怪談牡丹灯籠
author: 三遊亭 円朝
一
寛宝《かんぽう》三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神《ゆしまてんじん》の社《やしろ》にて聖徳太子《しょうとくたいし》の御祭礼《ごさいれい》を致しまして、その時大層参詣《さんけい》の人が出て群集雑沓《ぐんじゅざっとう》を極《きわ》めました。こゝに本郷三丁目に藤村屋新兵衞《ふじむらやしんべえ》という刀屋《かたなや》がございまして、その店先には良い代物《しろもの》が列《なら》べてある所を、通りかゝりました一人のお侍は、年の頃二十一二とも覚《おぼ》しく、色あくまでも白く、眉毛秀《ひい》で、目元きりゝっとして少し癇癪持《かんしゃくもち》と見え、鬢《びん》の毛をぐうっと吊り上げて結わせ、立派なお羽織に結構なお袴《はかま》を着け、雪駄《せった》を穿《は》いて前に立ち、背後《うしろ》に浅葱《あさぎ》の法被《はっぴ》に梵天帯《ぼんてんおび》を締め、真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差したる中間《ちゅうげん》が附添い、此の藤新《ふじしん》の店先へ立寄って腰を掛け、列《なら》べてある刀を眺めて。
侍「亭主や、其処《そこ》の黒糸だか紺糸だか知れんが、あの黒い色の刀柄《つか》に南蛮鉄《なんばんてつ》の鍔《つば》が附いた刀は誠に善《よ》さそうな品だな、ちょっとお見せ」
亭「へい/\、こりゃお茶を差上げな、今日は天神の御祭礼で大層に人が出ましたから、定めし往来は埃《ほこり》で嘸《さぞ》お困りあそばしましたろう」
と刀の塵《ちり》を払いつゝ、
亭「これは少々装飾《こしらえ》が破《や》れて居りまする」
侍「成程少し破《や》れて居《お》るな」
亭「へい中身《なかご》は随分お用《もちい》になりまする、へいお差料《さしりょう》になされてもお間《ま》に合いまする、お中身もお性《しょう》も慥《たしか》にお堅い品でございまして」
と云いながら、
亭「へい御覧遊ばしませ」
と差出《さしだ》すを、侍は手に取って見ましたが、旧時《まえ》にはよくお侍様が刀を買《め》す時は、刀屋の店先で引抜《ひきぬ》いて見て入らっしゃいましたが、あれは危《あぶな》いことで、若《も》しお侍が気でも違いまして抜身《ぬきみ》を|振《ふりまわ》されたら、本当に危険《けんのん》ではありませんか。今此のお侍も本当に刀を鑒《み》るお方ですから、先《ま》ず中身《なかご》の反《そ》り工合《ぐあい》から焼曇《おち》の有り無しより、差表《さしおもて》差裏《さしうら》、鋩尖《ぼうしさき》何や彼《か》や吟味致しまするは、流石《さすが》にお旗下《はたもと》の殿様の事ゆえ、通常《なみ/\》の者とは違います。
侍「とんだ良さそうな物、拙者《せっしゃ》の鑑定《かんてい》する処《ところ》では備前物《びぜんもの》のように思われるが何《ど》うじゃな」
亭「へい良いお鑑定《めきゝ》で入《いら》っしゃいまするな、恐入りました、仰《おお》せの通り私共《わたくしども》仲間の者も天正助定《てんしょうすけさだ》であろうとの評判でございますが、惜《お》しい事には何分無銘《むめい》にて残念でございます」
侍「御亭主やこれはどの位するな」
亭「へい、有難う存じます、お掛値《かけね》は申上げませんが、只今も申します通り銘さえございますれば多分の価値《ねうち》もございますが、無銘の所で金《きん》拾枚でございます」
侍「なに拾両とか、些《ちっ》と高いようだな、七枚半には負《まか》らんかえ」
亭「どう致しまして何分それでは損が参りましてへい、なか/\もちましてへい」
と頻《しき》りに侍と亭主と刀の値段の掛引《かけひき》をいたして居りますと、背後《うしろ》の方《かた》で通り掛《かゝ》りの酔漢《よっぱらい》が、此の侍の中間《ちゅうげん》を捕《とら》えて、
「やい何をしやアがる」
と云いながらひょろ/\と踉《よろ》けてハタと臀餅《しりもち》を搗《つ》き、漸《ようや》く起き上《あが》って額《ひたい》で睨《にら》み、いきなり拳骨《げんこつ》を振《ふる》い丁々《ちょう/\》と打たれて、中間は酒の科《とが》と堪忍《かんにん》して逆らわず、大地に手を突き首《こうべ》を下げて、頻《しき》りに詫《わ》びても、酔漢《よっぱらい》は耳にも懸けず猛《たけ》り狂って、尚《なお》も中間をなぐり居《お》るを、侍はト見れば家来の藤助だから驚きまして、酔漢に対《むか》い会釈《えしゃく》をなし、
侍「何を家来めが無調法《ぶちょうほう》を致しましたか存じませんが、当人に成り代《かわ》り私《わたくし》がお詫《わび》申上げます、何卒《なにとぞ》御勘弁を」
酔「なに此奴《こいつ》は其の方の家来だと、怪《け》しからん無礼な奴、武士の供をするなら主人の側に小さくなって居《お》るが当然、然《しか》るに何《なん》だ天水桶《てんすいおけ》から三尺も往来へ出しゃばり、通行の妨《さまた》げをして拙者を衝《つ》き当《あた》らせたから、止《や》むを得ず打擲《ちょうちゃく》いたした」
侍「何も弁《わきま》えぬものでございますれば偏《ひとえ》に御勘弁を、手前成り代ってお詫を申上げます」
酔「今この所で手前がよろけた処《とこ》をトーンと衝《つ》き当ったから、犬でもあるかと思えば此の下郎《げろう》めが居て、地べたへ膝を突かせ、見なさる通りこれ此の様に衣類を泥だらけにいたした、無礼な奴だから打擲《ちょうちゃく》致したが如何《いかゞ》致した、拙者《せっしゃ》の存分に致すから此処《こゝ》へお出しなさい」
侍「此の通り何も訳の解《わか》らん者、犬同様のものでございますから、何卒《なにとぞ》御勘弁下されませ」
酔「こりゃ面白い、初めて承《うけたまわ》った、侍が犬の供を召連《めしつ》れて歩くという法はあるまい、犬同様のものなら手前申受《もうしう》けて帰り、番木鼈《まちん》でも喰わして遣《や》ろう、何程《なにほど》詫びても料簡は成りません、これ家来の無調法を主人が詫《わぶ》るならば、大地《だいじ》へ両手を突き、重々《じゅう/″\》恐れ入ったと首《こうべ》を地《つち》に叩き着けて詫《わび》をするこそ然《しか》るべきに、何《なん》だ片手に刀の鯉口《こいぐち》を切っていながら詫をする抔《など》とは侍の法にあるまい、何だ手前は拙者を斬る気か」
侍「いや是は手前が此の刀屋で買取ろうと存じまして只今中身《なかご》を鑒《み》て居ました処《ところ》へ此の騒ぎに取敢《とりあ》えず罷出《まかりで》ましたので」
酔「エーイそれは買うとも買わんとも貴方《あなた》の御勝手《ごかって》じゃ」
と罵《のゝし》るを侍は頻《しき》りにその酔狂《すいきょう》を宥《なだ》めて居《い》ると、往来の人々は
「そりゃ喧嘩だ危《あぶな》いぞ」
「なに喧嘩だとえ」
「おゝサ対手《あいて》は侍だ、それは危険《けんのん》だな」
と云うを又一人が
「なんでげすねえ」
「左様さ、刀を買うとか買わないとかの間違だそうです、彼《あ》の酔《よっ》ぱらっている侍が初め刀に価《ね》を附けたが、高くて買われないで居《い》る処《ところ》へ、此方《こちら》の若い侍が又その刀に価を附けた処から酔漢《よっぱらい》は怒《おこ》り出し、己《おれ》の買おうとしたものを己に無沙汰《ぶさた》で価を附けたとか何とかの間違いらしい」
と云えば又一人が、
「なにサ左様《そう》じゃアありませんよ、あれは犬の間違いだアね、己の家《うち》の犬に番木鼈《まちん》を喰わせたから、その代りの犬を渡せ、また番木鼈を喰わせて殺そうとかいうのですが、犬の間違いは昔からよくありますよ、白井權八《しらいごんぱち》なども矢張《やっぱり》犬の喧嘩からあんな騒動に成ったのですからねえ」
と云えば又傍《そば》に居る人が
「ナニサそんな訳じゃアない、あの二人は叔父《おじ》甥《おい》の間柄で、あの真赤《まっか》に酔払《よっぱら》って居るのは叔父さんで、若い綺麗な人が甥だそうだ、甥が叔父に小遣銭《こづかいせん》を呉れないと云う処からの喧嘩だ」
と云えば、又側にいる人は
「ナーニあれは巾着切《きんちゃくきり》だ」
などと往来の人々は口に任せて種々《いろ/\》の評判を致している中《うち》に、一人の男が申しますは
「あの酔漢《よっぱらい》は丸山本妙寺《まるやまほんみょうじ》中屋敷に住む人で、元は小出《こいで》様の御家来であったが、身持《みもち》が悪く、酒色《しゅしょく》に耽《ふけ》り、折々《おり/\》は抜刀《すっぱぬき》などして人を威《おど》かし乱暴を働いて市中《しちゅう》を横行《おうぎょう》し、或時《あるとき》は料理屋へ上《あが》り込み、十分酒肴《さけさかな》に腹を肥《ふと》らし勘定は本妙寺中屋敷へ取りに来いと、横柄《おうへい》に喰倒《くいたお》し飲倒《のみたお》して歩く黒川孝藏《くろかわこうぞう》という悪侍《わるざむらい》ですから、年の若い方の人は見込まれて結局《つまり》酒でも買わせられるのでしょうよ」
「左様《そう》ですか、並大抵《なみたいてい》のものなら斬ってしまいますが、あの若い方はどうも病身のようだから斬れまいねえ」
「ナニあれは剣術を知らないのだろう、侍が剣術を知らなければ腰抜けだ」
などとさゝやく言葉がちら/\若い侍の耳に入るから、グッと込み上げ、癇癖《かんぺき》に障《さわ》り、満面《まんめん》朱《しゅ》を注いだる如くになり、額に青筋を顕《あら》わし、きっと詰め寄り、
侍「是程までにお詫びを申しても御勘弁なさりませぬか」
酔「くどい、見れば立派なお侍、御直参《ごじきさん》か何《いず》れの御藩中《ごはんちゅう》かは知らないが尾羽《おは》打枯《うちか》らした浪人と侮《あなど》り失礼至極、愈々《いよ/\》勘弁がならなければどうする」
と云いさま、ガアッと痰《たん》を彼《か》の若侍の顔に唾《は》き付けました故、流石《さすが》に勘弁強い若侍も、今は早《は》や怒気《どき》一度に面《かお》に顕《あら》われ、
侍「汝《おのれ》下手《したで》に出れば附上《つけあが》り、ます/\募《つの》る罵詈暴行《ばりぼうこう》、武士たるものゝ面上《めんじょう》に痰を唾き付けるとは不届《ふとゞき》な奴、勘弁が出来なければ斯《こ》うする」
といいながら今刀屋で見ていた備前物の刀柄《つか》に手が掛るが早いか、スラリと引抜《ひきぬ》き、酔漢《よっぱらい》の鼻の先へぴかりと出したから、見物は驚き慌《あわ》て、弱そうな男だからまだ引抜《ひっこぬき》はしまいと思ったに、ぴか/\といったから、ほら抜いたと木《こ》の葉の風に遇《あ》ったように四方八方にばら/\と散乱し、町々の木戸を閉じ、路地を締め切り、商人《あきんど》は皆戸を締める騒ぎにて町中《まちなか》はひっそりとなりましたが、藤新の亭主一人は逃場《にげば》を失い、つくねんとして店頭《みせさき》に坐って居りました。さて黒川孝藏は酔払《よっぱら》っては居りますれども、生酔《なまえい》本性《ほんしょう》違《たが》わずにて、彼《か》の若侍の剣幕《けんまく》に恐れをなし、よろめきながら二十歩ばかり逃げ出すを、侍はおのれ卑怯《ひきょう》なり、口程でもない奴、武士が相手に背後《うしろ》を見せるとは天下の耻辱になる奴、還《かえ》せ/\と、雪駄穿《せったばき》にて跡を追い掛ければ、孝藏は最早かなわじと思いまして、踉《よろめ》く足を踏みしめて、一刀《とう》のやれ柄《づか》に手を掛けて此方《こなた》を振り向く処を、若侍は得たりと踏込みざま、えイと一声《ひとこえ》肩先を深くプッツリと切込む、斬られて孝藏はアッと叫び片膝を突く処をのしかゝり、エイと左の肩より胸元へ切付《きりつ》けましたから、斜《はす》に三つに切られて何だか亀井戸《かめいど》の葛餅《くずもち》のように成ってしまいました。若侍は直《すぐ》と立派に止《とゞ》めを刺して、血刀《ちがたな》を振《ふる》いながら藤新の店頭《みせさき》へ立帰《たちかえ》りましたが、本《もと》より斬殺《きりころ》す料簡でございましたから、些《ちっ》とも動ずる気色もなく、我が下郎に向い、
侍「これ藤助、その天水桶《てんすいおけ》の水を此の刀にかけろ」
と言いつければ、最前《さいぜん》より慄《ふる》えて居りました藤助は、
藤「へいとんでもない事になりました、若《も》し此の事から大殿様のお名前でも出ますようの事がございましては相済みません、元は皆《みん》な私《わたくし》から始まった事、どう致して宜《よろ》しゅうございましょう」
と半分は死人の顔。
侍「いや左様《さよう》に心配するには及ばぬ、市中を騒がす乱暴人、切捨《きりす》てゝも苦しくない奴だ、心配するな」
と下郎を慰めながら泰然として、呆気《あっけ》に取られたる藤新の亭主を呼び、
侍「こりゃ御亭主や、此の刀はこれ程切れようとも思いませんだったが、なか/\斬れますな、余程能《よ》く斬れる」
といえば亭主は慄《ふる》えながら、
亭「いや貴方様《あなたさま》のお手が冴《さ》えているからでございます」
侍「いや/\全く刃物がよい、どうじゃな、七両二分に負けても宜《よ》かろうな」
と云えば藤新は係合《かゝりあい》を恐れ、
「宜しゅうございます」
侍「いやお前の店には決して迷惑は掛けません、兎に角此の事を直《す》ぐに自身番に届けなければならん、名刺《なふだ》を書くから一寸《ちょっと》硯箱《すゞりばこ》を貸して呉れろ」
と云われても、亭主は己《おの》れの傍《そば》に硯箱のあるのも眼に入《い》らず、慄《ふる》え声《ごえ》にて、
「小僧や硯箱を持って来い」
と呼べど、家内《かない》の者は先《さ》きの騒ぎに何《いず》れへか逃げてしまい、一人も居りませんから、寂然《ひっそり》として返事がなければ、
侍「御亭主、お前は流石《さすが》に御渡世柄《ごとせいがら》だけあって此の店を一寸《ちょっと》も動かず、自若《じじゃく》としてござるは感心な者だな」
亭「いえナニお誉《ほ》めで恐入ります、先程から早腰《はやごし》が抜けて立てないので」
侍「硯箱はお前の側《わき》にあるじゃアないか」
と云われてよう/\心付き、硯箱を彼《か》の侍の前に差出すと、侍は硯箱の蓋《ふた》を推開《おしひら》きて筆を取り、すら/\と名前を飯島平太郎《いいじまへいたろう》と書きおわり、自身番に届け置き、牛込のお邸《やしき》へお帰りに成りまして、此の始末を、御親父《ごしんぷ》飯島平左衞門《へいざえもん》様にお話を申上《もうしあ》げましたれば、平左衞門様は宜《よ》く斬ったと仰《おお》せありて、それから直《すぐ》にお頭《かしら》たる小林權太夫《こばやしごんだゆう》殿へお届けに及びましたが、させるお咎《とが》めもなく切り徳《どく》切られ損《ぞん》となりました。
二
