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虫《むし》
一
「おッとッとッと。そう乗《のり》出《だ》しちゃいけない。垣根《かきね》がやわだ。落着《おちつ》いたり、落着《おちつ》いたり」
「ふふふ。あわててるな若旦那《わかだんな》、あっしよりお前《まえ》さんでげしょう」
「叱《し》ッ、静《しず》かに。――」
「こいつァまるであべこべだ。どっちが宰領《さいりょう》だかわかりゃァしねえ」
が、それでも互《たがい》の声《こえ》は、ひそやかに触《ふ》れ合《あ》う草《くさ》の草《は》ずれよりも低《ひく》かった。
「まだかの」
「まだでげすよ」
「じれッてえのう、向《むこ》う臑《ずね》を蚊《か》が食《く》いやす」
「御辛抱《ごしんぼう》、御辛抱《ごしんぼう》。――」
谷中《やなか》の感応寺《かんおうじ》を北《きた》へ離《はな》れて二丁《ちょう》あまり、茅葺《かやぶき》の軒《のき》に苔《こけ》持《も》つささやかな住居《すまい》ながら垣根《かきね》に絡《から》んだ夕顔《ゆうがお》も白《しろ》く、四五坪《つぼ》ばかりの庭《にわ》一杯《ぱい》に伸《の》びるがままの秋草《あきぐさ》が乱《みだ》れて、尾花《おばな》に隠《かく》れた女郎花《おみなえし》の、うつつともなく夢見《ゆめみ》る風情《ふぜい》は、近頃《ちかごろ》評判《ひょうばん》の浮世絵師《うきよえし》鈴木晴信《すずきはるのぶ》が錦絵《にしきえ》をそのままの美《うつく》しさ。次第《しだい》に冴《さ》える三日月《みかづき》の光《ひか》りに、あたりは漸《ようや》く朽葉色《くちばいろ》の闇《やみ》を誘《さそ》って、草《くさ》に鳴《な》く虫《むし》の音《ね》のみが繁《しげ》かった。
「松《まっ》つぁん」
「へえ」
「たしかにここに、間違《まちが》いはあるまいの」
「冗談《じょうだん》じゃござんせんぜ、若旦那《わかだんな》。こいつを間違《まちが》えたんじゃ、松《まつ》五郎《ろう》めくら犬《いぬ》にも劣《おと》りやさァ」
「だってお前《まえ》、肝腎《かんじん》の弁天様《べんてんさま》は、かたちどころか、影《かげ》も見《み》せやしないじゃないか」
「御辛抱《ごしんぼう》、御辛抱《ごしんぼう》、急《せ》いちゃァ事《こと》を仕損《しそん》じやす」
「ここへ来《き》てから、もう半時近《はんときちか》くも経《た》ってるんだよ。それだのにお前《まえ》。――」
「でげすから、あっしは浅草《おくやま》を出《で》る時《とき》に、そう申《もう》したじゃござんせんか。松《まつ》の位《くらい》の太夫《たゆう》でも、花魁《おいらん》ならば売《う》り物《もの》買《か》い物《もの》。耳《みみ》のほくろはいうに及《およ》ばず、足《あし》の裏《うら》の筋数《すじかず》まで、読《よ》みたい時《とき》に読《よ》めやすが、きょうのはそうはめえりやせん。半時《はんとき》はおろか、事《こと》によったら一時《いっとき》でも二時《ふたとき》でも、垣根《かきね》のうしろにしゃがんだまま、お待《ま》ちンならなきゃいけませんと、念《ねん》をお押《お》し申《もう》した時《とき》に、若旦那《わかだんな》、あなたは何《な》んと仰《おっ》しゃいました。当時《とうじ》、江戸《えど》の三人女《にんおんな》の随《ずい》一と名《な》を取《と》った、おせんの肌《はだ》が見《み》られるなら、蚊《か》に食《く》われようが、虫《むし》に刺《さ》されようが、少《すこ》しも厭《いと》うことじゃァない、好《す》きな煙草《たばこ》も慎《つつし》むし、声《こえ》も滅多《めった》に出《だ》すまいから、何《な》んでもかんでもこれから直《す》ぐに連《つ》れて行《い》け。その換《かわ》りお礼《れい》は二分《ぶ》まではずもうし、羽織《はおり》もお前《まえ》に進呈《しんてい》すると、これこの通《とお》りお羽織《はおり》まで下《くだ》すったんじゃござんせんか。それだのに、まだほんの、半時《はんとき》経《た》つか経《た》たないうちから、そんな我儘《わがまま》をおいいなさるんじゃ、お約束《やくそく》が違《ちが》いやす。頂戴物《ちょうだいもの》は、みんなお返《かえ》しいたしやすから、どうか松《まつ》五郎《ろう》に、お暇《ひま》をおくんなさいやして。……」
「おっとお待《ま》ち。あたしゃ何《なに》も、辛抱《しんぼう》しないたいやァしないよ。ええ、辛抱《しんぼう》しますとも、夜中《よなか》ンなろうが、夜《よ》が明《あ》けようが、ここは滅多《めった》に動《うご》くンじゃないけれど、お前《まえ》がもしか門違《かどちが》いで、おせんの家《うち》でもない人《ひと》の……」
「そ、それがいけねえというんで。……いくらあっしが酔狂《すいきょう》でも、若旦那《わかだんな》を知《し》らねえ家《いえ》の垣根《かきね》まで、引《ひ》っ張《ぱ》って来《く》る筈《はず》ァありませんや。松《まつ》五郎《ろう》自慢《じまん》の案内役《あんないやく》、こいつばかりゃ、たとえ江戸《えど》がどんなに広《ひろ》くッても――」
「叱《し》ッ」
「うッ」
帯《おび》ははやりの呉絽《ごろ》であろう。引《ひ》ッかけに、きりりと結《むす》んだ立姿《たちすがた》、滝縞《たきじま》の浴衣《ゆかた》が、いっそ背丈《せたけ》をすっきり見《み》せて、颯《さっ》と簾《すだれ》の片陰《かたかげ》から縁先《えんさき》へ浮《う》き出《で》た十八娘《むすめ》。ぽつんと一本《ぽん》咲《さ》き初《はじ》めた、桔梗《ききょう》の花《はな》のそれにも増《ま》して、露《つゆ》は紅《べに》より濃《こま》やかであった。
明和《めいわ》戌年《いぬどし》秋《あき》八月《がつ》、そよ吹《ふ》きわたるゆうべの風《かぜ》に、静《しず》かに揺《ゆ》れる尾花《おばな》の波路《なみじ》。娘《むすめ》の手《て》から、団扇《うちわ》が庭《にわ》にひらりと落《お》ちた。
二
顔《かお》を掠《かす》めて、ひらりと落《お》ちた桔梗《ききょう》の花《はな》のひとひらにさえ、音《おと》も気遣《きづか》う心《こころ》から、身動《みうご》きひとつ出来《でき》ずにいた、日本橋通《にほんばしとおり》油町《あぶらちょう》の紙問屋《かみどんや》橘屋徳兵衛《たちばなやとくべえ》の若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》と、浮世絵師《うきよえし》春信《はるのぶ》の彫工《ほりこう》松《まつ》五郎《ろう》の眼《め》は、釘着《くぎづ》けにされたように、夕顔《ゆうがお》の下《した》から離《はな》れなかった。
が、よもやおのが垣根《かきね》の外《そと》に、二人《ふたり》の男《おとこ》が示《しめ》し合《あわ》せて、眼《め》をすえていようとは、夢想《むそう》もしなかったのであろう。娘《むすめ》は落《お》ちた団扇《うちわ》を流《なが》し目《め》に、呉絽《ごろ》の帯《おび》に手《て》をかけると、廻《まわ》り燈籠《どうろう》の絵《え》よりも速《はや》く、きりりと廻《まわ》ったただずまい、器用《きよう》に帯《おび》から脱《ぬ》け出《だ》して、さてもう一廻《まわ》り、ゆるりと廻《まわ》った爪先《つまさき》を縁《えん》に停《とど》めたその刹那《せつな》、俄《にわか》に音《ね》を張《は》る鈴虫《すずむし》に、浴衣《ゆかた》を肩《かた》から滑《すべ》らせたまま、半身《はんしん》を縁先《えんさき》へ乗《の》りだした。
「南無《なむ》大願成就《だいがんじょうじゅ》。――」
「叱《し》ッ」
あとには再《ふたた》び虫《むし》の声《こえ》。
京師《けいし》の、花《はな》を翳《かざ》して過《すご》す上臈《じょうろう》達《たち》はいざ知《し》らず、天下《てんか》の大将軍《だいしょうぐん》が鎮座《ちんざ》する江戸《えど》八百八町《ちょう》なら、上《うえ》は大名《だいみょう》の姫君《ひめぎみ》から、下《した》は歌舞《うたまい》の菩薩《ぼさつ》にたとえられる、よろず吉原《よしわら》千の遊女《ゆうじょ》をすぐっても、二人《ふたり》とないとの評判娘《ひょうんばんむすめ》。下谷《したや》谷中《やなか》の片《かた》ほとり、笠森稲荷《かさもりいなり》の境内《けいだい》に、行燈《あんどん》懸《か》けた十一軒《けん》の水茶屋娘《みずちゃやむすめ》が、三十余人《よにん》束《たば》になろうが、縹緻《きりょう》はおろか、眉《まゆ》一つ及《およ》ぶ者《もの》がないという、当時《とうじ》鈴木春信《すずきはるのぶ》が一枚刷《まいずり》の錦絵《にしきえ》から、子供達《こどもたち》の毬唄《まりうた》にまで持《も》て囃《はや》されて、知《し》るも知《し》らぬも、噂《うわさ》の花《はな》は咲《さ》き放題《ほうだい》、かぎ屋《や》のおせんならでは、夜《よ》も日《ひ》も明《あ》けぬ煩悩《ぼんのう》は、血気盛《けっきざか》りの若衆《わかしゅう》ばかりではないらしく、何《なに》ひとつ心願《しんがん》なんぞのありそうもない、五十を越《こ》した武家《ぶけ》までが、雪駄《せった》をちゃらちゃらちゃらつかせてお稲荷詣《いなりもう》でに、御手洗《みたらし》の手拭《てぬぐい》は、常《つね》に乾《かわ》くひまとてないくらいであった。
橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》も、この例《れい》に漏《も》れず、日《ひ》に一度《ど》は、判《はん》で捺《お》したように帳場格子《ちょうばごうし》の中《なか》から消《き》えて、目指《めざ》すは谷中《やなか》の笠森様《かさもりさま》、赤《あか》い鳥居《とりい》のそれならで、赤《あか》い襟《えり》からすっきりのぞいたおせんが雪《ゆき》の肌《はだ》を、拝《おが》みたさの心願《しんがん》に外《ほか》ならならなかったのであるが、きょうもきょうとて浅草《あさくさ》の、この春《はる》死《し》んだ志道軒《しどうけん》の小屋前《こやまえ》で、出会頭《であいがしら》に、ばったり遭《あ》ったのが彫工《ほりこう》の松《まつ》五郎《ろう》、それと察《さっ》した松《まつ》五郎《ろう》から、おもて飾《かざ》りを見《み》るなんざ大野暮《おおやぼ》の骨頂《こっちょう》でげす。おせんの桜湯《さくらゆ》飲《の》むよりも、帯紐《おびひも》解《と》いた玉《たま》の肌《はだ》が見《み》たかァござんせんかとの、思《おも》いがけない話《はなし》を聞《き》いて、あとはまったく有頂天《うちょうてん》、どこだどこだと訪《たず》ねるまでもなく、二分《ぶ》の礼《れい》と着ていた羽織《はおり》を渡《わた》して、無我夢中《むがむちゅう》は、やがてこの垣根《かきね》の外《そと》となった次第《しだい》。――百匹《ぴき》の蚊《か》が一度《ど》に臑《すね》にとまっても、痛《いた》さもかゆさも感《かん》じない程《ほど》、徳太郎《とくたろう》の眼《め》は、野犬《やけん》のようにすわっていた。
「若旦那《わかだんな》」
「黙《だま》って。――」
「黙《だま》ってじゃァござんせん。もっと低《ひく》くおなんなすって。――」
「判《わか》ってるよ」
「そんならお速《はや》く」
「ええもういらぬお接介《せっかい》。――」
おおかた、縁《えん》から上手《かみて》へ一段《だん》降《お》りて戸袋《とぶくろ》の蔭《かげ》には既《すで》に盥《たらい》が用意《ようい》されて、釜《かま》で沸《わか》した行水《ぎょうずい》の湯《ゆ》が、かるい渦《うず》を巻《ま》いているのであろうが、上半身《じょうはんしん》を現《あら》わにしたまま、じっと虫《むし》の音《ね》に聴《き》きいっているおせんは、容易《ようい》に立《た》とうとしないばかりか、背《せ》から腰《こし》へと浴衣《ゆかた》の滑《すべ》り落《お》ちるのさえ、まったく気《き》づかぬのであろう。三日月《みかづき》の淡《あわ》い光《ひかり》が青《あお》い波紋《はもん》を大《おお》きく投《な》げて、白珊瑚《しろさんご》を想《おも》わせる肌《はだ》に、吸《す》い着《つ》くように冴《さ》えてゆく滑《なめ》らかさが、秋草《あきぐさ》の上《うえ》にまで映《は》え盛《さか》ったその刹那《せつな》、ふと立上《たちあが》ったおせんは、颯《さっ》と浴衣《ゆかた》をかなぐり棄《す》てると手拭《てぬぐい》片手《かたて》に、上手《かみて》の段《だん》を二段《だん》ばかり、そのまま戸袋《とぶくろ》の蔭《かげ》に身《み》を隠《かく》した。
「あッ」
「たッ」
辱《はじ》も外聞《がいぶん》も忘《わす》れ果《は》てたか、徳太郎《とくたろう》と松《まつ》五郎《ろう》の口《くち》からは、同時《どうじ》に奇声《きせい》が吐《は》きだされた。
三
「おせんや」
「あい」
「何《な》んだえ、いまのあの音《おと》は。――」
「さァ、何《な》んでござんしょう。おおかた金魚《きんぎょ》を狙《ねら》う、泥棒猫《どろぼうねこ》かも知《し》れませんよ」
「そんならいいが、あたしゃまたおまえが転《ころ》びでもしたんじゃないかと思《おも》って、びっくりしたのさ。おまえあって、あたし、というより、勿体《もったい》ないが、おまえあってのお稲荷様《いなりさま》、滅多《めった》に怪我《けが》でもしてごらん、それこそ御参詣《おさんけい》が、半分《はんぶん》に減《へ》ってしまうだろうじゃないか。――縹緻《きりょう》がよくって孝行《こうこう》で、その上《うえ》愛想《あいそう》ならとりなしなら、どなたの眼《め》にも笠森《かさもり》一、お腹《なか》を痛《いた》めた娘《むすめ》を賞《ほ》める訳《わけ》じゃないが、あたしゃどんなに鼻《はな》が高《たか》いか。……」
「まァお母《かあ》さん。――」
「いいやね。恥《はず》かしいこたァありゃァしない。子《こ》を賞《ほ》める親《おや》は、世間《せけん》には腐《くさ》る程《ほど》あるけれど、どれもこれも、これ見《み》よがしの自慢《じまん》たらたら。それと違《ちが》ってあたしのは、おまえに聞《き》かせるお礼《れい》じゃないか。さ、ひとつついでに、背中《せなか》を流《なが》してあげようから、その手拭《てぬぐい》をこっちへお出《だ》し」
「いいえ、汗《あせ》さえ流《なが》せばようござんすから……」
「何《なに》をいうのさ。いいからこっちへお向《む》きというのに」
二十二で伜《せがれ》の千吉《きち》を生《う》み、二十六でおせんを生《う》んだその翌年《よくねん》、蔵前《くらまえ》の質見世《しちみせ》伊勢新《いせしん》の番頭《ばんとう》を勤《つと》めていた亭主《ていしゅ》の仲吉《なかきち》が、急病《きゅうびょう》で亡《な》くなった、幸《こう》から不幸《ふこう》への逆落《さかおと》しに、細々《ほそぼそ》ながら人《ひと》の縫物《ぬいもの》などをさせてもらって、その日《ひ》その日《ひ》を過《す》ごして早《はや》くも十八年《ねん》。十八に家出《いえで》をしたまま、いまだに行方《ゆくえ》も知《し》れない伜《せがれ》千吉《きち》の不甲斐《ふがい》なさは、思《おも》いだす度毎《たびごと》にお岸《きし》が涙《なみだ》の種《たね》ではあったが、踏《ふ》まれた草《くさ》にも花咲《はなさ》くたとえの文字通《もじどお》り、去年《きょねん》の梅見時分《うめみじぶん》から伊勢新《いせしん》の隠居《いんきょ》の骨折《ほねお》りで、出《だ》させてもらった笠森稲荷《かさもりいなり》の水茶屋《みずぢゃや》が忽《たちま》ち江戸中《えどじゅう》の評判《ひょうばん》となっては、凶《きょう》が大吉《だいきち》に返《かえ》った有難《ありがた》さを、涙《なみだ》と共《とも》に喜《よろこ》ぶより外《ほか》になく、それにつけても持《も》つべきは娘《むすめ》だと、近頃《ちかごろ》、お岸《きし》が掌《て》を合《あわ》せるのは、笠森様《かさもりさま》ではなくておせんであった。
「おせん」
「あい」
「つかぬことを訊《き》くようだが、おまえ毎日《まいにち》見世《みせ》へ出《で》ていて、まだこれぞと思《おも》う、好《す》いたお方《かた》は出来《でき》ないのかえ」
「まあ何《なに》かと思《おも》えばお母《かあ》さんが。――あたしゃそんな人《ひと》なんか、ひとりもありァしませんよ」
「ほほほほ。お怒《おこ》りかえ」
「怒《おこ》りゃしませんけれど、あたしゃ男《おとこ》は嫌《きら》いでござんす」
「なに、男《おとこ》は嫌《きら》いとえ」
「あい」
「ほんにまァ。――」
この春《はる》まで、まだまだ子供《こども》と思《おも》っていたおせんとは、つい食違《くいちが》って、一つ盥《たらい》で行水《ぎょうずい》つかう折《おり》もないところから、お岸《きし》はいまだにそのままのなりかたちを想像《そうぞう》していたのであったが、ふとした物音《ものおと》に駆《か》け着《つ》けたきっかけに、半年振《はんとしぶり》で見《み》たおせんの体《からだ》は、まったく打《う》って変《か》わった大人《おとな》びよう。七八つの時分《じぶん》から、鴉《からす》の生《う》んだ鶴《つる》だといわれたくらい、色《いろ》の白《しろ》いが自慢《じまん》は知《し》れていたものの、半年《はんとし》見《み》ないと、こうも変《かわ》るものかと驚《おどろ》くばかりの色《いろ》っぽさは、肩《かた》から乳《ちち》へと流《なが》れるほうずきのふくらみをそのままの線《せん》に、殊《こと》にあらわの波《なみ》を打《う》たせて、背《せ》から腰《こし》への、白薩摩《しろさつま》の徳利《とくり》を寝《ね》かしたような弓《ゆみ》なりには、触《さわ》ればそのまま手先《てさき》が滑《すべ》り落《お》ちるかと、怪《あや》しまれるばかりの滑《なめ》らかさが、親《おや》の目《め》にさえ迫《せま》らずにはいなかった。
嫌《きら》いな客《きゃく》が百人《にん》あっても、一人《ひとり》は好《す》きがあろうかと、訊《き》いて見《み》たいは、娘《むすめ》もつ親《おや》の心《こころ》であろう。
四
「若旦那《わかだんな》」
「何《な》んとの」
「何《な》んとの、じゃァござんせんぜ。あの期《ご》に及《およ》んで、垣根《かきね》へ首《くび》を突込《つっこ》むなんざ、情《なさけ》なすぎて、涙《なみだ》が出《で》るじゃァござんせんか」
「おやおや、これはけしからぬ。お前《まえ》が腰《こし》を押《お》したからこそ、あんな態《ざま》になったんじゃないか、それを松《まつ》つぁん、あたしにすりつけられたんじゃ、おたまり小法師《こぼし》がありゃァしないよ」
「あれだ、若旦那《わかだんな》。あっしゃァ後《うしろ》にいたんじゃねえんで。若旦那《わかだんな》と並《なら》んで、のぞいてたんじゃござんせんか。腰《こし》を押《お》すにも押《お》さないにも、まず、手《て》が届《とど》きゃァしませんや。――それにでえいち、あの声《こえ》がいけやせん。おせんの浴衣《ゆかた》が肩《かた》から滑《すべ》るのを、見《み》ていなすったまでは無事《ぶじ》でげしたが、さっと脱《ぬ》いで降《お》りると同時《どうじ》に、きゃっと聞《き》こえた異様《いよう》な音声《おんせい》。差《さ》し詰《づめ》志道軒《しどうけん》なら、一天《てん》俄《にわか》にかき曇《くも》り、あれよあれよといいもあらせず、天女《てんにょ》の姿《すがた》は忽《たちま》ちに、隠《かく》れていつか盥《たらい》の中《なか》。……」
「おいおい松《まっ》つぁん。いい加減《かげん》にしないか。声《こえ》を出《だ》したなお前《まえ》が初《はじ》めだ」
「おやいけねえ。いくら主《しゅ》と家来《けらい》でも、あっしにばかり、罪《つみ》をなするなひどうげしょう」
「ひどいことがあるもんか。これからゆっくりかみしめて、味《あじ》を見《み》ようというところで、お前《まえ》に腰《こし》を押《お》されたばっかりに、それごらん、手《て》までこんなに傷《きず》だらけだ」
「そんならこれでもお付《つ》けなんって。……おっとしまった。きのうかかあが洗《あら》ったんで、まるっきり袂《たもと》くそがありゃァしねえ」
「冗談《じょうだん》いわっし、お前《まえ》の袂《たもと》くそなんぞ付《つ》けられたら、それこそ肝腎《かんじん》の人《ひと》さし指《ゆび》が、本《もと》から腐《くさ》って落《お》ちるわな」
「あっしゃァまだ瘡気《かさけ》の持合《もちあわ》せはござせんぜ」
「なにないことがあるものか。三日《みっか》にあげず三枚橋《まいばし》へ横丁《よこちょう》へ売女《やまねこ》を買《か》いに出《で》かけてるじゃないか。――鼻《はな》がまともに付《つ》いてるのが、いっそ不思議《ふしぎ》なくらいなものだ」
「こいつァどうも御挨拶《ごあいさつ》だ。人《ひと》の知《し》らない、おせんの裸《はだか》をのぞかせた挙句《あげく》、鼻《はな》のあるのが不思議《ふしぎ》だといわれたんじゃ、松《まつ》五郎《ろう》立《た》つ瀬《せ》がありやせん。冗談《じょうだん》は止《よ》しにして、ひとつ若旦那《わかだんな》、縁起直《えんぎなお》しに、これから眼《め》の覚《さ》めるとこへ、お供《とも》をさせておくんなさいまし」
「眼《め》の覚《さ》めるとことは。――」
「おとぼけなすっちゃいけません。闇《やみ》の夜《よ》のない女護《にょご》ヶ島《しま》、ここから根岸《ねぎし》を抜《ぬ》けさえすりゃァ、眼《め》をつぶっても往《い》けやさァね」
「折角《せっかく》だが、そんな所《ところ》は、あたしゃきょうから嫌《きら》いになったよ」
「なんでげすって」
「橘屋徳太郎《たちばなやとくたろう》、女房《にょうぼう》はかぎ屋のおせんにきめました」
「と、とんでもねえ、若旦那《わかだんな》。おせんはそんななまやさしい。――」
「おっと皆《みな》までのたまうな。手前《てまえ》、孫呉《そんご》の術《じゅつ》を心得《こころえ》て居《お》りやす」
「損《そん》五も得《とく》七もありゃァしません。当時《とうじ》名代《なだい》の孝行娘《こうこうむすめ》、たとい若旦那《わかだんな》が、百日《にち》お通《かよ》いなすっても、こればっかりは失礼《しつれい》ながら、及《およ》ばぬ鯉《こい》の滝登《たきのぼ》りで。……」
「松《まつ》っぁん」
「へえ」
「帰《かえ》っとくれ」
「えッ」
「あたしゃ何《な》んだか頭痛《ずつう》がして来《き》た。もうお前《まえ》さんと、話《はなし》をするのもいやンなったよ」
「そ、そんな御無態《ごむたい》をおいいなすっちゃ。――」
「どうせあたしゃ無態《むたい》さ。――この煙草入《たばこいれ》もお前《まえ》に上《あ》げるから、とっとと帰《かえ》ってもらいたいよ」
三日月《みかづき》に、谷中《やなか》の夜道《よみち》は暗《くら》かった。その暗《くら》がりをただ独《ひと》り鳴《な》く、蟋蟀《こおろぎ》を踏《ふ》みつぶす程《ほど》、やけな歩《あゆ》みを続《つづ》けて行《い》く、若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》の頭《あたま》の中《なか》は、おせんの姿《すがた》で一杯《ぱい》であった。
五
「ふん、何《な》んて馬鹿気《ばかげ》た話《はなし》なんだろう。こっちからお頼《たの》み申《もう》して来《き》てもらった訳《わけ》じゃなし。若旦那《わかだんな》が手《て》を合《あわ》せて、たっての頼《たの》みだというからこそ、連《つ》れて来《き》てやったんじゃねえか、そいつを、自分《じぶん》からあわてちまってよ。垣根《かきね》の中《なか》へ突《つ》ンのめったばっかりに、ゆっくり見物《けんぶつ》出来《でき》るはずのおせんの裸《はだか》がちらッとしきゃのぞけなかったんだ。――面白《おもしろ》くもねえ。それもこれも、みんなおいらのせえだッてんじゃ、てんで立《た》つ瀬《せ》がありゃしねえや。どこの殿様《とのさま》がこさえたたとえか知《し》らねえが、長《なが》い物《もの》にゃ巻《ま》かれろなんて、あんまり向《むこ》うの都合《つごう》が良過《よす》ぎるぜ。橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》は、八百蔵《ぞう》に生《い》き写《うつ》しだなんて、つまらねえお世辞《せじ》をいわれるもんだから、当人《とうにん》もすっかりいい気《き》ンなってるんだろうが、八百蔵《ぞう》はおろか、八百屋《や》の丁稚《でっち》にだって、あんな面《つら》があるもんか。飛《と》んだ料簡違《りょうけんちが》いのこんこんちきだ」
誰《だれ》にいうともない独言《ひとりごと》ながら、吉原《よしわら》への供《とも》まで見事《みごと》にはねられた、版下彫《はんしたぼり》の松《まつ》五郎《ろう》は、止度《とめど》なく腹《はら》の底《そこ》が沸《に》えくり返《かえ》っているのであろう。やがて二三丁《ちょう》も先《さき》へ行《い》ってしまった徳太郎《とくたろう》の背後《はいご》から、浴《あ》びせるように罵《ののし》っていた。
「おいおい松《まっ》つぁん」
「えッ」
「はッはッは。何《なに》をぶつぶついってるんだ。三日月様《みかづきさま》が笑《わら》ってるぜ」
「お前《まえ》さんは。――」
「おれだよ。春重《はるしげ》だよ」
うしろから忍《しの》ぶようにして付《つ》いて来《き》た男《おとこ》は、そういいながら徐《おもむ》ろに頬冠《ほおかぶ》りをとったが、それは春信《はるのぶ》の弟子《でし》の内《うち》でも、変《かわ》り者《もの》で通《とお》っている春重《はるしげ》だった。
「なァんだ、春重《はるしげ》さんかい。今時分《いまじぶん》、一人《ひとり》でどこへ行《い》きなすった」
「一人《ひとり》でどこへは、そっちより、こっちで訊《き》きたいくらいのもんだ。――お前《まえ》、橘屋《たちばなや》の徳《とく》さんにまかれたな」
「まかれやしねえが、どうしておいらが、若旦那《わかだんな》と一緒《しょ》だったのを知《し》ってるんだ」
「ふふふ。平賀源内《ひらがげんない》の文句《もんく》じゃねえが、春重《はるしげ》の眼《め》は、一里《り》先《さき》まで見透《みとお》しが利《き》くんだからの。お前《まえ》が徳《とく》さんとこで会《あ》って、どこへ行《い》ったかぐらいのこたァ、聞《き》かねえでも、ちゃんと判《わか》ってらァな」
「おやッ、行《い》った先《さき》が判《わか》ってるッて」
「その通《とお》りだ、当《あて》てやろうか」
「冗談《じょうだん》じゃねえ、いくらお前《まえ》さんの眼《め》が利《き》いたにしたって、こいつが判《わか》ってたまるもんか。断《ことわ》っとくが、当時《とうじ》十六文《もん》の売女《やまねこ》なんざ、買《か》いに行《い》きゃァしねえよ」
「だが、あのざまは、あんまり威張《いば》れもしなかろう」
「あのざまたァ何《なに》よ」
「垣根《かきね》へもたれて、でんぐる返《かえ》しを打《う》ったざまだ」
「何《な》んだって」
「おせんの裸《はだか》を窺《のぞ》こうッてえのは、まず立派《りっぱ》な智恵《ちえ》だがの。おのれを忘《わす》れて乗出《のりだ》した挙句《あげく》、垣根《かきね》へ首《くび》を突《つ》っ込《こ》んだんじゃ、折角《せっかく》の趣向《しゅこう》も台《だい》なしだろうじゃねえか」
「そんなら重《しげ》さん、お前《まえ》さんはあの様子《ようす》を。――」
「気《き》の毒《どく》だが、根《ね》こそぎ見《み》ちまったんだ」
「どこで見《み》なすった」
「知《し》れたこった。庭《にわ》の中《なか》でよ」
「庭《にわ》の中《なか》」
「おいらァ泥棒猫《どろぼうねこ》のように、垣根《かきね》の外《そと》でうろうろしちゃァいねえからの。――それ見《み》な。鬼童丸《きどうまる》の故智《こち》にならって、牛《うし》の生皮《なまかわ》じゃねえが、この犬《いぬ》の皮《かわ》を被《かぶ》っての、秋草城《あきくさじょう》での籠城《ろうじょう》だ。おかげで画嚢《がのう》はこの通《とお》り。――」
懐中《ふところ》から取《と》り出《だ》した春重《はるしげ》の写生帳《しゃせいちょう》には、十数枚《すうまい》のおせんの裸像《らぞう》が様々《さまざま》に描《か》かれていた。
六
松《まつ》五郎《ろう》は、狐《きつね》につままれでもしたように、しばし三日月《みかづき》の光《ひかり》に浮《う》いて出《で》たおせんの裸像《らぞう》を、春重《はるしげ》の写生帳《しゃせいちょう》の中《なか》に凝視《ぎょうし》していたが、やがて我《われ》に還《かえ》って、あらためて春重《はるしげ》の顔《かお》を見守《みまも》った。
「重《しげ》さん、お前《まえ》、相変《あいかわ》らず素《す》ばしっこいよ」
「なんでよ」
「犬《いぬ》の皮《かわ》をかぶって、おせんの裸《はだか》を思《おも》う存分《ぞんぶん》見《み》た上《うえ》に写《うつ》し取《と》って来《く》るなんざ、素人《しろうと》にゃ、鯱鉾立《しゃちほこだち》をしても、考《かんが》えられる芸《げい》じゃねえッてのよ」
「ふふふ、そんなこたァ朝飯前《あさめしまえ》だよ。――おいらぁ実《じつ》ァ、もうちっといいことをしてるんだぜ」
「ほう、どんなことを」
「聞《き》きてえか」
「聞《き》かしてくんねえ」
「ただじゃいけねえ、一朱《しゅ》だしたり」
「一朱《しゅ》は高《たけ》えの」
「なにが高《たけ》えものか。時《とき》によったら、安《やす》いくらいのもんだ。――だがきょうは見《み》たところ、一朱《しゅ》はおろか、財布《さいふ》の底《そこ》にゃ十文《もん》もなさそうだの」
「けちなことァおいてくんねえ。憚《はばか》ンながら、あしたあさまで持越《もちこ》したら、腹《はら》が冷《ひ》え切《き》っちまうだろうッてくれえ、今夜《こんや》は財布《さいふ》が唸《うな》ってるんだ」
「それァ豪儀《ごうぎ》だ。ついでだ、ちょいと拝《おが》ませな」
「ふん、重《しげ》さん。眼《め》をつぶさねえように、大丈夫《だいじょうぶ》か」
「小判《こばん》の船《ふね》でも着《つ》きゃしめえし、御念《ごねん》にゃ及《およ》び申《もう》さずだ」
財布《さいふ》はなかった。が、おおかた晒《さら》しの六尺《しゃく》にくるんだ銭《ぜに》を、内《うち》ぶところから探《さぐ》っているのであろう。松《まつ》五郎《ろう》は暫《しば》しの間《あいだ》、唖《おし》が筍《たけのこ》を掘《ほ》るような恰好《かっこう》をしていたが、やがて握《にぎ》り拳《こぶし》の中《なか》に、五六枚《まい》の小粒《こつぶ》を器用《きよう》に握《にぎ》りしめて、ぱっと春重《はるしげ》の鼻《はな》の先《さき》で展《ひろ》げてみせた。
「どうだ、親方《おやかた》」
「ほう、こいつァ珍《めずら》しい。どこで拾《ひろ》った」
「冗談《じょうだん》いわっし。当節《とうせつ》銭《ぜに》を落《おと》す奴《やつ》なんざ、江戸中《えどじゅう》尋《たず》ねたってあるもんじゃねえ。稼《かせ》えだんだ」
「版下《はんした》か」
「はんははんだが、字《じ》が違《ちが》うやつよ。ゆうべお旗本の蟇《がま》本多《ほんだ》の部屋《へや》で、半《はん》を続《つづ》けて三度《ど》張《は》ったら、いう目《め》が出《で》ての俄《にわか》分限《ぶんげん》での、急《きゅう》に今朝《けさ》から仕事《しごと》をするのがいやンなって、天道様《てんとうさま》がべそをかくまで寝《ね》てえたんだが蝙蝠《こうもり》と一緒《しょ》に、ぶらりぶらりと出《で》たとこを、浅草《あさくさ》でばったり出遭《であ》ったのが若旦那《わかだんな》。それから先《さき》は、お前《まえ》さんに見《み》られた通《とお》りのあの始末《しまつ》だ。――」
「そいつァ夢《ゆめ》に牡丹餅《ぼたもち》だの。十文《もん》と踏《ふ》んだ手《て》の内《うち》が、三両《りょう》だとなりゃァ一朱《しゅ》はあんまり安過《やすす》ぎた。三両《りょう》のうちから一朱《しゅ》じゃァ、髪《かみ》の毛《け》一本《ぽん》、抜《ぬ》くほどの痛《いた》さもあるまいて」
「こいつァ今夜《こんや》のもとでだからの」
「そんなら止《よ》しなっ聞《きか》しちゃやらねえ」
「聞《き》かせねえ」
「だすか」
「仕方《しかた》がねえ、出《だ》しやしょう」
すると春重《はるしげ》は、きょろりと辺《あたり》を見廻《みまわ》してから、俄《にわか》に首《くび》だけ前《まえ》へ突出《つきだ》した。
「耳《みみ》をかしな」
「こうか」
「――」
「ふふ、ほんとうかい。重《しげ》さん。――」
「嘘《うそ》はお釈迦《しゃか》の御法度《ごはっと》だ」
痩《やせ》た松《まつ》五郎《ろう》の眼《め》が再《ふたた》び春重《はるしげ》の顔《かお》に戻《もど》った時《とき》、春重《はるしげ》はおもむろに、ふところから何物《なにもの》かを取出《とりだ》して松《まつ》五郎《ろう》の鼻《はな》の先《さき》にひけらかした。
七
足《あし》もとに、尾花《おばな》の影《かげ》は淡《あわ》かった。
「なんだい」
「なんだかよく見《み》さっし」
八の字《じ》を深《ふか》くしながら、寄《よ》せた松《まつ》五郎《ろう》の眼先《めさき》を、ちらとかすめたのは、鶯《うぐいす》の糞《ふん》をいれて使《つか》うという、近頃《ちかごろ》はやりの紅色《べにいろ》の糠袋《ぬかぶくろ》だった。
「こいつァ重《しげ》さん、糠袋《ぬかぶくろ》じゃァねえか」
「まずの」
「一朱《しゅ》はずんで、糠袋《ぬかぶくろ》を見《み》せてもらうどじはあるめえぜ。――お前《めえ》いまなんてッた。おせんの雪《ゆき》のはだから切《き》り取《と》った、天下《てんか》に二つと無《ね》え代物《しろもの》を拝《おが》ませてやるからと。――」
「叱《し》ッ、極内《ごくない》だ」
「だってそんな糠袋《ぬかぶくろ》。……」
「袋《ふくろ》じゃねえよ。おいらの見《み》せるなこの中味《なかみ》だ。文句《もんく》があるンなら、拝《おが》んでからにしてくんな。――それこいつだ。触《さわ》った味《あじ》はどんなもんだの」
ぐっと伸《の》ばした松《まつ》五郎《ろう》の手先《てさき》へ、春重《はるしげ》は仰々《ぎょうぎょう》しく糠袋《ぬかぶくろ》を突出《つきだ》したが、さて暫《しばら》くすると、再《ふたた》び取《と》っておのが額《ひたい》へ押《お》し当《あ》てた。
「開《あ》けて見《み》せねえ」
「拝《おが》みたけりゃ拝《おが》ませる。だが一つだって分《わ》けちゃァやらねえから、そのつもりでいてくんねえよ」
そういいながら、指先《ゆびさき》を器用《きよう》に動《うご》かした春重《はるしげ》は、糠袋《ぬかぶくろ》の口《くち》を解《と》くと、まるで金《きん》の粉《こな》でもあけるように、松《まつ》五郎《ろう》の掌《てのひら》へ、三つばかりを、勿体《もったい》らしく盛《も》り上《あ》げた。
「こいつァ重《しげ》さん。――」
「爪《つめ》だ」
「ちぇッ」
「おっとあぶねえ。棄《す》てられて堪《たま》るものか。これだけ貯《た》めるにゃ、まる一年《ねん》かかってるんだ」
松《まつ》五郎《ろう》の掌《て》へ、おのが掌《て》をかぶせた春重《はるしげ》は、あわてて相手の掌《て》ぐるみ裏返《うらがえ》して、ほっとしたように眼《め》の前《まえ》へ引《ひ》き着《つ》けた。
「湯屋《ゆや》で拾《ひろ》い集《あつ》めた爪《つめ》じゃァねえよ。蚤《のみ》や蚊《か》なんざもとよりのこと、腹《はら》の底《そこ》まで凍《こお》るような雪《ゆき》の晩《ばん》だって、おいらァじっと縁《えん》の下《した》へもぐり込《こ》んだまま辛抱《しんぼう》して来《き》た苦心《くしん》の宝《たから》だ。――この明《あか》りじゃはっきり見分《みわ》けがつくめえが、よく見《み》ねえ。お大名《だいみょう》のお姫様《ひめさま》の爪《つめ》だって、これ程《ほど》の艶《つや》はあるめえからの」
三日月《みかづき》なりに切《き》ってある、目《め》にいれたいくらいの小《ちい》さな爪《つめ》を、母指《おやゆび》と中指《なかゆび》の先《さき》で摘《つま》んだまま、ほのかな月光《げっこう》に透《すか》した春重《はるしげ》の面《おもて》には、得意《とくい》の色《いろ》が明々《ありあり》浮《うか》んで、はては傍《そば》に松《まつ》五郎《ろう》のいることをさえも忘《わす》れた如《ごと》く、独《ひと》り頻《しき》りにうなずいていたが、ふと向《むこ》う臑《ずね》にたかった藪蚊《やぶか》のかゆさに、漸《ようや》くおのれに還《かえ》ったのであろう。突然《とつぜん》平手《ひらて》で臑《すね》をたたくと、くすぐったそうにふふふと笑《わら》った。
「重《しげ》さん、お前《まえ》まったく変《かわ》り者《もの》だの」
「なんでよ」
「考《かんが》えても見《み》ねえ。これが金《きん》の棒《ぼう》を削《けず》った粉《こな》とでもいうンなら、拾《ひろ》いがいもあろうけれど、高《たか》が女《おんな》の爪《つめ》だぜ。一貫目《かんめ》拾《ひろ》ったところで、|疽《ひょうそ》の薬《くすり》になるくれえが、関《せき》の山《やま》だろうじゃねえか。よく師匠《ししょう》も、春重《はるしげ》は変《かわ》り者《もの》だといってなすったが、まさかこれ程《ほど》たァ思《おも》わなかった」
「おいおい松《まっ》つぁん、はっきりしなよ。おいらが変《かわ》り者《もの》じゃァねえ。世間《せけん》の奴《やつ》らが変《かわ》ってるんだ。それが証拠《しょうこ》にゃ。願《がん》にかけておせんの茶屋《ちゃや》へ通《かよ》う客《きゃく》は山程《やまほど》あっても、爪《つめ》を切《き》るおせんのかたちを、一度《ど》だって見《み》た男《おとこ》は、おそらく一人《ひとり》もなかろうじゃねえか。――そこから生《うま》れたこの爪《つめ》だ」
一つずつ数《かぞ》えたら、爪《つめ》の数《かず》は、百個《こ》近《ちか》くもあるであろう。春重《はるしげ》は、もう一度《ど》糠袋《ぬかぶくろ》を握《にぎ》りしめて、薄気味悪《うすきみわる》くにやりと笑《わら》った。
朝《あさ》
一
ちち、ちち、ちちち。
行燈《あんどん》はともしたままになっていたが、外《そと》は既《すで》に明《あ》けそめたのであろう。今《いま》まで流《なが》し元《もと》で頻《しき》りに鳴《な》いていた虫《むし》の音《ね》が、絶《た》えがちに細《ほそ》ったのは、雨戸《あまど》から差《さ》す陽《ひ》の光《ひか》りに、おのずと怯《おび》えてしまったに相違《そうい》ない。
が、虫《むし》の音《ね》の細《ほそ》ったことも、外《そと》が白々《しらじら》と明《あ》けそめて、路地《ろじ》の溝板《どぶいた》を踏《ふ》む人《ひと》の足音《あしおと》が聞《きこ》えはじめたことも、何《なに》もかも知《し》らずに、ただ独《ひと》り、破《やぶ》れ畳《だたみ》の上《うえ》に据《す》えた寺子屋机《てらこやつくえ》の前《まえ》に頑張《がんば》ったまま、手許《てもと》の火鉢《ひばち》に載《の》せた薬罐《やかん》からたぎる湯気《ゆげ》を、千切《ぎ》れた蟋蟀《こおろぎ》の片脚《かたあし》のように、頬《ほほ》を引《ひ》ッつらせながら、夢中《むちゅう》で吸《す》い続《つづ》けていたのは春重《はるしげ》であった。
