小桜姫物語
author: 浅野 和三郎
舌代
本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。
霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。
それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。
昭和十二年三月淺野正恭
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序
霊界通信――即ち霊媒の口を通じ或は手を通じて霊界居住者が現界の我々に寄せる通信、例を挙ぐれば Gerldine Cummins の Beyond Human Personality は所謂「自動書記」の所産である。此書中に含まるる論文は故フレデリク・マイヤーズ――詩人として令名があるが、特に心霊科学に多大の努力貢献をした人――が霊界よりカムミンスの手を仮りて書いたものと信ずる旨をオリバ・ロッヂ卿、ローレンス・ヂョンス卿が証言した。(昨年十二月十八日のThe Two Words
所掲)
カムミンスの他の自動書記は是迄四五種ある。其文体は各々相違して居る。又彼の自著小説があるが、是は全く右数種の自動書記と相違している。心霊科学に何等の実験がなく、潜在意識の所産などなどと説く懐疑者の迷を醒ますに足ると思う。
小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆記したのである。但し『T夫人の意識は奥の方に微かに残っている』から私の愚見に因れば多少の Fiction は或はあり得ぬとは保障し難い。
しかしこれらを斟酌しても本書は日本に於いては破天荒の著書である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学における最大の偉勲者であることは曰う迄もない。
私は昨年三月二十二日、先生と先生の令兄淺野正恭中将と岡田熊次郎氏とにお伴して駿河台の主婦の友社来賓室に於て九條武子夫人と語る霊界の座談会に列した。主婦の友五月号に其の筆記が載せられた。
日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレクトロン首先研究者、クルクス管の発明者、ローヤル・ソサィティ会長の故クルックス、ソルボン大学教授リシエ博士(ノーベル勲章受領者)、同じくローヤル・ソサィティ会長オリバ・ロッヂ卿……これら諸大家の足許にも及ばぬ者が掛かる偉大な先進の努力と研究とのあるを全く知らず、先入が主となるので、井底の蛙の如き陋見から心霊現象を或は無視し或は冷笑するのは気の毒千万である。淺野先生が二十余年に亘る研究の結果の数種の著述心霊講座、神霊主義と共に本書は日本に於ける斯学にとりて重大な貢献である。
仙台に於いて土井晩翠
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解説
――本書を繙《ひもと》かるる人達の為に――
淺野和三郎
本篇《ほんぺん》を集成《しゅうせい》したるものは私《わたくし》でありますが、私自身《わたくしじしん》をその著者《ちょしゃ》というのは当《あた》らない。私《わたくし》はただ入神中《にゅうしんちゅう》のT女《じょ》の口《くち》から発《はっ》せらるる言葉《ことば》を側《はた》で筆録《ひつろく》し、そして後《あと》で整理《せいり》したというに過《す》ぎません。
それなら本篇《ほんぺん》は寧《むし》ろT女《じょ》の創作《そうさく》かというに、これも亦《また》事実《じじつ》に当《あ》てはまっていない。入神中《にゅうしんちゅう》のT女《じょ》の意識《いしき》は奥《おく》の方《ほう》に微《かす》かに残《のこ》ってはいるが、それは全然《ぜんぜん》受身《うけみ》の状態《じょうたい》に置《お》かれ、そして彼女《かのじょ》とは全然《ぜんぜん》別個《べっこ》の存在《そんざい》――小櫻姫《こざくらひめ》と名告《なの》る他《た》の人格《じんかく》が彼女《かのじょ》の体躯《たいく》を司配《しはい》して、任意《にんい》に口《くち》を動《うご》かし、又《また》任意《にんい》に物《もの》を視《み》せるのであります。従《したが》ってこの物語《ものがたり》の第《だい》一の責任者《せきにんしゃ》はむしろ右《みぎ》の小櫻姫《こざくらひめ》かも知《し》れないのであります。
つまるところ、本書《ほんしょ》は小櫻姫《こざくらひめ》が通信者《つうしんしゃ》、T女《じょ》が受信者《じゅしんしゃ》、そして私《わたくし》が筆録者《ひつろくしゃ》、総計《そうけい》三人《にん》がかりで出来《でき》上《あが》った、一種《しゅ》特異《とくい》の作品《さくひん》、所謂《いわゆる》霊界《れいかい》通信《つうしん》なのであります。現在《げんざい》欧米《おうべい》の出版界《しゅっぱんかい》には、斯《こ》う言《い》った作品《さくひん》が無数《むすう》に現《あら》われて居《お》りますが、本邦《ほんぽう》では、翻訳書《ほんやくしょ》以外《いがい》にはあまり類例《るいれい》がありません。
T女《じょ》に斯《こ》うした能力《のうりょく》が初《はじ》めて起《おこ》ったのは、実《じつ》に大正《たいしょう》五年《ねん》の春《はる》の事《こと》で、数《かぞ》えて見《み》ればモー二十年《ねん》の昔《むかし》になります。最初《さいしょ》彼女《かのじょ》に起《おこ》った現象《げんしょう》は主《しゅ》として霊視《れいし》で、それは殆《ほと》んど申分《もうしぶん》なきまでに的確《てきかく》明瞭《めいりょう》、よく顕幽《けんゆう》を突破《とっぱ》し、又《また》遠近《えんきん》を突破《とっぱ》しました。越《こ》えて昭和《しょうわ》四年《ねん》の春《はる》に至《いた》り、彼女《かのじょ》は或《あ》る一《ひと》つの動機《どうき》から霊視《れいし》の他《ほか》に更《さら》に霊言《れいげん》現象《げんしょう》を起《おこ》すことになり、本人《ほんにん》とは異《ちが》った他《た》の人格《じんかく》がその口頭機関《こうとうきかん》を占領《せんりょう》して自由自在《じゆうじざい》に言語《げんご》を発《はっ》するようになりました。『これで漸《ようや》くトーキーができ上《あ》がった……』私達《わたくしたち》はそんな事《こと》を言《い》って歓《よろこ》んだものであります。『小櫻姫《こざくらひめ》の通信《つうしん》』はそれから以後《いご》の産物《さんぶつ》であります。
それにしても右《みぎ》の所謂《いわゆる》『小櫻姫《こざくらひめ》』とは何人《なんびと》か? 本文《ほんぶん》をお読《よ》みになれば判《わか》る通《とほ》り、この女性《じょせい》こそは相州《そうしゅう》三浦《みうら》新井城主《あらいじょうしゅ》の嫡男《ちゃくなん》荒次郎《あらじろう》義光《よしみつ》の奥方《おくがた》として相当《そうとう》世《よ》に知《し》られている人《ひと》なのであります。その頃《ころ》三浦《みうら》一族《ぞく》は小田原《おだわら》の北條氏《ほうじょうし》と確執《かくしつ》をつづけていましたが、武運《ぶうん》拙《つたな》く、籠城《ろうじょう》三年《ねん》の後《のち》、荒次郎《あらじろう》をはじめ一族《ぞく》の殆《ほと》んど全部《ぜんぶ》が城《しろ》を枕《まくら》に打死《うちじに》を遂《と》げたことはあまりにも名高《なだか》き史的事蹟《してきじせき》であります。その際《さい》小櫻姫《こざくらひめ》がいかなる行動《こうどう》に出《で》たかは、歴史《れきし》や口碑《こうひ》の上《うえ》ではあまり明《あきら》らかでないが、彼女自身《かのじょじしん》の通信《つうしん》によれば、落城後《らくじょうご》間《ま》もなく病《やまい》にかかり、油壺《あぶらつぼ》の南岸《なんがん》、浜磯《はまいそ》の仮寓《かぐう》でさびしく帰幽《きゆう》したらしいのであります。それかあらぬか、同地《どうち》の神明社内《しんめいしゃない》には現《げん》に小桜神社《こざくらじんじゃ》(通称《つうしょう》若宮様《わかみやさま》)という小社《しょうしゃ》が遺《のこ》って居《お》り、今尚《いまな》お里人《りじん》の尊崇《そんすう》の標的《まと》になって居《お》ります。
次《つぎ》に当然《とうぜん》問題《もんだい》になるのは小櫻姫《こざくらひめ》とT女《じょ》との関係《かんけい》でありますが、小櫻姫《こざくらひめ》の告《つ》ぐる所《ところ》によれば彼女《かのじょ》はT女《じょ》の守護霊《しゅごれい》、言《い》わばその霊的《れいてき》指導者《しどうしゃ》で、両者《りょうしゃ》の間柄《あいだがら》は切《き》っても切《き》れぬ、堅《かた》き因縁《いんねん》の羈絆《きずな》で縛《しば》られているというのであります。それに就《つ》きては本邦《ほんぽう》並《ならび》に欧米《おうべい》の名《な》ある霊媒《れいばい》によりて調査《ちょうさ》をすすめた結果《けっか》、ドーも事実《じじつ》として之《これ》を肯定《こうてい》しなければならないようであります。
尚《な》お面白《おもしろ》いのは、T女《じょ》の父《ちち》が、海軍将校《かいぐんしょうこう》であった為《た》めに、はしなくも彼女《かのじょ》の出生地《しゅっしょうち》がその守護霊《しゅごれい》と関係《かんけい》深《ふか》き三浦半島《みうらはんとう》の一角《かく》、横須賀《よこすか》であったことであります。更《さら》に彼女《かのじょ》はその生涯《しょうがい》の最《もっと》も重要《じゅうよう》なる時期《じき》、十七歳《さい》から三十三歳《さい》までを三浦半島《みうらはんとう》で暮《く》らし、四百年《ねん》前《ぜん》彼女《かのじょ》の守護霊《しゅごれい》が親《したし》める山河《さんが》に自分《じぶん》も親《した》しんだのでありました。これは単《たん》なる偶然《ぐうぜん》か、それとも幽冥《ゆうめい》の世界《せかい》からのとりなしか、神《かみ》ならぬ身《み》には容易《ようい》に判断《はんだん》し得《う》る限《かぎ》りではありません。
最後《さいご》に一言《ごん》して置《お》きたいのは筆録《ひつろく》の責任者《せきにんしゃ》としての私《わたくし》の態度《たいど》であります。小櫻姫《こざくらひめ》の通信《つうしん》は昭和《しょうわ》四年《ねん》春《はる》から現在《げんざい》に至《いた》るまで足掛《あしかけ》八年《ねん》に跨《また》がりて現《あら》われ、その分量《ぶんりょう》は相当《そうとう》沢山《たくさん》で、すでに数冊《すうさつ》のノートを埋《うず》めて居《お》ります。又《また》その内容《ないよう》も古今《ここん》に亘《わた》り、顕幽《けんゆう》に跨《またが》り、又《また》或《あ》る部分《ぶぶん》は一般的《ぱんてき》、又《また》或《あ》る部分《ぶぶん》は個人的《こじんてき》と言《い》った具合《ぐあい》に、随分《ずいぶん》まちまちに入《い》り乱《みだ》れて居《お》ります。従《したが》ってその全部《ぜんぶ》を公開《こうかい》することは到底《とうてい》不可能《ふかのう》で、私《わたくし》としては、ただその中《なか》から、心霊的《しんれいてき》に観《み》て参考《さんこう》になりそうな個所《かしょ》だけを、成《な》るべく秩序《ちつじょ》を立《た》てて拾《ひろ》い出《だ》して見《み》たに過《す》ぎません。で、材料《ざいりょう》の取捨《しゅしゃ》選択《せんたく》の責《せめ》は当然《とうぜん》私《わたくし》が引受《ひきう》けなければなりませんが、しかし通信《つうしん》の内容《ないよう》は全然《ぜんぜん》原文《げんぶん》のままで、私意《しい》を加《くわ》へて歪曲《わいきょく》せしめたような個所《かしょ》はただの一箇所《かしょ》もありません。その点《てん》は特《とく》に御留意《ごりゅうい》を願《ねが》いたいと存《ぞん》じます。
(十一、十、五)
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一、その生立
修行《しゅぎょう》も未熟《みじゅく》、思慮《しりょ》も足《た》りない一人《ひとり》の昔《むかし》の女性《じょせい》がおこがましくもここにまかり出《で》る幕《まく》でないことはよく存《ぞん》じて居《お》りまするが、斯《こ》うも再々《さいさい》お呼《よ》び出《だ》しに預《あず》かり、是非《ぜひ》くわしい通信《つうしん》をと、つづけざまにお催促《さいそく》を受《う》けましては、ツイその熱心《ねっしん》にほだされて、無下《むげ》におことわりもできなくなって了《しま》ったのでございます。それに又《また》神《かみ》さまからも『折角《せっかく》であるから通信《つうしん》したがよい』との思召《おぼしめし》でございますので、今回《こんかい》いよいよ思《おも》い切《き》ってお言葉《ことば》に従《したが》うことにいたしました。私《わたくし》としてはせいぜい古《ふる》い記憶《きおく》を辿《たど》り、自分《じぶん》の知《し》っていること、又《また》自分《じぶん》の感《かん》じたままを、作《つく》らず、飾《かざ》らず、素直《すなお》に申述《もうしの》べることにいたします。それがいささかなりとも、現世《げんせ》の方々《かたがた》の研究《けんきゅう》の資料《たし》ともなればと念《ねん》じて居《お》ります。何卒《どうぞ》あまり過分《かぶん》の期待《のぞみ》をかけず、お心安《こころやす》くおきき取《と》りくださいますように……。
ただ私《わたくし》として、前《まえ》以《もっ》てここに一《ひと》つお断《ことわ》りして置《お》きたいことがございます。それは私《わたくし》の現世生活《げんせせいかつ》の模様《もよう》をあまり根掘《ねほ》り葉掘《はほ》りお訊《たず》ねになられぬことでございます。私《わたくし》にはそれが何《なに》よりつらく、今更《いまさら》何《なん》の取得《とりえ》もなき、昔《むかし》の身上《みのうえ》などを露《つゆ》ほども物語《ものがた》りたくはございませぬ。こちらの世界《せかい》へ引移《ひきうつ》ってからの私《わたくし》どもの第《だい》一の修行《しゅぎょう》は、成《な》るべく早《はや》く醜《みにく》い地上《ちじょう》の執着《しゅうちゃく》から離《はな》れ、成《な》るべく速《すみや》かに役《やく》にも立《た》たぬ現世《げんせ》の記憶《きおく》から遠《とお》ざかることでございます。私《わたくし》どもはこれでもいろいろと工夫《くふう》の結果《けっか》、やっとそれができて参《まい》ったのでございます。で、私《わたくし》どもに向《むか》って身上噺《みのうえばなし》をせいと仰《お》ッしゃるのは、言《い》わば辛《かろ》うじて治《なお》りかけた心《こころ》の古疵《ふるきず》を再《ふたた》び抉《えぐ》り出《だ》すような、随分《ずいぶん》惨《むご》たらしい仕打《しうち》なのでございます。幽明《ゆうめい》の交通《こうつう》を試《こころ》みらるる人達《ひとたち》は常《つね》にこの事《こと》を念頭《ねんとう》に置《お》いて戴《いただ》きとう存《ぞん》じます。そんな訳《わけ》で、私《わたくし》の通信《つうしん》は、主《おも》に私《わたくし》がこちらの世界《せかい》へ引移《ひきうつ》ってからの経験《けいけん》……つまり幽界《ゆうかい》の生活《せいかつ》、修行《しゅぎょう》、見聞《けんぶん》、感想《かんそう》と言《い》ったような事柄《ことがら》に力《ちから》を入《い》れて見《み》たいのでございます。又《また》それがこの道《みち》にたずさわる方々《かたがた》の私《わたくし》に期待《きたい》されるところかと存《ぞん》じます。むろん精神《せいしん》を統一《とういつ》して凝乎《じっ》と深《ふか》く考《かんが》え込《こ》めば、どんな昔《むかし》の事柄《ことがら》でもはっきり想《おも》い出《だ》すことができないではありませぬ。しかもその当時《とうじ》の光景《こうけい》までがそっくりそのまま形態《かたち》を造《つく》ってありありと眼《め》の前《まえ》に浮《うか》び出《で》てまいります。つまり私《わたくし》どもの境涯《きょうがい》には殆《ほと》んど過去《かこ》、現在《げんざい》、未来《みらい》の差別《さべつ》はないのでございまして。……でも無理《むり》にそんな真似《まね》をして、足利時代《あしかがじだい》の絵巻物《えまきもの》をくりひろげてお目《め》にかけて見《み》たところで、大《たい》した価値《ねうち》はございますまい。現在《げんざい》の私《わたくし》としては到底《とうてい》そんな気分《きぶん》にはなりかねるのでございます。
と申《もう》しまして、私《わたくし》が今《いま》いきなり死《し》んでからの物語《ものがたり》を始《はじ》めたのでは、何《なに》やらあまり唐突《とうとつ》……現世《このよ》と来世《あのよ》との連絡《つながり》が少《すこ》しも判《わか》らないので、取《と》りつくしまがないように思《おも》われる方《かた》があろうかと感《かん》ぜられますので、甚《はなは》だ不本意《ふほんい》ながら、私《わたくし》の現世《げんせ》の経歴《けいれき》のホンの荒筋丈《あらすじだけ》をかいつまんで申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。乗《の》りかけた船《ふね》とやら、これも現世《げんせ》と通信《つうしん》を試《こころ》みる者《もの》の免《まぬが》れ難《がた》き運命《うんめい》――業《ごう》かも知《し》れませぬ……。
私《わたくし》は――実《じつ》は相州《そうしゅう》荒井《あらい》の城主《じょうしゅ》三浦道寸《みうらどうすん》の息《そく》、荒次郎《あらじろう》義光《よしみつ》と申《もう》す者《もの》の妻《つま》だったものにございます。現世《げんせ》の呼名《よびな》は小櫻姫《こざくらひめ》――時代《じだい》は足利時代《あしかがじだい》の末期《まっき》――今《いま》から約《やく》四百余年《よねん》の昔《むかし》でございます。もちろんこちらの世界《せかい》には昼夜《ちゅうや》の区別《くべつ》も、歳月《つきひ》のけじめもありませぬから、私《わたくし》はただ神《かみ》さまから伺《うかが》って、成《な》るほどそうかと思《おも》う丈《だけ》のことに過《す》ぎませぬ。四百年《ねん》といえば現世《げんせ》では相当《そうとう》長《なが》い星霜《つきひ》でございますが、不思議《ふしぎ》なものでこちらではさほどにも感《かん》じませぬ。多分《たぶん》それは凝乎《じっ》と精神《こころ》を鎮《しず》めて、無我《むが》の状態《じょうたい》をつづけて居《お》る期間《あいだ》が多《おお》い故《せい》でございましょう。
私《わたくし》の生家《さと》でございますか――生家《さと》は鎌倉《かまくら》にありました。父《ちち》の名《な》は大江廣信《おおえひろのぶ》――代々《だいだい》鎌倉《かまくら》の幕府《ばくふ》に仕《つか》へた家柄《いえがら》で、父《ちち》も矢張《やは》りそこにつとめて居《お》りました。母《はは》の名《な》は袈裟代《けさよ》、これは加納家《かのうけ》から嫁《とつ》いでまいりました。両親《りょうしん》の間《あいだ》には男《おとこ》の児《こ》はなく、たった一粒種《ひとつぶだね》の女《おんな》の児《こ》があったのみで、それが私《わたくし》なのでございます。従《したが》って私《わたくし》は小供《こども》の時《とき》から随分《ずいぶん》大切《たいせつ》に育《そだ》てられました。別《べつ》に美《うつく》しい程《ほど》でもありませぬが、体躯《からだ》は先《ま》ず大柄《おおがら》な方《ほう》で、それに至《いた》って健康《たっしゃ》でございましたから、私《わたくし》の処女時代《むすめじだい》は、全《まった》く苦労《くろう》知《し》らずの、丁度《ちょうど》春《はる》の小禽《ことり》そのまま、楽《たの》しいのんびりした空気《くうき》に浸《ひた》っていたのでございます。私《わたくし》の幼《おさな》い時分《じぶん》には祖父《ぢぢ》も祖母《ばば》もまだ存命《ぞんめい》で、それはそれは眼《め》にも入《い》れたいほど私《わたくし》を寵愛《ちょうあい》してくれました。好《よ》い日和《ひより》の折《おり》などには私《わたくし》はよく二三の腰元《こしもと》どもに傅《かしずか》れて、長谷《はせ》の大仏《だいぶつ》、江《え》の島《しま》の弁天《べんてん》などにお詣《まい》りしたものでございます。寄《よ》せてはかえす七里《り》ヶ浜《はま》の浪打際《なみうちぎわ》の貝拾《かいひろ》いも私《わたくし》の何《なに》より好《す》きな遊《あそ》びの一《ひと》つでございました。その時分《じぶん》の鎌倉《かまくら》は武家《ぶけ》の住居《やしき》の建《た》ち並《なら》んだ、物静《ものしず》かな、そして何《なに》やら無骨《ぶこつ》な市街《まち》で、商家《しょうか》と言《い》っても、品物《しなもの》は皆《みな》奥深《おくふか》く仕舞《しま》い込《こ》んでありました。そうそう私《わたくし》はツイ近頃《ちかごろ》不図《ふと》した機会《おり》に、こちらの世界《せかい》から一度《ど》鎌倉《かまくら》を覗《のぞ》いて見《み》ましたが、赤瓦《あかがわら》や青瓦《あほがわら》で葺《ふ》いた小《ちい》さな家屋《かおく》のぎっしり建《た》て込《こ》んだ、あのけばけばしさには、つくづく呆《あき》れて了《しま》いました。
『あれが私《わたくし》の生《うま》れた同《おな》じ鎌倉《かまくら》かしら……。』私《わたくし》はひとりそうつぶやいたような次第《しだい》で……。
その頃《ころ》の生活《せいかつ》状態《じょうたい》をもっと詳《くわ》しく物語《ものがた》れと仰《お》っしゃいますか――致方《いたしかた》がございませぬ、お喋《しゃべ》りの[#「お喋りの」は底本では「お諜りの」]序《つい》でに、少《すこ》しばかり想《おも》い出《だ》して見《み》ることにいたしましょう。もちろん、順序《じゅんじょ》などは少《すこ》しも立《た》って居《お》りませぬから何卒《どうぞ》そのおつもりで……。
二、その頃の生活
先《ま》ずその頃《ころ》の私達《わたくしたち》の受《う》けた教育《しつけ》につきて申上《もうしあ》げてみましょうか――時代《じだい》が時代《じだい》ゆえ、教育《しつけ》はもう至《いた》って簡単《かんたん》なもので、学問《がくもん》は読書《よみかき》、習字《てならい》、又《また》歌道《かどう》一《ひ》と通《とお》り、すべて家庭《かてい》で修《おさ》めました。武芸《ぶげい》は主《おも》に薙刀《なぎなた》の稽古《けいこ》、母《はは》がよく薙刀《なぎなた》を使《つか》いましたので、私《わたくし》も小供《こども》の時分《じぶん》からそれを仕込《しこ》まれました。その頃《ころ》は女《おんな》でも武芸《ぶげい》一《ひ》と通《とお》りは稽古《けいこ》したものでございます。処女時代《むすめじだい》に受《う》けた私《わたくし》の教育《しつけ》というのは大体《だいたい》そんなもので、馬術《ばじゅつ》は後《のち》に三浦家《みうらけ》へ嫁入《よめい》りしてから習《なら》いました。最初《さいしょ》私《わたくし》は馬《うま》に乗《の》るのが厭《いや》でございましたが、良人《おっと》から『女子《じょし》でもそれ位《くらい》の事《こと》は要《い》る』と言《い》われ、それから教《おし》えてもらいました。実地《じっち》に行《や》って見《み》ると馬《うま》は至《いた》って穏和《おとな》しいもので、私《わたくし》は大《たい》へん乗馬《じょうば》が好《す》きになりました。乗馬袴《じょうばはかま》を穿《は》いて、すっかり服装《ふくそう》がかわり、白鉢巻《しろはちまき》をするのです。主《おも》に城内《じょうない》の馬場《ばば》で稽古《けいこ》したのですが、後《のち》には乗馬《じょうば》で鎌倉《かまくら》へ実家帰《さとがえ》りをしたこともございます。従者《じゅうしゃ》も男子《だんし》のみでは困《こま》りますので、一人《ひとり》の腰元《こしもと》にも乗馬《じょうば》の稽古《けいこ》を致《いた》させました。その頃《ころ》ちょっと外出《がいしゅつ》するにも、少《すくな》くとも四五人《にん》の従者《とも》は必《かな》らずついたもので……。
今度《こんど》はその時分《じぶん》の物見遊山《ものみゆさん》のお話《はなし》なりといたしましょうか。物見遊山《ものみゆさん》と申《もう》してもそれは至《いた》って単純《たんじゅん》なもので、普通《ふつう》はお花見《はなみ》、汐干狩《しおひがり》、神社仏閣詣《じんじゃぶっかくもう》で……そんな事《こと》は只今《ただいま》と大《たい》した相違《そうい》もないでしょうが、ただ当時《とうじ》の男子《だんし》にとりて何《なに》よりの娯楽《たのしみ》は猪狩《ししが》り兎狩《うさぎが》り等《など》の遊《あそ》びでございました。何《いず》れも手《て》に手《て》に弓矢《ゆみや》を携《たずさ》え、馬《うま》に跨《またが》って、大《たい》へんな騒《さわ》ぎで出掛《でか》けたものでございます。父《ちち》は武人《ぶじん》ではないのですが、それでも山狩《やまが》りが何《なに》よりの道楽《どうらく》なのでした。まして筋骨《きんこつ》の逞《たく》ましい、武家育《ぶけそだ》ちの私《わたくし》の良人《おっと》などは、三度《ど》の食事《しょくじ》を一度《ど》にしてもよい位《くらい》の熱心《ねっしん》さでございました。『明日《あす》は大楠山《おおくすやま》の巻狩《まきが》りじゃ』などと布達《おふれ》が出《で》ると、乗馬《じょうば》の手入《てい》れ、兵糧《へいろう》の準備《したく》、狩子《かりこ》の勢揃《せいぞろ》い、まるで戦争《いくさ》のような大騒《おおさわ》ぎでございました。
そうそう風流《ふうりゅう》な、優《や》さしい遊《あそ》びも少《すこ》しはありました。それは主《しゅ》として能狂言《のうきょうげん》、猿楽《さるがく》などで、家来達《けらいたち》の中《なか》にそれぞれその道《みち》の巧者《こうしゃ》なのが居《お》りまして、私達《わたくしたち》も時々《ときどき》見物《けんぶつ》したものでございます。けれども自分《じぶん》でそれをやった覚《おぼ》えはございませぬ。京《きょう》とは異《ちが》って東国《とうごく》は大体《だいたい》武張《ぶば》った遊《あそ》び事《ごと》が流行《はや》ったものでございますから……。
衣服《いふく》調度類《ちょうどるい》でございますか――鎌倉《かまくら》にもそうした品物《しなもの》を売《う》り捌《さば》く商人《あきうど》の店《みせ》があるにはありましたが、さきほども申《もう》した通《とお》り、別《べつ》に人目《ひとめ》を引《ひ》くように、品物《しなもの》を店頭《てんとう》に陳列《ちんれつ》するような事《こと》はあまりないようでございました。呉服物《ごふくもの》なども、良《よ》い品物《しなもの》は皆《みな》特別《とくべつ》に織《お》らせたもので、機織《はたおり》がなかなか盛《さか》んでございました。尤《もっと》もごく高価《こうか》の品《しな》は鎌倉《かまくら》では間《ま》に合《あ》わず、矢張《やは》りはるばる京《きょう》に誂《あつら》えたように記憶《きおく》して居《お》ります。
それから食物《しょくもつ》……これは只今《ただいま》の世《よ》の中《なか》よりずっと簡単《かんたん》なように見受《みう》けられます。こちらの世界《せかい》へ来《き》てからの私達《わたくしたち》は全然《ぜんぜん》飲食《いんしょく》をいたしませぬので、従《したが》ってこまかいことは判《わか》りませぬが、ただ私《わたくし》の守護《しゅご》しているこの女《おんな》(T夫人《ふじん》)の平生《へいせい》の様子《ようす》から考《かんが》えて見《み》ますと、今《いま》の世《よ》の調理法《ちょうりほう》が大《たい》へん手数《てすう》のかかるものであることはうすうす想像《そうぞう》されるのでございます。あの大《たい》そう甘《あま》い、白《しろ》い粉《こな》……砂糖《さとう》とやら申《もう》すものは、もちろん私達《わたくしたち》の時代《じだい》にはなかったもので、その頃《ころ》のお菓子《かし》というのは、主《おも》に米《こめ》の粉《こな》を固《かた》めた打菓子《うちがし》でございました。それでも薄《う》っすりと舌《した》に甘《あま》く感《かん》じたように覚《おぼ》えて居《お》ります。又《また》物《もの》の調味《ちょうみ》には、あの甘草《かんぞう》という薬草《やくそう》の粉末《こな》を少《すこ》し加《くわ》えましたが、ただそれは上流《うえ》の人達《ひとたち》の調理《ちょうり》に限《かぎ》られ、一般《ぱん》に使用《しよう》するものではなかったように記憶《きおく》して居《お》ります。むろん酒《さけ》もございました……濁《にご》っては居《お》りませぬが、しかしそう透明《すきとお》ったものでもなかったように覚《おぼ》えて居《お》ります。それから飲料《いんりょう》としては桜《さくら》の花漬《はなづけ》、それを湯呑《ゆの》みに入《い》れて白湯《さゆ》をさして客《きゃく》などにすすめました。
斯《こ》う言《い》ったお話《はなし》は、あまりつまらな過《す》ぎますので、何卒《どうぞ》これ位《くらい》で切《き》り上《あ》げさせて戴《いただ》きましょう。私《わたくし》のようなあの世《よ》の住人《じゅうにん》が食物《しょくもつ》や衣類《いるい》などにつきて遠《とお》い遠《とお》い昔《むかし》の思《おも》い出《で》語《がた》りをいたすのは何《なに》やらお門違《かどちが》いをしているようで、何分《なにぶん》にも興味《きょうみ》が乗《の》らないで困《こま》ってしまいます……。
三、輿入れ
やがて私《わたくし》の娘時代《むすめじだい》にも終《おわ》りを告《つ》ぐべき時節《じせつ》がまいりました。女《おんな》の一生《しょう》の大事《だいじ》はいうまでもなく結婚《けっこん》でございまして、それが幸不幸《こうふこう》、運不運《うんふうん》の大《おお》きな岐路《わかれみち》となるのでございますが、私《わたくし》とてもその型《かた》から外《はず》れる訳《わけ》にはまいりませんでした。私《わたくし》の三浦《みうら》へ嫁《とつ》ぎましたのは丁度《ちょうど》二十歳《はたち》の春《はる》で山桜《やまざくら》が真盛《まっさか》りの時分《じぶん》でございました。それから荒井城内《あらいじょうない》の十幾年《いくねん》の武家生活《ぶけせいかつ》……随分《ずいぶん》楽《たの》しかった思《おも》い出《で》の種子《たね》もないではございませぬが、何《なに》を申《もう》してもその頃《ころ》は殺伐《さつばつ》な空気《くうき》の漲《みなぎ》った戦国時代《せんごくじだい》、北條某《ほうじょうなにがし》とやら申《もう》す老獪《ずる》い成上《なりあが》り者《もの》から戦闘《たたかい》を挑《いど》まれ、幾度《いくたび》かのはげしい合戦《かっせん》の挙句《あげく》の果《はて》が、あの三年《ねん》越《ご》しの長《なが》の籠城《ろうじょう》、とうとう武運《ぶうん》拙《つたな》く三浦《みうら》の一族《ぞく》は、良人《おっと》をはじめとして殆《ほと》んど全部《ぜんぶ》城《しろ》を枕《まくら》に打死《うちじに》して了《しま》いました。その時分《じぶん》の不安《ふあん》、焦燥《しょうそう》、無念《むねん》、痛心《つうしん》……今《いま》でこそすっかり精神《こころ》の平静《へいせい》を取《と》り戻《もど》し、別《べつ》にくやしいとも、悲《かな》しいとも思《おも》わなくなりましたが、当時《とうじ》の私《わたくし》どもの胸《むね》には正《まさ》に修羅《しゅら》の業火《ごうか》が炎々《えんえん》と燃《も》えて居《お》りました。恥《はず》かしながら私《わたくし》は一時《じ》は神様《かみさま》も怨《うら》みました……人《ひと》を呪《のろ》いもいたしました……何卒《どうぞ》その頃《ころ》の物語《ものがた》り丈《だけ》は差控《さしひか》えさせて戴《いただ》きます……。
大江家《おおえけ》の一人娘《ひとりむすめ》が何故《なぜ》他家《よそ》へ嫁《とつ》いだか、と仰《おお》せでございますか……あなたの誘《さそ》い出《だ》しのお上手《じょうず》なのにはほんとうに困《こま》って了《しま》います……。ではホンの話《はなし》の筋道《すじみち》だけつけて了《しま》うことに致《いた》しましょう。現世《げんせ》の人間《にんげん》としては矢張《やは》り現世《げんせ》の話《はなし》に興味《きょうみ》を有《も》たるるか存《ぞん》じませぬが、私《わたくし》どもの境涯《きょうがい》からは、そう言《い》った地上《ちじょう》の事柄《ことがら》はもう別《べつ》に面白《おもしろ》くも、おかしくも何《なん》ともないのでございます……。
私《わたくし》が三浦家《みうらけ》への嫁入《よめい》りにつきましては別《べつ》に深《ふか》い仔細《しさい》はございませぬ。良人《おっと》は私《わたくし》の父《ちち》が見込《みこ》んだのでございます。『たのもしい人物《じんぶつ》じゃ。あれより外《ほか》にそちが良人《おっと》と冊《かしづ》くべきものはない……』ただそれっきりの事柄《ことがら》で、私《わたくし》はおとなしく父《ちち》の仰《おお》せに服従《ふくじゅう》したまででございます。現代《いまのよ》の人達《ひとたち》から頭脳《あたま》が古《ふる》いと思《おも》われるか存《ぞん》じませぬが、古《ふる》いにも、新《あた》らしいにも、それがその時代《じだい》の女《おんな》の道《みち》だったのでございます。そして父《ちち》のつもりでは、私達《わたくしたち》夫婦《ふうふ》の間《あいだ》に男児《だんし》が生《うま》れたら、その一人《ひとり》を大江家《おおえけ》の相続者《そうぞくしゃ》に貰《もら》い受《う》ける下心《したごころ》だったらしいのでございます。
見合《みあ》いでございますか……それは矢張《やは》り見合《みあ》いもいたしました。良人《おっと》の方《ほう》から実家《さと》へ訪《たず》ねてまいったように記憶《きおく》して居《お》ります。今《いま》も昔《むか》も同《おな》じこと、私《わたくし》は両親《りょうしん》から召《よ》ばれて挨拶《あいさつ》に出《で》たのでございます。その頃《ころ》良人《おっと》はまだ若《わこ》うございました。たしか二十五歳《さい》、横縦《よこたて》揃《そろ》った、筋骨《きんこつ》の逞《たくま》ましい大柄《おおがら》の男子《おとこ》で、色《いろ》は余《あま》り白《しろ》い方《ほう》ではありません。目鼻立《めはなだち》尋常《じんじょう》、髭《ひげ》はなく、どちらかといえば面長《おもなが》で、眼尻《めじり》の釣《つ》った、きりっとした容貌《かおだち》の人《ひと》でした。ナニ歴史《れきし》に八十人力《にんりき》の荒武者《あらむしゃ》と記《しる》してある……ホホホホ良人《おっと》はそんな怪物《ばけもの》ではございません。弓馬《きゅうば》の道《みち》に身《み》を入《い》れる、武張《ぶば》った人《ひと》ではございましたが、八十人力《にんりき》などというのは嘘《うそ》でございます。気立《きだ》ても存外《ぞんがい》優《や》さしかった人《ひと》で……。
見合《みあい》の時《とき》の良人《おっと》の服装《ふくそう》でございますか――服装《ふくそう》はたしか狩衣《かりぎぬ》に袴《はかま》を穿《は》いて、お定《さだ》まりの大小《だいしょう》二腰《ふたこし》、そして手《て》には中啓《ちゅうけい》を持《も》って居《お》りました……。
婚礼《こんれい》の式《しき》のことは、それは何卒《どうぞ》おきき下《くだ》さらないで……格別《かくべつ》変《かわ》ったこともございません。調度類《ちょうどるい》は前以《まえもっ》て先方《せんぽう》へ送《おく》り届《とど》けて置《お》いて、後《あと》から駕籠《かご》にのせられて、大《おお》きな行列《ぎょうれつ》を作《つく》って乗《の》り込《こ》んだまでの話《はなし》で……式《しき》はもちろん夜分《やぶん》に挙《あ》げたのでございます。すべては皆《みな》夢《ゆめ》のようで、今更《いまさら》その当時《とうじ》を想《おも》い出《だ》して見《み》たところで何《なん》の興味《きょうみ》も起《おこ》りません。こちらの世界《せかい》へ引越《ひきこ》して了《しま》へば、めいめい向《む》きが異《ちが》って、ただ自分《じぶん》の歩《あゆ》むべき途《みち》を一心《しん》不乱《ふらん》に歩《あゆ》む丈《だけ》、従《したが》って親子《おやこ》も、兄弟《きょうだい》も、夫婦《ふうふ》も、こちらではめったにつきあいをしているものではございません。あなた方《がた》もいずれはこちらの世界《せかい》へ引移《ひきうつ》って来《こ》られるでしょうが、その時《とき》になれば私《わたくし》どもの現在《げんざい》の心持《こころもち》がだんだんお判《わか》りになります。『そんな時代《じだい》もあったかナ……』遠《とお》い遠《とお》い現世《げんせ》の出来事《できごと》などは、ただ一片《ぺん》の幻影《げんえい》と化《か》して了《しま》います。現世《げんせ》の話《はなし》は大概《たいがい》これで宜《よろ》しいでしょう。早《はや》くこちらの世界《せかい》の物語《ものがたり》に移《うつ》りたいと思《おも》いますが……。
ナニ私《わたくし》が死《し》ぬる前後《ぜんご》の事情《じじょう》を物語《ものがた》れと仰《お》っしゃるか……。それではごく手短《てみじ》かにそれだけ申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。今度《こんど》こそ、いよいよそれっきりでおしまいでございます……。
四、落城から死
足掛《あしかけ》三年《ねん》に跨《またが》る籠城《ろうじょう》……月《つき》に幾度《いくど》となく繰《く》り返《かえ》される夜打《ようち》、朝駆《あさがけ》、矢合《やあ》わせ、切《き》り合《あ》い……どっと起《おこ》る喊《とき》の声《こえ》、空《そら》を焦《こが》す狼火《のろし》……そして最後《さいご》に武運《ぶうん》いよいよ尽《つ》きてのあの落城《らくじょう》……四百年後《ねんご》の今日《こんにち》思《おも》い出《だ》してみる丈《だけ》でも気《き》が滅入《めい》るように感《かん》じます。
戦闘《たたかい》が始《はじ》まってから、女子供《おんなこども》はむろん皆《みな》城内《じょうない》から出《だ》されて居《お》りました。私《わたくし》の隠《かく》れていた所《ところ》は油壺《あぶらつぼ》の狭《せま》い入江《いりえ》を隔《へだ》てた南岸《なんがん》の森《もり》の蔭《かげ》、そこにホンの形《かた》ばかりの仮家《かりや》を建《た》てて、一族《ぞく》の安否《あんぴ》を気《き》づかいながら侘《わび》ずまいをして居《お》りました。只今《ただいま》私《わたくし》が祀《まつ》られているあの小桜神社《こざくらじんじゃ》の所在地《しょざいち》――少《すこ》し地形《ちけい》は異《ちが》いましたが、大体《だいたい》あの辺《あたり》だったのでございます。私《わたくし》はそこで対岸《たいがん》のお城《しろ》に最後《さいご》の火《ひ》の手《て》の挙《あが》るのを眺《なが》めたのでございます。
『お城《しろ》もとうとう落《お》ちてしまった……最早《もはや》良人《おっと》もこの世《よ》の人《ひと》ではない……憎《にく》ッくき敵《てき》……女《おんな》ながらもこの怨《うら》みは……。』
その時《とき》の一念《ねん》は深《ふか》く深《ふか》く私《わたくし》の胸《むね》に喰《く》い込《こ》んで、現世《げんせ》に生《い》きている時《とき》はもとよりのこと、死《し》んでから後《のち》も容易《ようい》に私《わたくし》の魂《たましい》から離《はな》れなかったのでございます。私《わたくし》がどうやらその後《ご》人並《ひとなみ》みの修行《しゅぎょう》ができて神心《かみごころ》が湧《わ》いてまいりましたのは、偏《ひとえ》に神様《かみさま》のおさとしと、それから私《わたくし》の為《た》めに和《なご》やかな思念《おもい》を送《おく》ってくだされた、親《した》しい人達《ひとたち》の祈願《きがん》の賜《たまもの》なので[#「賜なので」は底本では「賜なのて」]ございます。さもなければ私《わたくし》などはまだなかなか済《すく》われる女性《じょせい》ではなかったかも知《し》れませぬ……。
兎《と》にも角《かく》にも、落城後《らくじょうご》の私《わたくし》は女《おんな》ながらも再挙《さいきょ》を図《はか》るつもりで、僅《わずか》ばかりの忠義《ちゅうぎ》な従者《じゅしゃ》に護《まも》られて、あちこちに身《み》を潜《ひそ》めて居《お》りました。領地内《りょうちない》の人民《じんみん》も大《たい》へん私《わたくし》に対《たい》して親切《しんせつ》にかばってくれました。――が、何《なに》を申《もう》しましても女《おんな》の細腕《ほそうで》、力《ちから》と頼《たの》む一族《ぞく》郎党《ろうとう》の数《かず》もよくよく残《のこ》り少《すく》なになって了《しま》ったのを見《み》ましては、再挙《さいきょ》の計劃《けいかく》の到底《とうてい》無益《むやく》であることが次第次第《しだいしだい》に判《わか》ってまいりました。積《つ》もる苦労《くろう》、重《かさ》なる失望《しつぼう》、ひしひしと骨身《ほねみ》にしみる寂《さび》しさ……私《わたくし》の躯《からだ》はだんだん衰弱《すいじゃく》してまいりました。
幾月《いくつき》かを過《すご》す中《うち》に、敵《てき》の監視《みはり》もだんだん薄《うす》らぎましたので、私《わたくし》は三崎《みさき》の港《みなと》から遠《とお》くもない、諸磯《もろいそ》と申《もう》す漁村《ぎょそん》の方《ほう》に出《で》てまいりましたが、モーその頃《ころ》の私《わたくし》には世《よ》の中《なか》が何《なに》やら味気《あじけ》なく感《かん》じられて仕《し》ょうがないのでした。
実家《さと》の両親《りょうしん》は大《たい》へんに私《わたくし》の身《み》の上《うえ》を案《あん》じてくれまして、しのびやかに私《わたくし》の仮宅《かりずまい》を訪《おとず》れ、鎌倉《かまくら》へ帰《かえ》れとすすめてくださるのでした。『良人《おっと》もなければ、家《いえ》もなく、又《また》跡《あと》をつぐべき子供《こども》とてもない、よくよくの独《ひと》り身《み》、兎《と》も角《かく》も鎌倉《かまくら》へ戻《もど》って、心静《こころしず》かに余生《よせい》を送《おく》るのがよいと思《おも》うが……。』いろいろ言葉《ことば》を尽《つく》してすすめられたのでありますが、私《わたくし》としては今更《いまさら》親元《おやもと》へもどる気持《きも》ちにはドーあってもなれないのでした。私《わたくし》はきっぱりと断《ことわ》りました。――
『思召《おぼしめし》はまことに有難《ありがと》うございまするが、一たん三浦家《みうらけ》へ嫁《とつ》ぎました身《み》であれば、再《ふたた》びこの地《ち》を離《はな》れたくは思《おも》いませぬ。私《わたくし》はどこまでも三崎《みさき》に留《とど》まり、亡《な》き良人《おっと》をはじめ、一族《ぞく》の後《あと》を弔《とむら》いたいのでございます……。』
私《わたくし》の決心《けっしん》の飽《あく》まで固《かた》いのを見《み》て、両親《りょうしん》も無下《むげ》に帰家《きか》をすすめることもできず、そのまま空《むな》しく引取《ひきと》って了《しま》われました。そして間《ま》もなく、私《わたくし》の住宅《すまい》として、海《うみ》から二三丁《ちょう》引込《ひっこ》んだ、小高《こだか》い丘《おか》に、土塀《どべい》をめぐらした、ささやかな隠宅《いんたく》を建《た》ててくださいました。私《わたくし》はそこで忠実《ちゅうじつ》な家来《けらい》や腰元《こしもと》を相手《あいて》に余生《よせい》を送《おく》り、そしてそこでさびしくこの世《よ》の気息《いき》を引《ひ》き取《と》ったのでございます。
落城後《らくじょうご》それが何年《なんねん》になるかと仰《お》ッしゃるか――それは漸《ようや》く一年余《ねんあま》り私《わたくし》が三十四歳《さい》の時《とき》でございました。まことに短命《たんめい》な、つまらない一生涯《しょうがい》でありました。
でも、今《いま》から考《かんが》えれば、私《わたくし》にはこれでも生前《せいぜん》から幾《いく》らか霊覚《れいかく》のようなものが恵《めぐ》まれていたらしいのでございます。落城後《らくじょうご》間《ま》もなく、城跡《しろあと》の一部《ぶ》に三浦《みうら》一族《ぞく》の墓《はか》が築《きず》かれましたので、私《わたくし》は自分《じぶん》の住居《じゅうきょ》からちょいちょい墓参《ぼさん》をいたしましたが、墓《はか》の前《まえ》で眼《め》を瞑《つむ》って拝《おが》んで居《お》りますと、良人《おっと》の姿《すがた》がいつもありありと眼《め》に現《あら》われるのでございます。当時《とうじ》の私《わたくし》は別《べつ》に深《ふか》くは考《かんが》えず、墓《はか》に詣《まい》れば誰《だれ》にも見《み》えるものであろう位《くらい》に思《おも》っていました。私《わたくし》が三浦《みうら》の土地《とち》を離《はな》れる気《き》がしなかったのも、つまりはこの事《こと》があった為《た》めでございました。当時《とうじ》の私《わたくし》に取《と》りましては、死《し》んだ良人《おっと》に逢《あ》うのがこの世《よ》に於《お》ける、殆《ほと》んど唯一《ゆいいつ》の慰安《いあん》、殆《ほと》んど唯一《ゆいいつ》の希望《きぼう》だったのでございます。『何《なん》としても爰《ここ》から離《はな》れたくない……』私《わたくし》は一図《ず》にそう思《おも》い込《こ》んで居《お》りました。私《わたくし》は別《べつ》に婦道《ふどう》が何《ど》うの、義理《ぎり》が斯《こ》うのと言《い》って、六ヶ《むずか》しい理窟《りくつ》から割《わ》り出《だ》して、三浦《みうら》に踏《ふ》みとどまった訳《わけ》でも何《なん》でもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでの話《はなし》に過《す》ぎなかったのでございます。
でも、私《わたくし》が死《し》ぬるまで三浦家《みうらけ》の墳墓《ふんぼ》の地《ち》を離《はな》れなかったという事《こと》は、その領地《りょうち》の人民《じんみん》の心《こころ》によほど深《ふか》い感動《かんどう》を与《あた》えたようでございました。『小櫻姫《こざくらひめ》は貞女《ていじょ》の亀鑑《かがみ》である』などと、申《もう》しまして、私《わたくし》の死後《しご》に祠堂《やしろ》を立《た》て神《かみ》に祀《まつ》ってくれました。それが現今《いま》も残《のこ》っている、あの小桜神社《こざくらじんじゃ》でございます。でも右《みぎ》申上《もうしあ》げたとおり、私《わたくし》は別《べつ》に貞女《ていじょ》の亀鑑《かがみ》でも何《なん》でもございませぬ。私《わたくし》はただどこまでも自分《じぶん》の勝手《かって》を通《とう》した、一本気《ぽんぎ》の女性《じょせい》だったに過《す》ぎないのでございます。
五、臨終
気《き》のすすまぬ現世時代《げんせじだい》の話《はなし》も一《ひ》と通《とお》り片《かた》づいて、私《わたくし》は何《なに》やら身《み》が軽《かる》くなったように感《かん》じます。そちらから御覧《ごらん》になったら私達《わたくしたち》の住《す》む世界《せかい》は甚《はなは》だたよりのないように見《み》えるかも知《し》れませぬが、こちらから現世《げんせ》を振《ふ》りかえると、それは暗《くら》い、せせこましい、空虚《うつろ》な世界《せかい》――何《ど》う思《おも》い直《なお》して見《み》ても、今更《いまさら》それを物語《ものがた》ろうという気分《きぶん》にはなり兼《か》ねます。とりわけ私《わたくし》の生涯《しょうがい》などは、どなたのよりも一層《そう》つまらない一生《しょう》だったのでございますから……。
え、まだ私《わたくし》の臨終《りんじゅう》の前後《ぜんご》の事情《じじょう》がはっきりしていないと仰《お》っしゃるか……そういえばホンにそうでございます。では致方《いたしかた》がございません、これから大急《おおいそ》ぎで、一《ひ》と通《とお》りそれを申上《もうしあ》げて了《しま》うことに致《いた》しましょう。
前《まえ》にも述《の》べたとおり、私《わたくし》の躯《からだ》はだんだん衰弱《すいじゃく》して来《き》たのでございます。床《とこ》についてもさっぱり安眠《あんみん》ができない……箸《はし》を執《と》っても一向《こう》食物《しょくもつ》が喉《のど》に通《とお》らない……心《こころ》の中《なか》はただむしゃくしゃ……、口惜《くや》しい、怨《うら》めしい、味気《あじき》ない、さびしい、なさけない……何《なに》が何《なに》やら自分《じぶん》にもけじめのない、さまざまの妄念《もうねん》妄想《もうそう》が、暴風雨《あらし》のように私《わたくし》の衰《おとろ》えた躰《からだ》の内《うち》をかけめぐって居《い》るのです。それにお恥《はず》かしいことには、持《も》って生《うま》れた負《ま》けずぎらいの気性《きしょう》、内実《ないじつ》は弱《よわ》いくせに、無理《むり》にも意地《いじ》を通《とう》そうとして居《い》るのでございますから、つまりは自分《じぶん》で自分《じぶん》の身《み》を削《けず》るようなもの、新《あた》しい住居《じゅうきょ》に移《うつ》ってから一年《ねん》とも経《た》たない中《うち》に、私《わたくし》はせめてもの心遣《こころや》りなる、あのお墓参《はかまい》りさえもできないまでに、よくよく憔悴《やみほう》けて[#「憔悴けて」は底本では「悴憔けて」]了《しま》いました。一《ひ》と口《くち》に申《もう》したらその時分《じぶん》の私《わたくし》は、消《き》えかかった青松葉《あおまつば》の火《ひ》が、プスプスと白《しろ》い煙《けむり》を立《たて》て燻《くすぶ》っているような塩梅《あんばい》だったのでございます。
私《わたくし》が重《おも》い枕《まくら》に就《つ》いて、起居《たちい》も不自由《ふじゆう》になったと聞《き》いた時《とき》に、第一《だいいち》に馳《は》せつけて、なにくれと介抱《かいほう》に手《て》をつくしてくれましたのは矢張《やは》り鎌倉《かまくら》の両親《りょうしん》でございました。『斯《こ》うかけ離《はな》れて住《す》んで居《い》ては、看護《みとり》に手《て》が届《とど》かんで困《こま》るのじゃが……。』めっきり小鬢《こびん》に白《しろ》いものが混《まじ》るようになった父《ちち》は、そんな事《こと》を申《もう》して何《なに》やら深《ふか》い思案《しあん》に暮《く》れるのでした。大方《おおかた》内心《ないしん》では私《わたくし》の事《こと》を今《いま》からでも鎌倉《かまくら》に連《つ》れ戻《もど》りたかったのでございましたろう。気性《きしょう》の勝《か》った母《はは》は、口《くち》に出《だ》しては別《べつ》に何《なん》とも申《もう》しませんでしたが、それでも女《おんな》は矢張《やは》り女《おんな》、小蔭《こかげ》へまわってそっと泪《なみだ》を拭《ぬぐ》いて長太息《といき》を漏《も》らしているのでございました。
『いつまでも老《お》いたる両親《りょうしん》に苦労《くろう》をかけて、自分《じぶん》は何《な》んという親不孝者《おやふこうもの》であろう。いっそのことすべてをあきらめて、おとなしく鎌倉《かまくら》へ戻《もど》って専心《せんしん》養生《ようじょう》につとめようかしら……。』そんな素直《すなお》な考《かんが》えも心《こころ》のどこかに囁《ささや》かないでもなかったのですが、次《つ》ぎの瞬間《しゅんかん》には例《れい》の負《ま》けぎらいが私《わたくし》の全身《ぜんしん》を包《つつ》んで了《しま》うのでした。『良人《おっと》は自分《じぶん》の眼《め》の前《まえ》で打死《うちじに》したではないか……憎《にく》いのはあの北條《ほうじょう》……縦令《たとえ》何事《なにごと》があろうとも、今更《いまさら》おめおめと親許《おやもと》などに……。』
鬼《おに》の心《こころ》になり切《き》った私《わたくし》は、両親《りょうしん》の好意《こうい》に背《そむ》き、同時《どうじ》に又《また》天《てん》をも人《ひと》をも怨《うら》みつづけて、生甲斐《いきがい》のない日子《ひにち》を算《かぞ》えていましたが、それもそう長《なが》いことではなく、いよいよ私《わたくし》にとりて地上《ちじょう》生活《せいかつ》の最後《さいご》の日《ひ》が到着《とうちゃく》いたしました。
現世《げんせ》の人達《ひとたち》から観《み》れば、死《し》というものは何《なに》やら薄気味《うすきみ》のわるい、何《なに》やら縁起《えんぎ》でもないものに思《おも》われるでございましょうが、私《わたくし》どもから観《み》れば、それは一疋《ぴき》の蛾《が》が繭《まゆ》を破《やぶ》って脱《ぬ》け出《で》るのにも類《るい》した、格別《かくべつ》不思議《ふしぎ》とも無気味《ぶきみ》とも思《おも》われない、自然《しぜん》の現象《すがた》に過《す》ぎませぬ。従《したが》って私《わたくし》としては割合《わりあい》に平気《へいき》な気持《きもち》で自分《じぶん》の臨終《りんじゅう》の模様《もよう》をお話《はな》しすることができるのでございます。
四百年《ねん》も以前《いぜん》のことで、大変《たいへん》記憶《きおく》は薄《うす》らぎましたが、ざっと私《わたくし》のその時《とき》の実感《じっかん》を述《の》べますると――何《なに》よりも先《ま》ず目立《めだ》って感《かん》じられるのは、気《き》がだんだん遠《とお》くなって行《ゆ》くことで、それは丁度《ちょうど》、あのうたた寝《ね》の気持《きもち》――正気《せいき》のあるような、又《また》無《な》いような、何《な》んとも言《い》えぬうつらうつらした気分《きぶん》なのでございます。傍《そば》からのぞけば、顔《かお》が痙攣《ひきつれ》たり、冷《つめ》たい脂汗《あぶらあせ》が滲《にじ》み出《で》たり、死《し》ぬる人《ひと》の姿《すがた》は決《けっ》して見《み》よいものではございませぬが、実際《じっさい》自分《じぶん》が死《し》んで見《み》ると、それは思《おも》いの外《ほか》に楽《らく》な仕事《しごと》でございます。痛《いた》いも、痒《かゆ》いも、口惜《くや》しいも、悲《かな》しいも、それは魂《たましい》がまだしっかりと躯《からだ》の内部《なか》に根《ね》を張《は》っている時《とき》のこと、臨終《りんじゅう》が近《ちか》づいて、魂《たましい》が肉《にく》のお宮《みや》を出《で》たり、入《はい》ったり、うろうろするようになりましては、それ等《ら》の一切《さい》はいつとはなしに、何所《どこ》かえ消《き》える、というよりか、寧《むし》ろ遠《とお》のいて了《しま》います。誰《だれ》かが枕辺《まくらべ》で泣《な》いたり、叫《さけ》んだりする時《とき》にはちょっと意識《いしき》が戻《もど》りかけますが、それとてホンの一瞬《しゅん》の間《あいだ》で、やがて何《なに》も彼《か》も少《すこ》しも判《わか》らない、深《ふか》い深《ふか》い無意識《むいしき》の雲霧《もや》の中《なか》へとくぐり込《こ》んで了《しま》うのです。私《わたくし》の場合《ばあい》には、この無意識《むいしき》の期間《きかん》が二三日《にち》つづいたと、後《あと》で神《かみ》さまから教《おし》えられましたが、どちらかといえば二三日《にち》というのは先《ま》ず短《みじか》い部類《ぶるい》で、中《なか》には幾年《いくねん》幾《いく》十年《ねん》と長《なが》い長《なが》い睡眠《ねむり》をつづけているものも稀《まれ》にはあるのでございます。長《なが》いにせよ、又《また》短《みじ》かいにせよ、兎《と》に角《かく》この無意識《むいしき》から眼《め》をさました時《とき》が、私《わたくし》たちの世界《せかい》の生活《せいかつ》の始《はじ》まりで、舞台《ぶたい》がすっかりかわるのでございます。
六、幽界の指導者
いよいよこれから、こちらの世界《せかい》のお話《はなし》になりますが、最初《さいしょ》はまだ半分《はんぶん》足《あし》を現世《げんせ》にかけているようなもので、矢張《やは》り娑婆《しゃば》臭《くさ》い、おきき苦《ぐる》しい事実《こと》ばかり申上《もうしあ》げることになりそうでございます。――ナニその方《ほう》が人間味《にんげんみ》があって却《かえ》って面白《おもしろ》いと仰《お》っしゃるか……。御冗談《ごじょうだん》でございましょう。話《はな》すものの身《み》になれば、こんな辛《つら》い、恥《はず》かしいことはないのです……。
これは後《あと》で神様《かみさま》からきかされた事《こと》でございますが、私《わたくし》は矢張《やは》り、自力《じりき》で自然《しぜん》に眼《め》を覚《さ》ましたというよりか、神《かみ》さまのお力《ちから》で眼《め》を覚《さ》まして戴《いただ》いたのだそうでございます。その神《かみ》さまというのは、大国主神様《おおくにぬしのかみさま》のお指図《さしず》を受《う》けて、新《あた》らしい帰幽者《きゆうしゃ》の世話《せわ》をして下《くだ》さる方《かた》なのでございます。これにつきては後《あと》で詳《くわ》しく申上《もうしあ》げますが、兎《と》に角《かく》新《あら》たに幽界《ゆうかい》に入《はい》ったもので、斯《こ》う言《い》った神《かみ》の神使《つかい》、西洋《せいよう》で申《もう》す天使《エンゼル》のお世話《せわ》に預《あず》からないものは一人《ひとり》もございませんので……。
幽界《ゆうかい》で眼《め》を覚《さ》ました瞬間《しゅんかん》の気分《きぶん》でございますか――それはうっとりと夢《ゆめ》でも見《み》ているような気持《きもち》、そのくせ、何《なに》やら心《こころ》の奥《おく》の方《ほう》で『自分《じぶん》の居《い》る世界《せかい》はモー異《ちが》っている……。』と言《い》った、微《かす》かな自覚《じかく》があるのです。四辺《あたり》は夕暮《ゆうぐれ》の色《いろ》につつまれた、いかにも森閑《しんかん》とした、丁度《ちょうど》山寺《やまでら》にでも臥《ね》て居《い》るような感《かん》じでございます。
そうする中《うち》に私《わたくし》の意識《いしき》は少《すこ》しづつ回復《かいふく》してまいりました。
『自分《じぶん》はとうとう死《し》んで了《しま》ったのか……。』
死《し》の自覚《じかく》が頭脳《あたま》の内部《なか》ではっきりすると同時《どうじ》に、私《わたくし》は次第《しだい》に激《はげ》しい昂奮《こうふん》の暴風雨《あらし》の中《なか》にまき込《こ》まれて行《ゆ》きました。私《わたくし》が先《ま》ず何《なに》よりつらく感《かん》じたのは、後《あと》に残《のこ》した、老《お》いたる両親《りょうしん》のことでした。散々《さんざん》苦労《くろう》ばかりかけて、何《な》んの報《むく》ゆるところもなく、若《わか》い身上《みそら》で、先立《さきだ》ってこちらへ引越《ひきこ》して了《しま》った親不孝《おやふこう》の罪《つみ》、こればかりは全《まった》く身《み》を切《き》られるような思《おも》いがするのでした。『済《す》みませぬ済《す》みませぬ、どうぞどうぞお許《ゆる》しくださいませ……』何回《なんかい》私《わたくし》はそれを繰《く》り返《かえ》して血《ち》の涙《なみだ》に咽《むせ》んだことでしょう!
そうする中《うち》にも私《わたくし》の心《こころ》は更《さら》に他《ほか》のさまざまの暗《くら》い考《かんが》えに掻《か》き乱《みだ》されました。『親《おや》にさえ背《そむ》いて折角《せっかく》三浦《みうら》の土地《とち》に踏《ふ》みとどまりながら、自分《じぶん》は遂《つい》に何《なん》の仕出《しで》かしたこともなかった! 何《な》んという腑甲斐《ふがい》なさ……何《な》んという不運《ふうん》の身《み》の上《うえ》……口惜《くや》しい……悲《かな》[#ルビの「かな」は底本では「かは」]しい……情《なさ》けない……。』何《なに》が何《なに》やら、頭脳《あたま》の中《なか》はただごちゃごちゃするのみでした。
そうかと思《おも》えば、次《つ》ぎの瞬間《しゅんかん》には、私《わたくし》はこれから先《さ》きの未知《みち》の世界《せかい》の心細《こころぼそ》さに慄《ふる》い戦《おのの》いているのでした。『誰人《だれ》も迎《むか》えに来《き》てくれるものはないのかしら……。』私《わたくし》はまるで真暗闇《まっくらやみ》の底無《そこな》しの井戸《いど》の内部《なか》へでも突《つ》き落《おと》されたように感《かん》ずるのでした。
ほとんど気《き》でも狂《くる》うかと思《おも》われました時《とき》に、ひょくりと私《わたくし》の枕辺《まくらべ》に一人《ひとり》の老人《ろうじん》が姿《すがた》を現《あらわ》しました。身《み》には平袖《ひらそで》の白衣《びゃくい》を着《き》て、帯《おび》を前《まえ》で結《むす》び、何《なに》やら絵《え》で見覚《みおぼ》えの天人《てんにん》らしい姿《すがた》、そして何《な》んともいえぬ威厳《いげん》と温情《おんじょう》との兼《か》ね具《そなわ》った、神々《こうごう》しい表情《ひょうじょう》で凝乎《じっ》と私《わたくし》を見《み》つめて居《お》られます。『一体《たい》これは何誰《どなた》かしら……』心《こころ》は千々《ちぢ》に乱《みだ》れながらも、私《わたくし》は多少《たしょう》の好奇心《こうきしん》を催《もよお》さずに居《お》られませんでした。
このお方《かた》こそ、前《さき》に私《わたくし》がちょっと申上《もうしあ》げた大国主神様《おおくにぬしのかみさま》からのお神使《つかい》なのでございます。私《わたくし》はこのお方《かた》の一《ひ》と方《かた》ならぬ導《みちび》きによりて、辛《から》くも心《こころ》の闇《やみ》から救《すく》い上《あ》げられ、尚《な》おその上《うえ》に天眼通《てんがんつう》その他《た》の能力《のうりょく》を仕込《しこ》まれて、ドーやらこちらの世界《せかい》で一人《ひとり》立《だ》ちができるようになったのでございます。これは前《まえ》にものべた通《とお》り、決《けっ》して私《わたくし》にのみ限《かぎ》ったことではなく、どなたでも皆《みな》神様《かみさま》のお世話《せわ》になるのでございますが、ただ身魂《みたま》の因縁《いんねん》とでも申《もう》しましょうか、めいめいの踏《ふ》むべき道筋《みちすじ》は異《ちが》います。私《わたくし》などは随分《ずいぶん》きびしい、険《けわ》しい道《みち》を踏《ふ》まねばならなかった一人《ひとり》で、苦労《くろう》も一《ひと》しお多《おお》かったかわりに、幾分《いくぶん》か他《よそ》の方《かた》より早《はや》く明《あか》るい世界《せかい》に抜《ぬ》け出《で》ることにもなりました。ここで念《ねん》の為《た》めに申上《もうしあ》げて置《お》きますが、私《わたくし》を指導《しどう》してくだすった神様《かみさま》は、お姿《すがた》は普通《ただ》の老人《としより》の姿《すがた》を執《と》って居《お》られますが、実《じつ》は人間《にんげん》ではございませぬ。つまり最初《さいしょ》から生《い》き通《どお》しの神《かみ》、あなた方《がた》の自然霊《しぜんれい》というものなのです。斯《こ》う言《い》った方《かた》のほうが、新《あた》らしい帰幽者《きゆうしゃ》を指導《しどう》するのに、まつわる何《なん》の情実《じょうじつ》もなくて、人霊《じんれい》よりもよほど具合《ぐあい》が宜《よろ》しいと申《もう》すことでございます。
七、祖父の訪れ
私《わたくし》がお神使《つかい》の神様《かみさま》から真先《まっさ》きに言《い》いきかされたお言葉《ことば》は、今《いま》ではあまりよく覚《おぼ》えても居《お》りませぬが、大体《だいたい》こんなような意味《いみ》のものでございました。――
『そなたはしきりに先刻《さっき》から現世《げんせ》の事《こと》を思《おも》い出《だ》して、悲嘆《ひたん》の涙《なみだ》にくれているが、何事《なにごと》がありても再《ふたた》び現世《げんせ》に戻《もど》ることだけは協《かな》わぬのじゃ。そんなことばかり考《かんが》えていると、良《よ》い境涯《ところ》へはとても進《すす》めぬぞ! これからは俺《わし》がそなたの指導役《しどうやく》、何事《なにごと》もよくききわけて、尊《とうと》い神《かみ》さまの裔孫《みすえ》としての御名《みな》を汚《けが》さぬよう、一時《じ》も早《はや》く役《やく》にもたたぬ現世《げんせ》の執着《しゅうちゃく》から離《はな》れるよう、しっかりと修行《しゅぎょう》をして貰《もら》いますぞ! 執着《しゅうじゃく》が残《のこ》っている限《かぎ》り何事《なにごと》もだめじゃ……。』
が、その場合《ばあい》の私《わたくし》には、斯《こ》うした神様《かみさま》のお言葉《ことば》などは殆《ほと》んど耳《みみ》にも入《はい》りませんでした。私《わたくし》はいろいろの難題《なんだい》を持《も》ち出《だ》してさんざん神様《かみさま》を困《こま》らせました。お恥《はず》かしいことながら、罪滅《つみほろ》ぼしのつもりで一つ二つここで懺悔《ざんげ》いたして置《お》きます。
私《わたくし》が持《も》ちかけた難題《なんだい》の一《ひと》つは、早《はや》く良人《おっと》に逢《あ》いたいという註文《ちゅうもん》でございました。『現世《げんせ》で怨《うら》みが晴《は》らせなかったから、良人《おっと》と二人《ふたり》力《ちから》を合《あ》わせて怨霊《おんりょう》となり、せめて仇敵《かたき》を取《と》り殺《ころ》してやりたい……。』――これが神《かみ》さまに向《むか》ってのお願《ねが》いなのでございますから、神《かみ》さまもさぞ呆《あき》れ返《かえ》って了《しま》われたことでしょう。もちろん、神様《かみさま》はそんな註文《ちゅうもん》に応《おう》じてくださる筈《はず》はございませぬ。『他人《ひと》を怨《うら》むことは何《なに》より罪《つみ》深《ふか》い仕業《しわざ》であるから許《ゆる》すことはできぬ。又《また》良人《おっと》には現世《げんせ》の執着《しゅうじゃく》が除《と》れた時《とき》に、機会《おり》を見《み》て逢《あ》わせてつかわす……。』いとも穏《おだや》かに大体《だいたい》そんな意味《いみ》のことを諭《さと》されました。もう一《ひと》つ私《わたくし》が神様《かみさま》にお願《ねが》いしたのは、自分《じぶん》の遺骸《いがい》を見《み》せて呉《く》れとの註文《ちゅうもん》でございました。当時《とうじ》の私《わたくし》には、せめて一度《ど》でも眼前《がんぜん》に自分《じぶん》の遺骸《いがい》を見《み》なければ、何《なに》やら夢《ゆめ》でも見《み》て居《い》るような気持《きもち》で、あきらめがつかなくて仕方《しかた》がないのでした。神《かみ》さまはしばし考《かんが》えていられたが、とうとう私《わたくし》の願《ねが》いを容《い》れて、あの諸磯《もろいそ》の隠宅《いんたく》の一《ひ》と間《ま》に横《よこ》たわったままの、私《わたくし》の遺骸《いがい》をまざまざと見《み》せてくださいました。あの痩《や》せた、蒼白《あおじろ》い、まるで幽霊《ゆうれい》のような醜《みに》くい自分《じぶん》の姿《すがた》――私《わたくし》は一《ひ》と目《め》見《み》てぞっとして了《しま》いました。『モー結構《けっこう》でございます。』覚《おぼ》えずそう言《い》って御免《ごめん》を蒙《こうむ》って了《しま》いましたが、この事《こと》は大《たい》へん私《わたくし》の心《こころ》を落《おち》つかせるのに効能《ききめ》があったようでございました。
まだ外《ほか》にもいろいろありますが、あまりにも愚《おろ》かしい事《こと》のみでございますので、一《ひ》と先《ま》ずこれで切《き》り上《あ》げさせて戴《いただ》きます。現在《げんざい》の私《わたくし》とて、まだまだ一向《こう》駄眼《だめ》でございますが、帰幽当座《きゆうとうざ》の私《わたくし》などはまるで醜《みに》くい執着《しゅうじゃく》の凝塊《かたまり》、只今《ただいま》想《おも》い出《だ》しても顔《かお》が赭《あか》らんで了《しま》います……。
兎《と》に角《かく》神様《かみさま》も斯《こ》んなききわけのない私《わたくし》の処置《しょち》にはほとほとお手《て》を焼《や》かれたらしく、いろいろと手《て》をかえ、品《しな》をかえて御指導《ごしどう》[#ルビの「ごしどう」は底本では「ごしだし」]の労《ろう》を執《と》ってくださいましたが、やがて私《わたくし》[#ルビの「わたくし」は底本では「くわたくし」]の祖父《じじ》……私《わたくし》より十年《ねん》ほど前《まえ》に歿《なくな》りました祖父《じじ》を連《つ》れて来《き》て、私《わたくし》の説諭《せつゆ》を仰《おお》せつけられました。何《な》にしろとても逢《あ》われないものと思《おも》い込《こ》んでいた肉親《にくしん》の祖父《じじ》が、元《もと》の通《とお》りの慈愛《じあい》に溢《あふ》れた温容《おんよう》で、泣《な》き悶《もだ》えている私《わたくし》の枕辺《まくらべ》にひょっくりとその姿《すがた》を現《あら》わしたのですから、その時《とき》の私《わたくし》のうれしさ、心強《こころづよ》さ!
