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濡色《ぬれいろ》を含《ふく》んだ曙《あけぼの》の霞《かすみ》の中《なか》から、姿《すがた》も振《ふり》もしつとりとした婦《をんな》を肩《かた》に、片手《かたて》を引担《ひつかつ》ぐやうにして、一人《ひとり》の青年《わかもの》がとぼ/\と顕《あら》はれた。
色《いろ》が真蒼《まつさを》で、目《め》も血走《ちばし》り、伸《の》びた髪《かみ》が額《ひたひ》に被《かゝ》つて、冠物《かぶりもの》なしに、埃塗《ほこりまみ》れの薄汚《うすよご》れた、処々《ところ/″\》釦《ボタン》の断《ちぎ》れた背広《せびろ》を被《き》て、靴《くつ》足袋《たび》もない素跣足《すはだし》で、歩行《ある》くのに蹌踉々々《よろ/\》する。
其《それ》が婦《をんな》を扶《たす》け曳《ひ》いた処《ところ》は、夜一夜《よひとよ》辿々《たど/\》しく、山路野道《やまみちのみち》、茨《いばら》の中《なか》を|《さまよ》つた落人《おちうど》に、夜《よ》が白《しら》んだやうでもあるし、生命懸《いのちがけ》の喧嘩《けんくわ》から慌《あはたゞ》しく抜出《ぬけだ》したのが、勢《せい》が尽《つ》きて疲果《つかれは》てたものらしくもある。が、道行《みちゆき》にしろ、喧嘩《けんくわ》にしろ、其《そ》の出《で》て来《き》た処《ところ》が、遁《に》げるにも忍《しの》んで出《で》るにも、背後《うしろ》に、村《むら》、里《さと》、松並木《まつなみき》、畷《なはて》も家《いへ》も有《あ》るのではない。山《やま》を崩《くづ》して、其《そ》の峯《みね》を余《あま》した状《さま》に、昔《むかし》の城趾《しろあと》の天守《てんしゆ》だけ残《のこ》つたのが、翼《つばさ》を拡《ひろ》げて、鷲《わし》が中空《なかぞら》に翔《かけ》るか、と雲《くも》を破《やぶ》つて胸毛《むなげ》が白《しろ》い。と同《おな》じ高《たか》さに頂《いたゞき》を並《なら》べて、遠近《をちこち》の峯《みね》が、東雲《しのゝめ》を動《うご》きはじめる霞《かすみ》の上《うへ》に漾《たゞよ》つて、水紅色《ときいろ》と薄紫《うすむらさき》と相累《あひかさな》り、浅黄《あさぎ》と紺青《こんじやう》と対向《むかひあ》ふ、幽《かすか》に中《なか》に雪《ゆき》を被《かつ》いで、明星《みやうじやう》の余波《なごり》の如《ごと》く晃々《きら/\》と輝《かゞや》くのがある。……此《こ》の山中《さんちゆう》を、誰《たれ》と喧嘩《けんくわ》して、何処《どこ》から駆落《かけおち》して来《こ》やう? ……
婦《をんな》は、と云《い》ふと、引担《ひつかつ》がれた手《て》は袖《そで》にくるまつて、有《あ》りや、無《な》しや、片手《かたて》もふら/\と下《さが》つて、何《なに》を便《たよ》るとも見《み》えず。臘《らふ》に白粉《おしろい》した、殆《ほとん》ど血《ち》の色《いろ》のない顔《かほ》を真向《まむき》に、ぱつちりとした二重瞼《ふたへまぶた》の黒目勝《くろめがち》なのを一杯《いつぱい》に|《みひら》いて、瞬《またゝき》もしないまで。而《そ》して男《をとこ》の耳《みゝ》と、其《そ》の鬢《びん》と、すれ/\に顔《かほ》を並《なら》べた、一方《いつぱう》が小造《こづくり》な方《はう》ではないから、婦《をんな》の背《せ》が随分《ずいぶん》高《たか》い。
然《さ》うかと思《おも》へば、帯《おび》から下《した》は、げつそりと風《ふう》が薄《うす》く、裙《すそ》は緊《しま》つたが、ふうわりとして力《ちから》が入《はい》らぬ。踵《かゝと》が浮《う》いて、恁《か》う、上《うへ》へ担《かつ》ぎ上《あ》げられて居《ゐ》さうな様子《やうす》。
二人《ふたり》とも、それで、やがて膝《ひざ》の上《うへ》あたりまで、乱《みだ》れかゝつた枯蘆《かれあし》で蔽《おほ》はれた上《うへ》を、又《また》其《そ》の下《した》を這《は》ふ霞《かすみ》が隠《かく》す。
最《もつと》も路《みち》のない処《ところ》を辿《たど》るのではなかつた。背後《うしろ》に、尚《な》ほ覚果《さめは》てぬ暁《あかつき》の夢《ゆめ》が幻《まぼろし》に残《のこ》つたやうに、衝《つ》と聳《そび》へた天守《てんしゆ》の真表《まおもて》。差懸《さしかゝ》つたのは大手道《おほてみち》で、垂々下《だら/\お》りの右左《みぎひだり》は、半《なか》ば埋《うも》れた濠《ほり》である。
空濠《からぼり》と云《い》ふではない、が、天守《てんしゆ》に向《むか》つた大手《おほて》の跡《あと》の、左右《さいう》に連《つら》なる石垣《いしがき》こそまだ高《たか》いが、岸《きし》が浅《あさ》く、段々《だん/\》に埋《うも》れて、土堤《どて》を掛《か》けて道《みち》を包《つゝ》むまで蘆《あし》が森《もり》をなして生茂《おひしげ》る。然《しか》も、鎌《かま》は長《とこしへ》に入《い》れぬ処《ところ》、折《をり》から枯葉《かれは》の中《なか》を透《す》いて、どんよりと霞《かすみ》の溶《と》けた水《みづ》の色《いろ》は、日《ひ》の出《で》を待《ま》つて、さま/″\の姿《すがた》と成《な》つて、其《それ》から其《それ》へ、ふわ/\と遊《あそ》びに出《で》る、到《いた》る処《ところ》の、あの陽炎《かげらふ》が、こゝに屯《たむろ》したやうである。
其《そ》の蘆《あし》がくれの大手《おほて》を、婦《をんな》は分《わ》けて、微吹《そよふ》く朝風《あさかぜ》にも揺《ゆ》らるゝ風情《ふぜい》で、男《をとこ》の振《ふら》つくとゝもに振《ふら》ついて下《お》りて来《き》た。……若《も》しこれで声《こゑ》がないと、男女《ふたり》は陽炎《かげらふ》が顕《あら》はす、其《そ》の最初《さいしよ》の姿《すがた》であらうも知《し》れぬ。
が、青年《わかもの》が息切《いきゞ》れのする声《こゑ》で、言《ものい》ふのを聞《き》け。
「寐《ね》るなんて、……寐《ね》るなんて、何《ど》うしたんだらう。真個《まつたく》、気《き》が着《つ》いて自分《じぶん》でも驚《おどろ》いた。白《しら》んで来《き》たもの。何時《いつ》の間《ま》に夜《よ》が明《あ》けたか些《ちつ》とも知《し》らん。お前《まへ》も又《また》何《なん》だ、打《ぶ》つてゞも揺《ゆすぶ》つてゞも起《おこ》せば可《い》いのに――しかし疲《つか》れた、私《わたし》は非常《ひじやう》に疲《つか》れて居《ゐ》る。お前《まへ》に分《わか》れてから以来《このかた》、まるで一目《ひとめ》も寐《ね》ないんだから。……」
とせい/\、肩《かた》を揺《ゆすぶ》ると、其《そ》の響《ひゞ》きか、震《ふる》へながら、婦《をんな》は真黒《まつくろ》な髪《かみ》の中《なか》に、大理石《だいりせき》のやうな白《しろ》い顔《かほ》を押据《おしす》えて、前途《ゆくさき》を唯《たゞ》熟《じつ》と瞻《みまも》る。
「考《かんが》へると、能《よ》くあんな中《なか》で寐《ね》られたものだ。」
と男《をとこ》は尚《な》ほ半《なか》ば呟《つぶや》くやうに、
「言《い》つて見《み》れば敵《てき》の中《なか》だ。敵《てき》の中《なか》で、夜《よ》の明《あ》けるのを知《し》らなかつたのは実《じつ》に自分《じぶん》ながら度胸《どきやう》が可《い》い。……いや、然《さ》うではない、一時《いちじ》死《し》んだかも分《わか》らん。
然《さ》うだ、死《し》んだと言《い》へば、生死《いきしに》の分《わか》らなかつた、お前《まへ》の無事《ぶじ》な顔《かほ》を見《み》た嬉《うれ》しさに、張詰《はりつ》めた気《き》が弛《ゆる》んで落胆《がつかり》して、其《それ》つ切《きり》に成《な》つたんだ。嘸《さぞ》お前《まへ》は、待《ま》ちに待《ま》つた私《わたし》と云《い》ふものが、目《め》の前《まへ》に見《み》えるか見《み》えないに、だらしなく、ぐつたりと成《な》つて了《しま》つて、どんなにか、頼《たの》みがひがないと怨《うら》んだらう。
真個《まつたく》、安心《あんしん》の余《あま》り気絶《きぜつ》したんだと断念《あきら》めて、許《ゆる》してくれ。寐《ね》たんぢやない。又《また》、何《ど》うして寐《ね》られる……実《じつ》は一刻《いつこく》も疾《はや》く、此《こ》の娑婆《しやば》へ連出《つれだ》すために、お前《まへ》の顔《かほ》を見《み》たらば其《そ》の時《とき》! 壇《だん》を下《お》りるなぞは間弛《まだる》ツこい。天守《てんしゆ》の五階《ごかい》から城趾《しろあと》へ飛下《とびお》りて帰《かへ》らう! 其《そ》の意気込《いきご》みで出懸《でか》けたんだ、実際《じつさい》だよ。
が、彼《あ》の頂上《ちやうじやう》から飛《とん》だ日《ひ》には、二人《ふたり》とも五躰《ごたい》は微塵《みじん》だ。五躰《ごたい》が微塵《みぢん》ぢや、顔《かほ》も視《み》られん、何《なん》にも成《な》らない。然《さ》うすりや、何《なに》を救《すく》ふんだか、救《すく》はれるんだか、……何《なに》を言《い》ふんだか、はゝはゝ。」
と取留《とりと》めもなく笑《わら》つた拍子《ひやうし》に、草《くさ》を踏《ふ》んだ爪先下《つまさきさが》りの足許《あしもと》に力《ちから》が抜《ぬ》けたか、婦《をんな》を肩《かた》に、恋《こひ》の重荷《おもに》の懸《かゝ》つた方《はう》の片膝《かたひざ》をはたと支《つ》く、トはつと手《て》を離《はな》すと同時《どうじ》に、婦《をんな》の黒髪《くろかみ》は頬摺《ほゝず》れにづるりと落《お》ちて、前伏《まへぶし》に、男《をとこ》の膝《ひざ》へ背《せな》が偃《のめ》つて、弱腰《よわごし》を折重《をりかさ》ねた。
「あつ!」と慌《あはたゞ》しく、青年《わかもの》は其《そ》の帯《おび》の上《うへ》へ手《て》を掛《か》けて、
「危《あぶな》い。あゝ、何《なん》て事《こと》だ。――お浦《うら》、」
と言《い》つたは婦《をんな》の名《な》で。
「怪我《けが》はしないか、何処《どこ》も痛《いた》めはしなかつたか。可《よし》、何《なん》ともない。」
婦《をんな》が、あ、とも言《い》はず、声《こゑ》の無《な》いのを、過失《あやまち》はせぬ事《こと》、と頷《うなづ》いて、さあ、起《た》たうとすると些《ちつ》とも動《うご》かぬ。
「起《た》たないか、こんな処《ところ》に長居《ながゐ》は無益《むえき》だ。何《ど》うした。」
と密《そつ》と揺《ゆす》ぶる、手《て》に従《したが》つて揺《ゆす》ぶれるのが、死《し》んだ魚《うを》の鰭《ひれ》を摘《つま》んで、水《みづ》を動《うご》かすと同《おな》じ工合《ぐあひ》で、此方《こちら》が留《や》めれば静《じつ》と成《な》つて、浮《う》きも沈《しづ》みもしない風《ふう》。
はじめて驚《おどろ》いた色《いろ》して、
「何《ど》うかしたか、お浦《うら》。はてな、今《いま》転《ころ》んだつて、下《した》へは落《おと》さん、怪我《けが》も過失《あやまち》も為《し》さうぢやない。何《なん》だか正体《しやうたい》がないやうだ。矢張《やつぱ》り一時《いちじ》に疲労《つかれ》が出《で》たのか。あゝ、然《さ》う言《い》へば前刻《さつき》から人《ひと》にばかりものを言《い》はせる。確乎《しつかり》してくれ、お浦《うら》、何《ど》うしたんだ。」
と今《いま》は慌《あはたゞ》しく成《な》つた。青年《わかもの》は矢庭《やには》に頸《うなじ》を抱《だ》き、膝《ひざ》なりに背《せ》を向《むか》ふへ捻廻《ねぢま》はすやうにして、我《わ》が胸《むね》を前《まへ》へ捻《ひね》つて、押仰向《おしあふむ》けた婦《をんな》の顔《かほ》。
今《いま》も目《め》は塞《ふさ》がず、例《れい》の眸《みは》つて、些《さ》の顰《ひそ》むべき悩《なや》みも無《な》げに、額《ひたひ》に毛《け》ばかりの筋《すぢ》も刻《きざ》まず、美《うつく》しう優《やさし》い眉《まゆ》の展《の》びたまゝ、瞬《またゝき》もしないで、其《そ》のまゝ見据《みす》えた。
其《そ》の顔《かほ》と、此《こ》の時《とき》、引返《ひきかへ》した身動《みじろ》ぎに、飜《ひるがへ》つた褄《つま》の乱《みだ》れに、雪《ゆき》のやうに顕《あら》はれた円《まる》い膝頭《ひざがしら》……を一目《ひとめ》見《み》るや、
「うむ、」と一声《ひとこゑ》、|《だう》と枯蘆《かれあし》に腰《こし》を落《おと》して、殆《ほと》んど痙攣《けいれん》を起《おこ》した如《ごと》く、足《あし》を投出《なげだ》してぶる/\と震《ふる》へて、
「違《ちが》つた/\。造《つく》りものだ、拵《こしら》へものだ、彫像《てうざう》だ。昨夜《ゆふべ》持《も》つて行《い》つた形代《かたしろ》だ、こりや、……おゝ。」
戦《おのゝ》く手《て》に、婦《をんな》の胸《むね》を確乎《しつか》と圧《お》せば、膨《ふく》らかな襟《ゑり》のあたりも、掌《てのひら》に堅《かた》く且《か》つ冷《つめ》たいのであつた。
「何《なん》だ、又《また》これを持《も》つて帰《かへ》るほどなら、誰《たれ》が命《いのち》がけに成《な》つて、這麼《こんな》ものを拵《こしら》へやう。……誑《たぶらか》しやあがつたな! 山猫《やまねこ》め、狐《きつね》め、野狸《のだぬき》め。」
と邪慳《じやけん》に、胸先《むなさき》を取《と》つて片手《かたて》で引立《ひつた》てざまに、渠《かれ》は棒立《ぼうだ》ちにぬつくり立《た》つ。可憐《あはれ》や艶麗《あでやか》な女《をんな》の姿《すがた》は、背筋《せすぢ》を弓形《ゆみなり》、裳《もすそ》を宙《ちう》に、縊《くび》られた如《ごと》くぶらりと成《な》る。
青年《わかもの》は半狂乱《はんきやうらん》の躰《てい》で、地韜《ぢだんだ》を踏《ふ》んで歯噛《はがみ》をした。
「おのれえ、魔《ま》でも、鬼《おに》でも、約束《やくそく》を違《たが》へる、と言《い》ふ不都合《ふつがふ》があるか、何《なん》と言《い》つた、何《なん》と言《い》つた。」
と詰《なじ》るが如《ごと》くに掠《かす》れ声《ごゑ》して、手《て》を握《にぎ》つて、空《くう》を打《う》つて、天守《てんしゆ》の屋根《やね》を睨《にら》んで喚《わめ》いた。大手筋《おほてすぢ》を下切《おりき》つた濠端《ほりばた》に――まだ明果《あけは》てない、海《うみ》のやうな、山中《さんちゆう》の原《はら》を背後《うしろ》にして――朝虹《あさにじ》に鱗《うろこ》したやうに一方《いつぱう》の谷《たに》から湧上《わきあが》る向《むか》ふ岸《ぎし》なる石垣《いしがき》越《ごし》に、其《そ》の天守《てんしゆ》に向《むか》つて喚《わめ》く……
喚《わめ》くが、しかし、一騎《いつき》朝蒐《あさがけ》で、敵《てき》を詈《のゝし》る勇《いさ》ましい様子《やうす》はなく、横歩行《よこあるき》に、ふら/\して、前《まへ》へ出《で》たり、退《すさ》つたり、且《か》つ蹌踉《よろ》めき、且《か》つ独言《ひとりごと》するのである。
「畜生《ちくしやう》、人《ひと》の女房《にようばう》を奪《うば》つた畜生《ちくしやう》、魔物《まもの》に義理《ぎり》はあるまいが、約束《やくそく》を違《たが》へて済《す》むか、……何《なん》と言《い》つて約束《やくそく》した――婦《をんな》の彫像《てうざう》を拵《こしら》へろ、其《そ》の形代《かたしろ》を持《も》つて来《こ》い。お浦《うら》を返《かへ》すと言《い》つたのを忘《わす》れたか、忘《わす》れたのか。」
と其《そ》の握拳《にぎりこぶし》で、己《おの》が膝《ひざ》を礑《はた》と打《う》つたが、力《ちから》余《あま》つて背後《うしろ》へ蹌踉《よろ》ける、と石垣《いしがき》も天守《てんしゆ》も霞《かすみ》に揺《ゆ》れる。
「待《ま》てよ。雖然《けれども》、自分《じぶん》の製作《こしら》へた此《こ》の像《ざう》だ、これが、もし価値《ねうち》に積《つも》つて、あの、お浦《うら》より、遥《はるか》に劣《おと》つて居《ゐ》たら何《ど》うする。まるで取替《とりか》へる価《あたひ》がないと言《い》へば其《それ》までだ、――あゝ、其《それ》がために、旧通《もとどほ》りお浦《うら》を隠《かく》して、此《こ》の木像《もくざう》を突返《つきかへ》したのか。己《おれ》は夢中《むちゆう》で、此《これ》を恋《こひ》しい婦《をんな》だ、と思《おも》つて、うか/\抱《だ》いて返《かへ》つたのか、然《さ》うかも知《し》れん。
其《それ》では、劣作《れつさく》だと言《い》ふのだな、駄物《だもの》だ、と言《い》ふのだな、劣作《れつさく》か、駄物《だもの》か、此奴《こいつ》。」
と首《くび》を引向《ひきむ》け胸《むね》に抱《いだ》いて、血走《ちばし》つた目《め》で屹《きつ》と其《そ》の顔《かほ》を。
「己《おれ》が、此《こ》の心《こゝろ》も知《し》らずに、けろりとして済《す》ました面《つら》よ。おのれ石《いし》でも、己《おれ》が此《こ》の心《こゝろ》を汲《く》んで、睫毛《まつげ》に露《つゆ》も宿《やど》さないか。霞《かすみ》にも曇《くも》らぬ瞳《ひとみ》は、蒟蒻玉《こんにやくだま》同然《どうぜん》だ。――其《それ》も道理《だうり》よ、血《ち》も通《かよ》はない、脉《みやく》もない、魂《たましひ》のない、たかゞ木屑《きくづ》の木像《もくざう》だ。」
と興覚顔《きようざめがほ》して、天守《てんしゆ》を仰《あふ》いで、又《また》俯向《うつむ》き、
「何《なん》だ、これは、魔物《まもの》が言《い》ひさうな事《こと》を己《おれ》が言《い》ふ、自分《じぶん》が言《い》ふ、我《われ》と我《わ》が口《くち》で詈《のゝし》るな。おゝ、自然《しぜん》と敵《てき》の意《い》を体《たい》して、自《みづ》から、罵倒《ばたう》するやうな木像《もくざう》では、前方《さき》が約束《やくそく》を遂《と》げんのも無理《むり》はない……駄物《だもの》、駄物《だもの》、駄物《だもの》、」
と三舎《さんしや》を避《さ》ける足取《あしどり》で、たぢ/\と後退《あとずさ》りして、
「さあ、恁《か》うなれば、お浦《うら》の紀念《かたみ》の方《はう》が大事《だいじ》だ。よくも、おのれ、ぬく/\と衣服《きもの》を着《き》た。」と言《い》ふ/\|《むし》るが如《ごと》く衣紋《えもん》を開《ひら》いて帯《おび》をかなぐり、袖《そで》を外《はづ》すと、柔《やはら》かな肩《かた》が下《さが》つて、二《に》の腕《うで》がふらりと垂《た》れる。双《さう》の玉《たま》の乳房《ちぶさ》にも、糸一条《いとひとすぢ》の綾《あや》も残《のこ》さず、小脇《こわき》に抱《いだ》くや、此《こ》の彫刻家《てうこくか》の半身《はんしん》は、霞《かすみ》のまゝに山椿《やまつばき》の炎《ほのほ》が|※《ぱつ》[#「火+發」、U+243CB、75-4]と搦《から》んだ風情《ふぜい》。
其《そ》の下襲《したがさ》ねの緋鹿子《ひがのこ》に、足手《あして》の雪《ゆき》が照映《てりは》えて、女《をんな》の膚《はだえ》は朝桜《あさざくら》、白雲《しらくも》の裏《うら》越《こ》す日《ひ》の影《かげ》、血《ち》も通《かよ》ふ、と見《み》る内《うち》に、男《をとこ》の顔《かほ》は蒼《あを》く成《な》つた。――女《をんな》の像《ざう》の片腕《かたうで》が、肱《ひぢ》の処《ところ》から、切《き》れ目《め》赤《あか》う、さゝら立《だ》つて折《を》られて居《ゐ》た。
「わツ、」と叫《さけ》んで、其《そ》の咽喉《のど》を掴《つか》んだまゝ、投《な》げ附《つ》けやうとして振挙《ふりあ》げた手《て》の、筋《すぢ》が釣《つ》つて棒《ぼう》の如《ごと》くに衝《つ》と挙《あ》げると、女《をんな》の像《ざう》は鶴《つる》のやうに、ちら/\と髪《かみ》黒《くろ》く、青年《わかもの》の肩越《かたごし》に翼《つばさ》を乱《みだ》して飜《ひるがへ》つた。
が、其《そ》のまゝには振飛《ふりと》ばさず。濠《ほり》を越《こ》して遥《はる》かな石垣《いしがき》の只中《たゞなか》へも叩《たゝ》きつけさうだつた勢《いきほひ》も失《う》せて――猶予《ためら》ふ状《さま》して……ト下《した》を見《み》る足許《あしもと》を、然《さ》まで下《くだ》らず、此方《こなた》は低《ひく》い濠《ほり》の岸《きし》の、すぐ灰色《はいいろ》の水《みづ》に成《な》る、角組《つのぐ》んだ蘆《あし》の上《うへ》へ、引上《ひきあ》げたか、浮《うか》べたか、水《みづ》のじと/\とある縁《へり》にかけて、小船《こぶね》が一艘《いつそう》、底《そこ》つた形《かたち》は、処《ところ》がら名《な》も知《し》れぬ大《おほい》なる魚《うを》の、がくり、と歯《は》を噛《か》んだ白髑髏《しやれかうべ》のやうなのがある。
処《ところ》が其《そ》の小船《こぶね》は、何《なん》の時《とき》か、向《むか》ふ岸《ぎし》から此《この》岸《きし》へ漕寄《こぎよ》せたものゝ如《ごと》く、艫《とも》を彼方《かなた》に、舳《みよし》を蘆《あし》の根《ね》に乗据《のつす》えた形《かたち》に見《み》える、……何処《どこ》の捨小船《すてをぶね》にも、恁《か》う逆《ぎやく》に攬《もや》つたと言《い》ふのは無《な》からう。まだ変《かは》つた事《こと》には、舷《ふなばた》を霞《かすみ》が包《つゝ》んで、ふつくり浮上《うきあが》つたやうな艫《とも》に留《と》まつて、五位鷺《ごゐさぎ》が一羽《いちは》、頬冠《ほゝかぶり》でも為《し》さうな風《ふう》で、のつと翼《つばさ》を休《やす》めて向《むか》ふむきにチヨンと居《ゐ》た。
城趾《しろあと》の此《こ》の辺《あたり》は、人里《ひとざと》に遠《とほ》いから、鶏《にはとり》の声《こゑ》、鴉《からす》の声《こゑ》より、先《ま》づ五位鷺《ごゐさぎ》の色《いろ》に夜《よ》が明《あ》けやう。其《それ》に不思議《ふしぎ》は無《な》いが、如何《いか》に人《ひと》を恐《おそ》れねばとて、直《す》ぐ其《そ》の鶏冠《とさか》の上《うへ》で、人一人《ひとひとり》立騒《たちさは》ぐ先刻《さつき》から、造着《つくりつ》けた躰《てい》にきよとんとして、爪立《つまだ》てた片脚《かたあし》を下《お》ろさうともしなかつた。
此《こ》の船《ふね》の中《なか》へ、どさりと落《おと》した。
女《をんな》の像《ざう》は胴《どう》の間《ま》へ仰向《あふむ》けに、肩《かた》が舷《ふなべり》にかゝつて、黒髪《くろかみ》は蘆《あし》に挟《はさ》まり、乳《ち》の下《した》から裾《すそ》へ掛《か》けて、薄衣《うすぎぬ》の如《ごと》く霞《かすみ》が靡《なび》けば、風《かぜ》もなしに柔《やはら》かな葉摺《はず》れの音《おと》がそよら/\。で、船《ふね》が一揺《ひとゆす》れ揺《ゆ》れると思《おも》ふと、有繋《さすが》に物駭《ものおどろ》きを為《し》たらしい、艫《とも》に居《ゐ》た五位鷺《ごゐさぎ》は、はらりと其《そ》の紫《むらさき》がゝつた薄黒《うすぐろ》い翼《つばさ》を開《ひら》いた。
開《ひら》いたが、飛《と》びはしない、で、ばさりと諸翼《もろつばさ》搏《はう》つと斉《ひと》しく、俯向《うつむ》けに頸《くび》を伸《の》ばして、あの長《なが》い嘴《くちばし》が、水《みづ》の面《も》へ衝《つ》と届《とゞ》くや否《いな》や、小船《こぶね》がすら/\と動《うご》きはじめて、音《おと》もなく漕《こ》いで出《で》る。
見《み》るものは呆《あき》れ果《は》てゝ、どかと濠端《ほりばた》に腰《こし》を掛《か》けた。
五位鷺《ごゐさぎ》の働《はたら》くこと。船《ふね》一艘《いつそう》漕《こ》ぐなれば、蘆《あし》の穂《ほ》の風《かぜ》に散《ち》る風情《ふぜい》、目《め》にも留《と》まらず、ひら/\と上下《うへした》に翼《つばさ》を煽《あふ》る。と船《ふね》の方《はう》は、落着済《おちつきす》まして夢《ゆめ》の空《そら》を辷《すべ》るやう、……やがて汀《みぎは》を漕《こ》ぎ離《はな》す。
蘆《あし》の枯葉《かれは》をぬら/\と蒼《あを》ぬめりの水《みづ》が越《こ》して、浮草《うきぐさ》の樺色《かばいろ》まじりに、船脚《ふなあし》が輪《わ》に成《な》る頃《ころ》の、五位鷺《ごゐさぎ》の搏《はう》ちやう。又《また》一《ひと》しきり烈《はげ》しく急《きふ》に、滑《なめら》かな重《おも》い水《みづ》に響《ひゞ》いて、鳴渡《なりわた》るばかりと成《な》つたが。
余《あま》りの労働《はたらき》、羽《はね》の間《あひだ》に垂々《たら/\》と、汗《あせ》か、|※《しぶき》[#「さんずい+散」、U+6F75、76-16]か、羽先《はさき》を伝《つた》つて、水《みづ》へぽた/\と落《お》ちるのが、血《ち》の如《ごと》く色《いろ》づいて真赤《まつか》に溢《あふ》れる。……
「火《ひ》の粉《こ》だ、火《ひ》の粉《こ》だ。」と濠端《ほりばた》で、青年《わかもの》が驚《おどろ》き叫《さけ》んだ。
果《はた》して血《ち》の汗《あせ》を絞《しぼ》る、と見《み》えたは、翼《つばさ》を落《お》ちる火《ひ》であつた。
「飛《と》ばつせえ船《ふね》の人《ひと》、船《ふね》の人《ひと》、飛《と》ばつせえ、飛込《とびこ》むのだえ!」
と野良調子《のらでうし》の高声《たかごゑ》を上《あ》げて、広野《ひろの》の霞《かすみ》に影《かげ》を煙《けぶ》らせ、一目散《いちもくさん》に駆附《かけつ》けるものがある。
驚駭《おどろき》のあまり青年《わかもの》は、殆《ほとん》ど無意識《むいしき》に、小脇《こわき》に抱《いだ》いた、其《そ》の一襲《ひとかさ》ねの色衣《いろぎぬ》を、船《ふね》の火《ひ》に向《むか》つて颯《さつ》と投《な》げる、と水《みづ》へは落《お》ちたが、其処《そこ》には届《とゞ》かず、朱《しゆ》を流《なが》したやうに火《ひ》の影《かげ》を宿《やど》す萍《うきくさ》に漂《たゞよ》ふて、袖《そで》を煽《あふ》り、裳《もすそ》を開《ひら》いて、悶《もだ》へ苦《くる》しむが如《ごと》くに見《み》えつゝ、本尊《ほんぞん》たる女《をんな》の像《ざう》は、此《こ》の時《とき》早《はや》く黒煙《くろけむり》に包《つゝ》まれて、大《おほき》な朱鷺《とき》の形《かたち》した一団《いちだん》の燃《も》え立《た》つ火《ひ》が、一羽《いちは》倒《さかさま》に映《うつ》つて、水底《みなぞこ》に斉《ひと》しく宿《やど》る。舷《ふなばた》にも炎《ほのほ》が搦《から》んだ。
「えゝ! 飛込《とびこ》めい、水《みづ》は浅《あさ》い。」
と此《こ》の時《とき》濠端《ほりばた》へ駆《かけ》つけたは、もつぺと称《とな》へる裁着《たつゝけ》やうの股引《もゝひき》を穿《は》いた六十《むそじ》余《あま》りの背高《せたか》い老爺《おやぢ》で、腰《こし》から下《した》は、身躰《からだ》が二《ふた》つあるかと思《おも》ふ、大《おほき》な麻袋《あさぶくろ》を提《さ》げたのを、脚《あし》と一所《いつしよ》に飛《と》ばして来《き》て、
「あゝ、埒《らち》あかぬ。」と呟《つぶや》いて落胆《がつかり》する。
艫《とも》の鷺《さぎ》の炎《ほのほ》は消《き》えて、船《ふね》の板《いた》は、ばらりと開《ひら》いた。一《ひと》つ一《ひと》つ、幅広《はゞひろ》い煙《けむり》を立《た》てゝ、地獄《ぢごく》の空《そら》に消《き》えて行《ゆ》く、黒《くろ》い帆《ほ》のやう、――女《をんな》の像《ざう》は影《かげ》も失《う》せた。
「やれ、後《おく》れた。水《みづ》は浅《あさ》いで、飛込《とびこ》めば助《たす》かつたに。――何《なん》と申《まを》さうやうもない、旦那《だんな》がお連《つれ》の方《かた》でがすかの。」
青年《わかもの》は肩《かた》を揺《ゆす》つて、唯《たゞ》大息《おほいき》を吐《つ》くのであつた。
「飛《と》んだ事《こと》ぢや、こんな怪《あや》しげな処《ところ》へござつて、素性《すじやう》の知《し》れぬ船《ふね》に乗《の》ると云《い》ふ法《はふ》があるかい。お剰《まけ》にお前様《めえさま》、五位鷺《ごゐさぎ》の船頭《せんどう》ぢや……狸《たぬき》の拵《こさ》へた泥船《どろぶね》より、まだ/\危《あぶな》いのは知《し》れた事《こと》を。」
目《め》が覚《さ》めた、と言《い》ふでもなしに、少時《しばらく》すると、青年《わかもの》の瞳《ひとみ》は稍《やゝ》定《さだ》まつた。
「何《なに》、心配《しんぱい》には及《およ》ばん、船《ふね》に居《ゐ》たのは活《い》きた人間《にんげん》では無《な》いのだから。」
木樵躰《きこりてい》の件《くだん》の老爺《ぢゞい》は、没怪《もつけ》な顔《かほ》して、
「や、活《い》きた人間《にんげん》で無《な》うて何《なん》でがす……死骸《しがい》かね、お前様《めえさま》。」
「死骸《しがい》は酷《ひど》い。……勿論《もちろん》、魔物《まもの》に突返《つゝかへ》されて、火葬《くわさう》に成《な》つた奴《やつ》だから、死骸《しがい》も同然《どうぜん》なものだらう。ものだらうが、私《わたし》の気《き》ぢや死骸《しがい》ではなかつた。生命《いのち》のある、価値《ねうち》のある、活《い》きたものゝ積《つも》りだつた。老爺《ぢい》さん、今《いま》のは、彼《あれ》は、木像《もくざう》だ、製作《つく》つた木彫《きぼり》の婦《をんな》なんだ。」
「木彫《きぼり》の? はて、」
と腕《うで》を組《く》んで、
「えい、其《それ》は又《また》、変《かは》つたもんだね。船《ふね》と一所《いつしよ》に焼《や》けたものは、活《い》きた人《ひと》で無《な》うて、私《わし》先《ま》づ安堵《あんど》をしたでがすが、木彫《きぼり》だ、と聞《き》けば尚《なほ》魂消《たまげ》る……豪《えれ》え見事《みごと》な、宛然《まるで》生身《しやうじん》のやうだつけの。背後《うしろ》の野原《のはら》さ出《で》て見《み》た処《ところ》で、肝玉《きもたま》の宿替《やどがへ》した。――あれ一面《いちめん》の霞《かすみ》の中《なか》、火《ひ》と煙《けむり》に包《つゝ》まれて、白《しろ》い手足《てあし》さびいく/\為《し》ながら、濠《ほり》の石垣《いしがき》へ掛《か》けて釣《つる》し上《あ》がるやうに見《み》えたゞもの。地獄《ぢごく》の釜《かま》の蓋《ふた》を取《と》つて、娑婆《しやば》へ吹上《ふきあ》げた幻燈《うつしゑ》か思《おも》ふたよ。
尋常《じんじやう》な、婦《をんな》の人《ひと》ほどに見《み》えつけ。等身《とうしん》のお祖師様《そしさま》もござれば丈六《ぢやうろく》の弥陀仏《みだぶつ》も居《ゐ》さつしやる。――これ人形《にんぎやう》は、はい、玩具箱《おもちやばこ》ウ引転返《ひつくりかへ》した中《なか》からばかり出《で》るもんではねえで、其《そ》の、見事《みごと》なに不思議《ふしぎ》は無《な》いだが、心配《しんぱい》するな木彫《きぼり》だ、と言《い》はつしやる、……お前様《めえさま》が持《も》つて来《き》て、船《ふね》の中《なか》へ置《お》かしつたかな。」
「何《なに》、打棄《うつちや》つたんだ。」と青年《わかもの》は口惜《くや》しさうに言《い》つた。
「打棄《うつちや》らしつたえ、持重《もちおも》りが為《し》たゞかね。」
とけろりとして、目《め》を離《はな》れた白《しろ》い眉《まゆ》をふつさり揺《ゆす》る。
青年《わかもの》はじり/\と寄《よ》つた。
「で、老爺《ぢい》さん、何《なに》か、君《きみ》は活《い》きた人間《にんげん》で無《な》いから安堵《あんど》したと言《い》つたね、今《いま》の船《ふね》には係合《かゝりあひ》でもある人《ひと》か。」
「係合《かゝりあひ》にも何《なん》にも、私《わし》船《ふね》の持主《もちぬし》でがすよ。」
「此《こ》の、魔物《まもの》。」
と青年《わかもの》は、然《さ》知《し》つた見得《みえ》に、後退《あとずさ》りしながら身構《みがま》へして、
「嬲《なぶ》るな。人《ひと》が生死《いきしに》の間《あひだ》に彷徨《さまよ》ふ処《ところ》を、玩弄《おもちや》にするのは残酷《ざんこく》だ。貴様《きさま》たちにも釘《くぎ》の折《をれ》ほど情《なさけ》が有《あ》るなら、一思《ひとおも》ひに殺《ころ》して了《しま》へ。さあ、引裂《ひきさ》け、片手《かたて》を|《も》げ……」とはたと睨《にら》む。
「旦那々々《だんな/\》、」
「何《なに》が旦那《だんな》だ。捕虜《ほりよ》と言《い》へ、奴隷《どれい》と呼《よ》べ、弱者《じやくしや》と嘲《あざけ》れ。夢《ゆめ》か、現《うつゝ》か、分《わか》らん、俺《おれ》は迚《とて》も貴様達《きさまたち》に抵抗《てむかひ》する力《ちから》はない。残念《ざんねん》だが、貴様《きさま》に向《むか》ふと手足《てあし》も痺《しび》れる、腰《こし》も立《た》たん。
が、助《たす》け出《だ》す筈《はづ》だつた女房《にようばう》を負《おぶ》つてなら……麓《ふもと》の温泉《をんせん》までは愚《おろか》な事《こと》、百里《ひやくり》、二百里《にひやくり》、故郷《こきやう》までも、東京《とうきやう》までも、貴様《きさま》の手《て》から救《すく》ふためには、飛《と》んでも帰《かへ》るつもりで居《ゐ》た。彫像《てうざう》一個《ひとつ》抱《だ》いて歩行《ある》くに持重《もちおも》りがして成《な》るものか! ……
何故《なぜ》、様《ざま》を見《み》ろ、可気味《いゝきみ》だ、と高笑《たかわら》ひをして嘲弄《てうろう》しない。俺《おれ》が手《て》で棄《す》てたは棄《す》てたが、船《ふね》へ彫像《てうざう》を投《な》げたのは、貴様《きさま》が蹴込《けこ》んだも同然《どうぜん》だい。」と握《にぎ》つた拳《こぶし》をぶる/\震《ふる》はす、唇《くちびる》は白《しろ》く戦《おのゝ》く。
老爺《ぢゞい》は遣瀬無《やるせな》い瞬《またゝき》して、
「芸《げい》もねえ、譫《あだ》けた事《こと》を言《い》はつしやるな。成程《なるほど》、船《ふね》を焼《や》いたは悪《わる》いけんど、蹴込《けこ》んだとは、何《なん》たる事《こと》だの。」
「おゝ、船《ふね》を焼《や》いたは貴様《きさま》だな。それ見《み》ろ、それ見《み》ろ。汝《うぬ》、魔物《まもの》。山猫《やまねこ》か、狒々《ひゝ》か、狐《きつね》か、何《なん》だ! 悪魔《あくま》、女房《にようばう》を奪《うば》つた奴《やつ》。せめて、俺《おれ》に、正体《しやうたい》を見《み》せてくれ。一生《いつしやう》の思出《おもひで》だ。さあ、のつぺらぱうか、目一《めひと》つか、汝《おのれ》其《そ》の真目《まじ》/\とした与一平面《よいちべいづら》は。眉《まゆ》なんぞ真白《まつしろ》に生《はや》しやがつて、分別《ふんべつ》らしく天窓《あたま》の禿《は》げたは何事《なにごと》だ。其《そ》の顱巻《はちまき》を取《と》れ、恍気《とぼけ》るな。」と目《め》が逆立《さかだ》つて、又《また》じりと詰寄《つめよ》る。
老爺《ぢゞい》は己《おの》が面《つら》を、ぺろりと一《ひと》つ撫下《なでさ》げた。
いや、様子《やうす》が如何《いか》にも、我《わ》が顔《かほ》ながら不気味《ぶきみ》さうに見《み》えた。――眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、
「ま、ま、少《わけ》え旦那《だんな》、落着《おちつ》かつせえ、気《き》を静《しづ》めさつせえまし。……魔物《まもの》だ、鬼《おに》だ喚《わめ》いて、血相《けつさう》を変《か》へてござる……何《ど》うも見《み》た処《ところ》、――未《ま》だ此《こ》の上《うへ》に逆上《のぼせあが》らつしやるなよ――何《ど》うやら取逆《とりのぼ》せて居《ゐ》さつしやるが、はて、」
と上下《うへした》、天守《てんしゆ》を七分《しちぶ》、青年《わかもの》を三分《さんぶ》に見較《みくら》べ、
「もの、此処《こゝ》さ城趾《しろあと》の、お天守《てんしゆ》へ上《あが》らつしやりは為《し》ねえかの。」
「為《し》ねえかぢや無《な》からう。昨夜《ゆふべ》貴様《きさま》に何処《どこ》で逢《あ》つた?」
「先《ま》づ、むゝ、其《それ》で分《わか》つた。」
「分《わか》つたか。いや昨夜《さくや》は失礼《しつれい》したよ、魔物《まもの》の隊長《たいちやう》。」
「はて、迷惑《めいわく》な、私《わし》う魔物《まもの》だと思《おも》はつしやる。」
「魔物《まもの》で無《な》くて、魔物《まもの》で無《な》くて、汝《おのれ》、五位鷺《ごゐさぎ》が漕出《こぎだ》して、濠《ほり》の中《なか》で自然《しぜん》に焼《や》ける……不思議《ふしぎ》な船《ふね》の持主《もちぬし》が有《あ》るものか。」
「成程《なるほど》、何《なに》も仔細《しさい》を知《し》らつしやらぬお前様《めえさま》は、様子《やうす》を見《み》ても、此処等《こゝら》の人《ひと》ではござらつしやらぬ。」
「那様《そん》な事《こと》を言《い》つて何《ど》うする、貴様《きさま》は奪《うば》つて行《い》つた俺《おれ》の女房《にようばう》の、町処《ちやうところ》まで知《し》つてるでは無《な》いか。」
「急《せ》かつしやるな。此《こ》の山裾《やますそ》の、双六温泉《すごろくをんせん》へ、湯治《たうぢ》に来《き》さつせえた人《ひと》だんべいの。」
「知《し》れた事《こと》を、貴様《きさま》がお浦《うら》を掴出《つかみだ》した、……あの旅籠屋《はたごや》に逗留《とうりう》して居《ゐ》る。」
「そんなら、はい、無理《むり》はねえだ。」
と莞爾《につこり》して、草鞋《わらぢ》の尖《さき》で向直《むきなほ》つた。早《は》や煙《けむり》の余波《なごり》も消《き》えて、浮脂《きら》に紅蓮《ぐれん》の絵《ゑ》も描《か》かぬ、水《みづ》の其方《そなた》を眺《なが》めながら、
「あの……木葉船《こツぱぶね》はの、丁《ちやん》と自然《ひとりで》に動《うご》くでがすよ……土地《とち》のものは知《し》つとります。で、鷺《さぎ》の船頭《せんどう》と渾名《あだな》するだ。それ、見《み》さしつた通《とほ》り、五位鷺《ごゐさぎ》が漕《こ》ぐべいがね。」
「漕《こ》ぐのは鷺《さぎ》でも鳶《とんび》でも構《かま》はん。漕《こ》がせるのは人間《にんげん》ぢや無《な》いのだらう。」
余計《よけい》なことを、と投《な》げ調子《てうし》。
「いんや、お前様《めえさま》、お天守《てんしゆ》の、」
と声《こゑ》を密《ひそ》めて、
「……魔《ま》の人《ひと》が為業《しわざ》なら、同一《おなじ》鷺《さぎ》が漕《こ》ぐにして、其《そ》の船《ふね》は光《ひかり》を放《はな》つて、ふわ/\雲《くも》の中《なか》を飛行《ひぎやう》するだ。
……たか/″\人間《にんげん》の仕事《しごと》だけに、羽《はね》の有《あ》る船頭《せんどう》を使《つか》ふても、水《みづ》の上《うへ》を浮《う》いて行《い》くだよ。何《なに》も希有《けう》がらつしやるには当《あた》らぬ。あの船《ふね》は、私《わし》が慰楽《なぐさみ》に造《つく》るでがす。」
「えゝ、拵《こしら》へる、而《そ》して魔物《まもの》では無《な》いと言《い》ふのか。」
「随意《まゝ》にさつしやりませ。すつとこ被《かぶ》りをした天狗様《てんぐさま》があつて成《な》ろかい。気《き》を静《しづ》めさつしやるが可《い》い。嘘《うそ》だ思《おも》ふなら、退屈《たいくつ》せずに四日《よつか》五日《いつか》、私《わし》が小屋《こや》へ来《き》て対向《さしむか》ひに座《すは》つてござれ、ごし/\こつ/\と打敲《ぶつたゝ》いて、同一《おなじ》船《ふね》を、主《ぬし》が目《め》の前《まへ》で拵《こさ》へて見《み》せるだ。」
「ふん、」と返事《へんじ》を呑込《のみこ》んだが、まだ其《そ》の息《いき》は発喘《はず》むのであつた。
「何《ど》うして作《つく》る。」
「何《ど》うして作《つく》る? ……つひ一寸《ちよつ》くら手真似《てまね》で話《はな》されるもんではねえ。此《こ》の胸《むね》に、機関《からくり》を知《し》つとります。」
「機関《からくり》か。」
「危険《けんのん》な機関《からくり》だで、小《ちひ》さく拵《こさ》へて、小児《こども》の玩弄《おもちや》にも成《な》りましねえ。が、親譲《おやゆづ》りの秘伝《ひでん》ものだ、はツはツはツ、」
と浮世《うきよ》を忘《わす》れた笑《わら》ひを行《や》る。
「お待《ま》ち、親譲《おやゆづ》りの秘伝《ひでん》と言《い》ふと……」
と言《い》ひ方《かた》は迫《せま》つたが、声《こゑ》の調子《てうし》は大分《だいぶ》静《しづ》まる。
「何《なに》も、家伝《かでん》の秘法《ひはふ》の言《い》ふて、勿体《もつたい》を附《つ》けるでねえがね……祖父《おんぢい》の代《だい》から為《し》た事《こと》を、見《み》やう見真似《みまね》に遣《や》るでがすよ。」
「其《それ》ぢや、三代《さんだい》船大工《ふなだいく》か。」
