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私は時々思うことがある。探偵小説家というものには二種類あって、一つの方は犯罪者型とでも云《い》うか、犯罪ばかりに興味を持ち、仮令《たとえ》推理的な探偵小説を書くにしても、犯人の残虐《ざんぎゃく》な心理を思うさま書かないでは満足しない様な作家であるし、もう一つの方は探偵型とでも云うか、ごく健全で、理智的な探偵の径路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などには一向《いっこう》頓着《とんちゃく》しない様な作家であると。そして、私がこれから書こうとする探偵作家大江春泥《おおえしゅんでい》は前者に属し、私自身は恐らく後者に属するのだ。随《したが》って私は、犯罪を取扱う商売にも拘《かかわ》らず、ただ探偵の科学的な推理が面白いので、聊《いささ》かも悪人ではない。いや恐らく私程《ほど》道徳的に敏感な人間は少いと云ってもいいだろう。そのお人好《よ》しで善人な私が、偶然にもこの事件に関係したというのが、抑《そもそ》も事の間違いであった。若《も》し私が道徳的にもう少し鈍感であったならば、私にいくらかでも悪人の素質があったならば、私はこうまで後悔しなくても済んだであろう。こんな恐ろしい疑惑の淵《ふち》に沈まなくても済んだであろう。いや、それどころか、私はひょっとしたら、今頃は美しい女房と身に余る財産に恵まれて、ホクホクもので暮していたかも知れないのだ。
事件が終ってから、大分《だいぶ》月日がたったので、ある恐ろしい疑惑は未《いま》だに解けないけれど、私は生々《なまなま》しい現実を遠ざかって、いくらか回顧的《かいこてき》になっている。それでこんな記録めいたものも書いて見る気になったのだが、そして、これを小説にしたら、仲々面白い小説になるだろうと思うのだが、併《しか》し私は終りまで書くことは書いたとしても、直《ただ》ちに発表する勇気はない。何故《なぜ》と云って、この記録の重要な部分を為《な》す所の小山田《おやまだ》氏変死事件は、まだまだ世人《せじん》の記憶に残っているのだから、どんなに変名を用い、潤色《じゅんしょく》を加えて見た所で、誰も単なる空想小説とは受取ってくれないだろう。随って、広い世間にはこの小説によって迷惑を受ける人もないとは限らないし、又私自身それが分っては恥しくもあり不快でもある。というよりは、本当を云うと私は恐ろしいのだ。事件そのものが、白昼の夢の様に、正体の掴《つか》めぬ、変に不気味な事柄《ことがら》であったばかりでなく、それについて私の描《えが》いた妄想が、自分でも不快を感じる様な恐ろしいものであったからだ。私は今でも、それを考えると、青空が夕立雲で一杯になって、耳の底でドロンドロンと太鼓《たいこ》の音みたいなものが鳴り出す。そんな風に眼の前が暗くなり、この世が変なものに思われて来るのだ。
そんな訳で、私はこの記録を今《いま》直《す》ぐ発表する気はないけれど、いつかは一度、これを基《もと》にして私の専門の探偵小説を書いて見たいと思っている。これは謂《い》わばそのノートに過ぎないのだ。やや詳しい心覚えに過ぎないのだ。私は、だから、これを正月のところ丈《だ》けで、あとは余白になっている古い日記帳へ、丁度長々しい日記でもつける気持で、書きつけて行くのである。
私は事件の記述に先だって、この事件の主人公である探偵作家大江春泥の人となりについて、作風について、又彼の一種異様な生活について、詳しく説明して置くのが便利であるとは思うのだけれど、実は私は、この事件が起るまでは、書いたものでは彼を知ってもいたし、雑誌の上で議論さえしたことがあるのだけれど、個人的の交際もなく、彼の生活もよくは知らなかった。それをやや詳しく知ったのは、事件が起ってから、私の友達の本田《ほんだ》という男を通じてであったから、春泥のことは、私が本田に聞合《ききあわ》せ調べ廻《まわ》った事実を書く時に記《しる》すこととして、出来事の順序に従って、私がこの変な事件に捲《ま》き込まれるに至った、最初のきっかけから筆を起して行くのが、最も自然である様に思う。
それは昨年の秋、十月なかばのことであった。私は古い仏像《ぶつぞう》が見たくなって、上野《うえの》の帝室博物館の、薄暗くガランとした部屋部屋を、足音を忍ばせて歩き廻っていた。部屋が広くて人気《ひとけ》がないので、一寸《ちょっと》した物音が怖《こわ》い様な反響を起すので、足音ばかりではなく、咳《せき》ばらいさえ憚《はば》かられる様な気持だった。博物館というものが、どうしてこうも不人気《ふにんき》であるかと疑われる程そこには人の影がなかった。陳列棚の大きなガラスが冷く光り、リノリウムには小さなほこりさえ落ちていなかった。お寺のお堂みたいに天井の高い建物は、まるで水の底にでも在《あ》る様に、森閑《しんかん》と静まり返っていた。
丁度私が、ある部屋の陳列棚の前に立って、古めかしい木彫の菩薩像《ぼさつぞう》の、夢の様なエロティクに見入っていた時、うしろに、忍ばせた足音と、幽《かす》かな絹《きぬ》ずれの音がして、誰かが私の方へ近づいて来るのが感じられた。私は何かしらゾッとして、前のガラスに映る人の姿を見た。そこには、今の菩薩像と影を重ねて、黄八丈《きはちじょう》の様な柄《がら》の袷《あわせ》を着た、品のいい丸髷《まるまげ》姿の女が立っていた。女はやがて私の横に肩を並べて立止り、私の見ていた同じ仏像にじっと眼を注ぐのであった。
私は、あさましいことだけれど、仏像を見ている様な顔をして、時々チラチラと女の方へ眼をやらないではいられなかった。それ程その女は私の心を惹《ひ》いたのだ。彼女は青白い顔をしていたが、あんなに好もしい青白さを私は甞《か》つて見たことがなかった。この世に若し人魚というものがあるならば、きっとあの女の様な優艷《ゆうえん》な肌を持っているに相違ない。どちらかと云えば昔風の瓜実顔《うりざねがお》で、眉《まゆ》も鼻も口も首筋も、肩も、悉《ことごと》くの線が優に弱々しく、なよなよとしていて、よく昔の小説家が形容した様な、触《さわ》れば消えて行くかと思われる風情《ふぜい》であった。私は今でも、あの時の彼女のまつげの長い、夢見る様なまなざしを忘れることは出来ない。
どちらが初め口を切ったのか、私は今妙に思い出せぬけれど、恐らくは私が何かのきっかけを作ったのであろう。彼女と私とはそこに並んでいた陳列品について二言三言口を利《き》き合ったのが縁となって、それから博物館を一巡して、そこを出て上野の山内《さんない》を山下《やました》へ通り抜けるまでの長い間、道づれとなってポッツリポッツリと、色々の事を話し合ったのである。
そうして話をして見ると、彼女の美しさは一段と風情を増して来るのであった。中にも彼女が笑う時の、恥らい勝ちな、弱々しい美しさには、私は何か古めかしい油絵の聖女の像でも見ている様な、又はあのモナリザの不思議な微笑を思い起す様な、一種異様の感じにうたれないではいられなかった。彼女の糸切歯《いときりば》は真白で大きくて、笑う時には、唇《くちびる》の端《はし》がその糸切歯にかかって、謎の様な曲線を作るのだが、右の頬《ほお》の青白い皮膚《ひふ》の上の大きな黒子《ほくろ》が、その曲線に照応して、何とも云えぬ優しく懐《なつか》しい表情になるのだった。
だが、若し私が彼女の項《うなじ》にあの妙なものを発見しなかったならば、彼女はただ上品で優しくて弱々しくて、触れば消えてしまいそうな美しい人という以上に、あんなにも強く私の心を惹かなかったであろう。彼女は巧みに衣紋《えもん》をつくろって、少しも態《わざ》とらしくなく、それを隠していたけれど、上野の山内を歩いている間に、私はチラと見てしまった。彼女の項には、恐らく背中の方まで深く、赤痣《あかあざ》の様な太い蚯蚓脹《みみずば》れが出来ていたのだ。それは生れつきの痣の様にも見えたし、又、そうではなくて、近頃出来た傷痕《きずあと》の様にも思われた。青白い滑《なめら》かな皮膚の上に、恰好《かっこう》のいいなよなよとした項の上に、赤黒い毛糸を這《は》わせた様に見えるその蚯蚓脹れが、その残酷味が、不思議にもエロティクな感じを与えた。それを見ると、今迄《いままで》夢の様に思われた彼女の美しさが、俄《にわ》かに生々しい現実味を伴って、私に迫って来るのであった。
話している間に、彼女は合資会社碌々商会の出資社員の一人である実業家小山田六郎《ろくろう》氏の夫人、小山田静子《しずこ》であったことが分って来たが、幸《さいわい》なことには、彼女は探偵小説の読者であって、殊《こと》に私の作品は好きで愛読しているということで(それを聞いた時私はゾクゾクする程嬉《うれ》しかったことを忘れない)つまり作者と愛読者の関係が私達を少しの不自然もなく親しませ、私はこの美しい人と、それきり別れてしまう本意なさを味《あじわ》わなくて済んだ。私達はそれを機縁に、それから度々《たびたび》手紙のやり取りをした程の間柄《あいだがら》となったのである。
私は、若い女の癖《くせ》に人気《ひとけ》のない博物館などへ来ていた静子の上品な趣味も好ましかったし、探偵小説の中でも最も理智的だと云われている私の作品を愛読している彼女の好みも懐しく、私は全《まった》く彼女に溺《おぼ》れ切ってしまった形で、誠に屡々《しばしば》彼女に意味もない手紙を送ったものであるが、それに対して、彼女は一々鄭重《ていちょう》な、女らしい返事をくれた。独身《ひとりもの》で淋《さび》しがりやの私は、この様なゆかしい女友達を得たことを、どんなに喜んだことであろう。
小山田静子と私との手紙の上での交際は、そうして数ヶ月の間続いた。文通を重ねて行く内に、私は非常にびくびくしながら、私の手紙に、それとなく、ある意味を含ませていたことをいなめないのだが、気のせいか、静子の手紙にも、通り一ぺんの交際以上に、誠につつましやかではあったが、何かしら暖い心持がこめられて来る様になった。打開《うちあ》けて云うと、恥しいことだけれど、私は、静子の夫の小山田六郎氏が、年も静子よりは余程《よほど》とっていた上に、その年よりも老けて見える方で、頭などもすっかりはげ上っている様な人だという事を、苦心をして探り出していたのだった。
それが、今年の二月頃になって、静子の手紙に妙な所が見え始めた。彼女は何かしら非常に怖がっている様に感じられた。
「この頃大変心配なことが起りまして、夜も寝覚《ねざ》め勝《が》ちでございます」
彼女はある手紙にこんなことを書いた。文言《ぶんげん》は簡単であったけれど、その文言の裏に、手紙全体に、恐怖に戦《おのの》いている彼女の姿が、まざまざと見える様だった。
「先生は同じ探偵作家でいらっしゃる大江春泥という方《かた》と、若しや御友達ではございませんでしょうか。その方の御住所が御分りでしたら御教え下さいませんでしょうか」
ある時の手紙にはこんなことが書いてあった。無論私は大江春泥の作品はよく知っていたが、春泥という男が非常な人嫌いで、作家の会合などにも一度も顔を出さなかったので、個人的なつき合いはなかった。それに、彼は昨年のなか頃からぱったり筆をとらなくなって、どこへ引越してしまったか、住所さえ分らないと云う噂《うわさ》を聞いていた。私は静子へはその通り答えてやったが、彼女のこの頃の恐怖は若しやあの大江春泥にかかわりがあるのではないかと思うと、私はあとで説明する様な理由の為《ため》に、何となくいやあな心持がした。
すると間もなく、静子から「一度御相談したいことがあるから、御伺《おうかが》いしても差支《さしつかえ》ないか」という端書《はがき》が来た。私はその「御相談」の内容をおぼろげには感じていたけれど、まさかあんな恐ろしい事柄だとは想像もしなかったので、愚《おろ》かにも浮き浮きと嬉しがって、彼女との二度目の対面の楽しさを、様々に妄想していた程であったが、「お待ちしています」という私の返事を受け取ると、直ぐその日の内に私を訪ねて来た静子は、もう私が下宿の玄関へ出迎えた時に、私を失望させた程も、うちしおれていて、彼女の「相談」というのが又、私の先の妄想などはどこかへ行ってしまった程、異常な事柄だったのである。
「私本当に思い余って伺ったのでございます。先生なれば、聞いて頂ける様な気がしたものですから…………でも、まだ昨今の先生にこんな打割った御相談をしましては失礼ではございませんかしら」
その時、静子は例の糸切歯と黒子の目立つ、弱々しい笑い方をして、ソッと私の方を見上げた。寒い時分で、私は仕事机の傍《わき》に紫檀《したん》の長火鉢《ながひばち》を置いていたが、彼女はその向側《むこうがわ》に行儀《ぎょうぎ》よく坐って、両手の指を火鉢の縁《ふち》へかけている。その指は彼女の全身を象徴するかの様に、しなやかで、細くて、弱々しくて、と云っても決して痩《や》せているのではなく、色は青白いけれど、決して不健康なのではなく、握《にぎ》りしめたならば、消えてしまい相《そう》に弱々しいけれど、しかも非常に微妙な弾力を持っている。指ばかりではなく、彼女全体が丁度そんな感じであった。
彼女の思込んだ様子を見ると、私もつい真剣になって、「私に出来ることなら」と答えると、彼女は「本当に気味の悪いことでございますの」と前置きして、彼女の幼年時代からの身の上話を混ぜて、次の様な異様な事実を私に告げたのである。
その時静子の語った、彼女の身の上をごく簡単に記すと、彼女の郷里は静岡《しずおか》であったが、そこで彼女は女学校を卒業するという間際《まぎわ》まで、至極《しごく》幸福に育った。たった一つの不幸とも云えるのは、彼女が女学校の四年生の時、平田一郎《ひらたいちろう》という青年の巧みな誘惑に陥《おちい》って、ほんの少しの間彼と恋仲になったことであった。なぜそれが不幸かと云うに、彼女は十八の娘の一寸した出来心から恋の真似事をして見た丈けで、決して真《しん》から相手の平田青年を好いていなかったからだ。そして、彼女の方では本当の恋でなかったのに、相手は真剣であったからだ。彼女はうるさくつき纒《まと》う平田一郎を避けよう避けようとする、そうされればされる程、青年の執着は深くなる。はては、深夜黒い人影が彼女の家の塀外《へいそと》をさまよったり、郵便受に気味の悪い脅迫状が舞込んだりし始めた。十八の娘は彼女の出来心の恐ろしい報《むく》いに震え上ってしまった。両親もただならぬ娘の様子に心附いて、胸をいためた。
丁度その時、静子にとっては、寧《むし》ろそれが幸であったとも云えるのだが、彼女の一家に大きな不幸が来た。当時経済界の大変動から、彼女の父は弥縫《びほう》の出来ない多額の借財を残し、商売をたたんで、殆《ほとん》ど夜逃げ同然に、彦根《ひこね》在の一寸した知《し》る辺《べ》をたよって、身を隠さねばならぬ羽目《はめ》となった。この予期せぬ境遇の変化の為に、静子は今少しという所で女学校を中途退学しなければならなかったけれど、一方では、突然の転宅によって、気味の悪い平田一郎の執念《しゅうねん》から逃れることが出来たので、彼女はホッと胸なでおろす気持だった。
彼女の父親はそれが元で、病《やまい》の床《とこ》につき、間もなく死んで行ったが、それから、たった二人になった母親と静子の上に、暫《しばら》くの間みじめな生活が続いた。だが、その不幸は大して長くはなかった。やがて、彼女等《ら》が世を忍んでいた同じ村の出身者である実業家の小山田氏が彼女等の前に現われた。それが救いの手であった。小山田氏はある垣間見《かいまみ》に静子を深く恋して、伝手《つて》を求めて結婚を申込んだ。静子も小山田氏が嫌いではなかった。年こそ十歳以上も違っていたけれど、小山田氏のスマートな紳士振りに、あるあこがれを感じていた。縁談はスラスラと運んで行った。小山田氏は母親と共に、花嫁の静子を伴って東京の邸《やしき》に帰った。それから七年の歳月が流れた。彼等が結婚してから三年目かに、静子の母親が病死したこと、それから暫くして、小山田氏が会社の要務を帯びて、二年ばかり海外に旅をしたこと(帰朝《きちょう》したのはつい一昨年《いっさくねん》の暮であったが、その二年の間、静子は毎日茶、花、音楽等《とう》の師匠に通《かよ》って、独居《ひとりい》の淋しさを慰《なぐさ》めていたのだと語った)などを除いては、彼等の一家にはこれという出来事もなく、夫婦の間柄も至極円満に、仕合《しあわ》せな月日が続いた。夫の小山田氏は大の奮闘家で、その七年間にメキメキと財をふやして行った。そして、今では同業者の間に押しも押されもせぬ地盤を築いていた。
「本当にお恥しいことですけれど、わたくし、結婚の時小山田に嘘《うそ》をついてしまったのでございます。その平田一郎のことを、つい隠してしまったのでございます」
静子は、恥しさと悲しさの為に、あのまつげの長い目をふせて、そこに一杯涙さえためて、小さな声で細々《ほそぼそ》と語るのであった。
「小山田は平田一郎の名をどこかで聞いていて、いくらか疑っていた様でございましたが、わたくし、あくまで小山田の外《ほか》には男を知らないと云い張って、平田との関係を秘し隠しに隠してしまったのでございます。そして、その嘘を今でも続けているのでございます。小山田が疑えば疑う丈け、私は余計に隠さなければならなかったのでございます。人の不幸って、どんな所に隠れているものか、本当に恐ろしいと思いますわ。七年前の嘘が、それも決して悪意でついた嘘ではありませんでしたのに、こんなにも恐ろしい姿で、今わたくしを苦しめる種《たね》になりましょうとは。わたくし、平田のことなんか、本当に忘れきってしまっていたのでございます。突然平田からあんな手紙が来ました時にも、平田一郎という差出人の名前を見ましても、暫らくは誰であったか思い出せない程、わたくし、すっかり忘れきっていたのでございます」
静子はそう云って、その平田から来たという数通の手紙を見せた。私はその後それらの手紙の保管を頼まれて、今でもここに持っているが、その内最初に来たものは、話の筋を運んで行くのに都合がよいから、それをここに貼りつけて置くことにしよう。
静子さん。私はとうとう君を見つけた。君の方では気がつかなんだけれど、私は君に出逢った場所から君を尾行《びこう》して、君の邸を知ることが出来た。小山田という今の君の姓も分った。君はまさか平田一郎を忘れはしないだろう。どんなに虫の好かぬ奴だったかを覚えているだろう。私は君に捨てられてどれ程悶《もだ》えたか、薄情な君には分るまい。悶えに悶えて、深夜君の邸の廻りをさまよった事幾度《いくたび》であったろう。だが、君は、私の情熱が燃え立てば燃え立つ程、益々《ますます》冷《ひやや》かになって行った。私を避け、私を恐れ、遂には私を憎んだ。君は恋人から憎まれた男の心持を察しることが出来るか。私の悶えが歎《なげ》きとなり、歎きが恨《うら》みとなり、恨みが凝《こ》って、復讐の念と変って行ったのが無理であろうか。君が家庭の事情を幸いに、一言《ごん》の挨拶《あいさつ》もなく、逃げる様に私の前から消去《きえさ》った時、私は数日、飯も食わないで書斎に坐り通していた。そして、私は復讐を誓ったのだ。私は若かったので、君の行衛《ゆくえ》を探す術《すべ》を知らなんだ。多くの債権者を持つ君の父親は、何人《なんぴと》にもその行先《ゆきさき》を知らせないで、姿をくらましてしまった。私はいつ君に逢えることか分らなんだ。だが、私は長い一生を考えた。一生の間君に逢わないで済もうとはどうしても考えられなかった。
私は貧乏だった。食う為に働かねばならぬ身の上だった。一つはそれが、あくまで君の行衛を尋《たず》ね廻《まわ》ることを妨《さまた》げたのだ。一年二年、月日は矢の様に過ぎ去って行ったが、私はいつまでも貧困と戦わねばならなかった。そして、その疲労が、忘れるともなく君への恨みを忘れさせた。私は食うことで夢中だったのだ。だが、三年ばかり前、私に予期せぬ好運が巡って来た。私はあらゆる職業に失敗して、失望のどん底にある時、うさはらしに一篇の小説を書いた。それが機縁となって、私は小説で飯の食える身分となったのだ。君は今でも小説を読んでいるのだから、多分大江春泥という探偵小説家を知っているだろう。彼はもう一年ばかり何も書かないけれど、世間の人は恐らく彼の名前を忘れてはいない。その大江春泥こそかく云う私なのだ。君は、私が小説家としての虚名《きょめい》に夢中になって、君に対する恨みを忘れてしまったとでも思うのか。否《いな》、否、私のあの血みどろな小説は、私の心に深き恨みを蔵《ぞう》していたからこそ書けたとも云えるのだ。あの猜疑心《さいぎしん》、あの執念、あの残虐、それらが悉く私の執拗《しつよう》なる復讐心から生れたものだと知ったなら、私の読者達は恐らく、そこに籠《こも》る妖気に身震《みぶる》いを禁じ得なかったであろう。
静子さん。生活の安定を得た私は、金と時間の許す限り、君を探し出す為に努力した。勿論《もちろん》君の愛を取戻そうなどと不可能な望《のぞみ》を抱いた訳ではない。私には已《すで》に妻がある。生活の不便を除く為に娶《めと》った形ばかりの妻がある。だが、私にとって、恋人と妻とは全然別箇のものだ。つまり、妻を娶ったからといって、恋人への恨みを忘れる私ではないのだ。