『まあお爺《じい》さまでございますか!』私《わたくし》は覚《おぼ》えず跳《と》び起《お》きて、祖父《じじ》の肩《かた》に取《と》り縋《すが》って了《しま》いました。帰幽後《きゆうご》私《わたくし》の暗《くら》い暗《くら》い心胸《こころ》に一点《てん》の光明《あかり》が射《さ》したのは実《じつ》にこの時《とき》が最初《さいしょ》でございました。
祖父《じじ》はさまざまに私《わたくし》をいたわり、且《か》つ励《はげ》ましてくれました。――
『そなたも若《わか》いのに歿《なく》なって、まことに気《き》の毒《どく》なことであるが、世《よ》の中《なか》はすべて老少不定《ろうしょうふじょう》、寿命《じゅみょう》ばかりは何《な》んとも致方《いたしかた》がない。これから先《さ》きはこの祖父《じじ》も神《かみ》さまのお手伝《てつだい》として、そなたの手引《てび》きをして、是非《ぜひ》ともそなたを立派《りっぱ》なものに仕上《しあ》げて見《み》せるから、こちらへ来《き》たとて決《けっ》して決《けっ》して心細《こころぼそ》いことも、又《また》心配《しんぱい》なこともない。請合《うけあ》って、他《ほか》の人達《ひとたち》よりも幸福《しあわせ》なものにしてあげる……。』
祖父《じじ》の言葉《ことば》には格別《かくべつ》これと取《と》り立《た》てていうほどのこともないのですが、場合《ばあい》が場合《ばあい》なので、それは丁度《ちょうど》しとしとと降《お》る春雨《はるさめ》の乾《かわ》いた地面《じべた》に浸《し》みるように、私《わたくし》の荒《すさ》んだ胸《むね》に融《と》け込《こ》んで行《ゆ》きました。お蔭《かげ》で私《わたくし》はそれから幾分《いくぶん》心《こころ》の落付《おちつ》きを取《と》り戻《もど》し、神《かみ》さまの仰《おお》せにもだんだん従《したが》うようになりました。人《ひと》を見《み》て法《ほう》を説《と》けとやら、こんな場合《ばあい》には矢張《やは》り段違《だんちが》いの神様《かみさま》よりも、お馴染《なじみ》みの祖父《じじ》の方《ほう》が、却《かえ》って都合《つごう》のよいこともあるものと見《み》えます。私《わたくし》の祖父《じじ》の年齢《とし》でございますか――たしか祖父《じじ》は七十余《あま》りで歿《なくな》りました。白哲《いろじろ》で細面《ほそおもて》の、小柄《こがら》の老人《ろうじん》で、歯《は》は一本《ぽん》なしに抜《ぬ》けて居《い》ました。生前《せいぜん》は薄《うす》い頭髪《かみ》を茶筌《ちゃせん》に結《ゆ》っていましたが、幽界《こちら》で私《わたくし》の許《もと》に訪《おとず》れた時《とき》は、意外《いがい》にもすっかり頭顱《あたま》を丸《まる》めて居《お》りました。私《わたくし》と異《ちが》って祖父《じじ》は熱心《ねっしん》な仏教《ぶっきょう》の信仰者《しんこうしゃ》だった為《た》めでございましょう……。
八、岩窟
話《はなし》が少《すこ》し後《あと》に戻《もど》りますが、この辺《へん》で一《ひと》つ取《と》りまとめて私《わたくし》の最初《さいしょ》の修行場《しゅぎょうば》、つまり、私《わたくし》がこちらの世界《せかい》で真先《まっさ》きに置《お》かれました境涯《きょうがい》につきて、一《ひ》と通《とお》り申述《もうしの》べて置《お》くことに致《いた》したいと存《ぞん》じます。実《じつ》は私自身《わたくしじしん》も、初《はじ》めてこちらの世界《せかい》に眼《め》を覚《さ》ました当座《とうざ》は、只《ただ》一図《いちず》に口惜《くや》しいやら、悲《かな》しいやらで胸《むね》が一ぱいで、自分《じぶん》の居《お》る場所《ばしょ》がどんな所《ところ》かというような事《こと》に、注意《ちゅうい》するだけの心《こころ》の余裕《よゆう》とてもなかったのでございます。それに四辺《あたり》が妙《みょう》に薄暗《うすくら》くて気《き》が滅入《めい》るようで、誰《だれ》しもあんな境遇《きょうぐう》に置《お》かれたら、恐《おそ》らくあまり朗《ほがら》かな気分《きぶん》にはなれそうもないかと考《かんが》えられるのでございます。
が、その中《うち》、あの最初《さいしょ》の精神《こころ》の暴風雨《あらし》が次第《しだい》に収《おさ》まるにつれて、私《わたくし》の傷《きずつ》けられた頭脳《あたま》にも少《すこ》しづつ人心地《ひとごこち》が出《で》てまいりました。うとうとしながらも私《わたくし》は考《かんが》えました。――
『私《わたくし》は今《いま》斯《こ》うして、たった一人法師《ひとりぼっち》で寝《ね》ているが、一たいここは何《ど》んな所《ところ》かしら……。私《わたくし》が死《し》んだものとすれば、ここは矢張《やは》り冥途《めいど》とやらに相違《そうい》ないであろうが、しかし私《わたくし》は三途《ず》の川《かわ》らしいものを渡《わた》った覚《おぼ》えはない……閻魔様《えんまさま》らしいものに逢《あ》った様子《ようす》もない……何《なに》が何《なに》やらさっぱり腑《ふ》に落《お》ちない。モー少《すこ》し光明《あかり》が射《さ》してくれると良《よ》いのだが……。』
私《わたくし》は少《すこ》し枕《まくら》から頭部《あたま》を擡《もた》げて、覚束《おぼつか》ない眼《め》つきをして、あちこち|見《みまわ》したのでございます。最初《さいしょ》は、何《なに》やら濛気《もや》でもかかっているようで、物《もの》のけじめも判《わか》りかねましたが、その中《うち》不図《ふと》何所《どこ》からともなしに、一条《じょう》の光明《あかり》が射《さ》し込《こ》んで来《く》ると同時《どうじ》に、自分《じぶん》の置《お》かれている所《ところ》が、一《ひと》つの大《おお》きな洞穴《ほらあな》――岩屋《いわや》の内部《なか》であることに気《き》づきました。私《わたくし》は、少《すく》なからずびっくりしました。――
『オヤオヤ! 私《わたくし》は不思議《ふしぎ》な所《ところ》に居《お》る……私《わたくし》は夢《ゆめ》を見《み》ているのかしら……それとも爰《ここ》は私《わたくし》の墓場《はかば》かしら……。』
私《わたくし》は全《まった》く途方《とほう》に暮《く》れ、泣《な》くにも泣《な》かれないような気持《きもち》で、ひしと枕《まくら》に噛《かじ》りつくより外《ほか》に詮術《せんすべ》もないのでした。
その時《とき》不意《ふい》に私《わたくし》の枕辺《まくらべ》近《ちか》くお姿《すがた》を現《あら》わして、いろいろと難有《ありがた》い慰《なぐさ》めのお言葉《ことば》をかけ、又《また》何《なに》くれと詳《くわ》しい説明《せつめい》をしてくだされたのは、例《れい》の私《わたくし》の指導役《しどうやく》の神様《かみさま》でした。痒《かゆ》い所《ところ》へ手《て》が届《とど》くと申《もう》しましょうか、神様《かみさま》の方《ほう》では、いつもチャーンとこちらの胸《むね》の中《なか》を見《み》すかしていて、時《とき》と場合《ばあい》にぴったり当《あ》てはまった事《こと》を説《と》ききかせてくださるのでございますから、どんなに判《わか》りの悪《わる》い者《もの》でも最後《しまい》にはおとなしく耳《みみ》を傾《かたむ》けることになって了《しま》います。私《わたくし》などは随分《ずいぶん》我執《がしゅう》の強《つよ》い方《ほう》でございますが、それでもだんだん感化《かんか》されて、肉身《にくしん》のお祖父様《ぢいさま》のようにお慕《した》い申上《もうしあ》げ、勿体《もったい》ないとは知《し》りつつも、私《わたくし》はいつしかこの神様《かみさま》を『お爺《じい》さま』とお呼《よ》び申上《もうしあ》げるようになって了《しま》いました。前《まえ》にも申上《もうしあ》げたとおり私《わたくし》のような者《もの》がドーやら一人《にん》前《まえ》のものになることができましたのは、偏《ひとえ》にお爺《じい》さまのお仕込《しこ》みの賜《たまもの》でございます。全《まった》く世《よ》の中《なか》に神様《かみさま》ほど難有《ありがた》いものはございませぬ。善《よ》きにつけ、悪《あ》しきにつけ、影身《かげみ》に添《そ》いて、人知《ひとし》れず何彼《なにか》とお世話《せわ》を焼《や》いてくださるのでございます。それがよく判《わか》らないばかりに、兎角《とかく》人間《にんげん》はわが侭《まま》が出《で》たり、慢心《まんしん》が出《で》たりして、飛《と》んだ過失《あやまち》をしでかすことにもなりますので……。これはこちらの世界《せかい》に引越《ひっこ》して見《み》ると、だんだん判《わか》ってまいります。
うっかりつまらぬ事《こと》を申上《もうしあ》げてお手間《てま》を取《と》らせました。私《わたくし》は急《いそ》いで、あの時《とき》、神様《かみさま》が幽界《ゆうかい》の修行《しゅぎょう》の事《こと》、その他《た》に就《つ》いて私《わたくし》に言《い》いきかせて下《くだ》されたお話《はなし》の要点《ようてん》を申上《もうしあ》げる[#「申上げる」は底本では「申上ける」]ことに致《いた》しましょう。それは大体《だいたい》斯《こ》うでございました。――
『そなたは今《いま》岩屋《いわや》の内部《なか》に居《い》ることに気《き》づいて、いろいろ思《おも》い惑《まど》って居《い》るらしいが、この岩屋《いわや》は神界《しんかい》に於《お》いて、そなたの修行《しゅぎょう》の為《た》めに特《とく》にこしらえてくだされた、難有《ありがた》い道場《どうじょう》であるから、当分《とうぶん》比所《ここ》でみっしり修行《しゅぎょう》を積《つ》み、早《はや》く上《うえ》の境涯《きょうがい》へ進《すす》む工夫《くふう》をせねばならぬ。勿論《もちろん》ここは墓場《はかば》ではない。墓《はか》は現界《げんかい》のもので、こちらの世界《せかい》に墓《はか》はない……。現在《げんざい》そなたの眼《め》にはこの岩屋《いわや》が薄暗《うすくら》く感《かん》ずるであろうが、これは修行《しゅぎょう》が積《つ》むにつれて自然《しぜん》に明《あか》るくなる。幽界《ゆうかい》では、暗《くら》いも、明《あか》るいもすべてその人《ひと》の器量次第《きりょうしだい》、心《こころ》の明《あか》るいものは何所《どこ》に居《い》ても明《あか》るく、心《こころ》の暗《くら》いものは、何所《どこ》へ行《い》っても暗《くら》い……。先刻《せんこく》そなたは三途《ず》の川《かわ》や、閻魔様《えんまさま》の事《こと》を考《かんが》えていたらしいが、あれは仏者《ぶっしゃ》の方便《ほうべん》である。嘘《うそ》でもないが又《また》事実《じじつ》でもない。あのようなものを見《み》せるのはいと容易《たやす》いがただ我国《わがくに》の神《かみ》の道《みち》として、一切《さい》方便《ほうべん》は使《つか》わぬことにしてある……。そなたはただ一人《ひとり》この道場《どうじょう》に住《す》むことを心細《こころぼそ》いと思《おも》うてはならぬ。入口《いりぐち》には注連縄《しめなわ》が張《は》ってあるので、悪魔《あくま》外道《げどう》の類《たぐい》は絶対《ぜったい》に入《はい》ることはできぬ。又《また》たとえ何事《なにごと》が起《おこ》っても、神《かみ》の眼《まなこ》はいつも見張《みは》っているから、少《すこ》しも不安《ふあん》を感《かん》ずるには及《およ》ばぬ……。すべて修行場《しゅぎょうば》は人《ひと》によりてめいめい異《ちが》う。家屋《かおく》の内部《なか》に置《お》かるるものもあれば、山《やま》の中《なか》に置《お》かるる者《もの》もある。親子《おやこ》夫婦《ふうふ》の間柄《あいだがら》でも、一所《しょ》には決《けっ》して住《す》むものでない。その天分《てんぶん》なり、行状《おこない》なりが各自《めいめい》異《ちが》うからである。但《ただ》し逢《あ》おうと思《おも》えば差支《さしつかえ》ない限《かぎ》りいつでも逢《あ》える……。』
一応《おう》お話《はなし》が終《おわ》った時《とき》に、神様《かみさま》はやおら私《わたくし》の手《て》を執《と》って、扶《たす》け起《お》こしてくださいました。『そなたも一《ひと》つ元気《げんき》を出《だ》して、歩《あ》るいて見《み》るがよい。病気《びょうき》は肉体《からだ》のもので、魂《たましい》に病気《びょうき》はない。これから岩屋《いわや》の模様《もよう》を見《み》せてつかわす……。』
私《わたくし》はついふらふらと起《お》き上《あが》りましたが、不思議《ふしぎ》にそれっきり病人《びょうにん》らしい気持《きもち》が失《う》せて了《しま》い、同時《どうじ》に今迄《いままで》敷《し》いてあった寝具類《しんぐるい》も烟《けむり》のように消《き》えて了《しま》いました。私《わたくし》はその瞬間《しゅんかん》から現在《げんざい》に至《いた》るまで、ただの一度《ど》も寝床《ねどこ》の上《うえ》に臥《ね》たいと思《おも》った覚《おぼ》えはございませぬ。
それから私《わたくし》は神様《かみさま》に導《みちび》かれて、あちこち歩《ある》いて見《み》て、すっかり岩屋《いわや》の内外《ないがい》の模様《もよう》を知《し》ることができました。岩屋《いわや》は可《か》なり巨《おお》きなもので、高《たか》さと幅《はば》さは凡《およそ》そ三四間《けん》、奥行《おくゆき》は十間《けん》余《あま》りもございましょうか。そして中央《まんなか》の所《ところ》がちょっと折《お》れ曲《まが》って、斜《なな》めに外《そと》に出《で》るようになって居《お》ります。岩屋《いわや》の所在地《しょざいち》は、相当《そうとう》に高《たか》い、岩山《いはやま》の麓《ふもと》で、山《やま》の裾《すそ》をくり抜《ぬ》いて造《つく》ったものでございました。入口《いりぐち》に立《た》って四辺《あたり》を見《み》ると、見渡《みわた》す限《かぎ》り山《やま》ばかりで、海《うみ》も川《かわ》も一《ひと》つも見《み》えません。現界《げんかい》の景色《けしき》と比《くら》べて別《べつ》に格段《かくだん》の相違《そうい》もありませぬが、ただこちらの景色《けしき》の方《ほう》がどことなく浄《きよ》らかで、そして奥深《おくふか》い感《かん》じが致《いた》しました。
岩屋《いわや》の入口《いりぐち》には、神様《かみさま》の言《い》われましたとおり、果《はた》たして新《あた》しい注連縄《しめなわ》が一筋《ひとすじ》張《は》ってありました。
九、神鏡
一《ひ》と通《とお》り見物《けんぶつ》が済《す》むと、私達《わたくしたち》は再《ふたた》び岩屋《いわや》の内部《なか》へ戻《もど》って来《き》ました。すると神様《かみさま》は私《わたくし》に向《むか》い、早速《さっそく》修行《しゅぎょう》のことにつきて、噛《か》んでくくめるようにいろいろと説《と》きさとしてくださるのでした。
『これからのそなたの生活《せいかつ》は、現世《げんせ》のそれとはすっかり趣《おもむき》が変《かわ》るから一時《じ》も早《はや》くそのつもりになってもらわねばならぬ。現世《げんせ》の生活《せいかつ》にありては、主《おも》なるものが衣食住《いしょくじゅう》の苦労《くろう》、大概《たいがい》の人間《にんげん》はただそれっきりの事《こと》にあくせくして一生《しょう》を過《すご》して了《しま》うのであるが、こちらでは衣食住《いしょくじゅう》の心配《しんぱい》は全然《ぜんぜん》ない。大体《だいたい》肉体《にくたい》あっての衣食住《いしょくじゅう》で、肉体《にくたい》を棄《す》てた幽界《ゆうかい》の住人《じゅうにん》は、できる丈《だけ》早《はや》くそうした地上《ちじょう》の考《かんが》えを頭脳《あたま》の中《なか》から払《はら》いのける工夫《くふう》をせなければならぬ。それからこちらの住人《じゅうにん》として何《なに》より慎《つつし》まねばならぬは、怨《うら》み、そねみ、又《また》もろもろの欲望《よくぼう》……そう言《い》ったものに心《こころ》を奪《うば》われるが最後《さいご》、つまりは幽界《ゆうかい》の亡者《もうじゃ》として、いつまで経《た》っても浮《うか》ぶ瀬《せ》はないことになる。で、こちらの世界《せかい》で、何《なに》よりも大切《たいせつ》な修行《しゅぎょう》というのは精神《せいしん》の統一《とういつ》で、精神統一《せいしんとういつ》以外《いがい》には殆《ほと》んど何物《なにもの》もないといえる。つまりこれは一心《しん》不乱《ふらん》に神様《かみさま》を念《ねん》じ、神様《かみさま》と自分《じぶん》とを一体《たい》にまとめて了《しま》って、他《ほか》の一切《さい》の雑念《ぞうねん》妄想《もうそう》を払《はら》いのける工夫《くふう》なのであるが、実地《じっち》に行《や》って見《み》ると、これは思《おも》いの外《ほか》に六ヶ《むつか》しい仕事《しごと》で、少《すこ》しの油断《ゆだん》があれば、姿《すがた》はいかに殊勝《しゅしょう》らしく神様《かみさま》の前《まえ》に坐《すわ》っていても、心《こころ》はいつしか悪魔《あくま》の胸《むね》に通《かよ》っている。内容《なかみ》よりも外形《うわべ》を尚《たっと》ぶ現世《げんせ》の人《ひと》の眼《まなこ》は、それで結構《けっこう》くらませることができても、こちらの世界《せかい》ではそのごまかしはきかぬ。すべては皆《みな》神《かみ》の眼《め》に映《うつ》り、又《また》或《あ》る程度《ていど》お互《たがい》の眼《め》にも映《うつ》る……。で、これからそなたも早速《さっそく》この精神統一《せいしんとういつ》の修行《しゅぎょう》にかからねばならぬが、もちろん最初《さいしょ》から完全《まったき》を望《のぞ》むのは無理《むり》で、従《したが》って或《あ》る程度《ていど》の過失《あやまち》は見逃《みのが》しもするが、眼《め》にあまる所《ところ》はその都度《つど》きびしく注意《ちゅうい》を与《あた》えるから、そなたもその覚悟《かくご》で居《い》てもらいたい。又《また》何《なに》ぞ望《のぞ》みがあるなら、今《いま》の中《うち》に遠慮《えんりょ》なく申出《もうしで》るがよい。無理《むり》のないことであるならすべて許《ゆる》すつもりであるから……。』
漸《ようや》く寝床《ねどこ》を離《はな》れたと思《おも》えば、モーすぐこのようなきびしい修行《しゅぎょう》のお催促《さいそく》で、その時《とき》の私《わたくし》は随分《ずいぶん》辛《つら》いことだ、と思《おも》いました。その後《ご》こちらで様子《ようす》を窺《うかが》って居《お》りますと、人《ひと》によりては随分《ずいぶん》寛《ゆる》やかな取扱《とりあつか》いを受《う》け、まるで夢《ゆめ》のような、呑気《のんき》らしい生活《せいかつ》を送《おく》っているものも沢山《たくさん》見受《みう》けられますが、これはドーいう訳《わけ》か私《わたくし》にもよく判《わか》りませぬ。私《わたくし》などはとりわけ、きびしい修行《しゅぎょう》を仰《おお》せつけられた一人《ひとり》のようで、自分《じぶん》ながら不思議《ふしぎ》でなりませぬ。矢張《やは》りこれも身魂《みたま》の因縁《いんねん》とやら申《もう》すものでございましょうか……。
それは兎《と》も角《かく》も、私《わたくし》は神様《かみさま》から何《なに》ぞ望《のぞ》みのものを言《い》えと言《い》われ、いろいろと考《かんが》え抜《ぬ》いた末《すえ》にたった一《ひと》つだけ註文《ちゅうもん》を出《だ》しました。
『お爺《じい》さま、何《ど》うぞ私《わたくし》に一《ひと》つの御神鏡《ごしんきょう》を授《さず》けて戴《いただ》き度《と》う存《ぞん》じます。私《わたくし》はそれを御神体《ごしんたい》としてその前《まえ》で精神《せいしん》統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》を致《いた》そうと思《おも》います。何《なに》かの目標《めあて》がないと、私《わたくし》にはとても神様《かみさま》を拝《おが》むような気分《きぶん》になれそうもございませぬ……。』
『それは至極《しごく》尤《もっと》もな願《ねが》いじゃ、直《ただ》ちにそれを戴《いただ》いてつかわす。』
お爺《じい》さまは快《こころよ》く私《わたくし》の願《ねが》いを入《い》れ、ちょっとあちらを向《む》いて黙祷《もくとう》されましたが、モー次《つ》ぎの瞬間《しゅんかん》には、白木《しらき》の台座《だいざ》の附《つ》いた、一体《たい》の御鏡《みかがみ》がお爺《じい》さまの掌《てのひら》に載《の》っていました。右《みぎ》の御鏡《みかがみ》は早速《さっそく》岩屋《いわや》の奥《おく》の、程《ほど》よき高《たか》さの壁《かべ》の凹所《くぼみ》に据《す》えられ、私《わたくし》の礼拝《らいはい》の最《もっと》も神聖《しんせい》な目標《もくひょう》となりました。それからモー四百余年《よねん》、私《わたくし》の境涯《きょうがい》はその間《あいだ》に幾度《いくど》も幾度《いくど》も変《かわ》りましたが、しかし私《わたくし》は今《いま》も尚《な》おその時《とき》戴《いただ》いた御鏡《みかがみ》の前《まえ》で静座《せいざ》黙祷《もくとう》をつづけて居《お》るのでございます。
十、親子の恩愛
参考《さんこう》の為《た》めに少《すこ》し幽界《ゆうかい》の修行《しゅぎょう》の模様《もよう》をききたいと仰《お》っしゃいますか……。宜《よろ》しうございます。私《わたくし》の存《ぞん》じていることは何《なに》なりとお話《はな》し致《いた》しますが、しかし現界《げんかい》で行《や》るのと格別《かくべつ》の相違《そうい》もございますまい。私達《わたくしたち》とて矢張《やは》り御神前《ごしんぜん》に静座《せいざ》して、心《こころ》に天照大御神様《あまてらすおおみかみさま》の御名《みな》を唱《とな》え、又《また》八百万《やおよろず》の神々《かみがみ》にお願《ねが》いして、できる丈《だけ》きたない考《かんが》えを払《はら》いのける事《こと》に精神《こころ》を打《う》ち込《こ》むのでございます。もとより肉体《にくたい》はないのですから、現世《げんせ》で行《や》るような、斎戒沐浴《さいかいもくよく》は致《いた》しませぬ。ただ斎戒沐浴《さいかいもくよく》をしたと同一《どういつ》の浄《きよ》らかな気持《きもち》になればよいのでございまして……。
それで、本当《ほんとう》に深《ふか》い深《ふか》い統一状態《とういつじょうたい》に入《はい》ったとなりますと、私《わたくし》どもの姿《すがた》はただ一《ひと》つの球《たま》になります。ここが現世《げんせ》の修行《しゅぎょう》と幽界《ゆうかい》の修行《しゅぎょう》との一ばん目立《めだ》った相違点《そういてん》かも知《し》れませぬ。人間《にんげん》ではどんなに深《ふか》い統一《とういつ》に入《はい》っても、躯《からだ》が残《のこ》ります。いかに御本人《ごほんにん》が心《こころ》で無《む》と観《かん》じましても、側《そば》から観《み》れば、その姿《すがた》はチャーンと其所《そこ》に見《み》えて居《お》ります。しかるに、こちらでは、真実《ほんとう》の精神統一《せいしんとういつ》に入《はい》れば、人間《にんげん》らしい姿《すがた》は消《き》え失《う》せて、側《そば》からのぞいても、たった一《ひと》つの白《しろ》っぽい球《たま》の形《かたち》しか見《み》えませぬ。人間《にんげん》らしい姿《すがた》が残《のこ》って居《お》るようでは、まだ修行《しゅぎょう》が積《つ》んでいない何《なに》よりの証拠《しょうこ》なのでございます。『そなたの、その醜《みぐ》るしい姿《すがた》は何《なん》じゃ! まだ執着《しゅうじゃく》が強過《つよす》ぎるぞ……。』私《わたくし》は何度《なんど》醜《みぐ》るしい姿《すがた》をお爺様《じいさま》に見《み》つけられてお叱言《こごと》を頂戴《ちょうだい》したか知《し》れませぬ。自分《じぶん》でも、こんな事《こと》では駄目《だめ》であると思《おも》い返《かえ》して、一生《しょう》懸命《けんめい》神様《かみさま》を念《ねん》じて、飽《あく》まで浄《きよ》らかな気分《きぶん》を続《つづ》けようとあせるのでございますが、あせればあせるほど、チラリチラリと暗《くら》い影《かげ》が射《さ》して来《き》て統一《とういつ》を妨《さまた》げて了《しま》います。私《わたくし》の岩屋《いわや》の修行《しゅぎょう》というのは、つまり斯《こ》うした失敗《しっぱい》とお叱言《こごと》の繰《く》りかえしで、自分《じぶん》ながらほとほと愛想《あいそ》が尽《つ》きる位《くらい》でございました。私《わたくし》というものはよくよく執着《しゅうじゃく》の強《つよ》い、罪《つみ》の深《ふか》い、女性《じょせい》だったのでございましょう。――この生活《せいかつ》が何年位《なんねんくらい》続《つづ》いたかとのお訊《たず》ねでございますか……。自分《じぶん》では一切《さい》夢中《むちゅう》で、さほどに永《なが》いとも覚《おぼ》えませんでしたが、後《あと》でお爺《じい》さまから伺《うかが》いますと、私《わたくし》の岩屋《いわや》の修行《しゅぎょう》は現世《げんせ》の年数《ねんすう》にして、ざっと二十年余《ねんあま》りだったとの事《こと》でございます。
現世的《げんせてき》執着《しゅうじゃく》の中《なか》で、私《わたくし》にとりて、何《なに》よりも断《た》ち切《き》るのに骨《ほね》が折《お》れましたのは、前《まえ》申《もう》すとおり矢張《やは》り、血《ち》を分《わ》けた両親《りょうしん》に対《たい》する恩愛《おんあい》でございました。現世《げんせ》で何一《なにひと》つ孝行《こうこう》らしい事《こと》もせず、ただ一人《ひとり》先立《さきだ》ってこちらの世界《せかい》に引越《ひきこ》して了《しま》ったのかと考《かんが》えますと、何《なん》ともいえずつらく、悲《かな》しく、残《のこ》り惜《お》しく、相済《あいす》まなく、坐《い》ても立《た》っても居《お》られないように感《かん》ぜられるのでございました。人間《にんげん》何《なに》がつらいと申《もう》しても、親《おや》と子《こ》とが順序《じゅんじょ》をかえて死《し》ぬるほど、つらいことはないように思《おも》われます。無論《むろん》私《わたくし》には良人《おっと》に対《たい》する執着《しゅうじゃく》もございました。しかし良人《おっと》は私《わたくし》よりも先《さ》きに歿《なく》なって居《お》り、それに又《また》神《かみ》さまが、時節《じせつ》が来《く》れば逢《あ》わしてもやると申《まう》されましたので、そちらの方《ほう》の断念《あきらめ》は割合《わりあい》早《はや》くつきました。ただ現世《げんせ》に残《のこ》した父母《ふぼ》の事《こと》はどうあせりましてもあきらめ兼《か》ねて悩《なや》み抜《ぬ》きました。そんな場合《ばあい》には、神様《かみさま》も、精神統一《せいしんとういつ》も、まるきりあったものではございませぬ。私《わたくし》はよく間近《まじか》の岩《いわ》へ齧《かじ》りついて、悶《もだ》え泣《な》きに泣《な》き入《い》りました。そんな真似《まね》をしたところで、一たん死《し》んだ者《もの》が、とても現世《げんせ》へ戻《もど》れるものでない事《こと》は充分《じゅうぶん》承知《しょうち》しているのですが、それで矢張《やは》り止《や》めることができないのでございます。
しかも何《なに》より困《こま》るのは、現世《げんせ》に残《のこ》っている父母《ふぼ》の悲嘆《なげき》が、ひしひしと幽界《ゆうかい》まで通《つう》じて来《く》ることでございました。両親《りょうしん》は怠《おこた》らず、私《わたくし》の墓《はか》へ詣《もう》でて花《はな》や水《みず》を手向《たむ》け、又《また》十日《か》祭《さい》とか、五十日《にち》祭《さい》とか申《もう》す日《ひ》には、その都度《つど》神職《しんしょく》を招《まね》いて鄭重《ていちょう》なお祭祀《まつり》をしてくださるのでした。修行未熟《しゅぎょうみじゅく》の、その時分《じぶん》の私《わたくし》には、現界《げんかい》の光景《こうけい》こそ見《み》えませんでしたが、しかし両親《りょうしん》の心《こころ》に思《おも》っていられることは、はっきりとこちらに感《かん》じて参《まい》るばかりか、『姫《ひめ》や姫《ひめ》や!』と呼《よ》びながら、絶《た》え入《い》るばかりに泣《な》き悲《かな》しむ母《はは》の音声《おんじょう》までも響《ひび》いて来《く》るのでございます。あの時分《じぶん》のことは今《いま》想《おも》い出《だ》しても自《おの》ずと涙《なみだ》がこぼれます……。
斯《こ》う言《い》った親子《おやこ》の情愛《じょうあい》などと申《もう》すものは、いつまで経《た》ってもなかなか消《き》えて無《な》くなるものではないようで、私《わたくし》は現在《げんざい》でも矢張《やは》り父《ちち》は父《ちち》としてなつかしく、母《はは》は母《はは》として慕《した》わしく感《かん》じます。が、不思議《ふしぎ》なもので、だんだん修行《しゅぎょう》が積《つ》むにつれて、ドーやら情念《こころ》の発作《ほっさ》を打消《うちけ》して行《ゆ》くのが上手《じょうず》になるようでございます。それがつまり向上《こうじょう》なのでございましょうかしら……。
十一、守刀
躯《からだ》がなくなって、こちらの世界《せかい》に引移《ひきうつ》って来《き》ても、現世《げんせ》の執着《しゅうじゃく》が容易《ようい》に除《と》れるものでない事《こと》は、すでに申上《もうしあ》げましたが、序《つい》でにモー少《すこ》しここで自分《じぶん》の罪過《つみ》を申上《もうしあ》げて置《お》くことに致《いた》しましょう。口頭《くちさき》ですっかり悟《さと》ったようなことを申《もう》すのは何《なん》でもありませぬが、実地《じっち》に当《あた》って見《み》ると思《おも》いの外《ほか》に心《こころ》の垢《あか》の多《おお》いのが人間《にんげん》の常《つね》でございます。私《わたくし》も時々《ときどき》こちらの世界《せかい》で、現世生活中《げんせせいかつちゅう》に大《たい》へん名高《なだか》かった方々《かたがた》にお逢《あ》いすることがございますが、そうきれいに魂《みたま》が磨《みが》かれた方《かた》ばかりも見当《みあた》りませぬ。『あんな名僧《めいそう》知識《ちしき》と謳《うた》われた方《かた》がまだこんな薄暗《うすぐら》い境涯《ところ》に居《い》るのかしら……。』時々《ときどき》意外《いがい》に感《かん》ずるような場合《ばあい》もあるのでございます。
さてお約束《やくそく》の懺悔《ざんげ》でございますが、私《わたくし》にとりて、何《なに》より身《み》にしみているのを一《ひと》つお話《はな》し致《いた》しましょう。それは私《わたくし》の守刀《まもりがたな》の物語《ものがたり》でございます。忘《わす》れもしませぬ、それは私《わたくし》が三浦家《みうらけ》へ嫁入《よめい》りする折《おり》のことでございました、母《はは》は一振《ひとふり》りの懐剣《かいけん》を私《わたくし》に手渡《わた》し、
『これは由緒《ゆいしょ》ある御方《おかた》から母《はは》が拝領《はいりょう》の懐剣《かいけん》であるが、そなたの一生《しょう》の慶事《よろこび》の紀念《きねん》に、守刀《まもりがたな》としてお譲《ゆず》りします。肌身《はだみ》離《はな》さず大切《たいせつ》に所持《しょじ》してもらいます……。』
両眼《りょうがん》に涙《なみだ》を一ぱい溜《た》めて、赤心《まごころ》こめて渡《わた》された紀念《きねん》の懐剣《かいけん》――それは刀身《なかみ》といい、又《また》装具《つくり》といい、まことに申分《もうしぶん》のない、立派《りっぱ》なものでございましたが、しかし私《わたくし》に取《と》りましては、懐剣《かいけん》そのものよりも、それがなつかしい母《はは》の形見《かたみ》であることが、他《ほか》の何物《なにもの》にもかえられぬほど大切《たいせつ》なのでございました。私《わたくし》は一生涯《しょうがい》その懐剣《かいけん》を自分《じぶん》の魂《たましい》と思《おも》って肌身《はだみ》に附《つ》けて居《い》たのでした。
いよいよ私《わたくし》の病勢《びょうせい》が重《おも》って、もうとても難《むずか》しいと思《おも》われました時《とき》に、私《わたくし》は枕辺《まくらべ》に坐《すわ》って居《お》られる母《はは》に向《む》かって頼《たの》みました。『私《わたくし》の懐剣《かいけん》は何卒《どうぞ》このまま私《わたくし》と一緒《しょ》に棺《かん》の中《なか》に納《おさ》めて戴《いただ》きとうございますが……。』すると母《はは》は即座《そくざ》に私《わたくし》の願《ねがい》を容《い》れて、『その通《とお》りにしてあげますから安心《あんしん》するように……。』と、私《わたくし》の耳元《みみもと》に口《くち》を寄《よ》せて力強《ちからづよ》く囁《ささや》いてくださいました。
私《わたくし》がこちらの世界《せかい》に眼《め》を覚《さ》ました時《とき》に、私《わたくし》は不図《ふと》右《みぎ》の事柄《ことがら》を想《おも》い出《だ》しました。『母《はは》はあんなに固《かた》く請合《うけあ》ってくだされたが、果《はた》して懐剣《かいけん》が遺骸《いがい》と一緒《しょ》に墓《はか》に収《おさ》めてあるかしら……。』そう思《おも》うと私《わたくし》はどうしてもそれが気懸《きがか》りで気懸《きがか》りで耐《たま》らなくなりました。とうとう私《わたくし》はある日《ひ》指導役《しどうやく》のお爺様《じいさま》に一伍一什《ぶしじゅう》を物語《ものがた》り、『若《も》しもあの懐剣《かいけん》が、私《わたくし》の墓《はか》に収《おさ》めてあるものなら、どうぞこちらに取寄《とりよ》せて戴《いただ》きたい。生前《せいぜん》と同様《どうよう》あれを守刀《まもりがたな》に致《いた》し度《と》うございます……。』とお依《たの》みしました。今《いま》の世《よ》の方々《かたがた》には守刀《まもりがたな》などと申《もう》しても、或《あるい》は頭《あたま》に力強《ちからづよ》く響《ひび》かぬかも存《ぞん》じませぬが、私《わたくし》どもの時代《じだい》には、守刀《まもりがたな》はつまり女《おんな》の魂《たましい》、自分《じぶん》の生命《いのち》から二番目《ばんめ》の大切《たいせつ》な品物《しなもの》だったのでございます。
神様《かみさま》もこの私《わたくし》の願《ねがい》を無理《むり》からぬ事《こと》と思召《おぼし》めされたか、快《こころよ》くお引受《ひきう》けしてくださいました。そして例《れい》のとおり、ちょっと精神《せいしん》の統一《とういつ》をして私《わたくし》の墓《はか》を透視《とうし》されましたが、すぐにお判《わか》りになったものと見《み》え『フムその懐剣《かいけん》なら確《たし》かに彼所《かしこ》に見《み》えている。宜《よろ》しい神界《しんかい》のお許《ゆる》しを願《ねが》って、取寄《とりよ》せてつかわす……。』
そう言《い》われたかと見《み》ると、次《つ》ぎの瞬間《しゅんかん》には、お爺《じい》さまの手《て》の中《なか》に、私《わたくし》の世《よ》にも懐《なつ》かしい懐剣《かいけん》が握《にぎ》られて居《お》りました。無論《むろん》それは言《い》わば刀《かたな》の精《せい》だけで、現世《げんせ》の刀《かたな》ではないのでございましょうが、しかしいかに査《しら》べて見《み》ても、金粉《きんぷん》を散《ち》らした、濃《こ》い朱塗《しゅぬ》りの装具《つくり》といい、又《また》それを包《つつ》んだ真紅《しんく》の錦襴《きんらん》の袋《ふくろ》といい、生前《せいぜん》現世《げんせ》で手慣《てな》れたものに寸分《すんぶん》の相違《そうい》もないのでした。私《わたくし》は心《こころ》からうれしくお爺様《じいさま》に厚《あつ》くお礼《れい》を申上《もうしあ》げました。
私《わたくし》は右《みぎ》の懐剣《かいけん》を現在《げんざい》とても大切《たいせつ》に所持《しょじ》して居《お》ります。そして修行《しゅぎょう》の時《とき》にはいつも之《これ》を御鏡《みかがみ》の前《まえ》へ備《そな》えることにして居《お》るのでございます。
これなどは、一段《だん》も二段《だん》も上《うえ》の方《かた》から御覧《ごらん》になれば、やはり一種《しゅ》の執着《しゅうじゃく》と言《い》わるるかも存《ぞん》じませぬが、私《わたくし》どもの境涯《きょうがい》では、どうしてもまだ斯《こ》うした執着《しゅうじゃく》からは離《はな》れ切《き》れないのでございます。
十二、愛馬との再会
岩屋《いわや》の修行中《しゅぎょうちゅう》に、モー一《ひと》つちょっと面白《おもしろ》い話《はなし》がございますから、序《つい》でに申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。それは私《わたくし》が、こちらで自分《じぶん》の愛馬《あいば》に再会《さいかい》したお話《はなし》でございます。
前《まえ》にもお話《はな》し致《いた》しましたが、私《わたくし》は三浦家《みうらけ》へ嫁入《よめい》りしてから初《はじ》めて馬術《ばじゅつ》の稽古《けいこ》をいたしました。最初《さいしょ》は馬《うま》に乗《の》るのが何《なに》やら薄気味《うすきみ》悪《わる》いように思《おも》われましたが、行《や》って居《お》ります内《うち》にだんだんと乗馬《じょうば》が好《す》きになったと言《い》うよりも、寧《むし》ろ馬《うま》が可愛《かわい》くなって来《き》たのでございます。乗《の》り馴《な》らした馬《うま》というものは、それはモー不思議《ふしぎ》なほど可愛《かわい》くなるもので、事《こと》によると経験《けいけん》のないお方《かた》には、その真実《ほんとう》の味《あじわ》いはお判《わか》りにならぬかも知《し》れません。
私《わたくし》の愛馬《あいば》と申《もう》しますのは、良人《おっと》がいろいろと捜《さが》した上《うえ》に、最後《さいご》に、これならば、と見立《みた》ててくれたほどのことがございまして、それはそれは優《や》さしい、美事《みごと》な牡馬《めうま》でございました。背材《せたけ》はそう高《たか》くはございませぬが、総体《そうたい》の地色《ぢいろ》は白《しろ》で、それに所々《ところどころ》に黒《くろ》の斑点《まだら》の混《まじ》った美《うつく》しい毛並《けなみ》は今更《いまさら》自慢《じまん》するではございませぬが、全《まった》く素晴《すば》らしいもので、私《わたくし》がそれに乗《の》って外出《そとで》をした時《とき》には、道行《みちゆ》く者《もの》も足《あし》を停《と》めて感心《かんしん》して見惚《みと》れる位《くらい》でございました。ナニ乗者《のりて》に見惚《みと》れたのではないかと仰《お》っしゃるか……。御冗談《ごじょうだん》ばかり、そんな酔狂《すいきょう》な者《もの》は只《ただ》の一人《ひとり》だってございません。私《わたくし》の馬《うま》に見惚《みと》れたのでございます……。
そうそうこの馬《うま》の命名《めいめい》につきましては、良人《おっと》と私《わたくし》との間《あいだ》に、なかなかの悶着《もんちゃく》がございました。私《わたくし》は優《や》さしい名前《なまえ》がよいと思《おも》いまして、さんざん考《かんが》え抜《ぬ》いた末《すえ》にやっと『鈴懸《すずかけ》』という名《な》を思《おも》いついたのでございます。すると良人《おっと》は私《わたくし》と意見《いけん》が違《ちが》いまして、それは余《あま》り面白《おもしろ》くない、是非《ぜひ》『若月《わかつき》』にせよと言《い》い張《は》って、何《なん》と申《もう》しても肯《き》き入《い》れないのです。私《わたくし》は内心《ないしん》不服《ふふく》でたまりませんでしたが、もともと良人《おっと》が見立《みた》ててくれた馬《うま》ではあるし、とうとう『若月《わかつき》』と呼《よ》ぶことになって了《しま》いました。『今度《こんど》は私《わたくし》が負《ま》けて置《お》きます。しかしこの次《つ》ぎに良《よ》い馬《うま》が手《て》に入《はい》った時《とき》はそれは是非《ぜひ》鈴懸《すずかけ》と呼《よ》ばせていただきます……。』私《わたくし》はそんなことを良人《おっと》に申《もう》したのを覚《おぼ》えて居《お》ります。しかしそれから間《ま》もなく、あの北條《ほうじょう》との戦闘《いくさ》が起《おこ》ったので、私《わたくし》の望《のぞ》みはとうとう遂《と》げられずに終《おわ》りました。
とに角《かく》名前《なまえ》につきては最初《さいしょ》斯《こ》んないきさつがありましたものの、私《わたくし》は若月《わかつき》が好《す》きで好《す》きで耐《たま》らないのでした。馬《うま》の方《ほう》でも亦《また》私《わたくし》によく馴染《なじ》んで、私《わたくし》の姿《すがた》が見《み》えようものなら、さもうれしいと言《い》った表情《ひょうじょう》をして、あの巨《おお》きな躯《からだ》をすり附《つ》けて来《く》るのでした。
落城後《らくじょうご》私《わたくし》があちこち流浪《るろう》をした時《とき》にも、若月《わかつき》はいつも私《わたくし》に附添《つきそ》って、散々《さんざん》苦労《くろう》をしてくれました。で、私《わたくし》の臨終《りんじゅう》が近《ちか》づきました時《とき》には、私《わたくし》は若月《わかつき》を庭前《にわさき》へ召《よ》んで貰《もら》って、この世《よ》の訣別《わかれ》を告《つ》げました。『汝《おまえ》にもいろいろ世話《せわ》になりました……。』心《こころ》の中《なか》でそう思《おも》った丈《だけ》でしたが、それは必《かな》らず馬《うま》にも通《つう》じたことであろうと考《かんが》えられます。これほど可愛《かわい》がった故《せい》でもございましょう、私《わたくし》が岩屋《いわや》の内部《なか》で精神統一《せいしんとういつ》の修行《しゅぎょう》をしている時《とき》に、ある時《とき》思《おも》いも寄《よ》らず、若月《わかつき》の姿《すがた》が私《わたくし》の眼《め》にはっきりと映《うつ》ったのでございます。
『事《こと》によると若月《わかつき》は最《も》う死《し》んだのかも知《し》れぬ……。』
そう感《かん》じましたので、お爺《じい》さまにお訊《たず》ねして見《み》ますと、果《はた》してこちらの世界《せかい》に引越《ひきこ》して居《い》るとの事《こと》に、私《わたくし》は是非《ぜひ》一《ひ》と目《め》昔《むかし》の愛馬《あいば》に逢《あ》って見《み》たくて耐《たま》らなくなりました。
『甚《はなは》だ勝手《かって》なお願《ねが》いながら、一度《ど》若月《わかつき》の許《もと》へ連《つ》れて行《い》ってくださる訳《わけ》にはまいりますまいか……。』
『それはいと易《やす》いことじゃ。』と例《れい》の通《とお》りお爺《じい》さまは親切《しんせつ》に答《こた》へてくださいました。『馬《うま》の方《ほう》でもひどくそなたを慕《した》っているから一度《ど》は逢《あ》って置《お》くがよい。これから一緒《しょ》に連《つ》れて行《い》って上《あげ》げる……。』
幽界《ゆうかい》では、何所《どこ》をドー通《とう》って行《ゆ》くのか、途中《とちゅう》のことは殆《ほと》んど判《わか》りませぬ。そこが幽界《ゆうかい》の旅《たび》と現世《げんせ》の旅《たび》との大《たい》した相違点《そういてん》でございますが、兎《と》も角《かく》も私達《わたくしたち》は、瞬《またた》く間《ま》に途中《とちゅう》を通《とお》り抜《ぬ》けて、或《あ》る一《ひと》つの馬《うま》の世界《せかい》へまいりました。そこには見渡《みわた》す限《かぎ》り馬《うま》ばかりで、他《ほか》の動物《いきもの》は一《ひと》つも居《お》りません。しかし不思議《ふしぎ》なことには、どの馬《うま》もどの馬《うま》も皆《みな》逞《たく》ましい駿馬《しゅんめ》ばかりで、毛並《けなみ》みのもじゃもじゃした、イヤに脚《あし》ばかり太《ふと》い駄馬《だば》などは何処《どこ》にも見《み》かけないのでした。
『私《わたくし》の若月《わかつき》も爰《ここ》に居《い》るのかしら……。』
そう思《おも》い乍《なが》ら、不図《ふと》向《むか》うの野原《のはら》を眺《なが》めますと、一頭《とう》の白馬《はくば》が群《むれ》れを離《はな》れて、飛《と》ぶが如《ごと》くに私達《わたくしたち》の方《ほう》へ馳《か》け寄《よ》ってまいりました。それはいうまでもなく、私《わたくし》の懐《なつか》かしい、愛馬《あいば》でございました。
『まァ若月《わかつき》……汝《おまえ》、よく来《き》てくれた……。』
私《わたくし》は心《こころ》から嬉《うれ》しく、しきりに自分《じぶん》にまつわり附《つ》く愛馬《あいば》の鼻《はな》を、いつまでもいつまでも軽《かる》く撫《な》でてやりました。その時《とき》の若月《わかつき》のうれしげな面持《おももち》……私《わたくし》は覚《おぼ》えず泪《なみだ》ぐんで了《しま》ったのでございました。
しばらく馬《うま》と一緒《しょ》に遊《あそ》んで、私《わたくし》は大《たい》へん軽《かる》い気持《きもち》になって戻《もど》って来《き》ましたが、その後《ご》二度《ど》と行《い》って見《み》る気《き》にもなれませんでした。人間《にんげん》と動物《どうぶつ》との間《あいだ》の愛情《あいじょう》にはいくらかあっさりしたところがあるものと見《み》えます……。
十三、母の臨終
岩屋《いわや》の修行中《しゅぎょうちゅう》に誰《だれ》かの臨終《りんじゅう》に出会《であ》ったことがあるか、とのお訊《たず》ねでございますか。――それは何度《なんど》も何度《なんど》もあります。私《わたくし》の父《ちち》も、母《はは》も、それから私《わたくし》の手元《てもと》に召《めし》使《つか》っていた、忠実《ちゅうじつ》な一人《ひとり》の老僕《ろうぼく》なども、私《わたくし》が岩屋《いわや》に居《お》る時《とき》に前後《ぜんご》して歿《ぼっ》しまして、その都度《つど》私《わたくし》はこちらから、見舞《みまい》に参《まい》ったのでございます。何《いず》れあなたとしては、幽界《ゆうかい》から観《み》た臨終《りんじゅう》の光景《ありさま》を知《し》りたいと仰《お》ッしゃるのでございましょう。宜《よろ》しうございます。では、標本《みほん》のつもりで、私《わたくし》の母《はは》の歿《なくな》った折《おり》の模様《もよう》を、ありのままにお話《はな》し致《いた》しましょう。わざわざ査《しら》べるのが目的《もくてき》で、行《や》った仕事《しごと》ではないのですから、むろんいろいろ見落《みおと》しはございましょう。その点《てん》は充分《じゅうぶん》お含《ふく》みを願《ねが》って置《お》きます。機会《きかい》がありましたら、誰《だれ》かの臨終《りんじゅう》の実況《じっきょう》を査《しら》べに出掛《でか》て見《み》ても宜《よろ》しうございます。ここに申上《もうしあ》げるのはホンの当時《とうじ》の私《わたくし》が観《み》たまま感《かん》じたままのお話《はなし》でございます。
それは私《わたくし》が歿《なくな》ってから、最《も》うよほど経《た》った時《とき》……かれこれ二十年《ねん》近《ちか》くも過《す》ぎた時《とき》でございましょうか、ある日《ひ》私《わたくし》が例《れい》の通《とお》り御神前《ごしんぜん》で修行《しゅぎょう》して居《お》りますと、突然《とつぜん》母《はは》の危篤《きとく》の報知《しらせ》が胸《むね》に感《かん》じて参《まい》ったのでございます。斯《こ》うした場合《ばあい》には必《かな》らず何等《なんら》かの方法《ほうほう》で報知《しらせ》がありますもので、それは死《し》ぬる人《ひと》の思念《おもい》が伝《つた》わる場合《ばあい》もあれば、又《また》神様《かみさま》から特《とく》に知《し》らせて戴《いただ》く場合《ばあい》もあります。その他《ほか》にもまだいろいろありましょう。母《はは》の臨終《りんじゅう》の際《さい》には、私《わたくし》は自力《じりき》でそれを知《し》ったのでございました。
私《わたくし》はびっくりして早速《さっそく》鎌倉《かまくら》の、あの懐《なつ》かしい実家《さと》へと飛《と》んで行《ゆ》きましたが、モーその時《とき》はよくよく臨終《りんじゅう》が迫《せま》って居《お》りまして、母《はは》の霊魂《たましい》はその肉体《にくたい》から半分《はんぶん》出《で》たり、入《はい》ったりしている最中《さいちゅう》でございました。人間《にんげん》の眼《め》には、人《ひと》の臨終《りんじゅう》というものは、ただ衰弱《すいじゃく》した一《ひと》つの肉体《にくたい》に起《おこ》る、あの悲惨《ひさん》な光景《ありさま》しか映《うつ》りませぬが、私《わたくし》にはその外《ほか》にまだいろいろの光景《ありさま》が見《み》えるのでございます。就中《なかんづく》一番《ばん》目立《めだ》つのは肉体《にくたい》の外《ほか》に霊魂《たましい》――つまりあなた方《がた》の仰《お》っしゃる幽体《ゆうたい》が見《み》えますことで……。
御承知《ごしょうち》でもございましょうが、人間《にんげん》の霊魂《たましい》というものは、全然《ぜんぜん》肉体《にくたい》と同《おな》じような形態《かたち》をして肉体《にくたい》から離《はな》れるのでございます。それは白《しろ》っぽい、幾分《いくぶん》ふわふわしたもので、そして普通《ふつう》は裸体《はだか》でございます。それが肉体《にくたい》の真上《まうえ》の空中《くうちゅう》に、同《おな》じ姿勢《しせい》で横臥《おうが》している光景《ありさま》は、決《けっ》してあまり見《み》よいものではございませぬ。その頃《ころ》の私《わたくし》は、もう幾度《いくたび》も経験《けいけん》がありますので、さほどにも思《おも》いませんでしたが、初《はじ》めて人間《にんげん》の臨終《りんじゅう》に出会《であっ》た時《とき》は、何《なん》とまァ変怪《へん》なものかしらんと驚《おどろ》いて了《しま》いました。
最《も》う一《ひと》つおかしいのは肉体《にくたい》と幽体《ゆうたい》との間《あいだ》に紐《ひも》がついて居《い》ることで、一番《ばん》太《ふと》いのが腹《はら》と腹《はら》とを繋《つな》ぐ白《しろ》い紐《ひも》で、それは丁度《ちょうど》小指位《こゆびぐらい》の太《ふと》さでございます。頭部《あたま》の方《ほう》にもモー一本《ぽん》見《み》えますが、それは通例《つうれい》前《まえ》のよりもよほど細《ほそ》いようで……。無論《むろん》斯《こ》うして紐《ひも》で繋《つな》がれているのは、まだ絶息《ぜっそく》し切《き》らない時《とき》で、最後《さいご》の紐《ひも》が切《き》れた時《とき》が、それがいよいよその人《ひと》の死《し》んだ時《とき》でございます。
前《まえ》申《もう》すとおり、私《わたくし》が母《はは》の枕辺《まくらべ》に参《まい》りましたのは、その紐《ひも》が切《き》れる少《すこ》し前《まえ》でございました。母《はは》はその頃《ころ》モー七十位《ぐらい》、私《わたくし》が最後《さいご》にお目《め》にかかった時《とき》とは大変《たいへん》な相違《そうい》で、見《み》る影《かげ》もなく、老《お》いさらぼいて居《お》りました。私《わたくし》はすぐ耳元《みみもと》に近《ちか》づいて、『私《わたくし》でございます……』と申《もう》しましたが、人間同志《にんげんどうし》で、枕元《まくらもと》で呼《よ》びかわすのとは異《ちが》い、何《なに》やらそこに一重《ひとえ》隔《へだ》てがあるようで、果《はた》してこちらの意思《おもい》が病床《びょうしょう》の母《はは》に通《つう》じたか何《ど》うかと不安《ふあん》に感《かん》じられました。――尤《もっと》もこれは地上《ちじょう》の母《はは》に就《つ》いて申上《もうしあ》げることで、肉体《にくたい》を棄《す》てて了《しま》ってからの母《はは》の霊魂《たましい》とは、むろん自由自在《じゆうじざい》に通《つう》じたのでございます。母《はは》は帰幽後《きゆうご》間《ま》もなく意識《いしき》を取《と》りもどし、私《わたくし》とは幾度《いくたび》も幾度《いくたび》も逢《あ》って、いろいろ越《こ》し方《かた》の物語《ものがたり》に耽《ふけ》りました。母《はは》は、死《し》ぬる前《まえ》に、父《ちち》や私《わたくし》の夢《ゆめ》を見《み》たと言《い》って居《お》りましたが、もちろんそれはただの夢《ゆめ》ではないのです。つまり私達《わたくしたち》の意思《おもい》が夢《ゆめ》の形式《かたち》で、病床《びょうしょう》の母《はは》に通《つう》じたものでございましょう……。
それは兎《と》に角《かく》、あの時《とき》私《わたくし》は母《はは》の断末魔《だんまつま》の苦悶《くもん》の様《さま》を見《み》るに見兼《みか》ねて、一生《しょう》懸命《けんめい》母《はは》の躯《からだ》を撫《な》でてやったのを覚《おぼ》えています。これは只《ただ》の慰《なぐさ》めの言葉《ことば》よりも幾分《いくぶん》かききめがあったようで、母《はは》はそれからめっきりと楽《らく》になって、間《ま》もなく気息《いき》を引《ひ》きとったのでございました。すべて何事《なにごと》も赤心《まごころ》をこめて一心《しん》にやれば、必《かな》らずそれ丈《だけ》の事《こと》はあるもののようでございます。
母《はは》の臨終《りんじゅう》の光景《ありさま》について、モー一《ひと》つ言《い》い残《のこ》してならないのは、私《わたくし》の眼《め》に、現世《げんせ》の人達《ひとたち》と同時《どうじ》に、こちらの世界《せかい》の見舞者《みまいて》の姿《すがた》が映《うつ》ったことでございます。母《はは》の枕辺《まくらべ》には人間《にんげん》は約《やく》十人《にん》余《あま》り、何《いず》れも眼《め》を泣《な》きはらして、永《なが》の別《わか》れを惜《おし》んでいましたが、それ等《ら》の人達《ひとたち》の中《なか》で私《わたくし》が生前《せいぜん》存《ぞん》じて居《お》りましたのはたった二人《ふたり》ほどで、他《た》は見覚《みおぼ》えのない人達《ひとたち》ばかりでした。それからこちらの世界《せかい》からの見舞者《みまいて》は、第《だい》一が、母《はは》よりも先《さ》きへ歿《なくな》った父《ちち》、つづいて祖父《じじ》、祖母《ばば》、肉身《にくしん》の親類《しんるい》縁者《えんじゃ》、親《した》しいお友達《ともだち》、それから母《はは》の守護霊《しゅごれい》、司配霊《しはいれい》、産土《うぶすな》の御神使《おつかい》、……一々数《かぞ》えたらよほどの数《すう》に上《のぼ》ったでございましょう。兎《と》に角《かく》現世《げんせ》の見舞者《みまいて》よりはずっと賑《にぎや》かでございました。第《だい》一、双方《そうほう》の気分《きぶん》がすっかり異《ちが》います。一方《ほう》は自分達《じぶんたち》の仲間《なかま》から親《した》しい人《ひと》を失《うしな》うのでございますから、沈《しず》み切《き》って居《お》りますのに、他方《たほう》は自分達《じぶんたち》の仲間《なかま》に親《した》しき人《ひと》を一人《ひとり》迎《むか》えるのでございますから、寧《むし》ろ勇《いさ》んでいるような、陽気《ようき》な面持《おももち》をしているのでございます。こんな事《こと》は、私《わたくし》の現世生活中《げんせせいかつちゅう》には全《まった》く思《おも》いも寄《よ》らぬ事柄《ことがら》でございまして……。
他《た》にも気《き》づいた点《てん》がまだないではありませぬが、拙《へた》な言葉《ことば》でとても言《い》い尽《つく》せぬように思《おも》われますので、母《はは》の臨終《りんじゅう》の物語《ものがたり》は、一《ひ》と先《ま》ずこれ位《くらい》にして置《お》きましょう。
十四、守護霊との対面
第《だい》一期《き》の修行中《しゅぎょうちゅう》に経験《けいけん》した、重《おも》なる事柄《ことがら》につきては、以上《いじょう》で大体《だいたい》申上《もうしあ》げたつもりでございますが、ただもう一《ひと》つここで是非《ぜひ》とも言《い》い添《そ》えて置《お》かねばならないと思《おも》いますのは私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》の事《こと》でございます。誰《だれ》にも一人《ひとり》の守護霊《しゅごれい》が附《つ》いて居《お》ることは、心霊《しんれい》に志《こころざ》す方々《かたがた》の御承知《ごしょうち》の通《とお》りでございますが、私《わたくし》にも勿論《もちろん》一人《ひとり》の守護霊《しゅごれい》が附《つ》いて居《お》り、そしてその守護霊《しゅごれい》との関係《かんけい》はただ現世《げんせ》のみに限《かぎ》らず、肉体《にくたい》の死後《しご》も引《ひ》きつづいて[#「引きつづいて」は底本では「引きついゞて」]、切《き》っても切《き》れぬ因縁《いんねん》の絆《きずな》で結《むす》ばれて居《い》るのでございます。もっとも、そうした事柄《ことがら》がはっきり判《わか》りましたのはよほど後《のち》の事《こと》で、帰幽当時《きゆうとうじ》の私《わたくし》などは、自分《じぶん》に守護霊《しゅごれい》などと申《もう》すものが有《あ》るか、無《な》いかさえも全然《ぜんぜん》知《し》らなかったのでございます。で、私《わたくし》がこちらの世界《せかい》で初《はじ》めて自分《じぶん》の守護霊《しゅごれい》にお目《め》にかかった時《とき》は、少《すく》なからず意外《いがい》に感《かん》じまして、従《したが》ってその時《とき》の印象《いんしよう》は今《いま》でもはっきりと頭脳《あたま》に刻《きざ》まれて居《お》ります。
ある日《ひ》私《わたくし》が御神前《ごしんぜん》で、例《いつも》の通《とお》り深《ふか》い精神統一《せいしんとういつ》の状態《じょうたい》に入《はい》って居《い》た時《とき》でございます、意外《いがい》にも一人《ひとり》の小柄《こがら》の女性《じょせい》がすぐ眼《め》の前《まえ》に現《あら》われ、いかにも優《や》さしく、私《わたくし》を見《み》てにっこりと微笑《ほほえ》まれるのです。打見《うちみ》る所《ところ》、年齢《とし》は二十歳余《はたちあま》り、顔《かお》は丸顔《まるがお》の方《ほう》で、緻致《きりょう》はさしてよいとも言《い》われませぬが、何所《どこ》となく品位《ひんい》が備《そな》わり、雪《ゆき》なす富士額《ふしびたい》にくっきりと黛《まゆずみ》が描《えが》かれて居《お》ります。服装《ふくそう》は私《わたくし》の時代《じだい》よりはやや古《ふる》く、太《ふと》い紐《ひも》でかがった、広袖《ひろそで》の白衣《びゃくい》を纏《まと》い、そして下《した》に緋《ひ》の袴《はかま》を穿《は》いて居《い》るところは、何《ど》う見《み》ても御所《ごしよ》に宮仕《みやづか》えして居《い》る方《かた》のように窺《うかが》われました。
意外《いがい》なのは、この時《とき》初《はじ》めてお目《め》に懸《かか》ったばかりの、全然《ぜんぜん》未知《みち》のお方《かた》なのにも係《かかわ》らず、私《わたくし》の胸《むね》に何《なん》ともいえぬ親《した》しみの念《ねん》がむくむくと湧《わ》いて出《で》たことで……。それにその表情《ひょうじょう》、物《もの》ごしがいかにも不思議《ふしぎ》……先方《せんぽう》は丸顔《まるがお》、私《わたくし》は細面《ほそおもて》、先方《せんぽう》は小柄《こがら》、私《わたくし》は大柄《おおがら》、外形《がいけい》はさまで共通《きょうつう》の個所《かしょ》がないにも係《かかわ》らず、何所《どこ》とも知《し》れず二人《ふたり》の間《あいだ》に大変《たいへん》似《に》たところがあるのです。つまりは外面《うわべ》はあまり似《に》ないくせに、底《そこ》の方《ほう》でよく似《に》て居《い》ると言《い》った、よほど不思議《ふしぎ》な似方《にかた》なのでございます。
『あの、どなた様《さま》でございますか……。』
漸《ようや》く心《こころ》を落《おち》つけて私《わたくし》の方《ほう》から訊《たず》ねました。すると先方《せんぽう》は不相変《あいかわらず》にこやかに――
『あなたは何《なに》も知《し》らずに居《お》られたでしょうが、実《じつ》は自分《じぶん》はあなたの守護霊《しゅごれい》……あなたの一身上《いっしんじょう》の事柄《ことがら》は何《なに》も彼《か》も良《よ》う存《ぞん》じて居《お》るものなのです。時節《じせつ》が来《こ》ぬ為《た》めに、これまで蔭《かげ》に控《ひか》えて居《い》ましたが、これからは何事《なにごと》も話《はなし》相手《あいて》になって上《あ》げます。』
私《わたくし》は嬉《うれ》しいやら、恋《こい》しいやら、又《また》不思議《ふしぎ》やら、何《なに》が何《なに》やらよくは判《わか》らぬ複雑《ふくざつ》な感情《かんじょう》でその時《とき》初《はじ》めて自分《じぶん》の魂《たましい》の親《おや》の前《まえ》に自身《じしん》を投《な》げ出《だ》したのでした。それは丁度《ちょうど》、幼《おさな》い時《とき》から別《わか》れ別《わか》れになっていた母《はは》と子《こ》が、不図《ふと》どこかでめぐり合《あ》った場合《ばあい》に似通《にかよ》ったところがあるかも知《し》れませぬ。何《いず》れにしてもこの一事《じ》は私《わたくし》にとりてまことに意外《いがい》な、又《また》まことに意義《いぎ》のある貴《とうと》い経験《けいけん》でございました。
激《はげ》しい昂奮《こうふん》から冷《さ》めた私《わたくし》は、もちろん私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》に向《むか》っていろいろと質問《しつもん》の矢《や》を放《はな》ち、それでも尚《な》お腑《ふ》に落《お》ちぬ個所《ところ》があれば、指導役《しどうやく》のお爺様《じいさま》にも根掘《ねほ》り葉掘《はほ》り問《と》[#ルビの「と」は底本では「か」]いつめました。お蔭《かげ》で私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》の素性《すじょう》はもとより、人間《にんげん》と守護霊《しゅごれい》の関係《かんけい》、その他《た》に就《つ》きて大凡《おおよそ》の事《こと》が漸《ようや》く会得《えとく》[#ルビの「えとく」は底本では「えと」]されるようになりました。――あの、それを残《のこ》らず爰《ここ》で物語《ものがた》れと仰《お》っしゃるか……宜《よろ》しうございます。何《なに》[#ルビの「なに」は底本では「なこ」]も御道《おみち》の為《た》めとあれば、私《わたくし》の存《ぞん》じて居《い》る限《かぎ》りは逐一《ちくいち》申上《もうしあ》げて了《しま》いましょう。話《はなし》が少《すこ》し堅《かと》うございまして、何《なに》やら青表紙臭《あおびょうしくさ》くなるかも存《ぞん》じませぬが、それは何卒《なにとぞ》大目《おおめ》に見逃《みのが》がして戴《いただ》きます。又《また》私《わたくし》の申上《もうしあ》げることにどんな誤謬《あやまち》があるかも計《はか》りかねますので、そこはくれぐれもただ一つの参考《さんこう》にとどめて戴《いただ》きたいのでございます。私《わたくし》はただ神様《かみさま》やら守護霊様《しゅごれいさま》からきかされたところをお取次《とりつ》ぎするのですから、これが誤謬《あやまり》のないものだとは決《けっ》して言《い》い張《は》るつもりはございませぬ……。
十五、生みの親魂の親
成《なる》るべく話《はなし》の筋道《すじみち》が通《とお》るよう、これからすべてを一と纏《まと》めにして、私《わたくし》が長《なが》い年月《としつき》の間《あいだ》にやっとまとめ上《あ》げた、守護霊《しゅごれい》に関《かん》するお話《はなし》を順序《じゅんじょ》よく申上《もうしあ》げて見《み》たいと存《ぞん》じます。それにつきては、少《すこ》し奥《おく》の方《ほう》まで溯《さかのぼ》って、神様《かみさま》と人間《にんげん》との関係《かんけい》から申上《もうしあ》げねばなりませぬ。
昔《むかし》の諺《ことわざ》に『人《ひと》は祖《そ》に基《もとづ》き、祖《そ》は神《かみ》に基《もとづ》く』とやら申《もう》して居《お》りますが、私《わたくし》はこちらの世界《せかい》へ来《き》て見《み》て、その諺《ことわざ》の正《ただ》しいことに気《き》づいたのでございます。神《かみ》と申《もう》しますのは、人間《にんげん》がまだ地上《ちじょう》に生《うま》れなかった時代《じだい》からの元《もと》の生神《いきがみ》、つまりあなた方《がた》の仰《お》っしゃる『自我《じが》の本体《ほんたい》』又《また》は高級《こうきゅう》の『自然霊《しぜんれい》』なのでございます。畏《おそ》れ多《おお》くはございますが、我国《わがくに》の御守護神《ごしゅごしん》であらせられる邇々藝命様《ににぎのみことさま》を始《はじ》め奉《たてまつ》り、邇々藝命様《ににぎのみことさま》に随《したが》って降臨《こうりん》された天児屋根命《あまのこやねのみこと》、天太玉命《あまのふとだまのみこと》などと申《もう》す方々《かたがた》も、何《いず》れも皆《みな》そうした生神様《いきがみさま》で、今《いま》も尚《な》お昔《むかし》と同《おな》じく地《ち》の神界《しんかい》にお働《はたら》き遊《あそ》ばしてお出《い》でになられます。その本来《ほんらい》のお姿《すがた》は白《しろ》く光《ひか》った球《たま》の形《かたち》でございますが、余《よ》ほど真剣《しんけん》な気持《きもち》で深《ふか》い統一状態《とういつじょうたい》に入《はい》らなければ、私《わたくし》どもにもそのお姿《すがた》を拝《はい》することはできませぬ。まして人間《にんげん》の肉眼《にくがん》などに映《うつ》る気《き》づかいはございませぬ。尤《もっと》もこの球《たま》の形《かたち》は、凝《じっ》とお鎮《しず》まり遊《あそ》ばした時《とき》の本来《ほんらい》のお姿《すがた》でございまして、一たんお働《はたら》きかけ遊《あそ》ばしました瞬間《しゅんかん》には、それぞれ異《こと》なった、世《よ》[#ルビの「よ」は底本では「せ」]にも神々《こうごう》しい御姿《おすがた》にお変《かわ》り遊《あそ》ばします。更《さら》に又《また》何《なに》かの場合《ばあい》に神々《かみがみ》がはげしい御力《おちから》を発揮《はっき》される場合《ばあい》には荘厳《そうごん》と言《い》おうか、雄大《ゆうだい》と申《もう》そうか、とても筆紙《ひっし》に尽《つく》されぬ、あの怖《おそ》ろしい竜姿《りゅうし》をお現《あら》わしになられます。一つの姿《すがた》から他《た》の姿《すがた》に移《うつ》り変《かわ》ることの迅《はや》さは、到底《とうてい》造《つく》り附《つ》けの肉体《にくたい》で包《つつ》まれた、地上《ちじょう》の人間《にんげん》の想像《そうぞう》の限《かぎ》りではございませぬ。
無論《むろん》これ等《ら》の元《もと》の生神様《いきがみさま》からは、沢山《たくさん》の御分霊《ごぶんれい》……つまり御子様《おこさま》がお生《うま》れになり、その御分霊《ごぶんれい》から更《さら》に又《また》御分霊《ごぶんれい》が生《うま》れ、神界《しんかい》から霊界《れいかい》、霊界《れいかい》から幽界《ゆうかい》へと順々《じゅんじゅん》に階段《かいだん》がついて居《お》ります。つまりすべてに亘《わた》りて連絡《れんらく》はとれて居《お》り乍《なが》ら、しかしそのお受持《うけもち》がそれぞれ異《ちが》うのでございます。こちらの世界《せかい》をたった一つの、無差別《むさべつ》の世界《せかい》と考《かんが》えることは大変《たいへん》な間違《まちが》いで、例《たと》えば邇々藝命様《ににぎのみことさま》に於《お》かれましても、一番《ばん》奥《おく》の神界《しんかい》に於《お》てお指図《さしず》遊《あそ》ばされる丈《だけ》で、その御命令《ごめいれい》はそれぞれの世界《せかい》の代表者《だいひょうしゃ》、つまりその御分霊《ごぶんれい》の神々《かみがみ》に伝《つた》わるのでございます。おこがましい申分《もうしぶん》かは存《ぞん》じませぬが、その点《てん》の御理解《ごりかい》が充分《じゅうぶん》でないと、地上《ちじょう》に人類《じんるい》の発生《はっせい》した径路《いきさつ》がよくお判《わか》りにならぬと存《ぞん》じます。稀薄《きはく》で、清浄《せいじょう》で、殆《ほと》んど有《あ》るか無《な》きかの、光《ひかり》の凝塊《かたまり》と申上《もうしあ》げてよいようなお形態《からだ》をお有《も》ち遊《あそ》ばされた高《たか》い神様《かみさま》が、一足《そく》跳《と》びに濃《こ》く鈍《にぶ》い物質《ぶっしつ》の世界《せかい》へ、その御分霊《ごぶんれい》を植《う》え附《つ》けることは到底《とうてい》できませぬ。神界《しんかい》から霊界《れいかい》、霊界《れいかい》から幽界《ゆうかい》へと、だんだんにそのお形態《からだ》を物質《ぶっしつ》に近《ちか》づけてあったればこそ、ここに初《はじ》めて地上《ちじょう》に人類《じんるい》の発生《はっせい》すべき段取《だんどり》に進《すす》み得《え》たのであると申《もう》すことでございます。そんな面倒《めんどう》な手続《てつづき》を踏《ふ》んであってさえも、幽《ゆう》から顕《けん》に、肉体《にくたい》のないものから肉体《にくたい》のあるものに、移《うつ》り変《かわ》るには、実《じつ》に容易《ようい》ならざる御苦心《ごくしん》と、又《また》殆《ほと》んど数《かぞ》えることのできない歳月《としつき》を閲《けみ》したということでございます。一番《ばん》困《こま》るのは物質《ぶっしつ》というものの兎角《とかく》崩《くず》れ易《やす》いことで、いろいろ工夫《くふう》して造《つく》って見《み》ても、皆《みな》半途《はんと》で流《なが》れて了《しま》い、立派《りっぱ》に魂《たましい》の宿《やど》になるような、完全《かんぜん》な人体《じんたい》は容易《ようい》に出来上《できあが》らなかったそうでございます。その順序《じゅんじょ》、方法《ほうほう》、又《また》発生《はっせい》の年代等《ねんだいとう》に就《つ》きても、或《あ》る程度《ていど》まで神様《かみさま》から伺《うかが》って居《お》りますが、只今《ただいま》それを申上《もうしあ》げている遑《いとま》はございませぬ。いずれ改《あらた》めて別《べつ》の機会《きかい》に申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。
兎《と》に角《かく》、現在《げんざい》の人間《にんげん》と申《もう》すものが、最初《さいしょ》神《かみ》の御分霊《ごぶんれい》を受《う》けて地上《ちじょう》に生《うま》れたものであることは確《たし》かでございます。もっとくわしくいうと、男女《なんによ》両柱《ふたはしら》の神々《かみがみ》がそれぞれ御分霊《ごぶんれい》を出《だ》し、その二つが結合《けつごう》して、ここに一つの独立《どくりつ》した身魂《みたま》が造《つく》られたのでございます。その際《さい》何《ど》うして男性《だんせい》女性《じょせい》の区別《くべつ》[#ルビの「くべつ」は底本では「へべつ」]が生《しょう》ずるかと申《もう》すことは、世《よ》にも重大《じゅうだい》なる神界《しんかい》の秘事《ひじ》でございますが、要《よう》するにそれは男女《なんによ》何《いず》れかが身魂《みたま》の中枢《ちゅうすう》を受持《うけも》つかできまる事《こと》だそうで、よく気《き》をつけて、天地《てんち》の二神《しん》誓約《うけい》の段《くだり》に示《しめ》された、古典《こてん》の記録《きろく》を御覧《ごらん》になれば大体《だいたい》の要領《ようりょう》はつかめるとのことでございます。
さて最初《さいしょ》地上《ちじょう》に生《うま》れ出《い》でた一人《ひとり》の幼児《おさなご》――無論《むろん》それは力《ちから》も弱《よわ》く、智慧《ちえ》もとぼしく、そのままで無事《ぶじ》に生長《せいちょう》し得《う》る筈《はず》はございませぬ。誰《だれ》かが傍《そば》から世話《せわ》をしてくれなければとても三日《か》とは生《い》きて居《お》られる筈《はず》はございませぬ。そのお世話掛《せわがかり》がつまり守護霊《しゅごれい》と申《もう》すもので、蔭《かげ》から幼児《おさなご》の保護《ほご》に当《あた》るのでございます。もちろん最初《さいしょ》は父母《ふぼ》の霊《れい》、殊《こと》に母《はは》の霊《れい》の熱心《ねっしん》なお手伝《てつだい》もありますが、だんだん生長《せいちょう》すると共《とも》に、ますます守護霊《しゅごれい》の働《はたら》きが加《くわ》わり、最後《しまい》には父母《ふぼ》から離《はな》れて立派《りっぱ》に一本《ぽん》立《だ》ちの身《み》となって了《しま》います。ですから生《うま》れた子供《こども》の性質《せいしつ》や容貌《ようぼう》は、或《あ》る程度《ていど》両親《りょうしん》に似《に》て居《い》ると同時《どうじ》に、又《また》大変《たいへん》に守護霊《しゅごれい》の感化《かんか》を受《う》け、時《とき》とすれば殆《ほと》んど守護霊《しゅごれい》の再来《さいらい》と申《もう》しても差支《さしつかえ》ない位《くらい》のものも少《すくな》くないのでございます。古事記《こじき》の神代《しんだい》の巻《まき》に、豐玉姫《とよたまひめ》からお生《うま》れになられたお子様《こさま》を、妹《いもうと》の玉依姫《たまよりひめ》が養育《よういく》されたとあるのは、つまりそう言《い》った秘事《ひじ》を暗示《あんじ》されたものだと承《うけたまは》ります。
申《もう》すまでもなく子供《こども》の守護霊《しゅごれい》になられるものは、その子供《こども》の肉親《にくしん》と深《ふか》い因縁《いんねん》の方《かた》……つまり同一系統《どういつけいとう》の方《かた》でございまして、男子《だんし》には男性《だんせい》の守護霊《しゅごれい》、女子《じょし》には女性《じょせい》の守護霊《しゅごれい》が附《つ》くのでございます。人類《じんるい》が地上《ちじょう》に発生《はっせい》した当初《とうしょ》は、専《もっぱ》ら自然霊《しぜんれい》が守護霊《しゅごれい》の役目《やくめ》を引《ひ》き受《う》けたと申《もう》すことでございますが、時代《じだい》が過《す》ぎて、次第《しだい》に人霊《じんれい》の数《かず》が加《くわ》わると共《とも》に、守護霊《しゅごれい》はそれ等《ら》の中《なか》から選《えら》ばれるようになりました。むろん例外《れいがい》はありましょうが、現在《げんざい》では数百年前《すうひゃくねんぜん》乃至《ないし》千年《ねん》二千年《ねん》前《ぜん》に帰幽《きゆう》した人霊《じんれい》が、守護霊《しゅごれい》として主《おも》に働《はたら》いているように見受《みう》けられます。私《わたくし》などは帰幽後《きゆうご》四百年余《ねんあま》りで、さして新《あた》らしい方《ほう》でも、又《また》さして古《ふる》い方《ほう》でもございませぬ。
こんな複雑《こみい》った事柄《ことがら》を、私《わたくし》の拙《つたな》い言葉《ことば》でできる丈《だけ》簡単《かんたん》にかいつまんで申上《もうしあ》げましたので、さぞお判《わか》りにくい事《こと》であろうかと恐縮《きょうしゅく》して居《い》る次第《しだい》でございますが、わたくしの言葉《ことば》の足《た》りないところは、何卒《なにとぞ》あなた方《がた》の方《ほう》でよきようにお察《さっ》しくださるようお願《ねが》い致《いた》します。
十六、守護霊との問答
岩屋《いわや》の修行中《しゅぎょうちゅう》に私《わたくし》が自分《じぶん》の守護霊《しゅごれい》と初《はじ》めて逢《あ》ったお話《はなし》を申上《もうしあ》げたばかりに、ツイ斯《こ》んな長談議《ながだんぎ》を致《いた》して了《しま》いました。斯《こ》んな拙《つたな》い話《はなし》が幾分《いくぶん》たりともあなた方《がた》の御参考《ごさんこう》になればこの上《うえ》もなき僥倖《しあわせ》でございます。
序《ついで》に、その際《さい》私《わたくし》と私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》との間《あいだ》に行《おこな》われた問答《もんどう》の一部《ぶ》を一応《おう》お話《はな》し致《いた》して置《お》きましょう。格別《かくべつ》面白《おもしろ》くもございませぬが、私《わたくし》にとりましてはこれでも忘《わす》れ難《がた》い想《おも》い出《で》の種子《たね》なのでございます。
問『あなたが私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》であると仰《お》っしゃるなら、何故《なぜ》もっと早《はや》くお出《で》ましにならなかったのでございますか? 今迄《いままで》私《わたくし》はお爺様《じいさま》ばかりを杖《つえ》とも柱《はしら》とも依《たよ》りにして、心細《こころぼそ》い日《ひ》を送《おく》って居《お》りましたが、若《も》しもあなたのような優《や》さしい御方《おかた》が最初《さいしょ》からお世話《せわ》をして下《くだ》さったら、どんなにか心強《こころづよ》いことであったでございましたろう……。』
答『それは一応《おう》尤《もっと》もなる怨言《うらみごと》であれど、神界《しんかい》には神界《しんかい》の掟《おきて》というものがあるのです。あのお爺様《じいさま》は昔《むかし》から産土神《うぶすな》のお神使《つかい》として、新《あら》たに帰幽《きゆう》した者《もの》を取扱《とりあつか》うことにかけてはこの上《うえ》もなくお上手《じょうず》で、とても私《わたくし》などの足元《あしもと》にも及《およ》ぶことではありませぬ。私《わたくし》などは修行《しゅぎょう》も未熟《みじゅく》、それに人情味《にんじょうみ》と言《い》ったようなものが、まだまだ大《たい》へんに強過《つよす》ぎて、思《おも》い切《き》ってきびしい躾《しつけ》を施《ほどこ》す勇気《ゆうき》のないのが何《なに》よりの欠点《けってん》なのです。あなたの帰幽《きゆう》当時《とうじ》の、あの烈《はげ》しい狂乱《きょうらん》と執着《しゅうじゃく》……とても私《わたくし》などの手《て》に負《お》えたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役《もりやく》の私《わたくし》までが、あの昂奮《こうふん》の渦《うず》の中《なか》に引《ひ》き込《こ》まれて、徒《いたず》らに泣《な》いたり、怨《うら》んだりすることになったかも知《し》れませぬ。かたがた私《わたくし》としては態《わざ》とさし控《ひか》えて蔭《かげ》から見守《みまも》って居《い》る丈《だけ》にとどめました。結局《けっきょく》そうした方《ほう》があなたの身《み》の為《た》めになったのです……。』
問『では今《いま》までただお姿《すがた》を見《み》せないという丈《だけ》で、あなた様《さま》は私《わたくし》の狂乱《きょうらん》の状態《じょうたい》を蔭《かげ》からすっかり御覧《ごらん》になっては居《お》られましたので……。』