と些少《すこし》落着《おちつ》いて青年《わかもの》が聞《き》いた。
「何《なん》の、お前様《めえさま》、見《み》さる通《とほ》り二十八方仏子柑《にじふはつぱうぶしかん》の山間《やまあひ》ぢや。木《き》を伐出《きりだ》いて谿河《たにがは》へ流《なが》せば流《なが》す……駕籠《かご》の渡《わた》しの藤蔓《ふぢづる》は編《あ》むにせい、船大工《ふなだいく》は要《い》りましねえ。――私等《わしら》が家《うち》は、村里町《むらざとまち》の祭礼《まつり》の花車人形《だしにんぎやう》。木偶之坊《でくのばう》も拵《こしら》へれば、内職《ないしよく》にお玉杓子《たまじやくし》も売《う》つたでがす。獅子頭《しゝがしら》、閻魔様《えんまさま》、姉様《あねさま》の首《くび》の、天狗《てんぐ》の面《めん》、座頭《ざとう》の顔《かほ》、白粉《おしろひ》も塗《ぬ》れば紅《べに》もなする、青絵具《あをゑのぐ》もべつたりぢや。
そんなものさ、甘干《あまぼし》の柿《かき》見《み》たやうに、軒《のき》へぶら下《さ》げて売《う》りましつけ、……水損《すゐそん》、山抜《やまぬ》け、御維新《ごゐしん》以来《このかた》、城趾《しろあと》へ草《くさ》が生《は》へる、濠《ほり》が埋《う》まる、村《むら》も里《さと》も無《な》くなりました処《ところ》へ、路《みち》が変《かは》つて、旅人《たびびと》も通《とほ》らぬけえに、根《ね》つから家業《かげふ》に成《な》らんでの、私《わし》ら、木挽《こびき》木樵《きこり》も遣《や》る。温泉場《をんせんば》に普請《ふしん》でも有《あ》る時《とき》には、下手《へた》な大工《だいく》の真似《まね》もする。閑《ひま》な日《ひ》には鰌《どぜう》を掬《しやく》つて暮《くら》すだが、祖父殿《おんぢいどん》は、繁昌《はんじやう》での、藩主様《とのさま》さ奥御殿《おくごてん》の、お雛様《ひなさま》も拵《こさ》へさしたと……
其《そ》の祖父殿《おんぢいどん》はの、山伏《やまぶし》の姿《すがた》した旅《たび》の修業者《しゆげふじや》が、道陸神《だうろくじん》の傍《そば》に病倒《やみたふ》れたのを世話《せわ》して、死水《しにみづ》を取《と》らしつけ……其《そ》の修業者《しゆげふじや》に習《なら》つた言《い》ひます。
轆轤首《ろくろくび》さ、引窓《ひきまど》から刎《は》ねて出《で》る、見越入道《みこしにふだう》がくわつと目《め》を開《あ》く、姉様《あねさま》の顔《かほ》は莞爾《につこり》笑《わら》ふだ、――切支丹宗門《キリシタンしうもん》で、魔法《まはふ》を使《つか》ふと言《い》ふて、お城《しろ》の中《なか》で殺《ころ》されたとも言《い》へば、行方知《ゆくへし》れずに成《な》つたとも言《い》ふ。
はじめは、不思議《ふしぎ》な機関《からくり》を藩主様《とのさま》御前《ごぜん》で見《み》せい言《い》ふて、お城《しろ》へ召《め》されさしけえの、其時《そのとき》拵《こさ》へたのが、五位鷺《ごゐさぎ》の船頭《せんどう》ぢや。
それ、船《ふね》を浮《うか》べたのは、矢張《やはり》此《こ》の濠《ほり》。」
と言《い》ひかけて、水《みづ》には臨《のぞ》まず、却《かへ》つて空《そら》を指《ゆびさ》した老爺《ぢい》の指《ゆび》は、一《ひとつ》の峰《みね》と相対《あひむか》つて、霞《かすみ》の高《たか》い、天守《てんしゆ》の棟《むね》に並《なら》んで見《み》えた。
「これは、其《そ》の三重濠《さんぢゆうぼり》で、二《に》の丸《まる》の奥《おく》でがす。お殿様《とのさま》は、継上下《つぎかみしも》の侍方《さむらひがた》、振袖《ふりそで》の腰元衆《こしもとしゆ》づらりと連《つ》れて出《で》て御見物《ごけんぶつ》ぢや。
『町人《ちやうにん》、此《こ》の船《ふね》を何《ど》うするな。』
『御意《ぎよい》にござります。舳《みよし》に据《す》えました其《そ》の五位鷺《ごゐさぎ》が翼《つばさ》を帆《ほ》に張《は》り、嘴《くちばし》を舵《かぢ》に仕《つかまつ》りまして、人手《ひとで》を藉《か》りませず水《みづ》の上《うへ》を渡《わた》りまする。』
と申上《まをしあ》げたて。……なれども唯《たゞ》差置《さしお》いたばかりでは鷺《さぎ》が翼《つばさ》を開《ひら》かぬで、人《ひと》が一人《ひとり》乗《の》る重量《おもみ》で、自然《おのづ》から漕《こ》いで出《で》る。……一体《いつたい》が、天上界《てんじやうかい》の遊山船《ゆさんぶね》に擬《なぞ》らへて、丹精《たんせい》籠《こ》めました細工《さいく》にござるで、御斉眉《おかしづき》の中《なか》から天人《てんにん》のやうな|上《じやうらう》御一方《おひとかた》、と望《のぞ》んだげな。
当時《たうじ》飛鳥《とぶとり》も落《お》ちると言《い》ふ、お妾《めかけ》が一人《ひとり》乗《の》つて出《で》たが、船《ふね》の焼出《やけだ》したのは、主《ぬし》が見《み》さしつた通《とほ》りでがす。――其《そ》の妾《めかけ》と言《い》ふのが、祖父殿《おんぢいどん》の許嫁《いひなづけ》で有《あ》つたとも言《い》へば、馴染《なじみ》だとも風説《うはさ》したゞね。
処《ところ》で、綾錦《あやにしき》へ燃《も》えつく時《とき》、祖父殿《おんぢいどん》が手《て》を挙《あ》げて、
『飛込《とびこ》め、助《たす》かる。』
と我鳴《がな》らしつけが、お妾《めかけ》は慌《あは》てもせず、珠《たま》の簪《かんざし》を抜《ぬ》くと、舷《ふなばた》から水中《すゐちう》へ投込《なげこ》んで、颯《さつ》と髪《かみ》の毛《け》を捌《さば》いたと思《おも》へ。……胴《どう》の間《ま》へ突伏《つゝぷ》して動《うご》かぬだ。
裸《はだか》で飛込《とびこ》んだ、侍方《さむらひがた》、船《ふね》に寄《よ》りは寄《よ》つたれども、燃《も》え立《た》つ炎《ほのほ》で手《て》が出《だ》せぬ。漸《やつ》との思《おも》ひで船《ふね》を引《ひつ》くら返《かへ》した時分《じぶん》には、緋鯉《ひごひ》のやうに沈《しづ》んだげな。――これだもの、お前様《めえさま》、祖父殿《おんぢいどん》は家《うち》へ帰《かへ》りごと有《あ》るめえがね。
お剰《まけ》に家中《うちぢう》、無事《ぶじ》なものは一人《ひとり》も無《な》かつた。が不思議《ふしぎ》に私《わし》だけが助《たすか》りました。
御時世《ごじせい》が変《かは》つてから、古葛籠《ふるつゞら》の底《そこ》で見《み》つけました。祖父殿《おんぢいどん》が工夫《くふう》の絵図面《ゑづめん》、暇《ひま》にあかして遣《や》つて見《み》て、私《わし》が先《ま》づ乗《の》つて出《で》たが、案《あん》の定《ぢやう》燃出《もえだ》したで、やれ、人殺《ひとごろ》し、と……はツはツはツ、水《みづ》へ入《はい》つて泳《およ》いで遁《に》げた。
困《こま》つた事《こと》には、私《わし》が腹《はら》からの工夫《くふう》でねえでの、焼《や》くまいやうに手《て》を抜《ぬ》くと、五位鷺《ごゐさぎ》が動《うご》かぬ。濠《ほり》の真中《まんなか》で燃《も》え出《だ》すを合点《がつてん》の向《むき》には、幾度《いくど》も拵《こさ》へて乗《の》せて進《しん》ぜる。其処《そこ》で、へい、麓《ふもと》のものは承知《しようち》して、私《わし》がことを鷺《さぎ》の船頭《せんどう》、埒《らち》もない芸当《げいたう》だあ。」
と蹲《しやが》んで、腰《こし》の煙草入《たばこいれ》を捻《ひね》り出《だ》す。
聞《き》くものは、目《め》を閉《と》ぢて恍惚《ぼう》とした。
「処《ところ》が、聞《き》かつせえまし。」
と、すぱ/\と煙《けむり》を吹《ふ》かす。近《ちか》い煙草《たばこ》に遠霞《とほがすみ》で、天守《てんしゆ》を包《つゝ》んだ鬱蒼《うつさう》たる樹立《こだち》の蔭《かげ》が透《す》いて来《く》る。
「段々《だん/\》村《むら》が遠退《とほの》いて、お天守《てんしゆ》が寂《さび》しく成《な》ると、可怪《あやし》可恐《おそろし》い事《こと》が間々《まゝ》有《あ》るで、あの船《ふね》も魔《ま》ものが漕《こ》いで焼《や》くと、今《いま》お前様《めえさま》が疑《うたが》はつせえた通《とほ》り……
私《わし》が拵《こさ》へものと思《おも》ひながら、不気味《ぶきみ》がつて、何《なに》か魔《ま》の人《ひと》が仕掛《しか》けて置《お》く、囮《おとり》のやうに間違《まちが》へての。谿河《たにがは》を流《なが》す筏《いかだ》の端《はし》へ鴉《からす》が留《と》まつても気《き》に為《す》るだよ。
誰《たれ》も来《き》て乗《の》らぬので、久《ひさし》い間《あひだ》雨曝《あまざら》しぢや。船頭《せんどう》も船《ふね》も退屈《たいくつ》をした処《ところ》、又《また》これが張合《はりあひ》で、私《わし》も手遊《おもちや》が拵《こさ》へられます。
旦那《だんな》、嘸《さぞ》お前様《めえさま》吃驚《びつくり》さつせえたらうが、前刻《いましがた》船《ふね》と一所《いつしよ》に、白《しろ》い裸骸《はだか》の人《ひと》さ焼《や》けるのを見《み》た時《とき》は、やれ、五十年百年目《ごじふねんひやくねんめ》には、世《よ》の中《なか》に同《おな》じ事《こと》が又《また》有《あ》るか、と魂消《たまげ》ましけえ。其《それ》で無《な》うてさへ、御時節《ごじせつ》の有難《ありがた》さに、切支丹《キリシタン》と間違《まちが》へられぬが見《み》つけものゝ処《ところ》ぢや。あれが生身《いきみ》の婦《をんな》で無《な》うて、私《わし》もチヨン斬《ぎ》られずに済《す》んだでがす……
が、お前様《めえさま》は又《また》、一躰《いつたい》どうさつせえた訳《わけ》でがすの。」
と、ちよこなんとした割膝《わりひざ》の、真中《まんなか》どころへ頤《あご》を据《す》えて、啣煙管《くはへぎせる》で熟《じつ》と眺《なが》める。……老爺《ぢゞい》の前《まへ》を六尺《ろくしやく》ばかり草《くさ》を隔《へだ》てゝ、青年《わかもの》はばつたり膝《ひざ》を支《つ》いて、手《て》を下《さ》げた。……此《こ》の姿《すがた》を、天守《てんしゆ》から見《み》たら、虫《むし》のやうな形《かたち》であらう。
「失礼《しつれい》しました。御老人《ごらうじん》、貴下《あなた》は大先生《だいせんせい》です。何《ど》うか、御高名《ごかうめい》をお名告《なの》り下《くだ》さい。私《わたくし》は香村雪枝《かむらゆきえ》と言《い》つて、出過《です》ぎましたやうですが、矢張《やつぱり》木《き》を刻《きざ》んで、ものゝ形《かたち》を拵《こしら》へます家業《かげふ》のものです。」とはツと額着《ぬかづ》く。
「是《これ》は、」
と同《おな》じく草《くさ》につけた双《さう》の掌《て》を上《あ》げたり下《さ》げたり、臀《いしき》を揉《も》んでもじついて、
「旦那《だんな》、はて、お前様《めえさま》、何《なに》言《い》はつしやる。何《ど》うさつしやる……気《き》を静《しづ》めてくらつせえよ。」
「否《いゝえ》、何《ど》うぞ、失礼《しつれい》ながらお名告《なの》り下《くだ》さい。御覧《ごらん》の通《とほ》り、私《わたくし》は何《ど》うかして居《ゐ》る。……夢《ゆめ》なんだか、現《うつゝ》なんだか、自分《じぶん》だか他人《たにん》だか、宛然《まるで》弁別《わきまへ》が無《な》いほどです――前刻《さつき》からお話《はな》し被為《なす》つた事《こと》も、其方《そちら》では唯《たゞ》あはあは笑《わら》つて居《ゐ》らつしやるのが、種々《いろ/\》な言《ことば》に成《な》つて、私《わたくし》の耳《みゝ》に聞《き》こえるのかも分《わか》りません。が、其《それ》に為《し》てもお聞《き》かせ下《くだ》さい。お名《な》が此《こ》の耳《みゝ》へ入《はい》れば、私《わたくし》は私《わたくし》だけで、承《うけたまは》つたことゝ了見《れうけん》します。香村雪枝《かむらゆきえ》つて言《い》ふんです。先生《せんせい》、真個《まつたく》は靱負《ゆきへ》と言《い》つて、昔《むかし》の侍《さむらひ》のやうな名《な》なんですが、其《それ》を其《そ》のまゝ雪《ゆき》の枝《えだ》と書《か》いて、号《がう》にして居《ゐ》る若輩《じやくはい》ものです。」
「えゝ/\、困《こま》つたな、これは。名《な》を言《い》へなら、言《い》ふだけれど、改《あらたま》つては面目《めんもく》ねえ。」
と天窓《あたま》を撫《な》でざまに、するりと顱巻《はちまき》を抜《ぬ》いて取《と》り、
「へい、些《ちつ》と爺《ぢゞい》には似合《にあ》ひましねえ、村《むら》の衆《しゆ》も笑《わら》ふでがすが、八才《やつつ》ぐれえな小児《こども》だね、へい、菊松《きくまつ》つて言《い》ふでがすよ。」
「菊松先生《きくまつせんせい》、貴下《あなた》は凡人《ぼんじん》では居《ゐ》らつしやらない。」
「勘弁《かんべん》して下《く》らつせえ。うゝとも、すうとも返答《へんたふ》打《う》つ術《すべ》もねえだ…私《わし》、先生《せんせい》と言《い》はれるは、臍《ほぞ》の緒《を》切《き》つては最初《はじめて》だでね。」
「何《なん》とも御謙遜《ごけんそん》で、申上《まをしあ》げやうもありません。大先生《だいせんせい》、貴下《あなた》で無《な》くつて、何《ど》うして、彼《あ》の五位鷺《ごゐさぎ》が刻《きざ》めます。あの船《ふね》が動《うご》かせます。而《そ》して、其《そ》の秘密《ひみつ》を人《ひと》に知《し》らせまいために、天《てん》の火《ひ》で焚《や》くと見《み》せて、船《ふね》をお秘《かく》しなさるんでせう。」
「お前様《めえさま》もの、祖父殿《おんぢいどん》の真似《まね》をするだ、で、私《わし》が自由《じいう》には成《な》んねえだ。間違《まちが》へて先生《せんせい》だ、師匠《ししやう》だ言《い》はつしやるなら、祖父殿《おんぢいどん》を然《さ》う呼《よ》ばらつせえ。」
「同《おな》じ事《こと》です、大名《だいみやう》の子孫《しそん》が華族《くわぞく》なら、名家《めいか》の御子孫《ごしそん》も先生《せんせい》です。特《とく》に私《わたくし》は然《さ》う申《まを》さなければ成《な》りません。
私《わたくし》が今《いま》の此《こ》の仕事《しごと》を為《す》るやうに成《な》りましたのは、貴下《あなた》か、或《あるひ》は其《そ》の祖父様《ぢいさま》の御薫陶《ごくんたう》に預《あづか》つたと言《い》つて宜《よろ》しい。」……
「父《ちゝ》は或県《あるけん》の書記官《しよきくわん》でした。」
と雪枝《ゆきえ》は衣兜《かくし》に手《て》を挟《はさ》んだ。
「一年《あるとし》、此《こ》の地《ち》を巡廻《じゆんくわい》した事《こと》が有《あ》ります。私《わたくし》が七才《なゝつ》の時《とき》です。未《ま》だ其《そ》の頃《ころ》は、今《いま》の温泉《をんせん》は無《な》かつたやうですね。」
「温泉《をんせん》の開《ひら》けたのは近《ちか》い頃《ころ》の事《こと》でがすよ。然《さ》うでがすとも。前《まへ》から寂《さび》れては居《ゐ》ましつけえ、お城《しろ》の居《ゐ》まはりに、未《ま》だ、町《まち》の形《かたち》の残《のこ》つた頃《ころ》は、温泉《をんせん》は無《な》かつけの。
地震《ぢしん》が豪《えら》く押《おつ》ぱだかつて、しやつきり残《のこ》つたのはお天守《てんしゆ》ばかりぢや。人間《にんげん》も家《いへ》も押転《おつころ》ばして、濠《ほり》も半分《はんぶん》がた埋《うま》りましけ。冬《ふゆ》の事《こと》での、其《そ》の前兆《ぜんてう》べい、八尺余《はつしやくよ》も積《つも》つた雪《ゆき》が一晩《ひとばん》に融《と》けて、びしや/\と消《き》えた。あれ松《まつ》が蒼《あを》いわ、と言《い》ふ内《うち》に、天《てん》も地《ち》も赤黒《あかぐろ》く成《な》つて、活《い》きものと言《い》ふ活《いき》ものは、泥《どろ》の上《うへ》を泳《およ》いだての。
其《そ》の響《ひゞ》きで、今《いま》の処《ところ》へ、熱湯《ねつたう》が湧出《わきだ》いた。ぢやがさ、天道《てんだう》人《ひと》を殺《ころ》さずかい。生命《いのち》だけは助《たすか》つても、食《く》はう飲《の》まうの分別《ふんべつ》も出《で》なんだ処《ところ》温泉《をんせん》が昌《さか》つて来《き》たで、何《ど》うやら娑婆《しやば》の形《かたち》に成《な》つた。其《そ》のかはり、旧《もと》から噂《うはさ》の高《たか》かつたお天守《てんしゆ》の此《こ》の辺《へん》は、人《ひと》の寄附《よりつ》かぬ凄《すご》い処《ところ》に成《な》りましたよ。見《み》さつせえ、いまに太陽様《おてんとうさま》が出《で》さつせえても、濠端《ほりばた》かけて城跡《しろあと》には、お前様《めえさま》と私等《わしら》が他《ほか》には、人間《にんげん》らしい影《かげ》もねえだ。偶々《たま/\》突立《つゝた》つて歩行《ある》くものは、性《しやう》の善《よ》くねえ、野良狐《のらぎつね》か、山猫《やまねこ》だよ。
こんな処《ところ》へ、主《ぬし》は何《なん》として又《また》姉様《あねさま》の人形《にんぎやう》連《つ》れて来《き》さつせえた。」
「其《それ》を順《じゆん》にお話《はなし》しませう、」
と雪枝《ゆきえ》は一度《いちど》塞《ふさ》いだ目《め》を、茫乎《ばう》と開《あ》けて、
「父《ちゝ》が此《こ》の処《ところ》を巡廻《じゆんくわい》した節《せつ》、何処《どこ》か山蔭《やまかげ》の小《ちひ》さな堂《だう》に、美《うつくし》い二十《はたち》ばかりの婦《をんな》の、珍《めづら》しい彫像《てうざう》が有《あ》つたのを、私《わたくし》の玩弄《おもちや》にさせうと、堂守《だうもり》に金子《かね》を遣《や》つて、供《とも》のものに持《も》たせて帰《かへ》つたのを、他《ほか》に姉妹《きやうだい》もなし、姉《あね》さんが一人《ひとり》出来《でき》たやうに、負《おぶ》つたり抱《だ》いたり為《し》ました。大《おほき》な像《ざう》で、飯《めし》の時《とき》なんぞ、並《なら》んで坐《すは》る、と七才《なゝつ》の年《とし》の私《わたくし》の芥子坊主《けしばうず》より、づゝと上《うへ》に、髪《かみ》の垂《さが》つた島田《しまだ》の髷《まげ》が見《み》えたんです。衣服《きもの》は白無垢《しろむく》に、水浅黄《みづあさぎ》の襟《ゑり》を重《かさ》ねて、袖口《そでくち》と褄《つま》はづれは、矢張《やつぱり》白《しろ》に常夏《とこなつ》の花《はな》を散《ち》らした長襦袢《ながじゆばん》らしく出来《でき》て居《ゐ》て……其《それ》が上《うへ》から着《き》せたのではない。木彫《きぼり》に彩色《さいしき》を為《し》たんです。が、不思議《ふしぎ》なのは、其《そ》の白無垢《しろむく》、何《ど》うして置《お》いても些《ちつ》とでも塵埃《ほこり》が溜《たま》らず、虫《むし》も蠅《はい》も、遂《つい》ぞ集《たか》つたことが無《な》い。花畑《はなばたけ》へでも抱《だ》いて出《で》ると、綺麗《きれい》な蝶々《てふ/\》は、帯《おび》に来《き》て、留《とま》つたんです、最《も》う一《ひと》つ不思議《ふしぎ》なのは、立像《りつざう》に刻《きざ》んだのが、膝《ひざ》柔《やはら》かにすつと坐《すは》る。
袖《そで》は両方《りやうはう》から振《ふり》が合《あ》つて、乳《ちゝ》のあたりで、上下《うへした》に両手《りやうて》を重《かさ》ねたのが、ふつくりして、中《なか》に何《なに》か入《はい》つて居《ゐ》さうで、……駆《か》けて行《い》つて、
『姉《ねえ》さん、』と捉《つか》まつた時《とき》なぞ、肩《かた》が揺《ゆ》れると、ころりん、ころりんと其《それ》は実《じつ》に……何《なん》とも微妙《びめう》な音《ね》が為《し》て幽《かすか》に鳴《な》る、……父母《ふたおや》をはじめ、見《み》るほどのものは、何《なん》だらう何《なん》だらう、と言《い》ひ/\したが、指《ゆび》を折《を》らなくては分《わか》らないから、無論《むろん》開《あ》けては見《み》ず仕舞《じまひ》。
とう/\其《そ》の彫像《てうざう》を――何《なん》です――父《ちゝ》が暖炉《ストーブ》に燻《く》べて焼《や》いたまでも分《わか》らなかつたんです。
ちら/\雪《ゆき》の降《ふ》る晩方《ばんがた》でした。……私《わたくし》は、小児《こども》の群食《むらぐひ》で、欲《ほし》くない。両親《りやうしん》が卓子《ていぶる》に対向《さしむか》ひで晩飯《ばんめし》を食《た》べて居《ゐ》た。其処《そこ》へ、彫像《てうざう》を負《おぶ》つて入《はい》つたんですが、西洋室《せいやうま》の扉《ひらき》を開《あ》けやうとして、
『姉《ねえ》さん、』と仰向《あふむ》くと上《うへ》から俯向《うつむ》いて見《み》たやうに思《おも》ふ、……廊下《らうか》の長《なが》い、黄昏時《たそがれどき》の扉《ひらき》の際《きは》で、むら/\と鬢《びん》の毛《け》が、其時《そのとき》は戦《そよ》いだやうに思《おも》ひました。ぱつちりした目《め》が、眉《まゆ》の下《した》で、睫毛《まつげ》を黒《くろ》く瞬《またゝ》いたやうで。……」
見《み》ながら、其《そ》のまゝ、扉《ひらき》を開《あ》ける、と小児《こども》の背《せな》に、裾《すそ》を後抱《うしろだき》にして居《ゐ》た彫像《てうざう》の丈《たけ》が反《そ》つて、髷《まげ》が、天井裏《てんじやううら》の高《たか》い処《ところ》に見《み》えた。
ト半靴《はんぐつ》の先《さき》を反《そ》らした、母親《はゝおや》の白《しろ》い足《あし》が卓子掛《ていぶるかけ》と絨氈《じうたん》の間《あひだ》で動《うご》いた。窓《まど》の外《そと》は雪《ゆき》が其《そ》の光《ひかり》を撫《な》でゝ、さら/\音《おと》が為《し》さうに、月《つき》が有《あ》つて、植込《うゑこみ》の梢《こずえ》がちら/\黒《くろ》い。烈々《れつ/\》と燃《も》える暖炉《だんろ》のほてりで、赤《あか》い顔《かほ》の、小刀《ナイフ》を持《も》つたまゝ頤杖《あごづゑ》をついて、仰向《あふむ》いて、ひよいと此方《こちら》を向《む》いた父《ちゝ》の顔《かほ》が真蒼《まつさを》に成《な》つた。
「東京《とうきやう》駿河台《するがだい》に家《うち》があつた、其《そ》の二階《にかい》でした。」
と言《い》ひかけて、左右《さいう》を見《み》る、と野《の》と濠《ほり》と草《くさ》ばかりでは無《な》く、黙《だま》つて打傾《うちかたむ》いて老爺《ぢゞい》が居《ゐ》た。其《それ》を、……雪枝《ゆきえ》は確《たしか》め得《え》た面色《おもゝち》であつた。
「父《ちち》が矗乎《すつくり》と立《た》つと……
『おのれ!』と言《い》つて、つか/\と来《き》ましたが。私《わたくし》の身躰《からだ》が一《ひと》つ、胴廻《どうまは》りを為《す》ると、肩《かた》から倒《さかさま》に婦《をんな》が落《お》ちた。裙《すそ》が未《ま》だ此《こ》の肱《ひぢ》に懸《かゝ》つて、橋《はし》に成《な》つて床《ゆか》に着《つ》く、仰向《あふむ》けの白《しろ》い咽喉《のど》を、小刀《ナイフ》でざつくりと、さあ、斬《き》りましたか、突《つ》いたんですか。
『きやつ、』と言《い》つて、私《わたくし》は鉄砲玉《てつぱうだま》のやうに飛出《とびだ》したが、廊下《らうか》の壁《かべ》に額《ひたひ》を打《ぶ》つて、ばつたり倒《たふ》れた。……気《き》の弱《よわ》い母《はゝ》もひきつけて了《しま》つたさうです。
母《はゝ》は、父《ちゝ》が、其《そ》の木像《もくざう》の胴《どう》を挫折《ひしを》つた――其《それ》が又《また》脆《もろ》く折《を》れた――のを突然《いきなり》頭《あたま》から暖炉《ストーブ》へ突込《つゝこ》んだのを見《み》たが、折口《をれくち》に偶《ふ》と目《め》が着《つ》くと、内臓《ないざう》がすつかり刻込《きざみこ》んであつた。まるで生《しやう》のものを見《み》るやうに腸《はらわた》も長《なが》く、青《あを》い火《ひ》が其《それ》に搦《から》んだので、余《あまり》の事《こと》に気絶《きぜつ》したんだ、と後《のち》に言《い》ひます。
父《ちゝ》は年《とし》経《た》つて亡《な》くなるまで、其時《そのとき》の事《こと》に就《つ》いては一言《いちごん》も何《なん》にも言《い》はない。最《もつと》も当坐《たうざ》二月《ふたつき》ばかりは、何《ど》うかすると一室《ひとま》に籠《こも》つて、誰《たれ》にも口《くち》を利《き》かないで、考事《かんがへごと》をして居《ゐ》たさうですが、別《べつ》に仔細《しさい》は無《な》かつたんです。
但《たゞし》其時《そのとき》から、両親《りやうしん》は私《わたくし》を男《をとこ》にしました。其《それ》まで、三人《さんにん》も出来《でき》た児《こ》が皆《みんな》育《そだ》たなかつたので、私《わたくし》を女《をんな》にして置《お》いたんです。名《な》も雪枝《ゆきえ》と言《い》ふ女《をんな》のやうな。
其《そ》の名《な》を直《す》ぐに号《がう》にして、今《いま》、こんな家業《かげふ》を為《す》るやうに成《な》つたのも、小児《こども》の時《とき》から、其《そ》の像《ざう》の事《こと》が、目《め》にも心《こゝろ》にも身躰《からだ》にも離《はな》れなかつた為《せゐ》なんです。
こんな辺鄙《へんぴ》な温泉《をんせん》へ参《まゐ》つたのも、実《じつ》は忘《わす》れられない可懐《なつか》しい気《き》が為《し》たゝめです。何処《どこ》か知《し》らんが、其《そ》の木像《もくざう》は、父《ちゝ》が此《こ》の土地《とち》から持《も》つて帰《かへ》つたと言《い》ふぢやありませんか。
山《やま》も谷《たに》も野《の》も水《みづ》も、其処《そこ》には私《わたくし》の師匠《ししやう》がある、と信《しん》じ居《ゐ》た。果《はた》して貴下《あなた》にお目《め》にかゝつた。――あの、白無垢《しろむく》に常夏《とこなつ》の長襦袢《ながじゆばん》、浅黄《あさぎ》の襟《ゑり》して島田《しまだ》に結《ゆ》つた、両《りやう》の手《て》に秘密《ひみつ》を蔵《かく》した、絶世《ぜつせ》の美人《びじん》の像《ざう》を刻《きざ》んだ方《かた》は、貴下《あなた》の其《そ》の祖父様《おぢいさん》では無《な》いでせうか。」
雪枝《ゆきえ》は熟《じつ》と対手《あひて》を視《なが》めた。
「え、貴下《あなた》かも分《わか》らん、貴下《あなた》かも知《し》れません。先生《せんせい》、仰有《おつしや》つて下《くだ》さい、一生《いつしやう》のお願《ねが》ひです。」
「若《わけ》え旦那《だんな》、祖父殿《おんぢいどん》が事《こと》は私《わし》も知《し》らんで、何《なに》か言《い》はつしやりますやうな悪戯《いたづら》を為《し》たかも分《わか》らねえ。私《わし》は早《は》や、獅子鼻《しゝばな》や団栗目《どんぐりめ》、御神酒徳利《おみきどつくり》の口《くち》なら真似《まね》も遣《や》るが、弁天様《べんてんさま》は手《て》に負《お》えねえ……まあ、そんな事《こと》は措《お》かつしやい。ぢやが、お前様《めえさま》は山《やま》が先生《せんせい》、水《みづ》が師匠《ししやう》と言《い》ふわけ合《あひ》で、私等《わしら》が気《き》にや天上界《てんじやうかい》のやうな東京《とうきやう》から、遥々《はる/″\》と……飛騨《ひだ》の山家《やまが》までござつたかね。」
と掻蹲《かつゝくば》ひ、両腕《りやううで》を膝《ひざ》に預《あづ》けたまゝ啣煙管《くはへぎせる》で摺出《すりだ》す躰《てい》は、嘴《くちばし》長《なが》い鷺《さぎ》の船頭《せんどう》化《ば》けたやうな態《さま》である。
雪枝《ゆきえ》は、しばらく猶予《ためら》つた。
「仮《かり》にも先生《せんせい》と呼《よ》んだ貴下《あなた》に向《むか》つて、嘘《うそ》は言《い》へません。……一度《いちど》来《こ》やう、是非《ぜひ》見《み》たい。生《うま》れない以前《いぜん》から雪枝《ゆきえ》の身躰《からだ》とは、許嫁《いひなづけ》の約束《やくそく》があるやうな此《こ》の土地《とち》です。信者《しんじや》が善光寺《ぜんくわうじ》、身延《みのぶ》へ順礼《じゆんれい》を為《す》るほどな願《ねがひ》だつたのが、――いざ、今度《こんど》、と言《い》ふ時《とき》、信仰《しんかう》が鈍《にぶ》つて、遊山《ゆさん》に成《な》つた。
其《それ》が悪《わる》かつたんです……
家内《かない》と二人連《ふたりづれ》で来《き》たんです、然《しか》も婚礼《こんれい》を為《し》たばかりでせう。」
盃《さかづき》を納《をさめ》るなり汽車《きしや》に乗《の》つて家《いへ》を出《で》た夫婦《ふうふ》の身体《からだ》は、人間《にんげん》だか蝶《てふ》だか区別《くべつ》が附《つ》かない。遥々《はる/″\》来《き》た、と言《い》はれては何《なん》とも以《もつ》て極《きまり》が悪《わる》い。気《き》も魂《たましひ》もふら/\で、六十余州《ろくじふよしう》、菜《な》の花《はな》の上《うへ》を舞《ま》ひ歩行《ある》いても疲《つか》れぬ元気《げんき》。其《それ》も突《つゝ》かけに夜昼《よるひる》かけて此処《こゝ》まで来《き》たなら、まだ/\仕事《しごと》の手前《てまへ》、山《やま》にも水《みづ》にも言訳《いひわけ》があるのに……彼方《あつち》へ二晩《ふたばん》此方《こつち》へ三晩《みばん》、泊《とま》り泊《とま》りの道草《みちくさ》で、――花《はな》には紅《くれなゐ》、月《つき》には白《しろ》く、処々《ところ/″\》の温泉《をんせん》を、嫁《よめ》の姿《すがた》で彩色《さいしき》しては、前後左右《ぜんごさいう》、額縁《がくぶち》のやうな形《かたち》で、附添《つきそ》つて、木《き》を刻《きざ》んで拵《こしら》へたものが、恁《か》う行《い》くものか、と自《みづ》から彫刻家《てうこくか》であるのを嘲《あざ》ける了見《れうけん》。
斧《をの》も鑿《のみ》も忘《わす》れたものが、木曾《きそ》、碓氷《うすひ》、寐覚《ねざめ》の床《とこ》も、旅《たび》だか家《うち》だか差別《さべつ》は無《な》い気《き》で、何《なん》の此《こ》の山《やま》や谷《たに》を、神聖《しんせい》な技芸《ぎげい》の天《てん》、芸術《げいじゆつ》の地《ち》と思《おも》はう。
来《き》て見《み》ぬ内《うち》こそ、峯《みね》は雲《くも》に、谷《たに》は霞《かすみ》に、長《とこしへ》に封《ふう》ぜられて、自分等《じぶんら》、芸術《げいじゆつ》の神《かみ》に渇仰《かつがう》するものが、精進《しやうじん》の鷲《わし》の翼《つばさ》に乗《の》らないでは、杣《そま》山伏《やまぶし》も分入《わけい》る事《こと》は出来《でき》ぬであらう。流《ながれ》には斧《をの》の響《ひゞき》、木《き》の葉《は》には鑿《のみ》の音《おと》、白《しろ》い蝙蝠《かはほり》、赤《あか》い雀《すゞめ》が、麓《ふもと》の里《さと》を彩《いろど》つて、辻堂《つじだう》の中《うち》などは霞《かすみ》が掛《かゝ》つて、花《はな》の彫物《ほりもの》をして居《ゐ》やうとまで、信《しん》じて居《ゐ》たのが、恋《こひ》しい婦《をんな》と一所《いつしよ》に来《き》たゝめ、峯《みね》が雲《くも》に日《ひ》を刻《きざ》み、水《みづ》が谷《たに》に月《つき》を鑿《ほ》つた、大彫刻《だいてうこく》を眺《なが》めても、婦《をんな》が挿《さし》た笄《かんざし》ほども目《め》に着《つ》かないで、温泉宿《をんせんやど》へ泊《とま》つた翌日《よくじつ》、以前《もと》ならば何《なに》よりも前《さき》に、しか/″\の堂《だう》はないか、其《それ》らしい堂守《だうもり》は居《ゐ》まいか、と父《ちゝ》が以前《いぜん》持帰《もちかへ》つた、其《そ》の神秘《しんぴ》な木像《もくざう》の跡《あと》の、心当《こゝろあた》りを捜《さが》す処《ところ》、――気《き》にも掛《か》けないまで忘《わす》れて了《しま》つて、温泉宿《をんせんやど》の亭主《ていしゆ》を呼《よ》んで、先《ま》づ尋《たづ》ねたのが、世《よ》に伝《つた》へた双六谷《すごろくだに》の事《こと》だつた。
「老爺《おぢい》さん。」
と雪枝《ゆきえ》は嗟歎《さたん》して言《い》つた。
温泉《いでゆ》の町《まち》の、谿流《けいりう》について溯《さかのぼ》ると、双六谷《すごろくだに》と言《い》ふのがある――其処《そこ》に一坐《いちざ》の大盤石《だいばんじやく》、天然《てんねん》に双六《すごろく》の目《め》の装《も》られたのが有《あ》ると言《い》ふが、事実《じじつ》か、と聞《き》いたのであつた。
亭主《ていしゆ》が答《こた》へて、如何《いか》にも、此《こ》の辺《へん》で噂《うはさ》するには、春《はる》の曙《あけぼの》のやうに、蒼々《あを/\》と霞《かす》んだ、滑《なめら》かな盤石《ばんじやく》で、藤色《ふぢいろ》がゝつた紫《むらさき》の筋《すぢ》が、寸分《すんぶん》違《たが》はず、双六《すごろく》の目《め》に成《な》つて居《ゐ》る。
『丁《ちやう》ど、先《ま》づ其《そ》の工合《ぐあひ》と思《おも》はれまする。』と掌《てのひら》を畳《たゝみ》に着《つ》けて指《ゆびさ》して見《み》せた。
其時《そのとき》坐《すは》つて居《ゐ》た蒲団《ふとん》が、蒼味《あをみ》の甲斐絹《かひき》で、成程《なるほど》濃《こ》い紫《むらさき》の縞《しま》があつたので、恰《あだか》も既《すで》に盤石《ばんじやく》の其《そ》の双六《すごろく》に対向《さしむか》ひに成《な》つた気《き》がして、夫婦《ふうふ》は顔《かほ》を見合《みあ》はせて、思《おも》はず微笑《ほゝえ》んだ。
……と雪枝《ゆきえ》は言《い》ふ。
けれども、其《それ》は神《かみ》の斧《をの》の、微妙《いみじ》き製作《せいさく》を会得《ゑとく》した嬉《うれ》しさではなかつた。其《そ》の実《じつ》、矢叫《やさけび》の如《ごと》き流《ながれ》の音《おと》も、春雨《はるさめ》の密語《さゝやき》ぞ、と聞《き》く、温泉《いでゆ》の煙《けむ》りの暖《あたゝか》い、山国《やまぐに》ながら紫《むらさき》の霞《かすみ》の立籠《たてこも》る閨《ねや》を、菫《すみれ》に満《み》ちた池《いけ》と見る、鴛鴦《えんわう》の衾《ふすま》の寝物語《ねものがた》りに――主従《しゆじう》は三世《さんぜ》、親子《おやこ》は一世《いつせ》、夫婦《ふうふ》は二世《にせ》の契《ちぎり》と聞《き》く……
『全《まつた》く未来《みらい》でも添《そ》へるのでせうか。』と他愛《たあい》のない言《こと》を新婦《しんぷ》が言《い》つた。
二世《にせ》は愚《おろ》か三世《さんぜ》までもと思《おも》ふ雪枝《ゆきえ》も、言葉《ことば》あらそひを興《きよう》がつて、
『何《なに》二世《にせ》なぞがあるものか、魂《たましひ》は滅《ほろ》びないでも、死《し》ねば夫婦《ふうふ》はわかれわかれだ。』
とはぐらかすと、褄《つま》を引合《ひきあ》はせながら、起直《おきなほ》つて、
『私《わたし》は此《こ》の世《よ》ばかりでは厭《いや》です。』
とツンとした。
『それでは二人《ふたり》で、一世《いつせ》か、二世《にせ》か賭《かけ》をしやう。』
苟《いやし》くも未来《みらい》の有無《うむ》を賭博《かけもの》にするのである。相撲取草《すまうとりぐさ》の首《くび》つ引《ぴき》なぞでは其《そ》の神聖《しんせい》を損《そこな》ふこと夥《おびたゞ》しい。聞《き》けば此《こ》の山奥《やまおく》に天然《てんねん》の双六盤《すごろくばん》がある。其《そ》の仙境《せんきやう》で局《きよく》を囲《かこ》まう。
で、其《そ》の勝敗《しようはい》を紀念《きねん》として、一先《ひとま》づ、今度《こんど》の蜜月《みつゞき》の旅《たび》を切上《きりあ》げやう。けれども双六盤《すごろくばん》は、唯《たゞ》土地《とち》の伝説《でんせつ》であらうも知《し》れぬ。実際《じつさい》なら奇蹟《きせき》であるから、念《ねん》のためと、こゝで、其《そ》の翌日《よくじつ》旅店《りよてん》の主人《あるじ》に聞《き》いたのが、……件《くだん》の青石《あをいし》に薄紫《うすむらさき》の筋《すぢ》の入《はい》つた、恰《あたか》も二人《ふたり》が敷《し》いた座蒲団《ざぶとん》に肖《に》て居《ゐ》ると言《い》ふ其《それ》であつた。
『案内者《あんないしや》でも雇《やと》へやうか。』
亭主《ていしゆ》が飛《とん》でもない顔色《かほつき》で、二人《ふたり》を視《なが》めたも道理《だうり》。
双六《すごろく》は確《たしか》にあり。天工《てんこう》の奇蹟《きせき》の故《ゆゑ》に、四五六《しごろく》また双六谷《すごろくだに》と其処《そこ》を称《とな》へ、温泉《をんせん》も世《よ》の聞《き》こえに、双六《すごろく》の名《な》を負《お》はするが、谷《たに》を究《きは》めて、盤石《ばんじやく》を見《み》たものは昔《むかし》から誰《だれ》も無《な》い。――土地《とち》の名所《めいしよ》とは言《い》ひながら、なか/\以《もつ》て、案内者《あんないしや》を連《つ》れて踏込《ふみこ》むやうな遊山場《ゆさんば》ならず。双六盤《すごろくばん》の事《こと》は疑無《うたがひな》けれど、其《そ》の是《これ》あるは、月《つき》の中《なか》に玉兎《ぎよくと》のある、と同《おんな》じ事《こと》、と亭主《ていしゆ》は語《かた》つた。
土地《とち》のものが、其方《そなた》の空《そら》ぞと視《なが》め遣《や》る、谷《たに》の上《うへ》には、白雲《はくうん》行交《ゆきか》ひ、紫緑《むらさきみどり》の日影《ひかげ》が添《そ》ひ、月明《つきあかり》には、黄《き》なる、又《また》桃色《もゝいろ》なる、霧《きり》の騰《のぼ》るを時々《ときどき》望《のぞ》む。珠《たま》か、黄金《こがね》か、世《よ》にも貴《たうと》い宝什《たから》が潜《ひそ》んで、気《き》の群立《むらだ》つよ、と憧憬《あこが》れながら、風《かぜ》に木《き》の葉《は》の音信《たより》もなければ、もみぢを分入《わけい》る道《みち》も知《し》らず……恰《あたか》も燦爛《さんらん》として五彩《ごさい》に煌《きら》めく、天上《てんじやう》の星《ほし》を指《ゆびさ》しても、手《て》に取《と》られぬ、と異《かは》りはない。
唯《たゞ》山深《やまふか》く木《き》を樵《こ》る賤《しづ》が、兎《と》もすれば、我《わ》が伐木《ばつぼく》の谺《こだま》にあらぬ、怪《あや》しく、床《ゆか》しく且《か》つ幽《かすか》に、ころりん、から/\、と妙《たへ》なる楽器《がくき》を奏《かな》づるが如《ごと》きを聞《き》く――其時《そのとき》は、森《もり》の枝《えだ》が、一《ひと》つ一《ひと》つ黄金《こがね》白銀《しろがね》の線《いと》に成《な》つて、其《そ》の音《ね》を伝《つた》ふるが如《ごと》くに感《かん》ずる……思《おも》ふに魔神《まじん》が対向《むかひあ》つて、采《さい》を投《な》げる響《ひゞき》であらう……何《なん》につけても、飛騨谷《ひだだに》第一《だいいち》の隠《かく》れ場所《ばしよ》、近《ちか》づき難《がた》い魔所《ましよ》である、と猶《な》ほ亭主《ていしゆ》が語《かた》つたのである。
二人《ふたり》は、聞《き》くが如《ごと》き他界《たかい》であるのを信《しん》ずると共《とも》に、双六《すごろく》の賭《かけ》が弥《いや》が上《うへ》にも、意味《いみ》の深《ふか》いものに成《な》つた事《こと》を喜《よろこ》んだ……勿論《もちろん》、谷《たに》へ分入《わけい》るに就《つ》いて躊躇《ちうちよ》を為《し》たり、恐怖《おそれ》を抱《いだ》いたりするやうな念《ねん》は聊《いさゝか》も無《な》かつた。
と雪枝《ゆきえ》は続《つゞ》いて言《い》つた。
「其《そ》の上《うへ》好奇心《かうきしん》にも駆《か》られたでせう。直《す》ぐにも草鞋《わらぢ》を買《か》はして、と思《おも》つたけれども、彼是《かれこれ》晩方《ばんがた》に成《な》つたから、宿《やど》の主人《あるじ》を強《し》ゐて、途中《とちゆう》まで案内者《あんないしや》を着《つ》けさせることにして、其《そ》の日《ひ》の晩飯《ばんめし》は済《すま》せました。」
