に出て行くのをさも羨《うらや》ましさうに見送つて居た。
船が動き出した時、盲目《めくら》のお婆さんを除いては、皆《みん》な船縁《ふなべり》の処に顔を並べた。岸の人々も別れの言葉を述べた。
船は静かに流を下《くだ》つた。
三
其頃は汽車が今のやうに便利でなかつた。運賃も高かつた。で、この家族はかうして船で東京に行くことになつた。東京から毎日来る小蒸気は、其頃ペンキ塗の船体を処々《ところどころ》の埠頭《はとば》の夕暮の中に白くくつきりと見せて居た。
老人達に取つては、その経て来た時代の推移ほど急激なものはなかつた。此人達は大小を指して殿様の行列の後に踉《つ》いて歩いた。勤王佐幕《きんわうさばく》の喧《やかま》しい争闘の時には昼夜兼行《ちうやけんかう》で浜町の上屋敷に上訴に出かけて行つたこともあつた。維新の際には、若者達の出陣した後を守つて、其処此処《そこここ》の番所を固めた。
侍が士族となり、百姓が平民になつて、世の中は目眩《めまぐる》しいほどに変つて行つた。実力を持つた百姓町人が世に出て、扶持《ふち》を失つた士族が零落して行くあはれなさまをも見た。大名小路の大きな邸《やしき》が長い年月に段々つぶれて畑《はたけ》になつて行くのをも見た。御殿のあつた城址《しろあと》には徒《いたづら》に草が長《ちやう》じた。
隣の老人の家柄は、今移転して行かうとして居る家族よりは、数等《すうとう》すぐれた家柄であつた。昔ならば槍《やり》以上と以下とでは、殆ど交際が出来ぬほど階級が違つて居た。隣の老人は二百石の家柄で暢気《のんき》に謡ひをうたつて暮して来た。それに引かへて、一方の老人は賤《いやし》い処から武芸や文事《ぶんじ》を磨いて、人が驚くほど立身して、江戸家老のお気に入りに其人ありと知られるほどの勢力のある生活を送つて来た。
しかしこの二軒は昔しから隣同士に親んで居たのではなかつた。子息《むすこ》の死んだ後の家族を纏《まと》めて、家を買つて其処《そこ》に其の禿頭の老人が移つて来てから、まだ十年と経たなかつた。
孫達の話を老人達は常によく話し合つた。
『常さんがしつかりして居るから、お宅《たく》では仕合《しあはせ》ぢや』
かう家柄の方の老人は言つた。
家柄の方は家族も矢張息子に早く死なれて、孫に懸《かか》らなければならなかつた。総領は娘で、今年二十二になつて居た。田舎にはめづらしいほどの別嬪《べつぴん》で、足利に行つて居る間に、鹿児島生れで、其土地の中学校の教師をしてゐた男に見染《みそ》められて、無理に懇望されて嫁《とつ》いで行つた。一二度其婿が細君と一緒に、柴垣の奥の古い汚い茅葺家《かやぶきや》に来て泊つて行つたことなどもあつた。其時近所の評判は大変で、豪《えら》い婿さんが出来たなどゝ噂し合つた。婿は綺麗な八字髯《じひげ》を生した立派な男で、丸髷《まるまげ》に赤い手絡《てがら》をした丈《せい》の高い細君とはよく似合つた。隣の次男は其婿が朝早く草の生えた井戸端で、真鍮《しんちう》の金盥《かなだらひ》で、眼鏡を外《はづ》して、頭をザブザブ洗つて居るのを見たこともあつた。
処が一年後に、懐妊した細君を里に預けて、其婿は東京へ出て行つたきり帰つて来なかつた。約束した仕送《しおくり》は無論寄さなかつた。後《のち》には手紙が附箋《ふせん》を附けたまゝ戻つて来た。
東京に出かけて行けば、探《さが》す手蔓《てづる》はいくらもある。中にはその居る所を教へて呉《く》れたものもある。しかし出懸《でか》けて行く旅費もないほどその家は困つて居た。その美しい娘はもう五月《いつつき》近い腹をして居りながら、乱れた髪をしてせつせと機《はた》を織つて居た。其処《そこ》に丁度《ちやうど》隣りの一家族の上京――で、頼んで無賃《ただ》で乗せて行つて貰へるのを喜んだ。
