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人魚《にんぎょ》は、南《みなみ》の方《ほう》の海《うみ》にばかり棲《す》んでいるのではありません。北《きた》の海《うみ》にも棲《す》んでいたのであります。
北方《ほっぽう》の海《うみ》の色《いろ》は、青《あお》うございました。あるとき、岩《いわ》の上《うえ》に、女《おんな》の人魚《にんぎょ》があがって、あたりの景色《けしき》をながめながら休《やす》んでいました。
雲間《くもま》からもれた月《つき》の光《ひかり》がさびしく、波《なみ》の上《うえ》を照《て》らしていました。どちらを見《み》ても限《かぎ》りない、ものすごい波《なみ》が、うねうねと動《うご》いているのであります。
なんという、さびしい景色《けしき》だろうと、人魚《にんぎょ》は思《おも》いました。自分《じぶん》たちは、人間《にんげん》とあまり姿《すがた》は変《か》わっていない。魚《さかな》や、また底深《そこぶか》い海《うみ》の中《なか》に棲《す》んでいる、気《き》の荒《あら》い、いろいろな獣物《けもの》などとくらべたら、どれほど人間《にんげん》のほうに、心《こころ》も姿《すがた》も似《に》ているかしれない。それだのに、自分《じぶん》たちは、やはり魚《さかな》や、獣物《けもの》などといっしょに、冷《つめ》たい、暗《くら》い、気《き》の滅入《めい》りそうな海《うみ》の中《なか》に暮《く》らさなければならないというのは、どうしたことだろうと思《おも》いました。
長《なが》い年月《としつき》の間《あいだ》、話《はなし》をする相手《あいて》もなく、いつも明《あか》るい海《うみ》の面《おもて》をあこがれて、暮《く》らしてきたことを思《おも》いますと、人魚《にんぎょ》はたまらなかったのであります。そして、月《つき》の明《あか》るく照《て》らす晩《ばん》に、海《うみ》の面《おもて》に浮《う》かんで、岩《いわ》の上《うえ》に休《やす》んで、いろいろな空想《くうそう》にふけるのが常《つね》でありました。
「人間《にんげん》の住《す》んでいる町《まち》は、美《うつく》しいということだ。人間《にんげん》は、魚《さかな》よりも、また獣物《けもの》よりも、人情《にんじょう》があってやさしいと聞《き》いている。私《わたし》たちは、魚《さかな》や獣物《けもの》の中《なか》に住《す》んでいるが、もっと人間《にんげん》のほうに近《ちか》いのだから、人間《にんげん》の中《なか》に入《はい》って暮《く》らされないことはないだろう。」と、人魚《にんぎょ》は考《かんが》えました。
その人魚《にんぎょ》は女《おんな》でありました。そして妊娠《みもち》でありました。……私《わたし》たちは、もう長《なが》い間《あいだ》、このさびしい、話《はなし》をするものもない、北《きた》の青《あお》い海《うみ》の中《なか》で暮《く》らしてきたのだから、もはや、明《あか》るい、にぎやかな国《くに》は望《のぞ》まないけれど、これから産《う》まれる子供《こども》に、せめても、こんな悲《かな》しい、頼《たよ》りない思《おも》いをさせたくないものだ。……
子供《こども》から別《わか》れて、独《ひと》り、さびしく海《うみ》の中《なか》に暮《く》らすということは、このうえもない悲《かな》しいことだけれど、子供《こども》がどこにいても、しあわせに暮《く》らしてくれたなら、私《わたし》の喜《よろこ》びは、それにましたことはない。
