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見てきました!
面白かったですね
一回目の戸締まりのシーンから冒険感がたまらなかったんですが、徐々に見えてきた過去との向き合うというテーマに心が揺れました
お約束の恋愛がちゃんと結論に結びついてるのは素晴らしい…
ということで、酒を入れながらその辺の感想を書いていきます
以下の目次の「震災とミミズ」くらいから考察にあたる部分になりますが
なにぶんキモオタのきしょい妄想でしかないのでその辺はあしからず
—追記—
3/12にやっと2回目を見たので追加しました
目次
戸締まりの冒険
震災とミミズ
思い出さなくなった記憶
すずめとダイジンと戸締まり
今の肯定と過去の救済
細かい描写で気になったところ(追記あり)
これは純粋にワクワクした
天気の子の時もそうでしたが、厨二心をくすぐる物語を作るのが何とうまいことか
これまた天気の子もそうでしたが(あれはあれで好きなんですが)最近は警察機構とかがちゃんと絡んでしまう対魔作品って割と多い気がして
そこから一線を引いて、ちゃんと一部の人しか知らない非日常だったのは久々ですごい良かった
序盤の戸締まりのシーンでもののけ姫感ちょっとあるなーと思って見てましたが、やはり現代ファンタジーなだけあって感覚はちょい違いますね
さらに天気の子を引き合いに出しますが、家出、ともすれば駆け落ちって形式がそもそも好き
あとやっぱ少年少女だけが知ってる世界の危機がええですわ
映像のパワーもあって(オープンカーでドライブのシーンはちょいCG感強くてあれだったけど)、脳死で見るだけでもちゃんと面白いしワクワクできる作品だなと思いました
地震を起こすミミズが現れる前、必ず緊急地震速報のアラートが鳴ります
これは劇中に「ミミズ」が現れるのと同時に、地震大国日本に住む我々視聴者の中にある大地震の記憶を呼び起こす合図でした
ミミズを恐怖の象徴たらしめているのは、その能力でも絵面の不気味さでもなく我々の記憶だったと思います
草太とすずめは世界の危機を救っているのではなく、被災者が過去に抱えた傷であり、そうでない大多数の人間が忘れた災害の記憶と闘っていたと思います
ミミズは負の記憶
それを封じるのは、あえていうならその土地で暮らした人たちの正の記憶
最終的に、正の記憶により日本を救うというこの物語の構造が、死ぬのなんて怖くないと言ってしまうすずめ個人をも救うことになるわけなのでよくできてるなと思います
被災者に向けたストーリーから一度離れて
幸運にも被災したことのない僕のような人はこちらに目がいったのではないでしょうか
目を逸らしがたい思い出のない僕らへの問いかけは、11年の東北の震災も、神戸で起きた大震災も、さらに過去に起きた災害の凄惨出来事を思い出さなくなっていないか?ということかと思います
ミミズと戦う場所は、忘れ去られた廃墟
災害で忘れられた区画でした
序盤は、まあ廃墟とかそんな場所ってたくさんあるよね、と思うわけなんですが、見ていくにつれて災害の跡という共通点が見えてきて、楽しかった思い出とその日常が一瞬で崩れ去った過去が見えてくるのが印象的でした
…と言っても、そういう悪い記憶だけを説教くさく思い出させるだけなら後ろ戸は閉じないので、別の忘れていたことを思い出させる工夫があったなと思います
それが懐メロですね
ドラマ性が強すぎるすずめに変わって、芹澤は「観客の目を現実の過去に向ける」という役割を一身に担ってたなと思うのは、この懐メロと中古車の設定です
なんかやたらと古いもの好きですよねこいつ
そして、震災の記憶や懐メロに続いて日本人が忘れてしまったものは
神、つまりダイジンとサダイジンなのかなと思います
最後、要石になってミミズを止めようとした2人を救ったシーンも、「困った時の神頼み」って感じでしたね
無宗教国家の国民に困った時だけ思い出される神が、このテーマの作品に登場するのはまあ納得感があります
「すずめの子にはなれなかったよ」は序盤ですずめがダイジンにかけた「うちの子になる?」という言葉へのアンサーですが
さらに環さんがすずめにかけた「うちの子になろうよ」ともかかってましたね
さて、ここからは妄想成分が一層濃くなります
ダイジンとは何者だったのか
要石になる条件とは何かについてです
ダイジンは、環さんがいなかった世界のすずめです
もちろん本人ではなく、似たように震災で親を亡くして、誰にも拾われなかった誰か、という意味です
そして要石になるのは、「帰る場所を失った人」です
理由は先ほど言った「うちの子に…」の対比ですが、他にもあります
ややこしいかもですが、この根拠となるものを列挙していきます
草太が要石になったのは、草太の身内は死にかけの祖父しかおらず、祖父が死ねば天涯孤独であり、帰る場所がないから(両親出てきてないけど、まあ死んでるんでしょ(なんか言われてたっけ?))
