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それがしの宮の催したまひし星《ほし》が岡《おか》茶寮《さりょう》の独逸会《ドイツかい》に、洋行がへりの将校次を逐《お》うて身の上ばなしせし時のことなりしが、こよひはおん身が物語聞くべきはずなり、殿下も待兼《まちか》ねておはすればと促されて、まだ大尉《たいい》になりてほどもあらじと見ゆる小林といふ少年士官、口に啣《くわ》へし巻烟草《まきタバコ》取りて火鉢《ひばち》の中へ灰振り落して語りは始めぬ。
わがザックセン軍団につけられて、秋の演習にゆきし折、ラァゲヰッツ村の辺にて、対抗は既に果てて仮設敵を攻むべき日とはなりぬ。小高き丘の上に、まばらに兵を配りて、敵と定めおき、地形の波面《なみづら》、木立《こだち》、田舎家《いなかや》などを巧《たくみ》に楯《たて》に取りて、四方《よも》より攻寄《せめよ》するさま、めづらしき壮観《みもの》なりければ、近郷《きんごう》の民ここにかしこに群《むれ》をなし、中に雑《まじ》りたる少女《おとめ》らが黒天鵝絨《ビロード》の胸当《ミーデル》晴れがましう、小皿伏せたるやうなる縁《ふち》狭き笠に草花《くさばな》插したるもをかしと、携《たずさ》へし目がね忙《いそが》はしくかなたこなたを見廻《みめぐ》らすほどに、向ひの岡なる一群きは立《だち》てゆかしう覚えぬ。
九月はじめの秋の空は、けふしもここに稀なるあゐ色になりて、空気透徹《すきとお》りたれば、残る隈《くま》なくあざやかに見ゆるこの群の真中《まなか》に、馬車一輛《いちりょう》停《と》めさせて、年若き貴婦人いくたりか乗りたれば、さまざまの衣《きぬ》の色相映じて、花一叢《いっそう》、にしき一団、目もあやに、立ちたる人の腰帯《シェルベ》、坐りたる人の帽《ぼう》の紐《ひも》などを、風ひらひらと吹靡《ふきなび》かしたり。その傍《かたわら》に馬立てたる白髪の翁《おきな》は角扣紐《つのボタン》どめにせし緑の猟人服《かりゅうどふく》に、うすき褐《かち》いろの帽を戴《いただ》けるのみなれど、何となく由《よし》ありげに見ゆ。すこし引下がりて白き駒《こま》控へたる少女《おとめ》、わが目がねはしばしこれに留まりぬ。鋼鉄《はがね》いろの馬のり衣《ごろも》裾長《すそなが》に着て、白き薄絹巻きたる黒帽子を被《かぶ》りたる身の構《かまえ》けだかく、今かなたの森蔭より、むらむらと打出でたる猟兵の勇ましさ見むとて、人々騒げどかへりみぬさま心憎し。
「殊《こと》なるかたに心留《と》めたまふものかな。」といひて軽く我《わが》肩を拍《う》ちし長き八字髭《はちじひげ》の明色《ブロンド》なる少年士官は、おなじ大隊の本部につけられたる中尉《ちゅうい》にて、男爵《だんしゃく》フォン・メエルハイムといふ人なり。「かしこなるは我が識《し》れるデウベンの城のぬしビュロオ伯《はく》が一族なり。本部のこよひの宿はかの城と定まりたれば、君も人々に交りたまふたつきあらむ。」と言畢《いいおわ》る時、猟兵やうやうわが左翼に迫るを見て、メエルハイムは馳去《かけさ》りぬ。この人と我が交りそめしは、まだ久しからぬほどなれど、善《よ》き性《さが》とおもはれぬ。
寄手《よせて》丘の下まで進みて、けふの演習をはり、例の審判も果つるほどに、われはメエルハイムと倶《とも》に大隊長の後《しりえ》につきて、こよひの宿へいそぎゆくに、中高《なかだか》に造りし「ショッセエ」道美しく切株残れる麦畑の間をうねりて、をりをり水音の耳に入るは、木立《こだち》の彼方《あなた》を流るるムルデ河に近づきたるなるべし。大隊長は四十の上を三つ四つも踰《こ》えたらむとおもはるる人にて、髪はまだふかき褐《かち》いろを失はねど、その赤き面《おもて》を見れば、はや額《ぬか》の波いちじるし。質樸《しつぼく》なれば言葉すくなきに、二言《ふたこと》三言《みこと》めには、「われ一個人にとりては」とことわる癖《くせ》あり。遽《にわか》にメエルハイムのかたへ向きて、「君がいひなづけの妻の待ちてやあるらむ、」といひぬ。「許し玉へ、少佐《しょうさ》の君。われにはまだ結髪《いいなずけ》の妻といふものなし。」「さなりや。我言《わがこと》をあしう思ひとり玉ふな。イイダの君を、われ一個人にとりてはかくおもひぬ。」かく二人の物語する間に、道はデウベン城の前にいでぬ。園《その》をかこめる低き鉄柵《てっさく》をみぎひだりに結ひし真砂路《まさごじ》一線《ひとすじ》に長く、その果つるところに旧《ふ》りたる石門あり。入《い》りて見れば、しろ木槿《もくげ》の花咲きみだれたる奥に、白堊《しろつち》塗りたる瓦葺《かわらぶき》の高どのあり。その南のかたに高き石の塔あるは埃及《エジプト》の尖塔《ピラミッド》にならひて造れりと覚ゆ。けふの泊《とまり》のことを知りて出迎へし「リフレエ」着たる下部《しもべ》に引かれて、白石《はくせき》の階《きざはし》のぼりゆくとき、園の木立を洩《もる》るゆふ日朱《あけ》の如《ごと》く赤く、階の両側《ふたがわ》に蹲《うずくま》りたる人首《じんしゅ》獅身《ししん》の「スフィンクス」を照したり。わがはじめて入る独逸貴族の城のさまいかならむ。さきに遠く望みし馬上の美人はいかなる人にか。これらも皆解きあへぬ謎《なぞ》なるべし。