さて飯島平太郎様は、お年二十二の時に悪者《わるもの》を斬殺《きりころ》して毫《ちっと》も動ぜぬ剛気の胆力《たんりょく》でございましたれば、お年を取るに随《したが》い、益々《ます/\》智慧《ちえ》が進みましたが、その後《のち》御親父《ごしんぷ》様には亡くなられ、平太郎様には御家督《ごかとく》を御相続あそばし、御親父様の御名跡《ごみょうせき》をお嗣《つ》ぎ遊ばし、平左衞門と改名され、水道端《すいどうばた》の三宅《みやけ》様と申上げまするお旗下《はたもと》から奥様をお迎えになりまして、程なく御出生《ごしゅっしょう》のお女子《にょし》をお露《つゆ》様と申し上げ、頗《すこぶ》る御器量美《ごきりょうよし》なれば、御両親は掌中《たなぞこ》の璧《たま》と愛《め》で慈《いつく》しみ、後《あと》にお子供が出来ませず、一粒種の事なれば猶《なお》さらに撫育《ひそう》される中《うち》、隙《ひま》ゆく月日《つきひ》に関守《せきもり》なく、今年は早《は》や嬢様は十六の春を迎えられ、お家《いえ》もいよ/\御繁昌《ごはんじょう》でございましたが、盈《み》つれば虧《か》くる世のならい、奥様には不図《ふと》した事が元となり、遂《つい》に帰らぬ旅路に赴《おもむ》かれましたところ、此の奥様のお附《つき》の人に、お國《くに》と申す女中がございまして、器量人並に勝《すぐ》れ、殊《こと》に起居周旋《たちいとりまわし》に如才《じょさい》なければ、殿様にも独寝《ひとりね》の閨《ねや》淋しいところから早晩《いつか》此のお國にお手がつき、お國は到頭《とうとう》お妾《めかけ》となり済しましたが、奥様のない家《うち》のお妾なればお羽振《はぶり》もずんと宜《よろ》しい。然《しか》るにお嬢様は此のお國を憎く思い、互《たがい》にすれ/\になり、國々と呼び附けますると、お國は又お嬢様に呼捨《よびすて》にされるを厭《いや》に思い、お嬢様の事を悪《あし》ざまに殿様に彼是《かれこれ》と告口《つげくち》をするので、嬢様と國との間何《な》んとなく落着《おちつ》かず、されば飯島様もこれを面倒な事に思いまして、柳島辺《やなぎしまへん》に或《ある》寮を買い、嬢様にお米《よね》と申す女中を附けて、此の寮に別居させて置きましたが、そも飯島様のあやまりにて、是よりお家《いえ》のわるくなる初めでございました。さて其の年も暮れ、明《あく》れば嬢様は十七歳にお成りあそばしました。こゝに予《かね》て飯島様へお出入《でいり》のお医者に山本志丈《やまもとしじょう》と申す者がございます。此の人一体は古方家《こほうか》ではありますけれど、実はお幇間医者《たいこいしゃ》のお喋《しゃべ》りで、諸人助けのために匙《さじ》を手に取らないという人物でございますれば、大概のお医者なれば、一寸《ちょっと》紙入《かみいれ》の中にもお丸薬《がんやく》か散薬《こぐすり》でも這入《はい》っていますが、此の志丈の紙入の中には手品の種や百眼《ひゃくまなこ》などが入れてある位なものでございます。さて此の医者の知己《ちかづき》で、根津《ねづ》の清水谷《しみずだに》に田畑《でんぱた》や貸長屋を持ち、その上《あが》りで生計《くらし》を立てゝいる浪人の、萩原新三郎《はぎわらしんざぶろう》と申します者が有りまして、生《うま》れつき美男《びなん》で、年は二十一歳なれどもまだ妻をも娶《めと》らず、独身で暮す鰥《やもお》に似ず、極《ごく》内気でございますから、外出《そとで》も致さず閉籠《とじこも》り、鬱々《うつ/\》と書見《しょけん》のみして居ります処《ところ》へ、或日《あるひ》志丈が尋ねて参り、
志「今日は天気も宜《よろ》しければ亀井戸の臥竜梅《がりょうばい》へ出掛け、その帰るさに僕の知己《ちかづき》飯島平左衞門の別荘へ立寄りましょう、いえサ君は一体内気で入らっしゃるから婦女子にお心掛けなさいませんが、男子に取っては婦女子位楽《たのし》みなものはないので、今申した飯島の別荘には婦人ばかりで、それは/\余程別嬪《べっぴん》な嬢様に親切な忠義の女中と只《たゞ》二人ぎりですから、冗談でも申して来ましょう、本当に嬢様の別嬪を見るだけでも結構なくらいで、梅もよろしいが動きもしない口もきゝません、されども婦人は口もきくしサ動きもします、僕などは助平《すけべい》の性《たち》だから余程女の方が宜しい、マア兎も角も来たまえ」
と誘い出しまして、二人打連《うちつ》れ臥竜梅へまいり、その帰り路《みち》に飯島の別荘へ立寄り、
志「御免下さい、誠にしばらく」
という声聞き附け、
米「何方《どなた》さま、おや、よく入《いら》っしゃいました」
志「是はお米《よね》さん、其の後《のち》は遂《つい》にない存外の御無沙汰《ごぶさた》をいたしました、嬢様にはお変りもなく、それは/\頂上々々、牛込から此処《こゝ》へお引移《ひきうつ》りになりましてからは、何分にも遠方ゆえ、存じながら御無沙汰に成りまして誠に相済みません」
米「まア貴方《あなた》が久しくお見えなさいませんから何《ど》うなすったかと思って、毎度お噂を申して居りました、今日は何方《どちら》へ」
志「今日は臥竜梅へ梅見に出かけましたが、梅見れば方図《ほうず》がないという譬《たとえ》の通り、未《ま》だ慊《あき》たらず、御庭中《ごていちゅう》の梅花《ばいか》を拝見いたしたく参りました」
米「それは宜《よ》く入らっしゃいました、まア何卒《どうぞ》此方《こちら》へお入《はい》りあそばせ」
と庭の切戸《きりど》を開《ひら》きくれゝば、
「然《しか》らば御免」
と庭口へ通ると、お米は如才《じょさい》なく、
米「まア一服召上りませ、今日は能《よ》く入らっしゃって下さいました、平常《ふだん》は私《わたくし》と嬢様ばかりですから、淋《さむ》しくって困って居《い》るところ、誠に有難うございます」
志「結構なお住いでげすな……さて萩原氏、今日君のお名吟《めいぎん》は恐れ入りましたな、何《なん》とか申したな、えゝと「煙草には燧火《すりび》のむまし梅の中《なか》」とは感服々々、僕などのような横着者《おうちゃくもの》は出る句も矢張り横着で「梅ほめて紛《まぎ》らかしけり門違《かどちが》い」かね、君のような書見《しょけん》ばかりして鬱々《うつ/\》としてはいけませんよ、先刻《さっき》の残酒《ざんしゅ》が此処《こゝ》にあるから一杯あがれよ…何《な》んですね、厭《いや》です…それでは独《ひと》りで頂戴いたします」
と瓢箪《ひょうたん》を取り出す所へお米出《い》で来《きた》り、
米「どうも誠にしばらく」
志「今日は嬢様に拝顔《はいがん》を得たく参りました、此処《こゝ》に居《い》るは僕が極《ごく》の親友です、今日はお土産《みやげ》も何《なん》にも持参致しません、エヘヽ有難うございます、是は恐れ入ります、お菓子を、羊羹《ようかん》結構、萩原君召し上れよ」
とお米が茶へ湯をさしに行ったあとを見送り、
「こゝの家《うち》は女二人ぎりで、菓子などは方々から貰っても、喰い切れずに積上げて置くものだから、皆黴《かび》を生《はや》かして捨てるくらいのものですから、喰ってやるのが却《かえ》って親切ですから召上れよ、実に此の家《うち》のお嬢様は天下に無い美人です、今に出て入《いら》っしゃるから御覧なさい」
とお喋《しゃべ》りをしている処《ところ》へ向うの四畳半の小座敷から、飯島のお嬢さまお露が人珍らしいから、障子の隙間《すきま》より此方《こちら》を覗《のぞ》いて見ると、志丈の傍《そば》に坐っているのは例の美男《びなん》萩原新三郎にて、男ぶりといい人品《ひとがら》といい、花の顔《かんばせ》月の眉、女子《おなご》にして見まほしき優男《やさおとこ》だから、ゾッと身に染《し》み何《ど》うした風の吹廻《ふきまわ》しであんな綺麗な殿御《とのご》が此処《こゝ》へ来たのかと思うと、カッと逆上《のぼ》せて耳朶《みゝたぼ》が火の如くカッと真紅《まっか》になり、何《なん》となく間が悪くなりましたから、はたと障子をしめきり、裡《うち》へ入ったが、障子の内では男の顔が見られないから、又そっと障子を明けて庭の梅の花を眺める態《ふり》をしながら、ちょい/\と萩原の顔を見て又恥かしくなり、障子の内へ這入《はい》るかと思えば又出て来る、出たり引込《ひっこ》んだり引込んだり出たり、もじ/\しているのを志丈は見つけ、
志「萩原君、君を嬢様が先刻《さっき》から熟々《しけ/″\》と見ておりますよ、梅の花を見る態《ふり》をしていても、眼の球《たま》は全《まる》で此方《こちら》を見ているよ、今日は頓《とん》と君に蹴られたね」
と言いながらお嬢様の方を見て
「アレ又引込《ひっこ》んだ、アラ又出た、引込んだり出たり出たり引込んだり、恰《まる》で鵜《う》の水呑《みずのみ》/\」
と噪《さわ》ぎどよめいている処《ところ》へ下女のお米出《い》で来《きた》り
「嬢様から一献《こん》申し上げますが何もございません、真《ほん》の田舎料理でございますが御緩《ごゆる》りと召上り相変らず貴方《あなた》の御冗談を伺《うかゞ》いたいと仰《おっ》しゃいます」
と酒肴《さけさかな》を出《い》だせば、
志「何《ど》うも恐入りましたな、へい是はお吸物誠に有難うございます、先刻《さっき》から冷酒《れいしゅ》は持参致しておりまするが、お燗酒《かんしゅ》は又格別、有難うございます、何卒《どうぞ》嬢様にも入《いら》っしゃるように今日は梅じゃアない実はお嬢様を、いやなに」
米「ホヽヽヽ只今左様申し上げましたが、お連《つれ》のお方は御存じがないものですから間が悪いと仰しゃいますから、それならお止《よ》し遊ばせと申し上げた処《ところ》が、それでも往《い》って見たいと仰しゃいますの」
志「いや、此《これ》は僕の真《しん》の知己《ちかづき》にて、竹馬の友と申しても宜《よろ》しい位なもので、御遠慮には及びませぬ、何卒《どうぞ》ちょっと嬢様にお目にかゝりたくって参りました」
と云えば、お米はやがて嬢様を伴い来《きた》る。嬢様のお露様は恥かしげにお米の後《うしろ》に坐って、口の中《うち》にて
「志丈さん入《いら》っしゃいまし」
と云ったぎりで、お米が此方《こちら》へ来れば此方へ来《きた》り、彼方《あちら》へ行《ゆ》けば彼方へ行き、始終女中の後《うしろ》にばかりくッついて居る。
志「存じながら御無沙汰に相成りまして、何時《いつ》も御無事で、此の人は僕の知己《ちかづき》にて萩原新三郎と申します独身者《ひとりもの》でございますが、お近づきの為《た》め一寸《ちょっと》お盃《さかづき》を頂戴いたさせましょう、おや何だかこれでは御婚礼の三々九度《さかづき》のようでございます」
と少しも間断《たれま》なく取巻きますと、嬢様は恥かしいが又嬉しく、萩原新三郎を横目にじろ/\見ない振《ふり》をしながら見て居ります。と気があれば目も口ほどに物をいうと云う譬《たとえ》の通り、新三郎もお嬢様の艶容《やさすがた》に見惚《みと》れ、魂も天外に飛ぶ計《ばか》りです。そうこうする中《うち》に夕景になり、灯火《あかり》がちら/\点《つ》く時刻となりましたけれども、新三郎は一向に帰ろうと云わないから。
志「大層に長座《ちょうざ》を致しました、さお暇《いとま》を致しましょう」
米「何ですねえ志丈さん、貴方《あなた》はお連様《つれさま》もありますからまア宜《よ》いじゃアありませんか、お泊りなさいな」
新「僕は宜《よろ》しゅうございます、泊って参っても宜しゅうございます」
志「それじゃア僕一人憎まれ者になるのだ、併《しか》し又斯様《かよう》な時は憎まれるのが却《かえ》って親切になるかも知れない、今日はまず是迄《これまで》としておさらば/\」
新「鳥渡《ちょっと》便所を拝借致しとうございます」
米「さア此方《こちら》へ入《いら》っしゃいませ」
と先に立って案内を致し、廊下伝いに参り
「此処《こゝ》が嬢様のお室《へや》でございますから、まアお這入り遊ばして一服召上って入っしゃいまし」
新三郎は
「有難うございます」
と云いながら用場《ようば》へ這入りました。
米「お嬢様え、彼《あ》のお方が、出て入《いら》っしゃったらばお水《ひや》を掛けてお上げ遊ばせ、お手拭《てぬぐい》は此処《こゝ》にございます」
と新しい手拭を嬢様に渡し置き、お米は此方《こちら》へ帰りながら、お嬢様があゝいうお方に水を掛けて上げたならば嘸《さぞ》お嬉しかろう、彼《あ》のお方は余程《よっぽど》御意《ぎょい》に適《かな》った様子。と独言《ひとりごと》をいいながら元の座敷へ参りましたが、忠義も度を外《はず》すと却《かえ》って不忠に陥《お》ちて、お米は決して主人に猥《みだ》らな事をさせる積りではないが、何時《いつ》も嬢様は別にお楽《たのし》みもなく、鬱《ふさ》いでばかり入《いら》っしゃるから、斯《こ》ういう冗談でもしたら少しはお気晴《きばら》しになるだろうと思い、主人のためを思ってしたので。さて萩原は便所から出て参りますと、嬢様は恥かしいのが一杯で只茫然《ぼんやり》としてお水《ひや》を掛けましょうとも何とも云わず、湯桶《ゆおけ》を両手に支えているを、新三郎は見て取り、
新「是は恐れ入ります、憚《はゞか》りさま」
と両手を差伸《さしの》べれば、お嬢様は恥かしいのが一杯なれば、目も眩《くら》み、見当違いのところへ水を掛けておりますから、新三郎の手も彼方此方《あちらこちら》と追《おい》かけて漸《ようよ》う手を洗い、嬢様が手拭をと差出してもモジ/\している間《うち》、新三郎も此のお嬢は真《しん》に美しいものと思い詰めながら、ずっと手を出し手拭を取ろうとすると、まだもじ/\していて放さないから、新三郎も手拭の上からこわ/″\ながらその手をじっと握りましたが、此の手を握るのは誠に愛情の深いものでございます。お嬢様は手を握られ真赤《まっか》に成って、又その手を握り返している。此方《こちら》は山本志丈が新三郎が便所へ行《ゆ》き、余り手間取るを訝《いぶか》り
志「新三郎君は何処《どこ》へ行《ゆ》かれました、さア帰りましょう」
と急《せ》き立てればお米は瞞《ごま》かし、
米「貴方《あなた》何《な》んですねえ、おや貴方《あなた》のお頭《つむり》がぴか/\光ってまいりましたよ」
志「なにさそれは灯火《あかり》で見るから光るのですわね、萩原氏々々」
と呼立てれば、
米「何《な》んですねえ、宜《よ》うございますよう、貴方《あなた》はお嬢様のお気質も御存じではありませんか、お堅いから仔細《しさい》はありませんよ」
と云って居ります所へ新三郎が漸《よう》よう出て来ましたから、
志「君何方《どちら》にいました、いざ帰りましょう、左様なればお暇《いとま》申します、今日は種々《いろ/\》御馳走に相成りました、有難うございます」
米「左様なら、今日はまア誠にお草々《そう/\》さま左様なら」
と志丈新三郎の両人は打連《うちつ》れ立《だ》ちて帰りましたが、帰る時にお嬢様が新三郎に
「貴方《あなた》また来て下さらなければ私《わたくし》は死んでしまいますよ」
と無量の情を含んで言われた言葉が、新三郎の耳に残り、暫《しば》しも忘れる暇《ひま》はありませなんだ。
三
さても飯島様のお邸《やしき》の方《かた》にては、お妾お國が腹一杯の我儘《わがまゝ》を働く間《うち》、今度抱《かゝ》え入れた草履取《ぞうりとり》の孝助《こうすけ》は、年頃二十一二にて色白の綺麗な男ぶりで、今日しも三月二十二日殿様平左衞門様にはお非番でいらっしゃれば、庭先へ出《い》て[#「出《い》て」はママ]、彼方此方《あちらこちら》を眺めおられる時、此の新参の孝助を見掛け。