静子さん。今こそ私は君を見つけ出した。私は喜びに震えている。私の多年の願いを果す時が来たのだ。私は長い間、小説の筋を組み立てる時と同じ喜びを以《もっ》て、君への復讐手段を組立てて来た。最も君を苦しめ、君を怖わがらす方法を熟慮《じゅくりょ》して来た。愈々《いよいよ》それを実行する時が来たのだ。私の歓喜を察してくれ給《たま》え。
君は警察その他の保護を仰《あお》ぎ私の計画を妨げることは出来ない。私の方にはあらゆる用意が出来ているのだ。ここ一年ばかりというもの、新聞記者、雑誌記者の間に私の行衛不明が伝えられている。これは何も君への復讐の為にしたことではなく、私の厭人癖《えんじんへき》と秘密好みから出た韜晦《とうかい》なのだが、それが計《はか》らずも役に立った。私は一層の綿密さを以て世間から私の姿をくらますであろう。そして、着々君への復讐計画を進めて行くであろう。
君は私の計画を知りたがっているに相違ない。だが、私は今その全体を洩《も》らすことは出来ぬ。恐怖は徐々《じょじょ》に迫って行く程効果があるからだ。併し、君がたって聞きたいと云うならば、私は私の復讐事業の一端を洩らすことを惜しむものではない。例えば、私は今から三日以前、即《すなわ》ち一月三十一日の夜、君の家の中で君の身辺に起ったあらゆる些事《さじ》を、寸分の間違いもなく君に告げることが出来る。
午後七時より七時半まで、君は君達の寝室にあてられている部屋の小机に凭《もた》れて小説を読んだ。小説は広津柳浪の短篇集「変目伝《へめでん》」その中の「変目伝」丈けを読了した。七時半より七時四十分まで、女中に茶菓を命じ、風月の最中《もなか》を二箇、お茶を三碗喫《きっ》した。七時四十分より上厠《じょうし》約五分にして、部屋へ戻った。それより九時十分頃まで、編物《あみもの》をしながら物思いに耽《ふけ》った。九時十分主人帰宅。九時二十分頃より十時少し過ぎまで、主人の晩酌《ばんしゃく》の相手をして雑談した。その時君は主人に勧められて、グラスに半分ばかり葡萄酒《ぶどうしゅ》を喫した。その葡萄酒は口をあけたばかりのもので、コルクの小片がグラスに入ったのを、君は指でつまみ出した。晩酌が終るとすぐ女中に命じて二つの床《とこ》をのべさせ、両人上厠の後《のち》就寝した。それから十一時まで両人とも眠らず。君が再び君の寝床に横《よこた》わった時君の家のおくれたボンボン時計が十一時を報じた。
君はこの汽車の時間表の様に忠実な記録を読んで、恐怖を感じないでいられるだろうか。
二月三日深夜復讐者より
我が生涯より恋を奪いし女へ
「わたくし、大江春泥という名前は可也《かなり》以前から存じて居りましたけれど、それが平田一郎の筆名でしょうとは、ちっとも存じませんでした」
静子は気味悪そうに説明した。事実、大江春泥の本名を知っている者は、私達作家仲間にも少い位であった。私にしても、彼の著書の奥附《おくづけ》を見たり、私の所へよく来る本田が本名で彼の噂をするのを聞かなかったら、いつまでも平田という名前を知らなかったであろう。それ程彼は人嫌いで、世間に顔出しをせぬ男であった。
平田のおどかしの手紙は、その外に三通ばかりあったが、いずれも大同小異で、(消印《けしいん》はどれもこれも違った局のであった)復讐の呪咀《じゅそ》の言葉のあとに、静子のある夜の行為が、細大《さいだい》洩《も》らさず、正確な時間を附加えて記入してあることに変りはなかった。殊にも、彼女の寝室の秘密は、どの様な隠微《いんび》な点までも、はれがましくもまざまざと描き出されていた。顔の赤らむ様なある仕草、ある言葉さえもが、冷酷に描写してあった。
静子はその様な手紙を他人に見せることは、どれ程恥しく苦痛であったか、察するに余りあったが、それを忍んでまで、彼女が私を相談相手に選んだのは、よくよくのことと云わねばならぬ。それは一方では、彼女が過去の秘密を、つまり彼女が結婚以前既《すで》に処女でなかったという事実を、夫の六郎氏に知られることを、どれ程恐れていたかということを示すものであり、同時に又一方では、彼女の私に対する信頼がどんなに厚いかということを証する訳《わけ》でもあった。
「わたくし、主人側の親類の外には、身内と云っては一人もございませんし、御友達にこんなことを相談する様な親身の方はありませんし、本当に無躾《ぶしつけ》だとは思いましたけれど、わたくし、先生に御すがりすれば、私がどうすればいいか、御教え下さるでしょうと思いましたものですから」
彼女にそんな風に云われると、この美しい女がこんなにも私をたよっているかと思うと、私は胸がワクワクする程嬉しかった。私が大江春泥と同じ探偵作家であったこと、少くとも小説の上では、私が仲々巧みな推理家であったことなどが、彼女が私を相談相手に選んだ幾分《いくぶん》の理由を為していたには相違ないが、それにしても、彼女が私に対して余程の信頼と好意を持っていないでは、こんな相談がかけられるものではないのだ。
云うまでもなく、私は静子の申出《もうしいで》を容《い》れて、出来る丈けの助力をすることを承諾した。大江春泥が静子の行動を、これ程巨細《こさい》に知る為には、小山田家の召使を買収するか、彼自身が邸内に忍込んで、静子の身近く身をひそめているか、又はそれに近い悪企《わるだく》みが行われていたと考える外はなかった。彼の作風から推察しても、春泥はそんな変てこな真似《まね》をし兼《か》ねない男なのだから。私はそれについて、静子の心当りを尋ねて見たが、不思議なことには、その様な形跡は少しもないということであった。召使達は気心の分った長年住込みのものばかりだし、邸の門や塀などは主人が人一倍神経質の方で、可也厳重に出来ているし、それに仮令邸内に忍び込めたところで、召使達の目にふれないで、奥まった部屋にいる静子の身辺に近づくことは、殆ど不可能だということであった。
だが、実を云うと私は大江春泥の実行力を軽蔑《けいべつ》していた。高《たか》が探偵小説家の彼に、どれ程のことが出来るものか。せいぜい御手のものの手紙の文章で静子を怖がらせる位のことで、迚《とて》もそれ以上の悪企みが実行出来る筈はない。とたかを括《くく》っていた。彼がどうして静子の細《こまか》い行動を探り出したかは、聊か不思議ではあったが、これも彼の御手のものの、手品使いみたいな機智で、大した手数をかけないで、誰かから聞出してでもいるのだろうと、軽く考えていた。で、私はその私の考えを話して静子を慰め、私にはその方の便宜《べんぎ》もあるので、大江春泥の所在をつき止め、出来れば彼に意見を加えて、こんな馬鹿馬鹿しいいたずらを中止させる様に計らうからと、それはかたく請合《うけあ》って、静子を帰したのであった。私は大江春泥の脅迫めいた手紙について、あれこれと詮議《せんぎ》立てをすることよりは、優しい言葉で静子を慰めることの方に力を注いだ。無論私にはそれが嬉しかったからだ。そして、別れる時に私は、「このことは一切御主人に御話なさらん方がいいでしょう。あなたの秘密を犠牲《ぎせい》になさる程の大した事件ではありませんよ」という様なことを云った。愚《おろ》かな私は、彼女の主人さえ知らぬ秘密について、彼女と二人きりで話し合う楽しみを、出来る丈け長く続けたかったのだ。
併し、私は大江春泥の所在をつきとめる仕事丈けは、実際やる積《つも》りであった。私は以前から私と正反対の傾向の春泥を、ひどく虫が好かなんだ。女の腐った様な猜疑に満ちた繰言《くりごと》で変態読者をやんやと云わせて得意がっている彼が無性《むしょう》に癪《しゃく》に触っていた。だから、あわよくば、彼のこの隠険《いんけん》な不正行為をあばいて、吠面《ほえづら》をかかせてやりたいものだとさえ思っていた。私は大江春泥の行衛を探すことが、あんなに難しかろうとは、まるで予想していなかったのだ。
大江春泥は彼の手紙にもある通り今から四年ばかり前、商売違いの畑から突如として現われた探偵小説家であった。彼が処女作を発表すると、当時日本人の書いた探偵小説というものが殆どなかった読書界は、物珍らしさに非常な喝采《かっさい》を送った。大げさに云えば彼は一躍して読物界の寵児《ちょうじ》になってしまったのだ。彼は非常に寡作《かさく》ではあったが、それでも色々な新聞雑誌に次々と新しい小説を発表して行った。それは一つ一つ、血みどろで、隠険で、邪悪で、一読肌に粟《あわ》を生じる体《てい》の、無気味ないまわしいものばかりであったが、それが却《かえ》って読者を惹きつける魅力となり、彼の人気は仲々衰えなかった。
私も殆ど彼と同時位に、従来の少年少女小説から探偵小説の方へ鞍替《くらが》えしたのであったが、そして人の少い探偵小説界では、相当名前を知られる様になったのであるが、大江春泥と私とは、作風が正反対と云ってもいい程違っていた。彼の作風が暗く、病的で、ネチネチしていたに反して、私のは明るく、常識的であった。当然の勢いとして、私達は妙に製作を競い合う様な形になっていた。そして、お互《たがい》に作品をけなし合いさえした。と云っても癪に触ることには、けなすのは多くは私の方で、春泥は時たま私の議論を反駁《はんばく》して来ることもあったが、大抵《たいてい》は超然として沈黙を守っていた。そして、次々と恐ろしい作品を発表して行った。私はけなしながらも、彼の作に籠《こも》る一種の妖気にうたれないではいられなかった。彼は何かしら燃え立たぬ陰火《いんか》の様な情熱を持っていた。(それが彼の手紙にある様に静子への執念深い怨恨《えんこん》からであったとすれば、やや肯《うなず》くことが出来るのだが)えたいの知れぬ魅力が読者を捉《とら》えた。実をいうと、私は、彼の作品が喝采される毎《ごと》に、云い様のない嫉妬《しっと》を感じずにはいられなかった。私は子供らしい敵意をさえ抱いた。どうかして彼奴《あいつ》に打勝ってやり度いという願いが、絶えず私の心の隅《すみ》に蟠《わだかま》っていた。だが、彼は一年ばかり前から、ぱったり小説を書かなくなり所在をさえくらましてしまった。人気が衰えた訳でもなく、雑誌記者などは散々《さんざん》彼の行衛を探し廻った程であったが、どうした訳か、彼はまるで行衛不明であった。私は虫の好かぬ彼ではあったが、さていなくなって見れば、一寸淋しくもあった。子供らしい云い方をすれば、好敵手を失ったという物足りなさが残った。そういう大江春泥の最近の消息が、しかも極《きわ》めて変てこな消息が、小山田静子によって齎《もた》らされたのだ。私は恥しいことだけれど、かくも奇妙な事情の下《もと》に、昔の競争相手と再会したことを、心《こころ》私《ひそ》かに喜ばないではいられなかった。
だが、大江春泥が探偵物語の組立てに注いだ空想を、一転して実行にまで押進めて行ったことは、考えて見れば、或《あるい》は当然の成行であったかも知れない。このことは世間でも大方《おおかた》は知っている筈だが、ある人が云った様に、彼は一箇の「空想的犯罪生活者」であった。彼は、丁度殺人鬼が人を殺すのと、同じ興味を以て、同じ感激を以て、原稿紙の上に彼の血みどろの犯罪生活を営《いとな》んでいたのだ。彼の読者は、彼の小説につき纒っていた一種異様の鬼気を記憶するであろう。彼の作物《さくぶつ》が常に、並々ならぬ猜疑心、秘密癖、残虐性を以て満たされていたことを記憶するであろう。彼はある小説の中で、次の様な無気味な言葉をさえ洩らしていた。
「遂に彼は単なる小説では満足出来ない時が来るのではありますまいか。彼はこの世の味気《あじき》なさ、平凡さにあきあきして、彼の異常な空想を、せめては紙の上に書き現わすことを楽しんでいたのです。それが彼が小説を書き初《はじ》めた動機だったのです。でも、彼は今、その小説にさえあきあきしてしまいました。この上は、彼は一体どこに刺戟《しげき》を求めたらいいのでしょう。犯罪、アア、犯罪丈けが残されていました。あらゆることをし尽した彼の前は、世にも甘美《かんみ》なる犯罪の戦慄《せんりつ》丈けが残されていました」
彼は又、作家としての日常生活に於《おい》ても、甚《はなは》だしく風変りであった。彼の厭人病と秘密癖は、作家仲間や雑誌記者の間に知れ渡っていた。訪問者が彼の書斎に通されることは極めて稀《まれ》であった。彼はどんな先輩にも平気で玄関払いを喰わせた。それに、彼はよく転宅をしたし、殆ど年中病気と称して、作家の会合などにも顔を出したことがなかった。噂によると、彼は昼も夜も万年床の中に寝そべって、食事にしろ執筆にしろ、凡《すべ》て寝ながらやっているということであった。そして、昼間も雨戸をしめ切って、態と五燭《しょく》の電燈をつけて、薄暗い部屋の中で、彼一流の無気味な妄想《もうそう》を描きながら、蠢《うごめ》いているのだということであった。
私は彼が小説を書かなくなって、行衛不明を伝えられた時、ひょっとしたら、彼はよく小説の中で云っていた様に、浅草《あさくさ》あたりのゴミゴミした裏町に巣を喰って、彼の妄想を実行し始めたのではあるまいかと、ひそかに想像を廻《めぐ》らしていたのだが、果せるかな、それから半年もたたぬ内に、彼は正《まさ》しく一箇の妄想実行者として、私の前に現われたのであった。
私は春泥の行衛を探すのには、新聞社の文芸部か雑誌社の外交記者に聞合せるのが最も早道であると考えた。それにしても、春泥の日常が甚しく風変りで、滅多《めった》に訪問者にも会わなかったという程だし、雑誌社などでも、一応は彼の行衛を探したあとなのだから、余程彼と昵懇《じっこん》であった記者を捉えなければならぬのだが、幸いにも丁度おあつらえ向きの人物が、私の心易い雑誌記者の中にあった。それは其道《そのみち》では敏腕の聞え高い博文館の本田という外交記者で、彼は殆ど春泥係りの様にして、春泥に原稿を書かせる仕事をやっていた時代があったし、彼はその上、外交記者丈けあって、探偵的な手腕も仲々あなどり難《がた》いものがあるのだ。
そこで、私は電話をかけて、本田に来て貰《もら》って、先《ま》ず、私の知らない春泥の生活について尋ねたのであるが、すると、本田はまるで遊び友達の様な呼び方で、
「春泥ですか。あいつけしからん奴じゃ」
と大黒様《だいこくさま》の様な顔を、ニヤニヤさせて、さて快く私の問いに答えて呉《く》れた。
本田の云う所によると、春泥は小説を書き始めた頃は郊外の池袋《いけぶくろ》の小さな借家《しゃっか》に住んでいたが、それから文名が上り、収入が増すに従って、少しずつ手広な家へ(と云っても大抵は長屋《ながや》だったが)転々として移り歩いた。牛込の喜久井町《きくいちょう》、根岸《ねぎし》、谷中初音町《やなかはつねちょう》、日暮里金杉《にっぽりかなすぎ》等々、本田はそうして春泥の約二年間に転居した場所を七つ程列挙した。根岸へ移り住んだ頃から、春泥は漸《ようや》くはやりっ子となり、雑誌記者などが随分《ずいぶん》おしかけたものであるが、彼の人嫌いはその当時からで、いつも表戸をしめて、奥さんなどは裏口から出入りしているといった風であった。折角《せっかく》訪ねても逢ってはくれず、居留守を使って置いて、あとから手紙で、「私は人嫌いだから、用件は手紙で申送《もうしおく》ってくれ」という詫状《わびじょう》が来たりするので、大抵の記者はへこたれてしまい、春泥に会って話をしたものは、ほんの数える程しかなかった。小説家の奇癖《きへき》には慣れっこになっている雑誌記者も、春泥の人嫌いを持余《もてあま》していた。
併しよくしたもので、春泥の細君《さいくん》というのが、仲々の賢夫人《けんぷじん》で、本田は原稿の交渉や催促なども、この細君を通じてやることが多かった。でも、その細君に逢うのも仲々面倒で、表戸が締《しま》っている上に、時には「病中面会謝絶」とか、「旅行中」とか、「雑誌記者諸君。原稿の依頼は凡《すべ》て手紙で願います。面会はお断りです」などという手厳しい掛け札さえぶら下がっているのだから、流石《さすが》の本田も辟易《へきえき》して、空《むな》しく帰る場合も一度ならずあった。そんな風だから、転居をしても一々通知状を出すではなく、凡て記者の方で郵便物などを元にして探し出さなければならないのだった。
「春泥と話をしたり、細君と冗談口を利き合ったものは、雑誌記者多しと雖《いえど》も、恐らく僕位なもんでしょう」
本田はそう云って自慢をした。
「春泥って、写真を見ると仲々好男子だが、実物もあんなかね」
私は段々好奇心を起して、こんなことを聞いて見た。
「いや、どうもあの写真はうそらしい。本人は若い時の写真だって云ってましたが、どうもおかしいですよ。春泥はあんな好男子じゃありませんよ。いやにブクブク肥《ふと》っていて、運動をしないせいでしょう。(いつも寝ているんですからね)顔の皮膚なんか、肥っている癖に、ひどくたるんでいて、支那人の様に無表情で、目なんか、ドロンとにごっていて、云って見れば土左衛門《どざえもん》見たいな感じなんですよ。それに非常な話下手で無口なんです。あんな男に、どうしてあんなすばらしい小説が書けるかと思われる位ですよ。宇野浩二の小説に『人癲癇』というのがありましたね。春泥は丁度あれですよ。寝胼胝《ねだこ》が出来る程も、寝たっきりなんですからね。僕は二三度しか逢ってませんが、いつだって、あの男は寝ていて話をするんです。寝ていて食事をするというのも、あの調子なら本当ですよ。
ところが、妙ですね。そんな人嫌いで、しょっちゅう寝ている男が、時々変装なんかして浅草《あさくさ》辺をぶらつくっていう噂ですからね。しかもそれが極って夜中なんですよ。本当に泥棒か蝙蝠《こうもり》みたいな男ですね。僕思うに、あの男は極端な恥しがり屋じゃないでしょうか。つまりあのブクブクした自分の身体《からだ》なり顔なりを人に見せるのがいやなのではないでしょうか。文名が高まれば高まる程、あのみっともない肉体が、益々恥しくなって来る。そこで友達も作らず訪問者にも逢わないで、そのうめ合せには夜などコッソリ雑踏《ざっとう》の巷《ちまた》をさまようのじゃないでしょうか。春泥の気質や細君の口裏などから、どうもそんな風に思われるのですよ」
本田は仲々雄弁に、春泥の面影を髣髴《ほうふつ》させるのであった。そして、彼は最後に実に奇妙な事実を報告したのである。
「ところがね、寒川《さむかわ》さん、ついこの間のことですが、僕、あの行衛不明の大江春泥に会ったのですよ。余り様子が変っていたので挨拶もしなかったけれど、確かに春泥に相違ないのです」
「どこで、どこで」
私は思わず聞返した。
「浅草公園ですよ。僕その時実は朝帰りの途中で、酔がさめ切っていなかったのか知れませんがね」本田はニヤニヤして頭をかいた。「ホラ来々軒《らいらいけん》っていう支那料理があるでしょう。あすこの角の所に、まだ人通りも少い朝っぱらから、真赤《まっか》なとんがり帽に道化《どうけ》服の、よく太った広告ビラ配りが、ヒョコンと立っていたのです。何とも夢みたいな話だけど、それが大江春泥だったのですよ。ハッとして立止って、声をかけようかどうしようかと思い迷っている内に、相手の方でも気づいたのでしょう。併しやっぱりボヤッとした無表情な顔で、クルリと後《うしろ》向きになると、そのまま大急ぎで向うの路地へ這入《はい》って行ってしまいました。よっぽど追っかけ様かと思ったけれど、あの風体《ふうてい》じゃ挨拶するのも却って変だと考え直して、そのまま帰ったのですが」
大江春泥の異様な生活を聞いている内に、私は悪夢でも見ている様な、不愉快な気持になって来た。そして、彼が浅草公園で、とんがり帽と道化服をつけて立っていたと聞いた時には、何故かギョッとして、総毛立《そうけだ》つ様な感じがした。
彼の道化姿と静子への脅迫状とにどんな因果関係があるのか私には分らなかったが(本田が浅草で春泥に会ったのは、丁度第一回の脅迫状が来た時分らしかった)何にしても打っちゃっては置けないという気がした。
私はその時序《ついで》に、静子から預っていた、例の脅迫状のなるべく意味の分らない様な部分を一枚丈け選び出して、それを本田に見せ、果して春泥の筆蹟《ひっせき》かどうかを確めることを忘れなかった。すると、彼はこれは春泥の手蹟《しゅせき》に相違ないと断言したばかりでなく、形容詞や仮名遣《かなづか》いの癖まで、春泥でなくては書けない文章だと云った。彼はいつか、春泥の筆癖を真似て小説を書いて見た事があるので、それがよく分るが、
「あのネチネチした文章は、一寸真似が出来ませんよ」
と云うのだ。私も彼のこの意見には賛成であった。数通の手紙の全体を読んでいる私は、本田以上に、そこに漂っている春泥の匂《におい》を感じていたのである。
そこで、私は本田に、出鱈目《でたらめ》の理由をつけて、何とかして春泥のありかをつき止めては呉れないかと頼んだのである。本田は、
「いいですとも、僕にお任《まか》せなさい」
と安請合《やすうけあい》をしたが、私はそれ丈けでは安心がならず、私自身も本田から聞いた春泥の最後に住んでいたという、上野桜木町《さくらぎちょう》三十二番地へ行って、近所で様子を探って見ることにした。
翌日私は、書きかけの原稿をそのままにして置いて、桜木町へ出掛け、近所の女中だとか出入商人などをつかまえて、色々と春泥一家のことを聞き廻って見たが、本田の云ったことが決して嘘でなかったことを確めた以上には、春泥の其後《そのご》の行衛については何事も分らなかった。あの辺は、小さな門などのある中流住宅が多いので、隣同志でも、裏長屋の様に話合うことはなく、行先を告げずに引越して行ったという位のことしか、誰も知らなかった。無論大江春泥の表札など出していないので、彼が有名な小説家だと知っている人もなかった。トラックを持って荷物を取りに来た引越屋さえ、どこの店だか分らないので、私は空しく帰る外はなかった。