双六谷《すごろくだに》へは、翌早朝《よくさうてう》と言《い》ふ意気組《いきぐみ》、今夜《こんや》も二世《にせ》かけた勝敗《しようはい》は無《な》しに、唯《たゞ》睦《むつ》まじいのであらうと思《おも》ふ。宵寐《よひね》をするにも余《あま》り早《はや》い、一風呂《ひとふろ》浴《あ》びた後《あと》……を、ぶらりと二人連《ふたりづれ》で山路《やまみち》へ出《で》て見《み》たのが、丁《ちやう》ど……狐《きつね》の穴《あな》には灯《あかり》は点《つ》かぬが、猿《さる》の店《みせ》には燈《ともしび》の点《つ》く時分《じぶん》、何《なに》となく薄《うす》ら寒《さむ》い、其処等《そこら》の霞《かすみ》も、遠山《とほやま》の雪《ゆき》の影《かげ》が射《さ》すやうで、夕餉《ゆふげ》の煙《けむり》が物寂《ものさび》しう谷《たに》へ落《おち》る。五六軒《ごろくけん》の藁屋《わらや》ならび、中《なか》にも浅間《あさま》な掛小屋《かけこや》のやうな小店《こみせ》を開《あ》けて、穴《あな》から商売《しやうばい》をするやうに婆《ばあ》さんが一人《ひとり》戸《と》の外《そと》を透《す》かして居《ゐ》た。其《そ》の店《みせ》で獣《けもの》の皮《かは》だの、獅子頭《しゝがしら》、狐《きつね》猿《さる》の面《めん》、般若《はんにや》の面《めん》、二升樽《にしやうだる》ぐらゐな座頭《ざとう》の首《くび》、――いや其《それ》が白《しろ》い目《め》をぐるりと剥《む》いて、亀裂《ひゞ》の入《はい》つた壁《かべ》に仰向《あふむ》いた形《かたち》なんぞ余《あんま》り気味《きみ》の可《い》いものではなかつた。誰《たれ》か拵《こしら》へるものが居《ゐ》て、直《す》ぐ其《それ》を売《う》るらしい。破莚《やれむしろ》の上《うへ》は、藍《あゐ》の絵具《ゑのぐ》や、紅殻《べにがら》だらけ――婆《ばあ》さんの前垂《まへだれ》にも、ちら/\霜《しも》のやうに胡粉《ごふん》がかゝつた。其《そ》の他《た》角細工《つのざいく》も種々《いろ/\》ある。……
「はツはツ、婆様《ばあさま》が家《うち》ぢや。」と老爺《ぢゞい》は不意《ふい》に笑《わら》ひ懸《か》けて、
「茶《ちや》でも飲《あが》つてござつたかの。」
雪枝《ゆきえ》は不図《ふと》心着《こゝろづ》いたらしく調子《てうし》を変《か》へて、
「あゝ、お知己《ちかづき》の店《みせ》なんですか。」
「昔《むかし》の恋《こひ》でがす。彼《あれ》でもの、お前様《めえさま》、新造盛《しんざうざか》りの事《こと》も有《あ》つけ。人形《あねさま》を欲《ほ》しがる時分《じぶん》ぢや。なんぼ山鳥《やまどり》のおろのかゞみで、頤髯《あごひげ》さ撫《な》でた処《ところ》で、木《き》の枝《えだ》で、鋸《のこぎり》を使《つか》ひ/\、猿《さる》の脚《あし》と並《なら》んだ尻《しり》を、下《した》から見《み》せては落《お》つこちねえ。其処《そこ》で、人形《にんぎやう》やら、おかめの面《めん》やら、御機嫌取《ごきげんとり》に拵《こしら》へて持《も》つて行つては、莞爾《につこり》させて他愛《たあい》なく見惚《みと》れて居《ゐ》たものでがす。はゝゝ、はじめの内《うち》は納戸《なんど》の押入《おしいれ》へ飾《かざ》つての、見《み》るな見《み》るな、と云《い》ふ。恐《おそ》ろしい、男《をとこ》を食《く》つて骨《ほね》を秘《かく》す、と村《むら》のものが嬲《なぶ》つたつけの……真個《ほん》の孤屋《ひとつや》の鬼《おに》に成《な》つて、狸婆《たぬきばゞあ》が、旧《もと》の色仕掛《いろじか》けで私《わし》に強請《ゆす》つて、今《いま》では銭《おあし》にするでがすが、旦那《だんな》、何《なに》か買《か》はしつたか、沢山《たんと》直切《ねぎ》らつしやれば可《よ》かつけな。」
「おゝ、老爺《おぢい》さんが、あの、種々《いろ/\》なものを。」
と雪枝《ゆきえ》は目《め》の覚《さ》めた顔色《かほつき》して、
「面《めん》も頭《かしら》も、お製作《こしら》へに成《な》つたんですか。……あゝ、いや、鷺《さぎ》のお手際《てぎは》を見《み》たので分《わか》る。軒《のき》に振《ぶ》ら下《さが》つた獅子頭《しゝがしら》や、狐《きつね》の面《めん》など、どんな立派《りつぱ》なものだつたか分《わか》らない。が、其《それ》に気《き》が着《つ》く了見《れうけん》なら、こんな虚気《うつけ》な、――対手《あひて》が鬼《おに》にしろ、魔《ま》にしろ、自分《じぶん》の女房《にようばう》を奪《うば》はれる馬鹿《ばか》は見《み》ない。
失礼《しつれい》ながら、そんなものは目《め》も留《と》めないで、
『采《さい》は無《な》いか。』
『お媼《ばあ》さん、あの、采《さい》はありませんか。』
と同伴《つれ》の婦《をんな》も聞《き》いたんです。」……
双六巌《すごろくいは》で振《ふ》らうと云《い》ふ、よく考《かんが》へれば夢《ゆめ》のやうなことだつた。
『一六《いちろく》、三五《さんご》の采粒《さいつぶ》かの、はい、ござります。』と隅《すみ》の壁《かべ》へ押着《おつゝ》けた、薬箪笥《くすりだんす》の古《ふる》びたやうな抽斗《ひきだし》を開《あ》けると、鼠《ねづみ》の屎《ふん》が、ぱら/\溢《こぼ》れる。其《そ》の中《なか》から、畳紙《たとうがみ》を出《だ》して、ころ/\と手《て》で揺《ゆす》りながら軒《のき》の明前《あかりさき》へ持《も》つて出《で》た。
『猪《ゐのしゝ》の牙《きば》で拵《こさ》へました、ほんに佳《い》い采《さい》でござります、御覧《ごらう》じまし。』と莞爾々々《にこ/\》しながら、掌《てのひら》を反《そ》らして載《の》せた処《ところ》を、二人《ふたり》で一個《ひとつ》づゝ取《と》つた。
采《さい》は珠《たま》のやうに見《み》えた。綺麗《きれい》に磨《みが》いたのが透通《すきとほ》るばかりに出来《でき》て、点々《ぽち/\》打《う》つた目《め》の黒《くろ》いのが、雪《ゆき》の中《なか》に影《かげ》の顕《あら》はれた、連《つらな》る山々《やま/\》、秀《ひい》でた峯《みね》、深《ふか》い谷《たに》のやうに不図《ふと》見《み》えた。
『可愛《かあい》ぢやありませんか。』
と同伴《つれ》の女《をんな》は一寸《ちよいと》摘《つま》んだが、掌《てのひら》へ据《す》え直《なほ》して、
『お媼《ばあ》さん、思《おも》ふ目《め》が出《で》ませうか。』と右《みぎ》の手《て》を蓋《ふた》で胸《むね》へつけて、ころ/\と振《ふ》つて試《み》る。
と背中《せなか》から抱《だ》き締《し》めて、づる/\と遠《とほ》くへ持《も》つて行《ゆ》かれたやうに成《な》つて、雪枝《ゆきえ》は其時《そのとき》の事《こと》を思出《おもひだ》した。
「其《そ》の時《とき》の事《こと》と言《い》ふのは、父《ちゝ》が此《こ》の土地《とち》の祠《ほこら》から持《も》つて帰《かへ》つた、あの、掌《てのひら》に秘密《ひみつ》を蔵《かく》した木像《もくざう》です。」
「おゝ、」と頷《うなづ》く、老爺《ぢい》は腕組《うでぐみ》を為《し》た肩《かた》を動《うご》かす。
「あゝ、それぢや、木彫《きぼり》の美人《びじん》が、父《ちゝ》のナイフに突刺《つきさ》されて、暖炉《ストーブ》の中《なか》に焼《や》かれた時《とき》まで、些《ちつ》とも其《そ》の秘密《ひみつ》を明《あ》かさなかつた、微妙《びめう》な音《ね》のしたものは、同一《おなじ》、此《こ》の采《さい》であつたかも知《し》れない。
時《とき》に、傍《そば》に立《た》つた家内《かない》の姿《すがた》が、其《それ》に髣髴《そつくり》だ、と思《おも》ふと、想像《さうざう》が遠《とほ》く昔《むかし》へ返《かへ》つて、不思議《ふしぎ》なもので、袖《そで》を並《なら》べたお浦《うら》の姿《すがた》が、づゝと離《はな》れて遥《はる》かな向《むか》ふへ……」
と雪枝《ゆきえ》は語《かた》つて、押遣《おしや》るやうに手《て》を振《ふ》つた。
「其時《そのとき》の事《こと》を思《おも》ふと、老爺《おぢい》さん、恁《か》う言《い》ふ内《うち》にも貴方《あなた》の身体《からだ》も遠《とほ》くへ行《ゆ》く……ふら/\と間《あひだ》が離《はな》れる。」……
而《そ》して、婆《ばあ》さんの店《みせ》なりに、お浦《うら》の身体《からだ》が向《むか》ふへ歩行《ある》いて、見《み》る間《ま》に其《それ》が、谷《たに》を隔《へだ》てた山《やま》の絶頂《ぜつちやう》へ――湧出《わきで》る雲《くも》と裏表《うらおもて》に、動《うご》かぬ霞《かすみ》の懸《かゝ》つた中《なか》へ、裙袂《すそたもと》がはら/\と夕風《ゆふかぜ》に靡《なび》きながら薄《うす》くなる。
あの辺《あたり》へ、夕暮《ゆふぐれ》の鐘《かね》が響《ひゞ》いたら、姿《すがた》が近《ちか》く戻《もど》るのだらう、――と誰《た》が言《い》ふともなく自分《じぶん》で安心《あんしん》して、益々《ます/\》以前《もと》の考《かんがへ》に耽《ふけ》つて居《ゐ》ると、榾《ほだ》を焚《た》くか、炭《すみ》を焼《や》くか、谷間《たにま》に、彼方此方《かなたこなた》、ひら/\、ひら/\と蒼白《あをじろ》い炎《ほのほ》が揚《あが》つた。
思《おも》はず彫像《てうざう》を焼《や》いた暖炉《ストーブ》の火《ひ》に心着《こゝろづ》いて、何故《なぜ》か、急《きふ》に女《をんな》の身《み》が危《あや》ぶまれて来《き》た。
『お浦《うら》。』
と呼《よ》んだが返事《へんじ》をしない。
『お浦《うら》、お浦《うら》。』と言《い》つたが、返事《へんじ》を為《し》ない。雪枝《ゆきえ》最《も》うきよろ/\し出《だ》した、其《それ》で二足三足《ふたあしみあし》づゝ、前後左右《ぜんごさいう》を、ばた/\と行《い》つたり、来《き》たり……
慌《あはたゞ》しく成《な》つて来《き》た。
第一《だいいち》、お浦《うら》ばかりぢやない、其処《そこ》に居《ゐ》た婆《ばあ》さんも見《み》えなければ、其《それ》らしい店《みせ》もない。
いや、これは可怪《おかし》いぞ。一人《ひとり》ばかり居《ゐ》ないのなら、女《をんな》が何《ど》うかしたのだらうが、店《みせ》も婆《ばあ》さんもなくなつた、とすると……前方《さき》が攫《さら》はれたのぢやなくつて、自分《じぶん》が魅《つま》まれたものらしい。
『おゝい、おゝい。』
と智恵《ちゑ》のない声《こゑ》をしながら、無暗《むやみ》に人《ひと》を呼《よ》んで、雪枝《ゆきえ》は山路《やまみち》を駆《かけ》づり廻《まは》つた。
「段々《だん/\》暗《くら》くなる、最《も》う目《め》は眩《くら》む、風《かぜ》が吹出《ふきだ》す。此《こ》の風《かぜ》は……昼間《ひるま》蒼《あを》く澄《す》んだ山《やま》の峡《かひ》から起《おこ》つて、障《さは》つて来《く》る樹《き》の枝《えだ》、岩角《いはかど》、谷間《たにあひ》に、白《しろ》い雲《くも》のちぎれて鳥《とり》の留《とま》るやうに見《み》えたのは未《ま》だ雪《ゆき》が残《のこ》つたのか、……と思《おも》ふほど横面《よこづら》を削《けづ》つて冷《つめ》たかつた。
『ま……、何処《どこ》へござらつしやる、旦那《だんな》。』
とすた/\小走《こばし》りに駆《か》けて来《き》て、背後《うしろ》から袂《たもと》を引留《ひきと》めた、山稼《やまかせ》ぎの若《わか》い男《をとこ》があつた。
『お城趾《しろあと》へ行《ゆ》かしつては成《な》りましねえだよ。日《ひ》も暮《く》れたに、当事《あてこと》もねえ。』と少《すこ》し叱《しか》つて言《い》ふ。
煙《けむり》が立《た》つて、づん/\とあがる坂《さか》一筋《ひとすぢ》、やがて、其《そ》の煙《けむり》の裙《すそ》が下伏《したぶ》せに、ぱつと拡《ひろ》がつたやうな野末《のずゑ》の処《ところ》へ掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。」
雪枝《ゆきえ》は胸《むね》を伸上《のしあ》げて、岬《みさき》が突出《つきで》た湾《わん》の外《そと》を臨《のぞ》むが如《ごと》く背後状《うしろざま》に広野《ひろの》を視《なが》めた。……東雲《しのゝめ》の雲《くも》は其《そ》の野末《のずゑ》を離《はな》れて、細《ほそ》く長《なが》く縦《たて》に蒼空《あをぞら》の糸《いと》を引《ひ》いて、上《のぼ》つて行《ゆ》く、……人《ひと》も馬《うま》も、其処《そこ》を通《とほ》つたら、ほつほつと描《ゑが》かれやう、鳥《とり》も飛《と》ばゞ見《み》えやう、――けれども天守《てんしゆ》の屋根《やね》は森《もり》が包《つゝ》んで、霞《かすみ》がくれに尚《なほ》暗《くら》い。其《そ》の上《うへ》、野《の》の果《はて》を引上《ひきあげ》る雲《くも》も此方《こなた》をさして畳《たゝ》まつて来《く》るやうで、老爺《ぢゞい》と差向《さしむか》つた中空《なかぞら》は厚《あつ》さが増《ま》す。其《そ》の濃《こ》く暗《くら》い奥《おく》から、黄金色《こがねいろ》に赤味《あかみ》の注《さ》した雲《くも》が、むく/\と湧出《わきだ》す、太陽《たいやう》は其処《そこ》まで上《のぼ》つた――汀《みぎは》の蘆《あし》の枯《か》れた葉《は》にも、さすがに薄《うす》い光《ひかり》がかゝつて、角《つの》ぐむ芽生《めばえ》もやゝ煙《けぶ》りかけた。此《こ》の煙《けむり》は月夜《つきよ》のやうに水《みづ》の上《うへ》にも這《は》ひ懸《かゝ》る。船《ふね》の焼《や》けた余波《なごり》は分解《わか》ず……唯《たゞ》陽炎《かげらふ》が頻《しきり》に形《かたち》づくりするのが分解《わか》る。――やがて、此《これ》が、野《の》の一面《いちめん》の草《くさ》を伝《つたは》つて、次第《しだい》にひら/\と、麓《ふもと》に下《お》りて遊行《ゆぎやう》しやう。……さて、日《ひ》も当《あた》れば、北国《ほくこく》の山中《さんちゆう》ながら、人里《ひとざと》の背戸《せど》垣根《かきね》に、神《かみ》が咲《さ》かせた桃《もゝ》桜《さくら》が、何処《どこ》とも無《な》く空《そら》に映《うつ》らう。まだ、朝早《あさまだ》き、天守《てんしゆ》の上《うへ》から野《の》をかけて箕《み》の形《かたち》に雲《くも》が簇《むらが》つて、処々《ところ/″\》物凄《ものすさま》じく渦《うづ》を巻《まい》て、霰《あられ》も迸《ほとばし》つて出《で》さうなのは、風《かぜ》が動《うご》かすのではない。四辺《あたり》は寂寞《ひつそり》して居《ゐ》る……峰《みね》に当《あた》り、頂《いたゞき》に障《さは》つて、山々《やま/\》のために揺《ゆ》れるのである。
雲《くも》の動《うご》く時《とき》、二人《ふたり》の形《かたち》は大《おほ》きく成《な》つた。静《じつ》とする時《とき》、渠等《かれら》の姿《すがた》は小《ちひ》さく成《な》つた。――飛騨《ひだ》の山《やま》の此《こ》のあたりは、土地《とち》が呼吸《こきう》をするのかも分《わか》らぬ。
雪枝《ゆきえ》は伸上《のびあが》つた時《とき》、膝《ひざ》を草《くさ》に支《つ》いて居《ゐ》た。
「其《そ》の時《とき》来懸《きかゝ》つたのは、何《ど》うも、此《こ》の原《はら》の、向《むか》ふの取着《とつゝき》であつたらしい。
『お城趾《しろあと》の方《はう》さ行《い》つては成《な》んねえだ。』と云《い》つて其《そ》の男《をとこ》が引取《ひきと》めました……私《わたくし》は家内《かない》の姿《すがた》を高《たか》い山《やま》の端《は》で見失《みうしな》つたが、何《ど》うも、向《むか》ふが空《そら》へ上《あが》つたのではなく、自分《じぶん》が谷底《たにそこ》へ落《お》ちてたらしい。其処《そこ》で疵《きづ》だらけに成《な》つて漸々《やう/\》出《で》て来《き》た処《ところ》が、此《こ》の取着《とつゝ》きで、以前《いぜん》夫婦《ふうふ》づれで散歩《さんぽ》に出《で》た場所《ばしよ》とは、全然《まるで》方角《はうがく》が違《ちが》う、――御存《ごぞん》じの通《とほ》り、温泉《をんせん》は左右《さいう》へ見上《みあ》げるやうな山《やま》を控《ひか》へた、ドン底《ぞこ》から湧《わ》きます。
で、婆《ばあ》さんの店《みせ》の有《あ》つたのは南《みなみ》の坂《さか》で、此《こ》の城趾《しろあと》は北《きた》の山路《やまみち》から来《く》るのでせう。
土地《とち》の男《をとこ》に様子《やうす》を聞《き》いて、
『あゝ、魅《つま》まれた……魅《つま》まれたんだ。いや、薄髯《うすひげ》の生《は》へた面《つら》で、何《なん》とも面目《めんぼく》次第《しだい》もない。』
と頻《しきり》に面目《めんもく》ながる癖《くせ》に、あは/\得意《とくい》らしい高笑《たかわら》ひを行《や》つた。家内《かない》の無事《ぶじ》を祝福《しゆくふく》する心《こゝろ》では、自分《じぶん》の魅《み》せられたのを、却《かへ》つて幸福《かうふく》だと思《おも》つて喜《よろこ》んだんです。
『豪《えら》い、東京《とうきやう》の客《きやく》を魅《だま》すのは豪儀《がうぎ》だ。ひよい、と抱《だ》いて温泉宿《をんせんやど》の屋根越《やねごし》に山《やま》を一《ひと》つ、まるで方角《はうがく》の違《ちが》つた処《ところ》へ、私《わたし》を持《も》つて来《き》た手際《てぎは》と云《い》ふのは無《な》い。何《なに》か、此《こ》の辺《へん》に、有名《いうめい》な狐《きつね》でも居《ゐ》るか。』
と酔《よ》つぱらひのやうな言《こと》を云《い》つて、ひよろ/\為《し》ながら、其《そ》の男《をとこ》に導《みちび》かれて引返《ひきかへ》す。
『狐《きつね》や狸《たぬき》ではござりましねえ、お天守《てんしゆ》にござる天狗様《てんぐさま》だのエ、時々《とき/″\》悪戯《いたづら》をさつしやります。』
『何《なに》天狗《てんぐ》。』
と云《い》ふと慌《あはたゞ》しく袂《たもと》を曳《ひ》いて、
『えゝ、大《おほき》な声《こゑ》をさつしやりますな、聞《き》こえるがのエ』と、蒼《あを》い顔《かほ》して、其《そ》の男《をとこ》は、足許《あしもと》を樹《き》の梢《こずゑ》から透《す》いて見《み》える、燈《ともしび》の影《かげ》を指《ゆびさ》したんです。」
で、其処《そこ》が温泉宿《をんせんやど》だ、と教《をし》へて、山間《やまあひ》の崖《がけ》を樹《き》の茂《しげ》つた細《ほそ》い路《みち》へ、……背負《せを》つて居《ゐ》た、丈《たけ》の伸《の》びた雑木《ざうき》の薪《まき》を、身躰《からだ》ごと横《よこ》にして、ざつと入《はい》つて行《ゆ》く。
しばらく、ざわ/\と鳴《な》つて居《ゐ》た。
急《きふ》に何《なん》だか寂《さび》しく成《な》つて、酔《ゑひ》ざめのやうな身震《みぶる》ひが出《で》た。急《いそ》いで、燈火《ともしび》を当《あて》に駆下《かけお》りる、と思《おも》ひがけず、往《ゆき》には覚《おぼ》えもない石壇《いしだん》があつて、其《それ》を下切《おりき》つた処《ところ》が宿《やど》の横《よこ》を流《なが》れる矢《や》を射《ゐ》るやうな谿河《たにがは》だつた。――驚《おどろ》いたのは、山《やま》が二《ふた》わかれの真中《まんなか》を、温泉宿《をんせんやど》を貫《つらぬ》いて流《なが》れる、其《そ》の川《かは》を、何時《いつ》の間《ま》に越《こ》へて、此《こ》の城趾《しろあと》の方《はう》へ来《き》たか少《すこ》しも覚《おぼ》えが無《な》い。
岸《きし》づたひに、岩《いは》を踏《ふ》んで後戻《あともど》りを為《し》て、橋《はし》の取着《とつゝき》の宿《やど》へ帰《かへ》つた、――此《これ》は前刻《さつき》渡《わた》つて、向《むか》ふ越《ごし》で、山路《やまみち》の方《はう》へ、あの婆《ばあ》さんの店《みせ》へ出《で》た橋《はし》だつた。
『お帰《かへ》りなさいまし。』
と向《むか》ふ廊下《らうか》から早足《はやあし》で、すた/\来懸《きかゝ》つた女中《ぢよちゆう》が一人《ひとり》、雪枝《ゆきえ》を見《み》て立停《たちと》まつた。
『御緩《ごゆつく》り様《さま》で、』と左側《ひだりがは》の、畳《たゝみ》五十畳《ごじふでふ》計《ばか》りの、だゞつ広《ぴろ》い帳場《ちやうば》、……真中《まんなか》に大《おほき》な炉《ろ》を切《き》つた、其《そ》の自在留《じざいとめ》の、ト尾鰭《をひれ》を刎《は》ねた鯉《こひ》の蔭《かげ》から、でつぷり肥《ふと》つた赤《あか》ら顔《がほ》を出《だ》して亭主《ていしゆ》が言《い》ふ。
『同伴《つれ》は帰《かへ》つたらうね。』と聞《き》いた時《とき》、雪枝《ゆきえ》は其《そ》の間違《まちがひ》の無《な》い事《こと》を信《しん》じながら、何《なん》だか胸《むね》がドキ/\した。
『奥方様《おくがたさま》で、はゝ、何《なに》や、一寸《ちよいと》お見申《みまを》せ。』と頤《あご》を向《む》けると、其処《そこ》に居《ゐ》た女中《ぢよちゆう》が、
『御一所《ごいつしよ》では無《な》かつたのでございますか。』
で、ばた/\と廊下《らうか》を、直《す》ぐに二階《にかい》へ駆上《かけあが》つた。
何故《なぜ》か雪枝《ゆきえ》は他人《たにん》を訪問《はうもん》に来《き》たやうな心持《こゝろもち》に成《な》つて、うつかり框際《かまちぎは》の広土間《ひろどま》に突立《つゝた》つて居《ゐ》た。
山路《やまみち》から、後《あと》を跟《つ》けて来《き》たらしい嵐《あらし》が、袂《たもと》をひら/\と煽《あふ》つて、颯《さつ》と炉傍《ろばた》へ吹込《ふきこ》むと、燈《ともしび》が下伏《したぶせ》に暗《くら》く成《な》つて、炉《ろ》の中《なか》が明《あかる》く燃《も》える。これが赫《くわつ》と、壁《かべ》に並《なら》んだ提灯《ちやうちん》の箱《はこ》に映《うつ》る、と温泉《いでゆ》の薫《かをり》が芬《ぷん》とした。
五六段《ごろくだん》階子《はしご》を残《のこ》して、女中《ぢよちゆう》が廊下《らうか》の高《たか》い処《ところ》へ顔《かほ》を出《だ》して、
『まだ、お帰《かへ》り遊《あそ》ばしません。』
『下《お》りて来《き》て、ちやんと申《まを》さぬかい、何《なん》ぢや、不作法《ぶさはふ》な。』と亭主《ていしゆ》が炉端《ろばた》から上睨《うはにら》みを行《や》る。
雪枝《ゆきえ》は一文字《いちもんじ》に其《そ》の前《まへ》を突切《つゝき》つて、階子段《はしごだん》を駆上《かけあが》り状《ざま》に、女中《ぢよちゆう》と摺違《すれちが》つて、
『そんな筈《はづ》は無《な》い。そんな、お前《まへ》、』と躾《たしな》めるやうに言《い》ひ/\飛上《とびあが》つたのであつた。
『それともお湯《ゆ》へお出《い》でなさいましてですか、お座敷《ざしき》には居《ゐ》らつしやいませんですよ。』と小走《こばし》りに跟《つ》いて来《く》る。
固《もと》より女中《ぢよちゆう》が串戯《ぢやうだん》を言《い》ふわけは無《な》い。居《ゐ》ないものは居《ゐ》ないので、座敷《ざしき》を見《み》ると、あとを片附《かたづ》けて掃出《はきだ》したらしく、きちんと成《な》つて、点《つ》けたての真《しん》を細《ほそ》めた台洋燈《だいらんぷ》が、影《かげ》を大《おほ》きく床《とこ》の間《ま》へ這《は》はして、片隅《かたすみ》へ二間《ふたま》に畳《たゝ》んだ六枚折《ろくまいをり》の屏風《びやうぶ》が如何《いか》にも寂《さび》しい。
而《そ》して誰《たれ》も居《ゐ》ない八畳《はちでふ》の真中《まんなか》に、其《そ》の双六巌《すごろくいは》に似《に》たと言《い》ふ紫縞《むらさきじま》の座蒲団《ざぶとん》が二枚《にまい》、対坐《さしむかひ》に据《す》えて有《あ》つたのを一目《ひとめ》見《み》ると、天窓《あたま》から水《みづ》を浴《あ》びたやうに慄然《ぞつ》とした。此処《こゝ》へも颯《さつ》と一嵐《ひとあらし》、廊下《らうか》から追《お》つて来《き》て座敷《ざしき》を吹抜《ふきぬ》けて雨戸《あまど》をカタリと鳴《な》らす。
恁《か》うして、お浦《うら》に別《わ》かれるのが極《きま》つた運命《うんめい》では無《な》からうかと思《おも》つた……
「浴室《ゆどの》だ、浴室《ゆどの》だ。見《み》ておいで。と女中《ぢよちゆう》を追遣《おひや》つて、倒《たふ》れ込《こ》むやうに部屋《へや》に入《はい》つて、廊下《らうか》を背後向《うしろむ》きに、火鉢《ひばち》に掴《つかま》つて、ぶる/\と震《ふる》へたんです。……老爺《おぢい》さん。」
と雪枝《ゆきえ》は片手《かたて》で胸《むね》を抱《だ》いた。
「亭主《ていしゆ》が上《あが》つて来《き》ました。
『えゝ、一寸《ちよいと》お引合《ひきあ》はせ申《まを》しまする。此《この》男《をとこ》が其《そ》の、明日《みやうにち》双六谷《すごろくだに》の途中《とちゆう》まで御案内《ごあんない》しまするで。さあ、主《ぬし》、お知己《ちかづき》に成《な》つて置《お》けや。』と障子《しやうじ》の蔭《かげ》に蹲《しやが》んで居《ゐ》た山男《やまをとこ》に顔《かほ》を出《だ》させる、と此《これ》が、今《いま》しがたつひ其処《そこ》まで私《わたし》を送《おく》つてくれた若《わか》いもの、……此方《こつち》は其処《そこ》どころぢや無《な》い。」
「恁《か》う成《な》ると、最《も》う外聞《ぐわいぶん》なんぞ構《かま》つては居《ゐ》られない。魅《つま》まれたか誑《たぶらか》されたか、山路《やまみち》を夢中《むちゆう》で歩行《ある》いた事《こと》を言出《いひだ》すと、皆《みな》まで恥《はぢ》を言《い》はぬ内《うち》に……其《そ》の若《わか》い男《をとこ》が半分《はんぶん》で合点《がつてん》したんです。」
さあ、亭主《ていしゆ》も飛《とん》でも無《な》い顔《かほ》をする。捜《さが》すのに、湯殿《ゆどの》や小用場《こようば》では追着《おつつ》かなく成《な》つた。
『権七《ごんしち》や、主《ぬし》は先《ま》づ、婆様《ばあさま》が店《みせ》へ走《はし》れ、旦那様《だんなさま》、早速《さつそく》人《ひと》を出《だ》しますで、お案《あん》じなさりませんやうに。主《ぬし》も働《はたら》いてくれ、さあ、来《こ》い、』
と若《わか》いものを連《つ》れて、どたばた引上《ひきあ》げる時分《じぶん》には、部屋《へや》の前《まへ》から階子段《はしごだん》の上《うへ》へ掛《か》けて、女中《ぢよちゆう》まじりに、人立《ひとだ》ちがするくらゐ、二階《にかい》も下《した》も何《なに》となく騒《さは》ぎ立《た》つ。
雨戸《あまど》を開《あ》けて欄干《らんかん》から外《そと》を見《み》ると、山気《さんき》が冷《ひやゝ》かな暗《やみ》を縫《ぬ》つて、橋《はし》の上《うへ》を提灯《ちやうちん》が二《ふた》つ三《み》つ、どや/\と人影《ひとかげ》が、道《みち》を右左《みぎひだり》へ分《わか》れて吹立《ふきた》てる風《かぜ》に飛《と》んで行《ゆ》く。
真先《まつさき》に案内者《あんないしや》権七《ごんしち》の帰《かへ》つて来《き》たのが、ものゝ半時《はんとき》と間《あひだ》は無《な》かつた。けれども、足《あし》を爪立《つまだ》つて待《ま》つて居《ゐ》る身《み》には、夜中《よなか》までかゝつたやうに思《おも》ふ。
婆《ばあ》さんに聞《き》けば、夫婦《ふうふ》づれの衆《しゆ》は、内《うち》で采粒《さいつぶ》を買《か》はつしやると、両方《りやうはう》で顔《かほ》を見合《みあ》ひながら後退《あとしざ》りをして、向《むか》ふ崖《がけ》の暗《くら》い方《はう》へ入《はい》つたまで。それからは覚《おぼ》えて居《を》らぬ。目《め》は踈《うと》し、暮方《くれがた》ではあり、やがて暗《くら》くなつて了《しま》つた、と権七《ごんしち》が言《い》ふ。
のみ、手懸《てがゝ》りは何《なん》にも無《な》い。
『矢張《やつぱり》何《なに》か私《わたし》のやうに、魅《つま》まれて路《みち》を迷《まよ》つたらうか。』
『然《さ》うでもござりやすめえ、奥様《おくさま》は、其《そ》のお前様《めえさま》を捜《さが》し歩行《ある》いて、其《それ》で未《ま》だ、お帰《かへ》りが無《な》いのでござりやせうで、天狗様《てんぐさま》も二人一所《ふたりいつしよ》に攫《さら》はつしやることは滅多《めつた》にねえ事《こと》でござります。今《いま》にお帰《かへ》りに成《な》るでござりやしやう。宿《やど》でも心配《しんぱい》をして居《を》りますで、夜一夜《よつぴて》寐《ね》ねえで捜《さが》しますで、お前様《めえさま》は、まあ、休《やす》まつしやりましたが可《よ》うござります。』
気《き》が気《き》では無《な》い。一所《いつしよ》に捜《さが》しに出《で》かけやうと言《い》ふと、いや/\山坂《やまさか》不案内《ふあんない》な客人《きやくじん》が、暗《やみ》の夜路《よみち》ぢや、崖《がけ》だ、谷《たに》だで、却《かへ》つて足手絡《あしてまと》ひに成《な》る。……案内者《あんないしや》に雇《やと》はれるものが、何《なに》も知《し》らない前《まへ》に道案内《みちあんない》を為《し》たと言《い》ふも何《なに》かの縁《えん》と思《おも》ふ。人一倍《ひといちばい》精出《せいだ》して捜《さが》さうから静《しづ》かに休《やす》め、と頼母《たのも》しく言《い》つて、すぐに又《また》下階《した》へ下《お》りた。
一時《ひとしきり》騒々《さう/″\》しかつたのが、寂寞《ひつそり》ばつたりして平時《いつも》より余計《よけい》に寂《さび》しく夜《よ》が更《ふ》ける……さあ、一分《いつぷん》、一秒《いちびやう》、血《ち》が冷《ひ》え、骨《ほね》が刻《きざ》まれる思《おも》ひ。時《とき》が経《た》てば経《た》つだけ、それだけお浦《うら》の帰《かへ》る望《のぞ》みが無《な》くなると言《い》つた勘定《かんぢやう》。九時《くじ》が十時《じふじ》、十一時《じふいちじ》を過《す》ぎても音沙汰《おとざた》が無《な》い。時々《とき/″\》、廊下《らうか》を往通《ゆきかよ》ふ女中《ぢよちゆう》が、通《とほ》りすがりに、
『何《ど》う遊《あそ》ばしたのでございませう、』
『うむ、』
『御心配《ごしんぱい》でございます。』
『あゝ、』
――返答《へんたふ》が出来《でき》ないで、溜息《ためいき》を吐《つ》く顔《かほ》を見《み》て、遁《に》げるやうに二三人《にさんにん》摺《す》り抜《ぬ》けた。
やがて十二時《じふにじ》を打《う》つた。女中《ぢよちゆう》が床《とこ》を取《と》りに来《き》て、一《ひと》つ伸《の》べて、二《ふた》つ並《なら》べやうと為《し》たので、
『そりや可《よ》からう、』と言《い》つた時《とき》は我《われ》ながら変《へん》な声《こゑ》だと思《おも》つた。……勿論《もちろん》寐《ね》もせず、枕元《まくらもと》へ例《れい》の紫縞《むらさきじま》のを摺《ず》らして、落着《おちつ》かない立膝《たてひざ》で何《なに》を聞《き》くとも無《な》く耳《みゝ》を澄《す》ますと、谿河《たにがは》の流《ながれ》がざつと響《ひゞ》くのが、落《お》ちた、流《なが》れた、打当《ぶちあ》てた、岩《いは》に砕《くだ》けた、死《しん》だ――と聞《き》こえる。
『あゝつ、』と忌《いま》はしさに手《て》で払《はら》つて、坐《すは》り直《なほ》して其処等《そこら》を|《みまは》す、と密《そつ》と座敷《ざしき》を覗《のぞ》いた女中《ぢよちゆう》が、黙《だま》つて、スーツと障子《しやうじ》を閉《し》めた。――夜《よ》が更《ふ》けて寒《さむ》からうと、深切《しんせつ》に為《し》たに違《ちがひ》ないが、未練《みれん》らしい諦《あきら》めろ、と愛想尽《あいさうつか》しを為《さ》れたやうで、赫《くわつ》と顔《かほ》が熱《あつ》くなる。
背中《せなか》がぞつと寒《さむ》く成《な》る……背後《うしろ》を見《み》る、と床《とこ》の間《ま》に袖畳《そでだゝ》みをした女《をんな》の羽織《はおり》、わがねた扱帯《しごき》、何《なに》となく色《いろ》が冷《つめた》く成《な》つて紀念《かたみ》のやうに見《み》えて来《き》た、――持主《もちぬし》が亡《な》くなると、却《かへ》つてそんなものが、手《て》ん手《で》に活《い》きて来《き》たやうに思《おも》はれて、一寸《ちよいと》触《さは》るのも憚《はゞ》かられる。
何処《どこ》か、しゆつ/\と風《かぜ》が通《とほ》る……
「うら悲《かな》しい、心細《こゝろぼそ》い、可厭《いや》な声《こゑ》で、
『お客様《きやくさま》あゝ、』
『奥様《おくさま》、』と呼《よ》ぶのが、山颪《やまおろし》の風《かぜ》に響《ひゞ》いて、耳《みゝ》へカーンと谺《こだま》を返《かへ》してズヽンと脳《なう》を抉《えぐ》る。
『お客様《きやくさま》、』
『奥方様《おくがたさま》。』……は情《なさけ》ない。少《すこ》し裏山《うらやま》へ近《ちか》く成《な》つたと思《おも》ふと、女《をんな》の声《こゑ》が交《まじ》つて、
『奥様《おくさま》やあ、』と呼《よ》んだ。ヒイと之《これ》が悲鳴《ひめい》を上《あ》げるやうで、家内《かない》が絞殺《しめころ》される叫《さけ》びに聞《き》こえる、最《も》う堪《たま》りません。
廊下《らうか》を跣足《はだし》で出《で》て、階子段《はしごだん》の上《うへ》から倒《さかさま》に帳場《ちやうば》を覗《のぞ》いて、
『御主人《ごしゆじん》、御主人《ごしゆじん》、』
と、海《うみ》が凪《な》いだ後《あと》を、ぶる/\震《ふる》へる波《なみ》のやうな畳《たゝみ》の上《うへ》に、男《をとこ》だか女《をんな》だか、二人《ふたり》ばかり打上《うちあ》げられた躰《てい》で、黒《くろ》く成《な》つて突伏《つゝぷ》した真中《まんなか》に、手酌《てじやく》でチビリ/\飲《や》つて居《ゐ》た亭主《ていしゆ》が、むつくり頭《あたま》を上《あ》げて、
『まだ御寐《およ》りませんかな。』と言《い》ひ/\四五段《しごだん》上《のぼ》つた、中途《ちゆうと》の上下《うへした》で欄干《てすり》越《ごし》に顔《かほ》を合《あ》はせた。
『又《また》入《い》れ替《かは》つて出《で》てくれたのかね、あゝ言《い》つて呼《よ》んでるのは、』
『へい、否《いゝえ》、山深《やまふか》く参《まゐ》つたのが、近廻《ちかまは》りへ引上《ひきあ》げて来《き》たでござります。』
『まだ、知《し》れんのだね、あゝして呼立《よびた》てゝ居《ゐ》るのを見《み》ると。』
『へい、何《なに》しろ、早《は》や、山《やま》も谷《たに》も数《すう》が知《し》れん処《ところ》でござりますけにな。……』
と歎息《たんそく》を為《し》たが、面《つら》を振《ふ》つて、嚏《くしやみ》をした。
『しかし、あれでござりましよ。何分《なにぶん》夜《よ》が更《ふ》けましたで、道《みち》を教《をし》へますものも明方《あけがた》まで待《ま》ちませうし、又《また》……奥方様《おくがたさま》も、何《ど》の道《みち》お草臥《くたび》れでござりませうで、いづれにも夜《よ》が明《あ》けましたら、分《わか》るに相違《さうゐ》ござりません。』
『分《わか》るつて? 死骸《しがい》か、』
『えゝ?』
『死《し》んだら其《それ》までだ。』と自棄《やけ》を言《い》つて寐床《ねどこ》へ帰《かへ》つて打倒《ぶつたふ》れた。……
『お客様《きやくさま》、』
『奥様《おくさま》、』と呼《よ》ぶのが十声《とこゑ》ばかりして、やがて、ガラ/\と門《かど》の戸《と》が大《おほ》きく鳴《な》つて開《あ》く。私《わたし》は襟《ゑり》を被《かぶ》つて耳《みゝ》を塞《ふさ》いだ! 誰《だれ》が無事《ぶじ》だ、と知《し》らせて来《き》ても、最《も》う聞《き》くまい、と拗《す》ねたやうに……勿論《もちろん》、何《なん》とも言《い》つては来《き》ません。
其癖《そのくせ》、ガラ/\と又《また》……今度《こんど》は大戸《おほど》の閉《しま》つた時《とき》は、これで、最《も》う、家内《かない》と私《わたし》は、幽明《いうめい》処《ところ》を隔《へだ》てたと思《おも》つて、思《おも》はず知《し》らず涙《なみだ》が落《お》ちた。…
ト前刻《さつき》、止《よ》せ、と云《い》つて留《と》めたけれども、其《それ》でも女中《ぢよちゆう》が伸《の》べて行《い》つた、隣《となり》の寐床《ねどこ》の、掻巻《かいまき》の袖《そで》が動《うご》いて、煽《あふ》るやうにして揺起《ゆりおこ》す。
『おゝ、』と飛附《とびつ》くやうな返事《へんじ》を為《し》て顔《かほ》を出《だ》したが、固《もと》より誰《たれ》も居《ゐ》やう筈《はず》は無《な》い。枕《まくら》ばかり寂《さび》しく丁《ちやん》とあり、木賃《きちん》で無《な》いのが尚《な》ほうら悲《かな》しい。
熟《じつ》と視詰《みつ》めて、茫乎《ぼんやり》すると、並《なら》べた寐床《ねどこ》の、家内《かない》の枕《まくら》の両傍《りやうわき》へ、する/\と草《くさ》が生《は》へて、短《みじか》いのが見《み》る/\伸《の》びると、蔽《おほ》ひかゝつて、萱《かや》とも薄《すゝき》とも蘆《あし》とも分《わか》らず……其《そ》の中《なか》へ掻巻《かいまき》がスーと消《き》える、と大《おほき》な蛇《へび》がのたりと寐《ね》て、私《わたし》の方《はう》へ鎌首《かまくび》を擡《もた》げた。ぐつたりして手足《てあし》を働《はたら》かす元気《げんき》もない。首《くび》を締《し》めて殺《ころ》さば殺《ころ》せで、這出《はひだ》すやうに頭《あたま》を突附《つきつ》けると、真黒《まつくろ》に成《な》つて小山《こやま》のやうな機関車《きくわんしや》が、づゝづと天窓《あたま》の上《うへ》を曳《ひ》いて通《とほ》ると、柔《やはらか》いものが乗《の》つたやうな気持《きもち》で、胸《むね》がふわ/\と浮上《うきあが》つて、反身《そりみ》に手足《てあし》をだらりと下《さ》げて、自分《じぶん》の身躰《からだ》が天井《てんじやう》へ附着《くつつ》く、と思《おも》ふとはつと目《め》が覚《さ》める、……夜《よ》は未《ま》だ明《あ》けないのです。
同《おな》じやうな切《せつ》ない夢《ゆめ》を、幾度《いくたび》となく続《つゞ》けて見《み》て、半死半生《はんしはんせい》の躰《てい》で漸《や》つと我《われ》に返《かへ》つた時《とき》、亭主《ていしゆ》が、
『御国許《おくにもと》へ電報《でんぱう》をお掛《か》け被成《なさ》りましては如何《いかゞ》でござりませう。』と枕許《まくらもと》に坐《すは》つて居《ゐ》ました。
『馬鹿《ばか》な。』
と一言《いちごん》のもとに卻《しりぞ》けたんです。」
「怪我《けが》、過失《あやまち》、病気《びやうき》なら格別《かくべつ》、……如何《いか》に虚気《うつけ》なればと言《い》つて、」
雪枝《ゆきえ》は老爺《ぢゞい》に此《これ》を語《かた》る時《とき》、濠端《ほりばた》の草《くさ》に胡座《あぐら》した片膝《かたひざ》に、握拳《にぎりこぶし》をぐい、と支《つ》いて腹《はら》に波立《なみた》つまで気兢《きほ》つて言《い》つた。
「女房《にようばう》が紛失《ふんしつ》した、と親類《しんるゐ》知己《ちき》へ電報《でんぱう》は掛《か》けられない。
『何《なに》しろ、最《も》う些《ちつ》と手懸《てがゝ》りの出来《でき》るまで其《それ》は見合《みあ》はせやう。』
『で、ござりまするが、念《ねん》のために、お国許《くにもと》へお知《し》らせに成《な》りましては如何《いかゞ》なもので、』
『可《いゝ》から、死骸《しがい》でも何《なん》でも見着《みつ》かつた時《とき》にせう。』
『其《そ》の、へい……死骸《しがい》が何《ど》うも、』
『何《なん》だ、死骸《しがい》が分《わか》らん。』
私《わたし》は胸《むね》が裂《さ》けるほど亭主《ていしゆ》の言葉《ことば》が気《き》に障《さは》つた。最《も》う死骸《しがい》に成《な》つてる、と言《い》つたやうな、奴《やつ》の言種《いひぐさ》が何《なん》とも以《もつ》て可忌《いまは》しい。
『己《おれ》が見着《みつ》けて持《も》つて帰《かへ》る、死骸《しがい》の来《く》るのを待《ま》つて居《を》れ。』と睨《にら》みつけて廊下《らうか》を蹴立《けた》てゝ出《で》た――帳場《ちやうば》に多人数《たにんず》寄合《よりあ》つて、草鞋穿《わらぢばき》の巡査《じゆんさ》が一人《ひとり》、框《かまち》に腰《こし》を掛《か》けて居《ゐ》たが、矢張《やつぱり》此《こ》の事《こと》に就《つ》いてらしい。
痘痕《あばた》のある柔和《にうわ》な顔《かほ》で、気《き》の毒《どく》さうに私《わたし》を見《み》た。が口《くち》も利《き》かないでフイと門《かど》を、人《ひと》から振《ふり》もぎる身躰《からだ》のやうにづん/\出掛《でか》けた。」
雲《くも》は白《しろ》く山《やま》は蒼《あを》く、風《かぜ》のやうに、水《みづ》のやうに、颯《さつ》と青《あを》く、颯《さつ》と白《しろ》く見《み》えるばかりで、黒髪《くろかみ》濃《こ》い緑《みどり》、山椿《やまつばき》の一輪《いちりん》紅色《べにいろ》をした褄《つま》に擬《まが》ふやうな色《いろ》さへ、手《て》がゝりは全然《まるで》ない。
目《め》が眩《くら》むほど腹《はら》が空《す》けば、よた/\と宿《やど》へ帰《かへ》つて、
『おい、飯《めし》を食《く》はせろ。』