四方《よも》の壁と穹窿《まるてんじょう》とには、鬼神《きじん》竜蛇《りょうだ》さまざまの形を画《えが》き、「トルウヘ」といふ長櫃《ながびつ》めきたるものをところどころに据《す》ゑ、柱には刻《きざ》みたる獣《けもの》の首《こうべ》、古代の楯《たて》、打物《うちもの》などを懸けつらねたる間《ま》、いくつか過ぎて、楼上《ろうじょう》に引かれぬ。
ビュロオ伯は常の服とおぼしき黒の上衣《うわぎ》のいと寛《ひろ》きに着更《きが》へて、伯爵夫人とともにここにをり、かねて相識れる中なれば、大隊長と心よげに握手し、われをも引合はさせて、胸の底より出づるやうなる声にてみづから名告《なの》り、メエルハイムには「よくぞ来玉ひし、」と軽く会釈《えしゃく》しぬ。夫人は伯よりおいたりと見ゆるほどに起居《たちい》重けれど、こころの優しさ目《まみ》の色に出でたり。メエルハイムを傍《かたわら》へ呼びて、何やらむしばしささやくほどに、伯。「けふの疲《つかれ》さぞあらむ。まかりて憩《いこ》ひ玉へ。」と人して部屋へ誘《いざな》はせぬ。
われとメエルハイムとは一つ部屋にて東向なり。ムルデの河波は窓の直下《ました》のいしづゑを洗ひて、むかひの岸の草むらは緑まだあせず。そのうしろなる柏《かしわ》の林にゆふ靄《もや》かかれり。流《ながれ》めての方にて折れ、こなたの陸《くが》膝がしらの如く出でたるところに田舎家二、三軒ありて、真黒《まくろ》なる粉ひき車の輪中空《なかぞら》に聳《そび》え、ゆん手《で》には水に枕《のぞ》みてつき出したる高殿《たかどの》の一間《ひとま》あり。この「バルコン」めきたるところの窓、打見るほどに開きて、少女のかしら三つ四つ、をり畳《かさ》なりてこなたを覗《のぞ》きしが、白き馬に騎《の》りたりし人はあらざりき。軍服ぬぎて盥卓《たらいづくえ》の傍へ倚《よ》らむとせしメエルハイムは、「かしこは若き婦人がたの居間なり、無礼《なめ》なれどその窓の戸疾《と》くさしてよ、」とわれに請《こ》ひぬ。
日暮れて食堂に招かれ、メエルハイムと倶《とも》にゆくをり、「この家に若き姫《ひめ》たちの多きことよ、」と問ひつるに。「もと六人《むたり》ありしが、一人はわが友なるファブリイス伯に嫁《とつ》ぎて、のこれるは五人《いつたり》なり。」「ファブリイスとは国務大臣の家ならずや。」「さなり、大臣の夫人はここのあるじの姉にて、わが友といふは大臣のよつぎの子なり。」
食卓に就きてみれば、五人の姫たちみなおもひおもひの粧《よそおい》したる、その美しさいづれはあらぬに、上の一人の上衣も裳《も》も黒きを着たるさま、めづらしと見れば、これなんさきに白き馬に騎りたりし人なりける。外《ほか》の姫たちは日本人めづらしく、伯爵夫人のわが軍服褒《ほ》めたまふ言葉の尾につきて、「黒き地に黒き紐《ひも》つきたれば、ブラウンシュワイヒの士官に似たり、」と一人いへば、桃色の顔したる末の姫、「さにてもなし、」とまだいわけなくもいやしむいろえ包までいふに、皆をかしさに堪《た》へねば、あかめし顔を汁《ソップ》盛れる皿の上に低《た》れぬれど、黒き衣《きぬ》の姫は睫《まつげ》だに動《うごか》さざりき。暫《しば》しありて穉《おさな》き姫、さきの罪購《あがな》はむとやおもひけむ、「されどかの君の軍服は上も下もくろければイイダや好みたまはむ、」といふを聞きて、黒き衣の姫振向きて睨《にら》みぬ。この目は常にをち方にのみ迷ふやうなれど、一たび人の面《おもて》に向ひては、言葉にも増して心をあらはせり。いま睨みしさまは笑《えみ》を帯びて呵《しか》りきと覚ゆ。われはこの末の姫の言葉にて知りぬ、さきに大隊長がメエルハイムのいひなづけの妻ならむといひしイイダの君とは、この人のことなるを。かく心づきてみれば、メエルハイムが言葉も振舞も、この君をうやまひ愛《め》づと見えぬはなし。さてはこの中《なか》はビュロオ伯夫婦もこころに許したまふなるべし。イイダといふ姫は丈《たけ》高く痩肉《やせじし》にて、五人の若き貴婦人のうち、この君のみ髪黒し。かの善くものいふ目《まみ》をよそにしては、外の姫たちに立ちこえて美しとおもふところもなく、眉《まゆ》の間にはいつも皺《しわ》少しあり。面のいろの蒼《あお》う見ゆるは、黒き衣のためにや。
食終りてつぎの間にいづれば、ここはちひさき座敷《ザロン》めきたるところにて、軟き椅子《いす》、「ゾファ」などの脚《あし》きはめて短きをおほく据《す》ゑたり。ここにて珈琲《カッフェー》の饗応《もてなし》あり。給仕のをとこ小盞《こさかずき》に焼酎《しょうちゅう》のたぐひいくつか注《つ》いだるを持《も》てく。あるじの外には誰も取らず、ただ大隊長のみは、「われ一個人にとりては『シャルトリョオズ』をこそ、」とて一息に飲みぬ。この時わが立ちし背のほの暗きかたにて、「一個人、一個人」とあやしき声して呼ぶものあるに、おどろきて顧《かえり》みれば、この間の隅にはおほいなる鍼《はり》がねの籠《かご》ありて、そが中なる鸚鵡《おうむ》、かねて聞きしことある大隊長のこと葉をまねびしなりけり。姫たち、「あな生憎《あいにく》の鳥や」とつぶやけば、大隊長もみづからこわ高に笑ひぬ。