平「これ/\手前は孝助と申すか」
孝「へい殿様には御機嫌宜《よろ》しゅう、私《わたくし》は孝助と申しまする新参者でございます」
平「其の方は新参者でも蔭日向《かげひなた》なくよく働くといって大分《だいぶ》評判がよく、皆の受《うけ》がよいぞ、年頃は二十一二と見えるが、人品《ひとがら》といい男ぶりといい草履取には惜しいものだな」
孝「殿様には此の間中《あいだじゅう》御不快でございましたそうで、お案じ申上げましたが、さしたる事もございませんか」
平「おゝよく尋ねて呉れた、別にさしたる事もないが、して手前は今まで何方《いずかた》へか奉公をした事があったか」
孝「へい只今まで方々奉公も致しました、先《ま》ず一番先に四谷《よツや》の金物商《かなものや》へ参りましたが一年程居りまして駈出《かけだ》しました、それから新橋《しんばし》の鍜冶屋《かじや》へ参り、三月《つき》程過ぎて駈出し、又仲通《なかどお》りの絵草紙屋《えぞうしや》へ参りましたが、十日《か》で駈出しました」
平「其の方のようにそう厭《あ》きては奉公は出来ないぞ」
孝「いえ私《わたくし》が倦《あ》きっぽいのではございませんが、私はどうぞして武家奉公が致したいと思い、其の訳を叔父に頼みましても、叔父は武家奉公は面倒だから町家《ちょうか》へ往《ゆ》けと申しまして彼方此方《あちらこちら》奉公にやりますから、私も面当《つらあて》に駈出してやりました」
平「其の方は窮屈な武家奉公をしたいというのは如何《いかゞ》な訳じゃ」
孝「へい、私《わたくし》は武家奉公を致しお剣術を覚えたいのでへい」
平「はて剣術が好きとな」
孝「へい番町《ばんちょう》の栗橋《くりはし》様が御当家様《こちらさま》は、真影流《しんかげりゅう》の御名人《ごめいじん》と承わりました故、何《ど》うぞして御両家の内へ御奉公に上《あが》りたいと思いましていました処《ところ》、漸々《よう/\》の思いで御当家様《こちらさま》へお召抱《めしかゝ》えに相成り、念が届いて有難うございます、どうぞお殿様のお暇《ひま》の節には、少々ずつにてもお稽古が願われようかと存じまして参りました、御当家様《こちらさま》に若様でも入《いら》っしゃいます事ならば、若様のお守《もり》をしながら皆様がお稽古を遊ばすのをお側で拝見致していましても、型ぐらいは覚えられましょうと存じましたに、若様はいらっしゃらず、お嬢様には柳島の御別荘にいらっしゃいまして、お年はお十七とのこと、これが若様なれば余程《よっぽど》宜《よろ》しゅうございますに、お武家様にお嬢様は糞《くそ》ったれでございますなア」
平「はゝゝ、遠慮のない奴、これは大《おお》きにさようだ、武家では女は実に糞ったれだのう」
孝「うっかりと飛んでもない事を申上げ、お気に障《さわ》りましたら御勘弁をねがいます、どうぞ只今もお願い申上げまする通りお暇の節にはお剣術を願われますまいか」
平「此の程は役が替《かわ》ってから稽古場もなく、誠に多端《たゝん》ではあるが、暇《ひま》の節に随分教えてもやろう、其の方《ほう》の叔父は何商売じゃの」
孝「へい彼《あれ》は本当の叔父ではございません、親父《おやじ》の店受《たなうけ》で、ちょっと間に合わせの叔父でございます」
平「何かえ母親《おふくろ》は幾歳《いくつ》になるか」
孝「母親《おふくろ》は私《わたくし》の四歳《よッつ》の時に私を置去りに致しまして、越後の国へ往ってしまいましたそうです」
平「左様か、大分《だいぶ》不人情の女だの」
孝「いえ、それと申しまするのも親父の不身持《ふみもち》に愛想《あいそう》を尽かしての事でございます」
平「親父はまだ存生《ぞんしょう》か」
と問われて、孝助は
「へい」
と云いながら悄々《しお/\》として申しまするには、
「親父も亡くなりました、私《わたくし》には兄弟も親類もございませんゆえ、誰《たれ》あって育てる者もないところから、店受《たなうけ》の安兵衞《やすべえ》さんに引取られ、四歳《よッつ》の時から養育を受けまして、只今では叔父分となり、斯様《かよう》に御当家様へ御奉公に参りました、どうぞ何時《いつ》までもお目掛けられて下さいませ」
と云いさしてハラ/\と落涙《らくるい》を致しますから、飯島平左衞門様も目をしばたゝき、
平[#「平」は底本では「孝」]「感心な奴だ、手前ぐらいな年頃には親の忌日《きにち》さえ知らずに暮らすものだに、親はと聞かれて涙を流すとは親孝行な奴じゃて、親父は此の頃亡くなったのか」
孝「へい、親父の亡くなりましたは私《わたくし》の四歳《よッつ》の時でございます」
平「それでは両親の顔も知るまいのう」
孝「へい、ちっとも存じませんが、私《わたくし》の十一歳の時に始めて店受《たなうけ》の叔父から母親《おふくろ》の事や親父の事も聞きました」
平「親父はどうして亡くなったか」
孝「へい、斬殺《きりころ》されて」
と云いさしてわっとばかりに泣き沈む。
平「それは又如何《いかゞ》の間違いで、とんでもない事であったのう」
孝「左様でございます、只今より十八年以前、本郷三丁目の藤村屋新兵衞と申しまする刀屋の前で斬られました」
平「それは何月幾日《いくか》の事だの」
孝「へい、四月十一日だと申すことでございます」
平「シテ手前の親父は何《なん》と申す者だ」
孝「元は小出様の御家来にて、お馬廻《うまゝわり》の役を勤め、食禄《しょくろく》百五十石を頂戴致して居りました黒川孝藏と申しました」
と云われて飯島平左衞門はギックリと胸にこたえ、恟《びっく》りし、指折り数うれば十八年以前聊《いさゝか》の間違いから手に掛けたは此の孝助の実父で有ったか、己《おれ》を実父の仇《あだ》と知らず奉公に来たかと思えば何《なん》とやら心悪く思いましたが、素知らぬ顔して、
平「それは嘸《さぞ》残念に思うで有ろうな」
孝「へい親父の仇討《かたきうち》が致しとうございますが、何を申しますにも相手は立派なお侍様でございますから、どう致しても剣術を知りませんでは親の仇討は出来ませんゆえ、十一歳の時から今日《きょう》まで剣術を覚えたいと心掛けて居りましたが、漸々《よう/\》のことで御当家様にまいりまして、誠に嬉しゅうございます、是からはお剣術を教えて戴《いたゞ》き、覚えました上は、それこそ死にもの狂いに成って親の敵《かたき》を討ちますから、どうぞ剣術を教えて下さいませ」
平「孝心な者じゃ、教えてやるが手前は親の敵《かたき》を討つというが、敵の面体《めんてい》を知らんで居て、相手は立派な剣術遣《けんじゅつつかい》で、もし今己《おれ》が手前の敵だと云ってみす/\鼻の先へ敵が出たら其の時は手前どうするか」
孝「困りますな、みす/\鼻の先へ敵《かたき》が出れば仕方がございませんから、立派な侍でも何《なん》でもかまいません、飛《とび》ついて喉笛《のどぶえ》でも喰い取ってやります」
平「気性《きしょう》な奴だ、心配いたすな、若《も》し敵《かたき》の知れた其の時は、此の飯島が助太刀《すけだち》をして敵を屹度《きっと》討たせてやるから、心丈夫に身を厭《いと》い、随分大切に奉公をしろ」
孝「殿様本当にあなた様が助太刀をして下さいますか、有難う存じます、殿様がお助太刀をして下さいますれば、敵《かたき》の十人位は出て参りましても大丈夫です、あゝ有難うございます、有難うございます」
平「己《おれ》が助太刀をしてやるのをそれ程までに嬉しいか可愛《かわい》そうな奴だ」
と飯島平左衞門は孝心に感じ、機《おり》を見て自《みずか》ら孝助の敵《かたき》と名告《なの》り、討たれてやろうと常に心に掛けて居りました。
四
さて萩原新三郎は山本志丈と一緒に臥竜梅へ梅見に連れられ、その帰るさに彼《か》の飯島の別荘に立寄り、不図《ふと》彼の嬢様の姿を思い詰め、互いに只手を手拭《てぬぐい》の上から握り合ったばかりで、実に枕を並べて寝たよりも猶《なお》深く思い合いました。昔のものは皆こういう事に固うございました。ところが当節のお方はちょっと洒落《しゃれ》半分に
「君ちょっと来たまえ、雑魚寝《ざこね》で」
と、男がいえば、女の方で
「お戯《ふざ》けでないよ」
又男の方でも
「そう君のように云っては困るねえ、否《いや》なら否だと判然《はっきり》云い給え、否なら又外《ほか》を聞いて見よう」
と明店《あきだな》か何かを捜す気に成っている位なものでございますが、萩原新三郎はあのお露どのと更に猥《いや》らしい事は致しませんでしたが、実に枕をも並べて一ツ寝でも致したごとく思い詰めましたが、新三郎は人が良いものですから一人で逢いに行《ゆ》くことが出来ません、逢いに参って若《も》し万一《ひょっと》飯島の家来にでも見付けられてはと思えば行《ゆ》く事もならず、志丈が来れば是非お礼旁々《かた/″\》行《ゆ》きたいものだと思っておりましたが、志丈は一向に参りません。志丈も中々さるものゆえ、あの時萩原とお嬢との様子が訝《おか》しいから、若《も》し万一《まんいち》の事があって、事の顕《あら》われた日には大変、坊主首《ぼうずッくび》を斬られなければならん、これは危険《けんのん》、君子《くんし》は危《あやう》きに近寄らずというから行《ゆ》かぬ方がよいと、二月三月四月と過ぎても一向に志丈が訪ねて来ませんから、新三郎は独《ひと》りくよ/\お嬢のことばかり思い詰めて、食事もろく/\進みませんで居りますと、或日《あるひ》のこと孫店《まごだな》に夫婦暮しで住む伴藏《ともぞう》と申す者が訪ねて参り。
伴「旦那様、此の頃は貴方様《あなたさま》は何《ど》うなさいました、ろく/\御膳《ごぜん》も上《あが》りませんで、今日はお昼食《ひる》もあがりませんな」
新「あゝ食べないよ」
伴「上《あが》らなくっちゃアいけませんよ、今の若さに一膳半ぐらいの御膳が上《あが》れんとは、私《わたくし》などは親椀《おやわん》で山盛りにして五六杯も喰わなくっちゃアちっとも物を食べたような気持が致しやせん、あなた様はちっとも外出《そとで》をなさいませんな、此の二月でしたっけナ、山本さんと御一緒に梅見にお出掛けに成って、何か洒落《しゃれ》をおっしゃいましたっけナ、ちっと御保養をなさいませんと本当に毒ですよ」
新「伴藏貴様はあの釣《つり》が好きだっけな」
伴「へい釣は好きのなんのッて、本当にお飯《まんま》より好きでございます」
新「左様か、そうならば一緒に釣に出掛けようかのう」
伴「あなたは慥《たし》か釣はお嫌いではありませんか」
新「何《なん》だか急にむか/\と釣が好きになったよ」
伴「へい、むか/\とお好きに成って、そして何方《どちら》へ釣にいらっしゃるお積りで」
新「そうサ、柳島の横川で大層釣れるというから彼処《あすこ》へ往《ゆ》こうか」
伴「横川というのは彼《あ》の中川へ出る処《ところ》ですかえ、そうしてあんな処で何が釣れますえ」
新「大きな鰹《かつお》が釣れるとよ」
伴「馬鹿な事を仰《おっ》しゃい、川で鰹が釣れますものかね、たか/″\鰡《いな》か|※《たなご》[#「魚+節」、27-14]ぐらいのものでございましょう、兎も角もいらっしゃるならばお供をいたしましょう」
と弁当の用意を致し、酒を吸筒《すいづゝ》へ詰込みまして、神田の昌平橋《しょうへいばし》の船宿から漁夫《りょうし》を雇い乗出《のりだ》しましたれど、新三郎は釣はしたくはないが、唯《たゞ》飯島の別荘のお嬢の様子を垣の外からなりとも見ましょうとの心組《こゝろぐみ》でございますから、新三郎は持って来た吸筒の酒にグッスリと酔って、船の中で寝込んでしまいましたが、伴藏は一人で日の暮《くれ》るまで釣を致して居ましたが、新三郎が寝たようだから、
伴「旦那え/\お風をひきますよ、五月頃は兎角冷えますから、旦那え/\、是は余りお酒を勧めすぎたかな」
新三郎はふと見ると横川のようだから。
新「伴藏こゝは何処《どこ》だ」
伴「へい此処《こゝ》は横川です」
と云われて傍《かたえ》の岸辺を見ますと、二重の建仁寺《けんにんじ》の垣に潜《くゞ》り門がありましたが、是は確《たしか》に飯島の別荘と思い、
新「伴藏や一寸《ちょっと》此処《こゝ》へ着けて呉れ、一寸行って来る所があるから」
伴「こんな所へ着けて何方《どちら》へ入らっしゃるのですえ、私《わッち》も御一緒に参りましょう」
新「お前は其処《そこ》に待っていなよ」
伴「だってそのための伴藏ではございませんか、お供を致しましょう」
新「野暮《やぼ》だのう、色にはなまじ連れは邪魔よ」
伴「イヨお洒落《しゃれ》でげすね、宜《よ》うがすねえ」
という途端に岸に船を着けましたから、新三郎は飯島の門の処へまいり、ブル/\慄《ふる》えながらそっと家《うち》の様子を覗《のぞ》き、門が少し明いてるようだから押して見ると明いたから、ずっと中へ這入《はい》り、予《かね》て勝手を知っている事故《ゆえ》、だん/\と庭伝いに参り、泉水縁《せんすいべり》に赤松の生えてある処から生垣《いけがき》に附いて廻れば、こゝは四畳半にて嬢様のお部屋でございました。お露も同じ思いで、新三郎に別れてから其の事ばかり思い詰め、三月から煩《わずら》って居ります所へ、新三郎は折戸《おりど》の所へ参り、そっとうちの様子を覗《のぞ》き込みますと、うちでは嬢様は新三郎の事ばかり思い続けて、誰《たれ》を見ましても新三郎のように見える処へ、本当の新三郎が来た事ゆえ、ハッと思い
「貴方《あなた》は新三郎さまか」
と云えば、
新「静かに/\、其の後《ご》は大層に御無沙汰を致しました、鳥渡《ちょっと》お礼に上《あが》るんでございましたが、山本志丈があれぎり参りませんものですから、私《わたくし》一人では何分《なにぶん》間が悪くッて上りませんだった」
露「よくまア入《いら》っしゃいました」
ともう耻しいことも何も忘れてしまい、無理に新三郎の手を取ってお上《あが》り遊ばせと蚊帳《かや》の中へ引きずり込みました。お露は只もう嬉しいのが込み上げて物が云われず、新三郎の膝に両手を突いたなりで、嬉し涙を新三郎の膝にホロリと零《こぼ》しました。これが本当の嬉し涙です。他人の所へ悔《くや》みに行って零す空涙《そらなみだ》とは違います。新三郎ももう是までだ、知れても構わんと心得、蚊帳の中《うち》で互《たがい》に嬉しき枕をかわしました。
露「新三郎さま、是は私《わたくし》の母《かゝ》さまから譲られました大事な香箱《こうばこ》でございます、どうか私の形見と思召《おぼしめ》しお預り下さい」
と差出《さしだ》すを手に取って見ますと、秋野に虫の象眼入《ぞうがんいり》の結構な品で、お露は此の蓋《ふた》を新三郎に渡し、自分は其の身の方《ほう》を取って互に語り合う所へ、隔《へだ》ての襖《ふすま》をサラリと引き明けて出て来ましたは、おつゆの親御《おやご》飯島平左衞門様でございます。両人は此の体《てい》を見てハッとばかりに恟《びっく》り致しましたが、逃げることもならず、唯うろ/\して居る所へ、平左衞門は雪洞《ぼんぼり》をズッと差《さし》つけ、声を怒《いか》らし。
平「コレ露これへ出ろ、又貴様は何者だ」
新「へい、手前は萩原新三郎と申す粗忽《そこつ》の浪士でございます、誠に相済みません事を致しました」