で、又《また》飛出《とびだ》す、崖《がけ》も谷《たに》もほつゝき歩行《ある》く、――と雲《くも》が白《しろ》く、山《やま》が青《あを》い。……外《ほか》に見《み》えるものは何《なん》にもない。目《め》が青《あを》く脳《なう》が青《あを》く成《な》つて了《しま》つたかと思《おも》ふばかり。時々《とき/″\》黒《くろ》いものがスツスツと通《とほ》るが、犬《いぬ》だか人間《にんげん》だか差別《さべつ》がつかぬ……客人《きやくじん》は変《へん》に成《な》つた、気《き》が違《ちが》つた、と云《い》ふ声《こゑ》が嘲《あざ》ける如《ごと》く、憐《あはれ》む如《ごと》く、呟《つぶや》く如《ごと》く、また咒咀《のろ》ふ如《ごと》く耳《みゝ》に入《はい》る……
『お客様《きやくさま》、』
『奥様《おくさま》』と呼《よ》ぶのが峯《みね》から伝《つた》はる。谺《こだま》を返《かへ》して谷《たに》へカーンと響《ひゞ》く、――雲《くも》が白《しろ》く、山《やま》が青《あを》く、風《かぜ》が吹《ふ》いて水《みづ》が流《なが》れる。
『客人《きやくじん》は気《き》が違《ちが》つた、』と言《い》ふのが分《わか》る。
「可《よし》、何《なん》とでも言へ、昨日《きのふ》今日《けふ》二世《にせ》かけて契《ちぎり》を結《むす》んだ恋女房《こひにようばう》がフト掻消《かきけ》すやうに行衛《ゆくゑ》が知《し》れない。其《それ》を捜《さが》すのが狂人《きちがひ》なら、飯《めし》を食《く》ふものは皆《みな》狂気《きちがひ》、火《ひ》が熱《あつ》いと言《い》ふのも変《へん》で、水《みづ》が冷《つめた》いと思《おも》ふも可笑《をか》しい。温泉《をんせん》の湧出《わきだ》すなどは、沙汰《さた》の限《かぎ》りの狂気山《きちがひやま》だ、はゝゝはゝ、」
と雪枝《ゆきえ》は額髪《ひたひがみ》を揺《ゆす》るまで、膝《ひざ》を抱《かゝ》へて、高笑《たかわらひ》を遣《や》つた。
雲《くも》が動《うご》いて、薄日《うすび》が射《さ》して、反《そ》らした胸《むね》と、仰《あふ》いだ其《そ》の額《ひたひ》を微《かす》かに照《て》らすと、ほつと酔《よ》つたやうな色《いろ》をしたが、唇《くちびる》は白《しろ》く、目《め》は血走《ちばし》るのである。
老爺《ぢゞい》は小首《こくび》を傾《かたむ》けた。
急《きふ》に又《また》雪枝《ゆきえ》は、宛然《さながら》稚子《おさなご》の為《す》るやうに、両掌《りやうて》を双《さう》の目《め》に確《しか》と当《あ》てゝ、がつくり俯向《うつむ》く、背中《せなか》に雲《くも》の影《かげ》が暗《くら》く映《さ》した。
「其《そ》の中《うち》に四辺《あたり》が真暗《まつくら》に成《な》つた。暗《くら》く成《な》つたのは夜《よる》だらう、夜《よる》の暗《くら》さの広《ひろ》いのは、田《た》か畠《はたけ》か平地《ひらち》らしい、原《はら》かも知《し》れない……一目《ひとめ》其《そ》の際限《さいげん》の無《な》い夜《よる》の中《なか》に、墨《すみ》が染《にじ》んだやうに見《み》えたのは水《みづ》らしかつた……が、水《みづ》でも構《かま》はん、女房《にようばう》の行衛《ゆくゑ》を捜《さが》すのに、火《ひ》の中《なか》だつて厭《いと》ひは為《し》ない。づか/\踏込《ふみこ》まうとすると、
『あゝ、深《ふか》いぞ、誰《たれ》ぢや、水《みづ》へ……』
と其時《そのとき》、暗《くら》がりから、しやがれた声《こゑ》を掛《か》けて、私《わたし》を呼留《よびと》めたものがあります。
暗《やみ》に透《す》かすと、背《せ》の高《たか》い大《おほき》な坊主《ばうず》が居《ゐ》て、地《ち》から三尺《さんじやく》ばかり高《たか》い処《ところ》、宙《ちう》で胡座《あぐら》掻《か》いたも道理《だうり》、汀《みぎは》へ足代《あじろ》を組《く》んで板《いた》を渡《わた》した上《うへ》に構込《かまへこ》んで、有《あ》らう事《こと》か、出家《しゆつけ》の癖《くせ》に、……水《みづ》の中《なか》へは広《ひろ》い四手網《よつであみ》が沈《しづ》めてある。」
老爺《ぢゞい》は眉毛《まゆげ》をひくつかせた。
「はての。」
「其《そ》の入道《にふだう》の、のそ/\と身動《みうご》きするのが、暗夜《やみ》の中《なか》に、雲《くも》の裾《すそ》が低《ひく》く舞下《まひさが》つて、水《みづ》にびつしより浸染《にじ》んだやうに、ぼうと水気《すゐき》が立《た》つので、朦朧《もうろう》として見《み》えた。
『沼《ぬま》ぢや、気《き》を着《つ》けやれ』と打切《ぶつき》つたやうに言《い》ひます。
『沼《ぬま》でも海《うみ》でも、女房《にようばう》が居《ゐ》れば入《はい》らずに置《お》けない。』
苛々《いら/\》するから、此方《こつち》はふてくされで突掛《つゝかゝ》る。
と入道《にふだう》が耳《みゝ》を貫《つらぬ》いて、骨髄《こつずゐ》に徹《とほ》る事《こと》を、一言《ひとこと》。
『はゝあ、此処《こゝ》なは、御身《おみ》が内儀《ないぎ》か、』
と言《い》ふ。
『此処《こゝ》なは……私《わたし》の……女房《にようばう》だと? ……』
『おゝ、私《わし》が今《いま》出逢《であ》ふた、水底《みなぞこ》から仰向《あふむ》けに顔《かほ》を出《だ》いた婦人《をんな》の事《こと》ぢや。』
『や、溺《おぼ》れて死《し》んだか。』
とばつたり膝《ひざ》を支《つ》く、と入道《にふだう》は足代《あじろ》の上《うへ》から、蔽被《おつかぶ》さるやうに覗《のぞ》いて、
『待《ま》て、待《ま》て、死骸《しがい》を見《み》たでは無《な》い。ぢやが、正《しやう》のものでもなかつた……謂《い》はゞ影《かげ》ぢやな。声《こゑ》の有《あ》る色《いろ》の有《あ》る影法師《かげぼふし》ぢや……其《そ》のものから、御身《おみ》に逢《あ》ふて話《はな》してくれい、と私《わし》が托言《ことづけ》をされたよ。……
何《なに》かな、御身《おみ》は遠方《ゑんぱう》から、近頃《ちかごろ》此《こ》の双六《すごろく》の温泉《をんせん》へ、夫婦《ふうふ》づれで湯治《たうぢ》に来《き》て、不図《ふと》山道《やまみち》で其《そ》の内儀《ないぎ》の行衛《ゆくゑ》を失《うしな》ひ、半狂乱《はんきやうらん》に捜《さが》してござる御仁《ごじん》かな。』とつけ/\訊《たづ》ねる。
女房《にようばう》が失《う》せて半狂乱《はんきやうらん》、」
と雪枝《ゆきえ》は、思出《おもひだ》すのも、口惜《くや》しさうに歯噛《はが》みをした。
「察《さつ》して下《くだ》さい、……唯《たゞ》其《そ》の音信《たより》の聞《き》きたさに、
『えゝ、其《その》ものです』と返事《へんじ》を為《し》ました。
『やれ/\、気《き》の毒《どく》。』
とさら/\と法衣《ころも》の袖《そで》を掻合《かきあ》はせる音《おと》がして、
『私《わし》は旅《たび》のものぢやが、此《こ》の沼《ぬま》は、城《じやう》ヶ沼《ぬま》と言《い》ふげぢやよ。』
老爺《おぢい》さん、其処《そこ》は城《じやう》ヶ沼《ぬま》と言《い》ふ処《ところ》だつた。」
雪枝《ゆきえ》は息《いき》せはしく成《な》つて一息《ひといき》吐《つ》く。ト老爺《ぢい》は煙草《たばこ》を払《はた》いた。吸殻《すゐがら》の落《おち》た小草《をぐさ》の根《ね》の露《つゆ》が、油《あぶら》のやうにじり/\と鳴《な》つて、煙《けむり》が立《た》つと、ほか/\薄日《うすび》に包《つゝ》まれた。雲《くも》は稍《やゝ》薄《うす》く成《な》つたが、天守《てんしゆ》の棟《むね》は、聳《そび》え立《た》つ峯《みね》よりも空《そら》に重《おも》い。
「えゝ、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の。はあ、夢中《むちゆう》で其処《そこ》ら駆廻《かけめぐ》らしつたものと見《み》える……それは山《やま》の上《うへ》では無《な》い。お前様《めえさま》が温泉《をんせん》へ来《き》さつしやつた街道端《かいだうばた》の、田畝《たんぼ》に近《ちか》い樹林《きはやし》の中《なか》にある大《おほき》い沼《ぬま》よ。――何《なに》が、其《そ》の水《みづ》は谿河《たにがは》の流《ながれ》を堰《せ》いて溜《た》めたでは無《な》うて、昔《むかし》から此《こ》の……此処《こゝ》な濠《ほり》の水《みづ》が地《ち》の底《そこ》を通《かよ》ふと言《い》ふだね。……
お天守《てんしゆ》の下《した》へも穴《あな》が徹《とほ》つて、お城《しろ》の抜道《ぬけみち》ぢや言《い》ふ不思議《ふしぎ》な沼《ぬま》での、……私《わし》が祖父殿《おんぢいどん》が手細工《てざいく》の船《ふね》で、殿様《とのさま》の妾《めかけ》を焼《や》いたと言《い》つけ。其《そ》ん時《とき》はい、其《そ》の影《かげ》が、城《じやう》ヶ沼《ぬま》へ歴然《あり/\》と映《うつ》つて、空《そら》が真黒《まつくろ》に成《な》つたと言《い》ふだ。……其《それ》さ真個《ほんとう》か何《ど》うか分《わか》らねども、お天守《てんしゆ》の棟《むね》は、今以《いまも》つて明《あきら》かに映《うつ》るだね。水《みづ》の静《しづか》な時《とき》は大《おほき》い角《つの》の龍《りう》が底《そこ》に沈《しづ》んだやうで、風《かぜ》がさら/\と吹《ふ》く時《とき》は、胴中《どうなか》に成《な》つて水《みづ》の面《おもて》を鱗《うろこ》が走《はし》るで、お城《しろ》の様子《やうす》が覗《のぞ》けるだから、以前《いぜん》は沼《ぬま》の周囲《まはり》に御番所《ごばんしよ》が有《あ》つた。最《もつと》もはあ、殺生《せつしやう》禁制《きんせい》の場所《ばしよ》でがしたよ。
其《そ》の上《うへ》、主《ぬし》が居《ゐ》て住《す》む、と云《い》ふて、今以《いまもつ》て誰一人《たれひとり》釣《つり》をするものはねえで、鯉《こひ》鮒《ふな》の多《いか》い事《こと》。……
お前様《めえさま》が温泉《ゆ》の宿《やど》で見《み》さしつけな、囲炉裡《ゐろり》の自在留《じざいどめ》のやうな奴《やつ》さ、山蟻《やまあり》が這《は》ふやうに、ぞろ/\歩行《ある》く。
あの、沼《ぬま》へ、待《ま》たつせえ、」
と又《また》眉《まゆ》をびく/\遣《や》つた。
「四手場《よつでば》を拵《こさ》えて網《あみ》を張《は》るものは近郷近在《きんがうきんざい》、私《わし》の他《ほか》に無《な》いのぢやが、……お前様《めえさま》が見《み》さしつた、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の四手場《よつでば》の足代《あじろ》の上《うへ》の黒坊主《くろばうず》と……はてな……其《そ》の坊様《ばうさま》は大《おほき》い割《わり》に、色《いろ》が蒼《あを》ざめては居《を》らんかの。」
「あゝ、蒼《あを》ざめた、」
と雪枝《ゆきえ》は起直《おきなほ》つて言《い》つた。
「鼻《はな》の円《まる》い、額《ひたひ》の広《ひろ》い、口《くち》の大《おほき》い、……其《そ》の顔《かほ》を、然《しか》も厭《いや》な色《いろ》の火《ひ》が燃《も》えたので、暗夜《やみ》に見《み》ました。……坊主《ばうず》は狐火《きつねび》だ、と言《い》つたんです。」
「それ/\、其《そ》の坊様《ばうさま》なら、宵《よひ》の口《くち》に私《わし》が頼《たの》んで四手場《よつでば》に居《ゐ》て貰《もら》ふたのぢや……、はあ、其処《そこ》へお前様《めえさま》が行逢《ゆきあ》はしつたの。はて、どうも、妙智力《めうちりき》、旦那様《だんなさま》と私《わし》は縁《えん》が有《あ》るだね。」
「確《たしか》に師弟《してい》の縁《えん》が有《あ》ると思《おも》ひます、」
と雪枝《ゆきえ》は慇懃《ゐんぎん》に言《い》ふ。
「まあ、串戯《じやうだん》は措《お》かつせえ。……時《とき》に其《そ》の坊様《ばうさま》は何《なん》と云《い》ふでがすね。」
「えゝ、……
『私《わし》は旅《たび》から旅《たび》をふら/\と経廻《へめぐ》るものぢやが、』と坊様《ばうさま》が言《い》ふんです。
『日《ひ》が暮《く》れて此処《こゝ》を通《とほ》りかゝると、今《いま》、私《わし》が御身《おみ》に申《まを》したやうに、沼《ぬま》の水《みづ》は深《ふか》いぞ、と気《き》を注《つ》けたものがある。此《こ》の四手場《よつでば》に片膝《かたひざ》で、暗《やみ》の水《みづ》を視詰《みつ》めて居《ゐ》た老人《らうじん》ぞや。さて漁《れう》はあるか、と問《と》へば、漁《れう》は有《あ》るが、魚《さかな》は一向《いつかう》に獲《と》れぬと言《い》ふ。
希有《けう》な事《こと》を聞《き》くものぢや、其《そ》の理由《いはれ》は、と尋《たづ》ねると、老人《らうじん》の返事《へんじ》には、』
と其《そ》の坊主《ばうず》が話《はな》したんです。……ぢや、老爺《おぢい》さん――老人《らうじん》が貴下《あなた》なら、貴下《あなた》が坊主《ばうず》に話《はな》された、と云《い》ふ、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の鯉《こひ》鮒《ふな》は、網《あみ》で掬《すく》へば漁《れう》はあるが、畚《びく》に入《い》れると直《す》ぐに消《き》えて、一尾《いつぴき》も底《そこ》に留《たま》らぬ。鰌《どぜう》一尾《いつぴき》獲物《えもの》は無《な》い。無《な》いのを承知《しやうち》で、此処《こゝ》に四《よ》ツ手《で》を組《く》むと言《い》ふのは、夜《よ》が更《ふ》けると水《みづ》に沈《しづ》めた網《あみ》の中《なか》へ、何《なん》とも言《い》へない、美《うつく》しい女《をんな》が映《うつ》る。其《それ》を見《み》たい為《ため》に、独《ひと》り恁《か》うやつて構《かま》へて居《ゐ》る、……とお話《はなし》があつたやうに、其《そ》の時《とき》坊主《ばうず》から聞《き》いたんです……それは真個《ほんとう》の事《こと》ですか? 老爺《おぢい》さん。」
一切《いつさい》、事実《じじつ》だ、と老爺《ぢゞい》は答《こた》へたのである。
はじめの内《うち》、……獲《え》た魚《うを》は畚《びく》の中《なか》を途中《とちゆう》で消《き》えた。荻尾花道《をぎをばなみち》、木《き》の下路《したみち》、茄子畠《なすびばたけ》の畝《あぜ》、籔畳《やぶだゝみ》、丸木橋《まるきばし》、……城《じやう》ヶ沼《ぬま》に漁《すなど》つて、老爺《ぢゞい》が小家《こや》に帰《かへ》る途中《とちゆう》には、穴《あな》もあり、祠《ほこら》もあり、塚《つか》もある。月夜《つきよ》の陰《かげ》、銀河《ぎんが》の絶間《たえま》、暗夜《やみ》にも隈《くま》ある要害《えうがい》で、途々《みち/\》、狐《きつね》狸《たぬき》の輩《やから》に奪《うば》ひ取《と》られる、と心着《こゝろづ》き、煙草入《たばこいれ》の根附《ねつけ》が軋《きし》んで腰《こし》の骨《ほね》の痛《いた》いまで、下《した》つ腹《ぱら》に力《ちから》を籠《こ》め、気《き》を八方《はつぱう》に配《くば》つても、瞬《またゝき》をすれば、一《ひと》つ失《う》せ、鼻《はな》をかめば二《ふた》つ失《う》せ、嚏《くしやみ》をすればフイに成《な》る。……で、未《ま》だも途中《とちゆう》まで畚《びく》の重《おも》い内《うち》は張合《はりあひ》もあつた。けれども、次第《しだい》に畜生《ちくしやう》、横領《わうりやう》の威《ゐ》を奮《ふる》つて、宵《よひ》の内《うち》からちよろりと攫《さら》ふ、漁《すなど》る後《あと》から嘗《な》めて行《ゆ》く……見《み》る/\四《よ》つ手網《であみ》の網代《あじろ》の上《うへ》で、腰《こし》の周囲《まはり》から引奪《ひつたく》る。
最《もつと》も其《そ》の時《とき》は、何《なに》となく身近《みぢか》に物《もの》の襲《おそ》ひ来《く》る気勢《けはひ》がする。左《ひだり》の手《て》がびくりとする時《とき》、左《ひだり》から丁手掻《ちよつかい》で、右《みぎ》の腕《うで》がぶるつと為《す》る時《とき》、右《みぎ》の方《はう》から狙《ねら》ふらしい。頸首《ゑりくび》脊筋《せすぢ》の冷《ひや》りと為《す》るは、後《うしろ》に構《か》まへてござる奴《やつ》。天窓《あたま》から悚然《ぞつ》とするのは、惟《おも》ふに親方《おやかた》が御出張《ごしゆつちやう》かな。いや早《は》や、其《それ》と知《し》りつゝ、さつ/\と持《も》つて行《ゆ》かれる。最《もつと》も身体《からだ》を蓋《ふた》に為《し》て畚《びく》の魚《さかな》を抱《だ》いてゞも居《ゐ》れば、如何《いか》に畜生《ちくしやう》に業通《ごふつう》が有《あ》つても、まさかに骨《ほね》を徹《とほ》しては抜《ぬ》くまい、と一心《いつしん》に守《まも》つて居《ゐ》れば、沼《ぬま》の真中《まんなか》へひら/\と火《ひ》を燃《もや》す、はあ、変《へん》だわ、と気《き》が散《ち》ると、立処《たちどころ》に鯉《こひ》が失《う》せる。其《そ》の術《て》で行《ゆ》かねば、業《わざ》を変《か》へて、何処《どこ》とも知《し》らず、真夜中《まよなか》にアハヽアハヽ笑《わら》ひをる、吃驚《びつくり》すると鮒《ふな》が消《き》える、――此方《こつち》も自棄腹《やけばら》の胴《どう》を極《き》めて、少々《せう/\》脇《わき》の下《した》を擽《くすぐ》られても、堪《こら》へて静《じつ》として畚《びく》を守《まも》れば、さすが目《め》に見《み》せて、尖《とが》つた面《つら》、長《なが》い尻尾《しつぽ》は出《だ》さぬけれど、さて然《さ》うして見《み》た日《ひ》には、足代《あじろ》を組《く》んで四手《よつで》を沈《しづ》めて、身体《からだ》を張《は》つて、体《てい》よく賃無《ちんな》しで雇《やと》はれた城《じやう》ヶ沼《ぬま》の番人《ばんにん》同然《どうぜん》、寐酒《ねざけ》にも成《な》らず、一向《いつかう》に市《いち》が栄《さか》えぬ。
魚《うを》が寄《よ》ると見《み》れば、網《あみ》を揚《あ》げる、網《あみ》を両手《りやうて》で、ぐい、と引《ひ》いて、目《め》も心《こゝろ》も水《みづ》に取《と》られる時《とき》の惨憺《みじめ》さ。ガサリなどゝ音《おと》をさして、畚《びく》を俯向《うつむ》けに引繰返《ひきくりかへ》す、と這奴《しやつ》にして遣《や》らるゝはまだしもの事《こと》、捕《と》つた魚《うを》が飜然《ひらり》と刎《は》ねて、ざぶんと水《みづ》に入《はい》つてスイと泳《およ》ぐ。
余《あまり》の他愛《たあい》なさに、効無《かひな》い殺生《せつしやう》は留《やめ》にしやう、と発心《ほつしん》をした晩《ばん》、これが思切《おもひき》りの網《あみ》を引《ひ》くと、一面《いちめん》城《じやう》ヶ沼《ぬま》の水《みづ》を飜《ひるがへ》して、大四手《おほよつで》が張裂《はりさ》けるばかり縦《たて》に成《な》つて、ざつと両隅《りやうすみ》から高《たか》く星《ほし》の空《そら》へ影《かげ》が映《さ》して、沼《ぬま》の上《うへ》を離《はな》れる時《とき》、網《あみ》の目《め》を灌《そゝ》いで落《お》ちる水《みづ》の光《ひか》り、霞《かすみ》の懸《かゝ》つた大《おほき》な姿見《すがたみ》の中《なか》へ、薄《うつす》りと女《をんな》の姿《すがた》が映《うつ》つた。
「よく、はい、噂《うはさ》に聞《き》くお客様《きやくさま》が懸《かゝ》つたやうだね。恁《か》う、其《そ》の網《あみ》を引張《ひつぱ》つて、」
老爺《ぢゞい》は手《て》で掴《つか》んで腰《こし》を反《そ》らして言《い》ふのである。
「引《ひ》き懸《か》けた処《ところ》でがんしよ……鮒《ふな》一尾《いつぴき》入《はい》つた手応《てごたへ》もねえで、水《みづ》はざんざと引覆《ぶつけえ》るだもの。人間《にんげん》の突入《つゝぺえ》つた重《おも》さはねえだ。で、持《も》つたまま大揺《おほゆ》りに身躰《からだ》ごと網《あみ》を揺《ゆ》れば、矢張《やつぱり》揺《ゆ》れて、衣服《きもの》だか鰭《ひれ》だか、尾毛《しつぽ》だか、網《あみ》の中《なか》の婦《をんな》の姿《すがた》がふら/\動《うご》くだ。はて、変《へん》だと手《て》を離《はな》すと、ざぶりと沈《しづ》むだ。其《そ》の網《あみ》の底《そこ》の方《はう》……水《みづ》ン中《なか》に、ちら/\と顔《かほ》が見《み》える……其《そ》のお前様《めえさま》、白《しろ》い顔《かほ》が正的《まとも》に熟《じつ》と此方《こちら》を見《み》るだよ。
や、早《は》や其時《そのとき》は畚《びく》が足代《あじろ》を落《おつ》こちて、泥《どろ》の上《うへ》に俯向《うつむ》けだね。其奴《そいつ》が、へい、足《あし》を生《は》やして沼《ぬま》へ駆込《かけこ》まぬが見《み》つけものだで、畜生《ちくしやう》め、此《こ》の術《て》で今夜《こんや》は占《し》めをつた。
何《なん》のつけ、最《も》う二度《にど》と来《く》る事《こと》ではない、とふつ/\我《が》を折《を》つて帰《かへ》りましけえ。怪※《をかし》[#「りっしんべん+牙」、U+3909、119-16]な事《こと》には、眉《まゆ》が何《ど》う、目《め》が何《ど》う、と云《い》ふ覚《おぼえ》はねえだが、何《なん》とも言《い》はれねえ、其《そ》の女《をんな》の容色《きりやう》だで……色《いろ》も恋《こひ》も無《な》けれども、絵《ゑ》を見《み》るやうで、何《なん》とも其《そ》の、美《うつく》しさが忘《わす》れられぬ。
化《ば》けたなら化《ば》けたで可《よし》、今夜《こんや》は蛇《じや》に成《な》らうも知《し》んねえが、最《も》う一晩《ひとばん》出懸《でか》けて見《み》べい。」……
で、又《また》てく/\と沼《ぬま》へ出向《でむ》く、と一刷《ひとは》け刷《は》いた霞《かすみ》の上《うへ》へ、遠山《とほやま》の峰《みね》より高《たか》く引揚《ひきあ》げた、四手《よつで》を解《と》いて沈《しづ》めたが、何《ど》の道《みち》持《も》つては帰《かへ》られぬ獲物《えもの》なれば、断念《あきら》めて、鯉《こひ》が黄金《きん》で鮒《ふな》が銀《ぎん》でも、一向《いつかう》に気《き》に留《と》めず、水《みづ》に任《まか》せて夜《よ》を更《ふか》す。
風《かぜ》が吹《ふ》き、風《かぜ》が凪《な》ぎ、水《みづ》が動《うご》き、水《みづ》が静《しづ》まる。大沼《おほぬま》の刻限《こくげん》も、村里《むらざと》と変《かは》り無《な》う、やがて丑満《うしみつ》と思《おも》ふ、昨夜《ゆふべ》の頃《ころ》、ソレ此処《こゝ》で、と網《あみ》を取《と》つたが、其《そ》の晩《ばん》は上《うへ》へ引揚《ひきあ》げる迄《まで》もなく、足代《あじろ》の上《うへ》から水《みづ》を覗《のぞ》くと歴然《あり/\》と又《また》顔《かほ》が映《うつ》つた。
と老爺《ぢゞい》が話《はな》す。
「聞《き》かつせえまし、肩《かた》から胸《むね》の辺《あたり》まで、薄《うつす》らと見《み》えるだね、試《ため》して見《み》ろで、やつと引《ひ》き揚《あ》げると、矢張《やつぱ》り網《あみ》に懸《かゝ》つて水《みづ》を離《はな》れる……今度《こんど》は、ヤケにゆつさゆさ引振《ひつぷる》ふと、揉消《もみけ》すやうにすツと消《き》えるだ――其処《そこ》でざぶんと沈《しづ》める、と又《また》水《みづ》の中《なか》へ露《あら》はれる。……
三夜《みよさ》四夜《よよさ》と続《つゞ》いたが、何時《いつ》も其《そ》の時刻《じこく》に屹《きつ》と映《うつ》るだ。追々《おひ/\》馴染《なじみ》が度重《たびかさな》ると、へい、朝顔《あさがほ》の花《はな》打沈《ぶちしづ》めたやうに、襟《ゑり》も咽喉《のど》も色《いろ》が分《わか》つて、口《くち》で言《い》ひやうは知《し》らぬけれど、目附《めつき》なり額《ひたひ》つきなり、押魂消《おつたまげ》た別嬪《べつぴん》が、過般中《いつかぢゆう》から、同《おな》じ時分《じぶん》に、私《わし》と顔《かほ》を合《あ》はせると、水《みづ》の中《なか》で莞爾《につこり》笑《わら》ふ。……
や、其《そ》の笑顔《ゑがほ》を思《おも》ふては、地韜《ぢだんだ》踏《ふ》んで堪《こら》へても小家《こや》へは寐《ね》られぬ。雨《あめ》が降《ふ》れば簑《みの》を着《き》て、月《つき》の良《い》い夜《よ》は頬被《ほゝかぶ》り。つひ一晩《ひとばん》も欠《か》かさねえで、四手場《よつでば》も此《こ》の爺《ぢい》も、岸《きし》に居着《ゐつ》きの巌《いは》のやうだ――扨《さて》気《き》が着《つ》けばひよんな事《こと》、沼《ぬま》の主《ぬし》に魅入《みい》られた、何《なに》か前世《ぜんせ》の約束《やくそく》で、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の番人《ばんにん》に成《な》つたゞかな。何処《どこ》で死《し》ぬ身《み》と考《かんが》える、と心細《こゝろぼそ》い身《み》の上《うへ》ぢやが、何《なん》と為《し》ても思切《おもひき》れぬ……
いけ年《どし》を為《し》た爺《ぢゞい》が、女色《いろ》に迷《まよ》ふと思《おも》はつしやるな。持《も》たぬ孫《まご》の可愛《かあい》さも、見《み》ぬ極楽《ごくらく》の恋《こひ》しいも、これ、同《おな》じ事《こと》と考《かんが》えたゞね。……
さて困《こま》つたは、寒《さむ》ければ、へい、寒《さむ》し、暑《あつ》ければ暑《あつ》い身躰《からだ》ぢや、飯《めし》も食《く》へば、酒《さけ》も飲《の》むで、昼間《ひるま》寐《ね》て夜《よる》出懸《でか》けて、沼《ぬま》の姫様《ひいさま》見《み》るは可《え》えが、そればかりでは活《い》きて居《ゐ》られぬ。」
譬《たと》へば幻《まぼろし》の女《をんな》の姿《すがた》に憧《あこ》がるゝのは、老《おひ》の身《み》に取《と》り、極楽《ごくらく》を望《のぞ》むと同《おな》じと為《す》る。けれども其《そ》の姿《すがた》を見《み》やうには、……沼《ぬま》へ出掛《でか》けて、四《よ》つ手場《でば》に蹲《つくば》つて、或《ある》刻限《こくげん》まで待《ま》たねばならぬ。で、屋根《やね》から月《つき》が射《さ》すやうな訳《わけ》には行《ゆ》かない。其処《そこ》で、稼《かせ》ぎも為《せ》ず活計《くらし》も立《た》てず、夜毎《よごと》に沼《ぬま》の番《ばん》の難行《なんぎやう》は、極楽《ごくらく》へ参《まゐ》りたさに、身投《みな》げを為《す》るも同《おな》じ事《こと》、と老爺《ぢゞい》は苦笑《にがわら》ひをしながら言《い》つた。
そんなら、四《よ》つ手場《でば》を留《や》めにして、小家《こや》で草鞋《わらぢ》でも造《つく》れば可《いゝ》が、因果《いんぐわ》と然《さ》うは断念《あきら》められず、日《ひ》が暮《く》れると、そゝ髪立《がみた》つまで、早《は》や魂《たましひ》は引窓《ひきまど》から出《で》て、城《じやう》ヶ沼《ぬま》を差《さ》してふわ/\と白《しろ》い蝙蝠《かはほり》のやうに|《さまよ》ひ行《ゆ》く。
待《ま》てよ、恁《か》うまで、心《こゝろ》を曳《ひ》かるゝのは、よも尋常《たゞ》ごとでは有《あ》るまい。伝《つた》へ聞《き》く沼《ぬま》の中《なか》へは古城《こじやう》の天守《てんしゆ》が倒《さかさま》に宿《やど》る……我《わ》が祖先《そせん》の術《じゆつ》の為《ため》に、怪《あや》しき最後《さいご》を遂《と》げた婦《をんな》が、子孫《しそん》に絡《まつは》る因縁事《いんねんごと》か。其《それ》とも弔《とむ》らはれず浮《う》かばぬ霊《れい》が、無言《むごん》の中《うち》に供養《くやう》を望《のぞ》むのであらうも知《し》れぬ。独《ひと》りでは何《なに》しろ荷《に》が重《おも》い。村《むら》の誰《たれ》にかも見《み》せて、怪《あや》しさを唯《たゞ》|※《しぶき》[#「さんずい+散」、U+6F75、122-3]の如《ごと》く散《ち》らさう、と人《ひと》に告《つ》げぬのでは無《な》いけれども、昼間《ひるま》さへ、分《わ》けて夜《よる》に成《な》つて、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の三町四方《さんちやうしはう》へ寄附《よりつ》かうと言《い》ふ兄哥《せなあ》は居《を》らぬ。
殆《ほと》んど我身《わがみ》を持《も》て余《あま》した頃《ころ》の、其《そ》の夜《よ》……
「お前様《めえさま》が逢《あ》はしつた坊主《ばうず》が来《き》て、のつそり立《た》つた。や、これも怪《あや》しい。顔色《かほいろ》の蒼《あを》ざめた墨《すみ》の法衣《ころも》の、がんばり入道《にふだう》、影《かげ》の薄《うす》さも不気味《ぶきみ》な和尚《をしやう》、鯰《なまづ》でも化《ば》けたか、と思《おも》ふたが、――恁《か》く/\の次第《しだい》ぢや、御出家《ごしゆつけ》、……大方《おほかた》は亡霊《ばうれい》が廻向《えかう》を頼《たの》むであらうと思《おも》ふで、功徳《くどく》の為《た》め、丑満《うしみつ》まで此処《こゝ》にござつて引導《いんだう》を頼《たの》むでがす。――旅《たび》の疲労《つかれ》も有《あ》らつしやらうか、何《なん》なら、今夜《こんや》は私《わし》が小家《こや》へ休《やす》んで、明日《あす》の晩《ばん》にも、と言《い》ふたが、其《それ》には及《およ》ばぬ……若《も》しや、其《それ》が真実《しんじつ》なら、片時《へんし》も早《はや》く苦艱《くかん》を救《すく》ふて進《しん》ぜたい。南無南無《なむなむ》と口《くち》の裡《うち》で唱《とな》うるで、饗応振《もてなしぶり》に、藁《わら》など敷《し》いて坐《すは》らせて、足代《あじろ》の上《うへ》を黒坊主《くろばうず》と入替《いれかは》つた。
さあ、身代《みがは》りは出来《でき》たぞ! 一目《ひとめ》彼《あ》の女《をんな》を見《み》され、即座《そくざ》に法衣《ころも》を着《き》た巌《いは》と成《な》つて、一寸《いつすん》も動《うご》けまい、と暗《やみ》の夜道《よみち》を馴《な》れた道《みち》ぢや、すた/\と小家《こや》へ帰《かへ》つてのけた……
翌朝《あけのあさ》疾《はや》く握飯《にぎりめし》を拵《こしら》へ、竹《たけ》の皮《かは》包《つゝ》みに為《し》て、坊様《ばうさま》を見舞《みまひ》に行《ゆ》きつけ…靄《もや》の中《なか》に影《かげ》もねえだよ。
はあ、よもや、とは思《おも》ふたが、矢張《やつぱ》り鯰《なまづ》めが来《う》せたげな。えゝ、埒《らち》もない、と気《き》が抜《ぬ》けて、又《また》番人《ばんにん》ぢや、と落胆《がつかり》したゞが、其《そ》の晩《ばん》もう一度《いちど》行《ゆ》く、と待《ま》つとも無《な》う夜《よる》が更《ふ》けても、何時《いつも》の影《かげ》は映《うつ》らなんだ。四手《よつで》を上《あ》げても星《ほし》も懸《かゝ》らず、鬢《びん》の香《か》のする雫《しづく》も落《お》ちぬ。あゝ、引導《いんだう》を渡《わた》したな。勿躰《もつたい》ない、名僧智識《めいそうちしき》で有《あ》つたもの、と足代《あじろ》の藁《わら》を頂《いたゞ》いたゞがの、……其《それ》では、お前様《めえさま》が私《わし》の後《あと》へござつて、其《そ》の坊主《ばうず》に逢《あは》しつたものだんべい。
……までは、はあ、分《わか》つたが、私《わし》が城《じやう》ヶ沼《ぬま》の水《みづ》の映《うつ》る女《をんな》を見《み》はじめたは久《ひさし》い以前《いぜん》ぢや。お前様《めえさま》湯治《たうぢ》にござつて、奥様《おくさま》の行方《ゆきがた》が知《し》れなく成《な》つたは、つひ此《こ》の頃《ごろ》の事《こと》ではねえだか、坊様《ばうさま》は何処《どこ》で聞《き》いて、奥様《おくさま》の言《こと》づけを為《し》たゞがの。」
「其《それ》を坊様《ばうさん》が言《い》つたんです。其《そ》の出家《しゆつけ》の言《い》ふには、
『……人《ひと》は知《し》らぬが、此処《こゝ》に居《ゐ》た老人《らうじん》に、水《みづ》の中《なか》へ姿《すがた》を顕《あら》はす幻《まぼろし》の婦《をんな》に廻向《えかう》を、と頼《たの》まれて、出家《しゆつけ》の役《やく》ぢや、……宵《よひ》から念仏《ねんぶつ》を唱《とな》へて待《ま》つ、と時刻《じこく》が来《き》た。
大沼《おほぬま》の水《みづ》は唯《たゞ》、風《かぜ》にも成《な》らず雨《あめ》にも成《な》らぬ、灰色《はいいろ》の雲《くも》の倒《たふ》れた広《ひろ》い亡体《なきがら》のやうに見《み》えたのが、汀《みぎは》からはじめて、ひた/\と呼吸《いき》をし出《だ》した。ひた/\と言《い》ひ出《だ》した。幽《かすか》にひた/\と鳴出《なりだ》した。
町方《まちかた》、里近《さとちか》の川《かは》は、真夜中《まよなか》に成《な》ると流《ながれ》の音《おと》が留《や》むと言《い》ふが反対《あべこべ》ぢやな。此《こ》の沼《ぬま》は、其時分《そのじぶん》から動《うご》き出《だ》す……呼吸《いき》が全躰《ぜんたい》に通《かよ》ふたら、真中《まんなか》から、むつくと起《お》きて、どつと洪水《こうずゐ》に成《な》りはせぬかと思《おも》ふ物凄《ものすご》さぢや。
と其《そ》の中《なか》に何《なに》やら声《こゑ》がする。』……と坊主《ばうず》が言《い》ひます。」
其《そ》の声《こゑ》が、五位鷺《ごゐさぎ》の、げつく、げつくとも聞《き》こえれば、狐《きつね》の叫《さけ》ぶやうでもあるし、鼬《いたち》がキチ/\と歯《は》ぎしりする、勘走《かんばし》つたのも交《まざ》つた。然《さ》うかと思《おも》ふと、遠《とほ》い国《くに》から鐘《かね》の音《ね》が響《ひゞ》いて来《く》るか、とも聞取《きゝと》られて、何《なん》となく其処等《そこら》ががや/\し出《だ》す……雑多《ざつた》な声《こゑ》を袋《ふくろ》に入《い》れて、虚空《こくう》から沼《ぬま》の上《うへ》へ、口《くち》を弛《ゆる》めて、わや/\と打撒《ぶちま》けたやうに思《おも》ふと、
『血《ち》を洗《あら》へ、』
『洗《あら》へ』
『人間《にんげん》の血《ち》を洗《あら》へ。』
『笘《しもと》で破《やぶ》つた。』
『鞭《むち》で切《き》つた。』
『爪《つめ》で裂《さ》いた。』
『膚《はだ》を浄《きよ》めろ、』
『浄《きよ》めろ。』
と高《たか》く低《ひく》く、声々《こゑ/″\》に大沼《おほぬま》のひた/\と鳴《な》るのが交《まざ》つて、暗夜《あんや》を刻《きざ》んで響《ひゞ》いたが、雲《くも》から下《お》りたか、水《みづ》から湧《わ》いたか、沼《ぬま》の真中《まんなか》あたりへ薄《うす》い煙《けむり》が朦朧《もうろう》と靡《なび》いて立《た》つ……
『煮殺《にころ》すではないぞ。』
『うでるでない。』と言《い》ふ。
『湯加減《ゆかげん》、湯加減《ゆかげん》、』
『水加減《みづかげん》。』と喚《わめ》いた……
『沼《ぬま》の湯《ゆ》は熱《あつ》いか。』とぼやけた音《おん》で聞《き》くのがある……
『熱湯《ねつたう》。』と簡単《かんたん》に答《こた》へた。
『人間《にんげん》は知《し》るまいな。』
『知《し》るものか。』と傲然《がうぜん》とした調子《てうし》で言《い》つた。
『沼《ぬま》から何《なん》で沸湯《にえゆ》が出《で》る。』
『此《こ》の湯《ゆ》が沸《わ》いて殺《ころ》さぬと、魚《うを》が殖《ふ》へて水《みづ》が無《な》くなる、沼《ぬま》が乾《かは》くわ。』
と言《い》つた。
『※舌《しやべ》[#「口+堯」、U+5635、125-7]るな、働《はたら》け。』
『血《ち》を洗《あら》へ、』
『傷《きづ》を洗《あら》へ』
『小袖《こそで》を剥《は》がせ』
『此《こ》の紫《むらさき》は?』
『菖蒲《あやめ》よ、藤《ふぢ》よ。』
『帯《おび》が長《なが》いぞ。』
『蔦《つた》、桂《かつら》、山鳥《やまどり》の尾《を》よ。』
『下着《したぎ》も奪《うば》へ、』
『此《こ》の紅《くれなゐ》は、』
『もみぢ、花《はな》。』
『やあ、此《こ》の膚《はだえ》は、』
『山陰《やまかげ》の雪《ゆき》だ。』
ひいツ、と魂消《たまぎ》つて悲鳴《ひめい》を上《あ》げた、糸《いと》のやうな女《をんな》の声《こゑ》が谺《こだま》を返《かへ》して沼《ぬま》に響《ひゞ》いた。
坊主《ばうず》が此処《こゝ》まで言《い》つた時《とき》、聞《き》いてた私《わたし》は熱鉄《ねつてつ》のやうな汗《あせ》が流《なが》れた。」
と雪枝《ゆきえ》は老爺《ぢゞい》に語《かた》りながら唇《くちびる》を戦《おのゝ》かせて、
「尚《な》ほ坊主《ばうず》が続《つゞ》けて、話《はな》す。
さあ何《なに》ものかゞ寄《よ》つて集《たか》つて、誰《たれ》かを白裸《まるはだか》にした、と思《おも》へば、
『犬《いぬ》よ、犬《いぬ》よ。』と呼《よ》んだのがある。
びやう、びやう、うおゝ、うおゝ、うゝ、と遥《はる》かに犬《いぬ》が長吠《ながぼえ》して、可忌《いまは》しく夜陰《やいん》を貫《つらぬ》いたが、瞬《またゝ》く間《ま》に、里《さと》の方《はう》から、風《かぜ》のやうに颯《さつ》と来《き》て、背後《うしろ》から、足代場《あじろば》の上《うへ》に蹲《うづくま》つた――法衣《ころも》の袖《そで》を掠《かす》めて飛《と》んだ、トタンに腥《なまぐさ》い獣《けもの》の香《にほひ》がした。
水《みづ》の上《うへ》で、わん、わん、と啼《な》く……
『男《をとこ》は知《し》るまい。』
『うゝ、』と犬《いぬ》の声《こゑ》。
『不便《ふびん》な奴《やつ》だ。』
『びやう、』と又《また》啼《な》いた。
此《こ》の間《あひだ》、ざぶり/\と水《みづ》を懸《か》ける音《おと》が頻《しきり》にした。
『やがて可《い》いか、』
『血《ち》は留《と》まつた。』
『又《また》鞭打《むちう》つて、』
『又《また》洗《あら》はう。』
『やあ、己《おれ》が手《て》、』
『我《わ》が足《あし》、』
『此《こ》の面《つら》に絡《まつ》はるは。』
『水《みづ》に拡《ひろ》がる黒髪《くろかみ》ぢや、』
『山《やま》の婆々《ばゞ》の白髪《しらが》のやうに、すく/\と痛《いた》うは刺《さ》さぬ。』
『蛇《へび》よりは心地《こゝち》よやな。』と次第《しだい》に声《こゑ》が風《かぜ》に乗《の》り行《ゆ》く……
びやう/\と凄《すご》い声《こゑ》で、形《かたち》は見《み》えず、沼《ぬま》の上《うへ》で空《そら》ざまに犬《いぬ》が啼《な》く。
『犬《いぬ》よ、犬《いぬ》よ。』
『おう。』と吠《ほ》えた。
『人間《にんげん》の目《め》には見《み》えぬ……城山《しろやま》の天守《てんしゆ》の上《うへ》に、女《をんな》は梁《うつばり》から釣《つる》して置《お》く、と男《をとこ》に言《い》へ!』
『何《なに》が、彼《あ》の耳《みゝ》へ入《はい》らう。』
『わん、と啼《な》いたら、犬《いぬ》だと思《おも》はう、彼《あ》の痴漢《たわけ》が。』
と嘲《あざけ》る声《こゑ》。傍《かたはら》から老《ふ》けた声《こゑ》して、
『……其《そ》の言附《ことづけ》は、犬《いぬ》では不可《いか》ぬ。時鳥《ほとゝぎす》に一声《ひとこゑ》啼《な》かせろ。』
『まだ/\、まだ/\、山《やま》の中《なか》の約束《やくそく》は、人間《にんげん》のやうに間違《まちが》はぬ。今《いま》は未《ま》だ時鳥《ほとゝぎす》の啼《な》く時節《じせつ》で無《な》い。』
『唯《たゞ》姿《すがた》だけ見《み》せれば可《い》い。温泉宿《ゆのやど》の二階《にかい》は高《たか》し。あの欄干《らんかん》から飛込《とびこ》ませろ、……女房《にようばう》は帰《かへ》らぬぞ、女房《にようばう》は帰《かへ》らぬぞ、と羽《はね》で天井《てんじやう》をばさばさ遣《や》らせろ。』
『男《をとこ》は、女《をんな》の魂《たましひ》が時鳥《ほとゝぎす》に成《な》つた夢《ゆめ》を見《み》て、白《しろ》い毛布《けつと》で包《つゝ》んで取《と》らうと血眼《ちまなこ》で追駆《おつか》け回《まは》さう……寐惚面《ねぼけづら》見《み》るやうだ。』
どつと笑《わら》つて、天守《てんしゆ》の方《はう》へ消《き》えた後《あと》は、颯々《さつ/\》と風《かぜ》に成《な》つた。
が、田畠野《たばたけの》の空《そら》を、山《やま》の端《は》差《さ》して、何《なん》となく暗《やみ》ながら雲《くも》がむくむくと通《とほ》つて行《ゆ》く。其《そ》の気勢《けはひ》が、やがて昼間《ひるま》見《み》た天守《てんしゆ》の棟《むね》の上《うへ》に着《つ》いた程《ほど》に、ドヽンと凄《すご》い音《おと》がして、足代《あじろ》に乗《の》つた目《め》の下《した》、老人《らうじん》が沈《しづ》めて去《い》つた四《よ》つ手網《であみ》の真中《まんなか》あたりへ、したゝかな物《もの》の落《お》ちた音《おと》。水《みづ》が環《わ》に成《な》つて、颯《さつ》と網《あみ》を乗出《のりだ》して展《ひろ》げた中《なか》へ、天守《てんしゆ》の影《かげ》が、壁《かべ》も仄白《ほのじろ》く見《み》えるまで、三重《さんぢう》あたりを樹《き》の梢《こずゑ》に囲《かこ》まれながら、歴然《あり/\》と映《うつ》つて出《で》た。