主人《あるじ》は大隊長と巻烟草喫《の》みて、銃猟の話《はなし》せばやと、小部屋《カビネット》のかたへゆくほどに、われはさきよりこなたを打守《うちまも》りて、珍らしき日本人にものいひたげなる末の姫に向ひて、「このさかしき鳥はおん身のにや、」とゑみつつ問へば。「否《いな》、誰《たれ》のとも定らねど、われも愛《め》でたきものにこそ思ひ侍《はべ》れ。さいつ頃までは、鳩《はと》あまた飼ひしが、あまりに馴れて、身に|《まつ》はるものをイイダいたく嫌へば、皆人に取らせつ。この鸚鵡のみは、いかにしてかあの姉君を憎めるがこぼれ幸《ざいわい》にて、今も飼はれ侍り。さならずや。」と鸚鵡のかたへ首《こうべ》さしいだしていふに、姉君憎むてふ鳥は、まがりたる嘴《はし》を開きて、「さならずや、さならずや」と繰返しぬ。
この隙《ひま》にメエルハイムはイイダひめの傍に居寄《いよ》りて、なに事をかこひ求むれど、渋《しぶ》りてうけひかざりしに、伯爵夫人も言葉を添へ玉ふと見えしが、姫つと立ちて「ピヤノ」にむかひぬ。下部《しもべ》いそがはしく燭《しょく》をみぎひだりに立つれば、メエルハイムは「いづれの譜をかまゐらすべき、」と楽器のかたはらなる小卓《こづくえ》にあゆみ寄らむとせしに、イイダ姫「否、譜なくても」とて、おもむろに下《おろ》す指尖《ゆびさき》木端《タステン》に触れて起すや金石の響。しらべ繁くなりまさるにつれて、あさ霞《がすみ》の如きいろ、姫が瞼際《けんさい》に顕《あらわ》れ来《き》つ。ゆるらかに幾尺の水晶の念珠《ねんじゅ》を引くときは、ムルデの河もしばし流をとどむべく、忽《たちま》ち迫りて刀槍《とうそう》斉《ひとし》く鳴るときは、むかし行旅《こうりょ》を脅《おびやか》ししこの城の遠祖《とおつおや》も百年《ももとせ》の夢を破られやせむ。あはれ、この少女のこころは恒《つね》に狭き胸の内に閉ぢられて、こと葉となりてあらはるる便《たつき》なければ、その繊々《せんせん》たる指頭《ゆびさき》よりほとばしり出づるにやあらむ。唯《ただ》覚ゆ、糸声《しせい》の波はこのデウベン城をただよはせて、人もわれも浮きつ沈みつ流れゆくを。曲正《まさ》に闌《たけなわ》になりて、この楽器のうちに潜《ひそ》みしさまざまの絃《いと》の鬼、ひとりびとりに窮《きわみ》なき怨《うらみ》を訴へをはりて、いまや諸声《もろごえ》たてて泣響《なきとよ》むやうなるとき、訝《いぶか》かしや、城外に笛の音《ね》起りて、たどたどしうも姫が「ピヤノ」にあはせむとす。
弾《だん》じほれたるイイダ姫は、暫く心附かでありしが、かの笛の音ふと耳に入りぬと覚しく遽《にわか》にしらべを乱《みだ》りて、楽器の筐《はこ》も砕《くだ》くるやうなる音をせさせ、座を起ちたるおもては、常より蒼《あお》かりき。姫たち顔見合せて、「また欠唇《いぐち》のをこなる業《わざ》しけるよ。」とささやくほどに、外《と》なる笛の音絶えぬ。
主人の伯は小部屋より出でて、「物くるほしきイイダが当座の曲は、いつものことにて珍らしからねど、君はさこそ驚きたまひけめ、」とわれに会釈しぬ。
絶えしものの音わが耳にはなほ聞えて、うつつごころならず部屋へ還《かえ》りしが、こよひ見聞しことに心奪はれていもねられず。床をならべしメエルハイムを見れば、これもまだ醒《さ》めたり。問はまほしきことはさはなれど、さすがに憚《はばか》るところなきにあらねば、「さきの怪しき笛の音は誰が出《いだ》ししか知りてやおはする、」と僅《わずか》にいふに、男爵こなたに向きて、「それにつきては一条《ひとくだり》のもの語《がたり》あり、われもこよひは何ゆゑか寝《いね》られねば、起きて語り聞かせむ。」と諾《うべな》ひぬ。
われらはまだ煖《ぬく》まらぬ臥床《ふしど》を降りて、まどの下《もと》なる小机にいむかひ、烟草《タバコ》燻《くゆ》らすほどに、さきの笛の音、また窓の外におこりて、乍《たちま》ち断えたちまち続き、ひな鶯《うぐいす》のこころみに鳴く如し。メエルハイムは謦咳《しわぶき》して語りいでぬ。
「十年《ととせ》ばかり前のことなるべし、ここより遠からぬブリョオゼンといふ村にあはれなる孤《みなしご》ありけり。六つ七つのとき流行《はやり》の時疫にふた親みななくなりしに、欠唇《いぐち》にていと醜《みにく》かりければ、かへりみるものなくほとほと饑《うえ》に迫りしが、ある日麺包《パン》の乾きたるやあると、この城へもとめに来ぬ。その頃イイダの君はとをばかりなりしが、あはれがりて物とらせつ。玩《もてあそび》の笛ありしを与へて、『これ吹いて見よ、』といへど、欠唇なればえ銜《ふく》まず。イイダの君、『あの見ぐるしき口なほして得させよ、』とむつかりて止《や》まず。母なる夫人聞きて、幼きものの心やさしういふなればとて医師《くすし》して縫《ぬ》はせ玉ひぬ。」
