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私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました。
全体、私たちビジテリアンというのは、ご存知の方も多いでしょうが、実は動物質のものを食べないという考《かんがえ》のものの団結でありまして、日本では菜食主義者と訳しますが主義者というよりは、も少し意味の強いことが多いのであります。菜食信者と訳したら、或《あるい》は少し強すぎるかも知れませんが、主義者というよりは、よく実際に適《かな》っていると思います。もっともその中にもいろいろ派がありますが、まあその精神について大きくわけますと、同情派と予防派との二つになります。
この名前は横からひやかしにつけたのですが、大へんうまく要領を云《い》いあらわしていますから、かまわず私どもも使うのです。
同情派と云いますのは、私たちもその方でありますが、恰度《ちょうど》仏教の中でのように、あらゆる動物はみな生命を惜《おし》むこと、我々と少しも変りはない、それを一人が生きるために、ほかの動物の命を奪《うば》って食べるそれも一日に一つどころではなく百や千のこともある、これを何とも思わないでいるのは全く我々の考が足らないので、よくよく喰《た》べられる方になって考えて見ると、とてもかあいそうでそんなことはできないとこう云う思想なのであります。ところが予防派の方は少しちがうのでありまして、これは実は病気予防のために、なるべく動物質をたべないというのであります。則《すなわ》ち肉類や乳汁を、あんまりたくさんたべると、リウマチスや痛風や、悪性の腫脹《しゅちょう》や、いろいろいけない結果が起るから、その病気のいやなもの、又《また》その病気の傾向《けいこう》のあるものは、この団結の中に入るのであります。それですからこの派の人たちはバターやチーズも豆《まめ》からこしらえたり、又菜食病院というものを建てたり、いろいろなことをしています。
以上は、まあ、ビジテリアンをその精神から大きく二つにわけたのでありますが、又一方これをその実行の方法から分類しますと、三つになります。第一に、動物質のものは全く喰べてはいけないと、則ち獣《けもの》や魚やすべて肉類はもちろん、ミルクや、またそれからこしらえたチーズやバター、お菓子《かし》の中でも鶏卵《けいらん》の入ったカステーラなど、一切いけないという考の人たち、日本ならばまあ、一寸《ちょっと》鰹《かつお》のだしの入ったものもいけないという考のであります。この方法は同情派にも予防派にもありますけれども大部分は予防派の人たちがやります。第二のは、チーズやバターやミルク、それから卵などならば、まあものの命をとるというわけではないから、さし支《つか》えない、また大してからだに毒になるまいというので、割合穏健《おんけん》な考であります。第三は私たちもこの中でありますが、いくら物の命をとらない、自分ばかりさっぱりしていると云ったところで、実際にほかの動物が辛《つら》くては、何にもならない、結局はほかの動物がかあいそうだからたべないのだ、小さな小さなことまで、一一吟味《ぎんみ》して大へんな手数をしたり、ほかの人にまで迷惑《めいわく》をかけたり、そんなにまでしなくてもいい、もしたくさんのいのちの為《ため》に、どうしても一つのいのちが入用なときは、仕方ないから泣きながらでも食べていい、そのかわりもしその一人が自分になった場合でも敢《あえ》て避《さ》けないとこう云うのです。けれどもそんな非常の場合は、実に実に少いから、ふだんはもちろん、なるべく植物をとり、動物を殺さないようにしなければならない、くれぐれも自分一人気持ちをさっぱりすることにばかりかかわって、大切の精神を忘れてはいけないと斯《こ》う云うのであります。
そこで、大体ビジテリアンというものの性質はおわかりでしょうから、これから昨年のその大祭のときのもようをお話いたします。
私がニュウファウンドランドの、トリニテイの港に着きましたのは、恰度《ちょうど》大祭の前々日でありました。事によると、間に合わないと思ったのが、うまい工合《ぐあい》に参りましたので、大へんよろこびました。トルコからの六人の人たちと、船の中で知り合いになりました。その団長は、地学博士でした。大祭に参加後、すぐ六人ともカナダの北境を探険するという話でした。私たちは、船を下りると、すぐ旅装《りょそう》を調えて、ヒルテイの村に出発したのであります。実は私は日本から出ました際には、ニュウファウンドランドへさえ着いたら、誰《たれ》の眼《め》もみなそのヒルテイという村の方へ向いてるだろう、世界中から集った旅人が、ぞろぞろそっちへ行くのだろうから、もうすぐ路《みち》なんかわかるだろうと思って居《お》りました。ところが、船の中でこそ、遇然《ぐうぜん》トルコ人六人とも知り合いになったようなもの、実際トリニテイの町に下りて見ると、どこにもそんなビラが張ってあるでもなし、ヒルテイという名を云う人も一人だってあるでなし、実は私も少し意外に感じたので〔以下原稿数枚なし〕
は町をはなれて、海岸の白い崖《がけ》の上の小さなみちを行きました、そらが曇《くも》って居りましたので大西洋がうすくさびたブリキのように見え、秋風は白いなみがしらを起し、小さな漁船はたくさんならんで、その中を行くのでした。落葉松《からまつ》の下枝《したえだ》は、もう褐色《かっしょく》に変っていたのです。
トルコ人たちは、みちに出ている岩にかなづちをあてたり、がやがや話し合ったりして行きました。私はそのあとからひとり空虚《から》のトランクを持って歩きました。一時間半ばかり行ったとき、私たちは海に沿った一つの峠《とうげ》の頂上に来ました。
「もうヒルテイの村が見える筈《はず》です。」団長の地学博士が私の前に来て、地図を見ながら英語で云いました。私たちは向うを注意してながめました。ひのきの一杯《いっぱい》にしげっている谷の底に、五つ六つ、白い壁《かべ》が見えその谷には海が峡湾《きょうわん》のような風にまっ蒼《さお》に入り込《こ》んでいました。
「あれがヒルテイの村でしょうか。」私は団長にたずねました。団長は、しきりに地図と眼の前の地形とくらべていましたが、しばらくたって眼鏡《めがね》をちょっと直しながら、
「そうです。あれがヒルテイの村です。私たちの教会は、多分あの右から三番目に見える平屋根の家でしょう。旗か何か立っているようです。あすこにデビスさんが、住んでいられるんですね。」
デビスというのは、ご存知の方もありましょうが、私たちの派のまあ長老です、ビジテリアン月報の主筆で、今度の大祭では祭司長になった人であります。そこで、私たちは、俄《にわ》かに元気がついて、まるで一息にその峠をかけ下りました。トルコ人たちは脚《あし》が長いし、背嚢《はいのう》を背負って、まるで磁石《じしゃく》に引かれた砂鉄とい〔以下原稿数枚なし〕
そうにあたりの風物をながめながら、三人や五人ずつ、ステッキをひいているのでした。婦人たちも大分ありました。又支那《しな》人かと思われる顔の黄いろな人とも会いました。私はじっとその顔を見ました。向うでも立ちどまってしまいました。けれどもその日はとうとう話しかけるでもなく、別れてしまいましたが、その人がやはりビジテリアンで、大祭に来たものなことは疑《うたがい》もありませんでした。私たちは教会に来ました。教会は粗末《そまつ》な漆喰造《しっくいづく》りで、ところどころ裂罅割《ひびわ》れていました。多分はデビスさんの自分の家だったのでしょうが、ずいぶん大きいことは大きかったのです。旗や電燈が、ひのきの枝ややどり木などと、上手に取り合せられて装飾《そうしょく》され、まだ七八人の人が、せっせと明後日《あさって》の仕度《したく》をして居りました。
私たちは教会の玄関《げんかん》に立って、ベルを押《お》しました。
すぐ赭《あか》ら顔の白髪《はくはつ》の元気のよさそうなおじいさんが、かなづちを持ってよこの室《へや》から顔〔以下原稿数枚なし〕
が、桃《もも》いろの紙に刷られた小さなパンフレットを、十枚ばかり持って入って来ました。
「お早うございます。なあに却《かえ》って御愛嬌《ごあいきょう》ですよ。」
「お早うございます。どうか一枚拝見。」
私はパンフレットを手にとりました。それは今ももっていますが斯《こ》う書いてあったのです。
「◎偏狭《へんきょう》非文明的なるビジテリアンを排《はい》す。
マルサスの人口論は、今日定性的には誰も疑うものがない。その要領は人類の居住すべき世界の土地は一定である、又その食料品は等差級数的に増加するだけである、然《しか》るに人口は等比級数的に多くなる。則《すなわ》ち人類の食料はだんだん不足になる。人類の食料と云えば蓋《けだ》し動物植物鉱物の三種を出《い》でない。そのうち鉱物では水と食塩とだけである。残りは植物と動物とが約半々を占《し》める。ところが茲《ここ》にごく偏狭な陰気《いんき》な考の人間の一群があって、動物は可哀《かあい》そうだからたべてはならんといい、世界中にこれを強《し》いようとする。これがビジテリアンである。この主張は、実に、人類の食物の半分を奪おうと企《くわだ》てるものである。換言《かんげん》すれば、この主張者たちは、世界人類の半分、則ち十億人を饑餓《きが》によって殺そうと計画するものではないか。今日いずれの国の法律を以《もっ》てしても、殺人罪は一番重く罰《ばっ》せられる。間接ではあるけれども、ビジテリアンたちも又この罪を免《まぬか》れない。近き将来、各国から委員が集って充分《じゅうぶん》商議の上厳重に処罰されるのはわかり切ったことである。又この事実は、ビジテリアンたちの主張が、畢竟《ひっきょう》自家撞着《じかどうちゃく》に終ることを示す。則ちビジテリアンは動物を愛するが故《ゆえ》に動物を食べないのであろう。何が故にその為に食物を得ないで死亡する、十億の人類を見殺しにするのであるか。人類も又動物ではないか。」
「こいつは面白《おもしろ》い。実に名論だ。文章も実に珍無類《ちんむるい》だ。実に面白い。」トルコの地学博士はその肥《ふと》った顔を、まるで張り裂《さ》けるようにして笑いました。みんなも笑いました。とにかくみんな寝巻《ねまき》をぬいで、下に降りて、口を漱《すす》いだり顔を洗ったりしました。
それから私たちは、簡単に朝飯を済まして、式が九時から始まるのでしたから、しばらくバルコンでやすんで待っていました。
不意に教会の近くから、のろしが一発昇《のぼ》りました。そらがまっ青に晴れて、一枚の瑠璃《るり》のように見えました。その冴《す》みきったよく磨《みが》かれた青ぞらで、まっ白なけむりがパッとたち、それから黄いろな長いけむりがうねうね下って来ました。それはたしかに、日本でやる下り竜《りゅう》の仕掛《しか》け花火です。そこで私ははっと気がつきました。こののろしは陳《ちん》氏があげているのだ、陳氏が支那式黄竜の仕掛け花火をやったのだと気がつきましたので、大悦《おおよろこ》びでみんなにも説明しました。