四
『常《つね》さんがしつかりして居るから、お宅ぢやもう心配なことはない』
隣の老人はかう主婦に言つた。
『何《ど》んなもんですか……苦労しに東京に行くやうなものかも知れませんよ。年寄に子供、力になるのは常《つね》ばかりですから』主婦は鳥渡《ちよつと》考へて、『それも、月給でも沢山取れるものなら好いですけれど……』
『始めからさう旨《うま》い訳には行かないぢや……』笑つて見せて、『けれど、正公《しやうこう》も成長《おほき》くなつたし、定公《さだこう》も学問が出来るから、お貞《てい》さん、もう安心なもんぢゃ。これからは楽《らく》が出来る』
『何《ど》んなもんですか』
主婦はかう言つた。しかし永年《ながねん》一人で苦労して来た老人や子供の世話を、東京に行けば、子息《むすこ》と一緒にすることが出来ると思ふと、何となく肩が下《お》りるやうな気がした。子息《むすこ》と住むといふことも嬉しかつた。
『それにしても、お宅のは?……御出《おいで》になる所は分つて居るのですか』
『大抵は知れて居るのですけれどな……何《ど》うも不都合で困るぢやな』
『御心配ですねえ』
かう主婦は同情した。
船頭は竿《さを》を弓のやうに張つて、長い船縁《ふなべり》を往つたり来たりした。竿《さを》を当てる襦袢《じゆばん》が処々《ところどころ》破れて居た。一竿《ひとさを》毎に船は段々と下《くだ》つて行つた。
此附近には竹藪が多かつた。水量の多い今は巴渦《うづ》を巻いて流れて居るところもあつた。渡船《とせん》小屋が芦荻《ろてき》の深い茂みの中から見えて居たり、帆を満面に孕《はら》ませた船が二艘も三艘も連つて上《のぼ》つて来るのが見えたりした。竹藪の鳥渡《ちよつと》途絶《とだ》えた世離《よばな》れた静かな好い場所を占領して、長い釣竿を二三本も水に落して、暢気《のんき》さうに岩魚《いはな》を釣つて居る鍔《つば》の大きい麦稈《むぎわら》帽子の人もあつた。
川に臨んで、赤い腰巻を出して、物を洗つて居る女もあつた。
二人の少年は物珍らしいので、下に坐つてなどは居なかつた。紺絣《こんがすり》の兄と白絣《しろがすり》の弟《おとと》と二人並んで、じり/\と上から照り附ける暑い日影《ひかげ》にも頓着《とんぢやく》せず、余念なく移り変つて行く川を眺めて居た。
『霍乱《くわくらん》にでもなると大変だよ』
主婦は下から首を出して、時々声をかけて呼んだ。
兄の少年が手帳を出して、何か書きつけてゐると、其傍《そのそば》に、隣の老人は遣《や》つて来て、
『おい、定公《さだこう》、何か出来るか……』かう言つて聞いて見た。手帳には七言絶句の転結だけが書いてあつた。
道具は大抵菰包《こもづつみ》にして了《しま》つた。膳も大きなのを一箇《ひとつ》出してあるばかりであつた。昼飯には皆ながそれを取巻いて食つた。暑い日にも腐らぬやうな乾物《ひもの》だとかから鮭の切身だとかを持つて来て、それを菜《さい》にした。
『江戸では、今は松魚《かつを》の盛《さかり》ですな』
『在番《ざいばん》した時分――、勢《いきほひ》の好《い》いあの売声を聞いて、窓から皿を出して買つて食つた時分のことが思はれますな』
少し酒を呑みながら、老人達はこんなことを言つた。
午後には、主婦は連日の疲労につかれ果てたといふやうに、平生《へいぜい》使ひ馴れた黒柿《くろがき》の煙草の箱を枕にして、手拭を顔にかけて、スヤスヤと昼寝をして居た。苫《とま》の間から河風が涼しく吹いて来た。