人間《にんげん》は、この世界《せかい》の中《うち》で、いちばんやさしいものだと聞《き》いている。そして、かわいそうなものや、頼《たよ》りないものは、けっしていじめたり、苦《くる》しめたりすることはないと聞《き》いている。いったん手《て》づけたなら、けっして、それを捨《す》てないとも聞《き》いている。幸《さいわ》い、私《わたし》たちは、みんなよく顔《かお》が人間《にんげん》に似《に》ているばかりでなく、胴《どう》から上《うえ》は人間《にんげん》そのままなのであるから――魚《さかな》や獣物《けもの》の世界《せかい》でさえ、暮《く》らされるところを思《おも》えば――人間《にんげん》の世界《せかい》で暮《く》らされないことはない。一度《ど》、人間《にんげん》が手《て》に取《と》り上《あ》げて育《そだ》ててくれたら、きっと無慈悲《むじひ》に捨《す》てることもあるまいと思《おも》われる。……
人魚《にんぎよ》は、そう思《おも》ったのでありました。
せめて、自分《じぶん》の子供《こども》だけは、にぎやかな、明《あか》るい、美《うつく》しい町《まち》で育《そだ》てて大《おお》きくしたいという情《なさ》けから、女《おんな》の人魚《にんぎょ》は、子供《こども》を陸《りく》の上《うえ》に産《う》み落《お》とそうとしたのであります。そうすれば、自分《じぶん》は、ふたたび我《わ》が子《こ》の顔《かお》を見《み》ることはできぬかもしれないが、子供《こども》は人間《にんげん》の仲間入《なかまい》りをして、幸福《こうふく》に生活《せいかつ》をすることができるであろうと思《おも》ったのです。
はるか、かなたには、海岸《かいがん》の小高《こだか》い山《やま》にある、神社《じんじゃ》の燈火《あかり》がちらちらと波間《なみま》に見《み》えていました。ある夜《よ》、女《おんな》の人魚《にんぎょ》は、子供《こども》を産《う》み落《お》とすために、冷《つめ》たい、暗《くら》い波《なみ》の間《あいだ》を泳《およ》いで、陸《りく》の方《ほう》に向《む》かって近《ちか》づいてきました。
海岸《かいがん》に、小《ちい》さな町《まち》がありました。町《まち》には、いろいろな店《みせ》がありましたが、お宮《みや》のある山《やま》の下《した》に、貧《まず》しげなろうそくをあきなっている店《みせ》がありました。
その家《いえ》には、年《とし》よりの夫婦《ふうふ》が住《す》んでいました。おじいさんがろうそくを造《つく》って、おばあさんが店《みせ》で売《う》っていたのであります。この町《まち》の人《ひと》や、また付近《ふきん》の漁師《りょうし》がお宮《みや》へおまいりをするときに、この店《みせ》に立《た》ち寄《よ》って、ろうそくを買《か》って山《やま》へ上《のぼ》りました。
山《やま》の上《うえ》には、松《まつ》の木《き》が生《は》えていました。その中《なか》にお宮《みや》がありました。海《うみ》の方《ほう》から吹《ふ》いてくる風《かぜ》が、松《まつ》のこずえに当《あ》たって、昼《ひる》も、夜《よる》も、ゴーゴーと鳴《な》っています。そして、毎晩《まいばん》のように、そのお宮《みや》にあがったろうそくの火影《ほかげ》が、ちらちらと揺《ゆ》らめいているのが、遠《とお》い海《うみ》の上《うえ》から望《のぞ》まれたのであります。
ある夜《よ》のことでありました。おばあさんは、おじいさんに向《む》かって、
「私《わたし》たちが、こうして暮《く》らしているのも、みんな神《かみ》さまのお蔭《かげ》だ。この山《やま》にお宮《みや》がなかったら、ろうそくは売《う》れない。私《わたし》どもは、ありがたいと思《おも》わなければなりません。そう思《おも》ったついでに、私《わたし》は、これからお山《やま》へ上《のぼ》っておまいりをしてきましょう。」といいました。
「ほんとうに、おまえのいうとおりだ。私《わたし》も毎日《まいにち》、神《かみ》さまをありがたいと心《こころ》ではお礼《れい》を申《もう》さない日《ひ》はないが、つい用事《ようじ》にかまけて、たびたびお山《やま》へおまいりにゆきもしない。いいところへ気《き》がつきなされた。私《わたし》の分《ぶん》もよくお礼《れい》を申《もう》してきておくれ。」と、おじいさんは答《こた》えました。