外に方法もないので、私は急ぎの原稿を書くひまひまには、毎日の様に本田に電話をかけて、探索の模様を聞くのだが、一向これという手掛りもないらしく、五日《か》六日《か》と日がたって行った。そして、私達がそんなことをしている間《あいだ》に、春泥の方では彼の執念深い企らみを、着々と進めていたのであった。
ある日小山田静子から私の宿へ電話がかかって、大変心配なことが出来たから、一度御出《おい》でが願い度い。主人は留守だし、召使達も、気の置ける様な者は、遠方に使いに出して、待っているから、ということであった。彼女は自宅の電話を使わず、態々自動電話からかけたらしく、彼女がこれ丈けのことを云うのに、非常にためらい勝ちであったものだから、途中で三分の時間が来て、一度電話が切れた程であった。
主人の留守を幸、召使は使《つかい》に出して、ソッと私を呼び寄せるという、このなまめかしい形式が、一寸私を妙な気持にした。勿論それだからというのではないが、私は直様《すぐさま》承諾して、浅草山《やま》の宿《しゅく》にある彼女の家を訪ねた。小山田家は商家と商家の間を奥深く入った所にある、一寸昔の寮といった感じの古めかしい建物であった。正面から見たのでは分らぬけれど、多分裏を大川《おおかわ》が流れているのではないかと思われた。だが、寮の見立てにふさわしくないのは、新しく建増したと見える、邸を取囲んだ甚だしく野暮《やぼ》なコンクリート塀と(その塀の上部には盗賊よけのガラスの破片さえ植えつけてあった)母屋《おもや》の裏の方にそびえている二階建の西洋館であった。その二つのものが、如何《いか》にも昔風の日本建と不調和で、黄金万能の泥臭い感じを与えていた。
刺《し》を通《つう》じると、田舎《いなか》者らしい小女《こおんな》の取次で、洋館の方の応接間へ案内されたが、そこには静子が、ただならぬ様子で待構えていた。彼女は幾度も幾度も、私を呼びつけた無躾を詫びたあとで、何故か小声になって、「先ずこれを見て下さいまし」と云って、一通の封書を差出した。そして、何を恐れるのか、うしろを見る様にして、私の方へ寄って来るのだった。それはやっぱり大江春泥からの手紙であったが、内容がこれまでのものとは少々違っているので、左《さ》にその全文を貼りつけて置くことにする。
静子。お前の苦しんでいる様子が目に見える様だ。お前が主人には秘密で、私の行衛をつきとめ様と苦心していることも、ちゃんと私には分っている。だが、無駄だから止《よ》すがいい。仮令お前に私の脅迫を主人に打開ける勇気があり、その結果警察の手を煩《わずらわ》したところで、私の所在は分りっこはないのだ。私がどんなに用意周到な男であるかは、私の過去の作品を見ても分る筈ではないか。
さて、私の小手調べも、この辺で打切り時だろう。私の復讐事業は第二段に移る時期に達した様だ。それについて私は少しく君に予備知識を与えて置かねばなるまい。私がどうしてあんなにも正確に、夜毎《よごと》のお前の行為を知ることが出来たか。もうお前にも大方想像がついているだろう。つまり、私はお前を発見して以来、影の様にお前の身辺につきまとっているのだ。お前の方からはどうしても見ることは出来ないけれど、私の方からはお前が家に居る時も、外出した時も、寸時の絶え間もなくお前の姿を凝視しているのだ。私はお前の影になり切ってしまったのだ。現に今、お前がこの手紙を読んで震えている様子をも、お前の影である私は、どこかの隅から、目を細めてじっと眺めているかも知れないのだ。
お前も知っている通り、私は夜毎のお前の行為を眺めている内に、当然お前達の夫婦仲の睦《むつま》じさを見せつけられた。私は無論烈《はげ》しい嫉妬を感じないではいられなかった。これは最初復讐計画を立てた時、勘定《かんじょう》に入れて置かなかった事柄だったが、併し、そんな事が毫《ごう》も私の計画を妨げなかったばかりか、却って、この嫉妬は私の復讐心を燃え立たせる油となった。そして、私は私の予定にいささかの変更を加える方が、一層私の目的にとって有効であることを悟った。というのは外でもない。最初の予定では、私はお前を窘《いじ》めに窘め抜き、恐《こ》わがらせに恐わがらせ抜いた上で、徐《おもむ》ろにお前の命を奪おうと思っていたのだが、此間《このあいだ》からお前達の夫婦仲を見せつけられるに及んで、お前を殺すに先だって、お前の愛している夫の命を、お前の目の前で奪い、それから、その悲歎を充分味わせた上で、お前の番にした方が、仲々効果的ではないかと考える様になった。そして、私はそれに極《き》めたのだ。だが慌《あわ》てることはない。私はいつも急がないのだ。第一、この手紙を読んだお前が、充分苦しみ抜かぬ内に、その次の手段を実行するというのは、余りに勿体《もったい》ないことだからな。
三月十六日深夜復讐鬼より
静子殿
この残忍酷薄《こくはく》を極《きわ》めた文言を読むと、私は流石にゾッとしないではいられなかった。そして、人でなし大江春泥を憎む心が幾倍するのを感じた。だが、私が恐れを為してしまったのでは、あのいじらしく打《うち》しおれた静子を誰が慰めるのだ。私は強《し》いて平気を装いながら、この脅迫状が小説家の妄想に過ぎないことを、繰返し説く外はなかった。
「どうか、先生、もっと御静かにおっしゃって下さいまし」
私が熱心に口説き立てるのを聞こうともせず、静子は何か外のことに気をとられている風で、時々じっと一つ所を見つめて、耳をすます様な仕草をした。そして、さも、誰かが立聞きでもしているかの様に声をひそめるのだった。彼女の唇は、青白い顔色と見分けられぬ程色を失っていた。
「先生、わたくし、頭がどうかしたのではないかと思いますわ。でも、あんなことが、本当だったのでしょうか」
静子は気でも違ったのではないかと疑われる調子で、囁《ささや》き声で、訳の分らぬことを口走るのだ。
「何かあったのですか」私も誘込《さそいこ》まれて、つい物々しい囁き声になっていた。
「この家の中に平田さんがいるのでございます」
「どこにですか」私は彼女の意味が呑込《のみこ》めないで、ぼんやりしていた。
すると、静子は思切った様に立上って、真青《まっさお》になって、私をさし招くのだ。それを見ると、私も何かしらワクワクして、彼女のあとに従った。彼女は途中で私の腕時計に気づくと、何故か私にそれをはずさせ、テーブルの上へ置きに帰った。それから、私達は足音をさえ忍ばせて短い廊下を通って、日本建ての方の静子の居間だという部屋へ這入って行ったが、そこの襖《ふすま》を開ける時、静子は、すぐその向側に曲者《くせもの》が隠れてでもいる様な、恐怖を示した。
「変ですね。昼日中《ひるひなか》、あの男が御宅へ忍込んでいるなんて、何かの思違いじゃありませんか」
私がそんなことを云いかけると、彼女はハッとした様に、それを手真似で制して、私の手を取って、部屋の一隅へ連れて行くと、目をその上の天井に向けて、「黙って聞いてごらんなさい」という様な合図をするのだ。
私達はそこで、十分ばかりも、じっと目を見合せて、耳をすまして立ちつくしていた。昼間だったけれど、手広い邸の奥まった部屋なので、何の物音もなく、耳の底で血の流れる音さえ聞える程、しんと静まり返っていた。
「時計のコチコチという音が聞えません?」やや暫くたって、静子は聞きとれぬ程の小声で私に尋ねた。
「いいえ、時計って、どこにあるんです」
すると、静子は又黙って、暫く聞耳を立てていたが、やっと安心したものか、「もう聞えませんわねえ」と云って、又私を招いて洋館の元の部屋に戻ると、彼女は異常な息づかいで、次の様な妙なことを話し始めたのである。
その時彼女は居間で一寸した縫物《ぬいもの》をしていたが、そこへ女中が先に貼つけた春泥の手紙を持って来た。もう此頃では、上封《うわふう》を見ただけで一目でそれと分る様になっているので、彼女はそれを受取ると何とも云えぬいやあな心持になったが、でも、開けて見ないでは、一層不安なので、怖々《こわごわ》封を切って読んで見た。そして、事が主人の上にまで及んで来たのを知ると、もうじっとしてはいられなかった。彼女は何故ということもなく立上って、部屋の隅へ歩いて行った。そして、丁度箪笥《たんす》の前に立止った時、頭の上から、非常に幽《かす》かな地虫《じむし》の鳴声でもある様な、物音が聞えて来る様に感じた。
「わたくし、耳鳴りではないかと思ったのですけれど、じっと辛抱《しんぼう》して聞いていますと、耳鳴とは違った、金《かね》のふれ合う様な、カチ、カチっていう音が、確かに聞えて来るのでございます」
それは、そこの天井板の上に人が潜《ひそ》んでいるのだ。その人の胸の懐中時計が秒を刻んでいるのだ。としか考えられなかった。偶然彼女の耳が天井に近くなったのと、部屋が非常に静かであった為に、神経が鋭くなっていた彼女には、天井裏の幽かな幽かな金属の囁きが聞えたのであろう。若しや違った方角にある時計の音が、光線の反射みたいな理窟《りくつ》で、天井裏からの様に聞えたのではないかと、その辺を隈《くま》なく調べて見たけれど、近くに時計なぞ置いてなかった。
彼女はふと「現に今、お前がこの手紙を読んで震えている様子をも、お前の影である私は、どこかの隅から、目を細めてじっと眺めているかも知れないのだ」という手紙の文句を思出した。すると、丁度そこの天井板が少しそり返って、隙間《すきま》が出来ているのが彼女の注意を惹いた。その隙間の奥の方の真暗な中で、春泥の目が細く光っている様にさえ思われて来た。
「そこにいらっしゃるのは、平田さんではありませんか」その時静子は、ふと異様な興奮に襲われた。彼女は思切って、敵の前に身を投げ出す様な気持で、ハラハラと涙をこぼしながら、屋根裏の人物に話しかけたのであった。
「私、どんなになっても構いません。あなたのお気の済む様に、どんなことでも致します。仮令《たとい》あなたに殺されても、少しもお恨みには思いません。でも、主人丈けは助けて下さい。私はあの人に嘘をついたのです。その上私の為にあの人が死ぬ様なことになっては、私、あんまり空恐ろしいのです。助けて下さい。助けて下さい」彼女は小さな声ではあったが、心をこめてかき口説いた。だが、上からは何の返事もないのだ。彼女は一時の興奮からさめて、気抜けのした様に、長い間そこに立ちつくしていた。併し、天井裏にはやっぱり幽かに時計の音がしているばかりで、外《ほか》には少しの物音も聞えては来ないのだ。陰獣は闇の中で、息を殺して、唖の様に黙り返っているのだ。その異様な静けさに、彼女は突然非常な恐怖を覚えた。彼女は矢庭《やにわ》に居間を逃げ出して、家の中にも居たたまらなくて、何の気であったか、表へかけ出してしまったというのだ。そして、ふと私のことを思出すと、矢《や》も楯《たて》もたまらず、そこにあった自動電話に入ったということであった。
私は静子の話を聞いている内に、大江春泥の不気味な小説「屋根裏の遊戯」を思出さないではいられなかった。若し静子の聞いた時計の音が錯覚でなく、そこに春泥がひそんでいたとすれば、彼はあの小説の思附きを、そのまま実行に移したものであり、誠に春泥らしいやり方と肯《うなず》くことが出来た。私は「屋根裏の遊戯」を読んでいた丈けに、この静子の一見突飛《とっぴ》な話を、一笑に附し去ることが出来なかったばかりでなく、私自身激しい恐怖を感じないではいられなかった。私は屋根裏の暗闇の中で、真赤なとんがり帽と、道化服をつけた太っちょうの大江春泥が、ニヤニヤと笑っている幻覚をさえ感じた。
私達は色々相談をした末、結局私が「屋根裏の遊戯」の中の素人《しろうと》探偵の様に、静子の居間の天井裏へ上《あが》って、そこに人のいた形跡があるかどうか、若しいたとすれば、一体どこから出入《しゅつにゅう》したのであるかを、確めて見ることになった。静子は、「そんな気味の悪いことを」と云ってしきりに止めたけれど、私はそれをふり切って、春泥の小説から教わった通り、押入れの天井板をはがして、電燈工夫の様にその穴の中へもぐって行った。丁度邸には、さっき取次に出た少女の外に誰れもいなかったし、その少女も勝手元の方で働いている様子だったから、私は誰に見とがめられる心配もなかったのだ。
屋根裏なんて、決して春泥の小説の様に美しいものではなかった。古い家ではあったが、暮の煤掃《すすはき》の折、灰汁洗屋《あくあらいや》を入れて、天井板をはずしてすっかり洗わせたとのことで、ひどく汚くはなかったけれど、それでも、三月《つき》の間にはほこりも積んでいるし、蜘蛛《くも》の巣もはっていた。第一真暗でどうすることも出来ないので、私は静子の家にあった手提《てさげ》電燈を借りて、苦心をして梁《はり》を伝いながら、問題の箇所へ近づいて行った。そこには、天井板に隙間が出来ていて、多分灰汁洗をした為に、そんなに板がそり返ったのであろう、下から薄い光がさしていたので、それが目印になった。だが、私は半間《げん》も進まぬ内にドキンとする様なものを発見した。私はそうして屋根裏に上りながらも、実はまさかまさかと思っていたのだが、静子の想像は決して間違っていなかったのだ。そこには梁の上にも、天井板の上にも、確かに最近人の通ったらしい跡が残っていた。私はゾーッと寒気を感じた。小説を知っている丈けで、まだ逢ったことのない、毒蜘蛛の様な、あの大江春泥が、私と同じ恰好《かっこう》で、その天井裏を這い廻っていたのかと思うと、私は一種名状《めいじょう》しがたい戦慄に襲われた。私は堅くなって、梁のほこりの上に残った手だか足だかの跡を追って行った。時計の音のしたという場所は、なるほど、ほこりがひどく乱れて、そこに長い間人のいた形跡があった。
私はもう夢中になって、春泥と覚《おぼ》しき人物のあとをつけ始めた。彼は殆ど家中の天井裏を歩き廻ったらしく、どこまで行っても、梁の上のほこりの痕《あと》は尽きなんだ。そして、静子の居間と静子等《ら》の寝室の天井に、板のすいた所があって、その箇所丈けほこりが余計に乱れていた。
私は屋根裏の遊戯者を真似て、そこから下の部屋を覗《のぞ》いて見たが、春泥がそれに陶酔したのも決して無理ではなかった。天井板の隙間から見た「下界」の光景の不思議さは、誠に想像以上であった。殊にも、丁度私の目の下にうなだれていた静子の姿を眺めた時には、人間というものが、目の角度によっては、こうも異様に見えるものかと驚いた程であった。我々はいつも横の方から見られつけているので、どんなに自分の姿を意識している人でも、真上から見た恰好までは考えていない。そこには非常な隙がある筈だ。隙がある丈けに少しも飾らぬ生地《きじ》のままの人間が、やや無恰好に曝露《ばくろ》されているのだ。静子の艶々《つやつや》した丸髷には、(真上から見た丸髷というものの形からして、已に変であったが)前髪と髷との間の窪《くぼ》みに、薄くではあったが、ほこりが溜って、外《ほか》の綺麗《きれい》な部分とは比較にならぬ程汚《よご》れていたし、髷に続く項《うなじ》の奥には、着物の襟と背中との作る谷底を真上から覗くので、脊筋《せすじ》の窪みまで見えて、そして、そのねっとり青白い皮膚の上には例の毒々しい蚯蚓脹れが、ずっと奥の暗くなって見えぬ所までも、いたいたしく続いているのだ。上から見た静子は、やや上品さを失った様ではあったが、その代りに、彼女の持つ一種不可思議なオブシニティが一層色濃く私に迫って来るのを感じた。
それは兎《と》も角《かく》、私は何か大江春泥を証拠立てる様なものが残されていないかと、手提電燈の光を近づけて、梁や天井板の上を調べ廻ったが、手型も足跡も、皆曖昧《あいまい》で、無論指紋などは識別されなかった。春泥は定めし「屋根裏の遊戯」をそのままに、足袋《たび》や手袋の用意を忘れなかったのであろう。ただ一つ、丁度静子の居間の上の、梁から天井をつるした支《ささ》え木の根元の、一寸目につかぬ場所に、小さな鼠色《ねずみいろ》の丸いものが落ちていた。艶消《つやけし》の金属で、うつろな椀の形をしたボタンみたいなもので、表面にR・K・BROS・CO・という文字が浮彫りになっていた。それを拾った時私はすぐ様「屋根裏の遊戯」に出て来るシャツのボタンを思い出したが、併し、その品はボタンにしては少し変だった。帽子の飾りか何かではないかとも思ったけれど、確かなことは分らぬ。あとで静子に見せても、彼女も首をかしげるばかりであった。
無論私は、春泥がどこから天井裏に忍び込んだかという点をも綿密に調べて見た。ほこりの乱れた跡をしたって行くと、それは玄関横の物置きの上で止まっていた。物置きの粗末な天井板は、持上げて見ると何《なん》なくとれた。私はそこに投込んである椅子《いす》のこわれを足場にして、下におり、内部から物置きの戸を開《あ》けて見たが、その戸には錠前がなくて、訳もなく開いた。そのすぐ外には、人の背《せい》よりは少し高いコンクリートの塀があった。恐らく大江春泥は、人通りのなくなった頃を見はからって、この塀をのり越え、(塀の上には前にも云った様にガラスの破片が植えつけてあったけれど、計画的な侵入者にはそんなものは問題ではないのだ)今の錠前のない物置から、屋根裏へ忍び込んだものであろう。
そうしてすっかり種が分ってしまうと、私は聊《いささ》かあっけない気がした。不良少年でもやり相な、子供らしい悪戯《いたずら》じゃないかと、相手を軽蔑してやり度い気持だった。妙なえたいの知れぬ恐怖がなくなって、その代りに現実的な不快ばかりが残った。(だが、そんな風に相手を軽蔑してしまったのは、飛んでもない間違いであったことが、後《あと》になって分った)静子は無性に怖がって、主人の身には換えられぬから、彼女の秘密を犠牲にしても、警察の手を煩《わずら》わす方がよくはないかと云い出したが、私は相手を軽蔑し始めていたものだから、彼女を制して、まさか「屋根裏の遊戯」にある天井から毒薬をたらす様な、馬鹿馬鹿しい真似が出来る筈はないし、天井裏へ忍込んだからと云って、人が殺せるものではない。こんな怖がらせは、如何にも大江春泥らしい稚気《ちき》で、こうしてさも何か犯罪を企らんでいる様に見せかけるのが、彼の手ではないか。高が小説家の彼に、それ以上の実行力があろうとは思われぬ。という風に彼女を慰めたのであった。そして、余り静子が怖がるものだから、気休めに、そんなことを好きな私の友達を頼んで、毎夜物置の辺《あたり》の塀外を見張らせることを約束した。静子は丁度西洋館の二階に客用の寝室があるのを幸、何か口実を設《もう》けて、当分彼女達夫婦の寝間《ねま》をそこへ移すことにすると云っていた。西洋館なれば、天井の隙見なぞ出来ないのだから。
そして、この二つの防禦《ぼうぎょ》方法は、その翌日から実行されたのであったが、だが、陰獣大江春泥の恐るべき魔手は、その様な姑息《こそく》手段を無視して、それから二日後の三月十九日深夜、彼の予告を厳守し、遂に第一の犠牲者を屠ったのである。小山田六郎氏の息の根を絶ったのである。
春泥の手紙には六郎氏殺害の予告に附加えて「だが慌てることはない。私はいつも急がないのだ」という文句があった。それにも拘らず、彼はどうしてあんなに慌てて、たった二日しか間《あいだ》を置かないで、兇行を演じることになったのであろうか。それは或は、態と手紙では油断をさせて置いて、意表に出《い》でる、一種の策略であったかも知れないのだが、私はふと、もっと別の理由があったのではないかと疑った。静子が時計の音を聞いて、屋根裏に春泥が潜んでいると信じ、涙を流して六郎氏の命乞いをしたということを聞いた時、已に私はそれを虞《おそ》れたのだが、春泥はこの静子の純情を知るに及んで、一層激しい嫉妬を感じ、同時に身の危険をも悟ったに相違ない。そして、「よし、それ程お前の愛している亭主なら、長く待たさないで、早速《さっそく》やっつけて上げることにしよう」という気持になったことであろう。それは兎も角、小山田六郎氏の変死事件は、極めて異様な状態に於《おい》て発見されたのである。
私は静子からの知らせで、その日の夕刻小山田家に駈けつけ、初めて凡ての事情を聞知ったのであるが、六郎氏はその前日別段変った様子もなく、いつもよりは少し早く会社から帰宅して、晩酌を済ませると、川向うの小梅《こうめ》の友人の所へ、碁《ご》を囲みに行くのだと云って、暖い晩だったので大島の袷に鹽瀬《しおぜ》の羽織《はおり》丈けで、外套《がいとう》は着ず、ブラリと出掛けた。それが午後七時頃のことだ。遠い所でもないので、彼はいつもの様に、散歩旁々《かたがた》、吾妻橋を迂回《うかい》して、向島《むこうじま》の土手を歩いて行った。そして、小梅の友人の家に十二時頃までいて、やはり徒歩でそこを出たと云う所まではハッキリ分っていた。だが、それから先が一切不明なのだ。
一晩待ち明かしても、帰りがないので、しかもそれが丁度大江春泥から恐ろしい予告を受けていた際なので、静子は非常に心をいため、朝になるのを待兼ねて、知っている限り心当りの所へ電話や使で聞合わせたが、どこにも立寄った形跡がない。彼女は無論私の所へも電話をかけたのだけれど、丁度その前夜から私は宿を留守にしていて、やっと夕方頃帰ったので、この騒動は少しも知らなかったのだ。やがていつもの出勤時刻が来ても、六郎氏は会社へも顔を出さない。会社の方でも色々と手を尽して探して見たが、どうしても行衛が分らぬ。そんなことをしている内に、もうお昼近くになってしまった。丁度そこへ、象潟《きさかた》警察から電話があって、六郎氏の変死を知らせて来たのであった。