平「露、手前はヤレ國がどうのこうの云うの、親父《おやじ》がやかましいの、どうか閑静な所へ行《ゆ》きたいのと、さま/″\の事を云うから、此の別荘に置けば、斯様《かよう》なる男を引きずり込み、親の目を掠《かす》めて不義を働きたい為《た》めに閑地《かんち》へ引込《ひきこ》んだのであろう、これ苟《かりそ》めにも天下御直参《ごじきさん》の娘が、男を引入れるという事がパッと世間に流布《るふ》致せば、飯島は家事不取締《かじふとりしまり》だと云われ家名《かめい》を汚《けが》し、第一御先祖へ対して相済まん、不孝不義の不届《ふとゞき》ものめが、手打《てうち》にするから左様心得ろ」
新「暫《しばら》くお待ち下さい、其のお腹立《はらだち》は重々《じゅう/″\》御尤《ごもっとも》でございますが、お嬢様が私《わたくし》を引きずり込み不義を遊ばしたのではなく、手前が此の二月始めて罷出《まかりい》でまして、お嬢様を唆《そゝの》かしたので、全く手前の罪でお嬢様には少しもお科《とが》はございません、どうぞ嬢様はお助けなすって私を」
露「いゝえ、お父様《とっさま》私《わたくし》が悪いのでございます、どうぞ私をお斬り遊ばして、新三郎様をばお助け下さいまし」
と互《たがい》に死を争いながら平左衞門の側へ摺寄《すりよ》りますと、平左衞門は剛刀《ごうとう》をスラリと引抜《ひきぬ》き、
「誰彼《たれかれ》と容赦《ようしゃ》はない、不義は同罪、娘から先へ斬る、観念しろ」
と云いさま片手なぐりにヤッと下《くだ》した腕の冴《さ》え、島田の首がコロリと前へ落ちました時、萩原新三郎はアッとばかりに驚いて前へのめる処を、頬《ほゝ》より腮《あご》へ掛けてズンと切られ、ウーンと云って倒れると。
伴「旦那え/\大層魘《うな》されていますね、恐《おそろ》しい声をして恟《びっく》りしました、風邪を引くといけませんよ」
と云われて新三郎はやっと目を覚《さま》し、ハアと溜息《ためいき》をついて居るから。
伴「何《ど》うなさいましたか」
新「伴藏や己《おれ》の首が落ちては居ないか」
と問われて、
伴「そうですねえ、船舷《ふなべり》で煙管《きせる》を叩くと能《よ》く雁首《がんくび》が川の中へ落っこちて困るもんですねえ」
新「そうじゃアない、己の首が落ちはしないかという事よ、何処《どこ》にも疵《きず》が付いてはいないか」
伴「何を御冗談を仰《おっ》しゃる、疵も何も有りは致しません」
と云う。新三郎はお露に何《ど》うにもして逢いたいと思い続けているものだから、其の事を夢に見てビッショリ汗をかき、辻占《つじうら》が悪いから早く帰ろうと思い
「伴藏早く帰ろう」
と船を急がして帰りまして、船が着いたから上《あが》ろうとすると。
伴「旦那こゝにこんな物が落ちて居ります」
と差出《さしいだ》すを新三郎が手に取上《とりあ》げて見ますれば、飯島の娘と夢のうちにて取交《とりかわ》した、秋野に虫の模様の付いた香箱の蓋ばかりだから、ハッとばかりに奇異《きたい》の想《おもい》を致し、何《ど》うして此の蓋が我手《わがて》にある事かと恟《びっく》り致しました。
五
話替《かわ》って、飯島平左衞門は凛々《りゝ》しい智者《ちえしゃ》にて諸芸に達し、とりわけ剣術は真影流の極意《ごくい》を極《きわ》めました名人にて、お齢《とし》四十ぐらい、人並《ひとなみ》に勝《すぐ》れたお方なれども、妾の國というが心得違いの奴にて、内々《ない/\》隣家《となり》の次男源次郎《げんじろう》を引込《ひきこ》み楽しんで居りました。お國は人目を憚《はゞか》り庭口の開《ひら》き戸を明け置き、此処《こゝ》より源次郎を忍ばせる趣向《しゅこう》で、殿様のお泊番《とまりばん》の時には此処から忍んで来るのだが、奥向きの切盛《きりもり》は万事妾の國がする事ゆえ、誰《たれ》も此の様子を知る者は絶えてありません。今日しも七月二十一日殿様はお泊番の事ゆえ、源次郎を忍ばせようとの下心《したごゝろ》で、庭下駄を彼《か》の開き戸の側に並べ置き、
國「今日は熱くって堪《たま》らないから、風を入れないでは寝られない、雨戸を少しすかして置いてお呉れよ」
と云附《いいつ》け置きました。さて源次郎は皆寝静まッたる様子を窺《うかゞ》い、そっと跣足《はだし》で庭石を伝わり、雨戸の明いた所から這《は》い上《あが》り、お國の寝間に忍び寄れば、
國「源次郎さま大層に遅いじゃアありませんか、私《わたくし》は何《ど》うなすッたかと思いましたよ、余《あん》まりですねえ」
源「私《わたくし》も早く来たいのだけれども、兄上もお姉様《あねえさま》もお母様《はゝさま》もお休みにならず、奉公人までが皆熱い/\と渋団扇《しぶうちわ》を持って、あおぎ立てゝ凉んでいて仕方がないから、今まで我慢して、よう/\の思いで忍んで来たのだが、人に知れやアしないかねえ」
國「大丈夫知れッこはありませんよ、殿様があなたを御贔屓《ごひいき》に遊ばすから知れやアしませんよ、あなたの御勘当《ごかんどう》が許《ゆ》りてから此の家《うち》へ度々《たび/\》お出《いで》になれるように致しましたのも、皆私《わたくし》が側で殿様へ旨く取《とり》なし、あなたをよく思わせたのですよ、殿様はなか/\凛々《りゝ》しいお方ですから、貴方《あなた》と私との間《なか》が少しでも変な様子があれば気取《けど》られますのだが、些《ちっと》も知れませんよ」
源「実に伯父さまは一通りならざる智者《ちしゃ》だから、私《わたくし》は本当に怖いよ、私も放蕩《ほうとう》を働き、大塚《おおつか》の親類へ預けられていたのを、当家《こちら》の伯父さんのお蔭《かげ》で家《うち》へ帰れるように成った、其の恩人の寵愛《ちょうあい》なさるお前と斯《こ》うやっているのが知れては実に済まないよ」
國「あゝいう事を仰《おっ》しゃる、あなたは本当に情《じょう》がありませんよ、私《わたくし》は貴方《あなた》のためなら死んでも決して厭《いと》いませんよ、何《なん》ですねえ、そんな事ばかり仰しゃって、私の傍《そば》へ来ない算段ばかり遊ばすのですものを、アノ源さま、こちらの家《うち》でも此の間お嬢様がお逝《かく》れになって、今は外《ほか》に御家督《ごかとく》がありませんから、是非とも御夫婦養子をせねばなりません、それに就《つい》てはお隣の源次郎様をと内々《ない/\》殿様にお勧め申しましたら、殿様が源次郎はまだ若くッて了簡《りょうけん》が定まらんからいかんと仰しゃいましたよ」
源「そうだろう、恩人の愛妾《あいしょう》の所へ忍び来るような訳だから、どうせ了簡が定まりゃアしないや」
國「私《わたくし》は殿様の側に何時《いつ》までも附いていて、殿様が長生《ながいき》をなすって、貴方《あなた》は外《ほか》へ御養子にでも入らっしゃれば、お目にかゝる事は出来ません、其の上綺麗な奥様でもお持ちなさろうものなら、國のくの字も仰しゃる気遣《きづか》いはありませんよ、それですから貴方が本当に信実《しんじつ》がおあり遊ばすならば、私の願《ねがい》を叶《かな》えて、内《うち》の殿様を殺して下さいましな」
源「情があるから出来ないよ、私《わたくし》の為《た》めには恩人の伯父さんだもの、何《ど》うしてそんな事が出来るものかね」
國「こうなる上からは、もう恩も義理もありはしませんやね」
源「それでも伯父さんは牛込名代《なだい》の真影流の達人だから、手前如きものが二十人ぐらい掛っても敵《かな》う訳のものではないよ、其の上私《わたくし》は剣術が極《ごく》下手《へた》だもの」
國「そりゃア貴方《あなた》はお剣術はお下手《へーた》さね」
源「そんなにオヘータと力を入れて云うには及ばない、それだから何《ど》うもいけないよ」
國「貴方は剣術はお下手《へた》だが、よく殿様と一緒に釣《つり》にいらっしゃいましょう、アノ来月四日はたしか中川へ釣にいらっしゃるお約束がありましょう、其の時殿様を船から川の中へ突落《つきおと》して殺しておしまいなさいよ」
源「成程伯父さんは水練《すいれん》を御存じないが、矢張り船頭がいるからいけないよ」
國「船頭を斬ってお仕舞い遊ばせな、なんぼ貴方が剣術がお下手でも、船頭ぐらいは斬れましょう」
源「それは斬れますとも」
國「殿様が落ちたというので、貴方は立腹して、早く探させてはいけませんよ、いろ/\理窟《りくつ》をなが/\と二時《ふたとき》ばかりも言っていてそれから船頭に探させ、死骸を船に揚《あ》げてから不届《ふとゞき》な奴だといって船頭を斬ってお仕舞いなさい、それから帰り路《みち》に船宿《ふなやど》に寄って、船頭が麁相《そそう》で殿様を川へ落し、殿様は死去されたれば、手前は言訳《いいわけ》がないから船頭は其の場で手打《てうち》に致したが、船頭ばかりでは相済まんぞ、亭主其の方も斬って仕舞うのだが、内分《ないぶん》で済ませて遣《つか》わすにより、此の事は決して口外致すなと仰しゃれば、船宿の亭主も自分の命にかゝわる事ですから口外する気遣《きづか》いはありません、それから貴方はお邸《やしき》へお帰りになって、知らん顔でいて、お兄様《あにいさま》に隣家《となり》では家督《かとく》がないから早く養子に遣《や》ってくれ/\と仰しゃれば、此方《こなた》は別に御親類もないからお頭《かしら》に話を致し、貴方を御養子のお届けを致しますまでは、殿様は御病気の届けを致して置いて、貴方の家督相続が済みましてから、殿様の死去のお届を致せば、貴方は此家《こちら》の御養子様、そうすると私《わたくし》は何時《いつ》までも貴方の側に粘《へば》り附いていて動きません、此方《こちら》の家《うち》は貴方のお家より、余程《よっぽど》大尽《だいじん》ですから、召物《めしもの》でもお腰のものでも結構なのが沢山ありますよ」
源「これは旨い趣向だ、考えたね」
國「私《わたくし》は三日三晩寝ずに考えましたよ」
源「是は至極《しごく》宜《よろ》しい、どうも宜しい」
と源次郎は慾張《よくばり》と助平《すけべい》とが合併して乗気《のりき》に成り、両人がひそ/\語り合っているを、忠義無類の孝助という草履取が、御門《ごもん》の男部屋に紙帳《しちょう》を吊って寝て見たが、何分にも熱くって寝付かれないものだから、渋団扇《しぶうちわ》を持って、
「どうも今年の様に熱い事はありゃアしない」
と云いながら、お庭をぶら/″\歩いていると、板塀《いたべい》の三尺《じゃく》の開《ひら》きがバタリ/\と風にあおられているのを見て、
孝「締りをして置いたのに何《ど》うして開《あ》いたのだろう、おや庭下駄が並べてあるぞ、誰《だれ》が来たな、隣家《となり》の次男めがお國さんと様子が訝《おか》しいから、ことによったら密通《くッつ》いているのかも知れん」
と抜足《ぬきあし》してそっと此方《こなた》へまいり、沓脱石《くつぬぎいし》へ手を支えて座敷の様子を窺《うかゞ》うと、自分が命を捨てゝも奉公をいたそうと思っている殿様を殺すという相談に、孝助は大《おお》いに怒《いか》り、歳《とし》はまだ二十一でございますが、負けない気性だから、怒りの余り思わず知らずガッと鼻を鳴らす。
源「お國さん誰《たれ》か来たようだよ」
國「貴方《あなた》は本当に臆病《おくびょう》で入らっしゃるよ、誰《たれ》も参りは致しません」
と耳を立てゝ聞けば人の居る様子ですから、
國「誰《だれ》だえ、其処《そこ》に居るのは」
孝「へい孝助でございます」
國「本当にまア呆《あき》れますよ、夜夜中《よるよなか》奥向《おくむき》の庭口へ這入《はい》り込んで済みますかえ」
孝「熱くッて/\仕様がございませんから凉みに参りました」
國「今晩は殿様はお泊番《とまりばん》だよ」
孝「毎月《まいげつ》二十一日のお泊番は知っています」
國「殿様のお泊番を知りながらなぜ門番をしない、御門番《ごもんばん》は御門をさえ堅く守って居《い》れば宜《い》いのに、熱いからといって女計《ばか》りいる庭先へ来てすみますか」
孝「へい御門番だからといって御門計りを守っては居《お》りませんへい、庭も奥も守ります、へい方々《ほう/″\》を守るのが役でございます、御門番だからと申して奥へ盗賊《どろぼう》が這入り、殿様とチャン/\切合《きりあ》っているに門ばかり見てはいられません」
國「新参者のくせに、殿様のお気に入りだものだから、此の節では増長して大層お羽振《はぶり》が宜《い》いよ、奥向を守るのは私《わたし》の役だ、部屋へ帰って寝てお仕舞い」
孝「そうですか、貴方が奥向のお守りをして、斯様《かよう》に三尺戸《さんじゃくど》を開けて置いて宜《よろ》しゅうございますか、庭口の戸が開いていると犬が這入って来ます、何《なん》でも犬畜生の恩も義理も知らん奴が、殿様の大切にして入らっしゃるものをむしゃ/\喰っていますから、私《わたくし》は夜通し此処《こゝ》に張番《はりばん》をしています、此所《こゝ》に下駄が脱いでありますから、何でも人間が這入ったに違いはありません」
國「そうサ、先刻《さっき》お隣の源さまが入らっしゃったのサ」
孝「へえ、源さまが何《なに》御用で入らっしゃいました」
國「何《なん》の御用でも宜《よ》いじゃアないか、草履取の身の上でお前は御門さえ守っていればよいのだよ」
孝「毎月《まいげつ》二十一日は殿様お泊番の事は、お隣の御次男様もよく御存じでいらっしゃいますに、殿様のお留守の処へお出《いで》に成って、御用が足りるとはこりゃア変でございますな」
國「何が変だえ、殿様に御用があるのではない」
孝「殿様に御用ではなく、あなたに内証《ないしょう》の御用でしょう」
國「おや/\お前はそんな事を言って私を疑ぐるね」
孝「何も疑ぐりはしませんのに、疑ぐると思うのが余程《よっぽど》おかしい、夜夜中女ばかりの処へ男が這入り込むのは何《ど》うも訝《おか》しいと思っても宜《よ》かろうと思います」
國「お前はまアとんでもない事を云って、お隣の源さまにすまないよ、余《あんま》りじゃアないか、お前だって私の心を知っているじゃアないか」
と、両人の争って居るのを聞いていた源次郎は、人の妾でも奪《と》ろうという位な奴だからなか/\抜目《ぬけめ》はありません。そして其の頃は若殿と草履取とはお羽振が雲泥《うんでい》の違いであります、源次郎はずっと出て来て、
源「これ/\孝助何を申す、是へ出ろ」
孝「へい何か御用で」
源「手前今承れば、何かお國殿と己《おれ》と何か事情《わけ》でもありそうにいうが、己も養子に行《ゆ》く出世前の大切な身体だ、尤《もっと》も一旦放蕩《ほうとう》をして勘当《かんどう》をされ、大塚の親類共へ預けられたから、左様思うも無理もないようだが、左様な事を云い掛けられては捨置《すておき》にならんぞ」
孝「御大切《ごたいせつ》の身の上を御存じなれば何故《なぜ》夜夜中女一人の処《ところ》へおいでなされました、あなた様が御自分に疵《きず》をお付けなさる様なものでございます、貴方《あなた》だッて男女《なんにょ》七歳にして席を同《おなじ》ゅうせず、瓜田《かでん》に履《くつ》を容《い》れず、李下《りか》に冠《かんむり》を正さず位の事は弁《わきま》えておりましょう」