不思議《ふしぎ》や、其《そ》の天守《てんしゆ》の壁《かべ》を透《す》いて、中《なか》に灯《ひ》を点《つ》けたやうに、魚《うを》の形《かたち》した黄色《きいろ》い明《あかり》のひら/\するのが、矢間《やざま》の間《あひ》から、深《ふか》い処《ところ》に横開《よこひら》けで、網《あみ》の目《め》が映《うつ》るのか凡《およ》そ五十畳《ごじふでう》ばかりの広間《ひろま》が、水底《みずそこ》から水面《すゐめん》へ、斜《なゝめ》に立懸《たてか》けたやうに成《な》つて、ふわ/\と動《うご》いて見《み》える。
他《ほか》に何《なに》も無《な》く誰《だれ》も居《を》らぬ。灯《あかり》唯《たゞ》一《ひと》つ有《あ》る。其《そ》の灯《あかり》が、背中《せなか》から淡《あは》く射《さ》して、真白《まつしろ》な乳《ちゝ》の下《した》を透《すか》す、……帯《おび》のあたりが、薄青《うすあを》く水《みづ》に成《な》つて、ゆら/\と流《なが》れるやうな、下《した》が裙《すそ》に成《な》つて、一寸《ちよつと》灯《ひ》の影《かげ》で胴《どう》から切《き》れた形《かたち》で、胸《むね》を反《そ》らした、顔《かほ》を仰向《あふむ》けに、悚然《ぞつ》とするやうな美《うつくし》い婦《をんな》。
処《ところ》で、水《みづ》へ映《うつ》る影《かげ》と言《い》へば、我《わ》が面影《おもかげ》を覗《のぞ》くやうに、沼《ぬま》に向《むか》つて、顔《かほ》を合《あ》はせるやうに見《み》えるのであらう、と思《おも》ふたが違《ちが》う。――黒髪《くろかみ》が岸《きし》へ、足《あし》が彼方《かなた》へ、たとへば向《むか》ふの汀《みぎは》から影《かげ》が映《さ》すのを、倒《さかさま》に視《なが》める形《かたち》。つく/″\と見《み》れば無残《むざん》や、形《かたち》のない声《こゑ》が言交《いひか》はした如《ごと》く、頭《かしら》が畳《たゝみ》の上《うへ》へ離《はな》れ、裙《すそ》が梁《うつばり》にも留《と》まらずに上《うへ》から倒《さかさま》に釣《つる》して有《あ》る……
と身《み》を悶《もが》くか水《みづ》が揺《ゆ》れるか、わな/\と姿《すがた》が戦《おのゝ》く――天守《てんしゆ》の影《かげ》の天井《てんじやう》から真黒《まつくろ》な雫《しづく》が落《お》ちて、其《そ》の手足《てあし》に懸《かゝ》つて、其《そ》のまゝ髪《かみ》の毛《け》を伝《つた》ふやうに、長《なが》く成《な》つて、下《した》へぽた/\と落《お》ちて、ずらりと伸《の》びて、廻《まは》りつ畝《うね》りつするのを、魚《うを》の泳《およ》ぐのか、と思《おも》ふと幾条《いくすぢ》かの蛇《へび》で、梁《うつばり》にでも巣《す》をくつて居《ゐ》るらしい。
然《さ》うかと思《おも》ふと、膝《ひざ》のあたりを、のそ/\と山猫《やまねこ》が這《は》つて通《とほ》る。階子《はしご》の下《した》から上《あが》つて来《く》るらしく、海豚《いるか》が躍《をど》るやうな影法師《かげぼふし》は狐《きつね》で。ひよいと飛上《とびあが》るのもあれば、ぐる/\と歩行《ある》き廻《まは》るのもあるし、胴《どう》を伸《の》ばして矢間《やざま》から衝《つ》と出《で》て、天守《てんしゆ》の棟《むね》で鯱立《しやちほこだ》ちに成《な》るのも見《み》える。
時々《とき/″\》ひら/\と烏《からす》が出《で》て、翼《つばさ》で、女《をんな》の胸《むね》を払《はた》く……
中《なか》に見《み》る目《め》も恐《おそろ》しかつたは、――茶《ちや》と白大斑《しろおほまだら》の獣《けもの》が一頭《いつとう》、天守《てんしゆ》の階子《はしご》を、のし/\と、蹄《ひづめ》で蹈《ふ》んで上《あが》つて、畳《たゝみ》を抱《だ》いて人《ひと》のやうに立上《たちあが》つた影法師《かげぼふし》が、女《をんな》の上《うへ》を横《よこ》に通《とほ》ると、姿《すがた》は隠《かく》れて、颯《さつ》と蒼《あを》く成《な》つた面影《おもかげ》と、ちらりと白《しろ》い爪尖《つまさき》ばかりの残《のこ》つた時《とき》で――獣《けもの》が頓《やが》て消《き》えたと思《おも》ふと、胸《むね》を映《うつ》した影《かげ》が波立《なみだ》ち、髪《かみ》を宿《やど》した水《みづ》が動《うご》いた……
『御身《おみ》が女房《にようばう》の光景《ありさま》ぢや。』と坊主《ばうず》が私《わたし》の顔《かほ》の前《まへ》へ、何故《なぜ》か大《おほき》な掌《てのひら》を開《ひら》けて出《だ》した。」
「私《わたし》は息《いき》を引《ひ》いて退《すさ》つたんです。」と雪枝《ゆきえ》は尚《な》ほ語《かた》り続《つゞ》けた。
「……水《みづ》の中《なか》からともなく、空《そら》からともなく、幽《かすか》に細々《ほそ/″\》とした消《き》えるやうな、少《わか》い女《をんな》の声《こゑ》で、出家《しゆつけ》を呼《よ》んだ、と言《い》ひます。
而《そ》して、百年《ひやくねん》以来《いらい》、天守《てんしゆ》に棲《す》む或《ある》怪《あやし》いものゝ手《て》を攫《さら》はれて、今《いま》見《み》らるゝ通《とほ》りの苦艱《くげん》を受《う》ける……何《なに》とぞ此《こ》の趣《おもむき》を、温泉《をんせん》に今《いま》も逗留《とうりう》する夫《をつと》に伝《つた》へて、寸時《すんじ》も早《はや》く人間界《にんげんかい》に助《たす》けられたい。救《すく》ふには、天守《てんしゆ》の主人《あるじ》が満足《まんぞく》する、自分《じぶん》の身代《みがは》りに成《な》るほどな、木彫《きぼり》の像《ざう》を、夫《をつと》の手《て》で刻《きざ》んで償《つくな》ふ事《こと》で。其《そ》の他《ほか》に助《たす》かる術《すべ》はない……とあつた。
『都《みやこ》の人《ひと》、唯《たゞ》私《わし》が口《くち》から言《い》ふたでは、余《あまり》の事《こと》に真《まこと》とされまい。……あはれな犠牲《いけにえ》の婦人《をんな》も、唯《たゞ》恁《か》う申《まを》したばかりでは、夫《をつと》も心《こゝろ》に疑《うたが》ひませう……今《いま》其《そ》の印《しるし》を、と言《い》ふてな、色《いろ》は褪《あ》せたが、可愛《かあい》い唇《くちびる》を動《うご》かすと、白歯《しらは》に啣《くは》えたものがある。白魚《しらうを》の目《め》のやうな黒《くろ》い点々《ぽち/\》が一《ひと》つ見《み》えた……口《くち》からは不躾《ぶしつけ》ながら、見《み》らるゝ通《とほ》り縛《いまし》めの後手《うしろで》なれば、指《ゆび》さへ随意《まゝ》には動《うご》かされず……あゝ、苦《くる》しい。と総身《そうしん》を震《ふる》はして、小《ちひ》さな口《くち》を切《せつ》なさうに曲《ゆが》めて開《あ》けると、煽《あふ》つ水《みづ》に掻乱《かきみだ》されて影《かげ》が消《き》えた。戞然《かちり》と音《おと》して足代《あじろ》の上《うへ》へ、大空《おほぞら》からハタと落《お》ちて来《き》たものがある……手《て》に取《と》ると霰《あられ》のやうに冷《つめ》たかつたが、消《き》えも解《と》けもしないで、破《やぶ》れ法衣《ごろも》の袖《そで》に残《のこ》つた。
『印《しるし》はこれぢや。』
と私《わたし》の掌《てのひら》を開《あ》けさせて、ころりと振《ふ》つて乗《の》せたのは、忘《わす》れもしない、双六谷《すごろくだに》で、夫婦《ふうふ》が未来《みらい》の有無《ありなし》を賭《かけ》為《し》やうと思《おも》つて買《か》つた采《さい》だつたんです。
『都《みやこ》の人《ひと》、』
と坊主《ばうず》は又《また》更《あらた》めて、
『御身《おんみ》は木彫《きぼり》を行《や》るかな。』
『行《や》ります!』
と答《こた》へた時《とき》、私《わたし》は蘇生《よみがへ》つたやうに思《おも》つた。水《みづ》も白《しろ》く夜《よ》も明《あかる》く成《な》つた……お浦《うら》の行方《ゆくへ》も知《し》れ、其《そ》の在所《ありか》も分《わか》り、草鞋《わらぢ》や松明《たいまつ》で探《さぐ》つた処《ところ》で、所詮《しよせん》無駄《むだ》だと断念《あきらめ》も着《つ》く……其《それ》に、魔物《まもの》の手《て》から女房《にようばう》を取返《とりかへ》す手段《しゆだん》も出来《でき》た。我《わ》が手《て》に身代《みがはり》の像《ざう》を作《つく》れと云《い》ふ。敢《あへ》て黄金《こがね》を積《つ》め、山《やま》を崩《くづ》せ、と命《めい》ずるのでは無《な》いから、前途《ぜんと》に光明《くわうめい》が輝《かゞや》いて、心《こゝろ》は早《は》や明《あきら》かに渠《かれ》を救《すく》ふ途《みち》の第一歩《だいいつぽ》を辿《たど》り得《え》た。
草《くさ》を開《ひら》いて、天守《てんしゆ》に昇《のぼ》る路《みち》も一筋《ひとすぢ》、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の水《みづ》を灌《そゝ》いで、野山《のやま》をかけて流《なが》すやうに足許《あしもと》から動《うご》いて見《み》える。
我《わ》が妻《つま》、聞《き》くが如《ごと》くんば、御身《おんみ》は肉《にく》を裂《さ》かれ、我《われ》は腸《はらわた》を断《た》つ。相較《あひくら》べて劣《おと》りはせじ。堪《こら》へよ、暫時《しばし》、製作《せいさく》に骨《ほね》を削《けづ》り、血《ち》を灌《そゝ》いで、…其《そ》の苦痛《くつう》を償《つくな》はう、と城《じやう》ヶ沼《ぬま》に対《たい》して、瞑目《めいもく》し、振返《ふりかへ》つて、天守《てんしゆ》の空《そら》に高《たか》く両手《りやうて》を翳《かざ》して誓《ちか》つた。
其《そ》の時《とき》、お浦《うら》が唇《くちびる》を開《ひら》いて、僧《そう》の手《て》に落《おと》したと云《い》ふ、猪《ゐのしゝ》の牙《きば》の采《さい》を自分《じぶん》の口《くち》に含《ふく》んで居《ゐ》た。が、同《おな》じ舌《した》の尖《さき》に触《ふ》れた、と思《おも》ふと血《ち》を絞《しぼ》つて湧《わ》き出《い》づる火《ひ》のやうな涙《なみだ》とゝもに、ほろり、と采《さい》が手《て》に落《お》ちた。其《そ》の掌《たなごゝろ》を忘《わす》るゝばかり心《こゝろ》を詰《つ》めて握占《にぎりし》めた時《とき》、花《はな》の輪《わ》が渦《うづま》くやうに製作《せいさく》の興《きよう》が湧《わ》いた。――閉《と》づる、又《また》開《ひら》く、扇《あふぎ》の要《かなめ》を思着《おもひつ》いた、骨《ほね》あれば筋《すぢ》あれば、手《て》も動《うご》かう、足《あし》も伸《の》びやう……風《かぜ》ある如《ごと》く言《ものい》はう…と早《は》や我《わ》が作《つく》る木彫《きぼり》の像《ざう》は、活《い》きて動《うご》いて、我《わ》が身《み》ながらも頼母《たのも》しい。さて其《そ》の要《かなめ》は、……手《て》に握《にぎ》つた采《さい》であつた。
天《てん》が命《めい》じて、我《われ》をして為《な》さしむる、我《わ》が作《な》す美女《たをやめ》の立像《りつざう》は、其《そ》の掌《てのひら》に采《さい》を包《つゝ》んで、作《さく》の神秘《しんぴ》を胸《むね》に籠《こ》めやう。言《い》ふまでも無《な》く、其《そ》の面影《おもかげ》、其《そ》の姿《すがた》は、古城《こじやう》の天守《てんしゆ》の囚《とりこ》と成《な》つた、最惜《いとをし》い妻《つま》を其《そ》のまゝ、と豁然《くわつぜん》として悟《さと》ると同時《どうじ》に、腕《うで》には斧《をの》を取《と》る力《ちから》が籠《こも》つて、指《ゆび》と指《ゆび》とは鑿《のみ》を持《も》たうとして自然《ひとり》で動《うご》く――時《とき》なる哉《かな》、作《さく》の頭《こうべ》に飾《かざ》るが如《ごと》く、雲《くも》を破《やぶ》つて、晃々《きら/\》と星《ほし》が映《うつ》つた。
星《ほし》の下《した》を飛《と》んで帰《かへ》つて、温泉《いでゆ》の宿《やど》で、早《は》や準備《じゆんび》を、と足《あし》が浮《う》く、と最《も》う遠《とほ》く離《はな》れた谿河《たにがは》の流《ながれ》が、砥石《といし》を洗《あら》ふ響《ひゞき》を伝《つた》へる。
然《さ》うすると、心《こゝろ》に刻《きざ》んで、想像《さうざう》に製《つく》り上《あ》げた……城《しろ》の俘虜《とりこ》を模型《もけい》と為《し》た彫像《てうざう》が、一団《いちだん》の雪《ゆき》の如《ごと》く、沼縁《ぬまべり》にすらりと立《た》つ。手《て》を伸《の》べよ、と思《おも》へば伸《の》べ、乳《ちゝ》を蔽《おほ》へと思《おも》へば蔽《おほ》ひ、髪《かみ》を乱《みだ》せと思《おも》へば乱《みだ》れ、結《むす》べよ、と思《おも》へば結《むす》ばる――さて、衣《きぬ》を着《き》せやうと思《おも》へば着《き》る。
作《さく》の出来栄《できばえ》を予想《よさう》して、放《はな》つ薫《かほり》、閃《ひら》めく光《ひかり》の如《ごと》く眼前《がんぜん》に露《あら》はれた此《こ》の彫像《てうざう》の幻影《げんえい》は、悪魔《あくま》が手《て》に、帯《おび》を奪《うば》はうとして、成《な》らず、衣《きぬ》を解《と》かうとして、得《え》ず、縛《いまし》められても悩《なや》まず、鞭《むちう》つても痛《いた》まず、恐《おそ》らく火《ひ》にも焼《や》けず、水《みづ》にも溺《おぼ》れまい。
見《み》よ/\、同《おな》じ幻《まぼろし》ながら、此《こ》の影《かげ》は出家《しゆつけ》の口《くち》より伝《つた》へられたやうな、倒《さかさま》に梁《うつばり》に釣《つる》される、繊弱《かよは》い可哀《あはれ》なものでは無《な》い。真直《まつすぐ》に、正《たゞ》しく、美《うるは》しく立《た》つ。あゝ、玉《たま》の如《ごと》き肩《かた》に、柳《やなぎ》の如《ごと》き黒髪《くろかみ》よ、白百合《しろゆり》の如《ごと》き胸《むね》よ、と恍惚《くわうこつ》と我《われ》を忘《わす》れて、偉大《ゐだい》なる力《ちから》は、我《わ》が手《て》に作《つく》らるべき此《こ》の佳作《かさく》を得《え》むが為《た》め、良匠《りようしやう》の精力《せいりよく》をして短《みじか》き時間《じかん》に尽《つく》さしむべく、然《しか》も其《そ》の労力《らうりよく》に仕払《しはら》ふべき、報酬《はうしう》の量《りやう》の莫大《ばくだい》なるに苦《くるし》んで、生命《いのち》にも代《か》へて最惜《いとをし》む恋人《こひびと》を仮《かり》に奪《うば》ふて、交換《かうくわん》すべき条件《でうけん》に充《あ》つる人質《ひとじち》と為《し》たに相違《さうゐ》ない。
卑怯《ひけう》なる哉《かな》、土地祇《とちのかみ》、……実《まこと》に雪枝《ゆきえ》が製作《せいさく》の美人《びじん》を求《もと》めば、礼《れい》を厚《あつ》くして来《きた》り請《こ》はずや。もし其《そ》の代価《だいか》に苦《くるし》むとならば、玉《たま》を捧《さゝ》げよ、能《あた》はずんば鉱石《くわうせき》を捧《さゝ》げよ、能《あた》はずんば巌《いはほ》を欠《か》いて来《きた》り捧《さゝ》げよ。一枝《ひとえだ》の桂《かつら》を折《を》れ、一輪《いちりん》の花《はな》を摘《つ》め。奚《なん》ぞみだりに妻《つま》に仇《あだ》して、我《われ》をして避《さ》くるに処《ところ》なく、辞《じ》するに其《そ》の術《すべ》なからしむる。……汝等《なんじら》、此処《こゝ》に、立処《たちどころ》に作品《さくひん》の影《かげ》の顕《あら》はれたる此《こ》の幻《まぼろし》の姿《すがた》に対《たい》して、其《そ》の礼《れい》無《な》きを恥《は》ぢざるや……
と背後《うしろ》から視《なが》めて意気《いき》昂《あが》つて、腕《うで》を拱《こまぬ》いて、虚空《こくう》を睨《にら》んだ。腰《こし》には、暗夜《あんや》を切《き》つて、直《たゞ》ちに木像《もくざう》の美女《たをやめ》とすべき、一口《ひとふり》の宝刀《ほうたう》を佩《お》びたる如《ごと》く、其《そ》の威力《ゐりよく》に脚《あし》を踏《ふ》んで、胸《むね》を反《そ》らした。
「本気《ほんき》の沙汰《さた》ではない、世《よ》にあるまじき呵責《かしやく》の苦痛《くつう》を受《う》けて居《ゐ》る、女房《にようばう》の音信《おとづれ》を聞《き》いて、赫《くわつ》と成《な》つて気《き》が違《ちが》つたんです。」
我《われ》と我《わ》が想像《さうざう》に酔《よ》つて、見惚《みと》れた玉《たま》の膚《はだえ》の背《せなか》を透《とほ》して、坊主《ばうず》の黒《くろ》い法衣《ころも》が映《うつ》る、と水《みづ》の中《なか》に天守《てんしゆ》の梁《うつばり》に釣下《つりさ》げられた、其《そ》の姿《すがた》を獣《けもの》の襲《おそ》ふ、其《そ》の俤《おもかげ》を歴然《あり/\》と見《み》た。無惨《むざん》の状《さま》に、ふつと掻消《かきけ》した如《ごと》く美《うるは》しいものは消《き》えた。
『呼《よ》ぶわ、呼《よ》ぶわ。』
と云《い》つた坊主《ばうず》の声《こゑ》。
『おゝい/\、』
『お客様《きやくさま》、お客様《きやくさま》。』
と叫《さけ》ぶのが、遥《はるか》に、弱《よわ》い稲妻《いなづま》のやうに夜中《よなか》を走《はし》つて、提灯《ちやうちん》の灯《ひ》が点々《ぽつ/\》畷《なはて》に|《さまよ》ふ。
『お客様《きやくさま》。』
『旦那《だんな》、』
『奥方様《おくがたさま》。』
あゝ、又《また》奥方様《おくがたさま》をくはせる……剰《あまつさ》へ、今《いま》心着《こゝろづ》いて、耳《みゝ》を澄《す》ませて聞《き》けば、我《われ》自《みづ》からも、此《こ》の頃《ごろ》では鉦太鼓《かねたいこ》こそ鳴《な》らさぬけれども、土俗《どぞく》に今《いま》も遣《や》る……天狗《てんぐ》に攫《さら》はれたものを探《さが》す方法《しかた》で、あの通《とほ》り呼立《よびた》て居《を》る――成程《なるほど》然《さ》う思《おも》へば、何時《いつ》温泉《をんせん》の宿《やど》を出《で》て、何処《どこ》を通《とほ》つて、城《じやう》ヶ沼《ぬま》に来《き》たか覚《おぼ》えて居《を》らぬ。
『御身《おみ》を呼《よ》ぶぢやろ、去《い》なつしやい。』と坊主《ばうず》が、はつと又《また》其《そ》の掌《てのひら》を拡《ひろ》げた。此《こ》の煽動《あふり》に横顔《よこがほ》を払《はら》はれたやうに思《おも》つて、蹌踉《よろ/\》としたが、惟《おも》ふに幻覚《げんかく》から覚《さ》めた疲労《ひろう》であらう、坊主《ばうず》が故意《こい》に然《さ》うしたものでは無《な》いらしい。
『御身《おみ》が内儀《ないぎ》の言《こと》づけを忘《わす》れまいな。』
『忘《わす》れない。』
と奮然《ふんぜん》として答《こた》へた。既《すで》に鬼神《きじん》に感応《かんおう》ある、芸術家《げいじゆつか》に対《たい》して、坊主《ばうず》の言語《げんご》と挙動《きよどう》は、何《なん》となく嘗《な》め過《す》ぎたやうに思《おも》はれたから……其《そ》のまゝ肩《かた》を聳《そび》やかして、三《み》つ四《よ》つ輝《かゞや》く星《ほし》を取《と》つて、直《たゞ》ちに額《ひたひ》を飾《かざ》る意気組《いきぐみ》。背《せ》を高《たか》く、足《あし》を踏《ふ》んで、沼《ぬま》の岸《きし》を離《はな》れると、足代《あじろ》に突立《つゝた》つて見送《みおく》つた坊主《ばうず》の影《かげ》は、背後《うしろ》から蔽覆《おつかぶ》さる如《ごと》く、大《おほひ》なる形《かたち》に成《な》つて見《み》えた。
温泉《いでゆ》の宿《やど》を差《さ》して、城《じやう》ヶ沼《ぬま》から引返《ひきかへ》す途中《とちゆう》は、気《き》も漫《そゞろ》に、直《す》ぐにも初《はじ》むべき――否《いな》、手《て》は既《すで》に何等《なにら》か其《それ》に向《むか》つて働《はたら》く……新《あらた》な事業《じげふ》に対《たい》する感興《かんきよう》の雲《くも》に乗《の》るやう、腕《かひな》が翼《はね》に成《な》つて、星《ほし》の下《した》を飛《と》ぶが如《ごと》き心地《こゝち》した。
恁《か》うまで情《じやう》の昂《たか》ぶつた処《ところ》へ、はたと宿《やど》から捜《さが》しに出《で》た一行《いつかう》七八人《しちはちにん》の同勢《どうぜい》に出逢《であ》つたのである……定紋《じやうもん》の着《つ》いた提灯《ちやうちん》が一群《いちぐん》の中《なか》に三《み》ツばかり、念仏講《ねんぶつかう》の崩《くづ》れとも見《み》えれば、尋常《じんじやう》遠出《とほで》の宿引《やどひき》とも見《み》えるが、旅籠屋《はたごや》に取《と》つては実際《じつさい》容易《ようい》な事《こと》では無《な》からう、――仮初《かりそめ》に宿《やど》つた夫婦《ふうふ》が、婦《をんな》は生死《しやうし》も行衛《ゆくゑ》も知《し》れず、男《をとこ》は其《それ》が為《ため》に、殆《ほと》んど狂乱《きやうらん》の形《かたち》で、夜昼《ひるよる》とも無《な》しに迷《まよ》ひ歩行《ある》く……
不面目《ふめんもく》ゆゑ、国許《くにもと》へ通知《つうち》は無用《むよう》、と当人《たうにん》は堅《かた》く留《と》めたものゝ、唯《はい》、然《さ》やうで、とばかりで旅籠屋《はたごや》では済《す》まして居《ゐ》られぬ。
で、宿《やど》の了見《れうけん》ばかりで電報《でんぱう》を打《う》つた、と見《み》えて其処《そこ》で出逢《であ》つた一群《いちぐん》の内《うち》には、お浦《うら》の親類《しんるゐ》が二人《ふたり》も交《まざ》つた、……此《こ》の中《なか》に居《ゐ》ない巡査《じゆんさ》などは、同《おな》じ目的《もくてき》で、別《べつ》の方面《はうめん》に向《むか》つて居《ゐ》るらしい。
畝路《あぜみち》で出合《であひ》がしらに、一同《いちどう》は騒《さわ》ぎ立《た》てた。就中《なかんづく》、わざ/\東京《とうきやう》から出張《でば》つて来《き》た親類《しんるゐ》のものは、或《あるひ》は慰《なぐさ》め、或《あるひ》は励《はげ》まし、又《また》戒《いまし》めなどする種々《いろ/\》の言葉《ことば》を、立続《たてつゞ》けに※舌《しやべ》[#「口+堯」、U+5635、135-15]つたが、頭《あたま》から耳《みゝ》にも入《い》れず……暗闇《くらやみ》の路次《ろじ》へ入《はい》つて、ハタと板塀《いたべい》に突当《つきあた》つたやうに、棒立《ぼうだ》ちに成《な》つて居《ゐ》たが、唐突《だしぬけ》に、片手《かたて》の掌《てのひら》を開《あ》けて、ぬい、と渠等《かれら》の前《まへ》へ突出《つきだ》した。坊主《ばうず》が自分《じぶん》に向《むか》つて同《おな》じ事《こと》を為《し》たのを、フト思出《おもひだ》したのが、殆《ほと》んど無意識《むいしき》に挙動《ふるまひ》に出《で》た。ト尠《すくな》からず一同《いちどう》を驚《おどろ》かして、皆《みな》だぢ/\と成《な》つて退《すさ》る。
ト此《こ》の鑿《のみ》を持《も》ち、鏨《たがね》を持《も》つべき腕《かひな》は、一度《ひとたび》掌《てのひら》を返《かへ》して、多勢《たせい》を圧《あつ》して将棊倒《しやうぎだふ》しにもする、大《おほい》なる権威《けんゐ》の備《そな》はるが如《ごと》くに思《おも》つて、会心《くわいしん》自得《じとく》の意《こゝろ》を、高声《たかごゑ》に漏《も》らして、呵々《から/\》と笑《わら》つた。
『御苦労《ごくらう》御苦労《ごくらう》、真《まこと》に御骨折《ごほねをり》を懸《か》けて誰方《どなた》にも相済《あひす》まん。が、最《も》う御心配《ごしんぱい》には及《およ》ばんのだ。――お聞《き》きなさい、行衛《ゆくゑ》の知《し》れなかつた家内《かない》は、唯今《たゞいま》其《そ》の所在《ありか》が分《わか》つた。……ナニ、無事《ぶじ》か? 無事《ぶじ》かではない。考《かんが》えて見《み》たつて知《し》れます。繊弱《かよわ》い婦《をんな》だ、然《しか》も蒲柳《ほりう》の質《しつ》です。一寸《ちよいと》躓《つまづ》いても怪我《けが》をするのに、方角《はうがく》の知《し》れない山《やま》の中《なか》で、掻消《かきけ》すやうに隠《かく》れたものが無事《ぶじ》で居《ゐ》やう筈《はづ》はないではないか。
決《けつ》して安泰《あんたい》ではない。正《まさ》に其《そ》の爪《つめ》を剥《は》ぎ、血《ち》を絞《しぼ》り、肉《にく》を|《むし》り骨《ほね》を削《けづ》るやうな大苦艱《だいくかん》を受《う》けて居《ゐ》る、倒《さかさま》に釣《つ》られて居《ゐ》る。…………………』
と戦《おのゝ》いたが、すぐ肩《かた》を聳《そびや》かした。
『何処《どこ》に居《ゐ》る? 何《なに》、お浦《うら》の所在《ありか》は何処《どこ》だ、と言《い》ふのか。いや、君方《きみがた》に、其《それ》は話《はな》しても分《わか》るまい。水《みづ》の底《そこ》のやうな、樹《き》の梢《こずゑ》のやうな、雲《くも》の中《なか》のやうな、……それぢや分《わか》らん、分《わか》らない、と言《い》ふのかね、勿論《もちろん》分《わか》りませんとも!
吾輩《わがはい》には丁《ちやん》と分《わか》つて居《ゐ》る。位置《ゐち》も方角《はうがく》も残《のこ》らず知《し》つてる、――指《ゆびさ》して言《い》へば、土地《とち》のものは残《のこ》らず知《し》つてる。けれども其《それ》を話《はな》すとなると、それ行《ゆ》け、救《すく》へで、松明《たいまつ》を振《ふ》り、鯨波《とき》の声《こゑ》を揚《あ》げて騒《さわ》ぐ、騒《さわ》いだ処《ところ》で所詮《しよせん》駄目《だめ》です。
誰《たれ》が行《い》つても何者《なにもの》が騒《さわ》いでも、迚《とて》も彼《かれ》は救《すく》ひ出《だ》せない。
おゝ! 君達《きみたち》にも粗《ほゞ》想像《さうざう》出来《でき》るか、お浦《うら》は魔《ま》に攫《さら》はれた、天狗《てんぐ》が掴《つか》んだ、……恐《おそ》らく然《さ》うだらう。……が、私《わたし》は此《これ》を地祇神《とちのかみ》の所業《しよげふ》と惟《おも》ふ。たゞし、鬼《おに》にしろ、神《かみ》にしろ、天狗《てんぐ》にしろ、何《なに》のためにお浦《うら》を攫《さら》つたか、其《そ》の意味《いみ》が分《わか》るまい、諸君《しよくん》には知《し》れなからう。
独《ひと》りこれを知《し》るものは吾輩《わがはい》だよ。而《そ》して此《これ》を救《すく》ふものも又《また》吾輩《わがはい》でなければ不可《いけな》い。然《しか》も彼《かれ》を連《つ》れ返《かへ》る道《みち》は、丁《ちやん》と最《も》う着《つ》いて居《ゐ》るんだ。唯《たゞ》少時《しばらく》の辛抱《しんばう》です。いや/\、決《けつ》して貴下方《あなたがた》が御辛抱《ごしんばう》なさるには及《およ》ばん。辛抱《しんばう》をするのはお浦《うら》だ、可哀想《かあいさう》な婦《をんな》だ。我慢《がまん》をしてくれ、お浦《うら》、腕《うで》は確《たしか》だ。』
と、掌《てのひら》を開《ひら》いて、ぱつ、と出《だ》す。と一同《いちどう》はどさ/\と又《また》退《すさ》つた。吃驚《びつくり》して泥田《どろた》へ片脚《かたあし》落《おと》したのもある、……ばちやりと音《おと》して。……
『気《き》が違《ちが》つた。』
『変《へん》だ。』
『真物《ほんもの》だ。』……と囁《さゝや》き合《あ》ふ。
狂気《きやうき》した、変《へん》だ、と云《い》ふのは言葉《ことば》の切目毎《きれめごと》に耳《みゝ》に入《はい》つた。が、これほど確《たしか》な事《こと》を、渠等《かれら》は雲《くも》を掴《つか》むやうに聞《き》くのであらう。我《われ》は手《て》に握《にぎ》つて、双《さう》の眼《まなこ》で明《あきら》かに見《み》る采《さい》の目《め》を、多勢《たぜい》が暗中《あんちゆう》に摸索《もさく》して、丁《ちやう》か、半《はん》か、生《せい》か、死《し》か、と喧々《がや/\》騒《さわ》ぎ立《た》てるほど可笑《をかし》な事《こと》は無《な》い。
『はゝゝ、大丈夫《だいじやうぶ》、心配《しんぱい》は無《な》いと云《い》ふに、――お浦《うら》の所在《ありか》も、救《すく》ふ路《みち》も、すべて掌《たなごゝろ》の中《うち》に在《あ》る。吾輩《わがはい》が掴《つか》んで居《ゐ》る。要《えう》は唯《たゞ》掴《つか》んだ此《こ》の手《て》を開《ひら》く時間《じかん》を待《ま》つ事《こと》だ。――今《いま》開《ひら》け、と云《い》つても然《さ》うは不可《いか》ん。唯《たゞ》、開《ひら》くのではない、開《ひら》いてお浦《うら》の掌《てのひら》へ返《かへ》すんだ、いや/\彫像《てうざう》の拳《こぶし》に納《おさ》めるんだ。』
と、益々《ます/\》こんがらかつて、自分《じぶん》にも分《わか》らなく成《な》る。先方《さき》のきよとつくだけ此方《こつち》は苛立《いらだ》つ。言《い》へば言《い》ふほど枝葉《えだは》が茂《しげ》つて、路《みち》が岐《わか》れて谷《たに》が深《ふか》く、野《の》が広《ひろ》く、山《やま》が高《たか》く成《な》つて、雲《くも》が湧《わ》き出《だ》す、霞《かすみ》がかゝる、果《はて》は焦込《じれこ》んで、空《くう》を打《う》つて、
『皆《みんな》、これだ。』
と高《たか》い処《ところ》から揮下《ふりお》ろした拳《こぶし》の中《なか》に、……采《さい》を掴《つか》んで居《ゐ》た事《こと》は云《い》ふまでも無《な》い。
『……狂人《きちがひ》でも何《なん》でも構《かま》はん。自分《じぶん》が生命《いのち》がけの女房《にようばう》を自分《じぶん》が救《すく》ふに間違《まちがひ》は有《あ》るまい。凡《すべ》て任《まか》して貰《もら》はう。何《なん》でも私《わたし》のするまゝに為《さ》して下《くだ》さい。……
処《ところ》で、私《わたし》が、お浦《うら》を救《すく》ふ道《みち》として、進《すゝ》むべき第一歩《だいいつぽ》は、何処《どこ》でも可《い》い、小家《こいへ》を一軒《いつけん》探《さが》す事《こと》だ。小家《こや》でも可《いゝ》、辻堂《つじだう》、祠《ほこら》でも構《かま》はん、何《なん》でも人《ひと》の居《ゐ》ない空屋《あきや》が望《のぞ》みだ。
何《なに》、そんな処《ところ》にお浦《うら》が居《ゐ》るか、と……詰《つま》らん事《こと》を――お浦《うら》の居処《ゐどころ》は居処《ゐどころ》で話《はなし》が違《ちが》う。空家《あきや》を探《さが》すのは私《わたし》が探《さが》して私《わたし》が其処《そこ》へ入《はい》るんだ。――所帯《しよたい》を持《も》つのぢやない。……えゝ、落着《おちつ》いて、聞《き》かなければ不可《いか》ん。
宜《よろし》いかね、此《これ》を要《えう》するに、少《すくな》くとも空屋《あきや》に限《かぎ》る……有《あ》りますか、人《ひと》の居《ゐ》ない小家《こや》はあるか。有《あ》れば、其処《そこ》へ行《ゆ》く。これから此《こ》の足《あし》で直《す》ぐに行《ゆ》きます。――宿《やど》へ帰《かへ》つて一先《ひとま》づ落着《おちつ》け? ……呑気《のんき》な事《こと》を。落着《おちつ》いて相談《さうだん》と? ……此《こ》の上《うへ》何《なん》の相談《さうだん》を為《す》るんです。お浦《うら》を救《すく》ふのには一刻《いつこく》を争《あらそ》ふ、寸秒《すんべう》を惜《をし》む。早速《さつそく》さあ、人《ひと》の居《ゐ》ない小家《こや》、辻堂《つじだう》、祠《ほこら》、何《なん》でも構《かま》はん、其処《そこ》へ行《ゆ》かう。行《い》つて直《す》ぐに仕事《しごと》にかゝる。が、誰《たれ》も来《き》ては不可《いけな》い、屹《きつ》と来《き》ては不可《いけな》い、いづれ、やがて其《そ》の仕事《しごと》が出来《でき》ると、お浦《うら》と一所《いつしよ》に、諸共《もろとも》にお目《め》に懸《かゝ》つて更《あらた》めて御挨拶《ごあいさつ》をする。
しかし、恁《か》う言《い》ふのを信《しん》じないで、私《わたし》に任《ま》かせることを不安心《ふあんしん》と思《おも》ふなら、提灯《ちやうちん》の上《うへ》に松明《たいまつ》の数《かず》を殖《ふや》して、鉄砲《てつぱう》持参《じさん》で、隊《たい》を造《つく》つて、喇叭《らつぱ》を吹《ふ》いてお捜《さが》しなさい、其《それ》は御勝手《ごかつて》です。』
と嘲《あざ》けるやうに又《また》アハアハ笑《わら》ふ。いや、気味《きみ》の悪《わる》い……
『あれ、天狗様《てんぐさま》が憑移《のりうつ》らしやつた。』
『魔道《まだう》に墜《お》ちさしたものだんべい。』
と密《ひそめ》いて言《い》ふのが聞《きこ》えた。
が、最《も》う、そんな事《こと》に頓着《とんぢやく》しない。人間《にんげん》などには目《め》も懸《か》けないで、暗《くら》い中《なか》を矢鱈《やたら》に、其処等《そこいら》の樹《き》を眺《なが》めた。刻《きざ》むに佳《い》い枝《えだ》や、幹《みき》や、と目《め》を光《ひか》らす……これも眼前《がんぜん》、魔《ま》に心《こゝろ》を通《かよ》はす挙動《きよどう》の如《ごと》くに見《み》えたであらう。
けれども言出《いひだ》した事《こと》は、其《そ》の勢《いきほひ》だけに誰一人《たれいちにん》深切《しんせつ》づくにも敢《あへ》て留《と》めやうとするものは無《な》く、……其《そ》の同勢《どうぜい》で、ぞろ/\と温泉宿《をんせんやど》へ帰《かへ》る途中《とちゆう》、畷《なはて》を片傍《かたわき》に引込《ひつこ》んだ、森《もり》の中《なか》の、とある祠《ほこら》へ、送込《おくりこ》んだ……と言《い》ふよりは、づか/\踏込《ふみこ》んだ。後《あと》に踵《つ》いて来《き》て、渠等《かれら》は狐格子《きつねがうし》の外《そと》で留《と》まつたのである。
提灯《ちやうちん》を一個《ひとつ》引奪《ふんだく》つて、三段《さんだん》ばかりある階《きざはし》の正面《しやうめん》へ突立《つゝた》つて、一揆《いつき》を制《せい》するが如《ごと》く、大手《おほて》を拡《ひろ》げて、
『さあ、皆《みんな》帰《かへ》れ。而《そ》して誰《たれ》か宿屋《やどや》へ行《い》つて、私《わたし》の大鞄《おほかばん》を脊負《しよ》つて来《き》て貰《もら》はう。――中《なか》にすべて仕事《しごと》に必要《ひつえう》な道具《だうぐ》がある。……私《わたし》は最《も》う、あの座敷《ざしき》へ入《はい》つて、脱《ぬ》いである衣服《きもの》、解《と》いてある紅《あか》い扱帯《しごき》を見《み》るに忍《しの》びん。……彼《かれ》が魔物《まもの》の手《て》に懸《かゝ》つて、身悶《みもだ》へしながら、帯《おび》からはじめて解《と》き去《さ》らるゝのを目《め》の前《まへ》に見《み》るやうだから。』
親類《しんるゐ》の一人《いちにん》、インバネスを着《き》た男《をとこ》が真前《まつさき》に立《た》つて、皆《みな》ぞろ/\と帰《かへ》つた。……其《そ》の影《かげ》が潜《くゞ》つて出《で》る、祠《ほこら》の前《まへ》の、倒《たふ》れかゝつた木《き》の鳥居《とりゐ》に張《は》つた、何時《いつ》の時《とき》のか、注連縄《しめなは》の残《のこ》つたのが、二《ふた》ツ三《み》ツのたくつて、づらりと懸《かゝ》つた蛇《へび》に見《み》えた……
はて、面白《おもしろ》い。あれが天井《てんじやう》を伝《つた》ふ朽縄《くちなは》なら、其《そ》の下《した》に、しよんぼりと立《た》つた柱《はしら》は、直《す》ぐにお浦《うら》の姿《すがた》に成《な》る……取《と》つて像《ざう》を刻《きざ》む材料《ざいりやう》に遣《つか》うと為《し》やう。鋸《のこぎり》で挽《ひ》いて、女《をんな》の立像《りつざう》だけ抜《ぬ》いて取《と》る、と鳥居《とりゐ》は、片仮名《かたかな》のヰの字《じ》に成《な》つて、祠《ほこら》の前《まへ》に、森《もり》の出口《でぐち》から、田甫《たんぼ》、畷《なはて》、山《やま》を覗《のぞ》いて立《た》つであらう。
と凝《じつ》と視《なが》める、と最《も》う其《そ》の鳥居《とりゐ》の柱《はしら》の中《なか》へ、婦《をんな》の姿《すがた》が透《す》いて映《うつ》る……木目《もくめ》が水《みづ》のやうに膚《はだ》に絡《まと》ふて。
『旦那様《だんなさま》、お荷物《にもつ》な持《も》つて参《めえ》りやした、まあ、暗《くれ》え処《とこ》に何《なに》を為《し》てござらつしやる。』
成程《なるほど》、狐格子《きつねがうし》に釣《つ》つて置《お》いた提灯《ちやうちん》は何時《いつ》までも蝋燭《らふさく》が消《た》たずには居《を》らぬ。……気《き》が着《つ》くと板椽《いたえん》に腰《こし》を落《おと》し、段《だん》に脚《あし》を投《な》げてぐつたりして居《ゐ》た。
鞄《かばん》を脊負《しよ》つて来《き》たのは木樵《きこり》の権七《ごんしち》で、此《こ》の男《をとこ》は、お浦《うら》を見失《みうしな》つた当時《たうじ》、うか/\城趾《しろあと》へ|《さまよ》つたのを宿《やど》へ連《つれ》られてから、一寸々々《ちよい/\》出《で》て来《き》ては記憶《きおく》の裡《うち》へ影《かげ》を露《あら》はす。此《これ》と、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の黒坊主《くろばうず》の蒼《あを》ざめた面影《おもかげ》を除《のぞ》いては、誰《たれ》の顔《かほ》も判然《はつきり》覚《おぼ》えて居《ゐ》なかつた。
『燈明《とうみやう》を点《つ》けさつしやりませ。洋燈《らんぷ》では旦那様《だんなさま》の身躰《からだ》危《あぶな》いと言《い》ふで、種油《たねあぶら》提《さ》げて、燈心《とうしん》土器《かはらけ》を用意《ようい》して参《めえ》りやしたよ。追附《おつつ》け、寝道具《ねだうぐ》も運《はこ》ぶでがすで。気《き》を静《しづ》めて休《やす》まつしやりませ。……私等《わしら》も又《また》、油断《ゆだん》なく奥様《おくさま》の行衛《ゆくゑ》な捜《さが》しますだで、えら、心《こゝろ》を狂《くる》はさつしやりますな。』
と言《い》ふ/\燈心《とうしん》を点《とも》して、板敷《いたじき》の上《うへ》へ薄縁《うすべり》を伸《の》べたり、毛布《けつと》を敷《し》く……
『私《わし》が頼《たの》まれましたけに、ちよく/\見廻《みまは》りに参《めえ》りますだ。用《よう》があるなら、言着《いひつ》けてくらつせえましよ。』
と背後《うしろ》むきに踵《かゝと》で探《さぐ》つて、草履《ざうり》を穿《は》いて、壇《だん》を下《お》りて、てく/\出《で》て行《ゆ》く。
『待《ま》て、待《ま》て。』と追《お》つて出《で》て、鳥居《とりゐ》をする/\と撫《な》でゝ見《み》せた。
『村一同《むらいちどう》へ言《こと》づけを頼《たの》まう。此《こ》の柱《はしら》を一本《いつぽん》頂《いたゞ》く……此《こ》の鳥居《とりゐ》のな。……後《あと》で幾《いく》らでも建立《こんりふ》するから、と然《さ》う言《い》つてな。』
『はい、……えゝ、東京《とうきやう》からござつた旦那方《だんながた》も其《そ》のつもりで相談《さうだん》打《ぶ》たしつた。奥様《おくさま》の居《ゐ》さつしやる処《ところ》の知《し》れるまでは、何《なん》でもお前様《めえさま》する事《こと》に逆《さか》らはねえやうにと言《い》ふだで、随分《ずゐぶん》好《す》き次第《しだい》にさつしやるが可《よ》うがんす。だが、もの、鳥居《とりゐ》の木柱《きばしら》な何《ど》うするだね。』
『此《これ》を刻《きざ》んで像《ざう》を造《つく》る、婦《をんな》のな、それは美《うつく》しい、先《ま》づ弁天様《べんてんさま》と言《い》つたもんだ、お前《まへ》にも見《み》せて遣《や》らう、吃驚《びつくり》するなよ。』
と其《そ》の呆《あき》れ顔《がほ》を掌《てのひら》でべたりと撫《な》でる。と此処《こゝ》へ一人《ひとり》で遣《や》つて来《く》るほど性根《しやうね》の据《すは》つた奴《やつ》、突然《いきなり》早腰《はやごし》も抜《ぬ》かさなんだが、目《め》を蔽《おほ》ふて、面《おもて》を背《そむ》けて、
『いとしぼげな、御道理《ごもつとも》でござります。』
とのそ/\帰《かへ》る……矢張《やつぱ》りお浦《うら》を攫《さら》はれた為《ため》に、気《き》が違《ちが》つたと思《おも》ふらしい。いや、是《これ》だから人間《にんげん》の来《く》るのは煩《うるさ》い!