その時又、今朝のすてきなラッパの声が遠くから響《ひび》いて参りました。
「来た来た。さあどんな顔ぶれだか、一つ見てやろうじゃないか。」地学博士を先登《せんとう》に、私たちは、どやどや、玄関へ降りて行きました。たちまち一台の大きな赤い自働車がやって来ました。それには白い字でシカゴ畜産《ちくさん》組合と書いてありました。六人の、髪《かみ》をまるで逆立てた人たちが、シャツだけになって、顔をまっ赤にして、何か叫《さけ》びながら鼠色《ねずみいろ》や茶いろのビラを撒《ま》いて行きました。その鼠いろのを私は一枚手にとりました。それには赤い字で斯《こ》う書いてありました。
「◎偏狭非学術的なるビジテリアンを排せ。
ビジテリアンの主張は全然誤謬《ごびゅう》である。今この陰気な非学術的思想を動物心理学的に批判して見よう。
ビジテリアンたちは動物が可哀そうだから食べないという。動物が可哀そうだということがどうしてわかるか。ただこっちが可哀そうだと思うだけである。全体豚《ぶた》などが死というような高等な観念を持っているものではない。あれはただ腹が空《へ》った、かぶらの茎《くき》、噛《か》みつく、うまい、厭《あ》きた、ねむり、起きる、鼻がつまる、ぐうと鳴らす、腹がへった、麦糠《むぎぬか》、たべる、うまい、つかれた、ねむる、という工合《ぐあい》に一つずつの小さな現在が続いて居るだけである。殺す前にキーキー叫ぶのは、それは引っぱられたり、たたかれたりするからだ、その証拠《しょうこ》には、殺すつもりでなしに、何か鶏卵《けいらん》の三十も少し遠くの方でご馳走《ちそう》をするつもりで、豚の足に縄《なわ》をつけて、ひっぱって見るがいいやっぱり豚はキーキー云う。こんな訳だから、ほんとうに豚を可哀そうと思うなら、そうっと怒《おこ》らせないように、うまいものをたべさせて置いて、にわかに熱湯にでもたたき込んでしまうがいい、豚は大悦びだ、くるっと毛まで剥《む》けてしまう。われわれの組合では、この方法によって、沢山《たくさん》の豚を悦ばせている。ビジテリアンたちは、それを知らない。自分が死ぬのがいやだから、ほかの動物もみんなそうだろうと思うのだ。あんまり子供らしい考である。」
私は無理に笑おうと思いましたが何だか笑えませんでした。地学博士も黄いろなパンフレットを読んでしまって少し変な顔をしていました。私たちは目を見合せました。それからだまってお互《たがい》のパンフレットをとりかえました。黄色なパンフレットには斯う書いてあったのです。
「◎偏狭非学術的なビジテリアンを排せ。
ビジテリアンの主張は全然誤謬《ごびゅう》である。今これを生物分類学的に簡単に批判して見よう。ビジテリアンたちは、動物が可哀そうだという、一体どこ迄《まで》が動物でどこからが植物であるか、牛やアミーバーは動物だからかあいそう、バクテリヤは植物だから大丈夫《だいじょうぶ》というのであるか。バクテリヤを植物だ、アミーバーを動物だとするのは、ただ研究の便宜《べんぎ》上、勝手に名をつけたものである。動物には意識があって食うのは気の毒だが、植物にはないから差し支《つか》えないというのか。なるほど植物には意識がないようにも見える。けれどもないかどうかわからない、あるようだと思って見ると又《また》実にあるようである。元来生物界は、一つの連続である、動物に考があれば、植物にもきっとそれがある。ビジテリアン諸君、植物をたべることもやめ給《たま》え。諸君は餓死する。又世界中にもそれを宣伝したまえ。二十億人がみんな死ぬ。大へんさっぱりして諸君の御希望に叶《かな》うだろう。そして、そのあとで動物や植物が、お互同志食ったり食われたりしていたら、丁度いいではないか。」
私はなおさら変な気がしました。
もう一枚茶いろのもあったのです。
「ごらんになったらとりかえましょうか。」
私は隣《とな》りの人に云いました。
「ええ、」その人はあわただしく茶いろのパンフレットをよこしました。私も私のをやったのです。それには黒くこう書いてありました。
「◎偏狭非学術的なるビジテリアンを排せ。
ビジテリアンの主張は全然誤謬である、今これを比較解剖《ひかくかいぼう》学の立場からごく通俗的に説明しよう。人類は動物学上混食に適するようにできている。歯の形状から見てもわかる。草食獣《そうしょくじゅう》にある臼歯《きゅうし》もあれば肉食類の犬歯もある。混食をしているのが人類には一番自然である。そう出来てるのだから仕方ない。それをどう斯う云うのは恩恵《おんけい》深き自然に対して正しく叛旗《はんき》をひるがえすものである。よしたまえ、ビジテリアン諸君、あんまり陰気なおまけに子供くさい考は。」
「ふん。今度のパンフレットはどれもかなりしっかりしてるね。いかにも誰《たれ》もやりそうな議論だ。しかしどっかやっぱり調子が変だね。」地学博士が少し顔色が青ざめて斯う云いました。
「調子が変なばかりじゃない、議論がみんな都合のいいようにばかり仕組んであるよ。どうせ畜産組合の宣伝書だ。」と一人のトルコ人が云いました。
そのとき又向うからラッパが鳴って来ました。ガソリンの音も聞えます。正直を云いますと私もこの時は少し胸がどきどきしました。さっそく又一台の赤自動車がやって来て小さな白い紙を撒いて行ったのです。
そのパンフレットを私たちはせわしく読みました。それには赤い字で斯《こ》う書いてあったのです。
「ビジテリアン諸氏に寄す。
諸君がどんなに頑張《がんば》って、馬鈴薯《ばれいしょ》とキャベジ、メリケン粉ぐらいを食っていようと、海岸ではあんまりたくさん魚がとれて困る。折角《せっかく》死んでも、それを食べて呉《く》れる人もなし、可哀そうに、魚はみんなシャベルで釜《かま》になげ込《こ》まれ、煮えるとすくわれて、締木《しめぎ》にかけて圧搾《あっさく》される。釜に残った油の分は魚油です。今は一缶《かん》十セントです。鰯《いわし》なら一缶がまあざっと七百疋《ぴき》分ですねえ、締木にかけた方は魚粕《うおかす》です、一キログラム六セントです、一キログラムは鰯ならまあ五百疋ですねえ、みなさん海岸へ行ってめまいをしてはいけません。また農場へ行ってめまいをしてもいけません、なぜなら、その魚粕をつかうとキャベジでも麦でもずいぶんよく穫《と》れます。おまけにキャベジ一つこさえるには、百疋からの青虫を除《と》らなければならないのですぜ。それからみなさんこの町で何か煮《に》たものをめしあがったり、お湯をお使いになるときに、めまいを起さないように願います。この町のガスはご存知の通り、石炭でなしに、魚油を乾溜《かんりゅう》してつくっているのですから。いずれ又お目にかかって詳《くわ》しく申しあげましょう。」
この宣伝書を読んでしまったときは、白状しますが、私たちはしばらくしんとしてしまったのです。どうも理論上この反対者の主張が勝っているように思われたのであります。それとて、私も、又トルコから来たその六人の信者たちも、ビジテリアンをやめようとか、全く向うの主張に賛成だとかいうのでもなく、ただ何となくこの大祭のはじまりに、けちをつけられたのが不愉快《ふゆかい》だったのであります。余興として笑ってしまうには、あんまり意地が悪かったのであります。
ところが、又もやのろしが教会の方であがりました。まっ青なそらで、白いけむりがパッと開き、それからトントンと音が聞えました。けむりの中から出て来たのは、今度こそ全く支那《しな》風の五色の蓮華《れんげ》の花でした。なるほどやっぱり陳氏だ、お経《きょう》にある青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光をやったんだなと、私はつくづく感心してそれを見上げました。全くその蓮華のはなびらは、ニュウファウンドランド島、ヒルテイ村ビジテリアン大祭の、新鮮な朝のそらを、かすかに光って舞《ま》い降りて来るのでした。
それから教会の方で、賑《にぎ》やかなバンドが始まりました。それが風下でしたから、手にとるように聞えました。それがいかにも本式なのです。私たちは、はじめはこれはよほど費用をかけて大陸から頼《たの》んで来たんだなと思いましたが、あとで聞きましたら、あの有名なスナイダーが私たちの仲間だったんです。スナイダーは、自分のバンド(尤《もっと》もその半数は、みんなビジテリアンだったのです、)を、そっくりつれてやはり一昨日《おととい》、ここへ着いたのだそうです。とにかく、式の始まるまでは、まだ一時間もありましたけれども、斯《こ》うにぎやかにやられては、とてもじっとして居られません、私たちは、大急ぎで二階に帰って、礼装《れいそう》をしたのです。土耳古《トルコ》人たちは、みんなまっ赤なターバンと帯とをかけ、殊《こと》に地学博士はあちこちからの勲章《くんしょう》やメタルを、その漆黒《しっこく》の上着にかけましたので全くまばゆい位でした。私は三越でこさえた白い麻《あさ》のフロックコートを着ましたが、これは勿論《もちろん》、私の好みで作法ではありません。けれども元来きものというものは、東洋風に寒さをしのぐという考《かんがえ》も勿論ですが、一方また、カーライルの云う通り、装飾《そうしょく》が第一なので結局その人にあった相当のものをきちんとつけているのが一等ですから、私は一向何とも思いませんでした。実際きものは自分のためでなく他人の為《ため》です。自分には自分の着ているものが全体見えはしませんからほかの人がそれを見て、さっぱりした気持ちがすればいいのであります。
さて私たちは宿を出ました。すると式の時間を待ち兼ねたのは、あながち私たちだけではありませんでした。教会へ行く途中《とちゅう》、あっちの小路からも、こっちの広場からも、三人四人ずついろいろな礼装をした人たちに、私たちは会いました。燕尾服《えんびふく》もあれば厚い粗羅紗《そらしゃ》を着た農夫もあり、綬《じゅ》をかけた人もあれば、スラッと瘠《や》せた若い軍医もありました。すべてこれらは、私たちの兄弟でありましたから、もう私たちは国と階級、職業とその名とをとわず、ただ一つの大きなビジテリアンの同朋《どうぼう》として、「お早う、」と挨拶《あいさつ》し「おめでとう、」と答えたのです。そして私たちは、いつかぞろぞろ列になっていました。列になって教会の門を入ったのです。一昨日《おととい》別段気にもとめなかった、小さなその門は、赤いいろの藻《そう》類と、暗緑の栂《つが》とで飾《かざ》られて、すっかり立派に変っていました。門をはいると、すぐ受付があって私たちはみんな求められて会員証を示しました。これはいかにも偏狭《へんきょう》なやり方のようにどなたもお考えでしょうが、実際今朝の反対宣伝のような訳で、どんなものがまぎれ込んで来て、何をするかもわからなかったのですから、全く仕方なかったのでありましょう。
式場は、教会の広庭に、大きな曲馬用の天幕《テント》を張って、テニスコートなどもそのまま中に取り込んでいたようでした。とてもその人数の入るような広間は、恐《おそ》らくニュウファウンドランド全島にもなかったでしょう。