老人達も少し酔つてやがて寝て了《しま》つた。兄の少年が船から下《お》りて来た時には、盲目《めくら》の婆さんも、鼻唄をやめて横になつて居た。晴れた日影《ひかげ》はキラキラと水に反射して今が暑い盛《さかり》であつた。襦袢《じゆばん》をも脱棄てた二人の船頭は、毛の深い胸のあたりから、ダクダク汗を出しながら、竿《さを》を弓のやうに張つて、頭より尻を高くして船縁《ふなべり》を伝つて行つた。眼の悪い方の船頭は、眼脂《めやに》を夥《おびただ》しく出して、顔を真赤にして居た。
涼しい蔭をつくつた竹藪などはもうなかつた。
五
夕立が催して来た。
船頭は慌てゝ苫《とま》を葺《ふ》いた。其下に一家族は夕立の凄《すさま》じく降つて通る間を輪を描いて集つて居た。銀線のやうな雨が水の上に白い珠《たま》を躍らしてゐるのを苫《とま》の間から少年達は見て居た。
『これで涼しくなつた』
かう老人達が言つた。
夕立の霽《は》れた時には、もう薄暮の色が広い川の上に蔽ひ懸《かか》つて居た。渡良瀬川《わたらせがは》は思川《おもひがは》を入れて、段々大きな利根川の会湊点《くわいそうてん》へと近づいて行つた。風が稍々《やや》追手《おひて》になつたので、船頭は帆を低く張つて、濡れた船尾《とも》の処で暢気《のんき》さうに煙草を吸つて居る。其傍では船頭の上《かみ》さんが、釜に米を入れたのを出して、川から水を汲んで、せつせとそれを炊《と》いで居たが、やがて其処《そこ》から細い紫の煙《けぶり》が絵のやうに川に靡《なび》いた。夕照《せきせう》が赤く水を染めて居た。
老人達は薄暗い処で酒を飲んでゐた。主婦《あるじ》は酒癖の悪い爺さんが、やがて段々酔つて来て、言はないでも好いことを隣の老人に言ひ懸《か》けてゐるのを聞いた。
隣の老人は何の準備《したく》もして来なかつた。酒も飯も黙つて御馳走になつて居た。それも困つて居るからだと主婦は思つて居た。
爺さんもそれを余り虫が好過《よす》ぎると思つて居たらしかつた。
『お爺さん、あんなことを言はなけりや好いのに――折角、心地《ここち》よく連れて来てやつたのに』
隣の老人が舳先《へさき》の方に行つた跡で、主婦《あるじ》は老爺《らうや》に小声で言つた。
『何アに、少し位言つてやる方が好い。余り虫が好過《よす》ぎる』
かう言つた爺さんは、もうかなり酔つて居た。
『だツて困つて居るんだから』
『困つて居たツて、余りだ、瓢箪《へうたん》の一つ位持つて来たツて誰も悪いツて言はない……何もおれだツて、そんなことを喧《やかま》しく言ふぢやないけれどな……義理と言ふものがあらア』
其処《そこ》に下《お》りて来た兄の少年は、またお爺さんの癖が始まつたなと思つた。
螢が一つ闇の中に流れる頃には、船はもう広い広い利根川に出て居た。星の光に水の流るゝのが暗く綾《あや》をなして見えた。艫《ろ》の音が水を渡つて聞えた。
遠い河岸《かし》には、灯が処々《ところどころ》に点《つ》いて居るのが見えた。
其頃、栗橋の鉄橋が出来たばかりであつた。町からわざわざ其橋を見に行つたものも少《すくな》くなかつた。其噂は一家族の人々の耳にも聞えた。
『それ見ろよ、あれが栗橋の鉄橋だと』
かう主婦が二人の少年に指《ゆびさ》して見せた。川を跨《また》いだ大きな鉄橋は暗い夜《よ》の闇の中に其輪廓《りんくわく》をはつきりと描いて居た。珍らしいものにあくがれて居る兄弟の心は躍らざるを得なかつた。
やがて船は近づいて行つた。橋杭《はしぐひ》に当る水音は高く聞えた。少年も老爺《ろうや》も主婦も其下を通る時、皆仰向いて、その大きな鉄橋を闇に透《すか》して見た。兄弟は手を延してその橋杭《はしぐひ》を叩いて通つた。
六
兄弟の心は東京に憧れ切つて居た。