答『それはもちろんのことでございます。あなたの一身上《いっしんじょう》の事柄《ことがら》は、現世《げんせ》に居《お》った時《とき》のことも、又《また》こちらの世界《せかい》に移《うつ》ってからの事《こと》も、一切《いっさい》知《し》り抜《ぬ》いて居《お》ります。それが守護霊《しゅごれい》というものの役目《やくめ》で、あなたの生活《せいかつ》は同時《どうじ》に又《また》大体《だいたい》私《わたくし》の生活《せいかつ》でもあったのです。私《わたくし》の修行《しゅぎょう》が未熟《みじゅく》なばかりに、随分《ずいぶん》あなたにも苦労《くろう》をさせました……。』
問『まあ勿体《もったい》ないお言葉《ことば》、そんなに仰《おお》せられますと私《わたくし》は穴《あな》へも入《はい》りたい思《おも》いがいたします……。それにしてもあなた様《さま》は何《なん》と仰《お》っしゃる御方《おかた》で、そしていつ頃《ごろ》の時代《じだい》に現世《げんせ》にお生《うま》れ遊《あそば》されましたか……。』
答『改《あらた》めて名告《なの》るほどのものではないのですが、斯《こ》うした深《ふか》い因縁《いんねん》の絆《きずな》で結《むす》ばれている上《うえ》からは、一《ひ》と通《とお》り自分《じぶん》の素性《すじょう》を申上《もうしあ》げて置《お》くことに致《いた》しましょう。私《わたくし》はもと京《きょう》の生《うま》れ、父《ちち》は粟屋左兵衞《あわやさひょうえ》と申《もう》して禁裡《きんり》に仕《つか》えたものでございます。私《わたくし》の名《な》は佐和子《さわこ》、二十五歳《さい》で現世《げんせ》を去《さ》りました。私《わたくし》の地上《ちじょう》に居《お》った頃《ころ》は朝廷《ちょうてい》が南《みなみ》と北《きた》との二《ふた》つに岐《わか》れ、一方《ぽう》には新田《にった》、楠木《くすのき》などが控《ひか》え、他方《たほう》には足利《あしかが》その他《た》東国《とうごく》の武士《ぶし》どもが附《つ》き随《したが》い、殆《ほと》んど連日《れんじつ》戦闘《たたかい》のない日《ひ》とてもない有様《ありさま》でした……。私《わたくし》の父《ちち》は旗色《はたいろ》の悪《わる》い南朝方《なんちょうがた》のもので、従《したが》って私《わたくし》どもは生前《せいぜん》に随分《ずいぶん》数々《かずかず》の苦労《くろう》辛酸《しんさん》を嘗《な》めました……。』
問『まあそれはお気《き》の毒《どく》なお身《み》の上《うえ》……私《わたくし》の身《み》に引《ひ》きくらべて、心《こころ》からお察《さっ》し致《いた》します……。それにしても二十五歳《さい》で歿《なく》なられたとの事《こと》でございますが、それまでずっとお独身《ひとりみ》で……。』
答『独身《ひとりみ》で居《お》りましたが、それには深《ふか》い理由《わけ》があるのです……。実《じつ》は……今更《いまさら》物語《ものがた》るのもつらいのですが、私《わたくし》には幼《おさな》い時《とき》から許嫁《いいなつけ》の人《ひと》がありました。そして近《ちか》い内《うち》に黄道吉日《こうどうきちにち》を択《えら》んで、婚礼《こんれい》の式《しき》を挙《あ》げようとしていた際《さい》に、不図《ふと》起《おこ》りましたのがあの戦乱《せんらん》、間《ま》もなく良人《おっと》となるべき人《ひと》は戦場《せんじょう》の露《つゆ》と消《き》え、私《わたくし》の若《わか》き日《ひ》の楽《たの》しい夢《ゆめ》は無残《むざん》にも一朝《ちょう》にして吹《ふ》き散《ち》らされて了《しま》いました……。それからの私《わたくし》はただ一個《こ》の魂《たましい》の脱《ぬ》けた生《い》きた骸《むくろ》……丁度《ちょうど》蝕《むしば》まれた花《はな》の蕾《つぼみ》のしぼむように、次第《しだい》に元気《げんき》を失《うしな》って、二十五の春《はる》に、さびしくポタリと地面《じべた》に落《お》ちて了《しま》ったのです。あなたの生涯《しょうがい》も随分《ずいぶん》つらい一生《しょう》ではありましたが、それでも私《わたくし》のにくらぶれば、まだ遥《はる》かに花《はな》も実《み》もあって、どれ丈《だけ》幸福《しあわせ》だったか知《し》れませぬ。上《うえ》を見《み》れば限《かぎ》りもないが、下《した》を見《み》ればまだ際限《さいげん》もないのです。何事《なにごと》も皆《みな》深《ふか》い深《ふか》い因縁《いんねん》の結果《けっか》とあきらめて、お互《たがい》に無益《むやく》の愚痴《ぐぢ》[#ルビの「ぐぢ」はママ]などはこぼさぬことに致《いた》しましょう。お爺様《じいさま》の御指導《ごしどう》のお蔭《かげ》で近頃《ちかごろ》のあなたはよほど立派《りっぱ》にはなりましたが、まだまだあきらめが足《た》りないように思《おも》います。これからは私《わたくし》もちょいちょい見《み》まわりにまいり、ともども向上《こうじょう》を図《はか》りましょう……。』
その日《ひ》の問答《もんどう》は大体《だいたい》斯《こ》んなところで終《おわ》りましたが、斯《こ》うした一人《ひとり》のやさしい指導者《しどうしゃ》が見《み》つかったことは、私《わたくし》にとりて、どれ丈《だけ》の心強《こころづよ》さであったか知《し》れませぬ。その後《ご》私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》は約束《やくそく》のとおり、しばしば私《わたくし》の許《もと》に訪《おとず》れて、いろいろと有難《ありがた》い援助《たすけ》を与《あた》えてくださいました。私《わたくし》は心《こころ》から私《わたくし》のやさしい守護霊《しゅごれい》に感謝《かんしゃ》して居《い》るものでございます。
十七、第二の修行場
私《わたくし》の最初《さいしょ》の修行場《しゅぎょうば》――岩屋《いわや》の中《なか》での物語《ものがたり》は一《ひ》と先《ま》ずこの辺《へん》でくぎりをつけまして、これから第《だい》二の山《やま》の修行場《しゅぎょうば》の方《ほう》に移《うつ》ることに致《いた》しましょう。修行場《しゅぎょうば》の変更《へんこう》などと申《もう》しますと、現世式《げんせしき》に考《かんが》えれば、随分《ずいぶん》億劫《おつくう》な、何《なに》やらどさくさした、うるさい仕事《しごと》のように思《おも》われましょうが、こちらの世界《せかい》の引越《ひきこ》しは至極《しごく》あっさりしたものでございます。それは場所《ばしょ》の変更《へんこう》と申《もう》すよりは、むしろ境涯《きょうがい》の変更《へんこう》、又《また》は気分《きぶん》の変更《へんこう》と申《もう》すものかも知《し》れませぬ。現《げん》にあの岩屋《いわや》にしても、最初《さいしょ》は何《なに》やら薄暗《うすぐら》い陰鬱《いんうつ》な処《ところ》のように感《かん》ぜられましたが、それがいつとはなしにだんだん明《あか》るくなって、最後《しまい》には全然《ぜんぜん》普通《ふつう》の明《あか》るさ、些《すこ》しも穴《あな》の内部《なか》という感《かん》じがしなくなり、それに連《つ》れて私自身《わたくしじしん》の気持《きもち》もずっと晴《は》れやかになり、戸外《そと》へ出掛《でか》けて漫歩《そぞろあるき》でもして見《み》たいというような風《ふう》になりました。たしかにこちらでは気分《きぶん》と境涯《きょうがい》とがぴッたり一致《ち》しているもののように感《かん》ぜられます。
ある日《ひ》私《わたくし》がいつになく統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》に倦《あ》きて、岩屋《いわや》の入口《いりぐち》まで何《なん》とはなしに歩《あゆ》み出《で》た時《とき》のことでございました。ひょっくりそこへ現《あら》われたのが例《れい》の指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんでした。――
『そなたは戸外《そと》へ出《で》たがっているようじゃナ。』
図星《ずぼし》をさされて私《わたくし》は少《すこ》しきまりが悪《わる》く感《かん》じました。
『お爺《じい》さま、何《ど》ういうものか今日《けふ》は気《き》が落付《おちつ》かないで困《こま》るのでございます……。私《わたくし》はどこかへ遊《あそ》びに出掛《でか》けたくなりました。』
『遊《あそ》びに出《で》たい時《とき》には出《で》ればよいのじゃ。俺《わし》がよい場所《ばしょ》へ案内《あんない》してあげる……。』
お爺《じい》さんまでが今日《けふ》はいつもよりも晴々《はればれ》しい面持《おももち》で誘《さそ》[#ルビの「さそ」は底本では「さを」]って下《くだ》さいますので、私《わたくし》も大《たい》へんうれしい気分《きぶん》になって、お爺《じい》さんの後《あと》について出掛《でか》けました。
岩屋《いわや》から少《すこ》し参《まい》りますと、モーそこはすぐ爪先上《つまさきあが》りになって、右《みぎ》も左《ひだり》も、杉《すぎ》や松《まつ》や、その他《た》の常盤木《ときわぎ》のしんしんと茂《しげ》った、相当《そうとう》険《けわ》しい山《やま》でございます。あの、現界《げんかい》の景色《けしき》と同一《どういつ》かと仰《おつ》ッしゃるか……左様《さよう》でございます。格別《かくべつ》異《ちが》っても居《お》りませぬが、ただ現界《げんかい》の山《やま》よりは何《なに》やら奥深《おくぶか》く、神《かみ》さびて、ものすごくはないかと感《かん》じられる位《くらい》のものでございます。私達《わたくしたち》の辿《たど》る小路《こみち》のすぐ下《した》は薄暗《うすぐら》い谿谷《たに》になって居《い》て、樹叢《しげみ》の中《なか》をくぐる水音《みずおと》が、かすかにさらさらと響《ひび》いていましたが、気《き》の故《せい》か、その水音《みずおと》までが何《なん》となく沈《しず》んで聞《きこ》えました。
『モー少《すこ》し行《い》った所《ところ》に大《たい》へんに良《よ》い山《やま》の修行場《しゅぎょうば》がある。』とお爺《じい》さんは道々《みちみち》私《わたくし》に話《はな》[#ルビの「はな」は底本では「はなし」]しかけます。
『多分《たぶん》そちの気《き》に入《い》るであろうと思《おも》うが、兎《と》も角《かく》も一応《おう》現場《げんじょう》へ行《い》って見《み》るとしようか……。』
『何卒《どうぞ》お願《ねが》い致《いた》します……。』
私《わたくし》はただちょっと見物《けんぶつ》する位《くらい》のつもりで軽《かる》く御返答《ごへんじ》をしたのでした。
間《ま》もなく一つの険《けわ》しい坂《さか》を登《のぼ》りつめると、其処《そこ》はやや平坦《へいたん》な崖地《がけち》になっていました。そして四辺《あたり》にはとても枝《えだ》ぶりのよい、見上《みあ》げるような杉《すぎ》の大木《たいぼく》がぎッしりと立《た》ち並《なら》んで居《あ》りましたが、その中《なか》の一番《ばん》大《おお》きい老木《ろうぼく》には注連縄《しめなわ》が張《は》ってあり、そしてその傍《かたわら》に白木造《しらきづく》りの、小《ちい》さい建物《たてもの》[#ルビの「たてもの」は底本では「てもの」]がありました。四方《しほう》を板囲《いたがこ》いにして、僅《わず》かに正面《しょうめん》の入口《いりぐち》のみを残《のこ》し、内部《なか》は三坪《つぼ》ばかりの板敷《いたじき》、屋根《やね》は丸味《まるみ》のついたこけら葺《ぶ》き、どこにも装飾《そうしょく》らしいものはないのですが、ただすべてがいかにも神《かむ》さびて、屋根《やね》にも、柱《はしら》にも、古《ふる》い苔《こけ》が厚《あつ》く蒸《む》して居《お》り、それが塵《ちり》一《ひと》つなき、飽《あく》まで浄《きよ》らかな環境《かんきょう》としっくり融《と》け合《あ》って居《お》りますので、実《じつ》に何《なん》ともいえぬ落付《おちつ》きがありました。私《わたくし》は覚《おぼ》えず叫《さけ》びました。
『まァ何《なん》という結構《けっこう》な所《ところ》でございましょう! 私《わたくし》、こんなところで暮《くら》しとうございます……。』
するとお爺《じい》さんは満足《まんぞく》らしい微笑《びしょう》を老顔《ろうがん》に湛《たた》へて、徐《おもむ》ろに言《い》われました。――
『実《じつ》はここがそちの修行場《しゅぎょうば》なのじゃ。モー別《べつ》に下《した》の岩屋《いわや》に帰《かえ》るにも及《およ》ばぬ。早速《さっそく》内部《なか》へ入《はい》って見《み》るがよい。何《なに》も彼《か》も一切《さい》取《と》り揃《そろ》えてあるから……。』
私《わたくし》[#ルビの「わたくし」は底本では「たわたくし」]はうれしくもあれば、また意外《いがい》でもあり、言《い》わるるままに急《いそ》いで建物《たてもの》の内部《なか》へ入《はい》って見《み》ますと、中央《ちゅうおう》正面《しょうめん》の白木《しらき》の机《つくえ》の上《うえ》には果《はた》して日頃《ひごろ》信仰《しんこう》の目標《まと》である、例《れい》の御神鏡《みかがみ》がいつの間《ま》にか据《す》えられて居《お》り、そしてその側《わき》には、私《わたくし》の母《はは》の形見《かたみ》の、あのなつかしい懐剣《かいけん》までもきちんと載《の》せられてありました。
私《わたくし》はわれを忘《わす》れて御神前《ごしんぜん》に拝跪《はいき》して心《こころ》から感謝《かんしゃ》の言葉《ことば》を述《の》べたことでございました。
大体《だいたい》これが岩屋《いわや》の修行場《しゅぎょうば》から山《やま》の修行場《しゅぎょうば》へ引越《ひきこ》した時《とき》の実況《じっきょう》でございます。現世《げんせ》の方《かた》から見《み》れば一片《ぺん》の夢物語《ゆめものがたり》のように聴《きこ》えるでございましょうが、そこが現世《げんせ》と幽界《ゆうかい》との相違《そうい》なのだから何《なん》とも致方《いたしかた》がございませぬ。私《わたくし》どもとても、幽界《ゆうかい》に入《はい》ったばかりの当座《とうざ》は、何《なに》やらすべてがたよりなく、又《また》飽気《あっけ》なく思《おも》われて仕方《しかた》がなかったもので……。しかしだんだん慣《な》れて来《く》ると矢張《やは》りこちらの生活《せいかつ》の方《ほう》が結構《けっこう》に感《かん》じられて来《き》ました。僅《わず》か半里《はんり》か一里《り》の隣《とな》りの村《むら》に行《ゆ》くのにさえ、やれ従者《とも》だ、輿物《のりもの》だ、御召換《おめしがえ》だ……、半日《はんにち》もかかって大騒《おおさわ》ぎをせねばならぬような、あんな面倒臭《めんどうくさ》い現世《げんせ》の生活《せいかつ》を送《おく》りながら、よくも格別《かくべつ》の不平《ふへい》も言《い》わずに暮《く》らせたものである……。私《わたくし》はだんだんそんな風《ふう》に感《かん》ずるようになったのでございます。何《いず》れ、あなた方《がた》にも、その味《あじ》がやがてお判《わか》りになる時《とき》が参《まい》ります……。
十八、竜神の話
山《やま》の修行場《しゅぎょうば》へ移《うつ》ってからの私《わたくし》は、何《なん》とはなしに気分《きぶん》がよほど晴《は》れやかになったらしいのが自分《じぶん》にも感《かん》ぜられました。主《おも》なる仕事《しごと》は矢張《やは》り御神前《ごしんぜん》に静座《せいざ》して精神統一《せいしんとういつ》をやるのでございますが、ただ合間《あいま》合間《あいま》に私《わたくし》はよく室外《そと》へ出《で》て、四辺《あたり》の景色《けしき》を眺《なが》めたり、鳥《とり》の声《こえ》に耳《みみ》をすませたりするようになりました。
前《まえ》にも申上《もうしあ》げた通《とお》り、私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》の所在地《しょざいち》は山《やま》の中腹《ちゅうふく》の平坦地《たいらち》で、崖《がけ》の上《うえ》に立《た》って眺《なが》めますと、立木《たちき》の隙間《すきま》からずっと遠方《えんぽう》が眼《め》に入《はい》り、なかなかの絶景《ぜっけい》でございます。どこにも平野《へいや》らしい所《ところ》はなく、見渡《みわた》すかぎり山《やま》又《また》山《やま》、高《たか》いのも低《ひく》いのも、又《また》色《いろ》の濃《こ》いのも淡《うす》いのも、いろいろありますが、どれも皆《みな》樹木《じゅもく》の茂《しげ》った山《やま》ばかり、尖《とが》った岩山《いわやま》などはただの一《ひと》つも見《み》えません。それ等《ら》が十重《とえ》二十重《はたえ》に重《かさ》なり合《あ》って絵巻物《えまきもの》をくり拡《ひろ》げているところは、全《まった》く素晴《すば》らしい眺《なが》めで、ツイうっとりと見《み》とれて、時《とき》の経《た》つのも忘《わす》れて了《しま》う位《くらい》でございます。
それから又《また》あちこちの木々《きぎ》の茂《しげ》みの中《なか》に、何《なん》ともいえぬ美《うつく》しい鳥《とり》の音《ね》が聴《きこ》えます。それは、昔《むかし》鎌倉《かまくら》の奥山《おくやま》でよくきき慣《な》れた時鳥《ほととぎす》の声《こえ》に幾分《いくぶん》似《に》たところもありますが、しかしそれよりはもッと冴《さ》えて、賑《にぎや》かで、そして複雑《こみい》った音色《ねいろ》でございます。ただ一人《ひとり》の話《はなし》相手《あいて》とてもない私《わたくし》はどれ丈《だけ》この鳥《とり》の音《ね》に慰《なぐさ》められたか知《し》れませぬ。どんな種類《しゅるい》の鳥《とり》かしらと、或《あ》る時《とき》念《ねん》の為《た》めにお爺《じい》さんに伺《うかが》って見《み》ましたら、それはこちらの世界《せかい》でもよほど珍《めず》らしい鳥《とり》で、現界《げんかい》には全然《ぜんぜん》棲《す》んでいないと申《もう》すことでございました。尤《もっと》も音色《ねいろ》が美《うつく》しい割《わり》に毛並《けなみ》は案外《あんがい》つまらない鳥《とり》で、ある時《とき》不図《ふと》近《ちか》くの枝《えだ》にとまっているところを見《み》ると、大《おほき》さは鳩位《はとぐらい》、幾分《いくぶん》現界《げんかい》の鷹《たか》に似《に》て、頚部《けいぶ》に長《なが》い毛《け》が生《は》えていました。幽界《ゆうかい》の鳥《とり》でも矢張《やは》り声《こえ》と毛並《けなみ》とは揃《そろ》わぬものかしらと感心《かんしん》したことでございました。
もう一《ひと》つ爰《ここ》の景色《けしき》の中《なか》で特《とく》に私《わたくし》の眼《め》を惹《ひ》いたものは、向《むか》[#ルビの「むか」は底本では「む」]って右手《みぎて》の山《やま》の中腹《ちゅうふく》に、青葉《おおば》がくれにちらちら見《み》える一《ひと》つの丹塗《にぬり》のお宮《みや》でございました。それはホンの三尺《じゃく》四方《ほう》位《くらい》の小《ちい》さい社《やしろ》なのですが、見渡《みわた》す限《かぎ》りただ緑《みどり》の一色《ひといろ》しかない中《なか》に、そのお宮丈《みやだけ》がくッきりと朱《あか》く冴《さ》えているので大《たい》へんに目立《めだ》つのでございます。私《わたくし》の心《こころ》は次第《しだい》に、そのお宮《みや》にひきつけられるようになりました。
で、ある日《ひ》お爺《じい》さんが見舞《みま》われた時《とき》私《わたくし》は訊《たず》ねました。――
『お爺《じい》さま、あそこに大《たい》そう美《うつく》しい、丹塗《にぬり》のお宮《みや》が見《み》えますが、あれはどなた様《さま》をお祀《まつ》りしてあるのでございますか。』
『あれは竜神様《りゅうじんさま》のお宮《みや》じゃ。これからは俺《わし》にばかり依《たよ》らず、直接《じか》に竜神様《りゅうじんさま》にもお依《たの》みするがよい……。』
『竜神様《りゅうじんさま》でございますか?』私《わたくし》は大《たい》へん意外《いがい》に感《かん》じまして、
『一体《たい》それは何《ど》ういう神様《かみさま》でございますか?』
『そろそろそちも竜神《りゅうじん》との深《ふか》い関係《かんけい》を知《し》って置《お》かねばなるまい。よほど奥深《おくふか》い事柄《ことがら》であるから、とても一度《ど》で腑《ふ》には落《お》ちまいが、その中《うち》だんだん判《わか》って来《く》る……。』
お爺《じい》さんはあたかも寺子屋《てらこや》のお師匠《ししょう》さんと言《い》った面持《おももち》で、いろいろ講釈《こうしゃく》をしてくださいました。お爺《じい》さまは斯《こ》んな風《ふう》に説《と》き出《だ》されました。――
『竜神《りゅうじん》というのは一《ひ》と口《くち》に言《い》えば元《もと》の活神《いきがみ》、つまり人間《にんげん》が現世《このよ》に現《あら》われる前《まえ》から、こちらの世界《せかい》で働《はたら》いている神々《かみがみ》じゃ。時《とき》として竜《りゅう》の姿《すがた》を現《あら》わすから竜神《りゅうじん》には相違《そうい》ないが、しかしいつもあんな恐《おそ》ろしい姿《すがた》で居《い》るのではない。時《とき》と場合《ばあい》でやさしい神《かみ》の姿《すがた》にもなれば、又《また》一《ひと》つの丸《まる》い球《たま》にもなる。現《げん》に俺《わし》なども竜神《りゅうじん》の一人《ひとり》であるが、そちの指導役《しどうやく》として現《あら》われる時《とき》は、いつも斯《こ》のような、老人《ろうじん》の姿《すがた》になっている……。ところで、この竜神《りゅうじん》と人間《にんげん》との関係《かんけい》であるが、人間《にんげん》の方《ほう》では、何《なに》も知《し》らずに、最初《さいしょ》から自分《じぶん》一《ひと》つの力《ちから》で生《うま》れたもののように思《おも》って居《い》るが、実《じつ》は人間《にんげん》は竜神《りゅうじん》の分霊《ぶんれい》、つまりその子孫《しそん》なのじゃ。ただ竜神《りゅうじん》はどこまでもこちらの世界《せかい》の者《もの》、人間《にんげん》は地《ち》の世界《せかい》の者《もの》であるから、幽《ゆう》から顕《けん》への移《うつ》りかわりの仕事《しごと》はまことに困難《こんなん》で、長《なが》い長《なが》い歳月《としつき》を経《へ》て漸《ようや》くのことでモノになったのじゃ。詳《くわ》しいことは後《あと》で追々《おいおい》話《はな》すとして、兎《と》に角《かく》人間《にんげん》は竜神《りゅうじん》の子孫《しそん》、汝《そち》とても元《もと》へ溯《さかのぼ》れば、矢張《やは》りさる尊《とうと》い竜神様《りゅうじんさま》の御末裔《みすえ》なのじゃ。これからはよくその事《こと》を弁《わきま》えて、あの竜神様《りゅうじんさま》のお宮《みや》へお詣《まい》りせねばならぬ。又《また》機会《おり》を見《み》て竜宮界《りゅうぐうかい》へも案内《あんない》し、乙姫様《おとひめさま》にお目通《めどお》りをさしてもあげる。』
お爺《じい》さんのお話《はなし》は、何《なに》やらまわりくどいようで、なかなか当時《とうじ》の私《わたくし》の腑《ふ》に落《お》ち兼《か》ねたことは申《もう》すまでもありますまい。殊《こと》におかしかったのが、竜宮界《りゅうぐうかい》だの、乙姫様《おとひめさま》だのと申《もう》すことで、私《わたくし》は思《おも》わず笑《わら》い出《だ》して了《しま》いました。――
『まァ竜宮《りゅうぐう》などと申《もう》すものが実際《じっさい》この世《よ》にあるのでございますか。――あれは人間《にんげん》の仮構事《つくりごと》ではないでしょうか……。』
『決《けっ》してそうではない。』とお爺《じい》さんは飽《あく》まで真面目《まじめ》に、『人間界《にんげんかい》に伝《つた》わる、あの竜宮《りゅうぐう》の物語《ものがたり》は実際《じっさい》こちらの世界《せかい》で起《おこ》った事実《じじつ》が、幾分《いくぶん》尾鰭《おひれ》をつけて面白《おもしろ》おかしくなっているまでじゃ。そもそも竜宮《りゅうぐう》と申《もう》すのは、あれは神々《かみがみ》のおくつろぎ遊《あそ》ばす所《ところ》……言《い》わば人間界《にんげんかい》の家庭《かてい》の如《ごと》きものじゃ。前《まえ》にものべた通《とお》り、こちらの世界《せかい》は造《つく》りつけの現界《げんかい》とは異《ことな》り、場所《ばしょ》も、家屋《かおく》も、又《また》姿《すがた》も、皆《みな》意思《おもい》のままにどのようにもかえられる。で、竜宮界《りゅうぐうかい》のみを竜神《りゅうじん》の世界《せかい》と思《おも》うのは大《おお》きな間違《まちがい》で、竜神《りゅうじん》の働《はたら》く世界《せかい》は、他《た》に限《かぎ》りもなく存在《そんざい》するのである。が、しかし神々《かみがみ》にとりて何《なに》よりもうれしいのは矢張《やは》りあの竜宮界《りゅうぐうかい》である。竜宮界《りゅうぐうかい》は主《おも》に乙姫様《おとひめさま》のお指図《さしず》で出来上《できあが》った、家庭的《かていてき》の理想境《りそうきょう》なのじゃ。』
『乙姫様《おとひめさま》と仰《お》ッしゃると……。』
『それは竜宮界《りゅうぐうかい》で一番《ばん》上《うえ》の姫神様《ひめかみさま》で、日本《にほん》の昔《むかし》の物語《ものがたり》に豐玉姫《とよたまひめ》とあるのがつまりその御方《おかた》じゃ。神々《かみがみ》のお好《この》みがあるので、他《ほか》にもさまざまの世界《せかい》があちこちに出来《でき》てはいるが、それ等《ら》の中《なか》で、何《なん》と申《もう》しても一番《ばん》立《た》ち優《まさ》っているのは矢張《やは》りこの竜宮界《りゅうぐうかい》じゃ。すべてがいかにも清《きよ》らかで、優雅《ゆうが》で、そして華美《はで》な中《なか》に何《なん》ともいえぬ神々《こうごう》しいところがある。とても俺《わし》の口《くち》で述《の》べ尽《つく》せるものではない。そちも成《な》るべく早《はや》く修行《しゅぎょう》を積《つ》んで、実地《じっち》に竜宮界《りゅうぐうかい》へ行《い》って、乙姫様《おとひめさま》にもお目通《めとお》りを願《ねが》うがよい……。』
『私《わたくし》のようなものにもそれが協《かな》いましょうか……。』
『それは勿論《もちろん》協《かな》う……イヤ協《かな》わねばならぬ深《ふか》い因縁《いんねん》がある。何《なに》を隠《かく》そう汝《そち》はもともと乙姫様《おとひめさま》の系統《すじ》を引《ひ》いているので、そちの竜宮行《りゅうぐうゆき》は言《い》わば一種《しゅ》の里帰《さとがえ》りのようなものじゃ……。』
お爺《じい》さんの述《の》べる所《ところ》はまだしッくり私《わたくし》の胸《むね》にはまりませんでしたが、しかしそれが一《ひ》ト方《かた》ならず私《わたくし》の好奇心《こうきしん》をそそったのは事実《じじつ》でございました。それからの私《わたくし》は絶《た》えず竜宮界《りゅうぐうかい》の事《こと》、乙姫様《おとひめさま》の事《こと》ばかり考《かんが》え込《こ》むようになり、私《わたくし》の幽界生活《ゆうかいせいかつ》に一《ひとつ》の大切《たいせつ》なる転換期《てんかんき》となりました。
が、私《わたくし》の竜宮行《りゅうぐうゆ》きはそれからしばらく過《す》ぎてからの事《こと》でございました。
十九、竜神の祠
順序《じゅんじょ》として、これからポツポツ竜宮界《りゅうぐうかい》のお話《はなし》を致《いた》さねばならなくなりましたが、もともと口《くち》の拙《つた》ない私《わたくし》が、私《わたくし》よりももっと口《くち》の拙《つた》ない女《おんな》の口《くち》を使《つか》って通信《つうしん》を致《いた》すのでございますから、さぞすべてがつまらなく、一向《こう》に多愛《たあい》のない夢物語《ゆめものがたり》になって了《しま》いそうで、それが何《なに》より気《き》がかりでございます。と申《もう》して、この話《はなし》を省《はぶ》いて了《しま》えば私《わたくし》の幽界生活《ゆうかいせいかつ》の記録《きろく》に大《おお》きな孔《あな》が開《あ》くことになって筋道《すじみち》が立《た》たなくなるおそれがございます。まあ致方《いたしかた》がございませぬ、せいぜい気《き》をつけて、私《わたくし》の実地《じっち》に観《み》たまま、感《かん》じたままをそっくり申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。
ここでちょっと申添《もうしそ》えて置《お》きたいのは、私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》の右手《みぎて》の山《やま》の半腹《はんぷく》に在《あ》る、あの小《ちい》さい竜神《りゅうじん》の祠《やしろ》のことでございます。私《わたくし》は竜宮行《りゅうぐうゆき》をする前《まえ》に、所中《しょっちゅう》そのお祠《やしろ》へ参拝《さんぱい》したのでございますが、それがつまり私《わたくし》に取《と》りて竜宮行《りゅうぐうゆき》の準備《じゅんび》だったのでございました。私《わたくし》はそこで乙姫様《おとひめさま》からいろいろと有難《ありがた》い教訓《おしえ》やら、お指図《さしず》やら、又《また》おやさしい慰《なぐさ》めのお言葉《ことば》やらを戴《いただ》きました。お蔭《かげ》で私《わたくし》は自分《じぶん》でも気《き》がつくほどめきめきと元気《げんき》が出《で》てまいりました。『その様子《ようす》なら汝《そち》も近《ちか》い内《うち》に乙姫様《おとひめさま》のお目通《めどお》りができそうじゃ……。』指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんもそんなことを言《い》って私《わたくし》を励《はげ》ましてくださいました。
ここで私《わたくし》が竜神様《りゅうじんさま》のお祠《やしろ》へ行《い》って、いろいろお指図《さしず》を受《う》けたなどと申《もう》しますと、現世《げんせ》の方々《かたがた》の中《なか》には何《なに》やら異様《いよう》にお考《かんが》えになられる者《もの》がないとも限《かぎ》りませぬが、それは現世《げんせ》の方々《かたがた》が、まだ神社《じんじゃ》というものの性質《せいしつ》をよく御存《ごぞん》じない為《た》めかと存《ぞん》じます。お宮《みや》というものは、あれはただお賽銭《さいせん》を上《あげ》げて、拍手《かしわで》を打《う》って、首《かうべ》を下《さ》げて引《ひ》きさがる為《た》めに出来《でき》ている飾物《かざりもの》ではないようでございます。赤心《まごころ》籠《こ》めて一生《しょう》懸命《けんめい》に祈願《きがん》をすれば、それが直《ただ》ちに神様《かみさま》の御胸《みむね》に通《つう》じ、同時《どうじ》に神様《かみさま》からもこれに対《たい》するお応答《こたえ》が降《くだ》り、時《とき》とすればありありとそのお姿《すがた》までも拝《おが》ませて戴《いただ》けるのでございます……。つまり、すべては魂《たましい》と魂《たましい》の交通《こうつう》を狙《ねら》ったもので、こればかりは実《じつ》に何《なん》ともいえぬほど巧《うま》い仕組《しくみ》になって居《い》るのでございます。私《わたくし》が山《やま》の修行場《しゅぎょうじょう》に居《お》りながら、何《ど》うやら竜宮界《りゅうぐうかい》の模様《もよう》が少《すこ》しづつ判《わか》りかけたのも、全《まった》くこの難有《ありがた》い神社《じんじゃ》参拝《さんぱい》の賜《たまもの》でございました。もちろん地上《ちじょう》の人間《にんげん》は肉体《にくたい》という厄介《やっかい》なものに包《つつ》まれて居《お》りますから、いかに神社《じんじゃ》の前《まえ》で精神《せいしん》の統一《とういつ》をなされても、そう容易《ようい》に神様《かみさま》との交通《こうつう》はできますまいが、私《わたくし》どものように、肉体《にくたい》を棄《す》ててこちらの世界《せかい》へ引越《ひきこ》したものになりますと、殆《ほと》んどすべての仕事《しごと》はこの仕掛《しかけ》のみによりて行《おこな》われるのでございます。ナニ人間《にんげん》の世界《せかい》にも近頃《ちかごろ》電話《でんわ》だの、ラヂオだのという、重宝《ちょうほう》な機械《きかい》が発明《はつめい》されたと仰《お》っしゃるか……それは大《たい》へん結構《けっこう》なことでございます。しかしそれなら尚更《なおさら》私《わたくし》の申上《もうしあ》げる事《こと》が[#「事が」は底本では「事か」]よくお判《わか》りの筈《はず》で、神社《じんじゃ》の装置《そうち》もラジオとやらの装置《そうち》も、理窟《りくつ》は大体《だいたい》似《に》たものかも知《し》れぬ……。
まあ大《たい》へんつまらぬ事《こと》を申上《もうしあ》げて了《しま》いました。では早速《さっそく》これから竜宮行《りゅうぐうゆき》の模様《もよう》をお話《はな》しさせて戴《いただ》きます……。
二十、竜宮へ鹿島立
こちらの世界《せかい》の仕事《しごと》は、何《なに》をするにも至極《しごく》あっさりしていまして、すべてが手取《てっと》り早《ばや》く運《はこ》ばれるのでございますが、それでもいよいよこれから竜宮行《りゅうぐうゆき》と決《きま》った時《とき》には、そこに相当《そうとう》の準備《じゅんび》の必要《ひつよう》がありました。何《なに》より肝要《だいじ》なのは斎戒沐浴《さいかいもくよく》……つまり心身《しんしん》を浄《きよ》める仕事《しごと》でございます。もちろん私《わたくし》どもには肉体《にくたい》はないのでございますから、人間《にんげん》のように実地《じっち》に水《みず》などをかぶりは致《いた》しませぬ。ただ水《みず》をかぶったような清浄《せいじょう》な気分《きぶん》になればそれで宜《よろ》しいので、そうすると、いつの間《ま》にか服装《みなり》までも、自然《しぜん》に白衣《びゃくい》に変《かわ》って居《い》るのでございます。心《こころ》と姿《すがた》とがいつもぴったり一致《ち》するのが、こちらの世界《せかい》の掟《おきて》で、人間界《にんげんかい》のように心《こころ》と姿《すがた》とを別々《べつべつ》に使《つか》い分《わ》けることばかりはとてもできないのでございます。
兎《と》も角《かく》も私《わたくし》は白衣《びゃくい》姿《すがた》で、先《ま》ず御神前《ごしんぜん》に端坐《たんざ》祈願《きがん》し、それからあの竜神様《りゅうじんさま》のお祠《やしろ》へ詣《もう》でて、これから竜宮界《りゅうぐうかい》へ参《まい》らせて戴《いただ》きますと御報告《ごほうこく》申上《もうしあ》げました。先方《せんぽう》から何《なん》とか返答《へんじ》があったかと仰《お》っしゃるか……それは無論《むろん》ありました。『歓《よろこ》んであなたのお出《い》でをお待《ま》ちして居《お》ります……。』とそれはそれは鄭重《ていちょう》な御挨拶《ごあいさつ》でございました。
竜神様《りゅうじんさま》のお祠《やしろ》から自分《じぶん》の修行場《しゅぎょうじょう》へ戻《もど》って見《み》ると、もう指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが、そこでお待《ま》ちになって居《お》られました。
『準備《じゅんび》ができたらすぐに出掛《でか》けると致《いた》そう。俺《わし》が竜宮《りゅうぐう》の入口《いりくち》まで送《おく》ってあげる。それから先《さ》きは汝《そち》一人《ひとり》で行《ゆ》くのじゃ。何《なに》も修行《しゅぎょう》の為《た》めである。あまり俺《わし》に依《たよ》る気《き》になっては面白《おもしろ》うない……。』
そう言《い》われた時《とき》に、私《わたくし》は何《なに》やら少《すこ》し心細《こころぼそ》く感《かん》じましたが、それでもすぐに気《き》を取《と》り直《なお》して旅《たび》仕度《じたく》を整《ととの》えました。私《わたくし》のその時《とき》の旅《たび》姿《すがた》でございますか……。それは現世《げんせ》の旅姿《たびすがた》そのまま、言《い》わばその写《うつ》しでございます。かねて竜宮界《りゅうぐうかい》は世《よ》にも奇麗《きれい》な、華美《はで》なところと伺《うかが》って居《お》りますので、私《わたくし》もそのつもりになり、白衣《びゃくい》の上《うえ》に、私《わたくし》の生前《せいぜん》一番《ばん》好《す》きな色模様《いろもよう》の衣裳《いしょう》を重《かさ》ねました。それは綿《わた》の入《はい》った、裾《すそ》の厚《あつ》いものでございますので、道中《どうちゅう》は腰《こし》の所《ところ》で紐《ひも》で結《ゆわ》えるのでございます。それからもう一《ひと》つ道中《どうちゅう》姿《すがた》に無《な》くてはならないのが被衣《かつぎ》……私《わたくし》は生前《せいぜん》の好《この》みで、白《しろ》の被衣《かつぎ》をつけることにしました。履物《はきもの》は厚《あつ》い草履《ぞうり》でございます。
お爺《じい》さんは私《わたくし》の姿《すがた》を見《み》て、にこにこしながら『なかなか念《ねん》の入《はい》った道中姿《どうちゅうすがた》じゃナ。乙姫様《おとひめさま》もこれを御覧《ごらん》なされたらさぞお歓《よろこ》びになられるであろう。俺《わし》などはいつも一張羅《ちょうら》じゃ……。』
そんな軽口《かるくち》をきかれて、御自身《ごじしん》はいつもと同《どう》一の白衣《びゃくい》に白《しろ》の頭巾《ずきん》をかぶり、そして長《なが》い長《なが》い一本《ぽん》の杖《つえ》を持《も》ち、素足《すあし》に白鼻緒《しろはなお》の藁草履《わらぞうり》を穿《は》いて私《わたくし》の先《さ》きに立《た》たれたのでした。序《つい》でにお爺《じい》さんの人相書《にんそうがき》をもう少《すこ》しくわしく申上《もうしあ》げますなら、年齢《とし》の頃《ころ》は凡《おおよ》そ八十位《くらい》、頭髪《とうはつ》は真白《まっしろ》、鼻下《びか》から顎《あご》にかけてのお髭《ひげ》も真白《まっしろ》、それから睫毛《まつげ》も矢張《やは》り雪《ゆき》のように真白《まっしろ》……すべて白《しろ》づくめでございます。そしてどちらかと云《い》へば面長《おもなが》で、眼鼻立《めはなだち》のよく整《ととの》った、上品《じょうひん》な面差《おもざし》の方《ほう》でございます。私《わたくし》はまだ仙人《せんにん》というものをよく存《ぞん》じませぬが、若《も》し本当《ほんとう》に仙人《せんにん》があるとしたら、それは私《わたくし》の指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんのような方《かた》ではなかろうかと考《かんが》えるのでございます。あの方《かた》ばかりはどこからどこまで、きれいに枯《か》れ切《き》って、すっかりあくぬけがして居《お》られます。
山《やま》の修行場《しゅぎょうば》を後《あと》にした私達《わたくしたち》は、随分《ずいぶん》長《なが》い間《あいだ》険《けわ》しい山道《やまみち》をば、下《した》へ下《した》へ下《した》へと降《くだ》ってまいりました。道《みち》はお爺《じい》さんが先《さ》きに立《たつ》て案内《あんない》して下《くだ》さるので、少《すこ》しも心配《しんぱい》なことはありませぬが、それでもところどころ危《あぶな》つかしい難所《なんしょ》だと思《おも》ったこともございました。又《また》道中《どうちゅう》どこへ参《まい》りましても例《れい》の甲高《かんだか》い霊鳥《れいちよう》の鳴声《なきごえ》が前後《ぜんご》左右《さゆう》の樹間《このま》から雨《あめ》の降《ふ》るように聴《きこ》えました。お爺《じい》さんはこの鳥《とり》の声《こえ》がよほどお好《す》きと見《み》えて、『こればかりは現界《げんかい》ではきかれぬ声《こえ》じゃ。』と御自慢《ごじまん》をして居《お》られました。
漸《ようや》く山《やま》を降《お》り切《き》ったと思《おも》うと、たちまちそこに一《ひと》つの大《おお》きな湖水《こすい》が現《あら》われました。よほど深《ふか》いものと見《み》えまして、湛《たた》えた水《みず》は藍《あい》を流《なが》したように蒼味《あおみ》を帯《お》び、水面《すいめん》には対岸《たいがん》の鬱蒼《うっそう》たる森林《しんりん》の影《かげ》が、くろぐろと映《うつ》って居《い》ました。岸《きし》はどこもかしこも皆《みな》割《わ》ったような巌《いわ》で、それに松《まつ》、杉《すぎ》その他《た》の老木《ろうぼく》が、大蛇《だいじゃ》のように垂《た》れ下《さが》っているところは、風情《ふぜい》が良《よ》いというよりか、寧《むし》ろもの凄《すご》く感《かん》ぜられました。
『どうじゃ、この湖水《こすい》の景色《けしき》は……汝《そち》は些《ち》と気《き》に入《い》らんであろうが……。』
『私《わたくし》はこんな陰気《いんき》くさい所《ところ》は厭《いや》でございます。でもここは何《なん》ぞ縁由《いわれ》 のある所《ところ》でございますか?』
『ここはまだ若《わか》い、下級《かきゅう》の竜神達《りゅうじんたち》の修行《しゅぎょう》の場所《ばしょ》なのじゃ。俺《わし》は時々《ときどき》|見《みま》わりに来《く》るので、善《よ》うこの池《いけ》の勝手《かって》を知《し》っている。何《なに》も修行《しゅぎょう》じゃ、汝《そち》もここでちょっと統一《とういつ》をして見《み》るがよい。沢山《たくさん》の竜神達《りゅうじんたち》の姿《すがた》が見《み》えるであろう……。』
あまり良《よ》い気持《きもち》は致《いた》しませんでしたが、修行《しゅぎょう》とあれば辞《いな》むこともできず、私《わたくし》はとある巌《いわ》の上《うえ》に坐《すわ》って統一状態《とういつじょうたい》に入《はい》って見《み》ますと、果《はた》して湖水《こすい》の中《なか》は肌《はだ》の色《いろ》の黒《くろ》っぽい、あまり品《ひん》の良《よ》くない竜神《りゅうじん》さんでぎっしり填《つま》っていました。角《つの》のあるもの、無《な》いもの、大《おお》きなもの、小《ちい》さなもの、眠《ねむ》っているもの、暴《あば》れているもの……。初《はじ》めてそんな無気味《ぶきみ》な光景《ありさま》に接《せつ》した私《わたくし》は、覚《おぼ》えずびっくりして眼《め》を開《あ》けて叫《さけ》びました。――
『お爺《じい》さま、もう沢山《たくさん》でございます。何《ど》うぞもっと晴《は》れやかな所《ところ》へお連《つ》れ下《くだ》さいませ……。』
二十一、竜宮街道
しばらく湖水《こすい》の畔《へり》を伝《つた》って歩《あ》るいて居《い》る中《うち》に、山《やま》がだんだん低《ひく》くなり、やがて湖水《こすい》が尽《つ》きると共《とも》に山《やま》も尽《つ》きて、広々《ひろびろ》とした、少《すこ》しうねりのある、明《あか》るい野原《のはら》にさしかかりました。私達《わたくしたち》はその野原《のはら》を貫《つらぬ》く細道《ほそみち》をどこまでもどこまでも先《さ》きへ急《いそ》ぎました。
やがて前面《ぜんめん》に、やや小高《こだか》い砂丘《すなやま》の斜面《しゃめん》が現《あら》われ、道《みち》はその頂辺《てっぺん》の所《ところ》に登《のぼ》って行《ゆ》きます。『何《なに》やら由井《ゆい》ヶ浜《はま》らしい景色《けしき》である……。』私《わたくし》はそんなことを考《かんが》えながら、格別《かくべつ》険《けわ》しくもないその砂丘《すなやま》を登《のぼ》りつめましたが、さてそこから前面《ぜんめん》を見渡《みわた》した時《とき》に、私《わたくし》はあまりの絶景《ぜっけい》に覚《おぼ》えずはっと気息《いき》づまりました。砂丘《すなやま》のすぐ真下《ました》が、えも言《い》われぬ美《うつく》しい一《ひと》ツの入江《いりえ》になっているのではありませぬか!
刷毛《はけ》で刷《は》いたような弓《ゆみ》なりになった広《ひろ》い浜《はま》……のたりのたりと音《おと》もなく岸辺《きしべ》に寄《よ》せる真青《まっさお》な海《うみ》の水《みず》……薄絹《うすぎぬ》を拡《ひろ》げたような、はてしもなくつづく浅霞《あさかすみ》……水《みず》と空《そら》との融《と》け合《あ》うあたりにほのぼのと浮《う》く遠山《とおやま》の影《かげ》……それはさながら一幅《ぷく》の絵巻物《えまきもの》をくりひろげたような、実《じつ》に何《なん》とも言《い》えぬ絶景《ぜっけい》でございました。
明《あ》けても暮《く》れても、眼《め》に入《い》るものはただ山《やま》ばかり、ひたすら修行《しゅぎょう》三昧《ざんまい》に永《なが》い歳月《としつき》を送《おく》った私《わたくし》でございますから、尚更《なおさら》この海《うみ》の景色《けしき》が気《き》に入《い》ったのでございましょう、しばらくの間《あいだ》私《わたくし》は全《まった》くすべてを打忘《うちわす》れて、砂丘《すなやま》の上《うえ》に立《た》ち尽《つく》して、つくづくと見惚《みと》れて了《しま》ったのでございました。
『どうじゃ、なかなかの良《よ》い眺《なが》めであろうが……。』
そう言《い》われて私《わたくし》はやっと自分《じぶん》に戻《もど》りました。
『お爺《じい》さま、わたくし、こんななごやかな、良《よ》い景色《けしき》は、まだ一度《ど》も見《み》たためしがございませぬ……。ここは何《なん》と申《もう》すところでございますか?』
『これが竜宮界《りゅうぐうかい》の入口《いりぐち》なのじゃ。ここから竜宮《りゅうぐう》はそう遠《とお》くない……。』
『竜宮《りゅうぐう》は矢張《やは》り海《うみ》の底《そこ》にあるのでございますか?』
『イヤイヤあれは例《れい》によりて人間《にんげん》どもの勝手《かって》な仮構事《つくりごと》じゃ。乙姫様《おとひめさま》は決《けっ》して魚族《さかな》の親戚《みうち》でもなければ又《また》人魚《にんぎょ》の叔母様《おばさま》でもない……。が、もともと竜宮《りゅうぐう》は理想《りそう》の別世界《べっせかい》なのであるから、造《つく》ろうと思《おも》えば海《うみ》の底《そこ》にでも、又《また》その他《ほか》の何処《どこ》にでも造《つく》れる。そこが現世《げんせ》の造《つく》りつけの世界《せかい》と大《たい》へんに異《ちが》う点《てん》じゃ……。』
『左様《さよう》でございますか……。』
何《なに》やらよくは腑《ふ》に落《お》ち兼《か》ねましたが、私《わたくし》はそう御返答《ごへんじ》するより外《ほか》に致方《いたしかた》がないのでした。
『さて』とお爺《じい》さんは、しばらく経《た》ってから、いと真面目《まじめ》な面持《おももち》で語《かた》り出《い》でました。『俺《わし》の役目《やくめ》はここまで汝《そち》を案内《あんない》すればそれで済《す》んだので、これから先《さ》きは汝《そち》一人《ひとり》で行《ゆ》くのじゃ。あれ、あの入江《いりえ》のほとりから、少《すこ》し左《ひだり》に外《そ》れたところに見《み》ゆる真平《まったいら》な街道《かいどう》、あれをどこまでもどこまでも辿《たど》って行《ゆ》けば、その突《つ》き当《あた》りがつまり竜宮《りゅうぐう》で、道《みち》を間違《まちがい》えるような心配《しんぱい》は少《すこ》しもない……。又《また》竜宮《りゅうぐう》へ行《い》ってからは、どなたにお目《め》にかかるか知《し》れぬが、何《いず》れにしても、ただ先方《せんぽう》のお話《はなし》を伺《うかが》う丈《だけ》では面白《おもしろ》うない。気《き》のついたこと、腑《ふ》に落《お》ちぬことは、少《すこ》しの遠慮《えんりょ》もなく、どしどしお訊《たず》ねせんければ駄目《だめ》であるぞ。すべて神界《しんかい》の掟《おきて》として、こちらの求《もと》める丈《だけ》しか教《おし》えられぬものじゃ。で、何事《なにごと》も油断《ゆだん》なく、よくよく心《こころ》の眼《まなこ》を開《あ》けて、乙姫様《おとひめさま》から愛想《あいそ》をつかされることのないよう心懸《こころが》けてもらいたい……。では俺《わし》はこれで帰《かえ》りますぞ……。』
そう言《い》って、つと立《た》ち上《あが》ったかと思《おも》うと、もうお爺《じい》さんの姿《すがた》はどこにも見《み》えませんでした。
例《れい》によりてその飽気《あっけ》なさ加減《かげん》と言《い》ったらありません。私《わたくし》はちょっと心《こころ》さびしく感《かん》じましたが、それはほんの一瞬間《しゅんかん》のことでございました。私《わたくし》は斯《こ》んな場合《ばあい》にいつも肌《はだ》から離《はな》さぬ、例《れい》の母《はは》の紀念《かたみ》の懐剣《かいけん》を、しっかりと帯《おび》の間《あいだ》にさし直《なお》して、急《いそ》いで砂丘《すなやま》を降《お》りて、お爺《じい》さんから教《おし》えられた通《とお》り、あの竜宮街道《りゅうぐうかいどう》を真直《まっすぐ》に進《すす》んだのでした。
その後《ご》も私《わたくし》は幾度《いくど》となくこの竜宮街道《りゅうぐうかいどう》を通《とお》りましたが、何度《なんど》通《とお》って見《み》ても心地《ごこち》のよいのはこの街道《かいどう》なのでございます。それは天然《てんねん》の白砂《はくさ》をば何《なに》かで程《ほど》よく固《かた》めたと言《い》ったような、踏《ふ》み心地《ここち》で、足触《あしざわ》りの良《よ》さと申《もう》したら比類《たぐい》がありませぬ。そして何所《どこ》に一点《てん》の塵《ちり》とてもなく、又《また》道《みち》の両側《りょうがわ》に程《ほど》よく配合《あしら》った大小《だいしょう》さまざまの植込《うえこみ》も、実《じつ》に何《なん》とも申上《もうしあ》げかねるほど奇麗《きれい》に出来《でき》て居《お》り、とても現世《げんせ》ではこんな素晴《すば》らしい道路《どうろ》は見《み》られませぬ。その街道《かいどう》が何《ど》の位《くらい》続《つづ》いているかとお訊《たず》ねですか……さァどれ位《くらい》の道程《みちのり》かは、ちょっと見当《けんとう》がつきかねますが、よほど遠《とお》いこと丈《だけ》は確《たし》かでございます。街道《かいどう》の入口《いりぐち》の辺《あたり》から前方《ぜんぽう》を眺《なが》めても、霞《かすみ》が一帯《たい》にかかっていて、何《なに》も眼《め》に入《い》りませぬが、しばらく過《す》ぎると有《あ》るか無《な》きかのように、薄《う》っすりと山《やま》の影《かげ》らしいものが現《あら》われ、それから又《また》しばらく過《す》ぎると、何《なに》やらほんのりと丹塗《にぬ》りの門《もん》らしいものが眼《め》に映《うつ》ります。その辺《へん》からでも竜宮《りゅうぐう》の御殿《ごてん》まではまだ半里位《はんみちくらい》はたっぷりあるのでございます……。何分《なにぶん》絵心《えごころ》も何《なに》も持《も》ち合《あ》わせない私《わたくし》の力《ちから》では、何《なん》のとりとめたお話《はなし》もできないのが、大《たい》へんに残念《ざんねん》でございます。あの美《うつく》しい道中《どうちゅう》の眺《なが》めの、せめて十分《ぶん》の一なりとも皆様《みなさま》にお伝《つた》えしたいのでございますが……。
二十二、唐風《からふう》の御殿
しばらくしてから私《わたくし》はとうとう竜宮界《りゅうぐうかい》の御門《ごもん》の前《まえ》に立《た》っていましたが、それにしても私《わたくし》は四辺《あたり》の光景《ありさま》があまりにも現実的《げんじつてき》なのをむしろ意外《いがい》に思《おも》ったのでございました。お爺《じい》さんの御話《おはなし》から考《かんが》えて見《み》ましても、竜宮《りゅうぐう》はドウやら一《ひとつ》の蜃気楼《しんきろう》、乙姫様《おとひめさま》の思召《おぼしめし》でかりそめに造《つく》り上《あげ》げられる一《ひとつ》の理想《りそう》の世界《せかい》らしく思《おも》われますのに、実地《じっち》に当《あた》って見《み》ますと、それはどこにあぶなげのない、いかにもがッしりとした、正真正銘《しょうしんしょうめい》の現実《げんじつ》の世界《せかい》なのでございます。『若《も》しもこれが蜃気楼《しんきろう》なら世《よ》の中《なか》に蜃気楼《しんきろう》でないものは一《ひと》つもありはしない……。』私《わたくし》は心《こころ》の中《うち》でそう考《かんが》えたのでございました。
竜宮界《りゅうぐうかい》の大体《だいたい》の見《み》た感《かん》じでございますが――さァ一《ひ》と口《くち》に申《もう》したら、それはお社《やしろ》と言《い》うよりかも、寧《むし》ろ一《ひと》つの大《おお》きな御殿《ごてん》と言《い》った感《かん》じ、つまり人間味《にんげんみ》が、たっぷりしているのでございます。そして何処《どこ》やらに唐風《からふう》なところがあります。先《ま》ずその御門《ごもん》でございますが、屋根《やね》は両端《りょうたん》が上方《うえ》にしゃくれて、大《たい》そう光沢《つや》のある、大型《おおがた》の立派《りっぱ》な瓦《かわら》で葺《ふ》いてあります。門柱《もんちゅう》その他《た》はすべて丹塗《にぬ》り、別《べつ》に扉《とびら》はなく、その丸味《まるみ》のついた入口《いりぐち》からは自由《じゆう》に門内《もんない》の模様《もよう》が窺《うかが》われます。あたりには別《べつ》に門衛《もんえい》らしいものも見掛《みか》けませんでした。
で、私《わたくし》は思《おも》い切《き》ってその門《もん》をくぐって行《ゆ》きましたが、門内《もんない》は見事《みごと》な石畳《いしだた》みの舗道《ほどう》になって居《お》り、あたりに塵《ちり》一《ひと》つ落《お》ちて居《お》りませぬ。そして両側《りょうがわ》の広々《ひろびろ》としたお庭《にわ》には、形《かたち》の良《よ》い松《まつ》その他《た》が程《ほど》よく植《う》え込《こ》みになって居《お》り、奥《おく》はどこまであるか、ちょっと見当《けんとう》がつかぬ位《くらい》でございます。大体《だいたい》は地上《ちじょう》の庭園《ていえん》とさしたる相違《そうい》もございませぬが、ただあんなにも冴《さ》えた草木《そうもく》の色《いろ》、あんなにも香《かん》ばしい土《つち》の匂《にお》いは、地上《ちじょう》の何所《どこ》にも見受《みう》けることはできませぬ。こればかりは実地《じっち》に行《い》って見《み》るより外《ほか》に、描《えが》くべき筆《ふで》も、語《かた》るべき言葉《ことば》もあるまいと考《かんが》えられます。
御門《ごもん》から御殿《ごてん》まではどの位《くらい》ありましょうか、よほど遠《とお》かったように思《おも》われます。御殿《ごてん》の玄関《げんかん》は黒塗《くろぬり》りの大《おお》きな式台《しきだい》造《づく》り、そして上方《うえ》の庇《ひさし》、柱《はしら》、長押《なげし》などは皆《みな》眼《め》のさめるような丹塗《にぬ》り、又《また》壁《かべ》は白塗《しろぬ》りでございますから、すべての配合《はいごう》がいかにも華美《はで》で、明朗《ほがらか》で、眼《め》がさめるように感《かん》じられました。
私《わたくし》はそこですっかり身《み》づくろいを直《なお》しました。むろん心《こころ》でただそう思《おも》いさえすればそれで宜《よろ》しいので、そうすると今《いま》までの旅装束《たびしょうぞく》がその場《ば》できちんとした謁見《おめみえ》の服装《ふくそう》に変《かわ》るのでございます。そんな事《こと》でもできなければ、たッた一人《ひとり》で、腰元《こしもと》も連《つ》れずに、竜宮《りゅうぐう》の乙姫《おとひめ》さまをお訪《たず》ねすることはできはしませぬ。
『御免《ごめん》くださいませ……。』
私《わたくし》は思《おも》い切《き》ってそう案内《あんない》を乞《こ》いました。すると、年《とし》の頃《ころ》十五位《くらい》に見《み》える、一人《ひとり》の可愛《かわい》らしい小娘《こむすめ》がそこへ現《あら》われました。服装《ふくそう》は筒袖式《つつそでしき》の桃色《ももいろ》の衣服《きもの》、頭髪《かみ》を左右《さゆう》に分《わ》けて、背部《うしろ》の方《ほう》でくるくるとまるめて居《い》るところは、何《ど》う見《み》ても御国風《みくにふう》よりは唐風《からふう》に近《ちか》いもので、私《わたくし》はそれが却《かえつ》って妙《みょう》に御殿《ごてん》の構造《つくり》にしっくりと当《あ》てはまって、大《たい》へん美《うつく》しいように感《かん》ぜられました。
『私《わたくし》は小櫻《こざくら》と申《もう》すものでございますが、こちらの奥方《おくがた》にお目通《めどお》りをいたし度《た》く、わざわざお訪《たず》ねいたしました……。』
乙姫様《おとひめさま》とお呼《よ》び申《もう》すのも何《なに》やらおかしく、さりとて神様《かみさま》の御名《みな》を申上《もうしあ》ぐるのも、何《なに》やら改《あらた》まり過《す》ぎるように感《かん》じられ、ツイうっかり奥方《おくがた》と申上《もうしあ》げて了《しま》いました。こちらへ来《き》ても矢張《やは》り私《わたくし》には現世時代《げんせじだい》の呼《よ》び癖《くせ》がついてまわって居《い》たものと見《み》えます。それでも取次《とりつ》ぎの小娘《こむすめ》には私《わたくし》の言葉《ことば》がよく通《つう》じたらしく、『承知《しょうち》致《いた》しました。少々《しょうしょう》お待《ま》ちくださいませ。』と言《い》って、踵《きびす》をかえして急《いそ》いで奥《おく》へ入《はい》って行《ゆ》きました。
『乙姫様《おとひめさま》に首尾《しゅび》よくお目通《めどお》りが叶《かな》うかしら……。』
私《わたくし》は多少《たしょう》の不安《ふあん》を感《かん》じながら玄関《げんかん》前《まえ》に佇《たたず》みました。
二十三、豐玉姫と玉依姫
間《ま》もなく以前《いぜん》の小娘《こむすめ》が再《ふたた》び現《あら》われました。
『何《ど》うぞおあがりくださいませ……。』
言《い》われるままに私《わたくし》は小娘《こむすめ》に導《みちび》かれて、御殿《ごてん》の長《なが》い長《なが》い廊下《ろうか》を幾曲《いくまが》り、ずっと奥《おく》まれる一《ひ》と間《ま》に案内《あんない》されました。室《へや》は十畳《じょう》許《ばか》りの青畳《あおだたみ》を敷《し》きつめた日本間《にほんま》でございましたが、さりとて日本風《にほんふう》の白木造《しらきづく》りでもありませぬ。障子《しょうじ》、欄間《らんま》、床柱《とこばしら》などは黒塗《くろぬり》り、又《また》縁《えん》の欄干《てすり》、庇《ひさし》、その他《た》造作《ぞうさく》の一部《ぶ》は丹塗《にぬ》り、と言《い》った具合《ぐあい》に、とてもその色彩《いろどり》が複雑《ふくざつ》で、そして濃艶《のうえん》なのでございます。又《また》お床《とこ》の間《ま》には一幅《ぷく》の女神様《めがみさま》の掛軸《かけじ》がかかって居《お》り、その前《まえ》には陶器製《とうきせい》の竜神《りゅうじん》の置物《おきもの》が据《す》えてありました。その竜神《りゅうじん》が素晴《すば》らしい勢《いきおい》で、かっと大《おお》きな口《くち》を開《あ》けて居《い》たのが今《いま》も眼《め》の前《まえ》に残《のこ》って居《お》ります。
開《あ》け放《はな》った障子《しょうじ》の隙間《すきま》からはお庭《にわ》もよく見《み》えましたが、それが又《また》手数《てかず》の込《こ》んだ大《たい》そう立派《りっぱ》な庭園《ていえん》で、樹草《じゅそう》泉石《せんせき》のえも言《い》われぬ配合《はいごう》は、とても筆紙《ひっし》につくせませぬ。京《きょう》の銀閣寺《ぎんかくじ》、金閣寺《きんかくじ》の庭園《ていえん》も数奇《すき》の限《かぎ》りを尽《つく》した、大《たい》そう贅沢《ぜいたく》なものとかねてきき及《およ》んで居《お》りますので、或《あ》る時《とき》私《わたくし》はこちらからのぞいて見《み》たことがございますが、竜宮界《りゅうぐうかい》のお庭《にわ》に比《くら》べるとあれなどはとても段違《だんちが》いのように見受《みう》けられました。いかに意匠《いしょう》をこらしても、矢張《やは》り現世《げんせ》は現世《げんせ》だけの事《こと》しかできないものと見《み》えます……。
ナニそのお室《へや》で乙姫様《おとひめさま》にお目《め》にかかったか、と仰《お》ッしゃるか――ホホホ大《たい》そうお待《ま》ち兼《か》ねでございますこと……。ではお庭《にわ》の話《はなし》などはこれで切《き》り上《あ》げて、早速《さっそく》乙姫様《おとひめさま》にお目通《めどお》りをしたお話《はなし》に移《うつ》りましょう。――尤《もっと》も私《わたくし》がその時《とき》お目《め》にかかりましたのは、玉依姫様《たまよりひめさま》の方《ほう》で、豐玉姫様《とよたまひめさま》ではございませぬ。申《もう》すまでもなく竜宮界《りゅうぐうかい》で第《だい》一の乙姫様《おとひめさま》と仰《お》ッしゃるのが豐玉姫様《とよたまひめさま》、第《だい》二の乙姫様《おとひめさま》が玉依姫様《たまよりひめさま》、つまりこの両方《ふたかた》は御姉妹《ごきょうだい》の間柄《あいだがら》ということになって居《お》るのでございますが、何分《なにぶん》にも竜宮界《りゅうぐうかい》の事《こと》はあまりにも奥《おく》が深《ふか》く、私《わたくし》にもまだ御両方《おふたかた》の関係《かんけい》がよく判《わか》って居《お》りませぬ。お二人《ふたり》が果《はた》して本当《ほんとう》に御姉妹《ごきょうだい》の間柄《あいだがら》なのか、それとも豐玉姫《とよたまひめ》の御分霊《ごぶんれい》が玉依姫《たまよりひめ》でおありになるのか、何《ど》うもその辺《へん》がまだ充分《じゅうぶん》私《わたくし》の腑《ふ》に落《お》ちないのでございます。ただしそれが何《ど》うあろうとも、この御二方《おふたかた》が切《き》っても切《き》れぬ、深《ふか》い因縁《いんねん》の姫神《ひめがみ》であらせられることは[#「あらせられることは」は底本では「あらせちれることは」]確《たし》かでございます。私《わたくし》は其《そ》の後《ご》幾度《いくたび》も竜宮界《りゅうぐうかい》に参《まい》り、そして幾度《いくたび》も御両方《おふたかた》にお目《め》にかかって居《お》りますので、幾分《いくぶん》その辺《へん》の事情《じじょう》には通《つう》じて居《い》るつもりでございます。
この豐玉姫様《とよたまひめさま》と言《い》われる御方《おかた》は、第《だい》一の乙姫様《おとひめさま》として竜宮界《りゅうぐうかい》を代表《だいひょう》遊《あそ》ばされる、尊《とうと》い御方《おかた》だけに、矢張《やは》りどことなく貫禄《おもみ》がございます。何《なん》となく、竜宮界《りゅうぐうかい》の女王様《じょうおうさま》と言《い》った御様子《ごようす》が自然《しぜん》にお躯《からだ》に備《そな》わって居《お》られます。お年齢《とし》は二十七八又《また》は三十位《くらい》にお見受《みう》けしますが、もちろん神様《かみさま》に実際《じっさい》のお年齢《とし》はありませぬ。ただ私達《わたくしたち》の眼《め》にそれ位《くらい》に拝《おが》まれるというだけで……。それからお顔《かお》は、どちらかといえば下《しも》ぶくれの面長《おもなが》、眼鼻立《めはなだ》ちの中《うち》で何所《どこ》かが特《とく》に取《と》り立《た》てて良《よ》いと申《もう》すのではなしに、どこもかしこもよく整《ととの》った、まことに品位《ひんい》の備《そな》わった、立派《りっぱ》な御標致《ごきりょう》、そしてその御物越《おんものご》しは至《いた》ってしとやか、私《わたくし》どもがどんな無躾《ぶしつけ》な事柄《ことがら》を申上《もうしあ》げましても、決《けっ》してイヤな色《いろ》一《ひと》つお見《み》せにならず、どこまでも親切《しんせつ》に、いろいろと訓《おし》えてくださいます。その御同情《ごどうじょう》の深《ふか》いこと、又《また》その御気性《ごきしょう》の素直《すなお》なことは、どこの世界《せかい》を捜《さが》しても、あれ以上《いじょう》の御方《おかた》が又《また》とあろうとは思《おも》われませぬ。それでいて、奥《おく》の方《ほう》には凛《りん》とした、大《たい》そうお強《つよ》いところも自《おの》ずと備《そな》わっているのでございます。
第《だい》二の乙姫様《おとひめさま》の方《ほう》は、豐玉姫様《とよたまひめさま》に比《くら》べて、お年齢《とし》もずっとお若《わか》く、やっと二十一か二か位《くらい》に思《おも》われます。お顔《かお》はどちらかといえば円顔《まるがお》、見《み》るからに大《たい》そうお陽気《ようき》で、お召物《めしもの》などはいつも思《おも》い切《き》った華美造《はでつく》り、丁度《ちょうど》桜《さくら》の花《はな》が一時《じ》にぱっと咲《さ》き出《い》でたというような趣《おもむき》がございます。私《わたくし》が初《はじ》めてお目《め》にかかった時《とき》のお服装《なり》は、上衣《うわぎ》が白《しろ》の薄物《うすもの》で、それに幾枚《いくまい》かの色物《いろもの》の下着《したぎ》を襲《かさ》ね、帯《おび》は前《まえ》で結《むす》んでダラリと垂《た》れ、その外《ほか》に幾条《いくすじ》かの、ひらひらした長《なが》いものを捲《ま》きつけて居《お》られました。これまで私《わたくし》どもの知《し》っている服装《ふくそう》の中《なか》では、一番《ばん》弁天様《べんてんさま》のお服装《みなり》に似《に》て居《い》るように思《おも》われました。
兎《と》に角《かく》この両方《ふたかた》は竜宮界《りゅうぐうかい》切《き》っての花形《はながた》であらせられ、お顔《かお》もお気性《きしょう》も、何所《どこ》やら共通《きょうつう》の所《ところ》があるのでございますが、しかし引《ひ》きつづいて、幾代《いくだい》かに亘《わた》りて御分霊《ごぶんれい》を出《だ》して居《お》られる中《うち》には、御性質《ごせいしつ》の相違《そうい》が次第次第《しだいしだい》に強《つよ》まって行《ゆ》き、末《すえ》の人間界《にんげんかい》の方《ほう》では、豐玉姫系《とよたまひめけい》と玉依姫系《たまよりひめけい》との区別《くべつ》が可《か》なりはっきりつくようになって居《お》ります。概《がい》して豐玉姫《とよたまひめ》の系統《けいとう》を引《ひ》いたものは、あまりはしゃいだところがなく、どちらかといえば[#「どちらかといえば」は底本では「どちらかといくば」]しとやかで、引込思案《ひっこみじあん》でございます。これに反《はん》して玉依姫系統《たまよりひめけいとう》の方《かた》は至《いた》って陽気《ようき》で、進《すす》んで人中《ひとなか》にも出《で》かけてまいります。ただ人並《ひとなみ》みすぐれて情義深《なさけふか》いことは、お両方《ふたかた》に共通《きょうつう》の美点《みてん》で、矢張《やは》り御姉妹《ごきょうだい》の血筋《ちすじ》は争《あらそ》われないように見受《みう》けられます……。
あれ、又《また》しても話《はなし》が側路《わきみち》へそれて先走《さきばし》って了《しま》いました。これから後《あと》へ戻《もど》って、私《わたくし》が初《はじ》めて玉依姫様《たまよりひめさま》にお目《め》にかかった時《とき》の概況《がいきょう》を申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。
二十四、なさけの言葉
[#「二十四、なさけの言葉」は底本では「二十四 なさけの言葉」]
先刻《さっき》も申上《もうしあ》げたとおり、私《わたくし》は小娘《こむすめ》に導《みちび》かれて、あの華麗《きれい》な日本間《にほんま》に通《とお》され、そして薄絹製《うすぎぬせい》の白《しろ》の座布団《ざぶとん》を与《あた》えられて、それへ坐《すわ》ったのでございますが、不図《ふと》自分《じぶん》の前面《まえ》のところを見《み》ると、そこには別《べつ》に一枚《まい》の花模様《はなもよう》の厚《あつ》い座布団《ざぶとん》が敷《し》いてあるのに気《き》づきました。『きっと乙姫様《おとひめさま》がここへお坐《すわ》りなさるのであろう。』――私《わたくし》はそう思《おも》いながら、乙姫様《おとひめさま》に何《なん》と御挨拶《ごあいさつ》を申上《もうしあ》げてよいか、いろいろと考《かんが》え込《こ》んで居《お》りました。
と、何《なに》やら人《ひと》の気配《けはい》を感《かん》じましたので頭《あたま》をあげて見《み》ますと、天《てん》から降《ふ》ったか、地《ち》から湧《わ》いたか、モーいつの間《ま》にやら一人《ひとり》の眩《まばゆ》いほど美《うつく》しいお姫様《ひめさま》がキチンと設《もう》けの座布団《ざぶとん》の上《うえ》にお坐《すわ》りになられて、にこやかに私《わたくし》の事《こと》を見守《みまも》ってお出《い》でなさるのです。私《わたくし》はこの時《とき》ほどびっくりしたことはめったにございませぬ。私《わたくし》は急《いそ》いで座布団《ざぶとん》を外《はず》して、両手《りょうて》をついて叩頭《おじぎ》をしたまま、しばらくは何《なん》と御挨拶《ごあいさつ》の言葉《ことば》も口《くち》から[#「口から」は底本では「口をら」]出《で》ないのでした。
しかし、玉依姫様《たまよりひめさま》の方《ほう》では何所《どこ》までも打解《うちと》けた御様子《ごようす》で、尊《とうと》い神様《かみさま》と申上《もうしあ》げるよりはむしろ高貴《こうき》の若奥方《わかおくがた》と言《い》ったお物越《ものご》しで、いろいろと優《やさ》しいお言葉《ことば》をかけくださるのでした。――
『あなたが竜宮《りゅうぐう》へお出《い》でなさることは、かねてからお通信《たより》がありましたので、こちらでもそれを楽《たの》しみに大《たい》へんお待《ま》ちしていました。今日《きょう》はわたくしが代《かわ》ってお逢《あ》いしますが、この次《つ》ぎは姉君様《あねぎみさま》が是非《ぜひ》お目《め》にかかるとの仰《おお》せでございます。何事《なにごと》もすべてお心易《こころやす》く、一切《さい》の遠慮《えんりょ》を棄《す》てて、訊《き》くべきことは訊《き》き、語《かた》るべきことは語《かた》ってもらいます。あなた方《がた》が地《ち》の世界《せかい》に降《くだ》り、いろいろと現界《げんかい》の苦労《くろう》をされるのも、つまりは深《ふか》き神界《しんかい》のお仕組《しくみ》で、それがわたくし達《たち》にも又《また》となき良《よ》い学問《がくもん》となるのです。きけばドウやらあなたの現世《げんせ》の生活《せいかつ》も、なかなか楽《らく》なものではなかったようで……。』
いかにもしんみりと、溢《あふ》るるばかりの同情《どうじょう》を以《もっ》て、何《なに》くれと話《はな》しかけてくださいますので、いつの間《ま》にやら私《わたくし》の方《ほう》でも心《こころ》の遠慮《えんりょ》が除《と》り去《さ》られ、丁度《ちょうど》現世《げんせ》で親《した》しい方《かた》と膝《ひざ》を交《まじ》えて、打解《うちと》けた気分《きぶん》でよもやまの物語《ものがたり》に耽《ふけ》ると言《い》ったようなことになりました。帰幽以来《きゆういらい》何《なん》十年《ねん》かになりますが、私《わたくし》が斯《こ》んな打寛《うちくつろ》いだ、なごやかな気持《きもち》を味《あじ》わったのは実《じつ》にこの時《とき》が最初《さいしょ》でございました。
それから私《わたくし》は問《と》われるままに、鎌倉《かまくら》の実家《じっか》のこと、嫁入《よめい》りした三浦家《みうらけ》のこと、北條《ほうじょう》との戦闘《たたかい》のこと、落城後《らくじょうご》の侘住居《わびすまい》のことなど、有《あ》りのままにお話《はな》ししました。玉依姫様《たまよりひめさま》は一々首肯《うなづ》きながら私《わたくし》の物語《ものがたり》に熱心《ねっしん》に耳《みみ》を傾《かたむ》けてくだされ、最後《さいご》に私《わたくし》が独《ひと》りさびしく無念《むねん》の涙《なみだ》に暮《く》れながら若《わか》くて歿《なくな》ったことを申上《もうしあ》げますと、あの美《うつく》しいお顔《かお》をばいとど曇《くも》らせて涙《なみだ》さえ浮《うか》べられました。――
『それはまァお気毒《きのどく》な……あなたも随分《ずいぶん》つらい修行《しゅぎょう》をなさいました……。』
たッた一《ひ》と言《こと》ではございますが、私《わたくし》はそれをきいて心《こころ》から難有《ありがた》いと思《おも》いました。私《わたくし》の胸《むね》に積《つも》り積《つも》れる多年《たねん》の鬱憤《うっぷん》もドウやらその御一言《ごいちごん》できれいに洗《あら》い去《さ》られたように思《おも》いました。
『斯《こ》んなお優《やさ》しい神様《かみさま》にお逢《あ》いすることができて、自分《じぶん》は何《なん》と幸福《しあわせ》な身《み》の上《うえ》であろう。自分《じぶん》はこれから修行《しゅぎょう》を積《つ》んで、斯《こ》んな立派《りっぱ》な神様《かみさま》のお相手《あいて》をしてもあまり恥《はず》かしくないように、一時《じ》も早《はや》く心《こころ》の垢《あか》を洗《あら》い浄《きよ》めねばならない……。』
私《わたくし》は心《こころ》の底《そこ》で固《かた》くそう決心《けっしん》したのでした。
二十五、竜宮雑話
一《ひ》と通《とお》り私《わたくし》の身上噺《みのうえばなし》が済《す》んだ時《とき》に、今度《こんど》は私《わたくし》の方《ほう》から玉依姫様《たまよりひめさま》にいろいろの事《こと》をお訊《たず》ねしました。何《なに》しろ竜宮界《りゅうぐうかい》の初上《はつのぼ》り、何一《なにひと》つ弁《わきま》えてもいない不束者《ふつつかもの》のことでございますから[#「ことでございますから」は底本では「こどでございますから」]、随分《ずいぶん》つまらぬ事《こと》も申上《もうしあ》げ、あちらではさぞ笑止《しょうし》に思召《おぼしめ》されたことでございましたろう。何《なに》をお訊《たず》ねしたか、今《いま》ではもう大分《だいぶ》忘《わす》れて了《しま》いましたが、標本《みほん》のつもりで一《ひと》つ二《ふた》つ想《おも》い出《だ》して見《み》ることに致《いた》しましょう。
真先《まっさ》きに私《わたくし》がお訊《たず》ねしたのは浦島太郎《うらしまたろう》の昔噺《むかしばなし》のことでございました。――
『人間《にんげん》の世界《せかい》には、浦島太郎《うらしまたろう》という人《ひと》が竜宮《りゅうぐう》へ行《い》って乙姫《おとひめ》さまのお婿様《むこさま》になったという名高《なだか》いお伽噺《とぎばなし》がございますが、あれは実際《じっさい》あった事柄《ことがら》なのでございましょうか……。』
すると玉依姫様《たまよりひめさま》はほほとお笑《わら》い遊《あそ》ばしながら、斯《こ》う訓《おし》えてくださいました。――
『あの昔噺《むかしばなし》が事実《じじつ》そのままでないことは申《もう》すまでもなけれど、さりとて全《まった》く跡方《あとかた》もないというのではありませぬ。つまり天津日継《あまつひつぎ》の皇子《みこ》彦火々出見命様《ひこほほでみのみことさま》が、姉君《あねぎみ》の御婿君《おんむこぎみ》にならせられた事実《じじつ》を現世《げんせ》の人達《ひとたち》が漏《も》れきいて、あんな不思議《ふしぎ》な浦島太郎《うらしまたろう》のお伽噺《とぎばなし》に作《つく》り上《あげ》げたのでございましょう。最後《さいご》に出《で》て来《く》る玉手箱《たまてばこ》の話《はなし》、あれも事実《じじつ》ではありませぬ。別《べつ》にこの竜宮《りゅうぐう》に開《あ》ければ紫《むらさき》の煙《けむり》が立《た》ちのぼる、玉手箱《たまてばこ》と申《もう》すようなものはありませぬ。あなたもよく知《し》るとおり、神《かみ》の世界《せかい》はいつまで経《た》っても、露《つゆ》かわりのない永遠《えいえん》の世界《せかい》、彦火々出見命様《ひこほほでみのみことさま》と豐玉姫様《とよたまひめさま》は、今《いま》も昔《むかし》と同《おな》じく立派《りっぱ》な御夫婦《ごふうふ》の御間柄《おんあいだがら》でございます。ただ命様《みことさま》には天津日継《あまつひつぎ》の大切《たいせつ》な御用《ごよう》がおありになるので、めったに御夫婦《ごふうふ》揃《そろ》ってこの竜宮界《りゅうぐうかい》にお寛《くつろ》ぎ遊《あそ》ばすことはありませぬ。現《げん》に只《ただ》今《いま》も命様《みことさま》には何《なに》かの御用《ごよう》を帯《お》びて御出《おで》ましになられ、乙姫様《おとひめさま》は、ひとりさびしくお不在《るす》を預《あず》かって居《お》られます。そんなところが、あのお伽噺《とぎばなし》のつらい夫婦《ふうふ》の別離《わかれ》という趣向《しゅこう》になったのでございましょう[#「なったのでございましょう」は底本では「なつのでございましょう」]……。』
そう言《い》って玉依姫《たまよりひめ》には心持《こころも》ちお顔《かお》を赧《あか》く染《そ》められました。
それから私《わたくし》は斯《こ》んな事《こと》もお訊《き》きしました。――
『斯《こ》うして拝見《はいけん》致《いた》しますと竜宮《りゅうぐう》は、いかにもきれいで、のんきらしく結構《けっこう》に思《おも》われますが、矢張《やは》り神様《かみさま》にもいろいろつらい御苦労《ごくろう》がおありなさるのでございましょう?』
『よい所《ところ》へお気《き》がついてくれました。』と玉依姫様《たまよりひめさま》は大《たい》そうお歓《よろこ》びになってくださいました。
『寛《くつろ》いで他《ひと》にお逢《あ》いする時《とき》には、斯《こ》んな奇麗《きれい》な所《ところ》に住《す》んで、斯《こ》んな奇麗《きれい》な姿《すがた》を見《み》せて居《お》れど、わたくし達《たち》とていつも斯《こ》うしてのみはいないのです。人間《にんげん》の修行《しゅぎょう》もなかなか辛《つら》くはあろうが、竜神《りゅうじん》の修行《しゅぎょう》とて、それにまさるとも劣《おと》るものではありませぬ。現世《げんせ》には現世《げんせ》の執着《しゅうじゃく》があり、霊界《れいかい》には霊界《れいかい》の苦労《くろう》があります。わたくしなどは今《いま》が修行《しゅぎょう》の真最中《まっさいちゅう》、寸時《いっとき》もうかうかと遊《あそ》んでは居《お》りませぬ。あなたは今《いま》斯《こ》うしている私《わたくし》の姿《すがた》を見《み》て、ただ一人《ひとり》のやさしい女性《じょせい》と思《おも》うであろうが、実《じつ》はこれは人間《にんげん》のお客様《きゃくさま》を迎《むか》える時《とき》の特別《とくべつ》の姿《すがた》、いつか機会《おり》があったら、私《わたくし》の本当《ほんとう》の姿《すがた》をお見《み》せすることもありましょう。兎《と》に角《かく》私達《わたくしたち》の世界《せかい》にはなかなか人間《にんげん》に知《し》られない、大《おお》きな苦労《くろう》があることをよく覚《おぼ》えていてもらいます。それがだんだん判《わか》ってくれば、現世《げんせ》の人間《にんげん》もあまり我侭《わがまま》を申《まう》さぬようになりましょう……。』
こんな真面目《まじめ》なお話《はなし》をなさる時《とき》には、玉依姫様《たまよりひめさま》のあの美《うつく》しいお顔《かお》がきりりと引《ひ》きしまって、まともに拝《おが》むことができないほど神々《こうごう》しく見《み》えるのでした。