七軒《けん》長屋《ながや》のまん中《なか》は縁起《えんぎ》がよくないという、人《ひと》のいやがるそんまん中《なか》へ、所帯道具《しょたいどうぐ》といえば、土竈《どがま》と七輪《りん》と、箸《はし》と茶碗《ちゃわん》に鍋《なべ》が一つ、膳《ぜん》は師匠《ししょう》の春信《はるのぶ》から、縁《ふち》の欠《か》けた根《ね》ごろの猫脚《ねこあし》をもらったのが、せめて道具《どうぐ》らしい顔《かお》をしているくらいが関《せき》の山《やま》。いわばすッてんてんの着《き》のみ着《き》のままで蛆《うじ》が湧《わ》くのも面白《おもしろ》かろうと、男《おとこ》やもめの垢《あか》だらけの体《からだ》を運《はこ》び込《こ》んだのが、去年《きょねん》の暮《くれ》も押《お》し詰《つま》って、引摺《ひきずり》り餅《もち》が向《むこ》ッ鉢巻《ぱちまき》で練《ね》り歩《ある》いていた、廿五日《にち》の夜《よる》の八つ時《どき》だった。
ざっと二年《ねん》。きのうもきょうもない春重《はるしげ》のことながら、二十七のきょうの若《わか》さで、女《おんな》の数《かず》は千人《にん》近《ちか》くも知《し》り尽《つく》くしたのが自慢《じまん》なだけに、並大抵《なみたいてい》のことでは興味《きょうみ》が湧《わ》かず、師匠《ししょう》の通《とお》りに描《か》く美人画《びじんが》なら、いま直《す》ぐにも描《か》ける器用《きよう》な腕《うで》が却《かえ》って邪間《じゃま》になって、着物《きもの》なんぞ着《き》た女《おんな》を描《か》いても、始《はじ》まらないとの心《こころ》からであろう。自然《しぜん》の風景《ふうけい》を写《うつ》すほかは、画帳《がちょう》は悉《ことごと》く、裸婦《らふ》の像《ぞう》に満《み》たされているという変《かわ》り様《よう》だった。
二畳《じょう》に六畳《じょう》の二間《ま》は、狭《せま》いようでも道具《どうぐ》がないので、独《ひと》り住居《ずまい》には広《ひろ》かった。そのぐるりの壁《かべ》に貼《は》りめぐらした絵《え》の数《かず》が、一目《め》で数《かぞ》えて三十余《あま》り、しかも男《おとこ》と名《な》のつく者《もの》は、半分《はんぶん》も描《か》いてあるのではなく、女《おんな》と、いうよりも、殆《ほとん》ど全部《ぜんぶ》が、おせんの様々《さまざま》な姿態《したい》に尽《つく》されているのも凄《すさ》まじかった。
その六畳《じょう》の行燈《あんどん》の下《した》に、机《つくえ》の上《うえ》から投《な》げ出《だ》されたのであろう、腰《こし》の付根《つけね》から下《した》だけを、幾《いく》つともなく描《か》いた紙片《しへん》が、十枚《まい》近《ちか》くもちらばったのを、時《とき》おりじろりじろりとにらみながら、薬罐《やかん》の湯気《ゆげ》を、鼻《はな》の穴《あな》が開《ひら》きッ放《ぱな》しになる程《ほど》吸《す》い込《こ》んでいた春重《はるしげ》は、ふと、行燈《あんどん》の芯《しん》をかき立《た》てて、薄気味悪《うすきみわる》くニヤリと笑《わら》った。
「ふふふ。わるくねえにおいだ。――世間《せけん》の奴《やつ》らァ智恵《ちえ》なしだから、女《おんな》のにおいは、肌《はだ》からじかでなけりゃ、嗅《か》げねえように思《おも》ってるが、情《なさけ》ねえもんだ。この爪《つめ》が、薬罐《やかん》の中《なか》で煮《に》えくり返《かえ》る甘《あま》い匂《におい》を、一度《ど》でいいから嗅《か》がしてやりてえくれえのもんだ。紅《べに》やおしろいのにおいなんぞたァ訳《わけ》が違《ちが》って、魂《たましい》が極楽遊《ごくらくあそ》びに出《で》かけるたァこのことだろう。おまけにただの駄爪《だつめ》じゃねえ。笠森《かさもり》おせんの、磨《みが》きのかかった珠《たま》のような爪様《つめさま》だ。――大方《おおかた》松《まつ》五郎《ろう》の奴《やつ》ァ、今時分《いまじぶん》、やけで出《で》かけた吉原《よしわら》で、折角《せっかく》拾《ひろ》ったような博打《ばくち》の金《かね》を、手《て》もなく捲揚《まきあ》げられてることだろうが、可哀想《かわいそう》にこうしておせんの脚《あし》を描《か》きながらこの匂《におい》をかいでる気持《きもち》ァ、鯱鉾《しゃちほこ》立《だち》をしたってわかるこッちゃァあるめえて。――ふふふ。もうひと摘《つか》み、新《あたら》しいこいつをいれ、肚《はら》一杯《ぱい》にかぐとしようか」
春重《はるしげ》は傍《かたわ》らに置《お》いた紅《べに》の糠袋《ぬかぶくろ》を、如何《いか》にも大切《たいせつ》そうに取上《とりあ》げると、おもむろに口紐《くちひも》を解《と》いて、十ばかりの爪《つめ》を掌《てのひら》にあけたが、そのまま湯《ゆ》のたぎる薬罐《やかん》の中《なか》へ、一つ一つ丁寧《ていねい》につまみ込《こ》んだ。
「ふふふ、こいつァいい匂《におい》だなァ。堪《たま》らねえ匂《におい》だ。――笠森《かさもり》の茶屋《ちゃや》で、おせんを見《み》てよだれを垂《た》らしての野呂間達《のろまたち》に、猪口《ちょこ》半分《はんぶん》でいいから、この湯《ゆ》を飲《の》ましてやりてえ気《き》がする。――」
どこぞの秋刀魚《さんま》を狙《ねら》った泥棒猫《どろぼうねこ》が、あやまって庇《ひさし》から路地《ろじ》へ落《お》ちたのであろう。突然《とつぜん》雨戸《あまど》を倒《たお》したような大《おお》きな音《おと》が窓下《まどした》に聞《きこ》えたが、それでも薬罐《やかん》の中《なか》に埋《う》められた春重《はるしげ》の長《なが》い顔《かお》はただその眉《まゆ》が阿波人形《あわにんぎょう》のように、大《おお》きく動《うご》いただけで、決《けっ》して横《よこ》には向《む》けられなかった。
二
「おたき」
「え」
「隣《となり》じゃまた、いつもの病《やまい》が始《はじ》まったらしいぜ。何《なに》しろあの匂《におい》じゃ、臭《くさ》くッてたまらねえな」
「ほんとうに、何《な》んて因果《いんが》な人《ひと》なんだろうね。顔《かお》を見《み》りゃ、十人《にん》なみの男前《おとこまえ》だし絵《え》も上手《じょうず》だって話《はなし》だけど、してることは、まるッきり並《なみ》の人間《にんげん》と変《かわ》ってるんだからね」
「おめえ。ちょいと隣《となり》へ行《い》って来《き》ねえ」
「何《なに》しにさ」
「夜《よる》のこたァ、こっちが寝《ね》てるうちだから、何《なに》をしても構《かま》わねえが、お天道様《てんとうさま》が、上《あが》ったら、その匂《におい》だけに止《や》めてもらいてえッてよ。仕事《しごと》に行《い》ったって、えたいの知《し》れぬ匂《におい》が、半纏《はんてん》にまでしみ込《こ》んでるんで、外聞《げえぶん》が悪《わる》くッて仕様《しよう》がありやァしねえ」
「女《おんな》じゃ駄目《だめ》だよ。お前《まえ》さん行《い》って、かけ合《あ》って来《き》とくれよ」
「だからね。おいらァ行《い》くな知《し》ってるが、今《いま》もそいった通《とお》り、帳場《ちょうば》へ出《で》かけてからがみっともなくて仕様《しよう》がねえんだ。あんな匂《におい》の中《なか》へ這入《へえ》っちゃいかれねえッてのよ」
「あたしだっていやだよ。まるで焼場《やきば》のような匂《におい》だもの。きのうだって、髪結《かみゆい》のおしげさんがいうじゃァないか。お上《かみ》さんとこへ結《ゆ》いに行《い》くのもいいけれど、お隣《となり》の壁越《かべご》しに伝《つた》わってくる匂《におい》をかぐと、仏臭《ほとけくさ》いような気《き》がしてたまらないから、なるたけこっちへ、出《で》かけて来《き》てもらいたいって。――いったいお前《まえ》さん、あれァ何《なに》を焼《や》く匂《におい》だと思《おも》ってるの」
「分《わか》ってらァな」
「何《な》んだえ」
「奴《やつ》ァ絵《え》かきッて振《ふ》れ込《こ》みだが、嘘《うそ》ッ八だぜ」
「おや、絵《え》かきじゃないのかい」
「そうとも。奴《やつ》ァ雪駄直《せったなお》しだ」
「雪駄直《せったなお》し。――」
「それに違《ちげ》えねえやな。でえいち、外《ほか》にあんな匂《におい》をさせる家業《かぎょう》が、ある筈《はず》はなかろうじゃねえか。雪駄《せった》の皮《かわ》を、鍋《なべ》で煮《に》るんだ。軟《やわ》らかにして、針《はり》の通《とお》りがよくなるようによ」
「そうかしら」
「しらも黒《くろ》もありァしねえ。それが為《ため》に、忙《いそが》しい時《とき》にゃ、夜《よ》ッぴて鍋《なべ》をかけッ放《はな》しにしとくから、こっちこそいい面《つら》の皮《かわ》なんだ。――この壁《かべ》ンところ鼻《はな》を当《あ》てて臭《か》いで見《み》ねえ。火事場《かじば》で雪駄《せった》の焼《や》け残《のこ》りを踏《ふ》んだ時《とき》と、まるッきり変《かわ》りがねえじゃねえか」
「あたしゃもう、ここにいてさえ、いやな気持《きもち》がするんだから、そんなとこへ寄《よ》るなんざ、真《ま》ッ平《ぴら》よ。――ねえお前《まえ》さん。後生《ごしょう》だから、かけ合《あ》って来《き》とくれよ」
「おめえ行《い》って来《き》ねえ」
「女《おんな》じゃ駄目《だめ》だというのにさ」
「男《おとこ》が行《い》っちゃァ、穏《おだ》やかでねえから、おめえ行《い》きねえッてんだ」
「だって、こんなこたァ、どこの家《うち》だって、みんな亭主《ていしゅ》の役《やく》じゃないか」
「おいらァいけねえ」
「なんて気《き》の弱《よわ》い人《ひと》なんだろう」
「臭《くせ》えからいやなんだ」
「お前《まえ》さんより、女《おんな》だもの。あたしの方《ほう》が、どんなにいやだか知《し》れやしない。――昔《むかし》ッから、公事《くじ》かけ合《あい》は、みんな男《おとこ》のつとめなんだよ」
「ふん。昔《むかし》も今《いま》もあるもんじゃねえ。隣近所《となりきんじょ》のこたァ、女房《にょうぼう》がするに極《きま》ッてらァな。行《い》って、こっぴどくやっ付《つ》けて来《き》ねえッてことよ」
壁《かべ》一重《え》隣《となり》の左官夫婦《さかんふうふ》が、朝飯《あさめし》の膳《ぜん》をはさんで、聞《きこ》えよがしのいやがらせも、春重《はるしげ》の耳《みみ》へは、秋《あき》の蝿《はえ》の羽《は》ばたき程《ほど》にも這入《はい》らなかったのであろう。行燈《あんどん》の下《した》の、薬罐《やかん》の上《うえ》に負《お》いかぶさったその顔《かお》は、益々《ますます》上気《じょうき》してゆくばかりであった。
三
「重《しげ》さん。もし、重《しげ》さんは留守《るす》かい。――おやッ、天道様《てんとうさま》が臍《へそ》の皺《しわ》まで御覧《ごらん》なさろうッて真《ま》ッ昼間《ぴるま》、あかりをつけッ放《ぱな》しにしてるなんざ、ひど過《す》ぎるぜ。――寝《ね》ているのかい。起《お》きてるんなら開《あ》けてくんねえ」
どこかで一杯《ぱい》引《ひ》っかけて来《き》た、酔《よ》いの廻《まわ》った舌《した》であろう。声《こえ》は確《たしか》に彫師《ほりし》の松《まつ》五郎《ろう》であった。
「ふふふふ。とうとう寄《よ》りゃがったな」
首《くび》をすくめながら、口《くち》の中《なか》でこう呟《つぶや》いた春重《はるしげ》は、それでも爪《つめ》を煮込《にこ》んでいる薬罐《やかん》の傍《そば》から顔《かお》を放《はな》さずに、雨戸《あまど》の方《ほう》を偸《ぬす》み見《み》た。陽《ひ》は高々《たかだか》と昇《のぼ》っているらしく、今《いま》さら気付《きづ》いた雨戸《あまど》の隙間《すきま》には、なだらかな日《ひ》の光《ひかり》が、吹矢《ふきや》で吹《ふ》き込《こ》んだように、こまいの現《あらわ》れた壁《かべ》の裾《すそ》へ流《なが》れ込《こ》んでいた。
「春重《はるしげ》さん。重《しげ》さん。――」
が、それでも春重《はるしげ》は返事《へんじ》をしずに、そのまま鎌首《かまくび》を上《あ》げて、ひそかに上《あが》りはなの方《ほう》へ這《は》い寄《よ》って行《い》った。
「おかしいな。いねえはずァねえんだが。――あかりをつけて寝《ね》てるなんざ、どっちにしても不用心《ぶようじん》だぜ。おいらだよ。松《まつ》五郎《ろう》様《さま》の御登城《ごとじょう》だよ」
「もし、親方《おやかた》」
突然《とつぜん》、隣《となり》の女房《にょうぼう》おたきの声《こえ》が聞《き》こえた。
「ねえお上《かみ》さん。ここの家《うち》ァ留守《るす》でげすかい。寝《ね》てるんだか留守《るす》なんだか、ちっともわからねえ」
「いますともさ。だが親方《おやかた》、悪《わる》いこたァいわないから、滅多《めった》に戸《と》を開《あ》けるなァお止《よ》しなさいよ。そこを開《あ》けた日《ひ》にゃ、それこそ生皮《なまかわ》の匂《におい》で、隣近所《となりきんじょ》は大迷惑《おおめいわく》だわな」
「生皮《なまかわ》の匂《におい》ってななんだの、お上《かみ》さん」
「おや、親方《おやかた》にゃこの匂《におい》がわからないのかい。このたまらないいやな匂《におい》が。……」
「判《わか》らねえこたァねえが、こいつァおまえ、膠《にかわ》を煮《に》てる匂《におい》だわな」
「冗談《じょうだん》じゃない。そんな生《なま》やさしいもんじゃありゃァしない。お鍋《なべ》を火鉢《ひばち》へかけて、雪駄《せった》の皮《かわ》を煮《に》てるんだよ。今《いま》もうちで、絵師《えし》なんて振《ふ》れ込《こ》みは、大嘘《おおうそ》だって話《はなし》を。……」
がらッと雨戸《あまど》が開《あ》いて、春重《はるしげ》の辛《から》い顔《かお》がぬッと現《あらわ》れた。
「お早《は》よう」
「お早《は》ようじゃねえや。何《な》んだって松《まつ》つぁんこんな早《はや》くッからやって来《き》たんだ」
「早《はや》えことがあるもんか。お天道様《てんとうさま》は、もうとっくに朝湯《あさゆ》を済《す》まして、あんなに高《たか》く昇《のぼ》ってるじゃねえか。――いってえ重《しげ》さん。おめえ、寝《ね》てえたんだか起《お》きてたんだか、なぜ返事《へんじ》をしてくれねえんだ」
「返事《へんじ》なんざ、しちゃァいられねえよ。――いいからこっちへ這入《はい》ンねえ」
不機嫌《ふきげん》な春重《はるしげ》の顔《かお》は、桐油《とうゆ》のように強張《こわば》っていた。
「へえってもいいかい」
「帰《かえ》るんなら帰《かえ》ンねえ」
「いやにおどかすの」
「振《ふ》られた朝帰《あさがえ》りなんぞに寄《よ》られちゃ、かなわねえ」
「ふふふ。振《ふ》られてなんざ来《き》ねえよ。それが証拠《しょうこ》にゃ、いい土産《みやげ》を持《も》って来《き》た」
「土産《みやげ》なんざいらねえから、そこを締《し》めたら、もとの通《とお》り、ちゃんと心張棒《しんばりぼう》をかけといてくんねえ」
「重《しげ》さん、おめえまだ寝《ね》るつもりかい」
「いいから、おいらのいった通《とお》りにしてくんねえよ」
松《まつ》五郎《ろう》が不承無承《ふしょうぶしょう》に、雨戸《あまど》の心張棒《しんばりぼう》をかうと、九尺《しゃく》二間《けん》の家《うち》の中《なか》は再《ふたた》び元通《もとどお》りの夜《よる》の世界《せかい》に変《かわ》って行《い》った。
「上《あが》ンねえ」
が、松《まつ》五郎《ろう》は、次第《しだい》に鼻《はな》を衝《つ》いてくる異様《いよう》な匂《におい》に、そのままそこへ佇《たたず》んでしまった。
四
行燈《あんどん》はほのかにともっていたものの、日向《ひなた》から這入《はい》って来《き》たばかりの松《まつ》五郎《ろう》の眼《め》には、家《うち》の中《なか》は真《ま》ッ暗闇《くらやみ》であった。
「松《まつ》つぁん、何《な》んで上《あが》らねえんだ」
「暗《くら》くって、足《あし》もとが見《み》えやしねえ」
「不自由《ふじゆう》な眼《まなこ》だの。そんなこっちゃ、面白《おもしろ》い思《おも》いは出来《でき》ねえぜ」
「重《しげ》さん、おめえ、ずっと起《お》きて何《なに》をしてなすった」
「ふふふ。こっちへ上《あが》りゃァ、直《す》ぐに判《わか》るこッた。――まァこの行燈《あんどん》の傍《そば》へ来《き》て見《み》ねえ」
漸《ようや》く眼《め》に慣《な》れて来《き》たのであろう。行燈《あんどん》の輪《わ》が次第《しだい》に色《いろ》を濃《こ》くするにつれて、狭《せま》いあたりの有様《ありさま》は、おのずから松《まつ》五郎《ろう》の前《まえ》にはっきり浮《う》き出《だ》した。
「絵《え》をかいてたんじゃねえのかい」
「絵《え》なんざかいちゃァいねえよ。――おめえにゃ、この匂《におい》がわからねえかの」
「膠《にかわ》だな」
「ふふ、膠《にかわ》は情《なさけ》ねえぜ」
「じゃァやっぱり、牛《うし》の皮《かわ》でも煮《に》てるのか」
「馬鹿《ばか》をいわッし。おいらが何《な》んで、牛《うし》の皮《かわ》に用《よう》があるんだ。もっともこの薬罐《やかん》の傍《そば》へ鼻《はな》を押《お》ッつけて、よく嗅《か》いで見ねえ」
「おいらァ、こんな匂《におい》は真《ま》ァ平《ぴら》だ」
「何《な》んだって。この匂《におい》がかげねえッて。ふふふ。世《よ》の中《なか》にこれ程《ほど》のいい匂《におい》は、またとあるもんじゃねえや、伽羅沈香《きゃらちんこう》だろうが、蘭麝《らんじゃ》だろうが及《およ》びもつかねえ、勿体《もったい》ねえくれえの名香《めいこう》だぜ。――そんな遠《とお》くにいたんじゃ、本当《ほんとう》の香《かお》りは判《わか》らねえから、もっと薬罐《やかん》の傍《そば》に寄《よ》って、鼻《はな》の穴《あな》をおッぴろげて嗅《か》いで見《み》ねえ」
「いってえ、何《なに》を煮《に》てるのよ」
「江戸《えど》はおろか、日本中《にほんじゅう》に二つとねえ代物《しろもの》を煮《に》てるんだ」
「おどかしちゃいけねえ。そんな物《もの》がある訳《わけ》はなかろうぜ」
「なにねえことがあるものか。――それ見《み》ねえ。おめえ、この袋《ふくろ》にゃ覚《おぼ》えがあろう」
鼻《はな》の先《さき》へ付《つ》き付《つ》けた紅《べに》の糠袋《ぬかぶくろ》は、春重《はるしげ》の手《て》の中《なか》で、珠《たま》のように小《ちい》さく躍《おど》った。
「あッ。そいつを。……」
「どうだ。おせんの爪《つめ》だ。この匂《におい》を嫌《きら》うようじゃ、男《おとこ》に生《うま》れた甲斐《かい》がねえぜ」
「重《しげ》さん。おめえは、よっぽどの変《かわ》り者《もの》だのう」
松《まつ》五郎《ろう》は、あらためて春重《はるしげ》の顔《かお》を見守《みまも》った。
「変《かわ》り者《もの》じゃァねえ。そういうおめえの方《ほう》が、変《かわ》ってるんだ。――四角《かく》四面《めん》にかしこまっているお武家《ぶけ》でも、男《おとこ》と生《うま》れたからにゃ、女《おんな》の嫌《きら》いな者《もの》ッ、ただの一人《ひとり》もありゃァしめえ。その万人《まんにん》が万人《まんにん》、好《す》きで好《す》きでたまらねえ女《おんな》の、これが本当《ほんとう》の匂《におい》だろうじゃねえか。成《な》る程《ほど》、肌《はだ》の匂《におい》もある。髪《かみ》の匂《におい》もある。乳《ちち》の匂《におい》もあるにァ違《ちげ》えねえ。だが、その数《かず》ある女《おんな》の匂《におい》を、一つにまとめた有難味《ありがたみ》の籠《こも》ったのが、この匂《におい》なんだ。――三浦屋《うらや》の高尾《たかお》がどれほど綺麗《きれい》だろうが、楊枝見世《ようじみせ》のお藤《ふじ》がどんなに評判《ひょうばん》だろうが、とどのつまりは、みめかたちよりは、女《おんな》の匂《におい》に酔《よ》って客《きゃく》が通《かよ》うという寸法《すんぽう》じゃねえか。――よく聞《き》きなよ。匂《におい》だぜ。このたまらねえいい匂《におい》だぜ」
「冗談《じょうだん》じゃねえ。おいらァいくら何《な》んだって、こんな匂《におい》をかぎたくッて、通《かよ》うような馬鹿気《ばかげ》たこたァ。……」
「あれだ。おめえにゃまだ、まるッきり判《わか》らねえと見《み》えるの。こいつだ。この匂《におい》が、嘘《うそ》も隠《かく》しもねえ、女《おんな》の匂《におい》だってんだ」
「馬鹿《ばか》な、おめえ。――」
「そうか。そう思《おも》ってるんなら、いまおめえに見《み》せてやる物《もの》がある。きっとびっくりするなよ」
春重《はるしげ》はこういいながら、いきなり真暗《まっくら》な戸棚《とだな》の中《なか》へ首《くび》を突《つ》っ込《こ》んだ。
五
じりじりッと燈芯《とうしん》の燃《も》え落《お》ちる音《おと》が、しばしのしじまを破《やぶ》ってえあたりを急《きゅう》に明《あか》るくした。が、それも束《つか》の間《ま》、やがて油《あぶら》が尽《つ》きたのであろう。行燈《あんどん》は忽《たちま》ち消《き》えて、あたりは真《しん》の闇《やみ》に変《かわ》ってしまった。
「いたずらしちゃァいけねえ。まるっきりまっ暗《くら》で、何《な》んにも見《み》えやしねえ」
背伸《せの》びをして、三尺《じゃく》の戸棚《とだな》の奥《おく》を探《さぐ》っていた春重《はるしげ》は、闇《やみ》の中《なか》から重《おも》い声《こえ》でこういいながら、もう一度《ど》、ごとりと鼠《ねずみ》のように音《おと》を立《た》てた。
「いたずらじゃねえよ。油《あぶら》が切《き》れちゃったんだ」
「油《あぶら》が切《き》れたッて。そんなら、行燈《あんどん》のわきに、油差《あぶらさし》と火口《ほくち》がおいてあるから、速《はや》くつけてくんねえ」
「どこだの」
「行燈《あんどん》の右手《みぎて》だ」
口《くち》でそういわれても、勝手《かって》を知《し》らない暗《やみ》の中《なか》では、手探《てさぐ》りも容易《ようい》でなく、松《まつ》五郎《ろう》は破《やぶ》れ畳《たたみ》の上《うえ》を、小気味悪《こきみわる》く這《は》い廻《まわ》った。
「速《はや》くしてもらいてえの」
「いまつける」
探《さぐ》り当《あ》てた油差《あぶらさし》を、雨戸《あまど》の隙間《すきま》から微《かす》かに差《さ》し込《こ》む陽《ひ》の光《ひかり》を頼《たよ》りに、油皿《あぶらざら》のそばまで持《も》って行《い》った松《まつ》五郎《ろう》は、中指《なかゆび》の先《さき》で冷《つめ》たい真鍮《しんちゅう》の口《くち》を加減《かげん》しながら、とッとッとと、おもく落《お》ちた油《あぶら》を透《す》かして見《み》たが、さてどうやらそれがうまく運《はこ》ぶと、これも足《あし》の先《さき》で探《さぐ》り出《だ》した火口《ほくち》を取《と》って、やっとの思《おも》いで行燈《あんどん》に灯《ひ》をいれた。
ぱっと、漆盆《うるしぼん》の上《うえ》へ欝金《うこん》の絵《え》の具《ぐ》を垂《た》らしたように、あたりが明《あか》るくなった。同時《どうじ》に、春重《はるしげ》のニヤリと笑《わら》った薄気味悪《うすきみわる》い顔《かお》が、こっちを向《む》いて立《た》っていた。
「松《まつ》つぁん。おめえ本当《ほんとう》に、女《おんな》の匂《におい》は、麝香《じゃこう》の匂《におい》だと思《おも》ってるんだの」
「そりゃァそうだ。こんな生皮《なまかわ》のような匂《におい》が女《おんな》の匂《におい》でたまるもんか」
「そうか。じゃァよくわかるように、こいつを見《み》せてやる」
編《あ》めば牛蒡締《ごぼうじめ》くらいの太《ふと》さはあるであろう。春重《はるしげ》の手《て》から、無造作《むぞうさ》に投《な》げ出《だ》された真《ま》ッ黒《くろ》な一束《たば》は、松《まつ》五郎《ろう》の膝《ひざ》の下《した》で、蛇《へび》のようにひとうねりうねると、ぐさりとそのまま畳《たたみ》の上《うえ》へ、とぐろを巻《ま》いて納《おさ》まってしまった。
「あッ」
「気味《きみ》の悪《わる》いもんじゃねえよ。よく手《て》に取《と》って、その匂《におい》を嗅《か》いで見《み》ねえ」
松《まつ》五郎《ろう》は行燈《あんどん》の下《した》に、じっと眼《め》を瞠《みは》った。
「これァ重《しげ》さん、髪《かみ》の毛《け》じゃねえか」
「その通《とお》りだ」
「こんなものを、おめえ。……」
「ふふふ、気味《きみ》が悪《わる》いか。情《なさけ》ねえ料簡《りょうけん》だの、爪《つめ》の匂《におい》がいやだというから、そいつを嗅《か》がせてやるんだが、これだって、髢《かもじ》なんぞたわけが違《ちが》って、滅多矢鱈《めったやたら》に集《あつ》まる代物《しろもの》じゃァねえんだ。数《かず》にしたら何万本《なんまんぼん》。しかも一本《ぽん》ずつがみんな違《ちが》った、若《わか》い女《おんな》の髪《かみ》の毛《け》だ。――その中《なか》へ黙《だま》って顔《かお》を埋《う》めて見《み》ねえ。一人一人《ひとりひとり》の違《ちが》った女《おんな》の声《こえ》が、代《かわ》り代《がわ》りに聞《きこ》えて来《き》る。この世《よ》ながらの極楽《ごくらく》だ。上《うえ》はお大名《だいみょう》のお姫様《ひめさま》から、下《した》は橋《はし》の下《した》の乞食《こじき》まで、十五から三十までの女《おんな》と名《な》のつく女《おんな》の髪《かみ》は、ひと筋《すじ》残《のこ》らずはいってるんだぜ。――どうだ松《まつ》つぁん。おいらァ、この道《みち》へかけちゃ、江戸《えど》はおろか、蝦夷《えぞ》長崎《ながさき》の果《はて》へ行《い》っても、ひけは取《と》らねえだけの自慢《じまん》があるんだ。見《み》ねえ、髪《かみ》の毛《け》はこの通《とお》り、一本《ぽん》残《のこ》らず生《い》きてるんだから。……」
松《まつ》五郎《ろう》の膝《ひざ》もとから、黒髪《くろかみ》の束《たば》を取《と》りあげた春重《はるしげ》は、忽《たちま》ちそれを顔《かお》へ押《お》し当《あ》てると、次第《しだい》に募《つの》る感激《かんげき》に身《み》をふるわせながら、異様《いよう》な声《こえ》で笑《わら》い始《はじ》めた。
「重《しげ》さん。おれァ帰《けえ》る」
「帰《けえ》るンなら、せめて匂《におい》だけでも嗅《か》いできねえ」
が、松《まつ》五郎《ろう》は、もはや腰《こし》が坐《すわ》らなかった。
六
「ああ気味《きみ》が悪《わる》かった。ついゆうべの惚気《のろけ》を聞《き》かせてやろうと思《おも》って、寄《よ》ったばっかりに、ひでえ目《め》に遇《あ》っちゃった。変《かわ》り者《もの》ッてこたァ知《し》ってたが、まさか、あれ程《ほど》たァ思《おも》わなかった。――あんな奴《やつ》につかまっちゃァ、まったくかなわねえ」
弾《はじ》かれた煎豆《いりまめ》のように、雨戸《あまど》の外《そと》へ飛《と》び出《だ》した松《まつ》五郎《ろう》は、酔《よ》いも一時《じ》に醒《さ》め果《は》てて、一寸先《すんさき》も見《み》えなかったが、それでも溝板《どぶいた》の上《うえ》を駆《か》けだして、角《かど》の煙草屋《たばこや》の前《まえ》まで来《く》ると、どうやらほっと安心《あんしん》の胸《むね》を撫《な》でおろした。
「だが、いったいあいつは、何《な》んだってあんな馬鹿気《ばかげ》たことが好《す》きなんだろう。爪《つめ》を煮《に》たり、髪《かみ》の毛《け》の中《なか》へ顔《かお》を埋《う》めたり、気狂《きちがい》じみた真似《まね》をしちゃァ、いい気持《きもち》になってるようだが、虫《むし》のせえだとすると、ちと念《ねん》がいり過《す》ぎるしの。どうも料簡方《りょうけんがた》がわからねえ」
ぶつぶつひとり呟《つぶや》きながら、小首《こくび》を傾《かし》げて歩《ある》いて来《き》た松《まつ》五郎《ろう》は、いきなりぽんと一つ肩《かた》をたたかれて、はッとした。
「どうした、兄《あに》ィ」
「おおこりゃ松住町《まつずみちょう》」
「松住町《まつずみちょう》じゃねえぜ。朝《あさ》っぱらから、素人芝居《しろうとしばい》の稽古《けいこ》でもなかろう。いい若《わけ》え者《もの》がひとり言《ごと》をいってるなんざ、みっともねえじゃねえか」
坊主頭《ぼうずあたま》へ四つにたたんだ手拭《てぬぐい》を載《の》せて、朝《あさ》の陽差《ひざし》を避《さ》けながら、高々《たかだか》と尻《しり》を絡《から》げたいでたちの相手《あいて》は、同《おな》じ春信《はるのぶ》の摺師《すりし》をしている八五郎《ろう》だった。
「みっともねえかも知《し》れねえが、あれ程《ほど》たァ思《おも》わなかったからよ」
「何《なに》がよ」
「春重《はるしげ》だ」
「春重《はるしげ》がどうしたッてんだ」
「どうもこうもねえが、あいつァおめえ、日本《にほん》一の変《かわ》り者《もの》だぜ」
「春重《はるしげ》の変《かわ》り者《もの》だってこたァ、いつも師匠《ししょう》がいってるじゃねえか。今《いま》さら変《かわ》り者《もの》ぐれえに、驚《おどろ》くおめえでもなかろうによ」
「うんにゃ、そうでねえ。ただの変《かわ》り者《もの》なら、おいらもこうまじゃ驚《おどろ》かねえが、一晩中《ばんじゅう》寝《ね》ずに爪《つめ》を煮《に》たり、束《たば》にしてある女《おんな》の髪《かみ》の毛《け》を、一本《ぽん》一本《ぽん》しゃぶったりするのを見《み》ちゃァいくらおいらが度胸《どきょう》を据《す》えたって。……」
「爪《つめ》を煮《に》るたァ、そいつァいってえ何《な》んのこったい」
「薬罐《やかん》に入《い》れて、女《おんな》の爪《つめ》を煮《に》るんだ」
「女《おんな》の爪《つめ》を煮《に》る。――」
「そうよ。おまけにこいつァ、ただの女《おんな》の爪《つめ》じゃァねえぜ。当時《とうじ》江戸《えど》で、一といって二と下《くだ》らねえといわれてる、笠森《かさもり》おせんの爪《つめ》なんだ」
「冗談《じょうだん》じゃねえ。おせんの爪《つめ》が、何《な》んで煮《に》る程《ほど》取《と》れるもんか、おめえも人《ひと》が好過《よす》ぎるぜ。春重《はるしげ》に欺《だま》されて、気味《きみ》が悪《わる》いの恐《おそ》ろしいのと、頭《あたま》を抱《かか》えて帰《かえ》ってくるなんざ、お笑《わら》い草《ぐさ》だ。おおかた絵《え》を描《か》く膠《にかわ》でも煮《に》ていたんだろう。そいつをおめえが間違《まちが》って。……」
「そ、そんなんじゃねえ。真正《しんしょう》間違《まちが》いのねえおせんの爪《つめ》を紅《べに》の糠袋《ぬかぶくろ》から小出《こだ》しに出《だ》して、薬罐《やかん》の中《なか》で煮《に》てるんだ。そいつも、ただ煮《に》てるんならまだしもだが、薬罐《やかん》の上《うえ》へ面《つら》を被《かぶ》せて、立昇《たちのぼ》る湯気《ゆげ》を、血相《けっそう》変《か》えて嗅《か》いでるじゃねえか。あれがおめえ、いい心持《こころもち》で見《み》ていられるか、いられねえか、まず考《かんが》えてくんねえ」
「そいつを嗅《か》いで、どうしようッてんだ」
「奴《やつ》にいわせると、あのたまらなく臭《くせ》え匂《におい》が本当《ほんとう》の女《おんな》の匂《におい》だというんだ。嘘《うそ》だと思《おも》ったら、論《ろん》より証拠《しょうこ》、春重《はるしげ》の家《うち》へ行《い》って見《み》ねえ。戸《と》を締《し》め切《き》って、今《いま》が嬉《うれ》しがりの真《ま》ッ最中《さいちゅう》だぜ」
が、八五郎《ろう》は首《くび》を振《ふ》った。
「そいつァいけねえ。おれァ師匠《ししょう》の使《つか》いで、おせんのとこまで行《い》かにゃならねえんだ」
七
隈取《くまど》りでもしたように眼《め》の皮《かわ》をたるませた春重《はるしげ》の、上気《じょうき》した頬《ほほ》のあたりに、蝿《はえ》が一匹《ぴき》ぽつんととまって、初秋《しょしゅう》の陽《ひ》が、路地《ろじ》の瓦《かわら》から、くすぐったい顔《かお》をのぞかせていた。
「おっといけねえ。春重《はるしげ》がやってくるぜ」
煙草屋《たばこや》の角《かど》に立《た》ったまま、爪《つめ》を煮《に》る噂《うわさ》をしていた松《まつ》五郎《ろう》は、あわてて八五郎《ろう》に目《め》くばせをすると、暖簾《のれん》のかげに身《み》を引《ひ》いた。
「隠《かく》れるこたぁなかろう」
「そうでねえ。おいらは今《いま》逃《に》げて来《き》たばかりだからの。見付《みつ》かっちァことだ」
「そんなら、そっちへ引《ひ》っ込《こ》んでるがいい。もののついでに、おれがひとつ、鎌《かま》をかけてやるから。――」
蛙《かえる》のように、眼玉《めだま》ばかりきょろつかせて暖簾《のれん》のかげから顔《かお》をだした松《まつ》五郎《ろう》は、それでもまだ怯《おび》えていた。
「大丈夫《だいじょうぶ》かの」
「叱《し》ッ。そこへ来《き》たぜ」
出合頭《であいがしら》のつもりかなんぞの、至極《しごく》気軽《きがる》な調子《ちょうし》で、八五郎《ろう》は春重《はるしげ》の前《まえ》へ立《た》ちふさがった。
「重《しげ》さん、大層《たいそう》早《はえ》えの」
びくっとしたように、春重《はるしげ》が爪先《つまさき》で立《た》ち止《どま》った。
「八つぁんか」
「八つぁんじゃねえぜ、一ぺえやったようないい顔色《かおいろ》をして、どこへ行《い》きなさる」
「柳湯《やなぎゆ》への」
「朝湯《あさゆ》たァしゃれてるの」
「しゃれてる訳《わけ》じゃねえが、寝《ね》ずに仕事《しごと》をしてたんで、湯《ゆ》へでも這入《はい》らねえことにゃ、はっきりしねえからよ」
「ふん、夜《よ》なべたァ恐《おそ》れ入《い》った。そんなに稼《かせ》いじゃ、銭《ぜに》がたまって仕方《しかた》があるめえ」
「だからよ。だから垢《あか》と一緒《しょ》に、柳湯《やなぎゆ》へ捨《す》てに行《い》くところだ」
「ほう、済《す》まねえが、そんな無駄《むだ》な銭《ぜに》があるんなら、ちとこっちへ廻《まわ》して貰《もら》いてえの。おれだの松《まつ》五郎《ろう》なんざ、貧乏神《びんぼうがみ》に見込《みこ》まれたせいか、いつもぴいぴい風車《かざぐるま》だ。そこへ行《い》くとおめえなんざ、おせんの爪《つめ》を糠袋《ぬかぶくろ》へ入《い》れて。……」
「なんだって八つぁん、おめえ夢《ゆめ》を見《み》てるんじゃねえか。爪《つめ》だの糠袋《ぬかぶくろ》だの、とそんなことァ、おれにゃァてんで通《つう》じねえよ」
「えええ隠《かく》しちゃァいけねえ。何《なに》から何《なに》まで、おれァ根《ね》こそぎ知《し》ってるぜ」
「知《し》ってるッて。――」
「知《し》らねえでどうするもんか。重《しげ》さん、おめえの夜《よ》あかしの仕事《しごと》は、銭《ぜに》のたまる稼《かせ》ぎじゃなくッて、色気《いろけ》のたまる楽《たの》しみじゃねえか」
「そ、そんなことが。……」
「嘘《うそ》だといいなさるのかい。証拠《しょうこ》はちゃんと上《あが》ってるんだぜ。おせんの爪《つめ》を煮《に》る匂《におい》は、さぞ香《こう》ばしくッて、いいだろうの」
「そいつを、おめえは誰《だれ》から聞《き》きなすった」
「誰《だれ》から聞《き》かねえでも、おいらの眼《め》は見透《みとお》しだて。――人間《にんげん》は、四百四病《びょう》の器《うつわ》だというが、重《しげ》さん、おめえの病《やまい》は、別《べつ》あつらえかも知《し》れねえの」
春重《はるしげ》は、きょろりとあたりを見廻《みまわ》してから、一段《だん》声《こえ》を落《おと》した。
「ちょいと家《うち》へ寄《よ》らねえか。おもしろい物《もの》を見《み》せるぜ」
「折角《せっかく》だが、寄《よ》ってる暇《ひま》がねえやつさ。これから大急《おおいそぎ》ぎで、おせんの見世《みせ》まで行《い》かざァならねえんだ」
「おせんの見世《みせ》へ行《い》くッて、何《な》んの用《よう》でよ」
「何《な》んの用《よう》だか知《し》らねえが、春信師匠《はるのぶししょう》が、急《きゅう》に用《よう》ありとのことでの」
八五郎《ろう》は、春信《はるのぶ》から預《あずか》った結文《むすびふみ》を、ちょいと懐中《ふところ》から窺《のぞ》かせた。
紅《べに》
一
ゆく末《すえ》は誰《だれ》が肌《はだ》触《ふ》れん紅《べに》の花《はな》 ばせを
「おッとッと、そう一人《ひとり》で急《いそ》いじゃいけねえ。まず御手洗《みたらし》で手《て》を浄《きよ》めての。肝腎《かんじん》のお稲荷《いなり》さんへ参詣《さんけい》しねえことにゃ、罰《ばち》が当《あた》って眼《め》がつぶれやしょう」
「いかさまこれは早《はや》まった。こかァ笠森様《かさもりさま》の境内《けいだい》だったッけの」
「冗談《じょうだん》じゃごわせん。そいつを忘《わす》れちゃ、申訳《もうしわけ》がありますめえ。――それそれ、何《な》んでまた、洗《あら》った手《て》を拭《ふ》きなさらねえ。おせんは逃《に》げやしねえから、落着《おちつ》いたり、落着《おちつ》いたり」
「御隠居《ごいんきょ》、そうひやかしちゃいけやせん。堪忍《かんにん》堪忍《かんにん》」
「はッはッはッ、徳《とく》さん。お前《まえ》の足《あし》ッ、まるッきり、地《じ》べたを踏《ふ》んじァいねえの」
こおろぎの音《ね》も細々《ほそぼそ》と明《あ》け暮《く》れて、風《かぜ》に乱《みだ》れる芒叢《すすきむら》に、三つ四つ五つ、子雀《こすずめ》の飛《と》び交《か》うさまも、いとど憐《あわ》れの秋《あき》ながら、ここ谷中《やなか》の草道《くさみち》ばかりは、枯野《かれの》も落葉《おちば》も影《かげ》さえなく、四季《しき》を分《わか》たず咲《さ》き競《そ》うた、芙蓉《ふよう》の花《はな》が清々《すがすが》しくも色《いろ》を染《そ》めて、西《にし》の空《そら》に澄《す》み渡《わた》った富岳《ふがく》の雪《ゆき》に映《は》えていた。
名《な》にし負《お》う花《はな》の笠森《かさもり》感応寺《かんのうじ》。渋茶《しぶちゃ》の味《あじ》はどうであろうと、おせんが愛想《あいそう》の靨《えくぼ》を拝《おが》んで、桜貝《さくらがい》をちりばめたような白魚《しらうお》の手《て》から、お茶《ちゃ》一服《ぷく》を差《さ》し出《だ》されれば、ぞっと色気《いろけ》が身《み》にしみて、帰《かえ》りの茶代《ちゃだい》は倍《ばい》になろうという。女《おんな》ならでは夜《よ》のあけぬ、その大江戸《おおえど》の隅々《すみずみ》まで、子供《こども》が唄《うた》う毬唄《まりうた》といえば、近頃《ちかごろ》「おせんの茶屋《ちゃや》」にきまっていた。