中でも兄は、これで多年《たねん》の志が遂げられたやうな気がした。東京に行きさへすれば、どんな目的でも達せられる。何《ど》んな豪《えら》い人にでもなれる。馬車に乗るやうな立派な人にもなれる。其処《そこ》には、かれの為めに、あらゆる好運と幸福とが門を開いて待つて居るやうにすら思はれた。
其処《そこ》には何《ど》んな物がかれ等を待つて居るかを知らなかつた。
川は暗かつた。岸の灯《ともし》が明るく処々《ところどころ》に点《つ》いて居た。誰か大な声を立てゝ土手の上を通つて行つた。
艫《ろ》の音が絶えず響く。
船の中にも蚊が居るので、主婦は準備して来た蚊帳《かや》を苫《とま》の角に引懸《ひきか》けて低く吊つて、其処《そこ》に一緒にゴタゴタに頭やら足やらを入れて寝た。棚の上の三分の洋燈《ランプ》は、薄暗く青い蚊帳《かや》を照して居た。涼しい河風がをりをり吹いて通つた。
兄の方の少年は、蚊帳《かや》の中に入《はい》つても、容易に眠られなかつた。眼が冴えて仕方がなかつた。かれは船を漕いで居る船頭の船尾《とも》の処に行つて、黙つて暗い水を眺めて立つた。
一人の船頭は、マッチを闇に摺《す》つて、大きな煙管《きせる》に火をつけて、スパリスパリ遣《や》つて居た。時々苫《とま》の中の明るく見える船や、篝《かがり》のやうに火を焼《た》いて居る船などがあつた。
朝、人々が眼を覚した時には、船はある小さな埠頭《はとば》に留つて居た。朝霧の晴れ間から、青い蚊帳《かや》を吊つた岸の二階屋の一間《ひとま》が見えたり、女が水に臨んで物を洗つて居るのが眺められたりした。其処《そこ》に泊つて居る船も五六艘はあつた。朝炊《あさげ》の煙《けぶり》が紫に細く騰《あが》つた。
『朝の気持は好《い》いなア……何うだ定公《さだこう》』
かう隣の老人は其処《そこ》に立つて朝の川を眺めて居る兄の方の青年に言つた。
お爺さんは、
『朝酒といふものは旨いものだ』
こんなことを言つて、朝飯の時盃を隣の老人にさした。隣の老人は二三度辞《ことは》つて見たが、それでも後《あと》では四五杯受けて飲んだ。
隣の老人は、財布にいくらの金をも持つて居なかつた。只《ただ》で乗せて伴れて行つて貰へるからこそ出て来たほどの貧しい身には、世話になるは気の毒だとは思ふが、しかし酒を買ふほどの余裕はなかつた。船に売りに来る大福を買つて、それを弟《おとと》の少年や盲目《めくら》のお婆さんに分けて遣《や》る位の義理が関の山であつた。孫達の話が出ても、上京する一家族の希望に満ちた有様とは比ぶべくもなかつた。隣の老人はいつも小さくなつて居た。他人の世話になる辛さをもつくづく感じた。
『常さんがしつかりして居るから、本当に仕合だ』
いつもかう言つて調子を合せた。
汽船で行けば一日で到着するほどの行程《かうてい》だが、和船では中々さう早くは行かなかつた。暑いと言つては休み、眠らなければならないと言つては碇泊し、荷の積替《つみかへ》をすると言つては、岸の小さい埠頭《はとば》に綱を繋《つな》いだ。荷の種類に由つては、二時間近くも其岸を離れることが出来ないこともあつた。
其時は『かう手間を取つては仕方がない、これではとても今日東京には入《はい》れない。此方《こちら》はまア、船の中で、一晩位余計に寝るのは好《い》いとしても、常《つね》が遅いツて待つてゐるだらう』かう主婦もお爺さんも一方《ひとかた》ならず気を揉《も》んだ。お爺さんは、わざと声を猫撫声《ねこなでごゑ》にして、『船頭さん、もう出しても好《い》い時分だね』などゝ声をかけた。
ある浅瀬では、余り暑いので、船頭が裸で水の中を泳いで居ると、船縁《ふなべり》で見て居た弟《おとと》の方の少年は、堪らなくなつたというやうに着物を脱いで、ザンブと水の中に飛び込んだ。『大丈夫ですよ、私等がついて居るから』船頭はかう言つて心配する主婦の方を見て言つた。