もう気の早い信徒たちが二百人ぐらい席について待っていました。笑い声が波のように聞えました。やっぱり今朝のパンフレットの話などが多かったのでしょう。
その式場を覆《おお》う灰色の帆布《はんぷ》は、黒い樅《もみ》の枝《えだ》で縦横に区切られ、所々には黄や橙《だいだい》の石楠花《しゃくなげ》の花をはさんでありました。何せそう云ういい天気で、帆布が半透明《はんとうめい》に光っているのですから、実にその調和のいいこと、もうこここそやがて完成さるべき、世界ビジテリアン大会堂の、陶製《とうせい》の大天井《だいてんじょう》かと思われたのであります。向うには勿論花で飾られた高い祭壇《さいだん》が設けられていました。そのとき、私は又、あの狼煙《のろし》の音を聞きました。はっと気がついて、私は急いでその音の方教会の裏手へ出て行って見ました。やっぱり陳氏でした。陳氏は小さな支那の子供の狼煙の助手も二人も連れて来ているのでした。そして三人とも、今日はすっかり支那服でした。私は支那服の立派さを、この朝ぐらい感じたことはありません。陳氏はすっかり黒の支度《したく》をして、袖口《そでぐち》と沓《くつ》だけ、まばゆいくらいまっ白に、髪は昨日《きのう》の通りでしたが、支那の勲章を一つつけていました。
それから助手の子供らは、まるで絵にある唐児《からこ》です。あたまをまん中だけ残して、くりくり剃《そ》って、恭《うやうや》しく両手を拱《こまね》いて、陳氏のうしろに立っていました。陳氏は私の行ったのを見ると本当に嬉《うれ》しかったと見えて、いきなり手を出して、
「おめでとう。お早う。いいお天気です。天の幸、君にあらんことを。」とつづけざまにべらべら挨拶しました。
「お早う。」私たちは手を握《にぎ》りました。二人の子供の助手も、両手を拱いたまま私に一揖《いちゆう》しました。私も全く嬉しかったんです。ニュウファウンドランド島の青ぞらの下で、この叮重《ていちょう》な東洋風の礼を受けたのです。
陳氏は云いました。
「さあ、もう一発やりますよ。あとは式がすんでからです。今度のは、私の郷国の名前では、柳雲飛鳥《りゅううんひちょう》といいます。柳はサリックス、バビロニカ、です。飛鳥は燕《スワロウ》です。日本でも、柳と燕《つばめ》を云いますか。」
「云います。そしてよく覚えませんが、たしか私の方にも、その狼煙はあった筈《はず》ですよ。いや花火だったかな。それとも柳にけまりだったかな。」
「日本の花火の名所は、東京両国橋ですね。」
「ええそのほか岩国とか石の巻とか、あちこちにもあります。」
「なるほど。さあ、支度。」陳氏は二人の子供に向きました。一人の子は恭しくバスケットから、狼煙玉を持ち出しました。陳氏はそれを受けとってよく調べてから、
「よろしい。口火。」と云いました。も一人の子は、もう手に口火を持って待っていました。陳氏はそれを受けとりました。はじめの子は、シュッとマッチをすりました。陳氏はそれに口火をあてて、急いでのろし筒《づつ》に投げ込みました。しばらくたって、「ドーン」けむりと一緒《いっしょ》に、さっきの玉は、汽車ぐらいの速さで青ぞらにのぼって行きました。二人の子供も、恭しく腕《うで》を拱いて、それを見上げていました。たちまち空で白いけむりが起り、ポンポンと音が下って来それから青い柳のけむりが垂れ、その間を燕の形の黒いものが、ぐるぐる縫《ぬ》って進みました。
「さあ式場へ参りましょう。お前たち此処《ここ》で番をしておいで。」陳氏は英語で云って、それから私らは、その二人の子供らの敬礼をうしろに式場の天幕《テント》へ帰りました。
もう式の始まるに、六分しかありませんでした。天幕の入口で、私たちはプログラムを受け取りました。それには表に
ビジテリアン大祭次第
挙祭挨拶
論難反駁《はんぱく》
祭歌合唱
祈祷《きとう》
閉式挨拶
会食
会員紹介
余興 以上
と刷ってあり私たちがそれを受け取った時丁度九時五分前でした。
式場の中はぎっしりでした。それに人数もよく調べてあったと見えて、空いた椅子《いす》とてもあんまりなく、勿論《もちろん》腰《こし》かけないで立っている人などは一人もありませんでした。みんなで五百人はあったでしょう。その中には婦人たちも三分の一はあったでしょう。いろいろな服装や色彩《しきさい》が、処々《ところどころ》に配置された橙や青の盛花《もりばな》と入りまじり、秋の空気はすきとおって水のよう、信者たちも又《また》さっきとは打って変って、しいんとして式の始まるのを待っていました。
アーチになった祭壇のすぐ下には、スナイダーを楽長とするオーケストラバンドが、半円陣《はんえんじん》を採り、その左には唱歌隊の席がありました。唱歌隊の中にはカナダのグロッコも居たそうですが、どの人かわかりませんでした。
ところが祭壇の下オーケストラバンドの右側に、「異教徒席」「異派席」という二つの陶製の標札《ひょうさつ》が出て、どちらにも二十人ばかりの礼装をした人たちが座って居りました。中には今朝の自働車で見たような人も大分ありました。
私もそこで陳氏と並んで一番うしろに席をとりました。陳氏はしきりに向うの異教徒席や異派席とプログラムとを比較《ひかく》しながらよほど気にかかる模様でした。とうとう、そっと私にささやきました。
「このプログラムの論難というのは向うのあの連中がやるのですね。」
「きっとそうでしょうね。」
「どうです、異派席の連中は、私たちの仲間にくらべては少し風采《ふうさい》でも何でも見劣《みおと》りするようですね。」
私も笑いました。
「どうもそうのようですよ。」
陳氏が又云いました。
「けれども又異教席のやつらと、異派席の連中とくらべて見たんじゃ又ずっと違《ちが》ってますね。異教席のやつらときたら、実際どうも醜悪《しゅうあく》ですね。」
「全くです。」私はとうとう吹《ふ》き出しました。実際異教席の連中ときたらどれもみんな醜悪だったのです。
俄《にわ》かに澄《す》み切った電鈴《でんれい》の音が式場一杯《いっぱい》鳴りわたりました。
拍手《はくしゅ》が嵐《あらし》のように起りました。
白髯《はくぜん》赭顔《しゃがん》のデビス長老が、質素な黒のガウンを着て、祭壇《さいだん》に立ったのです。そして何か云おうとしたようでしたが、あんまり嬉しかったと見えて、もうなんにも云えず、ただおろおろと泣いてしまいました。信者たちはまるで熱狂《ねっきょう》して、歓呼拍手しました。デビス長老は、手を大きく振《ふ》って又何か云おうとしましたが、今度も声が咽喉《のど》につまって、まるで変な音になってしまい、とうとう又泣いてしまったのです。
みんなは又熱狂的に拍手しました。長老はやっと気を取り直したらしく、大きく手を三度ふって、何か叫《さけ》びかけましたけれども、今度だってやっぱりその通り、崩《くず》れるように泣いてしまったのです。祭司次長、ウィリアム・タッピングという人で、爪哇《ジャワ》の宣教師なそうですが、せいの高い立派なじいさんでした、が見兼ねて出て行って、祭司長にならんで立ちました。式場はしいんと静まりました。
「諸君、祭司長は、只今《ただいま》既《すで》に、無言を以《もっ》て百千万言を披瀝《ひれき》した。是《こ》れ、げにも尊き祭始の宣言である。然《しか》しながら、未《いま》だ祭司長の云わざる処もある。これ実に祭司長が述べんと欲するものの中の糟粕《そうはく》である。これをしも、祭司次長が諸君に告げんと欲《ほっ》して、敢《あえ》て咎《とが》めらるべきでない。諸君、吾人《ごじん》は内外多数の迫害《はくがい》に耐《た》えて、今日迄《まで》ビジテリアン同情派の主張を維持《いじ》して来た。然もこれ未だ社会的に無力なる、各個人個人に於《おい》てである。然るに今日は既にビジテリアン同情派の堅《かた》き結束《けっそく》を見、その光輝《こうき》ある八面体の結晶《けっしょう》とも云うべきビジテリアン大祭を、この清澄《せいちょう》なるニュウファウンドランド島、九月の気圏《きけん》の底に於て析出《せきしゅつ》した。殊《こと》にこの大祭に於て、多少の愉快《ゆかい》なる刺戟《しげき》を吾人が所有するということは、最《もっとも》天意のある所である。多少の愉快なる刺戟とは何であるか、これプログラム中にある異教及《および》異派の諸氏の論難である。是等《これら》諸氏はみな信者諸氏と同じく、各自の主義主張の為《ため》に、世界各地より集り来《きた》った真理の友である。恐《おそ》らく諸氏の論難は、最痛烈《つうれつ》辛辣《しんらつ》なものであろう。その愈々《いよいよ》鋭利《えいり》なるほど、愈々公明に我等はこれに答えんと欲する。これ大祭開式の辞、最後糟粕の部分である。祭司次長ウィリアム・タッピング祭司長ヘンリー・デビスに代ってこれを述べる。」
拍手は天幕《テント》もひるがえるばかり、この間デビスはただよろよろと感激《かんげき》して頭をふるばかりでありました。
その拍手の中でデビス長老は祭司次長に連れられて壇を下り透明《とうめい》な電鈴が式場一杯に鳴りました。祭司次長が又祭壇に上って壇の隅《すみ》の椅子にかけ、それから一寸《ちょっと》立って異教徒席の方を軽くさし招きました。
異教徒席の中からせいの高い肥《ふと》ったフロックの人が出て卓子《テーブル》の前に立ち一寸会釈《えしゃく》してそれからきぱきぱした口調で斯《こ》う述べました。
「私はビジテリアン諸氏の主張に対して二個条の疑問がある。
第一植物性食品の消化率が動物性食品に比して著《いちじる》しく小さいこと。尤《もっと》も動物性食品には含水炭素《がんすいたんそ》が殆《ほと》んどないからこれは当然植物から採らなければならない。然しながらもし蛋白質《たんぱくしつ》と脂肪《しぼう》とについて考えるならば何といっても植物性のものは消化が悪い。単に分析表を見て牛肉と落花生と営養価が同じだと云《い》って牛肉の代りにそっくり豆《まめ》を喰《た》べるというわけにはいかない。人によっては植物蛋白を殆んど消化しないじゃないかと思われることもあるのだ。ビジテリアン諸氏はこれらのことは充分《じゅうぶん》ご承知であろうが尚《なお》これを以て多くの病弱者や老衰者《ろうすいしゃ》並《ならび》に嬰児《えいじ》にまで及ぼそうとするのはどう云うものであろうか。
第二は植物性食品はどう考えても動物性食品より美味《おい》しくない。これは何としても否定することができない。元来食事はただ営養をとる為のものでなく又一種の享楽《きょうらく》である。享楽と云うよりは欠くべからざる精神爽快剤《レフレッシュメント》である。労働に疲《つか》れ種々の患難《かんなん》に包まれて意気銷沈《いきしょうちん》した時には或《あるい》は小さな歌謡《かよう》を口吟《くちずさ》む、談笑する音楽を聴《き》く観劇や小遠足にも出ることが大へん効果あるように食事も又一の心身回復剤である。この快楽を菜食ならば著しく減ずると思う。殊に愉快に食べたものならば実際消化もいいのだ。これをビジテリアン諸氏はどうお考《かんがえ》であるか伺《うかが》いたい。」