「……しかし、其《そ》の後《のち》とも三度《さんど》の食事《しよくじ》、火《ひ》なり、水《みづ》なり、祠《ほこら》へ来《き》て用《よう》を達《た》してくれたのは其《そ》の男《をとこ》で。時《とき》とすると、二時三時《ふたときみとき》も傍《そば》に居《ゐ》て熟《じつ》と私《わたし》の仕事《しごと》を見《み》て居《ゐ》る。口《くち》も出《だ》さず邪魔《じやま》には成《な》らん。
で、下仕事《したしごと》の手伝《てつだひ》ぐらゐは間《ま》に合《あ》つたんです。」
と雪枝《ゆきえ》は更《あらた》めて言《い》つた。
「処《ところ》で、一刻《いつこく》も疾《はや》く仕上《しあ》げにしやうと思《おも》ふから、飯《めし》も手掴《てづか》みで、水《みづ》で嚥下《のみおろ》す勢《いきほひ》、目《め》を据《す》えて働《はたら》くので、日《ひ》も時間《じかん》も、殆《ほと》んど昼夜《ちうや》の見境《みさかひ》はない。……女《をんな》の像《ざう》の第一作《だいいつさく》が、まだ手足《てあし》までは出来《でき》なかつたが、略《ほゞ》顔《かほ》の容《かたち》が備《そな》はつて、胸《むね》から鳩尾《みづおち》へかけて膨《ふつく》りと成《な》つた、木材《もくざい》に乳《ちゝ》が双《なら》んで、目鼻口元《めはなくちもと》の刻《きざ》まれた、フトした時《とき》……
『どうだ、大分《だいぶ》ものに成《な》つたらう、』と聊《いさゝ》か得意《とくい》で。丁《ちやう》ど居合《ゐあ》はせた権七《ごんしち》の顔《かほ》を目《め》を挙《あ》げて恁《か》う見《み》ると……日《ひ》に焼《や》けた色《いろ》の黒《くろ》いのが又《また》恐《おそ》ろしく真黒《まつくろ》で、額《ひたひ》が出《で》て、唇《くちびる》が長《なが》く反《そ》つて、目《め》ががつくりと窪《くぼ》んだ、其《そ》の目《め》がピカ/\と光《ひか》つて、ふツふツ、はツはツ、と喘《あへ》ぐやうな息《いき》をする。……
いや、其《そ》の息《いき》の臭《くさ》い事《こと》……剰《あまつさ》へ、立《た》つでもなく坐《すは》るでもなく、中腰《ちゆうごし》に蹲《しやが》んだ山男《やまをとこ》の膝《ひざ》が折《を》れかゝつた朽木《くちぎ》同然《どうぜん》、節《ふし》くれ立《だ》つてギクリと曲《まが》り、腕組《うでぐみ》をした肱《ひぢ》ばかりが胸《むね》に附着《くつつ》き、布子《ぬのこ》の袖《そで》の元《もと》へ窄《せばま》つて両方《りやうはう》へ刎《は》ねた処《ところ》が、宛然《さながら》の翼《つばさ》。
『権七《ごんしち》ぢやない! 小天狗《こてんぐ》が、天守《てんしゆ》から見張《みは》りに来《き》たな。』
思《おも》はず突立《つゝた》つと、出来《でき》かゝつた像《ざう》を覗《のぞ》いて、角《つの》を扁平《ひらた》くしたやうな小鼻《こばな》を、ひいくひいく、……ふツふツはツはツと息《いき》を吹《ふ》いて居《ゐ》たのが、尖《とが》つた口《くち》を仰様《のけざま》に一《ひと》つぶるツと振《ふる》ふと、面《めん》を倒《さかさま》にしたと思《おも》へ。
彫像《てうざう》の眼球《がんきう》をグサリと刺《さ》した。
はつと思《おも》へば、烏《からす》ほどの真黒《まつくろ》な鳥《とり》が一羽《いちは》虫蝕《むしくひ》だらけの格天井《がうでんじやう》を颯《さつ》と掠《かす》めて狐格子《きつねがうし》をばさりと飛出《とびだ》す……
目《め》一《ひと》つ抉《えぐ》られては半身《はんしん》をけづり去《さ》られたも同《おな》じ事《こと》、是《これ》がために、第一《だいいち》の作《さく》は不用《ふよう》に帰《き》した。
……余《あま》りの仕儀《しぎ》に唯《たゞ》茫然《ばうぜん》として、果《はて》は涙《なみだ》を流《なが》したが、いや/\、爰《こゝ》に形《かたち》づくられた未製品《みせいひん》は、其《そ》の容《かたち》半《なか》ばにして、早《はや》くも何処《どこ》にか破綻《はたん》を生《しやう》じて、我《わ》が作《さく》を欲《ほつ》するものゝ、不満足《ふまんぞく》を来《き》たしたのであらう――いかさまにも一《ひと》つ残《のこ》つた瞳《ひとみ》を見《み》れば、お浦《うら》の其《それ》より情《なさけ》を宿《やど》さぬ、露《つゆ》も帯《お》びぬ、……手足《てあし》既《すで》に完《まつた》うして斧《をの》を以《もつ》て砕《くだ》かれても、対手《あひて》が鬼神《きじん》では文句《もんく》はない筈《はづ》。力《ちから》を傾《かたむ》け尽《つく》さぬうち、予《あらかじ》め其《そ》の欠点《けつてん》を指示《さししめ》して一思《ひとおも》ひに未練《みれん》を棄《す》てさせたは、寧《むし》ろ尠《すくな》からぬ慈悲《じひ》である……
で、直《たゞ》ちに木材《もくざい》を伐更《きりあらた》めて、第二《だいに》の像《ざう》を刻《きざ》みはじめた。が、又《また》此《こ》の作《さく》に対《たい》する迫害《はくがい》は一通《ひととほ》りではないのであつた。猫《ねこ》が来《き》て踏《ふ》んで行抜《ゆきぬ》ける、鼠《ねずみ》が噛《かじ》る。とろ/\と睡《ねむ》つて覚《さ》めれば、犬《いぬ》が来《き》てぺろ/\と嘗《な》めて居《ゐ》る……胴中《どうなか》を蛇《へび》が巻《ま》く、今《いま》穴《あな》を出《で》たらしい家守《やもり》が来《き》て鼻《はな》の上《うへ》を縦《たて》にのたくる……やがては作者《さくしや》の身躰《からだ》を襲《おそ》ふて、手《て》をゆすぶる、襟頸《ゑりくび》を取《と》つて引倒《ひきたふ》す、何者《なにもの》か知《し》れずキチ/\と啼《な》いて脇《わき》の下《した》をこそぐり掛《か》ける。
無残《むざん》や、其《そ》の中《なか》にも命《いのち》を懸《か》けて、漸《やつ》と五躰《ごたい》を調《とゝの》へたのが、指《ゆび》が折《を》れる、乳首《ちくび》が欠《か》ける、耳《みゝ》が|《も》げる、――これは我《わ》が手《て》に打砕《うちくだ》いた、其《そ》の斧《をの》を揮《ふる》つた時《とき》、さく/\さゝらに成《な》り行《ゆ》く像《ざう》は、骨《ほね》を裂《さ》く音《おと》がして、物凄《ものすご》く飛騨山《ひだやま》の谺《こだま》に響《ひゞ》いた。
其《そ》の夜更《よふ》けから、しばらく正躰《しやうたい》を失《うしな》つたが、時《とき》も知《し》らず我《われ》に返《かへ》ると、忽《たちま》ち第三番目《だいさんばんめ》を作《つく》りはじめた、……時《とき》に祠《ほこら》の前《まへ》の鳥居《とりゐ》は倒《たふ》れて、朽《く》ちたる縄《なは》は、ほろ/\と断《き》れて跡《あと》もなく成《な》る。……
と今度《こんど》のは完成《くわんせい》した。而《そ》して本堂《ほんだう》の正面《しやうめん》に、支《さゝえ》も置《お》かず、内端《うちは》に組《く》んだ、肉《にく》づきのしまつた、膝《ひざ》脛《はぎ》の釣合《つりあひ》よく、すつくりと立《た》つた時《とき》、木《き》の膚《はだえ》は小刀《こがたな》の冴《さえ》に、恰《あたか》も霜《しも》の如《ごと》く白《しろ》く見《み》えた。……が扉《とびら》を開《ひら》いて、伝説《でんせつ》なき縁起《えんぎ》なき由緒《ゆいしよ》なき、一躰《いつたい》風流《ふうりう》なる女神《によしん》のまざ/\として露《あら》はれたか、と疑《うたが》はれて、傍《かたはら》の棚《たな》に残《のこ》つた古幣《ふるぬさ》の斜《なゝ》めに立《た》つたのに対《たい》して、敢《あへ》て憚《はゞか》るべき色《いろ》は無《な》かつた。
折《をり》から来合《きあ》はせた権七《ごんしち》に見《み》せると、色《いろ》を変《か》へ、口《くち》を尖《とが》らせ、目《め》を光《ひか》らせて視《なが》めたが、其《そ》の面《つら》は烏《からす》にも成《な》らず、……脚《あし》は朽木《くちき》にも成《な》らず、袖《そで》は羽《はね》にも成《な》らぬ。
其処《そこ》で、自分《じぶん》で引背負《ひつしよ》ふなり、抱《だ》くなりして、其《そ》の彫像《てうざう》を城趾《しろあと》の天守《てんしゆ》に運《はこ》ぶ。……途中《とちゆう》の塵《ちり》を避《さ》けるため蔽《おほひ》がはりに、お浦《うら》の着換《きがえ》を、と思《おも》つて、権七《ごんしち》を温泉宿《をんせんやど》まで取《と》りに遣《や》つた。
あとで、此《こ》の祠《ほこら》に籠《こも》つてから、幾日《いくか》の間《あひだ》か鳥居《とりゐ》より外《そと》へは出《で》ない、身躰《からだ》を伸々《のび/\》として大手《おほで》を振《ふ》つて畝路《あぜみち》から畷《なはて》へ出《で》た――然《さ》まで遠《とほ》くもない城《じやう》ヶ沼《ぬま》の方《はう》へ、何《なに》となく足《あし》が向《む》いて、ぶらり/\と歩行《ある》いたが、我《わ》が住居《すまゐ》を出《で》て其処等《そこら》散歩《さんぽ》をする、……祠《ほこら》の家《いへ》にはお浦《うら》が居《ゐ》て留主《るす》をして、我《わ》がために燈火《ともしび》のもとで針仕事《はりしごと》でも為《し》て居《ゐ》るやうな、つひした楽《たの》しい心地《こゝち》がする。……細《ほそ》い杖《ステツキ》を持《も》たないのが物足《ものた》りないくらゐなもので。
風《かぜ》もふわ/\と樹《き》の枝《えだ》を擽《くすぐ》つて、はら/\笑《わら》はせて花《はな》にしやうとするらしい、壺《つぼ》の中《なか》のやうではあるが、山国《やまぐに》の夜《よ》は朧《をぼろ》。
譬《たと》へば城《じやう》ヶ沼《ぬま》を裏返《うらがへ》して、空《そら》へ漲《みなぎ》らした夜《よる》の色《いろ》――寝《ね》をびれて戸惑《とまど》ひをしたやうな肥《ふと》つた月《つき》が、田《た》の水《みづ》にも映《うつ》らず、山《やま》の姿《すがた》も照《て》らさず……然《さ》うかと言《い》つて並木《なみき》の松《まつ》に隠《かく》れもせず、谷《たに》の底《そこ》にも落《お》ちないで、ふわりと便《たより》のない処《ところ》に、土器色《かはらけいろ》して、畷《なはて》も畝《あぜ》も茫《ばう》と明《あかる》いのに、粘《ねば》つた、生暖《なまぬる》い小糠雨《こぬかあめ》が、月《つき》の上《うへ》からともなく、下《した》からともなく、しつとりと来《き》て、むら/\と途中《とちゆう》で消《き》える……と髪《かみ》も衣《きもの》も濡《ぬ》れもしないで、湿《しめつ》ぽい。が、手《て》で撫《な》でゝ見《み》ても雫《しづく》は分《わか》らぬ。――雨《あめ》が降《ふ》るのではない、月《つき》が欠伸《あくび》する息《いき》がかゝるのであらう……そんな晩《ばん》には獺《かはをそ》が化《ば》けると言《い》ふが、山国《やまぐに》に其《それ》は相応《ふさ》はぬ。イワナが化《ば》けて坊主《ばうず》になつて、殺生禁断《せつしやうきんだん》の説教《せつけう》に念仏《ねんぶつ》唱《とな》へて辿《たど》りさうな。……
処《ところ》を、歩行《ある》く途中《とちゆう》、人一人《ひとひとり》にも逢《あ》はなんだ、が逢《あ》へば婦《をんな》でも山猫《やまねこ》でも、皆《みな》坊主《ばうず》の姿《すがた》に見《み》えやうと思《おも》つた。
こん/\と狐《きつね》が啼《な》いた。……犬《いぬ》の声《こゑ》ではない。唯《と》ある松《まつ》の樹《き》の蔭《かげ》で、つひ通《とほ》りかゝつた足許《あしもと》で。
こん/\こん/\と啼《な》くのに、フト耳《みゝ》を傾《かたむ》けて、虫《むし》を聞《き》くが如《ごと》く立停《たちどま》ると、何《なに》かものを言《い》ふやうで、
『コンクワイ、クワイ、来《こ》ぬかい、来《こ》ぬかい。』と恁《か》う啼《な》く。
『来《こ》ぬかい、来《こ》ぬかい、来《こ》ぬかい、案山子《かゝし》、来《こ》ぬかい案山子《かゝし》、』と又《また》聞《きこ》える。
聞《き》く中《うち》に、畝《あぜ》の蔭《かげ》から、ひよいと出《で》て立《た》つた、藁束《わらたば》に竹《たけ》の脚《あし》で、痩《やせ》さらばへたものがある。……凩《こがらし》に吹《ふ》かれぬ前《まへ》に、雪国《ゆきぐに》の雪《ゆき》が不意《ふい》に来《き》て、其《そ》のまゝ焚附《たきつけ》にも成《な》らずに残《のこ》つた、冬《ふゆ》の中《うち》は、真白《まつしろ》な寐床《ねどこ》へ潜《もぐ》つて、立身《たちみ》でぬく/\と過《す》ごしたあとを、草枕《くさまくら》で寐込《ねこ》んで居《ゐ》た、これは飛騨山《ひだやま》の案山子《かゝし》である。
此《こ》の親仁《おやぢ》、破《やぶ》れ簑《みの》の毛《け》を垂《た》らして、しよぼりとした躰《てい》で、ひよこひよこと動《うご》いて来《き》て、よたりと松《まつ》の幹《みき》へ凭《より》かゝつて、と其処《そこ》へ立《た》つて留《と》まる。
『来《こ》んかい、案山子《かゝし》、来《こ》んかい、案山子《かゝし》………』と例《れい》の声《こゑ》が尚《な》ほ続《つゞ》けて呼《よ》ぶ。
些《ち》と離《はな》れた畝《あぜ》を伝《つた》つて、向《むか》ふから又《また》一《ひと》つ、ひよい/\と来《き》て、ばさりと頭《かしら》を寄《よ》せて同《おな》じく留《と》まる。と素直《まつすぐ》な畷筋《なはてすぢ》を、別《べつ》に一個《ひとつ》よたよた/\/\と、其《それ》でも小刻《こきざみ》の一本脚《いつぽんあし》、竹《たけ》を早《はや》めて急《いそ》いで近寄《ちかよ》る。
此《こ》の後《あと》のなんぞは、何処《どこ》で工面《くめん》をしたか、竹《たけ》の小笠《をがさ》を横《よこ》ちよに被《かぶ》つて、仔細《しさい》らしく、其《そ》の笠《かさ》を歩行《あるく》に連《つ》れてぱく/\と上下《うへした》に揺《ゆす》つたもので。
三個《みつつ》が、……其《それ》から土瓶《どびん》を釣《つ》つて番茶《ばんちや》でも煮《に》さうな形《かたち》に集《あつ》まると、何《なに》かゞ又《また》啼《な》き出《だ》す。
『コー/\/\、急《いそ》がう急《いそ》がう。』
ばさ/\、と左右《さいう》へ分《わか》れて、前後《あとさき》に入乱《いりみだ》れたが、やがて畷《なはて》へ三個《みつつ》で並《なら》ぶ。
其時《そのとき》樹《き》の上《うへ》から、何《なに》やら鳥《とり》の声《こゑ》がして、
『何処《どつけ》え行《く》、何処《どつけ》え行《く》!』
で、がさりと枝《えだ》を踏《ふ》んだ音《おと》がした。何《ど》うやらものゝ、嘴《くちばし》を長《なが》く畷《なはて》を瞰下《みお》ろす気勢《けはひ》がした。
『ほこらだ。』
『ほこら、』
『ほこらへ行《い》くだ。』
とひよつこり、ひよこり、ひよつこりと歩行《ある》き出《だ》す……案山子《かゝし》どもの出向《でむ》くのが、祠《ほこら》の方《はう》へ、雪枝《ゆきえ》の来《き》た路《みち》の方角《はうがく》に当《あた》る。向《むか》ふを指《さ》して城《じやう》ヶ沼《ぬま》へ身投《みな》げに行《ゆ》くのでは無《な》いらしい。
待《ま》て、よくは分《わか》らぬ、其処等《そこら》と言《い》ふか、祠《ほこら》と言《い》ふか、声《こゑ》を伝《つた》へる生暖《なまぬる》い夜風《よかぜ》もサテぼやけたが、……帰《かへ》り路《みち》なれば引返《ひきかへ》して、うか/\と漫歩行《そゞろある》きの踵《きびす》を返《かへ》す。
『く、く、く、』
『ふ、ふ、』
『は、は、は、』と形《かたち》も定《さだ》めず、むや/\の海鼠《なまこ》のやうな影法師《かげぼふし》が、案山子《かゝし》の脚《あし》もとを四《よ》ツ五《いつ》ツむら/\と纒《まと》ふて進《すゝ》む。
「それは狐《きつね》か犬《いぬ》らしい、其《それ》とも何《なに》か鳥《とり》が居《ゐ》て、上《うへ》をふわ/\と飛《と》んだのかも分《わか》りません。」
と雪枝《ゆきえ》は老爺《ぢゞい》に言《い》ふのであつた……
「忘《わす》れもしない、温泉《をんせん》へ行《ゆ》きがけには、夫婦《ふうふ》が腕車《くるま》で通《とほ》つた並木《なみき》を、魔物《まもの》が何《ど》うです、……勝手次第《かつてしだい》な其《そ》の躰《てい》でせう。」
来《く》る時《とき》は気《き》がつかなかつたが、時《とき》に帰《かへり》がけに案山子《かゝし》の歩行《ある》く後《うしろ》から見《み》ると、途中《とちゆう》に一里塚《いちりづか》のやうな小蔭《こかげ》があつて、松《まつ》は其処《そこ》に、梢《こずえ》が低《ひく》く枝《えだ》が垂《た》れた。塚《つか》の上《うへ》に趺坐《ふざ》して打傾《うちかたむ》いて頬杖《ほゝづゑ》をした、如意輪《によいりん》の石像《せきざう》があつた。と彼《あ》のたよりのない土器色《かはらけいろ》の月《つき》は、ぶらりと下《さが》つて、仏《ほとけ》の頬《ほゝ》を片々《かた/\》照《て》らして、木蓮《もくれん》の花《はな》を手向《たむ》けたやうな影《かげ》が射《さ》した。
其《そ》の前《まへ》を、一列《ひとなら》びに、ふら/\と通懸《とほりかゝ》つて、
『御許《ごゆる》され』と案山子《かゝし》の一《ひと》つが言へば、
『御許《ごゆる》され。』
と又《また》一《ひと》つが同《おな》じ言《こと》を繰返《くりかへ》す。
『御許《ごゆる》され、御許《ごゆる》され。』と声《こゑ》が交《まじ》つて、喧々《がや/\》と※舌《しやべ》[#「口+堯」、U+5635、148-6]つた、と思《おも》はれよ。
『大儀《たいぎ》ぢや』
と正《まさ》しく如意輪《によいりん》が仰《あふ》せあつた……
『はツ、』と云《い》ふと一個《ひとつ》、丁《ちやう》ど石高道《いしだかみち》の|石《いしころ》へ其《そ》の一本竹《いつぽんだけ》を踏掛《ふみか》けた真中《まんなか》のが、カタリと脚《あし》に音《おと》を立《た》てると、乗上《のりあが》つたやうに、ひよい、と背《せ》が高《たか》く成《な》つて、直《すぐ》に、ひよこりと又《また》同《おな》じ丈《たけ》に歩行《ある》き出《だ》す。
人間《にんげん》が前《まへ》へ出《で》た時《とき》、如意輪《によいりん》の御姿《おすがた》は、スツと松蔭《まつかげ》へ稍《やゝ》遠《とほ》く、暗《くら》く小《ちひ》さく拝《をが》まれた。
雨《あめ》がやゝ頻《しき》つて来《き》た。
案山子《かゝし》の簑《みの》は、三《みつ》つともぴしよ/\と音《おと》するばかり、――中《なか》にも憎《にく》かつたは後《あと》から行《ゆ》く奴《やつ》、笠《かさ》を着《き》たを得意《とくい》の容躰《ようだい》、もの/\しや左右《さいう》を|《みまは》しながら前途《ゆくて》へ蹌踉《よろめ》く。
果《はた》して祠《ほこら》を指《さ》したらしい。
横《よこ》へ切《き》れて田畝道《たんぼみち》を、向《むか》ふへ、一方《いつぱう》が山《やま》の裙《すそ》、片傍《かたはら》を一叢《ひとむら》の森《もり》で仕切《しき》つた真中《まんなか》が、茫《ぼう》と展《ひら》けて、草《くさ》の生《はへ》が朧月《おぼろづき》に、雲《くも》の簇《むら》がるやうな奥《おく》に、祠《ほこら》の狐格子《きつねがうし》を洩《も》れる灯《ひ》が、細雨《こさめ》に浸《にじ》むだのを見《み》ると――猶予《ためら》はず其方《そちら》へ向《む》いて、一度《いちど》斜《はす》に成《な》つて折曲《をれまが》つて列《つらな》り行《ゆ》く。
其時《そのとき》気《き》に懸《かゝ》つたのは、祠《ほこら》の前《まへ》を階《きぎはし》から廻廊《くわいらう》の下《した》へ懸《か》けて、たゞ三《み》ツ五《いつ》ツではない、七《なゝ》八《や》ツ、それ/\十《と》ウにも余《あま》る物《もの》の形《かたち》が、孰《どれ》も土器色《かはらけいろ》の法衣《ころも》に、黒《くろ》い色《いろ》の袈裟《けさ》かけた、恰《あだか》も空摸様《そらもやう》のやうなのが、高《たか》い坊主《ばうず》と低《ひく》い坊主《ばうず》と大《おほき》な坊主《ばうず》と小《ちひ》さな坊主《ばうず》と、胡乱々々《うろ/\》動《うご》いて、むら/\居《ゐ》る……
『やあ、お浦《うら》を嬲《なぶ》る、』
と前《まへ》へ行《ゆ》く案山子《かゝし》どもを、横《よこ》に掠《かす》めて、一息《ひといき》に駆《か》け着《つ》けて、いきなり階《きざはし》に飛附《とびつ》いて、唯《と》見《み》ると、扨《さて》も、寄《よ》つたわ、来《き》たわ。僧形《そうぎやう》に見《み》えた有《あ》りたけの人数《にんず》は、其《それ》も是《これ》も同《おな》じやうな案山子《かゝし》の数々《かず/\》。――割《わ》つて通《とほ》つた人間《にんげん》の袖《そで》の煽《あふ》りに、よた/\と皆《みな》左右《さいう》に散《ち》つた、中《なか》には廻廊《くわいらう》に倒《たふ》れかゝつて、もぞ/\と動《うご》くのもある。
正面《しやうめん》に伸上《のびあが》つて見《み》れば、向《むか》ふから、ひよこ/\来《く》る三個《みつゝ》の案山子《かゝし》も、同《おな》じやうな坊主《ばうず》に見《み》えた。
扉《とびら》を入《はい》ると、無事《ぶじ》であつた。お浦《うら》を其《そ》のまゝの彫像《てうざう》は、灯《ひ》の影《かげ》にちら/\と瞳《ひとみ》も動《うご》いて、人待顔《ひとまちがほ》に立草臥《たちくたび》れて、横《よこ》に寝《ね》たさうにも見《み》えたのである。
下《した》に敷《し》いた白毛布《しろけつと》の上《うへ》には、所狭《ところせま》く鑿《のみ》も鉋《かんな》も散《ちら》かり放題《はうだい》。初手《しよて》は此《こ》の毛布《けつと》に包《くる》んで、夜路《よみち》を城趾《しろあと》へ、と思《おも》つたが、――時鳥《ほとゝぎす》は啼《な》かぬけれども、然《さ》うするのは、身《み》を放《はな》れたお浦《うら》の魂《たましひ》を容《い》れたやうで、嘗《かつ》て城《じやう》ヶ沼《ぬま》の縁《ふち》で旅僧《たびそう》の口《くち》から魔界《まかい》の暗示《あんじ》を伝《つた》へられたゝめに――太《いた》く忌《いま》はしかつたので、……権七《ごんしち》に取寄《とりよ》せさした着換《きがえ》の衣《きぬ》は、恰《あたか》も祠《ほこら》の屋根《やね》に藤《ふぢ》の花《はな》が咲《さ》きかゝつたのを、月《つき》が破廂《やぶれひさし》から影《かげ》を落《おと》したやうに届《とゞ》いて居《ゐ》た。然《しか》も燃《も》え立《た》つばかりの緋《ひ》の扱帯《しごき》は、今《いま》しも其《そ》の腰《こし》のあたりをする/\と辷《すべ》つた如《ごと》く、足許《あしもと》に差置《さしお》かるゝ。
縋着《すがりつ》けば、ころ/\と其《そ》の掌《たなそこ》に秘《ひ》めた采《さい》が鳴《な》つた。
『ござるか。』
『…………』
『ござるか、ござるか。』
と蚯蚓《みゝず》の這《は》ふやうな声《こゑ》が階《きざはし》の処《ところ》で聞《きこ》える。
『誰《たれ》だ。』
と、うつかり、づゝと出《で》ると、つひ忘《わす》れた……づらりと其処《そこ》に案山子《かかし》ども。
其《そ》の中《なか》の孰《いづ》れが言《ものい》ふ? 中気病《ちゆうきやみ》のやうな老《ふ》けた、舌《した》つ不足《たらず》で、
『おねんぎよ。』と言《い》ふ。
『おねんご。』
と又《また》訴《うつた》うる。……
糠雨《ぬかあめ》の朧夜《おぼろよ》に、小《ちひさ》き山廓《さんかく》の祠《ほこら》の前《まへ》。破《やぶ》れ簑《みの》のしよぼ/\した渠等《かれら》の風躰《ふうてい》、……其《そ》の言《い》ふ処《ところ》が、お年貢《ねんぐ》、お年貢《ねんぐ》、と聞《きこ》えて、未進《みしん》の科条《くわでう》で水牢《みづらう》で死《し》んだ亡者《もうじや》か、百姓一揆《ひやくしやういつき》の怨霊《おんりやう》か、と思《おも》ひ附《つ》く。其《そ》の莚旗《むしろはた》を挙《あ》げたのが此《こ》の祠《ほこら》であらうも知《し》れぬ。――が、何《なに》を求《もと》むる? 其《そ》の意《い》を得《え》ない。熟《じつ》と瞻《みつむ》れば、右《みぎ》から左《ひだり》から階《きざはし》の前《まへ》へ、ぞろ/\と寄《よ》つた……簑《みの》の摺合《すれあ》ふ音《おと》して、
『うけとろ、』
『受《う》け取《と》らう。』
『おねんご受取《うけと》ろ。』と言《い》ふのが、何処《どこ》から出《で》る声《こゑ》か、一本竹《いつぽんだけ》で立《た》つた地《ち》の中《なか》から、ぶる/\湧出《わきだ》す。
『おゝ、』
と思《おも》はず合点《がつてん》した。
『人形《にんぎやう》か、此《こ》の彫像《てうざう》を受《う》け取《と》らうと言《い》ふのか?』
中《なか》にも笠《かさ》ある案山子《かゝし》の頷《うなづ》くのが、ぱく/\動《うご》く。其《それ》は途中《とちゆう》からの馴染《なじみ》らしい。
『おゝさう、おぶおう、おぶさう。』と野良《のら》な音《おん》。恰《あたか》も、おゝ、然《さ》う負《おぶ》はう、負《おぶ》され、と云《い》ふが如《ごと》し。
『可《よし》、可《よし》、』
で、衣服《きもの》を被《か》け、彫像《てうざう》を抱《いだ》いたなり、狐格子《きつねがうし》を更《あらた》めて開《ひら》いて立出《たちいで》たつる、
『おい、案山子《かゝし》ども、』
と真面目《まじめ》に遣《や》つた。今《いま》思《おも》へば、……言《い》ふまでも無《な》く何《ど》うかして居《ゐ》る。
『御苦労《ごくらう》、御厚意《ごかうい》は受取《うけと》つたが、己《おれ》の刻《きざ》んだ此《こ》の婦《をんな》は活《い》きとるぞ。貴様《きさま》たちに持運《もちはこ》ばれては血《ち》の道《みち》を起《おこ》さう、自分《じぶん》でおんぶだ。』
と高笑《たかわら》ひをして、其処《そこ》で肩《かた》の上《うへ》に揺上《ゆすりあ》げた。抱《だ》いても腕《うで》に乗《の》つたのに……と肩越《かたごし》に見上《みあ》げた時《とき》、天井《てんじやう》の蔭《かげ》に髪《かみ》も黒《くろ》く上《うへ》から覗込《のぞきこ》むやうに見《み》えたので、歴然《あり/\》と、自分《じぶん》が彫刻師《てうこくし》に成《な》つた幼《おさな》い時《とき》の運命《うんめい》が、形《かたち》に出《で》て顕《あら》はれた……雨《あめ》も此《こ》の朧夜《おぼろよ》を、細《ほそ》く微《かすか》な雪《ゆき》のやうに白《しろ》く野山《のやま》に降懸《ふりかゝ》つた。
『出懸《でか》けるぞ、案内《あんない》するか、続《つゞ》いて来《く》るか。』
案山子《かゝし》どもは藁《わら》の乱《みだ》れた煙《けむり》の如《ごと》く、前後《あとさき》にふら/\附添《つきそ》ふ。……而《そ》して祠《ほこら》の樹立《こだち》を出離《ではな》れる時分《じぶん》から、希有《けう》な一行《いつかう》の間《あひだ》に、二《ふた》ツ三《み》ツ灯《あかり》が点《つ》いたが、光《ひかり》が有《あ》りとも見《み》えず、ものを映《うつ》さぬでも無《な》い。たとへば月《つき》の其《そ》の本尊《ほんぞん》が霞《かす》んで了《しま》つて、田毎《たごと》に宿《やど》る影《かげ》ばかり、縦《たて》に雨《あめ》の中《なか》へふつと映《うつ》る、宵《よひ》に見《み》た土器色《かはらけいろ》の月《つき》が幾《いく》つにも成《な》つて出《で》たらしい。
其《それ》が案山子《かゝし》どもの行《ゆ》く方《はう》へ、進《すゝ》めば進《すゝ》み、移《うつ》れば移《うつ》り、路《みち》を曲《まが》る時《とき》なぞは、スイと前《まへ》へ飛《と》んで、一寸《ちよいと》停《と》まつて、土器色《かはらけいろ》を赫《くわつ》として待《ま》つ。ともすれば曇《くも》ることもあつた。此《こ》の灯《ひ》はひく/\呼吸《いき》を吐《つ》く、と見《み》えた。
低《ひく》い藁屋《わらや》が二三軒《にさんげん》、煙出《けむだ》しの口《くち》も開《あ》かず、目《め》もなしに、暗《やみ》から潜出《もぐりだ》した獣《けもの》のやうに蹲《つくば》つて、寂《しん》と寝《ね》て居《ゐ》る前《まへ》を通《とほ》つた時《とき》。
『ばツさ、ばツさ。』
簑《みの》を鳴《な》らしたのではない。案山子《かゝし》の一《ひと》つが、最《も》う耳《みゝ》に馴《な》れて遠慮《ゑんりよ》のない口《くち》を開《あ》けた。
『ばつさよ、ばつさよ。』
『コーコー、来《こ》ーい、来《こ》い。』
と最一《もひと》つ※舌《しやべ》[#「口+堯」、U+5635、152-15]つた。
ばさりと言《い》ふのが、ばさりと聞《き》こえて、ばさりと鳴《な》つて、其《そ》の藁屋《わらや》の廂《ひさし》から、畷《なはて》へばさりと落《お》ちたものがある、続《つゞ》いて又《また》一《ひと》つばさりとお出《で》やる。
鳥《とり》か獣《けもの》か、こゝにバサリと名《な》づくるものが住《す》んで、案山子《かゝし》に呼出《よびだ》されたのであらう、と思《おも》つたが、やがて其《それ》が二《ふた》つが並《なら》んで、真直《まつすぐ》にひよいと立《た》つ、と左右《さいう》へ倒《たふ》れざまに、又《また》ばさりと言つた。が、名《な》ではない。ばさりと称《とな》へたは其《そ》の音《おと》で、正体《しやうたい》は二本《にほん》の番傘《ばんがさ》、ト蛇《じや》の目《め》に開《ひら》いたは可《いゝ》が、古御所《ふるごしよ》の簾《すだれ》めいて、ばら/\に裂《さ》けて居《ゐ》る。
唯《と》見《み》ると、両方《りやうはう》から柄《え》を合《あ》はせて、しつくり組《く》むだ。其《そ》の破《やぶ》れ傘《がさ》が輪《わ》に成《な》つて、畷《なはて》をぐる/\と廻《まは》つて丁《ちやう》と留《と》まる。
案山子《かゝし》が三《み》ツ四《よ》ツ、ふら/\と取巻《とりま》いて、
『乗《の》つされ。』
『お人形《にんぎやう》、乗《の》つせえ。』と言《い》ふ。
『はゝあ、載《の》せろ、と言《い》ふのか、面白《おもしろ》い。』
案《あん》ずるに、此《こ》の車《くるま》を以《も》つて、我《わ》が作品《さくひん》を礼《れい》するのであらう。其《そ》の厚志《かうし》、敢《あへ》て、輿《こし》と駕籠《かご》と破《やぶ》れ傘《がさ》とを択《えら》ばぬ。其処《そこ》で彫像《てうざう》の脇《わき》を抱《だ》いて、傘《からかさ》の柄《え》に腰《こし》を据《す》えると、不思議《ふしぎ》や、裾《すそ》も開《ひら》かず、肩《かた》も反《そ》らず……膠《にかは》で着《つ》けたやうに整然《ちやん》と乗《の》つた、同時《どうじ》にくる/\と傘《からかさ》が廻《まは》つて、さつさと行《ゆ》く……
やがて温泉《いでゆ》の宿《やど》を前途《ゆくて》に望《のぞ》んで、傍《かたはら》に谿河《たにがは》の、恰《あたか》も銀河《ぎんが》の砕《くだ》けて山《やま》を貫《つらぬ》くが如《ごと》きを見《み》た時《とき》、傘《からかさ》の輪《わ》は流《ながれ》に逆《さから》ひ、疾《と》く水車《みづぐるま》の如《ごと》くに廻転《くわいてん》して、水《みづ》は宛然《さながら》其《そ》の破《やぶ》れ目《め》を走《はし》り抜《ぬ》けて、斜《なゝ》めに黄色《きいろ》な雪《ゆき》が散《ち》つた。や、何《ど》うも案山子《かゝし》の飛《と》ぶこと、ひよろつく事《こと》!
此《これ》を見《み》よ、人々《ひと/″\》。――
で、月《つき》が三《み》ツ四《よ》ツ出《で》て路《みち》を照《て》らすのも、案山子《かゝし》が飛《と》ぶのも、傘《からかさ》の車《くるま》も、其《そ》の車《くるま》に、と反身《そりみ》で、斜《しや》に構《かま》へて乗《の》つた像《ざう》の活《い》けるが如《ごと》きも、一切《すべて》自分《じぶん》の神通力《じんつうりき》の如《ごと》くに感《かん》じて、寝静《ねしづ》まつた宿屋《やどや》の方《はう》へ拳《こぶし》を突出《つきだ》して呵々《から/\》と笑《わら》つた。
『此《これ》を見《み》よ、人々《ひと/″\》。』
其時《そのとき》車《くるま》を真中《まんなか》に、案山子《かゝし》の列《れつ》は橋《はし》にかゝつた。……瀬《せ》の音《おと》を横切《よこぎ》つて、竹《たけ》の脚《あし》を、蹌踉《よろ》めく癖《くせ》に、小賢《こざか》しくも案山子《かゝし》の同勢《どうぜい》橋板《はしいた》を、どゞろ/\とゞろと鳴《な》らす。
『寝《ね》て居《ゐ》るに騒《さわ》がしい。』
と欄干《らんかん》が声《こゑ》を懸《か》けた。
『あゝ、気《き》の毒《どく》だ。』
とうつかり人間《にんげん》の雪枝《ゆきえ》が答《こた》へた。おや、と心着《こゝろづ》くと最《も》うざんざと川水《かはみづ》。
まだ可怪《おかし》かつたのは、一行《いつかう》が、其《それ》から過般《いつか》の、あの、城山《しろやま》へ上《のぼ》る取着《とつつき》の石段《いしだん》に懸《かゝ》つた時《とき》で。是《これ》から推上《おしあが》らうと云《い》ふのに一呼吸《ひといき》つくらしく、フト停《と》まると、中《なか》でも不精《ぶせう》らしい簑《みの》の裾《すそ》の長《なが》いのが、雲《くも》のやうに渦《うづま》いた段《だん》の下《した》の、大木《たいぼく》の槐《えんじゆ》の幹《みき》に恁懸《よりかゝ》つて、ごそりと身動《みうご》きをしたと思《おも》へ。
『わい、擽《くすぐつ》てえ。』と樹《き》が喚《わめ》いた。
傘《からかさ》はぐる/\と段《だん》にかゝる、と苦《く》もなく攀上《よぢのぼ》るに不思議《ふしぎ》はない。濃《こまや》かな夜《よ》の色《いろ》が段《だん》を包《つゝ》んで、雲《くも》に乗《の》せたやうにすら/\と辷《すべ》らし上《あ》げる。気《き》の疾《はや》い、身軽《みがる》なのが、案山子《かゝし》の中《なか》にもあるにこそ。二《ふた》ツ三《み》ツ追続《おつつゞ》いて、すいと飛《と》んで、車《くるま》の上《うへ》を宙《ちう》から上《のぼ》つたのが、アノ土器色《かはらけいろ》の月《つき》の形《かたち》の灯《ともしび》をふわりと乗越《のりこ》す。
段《だん》の上《うへ》で、一体《いつたい》の石地蔵《いしぢざう》に逢《あ》つた。
『坊《ばう》ちやま、坊《ばう》ちやま。』と一《ひと》ツが言《い》ふ。
『さても迷惑《めいわく》、』
と仰有《おつしや》つたが、御手《おんて》の錫杖《しやくぢやう》をづいと上《あ》げて、トンと下《お》ろしざまに歩行《あゆ》び出《で》らるゝ……成程《なるほど》、御襟《おんゑり》の唾掛《よだれかけ》めいた切《きれ》が、ひらり/\と揺《ゆ》れつゝ来《こ》らるゝ。
「此《こ》の野原《のはら》に来《き》た時《とき》です。」
と雪枝《ゆきえ》は老爺《ぢい》に向《むか》いて、振返《ふりかへ》つて左右《さいう》を視《なが》めた。
陽炎《かげらふ》が膝《ひざ》に這《は》つて、太陽《たいやう》はほか/\と射《さ》して居《ゐ》る。空《そら》は晴《は》れたが、草《くさ》の葉《は》の濡色《ぬれいろ》は、次第《しだい》に霞《かすみ》に吸取《すひと》られやうとする風情《ふぜい》である。
「其《そ》の地蔵尊《ぢざうそん》が、前《まへ》の方《はう》から錫杖《しやくぢやう》を支《つ》いたなりで、後《うしろ》に続《つゞ》いた私《わたし》と擦違《すれちが》つて、黙《だま》つて坂《さか》の方《はう》へ戻《もど》つて行《ゆ》かるゝ……と案山子《かゝし》もぞろ/\と引返《ひきかへ》すんです。
番傘《ばんがさ》は、と見《み》ると、此《これ》もくる/\と廻《まは》つて返《かへ》る。が、まるで空《から》に成《な》つて、上《うへ》に載《の》せた彫像《てうざう》がありますまい。
……つひ向《むか》ふを、何《ど》うです、……大牛《おほうし》が一頭《いつとう》、此方《こなた》へ尾《を》を向《む》けてのそりと行《ゆ》く。其《そ》の図体《づうたい》は山《やま》を圧《あつ》して此《こ》の野原《のはら》にも幅《はゞ》つたいほど、朧《おぼろ》の中《なか》に影《かげ》が偉《おほき》い。其《そ》の背中《せなか》にお浦《うら》の像《ざう》が、紅《くれなゐ》の扱帯《しごき》を長《なが》く、仰向《あふむ》けに成《な》つて柔《やはら》かに懸《かゝ》つて居《ゐ》る。」
「破《やぶ》れ傘《がさ》の車《くるま》では、別《べつ》に侮《あなど》られ辱《はづかし》められるとも思《おも》はなかつたが、今《いま》牛《うし》の背《せ》に懸《か》けられたのを見《み》ると、酷《むごた》らしくて我慢《がまん》が出来《でき》ない! 木《き》を刻《きざ》んだものではあるが、節《ふし》から両岐《ふたまた》に裂《さ》かれさうに思《おも》はれて、生身《なまみ》のお浦《うら》だか、像《ざう》の女《をんな》だか、分別《ふんべつ》も着《つ》かないくらゐ。
『あツ、』と叫《さけ》んで、背後《うしろ》から飛蒐《とびかゝ》つたが、最《も》う一足《ひとあし》の処《ところ》で手《て》が届《とゞ》きさうに成《な》つても、何《ど》うしても尾《を》に及《およ》ばぬ……牛《うし》は急《いそ》ぐともなく、動《うご》かない朧夜《おぼろよ》が自然《おのづ》から時《とき》の移《うつ》るやうに悠々《いう/\》とのさばり行《ゆ》く。
しばらくして、此《こ》の大手筋《おほてすぢ》を、去年《きよねん》一昨年《おととし》のまゝらしい、枯蘆《かれあし》の中《なか》を縫《ぬ》つた時《とき》は、俗《ぞく》に水底《みづそこ》を踏《ふ》んで通《とほ》ると言《い》ふ、どつしりしたものに見《み》えた。背《せな》の彫像《てうざう》の仰向《あふむ》けの胸《むね》に采《さい》を握《にぎ》つた拳《こぶし》が、苦《くるし》んで空《くう》を掴《つか》むやうに見《み》えて堪《た》へられない。
後《あと》を喘《あへ》ぎ/\、はあ/\と呼吸《いき》して続《つゞ》く。
「其《そ》の牛《うし》が、老爺《おぢい》さん、」
と雪枝《ゆきえ》は聞《き》くものを呼懸《よびか》けた。
天守《てんしゆ》の礎《いしずゑ》の土《つち》を後脚《あとあし》で踏《ふ》んで、前脚《まへあし》を上《うへ》へ挙《あ》げて、高《たか》く棟《むね》を抱《いだ》くやうに懸《か》けたと思《おも》ふと、一階目《いつかいめ》の廻廊《くわいらう》めいた板敷《いたじき》へ、ぬい、と上《のぼ》つて其《そ》の外周囲《そとまはり》をぐるりと歩行《ある》いた。……音《おと》に鎗《やり》ヶ嶽《だけ》と中空《なかぞら》に相聳《あひそび》えて、月《つき》を懸《か》け太陽《ひ》を迎《むか》ふると聞《き》く……此《こ》の建物《たてもの》はさすがに偉大《おほき》い。――朧《おぼろ》の中《なか》に然《さ》ばかり蔓《はびこ》つた牛《うし》の姿《すがた》も、床《ゆか》走《はし》る鼠《ねずみ》のやうに見《み》えた。
ぐるりと一廻《ひとまは》りして、一《いつ》ヶ所《しよ》、巌《いはほ》を抉《えぐ》つたやうな扉《とびら》へ真黒《まつくろ》に成《な》つて入《はい》つたと思《おも》ふと、一《ひと》つよぢれた向《むか》ふ状《ざま》なる階子《はしご》の中《なか》ほどを、灰色《はいいろ》の背《せ》を畝《うね》つて上《のぼ》る、牛《うし》は斑《まだら》で。
此《こ》の一階目《いつかいめ》の床《ゆか》は、今《いま》過《よぎ》つた野《の》に、扉《とびら》を建《た》てまはしたと見《み》るばかり広《ひろ》かつた。短《みじか》い草《くさ》も処々《ところ/″\》、矢間《やざま》に一《ひと》ツ黄色《きいろ》い月《つき》で、朧《おぼろ》の夜《よ》も同《おな》じやう。
と黒雲《くろくも》を被《かつ》いだ如《ごと》く、牛《うし》の尾《を》が上口《あがりくち》を漏《も》れたのを仰《あふ》いで、上《うへ》の段《だん》、上《うへ》の段《だん》と、両手《りやうて》を先《さき》へ掛《か》けながら、慌《あはたゞ》しく駆上《かけあが》つた。……月《つき》は暗《くら》かつた、矢間《やざま》の外《そと》は森《もり》の下闇《したやみ》で苔《こけ》の香《か》が満《み》ちて居《ゐ》た。……牛《うし》の身躰《からだ》は、早《は》や又《また》段《だん》の上《うへ》へ半《なか》ばを乗越《のりこ》す。
ぐる/\と急《いそ》いで廻《まは》つて取着《とつつ》いて追《お》つて上《のぼ》る。と此《こ》の矢間《やざま》の月《つき》は赤《あか》かつた。魔界《まかい》の色《いろ》であらうと思《おも》ふ。が、猶予《ためら》ふ隙《ひま》もなく直《たゞ》ちに三階目《さんがいめ》を攀《よ》ぢ上《のぼ》る……
最《も》う仰《あふ》いでも覗《のぞ》いても、大牛《おほうし》の形《かたち》は目《め》に留《と》まらなく成《な》つたゝめに、あとは夢中《むちゆう》で、打附《ぶつゝか》れば退《すさ》り、床《ゆか》あれば踏《ふ》み、階子《はしご》あれば上《のぼ》る、其《そ》の何階目《なんかいめ》であつたか分《わか》らぬ。雲《くも》か、靄《もや》か、綿《わた》で包《つゝ》んだやうに凡《およ》そ三抱《みかゝえ》ばかりあらうと思《おも》ふ丸柱《まるばしら》が、白《しろ》く真中《まんなか》にぬつく、と立《た》つ、……と一目《ひとめ》見《み》れば、其《そ》の柱《はしら》の根《ね》に一人《ひとり》悄然《しよんぼり》と立《た》つた婦《をんな》の姿《すがた》……
『お浦《うら》……』と膝《ひざ》を支《つ》いて、摺寄《すりよ》つて緊乎《しつか》と抱《だ》いて、言《い》ふだけの事《こと》を呼吸《いき》も絶々《たえ/″\》に我《われ》を忘《わす》れて※舌《しやべ》[#「口+堯」、U+5635、157-12]つた。声《こゑ》が籠《こも》つて空《そら》へ響《ひゞ》くか、天井《てんじやう》の上《うへ》――五階《ごかい》のあたりで、多人数《たにんずう》のわや/\もの言《い》ふ声《こゑ》を聞《き》きながら、積日《せきじつ》の辛労《しんらう》と安心《あんしん》した気抜《きぬ》けの所為《せゐ》で、其《その》まゝ前後不覚《ぜんごふかく》と成《な》つた。……
『や』
心着《こゝろづ》く、と雲《くも》を踏《ふ》んでるやうな危《あぶなつ》かしさ。夫婦《ふうふ》が活《い》きて再《ふたゝ》び天日《てんじつ》を仰《あふ》ぐのは、唯《たゞ》無事《ぶじ》に下《した》まで幾階《いくかい》の段《だん》を降《お》りる、其《それ》ばかり、と思《おも》ふと、昨夜《ゆふべ》にも似《に》ず、爪先《つまさき》が震《ふる》ふ、腰《こし》が、がくつく、血《ち》が凍《こほ》つて肉《にく》が硬《こは》ばる。
『気《き》を着《つ》けて、気《き》を着《つ》けて、危《あぶな》い。』と両方《りやうはう》の脚《あし》の指《ゆび》、白《しろ》いのと、男《をとこ》のと、十本《じふぽん》づゝを、ちら/\と一心不乱《いつしんふらん》に瞻《みつ》めながら、恰《あたか》も断崖《だんがい》を下《お》りるやう、天守《てんしゆ》の下《した》は地《ち》が矢《や》の如《ごと》く流《なが》るゝか、と見《み》えた。……
雪枝《ゆきえ》は語《かた》り続《つ》ぐ声《こゑ》も弱《よわ》つて、
「漸《やつ》との思《おも》ひで此処《こゝ》まで来《き》て……先《ま》づ一呼吸《ひといき》と気《き》が着《つ》くと、あの躰《てい》だ。老爺《おぢい》さん、形代《かたしろ》の犠牲《にえ》に代《か》へて、辛《から》くもです、我《わ》が手《て》に救《すく》ひ出《だ》したとばかり喜《よろこ》んだのは、お浦《うら》ぢやない、家内《かない》ぢやない。昨夜《ゆふべ》持《も》つて行《い》つた彫像《てうざう》を其《そ》のまゝ突返《つゝかへ》されて、のめ/\と担《かつ》いで帰《かへ》つたんです。然《しか》も片腕《かたうで》捩《もぎ》つてある、あの采《さい》を持《も》たせた手《て》が。……あゝ、私《わたし》は五躰《ごたい》が痺《しび》れる。」と胸《むね》を掴《つか》んで悶《もだ》へ倒《たふ》れる。
聞《き》き果《は》てつ。……
飛騨国《ひだのくに》の作人《さくにん》菊松《きくまつ》は、其処《そこ》に仰《あふ》ぎ倒《たふ》れて今《いま》も悪《わる》い夢《ゆめ》に魘《うな》されて居《ゐ》るやうな――青年《せいねん》の日向《ひなた》の顔《かほ》、額《ひたひ》に膏汗《あぶらあせ》の湧《わ》く悩《なや》ましげな状《さま》を、然《さ》も気《き》の毒《どく》げに瞻《みまも》つた。