夜《よる》が白々《しらじら》と明《あ》けそめて、上野《うえの》の森《もり》の恋《こい》の鴉《からす》が、まだ漸《ようや》く夢《ゆめ》から覚《さ》めたか覚《さ》めない時分《じぶん》、早《はや》くも感応寺《かんのうじ》中門前町《なかもんぜんちょう》は、参詣《さんけい》の名《な》に隠《かく》れての、恋知《こいし》り男《おとこ》の雪駄《せった》の音《おと》で賑《にぎ》わいそめるが、十一軒《けん》の水茶屋《みずちゃや》の、いずれの見世《みせ》に休《やす》むにしても、当《とう》の金的《きんてき》はかぎ屋《や》のおせんただ一人《ひとり》。ゆうべ吉原《よしわら》で振《ふ》り抜《ぬ》かれた捨鉢《すてばち》なのが、帰《かえ》りの駄賃《だちん》に、朱羅宇《しゅらう》の煙管《きせる》を背筋《せすじ》に忍《しの》ばせて、可愛《かわい》いおせんにやろうなんぞと、飛《と》んだ親切《しんせつ》なお笑《わら》い草《ぐさ》も、数《かず》ある客《きゃく》の中《なか》にも珍《めずら》しくなかった。
「はいお早《はよ》う」
「ああ喉《のど》がかわいた」
赤《あか》い鳥居《とりい》の手前《てまえ》にある。伊豆石《いずいし》の御手洗《みたらし》で洗《あら》った手《て》を、拭《ふ》くのを忘《わす》れた橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》が、お稲荷様《いなりさま》への参詣《さんけい》は二の次《つ》ぎに、連《つ》れの隠居《いんきょ》の台詞通《せりふどお》り、土《つち》へつかない足《あし》を浮《う》かせて、飛《と》び込《こ》んで来《き》たおせんの見世先《みせさき》。どかりと腰《こし》をおろした縁台《えんだい》に、小腰《こごし》をかがめて近寄《ちかよ》ったのは、肝腎《かんじん》のおせんではなくて、雇女《やといめ》のおきぬだった。
「いらっしゃいまし。お早《はや》くからようこそ御参詣《おさんけい》で。――」
「茶《ちゃ》をひとつもらいましょう」
「はい、唯今《ただいま》」
三四人《にん》の先客《せんきゃく》への遠慮《えんりょ》からであろう。おきぬが茶《ちゃ》を汲《く》みに行《い》ってしまうと、徳太郎《とくたろう》はじくりと固唾《かたず》を呑《の》んで声《こえ》をひそめた。
「おかしいの。居《お》りやせんぜ」
「そんなこたァごわすまい。看板《かんばん》のねえ見世《みせ》はあるまいからの」
「だが御隠居《ごいんきょ》。おせんは影《かげ》もかたちも見《み》えやせんよ」
「あわてずに待《ま》ったり。じきに奥《おく》から出《で》て来《き》ようッて寸法《すんぽう》だろう」
「朝飯《あさめし》とお踏《ふ》みなすったか」
「そうだ。それともお前《まえ》さんのくるのを知《し》って、念入《ねんい》りの化粧《けしょう》ッてところか」
「嬉《うれ》しがらせは殺生《せっしょう》でげす。――おっと姐《ねえ》さん。おせんちゃんはどうしやした」
「唯今《ただいま》ちょいとお詣《まい》りに。――」
「どこへの」
「お稲荷様《いなりさま》でござんすよ」
「うむ、違《ちが》いない。ここァお稲荷様《いなりさま》の境内《けいだい》だっけの」
徳太郎《とくたろう》は漸《ようや》く安心《あんしん》したように、ふふふと軽《かる》く内所《ないしょ》で笑《わら》った。
二
橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》が、おせんの茶屋《ちゃや》で安心《あんしん》の胸《むね》を撫《な》でおろしていた時分《じぶん》、当《とう》のおせんは、神田白壁町《かんだしろかべちょう》の鈴木春信《すずきはるのぶ》の住居《すまい》へと、ひたすら駕籠《かご》を急《いそ》がせた。
「相棒《あいぼう》」
「おお」
「威勢《いせい》よくやんねえ」
「合点《がってん》だ」
「そんじょそこらの、大道臼《だいどううす》を乗《の》せてるんじゃねえや。江戸《えど》一番《ばん》のおせんちゃんを乗《の》せてるんだからの」
「そうとも」
「こうなると、銭金《ぜにかね》のお客《きゃく》じゃァねえ。こちとらの見得《みえ》になるんだ」
「その通《とお》りだ」
「おれァ、一度《ど》、半蔵松葉《はんぞうまつば》の粧《よそ》おいという花魁《おいらん》を、小梅《こうめ》の寮《りょう》まで乗《の》せたことがあったっけが、入山形《いりやまがた》に一つ星《ぼし》の、全盛《ぜんせい》の太夫《たゆう》を乗《の》せた時《とき》だって、こんないい気持《きも》はしなかったぜ」
「もっともだ」
「垂《たれ》を揚《あ》げて、世間《せけん》の仲間《なかま》に見《み》せてやりてえくれえのものだの」
「おめえばかりじゃねえ。そいつァおいらもおんなじこッた」
「もし姐《ねえ》さん」と、後《うしろ》の方《ほう》から声《こえ》がかかった。
「あい」
「どうでげす。駕籠《かご》の垂《たれ》を揚《あ》げさしちァおくんなさるめえか」
「堪忍《かんにん》しておくんなさい。あたしゃ内所《ないしょ》の用事《ようじ》でござんすから。……」
「折角《せっかく》お前《まえ》さんを乗《の》せながら、垂《たれ》をおろして担《かつ》いでたんじゃ、勿体《もったい》なくって仕方《しかた》がねえ。憚《はばか》ンながら駕籠定《かごさだ》の竹《たけ》と仙蔵《せんぞう》は、江戸《えど》一番《ばん》のおせんちゃんを乗《の》せてるんだと、みんなに見《み》せてやりてえんで。……」
「どうかそんなことは、もういわないでおくんなさい」
「評判娘《ひょうばんむすめ》のおせんちゃんだ。両方《りょうほう》揚《あ》げて悪《わる》かったら、片《かた》ッ方《ぽう》だけでもようがしょう」
「そうだ、姐《ねえ》さん。こいつァ何《なに》も、あっしらばかりの見得《みえ》じゃァごあんせんぜ。春信《はるのぶ》さんの絵《え》で売《う》り込《こ》むのも、駕籠《かご》から窺《のぞ》いて見《み》せてやるのも、いずれは世間《せけん》へのおんなじ功徳《くどく》でげさァね。ひとつ思《おも》い切《き》って、ようがしょう」
「どうか堪忍《かんにん》。……」
「欲《よく》のねえお人《ひと》だなァ。垂《たれ》を揚《あ》げてごらんなせえ。あれ見《み》や、あれが水茶屋《みずちゃや》のおせんだ。笠森《かさもり》のおせんだと、誰《だれ》いうとなく口《くち》から耳《みみ》へ伝《つた》わって白壁町《しろかべちょう》まで往《ゆ》くうちにゃァ、この駕籠《かご》の棟《むね》ッ鼻《ぱな》にゃ、人垣《ひとがき》が出来《でき》やすぜ。のう竹《たけ》」
「そりゃァもう仙蔵《せんぞう》のいう通《とお》り真正《しんしょう》間違《まちげ》えなしの、生《い》きたおせんちゃんを江戸《えど》の町中《まちなか》で見《み》たとなりゃァ、また評判《ひょうばん》は格別《かくべつ》だ。――片《かた》ッ方《ぽう》でもいけなけりゃ、せめて半分《はんぶん》だけでも揚《あ》げてやったら、通《とお》りがかりの人達《ひとたち》が、どんなに喜《よろこ》ぶか知《し》れたもんじゃねえんで。……」
「駕籠屋《かごや》さん」
「ほい」
「あたしゃもう降《お》りますよ」
「何《な》んでげすッて」
「無理難題《むりなんだい》をいうんなら、ここで降《お》ろしておくんなさいよ」
「と、とんでもねえ。お前《まえ》さんを、こんなところでおろした日《ひ》にゃ、それこそこちとらァ、二度《ど》と再《ふたた》び、江戸《えど》じゃ家業《かぎょう》が出来《でき》やせんや。――そんなにいやなら、垂《たれ》を揚《あ》げるたいわねえから、そうじたばたと動《うご》かねえで、おとなしく乗《の》っておくんなせえ。――だが、考《かん》げえりゃ考《かん》げえるほど、このまま担《かつ》いでるな、勿体《もったい》ねえなァ」
駕籠《かご》はいま、秋元但馬守《あきもとたじまのかみ》の練塀《ねりべい》に沿《そ》って、蓮《はす》の花《はな》が妍《けん》を競《きそ》った不忍池畔《しのばずちはん》へと差掛《さしかか》っていた。
三
東叡山《とうえいざん》寛永寺《かんえいじ》の山裾《やますそ》に、周囲《しゅうい》一里《り》の池《いけ》を見《み》ることは、開府以来《かいふいらい》江戸《えど》っ子《こ》がもつ誇《ほこ》りの一つであったが、わけても雁《かり》の訪《おとず》れを待《ま》つまでの、蓮《はす》の花《はな》が池面《いけおも》に浮《う》き出《で》た初秋《しょしゅう》の風情《ふぜい》は、江戸歌舞伎《えどかぶき》の荒事《あらごと》と共《とも》に、八百八町《ちょう》の老若男女《ろうにゃくなんにょ》が、得意中《とくいちゅう》の得意《とくい》とするところであった。
近頃《ちかごろ》はやり物《もの》のひとつになった黄縞格子《きじまごうし》の薄物《うすもの》に、菊菱《きくびし》の模様《もよう》のある緋呉羅《ひごら》の帯《おび》を締《し》めて、首《くび》から胸《むね》へ、紅絹《べにぎぬ》の守袋《まもりぶくろ》の紐《ひも》をのぞかせたおせんは、洗《あら》い髪《がみ》に結《ゆ》いあげた島田髷《しまだまげ》も清々《すがすが》しく、正《ただ》しく座《すわ》った膝《ひざ》の上《うえ》に、両《りょう》の手《て》を置《お》いたまま、駕籠《かご》の中《なか》から池《いけ》のおもてに視線《しせん》を移《うつ》した。
夜《よ》が明《あ》けて、まだ五つには間《ま》があるであろう。ひと抱《かか》えもあろうと想《おも》われる蓮《はす》の葉《は》に、置《お》かれた露《つゆ》の玉《たま》は、いずれも朝風《あさかぜ》に揺《ゆ》れて、その足《あし》もとに忍《しの》び寄《よ》るさざ波《なみ》を、ながし目《め》に見《み》ながら咲《さ》いた花《はな》の紅《べに》が招《まね》く尾花《おばな》のそれとは変《かわ》った清《きよ》い姿《すがた》を、水鏡《みずかがみ》に映《うつ》すたわわの風情《ふぜい》。ゆうべの夢見《ゆめみ》が忘《わす》れられぬであろう。葉隠《はがく》れにちょいと覗《のぞ》いた青蛙《あおがえる》は、今《いま》にも落《お》ちかかった三角頭《かくとう》に、陽射《ひざ》しを眩《まば》ゆく避《さ》けていた。
「駕籠屋《かごや》さん」
ふと、おせんが声《こえ》をかけた。
「へえ」
「こっち側《がわ》だけ、垂《たれ》を揚《あ》げておくんなさいな」
「なんでげすッて」
「花《はな》が見《み》とうござんすのさ」
「合点《がってん》でげす」
先棒《さきぼう》と後《うしろ》との声《こえ》は、正《まさ》に一緒《しょ》であった。駕籠《かご》が地上《ちじょう》におろされると同時《どうじ》に、池《いけ》に面《めん》した右手《みぎて》の垂《たれ》は、颯《さっ》とばかりにはね揚《あ》げられた。
「まァ綺麗《きれい》だこと」
「でげすからあっしらが、さっきッからいってたじゃござんせんか。こんないい景色《けしき》ァ、毎朝《まいあさ》見《み》られる図《ず》じゃァねえッて。――ごらんなせえやし。お前《まえ》さんの姿《すがた》が見《み》えたら、つぼんでいた花《はな》が、あの通《とお》り一遍《ぺん》に咲《さ》きやしたぜ」
「ちげえねえ。葉ッぱにとまってた蛙《かえる》の野郎《やろう》までが、あんな大《おお》きな眼《め》を開《あ》きゃァがった」
「もういいから、やっておくんなさい」
「そんなら、ゆっくりめえりやしょう。――おせんちゃんが垂《たれ》を揚《あ》げておくんなさりゃ、どんなに肩身《かたみ》が広《ひろ》いか知《し》れやァしねえ。のう竹《たけ》」
「そうともそうとも。こうなったら、急《いそ》いでくれろと頼《たの》まれても、足《あし》がいうことを聞《き》きませんや。あっしと仙蔵《せんぞう》との、役得《やくとく》でげさァね」
「ほほほほ、そんならあたしゃ、垂《たれ》をおろしてもらいますよ」
「飛《と》んでもねえ。駕籠《かご》に乗《の》る人《ひと》かつぐ人《ひと》、行《ゆ》く先《さき》ァお客《きゃく》のままだが、かついでるうちァ、こっちのままでげすぜ。――それ竹《たけ》、なるたけ往来《おうらい》の人達《ひとたち》に目立《めだ》つように、腰《こし》をひねって歩《ある》きねえ」
「おっと、御念《ごねん》には及《およ》ばねえ。お上《かみ》が許《ゆる》しておくんなさりゃァ、棒鼻《ぼうはな》へ、笠森《かさもり》おせん御用駕籠《ごようかご》とでも、札《ふだ》を建《た》てて行《ゆ》きてえくらいだ」
いうまでもなく、祝儀《しゅうぎ》や酒手《さかて》の多寡《たか》ではなかった。当時《とうじ》江戸女《えどおんな》の人気《にんき》を一人《ひとり》で背負《せお》ってるような、笠森《かさもり》おせんを乗《の》せた嬉《うれ》しさは、駕籠屋仲間《かごやなかま》の誉《ほま》れでもあろう。竹《たけ》も仙蔵《せんぞう》も、金《きん》の延棒《のべぼう》を乗《の》せたよりも腹《はら》は得意《とくい》で一ぱいになっていた。
「こう見《み》や。あすこへ行《い》くなァおせんだぜ」
「おせんだ」
「そうよ。人違《ひとちげ》えのはずはねえ。靨《えくぼ》が立派《りっぱ》な証拠《しょうこ》だて」
「おッと違《ちげ》えねえ。向《むこ》うへ廻《まわ》って見《み》ざァならねえ」
帳場《ちょうば》へ急《いそ》ぐ大工《だいく》であろう。最初《さいしょ》に見《み》つけた誇《ほこ》りから、二人《ふたり》が一緒《しょ》に、駕籠《かご》の向《むこ》うへかけ寄《よ》った。
四
「風流絵暦所《ふうりゅうえこよみどころ》鈴木春信《すずきはるのぶ》」
水《みず》くきのあとも細々《ほそぼそ》と、流《なが》したように書《か》きつらねた木目《もくめ》の浮《う》いた看板《かんばん》に、片枝折《かたしおり》の竹《たけ》も朽《く》ちた屋根《やね》から柴垣《しばがき》へかけて、葡萄《ぶどう》の蔓《つる》が伸《の》び放題《ほうだい》の姿《すがた》を、三尺《じゃく》ばかりの流《なが》れに映《うつ》した風雅《ふうが》なひと構《かま》え、お城《しろ》の松《まつ》も影《かげ》を曳《ひ》きそうな、日本橋《にほんばし》から北《きた》へ僅《わずか》に十丁《ちょう》の江戸《えど》のまん中《なか》に、かくも鄙《ひな》びた住居《すまい》があろうかと、道往《みちゆ》く人《ひと》のささやき交《かわ》す白壁町《しろかべちょう》。夏《なつ》ならば、すいと飛《と》びだす迷《まよ》い蛍《ほたる》を、あれさ待《ま》ちなと、団扇《うちわ》で追《お》い寄《よ》るしなやかな手《て》も見《み》られるであろうが、はや秋《あき》の声《こえ》聞《き》く垣根《かきね》の外《そと》には、朝日《あさひ》を受《う》けた小葡萄《こぶどう》の房《ふさ》が、漸《ようや》く小豆大《あずきだい》のかたちをつらねた影《かげ》を、真下《ました》の流《なが》れに漂《ただよ》わせているばかりであった。
池《いけ》と名付《なづ》ける程《ほど》ではないが、一坪余《つぼあま》りの自然《しぜん》の水溜《みずたま》りに、十匹《ぴき》ばかりの緋鯉《ひごい》が数《かぞ》えられるその鯉《こい》の背《せ》を覆《おお》って、なかば花《はな》の散《ち》りかけた萩《はぎ》のうねりが、一叢《ひとむら》ぐっと大手《おおて》を広《ひろ》げた枝《えだ》の先《さき》から、今《いま》しもぽたりと落《お》ちたひとしずく。波紋《はもん》が次第《しだい》に大《おお》きく伸《の》びたささやかな波《なみ》の輪《わ》を、小枝《こえだ》の先《さき》でかき寄《よ》せながら、じっと水《みず》の面《おも》を見詰《みつ》めていたのは、四十五の年《とし》よりは十年《ねん》も若《わか》く見《み》える、五尺《しゃく》に満《み》たない小作《こづく》りの春信《はるのぶ》であった。
おおかた銜《くわ》えた楊枝《ようじ》を棄《す》てて、顔《かお》を洗《あら》ったばかりなのであろう。まだ右手《みぎて》に提《さ》げた手拭《てぬぐい》は、重《おも》く濡《ぬ》れたままになっていた。
「藤吉《とうきち》」
春信《はるのぶ》は、鯉《こい》の背《せ》から眼《め》を放《はな》すと、急《きゅう》に思《おも》いだしたように、縁先《えんさき》の万年青《おもと》の葉《は》を掃除《そうじ》している、少年《しょうねん》の門弟《もんてい》藤吉《とうきち》を呼《よ》んだ。
「へえ」
「八つぁんは、まだ帰《かえ》って来《こ》ないようだの」
「へえ」
「おせんもまだ見《み》えないか」
「へえ」
「堺屋《さかいや》の太夫《たゆう》もか」
「へえ」
「おまえちょいと、枝折戸《しおりど》へ出《で》て見《み》て来《き》な」
「かしこまりました」
藤吉《とうきち》は、万年青《おもと》の葉《は》から掃除《そうじ》の筆《ふで》を放《はな》すと、そのまま萩《はぎ》の裾《すそ》を廻《まわ》って、小走《こばし》りにおもてへ出《で》て行《い》った。
「今時分《いまじぶん》、おせんがいないはずはないから、ひょっとすると八五郎《ろう》の奴《やつ》、途中《とちゅう》で誰《だれ》かに遇《あ》って、道草《みちくさ》を食《く》ってるのかも知《し》れぬの。堺屋《さかいや》でもどっちでも、早《はや》く来《く》ればいいのに。――」
濡《ぬ》れた手拭《てぬぐい》を、もう一度《ど》丁寧《ていねい》に絞《しぼ》った春信《はるのぶ》は、口《くち》のうちでこう呟《つぶや》きながら、おもむろに縁先《えんさき》の方《ほう》へ歩《あゆ》み寄《よ》った。すると、その額《ひたい》の汗《あせ》を拭《ふ》きながら駆《か》け込《こ》んで来《き》たのは、摺師《すりし》の八五郎《ろう》であった。
「行《い》ってめえりやした」
「御苦労《ごくろう》、御苦労《ごくろう》。おせんはいたかの」
「へえ。居《お》りやした。でげすが師匠《ししょう》、世《よ》の中《なか》にゃ馬鹿《ばか》な野郎《やろう》が多《おお》いのに驚《おどろ》きやしたよ。あっしが向《むこ》うへ着《つ》いたのは、まだ六つをちっと回《まわ》ったばかりでげすのに、もうお前《まえ》さん、かぎ屋《や》の前《まえ》にゃ、人《ひと》が束《たば》ンなってるじゃござんせんか。それも、女《おんな》一人《ひとり》いるんじゃねえ。みんな、おいらこそ江戸《えど》一番《ばん》の色男《いろおとこ》だと、いわぬばかりの顔《かお》をして、反《そ》りッかえってる野郎《やろう》ぞっきでげさァね。――おせんちゃんにゃ、千人《にん》の男《おとこ》が首《くび》ッたけンなっても、及《およ》ばぬ鯉《こい》の滝《たき》のぼりだとは、知らねえんだから浅間《あさま》しいや」
「八つぁん。おせんの返事《へんじ》はどうだったんだ。直《す》ぐに来《く》るとか、来《こ》ないとか」
「めえりやすとも。もうおッつけ、そこいらで声《こえ》が聞《きこ》えますぜ」
八五郎《ろう》は得意《とくい》そうに小首《こくび》をかしげて、枝折戸《しおりど》の方《ほう》を指《ゆび》さした。
五
枝折戸《しおりど》の外《そと》に、外道《げどう》の面《つら》のような顔《かお》をして、ずんぐり立《た》って待《ま》っていた藤吉《とうきち》は、駕籠《かご》の中《なか》からこぼれ出《で》たおせんの裾《すそ》の乱《みだ》れに、今《いま》しもきょろりと、団栗《どんぐり》まなこを見張《みは》ったところだった。
「やッ、おせんちゃん。師匠《ししょう》がさっきから、首《くび》を長《なが》くしてお待《ま》ちかねだぜ」
朱《しゅ》とお納戸《なんど》の、二こくの鼻緒《はなお》の草履《ぞうり》を、後《うしろ》の仙蔵《せんぞう》にそろえさせて、扇《おうぎ》で朝日《あさひ》を避《さ》けながら、静《しず》かに駕籠《かご》を立《た》ち出《で》たおせんは、どこぞ大店《おおだな》の一人娘《ひとりむすめ》でもあるかのように、如何《いか》にも品《ひん》よく落着《おちつ》いていた。
「藤吉《とうきち》さん。ここであたしを、待《ま》ってでござんすかえ」
「そうともさ、肝腎《かんじん》の万年青《おもと》の掃除《そうじ》を半端《はんぱ》でやめて、半時《はんとき》も前《まえ》から、お前《まえ》さんの来《く》るのを待《ま》ってたんだ。――だがおせんちゃん。お前《まえ》は相変《あいかわ》らず、師匠《ししょう》の絵《え》のように綺麗《きれい》だのう」
「おや、朝《あさ》ッからおなぶりかえ」
「なぶるどころか。おいらァ惚《ほ》れ惚《ぼ》れ見《み》とれてるんだ。顔《かお》といい、姿《すがた》といい、お前《まえ》ほどの佳《い》い女《おんな》は江戸中《えどじゅう》探《さが》してもなかろうッて、師匠《ししょう》はいつも口癖《くちぐせ》のようにいってなさるぜ。うちのお鍋《なべ》も女《おんな》なら、おせんちゃんも女《おんな》だが、おんなじ女《おんな》に生《うま》れながら、お鍋《なべ》はなんて不縹緻《ぶきりょう》なんだろう。お鍋《なべ》とはよく名《な》をつけたと、おいらァつくづくあいつの、親父《おやじ》の智恵《ちえ》に感心《かんしん》してるんだが、それと違《ちが》っておせんさんは、弁天様《べんてんさま》も跣足《はだし》の女《おんな》ッぷり。いやもう江戸《えど》はおろか日本中《にほんじゅう》、鉦《かね》と太鼓《たいこ》で探《さが》したって……」
「おいおい藤《とう》さん」
肩《かた》を掴《つか》んで、ぐいと引《ひ》っ張《ぱ》った。その手《て》で、顔《かお》を逆《さか》さに撫《な》でた八五郎《ろう》は、もう一度《ど》帯《おび》を把《と》って、藤吉《とうきち》を枝折戸《しおりど》の内《うち》へ引《ひ》きずり込《こ》んだ。
「何《なに》をするんだ。八つぁん」
「何《なに》もこうありゃァしねえ。つべこべと、余計《よけい》なことをいってねえで、速《はや》くおせんちゃんを、奥《おく》へ案内《あんない》してやらねえか。師匠《ししょう》がもう、茶《ちゃ》を三杯《ばい》も換《か》えて待《ま》ちかねだぜ」
「おっと、しまった」
「おせんちゃん。少《すこ》しも速《はや》く、急《いそ》いだ、急《いそ》いだ」
「ほほほほ。八つぁんがまた、おどけた物《もの》のいいようは。……」
駕籠《かご》を帰《かえ》したおせんの姿《すがた》は、小溝《こどぶ》へ架《か》けた土橋《どばし》を渡《わた》って、逃《のが》れるように枝折戸《しおりど》の中《なか》へ消《き》えて行《い》った。
「ふん、八五郎《ろう》の奴《やつ》、余計《よけい》な真似《まね》をしやァがる。おせんちゃんの案内役《あんないやく》は、いっさいがっさい、おいらときまってるんだ。――よし、あとで堺屋《さかいや》の太夫《たゆう》が来《き》たら、その時《とき》あいつに辱《はじ》をかかせてやる」
手《て》の内《うち》の宝《たから》を奪《うば》われでもしたように、藤吉《とうきち》は地駄《じだ》ン駄《だ》踏《ふ》んで、あとから、土橋《どばし》をひと飛《と》びに飛《と》んで行《い》った。
鉤《かぎ》なりに曲《まが》った縁先《えんさき》では、師匠《ししょう》の春信《はるのぶ》とおせんとが、既《すで》に挨拶《あいさつ》を済《す》ませて、池《いけ》の鯉《こい》に眼《め》をやりながら、何事《なにごと》かを、声《こえ》をひそめて話《はな》し合《あ》っていた。
「八つぁん、ちょいと来《き》てくんな」
「何《な》んだ藤《とう》さん」
立《た》って来《き》た八五郎《ろう》を、睨《にら》めるようにして、藤吉《とうきち》は口《くち》を尖《とが》らせた。
「お前《まえ》、あとから誰《だれ》が来《く》るか、知《し》ってるかい」
「知《し》らねえ」
「それ見《み》な。知《し》らねえで、よくそんなお接介《せっかい》が出来《でき》たもんだの」
「お接介《せっかい》たァ何《な》んのこッた」
「おせんちゃんを、先《さき》に立《た》って連《つ》れてくなんざ、お接介《せっかい》だよ」
「冗談《じょうだん》じゃねえ。おせんちゃんは、師匠《ししょう》に頼《たの》まれて、おいらが呼《よ》びに行《い》ったんだぜ。――おめえはまだ、顔《かお》を洗《あら》わねえんだの」
顔《かお》はとうに洗《あら》っていたが、藤吉《とうきち》の眼頭《めがしら》には、目脂《めやに》が小汚《こぎた》なくこすり付《つ》いていた。
六
赤《あか》とんぼが障子《しょうじ》へくっきり影《かげ》を映《うつ》した画室《がしつ》は、金《きん》の砂子《すなこ》を散《ち》らしたように明《あか》るかった。
広々《ひろびろ》と庭《にわ》を取《と》ってはあるが、僅《わず》かに三間《ま》を数《かぞ》えるばかりの、茶室《ちゃしつ》がかった風流《ふうりゆう》の住居《すまい》は、ただ如何《いか》にも春信《はるのぶ》らしい好《この》みにまかせて、手《て》いれが行《ゆ》き届《とど》いているというだけのこと、諸大名《しょだいみょう》の御用絵師《ごようえし》などにくらべたら、まことに粗末《そまつ》なものであった。
その画室《がしつ》の中《なか》ほどに、煙草盆《たばこぼん》をはさんで、春信《はるのぶ》とおせんとが対座《たいざ》していた。おせんの初《うぶ》な心《こころ》は、春信《はるのぶ》の言葉《ことば》にためらいを見《み》せているのであろう。うつ向《む》いた眼許《めもと》には、ほのかな紅《べに》を差《さ》して、鬢《びん》の毛《け》が二筋《すじ》三筋《すじ》、夢見《ゆめみ》るように頬《ほほ》に乱《みだ》れかかっていた。
「どうだの、これは別《べつ》に、おいらが堺屋《さかいや》から頼《たの》まれた訳《わけ》ではないが、何《な》んといっても中村松江《なかむらしょうこう》なら、当時《とうじ》押《お》しも押《お》されもしない、立派《りっぱ》な太夫《たゆう》。その堺屋《さかいや》が秋《あき》の木挽町《こびきちょう》で、お前《まえ》のことを重助《じゅうすけ》さんに書《か》きおろさせて、舞台《いた》に上《の》せようというのだから、まず願《ねが》ってもないもっけの幸《さいわ》い。いやの応《おう》のということはなかろうじゃないか」
「はい、そりゃァもう、あたしに取《と》っては勿体《もったい》ないくらいの御贔屓《ごひいき》、いや応《おう》いったら、眼《め》がつぶれるかも知《し》れませぬが。……」
「それなら何《な》んでの」
「お師匠《ししょう》さん、堪忍《かんにん》しておくんなさい。あたしゃ知《し》らない役者衆《やくしゃしゅう》と、差《さ》しで会《あ》うのはいやでござんす」
「はッはッは、何《なに》かと思《おも》ったら、いつもの馬鹿気《ばかげ》たはにかみからか。ここへ堺屋《さかいや》を招《よ》んだのは、何《なに》もお前《まえ》と差《さ》しで会《あ》わせようの、二人《ふたり》で話《はなし》をさせようのと、そんな訳合《わけあい》じァありゃしない。松江《しょうこう》は日頃《ひごろ》、おいらの絵《え》が大好《だいす》きとかで、板《いた》おろしをしたのはもとより、版下《はんした》までを集《あつ》めている程《ほど》の好《す》き者《しゃ》仲間《なかま》、それがゆうべ、芝居《しばい》の帰《かえ》りにひょっこり寄《よ》って、この次《つぎ》の狂言《きょうげん》には、是非《ぜひ》とも笠森《かさもり》おせんちゃんを、芝居《しばい》に仕組《しく》んで出《だ》したいとの、たっての望《のぞ》みさ。どういう筋《すじ》に仕組《しく》むのか、そいつは作者《さくしゃ》の重助《じゅうすけ》さんに謀《はか》ってからの寸法《すんぽう》だから、まだはっきりとはいえないとのことだった、松江《しょうこう》が写《うつ》したお前《まえ》の姿《すがた》を、舞台《ぶたい》で見《み》られるとなりゃ、何《な》んといっても面白《おもしろ》い話《はなし》。おいらは二つ返事《へんじ》で、手《て》を打《う》ってしまったんだ。――そこで、善《ぜん》は急《いそ》げのたとえをそのまま、あしたの朝《あさ》、ここへおせんに来《き》てもらおうから、太夫《たゆう》ももう一度《ど》、ここまで出《で》て来《き》てもらいたいと、約束事《やくそくごと》が出来《でき》たんだが、――のうおせん。おいらの前《まえ》じゃ、肌《はだ》まで見《み》せて、絵《え》を写《うつ》させるお前《まえ》じゃないか、相手《あいて》が誰《だれ》であろうと、ここで一時《いっとき》、茶のみ話《ばなし》をするだけだ。心持《こころも》よく会《あ》ってやるがいいわな」
「さァ。――」
「今更《いまさら》思案《しあん》もないであろう。こうしているうちにも、もうそこらへ、やって来《き》たかも知《し》れまいて」
「まァ、師匠《ししょう》さん」
「はッはッは。お前《まえ》、めっきり気《き》が小《ちい》さくなったの」
「そんな訳《わけ》じゃござんせぬが、あたしゃ知《し》らない役者衆《やくしゃしゅう》とは。……」
「ほい、まだそんなことをいってるのか。なまじ知《し》ってる顔《かお》よりも、はじめて会《あ》って見《み》る方《ほう》に、はずむ話《はなし》があるものだ。――それにお前《まえ》、相手《あいて》は当時《とうじ》上上吉《じょうじょうきち》の女形《おやま》、会《あ》ってるだけでも、気《き》が晴《は》れ晴《ば》れとするようだぜ」
ふと、とんぼの影《かげ》が障子《しょうじ》から離《はな》れた。と同時《どうじ》に藤吉《とうきち》の声《こえ》が、遠慮勝《えんりょが》ちに縁先《えんさき》から聞《きこ》えた。
「師匠《ししょう》、太夫《たゆう》がおいでになりました」
「おおそうか。直《す》ぐにこっちへお通《とお》ししな」
じっと畳《たたみ》の上《うえ》を見詰《みつ》めているおせんは、たじろぐように周囲《しゅうい》を見廻《みまわ》した。
「お師匠《ししょう》さん、後生《ごしょう》でござんす。あたしをこのまま、帰《かえ》しておくんなさいまし」
「なんだって」
春信《はるのぶ》は大《おお》きく眼《め》を見《み》ひらいた。
七
たとえば青苔《あおこけ》の上《うえ》に、二つ三つこぼれた水引草《みずひきそう》の花《はな》にも似《に》て、畳《たたみ》の上《うえ》に裾《すそ》を乱《みだ》して立《た》ちかけたおせんの、浮《う》き彫《ぼり》のような爪先《つまさき》は、もはや固《かた》く畳《たたみ》を踏《ふ》んではいなかった。
「ははは、おせん。みっともない、どうしたというんだ」
春信《はるのぶ》の、いささか当惑《とうわく》した視線《しせん》は、そのまま障子《しょうじ》の方《ほう》へおせんを追《お》って行《い》ったが、やがて追《お》い詰《つめ》られたおせんの姿《すがた》が、障子《しょうじ》の際《きわ》にうずくまるのを見《み》ると、更《さら》に解《げ》せない思《おも》いが胸《むね》の底《そこ》に拡《ひろ》がってあわてて障子《しょうじ》の外《そと》にいる藤吉《とうきち》に声《こえ》をかけた。
「藤吉《とうきち》、堺屋《さかいや》の太夫《たゆう》に、もうちっとの間《あいだ》、待《ま》っておもらい申《もう》してくれ」
「へえ」
おおかた、もはや縁先近《えんさきちか》くまで来《き》ていたのであろう。藤吉《とうきち》が直《す》ぐさま松江《しょうこう》に春信《はるのぶ》の意《い》を伝《つた》えて、池《いけ》の方《ほう》へ引《ひ》き返《かえ》してゆく気配《けはい》が、障子《しょうじ》に映《うつ》った二つの影《かげ》にそれと知《し》れた。
「おせん」
「あい」
「お前《まえ》、何《なに》か訳《わけ》があってだの」
「いいえ、何《なに》も訳《わけ》はござんせぬ」
「隠《かく》すにゃ当《あた》らないから、有様《ありよう》にいって見《み》な、事《こと》と次第《しだい》に因《よ》ったら、堺屋《さかいや》は、このままお前《まえ》には会《あわ》せずに、帰《かえ》ってもらうことにする」
「そんなら、あたしの願《ねが》いを聞《き》いておくんなさいますか」
「聞《き》きもする。かなえもする。だが、その訳《わけ》は聞《き》かしてもらうぜ」
「さァその訳《わけ》は。――」
「まだ隠《かく》しだてをするつもりか。あくまで聞《き》かせたくないというなら、聞《き》かずに済《す》ませもしようけれど、そのかわりおいらはもうこの先《さき》、金輪際《こんりんざい》、お前《まえ》の絵《え》は描《か》かないからそのつもりでいるがいい」
「まァお師匠《ししょう》さん」
「なァにいいやな。笠森《かさもり》のおせんは、江戸《えど》一番《ばん》の縹緻佳《きりょうよ》しだ。おいらが拙《まず》い絵《え》なんぞに描《か》かないでも、客《きゃく》は御府内《ごふない》の隅々《すみずみ》から、蟻《あり》のように寄《よ》ってくるわな。――いいたくなけりゃ、聞《き》かずにいようよ」
いたずらに、もてあそんでいた三味線《みせん》の、いとがぽつんと切《き》れたように、おせんは身内《みうち》に積《つも》る寂《さび》しさを覚《おぼ》えて、思《おも》わず瞼《まぶた》が熱《あつ》くなった。
「お師匠《ししょう》さん、堪忍《かんにん》しておくんなさい。あたしゃ、お母《かあ》さんにもいうまいと、固《かた》く心《こころ》にきめていたのでござんすが、もう何事《なにごと》も申《もう》しましょう。どっと笑《わら》っておくんなさいまし」
「おお、ではやっぱり何《なに》かの訳《わけ》があって。……」
「あい、あたしゃあの、浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》さんが、死《し》ぬほど好《す》きなんでござんす」
「えッ。菊之丞《きくのじょう》に。――」
「あい。おはずかしゅうござんすが。……」
消えも入《い》りたいおせんの風情《ふぜい》は、庭《にわ》に咲《さ》く秋海棠《しゅうかいどう》が、なまめき落《お》ちる姿《すがた》をそのまま悩《なや》ましさに、面《おもて》を袂《たもと》におおい隠《かく》した。
じッと、釘《くぎ》づけにされたように、春信《はるのぶ》の眼《め》は、おせんの襟脚《えりあし》から動《うご》かなかった。が、やがて静《しず》かにうなずいたその顔《かお》には、晴《は》れやかな色《いろ》が漂《ただよ》っていた。
「おせん」
「あい」
「よくほれた」
「えッ」
「当代《とうだい》一の若女形《わかおやま》、瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》なら、江戸《えど》一番《ばん》のお前《まえ》の相手《あいて》にゃ、少《すこ》しの不足《ふそく》もあるまいからの。――判《わか》った。相手《あいて》がやっぱり役者《やくしゃ》とあれば、堺屋《さかいや》に会《あ》うのは気《き》が差《さ》そう。こりゃァ何《な》んとでもいって断《ことわ》るから、安心《あんしん》するがいい」
八
勢《きお》い込《こ》んで駕籠《かご》で乗《の》り着《つ》けた中村松江《なかむらしょうこう》は、きのうと同《おな》じように、藤吉《とうきち》に案内《あんない》されたが、直《す》ぐ様《さま》通《とお》してもらえるはずの画室《がしつ》へは、何《なに》やら訳《わけ》があって入《はい》ることが出来《でき》ぬところから、ぽつねんと、池《いけ》の近《ちか》くにたたずんだまま、人影《ひとかげ》に寄《よ》って来《く》る鯉《こい》の動《うご》きをじっと見詰《みつ》めていた。
師《し》の歌右衛門《うたえもん》を慕《した》って江戸《えど》へ下《くだ》ってから、まだ足《あし》かけ三年《ねん》を経《へ》たばかりの松江《しょうこう》が、贔屓筋《ひいきすじ》といっても、江戸役者《えどやくしゃ》ほどの数《かず》がある訳《わけ》もなく、まして当地《とうち》には、当代随《とうだいずい》一の若女形《わかおやま》といわれる、二代目《だいめ》瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》が全盛《ぜんせい》を極《きわ》めていることとて、その影《かげ》は決《けっ》して濃《こ》いものではなかった。が、年《とし》は若《わか》いし、芸《げい》は達者《たっしゃ》であるところから、作者《さくしゃ》の中村重助《なかむらじゅうすけ》が頻《しき》りに肩《かた》を入《い》れて、何《なに》か目先《めさき》の変《かわ》った狂言《きょうげん》を、出《だ》させてやりたいとの心《こころ》であろう。近頃《ちかごろ》春信《はるのぶ》の画《え》で一層《そう》の評判《ひょうばん》を取《と》った笠森《かさもり》おせんを仕組《しく》んで、一番《ばん》当《あ》てさせようと、松江《しょうこう》が春信《はるのぶ》と懇意《こんい》なのを幸《さいわ》い、善《ぜん》は急《いそ》げと、早速《さっそく》きのうここへ訪《たず》ねさせての、きょうであった。
「太夫《たゆう》、お待遠《まちどお》さまでござんしょうが、どうかこちらへおいでなすって、お茶《ちゃ》でも召上《めしあが》って、お待《ま》ちなすっておくんなまし」
藤吉《とうきち》にも、何《な》んで師匠《ししょう》が堺屋《さかいや》を待《ま》たせるのか、一向《こう》合点《がってん》がいかなかったが、張《は》り詰《つ》めていた気持《きもち》が急《きゅう》に緩《ゆる》んだように、しょんぼりと池《いけ》を見詰《みつ》めて立《た》っている後姿《うしろすがた》を見《み》ると、こういって声《こえ》をかけずにはいられなかった。
「へえ、おおきに。――」
「太夫《たゆう》は、おせんちゃんには、まだお会《あ》いなすったことがないんでござんすか」
「へえ、笠森様《かさもりさま》のお見世《みせ》では、お茶《ちゃ》を戴《いただ》いたことがおますが、先様《さきさま》は、何《なに》を知《し》ってではござりますまい。――したが若衆《わかしゅう》さん。おせんさんは、もはやお見《み》えではおますまいかな」
「つい今《いま》し方《がた》。――」
「では何《なに》か、絵《え》でも習《なろ》うていやはるのでは。――」
「さァ、大方《おおかた》そんなことでげしょうが、どっちにしても長《なが》いことじゃござんすまい。そこは日《ひ》が当《あた》りやす。こっちへおいでなすッて。……」
ふと踵《くびす》を返《かえ》して、二足《あし》三足《あし》、歩《ある》きかかった時《とき》だった。隅《すみ》の障子《しょうじ》を静《しず》かに開《あ》けて、庭《にわ》に降《お》り立《た》った春信《はるのぶ》は、蒼白《そうはく》の顔《かお》を、振袖姿《ふりそですがた》の松江《しょうこう》の方《ほう》へ向《む》けた。
「太夫《たゆう》」
「おお、これはお師匠《ししょう》さんは。早《はよう》からお邪間《じゃま》して、えろ済《す》みません」
「済《す》まないのは、お前《まえ》さんよりこっちのこと、折角《せっかく》眠《ねむ》いところを、早起《はやお》きをさせて、わざわざ来《き》てもらいながら、肝腎《かんじん》のおせんが。――」
「おせんさんが、なんぞしやはりましたか」
「急病《きゅうびょう》での」
「えッ」
「血《ち》の道《みち》でもあろうが、ここへ来《く》るなり頭痛《ずつう》がするといって、ふさぎ込《こ》んでしまったまま、いまだに顔《かお》も挙《あ》げない始末《しまつ》、この分《ぶん》じゃ、半時《はんとき》待《ま》ってもらっても、今朝《けさ》は、話《はなし》は出来《でき》まいと思《おも》っての、お気《き》の毒《どく》だが、またあらためて、会《あ》ってやっておもらい申《もう》すより、仕方《しかた》がないじゃなかろうかと、実《じつ》は心配《しんぱい》している訳《わけ》だが。……」
「それはまア」