吾妻橋の西詰《にしづめ》、雷門《かみなりもん》の電車停留所を、少し北へ行って、土手をおりた所に、吾妻橋千住大橋《せんじゅおおはし》間を往復している、乗合汽船の発着所がある。一銭蒸汽と云った時代からの隅田川《すみだがわ》の名物で、私はよく、用もないのに、あの発動機船に乗って、言問《こととい》だとか白鬚《しらひげ》だとかへ往復して見ることがある。汽船商人が絵本や玩具《おもちゃ》などを船の中へ持込んで、スクリウの音《ね》に合わせて、活動弁士の様なしわがれ声で、商品の説明をしたりする。あの田舎田舎した、古めかしい味がたまらなく好もしいからだ。その汽船発着所は、隅田川の水の上に浮んでいる、四角な船の様なもので、待合客のベンチも、客用の便所も、皆そのブカブカと動く船の上に設けられている。私はその便所へも入ったことがあって知っているのだが、便所と云っても婦人用の一つきりの箱みたいなもので、木の床が長方形に切抜いてあって、その下をすぐ、一尺ばかりの所を、大川の水がドブリドブリと流れている。丁度汽車か船の便所と同じで、不潔物が溜《たま》る様なことはなく、綺麗と云えば綺麗だが、その長方形に区切られた穴から、じっと下を見ていると、底の知れない青黒い水が澱《よど》んでいて、時々ごもくなどが、検微鏡《けんびきょう》の中の微生物の様に、穴の端から現われて、ゆるゆると他の端へ消えて行く。それが妙に無気味な感じなのだ。
三月二十日の朝八時頃、浅草仲店《なかみせ》の商家の若いお神《かみ》さんが、千住《せんじゅ》へ用達《ようた》しに行く為に、吾妻橋の汽船発着所へ来て、船を待合せる間に、今の便所へ入った。そして、入ったかと思うと、いきなりキャッと悲鳴を上げて飛び出して来た。切符《きっぷ》切りのお爺《じい》さんが聞いて見ると、便所の長方形の穴の真下に、青い水の中から、一人の男の顔が彼女の方を見上げていたというのだ。切符切りのお爺さんは、最初は、船頭か何かのいたずらだと思ったが、(そういう水の中の出歯亀事件は、時たま無いでもなかったので)兎に角便所へ入って検《しら》べて見ると、やっぱり、穴の下一尺ばかりの間近に、ポッカリと人の顔が浮いていて、水の動揺につれて、顔が半分隠れるかと思うと、又ヌッと現われる。まるでゼンマイ仕掛けの玩具《おもちゃ》の様で、凄いったらなかったと、あとになって爺さんが話した。
それが人の死骸だと分ると、爺さんは俄かに慌て出して、大声で発着所にいた若い者を呼んだ。船を待合せていた客の中にも、いなせな肴屋《さかなや》さんなどがいて、若い者と共力《きょうりょく》して死体引上げにかかったが、便所の中からでは迚も上げられないので、外側から竿《さお》で死骸を広い水の上までつき出した所が、妙なことには、死骸は猿股《さるまた》一つ切りで、丸裸体《まるはだか》なのだ。四十前後の立派な人品だし、まさかこの陽気に隅田川で泳いでいたとも受取れぬので、変だと思って尚《なお》よく見ると、どうやら背中に刃物の突傷《つききず》があるらしく、水死人にしては水も含んでいない様な鹽梅《あんばい》なのだ。ただの水死人ではなくて殺人事件だと分ると、騒ぎは一層大きくなったが、さて、水から引上げる段になって、又一つ奇妙なことが発見された。
知らせによって駈けつけた、花川戸《はなかわど》交番の巡査の指図で、発着所の若い者が、モジャモジャした死骸の頭の毛を掴んで引上げようとすると、その頭髪が頭の地肌から、ズルズルとはがれて来たのだ。若い者は、余りの気味悪さに、ワッと云って手を離してしまったが、入水《にゅうすい》してからそんなに時間がたっている様でもないのに、髪の毛がズルズルむけて来るのは変だと思って、よく調べて見ると、何のことだ、髪の毛だと思ったのは、鬘《かつら》で、本人の頭はテカテカに禿上《はげあが》っていたのであった。
これが静子の夫であり、碌々商会の重役である小山田六郎氏の、悲惨な死様《しにざま》であったのだ。つまり、六郎氏の死体は、裸体《はだか》にされた上、禿頭《はげあたま》に、ふさふさとした鬘まで冠《かぶ》せて、吾妻橋下に投込まれていたのだった。しかも、死体が水中で発見されたにも拘らず、水を呑んだ形跡はなく、致命傷は背中の左肺部《さはいぶ》に受けた、鋭い刃物の突傷であった。致命傷の外《ほか》に背中に数ヶ所浅い突傷があった所を見ると、犯人は幾度も突きそくなったものに相違なかった。警察医の検診によると、その致命傷を受けた時間は、前夜の一時頃らしいということであったが、何分《なにぶん》死体には着物も持物もないので、何所《どこ》の誰とも分らず、警察でも途方に暮れていた所へ、幸にも昼頃になって、小山田氏を見知るものが現われたので、早速、小山田邸と碌々商会とへ、電話をかけたということであった。
夕刻私が小山田家を訪ねた時には、六郎氏側の親戚《しんせき》の人達や、碌々商会の社員、故人の友人などがつめかけていて、家《うち》の中は非常に混雑していた。丁度今《いま》し方《がた》警察から帰った所だと云って、静子はそれらの見舞客にとり囲まれて、ぼんやりしているのだ。六郎氏の死体は、都合によっては解剖に附せなければならないと云うので、まだ警察から下渡《さげわた》されず、仏壇の前の白布で覆われた台には急拵《ごしら》えの位牌《いはい》ばかりが置かれ、それに物々しく香華《こうげ》がたむけてあった。
私はそこで、静子や会社の人から、右に述べた死体発見の顛末《てんまつ》を聞かされたのであるが、私は春泥を軽蔑して、二三日前静子が警察に届けようといったのをとめたばかりに、この様な不祥事を惹起《ひきおこ》したかと思うと、恥と後悔とで、座にもいたたまれぬ思いがした。私は下手人《げしゅにん》は大江春泥の外にはないと思った。春泥はきっと、六郎氏が小梅の碁友達の家を辞して、帰途《きと》吾妻橋を通りかかった折、彼を汽船発着所の暗がりへ連れ込み、そこで兇行を演じ、死体を河中《かわなか》へ投棄したものに相違ない。時間の点から云っても、春泥が浅草辺にうろうろしていたという本田の言葉から推《すい》しても、いや現に彼は六郎氏の殺害を予告さえしていたのだから、下手人が春泥であることに、疑《うたがい》を挟む余地はないのだ。だが、それにしても、六郎氏は何故真裸体《まっぱだか》になっていたのか、又変な鬘などを冠っていたのか、若しそれも春泥の仕業であったとすれば、彼は何故その様な途方もない真似をしなければならなかったのか。洵《まこと》に不思議と云う外はなかった。
私は折を見て、静子と私丈けが知っている秘密について相談する為に、「ちょっと」と云って、彼女に別室へ来て貰った。静子はそれを待っていた様に、一座の人に会釈《えしゃく》すると、急いで私のあとに従って来たが、人目がなくなると、「先生」と小声で叫んで、いきなり私にすがりつき、じっと私の胸の辺を見つめていたかと思うと、長いまつげが、ギラギラと光って、まぶたの間がふくれ上ったと見るまに、それがやがて大きな水の玉になって、青白い頬の上を、ツルッ、ツルッと流れるのだ。涙はあとからあとからと、ふくれ上って来ては、止めどもなく流れるのだ。
「僕はあなたに、何と云ってお詫びをしていいか分らない。全く僕の油断からです。あいつにこんな実行力があろうとは、本当に思いがけなかった。僕が悪いのです。僕が悪いのです……」
私もつい感傷的になって、泣き沈む静子の手をとると、力づける様に、それを握りしめながら、繰り返し繰り返し詫言《わびごと》をした。(私が静子の肉体にふれたのは、あの時が初めてだった。そんな際ではあったけれど、私はあの青白く弱々しい癖に、芯《しん》の方で火でも燃えているのではないかと思われる、熱っぽく弾力のある彼女の手先の、不思議な感触をはっきりと意識し、いつまでもそれを覚えていた)
「それで、あなたはあの脅迫状のことを、警察でおっしゃいましたか」
やっとしてから、私は静子の泣き止むのを待って云った。
「いいえ、私どうしていいか分らなかったものですから」
「まだ云わなかったのですね」
「ええ、先生に御相談しようと思って」
あとから考えると変だけれど、私はその時もまだ静子の手を握っていた。静子もそれを握らせたまま、私にすがる様にして立っていた。
「あなたも無論、あの男の仕業だと思っているのでしょう」
「ええ、それに、昨夜《ゆうべ》妙なことがありましたの」
「妙なことって」
「先生の御注意で、寝室を洋館の二階に移しましたでしょう。これで、もう覗かれる心配はないと安心していたのですけれど、やっぱりあの人、覗いていた様ですの」
「どこからです」
「ガラス窓の外から」そして、静子はその時の怖かったことを思出した様に、目を大きく見開いて、ポツリポツリと話すのであった。「昨夜は十二時頃、ベッドに入ったのは入ったのですけれど、主人が帰らないものですから、心配で心配で、それに天井の高い洋室にたった一人でやすんでいますのが、怖くなって来て、妙に部屋の隅々が眺められるのです。窓のブラインドが、一つ丈けおり切っていないで、一尺ばかり下があいているので、そこから真暗な外の見えているのが、もう怖くって、怖いと思えば、余計その方へ眼が行って、しまいには、そこのガラスの向うに、ボンヤリ人の顔が見えて来るじゃありませんか」
「幻影じゃなかったのですか」
「少しの間で、直ぐ消えてしまいましたけれど、今でも私、見違いやなんかではなかったと思っていますわ。モジャモジャした髪の毛をガラスにピッタリくっつけて、うつむき気味になって、上目使いにじっと私の方を睨《にら》んでいたのが、まだ見える様ですわ」
「平田でしたか」
「ええ、でも、外《ほか》にそんな真似をする人なんて、ある筈がないのですもの」
私達はその時、こんな風の会話を取交《とりかわ》したあとで、六郎氏の殺人犯人が大江春泥の平田一郎に相違ないこと、彼がこの次には静子をも殺害しようと企らんでいることを、静子と私とが同道で警察に申出で、保護を願うことに話を極めた。
この事件の係りの検事は、糸崎《いとざき》という法学士で、幸にも私達探偵作家や医学者や法律家などで作っている猟奇会《りょうきかい》の会員だったので、私が静子と一緒に、所謂《いわゆる》捜査本部である象潟警察へ出頭すると、検事と被害者の家族という様な、しかつめらしい関係ではなく、友達つき合いで、親切に私達の話を聞取ってくれた。彼もこの異様な事件には余程驚いた様子で、又深い興味をも感じたらしかったが、兎も角全力を尽して大江春泥の行衛を探させること、小山田家には特に刑事を張込ませ、巡査の巡回の回数を増《ま》して、充分静子を保護するという約束をして呉れた。大江春泥の人相については、世に流布《るふ》している写真は余り似ていないという私の注意から、博文館の本田を呼んで、詳しく彼の知っている容貌を聞取ったのであった。
それから約一ヶ月の間、警察は全力をあげて大江春泥を捜索していたし、私も本田に頼んだり、其外の新聞記者雑誌記者など、逢う人ごとに、春泥の行衛について、何か手掛りになる様な事実を聞出そうと骨折っていたにも拘らず、春泥は如何《いか》なる魔法を心得ていたのであるか、杳《よう》として其行衛が分らないのであった。彼一人なれば兎も角、足手纏《まと》いの妻君《さいくん》と二人づれで、彼はどこにどうして隠れていたのであるか。彼は果して、糸崎検事が想像した様に、密航を企て、遠く海外に逃げ去ってしまったものであろうか。
それにしても、不思議なのは、六郎氏変死以来例の脅迫状がぱったり来なくなってしまったことであった。春泥は、警察の探索が怖くなって、当の目的であった静子の殺害を思い止《とど》まり、ただ身を隠すことに汲々《きゅうきゅう》としていたのであろうか。いや、いや、彼の様な男に、その位のことが予《あらかじ》め分らなかった筈《はず》はない。とすると、彼は今も尚東京のどこかに潜伏していて、じっと静子殺害の機会を窺《うかが》っているのではなかろうか。
象潟警察署長は、部下の刑事に命じて、嘗《か》つて私がした様に、春泥の最後の住居《すまい》であった上野桜木町三十二番地附近を調べさせたが、流石《さすが》は専門家である、その刑事は苦心の末、春泥の引越荷物を運搬した運送店を発見して(それは同じ上野でもずっと隔った黒門町《くろもんちょう》辺の小さな運送店であったが)それからそれへと彼の引越先を追って行った。その結果分った所によると、春泥は桜木町を引払ってから、本所区柳島町、向島須崎町《すさきちょう》と、段々品の悪い所へ移って行って、最後の須崎町などはバラック同然の、工場《こうば》と工場にはさまれた汚《きたな》らしい一軒建ちの借家であったが、彼はそこを数ヶ月の前家賃で借り受け、刑事が行った時にも、家主の方へはまだ彼が住まっていることになっていたが、家の中を調べて見ると、道具も何もなく、ほこりだらけで、いつから空家になっていたか分らぬ程、あれ果てていた。近所で聞合せても両隣とも工場なので、観察好きのお神さんという様なものもなく、一向要領を得ないのであった。
博文館の本田は本田で、彼は段々様子が分って来ると、根がこうしたことの好きな男だものだから、非常に乗気になってしまって、浅草公園で一度春泥に合《あ》ったのを元にして、原稿取りの仕事の暇々《ひまひま》には、熱心に探偵の真似事を始めた。彼は先ず、嘗つて春泥が広告ビラを配っていたことから、浅草附近の広告屋を、二三軒歩き廻って、春泥らしい男を傭《やと》った店はないかと調べて見たが、困ったことには、それらの広告屋では忙《せわ》しい時には、浅草公園あたりの浮浪人を、臨時に傭って、衣裳《いしょう》を着せて一日丈け使う様なこともあるので、人相を聞いても思出せぬ所を見ると、あなたの捜していらっしゃるのも、きっとその浮浪人の一人だったのでしょう。ということであった。
そこで、本田は今度は、深夜の浅草公園をさまよって、暗い木蔭《こかげ》のベンチなどを一つ一つ覗き廻って見たり、浮浪人が泊り相な本所あたりの木賃宿《きちんやど》へ、態々泊り込んで、そこの宿泊人達と懇意《こんい》を結んで、若しや春泥らしい男を見かけなかったかと尋ね廻って見たり、それはそれは苦労をしたのであるが、いつまでたっても、少しの手掛りさえ掴むことは出来なかった。
本田は一週間に一度位は、私の宿に立寄って、彼の苦心談を話して行くのであったが、ある時、彼は例の大黒様の様な顔をニヤニヤさせて、こんな話をしたのである。
「寒川さん。僕此間《このあいだ》ふっと、見世物《みせもの》というものに気がついたのですよ。そしてね、すばらしいことを思いついたのですよ。近頃蜘蛛女だとか首ばかりで胴のない女だとかいう見世物が、方々《ほうぼう》ではやっているのを知っているでしょう。あれと類似《るいじ》のものでね、首ではなくて、反対に胴ばかりの人間っていう見世物があるんですよ。横に長い箱があって、それが三つに仕切ってあって、二つの区切りの中に、大抵は女なんですが、胴と足とが寝ているのです。そして、胴の上に当る一つの区切りはガランドウで、そこに首から上が見えていなければならないのに、それがまるっきりないのです。つまり女の首なし死体が長い箱の中に横わっていて、しかも、そいつが生きている証拠には、時々手足を動かすのです。とても無気味で、且《かつ》亦《また》エロティクな代物《しろもの》ですよ。種は例の鏡を斜《ななめ》に置いて、そのうしろをガランドウの様に見せかける、幼稚なものだけれど。ところが、僕はいつか、牛込の江戸川橋ね。あの橋を護国寺《ごこくじ》の方へ渡った角の所の空地で、その首なしの見世物を見たんですが、そこの胴ばかりの人間は、外の見世物の様な女ではなくて、垢《あか》で黒光りに光った道化服を着たよく肥《ふと》った男だったのです」
本田はここまで喋《しゃべ》って、思わせぶりに、一寸緊張した顔をして、暫く口をつぐんだが、私が充分好奇心を起したのを確めると、又話し始めるのであった。
「分るでしょう、僕の考えが。僕はこう思ったのです。一人の男が、万人に身体を曝《さら》しながら、しかも完全に行衛をくらます一つの方法として、この見世物の首なし男に傭われるというのは、何とすばらしい名案ではないでしょうか。彼は目印になる首から上を隠して、一日寝ていればいいのです。これは如何にも大江春泥の考えつき相なお化けじみた韜晦法《とうかいほう》じゃないでしょうか。殊《こと》に、春泥はよく見世物の小説を書いたし、この類《たぐい》のことは大好きなんですからね」
「それで?」私は本田が実際春泥を見つけたにしては、落着き過ぎていると思いながら、先を促《うなが》した。
「そこで、僕は早速江戸川橋の所へ行って見たんですが、仕合せとその見世物はまだありました。僕は木戸を払って中へ入り、例の太った首なし男の前に立って、どうすればこの男の顔を見ることが出来るかと、色々考えて見たんです。で、気づいたのは、この男だって一日に幾度かは便所へ立たなければならないだろうということでした。僕は、そいつの便所へ行くのを、気長く待ち構えていたんですよ。暫くすると多くもない見物《けんぶつ》が皆出て行ってしまって、僕一人になった。それでも辛抱して立っていますとね。首なし男が、ポンポンと拍手《かしわで》を打ったのです。妙だなと思っていると、説明をする男が、僕の所へやって来て、一寸休憩をするから外へ出てくれと頼むのです。そこで、僕はこれだなと感づいて、外へ出てから、ソッとテント張りのうしろへ廻って、布《きれ》の破れ目から中を覗いていると、首なし男は、説明者に手伝って貰って箱から外へ出ると、無論首はあったのですが、見物席の土間の隅の所へ走って行って、シャアシャアと始めたんです。さっきの拍手は、笑わせるじゃありませんか、小便の合図だったのですよ。ハハ……」
「落《おと》し噺《ばなし》かい。馬鹿にしている」私が少々怒って見せると、本田は真顔になって、
「いや、そいつは全く人違いで、失敗だったけれど、……苦心談ですよ。僕が春泥探しでどんなに苦心しているかという、一例を御話したんですよ」
と弁解した。
これは余談だけれど、我々の春泥捜索は、まあそんな風で、いつまでたっても一向曙光《しょこう》を認めないのであった。
だが、たった一つ丈け、これが事件解決の鍵ではないかと思われる、不思議な事実が分ったことを、ここに書添えて置かねばなるまい。というのは、私は六郎氏の死体の冠っていた、例の鬘《かつら》に着眼して、その出所《でどころ》がどうやら、浅草附近らしく思われたので、その辺の鬘師を探し廻った結果、千束町《せんぞくちょう》の松居《まつい》という鬘屋で、とうとうそれらしいのを捜し当てたのだが、ところがそこの主人の云う所によると、鬘その物は死体の冠っていたのとすっかり当てはまるのだけれど、それを註文《ちゅうもん》した人物は、私の予期に反して、いや私の非常な驚きにまで、大江春泥ではなくて、小山田六郎その人であったのだ。人相もよく合っていた上に、その人は註文する時、小山田という名前をあからさまに告げて、出来上ると(それは昨年の暮も押つまった時分であった)彼自身足を運んで受取りに来たと云うことであった。その時、六郎氏は禿頭を隠すのだと云っていた由《よし》であるが、それにしては、誰も、彼の妻であった静子さえも、六郎氏が生前鬘を冠っていたのを見なかったのは、一体どうした訳であろう。私はいくら考えても、この不可思議な謎を解くことが出来なかった。
一方静子(今は未亡人であったが)と私との間柄は、六郎氏変死事件を境にして、俄かに親密の度を加えて行った。行掛《ゆきがか》り上《じょう》私は静子の相談相手であり、保護者の立場にあった。六郎氏側の親戚の人達は、私の屋根裏調査以来の心尽《こころづく》しを知ると、無気《むげ》に私を排斥することは出来なかったし、糸崎検事などは、そういうことになれば丁度幸だから、ちょいちょい小山田家を見舞って、未亡人の身辺に気をつけて上げて下さいと、口添えをした程であったから、私は公然と彼女の家に出入することが出来たのである。
静子は初対面の時から、私の小説の愛読者として、私に少なからぬ好意を持っていたことは、先に記した通りであるが、その上に二人の間に、こういう複雑な関係が生じて来たのだから、彼女が私を二なきものに頼って来たのは、誠に当然のことであった。そうしてしょっちゅう逢っていると、殊に彼女が未亡人という境遇になって見ると、今迄は何かしら遠い所にあるものの様に思われていた、彼女のあの青白い情熱や、なよなよと消えてしまい相な、それでいて不思議な弾力を持つ肉体の魅力が、俄かに現実的な色彩を帯びて、私に迫って来るのであった。殊にも、私が偶然彼女の寝室から、外国製らしい小型の鞭《むち》を見つけ出してからと云うものは、私の悩ましい慾望は、油を注がれた様に、恐ろしい勢で燃え上ったのである。
私は心なくも、その鞭を指さして、「御主人は乗馬をなすったのですか」と尋ねたのだが、それを見ると、彼女はハッとした様に、一瞬間真青になったかと思うと、見る見る火の様に顔を赤らめたのである。そして、いとも幽かに「いいえ」と答えたのである。私は迂濶《うかつ》にも、その時になって初めて、彼女の項《うなじ》の蚯蚓脹れの、あの不思議な謎を解くことが出来た。思出して見ると、彼女のあの傷痕は、見る度毎《たびごと》に少しずつ位置と形状が変っていた様である。当時変だなとは思ったのだけれど、まさか彼女のあの温厚らしい禿頭の夫が、世にもいまわしい惨虐《ざんぎゃく》色情者であったとは気附かなんだ。いやそればかりではない。六郎氏の死後一ヶ月の今日《こんにち》では、いくら探しても、彼女の項には、あの醜い蚯蚓脹が見えぬではないか。それこれ思い合わせば、仮令彼女の明らさまな告白を聞かずとも、私の想像の間違いではないことは分り切っているのだ。だが、それにしても、この事実を知ってからの、私の心の耐え難き悩ましさは、どうしたことであったか。若しや私も、非常に恥しいことだけれど、故六郎氏と同じ変質者の一人ではなかったのであろうか。