「その時よりかの童《わらべ》は城にとどまりて、羊飼《ひつじかい》となりしが、賜《たま》はりしもてあそびの笛を離さず、後《のち》にはみづから木を削《けず》りて笛を作り、ひたすら吹きならふほどに、たれ教ふるものなけれど、自然にかかる音色《ねいろ》を出《いだ》すやうになりぬ。」
「一昨年《おととし》の夏わが休暇たまはりてここに来たりし頃、城の一族とほ乗《のり》せむと出でしが、イイダの君が白き駒《こま》すぐれて疾《と》く、われのみ継《つ》きゆくをり、狭き道のまがり角にて、かれ草うづ高く積める荷車に逢《あ》ひぬ。馬はおびえて一躍し、姫は辛《かろ》うじて鞍《くら》にこらへたり。わがすくひにゆかむとするを待たで、傍《かたえ》なる高草の裏にあと叫ぶ声すと聞く間《ま》に、羊飼の童《わらべ》飛ぶごとくに馳寄《はせよ》り、姫が馬の轡《くつわ》ぎは緊《しか》と握りておし鎮《しず》めぬ。この童が牧場《まきば》のいとまだにあれば、見えがくれにわが跡《あと》慕《した》ふを、姫これより知りて、人してものかづけなどはし玉ひしが、いかなる故にか、目通《めどおり》を許されず、童も姫がたまたま逢ひても、こと葉かけたまはぬにて、おのれを嫌ひ玉ふと知り、はてはみづから避くるやうになりしが、いまも遠きわたりより守《も》ることを忘れず、好みて姫が住める部屋の窓の下に小舟《おぶね》繋《つな》ぎて、夜も枯草の裡《うち》に眠れり。」
聞《き》き畢《おわ》りて眠《ねむり》に就くころは、ひがし窓の硝子《ガラス》はやほの暗うなりて、笛の音も断えたりしが、この夜イイダ姫おも影に見えぬ。その騎《の》りたる馬のみるみる黒くなるを、怪しとおもひて善《よ》く視《み》れば、人の面《おもて》にて欠唇なり。されど夢ごころには、姫がこれに騎りたるを、よのつねの事のやうに覚えて、しばしまた眺めたるに、姫とおもひしは「スフィンクス」の首《こうべ》にて、瞳《ひとみ》なき目なかば開きたり。馬と見しは前足おとなしく並べたる獅子《しし》なり。さてこの「スフィンクス」の頭《かしら》の上には、鸚鵡《おうむ》止まりて、わが面を見て笑ふさまいと憎し。
つとめて起き、窓おしあくれば、朝日の光対岸《むこうぎし》の林を染め、微風《そよかぜ》はムルデの河づらに細紋をゑがき、水に近き草原には、ひと群の羊あり。萌黄色《もえぎいろ》の「キッテル」といふ衣短く、黒き臑《すね》をあらはしたる童、身の丈《たけ》きはめて低きが、おどろなす赤髪ふり乱して、手に持たる鞭《むち》面白げに鳴らしぬ。
この日は朝《あした》の珈琲を部屋にて飲み、午《ひる》頃大隊長と倶《とも》にグリンマといふところの銃猟仲間の会堂にゆきて演習見に来たまひぬる国王の宴《うたげ》にあづかるべきはずなれば、正服着て待つほどに、あるじの伯は馬車を借して階《きざはし》の上まで見送りぬ。われは外国士官といふをもて、将官、佐官をのみつどふるけふの会に招かれしが、メエルハイムは城に残りき。田舎なれど会堂おもひの外《ほか》に美しく、食卓の器は王宮よりはこび来ぬとて、純銀の皿、マイセン焼の陶《すえ》ものなどあり。この国のやき物は東洋のを粉本《ふんぽん》にしつといへど、染いだしたる草花などの色は、我邦《くに》などのものに似もやらず。されどドレスデンの宮には、陶ものの間《ま》といふありて、支那《シナ》日本の花瓶《はながめ》の類《たぐい》おほかた備《そなわ》れりとぞいふなる。国王陛下《へいか》にはいま始めて謁見《えっけん》す。すがた貌《かたち》やさしき白髪の翁《おきな》にて、ダンテの『神曲』訳したまひきといふヨハン王のおん裔《すえ》なればにや、応接いと巧《たくみ》にて、「わがザックセンに日本の公使置かれむをりは、いまの好《よしみ》にて、おん身の来《こ》むを待たむ、」など懇《ねもごろ》に聞《きこ》えさせ玉ふ。わが邦にては旧《ふる》きよしみある人をとて、御使《おんつかい》撰《えら》ばるるやうなる例《ためし》なく、かかる任に当るには、別に履歴なうては協《かな》はぬことを、知ろしめさぬなるべし。ここにつどへる将校百三十余人の中にて、騎兵の服着たる老将官の貌《かたち》きはめて魁偉《かいい》なるは、国務大臣ファブリイス伯なりき。
夕暮に城にかへれば、少女《おとめ》らの笑ひさざめく声、石門の外《と》まで聞ゆ。車停むるところへ、はや馴れたる末の姫走り来て、「姉君たち『クロケット』の遊《あそび》したまへば、おん身も夥《なかま》になりたまはずや、」とわれに勧《すす》めぬ。大隊長、「姫君の機嫌損じたまふな。われ一個人にとりては、衣《ころも》脱ぎかへて憩《いこ》ふべし。」といふをあとに聞きなして随行《したがいゆ》くに、尖塔《ピラミッド》の下の園にて姫たちいま遊の最中《もなか》なり。芝生のところどころに黒がねの弓伏せて植ゑおき、靴《くつ》の尖《さき》もて押へたる五色《ごしき》の球《たま》を、小槌《こづち》揮《ふる》ひて横様《よこざま》に打ち、かの弓の下をくぐらするに、巧《たくみ》なるは百に一つを失はねど、拙《つたな》きはあやまちて足など撃ちぬとてあわてふためく。われも正剣《せいけん》解《と》いてこれに雑り、打てども打てども、球あらぬ方《かた》へのみ飛ぶぞ本意《ほい》なき。姫たち声を併せて笑ふところへ、イイダ姫メエルハイムが肘《ひじ》に指尖《ゆびさき》掛けてかへりしが、うち解けたりとおもふさまも見えず。