連日の快晴で、水の浅くなつた処などもをり/\あつた。上りの小蒸汽が白いペンキ塗の船体を暑い日影《ひかげ》にキラキラさせて、浅瀬につかへて居る傍《そば》をも通つて行つた。汽船では乗客を皆な別の船に移して、荷を軽くして船員総《そう》がゝりで、長い竿棹《さを》を五本も六本も浅い州に突張《つつぱ》つて居た。しかも汽船は容易に動かなかつた。煙突からは白い薄い煙《けぶり》が徒《いたづ》らに立つて居た。
其日も暑い日であつた。それに風がなかつた。上《のぼ》りも下《くだ》りも帆を揚げて居る船は一隻もなかつた。一人の船頭の胸からは油汗が流れ、一人の船頭の眼からは眼脂《めやに》が流れた。人々は岸の人家や土手の樹木の移つて行くことの遅いのに段々倦《う》んで来た。それにヂリヂリと上から照り附けられる苫《とま》の中も暑かつた。盲目《めくら》の婆さん[#「婆さん」は底本では「姿さん」]は、襦袢《じゆばん》一つになつて、濡《ぬら》して絞《しぼ》つて貰つた手拭を、皺《しわ》の深い胸の処に当てゝ居た。
川に臨んで白堊造《しらかべづくり》の土蔵の見える処に来たのは、其日の午後であつた。此処《ここ》には有名な白味淋《しろみりん》の問屋があつた。酒も灘酒《なだ》に匹敵するやうなのが出来た。もう持つて来た酒を大抵飲み尽した爺さんは、『船頭さん、其処《そこ》に行つたら鳥渡《ちよつと》寄せて下さいよ』余程前からかう言つて其岸に来るのを待つて居た。
『此処《ここ》の白味淋《しろみりん》はそれや旨いな』
船頭達もかう語り合つた。
『買つて来て上《あ》げやしやうか』と一人の船頭が言ふのを、『何に、私が買つて来る、他に用もある』かう言つて断つた爺さんは、途中で船頭に飲まれるのをひそかに恐れて居た。爺さんは徳利《とくり》を下《さ》げて、禿頭を日に光らせながら踏板を伝つて行つた。
七
徒歩《かち》で行けば其処《そこ》から東京まで三里位しかないという河岸《かし》に来て、船頭はまた船を繋《つな》いだ。とても今日は東京に入ることは出来ないから、暑い中を此処《ここ》で休んで涼しくなつてから出懸《でか》けやうといふ船頭の腹であつた。
船に飽きた人々は皆な不平を言つたが、しかし真夜半《まよなか》に東京に着いても仕方がなかつた。止《や》むなく此処《ここ》で待つことにした。
と、隣の老人は、
『甚《はなは》だ失礼ぢやが……まだ日が高いし、それに今日東京に入《はい》つて置くと、都合が好《い》いから私《わし》は此処《ここ》で失礼して歩いて行かうと思ふんぢやが……』
かう言ひ出した。世話になるのも気に懸《かか》れば、爺さんから酔つてチクチク言はれるも辛かつた。
誰も引留《ひきと》めはしなかつたが、しかし余り好《い》い心地もしなかつた。
『定公《さだこう》、また東京で逢はうな』
持《も》つて来た風呂敷包を背負《せお》つて、古びた蝙蝠傘《かうもりがさ》を持つて、すり減した朴歯《ほほば》の下駄を穿《は》いて、しよぼたれた風《ふう》をして、隣の老人は暇《いとま》を告て行つた。土手の上には枝を張つた大きな栃《とち》の樹があつて、其傍の葭簀張《よしずばり》には、午後四時過ぎの日影が照つて居た。兄の少年は其の隣の老人がとぼ/\と土手に登つて行くのを見えなくなるまで見送つて居た。
『もう歩いて行かれるからツて、此処《ここ》まで連れて来て貰《もら》つて、余り勝手過ぎるのさ――』主婦はかう言つた。
『碌に銭を持たねえで、人の借りた船で、飯も酒も食つたり飲んだりして此処《ここ》で下《お》りるツて、好く言へたもんだ』爺さんもこんなことを言つた。
八