四月二十日、故人の命日に当るので、静子は仏参《ぶっさん》をしたのち、夕刻から親戚や故人と親しかった人々を招いて、仏の供養《くよう》を営んだ。私もその席に連《つらな》ったのであるが、その晩湧《わ》き起った二つの新しい事実、(それはまるで性質の違う事柄であったにも拘《かかわ》らず、後に説明《ときあ》かす通り、それらには、不思議にも運命的な、あるつながりがあったのだが)恐らく一生涯忘れることの出来ない、大きな感動を私に与えたのである。
その時、私は静子と並んで、薄暗い廊下を歩いていた。客が皆帰ってしまってからも、私は暫く静子と私丈けの話題(春泥捜索のこと)について話合った後《のち》、十一時頃であったか、余り長居《ながい》をしては、召使の手前もあるので、別れを告げて、静子が御出入《おでいり》の帳場から呼んでくれた自動車にのって帰宅したのであるが、その時、静子は私を玄関まで見送る為に、私と肩を並べて廊下を歩いていたのだ。廊下には庭に面して、幾つかのガラス窓が開《あ》いていたが、私達がその一つの前を通りかかった時、静子は突然恐ろしい叫び声を立てて私にしがみついて来たのである。
「どうしました。何を見たんです」
私が驚いて尋ねると、静子は片手では、まだしっかりと私に抱きつきながら、一方の手でガラス窓の外を指さすのだ。私も一時は春泥のことを思出して、ハッとしたが、だがそれは何でもなかったことが、間もなく分った。見ると窓の外の庭の樹立《こだち》の間を、一匹の白犬が、木の葉をカサカサ云わせながら、暗闇の中へ消えて行った。
「犬ですよ。犬ですよ。怖がることはありませんよ」
私は、何の気であったか、静子の肩を叩きながら、いたわる様に云ったものだが、そうして何でもなかったことが分ってしまっても、静子の片手が私の背中を抱いていて、生温《なまあたたか》い感触が、私の身内まで伝わっているのを感じると、アア、私はとうとう、矢場《やにわ》に彼女を抱き寄せ、八重歯《やえば》のふくれ上った、あのモナ・リザの唇を盗んでしまったのである。そして、それは私にとって幸福であったか不幸であったか、彼女の方でも、決して私をしりぞけなかったばかりか、私を抱いた彼女の手先に、私は遠慮勝ちな力をさえ覚えたのであった。
それがなき人の命日であった丈けに、私達は罪を感じることが一入《ひとしお》深かった。二人はそれから私が自動車に乗ってしまうまで、一言《ごん》と口を利かず、目さえもそらす様《よう》にしていたのを覚えている。
私は自動車が動き出しても、今別れた静子のことで頭が一杯になっていた。熱くなった私の唇には、まだ彼女の唇が感じられ、皷動《こどう》する私の胸には、まだ彼女の体温が残っている様に思われた。そして、私の心には、飛び立つばかりの嬉しさと、深い自責の念とが、複雑な織模様みたいに交錯していた。車が、どこをどう走っているのだか、表の景色などは、まるで目に入らなかった。
だが、不思議なことは、そんな際にも拘らず、先程から、ある一つの小さな物体が、異様に私の眼の底に焼きついていた。私は車にゆられながら、静子の事ばかり考えて、ごく近くの前方をじっと見つめていたのだが、丁度その視線の中心に、私の注意を惹かないでは置かぬ様な、ある物体が、チロチロと動いていた。初めは無関心にただ眺めていたのだけれど、段々その方へ神経が働いて行った。
「なぜかな。なぜ俺《おれ》はこれをこんなに眺めているのかな」
ボンヤリとそんな事を考えている内に、やがて事の次第が分って来た。私は偶然にしては余りに偶然な、二つの品物の一致をいぶかしがっていたのだった。
私の前には、古びた紺の春外套《はるがいとう》を着込んだ、大男の運転手が、猫背になって前方を見つめながら運転していた。そのよく太った肩の向うに、ハンドルに掛けた両手が、チロチロと動いているのだが、武骨《ぶこつ》な手先に似合わしからぬ上等の手袋が被《かぶ》さっている。しかもそれが時候はずれの冬物なので、一入私の目を惹《ひ》いたのでもあろうが、それよりも、その手袋のホックの飾釦《かざりボタン》……私はやっとこの時になって悟ることが出来た。嘗つて私が小山田家の天井裏で拾った、金属の丸いものは、手袋の飾釦に外ならぬのであった。私はあの金属のことを糸崎検事にも一寸話はしたのだったが、丁度そこに持合せていなかったし、それに、犯人は大江春泥と明かに目星がついていたので、検事も私も遺留品なんか問題にせず、あの品は今でも私の冬服のチョッキのポケットに入っている筈なのだ。あれが手袋の飾釦であろうとは、まるで思いも及ばなかった。考えて見ると犯人が指紋を残さぬ為に、手袋をはめていて、その飾釦が落ちたのを気づかないでいたということは、如何にもあり相なことではないか。
だが、運転手の手袋の飾釦には、私が屋根裏で拾った品物を教えてくれた以上に、もっともっと驚くべき意味が含まれていた。形といい、色合《いろあい》といい、大きさといい、それらは余りに似過ぎていたばかりでなく、運転手の右手にはめた手袋の飾釦がとれてしまって、ホックの坐金《ざがね》丈けしか残っていないのは、これはどうしたことだ。私の屋根裏で拾った金物が、若しその坐金にピッタリ一致するとしたら、それは何を意味するのだ。
「君、君」私はいきなり運転手に呼びかけた。「君の手袋を一寸見せてくれないか」
運転手は私の奇妙な言葉に、あっけにとられた様であったが、でも、車を徐行《じょこう》させながら、素直に両手の手袋をとって、私に手渡してくれた。見ると、一方の完全な方の飾釦の表面には、例のR・K・BROS・CO・という刻印まで、寸分違わず現われているのだ。私は愈々驚きを増し、一種の変てこな恐怖をさえ覚え始めた。
運転手は私に手袋を渡して置いて、見向きもせず車を進めている。そのよく太ったうしろ姿を眺めると、私はふとある妄想に襲われたのである。
「大江春泥……」
私は運転手に聞える程の声で、独言《ひとりごと》の様に云った。そして、運転手台の上に小さな鏡に映っている、彼の顔をじっと見つめたものであった。だが、それが私の馬鹿馬鹿しい妄想であったことは云うまでもない。鏡に映る運転手の表情は少しも変らなかったし、第一大江春泥が、そんなリュウパンみたいな真似をする男ではないのだ。だが、車が私の宿についた時、私は運転手に余分の賃銭を握らせて、こんな質問を始めた。
「君、この手袋の釦のとれた時を覚えているかね」
「それは初めからとれていたんです」運転手は妙な顔をして答えた。「貰いものなんでね、釦がとれて使えなくなったので、まだ新しかったけれど、なくなった小山田の旦那が私に下すったのです」
「小山田さんが?」私はギョクンと驚いて、慌《あわた》だしく聞返した。「今僕の出て来た小山田さんかね」
「エエ、そうです。あの旦那が生きている時分には、会社への送り迎いは、大抵私がやっていたんで、御ひいきになったもんですよ」
「それ、いつからはめているの?」
「もらったのは寒い時分だったけれど、上等の手袋で勿体《もったい》ないので、大事にしていたんですが、古いのが破けてしまって、今日初めて運転用におろしたのです。これをはめていないとハンドルが辷《すべ》るもんですからね。どうしてそんなことを御聞きなさるんです」
「いや、一寸訳があるんだ。君、それを僕に譲って呉れないだろうか」
という様な訳で、結局私はその手袋を、相当の代価で譲受けたのであるが、部屋に入って、例の天井裏で拾った金物を出して、比べて見ると、やっぱり寸分も違わなかったし、その金物は手袋のホックの坐金にもピッタリとはまったのである。
これは先にも云った通り、偶然にしては余りに偶然過ぎる、二つの品物の一致ではなかったか。大江春泥と小山田六郎氏とが、飾釦のマークまで同じ手袋をはめていたということは、しかもそのとれた金物とホックの坐金とがシックリ合うなどと云うことが、考えられるであろうか。これは後に分ったことであるが、私はその手袋を持って行って、市内でも一流の銀座《ぎんざ》の泉屋《いずみや》洋物店で鑑定して貰った結果、それは内地では余り見かけない作り方で、恐らくは英国製であろう。R・K・BROS・CO・なんて云う兄弟商会は内地には一軒もないということが分った。この洋物店の主人の言葉と、六郎氏が一昨年九月まで海外にいた事実とを考え合せて見ると、六郎氏こそその手袋の持主で、随って、あのはずれた飾釦も、六郎氏が落したことになりはしないか。大江春泥が、そんな内地では手に入れることの出来ない、しかも偶然六郎氏と同じ手袋を所有していたとは、まさか考えられないのだから。
「すると、どういう事になるのだ」
私は頭を抱えて、机の上によりかかり、「つまり、つまり」と妙な独言を云い続けながら、頭の芯の方へ、私の注意力をもみ込んで行って、そこから何かの解釈を見つけ出そうとあせるのであった。
やがて、私はふっと変なことを思いついた。それは、山《やま》の宿《しゅく》というのは、隅田川に沿った細長い町で、そこの隅田川寄りにある小山田家は、当然大川の流れに接していなければならないということであった。考えるまでもなく、私は度々小山田家の洋館の窓から、大川を眺めていたのだが、何故か、その時、始めて[#「始めて」はママ]発見したかの様に、それが新しい意味を持って、私を刺戟《しげき》するのであった。
私の頭のモヤモヤの中に、大きなUの字が現われた。Uの字の左端《さたん》上部には山の宿がある。右端の上部には小梅町(六郎氏の碁友達の家の所在地)がある。そして、Uの底に当る所は丁度吾妻橋に該当するのだ。あの晩六郎氏は、Uの右端上部を出て、Uの底の左側《さそく》までやって来て、そこで春泥の為に殺害されたと、我々は今の今まで信じていた。だが、我々は河の流れというものを閑却《かんきゃく》してはいなかったであろうか。大川はUの上部から下部に向って流れているのだ。投込まれた死骸が殺された現場《げんじょう》にあるというよりは、上流から流れて来て、吾妻橋下の汽船発着所につき当り、そこの澱みに停滞していたと考える方が、より自然な見方ではないだろうか。死体は流れて来た。死体は流れて来た。では、どこから流れて来たか。兇行はどこで演ぜられたのか。……そうして、私は深く深く、妄想の泥沼へと沈み込んで行くのであった。
私は幾晩も幾晩もそのことばかり考え続けた。静子の魅力もこの奇怪なる疑いには及ばなかったのか、私は不思議にも静子のことを忘れてしまったかの如く、ひたすら奇妙な妄想の深味《ふかみ》へ陥って行った。私はその間にも、あることを確める為に二度ばかり静子を訪ねは訪ねたのだけれど、用事をすませると、至極あっさりと別れをつげて、大急ぎで帰ってしまうので、彼女はきっと妙に思っていたに相違ない。私を玄関に見送る彼女の顔が、淋しく悲しげにさえ見えた程だ。
そして、五日ばかりの間に、私は実に途方もない妄想を組立ててしまったのである。私はそれをここに叙述する煩《わずらい》を避けて、その時糸崎検事に送る為に書いた私の意見書が残っているから、それにいくらか書入れをして、左《さ》に写して置くことにするが、この推理は、私達探偵小説家の空想力を以てでなければ、恐らく組立て得ない体《てい》のものであった。そして、そこに一つの深い意味が存在していたことが、のちになって分って来たのだが。
(前略)そういう訳で、私は、小山田邸の静子の居間の天井裏で拾った金具が、小山田六郎氏の手袋のホックから脱落したものと考える外はないことを知りますと、今迄私の心の隅の蟠《わだかま》りとなっていた色々の事実が、この私の発見を裏書きでもする様に、続々思い出されて来るのでありました。六郎氏の死体が鬘を冠っていたこと。その鬘は六郎氏自身註文して拵らえさせたものであったこと。(死体がはだかであったことは、後《のち》に述べます様な理由で、私にはさして問題ではありませんでした)六郎氏の変死と同時に、まるで申合せた様に、平田の脅迫状がパッタリ来なくなったこと、六郎氏が見かけによらぬ(こうしたことは多くの場合見かけによらぬものです)恐ろしい惨虐色情者(サジスト)であったこと等《など》、これらの事実は、偶然様々の異常が集合したかに見えますけれど、よくよく考えますと、悉くある一つの事柄を指示していることが分るのであります。
私はそこへ気がつきますと、私の推理を一層確実にする為、出来る丈けの材料を集めることに着手しました。私は先ず小山田家を訪ね、夫人の許しを得て、故六郎氏の書斎を調べさせて貰いました。書斎程、その主人公の性格なり秘密なりを如実《にょじつ》に語って呉れるものはないのですから。私は夫人が怪しまれるのも構わず、殆ど半日がかりで、書棚という書棚、抽斗《ひきだし》という抽斗を調べ廻ったことですが、間もなく私は、数ある本棚の中に、たった一つ丈け、さも厳重に鍵のかかっている箇所のあるのを発見しました。鍵を尋ねますと、それは六郎氏が生前時計の鎖《くさり》につけて、始終持歩いていたこと、変死の日にも兵児帯《へこおび》に巻きつけて家を出たままだということが分りました。仕方がないので、私は夫人を説いて、やっとその本棚の戸を破壊する許しを得ました。
開《あ》けて見ますと、その中には、六郎氏の数年間の日記帳、幾つかの袋に入った書類、手紙の束、書籍などが一杯入っていましたが、私はそれを一々丹念に調べた結果、この事件に関係ある三冊の書冊《しょさつ》を発見したのであります。第一は六郎氏と静子夫人との結婚の年の日記帳で、婚礼の三日前の日記の欄外に、赤インキで、次の様な注意すべき文句が記入してあったのです。
「(前略)余は平田一郎なる青年と静子との関係を知れり。されど、静子は中途その青年を嫌い始め、彼が如何なる手段を講ずるも其意《そのい》に応ぜず、遂には、父の破産を好機として彼の前より姿を隠せる由《よし》なり。それにてよし。余は既往《きおう》の詮議立てはせぬ積《つも》りなり云々《うんぬん》」つまり六郎氏は結婚の当初から、何等《なんら》かの事情により、夫人の秘密を知悉《ちしつ》していたのです。そして、それを夫人には一言も云わなかったのです。
第二は大江春泥著短篇集「屋根裏の遊戯」であります。かかる書物を、実業家小山田六郎氏の書斎に発見するとは、何という驚きでありましょう。静子夫人から、六郎氏が生前仲々の小説好きであったということを聞くまでは、私は私の目を疑った程でした。さて、この短篇集の巻頭にはコロタイプ版の春泥の肖像が掲げられ、奥附には著者平田一郎と彼の本名が印刷されてあったことは、注意すべきであります。
第三は博文館発行の雑誌「新青年」第六巻第十二号です。これには春泥の作品は掲載されていませんでしたけれど、その代り、口絵に彼の原稿の写真版が原寸のまま原稿紙半枚分程、大きく出ていて、余白に「大江春泥氏の筆蹟」と説明がついていました。妙なことは、その写真版を光線に当ててよく見ますと、厚いアートペーパの上に、縦横《たてよこ》に爪の跡の様なものがついているのです。これは誰かが写真の上に薄い紙を当てて、鉛筆で春泥の筆蹟を、幾度もなすったものとしか考えられません。私の想像が次々と適中して行くのが怖い様でした。
其同じ日、私は夫人に頼んで、六郎氏が外国から持帰った手袋を探して貰いました。それは探すのに可なり手間取ったのですけれど、遂に私が運転手から買取ったものと、寸分違わぬ品が一揃《ひとそろい》丈け出て来ました。夫人はそれを私に渡した時、確かに同じ手袋がもう一揃あった筈なのにと、不審顔でした。これらの証拠品、日記帳、短篇集、雑誌、手袋、天井裏で拾った金具等は、御指図によって、いつでも提出することが出来ます。
さて、私の調べ上げた事実は、この外にも数々あるのですが、それらを説明する前に、仮りに上述の諸点丈けによって考えましても、小山田六郎氏が世にも不気味な性格の所有者であり、温厚篤実《おんこうとくじつ》なる仮面の下《もと》に、甚だ妖怪じみた陰謀をたくましくしていたことは明かであります。
我々は大江春泥という名前に執着し過ぎていはしなかったでしょうか。彼の血みどろな作品、彼の異様な日常生活の知識などが、我々をして、この様な犯罪は春泥でなくては出来るものでないと、てんから独《ひと》り極《ぎ》めに極めさせてしまったのではありますまいか。彼はどうして、かくも完全に姿をくらまして了《しま》うことが出来たのでしょう。彼が犯人であったとしては、少し妙ではありませんか。彼が無実であればこそ、単に彼の持前の厭人癖から(彼が有名になればなる程、その名に対しても、この種の厭人病は極度に昂進《こうしん》するものであります)世間を韜晦したのであればこそ、この様に探しにくいのではないでしょうか。彼は嘗つてあなたがおっしゃった様に、海外に逃出してしまったのかも知れません。そして、例えば上海《シャンハイ》の支那人町の片隅に、支那人になりすまして水煙草《みずたばこ》でも吸っているのかも知れません。そうでなくて、若し春泥が犯人であったとすれば、あの様にも綿密に、執拗に、長年月《ちょうねんげつ》を費して企らまれた復讐計画が、彼にしては道草の様なものであった六郎氏殺害のみを以て、肝腎《かんじん》の目的を忘れた様に、パッタリと中絶されたことを、何と説明したらいいのでしょう。彼の小説を読み、彼の日常を知っているものには、これは余りに不自然な、あり相もないことに思われるのです。
いやそれよりも、もっと明白な事実があります。彼はどうして、小山田六郎氏所有の手袋の釦を、あの天井へ落して来ることが出来たのでしょう。手袋が内地では手に入らぬ外国製のものであること、六郎氏が運転手に与えた手袋の飾釦がとれていたことなど思合《おもいあわ》せば、かの屋根裏に潜んでいた者は、当の小山田六郎氏ではなく、大江春泥であったと、そんな不合理な事が考えられるでしょうか。(ではそれが六郎氏であったとしたら、彼はなぜその大切な証拠品を、迂濶にも運転手などに与えたかとの御反問があるかも知れません。併し、それは後に述べます様に、彼は別段法律上の罪悪を犯してなどいなかったからです。変態好みの一種の遊戯をやっていたに過ぎなかったからです。ですから、手袋の釦がとれた所で、仮令それが天井に残されていた所で、彼にとっては何でもなかったのです。犯罪者の様に、この釦の取れたのは、若しや天井裏を歩いていた時ではなかったかしら。それが証拠になりはしないかしら。などと心配する必要は少しもなかったのです)
春泥の犯罪を否定すべき材料は、まだそればかりではありません。右に述べた日記帳、春泥の短篇集、新青年等《など》の証拠品が、六郎氏の書斎の錠前つき本棚にあったこと、その錠前の鍵は一つしかなく、六郎氏が行住坐臥《ぎょうじゅうざが》所持していたことは、それらの品が六郎氏の陰険《いんけん》な悪戯を証拠立てているというばかりではなく、一歩譲って、春泥が六郎氏に疑《うたがい》をかける為に、その品々を偽造し六郎氏の本棚へ入れて置いたと考えることさえ、全然不可能なのです。第一日記帳の偽造なぞ出来るものではありませんし、その本棚は六郎氏でなければ開けることも閉めることも出来なかったではありませんか。
かく検《けん》して来ますと、我々が今迄犯人と信じ切っていた大江春泥こと平田一郎は、意外にも、最初からこの事件に存在しなかったと考える外はありません。我々をして左様に信じさせたものは、小山田六郎氏の驚嘆すべき偽瞞《ぎまん》であったとしか考えられないのであります。金満《きんまん》紳士小山田氏が、かくの如き綿密陰険なる稚気の所有者であったことは、彼が表に温厚篤実を装いながら、その寝室に於ては、世にも恐るべき悪魔と形相《ぎょうそう》を変じ、可憐《かれん》なる静子夫人を外国製乗馬鞭を以て、打擲《ちょうちゃく》し続けていたことと共に、我々の誠に意外とする所でありますけれど、温厚なる君子と、陰険なる悪魔とが、一人物の心中に同居したためしは、世にその例が乏《とぼ》しくないのであります。人は、彼が温厚でありお人好しであればある程、却って悪魔に弟子入《でしい》りし易いとも云えるのでありますまいか。
さて、私は斯様《かよう》に考えるのであります。小山田六郎氏は今より約四年以前、社用を帯びて欧洲に旅行をし、ロンドンを主として、其他二三の都市に二年間滞在していたのですが、彼の悪癖は、恐らくそれらの都市の何《いず》れかに於て芽生え、発育したものでありましょう。(私は碌々商会の社員から、彼のロンドンでの情事の噂を洩れ聞いて居ります)そして、一昨年九月、帰朝と共に、彼の治《じ》し難《がた》い悪癖は彼の溺愛《できあい》する静子夫人を対象として、猛威《もうい》をたくましくし始めたものでありましょう。私は昨年十月、静子夫人と初対面の折、已《すで》に彼女の項にかの無気味な傷痕を認めた程ですから。