メエルハイムはわれに向ひて、「いかに、けふの宴おもしろかりしや、」と問ひかけて答を待たず、「われをも組に入れ玉へ、」と群のかたへ歩みよりぬ。姫たちは顔見あはせて打笑ひ、「あそびには早《はや》倦《う》みたり、姉ぎみと共にいづくへか往《ゆ》きたまひし、」と問へば、「見晴らしよき岩角わたりまでゆきしが、この尖塔《ピラミッド》には若《し》かず、小林《こばやし》ぬしは明日わが隊とともにムッチェンのかたへ立ちたまふべければ、君たちの中にて一人塔の顛《いただき》へ案内《あない》し、粉ひき車のあなたに、|車《きしゃ》の烟《けぶり》見ゆるところをも見せ玉はずや、」といひぬ。
口疾《と》きすゑの姫もまだ何とも答へぬ間に、「われこそ」といひしは、おもひも掛けぬイイダ姫なり。物おほくいはぬ人の習《ならい》とて、遽《にわか》に出《いだ》ししこと葉と共に、顔さと赤《あか》めしが、はや先に立ちて誘《いざな》ふに、われは訝《いぶか》りつつも随ひ行きぬ。あとにては姫たちメエルハイムがめぐりに集まりて、「夕餉《ゆうげ》までにおもしろき話一つ聞かせ玉へ、」と迫りたりき。
この塔は園に向きたるかたに、窪《くぼ》みたる階《きざはし》をつくりてその顛を平《たいらか》にしたれば、階段をのぼりおりする人も、顔に立ちたる人も下より明《あきらか》に見ゆべければ、イイダ姫が事もなくみづから案内せむといひしも、深く怪《あやし》むに足らず。姫はほとほと走るやうに塔の上口《のぼりくち》にゆきて、こなたを顧みたれば、われも急ぎて追付き、段の石をば先に立ちて踏みはじめぬ。ひと足遅れてのぼり来る姫の息促《せま》りて苦しげなれば、あまたたび休みて、漸《ようよ》う上にいたりて見るに、ここはおもひの外に広く、めぐりに低き鉄欄干をつくり、中央に大なる切石一つ据ゑたり。
今やわれ下界を離れたるこの塔の顛にて、きのふラアゲヰッツの丘の上より遙《はるか》に初対面せしときより、怪しくもこころを引かれて、いやしき物好にもあらず、いろなる心にもあらねど、夢に見、現《うつつ》におもふ少女と差向ひになりぬ。ここより望むべきザックセン平野のけしきはいかに美しくとも、茂れる林もあるべく、深き淵《ふち》もあるべしとおもはるるこの少女が心には、いかでか若《し》かむ。
険《けわ》しく高き石級をのぼり来て、臉《ほお》にさしたる紅《くれない》の色まだ褪《あ》せぬに、まばゆきほどなるゆふ日の光に照されて、苦しき胸を鎮《しず》めむためにや、この顛の真中なる切石に腰うち掛け、かの物いふ目の瞳をきとわが面《おもて》に注ぎしときは、常は見ばえせざりし姫なれど、さきに珍らしき空想の曲かなでし時にもまして美しきに、いかなればか、某《なにがし》の刻みし墓上の石像に似たりとおもはれぬ。
姫はこと葉忙《せわ》しく、「われ君が心を知りての願《ねがい》あり。かくいはばきのふはじめて相見て、こと葉もまだかはさぬにいかでと怪み玉はむ。されどわれはたやすく惑《まど》ふものにあらず。君演習済みてドレスデンにゆき玉はば、王宮にも招かれ国務大臣の館《やかた》にも迎へられ玉ふべし。」といひかけ、衣の間より封じたる文《ふみ》を取出でてわれに渡し、「これを人知れず大臣の夫人に届け玉へ、人知れず、」と頼みぬ。大臣の夫人はこの君の伯母御《おばご》にあたりて、姉君さへかの家にゆきておはすといふに、始めて逢へること国人《くにびと》の助を借らでものことなるべく、またこの城の人に知らせじとならば、ひそかに郵便に附しても善からむに、かく気をかねて希有《けう》なる振舞したまふを見れば、この姫こころ狂ひたるにはあらずやとおもはれぬ。されどこはただしばしの事なりき。姫の目は能《よ》くものいふのみにあらず、人のいはぬことをも能く聞きたりけむ。分疏《いいわけ》のやうに語を継《つ》ぎて、「ファブリイス伯爵夫人のわが伯母なることは、聞きてやおはさむ。わが姉もかしこにあれど、それにも知られぬを願ひて、君が御助《みたすけ》を借らむとこそおもひ侍《はべ》れ。ここの人への心づかひのみならば、郵便もあめれど、それすら独《ひとり》出づること稀なる身には、協《かな》ひがたきをおもひやり玉へ。」といふに、げに故あることならむとおもひて諾《うべな》ひぬ。
入日は城門近き木立より虹の如く洩りたるに、河霧たち添ひて、おぼろけになる頃塔を下れば、姫たちメエルハイムが話ききはててわれらを待受け、うち連れて新《あらた》にともし火をかがやかしたる食堂に入りぬ。こよひはイイダ姫きのふに変りて、楽しげにもてなせば、メエルハイムが面《おもて》にも喜のいろ見えにき。