おばあさんは、とぼとぼと家《いえ》を出《で》かけました。月《つき》のいい晩《ばん》で、昼間《ひるま》のように外《そと》は明《あか》るかったのであります。お宮《みや》へおまいりをして、おばあさんは山《やま》を降《お》りてきますと、石段《いしだん》の下《した》に、赤《あか》ん坊《ぼう》が泣《な》いていました。
「かわいそうに、捨《す》て子《ご》だが、だれがこんなところに捨《す》てたのだろう。それにしても不思議《ふしぎ》なことは、おまいりの帰《かえ》りに、私《わたし》の目《め》に止《と》まるというのは、なにかの縁《えん》だろう。このままに見捨《みす》てていっては、神《かみ》さまの罰《ばち》が当《あ》たる。きっと神《かみ》さまが、私《わたし》たち夫婦《ふうふ》に子供《こども》のないのを知《し》って、お授《さず》けになったのだから、帰《かえ》っておじいさんと相談《そうだん》をして育《そだ》てましょう。」と、おばあさんは心《こころ》の中《うち》でいって、赤《あか》ん坊《ぼう》を取《と》り上《あ》げながら、
「おお、かわいそうに、かわいそうに。」といって、家《うち》へ抱《だ》いて帰《かえ》りました。
おじいさんは、おばあさんの帰《かえ》るのを待《ま》っていますと、おばあさんが、赤《あか》ん坊《ぼう》を抱《だ》いて帰《かえ》ってきました。そして、一部《ぶ》始終《しじゅう》をおばあさんは、おじいさんに話《はな》しますと、
「それは、まさしく神《かみ》さまのお授《さず》け子《ご》だから、大事《だいじ》にして育《そだ》てなければ罰《ばち》が当《あ》たる。」と、おじいさんも申《もう》しました。
二人《ふたり》は、その赤《あか》ん坊《ぼう》を育《そだ》てることにしました。その子《こ》は女《おんな》の子《こ》であったのです。そして胴《どう》から下《した》のほうは、人間《にんげん》の姿《すがた》でなく、魚《さかな》の形《かたち》をしていましたので、おじいさんも、おばあさんも、話《はなし》に聞《き》いている人魚《にんぎょ》にちがいないと思《おも》いました。
「これは、人間《にんげん》の子《こ》じゃあないが……。」と、おじいさんは、赤《あか》ん坊《ぼう》を見《み》て頭《あたま》を傾《かたむ》けました。
「私《わたし》も、そう思《おも》います。しかし人間《にんげん》の子《こ》でなくても、なんと、やさしい、かわいらしい顔《かお》の女《おんな》の子《こ》でありませんか。」と、おばあさんはいいました。
「いいとも、なんでもかまわない。神《かみ》さまのお授《さず》けなさった子供《こども》だから、大事《だいじ》にして育《そだ》てよう。きっと大《おお》きくなったら、りこうな、いい子《こ》になるにちがいない。」と、おじいさんも申《もう》しました。
その日《ひ》から、二人《ふたり》は、その女《おんな》の子《こ》を大事《だいじ》に育《そだ》てました。大《おお》きくなるにつれて、黒目勝《くろめが》ちで、美《うつく》しい頭髪《かみのけ》の、肌《はだ》の色《いろ》のうす紅《くれない》をした、おとなしいりこうな子《こ》となりました。
娘《むすめ》は、大《おお》きくなりましたけれど、姿《すがた》が変《か》わっているので、恥《は》ずかしがって顔《かお》を外《そと》へ出《だ》しませんでした。けれど、一目《ひとめ》その娘《むすめ》を見《み》た人《ひと》は、みんなびっくりするような美《うつく》しい器量《きりょう》でありましたから、中《なか》にはどうかしてその娘《むすめ》を見《み》たいと思《おも》って、ろうそくを買《か》いにきたものもありました。
おじいさんや、おばあさんは、
「うちの娘《むすめ》は、内気《うちき》で恥《は》ずかしがりやだから、人《ひと》さまの前《まえ》には出《で》ないのです。」といっていました。
奥《おく》の間《ま》でおじいさんは、せっせとろうそくを造《つく》っていました。娘《むすめ》は、自分《じぶん》の思《おも》いつきで、きれいな絵《え》を描《か》いたら、みんなが喜《よろこ》んで、ろうそくを買《か》うだろうと思《おも》いましたから、そのことをおじいさんに話《はな》しますと、そんならおまえの好《す》きな絵《え》を、ためしにかいてみるがいいと答《こた》えました。