大へん温和《おとな》しい論旨《ろんし》でしたので私たちは実際本気に拍手しました。すると私たちの席から三人ばかり祭司次長の方へ手をあげて立った人がありましたが祭司次長は一番前の老人を招きました。その人は白髯《しろひげ》でやはり牧師らしい黒い服装《ふくそう》をしていましたが壇に昇《のぼ》って重い調子で答えたのでした。
「只今《ただいま》の御質疑に答えたいと存じます。
植物性の脂肪や蛋白質の消化があまりよくないことは明かであります。さればといって甚《はなはだ》不良なのではなく、ただ動物質の食品に比して幾分《いくぶん》劣るというのであります。全然植物性蛋白や脂肪を消化しないという人はまあありますまい、あるとすればその人は又動物性の蛋白や脂肪も消化しないのです。さてどう云うわけで植物性のものが消化がよくないかと云えば蛋白質の方はどうもやっぱりその蛋白質分子の構造によるようでありますが脂肪の消化率の少いのはそれが多く繊維素《せんいそ》の細胞壁《さいぼうへき》に包まれている関係のようであります。どちらも次第《しだい》に菜食になれて参りますと消化もだんだん良くなるのであります。色々実験の成績もございますから後でご覧を願います。又病弱者老衰者嬰児等の中には全く菜食ではいけない人もありましょう、私どもの派ではそれらに対してまで菜食を強《し》いようと致《いた》すのではありません。ただなるべく動物互《たがい》に相喰《あいは》むのは決して当然のことでない何とかしてそうでなくしたいという位の意味であります。尤も老人病弱者にても若《も》し肉食を嫌《きら》うものがあればこれに適するような消化のいい食品をつくる事に就《つい》ては私共只今充分努力を致して居るのであります。仮令《たとえ》ば蛋白質をば少しく分解して割合簡単な形の消化し易《やす》いものを作る等であります。
第二に食事は一つの享楽である菜食によってその多分は奪《うば》われるとこれはやはり肉食者よりのお考であります。なるほど普通《ふつう》混食をしているときは野菜は肉類より美味しくないのですが、けれどももし肉類を食べるときその動物の苦痛を考えるならば到底《とうてい》美味しくはなくなるのであります。従って無理に食べても消化も悪いのであります。勿論《もちろん》菜食を一年以上もしますなれば仲々肉類は不愉快な臭《におい》や何かありまして好ましくないのであります。元来食物の味というものはこれは他の感覚と同じく対象よりはその感官自身の精粗《せいそ》によるものでありまして、精粗というよりは善悪によるものでありまして、よい感官はよいものを感じ悪い感官はいいものも悪く感ずるのであります。同じ水を呑《の》んでも徳のある人とない人とでは大へんにちがって感じます。パンと塩と水とをたべている修道院の聖者たちにはパンの中の糊精《こせい》や蛋白質酵素《こうそ》単糖類脂肪などみな微妙《びみょう》な味覚となって感ぜられるのであります。もしパンがライ麦のならばライ麦のいい所を感じて喜びます。これらは感官が静寂《せいじゃく》になっているからです。水を呑んでも石灰の多い水、炭酸の入った水、冷たい水、又川の柔《やわ》らかな水みなしずかにそれを享楽することができるのであります。これらは感官が澄《す》んで静まっているからです。ところが感官が荒《す》さんで来るとどこ迄《まで》でも限りなく粗《あら》く悪くなって行きます。まあ大抵《たいてい》パンの本当の味などはわからなくなって非常に多くの調味料を用いたりします。則《すなわ》ち享楽は必らず肉食にばかりあるのではない。寧《むし》ろ清らかな透明な限りのない愉快と安静とが菜食にあるということを申しあげるのであります。」老人は会釈して壇を下り拍手は天幕《テント》もひるがえるようでした。祭司次長は立って異教席の方を見ました。異教席から瘠《や》せた顔色の悪いドイツ刈《が》りの男が立ちました。祭司次長は軽く会釈しました。その人も答礼して壇に上ったのです。その人は大へん皮肉な目付きをして式場全体をきろきろ見下してから云いました。
「今朝私どもがみなさんにさしあげて置いた五六枚のパンフレットはどなたも大抵お読み下すった事と思う。私はたしかに評判の通りシカゴ畜産《ちくさん》組合の理事で又《また》屠畜《とちく》会社の技師です。ところが正直のところシカゴ畜産組合がこのビジテリアン大祭を決して苦にするわけはない。何となれば只今前論者の云われたようなトラピスト風の人間というものは今日全人類の一万分一もあるもんじゃない。やっぱりあたり前の人間には肉類は食料として滋養《じよう》も多く美味である。ビジテリアン諸氏が折角《せっかく》菜食を実行し又宣伝するのを見た処《ところ》で感服はしても容易に真似《まね》はしない。則ち肉類の需要が減ずるものでもなし又私たちの組合がこわれたり会社が破産したりするものではない。だから一向反対宣伝も要《い》らなければこの軽業《かるわざ》テントの中に入って異教席というこの光栄ある場所に私が数時間窮屈《きゅうくつ》をする必要もない。然しながら実は私は六月からこちらへ避暑《ひしょ》に来て居《お》りました。そしてこの大祭にぶっつかったのですから職業柄《がら》私の方ではほんの余興のつもりでしたが少し邪魔《じゃま》を入れて見ようかと本社へ云ってやりましたら社長や何かみな大へん面白《おもしろ》がって賛成して運動費などもよこし慰労旁々《いろうかたがた》技師も五人寄越《よこ》しました。そこで私たちは大急ぎで銘々《めいめい》一つずつパンフレットも作り自働車などまで雇《やと》ってそれを撒《ま》きちらしましたが実は、なあに、一向あなた方が菜っ葉や何かばかりお上がりになろうと痛くもかゆくもないのです。然しまあやりかけた事ですからこれからも一度あのパンフレットを銘々一人ずつご説明して苦しいご返答を伺おうと思います。実は私の方でもあの通り速記者もたのんであります、ご答弁は私の方の機関雑誌畜産之《の》友に載せますからご承知を願います。で私のおたずね致したいことはパンフレットにもありました通り動物がかあいそうだからたべないとあなた方は仰《お》っしゃるが動物というものは一種の器械です。消化吸収排泄《はいせつ》循環《じゅんがん》生殖《せいしょく》と斯《こ》う云うことをやる器械です。死ぬのが恐《こわ》いとか明日病気になって困るとか誰《たれ》それと絶交しようとかそんな面倒《めんどう》なことを考えては居りません。動物の神経だなんというものはただ本能と衝動《しょうどう》のためにあるです。神経なんというのはほんの少ししか働きません。その証拠《しょうこ》にはご覧なさい鶏《にわとり》では強制肥育ということをやる、鶏の咽喉《のど》にゴム管をあてて食物をぐんぐん押《お》し込《こ》んでやる。ふだんの五倍も十倍も押し込む、それでちゃんと肥《ふと》るのです、面白い位肥《ふと》るのです。又犬の胃液の分泌《ぶんぴつ》や何かの工合《ぐあい》を見るには犬の胸を切って胃の後部を露出《ろしゅつ》して幽門《ゆうもん》の所を腸と離《はな》してゴム管に結ぶそして食物をやる、どうです犬は食べると思いますか食べないと思いますか。あっ、どうかしましたか。」
実際どうかしたのでした。あんまり話がひどかった為《ため》に婦人の中で四五人卒倒者があり他《ほか》の婦人たちも大抵《たいてい》歯を食いしばって泣いたり耳をふさいで縮まったりしていたのです。式場は俄《にわか》に大騒《おおさわ》ぎになりシカゴの畜産技師も祭壇《さいだん》の上で困って立っていました。正気を失った人たちはみんなの手で私たちのそばを通って外に担《かつ》ぎ出され職業の医者な人たちは十二三人も立って出て行きました。しばらくたって式場はしいんとなりました。婦人たちはみんなひどく激昂《げっこう》していましたが何分相手が異教の論難者でしたので卑怯《ひきょう》に思われない為に誰も異議を述べませんでした。シカゴの技師ははんけちで叮寧《ていねい》に口を拭《ぬぐ》ってから又云いました。
「なるほど実にビジテリアン諸氏の動物に対する同情は大きなものであります。も少し言辞に気をつけて申し上げます。ええ、犬はそれを食べます。ぐんぐん喰べます。お判《わか》りですか。又家畜を去勢します。則ち生殖に対する焦燥《しょうそう》や何かの為に費される勢力《エネルギー》を保存するようにします。さあ、家畜は肥りますよ、全く動物は一つの器械でその脚《あし》を疾《はや》くするには走らせる、肥らせるには食べさせる、卵をとるにはつるませる、乳汁をとるには子を近くに置いて子に呑ませないようにする、どうでも勝手次第なもんです。決して心配はありません。まだまだ述べたいのですが又卒倒されると困りますからここまでに致《いた》して置きます。」
その人は壇を下りました。拍手《はくしゅ》と一処に六七人の人が私どもの方から立ちましたが祭司次長が割合前の方のモオニングの若い人をさしまねきました。その人は落ち着いた風で少し微笑《わら》いながら演説しました。
「只今《ただいま》のご質問はいかにもご尤《もっとも》であります。多少御実験などもお話になりましたが実は遺憾《いかん》乍《なが》らそれはみな実験になって居りません。
動物は衝動と本能ばかりだと仰っしゃいましたがまあそうして置きます。その本能や衝動が生きたいということで一杯《いっぱい》です。それを殺すのはいけないとこれだけでお答には充分《じゅうぶん》であります。然《しか》しながら更《さら》に詳しいことは動物心理学の沢山《たくさん》の実験がこれを提供致すだろうと思います。又実は動物は本能と衝動ばかりではないのであります。今朝のパンフレットで見ましても生物は一つの大きな連続であると申されました。人間の心もちがだんだん人間に近いものから遠いものに行われて居ります。人間の苦しいことは感覚のあるものはやっぱりみんな苦しい人間の悲しいことは強い弱いの区別はあってもやっぱりどの動物も悲しいのです。仲々あのパンフレットにある豚《ぶた》のように愉快《ゆかい》には行かないのであります。飼犬《かいいぬ》が主人の少年の病死の時その墓を離れず食物もとらずとうとう餓死《がし》した有名な例、鹿《しか》や猿《さる》の子が殺されたときそれを慕《した》って親もわざと殺されることなど誰《たれ》でも知っています。馬が何年もその主人を覚えていて偶《たま》に会ったとき涙《なみだ》を流したりするのです。前論者の、ビジテリアンは人間の感情を以《もっ》て強て動物を律しようとするというのに対して、私は実に反対者たちは動物が人間と少しばかり形が違っているのに眼を欺《あざむ》かれてその本心から起って来る哀憐《あいれん》の感情をなくしているとご忠告申し上げたいのであります。誰だって自分の都合《つごう》のいいように物事を考えたいものではありますがどこ迄もそれで通るものではありません。元来私どもの感情はそう無茶苦茶に間違っているものではないのでありましてどうしても本心から起って来る心持は全く客観的に見てその通りなのであります。動物は全く可哀《かあい》そうなもんです。人もほんとうに哀《あわ》れなものです。私は全論士にも少し深く上調子でなしに世界をごらんになることを望みます。」
拍手が強く起りました。拍手の中から髪《かみ》を長くしたせいの低い男がいきなり異教席を立って壇に登りました。