私《わたくし》がその日《ひ》玉依姫様《たまよりひめさま》から伺《うかが》ったことはまだまだ沢山《たくさん》ございますが[#「沢山ございますが」は底本では「沢山だざいますが」]、それはいつか別《べつ》の機会《きかい》にお話《はな》しすることにして、ただ爰《ここ》で是非《ぜひ》附《つ》け加《くわ》えて置《お》きたいことが一《ひと》つございます。それは玉依姫《たまよりひめ》の霊統《れいとう》を受《う》けた多《おお》くの女性《じょせい》の中《なか》に弟橘姫《おとたちばなひめ》が居《お》られることでございます。『あの人《ひと》はわたくしの分霊《ぶんれい》を受《う》けて生《う》まれたものであるが、あれが一ばん名高《なだか》くなって居《お》ります……。』そう言《い》われた時《とき》には大《たい》そうお得意《とくい》の御模様《おんもよう》が見《み》えていました。
一《ひ》と通《とお》りおききしたいことをおききしてから、お暇乞《いとまご》いをいたしますと『又《また》是非《ぜひ》何《ど》うぞ近《ちか》い中《うち》に……。』という有難《ありがた》いお言葉《ことば》を賜《たま》わりました。私《わたくし》は心《こころ》から朗《ほがら》かな気分《きぶん》になって、再《ふたた》び例《れい》の小娘《こむすめ》に導《みちび》かれて玄関《げんかん》に立《た》ち出《い》で、そこからはただ一気《き》に途中《とちゅう》を通過《つうか》して、無事《ぶじ》に自分《じぶん》の山《やま》の修行場《しゅぎょうば》に戻《もど》りました。
二十六、良人との再会
前回《ぜんかい》の竜宮行《りゅうぐうゆき》のお話《はなし》は何《なん》となく自分《じぶん》にも気乗《きの》りがいたしましたが、今度《こんど》はドーも億劫《おっくう》で、気《き》おくれがして、成《な》ろうことなら御免《ごめん》を蒙《こうむ》りたいように感《かん》じられてなりませぬ。帰幽後《きゆうご》生前《せいぜん》の良人《おっと》との初対面《しょたいめん》の物語《ものがたり》……婦女《おんな》の身《み》にとりて、これほどの難題《なんだい》はめったにありませぬ。さればとて、それが話《はなし》の順序《じゅんじょ》であれば、無理《むり》に省《はぶ》いて仕舞《しま》う訳《わけ》にもまいりませず、本当《ほんとう》に困《こま》って居《い》るのでございまして……。ナニ成《な》るべく詳《くわ》しく有《あ》りのままを話《はな》せと仰《お》っしゃるか。そんなことを申《まう》されると、尚更《なおさら》談話《はなし》がし難《にく》くなって了《しま》います。修行未熟《しゅぎょうみじゅく》な、若《わか》い夫婦《ふうふ》の幽界《ゆうかい》に於《お》ける初《はじ》めての会合《かいごう》――とても他人《ひと》さまに吹聴《ふいちょう》するほど立派《りっぱ》なものでないに決《きま》って居《お》ります。おきき苦《ぐる》しい点《てん》は成《な》るべく発表《はっぴょう》なさらぬようくれぐれもお依《たの》みして置《お》きます……。
いつかも申上《もうしあ》げた[#「申上げた」は底本では「申上げだ」]通《とお》り、私《わたくし》がこちらの世界《せかい》へ参《まい》りましたのは、良人《おっと》よりも一年《ねん》余《あま》り遅《おく》れて居《お》りました。後《あと》で伺《うかが》いますと、私《わたくし》が死《し》んだことはすぐ良人《おっと》の許《もと》に通知《しらせ》があったそうでございますが、何分《なにぶん》当時《とうじ》良人《おっと》はきびしい修行《しゅぎょう》の真最中《まっさいちゅう》なので、自分《じぶん》の妻《つま》が死《し》んだとて、とてもすぐ逢《あ》いに行《ゆ》くというような、そんな女々《めめ》しい気分《きぶん》にはなれなかったそうでございます。私《わたくし》は又《また》私《わたくし》で、何《なに》より案《あん》じられるのは現世《げんせ》に残《のこ》して置《お》いた両親《りょうしん》のことばかり、それに心《こころ》を奪《うば》われて、自分《じぶん》よりも先《さき》へ死《し》んで了《しま》っている良人《おっと》のことなどはそれほど気《き》にかからないのでした。『時節《じせつ》が来《き》たら何《いず》れ良人《おっと》にも逢《あ》えるであろう……。』そんな風《ふう》にあっさり考《かんが》えていたのでした。
右《みぎ》のような次第《しだい》で、帰幽後《きゆうご》随分《ずいぶん》永《なが》い間《あいだ》、私達《わたくしたち》夫婦《ふうふ》は分《わか》れ分《わか》れになったきりでございました。むろん、これがすべての男女《だんじょ》に共通《きょうつう》のことなのか何《ど》うかは存《ぞん》じませぬ。これはただ私達《わたくしたち》がそうであったと申《もう》す丈《だけ》のことで……。
そうする中《うち》に私《わたくし》は岩屋《いわや》の修行場《しゅぎょうば》から、山《やま》の修行場《しゅぎょうば》に進《すす》み、やがて竜宮界《りゅうぐうかい》の訪問《ほうもん》も済《す》んだ頃《ころ》になりますと、私《わたくし》のような執着《しゅうじゃく》の強《つよ》い婦女《おんな》にも、幾分《いくぶん》安心《あんしん》ができて来《き》たらしいのが自覚《じかく》されるようになりました。すると、こちらからは別《べつ》に何《なん》ともお願《ねが》いした訳《わけ》でも何《なん》でもないのに、ある日《ひ》突然《とつぜん》神様《かみさま》から良人《おっと》に逢《あ》わせてやると仰《おお》せられたのでございます。『そろそろ逢《あ》ってもよいであろう。汝《そち》の良人《おっと》は汝《そち》よりもモー少《すこ》し心《こころ》の落付《おちつ》きができて来《き》たようじゃ……。』指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが、いとどまじめくさってそんなことを言《い》われるので、私《わたくし》は気《き》まりが悪《わる》くて仕方《しかた》がなく、覚《おぼ》えず顔《かお》を真紅《まっか》に染《そ》めて、一たんはお断《ことわ》りしました。――
『そんなことはいつでも宜《よろ》しうございます。修行《しゅぎょう》の後戻《あともど》りがすると大変《たいへん》でございますから……。』
『イヤイヤ一度《ど》は逢《あ》わせることに、先方《むこう》の指導霊《しどうれい》とも手筈《はず》をきめて置《お》いてある。良人《おっと》と逢《あ》った位《くらい》のことで、すぐ後戻《あともど》りするような修行《しゅぎょう》なら、まだとても本物《ほんもの》とは言《い》われぬ。斯《こ》んなことをするのも、矢張《やは》り修行《しゅぎょう》の一《ひと》つじゃ。神《かみ》として無理《むり》にはすすめぬから、有《あ》りのままに答《こた》えるがよい。何《ど》うじゃ逢《あ》って見《み》る気《き》はないか?』
『それでは、宜《よろ》しきようにお願《ねが》いいたしまする……。』
とうとう私《わたくし》はお爺《じい》さんにそう御返答《ごへんとう》をして了《しま》いました。
二十七、会合の場所
私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》を少《すこ》し下《した》へ降《お》りた山《やま》の半腹《はんぷく》に、小《こ》ぢんまりとした一《ひと》つの平地《へいち》がございます。周囲《ぐるり》には程《ほど》よく樹木《じゅもく》が生《は》えて、丁度《ちょうど》置石《おきいし》のように自然石《じねんせき》があちこちにあしらってあり、そして一面《めん》にふさふさした青苔《あおごけ》がぎっしり敷《し》きつめられて居《い》るのです。そこが私達《わたくしたち》夫婦《ふうふ》の会合《かいごう》の場所《ばしょ》と決《き》められました。
あなたも御承知《ごしょうち》の通《とお》り、こちらの世界《せかい》では、何《なに》をやるにも、手間暇間《てまひま》は要《い》りません。思《おも》い立《た》ったが吉日《きちじつ》で、すぐに実行《じっこう》に移《うつ》されて行《ゆ》きます。
『話《はなし》が決《きま》った上《うえ》は、これからすぐに出掛《でか》けるとしよう……。』
お爺《じい》さんは眉《まゆ》一《ひと》つ動《うご》かされず、済《す》まし切《き》って先《さ》きに立《た》たれますので、私《わたくし》も黙《だま》ってその後《あと》について出掛《でか》けましたが、しかし私《わたくし》の胸《むね》の裡《うち》は千々《ちぢ》に砕《くだ》けて、足《あし》の運《はこ》びが自然《しぜん》遅《おく》れ勝《が》ちでございました。
申《もう》すまでもなく、十幾年《いくねん》の間《あいだ》現世《げんせ》で仲《なか》よく連《つ》れ添《そ》った良人《おっと》と[#「良人と」は底本では「良入と」]、久《ひさ》しぶりで再会《さいかい》するというのでございますから、私《わたくし》の胸《むね》には、夫婦《ふうふ》の間《あいだ》ならでは味《あじわ》われぬ、あの一種《しゅ》特別《とくべつ》のうれしさが急《きゅう》にこみ上《あ》げて来《き》たのは事実《じじつ》でございます。すべて人間《にんげん》というものは死《し》んだからと言《い》って、別《べつ》にこの夫婦《ふうふ》の愛情《あいじょう》に何《なん》の変《かわ》りがあるものではございませぬ。変《かわ》っているのはただ肉体《にくたい》の有無《うむ》だけ、そして愛情《あいじょう》は肉体《にくたい》の受持《うけもち》ではないらしいのでございます。
が、一方《ぽう》にかくうれしさがこみあぐると同時《どうじ》に、他方《たほう》には何《なに》やら空恐《そらおそ》ろしいような感《かん》じが強《つよ》く胸《むね》を打《う》つのでした。何《な》にしろここは幽界《ゆうかい》、自分《じぶん》は今《いま》修行《しゅぎょう》の第《だい》一歩《ぽ》をすませて、現世《げんせ》の執着《しゅうじゃく》が漸《ようや》くのことで少《すこ》しばかり薄《うす》らいだというまでのよくよくの未熟者《みじゅくもの》、これが幾《いく》十年《ねん》ぶりかで現世《げんせ》の良人《おっと》に逢《あ》った時《とき》に、果《はた》して心《こころ》の平静《へいせい》が保《たも》てるであろうか、果《はた》して昔《むかし》の、あの醜《みぐる》しい愚痴《ぐち》やら未練《みれん》やらが首《こうべ》を擡《もた》げぬであろうか……何《ど》う考《かんが》えて見《み》ても自分《じぶん》ながら危《あぶな》ッかしく感《かん》じられてならないのでした。
そうかと思《おも》うと、私《わたくし》の胸《むね》のどこやらには、何《なに》やら気《き》まりがわるくてしょうのないところもあるのでした。久《ひさ》し振《ぶ》りで良人《おっと》と顔《かお》を合《あ》わせるのも気《き》まりがわるいが、それよりも一層《そう》恥《はず》かしいのは神《かみ》さまの手前《てまえ》でした。あんな素知《そし》らぬ顔《かお》をして居《お》られても、一から十まで人《ひと》の心《こころ》の中《なか》を洞察《みぬ》かるる神様《かみさま》、『この女《おんな》はまだ大分《だいぶ》娑婆《しゃば》の臭《くさ》みが残《のこ》っているナ……。』そう思《おも》っていられはせぬかと考《かんが》えると、私《わたくし》は全《まった》く穴《あな》へでも入《はい》りたいほど恥《はず》かしくてならないのでした。
それでも予定《よてい》の場所《ばしょ》に着《つ》く頃《ころ》までには、少《すこ》しは私《わたくし》の肚《はら》が据《すは》ってまいりました。『縦令《たとえ》何事《なにごと》ありとも涙《なみだ》は出《だ》すまい。』――私《わたくし》は固《かた》くそう決心《けっしん》しました。
先方《むこう》へついて見《み》ると、良人《おっと》はまだ来《き》て居《お》りませんでした。
『まあよかった……。』その時《とき》私《わたくし》はそう思《おも》いました。いよいよとなると、矢張《やは》りまだ気《き》おくれがして、少《すこ》しでも時刻《じこく》を延《の》ばしたいのでした。
お爺《じい》さんはと見《み》れば何所《どこ》に風《かぜ》が吹《ふ》くと言《い》った面持《おももち》で、ただ黙々《もくもく》として、あちらを向《む》いて景色《けしき》などを眺《なが》めていられました。
二十八、昔語り
良人《おっと》がいよいよ来着《らいちゃく》したのは、それからしばしの後《あと》で、私《わたくし》が不図《ふと》側見《わきみ》をした瞬間《しゅんかん》に、五十余《あま》りと見《み》ゆる一人《ひとり》の神様《かみさま》に附添《つきそ》われて、忽然《こつぜん》として私《わたくし》のすぐ前面《まえ》に、ありし日《ひ》の姿《すがた》を現《あら》わしたのでした。
『あッ矢張《やは》り元《もと》の良人《おっと》だ……。』
私《わたくし》は今更《いまさら》ながら生死《せいし》の境《さかい》を越《こ》えて、少《すこ》しも変《かわ》っていない良人《おっと》の姿《すがた》に驚嘆《きょうたん》の眼《め》を見張《みは》らずにはいられませんでした。服装《ふくそう》までも昔《むかし》ながらの好《この》みで、鼠色《ねずみいろ》の衣裳《いしょう》に大紋《だいもん》打《う》った黒《くろ》の羽織《はおり》、これに袴《はかま》をつけて、腰《こし》にはお定《さだ》まりの大小《だいしょう》二本《ほん》、大《たい》へんにきちんと改《あらたま》った扮装《いでたち》なのでした。
これが現世《げんせ》での出来事《できごと》だったら、その時《とき》何《なに》をしたか知《し》れませぬが、さすがに神様《かみさま》の手前《てまえ》、今更《いまさら》取《と》り乱《みだ》したところを見《み》られるのが恥《はず》かしうございますから、私《わたくし》は一生《しょう》懸命《けんめい》になって、平気《へいき》な素振《そぶり》をしていました。良人《おっと》の方《ほう》でも少《すこ》しも弱味《よわみ》を見《み》せず、落付《おちつき》払《はら》った様子《ようす》をしていました。
しばし沈黙《ちんもく》がつづいた後《あと》で、私《わたくし》から言葉《ことば》をかけました。――
『お別《わか》れしてから随分《ずいぶん》長《なが》い歳月《としつき》を経《へ》ましたが、図《はか》らずも今《いま》ここでお目《め》にかかることができまして、心《こころ》から嬉《うれ》しうございます。』
『全《まった》く今日《こんにち》は思《おも》い懸《が》けない面会《めんかい》であった。』と良人《おっと》もやがて武人《ぶじん》らしい、重《おも》い口《くち》を開《ひら》きました。
『あの折《おり》は思《おも》いの外《ほか》の乱軍《らんぐん》、訣別《わかれ》の言葉《ことば》一《ひと》つかわす隙《ひま》もなく、あんな事《こと》になって了《しま》い、そなたも定《さだ》めし本意《ほい》ないことであったであろう……。それにしてもそなたが、斯《こ》うも早《はや》くこちらの世界《せかい》へ来《く》るとは思《おも》わなかった。いつまでも安泰《あんたい》に生《い》き長《なが》らえて居《い》てくれるよう、自分《じぶん》としては蔭《かげ》ながら祈願《きがん》していたのであったが、しかし過《す》ぎ去《さ》ったことは今更《いまさら》何《なん》とも致方《いたしかた》がない。すべては運命《うんめい》とあきらめてくれるよう……。』
飾気《かざりけ》のない良人《おっと》の言葉《ことば》を私《わたくし》は心《こころ》からうれしいと思《おも》いました。
『昔《むかし》の事《こと》はモー何《なん》とも仰《お》っしゃってくださいますな。あたにお別《わか》れしてからの私《わたくし》は、お墓《はか》参《まい》りが何《なに》よりの楽《たの》しみでございましたが、矢張《やは》り寿命《じゅみょう》と見《み》えて、直《じき》にお後《あと》を慕《した》うことになりました。一時《じ》の間《あいだ》こそ随分《ずいぶん》くやしいとも、悲《かな》しいとも思《おも》いましたが、近頃《ちかごろ》は、ドーやらあきらめがつきました。そして思《おも》いがけない今日《きょう》のお目通《めどお》り、こんなうれしい事《こと》はございませぬ……。』
かれこれと語《かた》り合《あ》っている中《うち》にも、お互《たがい》の心《こころ》は次第《しだい》次第《しだい》に融《と》け合《あ》って、さながらあの思出《おもいで》多《おお》き三浦《みうら》の館《やかた》で、主人《あるじ》と呼《よ》び、妻《つま》と呼《よ》ばれて、楽《たの》しく起居《おきふし》を偕《とも》にした時代《じだい》の現世《げんせ》らしい気分《きぶん》が復活《ふっかつ》して来《き》たのでした。
『いつまで立話《たちはな》しでもなかろう。その辺《へん》に腰《こし》でもかけるとしようか。』
『ほんにそうでございました。丁度《ちょうど》ここに手頃《てごろ》の腰掛《こしか》[#ルビの「こしか」は底本では「こしかけ」]けがございます。』
私達《わたくしたち》は三尺《じゃく》ほど隔《へだ》てて、右《みぎ》と左《ひだり》に並《なら》んでいる、木《き》の切株《きりかぶ》に腰《こし》をおろしました。そこは監督《かんとく》の神様達《かみさまたち》もお気《き》をきかせて、あちらを向《む》いて、素知《そし》らぬ顔《かお》をして居《お》られました。
対話《はなし》はそれからそれへとだんだん滑《なめら》かになりました。
『あなたは生前《せいぜん》と少《すこ》しもお変《かわ》りがないばかりか、却《かえ》って少《すこ》しお若《わか》くなりはしませぬか。』
『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ来《き》てから何年《なんねん》経《た》っても年齢《とし》を取《と》らないというところが不思議《ふしぎ》じゃ。』と良人《おっと》は打笑《うちわら》い、『それにしてもそなたは些《ち》と老《ふ》けたように思《おも》うが……。』
『あなたとお別《わか》れしてから、いろいろ苦労《くろう》をしましたので、自然《しぜん》窶《やつれ》が出《で》たのでございましょう。』
『それは大《たい》へん気《き》の毒《どく》なことであった。が、斯《こ》うなっては最早《もはや》苦労《くろう》のしようもないから、その中《うち》自然《しぜん》元気《げんき》が出《で》て来《く》るであろう。早《はや》くそうなってもらいたい。』
『承知《しょうち》致《いた》しました。みっちり修行《しゅぎょう》を積《つ》んで、昔《むかし》よりも若々《わかわか》しくなってお目《め》にかけます……。』
さして取《と》りとめのない事柄《ことがら》でも、斯《こ》うして親《した》しく語《かた》り合《あ》って居《お》りますと、私達《わたくしたち》の間《あいだ》には言《い》うに言《い》われぬ楽《たの》しさがこみ上《あ》げて来《く》るのでした。
二十九、身上話
ここで一《ひと》つ変《かわ》っているのは、私達《わたくしたち》が殆《ほと》んど少《すこ》しも現世時代《げんせじだい》の思《おも》い出《で》話《ばなし》をしなかったことで、若《も》しひょっとそれを行《や》ろうとすると、何《なに》やら口《くち》が填《つま》って了《しま》うように感《かん》じられるのでした。
で、自然《しぜん》私達《わたくしたち》の対話《はなし》は死《し》んでから後《のち》の事柄《ことがら》に限《かぎ》られることになりました。私《わたくし》が真先《まっさ》きに訊《き》いたのは良人《おっと》の死後《しご》の自覚《じかく》の模様《もよう》でした。――
『あなたがこちらでお気《き》がつかれた時《とき》はどんな塩梅《あんばい》でございましたか?』
『俺《わし》は実《じつ》はそなたの声《こえ》で眼《め》を覚《さ》ましたのじゃ。』と良人《おっと》はじっと私《わたくし》を見守《みまも》り乍《なが》らポツリポツリ語《かた》り出《だ》しました。『そなたも知《し》る通《とお》り、俺《わし》は自尽《じじん》して果《は》てたのじゃが、この自殺《じさつ》ということは神界《しんかい》の掟《おきて》としてはあまりほめたことではないらしく、自殺者《じさつしゃ》は大抵《たいてい》皆《みな》一たんは暗《くら》い所《ところ》へ置《お》かれるものらしい。俺《わし》も矢張《やは》りその仲間《なかま》で、死《し》んでからしばらくの間《あいだ》何事《なにごと》も知《し》らずに無我夢中《むがむちゅう》で日《ひ》を過《すご》した。尤《もっと》も俺《わし》のは、敵《てき》の手《て》にかからない為《た》めの、言《い》わば武士《ぶし》の作法《さほう》に協《かな》った自殺《じさつ》であるから、罪《つみ》は至《いた》って軽《かる》かったようで、従《したが》って無自覚《むじかく》の期間《きかん》もそう長《なが》くはなかったらしい。そうする中《うち》にある日《ひ》不図《ふと》そなたの声《こえ》で名《な》を呼《よ》ばれるように感《かん》じて眼《め》を覚《さ》ましたのじゃ。後《あと》で神様《かみさま》から伺《うかが》えば、これはそなたの一心《しん》不乱《ふらん》の祈願《きがん》が、首尾《しゅび》よく俺《わし》の胸《むね》に通《つう》じたものじゃそうで、それと知《し》った時《とき》の俺《わし》のうれしさはどんなであったか……。が、それは別《べつ》の話《はなし》、あの時《とき》は何《なに》をいうにも四辺《あたり》が真暗《まっくら》[#ルビの「まっくら」は底本では「あつくら」]でどうすることもできず、しばらく腕《うで》を拱《こまね》いてぼんやり考《かんが》え込《こ》んでいるより外《ほか》に道《みち》がなかった。が、その中《うち》うっすりと光明《あかり》がさして来《き》て、今日《きょう》送《おく》って来《き》てくだされた、あのお爺《じい》さんの姿《すがた》が眼《め》に映《うつ》った。ドーじゃ、眼《め》が覚《さ》めたか?――そう言葉《ことば》をかけられた時《とき》のうれしさ! 俺《わし》はてっきり自分《じぶん》を救《すく》ってくれた恩人《おんじん》であろうと思《おも》って、お名前《なまえ》は? と訊《たず》ねると、お爺《じい》さんはにっこりして、汝《そち》は最早《もはや》現世《げんせ》の人間《にんげん》ではない。これから俺《わし》の申《もう》すところをきいて、十分《ぶん》に修行《しゅぎょう》を積《つ》まねばならぬ。俺《わし》は産土《うぶすな》の神《かみ》から遣《つか》わされた汝《そち》の指導者《しどうしゃ》である、と申《もう》しきかされた。その時《とき》俺《わし》ははっとして、これは最《も》う愚図愚図《ぐずぐず》していられないと思《おも》った。それから何年《なんねん》になるか知《し》れぬが、今《いま》では少《すこ》し幽界《ゆうかい》の修行《しゅぎょう》も積《つ》み、明《あか》るい所《ところ》に一軒《けん》の家屋《かおく》を構《かま》えて住《すま》わして貰《もら》っている……。』
私《わたくし》は良人《おっと》の素朴《そぼく》な物語《ものがたり》を大《たい》へんな興味《きょうみ》を以《もっ》てききました。殊《こと》に私《わたくし》の生存中《せいぞんちゅう》の心《こころ》ばかりの祈願《きがん》が、首尾《しゅび》よく幽明《ゆうめい》の境《さかい》を越《こ》えて良人《おっと》の自覚《じかく》のよすがとなったというのが、世《よ》にもうれしい事《こと》の限《かぎ》りでした。
入《い》れ代《かわ》って今度《こんど》は良人《おっと》の方《ほう》で、私《わたくし》の経歴《けいれき》をききたいということになりました。で、私《わたくし》は今《いま》丁度《ちょうど》あなたに申上《もうしあ》げるように、帰幽後《きゆうご》のあらましを物語《ものがた》りました。私《わたくし》が生《い》きている時《とき》から霊視《れいし》がきくようになり、今《いま》では坐《すわ》ったままで何《なん》でも見《み》えると申《もう》しますと、『そなたは何《なん》と便利《べんり》なものを神様《かみさま》から授《さずか》っているであろう!』と良人《おっと》は大《たい》へんに驚《おどろ》きました。又《また》私《わたくし》がこちらで愛馬《あいば》に逢《あ》った話《はなし》をすると、『あの時《とき》は、そなたの希望《きぼう》を容《い》れないで、勝手《かって》な名前《なまえ》をつけさせて大《たい》へんに済《す》まなかった。』と良人《おっと》は丁寧《ていねい》に詫《わ》びました。その外《ほか》さまざまの事《こと》がありますが、就中《なかんづく》良人《おっと》が非常《ひじょう》に驚《おどろ》きましたのは私《わたくし》の竜宮行《りゅうぐうゆき》の物語《ものがたり》でした。『それは飛《と》んでもない面白《おもしろ》い話《はなし》じゃ。ドーもそなたの方《ほう》が俺《わし》よりも資格《しかく》がずっと上《うえ》らしいぞ。俺《わし》の方《ほう》が一向《こう》ぼんやりしているのに、そなたはいろいろ不思議《ふしぎ》なことをしている……。』と言《い》って、大《たい》そう私《わたくし》を羨《うらや》ましがりました。私《わたくし》も少《すこ》し気《き》の毒《どく》気味《ぎみ》になり、『すべては霊魂《みたま》の関係《かんけい》から役目《やくめ》が異《ちが》うだけのもので、別《べつ》に上下《じょうげ》の差《さ》がある訳《わけ》ではないでしょう。』と慰《なぐさ》めて置《お》きました。
私達《わたくしたち》はあまり対話《はなし》に身《み》が入《はい》って、すっかり時刻《とき》の経《た》つのも忘《わす》れていましたが、不図《ふと》気《き》がついて見《み》ると何処《どこ》へ行《ゆ》かれたか、二人《ふたり》の神《かみ》さん達《たち》の姿《すがた》はその辺《あたり》に見当《みあた》らないのでした。
私達《わたくしたち》は期《き》せずして互《たがい》に眼《め》と眼《め》を見合《みあ》わせました。
三十、永遠の愛
思《おも》い切《き》って私《わたくし》はここに懺悔《ざんげ》しますが、四辺《あたり》に神《かみ》さん達《たち》の眼《め》が見張《みは》っていないと感付《かんづ》いた時《とき》に、私《わたくし》の心《こころ》が急《きゅう》にむらむらとあらぬ方向《ほうこう》へ引《ひ》きづられて行《い》ったことは事実《じじつ》でございます。
『久《ひさ》しぶりでめぐり合《あ》った夫婦《ふうふ》の仲《なか》だもの、せめて手《て》の先尖位《さきぐらい》は触《ふ》れても見《み》たい……。』
私《わたくし》の胸《むね》はそうした考《かんが》えで、一ぱいに張《は》りつめられて了《しま》いました。
物《もの》堅《がた》い良人《おっと》の方《ほう》でも、うわべはしきりに耐《こら》え耐《こら》えて居《お》りながら、頭脳《あたま》の内部《なか》は矢張《やは》りありし昔《むかし》の幻影《げんえい》で充《み》ち充《み》ちているのがよく判《わか》るのでした。
とうとう堪《こら》えきれなくなって、私《わたくし》はいつしか切株《きりかぶ》から離《はな》れ、あたかも磁石《じしゃく》に引《ひ》かれる鉄片《てつきれ》のように、一歩《ぽ》良人《おっと》の方《ほう》へと近《ちか》づいたのでございます……。
が、その瞬間《しゅんかん》、私《わたくし》は急《きゅう》に立《た》ち止《どま》って了《しま》いました。それは今《いま》まではっきりと眼《め》に映《うつ》っていた良人《おっと》の姿《すがた》が、急《きゅう》にスーッと消《き》えかかったのに驚《おど》かされたからでございます。
『この眼《め》がどうかしたのかしら……。』
そう思《おも》って、一歩《ぽ》退《しりぞ》いて見直《みなお》しますと、良人《おっと》は矢張《やは》り元《もと》の通《とお》りはっきりした姿《すがた》で、切株《きりかぶ》に腰《こし》かけて居《い》るのです。
が、再《ふた》び一歩《ぽ》前《まえ》へ進《すす》むと、又《また》もやすぐに朦朧《もうろう》と消《き》えかかる……。
二度《ど》、三度《ど》、五度《ど》、幾度《いくたび》くりかえしても同《おな》じことなのです。
いよいよ駄目《だめ》と悟《さと》った時《とき》に、私《わたくし》はわれを忘《わす》れてその場《ば》に泣《な》き伏《ふ》して了《しま》いました……。
× × × ×
『何《ど》うじゃ少《すこ》しは悟《さと》れたであろうが……。』
私《わたくし》の肩《かた》に手《て》をかけて、そう言《い》われる者《もの》があるので、びっくりして涙《なみだ》の顔《かお》をあげて振《ふ》り返《かえ》って見《み》ますと、いつの間《ま》に戻《もど》られたやら、それは私《わたくし》の指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんなのでした。私《わたくし》はその時《とき》穴《あな》があったら入《はい》りたいように感《かん》じました。
『最初《さいしょ》から申《もう》しきかせた通《とお》り、一度《ど》逢《あ》った位《くらい》ですぐ後戻《あともど》りする修行《しゅぎょう》はまだ本物《ほんもの》とは言《い》われない。』とお爺《じい》さんは私達《わたくしたち》夫婦《ふうふ》に向《むか》って諄々《じゅんじゅん》と説《と》ききかせて下《くだ》さるのでした。『汝達《そちたち》には、姿《すがた》はあれど、しかしそれは元《もと》の肉体《にくたい》とはまるっきり異《ちが》ったものじゃ。強《し》いて手《て》と手《て》を触《ふ》れて見《み》たところで、何《なに》やらかさかさとした、丁度《ちょうど》張子細工《はりこざいく》のような感《かん》じがするばかり、そこに現世《げんせ》で味《あじ》わったような甘味《うまみ》も面白味《おもしろみ》もあったものではない。尚《な》お汝《そち》は先刻《さっき》、良人《おっと》の後《あと》について行《い》って、昔《むかし》ながらの夫婦生活《ふうふせいかつ》でも営《いとな》みたいように思《おも》ったであろうが……イヤ隠《かく》しても駄目《だめ》じゃ、神《かみ》の眼《まなこ》はどんなことでも見抜《みぬ》いているから……しかしそんな考《かんが》えは早《はや》くすてねばならぬ。もともと二人《ふたり》の住《す》むべき境涯《きょうがい》が異《ちが》っているのであるから、無理《むり》にそうした真似《まね》をしても、それは丁度《ちょうど》鳥《とり》と魚《うお》とが一緒《しょ》に住《すま》おうとするようなもので、ただお互《たがい》に苦《くる》しみを増《ま》すばかりじゃ。そち達《たち》は矢張《やは》り離《はな》れて住《す》むに限《かぎ》る。――が、俺《わし》が斯《こ》う申《もう》すのは、決《けっ》して夫婦間《ふうふかん》の清《きよ》い愛情《あいじょう》までも棄《す》てよというのではないから、その点《てん》は取《と》り違《ちが》いをせぬように……。陰陽《いんよう》の結《むす》びは宇宙《うちゅう》万有《ばんゆう》の切《き》っても切《き》れぬ貴《とうと》い御法則《みのり》、いかに高《たか》い神々《かみがみ》とてもこの約束《やくそく》からは免《まぬが》れない。ただその愛情《あいじょう》はどこまでも浄《きよ》められて行《ゆ》かねばならぬ。現世《げんせ》の夫婦《ふうふ》なら愛《あい》と欲《よく》との二筋《ふたすじ》で結《むす》ばれるのも止《や》むを得《え》ぬが、一たん肉体《にくたい》を離《はな》れた上《うえ》は、すっかり欲《よく》からは離《はな》れて了《しま》わねばならぬ。そち達《たち》は今正《いままさ》にその修行《しゅぎょう》の真最中《まっさいちゅう》、少《すこ》し位《くらい》のことは大目《おおめ》に見逃《みの》がしてもやるが、あまりにそれに走《はし》ったが最後《さいご》、結局《けっきょく》幽界《ゆうかい》の落伍者《らくごしゃ》として、亡者扱《もうじゃあつか》いを受《う》け、幾《いく》百年《ねん》、幾《いく》千年《ねん》の逆戻《ぎゃくもど》りをせねばならぬ。俺達《わしたち》が受持《うけも》っている以上《いじょう》、そち達《たち》に断《だん》じてそんな見苦《みぐる》しい真似《まね》わさせられぬ。これからそち達《たち》はどこまでも愛《あい》し合《あ》ってくれ。が、そち達《たち》はどこまでも浄《きよ》い関係《かんけい》をつづけてくれ……。』
× × × ×
それから少時《しばらく》の後《のち》、私達《わたくしたち》はまるで生《うま》れ変《かわ》ったような、世《よ》にもうれしい、朗《ほがら》かな気分《きぶん》になって、右《みぎ》と左《ひだり》とに袂《たもと》を別《わか》ったことでございました。
ついでながら、私《わたくし》と私《わたくし》の生前《せいぜん》の良人《おっと》との関係《かんけい》は今《いま》も尚《な》お依然《いぜん》として続《つづ》いて居《お》り、しかもそれはこのまま永遠《えいえん》に残《のこ》るのではないかと思《おも》われます。が、むろんそれが互《たがい》に許《ゆる》し合《あ》った魂《たま》と魂《たま》との浄《きよ》き関係《かんけい》であることは、改《あらた》めて申上《もうしあ》げるまでもないと存《ぞん》じます。
三十一、香織女
良人《おっと》との再会《さいかい》の模様《もよう》を物語《ものがた》りました序《ついで》に、同《おな》じ頃《ころ》私《わたくし》がこちらで面会《めんかい》を遂《と》げた二三の人達《ひとたち》のお話《はなし》をつづけることに致《いた》しましょう。縁《えん》もゆかりもない今《いま》の世《よ》の人達《ひとたち》には、さして興味《きょうみ》もあるまいと思《おも》いますが、私自身《わたくしじしん》には、なかなか忘《わす》れられない事柄《ことがら》だったのでございます。
その一《ひと》つは私《わたくし》がまだ実家《さと》に居《い》た頃《ころ》、腰元《こしもと》のようにして可愛《かわい》がって居《い》た、香織《かおり》という一人《ひとり》の女性《じょせい》との会合《かいごう》の物語《ものがたり》でございます。香織《かおり》は私《わたくし》よりは年齢《とし》が二つ三つ若《わか》く、顔立《かおだち》はあまり良《よ》くもありませぬが、眼元《めもと》の愛《あい》くるしい、なかなか悧溌《りはつ》な児《こ》でございました。身元《みもと》は長谷部某《はせべなにがし》と呼《よ》ぶ出入《でい》りの徒士《かぢ》[#ルビの「かぢ」はママ]の、たしか二番目《ばんめ》の娘《むすめ》だったかと覚《おぼ》えて居《お》ります。
私《わたくし》が三浦《みうら》へ縁《えん》づいた時《とき》に、香織《かおり》は親元《おやもと》へ戻《もど》りましたが、それでも所中《しょっちゅう》鎌倉《かまくら》からはるばる私《わたくし》の所《ところ》へ訪《たず》ねてまいり、そして何年《なんねん》経《た》っても私《わたくし》の事《こと》を『姫《ひい》さま姫《ひい》さま』と呼《よ》んで居《お》りました。その中《うち》香織《かおり》も縁《えん》あって、鎌倉《かまくら》に住《す》んでいる、一人《ひとり》の侍《さむらい》の許《もと》に嫁《とつ》ぎ、夫婦仲《ふうふなか》も大《たい》そう円満《えんまん》で、その間《あいだ》に二人《ふたり》の男《おとこ》の児《こ》が生《うま》れました。気質《きだて》のやさしい香織《かおり》は大《たい》へんその子供達《こどもたち》を可愛《かわい》がって、三浦《みうら》へまいる時《とき》は、一緒《しょ》に伴《つれ》て来《き》たことも幾度《いくたび》かありました。
そんな事《こと》はまるで夢《ゆめ》のようで、詳《くわ》しい事《こと》はすっかり忘《わす》れましたが、ただ私《わたくし》が現世《げんせ》を離《はな》れる前《まえ》に、香織《かおり》から心《こころ》からの厚《あつ》い看護《みとり》を受《う》けた事《こと》丈《だけ》は、今《いま》でも深《ふか》く深《ふか》く頭脳《あたま》の底《そこ》に刻《きざ》みつけられて居《お》ります。彼女《かのじょ》は私《わたくし》の母《はは》と一緒《しょ》に、例《れい》の海岸《かいがん》の私《わたくし》の隠《かく》れ家《が》に詰《つ》め切《き》って、それはそれは親身《しんみ》になってよく尽《つく》してくれ、私《わたくし》の病気《びょうき》が早《はや》く治《なお》るようにと、氏神様《うじがみさま》へ日参《にっさん》までしてくれるのでした。
ある日《ひ》などは病床《びょうしょう》で香織《かおり》から頭髪《かみ》を解《と》いて貰《もら》ったこともございました。私《わたくし》の頭髪《かみ》は大《たい》へんに沢山《たくさん》で、日頃《ひごろ》母《はは》の自慢《じまん》の種《たね》でございましたが、その頃《ころ》はモー床《とこ》に就《つ》き切《き》りなので、見《み》る影《かげ》もなくもつれて居《い》ました。香織《かおり》は櫛《くし》で解《と》かしながらも、『折角《せっかく》こうしてきれいにしてあげても、このままつくねて置《お》くのが惜《お》しい。』と言《い》ってさんざんに泣《な》きました。傍《そば》で見《み》ていた母《はは》も、『モー一度《ど》治《なお》って、晴衣《はれぎ》を着《き》せて見《み》たい……。』と言《い》って、泣《な》き伏《ふ》して了《しま》いました。斯《こ》んな話《はなし》をしていると、私《わたくし》の眼《め》には今《いま》でもその場《ば》の光景《ありさま》が、まざまざと映《うつ》ってまいります……。
いよいよ最《も》う駄目《だめ》と観念《かんねん》しました時《とき》に、私《わたくし》は自分《じぶん》が日頃《ひごろ》一ばん大切《たいせつ》にしていた一襲《かさね》の小袖《こそで》を、形見《かたみ》として香織《かおり》にくれました。香織《かおり》はそれを両手《りょうで》にささげ、『たとえお別《わか》れしても、いつまでもいつまでも姫《ひめ》さまの紀念《かたみ》に大切《たいせつ》に保存《ほぞん》いたします……。』と言《い》いながら、声《こえ》も惜《おし》まず泣《な》き崩《くず》れました。が、私《わたくし》の心《こころ》は、モーその時分《じぶん》には、思《おも》いの外《ほか》に落付《おちつ》いて了《しま》って、現世《げんせ》に別《わか》れるのがそう悲《かな》しくもなく、黙《だま》って眼《め》を瞑《つぶ》ると、却《かえ》って死《し》んだ良人《おっと》の顔《かお》がスーッと眼前《がんぜん》に現《あら》われて来《く》るのでした。
兎《と》に角《かく》こんなにまで深《ふか》い因縁《いんねん》のあった女性《じょせい》でございますから、こちらの世界《せかい》へ来《き》ても矢張《やは》り私《わたくし》のことを忘《わす》れない筈《はず》でございます。ある日《ひ》私《わたくし》が御神前《ごしんぜん》で統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》をして居《お》りますと、急《きゅう》に躯《からだ》がぶるぶると慓《ふる》えるように感《かん》じました。何気《なにげ》なく背後《うしろ》を振《ふ》り返《かえ》って見《み》ると、年《とし》の頃《ころ》やや五十許《ばかり》と見《み》ゆる一人《ひとり》の女性《じょせい》が坐《すわ》って居《お》りました。それが香織《かおり》だったのでございます。
三十二、無理な願
『何《なに》やら昔《むかし》の香織《かおり》らしい面影《おもかげ》が残《のこ》って居《お》れど、それにしては随分《ずいぶん》老《ふ》け過《す》ぎている……。』私《わたくし》が、そう考《かんが》えて躊躇《ちゅうちょ》して居《お》りますと、先方《むこう》では、さも待《ま》ち切《き》れないと言《い》った様子《ようす》で、膝《ひざ》をすり寄《よ》せてまいりました。――
『姫《ひい》さまわたくしをお忘《わす》れでございますか……香織《かおり》でございます……。』
『矢張《やは》りそうであったか。――私《わたくし》はそなたがまだ息災《そくさい》で現世《げんせ》に暮《くら》して居《い》るものとばかり思《おも》っていました。一たいいつ歿《なくな》ったのじゃ……。』
『もう、かれこれ十年《ねん》位《くらい》にもなるでございましょう。私《わたくし》のようなつまらぬものは、とてもこちらで姫《ひい》さまにお目《め》にかかれまいとあきらめて居《お》りましたが、今日《きょう》図《はか》らずも念願《ねんがん》がかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ御無事《ごぶじ》で……些《ち》ッとも姫《ひい》さまは往時《むかし》とお変《かわ》りがございませぬ。お懐《なつ》かしう存《ぞん》じます……。』現世《げんせ》らしい挨拶《あいさつ》をのべながら、香織《かおり》はとうとう私《わたくし》の躯《からだ》にしがみついて、泣《な》き入《い》りました。私《わたくし》もそうされて見《み》れば、そこは矢張《やは》り人情《にんじょう》で、つい一緒《しょ》になって泣《な》いて了《しま》いました。
心《こころ》の昂奮《たかぶり》が一応《おう》鎮《しず》まってから、私達《わたくしたち》の間《あいだ》には四方八方《よもやま》の物語《ものがたり》が一《ひと》しきりはずみました。――
『そなたは一たい、何処《どこ》が悪《わる》くて歿《なくな》ったのじゃ?』
『腹部《おなか》の病気《びょうき》でございました。針《はり》で刺《さ》されるようにキリキリと毎日《まいにち》悩《なや》みつづけた末《すえ》に、とうとうこんなことに[#「こんなことに」は底本では「こんをことに」]なりまして……。』
『それは気《き》の毒《どく》であったが、何《ど》うしてそなたの死《し》ぬことが、私《わたくし》の方《ほう》へ通《つう》じなかったのであろう……。普通《ふつう》なら臨終《りんじゅう》の思念《おもい》が感《かん》じて来《こ》ない筈《はず》はないと思《おも》うが……。』
『それは皆《みな》わたくしの不心得《ふこころえ》の為《た》めでございます。』と香織《かおり》は面目《めんぼく》なげに語《かた》るのでした。『日頃《ひごろ》わたくしは、死《し》ねば姫《ひい》さまの形見《かたみ》の小袖《こそで》を着《き》せてもらって、すぐお側《そば》に行《い》ってお仕《つか》えするのだなどと、口癖《くちぐせ》のように申《もう》していたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを忘《わす》れて了《しま》ったのでございます。どこまでも執着《しゅうじゃく》の強《つよ》い私《わたくし》は、自分《じぶん》の家族《みうち》のこと、とりわけ二人《ふたり》の子供《こども》のことが気《き》にかかり、なかなか死切《しにき》れなかったのでございます。こんな心懸《こころがけ》の良《よ》くない女子《おなご》の臨終《りんじゅう》の通報《しらせ》が、どうして姫《ひい》さまのお許《もと》にとどく筈《はず》がございましょう。何《なに》も彼《か》も皆《みな》私《わたくし》が悪《わる》かった為《た》めでございます。』
正直者《しょうじきもの》の香織《かおり》は、涙《なみだ》ながらに、臨終《りんじゅう》に際《さい》して、自分《じぶん》の心懸《こころがけ》の悪《わる》かったことをさんざん詫《わ》びるのでした。しばらくして彼女《かのじょ》は言葉《ことば》をつづけました。――
『それでもこちらへ来《き》て、いろいろと神様《かみさま》からおさとしを受《う》けたお蔭《かげ》で、わたくしの現世《げんせ》の執着《しゅうじゃく》も次第《しだい》に薄《うす》らぎ、今《いま》では修行《しゅぎょう》も少《すこ》し積《つ》みました。が、それにつれて、日《ひ》ましに募《つの》って来《く》るのは姫《ひい》さまをお慕《した》い申《もう》す心《こころ》で、こればかりは何《ど》うしても我慢《がまん》がしきれなくなり、幾度《いくど》神様《かみさま》に、逢《あ》わせていただきたいとお依《たの》みしたか知《し》れませぬ。でも神《かみ》さまは、まだ早《はや》い早《はや》いと仰《おお》せられ、なかなかお許《ゆる》しが出《で》ないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないことと知《し》りながらもツイ神様《かみさま》に喰《く》ってかかり、さんざん悪口《あくこう》を吐《つ》いたことがございました。それでも神様《かみさま》の方《ほう》では、格別《かくべつ》お怒《いか》りにもならず、内々《ないない》姫《ひい》さまのところをお調《しら》[#ルビの「しら」は底本では「ひら」]べになって居《お》られたものと見《み》えまして、今度《こんど》いよいよ時節《じせつ》が来《き》たとなりますと、御自身《ごじしん》で私《わたくし》を案内《あんない》して、連《つ》れて来《き》て下《くだ》すったのでございます。――姫《ひい》さま、お願《ねが》いでございます、これからは、どうぞお側《そば》にわたくしを置《お》いてくださいませ。わたくしは、昔《むかし》のとおり姫《ひい》さまのお身《み》のまわりのお世話《せわ》をして上《あ》げたいのでございます……。』
そう言《い》って香織《かおり》は又《また》もや私《わたくし》に縋《すが》りつくのでした。
これには私《わたくし》もほとほと持《も》ちあつかいました。
『神界《しんかい》の掟《おきて》としてそればかりは許《ゆる》されないのであるが……。』
『それは又《また》何《ど》ういう訳《わけ》でございますか? わたくしは是非《ぜひ》こちらへ置《お》いて戴《いただ》きたいのでございます。』
『それは現世《げんせ》ですることで、こちらの世界《せかい》では、そなたも知《し》る通《とお》り、衣服《きもの》の着《き》がえにも、頭髪《おぐし》の手入《ていれ》にも、少《すこ》しも人手《ひとで》は要《い》らぬではないか。それに何《なん》とも致方《いたしかた》のないのはそれぞれの霊魂《みたま》の因縁《いんねん》、めいめいきちんと割《わ》り当《あ》てられた境涯《ところ》があるので、たとえ親子《おやこ》夫婦《ふうふ》の間柄《あいだがら》でも、自分勝手《じぶんかって》に同棲《どうせい》することはできませぬ。そなたの芳志《こころざし》はうれしく思《おも》いますが、こればかりはあきらめてたもれ。逢《あ》おうと思《おも》えばいつでも逢《あ》える世界《せかい》であるから何処《どこ》に住《す》まなければならぬということはない筈《はず》じゃ。それほど私《わたくし》のことを思《おも》ってくれるのなら、そんな我侭《わがまま》を言《い》うかわりに、みっしり身相応《みそうおう》の修行《しゅぎょう》をしてくれるがよい。そして思《おも》い出《だ》したらちょいちょい私《わたくし》の許《とこ》に遊《あそ》びに来《き》てたもれ……。』
最初《さいしょ》の間《あいだ》、香織《かおり》はなかなか腑《ふ》に落《お》ちぬらしい様子《ようす》をしていましたが、それでも漸《ようや》くききわけて、尚《な》おしばらく語《かた》り合《あ》った上《うえ》で、その日《ひ》は暇《いとま》を告《つ》げて自分《じぶん》の所《ところ》へ戻《もど》って行《ゆ》きました。
今《いま》でも香織《かおり》とは絶《た》えず通信《つうしん》も致《いた》しまするし、又《また》たまには逢《あ》いも致《いた》します。香織《かおり》はもうすっかり明《あか》るい境涯《きょうがい》に入《い》り、顔《かお》なども若返《わかがえ》って、自分《じぶん》にふさわしい神様《かみさま》の御用《ごよう》にいそしんで居《お》ります。
三十三、自殺した美女
今度《こんど》は入《い》れ代《かわ》って、或《あ》る事情《じじょう》の為《た》めに自殺《じさつ》を遂《と》げた一人《ひとり》の女性《にょせい》との会見《かいけん》のお話《はなし》を致《いた》しましょう。少々《しょうしょう》陰気《いんき》くさい話《はなし》で、おききになるに、あまり良《よ》いお気持《きもち》はしないでございましょうが、斯《こ》う言《い》った物語《ものがたり》も現世《げんせ》の方々《かたがた》に、多少《たしょう》の御参考《ごさんこう》にはなろうかと存《ぞん》じます。
その方《かた》は生前《せいぜん》私《わたくし》と大《たい》へんに仲《なか》の良《よ》かったお友達《ともだち》の一人《ひとり》で、名前《なまえ》は敦子《あつこ》……あの敦盛《あつもり》の敦《あつ》という字《じ》を書《か》くのでございます。生家《せいか》は畠山《はたけやま》と言《い》って、大《たい》そう由緒《ゆいしょ》ある家柄《いえがら》でございます。その畠山家《はたけやまけ》の主人《あるじ》と私《わたくし》の父《ちち》とが日頃《ひごろ》別懇《べっこん》にしていた関係《かんけい》から、私《わたくし》と敦子《あつこ》さまとの間《あいだ》も自然《しぜん》親《した》しかったのでございます。お年齢《とし》は敦子《あつこ》さまの方《ほう》が二《ふた》つばかり下《した》でございました。
お母《かあ》さまが大《たい》へんお美《うつく》しい方《かた》であった為《た》め、お母《かあ》さま似《に》の敦子《あつこ》さまも眼《め》の覚《さ》めるような御縹緻《ごきりょう》で、殊《こと》にその生際《はえぎわ》などは、慄《ふる》えつくほどお綺麗《きれい》でございました。『あんなにお美《うつく》しい御縹緻《ごきりょう》に生《うま》れて敦子《あつこ》さまは本当《ほんとう》に仕合《しあわ》せだ……。』そう言《い》ってみんなが羨《うらや》ましがったものでございますが、後《あと》で考《かんが》えると、この御縹緻《ごきりょう》が却《かえ》ってお身《み》の仇《あだ》となったらしく、矢張《やは》り女《おんな》は、あまり醜《みにく》いのも困《こま》りますが、又《また》あまり美《うつく》しいのもどうかと考《かんが》えられるのでございます。
敦子《あつこ》さまの悩《なや》みは早《はや》くも十七八の娘盛《むすめざか》りから始《はじ》まりました。諸方《しょほう》から雨《あめ》の降《ふ》るようにかかって来《く》る縁談《えんだん》、中《なか》には随分《ずいぶん》これはというのもあったそうでございますが、敦子《あつこ》さまは一《ひと》つなしに皆《みな》断《ことわ》って了《しま》うのでした。これにはむろん訳《わけ》があったのでございます。親戚《しんせき》の、幼馴染《おさななじみ》の一人《ひとり》の若人《わこうど》……世間《せけん》によくあることでございますが、敦子《あつこ》さまは早《はや》くから右《みぎ》の若人《わこうど》と思《おも》い思《おも》われる仲《なか》になり、末《すえ》は夫婦《めおと》と、内々《ないない》二人《ふたり》の間《あいだ》に堅《かた》い約束《やくそく》ができていたのでございました。これが望《のぞ》みどおり円満《えんまん》に収《おさ》まれば何《なん》の世話《せわ》はないのでございますが、月《つき》に浮雲《むらくも》、花《はな》に風《かぜ》とやら、何《なに》か両家《りょうけ》の間《あいだ》に事情《じじょう》があって、二人《ふたり》は何《ど》うあっても一緒《しょ》になることができないのでした。
こんな事《こと》で、敦子《あつこ》さまの婚期《こんき》は年《ねん》一年《いちねん》と遅《おく》れて行《ゆ》きました。敦子《あつこ》さまは後《のち》にはすっかり棄鉢気味《やけきみ》になって、自分《じぶん》は生涯《しょうがい》嫁《よめ》には行《い》かないなどと言《い》い張《は》って、ひどく御両親《ごりょうしん》を困《こま》らせました。ある日《ひ》敦子《あつこ》さまが私《わたくし》の許《もと》へ訪《おとず》れましたので[#「訪れましたので」は底本では「訪づれましたので」]、私《わたくし》からいろいろ言《い》いきかせてあげたことがございました。『御自分同志《ごじぶんどうし》が良《よ》いのは結構《けっこう》であるが、斯《こ》ういうことは、矢張《やは》り御両親《ごりょうしん》のお許諾《ゆるし》を得《え》た方《ほう》がよい……。』どうせ私《わたくし》の申《もう》すことはこんな堅苦《かたぐる》しい話《はなし》に決《きま》って居《お》ります。これをきいて敦子《あつこ》さまは別《べつ》に反対《はんたい》もしませんでしたが、さりとて又《また》成《な》る程《ほど》と思《おも》いかえしてくれる模様《もよう》も見《み》えないのでした。
それでも、その後《のち》幾年《いくねん》か経《た》って、男《おとこ》の方《ほう》があきらめて、何所《どこ》からか妻《つま》を迎《むか》えた時《とき》に、敦子《あつこ》さまの方《ほう》でも我《が》が折《お》れたらしく、とうとう両親《りょうしん》の勧《すす》めに任《まか》せて、幕府《ばくふ》へ出仕《しゅし》している、ある歴々《れきれき》の武士《ぶし》の許《もと》へ嫁《とつ》ぐことになりました。それは敦子《あつこ》さまがたしか二十四歳《さい》の時《とき》でございました。
縁談《えんだん》がすっかり整《ととの》った時《とき》に、敦子《あつこ》さまは遥《は》るばる三浦《みうら》まで御挨拶《ごあいさつ》に来《こ》られました。その時《とき》私《わたくし》の良人《おっと》もお目《め》にかかりましたが、後《あと》で、『あんな美人《びじん》を妻《つま》に持《も》つ男子《だんし》はどんなに仕合《しあ》わせなことであろう……。』などと申《もう》した位《くらい》に、それはそれは美《うつく》しい花嫁《はなよめ》姿《すがた》でございました。しかし委細《いさい》の事情《じじょう》を知《し》って居《い》る私《わたくし》には、あの美《うつく》しいお顔《かお》の何所《どこ》やらに潜《ひそ》む、一種《しゅ》の寂《さび》しさ……新婚《しんこん》を歓《よろこ》ぶというよりか、寧《む》しろつらい運命《うんめい》に、仕方《しかた》なしに服従《ふくじゅう》していると言《い》ったような、やるせなさがどことなく感《かん》じられるのでした。
兎《と》も角《かく》こんな具合《ぐあい》で、敦子《あつこ》さまは人妻《ひとづま》となり、やがて一人《ひとり》の男《おとこ》の児《こ》が生《うま》れて、少《すくな》くとも表面《うわべ》には大《たい》そう幸福《こうふく》らしい生活《せいかつ》を送《おく》っていました。落城後《らくじょうご》私《わたくし》があの諸磯《もろいそ》の海辺《うみべ》に佗住居《わびずまい》をして居《い》た時分《じぶん》などは、何度《なんど》も何度《なんど》も訪《おとず》れて来《き》て、何《なに》かと私《わたくし》に力《ちから》をつけてくれました。一度《ど》は、敦子《あつこ》さまと連《つ》れ立《だ》ちて、城跡《しろあと》の、あの良人《おっと》の墓《はか》に詣《もう》でたことがございましたが、その道《みち》すがら敦子《あつこ》さまが言《い》われたことは今《いま》も私《わたくし》の記憶《きおく》に残《のこ》って居《お》ります。――
『一たい恋《こい》しい人《ひと》と別《わか》れるのに、生別《いきわか》れと死別《しにわか》れとではどちらがつらいものでしょうか……。事《こと》によると生別《いきわか》れの方《ほう》がつらくはないでしょうか……。あなたの現在《げんざい》のお身上《みのうえ》もお察《さっ》し致《いた》しますが、少《すこ》しは私《わたくし》の身《み》の上《うえ》も察《さっ》してくださいませ。私《わたくし》は一《ひと》つの生《い》きた屍《しかばね》、ただ一人《ひとり》の可愛《かわい》い子供《こども》があるばかりに、やっとこの世《よ》に生《い》きていられるのです。若《も》しもあの子供《こども》がなかったら、私《わたくし》などは夙《とう》の昔《むかし》に……。』
現世《げんせ》に於《お》ける私《わたくし》と敦子《あつこ》さまとの関係《かんけい》は大体《だいたい》こんなところでお判《わか》りかと存《ぞん》じます。
三十四、破れた恋
それから程《ほど》経《へ》て、敦子《あつこ》さまが死《し》んだこと丈《だけ》は何《なに》かの機会《おり》に私《わたくし》に判《わか》りました。が、その時《とき》はそう深《ふか》くも心《こころ》にとめず、いつか逢《あ》えるであろう位《くらい》に軽《かる》く考《かんが》えていたのでした。それより又《また》何年《なんねん》経《た》ちましたか、或《あ》る日《ひ》私《わたくし》が統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》を終《お》えて、戸外《おもて》に出《で》て、四辺《あたり》の景色《けしき》を眺《なが》めて居《お》りますと、私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》……この時《とき》は指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんでなく、私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》から、私《わたくし》に通信《つうしん》がありました。『ある一人《ひとり》の女性《じょせい》が今《いま》あなたを訪《たず》ねてまいります。年《とし》の頃《ころ》は四十余《あま》りの、大《たい》そう美《うつく》しい方《かた》でございます。』私《わたくし》は誰《だれ》かしらと思《おも》いましたが、『ではお目《め》にかかりましょう。』とお答《こた》えしますと、程《ほど》なく一人《ひとり》のお爺《じい》さんの指導霊《しどうれい》に連《つ》れられて、よく見覚《みおぼ》えのある、あの美《うつく》しい敦子《あつこ》さまがそこへひょっくりと現《あら》われました。
『まァお久《ひさ》しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会《あ》いすることになりましたか……。』
私《わたくし》が近《ちか》づいて、そう言葉《ことば》をかけましたが、敦子《あつこ》さまは、ただ会釈《えしゃく》をしたのみで、黙《だま》って下方《した》を向《む》いた切《き》り、顔《かお》の色《いろ》なども何所《どこ》やら暗《くら》いように見《み》えました。私《わたくし》はちょっと手持無沙汰《てもちぶさた》に感《かん》じました。
すると案内《あんない》のお爺《じい》さんが代《かわ》って簡単《かんたん》に挨拶《あいさつ》してくれました。――
『この人《ひと》は、まだ御身《おみ》に引《ひ》き合《あ》わせるのには少《すこ》し早過《はやす》ぎるかとは思《おも》われたが、ただ本人《ほんにん》が是非《ぜひ》御身《おみ》に逢《あ》いたい、一度《ど》逢《あ》わせてもらえば、気持《きもち》が落《おち》ついて、修行《しゅぎょう》も早《はや》く進《すす》むと申《もう》すので、御身《おみ》の守護霊《しゅごれい》にも依《たの》んで、今日《きょう》わざわざ連《つ》れてまいったような次第《しだい》……御身《おみ》とは生前《せいぜん》又《また》となく親《した》しい間柄《あいだがら》のように聞《き》き及《およ》んでいるから、いろいろとよく言《い》いきかせて貰《もら》いたい……。』
そう言《い》ってお爺《じい》さんは、そのままプイと帰《かえ》って了《しま》いました。私《わたくし》はこれには、何《なん》ぞ深《ふか》い仔細《しさい》があるに相違《そうい》ないと思《おも》いましたので、敦子《あつこ》さまの肩《かた》に手《て》をかけてやさしく申《もう》しました。――
『あなたと私《わたくし》とは幼《おさな》い時代《とき》からの親《した》しい間柄《あいだがら》……殊《こと》にあなたが何回《なんかい》も私《わたくし》の佗住居《わびずまい》を訪《おとず》れていろいろと慰《なぐさ》めてくだされた、あの心尽《こころづく》しは今《いま》もうれしい思《おも》い出《で》の一《ひと》つとなって居《お》ります。その御恩《ごおん》がえしというのでもありませぬが、こちらの世界《せかい》で私《わたくし》の力《ちから》に及《およ》ぶ限《かぎ》りのことは何《なに》なりとしてあげます。何《ど》うぞすべてを打明《うちあ》けて、あなたの相談相手《そうだんあいて》にしていただきます。兎《と》も角《かく》もこちらへお入《はい》りくださいませ。ここが私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》でございます……。』
敦子《あつこ》さまは最初《さいしょ》はただ泣《な》き入《い》るばかり、とても話《はなし》をするどころではなかったのですが、それでも修行場《しゅぎょうば》の内部《なか》へ入《はい》って、そこの森《しん》とした、浄《きよ》らかな空気《くうき》に浸《ひた》っている中《うち》に、次第《しだい》に心《こころ》が落《おち》ついて来《き》て、ポツリポツリと言葉《くち》を切《き》るようになりました。
『あなたは、こんな神聖《しんせい》な境地《ところ》で立派《りっぱ》な御修行《ごしゅぎょう》、私《わたくし》などはとても段違《だんちが》いで、あなたの足元《あしもと》にも寄《よ》りつけはしませぬ……。』
こんな言葉《ことば》をきっかけに、敦子《あつこ》さまは案外《あんがい》すらすらと打明話《うちあけばなし》をすることになりましたが、最初《さいしょ》想像《そうぞう》したとおり、果《はた》して敦子《あつこ》さまの身《み》の上《うえ》には、私《わたくし》の知《し》っている以上《いじょう》に、いろいろこみ入《い》った事情《じじょう》があり、そして結局《けっきょく》飛《と》んでもない死方《しにかた》――自殺《じさつ》を遂《と》げて了《しま》ったのでした。敦子《あつこ》さまは、斯《こ》んな風《ふう》に語《かた》り出《い》でました。――
『生前《せいぜん》あなたにも、あるところまでお漏《も》らししたとおり、私達《わたくしたち》夫婦《ふうふ》の仲《なか》というものは、うわべとは大《たい》へんに異《ちが》い、それはそれは暗《くら》い、冷《つめ》たいものでございました。最初《さいしょ》の恋《こい》に破《やぶ》れた私《わたくし》には、もともと他所《よそ》へ縁《えん》づく気持《きもち》などは少《すこ》しもなかったのでございましたが、ただ老《お》いた両親《りょうしん》に苦労《くろう》をかけては済《す》まないと思《おも》ったばかりに、死《し》ぬるつもりで躯《からだ》だけは良人《おっと》にささげましたものの、しかし心《こころ》は少《すこ》しも良人《おっと》のものではないのでした。愛情《あいじょう》の伴《ともな》わぬ冷《つめ》たい夫婦《ふうふ》の間柄《あいだがら》……他人《ひと》さまのことは存《ぞん》じませぬが、私《わたくし》にとりて、それは、世《よ》にも浅《あさ》ましい、つまらないものでございました……。嫁入《よめい》りしてから、私《わたくし》は幾度《いくたび》自害《じがい》しようとしたか知《し》れませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら生《い》き永《なが》らえて居《お》りましたのは、間《ま》もなく私《わたくし》が身重《みおも》になった為《た》めで、つまり私《わたくし》というものは、ただ子供《こども》の母《はは》として、惜《おし》くもないその日《ひ》その日《ひ》を送《おく》っていたのでございました。』[#「ございました。』」は底本では「ございました。」]
『こんな冷《つめ》たい妻《つま》の心《こころ》が、何《なん》でいつまで良人《おっと》の胸《むね》にひびかぬ筈《はず》がございましょう。ヤケ気味《ぎみ》になった良人《おっと》はいつしか一人《ひとり》の側室《そばめ》を置《お》くことになりました。それからの私達《わたくしたち》の間《あいだ》には前《まえ》にもまして、一層《そう》大《おお》きな溝《みぞ》ができて了《しま》い、夫婦《ふうふ》とはただ名《な》ばかり、心《こころ》と心《こころ》とは千里《り》もかけ離《はな》れて居《い》るのでした。そうする中《うち》にポックリと、天《てん》にも地《ち》にもかけ換《がえ》のない、一粒種《ひとつぶだね》の愛児《あいじ》に先立《さきだ》たれ、そのまま私《わたくし》はフラフラと気《き》がふれたようになって、何《なん》の前後《ぜんご》の考《かんがえ》もなく、懐剣《かいけん》で喉《のど》を突《つ》いて、一図《ず》に小供《こども》の後《あと》を追《お》ったのでございました……。』
敦子《あつこ》さまの談話《はなし》をきいて居《お》りますと、私《わたくし》までが気《き》が変《へん》になりそうに感《かん》ぜられました。そして私《わたくし》には敦子《あつこ》さまのなされたことが、一応《おう》尤《もっと》もなところもあるが、さて何《なに》やら、しっくり腑《ふ》に落《お》ちないところもあるように考《かんが》えられて仕方《しかた》がないのでした。
三十五、辛い修行
それから引《ひ》きつづいて敦子《あつこ》さまは、こちらの世界《せかい》に目覚《めざ》めてからの一伍一什《いちぶしじゅう》を私《わたくし》に物語《ものがた》ってくれましたが、それは私達《わたくしたち》のような、月並《つきなみ》な婦女《おんな》の通《とう》った路《みち》とは大《たい》へんに趣《おもむき》が異《ちが》いまして、随分《ずいぶん》苦労《くろう》も多《おお》く、又《また》変化《へんか》にも富《と》んで居《い》るものでございました。私《わたくし》は今《いま》ここでその全部《ぜんぶ》をお漏《もら》しする訳《わけ》にもまいりませんが、せめて現世《げんせ》の方《かた》に多少《たしょう》参考《さんこう》になりそうなところだけは、成《な》るべく漏《も》れなくお伝《つた》えしたいと存《ぞん》じます。
敦子《あつこ》さまが、こちらで最初《さいしょ》置《お》かれた境涯《きょうがい》は随分《ずいぶん》みじめなもののようでございました。これが敦子《あつこ》さま御自身《ごじしん》の言葉《ことば》でございます。――
『死後《しご》私《わたくし》はしばらくは何事《なにごと》も知《し》らずに無自覚《むじかく》で暮《くら》しました。従《したが》ってその期間《あいだ》がどれ位《くらい》つづいたか、むろん判《わか》る筈《はず》もございませぬ。その中《うち》不図《ふと》誰《だれ》かに自分《じぶん》の名《な》を呼《よ》ばれたように感《かん》じて眼《め》を開《ひら》きましたが、四辺《あたり》は見渡《みわた》すかぎり真暗闇《まっくらやみ》、何《なに》が何《なに》やらさっぱり判《わか》らないのでした。それでも私《わたくし》はすぐに[#「すぐに」は底本では「ずぐに」]、自分《じぶん》はモー死《し》んでいるな、と思《おも》いました。もともと死《し》ぬる覚悟《かくご》で居《お》ったのでございますから、死《し》ということは私《わたくし》には何《なん》でもないものでございましたが、ただ四辺《あたり》の暗《くら》いのにはほとほと弱《よわ》って了《しま》いました。しかもそれがただの暗《くら》さとは何《なん》となく異《ちが》うのでございます。例《たと》えば深《ふか》い深《ふか》い穴蔵《あなぐら》の奥《おく》と言《い》ったような具合《ぐあい》で、空気《くうき》がしっとりと肌《はだ》に冷《つめ》たく感《かん》じられ、そして暗《くら》い中《なか》に、何《なに》やらうようよ動《うご》いているものが見《み》えるのです。それは丁度《ちょうど》悪夢《あくむ》に襲《おそ》われているような感《かん》じで、その無気味《ぶきみ》さと申《もう》したら、全《まった》くお話《はなし》しになりませぬ。そしてよくよく見《み》つめると、その動《うご》いて居《い》るものが、何《いず》れも皆《みな》異様《いよう》の人間《にんげん》なのでございます。――頭髪《かみ》を振《ふ》り乱《みだ》しているもの、身《み》に一糸《し》を纏《まと》わない裸体《はだか》のもの、血《ち》みどろに傷《きずつ》いて居《い》るもの……ただの一人《ひとり》として満足《まんぞく》の姿《すがた》をしたものは居《お》りませぬ。殊《こと》に気味《きみ》の悪《わる》かったのは私《わたくし》のすぐ傍《そば》に居《お》る、一人《ひとり》の若《わか》い男《おとこ》で、太《ふと》い荒縄《あらなわ》で、裸身《はだかみ》をグルグルと捲《ま》かれ、ちっとも身動《みうご》きができなくされて居《お》ります。すると、そこへ瞋《いかり》の眥《まなじり》を釣《つ》り上《あ》げた、一人《ひとり》の若《わか》い女《おんな》が現《あら》われて、口惜《くや》しい口惜《くや》しいとわめきつづけながら、件《くだん》の男《おとこ》にとびかかって、頭髪《かみ》を|《むし》ったり、顔面《かお》を引《ひ》っかいたり、足《あし》で蹴《け》ったり、踏《ふ》んだり、とても乱暴《らんぼう》な真似《まね》をいたします。私《わたくし》はその時《とき》、きっとこの女《ひと》はこの男《おとこ》の手《て》にかかって死《し》んだのであろうと思《おも》いましたが、兎《と》に角《かく》こんな苛責《かしゃく》の光景《ありさま》を見《み》るにつけても、自分《じぶん》の現世《げんせ》で犯《おか》した罪悪《つみ》がだんだん怖《こは》くなってどうにも仕方《しかた》なくなりました。私《わたくし》のような強情《かたくな》なものが、ドーやら熱心《ねっしん》に神様《かみさま》にお縋《すが》りする気持《きもち》になりかけたのは、偏《ひとえ》にこの暗闇《くらやみ》の内部《なか》の、世《よ》にもものすごい懲戒《みせしめ》の賜《たまもの》でございました……。』
敦子《あつこ》さまの物語《ものがたり》はまだいろいろありましたが、だんだんきいて見《み》ると、あの方《かた》が何《なに》より神様《かみさま》からお叱《しか》りを受《う》けたのは、自殺《じさつ》そのものよりも、むしろそのあまりに強情《かたくな》な性質《せいしつ》……一たん斯《こ》うと思《おも》えば飽《あく》までそれを押《お》し通《とう》そうとする、我侭《わがまま》な気性《きしょう》の為《た》めであったように思《おも》われました。敦子《あつこ》さまはこんな事《こと》も言《い》いました。――
『私《わたくし》は生前《せいぜん》何事《なにごと》も皆《みな》気随《きずい》気侭《きまま》に押《お》しとおし、自分《じぶん》の思《おも》いが協《かな》わなければこの世《よ》に生甲斐《いきがい》がないように考《かんが》えて居《お》りました。一生《しょう》の間《あいだ》に私《わたくし》が自分《じぶん》の胸《むね》の中《なか》を或《あ》る程度《ていど》まで打明《うちあ》けたのは、あなたお一人位《ひとりくらい》のもので、両親《りょうしん》はもとよりその他《た》の何人《なんびと》にも相談《そうだん》一《ひと》つしたことはございませぬ。これが私《わたくし》の身《み》の破滅《はめつ》の基《もとい》だったのでございます。その性質《せいしつ》はこちらの世界《せかい》へ来《き》てもなかなか脱《ぬ》けず、御指導《ごしどう》の神様《かみさま》に対《たい》してさえ、すべてを隠《かく》そう隠《かく》そうと致《いた》しました。すると或時《あるとき》神様《かみさま》は、汝《そち》の胸《むね》に懐《いだ》いていること位《ぐらい》は、何《なに》も彼《か》もくわしく判《わか》っているぞ、と仰《おお》せられて、私《わたくし》が今《いま》まで極秘《ごくひ》にして居《お》った、ある一《ひと》つの事柄《ことがら》……大概《たいがい》お察《さっ》しでございましょうが、それをすつぱりと言《い》い当《あ》てられました。これにはさすがの私《わたくし》も我慢《がまん》の角《つの》を折《お》り、とうとう一切《さい》を懺悔《ざんげ》してお恕《ゆる》しを願《ねが》いました。その為《た》めに私《わたくし》は割合《わりあい》に早《はや》くあの地獄《じごく》のような境地《ところ》から脱《ぬ》け出《で》ることができました。尤《もっと》も私《わたくし》の先祖《せんぞ》の中《なか》に立派《りっぱ》な善行《ぜんこう》のものが居《お》ったお蔭《かげ》で、私《わたくし》の罪《つみ》までがよほど軽《かる》[#ルビの「かる」は底本では「かろ」]くされたと申《もう》すことで……。何《いず》れにしても私《わたくし》のような強情《かたくな》な者《もの》は、現世《げんせ》に居《お》っては人《ひと》に憎《にく》まれ、幽界《ゆうかい》へ来《き》ては地獄《じごく》に落《おと》され、大《たい》へんに損《そん》でございます。これにつけて、私《わたくし》は一《ひと》つ是非《ぜひ》あなたに折入《おりい》ってお詫《わ》びしなければならぬことがございます。実《じつ》はこのお詫《わび》をしたいばかりに、今日《きょう》わざわざ神様《かみさま》にお依《たの》みして、つれて来《き》て戴《いただ》きましたような次第《しだい》で……。』
敦子《あつこ》さまはそう言《い》って、私《わたくし》に膝《ひざ》をすり寄《よ》せました。私《わたくし》は何事《なにごと》かしらと、襟《えり》を正《ただ》しましたが、案外《あんがい》それはつまらないことでございました。――
『あなたの方《ほう》で御記憶《ごきおく》があるかドーかは存《ぞん》じませぬが、ある日《ひ》私《わたくし》がお訪《たず》ねして、胸《むね》の思《おも》いを打《う》ちあけた時《とき》、あなたは私《わたくし》に向《むか》い、自分同志《じぶんどうし》が良《よ》いのも結構《けっこう》だが、斯《こ》ういうことは矢張《やは》り両親《りょうしん》の許諾《ゆるし》を得《う》る方《ほう》がよい、と仰《お》っしゃいました。何《なに》を隠《かく》しましょう、私《わたくし》はその時《とき》、この人《ひと》には、恋《こい》する人《ひと》の、本当《ほんとう》の気持《きもち》は判《わか》らないと、心《こころ》の中《うち》で大《たい》へんにあなたを軽視《みおろ》したのでございます。
――しかし、こちらの世界《せかい》へ来《き》て、だんだん裏面《うら》から、人間《にんげん》の生活《せいかつ》を眺《なが》めることが、できるようになって見《み》ると、自分《じぶん》の間違《まちが》っていたことがよく判《わか》るようになりました。私《わたくし》は矢張《やは》り悪魔《あくま》に魅《みいら》れて居《い》たのでございました。――私《わたくし》は改《あらた》めてここでお詫《わ》びを致《いた》します。何《ど》うぞ私《わたくし》の罪《つみ》をお恕《ゆる》し遊《あそ》ばして、元《もと》のとおりこの不束《ふつつか》な女《おんな》を可愛《かわい》がって、行末《ゆくすえ》かけてお導《みちび》きくださいますよう……。』
× × × ×
この人《ひと》の一生《いっしょう》には随分《ずいぶん》過失《あやまち》もあったようで、従《したが》って帰幽後《きゆうご》の修行《しゅぎょう》には随分《ずいぶん》つらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、負《ま》けぬ気性《きしょう》の方《かた》だけに[#「方だけに」は底本では「方だげに」]、一歩一歩《いっぽいっぽ》と首尾《しゅび》よく難局《なんきょく》を切《き》り抜《ぬ》けて行《ゆ》きまして、今《いま》ではすっかり明《あか》るい境涯《きょうがい》に達《たっ》して居《お》ります。それでも、どこまでも自分《じぶん》の過去《こしかた》をお忘《わす》れなく、『自分《じぶん》は他人《ひと》さまのように立派《りっぱ》な所《ところ》へは出《で》られない。』と仰《お》っしゃって、神様《かみさま》にお願《ねが》いして、わざと小《ちい》さな岩窟《いわや》のような所《ところ》に籠《こも》って、修行《しゅぎょう》にいそしんで居《お》られます。これなどは、むしろ私《わたくし》どもの良《よ》い亀鑑《てほん》かと存《ぞん》じます。
三十六、弟橘姫
あまりに平凡《へいぼん》な人達《ひとたち》の噂《うわさ》ばかりつづきましたから、その埋合《うめあわ》せという訳《わけ》ではございませぬが、今度《こんど》はわが国《くに》の歴史《れきし》にお名前《なまえ》が立派《りっぱ》に残《のこ》っている、一人《ひとり》の女性《じょせい》にお目《め》にかかったお話《はなし》を致《いた》しましょう。外《ほか》でもない、それは大和武尊様《やまとたけるのみことさま》のお妃《きさき》の弟橘姫様《おとたちばなひめさま》でございます……。
私達《わたくしたち》の間《あいだ》をつなぐ霊的《れいてき》因縁《いんねん》は別《べつ》と致《いた》しましても、不思議《ふしぎ》に在世中《ざいせちゅう》から私《わたくし》は弟橘姫様《おとたちばなひめさま》と浅《あさ》からぬ関係《かんけい》を有《も》って居《お》りました。御存《ごぞん》じの通《とお》り姫《ひめ》のお祠《やしろ》は相模《さがみ》の走水《はしりみず》と申《もう》すところにあるのですが、あそこは私《わたくし》の縁《えん》づいた三浦家《みうらけ》の領地内《りょうちない》なのでございます。で、三浦家《みうらけ》ではいつも社殿《しゃでん》の修理《しゅうり》その他《た》に心《こころ》をくばり、又《また》お祭《まつり》でも催《もよお》される場合《ばあい》には、必《かなら》ず使者《ししゃ》を立《た》てて幣帛《へいはく》を献《ささ》げました。何《なに》にしろ婦女《おんな》の亀鑑《かがみ》として世《よ》に知《し》られた御方《おかた》の霊場《れいじょう》なので、三浦家《みうらけ》でも代々《だいだい》あそこを大切《たいせつ》に取扱《とりあつか》って居《い》たらしいのでございます。そして私自身《わたくしじしん》もたしか在世中《ざいせちゅう》に何回《なんかい》か走水《はしりみず》のお祠《やしろ》に参拝《さんぱい》致《いた》しました……。
ナニその時分《じぶん》の記憶《きおく》を物語《ものがた》れと仰《お》っしゃるか……随分《ずいぶん》遠《とお》い遠《とお》い昔《むかし》のことで、まるきり夢《ゆめ》のような感《かん》じがするばかり、とてもまとまったことは想《おも》い出《だ》せそうもありませぬ。たしか走水《はしりみず》という所《ところ》は浦賀《うらが》の入江《いりえ》からさまで遠《とお》くもない、海《うみ》と山《やま》との迫《せ》り合《あ》った狭《せま》い漁村《ぎょそん》で、そして姫《ひめ》のお祠《やしろ》は、その村《むら》の小高《こだか》い崖《がけ》の半腹《はんぷく》に建《た》って居《お》り、石段《いしだん》の上《うえ》からは海《うみ》を越《こ》えて上総《かずさ》房州《ぼうしゅう》が一《ひ》と目《め》に見渡《みわた》されたように覚《おぼ》えて居《お》ります。
そうそういつか私《わたくし》がお詣《まい》りしたのは丁度《ちょうど》春《はる》の半《なか》ばで、あちこちの山《やま》や森《もり》には山桜《やまざくら》が満開《まんかい》でございました。走水《はしりみず》は新井《あらい》の城《しろ》から三四里《り》ばかりも隔《へだ》った地点《ところ》なので、私《わたくし》はよく騎馬《きば》で参《まい》ったのでした。馬《うま》はもちろん例《れい》の若月《わかつき》で、従者《じゅうしゃ》は一人《ひとり》の腰元《こしもと》の外《ほか》に、二三人《にん》の家来《けらい》が附《つ》いて行《い》ったのでございます。道《みち》は三浦《みうら》の東海岸《ひがしかいがん》に沿《そ》った街道《かいどう》で、たしか武山《たけやま》とか申《もう》す、可成《かな》り高《たか》い一《ひと》つの山《やま》の裾《すそ》をめぐって行《ゆ》くのですが、その日《ひ》は折《おり》よく空《そら》が晴《は》れ上《あが》っていましたので、馬上《ばじょう》から眺《なが》むる海《うみ》と山《やま》との景色《けしき》は、まるで絵巻物《えまきもの》をくり拡《ひろ》げたように美《うつく》しかったことを今《いま》でも記憶《きおく》して居《お》ります。全《まった》くあの三浦《みうら》の土地《とち》は、海《うみ》の中《なか》に突《つ》き出《で》た半島《はんとう》だけに、景色《けしき》にかけては何処《どこ》にもひけは取《と》りませぬようで……。尤《もっと》もそれは現世《げんせ》での話《はなし》でございます。こちらの世界《せかい》には竜宮界《りゅうぐうかい》のようなきれいな所《ところ》がありまして、三浦半島《みうらはんとう》の景色《けしき》がいかに良《よ》いと申《もう》しても、とてもくらべものにはなりませぬ。