この種の悪癖は、例えばかのモルヒネ中毒の様に、一度染《なじ》んだなら一生涯止《や》められないばかりでなく、日と共に月と共に恐ろしい勢いでその病勢が昂進《こうしん》して行くものであります。より強烈なより新しい刺戟をと、追い求めるものであります。今日は昨日のやり方では満足出来ず、明日は又今日の仕草では物足りなく思われて来るのです。小山田氏も同様に、静子夫人を打擲するばかりでは満足が出来なくなって来たことは、容易に想像出来るではありませんか。そこで、彼は物狂わしく新しい刺戟を探し求めなければならなかったでありましょう。
丁度その時、彼は何かのきっかけで、大江春泥作「屋根裏の遊戯」という小説のあることを知り、その奇怪なる内容を聞いて、一読して見る気になったのかも知れません。兎も角、彼はそこに、不思議な知己《ちき》を発見したのです。異様な同病者を見つけ出したのです。彼が如何に春泥の短篇集を愛読したか、その本の手摺《てず》れのあとでも想像することが出来るではありませんか。春泥はあの短篇集の中《うち》で、たった一人でいる人を(殊に女を)少しも気づかれぬ様に隙見することの、世にも不思議な楽しさを、繰返し説いていますが、六郎氏がこの彼にとっては恐らく新発見であった所の、新しい趣味に共鳴したことは想像に難《かた》くありません。彼は遂に春泥の小説の主人公を真似て、自から屋根裏の遊戯者となり、自宅の天井裏に忍んで静子夫人の独居《ひとりい》を隙見しようと企てたのであります。
小山田家は門から玄関まで、相当の距離がありますので、外出から帰った折など、召使達に知れぬ様、玄関脇の物置に忍込み、そこから天井伝いに、静子の居間の上に達するのは、誠に雑作《ぞうさ》もないことです。私は、六郎氏が夕刻から、よく小梅の友達の所へ碁を囲みに出かけたのは、この屋根裏の遊戯の時間をごまかす手段ではなかったか、とさえ邪推《じゃすい》するのであります。
一方、その様に「屋根裏の遊戯」を愛読していた六郎氏が、その奥附の作者の本名を発見し、それが嘗つて静子にそむかれた彼女の恋人であり、彼女に深い恨みを抱いているに相違ない平田一郎と同一人物ではないかと疑い始めたのは、さもあり相なことではありませんか。そこで、彼は大江春泥に関する、あらゆる記事、ゴシップを猟《あさ》り、遂に春泥が嘗つての静子の恋人と同一人物であったこと、又彼の日常生活が甚だしく厭人的であり、当時、已に筆を絶って行方《ゆくえ》をさえくらましていたことを、知悉するに至ったのでありましょう。つまり、六郎氏は、一冊の「屋根裏の遊戯」によって、一方では彼の病癖のこよなき知己を、一方では彼にとっては憎むべき昔の恋の仇敵《あだがたき》を、同時に発見したのです。そして、その知識に基いて、実に驚くべき悪戯を思いついたのであります。
静子の独居の隙見は成程《なるほど》甚だ彼の好奇心をそそったには相違ないのですが、惨虐色情者の彼が、それ丈けで、そんな生ぬるい興味丈けで、満足しよう筈はありません。鞭の打擲に代るべき、もっと新しい、もっと残酷な何かの方法がないものかと、彼は病人の異常に鋭い空想力を働かせたものでしょう。そして、結局平田一郎の脅迫状という誠に前例のないお芝居を思いつくに至ったのであります。それには、彼は已に「新青年」第六巻十二号巻頭の写真版の御手本を手に入れて居りました。お芝居をいやが上にも興深く、誠しやかにする為に、彼は、その写真版によって丹念にも春泥の筆蹟の手習いを始めました。あの写真版の鉛筆の跡がそれを物語って居ります。
六郎氏は平田一郎の脅迫状を作製すると、適当な日数《ひかず》を置いて、一度一度違った郵便局からその封書を送りました。商用で車を走らせている途中、もよりのポストへそれを投込ませるのは訳のないことでした。脅迫状の内容については、彼は新聞雑誌の記事によって春泥の経歴の大体に通じていましたし、静子の細《こまか》い動作も、天井からの隙見と、それで足らぬ所は、彼自身静子の夫であったのですから、あの位のことは訳もなく書けたのです。つまり彼は、静子と枕を並べて、寝物語りをしながら、その時の静子の言葉や仕草を記憶して置いて、それをさも春泥が隙見したかの如く書き記した訳なのです。何という悪魔でありましょう。かくして彼は、人の名を騙《かた》って脅迫状を認《したた》め、それを自分の妻に送るという犯罪めいた興味と、妻がそれを読んで震え戦く様を天井裏から胸を轟《とどろ》かせながら隙見するという悪魔の喜びとを、合せ得ることが出来たのです。しかも、彼はその間々《あいだあいだ》には、やはりかの鞭の打擲を続けていたと信ずべき理由があります。何故と云って、静子の項の傷は、六郎氏の死後になって、やっとその痕が見えなくなったのですから。云うまでもなく、彼はこの様に妻の静子を責めさいなんではいましたけれど、それは決して彼女を憎むが故《ゆえ》ではなく、寧ろ静子を溺愛《できあい》すればこそ、この惨虐を行《おこな》ったのであります。この種の変態性慾者の心理は無論あなたも充分御承知のこととは思いますけれど。
さて、かの脅迫状の作製者が小山田六郎氏であったという、私の推理は以上で尽きましたが、では、単に変態性慾者の悪戯に過ぎなかったものが、どうしてあの様な殺人事件となって現れたか。しかも殺されたものは当の六郎氏であったばかりでなく、彼は何故にあの奇妙な鬘を冠り、真裸体《まっぱだか》になって、吾妻橋下に漂っていたのであるか。彼の背中の突傷は何者の仕業であったのか。大江春泥がこの事件に存在しなかったとすれば、では外に別の犯罪者があったのであるか、等々《とうとう》の疑問が続出して来るでありましょう。それについて、私は更らに、私の観察と推理とを申述べねばなりません。
簡単に申せば、小山田六郎氏は、彼の余りにも悪魔的な所業が、神の怒りに触れたのでもありましょうか、天罰を被《こうむ》ったのであります。そこには何等の犯罪も下手人もなくて、ただ六郎氏の過失死があったばかりであります。では、背中の致命傷はとの御尋ねがありましょう。けれど、その説明はあとに廻して、先ず順序を追って、私がその様な考えを抱くに至った筋路《すじみち》から御話しなければなりません。
私の推理の出発点は、外ならぬ彼《か》の鬘でありました。あなたは多分、三月十七日私が天井裏の探険をした翌日から、静子は隙見をされぬ様、洋館の二階へ寝室を移したことを御記憶でありましょう。それには静子がどれ程巧みに夫を説いたか、六郎氏がどうしてその意見に従う気になったかは明瞭でありませんけれど、兎も角、その日から六郎氏は天井の隙見が出来なくなってしまったのです。併し、想像をたくましくするならば、六郎氏は其頃は、もう天井の隙見にもやや飽きが来ていたのかも知れません。そして、寝室が洋館に代ったのを幸いに、又別の悪戯を考案しなかったとは云えません。何故と云って、ここに鬘があります。彼自身注文した所のふさふさとした鬘があります。彼がその鬘を注文したのは昨年末ですから、無論最初からそのつもりではなく、別に用途があったのでしょうが、それが今、計らずも間に合ったのです。
彼は「屋根裏の遊戯」の口絵で、春泥の写真を見て居ります。その写真は春泥の若い時分のものだと云われている程ですから、無論六郎氏の様に禿頭ではなく、ふさふさとした黒髪があります。ですから、若し六郎氏が手紙や屋根裏の蔭に隠れて静子を怖がらせることから、一歩を進め、彼自身大江春泥に化け、静子がそこにいるのを見すまして、洋館の窓の外からチラリと顔を見せて、ある不思議な快感を味《あじわ》おうと企らんだならば、彼は何よりも先ず、彼の第一の目印である禿頭を隠す必要に迫られたに相違ありませんが、丁度それには持って来いの鬘があったのです。鬘さえ冠れば、顔などは、暗いガラスの外ではあり、チラッと見せる丈けでよいのですから(そして、その方が一層効果的なのです)恐怖に戦いている静子に見破られる心配はありません。
あの夜(三月十九日)六郎氏は小梅の碁友達の所から帰り、まだ門が開《あ》いていたので、召使達に知れぬ様、ソッと庭を廻って洋館の階下の書斎に入り(これは静子から聞いたのですが、彼はそこの鍵を例の本棚の鍵と一緒に鎖に下げて持っていたのです)其時はもう階上の寝室に入っていた静子に悟られぬ様、闇の中で例の鬘を冠り、外に出て、立木を伝って洋館の軒蛇腹《のきじゃばら》に上《のぼ》り、寝室の窓の外へ廻って行って、そこのブラインドの隙間から、ソッと中を覗いたのであります。のちに静子が窓の外に人の顔が見えたと私に語ったのは、この時のことであったのです。
さて、それでは、六郎氏がどうして、死ぬ様なことになったか、それを語る前に、私は一応、私が六郎氏を疑い出してから二度目に小山田家を訪ね、洋館の問題の窓から、外を覗いて見た時の観察を申述べねばなりません。これはあなた自身行って御覧なされば分ることですから、くだくだしい描写は省《はぶ》くことに致しますが、その窓は隅田川に面していて、外は殆ど軒下《のきした》程の空地もなく、すぐ例の表側と同じコンクリート塀に囲まれ、塀は直ちに余程高い石崖《いしがけ》に続いています。地面を倹約する為に、塀は石崖のはずれに立ててあるのです。水面から塀の上部までは約二間《けん》、塀の上部から二階の窓までは一間程あります。そこで、六郎氏が軒蛇腹(それは巾《はば》が非常に細いのです)から足を踏みはずして転落したとしますと、余程運がよくて、塀の内側へ(そこは人一人やっと通れる位の細い空地です)落ちることも不可能ではありませんが、そうでなければ、一度塀の上部にぶっつかって、そのまま、外の大川へ墜落する外《ほか》はないのです。そして、六郎氏の場合は無論後者だったのであります。
私は最初、隅田川の流れというものに思い当った時から、死体が投込まれた現場に止《とどま》っていたと考えるよりは、上流から漂って来たと解釈する方が、より自然だとは気づいていました。そして、小山田家の洋館の外はすぐ隅田川であり、そこは吾妻橋よりも上流に当ることをも知っていました。それ故、若しかしたら、六郎氏がそこの窓から落ちたのではないかと、考えたことは考えたのですが、彼の死因が水死ではなくて、背中の突傷だったものですから、私は長い間迷わなければなりませんでした。
ところが、ある日、私はふと甞つて読んだ南波杢三郎氏著「最新犯罪捜査法」の中にあった、この事件と似よりの一つの実例を思出したのです。同書は私が探偵小説を考える際、よく参考にしますので、中の記事も覚えていた訳ですが、その実例というのは次の通りであります。
「大正六年五月中旬頃、滋賀《シガ》県大津《オオツ》市太湖汽船会社防波堤附近ニ男ノ水死体漂着セルコトアリ。死体頭部ニハ鋭器ヲ以テシタルカ如キ切創アリ。検案ノ医師カ右ハ生前ノ切傷ニシテ死因ヲ為《ナ》シ、尚《ナオ》腹部ニ多少ノ水ヲ蔵セルハ、殺害ト同時ニ水中ニ投棄セラレタルモノナル旨《ムネ》ヲ断定セルニ依《ヨ》リ、茲《ココ》ニ大事件トシテ俄ニ捜査官ノ活動ハ始マレリ。被害者ノ身元ヲ知ランカ為《タ》メニアラユル方法ハ尽クサレ遂ニ端緒ヲ得サリシ処《トコロ》、数日ヲ経テ、京都《キョウト》市上京《カミギョウ》区浄福寺通《ジョウフクジドオリ》金箔《キンパク》業斎藤《サイトウ》方ヨリ同人方雇人小林茂三《コバヤシシゲゾウ》(二三)ノ家出保護願ノ郵書ヲ受理シタル大津警察署ニ於《オイ》テハ、偶々《タマタマ》其《ソノ》人相着衣ト本件被害者ノ夫《ソレ》ト符合スル点アルヲ以テ、直《タダチ》ニ斎藤某ニ通知シ死体ヲ一見セシメタルニ全《マッタ》ク其雇人ナルコト判明シタルノミナラス、他殺ニ非《アラ》スシテ実ハ自殺ナル事ヲモ確定セラレヌ。何トナレハ水死者ハ主家ノ金円ヲ多ク費消シ遺書ヲ残シテ家出セルモノナリシヲ知レハ也。同人カ頭部ニ切傷ヲ蒙《コウム》リ居タルハ、航行中ノ汽船ノ船尾ヨリ湖上ニ投身セル際、廻転セル汽船ノスクリウニ触レ、切創様ノ損傷ヲ受ケタルモノナル事明白トナレリ」
若し私がこの実例を思出さなかったら、私はあの様な突飛な考えを起さなかったかも知れません。併し多くの場合、事実は小説家の空想以上なのです。そして、甚だあり相もない頓狂な事が、実際には易々《やすやす》と行われているのです。と云っても私は何も六郎氏がスクリュウに傷つけられたと考えるものではありません。この場合は右の実例とは少々違って、死体は全く水を呑んでいなかったのですし、それに夜中の一時頃、隅田川を汽船が通ることは滅多にないのですから。
では、六郎氏の背中の肺部に達する程もひどい突傷は何によって生じたか、あんなにも刃物と似た傷をつけ得るものは一体何であったか。それは外でもない、小山田家のコンクリート塀の上部《うえ》に植えつけてあった、ビール壜《びん》の破片なのです。それは表門の方も同様に植えつけてありますから、あなたも多分御覧なすったことがありましょう。あの盗賊よけのガラス片は所々《ところどころ》に飛んでもない大きな奴がありますから、場合に依っては、充分肺部に達する程の突傷を拵えることが出来ます。六郎氏は軒蛇腹から転落した勢いで、それにぶっつかったのです。ひどい傷を受けたのも無理はありません。尚この解釈によれば、あの致命傷の周囲の沢山の浅い突傷の説明もつく訳であります。
かようにして、六郎氏は自業自得、彼のあくどい病癖の為に、軒蛇腹から足を踏みはずし、塀にぶっつかって、致命傷を受け、その上隅田川に墜落し、流れと共に吾妻橋汽船発着所の便所の下へ漂いつき、とんだ死に恥をさらした訳であります。以上で本件に関する私の新解釈を大体陳述しました。一二申残《もうしのこ》したことを附加えますと、六郎氏の死体がどうして裸体にされていたかという疑問については、吾妻橋界隈《かいわい》は浮浪者、乞食、前科者の巣窟《そうくつ》であって、溺死体《できしたい》が高価な衣類を着用していたなら(六郎氏はあの夜大島《おおしま》の袷に鹽瀬の羽織を重ね、白金《プラチナ》の懐中時計を所持して居りました)深夜人なきを見て、それをはぎ取る位の無謀者は、ごろごろしていると申せば充分でありましょう。(註、この私の想像は、後に事実となって現れ、一人の浮浪人があげられたのだ)それから、静子が寝室にいて、何故六郎氏の墜落した物音を気づかなんだかという点は、その時彼女が極度の恐怖に、気も顛動《てんどう》していたこと、コンクリート作りの洋館のガラス窓が密閉されていたこと、窓から水面までの距離が非常に遠いこと、又仮令水音が聞えたとしても、隅田川は時々徹夜の泥舟などが通るので、その水棹《みずさお》の音と混同されたかも知れないこと、などを御一考願い度いと存じます。尚《な》お、注意すべきは、この事件が毫《ごう》も犯罪的の意味を含まず、不幸変死事件を誘発したとは云え、全く悪戯の範囲を出でなかったという点であります。若しそうでなかったならば、六郎氏が証拠品の手袋を運転手に与えたり、本名を告げて鬘を注文したり、錠前つきとは申せ自宅の本棚に大切な証拠物を入れて置いたりした、馬鹿馬鹿しい不注意を何と説明のしようもないからであります。(後略)
以上私は余りに長々と私の意見書を写し取ったが、これをここに挿入したのは、予め右の私の推理を明かにして置かぬ時は、これから後《のち》の私の記事が、甚だ難解なものになるからである。私はこの意見書で、大江春泥は最初から存在しなかったと云った。だが、事実は果してそうであったかどうか。若しそうだとすれば私がこの記録の前段に於て、あんなにも詳しく彼の人となりを説明したことが、全く無意味になってしまうのだが。
糸崎検事に提出する為に、右の意見書を書き上げたのは、それにある日附によると、四月二十八日であったが、私はまずこの意見書を静子に見せて、最早や大江春泥の幻影におびえる必要のないことを知らせ、安心させてやろうと、書上げた翌日小山田家を訪ねたのである。私は六郎氏を疑《うたぐ》ってからも二度も静子を訪ねて、家宅捜索みたいなことをやっていながら、実はまだ彼女には何も知らせてはなかったのだ。
当時静子の身辺には、六郎氏の遺産処分につき、毎日の様に親族の者が寄り集って、色々面倒な問題が起っているらしかったが、殆ど孤立状態の静子は、余計私をたよりにして、私が訪問すれば、大騒ぎをして歓迎してくれるのだった。私は例によって、静子の居間に通されると、甚だ唐突に、
「静子さん。もう心配はなくなりましたよ。大江春泥なんて、初めからいなかったのです」
と云い出して、静子を驚かせた。無論彼女には何のことだか意味が分らぬのだ。そこで、私は、私が探偵小説を書上げた時いつもそれを友達に読みきかせるのと同じ心持で、持参した意見書の草稿を、静子の為に朗読したのである。というのは一つには静子に事の仔細を知らせて安心させる為、又一つにはこれに対する彼女の意見も聞き、私自身でも草稿の不備な点を見つけ、充分訂正を施したいからであった。
六郎氏の惨虐色情を説明した箇所は、甚だ残酷であった。静子は顔赤らめて、消えも入《い》りたい風情を見せた。手袋の箇所では、彼女は「私も、確かにもう一揃あったのに、変だ変だと思っていました」と口を入れた。六郎氏の過失死の所では、彼女は非常に驚いて、真青になり、口も利けない様子であった。だが、すっかり読んでしまうと、彼女は暫くは「マア」と云ったきり、ぼんやりしていたが、やがて、その顔にほのかな安堵《あんど》の色が浮んで来た。彼女は大江春泥の脅迫状が贋物《にせもの》であって、最早や彼女の身に危険がなくなったと知って、ほっと安心したものに相違ない。私の手前勝手な邪推を許すならば、彼女は又、六郎氏の醜悪な自業自得を聞いて、私との不義の情交について抱いていた自責の念を、いくらか軽くすることが出来たに相違ない。「あの人がそんなひどいことをして私を苦しめていたのだもの、私だって……」という弁解の道がついたことを、彼女は喜んだに相違ない。
丁度夕食時《どき》だったので、気のせいか彼女はいそいそとして、洋酒などを出して、私をもてなして呉れた。私は私で、意見書を彼女が認めてくれたのが嬉しく、勧められるままに、思わず酒を過《すご》した。酒に弱い私は、じき真赤になって、すると私はいつも却って憂欝《ゆううつ》になってしまうのだが、余り口も利かず、静子の顔ばかり眺めていた。静子は可なり面《おも》やつれをしていたけれど、その青白さは彼女の生地であったし、身体全体にしなしなした弾力があって、芯に陰火《いんか》の燃えている様な、あの不思議な魅力は、少しも失せていなかったばかりか、其頃はもう毛織物の時候で、古風なフランネルを着ている彼女の身体の線が、今までになくなまめかしくさえ見えたのである。私は、その毛織物をふるわせてくねくねと蠢く、彼女の四肢の曲線を眺めながら、まだ知らぬ着物に包まれた部分の彼女の肉体を、悩ましくも心の内に描いて見るのだった。
そうして暫く話している内に、酒の酔が私にすばらしい計画を思いつかせた。それは、どこか人目につかぬ場所に、家を一軒借りて、そこを静子と私との媾曳《あいびき》の場所と定め、誰にも知られぬ様に、二人丈けの秘密の逢《お》う瀬《せ》を楽しもうということであった。その時私は、女中が立去ったのを見届けて、浅ましいことを白状しなければならぬが、いきなり静子を引寄せ、彼女と第二の接吻《せっぷん》を交しながら、そして私の両手は彼女の背中のフランネルの手触りを楽しみながら、私はその思いつきを彼女の耳に囁いたのだ。すると彼女は私のこの無躾な仕草を拒《こば》まなかったばかりでなく、僅かに首をうなずかせて、私の申出でをも受入れて呉れたのである。
それから二十日《はつか》余りの、彼女と私との、あの屡々の媾曳を、ただれ切った、悪夢の様な其の日其の日を、何と書き記せばよいのであろう。私は根岸御行の松のほとりに、一軒の古めかしい土蔵つきの家を借り受け、留守は近所の駄菓子屋のお婆《ばあ》さんに頼んで置いて、静子としめし合せては、多くは昼日中《ひるひなか》、そこへ落合ったのである。私は恐らく初めて、女というものの情熱の烈しさを、すさまじさを、しみじみと味った。ある時は、静子と私とは、幼い子供に返って、古ぼけた化物屋敷の様に広い家の中を、猟犬の様に舌を出して、ハッハッと肩で息をしながら、もつれ合って駈け廻った。私が掴もうとすると、彼女はいるかみたいに身をくねらせて、巧みに私の手の中をすり抜けては走った。グッタリと死んだ様に折重なって倒れてしまうまで、私達は息を限りに走り廻った。ある時は、薄暗い土蔵の中にとじ籠って一時間も二時間も静まり返っていた。若し人あって、その土蔵の入口に耳をすましていたならば、中からさも悲しげな女のすすり泣きに混って、二重唱の様に、太い男の手離しの泣き声が、長い間続いているのを聞いたであろう。
だが、ある日、静子が芍薬《しゃくやく》の大きな花束の中に隠して、例の六郎氏常用の外国製乗馬鞭を持って来た時には、私は何だか怖くさえなった。彼女はそれを私の手に握らせて、六郎氏の様に彼女のはだかの肉体を、打擲せよと迫るのだ。恐らくは長い間の六郎氏の残虐が、とうとう彼女にその病癖をうつし、彼女は被虐《ひぎゃく》色情者の、耐え難い慾望にさいなまれる身となり果てていたのである。そして、私も亦、若し彼女との逢う瀬がこのまま半年も続いたなら、きっと六郎氏と同じ病《やまい》にとりつかれてしまったに相違ない。なぜと云って、彼女の願いをしりぞけかねて、私がその鞭を彼女のなよやかな肉体に加えた時、その青白い皮膚の表面に、俄かにふくれ上って来る、毒々しい蚯蚓脹れを見た時、ゾッとしたことには、私はある不可思議な愉悦をさえ覚えたからである。
