Comments
Loading Comment Form...
Loading Comment Form...
口頭での感想共有は散々したのに文字に起こしてなかったのに気づきました
このアニメ見て文字がすげぇって学んだはずなのに
三章までは感想ですが、四章はほぼ考察チックな内容になります
僕は原作未読のアニメ勢で、原作者や担当編集のインタビューを網羅してたりもしないので、鵜呑みにはせず、良くてタウマゼインを感じる程度に留めてもらえると幸いです
ラファウが死ぬシーンで一気にハマった
一つの作品で主人公が変わっていく作品にはジョジョという成功例はあるにはあるけども、ジョジョみたいに何かを成し遂げて次に行くって感じじゃないし、少なくとも僕が知ってる範囲ではやってる漫画見たことなくて新しく感じました
ですがなにより、そういう漫画がないのって商業的に不利だからだと思います
売れれば売れるだけキャラクターグッズ展開ができる方が作品として強いし
そうじゃなくても「このキャラが好き」があれば楽しめる作品は参入ハードル低いし
ジャンプ読んでても結局キャラクターが良くないと漫画は始まらんなと思うので
そんな中で、本作はめちゃくちゃいいキャラだったラファウが死ぬことで作品の向かう先をしますような導入になっていたと感じます
世界の常識を疑う作品の幕開けとして完璧だと思ったし、僕自身キャラクター至上主義には(僕自身結局そういう作品が好きではあるけど)疑問は感じてたし、これは最後まで見ねばと思いました
「この作品は知性、理性といった、動物的本能を超えた人間の強さを描いてるんだ」という期待を持って見始められたので、最高の導入だったと思います
ドラマとしてはこの章が1番好きだった
バデーニさんいいですよね
賢い奴の嫌なところがちゃんと出てるけど、むしろ好きになれるような魅力があるこの塩梅が
余談ですが、禁書を読むために視力を失う件は、ミーミルの泉を飲むために左目を差し出したオーディンの逸話からきてそうだなと思います
エピソードとしてはピャスト伯が真理に辿り着くまでの経緯がすごく良かったです
想いの強さを最も表現できるのは、それに費やした時間だと思います
ピャスト伯のそれは自分と先人たちの人生を足した途方もない時間だったことと、それが一夜にして崩される絶望感はくるものがありました
ですが死の間際、地動説を体験として理解した瞬間のピャスト伯には真理に辿り着いた喜びがあったように思います
人生を否定されても真理に辿り着く喜びが勝つ、知性に対する純粋さには胸がすくものがありました
あと、この章ではグラスをはじめとして、死生観や宗教観を語るキャラが多かったように思います
それぞれ自分にはなかったけど筋は通った価値観を持っていたのが面白かったです
バデーニが人生を特別にする瞬間に立ち会うたびリバースするのとかはったりきいてていいですよね
この章の主人公はドゥラカよりはノヴァクだったなと思います
死に様と、ヨレンタとのドラマ的に
個人的には1番面白さ的には控えめだった章でした
なんだかんだ、こういうストーリーでもキャラが大事だなと思った
あと、三章は信じるもののために何を捨てられるか、って話だったと思うんですが
ドクターストーンが似てることを明るく楽しくやってたなと思っていて、1,2章に比べて新しい発見がなかったのも大きいかも
この章があったから感想書きたくなったし、この作品が描いている内容の深みが増したなと思った
この章ではラファウが再登場しますが、これを語らねば四章は始まらないと思います
僕は、このラファウは「ラファウ、オグジー、ドゥラカ、これまでの三章で地動説のために生きてきた人間の象徴」で、ラファウの名前と顔をしているのはあくまで象徴であることを伝えるための表現だと解釈しました
四章のラファウは、一章のラファウのように知性と自負があり、オグジーのように地動説(というか知性)を信仰していて、ドゥラカのように目的のためなら犠牲を厭わないことができる人間だったと思います
ぱっと見いい人だったし、この作品の中で「知性とは」の結論として提示された「タウマゼイン」について語っていたのは彼でした
ですが彼は同時に、ノヴァクとも同じような性質を持っていて、己の信じるものの障害になる人間を殺すことに何の躊躇いもありませんでした
アルベルトの親がラファウに殺されたエピソードは、これまで僕たちが「良い人間だ」と思っていた主人公たちは、一歩間違えるだけでこの作品における悪役であるところのノヴァクのような振る舞いをしてしまうことを示すものだったのではないか思います
ラファウという象徴的なキャラクターを使って、これまでの主人公たちの「知性」や「信念」は、ノヴァクの「狂気」と同じである、と
視聴者がこれまで正しいと思っていたものを否定される感覚は、先人の残した資料と矛盾なく天動説を否定されたピャスト伯を想起させられます
で、我々がピャスト伯であるならば、真理に辿り着くという救いがあるわけですが
それがタウマゼインだったんだなと思います
つまり
真の知性とは「己の信じるものの正しさを証明し、それによって、いかなる犠牲を払ってでも他者の誤りを正す価値のある真理を得られるもの」ではなく、自分の常識すらも「疑うこと」である
これがこの作品の描く真理だったんじゃないかと思います
ただ、「真理」という言葉はこの作品で何かを学んだ人間が使うには少し強すぎる気がするので、「この作品における知性の正体に関する提案」とした方が良いかもしれません
というのも、アルベルトの地動説に関するタウマゼインのきっかけは、これまで主人公たちの狂気が繋いできた本だったんですよね
もしも狂気を否定したいのなら、こんな最後にはしないはずです
またピャスト伯の話に戻りますが、ピャスト伯と先人たちの誤りだって無駄だったわけではありませんでした
バデーニが地動説を確信するには、先人が残した膨大な資料が必要不可欠だったことは自明かと思います
ですが、だからこそ、本作の提案は「疑うこと」であり
「誤っていると結論づけられたかのように見えた狂気も、よくよく検討すると正しかったのでは?」「そもそも正誤、善悪の二元論で語れることではないのでは?」
と、疑う余地を残したんじゃないでしょうか
ぶっちゃけ文字にしてまとめるまで、1〜3章のキャラは間違ってたんだよな〜ってところで思考が止まっていたので、文字に起こすって大事だなと思いました
やっぱ文字は奇跡なんだよな(本編の文脈無視)
あとちょっと話が逸れるので四章で書かなかった話で、またまたピャスト伯の話をしますが
彼の知性は三章までのキャラで1番タウマゼインみが強かった気がします
満ちた金星のことをずっと覚えてたし、最後にはオグジーやバデーニの言うことを否定しなかったし
あとちゃんと真理に辿り着いて死んだのは実はタウマゼインって良いよね!ってスタンスの現れなのでは?って思ったり
と、こんなところで思ったことのうち、誰かに言いたいことは書ききった気がします
また何かの語れそうな作品があったら感想書きます
なくても毎週ジャンプの感想書いてるので暇な人は読んでください
ではまた!