源「黙れ左様な無礼な事を申して、若《も》し用があったらどう致す、イヤサ御主人がお留守でも用の足りる仔細《しさい》があったら何《ど》うする積りだ」
孝「殿様がお留守で御用の足りる筈《はず》はありません、へい若しありましたら御存分になさいまし」
源「然《しか》らば是を見い」
と投げ出す片紙《はがみ》の書面《しょめん》。孝助は手に取上《とりあ》げて読み下《くだ》すに、
一筆《ぴつ》申入候《もうしいれそろ》過日御約束致置候《いたしおきそろ》中川漁船行《こう》の儀は来月四日と致度《いたしたく》就《つい》ては釣道具大半《なかば》破損致し居候間《おりそろあいだ》夜分にても御閑《おひま》の節御入来之上《ごじゅらいのうえ》右釣道具御繕《おんつくろ》い直し被下候様奉願上候《くだされたくねがいたてまつりそろ》。
飯島平左衞門
源次郎殿
と孝助がよく/\見れば全く主人の手蹟《しゅせき》だから、これはと思うと。
源「どうだ手前は無筆ではあるまい、夜分にてもよいから来て釣道具を直して呉れろとの頼みの状だ、今夜は熱くて寝られないから、釣道具を直しに参った、然《しか》るを手前から疑念を掛けられ、悪名《あくみょう》を附けられ、甚《はなは》だ迷惑致す、貴様は如何《いかゞ》致す積りか」
孝「左様な御無理を仰しゃっては誠に困ります、此の書付《かきつけ》さえなければ喧嘩《けんか》は私《わたくし》が勝《かち》だけれども、書付が出たから私の方が負《まけ》に成ったのですが、何方《どっち》が悪いかとくと貴方《あなた》の胸に聞いて御覧遊ばせ、私は御当家様の家来でございます、無闇に斬っては済みますまい」
源「汝《うぬ》の様な汚《けが》れた奴《やっこ》を斬るかえ、打殺《ぶちころ》してしまうわ、何か棒はありませんか」
國「此処《こゝ》にあります」
とお國が重籐《しげとう》の弓の折《おれ》を取出《とりだ》し、源次郎に渡す。
孝「貴方様《あなたさま》、左様《そん》な御無理な事をして、私《わたくし》のような虚弱《ひよわ》い身体に疵《きず》でも出来ましては御奉公が勤まりません」
源「えい手前疑ぐるならば表向きに云えよ、何を証拠に左様《さよう》なことを申す、其のくらいならなぜお國殿と枕を並べている処《ところ》へ踏み込まん、拙者《せっしゃ》は御主人から頼まれたから参ったのだ、憎い奴め」
と云いながらはたと打《ぶ》つ。
孝「痛《いと》うございます、貴方《あなた》左様な事を仰しゃっても、篤《とく》と胸に聞いて御覧遊ばせ、虚弱《ひよわ》い草履取をお打《ぶ》ちなすッて」
源「黙れ」
といいざまヒュウ/\と続け打《う》ちに十二三も打《う》ちのめせば、孝助はヒイ/\と叫びながら、ころ/\と転《ころ》げり、さも恨《うら》めしげに源次郎の顔を睨《にら》む所を、トーンと孝助の月代際《さかやきゞわ》を打割《うちわ》ったゆえ黒血《くろち》がタラ/\と流れる。
源「ぶち殺してもいゝ奴だが、命だけは助けてくれる、向後《こうご》左様の事を言うと助けては置かぬぞ、お國どの私《わたくし》はもう御当家へは参りません」
國「アレ入らっしゃらないと猶《なお》疑ぐられますよ」
と云うを聞入《きゝい》れず、源次郎は是を機会《しお》に跣足《はだし》にて根府川石《ねぶかわいし》の飛石《とびいし》を伝いて帰りました。
國「お前が悪いから打《ぶ》たれたのだよ、お隣の御二男様に飛んでもない事を云って済まないよ、お前こゝにいられちゃア迷惑だから出て行ってお呉れ」
と云いながら、痛みに苦しむ孝助の腰をトンと突いて、庭へ突き落《おと》すはずみに、根府川石に又痛く膝を打《う》ち、アッと云って倒れると、お國は雨戸をピッシャリ締めて奥へ入《い》る。後《あと》に孝助くやしき声を震わせ、
「畜生奴《ちくしょうめ》/\、犬畜生奴、自分達の悪い事を余所《よそ》にして私を酷《ひど》い目に逢わせる、殿様がお帰りになれば申上げて仕舞おうか、いや/\若《も》し此の事を表向きに殿様に申上げれば、屹度《きっと》あの両人と突合《つきあわ》せに成ると、向うには証拠の手紙があり、此方《こっち》は聞いたばかりの事だからどう云うても証拠になるまい、殊《こと》には向うは二男の勢い、此方《こちら》は悲しいかな草履取の軽い身分だから、お隣《となり》づからの義理でも私はお暇《いとま》になるに相違ない、私がいなければ殿様は殺されるに違いない、これはいっその事源次郎お國の両人を槍《やり》で突き殺して、自分は腹を切ってしまおう」
と、忠義無二の孝助が覚悟を定めましたが、さて此のあとは何《ど》うなりますか。
六
萩原新三郎は、独りクヨ/\として飯島のお嬢の事ばかり思い詰めています処《ところ》へ、折《おり》しも六月二十三日の事にて、山本志丈が訪ねて参りました。
志「其の後《ご》は存外の御無沙汰を致しました、ちょっと伺《うかゞ》うべきでございましたが、如何《いか》にも麻布辺からの事故《ゆえ》、おッくうでもあり且《かつ》追々《おい/\》お熱く成って来たゆえ、藪医《やぶい》でも相応に病家《びょうか》もあり、何や彼《か》やで意外の御無沙汰、貴方《あなた》は何《ど》うもお顔の色が宜《よ》くない、なにお加減がわるいと、それは/\」
新「何分にも加減がわるく、四月の中旬頃《なかばごろ》からどっと寝て居ります、飯もろく/\たべられない位で困ります、お前さんもあれぎり来ないのは余《あんま》り酷《ひど》いじゃアありませんか、私《わたくし》も飯島さんの処《ところ》へ、ちょっと菓子折《かしおり》の一つも持ってお礼に行《ゆ》きたいと思っているのに、君が来ないから私は行《ゆ》きそこなっているのです」
志「さて、あの飯島のお嬢も、可愛《かわい》そうに亡くなりましたよ」
新「えゝお嬢が亡くなりましたとえ」
志「あの時僕が君を連れて行ったのが過《あやま》りで、向うのお嬢がぞっこん君に惚れ込んだ様子だ、あの時何か小座敷で訳があったに違いないが、深い事でもなかろうが、もし其の事が向うの親父《おやじ》さまにでも知れた日には、志丈が手引《てびき》した憎い奴め、斬って仕舞う、坊主首《ぼうずッくび》を打《ぶ》ち落す、といわれては僕も困るから、実はあれぎり参りもせんでいたところ、不図《ふと》此の間飯島のお邸《やしき》へまいり、平左衞門様にお目にかゝると、娘は歿《みま》かり、女中のお米も引続《ひきつゞ》き亡くなったと申されましたから、段々様子を聞きますと、全く君に焦《こが》れ死《じに》をしたという事です、本当に君は罪造りですよ、男も余《あんま》り美《よ》く生れると罪だねえ、死んだものは仕方がありませんからお念仏でも唱えてお上げなさい、左様なら」
新「あれさ志丈さん、あゝ往《い》って仕舞った、お嬢が死んだなら寺ぐらいは教えてくれゝばいゝに、聞こうと思っているうちに行って仕舞った、いけないねえ、併《しか》しお嬢は全く己《おれ》に惚れ込んで己を思って死んだのか」
と思うとカッと逆上《のぼ》せて来て、根が人がよいから猶々《なお/\》気が欝々《うつ/\》して病気が重くなり、それからはお嬢の俗名《ぞくみょう》を書いて仏壇に備え、毎日々々念仏三昧《まい》で暮しましたが、今日しも盆の十三日なれば精霊棚《しょうりょうだな》の支度《したく》などを致してしまい、縁側へちょっと敷物を敷き、蚊遣《かやり》を薫《くゆ》らして、新三郎は白地の浴衣《ゆかた》を着、深草形《ふかくさがた》の団扇《うちわ》を片手に蚊を払いながら、冴《さ》え渡る十三日の月を眺めていますと、カラコン/\と珍らしく下駄の音をさせて生垣《いけがき》の外を通るものがあるから、不図見れば、先《さ》きへ立ったのは年頃三十位の大丸髷《おおまるまげ》の人柄のよい年増《としま》にて、其の頃流行《はや》った縮緬細工《ちりめんざいく》の牡丹《ぼたん》芍薬《しゃくやく》などの花の附いた灯籠を提《さ》げ、其の後《あと》から十七八とも思われる娘が、髪は文金《ぶんきん》の高髷《たかまげ》に結い、着物は秋草色染《あきくさいろぞめ》の振袖《ふりそで》に、緋縮緬《ひぢりめん》の長襦袢《ながじゅばん》に繻子《しゅす》の帯をしどけなく締め、上方風《かみがたふう》の塗柄《ぬりえ》の団扇《うちわ》を持って、ぱたり/\と通る姿を、月影に透《すか》し見るに、何《ど》うも飯島の娘お露のようだから、新三郎は伸び上《あが》り、首を差し延べて向うを見ると、向うの女も立止まり、
女「まア不思議じゃアございませんか、萩原さま」
と云われて新三郎もそれと気が付き、
新「おや、お米さん、まアどうして」
米「誠に思いがけない、貴方様《あなたさま》はお亡くなり遊ばしたという事でしたに」
新「へえ、ナニあなたの方でお亡くなり遊ばしたと承わりましたが」
米「厭《いや》ですよ、縁起の悪い事ばかり仰しゃって、誰が左様な事を申しましたえ」
新「まアおはいりなさい、其処《そこ》の折戸《おりど》のところを明けて」
と云うから両人内へ這入《はい》れば、
新「誠に御無沙汰を致しました、先日山本志丈が来まして、あなた方御両人ともお亡くなりなすったと申しました」
米「おやまア彼奴《あいつ》が、私《わたくし》の方へ来ても貴方がお亡くなり遊ばしたといいましたが、私の考えでは、貴方様はお人がよいものだから旨く瞞《だま》したのです、お嬢様はお邸《やしき》に入らっしゃっても貴方の事計《ばか》り思って入らっしゃるものだから、つい口に出て迂濶《うっか》りと、貴方の事を仰しゃるのが、ちら/\と御親父様《ごしんぷさま》のお耳にもはいり、又内にはお國という悪い妾がいるものですから邪魔を入れて、志丈に死んだと云わせ、互《たがい》に諦めさせようと、國の畜生がした事に違いはありませんよ、貴方がお亡くなり遊ばしたという事をお聞き遊ばして、お嬢様はおいとしいこと、剃髪《ていはつ》して尼に成ってしまうと仰しゃいますゆえ、そんな事を成すっては大変ですから、心でさえ尼に成った気で入らっしゃれば宜《よろ》しいと申上げて置きましたが、それでは志丈にそんな事をいわせ、互に諦めさせて置いて、お嬢さまに婿《むこ》を取れと御親父さまから仰しゃるのを、お嬢様は、婿は取りませんからどうかお宅《うち》には夫婦養子をしてくださいまし、そして他《ほか》へ縁付くのも否《いや》だと強情をお張り遊ばしたものですから、お宅が大層に揉めて、親御《おやご》さまがそんなら約束でもした男があってそんな事を云うのだろうと、怒《おこ》っても、一人のお嬢様で斬る事も出来ませんから、太い奴だ、そういう訳なら柳島にも置く事が出来ない、放逐《ほうちく》するというので、只今では私とお嬢様と両人お邸《やしき》を出まして、谷中《やなか》の三崎《さんさき》へ参り、だいなしの家《いえ》に這入《はい》って居りまして、私が手内職などをして、どうか斯《こ》うか暮しを付けていますが、お嬢様は毎日々々お念仏三昧《ざんまい》で入らっしゃいますよ、今日は盆の事ですから、方々《ほう/″\》お参りにまいりまして、晩《おそ》く帰る処《ところ》でございます」
新「なんの事です、そうでございますか、私《わたくし》も嘘でも何《なん》でもありません、此の通りお嬢さまの俗名を書いて毎日念仏しておりますので」
米「それ程に思って下さるは誠に有難うございます、本当にお嬢様は仮令《たとい》御勘当に成っても、斬られてもいゝから貴方のお情《なさけ》を受けたいと仰しゃって入らっしゃるのですよ、そしてお嬢様は今晩此方《こちら》へお泊め申しても宜しゅうございますかえ」
新「私《わたし》の孫店《まごだな》に住んで居る、白翁堂勇齋《はくおうどうゆうさい》という人相見《にんそうみ》が、万事私《わたくし》の世話をして喧《やか》ましい奴だから、それに知れないように裏からそっとお這入り遊ばせ」
と云う言葉に随い、両人共に其の晩泊り、夜《よ》の明けぬ内に帰り、是より雨の夜《よ》も風の夜も毎晩来ては夜の明けぬ内に帰る事十三日より十九日まで七日《なのか》の間重なりましたから、両人が仲は漆《うるし》の如く膠《にかわ》の如くになりまして新三郎も現《うつゝ》を抜かして居りましたが、こゝに萩原の孫店《まごだな》に住む伴藏というものが、聞いていると、毎晩萩原の家《うち》にて夜夜中《よるよなか》女の話声《はなしごえ》がするゆえ、伴藏は変に思いまして、旦那は人がよいものだから悪い女に掛り、騙《だま》されては困ると、密《そっ》と抜け出て、萩原の家《うち》の戸の側へ行って家の様子を見ると、座敷に蚊帳《かや》を吊り、床《とこ》の上に比翼※《ひよくござ》[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、52-11]を敷き、新三郎とお露と並んで坐っているさまは真《まこと》の夫婦のようで、今は耻かしいのも何も打忘《うちわす》れてお互いに馴々《なれ/\》しく、
露「アノ新三郎様、私《わたくし》が若《も》し親に勘当されましたらば、米と両人をお宅《うち》へ置いて下さいますかえ」
新「引取《ひきと》りますとも、貴方《あなた》が勘当されゝば私は仕合《しあわ》せですが、一人娘ですから御勘当なさる気遣《きづか》いはありません、却《かえ》って後《あと》で生木《なまき》を割《さ》かれるような事がなければ宜《い》いと思って私は苦労でなりませんよ」
露「私《わたくし》は貴方より外《ほか》に夫《おっと》はないと存じておりますから、仮令《たとい》此の事がお父《とっ》さまに知れて手打《てうち》に成りましても、貴方の事は思い切れません、お見捨てなさるときゝませんよ」
と膝に凭《もた》れ掛りて[#「凭《もた》れ掛りて」は底本では「恁《もた》れ掛りて」]睦《むつ》ましく話をするは、余《よっ》ぽど惚《ほ》れている様子だから。
伴「これは妙な女だ、あそばせ言葉で、どんな女かよく見てやろう」
と差し覗《のぞ》いてハッとばかりに驚き、
「化物《ばけもの》だ/\」
と云いながら真青《まっさお》になって夢中で逃出《にげだ》し、白翁堂勇齋の処《ところ》へ往《ゆ》こうと思って駈出《かけだ》しました。
七
飯島家にては忠義の孝助が、お國と源次郎の奸策《わるだくみ》の一伍一什《いちぶしゞゅう》を立聞《たちぎゝ》致しまして、孝助は自分の部屋へ帰り、もう是までと思い詰め、姦夫《かんぷ》姦婦《かんぷ》を殺すより外《ほか》に手段《てだて》はないと忠心一途《ず》に思い込み、それに就《つい》ては仮令《たとい》己《おれ》は死んでも此のお邸《やしき》を出まい、殿様に御別条《ごべつじょう》のないように仕ようと、是から加減が悪いとて引籠《ひきこも》っており、翌朝《よくちょう》になりますと殿様はお帰りになり、残暑の強い時分でありますから、お國は殿様の側で出来たてのお供《そなえ》見たように、団扇《うちわ》であおぎながら、
國「殿様御機嫌宜《よろ》しゅう、私《わたくし》はもう殿様にお暑さのお中《あた》りでもなければよいと毎日心配ばかりしています」
飯「留守へ誰《たれ》も参りは致さなかったか」
國「あの相川《あいかわ》さまが一寸《ちょっと》お目通りが致したいと仰しゃって、お待ち申して居ります」