併し、私はこの様な男女の情事を描写する為に、この記録を書き始めたのではなかった。それらは、他日私がこの事件を小説に仕組む折、もっと詳しく書き記すこととして、ここには、その情事生活の間に、私が静子から聞き得た、一つの事実を書添えて置くに止《とど》めよう。それは例の六郎氏の鬘のことであったが、あれは正《まさ》しく六郎氏が態々註文して拵えさせたもので、そうしたことには極端に神経質であった彼は、静子との寝室の遊戯の際、絵にならぬ彼の禿頭《とくとう》を隠す為、静子が笑って止めたにも拘らず、子供の様に真剣になって、それを註文しに行ったとのことであった。「なぜ今迄隠していたの」と私が尋ねたら、静子は「だって、そんなこと恥しくって、云えませんでしたわ」と答えた。
さて、そんな日が二十日ばかりも続いた頃、あまり顔を見せないのも変だというので、私は口を拭《ぬぐ》って小山田家を訪ね、静子に逢って一時間ばかり、しかつめらしく談話を交したのち、例の御出入の自動車に送られて、帰宅したのであったが、その自動車の運転手が、偶然にも嘗つて私が手袋を買取った、青木民蔵《あおきたみぞう》であったことが、又しても私があの奇怪な自昼夢へと[#「自昼夢へと」はママ]引込まれて行くきっかけとなったのである。
手袋は違っていたが、ハンドルにかかった手の形も、古めかしい紺の春外套も(彼はワイシャツの上にすぐそれを着ていた)その張り切った肩の恰好も、前の風よけガラスも、その上の小さな鏡も、凡て約一ヶ月以前の様子と少しも違わなかった。それが私を変な心持ちにして行った。私はあの時、この運転手に向って、「大江春泥」と呼びかけて見たことを思い出した。すると、私は妙なことに、大江春泥の写真の顔や、彼の作品の変てこな筋や、彼の不思議な生活の記憶で、頭の中が一杯になってしまった。しまいには、クッションの私のすぐ隣に春泥が腰かけているのではないかと思う程、彼を身近《みぢ》かに感じ出した。そして、一瞬間、ボンヤリしてしまって、私は変なことを口走った。
「君、君、青木君。この間の手袋ね、あれは一体いつ頃小山田さんに貰ったのだい」
「ヘエ?」と運転手は、一ヶ月前《ぜん》の通りに顔をふり向けて、あっけにとられた様な表情をしたが「そうですね。あれは、無論去年でしたが、十一月の……たしか帳場から月給を貰った日で、よく貰いものをする日だと思ったことを覚えてますから、十一月の二十八日でしたよ。間違いありませんよ」
「ヘエ、十一月のねえ、二十八日なんだね」
私はまだボンヤリしたまま、譫言《うわごと》の様に相手の返事を繰返した。
「だが、旦那、なぜそう手袋のことばかり気になさるんですね。何かあの手袋に曰《いわ》くでもあったのですか」
運転手はニヤニヤ笑ってそんなことを云っていたが、私はそれに返事もしないで、じっと風よけガラスについた、小さなほこりを見つめていた。車が四五丁走る間、そうしていた。だが、突然、私は車の中で立上って、いきなり運転手の肩を掴んで、怒鳴った。
「君、それは本当だね、十一月二十八日ということは。君は裁判官の前でもそれが断言出来るかね」
車がフラフラとよろめいたので、運転手はハンドルを調節しながら、
「裁判官の前ですって、冗談じゃありませんよ。だが、十一月二十八日に間違いはありません。証人だってありますよ。私の助手もそれを見ていたんですから」
青木は、私が余り真剣なので、あっけにとられながらも、真面目に答えた。
「じゃ、君、もう一度引返《ひきかえ》すんだ。小山田さんへ引返すんだ」
運転手は益々面喰《めんくら》って、やや恐れをなした様子だったが、それでも私の云うがままに、車を帰して、小山田家の門前についた。私は車を飛び出すと、玄関へかけつけ、そこにいた女中を捕えて、いきなりこんなことを聞き訊《ただ》すのであった。
「去年の暮れの煤掃《すすは》きの折、ここの家では、日本間の方の天井板をすっかりはがして、灰汁《あく》洗いをした相だね。それは本当だろうね」
先にも述べた通り私はいつか天井裏へ上った時、静子にそれを聞いて知っていたのだ。女中は私が気でも違ったと思ったかも知れない。暫く私の顔をまじまじと見ていたが、
「エエ、本当でございます。灰汁洗いではなく、ただ水で洗わせたのですけれど、灰汁洗い屋が来たことは来たのです。あれは暮れの二十五日でございました」
「どの部屋の天井も?」
「エエ、どの部屋の天井も」
それを聞きつけたのか、奥から静子も出て来たが、彼女は心配そうに私の顔を眺めて、
「どうなすったのです」と尋ねるのだ。私はもう一度さっきの質問を繰返し、静子からも女中と同じ返事を聞くと、挨拶もそこそこに、又自動車に飛込んで、私の宿へ行く様に命じたまま、深々とクッションに凭れ込み、私の持前の泥の様な妄想に陥って行くのだった。
小山田家の日本間の天井板は昨年十二月二十五日、すっかり取りはずして水洗いをした。それでは、例の飾釦が天井裏へ落ちたのは、その後《のち》でなければならない。然《しか》るに一方では、十一月二十八日に手袋が運転手に与えられている。天井裏に落ちていた飾釦が、その手袋から脱落したものであることは、先に屡々述べた通り、疑うことの出来ない事実だ。すると、問題の手袋の釦は、落ちぬ先になくなっていたということになる。このアインシュタイン物理学の実例めいた不可思議な現象は、抑《そ》も何を語るものであるか、私はそこへ気がついたのであった。私は念の為にガレージに青木民蔵を訪ね、彼の助手の男にも会って、聞き訊して見たけれど、十一月二十八日に間違いはなく、又小山田家の天井洗いを引受けた請負人《うけおいにん》をも訪ねて見たが十二月二十五日に思違いはなかった。彼は、天井板をすっかりはずしたのだから、どんな小さな品物にしろ、そこに残っている筈はないと請合ってくれた。
それでもやはり、あの釦は六郎氏が落したものだと強弁する為には、こんな風にでも考える外はなかった。即ち、手袋からとれた釦が六郎氏のポケットに残っていた。六郎氏は、それを知らずに釦のない手袋は使用出来ぬので運転手に与えた。それから少く見て一ヶ月後、多分は三ヶ月後に(脅迫状が来始めたのは二月頃からであった)同氏が天井裏へ上《あが》った時、洵《まこと》に偶然にも釦がそのポケットから落ちたという、持って廻った順序なのだ。手袋の釦が外套でなくて服のポケットに残っていたというのも変だし、(手袋は多く外套のポケットへしまうものだ。そして、六郎氏が天井裏へ外套を着て上ったとは考えられぬ。いや、洋服を着て上ったと考えることさえ、可なり不自然だ)それに六郎氏の様な金満紳士が、暮れに着ていた服のままで春を越したとも思われぬではないか。
これがきっかけとなって、私の心には又しても陰獣大江春泥の影がさして来た。六郎氏が惨虐色情者であったという近代の探偵小説めいた材料が、私にとんでもない錯覚を起させたのではなかったか。(彼が外国製乗馬鞭で静子を打擲したこと丈けは、疑いもない事実だけれど)そして、彼はやっぱり何者かの為に殺害されたのではあるまいか。大江春泥、アア、怪物大江春泥の俤《おもかげ》が、しきりに私の心にねばりついて来るのだ。
一度そんな考えが芽生えると、凡ての事柄が、不思議に疑わしくなって来る。一介の空想小説家に過ぎない私に、意見書に記した様な推理があんなに易々と組立てられたということも、考えて見ればおかしいのだ。現に私はあの意見書のどこやらに、飛んでもない錯誤が隠れている様な気がしたものだから、一つは静子との情事に夢中だったせいもあるけれど、草稿のまま清書もしないで放ってある。事実私は何となく気が進まなんだ。そして、今ではそれが却ってよかったと思う様にさえなって来たのだ。
考えて見ると、この事件には証拠が揃い過ぎていた。私の行く先々に、待構えていた様に、御あつらえ向きの証拠品がゴロゴロしていた。当の大江春泥も彼の作品で云っていた通り、探偵は、多過ぎる証拠に出会った時こそ、警戒しなければならないのだ。第一あの真に迫った脅迫状の筆蹟が、私の妄想した様に六郎氏の偽筆だったというのは、甚だ考え難《にく》いことではないか。嘗つて本田も云ったことだが、仮令春泥の文字は似せることが出来ても、あの特徴のある文章を、しかも方面違いの実業家であった六郎氏に、どうして真似ることが出来たのであろう。私はその時まで、すっかり忘れていたけれど、春泥作「一枚の切手」という小説には、ヒステリィの医学博士《はかせ》夫人が、夫を憎む余り、博士が彼女の筆蹟を手習《てならい》して、贋《にせ》の書置きを作った様な証拠を作り上げ、博士を殺人罪に陥れようと企らんだ話がある。ひょっとしたら、春泥はこの事件にも、その同じ手を用いて、六郎氏を陥れようと計ったのではないだろうか。
見方によっては、この事件はまるで大江春泥の傑作集の如きものであった。例えば、天井裏の隙見は「屋根裏の遊戯」であり、証拠品の釦も同じ小説の思いつきであるし、春泥の筆蹟を手習いしたのは「一枚の切手」だし、静子の項《うなじ》の生傷が残虐色情者を暗示したのは「B坂の殺人」の方法である。それから、ガラスの破片が突傷を拵えたことと云い、はだかの死体が便所の下に漂っていたことと云い、其他事件全体が大江春泥の体臭に充《み》ち満ちているのだ。これは偶然にしては余りに奇妙な符合ではなかったか。初めから終りまで、事件の上に春泥の大きな影がかぶさっていたのではなかったか。私はまるで、大江春泥の指図に従って、彼の思うがままの推理を組立てて来た様な気がするのだ。春泥が私にのりうつったのではないかとさえ思われるのだ。
春泥はどこかにいる。そして、事件の底から蛇の様な目を光らせていたに相違ない。私は理窟ではなく、そんな風に感じないではいられなかった。だが、彼はどこにいるのだ。
私はそれを下宿の部屋で、蒲団《ふとん》の上に横になって考えていたのだが、流石肺臓の強い私も、この果しのない妄想にはうんざりした。考えながら、私は疲れ果ててウトウトと睡《ねむ》ってしまった。そして、妙な夢を見てハッと目が醒《さ》めた時、ある不思議なことを思い浮べたのだ。
夜が更《ふ》けていたけれど、私は彼の下宿に電話をかけて、本田を呼び出して貰った。
「君、大江春泥の細君は丸顔だったと云ったねえ」
私は本田が電話口に出ると、何の前置きもなく、こんなことを尋ねて、彼を驚かした。
「エエ、そうでしたよ」
本田は暫くして、私だと分ったのか、眠《ね》む相《そう》な声で答えた。
「いつも洋髪に結《ゆ》っていたのだね」
「エエ、そうでしたよ」
「近眼鏡《きんがんきょう》をかけていたのだね」
「エエ、そうですよ」
「金歯を入れていたのだね」
「エエ、そうですよ」
「歯が悪かったのだね。そして、よく頬に歯痛《はいた》止めの貼り薬をしていたと云うじゃないか」
「よく知ってますね、春泥の細君に逢ったのですか」
「いいや、桜木町の近所の人に聞いたのだよ。だが、君の逢った時も、やっぱり歯痛をやっていたのかね」
「エエ、いつもですよ。よっぽど歯の性《しょう》が悪いのでしょう」
「それは右の頬だったかね」
「よく覚えないけれど、右の様でしたね」
「併し、洋髪の若い女が、古風な歯痛止めの貼り薬は少しおかしいね。今時そんなもの貼る人はないからね」
「そうですね。だが、一体どうしたんです。例の事件、何か手掛りが見つかったのですか」
「まあ、そうだよ。詳しいことはその内話そうよ」
と云った訳で、私は前に聞いて知っていたことを、もう一度念の為に本田にただして見たのだった。
それから、私は机の上の原稿紙に、まるで幾何《きか》の問題でも解く様に、様々の形や文字や公式の様なものを、殆ど朝までも書いては消し書いては消ししていたのである。
そんなことで、いつも私の方から出す媾曳《あいびき》の打合せの手紙が、三日ばかり途切れたものだから、待切れなくなったものか、静子から明日《あす》の午後三時頃、きっと例の隠れがへ来てくれる様にとの速達が来た。それには「私という女の、余りにもみだらな正体を知って、あなたはもう私がいやになったのではありませんか、私が怖くなったのではありませんか」と怨《えん》じてあった。
私はこの手紙を受取っても、妙に気が進まなんだ。彼女の顔を見るのがいやで仕様がなかった。だが、それにも拘らず、私は彼女の指定して来た時間に、御行《おぎょう》の松の下の、あの化物屋敷へ出向いて行った。
それはもう六月に入っていたが、梅雨の前のそこひの様に憂欝な空が、押しつける様に頭の上に垂れ下って、気違いみたいにむしむしと暑い日だった。電車をおりて、三四丁歩く間に、脇の下や背筋などが、ジクジクと汗ばんで、触って見ると富士絹のワイシャツが、ネットリと湿っていた。
静子は、私よりも一足先に来て、涼《すず》しい土蔵の中のベッドに腰かけて待っていた。土蔵の二階には絨氈《じゅうたん》を敷きつめ、ベッドや長椅子を置き、幾つも大型の鏡を並べなどして、私達は遊戯の舞台を出来る丈け効果的に飾り立てたのだが、静子は私が止めるのも聞かず、絨氈にしろ、ベッドにしろ、出来合《できあい》ではあったけれど、馬鹿馬鹿しく高価な品を、惜し気もなく買入れた。
静子は、派手な結城紬《ゆうきつむぎ》の一重物《ひとえもの》に、桐《きり》の落葉の刺繍《ししゅう》を置いた黒繻子《くろじゅず》[#ルビの「くろじゅず」はママ]の帯をしめて、例によって艶々とした丸髷のつむりをふせ、ベッドの純白のシーツの上に、フーワリと腰をおろしていたが、洋風の調度と、江戸好みな彼女の姿とが、ましてその場所が薄暗い土蔵の二階なので、甚しく異様な対照を見せていた。私は、夫をなくしても変えようともしない、彼女の好きな丸髷の匂やかに艶々しく輝いているのを見ると、直ぐ様、その髷がガックリとして、前髪がひしゃげた様に乱れて、ネットリしたおくれ毛が、首筋の辺《あたり》にまきついている、あのみだらがましき姿を目に浮べないではいられなかった。彼女はその隠家《かくれが》から帰る時には、乱れた髪をときつけるのに、鏡の前で三十分も費すのが常であったから。
「この間、灰汁洗い屋のことを、態々聞きに戻っていらしったのは、どうしたんですの。あなたの慌て様ったらなかったのね。あたし、どういう訳だかと、考えて見たんですけど、分りませんのよ」
私が入って行くと、静子は直ぐそんなことを聞いた。
「分らない? あなたには」私は洋服の上衣《うわぎ》を脱ぎながら答えた「大変なことなんだよ。僕は大間違いをやっていたのさ。天井を洗ったのが十二月の末で、小山田さんの手袋の釦のとれたのがそれより一月以上も前なんですよ。だって、あの運転手に手袋をやったのが十一月の二十八日だって云うから、釦のとれたのはその以前にきまっているんだからね。順序がまるであべこべなんですよ」
「まあ」と静子は非常に驚いた様子であったが、まだはっきりとは事情がのみ込めぬらしく「でも、天井裏へ落ちたのは、釦がとれたよりはあとなんでしょう」
「あとにはあとだけれど、その間の時間が問題なんだよ。つまり釦は小山田さんが天井裏へ上った時、その場でとれたんでなければ、変だからね。正確に云えば成る程あとだけれど、とれると同時に天井裏へ落ちて、そのままそこに残されていたのだからね。それがとれてから、落ちるまでの間に一月以上もかかるなんて、物理学の法則では説明出来ないじゃないか」
「そうね」彼女は少し青ざめて、まだ考え込んでいた。
「とれた釦が、小山田さんの服のポケットにでも入っていて、それが一月のちに偶然天井裏へ落ちたとすれば、説明がつかぬことはないけれど、それにしても、小山田さんは去年の十一月に着ていた服で、春を越したのかい」
「いいえ。あの人おしゃれさんだから、年末には、ずっと厚手の温かい服に替えていましたわ」
「それごらんなさい。だから、変でしょう」
「じゃあ」と彼女は息を引いて「やっぱり、平田が……」と云いかけて、口をつぐんだ。
「そうだよ。この事件には、大江春泥の体臭が余り強過ぎるんだよ。で、僕はこの間の意見書をまるで訂正しなければならなくなった」
私はそれから前章に記した通り、この事件が大江春泥の傑作集の如きものであること、証拠の揃いすぎていたこと、偽筆が余りにも真に迫っていたことなどを、彼女の為に簡単に説明した。
「あなたは、よく知らないだろうが、春泥の生活と云うものが、実に変なんだ。彼奴《あいつ》は、なぜ訪問者に逢わなかったか、なぜあんなにも度々転居したり、旅行をしたり、病気になったりして、訪問者を避けようとしたか、おしまいには、向島須崎町の家を、無駄な費用をかけて、なぜ借りっぱなしにして置いたか、いくら人厭《ぎら》いの小説家にもしろ、あんまり変じゃないか。人殺しでもやる準備行為でなかったとしたら、あんまり変じゃないか」
私は静子の隣りにベッドに腰をおろして話していたのだが、彼女は、やっぱり春泥の仕業であったかと思うと、俄かに怖くなった様子で、ぴったりと私の方へ身体をすり寄せて、私の左の手首を、むず痒《がゆ》く握りしめるのであった。
「考えて見ると、私はまるで彼奴の傀儡《かいらい》にされた様なものだね。彼奴の予め拵えて置いた偽証を、そのまま、彼奴の推理を御手本にして、おさらいさせられたも同然なんだよ。アハハハ……」私は自から嘲《あざけ》る様に笑った。「あいつは恐ろしい奴ですよ。僕の物の考え方をちゃんと呑込んでいて、その通りに証拠を拵え上げたんだからね。普通の探偵やなんかでは駄目なんだ。僕の様な、推理好みの小説家でなくては、こんな廻りくどい突飛な想像が出来るものではないのだから。だが、若し犯人が春泥だとすると、色々無理が出来て来る。その無理が出来て来る所が、この事件の難解な所以《ゆえん》で、春泥が底の知れない悪者だという訳だけれどね。無理というのはね、せんじつめると、二つの事柄なんだが、一つは例の脅迫状が小山田さんの死後パッタリ来なくなったこと、もう一つは、日記帳だとか春泥の著書、「新青年」なんかが、どうして小山田さんの本棚に入っていたかということです。この二つ丈けは、春泥が犯人だとすると、どうも辻褄が合わなくなるんだよ。仮令日記帳の例の欄外の文句は、小山田さんの筆癖《ふでくせ》を真似て書込めるにしたところが、又新青年の口絵の鉛筆のあとなんかも、偽証を揃える為にあいつが作って置いたとしたところが、どうにも無理なのは、小山田さんしか持っていない、あの本棚の鍵を、春泥がどうして手に入れたかということだよ。そして、あの書斎へ忍び込めたかということだよ。私はこの三日の間、その点を頭の痛くなる程考え抜いたのだがね。その結果、どうやら、たった一つの解決法を見つけた様に思うのだけれど。
僕はさっきも云った様に、この事件に春泥の作品の匂いが充ち満ちていることから、彼奴の小説をもっとよく研究して見たら、何か解決の鍵が掴めやしないかと思って、あいつの著書を出して読んで見たんだよ。それにはね、あなたにはまだ云ってないけれど、博文館の本田という男の話によると、春泥がとんがり帽に道化服という変な姿で、浅草公園にうろついていたというんだ。しかも、それが広告屋で聞いて見ると、公園の浮浪人だったとしか考えられないんだ。春泥が浅草公園の浮浪人の中に混っていたなんて、まるでスチブンソンの『ジーキル博士とハイド』みたいじゃないか。僕はそこへ気づいて、春泥の著書の中から、似た様なのを探して見ると、あなたも知って居るでしょう、あいつが行衛不明になるすぐ前に書いた『パノラマ国』という長篇と、それよりは前の作の『一人二役』という短篇と、二つもあるのです。それを読むと、あいつが『ジーキル博士』式なやり方に、どんなに魅力を感じていたか、よく分るのだ。つまり、一人でいながら、二人の人物にばけることにね」
「あたし怖いわ」静子はしっかり私の手を握りしめて云った「あなたの話し方、気味が悪いのね。もうよしましょうよ、そんな話。こんな薄暗い蔵の中じゃいやですわ。その話はあとにして、今日は遊びましょうよ。あたし、あなたとこうしていれば、平田のことなんか、思出しもしないのですもの」
「まあ御聞きなさい。あなたにとっては、命にかかわる事なんだよ。もし春泥がまだあなたをつけねらっているとしたら」私は恋の遊戯どころではなかった。「僕はまた、この事件の内から、ある不思議な一致を二つ丈け発見した。学者臭い云い方をすれば、一つは空間的な一致で、一つは時間的な一致なんだけれど、ここに東京の地図がある」私はポケットから用意して来た簡単な東京地図を取出して、指で指《さ》し示しながら「僕は大江春泥の転々として移り歩いた住所を、本田と象潟署の署長から聞いて覚えているが、それは、池袋、牛込喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉、神田末広町《かんだすえひろちょう》、上野桜木町、本所柳島町、向島須崎町と、大体こんな風だった。この内池袋と、牛込喜久井町丈けは大変離れているけれど、あとの七ヶ所は、こうして地図の上で見ると、東京の東北の隅の狭い地域に集っている。これは春泥の大変な失策だったのですよ。池袋と牛込が離れているのは、春泥の文名が上って、訪問記者などがおしかけ始めたのは、根岸時代からだという事実を考え合わせると、よくその意味が分る。つまりあいつは喜久井町時代までは、凡て原稿の用事を手紙丈けで済ませていたのだからね。ところで、根岸以下の七ヶ所を、こうして線でつないで見ると、不規則な円周を描いていることが分るが、その円の中心を求めたならば、そこにこの事件解決の鍵が隠れているのだよ。何故そうだかということは、今説明するけれど」