「のう太夫《たゆう》。お前《まえ》さん、詫《わび》はあたしから幾重《いくえ》にもしようから、きょうはこのまま、帰《かえ》っておくんなさるまいか」
「それァもう、帰《かえ》ることは、いつでも帰《かえ》りますけれど、おせんさんが急病《きゅうびょう》とは、気《き》がかりでおますさかい。……」
「いや、気《き》に病《や》むほどのことでもなかろうが、何《なん》せ若《わか》い女《おんな》の急病《きゅうびょう》での。ちっとばかり、朝《あさ》から世間《せけん》が暗《くら》くなったような気《き》がするのさ」
「へえ」
春信《はるのぶ》の眼《め》は、松江《しょうこう》を反《そ》れて、地《ち》に曳《ひ》く萩《はぎ》の葉《は》に移《うつ》っていた。
雨《あめ》
一
「おい坊主《ぼうず》、火鉢《ひばち》の火《ひ》が消《き》えちゃってるぜ。ぼんやりしてえちゃ困《こま》るじゃねえか」
浜町《はまちょう》の細川邸《ほそかわてい》の裏門前《うらもんまえ》を、右《みぎ》へ折《お》れて一町《ちょう》あまり、角《かど》に紺屋《こうや》の干《ほ》し場《ば》を見《み》て、伊勢喜《いせき》と書《か》いた質屋《しちや》の横《よこ》について曲《まが》がった三軒目《げんめ》、おもてに一本柳《ぽんやなぎ》が長《なが》い枝《えだ》を垂《た》れたのが目印《めじるし》の、人形師《にんぎょうし》亀岡由斎《かめおかゆうさい》のささやかな住居《すまい》。
まだ四十を越《こ》していくつにもならないというのが、一見《けん》五十四五に見《み》える。髷《まげ》も白髪《しらが》もおかまいなし、床屋《とこや》の鴨居《かもい》は、もう二月《つき》も潜《くぐ》ったことがない程《ほど》の、垢《あか》にまみれたうす汚《ぎた》なさ。名人《めいじん》とか上手《じょうず》とか評判《ひょうばん》されているだけに、坊主《ぼうず》と呼《よ》ぶ十七八の弟子《でし》の外《ほか》は、猫《ねこ》の子《こ》一匹《ぴき》もいない、たった二人《ふたり》の暮《くら》しであった。
「おめえ、いってえ弟子《でし》に来《き》てから、何年《なんねん》経《た》つと思《おも》っているんだ」
「へえ」
「へえじゃねえぜ。人形師《にんぎょうし》に取《と》って、胡粉《ごふん》の仕事《しごと》がどんなもんだぐれえ、もうてえげえ判《わか》っても、罰《ばち》は当《あた》るめえ。この雨《あめ》だ。愚図々々《ぐずぐず》してえりゃ、湿気《しっけ》を呼《よ》んで、みんなねこンなっちまうじゃねえか。速《はや》くおこしねえ」
「へえ」
「それから何《な》んだぜ。火がおこったら、直《す》ぐに行燈《あんどん》を掃除《そうじ》しときねえよ。こんな日《ひ》ァ、いつもより日《ひ》の暮《く》れるのが、ぐっと早《はえ》えからの」
「へえ」
「ふん。何《なに》をいっても、張合《はりあ》いのねえ野郎《やろう》だ。飯《めし》は腹《はら》一杯《ぱい》食《く》わせてあるはずだに。もっとしっかり返事《へんじ》をしねえ」
「かしこまりました」
「糠《ぬか》に釘《くぎ》ッてな、おめえのこった。――火のおこるまで一服《ぷく》やるから、その煙草入《たばこいれ》を、こっちへよこしねえ」
「へえ」
「なぜ煙管《きせる》を取《と》らねえんだ」
「へえ」
「それ、蛍火《ほたるび》ほどの火《ひ》もねえじゃねえか。何《な》んで煙草《たばこ》をつけるんだ」
相手《あいて》は黙々《もくもく》とした少年《しょうねん》だが、由斎《ゆうさい》は、たとえにある箸《はし》の揚《あ》げおろしに、何《なに》か小言《こごと》をいわないではいられない性分《しょうぶん》なのであろう。殆《ほと》んど立続《たてつづ》けに口小言《くちこごと》をいいながら、胡坐《あぐら》の上《うえ》にかけた古《ふる》い浅黄《あさぎ》のきれをはずすと、火口箱《ほぐちばこ》を引《ひ》き寄《よ》せて、鉄《てつ》の長煙管《ながきせる》をぐつと銜《くわ》えた。
勝手元《かってもと》では、頻《しき》りにばたばたと七輪《りん》の下《した》を煽《あお》ぐ、団扇《うちわ》の音《おと》が聞《きこ》えていた。
その団扇《うちわ》の音《おと》を、じりじりと妙《みょう》にいら立《だ》つ耳《みみ》で聞《き》きながら、由斎《ゆうさい》は前《まえ》に立《た》てかけている、等身大《とうしんだい》に近《ちか》い女《おんな》の人形《にんぎょう》を、睨《にら》めるように眺《なが》めていたが、ふと何《なに》か思《おも》い出《だ》したのであろう。あたり憚《はばか》らぬ声《こえ》で勝手元《かってもと》へ向《むか》って叫《さけ》んだ。
「坊主《ぼうず》。坊主《ぼうず》」
「へえ」
「おめえ、今朝《けさ》面《つら》を洗《あら》ったか」
「へえ」
「嘘《うそ》をつけ。面《つら》を洗《あら》った奴《やつ》が、そんな粗相《そそう》をするはずァなかろう。ここへ来《き》て、よく人形《にんぎょう》の足《あし》を見《み》ねえ。甲《こう》に、こんなに蝋《ろう》が垂《た》れているじゃねえか」
恐《おそ》る恐《おそ》る仕事場《しごとば》へ戻《もど》った。坊主《ぼうず》の足《あし》はふるえていた。
「こいつァおめえの仕事《しごと》だな」
「知《し》りません」
「知《し》らねえことがあるもんか。ゆうべ遅《おそ》く仕事場《しごとば》へ蝋燭《ろうそく》を持《も》って這入《はい》って来《き》たなァ、おめえより外《ほか》にねえ筈《はず》だぜ。こいつァただの人形《にんぎょう》じゃねえ。菊之丞《きくのじょう》さんの魂《たましい》までも彫《ほ》り込《こ》もうという人形《にんぎょう》だ。粗相《そそう》があっちゃァならねえと、あれ程《ほど》いっておいたじゃねえか」
二
廂《ひさし》の深《ふか》さがおいかぶさって、雨《あめ》に煙《けむ》った家《いえ》の中《なか》は、蔵《くら》のように手許《てもと》が暗《くら》く、まだ漸《ようや》く石町《こくちょう》の八つの鐘《かね》を聞《き》いたばかりだというのに、あたりは行燈《あんどん》がほしいくらい、鼠色《ねずみいろ》にぼけていた。
軒《のき》の樋《とい》はここ十年《ねん》の間《あいだ》、一度《ど》も換《か》えたことがないのであろう。竹《たけ》の節々《ふしぶし》に青苔《あおこけ》が盛《も》り上《あが》って、その破《わ》れ目《め》から落《お》ちる雨水《あまみず》が砂時計《すなどけい》の砂《すな》が目《め》もりを落《お》ちるのと同《おな》じに、絶《た》え間《ま》なく耳《みみ》を奪《うば》った。
への字《じ》に結《むす》んだ口《くち》に、煙管《きせる》を銜《くわ》えたまま、魅《み》せられたように人形《にんぎょう》を凝視《ぎょうし》し続《つづ》けている由斎《ゆうさい》は、何《なに》か大《おお》きく頷《うなず》くと、今《いま》し方《がた》坊主《ぼうず》がおこして来《き》た炭火《すみび》を、十能《のう》から火鉢《ひばち》にかけて、独《ひと》りひそかに眉《まゆ》を寄《よ》せた。
「坊主《ぼうず》。おめえ、表《おもて》の声《こえ》が聞《きこ》えねえのか」
「誰《だれ》か来《き》ておりますか」
「来《き》てる。戸《と》を開《あ》けて見《み》ねえ」
「へえ」
「だが、こっちへ通《とお》しちゃならねえぜ」
半信半疑《はんしんはんぎ》で立《た》って行《い》った坊主《ぼうず》は、背《せ》をまるくして、雨戸《あまど》の隙間《すきま》から覗《のぞ》いた。
「おや、あたしでござんすよ」
「おお、おせんさん」
坊主《ぼうず》は、たてつけの悪《わる》い雨戸《あまど》を開《あ》けて、ぺこりと一つ頭《あたま》をさげた。そこには頭巾《ずきん》で顔《かお》を包《つつ》んだおせんが、傘《かさ》を肩《かた》にして立《た》っていた。
「親方《おやかた》は」
「仕事《しごと》なんで。――」
「御免《ごめん》なさいよ」
「ぁッいけません。お前《まえ》さんをお上《あ》げ申《もう》しちゃ、叱《しか》られる」
「ほほほほ、そんな心配《しんぱい》は止《や》めにしてさ」
「でもあたしが親方《おやかた》に。――」
「坊主《ぼうず》」と、鋭《するど》い声《こえ》が奥《おく》から聞《きこ》えた。
「へえ」
「いまもいった通《とお》りだ。たとえどなたでも、仕事場《しごとば》へは通《とお》しちゃならねえ」
「親方《おやかた》」と、おせんは訴《うった》えるように声《こえ》をかけた。
「どうかきょうだけ、堪忍《かんにん》しておくんなさいよ」
「いけねえ」
「あたしゃお前《まえ》さんに、断《ことわ》られるのを知《し》りながら、もう辛抱《しんぼう》が出来《でき》なくなって、この雨《あめ》の中《なか》を来《き》たんじゃござんせんか。――後生《ごしょう》でござんす。ちょいとの間《あいだ》だけでも。……」
「折角《せっかく》だが、お断《ことわ》りしやすよ。あっしゃァお前《まえ》さんから、この人形《にんぎょう》を請合《うけあ》う時《とき》、どんな約束《やくそく》をしたかはっきり覚《おぼ》えていなさろう。――のうおせんちゃん。あの時《とき》お前《まえ》は何《な》んといいなすった。あたしゃ死《し》んでる人形《にんぎょう》は欲《ほ》しくない。生《い》きた、魂《たましい》のこもった人形《にんぎょう》をこさえておくんなさるなら、どんな辛抱《しんぼう》でもすると、あれ程《ほど》堅《かた》く約束《やくそく》をしたじゃァねえか。――江戸《えど》一番《ばん》の女形《おやま》、瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》の生人形《いきにんぎょう》を、舞台《ぶたい》のままに彫《ほ》ろうッてんだ。なまやさしい業《わざ》じゃァねえなァ知《し》れている。あっしもきょうまで、これぞと思《おも》った人形《にんぎょう》を、七つや十はこさえて来《き》たが、これさえ仕上《しあ》げりゃ、死《し》んでもいいと思《おも》った程《ほど》、精魂《せいこん》を打《うち》込《こ》んだ作《さく》はしたこたァなかった。だが、今度《こんど》の仕事《しごと》ばかりァそうじゃァねえ。この生人形《いきにんぎょう》さえ仕上《しあ》げたら、たとえあすが日《ひ》、血《ち》へどを吐《は》いてたおれても、決《けっ》して未練《みれん》はねえと、覚悟《かくご》をきめての真剣勝負《しんけんしょうぶ》だ。――お前《まえ》さんが、どこまで出来《でき》たか見《み》たいという。その心持《こころもち》ァ、腹《はら》の底《そこ》から察《さっ》してるが、ならねえ、あっしゃァ、いま、人形《にんぎょう》を塗《ぬ》ってるんじゃァねえ。おのが魂《たましい》を血《ち》みどろにして、死《し》ぬか生《い》きるかの、仕事《しごと》をしてるんだからの」
由斎《ゆうさい》の声《こえ》を聞《き》きながら、ひと足《あし》ずつ後《あと》ずさりしていたおせんは、いつか磔《はりつけ》にされたように、雨戸《あまど》の際《きわ》へ立《た》ちすくんでいた。
三
ひと目《め》でいい、ひと目《め》でいいから会《あ》いたいとの、切《せつ》なる思《おも》いの耐《た》え難《がた》く、わざと両国橋《りょうごくばし》の近《ちか》くで駕籠《かご》を捨《す》てて、頭巾《ずきん》に人目《ひとめ》を避《さ》けながら、この質屋《しちや》の裏《うら》の、由斎《ゆうさい》の仕事場《しごとば》を訪《おとず》れたおせんの胸《むね》には、しとど降《ふ》る雨《あめ》よりしげき思《おも》いがあった。
年《とし》からいえば五つの違《ちが》いはあったものの、おなじ王子《おうじ》で生《うま》れた幼《おさな》なじみの菊之丞《きくのじょう》とは、けし奴《やっこ》の時分《じぶん》から、人《ひと》もうらやむ仲好《なかよ》しにて、ままごと遊《あそ》びの夫婦《めおと》にも、吉《きち》ちゃんはあたいの旦那《だんな》、おせんちゃんはおいらのお上《かみ》さんだよと、度重《たびかさ》なる文句《もんく》はいつか遊《あそ》び仲間《なかま》に知《し》れ渡《わた》って、自分《じぶん》の口《くち》からいわずとも、二人《ふたり》は真《す》ぐさま夫婦《ふうふ》にならべられるのが却《かえっ》てきまり悪《わる》く、時《とき》にはわざと背中合《せなかあわ》せにすわる場合《ばあい》もままあったが、さて、吉次《きちじ》はやがて舞台《ぶたい》に出《で》て、子役《こやく》としての評判《ひょうばん》が次第《しだい》に高《たか》くなった時分《じぶん》から、王子《おうじ》を去《さ》った互《たがい》の親《おや》が、芳町《よしちょう》と蔵前《くらまえ》に別《わか》れ別《わか》れに住《す》むようになったばかりに、いつか会《あ》って語《かた》る日《ひ》もなく二年《ねん》は三年《ねん》三年《ねん》は五年《ねん》と、速《はや》くも月日《つきひ》は流《なが》れ流《なが》れて、辻番付《つじばんづけ》の組合《くみあわ》せに、振袖姿《ふりそですがた》の生々《いきいき》しさは見《み》るにしても、吉《きち》ちゃんおせんちゃんと、呼《よ》び交《か》わす機《おり》はまったくないままに、過《す》ぎてしまったのであった。
女形《おやま》といえば、中村《なかむら》富《とみ》十郎《ろう》をはじめ、芳沢《よしざわ》あやめにしろ、中村《なかむら》喜代《きよ》三郎《ろう》にしろ、または中村粂太郎《なかむらくめたろう》にしろ、中村松江《なかむらしょうこう》にしろ、十人《にん》いれば十人《にん》がいずれもそろって上方下《かみがたくだ》りの人達《ひとたち》である中《なか》に、たった一人《ひとり》、江戸《えど》で生《うま》れて江戸《えど》で育《そだ》った吉次《きちじ》が、他《ほか》の女形《おやま》を尻目《しりめ》にかけて、めきめきと売出《うりだ》した調子《ちょうし》もよく、やがて二代目《だいめ》菊之丞《きくのじょう》を継《つ》いでからは上上吉《じょうじょうきち》の評判記《ひょうばんき》は、弥《いや》が上《うえ》にも人気《にんき》を煽《あお》ったのであろう。「王子路考《おうじろこう》」の名《な》は、押《お》しも押《お》されもしない、当代《とうだい》随《ずい》一の若女形《わかおやま》と極《き》まって、出《だ》し物《もの》は何《な》んであろうと菊之丞《きくのじょう》の芝居《しばい》とさえいえば、見《み》ざれば恥《はじ》の如《ごと》き有様《ありさま》となってしまった。
したがって、人気役者《にんきやくしゃ》に付《つ》きまとう様々《さまざま》な噂《うわさ》は、それからそれえと、日毎《ひごと》におせんの耳《みみ》へ伝《つた》えられた。――どこそこのお大名《だいみょう》のお妾《めかけ》が、小袖《こそで》を贈《おく》ったとか。何々屋《なになにや》の後家《ごけ》さんが、帯《おび》を縫《ぬ》ってやったとか。酒問屋《さけとんや》の娘《むすめ》が、舞台《ぶたい》で|《さ》した簪《かんざし》が欲《ほ》しさに、親《おや》の金《かね》を十両《りょう》持《も》ち出《だ》したとか。数《かぞ》えれば百にも余《あま》る女《おんな》出入《でいり》の出来事《できごと》は、おせんの茶見世《ちゃみせ》へ休《やす》む人達《ひとたち》の間《あいだ》にさえ、聞《き》くともなく、語《かた》るともなく伝《つた》えられて、嘘《うそ》も真《まこと》も取交《とりま》ぜた出来事《できごと》が、きのうよりはきょう、きょうよりは明日《あす》と、益々《ますます》菊之丞《きくのじょう》の人気《にんき》を高《たか》くするばかり。
が、おせんの胸《むね》の底《そこ》にひそんでいる、思慕《しぼ》の念《ねん》は、それらの噂《うわさ》には一切《さい》おかまいなしに日毎《ひごと》につのってゆくばかりだった。それもそのはずであろう。おせんが慕《した》う菊之丞《きくのじょう》は、江戸中《えどじゅう》の人気《にんき》を背負《せお》って立《た》った、役者《やくしゃ》の菊之丞《きくのじょう》ではなくて、かつての幼《おさな》なじみ、王子《おうじ》の吉《きち》ちゃんその人《ひと》だったのだから。――
何某《なにがし》の御子息《ごしそく》、何屋《なにや》の若旦那《わかだんな》と、水茶屋《みずちゃや》の娘《むすめ》には、勿体《もったい》ないくらいの縁談《えんだん》も、これまでに五つや十ではなく、中《なか》には用人《ようにん》を使者《ししゃ》に立《た》てての、れッきとしたお旗本《はたもと》からの申込《もうしこ》みも二三は数《かぞ》えられたが、その度毎《たびごと》に、おせんの首《くび》は横《よこ》に振《ふ》られて、あったら玉《たま》の輿《こし》に乗《の》りそこねるかと人々《ひとびと》を惜《お》しがらせて来《き》た腑甲斐《ふがい》なさ、しかも胸《むね》に秘《ひ》めた菊之丞《きくのじょう》への切《せつ》なる思《おも》いを、知《し》る人《ひと》とては一人《ひとり》もなかった。
名人《めいじん》由斎《ゆうさい》に、心《こころ》の内《うち》を打《う》ちあけて、三年前《ねんまえ》に中村座《なかむらざ》を見《み》た、八百屋《や》お七の舞台姿《ぶたいすがた》をそのままの、生人形《いきにんぎょう》に頼《たの》み込《こ》んだ半年前《はんとしまえ》から、おせんはきょうか明日《あす》かと、出来《でき》上《あが》る日《ひ》を、どんなに待《ま》ったか知《し》れなかったが、心魂《しんこん》を傾《かたむ》けつくす仕事《しごと》だから、たとえなにがあっても、その日《ひ》までは見《み》に来《き》ちゃァならねえ、行《ゆ》きますまいと誓《ちか》った言葉《ことば》の手前《てまえ》もあり、辛抱《しんぼう》に辛抱《しんぼう》を重《かさ》ねて来《き》たとどのつまりが、そこは女《おんな》の乱《みだ》れる思《おも》いの堪《た》え難《がた》く、きのうときょうの二度《ど》も続《つづ》けて、この仕事場《しごとば》を、ひそかに訪《おとず》れる気《き》になったのであろう。頭巾《ずきん》の中《なか》に瞠《みは》った眼《め》には、涙《なみだ》の露《つゆ》が宿《やど》っていた。
「親方《おやかた》。――もし親方《おやかた》」
もう一度《ど》おせんは奥《おく》へ向《むか》って、由斎《ゆうさい》を呼《よ》んで見《み》た。が、聞《きこ》えるものは、わずかに樋《とい》を伝《つた》わって落《お》ちる、雨垂《あまだ》れの音《おと》ばかりであった。
軒端《のきば》の柳《やなぎ》が、思《おも》い出《だ》したように、かるく雨戸《あまど》を撫《な》でて行《い》った。
四
「若旦那《わかだんな》。――もし、若旦那《わかだんな》」
「うるさいね。ちと黙《だま》ってお歩《ある》きよ」
「そう仰《おっ》しゃいますが、これを黙《だま》って居《お》りましたら、あとで若旦那《わかだんな》に、どんなお小言《こごと》を頂戴《ちょうだい》するか知《し》れませんや」
「何《な》んだッて」
「あすこを御覧《ごらん》なさいまし。ありゃァたしかに、笠森《かさもり》のおせんさんでござんしょう」
「おせんがいるッて。――ど、どこに」
薬研堀《やげんぼり》の不動様《ふどうさま》へ、心願《しんがん》があっての帰《かえ》りがけ、黒《くろ》八丈《じょう》の襟《えり》のかかったお納戸茶《なんどちゃ》の半合羽《はんがっぱ》に奴蛇《やっこじゃ》の目《め》を宗《そう》十郎《ろう》好《ごの》みに差《さ》して、中小僧《ちゅうこぞう》の市松《いちまつ》を供《とも》につれた、紙問屋《かみどんや》橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》の眼《め》は、上《うわ》ずッたように雨《あめ》の中《なか》を見詰《みつ》めた。
「あすこでござんすよ。あの筆屋《ふでや》の前《まえ》から両替《りょうがえ》の看板《かんばん》の下《した》を通《とお》ってゆく、あの頭巾《ずきん》をかぶった後姿《うしろすがた》。――」
「うむ。ちょいとお前《まえ》、急《いそ》いで行《い》って、見届《みとど》けといで」
「かしこまりました」
頭《あたま》のてっぺんまで、汚泥《はね》の揚《あ》がるのもお構《かま》いなく、横《よこ》ッ飛《と》びに飛《と》び出《だ》した市松《いちまつ》には、雨《あめ》なんぞ、芝居《しばい》で使《つか》う紙《かみ》の雪《ゆき》ほどにも感《かん》じられなかったのであろう。七八間先《けんさき》を小《こ》きざみに往《い》く渋蛇《しぶじゃ》の目《め》の横《よこ》を、一文字《もんじ》に駆脱《かけぬ》けたのも束《つか》の間《ま》、やがて踵《くびす》を返《かえ》すと、鬼《おに》の首《くび》でも取《と》ったように、喜《よろこ》び勇《いさ》んで駆《か》け戻《もど》った。
「どうした」
「この二つの眼《め》で睨《にら》んだ通《とお》り、おせんさんに違《ちが》いござんせん」
「これこれ、何《な》んでそんな頓狂《とんきょう》な声《こえ》を出《だ》すんだ。いくら雨《あめ》の中《なか》でも、人様《ひとさま》に聞《き》かれたら事《こと》じゃァないか」
「へいへい」
「お前《まえ》、あとからついといで」
目《め》はしの利《き》いたところが、まず何《なに》よりの身上《しんしょう》なのであろう。若旦那《わかだんな》のお供《とも》といえば、常《つね》に市《いち》どんと朋輩《ほうばい》から指《さ》される慣《なら》わしは、時《とき》にかけ蕎麦《そば》の一杯《ぱい》くらいには有《あ》りつけるものの、市松《いちまつ》に取《と》っては、寧《むし》ろ見世《みせ》に坐《すわ》って、紙《かみ》の小口《こぐち》をそろえている方《ほう》が、どのくらい楽《らく》だか知《し》れなかった。
が、そんな小僧《こぞう》の苦楽《くらく》なんぞ、背中《せなか》にとまった蝿程《はえほど》にも思《おも》わない徳太郎《とくたろう》の、おせんと聞《き》いた夢中《むちゅう》の歩《あゆ》みは、合羽《かっぱ》の下《した》から覗《のぞ》いている生《なま》ッ白《しろ》い脛《すね》に出《で》た青筋《あおすじ》にさえうかがわれて、道《みち》の良《よ》し悪《わる》しも、横《よこ》ッ降《ぷ》りにふりかかる雨《あめ》のしぶきも、今《いま》は他所《よそ》の出来事《できごと》でもあるように、まったく意中《いちゅう》にないらしかった。
「ちょいと姐《ねえ》さん。いえさ、そこへ行《い》くのは、おせんちゃんじゃないかい」
それと呼《よ》び止《と》めた徳太郎《とくたろう》の声《こえ》は、どうやら勝手《かって》のわるさにふるえていた。
「え」
くるりと振《ふ》り向《む》いたおせんは、頭巾《ずきん》の中《なか》で、眼《め》だけに愛嬌《あいきょう》をもたせながら、ちらりと徳太郎《とくたろう》の顔《かお》を偸《ぬす》み見《み》たが、相手《あいて》がしばしば見世《みせ》へ寄《よ》ってくれる若旦那《わかだんな》だと知《し》ると、あらためて腰《こし》をかがめた。
「おやまァ若旦那《わかだんな》、どちらへおいででござんす」
「つい、そこの不動様《ふどうさま》へ、参詣《さんけい》に行《い》ったのさ。――そうしてお前《まえ》さんは」
「お母《かあ》さんの薬《くすり》を買《か》いに、浜町《はまちょう》までまいりました。」
「浜町《はまちょう》。そりゃァこの雨《あめ》に、大抵《たいてい》じゃあるまい。お前《まえ》さんがわざわざ行《い》かないでも、ちょいと一言《こと》聞《き》いてれば、いつでもうちの小僧《こぞう》に買《か》いにやってあげたものを」
「有難《ありがと》うはござんすが、親《おや》に服《の》ませるお薬《くすり》を人様《ひとさま》にお願《ねが》い申《もう》しましては、お稲荷様《いなりさま》の罰《ばち》が当《あた》ります」
「成《な》る程《ほど》、成《な》る程《ほど》、相変《あいかわ》らずの親孝行《おやこうこう》だの」
徳太郎《とくたろう》はそういって、ごくりと一つ固唾《かたず》を飲《の》んだ。
五
当代《とうだい》の人気役者《にんきやくしゃ》宗《そう》十郎《ろう》に似《に》ていると、太鼓持《たいこもち》の誰《だれ》かに一度《ど》いわれたのが、無上《むじょう》に機嫌《きげん》をよくしたものか、のほほんと納《おさ》まった色男振《いろおとこぶ》りは、見《み》る程《ほど》の者《もの》をして、ことごとく虫《むし》ずの走《はし》る思《おも》いをさせずにはおかないくらい、気障気《きざけ》たっぷりの若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》ではあったが、親孝行《おやこうこう》の話《はなし》を切《き》ッかけに、あらたまっておせんを見詰《みつ》めたその眼《め》には、いつもと違《ちが》った真剣《しんけん》な心持《こころもち》が不思議《ふしぎ》に根強《ねづよ》く現《あらわ》れていた。
「お前《まえ》さんは、これから何《なに》か、急《きゅう》な御用《ごよう》がお有《あり》かの」
「あい、肝腎《かんじん》のお見世《みせ》の方《ほう》を、脱《ぬ》けて来《き》たのでござんすから、一刻《こく》も速《はや》く帰《かえ》りませぬと、お母《かあ》さんにいらぬ心配《しんぱい》をかけますし、それに、折角《せっかく》のお客様《きゃくさま》にも、申訳《もうしわけ》がござんせぬ」
「お客《きゃく》の心配《しんぱい》は、別《べつ》にいりゃァすまいがの。しかし、お母《かあ》さんといわれて見《み》ると。……」
「何《なに》か御用《ごよう》でござんすかえ」
「なァにの。思《おも》いがけないところで出遭《であ》った、こんな間《ま》のいいことは、願《ねが》ってもありゃァしないからひとつどこぞで、御飯《ごはん》でもつき合《あ》ってもらおうと思《おも》ってさ」
「おや、それは御親切《ごしんせつ》に、有難《ありがと》うはござんすが、あたしゃいまも申《もう》します通《とお》り、風邪《かぜ》を引《ひ》いたお母《かあ》さんと、お見世《みせ》へおいでのお客様《きゃくさま》がござんすから。――」
「この雨《あめ》だ。いくら何《な》んでも、お客《きゃく》の方《ほう》は、気《き》になるほど行《い》きもしまい。それとも誰《だれ》ぞ、約束《やくそく》でもした人《ひと》がお有《あ》りかの」
「まァ何《な》んでそのようなお人《ひと》が。――」
「そんなら別《べつ》に、一時《とき》やそこいら遅《おそ》くなったとて、案《あん》ずることもなかろうじゃないか」
「お母《かあ》さんが首《くび》を長《なが》くして、薬《くすり》を待《ま》ってでございます」
「これ、おせんちゃん」
「ああもし。――」
「お手間《てま》を取《と》らせることじゃない。ちと折《おり》いって、相談《そうだん》したい訳《わけ》もある。ついそこまで、ほんのしばらく、つき合《あ》っておくれでないか」
「さァそれが。……」
「おまえ、お袋《ふくろ》さんの、薬《くすり》を買《か》いに行《い》ったとは、そりゃ本当《ほんとう》かの」
「えッ」
「本当《ほんとう》かと訊《き》いてるのさ」
「何《な》んで、あたしが嘘《うそ》なんぞを。――」
「そんならその薬《くすり》の袋《ふくろ》を、ちょいと見《み》せておくれでないか」
「袋《ふくろ》とえ。――」
「持《も》ってはいないとおいいだろう。ふふふ。やっぱりお前《まえ》は、あたしの手前《てまえ》をつくろって、根《ね》もない嘘《うそ》をついたんだの、おおかた好《す》きな男《おとこ》に、会《あ》いに行《い》った帰《かえ》りであろう。それと知《し》ったら、なおさらこのまま帰《かえ》すことじゃないから、観念《かんねん》おし」
「あれ若旦那《わかだんな》。――」
「いいえ、放《はな》すものか、江戸中《えどじゅう》に、女《おんな》の数《かず》は降《ふ》る程《ほど》あっても、思《おも》い詰《つ》めたのはお前《まえ》一人《ひとり》。ここで会《あ》えたな、日頃《ひごろ》お願《ねが》い申《もう》した、不動様《ふどうさま》の御利益《ごりやく》に違《ちが》いない。きょうというきょうはたとえ半時《はんとき》でもつき合《あ》ってもらわないことにゃ。……」
押《おさ》えた袂《たもと》を振《ふ》り払《はら》って、おせんが体《からだ》をひねったその刹那《せつな》、ひょいと徳太郎《とくたろう》の手首《てくび》をつかんで、にやり笑《わら》ったのは、傘《かさ》もささずに、頭《あたま》から桐油《とうゆ》を被《かぶ》った彫師《ほりし》の松《まつ》五郎《ろう》だった。
「若旦那《わかだんな》、殺生《せっしょう》でげすぜ」
「ええ、うるさい。余計《よけい》な邪間《じゃま》だてをしないで、引《ひ》ッ込《こ》んでおくれ」
「はははは。邪間《じゃま》だてするわけじゃござんせんが、御覧《ごらん》なせえやし。おせんちゃんは、こんなにいやだといってるじゃござんせんか。若旦那《わかだんな》、色男《いろおとこ》の顔《かお》がつぶれやすぜ」
過日《かじつ》の敵《かたき》を討《う》ったつもりなのであろう。松《まつ》五郎《ろう》はこういって、髯《ひげ》あとの青《あお》い顎《あご》を、ぐっと徳太郎《とくたろう》の方《ほう》へ突《つ》きだした。
六
「はッはッは。若旦那《わかだんな》、そいつァ御無理《ごむり》でげすよ。おせんは名代《なだい》の親孝行《おやこうこう》、薬《くすり》を買《か》いに行《い》ったといやァ、嘘《うそ》も隠《かく》しもござんすまい。ここで逢《あ》ったが百年目《ねんめ》と、とっ捕《つか》まえて口説《くど》こうッたって、そうは問屋《とんや》でおろしませんや。――この近所《きんじょ》の揚弓場《ようきゅうば》の姐《ねえ》さんなら知《し》らねえこと、かりにもお前《まえ》さん、江戸《えど》一番《ばん》と評判《ひょうばん》のあるおせんでげすぜ。いくら若旦那《わかだんな》の御威勢《ごいせい》でも、こればッかりは、そう易々《やすやす》たァいきますまいて」
おせんを首尾《しゅび》よく逃《にが》してやった雨《あめ》の中《なか》で、桐油《とうゆ》から半分《はんぶん》顔《かお》を出《だ》した松《まつ》五郎《ろう》は、徳太郎《とくたろう》をからかうようにこういうと、我《わ》れとわが鼻《はな》の頭《あたま》を、二三度《ど》平手《ひらて》で引《ひ》ッこすった。
腹立《はらだ》たしさに、なかば泣《な》きたい気持《きもち》をおさえながら、松《まつ》五郎《ろう》を睨《にら》みつけた徳太郎《とくたろう》の細《ほそ》い眉《まゆ》は、止《と》め度《ど》なくぴくぴく動《うご》いていた。
「市公《いちこう》」
思《おも》いがけない出来事《できごと》に、茫然《ぼうぜん》としていた小僧《こぞう》の市松《いちまつ》が、ぺこりと下《さ》げた頭《あたま》の上《うえ》で、若旦那《わかだんな》の声《こえ》はきりぎりすのようにふるえた。
「馬鹿野郎《ばかやろう》」
「へえ」
「なぜおせんを捕《つか》まえないんだ」
「お放《はな》しなすったのは、若旦那《わかだんな》でございます」
「ええうるさい。たとえあたしが放《はな》しても、捕《つか》まえるのはお前《まえ》の役目《やくめ》だ。――もうお前《まえ》なんぞに用《よう》はない。今《いま》すぐここで暇《ひま》をやるから、どこへでも行《い》っておしまい」
「ははは。若旦那《わかだんな》」と、松《まつ》五郎《ろう》が口《くち》をはさんだ。「そいつァちと責《せ》めが強過《つよす》ぎやしょう。小僧《こぞう》さんに罪《つみ》はねえんで。みんなあなたの我《わが》ままからじゃござんせんか」
「松《まつ》つぁん、お前《まえ》なんぞの出《で》る幕《まく》じゃないよ。黙《だま》ってておくれ」
「そうでもござんしょうが、市《いち》どんこそ災難《さいなん》だ。何《な》んにも知《し》らずにお供《とも》に来《き》て、おせんに遭《あ》ったばっかりに、大事《だいじ》な奉公《ほうこう》をしくじるなんざ、辻占《つじうらない》の文句《もんく》にしても悪過《わるす》ぎやさァね。堪忍《かんにん》してやっとくんなさい。――こう市《いち》どん。おめえもしっかり、若旦那《わかだんな》にあやまんねえ」
「若旦那《わかだんな》、どうか御勘弁《ごかんべん》なすっておくんなさいまし」
「いやだよ。お前《まえ》は、もう家《うち》の奉公人《ほうこうにん》でもなけりゃ、あたしの供《とも》でもないんだから、ちっとも速《はや》くあたしの眼《め》の届《とど》かないとこへ消《き》えちまうがいい」
「消《け》えろとおっしゃいましても。……」
「判《わか》らずやめ。泥《どろ》の中《なか》へでも何《な》んでも、勝手《かって》にもぐって失《う》せるんだ」
「へえ」
尻《しり》ッ端折《ぱしょ》りの|尾骨《かめのお》のあたりまで、高々《たかだか》と汚泥《はね》を揚《あ》げた市松《いちまつ》の、猫背《ねこぜ》の背中《せなか》へ、雨《あめ》は容赦《ようしゃ》なく降《ふ》りかかって、いつの間《ま》にか人《ひと》だかりのした辺《あたり》の有様《ありさま》に、徳太郎《とくたろう》は思《おも》わず亀《かめ》の子《こ》のように首《くび》をすくめた。
「もし、若旦那《わかだんな》」
円《まる》く取巻《とりま》いた中《なか》から、ひょっこり首《くび》だけ差《さ》し伸《の》べて、如何《いか》にも憚《はばか》った物腰《ものごし》の、手《て》を膝《ひざ》の下《した》までさげたのは、五十がらみのぼて振《ふ》り魚屋《さかなや》だった。
徳太郎《とくたろう》は、偸《ぬす》むように顔《かお》を挙《あ》げた。
「手前《てまえ》でございます。市松《いちまつ》の親父《おやじ》でございます」
「えッ」
「通《とお》りがかりの御挨拶《ごあいさつ》で、何《な》んとも恐《おそ》れいりますが、どうやら、市松《いちまつ》の野郎《やろう》が、飛《と》んだ粗相《そそう》をいたしました様子《ようす》。早速《さっそく》連《つ》れて帰《かえ》りまして、性根《しょうね》の坐《すわ》るまで、責《せ》め折檻《せっかん》をいたします。どうかこのまま。手前《てまえ》にお渡《わた》し下《くだ》さいまし」
「おッとッとッと。父《とっ》つぁん、そいつァいけねえ。おいらが悪《わる》いようにしねえから、おめえはそっちに引《ひ》ッ込《こ》んでるがいい」
松《まつ》五郎《ろう》が親爺《おやじ》を制《せい》している隙《すき》に、徳太郎《とくたろう》の姿《すがた》は、いつか人込《ひとご》みの中《なか》へ消《き》えていた。
七
「政吉《まさきち》、辰蔵《たつぞう》、亀《かめ》八、分太《ぶんた》、梅吉《うめきち》、幸兵衛《こうべえ》。――」
殆《ほと》んどひといきに、二三日前《にちまえ》に奉公《ほうこう》に来《き》た八歳《さい》の政吉《まさきち》から、番頭《ばんとう》の幸兵衛《こうべえ》まで、やけ半分《はんぶん》に呼《よ》びながら、中《なか》の口《くち》からあたふたと駆《か》け込《こ》んで来《き》た徳太郎《とくたろう》は、髷《まげ》の刷毛先《はけさき》に届《とど》く、背中《せなか》一杯《ぱい》の汚泥《はね》も忘《わす》れたように、廊下《ろうか》の暖簾口《のれんぐち》で地駄《じだ》ン駄《だ》踏《ふ》んで、おのが合羽《かっぱ》をむしり取《と》っていた。
「へい、これは若旦那《わかだんな》、お早《はや》いお帰《かえ》りでございます」
番頭《ばんとう》の幸兵衛《こうべえ》は、帳付《ちょうづけ》の筆《ふで》を投《な》げ出《だ》して、あわてて暖簾口《のれんぐち》へ顔《かお》を出《だ》したが、ひと目《め》徳太郎《とくたろう》の姿《すがた》を見《み》るとてっきり、途中《とちゅう》で喧嘩《けんか》でもして来《き》たものと、思《おも》い込《こ》んでしまったのであろう。頭《あたま》のてッ辺《ぺん》から足《あし》の爪先《つまさき》まで、見上《みあ》げ見《み》おろしながら、言葉《ことば》を吃《ども》らせた。
「ど、どうなすったのでございます」
「番頭《ばんとう》さん、市松《いちまつ》に直《す》ぐ暇《ひま》をだしとくれ」
「市松《いちまつ》が、な、なにか、粗相《そそう》をいたしましたか」
「何《な》んでもいいから、あたしのいった通《とお》りにしておくれ。あたしゃきょうくらい、恥《はじ》をかいたこたァありゃしない。もう口惜《くや》しくッて、口惜《くや》しくッて。……」
「そ、それはまたどんなことでございます。小僧《こぞう》の粗相《そそう》は番頭《ばんとう》の粗相《そそう》、手前《てまえ》から、どのようにもおわびはいたしましょうから、御勘弁《ごかんべん》願《ねが》えるものでございましたら、この幸兵衛《こうべえ》に御免《ごめん》じ下《くだ》さいまして。……」
「余計《よけい》なことは、いわないでおくれ」
「へい。……左様《さよう》でございましょうが、お見世《みせ》の支配《しはい》は、大旦那様《おおだんなさま》から、一切《さい》お預《あず》かりいたして居《お》ります幸兵衛《こうべえ》、あとで大旦那様《おおだんなさま》のお訊《たず》ねがございました時《とき》に、知《し》らぬ存《ぞん》ぜぬでは通《とお》りませぬ。どうぞその訳《わけ》を、仰《おっ》しゃって下《くだ》さいまし」
「訳《わけ》なんぞ、聞《き》くことはないじゃないか。何《な》んでもあたしのいった通《とお》り、暇《ひま》さえ出《だ》してくれりゃいいんだよ」
駄々《だだ》ッ子《こ》がおもちゃ箱《ばこ》をぶちまけたように、手《て》のつけられないすね方《かた》をしている徳太郎《とくたろう》の耳《みみ》へ、いきなり、見世先《みせさき》から聞《きこ》え来《き》たのは、松《まつ》五郎《ろう》の笑《わら》い声《ごえ》だった。
「はッはッは、若旦那《わかだんな》、まだそんなことを、いっといでなさるんでござんすかい。耳寄《みみよ》りの話《はなし》を聞《き》いてめえりやした。いい智恵《ちえ》をお貸《か》し申《もう》しやすから、小僧《こぞう》さんのしくじりなんざさっぱり水《みず》に流《なが》しておやんなさいまし」
中番頭《ちゅうばんとう》から小僧達《こぞうたち》まで、一同《どう》の顔《かお》が一齊《せい》に松《まつ》五郎《ろう》の方《ほう》へ向《む》き直《なお》った。が、徳太郎《とくたろう》は暖簾口《のれんぐち》から見世《みせ》の方《ほう》を睨《にら》みつけたまま、返事《へんじ》もしなかった。
「もし、若旦那《わかだんな》。悪《わる》いこたァ申《もう》しやせん。お前《まえ》さんが、鯱鉾立《しゃっちょこだち》をしてお喜《よろこ》びなさる、うれしい話《はなし》を聞《き》いてめえりやしたんで。――ここで話《はな》しちゃならねえと仰《おっ》しゃるんなら、そちらへ行《い》ってお話《はな》しいたしやす。着物《きもの》もぬれちゃァ居《お》りやせん。どうでげす。それともこのまま帰《かえ》りやしょうか」
被《かぶ》っていた桐油《とうゆ》を、見世《みせ》の隅《すみ》へかなぐり棄《す》てて、ふところから取出《とりだ》した鉈豆煙管《なたまめぎせる》[#「鉈豆煙管」は底本では「鉈煙管」]へ、叺《かます》の粉煙草《こなたばこ》を器用《きよう》に詰《つ》めた松《まつ》五郎《ろう》は、にゅッと煙草盆《たばこぼん》へ手《て》を伸《の》ばしながら、ニヤリと笑《わら》って暖簾口《のれんぐち》を見詰《みつ》めた。
「松《まつ》つぁん」
「へえ」