飯「ほウ相川新五兵衞《しんごべえ》が、又医者でも頼みに参ったのかも知れん、いつもながら粗忽《そゝっ》かしい爺さんだよ、まア此方《こちら》へ通せ」
と云っていると相川は
「ハイ御免下さい」
と遠慮もなく案内も乞わず、ズカ/\奥へ通り、
相「殿様お帰りあそばせ、御機嫌さま、誠に存外の御無沙汰を致しました、何時《いつ》も相変らず御番疲《ごばんづか》れもなく、日々《にち/\》御苦労さまにぞんじます、厳しい残暑でございます」
飯「誠に熱い事で、おとくさまの御病気は如何《いかゞ》でござるな」
相「娘の病気もいろ/\と心配も致しましたが、何分にも捗々《はか/″\》しく参りませんで、それに就《つい》て誠にどうも……アヽ熱い、お國さま先達《せんだっ》ては誠に御馳走様に相成《あいな》りまして有難う、まだお礼もろく/\申上げませんで、へえ、アヽ熱い、誠に熱い、どうも熱い」
飯「まア少し落着《おちつ》けば風が這入《はい》って随分凉しくなります」
相「折入《おりい》って殿様にお願いの事がございまして、罷出《まかりいで》ました、何《ど》うかお聞済《きゝずみ》を願います」
飯「はてナ、どういう事で」
相「お國様やなにかには少々お話が出来兼《できかね》ますから、どうか御近習《ごきんじゅ》の方々を皆遠ざけて戴きとう存じます」
飯「左様か宜《よろ》しい、皆あちらへ参り、此方《こちら》へ参らん様にするが宜しい、シテ何《ど》ういうことで」
相「さて殿様、今日態々《わざ/\》出ましたは折入って殿様にお願い申したいは娘の病気の事に就《つい》て出ましたが、御存じの通り彼《か》れの病気も永い事で、私《わたくし》も種々《いろ/\》と心配いたしましたけれども、病の様子が判然《はっきり》と解りませんでしたが、よう/\ナ昨晩当人が私《わたくし》の病は実は是々《これ/\》の訳だと申しましたから、なぜ早く云わん、けしからん奴だ、不孝ものであると小言は申しましたが、彼《あ》れは七歳の時母に別れ今年十八まで男の手に丹誠して育てましたにより、あの通りの初心《うぶ》な奴で何もかも知らん奴だから、そこが親馬鹿の譬《たとえ》の通りですが、殿様訳をお話し申してもお笑い下さるな、お蔑《さげす》み下さるな」
飯「どういう御病気で」
相「手前一人の娘でございますから、早くナ婿《むこ》でも貰い、楽隠居がしたいと思い、日頃信心気《け》のない私《わたくし》なれども、娘の病気を治そうと思い、夏とは云いながら此の老人が水をあびて神仏《かみほとけ》へ祈るくらいな訳で、ところが昨夜娘のいうには、私《わたくし》の病気は実は是々《これ/\》といいましたが、其の事は乳母《おんば》にも云われないくらいな訳ですが、其処《そこ》が親馬鹿の譬《たとえ》の通り、お蔑《さげす》み下さるな」
飯「どういう御病気ですな」
相「私《わたくし》もだん/\と心配をいたして、どうか治してやりたいと心得、いろ/\医者にも掛けましたが、知れない訳で、是ばかりは神にも仏にも仕ようがないので、なぜ早く云わんと申しました」
飯「どういう訳で」
相「誠に申しにくい訳で、お笑い成さるな」
飯「何《なん》だかさっぱりと訳が解りませんね」
相「実は殿様が日頃お誉《ほ》めなさる此方《こちら》の孝助殿、あれは忠義な者で、以前は然《しか》るべき侍の胤《たね》でござろう、今は零落《おちぶれ》て草履取をしていても、志《こゝろざし》は親孝行のものだ、可愛《かわい》いものだと殿様がお誉めなされ、あれには兄弟も親族《みより》もない者だから、行々《ゆく/\》は己《おれ》が里方《さとかた》に成って他《ほか》へ養子にやり、相応な侍にしてやろうと仰しゃいますから、私《わたくし》も折々《おり/\》は宅《うち》の家来善藏《ぜんぞう》などに、飯島様の孝助殿を見習えと叱り付けますものだから、台所のおさんまでが孝助さんは男振《おとこぶり》もよし人柄もよし、優しいと誉め、乳母《おんば》までが彼是《かれこれ》と誉めはやすものだから、娘も、殿様お笑い下さるな、私は汗の出るほど耻入《はじい》ります、実は疾《と》くより娘があの孝助殿を見染《みそ》め、恋煩《こいわずら》いをして居ります、誠に面目《めんぼく》ない、それをサ婆《ばゞ》アにもいわないで、漸《ようや》く昨夜になって申しましたから、なぜ早く云わん、一合《ごう》取っても武士の娘という事が浄瑠璃本《じょうるりぼん》にもあるではないか、侍の娘が男を見染めて恋煩いをするなどとは不孝ものめ、仮令《たとい》一人の娘でも手打にする処《ところ》だが、併《しか》し紺看板《こんかんばん》に真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差した見る影もない者に惚れたというのは、孝助殿の男振の好《い》いのに惚れたか、又は姿の好いのに惚れ込んだかと難じてやりました、そうすると娘がお父《とっ》さま実は孝助殿の男振にも姿にも惚れたのではございません、外《ほか》に唯《たゞ》一つの見所《みどころ》がありますからと斯《こ》ういいますから、何処《どこ》に見所があると聞きますと、あのお忠義が見所でございます、主《しゅう》へ忠義のお方は、親にも孝行でございましょうねえ、といいましたから、それは親に孝なるものは主へ忠義、主へ忠なるものは親へは必ず孝なるものだといいますと、娘が私《わたくし》の家《うち》はお高《たか》は僅《わず》か百俵二人扶持《にんふち》ですから、他家《ほか》から御養子をしてお父さまが御隠居をなさいましても、もし其の御養子が心の良くない人でも来た其の時は、此方《こちら》の高が少ないから、私の肩身が狭く、遂《つい》にはそれがために私までが、倶《とも》にお父さまを不孝にするように成っては済みません、私も只今まで御恩を受けましたにより何《ど》うか不孝をしたくない、就《つ》きましては仮令《たとい》草履取でも家来でも志の正しい人を養子にして、夫婦諸共親に孝行を尽《つく》したいと思いまして、孝助殿を見染め、寝ても覚めても諦められず、遂に病となりまして誠に相済みません、と涙を流して申しますから、私も至極《しごく》尤《もっと》もの様にも聞えますから、兎に角お願いに出て、殿様から孝助殿を申受けて来ようと云って参りましたが、どうかあの孝助殿を手前の養子に下さるように願います」
飯「それはまア有難いこと、差上げたいね」
相「ナニ下さる、あゝ有難かった」
飯「だが一応当人へ申聞《もうしき》けましょう、嘸《さぞ》悦ぶ事で、孝助が得心の上で確《しか》と御返事を申上げましょう」
相「孝助殿は宜《よろ》しい、貴方《あなた》さえ諾《うん》と仰しゃって下さればそれで宜しい」
飯「私が養子に参るのではありませんから、そうはいかない」
相「孝助殿はいやと云う気遣《きづか》いは決してありません、唯《たゞ》殿様から孝助行ってやれとお声掛りを願います、あれは忠義ものだから、殿様のお言葉は背《そむ》きません、私《わたくし》も当年五十五歳で、娘は十八になりましたから早く養子をして身体を固めてやりたい、殿様どうか願います」
飯「宜しい、差上げましょう、御胡乱《ごうろん》に思召《おぼしめ》すならば金打《きんちょう》でも致そうかね」
相「そのお言葉ばかりで沢山、有難うございます、早速娘に申し聞けましたら、嘸《さぞ》悦ぶ事でしょう、これがね殿様が孝助に一応申し聞けて返事をするなどと仰しゃると、又娘が心配して、仮令《たとい》殿様が下さる気でも孝助殿が何《ど》うだかなどゝ申しましょうが、そうはっきり事が定《きま》れば、娘は嬉しがって飯の五六杯位も食べられ、一足飛《そくとび》に病気も全快致しましょう、善は急げの譬《たとえ》で、明日《みょうにち》御番帰《ごばんがえ》りに結納《ゆいのう》の取りかわせを致しとう存じますから、どうか孝助殿をお供に連れてお出で下さい、娘にも一寸《ちょっと》逢わせたい」
飯「まア一献《いっこん》差上げるから」
と云っても相川は大喜びで、汗をダク/\流し、早く娘に此の事を聞かせとうございますから、今日はお暇《いとま》を申しましょうと云いながら、帰ろうとして、
「アイタ、柱に頭をぶっつけた」
飯「そゝっかしいから誰《たれ》か見て上げな」
飯島平左衞門も心嬉しく、鼻高々《たか/″\》と、
飯「孝助を呼べ」
國「孝助は不快で引いて居ります」
飯「不快でも宜しい、一寸《ちょっと》呼んでまいれ」
國「お竹どん/\、孝助を一寸呼んでおくれ、殿様が御用がありますと」
竹「孝助どん/\、殿様が召しますよ」
孝「へい/\只今上《あが》ります」
と云ったが、額の疵《きず》があるから出られません。けれども忠義の人ゆえ、殿様の御用と聞いて額の疵も打忘《うちわす》れて出て参りました。
飯「孝助此処《こゝ》へ来い/\、皆あちらへ参れ、誰《たれ》もまいる事はならんぞ」
孝「大分《だいぶ》お熱うございます、殿さまは毎日の御番疲れもありは致すまいかと心配をいたして居ります」
飯「其方《そち》は加減がわるいと云って引籠《ひきこも》っているそうだが、どうじゃナ、手前に少し話したいことがあって呼んだのだ、外《ほか》の事でもないが、水道端《すいどうばた》の相川におとくという今年十八になる娘があるナ、器量も人並に勝《すぐ》れ殊《こと》に孝行もので、あれが手前の忠義の志に感服したと見えて、手前を思い詰め、煩《わずら》っているくらいな訳で、是非手前を養子にしたいとの頼みだから行ってやれ」
と孝助の顔を見ると、額に傷があるから、
飯「孝助どう致した、額の疵《きず》は」
孝「へい/\」
飯「喧嘩《けんか》でもしたか、不埓《ふらち》な奴だ、出世前の大事の身体、殊に面体《めんてい》に疵を受けているではないか、私《わたくし》の遺恨《いこん》で身体に疵を付けるなどとは不忠者め、是が一人前《ひとりまえ》の侍なれば再び門を跨《また》いで邸《やしき》へ帰る事は出来ぬぞ」
孝「喧嘩を致したのではありません、お使い先で宮邊《みやべ》様の長家下《ながやした》を通りますと、屋根から瓦《かわら》が落ちて額に中《あた》り、斯様《かよう》に怪我《けが》を致しました、悪い瓦でございます、お目障《めざわ》りに成って誠に恐入《おそれい》ります」
飯「屋根瓦の傷ではない様だ、まアどうでもいゝが、併《しか》し必ず喧嘩などをして疵を受けてはならんぞ、手前は真直《まっすぐ》な気性だが、向うが曲って来れば真直に行《ゆ》く事は出来まい、それだから其処《そこ》を避《よ》けて通るようにすると広い所へ出られるものだ、何《なん》でも堪忍《かんにん》をしなければいけんぞ、堪忍の忍《にん》の字は刃《やいば》の下に心を書く、一ツ動けばむねを斬るごとく何でも我慢《がまん》が肝心《かんじん》だぞよ、奉公するからは主君へ上げ置いた身体、主人へ上げると心得て忠義を尽《つく》すのだ、決して軽挙《かるはずみ》の事をするな、曲った奴には逆《さから》うなよ」
という意見が一々胸に堪《こた》えて、孝助は唯《たゞ》へい/\有難うございますと泣々《なく/\》、
孝「殿様来月四日に中川へ釣《つり》に入《いら》っしゃると承わりましたが、此の間《あいだ》お嬢様がお亡くなり遊ばして間《ま》もない事でございますから、何《ど》うか釣をお止《や》め下さいますように、若《も》しもお怪我があってはいけませんから」
飯「釣が悪ければやめようよ、決して心配するな、今云った通り相川へ行ってやれよ」
孝「何方《どちら》へかお使《つかい》に参りますのですか」
飯「使《つかい》じゃアない、相川の娘が手前を見染めたから養子に行って遣《や》れ」
孝「へえ成程、相川様へどなたが御養子になりますのです」
飯「なアに手前が往《ゆ》くのだ」
孝「私《わたくし》はいやでございます」
飯「べらぼうな奴だ手前の身の出世になる事だ、是ほど結構な事はあるまい」
孝「私《わたくし》は何時《いつ》までも殿様の側に生涯へばり附いております、ふつゝかながら片時《へんじ》も殿さまのお側を放さずお置き下さい」
飯「そんな事を云っては困るよ、己《おれ》がもう請《う》けをした、金打《きんちょう》をしたから仕方がない」
孝「金打をなすッてもいけません」
飯「それじゃア己が相川に済まんから腹を切らんければならん」
孝「腹を切っても構いません」
飯「主人の言葉を背《そむ》くならば永《なが》の暇《いとま》を出すぞ」
孝「お暇に成っては何《なん》にもならん、そういう訳でございますならば、ちょっと一言《ひとこと》ぐらい斯《こ》う云う訳だと私《わたくし》にお話し下さっても宜《よろ》しいのに」
飯「それは己が悪かった、此の通り板の間へ手を突いて謝《あやま》るから行ってやれ」
孝「そう仰しゃるなら仕方がありませんから取極《とりき》めだけして置いて、身体は十年が間《あいだ》参りますまい」
飯「そんな事が出来るものか、翌日《あす》結納を取交《とりか》わす積りだ、向うでも来月初旬に婚礼を致す積りだ」
との事を聞いて孝助の考えまするに、己が養子にゆけば、お國と源次郎と両人で殿様を殺すに違いないから、今夜にも両人を槍《やり》で突殺《つきころ》し、其の場で己も腹掻切《かきゝ》って死のうか、そうすれば是が御主人様の顔の見納め、と思えば顔色《がんしょく》も青くなり、主人の顔を見て涙を流せば、
飯「解らん奴だな、相川へ参るのはそんなに厭《いや》か、相川はつい鼻の先の水道端だから毎日でも往来《ゆきき》の出来る所、何も気遣《きづか》う事はない、手前は気強いようでもよく泣くなア、男子《おとこ》たるべきものがそんな意気地《いくじ》がない魂ではいかんぞ」
孝「殿様私《わたくし》は御当家様へ三月五日に御奉公に参りましたが、外《ほか》に兄弟も親もない奴だと仰しゃって目を掛けて下さる、其の御恩の程は私は死んでも忘れは致しませんが、殿様はお酒を召上ると正体なく御寝《げし》なさる、又召上らなければ御寝なられません故、少し上《あが》って下さい、余りよく御寝なると、どんな英雄でも、随分悪者の為に如何《いか》なる目に逢うかも知れません、殿様決して御油断はなりません、私はそれが心配でなりません、それから藤田様から参りましたお薬は、どうか隔日《いちにちおき》に召上って下さい」
飯「なんだナ、遠国《えんごく》へでも行《ゆ》くような事を云って、そんな事は云わんでもいゝわ」
八
萩原の家《うち》で女の声がするから、伴藏が覗《のぞ》いて恟《びっく》りし、ぞっと足元から総毛立《そうけだ》ちまして、物をも云わず勇齋の所へ駆込《かけこ》もうとしましたが、怖いから先《ま》ず自分の家《うち》へ帰り、小さくなって寝てしまい、夜《よ》の明けるのを待兼《まちかね》て白翁堂の宅《うち》へやって参り、
伴「先生々々」
勇「誰だのウ」
伴「伴藏でごぜえやす」
勇「なんだのウ」
伴「先生一寸《ちょっと》こゝを明けて下さい」
勇「大層早く起きたのウ、お前《めえ》には珍らしい早起《はやおき》だ、待て/\今明けてやる」
と掛鐶《かきがね》を外《はず》し明けてやる。
伴「大層真暗《まっくら》ですねえ」
勇「まだ夜《よ》が明けきらねえからだ、それに己《おれ》は行灯《あんどう》を消して寝るからな」
伴「先生静かにおしなせえ」
勇「手前《てめえ》が慌《あわ》てゝいるのだ、なんだ何しに来た」