あくる朝ムッチェンのかたをこころざしてここを立ちぬ。
秋の演習はこれより五日ばかりにて終り、わが隊はドレスデンにかへりしかば、われはゼエ・ストラアセなる館をたづねて、さきにフォン・ビュロオ伯が娘イイダ姫に誓ひしことを果さむとせしが、固《もと》よりところの習にては、冬になりて交際の時節来《こ》ぬ内、かかる貴人《あてびと》に逢はむことたやすからず、隊附の士官などの常の訪問といふは、玄関の傍《かたえ》なる一間に延《ひ》かれて、名簿に筆染むることなればおもふのみにて罷《や》みぬ。
その年も隊務いそがはしき中に暮れて、エルベがは上流の雪消《ゆきげ》にはちす葉の如き氷塊、みどりの波にただよふとき、王宮の新年はなばなしく、足もと危《あやう》き蝋磨《ろうみが》きの寄木《よせぎ》を践《ふ》み、国王のおん前近う進みて、正服うるはしき立姿を拝し、それよりふつか三日過ぎて、国務大臣フォン・ファブリイス伯の夜会に招かれ、墺太利《オーストリア》、バワリア、北亜米利加《アメリカ》などの公使の挨拶畢《おわ》りて、人々こほり菓子に匙《さじ》を下す隙《すき》を覗《うかが》ひ、伯爵夫人の傍《かたえ》に歩寄り、事のもと手短に陳《の》べて、首尾好くイイダ姫が文をわたしぬ。
一月中旬に入りて昇進任命などにあへる士官とともに、奥のおん目見《まみ》えをゆるされ、正服着て宮に参り、人々と輪なりに一間《ひとま》に立ちて臨御《りんぎょ》を待つほどに、ゆがみよろぼひたる式部官に案内せられて妃《きさき》出でたまひ、式部官に名をいはせて、ひとりびとりこと葉を掛け、手袋はづしたる右の手の甲に接吻《せっぷん》せしめ玉ふ。妃は髪黒く丈《たけ》低く、褐《かち》いろの御衣《おんぞ》あまり見映せぬかはりには、声音《こわね》いとやさしく、「おん身は仏蘭西《フランス》の役《えき》に功ありしそれがしが族《うから》なりや、」など懇《ねもごろ》にものし玉へば、いづれも嬉しとおもふなるべし。したがひ来《こ》し式の女官は奥の入口の閾《しきい》の上まで出で、右手《めて》に摺《たた》みたる扇《おうぎ》を持ちたるままに直立したる、その姿いといと気高く、鴨居《かもい》柱を欄《わく》にしたる一面の画図に似たりけり。われは心ともなくその面《おもて》を見しに、この女官《にょかん》はイイダ姫なりき。ここにはそもそも奈何《いかに》して。
王都の中央にてエルベ河を横ぎる鉄橋の上より望めば、シュロス・ガッセに跨《またが》りたる王宮の窓、こよひは殊更にひかりかがやきたり。われも数には漏れで、けふの舞踏会にまねかれたれば、アウグスツスの広《ひろ》こうぢに余りて列をなしたる馬車の間をくぐり、いま玄関に横づけにせし一輛《いちりょう》より出でたる貴婦人、毛革の肩掛を随身《ずいじん》にわたして車箱の裡《うち》へかくさせ、美しくゆひ上げたるこがね色の髪と、まばゆきまで白き領《えり》とを露《あらわ》して、車の扉開きし剣《つるぎ》佩《お》びたる殿守《とのもり》をかへりみもせで入りし跡にて、その乗りたりし車はまだ動かず、次に待ちたる車もまだ寄せぬ間をはかり、槍取りて左右にならびたる|熊毛《くまげかぶと》の近衛卒《このえそつ》の前を過ぎ、赤き氈《かも》を一筋に敷きたる大理石《マーブル》の階《きざはし》をのぼりぬ。階の両側《ふたがわ》のところどころには、黄羅紗《きラシャ》にみどりと白との縁取《ふちど》りたる「リフレエ」を着て、濃紫《こむらさき》の袴《はかま》を穿《は》いたる男、項《うなじ》を屈《かが》めて瞬《またたき》もせず立ちたり。むかしはここに立つ人おのおの手燭《てしょく》持つ習なりしが、いま廊下、階段に瓦斯燈《ガスとう》用ゐることとなりて、それは罷《や》みぬ。階の上なる広間よりは、古風《いにしえぶり》を存ぜる弔燭台《つりしょくだい》の黄蝋《おうろう》の火遠く光の波を漲《みなぎ》らせ、数知らぬ勲章、肩じるし、女服の飾などを射て、祖先よよの油画《あぶらえ》の肖像の間に挾まれたる大鏡に照反《てりかえ》されたる、いへば尋常《よのつね》なり。
式部官が突く金総《きんぶさ》ついたる杖《つえ》、「パルケット」の板に触れてとうとうと鳴りひびけば、天鵝絨《ビロード》ばりの扉一時に音もなくさとあきて、広間のまなかに一条《ひとすじ》の道おのづから開け、こよひ六百人と聞えし客、みなくの字なりに身を曲げ、背の中ほどまでも截《き》りあけてみせたる貴婦人の項《うなじ》、金糸《きんし》の縫模様《ぬいもよう》ある軍人の襟《えり》、また明色《ブロンド》の高髻《たかまげ》などの間を王族の一行過《よぎ》りたまふ。真先《まさき》にはむかしながらの巻毛の大仮髪《おおかずら》をかぶりたる舎人《とねり》二人、ひきつづいて王妃両陛下、ザックセン、マイニンゲンのよつぎの君夫婦、ワイマル、ショオンベルヒの両公子、これにおもなる女官数人随《したが》へり。ザックセン王宮の女官はみにくしといふ世の噂《うわさ》むなしからず、いづれも顔立《かおだち》よからぬに、人の世の春さへはや過ぎたるが多く、なかにはおい皺《しわ》みて肋《あばら》一つ一つに数ふべき胸を、式なればえも隠さで出《いだ》したるなどを、額越《ひたいご》しにうち見るほどに、心待《こころまち》せしその人は来ずして、一行はや果てなむとす。そのときまだ年若き宮女一人、殿《しんがり》めきてゆたかに歩みくるを、それかあらぬかと打仰《うちあお》げば、これなんわがイイダ姫なりける。