娘《むすめ》は、赤《あか》い絵《え》の具《ぐ》で、白《しろ》いろうそくに、魚《さかな》や、貝《かい》や、または海草《かいそう》のようなものを、産《う》まれつきで、だれにも習《なら》ったのではないが上手《じょうず》に描《えが》きました。おじいさんは、それを見《み》るとびっくりいたしました。だれでも、その絵《え》を見《み》ると、ろうそくがほしくなるように、その絵《え》には、不思議《ふしぎ》な力《ちから》と、美《うつく》しさとがこもっていたのであります。
「うまいはずだ。人間《にんげん》ではない、人魚《にんぎょ》が描《か》いたのだもの。」と、おじいさんは感嘆《かんたん》して、おばあさんと話《はな》し合《あ》いました。
「絵《え》を描《か》いたろうそくをおくれ。」といって、朝《あさ》から晩《ばん》まで、子供《こども》や、大人《おとな》がこの店頭《みせさき》へ買《か》いにきました。はたして、絵《え》を描《か》いたろうそくは、みんなに受《う》けたのであります。
すると、ここに不思議《ふしぎ》な話《はなし》がありました。この絵《え》を描《か》いたろうそくを山《やま》の上《うえ》のお宮《みや》にあげて、その燃《も》えさしを身《み》につけて、海《うみ》に出《で》ると、どんな大暴風雨《だいぼうふうう》の日《ひ》でも、けっして、船《ふね》が転覆《てんぷく》したり、おぼれて死《し》ぬような災難《さいなん》がないということが、いつからともなく、みんなの口々《くちぐち》に、うわさとなって上《のぼ》りました。
「海《うみ》の神《かみ》さまを祭《まつ》ったお宮《みや》さまだもの、きれいなろうそくをあげれば、神《かみ》さまもお喜《よろこ》びなさるのにきまっている。」と、その町《まち》の人々《ひとびと》はいいました。
ろうそく屋《や》では、ろうそくが売《う》れるので、おじいさんはいっしょうけんめいに朝《あさ》から晩《ばん》まで、ろうそくを造《つく》りますと、そばで娘《むすめ》は、手《て》の痛《いた》くなるのも我慢《がまん》して、赤《あか》い絵《え》の具《ぐ》で絵《え》を描《か》いたのであります。
「こんな、人間並《にんげんなみ》でない自分《じぶん》をも、よく育《そだ》てて、かわいがってくだすったご恩《おん》を忘《わす》れてはならない。」と、娘《むすめ》は、老夫婦《ろうふうふ》のやさしい心《こころ》に感《かん》じて、大《おお》きな黒《くろ》い瞳《ひとみ》をうるませたこともあります。
この話《はなし》は遠《とお》くの村《むら》まで響《ひび》きました。遠方《えんぽう》の船乗《ふなの》りや、また漁師《りょうし》は、神《かみ》さまにあがった、絵《え》を描《か》いたろうそくの燃《も》えさしを手《て》に入《い》れたいものだというので、わざわざ遠《とお》いところをやってきました。そして、ろうそくを買《か》って山《やま》に登《のぼ》り、お宮《みや》に参詣《さんけい》して、ろうそくに火《ひ》をつけてささげ、その燃《も》えて短《みじか》くなるのを待《ま》って、またそれをいただいて帰《かえ》りました。だから、夜《よる》となく、昼《ひる》となく、山《やま》の上《うえ》のお宮《みや》には、ろうそくの火《ひ》の絶《た》えたことはありません。殊《こと》に、夜《よる》は美《うつく》しく、燈火《ともしび》の光《ひかり》が海《うみ》の上《うえ》からも望《のぞ》まれたのであります。
「ほんとうに、ありがたい神《かみ》さまだ。」という評判《ひょうばん》は、世間《せけん》にたちました。それで、急《きゅう》にこの山《やま》が名高《なだか》くなりました。