領主《りょうしゅ》の奥方《おくがた》が御通過《ごつうか》というので百姓《ひゃくしょう》などは土下座《どげざ》でもしたか、と仰《お》っしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれ違《ちが》う時《とき》にちょっと道端《みちばた》に避《よ》けて首《くび》をさげる丈《だけ》でございます。それすら私《わたくし》には気《き》づまりに感《かん》じられ、ツイ外《そと》へ出《で》るのが億劫《おっくう》で[#「億劫で」は底本では「臆怯で」]仕方《しかた》がないのでした。幸《さいわ》いこちらの世界《せかい》へ参《まい》ってから、その点《てん》の気苦労《きぐろう》がすっかりなくなったのは嬉《うれ》しうございますが、しかしこちらの旅《たび》はあまり、あっけなくて、現世《げんせ》でしたように、ゆるゆると道中《どうちゅう》の景色《けしき》を味《あじ》わうような面白味《おもしろみ》はさっぱりありませぬ……。
こんな夢物語《ゆめものがたり》をいつまで続《つづ》けたとて致方《いたしかた》がございませぬから、良《よ》い加減《かげん》に切《き》り上《あ》げますが、兎《と》に角《かく》弟橘姫様《おとたちばなひめさま》に対《たい》する敬慕《けいぼ》の念《ねん》は在世中《ざいせちゅう》から深《ふか》く深《ふか》く私《わたくし》の胸《むね》に宿《やど》って居《い》たことは事実《じじつ》でございました。『尊《みこと》のお身代《みがわ》りとして入水《にゅうすい》された時《とき》の姫《ひめ》のお心持《こころも》ちはどんなであったろう……。』祠前《しぜん》に額《ぬかづ》いて昔《むかし》を偲《しの》ぶ時《とき》に、私《わたくし》の両眼《りょうがん》からは熱《あつ》い涙《なみだ》がとめどなく流《なが》れ落《お》ちるのでした。
ところがいつか竜宮界《りゅうぐうかい》を訪《おとず》れた時《とき》に、この弟橘姫様《おとたちばなひめさま》が玉依姫様《たまよりひめさま》の末裔《みすえ》――御分霊《ごぶんれい》を受《う》けた御方《おかた》であると伺《うかが》いましたので、私《わたくし》の姫《ひめ》をお慕《した》い申《もう》す心《こころ》は一層《いっそう》強《つよ》まってまいりました。『是非《ぜひ》とも、一度《いちど》お目《め》にかかって、いろいろお話《はなし》を承《うけたまわ》り、又《また》お力添《ちからぞえ》を願《ねが》わねばならぬ……。』――そう考《かんが》えると矢《や》も楯《たて》もたまらぬようになり、とうとうその旨《むね》を竜宮界《りゅうぐうかい》にお願《ねが》いすると、竜宮界《りゅうぐうかい》でも大《たい》そう歓《よろこ》ばれ、すぐその手続《てつづ》きをしてくださいました。
私《わたくし》がこちらで弟橘姫様《おとたちばなひめさま》にお目通《めどお》りすることになったのはこんな事情《じじょう》からでございます。
三十七、初対面
竜宮界《りゅうぐうかい》からかねて詳《くわ》しい指図《さしず》を受《う》けて居《お》りましたので、その時《とき》の私《わたくし》は思《おも》い切《き》ってたった一人《ひとり》で出掛《でか》けました。初対面《しょたいめん》のこと故《ゆえ》、服装《ふくそう》なども失礼《しつれい》にならぬよう、日頃《ひごろ》好《この》みの礼装《れいそう》に、例《れい》の被衣《かつぎ》を羽織《はおり》ました。
ヅーッと何処《どこ》までもつづく山路《やまじ》……大《たい》へん高《たか》い峠《とうげ》にかかったかと思《おも》うと、今度《こんど》は降《くだ》り坂《ざか》になり、右《みぎ》に左《ひだり》にくねくねとつづらに折《お》れて、時《とき》に樹木《じゅもく》の間《あいだ》から蒼《あお》い海原《うなばら》がのぞきます。やがて行《ゆ》きついた所《ところ》はそそり立《だ》つ大《おお》きな巌《いわ》と巌《いわ》との間《あいだ》を刳《えぐ》りとったような狭《せま》い峡路《はざま》で、その奥《おく》が深《ふか》い深《ふか》い洞窟《どうくつ》になって居《お》ります。そこが弟橘姫様《おとたちばなひめさま》の日頃《ひごろ》お好《この》みの御修行場《ごしゅぎょうば》で、洞窟《どうくつ》の入口《いりぐち》にはチャーンと注連縄《しめ》が張《は》られて居《お》りました。むろん橘姫様《たちばなひめさま》はいつもここばかりに引籠《ひきこも》って居《お》られるのではないのです。現世《げんせ》に立派《りっぱ》なお祠《やしろ》があるとおり、こちらの世界《せかい》にも矢張《やは》りそう言《い》ったものがあり、御用《ごよう》があればすぐそちらへお出《で》ましになられるそうで……。
『御免遊《ごめんあそ》ばしませ……。』
口《くち》にこそ出《だ》しませんが、私《わたくし》は心《こころ》でそう思《おも》って、会釈《えしゃく》して洞窟《いわや》の内部《なか》へ歩《あゆ》み入《い》りますと、早《はや》くもそれと察《さっ》して奥《おく》の方《かた》からお出《で》ましになられたのは、私《わたくし》が年来《ねんらい》お慕《した》い申《もう》していた弟橘姫様《おとたちばなひめさま》でございました。打《う》ち見《み》るところお年齢《とし》はやっと二十四五、小柄《こがら》で細面《ほそおもて》の、大《たい》そう美《うつく》しい御縹緻《ごきりょう》でございますが、どちらかといえば少《すこ》し沈《しず》んだ方《ほう》で、きりりとやや釣《つ》り気味《ぎみ》の眼元《めもと》には、すぐれた御気性《ごきしょう》がよく伺《うかが》われました。御召物《おめしもの》は、これは又《また》私《わたくし》どもの服装《ふくそう》とはよほど異《ちが》いまして、上衣《うわぎ》はやや広《ひろ》い筒袖《つつそで》で、色合《いろあ》いは紫《むらさき》がかって居《お》りました、下衣《したぎ》は白地《しろじ》で、上衣《うわぎ》より二三寸《ずん》下《した》に延《の》び、それには袴《はかま》のように襞《ひだ》が取《と》ってありました。頭髪《おぐし》は頭《あたま》の頂辺《てっぺん》で輪《わ》を造《つく》ったもので、ここにも古代《こだい》らしい匂《におい》が充分《じゅうぶん》に漂《ただよ》って居《お》りました。又《また》お履物《はきもの》は黒塗《くろぬり》りの靴《くつ》見《みた》[#ルビの「みた」は底本では「み」]いなものですが、それは木《き》の皮《かわ》か何《なん》ぞで編《あ》んだものらしく、そう重《おも》そうには見《み》えませんでした……。
『私《わたくし》は斯《こ》ういうものでございますが、現世《げんせ》に居《お》りました時《とき》から深《ふか》くあなた様《さま》をお慕《した》い申《もう》し、殊《こと》に先日《せんじつ》乙姫《おとひめ》さまから委細《いさい》を承《うけたまわ》りましてから、一層《いっそう》お懐《なつ》かしく、是非《ぜひ》一度《いちど》お目通《めどお》りを願《ねが》わずには居《い》られなくなりました、一向《いっこう》何事《なにごと》も弁《わきま》えぬ不束者《ふつつかもの》でございますが、これからは末長《すえなが》くお教《おし》えを受《う》けさせて戴《いただ》きとう存《ぞん》じまする……。』
『かねて乙姫様《おとひめさま》からのお言葉《ことば》により、あなたのお出《い》でを心待《こころま》ちにお待《ま》ち申《もう》して居《お》りました。』とあちら様《さま》でも大《たい》そう歓《よろこ》んで私《わたくし》を迎《むか》えてくださいました。『自分《じぶん》とて、ただ少《すこ》し早《はや》くこちらの世界《せかい》へ引移《ひきうつ》ったという丈《だけ》、これからはともどもに手《て》を引《ひ》き合《あ》って、修行《しゅぎょう》することに致《いた》しましょう。何《ど》うぞこちらへ……。』
その口数《くちかず》の少《すく》ない、控《ひか》え目《め》な物《もの》ごしが、私《わたくし》には何《なに》より有難《ありがた》く思《おも》われました。『矢張《やは》り歴史《れきし》に名高《なだか》い御方《おかた》だけのことがある。』私《わたくし》は心《こころ》の中《なか》で独《ひと》りそう感心《かんしん》しながら、誘《さそ》わるるままに岩屋《いわや》の奥深《おくふか》く進《すす》み入《い》りました。
私《わたくし》自身《じしん》も山《やま》の修行場《しゅぎょうば》へ移《うつ》るまでは、矢張《やは》り岩屋《いわや》住《ずま》いをいたしましたが、しかし、ここはずっと大《おお》がかりに出来《でき》た岩屋《いわや》で[#「岩屋で」は底本では「岩屋て」]、両側《りょうがわ》も天井《てんじょう》ももの凄《すご》いほどギザギザした荒削《あらけず》りの巌《いわ》になって居《い》ました。しかし外面《おもて》から見《み》たのとは違《ちが》って、内部《なか》はちっとも暗《くら》いことはなく、ほんのりといかにも落付《おちつ》いた光《ひか》りが、室《へや》全体《ぜんたい》に漲《みなぎ》って居《お》りました。『これなら精神統一《せいしんとういつ》がうまくできるに相違《そうい》ない。』餅屋《もちや》は餅屋《もちや》と申《もう》しますか、私《わたくし》は矢張《やは》りそんなことを考《かんが》えるのでした。
ものの二丁《ちょう》ばかりも進《すす》んだ所《ところ》が姫《ひめ》の御修行《ごしゅぎょう》の場所《ばしょ》で、床一面《ゆかいちめん》に何《なに》やらふわっとした、柔《やわら》かい敷物《しきもの》が敷《し》きつめられて居《お》り、そして正面《しょうめん》の棚《たな》見《み》たいにできた凹所《くぼみ》が神床《かんどこ》で、一《ひと》つの円《まる》い御神鏡《ごしんきょう》がキチンと据《す》えられて居《い》るばかり、他《ほか》には何一《なにひと》つ装飾《そうしょく》らしいものは見当《みあた》りませんでした。
私達《わたくしたち》は神床《かんどこ》の前面《ぜんめん》に、左《ひだり》と右《みぎ》に向《む》き合《あ》って座《ざ》を占《し》めました。その頃《ころ》の私《わたくし》は最《も》う大分《だいぶん》幽界《ゆうかい》の生活《せいかつ》に慣《な》れて来《き》ていましたものの、兎《と》に角《かく》自分《じぶん》より千年《せんねん》あまりも以前《いぜん》に帰幽《きゆう》せられた、史上《しじょう》に名高《なだか》い御方《おかた》と斯《こ》うして膝《ひざ》を交《まじ》えて親《した》しく物語《ものがた》るのかと思《おも》うと、何《なに》[#ルビの「なに」は底本では「なは」]やら夢《ゆめ》でも見《み》て居《い》るように感《かん》じられて仕方《しかた》がないのでした。
三十八、姫の生立
私達《わたくしたち》の間《あいだ》には、それからそれへと、物語《ものがたり》がとめどなくはずみました。霊《みたま》の因縁《いんえん》と申《もう》すものはまことに不思議《ふしぎ》な力《ちから》を有《も》っているものらしく、これが初対面《しょたいめん》であり乍《なが》ら、相互《おたがい》の間《あいだ》の隔《へだ》ての籬《かき》はきれいに除《と》り去《さ》られ、さながら血《ち》を分《わ》けた姉妹《きょうだい》のように、何《なに》も彼《か》もすっかり心《こころ》の底《そこ》を打《う》ち明《あ》けたのでございました。
私《わたくし》というものは御覧《ごらん》の通《とお》り何《なん》の取柄《とりえ》もない、短《みじ》かい生涯《しょうがい》を送《おく》ったものでございますが、それでも弟橘姫様《おとたちばなひめさま》は私《わたくし》の現世時代《げんせじだい》の浮沈《うきしずみ》に対《たい》して心《こころ》からの同情《どうじょう》を寄《よ》せて、親身《しんみ》になってきいてくださいました。『あなたも随分《ずいぶん》苦労《くろう》をなさいました……。』そう言《い》って、私《わたくし》の手《て》を執《と》って涙《なみだ》を流《なが》された時《とき》は、私《わたくし》は忝《かたじけな》いやら、難有《ありがた》いやらで胸《むね》が一《いっ》ぱいになり、われを忘《わす》れて姫《ひめ》の御膝《おひざ》に縋《すが》りついて了《しま》いました。
が、そんな話《はなし》はただ私《わたくし》だけのことで、あなた方《がた》には格別《かくべつ》面白《おもしろ》くも、又《また》おかしくもございますまいが、ただ其折《そのおり》[#ルビの「そのおり」は底本では「おのおり」]弟橘姫様《おとたちばなひめさま》御自身《ごじしん》の口《くち》づから漏《もら》された遠《とお》き昔《むかし》の思《おも》い出《で》話《ばなし》――これはせめてその一端《いったん》なりとここでお伝《つた》えして置《お》きたいと存《ぞん》じます。何《なに》にしろ日本《にほん》の歴史《れきし》を飾《かざ》る第一《だいいち》の花形《はながた》といえば、女性《じょせい》では弟橘姫様《おとたちばなひめさま》、又《また》男性《だんせい》では大和武尊様《やまとたけるのみことさま》でございます。このお二人《ふたり》にからまる事蹟《じせき》が少《すこ》しでも現世《げんせ》の人達《ひとたち》に伝《つた》わることになれば、私《わたくし》の拙《つたな》き通信《つうしん》にも初《はじ》めて幾《いく》らかの意義《いぎ》が加《くわ》わる訳《わけ》でごさいます。私《わたくし》にとりてこんな冥加至極《みょうがしごく》なことはございませぬ。尤《もっと》も私《わたくし》の申上《もうしあ》ぐるところが果《はた》して日本《にほん》の古《ふる》い書物《しょもつ》に載《の》せてあることと合《あ》っているか、いないか、それは私《わたくし》にはさっぱり判《わか》りませぬ。私《わたくし》はただ自分《じぶん》が伺《うかが》いましたままをお伝《つた》えする丈《だけ》でございますから、その点《てん》はよくよくお含《ふく》みの上《うえ》で取拾《しゅしゃ》して戴《いただ》き度《と》う存《ぞん》じます。
それからもう一《ひと》つ爰《ここ》でくれぐれもお断《ことわ》りして置《お》きたいのは、私《わたくし》がお取次《とりつ》ぎすることが、決《けっ》して姫《ひめ》御自身《ごじしん》のお言葉《ことば》そのままでなく、ただ意味《いみ》だけを[#「意味だけを」は底本では「意味だげを」]伝《つた》えることでございます。当時《とうじ》の言語《ことば》は含蓄《がんちく》が深《ふか》いと申《もう》しますか、そのままではとても私《わたくし》どもの腑《ふ》に落《お》ちかぬるところがあり、私《わたくし》としては、不躾《ぶしつけ》と知《し》りつつも、何度《なんど》も何度《なんど》も問《と》いかえして、やっとここまで取《と》りまとめたのでございます。で、多少《たしょう》は私《わたくし》のきき損《そこ》ね、思《おも》い違《ちが》いがないとも限《かぎ》りませぬから、その点《てん》も何卒《なにとぞ》充分《じゅうぶん》にお含《ふく》み下《くだ》さいますよう……。
『あなた様《さま》の御生立《おんおいたち》を伺《うかが》わして戴《いただ》き度《と》う存《ぞん》じまするが……。』
機会《きかい》を見《み》て私《わたくし》はそう切《き》り出《だ》しました。すると姫《ひめ》はしばらく凝乎《じっ》と考《かんが》え込《こ》まれ、それから漸《ようや》く唇《くちびる》を開《ひら》かれたのでございました。――
『いかにも遠《とお》い昔《むかし》のこと、所《ところ》の名《な》も人《ひと》の名《な》も、急《きゅう》には胸《むね》に浮《うか》びませぬ。――私《わたくし》の生《うま》れたところは安芸《あき》の国府《こくふ》、父《ちち》は安藝淵眞佐臣《あきぶちまさをみ》……代々《だいだい》この国《くに》の司《つかさ》を承《うけたまわ》って居《お》りました。尤《もっと》も父《ちち》は時《とき》の帝《みかど》から召《め》し出《いだ》され、いつもお側《そば》に仕《つか》える身《み》とて、一年《いちねん》の大部《だいぶ》は不在勝《るすが》ち、国元《くにもと》にはただ女《おんな》小供《こども》が残《のこ》って居《い》るばかりでございました……。』
『御《ご》きょうだいもおありでございましたか。』
『自分《じぶん》は三人《さんにん》のきょうだいの中《なか》の頭《かしら》、他《ほか》は皆《みな》男子《おとこ》でございました。』
『いつもお国元《くにもと》のみにお暮《く》らしでございましたか?』
『そうのみとも限《かぎ》りませぬ。偶《たま》には父《ちち》のお伴《とも》をして大和《やまと》にのぼり、帝《みかど》のお目通《めどお》りをいたしたこともございます……。』
『アノ大和武尊様《やまとたけるのみことさま》とも矢張《やは》り大和《やまと》の方《ほう》でお目《め》にかかられたのでございまするか?』
『そうではありませぬ……。国元《くにもと》の館《やかた》で初《はじ》めてお目《め》にかかりました……。』
山間《さんかん》の湖水《こすい》のように澄《す》み切《き》った、気高《けだか》い姫《ひめ》のお顔《かお》にも、さすがにこの時《とき》は情思《こころ》の動《うご》きが薄《うす》い紅葉《もみじ》となって散《ち》りました。私《わたくし》は構《かま》わず問《と》いつづけました。――
『何卒《なにとぞ》その時《とき》の御模様《おんもよう》をもう少《すこ》しくわしく伺《うかが》わせていただく訳《わけ》にはまいりますまいか? あれほどまでに深《ふか》い深《ふか》い夫婦《めおと》の御縁《ごえん》が、ただかりそめの事《こと》で結《むす》ばれる筈《はず》はないと存《ぞん》じますが……。』
『さァ……何所《どこ》から話《はなし》の糸口《いとぐち》を手繰《たぐ》り出《だ》してよいやら……。』
姫《ひめ》はしばらくさし俯《うづむ》いて[#「俯いて」は底本では「腑いて」]考《かんが》え込《こ》んで居《お》られましたが、その中《うち》次第《しだい》にその堅《かた》い唇《くちびる》が少《すこ》しづつ綻《ほころ》びてまいりました。お話《はなし》の前後《ぜんご》をつづり合《あ》わせると、大体《だいたい》それは次《つ》ぎのような次第《しだい》でございました……。
三十九、見合い
それはたしかに、ある年《とし》の夏《なつ》の初《はじめ》、館《やかた》の森《もり》に蝉時雨《せみしぐれ》が早瀬《はやせ》を走《はし》る水《みず》のように、喧《かまびず》しく聞《きこ》えている、暑《あつ》い真昼過《まひるす》ぎのことであったと申《もう》します――館《やかた》の内部《うち》は降《ふ》って湧《わ》いたような不時《ふじ》の来客《らいきゃく》に、午睡《ひるね》する人達《ひとたち》もあわててとび起《お》き、上《うえ》を下《した》への大騒《おおさわ》ぎを演《えん》じたのも道理《どうり》、その来客《らいきゃく》と申《もう》すのは、誰《だれ》あろう、時《とき》の帝《みかど》の珍《うず》の皇子《みこ》、当時《とうじ》筑紫路《つくしじ》から出雲路《いずもじ》にかけて御巡遊中《ごじゅんゆうちゅう》の小碓命様《おうすのみことさま》なのでございました。御随行《おとも》の人数《にんず》は凡《およ》そ五六十人《にん》、いずれも命《みこと》の直属《ちょくぞく》の屈強《くっきょう》の武人《つわもの》ばかりでございました。序《つい》でにちょっと附《つ》け加《くわ》えて置《お》きますが、その頃《ころ》命《みこと》の直属《ちょくぞく》の部下《ぶか》と申《もう》しますのは、いつもこれ位《くらい》の小人数《こにんずう》でしかなかったそうで、いざ戦闘《たたかい》となれば、何《いず》れの土地《とち》に居《お》られましても、附近《あたり》の武人《もののふ》どもが、後《あと》から後《あと》から馳《は》せ参《さん》じて忽《たちま》ち大軍《たいぐん》になったと申《もう》します。『わざわざ遠方《とおく》からあまたの軍兵《つわもの》を率《ひき》いて御出征《おいで》になられるようなことはありませぬ……。』橘姫《たちばなひめ》はそう仰《お》っしゃって居《お》られました。何所《どこ》へまいるにもいつも命《みこと》の御随伴《おとも》をした橘姫《たちばなひめ》がそう申《もう》されることでございますから、よもやこれに間違《まちがい》はあるまいと存《ぞん》じます。
それは兎《と》に角《かく》、不意《ふい》の来客《らいきゃく》としては五六十人《にん》はなかなかの大人数《おおにんずう》でございます。ましてそれが日本国中《にほんこくじゅう》にただ一人《ひとり》あって、二人《ふたり》とはない、軍《いくさ》の神様《かみさま》の御同勢《ごどうせい》とありましては大《たい》へんでございます。恐《おそ》らく森《もり》の蝉時雨《せみしぐれ》だって、ぴったり鳴《な》き止《や》んだことでございましょう。ただその際《さい》何《なに》より好都合《こうつごう》であったのは、姫《ひめ》の父君《ちちぎみ》が珍《めず》らしく国元《くにもと》へ帰《かえ》って居《お》られたことで、御自身《ごじしん》采配《さいはい》を振《ふ》って家人《がじん》を指図《さしず》し、心限《こころかぎ》りの歓待《もてなし》をされた為《た》めに、少《すこ》しの手落《ておち》もなかったそうでございます。それについて姫《ひめ》は少《すこ》しくお言葉《ことば》を濁《にご》して居《お》られましたが、何《ど》うやら小碓命様《おうすのみことさま》のその日《ひ》の御立寄《おたちより》は必《かな》らずしも不意打《ふいうち》ではなく、かねて時《とき》の帝《みかど》から御内命《ごないめい》があり、言《い》わば橘姫様《たちばなひめさま》とお見合《みあい》の為《た》めに、それとなくお越《こ》しになられたらしいのでございます。
何《いず》れにしても姫《ひめ》はその夕《ゆうべ》、両親《りょうしん》に促《うな》がされ、盛装《せいそう》してお側《そば》にまかり出《い》で、御接待《ごせったい》に当《あた》[#ルビの「あた」は底本では「あて」]られたのでした。『何分《なにぶん》にも年若《としわか》き娘《むすめ》のこととて恥《はず》かしさが先立《さきだ》ち、格別《かくべつ》のお取持《とりもち》もできなかった……。』姫《ひめ》はあっさりと、ただそれっきりしかお口《くち》には出《だ》されませんでしたが、何《どう》やらお二人《ふたり》の間《あいだ》を維《つな》いだ、切《き》っても切《き》れぬ固《かた》い縁《えにし》の糸《いと》は、その時《とき》に結《むす》ばれたらしいのでございます。実際《じっさい》又《また》何《いず》れの時代《じだい》をさがしても、この御二人《おふたり》ほどお似合《にあい》の配偶《めおと》はめったにありそうにもございませぬ。申《もう》すもかしこけれど、お婿様《むこさま》は百代《だい》に一人《ひとり》と言《い》われる、すぐれた御器量《ごきりょう》の日《ひ》の御子《みこ》、又《また》お妃《きさき》は、しとやかなお姿《すがた》の中《うち》に凛々《りり》しい御気性《ごきしょう》をつつまれた絶世《ぜっせい》の佳人《かじん》、このお二人《ふたり》が一《ひ》と目《め》見《み》てお互《たがい》にお気《き》に召《め》さぬようなことがあったら、それこそ不思議《ふしぎ》でございます。お年輩《ねんぱい》も、たしか命《みこと》はその時《とき》御《おん》二十四、姫《ひめ》は御《おん》十七、どちらも人生《じんせい》の花盛《はなざか》りなのでございました。
これは余談《よだん》でございますが、私《わたくし》がこちらの世界《せかい》で大和武尊様《やまとたけるのみことさま》に御目通《おめどお》りした時《とき》の感《かん》じを、ここでちょっと申上《もうしあ》げて置《お》きたいと存《ぞん》じます。あんな武勇《ぶゆう》絶倫《ぜつりん》の御方《おかた》でございますから、お目《め》にかからぬ中《うち》は、どんなにも怖《こわ》い御方《おかた》かと存《ぞん》じて居《お》りましたが、実際《じっさい》はそれはそれはお優《や》さしい御風貌《ごようす》なのでございます。むろん御筋骨《ごきんこつ》はすぐれて逞《たくま》しうございますが、御顔《おかお》は色白《いろじろ》の、至《いた》ってお奇麗《きれい》な細面《ほそおもて》、そして少《すこ》し釣気味《つりぎみ》のお目元《めもと》にも、又《また》きりりと引《ひ》きしまったお口元《くちもと》にも、殆《ほと》んど女性《じょせい》らしい優《や》さしみを湛《たた》えて居《お》られるのでございます。『成《な》るほどこの方《かた》なら少女姿《おとめすがた》に仮装《つく》られてもさして不思議《ふしぎ》はない筈《はず》……。』失礼《しつれい》とは存《ぞん》じながら私《わたくし》はその時《とき》心《こころ》の中《うち》でそう感《かん》じたことでございました。
それはさて置《お》き、命《みこと》はその際《さい》は二晩《ふたばん》ほどお泊《とま》りになって、そのままお帰《かえ》りになられましたが、やがて帝《みかど》のお裁可《ゆるし》を仰《あお》ぎて再《ふたた》び安芸《あき》の国《くに》にお降《くだ》り遊《あそ》ばされ、その時《とき》いよいよ正式《せいしき》に御婚儀《ごこんぎ》を挙《あ》げられたのでございました。尤《もっと》も軍務《ぐんむ》多端《たたん》の際《さい》とて、その式《しき》は至《いた》って簡単《かんたん》なもので、ただ内輪《うちわ》でお杯事《さかずきごと》をされただけ、間《ま》もなく新婚《しんこん》の花嫁様《はなよめさま》をお連《つ》れになって征途《せいと》に上《のぼ》られたとのことでございました。『斯《こ》ういう場合《ばあい》であるから何所《いずく》へまいるにも、そちを連《つ》れる。』命《みこと》はそう仰《おお》せられたそうで、又《また》姫《ひめ》の方《ほう》でも、いとしき御方《おんかた》と苦労《くろう》艱難《かんなん》を共《とも》にするのが女《おんな》の勤《つと》めと、固《かた》く固《かた》く覚悟《かくご》されたのでした。
四十、相摸の小野
幾年《いくとせ》かに跨《またが》る賊徒《ぞくと》征伐《せいばつ》の軍《いくさ》の旅路《たびじ》に、さながら影《かげ》の形《かたち》に伴《ともな》う如《ごと》く、ただの一日《にち》として脊《せ》の君《きみ》のお側《そば》を離《はな》れなかった弟橘姫《おとたちばなひめ》の涙《なみだ》ぐましい犠牲《ぎせい》の生活《せいかつ》は、実《じつ》にその時《とき》を境界《さかい》として始《はじ》められたのでした。或《あ》る年《とし》の冬《ふゆ》は雪沓《ゆきぐつ》を穿《は》いて、吉備国《きびのくに》から出雲国《いずものくに》への、国境《くにざかい》の険路《けんろ》を踏《ふ》み越《こ》える。又《また》或《あ》る年《とし》の夏《なつ》には焼《や》くような日光《ひ》を浴《あ》びつつ阿蘇山《あそざん》の奥深《おくふか》くくぐり入《い》りて賊《ぞく》の巣窟《そうくつ》をさぐる。その外《ほか》言葉《ことば》につくせぬ数々《かずかず》の難儀《なんぎ》なこと、危険《きけん》なことに遇《あ》われましたそうで、歳月《つきひ》の経《た》つと共《とも》に、そのくわしい記憶《きおく》は次第《しだい》に薄《うす》れては行《い》っても、その時《とき》胸《むね》にしみ込《こ》んだ、感《かん》じのみは今《いま》も魂《たましい》の底《そこ》から離《はな》れずに居《い》るとの仰《おお》せでございました。
こんな苦《くる》しい道中《どうちゅう》のことでございますから、御服装《おみなり》などもそれはそれは質素《しっそ》なもので、足《あし》には藁沓《わらぐつ》、身《み》には筒袖《つつそで》、さして男子《だんし》の旅装束《たびしょうぞく》と相違《そうい》していないのでした。なれども、姫《ひめ》は最初《さいしょ》から心《こころ》に固《かた》く覚悟《かくご》して居《お》られることとて、ただの一度《ど》も愚痴《ぐち》めきたことはお口《くち》に出《だ》されず、それにお体《からだ》も、かぼそいながら至《いた》って御丈夫《おじょうぶ》であった為《た》め、一行《こう》の足手纏《あしてまと》[#ルビの「あしてまと」は底本では「てあしまと」]いになられるようなことは決《けっ》してなかったと申《もう》すことでございます。
かかる艱苦《かんく》の旅路《たびじ》の裡《うち》にありて、姫《ひめ》の心《こころ》を支《ささ》うる何《なに》よりの誇《ほこ》りは、御自分《ごじぶん》一人《ひとり》がいつも命《みこと》のお伴《とも》と決《きま》って居《い》ることのようでした。『日本《にっぽん》一の日《ひ》の御子《みこ》から又《また》なきものに愛《いつく》しまれる……。』そう思《おも》う時《とき》に、姫《ひめ》の心《こころ》からは一切《さい》の不満《ふまん》、一切《さい》の苦労《くろう》が煙《けむり》のように消《き》えて了《しま》うのでした。当時《とうじ》の習慣《しゅうかん》でございますから、むろん命《みこと》の御身辺《ごしんぺん》には夥多《あまた》の妃達《きさきたち》がとりまいて居《お》られました。それ等《ら》の中《なか》には橘姫《たちばなひめ》よりも遥《はる》かに家柄《いえがら》の高《たか》いお方《かた》もあり、又《また》縹緻《きりょう》自慢《じまん》の、それはそれは艶麗《あでやか》な美女《びじょ》も居《い》ないのではないのでした。が、それ等《ら》は言《い》わば深窓《しんそう》を飾《かざ》る手活《ていけ》の花《はな》、命《みこと》のお寛《くつろ》ぎになられた折《おり》の軽《かる》いお相手《あいて》にはなり得《え》ても、いざ生命懸《いのちが》けの外《そと》のお仕事《しごと》にかかられる時《とき》には、きまり切《き》って橘姫《たちばなひめ》にお声《こえ》がかかる。これでは『仮令《たとえ》死《し》んでも……。』という考《かんがえ》が橘姫《たちばなひめ》の胸《むね》の奥深《おくふか》く刻《きざ》み込《こ》まれた筈《はず》でございましょう。
だんだん伺《うかが》って見《み》ると、数《かず》限《かぎ》りもない御《ご》一代《だい》中《ちゅう》で、最大《さいだい》の御危難《ごきなん》といえば、矢張《やは》り、あの相摸国《さがみのくに》での焼打《やきうち》だったと申《もう》すことでございます。姫《ひめ》はその時《とき》の模様丈《もようだけ》は割合《わりあい》にくわしく物語《ものがた》られました。――
『あの時《とき》ばかりは、いかに武運《ぶうん》に恵《めぐま》まれた御方《おんかた》でも、今日《きょう》が御最後《ごさいご》かと危《あやぶ》まれました。自分《じぶん》は命《みこと》のお指図《さしず》で、二人《ふたり》ばかりの従者《とも》にまもられて、とある丘《おか》の頂辺《いただき》に避《さ》けて、命《みこと》の御身《おんみ》の上《うえ》を案《あん》じわびて居《お》りましたが、その中《うち》四方《ほう》から急《きゅう》にめらめらと燃《も》え拡《ひろ》がる野火《のび》、やがて見渡《みわた》す限《かぎ》りはただ一面《めん》の火《ひ》の海《うみ》となって了《しま》いました。折《おり》から猛《はげ》しい疾風《はやて》さえ吹《ふ》き募《つの》って、命《みこと》のくぐり入《い》られた草叢《くさむら》の方《ほう》へと、飛《と》ぶが如《ごと》くに押《お》し寄《よ》せて行《ゆ》きます。その背後《はいご》は一帯《たい》の深《ふか》い沼沢《さわ》で、何所《どこ》へも退路《にげみち》はありませぬ。もうほんの一《ひと》と煽《あお》りですべては身《み》の終《おわ》り……。そう思《おも》うと私《わたくし》はわれを忘《わす》れて、丘《おか》の上《うえ》から駆《か》け降《お》りようと[#「駆け降りようと」は底本では「騙け降りようと」]しましたが、その瞬間《しゅんかん》、忽《たちま》ちゴーッと耳《みみ》もつぶれるような鳴動《うなり》と共《とも》に、今《いま》までとは異《ちが》って、西《にし》から東《ひがし》へと向《む》きをかえた一陣《じん》の烈風《れっぷう》、あなやと思《おも》う間《ま》もなく、猛火《もうか》は賊《ぞく》の隠《かく》れた反対《はんたい》の草叢《くさむら》へ移《うつ》ってまいりました……。その時《とき》たちまち、右手《みぎて》に高《たか》く、御秘蔵《ごひぞう》の御神剣《ごしんけん》を打《ふ》り翳《かざ》し、漆《うるし》の黒髪《くろかみ》を風《かぜ》に靡《なび》かせながら、部下《ぶか》の軍兵《つわもの》どもよりも十歩《ぽ》も先《さき》んじて、草原《くさはら》の内部《なか》から打《う》って出《い》でられた命《みこと》の猛《たけ》き御姿《おんすがた》、あの時《とき》ばかりは、女子《おなご》の身《み》でありながら覚《おぼ》えず両手《りょうて》を空《そら》にさしあげて、声《こえ》を限《かぎ》りにわあッと叫《さけ》んで了《しま》いました……。後《あと》で御伺《おうかが》いすると、あの場合《ばあい》、命《みこと》が御難儀《ごなんぎ》を脱《のが》れ得《え》たのは、矢張《やは》りあの御神剣《ごしんけん》のお蔭《かげ》だったそうで、燃《も》ゆる火《ひ》の中《なか》で命《みこと》がその御鞘《おんさや》を払《は》われると同時《どうじ》に、風向《かざむ》きが急《きゅう》に変《かわ》ったのだと申《もう》すことでございます。右《みぎ》の御神剣《ごしんけん》と申《もう》すのは、あれは前年《ぜんねん》わざわざ伊勢《いせ》へ参《まい》られた時《とき》に、姨君《おばぎみ》から授《さず》けられた世《よ》にも尊《とうと》い御神宝《ごしんぽう》で、命《みこと》はいつもそれを錦《にしき》の袋《ふくろ》に納《おさ》めて、御自身《ごじしん》の肌身《はだみ》につけて居《お》られました。私《わたくし》などもただ一度《ど》しか拝《おが》まして戴《いただ》いたことはございませぬ……。』
これが大体《だいたい》姫《ひめ》のお物語《ものがた》りでございます。その際《さい》命《みこと》には、火焔《かえん》の中《なか》に立《た》ちながらも、しきりに姫《ひめ》の身《み》の上《うえ》を案《あん》じわびられたそうで、その忝《かたじけ》ない御情意《おこころざし》はよほど深《ふか》く姫《ひめ》の胸《むね》にしみ込《こ》んで居《い》るらしく、こちらの世界《せかい》に引移《ひきうつ》って、最《も》う千年《ねん》にも余《あま》るというのに、今《いま》でも当時《とうじ》を想《おも》い出《いだ》せば、自《おの》ずと涙《なみだ》がこぼれると言《い》って居《お》られました。
かくまで深《ふか》いお二人《ふたり》の間《あいだ》でありながら、お児様《こさま》としては、若建王《わかたけるおう》と呼《よ》ばれる御方《おかた》がただ一人《ひとり》――それも旅《たび》から旅《たび》へといつも御不在勝《ごふざいが》ちであった為《た》めに、御自分《ごじぶん》の御手《おて》で御養育《ごよういく》はできなかったと申《もう》すことでございました。つまり橘姫《たちばなひめ》の御《ご》一生《しょう》はすべてを脊《せ》の君《きみ》に捧《ささ》げつくした、世《よ》にも若々《わかわか》しい花《はな》の一生《しょう》なのでございました。
四十一、海神の怒り
私《わたくし》が伺《うかが》った橘姫《たちばなひめ》のお物語《ものがたり》の中《なか》には、まだいろいろお伝《つた》えしたいことがございますが、とても一度《ど》に語《かた》りつくすことはできませぬ。何《いず》れ又《また》良《よ》い機会《おり》がありましたら改《あらた》めてお漏《もら》しすることとして、ただあの走水《はしりみず》の海《うみ》で御入水《ごにゅうすい》遊《あそ》ばされたお話《はなし》だけは、何《ど》うあっても省《はぶ》く訳《わけ》にはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦《ごふうふ》の御《ご》一代《だい》を飾《かざ》る、尤《もっと》も美《うつく》しい事蹟《じせき》であるばかりでなく、又《また》日本《にほん》の歴史《れきし》の中《なか》での飛《と》び切《き》りの美談《びだん》と存《ぞん》じます。私《わたくし》は成《な》るべく姫《ひめ》のお言葉《ことば》そのままをお取次《とりつ》ぎすることに致《いた》します。
『わたくし達《たち》が海辺《うみべ》に降《お》り立《た》ったのはまだ朝《あさ》の間《ま》のことでございました。風《かぜ》は少《すこ》し吹《ふ》いて居《お》りましたが、空《そら》には一点《てん》の雲《くも》もなく、五六里《り》もあろうかと思《おも》わるる広《ひろ》い内海《いりうみ》の彼方《かなた》には、総《ふさ》の国《くに》の低《ひく》い山々《やまやま》が絵《え》のようにぽっかりと浮《うか》んで居《お》りました。その時《とき》の私達《わたくしたち》の人数《にんず》はいつもよりも小勢《こぜい》で、かれこれ四五十名《めい》も居《お》ったでございましょうか。仕立《した》てた船《ふね》は二艘《そう》、どちらも堅牢《けんろう》な新船《あらふね》でございました。
『一同《どう》が今日《きょう》の良《よ》き船出《ふなで》を寿《ことほ》ぎ合《あ》ったのもほんの束《つか》の間《ま》、やや一里《り》ばかりも陸《おか》を離《はな》れたと覚《おぼ》しき頃《ころ》から、天候《てんこう》が俄《にわ》かに不穏《ふおん》の模様《もよう》に変《かわ》って了《しま》いました。西北《せいほく》の空《そら》からどっと吹《ふ》き寄《よ》せる疾風《はやて》、見《み》る見《み》る船《ふね》はグルリと向《む》きをかえ、人々《ひとびと》は滝《たき》なす飛沫《しぶき》を一ぱいに浴《あ》びました。それにあの時《とき》の空模様《そらもよう》の怪《あや》しさ、赭黒《あかぐろ》い雲《くも》の峰《みね》が、右《みぎ》からも左《ひだり》からも、もくもくと群《むら》がり出《い》でて満天《まんてん》に折《お》り重《かさ》なり、四辺《あたり》はさながら真夜中《まよなか》のような暗《くら》さに鎖《とざ》されたと思《おも》う間《ま》もなく、白刃《しらは》を植《う》えたような稲妻《いなづま》が断間《たえま》なく雲間《あいだ》に閃《ひらめ》き、それにつれてどっと降《ふ》りしきる大粒《おおつぶ》の雨《あめ》は、さながら礫《つぶて》のように人々《ひとびと》の面《おもて》を打《う》ちました。わが君《きみ》をはじめ、一同《どう》はしきりに舟子達《かこたち》を励《はげ》まして、暴《あ》れ狂《くる》う風浪《ふうろう》と闘《たたか》いましたが、やがて両《りょう》三人《にん》は浪《なみ》に呑《の》まれ、残余《のこり》は力《ちから》つきて船底《ふなぞこ》に倒《たお》れ、船《ふね》はいつ覆《くつがえ》るか判《わか》らなくなりました。すべてはものの半刻《はんとき》と経《た》たぬ、ほんの僅《わず》かの間《ま》のことでございました。
『かかる場合《ばあい》にのぞみて、人間《にんげん》の依《たの》むところはただ神業《かみわざ》ばかり……。私《わたくし》は一心《しん》不乱《ふらん》に、神様《かみさま》にお祈祷《いのり》をかけました。船《ふね》のはげしき[#「はげしき」は底本では「はげじき」]動揺《どうよう》につれて、幾度《いくたび》となく投《な》げ出《だ》さるる私《わたくし》の躯《からだ》――それでも私《わたくし》はその都度《つど》起《お》き上《あが》りて、手《て》を合《あわ》せて、熱心《ねっしん》に祈《いの》りつづけました。と、忽《たちま》ち私《わたくし》の耳《みみ》にはっきりとした一《ひと》つの囁《ささや》き、『これは海神《かいじん》の怒《いか》り……今日限《きょうかぎ》り命《みこと》の生命《せいめい》を奪《と》る……。』覚《おぼ》えずはっとして現実《うつつ》にかえれば、耳《みみ》に入《い》るはただすさまじき[#「すさまじき」は底本では「すまじき」]浪《なみ》の音《おと》、風《かぜ》の叫《さけ》び――が、精神《こころ》を鎮《しず》めると又《また》もや右《みぎ》の怪《あや》しき囁《ささや》きがはっきりと耳《みみ》に聞《きこ》えてまいります……。
『二度《ど》、三度《ど》、五度《ど》……幾度《いくたび》くりかえしてもこれに間違《まちがい》のないことが判《わか》った時《とき》に、私《わたくし》はすべてを命《みこと》に打《う》ち明《あ》けました。命《みこと》は日頃《ひごろ》の、あの雄々《おお》しい御気性《ごきしょう》とて「何《な》んの愚《おろ》かなこと!」とただ一言《ごん》に打《う》ち消《け》して了《しま》われましたが、ただいかにしても打《う》ち消《け》し得《え》ないのは、いつまでも私《わたくし》の耳《みみ》にきこゆるあの不思議《ふしぎ》の囁《ささや》きでございました。私《わたくし》はとうとう一存《ぞん》で、神様《かみさま》にお縋《すが》りしました。「命《みこと》は御国《みくに》にとりてかけがえのない、大切《だいじ》の御身《おみ》の上《うえ》……何卒《なにとぞ》この数《かず》ならぬ女《おんな》の生命《いのち》を以《もっ》て命《みこと》の御生命《おんいのち》にかえさせ玉《たま》え……。」二度《ど》、三度《ど》この祈《いの》りを繰《く》りかえして居《い》る内《うち》に、私《わたくし》の胸《むね》には年来《ねんらい》の命《みこと》の御情思《おんなさけ》がこみあげて、私《わたくし》の両眼《りょうがん》からは涙《なみだ》が滝《たき》のように溢《あふ》れました。一首《しゅ》の歌《うた》が自《おの》ずと私《わたくし》の口《くち》を突《つ》いて出《で》たのもその時《とき》でございます。真嶺《さね》刺《さ》し、相摸《さがむ》の小野《おの》に、燃《も》ゆる火《ひ》の、火中《ほなか》に立《た》ちて、問《と》いし君《きみ》はも……。
『右《みぎ》の歌《うた》を歌《うた》い終《おわ》ると共《とも》に、いつしか私《わたくし》の躯《からだ》は荒《あ》れ狂《くる》う波間《なみま》に跳《おど》って居《お》りました、その時《とき》ちらと拝《はい》したわが君《きみ》のはっと愕《おどろ》かれた御面影《おんおもかげ》――それが現世《げんせ》での見納《みおさ》めでございました。』
× × × ×
橘姫《たちばなひめ》の御物語《おんものがたり》は一《ひ》と先《ま》ずこれにて打《う》ち切《き》りといたしますが、ただ私《わたくし》として、ちょっとここで申添《もうしそ》えて置《お》きたいと思《おも》いますのは、海神《かいじん》の怒《いか》りの件《けん》でございます。大和武尊《やまとたけるのみこと》さまのような、あんな御立派《ごりっぱ》なお方《かた》が、何故《なぜ》なれば海神《かいじん》の怒《いか》りを買《か》われたか?――これは恐《おそ》らくどなたも御不審《ごふしん》の点《てん》かと存《ぞん》じまするが、実《じつ》は私《わたくし》もこれにつきて、指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんにその訳《わけ》を伺《うかが》ったことがあるのでございます。その時《とき》お爺《じい》さんは斯《こ》う答《こた》えられました。――
『それは斯《こ》ういう次第《しだい》じゃ。すべて物《もの》には表《おもて》と裏《うら》とがある。命《みこと》が日本国《にほんこく》にとりて並《なら》びなき大恩人《だいおんじん》であることはいうまでもなけれど、しかし殺《ころ》された賊徒《ぞくと》の身《み》になって見《み》れば、命《みこと》ほど、世《よ》にも憎《にく》いものはない。命《みこと》の手《て》にかかって滅《ほろ》ぼされた賊徒《ぞくと》の数《かず》は何万《なんまん》とも知《し》れぬ。で、それ等《ら》が一団《だん》の怨霊《おんりょう》となって隙《すき》を窺《うかが》い、たまたま心《こころ》よからぬ海神《かいじん》の援《たすけ》けを獲《え》て、あんな稀有《けう》の暴風雨《あらし》をまき起《おこ》したのじゃ。あれは人霊《じんれい》のみでできる仕業《しわざ》でなく、又《また》海神《かいじん》のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたま斯《こ》うした二《ふた》つの力《ちから》が合致《がっち》したればこそ、あのような災難《さいなん》が急《きゅう》に降《ふ》って湧《わ》いたのじゃ。当時《とうじ》の橘姫《たちばなひめ》にはもとよりそうした詳《くわ》しい事情《じじょう》の判《わか》ろう筈《はず》もない。姫《ひめ》があれをただ海神《かいじん》の怒《いか》りとのみ感《かん》じたのはいささか間違《まちが》って居《い》るが、それはそうとして、あの場合《ばあい》の姫《ひめ》の心胸《むね》にはまことに涙《なみだ》ぐましい真剣《しんけん》さが宿《やど》っていた。あれほどの真心《まごころ》が何《なん》ですぐ神々《かみがみ》の御胸《みむね》に通《つう》ぜぬことがあろう。それが通《つう》じたればこそ大和武尊《やまとたけるのみこと》には無事《ぶじ》に、あの災難《さいなん》を切《き》りぬけることが出来《でき》たのじゃ。橘姫《たちばなひめ》は矢張《やは》り稀《まれ》に見《み》るすぐれた御方《おかた》じゃ。』
私《わたくし》はこの説明《せつめい》が果《はた》してすべてを尽《つく》しているか否《いな》かは存《ぞん》じませぬ。ただ皆《みな》さまの御参考《ごさんこう》までに、私《わたくし》の伺《うかが》ったところを附《つ》け加《くわ》えて置《お》くだけでございます。
四十二、天狗界探検
あまり面会談《めんかいだん》ばかりつづいたようでございますから、今度《こんど》は少《すこ》し模様《もよう》をかえて、その頃《ころ》修行《しゅぎょう》の為《た》めに私《わたくし》がこちらで探検《たんけん》に参《まい》りました、珍《めず》らしい境地《ところ》のお話《はなし》をすることにいたしましょう。こちらの世界《せかい》には、現世《げんせ》とは全《まった》く異《ちが》った、それはそれは変《かわ》ったものが住《す》んで居《い》るところがあるのでございます。それがあまりにも飛《と》び離《はな》れ過《す》ぎていますので、あなた方《がた》は事《こと》によると半信半疑《はんしんはんぎ》、よもやとお考《かんが》えになられるか存《ぞん》じませぬが、これが事実《じじつ》であって見《み》れば、自分《じぶん》の考《かんがえ》で勝手《かって》に手加減《てかげん》を加《くわ》える訳《わけ》にもまいりませぬ。あなた方《がた》がそれを受《う》け入《い》れるか、入《い》れないかは全《まった》く別《べつ》として、兎《と》も角《かく》も私《わたくし》の眼《め》に映《えい》じたままを率直《あからさま》に述《の》べて見《み》ることに致《いた》します。
『今日《きょう》は天狗《てんぐ》の修行場《しゅぎょうば》に連《つ》れて行《ゆ》く……。』
ある日《ひ》例《れい》の指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが私《わたくし》にそう言《い》われます。私《わたくし》には天狗《てんぐ》などというものを別《べつ》に見《み》たいという考《かんがえ》もないのでございましたが、それが修行《しゅぎょう》の為《た》めとあればお断《ことわ》りするのもドーかと思《おも》い、浮《う》かぬ気分《きぶん》で、黙《だま》ってお爺《じい》さんの後《あと》について、山《やま》の修行場《しゅぎょうば》を出掛《でか》けました。
いつもとは異《こと》なり、その日《ひ》は修行場《しゅぎょうば》の裏山《うらやま》から、奥《おく》へ奥《おく》へ奥《おく》へとどこまでも険阻《けんそ》な山路《やまみち》を分《わ》け入《い》りました。こちらの世界《せかい》では、どんな山坂《やまさか》を登《のぼ》り降《くだ》りしても格別《かくべつ》疲労《ひろう》は感《かん》じませぬが、しかし何《なに》やらシーンと底冷《そこび》えのする空気《くうき》に、私《わたくし》は覚《おぼ》えず総毛立《そうげだ》って、躯《からだ》がすくむように感《かん》じました。
『お爺《じい》さま、ここはよほどの深山《しんざん》なのでございましょう……私《わたくし》はぞくぞくしてまいりました……。』
『寒《さむ》く感《かん》ずるのは山《やま》が深《ふか》いからではない。ここはもうそろそろ天狗界《てんぐかい》に近《ちか》いので、一帯《たい》の[#「一帯の」は底本では「一体の」]空気《くうき》が自《おの》ずと異《ちが》って来《き》たのじゃ。大体《だいたい》天狗界《てんぐかい》は女人禁制《にょにんきんせい》の場所《ばしょ》であるから汝《そち》にはあまり気持《きもち》が宜《よろ》しくあるまい……。』
『よもや天狗《てんぐ》さんが怒《おこ》って私《わたくし》を浚《さら》って行《ゆ》くようなことはございますまい……。』
『その心配《しんぱい》は要《い》らぬ。今日《きょう》は神界《しんかい》からのお指図《さしず》を受《う》けて尋《たず》ねるのであるから、立派《りっぱ》なお客様扱《きゃくさまあつか》いを受《う》けるであろう。二度《ど》と斯《こ》うした所《ところ》に来《く》ることもあるまいから、よくよく気《き》をつけて天狗界《てんぐかい》の状況《ようす》をさぐり、又《また》不審《ふしん》の点《てん》があったら遠慮《えんりょ》なく天狗《てんぐ》の頭目《かしら》に訊《たず》ねて置《お》くがよいであろう……。』
やがて古《ふる》い古《ふる》い杉《すぎ》木立《こだち》がぎっしりと全山《ぜんざん》を蔽《おお》いつくして、昼《ひる》尚《な》お暗《くら》い、とてもものすごい所《ところ》へさしかかりました。私《わたくし》はますます全身《ぜんしん》に寒気《さむけ》を感《かん》じ、心《こころ》の中《うち》では逃《に》げて帰《かえ》りたい位《くらい》に思《おも》いましたが、それでもお爺《じい》さんが一向《こう》平気《へいき》でズンズン足《あし》を運《はこ》びますので、漸《やっ》との思《おも》いでついて参《まい》りますと、いつしか一軒《けん》の家屋《かおく》の前《まえ》へ出《で》ました。それは丸太《まるた》を切《き》り組《く》んで出来《でき》た、やっと雨露《うろ》を凌《しの》ぐだけの、極《きわ》めてざっとした破屋《あばらや》で、広《ひろ》さは畳《たたみ》ならば二十畳《じょう》は敷《し》ける位《くらい》でございましょう。が、もちろん畳《たたみ》は敷《し》いてなく、ただ荒削《あらけず》りの厚板張《あついたば》りになって居《お》りました。
『ここが天狗《てんぐ》の道場《どうじょう》じゃ。人間《にんげん》の世界《せかい》の剣術道場《けんじゅつどうじょう》によく似《に》て居《い》るであろうが……。』
そんなことを言《い》ってお爺《じい》さんは私《わたくし》を促《うなが》して右《みぎ》の道場《どうじょう》へ歩《あゆ》み入《い》りました。
と見《み》ると、室内《しつない》には白衣《びゃくい》を着《き》た五十余《よ》歳《さい》と思《おも》わるる一人《ひとり》の修験者《しゅけんじゃ》らしい人物《じんぶつ》が居《い》て、鄭重《ていちょう》に腰《こし》をかがめて私達《わたくしたち》を迎《むか》えました。
『良《よ》うこそ……。かねてのお達《たっ》しで、あなた方《がた》のお出《い》でをお待《ま》ち受《う》けして居《お》りました。』
私《わたくし》は直《ただ》ちにこれが天狗《てんぐ》さんの頭目《かしら》であるな、と悟《さと》りましたが、かねて想像《そうぞう》して居《い》たのとは異《ちが》って、格別《かくべつ》鼻《はな》が高《たか》い訳《わけ》でもなく、ただ体格《たいかく》が普通人《ふつうじん》より少《すこ》し大《おお》きく、又《また》眼《め》の色《いろ》が人《ひと》を射《い》るように強《つよ》い位《くらい》の相違《そうい》で、そしてその総髪《そうはつ》にした頭《あたま》の上《うえ》には例《れい》の兜巾《ときん》がチョコンと載《の》って居《お》りました。
『女人禁制《にょにんきんせい》の土地柄《とちがら》、格別《かくべつ》のおもてなしとてでき申《もう》さぬ。ただいささか人間離《にんげんばな》れのした、一風《ぷう》変《かわ》っているところがこの世界《せかい》の御馳走《ごちそう》で……。』
案外《あんがい》にさばけた挨拶《あいさつ》をして、笑顔《えがお》を見《み》せてくれましたので、私《わたくし》も大《たい》へんに心《こころ》が落《おち》つき、天狗《てんぐ》さんというものは割合《わりあい》にやさしい所《ところ》もあるものだと悟《さと》りました。
『今日《こんにち》はとんだお邪魔《じゃま》を致《いた》しまする。では御免遊《ごめんあそ》ばしませ……。』
私《わたくし》は履物《はきもの》を脱《ぬ》いで、とうとう天狗《てんぐ》さんの道場《どうじょう》に上《あが》り込《こ》んで了《しま》いました。
四十三、天狗の力業
斯《こ》んな風《ふう》に物語《ものがた》ると、すべてがいかにも人間界《にんげんかい》の出来事《できごと》のように見《み》えて、をかしなものでございますが、もちろんこの天狗《てんぐ》さんは、私達《わたくしたち》に見《み》せる為《た》めに、態《わざ》と人間《にんげん》の姿《すがた》に化《ば》けて、そして人間《にんげん》らしい挨拶《あいさつ》をして居《い》たのでございます。道場《どうじょう》だって同《おな》じこと、天狗《てんぐ》さんに有形《ゆうけい》の道場《どうじょう》は要《い》らない筈《はず》でございますが、種《たね》がなくては掴《つか》まえどころがなさ過《す》ぎますから、人間界《にんげんかい》の剣術《けんじゅつ》の道場《どうじょう》のようなものを仮《か》りに造《つく》り上《あ》げて私達《わたくしたち》に見《み》せたのでございましょう。すべて天狗《てんぐ》に限《かぎ》らず、幽界《ゆうかい》の住人《じゅうにん》は化《ばけ》るのが上手《じょうず》でございますから、あなた方《がた》も何卒《どうぞ》そのおつもりで、私《わたくし》の物語《ものがたり》をきいて戴《いただ》き度《と》う存《ぞん》じます。さもないと、すべてが一篇《ぺん》のお伽噺《とぎばなし》のように見《み》えて、さっぱり値打《ねうち》がないものになりそうでございます。
それはそうと、私達《わたくしたち》がその時《とき》面会《めんかい》した天狗《てんぐ》さんの頭目《かしら》というのは、仲間《なかま》でもなかなか力《ちから》のある傑物《えらもの》だそうでございまして、お爺《じい》さんが何《なに》か一《ひと》つ不思議《ふしぎ》な事《こと》を見《み》せてくれと依《たの》みますと、早速《さっそく》二《ふた》つ返事《へんじ》で承諾《しょうだく》してくれました。
『われわれの芸《げい》と申《もう》すは先《ま》ずざっと斯《こ》んなもので……。』
言《い》うより早《はや》く天狗《てんぐ》さんは電光《いなづま》のように道場《どうじょう》から飛《と》び出《だ》したと思《おも》う間《ま》もなく、忽《たちま》ちするすると庭前《ていぜん》に聳《そび》えている、一本《ぽん》の杉《すぎ》の大木《たいぼく》に駆《か》け上《あが》りました。それは丁度《ちょうど》人間《にんげん》が平地《へいち》を駆《か》けると同《おな》じく、指端《ゆびさき》一《ひと》つ触《ふ》れずに、大木《たいぼく》の幹《みき》をば蹴《け》って、空《そら》へ向《む》けて駆《か》け上《あが》るのでございますが、その迅《はや》さ、見事《みごと》さ、とても筆《ふで》や言葉《ことば》につくせる訳《わけ》のものではありませぬ。私《わたくし》は覚《おぼ》えず坐席《ざせき》から立《た》ち上《あが》って、呆《あき》れて上方《うえ》を見上《みあ》げましたが、その時《とき》はモー天狗《てんぐ》さんの姿《すがた》が頂辺《てっぺん》の枝《えだ》の茂《しげ》みの中《なか》に隠《かく》れて了《しま》って、どこに居《い》るやら判《わか》らなくなって居《い》ました。
と、やがて梢《こずえ》の方《ほう》で、バリバリという高《たか》い音《おと》が致《いた》します。
『木《き》の枝《えだ》を折《お》っているナ……。』
お爺《じい》さんがそう言《い》われている中《うち》に、天狗《てんぐ》さんは直径《ちょくけい》一尺《いっしゃく》もありそうな、長《なが》い大《おお》きな杉《すぎ》の枝《えだ》を片手《かたて》にして、二三十丈《じょう》の虚空《こくう》から、ヒラリと身《み》を躍《おど》らして私《わたくし》の見《み》ている、すぐ眼《め》の前《まえ》に降《お》り立《た》ちました。
『いかがでござる……人間《にんげん》よりも些《ち》と腕《うで》ぶしが強《つよ》いでござろうが……。』
いとど得意《とくい》な面持《おももち》で天狗《てんぐ》さんはそう言《い》って、つづいて手《て》にせる枝《えだ》をば、あたかもそれが芋殻《いもがら》でもあるかのように、片端《かたっぱし》からいき|《むし》っては棄《す》て、引《ひ》き|
《むし》っては棄《す》て、すっかり粉々《こなごな》にして了《しま》いました。
が、私《わたくし》としては天狗《てんぐ》さんの力量《りきりょう》に驚《おどろ》くよりも、寧《む》しろその飽《あ》くまで天真爛漫《てんしんらんまん》な無邪気《むじゃき》さに感服《かんぷく》して了《しま》いました。
『あんな鹿爪《しかつめ》らしい顔《かお》をしているくせに、その心《こころ》の中《なか》は何《なん》という可愛《かわい》いものであろう! これなら神様《かみさま》のお使者《つかい》としてお役《やく》に立《た》つ筈《はず》じゃ……。』
私《わたくし》は心《こころ》の裡《うち》でそんなことを考《かんが》えました。私《わたくし》が天狗《てんぐ》さんを好《す》きになったのは全《まった》くこの時《とき》からでございます。尤《もっと》も天狗《てんぐ》と申《もう》しましても、それには矢張《やは》り沢山《たくさん》の階段《かいだん》があり、質《たち》のよくない、修行《しゅぎょう》未熟《みじゅく》の野天狗《のてんぐ》などになると、神様《かみさま》の御用《ごよう》どころか、つまらぬ人間《にんげん》を玩具《おもちゃ》にして、どんなに悪戯《いたずら》をするか知《し》れませぬ。そんなのは私《わたくし》としても勿論《もちろん》大嫌《だいきら》いで、皆様《みなさま》も成《な》るべくそんな悪性《あくせい》の天狗《てんぐ》にはかかり合《あ》われぬことを心《こころ》からお願《ねが》い致《いた》します。が、困《こま》ったことに、私《わたくし》どもがこちらから人間《にんげん》の世界《せかい》を覗《のぞ》きますと、つまらぬ野天狗《のてんぐ》の捕虜《とりこ》になっている方々《かたがた》が随分《ずいぶん》沢山《たくさん》居《お》られますようで……。大《おお》きなお世話《せわ》かは存《ぞん》じませぬが、私《わたくし》は蔭《かげ》ながら皆様《みなさま》の為《た》めに心《こころ》を痛《いた》めて[#「痛めて」は底本では「痛めで」]居《お》るのでございます。くれぐれも天狗《てんぐ》とお交際《つきあい》になるなら、できるだけ強《つよ》い、正《ただ》しい、立派《りっぱ》な天狗《てんぐ》をお選《えら》びなさいませ。まごころから神様《かみさま》にお願《ねが》いすれば、きっとすぐれたのをお世話《せわ》して下《くだ》さるものと存《ぞん》じます……。
四十四、天狗の性来
さてこの天狗《てんぐ》と申《もう》すものの性来《せいらい》――これはどこまで行《い》っても私《わたくし》どもには一《ひと》つの大《おお》きな謎《なぞ》で、査《しら》べれば査《しら》べるほど腑《ふ》に落《お》ちなくなるようなところがございます。兎《と》も角《かく》、私《わたくし》があの時《とき》、天狗《てんぐ》の頭目《かしら》に就《つ》いて問《と》いただしたところに基《もとづ》き、ざっとそのお話《はな》しを致《いた》して見《み》ることにしましょう。
先《ま》ず天狗《てんぐ》の姿《すがた》から申《もう》し上《あ》げましょう。前《まえ》にものべた通《とお》り、天狗《てんぐ》は時《とき》と場合《ばあい》で、人間《にんげん》その他《た》いろいろなものの姿《すがた》に上手《じょうず》に化《ば》けます。かく申《もう》す私《わたくし》なども最初《さいしょ》はうっかりその手《て》に乗《の》せられましたもので……。しかし近頃《ちかごろ》ではもうそんな拙《へた》な真似《まね》はいたしません。天狗《てんぐ》がどんな立派《りっぱ》な姿《すがた》に化《ば》けていても、すぐその正体《しょうたい》を看破《かんぱ》して了《しま》います。大体《だいたい》に於《おい》て申《もう》しますと、天狗《てんぐ》の正体《しょうたい》は人間《にんげん》よりは少《すこ》し大《おお》きく、そして人間《にんげん》よりは寧《むし》ろ獣《けもの》に似《に》て居《お》り、普通《ふつう》全身《ぜんしん》が毛《け》だらけでございます。天狗《てんぐ》の中《なか》のごくごく上等《じょうとう》のもののみが人間《にんげん》に近《ちか》い姿《すがた》をして居《お》りますようで……。
但《ただ》しこれは姿《すがた》のある天狗《てんぐ》に就《つ》いて申《もう》したのでございます。天狗《てんぐ》の中《なか》には姿《すがた》を有《も》たないのもございます。それは青味《あおみ》がかった丸《まる》い魂《たま》で、直径《ちょくけい》は三寸《ずん》位《くらい》でございましょうか。現《げん》に私《わたくし》どもが天狗界《てんぐかい》の修行場《しゅぎょうば》に居《お》った時《とき》にも、三つ四つ樹《き》の枝《えだ》にひっついて光《ひか》って居《お》りました。
『あれはモーすっかり修行《しゅぎょう》が積《つ》んで、姿《すがた》を棄《す》てた天狗達《てんぐたち》でござる……。』
天狗《てんぐ》の頭目《かしら》はそう私《わたくし》に説明《せつめい》してくれました。
天狗《てんぐ》の姿《すがた》も不思議《ふしぎ》でございますが、その生立《おいたち》は一層《そう》不思議《ふしぎ》でございます。天狗《てんぐ》には別《べつ》に両親《りょうしん》というものがなく、人間《にんげん》が地上《ちじょう》に発生《はっせい》した、遠《とお》い遠《とお》い原始時代《げんしじだい》に、斯《こ》ういうものも必要《ひつよう》であろうという神様《かみさま》の思召《おぼしめし》で言《い》わば一種《しゅ》の副産物《ふくさんぶつ》として生《うま》れたものだと申《もう》すことでございます。天狗《てんぐ》の頭目《かしら》も『自分達《じぶんたち》は人間《にんげん》になり切《き》れなかった魂《たましい》でござる……。』と、あっさり告白《こくはく》して居《お》りました。私《わたくし》はそれをきいた時《とき》に、何《なに》やら天狗《てんぐ》さんに対《たい》して気《き》の毒《どく》に感《かん》じられたのでございました。
兎《と》も角《かく》も斯《こ》んな手続《てつづ》きで生《うま》れたのでございますから、天狗《てんぐ》というものは全部《ぜんぶ》中性《ちゅうせい》……つまり男性《だんせい》でも、又《また》女性《じょせい》でもないのでございます。これでは天狗《てんぐ》の気持《きもち》が容易《ようい》に人間《にんげん》にのみ込《こ》めない筈《はず》でございます。人間《にんげん》の世界《せかい》は、主従《しゅじゅう》、親子《おやこ》、夫婦《ふうふ》、兄弟《きょうだい》、姉妹等《しまいなど》の複雑《こみい》った関係《かんけい》で[#「関係で」は底本では「関係て」]、色《いろ》とりどりの綾模様《あやもよう》を織《お》り出《だ》して居《お》りますが、天狗《てんぐ》の世界《せかい》はそれに引《ひ》きかえて、どんなにも一本《ぽん》調子《ちょうし》、又《また》どんなにも殺風景《さっぷうけい》なことでございましょう。天狗《てんぐ》の生活《せいかつ》に比《くら》べたら、女人禁制《にょにんきんせい》の禅寺《ぜんでら》、男子禁制《だんしきんせい》の尼寺《あまでら》の生活《せいかつ》でも、まだどんなにも人情味《にんじょうみ》たっぷりなものがありましょう。『全《まった》く不思議《ふしぎ》な世界《せかい》があればあるもの……。』私《わたくし》はつくづくそう感《かん》じたのでございました。
斯《か》く天狗《てんぐ》は本来《ほんらい》中性《ちゅうせい》ではありますが、しかし性質《せいしつ》からいえば、非常《ひじょう》に男《おとこ》らしく武張《ぶば》ったのと、又《また》非常《ひじょう》に女《おんな》らしく優《や》さしいのとの区別《くべつ》があり、化《ばけ》る姿《すがた》もそれに準《じゅん》じて、或《あるい》は男《おとこ》になったり、或《あるい》は女《おんな》になったりするとのことでございます。日本《にっぽん》と申《もう》す国《くに》は古来《こらい》尚武《しょうぶ》の気性《きしょう》に富《と》んだお国柄《くにがら》である為《た》め、武芸《ぶげい》、偵察《ていさつ》、戦争《いくさ》の駈引等《かけひきとう》にすぐれた、つまり男性的《だんせいてき》の天狗《てんぐ》さんは殆《ほと》んど全部《ぜんぶ》この国《くに》に集《あつま》って了《しま》い、いざとなれば目覚《めざ》ましい働《はたら》きをしてくれますので、その点《てん》大《たい》そう結構《けっこう》でございますが、ただ愛《あい》とか、慈悲《じひ》とか言《い》ったような、優《や》さしい女性式《じょせいしき》の天狗《てんぐ》は、あまりこの国《くに》には現《あら》われず、大部分《だいぶぶん》外国《がいこく》の方《ほう》へ行《い》って了《しま》っているようでございます。西洋《せいよう》の人《ひと》が申《もう》す天使《てんし》――あれにはいろいろ等差《とうさ》があり、偶《たま》には高級《こうきゅう》の自然霊《しぜんれい》を指《さ》している場合《ばあい》もありますが、しかしちょいちょい病床《びょうしょう》に現《あら》われたとか、画家《えかき》の眼《め》に映《うつ》ったとかいうのは、大《たい》てい女性化《じょせいか》した天狗《てんぐ》さんのようでございます。
大体《だいたい》天狗《てんぐ》の働《はたら》きはそう大《おお》きいものではないらしく、普通《ふつう》は人間《にんげん》に憑《かか》って小手先《こてさ》きの仕事《しごと》をするのが何《なに》より得意《とくい》だと申《もう》すことでございます。偶《たま》には局部的《きょくぶてき》の風位《かぜくらい》は起《おこ》せても、大《おお》きな自然現象《しぜんげんしょう》は大抵《たいてい》皆《みな》竜神《りゅうじん》さんの受持《うけもち》にかかり、とても天狗《てんぐ》にはその真似《まね》ができないと申《もう》すことでございます。
最後《さいご》に私《わたくし》があの時《とき》天狗《てんぐ》さんの頭目《かしら》からきかされた、人浚《ひとさら》いの秘伝《ひでん》をお伝《つた》えして置《お》きましょう。
『人《ひと》を浚《さら》うということが本当《ほんとう》にできるものでございますか?』
そう私《わたくし》が訊《たず》ねますと、天狗《てんぐ》の頭目《かしら》はいとど得意《とくい》の面持《おももち》で、斯《こ》んな風《ふう》に説明《せつめい》してくれたのでした。――
『あれは本当《ほんとう》といえば本当《ほんとう》、ゴマカシといえばゴマカシでござる。われわれは肉体《にくたい》ぐるみ人間《にんげん》を遠方《えんぽう》へ連《つ》れて行《ゆ》くことはめったにござらぬ。肉体《にくたい》は通例《つうれい》附近《ふきん》の森蔭《もりかげ》や神社《やしろ》の床下《ゆかした》などに隠《かく》し置《お》き、ただ引《ひ》き抽《ぬ》いた魂《たましい》のみを遠方《えんぽう》に連《つ》れ出《だ》すものでござる。人間《にんげん》というものは案外《あんがい》感《かん》じの鈍《にぶ》いもので、自分《じぶん》の魂《たましい》が体《からだ》から出《で》たり、入《はい》ったりすることに気《き》づかず、魂《たましい》のみで経験《けいけん》したことを、宛《あた》かも肉体《にくたい》ぐるみ実地《じっち》に見聞《けんぶん》したように勘違《かんちが》いして、得意《とくい》になって居《い》るもので……。側《わき》でそれを見《み》るのはよほど滑稽《こっけい》な感《かん》じがするものでござる……。』
四十五、竜神の修行場
天狗界《てんぐかい》の探検《たんけん》に引《ひ》きつづいて、私《わたくし》は指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんから、竜神《りゅうじん》の修行場《しゅぎょうば》の探検《たんけん》を命《めい》ぜられました。――
『いつかは竜宮界《りゅうぐうかい》への道《みち》すがら、ちょっと竜神《りゅうじん》の修行場《しゅぎょうば》をのぞかしたこともあるが、あれではあまりにあっけなかった。もう一度《ど》汝《そち》を彼所《かしこ》へ連《つ》れて行《ゆ》くとしょう。あの修行場《しゅぎょうば》には一人《ひとり》の老練《ろうれん》な監督者《かんとくしゃ》が居《い》るから、不審《ふしん》の点《てん》は何《なに》なりとそれに訊《たず》ねるがよい。』
『そのお方《かた》も矢張《やは》り竜神《りゅうじん》さんでございますか……。』
『無論《むろん》そうじゃ。が、俺《わし》と同様《どうよう》、人間《にんげん》と面会《めんかい》する時《とき》は人間《にんげん》の姿《すがた》に化《ばけ》けて居《い》る……。』
一度《ど》行《い》ったことのある境地《ところ》でございますから、道中《どうちゅう》の見物《けんぶつ》は一切《いっさい》ヌキにして、私達《わたくしたち》は一《ひ》と思《おも》いに、あのものすごい竜神《りゅうじん》の湖水《こすい》の辺《ほとり》へ出《で》て了《しま》いました。こちらの世界《せかい》では遅《おそ》く歩《ある》くも、速《はや》く歩《ある》くも、すべて自分《じぶん》の勝手《かって》で、そこはまことに便利《べんり》でございます。
と見《み》ると、水辺《すいえん》の、とある巨大《おおき》な巌《いわ》の上《うえ》には六十前後《ぜんご》と見《み》ゆる、一人《ひとり》の老人《ろうじん》が、佇《たたず》んで私達《わたくしたち》の来《く》るのを待《ま》って居《お》りました。服装《みなり》その他《ほか》大体《だいたい》は私《わたくし》の案内役《あんないやく》のお爺《じい》さんに似《に》たり寄《よ》ったり、ただいくらか肉附《にくづ》きがよく、年輩《ねんぱい》も二つ三つ若《わか》いように見《み》えました。それが監督《かんとく》の竜神《りゅうじん》さんであることはここに断《ことわ》るまでもありますまい。
一応《おう》簡単《かんたん》な挨拶《あいさつ》を済《す》ませてから、私《わたくし》は早速《さっそく》右《みぎ》の監督《かんとく》のお爺《じい》さんに話《はなし》かけました。――
『修行場《しゅぎょうば》の模様《もよう》はいつか拝見《はいけん》させて戴《いただ》きましたので、今日《きょう》はむしろ竜神《りゅうじん》さんの生活《せいかつ》につきて、いろいろ腑《ふ》に落《お》ちかねる点《てん》を伺《うかが》いたいのでございますが……。』
『何《なに》なりと訊《たず》ねて貰《もら》います。研究《けんきゅう》の為《た》めとあれば、俺《わし》の方《ほう》でもそのつもりで、差支《さしつかえ》なき限《かぎ》り何《なに》も彼《か》も打《う》ち明《あ》けて話《はな》すことにしましょう。竜神《りゅうじん》の世界《せかい》は人間界《にんげんかい》とは大分《だいぶ》に勝手《かって》が異《ちが》うから、訊く方《ほう》でも成《な》るべくまごつかぬように……。』
あっさりとさばけた態度《たいど》で、そう言《い》われましたので、私《わたくし》の方《ほう》でもすっかり安心《あんしん》して、思《おも》い浮《うか》ぶまま無遠慮《ぶえんりょ》にいろいろな事《こと》をおききしました、その時《とき》の問答《もんどう》の全部《ぜんぶ》をここでお伝《つた》えする訳《わけ》にもまいり兼《か》ねますが、ただあなた方《がた》の御参考《ごさんこう》になりそうな個所《ところ》は、成《な》るべく洩《もれ》なく拾《ひろ》い出《だ》しましょう。
問『竜神《りゅうじん》の子供《こども》は現在《げんざい》でも矢張《やは》り生《うま》れているのでございますか?』
答『人間《にんげん》の世界《せかい》で子供《こども》が生《うま》れるように、こちらでもズンズン殖《ふ》えます……。』
問『生《うま》れたての若《わか》い竜神《りゅうじん》の躯《からだ》はどんな躯《からだ》でございますか?』
答『別《べつ》に変《かわ》った躯《からだ》でもないが、しかし人間《にんげん》からいえばつまり一の幽体《ゆうたい》、もちろん肉眼《にくがん》で見《み》ることはできぬ。大《おおき》さは普通《ふつう》三尺《じゃく》もあろうか……しかし伸縮《しんしゅく》は自由自在《じゆうじざい》であるから、言《い》わば大《おおき》さが有《あ》って無《な》いようなものじゃ……。』
問『蛇《へび》とは何《ど》う異《ちが》いますか?』
答『蛇《へび》はもともと地上《ちじょう》の下級動物《かきゅうどうぶつ》、形《かたち》も、性質《せいしつ》も、資格《しかく》も竜神《りゅうじん》とは全《まった》く別物《べつもの》じゃ。蛇《へび》がいかに功労《こうろう》経《へ》たところで竜神《りゅうじん》になれる訳《わけ》のものでない……。』
問『竜神《りゅうじん》さんは矢張《やは》り人間《にんげん》の御先祖《ごせんぞ》なのでございますか?』
答『左様《さよう》、先祖《せんぞ》といえば先祖《せんぞ》であるが、寧《むし》ろ人間《にんげん》の遠祖《えんそ》、人間《にんげん》の創造者《つくりぬし》と言《い》ったがよいであろう。つまり竜神《りゅうじん》がそのまま人間《にんげん》に変化《へんげ》したのではない。竜神《りゅうじん》がその分霊《ぶんれい》を地上《ちじょう》に降《くだ》して、ここに人類《じんるい》という、一《ひと》つの新《あた》らしい生物《いきもの》を造《つく》り出《だ》したのじゃ。』
問『只今《ただいま》でも竜神《りゅうじん》さんはそう言《い》ったお仕事《しごと》をなさいますか?』
答『イヤこれは最初《さいしょ》人類《じんるい》を創造《つく》り出《だ》す時《とき》の、ごく遠《とお》い大古《たいこ》の神業《かみわざ》であって、今日《こんにち》では最早《もはや》[#「最早」は底本では「最早や」]その必要《ひつよう》はなくなった。そなたも知《し》るとおり人間《にんげん》の男女《だんじょ》は立派《りっぱ》に人間《にんげん》の子《こ》を生《う》んで居《い》るであろうが……。』
そう言《い》ってお爺《じい》さんはにっこりともせず、正面《しょうめん》から私《わたくし》に鋭《するど》い一瞥《いちべつ》を与《あた》えられました。
四十六、竜神の生活
私《わたくし》はひるまず質問《しつもん》をつづけました。――
問『竜神《りゅうじん》にも人間《にんげん》のように死《し》ぬことがございますか?』
答『人間界《にんげんかい》にて考《かんが》えているような、所謂《いわゆる》死《し》というものはもちろんない。あれは物質《ぶっしつ》の世界《せかい》のみに起《おこ》る、一《ひと》つのうるさい手続《てつづき》なのじゃ。――が、竜神《りゅうじん》の躯《からだ》にも一《ひと》つの変化《へんか》が起《おこ》るのは事実《じじつ》である。そなたも知《し》る蛇《へび》の脱殻《ぬけがら》――丁度《ちょうど》あれに似《に》た薄《うす》い薄《うす》い皮《かわ》が、竜神《りゅうじん》の躯《からだ》から脱《ぬ》けて落《お》ちるのじゃ。竜神《りゅうじん》は通例《つうれい》しッとりした沼地《ぬまち》のような所《ところ》でその皮《かわ》を脱《ぬ》ぎすてる……。』
問『竜神《りゅうじん》さんの分霊《ぶんれい》が人体《じんたい》に宿《やど》ることは、今日《きょう》では絶対《ぜったい》に無《な》いのでございますか?』
答『竜神《りゅうじん》の分霊《ぶんれい》が直接《ちょくせつ》人体《じんたい》に宿《やど》って、人間《にんげん》として生《うま》れるということは絶対《ぜったい》にないと言《い》ってよい……。が、一人《ひとり》の幼児《おさなご》が母胎《ぼたい》に宿《やど》った時《とき》に、同一系統《どういつけいとう》の竜神《りゅうじん》がその幼児《おさなご》の守護霊《しゅごれい》又《また》は司配霊《しはいれい》として働《はたら》くことは決《けっ》して珍《めず》らしいことでもない。それが竜神《りゅうじん》として大切《たいせつ》な修業《しゅぎょう》の一《ひと》つでもあるのじゃ……。』
問『竜神《りゅうじん》にも成年期《せいねんき》がございますか[#「ございますか」は底本では「ございまか」]。』
答『それはある。竜神《りゅうじん》とて修行《しゅぎょう》を積《つ》まねば一人前《いちにんまえ》にはなれない……。』
問『大体《だいたい》成年期《せいねんき》は何歳位《いくつぐらい》でございますか?』
答『これはいかにも無理《むり》な質問《とい》じゃ。本来《ほんらい》こちらの世界《せかい》に年齢《ねんれい》はないのじゃから……。が、人間《にんげん》の年齢《ねんれい》に直《なお》して見《み》たら、はっきりとは判《わか》らぬが、凡《およそ》そ五六百年位《ねんぐらい》のところであろうか……。』
問『矢張《やは》り人間《にんげん》のように婚礼《こんれい》の式《しき》などもございますもので……。』
答『人間界《にんげんかい》の儀式《ぎしき》とは異《ちが》うが、矢張《やは》り夫婦《めおと》になる時《とき》には定《き》まった礼儀《れいぎ》があり、そして上《うえ》の竜神様《りゅうじんさま》からのお指図《さしず》を受《う》ける……。』
問『矢張《やは》り一夫《ぷ》一婦《ぷ》が規則《きそく》でございますか?』
答『無論《むろん》それが規則《きそく》じゃ。修行《しゅぎょう》の積《つ》んだ、高《たか》い竜神《りゅうじん》となれば、決《けっ》してこの規律《きりつ》に背《そむ》くようなことはせぬ。しかし乍《なが》ら霊格《れいかく》の低《ひく》い竜神《りゅうじん》の間《あいだ》にはそうのみも言《い》われぬ節《ふし》がある……。』
問『生《うま》れるのは矢張《やは》り一体《いったい》づつでございますか?』
答『一体《いったい》が普通《ふつう》じゃ、双生児《ふたご》などはめったにない……。』
問『お産《さん》ということもありますもので……。』
答『妊娠《にんしん》する以上《いじょう》お産《さん》もある。その際《さい》、女性《じょせい》の竜神《りゅうじん》は大抵《たいてい》どこかに姿《すがた》を隠《かく》すもので……。』
問『一対《つい》の夫婦《ふうふ》の間《あいだ》に生《うま》れる子供《こども》の数《かず》はどれ位《くらい》でございましょうか?』
答『それは判《わか》らぬ。通例《つうれい》よほど沢山《たくさん》で、幾人《いくにん》と勘定《かんじょう》はしかねるのじゃ。』
問『年齢《とし》を取《と》れば[#「取れば」は底本では「取れは」]矢張《やは》り子供《こども》を生《う》まぬようになるものでございますか?』
答『年齢《とし》を取《と》るからではない、浄化《じょうか》するから子供《こども》を生《う》まぬようになるのじゃ……。』
問『浄化《じょうか》したのと、浄化《じょうか》しないのとの区別《くべつ》は、何《ど》うして見分《みわ》けられますか? 矢張《やは》り色《いろ》でございますか?』
答『左様《さよう》、色《いろ》で一番《ばん》よく判《わか》る。最初《さいしょ》生《うま》れたての竜神《りゅうじん》は皆《みな》茶《ちゃ》ッぽい色《いろ》をして居《い》る。その次《つ》ぎは黒《くろ》、その黒味《くろみ》が次第《しだい》に薄《うす》れて消炭色《けしずみいろ》になり、そして蒼味《あおみ》が加《くわ》わって来《く》る。そなたも知《し》る通《とお》り、多《おお》く見受《みう》ける竜神《りゅうじん》は大《たい》てい蒼黒《あおぐろ》い色《いろ》をして居《お》るであろうが……。それが一段《だん》向上《こうじょう》すると浅黄色《あさぎいろ》になり、更《さら》に又《また》向上《こうじょう》すると、あらゆる色《いろ》が薄《うす》らいで了《しま》って、何《なん》ともいえぬ神々《こうごう》しい純白色《じゅんぱくしょく》になって来《く》る。白竜《はくりゅう》になるのには大《たい》へんな修行《しゅぎょう》、大《たい》へんな年代《ねんだい》を重《かさ》ねねばならぬ……。』
問『夫婦《めおと》になるのは大《たい》ていどの辺《へん》の色《いろ》でございますか?』