「若旦那《わかだんな》が、こっちへとおいなさる」
「そいつァどうも。――」
「おっと待《ま》った。その足《あし》で揚《あ》がられちゃかなわない。辰《たつ》どん、裏《うら》の盥《たらい》へ水《みず》を汲《く》みな」
番頭《ばんとう》の幸兵衛《こうべえ》は、壁《かべ》の荒塗《あらぬ》りのように汚泥《はね》の揚《あ》がっている松《まつ》五郎《ろう》の脛《すね》を、渋《しぶ》い顔《かお》をしてじっと見守《みまも》った。
「ふふふ、松《まつ》五郎《ろう》は、見《み》かけに寄《よ》らねえ忠義者《ちゅうぎもの》でげすぜ」
独《ひと》り言《ごと》をいって顎《あご》を突出《つきだ》した松《まつ》五郎《ろう》の顔《かお》は、道化方《どうけかた》の松島茂平次《まつしまもへいじ》をそのままであった。
八
行水《ぎょうずい》でもつかうように、股《もも》の付根《つけね》まで洗《あら》った松《まつ》五郎《ろう》が、北向《きたむき》の裏《うら》二階《かい》にそぼ降《ふ》る雨《あめ》の音《おと》を聞《き》きながら、徳太郎《とくたろう》と対座《たいざ》していたのは、それから間《ま》もない後《あと》だった。瓦《かわら》のおもてに、あとからあとから吸《す》い込《こ》まれて行《い》く秋雨《あきさめ》の、時《とき》おり、隣《となり》の家《いえ》から飛《と》んで来《き》た柳《やなぎ》の落葉《おちば》を、貼《は》り付《つ》けるように濡《ぬ》らして消《き》えるのが、何《なに》か近頃《ちかごろ》はやり始《はじ》めた飛絣《とびがすり》のように眼《め》に映《うつ》った。
銀煙管《ぎんぎせる》を握《にぎ》った徳太郎《とくたろう》の手《て》は、火鉢《ひばち》の枠《わく》に釘着《くぎづ》けにされたように、固《かた》くなって動《うご》かなかった。
「ではおせんにゃ、ちゃんとした情人《いろ》があって、この節《せつ》じゃ毎日《まいにち》、そこへ通《かよ》い詰《づ》めだというんだね」
「まず、ざっとそんなことなんで。……」
「いったい、そのおせんの情人《いろ》というのは、何者《なにもの》なんだか、松《まっ》つぁん、はっきりあたしに教《おし》えておくれ」
「さァ、そいつァどうも。――」
「何《なに》をいってんだね。そこまで明《あ》かしておきながら、あとは幽霊《ゆうれい》の足《あし》にしちまうなんて、馬鹿《ばか》なことがあるもんかね。――お前《まえ》さんさっき、何《な》んといったい。若旦那《わかだんな》が鯱鉾立《しゃっちょこだち》して喜《よろこ》ぶ話《はなし》だと、見世《みせ》であんなに、大《おお》きなせりふでいったじゃないか。あたしゃ口惜《くや》しいけれど聞《き》いてるんだよ。どうせその気《き》で来《き》たんなら、あからさまに、一から十まで話《はなし》しておくれ。相手《あいて》の名《な》を聞《き》かないうちは、気の毒だが松《まっ》つぁん、ここは滅多《めった》に動《うご》かしゃァしないよ」
「ちょ、ちょいと待《ま》っとくんなさい、若旦那《わかだんな》。無理《むり》をおいいなすっちゃ困《こま》りやす」
「何《なに》が無理《むり》さ」
「何《なに》がと仰《おっ》しゃって、実《じつ》ァあっしゃァ、相手《あいて》の名前《なまえ》まじァ知《し》らねえんで。……」
「名前《なまえ》を知《し》らないッて」
「そうなんで。……」
「そんなら、名前《なまえ》はともかく、どんな男《おとこ》なんだか、それをいっとくれ。お武家《ぶけ》か、商人《あきんど》か、それとも職人《しょくにん》か。――」
「そいつがやっぱり判《わか》らねえんで。――」
「松つぁん」
徳太郎《とくたろう》の声《こえ》は甲走《かんばし》った。
「へえ」
「たいがいにしとくれ。あたしゃ酔狂《すいきょう》で、お前《まえ》さんをここへ通《とお》したんじゃないんだよ。おせんが隠《かく》れて逢《あ》っているという、相手《あいて》の男《おとこ》を知《し》りたいばっかりに、見世《みせ》の者《もの》の手前《てまえ》も構《かま》わず、わざわざ二階《かい》へあげたんじゃないか。名《な》を知《し》らないのはまだしものこと、お武家《ぶけ》か商人《あきんど》か、職人《しょくにん》か、それさえ訳《わけ》がわからないなんて、馬鹿《ばか》にするのも大概《たいがい》におし。――もうそんな人《ひと》にゃ用《よう》はないから、とっとと消《き》えて失《う》せとくれよ」
「帰《けえ》れと仰《おっ》しゃるんなら、帰《けえ》りもしましょうが、このまま帰《けえ》っても、ようござんすかね」
「なんだって」
「若旦那《わかだんな》。あっしゃァなる程《ほど》、おせんの相手《あいて》が、どこの誰《だれ》だか知《し》っちゃいませんが、そんなこたァ知《し》ろうと思《おも》や、半日《はんにち》とかからねえでも、ちゃァんと突《つ》きとめてめえりやす。それよりも若旦那《わかだんな》。もっとお前《まえ》さんにゃ、大事《だいじ》なことがありゃァしませんかい」
「そりゃ何《な》んだい」
「まァようがす。とっとと消《き》えて失《う》せろッてんなら、あんまり畳《たたみ》のあったまらねえうちに、いい加減《かげん》で引揚《ひきあ》げやしょう。――どうもお邪間《じゃま》いたしやした」
「お待《ま》ち」
「何《なん》か御用《ごよう》で」
「あたしの大事《だいじ》なことだという、それを聞《き》かせてもらいましょう」
が、松《まつ》五郎《ろう》はわざと頬《ほほ》をふくらまして、鼻《はな》の穴《あな》を天井《てんじょう》へ向《む》けた。
帯《おび》
一
祇園守《ぎおんまもり》の定紋《じょうもん》を、鶯茶《うぐいすちゃ》に染《そ》め抜《ぬ》いた三尺《じゃく》の暖簾《のれん》から、ちらりと見《み》える四畳半《じょうはん》。床《とこ》の間《ま》に|《さ》した秋海棠《しゅうかいどう》が、伊満里《いまり》の花瓶《かびん》に影《かげ》を映《うつ》した姿《すがた》もなまめかしく、行燈《あんどん》の焔《ほのお》が香《こう》のように立昇《たちのぼ》って、部屋《へや》の中程《なかほど》に立《た》てた鏡台《きょうだい》に、鬘下地《かつらしたじ》の人影《ひとかげ》がおぼろであった。
所《ところ》は石町《こくちょう》の鐘撞堂新道《かねつきどうしんみち》。白紙《はくし》の上《うえ》に、ぽつんと一点《てん》、桃色《ももいろ》の絵《え》の具《ぐ》を垂《た》らしたように、芝居《しばい》の衣装《いしょう》をそのまま付《つ》けて、すっきりたたずんだ中村松江《なかむらしょうこう》の頬《ほほ》は、火桶《ひおけ》のほてりに上気《じょうき》したのであろう。たべ酔《よ》ってでもいるかと思《おも》われるまでに赤《あか》かった。
「おこの。――これ、おこの」
鏡《かがみ》のおもてにうつしたおのが姿《すがた》を見詰《みつ》めたまま、松江《しょうこう》は隣座敷《となりざしき》にいるはずの、女房《にょうぼう》を呼《よ》んで見《み》た。が、いずこへ行《い》ったのやら、直《す》ぐに返事《へんじ》は聞《き》かれなかった。
「ふふ、居《お》らんと見《み》えるの。このようによう映《うつ》る格好《かっこう》を、見《み》せようとおもとるに。――」
松江《しょうこう》はそういいながら、きゃしゃな身体《からだ》をひねって、踊《おどり》のようなかたちをしながら、再《ふたた》び鏡《かがみ》のおもてに呼《よ》びかけた。
「おせんが茶《ちゃ》をくむ格好《かっこう》じゃ、早《はよ》う見《み》に来《き》たがいい」
「もし、太夫《たゆう》」
暖簾《のれん》の下《した》にうずくまって、髷《まげ》の刷毛先《はけさき》を、ちょいと指《ゆび》で押《おさ》えたまま、ぺこりと頭《あたま》をさげたのは、女房《にょうぼう》のおこのではなくて、男衆《おとこしゅう》の新《しん》七だった。
「新《しん》七かいな」
「へえ」
「おこのは何《なに》をしてじゃ」
「さァ」
「何《なん》としたぞえ」
「お上《かみ》さんは、もう一時《とき》も前《まえ》にお出《で》かけなすって、お留守《るす》でござります」
「留守《るす》やと」
「へえ」
「どこへ行《い》った」
「白壁町《しろかべちょう》の、春信《はるのぶ》さんのお宅《たく》へ行《い》くとか仰《おっ》しゃいまして、――」
「何《な》んじゃと。春信《はるのぶ》さんのお宅《たく》へ行《い》った。そりゃ新《しん》七、ほんまかいな」
「ほんまでござります」
「おこのがまた、白壁町《しろかべちょう》さんへ、どのような用事《ようじ》で行《い》ったのじゃ。早《はよ》う聞《き》かせ」
「御用《ごよう》の筋《すじ》は存《ぞん》じませぬが、帯《おび》をどうとやらすると、いっておいででござりました」
「帯《おび》。新《しん》七。――そこの箪笥《たんす》をあけて見《み》や」
あわてて箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》へ手《て》をかけた新《しん》七は、松江《しょうこう》のいいつけ通《どお》り、片《かた》ッ端《ぱし》から抽斗《ひきだし》を開《あ》け始《はじ》めた。
「着物《きもの》も羽織《はおり》も、みなそこへ出《だ》して見《み》や」
「こうでござりますか」
「もっと」
「これも」
「ええもういちいち聞《き》くことかいな。一度《ど》にあけてしまいなはれ」
ぎっしり、抽斗《ひきだし》一杯《ぱい》に詰《つま》った衣装《いしょう》を、一枚《まい》残《のこ》らず畳《たたみ》の上《うえ》へぶちまけたその中《なか》を、松江《しょうこう》は夢中《むちゅう》で引《ひ》ッかき廻《まわ》していたが、やがて眼《め》を据《す》えながら新《しん》七に命《めい》じた。
「おまえ、直《す》ぐに白壁町《しろかべちょう》へ、おこのの後《あと》を追《お》うて、帯《おび》を取《と》って戻《もど》るのじゃ」
「何《な》んの帯《おび》でござります」
「阿呆《あほう》め、おせんの帯《おび》じゃ。あれがのうては、肝腎《かんじん》の芝居《しばい》がわやになってしまうがな」
剃《そ》りたての松江《しょうこう》の眉《まゆ》は、青《あお》く動《うご》いた。
二
その時分《じぶん》、当《とう》のおこのは、駕籠《かご》を急《いそ》がせて、月《つき》のない柳原《やなぎはら》の土手《どて》を、ひた走《はし》りに走《はし》らせていた。
欝金《うこん》の風呂敷《ふろしき》に包《つつ》んで、膝《ひざ》の上《うえ》に確《しっか》と抱《かか》えたのは、亭主《ていしゅ》の松江《しょうこう》が今度《こんど》森田屋《もりたや》のおせんの狂言《きょうげん》を上演《じょうえん》するについて、春信《はるのぶ》の家《いえ》へ日参《にっさん》して借《か》りて来《き》た、いわくつきのおせんの帯《おび》であるのはいうまでもなかった。
鉄漿《おはぐろ》も黒々《くろぐろ》と、今朝《けさ》染《そ》めたばかりのおこのの歯《は》は、堅《かた》く右《みぎ》の袂《たもと》を噛《か》んでいた。
当時《とうじ》江戸《えど》では一番《ばん》だという、その笠森《かさもり》の水茶屋《みずぢゃや》の娘《むすめ》が、どれ程《ほど》勝《すぐ》れた縹緻《きりょう》にもせよ、浪速《なにわ》は天満天神《てんまんてんじん》の、橋《はし》の袂《たもと》に程近《ほどちか》い薬種問屋《やくしゅどんや》「小西《こにし》」の娘《むすめ》と生《う》まれて、何《なに》ひとつ不自由《ふじゆう》も知《し》らず、我《わが》まま勝手《かって》に育《そだ》てられて来《き》たおこのは、たとい役者《やくしゃ》の女房《にょうぼう》には不向《ふむき》にしろ、品《ひん》なら縹緻《きりょう》なら、人《ひと》には引《ひ》けは取《と》らないとの、固《かた》い己惚《うぬぼれ》があったのであろう。仮令《たとえ》江戸《えど》に幾《いく》千の女《おんな》がいようともうちの太夫《たゆう》にばかりは、足《あし》の先《さき》へも触《ふ》らせることではないと、三年前《ねんまえ》に婚礼早々《こんれいそうそう》大阪《おおさか》を発《た》って来《き》た時《とき》から、肚《はら》の底《そこ》には、梃《てこ》でも動《うご》かぬ強《つよ》い心《こころ》がきまっていた。
この秋《あき》の狂言《きょうげん》に、良人《おっと》が選《えら》んだ「おせん」の芝居《しばい》を、重助《じゅうすけ》さんが書《か》きおろすという。もとよりそれには、連《つ》れ添《そ》う身《み》の異存《いぞん》のあろうはずもなく、本読《ほんよ》みも済《す》んで、愈《いよいよ》稽古《けいこ》にかかった四五日《にち》は、寝《ね》る間《ま》をつめても、次《つぎ》の間《ま》に控《ひか》えて、茶《ちゃ》よ菓子《かし》よと、女房《にょうぼう》の勤《つと》めに、さらさら手落《ておち》はなく過《す》ぎたのであったが、さて稽古《けいこ》が積《つ》んで、おのれの工夫《くふう》が真剣《しんけん》になる時分《じぶん》から、ふと眼《め》についたのは、良人《おっと》の居間《いま》に大事《だいじ》にたたんで置《お》いてある、もみじを散《ち》らした一本《ぽん》の女帯《おんなおび》だった。
買《か》った衣装《いしょう》というのなら、誰《だれ》に見《み》しょうとて、別《べつ》に邪間《じゃま》になるまいと思《おも》われる、その帯《おび》だけに殊更《ことさら》に、夜寝《よるね》る時《とき》まで枕許《まくらもと》へ引《ひ》き付《つけ》ての愛着《あいちゃく》は、並大抵《なみたいてい》のことではないと、疑《うたが》うともなく疑《うたが》ったのが、事《こと》の始《はじ》まりというのであろうか。おこのが昼《ひる》といわず夜といわず、ひそかに睨《にら》んだとどのつまりは、独《ひと》り四畳半《じょうはん》に立籠《たてこ》もって、おせんの型《かた》にうき身《み》をやつす、良人《おっと》の胸《むね》に巻《ま》きつけた帯《おび》が、春信《はるのぶ》えがくところの、おせんの大事《だいじ》な持物《もちもの》だった。
カッとなって、持《も》ち出《だ》したのではもとよりなく、きのうもきょうもと、二日二晩《ふつかふたばん》考《かんが》え抜《ぬ》いた揚句《あげく》の果《は》てが、隣座敷《となりざしき》で茶《ちゃ》を入《い》れていると見《み》せての、雲隠《くもがくれ》れが順《じゅん》よく運《はこ》んで、大通《おおどお》りへ出《で》て、駕籠《かご》を拾《ひろ》うまでの段取《だんどり》りは、誰一人《だれひとり》知《し》る者《もの》もなかろうと思《おも》ったのが、手落《ておち》といえばいえようが、それにしても、新《しん》七が後《あと》を追《お》って来《き》ようなぞとは、まったく夢《ゆめ》にも想《おも》わなかった。
「駕籠屋《かごや》さん。済《す》まんが、急《いそ》いどくれやすえ」
「へいへい、合点《がってん》でげす。月《つき》はなくとも星明《ほしあか》り、足許《あしもと》に狂《くる》いはござんせんから御安心《ごあんしん》を」
「酒手《さかて》はなんぼでもはずみますさかい、そのつもりで頼《たの》ンます」
「相棒《あいぼう》」
「おお」
「聞《き》いたか」
「聞《き》いたぞ」
「流石《さすが》にいま売《うり》だしの、堺屋《さかいや》さんのお上《かみ》さんだの。江戸《えど》の女達《おんなたち》に聞《き》かしてやりてえ嬉《うれ》しい台詞《せりふ》だ」
「その通《とお》り。――お上《かみ》さん。太夫《たゆう》の人気《にんき》は大《たい》したもんでげすぜ。これからァ、何《な》んにも恐《こわ》いこたァねえ、日《ひ》の出《で》の勢《いきお》いでげさァ」
「そうともそうとも、酒手《さかて》と聞《き》きいていうんじゃねえが、太夫《たゆう》はでえいち、品《ひん》があるッて評判《ひょうばん》だて。江戸役者《えどやくしゃ》にゃ、情《なさけ》ねえことに、品《ひん》がねえからのう」
「おや駕籠屋《かごや》さん。左様《さよう》にいうたら、江戸《えど》のお方《かた》に憎《にく》まれまッせ」
「飛《と》んでもねえ。太夫《たゆう》を誉《ほ》めて、憎《にく》むような奴《やつ》ァ、みんなけだものでげさァね」
「そうとも」
柳原《やなぎはら》の土手《どて》を左《ひだり》に折《お》れて、駕籠《かご》はやがて三河町《かわちょう》の、大銀杏《おおいちょう》の下《した》へと差《さ》しかかっていた。
夜《よ》は正《まさ》に四つだった。
三
白壁町《しろかべちょう》の春信《はるのぶ》の住居《すまい》では、今《いま》しも春信《はるのぶ》が彫師《ほりし》の松《まつ》五郎《ろう》を相手《あいて》に、今度《こんど》鶴仙堂《かくせんどう》から板《いた》おろしをする「鷺娘《さぎむすめ》」の下絵《したえ》を前《まえ》にして、頻《しき》りに色合《いろあわ》せの相談中《そうだんちゅう》であったが、そこへひょっこり顔《かお》を出《だ》した弟子《でし》の藤吉《とうきち》は、団栗眼《どんぐりまなこ》を一層《いっそう》まるくしながら、二三度《ど》続《つづ》けさまに顎《あご》をしゃくった。
「お師匠《ししょう》さん、お客《きゃく》でござんす」
「どなたかおいでなすった」
「堺屋《さかいや》さんの、お上《かみ》さんがお見《み》えなんで」
「なに、堺屋《さかいや》のお上《かみ》さんだと。そりゃァおかしい。何《なに》かの間違《まちが》いじゃねえのかの」
「間違《まちが》いどころじゃござんせん。真正証銘《しんしょうしょうめい》のお上《かみ》さんでござんすよ」
「お上《かみ》さんが、何《な》んの用《よう》で、こんなにおそく来《き》なすったんだ」
ついに一度《ど》も来《き》たことのない、中村松江《なかむらしょうこう》の女房《にょうぼう》が、訪《たず》ねて来《き》たと聞《き》いただけでは、春信《はるのぶ》は、直《す》ぐさまその気《き》になれなかったのであろう。絵《え》の具《ぐ》から眼《め》を離《はな》すと、藤吉《とうきち》の顔《かお》をあらためて見直《みなお》した。
「何《なん》の御用《ごよう》か存《ぞん》じませんが、一刻《こく》も早《はや》くお師匠《ししょう》さんにお目《め》にかかって、お願《ねが》いしたいことがあると、それはそれは、急《いそ》いでおりますんで。……」
「はァてな。――何《な》んにしても、来《き》たとあれば、ともかくこっちへ通《とお》すがいい」
藤吉《とうきち》が、あたふたと行《い》ってしまうと、春信《はるのぶ》は仕方《しかた》なしに松《まつ》五郎《ろう》の前《まえ》に置《お》いた下絵《したえ》を、机《つくえ》の上《うえ》へ片着《かたづ》けて、かるく舌《した》うちをした。
「飛《と》んだところへ邪間《じゃま》が這入《はい》って、気《き》の毒《どく》だの」
「どういたしやして、どうせあっしゃァ、外《ほか》に用《よう》はありゃァしねえんで。……なんならあっちへ行《い》って待《ま》っとりやしょうか」
「いやいや、それにゃァ及《およ》ぶまい。話《はなし》は直《す》ぐに済《す》もうから、構《かま》わずここにいるがいい」
「そんならこっちの隅《すみ》の方《ほう》へ、まいまいつぶろのようンなって、一服《ぷく》やっておりやしょう」
ニヤリと笑《わら》った松《まつ》五郎《ろう》が、障子《しょうじ》の隅《すみ》へ、まるくなった時《とき》だった。藤吉《とうきち》に案内《あんない》されたおこのの姿《すがた》が、影絵《かげえ》のように縁先《えんさき》へ現《あらわ》れた。
「師匠《ししょう》、お連《つ》れ申《もう》しました」
「御免やすえ」
「さァ、ずっとこっちへ」
欝金《うこん》の包《つつみ》を抱《かか》えたおこのは、それでも何《なに》やら心《こころ》が乱《みだ》れたのであろう。上気《じょうき》した顔《かお》をふせたまま、敷居際《しきいぎわ》に頭《あたま》を下《さ》げた。
「こないに遅《おそ》う、無躾《ぶしつけ》に伺《うかが》いまして。……」
「どんな御用《ごよう》か、遠慮《えんりょ》なく、ずっとお通《とお》りなさるがいい」
「いいえもう、ここで結構《けっこう》でおます」
行燈《あんどん》の灯《ひ》が長《なが》く影《かげ》をひいた、その鼠色《ねずみいろ》に包《つつ》まれたまま、石《いし》のように硬《かた》くなったおこのの髪《かみ》が二筋《すじ》三筋《すじ》、夜風《よかぜ》に怪《あや》しくふるえて、心《こころ》もち青《あお》みを帯《お》びた頬《ほほ》のあたりに、ほのかに汗《あせ》がにじんでいた。
「そうしてお上《かみ》さんは、こんな遅《おそ》く、何《な》んの用《よう》でおいでなすった」
「拝借《はいしゃく》の、おせん様《さま》の帯《おび》を、お返《かえ》し申《もう》しに。――」
「なに、おせんの帯《おび》を。――」
「はい」
「それはまた何《な》んでの」
春信《はるのぶ》は、意外《いがい》なおこのの言葉《ことば》は、思《おも》わず眼《め》を瞠《みは》った。
「御大切《おたいせつ》なお品《しな》ゆえ、粗相《そそう》があってはならんよって、速《はよ》うお返《かえ》し申《もう》すが上分別《じょうふんべつ》と、思《おも》い立《た》って参《さん》じました」
「では太夫《たゆう》はこの帯《おび》を、芝居《しばい》にゃ使《つか》わないつもりかの」
「はい。折角《せっかく》ながら。……」
おこのは、そのまま固《かた》く唇《くちびる》を噛《か》んだ。
四
「ふふふふ、お上《かみ》さん」
じっとおこのの顔《かお》を見詰《みつ》めていた春信《はるのぶ》は、苦笑《くしょう》に唇《くちびる》を歪《ゆが》めた。
「はい」
「お前《まえ》さんもう一度《ど》、思《おもい》い直《なお》して見《み》なさる気《き》はないのかい」
「おもい直《なお》せといやはりますか」
「まずのう」
「なぜでおます」
「なぜかそいつは、そっちの胸《むね》に、訊《き》いて見《み》たらば判《わか》ンなさろう。――その帯《おび》は、おせんから頼《たの》まれて、この春信《はるのぶ》が描《か》いたものにゃ違《ちが》いないが、まだ向《むこ》うの手《て》へ渡《わた》さないうちに、太夫《たゆう》が来《き》て、貸《か》してくれとのたッての頼《たの》み、これがなくては、肝腎《かんじん》の芝居《しばい》が出来《でき》ないとまでいった挙句《あげく》、いや応《おう》なしに持《も》って行《い》かれてしまったものだ。おせんにゃもとより、内所《ないしょ》で貸《か》して渡《わた》した品物《しなもの》、今更《いまさら》急《きゅう》に返《かえ》す程《ほど》なら、あれまでにして、持《も》って行《い》きはしなかろう。お上《かみ》さん。お前《まえ》、つまらない料簡《りょうけん》は、出《だ》さないほうがいいぜ」
「そんならなんぞ、わたしがひとりの料簡《りょうけん》で。……」
「そうだ。これがおせんの帯《おび》でなかったら、まさかお前《まえ》さんは、この夜道《よみち》を、わざわざここまで返《かえ》しにゃ来《き》なさるまい。太夫《たゆう》が締《し》めて踊《おど》ったとて、おせんの色香《いろか》が移《うつ》るという訳《わけ》じゃァなし、芸人《げいにん》のつれあいが、そんな狭《せま》い考《かんが》えじゃ、所詮《しょせん》[#「所詮」は底本では「所謂」]うだつは揚《あ》がらないというものだ。余計《よけい》なお接介《せっかい》のようだが、今頃《いまごろ》太夫《たゆう》は、帯《おび》の行方《ゆくえ》を探《さが》しているだろう。お前《まえ》さんの来《き》たこたァ、どこまでも内所《ないしょ》にしておこうから、このままもう一度《ど》、持《も》って帰《かえ》ってやるがいい」
「ほほほ、お師匠《ししょう》さん」
おこのは冷《つめ》たく額《ひたい》で笑《わら》った。
「え」
「折角《せっかく》の御親切《ごしんせつ》でおますが、いったんお返《かえ》ししょうと、持《も》って参《さん》じましたこの帯《おび》、また拝借《はいしゃく》させて頂《いただ》くとしましても、今夜《こんや》はお返《かえ》し申《もう》します」
「ではどうしても、置《お》いて行《い》こうといいなさるんだの」
「はい」
「そうかい。それ程《ほど》までにいうんなら、仕方《しかた》がない、預《あず》かろう。その換《かわ》り、太夫《たゆう》が借《か》りに来《き》たにしても、もう二度《ど》と再《ふたた》び貸《か》すことじゃないから、それだけは確《しか》と念《ねん》を押《お》しとくぜ」
「よう判《わか》りました。この上《うえ》の御迷惑《ごめいわく》はおかけしまへんよって。……」
「はッはッはッ」と、今《いま》まで座敷《ざしき》の隅《すみ》に黙《だま》りこくっていた松《まつ》五郎《ろう》が、急《きゅう》に煙管《きせる》をつかんで大笑《おおわら》いに笑《わら》った。
「どうした松《まつ》つぁん」
「どうもこうもありませんが、あんまり話《はなし》が馬鹿気《ばかげ》てるんで、とうとう辛抱《しんぼう》が出来《でき》なくなりやしたのさ。――師匠《ししょう》、ひとつあっしに、ちっとばかりしゃべらしておくんなせえ」
「何《な》んとの」
「身《み》に降《ふ》りかかる話《はなし》じゃねえ。どうせ人様《ひとさま》のことだと思《おも》って、黙《だま》って聴《き》いて居《お》りやしたが。――もし堺屋《さかいや》さんのお上《かみ》さん、つまらねえ焼《や》きもちは、焼《や》かねえ方《ほう》がようがすぜ」
「なにいいなはる」
「なにも蟹《かに》もあったもんじゃねえ。蟹《かに》なら横《よこ》にはうのが近道《ちかみち》だろうに、人間《にんげん》はそうはいかねえ。広《ひろ》いようでも世間《せけん》は狭《せめ》えものだ。どうか真《ま》ッ直《すぐ》向《む》いて歩《ある》いておくんなせえ」
「あんたはん、どなたや」
「あっしゃァ松《まつ》五郎《ろう》という、けちな職人《しょくにん》でげすがね。お前《まえ》さんの仕方《しかた》が、あんまり情《なさけ》な過《す》ぎるから、口《くち》をはさましてもらったのさ。知《し》らなきゃいって聞《き》かせるが、笠森《かさもり》のおせん坊《ぼう》は、男嫌《おとこぎら》いで通《とお》っているんだ。今《いま》さらお前《まえ》さんとこの太夫《たゆう》が、金鋲《きんびょう》を打《う》った駕籠《かご》で迎《むか》えに来《き》ようが、毛筋《けすじ》一本《ぽん》動《うご》かすような女《おんな》じゃねえから安心《あんしん》しておいでなせえ。痴話喧嘩《ちわげんか》のとばっちりがここまでくるんじゃ、師匠《ししょう》も飛《と》んだ迷惑《めいわく》だぜ」
松《まつ》五郎《ろう》はこういって、ぐっとおこのを睨《にら》みつけた。
五
暗《やみ》の中《なか》を、鼠《ねずみ》のようになって、まっしぐらに駆《か》けて来《き》た堺屋《さかいや》の男衆《おとこしゅう》新《しん》七は、これもおこのと同《おな》じように、柳原《やなぎはら》の土手《どて》を八辻《つじ》ヶ原《はら》へと急《いそ》いだが、夢中《むちゅう》になって走《はし》り続《つづ》けてきたせいであろう。右《みぎ》へ行《い》く白壁町《しろかべちょう》への道《みち》を左《ひだり》へ折《お》れたために、狐《きつね》につままれでもしたように、方角《ほうがく》さえも判《わか》らなくなった折《おり》も折《おり》、彼方《かなた》の本多豊前邸《ほんだぶぜんてい》の練塀《ねりべい》の影《かげ》から、ひた走《はし》りに走《はし》ってくる女《おんな》の気配《けはい》。まさかと思《おも》って眼《め》をすえた刹那《せつな》瞼《まぶた》ににじんだ髪《かみ》かたちは、正《まさ》しくおこのの姿《すがた》だった。
新《しん》七は、はッとして飛《と》び上《あが》った。
「おお、お上《かみ》さん」
「あッ。お前《まえ》はどこへ」
「どこへどころじゃござりません。お上《かみ》さんこそ今時分《いまじぶん》、どちらへおいでなさいました」
「わたしは、お前《まえ》も知《し》っての通《とお》り、あの絵師《えし》の春信《はるのぶ》さんのお宅《たく》へ、いって来《き》ました」
「そんならやっぱり、春信師匠《はるのぶししょう》のお宅《たく》へ」
「お前《まえ》がまた、そのようなことを訊《き》いて、何《な》んにしやはる」
「手前《てまえ》は太夫《たゆう》からのおいいつけで、お上《かみ》さんをお迎《むか》えに上《あが》ったのでござります」
「わたしを迎《むか》えに。――」
「へえ。――そうしてあの帯《おび》をどうなされました」
「何《なに》、帯《おび》とえ」
「はい。おせんさんの帯《おび》は、お上《かみ》さんが、お持《も》ちなされたのでござりましょう」
「そのような物《もの》を、わたしが知《し》ろかいな」
「いいえ。知《し》らぬことはございますまい。先程《さきほど》お出《で》かけなさる時《とき》、帯《おび》を何《な》んとやら仰《おっ》しゃったのを、新《しん》七は、たしかにこの耳《みみ》で聞《き》きました」
「知《し》らぬ知《し》らぬ。わたしが春信《はるのぶ》さんをお訊《たず》ねしたのは帯《おび》や衣装《いしょう》のことではない。今度《こんど》鶴仙堂《かくせんどう》から板《いた》おろしをしやはるという、鷺娘《さぎむすめ》の絵《え》のことじゃ。――ええからそこを退《の》きなされ」
「いいや、それはなりません。お上《かみ》さんは、確《たしか》に持《も》ってお出《いで》なされたはず。もう一度《ど》手前《てまえ》と一緒《しょ》に、白壁町《しろかべちょう》のお宅《たく》へ、お戻《もど》りなすって下《くだ》さりませ」
「なにいうてんのや。わたしが戻《もど》ったとて、知《し》らぬものが、あろうはずがあるかいな。――こうしてはいられぬのじゃ。そこ退《の》きやいの」
おこのが払《はら》った手《て》のはずみが、ふと肩《かた》から滑《すべ》ったのであろう。袂《たもと》を放《はな》したその途端《とたん》に、新《しん》七はいやという程《ほど》、おこのに頬《ほほ》を打《う》たれていた。
「あッ。お打《う》ちなさいましたな」
「打《う》ったのではない。お前《まえ》が、わたしの手《て》を取《と》りやはって。……」
「ええ、もう辛抱《しんぼう》がなりませぬ。手前《てまえ》と一緒《しょ》にもう一度《ど》、春信《はるのぶ》さんのお宅《たく》まで、とっととおいでなさりませ」
ぐっとおこのの手首《てくび》をつかんだ新《しん》七には、もはや主従《しゅじゅう》の見《み》さかいもなくなっていたのであろう。たとえ何《な》んであろうと、引《ひき》ずっても連《つ》れて行《い》かねばならぬという、強《つよ》い意地《いじ》が手伝《てつだ》って、荒々《あらあら》しく肩《かた》に手《て》をかけた。
「これ、新《しん》七、何《なに》をしやる」
「何《なに》もかもござりませぬ。あの帯《おび》は、太夫《たゆう》が今度《こんど》の芝居《しばい》にはなくてはならない大事《だいじ》な衣装《いしょう》、手前《てまえ》がひとりで行《い》ったとて、春信《はるのぶ》さんは渡《わた》しておくんなさいますまい。どうでもお前様《まえさま》を一緒《しょ》に連《つ》れて。――」
「ええ、行《い》かぬ。何《な》んというてもわしゃ行《い》かぬ」
星《ほし》のみ光《ひか》った空《そら》の下《した》に、二つのかたちは、犬《いぬ》の如《ごと》くに絡《から》み合《あ》っていた。
「ふふふふ。みっともねえ。こんなことであろうと思《おも》って、後《あと》をつけて来《き》たんだが、お上《かみ》さん、こいつァ太夫《たゆう》さんの辱《はじ》ンなるぜ」
「えッ」
「おれだよ。彫職人《ほりしょくにん》の松《まつ》五郎《ろう》」
六
留《と》めるのもきかずに松《まつ》五郎《ろう》が火《ひ》のようになって出《で》て行《い》ってしまった後《あと》の画室《がしつ》には、春信《はるのぶ》がただ一人《ひとり》おこのの置《お》いて行《い》った帯《おび》を前《まえ》にして、茫然《ぼうぜん》と煙管《きせる》をくわえていたが、やがて何《なに》か思《おも》いだしたのであろう。突然《とつぜん》顔《かお》をあげると、吐《は》きだすように藤吉《とうきち》を呼《よ》んだ。
「藤吉《とうきち》。――これ藤吉《とうきち》」
「へえ」
いつにない荒《あら》い言葉《ことば》に、あわてて次《つぎ》の間《ま》から飛《と》んで出《で》た藤吉《とうきち》は、敷居際《しきいぎわ》で、もう一度《ど》ぺこりと頭《あたま》を下《さ》げた。
「何《なに》か御用《ごよう》で」
「羽織《はおり》を出《だ》しな」
「へえ。――どッかへお出《で》かけなさるんで。……」
「余計《よけい》な口《くち》をきかずに、速《はや》くするんだ」
「へえ」
何《なに》が何《なに》やら、一向《こう》見当《けんとう》が付《つ》かなくなった藤吉《とうきち》は、次《つぎ》の間《ま》に取《と》って返《かえ》すと、箪笥《たんす》をがたぴしいわせながら、春信《はるのぶ》が好《この》みの鶯茶《うぐいすちゃ》の羽織《はおり》を、捧《ささ》げるようにして戻《もど》って来《き》た。
「これでよろしいんで。……」
それには答《こた》えずに、藤吉《とうきち》の手《て》から羽織《はおり》を、ひったくるように受取《うけと》った春信《はるのぶ》の足《あし》は、早《はや》くも敷居《しきい》をまたいで、縁先《えんさき》へおりていた。
「師匠《ししょう》、お供《とも》をいたしやす」
「独《ひと》りでいい」
「お一人《ひとり》で。……そんなら提灯《ちょうちん》を。――」
が、春信《はるのぶ》の心《こころ》は、やたらに先《さき》を急《いそ》いでいたのであろう。いつもなら、藤吉《とうきち》を供《とも》に連《つ》れてさえ、夜道《よみち》を歩《あるく》くには、必《かなら》ず提灯《ちょうちん》を持《も》たせるのであったが、今《いま》はその提灯《ちょうちん》を待《ま》つ間《ま》ももどかしく、羽織《はおり》の片袖《かたそで》を通《とお》したまま、早《はや》くも姿《すがた》は枝折戸《しおりど》の外《そと》に消《き》えていた。
「藤吉《とうきち》。――藤吉《とうきち》」
「へえ」
奥《おく》からの声《こえ》は、この春《はる》まで十五年《ねん》の永《なが》い間《あいだ》、番町《ばんちょう》の武家屋敷《ぶけやしき》へ奉公《ほうこう》に上《あが》っていた。春信《はるのぶ》の妹《いもうと》梶女《かじじょ》だった。
「ここへ来《き》や」
「へえ」
お屋敷者《やしきもの》の見識《けんしき》とでもいうのであろうか。足《あし》が不自由《ふじゆう》であるにも拘《かかわ》らず、四十に近《ちか》い顔《かお》には、触《ふれ》れば剥《は》げるまでに濃《こ》く白粉《おしろい》を塗《ぬ》って、寝《ね》る時《とき》より外《ほか》には、滅多《めった》に放《はな》したことのない長煙管《ながぎせる》を、いつも膝《ひざ》の上《うえ》についていた。
「お兄様《にいさま》は、どちらにお出《で》かけなされた」
「さァ、どこへおいでなさいましたか、つい仰《おっ》しゃらねえもんでござんすから。……」
「何《なに》をうかうかしているのじゃ。知《し》らぬで済《す》もうとお思《おも》いか。なぜお供《とも》をせぬのじゃ」
「そう申《もう》したのでござんすが、師匠《ししょう》はひどくお急《いそ》ぎで、行《い》く先《さき》さえ仰《おっ》しゃらねえんで。……」
「直《す》ぐに行《い》きゃ」
「へ」
「提灯《ちょうちん》を持《も》って直《す》ぐに、後《あと》を追《お》うて行《い》きゃというのじゃ」
「と仰《おっ》しゃいましても、どっちへお出《で》かけか、方角《ほうがく》も判《わか》りゃァいたしやせん」
「まだ出《で》たばかりじゃ。そこまで行《い》けば直《す》ぐに判《わか》ろう。たじろいでいる時《とき》ではない。速《はよ》う。速《はよ》う」
この上《うえ》躊躇《ちょうちょ》していたら、持《も》った煙管《きせる》で、頭《あたま》のひとつも張《は》られまじき気配《けはい》となっては、藤吉《とうきち》も、立《た》たない訳《わけ》には行《い》かなかった。
提灯《ちょうちん》は提灯《ちょうちん》、蝋燭《ろうそく》は蝋燭《ろうそく》と、右《みぎ》と左《ひだり》に別々《べつべつ》につかんだ藤吉《とうきち》は、追《お》われるように、梶女《かじじょ》の眼《め》からおもてに遁《のが》れた。
七
鏡《かがみ》のおもてに映《うつ》した眉間《みけん》に、深《ふか》い八の字《じ》を寄《よ》せたまま、ただいらいらした気持《きもち》を繰返《くりかえ》していた中村松江《なかむらしょうこう》は、ふと、格子戸《こうしど》の外《そと》に人《ひと》の訪《おとず》れた気配《けはい》を感《かん》じて、じッと耳《みみ》を澄《すま》した。
「もし、今晩《こんばん》は。――今晩《こんばん》は」
(おお、やはりうちかいな)
そう、思《おも》った松江《しょうこう》は、次《つぎ》の座敷《ざしき》まで立《た》って行《い》って、弟子《でし》のいる裏《うら》二階《かい》へ声《こえ》をかけた。
「これ富江《とみえ》、松代《まつよ》、誰《だれ》もいぬのか。お客《きゃく》さんがおいでなされたようじゃ」
が、先刻《せんこく》新《しん》七におこのの後《あと》を追《お》わせた隙《すき》に、二人《ふたり》とも、どこぞ近所《きんじょ》へまぎれて行《い》ったのであろう。もう一度《ど》呼《よ》んで見《み》た松江《しょうこう》の耳《みみ》には、容易《ようい》に返事《へんじ》が戻《もど》っては来《こ》なかった。
「ええけったいな、何《な》んとしたのじゃ。お客《きゃく》さんじゃというのに。――」
口小言《くちこごと》をいいながら、自《みずか》ら格子戸《こうしど》のところまで立《た》って行《い》った松江《しょうこう》は、わざと声音《こわね》を変《か》えて、低《ひく》く訊《たず》ねた。
「どなた様《さま》でござります」
「わたしだ」
「へえ」
「白壁町《しろかべちょう》の春信《はるのぶ》だよ」
「えッ」
驚《おどろ》きと、土間《どま》を駆《か》け降《お》りたのが、殆《ほとん》ど同時《どうじ》であった。
「お師匠《ししょう》さんでおましたか。これはまァ。……」
がらりと開《あ》けた雨戸《あまど》の外《そと》に、提灯《ちょうちん》も持《も》たずに、独《ひと》り蒼白《あおじろ》く佇《たたず》んだ春信《はるのぶ》の顔《かお》は暗《くら》かった。
「面目次第《めんぼくしだい》もござりませぬ。――でもまァ、ようおいでで。――」
「ふふふ。あんまりよくもなかろうが、ちと、来《き》ずには済《す》まされぬことがあっての」
「そこではお話《はなし》も出来《でき》ませんで。……どうぞ、こちらへお通《とお》り下《くだ》さりませ」
「しかし、わたしが上《あが》っても、いいのか」
「何《なに》を仰《おっ》しゃいます。狭苦《せまくる》しゅうはござりますが、御辛抱《ごしんぼう》しやはりまして。……」
「では遠慮《えんりょ》なしに、通《とお》してもらいましょうか。……のう太夫《たゆう》」
座敷へ上《あが》って、膝《ひざ》を折《お》ると同時《どうじ》に、春信《はるのぶ》の眼《め》は険《けわ》しく松江《しょうこう》を見詰《みつ》めた。