伴「先生萩原さまは大変ですよ」
勇「何《ど》うかしたか」
伴「何うかしたかの何《なん》のという騒ぎじゃございやせん、私《わっち》も先生も斯《こ》うやって萩原様の地面内《うち》に孫店《まごだな》を借りて、お互いに住《すま》っており、其の内でも私は尚《な》お萩原様の家来同様に畑をうなったり庭を掃いたり、使い早間《はやま》もして、嚊《かゝあ》は洒《すゝ》ぎ洗濯をしておるから、店賃《たなちん》もとらずに偶《たま》には小遣《こづかい》を貰ったり、衣物《きもの》の古いのを貰ったりする恩のある其の大切な萩原様が大変な訳だ、毎晩女が泊りに来ます」
勇「若くって独身者《ひとりもの》でいるから、随分女も泊りに来るだろう、併《しか》し其の女は人の悪いようなものではないか」
伴「なに、そんな訳ではありません、私《わっち》が今日用が有って他《ほか》へ行って、夜中《やちゅう》に帰《けえ》ってくると、萩原様の家《うち》で女の声がするから一寸《ちょっと》覗《のぞ》きました」
勇「わるい事をするな」
伴「するとね、蚊帳《かや》がこう吊《つ》ってあって、其の中に萩原様と綺麗な女がいて、其の女が見捨てゝくださるなというと、生涯見捨てはしない、仮令《たとい》親に勘当されても引取《ひきと》って女房にするから決して心配するなと萩原様がいうと、女が私《わたくし》は親に殺されてもお前《まえ》さんの側は放れませんと、互いに話しをしていると」
勇「いつまでもそんな所を見ているなよ」
伴「ところがねえ、其の女が唯《たゞ》の女じゃアないのだ」
勇「悪党か」
伴「なに、そんな訳じゃアない、骨と皮ばかりの痩《や》せた女で、髪は島田に結って鬢《びん》の毛が顔に下《さが》り、真青《まっさお》な顔で、裾《すそ》がなくって腰から上ばかりで、骨と皮ばかりの手で萩原様の首ったまへかじりつくと、萩原様は嬉しそうな顔をしていると其の側に丸髷《まるまげ》の女がいて、此奴《こいつ》も痩《やせ》て骨と皮ばかりで、ズッと立上《たちあが》って此方《こちら》へくると、矢張《やっぱり》裾が見えないで、腰から上ばかり、恰《まる》で絵に描《か》いた幽霊の通り、それを私《わっち》が見たから怖くて歯の根も合わず、家《うち》へ逃げ帰《けえ》って今まで黙っていたんだが、何《ど》ういう訳で萩原様があんな幽霊に見込まれたんだか、さっぱり訳が分りやせん」
勇「伴藏本当か」
伴「ほんとうか嘘かと云って馬鹿/\しい、なんで嘘を云いますものか、嘘だと思うならお前さん今夜行って御覧なせえ」
勇「己《おら》アいやだ、ハテナ昔から幽霊と逢引《あいびき》するなぞという事はない事だが、尤《もっと》も支那の小説にそういう事があるけれども、そんな事はあるべきものではない、伴藏嘘ではないか」
伴「だから嘘なら行って御覧なせえ」
勇「もう夜《よ》も明けたから幽霊なら居る気遣《きづか》いはない」
伴「そんなら先生、幽霊と一緒に寝れば萩原様は死にましょう」
勇「それは必ず死ぬ、人は生きている内は陽気盛んにして正しく清く、死ねば陰気盛んにして邪《よこしま》に穢《けが》れるものだ、それゆえ幽霊と共に偕老同穴《かいろうどうけつ》の契《ちぎり》を結べば、仮令《たとえ》百歳の長寿を保つ命も其のために精血《せいけつ》を減らし、必ず死ぬるものだ」
伴「先生、人の死ぬ前には死相《しそう》が出ると聞いていますが、お前さん一寸《ちょっと》行って萩原様を見たら知れましょう」
勇「手前も萩原は恩人だろう、己《おれ》も新三郎の親萩原新左衞門《しんざえもん》殿の代から懇意にして、親御《おやご》の死ぬ時に新三郎殿の事をも頼まれたから心配しなければならない、此の事は決して世間の人に云うなよ」
伴「えゝ/\嚊《かゝあ》にも云わない位な訳ですから、何《なん》で世間へ云いましょう」
勇「屹度《きっと》云うなよ、黙っておれ」
其の内に夜《よ》もすっかり明け放《はな》れましたから、親切な白翁堂は藜《あかざ》の杖をついて、伴藏と一緒にポク/\出懸けて、萩原の内へまいり、
「萩原氏《うじ》々々」
新「何方《どなた》様でございます」
勇「隣の白翁堂です」
新「お早い事、年寄は早起《はやおき》だ」
なぞと云いながら戸を引明《ひきあ》け
「お早う入らっしゃいました、何か御用ですか」
勇「貴方《あなた》の人相を見ようと思って来ました」
新「朝っぱらから何《なん》でございます、一つ地面内《うち》におりますから何時《いつ》でも見られましょうに」
勇「そうでない、お日さまのお上《あが》りになろうとする所で見るのが宜《よ》いので、貴方とは親御《おやご》の時分から別懇《べっこん》にした事だから」
と懐《ふところ》より天眼鏡《てんがんきょう》を取出して、萩原を見て。
新「なんですねえ」
勇「萩原氏、貴方は二十日《はつか》を待たずして必ず死ぬ相《そう》がありますよ」
新「へえ私《わたくし》が死にますか」
勇「必ず死ぬ、なか/\不思議な事もあるもので、どうも仕方がない」
新「へえそれは困った事で、それだが先生、人の死ぬ時はその前に死相の出るという事は予《か》ねて承わって居り、殊《こと》に貴方《あなた》は人相見の名人と聞いておりますし、又昔から陰徳《いんとく》を施《ほどこ》して寿命を全くした話も聞いていますが、先生どうか死なゝい工夫はありますまいか」
勇「其の工夫は別にないが、毎晩貴方の所へ来る女を遠ざけるより外《ほか》に仕方がありません」
新「いゝえ、女なんぞは来やアしません」
勇「そりゃアいけない、昨夜覗《のぞ》いて見たものがあるのだが、あれは一体何者です」
新「あなた、あれは御心配をなさいまする者ではございません」
勇「是程心配になる者はありません」
新「ナニあれは牛込の飯島という旗下《はたもと》の娘で、訳あってこの節は谷中の三崎村へ、米という女中と二人で暮しているも、皆《みん》な私《わたくし》ゆえに苦労するので、死んだと思っていたのに此の間図《はか》らず出逢い、其の後《のち》は度々《たび/\》逢引《あいびき》するので、私はあれを行《ゆ》く/\は女房に貰う積りでございます」
勇「飛んでもない事をいう、毎晩来る女は幽霊だがお前知らないのだ、死んだと思ったなら猶更《なおさら》幽霊に違いない、其のマア女が糸のように痩《や》せた骨と皮ばかりの手で、お前さんの首ッたまへかじり付くそうだ、そうしてお前さんは其の三崎村にいる女の家《うち》へ行った事があるか」
といわれて行った事はない、逢引したのは今晩で七日目ですが。というものゝ、白翁堂の話に萩原も少し気味が悪くなったゆえ顔色《がんしょく》を変え。
新「先生、そんなら是から三崎へ行って調べて来ましょう」
と家《うち》を立出《たちい》で、三崎へ参りて、女暮しで斯《こ》ういう者はないかと段々尋ねましたが、一向に知れませんから、尋ねあぐんで帰りに、新幡随院《しんばんずいゝん》を通り抜けようとすると、お堂の後《うしろ》に新墓《あらはか》がありまして、それに大きな角塔婆《かくとうば》が有って、その前に牡丹の花の綺麗な灯籠が雨ざらしに成ってありまして、此の灯籠は毎晩お米が点《つ》けて来た灯籠に違いないから、新三郎はいよ/\訝《おか》しくなり、お寺の台所へ廻り、
新「少々伺《うかゞ》いとう存じます、あすこの御堂《おどう》の後《うしろ》に新らしい牡丹の花の灯籠を手向《たむ》けてあるのは、あれは何方《どちら》のお墓でありますか」
僧「あれは牛込の旗下《はたもと》飯島平左衞門様の娘で、先達《さきだっ》て亡くなりまして、全体法住寺《ほうじゅうじ》へ葬むる筈《はず》のところ、当院は末寺《まつじ》じゃから此方《こちら》へ葬むったので」
新「あの側に並べてある墓は」
僧「あれはその娘のお附《つき》の女中で是も引続き看病疲れで死去いたしたから、一緒に葬られたので」
新「そうですか、それでは全く幽霊で」
僧「なにを」
新「なんでも宜《よろ》しゅうございます、左様なら」
と云いながら恟《びっく》りして家《うち》に駈け戻り此の趣《おもむき》を白翁堂に話すと、
勇「それはまア妙な訳で、驚いた事だ、なんたる因果な事か、惚れられるものに事を替えて幽霊に惚れられるとは」
新「何《ど》うもなさけない訳でございます、今晩もまたまいりましょうか」
勇「それは分らねえな、約束でもしたかえ」
新「へえ、あしたの晩屹度《きっと》来ると、約束をしましたから、今晩何《ど》うか先生泊って下さい」
勇「真平御免《まっぴらごめん》だ」
新「占いでどうか来ないようになりますまいか」
勇「占いでは幽霊の所置《しょち》は出来ないが、あの新幡随院の和尚は中々に豪《えら》い人で、念仏修業の行者で私も懇意だから手紙をつけるゆえ、和尚の所へ行って頼んで御覧」
と手紙を書いて萩原に渡す。萩原はその手紙を持ってやってまいり、
「何《ど》うぞ此の書面を良石《りょうせき》和尚様へ上げて下さいまし」
と、差出すと、良石和尚は白翁堂とは別ならぬ間柄ゆえ、手紙を見て直《すぐ》に萩原を居間へ通せば、和尚は木綿の座蒲団に白衣《はくえ》を着て、其の上に茶色の衣《ころも》を着て、当年五十一歳の名僧、寂寞《じゃくまく》としてちゃんと坐り、中々に道徳いや高く、念仏三昧という有様《ありさま》で、新三郎は自然《ひとりで》に頭が下《さが》る。
良「はい、お前が萩原新三郎さんか」
新「へえ粗忽《そこつ》の浪士萩原新三郎と申します、白翁堂の書面の通り、何《なん》の因果か死霊に悩まされ難渋《なんじゅう》を致しますが、貴僧の御法《ごほう》を以《もっ》て死霊を退散するようにお願い申します」
良「此方《こちら》へ来なさい、お前に死相が出たという書面だが、見てやるから此方へ来なさい、成程死ぬなア近々《きん/\》に死ぬ」
新「何《ど》うかして死なゝいように願います」
良「お前さんの因縁は深しい訳のある因縁じゃが、それをいうても本当にはせまいが、何しろ口惜《くやし》くて祟《たゝ》る幽霊ではなく、只《たゞ》恋しい/\と思う幽霊で、三世《せ》も四世も前から、ある女がお前を思うて生きかわり死にかわり、容《かたち》は種々《いろ/\》に変えて附纒《つきまと》うて居《い》るゆえ、遁《のが》れ難《がた》い悪因縁があり、どうしても遁れられないが、死霊除《よけ》のために海音如来《かいおんにょらい》という大切の守りを貸してやる、其の内に折角施餓鬼《せがき》をしてやろうが、其のお守《まもり》は金無垢《きんむく》じゃに依《よ》って人に見せると盗まれるよ、丈《たけ》は四寸二分で目方も余程あるから、慾の深い奴は潰《つぶ》しにしても余程の値《ねうち》だから盗むかも知れない、厨子《ずし》ごと貸すにより胴巻《どうまき》に入れて置くか、身体に脊負《せお》うておきな、それから又こゝにある雨宝陀羅尼経《うほうだらにぎょう》というお経をやるから読誦《どくじゅ》しなさい、此の経は宝を雨ふらすと云うお経で、是を読誦すれば宝が雨のように降るので、慾張《よくばっ》たようだが決してそうじゃない、是を信心すれば海の音という如来さまが降って来るというのじゃ、この経は妙月長者《みょうげつちょうじゃ》という人が、貧乏人に金を施《ほどこ》して悪い病の流行《はや》る時に救ってやりたいと思ったが、宝がないから仏の力を以《もっ》て金を貸してくれろと云った所が、釋迦《しゃか》がそれは誠に心懸《こゝろがけ》の尊《とうと》い事じゃと云って貸したのが即《すなわ》ちこのお経じゃ、又御札《おふだ》をやるから方々《ほう/″\》へ貼《は》って置いて、幽霊の入《はい》り所《どころ》のないようにして、そしてこのお経を読みなさい」
と親切の言葉に萩原は有がたく礼を述べて立帰《たちかえ》り、白翁堂に其の事を話し、それから白翁堂も手伝って其の御札を家《うち》の四方八方へ貼り、萩原は蚊帳《かや》を吊って其の中へ入り、彼《か》の陀羅尼経を読もうとしたが中々読めない。|曩謨婆帝
駄
《のうぼばぎゃばていばざらだら》、|婆
捏具灑耶《さぎゃらにりぐしゃや》、|怛陀
多野《たゝぎゃたや》、|怛
也陀
素噌閉《たにやたおんそろべい》、|跋捺
底《ばんだらばち》。|※
※阿左※阿左跛※《ぼうぎゃれいあしゃれいあしゃにれい》[#「目+(離れたくさかんむり/(罘-不)/冖/目)」、74-2][#「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」、74-2][#「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」、74-2][#「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」74-2]。何《なん》だか外国人の譫語《うわごと》の様で訳がわからない。其の中《うち》上野の夜《よ》の八ツの鐘《かね》がボーンと忍《しのぶ》ヶ岡《おか》の池に響き、向《むこう》ヶ岡《おか》の清水の流れる音がそよ/\と聞え、山に当る秋風の音ばかりで、陰々寂寞《いん/\せきばく》世間がしんとすると、いつもに変らず根津《ねづ》の清水の下《もと》から駒下駄《こまげた》の音高くカランコロン/\とするから、新三郎は心のうちで、ソラ来たと小さくかたまり、額《ひたい》から腮《あご》へかけて膏汗《あぶらあせ》を流し、一生懸命一心不乱に雨宝陀羅尼経《うほうだらにきょう》を読誦して居ると、駒下駄の音が生垣《いけがき》の元でぱったり止《や》みましたから、新三郎は止《よ》せばいゝに念仏を唱えながら蚊帳を出て、そっと戸の節穴から覗《のぞ》いて見ると、いつもの通り牡丹の花の灯籠を下げて米が先へ立ち、後《あと》には髪を文金の高髷《たかまげ》に結い上げ、秋草色染《あきくさいろぞめ》の振袖《ふりそで》に燃えるような緋縮緬《ひぢりめん》の長襦袢《ながじゅばん》、其の綺麗なこと云うばかりもなく、綺麗ほど猶《なお》怖く、これが幽霊かと思えば、萩原は此の世からなる焦熱地獄《しょうねつじごく》に落ちたる苦しみです、萩原の家《うち》は四方八方にお札が貼ってあるので、二人の幽霊が憶《おく》して後《あと》へ下《さが》り、
米「嬢さまとても入れません、萩原さんはお心変りが遊ばしまして、昨晩のお言葉と違い、貴方《あなた》を入れないように戸締りがつきましたから、迚《とて》も入ることは出来ませんからお諦め遊ばしませ、心の変った男は迚も入れる気遣《きづか》いはありません、心の腐った男はお諦めあそばせ」
と慰むれば、
嬢「あれ程迄にお約束をしたのに、今夜に限り戸締りをするのは、男の心と秋の空、変り果てたる萩原様のお心が情《なさけ》ない、米や、どうぞ萩原様に逢わせておくれ、逢わせてくれなければ私は帰らないよ」
と振袖を顔に当て、潜々《さめ/″\》と泣く様子は、美しくもあり又物凄《ものすご》くもなるから、新三郎は何も云わず、只《た》だ南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏。
米「お嬢様、あなたが是程までに慕うのに、萩原様にゃアあんまりなお方ではございませんか、若《も》しや裏口から這入《はい》れないものでもありますまい、入らっしゃい」