「聞《き》けば聞《き》くほど、へい、何《なん》とも言《い》ひやうはねえ。けんども、お前様《めえさま》、お少《わけ》えに、其《そ》の位《くらゐ》の事《こと》に、然《さ》う気《き》い落《おと》さつしやるもんでねえ。たかゞあれだ、昨夜《ゆふべ》持《も》つて行《ゆ》かしつた其《そ》の形代《かたしろ》の像《ざう》が、お天守《てんしゆ》の…何様《なにさま》か腑《ふ》に落《お》ちねえ処《ところ》があるで、約束《やくそく》の通《とほ》り奥様《おくさま》を返《かへ》さねえもんでがんしよ。だで、最《も》う一《ひと》ツ拵《こさ》えさつせえ。美《うつくし》い婦《をんな》の木像《もくざう》さ又《また》遣直《やりなほ》すだね。えゝ、お前様《めえさま》、対手《あひて》が七六《しちむづ》ヶしいだけに張合《はりえゝ》がある……案山子《かゝし》ぢや成《な》んねえ。素袍《すはう》でも着《き》た徒《てあひ》が玉《たま》の輿《こし》持《も》つて、へい、お迎《むかへ》、と下座《げざ》するのを作《つく》らつせえ。えゝ! と元気《げんき》を出《だ》さつしやりまし。」
「其処《そこ》です、老爺《おぢい》さん、」
と雪枝《ゆきえ》は草《くさ》を掴《つか》んで起直《おきなほ》つて、
「現在《げんざい》、其《そ》の苦《くる》しみを為《し》て居《ゐ》るお浦《うら》を救《すく》はんために製作《こしら》へたんです。有《あり》つたけの元気《げんき》も出《だ》した、力《ちから》も尽《つく》した。最《も》う為《し》やうがない。しかし此処《こゝ》で貴老《あなた》に逢《あ》つたのは天《てん》の引合《ひきあ》はせだらうと思《おも》ふ。
いや、其《それ》よりも此《こ》の土地《とち》へ来《き》て、夢《ゆめ》とも現《うつゝ》とも分《わか》らない種々《いろ/\》の事《こと》のあるのは、別《べつ》ではない、婦《をんな》のために、仕事《しごと》を忘《わす》れた眠《ねむり》を覚《さま》して、謹《つゝし》んで貴老《あなた》に教《をしへ》を受《う》けさせやうとする、芸《げい》の神《かみ》の計《はか》らひであらうも知《し》れない。私《わたし》は跪《ひざまづ》く、其《そ》の草鞋《わらぢ》を頂《いたゞ》く……何《ど》うぞ、弟子《でし》にして下《くだ》さい、教《をし》へて下《くだ》さい、而《そ》してお浦《うら》を救《すく》つて下《くだ》さい。」
「いや、前刻《さつき》船《ふね》の中《なか》で焚《や》けるのを向《むか》ふから見《み》た時《とき》な、活《い》きた人《ひと》だと吃驚《びつくり》しつけの。お前様《めえさま》一廉《ひとかど》の利《きゝ》ものだ。別《べつ》に私等《わしら》に相談《さうだん》打《ぶ》たつしやるに及《およ》ぶめえが、奥様《おくさま》のお身《み》の上《うへ》ぢや、出来《でき》る手伝《てつだひ》なら為《し》ずには居《ゐ》られぬで、年《とし》の功《こう》だけも取処《とりどこ》があるなら、今度《こんど》造《つく》らつしやるに助言《ぢよごん》な為《す》べいさ。まあ、待《また》つせえよ、私《わし》が今《いま》、」と狸《たぬき》のやうな麻袋《あさぶくろ》をふらりと、腰《こし》を伸《の》して、のつそりと立《た》つた。
旭《あさひ》さす野《の》を一人《ひとり》、老爺《ぢゞい》は腰骨《こしぼね》に手《て》を組《く》んで、ものを捜《さが》す風《ふう》して歩行《ある》いたが、少時《しばらく》して引返《ひきかへ》した。拾《ひろ》つて来《き》たのは雄鹿《をじか》の角《つの》の折《をれ》、山《やま》深《ふか》ければ千歳《ちとせ》の松《まつ》の根《ね》に生《お》ふると聞《き》く、伏苓《ふくれう》と云《い》ふものめいたが、何《なに》、別《べつ》に……尋常《たゞ》の樹《き》の枝《えだ》、女《をんな》の腕《かひな》ぐらゐの細《ほそ》さで、一尺《いつしやく》有余《いうよ》也《なり》。
ト件《くだん》の麻袋《あさぶくろ》の口《くち》を開《あ》けて、握飯《にぎりめし》でも出《だ》しさうなのが、一挺《いつちやう》小刀《こがたな》を抽取《ぬきと》つて、無雑作《むざうさ》に、さくりと当《あ》てる、ヤ又《また》能《よ》く切《き》れる、枝《えだ》はすかりと二《ふた》ツに成《な》つた。
「鯉《こひ》とも思《おも》ふが、木《き》が小《ちつこ》い。鰌《どぜう》では可笑《をかし》かんべい。鮒《ふな》を一《ひと》ツ製《こさ》へて見《み》せつせえ。雑《ざつ》と形《かたち》で可《え》え。鱗《うろこ》は縦横《たてよこ》に筋《すぢ》を引《ひ》くだ、……私《わし》も同《おな》じに遣《や》らかすで、較《くら》べて見《み》るだね。ひよつとかして、私《わし》の方《はう》さ出来《でき》が佳《よ》くば、相談対手《さうだんあひて》に成《な》れるだでの、可《いゝ》か、さあ、ござらつせえ。」
と小刀《こがたな》を添《そ》へて突着《つきつ》けた。雪枝《ゆきえ》は胡座《あぐら》を組直《くみなほ》した。
「一《ひ》イ二《ふ》ウ三《み》イ、はじめるぞ、はゝゝはゝ駆競《かけつくら》のやうだの。何《なに》も前後《あとさき》に構《かま》ひごとはねえだよ。お前様《めえさま》串戯《じやうだん》ごとではあんめえが、何《なん》でも仕事《しごと》するには元気《げんき》に限《かぎ》るだで、景気《けいき》をつけるだ。――可《えゝ》かの、一《ひ》イ二《ふ》ウ三《み》イで、遣《や》りかけるだ。一《ひ》イ二《ふ》ウ三《み》イ! はツはツはツ。」
笑《わら》ひかけて、済《す》まして遣《や》り出《だ》す。老爺《ぢゞい》の手《て》にも小刀《こがたな》が動《うご》く、と双《なら》んで二挺《にちやう》、日《ひ》の光《ひかり》に晃々《きら/\》と閃《きらめ》きはじめた……掌《たなそこ》の木《き》の枝《えだ》は、其《そ》の小刀《こがたな》の輝《かゞや》くまゝに、恰《あたか》も鰭《ひれ》を振《ふる》ふと見《み》ゆる、香川雪枝《かがはゆきえ》も[#「香川雪枝も」はママ]、さすがに名《な》を得《え》た青年《わかもの》であつた。
と此《こ》の老爺《ぢゞい》と雪枝《ゆきえ》とが、旭《あさひ》に向《むか》つて濠端《ほりばた》に小刀《こがたな》を使《つか》ふ。前面《ぜんめん》の大手《おほて》の彼方《かなた》に、城址《しろあと》の天守《てんしゆ》が、雲《くも》の晴《は》れた蒼空《あをぞら》に群山《ぐんざん》を抽《ぬ》いて、すつくと立《た》つ……飛騨山《ひださん》の鞘《さや》を払《はら》つた鎗《やり》ヶ嶽《だけ》の絶頂《ぜつちやう》と、十里《じふり》の遠近《をちこち》に相対《あひたい》して、二人《ふたり》の頭上《づじやう》に他《た》の連峯《れんぽう》を率《ひき》ゐて聳《そび》ゆる事《こと》を忘《わす》れてはならぬ。
件《くだん》の天守《てんしゆ》の棟《むね》に近《ちか》い、五階目《ごかいめ》あたりの端近《はしぢか》な処《ところ》へ出《で》て、霞《かすみ》を吸《す》ひつゝ大欠伸《おほあくび》を為《し》た坊主《ばうず》がある。
雪枝《ゆきえ》は合掌《がつしよう》して跪《ひざまづ》いた。
渠《かれ》の前《まへ》には、一座《いちざ》滑《なめら》かな盤石《ばんじやく》の、其《そ》の色《いろ》、濃《こ》き緑《みどり》に碧《あを》を交《まじ》へて、恰《あだか》も千尋《せんじん》の淵《ふち》の底《そこ》に沈《しづ》んだ平《たひら》かな巌《いは》を、太陽《ひ》の色《いろ》も白《しろ》いまで、霞《かすみ》の満《み》ちた、一塵《いちぢん》の濁《にご》りもない蒼空《あをぞら》に、合《あは》せ鏡《かゞみ》して見《み》るやうな……大《おほき》さは然《さ》れば、畳《たゝみ》三畳《さんでふ》ばかりと見《み》ゆる、……音《おと》に聞《き》く、飛騨国《ひだのくに》吉城郡《よしきごふり》神宝《かんたから》の山奥《やまおく》にありと言《い》ふ、双六谷《すごろくだに》の名《な》に負《お》へる双六巌《すごろくいは》は是《これ》ならむ。巌《いは》の面《おもて》に浮模様《うきもやう》、末《すそ》を揃《そろ》へて、上下《うへした》に香《かう》の図《づ》を合《あ》はせたやうな柳条《しま》があり、虹《にじ》を削《けづ》つて画《ゑが》いた上《うへ》を、ほんのりと霞《かすみ》が彩《いろど》る。
背後《うしろ》を囲《かこ》つた、若草《わかくさ》の薄紫《うすむらさき》の山懐《やまふところ》に、黄金《こがね》の網《あみ》を颯《さつ》と投《な》げた、日《ひ》の光《ひかり》は赫耀《かくやく》として輝《かゞや》くが、人《ひと》の目《め》を射《ゐ》るほどではなく、太陽《たいやう》は時《とき》に、幽《かすか》に遠《とほ》き連山《れんざん》の雪《ゆき》を被《かつ》いだ白蓮《びやくれん》の蕋《しべ》の如《ごと》くに見《み》えた。……次第《しだい》に近《ちか》く此処《こゝ》に迫《せま》る山《やま》と山《やま》、峯《みね》と峯《みね》との中《なか》を繋《つな》いで蒼空《あをぞら》を縫《ぬ》ふ白《しろ》い糸《いと》の、遠《とほ》きは雲《くも》、やがて霞《かすみ》、目前《まのあたり》なるは陽炎《かげらふ》である。
陽炎《かげらふ》は、爾《しか》く、村里《むらざと》町家《まちや》に見《み》る、怪《あや》しき蜘蛛《くも》の囲《ゐ》の乱《みだ》れた、幻影《まぼろし》のやうなものでは無《な》く、恰《あだか》も練絹《ねりぎぬ》を解《と》いたやうで、蝶《てふ/\》のふわ/\と吐《つ》く呼吸《いき》が、其《その》羽《はね》なりに飜々《ひら/\》と拡《ひろ》がる風情《ふぜい》で、然《しか》も皆《みな》美《うつく》しい女《をんな》の姿《すがた》を象《かたど》る。其《そ》の或《ある》ものは裳《もすそ》黄《き》に、或《ある》ものは袖《そで》紫《むらさき》に……
紫《むらさき》なるは菫《すみれ》の影《かげ》で、黄《き》なるは鼓草《たんぽゝ》の花《はな》の映《うつ》り添《そ》ふ色《いろ》であつた。
巌《いは》のあたりは、此《こ》の二種《ふたいろ》の花《はな》、咲《さ》き埋《うづ》むばかり満《み》ちて居《ゐ》る……其等《それら》色《いろ》ある陽炎《かげらふ》の、いづれ手《て》にも留《と》まらぬ女《をんな》の風情《ふぜい》した中《なか》に、唯《たゞ》一人《いちにん》濃《こまや》かに雪《ゆき》を束《つか》ねたやうな美女《たをやめ》があつて、巌《いは》の彼方《かなた》に恰《あだか》も卓《つくえ》に向《むか》つて立《た》つ状《さま》して彳《たゝず》んだ。
雪枝《ゆきえ》は其《そ》の美女《たをやめ》を前《まへ》に盤石《ばんじやく》を隔《へだ》てゝ蹲《うづくま》つたのである……
双六巌《すごろくいは》の、其《そ》の虹《にじ》の如《ごと》き格目《こまめ》は、美女《たをやめ》の帯《おび》のあたりをスーツと引《ひ》いて、其処《そこ》へも紫《むらさき》が射《さ》し、黄《き》が映《うつ》る……雲《くも》は、霞《かすみ》は、陽炎《かげらふ》は、遠近《をちこち》に尽《こと/″\》く此《こ》の美女《たをやめ》を形《かたち》づくるために、濃《こ》くも薄《うす》くも懸《かゝ》るらし。其《そ》の形《かたち》の厳《おごそか》なるは、白銀《しろがね》の鎧《よろひ》して彼《かれ》を守護《しゆご》する勇士《いうし》の如《ごと》く、其《そ》の姿《すがた》の優《やさ》しいのは、姫《ひめ》に斉眉《かしづ》く侍女《じぢよ》かと見《み》える。
美女《たをやめ》の背後《うしろ》に当《あた》る……其《そ》の山懐《やまふところ》に、唯《たゞ》一本《ひともと》、古歌《こか》の風情《ふぜい》の桜花《さくらばな》、浅黄《あさぎ》にも黒染《すみぞめ》にも白妙《しろたへ》にも咲《さ》かないで、一重《ひとへ》に颯《さつ》と薄紅《うすくれなゐ》。
色《いろ》が美女《たをやめ》の瞼《まぶた》にさし、影《かげ》が美女《たをやめ》の衣《きぬ》を通《とほ》す……
雪枝《ゆきえ》が路《みち》を分《わ》け、巌《いは》を伝《つた》ひ、流《ながれ》を渉《わた》り、梢《こずゑ》を攀《よ》ぢ、桂《かつら》を這《は》つて、此処《こゝ》に辿《たど》り着《つ》いた山蔭《やまかげ》に、はじめて見《み》たのは此《こ》の桜《さくら》で。……
一行《いつかう》は、渠《かれ》と、老爺《おやぢ》と、別《べつ》に一人《ひとり》、背《せ》の高《たか》い、色《いろ》の蒼《あを》い坊主《ばうず》であつた。
是《これ》より前《さき》、雪枝《ゆきえ》は城趾《しろあと》の濠端《ほりばた》で、老爺《ぢい》と並《なら》んで、殆《ほとん》ど小学生《せうがくせい》の態度《たいど》を以《もつ》て、熱心《ねつしん》に魚《うを》の形《かたち》を刻《きざ》みながら、同時《どうじ》に製作《せいさく》しはじめた老爺《ぢい》の手振《てぶり》を見《み》るべく……密《そつ》と傍見《わきみ》して、フト其《そ》の目《め》を外《そ》らした時《とき》、天守《てんしゆ》の矢間《やざま》を湧《わ》いて出《で》るやうな黒坊主《くろばうず》の姿《すがた》を見《み》たが、烏《からす》か、梟《ふくろう》か、と思《おも》つた。
が、大牛《おほうし》が居《ゐ》る、妻《つま》の囚《とら》はれた魔《ま》の城《しろ》である……よし其《それ》が天狗《てんぐ》でも、気《き》を散《ち》らす処《ところ》でない。爰《こゝ》に一刀《いつたう》を下《お》ろすは、彼《かれ》を救《すく》ふ一歩《いつぽ》である、と爽《さはや》かに木削《きくづ》を散《ち》らして一思《ひとおも》ひに刻《きざみ》果《は》てた。
『どう、見《み》せさつせえ。』
疾《と》く我《わ》が小刀《こがたな》を袋《ふくろ》に納《をさ》めて、頤杖《あごづゑ》して待《ま》つて居《ゐ》た老爺《ぢい》は、雪枝《ゆきえ》の作品《さくひん》を掌《て》に据《す》えて煙管《きせる》を啣《くは》えた。
『おゝ、出来《でき》た。ぴち/\と刎《は》ねる……いや、恁《か》うあらうと思《おも》ふた……見事《みごと》なものぢや、乾《かはか》して置《お》くと押死《おつち》ぬべい、それ、勝手《かつて》に泳《およ》げ!』とひよいと、放《はふ》ると、濠《ほり》の水《みづ》へばちやりと落《お》ちた。が、腹《はら》を出《だ》して浮脂《きら》の上《うへ》にぶくりと浮《う》く。
『そりや少《わか》い魚《うを》の元気《げんき》を見習《みなら》へ。汝《ぬし》も、ばちや/\と泳《およ》げい。』
で、老爺《ぢい》は今度《こんど》は自分《じぶん》の刻《きざ》んだ魚《うを》を、これは又《また》、不状《ぶざま》に引握《ひんにぎ》つたまゝ斉《ひと》しく投《な》げる、と|※《しぶき》[#「さんずい+散」、U+6F75、163-9]が立《た》つたが、浮草《うきくさ》を颯《さつ》と分《わ》けて、鰭《ひれ》を縦《たて》に薄黒《うすぐろ》く、水際《みづぎは》に沈《しづ》んでスツと留《とま》る。ト雪枝《ゆきえ》の作品《さくひん》と並《なら》べた処《ところ》は、恰《あだか》も釣糸《つりいと》に繋《か》けた浮木《うき》が魚《さかな》を追《お》ふ風情《ふぜい》であつた。……
何《なに》をか試《こゝろ》むる、と怪《あやし》んで、身《み》を起《おこ》し汀《みぎは》に立《た》つて、枯蘆《かれあし》の茎《くき》越《ごし》に、濠《ほり》の面《おもて》を瞻《みつ》めた雪枝《ゆきえ》は、浮脂《きら》の上《うへ》に、明《あきら》かに自他《じた》の優劣《いうれつ》の刻《きぎ》み着《つ》けられたのを悟得《さとりえ》て、思《おも》はず……
『はつ、』と歎息《たんそく》した。
老爺《ぢい》は、もつぺの膝《ひざ》の小刀屑《こがたなくづ》を払《はた》きながら、眉《まゆ》をふさ/\と揺《ゆす》つて笑《わら》ひ、
『はつはつはつ一《ひ》イ二《ふ》ウ三《み》い! 私等《わしら》が勝《かち》ぢや。見《み》さつせえ、形《かたち》は同《おな》じやうな出来《でき》だが、の、お前様《めえさま》の鮒《ふな》は水《みづ》に入《い》れると腹《はら》を出《だ》いたで、死《お》ちた魚《いを》よ、……私等《わしら》が鮒《ふな》は、泳《およ》ぎ得《え》いでも、鰭《ひれ》を立《た》てたれば活《い》きた奴《やつ》。何《なん》とした処《ところ》で、俎《まないた》に乗《の》せれば、人間《にんげん》の口《くち》に食《く》へいでも、翡翠《かはせみ》が来《き》て狙《ねら》ふたら、ちよつくら潜《もぐ》つて遁《に》げべいさ。
囲炉裏《ゐろり》の自在竹《じざいだけ》に引懸《ひつか》ける鯉《こひ》にしても、水《みづ》へ放《はな》せば活《い》きねばならぬ。お前様《めえさま》の鮒《ふな》のやうに、へたりと腹《はら》を出《だ》いては明《あ》かねえ。木《き》を削《けづ》る時《とき》の釣合《つりあひ》一《ひと》つで、水《みづ》に入《い》れた時《とき》浮《う》き方《かた》が違《ちが》ふでねえかの、縦《たて》に留《と》まれば生《しやう》がある、横《よこ》に寝《ね》れば、死《し》んだりよ。……煩《むづ》ヶ敷《し》い事《こと》ではねえだ。
が、お前様《めえさま》、此《こ》の手際《てぎは》では、昨夜《ゆふべ》造《つく》り上《あ》げて、お天守《てんしゆ》へ持《も》つてござつた木像《もくざう》も、矢張《やつぱり》同《おな》じ型《かた》ではねえだか。……寸法《すんぽふ》が同《おな》じでも脚《あし》の筋《すぢ》が釣《つ》つて居《を》らぬか、其《それ》では跛足《びつこ》ぢや。右《みぎ》と左《ひだり》と腕《うで》の釣合《つりあひ》も悪《わる》かつたんべい。頬《ほつ》ぺたの肉《にく》が、どつちか違《ちが》へば、片《かた》がりべいと言《い》ふ不具《かたわ》ぢや、それでは美《うつく》しい女《をんな》でねえだよ。
もし、へい、五体《ごたい》が満足《まんぞく》な彫刻物《ほりもの》であつたらば、真昼間《まつぴるま》、お前様《めえさま》と私《わし》とが、面《つら》突合《つきあ》はせた真中《まんなか》に置《お》いては動出《うごきだ》しもすめえけんども、月《つき》の黄色《きいろ》い小雨《こさめ》の夜中《よなか》、――主《ぬし》が今《いま》話《はな》さしつた、案山子《かゝし》が歩行《ある》く中《なか》へ入《い》れたら、ひとりで褄《つま》を取《と》つて、しやなら、しやならと行《や》るべい。何《なに》も、破《やぶ》れ傘《がさ》の化《ば》け車《ぐるま》に骨《ほね》を折《を》らせて運《はこ》ばせずと済《す》む事《こと》よ。平時《いつも》なら兎《と》も角《かく》ぢや、お剰《まけ》に案山子《かゝし》どもが声《こゑ》を出《だ》いて、お迎《むか》ひ、と言《い》ふ世界《せかい》なら、第一《だいゝち》お前様《めえさま》が其《そ》の像《ざう》を担《かつ》いで出《で》る法《ほふ》はあるめえ。何《なん》ではい、歩行《ある》け、さあ、木像《もくざう》、と言《い》ふ腹《はら》に成《な》らしやらぬ。……
其《それ》では魔物《まもの》が不承知《ふしようち》ぢや。前方《さき》に些《ちつ》とも無理《むり》はねえ、気《き》に入《い》るも入《い》らぬもの……出来《でき》不出来《ふでき》は最初《せえしよ》から、お前様《めえさま》の魂《たましひ》にあるでねえか。
其処《そこ》へ懸《か》けては我等《わしら》が鮒《ふな》ぢや。案山子《かゝし》が簑《みの》を捌《さば》いて捕《と》らうとするなら、ぴち/\刎《は》ねる、見事《みごと》に泳《およ》ぐぞ。老爺《ぢい》が広言《くわうげん》を吐《は》くではねえ。何《なん》の、橋《はし》の欄干《らんかん》が声《こゑ》を出《だ》す、槐《えんじゆ》が嚏《くしやみ》をすべいなら、鱗《うろこ》を光《ひか》らし、雲《くも》を捲《ま》いて踊《をどり》を踊《をど》らう。
遣直《やりなほ》さつしやい、新《あらた》にはじめろ、最一《まひと》つ作《つく》れさ。
何《ど》うやらお前様《めえさま》より増《まし》だんべいで、出来《でき》る事《こと》さ助言《じよごん》も為《し》べい、為《し》て可《い》い処《ところ》は手伝《てつだ》ふべい。
腰《こし》につけて道具《だうぐ》も揃《そろ》ふ。』
と箙《えびら》の如《ごと》く、麻袋《あさぶくろ》を敲《たゝ》いて言《い》つた。
『すかりと斬《き》れるぞ。残《のこ》らず貸《か》すべい。兵粮《へうらう》も運《はこ》ぶだでの! 宿《やど》へも祠《ほこら》へも帰《かへ》らねえで、此処《こゝ》へ確乎《しつかり》胡座《あぐら》を掻《か》けさ。下腹《したはら》へうむと力《ちから》を入《い》れるだ。雨露《あめつゆ》を凌《しの》ぐなら、私等《わしら》が小屋《こや》がけをして進《しん》ぜる。大目玉《おほめだま》で、天守《てんしゆ》を睨《にら》んで、ト其処《そこ》に囚《と》られてござるげな、最惜《いとをし》い、魔界《まかい》の業苦《がうく》に、長《なが》い頭髪《かみのけ》一筋《ひとすぢ》づゝ、一刻《いつこく》に生血《いきち》を垂《た》らすだ、奥様《おくさま》の苦脳《くなう》を忘《わす》れずに、飽《あ》くまで行《や》れさ、倒《たふ》れたら介抱《かいはう》すべい。』
雪枝《ゆきえ》は満面《まんめん》に紅《くれなゐ》を濯《そゝ》いで、天守《てんしゆ》に向《むか》つて峯《みね》より高《たか》く握拳《にぎりこぶし》を衝《つ》と上《あ》げた。
『少《わか》いものを唆《そゝの》かして要《い》らぬ骨《ほね》を折《を》らせるな、娑婆《しやば》ツ気《け》な老爺《おやぢ》めが、』
と二人《ふたり》の背後《うしろ》にぬいと立《た》つた……
苔《こけ》かと見《み》ゆる薄毛《うすげ》の天窓《あたま》に、笠《かさ》も被《かぶ》らず、大木《たいぼく》の朽《く》ちたのが月夜《つきよ》に影《かげ》の射《さ》すやうな、ぼけやた色《いろ》の黒染《すみぞめ》扮装《でたち》で、顔《かほ》の蒼《あを》い大入道《おほにうだう》!
振向《ふりむ》いた老爺《おやぢ》の顔《かほ》を瞰下《みお》ろして、
『覚《おぼ》えて居《ゐ》るか、暗《やみ》の晩《ばん》を、』と北叟笑《ほくそゑ》みした頬《ほゝ》が暗《くら》い。
『おゝ、御坊《ごばう》?』
『何日《いつ》かの晩《ばん》の!』
雪枝《ゆきえ》と老爺《ぢい》は左右《さいう》から斉《ひと》しく呼《よ》ばわる。
『御身《おみ》も其《そ》の時《とき》の少《わか》い人《ひと》な。』と雪枝《ゆきえ》に向《む》いて、片頬《かたほゝ》を又《また》暗《くら》うして薄笑《うすわら》ひを為《し》た。
『血気《けつき》に逸《はや》つて、うか/\と老爺《ぢい》の口《くち》に乗《の》らぬが可《い》い。……其《そ》の気《き》で城趾《しろあと》に根《ね》を生《はや》いて、天守《てんしゆ》と根較《こんくら》べを遣《や》らうなら、御身《おみ》は蘆《あし》の中《なか》の鉋屑《かんなくづ》、蛙《かへる》の干物《ひもの》と成果《なりは》てやうぞ……此《この》老爺《ぢい》はなか/\術《て》がある! 蝙蝠《かはほり》を刻《きざ》んで飛《と》ばせ、魚《うを》を彫《ほ》つて泳《およ》がせる代《かはり》には、此《こ》の年紀《とし》をして怪《け》しからず、色気《いろけ》がある、……あるは可《い》いが、汝《うぬ》が身《み》で持余《もてあ》ました色恋《いろこひ》を、ぬつぺりと鯰抜《なまづぬ》けして、人《ひと》にかづけやうとするではないか。城《じやう》ヶ沼《ぬま》の暗夜《やみ》を思《おも》へ!
何《なに》か、自分《じぶん》に此《こ》の天守《てんしゆ》の主人《あるじ》から、手間賃《てまちん》の前借《まへがり》をして居《を》つて、其《そ》の借《かり》を返《かへ》す羽目《はめ》を、投遣《なげや》りに怠惰《なまけ》を遣《や》り、格合《かくかう》な折《をり》から、少《わか》いものを煽《あふ》り立《た》つて、身代《みがは》りに働《はたら》かせやう気《き》かも計《はか》られぬ。』
『これ、これ、御坊《ごばう》、御坊《ごばう》、』と言《い》つて締《しま》つた口《くち》を尖《とが》らかす。
相対《あひたひ》する坊主《ばうず》の口《くち》は、三日月形《みかづきなり》に上《うへ》へ大《おほ》きい、小鼻《こばな》の条《すぢ》を深《ふか》く莞《にや》つて、
『いや、暗《やみ》の夜《よ》を忘《わす》れまい。沼《ぬま》の中《なか》へ当《あて》の無《な》い経《きやう》読《よ》ませて、斎非時《ときひじ》にとて及《およ》ばぬが、渋茶《しぶちや》一《ひと》つ振舞《ふるま》はず、既《すん》での事《こと》に私《わし》は生涯《しやうがい》坊主《ばうず》の水車《みづぐるま》に成《な》らうとした。』
『む、まづ出家《しゆつけ》の役《やく》ぢや……断念《あきら》めさつしやい。然《さ》う又《また》一慨《いちがい》に説法《せつぽふ》されては、一言《いちごん》もねえ事《こと》よ。……けんども、やきもきと精出《せいだ》いて人《ひと》の色恋《いろこひ》で気《き》を揉《も》むのが、主《ぬし》たち道徳《だうとく》の役《やく》だんべい、押死《おつち》んだ魂《たましひ》さ導《みちび》くも勤《つとめ》なら、持余《もてあま》した色恋《いろこひ》の捌《さばき》を着《つ》けるも法《ほふ》ではねえだか、の、御坊《ごばう》。』
『然《さ》ればな……いや口《くち》の減《へ》らぬ老爺《ぢゞい》、身勝手《みがつて》を言《い》ふが、一理《いちり》ある。――処《ところ》でな、あの晩《ばん》四《よ》つ手網《であみ》の番《ばん》をしたが悪縁《あくえん》ぢや、御身《おみ》が言《い》ふ通《とほ》り色恋《いろこひ》の捌《さばき》を頼《たの》まれた事《こと》と思《おも》へ。
別《べつ》ではない、此《こ》の少《わか》い人《ひと》の内儀《ないぎ》の事《こと》でな、』
雪枝《ゆきえ》は屹《きつ》と向直《むきなほ》つた。
流盻《しりめ》に掛《か》けつゝ尚《な》ほ老爺《ぢい》に、
『……其《そ》の夜《よ》、夢幻《ゆめまぼろし》のやうに言托《ことづけ》を頼《たの》まれて、采《さい》を験《しるし》に受取《うけと》つたは、さて此方衆《こなたしゆ》知《し》つての通《とほ》りだ。――頼《たの》まれた事《こと》は手廻《てまは》しに用済《ようず》みと成《な》つたでな、翌朝《あけのあさ》直《すぐ》にも、此処《こゝ》を出発《しゆつぱつ》と思《おも》ふたが、何《なに》か気《き》に成《な》る……温泉宿《おんせんやど》、村里《むらざと》を托鉢《たくはつ》して、何《なに》となく、ふら/\と日《ひ》を送《おく》つた。其《そ》の様子《やうす》を聞《き》けば、私《わし》が言托《ことづけ》を為《し》た通《とほ》り、何《なに》か、内儀《ないぎ》の形代《かたしろ》を一心《いつしん》に刻《きざ》むと聞《き》く、……其《それ》が成就《じやうじゆ》したと言《い》ふ昨夜《ゆふべ》ぢや。少《わか》い人《ひと》が人形《にんぎやう》を運《はこ》んで行《ゆ》く後《あと》になり前《さき》になり、天守《てんしゆ》へ入《はい》つて四階目《しかいめ》へ上《のぼ》つた、処《ところ》、柱《はしら》の根《ね》に其《そ》の木像《もくざう》を抱緊《だきし》めて、死《し》んだやうに眠《ねむ》つて居《を》る。
はてな、内儀《ないぎ》を未《ま》だ返《かへ》さぬか、一体《いつたい》どんな魔物《まもの》が棲《す》むぞ。――其処《そこ》へ行《ゆ》くまでには何《なに》も目《め》に着《つ》いたものは無《な》かつたに因《よ》つて――尚《な》ほ此《こ》の上《うへ》か、と最一《もうひと》ツ五階《ごかい》へ上《のぼ》つて見《み》た。様子《やうす》は知《し》れた。』
と頷《うなづ》いて言《い》つた。
『何《なに》が、何者《なにもの》が居《ゐ》るんだ。』と雪枝《ゆきえ》は苛立《いらだ》つて犇《ひし》と詰寄《つめよ》る。
遮《さへぎ》る如《ごと》く斜《しや》に構《かま》へて、
『いや、何《なに》か分《わか》らん、ものは見《み》えん。が、五階《ごかい》へ上《のぼ》り切《き》つて、堅《かた》い畳《たゝみ》の上《うへ》に立《た》つた。冷《つめた》い風《かぜ》が冷《ひや》りと来《く》ると、左《ひだり》の腕《うで》がびくりと動《うご》く、と引立《ひつた》てたやうに、ぐいと上《あが》つて、人指指《ひとさしゆび》がぶる/″\と振《ふる》ふとな、何《なに》かゞ口《くち》を利《き》くと同《おな》じに、其《そ》の心《こゝろ》が耳《みゝ》に通《つう》じた。……
天守《てんしゆ》の主人《あるじ》は、御身《おみ》が内儀《ないぎ》の美艶《あでやか》な色《いろ》に懸想《けさう》したのぢや。理《り》も非《ひ》もない、業《ごふ》の力《ちから》で掴取《つかみと》つて、閨《ねや》近《ちか》く幽閉《おしこ》めた。従類《じうるゐ》眷属《けんぞく》寄《よ》りたかつて、上《あ》げつ下《お》ろしつ為《し》て責《せ》め苛《さいな》む、笞《しもと》の呵責《かしやく》は魔界《まかい》の清涼剤《きつけ》ぢや、静《しづか》に差置《さしお》けば人間《にんげん》は気病《きやみ》で死《し》ぬとな……
言《い》ふまでもない肉《にく》を屠《ほふ》つて其《そ》の血《ち》を啜《すゝ》るに仔細《しさい》はないが、夫《をつと》は香村雪枝《かむらゆきえ》とか。天晴《あつぱ》れ一芸《いちげい》のある効《かひ》に、其《そ》の術《わざ》を以《もつ》て妻《つま》を償《あがな》へ! 魔神《まじん》を慰《なぐさ》め楽《たの》しますものゝ、美女《びじよ》に代《か》へて然《しか》るべきなら立処《たちどころ》に返《かへ》し得《え》さする。――
可《い》いかな、此《こ》の心《こゝろ》は早《は》や御身《おみ》が内儀《ないぎ》に、私《わし》が頼《たの》まれて、御身《おみ》に伝《つた》へた。』
『活《い》けて視《なが》めうと思《おも》ふ花《はな》を、苞《つと》のまゝ室《へや》に寝《ね》かせて置《お》いて、待搆《まちかま》へた償《つくな》ひの彼《かれ》は何《なん》ぢや! 聾《つんぼ》の、唖《をうし》の、明盲人《あきめくら》の、鮫膚《さめはだ》で腰《こし》の立《た》たぬ、針線《はりがね》のやうな縮毛《ちゞれつけ》、人膚《ひとはだ》の留木《とめき》の薫《かをり》の代《かは》りに、屋根板《やねいた》の臭《にほひ》の芬《ぷん》とする、いぢかり股《また》の、腕脛《うですね》の節《ふし》くれ立《た》つた木像女《もくざうをんな》が何《なに》に成《な》る! ……悪《わる》く拳《こぶし》に采《さい》を持《も》たせて、不可思議《ふかしぎ》めいた、神通《じんつう》めいた、何《なに》となく天地《あめつち》の、言《い》ふに言《い》はれぬ心《こゝろ》を籠《こ》めたらしい所業《しわざ》が可笑《をか》しい。笑止千万《せうしせんばん》な大白痴《おほたはけ》!』
『ヌ、』とばかりで、下唇《したくちびる》をぴりゝと噛《か》んで、思《おも》はず掴懸《つかみかゝ》らうとすると、鷹揚《おうやう》に破法衣《やぶれごろも》の袖《そで》を開《ひら》いて、翼《つばさ》の目潰《めつぶし》、黒《くろ》く煽《あふ》つて、
『と、な、……天守《てんしゆ》の主人《あるじ》が言《い》はるゝのぢや……それが何《なに》もない天井《てんじやう》から、此《こ》の指《ゆび》にぶる/\と響《ひゞ》いて聞《き》こえた。』
衝《つ》と、天守《てんしゆ》の棟《むね》を切《き》つて、人指指《ひとさしゆび》を空《そら》に延《の》ばすと、雪枝《ゆきえ》は蒼《あを》く成《な》つて、ばつたり膝支《ひざつ》く。
負《ま》けぬ気《き》の老爺《ぢい》は、前屈《まへこゞ》みに腰《こし》を入《い》れて、
『分《わか》つた、分《わか》つたよ、御坊《ごばう》。お前様《めえさま》が、仏《ほとけ》でも鬼《おに》でも、魔物《まもの》でも、唯《たゞ》の人間《にんげん》の坊様《ばうさま》でも可《え》え。言《い》はつしやる事《こと》は腑《ふ》に落《お》ちた……疾《はや》い話《はなし》が、此《こ》の人《ひと》な持《も》つて行《い》つたは、腹《はら》を出《だ》いた鮒《ふな》だで、美《うつく》しい奥様《おくさま》とは取替《とりか》へぬ。……鰭《ひれ》を立《た》てた魚《うを》を持《も》ち来《こ》い、返《かへ》して遣《や》ると、恁《か》うだんべい。
さ、其処《そこ》ぢやい! 其処《そこ》どころぢやに因《よ》つて私《わし》が後見《かうけん》助言《じよごん》の為《し》て、勝《すぐ》れた、優《まさ》つた、新《あたら》しい、……可《いゝ》かの、生命《いのち》のある……肉附《にくづき》もふつくりと、脚腰《あしこし》もすんなりした、膚《はだ》の佳《い》い、月《つき》に立《た》てば玉《たま》のやう、日《ひ》に向《むか》へば雪《ゆき》のやうな、へい、魔王殿《まわうどの》が一目《ひとめ》見《み》たら、松脂《まつやに》の涎《よだれ》を流《なが》いて、魂《たましひ》が夜這星《よばひぼし》に成《な》つて飛《と》ぶ……乳《ちゝ》の白《しろ》い、爪紅《つめべに》の赤《あか》い奴《やつ》を製作《こさ》へると言《い》はぬかい!
少《わか》いものを唆《そゝの》かして、徒労力《むだぼね》を折《を》らせると何故《あぜ》で言《い》ふのぢや。御坊《ごばう》、飛騨山《ひだやま》の菊松《きくまつ》が、烏帽子《えばうし》を冠《かぶ》つて、向顱巻《むかふはちまき》を為《し》て手伝《てつだ》つて、見事《みごと》に仕上《しあ》げさせたら何《なん》とする。』
『然《さ》れば、言《い》ふ通《とほ》りに仕上《しあが》つて、其処《そこ》で其《そ》の木像《もくざう》が動《うご》くかな、目《め》を働《はたら》かすかな、指《さ》す手《て》は伸《の》び、引《ひ》く手《て》は曲《まが》るか、足《あし》は何《ど》うじや、歩行《ある》くかな。』
と皆《みな》まで言《い》はせず、老爺《ぢい》が其《そ》の眉《まゆ》、白銀《しろがね》の如《ごと》き光《ひかり》を帯《お》びて、太陽《ひ》に向《むか》ふ目《め》を輝《かゞや》かした。手拍子《てべうし》拍《う》つやう、腰《こし》の麻袋《あさぶくろ》をはた/\と敲《たゝ》いたが、鬼《おに》に向《むか》つて臀《いしき》を掻《か》く、大胆不敵《だいたんふてき》の状《さま》が見《み》えた。
『天守《てんしゆ》の魔物《まもの》は何時《いつ》から棲《す》むよ。飛騨国《ひだのくに》の住人《じうにん》日本《につぽん》の刻彫師《ほりものし》、尾《を》ヶ瀬《せ》菊之丞《きくのじやう》孫《まご》の菊松《きくまつ》、行年《ぎやうねん》積《つも》つて七十一歳《しちじふいつさい》。極楽《ごくらく》から剰銭《つりせん》を取《と》る年《とし》で、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の女《をんな》の影《かげ》に憂身《うきみ》を窶《やつ》すお庇《かげ》には、動《うご》く、働《はたら》く、彫刻物《ほりもの》は活《い》きて歩行《ある》く……独《ひと》りですら/\と天守《てんしゆ》へ上《あが》つて、魔物《まもの》の閨《ねや》に推参《すゐさん》する、が、張《はり》も意地《いぢ》も着《つ》いて居《を》るぞ、其《そ》の時《とき》嫌《きら》はれぬ用心《ようじん》さつせえ、と御坊《ごばう》に言托《ことづけ》を頼《たの》まうかい。』
『可《よ》い、可《よ》い。』
ニヤ/\と両《りやう》の頬《ほゝ》を暗《くら》くして、あの三日月形《みかづきなり》の大口《おほぐち》を、食反《くひそ》らして結《むす》んだまゝ、口元《くちもと》をひく/\と舌《した》の赤《あか》う飜《かへ》るまで、蠢《うご》めかせた笑《わら》ひ方《かた》で、
『面白《おもしろ》い! 旅《たび》のものぢやが、其《それ》も聞《き》いた。此方《こなた》が手遊《てあそ》びに拵《こしら》える、五位鷺《ごゐさぎ》の船頭《せんどう》は、翼《つばさ》で舵取《かぢと》り、嘴《くちばし》で漕《こ》いで、水《みづ》の中《なか》で火《ひ》を吐《は》くとな………』
『天守《てんしゆ》の上《うへ》から御覧《ごらん》なされ、太夫《たいふ》ほんの前芸《まへげい》にござります、ヘツヘツヘツ』とチヨンと頭《かしら》を下《さ》げて揉手《もみで》を為《し》て言《い》ふ。
『おゝ、其《そ》の面魂《つらだましひ》頼母《たのも》しい。満更《まんざら》の嘘《うそ》とは思《おも》はん。成程《なるほど》此方《こなた》が造《つく》つた像《ざう》は、目《め》も瞬《またゝ》かう、歩行《ある》かう、厭《いや》なものには拗《す》ねもせう。……然《さ》れば御身《おみ》は、少《わか》いものゝ尻圧《しりおし》して石《いし》に成《な》るまでも働《はたら》け、と励《はげ》ますのぢや。で、唆《そゝの》かすとは思《おも》ふまい。徒労力《むだぼね》をさせるとは知《し》るまい。が、私《わし》は、無駄《むだ》ぢや留《や》めい、と勧《すゝ》める……其《そ》の理由《わけ》を言《い》うて聞《き》かさう。
其処《そこ》で、老爺《おやぢ》、』
『おい、』
『御身《おみ》が言《い》ふ、其《そ》の像《ざう》には血《ち》が通《かよ》ふか、』
『血《ち》が通《かよ》ふだ?』と聞返《きゝかへ》す。
『然《さ》ればよ、針《はり》の尖《さき》で突《つ》いても生命《いのち》を絞《しぼ》る、其《そ》の、あの人間《にんげん》の美《うつく》しい血《ち》が通《かよ》ふかな。』
『…………』と老爺《ぢい》の眉《まゆ》がはじめて顰《ひそ》む。
黒坊主《くろばうず》は嵩《かさ》に懸《かゝ》つて、
『まだ聞《き》きたい。御身《おみ》が作《さく》の其《そ》の膚《はだ》は滑《なめら》かぢやらう。が、肉《にく》はあるか、手《て》に触《ふ》れて暖味《あたゝかみ》があるか、木像《もくざう》の身《み》は冷《つめ》たうないか。』
『はてね、』と問《とひ》を怪《あやし》む中《なか》に、些《ち》とひるんだのが、頬《ほ》に出《い》づる。
『第一《だいゝち》肝要《かんえう》なは口《くち》を利《き》くかな、御身《おみ》の作《さく》は声《こゑ》を出《だ》すか、ものを言《い》ふかな。』
『馬鹿《ばか》な事《こと》を、無理無躰《むりむたい》ぢや。』
と呆果《あきれは》てた様子《やうす》であつた。
『理《り》も非《ひ》もない。はじめから人《ひと》の妻《つま》を掴《つか》み取《と》つてものを云《い》ふ、悪魔《あくま》の所業《しわざ》ぢや、無理《むり》も無躰《むたい》も法外《ほふぐわい》の沙汰《さた》と思《おも》へ。
此所《こゝ》を聞《き》けよ、二人《ふたり》の人《ひと》。……御身達《おみたち》が、言《い》ふ通《とほ》り、今《いま》新《あたら》しく遣直《やりなほ》せば、幾干《いくら》か勝《すぐ》れたものは出来《でき》やう、がな、其《それ》は唯《たゞ》前《まへ》のに較《くら》べて些《ち》と優《まさ》ると言《い》ふばかりぢや。
其《それ》も可《よ》からう、何《なに》も持《も》たぬ、空《むな》しい乏《とぼ》しいものに取《と》つたら、御身達《おみたち》が作《つく》り更《あらた》めると云《い》ふ其《そ》の木像《もくざう》でも、無《な》いよりは増《ま》しぢや、品《しな》に因《よ》つて、美《うつく》しいとも、珍《めづ》らしいとも思《おも》はうも知《し》れぬ。
けれどもな、天守《てんしゆ》の主人《あるじ》は、最《も》う手《て》の内《うち》に、活《い》きた、生命《いのち》ある、ものを言《い》ふ、血《ち》の通《かよ》ふ、艶麗《あでやか》な女《をんな》を握《にぎ》つて居《ゐ》るのぢや。可《よ》いか、其《それ》に代《か》へやうと言《い》ふからには、蛍《ほたる》と星《ほし》、塵《ちり》と山《やま》、露《つゆ》一滴《いつてき》と、大海《だいかい》の潮《うしほ》ほど、抜群《ばつぐん》に勝《すぐ》れた立優《たちまさ》つたもので無《な》いからには、何《なに》を又《また》物好《ものず》きに美女《びぢよ》を木像《もくざう》と取《と》り代《か》へやう。
彫刻《ほり》した鮒《ふな》の泳《およ》ぐも可《よ》い。面白《おもしろ》うないとは言《い》はぬが、煎《に》る、焼《や》く、或《あるひ》は生《なま》のまゝ其《そ》の肉《にく》を|《くら》はうと思《おも》ふものに、料理《りやうり》をすれば、炭《すみ》に成《な》る、灰《はひ》に成《な》る、木《き》の切《きれ》を何《なに》にせい、と言《い》ふ了見《れうけん》だ。
悪魔《あくま》は今《いま》其《そ》の肉《にく》を欲《ほつ》する、血《ち》を求《もと》むる……仏《ほとけ》が鬼女《きぢよ》を降伏《がうぶく》してさへ、人肉《じんにく》のかはりにと、柘榴《ざくろ》を与《あた》へたと言《い》ふでは無《な》いか。
既《すで》に目指《めざ》す美女《びぢよ》を囚《とら》へて、思《おも》ふがまゝに勝矜《かちほこ》つた対手《あひて》に向《むか》ふて、要《い》らぬ償《つくな》ひの詮議《せんぎ》は留《や》めろ。
何《ど》うぢや、それとも、御身達《おみたち》に、煙草《たばこ》の吸殻《すゐがら》を太陽《たいやう》の炎《ほのほ》に変《か》へ、悪魔《あくま》の煩脳《ぼんなう》を[#「煩脳を」はママ]焼亡《やきほろ》ぼいて美女《びぢよ》を助《たす》ける工夫《くふう》があるか、すりや格別《かくべつ》ぢや。よもあるまい。有《あ》るか、無《な》からう。……
それ、徒労力《むだぼね》と言《い》ふ事《こと》よ! 要《えう》もない仕事三昧《しごとざんまい》打棄《うつちや》つて、少《わか》い人《ひと》は妻《つま》を思切《おもひき》つて立帰《たちかへ》れえ。老爺《おやぢ》も要《い》らぬ尻押《しりおし》せず、柔順《すなほ》に妻《つま》を捧《さゝ》げるやうに、少《わか》いものを説得《せつとく》せい。
勝手《かつて》に木像《もくざう》を刻《きざ》まば刻《きざ》め、天晴《あつぱ》れ出来《でか》したと思《おも》ふなら、自分《じぶん》に其《それ》を女房《にようぼう》のかはりにして、断念《あきら》めるが分別《ふんべつ》の為処《しどころ》だ。見事《みごと》だ、美《うつくし》いと敵手《あひて》を強《し》ゆるは、其方《そつち》の無理《むり》ぢや、分《わか》つたか。』
と衝《つ》と指《ゆび》を上《あ》げて雲《くも》を指《さ》した。
『天守《てんしゆ》の主人《あるじ》の言托《ことづけ》は此《こ》の通《とほ》り。更《あらた》めて其《そ》の印《しるし》を見《み》せう、……前刻《さきに》も申《まを》した、鮫膚《さめはだ》の縮毛《ちゞれけ》の、醜《みにく》い汚《きたな》い、木像《もくざう》を、仔細《しさい》ありげに装《よそほ》ふた、心根《こゝろね》のほどの苦々《にが/\》しさに、へし折《を》つて捻切《ねぢき》つた、女《をんな》の片腕《かたうで》、今《いま》返《かへ》すわ、受取《うけと》れ。』
と法衣《ころも》の破目《やぶれめ》を潜《くゞ》らす如《ごと》く、懐《ふところ》から抜《ぬ》いて、ポーンと投出《なげだ》す。
途端《とたん》に又《また》指《ゆび》を立《た》てつゝ、足《あし》を一巾《ひとはゞ》、坊主《ばうず》が退《さが》つた。孰《いづれ》も首垂《うなだ》れた二人《ふたり》の中《なか》へ、草《くさ》に甲《かう》をつけて、あはれや、其《それ》でも媚《なまめ》かしい、優《やさ》しい腕《かひな》が仰向《あふむ》けに落《お》ちた。
雪枝《ゆきえ》は唯《たゞ》肩《かた》を抱《いだ》いて身《み》を絞《しぼ》つた。
老爺《ぢい》は、さすがに、まだ気丈《きじやう》で、対手《あひて》が然《さ》までに、口汚《くちぎたな》く詈《ののし》り嘲《あざ》ける、新弟子《しんでし》の作《さく》の如何《いか》なるかを、はじめて目前《まのあたり》験《ため》すらしく、横《よこ》に取《と》つて熟《じつ》と見《み》て、弱《よわ》つたと言《い》ふ顰《ひそ》み方《かた》で、少時《しばらく》ものも言《い》はなんだ。薄《うす》うは成《な》つたが、失《う》せ果《は》てない、底光《そこひかり》のする目《め》を細《ほそ》うして、
『いや、御出家《ごしゆつけ》。』
と調子《てうし》を変《か》へて……
『虫《むし》の居所《ゐどころ》で赫《くわつ》とも為《し》たがの、考《かんが》えて見《み》れば、お前様《めえさま》は、唯《たゞ》言托《ことづけ》を頼《たの》まれたばかりの事《こと》よ。何《なに》も喰《く》つて懸《かゝ》るには当《あた》らなんだか。……又《また》お前様《めえさま》とても何《なに》もこれ、此《こ》の少《わか》い人《ひと》に怨《うらみ》も恩《おん》も報《むくひ》もあらつしやる次第《しだい》でねえ。……処《ところ》でものは相談《さうだん》ぢやが、何《なん》とかして、其《そ》の奥様《おくさま》を助《たす》けると言《い》ふ工夫《くふう》はねえだか、のう、御坊《ごばう》、人助《ひとだす》けは此方《こなた》の勤《つとめ》ぢや、一《ひと》つ折入《をりい》つて頼《たの》むだで、勘考《かんかう》してくらつせえ。』とがらりと出直《でなほ》る。