神《かみ》さまの評判《ひょうばん》は、このように高《たか》くなりましたけれど、だれも、ろうそくに一心《しん》をこめて絵《え》を描《か》いている娘《むすめ》のことを、思《おも》うものはなかったのです。したがって、その娘《むすめ》をかわいそうに思《おも》った人《ひと》はなかったのであります。娘《むすめ》は、疲《つか》れて、おりおりは、月《つき》のいい夜《よる》に、窓《まど》から頭《あたま》を出《だ》して、遠《とお》い、北《きた》の青《あお》い、青《あお》い、海《うみ》を恋《こい》しがって、涙《なみだ》ぐんでながめていることもありました。
あるとき、南《みなみ》の方《ほう》の国《くに》から、香具師《やし》が入《はい》ってきました。なにか北《きた》の国《くに》へいって、珍《めずら》しいものを探《さが》して、それをば南《みなみ》の国《くに》へ持《も》っていって、金《かね》をもうけようというのであります。
香具師《やし》は、どこから聞《き》き込《こ》んできたものか、または、いつ娘《むすめ》の姿《すがた》を見《み》て、ほんとうの人間《にんげん》ではない、じつに世《よ》に珍《めずら》しい人魚《にんぎょ》であることを見抜《みぬ》いたものか、ある日《ひ》のこと、こっそりと年寄《としよ》り夫婦《ふうふ》のところへやってきて、娘《むすめ》にはわからないように、大金《たいきん》を出《だ》すから、その人魚《にんぎょ》を売《う》ってはくれないかと申《もう》したのであります。
年寄《としよ》り夫婦《ふうふ》は、最初《さいしょ》のうちは、この娘《むすめ》は、神《かみ》さまがお授《さず》けになったのだから、どうして売《う》ることができよう。そんなことをしたら、罰《ばち》が当《あ》たるといって承知《しょうち》をしませんでした。香具師《やし》は一度《ど》、二度《ど》断《ことわ》られてもこりずに、またやってきました。そして、年《とし》より夫婦《ふうふ》に向《む》かって、
「昔《むかし》から、人魚《にんぎょ》は、不吉《ふきつ》なものとしてある。いまのうちに、手《て》もとから離《はな》さないと、きっと悪《わる》いことがある。」と、まことしやかに申《もう》したのであります。
年《とし》より夫婦《ふうふ》は、ついに香具師《やし》のいうことを信《しん》じてしまいました。それに大金《たいきん》になりますので、つい金《かね》に心《こころ》を奪《うば》われて、娘《むすめ》を香具師《やし》に売《う》ることに約束《やくそく》をきめてしまったのであります。
香具師《やし》は、たいそう喜《よろこ》んで帰《かえ》りました。いずれそのうちに、娘《むすめ》を受《う》け取《と》りにくるといいました。
この話《はなし》を娘《むすめ》が知《し》ったときは、どんなに驚《おどろ》いたでありましょう。内気《うちき》な、やさしい娘《むすめ》は、この家《いえ》から離《はな》れて、幾《いく》百里《り》も遠《とお》い、知《し》らない、熱《あつ》い南《みなみ》の国《くに》へゆくことをおそれました。そして、泣《な》いて、年《とし》より夫婦《ふうふ》に願《ねが》ったのであります。
「わたしは、どんなにでも働《はたら》きますから、どうぞ知《し》らない南《みなみ》の国《くに》へ売《う》られてゆくことは、許《ゆる》してくださいまし。」といいました。
しかし、もはや、鬼《おに》のような心持《こころも》ちになってしまった年寄《としよ》り夫婦《ふうふ》は、なんといっても、娘《むすめ》のいうことを聞《き》き入《い》れませんでした。
娘《むすめ》は、へやのうちに閉《と》じこもって、いっしんにろうそくの絵《え》を描《か》いていました。しかし、年寄《としよ》り夫婦《ふうふ》はそれを見《み》ても、いじらしいとも、哀《あわ》れとも、思《おも》わなかったのであります。
月《つき》の明《あか》るい晩《ばん》のことであります。娘《むすめ》は、独《ひと》り波《なみ》の音《おと》を聞《き》きながら、身《み》の行《ゆ》く末《すえ》を思《おも》うて悲《かな》しんでいました。波《なみ》の音《おと》を聞《き》いていると、なんとなく、遠《とお》くの方《ほう》で、自分《じぶん》を呼《よ》んでいるものがあるような気《き》がしましたので、窓《まど》から、外《そと》をのぞいてみました。けれど、ただ青《あお》い、青《あお》い海《うみ》の上《うえ》に月《つき》の光《ひかり》が、はてしなく、照《て》らしているばかりでありました。