「今更《いまさら》あらためて、こんなことを訊《き》くのも野暮《やぼ》の沙汰《さた》だが、おこのさんといいなさるのは、確《たしか》にお前《まえ》さんの御内儀《ごないぎ》だろうのう」
「何《な》んといやはります」
松江《しょうこう》のおもてには、不安《ふあん》の色《いろ》が濃《こ》い影《かげ》を描《えが》いた。
「深《ふか》いことはどうでもいいが、ただそれだけを訊《き》かしてもらいたいと思《おも》っての。あれが太夫《たゆう》の御内儀《ごないぎ》なら、わたしはこれから先《さき》、お前《まえ》さんと、二度《ど》と顔《かお》を合《あ》わせまいと、心《こころ》に固《かた》く極《き》めて来《き》たのさ」
「えッ。ではやはり。……」
「太夫《たゆう》。つまらない面《つら》あてでいう訳《わけ》じゃないが、お前《まえ》さんは、いいお上《かみ》さんを持《も》ちなすって、仕合《しあわせ》だの。――帯《おび》はたしかにわたしの手《て》から、おせんのとこへ返《かえ》そうから、少《すこ》しも懸念《けねん》には、及《およ》ばねえわな」
「どうぞ堪忍《かんにん》しておくれやす」
「お前《まえ》さんにあやまらせようと思《おも》って、こんなにおそく、わざわざひとりで出《で》て来《き》た訳《わけ》じゃァさらさらない。詫《わび》なんぞは無用《むよう》にしておくんなさい」
「なんで、これがお詫《わび》せいでおられましょう。愚《ぐ》なおこのが、いらぬことを仕出来《しでか》しました心《こころ》なさからお師匠《ししょう》さんに、このようないやな思《おも》いをおさせ申《もう》しました。堺屋《さかいや》、穴《あな》があったら這入《はい》りとうおます」
松江《しょうこう》は、われとわが手《て》で顔《かお》を掩《おお》ったまま、暫《しば》し身《み》じろぎもしなかった。
霜《しも》の来《こ》ぬ間《ま》に、早《はや》くも弱《よわ》り果《は》てた蟋蟀《こおろぎ》であろう。床下《ゆかした》にあえぐ音《ね》が細々《ほそぼそ》と聞《き》かれた。
月《つき》
一
「――そら来《き》た来《き》なんせ、土平《どへい》の飴《あめ》じゃ。大人《おとな》も子供《こども》も銭《ぜに》持《も》っておいで。当時《とうじ》名代《なだい》の土平《どへい》の飴《あめ》じゃ。味《あじ》がよくってでがあって、おまけに肌理《きめ》が細《こま》こうて、笠森《かさもり》おせんの羽《は》二重肌《えはだ》を、紅《べに》で染《そ》めたような綺麗《きれい》な飴《あめ》じゃ。買《か》って往《ゆ》かんせ、食《た》べなんせ。天竺渡来《てんじくとらい》の人参飴《にんじんあめ》じゃ。何《な》んと皆《みな》の衆《しゅう》合点《がってん》か」
もはや陽《ひ》が落ちて、空《そら》には月《つき》さえ懸《かか》っていた。その夕月《ゆうづき》の光《ひかり》の下《した》に、おのが淡《あわ》い影《かげ》を踏《ふ》みながら、言葉《ことば》のあやも面白《おもしろ》おかしく、舞《ま》いつ踊《おど》りつ来懸《きかか》ったのは、この春頃《はるごろ》から江戸中《えどじゅう》を、隈《くま》なく歩《ある》き廻《まわ》っている飴売土平《あめうりどへい》。まだ三十にはならないであろう。おどけてはいるが、どこか犯《おか》し難《がた》いところのある顔《かお》かたちは、敵《かたき》持《も》つ武家《ぶけ》が、世《よ》を忍《しの》んでの飴売《あめうり》だとさえ噂《うわさ》されて、いやが上《うえ》にも人気《にんき》が高《たか》く、役者《やくしゃ》ならば菊之丞《きくのじょう》、茶屋女《ちゃやおんな》なら笠森《かさもり》おせん、飴屋《あめや》は土平《どへい》、絵師《えし》は春信《はるのぶ》と、当時《とうじ》切《き》っての評判者《ひょうばんもの》だった。
「わッ、土平《どへい》だ土平《どへい》だ」
「それ、みんな来《こ》い、みんな来《こ》いやァイ」
「お母《っか》ァ、銭《ぜに》くんな」
「父《ちゃん》、おいらにも銭《ぜに》くんな」
「あたいもだ」
「あたしもだ」
軒端《のきば》に立《た》つ蚊柱《かばしら》のように、どこからともなく集《あつ》まって来《き》た子供《こども》の群《むれ》は、土平《どへい》の前後左右《ぜんごさゆう》をおッ取《と》り巻《ま》いて、買《か》うも買《か》わぬも一様《よう》にわッわッと囃《はや》したてる賑《にぎ》やかさ、長屋《ながや》の井戸端《いどばた》で、一心不乱《しんふらん》に米《こめ》を磨《と》いでいたお上《かみ》さん達《たち》までが、手《て》を前《まえ》かけで、拭《ふ》きながら、ぞろぞろつながって出《で》てくる有様《ありさま》は、流石《さすが》に江戸《えど》は物見高《ものみだか》いと、勤番者《きんばんもの》の眼《め》の玉《たま》をひっくり返《かえ》さずにはおかなかった。
「――さァさ来《き》た来《き》た、こっちへおいで、高《たか》い安《やす》いの思案《しあん》は無用《むよう》。思案《しあん》するなら谷中《やなか》へござれ。谷中《やなか》よいとこおせんの茶屋《ちゃや》で、お茶《ちゃ》を飲《の》みましょ。煙草《たばこ》をふかそ。煙草《たばこ》ふかして煙《けむ》だして、煙《けむ》の中《なか》からおせんを見《み》れば、おせん可愛《かあい》や二九からぬ。色気《いろけ》程《ほど》よく靨《えくぼ》が霞《かす》む。霞《かす》む靨《えくぼ》をちょいとつっ突《つ》いて、もしもしそこなおせん様《さま》。おはもじながらここもとは、そもじ思《おも》うて首《くび》ッたけ、烏《からす》の鳴《な》かぬ日《ひ》はあれど、そもじ見《み》ぬ日《ひ》は寝《ね》も寝《ね》つかれぬ。雪駄《せった》ちゃらちゃら横眼《よこめ》で見《み》れば、咲《さ》いた桜《さくら》か芙蓉《ふよう》の花《はな》か、さても見事《みごと》な富士《ふじ》びたえ。――さッさ買《か》いなよ買《か》わしゃんせ。土平《どへい》自慢《じまん》の人参飴《にんじんあめ》じゃ。遠慮《えんりょ》は無用《むよう》じゃ。買《か》わしゃんせ。買《か》っておせんに惚《ほ》れしゃんせ」
手振《てぶ》りまでまじえての土平《どへい》の唄《うた》は、月《つき》の光《ひかり》が冴《さ》えるにつれて、愈《いよいよ》益々《ますます》面白《おもしろ》く、子供《こども》ばかりか、ぐるりと周囲《しゅうい》に垣《かき》を作《つく》った大方《おおかた》は、通《とお》りがかりの、大人《おとな》の見物《けんぶつ》で一杯《ぱい》であった。
「はッはッはッ。これが噂《うわさ》の高《たか》い土平《どへい》だの。いやもう感心《かんしん》感心《かんしん》。この咽《のど》では、文字太夫《もじだゆう》も跣足《はだし》だて」
「それはもう御隠居様《ごいんきょさま》。滅法《めっぽう》名代《なだい》の土平《どへい》でござんす。これ程《ほど》のいい声《こえ》は、鉦《かね》と太鼓《たいこ》で探《さが》しても、滅多《めった》にあるものではござんせぬ」
「御隠居《ごいんきょ》は、土平《どへい》の声《こえ》を、始《はじ》めてお聞《き》きなすったのかい」
「左様《さよう》」
「これはまた迂濶《うかつ》千万《ばん》。飴売《あめうり》土平《どへい》は、近頃《ちかごろ》江戸《えど》の名物《めいぶつ》でげすぜ」
「いや、噂《うわさ》はかねて聞《き》いておったが、眼《め》で見《み》たのは今《いま》が初《はじ》めて。まことにはや。面目次第《めんぼくしだい》もござりませぬて」
「はははは。お前様《まえさま》は、おなじ名代《なだい》なら、やっぱりおせんの方《ほう》が、御贔屓《ごひいき》でげしょう」
「決《けっ》して左様《さよう》な訳《わけ》では。……」
「お隠《かく》しなさいますな。それ、そのお顔《かお》に書《か》いてある」
見物《けんぶつ》の一人《ひとり》が、近《ちか》くにいる隠居《いんきょ》の顔《かお》を指《さ》した時《とき》だった、誰《だれ》かが突然《とつぜん》頓狂《とんきょう》な声《こえ》を張《は》り上《あ》げた。
「おせんが来《き》た。あすこへおせんが帰《かえ》って来《き》た」
二
「なに、おせんだと」
「どこへどこへ」
飴売《あめうり》土平《どへい》の道化《どうけ》た身振《みぶ》りに、われを忘《わす》れて見入《みい》っていた人達《ひとたち》は、降《ふ》って湧《わ》いたような「おせんが来《き》た」という声《こえ》を聞《き》くと、一齊《せい》に首《くび》を東《ひがし》へ振《ふ》り向《む》けた。
「どこだの」
「あすこだ。あの松《まつ》の木《き》の下《した》へ来《く》る」
斜《なな》めにうねった道角《みちかど》に、二抱《ふたかか》えもある大松《おおまつ》の、その木《き》の下《した》をただ一人《ひとり》、次第《しだい》に冴《さ》えた夕月《ゆうづき》の光《ひかり》を浴《あ》びながら、野中《のなか》に咲《さ》いた一本《ぽん》の白菊《しらぎく》のように、静《しず》かに歩《あゆ》みを運《はこ》んで来《く》るほのかな姿《すがた》。それはまごう方《かた》ない見世《みせ》から帰《かえ》りのおせんであった。
「違《ちげ》えねえ。たしかにおせんだ」
「そら行《い》け」
駆《か》け出《だ》す途端《とたん》に鼻緒《はなお》が切《き》れて、草履《ぞうり》をさげたまま駆《か》け出《だ》す小僧《こぞう》や、石《いし》に躓《つまず》いてもんどり打《う》って倒《たお》れる職人《しょくにん》。さては近所《きんじょ》の生臭坊主《なまぐさぼうず》が、俗人《ぞくじん》そこのけに目尻《めじり》をさげて追《お》いすがるていたらく。所詮《しょせん》は男《おとこ》も女《おんな》もなく、おせんに取《と》っては迷惑千万《めいわくせんばん》に違《ちが》いなかろうが、遠慮会釈《えんりょえしゃく》はからりと棄《す》てた厚《あつ》かましさからつるんだ犬《いぬ》を見《み》に行《ゆ》くよりも、一層《そう》勢《きお》い立《た》って、どっとばかりに押《お》し寄《よ》せた。
「いやだよ直《なお》さん、そんなに押《お》しちゃァ転《ころ》ンじまうよ」
「人《ひと》の転《ころ》ぶことなんぞ、遠慮《えんりょ》してたまるもんかい。速《はや》く行《い》って触《さわ》らねえことにゃ、おせんちゃんは帰《かえ》ッちまわァ」
「おッと退《ど》いた退《ど》いた。番太郎《ばんたろう》なんぞの見《み》るもンじゃねえ」
「馬鹿《ばか》にしなさんな。番太郎《ばんたろう》でも男《おとこ》一匹《ぴき》だ。綺麗《きれい》な姐《ねえ》さんは見《み》てえや」
「さァ退《ど》いた、退《ど》いた」
「火事《かじ》だ火事《かじ》だ」
人《ひと》の心《こころ》が心《こころ》に乗《の》って、愈《いよいよ》調子《ちょうし》づいたのであろう。茶代《ちゃだい》いらずのその上《うえ》にどさくさまぎれの有難《ありがた》さは、たとえ指先《ゆびさき》へでも触《さわ》れば触《さわ》り得《どく》と考《かんが》えての悪戯《いたずら》か。ここぞとばかり、息《いき》せき切《き》って駆《か》け着《つ》けた群衆《ぐんしゅう》を苦笑《くしょう》のうちに見守《みまも》っていたのは、飴売《あめうり》の土平《どへい》だった。
「ふふふふ。飴《あめ》も買《か》わずに、おせん坊《ぼう》へ突《つ》ッ走《ぱし》ったな豪勢《ごうせい》だ。こんな鉄錆《てつさび》のような顔《かお》をしたおいらより、油壺《あぶらつぼ》から出《で》たよなおせん坊《ぼう》の方《ほう》が、どれだけいいか知《し》れねえからの。いやもう、浮世《うきよ》のことは、何《なに》をおいても女《おんな》が大事《だいじ》。おいらも今度《こんど》の世《よ》にゃァ、犬《いぬ》になっても女《おんな》に生《うま》れて来《く》ることだ。――はッくしょい。これァいけねえ。みんなが急《きゅう》に散《ち》ったせいか、水《みず》ッ洟《ぱな》が出《で》て来《き》たぜ。風邪《かぜ》でも引《ひ》いちゃァたまらねから、そろそろ帰《かえ》るとしべえかの」
「おッと、飴屋《あめや》さん」
「はいはい、お前《まえ》さんは、何《な》んであっちへ行《い》きなさらない」
「行《い》きたくねえからよ」
「行《い》きたくないとの」
「そうだ。おいらはこれでも、辱《はじ》を知《し》ってるからの」
「面白《おもしろ》い。人間《にんげん》、辱《はじ》を知《し》ってるたァ何《なに》よりだ」
「何《なに》より小《こ》より御存《ごぞん》じよりか。なまじ辱《はじ》を知《し》ってるばかりに、おいらァ出世《しゅっせ》が出来《でき》ねえんだよ」
「お前《まえ》さんは、何《なに》をしなさる御家業《おかぎょう》だの」
「絵《え》かきだよ」
「名前《なまえ》は」
「名前《なまえ》なんざあるもんか」
「誰《だれ》のお弟子《でし》だの」
「おいらはおいらの弟子《でし》よ。絵《え》かきに師匠《ししょう》や先生《せんせい》なんざ、足手《あしで》まといになるばッかりで、物《もの》の役《やく》にゃ立《た》たねえわな」
そういいながら、鼻《はな》の頭《あたま》を擦《こす》ったのは、変《かわ》り者《もの》の春重《はるしげ》だった。
三
「おッとッとッと、おせんちゃん。何《な》んでそんなに急《いそ》ぎなさるんだ。みんながこれ程《ほど》騒《さわ》いでるんだぜ。靨《えくぼ》の一つも見《み》せてッてくんねえな」
「そうだそうだ。どんなに待《ま》ったか知《し》れやァしねえよ。おめえに急《いそ》いで帰《かえ》られたんじゃ、待《ま》ってたかいがありゃァしねえ」
それと知《し》って、おせんを途中《とちゅう》に押《お》ッ取《と》りかこんだ多勢《おおぜい》は、飴屋《あめや》の土平《どへい》があっ気《け》に取《と》られていることなんぞ、疾《と》うの昔《むかし》に忘《わす》れたように、我《わ》れ先《さき》にと、夕《ゆう》ぐれ時《どき》のあたりの暗《くら》さを幸《さいわ》いにして、鼻《はな》から先《さき》へ突出《つきだ》していた。
が、いつもなら、人《ひと》にいわれるまでもなく、まずこっちから愛嬌《あいきょう》を見《み》せるにきまっていたおせんが、きょうは何《な》んとしたのであろう。靨《えくぼ》を見《み》せないのはまだしも、まるで別人《べつじん》のようにせかせかと、先《さき》を急《いそ》いでの素気《すげ》ない素振《そぶり》に、一同《どう》も流石《さすが》におせんの前《まえ》へ、大手《おおで》をひろげる勇気《ゆうき》もないらしく、ただ口《くち》だけを達者《たっしゃ》に動《うご》かして、少《すこ》しでも余計《よけい》に引止《ひきと》めようと、あせるばかりであった。
「もし、そこを退《ど》いておくんなさいな」
「どいたらおめえが帰《かえ》ッちまうだろう。まァいいから、ここで遊《あそ》んで行《ゆ》きねえ」
「あたしゃ、先《さき》を急《いそ》ぎます。きょうは堪忍《かんにん》しておくんなさいよ」
「先《さき》ッたって、これから先《さき》ァ、家《うち》へ帰《かえ》るより道《みち》はあるめえ。それともどこぞへ、好《す》きな人《ひと》でも出来《でき》たのかい」
「なんでそんなことが。……」
「ねえンなら、よかろうじゃねえか」
「でもお母《っか》さんが。――」
「お袋《ふくろ》の顔《かお》なんざ、生《うま》れた時《とき》から見《み》てるんだろう。もう大概《たいがい》、見《み》あきてもよさそうなもんだぜ」
「そうだ、おせんちゃん。帰《けえ》る時《とき》にゃ、みんなで送《おく》ってッてやろうから、きょう一《いち》ン日《ち》の見世《みせ》の話《はなし》でも、聞《き》かしてくんねえよ」
「お見世《みせ》のことなんぞ、何《な》んにも話《はなし》はござんせぬ。――どうか通《とお》しておくんなさい」
「紙屋《かみや》の若旦那《わかだんな》の話《はなし》でも、名主《なぬし》さんのじゃんこ息子《むすこ》の話《はなし》でも、いくらもあろうというもんじゃねえか」
「知《し》りませんよ。お母《っか》さんが風邪《かぜ》を引《ひ》いて、独《ひと》りで寝《ね》ててござんすから、ちっとも速《はや》く帰《かえ》らないと、あたしゃ心配《しんぱい》でなりませんのさ」
「お袋《ふくろ》さんが風邪《かぜ》だッて」
「あい」
「そいつァいけねえ。何《な》んなら見舞《みまい》に行《い》ってやるよ」
「おいらも行《い》くぜ」
「わたしも行《い》く」
「いいえ、もうそんなことは。――」
少《すこ》しも長《なが》く、おせんを引《ひ》き止《と》めておきたい人情《にんじょう》が、互《たがい》の口《くち》を益々《ますます》軽《かる》くして、まるく囲《かこ》んだ人垣《ひとがき》は、容易《ようい》に解《と》けそうにもなかった。
すると突然《とつぜん》、はッはッはと、腹《はら》の底《そこ》から絞《しぼ》り出《だ》したような笑《わら》い声《ごえ》が、一同《どう》の耳許《みみもと》に湧《わ》き立《た》った、
「はッはッは。みんな、みっともねえ真似《まね》をしねえで、速《はや》くおせんちゃんを、帰《かえ》してやったらどんなもんだ」
「おめえは、春重《はるしげ》だな」
「つまらねえ差《さ》し出口《でぐち》はきかねえで、引《ひ》ッ込《こ》んだ、引《ひ》ッ込《こ》んだ」
「ふふふ。おめえ達《たち》、あんまり気《き》が利《き》かな過《す》ぎるぜ。おせんちゃんにゃ、おせんちゃんの用《よう》があるんだ。野暮《やぼ》な止《と》めだてするよりも、一刻《こく》も速《はや》く帰《かえ》してやんねえ」
「馬鹿《ばか》ァいわッし。そんなお接介《せっかい》は受けねえよ」
一同《どう》の視線《しせん》が、春重《はるしげ》の上《うえ》に集《あつ》まっている暇《ひま》に、おせんは早《はや》くも月《つき》の下影《したかげ》に身《み》を隠《かく》した。
四
「お母《っか》さん」
「おや、おせんかえ」
「あい」
猫《ねこ》に追《お》われた鼠《ねずみ》のように、慌《あわただ》しく駆《か》け込《こ》んで来《き》たおせんの声《こえ》に、折《おり》から夕餉《ゆうげ》の支度《したく》を急《いそ》いでいた母《はは》のお岸《きし》は、何《なに》やら胸《むね》に凶事《きょうじ》を浮《うか》べて、勝手《かって》の障子《しょうじ》をがらりと明《あ》けた。
「どうかおしかえ」
「いいえ」
「でもお前《まえ》、そんなに息《いき》せき切《き》ってさ」
「どうもしやァしませんけれど、いまそこで、筆屋《ふでや》さんの黒《くろ》がじゃれたもんだから。……」
「ほほほほ。黒《くろ》が尾《お》を振《ふ》ってじゃれるのは、お前《まえ》を慕《した》っているからだよ。あたしゃまた、悪《わる》いいたずらでもされたかと思《おも》って、びっくりしたじゃァないか。何《なに》も食《く》いつくような黒《くろ》じゃなし、逃《に》げてなんぞ来《こ》ないでも、大丈夫《だいじょうぶ》金《かね》の脇差《わきざし》だわな。――こっちへおいで。頭《あたま》を撫《な》で付《つ》けてあげようから。……」
「おや、髪《かみ》がそんなに。――」
母《はは》の方《ほう》へは行《い》かずに、四畳半《じょうはん》のおのが居間《いま》へ這入《はい》ったおせんは、直《す》ぐさま鏡《かがみ》の蓋《ふた》を外《はず》して、薄暮《はくぼ》の中《なか》にじっとそのまま見入《みい》ったが、二筋《すじ》三筋《すじ》襟《えり》に乱《みだ》れた鬢《びん》の毛《け》を、手早《てばや》く掻《か》き揚《あ》げてしまうと、今度《こんど》はあらためて、あたりをぐるりと見廻《みまわ》した。
「お母《っか》さん」
「あいよ」
「あたしの留守《るす》に、ここに誰《だれ》か這入《はい》りゃしなかったかしら」
「おやまァ滅相《めっそう》な。そこへは鼠《ねずみ》一匹《ぴき》も滅多《めった》に入《はい》るこっちゃァないよ。――何《な》んぞ変《かわ》わったことでもおありかえ」
「さァ、ちっとばかり。……」
「どれ、何《なに》がの。――」
障子《しょうじ》の隙間《すきま》から、顔《かお》を半分《はんぶん》窺《のぞ》かせた母親《ははおや》を、おせんはあわてて遮《さえぎ》った。
「気《き》にする程《ほど》でもござんせぬ。あっちへ行《い》ってておくんなさい」
「ほんにまァ、ここへは来《く》るのじゃなかったッけ」
三日前《みっかまえ》の夜《よる》の四つ頃《ごろ》、浜町《はまちょう》からの使《つか》いといって、十六七の男《おとこ》の子《こ》が、駕籠《かご》に乗《の》った女《おんな》を送《おく》って来《き》たその晩《ばん》以来《いらい》、お岸《きし》はおせんの口《くち》から、観音様《かんのんさま》への願《がん》かけゆえ、向《むこ》う三十日《にち》の間《あいだ》何事《なにごと》があっても、四畳半《じょうはん》へは這入《はい》っておくんなさいますな。あたしの留守《るす》にも、ここへ足《あし》を入《い》れたが最後《さいご》、お母《っか》さんの眼《め》はつぶれましょうと、きつくいわれたそれからこっち、何《なに》が何《なに》やら分《わか》らないままに、おせんの頼《たの》みを堅《かた》く守《まも》って、お岸《きし》は、鬼門《きもん》へ触《さわ》るように恐《おそ》れていた座敷《ざしき》だったが、留守《るす》に誰《だれ》かが這入《はい》ったと聞《き》いては、流石《さすが》にあわてずにいられなかったらしく、拵《こし》らえかけの蜆汁《しじみじる》を、七厘《りん》へ懸《か》けッ放《ぱな》しにしたまま、片眼《かため》でいきなり窺《のぞ》き込《こ》んだのであろう。
部屋《へや》の中《なか》は、窓《まど》から差《さ》すほのかな月《つき》の光《ひかり》で、漸《ようや》く物《もの》のけじめがつきはするものの、ともすれば、入《い》れ換《か》えたばかりの青畳《あおだたみ》の上《うえ》にさえ、暗《くら》い影《かげ》が斜《なな》めに曳《ひ》かれて、じっと見詰《みつ》めている眼先《めさき》は、海《うみ》のように深《ふか》かった。
母《はは》は直《す》ぐに勝手《かって》へ取《と》って返《かえ》したと見《み》えて、再《ふたた》び七厘《りん》の下《した》を煽《あお》ぐ渋団扇《しぶうちわ》の音《おと》が乱《みだ》れた。
暗《くら》い、何者《なにもの》もはっきり見《み》えない部屋《へや》の中《なか》で、おせんはもう一度《ど》、じっと鏡《かがみ》の中《なか》を見詰《みつ》めた。底光《そこびかり》のする鏡《かがみ》の中《なか》に、澄《す》めば澄《す》む程《ほど》ほのかになってゆく、おのが顔《かお》が次第《しだい》に淡《あわ》く消《き》えて、三日月形《みかづきがた》の自慢《じまん》の眉《まゆ》も、いつか糸《いと》のように細《ほそ》くうずもれて行《い》った。
「吉《きち》ちゃん。――」
ふと、鏡《かがみ》のおもてから眼《め》を放《はな》したおせんの唇《くちびる》は、小《ちい》さく綻《ほころ》びた。と同時《どうじ》に、すり寄《よ》るように、体《からだ》は戸棚《とだな》の前《まえ》へ近寄《ちかよ》った。
「済《す》みません。ひとりぽっちで、こんなに待《ま》たせて。――」
そういいながら、おせんのふるえる手《て》は襖《ふすま》の引手《ひきて》を押《おさ》えた。
五
部屋《へや》の中《なか》は益々《ますます》暗《くら》かった。
その暗《くら》い部屋《へや》の片隅《かたすみ》へ、今《いま》しもおせんが、辺《あたり》に気《き》を配《くば》りながら、胸《むね》一杯《ぱい》に抱《かか》え出《だ》したのは、つい三日前《みっかまえ》の夜《よる》、由斎《ゆうさい》の許《もと》から駕籠《かご》に乗《の》せて届《とど》けてよこした、八百屋《や》お七の舞台姿《ぶたいすがた》をそのままの、瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》の生人形《いきにんぎょう》であった。
おせんは抱《かか》えた人形《にんぎょう》を、東《ひがし》に向《む》けて座敷《ざしき》のまん中《なか》に立《た》てると、薄月《うすづき》の光《ひかり》を、まともに受《う》けさせようがためであろう。音《おと》せぬ程《ほど》に、窓《まど》の障子《しょうじ》を徐《しずか》に開《あ》け始《はじ》めた。
庭《にわ》には虫《むし》の声《こえ》もなく、遠《とお》くの空《そら》を渡《わた》る雁《かり》のおとずれがうつろのように、耳《みみ》に響《ひび》いた。
「吉《きち》ちゃん。――いいえ、太夫《たゆう》、あたしゃ会《あ》いとうござんした」
生《い》きた相手《あいて》にいう如《ごと》く、如何《いか》にもなつかしそうに、人形《にんぎょう》を仰《あお》いだおせんの眼《め》には、情《なさけ》の露《つゆ》さえ仇《あだ》に宿《やど》って、思《おも》いなしか、声《こえ》は一途《ず》にふるえていた。
「――朝《あさ》から晩《ばん》まで、いいえ、それよりも、一生涯《しょうがい》、あたしゃ太夫《たゆう》と一緒《しょ》にいとうござんすが、なんといっても、お前《まえ》は今《いま》を時《とき》めく、江戸《えど》一番《ばん》の女形《おやま》。それに引《ひ》き換《か》えあたしゃそこらに履《は》き捨《す》てた、切《き》れた草鞋《わらじ》もおんなじような、水茶屋《みずぢゃや》の茶汲《ちゃく》み娘《むすめ》。百夜《ももよ》の路《みち》を通《かよ》ったとて、お前《まえ》に逢《あ》って、昔話《むかしばなし》もかなうまい。それゆえせめての心《こころ》から、あたしがいつも夢《ゆめ》に見《み》るお前《まえ》のお七を、由斎《ゆうさい》さんに仕上《しあ》げてもらって、ここまで内緒《ないしょ》で運《はこ》んだ始末《しまつ》。お前《まえ》のお宅《たく》にくらべたら、物置小屋《ものおきごや》にも足《た》りない住居《すまい》でござんすが、ここばっかりは、邪間《じゃま》する者《もの》もない二人《ふたり》の世界《せかい》。どうぞ辛抱《しんぼう》して、話相手《はなしあいて》になっておくんなさいまし、――あたしゃ、王子《おうじ》で育《そだ》った十年前《ねんまえ》も、お見世《みせ》へ通《かよ》うきょうこの頃《ごろ》も、心《こころ》に毛筋程《けすじほど》の変《かわ》りはござんせぬ。吉《きち》ちゃんと、おせんちゃんとは夫婦《ふうふ》だと、ままごと遊《あそ》びにからかわれた、あの春《はる》の日《ひ》が忘《わす》れられず、枕《まくら》を濡《ぬ》らして泣《な》き明《あ》かした夜《よる》も、一度《ど》や二度《ど》ではござんせんし。おせんも年頃《としごろ》、好《す》きなお客《きゃく》の一人《ひとり》くらいはあろうかと、折節《おりふし》のお母《っか》さんの心配《しんぱい》も、あたしの耳《みみ》には上《うわ》の空《そら》。火《ひ》あぶりで死《し》んだお七が羨《うらや》ましいと、あたしゃいつも、思《おもい》い続《つづ》けてまいりました。――太夫《たゆう》、お前《まえ》は、立派《りっぱ》なお上《かみ》さんのその外《ほか》に、二つも寮《りょう》をお持《も》ちの様子《ようす》。引《ひ》くてあまたの、御贔屓筋《ごひいきすじ》もござんしょうが、あたしゃこのままこがれ死《し》んでも、やっぱりお前《まえ》の女房《にょうぼう》でござんす」
思《おも》わず知《し》らず、我《わ》れとわが袖《そで》を濡《ぬ》らした不覚《ふかく》の涙《なみだ》に、おせんは「はッ」として首《くび》を上《あ》げたが、どうやら勝手許《かってもと》の母《はは》の耳《みみ》へは這入《はい》らなかったものか、まだ抜《ぬ》け切《き》らぬ風邪《かぜ》の咳《せき》が二つ三つ、続《つづ》けざまに聞《き》こえたばかりであった。
しばしおせんは、俯向《うつむ》いたまま眼《め》を閉《と》じていた。その眼《め》の底《そこ》を、稲妻《いなづま》のように、幼《おさな》い日《ひ》の思《おも》い出《で》が突《つ》ッ走《ぱし》った。
「おせんや」
母《はは》の声《こえ》が聞《き》かれた。
「あい」
「この暗《くら》いのに、行燈《あんどん》もつけずに」
「あい。さして暗《くら》くはござんせぬ」
「何《なに》をしておいでだか知《し》らないが、支度《したく》が出来《でき》たから御飯《ごはん》にしようわな」
「あい、いまじきに」
「暗《くら》い所《ところ》に一人《ひとり》でいると、鼠《ねずみ》に引《ひ》かれるよ」
隣座敷《となりざしき》では、母《はは》が燈芯《とうしん》をかき立《た》てたのであろう。障子《しょうじ》が急《きゅう》に明《あか》るくなって、膳立《ぜんだて》をする音《おと》が耳《みみ》に近《ちか》かった。
よろめくように立上《たちあが》ったおせんは、窓《まど》の障子《しょうじ》に手《て》をかけた。と、その刹那《せつな》、低《ひく》いしかも聞《き》き慣《な》れない声《こえ》が、窓《まど》の下《した》から浮《う》き上《あが》った。
「おせん」
「えッ」
「驚《おどろ》くにゃ当《あた》らねえ。おいらだよ」
おせんは、火箸《ひばし》のように立《た》ちすくんでしまった。
六
「ど、どなたでござんす」
「叱《し》っ、静《しず》かにしねえ。怪《あや》しいものじゃねえよ。おいらだよ」
「あッ、お前《まえ》は兄《あに》さん。――」
「ええもう、静《しず》かにしろというのに。お袋《ふくろ》の耳《みみ》へへえッたら、事《こと》が面倒《めんどう》ンなる」
そういいながら、出窓《でまど》の縁《えん》へ肘《ひじ》を懸《か》けて、するりと体《からだ》を持《もち》ちあげると、如何《いか》にも器用《きよう》に履《は》いた草履《ぞうり》を右手《みぎて》で脱《ぬ》ぎながら、腰《こし》の三尺帯《じゃくおび》へはさんで、猫《ねこ》のように青畳《あおだたみ》の上《うえ》へ降《お》り立《た》ったのは、三年前《ねんまえ》に家《いえ》を出《で》たまま、噂《うわさ》にさえ居所《いどころ》を知《し》らせなかった兄《あに》の千吉《きち》だった。――藍微塵《あいみじん》の素袷《すあわせ》に算盤玉《そろばんだま》の三尺《じゃく》は、見《み》るから堅気《かたぎ》の着付《きつけ》ではなく、殊《こと》に取《と》った頬冠《ほおかむ》りの手拭《てぬぐい》を、鷲掴《わしづか》みにしたかたちには、憎《にく》いまでの落着《おちつき》があった。
まったく夢想《むそう》もしなかった出来事《できごと》に、おせんは、その場《ば》に腰《こし》を据《す》えたまま、直《す》ぐには二の句《く》が次《つ》げなかった。
「おせん。おめえ、いくつンなった」
「十八でござんす」
「十八か。――」
千吉《きち》はそういって苦笑《くしょう》するように頷《うなず》いたが、隣座敷《となりざしき》を気にしながら、更《さら》に声《こえ》を低《ひく》めた。
「怖《こわ》がるこたァねえから、後《あと》ずさりをしねえで、落着《おちつ》いていてくんねえ。おいらァ何《なに》も、久《ひさ》し振《ぶ》りに会《あ》った妹《いもうと》を、取《と》って食《く》おうたァいやァしねえ」
「あかりを、つけさせておくんなさい」
「おっと、そんな事をされちゃァたまらねえ。暗《やみ》でもてえげえ見《み》えるだろうが、おいらァ堅気《かたぎ》の商人《しょうにん》で、四角《かく》い帯《おび》を、うしろで結《むす》んで来《き》た訳《わけ》じゃねえんだ。面目《めんぼく》ねえが五一三分六《ごいちさぶろく》のやくざ者《もの》だ。おめえやお袋《ふくろ》に、会《あ》わせる顔《かお》はねえンだが、ちっとばかり、人《ひと》に頼《たの》まれたことがあって、義理《ぎり》に挟《はさ》まれてやって来《き》たのよ。おせん、済《す》まねえが、おいらの頼《たの》みを聞《き》いてくんねえ」
「そりゃまた兄《あに》さん、どのようなことでござんす」
「どうのこうのと、話《はな》せば長《なげ》え訳合《わけあい》だが、手《て》ッ取早《とりばや》くいやァ、おいらァ金《かね》が入用《いりよう》なんだ」
「お金《かね》とえ」
「そうだ」
「あたしゃ、お金《かね》なんぞ。……」
「まァ待《ま》った。藪《やぶ》から棒《ぼう》に飛《と》び込《こ》んで来《き》た、おいらの口《くち》からこういったんじゃ、おめえがかぶりを振《ふ》るのももっともだが、こっちもまんざら目算《もくさん》なしで、出《で》かけて来《き》たという訳《わけ》じゃねえ。そこにゃちっとばかり、見《み》かけた蔓《つる》があってのことよ。――のうおせん。おめえは通油町《とおりあぶらちょう》の、橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》を知《し》ってるだろう」
「なんとえ」
「徳太郎《とくたろう》という、始末《しまつ》の良《よ》くねえ若旦那《わかだんな》だ」
「さァ、知《し》ってるような、知《し》らないような。……」
「ここァ別《べつ》に白洲《しらす》じゃねえから、隠《かく》しだてにゃ及《およ》ばねえぜ。知《し》らねえといったところが、どうでそれじゃァ通《とお》らねえんだ。先《さき》ァおめえに、家蔵《いえくら》売《う》ってもいとわぬ程《ほど》の、首《くび》ッたけだというじゃねえか」
「まァ兄《にい》さん」
「恥《はず》かしがるにゃァ当《あた》らねえ。何《なに》もこっちから、血道《ちみち》を上《あ》げてるという訳《わけ》じゃなし、おめえに惚《ほ》れてるな、向《むこ》う様《さま》の勝手次第《かってしだい》だ。――おせん。そこでおめえに相談《そうだん》だが、ひとつこっちでも、気《き》のある風《ふう》をしちゃあくれめえか」
「えッ」
「おめえも十八だというじゃァねえか。もうてえげえ、そのくれえの芸当《げいとう》は、出来《でき》ても辱《はじ》にゃァなるめえぜ」
千吉《きち》は、たじろぐおせんを見詰《みつ》めながら、四角《かく》く坐《すわ》って詰《つ》め寄《よ》った。
七
「もし、兄《あに》さん」
月《つき》は雲《くも》に覆《おお》われたのであろう。障子《しょうじ》を漏《も》れる光《ひかり》さえない部屋《へや》の中《なか》は、僅《わず》かに隣《となり》から差《さ》す行燈《あんどん》の方影《かたかげ》に、二人《ふたり》の半身《はんしん》を淡《あわ》く見《み》せているばかり、三年《ねん》振《ぶ》りで向《む》き合《あ》った兄《あに》の顔《かお》も、おせんははっきり見極《みきわ》めることが出来《でき》なかった。
その方暗《かたやみ》の中《なか》に、おせんの声《こえ》は低くふるえた。
「兄《あに》さん」
「え」
「帰《かえ》っておくんなさい」
「何《な》んだって。おいらに帰《けえ》れッて」
「あい」
「冗談《じょうだん》じゃねえ。用《よう》がありゃこそ、わざわざやって来《き》たんだ。なんでこのまま帰《けえ》れるものか。そんなことよりおいらの頼《たの》みを、素直《すなお》にきいてもらおうじゃねえか。おめえさえ首《くび》を縦《たて》に振《ふ》ってくれりゃァ、からきし訳《わけ》はねえことなんだ。のうおせん。赤《あか》の他人《たにん》でさえ、事《こと》を分《わ》けて、かくかくの次第《しだい》と頼《たの》まれりゃ、いやとばかりゃァいえなかろう。おいらァおめえの兄貴《あにき》だよ。――血《ち》を分《わ》けた、たった一人《ひとり》の兄貴《あにき》だよ。それも、百とまとまった金《かね》が入用《いりよう》だという訳《わけ》じゃねえ。四半分《はんぶん》の二十五両《りょう》で事《こと》が済《す》むんだ」
「二十五両《りょう》。――」
「みっともねえ。驚《おどろ》く程《ほど》の高《たか》でもあるめえ」
「でも、そんなお金《かね》は。……」
「だからよ。初手《しょて》からいってる通《とお》り、おめえやお袋《ふくろ》の臍《へそ》くりから、引《ひ》っ張《ぱ》り出《だ》そうたァいやァしねえや。狙《ねら》いをつけたなあの若旦那《わかだんな》、橘屋《たちばなや》の徳太郎《とくたろう》というでくの棒《ぼう》よ。ふふふふ。何《な》んの雑作《ぞうさ》もありァしねえ。おめえがここでたった一言《ひとこと》。おなつかしゅうござんす、とかなんとかいってくれさえすりァ、おいらの頼《たの》みァ聴《き》いてもらえようッてんだ。お釈迦《しゃか》が甘茶《あまちゃ》で眼病《めやみ》を直《なお》すより、もっとわけねえ仕事《しごと》じゃねえか」
「それでもあたしゃ。心《こころ》にもないことをいって。……」
「そ、その料簡《りょうけん》がいけねえんだ。腹《はら》にあろうがなかろうが、武士《ぶし》は戦略《せんりゃく》、坊主《ぼうず》は方便《ほうべん》、時《とき》と場合《ばあい》じゃ、人《ひと》の寝首《ねくび》をかくことさえあろうじゃねえか。――さ、ここに筆《ふで》と紙《かみ》がある。いろはのいの字《じ》とろの字《じ》を書《か》いて、いろよい返事《へんじ》をしてやんねえ」
千吉《きち》がふところから取出《とりだ》したのは、巻紙《まきがみ》と矢立《やたて》であった。
おせんは、あわてて手《て》を引《ひ》ッ込《こ》めた。
「堪忍《かんにん》しておくんなさい」
「何《なに》もあやまるこたァありゃァしねえ。暗《くら》くッて書《か》けねえというンなら、仕方《しかた》がねえ。行燈《あんどん》をつけてやる」
「もし。――」
今度《こんど》はおせんが、千吉《きち》の手《て》をおさえた。
「何《なに》をするんだ」
「あたしゃ、どうでもいやでござんす」
「そんならこれ程《ほど》までに、頭《あたま》をさげて頼《たの》んでもか」
「外《ほか》のこととは訳《わけ》が違《ちが》い、あたしゃ数《かず》あるお客《きゃく》のうちでも、いの一番《ばん》に嫌《きら》いなお人《ひと》、たとえ嘘《うそ》でも冗談《じょうだん》でも、気《き》の済《す》まないことはいやでござんす」
「おせん。おめえ、兄貴《あにき》を見殺《みごろ》しにするつもりか」
「何《な》んとえ」
「おめえがいやだとかぶりを振《ふ》りゃァ、おいらは人《ひと》から預《あず》かった、大事《だいじ》な金《かね》を落《お》としたかどで、いやでも明日《あした》は棒縛《ぼうしば》りだ。――そいつもよかろう。おめえはかげで笑《わら》っていねえ」
「兄《あに》さん」
「もう何《な》んにも頼《たの》まねえ。これから帰《けえ》って縛《しば》られようよ」
千吉《きち》は、わざとやけに立上《たちあが》って窓辺《まどべ》へつかつかと歩《あゆ》み寄《よ》った。
突然《とつぜん》隣座敷《となりざしき》から、お岸《きし》のすすり泣《な》く声《こえ》が、障子越《しょうじご》しに聞《きこ》えて来《き》た。
文《ふみ》
一
「若旦那《わかだんな》、もし、油町《あぶらちょう》の若旦那《わかだんな》」
「おお、お前《まえ》は千吉《きち》つぁん」
「そんなに急《いそ》いで、どこへおいでなせえやす」
「お前《まえ》のとこさ」
「何、あっしンとこでげすッて。――あっしンとこなんざ、若旦那《わかだんな》においでを願《ねが》うような、そんな気《き》の利《き》いた住居《すまい》じゃござんせん。火口箱《ほくちばこ》みてえな、ちっぽけな棟割長屋《むねわりながや》なんで。……」
「小《ちい》さかろうが、大《おお》きかろうが、そんなことは考《かんが》えちゃいられないよ」
「何《な》んと仰《おっ》しゃいます」