王族広間の上《かみ》のはてに往着《ゆきつ》き玉ひて、国々の公使、またはその夫人などこれを囲むとき、かねて高廊の上《へ》に控へたる狙撃聯隊の楽人がひと声鳴らす鼓《つづみ》とともに「ポロネエズ」といふ舞《まい》はじまりぬ。こはただおのおの右手《めて》にあひての婦人の指をつまみて、この間をひと周《めぐり》するなり。列のかしらは軍装したる国王、紅衣のマイニンゲン夫人を延《ひ》き、つづいて黄絹《きぎぬ》の裾引衣《すそひきごろも》を召したる妃にならびしはマイニンゲンの公子なりき。僅《わずか》に五十対《つい》ばかりの列めぐりをはるとき、妃は冠《かんむり》のしるしつきたる椅子に倚《よ》りて、公使の夫人たちを側《そば》にをらせたまへば、国王向ひの座敷なる骨牌卓《カルタづくえ》のかたへうつり玉ひぬ。
この時まことの舞踏はじまりて、群客たちこめたる中央の狭きところを、いと巧《たくみ》にめぐりありくを見れば、おほくは少年士官の宮女たちをあひ手にしたるなり。わがメエルハイムの見えぬはいかにとおもひしが、げに近衛《このえ》ならぬ士官はおほむね招かれぬものをと悟りぬ。さてイイダ姫の舞ふさまいかにと、芝居にて贔屓《ひいき》の俳優《わざおぎ》みるここちしてうち護《まも》りたるに、胸にさうびの自然花を梢《こずえ》のままに着けたるほかに、飾といふべきもの一つもあらぬ水色ぎぬの裳裾《もすそ》、狭き間をくぐりながち撓《たわ》まぬ輪を画《えが》きて、金剛石《こんごうせき》の露飜《こぼ》るるあだし貴人の服のおもげなるを欺《あざむ》きぬ。
時遷《うつ》るにつれて黄蝋の火は次第に炭《すみ》の気《け》におかされて暗うなり、燭涙《しょくるい》ながくしたたりて、床《ゆか》の上には断《ちぎ》れたる紗《うすぎぬ》、落ちたるはな片《びら》あり。前座敷の間食卓《ビュッフェー》にかよふ足やうやう繁くなりたるをりしも、わが前をとほり過ぐるやうにして、小首《こくび》かたぶけたる顔こなたへふり向け、なかば開けるまひ扇《おうぎ》に頤《おとがい》のわたりを持たせて、「われをばはや見忘れやし玉ひつらむ、」といふはイイダ姫なり。「いかで」といらへつつ、二足《ふたあし》三足《みあし》附きてゆけば、「かしこなる陶物《すえもの》の間《ま》見たまひしや、東洋産の花瓶《はながめ》に知らぬ草木鳥獣など染めつけたるを、われに釈《と》きあかさむ人おん身の外《ほか》になし、いざ、」といひて伴ひゆきぬ。
ここは四方《よも》の壁に造付けたる白石の棚に、代々《よよ》の君が美術に志ありてあつめたまひぬる国々のおほ花瓶、かぞふる指いとなきまで並べたるが、乳《ち》の如く白き、琉璃《るり》の如く碧《あお》き、さては五色まばゆき蜀錦《しよっきん》のいろなるなど、蔭になりたる壁より浮きいでて美《うる》はし。されどこの宮居《みやい》に慣れたるまらうどたちは、こよひこれに心留むべくもあらねば、前座敷にゆきかふ人のをりをり見ゆるのみにて、足をとどむるものほとほとなかりき。
緋《ひ》の淡き地におなじいろの濃きから草織出したる長椅子に、姫は水いろぎぬの裳のけだかきおほ襞《ひだ》の、舞の後ながらつゆ頽《くず》れぬを、身をひねりて横ざまに折りて腰掛け、斜《ななめ》に中の棚の花瓶を扇の尖《さき》もてゆびさしてわれに語りはじめぬ。
「はや去年《こぞ》のむかしとなりぬ。ゆくりなく君を文づかひにして、ゐや申すたつきを得ざりければ、わが身の事いかにおもひとり玉ひけむ。されど我を煩悩《ぼんのう》の闇路《やみじ》よりすくひいで玉ひし君、心の中には片時《かたとき》も忘れ侍《はべ》らず。」
「近比《ちかごろ》日本の風俗書きしふみ一つ二つ買はせて読みしに、おん国にては親の結ぶ縁ありて、まことの愛知らぬ夫婦多しと、こなたの旅人のいやしむやうに記したるありしが、こはまだよくも考へぬ言《こと》にて、かかることはこの欧羅巴《ヨーロッパ》にもなからずやは。いひなづけするまでの交際《つきあい》久しく、かたみに心の底まで知りあふ甲斐《かい》は否《いな》とも諾《う》ともいはるる中にこそあらめ、貴族仲間にては早くより目上の人にきめられたる夫婦、こころ合はでも辞《いな》まむよしなきに、日々にあひ見て忌《い》むこころ飽《あ》くまで募《つの》りたる時、これに添はする習《ならい》さりとてはことわりなの世や。」