「私はやはりシカゴ畜産組合の技師です。諸君、今朝のマルサス人口論を基とした議論は読んで下すったでしょう。どうですそれにちがいありますまい。地球上の人類の食物の半分は動物で半分は植物です。そのうち動物を喰《た》べないじゃ食物が半分になる。たださえ食物が足りなくて戦争だのいろいろ騒動《そうどう》が起ってるのに更にそれを半分に縮減しようというのはどんなほかに立派な理くつがあっても正気の沙汰《さた》と思われない。人間の半分十億人が食物がなくて死んでしまう、死ぬ前にはいろいろ大騒ぎが起るその時ビジテリアンたちはどうします。自分たちの起した戦争の中へはいってわれらの敵国を打ち亡《ほろ》ぼせと云って鉄砲《てっぽう》や剣を持って突貫《とっかん》しますか。それともああこんな筈《はず》じゃなかった神よと云ってみんな一緒《いっしょ》にナイヤガラかどこかへ飛び込みますか。そんなことをしたって追い付きません。いや、それよりもこんなことになるのはどこの国の政治家でもすぐわかる、これはいかんと云うわけでお気の毒ながら諸君をみんな終身懲役《ちょうえき》にしちまいます。まさか死刑《しけい》にはなりますまいが終身懲役だってそんないいもんじゃありませんよ。どうです。今のうち懺悔《ざんげ》してやめてしまっては。」
拍手も笑声も起りました。私たちの方から若い背広の青年が立って行きました。
「あの人は私は知ってますよ。ニュウヨウクで二三遍《べん》話したんです。大学生です。」
その青年は少し激昂《げっこう》した風で演説し始めました。
「ご質問に対してできるだけ簡単にお答えしようと思います。
人類の食料は動物と植物と約半々だ。そのうち動物を食べないじゃ食料が半分に減る。いかにもご尤なお考ではありますが大分乱暴な処もある様であります。動物と植物と半々だ、これがまずいけません。半々というのは何が半々ですか。多分は目方でお測りになるおつもりか知れませんが目方で比較《ひかく》なさるのは大へんご損です。食物の中で消化される分の熱量ででもご比較になったら割合正確だろうと存じます。そう云うふうにしますと一般に動物質の方が消化率も大きいのでありますからよほどお得になります。お得にはなりますがとてもとても半々なんというわけには参りますまい。こんな珍《めず》らしい議論の必要が従来あんまりありませんでしたので恐《おそ》らくこの計算はまだ誰《たれ》も致しますまいが計算法だけ申し上げて置きましょう。どうぞシカゴ畜産組合の事務所でゆっくり御計算を願います。即《すなわ》ち世界中の小麦と大麦米や燕麦《オート》蕪菁《かぶら》や甘藍《キャベジ》あらゆる食品の産額を発見して先《ま》ず第一にその中から各々家畜の喰べる分をさし引きます。その際あんまりびっくりなさいませんように。次にその残りの各々から蛋白質《たんぱくしつ》脂肪《しぼう》含水炭素《がんすいたんそ》の可消化量を計算してそれから各《おのおの》の発する熱量を計算して合計します。四千三百兆大カロリーとか何とか大体出て参りましょう。今度は牛羊、豚、馬、鶏鯨《くじら》という工合に今の通りやります。合計二千三百兆大カロリーとか何とか出て来ましょう。両方合せてそれをざっと二十億で割って三百六十五で割って営養研究所の方にでも見てお貰《もら》いなさい。計算がちがっているかどうか多分ご返事なさるでしょう。
さて、ところが只今までの議論は一向私には何でもないのでありまして第一のご質問の答弁の要点はこの次です。則《すなわ》ち論難者は、そのうち動物を食べないじゃ食料が半分に減ずるというこいつです。冗談じゃありませんぜ。一体その動物は何を食って生きていますか。空気や岩石や水を食べているのじゃないのです。牛や馬や羊は燕麦《オート》や牧草をたべる。その為《ため》に作った南瓜《かぼちゃ》や蕪菁もたべる。ごらんなさい。人間が自分のたべる穀物や野菜の代りに家畜の喰べるものを作っているのです。牛一頭を養うには八エーカーの牧草地が要《い》ります。そこに一番計算の早い小麦を作って見ましょうか。十人の人の一年の食糧《しょくりょう》が毎年とれます。牛ならどうです。一年の間に肥《ふと》る分左様百六十キログラムの牛肉で十人の人が一年生きていられますか。一人一日五十グラムですよ。親指三本の大さですよ。腹が空《へ》りはしませんか。
よくおわかりにならないようですがもっと手短かに云いますともし人間が自然と相談して牛肉や豚肉の代りに何か損にならないものをよこして呉《く》れと云えば今よりもっとたくさんの人間が生きて行かれる位多くの喰べものを向うではよこすと斯《こ》う云うことです。但《ただ》しこれは海産物と廃物《はいぶつ》によって養う分の家畜は論外であります。然しながらそれを計算に入れても又《また》大丈夫《だいじょうぶ》です。家畜だってみんな喰べるものばかりでなく羊のように毛を貰うもの馬や牛のように労働をして貰うものいろいろあります。
次に食料が半分になっちゃ人間も半分になる、いかにも面白《おもしろ》いですが仲々その食料が半分にならない。減るどころか事によると少し増えるかも知れません。ですから大丈夫戦争も起らなければ無期徒刑をご心配して下さらなくても大丈夫です。却《かえ》って菜食はみんなの心を平和にし互《たがい》に正しく愛し合うことができるのです。多くの宗教で肉食を禁ずることが大切の儀式《ぎしき》にはつきものになっているのでもわかりましょう。戦争どこじゃない菜食はあなた方にも永遠の平和を齎《もたら》してせっかく避暑《ひしょ》に来ていながら自働車まで雇《やと》って変な宣伝をやったり大祭へ踏《ふ》み込んで来ていやな事を云って婦人たちを卒倒させたりしなくてもいいようになります。又我々だって無期徒刑じゃない、人類の仲間からと哺乳《ほにゅう》動物組合、鳥類連盟、魚類事務所などからまで勲章《くんしょう》や感謝状を沢山贈られる訳です。どうです。おわかりになったらあなたもビジテリアンにおなりなさい。」
すると前の論士が立ちあがりました。大へん悔悟《かいご》したような顔はしていましたが何だかどこか噴《ふ》き出したいのを堪《こら》えていたようにも見えました。しょんぼり壇《だん》に登って来て
「悔悟します。今日から私もビジテリアンになります。」と云《い》って今の青年の手をとったのでした。みんなは実にひどく拍手しました。二人は連れ立って私たちの方へ下り技師もその空いた席へ腰《こし》かけて肩《かた》ですうすう息をしていました。ところが勿論《もちろん》この事の為に異教席の憤懣《ふんまん》はひどいものでした。一人のやっぱり技師らしい男がずいぶん粗暴《そぼう》な態度で壇に昇《のぼ》りました。
「諸君、私の疑問に答えたまえ。
動物と植物との間には確たる境界がない。パンフレットにも書いて置いた通りそれは人類の勝手に設けた分類に過ぎない。動物がかあいそうならいつの間にか植物もかあいそうになる筈だ。動物の中の原生動物と植物の中の細菌《さいきん》類とは殆《ほと》んど相密接せるものである。又動物の中にだってヒドラや珊瑚《さんご》類のように植物に似たやつもあれば植物の中にだって食虫植物もある、睡眠《すいみん》を摂《と》る植物もある、睡《ねむ》る植物などは毎晩邪魔《じゃま》して睡らせないと枯《か》れてしまう、食虫植物には小鳥を捕《と》るのもあり人間を殺すやつさえあるぞ。殊《こと》にバクテリアなどは先頃《せんころ》まで度々《たびたび》分類学者が動物の中へ入れたんだ。今はまあ植物の中へ入れてあるがそれはほんのはずみなのだ。そんな曖昧《あいまい》な動物かも知れないものは勿論仁慈《じんじ》に富めるビジテリアン諸氏は食べたり殺したりしないだろう。ところがどうだ諸君諸君が一寸《ちょっと》菜っ葉へ酢《す》をかけてたべる、そのとき諸君の胃袋《いぶくろ》に入って死んでしまうバクテリアの数は百億や二百億じゃ利《き》けゃしない。諸君が一寸葡萄《ぶどう》をたべるその一房《ふさ》にいくらの細菌や酵母《こうぼ》がついているか、もっと早いとこ諸君が町の空気を吸う一回に多いときなら一万ぐらいの細菌が殺される。そんな工合《ぐあい》で毎日生きていながら私はビジテリアンですから牛肉はたべません、なんて、牛肉はいくら喰べたって一つの命の百分の一にもならないのだ、偽善《ぎぜん》と云おうか無智と云おうかとても話にならない。本とうに動物が可あいそうなら植物を喰べたり殺したりするのも廃《よ》し給《たま》え。動物と植物とを殺すのをやめるためにまず水と食塩だけ呑《の》み給え。水はごくいい湧水《わきみず》にかぎる、それも新鮮な処《ところ》にかぎる、すこし置いたんじゃもうバクテリアが入るからね、空気は高山や森のだけ吸い給え、町のはだめだ。さあ諸君みんなどこかしんとした山の中へ行っていい空気といい水と岩塩でもたべながらこのビジテリアン大祭をやるようにし給え。ここの空気は吸っちゃいけないよ。吸っちゃいけないよ。」
拍手は起り、笑声も起りましたが多くの人はだまって考えていました。その男はもう大得意でチラッとさっき懺悔《ざんげ》してビジテリアンになった友人の方を見て自分の席へ帰りました。すると私の愕《おどろ》いたことはこの時まで腕《うで》を拱《こまね》いてじっと座《すわ》っていた陳《ちん》氏がいきなり立って行ったことでした。支那《しな》服で祭壇に立ってはじめて私の顔を見て一寸かすかに会釈《えしゃく》しました。それから落ち着いて流暢《りゅうちょう》な英語で反駁《はんぱく》演説をはじめたのです。
「只今《ただいま》のご論旨《ろんし》は大へん面白いので私も早速空気を吸うのをやめたいと思いましたがその前に一寸一言ご返事をしたいと存じます。どうぞその間空気を吸うことをお許し下さい。
さて只今のご論旨ではビジテリアンたるものすべからく無菌の水と岩石ぐらいを喰べて海抜《かいばつ》二千尺以上ぐらいの高い処に生活すべしというのでありましたが、なるほど私共の中には一酸化炭素と水とから砂糖を合成する事をしきりに研究している人もあります。けれども茲《ここ》ではまず生物連続が面白かったようですからそれを色々応用して見ます。則ち人類から他の哺乳類鳥類爬虫《はちゅう》類魚類それから節足動物とか軟体《なんたい》動物とか乃至《ないし》原生動物それから一転して植物、の細菌類、それから多細胞《たさいぼう》の羊歯《しだ》類顕花《けんか》植物と斯《こ》う連続しているからもし動物がかあいそうなら生物みんな可哀《かあい》そうになれ、顕花植物なども食べても切ってもいかんというのですが、連続をしているものはまだいろいろあります。仮令《たとえ》ば人間の一生は連続している、嬰児《えいじ》期幼児期少年少女期青年処女期壮年期老年期とまあ斯うでしょう、ところが実はこれは便宜《べんぎ》上勝手に分類したので実は連続しているはっきりした堺《さかい》はない、ですから、若《も》し四十になる人が代議士に出るならば必ず生れたばかりの嬰児も代議士を志願してフロックコートを着て政見を発表したり燕尾服《えんびふく》を着て交際したりしなければいけない、又小学校の一年生にエービースィーを教えるなら大学校でもなぜ文学より見たる理論化学とか、相対性学説の難点とかそんなことばかりやってエービースィーを教えないか、と斯う云うことになります。或《あるい》は他《ほか》の例を以《もっ》てするならば元来変態心理と正常な心理とは連続的でありますから人類は須《すべから》く瘋癲《ふうてん》病院を解放するか或はみんな瘋癲病院に入らなければいけないと斯うなるのであります。この変てこな議論が一見菜食にだけ適用するように思われるのはそれは思う人がまだこの問題を真剣に考え真実に実行しなかった証拠《しょうこ》であります。斯んなことはよくあるのです。