「あたしゃお前《まえ》に頼《たの》んだ返事《へんじ》を、聞《き》かせてもらいに、往《ゆ》くところじゃないか」
「はッはッは。それでわざわざお運《はこ》び下《くだ》さろうッてんでげすか。これぁどうも恐《おそ》れいりやした。そのことなら、どうかもう御心配《ごしんぱい》は、御無用《ごむよう》になすっておくんなさいまし」
「おお、そんなら千吉《きち》さん、おせんの返事《へんじ》を。――」
「憚《はばか》りながら、いったんお引《ひき》受《う》け申《もう》しやした正直《しょうじき》千吉《きち》、お約束《やくそく》を違《たが》えるようなこたァいたしやせん」
「済《す》まない。あたしはそうとは思《おも》っていたものの、これがやっぱり恋心《こいごころ》か。ちっとも速《はや》く返事《へんじ》が聞《き》き度《た》くて、帳場格子《ちょうばこうし》と二階《かい》の間《あいだ》を、九十九度《ど》も通《かよ》った挙句《あげく》、とうとう辛抱《しんぼう》が出来《でき》なくなったばっかりに、ここまで出向《でむ》いて来《き》た始末《しまつ》さ。そうと極《きま》ったら、どうか直《す》ぐに色《いろ》よい返事《へんじ》を聞《き》かせておくれ」
「ま、ま、待《ま》っておくんなせえやし。そんなにお急《せき》ンならねえでも、おせんの返事《へんじ》は、直《す》ぐさまお聞《き》かせ申《もう》しやすが、ここは道端《みちばた》、誰《だれ》に見《み》られねえとも限《かぎ》りやせん。筋《すじ》の通《とお》ったいい所《ところ》で、ゆっくりお目《め》にかけようじゃござんせんか」
「そりゃもう、いずれおまんまでも食《た》べながら、ゆっくり見《み》せてもらおうが、まず文《ふみ》の上書《うわがき》だけでも、ここでちょいと、のぞかせておくれでないか」
「御安心《ごあんしん》くださいまし。上書《うわがき》なんざ二の次《つぎ》三の次《つぎ》、中味《なかみ》から封《ふう》じ目《め》まで、おせんの手《て》に相違《そうい》はございません。あいつァ七八つの時分《じぶん》から、手習《てならい》ッ子《こ》の仲間《なかま》でも、一といって二と下《さが》ったことのねえ手筋自慢《てすじじまん》。あっしゃァ質屋《しちや》の質《しち》の字《じ》と、万金丹《まんきんたん》の丹《たん》の字《じ》だけしきゃ書《か》けやせんが、おせんは若旦那《わかだんな》のお名前《なまえ》まで、ちゃァんと四角《かく》い字《じ》で書《か》けようという、水茶屋女《みずぢゃやおんな》にゃ惜《お》しいくらいの立派《りっぱ》な手書《てが》き。――この通《とお》り、あっしがふところに預《あず》かっておりやすから、どうか親船《おやぶね》に乗《の》った気《き》で、おいでなすっておくんなせえやし」
「安心《あんしん》はしているけれど、ちっとも速《はや》く見《み》たいのが人情《にんじょう》じゃないか。野暮《やぼ》をいわずに、ちょいとでいいから、ここでお見《み》せよ」
「堪忍《かんにん》しておくんなさい。道《みち》ッ端《ぱた》ではお目《め》にかけねえようにと、こいつァ妹《いもうと》からの、堅《かた》い頼《たの》みでござんすので。……」
「はてまァ、何《な》んという野暮《やぼ》だろうのう」
「どうか察《さっ》しておやンなすって。おせんにして見《み》りゃ、自分《じぶん》から文《ふみ》を書《か》いたな始《はじ》めての、いわば初恋《はつこい》とでも申《もう》しやしょうか。はずかしい上《うえ》にもはずかしいのが人情《にんじょう》でげしょう。道《みち》ッ端《ぱた》で展《ひろ》げたとこを、ひょっと誰《だれ》かに見《み》られた日《ひ》にゃァ、それこそ若旦那《わかだんな》、気《き》の弱《よわ》いおせんは、どんなことになるか、知《し》れたもんじゃござんせん。野暮《やぼ》は承知《しょうち》の上《うえ》でござんす。どうか、ここンところをお察《さっ》しなすって……」
谷中《やなか》から上野《うえの》へ抜《ぬ》ける、寛永寺《かんえいじ》の土塀《どべい》に沿《そ》った一筋道《すじみち》、光琳《こうりん》の絵《え》のような桜《さくら》の若葉《わかば》が、道《みち》に敷《し》かれたまん中《なか》に佇《たたず》んだ、若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》とおせんの兄《あに》の千吉《きち》とは、折《おり》からの夕陽《ゆうひ》を浴《あ》びて、色《いろ》よい返事《へんじ》を認《したた》めたおせんの文《ふみ》を、見《み》せろ見《み》せないのいさかいに、しばし心《こころ》を乱《みだ》していたが、この上《うえ》の争《あらそ》いは無駄《むだ》と察《さっ》したのであろう。やがて徳太郎《とくたろう》は細《ほそ》い首《くび》をすくめた。
「あたしゃ気《き》が短《みじか》いから、どこへ行《ゆ》くにしても、とても歩《ある》いちゃ行《い》かれない。千吉《きち》つぁん、直《す》ぐに駕籠《かご》を呼《よ》んでもらおうじゃないか」
「合点《がってん》でげす」
千吉《きち》は二《ふた》つ返事《へんじ》で頷《うなず》いた。
二
徳太郎《とくたろう》と千吉《きち》とが、不忍池畔《しのばずちはん》の春草亭《しゅんそうてい》に駕籠《かご》を停《と》めたのは、それから間《ま》もない後《あと》だった。
徳太郎《とくたろう》は女中《じょちゅう》の案内《あんない》も待《ま》たず、駆《か》け込《こ》むように千吉《きち》の手《て》をとって、奥《おく》の座敷《ざしき》へ連《つ》れ込《こ》んだ。
「さ、千吉《きち》さん」
「へえ」
「早《はや》くお見《み》せ」
「何《なに》をでござんす」
「おや、何《なに》をはあるまい。おせんのふみじゃないか」
「おそうだ。これはすっかり忘《わす》れて居《お》りやした」
「お前《まえ》は道端《みちばた》じゃ見《み》せられないというから、わざわざ駕籠《かご》を急《いそ》がせて、ここまで来《き》たんだよ。さ大事《だいじ》な文《ふみ》を、少《すこ》しでも速《はや》く見《み》せてもらいましょう」
「お見《み》せいたしやす」
「口《くち》ばっかりでなく、速《はや》くお出《だ》しッたら」
「出《だ》しやす。――が、ちょいとお待《ま》ちなすっておくんなさい。その前《まえ》に、あっしゃァ若旦那《わかだんな》に、ひとつお願《ねが》い申《もう》してえことがござんすので。……」
「何《な》んだえ、あらたまって。――」
「実《じつ》ァその、おせんの奴《やつ》から。……」
「なに、おせんから、あたしに頼《たの》みとの」
「へえ」
「そんならなぜ、もっと早《はや》くいわないのさ」
「申上《もうしあ》げたいのは山々《やまやま》でござんすが、ちと厚《あつ》かましい筋《すじ》だもんでげすから、ついその、あっしの口《くち》からも、申上《もうしあ》げにくかったような訳《わけ》でげして」
「馬鹿《ばか》な。つまらない遠慮《えんりょ》なんか、水臭《みずくさ》いじゃないか。そんな遠慮《えんりょ》はいらないから、いっとくれ。あたしでかなうことなら、どんな願《ねが》いでも、きっと聞《き》いてあげようから。……」
「そりゃどうも。おせんに聞《き》かしてやりましたら、どれ程《ほど》喜《よろこ》ぶか知《し》れやァしません。――ところで若旦那《わかだんな》」
「なにさ」
「そのお願《ねが》いと申《もう》しますのは」
「その頼《たの》みとは」
「お金《かね》を。――」
「何《な》んのことかと思《おも》ったら、お金《かね》かい。憚《はばか》りながら、あたしァ江戸《えど》でも人様《ひとさま》に知《し》られた、橘屋《たちばなや》の徳太郎《とくたろう》、おせんの頼《たの》みとあれば、決《けっ》していやとはいわないから、かまわずにいって御覧《ごらん》。たとえどれ程《ほど》の大金《たいきん》でも、あれのためなら、首《くび》は横《よこ》にゃ振《ふ》らないつもりだよ」
「へえへえ、どうも恐《おそれ》れいりやした。いやもう、おせん、おめえよく捕《と》ったぞ。これ程《ほど》の鼠《ねずみ》たァ、まさか思《おも》っちゃ。……」
「これ千吉《きち》つぁん、何《なに》をおいいだ。あたしのことを鼠《ねずみ》とは。……」
「ど、どういたしやして、鼠《ねずみ》なんぞた申《もう》しゃしません。若旦那《わかだんな》にはこれからも、鼠《ぬずみ》のように、チウ義《ぎ》をおつくし申《もう》せと、こう申《もう》したのでございます」
「お前《まえ》は口《くち》が上手《じょうず》だから。……」
「口《くち》はからきし下手《へた》の皮《かわ》、人様《ひとさま》の前《まえ》へ出《で》たら、ろくにおしゃべりも出来《でき》る男《おとこ》じゃござんせんが、若旦那《わかだんな》だけは、どうやら赤《あか》の他人《たにん》とは思《おも》われず、ついへらへらとお喋《しゃべ》りもいたしやす。――ねえ若旦那《わかだんな》。どうかおせんに、二十五両《りょう》だけ、貸《か》してやっておくんなせえやし」
「何《なに》、二十五両《りょう》。――」
「江戸《えど》で名代《なだい》の橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》。二十五両《りょう》は、ほんのお小遣《こづかい》じゃござんせんか」
千吉《きち》はそういいながら、ふところ深《ふか》くひそませた、おせんのふみを取《と》りだした。
ありがたく存《ぞん》じ候《そうろう》 かしこ
せん より
若旦那《わかだんな》さま
ふみのおもては、ただこれだけだった。
三
朝《あさ》っぱらの柳湯《やなぎゆ》は、町内《ちょうない》の若《わか》い者《もの》と、楊枝削《ようじけず》りの御家人《ごけにん》と道楽者《どうらくもの》の朝帰《あさがえ》りとが、威勢《いせい》のよしあしを取《とり》まぜて、柘榴口《ざくろぐち》の内《うち》と外《そと》とにとぐろを巻《ま》いたひと時《とき》の、辱《はじ》も外聞《がいぶん》もない、手拭《てぬぐい》一本《ぽん》の裸絵巻《はだかえまき》を展《ひろ》げていたが、こんな場合《ばあい》、誰《だれ》の口《くち》からも同《おな》じように吐《は》かれるのは、何吉《なにきち》がどこの賭場《とば》で勝《か》ったとか、どこそこのお何《なに》が、近頃《ちかごろ》誰《だれ》にのぼせているとか、さもなければ芝居《しばい》の噂《うわさ》、吉原《よしわら》の出来事《できごと》、観音様《かんのんさま》の茶屋女《ちゃやおんな》の身《み》の上《うえ》など、おそらく口《くち》を開《ひら》けば、一様《よう》におのれの物知《ものし》りを、少《すこ》しも速《はや》く人《ひと》に聞《き》かせたいとの自慢《じまん》からであろう。玉《たま》のような汗《あせ》を額《ひたい》にためながら、いずれもいい気持《きもち》でしゃべり続《つづ》ける面白《おもしろ》さ。中《なか》には、顔《かお》さえ洗《あら》やもう用《よう》はねえと、流《なが》しのまん中《なか》に頑張《がんば》って、四斗樽《とだる》のような体《からだ》を、あっちへ曲《ま》げ、こっちへ伸《のば》して、隣近所《となりきんじょ》へ泡《あわ》を飛《と》ばす暇《ひま》な隠居《いんきょ》や、膏薬《こうやく》だらけの背中《せなか》を見《み》せて、弘法灸《こうぼうきゅう》の効能《こうのう》を、相手《あいて》構《かま》わず吹《ふ》き散《ちら》す半病人《はんびょうにん》もある有様《ありさま》。湯屋《ゆや》は朝《あさ》から寄合所《よりあいしょ》のように賑《にぎ》わいを見《み》せていた。
「長兄《ちょうあに》イ。聞《き》いたか」
「何《なに》を」
「何《なに》をじゃねえ、千吉《きち》がしこたま儲《もう》けたッて話《はなし》をよ」
「うんにゃ。聞《き》かねえよ」
「迂濶《うかつ》だな」
「だっておめえ、知《し》らねえもなァ仕方《しかた》がねえや。――いってえ、あの怠《なま》け者《もの》が、どこでそんなに儲《もう》けやがったたんだ」
「どこッたっておめえ、そいつが、てえそうないかさまなんだぜ」
「ふうん、奴《やつ》にそんな器用《きよう》なことが出来《でき》るのかい」
「相手《あいて》がいいんだ」
「椋鳥《むくどり》か」
「ちゃきちゃきの江戸《えど》っ子《こ》よ」
「はァてな、江戸《えど》っ子《こ》が、奴《やつ》のいかさまに引《ひ》ッかかるたァおかしいじゃねえか」
「いかさまッたって、おめえ、丁半《ちょうはん》じゃねえぜ」
「ほう、さいころじゃねえのかい」
「女《おんな》が餌《えさ》だ」
「女《おんな》。――」
「相手《あいて》を釣《つ》って儲《もう》けたのよ」
「そいつァ尚更《なおさら》初耳《はつみみ》だ。――その相手《あいて》ッてな、どこの誰《だれ》よ」
「油町《あぶらちょう》の紙問屋《かみどんや》、橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》だ」
「ほう、そいつァおもしれえ」
「あれだ。おもしれえは気《き》の毒《どく》だぜ。千吉《きち》は妹《いもうと》のおせんを餌《えさ》にして、若旦那《わかだんな》から、二十五両《りょう》という大金《たいきん》をせしめやがったんだ」
「なに二十五両《りょう》だって」
「どうだ。てえしたもんだろう」
「冗談《じょうだん》じゃねえ。二十五両《りょう》といやァ、小判《こばん》が二十五枚《まい》だぜ。こいつが二両《りょう》とか、二両《りょう》二分《ぶ》とかいうンなら、まだしも話《はなし》の筋《すじ》が通《とお》るが、二十五両《りょう》は飛《と》んでもねえ。あいつの首《くび》を引換《ひきかえ》にしたって、借《か》りられる金《かね》じゃァねえぜ。冗談《じょうだん》も休《やす》み休《やす》みいってくんねえ」
「ふん、知《し》らねえッてもなァおッかねえや。おいらァ現《げん》にたった今《いま》、この二つの眼《め》で、睨《にら》んで来《き》たばかりなんだ。山吹色《やまぶきいろ》で二十五枚《まい》、滅多《めった》に見《み》られるかさじゃァねえて」
「ふふふふ、金《きん》の字《じ》。その話《はなし》をもうちっと委《くわ》しく聞《き》かせねえか」
そういいながら、柘榴口《ざくろぐち》から、にゅッと首《くび》を出《だ》したのは、絵師《えし》の春重《はるしげ》だった。
「春重《はるしげ》さん、お前《まえ》さんいたのかい」
「いたから顔《かお》を出《だ》したんだがの。大分《だいぶ》話《はなし》が面白《おもしろ》そうじゃねえか」
春重《はるしげ》は、もう一度《ど》ニヤリと笑《わら》った。
四
「ふふふふ、金《きん》の字《じ》、なんで急《きゅう》に唖《おし》のように黙《だま》り込《こ》んじゃったんだ。話《はな》して聞《き》かせねえな。どうせおめえの腹《はら》が痛《いた》む訳《わけ》でもあるめえしよ」
柘榴口《ざくろぐち》から流《なが》しへ出《で》て来《き》た春重《はるしげ》の様子《ようす》には、いつも通《とお》りの、妙《みょう》な粘《ねば》りッ気《け》が絡《から》みついていて、傘屋《かさや》の金蔵《きんぞう》の心持《こころもち》を、ぞッとする程《ほど》暗《くら》くさせずにはおかなかった。
「てえした面白《おもしれ》え話《はなし》でもねえからよ」
「なに面白《おもしろ》くねえことがあるもんか。二十五両《りょう》といやァ、おいらのような貧乏人《びんぼうにん》は、まごまごすると、生涯《しょうがい》お目《め》にゃぶら下《さ》がれない大金《たいきん》だぜ。そいつをいかさまだかさかさまだかにつるさげて、物《もの》にしたと聞《き》いちゃァ、志道軒《しどうけん》の講釈《こうしゃく》じゃねえが、嘘《うそ》にも先《さき》を聞《き》かねえじゃいられねえからの。――相手《あいて》が橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》だったてえな、ほんまかい」
「おめえさん、それを聞《き》いてどうしようッてんだ」
顔《かお》をしかめて、春重《はるしげ》を見守《みまも》ったのは、金蔵《きんぞう》に兄《あに》イと呼《よ》ばれた左官《さかん》の長吉《ちょうきち》であった。
「どうもしやァしねえがの。そいつがほんまなら、おいらもちっとばかり、若旦那《わかだんな》に借《か》りてえと思《おも》ってよ」
「若旦那《わかだんな》に借《か》りるッて」
「まずのう。だが安心《あんしん》しなよ。おいらの借りようッてな、二十五両《りょう》の三十両《りょう》のという、大《だい》それた訳《わけ》のもんじゃねえ。ほんの二分《ぶ》か一両《りょう》が関《せき》の山《やま》だ。それも種《たね》や仕《し》かけで取《と》るようなけちなこたァしやァしねえ。真証《しんしょう》間違《まちが》いなしの、立派《りっぱ》な品物《しなもの》を持《も》ってって、若旦那《わかだんな》の喜《よろこ》ぶ顔《かお》を見《み》ながら、拝借《はいしゃく》に及《およ》ぼうッてんだ」
「そいつァ駄目《だめ》だ」
「なんだって」
「駄目《だめ》ッてことよ。橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》は、たとえお大名《だいみょう》から拝領《はいりょう》の鎧兜《よろいかぶと》を持《も》ってッたって、金《かね》ァ貸しちゃァくれめえよ。――あの人《ひと》の欲《ほ》しい物《もの》ァ、日本中《にほんじゅう》にたったひとつ、笠森《かさもり》おせんの情《なさけ》より外《ほか》にゃ、ありゃァしねッてこった」
「だから、そのおせんの、身《み》から分《わ》けた物《もの》を、おいらァ買《か》ってもらいに行《い》こうッてえのよ」
「身《み》から分《わ》けた物《もの》。――」
「そうだ。他《ほか》の者《もの》が望《のぞ》んだら、百両《りょう》でも譲《ゆず》れる品《しな》じゃねえんだが、相手《あいて》がおせんに首《くび》ッたけの若旦那《わかだんな》だから、まず一両《りょう》がとこで辛抱《しんぼう》してやろうと思《おも》ってるんだ」
「春重《はるしげ》さん。またお前《まえ》、つまらねえ細工物《さいくもの》でもこしらえたんだな」
「冗談《じょうだん》じゃねえ、こしらえたもンなんぞた、天《てん》から訳《わけ》が違うンだぜ」
「訳《わけ》が違《ちが》うッたって、そんな物《もの》がざらにあろうはずもなかろうじゃねえか」
「ところが、あるんだから面白《おもしれ》えや」
「そいつァいってえ、なんだってんだい」
「爪《つめ》よ」
「え」
「爪《つめ》だってことよ」
「爪《つめ》」
「その通《とお》りだ。おせんの身《み》についてた、嘘偽《うそいつわ》りのねえ生爪《なまづめ》なんだ」
「馬《ば》、馬鹿《ばか》にしちゃァいけねえ。いくらおせんの物《もの》だからッて、爪《つめ》なんざ、何《な》んの役《やく》にもたちゃァしねえや。かつぐのもいい加減《かげん》にしてくんねえ」
「ふん、物《もの》の値打《ねうち》のわからねえ奴《やつ》にゃかなわねえの。女《おんな》の身体《からだ》についてるもんで、年《ねん》が年中《ねんじゅう》、休《やす》みなしに伸《の》びてるもなァ、髪《かみ》の毛《け》と爪《つめ》だけだぜ。そのうちでも爪《つめ》の方《ほう》は、三日《みっか》見《み》なけりゃ目立《めだ》って伸《の》びる代物《しろもの》だ。――指《ゆび》の数《かず》で三百本《ぽん》、糠袋《ぬかぶくろ》に入《い》れてざっと半分《はんぶん》よ。この混《ま》じりッけのねえおせんの爪《つめ》が、たった小判《こばん》一枚《まい》だとなりゃ、若旦那《わかだんな》が猫《ねこ》のように飛《と》びつくなァ、磨《と》ぎたての鏡《かがみ》でおのが面《つら》を見《み》るより、はっきりしてるぜ」
春重《はるしげ》のまわりには、いつか、ぐるりと裸《はだか》の人垣《ひとがき》が出来《でき》ていた。
五
「千の字《じ》。おめえ、いい腕《うで》ンなったの」
「ふふふ」
「笑《わら》いごっちゃねえぜ。二十五両《りょう》たァ、大束《おおたば》に儲《もう》けたじゃねえか」
「どこで、そいつを聞《き》いた」
「壁《かべ》に耳《みみ》ありよ。さっき、通《とお》りがかりに飛《と》び込《こ》んだ神田《かんだ》の湯屋《ゆや》で、傘屋《かさや》の金蔵《きんぞう》とかいう奴《やつ》が、てめえのことのように、自慢《じまん》らしく、みんなに話《はな》して聞《き》かせてたんだ」
「あいつ、もうそんな余計《よけい》なことを喋《しゃべ》りゃがったかい」
「喋《しゃべ》ったの、喋《しゃべ》らねえの段《だん》じゃねえや。紙屋《かみや》の若旦那《わかだんな》をまるめ込《こ》んで。――」
下総武蔵《しもふさむさし》の国境《くにざかい》だという、両国橋《りょうごくばし》のまん中《なか》で、ぼんやり橋桁《はしげた》にもたれたまま、薄汚《うすぎたな》い婆《ばあ》さんが一匹《ぴき》五文《もん》で売《う》っている、放《はな》し亀《かめ》の首《くび》の動《うご》きを見詰《みつ》めていた千吉《きち》は、通《とお》りがかりの細川《ほそかわ》の厩中間《うまやちゅうげん》竹《たけ》五郎《ろう》に、ぽんと背中《せなか》をたたかれて、立《た》て続《つづ》けに聞《き》かされたのが、柳湯《やなぎゆ》で、金蔵《きんぞう》がしゃべったという、橘屋《たちばなや》の一件《けん》であった。
が、もう一度《ど》竹《たけ》五郎《ろう》が、鼻《はな》の頭《あたま》を引《ひ》ッこすって、ニヤリと笑《わら》ったその刹那《せつな》、向《むこ》うから来《き》かかった、八丁堀《ちょうぼり》の与力《よりき》井上藤吉《いのうえとうきち》の用《よう》を聞《き》いている鬼《おに》七を認《みと》めた千吉《きち》は、素速《すばや》く相手《あいて》を眼《め》で制《せい》した。
「叱《し》ッ。いけねえ。行《い》っちめえねえ」
「合点《がってん》だ」
するりと抜《ぬ》けるようにして、竹《たけ》五郎《ろう》が行《い》ってしまうと、はやくも鬼《おに》七は、千吉《きち》の眼《め》の前《まえ》に迫《せま》っていた。
「千吉《きち》。おめえ、こんなとこで、何《なに》をうろうろしてるんだ」
「へえ。きょうは親父《おやじ》の、墓詣《はかめえ》りにめえりやした。その帰《けえ》りがけでござんして。……」
「墓詣《はかまい》り」
「へえ」
「いつッから、そんな心《こころ》がけになったんだ」
「どうか御勘弁《ごかんべん》を」
「勘弁《かんべん》はいいが、――丁度《ちょうど》いい所《ところ》でおめえに遭《あ》った。ちっとばかり訊《き》きてえことがあるから、つきあってくんねえ」
「へえ」
「びくびくするこたァありゃしねえ。こいつあこっちから頼《たの》むんだから、安心《あんしん》してついて来《き》ねえ」
鬼《おに》七と呼ばれてはいるが、名前《なまえ》とはまったく違《ちが》った、すっきりとした男前《おとこまえ》の、結《ゆ》いたての髷《まげ》を川風《かわかぜ》に吹《ふ》かせた格好《かっこう》は、如何《いか》にも颯爽《さっそう》としていた。
折柄《おりから》の上潮《あげしお》に、漫々《まんまん》たる秋《あき》の水《みず》をたたえた隅田川《すみだがわ》は、眼《め》のゆく限《かぎ》り、遠《とお》く筑波山《つくばやま》の麓《ふもと》まで続《つづ》くかと思《おも》われるまでに澄渡《すみわた》って、綾瀬《あやせ》から千住《じゅ》を指《さ》して遡《さかのぼ》る真帆方帆《まほかたほ》が、黙々《もくもく》と千鳥《ちどり》のように川幅《かわはば》を縫《ぬ》っていた。
その絵巻《えまき》を展《ひろ》げた川筋《かわすじ》の景色《けしき》を、見《み》るともなく横目《よこめ》で見《み》ながら、千吉《きち》と鬼《おに》七は肩《かた》をならべて、静《しず》かに橋《はし》の上《うえ》を浅草御門《あさくさごもん》の方《ほう》へと歩《あゆ》みを運《はこ》んだ。
「千吉《きち》、おめえ、おせんのところへは出《で》かけたろうの」
「どういたしやして。妹《いもうと》にゃ、三年《ねん》この方《かた》、てんで会《あ》やァいたしません」
「ふふふ。つまらねえ隠《かく》し立《だ》ては止《や》めねえか。いまもいった通《とお》り、おいらァおめえを、洗《あら》い立《た》てるッてんじゃねえ。こっちの用《よう》で訊《き》きてえことがあるんだ。悪《わる》いようにゃしねえから、はっきり聞《き》かしてくんねえ」
「どんな御用《ごよう》で。……」
「おせんのとこへ、菊之丞《はまむらや》が毎晩《まいばん》通《かよ》うッて噂《うわさ》を聞《き》き込《こ》んだんだが、そいつをおめえは知《し》ってるだろうの」
こう訊《き》きながら、鬼《おに》七の眼《め》は異様《いよう》に光《ひか》った。
六
鬼《おに》七の問《とい》は、まったく千吉《きち》には思《おも》いがけないことであった。――子供《こども》の時分《じぶん》から好《す》きでこそあれ、嫌《きら》いではない菊之丞《きくのじょう》を、おせんがどれ程《ほど》思《おも》い詰《つ》めているかは、いわずと知《し》れているものの、今《いま》では江戸《えど》一番《ばん》の女形《おやま》といわれている菊之丞《きくのじょう》が、自分《じぶん》からおせんの許《もと》へ、それも毎晩《まいばん》通《かよ》って来《き》ようなぞとは、どこから出《で》た噂《うわさ》であろう。岡焼半分《おかやきはんぶん》の悪刷《わるずり》にしても、あんまり話《はなし》が食《く》い違《ちが》い過《す》ぎると、千吉《きち》は思《おも》わず鬼《おに》七の顔《かお》を見返《みかえ》した。
「何《な》んで、そんな不審《ふしん》そうな顔《かお》をするんだ」
「何《な》んでと仰《おっ》しゃいますが、あんまり親方《おやかた》のお聞《き》きなさることが、解《げ》せねえもんでござんすから。……」
「おいらの訊《き》くことが解《げ》せねえッて。――何《なに》が解《げ》せねえんだ」
「浜村屋《はまむらや》は、おせんのところへなんざ、命《いのち》を懸《か》けて頼《たの》んだって、通《かよ》っちゃくれませんや」
「おめえ、まだ隠《かく》してるな」
「どういたしやして、嘘《うそ》も隠《かく》しもありゃァしません。みんなほんまのことを申《もうし》上《あ》げて居《お》りやすんで。……」
「千吉《きち》」
「へ」
「おめえ、二三日前《にちまえ》に行《い》った時《とき》、おせんが誰《だれ》と話《はなし》をしてえたか、そいつをいって見《み》ねえ」
「話《はなし》でげすって」
「そうだ。おせん一人《ひとり》じゃなかったろう。たしか相手《あいて》がいたはずだ」
「お袋《ふくろ》が、隣座敷《となりざしき》にいた外《ほか》にゃ、これぞといって、人《ひと》らしい者《もの》ァいやァいたしません」
「ふふふ、お七はいなかったか」
「お七ッ」
「どうだ、お七の衣装《いしょう》を着《き》た浜村屋《はまむらや》が、ちゃァんと一人《ひとり》いたはずだ。おめえはその眼《め》で見《み》たじゃねえか」
「ありゃァ親方《おやかた》。――」
「あれもこれもありゃァしねえ。おいらはそいつを訊《き》いてるんだ」
「人形《にんぎょう》じゃござんせんか」
「とぼけちゃいけねえ。人間《にんげん》を人形《にんぎょう》と見違《みちが》える程《ほど》、鬼《おに》七ァまだ耄碌《もうろく》しちゃァいねえよ。ありゃァ菊之丞《きくのじょう》に違《ちげ》えあるめえ」
「確《たしか》にそうたァ申上《もうしあげ》られねえんで。……」
「おめえ、眼《め》が上《あが》ったな。判《わか》った。――もういいから帰《けえ》ンな」
「有難《ありがと》うござんすが、――親方《おやかた》、あれがもしか浜村屋《はまむらや》だったら、どうなせえやすんで。……」
「どうもしやァしねえ」
「どうもしねンなら、何《なに》も。――」
「聞《き》きてえか」
「どうか、お聞《き》かせなすっておくんなせえやし」
「浜村屋《はまむらや》は、役者《やくしゃ》を止《や》めざァならねえんだ」
「何《な》んでげすッて」
「口《くち》が裂《さ》けてもいうじゃァねえぞ。――南御町奉行《みなみおまちぶぎょう》の、信濃守様《しなののかみさま》の妹御《いもうとご》のお蓮様《れんさま》は、浜村屋《はまむらや》の日本《にほん》一の御贔屓《ごひいき》なんだ」
「ではあの、壱岐様《いきさま》からのお出戻《でもど》りの。――」
「叱《し》っ。余計《よけい》なこたァいっちゃならねえ」
「へえ」
「さ、帰《けえ》ンねえ」
「有難《ありがと》うござんす」
千吉《きち》は、ふところの小判《こばん》を気《き》にしながら、ほっとして頭《あたま》を下《さ》げた。
襟《えり》に当《あた》る秋《あき》の陽《ひ》は狐色《きつねいろ》に輝《かがや》いていた。
七
無理《むり》やりに、手習《てなら》いッ子《こ》に筆《ふで》を握《にぎ》らせるようにして、たった二行《ぎょう》の文《ふみ》ではあったが、いや応《おう》なしに書《か》かされた、ありがたく存《ぞん》じ候《そうろう》かしこの十一文字《もじ》が気《き》になるままに、一夜《や》をまんじりともしなかったおせんは、茶《ちゃ》の味《あじ》もいつものようにさわやかでなく、まだ小半時《こはんとき》も早《はや》い、明《あ》けたばかりの日差《ひざし》の中《なか》を駕籠《かご》に揺《ゆ》られながら、白壁町《しろかべちょう》の春信《はるのぶ》の許《もと》を訪《おとず》れたのであった。
弟子《でし》の藤吉《とうきち》から、おせんが来《き》たとの知《し》らせを聞《き》いた春信《はるのぶ》は、起《お》き出《で》たばかりで顔《かお》も洗《あら》っていなかったが、とりあえず画室《がしつ》へ通《とお》して、磁器《じき》の肌《はだ》のように澄《す》んだおせんの顔《かお》を、じっと見詰《みつ》めた。
「大《たい》そう早《はや》いの」
「はい。少《すこ》しばかり思《おも》い余《あま》ったことがござんして、お智恵《ちえ》を拝借《はいしゃく》に伺《うかが》いました」
「智恵《ちえ》を貸《か》せとな。はッはッは。これは面白《おもしろ》い。智恵《ちえ》はわたしよりお前《まえ》の方《ほう》が多分《たぶん》に持合《もちあわ》せているはずだがの」
「まァお師匠《ししょう》さん」
「いや、それァ冗談《じょうだん》だが、いったいどんなことが持上《もちあが》ったといいなさるんだ」
「あのう、いつもお話《はな》しいたします兄《あに》が、ゆうべひょっこり、帰《かえ》って来《き》たのでござんす」
「なに、兄《にい》さんが帰《かえ》って来《き》たと」
「はい」
「よく聞《き》くお前《まえ》の話《はなし》では、千吉《きち》とやらいう兄《にい》さんは、まる三年《ねん》も行方《ゆくえ》知《し》れずになっていたとか。――それがまた、どうして急《きゅう》に。――」
「面目次第《めんぼくしだい》もござんせぬが、兄《にい》さんは、お宝《たから》が欲《ほ》しいばっかりに、帰《かえ》って来《き》たのだと、自分《じぶん》の口《くち》からいってでござんす」
「金《かね》が欲《ほ》しいとの。したがまさか、お前《まえ》を分限者《ぶげんじゃ》だとは思《おも》うまいがの」
「兄《にい》さんは、あたしを囮《おとり》にして、よその若旦那《わかだんな》から、お金《かね》をお借《か》り申《もう》したのでござんす」
「ほう、何《な》んとして借《か》りた」
「いやがるあたしに文《ふみ》を書《か》かせ、その文《ふみ》を、二十五両《りょう》に、買《か》っておもらい申《もう》すのだと、引《ひ》ッたくるようにして、どこぞへ消《き》え失《う》せましたが、そのお人《ひと》は誰《だれ》あろう、通油町《とおりあぶらちょう》の、橘屋《たちばなや》の徳太郎《とくたろう》さんという、虫《むし》ずが走《はし》るくらい、好《す》かないお方《かた》でござんす」
「そんなら千吉《きち》さんは、橘屋《たちばなや》の徳《とく》さんから、その金《かね》を借《か》りて。――」
「はい。今頃《いまごろ》はおおかた、どこぞお大名屋敷《だいみょうやしき》のお厩《うまや》で、好《す》きな勝負《しょうぶ》をしてでござんしょうが、文《ふみ》を御覧《ごらん》なすった若旦那《わかだんな》が、まッことあたしからのお願《ねが》いとお思《おも》いなされて、大枚《たいまい》のお宝《たから》をお貸《か》し下《くだ》さいましたら、これから先《さき》あたしゃ若旦那《わかだんな》から、どのような難題《なんだい》をいわれても、返《かえ》す言葉《ことば》がござんせぬ。――お師匠《ししょう》さん。何《なん》としたらよいものでござんしょう」
まったく途方《とほう》に暮《く》れたのであろう。春信《はるのぶ》の顔《かお》を見《み》あげたおせんの瞼《まぶた》は、露《つゆ》を含《ふく》んだ花弁《かべん》のように潤《うる》んで見《み》えた。
「さァてのう」
腕《うで》をこまねいて、あごを引《ひ》いた春信《はるのぶ》は、暫《しば》し己《おの》が膝《ひざ》の上《うえ》を見詰《みつ》めていたが、やがて徐《おもむろ》に首《くび》を振《ふ》った。
「徳《とく》さんも、人《ひと》の心《こころ》の読《よ》めない程《ほど》馬鹿《ばか》でもなかろう。どのような文句《もんく》を書《か》いた文《ふみ》か知《し》らないが、その文《ふみ》一本《ぽん》で、まさか二十五両《りょう》の大金《たいきん》は出《だ》すまいよ」
「それでも兄《にい》さんは、ただの二字《じ》でも三字《じ》でも、あたしの書《か》いた文《ふみ》さえ持《も》って行《い》けば、お金《かね》は右《みぎ》から左《ひだり》とのことでござんした」
「そりゃ、いつのことだの」
「ゆうべでござんす」
おせんがもう一度《ど》、顔《かお》を上《あ》げた時《とき》であった。突然《とつぜん》障子《しょうじ》の外《そと》から、藤吉《とうきち》の声《こえ》が低《ひく》く聞《きこ》えた。
「おせんさん、大変《たいへん》なことができましたぜ。浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》が、急病《きゅうびょう》だってこった」
おせんは「はッ」と胸《むね》が詰《つ》まって、直《す》ぐには口《くち》が听《き》けなかった。
夢《ゆめ》
一
子《ね》、丑《うし》、寅《とら》、卯《う》、辰《たつ》、巳《み》、――と、客《きゃく》のない上《あが》りかまちに腰《こし》をかけて、独《ひと》り十二支《し》を順《じゅん》に指折《ゆびお》り数《かぞ》えていた、仮名床《かなどこ》の亭主《ていしゅ》伝吉《でんきち》は、いきなり、息《いき》がつまるくらい荒《あら》ッぽく、拳固《げんこ》で背中《せなか》をどやしつけられた。
「痛《いて》ッ。――だ、だれだ」
「だれだじゃねえや、てえへんなことがおっ始《ぱじ》まったんだ。子丑寅《ねうしとら》もなんにもあったもんじゃねえ。あしたッから、うちの小屋《こや》は開《あ》かねえかも知《し》れねえぜ」
火事場《かじば》の纏持《まといもち》のように、息《いき》せき切《き》って駆《か》け込《こ》んで来《き》たのは、同《おな》じ町内《ちょうない》に住《す》む市村座《いちむらざ》の木戸番《きどばん》長兵衛《ちょうべえ》であった。
伝吉《でんきち》はぎょっとして、もう一度《ど》長兵衛《ちょうべえ》の顔《かお》を見直《みなお》した。
「な、なにがあったんだ」
「なにがも、かにがもあるもんじゃねえ、まかり間違《まちが》や、てえした騒《さわ》ぎになろうッてんだ。おめえンとこだって、芝居《しばい》のこぼれを拾《ひろ》ってる家業《かぎょう》なら、万更《まんざら》かかり合《あい》のねえこともなかろう。こけが秋刀魚《さんま》の勘定《かんじょう》でもしてやしめえし、指《ゆび》なんぞ折《お》ってる時《とき》じゃありゃァしねえぜ」
「いってえ、どうしたッてんだ、長《ちょう》さん」
「おめえ、まだ判《わか》らねえのか」
「聞《き》かねえことにゃ判《わか》らねえや」
「なんて血《ち》のめぐりが悪《わる》く出来《でき》てるんだ。――浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》が、舞台《ぶたい》で踊《おど》ってたまま倒《たお》れちゃったんだ」
「何《な》んだッてそいつァおめえ、本当《ほんとう》かい」
「おれにゃ、嘘《うそ》と坊主《ぼうず》の頭《あたま》ァいえねえよ。――仮《かり》にもおんなじ芝居《しばい》の者《もの》が、こんなことを、ありもしねえのにいって見《み》ねえ。それこそ簀巻《すまき》にして、隅田川《すみだがわ》のまん中《なか》へおッ放《ぽ》り込《こ》まれらァな」
「長《ちょう》さん」
「ええびっくりするじゃねえか。急《きゅう》にそんな大《おお》きな声《こえ》なんざ、出《だ》さねえでくんねえ」
「何《なに》をいってるんだ。これがおめえ、こそこそ話《ばなし》にしてられるかい。おいらァ誰《だれ》が好きだといって、浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》くれえ、好《す》きな役者衆《やくしゃしゅう》はねえんだよ。芸《げい》がよくって愛嬌《あいきょう》があって、おまけに自慢気《じまんげ》なんざ薬《くすり》にしたくもねえッてお人《ひと》だ。――どこが悪《わる》くッて、どう倒《たお》れたんだか、さ、そこをおいらに、委《くわ》しく話《はな》して聞《き》かしてくんねえ」
どやしつけられた、背中《せなか》の痛《いた》さもけろりと忘《わす》れて、伝吉《でんきち》は、元結《もとゆい》が輪《わ》から抜《ぬ》けて足元《あしもと》へ散《ち》らばったのさえ気付《きづ》かずに夢中《むちゅう》で長兵衛《ちょうべえ》の方《ほう》へ膝《ひざ》をすり寄《よ》せた。
「丁度《ちょうど》二番目《ばんめ》の、所作事《しょさごと》の幕《まく》に近《ちけ》え時分《じぶん》だと思《おも》いねえ。知《し》っての通《とお》りこの狂言《きょうげん》は、三五郎《ろう》さんの頼朝《よりとも》に、羽左衛門《うざえもん》さんの梶原《かじわら》、それに太夫《たゆう》は鷺娘《さぎむすめ》で出《で》るという、豊前《ぶぜん》さんの浄瑠璃《じょうるり》としっくり合《あ》った、今度《こんど》の芝居《しばい》の呼《よ》び物《もの》だろうじゃねえか。はねに近《ちか》くなったって、お客《きゃく》は唯《ただ》の一人《ひとり》だって、立《た》とうなんて料簡《りょうけん》の者《もの》ァねえやな。舞台《ぶたい》ははずむ、お客《きゃく》はそろって一寸《すん》でも先《さき》へ首《くび》を出《だ》そうとする。いわば紙《かみ》一重《え》の隙《すき》もねえッてとこだった。どうしたはずみか、太夫《たゆう》の踊《おど》ってた足《あし》が、躓《つまず》いたようによろよろっとしたかと思《おも》うと、あッという間《ま》もなく、舞台《ぶたい》へまともに突《つ》ッ俯《ぷ》しちまったんだ。――客席《きゃくせき》からは浜村屋《はまむらや》ッという声《こえ》が、石《いし》を投《な》げるように聞《き》こえて来《く》るかと思《おも》うと、御贔屓《ごひいき》の泣《な》く声《こえ》、喚《わめ》く声《こえ》、そいつが忽《たちま》ち渦巻《うずまき》になって、わッわッといってるうちに、道具方《どうぐかた》が気《き》を利《き》かして幕《まく》を引《ひ》いたんだが、そりゃおめえ、ここでおれが話《はなし》をしてるようなもんじゃァねえ、芝居中《しばいじゅう》がひっくり返《かえ》るような大騒《おおさわ》ぎだ。――そのうちに頭取《とうどり》が駆《か》け着《つ》ける、弟子達《でしたち》が集《あつ》まるで、倒《たお》れた太夫《たゆう》を、鷺娘《さぎむすめ》の衣装《いしょう》のまま楽屋《がくや》へかつぎ込《こ》んじまったが、まだおめえ、宗庵先生《そうあんせんせい》のお許《ゆる》しが出《で》ねえから、太夫《たゆう》は楽屋《がくや》に寝《ね》かしたまま、家《うち》へも帰《けえ》れねえんだ」