その時、静子は何を思ったのか、私の手を離して、いきなり両手を私の首にまきつけると、例のモナ・リザの唇から、白い八重歯を出して「怖い」と叫びながら、彼女の頬を私の頬に、彼女の唇を私の唇に、しっかりとくっつけてしまった。やや暫くそうしていたが、唇を離すと、今度は私の耳を人指し指で、巧みにくすぐりながら、そこへ口を近づけて、まるで子守歌の様な甘い調子で、ボソボソと囁くのだった。
「あたし、そんな怖い話で、大切な時間を消してしまうのが、惜しくてたまらないのですわ。あなた、あなた、私のこの火の様な唇が分りませんの、この胸の鼓動《こどう》が聞えませんの。サア、あたしを抱いて。ね、あたしを抱いて」
「もう少しだ。もう少しだから辛抱して僕の考えを聞いて下さい。その上で、今日はあなたとよく相談しようと思って来たのだから」私は構わず話し続けて行った「それから時間的の一致というのはね。春泥の名前がパッタリ雑誌に見えなくなったのは、私はよく覚えているが、おととしの暮からなんだ。それとね、小山田さんが外国から帰朝した時と――あなたはそれがやっぱり、おととしの暮だって云ったでしょう。この二つがどうして、こんなにぴったり一致しているのかしら。これが偶然だろうかね。あなたはどう思う?」
私がそれを云い切らぬ内に、静子は部屋の隅から例の外国製乗馬鞭を持って来て、無理に私の右手に握らせると、いきなり着物を脱いで、うつむきにベッドの上に倒れ、むき出しのなめらかな肩の下から、顔丈けを私の方にふりむけて、
「それがどうしたの、そんなこと、そんなこと」と何か訳の分らぬことを、気違いみたいに口走ったが「サア、ぶって! ぶって!」と叫びながら、上半身を波の様にうねらせるのであった。
小さな蔵の窓から、鼠色の空が見えていた。電車の響きであろうか、遠くの方から雷鳴の様なものが、私自身の耳鳴りに混って、オドロオドロと聞えて来た。それは丁度、空から、魔物の軍勢が押しよせて来る、陣太鼓の様に、気味悪く思われた。恐らくあの天候と、土蔵の中の異様な空気が、私達二人を気違いにしたのではなかったか。静子も私も、あとになって考えて見ると、正気の沙汰《さた》ではなかったのだ。私はそこに横わってもがいている彼女の汗ばんだ青白い全身を眺めながら、執拗《しつよう》にも私の推理を続けて行った。
「一方ではこの事件の中に大江春泥がいることは、火の様に明かな事実なんだ。だが、一方では、日本の警察力がまる二ヶ月かかっても、あの有名な小説家を探し出すことが出来ず、彼奴《あいつ》は煙《けむ》みたいに完全に消去《きえさ》ってしまったのだ。アア、僕はそれを考えるさえ恐ろしい。こんなことが悪夢でないのが不思議な位だ。何故彼は小山田静子を殺そうとはしないのだ。ふっつりと脅迫状を書かなくなってしまったのだ。彼奴はどんな忍術で小山田さんの書斎へ入ることが出来たんだ。そして、あの錠前つきの本棚をあけることが出来たんだ。……僕はある人物を思出さないではいられなかった。外でもない、女流探偵小説家平山日出子だ。世間ではあれを女だと思っている。作家や記者仲間でも、女だと信じている人が多い。日出子の家《うち》へは毎日の様に愛読者の青年からのラヴ・レターが舞込むそうだ。ところが本当は彼は男なんだよ。しかもれっきとした政府の御役人なんだよ。探偵作家なんて、みんな、僕にしろ、春泥にしろ、平山日出子にしろ、怪物なんだ。男でいて女に化けて見たり、女でいて男に化けて見たり、猟奇の趣味が嵩《こう》じると、そんな所まで行ってしまうのだ。ある作家は、夜女装をし、浅草をぶらついた。そして、男と恋の真似事さえやった」
私はもう夢中になって、気違いの様に喋りつづけた。顔中に一杯汗が浮んで、それが気味悪く口の中へ流れ込んだ。
「サア、静子さん。よく聞いて下さい。僕の推理が間違っているかいないか。春泥の住所をつないだ円の中心はどこだ。この地図を見て下さい。あなたの家だ。浅草山の宿だ。皆あなたの家《うち》から自動車で十分以内のところばかりだ。……小山田さんの帰朝と一緒に、何故春泥は姿を隠したのだ。もう茶の湯と音楽の稽古に通えなくなったからだ。分りますか。あなたは小山田さんの留守中、毎日午後から夜《よ》に入《い》るまで、茶の湯と音楽の稽古に通ったのです。……ちゃんとお膳立《ぜんだ》てをして置いて、僕にあんな推理を立てさせたのは誰だった。あなたですよ、僕を博物館で捕えて、それから自由自在にあやつったのは。……あなたなれば、日記帳に勝手な文句を書き加えることだって、その外の証拠品を小山田さんの本棚へ入れることだって、天井へ釦を落して置くことだって、自由に出来るのです。僕はここまで考えたのです。外に考え様がありますか。さあ、返事をして下さい。返事をして下さい」
「あんまりです。あんまりです」裸体の静子が、ワッと悲鳴を上げて、私にとりすがって来た。そして、私のワイシャツの上に顔をつけて、熱い涙が私の肌に感じられた程も、さめざめと泣き入《い》るのだった。
「あなたは何故泣くのです。さっきから何故僕の推理を止めさせようとしたのです。当り前なればあなたには命がけの問題なのだから、聞きたがる筈じゃありませんか。これ丈けでも、僕はあなたを疑わないではいられぬのだ。御聞きなさい。まだ僕の推理はおしまいじゃないのだ。大江春泥の細君は何故眼鏡をかけていた、金歯をはめていた、歯痛止めの貼り薬をしていた、洋髪に結って丸顔に見せていた。あれは春泥の『パノラマ国』の変装法そっくりじゃありませんか。春泥はあの小説の中《うち》で、日本人の変装の極意《ごくい》を説いている。髪形《かみかたち》を変えること、眼鏡をかけること、含み綿をすること、それから又、『一銭銅貨』の中では、丈夫な歯の上に、夜店の鍍金《めっき》の金歯をはめる思いつきが書いてある。あなたは人目につき易い八重歯を持っている。それを隠す為に鍍金の金歯をかぶせたのだ。あなたの右の頬には大きな黒子《ほくろ》がある。それを隠す為にあなたは歯痛止めの貼り薬をしたのだ。洋髪に結って瓜実顔を丸顔に見せる位なんでもないことだ。そうしてあなたは春泥の細君に化けたのだ。僕はおととい本田にあなたを隙見させて春泥の細君と似ていないかを確めた。本田はあなたの丸髷を洋髪に換え、眼鏡をかけ、金歯を入れさせたら、春泥の細君にそっくりだと云ったじゃありませんか。サア、云っておしまいなさい。すっかり分ってしまったのだ。これでもあなたは、まだ僕をごまかそうとするのですか」
私は静子をつき離した。彼女はグッタリとベッドの上に倒れかかり、激しく泣入って、いつまで待っても答えようとはしない。私はすっかり興奮してしまって、思わず手にしていた乗馬鞭をふるって、ピシリと彼女のはだかの背中へ叩きつけた。私は夢中になって、これでもか、これでもかと、幾つも幾つもうち続けた。見る見る、彼女の青白い皮膚は赤味走って、やがて蚯蚓の這った形に、真赤な血がにじんで来た。彼女は私の鞭の下に、いつもするのと同じみだらな恰好で、手足をもがき、身をくねらせた。そして、絶入《たえい》るばかりの息の下から、「平田、平田」と細い声で口走った。
「平田? アア、あなたはまだ私をごまかそうとするんだな。あなたが春泥の細君に化けていたなら、春泥という人物は別にある筈だとでも云うのですか。春泥なんているものか。あれは全く架空の人物なんだ。それをごまかす為に、あなたは彼の細君に化けて雑誌記者なんかに逢っていたのだ。そして、あんなにも度々住所を変えたのだ。併しある人には、まるで架空の人物ではごまかせないものだから、浅草公園の浮浪人を傭って、座敷に寝かして置いたんだ。春泥が道化服の男に化けたのではなくて、道化服の男が春泥に化けていたんだ」
静子はベッドの上で、死んだ様になって、黙り込んでいた。ただ、彼女の背中の赤蚯蚓丈けが、まるで生きているかの様に、彼女の呼吸につれて蠢《うごめ》いていた。彼女が黙ってしまったので、私もいくらか興奮がさめて行った。
「静子さん。僕はこんなにひどくする積りではなかった。もっと静かに話してもよかったのだ。だが、あなたが、あんまり私の話を避けよう避けようとするものだから、そしてあんな嬌態《きょうたい》でごまかそうとするものだから、僕もつい興奮してしまったのですよ。勘弁《かんべん》して下さいね。ではね、あなたは口を利かなくてもいい。僕があなたのやって来たことを、順序をたてて云って見ますからね。若し間違っていたら、そうではないと、一言云って下さいね」
そうして、私は私の推理を、よく分る様に話し聞かせたのである。
「あなたは女にしては珍らしい理智と文才に恵まれていた。それは、あなたが私にくれた手紙を読んだ丈けでも、充分分るのです。そのあなたが、匿名《とくめい》でしかも男名前で、探偵小説を書いて見る気になったのは、ちっとも無理ではありません。だが、その小説が意外に好評を博した。そして、丁度あなたが有名になりかけた時分に、小山田さんが、二年間も外国へ行くことになった。その淋しさを慰める為、且《か》つはあなたの猟奇癖を満足させる為、あなたはふと一人《にん》三役という恐ろしいトリックを思いついた。あなたは『一人二役』という小説を書いているが、その上を行って、一人三役というすばらしいことを思いついたのです。あなたは平田一郎の名前で、根岸に家を借りた。その前の池袋と牛込とはただ手紙の受取場所を造って置いた丈けでしょう。そして、厭人病や旅行などで、平田という男性を世間の目から隠して置いて、あなたが変装をして平田夫人に化け平田に代って原稿の話まで一切《いっさい》切り廻していたのです。つまり原稿を書く時には大江春泥の平田になり、雑誌記者に逢ったり、家《うち》を借りたりする時には、平田夫人になり、山の宿の小山田家では、小山田夫人になりすましていたのです。つまり一人三役なのです。その為に、あなたは殆ど毎日の様に午後一杯、茶の湯や音楽を習うのだと云って、家をあけなければならなかった。半日は小山田夫人、半日は平田夫人と、一つ身体を使い分けていたのです。それには髪も結い変える必要があり、着物を着換えたり変装をしたりする時間が要るので、余り遠方では困るのです。そこで、あなたは住所を変える時、山の宿を中心に、自動車で十分位の所ばかり選んだ訳ですよ。僕は同じ猟奇の徒なんだから、あなたの心持がよく分ります。随分苦労な仕事ではあるけれど、世の中に、こんなにも魅力のある遊戯は、恐らく外にはないでしょうからね。僕は思い当ることがありますよ。いつかある批評家が春泥の作を評して、女でなければ持っていない不愉快な程の猜疑心に充ち満ちている。まるで暗闇に蠢く陰獣の様だと云ったのを思い出しますよ。あの批評家は本当のことを云っていたのですね。
その内に、短い二年が過去《すぎさ》って、小山田さんが帰って来た。もうあなたは元の様に一人二役を勤めることは出来ない。そこで大江春泥の行方不明ということになったのです。でも、春泥が極端な厭人病者だということを知っている世間は、その不自然な行方不明をさして疑わなかった。だが、あなたがどうしてあんな恐ろしい罪を犯す気になったか、その心持は男の僕にはよく分らないけれど、変態心理学の書物を読むと、ヒステリィ性の婦人は、屡々自分で自分に当てて脅迫状を書き送るものだそうです。日本にも外国にもそんな実例は沢山あります。つまり、自分でも怖がり、他人にも気の毒がって貰い度い心持なんですね。あなたもきっとそれなんだと思います。自分が化けていた、有名な男性の小説家から、脅迫状を受取る。何というすばらしい魅力でしょう。
同時にあなたは年をとったあなたの夫に不満を感じて来た。そして、夫の不在中に経験した変態的な自由の生活に止み難いあこがれを抱く様になった。いや、もっと突込んで云えば、嘗つてあなたが春泥の小説の中に書いた通り、犯罪そのものに、殺人そのものに、云い知れぬ魅力を感じたのだ。それには丁度春泥という完全に行方不明になった架空の人物がある。この者に嫌疑をかけて置いたならば、あなたは永久に安全でいることが出来た上、いやな夫には別れ、莫大な遺産を受継いで、半生を勝手気ままに振舞うことが出来る。
だが、あなたはそれ丈けでは満足しなかった。万全を期する為二重の予防線を張ることを考えついた。そして、選《えら》み出されたのが僕なんです。あなたはいつも春泥の作品を非難する僕をまんまと傀儡に使って、敵《かたき》うちをしてやろうと思ったのでしょう。だから僕があの意見書を見せた時には、あなたはどんなにか、おかしかったことでしょうね。僕をごまかすのは、造作もなかったですね。手袋の飾釦、日記帳、新青年、「屋根裏の遊戯」それで充分だったのですからね。だが、あなたがいつも小説に書いている様に、犯罪者というものは、どこかにほんのつまらないしくじりを残して置くものですね。あなたは小山田さんの手袋からとれた釦を拾って、大切な証拠品に使ったけれど、それがいつとれたかをよく検べて見なかった。その手袋がとっくの昔運転手に与えられたことを少しも知らずにいたのです。何というつまらないしくじりだったでしょう。小山田さんの致命傷はやっぱり僕の前の推察の通りだと思います。ただ違うのは、小山田さんが窓の外からのぞいたのではなくて、多分はあなたと情痴の遊戯中に(だからあの鬘をかぶっていたのでしょう)あなたが窓の中からつきおとしたのです。
サア、静子さん。僕の推理が間違っていましたか。何とか返事をして下さい。出来るなら僕の推理を打破って下さい。ねえ、静子さん」
私はグッタリしている静子の肩に手をかけて、軽く揺《ゆすぶ》った。だが、彼女は恥と後悔の為に顔を上げることが出来なかったのか、身動きもせず、一言《ごん》も物を云わなかった。
私は云い度い丈け云ってしまうと、ガッカリして、その場に茫然《ぼうぜん》と立ちつくしていた。私の前には、昨日まで私の無二の恋人であった女が、傷《きずつ》ける陰獣の正体をあらわにして、倒れている。それをじっと眺めていると、いつか私の眼は熱くなった。
「では僕はこれで帰ります」私は気を取直して云った。「あなたは、あとでよく考えて下さい。そして、正しい道を選んで下さい。僕はこの一月ばかりの間、あなたのお蔭で、まだ経験しなかった、情痴の世界を見ることが出来ました。そして、それを思うと今でも僕は、あなたと離れ難い気がするのです。併し、このままあなたとの関係を続けて行くことは僕の良心が許しません。僕は道徳的に人一倍敏感な男なのです。……では左様《さよう》なら」
私は静子の背中の蚯蚓脹れの上に、心をこめた接吻を残して、暫くの間彼女との情痴の舞台であった、私達の化物屋敷をあとにした。空は愈々低く、気温は一層高まって来た様に思われた。私は身体中無気味な汗にしたりながら、その癖《くせ》歯と歯をカチカチ云わせて、気違いの様にフラフラと歩いて行った。
そして、その翌日の夕刊で、私は静子の自殺を知ったのだった。彼女は恐らくは、あの洋館の二階から、小山田六郎氏と同じ隅田川に身を投じて、覚悟の水死をとげたのである。運命の恐ろしさは、隅田川の流れ方が一定している為に起ったことではあろうけれど、彼女の死体は、やっぱり、あの吾妻橋下の汽船発着所のそばに漂っていて、朝通行人に発見されたのであった。何も知らぬ新聞記者は、彼の記事のあとへ、「小山田夫人は恐らく、夫六郎氏と同じ犯人の手にかかって、あえない最期《さいご》をとげたものであろう」と附加えた。
私はこの記事を読んで、私の嘗つての恋人の可哀相な死に方を憐《あわ》れみ、深い哀愁を覚えたが、それはそれとして、静子の死は、彼女が彼女の恐ろしい罪を自白したも同然で、まことに当然の成行きであると思っていた。一月ばかりの間は、そんな風に信じ切っていた。
だが、やがて、私の妄想の熱度が、徐々に冷えて行くに随って、恐ろしい疑惑が頭を擡《もた》げて来た。私は一言《げん》さえも、静子の直接の懺悔《ざんげ》を聞いた訳ではなかった。様々の証拠が揃っていたとは云え、その証拠の解釈は凡て私の空想であった。二に二を加えて四になるという様な、厳正不動のものではあり得なかった。現に、私は運転手の言葉と、灰汁洗い屋の証言丈けを以て、あの一度組み立てたまことしやかな推理を、様々の証拠を、まるで正反対に解釈することが出来たではないか。それと同じ事が、もう一つの推理にも起らないとどうして断言出来よう。事実、私はあの土蔵の二階で静子をせめた際にも、最初は何もああまでする積りではなかった。静かに訳を話して、彼女の弁明を聞く積りだった。それが、話の半《なか》ばから、彼女の態度が変に私の邪推を誘ったので、ついあんなに手ひどく、断定的に物を云ってしまったのだ。そして、最後に度々念を押しても、彼女が押し黙って答えなかったので、てっきり彼女の罪を肯定したものと独《ひと》り合点《がてん》をしてしまったのだった。だがそれはあくまでも独り合点ではなかったであろうか。
成程、彼女は自殺をした。(だが、果して自殺であったか。他殺! 他殺だとしたら下手人は何者だ。恐ろしいことだ)自殺をしたからと云って、それが果して彼女の罪を証することになるであろうか。もっと外に理由があったかも知れないではないか。例えば、たよりと思う私から、あの様に疑い責められ、全く云い解くすべがないと知ると、心の狭い女の身では、一時の激動から、つい世を果敢《はか》なむ気になったのではあるまいか。とすれば、彼女を殺したものは、手こそ下さね、明かにこの私であったではないか。私はさっき他殺ではないと云ったけれど、これが他殺でなくて何であろう。
だが、私がただ一人の女を殺したかも知れないという疑い丈けなれば、まだしも忍ぶことが出来る。ところが、私の不幸な妄想癖は、もっともっと恐ろしいことさえ考えるのだ。彼女は明かに私を恋していた。恋する人に疑われ、恐ろしい犯罪人として責めさいなまれた女の心を考えて見なければならない。彼女は私を恋すればこそ、その恋人のとき難《にく》い疑惑を悲しめばこそ、遂に自殺を決心したのではないだろうか。又仮令、私のあの恐ろしい推理が当っていたとしてもだ。彼女はなぜ長年つれ添った夫を殺す気になったのであろう。自由か、財産か、そんなものが一人の女を殺人罪に陥れる程の力を持っていただろうか。それは恋ではなかったか。そして、その恋人というのは外ならぬ私ではなかったか。
アア、私はこの世にも恐ろしい疑惑をどうしたらよいのであろう。静子が殺人者であったにしろなかったにしろ、私はあれ程私を恋慕《こいした》っていた可哀相な女を殺してしまったのだ。私は私のけちな道義の念を呪わずにはいられない。世に恋程強く美しいものがあろうか。私はその清く美しい恋を、道学者の様なかたくなな心で、無残にもうちくだいてしまったのではないか。
だが若し彼女が私の想像した通り大江春泥その人であって、あの恐ろしい殺人罪を犯したのであれば、私はまだいくらか安んずるところがある。とは云え、今となって、それがどうして確められるのだ。小山田六郎氏は死んでしまった。小山田静子も死んでしまった。そして、大江春泥は永久にこの世から消去ってしまったとしか考えられぬではないか。本田は静子が春泥の細君に似ていると云った。だが似ているという丈けでそれが何の証拠になるのだ。私は幾度も糸崎検事を訪ねて、その後《のち》の経過を聞いて見たけれど、彼はいつも曖昧な返事をするばかりで、大江春泥捜索の見込みがついているとも見えぬ。私は又、人を頼んで、平田一郎の故郷である静岡の町を検べて貰ったけれど、彼が全く架空の人物であってくれればという空頼《そらだの》みの甲斐《かい》もなく、今は行方不明の平田一郎なる人物があったことを報じて来た。だが、仮令平田という人物が実在していた所で、彼が誠の静子の嘗つての恋人であった所で、それが大江春泥であり六郎氏殺害の犯人であったと、どうして断定することが出来よう。彼は今現にどこにも居ないのだし、静子はただの昔の恋人の名を、一人三役の一人の本名に利用しなかったとは云えないのだから。更らに、私は親戚の人の許しを得て、静子の持物、手紙類などをすっかり調べさせて貰った。それから何等かの事実を探り出そうとしたのだ。併しこの試みも何の齎《もたら》すところもなかった。
私は私の推理癖を、妄想癖を、悔《くや》んでも悔んでも悔み足りない程であった。そして、出来るならば、平田一郎の大江春泥の行方を探す為に、仮令それが無駄だとは分っていても、日本全国を、いや世界の果てまでも、一生涯巡礼をして歩き度い程の気持ちになっている。(だが春泥が見つかって、彼が下手人であったとしても、又なかったとしても、夫々《それぞれ》違った意味で、私の苦痛は一層深くなるかも知れないのだが)
静子が悲惨な死をとげてから、もう半年にもなる。だが、平田一郎はいつまでたっても現われぬのだ。そして、私の取りかえしのつかぬ、恐ろしい疑惑は、日と共に、月と共に、深まって行くばかりである。
底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「陰獣」博文館
1930(昭和5)年8月第15版
初出:「新青年」博文館
1928(昭和3)年8月増刊~10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「纏」と「纒」、「背」と「脊」、「鼓動」と「皷動」、「合わせ」と「合せ」、「嘗つて」と「甞つて」、「惨虐」と「残虐」、「気持ち」と「気持」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:まつもこ
2021年9月27日作成
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