いくら連続していてもその両端《りょうたん》では大分ちがっています。太陽スペクトルの七色をごらんなさい。これなどは両端に赤と菫《すみれ》とがありまん中に黄があります。ちがっていますからどうも仕方ないのです。植物に対してだってそれをあわれみいたましく思うことは勿論です。印度《インド》の聖者たちは実際故《ゆえ》なく草を伐《き》り花をふむことも戒《いまし》めました。然《しか》しながらこれは牛を殺すのと大へんな距離《きょり》がある。それは常識でわかります。人間から身体の構造が遠ざかるに従ってだんだん意識が薄《うす》くなるかどうかそれは少しもわかりませんがとにかくわれわれは植物を食べるときそんなにひどく煩悶《はんもん》しません。そこはそれ相応にうまくできているのであります。バクテリヤの事が大へんやかましいようでしたが一体バクテリヤがそこにあるのを殺すというようなことは馬を殺すというようなのと非常なちがいです。バクテリヤは次から次と分裂《ぶんれつ》し死滅《しめつ》しまるで速《すみや》かに速かに変化してるのです。それを殺すと云ったところで馬を殺すというようのとは大分ちがいます。又バクテリヤの意識だってよくはわかりませんがとにかく私共が生れつきバクテリヤについては殺すとかかあいそうだとかあんまりひどく考えない。それでいいのです。又仕方ないのです。但《ただ》しこれも人類の文化が進み人類の感情が進んだときどう変るかそれはわかりません。印度の聖者たちは濾《こ》さない水は呑みません。普通《ふつう》の布の水濾しでは原生動物は通りますまいがバクテリヤは通りましょう。まあこれらについてはいくら理論上何と云われても私たちにそう思えないとお答え致《いた》すより仕方ありません。やがて理論的にも又その通り証明されるにちがいありません。私の国の孟子《メンシアス》と云う人は徳の高い人は家畜《かちく》の殺される処又料理される処を見ないと云いました。ごく穏健《おんけん》な考であります。自然はそんなおとしあなみたいなことはしませんから。私共は私共に具《そな》わった感官の状態私共をめぐった条件に於《おい》て菜食をしたいと斯《こ》う云うのであります。ここに於て私は敢《あえ》て高山に遁《に》げません。」陳氏は嵐《あらし》のような拍手《はくしゅ》と一緒《いっしょ》に私の処へ帰って来ました。私が陳氏に立って敬意を示している間に演壇にはもう次の論士が立っていました。
「諸君、しずかにし給え。まだそんなによろこぶには早い。なぜならビジテリアン諸君の主張は比較解剖《ひかくかいぼう》学の見地からして正に根底から顛覆《てんぷく》するからである。見給え諸君の歯は何枚あります。三十二枚、そうです。でその中四枚が門歯四枚が犬歯それから残りが臼歯《きゅうし》と智歯です。でそんなら門歯は何のため、門歯は食物を噛《か》み取る為《ため》臼歯は何のため植物を擦《す》り砕《くだ》くため、犬歯はそんなら何のためこれは肉を裂《さ》くためです。これでお判《わか》りでしょう。臼歯は草食動物にあり犬歯は肉食類にある。人類に混食が一番適当なことはこれで見てもわかるのです。則《すなわ》ち人類は混食しているのが一番自然なのです。ですから我々は肉食をやめるなんて考えてはいけません。」
ずいぶんみんな堪《こら》えたのでしたがあんまりその人の身振《みぶ》りが滑稽《こっけい》でおまけにいかにも小学校の二年生に教えるように云うもんですからとうとうみんなどっと吹《ふ》き出しました。私共の席から一人がすぐ出て行きました。
「只今の比較解剖学からのご説はどうも腑《ふ》に落ちないのであります。まず第一に人類の歯に混食が丁度適当だというのにいろいろ議論も起りましょうがまあこれは大体その通りとしていかがです、その次に、人類に混食が一番自然だから菜食してはいかんというのは。
自然だからその通りでいいということはよく云いますがこれは実はいいことも悪いこともあります。たとえば我々は畑をつくります。そしてある目的の作物を育てるのでありますがこの際一番自然なことは畑一杯《いっぱい》草が生えて作物が負けてしまうことです。これは一番自然です。前論士がもし農場を経営なすった際には参観さして戴《いただ》きたい。又人間には盗《ぬす》むというような考《かんがえ》があります。これは極《きわ》めて自然のことであります。そんならそのままでいいではないか。と斯うなります。又異教派の方にも大分諸方から鉄道などでお出《い》でになった方もあるようでありますが鉄道で一番自然なこと則ちなるべく人力を加えないようにしまするならば衝突《しょうとつ》や脱線や人を轢《ひ》いたりするなどがいいようであります。そんならそれでいいではないかポイントマンだのタブレットだの面倒臭《めんどうくさ》いことやめてしまえと斯う云うことになりますがどなたもご異議はありませんか。」斯う云ってその人はさっさっと席に戻《もど》ってしまいました。すると異教席からすぐ又一人立ちました。
「私は実は宣伝書にも云って置いた通り充分《じゅうぶん》詳しく論じようと思ったがさっきからのくしゃくしゃしたつまらない議論で頭が痛くなったからほんの一言申し上げる、魚などは諸君が喰《た》べないたって死ぬ、鰯《いわし》なら人間に食われるか鯨《くじら》に呑《の》まれるかどっちかだ。つぐみなら人に食べられるか鷹《たか》にとられるかどっちかだ。そのとき鰯もつぐみもまっ黒な鯨やくちばしの尖《とが》ったキスも出来ないような鷹に食べられるよりも仁慈あるビジテリアン諸氏に泪《なみだ》をほろほろそそがれて喰べられた方がいいと云わないだろうか。それから今度は菜食だからって一向安心にならない。農業の方では害虫の学問があって薬をかけたり焼いたり潰《つぶ》したりして虫を殺すことを考えている。百姓《ひゃくしょう》はみんなそれをやる。鯨を食べるならば一疋《ぴき》を一万人でも食べられ、又その為に百万疋の鰯を助けることになるのだが甘藍《キャベジ》を一つたべるとその為に青虫を百疋も殺していることになる。まるで諸君の考と反対のことばかり行われているのです。いかがです。」
すぐ又一人立ちました。
「私はただ一分でお答えする。第一に魚がどんなに死ぬからってそれが私たちの必ずそれを喰べる理由にはならない。又私たちが魚をたべたからって魚が喜ぶかどうかそんなこともわからない。どうせ何かに殺されるだろうからってこっちが殺してやろうと云う訳には参りません。人間が魚をとらなければ海が魚で埋《う》まってしまうという勘定《かんじょう》さえあるがそんなめのこ勘定で往《い》くもんじゃない。結局こんな間接のことまで論じていたんじゃきりがない、ただわれわれはまっすぐにどうもいけないと思うことをしないだけだ。野菜も又犠牲《ぎせい》を払《はら》うというがそれはわれわれはよく知っている。だから物を浪費《ろうひ》しないことは大切なことなのだ。但し穀作や何かならばそんなにひどく虫を殺したりもしないのだ。極端《きょくたん》な例でだけ比較をすればいくらでもこんな変な議論は立つのです。結局我々はどうしても正しいと思うことをするだけなのだ。」
拍手が起りました。その人は壇を下りました。
異教徒席の中から赭《あか》い髪《かみ》を立てた肥《ふと》った丈《たけ》の高い人が東洋風に形容しましたら正に怒髪《どはつ》天を衝《つ》くという風で大股《おおまた》に祭壇に上って行きました。私たちは寛大《かんだい》に拍手しました。
祭司が一人出てその人と並《なら》んで紹介しました。
「このお方は神学博士ヘルシウス・マットン博士でありましてカナダ大学の教授であります。この度《たび》はシカゴ畜産組合の顧問《こもん》として本大祭に御出席を得只今より我々の主張の不備の点を御指摘《ごしてき》下さる次第であります。一寸《ちょっと》紹介申しあげます。」とこう云うのでありました。私たちは寛大に拍手しました。
マットン博士はしずかにフラスコから水を呑《の》み肩《かた》をぶるぶるっとゆすり腹を抱《かか》えそれから極《きわ》めて徐《おもむ》ろに述べ始めました。
「ビジテリアン同情派諸君。本日はこの光彩ある大祭に出席の栄を得ましたことは私の真実光栄とする処《ところ》であります。
就《つい》てはこれより約五分間私の奉ずる神学の立場より諸氏の信条を厳正に批判して見たいと思うのであります。然《しか》るに私の奉ずる神学とは然《しか》く狭隘《きょうあい》なるものではない。私の奉ずる神学はただ二言にして尽《つく》す。ただ一なるまことの神はいまし給《たま》う、それから神の摂理《せつり》ははかるべからずと斯《こ》うである。これに賛せざる諸君よ、諸君は尚《なお》かの中世の煩瑣哲学《はんさてつがく》の残骸《ざんがい》を以《もっ》てこの明るく楽しく流動止《や》まざる一千九百二十年代の人心に臨《のぞ》まんとするのであるか。今日宗教の最大要件は簡潔である。吾人《ごじん》の哲学はこの二語を以て既《すで》に千六百万人の世界各地に散在する信徒を得た。否《いな》、凡《およ》そ神を信ずる者にしてこの二語を奉ぜざるものありや、細部の諍論《そうろん》は暫《しば》らく措《お》け、凡そ何人《なんぴと》か神を信ずるものにしてこの二語を否定するものありや。」咆哮《ほうこう》し終ってマットン博士は卓を打ち式場を見廻《みまわ》しました。満場森《しん》として声もなかったのです。博士は続けました。
「讃《たた》うべきかな神よ。神はまことにして変り給わない、神はすべてを創《つく》り給うた。美しき自然よ。風は不断のオルガンを弾じ雲はトマトの如《ごと》く又馬鈴薯《ばれいしょ》の如くである。路《みち》のかたわらなる草花は或《あるい》は赤く或は白い。金剛石《こんごうせき》は硬《かた》く滑石《かっせき》は軟《やわ》らかである。牧場は緑に海は青い。その牧場にはうるわしき牛佇立《ちょりつ》し羊群馳《か》ける。その海には青く装《よそお》える鰯も泳ぎ大《おおい》なる鯨も浮《うか》ぶ。いみじくも造られたる天地よ、自然よ。どうです諸君ご異議がありますか。」
式場はしいんとして返事がありませんでした。博士は実に得意になってかかとで一つのびあがり手で円くぐるっと環《わ》を描《えが》きました。
「その中の出来事はみな神の摂理である。総《すべ》ては総てはみこころである。誠《まこと》に畏《かしこ》き極みである。主の恵み讃うべく主のみこころは測るべからざる哉《かな》。われらこの美しき世界の中にパンを食《は》み羊毛と麻《あさ》と木綿とを着、セルリイと蕪菁《ターニップ》とを食み又豚《ぶた》と鮭《さけ》とをたべる。すべてこれ摂理である。み恵みである。善である。どうです諸君。ご異議がありますか。」