娘《むすめ》は、また、すわって、ろうそくに絵《え》を描《か》いていました。すると、このとき、表《おもて》の方《ほう》が騒《さわ》がしかったのです。いつかの香具師《やし》が、いよいよこの夜《よ》娘《むすめ》を連《つ》れにきたのです。大《おお》きな、鉄格子《てつごうし》のはまった、四角《かく》な箱《はこ》を車《くるま》に乗《の》せてきました。その箱《はこ》の中《なか》には、かつて、とらや、ししや、ひょうなどを入《い》れたことがあるのです。
このやさしい人魚《にんぎょ》も、やはり海《うみ》の中《なか》の獣物《けもの》だというので、とらや、ししと同《おな》じように取《と》り扱《あつか》おうとしたのであります。ほどなく、この箱《はこ》を娘《むすめ》が見《み》たら、どんなにたまげたでありましょう。
娘《むすめ》は、それとも知《し》らずに、下《した》を向《む》いて、絵《え》を描《か》いていました。そこへ、おじいさんと、おばあさんとが入《はい》ってきて、
「さあ、おまえはゆくのだ。」といって、連《つ》れだそうとしました。
娘《むすめ》は、手《て》に持《も》っていたろうそくに、せきたてられるので絵《え》を描《か》くことができずに、それをみんな赤《あか》く塗《ぬ》ってしまいました。
娘《むすめ》は、赤《あか》いろうそくを、自分《じぶん》の悲《かな》しい思《おも》い出《で》の記念《きねん》に、二、三本《ぼん》残《のこ》していったのであります。
ほんとうに穏《おだ》やかな晩《ばん》のことです。おじいさんとおばあさんは、戸《と》を閉《し》めて、寝《ね》てしまいました。
真夜中《まよなか》ごろでありました。トン、トン、と、だれか戸《と》をたたくものがありました。年寄《としよ》りのものですから耳《みみ》さとく、その音《おと》を聞《き》きつけて、だれだろうと思《おも》いました。
「どなた?」と、おばあさんはいいました。
けれどもそれには答《こた》えがなく、つづけて、トン、トン、と戸《と》をたたきました。
おばあさんは起《お》きてきて、戸《と》を細《ほそ》めにあけて外《そと》をのぞきました。すると、一人《ひとり》の色《いろ》の白《しろ》い女《おんな》が戸口《とぐち》に立《た》っていました。
女《おんな》はろうそくを買《か》いにきたのです。おばあさんは、すこしでもお金《かね》がもうかることなら、けっして、いやな顔《かお》つきをしませんでした。
おばあさんは、ろうそくの箱《はこ》を取《と》り出《だ》して女《おんな》に見《み》せました。そのとき、おばあさんはびっくりしました。女《おんな》の長《なが》い、黒《くろ》い頭髪《かみのけ》がびっしょりと水《みず》にぬれて、月《つき》の光《ひかり》に輝《かがや》いていたからであります。女《おんな》は箱《はこ》の中《なか》から、真《ま》っ赤《か》なろうそくを取《と》り上《あ》げました。そして、じっとそれに見入《みい》っていましたが、やがて金《かね》を払《はら》って、その赤《あか》いろうそくを持《も》って帰《かえ》ってゆきました。
おばあさんは、燈火《ともしび》のところで、よくその金《かね》をしらべてみると、それはお金《かね》ではなくて、貝《かい》がらでありました。おばあさんは、だまされたと思《おも》って、怒《おこ》って、家《うち》から飛《と》び出《だ》してみましたが、もはや、その女《おんな》の影《かげ》は、どちらにも見《み》えなかったのであります。