涼しくなつた頃から、船頭は船を漕ぎ出した。もう海はさして遠くなかつた。岸には芦荻《ろてき》や藻が繁つて、夕日が汀《みぎは》を赤く染めた。
それに幸《さいはひ》に追手の夕風が吹いた。船頭は帆を揚《あ》げて、楫《かぢ》をギイと鳴らして、暢気《のんき》に煙草をふかした。誰の心も船のやうに早く東京に向つて馳《は》せて居た。
古戦場だといふ高い崖の下を通る頃には、もう夕暮の薄暗い色が、広い川一面に蔽ひかゝつた。
東京に入《はい》つて行く掘割は、それから一里ほど下《くだ》つた処にあつた。それは川口といふところで、和船で交通をする時分には、随分繁華《はんくわ》な船着であつた。かなり聞えた料理屋も二三軒はあつた。其処《そこ》では田舎にめづらしい海の魚が食へた。赤い帯を締《し》めて戯談《じやうだん》を言ふ女も大勢居た。藩の好《い》い家柄の子息《むすこ》で女房子がありながら、此処《ここ》でさういふ女に溺《おぼ》れて評判に立てられたこともあつた。其頃東京に出る人は、『川口に行けば、むきみ汁が食へる』かう言つて誰も楽しみにして来た。
しかし今ではわざ/\寄つて食事をして行くものもなかつた。料理屋も段々つぶれて了《しま》つて、一番下等なのが唯一軒残つた。爺さんは此家の爺婆《ぢいばば》に昔から懇意であつた。一家族の人々は船から上《あが》つて、暗いランプのついた狭い汚い間で、兼ねて噂に聞いて居る生魚《なまうを》とむきみ汁とを食つた。
兄の少年の眼には曾《かつ》て栄えたところとは何《ど》うしても見えなかつた。闇の田圃《たんぼ》の中に、五六軒茅葺家《かやぶきや》があつて、其処《そこ》から灯が唯ちら/\見えた。
此処《ここ》でも、船頭は矢張容易に船を出さなかつた。待ちかねて爺さんが其所在《ありか》を尋ねに行つた。やがて『酒を飲んで酔ぱらつてゐやがる』かう言つて帰つて来た。
船が出た頃には、遅く出た月がもう高くなつて居た。狭い掘割の両側には種々《しゆじゆ》な樹が繁つて、それが月の光を篩《こ》して、美しい閃《きらめ》きを水に投げた。夜《よ》はしんとして居た。ところ/″\にかゝつてゐる船の苫《とま》の中からは灯が見えた。犬の吠える声が四辺《あたり》に響いて高く聞えた。
夏の夜《よ》は明易《あけやす》かつた。両側に人家が続いたり、橋が架《かか》つたりするあたりに来る頃には、もう全《まつた》く明放《あけはな》れて居た。
小さい艫《ろ》を軽く操つて、物を売つて行く舟もあつた。
『そら、見ろよ……あゝやつて、東京では朝早くあさりを売つて歩くんだぞ』
母親は兄の少年に指《ゆびさ》して見せた。
『もう、此処《ここ》は東京かえ?』
弟《おとと》がかう訊くと、
『東京ともよ。深川ツて言ふ処だぞよ』
少年達の眼には見ゆるものが皆なめづらしかつた。白壁の土蔵、ブリキの屋根――河の岸には綺麗な路があつて、其処《そこ》を人がチラホラ歩いて居た。
たぷたぷとさして来る朝の潮、高く架《か》けられた絵のやうな橋、綺麗な衣服《きもの》を着て其上を通つて行く女、ぶつつかりはしないかと思はれるほど近く掠《かす》めて行く多くの舟、大河の碧《みどり》に捺《お》したやうに白く見える小さい汽船――漸《やうや》く起つて来る雑然とした朝の物の響は、二人の少年の前に忙しい都会を展《ひろ》げて見せた。
(「早稲田文学」明治43[#「43」は縦中横]年7月号)
底本:「短篇小説名作選」岡保生・榎本隆司編、現代企画室
1981(昭和56)年4月15日第1刷発行
1984(昭和59)年3月15日第2刷
入力:土屋隆
校正:林幸雄
2004年6月16日作成
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