博士は今度は少し心配そうに顔色を悪くしてそっと式場を見まわしました。それから、まるで脱兎《だっと》のような勢で結論にはいりました。
「私はシカゴ畜産組合の顧問でも何でもない。ただ神の正義を伝えんが為に茲《ここ》に来た。諸君、諸君は神を信ずる。何が故《ゆえ》に神に従わないか。何故に神の恩恵《おんけい》を拒《こば》むのであるか。速《すみやか》にこれを悔悟《かいご》して従順なる神の僕《しもべ》となれ。」
博士は最後に大咆哮を一つやって電光のように自分の席に戻《もど》りそこから横目でじっと式場を見まわしました。拍手が起りましたが同時に大笑いも起りました。というのは私たちは式場の神聖を乱すまいと思ってできるだけこらえていたのでしたがあんまり博士の議論が面白いのでしまいにはとうとうこらえ切れなくなったのでした。一番前列に居た小さな信者が立ちあがって祭司次長に何か云《い》いました。次長は大きくうなずきました。
その人はこの村の小学校の先生なようでした。落ちついて祭壇《さいだん》に立ってそれから叮寧《ていねい》にさっきのマットン博士に会釈《えしゃく》しました。博士はたしかに青くなってぶるぶる顫《ふる》えていました。その信者は次に式場全体に挨拶《あいさつ》しました。拍手《はくしゅ》は強く起りました。その人は少しニュウファウンドのなまりを入れて演説をはじめました。
「異教論難に対し私はプログラムに許されてある通り宗教演説を以て答えようと思うのであります。
ヘルシウム・マットン博士の御所説は実に三段論法の典型であります。まず博士の神学を挙げて二度これを満場に承認せしめこれを以て大前提とし次にビジテリアンがこれに背《そむ》くことを述べて小前提とし最後にビジテリアンが故に神に背《そむ》くことを断定し菜食なる小善の故に神に背くの大罪を犯《おか》すことを暗示致《いた》されました。実に簡潔明瞭《めいりょう》なる所論であります。
然《しか》るにこの典型的論理に私が多少疑問あることは最《もっとも》遺憾《いかん》に存ずる次第であります。
第一に博士の一九二〇年代に適するようにクリスト教旧神学中より抽出《ひきだ》されました簡潔の神学はただこの語《ことば》だけで見ますればこれいかにも適当であります。今日此処《ここ》に集まりました人人はあながちクリスト教徒ばかりではありません、されどいずれの宗教に於《おい》てもこれを云わんと欲《ほっ》するものであります。但《ただ》しこれ敢《あえ》て博士の神学でもありません。これ最普通《ふつう》のことであります。
第二にその神学の解釈に至《いた》っては私の最疑義を有する所であります。殊《こと》にも摂理の解釈に至っては到底《とうてい》博士は信者とは云われませぬ。摂理なる観念は敢てキリスト教に限らずこれ一般宗教通有のものでありますがその解釈を誤ること我が神学博士のごときもの孰《いず》れの宗教に於ても又実に多々あるのであります。今一度博士の所説を繰《く》り返すならば私は筆記して置きましたが、読んで見ます、その中の出来事はみな神の摂理である。総《すべ》ては総てはみこころである。誠に畏《かしこ》き極《きわ》みである。主の恵み讃うべく主のみこころは測るべからざる哉《かな》、すべてこれ摂理である。み恵みである。善である。と斯《こ》うです。これを更《さら》に約言するときは斯うなります。現象は総て神の摂理中なるが故に善なりと、まあよろしいようでありますが又ごくあぶないのであります。ここの善というのは神より見たる善であります。絶対善であります。それをもし私たちから見た善と解釈するとき始めて先刻のマットン博士の所説を生じます。現象はみな善である、私が牛を食う、摂理で善である、私が怒《おこ》ってマットン博士をなぐる、摂理で善である、なぜならこれは現象で摂理の中のでき事で神のみ旨《むね》は測るべからざる哉と、斯うなる、私が諸君にピストルを向けて諸君の帰国の旅費をみんな巻きあげる、大へんよろしい、私が誰《たれ》かにおどされて旅費を巻きあげ損《そこ》ねそうになる、一発やる、その人が死ぬ、摂理で善である。もっと面白いのはここにビジテリアンという一類が動物をたべないと云っている。神の摂理である善である然るに何故にマットン博士は東洋流に形容するならば怒髪天を衝《つ》いてこれを駁撃《ばくげき》するか。ここに至って畢竟《ひっきょう》マットン博士の所説は自家撞着《じかどうちゃく》に終るものなることを示す。この結論は実にいい語《ことば》であります。これ然しながら不肖《ふしょう》私の語ではない、実にシカゴ畜産組合の肉食宣伝のパンフレット中に今朝拝見したものである。終に臨んで勇敢《ゆうかん》なるマットン博士に深甚《しんじん》なる敬意を寄せます。」
拍手は天幕《テント》をひるがえしそうでありました。
「大分露骨《ろこつ》ですね、あんまり教育家らしくもないビジテリアンですね。」と陳さんが大笑いをしながら申しました。
ところがその拍手のまだ鳴りやまないうちにもう異教徒席の中から瘠《や》せぎすの神経質らしい人が祭壇にかけ上りました。その人は手をぶるぶる顫わせ眼もひきつっているように見えました。それでもコップの水を呑《の》んで少し落ち着いたらしく一足進んで演説をはじめました。
「マットン博士の神学はクリスト教神学である。且《か》つその摂理の解釈に於て少しく遺憾の点のあったことは全く前論士の如くである。然しながら茲《ここ》に集られたビジテリアン諸氏中約一割の仏教徒のあることを私は知っている。私も又実は仏教徒である。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以《ゆえん》はどうしても仏教が深遠だからである。自分は阿弥陀仏《あみだぶつ》の化身《けしん》親鸞僧正《しんらんそうじょう》によって啓示《けいじ》されたる本願寺派の信徒である。則《すなわ》ち私は一仏教徒として我が同朋《どうぼう》たるビジテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行わるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾《むじゅん》である。みな罪悪である。吾等《われら》の心象中微塵《みじん》ばかりも善の痕跡《こんせき》を発見することができない。この世界に行わるる吾等の善なるものは畢竟《ひっきょう》根のない木である。吾等の感ずる正義なるものは結局自分に気持がいいというだけの事である。これは斯《こ》うでなければいけないとかこれは斯うなればよろしいとかみんなそんなものは何にもならない。動物がかあいそうだから喰べないなんということは吾等には云えたことではない。実にそれどころではないのである。ただ遥《はる》かにかの西方の覚者救済者阿弥陀仏に帰してこの矛盾の世界を離《はな》るべきである。それ然る後に於て菜食主義もよろしいのである。この事柄《ことがら》は敢て議論ではない、吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行い爾来《じらい》わが本願寺は代々これを行っている。日本信者の形容を以《もっ》てすれば一つの壺《つぼ》の水を他の一つの壺に移すが如くに肉食を継承《けいしょう》しているのである。次にまた仏教の創設者釈迦牟尼《しゃかむに》を見よ。釈迦は出離《しゅつり》の道を求めんが為《ため》に檀特山《だんどくせん》と名《なづ》くる林中に於て六年精進《しょうじん》苦行した。一日米の実一粒《つぶ》亜麻の実一粒を食したのである。されども遂《つい》にその苦行の無益を悟《さと》り山を下りて川に身を洗い村女の捧《ささ》げたるクリームをとりて食し遂に法悦《エクスタシー》を得たのである。今日《こんにち》牛乳や鶏卵《けいらん》チーズバターをさえとらざるビジテリアンがある。これらは若《も》し仏教徒ならば論を俟《ま》たず、仏教徒ならざるも又大《おおい》に参考に資すべきである。更に釈迦は集り来《きた》れる多数の信者に対して決して肉食を禁じなかった。五種浄肉《じょうにく》となづけてあまり残忍なる行為《こうい》によらずして得たる動物の肉はこれを食することを許したのである。今日のビジテリアンは実に印度《インド》の古《いにしえ》の聖者たちよりも食物のある点に就《つい》て厳格である。されどこれ畢竟不具である畸形《きけい》である、食物のみ厳格なるも釈迦の制定したる他の律法に一も従っていない。特にビジテリアン諸氏よくこれを銘記《めいき》せよ。釈迦はその晩年、その思想いよいよ円熟するに従て全く菜食主義者ではなかったようである。見よ、釈迦は最後に鍛工《たんこう》チェンダというものの捧げたる食物を受けた。その食物は豚肉を主としている、釈迦はこの豚肉の為に予《あらかじ》め害したる胃腸を全く救うべからざるものにしたらしい。その為にとうとう八十一歳にしてクシナガラという処に寂滅《じゃくめつ》したのである。仏教徒諸君、釈迦を見ならえ、釈迦の行為《こうい》を模範《もはん》とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或《あるい》は二十万分一の縮尺《スケール》に於てこれを習修せよ。然る後に菜食主義もよろしかろう。諸君の如《ごと》き畸形《きけい》の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑《めいわく》であろう。」
拍手はテントもひるがえるばかりでした。
私はこの時あんまりひどい今の語《ことば》に頭がフラッとしました。そしてまるでよろよろ出て行きました。
何を云うんだったと思ったときはもう演壇に立ってみんなを見下していました。
陳氏が一番向うでしきりに拍手していました。みんなはまるで野原の花のように見えたのです。私は云いました。