答『色《いろ》には拠《よ》らぬ。黒《くろ》は黒同志《くろどうし》で夫婦《めおと》になり、そしていつまで経《た》っても黒《くろ》が脱《ぬ》けないのも少《すくな》くない……。』
問『男女《だんじょ》の区別《くべつ》は主《おも》に何処《どこ》で判《わか》りますか?』
答『角《つの》が一番《ばん》の目標《めじるし》じゃ。角《つの》のあるのは男《おとこ》、角《つの》のないのは女《おんな》……。』
問『夫婦《めおと》の竜神《りゅうじん》は矢張《やは》り同棲《どうせい》するものでございますか?』
答『竜神《りゅうじん》にとりて、一緒《いっしょ》に棲《す》む、棲《す》まぬは問題《もんだい》でない。竜神《りゅうじん》の生活《せいかつ》は自由自在《じゆうじざい》、人間《にんげん》のように少《すこ》しも場所《ばしょ》などには縛《しば》られない。』
問『生《うま》れたばかりの子供《こども》は何《ど》うして居《お》りまするか?』
答『しばらくは母親《ははおや》の手元《てもと》に置《お》かれるが、やがて修業場《しゅぎょうば》の方《ほう》で引取《ひきと》るのじゃ。』
問『何《ど》ういう訳《わけ》で池《いけ》を修行場《しゅぎょうば》にしてあるのでございますか?』
答『池《いけ》は一種《しゅ》の行場《ぎょうば》じゃ。人間界《にんげんかい》の御禊《みそぎ》と同《おな》じく、水《みず》で浄《きよ》められる意味《いみ》にもなって居《い》るのでナ……。』
四十七、竜神の受持
いかに訊《たず》ねても訊《たず》ねても、竜神《りゅうじん》の生活《せいかつ》は何《なに》やら薄《うす》い幕《まく》を隔《へだ》てたようで、シックリとは腑《ふ》に落《お》ちない個所《ところ》がございます。相当《そうとう》長《なが》い間《あいだ》こちらの世界《せかい》に住《す》んで居《い》る私達《わたくしたち》ですらそう感《かん》ずるのでございますから、現世《げんせ》の方々《かたがた》としては尚更《なおさら》のことで、容易《ようい》に竜神《りゅうじん》の存在《そんざい》が信《しん》じられない筈《はず》だとお察《さっ》しすることができます。――と申《もう》して竜神《りゅうじん》さんの物語《ものがたり》を握《にぎ》りつぶせば、私《わたくし》として虚欺《うそ》の通信《つうしん》を送《おく》ることになり、それも気《き》がとがめてなりませぬ。で、皆《みな》さまの信《しん》ずる、信《しん》じないはしばらく別《べつ》として、もう少《すこ》し私《わたくし》がその時《とき》監督《かんとく》のお爺《じい》さんからきかされたところを物語《ものがた》らせていただきます。――
問『竜神《りゅうじん》さんのお仕事《しごと》というのは大体《だいたい》どんなものでございますか?』
答『竜神《りゅうじん》の受持《うけもち》はなかなか大《おお》きく、広《ひろ》く、そして複雑《ふくざつ》で、とてもそのすべてを語《かた》りつくすことはできぬ。ごく大《おお》まかに言《い》ったら、人間《にんげん》の世界《せかい》で天然現象《てんねんげんしょう》と称《とな》えて居《い》るものは、悉《ことごと》く竜神《りゅうじん》の受持《うけもち》であると思《おも》えばよいであろう。すべて竜神《りゅうじん》には竜神《りゅうじん》としての神聖《しんせい》な任務《つとめ》があり、それが直接《ちょくせつ》人間界《にんげんかい》の利益《ため》になろうが、なるまいが、どうあっても遂行《すいこう》せねばならぬことになっている。風雨《ふうう》、寒暑《かんしょ》、五穀《こく》の豊凶《ほうきょう》、ありとあらゆる天変地異《てんぺんちい》……それ等《ら》の根抵《こんてい》には悉《ことごと》く竜神界《りゅうじんかい》の気息《いき》がかかって居《お》るのじゃ……。』
問『産土神《うぶすなのかみ》その他《ほか》の御祭神《ごさいしん》は皆《みな》竜神様《りゅうじんさま》でございますか?』
答『奥《おく》の方《かた》は何《いず》れも竜神《りゅうじん》で固《かた》めてある……。』
問『外国《がいこく》にも産土《うぶすな》はあるのでございますか?』
答『無論《むろん》外国《がいこく》にもある。ただ外国《がいこく》には産土《うぶすな》の社《やしろ》がないまでのことじゃ。産土《うぶすな》の神《かみ》があって、生死《せいし》、疾病《しっぺい》、諸種《しょしゅ》の災難等《さいなんとう》の守護《しゅご》に当《あた》ってくれればこそ、地上《ちじょう》の人間《にんげん》は初《はじ》めてその日《ひ》その日《ひ》の生活《せいかつ》が営《いとな》めるのじゃ。』
問『各神社《かくじんじゃ》には竜神様《りゅうじんさま》の外《ほか》にもいろいろ眷族《けんぞく》があるのでございますか?』
答『むろん沢山《たくさん》の眷族《けんぞく》がある。人霊《じんれい》、天狗《てんぐ》、動物霊《どうぶつれい》……必要《ひつよう》に応《おう》じていろいろ揃《そろ》えてある……。』
問『産土神《うぶすなのかみ》は皆《みな》男《おとこ》の神様《かみさま》でございますか?』
答『産土《うぶすな》の主宰神《しゅさいしん》は悉《ことごと》く男性《だんせい》に限《かぎ》るようじゃ。しかし幼児《ようじ》の保姆《ほぼ》などにはよく女性《じょせい》の人霊《じんれい》が使《つか》われるようで……。』
問『仏教《ぶっきょう》の信者《しんじゃ》などは死後《しご》何《ど》うなるのでございますか?』
答『いかなる教《おしえ》を信《しん》じても産土《うぶすな》の神《かみ》の司配《しはい》を受《う》けることに変《かわ》りはないが、ただ仏《ほとけ》の救《すく》いを信《しん》じ切《き》って居《い》るものは、その迷夢《まよい》の覚《さ》めるまで、しばらく仏教《ぶっきょう》の僧侶《そうりょ》などに監督《かんとく》を任《まか》せることもある。――イヤしかしそなたの質問《とい》は大分《だいぶん》俺《わし》の領分外《りょうぶんがい》の事柄《ことがら》に亘《わた》って来《き》た。産土《うぶすな》のことなら、俺《わし》よりもそなたの指導役《しどうやく》の方《ほう》が詳《くわ》しいであろう。俺《わし》には成《な》るべく竜神《りゅうじん》の修行場《しゅぎょうば》のことだけ訊《き》いてもらいたいのじゃが……。』
問『ツイいろいろの事《こと》をお訊《たず》ねして相済《あいす》まぬことでございました。実《じつ》は平生《へいせい》指導役《しどうやく》のお爺様《じいさま》からも、いろいろ承《うけたまわ》って居《お》るのでございまするが、何《なに》やら腑《ふ》に落《お》ちかねるところもありますので、丁度《ちょうど》良《よ》い折《おり》と考《かんが》えて念《ねん》を押《お》して見《み》たような次第《しだい》で……。』
答『それも悪《わる》いとは申《もう》さぬが、しかし一升《しょう》の桝《ます》には一升《しょう》の分量《ぶんりょう》しか入《はい》らぬ道理《どうり》で、そなたの器量《うつわ》が大《おお》きくならぬ限《かぎ》り、いかにあせってもすべてが腑《ふ》に落《お》ちるという訳《わけ》には参《まい》らぬ。今日《きょう》はしばらくこの辺《へん》でとどめて置《お》いては何《ど》うじゃナ?』
問『又《また》とないよい機会《おり》でございますから、最《も》う一つ二つ訊《たず》ねさせていただき度《と》うございます。――――あの弁財天《べんざいてん》と申上《もうしあ》げるのは、あれは皆《みな》女性《じょせい》の竜神様《りゅうじんさま》でございますか?』
答『その通《とお》り……。神《かみ》に祀《まつ》られている以上《いじょう》、何《いず》れも皆《みな》立派《りっぱ》に修行《しゅぎょう》の積《つ》める女神《めがみ》ばかりで、土地《とち》の守護《しゅご》もなされば、又《また》人間《にんげん》の願事《ねがいごと》も、それが正《ただ》しいことであれば、歓《よろこ》んで協《かな》えてくださる……。』
問『水天宮《すいてんぐう》と申《もう》すのも矢張《やは》り……。』
答『あれは海上《かいじょう》を守護《しゅご》される竜神《りゅうじん》……。』
問『最後《さいご》にもう一《ひと》つ伺《うかが》わせて戴《いただ》きます。あなた様《さま》はどんなお身分《みぶん》の御方《おかた》で……。』
答『俺《わし》か……俺《わし》は妻《つま》もなく、又《また》子《こ》もなく永久《えいきゅう》に独身《ひとりみ》の老《お》いたる竜神《りゅうじん》じゃ……。竜神《りゅうじん》の中《なか》には斯《こ》う言《い》った変《かわ》り者《もの》も時《とき》としてないではない。現《げん》にそなたの指導役《しどうやく》の老人《ろうじん》なども矢張《やは》り俺《わし》のお仲間《なかま》じゃ。――どりャ一応《おう》修行場《しゅぎょうば》の[#「修行場の」は底本では「修道場の」]|見《みまわ》りをすると致《いた》そう。今日《きょう》はこれまで……。』
言《い》いも終《おわ》らずこの白衣《びゃくい》の老人《ろうじん》の姿《すがた》はスーッと湖水《こすい》の底《そこ》に幻《まぼろし》のように消《き》えて行《ゆ》きました。
四十八、妖精の世界
竜神界《りゅうじんかい》、天狗界《てんぐかい》と、まるきり人間《にんげん》には見当《けんとう》のとれそうもない、別世界《べっせかい》のお話《はなし》を致《いた》した序《つい》でに、一《ひと》つ思《おも》い切《き》ってもっと見当《けんとう》のとれない或《あ》る世界《せかい》の物語《ものがたり》をさせていただきましょう。外《ほか》でもない、それは妖精《ようせい》の世界《せかい》のお話《はなし》でございます。
『研究《けんきゅう》の為《た》めに汝《そち》に見《み》せてやらねばならぬ不思議《ふしぎ》な世界《せかい》がまだ残《のこ》っている。』と、或《あ》る日《ひ》指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが私《わたくし》に申《もう》されました。『人間《にんげん》は草《くさ》や木《き》をただ草《くさ》や木《き》とのみ考《かんが》えるから、矢鱈《やたら》に花《はな》を|《むし》ったり、枝《えだ》を折《お》ったり、甚《はなは》だしく心《こころ》なき真似《まね》をするのであるが、実《じつ》を言《い》うと、草《くさ》にも木《き》にも皆《みな》精《せい》……つまり魂《たましい》があるのじゃ。精《せい》があればこそあんなにも生《せい》を楽《たの》しみ、あんなにも美《うつく》しい姿態《すがた》を造《つく》りて、限《かぎ》りなく子孫《しそん》を伝《つた》えて行《ゆ》くのじゃ。今日《きょう》は汝《そち》を右《みぎ》の妖精達《ようせいたち》に引《ひ》き合《あ》わせてやるから、成《な》るべく無邪気《むじゃき》な気持《きもち》で、彼等《かれら》に逢《あ》ってもらいたい。妖精《ようせい》というものは姿《すがた》も可愛《かわい》らしく、心《こころ》も稚《わか》く、少《すこ》しくこちらで敵意《てきい》でも示《しめ》すと、皆《みな》怖《こわ》がって何所《いずこ》とも知《し》れず姿《すがた》を消《け》して了《しま》う。人間界《にんげんかい》で妖精《ようせい》の姿《すがた》を見《み》る者《もの》が、大《たい》てい無邪気《むじゃき》な小児《しょうに》に限《かぎ》るのもその故《せい》じゃ。今日《きょう》の見物《けんぶつ》は天狗界《てんぐかい》や竜神界《りゅうじんかい》の大《おお》がかりな探検《たんけん》とはよほど勝手《かって》が異《ちが》うぞ……。』
斯《こ》んな事《こと》を話《はな》してくれながら、お爺《じい》さんは私《わたくし》を促《うなが》して山《やま》の修行場《しゅぎょうば》を出掛《でか》けたと思《おも》うと、そのまま一気《き》に途中《とちゅう》を飛《と》び越《こ》して、忽《たちま》ち一望《ぼう》眼《め》も遥《はる》かなる、広《ひろ》い広《ひろ》い野原《のはら》に出《で》て了《しま》いました。見《み》ればそこら中《じゅう》が、きれいな草地《くさち》で、そして恰好《かっこう》の良《よ》いさまざまの樹草《じゅそう》……松《まつ》、梅《うめ》、竹《たけ》、その他《た》があちこちに点綴《てんせつ》して居《い》るのでした。
『ここは妖精《ようせい》の見物《けんぶつ》には誂向《あつらえむ》きの場所《ばしょ》じゃ。大《たい》ていの種類《しゅるい》が揃《そろ》って居《い》るであろう。よく気《き》をつけて見《み》るがよい。』
そう注意《ちゅうい》されている中《うち》に、もう私《わたくし》の眼《め》には蝶々《ちょうちょう》のような羽翼《はね》をつけた、大《おおき》さはやっと二三寸《ずん》から三四寸位《すんくらい》の、可愛《かわい》らしい小人《こびと》の群《むれ》がちらちら映《うつ》って来《き》たのでした。
『まあ何《なん》という不思議《ふしぎ》な世界《せかい》があればあったものでございましょう!』と私《わたくし》はわれを忘《わす》れて、夢中《むちゅう》になって叫《さけ》びました。『お爺《じい》さま、彼所《あそこ》に見《み》ゆる十五、六歳《さい》位《くらい》の少女《しょうじょ》は何《なんと》と品位《ひん》の良《よ》い様子《ようす》をして居《い》ることでございましょう。衣裳《いしょう》も白《しろ》、羽根《はね》も白《しろ》、そして白《しろ》い紐《ひも》で額《ひたい》に鉢巻《はちまき》をして居《お》ります……。あれは何《なん》の精《せい》でございますか?』
『あれは梅《うめ》の精《せい》じゃ。若木《わかき》の梅《うめ》であるから、その精《せい》も矢張《やは》り少女《しょうじょ》の姿《すがた》をして居《い》る……。』
『木《き》の精《せい》でも矢張《やは》り年齢《とし》をとりまするか?』
『年齢《とし》をとるのは妖精《ようせい》も人間《にんげん》も同一《どういつ》じゃ。老木《ろうぼく》の精《せい》は、形《かたち》は小《ちい》さくとも、矢張《やは》り老人《ろうじん》の姿《すがた》をして居《い》る……。』
『そして矢張《やは》り男女《だんじょ》の区別《くべつ》がありまするか?』
『無論《むろん》男女《だんじょ》の区別《くべつ》があって、夫婦生活《ふうふせいかつ》を営《いとな》むのじゃ……。』
そう言《い》っている中《うち》に、件《くだん》の梅《うめ》の精《せい》は、しばらく私達《わたくしたち》の方《ほう》を珍《めず》らしそうに眺《なが》めて居《い》ましたが、こちらに害意《がいい》がないと知《し》って安心《あんしん》した[#「安心した」は底本では「安神した」]ものか、やがてスーッと、丁度《ちょうど》蜻蛉《とんぼ》のように、空《そら》を横切《よこき》って、私《わたくし》の足元《あしもと》に飛《と》び来《きた》り、その無邪気《むじゃき》な、朗《ほがら》かな顔《かお》に笑《え》みを湛《たた》えて、下《した》から私《わたくし》を見上《みあ》げるのでした。
不図《ふと》気《き》がついて見《み》ると、その小人《こびと》の躰中《からだじゅう》から発散《はっさん》する、何《なん》ともいえぬ高尚《こうしょう》な香気《におい》! 私《わたくし》はいつしかうっとりとして了《しま》いました。
『もしもし梅《うめ》の精《せい》さん、あなたは何《なん》とまあ良《よ》い香《におい》を立《た》てていなさるのです……。』
そう言《い》いながら、私《わたくし》は成《な》るべく先方《むこう》を驚《おどろ》かさないように、徐《しず》かに徐《しず》かに腰《こし》を降《おろ》して、この可愛《かわい》い少女《しょうじょ》とさし向《むか》いになりました。
四十九、梅の精
梅《うめ》の精《せい》は思《おも》いの外《ほか》わるびれた様子《ようす》もなく、私《わたくし》の顔《かお》をしげしげ凝視《みつめ》て佇《た》って居《お》ります。
『梅《うめ》の精《せい》さん、あなた、お年齢《とし》はおいくつで[#「おいくつで」は底本では「おいくつて」]ございます?』
生前《せいぜん》の癖《くせ》で、私《わたくし》は真先《まっさ》きにそんな事《こと》を訊《き》いて了《しま》いました。
『年齢《とし》? わたしそんなものは存《ぞん》じませぬ……。』
梅《うめ》の精《せい》は銀《ぎん》の鈴《すず》のようなきれいな声《こえ》で、そう答《こた》えてキョトンとしました。
私《わたくし》は自分《じぶん》ながら拙《へた》なことを訊《き》いたとすぐ後悔《こうかい》しましたが、しかしこれで妖精《ようせい》とすらすら談話《はなし》のできることが判《わか》って、嬉《うれ》しくてなりませんでした。私《わたくし》はつづいて、いろいろ話《はな》しかけました。――
『ホンに、あなた方《がた》に年齢《とし》などはない筈《はず》でございました……。でもあなた方《がた》にも矢張《やは》り、両親《りょうしん》もあれば兄妹《きょうだい》もあるのでしょうね?』
『私《わたくし》のお母《か》ァさまは、それはそれはやさしい、良《よ》いお母《か》ァさまでございます……。兄妹《きょうだい》は、あんまり沢山《たくさん》で数《かず》が分《わか》りませぬ……。』
『あなたはよく怖《こわ》がらずに、私《わたくし》の所《ところ》へ来《き》てくれましたね。』
『でも姨《おば》さまは私《わたくし》を可愛《かわい》がってくださいますもの……。』
『可愛《かわい》がってくれる人《ひと》と、くれない人《ひと》とが判《わか》りますか?』
『はっきり判《わか》ります。私達《わたくしたち》は気《き》の荒《あ》らい、惨《むご》い人間《にんげん》が大嫌《だいきら》いでございます。そんな人間《にんげん》だと私達《わたくしたち》は決《けっ》して姿《すがた》を見《み》せませぬ。だって、格別《かくべつ》用事《ようじ》もないのに、折角《せっかく》私達《わたくしたち》が咲《さ》かした花《はな》を枝《えだ》ごと折《お》ったり、何《なに》かするのですもの……。』
そう言《い》って、梅《うめ》の精《せい》はそのきれいな眉《まゆ》に八の字《じ》を寄《よ》せましたが、私《わたくし》にはそれが却《かえ》って可愛《かわい》らしくてなりませんでした。
『でも、人間《にんげん》は、この枝振《えだぶ》りが気《き》に入《い》らないなどと言《い》って、時々《ときどき》鋏《はさみ》でチョンチョン枝《えだ》を摘《つ》むことがあるでしょう。そんな時《とき》にあなた方《がた》は矢張《やは》り腹《はら》が立《た》ちますか?』
『別《べつ》に腹《はら》が立《た》ちもしませぬ……。枝振《えだぶ》りを直《なお》す為《た》めに伐《き》るのと、悪戯《いたずら》で伐《き》るのとは、気持《きもち》がすっかり異《ちが》います。私達《わたくしたち》にはその気持《きもち》がよく判《わか》るのです……。』
『では花瓶《かびん》に活《い》ける為《た》めに枝《えだ》を伐《き》られても、あなた方《がた》はそう気《き》まずくは思《おも》わないでしょう?』
『それは思《おも》いませぬ……。私達《わたくしたち》を心《こころ》から可愛《かわい》がってくださる人間《にんげん》に枝《えだ》の一本《ほん》や二本《ほん》歓《よろこ》んでさしあげます……。』
『果実《み》を採《と》られる気持《きもち》も同《おな》じですか?』
『私達《わたくしたち》が丹精《たんせい》して作《つく》ったものが、少《すこ》しでも人間《にんげん》のお役《やく》に立《た》つと思《おも》えば、却《かえ》ってうれしうございます……。』
『木《き》によっては、根元《ねもと》から伐《き》り倒《たお》される場合《ばあい》もありますが、その時《とき》あなた方《がた》は[#「あなた方は」は底本では「あおた方は」]何《ど》うなさる?』
『そりゃよい気持《きもち》は致《いた》しませぬ。しかし伐《き》られるものを、私達《わたくしたち》の力《ちから》で何《ど》うすることもできませぬ。すぐあきらめて、木《き》が倒《たお》れる瞬間《しゅんかん》にそこを立《た》ちのいて了《しま》います[#「了います」は底本では「了まひます」]……。』
『あなた方《がた》の中《なか》にも、人間《にんげん》が好《す》きなものと嫌《きら》いなもの、又《また》性質《せいしつ》のさびしいものと陽気《ようき》なものと、いろいろ相違《そうい》があるでしょうね?』
『それは様々《さまざま》でございます。中《なか》には随分《ずいぶん》ひねくれた、気《き》むつかしい性質《たち》のものがあり、どうかすると人間《にんげん》を目《め》の仇《かたき》に致《いた》します……。』
何《なん》と申《もう》しましても、人間《にんげん》と妖精《ようせい》とでは、距離《きょり》が大分《だいぶ》かけ離《はな》れていて、談話《はなし》がしっくりと腑《ふ》に落《お》ちないところもございますが、それでも、こうしている中《うち》に、幾分《いくぶん》か先方《むこう》の心持《こころもち》が呑《の》み込《こ》めたように思《おも》われてまいりました。それから私《わたくし》はよきほどに梅《うめ》の精《せい》との対話《はなし》を切《き》り上《あ》げ、他《ほか》の妖精達《ようせいたち》の査《しら》べにかかりましたが、人間《にんげん》から観《み》れば何《いず》れも大同小異《だいどうしょうい》の妖《あや》しい小人《こびと》というのみで、一々細《こま》かい[#「細かい」は底本では「細がい」]ことは判《わか》りかねました。標本《みほん》として私《わたくし》はそれ等《ら》の中《なか》で少《すこ》し毛色《けいろ》の異《かわ》ったものの人相書《にんそうがき》を申上《もうしあ》げて置《お》くことにいたしましょう。
梅《うめ》の精《せい》の次《つ》ぎに私《わたくし》が目《め》をとめたのは、松《まつ》の精《せい》で、男松《おまつ》は男《おとこ》の姿《すがた》、女松《めまつ》は女《おんな》の姿《すがた》、どちらも中年者《ちゅうねんしゃ》でございました。梅《うめ》の精《せい》よりかも遥《はる》かに威厳《いげん》があり、何所《どこ》やらどっしりと、きかぬ気性《きしょう》を具《そな》えているようでございました。しかし、その大《おおき》さは矢張《やは》り五寸《すん》許《ばかり》、蒼味《あおみ》がかった茶《ちゃ》っぽい唐服《からふく》を着《き》て、そしてきれいな羽根《はね》を生《は》やして居《い》るのでした。
松《まつ》や梅《うめ》の精《せい》に比《くら》べると竹《たけ》の精《せい》はずっと痩《やせ》ぎすで、何《なに》やら少《すこ》し貧相《ひんそう》らしく見《み》えましたが、しかし性質《せいしつ》はこれが一番《ばん》穏和《おとな》しいようでございました。で、若《も》し松竹梅《しょうちくばい》と三つ並《なら》べて見《み》たら、強《つよ》いのと弱《よわ》いのとの両極端《りょうきょくたん》が松《まつ》と竹《たけ》とで、梅《うめ》はその中間《ちゅうかん》に位《くらい》して居《い》るようでございます。
それから菫《すみれ》、蒲公英《たんぽぽ》、桔梗《ききょう》、女郎花《おみなえし》、菊《きく》……一年生《ねんせい》の草花《くさばな》の精《せい》は、何《いず》れも皆《みな》小供《こども》の姿《すがた》をしたものばかり、形態《なり》は小柄《こがら》で、眼《め》のさめるような色《いろ》模様《もよう》の衣裳《いしょう》をつけて居《お》りました。それ等《ら》が大《おお》きな群《むれ》を作《つく》って、大空《おおぞら》狭《せま》しと乱《みだ》れ飛《と》ぶところは、とても地上《ちじょう》では見《み》られぬ光景《ありさま》でございます。中《なか》でどれが一番《ばん》きれいかと仰《お》っしゃるか……さあ草花《くさばな》の精《せい》の中《なか》では矢張《やは》り菊《きく》の精《せい》が一番《ばん》品位《ひん》がよく、一番《ばん》巾《はば》をきかしているようでございました……。
五十、銀杏の精
一《ひ》と通《とお》り野原《のはら》の妖精《ようせい》見物《けんぶつ》を済《す》ませますと、指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんは、私《わたくし》に向《むか》って言《い》われました。――
『この辺《あたり》に見掛《みか》ける妖精達《ようせいたち》は概《がい》して皆《みな》年齢《とし》の若《わか》いものばかり、性質《せいしつ》も無邪気《むじゃき》で、一向《こう》多愛《たあい》もないが、同《おな》じ妖精《ようせい》でも、五百年《ねん》、千年《ねん》と功労《こうろう》経《へ》たものになると、なかなか思慮《しりょ》分別《ふんべつ》もあり、うっかりするとヘタな人間《にんげん》は敵《かな》わぬことになる。例《たと》えばあの鎌倉《かまくら》八幡宮《はちまんぐう》の社頭《しゃとう》の大銀杏《おおいちょう》の精《せい》――あれなどはよほど老成《ろうせい》なものじゃ……。』
『お爺《じい》さま、あの大銀杏《おおいちょう》ならば私《わたくし》も生前《せいぜん》によく存《ぞん》じて居《お》ります。何《ど》うぞこれからあそこへお連《つ》れ下《くだ》さいませ……。一度《ど》その大銀杏《おおいちょう》の精《せい》と申《もう》すのに逢《あ》って置《お》き度《と》うございます。』
『承知《しょうち》致《いた》した。すぐ出掛《でか》けると致《いた》そう……。』
どこを何《ど》う通過《つうか》したか、途中《とちゅう》は少《すこ》しも判《わか》りませぬが、私達《わたくしたち》は忽《たちま》ちあの懐《なつ》かしい鎌倉《かまくら》八幡宮《はちまんぐう》の社前《しゃぜん》に着《つ》きました。巾《はば》の広《ひろ》い石段《いしだん》、丹塗《にぬり》の楼門《ろうもん》、群《むら》がる鳩《はと》の群《むれ》、それからあの大《おお》きな瘤《こぶ》だらけの銀杏《いちょう》の老木《ろうぼく》……チラとこちらから覗《のぞ》いた光景《ありさま》は、昔《むかし》とさしたる相違《そうい》もないように見受《みう》けられました。
私達《わたくしたち》は一応《おう》参拝《さんぱい》を済《す》ませてから、直《ただ》ちに目的《もくてき》の銀杏《いちょう》の樹《き》に近寄《ちかよ》りますと、早《はや》くもそれと気《き》づいたか、白茶色《しろちゃいろ》の衣裳《いしょう》をつけた一人《ひとり》の妖精《ようせい》が木蔭《こかげ》から歩《あゆ》み出《い》で、私達《わたくしたち》に近《ちか》づきました。身《み》の丈《たけ》は七八寸《すん》、肩《かた》には例《れい》の透明《とうめい》な羽根《はね》をはやして居《お》りましたが、しかしよくよく見《み》れば顔《かお》は七十余《あま》りの老人《ろうじん》の顔《かお》で、そして手《て》に一条《じょう》の杖《つえ》をついて居《お》りました。私《わたくし》は一《ひ》と目《め》見《み》て、これが銀杏《いちょう》の精《せい》だと感《かん》づきました。
『今日《きょう》はわざわざこれなる女性《じょせい》を連《つ》れて来《き》ました。』と指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんは老妖精《ろうようせい》に挨拶《あいさつ》しました。『御手数《おてかず》でも、何《なに》かと教《おし》えてあげてください……。』
『ようこそ御出《おい》でくだされた。』と老妖精《ろうようせい》は笑顔《えがお》で私《わたくし》を迎《むか》えてくれました。『そなたは気《き》づかなかったであろうが、実《じつ》はそなたがまだ可愛《かわい》らしい少女姿《しょうじょすがた》でこの八幡宮《はちまんぐう》へ御詣《おまい》りなされた当時《とうじ》から、俺《わし》はようそなたを存《ぞん》じて居《お》る……。人間《にんげん》の世界《せかい》と申《もう》すものは瞬《またた》く間《ま》に移《うつ》り変《かわ》れど、俺《わし》などは幾年《いくねん》経《た》っても元《もと》のままじゃ……。』
枯《か》れた、落附《おちつ》いた調子《ちょうし》でそう言《い》って、老《お》いたる妖精《ようせい》はつくづくと私《わたくし》の顔《かお》を打《う》ちまもるのでございました。私《わたくし》も何《なに》やら昔馴染《むかしなじみ》の老人《ろうじん》にでもめぐり逢《あ》ったような気《き》がして、懐《なつ》かしさが胸《むね》にこみ上《あ》げて来《く》るのでした。
老妖精《ろうようせい》は一層《そう》しんみりとした調子《ちょうし》で、談話《はなし》をつづけました。
『実《じつ》を申《もう》すと俺《わし》はこの八幡宮《はちまんぐう》よりももっと古《ふる》く、元《もと》はここからさして遠《とお》くもない、とある山中《さんちゅう》に住《す》んで居《い》たのじゃ。然《しか》るにある年《とし》八幡宮《はちまんぐう》がこの鶴岡《つるがおか》に勧請《かんじょう》されるにつけ、その神木《しんぼく》として、俺《わし》が数《かず》ある銀杏《いちょう》の中《うち》から選《えら》び出《だ》され、ここに移《うつ》し植《う》えられることになったのじゃ。それから数《かぞ》えてももうずいぶんの星霜《つきひ》が積《つも》ったであろう。一たん神木《しんぼく》となってからは、勿体《もったい》なくもこの通《とお》り幹《みき》の周囲《しゅうい》に注連縄《しめなわ》が張《は》りまわされ、誰一人《たれひとり》手《て》さえ触《ふ》れようとせぬ。中《なか》には八幡宮《はちまんぐう》を拝《おが》むと同時《どうじ》に俺《わし》に向《むか》って手《て》を合《あ》わせて拝《おが》むものさえもある……。これと申《もう》すも皆《みな》神様《かみさま》の御加護《ごかご》、お蔭《かげ》で他所《よそ》の銀杏《いちょう》とは異《こと》なり、何年《なんねん》経《た》てど枝《えだ》も枯《か》れず、幹《みき》も朽《く》ちず、日本国中《にほんこくじゅう》で無類《むるい》の神木《しんぼく》として、今《いま》もこの通《とお》り栄《さか》えて居《い》るような次第《しだい》じゃ。』
『長《なが》い歳月《としつき》の間《あいだ》には随分《ずいぶん》いろいろの事《こと》を御覧《ごらん》になられたでございましょう……。』
『それは覧《み》ました……。そなたも知《し》らるる通《とお》り、この鎌倉《かまくら》と申《もう》すところは、幾度《いくど》となく激《はげ》しい合戦《かっせん》の巷《ちまた》となり、時《とき》にはこの銀杏《いちょう》の下《した》で、御神前《ごしんぜん》をも憚《はばか》らぬ一人《ひとり》の無法者《むほうもの》が、時《とき》の将軍《しょうぐん》に対《たい》して刃傷沙汰《にんじょうさた》に及《およ》んだ事《こと》もある……。そうした場合《ばあい》、人間《にんげん》というものはさてさて惨《むご》いことをするものじゃと、俺《わし》はどんなに歎《なげ》いたことであろう……。』
『でもよくこの銀杏《いちょう》の樹《き》に暴行《ぼうこう》を加《くわ》えるものがなかったものでございます……。』
『それは神木《しんぼく》である御蔭《おかげ》じゃ。俺《わし》の外《ほか》にこの銀杏《いちょう》には神様《かみさま》の御眷族《ごけんぞく》が多数《おおぜい》附《つ》いて居《お》られる。若《も》しいささかでもこれに暴行《ぼうこう》を加《くわ》えようものなら、立所《たちどころ》に神罰《しんばつ》が降《くだ》るであろう。ここで[#「ここで」は底本では「ここて」]非命《ひめい》に斃《たお》れた、かの実朝公《さねともこう》なども、今《いま》はこの樹《き》に憑《かか》って、守護《しゅご》に当《あた》って居《お》られる……。イヤ丁度《ちょうど》良《よ》い機会《おり》じゃ。そなたも一応《おう》それ等《ら》の方々《かたがた》にお目《め》にかかるがよいであろう。何《いず》れも爰《ここ》にお揃《そろ》いになって居《お》られる……。』
そう言《い》われて驚《おどろ》いて振《ふ》り返《かえ》って見《み》ると、甲冑《かっちゅう》を附《つ》けた武将達《ぶしょうたち》だの、高級《こうきゅう》の天狗様《てんぐさま》だのが、数人《すうにん》樹《き》の下《した》に佇《たたず》みて、笑顔《えがお》で私達《わたくしたち》の様子《ようす》を見守《みまも》って居《お》られましたが、中《なか》でも強《つよ》く私《わたくし》の眼《め》を惹《ひ》いたのは、世《よ》にも気高《けだか》い、若々《わかわか》しい実朝公《さねともこう》のお姿《すがた》でした……。
× × × ×
さなきだに不思議《ふしぎ》な妖精界《ようせいかい》の探検《たんけん》に、こんな意外《いがい》の景物《けいぶつ》までも添《そ》えられ、心《こころ》から驚《おどろ》き入《い》ることのみ多《おお》かった故《せい》か、その日《ひ》の私《わたくし》はいつに無《な》く疲労《つかれ》を覚《おぼ》え、夢見心地《ゆめみごこち》でやっと修行場《しゅぎょうば》へ引《ひ》き上《あ》げたことでございました。
五十一、第三の修行場
私《わたくし》の山《やま》の修行《しゅぎょう》は随分《ずいぶん》長《なが》くつづきましたが、やがて又《また》この修行場《しゅぎょうば》にも別《わか》れを告《つ》ぐべき時節《じせつ》がまいりました。
『汝《そち》の修行《しゅぎょう》もここで一段落《だんらく》ついたようじゃ。これから別《べつ》の修行場《しゅぎょうば》へ連《つ》れてまいる……。』
或《あ》る日《ひ》指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんからそう言《い》い渡《わた》されましたが、実《じつ》をいうと私《わたくし》の方《ほう》でも近頃《ちかごろ》はそろそろ山《やま》に倦《あき》が来《き》きて、どこぞ別《べつ》のところへ移《うつ》って見《み》たいような気分《きぶん》がして居《い》たのでございました。私《わたくし》は二つ返事《へんじ》でお爺《じい》さんの言葉《ことば》に従《したが》いました。
引越《ひっこ》[#ルビの「ひっこ」は底本では「ひつこし」]しは例《れい》によって至極《しごく》お手軽《てがる》でございました。私《わたくし》が自身《じしん》で持参《じさん》したのはただ母《はは》の形見《かたみ》の守刀《まもりがたな》だけで、いざ出発《しゅっぱつ》と決《きま》った瞬間《しゅんかん》に、今《いま》まで住《す》んで居《い》た小屋《こや》も、器具類《きぐるい》もすうっと消《き》え失《う》せ、その跡《あと》には早《はや》くも青々《あおあお》とした蘇苔《こけ》が隙間《すきま》なく蒸《む》して居《い》るのでした。何《なに》があっけないと申《もう》して、斯《こ》んな[#「斯んな」は底本では「斯んを」]あっけない仕事《しごと》はめったにあるものでなく、相当《そうとう》幽界《ゆうかい》の生活《せいかつ》に慣《な》れた私《わたくし》でさえ、いささか物足《ものた》りなさを感《かん》じない訳《わけ》にもまいりませんでした。
が、お爺《じい》さんの方《ほう》では、何処《どこ》に風《かぜ》が吹《ふ》くと言《い》った面持《おももち》で、振《ふ》り向《む》きもせず、ずんずん先《さ》[#ルビの「さ」は底本では「さき」]きへ立《た》って歩《あ》るき出《だ》されましたので、私《わたくし》も黙《だま》ってその後《あと》に跟《つ》いてまいりますと、いつしか道《みち》が下《くだ》り坂《さか》になり、くねくねした九十九折《つづらおり》をあちらへ繞《めぐ》り、こちらへ[#「こちらへ」は底本では「こちうへ」]|《まわ》っている中《うち》[#ルビの「うち」は底本では「くち」]に、何所《どこ》ともなくすざまじい水音《みずおと》が響《ひび》いてまいりました。
『お爺《じい》さま、あれは瀑布《たき》の音《おと》でございますか?』
『そうじゃ。今度《こんど》の修行場《しゅぎょうば》はあの瀑布《たき》のすぐ傍《そば》に[#「すぐ傍に」は底本では「ずく傍に」]あるのじゃ。』
『まあ瀑布《たき》の修行場《しゅぎょうば》……。どんなに結構《けっこう》なところでございましょう。私《わたくし》も、何所《どこ》か水《みず》のある所《ところ》で修行《しゅぎょう》したいような気分《きぶん》になって居《お》りました。』
『それだから今度《こんど》の瀑布《たき》の修行場《しゅぎょうば》となったのじゃ。汝《そち》も知《し》る通《とお》り、こちらの世界《せかい》の掟《おきて》にはめったに無理《むり》なところはない……。』
そう話《はなし》合《あ》っている中《うち》に、いつしか私達《わたくしたち》は飛沫《しぶき》を立《た》てて流《なが》るる、二間《けん》ばかりの渓流《たにかわ》のほとりに立《た》っていました。右《みぎ》も左《ひだり》も削《けず》ったような高《たか》い崖《がけ》、そこら中《じゅう》には見上《みあ》げるような常盤木《ときわぎ》が茂《しげ》って居《お》り、いかにもしっとりと気分《きぶん》の落《お》ちついた場所《ばしょ》でした。
不図《ふと》気《き》がついて見《み》ると、下方《した》を流《なが》るる渓流《たにがわ》の上手《かみて》は十間《けん》余《あま》りの懸崕《けんがい》になって居《お》り、そこに巾《はば》さが二三間《けん》ぐらいの大《おお》きな瀑布《たき》が、ゴーッとばかりすさまじい音《おと》を立《た》てて、木《こ》の葉《は》がくれに白布《はくふ》を懸《か》けて居《お》りました。
私《わたくし》はどこに一点《てん》の申分《もうしぶん》なき、四辺《あたり》の清浄《せいじょう》な景色《けしき》に見惚《みと》れて、覚《おぼ》えず感歎《かんたん》の声《こえ》を放《はな》ちましたが、しかしとりわけ私《わたくし》を驚《おどろ》かせたのは、瀑壺《たきつぼ》から四五間《けん》ほど隔《へだ》てた、とある平坦《たいら》な崖地《がけち》の上《うえ》に、私《わたくし》が先刻《せんこく》まで住《す》んでいた、あの白木造《しらきづく》りの小屋《こや》がいつの間《ま》にか移《うつ》されて居《い》たことでした。
『まあ斯《こ》んなところに……。』
私《わたくし》は呆《あき》れてそう叫《さけ》びましたが、しかしお爺《じい》さんは例《れい》によってそんな事《こと》は[#「そんな事は」は底本では「そなん事は」]当然《あたりまえ》だと言《い》った風情《ふぜい》で、ニコリともせず斯《こ》う言《い》われるのでした[#「言われるのでした」は底本では「言われるのでじた」]。――
『これから汝《そち》はここでみっしり修行《しゅぎょう》するのじゃ。俺《わし》はこれで帰《かえ》る……。』
言《い》うが早《はや》いか、お爺《じい》さんの白衣《びゃくい》の姿《すがた》はぷいと烟《けむり》のように消《き》えて、私《わたくし》はただひとりポッネンと、この閑寂《かんじゃく》な景色《けしき》の中《なか》に取《と》り残《のこ》されました。
五十二、瀑布の白竜
たった一人《ひとり》で、そんな山奥《やまおく》の瀑壺《たきつぼ》の辺《へり》に暮《くら》すことになって、さびしくはなかったかと仰《お》っしゃるか……。ちっともさびしいだの、気味《きみ》がわるいだのということはございませぬ。そんな気持《きもち》に襲《おそ》われるのは死《し》んでから間《ま》のない、何《なに》も判《わか》らぬ時分《じぶん》のこと、少《すこ》しこちらで修行《しゅぎょう》がつんでまいりますと、自分《じぶん》の身辺《しんぺん》はいつも神様《かみさま》の有難《ありがた》い御力《おちから》に衛《まも》られているような感《かん》じがして、何所《どこ》に行《い》っても安心《あんしん》して居《お》られるのでございます。しかも今度《こんど》の私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》は、山《やま》の修行場《しゅぎょうば》よりも一段《だん》格《かく》の高《たか》い浄地《じょうち》で、そこには大《たい》そうお立派《りっぱ》な一体《たい》の竜神様《りゅうじんさま》が鎮《しず》まって居《お》られたのでした。
ある時《とき》私《わたくし》が一心《いつしん》に統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》をして居《お》りますと、誰《だれ》か[#「誰か」は底本では「誰が」]背後《うしろ》の方《ほう》で私《わたくし》の名《な》を呼《よ》ぶものがあるのです。『指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんかしら……。』そう思《おも》って不図《ふと》振《ふ》りかえて見《み》ると、そこには六十前後《ぜんご》と見《み》ゆる、すぐれて品位《ひん》のよい[#「品位のよい」は底本では「位品のよい」]、凛々《りり》しいお顔《かお》の、白衣《びゃくい》の老人《ろうじん》が黒《くろ》っぽい靴《くつ》を穿《は》いて佇《たたず》んでいました。私《わたくし》は一《ひ》と目《め》見《み》て、これはきっと貴《とうと》い神《かみ》さまだとさとり、丁寧《ていねい》に御挨拶《ごあいさつ》を致《いた》しました。それがつまりこの瀑布《たき》の白竜《はくりゅう》さまなのでございました。
『俺《わし》は古《ふる》くからこの瀑布《たき》を預《あず》かっている老人《としより》の竜神《りゅうじん》じゃが、此度《このたび》縁《えん》あって汝《そなた》を手元《てもと》に預《あず》かることになって甚《はなは》だ歓《よろこ》ばしい。一度《ど》汝《そなた》に逢《あ》って置《お》かうと思《おも》って、今日《きょう》はわざわざ老人《としより》の姿《すがた》に化《ば》けて出現《で》てまいった。人間《にんげん》と談話《はなし》をするのに竜体《りゅうたい》ではちと対照《うつり》が悪《わる》いのでな……。』
そう言《い》って私《わたくし》の顔《かお》を見《み》て微笑《ほほえま》れました。私《わたくし》はこんな立派《りっぱ》な神様《かみさま》が時々《ときどき》姿《すがた》を現《あら》わして親切《しんせつ》に教《おし》えてくださるかと思《おも》うと、忝《かたじけ》ないやら、心強《こころつよ》いやら、自《おの》ずと涙《なみだ》がにじみ出《で》ました。――
『これからは何卒《なにとぞ》よしなに御指導《ごしどう》くださいますよう……。』
『俺《わし》の力量《ちから》に及《およ》ぶことなら何《なん》なりと申出《もうしで》るがよい。すでに竜宮界《りゅうぐうかい》からも、そなたの為《た》めによく取計《とりはか》らえとのお指図《さしず》じゃ。遠慮《えんりょ》なく訊《き》きたいことを訊《き》いてもらいたい。』
親身《しんみ》になっていろいろとやさしく言《い》われますので、私《わたくし》の方《ほう》でもすっかり安心《あんしん》して、勿体《もったい》ないとは思《おも》いつつも、いつしか懇意《こんい》な叔父《おじ》さまとでも対座《たいざ》しているような、打解《うちと》けた気分《きぶん》になって了《しま》いました。
『あの大《たい》そう無躾《ぶしつけ》なことを伺《うかが》いますが、あなた様《さま》はよほど永《なが》くここにお住居《すまい》でございますか。』
『さァ人間界《にんげんかい》の年数《ねんすう》に直《なお》したら何年位《なんねんぐらい》になろうかな……。』と老竜神《ろうりゅうじん》はにこにこし乍《なが》ら『少《すくな》く見積《みつも》っても三万年位《まんねんぐらい》にはなるであろうかな。』
『三万年《まんねん》!』と私《わたくし》はびっくりして、『その間《あいだ》には随分《ずいぶん》いろいろの変《かわ》った事件《じけん》が起《おこ》ったでございましょう……。』
『もともとこちらの世界《せかい》のことであるから、さまで変《かわ》った事件《こと》も起《おこ》らぬ。最初《さいしょ》ここへ参《まい》った時《とき》に蒼黒《あおぐろ》かった俺《わし》の躯《からだ》がいつの間《ま》にか白《しろ》く変《かわ》った位《くらい》のものじゃ。その中《うち》俺《わし》の真実《ほんとう》の姿《すがた》を汝《そなた》に見《み》せて上《あ》げるとしょう……。』
『それは何時《いつ》でございましょうか。只今《ただいま》すぐに拝《おが》まして戴《いただ》きとう存《ぞん》じまするが……。』
『イヤすぐという訳《わけ》にはまいらぬ。汝《そなた》の修行《しゅぎょう》がもう少《すこ》し積《つ》んで、これならばと思《おも》われる時《とき》に見《み》せるとしょう。』
その時《とき》はそんな対話《はなし》をした丈《だけ》でお分《わか》れしましたが、私《わたくし》としては一時《とき》も早《はや》くこの瀑布《たき》の竜神様《りゅうじんさま》の本体《ほんたい》を拝《おが》みたいばかりに、それからというものは、一心《しん》不乱《ふらん》に精神統一《せいしんとういつ》の修行《しゅぎょう》をつづけました。又《また》場所《ばしょ》が場所丈《ばしょだけ》に、近頃《ちかごろ》の統一状態《とういつじょうたい》は以前《いぜん》よりもずっと深《ふか》く、ずっと混《まじ》りなくなったように自分《じぶん》にも感《かん》じられました。
それからどれ位《くらい》経《た》った時《とき》でございましょうか、ある日《ひ》俄《にわ》かに私《わたくし》の眼《め》の前《まえ》に、一道《どう》の光明《こうみょう》がさながら洪水《こうずい》のように、どっと押《お》し寄《よ》せてまいりました。一たんは、はっと愕《おどろ》きましたが、それが何《なに》かのお通報《しらせ》であろうと気《き》がついて心《こころ》を落《お》[#ルビの「お」は底本では「おちつ」]ちつけますと、つづいて瀑布《たき》の方向《ほうこう》に当《あた》って、耳《みみ》がつぶれるばかりの異様《いよう》の物音《ものおと》がひびきます。
私《わたくし》は直《ただ》ちに統一《とういつ》を止《や》めて、急《いそ》いで滝壺《たきつぼ》の上《うえ》に走《はし》り出《で》て見《み》ますと、果《はた》してそこには一体《たい》の白竜《はくりゅう》……爛々《らんらん》と輝《かがや》く両眼《りょうがん》、すっくと突《と》き出《だ》された二本《ほん》の大《おお》きな角《つの》、銀《しろがね》をあざむく鱗《うろこ》、鋒《ほこ》を植《う》えたような沢山《たくさん》の牙《きば》……胴《どう》の周囲《まわり》は二尺《しゃく》位《くらい》、身長《みのたけ》は三間《げん》余《あま》り……そう言《い》った大《おお》きな、神々《こうごう》しいお姿《すがた》が、どっと落《お》ち来《く》る飛沫《しぶき》を全身《ぜんしん》に浴《あ》びつつ、いかにも悠々《ゆうゆう》たる態度《たいど》で、巌角《いわかど》を伝《つた》わって、上《うえ》へ上《うえ》へと攀《よ》じ登《のぼ》って行《ゆ》かれる……。
眼《ま》のあたり、斯《こ》うした荘厳無比《そうごんむひ》の光景《ありさま》に接《せっ》した私《わたくし》は、感極《かんきわま》りて言葉《ことば》も出《い》でず、覚《おぼ》えず両手《りょうて》を合《あ》わせて、その場《ば》に立《た》ち尽《つく》したことでございました。
私《わたくし》は前《まえ》にも幾度《いくたび》か竜体《りゅうたい》を目撃《もくげき》して居《お》りますが、この時《とき》ほど間近《まじか》く見《み》、この時《とき》ほど立派《りっぱ》なお姿《すがた》を拝《おが》んだことはございませぬ。その時《とき》の光景《ありさま》はとても私《わたくし》の拙《つたな》い言葉《ことば》で尽《つく》すことはできませぬ。何卒《どうぞ》然《しか》るべくお察《さっ》しをお願《ねが》いします……。
五十三、雨の竜神
瀑布《たき》の修行場《しゅぎょうば》では、私《わたくし》が実際《じっさい》瀑布《たき》にかかったかと仰《お》っしゃるか……。かかりは致《いた》しませぬ。私《わたくし》はただ瀑布《たき》の音《おと》に溶《と》け込《こ》むようにして、心《こころ》を鎮《しず》めて坐《すわ》って居《い》たまでで、そうすると何《なん》ともいえぬ無我《むが》の境《さかい》に誘《さそは》れて行《ゆ》き、雑念《ざつねん》などは少《すこ》しもきざしませぬ。肉体《にくたい》のある者《もの》には水《みず》に打《う》たれるのも或《あるい》は結構《けっこう》でございましょうが、私《わたくし》どもにはあまりその効能《ききめ》がないようで……。又《また》指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんも『瀑布《たき》にはかからんでも、その気分《きぶん》になればそれでよい……。』とのお言葉《ことば》でございました[#「ございました」は底本では「こざいました」]。
或《あ》の日《ひ》私《わたくし》が統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》に疲《つか》れて、瀑壺《たきつぼ》の所《ところ》へ出《で》てぼんやり水《みず》を眺《なが》めて居《お》りますと、ここの竜神様《りゅうじんさま》が、又《また》もや例《れい》の白衣姿《びゃくいすがた》で、白木《しらき》の長《なが》い杖《つえ》をつきながら、ひょっくり私《わたくし》の傍《そば》へお現《あら》われになりました。
『丁度《ちょうど》よい機会《おり》であるから、汝《そなた》を上《うえ》の山《やま》へ連《つ》れて行《い》って、一《ひと》つ大《たい》へんに面白《おもしろ》いものを見《み》せて上《あ》げようと思《おも》うが……。』
『面白《おもしろ》いものと言《い》ってそれは何《なん》でございますか?』
『自分《じぶん》について来《く》れば判《わか》る。汝《そなた》は折角《せっかく》修行《しゅぎょう》の為《た》めにここへ寄越《よこ》されているのであるから、この際《さい》できる丈《だけ》何彼《なにか》を見聞《けんぶん》して置《お》くがよいであろう……。』
もとより拒《こば》むべき筋合《すじあい》のものでございませぬから、私《わたくし》は早速《さっそく》身支度《みじたく》してこの親切《しんせつ》な、老《お》いたる竜神《りゅうじん》さんの後《あと》について出掛《でか》けることになりました。
瀑布《たき》の右手《みぎて》にくねくねと附《つ》いている狭《せま》い山道《やまみち》、私達《わたくしたち》はそれをば上《うえ》へ上《うえ》へと登《のぼ》って行《ゆ》きました。見《み》るとその辺《あたり》は老木《ろうぼく》がぎっしり茂《しげ》っている、ごくごく淋《さび》しい深山《しんざん》で、そして不思議《ふしぎ》に山彦《こだま》のよく響《ひび》く処《ところ》でございました。漸《ようや》く山林地帯《さんりんちたい》を出抜《でぬ》けると、そこは最《も》う山《やま》の頂辺《てっぺん》で、芝草《しばくさ》が一面《めん》に生《は》えて居《お》り、相当《そうとう》に見晴《みはら》しのきくところでございました。
『実《じつ》は今日《きょう》ここで汝《そなた》に雨降《あめふ》りの実況《じっきょう》を見《み》せるつもりなのじゃ。と申《もう》して別《べつ》に俺《わし》が直接《じか》にやるのではない。雨《あめ》には雨《あめ》の受持《かかり》がある……。』
そう言《い》って瀑布《たき》のお爺《じい》さんは、眼《め》を閉《と》じてちょっと黙祷《もくとう》をなさいましたが、間《ま》もなくゴーッという音《おと》がして、それがあちこちの山々《やまやま》にこだまして、ややしばらく音《おと》が止《や》みませんでした。
と見《み》ると、向《むか》うに一人《ひとり》の若《わか》い男子《おとこ》の姿《すがた》が現《あら》われました。年《とし》の頃《ころ》は三十許《ばかり》、身《み》には丸味《まるみ》がかった袖《そで》の浅黄《あさぎ》の衣服《いふく》を着《つ》け、そして膝《ひざ》の辺《あたり》でくくった、矢張《やは》り浅黄色《あさぎいろ》の袴《はかま》を穿《は》き、足《あし》は草履《ぞうり》に足袋《たび》と言《い》った、甚《はなは》だ身軽《みがる》な扮装《いでたち》でした。頭髪《かみ》は茶筌《ちゃせん》に結《ゆ》っていました。
『これは雨《あめ》の竜神《りゅうじん》さんが化《ばけ》けて来《き》たのに相違《そうい》ない……。』一《ひ》と目《め》見《み》た時《とき》に私《わたくし》はすぐそう感《かん》づきました。不思議《ふしぎ》なもので、いつ覚《おぼ》えたともなく、その頃《ころ》の私《わたくし》にはそれ位《くらい》の見《み》わけがつくのでした。
お爺《じい》さんは言葉《ことば》少《ずく》なに私《わたくし》をこの若者《わかもの》に引《ひ》き合《あ》わせた上《うえ》で、
『今日《きょう》は御苦労《ごくろう》であるが、俺《わし》のところの修行者《しゅぎょうじゃ》に一《ひと》つ雨《あめ》を降《ふ》らせる実況《じっきょう》を見《み》せて貰《もら》いたいのじゃが……。』
『承知《しょうち》致《いた》しました。』
若者《わかもの》は快《こころよ》く引《ひ》き受《う》け、直《ただ》ちにその準備《したく》にかかりました。尤《もっと》も準備《したく》と言《い》っても別《べつ》にそううるさい手続《てつづき》のあるのでも何《なん》でもございませぬ。ただ上《うえ》の神界《しんかい》に真心《まごころ》こめて祈願《きがん》する丈《だけ》で、その祈願《きがん》が叶《かな》えば神界《しんかい》から雨《あめ》を賜《たま》わることのようでございます。つまり自然界《しぜんかい》の仕事《しごと》は幾段《いくだん》にも奥《おく》があり、いかに係《かか》りの竜神《りゅうじん》さんでも、御自分《ごじぶん》の力《ちから》のみで勝手《かって》に雨《あめ》を降《ふ》らしたり、風《かぜ》を起《おこ》したりはできないようでございます。
それはさて措《お》き、年《とし》の若《わか》い雨《あめ》の竜神《りゅうじん》さんは、瀑布《たき》の竜神《りゅうじん》さんと一緒《しょ》になって、口《くち》の中《なか》で何《なに》か唱《とな》えごとをしながら、ややしばらく祈願《きがん》をこめていましたが、それが終《おわ》ると同時《どうじ》に、ぷいとその姿《すがた》を消《け》しました。
『あれは今《いま》竜体《りゅうたい》に戻《もど》ったのじゃ。』とお爺《じい》さんが説明《せつめい》してくれました。『竜体《りゅうたい》に戻《もど》らぬと仕事《しごと》が出来《でき》ぬのでな……。その中《うち》直《じき》に始《はじ》まるであろうから、しばらくここで待《ま》つがよい。』
そんなことを言《い》っている中《うち》にも、何《なに》やら通信《つうしん》があるらしく、お爺《じい》さんはしきりに首肯《うなづ》いて居《お》られます。
『何《なに》か差支《さしつかえ》でも起《お》きたのでございますか?』
『いやそうではない。実《じつ》は神界《しんかい》から、雨《あめ》を降《ふ》らせるに就《つ》いては、同時《どうじ》に雷《かみなり》の方《ほう》も見《み》せてやれとのお達《たっ》しが参《まい》ったのじゃ。それで今《いま》その手筈《てはず》をしているところで……。』
『まあ雷《かみなり》でございますか……。是非《ぜひ》それも見《み》せて戴《いただ》き度《と》うございます……。』
五十四、雷雨問答
それから間《ま》もなく、私《わたくし》は随分《ずいぶん》と激《はげ》しい雷雨《らいう》の実況《じっきょう》を見《み》せて戴《いただ》いたのでございますが、外観《がいかん》からいえばそれは現世《げんせ》で目撃《もくげき》した雷雨《らいう》の光景《こうけい》とさしたる相違《そうい》もないのでした。先《ま》ず遥《はる》か向《むか》うの深山《みやま》でゴロゴロという音《おと》がして、同時《どうじ》に眼《め》も眩《くら》むばかりの稲妻《いなづま》が光《ひか》る。その中《うち》、空《そら》が真暗《まっくら》くなって、あたりの山々《やまやま》が篠突《しのつ》くような猛雨《もうう》の為《た》めに白《しろ》く包《つつ》まれる……ただそれきりのことに過《す》ぎませぬ。
が、内容《なかみ》からいえば、それは現世《げんせ》ではとても思《おも》いもよらぬような、不思議《ふしぎ》な、そして物凄《ものすご》い光景《こうけい》なのでございました。
『雨雲《あまぐも》の中《なか》をよく見《み》るがよい。眼《め》を離《はな》してはならぬ。』
お爺《じい》さんからそう注意《ちゅうい》されるまでもなく、私《わたくし》はもう先刻《さっき》から一心不乱《いっしんふらん》に深《ふか》い統一《とういつ》に入《はい》って、黒雲《くろくも》の中《なか》を睨《にら》みつめて居《い》たのですが、たちまち一体《いったい》の竜神《りゅうじん》の雄姿《ゆうし》がそこに鮮《あざや》かに見出《みいだ》されました。私《わたくし》は思《おも》わず叫《さけ》びました。――
『あれあれ薄《うす》い鼠色《ねずみいろ》の男《おとこ》の竜神《りゅうじん》さんが、大《おお》きな口《くち》を開《あ》けて、二本《ほん》の角《つの》を振《ふ》り立《た》てて、雲《くも》の中《なか》をひどい勢《いきおい》で駆《か》けて行《ゆ》かれる……。』
『それが先刻《さっき》爰《ここ》に見《み》えた、あの若者《わかもの》なのじゃ。』
『あれ、向《むか》うの峰《みね》を掠《かす》めて、白《しろ》い、大《おお》きな竜神《りゅうじん》さんが、眼《め》にもとまらぬ迅《はや》さで横《よこ》に飛《と》んで行《ゆ》かれる……あの凄《すご》い眼《め》の色《いろ》……。』
『それが雷《かみなり》の竜神《りゅうじん》の一人《ひとり》じゃ。力量《ちから》はこの方《かた》が一段《だん》も二段《だん》も上《うえ》じゃ……。』
『あれ、雨《あめ》の竜神《りゅうじん》さんが、こちらを向《む》いて、何《なに》やら相図《あいず》をして向《むか》うの方《ほう》に飛《と》んで行《ゆ》かれます……。』
『それは、そろそろ雨《あめ》を切上《きりあ》げる相図《あいず》をしているのじゃ。もう間《ま》もなく雨《あめ》も雷《かみなり》も止《や》むであろう……。』
果《はた》して間《ま》もなく雷雨《らいう》は、拭《ぬぐ》うが如《ごと》く止《や》み、山《やま》の上《うえ》は晴《は》れた、穏《おだや》かな最初《さいしょ》の景色《けしき》に戻《もど》りました。私《わたくし》は夢《ゆめ》から覚《さ》めたような気分《きぶん》で、しばらくは言葉《くち》もきけませんでした。
ややありて私《わたくし》は瀑布《たき》の竜神《りゅうじん》さんに向《むか》い、今日《きょう》見《み》せられた事柄《ことがら》に就《つ》いていろいろお訊《たず》ねしましたが、いかに訊《たず》ねても訊《たず》ねても矢張《やは》り私《わたくし》の器《うつわ》だけのことしか判《わか》る筈《はず》もなく、従《したが》ってあまり御参考《ごさんこう》にもならぬかと存《ぞん》じますが、兎《と》も角《かく》その時《とき》の問答《もんどう》の一部《ぶ》をお伝《つた》えして置《お》きます。――
問『雨《あめ》を降《ふ》らすのと、雷《かみなり》を起《おこ》すのとでは、いつもその受持《うけもち》が異《ちが》うのでございますか?』
答『それは無論《むろん》そうじゃ。俺達《わしたち》の世界《せかい》にもそれぞれ受持《うけもち》がある……。』
問『どのような手続《てつづ》きで、あんな雨《あめ》や雷《かみなり》が起《おこ》るのでございますか?』
答『さあそれは甚《はなは》だ[#「甚だ」は底本では「甚た」]六ヶ《むずか》しい……。一《ひ》と口《くち》に言《い》って了《しま》へば念力《ねんりき》じゃが、むろんただそう言《い》ったのみでは足《た》らぬ。天地《てんち》の間《あいだ》にはそこに動《うご》かすことのできぬ自然《しぜん》の法則《さだめ》があり、竜神《りゅうじん》でも、人間《にんげん》でも、その法則《さだめ》に背《そむ》いては何事《なにごと》もできぬ。念力《ねんりき》は無論《むろん》大切《たいせつ》で、念力《ねんりき》なしには小雨《こさめ》一《ひと》つ降《ふ》らせることもできぬが、しかしその念力《ねんりき》は、何《なに》は措《お》いても自然《しぜん》の法則《さだめ》に協《かな》うことが肝要《かんよう》じゃ。先刻《せんこく》雨《あめ》を降《ふ》らせるにつきても、俺達《わしたち》が第《だい》一に神界《しんかい》のお許《ゆる》しを受《う》けたのはそこじゃ。大《おお》きな仕事《しごと》になればなるほど、ますます奥《おく》が深《ふか》くなる。俺達《わしたち》は言《い》わば神《かみ》と人《ひと》との中間《ちゅうかん》の一《ひと》つの活《い》きた道具《だうぐ》じゃ……。』
問『先刻《せんこく》の雨《あめ》と雷《かみなり》とは、何《いず》れもお一人《ひとり》づつで行《や》られたお仕事《しごと》でございましたか?』
答『雨《あめ》の方《ほう》はただ一人《ひとり》の竜神《りゅうじん》の仕事《しごと》じゃった。汝《そなた》一人《ひとり》の為《た》めに降《ふ》らせたまでの俄雨《にわかあめ》であるから、従《したが》ってその仕掛《しかけ》もごく小《ちい》さい……。が、雷《かみなり》の方《ほう》はあれで二人《ふたり》がかりじゃ。こればかりは、いかなる場合《ばあい》にも二人《ふたり》は要《い》る。一方《ほう》は火竜《かりゅう》、他方《たほう》は水竜《すいりゅう》――つまり陽《よう》と陰《いん》との別《べつ》な働《はたら》きが加《くわ》わるから、そこに初《はじ》めてあの雷鳴《らいめい》だの、稲妻《いなづま》だのが起《おこ》るので、雨《あめ》に比《くら》べると、この仕事《しごと》の方《ほう》が遥《はる》かに手数《てすう》がかかるのじゃ……。』
五十五、母の訪れ
私《わたくし》が滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》へ滞在《たいざい》した期間《きかん》はさして長《なが》くもなかった上《うえ》に、あそこは言《い》わば精神統一《せいしんとういつ》の特別《とくべつ》の行場《ぎょうば》でございましたので、これはと言《い》って特《とく》に申上《もうしあ》げるほどの面白《おもしろ》い出来事《できごと》もございませぬ。私《わたくし》はあの滝《たき》の音《おと》をききながら、いつもその音《おと》の中《なか》に溶《と》けこむような気分《きぶん》で、自分《じぶん》の存在《ありか》も忘《わす》れて、うっとりとして[#「うっとりとして」は底本では「うっとりしとて」]いることが多《おお》いのでございました。お蔭様《かげさま》でそうした修行《しゅぎょう》の結果《けっか》、私《わたくし》の統一《とういつ》は以前《いぜん》にましてずっと深《ふか》まり、物《もの》を視《み》るにも、あれから大《たい》へんに楽《らく》になったように、自分《じぶん》にも感《かん》じられてまいりました。こちらの世界《せかい》へ来《き》てもすべては修行《しゅぎょう》次第《しだい》で、呑気《のんき》に遊《あそ》んでいたのでは、決《けっ》して力量《ちから》がつくものではないようでございます。実《じつ》をいうと私《わたくし》などは、可《か》なり執着《しゅうじゃく》も強《つよ》く、しかも自分《じぶん》では成《な》るべく呑気《のんき》に構《かま》えていたい方《ほう》なのですが、魂《みたま》の因縁《いんねん》と申《もう》しましょうか、上《うえ》の神様《かみさま》からのお指図《さしず》で、いつも一《ひと》つの修行《しゅぎょう》から次《つ》ぎの修行《しゅぎょう》へと追《お》い立《た》てられてまいりました為《た》めに、やっと人並《ひとなみ》になれたのでございます。考《かんが》えて見《み》ると随分《ずいぶん》お恥《はず》かしい次第《しだい》[#ルビの「しだい」は底本では「しい」]で……。
それはそうと滝《たき》の修行中《しゅぎょうちゅう》にも、一《ひと》つ二《ふた》つの思《おも》い出《で》の種子《たね》がない訳《わけ》でもございませぬ。その一《ひと》つは私《わたくし》の母《はは》がわざわざ訪《たず》ねて来《き》てくれたことで、それが帰幽後《きゆうご》に於《お》ける母子《おやこ》の最初《さいしょ》の対面《たいめん》でございました。
この対面《たいめん》につきては前以《まえもっ》て指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんからちょっと前触《さきぶれ》がありました。『汝《そち》の母人《ははびと》も近頃《ちかごろ》は漸《ようや》く修行《しゅぎょう》が積《つ》んで、外出《そとで》も自由《じゆう》にできるようになったので、是非《ぜひ》一度《ど》汝《そち》に逢《あ》わそうかと思《おも》っている。何《いず》れ近《ちか》い内《うち》にこちらに見《み》えるであろう……。』――私《わたくし》はそれをきいた時《とき》は嬉《うれ》しさで胸《むね》が一ぱいでございました。そして母《はは》に逢《あ》ったらこれも語《かた》ろう、あれも訊《き》きたいと、生前《せいぜん》死後《しご》にかけての積《つも》り積《つも》れるさまざまの事件《じけん》が、丁度《ちょうど》嵐《あらし》のように私《わたくし》の頭脳《あたま》の中《なか》に、一度《ど》に押《お》し寄《よ》せて来《き》たのでした。
それにつけても私《わたくし》の眼《め》に特《とく》に力強《ちからづよ》く浮《うか》び出《い》でたのは、前《まえ》にも申上《もうしあ》げた、母《はは》の臨終《りんじゅう》の光景《ありさま》でした。あの見《み》る影《かげ》もなく、老《お》いさらばえる面影《おもかげ》、あの断末魔《だんまつま》のはげしい苦悶《くもん》、あの肉体《にくたい》と幽体《ゆうたい》とをつなぐ無気味《むきみ》な二本《ほん》の白《しろ》い紐《ひも》、それからあの臨終《りんじゅう》の床《とこ》の辺《あたり》をとりまいた現幽両界《げんゆうりょうかい》[#ルビの「げんゆうりょうかい」は底本では「けんゆうりょうかい」]の多《おお》くの人達《ひとたち》の集《あつま》り……。私《わたくし》はその当時《とうじ》を憶《おも》い出《だ》して、覚《おぼ》えず涙《なみだ》に暮《く》れつつも、近《ちか》く訪《おとず》れるこちらの世界《せかい》の母《はは》がどんな様子《ようす》をしていられるかを、あれか、これかと際限《さいげん》もなく想像《そうぞう》するのでした。
すると、それから間《ま》もなく、森閑《しんかん》と鎮《しず》まり返《かえ》った私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》の庭《にわ》に、何《なに》やら人《ひと》の訪《おとず》れる気配《けはい》がしましたので、不図《ふと》振《ふ》り向《む》いて見《み》ると、それは一人《ひとり》の指導役《しどうやく》の老人《ろうじん》に導《みち》かれた、私《わたくし》のなつかしい母親《ははおや》なのでした。
『お母《かあ》さま』
『姫《ひめ》』
双方《そうほう》から馳《は》せ寄《よ》った二人《ふたり》は互《たがい》に縋《すが》りついて了《しま》いました。
現在《げんざい》の母《はは》の様子《ようす》は、臨終《りんじゅう》の時《とき》の様子《ようす》とはびっくりするほど変《かわ》って了《しま》い、顔《かお》もすっかり朗《ほがら》かになり、年齢《とし》もたしかに十歳《とお》ばかり若返《わかがえ》って居《お》りました。母《はは》の方《ほう》でも私《わたくし》が諸磯《もろいそ》の佗住居《わびずまい》にくすぼり返《かえ》っていた時《とき》に比《くら》べて、あまりに若々《わかわか》しく、あまりに元気《げんき》らしいのを見《み》て、自分《じぶん》の事《こと》のように心《こころ》から歓《よろこ》んでくれました。
『これほどあなたが立派《りっぱ》な修行《しゅぎょう》を積《つ》んでいるとは思《おも》わなかった。あなたの体《からだ》からは丁度《ちょうど》神《かみ》さまのように光明《ひかり》が射《さ》します……。』
そんなことを言《い》いながら、右《みぎ》から左《ひだり》からしげしげと私《わたくし》の姿《すがた》を見《み》まもるのでした。これも生《う》みの母《はは》なればこそ、と思《おも》えば、自《おの》ずと先立《さきだ》つものは泪《なみだ》でございました。
不図《ふと》気《き》がついて見《み》ると、庭先《にわさき》まで案内《あんない》の労《ろう》を執《と》ってくだすった母《はは》の指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんは、いつの間《ま》にやら姿《すがた》を消《け》して、すべてを私達《わたくしたち》母子《おやこ》の為《な》すところに任《まか》せられたのでした。
五十六、つきせぬ物語り
逢《あ》った上《うえ》は心行《こころゆ》くまましんみりと語《かた》り合《あ》おうと待《ま》ち構《かま》えていたのですが、さていよいよ斯《こ》うして母《はは》と膝《ひざ》を突《つ》き合《あ》わせて見《み》ると、ひたぶるに胸《むね》が迫《せま》るばかりで、思《おも》って居《い》ることの十が一も言葉《ことば》に出《い》でず、ともすれば泣《な》きたくなって仕方《しかた》がないのでした。
『こんなことでは余《あま》りにみつともない。今日《きょう》は面白《おもしろ》く語《かた》り合《あ》わねばならぬ……。』
私《わたくし》は一生《しょう》懸命《けんめい》、成《な》るべく涙《なみだ》を見《み》せぬように努《つと》めましたが、それは母《はは》の方《ほう》でも同様《どうよう》で、そっと涙《なみだ》を拭《ふ》いては笑顔《えがお》でかれこれと談話《はなし》をつづけるのでした。
『あなたはこちらでどんな境地《ところ》を通《とう》って来《き》たのですか?』母《はは》は[#「母は」は底本では「母そ」]真先《まっさ》きにそう訊《たず》ねました。『最初《さいしょ》からここではないようにきいて居《お》りますが……。』
『私《わたくし》はこちらで修行場《しゅぎょうば》が三度《ど》ほどかわりました。最初《さいしょ》は岩屋《いわや》の修行場《しゅぎょうば》、そこはなかなか永《なご》うございました。その次《つ》ぎが山《やま》の修行場《しゅぎょうば》、その時代《じだい》に竜宮界《りゅうぐうかい》その他《た》いろいろの珍《めず》らしい所《ところ》へ連《つ》れて行《ゆ》かれ、又《また》良人《おっと》をはじめ多《おお》くの人達《ひとたち》にも逢《あ》わせていただきました。現在《げんざい》この滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》へ移《う》ってからはまだ[#「まだ」は底本では「また」]幾《いく》らにもなりませぬ……。』
『あなたはまあ何《なん》という結構《けっこう》な事《こと》ばかりして来《こ》られたことでしょう』と母《はは》は心《こころ》から感心《かんしん》しました。『この母《はは》などは岩屋《いわや》の修行《しゅぎょう》だの、山《やま》の修行《しゅぎょう》だのと、そんな変《かわ》ったことはただの一《ひと》つもして来《き》はしませぬ。まして竜宮界《りゅうぐうかい》などと言《い》っては夢《ゆめ》にだって見《み》たこともない……。あなたはたしかに特別《とくべつ》の御用《ごよう》を有《も》って生《うま》れた人《ひと》に相違《そうい》ない……。私《わたくし》の指導役《しどうやく》の神《かみ》さまもそんなことを言《い》って居《お》られました……。』
『まさかそうでもございますまいが……。』
『イヤたしかにそうです。いつか時節《じせつ》が来《き》たら、あなたにはきっと何《なん》ぞ大事《だいじ》のお仕事《しごと》が授《さず》けられますよ。何《ど》うぞそのつもりで、今後《こんご》もしっかり修行《しゅぎょう》に精《せい》を出《だ》してください。母《はは》などは、他《ほか》の多《おお》くの人達《ひとたち》と同《おな》じく、こちらに参《まい》ってから、産土神様《うぶすなのかみさま》のお手元《てもと》で、ある一室《しつ》を宛《あ》てがわれ、そこで静《しず》かに修行《しゅぎょう》をつづけているだけなのです……。』
『父上《ちちうえ》とは御《ご》一緒《しょ》ではございませんか。』
『一緒《しょ》ではありませぬ。現世《げんせ》に居《い》た時分《じぶん》は、夫婦《ふうふ》は同《おな》じ場所《ばしょ》に行《ゆ》かれるものかと考《かんが》えて居《お》りましたが、こちらへ来《き》て見《み》ると同棲《どうせい》などは思《おも》いも寄《よ》りませぬ。魂《みたま》の関係《かんけい》とやらで、良人《おっと》は良人《おっと》、妻《つま》は妻《つま》と、チャーンと区別《くべつ》がついているのです。もっとも私達《わたくしたち》の境涯《きょうがい》でも逢《あ》おうと思《おも》えばいつでも逢《あ》われ、対話《はなし》をしようと思《おも》えばいつでも対話《はなし》はできますが……。斯《こ》んなことをいうとあなたから笑《わら》われるか知《し》れませぬが、私《わたくし》は一度《ど》指導役《しどうやく》の神様《かみさま》に向《むか》い、あまり心細《こころぼそ》いから、せめて良人《おっと》とだけは一緒《しょ》に住《す》まわせて戴《いただ》きたいと、お願《ねが》いしたことがあるのです。それでも神様《かみさま》は何《ど》うあっても私《わたくし》の願《ねが》いをおきき入《い》れになってくださらないので、その時《とき》の私《わたくし》の力落《ちからおと》しと云《い》ったらなかったものです。私《わたくし》は今《いま》でも時々《ときどき》はいつの時代《じだい》になったら、夫婦《ふうふ》、親子《おやこ》、兄弟《きょうだい》が昔《むかし》のように楽《たの》しく同居《どうきょ》することができるのかしらと思《おも》われてなりませぬ。あなたにはそんなことがないのですか?』
『ないでもございませぬが、近頃《ちかごろ》統一《とういつ》が深《ふか》くなった為《た》めか、だんだんそうした考《かんが》えが薄《うす》らいでまいりました。相当《そうとう》に修行《しゅぎょう》が積《つ》んだら、一緒《しょ》に棲《す》むとか、棲《す》まないとか申《もう》すことは、さして苦労《くろう》にならないようになって了《しま》うのではないでしょうか。竜宮界《りゅうぐうかい》の上《うえ》の神様達《かみさまたち》の御様子《ごようす》を見《み》ても、いつも夫婦《ふうふ》親子《おやこ》が同棲《どうせい》して居《お》られることはないようでございます。それぞれ御用《ごよう》が異《ちが》うので、平生《へいぜい》は別々《べつべつ》になってお働《はたら》きになり、偶《たま》にしか御《ご》一緒《しょ》になって、お寛《くつろ》ぎ遊《あそ》ばすことがないと申《もう》します……。』
『神様《かみさま》でも矢張《やは》りそうなのでございますかね……。そうして見《み》るとこの母《はは》などはまだ現世《げんせ》の執着《しゅうじゃく》が多分《たぶん》に残《のこ》っている訳《わけ》で、これからはあなたにあやかり、余《あま》り愚痴《ぐち》は申《もう》さぬことに気《き》をつけましょう。今日《きょう》は本当《ほんとう》によいことを伺《うかが》いました。あなたがそんなにまで修行《しゅぎょう》が出来《でき》たのを見《み》ると、私《わたくし》は心《こころ》からうれしい……。』
そう言《い》いながらも母《はは》の眼《め》には、涙《なみだ》が一つぱい溜《たま》って居《い》るのでした。
五十七、有難い親心
それから訊《たず》ねらるるままに、私《わたくし》は母《はは》に向《むか》って、帰幽後《きゆうご》こちらの世界《せかい》で見聞《けんぶん》したくさぐさの物語《ものがたり》を致《いた》しましたが、いつも一室《しつ》に閉《と》じこもって、単調《たんちょう》なその日《ひ》その日《ひ》を送《おく》って居《お》る母《はは》にとりては、一々びっくりすることのみ多《おお》いらしいのでした。最後《さいご》に私《わたくし》が、最近《さいきん》滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんの本体《ほんたい》を拝《おが》ましていただいた話《はなし》を致《いた》しますと、母《はは》の愕《おどろ》きは頂点《てうてん》に達《たっ》しました。
『私《わたくし》はこちらの世界《せかい》へ来《き》て居《お》りながら、ただの一度《ど》もまだ竜神《りゅうじん》さんの御本体《ごほんたい》を拝《おが》ましていただいたことがない。今日《きょう》はあなたを訪《おとず》れた紀念《きねん》に、是非《ぜひ》こちらの竜神《りゅうじん》さまにお目通《めどお》りをしたい。あなたから篤《とく》とお依《たの》みしてくださらぬか……。』
これには私《わたくし》もいささか当惑《とうわく》して了《しま》いました。果《はた》して滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんが快《こころよ》く母《はは》の依《たの》みを諾《き》いてくださるか何《ど》うか、私《わたくし》にもまったく見当《けんとう》がとれないのでした。
『とも角《かく》も、私《わたくし》から折入《おりい》ってお願《ねが》いして見《み》ることにいたしましょう。しばらくお待《ま》ちくださいませ……。』
私《わたくし》は単身《たんしん》瀑壺《たきつぼ》の側《そば》を通《とう》って上《うえ》のお宮《みや》に詣《もう》で、母《はは》の願望《ねがい》をかなえさせてくださるようお依《たの》みしました。
滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんはいつものように老人《ろうじん》の姿《すがた》でお現《あら》われになり、微笑《びしょう》を浮《うか》べて斯《こ》う言《い》われるのでした。――
『汝達《そちたち》の談話《はなし》はよう俺《わし》にも聴《きこ》えて居《い》ました。人間《にんげん》の母子《おやこ》の情愛《じょうあい》と申《もう》すものは、大《たい》てい皆《みな》ああしたものらしく、俺達《わしたち》の世界《せかい》のようになかなかあっさりはして居《お》らんな。それで汝《そち》の母人《ははびと》は、今日《きょう》爰《ここ》へ来《き》た序《ついで》に俺《わし》の本体《ほんたい》を見物《けんぶつ》して、それを土産《みやげ》に持《も》って帰《かえ》りたいということのようであるが、これは少々《しょうしょう》困《こま》った註文《ちゅうもん》じゃ。俺《わし》の方《ほう》で勿体《もったい》ぶる訳《わけ》ではないが、汝《そち》の母人《ははびと》の修行《しゅぎょう》の程度《ていど》では、俺《わし》がいかに見《み》せたいと思《おも》ってもまだとてもまともに俺《わし》の姿《すがた》を見《み》ることはできぬのじゃ……。が、折角《せっかく》の依《たの》みとあって見《み》れば何《なん》とか便宜《べんぎ》を図《はか》って上《あ》げずばなるまい。兎《と》も角《かく》も母人《ははびと》を瀑壺《たきつぼ》のところへ連《つ》れてまいるがよかろう……。』
私《わたくし》は早速《さっそく》修行場《しゅぎょうば》から母《はは》を瀑壺《たきつぼ》の辺《ほとり》に連《つ》れ出《だ》しました。そして二人《ふたり》で、両手《りょうて》を合《あわ》せて一心《しん》に祈願《きがん》をこめて居《お》りますと、やがてどっと逆落《さかおと》しに落《お》ち来《く》る滝《たき》の飛沫《しぶき》の中《なか》に、二間《けん》位《くらい》の白《しろ》い女性《じょせい》の竜神《りゅうじん》の優《や》さしい姿《すがた》が現《あら》われて、巌角《いわかど》を伝《つた》ってすーッと上方《うえ》に消《き》え去《さ》りました。
『あれは俺《わし》の子供《こども》の一人《ひとり》じゃが……。』
そう言《い》われて、驚《おどろ》いて振《ふ》りかえると、滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんが、いつもの老人《ろうじん》の姿《すがた》で、にこにこしながら、私達《わたくしたち》の背後《うしろ》に来《き》て、佇《たたず》んで居《お》られるのでした。
