別離
author: 中原 中也
1
さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました
さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に
さよなら、さよなら!
僕、午睡《ひるね》の夢から覚めてみると
みなさん家を空《あ》けておいでだつた
あの時を妙に思ひ出します
さよなら、さよなら!
そして明日《あした》の今頃は
長の年月見馴れてる
故郷の土をば見てゐるのです
さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩《まぶ》しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る
さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!
2
僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けてをられた
あの時を、妙に、思ひ出します
日向ぼつこをしながらに、
爪《つめ》摘んだ時のことも思ひ出します、
みんな、みんな、思ひ出します
芝庭のことも、思ひ出します
薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思ひ出します
干された飯櫃《おひつ》がよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いてゐた
あゝ、あのときのこと、あのときのこと……
僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
でも、わけて思ひ出すことは
わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう
3
忘れがたない、虹《にじ》と花
忘れがたない、虹と花
虹と花、虹と花
どこにまぎれてゆくのやら
どこにまぎれてゆくのやら
(そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、その脣《くち》、その唇《くちびる》の、
いつかは、消えてゆくでせう
(霙《みぞれ》とおんなじことですよ)
あなたは下を、向いてゐる
向いてゐる、向いてゐる
さも殊勝らしく向いてゐる
いいえ、かういつたからといつて
なにも、怒《おこ》つてゐるわけではないのです、
怒つてゐるわけではないのです
忘れがたない虹と花、
虹と花、虹と花、
(霙とおんなじことですよ)
4
何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
きんとんでもよい、何でもよい、
何か、僕に食べさして下さい!
いいえ、これは、僕の無理だ、
こんなに、野道を歩いてゐながら
野道に、食物《たべもの》、ありはしない。
ありません、ありはしません!
5
向ふに、水車が、見えてゐます、
苔《こけ》むした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、他《ほか》の話も、すれば出来た
いいえ、やつぱり、出来ません出来ません。
(一九三四・一一・一三)
底本:「中原中也詩集」角川文庫、角川書店
1968(昭和43)年12月10日改版初版発行
1973(昭和48)年8月30日改版13版発行
入力:ゆうき
校正:木浦
2013年6月19日作成
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