その夜《よ》のことであります。急《きゅう》に空《そら》の模様《もよう》が変《か》わって、近《ちか》ごろにない大暴風雨《おおあらし》となりました。ちょうど香具師《やし》が、娘《むすめ》をおりの中《なか》に入《い》れて、船《ふね》に乗《の》せて、南《みなみ》の方《ほう》の国《くに》へゆく途中《とちゅう》で、沖《おき》にあったころであります。
「この大暴風雨《おおあらし》では、とても、あの船《ふね》は助《たす》かるまい。」と、おじいさんと、おばあさんは、ぶるぶると震《ふる》えながら、話《はなし》をしていました。
夜《よ》が明《あ》けると、沖《おき》は真《ま》っ暗《くら》で、ものすごい景色《けしき》でありました。その夜《よ》、難船《なんせん》をした船《ふね》は、数《かぞ》えきれないほどであります。
不思議《ふしぎ》なことには、その後《のち》、赤《あか》いろうそくが、山《やま》のお宮《みや》に点《とも》った晩《ばん》は、いままで、どんなに天気《てんき》がよくても、たちまち大《おお》あらしとなりました。それから、赤《あか》いろうそくは、不吉《ふきつ》ということになりました。ろうそく屋《や》の年《とし》より夫婦《ふうふ》は、神《かみ》さまの罰《ばち》が当《あ》たったのだといって、それぎり、ろうそく屋《や》をやめてしまいました。
しかし、どこからともなく、だれが、お宮《みや》に上《あ》げるものか、たびたび、赤《あか》いろうそくがともりました。昔《むかし》は、このお宮《みや》にあがった絵《え》の描《か》いたろうそくの燃《も》えさしさえ持《も》っていれば、けっして、海《うみ》の上《うえ》では災難《さいなん》にはかからなかったものが、今度《こんど》は、赤《あか》いろうそくを見《み》ただけでも、そのものはきっと災難《さいなん》にかかって、海《うみ》におぼれて死《し》んだのであります。
たちまち、このうわさが世間《せけん》に伝《つた》わると、もはや、だれも、この山《やま》の上《うえ》のお宮《みや》に参詣《さんけい》するものがなくなりました。こうして、昔《むかし》、あらたかであった神《かみ》さまは、いまは、町《まち》の鬼門《きもん》となってしまいました。そして、こんなお宮《みや》が、この町《まち》になければいいものと、うらまぬものはなかったのであります。
船乗《ふなの》りは、沖《おき》から、お宮《みや》のある山《やま》をながめておそれました。夜《よる》になると、この海《うみ》の上《うえ》は、なんとなくものすごうございました。はてしもなく、どちらを見《み》まわしても、高《たか》い波《なみ》がうねうねとうねっています。そして、岩《いわ》に砕《くだ》けては、白《しろ》いあわが立《た》ち上《あ》がっています。月《つき》が、雲間《くもま》からもれて波《なみ》の面《おもて》を照《て》らしたときは、まことに気味悪《きみわる》うございました。
真《ま》っ暗《くら》な、星《ほし》もみえない、雨《あめ》の降《ふ》る晩《ばん》に、波《なみ》の上《うえ》から、赤《あか》いろうそくの灯《ひ》が、漂《ただよ》って、だんだん高《たか》く登《のぼ》って、いつしか山《やま》の上《うえ》のお宮《みや》をさして、ちらちらと動《うご》いてゆくのを見《み》たものがあります。
幾年《いくねん》もたたずして、そのふもとの町《まち》はほろびて、滅《な》くなってしまいました。
底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
1976(昭和51)年11月10日第1刷
1977(昭和52)年C第3刷
初出:「東京朝日新聞」
1921(大正10)年2月16日~20日
※表題は底本では、「赤《あか》いろうそくと人魚《にんぎょ》」となっています。
※初出時の表題は「赤い蝋燭と人魚」です。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月31日作成
2012年4月14日修正
青空文庫作成ファイル:
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