私《わたくし》は厚《あつ》く今日《きょう》のお礼《れい》をのべて母《はは》を引《ひ》き合《あ》わせました。竜神《りゅうじん》さんはいとど優《や》さしく、いろいろと母《はは》を労《いた》わってくださいましたので、母《はは》もすっかり安心《あんしん》して、丁度《ちょうど》現世《げんせ》でするように私《わたくし》の身《み》の上《うえ》を懇々《こんこん》とお依《たの》みするのでした。
『不束《ふつつか》な娘《むすめ》でございますが、何《ど》うぞ今後《こんご》とも宜《よろ》しうお導《みちび》きくださいますよう……。さぞ何《なに》かとお世話《せわ》が焼《や》けることでございましょう……。』
『イヤあなたは良《よ》いお子《こ》さんを有《も》たれて、大《たい》へんにお幸福《しあわせ》じゃ。』竜神《りゅうじん》さんというよりもむしろ人間《にんげん》らしい挨拶《あいさつ》ぶり。『近頃《ちかごろ》は大分《だいぶ》修行《しゅぎょう》も積《つ》まれてもう一《ひ》と息《いき》というところじゃ。人間《にんげん》には執着《しゅうじゃく》が強《つよ》いので、それを棄《す》てるのがなかなかの苦労《くろう》、ここまで来《く》るのには決《けっ》して生《なま》やさしい事《こと》ではない……。』
『これから先《さ》きは娘《むすめ》は何《ど》ういう風《ふう》になるのでございますか。まだ他《ほか》にもいろいろ修行《しゅぎょう》があるのでございましょうか?』
『イヤそろそろ修行《しゅぎょう》に一段落《だんらく》つくところじゃ。本人《ほんにん》が生前《せいぜん》大《たい》へんに気《き》に入《い》った海辺《うみべ》があるので、これからそこへ落付《おちつ》かせることになって居《お》る……。』
『左様《さよう》でございますか。どんなに本人《ほんにん》にとりまして満足《まんぞく》なことでございましょう。』と母《はは》は自分《じぶん》のことよりも、私《わたくし》の前途《ぜんと》につきて心《こころ》を遣《つか》ってくれるのでした。『それについては、私《わたくし》があまりたびたび訪《たず》ねるのは、却《かえ》って修行《しゅぎょう》の邪魔《じゃま》になりましょうから、成《な》るべく自分《じぶん》の住所《じゅうしょ》を離《はな》れずに、ただ折々《おりおり》の消息《たより》をきいて楽《たの》しむことに致《いた》しましょう。その内《うち》折《おり》を見《み》てこの娘《こ》の良人《おっと》なりと訪《たず》ねさせていただき度《と》うございます。そうすれば修行《しゅぎょう》をするにも何《ど》んなに張合《はりあ》いがあることでございましょう……。』
『イヤそれはもうしばらく待《ま》ってもらいたい。』と滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんはあわて気味《ぎみ》に母《はは》を制《せい》しました。『あの人《ひと》にはあの人《ひと》としての仕事《しごと》があり、めいめい為《す》ることが異《ちが》います。良人《おっと》を招《よ》ぶのは海辺《うみべ》の修行場《しゅぎょうば》へ移《うつ》ってからのことじゃ……。』
『矢張《やは》りそんな訳《わけ》のものでございますか……。私《わたくし》どもにはこちらの世界《せかい》のことがまだよくのみ込《こ》めないので、ときどき飛《と》んだ失策《しっさく》をいたします。何分《なにぶん》神様《かみさま》の方《ほう》で宜《よろ》しきように……。』
『その点《てん》は何《ど》うぞ安心《あんしん》なさるように……。ではこれでお別《わか》れします。』
滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんがプイと姿《すがた》を消《け》し、それと入《い》れ代《かわ》りに母《はは》の指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが早速《さっそく》姿《すがた》を現《あら》わしましたので、母《はは》は名残惜《なごりお》しげに、それでも大《たい》して泪《なみだ》も見《み》せず、間《ま》もなく別《わか》れを告《つ》げて[#「告げて」は底本では「告けて」]帰《かえ》り行《ゆ》きました。
『矢張《やは》り生《う》みの母《はは》は有難《ありがた》い……。』
見送《みおく》る私《わたくし》の眼《め》からはこらへこらへた溜涙《ためなみだ》が一度《ど》に滝《たき》のように流《なが》れました。
五十八、可憐な少女
母《はは》に逢《あ》ってからの私《わたくし》は、しばらくの間《あいだ》気分《きぶん》が何《なん》となく落《おち》つかず、統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》をやって見《み》ても、ツイふらふらと鎌倉《かまくら》で過《すご》した処女時代《むすめじだい》の光景《ありさま》を眼《め》の中《なか》に浮《うか》べて見《み》るようなことが多《おお》いのでした。『こんなことでは本当《ほんとう》の修行《しゅぎょう》にも何《なん》にもなりはしない。気晴《きば》らしに少《すこ》し戸外《おもて》へ出《で》て見《み》ましょう……。』とうとう私《わたくし》は単身《ひとり》で滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》を出《で》かけ、足《あし》のまにまに、谷川《たにがわ》を伝《つた》って、下方《した》へ下方《した》へと降《お》りて行《ゆ》きました。
戸外《おもて》は矢張《やは》り戸外《おもて》らしく、私《わたくし》は直《じき》に何《なん》ともいえぬ朗《ほがら》かな気持《きもち》になりました。それに一歩《ぽ》一歩《ぽ》と川《かわ》の両岸《りょうがん》がのんびりと開《ひら》けて行《ゆ》き、そこら中《じゅう》にはきれいな野生《やせい》の花《はな》が、所《ところ》せきまで咲《さ》き匂《にお》っているのです。『まあ見事《みごと》な百合《ゆり》の花《はな》……。』私《わたくし》は覚《おぼ》えずそう叫《さけ》んで、巌間《いわま》から首《くび》をさし出《だ》していた半開《はんかい》の姫百合《ひめゆり》を手折《たお》り、小娘《こむすめ》のように頭髪《かみ》に挿《さ》したりしました。
私《わたくし》がそうした無邪気《むじゃき》な乙女心《おとめごころ》に戻《もど》っている最中《さいちゅう》でした、不図《ふと》附近《あたり》に人《ひと》の気配《けはい》がするのに気《き》がついて、愕《おどろ》いて振《ふ》り返《かえ》って見《み》ますと、一本《ほん》の満開《まんかい》の山椿《やまつばき》の木蔭《こかげ》に、年齢《とし》の頃《ころ》はやっと十歳《とお》ばかりの美《うつく》しい少女《しょうじょ》が、七十歳《さい》位《くらい》と見《み》ゆる白髪《しらが》の老人《ろうじん》に伴《ともな》われて佇《た》っていました。
『あれは山椿《やまつばき》の精《せい》ではないかしら……。』
一たんはそう思《おも》いましたが、眼《め》を定《さだ》めてよくよく見《み》ると、それは妖精《ようせい》でも何《なん》でもなく、矢張《やは》り人間《にんげん》の小供《こども》なのでした。その娘《こ》はよほど良《よ》い家柄《いえがら》の生《うま》れらしく、丸《まる》ポチャの愛《あい》くるしい顔《かお》にはどことなく気品《きひん》が備《そな》わって居《お》り、白練《しろねり》の下衣《したぎ》に薄《うす》い薄《うす》い肉色《にくいろ》の上衣《うわぎ》を襲《かさ》ね、白《しろ》のへこ帯《おび》を前《まえ》で結《むす》んでだらりと垂《た》れた様子《ようす》と言《い》ったら飛《と》びつきたいほど優美《ゆうび》でした。頭髪《かみ》は項《うなじ》の辺《あたり》で切《き》って背後《うしろ》に下《さ》げ、足《あし》には分厚《ぶあつ》の草履《ぞうり》を突《つ》かっけ、すべてがいかにも無造作《むざうさ》で、どこをさがしても厭味《いやみ》のないのが、むしろ不思議《ふしぎ》な位《くらい》でございました。
兎《と》に角《かく》日頃《ひごろ》ただ一人《ひとり》山《やま》の中《なか》に閉《と》じこもり、めったに外界《がいかい》と接《せっ》する機会《おり》のない私《わたくし》にとりて、斯《こ》うした少女《しょうじょ》との不意《ふい》の会合《かいごう》は世《よ》にももの珍《めず》らしい限《かぎ》りでございました。私《わたくし》は不躾《ぶしつけ》とか、遠慮《えんりょ》とか言《い》ったようなことはすっかり忘《わす》れて了《しま》い、早速《さっそく》近《ちか》づいて附添《つきそい》のお爺《じい》さんに訊《たず》ねました。――
『あの、このお児《こ》さまは、どこのお方《かた》でございますか?』
『これはもと京《きょう》の生《うま》れじゃが、』と老人《ろうじん》は一向《こう》済《す》ました面持《おももち》で『ごく幼《おさな》い時分《じぶん》に父母《ふぼ》に訣《わか》れ、そしてこちらの世界《せかい》に来《き》てからかくまで生長《せいちょう》したものじゃ……。』
『まあこちらの世界《せかい》で大《おお》きく[#「大きく」は底本では「大さく」]なられたお方《かた》……私《わたくし》、まだ一度《ど》もそう言《い》ったお方《かた》にお目《め》にかかったことがございませぬ。もしお差支《さしつかえ》がなければ、これから私《わたくし》の滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》までお出掛《でか》けくださいませぬか。ここからそう遠《とお》くもございませぬ……。』
『あなたの事《こと》はかねて滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんから伺《うかが》って居《お》ります……。ではお言葉《ことば》に従《したが》ってこれからお邪魔《じゃま》を致《いた》そうか……。雛子《ひなこ》、この姨《おば》さまに御挨拶《ごあいさつ》をなさい。』
そう言《い》われると少女《しょうじょ》はにっこりして丁寧《ていねい》に頭《かしら》をさげました。
私《わたくし》はいそいそとこの二人《ふたり》の珍客《ちんきゃく》を伴《ともな》いて、滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》へと向《むか》ったのでした。
五十九、水さかずき
お客《きゃく》さまが見《み》えた時《とき》に、こちらの世界《せかい》で何《なに》が一ばん物足《ものた》りないかといえば、それは食物《たべもの》のないことでございます。それも神様《かみさま》のお使者《つかい》や、大人《おとな》ならば兎《と》も角《かく》も、斯《こ》うした小供《こども》さんの場合《ばあい》には、いかにも手持無沙汰《てもちぶさた》で甚《はなは》だ当惑《とうわく》するのでございます。
致方《いたしかた》がないから、あの時《とき》私《わたくし》は御愛想《ごあいそう》に滝《たき》の水《みず》を汲《く》んで二人《ふたり》に薦《すす》めたのでした。――
『他《ほか》に何《なに》もさし上《あ》げるものとてございませぬ。どうぞこの滝《たき》のお水《みず》なりと召《め》し上《あが》れ……。これならどんなに多量《たんと》でもございます……。』
『これはこれは何《なに》よりのおもてなし……雛子《ひなこ》、そなたも御馳走《ごちそう》になるがよいであろう。世界中《せかいじゅう》で何《なに》が美味《おいし》いと申《もう》しても、結局《けっきょく》水《みず》に越《こ》したものはござらぬ……。』
指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんはそんな御愛想《おあいそう》を言《い》いながら、教《おし》え子《ご》の少女《しょうじょ》に水《みず》をすすめ、又《また》御自分《ごじぶん》でも、さも甘《うま》そうに二三杯《ばい》飲《の》んでくださいました。私《わたくし》の永《なが》い幽界生活中《ゆうかいせいかつちゅう》にもお客様《きゃくさま》と水杯《みずさかずき》を重《かさ》ねたのは、たしかこの時《とき》限《き》りのようで、想《おも》い出《だ》すと自分《じぶん》ながら可笑《おか》しく感《かん》ぜられます。
それはそうとこの少女《しょうじょ》の身《み》の上《うえ》は、格別《かくべつ》変《かわ》った来歴《らいれき》と申《もう》すほどのものでもございませぬが、その際《さい》指導役《しどうやく》の老人《ろうじん》からきかされたところは、多少《たしょう》は現世《げんせ》の人々《ひとびと》の御参考《ごさんこう》にもなろうかと存《ぞん》じますので、あらましお伝《つた》えすることに致《いた》しましょう。
老人《ろうじん》の物語《ものがた》るところによれば、この少女《しょうじょ》の名《な》は雛子《ひなこ》、生《うま》れて六歳《さい》のいたいけざかりにこちらの世界《せかい》に引《ひ》き移《うつ》ったものだそうで、その時代《じだい》は私《わたくし》よりもよほど後《おく》れ、帰幽後《きゆうご》ざっと八十年《ねん》位《くらい》にしかならぬとのことでございました。父親《ちちおや》は相当《そうとう》高《たか》い地位《ちい》の大宮人《おおみやびと》で、名《な》は狭間信之《はざまのぶゆき》、母親《ははおや》の名《な》はたしか光代《みつよ》、そして雛子《ひなこ》は夫婦《ふうふ》の仲《なか》の一粒種《ひとつぶだね》のいとし児《こ》だったのでした。
指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんはつづいてかく物語《ものがた》るのでした。――
『御身《おんみ》も知《し》るとおり、こちらの世界《せかい》では心《こころ》の純潔《じゅんけつ》な、迷《まよ》いの少《すく》ないものはそのまま側路《わきみち》に入《い》らず、すぐに産土神《うぶすなのかみ》のお手元《てもと》に引《ひ》きとられる。殊《こと》に浮世《うきよ》の罪穢《つみ》に汚《けが》されていない小供《こども》は例外《れいがい》なしに皆《みな》そうで、その為《た》めこの娘《こ》なども、帰幽後《きゆうご》すぐに俺《わし》の手《て》で世話《せわ》することになったのじゃ。しかるに困《こま》ったことにこの娘《こ》の両親《りょうしん》は、きつい仏教《ぶっきょう》信者《しんじゃ》であった為《た》め、わが児《こ》が早《はや》く極楽浄土《ごくらくじょうど》に行《ゆ》けるようにと、朝《あさ》に晩《ばん》にお経《きょう》を上《あ》げてしきりに冥福《めいふく》を祈《いの》って居《い》るのじゃ……。この娘《こ》自身《じしん》はすやすやと眠《ねむ》っているから格別《かくべつ》差支《さしつかえ》もないが、この娘《こ》の指導役《しどうやく》をつとめる俺《わし》にはそれが甚《はなは》だ迷惑《めいわく》、何《なん》とか良《よ》い工夫《くふう》はないものかと頭脳《あたま》を悩《なや》ましたことであった。むろん人間《にんげん》には、賢愚《けんぐ》、善悪《ぜんあく》、大小《だいしょう》、高下《こうげ》、さまざまの等差《とうさ》があるので、仏教《ぶっきょう》の方便《ほうべん》も穴勝《あながち》悪《わる》いものでもなく、迷《まよ》いの深《ふか》い者《もの》、判《わか》りのわるい者《もの》には、しばらくこちらで極楽浄土《ごくらくじょうど》の夢《ゆめ》なりと見《み》せて仏式《ぶっしき》で修行《しゅぎょう》させるのも却《かえ》ってよいでもあろう。――が、この娘《こ》としてはそうした方便《ほうべん》の必要《ひつよう》は毛頭《もうとう》なく、もともと純潔《じゅんけつ》な小供《こども》の修行《しゅぎょう》には、最初《さいしょ》から幽界《ゆうかい》の現実《げんじつ》に目覚《めざ》めさせるに限《かぎ》るのじゃ。で、俺《わし》は、この娘《こ》がいよいよ眼《め》を覚《さ》ますのを待《ま》ち、服装《ふくそう》などもすぐに御国《みくに》振《ぶ》りの清《きよ》らかなものに改《あらた》めさせ、そしてその姿《すがた》で地上《ちじょう》の両親《りょうしん》の夢枕《ゆめまくら》に立《た》たせ、自分《じぶん》は神《かみ》さまに仕《つか》えている身《み》であるから、仏教《ぶっきょう》のお経《きょう》を上《あ》げることは止《や》めてくださるようにと、両親《りょうしん》の耳《みみ》にひびかせてやったのじゃ。最初《さいしょ》の間《あいだ》は二人《ふたり》とも半信半疑《はんしんはんぎ》であったものの、それが三度《ど》五度《ど》と度重《たびかさ》なるに連《つ》れて、漸《ようや》くこれではならぬと気《き》がついて、しばらくすると、現世《げんせ》から清《きよ》らかな祝詞《のりと》の声《こえ》がひびいて来《く》るようになりました……。イヤ一人《ひとり》の小供《こども》を満足《まんぞく》に仕上《しあ》げるにはなかなか並大抵《なみたいてい》の苦心《くしん》ではござらぬ。幽界《ゆうかい》に於《おい》ても矢張《やは》り知識《ちしき》の必要《ひつよう》はあるので、現世《げんせ》と同《おな》じように書物《しょもつ》を読《よ》ませたり、又《また》小供《こども》には小供《こども》の友達《ともだち》もなければならぬので、その取持《とりもち》をしてやったり、精神統一《せいしんとういつ》の修行《しゅぎょう》をさせたり、神様《かみさま》のお道《みち》を教《おし》えたり、又《また》時々《ときどき》はあちこち見学《けんがく》にも連《つ》れ出《だ》して見《み》たり、心《こころ》から好《す》きでなければとても小供《こども》の世話《せわ》は勤《つと》まる仕事《しごと》ではござらぬ。が、お蔭《かげ》でこの娘《こ》も近頃《ちかごろ》はすっかりこちらの世界《せかい》の生活《せいかつ》に慣《な》れ、よく俺《わし》の指図《さしず》をきいてくれるので大《たい》へんに助《たす》かって居《お》ります。今日《きょう》なども散歩《さんぽ》に連《つ》れ出《だ》した道《みち》すがら図《はか》らずもあなたにめぐり逢《あ》い、この娘《こ》の為《た》めには何《なに》よりの修行《しゅぎょう》……あなたからも何《なん》とか言葉《ことば》をかけて見《み》てくだされ……。』
そう言《い》って指導役《しどうやく》の老人《ろうじん》はあたかも[#「あたかも」は底本では「あだかも」]孫《まご》にでも対《たい》する面持《おももち》で、自分《じぶん》の教《おし》え子《ご》を膝元《ひざもと》へ引《ひ》き寄《よ》せるのでした。
『雛子《ひなこ》さん』と私《わたくし》も早速《さっそく》口《くち》を切《き》りました。『あなたはお爺《じい》さんと二人切《ふたりき》りでさびしくはないのですか?』
『ちっともさびしいことはございません。』といかにもあっさりした返答《へんとう》。
『まァお偉《えら》いこと……。しかし時々《ときどき》はお父《とう》さまやお母《かあ》さまにお逢《あ》いしたいでしょう。いつかお逢《あ》いしましたか?』
『たった一度《ど》しか逢《あ》いません……。お爺《じい》さんが、あまり逢《あ》っては良《い》けないと仰《お》っしゃいますから……。わたしそんなに逢《あ》いたくもない……。』
何《なに》をきかれてもこの娘《こ》の答《こたえ》は簡単《かんたん》明瞭《めいりょう》、幽界《ゆうかい》で育《そだ》った小供《こども》には矢張《やは》りどこか異《ちが》ったところがあるのでした。
『これなら修行《しゅぎょう》も案外《あんがい》[#ルビの「あんがい」は底本では「あんが」]に楽《らく》であろう……。』
私《わたくし》はつくづく肚《はら》の中《なか》でそう感《かん》じたことでした。
六十、母性愛
その日《ひ》はそれ位《くらい》のことで別《わか》れましたが、後《あと》で又《また》ちょいちょいこの二人《ふたり》の来訪《らいほう》を受《う》け、とうとうそれが縁《えん》で、私《わたくし》は一度《ど》こちらの世界《せかい》でこの娘《こ》の母親《ははおや》とも面会《めんかい》を遂《と》げることになりました。なかなかしとやかな婦人《ふじん》で、しきりに娘《むすめ》のことばかり気《き》にかけて居《お》りました。その際《さい》私達《わたくしたち》の間《あいだ》に交《かわ》された問答《もんどう》の中《なか》には、多少《たしょう》皆様《みなさま》の御参考《ごさんこう》になるところがあるように思《おも》われますので、序《ついで》にその要点《ようてん》だけここに申《もう》し添《そ》へて置《お》きましょう。
問『あなた様《さま》は御生前《ごせいぜん》に大《たい》そう厚《あつ》い仏教《ぶっきょう》の信者《しんじゃ》だったそうでございますが……。』
答『私《わたくし》どもは別《べつ》に平生《へいぜい》厚《あつ》い仏教《ぶっきょう》の信者《しんじゃ》というのでもなかったのでございますが、可愛《かわい》い小供《こども》を亡《うしな》った悲歎《ひたん》のあまり、阿弥陀様《あみださま》にお縋《すが》りして、あの娘《こ》が早《はや》く極楽浄土《ごくらくじょうど》に行《ゆ》けるようにと、一心《しん》不乱《ふらん》にお経《きょう》を上《あ》げたのでございました。こちらの世界《せかい》の事情《じじょう》が少《すこ》し判《わか》って見《み》ると、それがいかに浅墓《あさはか》な、勝手《かって》な考《かんがえ》であるかがよく判《わか》りますが、あの時分《じぶん》の私達《わたくしたち》夫婦《ふうふ》はまるきり迷《まよ》いの闇《やみ》にとざされ、それがわが娘《こ》の済《すく》われるよすがであると、愚《おろ》かにも思《おも》い込《こ》んで居《い》たのでした。――あべこべに私《わたくし》ども夫婦《ふうふ》はわが娘《こ》の手《て》て済《すく》われました。夫婦《ふうふ》が毎夜《まいよ》夢《ゆめ》の中《なか》に続《つづ》けざまに見《み》るあの神々《こうごう》しい娘《むすめ》の姿《すがた》……私《わたくし》どもの曇《くも》った心《こころ》の鏡《かがみ》にも、だんだんとまことの神《かみ》の道《みち》が朧気《おぼろげ》ながら映《うつ》ってまいり、いつとはなしに御神前《ごしんぜん》で祝詞《のりと》を上《あ》げるようになりました。私《わたくし》どもは全《まった》く雛子《ひなこ》の小《ちい》さな手《て》に導《みちび》かれて神様《かみさま》の御許《みもと》に近《ちか》づくことができたのでございます。私《わたくし》がこちらの世界《せかい》へまいる時《とき》にも、真先《まっさ》きに迎《むか》えに来《き》てくれたのは矢張《やは》りあの娘《こ》でございました。その折《おり》私《わたくし》は飛《と》び立《た》つ思《おも》いで、今《いま》行《ゆ》きますよ……と申《もう》した事《こと》はよく覚《おぼ》えて居《お》りますが、修行《しゅぎょう》未熟《みじゅく》の身《み》の悲《かな》しさ、それから先《さ》きのことはさっぱり判《わか》らなくなって了《しま》いました。後《あと》で神《かみ》さまから伺《うかが》えば、私《わたくし》はそれから十年《ねん》近《ちか》くも眠《ねむ》っていたとのことで、自分《じぶん》ながらわが身《み》の腑甲斐《ふがい》なさに呆《あき》れたことでございました……。』
問『いつお娘《こ》さまとはお逢《あ》いなされましたか……。』
答『自分《じぶん》が気《き》がついた時《とき》、私《わたくし》はてっきりあの娘《こ》が自分《じぶん》の傍《そば》に居《い》てくれるものと思《おも》い込《こ》み、しきりにその名《な》を呼《よ》んだのでございます。――が、いかに呼《よ》べど叫《さけ》べど、あの娘《こ》は姿《すがた》を見《み》せてくれませぬ。そして不図《ふと》気《き》がついて見《み》ると、見《み》も知《し》らぬ一人《ひとり》の老人《ろうじん》が枕辺《まくらべ》に佇《た》って、凝乎《じっ》と私《わたくし》の顔《かお》を見《み》つめて居《い》るのでございます。やがて件《くだん》の老人《ろうじん》が徐《おもむ》ろに口《くち》を開《ひら》いて、そなたの子供《こども》は今《いま》ここに居《い》ないのじゃから、いかに呼《よ》んでも駄目《だめ》じゃ。修行《しゅぎょう》が積《つ》んだら逢《あ》わせてあげぬでもない……。そんなことを言《い》われたのでございます。その時《とき》私《わたくし》は、何《なん》という不愛想《ぶあいそう》な老人《ろうじん》があればあるものかと心《こころ》の中《なか》で怨《うら》みましたが、後《あと》で事情《じじょう》が判《わか》って見《み》ると、この方《かた》がこちらの世界《せかい》で私《わたくし》を指導《しどう》してくださる産土神《うぶすながみ》のお使者《つかい》だったのでございました……。兎《と》も角《かく》も、修行《しゅぎょう》次第《しだい》でわが娘《こ》に逢《あ》わしてもらえることが判《わか》りましたので、それからの私《わたくし》は、不束《ふつつか》な身《み》に及《およ》ぶ限《かぎ》りは、一生《しょう》懸命《けんめい》に修行《しゅぎょう》を励《はげ》みました。そのお蔭《かげ》で、とうとう日頃《ひごろ》の願望《ねがい》の協《かな》う時《とき》がまいりました。どこをドウ通《とう》ったのやら途中《とちゅう》のことは少《すこ》しも判《わか》りませぬが、兎《と》も角《かく》私《わたくし》は指導役《しどうやく》の神《かみ》さまに連《つ》れられて、あの娘《こ》の住居《すまい》へ訪《たず》ねて行《い》ったのでございます。あの娘《こ》の歿《なくな》ったのは六歳《むっつ》の時《とき》でございましたが、それがこちらの世界《せかい》で大分《だいぶ》に大《おお》きく育《そだ》っていたのには驚《おどろ》きました。稚《おさ》な顔《がお》はそのままながら、どう見《み》ても十歳位《とおくらい》には見《み》えるのでございます。私《わたくし》はうれしいやら、悲《かな》しいやら、夢中《むちゅう》であの娘《こ》を両腕《りょううで》にひしとだきかかえたのでございます……。が、それまでが私《わたくし》の嬉《うれ》しさの絶頂《ぜっちょう》でございました。私《わたくし》は何《なに》やら奇妙《きみょう》な感《かん》じ……予《かね》て考《かんが》えていたのとはまるきり異《ちが》った、何《なに》やらしみじみとせぬ、何《なに》やら物足《ものた》りない感《かん》じに、はっと愕《おどろ》かされたのでございます……。』
問『つまり軽《かる》くて温《ぬく》みがなく、手《て》で触《さわ》ってもカサカサした感《かん》じではございませんでしたか……。』
答『全《まった》くお言葉《ことば》の通《とお》り……折角《せっかく》抱《だ》いてもさっぱり手応《てごた》えがないのでございます。私《わたくし》にはいかに考《かんが》えても、こればかりは現世《げんせ》の生活《せいかつ》の方《ほう》がよほど結構《けっこう》なように感《かん》じられて致方《いたしかた》がございませぬ。神様《かみさま》のお言葉《ことば》によれば、いつか時節《じせつ》がまいれば、親子《おやこ》、夫婦《ふうふ》、兄弟《きょうだい》が一緒《しょ》に暮《く》らすことになるとのことでございますが、あんな工合《ぐあい》では、たとえ一緒《しょ》に暮《く》らしても、現世《げんせ》のように、そう面白《おもしろ》いことはないのではございますまいか……。』
二人《ふたり》の問答《もんどう》はまだいろいろありますが、一《ひ》と先《ま》ずこの辺《へん》で端折《はしょ》ることにいたしましょう。現世《げんせ》生活《せいかつ》にいくらか未練《みれん》の残《のこ》っている、つまらぬ女性達《じょせいたち》の繰《く》り言《こと》をいつまで申上《もうしあ》げて見《み》たところで、そう興味《きょうみ》もございますまいから……。
六十一、海の修行場
前《まえ》にも申上《もうしあ》げた通《とお》り、私《わたくし》が滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》に居《お》りました期間《きかん》は割合《わりあい》に短《みじ》かく、又《また》これと言《い》って珍《めず》らしい話《はなし》もありませぬ。私《わたくし》は大体《だいたい》彼所《あそこ》でただ統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》ばかりやっていたのでございますから……。
滝《たき》の修行時代《しゅぎょうじだい》がどれ位《くらい》つづいたかと仰《お》っしゃるか……。さァ自分《じぶん》にはさっぱりその見当《けんとう》がつきませぬが、指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんのお話《はなし》では、あれでも現世《げんせ》の三十年《ねん》位《くらい》には当《あた》るであろうとの事《こと》でございました。三十年《ねん》と申《もう》すと現世《げんせ》ではなかなか長《なが》い歳月《つきひ》でございますが、こちらでは時《とき》を量《はか》る標準《めあて》が無《な》い故《せい》か、一向《こう》それほどにも感《かん》じないのでございまして……。
それはそうと、私《わたくし》の滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》生活《せいかつ》もやがて終《おわ》りを告《つ》ぐべき時《とき》がめぐってまいりました。ある日《ひ》私《わたくし》が御神前《ごしんぜん》で深《ふか》い深《ふか》い統一《とういつ》に入《はい》って居《お》りますと、ひょっくり滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんが、例《れい》の白衣姿《びゃくいすがた》ですぐ間近《まじか》くお現《あら》われになり、斯《こ》う仰《おお》せられるのでございました。――
『そなたの統一《とういつ》もその辺《へん》まで進《すす》めば先《ま》ず大丈夫《だいじょうぶ》、大概《たいがい》の仕事《しごと》に差支《さしつか》えることもあるまい。従《したが》ってそなたがこの上《うえ》ここに居《お》る必要《ひつよう》もなくなった訳《わけ》……ではこれでお別《わか》れじゃ……。』
言《い》いも終《おわ》らず、プイと姿《すがた》をお消《け》しになり、そしてそれと入《い》れ代《かわ》りに私《わたくし》の指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが、いつの間《ま》にやら例《れい》の長《なが》い杖《つえ》をついて入口《いりぐち》に立《た》って居《お》られました。
私《わたくし》はびっくりして訊《たず》ねました。――
『お爺《じい》さま、これから何所《どこ》ぞへお引越《ひきこし》でございますか?』
『そうじゃ……今度《こんど》の修行場《しゅぎょうば》はきっと汝《そち》の気《き》に入《い》るぞ……。すぐ出掛《でか》けるとしよう……。』
不相変《あいかわらず》あっさりしたものでございます。しかし、私《わたくし》の方《ほう》でも近頃《ちかごろ》はいくらかこちらの世界《せかい》の生活《せいかつ》に慣《な》れてまいりましたので、格別《かくべつ》驚《おどろ》きも、怪《あや》しみもせず、ただ母《はは》の紀念《かたみ》の守刀《まもりがたな》を身《み》につけた丈《だけ》で、心静《こころしず》かに坐《ざ》を起《た》ちました。
が、それにつづいて起《おこ》った局面《きょくめん》の急転回《きゅうてんかい》には、さすがの私《わたくし》も少《すこ》し呆《あき》れない訳《わけ》にはまいりませんでした。お暇乞《いとまご》いの為《た》めに私《わたくし》が滝《たき》の竜神《りゅうじん》さんの祠堂《ほこら》に向《むか》って合掌《がっしょう》瞑目《めいもく》したのはホンの一瞬間《しゅんかん》、さて眼《め》を開《あ》けると、もうそこはすでに滝《たき》の修行場《しゅぎょうば》でも何《なん》でもなく、一望《ぼう》千里《り》の大海原《おおうなばら》を前《まえ》にした、素晴《すば》らしく見晴《みは》らしのよい大《おお》きな巌《いわ》の頂点《てっぺん》に、私《わたくし》とお爺《じい》さんと並《なら》んで立《た》っていたのでした。
『ここが今度《こんど》の汝《そち》の修行場《しゅぎょうば》じゃ。何《ど》うじゃ気《き》に入《い》ったであろうが……。』
びっくりした私《わたくし》が御返答《ごへんじ》をしようとする間《ま》もあらせず、お爺《じい》さんの姿《すがた》が又々《またまた》烟《けむり》のように側《そば》から消《き》えて無《な》くなって了《しま》いました。
重《かさ》ね重《がさ》ねの早業《はやわざ》に、私《わたくし》は開《あ》いた口《くち》が容易《ようい》に塞《ふさ》がりませんでしたが、漸《ようや》く気《き》を落《お》ちつけて四辺《あたり》の景色《けしき》を|見《みま》わした時《とき》に、私《わたくし》は三《み》たび驚《おどろ》かされて了《しま》いました。何故《なぜ》かと申《もう》すに、巌《いわ》の上《うえ》から見渡《みわた》す一帯《たい》の景色《けしき》が、どう見《み》ても昔馴染《むかしなじみ》の三浦《みうら》の西海岸《にしかいがん》に何所《どこ》やら似通《にかよ》って居《い》るのでございますから……。
六十二、現世のお浚
私《わたくし》はうれしいのやら、悲《かな》しいのやら、自分《じぶん》にもよくは判《わか》らぬ気分《きぶん》でしばらくあたりの景色《けしき》に見《み》とれて居《い》ましたが、不図《ふと》自分《じぶん》の住居《すまい》のことが気《き》になって来《き》ました。
『お爺《じい》さんは私《わたくし》の住居《すまい》について何《なん》とも仰《お》っしゃられなかったが、一たいそれはどこにあるのかしら……。』
私《わたくし》は巌《いわ》の上《うえ》からあちこち見《み》まわしました。
脚下《きゃっか》は一帯《たい》の白砂《はくさ》で、そして自分《じぶん》の立《た》っている巌《いわ》の外《ほか》にも幾《いく》つかの大《おお》きな巌《いわ》があちこちに屹立《きつりつ》して居《お》り、それにはひねくれた松《まつ》その他《た》の常盤木《ときわぎ》が生《は》えて居《い》ましたが、不図《ふと》気《き》がついて見《み》ると、中《なか》で一ばん大《おお》きな彼方《むこう》の巌山《いわやま》の裾《すそ》に、一《ひと》つの洞窟《ほらあな》らしいものがあり、これに新《あた》らしい注連縄《しめなわ》が張《は》りめぐらしてあるのでした。
『きっとあれが私《わたくし》の住居《すまい》に相違《そうい》ない……。』
私《わたくし》は急《いそ》いで巌《いわ》から降《お》りてそこへ行《い》って見《み》ると、案《あん》に違《たが》わず巌山《いわやま》の底《そこ》に八畳《じょう》敷《じき》ほどの洞窟《どうくつ》が天然《てんねん》自然《しぜん》に出来《でき》て居《お》り、そして其所《そこ》には御神体《ごしんたい》をはじめ、私《わたくし》が日頃《ひごろ》愛用《あいよう》の小机《こづくえ》までがすでにキチンと取《と》り揃《そろ》えられてありました。
一《ひ》と目《め》見《み》て私《わたくし》は今度《こんど》の住居《すまい》が、心《しん》から好《す》きになって了《しま》いました。洞窟《どうくつ》と言《い》っても、それはよくよく浅《あさ》いもので明《あか》るさは殆《ほと》んど戸外《そと》と変《かわ》りなく、そして其所《そこ》から海《うみ》までの距離《きょり》がたった五六間《けん》、あたりにはきれいな砂《すな》が敷《し》きつめられていて、所々《ところどころ》に美《うつく》しい色彩《いろどり》の貝殻《かいがら》や香《にお》いの強《つよ》い海藻《かいそう》やらが散《ちら》ばっているのです。
『まるきり三浦《みうら》の海岸《かいがん》そっくり……こんな場所《ばしょ》なら、私《わたくし》はいつまでここに住《す》んでもよい……。』
私《わたくし》は室《へや》を出《で》たり、入《はい》ったり、しばらく坐《すわ》ることも打忘《うちわす》れて小娘《こむすめ》のようにはしゃいだことでした。
今日《こんにち》から振《ふ》り返《かえ》って考《かんが》えると、この海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》は私《わたくし》の為《た》めに神界《しんかい》で特《とく》に設《もう》けて下《くだ》すったお浚《さら》いの場所《ばしょ》ともいうべきものなのでございました。境遇《ところ》は人《ひと》の心《こころ》を映《うつ》す[#「映す」は底本では「移す」]とやら、自分《じぶん》が現世時代《げんせじだい》に親《したし》んだのとそっくりの景色《けしき》の中《なか》に犇《ひし》と抱《いだ》かれて、別《べつ》に為《な》すこともなくたった一人《ひとり》で暮《く》らして居《お》りますと、考《かんがえ》はいつとはなしに遠《とお》い遠《とお》い昔《むかし》に馳《は》せ、ありとあらゆる、どんな細《こま》かい事柄《ことがら》までもはっきりと心《こころ》の底《そこ》に甦《よみがえ》って来《く》るのでした。紅《あか》い色《いろ》の貝殻《かいがら》一《ひと》つ、かすかにひびく松風《まつかぜ》一《ひと》つが私《わたくし》にとりてどんなにも数多《かずおお》き思《おも》い出《で》の[#「思い出の」は底本では「思も出の」]種子《たね》だったでございましょう! それは丁度《ちょうど》絵巻物《えまきもの》を繰《く》り拡《ひろ》げるように、物心《ものごころ》ついた小娘時代《こむすめじだい》から三十四歳《さい》で歿《みまか》るまでの、私《わたくし》の生涯《しょうがい》に起《おこ》った事柄《ことがら》が細大《さいだい》漏《も》れなく、ここで復習《おさらい》をさせられたのでした。
で、この海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》は私《わたくし》にとりて一《ひとつ》の涙《なみだ》の棄《す》て場所《ばしょ》でもありました。最初《さいしょ》四辺《あたり》の景色《けしき》が気《き》に入《い》ってはしゃいだのはホンの束《つか》の間《ま》、後《あと》はただ思《おも》い出《だ》しては泣《な》き、更《さら》に思《おも》い出《だ》しては泣《な》き、よくもあれで涙《なみだ》が涸《か》れなかったと思《おも》われるほど泣《な》いたのでございました。元来《がんらい》私《わたくし》は涙《なみだ》もろい女《おんな》、今《いま》でも未《ま》だ泣《な》く癖《くせ》がとまりませぬが、しかしあの時《とき》ほど私《わたくし》がつづけざまに泣《な》いたこともなかったように覚《おぼ》えて居《お》ります。
が、思《おも》い出《だ》す丈《だけ》思《おも》い出《だ》し、泣《な》きたい丈《だけ》泣《な》きつくした時《とき》に、後《あと》には何《なん》ともいえぬしんみりと安《やす》らかな気分《きぶん》が私《わたくし》を見舞《みま》ってくれました。こんないくじのない者《もの》に幾分《いくぶん》か心《こころ》の落《おち》つきが出《で》て来《き》たように思《おも》われるのは、たしかにあの海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》で一生涯《しょうがい》のお浚《さらい》をしたお蔭《かげ》であると存《ぞん》じます。私《わたくし》は今《いま》でもあれが私《わたくし》にとりて何《なに》より難有《ありがた》い修行場《しゅぎょうば》であったと感謝《かんしゃ》せずには居《お》られませぬ。尚《な》おここはただ昔《むかし》の思《おも》い出《で》の場所《ばしょ》であったばかりでなく、現世時代《げんせじだい》に関係《かんけい》のあった方々《かたがた》との面会《めんかい》の場所《ばしょ》でもあり、私《わたくし》は随分《ずいぶん》いろいろな人達《ひとたち》とここでお逢《あ》いしました。標本《みほん》として私《わたくし》が彼所《あそこ》で実家《さと》の忠僕《ちゅうぼく》及《およ》び良人《おっと》に逢《あ》った話《はなし》なりと致《いた》しましょうか。格別《かくべつ》面白《おもしろ》いこともございませぬが……。
六十三、昔の忠僕
私《わたくし》がある日《ひ》海岸《かいがん》で遊《あそ》んで居《お》りますと、指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが例《れい》の長《なが》い杖《つえ》を突《つ》きながら彼方《むこう》からトボトボと歩《ある》いて来《こ》られました。何《ど》うした風《かぜ》の吹《ふ》きまわしか、その日《ひ》は大《たい》へん御機嫌《ごきげん》がよいらしく、老顔《ろうがん》に微笑《えみ》を湛《たた》えて斯《こ》う言《い》われるのでした。――
『今日《きょう》は思《おも》い掛《が》けない人《ひと》を連《つ》れて来《く》るが、誰《だれ》であるか一《ひと》つ当《あ》てて見《み》るがよい……。』
『そんなこと、私《わたくし》にはできはしませぬ……できる筈《はず》がございませぬ。』
『コレコレ、汝《そち》は何《なん》の為《た》めに多年《たねん》精神統一《せいしんとういつ》の修行《しゅぎょう》をしたのじゃ。統一《とういつ》というものは斯《こ》うした場合《ばあい》に使《つか》うものじゃ……。』
『左様《さよう》でございますか。ではちょっとお待《ま》ち下《くだ》さいませ……。』
私《わたくし》は立《た》ちながら眼《め》を瞑《つむ》って見《み》ると、間《ま》もなく眼《め》の底《そこ》に頭髪《かみ》の真白《まっしろ》な、痩《や》せた老人《ろうじん》の姿《すがた》がありありと映《うつ》って来《き》ました。
『八十歳《さい》位《くらい》の年寄《としより》でございますが、私《わたくし》には見覚《みおぼえ》がありませぬ……。』
『今《いま》に判《わか》る……。ちょっと待《ま》って居《い》るがよい。』
お爺《じい》さんはいとも気軽《きがる》にスーッと巌山《いわやま》をめぐって姿《すがた》を消《け》して了《しま》いました。
しばらくするとお爺《じい》さんは私《わたくし》が先刻《せんこく》霊眼《れいがん》で見《み》た一人《ひとり》の老人《ろうじん》を連《つ》れて再《ふたた》びそこへ現《あら》われました。
『何《ど》うじゃ実物《じつぶつ》を視《み》てもまだ判《わか》らんかナ。――これは汝《そち》のお馴染《なじみ》の爺《じい》や……数間《かずま》の爺《じい》やじゃ……。』
そう言《い》われた時《とき》の私《わたくし》の頭脳《あたま》の中《なか》には、旧《ふる》い旧《ふる》い記憶《きおく》が電光《でんこう》のように閃《ひらめ》きました。――
『まァお前《まえ》は爺《じい》やであったか! そう言《い》えば成《な》るほど昔《むかし》の面影《おもかげ》が残《のこ》っています。――第《だい》一その小鼻《こばな》の側《わき》の黒子《ほくろ》……それが何《なに》より確《たし》かな目標《めじるし》です……。』
『姫《ひい》さま、俺《わし》は今日《きょう》のようにうれしい事《こと》はござりませぬ。』と数間《かずま》の爺《じい》やは砂上《さじょう》に手《て》をついてうれし涙《なみだ》に咽《むせ》びながら『夙《とう》から姫《ひい》さまに逢《あ》わせてもらいたいと神様《かみさま》に御祈願《おきがん》をこめていたのでござりますが、霊界《れいかい》の掟《おきて》としてなかなかお許《ゆる》しが降《お》りず、とうとう今日《こんにち》までかかって了《しま》いましたのじゃ。しかしお目《め》にかかって見《み》ればいつに変《かわ》らぬお若《わか》さ……俺《わし》はこれで本望《ほんもう》でござりまする……。』
考《かんが》えて見《み》れば、私達《わたくしたち》の対面《たいめん》は随分《ずいぶん》久《ひさ》しぶりの対面《たいめん》でございました。現世《げんせ》で別《わか》れた切《き》り、かれこれ二百年《ねん》近《ちか》くにもなっているのでございますから……。数間《かずま》の爺《じい》やのことは、ツイうっかりしてまだ一度《ど》もお風評《うわさ》を致《いた》しませんでしたが、これは、むかし鎌倉《かまくら》の実家《さと》に仕《つか》えていた老僕《ろうぼく》なのでございます。私《わたくし》が[#「私が」は底本では「私か」]三浦《みうら》へ嫁《とつ》いだ頃《ころ》は五十歳《さい》位《くらい》でもあったでしょうが、夙《とう》に女房《にょうぼう》に先立《さきだ》たれ、独身《どくしん》で立《た》ち働《はたら》いている、至《いた》って忠実《ちゅうじつ》な親爺《おやじ》さんでした。三浦《みうら》へも所中《しょっちゅう》泊《とま》りがけで訪《たず》ねてまいり、よく私《わたくし》の愛馬《あいば》の手入《てい》れなどをしてくれたものでございます。そうそう私《わたくし》が現世《げんせ》の見納《みおさ》めに若月《わかつき》を庭前《にわさき》へ曳《ひ》かせた時《とき》、その手綱《たづな》を執《と》っていたのも、矢張《やは》りこの老人《ろうじん》なのでございました。
だんだんきいて見《み》ると、爺《じい》やが死《し》んだのは、私《わたくし》よりもざっと二十年《ねん》ばかり後《のち》だということでございました。『俺《わし》は生涯《しょうがい》病気《びょうき》という病気《びょうき》はなく、丁度《ちょうど》樹木《じゅもく》が自然《しぜん》と立枯《たちが》れするように、安《やす》らかに現世《げんせ》にお暇《いとま》を告《つ》げました。身分《みぶん》こそ賎《いや》しいが、後生《ごしょう》は至《いた》って良《よ》かった方《ほう》でござります……。』そんなことを申《もう》して居《お》りました。
こんな善良《ぜんりょう》な人間《にんげん》でございますから、こちらの世界《せかい》へ移《うつ》って来《き》てからも至《いた》って大平無事《たいへいぶじ》、丁度《ちょうど》現世《げんせ》でまめまめしく主人《しゅじん》に仕《つか》えたように、こちらでは後生大事《ごしょうだいじ》に神様《かみさま》に仕《つか》え、そして偶《たま》には神様《かみさま》に連《つ》れられて、現世《げんせ》で縁故《えんこ》の深《ふか》かった人達《ひとたち》の許《もと》へも尋《たず》ねて行《ゆ》くとのことでございました。
『この間《あいだ》御両親様《ごりょうしんさま》にもお目《め》にかからせて戴《いただ》きましたが、イヤその時《とき》は欣《よろこ》んでよいのやら、又《また》は悲《かな》しんでよいのやら……現世《げんせ》の気持《きもち》とは又《また》格別《かくべつ》でござりました……。』
爺《じい》やの口《くち》からはそう言《い》った物語《ものがたり》がいくつもいくつも出《で》ました。最後《さいご》に爺《じい》やは斯《こ》んなことを言《い》い出《だ》しました。
『俺《わし》はこちらでまだ三浦《みうら》の殿様《とのさま》に一度《ど》もお目《め》にかかりませぬが、今日《きょう》は姫《ひい》さまのお手引《てび》きで、早速《さっそく》日頃《ひごろ》の望《のぞみ》を協《かな》えさせて戴《いただ》く訳《わけ》にはまいりますまいか。』
『さァ……。』
私《わたくし》がいささか躊躇《ためら》って居《お》りますと、指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが直《ただ》ちに側《そば》から引《ひ》きとって言《い》われました。――
『それはいと易《やす》いことじゃが、わざわざこちらから出掛《でか》けずとも、先方《むこう》からこちらへ来《き》て貰《もら》うことに致《いた》そう。そうすれば爺《じい》やも久《ひさ》しぶりで御夫婦《ごふうふ》お揃《そろ》いの場面《ばめん》が見《み》られるというものじゃ。まさか夫婦《ふうふ》が揃《そろ》っても、以前《いぜん》のように人間臭《にんげんくさ》い執着《しゅうじゃく》を起《おこ》しもしまいと思《おも》うが、どうじゃその点《てん》は請合《うけあ》ってくれるかナ?』
『お爺《じい》さまモー大丈夫《だいじょうぶ》でございますとも……。』
とうとう良人《おっと》の方《ほう》からこの海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》へ訪《たず》ねて来《く》ることになって了《しま》いました。
六十四、主従三人
間《ま》もなく良人《おっと》の姿《すがた》がすーッと浪打際《なみうちぎわ》に現《あら》われました。服装《ふくそう》その他《た》は不相変《あいかわらず》でございますが、しばらく見《み》ぬ間《ま》に幾《いく》らか修行《しゅぎょう》が積《つ》んだのか、何所《どこ》となく身《み》に貫禄《かんめ》がついて居《お》りました。
『近頃《ちかごろ》は大《たい》へんに御無沙汰《ごぶさた》を致《いた》しました。いつも御機嫌《ごきげん》で何《なに》より結構《けっこう》でございます……。』
『お互《たがい》にこちらでは別《べつ》に風邪《かぜ》も引《ひ》かんのでナ、アハハハハハ。そなたも近頃《ちかごろ》は大《たい》そう若返《わかがえ》ったようじゃ……。』
二三問答《もんどう》を交《かは》して居《い》る中《うち》に、数間《かずま》の爺《じい》やもそこへ現《あら》われ、私《わたくし》の良人《おっと》と久《ひさ》しぶりの対面《たいめん》を遂《と》げました。その時《とき》の爺《じい》やの歓《よろこ》びは又《また》格別《かくべつ》、『お二人《ふたり》で斯《こ》うしてお揃《そろ》いの所《ところ》を見《み》ると、まるで元《もと》の現世《げんせ》へ戻《もど》ったような気《き》が致《いた》しまする……。』そんなこと言《い》って洟《はな》をすするのでした。
そうする中《うち》にも、何人《たれ》がどう世話《せわ》して下《くだ》すったのやら、砂《すな》の上《うえ》には折畳《おりたた》みの床几《しょうぎ》が三つほど据《す》えつけられてありました。しかもその中《うち》の二《ふた》つは間近《まじか》く向《む》き合《あ》い、他《た》の一脚《きゃく》は少《すこ》し下《さが》って背後《うしろ》の方《ほう》へ……。何《ど》う見《み》たって私達《わたくしたち》三人《にん》の為《た》めに特別《とくべつ》に設《もう》けてくれたとしか思《おも》えない恰好《かっこう》なのでございます。
『どりァ遠慮《えんりょ》なく頂戴《ちょうだい》致《いた》そうか。』良人《おっと》もひどく気《き》を良《よ》くしてその一《ひと》つに腰《こし》を降《お》ろしました。
『こちらへ来《き》てから床几《しょうぎ》に腰《こし》をかけるのはこれが初《はじ》めてじゃが、なかなか悪《わ》るい気持《きもち》は致《いた》さんな……。』
然《しか》るべく床几《しょうぎ》に腰《こし》を降《お》ろした主従《しゅじゅう》三人《にん》は、それからそれへと際限《さいげん》もなく水入《みずい》らずの昔語《むかしがた》りに耽《ふけ》りましたが、何《なに》にしろ現世《げんせ》から幽界《ゆうかい》へかけての長《なが》い歳月《としつき》の間《あいだ》に、積《つも》り積《つも》った話《はなし》の種《たね》でございますから、いくら語《かた》っても語《かた》っても容易《ようい》に尽《つ》きる模様《もよう》は見《み》えないのでした。その間《あいだ》には随分《ずいぶん》泣《な》くことも、又《また》笑《わら》うこともありましたが、ただ有難《ありがた》いことに、以前《いぜん》良人《おっと》と会《あ》った時《とき》のような、あの現世《げんせ》らしい、変《へん》な気持《きもち》だけは、最早《もはや》殆《ほと》んど起《おこ》らないまでに心《こころ》がきれいになっていました。私《わたくし》は平気《へいき》で良人《おっと》の手《て》を握《にぎ》っても見《み》ました。
『随分《ずいぶん》軽《かる》いお手《て》でございますね。』
『イヤ斯《こ》うカサカサして居《い》てはさっぱりじゃ。こんな張子細工《はりこざいく》では今更《いまさら》同棲《どうせい》してもはじまるまい。』
私達《わたくしたち》夫婦《ふうふ》の間《あいだ》にはそんな戯談《じょうだん》が口《くち》をついて出《で》るところまであっさりした気分《きぶん》が湧《わ》いて居《い》ました。爺《じい》やの方《ほう》では一層《そう》枯《か》れ切《き》ったもので、ただもううれしくて耐《たま》らぬと言《い》った面持《おももち》で、黙《だま》って私達《わたくしたち》の様子《ようす》を打《う》ち守《まも》っているのでした。
ただ一《ひと》つ良人《おっと》にとりての禁物《きんもつ》は三崎《みさき》の話《はなし》でした。あちらに見《み》ゆる遠景《えんけい》が丁度《ちょうど》油壺《あぶらつぼ》の附近《ふきん》に似《に》て居《お》りますので、うっかり話頭《はなし》が籠城時代《ろうじょうじだい》の事《こと》に向《むか》いますと、良人《おっと》の様子《ようす》が急《きゅう》に沈《しず》んで、さも口惜《くや》しいと言《い》ったような表情《ひょうじょう》を浮《うか》べるのでした。『これは良《い》けない……。』私《わたくし》は急《いそ》いで話《はなし》を他《た》に外《そ》らしたことでございました。
困《こま》ったのは、この時《とき》良人《おっと》も爺《じい》やもなかなか帰《かえ》ろうとしないことで、現世《げんせ》でいうなら二人《ふたり》が二三日《にち》私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》に滞在《たいざい》するようなことになりました。尤《もっと》も、それはただ気持《きもち》だけの話《はなし》でございます。こちらには昼《ひる》も夜《よる》もないのですから、現世《げんせ》のようにとても幾日《いくにち》とはっきり数《かぞ》える訳《わけ》には行《ゆ》かないのでございます。その辺《へん》がどうも話《はなし》が大《たい》へんにしにくい点《てん》でございまして……。
× × × ×
海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》の話《はなし》はこれで切《き》り上《あ》げますが、兎《と》に角《かく》この修行場《しゅぎょうば》は私《わたくし》にとりて最後《さいご》の仕上《しあ》げの場所《ばしょ》で、そして私《わたくし》はこの時《とき》に神様《かみさま》から修行《しゅぎょう》終了《しゅうりょう》の仰《おお》せを戴《いただ》いたのでございます。同時《どうじ》に現世《げんせ》の方《ほう》ではすでに私《わたくし》の為《た》めに一《ひと》つの神社《じんじゃ》が建立《こんりゅう》されて居《お》り、私《わたくし》は間《ま》もなくこの修行場《しゅぎょうば》からその神社《じんじゃ》の方《ほう》へと引移《ひきうつ》ることになったのでございます。
それに就《つ》きての経緯《いきさつ》は何《いず》れ改《あらた》めてこの次《つ》ぎに申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。
六十五、小桜神社の由来
ツイうっかりお約束《やくそく》をして了《しま》いましたので、これから私《わたくし》が小桜神社《こざくらじんじゃ》として祀《まつ》られた次第《しだい》を物語《ものがた》らなければならぬ段取《だんどり》になりましたが、実《じつ》は私《わたくし》としてこんな心苦《こころぐる》しいことはないのでございます。御覧《ごらん》のとおり私《わたくし》などは別《べつ》にこれと申《もう》してすぐれた器量《きりょう》の女性《おんな》でもなく、又《また》修行《しゅぎょう》と言《い》ったところで、多寡《たか》が[#「多寡が」は底本では「多寡か」]知《し》れて居《い》るのでございます。こんなものがお宮《みや》に祀《まつ》られるというのはたしかに分《ぶん》に過《す》ぎたことで、私《わたくし》自身《じしん》もそれはよく承知《しょうち》しているのでございます。ただそれが事実《じじつ》である以上《いじょう》、拠《よんどころ》なく申上《もうしあ》げるようなものの、決《けっ》して決《けっ》して私《わたくし》が良《よ》い気《き》になって居《い》る訳《わけ》でも何《なん》でもないことを、くれぐれもお含《ふく》みになって戴《いただ》きとう存《ぞん》じます。私《わたくし》にとりてこんなしにくい話《はなし》はめったにないのでございますから……。
だんだん事《こと》の次第《しだい》をしらべますると、話《はなし》はずっと遠《とお》い昔《むかし》、私《わたくし》がまだ現世《げんせ》に生《い》きて居《い》た時代《じだい》に遡《さかのぼ》るのでございます。前《まえ》にもお話《はな》ししたとおり、良人《おっと》の討死後《うちじにご》私《わたくし》は所中《しょちゅう》そのお墓詣《はかまい》りを致《いた》しました。何《なに》にしろお墓《はか》の前《まえ》へ行《い》って瞑目《めいもく》すれば、必《かな》らず良人《おっと》のありし日《ひ》の面影《おもかげ》がありありと眼《め》に映《うつ》るのでございますから、当時《とうじ》の私《わたくし》にとりてそれが何《なに》よりの心《こころ》の慰《なぐさ》めで、よほどの雨風《あめかぜ》でもない限《かぎ》り、めったに墓参《ぼさん》を怠《おこた》るようなことはないのでした。『今日《きょう》も又《また》お目《め》にかかって来《こ》ようかしら……。』私《わたくし》としてはただそれ位《ぐらい》のあっさりした心持《こころもち》で出掛《でか》けたまでのことでございました。この墓詣《はかまい》りは私《わたくし》が病《やまい》の床《とこ》につくまでざっと一年《ねん》あまりもつづいたでございましょうか……。
ところが意外《いがい》にもこの墓参《ぼさん》が大《たい》へんに里人《さとびと》の感激《かんげき》の種子《たね》となったのでございます。『小櫻姫《こざくらひめ》は本当《ほんとう》に烈女《れつじょ》の亀鑑《かがみ》だ。まだうら若《わか》い身《み》でありながら再縁《さいえん》しようなどという心《こころ》は微塵《みじん》も[#「微塵も」は底本では「味塵も」]なく、どこまでも三浦《みうら》の殿様《とのさま》に操《みさお》を立《た》て通《とう》すとは見上《みあ》げたものである。』そんな事《こと》を言《い》いまして、途中《とちゅう》で私《わたくし》とすれ違《ちが》う時《とき》などは、土地《とち》の男《おとこ》も女《おんな》も皆《みな》泪《なみだ》ぐんで、いつまでもいつまでも私《わたくし》の後姿《うしろすがた》を見送《みおく》るのでございました。
里人《さとびと》からそんなにまで慕《した》ってもらいました私《わたくし》が、やがて病《やまい》の為《た》めに殪《たお》れましたものでございますから、その為《た》めに一層《そう》人気《にんき》が出《で》たとでも申《もう》しましょうか、いつしか私《わたくし》のことを世《よ》にも類《たぐい》なき烈婦《れっぷ》……気性《きしょう》も武芸《ぶげい》も人並《ひとなみ》すぐれた女丈夫《じょじょうぶ》ででもあるように囃《はや》し立《た》てたらしいのでございます。その事《こと》は後《あと》で指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんから伺《うかが》って自分《じぶん》ながらびっくりして了《しま》いました。私《わたくし》は決《けっ》してそんなに偉《えら》い女性《おんな》ではございませぬ。私《わたくし》はただ自分《じぶん》の気《き》が済《す》むように、一と筋《すじ》に女子《おんな》として当《あた》り前《まえ》の途《みち》を踏《ふ》んだまでのことなのでございまして……。
尤《もっと》も、最初《さいしょ》は別《べつ》に私《わたくし》をお宮《みや》に祀《まつ》るまでの話《はなし》が出《で》た訳《わけ》ではなく、時々《ときどき》思《おも》い出《だ》しては、野良《のら》への往来《ゆきかえり》に私《わたくし》の墓《はか》に香花《こうげ》を手向《たむ》ける位《くらい》のことだったそうでございますが、その後《のち》不図《ふと》とした事《こと》が動機《どうき》となり、とうとう神社《じんじゃ》というところまで話《はなし》が進《すす》んだのでございました、まことに人《ひと》の身《み》の上《うえ》というものは何《なに》[#ルビの「なに」は底本では「なほ」]が何《なに》やらさっぱり見当《けんとう》がとれませぬ。生《い》きて居《い》る時《とき》にはさんざん悪口《わるぐち》を言《い》われたものが、死《し》んでから口《くち》を極《きは》めて讃《ほ》められたり、又《また》その反対《あべこべ》に、生前《せいぜん》栄華《えいが》の夢《ゆめ》を見《み》たものが、墓場《はかば》に入《い》ってからひどい辱《はずか》しめを受《う》けたりします。そしてそれが少《すこ》しも御本人《ごほんにん》には関係《かんけい》のない事柄《ことがら》なのですから、考《かんが》えて見《み》ればまことに不思議《ふしぎ》な話《はなし》で、煎《せん》じつむれば、これは矢張《やは》り何《なに》やら人間以上《にんげんいじょう》の奇《くし》びな力《ちから》が人知《ひとし》[#ルビの「ひとし」は底本では「ひとく」]れず奥《おく》の方《ほう》で働《はたら》いているのではないでしょうか。少《すくな》くとも私《わたくし》の場合《ばあい》にはそうらしく感《かん》[#ルビの「かん」は底本では「とん」]じられてならないのでございます……。
六十六、三浦を襲った大海嘯《おおつなみ》
さて只今《ただいま》申上《もうしあ》げました不図《ふと》とした動機《どうき》というのは、或《あ》る年《とし》三浦《みうら》の海岸《かいがん》を襲《おそ》った大海嘯《おおつなみ》なのでございました。それはめったにない位《くらい》の大《おお》きな時化《しけ》で、一時《じ》は三浦《みうら》三崎《みさき》一帯《たい》の人家《じんか》が全滅《ぜんめつ》しそうに思《おも》われたそうでございます。
すると、その頃《ころ》、諸磯《もろいそ》の、或《あ》る漁師《りょうし》の妻《つま》で、平常《ふだん》から私《わたくし》の事《こと》を大《たい》へんに尊信《そんしん》してくれている一人《ひとり》の婦人《ふじん》がありました。『小櫻姫《こざくらひめ》にお願《ねが》いすれば、どんな事《こと》でも協《かな》えて下《くだ》さる……。』そう思《おも》い込《こ》んでいたらしいのでございます。で、いよいよ暴風雨《あらし》が荒《あ》れ出《だ》しますと、右《みぎ》の婦人《ふじん》が早速《さっそく》私《わたくし》の墓《はか》に駆《か》けつけて一心《しん》不乱《ふらん》に祈願《きがん》しました。――
『このままにして置《お》きますと、三浦《みうら》の土地《とち》は皆《みな》流《なが》れて了《しま》います。小櫻姫《こざくらひめ》さま、何《ど》うぞあなた様《さま》のお力《ちから》で、この災難《さいなん》を免《まぬが》[#ルビの「まぬが」は底本では「まぬ」]れさせて戴《いただ》きます。この土地《とち》でお縋《すが》りするのはあなた様《さま》より外《ほか》にはござりませぬ。』
丁度《ちょうど》その時《とき》私《わたくし》は海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》で不相変《あいかわらず》統一《とういつ》の修行《しゅぎょう》三昧《まい》に耽《ふけ》って居《お》りましたので、右《みぎ》の婦人《ふじん》の熱誠《ねっせい》こめた祈願《きがん》がいつになくはっきりと私《わたくし》の胸《むね》に通《つう》じて来《き》ました。これには私《わたくし》も一と方《かた》ならず驚《おどろ》きました。――
『これは大《たい》へんである。三浦《みうら》は自分《じぶん》にとりて切《き》っても切《き》れぬ深《ふか》い因縁《いんねん》の土地《とち》、このまま土地《とち》の人々《ひとびと》を見殺《みごろ》しにはできない。殊《こと》にあそこには良人《おっと》をはじめ、三浦《みうら》一族《ぞく》の墓《はか》もあること……。一つ竜神《りゅうじん》さんに一生《しょう》懸命《けんめい》祈願《きがん》[#ルビの「きがん」は底本では「ごきがん」]して見《み》ましょう……。正《ただ》しい願《ねが》いであるならきっと御神助《ごしんじよ》が降《くだ》るに相違《そうい》ない……。』
それから私《わたくし》は未熟《みじゅく》な自分《じぶん》にできる限《かぎ》りの熱誠《ねっせい》をこめて、三浦《みうら》の土地《とち》が災厄《さいやく》から免《まぬが》れるようにと、竜神界《りゅうじんかい》に祈願《きがん》を籠《こ》めますと、間《ま》もなくあちらから『願《ねが》いの趣《おもむき》聴《き》き届《とど》ける……。』との難有《ありがた》いお言葉《ことば》が伝《つた》わってまいりました。
果《はた》して、さしものに猛《たけ》り狂《くる》った大時化《おおしけ》が、間《ま》もなく収《おさ》まり、三浦《みうら》の土地《とち》はさしたる損害《そんがい》もなくして済《す》んだのでしたが、三浦以外《みうらいがい》の土地《とち》、例《たと》えば伊豆《いず》とか、房州《ぼうしゅう》とかは百年《ねん》来《らい》例《ためし》がないと言《い》われるほどの惨害《ざんがい》を蒙《こうむ》ったのでした。
斯《こ》うした時《とき》には又《また》妙《みょう》に不思議《ふしぎ》な現象《こと》が重《かさ》なるものと見《み》えまして、私《わたくし》の姿《すがた》がその夜《よ》右《みぎ》の漁師《りょうし》の妻《つま》の夢枕《ゆめまくら》に立《た》ったのだそうでございます。私《わたくし》としては別《べつ》にそんなことをしようという所思《つもり》はなく、ただ心《こころ》にこの正直《しょうじき》な婦人《ふじん》をいとしい女性《じょせい》と思《おも》った丈《だけ》のことでしたが、たまたま右《みぎ》の婦人《ふじん》がいくらか霊能《れいのう》らしいものを有《も》っていた為《た》めに、私《わたくし》の思念《おもい》が先方《せんぽう》に伝《つた》わり、その結果《けっか》夢《ゆめ》に私《わたくし》の姿《すがた》までも見《み》ることになったのでございましょう。そうしたことは格別《かくべつ》珍《めず》らしい事《こと》でも何《なん》でもないのですが、場合《ばあい》が場合《ばあい》とて、それが飛《と》んでもない大騒《おおさわ》ぎになって了《しま》いました。――
『小櫻姫《こざくらひめ》はたしかに三浦《みうら》の土地《とち》の守護神様《まもりがみさま》だ。三浦《みうら》の土地《とち》が今度《こんど》不思議《ふしぎ》にも助《たす》かったのは皆《みな》小櫻姫《こざくらひめ》のお蔭《かげ》だ。現《げん》に小櫻姫《こざくらひめ》のお姿《すがた》が誰某《なにがし》の夢枕《ゆめまくら》に立《た》ったということだ……。難有《ありがた》いことではないか……。』
私《わたくし》とすればただ土地《とち》の人達《ひとたち》に代《かわ》って竜神《りゅうじん》さんに御祈願《ごきがん》をこめたまでのことで、私自身《わたくしじしん》に何《なん》の働《はたら》きのあった訳《わけ》ではないのでございますが、そうした経緯《いきさつ》は無邪気《むじゃき》な村人《むらびと》に判《わか》ろう筈《はず》もございません。で、とうとう私《わたくし》を祭神《さいしん》とした小桜神社《こざくらじんじゃ》が村人全体《むらびとぜんたい》の相談《そうだん》の結果《けっか》として、建立《こんりゅう》される段取《だんどり》になって了《しま》いました。
右《みぎ》の事情《じじょう》が指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんから伝《つた》えられた時《とき》に私《わたくし》はびっくりして了《しま》いました。私《わたくし》は真紅《まっか》になって御辞退《ごじたい》しました。――
『お爺《じい》さま、それは飛《と》んでもないことでございます。私《わたくし》などはまだ修行中《しゅぎょうちゅう》の身《み》、力量《ちから》といい、又《また》行状《おこない》といい、とてもそんな資格《しかく》のあろう筈《はず》がございませぬ。他《ほか》の事《こと》と異《ちが》い、こればかりは御辞退《ごじたい》申上《もうしあ》げます……。』
が、お爺《じい》さんはいつかな承知《しょうち》なさらないのでした。――
『そなたが何《なん》と言《い》おうと、神界《しんかい》ではすでに人民《じんみん》の願《ねが》いを容《い》れ、小桜神社《こざくらじんじゃ》を建《た》てさせることに決《き》めた。そなたの器量《ちから》は神界《しんかい》で何《なに》もかも御存《ごぞん》じじゃ。そなたはただ誠心《せいしん》誠意《せいい》で人《ひと》と神《かみ》との仲介《なかだち》をすればそれでよい。今更《いまさら》我侭《わがまま》を申《もう》したとて何《なん》にもならんぞ……。』
『左様《さよう》な訳《わけ》のものでございましょうか……。』
私《わたくし》としては内心《ないしん》多大《ただい》の不安《ふあん》を感《かん》じながら、そうお答《こた》えするより外《ほか》に詮術《せんすべ》がないのでございました。
六十七、神と人との仲介
以上《いじょう》のべたところで一と通《とお》り話《はなし》の筋道《すじみち》だけはお判《わか》りになったことと存《ぞん》じます。神《かみ》に祀《まつ》られたといえば、ちょっと大変《たいへん》なことのように思《おも》われましょうが、内容《なかみ》は決《けっ》して[#「決《けっ》して」は底本では「決《けつ》しで」]それほどのことではないのでございまして……。
大体《だいたい》日本《にほん》の言葉《ことば》が、肉眼《にくがん》に見《み》えないものを悉《ことごと》く神《かみ》と言《い》って了《しま》うから、甚《はなは》だまぎらわしいのでございます。神《かみ》という一字《じ》の中《なか》には飛《と》んでもない階段《かいだん》があるのでございます。諺《ことわざ》にも上《うえ》には上《うえ》とやら、一つの神界《しんかい》の上《うえ》には更《さら》に一だん高《たか》い神界《しんかい》があり、その又《また》上《うえ》にも一層《そう》奥《おく》の神界《しんかい》があると言《い》った塩梅《あんばい》に、どこまで行《ゆ》っても際限《さいげん》がないらしいのでございます。現在《げんざい》の私《わたくし》どもの境涯《きょうがい》からいえば、最高《さいこう》のところは矢張《やは》り昔《むかし》から教《おし》えられて居《い》るとおり、天照大御神様《あまてらすおおみかみさま》の知《しろ》しめす高天原《たかまがはら》の神界《しんかい》――それが事実上《じじつじょう》の宇宙《うちゅう》の神界《しんかい》なのでございます。そこまでは、一心《しん》不乱《ふらん》になって統一《とういつ》をやればどうやら私《わたくし》どもにも接近《せっきん》されぬでもありませぬが、それから奥《おく》はとても私《わたくし》どもの力量《ちから》には及《およ》びませぬ。指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんに伺《うかが》って見《み》ましても、あまり要領《ようりょう》は獲《え》られませぬ……。つまり無《な》い訳《わけ》ではないが、限《かぎ》りある器量《ちから》ではどうにもしょうがないのでございましょう。
高天原《たかまがはら》の神界《しんかい》から一段《だん》降《くだ》ったところが、取《と》りも直《なお》さずわれわれの住《す》む大地《だいち》の神界《しんかい》で、ここに君臨《くんりん》遊《あそ》ばすのが、申《もう》すまでもなく皇孫命様《こうそんのみことさま》にあらせられます。ここになるとずっとわれわれとの距離《きょり》[#ルビの「きょり」は底本では「せより」]が近《ちか》いとでも申《もう》しましょうか、御祈願《ごきがん》をこむれば直接《ちょくせつ》神様《かみさま》からお指図《さしず》を受《う》けることもでき、又《また》そう骨折《ほねお》らずにお神姿《すがた》を拝《おが》むこともできます――。尤《もっと》もこれは幾《いく》らか修行《しゅぎょう》が積《つ》んでからの事《こと》で、最初《さいしょ》こちらへ参《まい》ったばかりの時《とき》は、何《なに》が何《なに》やら腑《ふ》に落《お》ちぬことばかり、恥《はず》かしながら皇孫命様《こうそんのみことさま》があらゆる神々《かみがみ》を統率《とうそつ》遊《あそ》ばす、真《しん》の中心《ちゅうしん》の御方《おかた》であることさえも存《ぞん》じませんでした。『幽明交通《ゆうめいこうつう》の途《みち》が杜絶《とだえ》ているせいか、近頃《ちかごろ》の人間《にんげん》はまるきり駄目《だめ》じゃ……。昔《むかし》の人間《にんげん》にはそれ位《くらい》のことがよく判《わか》っていたものじゃが……。』――指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんからそう言《い》ってさんざんお叱《しか》りを受《う》けたような次第《しだい》でございました。私達《わたくしたち》でさえ、すでにこれなのでございますから、現世《げんせ》の方々《かたがた》が戸惑《とまど》いをなさるのも或《あるい》は無理《むり》からぬことかも知《し》れませぬ。これは矢張《やは》りお爺《じい》さんの言《い》われる通《とお》り、この際《さい》、大《おお》いに[#「大いに」は底本では「大に」]奮発《ふんぱつ》して霊界《れいかい》との交通《こうつう》を盛《さか》んにする必要《ひっよう》がございましょう。それさえできれば斯《こ》んなことは造作《ぞうさ》もなく判《わか》ることなのでございますから……。
今更《いまさら》申上《もうしあ》ぐるまでもなく、皇孫命様《こうそんのみことさま》をはじめ奉《たてまつ》り、直接《ちょくせつ》そのお指図《さしず》の下《もと》にお働《はたら》き遊《あそ》ばす方々《かたがた》は何《いず》れも活神様《いきがみさま》……つまり最初《さいしょ》からこちらの世界《せかい》に活《い》き通《どお》しの自然霊《しぜんれい》でございます。産土《うぶすな》の神々《かみがみ》は申《もう》すに及《およ》ばず、八幡様《はちまんさま》でも、住吉様《すみよしさま》でも、但《ただ》しは又《また》弁財天様《べんざいてんさま》のような方々《かたがた》でも、その御本体《ごほんたい》は悉《ことごと》くそうでないものはございませぬ。つまるところここまでが、真正《ほんとう》の意味《いみ》の神様《かみさま》なので、私《わたくし》どものように帰幽後《きゆうご》神《かみ》として祀《まつ》られるのは真正《ほんとう》の神《かみ》ではありませぬ。ただ神界《しんかい》に籍《せき》を置《お》いているという丈《だけ》で……。尤《もっと》も中《なか》には随分《ずいぶん》修行《しゅぎょう》の積《つ》んた、お立派《りっぱ》な方々《かたがた》もないではありませぬが、しかし、どんなに優《すぐ》れていても人霊《じんれい》は矢張《やは》り人霊《じんれい》だけのことしかできはしませぬ。一つ口《くち》に申《もう》したら、真正《ほんとう》の神様《かみさま》と人間《にんげん》との中間《ちゅうかん》に立《た》ちてお取次《とりつ》ぎの役目《やくめ》をつとめるのが人霊《じんれい》の仕事《しごと》――。まあそれ位《くらい》に考《かんが》えて戴《いただ》けば、大体《だいたい》宜《よろ》しいかと存《ぞん》じます。少《すくな》くとも私《わたくし》のような未熟《みじゅく》なものにできますことは、やっとそれだけでございます。神社《じんじゃ》に祀《まつ》られたからと申《もう》して、矢鱈《やたら》に六ヶ《むずか》しい問題《もんだい》などを私《わたくし》のところにお持込《もちこ》みになられることは固《かた》く御辞退《ごじたい》いたします。精《せい》一ぱいお取次《とりつ》ぎはいたしますが、私《わたくし》などの力量《ちから》で何《なに》一つできるもので[#「できるもので」は底本では「できもので」]ございましょうか……。
六十八、幽界の神社
かれこれする中《うち》に、指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんからは、お宮《みや》の普請《ふしん》が、最《も》う大分《だいぶん》進行《しんこう》して居《い》るとのお通知《しらせ》がありました。――
『後《あと》十日《とうか》も経《た》てばいよいよ鎮座祭《ちんざさい》の運《はこ》びになる。形《かたち》こそ小《ちい》さいが、普請《ふしん》はなかなか手《て》が込《こ》んで居《い》るぞ……。』
そんな風評《うわさ》を耳《みみ》にする私《わたくし》としては、これまでの修行場《しゅぎょうば》の引越《ひっこ》しとは異《ちが》って、何《なん》となく気《き》がかり……幾分《いくぶん》輿入《こしい》れ前《まえ》の花嫁《はなよめ》さんの気持《きもち》、と言《い》ったようなところがあるのでした。つまり、うれしいようで、それで何《なに》やら心配《しんぱい》なところかあるので[#「ところかあるので」はママ]ございます。
『お爺《じい》さま、鎮座祭《ちんざさい》とやらの時《とき》には、私《わたくし》がそのお宮《みや》に入《はい》るのでございますか……。』
『イヤそれとも少《すこ》し異《ちが》う……。現界《うつしよ》にお宮《みや》が建《た》つ時《とき》には、同時《どうじ》に又《また》こちらの世界《せかい》にもお宮《みや》が建《た》ち、そなたとしてはこちらのお宮《みや》の方《ほう》に入《はい》るのじゃ。――が、そなたも知《し》る通《とお》り現幽《げんゆう》は一致《ち》、幽界《ゆうかい》の事《こと》は直《ただ》ちに現界《げんかい》に映《うつ》るから、実際《じっさい》はどちらとも区別《くべつ》がつけられないことになる……。』
『現界《げんかい》の方《ほう》では、どんな個所《ところ》にお宮《みや》を建《た》てて居《お》るのでございますか。』
『彼所《あそこ》は何《なん》と呼《よ》ぶか……つまり籠城中《ろうじょうちゅう》にそなたが隠《かく》れていた海岸《かいがん》の森蔭《もりかげ》じゃ。今《いま》でも里人達《さとびとたち》は、遠《とお》い昔《むかし》の事《こと》をよく記憶《おぼ》えていて、わざとあの地点《ところ》を選《えら》ぶことに致《いた》したらしい……。』
『では油《あぶら》ヶ壺《つぼ》のすぐ南側《みなみがわ》に当《あた》る、高《たか》い崖《がけ》のある所《ところ》でございましょう、大木《たいぼく》のこんもりと茂《しげ》った……。』
『その通《とお》りじゃ。が、そんなことはこの俺《わし》に訊《き》くまでもなく、自分《じぶん》で覗《のぞ》いて見《み》たらよいであろう。現界《げんかい》の方《ほう》はそなたの方《ほう》が本職《ほんしょく》じゃ……。』
お爺《じい》さんはそんなことを言《い》って、まじめに取合《とりあ》ってくださいませんので、止《や》むを得《え》ずちょっと統一《とういつ》して、のぞいて見《み》ると、果《はた》してお宮《みや》の所在地《しょざいち》は、私《わたくし》の昔《むかし》の隠家《かくれが》のあったところで、四辺《あたり》の模様《もよう》はさしてその時分《じぶん》と変《かわ》って居《い》ないようでした。普請《ふしん》はもう八分《ぶ》通《どお》りも進行《しんこう》して居《お》り、大工《だいく》やら、屋根職《やねや》やらが、何《いず》れも忙《いそ》がしそうに立働《たちはたら》いているのが見《み》えました。
『お爺《じい》さま、矢張《やは》り昔《むかし》の隠家《かくれが》のあった所《ところ》でございます。大《たい》そう立派《りっぱ》なお宮《みや》で、私《わたくし》には勿体《もったい》のうございます。』
『現界《げんかい》のお宮《みや》もよくできて居《お》るが、こちらのお宮《みや》は一層《そう》手《て》が込《こ》んで居《お》るぞ。もう夙《とう》に出来上《できあが》っているから、入《はい》る前《まえ》に一度《ど》そなたを案内《あんない》して置《お》くと致《いた》そうか……。』
『そうしていただけば何《なに》より結構《けっこう》でございますが……。』
『ではこれからすぐに出掛《でか》ける……。』
不相変《あいかわらず》お爺《じい》さんのなさることは早急《さっきゅう》でございます。