「よし、お花《はな》、おいらに羽織《はおり》を出《だ》してくんねえ」
伝吉《でんきち》は突然《とつぜん》こういって立上《たちあが》った。
二
「お前《まえ》さん、どこへ行《ゆ》くんだよ。真《ま》ッ昼間《ぴるま》ッからお見世《みせ》を空《あ》けて出《で》て行《い》ったんじゃ、お客様《きゃくさま》に申訳《もうしわけ》がないじゃないか。太夫《たゆう》さんとこへお見舞《みまい》に行《ゆ》くなら、日《ひ》が暮《く》れてからにしとくれよ。――ようッてば」
下剃《したぞり》一人《ひとり》をおいて出《で》られたのでは、家業《かぎょう》に障《さわ》ると思《おも》ったのであろう。一張羅《ちょうら》の羽織《はおり》を、渋々《しぶしぶ》箪笥《たんす》から出《だ》して来《き》たお花《はな》は、亭主《ていしゅ》の伝吉《でんきち》の袖《そで》をおさえて、無理《むり》にも引止《ひきと》めようと顔《かお》を窺《のぞ》き込《こ》んだ。
が、伝吉《でんきち》は、いきなり吐《は》きだすようにけんのみを食《く》わせた。
「馬鹿野郎《ばかやろう》。何《なに》をいってやがるんだ。亭主《ていしゅ》のすることに、女《おんな》なんぞが口《くち》を出《だ》すこたァねえから黙《だま》って引《ひ》ッ込《こ》んでろ。外《ほか》のことならともかく、太夫《たゆう》が急病《きゅうびょう》だッてのを、そのままにしといたんじゃ、世間《せけん》の奴等《やつら》になんていわれると思《おも》うんだ。仮名床《かなどこ》の伝吉《でんきち》の奴《やつ》ァ、ふだん浜村屋《はまむらや》が好《す》きだの蜂《はち》の頭《あたま》だのと、口幅《くちはば》ッてえことをいってやがるくせに、なんてざまなんだ。手間《てま》が惜《お》しさに見舞《みまい》にも行《ゆ》かねえしみッたれ野郎《やろう》だ、とそれこそ口《くち》をそろえて悪《わる》くいわれるなァ、加賀様《かがさま》の門《もん》よりもよく判《わか》ってるぜ。――つまらねえ理屈《りくつ》ァいわねえで、速《はや》く羽織《はおり》を着《き》せねえかい。こうなったり一刻《こく》だって、待《ま》てしばしはねえんだ」
お花《はな》の手《て》から羽織《はおり》を引《ひ》ッたくった伝吉《でんきち》は、背筋《せすじ》が二寸《すん》も曲《ま》がったなりに引《ひ》ッかけると、もう一度《ど》お花《はな》の手《て》を振《ふ》りもぎって、喧嘩犬《けんかいぬ》のように、夢中《むちゅう》で見世《みせ》を飛《と》び出《だ》した。
「待《ま》ちねえ、伝《でん》さん」
長兵衛《ちょうべえ》は背後《うしろ》から声《こえ》をかけた。
「何《な》んの用《よう》だ」
「用《よう》じゃァねえが、おかみさんもああいうンだから、晩《ばん》にしたらどうだ。どうせいま行《い》ったって、会《あ》えるもんでもねえンだから。――」
「ふん、おめえまで、余計《よけい》なことはおいてくんねえ。おいらの足《あし》でおいらが歩《ある》いてくんだ。どこへ行《い》こうが勝手《かって》じゃねえか」
「ほう、大《おお》まかに出《で》やァがったな。話《はなし》をしたなァおれなんだぜ。行《ゆ》くんなら、せめておれの髯《ひげ》だけでもあたッてッてくんねえ」
「髯《ひげ》は帰《けえ》って来《き》てからだ」
「帰《かえ》って来《き》てからじゃ、間《ま》に合《あ》わねえよ」
「間《ま》に合《あ》わなかったら、どこいでも行《い》って、やってもらって来《く》るがいいやな。――ええもう面倒臭《めんどうくせ》え、四の五のいってるうちに、日《ひ》が暮《く》れちまわァ」
前つぼの固《かた》い草履《ぞうり》の先《さき》で砂《すな》を蹴《け》って、一目散《もくさん》に駆《か》け出《だ》した伝吉《でんきち》は、提灯屋《ちょうちんや》の角《かど》まで来《く》ると、ふと立停《たちどま》って小首《こくび》を傾《かし》げた。
「待《ま》てよ。こいつァ市村座《いちむらざ》へ行《ゆ》くより先《さき》に、もっと大事《だいじ》なところがあるぜ。――そうだ。まだおせんちゃんが知《し》らねえかもしれねえ。こんな時《とき》に人情《にんじょう》を見《み》せてやるのが、江戸《えど》ッ子《こ》の腹《はら》の見《み》せどこだ。よし、ひとつ駕籠《かご》をはずんで、谷中《やなか》まで突《つ》ッ走《ぱし》ってやろう」
大《おお》きく頷《うなず》いた伝吉《でんきち》は、折《おり》から通《とお》り合《あわ》せた辻駕籠《つじかご》を呼《よ》び止《と》めて、笠森稲荷《かさもりいなり》の境内《けいだい》までだと、酒手《さかて》をはずんで乗《の》り込《こ》んだ。
「急《いそ》いでくんねえよ」
「ようがす」
「急病人《きゅうびょうにん》の知《し》らせに行《ゆ》くんだからの」
「合点《がってん》だ」
返事《へんじ》は如何《いか》にも調子《ちょうし》がよかったが、肝腎《かんじん》の駕籠《かご》は、一向《こう》突《つ》ッ走《ぱし》ってはくれなかった。
「ちぇッ。吉原《よしわら》だといやァ、豪勢《ごうせい》飛《と》びゃァがるくせに、谷中《やなか》の病人《びょうにん》の知《し》らせだと聞《き》いて、馬鹿《ばか》にしてやがるんだろう。伝吉《でんきち》ァただの床屋《とこや》じゃねえんだぜ。当時《とうじ》江戸《えど》で名高《なだけ》え笠森《かさもり》おせんの、襟《えり》を剃《あた》るなァおいらより外《ほか》にゃ、広《ひろ》い江戸中《えどじゅう》に二人《ふたり》たねえんだ」
伝吉《でんきち》が駕籠《かご》の中《なか》で鼻《はな》の頭《あたま》を引《ひ》ッこすってのひとり啖呵《たんか》も、駕籠屋《かごや》には少《すこ》しの効《き》き目《め》もないらしく、駕籠《かご》の歩《あゆ》みは、依然《いぜん》として緩《ゆる》やかだった。
三
床屋《とこや》の伝吉《でんきち》が、笠森《かさもり》の境内《けいだい》へ着《つ》いたその時分《じぶん》、春信《はるのぶ》の住居《すまい》で、菊之丞《きくのじょう》の急病《きゅうびょう》を聞《き》いたおせんは無我夢中《むがむちゅう》でおのが家《いえ》の敷居《しきい》を跨《また》いでいた。
「お母《っか》さん」
「おやおまえ、どうしたというの、何《なに》かお見世《みせ》にあったのかい」
今《いま》ごろ帰《かえ》って来《こ》ようとは、夢《ゆめ》にも考《かんが》えていなかったお岸《きし》は、慌《あわただ》しく駆《か》け込《こ》んで来《き》たおせんの姿《すがた》を見《み》ると、まず、怪我《けが》でもしたのではないかと、穴《あな》のあく程《ほど》じッと見詰《みつ》めながら、静《しず》かに肩《かた》へ手《て》をかけたが、いつもと様子《ようす》の違《ちが》ったおせんは、母《はは》の手《て》を振《ふ》り払《はら》うようにして、そのまま畳《たたみ》ざわりも荒《あら》く、おのが居間《いま》へ駆《か》け込《こ》んで行《い》った。
「どうおしだよ、おせん」
「お母《っか》さん、あたしゃ、どうしよう」
「まァおまえ。……」
「吉《きち》ちゃんが、――あの菊之丞《きくのじょう》さんが、急病《きゅうびょう》との事《こと》でござんす」
「なんとえ。太夫《たゆう》さんが急病《きゅうびょう》とえ。――」
「あい。――あたしゃもう、生《い》きてる空《そら》がござんせぬ」
「何《なに》をおいいだえ。そんな気《き》の弱《よわ》いことでどうするものか。人《ひと》の口《くち》は、どうにでもいえるもの。急病《きゅうびょう》といったところが、どこまで本当《ほんとう》のことかわかったものではあるまいし。……」
「いえいえ、嘘《うそ》でも夢《ゆめ》でもござんせぬ。あたしゃたしかに、この耳《みみ》で聞《き》いて来《き》ました。これから直《す》ぐに市村座《いちむらざ》の楽屋《がくや》へお見舞《みまい》に行《い》って来《き》とうござんす。お母《っか》さん、そのお七の衣装《いしょう》を脱《ぬ》がせておくんなさいまし」
「えッ、これをおまえ」
「吉《きち》ちゃんが、去年《きょねん》の芝居《しばい》が済《す》んだ時《とき》、黙《だま》って届《とど》けておくんなすったお七の衣装《いしょう》、あたしに着《き》ろとの謎《なぞ》でござんしょう」
「それでもこれは。――」
「お母《っか》さん」
おせんは、部屋《へや》の隅《すみ》に立《た》てかけてある人形《にんぎょう》の傍《そば》へ、自分《じぶん》から歩《あゆ》み寄《よ》ると、いきなり帯《おび》に手《て》をかけて、まるで芝居《しばい》の衣装着《いしょうつ》けがするように、如何《いか》にも無造作《むぞうさ》に衣装《いしょう》を脱《ぬ》がせ始《はじ》めた。
「お止《よ》し」
「いいえ、もう何《な》んにもいわないでおくんなさい。あたしゃお七とおんなじ心《こころ》で、太夫《たゆう》に会《あ》いに行《ゆ》きとうござんす」
ばらりと解《と》いたお七の帯《おび》には、夜毎《よごと》に焚《た》きこめた伽羅《きゃら》の香《かお》りが悲《かな》しく籠《こも》って、静《しず》かに部屋《へや》の中《なか》を流《なが》れそめた。
「ああ。――」
おせんはその帯《おび》を、ずッと胸《むね》に抱《だ》きしめた。
「おせんや」
お岸《きし》は優《やさ》し眼《め》をふせた。
「あい」
「おまえ、一人《ひとり》で行《い》く気《き》かえ」
「あい」
衣装《いしょう》を脱《ぬ》がせて、襦袢《じゅばん》を脱《ぬ》がせて、屏風《びょうぶ》のかげへ這入《はい》ったおせんは、素速《すばや》くおのが着物《きもの》と着換《きか》えた。と、この時《とき》格子戸《こうしど》の外《そと》から降《ふ》って湧《わ》いたように、男《おとこ》の声《こえ》が大《おお》きく聞《きこ》えた。
「おせんさん、仮名床《かなどこ》の伝吉《でんきち》でござんす。浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》さんが、急病《きゅうびょう》と聞《き》いて、何《なに》より先《さき》にお知《し》らせしてえと、駕籠《かご》を飛《と》ばしてやってめえりやした。笠森様《かさもりさま》においでがねえんでこっちへ廻《まわ》って来《き》やした始末《しまつ》。ちっとも速《はや》く、葺屋町《ふきやちょう》へ行《い》っとくンなせえやし」
「親方《おやかた》、その駕籠《かご》を、待《ま》たせといておくんなさい」
「合点《がってん》でげす」
おせんの声《こえ》は、いつになく甲高《かんだか》かった。
四
人目《ひとめ》を避《さ》けるために、わざと蓙巻《ござまき》を深《ふか》く垂《た》れた医者駕籠《いしゃかご》に乗《の》せて、男衆《おとこしゅう》と弟子《でし》の二人《ふたり》だけが付添《つきそ》ったまま、菊之丞《きくのじょう》の不随《ふずい》の体《からだ》は、その日《ひ》の午近《ひるちか》くに、石町《こくちょう》の住居《すまい》に運《はこ》ばれて行《い》った。
が、たださえ人気《にんき》の頂点《ちょうてん》にある菊之丞《きくのじょう》が、舞台《ぶたい》で倒《たお》れたとの噂《うわさ》は、忽《たちま》ち人《ひと》から人《ひと》へ伝《つた》えられて、今《いま》は江戸《えど》の隅々《すみずみ》まで、知《し》らぬはこけの骨頂《こっちょう》とさえいわれるまでになっていた。他目《はため》からは、どう見《み》ても医者《いしゃ》の見舞《みまい》としか想《おも》われなかった駕籠《かご》の周囲《まわり》は、いつの間《ま》にやら五人《にん》十人《にん》の男女《だんじょ》で、百万遍《まんべん》のように取囲《とりかこ》んで、追《お》えば追《お》う程《ほど》、その数《かず》は増《ま》して来《く》るばかりであった。
「ちょいとお前《まえ》さん、何《な》んだってあんなお医者《いしゃ》の駕籠《かご》に、くッついて歩《ある》いているのさ」
「なんだ神田《かんだ》の、明神様《みょうじんさま》の石《いし》の鳥居《とりい》じゃないが、お前《まえ》さんもきがなさ過《す》ぎるよ。ありゃァただのお医者様《おいしゃさま》の駕籠《かご》じゃないよ」
「だってお辰《たっ》つぁん、どう見《み》たって。……」
「叱《し》ッ、静《しず》かにおしなね。あン中《なか》にゃ、浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》さんが乗《の》ってるんだよ」
「浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》さん。――」
「そうさ。きのう舞台《ぶたい》で倒《たお》れたまま、今《いま》が今《いま》まで、楽屋《がくや》で寝《ね》てえたんじゃないか。それをお前《まえ》さん、どうでも家《うち》へ帰《かえ》りたいと駄々《だだ》をこねて、とうとうあんな塩梅式《あんばいしき》に、お医者《いしゃ》と見《み》せて帰《かえ》る途中《とちゅう》だッてことさ」
「おやまァ、そんならそこを退《ど》いとくれよ」
「なぜ」
「あたしゃ駕籠《かご》の傍《そば》へ行《い》って、せめて太夫《たゆう》さんに、一言《こと》でもお見舞《みまい》がいいたいンだから。……」
「何《なに》をいうのさ。太夫《たゆう》は大病人《だいびょうにん》なんだよ。ちっとだッて騒《さわ》いだりしちゃァ、体《からだ》に障《さわ》らァね。一緒《しょ》について行《ゆ》くなァいいが、こッから先《さき》へは出《で》ちゃならねえよ」
「いいから退《ど》いとくれッたら」
「おや痛《いた》い、抓《つね》らなくッてもいいじゃないか」
「退《ど》かないからさ」
「おや、また抓《つね》ったね」
髪結《かみゆい》のお辰《たつ》と、豆腐屋《とうふや》の娘《むすめ》のお亀《かめ》とが、いいのいけないのと争《あらそ》っているうちに、駕籠《かご》は更《さら》に多《おお》くの人数《にんず》に取巻《とりま》かれながら、芳町通《よしちょうどお》りを左《ひだり》へ、おやじ橋《ばし》を渡《わた》って、牛《うし》の歩《あゆ》みよりもゆるやかに進《すす》んでいた。
菊之丞《きくのじょう》の駕籠《かご》を一町《ちょう》ばかり隔《へだ》てて、あたかも葬式《そうしき》でも送《おく》るように悵然《ちょうぜん》と首《くび》を垂《た》れたまま、一足毎《あしごと》に重《おも》い歩《あゆ》みを続《つづ》けていたのは、市村座《いちむらざ》の座元《ざもと》羽左衛門《うざえもん》をはじめ、坂東《ばんどう》彦《ひこ》三郎《ろう》、尾上《おのえ》菊《きく》五郎《ろう》、嵐《あらし》三五郎《ろう》、それに元服《げんぷく》したばかりの尾上松助《おのえまつすけ》などの一行《こう》であった。
いずれも編笠《あみがさ》で深《ふか》く顔《かお》を隠《かく》したまま、眼《め》をしばたたくのみで、互《たがい》に一言《ごん》も発《はっ》しなかったが、急《きゅう》に何《なに》か思《おも》いだしたのであろう。羽左衛門《うざえもん》は、寂《さび》しく眉《まゆ》をひそめた。
「松助《まつすけ》さん」
「はい」
「お前《まえ》さんは、折角《せっかく》だが、ここから帰《かえ》る方《ほう》がいいようだの」
「なぜでございます」
「不吉《ふきつ》なことをいうようだが、浜村屋《はまむらや》さんはひょっとすると、あのままいけなくなるかも知《し》れないからの」
「ええ滅相《めっそう》な。左様《さよう》なことがおますかいな」
そういって眼《め》をみはったのは嵐《あらし》三五郎《ろう》であった。
「いや、わたしとて、太夫《たゆう》に元《もと》のようになってもらいたいのは山々《やまやま》だが、今《いま》までの太夫《たゆう》の様子《ようす》では、どうも難《むず》かしかろうと思《おも》われる。縁起《えんぎ》でもないことだが、ゆうべわたしは、上下《じょうげ》の歯《は》が一本《ぽん》残《のこ》らず、脱《ぬ》けてしまった夢《ゆめ》を見《み》ました。情《なさけ》ないが、所詮《しょせん》太夫《たゆう》は助《たす》かるまい」
羽左衛門《うざえもん》はそういって、寂《さび》しそうに眉《まゆ》をひそめた。
五
夢《ゆめ》から夢《ゆめ》を辿《たど》りながら、更《さら》に夢《ゆめ》の世界《せかい》をさ迷《まよ》い続《つづ》けていた菊之丞《はまむらや》は、ふと、夏《なつ》の軒端《のきば》につり残《のこ》されていた風鈴《ふうりん》の音《おと》に、重《おも》い眼《め》を開《あ》けてあたりを見廻《みまわ》した。
医者《いしゃ》の玄庵《げんあん》をはじめ、妻《つま》のおむら、座元《ざもと》の羽左衛門《うざえもん》、三五郎《ろう》、彦《ひこ》三郎《ろう》、その他《た》の人達《ひとたち》が、ぐるりと枕許《まくらもと》に車座《くるまざ》になって、何《なに》かひそひそと語《かた》り合《あ》っている声《こえ》が、遠《とお》い国《くに》の出来事《できごと》のように聞《きこ》えていた。
「おお、あなた。――」
最初《さいしょ》におむらが、声《こえ》をかけた。が、菊之丞《きくのじょう》の心《こころ》には、声《こえ》の主《ぬし》が誰《だれ》であるのか、まだはっきり映《うつ》らなかったのであろう。きょろりと一度《ど》見廻《みまわ》したきり、再《ふたた》び眼《め》を閉《と》じてしまった。
玄庵《げんあん》は徐《しず》かに手《て》を振《ふ》った。
「どなたもお静《しず》かに。――」
「はい」
急《きゅう》に水《みず》を打《う》ったような静《しず》けさに還《かえ》った部屋《へや》の中《なか》には、ただ香《こう》のかおりが、低《ひく》く這《は》っているばかりであった。
玄庵《げんあん》は、夜着《よぎ》の下《した》へ手《て》を入《い》れて、かるく菊之丞《きくのじょう》の手首《てくび》を掴《つか》んだまま首《くび》をひねった。
「先生《せんせい》、如何《いかが》でございます」
「脈《みゃく》に力《ちから》が出《で》たようじゃが。……」
「それはまァ、うれしゅうござんす」
「だが御安心《ごあんしん》は御無用《ごむよう》じゃ。いつ何時《なんどき》変化《へんか》があるか判《わか》らぬからのう」
「はい」
「お見舞《みまい》の方々《かたがた》も、次《つぎ》の間《ま》にお引取《ひきと》りなすってはどうじゃの、御病人《ごびょうにん》は、出来《でき》るだけ安静《あんせい》に、休《やす》ませてあげるとよいと思《おも》うでの」
「はいはい」と羽左衛門《うざえもん》が大《おお》きくうなずいた。「如何《いか》にも御《ご》もっともでございます。――では、ここはおかみさんにお願《ねが》い申《もう》して、次《つぎ》へ下《さが》っていることにいたしましょう」
「それがようござる。及《およ》ばずながら愚老《ぐろう》が看護《かんご》して居《い》る以上《いじょう》、手落《ておち》はいたさぬ考《かんが》えじゃ」
「何分共《なにぶんとも》にお願《ねが》い申上《もうしあ》げます」
一同《どう》は足音《あしおと》を忍《しの》ばせて、襖《ふすま》の開《あ》けたてにも気《き》を配《くば》りながら、次《つぎ》の間《ま》へ出《で》て行《い》った。
暫《しば》し、鉄瓶《てつびん》のたぎる音《おと》のみが、部屋《へや》のしじまに明《あか》るく残《のこ》された。
「御内儀《ごないぎ》」
玄庵《げんあん》の声《こえ》は、低《ひく》く重《おも》かった。
「はい」
「お気《き》の毒《どく》でござるが、太夫《たゆう》はもはや、一時《とき》の命《いのち》じゃ」
「えッ」
「いや静《しず》かに。――ただ今《いま》、脈《みゃく》に力《ちから》が出《で》たようじゃと申上《もうしあ》げたが、実《じつ》は他《た》の方々《かたがた》の手前《てまえ》をかねたまでのこと。心臓《しんぞう》も、微《かす》かに温《ぬく》みを保《たも》っているだけのことじゃ」
「それではもはや」
おむらの、今《いま》まで辛抱《しんぼう》に辛抱《しんぼう》を重《かさ》ねていた眼《め》からは、玉《たま》のような涙《なみだ》が、頬《ほほ》を伝《つたわ》って溢《あふ》れ落《お》ちた。
やがて、香煙《こうえん》を揺《ゆる》がせて、恐《おそ》る恐《おそ》る襖《ふすま》の間《あいだ》から首《くび》を差出《さしだ》したのは、弟子《でし》の菊彌《きくや》だった。
「お客様《きゃくさま》でございます」
「どなたが」
「谷中《やなか》のおせん様《さま》」
「えッ、あの笠森《かさもり》の。……」
「はい」
「太夫《たゆう》は御病気《ごびょうき》ゆえ、お目《め》にかかれぬと、お断《ことわ》りしておくれ」
するとその刹那《せつな》、ぱっと眼《め》を開《あ》いて菊之丞《きくのじょう》の、細《ほそ》い声《こえ》が鋭《するど》く聞《きこ》えた。
「いいよ。いいから、ここへお通《とお》し。――」
六
初霜《はつしも》を避《さ》けて、昨夜《さくや》縁《えん》に上《あ》げられた白菊《しらぎく》であろう、下葉《したは》から次第《しだい》に枯《か》れてゆく花《はな》の周囲《しゅうい》を、静《しず》かに舞《ま》っている一匹《ぴき》の虻《あぶ》を、猫《ねこ》が頻《しき》りに尾《お》を振《ふ》ってじゃれる影《かげ》が、障子《しょうじ》にくっきり映《うつ》っていた。
その虻《あぶ》の羽音《はおと》を、聞《き》くともなしに聞《き》きながら、菊之丞《きくのじょう》の枕頭《ちんとう》に座《ざ》して、じっと寝顔《ねがお》に見入《みい》っていたのは、お七の着付《きつけ》もあでやかなおせんだった。
紫《むらさき》の香煙《こうえん》が、ひともとすなおに立昇《たちのぼ》って、南向《みなみむ》きの座敷《ざしき》は、硝子張《ギヤマンばり》の中《なか》のように暖《あたた》かい。
七年目《ねんめ》で会《あ》った、たった二人《ふたり》の世界《せかい》。殆《ほと》んど一夜《や》のうちに生気《せいき》を失《うしな》ってしまった菊之丞《きくのじょう》の、なかば開《ひら》かれた眼《め》からは、糸《いと》のような涙《なみだ》が一筋《すじ》頬《ほほ》を伝《つた》わって、枕《まくら》を濡《ぬ》らしていた。
「おせんちゃん」
菊之丞《きくのじょう》の声《こえ》は、わずかに聞《き》かれるくらい低《ひく》かった。
「あい」
「よく来《き》てくれた」
「太夫《たゆう》さん」
「太夫《たゆう》さんなぞと呼《よ》ばずに、やっぱり昔《むかし》の通《とおり》り、吉《きち》ちゃんと呼《よ》んでおくれな」
「そんなら、吉《きち》ちゃん。――」
「はい」
「あたしゃ、会《あ》いとうござんした」
「あたしも会《あ》いたかった。――こういったら、お前《まえ》さんはさだめし、心《こころ》にもないことをいうと、お想《おも》いだろうが、決して嘘《うそ》でもなけりゃ、お世辞《せじ》でもない。――知《し》っての通《とお》り、あたしゃどうやら人気《にんき》も出《で》て、世間様《せけんさま》からなんのかのと、いわれているけれど、心《こころ》はやっぱり十年前《ねんまえ》もおなじこと。義理《ぎり》でもらった女房《にょうぼう》より、浮気《うわき》でかこった女《おんな》より、心《しん》から思《おも》うのはお前《まえ》の身《み》の上《うえ》。暑《あつ》いにつけ、寒《さむ》いにつけ、切《せつ》ない思《おも》いは、いつも谷中《やなか》の空《そら》に通《かよ》ってはいたが、今《いま》ではお前《まえ》も人気娘《にんきむすめ》、うっかりあたしが訪《たず》ねたら、あらぬ浮名《うきな》を立《た》てられて、さぞ迷惑《めいわく》でもあろうかと、きょうが日《ひ》まで、辛抱《しんぼう》して来《き》ましたのさ」
「勿体《もったい》ない、太夫《たゆう》さん。――」
「いいえ、勿体《もったい》ないより、済《す》まないのはあたしの心《こころ》。役者家業《やくしゃかぎょう》の憂《う》さ辛《つら》さは、どれ程《ほど》いやだとおもっても、御贔屓《ごひいき》からのお迎《むか》えよ。お座敷《ざしき》よといわれれば、三度《ど》に一度《ど》は出向《でむ》いて行《い》って、笑顔《えがお》のひとつも見《み》せねばならず、そのたび毎《ごと》に、ああいやだ、こんな家業《かぎょう》はきょうは止《よ》そうか、明日《あす》やめようかと思《おも》うものの、さて未練《みれん》は舞台《ぶたい》。このまま引《ひ》いてしまったら、折角《せっかく》鍛《きた》えたおのが芸《げい》を、根《ね》こそぎ棄《す》てなければならぬ悲《かな》しさ。それゆえ、秋《あき》の野《の》に鳴《な》く虫《むし》にも劣《おと》る、はかない月日《つきひ》を過《す》ごして来《き》たが、……おせんちゃん。それもこれも、今《いま》はもうきのうの夢《ゆめ》と消《き》えるばかり。所詮《しょせん》は会《あ》えないものと、あきらめていた矢先《やさき》、ほんとうによく来《き》てくれた。あたしゃこのまま死《し》んでも、思《おも》い残《のこ》すことはない。――」
「もし、吉《きち》ちゃん」
「おお」
「しっかりしておくんなさい。羞《はず》かしながら、お前《まえ》がなくてはこの世《よ》の中《なか》に、誰《だれ》を思《おも》って生《い》きようやら、おまえ一人《ひとり》を、胸《むね》にひそめて来《き》たあたし。あたしに死《し》ねというのなら、たった今《いま》でも、身代《みがわ》りにもなりましょう。――のう吉《きち》ちゃん。たとえ一夜《や》の枕《まくら》は交《かわ》さずとも、あたしゃおまえの女房《にょうぼう》だぞえ。これ、もうし吉《きち》ちゃん。返事《へんじ》のないのは、不承知《ふしょうち》かえ」
一膝《ひざ》ずつ乗出《のりだ》したおせんは、頬《ほほ》がすれすれになるまでに、菊之丞《きくのじょう》の顔《かお》を覗《のぞ》き込《こ》んだが、やがてその眼《め》は、仏像《ぶつぞう》のようにすわって行《い》った。
「吉《きち》ちゃん。――太夫《たゆう》さん。――」
「お、せ、ん――」
「ああ、もし」
おせんは、次第《しだい》に唇《くちびる》の褪《あ》せて行《ゆ》く菊之丞《きくのじょう》の顔《かお》の上《うえ》に、涙《なみだ》と共《とも》に打《う》ち伏《ふ》してしまった。
隣座敷《となりざしき》から、俄《にわか》に人々《ひとびと》の立《た》つ気配《けはい》がした。
七
二代目《だいめ》瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》の死《し》が報《ほう》ぜられたのは、その日《ひ》の暮《く》れ方《がた》近《ちか》くだった。江戸《えど》の民衆《みんしゅう》は、去年《きょねん》の吉原《よしわら》の大火《たいか》よりも、更《さら》に大《おお》きな失望《しつぼう》の淵《ふち》に沈《しず》んだが、中《なか》にも手中《しゅちゅう》の珠《たま》を奪《うば》われたような、悲《かな》しみのどん底《ぞこ》に落《お》ち込《こ》んだのは、菊之丞《きくのじょう》でなければ夜《よ》も日《ひ》もあけない各大名《かくだいみょう》や旗本屋敷《はたもとやしき》の女中達《じょちゅうたち》だった。
殊《こと》に、この知《し》らせを受《う》けて、天地《てんち》が覆《くつが》えった程《ほど》の驚愕《きょうがく》を覚《おぼ》えたのは、南町奉行《みなみまちぶぎょう》本多信濃守《ほんだしなののかみ》の妹《いもうと》お蓮《れん》であろう。折《おり》から夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に対《むか》おうとしていたお蓮《れん》は、突然《とつぜん》手《て》にした箸《はし》を取落《とりおと》すと、そのまま狂気《きょうき》したように、ふらふらッと立上《たちあが》って、跣足《はだし》のまま庭先《にわさき》へと駆《か》け降《お》りて行《い》った。
二三人《にん》の侍女《じじょ》が、直《す》ぐさまその後《あと》を追《お》った。
「もし、お嬢様《じょうさま》。お危《あぶ》のうござります」
「何《なに》をするのじゃ。放《はな》しや」
「どちらへおいで遊《あそ》ばします」
「知《し》れたことじゃ。これから直《す》ぐに、浜村屋《はまむらや》の許《もと》へまいる」
「これはまあ、滅相《めっそう》なことを仰《おっ》しゃいます」
「何《なに》が滅相《めっそう》なことじゃ、わらわがまいって、浜村屋《はまむらや》の病気《びょうき》を癒《なお》して取《と》らせるのじゃ。――邪間《じゃま》だてせずと、そこ退《の》きゃ」
「なりませぬ」
「ええもう、退《の》きゃというに、退《の》かぬか」
手荒《てあら》く突《つ》き退《の》けられた一人《ひとり》の侍女《じじょ》は、転《ころ》びながらも、お蓮《れん》の裾《すそ》を確《しか》と押《おさ》えた。
「お嬢様《じょうさま》。お気《き》をお静《しず》め遊《あそ》ばしまして。……」
「いらぬことじゃ。放《はな》せ」
「いいえお放《はな》しいたしませぬ。今頃《いまごろ》お出《で》まし遊《あそ》ばしましては、お身分《みぶん》に係《かか》わりまする。もしまた、たってお出《で》まし遊《あそ》ばしますなら、一応《おう》わたくし共《ども》から御家老《ごかろう》へ、その由《よし》お伝《つた》えいたしませねば。……」
「くどいわ。放《はな》せというに、放《はな》さぬか」
夢中《むちゅう》で振《ふ》り払《はら》ったお蓮《れん》の片袖《かたそで》は、稲穂《いなほ》のように侍女《じじょ》の手《て》に残《のこ》って、惜《お》し気《げ》もなく土《つち》を蹴《け》ってゆく白臘《はくろう》の足《あし》が、夕闇《ゆうやみ》の中《なか》にほのかに白《しろ》かった。
「もし、お嬢様《じょうさま》。――」
池《いけ》を廻《まわ》って、築山《つきやま》の裾《すそ》を走《はし》るお蓮《れん》の姿《すがた》は、狐《きつね》のように速《はや》かった。
「それ、向《むこ》うから。――」
「あちらへお廻《まわ》り遊《あそ》ばしました」
男気《おとこけ》のない奥庭《おくにわ》に、次第《しだい》に数《かず》を増《ま》した女中達《じょちゅうたち》は、お蓮《れん》の姿《すがた》を見失《みうしな》っては一大事《だいじ》と思《おも》ったのであろう。老《おい》も若《わか》きもおしなべて、庭《にわ》の木戸《きど》へと歩《ほ》を乱《みだ》した。
が、必死《ひっし》に駆《か》け着《つ》けた庭《にわ》の木戸《きど》には、もはやお蓮《れん》の姿《すがた》は見《み》られなかった。
「お嬢様《じょうさま》。――」
「お待《ま》ち遊《あそ》ばせ」
しかも、年《ねん》に一度《ど》も、駆《か》けたことなどのないお蓮《れん》は、庭木戸《にわきど》を出《で》は出《で》たものの、既《すで》に脚《あし》が釣《つ》るまでに疲《つか》れ果《は》てて、口《くち》の中《なか》で菊之丞《きくのじょう》の名《な》を呼《よ》びながら、今《いま》はもはや堪《た》えられない歩《あゆ》みを、いずくへとのあてもなしに、無理《むり》から先《さき》へ先《さき》へと運《はこ》んでいた。
「――浜村屋《はまむらや》、待《ま》ちや。わらわを置《お》いて、そなたばかりがどこへ行《ゆ》く。――そりゃ聞《き》こえぬぞ。わらわも一緒《しょ》じゃ。そなたの行《ゆ》きやるところなら、地獄《じごく》の極《はて》へなりと、いといはせぬ。連《つ》れて行《ゆ》きゃ。速《はよ》う連《つ》れて行《ゆ》きゃ」
二十一で坂部壱岐守《さかべいきのかみ》へ嫁《とつ》いで八年目《ねんめ》に戻《もど》って来《き》た。既《すで》に三十の身《み》ではあったが、十四五の頃《ころ》から早《はや》くも本多小町《ほんだこまち》と謳《うた》われたお蓮《れん》は、まだ漸《ようやく》く二十四五にしか見《み》えず、いずれかといえば妖艶《ようえん》なかたちの、情熱《じょうねつ》に燃《も》えた眼《め》を据《す》えて、夕闇《ゆうやみ》の中《なか》を音《おと》もなく歩《ある》いてゆく様《さま》は、ぞッとする程《ほど》凄《すご》かった。
八
いずこの大名《だいみょう》旗本《はたもと》の屋敷《やしき》に、如何《いか》なる騒《さわ》ぎが持上《もちあが》っていようとも、それらのことは、まったく別《べつ》の世界《せかい》の出来事《できごと》のように、菊之丞《きくのじょう》の家《うち》は、静《しず》かにしめやかであった。
座元《ざもと》をはじめ、あらゆる芝居道《しばいどう》の人達《ひとたち》はいうまでもなく、贔屓《ひいき》の人々《ひとびと》、出入《でいり》のたれかれと、百を越《こ》える人数《にんずう》は、仕切《しき》りなしに押《お》し寄《よ》せて、さしも豪奢《ごうしゃ》を誇《ほこ》る住居《すまい》も所《ところ》狭《せま》きまでの混雑《こんざつ》を見《み》ていたが、しかも菊之丞《きくのじょう》の冷たいむくろを安置《あんち》した八畳《じょう》の間《ま》には、妻女《さいじょ》のおむらさえ入《い》れないおせんがただ一人《ひとり》、首《くび》を垂《た》れたまま、黙然《もくねん》と膝《ひざ》の上《うえ》を見詰《みつ》めていた。
ふと、おせんの固《かた》く結《むす》んだ唇《くちびる》から、低《ひく》い、微《かす》かな声《こえ》が漏《も》れた。
「吉《きち》ちゃん。おかみさんや、ほかの人達《ひとたち》にお願《ねが》いして、あたしがたった一人《ひとり》、お前《まえ》の枕許《まくらもと》へ残《のこ》してもらったのは、十年前《ねんまえ》の、飯事遊《ままごとあそ》びが、忘《わす》れられないからでござんす。――みんなして、近所《きんじょ》の飛鳥山《あすかやま》へ、お花見《はなみ》に出《で》かけたあの時《とき》、いつもの通《とお》り、あたしとお前《まえ》とは夫婦《ふうふ》でござんした。幔幕《まんまく》を張《は》りめぐらした、どこぞの御大家《ごたいけ》の中《なか》へ、迷《まよ》い込《こ》んだあたし達《たち》は、それお前《まえ》も覚《おぼ》えてであろ。絵《え》にあるような綺麗《きれい》な、お嬢様《じょうさま》に何《なに》やかやと御馳走《ごちそう》を頂戴《ちょうだい》した挙句《あげく》、お化粧直《けしょうなお》しの幕《まく》の隅《すみ》で、あたしはお前《まえ》に、お前《まえ》はあたしに、互《たがい》にお化粧《けしょう》をしあって、この子達《こたち》、もう小《こ》十年《ねん》も経《た》ったなら、きっと惚《ほ》れ惚《ぼ》れするように美《うつく》しくなるであろうと、お世辞《せじ》にほめて頂《いただ》いた、あの夢《ゆめ》のような日《ひ》のことが、いまだにはっきり眼《め》に残《のこ》って……吉《きち》ちゃん。あたしゃ今こそお前《まえ》に、精根《せいこん》をつくしたお化粧《けしょう》を、してあげとうござんす。――紅白粉《べにおしろい》は、家《いえ》を出《で》る時《とき》袱紗《ふくさ》に包《つつ》んで持《も》って来《き》ました。あたしの遣《つか》いふるしでござんすが、この紅筆《べにふで》は、お前《まえ》が王子《おうじ》を越《こ》す時《とき》に、あたしにおくんなすった。今では形見《かたみ》。役者衆《やくしゃしゅう》の、お前《まえ》のお気《き》に入《い》るように出来《でき》ますまいけれど、辛抱《しんぼう》しておくんなさい。せめてもの、あたしの心《こころ》づくしでござんす」
北《きた》を枕《まくら》に、静《しず》かに眼《め》を閉《と》じている菊之丞《きくのじょう》の、女《おんな》にもみまほしいまでに美《うつく》しく澄《す》んだ顔《かお》は、磁器《じき》の肌《はだ》のように冷《つめ》たかった。
白粉刷毛《おしろいばけ》を持《も》ったおせんの手《て》は、名匠《めいしょう》が毛描《けが》きでもするように、その上《うえ》を丹念《たんねん》になぞって行《い》った。
眼《め》、口《くち》、耳《みみ》。――真白《まっしろ》に塗《ぬ》りつぶされたそれらのかたちが、間《ま》もなく濡手拭《ぬれてぬぐい》で、おもむろにふき清《きよ》められると、やがて唇《くちびる》には真紅《しんく》のべにがさされて、菊之丞《きくのじょう》の顔《かお》は今《いま》にも物《もの》をいうかと怪《あや》しまれるまでに、生々《いきいき》と蘇《よみがえ》った。
おせんは、じッとその顔《かお》に見入《みい》った。
「吉《きち》ちゃん。――もし、吉《きち》ちゃん」
次第《しだい》におせんの声《こえ》は、高《たか》かった。呼《よ》べば答《こた》えるかと思《おも》われる口許《くちもと》は、心《こころ》なしか、寂《さび》しくふるえて見《み》えた。
「――あたしゃ、これから先《さき》も、きっとおまえと一緒《しょ》に、生《い》きて行《ゆ》くでござんしょう。おまえもどうぞ、魂《たましい》だけはいつまでも、あたしの傍《そば》にいておくんなさい。あたしゃ千人《にん》万人《まんにん》の人《ひと》からいい寄《よ》られても、死《し》ぬまで動《うご》きはいたしませぬ。――もし、吉《きち》ちゃん。……」
ぽたりと落《お》ちたおせんの涙《なみだ》は、菊之丞《きくのじょう》の頬《ほほ》をぬらした。
「これはまァ折角《せっかく》お化粧《けしょう》したお顔《かお》へ。……」
おせんはもう一度《ど》、白粉刷毛《おしろいばけ》を手《て》に把《と》った。と、次《つぎ》の間《ま》から聞《きこ》えて来《き》たのは、妻女《さいじょ》のおむらの声《こえ》だった。
「おせんさん」
「は、はい。――」
「お焼香《しょうこう》のお客様《きゃくさま》がお見《み》えでござんす。よろしかったら、お通《とお》し申《もう》します」
「はい、どうぞ。――」
あわてて枕許《まくらもと》から引《ひ》き下《さ》がったおせんの眼《め》に、夜叉《やしゃ》の如《ごと》くに映《うつ》ったのは、本多信濃守《ほんだしなののかみ》の妹《いもうと》お蓮《れん》の剥《は》げるばかりに厚化粧《あつげしょう》をした姿《すがた》だった。
おせん (おわり)
底本:「大衆文学代表作全集 19 邦枝完二集」河出書房
1955(昭和30)年9月初版発行
1955(昭和30)年11月30日8刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:伊藤時也
校正:松永正敏
2007年4月13日作成
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