「前論士は仏教徒として菜食主義を否定し肉食論を唱えたのでありますが遺憾《いかん》乍《なが》ら私は又《また》敬虔《けいけん》なる釈尊の弟子《でし》として前論士の所説の誤謬《ごびゅう》を指摘せざるを得ないのであります。先《ま》ず予め茲《ここ》で述べなければならないことは前論士は要するに仏教特に腐敗《ふはい》せる日本教権に対して一種骨董《こっとう》的好奇心を有するだけで決して仏弟子でもなく仏教徒でもないということであります。これその演説中数多《あまた》|如来正知《にょらいしょうへんち》に対してあるべからざる言辞を弄《ろう》したるによって明らかである。特にその最後の言を見よ、地下の釈迦も定めし迷惑であろうと、これ何たる言であるか、何人《なんぴと》か如来を信ずるものにしてこれを地下にありというものありや、我等は決して斯《かく》の如《ごと》き仏弟子の外皮を被《かぶ》り貢高邪曲《ぐこうじゃきょく》の内心を有する悪魔《あくま》の使徒を許すことはできないのである。見よ、彼は自らの芥子《けし》の種子ほどの智識を以《もっ》てかの無上土を測ろうとする、その論を更に今私は繰り返すだも恥《は》ずる処であるが実証の為にこれを指摘《してき》するならば彼は斯う云っている。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以《ゆえん》はどうしても仏教が深遠だからであると。クリスト教信者諸氏、処を換《か》えて次の如き命題を諸氏は許容するか、仏教国に生れてクリスト教を信ずる所以はどうしてもクリスト教が深遠だからであると。諸君はその軽薄《けいはく》に不快を禁じ得ないだろう。私から云うならば前論士の如きにいずれの教理が深遠なるや見当も何もつくものではないのである。次に前論士は吾等《われら》の世界に於ける善について述べられた。この世界に行わるる吾等の善なるものは畢竟《ひっきょう》根のない木であると、これは恐《おそ》らくは如来のみ力を受けずして善はあることないという意味であろう私もそう信ずる。その次にこれは斯うなればよろしいとかこれはこうでなければいけないとかそんなものは何にもならない、とこれも私は如来のみ旨によらずして我等のみの計らいにてはそうであると思う。前論士も又その意味で云われたようである。但しただ速《すみや》かにかの西方の覚者に帰せよと、これは仏教の中に於て色々諍論《そうろん》のある処である。今はこれを避ける。ただ我等仏教徒はまず釈尊の所説の記録仏経に従うということだけを覚悟《かくご》しよう。仏経に従うならば五種浄肉は修業未熟のものにのみ許されたこと楞迦経《りょうがきょう》に明かである。これとても最後涅槃経《ねはんぎょう》中には今より以後汝等《なんじら》仏弟子の肉を食うことを許されずとされている。その五種浄肉とても前論士の云われた如き余り残忍なる行為《こうい》によらずしてというごとき簡単なるものではない。仏教中の様々の食制に関する考《かんがえ》は他に誰《たれ》か述べられる予定があったようであるから茲《ここ》にはこれを略する。但し最後に前論士は釈尊の終りに受けられた供養《くよう》が豚肉であるという、何という間違《まちが》いであるか豚肉ではない蕈《きのこ》の一種である。サンスクリットの両音相類似する所から軽卒《けいそつ》にもあのような誤りを見たのである。茲に於《おい》てか私は前論士の結論を以て前論士に酬《こた》える。仏教徒諸君、釈迦を見ならえ、釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或《あるい》は二十万分一の縮尺《スケール》に於てこれを習修せよ。ああこの語気の軽薄《けいはく》なることよ。私はこれを自ら言いて更《さら》にそを口にした事を恥《は》じる。
私は次に宗教の精神より肉食しないことの当然を論じようと思う。キリスト教の精神は一言にして云わば神の愛であろう。神天地をつくり給《たも》うたとのつくるというような語《ことば》は要するにわれわれに対する一つの譬喩《ひゆ》である、表現である。マットン博士のように誤った摂理《せつり》論を出さなくてもよろしい。畢竟は愛である。あらゆる生物に対する愛である。どうしてそれを殺して食べることが当然のことであろう。
仏教の精神によるならば慈悲《じひ》である、如来の慈悲である完全なる智慧《ちえ》を具《そな》えたる愛である、仏教の出発点は一切《いっさい》の生物がこのように苦しくこのようにかなしい我等とこれら一切の生物と諸共《もろとも》にこの苦の状態を離れたいと斯《こ》う云うのである。その生物とは何であるか、そのことあまりに深刻にして諸氏の胸を傷つけるであろうがこれ真理であるから避け得ない、率直《そっちょく》に述べようと思う。総《すべ》ての生物はみな無量の劫《カルパ》の昔から流転《るてん》に流転を重ねて来た。流転の階段は大きく分けて九つある。われらはまのあたりその二つを見る。一つのたましいはある時は人を感ずる。ある時は畜生《ちくしょう》、則《すなわ》ち我等が呼ぶ所の動物中に生れる。ある時は天上にも生れる。その間にはいろいろの他のたましいと近づいたり離れたりする。則ち友人や恋人《こいびと》や兄弟や親子やである。それらが互《たがい》にはなれ又生を隔《へだ》ててはもうお互に見知らない。無限の間には無限の組合せが可能である。だから我々のまわりの生物はみな永い間の親子兄弟である。異教の諸氏はこの考をあまり真剣で恐ろしいと思うだろう。恐ろしいまでこの世界は真剣な世界なのだ。私はこれだけを述べようと思ったのである。」
私は会釈《えしゃく》して壇《だん》を下り拍手《はくしゅ》もかなり起りました。異教徒席の神学博士たちももうこれ以上論じたいような景色も見えませんでした。けれども異教徒席の中にだってみんな神学博士ばかりではありませんでした。丁度ヘッケルのような風をした眉間《みけん》に大きな傷あとのある人が俄《にわ》かに椅子《いす》を立ちました。私は今朝のパンフレットから考えてきっとあれは動物学者だろうと考えたのです。
その人はまるで顔をまっ赤にしてせかせかと祭壇にのぼりました。我々は寛大《かんだい》に拍手しました。その人はぶるぶるふるえる手でコップに水をついでのみました。コップの外へも水がすこしこぼれました。そのふるえようがあんまりひどいので私は少し神経病の疑《うたがい》さえももちました。ところが水をのむとその人は俄かにピタッと落ち着きました。それからごくしずかに何か云いそうに口をしましたがその語《ことば》はなかなか出て来ませんでした。みんなはしんとなりました。その人は突然《とつぜん》爆発《ばくはつ》するように叫《さけ》びました。二三度どもりました。
「な、な、な何が故《ゆえ》に、何が故に、君たちはど、ど、動物を食わないと云いながら、ひ、ひ、ひ、羊、羊の毛のシャッポをかぶるか。」その人は興奮の為にガタガタふるえてそれからやけに水をのみました。さあ大へんです。テントの中は割《さ》けるばかりの笑い声です。
陳氏ももう手を叩《たた》いてころげまわってから云いました。
「まるでジョン・ヒルガードそっくりだ。」
「ジョン・ヒルガードって何です。」私は訊《たず》ねました。
「喜劇役者ですよ。ニュウヨーク座の。けれどもヒルガードには眉間にあんな傷痕《きずあと》がありません。」
「なるほど。」
そのあとはもう異教徒席も異派席もしいんとしてしまって誰《たれ》も演壇に立つものがありませんでした。祭司次長がしばらく式場を見まわして今のざわめきが静まってから落ちついて異教徒席へ行きました。ほかにお立ちの方はありませんかとでも云ったようでしたが誰もしんとして答えるものがありませんでしたので次長は一寸《ちょっと》礼をして引き下がりました。
「すっかり参ったようですね。」陳氏が私に云いました。私も実際嬉《うれ》しかったのです。あんなに頑強《がんきょう》に見えたシカゴ軍があんまりもろく粉砕《ふんさい》されたからです。斯《こ》う云ってはなんだか野球のようですが全くそうでした。そこで電鈴《でんれい》がずいぶん永く鳴りました。そのすきとおった音に私の興奮した心はもう一ぺん透明《とうめい》なニュウファウンドランドの九月というような気分に戻《もど》りました。みんなもそうらしかったのです。陳氏は
「私はもう一発やって来ますから。」と云いながら立ちあがって出て行きました。
その時です。神学博士がまたしおしおと壇に立ちました。そしてしょんぼりと礼をして云ったのです。
「諸君、今日私は神の思召《おぼしめし》のいよいよ大きく深いことを知りました。はじめ私は混食のキリスト信者としてこの式場に臨《のぞ》んだのでありましたが今や神は私に敬虔《けいけん》なるビジテリアンの信者たることを命じたまいました。ねがわくは先輩諸氏愚昧《ぐまい》小生の如《ごと》きをも清き諸氏の集会の中に諸氏の同朋《どうぼう》として許したまえ。」
そして壇を下って頭を垂れて立ちました。
祭司次長がすぐ進んで握手《あくしゅ》しました。みんなは歓呼の声をあげ熱心に拍手してこの新らしい信者を迎《むか》えたのです。
すると異教席はもうめちゃめちゃでした。まっ黒になって一ぺんに立ちあがり一ぺんに壇にのぼって
「悔《く》い改めます。許して下さい。私どももみんなビジテリアンになります。」と声をそろえて云ったのです。
祭司次長がすぐ進んで一人ずつ握手《あくしゅ》しました。そして一人ずつ壇を下ってこっちの椅子に座《すわ》りました。歓呼と拍手とで一杯《いっぱい》でした。椅子が丁度うまい工合《ぐあい》にあったのです。何だかあんまりみんなうまい工合でした。そのとき外ではどうんと又一発陳氏ののろしがあがりました。その陳氏がもう入って来て私に軽く会釈してまだ立ちながら向うを見て云いました。
「おやおやみんな改宗しましたね、あんまりあっけない、おや椅子も丁度いい、はてな一つあいてる、そうだ、さっきのヒルガードに似た人だけまだ頑張《がんば》ってる。」
なるほどさっきのおしまいの喜劇役者に肖《に》た人はたった一人異教徒席に座って腕《うで》を組んだり髪を掻《か》きむしったりいかにも仰山《ぎょうさん》なのでみんなはとうとうひどく笑いました。
「あの男の煩悶《はんもん》なら一体何だかわからないですな。」陳氏が云いました。
ところがとうとうその人は立ちあがりました。そして壇にのぼりました。
「諸君、私は誤っていた。私は迷っていたのです。私は今日からビジテリアンになります。いや私は前からビジテリアンだったような気がします。どうもさっきまちがえて異教徒席に座りそのためにあんな反対演説をしたらしいのです。諸君許したまえ。且《か》つ私考えるに本日異教徒席に座った方はみんな私のように席をちがえたのだろうと思う。どうもそうらしい。その証拠《しょうこ》には今はみんな信者席に座っている。どうです、前異教徒諸氏そうでしょう。」
私の愕《おどろ》いたことは神学博士をはじめみんな一ぺんに立ちあがって
「そうです。」と答えたことです。
「そうでしょう。して見ると私はいよいよ本心に立ち帰らなければならない。私は或《あるい》はご承知でしょう、ニュウヨウク座のヒルガードです。今日は私はこのお祭を賑《にぎ》やかにする為《ため》に祭司次長から頼《たの》まれて一つしばいをやったのです。このわれわれのやった大しばいについて不愉快《ふゆかい》なお方はどうか祭司次長にその攻撃《こうげき》の矢を向けて下さい。私はごく気の弱い一信者ですから。」
ヒルガードは一礼して脱兎《だっと》のように壇を下りただ一つあいた席にぴたっと座ってしまいました。
「やられたな、すっかりやられた。」陳氏は笑いころげ哄笑《こうしょう》歓呼拍手は祭場も破れるばかりでした。けれども私はあんまりこのあっけなさにぼんやりしてしまいました。あんまりぼんやりしましたので愉快なビジテリアン大祭の幻想《げんそう》はもうこわれました。どうかあとの所はみなさんで活動写真のおしまいのありふれた舞踏《ぶとう》か何かを使ってご勝手にご完成をねがうしだいであります。
底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社
1989(平成元)年6月15日発行
1994(平成6)年6月5日13刷
入力:土屋隆
校正:高柳典子
2007年1月6日
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