これを聞《き》くと、然《さ》もあらむ、と言《い》ふ面色《おもゝち》した坊主《ばうず》の気色《きしよく》やゝ和《やわ》らいで、
『然《さ》れば、然《さ》う言《い》はれると私《わし》も弱《よわ》る。天守《てんしゆ》からは、よく捌《さば》け、最早《もは》や婦《をんな》を思《おも》ひ切《き》るやう少《わか》い人《ひと》を悟《さと》せとある……御身達《おみたち》は生命《いのち》に代《か》へても取戻《とりもど》したいと断《た》つて言《い》ふ。
で、其《それ》を取戻《とりもど》す唯一《たゞひと》つの手段《てだて》と言《い》ふのが、償《つくな》ひの像《ざう》を作《つく》るにある、其《そ》の像《ざう》が、御身《おみ》たちに、』
『えゝ、えゝ、最《も》う、能《よ》う分《わか》つた。何《なん》ぼ私《わし》が顱巻《はちまき》しても、血《ち》の通《かよ》ふ、暖《あたゝか》い彫刻物《ほりもの》は覚束《おぼつか》ないで、……何《なん》とか別《べつ》の工夫《くふう》を頼《たの》むだ、最《も》う此《こ》なものは、』と手《て》にした腕《かひな》を、思切《おもひき》つたしるしに、擲《たゝきつ》けやうとして揮上《ふりあ》げた、……其《そ》の拳《こぶし》を漏《も》れて、ころ/\と采《さい》が溢《こぼ》れて。一《いち》か六《ろく》か、草《くさ》の中《なか》に、ぽつりと蟋蟀《こほろぎ》の目《め》に留《とま》んぬ。
三人《さんにん》が熟《じつ》と視《なが》めた。
坊主《ばうず》が先《ま》づ、
『老爺《おやぢ》……』と心《こゝろ》ありげに呼《よ》んだ。
『はあ、是《これ》ぢや、』
と采《さい》の上《うへ》で蓋《ふた》するやうに、老爺《ぢい》は眉《まゆ》の下《した》へ手《て》を翳《かざ》して、
『ちよつくら気《き》が着《つ》いた事《こと》がある、待《ま》たつせえ、御坊《ごばう》……』
『…………、』
『少《わか》い人《ひと》も何《ど》う思《おも》ふ。お前様《めえさま》が小児《こども》の時《とき》、姉様《あねさま》にして懐《なつ》かしがらしつたと言《い》ふ木像《もくざう》から縁《えん》を曳《ひ》いて、過日《こないだ》奥様《おくさま》の行方《ゆきがた》が分《わか》らなく成《な》つた時《とき》から廻《まは》り繞《めぐ》つて、采粒《さいつぶ》が着《つ》き絡《まと》ふ、今《いま》此処《こゝ》に采《さい》がある……此《こ》の山奥《やまおく》に双六《すごろく》の巌《いは》がある。其処《そこ》も魔所《ましよ》ぢやと名《な》が高《たか》い。時々《とき/″\》山《やま》が空《くう》に成《な》つて寂《しん》とすると、ころころと采《さい》を投《な》げる音《おと》が木樵《きこり》の耳《みゝ》に響《ひゞ》くとやら風説《ふうせつ》するで。天守《てんしゆ》にも主人《あるじ》があれば双六巌《すごろくいは》にも主《ぬし》が棲《す》まう……どちらも膚合《はだあひ》の同《おな》じ魔物《まもの》が、疾《はえ》え話《はなし》が親類附合《しんるゐつきあひ》で居《ゐ》やうも知《し》れぬだ。魔界《まかい》は又《また》魔界《まかい》同士《どうし》、話《はなし》の附《つ》け方《かた》もあらうと思《おも》ふ、何《ど》うだね、御坊《ごばう》。』
坊主《ばうず》も二三度《にさんど》頷《うなづ》いた。で、深《ふか》く其《そ》の広《ひろ》い額《ひたひ》を伏《ふ》せた。
『いや、可《い》い処《ところ》に気《き》が着《つ》いた、……何《なん》にせい、此《こ》の上《うへ》は各々《おの/\》我《が》を張《は》らずに人頼《ひとだの》みぢや。頼《たの》むには、成程《なるほど》其《そ》の辺《へん》であらうかな。』
『行《い》つて見《み》べい。方角《はうがく》は北東《きたひがし》、槍《やり》ヶ嶽《だけ》を見当《けんたう》に、辰巳《たつみ》に当《あた》つて、綿《わた》で包《つゝ》んだ、あれ/\天守《てんしゆ》の森《もり》の枝下《えださが》りに、峯《みね》が見《み》える、水《みづ》が見《み》える、又《また》峯《みね》が見《み》えて水《みづ》が曲《まが》る、又《また》一《ひと》つ峯《みね》が抽出《ぬきで》て居《を》る。あの空《そら》が紫立《むらさきだ》つてほんのり桃色《もゝいろ》に薄《うす》く見《み》えべい。――麻袋《あさふくろ》には昼飯《ひるめし》の握《にぎ》つた奴《やつ》、余《あま》るほど詰《つ》めて置《お》く、ちやうど僥幸《さいはひ》、山《やま》の芋《いも》を穿《ほ》つて横噛《よこかじ》りでも一日《いちにち》二日《ふつか》は凌《しの》げるだ。遣《や》りからかせ、さあ、ござい。少《わか》い人《ひと》。……お前様《めえさま》、其《そ》の采《さい》を拾《ひろ》はつしやい。御坊《ごばう》、』
『乗《の》りかゝつた船《ふね》ぢや、私《わし》も行《ゆ》く。……』
で、連立《つれだ》つて、天守《てんしゆ》の森《もり》の外《そと》まはり、壕《ほり》を越《こ》えて、少時《しばらく》、石垣《いしがき》の上《うへ》を歩行《ある》いた。
爾時《そのとき》、十八九人《じふはつくにん》の同勢《どうぜい》が、ぞろ/\と野《の》を越《こ》えて駆《か》けて来《き》た。中《なか》には巡査《じゆんさ》も交《まじ》つたが、早《は》や壕《ほり》の向《むか》ふの高《たか》い石垣《いしがき》の上《うへ》に、森《もり》の枝《えだ》を伝《つた》ふ躰《てい》の雪枝《ゆきえ》の姿《すがた》を、小《ちひ》さな鳥《とり》に成《な》つて、雲《くも》に入《い》り行《ゆ》く、と視《なが》めたであらう。……
手《て》を挙《あ》げ、帽《ばう》を振《ふ》り、杖《ステツキ》を廻《ま》はしなどして、わあわつと声《こゑ》を上《あ》げたが、其《そ》の内《うち》に、一人《ひとり》、草《くさ》に落《おち》た女《をんな》の片腕《かたうで》を見《み》たものがある。それから一溜《ひとたま》りもなく裏崩《うらくづ》れして、真昼間《まつぴるま》の山《やま》の野原《のばら》を、一散《いつさん》に、や、雲《くも》を霞《かすみ》。
森《もり》の幕《まく》が颯《さつ》と落《お》ちて、双六谷《すごろくだに》が舞台《ぶたい》の如《ごと》く眼前《めのまへ》に開《ひら》かれたやうに雪枝《ゆきえ》は思《おも》つた。……悪処《あくしよ》難路《なんろ》を辿《たど》りはしたが、然《さ》まで時《とき》が経《た》つたとも思《おも》はず、別《べつ》に其《それ》が為《ため》に、と思《おも》ふ疲労《つかれ》も増《ま》さない。で、足《あし》を運《はこ》ぶ内《うち》に至《いた》り着《つ》いたので、宛然《さながら》、城址《しろあと》の場所《ばしよ》から、森《もり》を土塀《どべい》に、一重《ひとへ》隔《へだ》てた背中合《せなかあ》はせの隣家《となり》ぐらゐにしか感《かん》じない。――最《もつと》も案内《あんない》をすると云《い》ふ老爺《ぢい》より、坊主《ばうず》の方《はう》が、すた/\先《さき》へ立《た》つて歩行《ある》いたが。
時《とき》に、真先《まつさき》に、一朶《いちだ》の桜《さくら》が靉靆《あいたい》として、霞《かすみ》の中《なか》に朦朧《もうろう》たる光《ひかり》を放《はな》つて、山懐《やまふところ》に靡《なび》くのが、翌方《あけがた》の明星《みやうじやう》見《み》るやう、巌陰《いはかげ》を出《で》た目《め》に颯《さつ》と映《うつ》つた。
「叱《しつ》!」
と老爺《ぢい》が警蹕《けいひつ》めいた声《こゑ》を、我《われ》と我《わ》が口《くち》へ轡《くつわ》に懸《か》ける。
トなだらかな、薄紫《うすむらさき》の崖《がけ》なりに、桜《さくら》の影《かげ》を霞《かすみ》の被衣《かつぎ》、ふうわり背中《せなか》から裳《すそ》へ落《おと》して、鼓草《たんぽゝ》と菫《すみれ》の敷満《しきみ》ちた巌《いは》を前《まへ》に、其《そ》の美女《たをやめ》が居《ゐ》たのである。
少時《しばらく》、一行《いつかう》は呼吸《いき》を凝《こ》らした。
見《み》よ! 見《み》よ! 巌《いは》の面《めん》は滑《なめら》かに、質《しつ》の青《あを》い艶《つや》を刻《きざ》んで、花《はな》の色《いろ》を映《うつ》したれば、恰《あたか》も紫《むらさき》の筋《すぢ》を彫《ほ》つた、自然《しぜん》に奇代《きたい》の双六磐《すごろくいは》。磐面《ばんめん》には花《はな》を摘《つ》んだ、大輪《だいりん》の菫《すみれ》と鼓草《たんぽゝ》とが、陽炎《かげらふ》の輝《かゞや》く中《なか》に、鼓草《たんぽゝ》は濃《こ》く、菫《すみれ》は薄《うす》く、美《うつく》しく色《いろ》を分《わか》つて、十二輪《じふにりん》、十二輪《じふにりん》、二十四輪《にじふしりん》の駒《こま》なるよ……向《むか》ふ合《あ》はせに区劃《くぎり》を隔《へだ》てゝ、二輪《にりん》、一輪《いちりん》、一輪《いちりん》、二輪《にりん》、空《そら》に蒔絵《まきゑ》した星《ほし》の如《ごと》く、浮彫《うきぼり》したやう並《なら》べられた。
美女《たをやめ》は、やゝ俯向《うつむ》いて、其《そ》の駒《こま》を熟《じつ》と視《なが》める風情《ふぜい》の、黒髪《くろかみ》に唯《たゞ》一輪《いちりん》、……白《しろ》い鼓草《たんぽゝ》をさして居《ゐ》た。此《こ》の色《いろ》の花《はな》は、一谷《ひとたに》に他《ほか》には無《な》かつた。
軽《かる》く其《そ》の黒髪《くろかみ》を戦《そよ》がしに来《く》る風《かぜ》もなしに、空《そら》なる桜《さくら》が、はら/\と散《ち》つたが、鳥《とり》も啼《な》かぬ静《しづ》かさに、花片《はなびら》の音《おと》がする……一片《ひとひら》……二片《ふたひら》……三片《みひら》……
「三《みツ》つ」と鶯《うぐひす》のやうな声《こゑ》、袖《そで》のあたりが揺《ゆ》れたと思《おも》へば、蝶《てふ》が一《ひと》ツひら/\と来《き》て、磐《ばん》の上《うへ》をすつと行《ゆ》く……
「一《ひと》つ、」
と美女《たをやめ》は又《また》算《かぞ》へて、鼓草《たんぽゝ》の駒《こま》を取《と》つて、格子《かうし》の中《なか》へ、……菫《すみれ》の花《はな》の色《いろ》を分《わ》けて、静《しづか》に置替《おきか》へながら、莞爾《につこ》と微笑《ほゝゑ》む。……
気高《けだか》い中《なか》に其《そ》の優《やさ》しさ。
「は、」と、思《おも》はず雪枝《ゆきえ》は、此方《こなた》に潜《ひそ》みながら押堪《おしこら》へた息《いき》が発奮《はづ》んだ。
「誰《たれ》? ……」
と美女《たをやめ》の声《こゑ》が懸《かゝ》る。
老爺《ぢい》は咳《しはぶき》を一《ひと》つ故《わざ》として、雪枝《ゆきえ》の背中《せなか》を丁《とん》と突出《つきだ》す。これに押出《おしだ》されたやうに、蹌踉《よろめ》いて、鼓草《たんぽゝ》菫《すみれ》の花《はな》を行《ゆ》く、雲《くも》踏《ふ》む浮足《うきあし》、ふらふらと成《な》つたまゝで、双六《すごろく》の前《まへ》に渠《かれ》は両手《りやうて》を支《つ》いて跪《ひざまづ》いたのであつた。
坊主《ばうず》は懐中《ふところ》の輪袈裟《わげさ》を取《と》つて懸《か》け、老爺《ぢい》は麻袋《あさふくろ》を探《さぐ》つた、烏帽子《えぼうし》を丁《チヨン》と冠《かぶ》つて、更《あらた》めてづゝと出《で》た。
美女《たをやめ》は密《そ》と鬢《びん》を圧《おさ》へた。
声《こゑ》も出《だ》せぬ雪枝《ゆきえ》に代《かは》つて、老爺《ぢい》が始終《しゞう》を物語《ものがた》つた……
坊主《ばうず》は、時々《とき/″\》眼《まなこ》を開《ひら》いて、聞澄《きゝすま》す美女《たをやめ》の横顔《よこがほ》を窺《うかゞ》ひ見《み》る。
「お姫様《ひめさま》、」
と語《かた》り果《は》てゝ老爺《ぢい》が呼《よ》んで、
「お助《たす》けを遣《つか》はされ、さあ、少《わか》い人《ひと》、願《ねが》へ。」
「姫様《ひいさま》、」
と雪枝《ゆきえ》は、窶《やつ》れに窶《やつ》れた人間《にんげん》の顔《かほ》して見上《みあ》げた。
「|上《じやうらう》どの、」と坊主《ばうず》も言足《いひた》す。
美女《たをやめ》は引合《ひきあ》はせた袖《そで》を開《ひら》いた。而《そ》して、
「天守《てんしゆ》のお使者《つかひ》、天守《てんしゆ》のお使者《つかひ》。」
と二声《ふたこゑ》呼《よ》ばるゝ。
「やあ、拙僧《わし》が事《こと》か、」と、間《ま》を措《お》いて坊主《ばうず》が答《こた》へた。
「あの、其《そ》の指《ゆび》をお指《さ》しになれば、天守《てんしゆ》の方《かた》の、お心《こゝろ》が通《つう》じますかえ。」
「如何《いか》にも。」と片手《かたて》を握《にぎ》つて、片手《かたて》を其《そ》の蒼《あを》い頬《ほゝ》げたに並《なら》べて、横《よこ》に開《ひら》いて応《おう》じたのである。
「双六《すごろく》を打《う》つて賭《か》けませう。私《わたし》は其《そ》の他《ほか》の事《こと》は何《なん》にも知《し》らねば……而《そ》して、私《わたし》が負《ま》けましたら、其切《それきり》仕方《しかた》がありません。もし、あの、私《わたし》が勝《かち》となれば、此《こ》のお方《かた》の其《そ》の奥様《おくさま》を、恙《つゝが》なう、お戻《もど》しになりますやうに……お約束《やくそく》が出来《でき》ませうか。」
と物優《ものやさ》しいが力《ちから》ある声《こゑ》して聞《き》く。
坊主《ばうず》は言下《ごんか》に空《くう》を指《さ》した。
「天守《てんしゆ》に於《おい》ては、予《かね》て貴女《あなた》と双六《すごろく》を打《う》つて慰《なぐさ》みたいが、御承知《ごしようち》なければ、致《いたし》やうも無《な》かつた折《をり》から……丁《ちやう》ど僥倖《さいはひ》、いや固《もと》より、固《もと》より望《のぞ》み申《まを》す処《ところ》……とある!」
美女《たをやめ》は世《よ》にも嬉《うれ》しげに……早《は》や頼《たの》まれて人《ひと》を救《すく》ふ、善根《ぜんこん》功徳《くどく》を仕遂《しと》げた如《ごと》く微笑《ほゝゑ》みながら、左右《さいう》に、雪枝《ゆきえ》と老爺《ぢい》とを艶麗《あでやか》に見《み》て、清《すゞ》しい瞳《ひとみ》を目配《めくば》せした。
「そんなら、私《わたし》が勝《か》ちましたら、奥様《おくさま》をお返《かへ》しなさいますね。」
「御念《ごねん》に及《およ》ばぬ、城《じやう》ヶ沼《ぬま》の底《そこ》に湧《わ》く……霊泉《れいせん》に浴《ゆあみ》させて、傷《きづ》もなく疲労《つかれ》もなく苦悩《くなう》もなく、健《すこや》かにしてお返《かへ》し申《まを》す。」
美女《たをやめ》は、十二《じふに》の数《かず》の、黄《き》と紫《むらさき》を、両方《りやうはう》へ、颯《さつ》と分《わ》けて、
「天守《てんしゆ》のお方《かた》。どちらの駒《こま》を……」
「赫耀《かくやく》として日《ひ》に輝《かゞや》く、黄金《わうごん》の花《はな》は勝色《かちいろ》、鼓草《たんぽゝ》を私《わし》が方《はう》へ。」
と痩《や》せた頬《ほゝ》げたの膨《ふく》らむまで、坊主《ばうず》は浮色《うきいろ》に成《な》つて笑《ゑみ》を含《ふく》んで、駒《こま》を二《ふた》つづゝ六行《ろくぎやう》に。
同《おな》じく二《ふた》つづゝ六行《ろくぎやう》に……紫《むらさき》の格子《かうし》に並《なら》べた。
「紫《むらさき》は朱《あけ》を奪《うば》ふ、お姫様《ひめさま》菫《すみれ》の花《はな》が、勝負事《しようぶごと》には勝色《かちいろ》ぢや。」
と老爺《ぢい》は盤面《ばんめん》を差覗《さしのぞ》いて、坊主《ばうず》を流盻《しりめ》に勇《いさ》んだ顔色《かほつき》。
これに苦笑《にがわら》ひ為《し》て口《くち》を結《むす》んだ、坊主《ばうず》は心急《こゝろせ》く様子《やうす》が見《み》えて、
「ざ! |上《じやうらう》、」
「お客《きやく》なれば貴僧《あなた》から、」
「や、采《さい》は、|上《じやうらう》。」と高声《たかごゑ》で言《い》つた。
「空《そら》を行《ゆ》く雲《くも》の数《かづ》、」
と眉《まゆ》を開《ひら》いて見上《みあ》ぐる天《てん》を、白《しろ》い雲《くも》が来《き》ては消《き》え、白《しろ》い雲《くも》が来《き》ては消《き》えする。
「桜《さくら》の花《はな》の散《ち》るのを数《かぞ》へ、舞《ま》ひ来《く》る蝶《てふ》の翼《つばさ》を算《よ》んで、貴僧《あなた》、私《わたし》と順々《じゆん/\》に。」
坊主《ばうず》は頷《うなづ》いて袈裟《けさ》を揺《ゆす》つた。
「言《い》ふ目《め》。」
と高《たか》く美女《たをやめ》が。
「乞目《こひめ》、」
と坊主《ばうず》が、互《たがひ》に一声《ひとこゑ》。鶯《うぐひす》と梟《ふくろふ》と、同時《どうじ》に声《こゑ》を懸合《かけあ》はせた。
「一《ひと》つ来《き》て、二《ふた》つぢや。」
と鶴《つる》の姿《すがた》の雲《くも》を睨《にら》んで、鼓草《たんぽゝ》は格子《かうし》を動《うご》く。
ト美女《たをやめ》は袂《たもと》を取《と》つて、袖《そで》を斜《なゝ》めに、瞳《ひとみ》を流《なが》せば、心《こゝろ》ある如《ごと》く桜《さくら》の枝《えだ》から、花片《はなびら》がさら/\と白《しろ》く簪《かざし》の花《はな》を掠《かす》める時《とき》、紅《くれない》の色《いろ》を増《ま》して、受《う》け取《と》る袖《そで》に飜然《ひらり》と留《と》まつた。
「右《みぎ》が三《みつ》つ、」
と袖《そで》を返《かへ》して、左《ひだり》の袂《たもと》を静《しづ》かに引《ひ》くと、また花片《はなびら》がちらりと来《く》る。
「一《ひと》つと二《ふた》つ、」
と菫《すみれ》の花《はな》が白《しろ》い指《ゆび》から格子《かうし》へ入《はい》つた。
「雲《くも》よ、雲《くも》よ、雲《くも》よ、」
と呼《よ》んで、気色《けしき》ばんで、やゝ坊主《ばうず》があせり出《だ》した。――争《あらそ》ひの半《なかば》であつた。
「雲《くも》が来《く》る、花《はな》が降《ふ》る。や、此《こ》の采《さい》は気《き》が長《なが》いぞ。見《み》て居《ゐ》る内《うち》に斧《をの》の柄《え》が朽《く》ち、玉手箱《たまてばこ》が破《やぶ》れうも知《し》れぬが。少《わか》い人《ひと》、其《そ》の采《さい》を……其《そ》の采《さい》を出《だ》さつしやい。うつかり見惚《みと》れて私《わし》も忘《わす》れた。」
と目《め》の覚《さ》めたやうに老爺《ぢい》が言《い》つた。
青年《わかもの》は疾《と》くから心着《こゝろづ》いて、仏舎利《ぶつしやり》のやうに手《て》に捧《さゝ》げて居《ゐ》たのを、密《そつ》と美女《たをやめ》の前《まへ》へ出《だ》した。
「一《ひと》つ振《ふ》つたり、」
と老爺《ぢい》が傍《かたはら》から、肝入《きもい》れして、采《さい》を盤石《ばん》に投《な》げさせた。
「お姫様《ひいさま》、それ/\、星《ほし》が一《ひと》つで、梅《うめ》が五《ご》ぢや。瞬《またゝき》する間《ま》に、十度《とたび》も目《め》が出《で》る。早《はや》く、もし、其《それ》で勝負《しようぶ》を着《つ》けさつせえまし。」
「天下《てんか》の重宝《ちやうほう》、私《わし》もつひ是《これ》に気《き》が着《つ》かなんだ。」
と坊主《ばうず》は手早《てばや》く拾《ひろ》ひ取《と》る。
「いえ、急《いそ》いでは成《な》りません、花《はな》の数《かず》、蝶《てふ》の数《かず》、雲《くも》の数《かず》で無《な》くつては。」と美女《たをやめ》は頭《かしら》を振《ふ》つた。
「えゝ、お姫様《ひいさま》の! 何《ど》うやら今《いま》までの乞目《こひめ》では、一度《いちど》に一年《いちねん》も懸《かゝ》りさうぢや。お庇《かげ》と私等《わしら》は飢《ひもじ》うも、だるうも無《な》けれど、肝心《かんじん》助《たす》け取《と》らうと云《い》ふ、奥様《おくさま》の身《み》をお察《さつ》しやれ。一息《ひといき》に血《ち》一点《ひとたらし》、一刻《いつこく》に肉《にく》一分《いちぶ》は絞《しぼ》られる、削《けづ》られる……天守《てんしゆ》の梁《うつばり》に倒《さかさま》で、身《み》の鞭《むち》に暇《ひま》はないげな。」
「其《そ》の通《とほ》り。」と傲然《がうぜん》として、坊主《ばうず》は身構《みがま》へ為《し》て袖《そで》を掲《かゝ》げた。
美女《たをやめ》の顔《かほ》の色《いろ》は早《は》や是非《ぜひ》なげに見《み》えた。
一《いち》が起《お》き、六《ろく》が出《い》で、三《さん》に変《かは》り、二《に》に飜《かへ》り、五《ご》が並《なら》ぶ。天《てん》に星《ほし》の輝《かゞや》く如《ごと》く、采《さい》の目《め》の疾《と》く、駒《こま》の烈《はげ》しく動《うご》くに連《つ》れて、中空《なかぞら》を見《み》よ、岫《しう》を湧《わ》き、谷《たに》を飛《と》ぶ、消《き》えた雲《くも》が残《のこ》り、続《つゞ》く雲《くも》が累《かさな》り、追《お》ふ雲《くも》が結着《むすびつ》いて、雲《くも》はやがて厚《あつ》く、雲《くも》はやがて濃《こ》く、既《すで》にして近《ちか》くなり、低《ひく》く成《な》つた。……
忽《たちま》ち一片《いつぺん》、美女《たをやめ》の面《おもて》にも雲《くも》の影《かげ》が映《さ》すよと見《み》れば、一谷《ひとだに》は暗《くら》く成《な》つた。
鋭《するど》き山颪《やまおろし》が颯《さ》と来《く》ると、舞下《まひさが》る雲《くも》に交《まじ》つて、漂《たゞよ》ふ如《ごと》く菫《すみれ》の薫《かほり》が|※《ぱつ》[#「火+發」、U+243CB、182-14]としたが、拭《ぬぐ》ひ去《さ》つて、つゝと消《き》えると、電《いなづま》が空《くう》を切《き》つた。……坊主《ばうず》の法衣《ころも》は、大巌《おほいは》の色《いろ》の乱《みだ》れた双六《すごろく》の盤《ばん》を蔽《おほ》ふて、四辺《あたり》は墨《すみ》よりも蔭《かげ》が黒《くろ》い。
ト暗夜《あんや》の如《ごと》き山懐《やまふところ》を、桜《さくら》の花《はな》は矢《や》を射《ゐ》るばかり、白《しろ》い雨《あめ》と散《ち》り灌《そゝ》ぐ。其《そ》の間《あひだ》をくわつと輝《かゞや》く、電光《いなびかり》の縫目《ぬいめ》から空《そら》を破《やぶ》つて突出《つきだ》した、坊主《ばうず》の面《つら》は物凄《ものすさま》しいものである……
唯《と》見《み》れば、頭《かしら》に、無手《むづ》と一本《いつぽん》の角《つの》生《お》ひたり。顔面《がんめん》黒《くろ》く漆《うるし》して、目《め》の隈《くま》、鼻頭《はなづら》、透通《すきとほ》る紫陽花《あぢさゐ》に藍《あゐ》を流《なが》し、額《ひたひ》から頤《あぎと》に掛《か》けて、長《なが》さ三尺《さんじやく》、口《くち》から口《くち》へ其《そ》の巾《はゞ》五尺《ごしやく》、仁王《にわう》の顔《かほ》を上《うへ》に二《ふた》つ下《した》に三《み》つ合《あ》はせたばかり、目《め》に余《あま》る大《おほき》さと成《な》つて、カチ/\と歯《は》の鳴《な》る時《とき》、鰐《わに》かと思《おも》ふ大口《おほぐち》を赫《くわつ》と開《ひら》いて、上頤《うはあご》を嘗《な》める舌《した》が赤《あか》い。
「騒《さわ》ぐまい、時々《とき/″\》ある……深山幽谷《しんざんいうこく》の変《へん》じや。少《わか》い人《ひと》、誰《たれ》の顔《かほ》も何《ど》の姿《すがた》も、何《ど》う変《かは》るか知《し》んねえだ! 驚《おどろ》くと気《き》が狂《くる》ふぞ、目《め》を塞《ふさ》いで踞《せぐゝま》れ、蹲《しやが》め、突伏《つゝふ》せ、目《め》を塞《ふさ》げい。」
と老爺《ぢい》が呼《よば》はる。
雪枝《ゆきえ》はハツと身《み》を伏《ふ》せて、巌《いは》に吸込《すひこ》まれるかと呼吸《いき》を詰《つ》めたが、胸《むね》の動悸《だうき》が、持上《もちあ》げ揺上《ゆりあ》げ、山谷《さんこく》尽《こと/″\》く震《ふる》ふを覚《おぼ》えた。
殷々《ゐん/\》として雷《らい》が響《ひゞ》く。
音《おと》の中《なか》に、
「切《き》らう!」
と思切《おもひき》つた美女《たをやめ》の、細《ほそ》い透《とほ》る声音《こはね》が、胸《むね》を抉《えぐ》つて耳《みゝ》を貫《つらぬ》く。
「何《なに》を、切《き》ればと言《い》ふて早《は》や今《いま》は……乞目《こひめ》!」
と誇立《ほこりた》つた坊主《ばうず》の声《こゑ》が響《ひゞ》いたが。
「やあ、勝《か》つた。」
と叫《さけ》んで、大音《だいおん》に呵々《から/\》と笑《わら》ふと斉《ひと》しく、空《そら》を指《さ》した指《ゆび》の尖《さき》へ、法衣《ころも》の裙《すそ》が衝《つ》と上《あが》つた、黒雲《くろくも》の袖《そで》を捲《ま》いて、虚空《こくう》へ電《いなづま》を曳《ひ》いて飛《と》ぶ。
と風《かぜ》の余波《なごり》に寂《しん》として、谷《たに》は瞬《またゝ》く間《ま》に、もとの陽炎《かげらふ》。
が、日《ひ》の光《ひか》りやゝ弱《よわ》く、衣《きぬ》のひた/\と身《み》に着《つ》く処《ところ》に、薄《うす》い影《かげ》が繊細《かほそ》くさして、散乱《ちりみだ》れた桜《さくら》の花《はな》の、背《せ》に頸《くび》にかゝつたまゝ、美女《たをやめ》は、手《て》を額《ひたひ》に当《あ》てゝ、双六盤《すごろくばん》に差俯向《さしうつむ》いて、ものゝ悩《なや》ましげな風情《ふぜい》であつた。
「お姫様《ひめさま》、」
と風《かぜ》に曲《ゆが》んだ烏帽子《えばうし》の紐《ひも》を結直《ゆひなお》したが、老爺《ぢい》の声《こゑ》も力《ちから》が無《な》かつた。
「姫様《ひいさま》。」
と膝行《いざ》り寄《よ》つて、……雪枝《ゆきえ》が伸上《のびあが》るやうに膝《ひざ》を支《つ》いて、其《そ》の袖《そで》のあたりを拝《をが》んだ。
「頼《たの》まれたのに、済《す》みません。」
二筋《ふたすぢ》三筋《みすぢ》、後毛《をくれげ》のふりかゝる顔《かほ》を上《あ》げて、青年《わかもの》の顔《かほ》を凝《じつ》と視《なが》めて、睫毛《まつげ》の蔭《かげ》に花《はな》の雫《しづく》、衝《つ》と光《ひか》つて、はら/\と玉《たま》の涙《なみだ》を落《おと》す。
老爺《ぢい》も鼻《はな》を詰《つま》らせた。
雪枝《ゆきえ》は身《み》を絞《しぼ》つて湧出《わきいづ》るやうに、熱《あつ》い、柔《やはらか》い涙《なみだ》が流《なが》れた。
「断念《あきら》めます、……断念《あきら》める……私《わたくし》はお浦《うら》を思切《おもひき》ります。何《ど》うぞ、其《そ》の代《かは》り、夢《ゆめ》でも可《い》い、夢《ゆめ》なら何時《いつ》までも覚《さ》めずに、私《わたくし》を此処《こゝ》に、貴女《あなた》の傍《そば》にお置《お》き下《くだ》さい。
貴下《あなた》、生効《いきが》ひのない私《わたくし》、罰《ばち》も当《あた》れ、死《し》んでも構《かま》はん。」
と前倒《まへたふ》しに身《み》を投《な》げて、犇《ひし》と美女《たをやめ》の手《て》に縋《すが》ると、振《ふ》りも払《はら》はず取添《とりそ》へて、
「雪様《ゆきさま》。」
と優《やさ》しく言《い》ふ。
「え、」
いや、老爺《ぢい》も驚《おどろ》くまいか。
「お懐《なつか》しい。私《わたし》は貴下《あなた》が七歳《なゝつ》の年紀《とし》、お傍《そば》に居《ゐ》たお友達《ともだち》……過世《すぐせ》の縁《えん》で、恋《こひ》しう成《な》り、いつまでも/\、御一所《ごいつしよ》にと思《おも》ふ心《こゝろ》が、我知《われし》らず形《かたち》に出《で》て、都《みやこ》の如月《きさらぎ》に雪《ゆき》の降《ふ》る晩《ばん》。其《そ》の雪《ゆき》は、故郷《ふるさと》から私《わたし》を迎《むかひ》に来《き》たものを、……帰《かへ》る気《き》は些《ちつと》も無《な》しに、貴下《あなた》の背《せな》に凭《より》かゝつて、二階《にかい》の部屋《へや》へ入《はい》りしなに、――貴下《あなた》のお父様《とうさま》が御覧《ごらん》の目《め》には、……急《きふ》に貴下《あなた》が大《おほ》きく成《な》つて、年《とし》ごろも対《つゐ》くらゐ、私《わたし》と二人《ふたり》が夫婦《ふうふ》のやうで熟《じつ》と抱合《だきあ》ふ形《かたち》に見《み》えて、……怪《あや》しい女《をんな》と、直《す》ぐに其《そ》の場《ば》で、暖炉《ストーブ》の灰《はい》にされましたが、戸《と》の外面《そとも》からひた/\寄《よ》る……迎《むか》ひの雪《ゆき》に煙《けむり》を包《つゝ》んで、月《つき》の下《した》を、旧《もと》の此《こ》の故郷《ふるさと》へ帰《かへ》りました。
非情《ひじやう》のものが、恋《こひ》をした咎《とがめ》を受《う》けて、其《そ》の時《とき》から、唯《たゞ》一人《ひとり》で、今《いま》までも双六巌《すごろくいは》の番《ばん》をして、雨露《あめつゆ》に打《う》たれても、……貴下《あなた》の事《こと》が忘《わす》れられぬ。
其《そ》の心《こゝろ》が通《つう》ずるのか、貴下《あなた》も年月《としつき》経《た》ち、日《ひ》が経《た》つても、私《わたし》の事《こと》をお忘《わす》れなさらず、昨日《きのふ》までも一昨日《おとゝひ》までも、思《おも》ひ詰《つ》めて居《ゐ》て下《くだ》さいましたが、奥様《おくさま》が出来《でき》たので、つひ余所事《よそごと》になさいました。
それをお怨《うら》み申《まを》すのではない。嫉妬《ねたみ》も猜《そね》みもせぬけれど、……口惜《くちをし》い、其《それ》がために、敵《かたき》から仕事《しごと》の恥辱《ちじよく》をお受《う》け遊《あそ》ばす。……雲《くも》、花片《はなびら》の数《かず》を算《よ》めば、思《おも》ふまゝの乞目《こひめ》が出《で》て、双六《すごろく》に勝《か》てたのに、……唯《たゞ》一刻《いつこく》を争《あらそ》ふて、焦《あせ》つてお悶《もだ》へ遊《あそ》ばすから、危《あぶな》いとは思《おも》ひながら、我儘《わがまゝ》おつしやる可愛《かあい》らしさに、謹慎《つゝしみ》もつひ忘《わす》れ、心《こゝろ》が乱《みだ》れて、よもやに曳《ひ》かされ、人間《にんげん》の采《さい》を使《つか》つたので、効《かひ》なく敵《かたき》に負《ま》けました。貴下《あなた》も、悪《わる》い、私《わたし》も悪《わる》い。
あゝ、花《はな》も恁《か》う乱《みだ》れぬうち、雲《くも》の中《うち》から奥様《おくさま》を助《たす》け出《だ》し、こゝへ並《なら》べて、蝶《てふ》の蔭《かげ》から、貴下《あなた》の喜《よろこ》ぶ顔《かほ》を見《み》て、其《そ》の後《あと》で名告《なの》りたうごさんした。」
としめやかに朱唇《しゆしん》が動《うご》く、と花《はな》が囁《さゝや》くやうなのに、恍惚《うつとり》して我《われ》を忘《わす》れる雪枝《ゆきえ》より、飛騨《ひだ》の国《くに》の住人《じゆうにん》以《も》つての外《ほか》畏縮《ゐしゆく》に及《およ》んで、
「南無三宝《なむさんぽう》、あやまり果《は》てた。」と烏帽子《えばうし》を掻《か》いて猪頸《ゐくび》に窘《すく》む。
「いえ/\此《これ》も定《さだ》まる約束《やくそく》。……しかし、尚《な》ほ懐《なつか》しい。奥様《おくさま》を思切《おもひき》り、世《よ》を捨《す》てゝも私《わたし》の傍《そば》に命《いのち》をかけて居《ゐ》やうとおつしやる。其《そ》のお言葉《ことば》で奥様《おくさま》は救《すく》はれます……私《わたし》も又《また》命《いのち》にかけても、お望《のぞみ》を遂《と》げさせましやう。
さあ、貴下《あなた》、あらためて、奥様《おくさま》を償《つくな》ふための、木彫《きぼり》の像《ざう》をお作《つく》り遊《あそ》ばせ、勝《すぐ》れた、優《まさ》つた、生命《いのち》ある形代《かたしろ》をお刻《きざ》みなさい。
屹《きつ》と敵《かたき》に不足《ふそく》は言《い》はせぬ。花片《はなびら》を雪《ゆき》にかへて、魔物《まもの》の煩悩《ぼんなう》のほむらを冷《ひや》す、価値《ねうち》のあるのを、私《わたくし》が作《つく》らせませう、……お爺《ぢい》さん、」
と見返《みかへ》つて、
「貴翁《あなた》がお家《いへ》重代《じゆうだい》の、其《そ》の小刀《こがたな》を、雪様《ゆきさま》にお貸《か》し下《くだ》さいまし。」
「心得《こゝろえ》ました。」
と謹《つゝし》んで持《も》つて寄《よ》る、小刀《こがたな》を受取《うけと》ると、密《そ》と取合《とりあ》つた手《て》を放《はな》して、柔《やはら》かに、優《やさ》しく、雪枝《ゆきえ》の手《て》の甲《かう》の、堅《かた》く成《な》つて指《ゆび》も動《うご》かぬを、撫《な》でさすりつゝ、美女《たをやめ》が其《そ》の掌《てのひら》に握《にぎ》らせた。
四辺《あたり》を|《みまは》し、衣紋《えもん》を直《なほ》して、雪枝《ゆきえ》に向《むか》つて、背後向《うしろむ》きに、双六巌《すごろくいは》に、初《はじ》めは唯《と》腰《こし》を掛《か》ける姿《すがた》と見《み》えたが、褄《つま》を放《はな》して、盤《ばん》の上《うへ》へ、菫《すみれ》鼓草《たんぽゝ》の駒《こま》を除《よ》けて、采《さい》を取《と》つて横《よこ》に寐《ね》た。
陽炎《かげらふ》が裳《もすそ》に懸《かゝ》つた。
美女《たをやめ》の風采《ありさま》は、紫《むらさき》の格目《こまめ》の上《うへ》に、虹《にじ》を枕《まくら》した風情《ふぜい》である。
雪枝《ゆきえ》は、倒《たふ》れたと見《み》て、つゝと起《た》つた。
「……雪様《ゆきさま》、私《わたし》の目《め》を、私《わたし》の眉《まゆ》を、私《わたし》の額《ひたひ》を、私《わたし》の顔《かほ》を、私《わたし》の髪《かみ》を、此《こ》のまゝに……其《そ》の小刀《こがたな》でお刻《きざ》みなさいまし。」
「や、」と老爺《ぢい》が吃驚《びつくり》して、歯《は》の抜《ぬ》けた声《こゑ》を出《だ》して、
「成程《なるほど》、お天守《てんしゆ》で不足《ふそく》は言《い》ふまい、が、当事《あてこと》もない、滅法界《めつぽふかい》な。」
「雪様《ゆきさま》、痛《いた》くはない。血《ち》も出《で》ぬ、眉《まゆ》を顰《ひそ》めるほどもない。突《つ》いて、斬《き》つて、さあ、小刀《こがたな》で、此《こ》のなりに、……此《こ》のなりに、……」
「思切《おもひき》る、断念《あきら》めた、女房《にようばう》なんぞ汚《けが》らはしい。貴女《あなた》と一所《いつしよ》に置《お》いて下《くだ》さい、お爺《ぢい》さんも頼《たの》んで下《くだ》さい、最《も》う一度《いちど》手《て》を取《と》つて、」
戞然《からり》と、どき/\した小刀《こがたな》を投出《なげだ》す。
「其《そ》のお心《こゝろ》の失《う》せない内《うち》、早《はや》く小刀《こがたな》をお取《と》りなさいまし。……そんな事《こと》をおつしやつて、奥様《おくさま》は、今《いま》何《ど》うして居《ゐ》らつしやいます。」
それを聞《き》くや、
「わつ、」と泣《な》いて、雪枝《ゆきえ》は横様《よこざま》に縋《すが》りついた、胸《むね》を突伏《つゝふ》せて、唯《たゞ》戦《おのゝ》く……
徐《やを》ら、其《そ》の背《せ》を、姉《あね》がするやう掻撫《かいな》でながら、
「恁《か》う成《な》るのが定《さだ》まり事《ごと》、……人《ひと》の運《うん》は一《ひと》つづゝ天《てん》の星《ほし》に宿《やど》ると言《い》ひます。其《それ》と同《おな》じに日本国中《にほんこくちゆう》、何処《どこ》ともなう、或年《あるとし》或月《あるつき》或日《あるひ》に、其《そ》の人《ひと》が行逢《ゆきあ》はす、山《やま》にも野《の》にも、水《みづ》にも樹《き》にも、草《くさ》にも石《いし》にも、橋《はし》にも家《いへ》にも、前《まへ》から定《さだ》まる運《うん》があつて、花《はな》ならば、花《はな》、蝶《てふ》ならば、蝶《てふ》、雲《くも》ならば、雲《くも》に、美《うつく》しくも凄《すご》くも寂《さび》しうも彩色《さいしき》されて描《か》いてある…手《て》を取合《とりあ》ふて睦《むつ》み合《あ》ふて、もの言《い》つて、二人《ふたり》居《ゐ》られる身《み》ではない。
唯《たゞ》形《かたち》ばかり、何時《いつ》何処《いづく》でも、貴方《あなた》が思《おも》ふ時《とき》、其処《そこ》に居《ゐ》る、念《ねん》ずる時《とき》直《す》ぐに逢《あ》へます、お呼《よ》び遊《あそ》ばせば参《まゐ》られます。
早《は》や、小刀《こがたな》を……、小刀《こがたな》を……、」
「帰命頂礼《きみやうてうらい》、南無不可思議《なむふかしぎ》、帰命頂礼《きみやうてうらい》、南無不可思議《なむふかしぎ》。」
と唱《とな》へながら、老爺《ぢい》が拾《ひろ》つて渡《わた》した時《とき》、雪枝《ゆきえ》は犇《ひし》と小刀《こがたな》を取《と》つた。
「一刀一拝《いつたういつぱい》、拝《をが》め、頼《たの》め、念《ねん》じて、念《ねん》じて、」
と励《はげ》まし教《をし》うるが如《ごと》くに老爺《ぢい》が言《い》ふ。
「姫《ひめ》、姫《ひめ》、」
と勇《いさ》ましく、
「疵《きづ》を附《つ》けたら、私《わたし》も死《し》ぬ。」
と熟《じつ》と見《み》て、小刀《こがたな》を取直《とりなほ》した。
美女《たをやめ》の姿《すがた》ありのまゝ、木彫《きぼり》の像《ざう》と成《な》つた時《とき》、膝《ひざ》に取《と》つて、雪枝《ゆきえ》は犇《ひし》と抱締《だきし》めて離《はな》し得《え》なんだ。
老爺《ぢい》が其《そ》の手《て》を曳《ひ》いて起《お》こして、さて、かはる/″\負《お》ひもし、抱《だ》きもして、嶮岨《けんそ》難処《なんしよ》を引返《ひきかへ》す。と二時《ふたとき》が程《ほど》に着《つ》いた双六谷《すごろくだに》を、城址《しろあと》までに、一夜《ひとよ》、山中《さんちゆう》に野宿《のじゆく》した。
其《そ》の夜《よ》の星《ほし》の美《うつく》しさ。
中《なか》にも山《やま》の端《は》に近《ちか》いのが、美女《たをやめ》の像《ざう》の額《ひたひ》を飾《かざ》つて輝《かゞや》いたのである。
翌朝《あけのあさ》、棟《むね》の雲《くも》の切《き》れ間《ま》を仰《あふ》いで、勇《いさ》ましく天守《てんしゆ》に昇《のぼ》ると、四階目《しかいめ》を上切《のぼりき》つた、五階《ごかい》の口《くち》で、フト暗《くら》い中《なか》に、金色《こんじき》の光《ひかり》を放《はな》つ、爛々《らん/\》たる眼《まなこ》を見《み》た、
一目《め》見《み》て、
「やあ、祖父殿《おんぢいどん》が、」
と老爺《ぢい》が叫《さけ》ぶ、……其《それ》なるは、黄金《こがね》の鯱《しやち》の頭《かしら》に似《に》た、一個《いつこ》青面《せいめん》の獅子《しゝ》の頭《かしら》、活《い》けるが如《ごと》き木彫《きぼり》の名作《めいさく》。櫓《やぐら》を圧《あつ》して、のつしとあり。角《つの》も、牙《きば》も、双六谷《すごろくだに》の黒雲《くろくも》の中《なか》に見《み》た、其《それ》であつた。……
祖父《おほぢ》の作《さく》に、久《ひさ》しぶりの話《はなし》がある、と美女《たをやめ》の像《ざう》を受取《うけと》つて、老爺《ぢい》は天守《てんしゆ》に胡座《あぐら》して後《あと》に残《のこ》つた。時《とき》に、祖父《おほぢ》が我《わが》まゝの佗《わび》だと言つて、麻袋《あさぶくろ》を、烏帽子《えばうし》入《い》れたまゝ雪枝《ゆきえ》に譲《ゆづ》つた。
さて、温泉宿《ゆのやど》に帰《かへ》つたが、人々《ひと/″\》は、雪枝《ゆきえ》の顔《かほ》の色《いろ》の清々《すが/\》しいのを視《なが》めて、はじめて渡《わた》した一通《いつつう》の書信《しよしん》がある。
途中《とちゆう》より、としてお浦《うら》の名《な》で、二人《ふたり》が結婚《けつこん》を為《し》ない前《まへ》から、契《ちぎ》りを交《か》はした少年《せうねん》の学生《がくせい》が一人《ひとり》ある。此《こ》の度《たび》の密月《みつゞき》の旅《たび》の第一夜《だいいちや》から、附絡《つきまと》ふて、隣《となり》の部屋《へや》に何時《いつ》も宿《やど》る……其《それ》さへも恐《おそ》ろしいのに、つひ言葉《ことば》のはづみから、双六谷《すごろくだに》に分入《わけい》つて、二世《にせ》の契《ちぎり》を賭《か》けやうとする、聞《き》けば名高《なだか》い神秘《しんぴ》の山奥《やまおく》、迚《とて》も罪深《つみふか》さに堪《た》へないため、諸《もろ》ともに身《み》を隠《かく》す、とあつた。
渠《かれ》は神色《しんしよく》自若《じゞやく》とした。
あはれ、神《かみ》は、香村雪枝《かむらゆきえ》を守《まも》らせ給《たま》ふ!
然《さ》うで無《な》いと、恁《か》くまでに恋慕《こひした》つた女《をんな》、気《き》が狂《くる》はずには居《ゐ》なかつたのである。
東京《とうきやう》に帰《かへ》つて後《のち》、呼《よ》べば応《こた》へて顕《あら》はるゝ、双六谷《すごろくだに》の美女《たをやめ》の像《ざう》を、唯《たゞ》目《め》を開《ひら》いて見《み》るやうに、すら/\と刻《きざ》み得《え》た。麻袋《あさふくろ》の鑿《のみ》小刀《こがたな》は、如意《によい》自在《じざい》に働《はたら》く。
彫像《てうざう》の成《な》つた時《とき》、北《きた》の一天《いつてん》、俄《には》かに黒雲《くろくも》を捲起《まきお》こして月夜《つきよ》ながら霰《あられ》を飛《と》ばした。
年《とし》経《た》つて、再《ふたゝ》び双六《すごろく》の温泉《をんせん》に遊《あそ》んだ時《とき》、最《も》う老爺《ぢい》は居《ゐ》なかつた。が、城址《しろあと》の濠《ほり》には船《ふね》があつて、鷺《さぎ》ではない、老爺《ぢい》の姿《すがた》が、木彫《きぼり》に成《な》つて立《た》つのを見《み》て、渠《かれ》は蘆間《あしま》に手《て》を支《つか》えて、やがて天守《てんしゆ》を拝《はい》した。
船《ふね》に乗《の》れば、すら/\と漕《こ》いで出《で》て、焼《や》けない処《どころ》か、もとの位置《ゐち》へすつと戻《もど》る……伝《つた》へ聞《き》く諾亜《ノア》の船《ふね》の如《ごと》きものであらう。
底本:「新編 泉鏡花集 第八巻」岩波書店
2004(平成16)年1月7日第1刷発行
底本の親本:「神鑿」文泉堂書房
1909(明治42)年9月16日
初出:「神鑿」文泉堂書房
1909(明治42)年9月16日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「をんせん」と「おんせん」、「城趾」と「城址」、「鎗《やり》ヶ嶽《だけ》」と「槍《やり》ヶ嶽《だけ》」の混在は底本の通りです。
※「魚」に対するルビの「うを」と「いを」、「水底」に対するルビの「みずそこ」と「みづそこ」、「灰」に対するルビの「はひ」と「はい」、「烏帽子」に対するルビの「えばうし」と「えぼうし」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「神鑿《しんさく》」となっています。
※初出時の署名は「鏡花小史」です。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2007年8月12日作成
2016年2月22日修正
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「火+發」、U+243CB
75-4、182-14

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「さんずい+散」、U+6F75
76-16、122-3、163-9

-->
「りっしんべん+牙」、U+3909
119-16

-->
「口+堯」、U+5635
125-7、135-15、148-6、152-15、157-12

-->
●図書カード