ダイジンが要石にならないと言っていた頃は、「すずめのうちの子になれる」と思っていた頃であること
ボロボロだった見た目に生気が宿ったのは帰る場所を得たから
また、サダイジンに比べ、ダイジンは小さい
「遊ぼう、遊ぼう」と言動も幼い
日本では死者は仏、つまり神様(めちゃ語弊のある言い方)になりますが、ダイジンが神になったのは幼い子供の頃だったのでしょう
それこそ、常世にいたすずめくらいに
と、こんなところじゃないでしょうか
ダイジンとすずめの命運を分けたのは環さんであり、帰るべき家があったことだと思います
そうなると、サダイジンが環さんに障って酷いことを言わせたのは、すずめをもう一つの要石にしたかったから、帰るべき場所を奪いたかったのではないでしょうか(今思うとここでダイジンのとった行動はサダイジンを制止していたようにも思えます。ダイジンはすずめを好きなので)
(ここまで書いて、すずめを失うと帰る場所を失うダイジンは?となりましたが
まあその時にはダイジンの代わりは草太が務めてたからセーフでしょう)
ここまで考えてようやくタイトルであり、話のキーになる戸締まりの意味がわかってきました
戸締まりは、再びその家に帰るためにするものです
この物語は帰る場所を失った人の話ではなく、旅に出て帰ってくるための話なのです
さて、最後に常世のすずめを救ったのはすずめ本人でした
やっと始めに触れたすずめの救いの話です
この作品は辛い過去を忘れるための作品ではなく、むしろ思い出させる作品だったと思います
その辛い過去を癒すのは、過去を忘れることではなく
おばさんと12年過ごして、草太と恋をした今この瞬間を肯定することでした
すずめが「死ぬのは怖くない」と言っていたのは、震災で突如親を失った絶望からでした
生きるのも死ぬのなんて運でしかないなんて、理不尽に死んだ親の死を受け入れるための建前でしかなったのでしょう
その建前を取っ払えるほどすずめを変えたのが恋だったと思うと、エンタメとして用意されたラブロマンスにも意味が生まれて胸が熱くなります
もちろん、環の愛情もそうですが
一度要石になった草太が「おかえり」と言われて終わる話は流石に美しかった
あんま中身がないですが、せっかくなので書きます
具体的には忘れちゃったんですが、書いてましたよね?
舞台が宮崎だとわかった時、「あれ?盛岡って俺の記憶と違う場所にあったのか?」と焦りました
盛岡だと、事前に告知されていた地震や津波のアラートに関する注意喚起と一致するから納得って感じで見てたんですが…
まあ最終的に回収されたのでよかったです
宮崎のうしろどに行く時、一度目は飛び越えてたけど二度目はそもそも避けられてましたね
見てるとき気になったから覚えてたけど、単に颯太がきてるんやなーって前振りの描写でしたね
特筆することなし
ちょっと面白かった
日常的に見てるあの画面を、戦記ものとかでよく見るキャラの移動経路を見せるシーンに使うのはちょっとなるほどなとなった
これ以外にも、日常の何気ないあるあるとか、そういう要素を拾って綺麗に見せてたなと思います
宿もバーも荒れてましたね、元々は
それがすずめがきた途端繁盛
神様がおわしたから、ってことかな?
ダイジンが来たらなのかな?
すずめでもダイジンでもなく、要石になりかけてた草太のせいかも
常世の中に飛び込んだすずめの後ろには月が描かれてました
月は死の象徴として描かれたりもするものなので、この世界は死後の世界に通じてると強調する描写でしたね
後ろ戸を締めるのはそこで暮らした人たちの想い的なことは言ってたけど、歯に布着せずに言うなら災害で死んだ人のことだよってことですかね
なんで?
なんかありそうだけどこれマジでわかってない
知識量と推察力不足を痛感
あとどうでもいいけど、ダイジンって大地震と関係あるネーミングですか?
→追記
大事な役割を担う大臣であり、大神の意味も込めてダイジンらしいっすね
金ロー公式Xより
要石になった草太に会いに行くすずめが、草太の部屋でシャワーを浴びてましたね
物語的には汚れた身体を洗うためですけど、要石(神様)に会いに行くために身を清める沐浴が必要だったんだなって気づきました
忘れられているモノとして描かれている神に対して礼を失してはいけないので、確かに必要なプロセスですね
すずめがダイジンを追って家から出ていくシーン
草太とすずめが東京のみみずを止めるために草太の家から出ていくシーン
どちらも鍵を閉める描写がなかったですね
それ以外のシーンでは鍵を閉める描写が必ずワンカット挟まっていたので、意識的だと思います
草太はまさにこの後要石となったので、”帰るべき家”をなくしたという意味合いは強そうです
私の人生返してよの流れで口元が一度アップになるんですが、そこでは他のシーンでは描かれてないほうれい線が
見た目若く見えるけど、もうアラフォーだということを強調するシーンになってました
ドキッとするの演出だったな〜と改めて
蝶が飛んだらシーンがやたらと多かったですね
正直気に留めもしてなかったんですが…
蝶は死者の魂や先祖の象徴らしくて、ラストシーンでは2人のすずめの近くに2匹の蝶が飛んでいました
両親か?これと思うと余計泣けました
公式Xでも死者の魂であることに触れられてたのでここは間違いなさそう
どんなにいい映画を見ようと、被災者の傷は癒えない
癒せるのは、震災から今まで生きてきた本人だけです
だから常世からすずめを助け出したのは、親でも環さんでも草太でもなく、すずめだったんだと思います
助け出した時のセリフだって、すずめ以外には絶対にかけられない言葉でした
震災をエンタメにして金を稼ぐこと自体どうなんだ、と思う人もいるでしょうが
監督は「お前たちをこの映画で救ってやる」という傲慢な偽善者ではなく、「自分にできることは震災を忘れないことと、被災してからの人生を肯定することだけだ」と、真摯な姿勢で3年間制作に取り組んだのではないかと感じずにはいられませんでした
とまあ、震災を経験してない僕が薄っぺらい感想言っても仕方ないので、後書きもそこそこにこの記事は終わります
久々に長々と感想を書きたくなるアニメでした
だいぶ勢いで書いたのでガバがあっても許してくださいと保険をかけつつ、また次の記事でお会いしましょう
ではまた