「メエルハイムはおん身が友なり。悪しといはば弁護もやしたまはむ。否、我とてもその直《すぐ》なる心を知り、貌《かたち》にくからぬを見る目なきにあらねど、年頃つきあひしすゑ、わが胸にうづみ火ほどのあたたまりも出来《いでこ》ず。ただ厭《いと》ふにはゆるは彼方《あなた》の親切にて、ふた親のゆるしし交際の表《おもて》、かひな借さるることもあれど、唯二人になりたるときは、家も園もゆくかたもなう鬱陶《いぶ》せく覚えて、こころともなく太き息せられても、かしら熱くなるまで忍びがたうなりぬ。何ゆゑと問ひたまふな。そを誰か知らむ。恋ふるも恋ふるゆゑに恋ふるとこそ聞け、嫌ふもまたさならむ。」
「あるとき父の機嫌好《よ》きを覗得《うかがいえ》て、わがくるしさいひ出でむとせしに、気色《けしき》を見てなかば言はせず。『世に貴族と生れしものは、賤《しず》やまがつなどの如くわがままなる振舞、おもひもよらぬことなり。血の権の贄《にえ》は人の権なり。われ老《おい》たれど、人の情《なさけ》忘れたりなど、ゆめな思ひそ。向ひの壁に掛けたるわが母君の像《すがた》を見よ。心もあの貌《かおばせ》のやうに厳《いつく》しく、われにあだし心おこさせ玉はず、世のたのしみをば失ひぬれど、幾百年《いくももとせ》の間いやしき血一滴《ひとしずく》まぜしことなき家の誉《ほまれ》はすくひぬ。』といつも軍人ぶりのこと葉つきあらあらしきに似ぬやさしさに、兼ねてといはむかく答へむとおもひし略《てだて》、胸にたたみたるままにてえもめぐらさず、唯《ただ》心のみ弱うなりてやみぬ。」
「固《もと》より父に向ひてはかへすこと葉知らぬ母に、わがこころ明《あか》して何にかせむ。されど貴族の子に生れたりとて、われも人なり。いまいましき門閥、血統、迷信の土くれと看破《みやぶ》りては、我胸の中に投入るべきところなし。いやしき恋にうき身窶《やつ》さば、姫ごぜの恥ともならめど、この習慣《ならわし》の外《と》にいでむとするを誰か支ふべき。『カトリック』教の国には尼《あま》になる人ありといへど、ここ新教のザックセンにてはそれもえならず。そよや、かの羅馬教《ローマきょう》の寺にひとしく、礼知りてなさけ知らぬ宮の内こそわが冢穴《つかあな》なれ。」
「わが家もこの国にて聞ゆる族《うから》なるに、いま勢ある国務大臣ファブリイス伯とはかさなる好《よしみ》あり。この事おもてより願はばいと易《やす》からむとおもへど、それの叶《かな》はぬは父君の御心《みこころ》うごかしがたきゆゑのみならず。われ性《さが》として人とともに歎き、人とともに笑ひ、愛憎二つの目もて久しく見らるることを嫌へば、かかる望をかれに伝へ、これにいひ継がれて、あるは諫《いさ》められ、あるは勧められむ煩《わずら》はしさに堪《た》へず。いはんやメエルハイムの如く心浅々しき人に、イイダ姫嫌ひて避けむとすなどと、おのれ一人にのみ係ることのやうにおもひ做《な》されむこと口惜《くちお》しからむ。われよりの願と人に知られで宮づかへする手立《てだて》もがなとおもひ悩むほどに、この国をしばしの宿にして、われらを路傍の岩木などのやうに見もすべきおん身が、心の底にゆるぎなき誠をつつみたまふと知りて、かねて我身いとほしみたまふファブリイス夫人への消息《しょうそこ》、ひそかに頼みまつりぬ。」
「されどこの一件《ひとくだり》のことはファブリイス夫人こころに秘めて族《うから》にだに知らせ玉はず、女官の闕員《けついん》あればしばしの務《つとめ》にとて呼寄せ、陛下《へいか》のおん望《のぞみ》もだしがたしとて遂にとどめられぬ。」
「うき世の波にただよはされて泳ぐ術《すべ》知らぬメエルハイムがごとき男は、わが身忘れむとてしら髪《が》生やすこともなからむ。唯《ただ》痛ましきはおん身のやどりたまひし夜、わが糸の手とどめし童《わらべ》なり。わが立ちし後も、よなよな纜《ともづな》をわが窓の下に繋ぎて臥《ふ》ししが、ある朝《あした》羊小屋の扉のあかぬにこころづきて、人々岸辺にゆきて見しに、波虚しき船を打ちて、残れるはかれ草の上なる一枝《いっし》の笛のみなりきと聞きつ。」
かたりをはるとき午夜《ごや》の時計ほがらかに鳴りて、はや舞踏の大休《おおやすみ》となり、妃はおほとのごもり玉ふべきをりなれば、イイダ姫あわただしく坐を起《た》ちて、こなたへ差しのばしたる右手《めて》の指に、わが唇触るるとき、隅の観兵の間《ま》に設けたる夕餉《スペー》に急ぐまらうど、群立ちてここを過ぎぬ。姫の姿はその間にまじり、次第に遠ざかりゆきて、をりをり人の肩のすきまに見ゆる、けふの晴衣《はれぎ》の水いろのみぞ名残なりける。
底本:「舞姫・うたかたの記 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年1月16日第1刷発行
1992(平成4)年3月5日第21刷発行
底本の親本:「鴎外全集第二巻」岩波書店
1971(昭和46)年12月刊
初出:「新著百種 第12号」吉岡書籍店
1891(明治24)年1月28日
入力:kompass
校正:土屋隆
2006年3月21日作成
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