私達《わたくしたち》は連《つ》れ立《だ》ちて海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》を後《あと》に、波打際《なみうちぎわ》のきれいな白砂《はくさ》を踏《ふ》んで東《ひがし》へ東《ひがし》へと進《すす》みました。右手《めて》はのたりのたりといかにも長閑《のどか》な海原《うなばら》、左手《ゆんで》はこんもりと樹木《じゅもく》の茂《しげ》った丘《おか》つづき、どう見《み》ても三浦《みうら》の南海岸《みなみかいがん》をもう少《すこ》しきれいにしたような景色《けしき》でございます。ただ海《うみ》に一艘《そう》の漁船《ぎょせん》もなく、又《また》陸《おか》に一軒《けん》の人家《じんか》も見《み》えないのが現世《げんせ》と異《ちが》っている点《てん》で、それが為《た》めに何《なに》やら全体《ぜんたい》の景色《けしき》に夢幻《ゆめまぼろし》に近《ちか》い感《かん》じを与《あた》えました。
歩《ある》いた道程《みちのり》は一里《り》あまりでございましょうか、やがて一つの奥深《おくふか》い入江《いりえ》を|《まわ》り、二つ三つ松原《まつばら》をくぐりますと、そこは欝葱《うっそう》たる森蔭《もりかげ》の小《こ》じんまりとせる別天地《べってんち》、どうやら昔《むかし》私《わたくし》が隠《かく》れていた浜磯《はまいそ》の景色《けしき》に似《に》て、更《さら》に一層《そう》理想化《りそうか》したような趣《おもむき》があるのでした。
不図《ふと》気《き》がついて見《み》ると、向《むか》うの崖《がけ》を少《すこ》し削《けず》った所《ところ》に白木造《しらきづく》[#ルビの「しらきづく」は底本では「じらきづく」]りのお宮《みや》が木葉隠《このはがく》れに見《み》えました。大《おおき》さは約《やく》二間《けん》四方《ほう》、屋根《やね》は厚《あつ》い杉皮葺《すぎかわぶき》、前面《ぜんめん》は石《いし》の階段《かいだん》、周囲《ぐるり》は濡椽《ぬれえん》になって居《お》りました。
『何《ど》うじゃ、立派《りっぱ》なお宮《みや》であろうが……。これでそなたの身《み》も漸《ようや》く固《かたま》った訳《わけ》じゃ。これからは引越《ひっこし》騒《さわ》ぎもないことになる……。』
そう言《い》われるお爺《じい》さんのお顔《かお》には、多年《たねん》手《て》がけた教《おし》え児《ご》の身《み》の振《ふ》り方《かた》のついたのを心《こころ》から歓《よろこ》ぶと言《い》った、慈愛《じあい》と安心《あんしん》の色《いろ》が湛《ただよ》って居《お》りました。私《わたくし》は勿体《もったい》ないやら、うれしいやら、それに又《また》遠《とお》い地上生活時代《ちじょうせいかつじだい》の淡《あわ》い思《おも》い出《で》までも打《う》ち混《まじ》り、今更《いまさら》何《なん》と言《い》うべき言葉《ことば》もなく、ただ泪《なみだ》ぐんでそこに立《た》ち尽《つく》したことでございました。
六十九、鎮座祭
そうする中《うち》にいよいよ鎮座祭《ちんざさい》の日《ひ》がまいりました。
『現界《げんかい》の方《ほう》では今日《きょう》はえらいお祭騒《まつりさわ》ぎじゃ。』と指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんが説《と》ききかせてくださいました。『地元《じもと》の里《さと》はいうまでもなく、三里《り》五里《り》の近郷近在《きんごうきんざい》からも大《たい》へんな人出《ひとで》で、あの狭《せま》い海岸《かいがん》が身動《みうご》きのできぬ有様《ありさま》じゃ。往来《おうらい》には掛茶屋《かけちゃや》やら、屋台店《やたいみせ》やらが大分《だいぶ》できて居《い》る……。が、それは地上《ちじょう》の人間界《にんげんかい》のことで、こちらの世界《せかい》は至《いた》って静謐《しずか》なものじゃ。俺《わし》一人《ひとり》でそなたをあのお宮《みや》へ案内《あんない》すればそれで事《こと》が済《す》むので……。まァこれまでの修行場《しゅぎょうば》の引越《ひっこ》[#ルビの「ひっこ」は底本では「ひつこし」]しと格別《かくべつ》の相違《そうい》もない……。』
そう言《い》ってお爺《じい》さんは一向《こう》に取済《とりす》ましたものでしたが、私《わたくし》としては、それでは何《なに》やら少《すこ》し心細《こころぼそ》いように感《かん》じられてならないのでした。
『あのお爺《じい》さま、』私《わたくし》はとうとう切《き》り出《だ》しました。『私《わたくし》一人《ひとり》では何《なに》やら心許《こころもと》のうございますから、お差支《さしつかえ》なくば私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》さまに一緒《しょ》に来《き》て戴《いただ》きたいのでございますが……。』
『それは差支《さしつかえ》ない。そなたを爰《ここ》まで仕上《しあ》げるのには、守護霊《しゅごれい》さんの方《ほう》でも蔭《かげ》で一と方《かた》ならぬ骨折《ほねおり》じゃった。――もう追《お》ッつけ現界《げんかい》の方《ほう》では鎮座祭《ちんざさい》が始《はじ》まるから、こちらもすぐに[#「すぐに」は底本では「すくに」]その支度《したく》にかかると致《いた》そうか……。』
毎々《まいまい》申上《もうしあ》げますとおり、私《わたくし》どもの世界《せかい》では何事《なにごと》も甚《はなは》だ手取《てっと》[#ルビの「てっと」は底本では「てつと」]り早《ばや》く運《はこ》びます。先《ま》ず私《わたくし》の服装《みなり》が瞬間《しゅんかん》に変《かわ》りましたが、今日《きょう》は平常《いつも》とは異《ちが》って、身《み》には白練《しろねり》の装束《しょうぞく》、手《て》には中啓《ちゅうけい》、足《あし》には木《き》の蔓《つる》で編《あ》んだ一種《しゅ》の草履《ぞうり》、頭髪《かみ》はもちろん垂髪《さげがみ》……甚《はなは》ださッぱりしたものでございました。他《ほか》に[#「他に」は底本では「他た」]身《み》につけていたものといえばただ母《はは》の紀念《かたみ》の守刀《まもりがたな》――こればかりは女《おんな》の魂《たましい》でございますから、いかなる場合《ばあい》にも懐《ふところ》から離《はな》すようなことはないので[#「ないので」は底本では「ないのて」]ございます。
私《わたくし》の服装《みなり》が変《かわ》った瞬間《しゅんかん》には、もう私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》さんもいそいそと私《わたくし》の修行場《しゅぎょうば》へお見《み》えになりました。お服装《みなり》は広袖《ひろそで》の白衣《びゃくい》に袴《はかま》をつけ、上《うえ》に何《なに》やら白《しろ》の薄物《うすもの》を羽織《はお》[#ルビの「はお」は底本では「はは」]って居《お》られました。
『今日《きょう》は良《よ》うこそ私《わたくし》をお召《よ》びくださいました。』と守護霊《しゅごれい》さんはいつもの控《ひか》え勝《が》ちな態度《たいど》の中《うち》にも心《こころ》からのうれしさを湛《たた》え、『私《わたくし》がこちらの世界《せかい》へ引移《ひきう》つてから[#「引移《ひきう》つてから」はママ]、かれこれ四百年《ねん》にもなりますが、その永《なが》い間《あいだ》に今日《きょう》ほど肩身《かたみ》が広《ひろ》く感《かん》じられることはただの一度《ど》もございませぬ。これと申《もう》すも偏《ひとえ》に御指導役《ごしどうやく》のお爺《じい》さまのお骨折《ほねおり》、私《わたくし》からも厚《あつ》くお礼《れい》を申上《もうしあ》げます。この後《のち》とも何分《なにぶん》宜《よろ》しうお依《たの》み申《もう》しまする……。』
『イヤそう言《い》われると俺《わし》はうれしい。』とお爺《じい》さんもニコニコ顔《がお》、『最初《さいしょ》この人《ひと》を預《あず》かった当座《とうざ》は、つまらぬ愚痴《ぐち》を並《なら》べて泣《な》かれることのみ多《おお》く、さすがの俺《わし》もいささか途方《とほう》に暮《く》れたものじゃが、それにしてはよう爰《ここ》まで仕上《しあが》ったものじゃ。これからは、何《なん》と言《い》おうが、小桜神社《こざくらじんじゃ》の祭神《さいしん》として押《お》しも押《お》されもせぬ身分《みぶん》じゃ……。早速《さっそく》出掛《でか》けると致《いた》そう。』
お爺《じい》さんはいつもの通《とお》りの白衣姿《びゃくいすがた》に藁草履《わらぞうり》、長《なが》い杖《つえ》を突《つ》いて先頭《せんとう》に立《た》たれたのでした。
浪打際《なみうちぎわ》を歩《ある》いたように感《かん》じたのはホンの一瞬間《しゅんかん》、私達《わたくしたち》はいつしか電光《でんこう》のように途中《とちゅう》を飛《と》ばして、例《れい》のお宮《みや》の社頭《しゃとう》に立《た》っていました。
内部《なか》に入《はい》ってホッと一と息《いき》つく間《ま》もなく、忽《たちま》ち産土《うぶすな》の神様《かみさま》の御神姿《おすがた》がスーッと神壇《しんだん》の奥深《おくふか》くお現《あら》われになりました。その場所《ばしょ》は遠《とお》いようで近《ちか》く、又《また》近《ちか》いようで遠《とお》く、まことに不思議《ふしぎ》な感《かん》じが致《いた》しました。
恭《うやうや》しく頭《あたま》を低《さ》げている私《わたくし》の耳《みみ》には、やがて神様《かみさま》の御声《おこえ》が凛々《りんりん》と響《ひび》いてまいりました。それは大体《だいたい》左《さ》のような意味《いみ》のお訓示《さとし》でございました。
『今《いま》より神《かみ》として祀《まつ》らるる上《うえ》は心《こころ》して土地《とち》の守護《しゅご》に当《あた》らねばならぬ。人民《じんみん》からはさまざまの祈願《きがん》が出《で》るであろうが、その正邪《せいじゃ》善悪《ぜんあく》は別《べつ》として、土地《とち》の守護神《しゅごじん》となった上《うえ》は一応《おう》丁寧《ていねい》に祈願《きがん》の全部《ぜんぶ》を聴《き》いてやらねばならぬ。取捨《しゅしゃ》は其上《そのうえ》の事《こと》である。神《かみ》として最《もっと》も戒《いまし》むべきは怠慢《たいまん》の仕打《しうち》、同時《どうじ》に最《もっと》も慎《つつし》むべきは偏頗不正《へんばふせい》の処置《しょち》である。怠慢《たいまん》に流《なが》るる時《とき》はしばしば大事《だいじ》をあやまり、不正《ふせい》に流《なが》るる時《とき》はややもすれば神律《しんりつ》を紊《みだ》す。よくよく心《こころ》して、神《かみ》から托《たく》された、この重《おも》き職責《しょくせき》を果《はた》すように……。』
産土《うぶすな》の神様《かみさま》のお馴示《さとし》が終《おわ》ると、つづいて竜宮界《りゅうぐうかい》からのお言葉《ことば》がありましたが、それは勿体《もったい》ないほどお優《や》さしいもので、ただ『何事《なにごと》も六ヶ《むずか》しい事《こと》はこちらに訊《き》くように……。』とのことでございました。
私《わたくし》は今更《いまさら》ながら身《み》にあまる責任《せきにん》の重《おも》さを感《かん》ずると同時《どうじ》に、限《かぎ》りなき神恩《しんおん》の忝《かたじけな》さをしみじみと味《あじ》わったことでございました。
七十、現界の祝詞
そうする中《うち》にも、今日《きょう》の鎮座祭《ちんざさい》のことは、早《はや》くもこちらの世界《せかい》の各方面《かくほうめん》に通《つう》じたらしく、私《わたくし》の両親《りょうしん》、祖父母《そふぼ》、良人《おっと》をはじめ、その外《ほか》多《おお》くの人達《ひとたち》からのお祝《いわ》いの言葉《ことば》が、頻々《ひんひん》と私《わたくし》の耳《みみ》にひびいで参《まい》りました。それは別《べつ》にあちらで通信《つうしん》しようとする意思《いし》はなくても、自然《しぜん》とそう感《かん》じられて来《く》るのでございます。近頃《ちかごろ》は現界《げんかい》でも、電信《でんしん》とか、電話《でんわ》とか申《もう》すものが出来《でき》て、斯《こ》うした場合《ばあい》によく利用《りよう》されるそうでございますが、こちらの世界《せかい》でする仕事《しごと》も大体《だいたい》それに似《に》たもので、ただもう少《すこ》し便利《べんり》[#ルビの「べんり」は底本では「べんた」]なように思《おも》われます。『思《おも》えば通《つう》ずる……。』それがいつも私《わたくし》どものヤリ口《くち》なのでございまして……。
さてその際《さい》私《わたくし》に感《かん》じて来《き》た通信《つうしん》の中《なか》では、矢張《やは》り良人《おっと》のが一ばん力強《ちからづよ》くひびきました。『そなたはいよいよ神《かみ》として祀《まつ》られることになり、多年《たねん》連添《つれそ》った良人《おっと》として決《けっ》して仇《あだ》やおろそかには考《かんが》えられない。しかもその神社《じんじゃ》の所在地《しょざいち》は、あの油壺《あぶらつぼ》の対岸《たいがん》の隠《かく》れ家《が》の跡《あと》とやら、この上《うえ》ともしっかりやって貰《もら》いますぞ……。』
兎角《とかく》して居《い》る中《うち》に、指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんから御注意《ごちゅうい》がありました。――
『現界《げんかい》ではいよいよ御霊鎮《みたましず》めの儀《ぎ》に取《と》りかかった。そなたはすぐにその準備《したく》にかかるように……。』
私《わたくし》の身《み》も心《こころ》も、その時《とき》急《きゅう》に引《ひ》きしまるように覚《おぼ》えました。
『これから自分《じぶん》はこのお宮《みや》に鎮《しず》まるのだ……。』
そう思《おも》った瞬間《しゅんかん》に、私《わたくし》の姿《すがた》はいずくともなく消《き》えて失《う》せて了《しま》いました。
後《あと》でお爺《じい》さんから承《うけたまわ》るところによると、私《わたくし》というものはその時《とき》すっかり御幣《ごへい》の中《なか》に入《はい》って了《しま》ったのだそうで、つまり御幣《ごへい》が自分《じぶん》か、自分《じぶん》が御幣《ごへい》か、その境界《さかい》が少《すこ》しも判《わか》らなくなったのでございます。
その状態《じょうたい》がどれ位《ぐらい》つづいたかは自分《じぶん》には少《すこ》しも判《わか》りませぬ。が、不思議《ふしぎ》なことに、そうして居《い》る間《あいだ》、現世《げんせ》の人達《ひとたち》が奏上《そうじょう》する祝詞《のりと》が手《て》に取《と》るようにはっきりと耳《みみ》に響《ひび》いて来《く》るのでございます。その後《のち》何回《なんかい》斯《こ》うした儀式《ぎしき》に臨《のぞ》んだか知《し》れませぬが、いつもいつも同《おな》じ状態《じょうたい》になるのでございまして、それは全《まった》く不思議《ふしぎ》でございます。
不図《ふと》自分《じぶん》に返《かえ》って見《み》ると、お爺《じい》さんも、又《また》守護霊《しゅごれい》さんも、先刻《せんこく》の姿勢《しせい》のままで、並《なら》んで神壇《しんだん》の前《まえ》に立《た》って居《お》られました。
『これで俺《わし》も一と安心《あんしん》じゃ……。』
お爺《じい》さんはしんみりとした口調《くちょう》で、ただそう仰《お》ッしゃられたのみでした。つづいて守護霊《しゅごれい》さんも口《くち》を開《ひら》かれました。――
『ここまで来《く》るのには、御本人《ごほんにん》の苦労《くろう》も一と通《とお》りではありませぬが、蔭《かげ》になり、日向《ひなた》になって、親切《しんせつ》にお導《みちび》きくだされた神《かみ》さま方《がた》のお骨折《ほねお》りは容易《ようい》なものではございませぬ。決《けっ》して決《けっ》してその御恩《ごおん》をお忘《わす》れにならぬよう……。』
その折《おり》の私《わたくし》としましては感極《かんきわま》りて言葉《ことば》[#ルビの「ことば」は底本では「こかば」]も出《い》でず、せき来《く》[#ルビの「く」は底本では「て」]る涙《なみだ》を払《はら》えもあえず、竜神《りゅうじん》さま、氏神《うじがみ》さま、その外《ほか》の方々《かたがた》に心《こころ》から感謝《かんしゃ》のまことを捧《ささ》げたことでございました。
七十一、神馬
鎮座祭《ちんざさい》が済《す》んでから私《わたくし》は一たん海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》に引《ひ》き上《あ》げました。それは小桜神社《こざくらじんじゃ》の祭神《さいしん》として実際《じっさい》の仕事《しごと》にかかる前《まえ》にまだ何《なに》やら心《こころ》の準備《じゅんび》が要《い》ると考《かんが》えましたからで……。
で、私《わたくし》は一生《しょう》懸命《けんめい》深《ふか》い統一《とういつ》に入《はい》り、過去《かこ》の一切《さい》の羈絆《きずな》を断《た》ち切《き》ることによりて、一層《そう》自由自在《じゆうじざい》な神通力《じんつうりき》を恵《めぐ》まれるよう、心《こころ》から神様《かみさま》に祈願《きがん》しました。それは時間《じかん》にすれば恐《おそ》らく漸《ようや》く一刻《とき》位《ぐらい》の短《みじ》かい[#「短《みじ》かい」は底本では「短《みぢ》がい」]統一《とういつ》であったと思《おも》いますが、心《こころ》が引緊《ひきしま》っている故《せい》か、私《わたくし》とすれば前後《ぜんご》にない位《くらい》のすぐれて深《ふか》[#ルビの「ふか」は底本では「ふと」]い統一状態《とういつじょうたい》に入《はい》ったのでございました。畏《おそ》れ多《おお》くも私《わたくし》として、天照大御神様《あまてらすおおみかみさま》、又《また》皇孫命様《こうそんのみことさま》の尊《とうと》い御神姿《おすがた》を拝《はい》し奉《たてまつ》ったのは実《じつ》にその時《とき》が最初《さいしょ》でございました。他《ほか》にいろいろ申上《もうしあ》[#ルビの「もうしあ」は底本では「まをしや」]げたいこともありますが、それは主《おも》に私《わたくし》一人《ひとり》に関係《かんけい》した霊界《れいかい》の秘事《ひじ》に属《ぞく》しますので、しばらく控《ひか》えさせて戴《いただ》くことに致《いた》しましょう。
ただ一つここで御披露《ごひろう》して置《お》きたいと思《おも》いますことは、神馬《しんめ》の件《けん》で……。つまり不図《ふと》した動機《どうき》から小桜神社《こざくらじんじゃ》に神馬《しんめ》が一頭《とう》新《あら》たに飼《か》われることになったのでございます。その経緯《いきさつ》は斯《こ》うなのでございます。
私《わたくし》が深《ふか》い統一《とういつ》から覚《さ》めた時《とき》に、思《おも》いも寄《よ》らず最前《さいぜん》からそこに控《ひか》えて待《ま》っていたのは、数間《かずま》の爺《じい》やでございました。爺《じい》やは今日《きょう》の鎮座祭《ちんざさい》の慶《よろこ》びを述《の》べた後《あと》で、突然《とつぜん》斯《こ》んなことを言《い》い出《だ》しました。――
『姫《ひい》さまが今回《こんかい》神社《じんじゃ》にお入《はい》りなされるにつけては、是非《ぜひ》神馬《しんめ》が一頭《とう》欲《ほ》しいと思《おも》いまするが……。』
『ナニ神馬《しんめ》?』と私《わたくし》はびっくりしまして『そなたは又《また》何《ど》うしてそんな事《こと》を言《い》い出《だ》すのじゃ……。』
『実《じつ》は姫様《ひいさま》が昔《むかし》[#「昔」は底本では「昔し」]お可愛《かわい》がりになった、あの若月《わかつき》……あれがこちらの世界《せかい》に来《き》て居《い》るのでござります。私《わたくし》は何回《なんかい》かあの若月《わかつき》に逢《あ》って居《お》りますので……。』
『若月《わかつき》なら私《わたくし》も一度《ど》こちらで逢《あ》いました……。』
『もうお逢《あ》いなされましたか……何《な》んとお早《はや》いことで……。が、それなら尚更《なおさら》のことでござります。是非《ぜひ》あの若月《わかつき》を小桜神社《こざくらじんじゃ》の神馬《しんめ》に出世《しゅっせ》させておやり下《くだ》さいませ。若月《わかつき》がどんなに歓《よろこ》ぶか知《し》れませぬ。又《また》苟且《かりそめ》にも一つの神社《じんじゃ》に一頭《とう》の神馬《しんめ》もないとあっては何《なん》となく引立《ひきた》ちませんでナ……。』
『そんな勝手《かって》な事《こと》が、できるかしら……。』
『できても、できなくても一応《おう》神様《かみさま》に談判《だんぱん》して戴《いただ》きます。これ位《くらい》の願《ねが》いが許《ゆる》されないとあっては、俺《わし》にも料簡《りょうけん》がござります……。』
数間《かずま》の爺《じい》やの権幕《けんまく》と言《い》ったら大《たい》へんなものでした。
そこでとうとう私《わたくし》から指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんにお話《はな》しすると、意外《いがい》にも産土《うぶすな》の神様《かみさま》の方《ほう》ではすでにその手筈《てはず》が整《ととの》って居《お》り、神社《じんじゃ》の横手《よこて》に小屋《こや》も立派《りっぱ》に出来《でき》て居《い》るとの事《こと》でございました。それと知《し》った時《とき》の数間《かずま》の爺《じい》やの得意《とくい》さと言《い》ったらありませんでした。
『ソーれお見《み》なされ姫様《ひいさま》、他《ほか》のことにかけては姫様《ひいさま》がお偉《えら》いか知《し》れぬが、馬《うま》の事《こと》にかけては矢張《やは》りこの爺《じい》やの方《ほう》が一枚《まい》役者《やくしゃ》が上《うえ》でござる……。』
間《ま》もなく私《わたくし》は海《うみ》の修行場《しゅぎょうば》を引《ひ》き上《あ》げて、永久《えいきゅう》に神社《じんじゃ》の方《ほう》に引《ひ》き移《うつ》りましたが、それと殆《ほと》んど同時《どうじ》に馬《うま》も数間《かずま》の爺《じい》やに曳《ひ》かれて、頭《あたま》を打振《うちふ》り打振《うちふ》り歓《よろこ》び勇《いさ》んで私《わたくし》の所《ところ》に現《あら》われました。それからずっと今日《こんにち》まで馬《うま》は私《わたくし》の手元《てもと》に元気《げんき》よく暮《くら》して居《お》りますが、ただこちらでは馬《うま》がいつも神社《じんじゃ》の境内《けいない》につながれて居《い》る訳《わけ》ではなく、どこに行《い》って居《お》っても、私《わたくし》が呼《よ》べばすぐ現《で》て来《く》るだけでございます。さびしい時《とき》は私《わたくし》はよく馬《うま》を相手《あいて》に遊《あそ》[#ルビの「あそ」は底本では「あつ」]びますが、馬《うま》の方《ほう》でもあの大《おお》きな舌《した》を持《も》って来《き》て私《わたくし》の顔《かお》を舐《な》めたりします。それはまことに可愛《かわい》らしいものでございまして……。
それから馬《うま》の呼名《よびな》でございますが、私《わたくし》は予《かね》ての念願《ねんがん》どおり、若月《わかつき》を改《あらた》めて、こちらでは鈴懸《すずかけ》と呼《よ》ぶことに致《いた》しました。私《わたくし》が神社《じんじゃ》に落《お》ちついてから、真先《まっさ》きに訪《たず》ねてくれたのは父《ちち》だの、母《はは》だの、良人《おっと》だのでございましたが、私《わたくし》は何《なに》は措《お》いても先《ま》ずこの鈴懸《すずかけ》を紹介《しょうかい》しました。その際《さい》誰《だれ》よりも感慨《かんがい》深《ふか》そうに見《み》えたのは矢張《やは》り良人《おっと》でございました。良人《おっと》はしきりに馬《うま》の鼻面《はなづら》を撫《な》でてやりながら『汝《おまえ》もとうとう出世《しゅっせ》して鈴懸《すずかけ》になったか。イヤ結構《けっこう》結構《けっこう》! 俺《わし》はもう呼名《よびな》について反対《はんたい》はせんぞ……。』そう言《い》って、私《わたくし》の方《ほう》を顧《かえり》みて、意味《いみ》ありげな微笑《ほほえみ》を漏《もら》したことでございました。
七十二、神社のその日その日
前《まえ》申上《もうしあ》げましたように、兎《と》も角《かく》も私《わたくし》は小桜神社《こざくらじんじゃ》を預《あず》かる身《み》となったのでございますが、それから今日《こんにち》まで引《ひ》きつづいてざっと二百年《ねん》、考《かんが》えて見《み》れば随分《ずいぶん》永《なが》いことでございます。私《わたくし》の任務《つとめ》というのはごく一と筋《すじ》のもので、従《したが》って格別《かくべつ》取《と》り立《た》てて吹聴《ふいちょう》[#ルビの「ふいちょう」は底本では「ふいうふ」]するような珍《めず》らしい話《はなし》の種《たね》とてもありませぬが、それでもこの永《なが》い星霜《つきひ》の間《あいだ》には何《なに》や彼《か》やと後《あと》から後《あと》からさまざまの事件《こと》が湧《わ》いてまいり、とてもその全部《ぜんぶ》を御伝《おつた》えする訳《わけ》にもまいりませぬ。中《なか》には又《また》現世《げんせ》の人達《ひとたち》に、今《いま》ここで御漏《おも》らししてはならないことも少《すこ》しはあるのでございまして……。
で、いろいろと考《かんが》えました末《すえ》、これからあなた方《がた》に幾分《いくぶん》か御参考《ごさんこう》になりそうな事柄《ことがら》だけを拾《ひろ》い出《だ》して御話《おはな》しをいたし、そろそろこの拙《つたな》き通信《つうしん》を切《き》り上《あ》げさせて戴《いただ》こうと存《ぞん》じます。
取《と》り敢《あ》えず祭神《さいしん》となってからの生活《せいかつ》の変化《へんか》と言《い》ったような点《てん》を簡単《かんたん》に申上《もうしあ》げて置《お》こうかと存《ぞん》じます。御承知《ごしょうち》の通《とお》り、私《わたくし》の仕事《しごと》は大体《だいたい》上《うえ》の神界《しんかい》と下《した》の人間界《にんげんかい》との中間《あいだ》に立《た》ちて御取次《おとりつ》ぎを致《いた》すのでございますが、これでも相当《そうとう》に気骨《きぼね》が折《お》れまして、うっかりして居《お》ればどんな間違《まちがい》をするか知《し》れません。修行時代《しゅぎょうじだい》には指導役《しどうやく》の御爺《おじい》さんが側《わき》から一々面倒《めんどう》を見《み》てくださいましたから楽《らく》でございましたが、だんだんそうばかりも行《ゆ》かなくなりました。『汝《そなた》には神様《かみさま》に伺《うかが》うこともちゃんと教《おし》えてあるから、大概《たいがい》の事《こと》は自分《じぶん》の力《ちから》で行《や》らねばならぬぞ……。』そう言《い》われるのでございます。又《また》私《わたくし》としても、いつまでお爺《じい》さんにばかりお縋《すが》りするのもあまりに意気地《いきじ》がないように感《かん》じましたので、よくよくの重大事《じゅうだいじ》でもなければ、めったに御相談《ごそうだん》はせぬことに覚悟《かくご》をきめました。
で、私《わたくし》として真先《まっさ》きに工夫《くふう》したことは一日《にち》の区画《くぎり》を附《つ》[#ルビの「つ」は底本では「づ」]けることでございました、本来《ほんらい》からいえばこちらの世界《せかい》に昼夜《ちゅうや》の区別《くべつ》はないのでございますが、それでは現界《げんかい》の人達《ひとたち》と接《せっ》するのにひどく勝手《かって》が悪《わる》く、どうにも仕方《しかた》がございません。何《な》にしろ人間界《にんげんかい》の方《ほう》では朝《あさ》は朝《あさ》、夜《よる》は夜《よる》とちゃんと区画《くぎり》をつけて仕事《しごと》をして居《い》るのでございますから……。
乃《そこ》で、私《わたくし》の方《ほう》でもそれに調子《ちょうし》を合《あ》わせて生活《せいかつ》するように致《いた》し、丁度《ちょうど》現世《げんせ》の人達《ひとたち》が朝《あさ》起《お》きて洗面《せんめん》をすませ、神様《かみさま》を礼拝《らいはい》すると同《おな》じように、私《わたくし》も朝《あさ》になれば斎戒沐浴《さいかいもくよく》して、天照大御神様《あまてらすおおみかみさま》をはじめ奉《たてまつ》り、皇孫命様《こうそんのみことさま》、竜神様《りゅうじんさま》、又《また》産土神様《うぶすなかみさま》を礼拝《らいはい》し、今日《きょう》一日《にち》の任務《つとめ》を無事《ぶじ》に勤《つと》めさせて下《くだ》さいますようにと祈願《きがん》を籠《こ》めることにしました。不思議《ふしぎ》なことにそんな場合《ばあい》には、いつも額《ぬかづ》いている私《わたくし》の頭《あたま》の上《うえ》で、さらっと幣《ぬさ》の音《おと》が致《いた》します。その癖《くせ》眼《め》を開《あ》けて見《み》ても、別《べつ》に何《なに》も見《み》えはしませぬ。恐《おそ》らく斯《こ》うして神界《しんかい》から、人知《ひとし》れず私《わたくし》の躯《からだ》を浄《きよ》めて下《くだ》さるのでございましょう……。
夜《よる》は夜《よる》で、又《また》神様《かみさま》に御礼《おれい》を申上《もうしあ》げます。『今日《きょう》一日《にち》の仕事《しごと》を無事《ぶじ》に勤《つと》めさせて戴《いただ》きまして、まことに難有《ありがと》うございました……。』その気持《きもち》は別《べつ》に現世《げんせ》の時《とき》と些《すこ》しも異《かわ》りはしませぬ。兎《と》に角《かく》これで初《はじ》めて重荷《おもに》が降《お》りたように感《かん》じ、自分《じぶん》に戻《もど》って寛《くつろ》ぎますが、ただ現世《げんせ》と異《ちが》うのは、それから床《とこ》を敷《し》いて寝《ね》るでもなく、たったひとりで懐《なつ》かしい昔《むかし》の思《おも》い出《で》に耽《ふけ》って、しんみりした気分《きぶん》に浸《ひた》る位《くらい》のものでございます。
兎《と》に角《かく》斯《こ》うして一日《にち》を区画《くぎ》って働《はたら》くことは指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんからも大《たい》へんに褒《ほ》められました。『よくそれ丈《だけ》の考《かんが》えがついた。それでこそ任務《つとめ》が立派《りっぱ》に果《はた》される……。』そう仰《おっ》しゃって戴《いただ》いたのでございます。
ナニ参拝人《さんぱいにん》の話《はなし》をいたせと仰《お》っしゃるか……宜《よろ》しうございます。私《わたくし》もそのつもりで居《お》りました。これからポツポツ想《おも》い出《だ》してその御話《おはなし》をして見《み》ることに致《いた》しましょう。
七十三、参拝者の種類
神社《じんじゃ》の参拝者《さんぱいしゃ》と申《もう》しましても、その種類《しゅるい》はなかなか沢山《たくさん》でございます。近年《きんねん》は敬神《けいしん》の念《ねん》が薄《うす》らぎました故《せい》か、めっきり参拝者《さんぱいしゃ》の数《かず》が減《へ》り、又《また》熱心《ねっしん》さも薄《うす》らいだように感《かん》じられますが、昔《むかし》は大《たい》そう真剣《しんけん》な方《かた》が多《おお》かったものでございます。[#「ございます。」は底本では「ございます、」]時勢《じせい》の変化《へんか》はこちらから観《み》て居《い》ると実《じつ》によく判《わか》ります。神霊《しんれい》の有《あ》るか、無《な》いかもあやふやな人達《ひとたち》から、単《たん》に形式的《けいしきてき》に頭《あたま》を低《さ》げてもらいましても、ドーにも致方《いたしかた》がございませぬ。神詣《かみまう》でには矢張《やは》り真心《まごころ》一《ひと》つが資本《もとで》でございます。たとえ神社《じんじゃ》へは参詣《さんけい》せずとも、熱心《ねっしん》に心《こころ》で念《ねん》じてくだされば、ちゃんとこちらへ通《つう》ずるのでございますから……。
参拝者《さんぱいしゃ》の中《なか》で一ばんに数《かず》も多《おお》く、又《また》一ばんに美《うつく》しいのは、矢張《やは》り何《なん》の註文《ちゅうもん》もなしに、御礼《おれい》に来《こ》らるる方々《かたがた》でございましょう。『毎日《まいにち》安泰《あんたい》に暮《くら》させていただきまして誠《まこと》に難有《ありがと》うございます。何卒《なにとぞ》明日《あす》も無事《ぶじ》息災《そくさい》に過《すご》せますよう……。』昔《むかし》はこんなあっさりしたのが大《たい》そう多《おお》かったものでございます。殊《こと》に私《わたくし》が神《かみ》に祀《まつ》られました当座《とうざ》は、海嘯《つなみ》で助《たす》けられた御礼詣《おれいまい》りの人々《ひとびと》で賑《にぎわ》いました。無論《むろん》あの海嘯《つなみ》で相当《そうとう》沢山《たくさん》の人命《じんめい》が亡《ほろ》びたのでございますが、心掛《こころがけ》の良《よ》い遺族《いぞく》は決《けっ》して恨《うら》みがましいことを申《もう》さず、死《し》ぬのも皆《みな》寿命《じゅみょう》であるとあきらめて、心《こころ》から御礼《おれい》を述《の》べてくれるのでした。私《わたくし》として見《み》れば、自分《じぶん》の力《ちから》一《ひと》つで助《たす》けた訳《わけ》でもないのでございますから、そんな風《ふう》に御礼《おれい》を言《い》われると却《かえ》って気《き》の毒《どく》でたまらず、一層《そう》身《み》を入《い》れてその人達《ひとたち》を守護《しゅご》して上《あ》げたい気分《きぶん》になるのでした。
斯《こ》う言《い》った御礼《おれい》詣《まい》りに亜《つ》いで多《おお》いのは病気《びょうき》平癒《へいゆ》の祈願《きがん》、就中《なかんずく》小供《こども》の病気《びょうき》平癒《へいゆ》の祈願《きがん》でございます。母性愛《ぼせいあい》ばかりはこれは全《まった》く別《べつ》で、あれほど純《じゅん》な、そしてあれほど力強《ちからづよ》いものはめったに他《ほか》に見当《みあた》りませぬ。それは実《じつ》によく私《わたくし》の方《ほう》に通《つう》じてまいります。――が、いかに依《たの》まれましても人間《にんげん》の寿命《じゅみょう》ばかりは何《ど》うにもなりませぬ。随分《ずいぶん》一心《しん》不乱《ふらん》になって神様《かみさま》に御縋《おすが》りするのでございますが、死《し》ぬものは矢張《やは》り死《し》んで了《しま》います。そうした場合《ばあい》に平生《へいぜい》心懸《こころがけ》のよいものは、『これも因縁《いんねん》だから致方《いたしかた》がございませぬ……。』と言《い》って、立派《りっぱ》にあきらめてくれますが、中《なか》には随分《ずいぶん》性質《たち》のよくないのがない訳《わけ》でもございません。『あんな神様《かみさま》は駄目《だめ》だ……幾《いく》ら依《たの》んだって些《ち》つとも利《き》きはしない……。』そんな事《こと》を言《い》って挨拶《あいさつ》にも来《こ》ないのです。それが又《また》よくこちらに通《つう》じますので……。矢張《やは》り人物《じんぶつ》の善悪《ぜんあく》は、うまく行《い》った場合《ばあい》よりも拙《まず》く行《い》った場合《ばあい》によく判《わか》るようでございます。
次《つ》ぎに案外《あんがい》多《おお》いのは若《わか》い男女《だんじょ》の祈願《きがん》……つまり好《す》いた同志《どうし》が是非《ぜひ》添《そ》わしてほしいと言《い》ったような祈願《きがん》でございます。そんなのは篤《とく》と産土神様《うぶすなのかみさま》に伺《うかが》いまして、差支《さしつかえ》のないものにはできる丈《だけ》話《はなし》が纏《まと》まるように骨《ほね》を折《お》ってやりますが、ひょっとすると、妻子《さいし》のある男《おとこ》と一緒《しょ》になりたいとか、又《また》人妻《ひとづま》と添《そ》はしてくれとか、随分《ずいぶん》道《みち》ならぬ、無理《むり》な註文《ちゅうもん》もございます。無論《むろん》私《わたくし》としてはそんな祈願《きがん》を受附《うけつ》けないばかりか、次第《しだい》によれば神様《かみさま》に申上《もうしあ》げて懲戒《みせしめ》を下《くだ》して戴《いただ》きもします。もぐりの流行神《はやりがみ》なら知《し》らぬこと、苟《いやし》くも正《ただ》しい神《かみ》として斯《こ》んな祈願《きがん》に耳《みみ》を傾《かたむ》けるものは絶対《ぜったい》に無《な》いと思《おも》えば宜《よろ》しいかと存《ぞん》じます。
その外《ほか》には事業《じぎょう》成功《せいこう》の祈願《きがん》、災難《さいなん》除《よ》けの祈願等《きがんとう》いろいろございます。これは何《いず》れの神社《じんじゃ》でも恐《おそ》らく同様《どうよう》かと存《ぞん》じます。人間《にんげん》はどんなに偉《えら》くても随分《ずいぶん》と隙間《すきま》だらけのものであり、又《また》随分《ずいぶん》と気《き》の弱《よわ》いものでもあり、平生《へいぜい》は大《おお》きなことを申《もう》して威張《いば》って居《お》りましても、まさかの場合《ばあい》には手《て》も足《あし》も出《で》はしませぬ。無論《むろん》神《かみ》の援助《たすけ》にも限《かぎ》りはありますが、しかし神《かみ》の援助《たすけ》があるのと無《な》いのとでは、そこに大《たい》へんな相違《そうい》ができます。もともと神霊界《しんれいかい》ありての人間界《にんげんかい》なのでございますから、今更《いまさら》人間《にんげん》が旋毛《つむじ》を曲《ま》げて神様《かみさま》を無視《むし》するにも及《およ》びますまい。神様《かみさま》の方《ほう》ではいつもチャーンとお膳立《ぜんだて》をして待《ま》って居《い》て下《くだ》さるのでございます。
それからモー一《ひと》つ申上《もうしあ》げて置《お》きたいのは、あの願掛《がんが》け……つまり念入《ねんい》りの祈願《きがん》でございまして、これは大《たい》てい人《ひと》の寝鎮《ねしず》まった真夜中《まよなか》のものと限《かぎ》って居《お》ります。そうした場合《ばあい》には、むろん私《わたくし》の方《ほう》でもよく注意《ちゅうい》してきいて上《あ》げ、夜中《よなか》であるから良《い》けないなどとは決《けっ》して申《もう》しませぬ。現世《げんせ》でいうなら丁度《ちょうど》急病人《きゅうびょうにん》に呼《よ》び起《おこ》されるお医者様《いしゃさま》と言《い》ったところでございましょうか……。
まだまだ細《こま》かく申《もう》したら際限《さいげん》もありませぬが、参拝者《さんぱいしゃ》の種類《しゅるい》はざっと以上《いじょう》のようなところでございましょう、これから二《ふた》つ三《みつ》つ私《わたくし》の手《て》にかけた実例《じつれい》をお話《はなし》して見《み》ることに致《いた》しますが、その前《まえ》にちょっと申上《もうしあ》げて置《お》きたいのは、それ等《ら》の祈願《きがん》を聴《き》く場合《ばあい》の私《わたくし》の気持《きもち》でございます。ただぼんやりしていたのでは聴《き》き漏《もら》しがありますので、私《わたくし》は朝《あさ》になればいつも深《ふか》い統一状態《とういつじょうたい》に入《はい》り、そしてそのまま御弊《ごへい》と一緒《しょ》になって了《しま》うのでございます。その方《ほう》が参拝者達《さんぱいしゃたち》の心《こころ》がずっとよく判《わか》るからでございます。つまり私《わたくし》の二百年間《ねんかん》のその日《ひ》その日《ひ》はいつも御弊《ごへい》と一体《たい》、夜分《やぶん》参拝者《さんぱいしゃ》が杜絶《とだえ》た時分《じぶん》になって初《はじ》めて自分《じぶん》に返《かえ》って御弊《ごへい》から離《はな》れると言《い》った塩梅《あんばい》なのでございます。
ではこれからお約束《やくそく》の実例《じつれい》に移《うつ》ります……。
七十四、命乞い
ここに私《わたくし》が神社《じんじゃ》に入《はい》ってから間《ま》もなく手《て》にかけた事件《じけん》がございますから、あまり珍《めず》らしくもありませぬが、それを一《ひと》つお話《はな》しいたして見《み》ましょう。それは水《みず》に溺《おぼ》れた五歳《さい》位《くらい》の男《おとこ》の児《こ》の生命《いのち》を助《たす》けたお話《はなし》でございます。
その小供《こども》は相当《そうとう》地位《ちい》のある人《ひと》……たしか旗本《はたもと》とか申《もう》す身分《みぶん》の人《ひと》の忰《せがれ》でございまして、平生《へいぜい》は江戸住《えどずま》いなのですが、お附《つ》きの女中《じょちゅう》と申《もう》すのが諸磯《もろいそ》の漁師《りょうし》の娘《こ》なので、それに伴《つ》れられてこちらへ遊《あそ》びに来《き》ていたらしいのでございます。丁度《ちょうど》夏《なつ》のことでございましたから、小供《こども》は殆《ほと》んど家《いえ》の内部《なか》に居《い》るようなことはなく、海岸《かいがん》へ出《で》て砂《すな》いじりをしたり、小魚《こざかな》を捕《とら》えたりして遊《あそ》びに夢中《むちゅう》、一二度《ど》は女中《じょちゅう》と一緒《しょ》に私《わたくし》の許《もと》へお詣《まい》りに来《き》たこともありました、普通《ふつう》なら一々参拝者《さんぱいしゃ》を気《き》にとめることもないのですが、右《みぎ》の女中《じょちゅう》と申《もう》すのが珍《めず》らしく心掛《こころがけ》のよい、信心《しんじん》の熱《あつ》い娘《こ》でございましたから、自然《しぜん》私《わたくし》の方《ほう》でも目《め》を掛《か》けることになったのでございます。現《げん》と幽《ゆう》とに分《わか》れて居《お》りましても、人情《にんじょう》にかわりはなく、先方《せんぽう》で熱心《ねっしん》ならこちらでもツイその真心《まごころ》にほだされるのでございます。
すると或《あ》る日《ひ》、この小供《こども》の身《み》に飛《と》んでもない災難《さいなん》が降《ふ》って湧《わ》いたのでございます。御承知《ごしょうち》の方《かた》もありましょうが、三崎《みさき》の西海岸《にしかいがん》には巌《いわ》で囲《かこ》まれた水溜《みずたまり》があちこちに沢山《たくさん》ありまして、土地《とち》の漁師《りょうし》の小供達《こどもたち》はよくそんなところで水泳《みずおよ》ぎを致《いた》して居《お》ります。真黒《まっくろ》く日《ひ》に焦《や》けた躯《からだ》を躍《おど》り狂《くる》わせて水《みず》くぐりをしているところはまるで河童《かっぱ》のよう、よくあんなにもふざけられたものだと感心《かんしん》される位《くらい》でございます。江戸《えど》から来《き》ている小供《こども》はそれが羨《うらやま》しくて耐《たま》らなかったものでございましょう、自分《じぶん》では泳《およ》げもせぬのに、女中《じょちゅう》の不在《るす》の折《おり》に衣服《きもの》を脱《ぬ》いで、深《ふか》い水溜《みずたまり》の一《ひと》つに跳《と》び込《こ》んだから耐《たま》りませぬ。忽《たちま》ちブクブクと水底《みずそこ》に沈《しず》んで了《しま》いました。しばらく過《す》ぎてからその事《こと》が発見《はっけん》されて村中《むらじゅう》の大騒《おおさわ》ぎとなりました。何《な》にしろ附近《ふきん》に医師《いし》らしいものは居《い》ない所《ところ》なので、漁師達《りょうしたち》が寄《よ》ってたかって、水《みず》を吐《は》かせたり、焚火《たきび》で煖《あたた》めたり、いろいろ手《て》を尽《つく》しましたが、相当《そうとう》[#ルビの「そうとう」は底本では「たうたう」]時刻《とき》が経《た》っている為《た》めに何《ど》うしても気息《いき》を吹《ふ》き返《かえ》さないのでした。
いよいよ絶望《ぜつぼう》と決《きま》まった時《とき》に、私《わたくし》の許《もと》へ夢中《むちゅう》で駆《か》けつけたのが、例《れい》のお附《つき》の女中《じょちゅう》でございました。その娘《こ》はまるで半狂乱《はんきょうらん》、頭髪《かみ》を振《ふ》り乱《みだ》して階段《かいだん》の下《もと》に伏《ふ》しまろび、一生《しょう》懸命《けんめい》泣《な》き乍《なが》ら祈願《きがん》するのでした。――
『小櫻姫様《こざくらひめさま》、どうぞ若様《わかさま》の生命《いのち》を取《と》りとめて下《くだ》さいませ……。私《わたくし》の過失《ておち》で大切《だいじ》の若様《わかさま》を死《し》なせて了《しま》っては、ドーあってもこの世《よ》に生《い》き永《なが》らえて居《お》られませぬ。たとえ私《わたくし》の生命《いのち》を縮《ちぢ》めましても若様《わかさま》を生《い》かしていただきます。小供《こども》の時分《じぶん》から信心《しんじん》して居《お》る私《わたくし》でございます、今度《こんど》ばかりは是非《ぜひ》私《わたくし》の願《ねが》いをお聴《き》き入《い》れ下《くだ》さいませ……。』
私《わたくし》の方《ほう》でも心《こころ》から気《き》の毒《どく》に思《おも》いましたから、時《とき》を移《うつ》さず一生《しょう》懸命《けんめい》になって神様《かみさま》に命乞《いのちご》いの祈願《きがん》をかけましたが、何分《なにぶん》にも相当《そうとう》手遅《ておく》れになって居《お》りますので、神界《しんかい》から、一応《おう》は駄目《だめ》であるとのお告《つげ》でございました。しかし人間《にんげん》の至誠《しせい》と申《もう》すものは、斯《こ》うした場合《ばあい》に大《たい》した働《はたら》きをするものらしく、くしびな神《かみ》の力《ちから》が私《わたくし》から娘《むすめ》に、娘《むすめ》から小供《こども》へと一道《だう》の光《ひかり》となって注《そそ》ぎかけ、とうとう死《し》んだ筈《はず》の小供《こども》の生命《いのち》がとりとめられたのでございました。全《まった》く人間《にんげん》はまごころ一《ひと》つが肝要《かんよう》で、一心《しん》不乱《ふらん》になりますと、躯《からだ》の内部《なか》から何《なに》やら一種《しゅ》の霊気《れいき》と申《もう》すようなものが出《で》て、普通《ふつう》ではとてもできない不思議《ふしぎ》な仕事《しごと》をするらしいのでございます。
兎《と》に角《かく》死《し》んだ筈《はず》の小供《こども》が生《い》き返《かえ》ったのを見《み》た時《とき》は私自身《わたくしじしん》も心《こころ》から嬉《うれ》しうございました。まして当人《とうにん》はよほど有難《ありがた》かったらしく、早速《さっそく》さまざまのお供物《くもつ》を携《たずさ》えてお礼《れい》にまいったばかりでなく、その後《ご》も終生《しゅうせい》私《わたくし》の許《もと》へ参拝《さんぱい》を欠《か》かさないのでした。こんなのは善良《ぜんりょう》な信者《しんじゃ》の標本《みほん》と言《い》っても宜《よろ》しいのでございましょう。
七十五、入水者の救助
今度《こんど》は一つ夫婦《めおと》のいさかいから、危《あやう》く入水《にゅうすい》しようとした女《おんな》のお話《はなし》を致《いた》しましょうか……。大《だい》たい夫婦《めおと》争《あらそ》いにあまり感心《かんしん》したものは少《すく》のうございまして、中《なか》には側《はた》で見《み》ている方《ほう》が却《かえ》って心苦《こころぐる》しく、覚《おぼ》えず顔《かお》を背《そむ》けたくなる場合《ばあい》もございます。これなども幾分《いくぶん》かその類《たぐい》でございまして……。
或《あ》る日《ひ》一人《ひとり》の男《おとこ》が蒼白《まっさお》な顔《かお》をして、慌《あわ》てて社《やしろ》の前《まえ》に駆《か》けつけました。何事《なにごと》かしらと、じっと見《み》て居《お》りますると、その男《おとこ》はせかせかとはずむ呼吸《いき》を鎮《しず》めも敢《あ》えず、斯《こ》んなことを訴《うた》えるのでした。――
『神《かみ》さま、何《ど》うぞ私《わたくし》の一生《しょう》の願《ねが》いをお聴《き》き届《とど》け下《くだ》さいませ……。私《わたくし》の女房奴《にょうぼうめ》が入水《にゅうすい》すると申《もう》して、家出《いえで》をしたきり皆目《かいもく》行方《ゆくえ》が判《わか》らないのでございます。神様《かみさま》のお力《ちから》でどうぞその足留《あしど》めをしてくださいますよう……。実際《じっさい》のところ私《わたくし》はあれに死《し》なれると甚《はなは》だ困《こま》りますので……。私《わたくし》が他所《よそ》に情婦《おんな》[#ルビの「おんな」は底本では「おんん」]をつくりましたのは、あれはホンの当座《とうざ》の出来心《できごころ》で、心《しん》から可愛《かわい》いと思《おも》っているのは、矢張《やは》り永年《ながねん》連《つ》れ添《そ》って来《き》た自家《うち》の女房《にょうぼう》なのでございます……。ただ彼女《あれ》が余《あ》んまり嫉妬《やきもち》を焼《や》いて仕方《しかた》がございませんから、ツイ腹立《はらだち》まぎれに二つ三つ頭《あたま》をどやしつけて、貴様《きさま》のような奴《やつ》はくたばって了《しま》えと呶鳴《どな》りましたが、心《こころ》の底《そこ》は決《けっ》してそうは思《おも》っていないのでございます……。あんなことを言《い》ったのは私《わたくし》が重畳《ちょうじょう》[#ルビの「ちょうじょう」は底本では「ぢうでう」]悪《わる》うございました。これに懲《こ》りまして、私《わたくし》は早速《さっそく》情婦《おんな》と手《て》を切《き》ります……。あの大切《たいせつ》な女房《にょうぼう》に死《し》なれては、私《わたくし》はもうこの世《よ》に生《い》きている甲斐《かい》がありませぬ……。』
この男《おとこ》は三崎《さき》の町人《ちょうにん》で、年輩《としごろ》は三十四五の分別《ふんべつ》盛《ざか》り、それが涙《なみだ》まじりに斯《こ》んなことを申《もう》すのでございますから、私《わたくし》は可笑《おか》[#ルビの「おか」は底本では「ろか」]しいやら、気《き》の毒《どく》やら、全《まった》く呆《あき》れて了《しま》いました。でも折角《せっかく》の依《たの》みでございますから、兎《と》も角《かく》も家出《いえで》した女房《にょうぼう》の行方《ゆくえ》を探《さぐ》って見《み》ますと、すぐその所在地《ありか》が判《わか》りました。女《おんな》は油《あぶら》ヶ壺《つぼ》の断崖《がけ》の上《うえ》に居《お》りまして、しきりに小石《こいし》を拾《ひろ》って袂《たもと》の中《なか》に入《い》れて居《い》るのは、矢張《やは》り本当《ほんとう》に入水《にゅうすい》するつもりらしいのでございます。そしてしくしく泣《な》きながら、斯《こ》んなことを言《い》って居《お》りました。――
『口惜《くや》しい口惜《くや》しい! 自分《じぶん》の大切《たいせつ》な良人《おっと》をあんな女《おんな》に寝《ね》とられて、何《なん》で黙《だま》って置《お》けるものか! これから死《し》んで、あの女《おんな》に憑依《とりつ》いて仇《かたき》を取《と》ってやるからそう思《おも》って居《お》るがよい……。』
平生《へいぜい》はちょいちょい私《わたくし》のところへもお詣《まい》りに来《く》る、至《いた》って温和《おんわ》な、そして顔立《かおだち》もあまり悪《わる》くはない女《おんな》なのでございますのに、嫉妬《しっと》の為《た》めには斯《こ》んなにも精神《こころ》が狂《くる》って、まるきり手《て》がつけられないものになって了《しま》うのでございます。
見《み》るに見兼《みか》ねて私《わたくし》は産土《うぶすな》の神様《かみさま》に、氏子《うじこ》の一人《ひとり》[#ルビの「ひとり」は底本では「ひとち」]が斯《こ》んな事情《こと》になって居《お》りますから、何《ど》うぞ然《しか》るべく……と、お願《ねが》いしてやりました。寿命《じゅみょう》のない者《もの》は、いかにお願《ねが》いしてもおきき入《い》[#ルビの「い」は底本では「う」]れがございませぬが、矢張《やは》りこの女《おんな》にはまだ寿命《じゅみょう》が残《のこ》って居《い》たのでございましょう、産土《うぶすな》の神様《かみさま》の御眷族《ごげんぞく》が丁度《ちょうど》神主《かんぬし》のような姿《すがた》をしてその場《ば》に現《あら》われ、今《いま》しも断崖《がけ》から飛《と》び込《こ》まうとする女房《にょうぼう》の前《まえ》に両手《りょうて》を拡《ひろ》げて立《た》ちはだかったのでございます。
不意《ふい》の出来事《できごと》に、女房《にょうぼう》は思《おも》わずキャッ! と叫《さけ》んで、地面《じべた》に臀餅《しりもち》をついて了《しま》いましたが、その頃《ころ》の人間《にんげん》は現今《いま》の人間《にんげん》とは異《ちが》いまして、少《すこ》しは神《かみ》ごころがございますから、この女《おんな》もすぐさまそれと気《き》がついて、飛《と》んだ心得違《こころえちが》いをしたと心《こころ》から悔悟《かいご》して、死《し》ぬることを思《おも》いとどまったのでございました。
一方《ぽう》私《わたくし》の方《ほう》ではそれとなく良人《おっと》の心《こころ》に働《はたら》きかけて、油《あぶら》ヶ壺《つぼ》の断崖《がけ》の上《うえ》に導《みちび》いてやりましたので、二人《ふたり》はやがてバッタリと顔《かお》と顔《かお》を突《つ》き合《あ》わせました。
『ヤレヤレ生《い》きていてくれたか……何《なん》と難有《ありがた》いことであろう……。』
『これというのも皆《みな》神様《かみさま》のお蔭《かげ》……これから仲《なか》よく暮《くら》しましょう……。』
『俺《わし》が悪《わる》かった、勘弁《かんべん》してくれ。』
『お前《まえ》もこれからわたしを可愛《かわい》がって……。』
二人《ふたり》は涙《なみだ》ながらに、しがみついていつまでもいつまでも離《はな》れようとしないのでした。
その後《のち》男《おとこ》はすっかり心《こころ》を入《い》れかえ、村人《むらびと》からも羨《うらや》まるるほど夫婦仲《ふうふなか》が良《よ》くなりました。現在《げんざい》でもその子孫《しそん》はたしか彼地《かのち》に栄《さか》えて居《い》る筈《はず》でございます……。
七十六、生木を裂れた男女
あまり多愛《たあい》のないお話《はなし》ばかりつづきましたので、今度《こんど》は少《すこ》しばかり複雑《こみい》ったお話《はなし》……一つ願掛《がんか》けのお話《はなし》を致《いた》して見《み》ましょう。この願掛《がんか》けにはあまり性質《たち》の良《よ》いのは少《すくな》うございます。大《たい》ていは男《おとこ》に情婦《おんな》ができて夫婦仲《ふうふなか》が悪《わる》くなり、嫉妬《やきもち》のあまりその情婦《おんな》を呪《のろ》い殺《ころ》す、と言《い》ったのが多《おお》いようで、偶《たま》には私《わたくし》の所《ところ》へもそんなのが持《も》ち込《こ》まれることもあります。でも私《わたくし》としては、全然《ぜんぜん》そう言《い》った厭《いや》らしい祈願《きがん》にはかかり合《あ》わないことにして居《お》ります。呪咀《のろい》が利《き》く神《かみ》は、あれは又《また》別《べつ》で、正《ただ》しいものではないのでございます。話《はなし》の種子《たね》としては或《あるい》はその方《ほう》が面白《おもしろ》いか存《ぞん》じませぬが、生憎《あいにく》私《わたくし》の手許《てもと》には一つもその持《も》ち合《あ》わせがございませぬ。私《わたくし》の存《ぞん》[#ルビの「ぞん」は底本では「どん」]じて居《お》りますのは、ただきれいな願掛《がんが》けのお話《はなし》ばかりで、あまり面白《おもしろ》くもないと思《おも》いますが、一つだけ標本《みほん》として[#「標本として」は底本では「縹本として」]申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう……。
それは或《あ》る鎌倉《かまくら》の旧家《きゅうか》に起《おこ》りました事件《こと》で、主人《あるじ》夫婦《ふうふ》は漸《ようや》く五十になるか、ならぬ位《くらい》の年輩《ねんぱい》、そして二人《ふたり》の間《あいだ》にたった一人《ひとり》の娘《むすめ》がありました。母親《はは》が大《たい》へん縹緻《きりょう》よしなので、娘《むすめ》もそれに似《に》て鄙《ひな》に稀《まれ》なる美人《びじん》、又《また》才気《さいき》もはじけて居《お》り、婦女《おんな》の道《みち》一と通《とお》りは申分《もうしぶん》なく仕込《しこ》まれて居《お》りました。此《これ》が年頃《としごろ》になったのでございますから、縁談《えんだん》の口《くち》は諸方《しょほう》から雨《あめ》の降《ふ》るようにかかりましたが、俚諺《ことわざ》にも帯《おび》に短《みじ》かし襷《たすき》に長《なが》しとやら、なかなか思《おも》う壺《つぼ》にはまったのがないのでございました。
すると或《あ》る時《とき》、鎌倉《かまくら》のある所《ところ》に、能狂言《のうきょうげん》の催《もよう》しがありまして、親子《おやこ》三人《にん》連《つ》れでその見物《けんぶつ》に出掛《でか》けました折《おり》、不図《ふと》間近《まじか》の席《せき》に人品《じんぴん》の賎《いや》しからぬ若者《わかもの》を見《み》かけました。『これなら娘《むすめ》の婿《むこ》として恥《はず》かしくない……。』両親《りょうしん》の方《ほう》では早《はや》くもそれに目星《めぼし》をつけ、それとなく言葉《ことば》をかけたりしました。娘《むすめ》の方《ほう》でも、まんざら悪《わる》い気持《きも》もしないのでした。
それから早速《さっそく》人《ひと》を依《たの》んで、だんだん先方《せんぽう》の身元《みもと》を査《しら》べて見《み》ると、生憎《あいにく》男《おとこ》の方《ほう》も一人《ひとり》息子《むすこ》で、とても養子《ようし》には行《ゆ》かれない身分《みぶん》なのでした。これには双方《そうほう》とも大《たい》へんに困《こま》り抜《ぬ》き、何《なん》とか良《よ》い工夫《くふう》はないものかと、いろいろ相談《そうだん》を重《かさ》ねましたが、もともと男《おとこ》の方《ほう》でも女《おんな》が気《き》に入《い》って居《お》り、又《また》女《おんな》の方《ほう》でも男《おとこ》が好《す》きだったものでございますので、最後《さいご》に、『二人《ふたり》の間《あいだ》に子供《こども》ができたらそれを与《や》る』という約束《やくそく》が成《な》り立《た》ちまして、とうとう黄道吉日《こうどうきつじつ》を選《えら》んでめでたく婿入《むこい》りということになったのでした。
夫婦仲《ふうふなか》は至《いた》って円満《えんまん》で、双方《そうほう》の親達《おやたち》も大《たい》そう悦《よろ》こびました。これで間《ま》もなく懐胎《みごも》って、男《おとこ》の児《こ》でも生《うま》れれば、何《なん》のことはないのでございますが、そこがままならぬ浮世《うきよ》の習《なら》いで、一年《ねん》経《た》っても、二年《ねん》過《す》ぎても、三年《ねん》が暮《く》れても、ドウしても小供《こども》が生《うま》れないので、婿《むこ》の実家《じっか》の方《ほう》ではそろそろあせり出《だ》しました。『この分《ぶん》で行《ゆ》けば家名《かめい》は断絶《だんぜつ》する……。』――そう言《い》って騒《さわ》ぐのでした。が、三年《ねん》ではまだ判《わか》らないというので、更《さら》に二年《ねん》ほど待《ま》つことになりましたが、しかしそれが過《す》ぎても、矢張《やは》り懐胎《かいたい》の気配《けはい》もないので、とうとう実家《じっか》では我慢《がまん》がし切《き》れず、止《や》むを得《え》ないから離縁《りえん》して帰《かえ》ってもらいたい、ということになって了《しま》いました。
二人《ふたり》の仲《なか》はとても濃《こまや》かで、別《わか》れる気《き》などは更《さら》になかったのでございますが、その頃《ころ》は何《なに》よりも血筋《ちすじ》を重《おも》んずる時代《じだい》でございましたから、お婿《むこ》さんは無理《むり》無理《むり》、あたかも生木《なまき》を裂《さ》くようにして、実家《じっか》へ連《つ》れ戻《もど》されて了《しま》ったのでした。今日《こんにち》の方々《かたがた》は随分《ずいぶん》無理解《むりかい》な仕打《しうち》と御思《おおも》いになるか存《ぞん》じませぬが、往時《むかし》はよくこんな事《こと》があったものでございまして……。
兎《と》に角《かく》斯《こ》うして飽《あ》きも飽《あ》かれもせぬ仲《なか》を割《さ》かれた娘《むすめ》の、その後《のち》の歎《なげ》きと言《い》ったら又《また》格別《かくべつ》でございました。一と月《つき》、二た月《つき》と経《た》つ中《うち》に、どことはなしに躯《からだ》がすっかり衰《おとろ》えて行《ゆ》き、やがて頭脳《あたま》が少《すこ》しおかしくなって、良人《おっと》の名《な》を呼《よ》びながら、夜中《よなか》に臥床《ふしどこ》から起《お》き出《だ》してあるきまわるようなことが、二度《ど》も三度《ど》も重《かさ》なるようになって了《しま》いました。
保養《ほよう》の為《た》めに、この娘《むすめ》が一人《ひとり》の老女《ろうじょ》に附添《つきそ》われて、三崎《みさき》の遠《とお》い親戚《しんせき》に当《あた》るものの離座敷《はなれざしき》に引越《ひっこし》してまいりましたのは、それから間《ま》もないことで、ここではしなくも願掛《がんが》けの話《はなし》が始《はじ》まるのでございます。
七十七、神の申子
或《あ》る夜《よ》社頭《しゃとう》の階段《きざはし》の辺《ほとり》に人《ひと》の気配《けはい》が致《いた》しますので、心《こころ》を鎮《しず》めてこちらから覗《のぞ》いて見《み》ますと、其処《そこ》には二十五六の若《わか》い美《うつく》しい女《おんな》が、六十位《ぐらい》の老女《ろうじょ》を連《つ》れて立《た》って居《お》りましたが、血走《ちばし》った眼《まなこ》に洗《あら》い髪《かみ》をふり乱《みだ》して居《い》る様子《ようす》は、何《ど》う見《み》ても只事《ただごと》とは思《おも》われないのでした。
女《おんな》はやがて階段《きざはし》の下《した》に跪《ひざまづ》いて、こまごまと一伍一什《いちぶしじゅう》を物語《ものがた》った上《うえ》で、『何卒《なにとぞ》神様《かみさま》のお力《ちから》で子供《こども》を一人《ひとり》お授《さず》け下《くだ》さいませ。それが男《おとこ》の子《こ》であろうと、女《おんな》の子《こ》であろうと、決《けっ》して勝手《かって》は申《もう》しませぬ……。』と一心《しん》不乱《ふらん》に祈願《きがん》を籠《こ》めるのでした。
これで一と通《とお》り女《おんな》の事情《じじょう》は判《わか》ったのでございますが、男《おとこ》の方《ほう》を査《しら》べなければ何《なん》とも判断《はんだん》しかねますので、私《わたくし》はすぐ其場《そのば》で一層《そう》深《ふか》い精神統一状態《せいしんとういつじょうたい》に入《はい》り、仔細《しさい》にその心《こころ》の中《なか》まで探《さぐ》って見《み》ました。すると男《おとこ》[#ルビの「おとこ」は底本では「かとこ」]も至《いた》って志繰《こころ》の確《たし》かな、優《やさ》さしい若者《わかもの》で、他《ほか》の女《おんな》などには目《め》もくれず、堅《かた》い堅《かた》い決心《けっしん》をして居《い》ることがよく判《わか》りました。
これで私《わたくし》の方《ほう》でも真剣《しんけん》に身《み》を入《い》れる気《き》になりましたが、何分《なにぶん》にも斯《こ》んな祈願《きがん》は、まだ一度《ど》も手掛《てが》けたことがないものでございますから、何《ど》うすれば子供《こども》を授《さず》けることができるのか、更《さら》に見当《けんとう》がとれませぬ。拠《よんどころ》なく私《わたくし》の守護霊《しゅごれい》に相談《そうだん》をかけて見《み》ましたが、あちらでも矢張《やは》りよく判《わか》らないのでございました。
そうする中《うち》にも、女《おんな》の方《ほう》では、雨《あめ》にも風《かぜ》にもめげないで、初夜《しょや》頃《ころ》になると必《かな》らず願掛《がんが》けにまいり、熱誠《ねっせい》をこめて、早《はや》く子供《こども》を授《さず》けていただきたいとせがみます。それをきく私《わたくし》は全《まった》く気《き》が気《き》でないのでございました。
とうとう思案《しあん》に余《あま》りまして、私《わたくし》は指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんに御相談《ごそうだん》をかけますと、お爺《じい》さんからは、斯《こ》んな御返答《ごへんじ》がまいりました。――
『それは結構《けっこう》なことであるから、是非《ぜひ》子供《こども》を授《さず》けてやるがよい。但《ただ》しその方法《ほうほう》は自分《じぶん》で考《かんが》えなければならぬ。それがつまり修行《しゅぎょう》じゃ。こちらからは教《おし》えることはできない……。』
私《わたくし》としては、これは飛《と》んでもないことになったと思《おも》いました。兎《と》に角《かく》相手《あいて》[#ルビの「あいて」は底本では「あひし」]なしに妊娠《にんしん》しないことはよく判《わか》って居《お》りますので、不取敢《とりあえず》私《わたくし》は念力《ねんりき》をこめて、あの若者《わかもの》を三崎《みさき》の方《ほう》へ呼《よ》び寄《よ》せることに致《いた》しました……。つまり男《おとこ》にそう思《おも》わせるのでございますが、これはなかなか並大《なみたい》ていの仕事《しごと》ではないのでございまして……。
幸《さいわ》いにも私《わたくし》の念力《ねんりき》が届《とど》き、男《おとこ》はやがて実家《さと》から脱《ぬ》け出《だ》して、ちょいちょい三崎《みさき》の女《おんな》の許《もと》へ近《ちか》づくようになりました。乃《そこ》で今度《こんど》は産土《うぶすな》の神様《かみさま》にお願《ねが》いして、その御計《おはか》らいで首尾《しゅび》よく妊娠《にんしん》させて戴《いただ》きましたが、これがつまり神《かみ》の申子《もうしご》と申《もう》すものでございましょう。只《ただ》その詳《くわ》しい手続《てつづ》きは私《わたくし》にもよく判《わか》りかねますので……。
これで先《ま》ず仕事《しごと》の一段落《だんらく》はつきましたようなものの、ただこの侭《まま》に棄《す》て置《お》いては、折角《せっかく》の願掛《がんが》けが協《かな》ったのか、協《かな》わないのかが、さっぱり人間《にんげん》の方《ほう》に判《わか》りませんので、何《なん》とかしてそれを先方《せんぽう》に通《つう》じさせる工夫《くふう》が要《い》るのでございます。これも指導役《しどうやく》のお爺《じい》さんから教《おし》えられて、私《わたくし》は女《おんな》が眠《ねむ》っている時《とき》に、白《しろ》い珠《たま》を神様《かみさま》から授《さず》かる夢《ゆめ》を見《み》せてやりました。御存《ごぞん》じの通《とお》り、白《しろ》い珠《たま》はつまり男《おとこ》の児《こ》の徴号《しるし》なのでございまして……。
女《おんな》はそれからも引《ひ》きつづいてお宮《みや》に日参《にっさん》しました。夢《ゆめ》に見《み》た白《しろ》い玉《たま》がよほど気《き》がかりと見《み》えまして、いつもいつも『あれは何《ど》ういう訳《わけ》でございますか?』と訊《たず》ねるのでございましたが、幽明交通《ゆうめいこうつう》の途《みち》が開《ひら》けていない為《た》めに、こればかりは教《おし》えてやることはできないので甚《はなは》だ困《こま》りました。――が、その中《うち》、妊娠《にんしん》ということが次第《しだい》に判《わか》って来《き》たので、夫婦《ふうふ》の歓《よろこ》びは一《ひ》と通《とお》りでなく、三崎《みさき》に居《い》る間《あいだ》は、よく二人《ふたり》で連《つ》れ立《だ》ちてお礼《れい》にまいりました。
やかて月満《つきみ》ちて生《うま》れたのは、果《はた》して珠《たま》のような、きれいな男《おとこ》の児《こ》でございました。俗《ぞく》に神《かみ》の申子《もうしご》は弱《よわ》いなどと申《もう》しますが、決《けっ》してそのようなものではなく、この児《こ》も立派《りっぱ》に成人《せいじん》して、父親《ちちおや》の実家《じっか》の後《あと》を継《つ》ぎました。私《わたくし》のところにまいる信者《しんじゃ》の中《なか》では、この人達《ひとたち》などが一番《ばん》手堅《てがた》かった方《ほう》でございまして……。
× × × ×
斯《こ》う言《い》った実話《じつわ》は、まだいくらでもございますが、そのおうわさは別《べつ》の機会《おり》に譲《ゆづ》り、これからごく簡単《かんたん》に神々《かみがみ》のお受持《うけもち》につきて、私《わたくし》の存《ぞん》じて居《い》るところを申《もう》し上《あ》げて、一《ひ》と先《ま》ずこの通信《つうしん》を打《う》ち切《き》らせていただきとうございます。
七十八、神々の受持
神々《かみがみ》のお受持《うけもち》と申《もう》しましても、これは私《わたくし》がこちらで実地《じっち》に見《み》たり、聞《き》いたりしたところを、何《なん》の理窟《りくつ》もなしに、ありのまま申上《もうしあ》げるのでございますから、何卒《どうぞ》そのおつもりできいて戴《いただ》きます。こんなものでも幾《いく》らか皆《みな》さまの手《て》がかりになれば何《なに》より本望《ほんもう》でございます。
現世《げんせ》の方々《かたがた》が、何《なに》は措《お》いても第《だい》一に心得《こころえ》て置《お》かねばならぬのは、産土《うぶすな》の神様《かみさま》でございましょう。これはつまり土地《とち》の御守護《ごしゅご》に当《あた》らるる神様《かみさま》でございまして、その御本体《ごほんたい》は最初《はじめ》から活《い》き通《どお》しの自然霊《しぜんれい》……つまり竜神様《りゅうじんさま》でございます。現《げん》に私《わたくし》どもの土地《とち》の産土様《うぶすなさま》は神明様《しんめいさま》と申上《もうしあ》げて居《お》りますが、矢張《やは》り竜神様《りゅうじんさま》で[#「竜神様で」は底本では「竜神様て」]ございまして……。稀《まれ》に人霊《じんれい》の場合《ばあい》もあるようにお見受《みう》けしますが、その補佐《ほさ》には矢張《やは》り竜神様《りゅうじんさま》が附《つ》いて居《お》られます。ドーもこちらの世界《せかい》のお仕事《しごと》は、人霊《じんれい》のみでは何彼《なにか》につけて不便《ふべん》があるのではないかと存《ぞん》じられます。
さて産土《うぶすな》の神様《かみさま》のお任務《しごと》の中《なか》で、何《なに》より大切《たいせつ》なのは、矢張《やは》り人間《にんげん》の生死《せいし》の問題《もんだい》でございます。現世《げんせ》の役場《やくば》では、子供《こども》が生《うま》れてから初《はじ》めて受附《うけつ》けますが、こちらでは生《うま》れるずっと以前《いぜん》からそれがお判《わか》りになって居《お》りますようで、何《なん》にしましても、一人《ひとり》の人間《にんげん》が現世《げんせ》に生《うま》れると申《もう》すことは、なかなか重大《じゅうだい》な事柄《ことがら》でございますから、右《みぎ》の次第《しだい》は産土《うぶすな》の神様《かみさま》から、それぞれ上《うえ》の神様《かみさま》にお届《とど》けがあり、やがて最高《さいこう》の神様《かみさま》のお手許《てもと》までも達《たっ》するとの事《こと》でございます。申《もう》すまでもなく、生《うま》れる人間《にんげん》には必《かな》らず一人《ひとり》の守護霊《しゅごれい》が附《つ》けられますが、これも皆《みな》上《うえ》の神界《しんかい》からのお指図《さしず》で決《き》められるように承《うけたまわ》って居《お》ります。
それから人間《にんげん》が歿《なく》なる場合《ばあい》にも、第《だい》一に受附《うけつ》けてくださるのが、矢張《やは》り産土《うぶすな》の神様《かみさま》で、誕生《たんじょう》のみが決《けっ》してそのお受持《うけもち》ではないのでございます。これは氏子《うじこ》として是非《ぜひ》心得《こころえ》て置《お》かねばならぬことと存《ぞん》じられます。尤《もっと》もそのお仕事《しごと》はただ受附《うけつ》けて下《くだ》さるだけで、直接《ちょくせつ》帰幽者《きゆうしゃ》をお引受《ひきう》け下《くだ》さいますのは大国主命様《おおくにぬしのみことさま》でございます。産土神様《うぶすながみさま》からお届出《とどけいで》がありますと、大国主命様《おおくにぬしのみことさま》の方《ほう》では、すぐに死者《ししゃ》の行《ゆ》くべき[#「行くべき」は底本では「行ぐべき」]所《ところ》を見定《みさだ》め、そしてそれぞれ適当《てきとう》な指導役《しどうやく》をお附《つ》けくださいますので……。指導役《しどうやく》は矢張《やは》り竜神様《りゅうじんさま》でございます。人霊《じんれい》では、ややもすれば人情味《にんじょうみ》があり過《す》ぎて、こちらの世界《せかい》の躾《しつけ》をするのに、あまり面白《おもしろ》くないようでございます。私《わたくし》なども矢張《やは》り一人《ひとり》の竜神《りゅうじん》さんの御指導《ごしどう》に預《あず》かったことは、かねがね申上《もうしあ》げて居《お》ります通《とお》りで、これは私《わたくし》に限《かぎ》らず、どなたも皆《みな》、その御世話《おせわ》になるのでございます。つまり現世《げんせ》では主《しゅ》として守護霊《しゅごれい》、又《また》幽界《ゆうかい》では主《しゅ》として指導霊《しどうれい》、のお世話《せわ》になるものとお思《おも》いになれば宜《よろ》しうございます。
尚《な》お生死以外《せいしいがい》にも産土《うぶすな》の神様《かみさま》のお世話《せわ》に預《あず》かることは数限《かずかぎ》りもございませぬが、ただ産土《うぶすな》の神様《かみさま》は言《い》わば万事《ばんじ》の切盛《きりも》りをなさる総受附《そううけつけ》のようなもので、実際《じっさい》の仕事《しごと》には皆《みな》それぞれ専門《せんもん》の神様《かみさま》が控《ひか》えて居《お》られます。つまり病気《びょうき》には病気《びょうき》直《なお》しの神様《かみさま》、武芸《ぶげい》には武芸専門《ぶげいせんもん》の神様《かみさま》、その外《ほか》世界中《せかいじゅう》のありとあらゆる仕事《しごと》は、それぞれ皆《みな》受持《うけもち》の神様《かみさま》があるのでございます。人間《にんげん》と申《もう》すものは兎角《とかく》自分《じぶん》の力《ちから》一つで何《なん》でもできるように考《かんが》え勝《が》ちでございますが、実《じつ》は大《だい》なり、小《しょう》なり、皆《みな》蔭《かげ》から神々《かみがみ》の御力添《おちからぞ》えがあるのでございます[#「あるのでございます」は底本では「あるのでござさます」]。
さすがに日本国《にっぽんこく》は神国《しんこく》と申《もう》されるだけ、外国《がいこく》とは異《ちが》って、それぞれ名《な》の附《つ》いた、尊《とうと》い神社《じんじゃ》が到《いた》る所《ところ》に見出《みいだ》されます。それ等《ら》の御本体《ごほんたい》を査《しら》べて見《み》ますると、二た通《とお》りあるように存《ぞん》じます。一つはすぐれた人霊《じんれい》を御祭神《ごさいじん》としたもので、橿原神宮《かしわらじんぐう》、香椎宮《かしいのみや》、明治神宮《めいじじんぐう》などがそれでございます。又《また》他《た》の一つは活神様《いきかみさま》を御祭神《ごさいじん》と致《いた》したもので、出雲《いずも》の大社《たいしゃ》、鹿島神宮《かしまじんぐう》、霧島神宮等《きりしまじんぐうなど》がそれでございます。ただし、いかにすぐれた人霊《じんれい》が御本体《ごほんたい》でありましても、その控《ひか》えとしては、必《かな》らず有力《ゆうりょく》な竜神様《りゅうじんさま》がお附《つ》き遊《あそ》ばして居《お》られますようで……。
今更《いまさら》申上《もうしあ》ぐるまでもなく、すべての神々《かみがみ》の上《うえ》には皇孫命様《こうそんのみことさま》がお控《ひか》えになって居《お》られます。つまりこの御方《おかた》が大地《だいち》の神霊界《しんれいかい》の主宰神《しゅさいしん》に在《おわ》しますので……。更《さら》にそのモー一つ奥《おく》には、天照大御神様《あまてらすおおみかみさま》がお控《ひか》えになって居《お》られますが、それは高天原《たかまがはら》……つまり宇宙《うちゅう》の主宰神《しゅさいしん》に在《おわ》しまして、とても私《わたくし》どもから測《はか》り知《し》ることのできない、尊《とうと》い神様《かみさま》なのでございます……。
神界《しんかい》の組織《そしき》はざっと右《みぎ》申上《もうしあ》げたようなところでございます。これ等《ら》の神々《かみがみ》の外《ほか》に、この国《くに》には観音様《かんのんさま》とか、不動様《ふどうさま》とか、その他《ほか》さまざまのものがございますが、私《わたくし》がこちらで実地《じっち》に査《しら》べたところでは、それはただ途中《とちゅう》の相違《そうい》……つまり幽界《ゆうかい》の下層《かそう》に居《お》る眷族《けんぞく》が、かれこれ区別《くべつ》を立《た》てているだけのもので、奥《おく》の方《ほう》は皆《みな》一つなのでございます。富士山《ふじさん》に登《のぼ》りますにも、道《みち》はいろいろつけてございます。教《おし》えの道《みち》も矢張《やは》りそうした訳《わけ》のものではなかろうかと存《ぞん》じられます。では一と先《ま》ずこれで……。(完結)
底本:「霊界通信 小桜姫物語」潮文社
1985(昭和60)年7月31日第1刷発行
1998(平成10)年7月31日第9刷発行
底本の親本:「霊界通信 小櫻姫物語」心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年2月初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※横組み中のダブルミニュートには、底本では、JIS X 0213規格票の、縦書き用字形が用いられています。
入力:浅野和三郎・著作保存会(泉美、老神いさお、MUPさくら)
校正:POKEPEEK2011
2012年9月18日作成
2014年6月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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[#…]は、入力者による注を表す記号です。
「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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