と手を取って裏口へ廻ったが矢張《やっぱり》這入られません。
九
飯島の家《うち》では妾のお國が、孝助を追出すか、しくじらするように種々《いろ/\》工夫を凝《こら》し、この事ばかり寝ても覚めても考えている、悪い奴だ。殿様は翌日御番《ごばん》でお出向《でむき》に成った後《あと》へ、隣家《となり》の源次郎がお早うと云いながらやって来ましたから、お國はしらばっくれて、
國「おや、いらっしゃいまし、引続きまして残暑が強く皆様御機嫌よろしゅう、此方《こちら》は風がよく入りますからいらっしゃいまし」
源次郎は小声になり、
「孝助は昨夜《ゆうべ》の事を喋《しゃべ》りはしないかえ」
國「いえサ、孝助が屹度《きっと》告口《つげぐち》をしますだろうと思いましたに、告口をしませんで、殿様に屋根瓦が落ちて頭へ当り怪我をしたと云ってね、其の時私《わたくし》は弓の折《おれ》で打《ぶ》たれたと云わなければよいと胸が悸動《どき/\》しましたが、あの事は何《なん》とも云いませんが、云わずにいるだけ訝《おか》しいではありませんか」
と小声で云って、態《わざ》と大声で、
國「お熱い事この節のように熱くっては仕方がありません」
又小声になり。
國「いえ、それに水道端の相川新五兵衞様の一人娘のお徳様が、宅《うち》の草履取の孝助に恋煩いをしているとサ、まア本当に茶人《ちゃじん》も有ったものですねえ、馬鹿なお嬢様だよ、それからあの相川の爺さんが汗をだく/\流しながら、殿様に願って孝助をくれろと頼むと、殿様も贔屓《ひいき》の孝助だから上げましょうと相談が出来まして、相川は帰りましたのですよ、そうして、今日は相川で結納の取交《とりかわ》せになるのですとさ」
源「それじゃア宜《よろ》しい、孝助が往《い》って仕舞えば仔細《しさい》はない」
國「いえサ、水道端の相川へ養子にやるのに、宅《うち》の殿様がお里に成《た》って遣《や》るのだからいけませんよ、そうすると、彼奴《あいつ》が此の家《うち》の息子の風《ふう》をしましょう、草履取でさえ随分ツンケンした奴だから、そうなれば屹度《きっと》この間の意趣《いしゅ》を返すに違いはありません、何《なん》でも彼奴が一件を立聞《たちぎき》したに違いないから、貴方《あなた》何《ど》うかして孝助奴《め》を殺して下さい」
源「彼奴は剣術が出来るから己《おれ》には殺せないよ」
國「貴方は何故《なぜ》そう剣術がお下手だろうねえ」
源「いゝや、それには旨い事がある、相川のお嬢には宅《うち》の相助《あいすけ》という若党が大層に惚れて居るから、彼《あれ》を旨く欺《だまか》し、孝助と喧嘩をさせて置き、後《あと》で喧嘩両成敗だから、己《おい》らの方で相助を追い出せば、伯父さんも義理で孝助を出すに違いないが、就《つ》いちゃア明日《あした》伯父様《さん》と一緒に帰って来ては困るが、孝助が独《ひとり》で先へ帰る訳には出来まいか」
國「それは訳なく出来ますとも、私《わたくし》が殿様に用がありますから先へ帰して下さいましといえば、屹度《きっと》先へ帰して下さるに違いはありませんから、大曲《おおまが》りあたりで待伏《まちぶ》せて彼奴《あいつ》をぽか/\お擲《なぐ》りなさい」
大声を出して、
國「誠におそう/\様で、左様なら」
源次郎は屋敷に帰ると直《すぐ》に男部屋へ参ると、相助は少し愚者《おろかもの》で、鼻歌でデロレンなどを唄っている所へ源次郎が来て、
源「相助、大層精が出るのう」
相「オヤ御二男《ごじなん》様、誠に日々お熱い事でございます、当年は別してお熱いことで」
源「熱いのう、其方《そち》は感心な奴だと常々兄上も褒《ほ》めていらっしゃる、主用《しゅよう》がなければ自用《じよう》を足し、少しも身体に隙《すき》のない男だと仰しゃっている、それに手前は国に別段親族《みより》もない事だから、当家が里になり、大した所ではないが相応な侍の家《うち》へ養子にやる積りだよ」
相「恐れ入ります、何《なん》ともはや誠にどうも恐れ入りますなア、殿様と申し貴方《あなた》と申し、不束《ふつゝか》な私《わたくし》をそれ程までに、これははや口ではお礼が述べきれましねえ、何ともヘイ分らなく有難うございます、それだが武士に成るにゃア私もいろはのいの字も知んねえもんだから誠に困るんで」
源「実は貴様も知っている水道端の相川のう、彼処《あすこ》にお徳という十八ばかりの娘があるだろう、貴様を彼処の養子に世話をしてやろうと兄上が仰しゃった」
相「これははやモウどうも、本当でごぜえますか、はやどうも、あのくれえなお嬢様は世間にはないと思います、頬辺《ほうぺた》などはぽっとして尻などがちま/\として、あのくれえな美《い》いお嬢様はたんとはありましねえ」
源「向うは高《たか》が寡《すけ》ないから、若党でも何《なん》でもよいから、堅い者なればというのだから、手前なれば極《ごく》よかろうとあらまし相談が整った所が、隣の草履取の孝助めが胡麻をすった為に、縁談が破談となってしまった、孝助が相川の男部屋へ行ってあの相助はいけない奴で、大酒飲《おおざけのみ》で、酒を飲むと前後を失ない、主人の見さかいもなく頭をぶち、女郎は買い、博奕《ばくち》は打ち、其の上盗人《ぬすっと》根性があると云ったもんだから、相川も厭気《いやき》になり、話が縺《もつ》れて、今度は到頭《とうとう》孝助が相川の養子になる事に極《きま》り、今日結納の取交《とりかわ》せだとよ、向うでは草履取でさえ欲しがるところだから、手前なれば真鍮《しんちゅう》でも二本さす身だから、きっと宜《よ》かったに違いはない、孝助は憎い奴だ」
相「なんですと、孝助が養子になると、憎《にッ》こい奴でごじいます、人の恋路《こいじ》の邪魔をすればッて、私《わたくし》が盗人根性があって、お負けに御主人の頭を打《にや》すと、何時《いつ》私が御主人の頭を打しました」
源「己《おれ》に理窟を云っても仕方がない」
相「残念、腹が立ちますよ、憎《にッ》こい孝助だ。只《たゞ》置きましねえ」
源「喧嘩しろ/\」
相「喧嘩しては叶《かな》いましねえ、彼奴《あいつ》は剣術《きんじゅつ》が免許《みんきょ》だから剣術は迚《とて》も及びましねえ」
源「それじゃア田中《たなか》の中間《ちゅうげん》の喧嘩の龜藏《かめぞう》という奴で、身体中疵《きず》だらけの奴がいるだろう、彼《あれ》と藤田《ふじた》の時藏《ときぞう》と両人《ふたり》に鼻薬をやって頼み、貴様と三人で、明日《あした》孝助が相川の屋敷から一人で出て来る所を、大曲りで打殺《ぶちころ》しても構わないから、ぽか/\擲《なぐ》りにして川へ投《ほう》りこめ」
相「殺すのは可愛相《かわいそう》だが、打《にや》してやりてえなア、だが喧嘩をした事が知れゝば何《ど》うなりますか」
源「そうさ、喧嘩をした事が知れゝば、己《おれ》が兄上にそう云うと、兄上は屹度《きっと》不届《ふとゞき》な奴、相助を暇《いとま》にしてしまうと仰しゃってお暇に成るだろう」
相「お暇に成っては詰《つま》りましねえ、止《よ》しましょう」
源「だがのう、此方《こちら》で貴様に暇を出せば、隣でも義理だから孝助に暇を出すに違いない、彼奴《あいつ》が暇になれば相川でも孝助は里がないから養子に貰う気遣《きづか》いはない、其の内此方では手前を先へ呼返《よびかえ》して相川へ養子にやる積《つもり》だ」
相「誠にお前様《めえさま》、御親切が恐れ入り奉ります」
というから、源次郎は懐中より金子《きんす》若干《いくらか》を取出し、
源「金子をやるから龜藏たちと一杯呑んでくれ」
相「これははや金子《けんす》まで、これ戴いてはすみましねえ、折角の思召《おぼしめ》しだから頂戴いたして置きます」
これから相助は龜藏と時藏の所へ往《ゆ》き此の事を話すと、面白半分にやッつけろと、手筈《てはず》の相談を取極《とりき》めました。さて飯島平左衞門はそんな事とは知らず、孝助を供につれ、御番からお帰りに成りました。
國「殿様今日は相川様の所へ孝助の結納でお出《い》でになりますそうですが、少しお居間の御用が有りますからお送り申したら、孝助は殿様よりお先へお帰し下さいまし、用が済み次第直《すぐ》に又お迎いに遣《つか》わしましょう」
という飯島は
「よし/\」
と孝助を連れて相川の宅《うち》へ参りましたが相川は極《ごく》小さい宅で、
孝「お頼み申します/\」
相「ドーレ、これ善藏や玄関に取次が有るようだ、善藏居ないか、何処《どこ》へ行ったんだ」
婆「あなた、善藏はお使いにおやり遊ばしたではありませんか」
相「己《おれ》が忘れた、牛込の飯島様がお出《い》でに成ったのかも知れない、煙草盆へ火を入れてお茶の用意をして置きな、多分孝助殿も一緒に来たかも知れないから、お徳に其の事を云いな、これ/\お前よく支度をして置け、己が出迎いをしよう」
と玄関まで出て参り、
相「これは殿様大分《だいぶ》お早くどうぞ直《すぐ》にお上《あが》りを願います、へい誠に此の通り見苦しい所孝助殿も、御挨拶は後《あと》でします」
相川はいそ/\と一人で喜び、コッツリと柱に頭を打付《ぶッつ》け、アイタヽ、兎に角此方《こちら》へと座敷へ通し、
「さて残暑お熱い事でございます、又昨日《さくじつ》は上《あが》りまして御無理を願ったところ、早速にお聞済《きゝず》み下され有がとう存じます」
飯「昨日はお草々《そう/\》を申しました、如何《いか》にもお急ぎなさいましたから御酒《ごしゅ》も上げませんで、大《おお》きにお草々申上げました」
相「あれから帰りまして娘に申し聞けまして、殿様がお承知の上孝助殿を聟《むこ》にとる事に極って、明日《あす》は殿様お立合の上で結納取交《とりかわ》せになると云いますと、娘は落涙《らくるい》をして悦びました、と云うと浮気の様ですが、そうではない、お父様《とっさま》を大事に思うからとは云いながら、只今まで御苦労を掛けましたと申しますから、早く丈夫にならなければいけない孝助殿が来るからと申して、直《すぐ》に薬を三服《ぶく》立付《たてつ》けて飲ませました、それからお粥《かゆ》を二膳半食べました、それから今日はナ娘がずっと気分が癒《なお》って、お父様こんなに見苦しい形《なり》でいては、孝助さまに愛想《あいそう》を尽かされるといけませんからというので、化粧をする、婆アもお鉄漿《はぐろ》を附けるやら大変です、私《わたくし》も最早《もはや》五十五歳ゆえ早く養子をして楽がしたいものですから、誠に耻入った次第でございますが、早速《さっそく》のお聞済《きゝず》み、誠に有難う存じます」
飯「あれから孝助に話しましたところ、当人も大層に悦び、私《わたくし》の様な不束者《ふつゝかもの》をそれ程までに思召《おぼしめ》し下さるとは冥加至極《みょうがしごく》と申してナ、大概《あらかた》当人も得心いたした様子でな」
相「いやもう、あの人は忠義だから否《いや》でも殿様の仰しゃる事なら唯《はい》と云って言う事を聞きます、あの位な忠義な人はない、旗下《はたもと》八万騎の多い中にも恐らくはあの位な者は一人もありますまい、娘がそれを見込みましたのだ、善藏はまだ帰らないか、これ婆ア」
婆「なんでございます」
相「殿様に御挨拶をしないか」
婆「御挨拶をしようと思っても、貴方《あなた》がせか/\している者だから御挨拶する間《ま》もありはしません、殿様、御機嫌様《さま》よう入《いら》っしゃいました」
飯「これは婆《ばあ》やア、お徳様が長い間《あいだ》御病気の所、早速の御全快誠にお目でたい、お前も心配したろう」
婆「お蔭様《かげさま》で、私《わたくし》はお嬢様のお少《ちい》さい時分からお側にいて、お気性も知って居りますのに何《なん》とも仰しゃらず、漸《やっ》と此の間分ったので殿様に御苦労をかけました、誠に有がとうございます」
相「善藏はまだ帰らないか、長いなア、お菓子を持って来い、殿様御案内の通り手狭でございますから、何かちょっと尾頭附《おかしらつき》で一献《こん》差上げたいが、まアお聞き下さい、此の通り手狭ですからお座敷を別にする事も出来ませんから、孝助殿も此処《こゝ》へ一緒にいたし、今日は無礼講《ぶれいこう》で御家来でなく、どうか御同席で御酒《ごしゅ》を上げたい、孝助は私《わたくし》が出迎えます」
飯「なに私《わたくし》が呼びましょう」
相「ナアニあれは私《わたくし》の大事な聟で、死水《しにみず》を取ってもらう大事な養子だから」
と立上《たちあが》り、玄関まで出迎え、
相「孝助殿誠に宜《よ》く、いつもお健《すこやか》に御奉公、今日はナ無礼講で、殿様の側で御酒、イヤなに酒は呑めないから御膳を一寸《ちょっと》上げたい」
孝「是は相川様御機嫌よろしゅう、承ればお嬢様は御不快の御様子、少しはお宜《よろ》しゅうございますか」
相「何を云うのだお前の女房をお嬢様だのお宜しいもないものだ」
飯「そんな事を云うと孝助が間《ま》を悪《わ》るがります、孝助折角の思召《おぼしめ》し、御免を蒙《こうむ》って此方《こちら》へ来い」
相「成程立派な男で、中々フウ、へえ、さて昨日は殿様に御無理を願い早速お聞済《きゝず》み下さいましたが、高《たか》は寡《すく》なし娘は不束《ふつゝか》なり、舅《しゅうと》は知っての通りの粗忽者《そこつもの》、実に何《なん》と云って取る所はないだろうが、娘がお前でなければならないと煩《わずら》う迄に思い詰めたというと、浮気なようだが然《そ》うではない、あれが七歳《なゝつ》の時母が死んで、それから十八まで私《わし》が育《そだ》った者だから、あれも一人の親だと大事に思い、お前の心がけのよい、優しく忠義な所を見て思い詰め病となった程だ、どうかあんな奴でも見捨てずに可愛《かわい》がってやっておくれ、私《わたし》は直《すぐ》にチョコ/\と隠居して、隅《すみ》の方《ほう》へ引込《ひっこ》んでしまうから、時々少々ずつ小遣《こづかい》をくれゝばいゝ、それから外《ほか》に何もお前に譲る物はないが、藤四郎吉光《とうしろうよしみつ》の脇差《わきざし》が有る、拵《こしら》えは野暮《やぼ》だが、それだけは私の家《うち》に付いた物だからお前に譲る積りだ、出世はお前の器量にある」
飯「そういうと孝助が困るよ、孝助も誠に有難い事だが、少し仔細があって、今年一ぱい私の側で奉公したいと云うのが当人の望《のぞみ》だから、どうか当年一ぱいは私の手元に置いて、来年の二月に婚礼をする事に致したい、尤《もっと》も結納だけは今日致して置きます」
相「へい来年の二月では今月が七月だから、七八九十十一十二正《しょう》二と今から八ヶ月間《あいだ》があるが、八ヶ月では質物《しつもつ》でも流れて仕舞うから、余り長いなア」
飯「それは深い訳が有っての事で」
相「成程、あゝ感服だ」
飯「お分りに成りましたか」
相「それだから孝助に娘の惚れるのも尤《もっと》もだ、娘より私が先へ惚れた、それは斯《こ》うでしょう、今年一ぱい貴方《あなた》のお側で剣術を習い、免許でも取るような腕に成る積りだろう、是《こ》れは然《そ》うなくてはならない、孝助殿の思うにはなんぼ自分が怜悧《りこう》でも器量があるにした処《ところ》が、少《すけ》なくも禄《ろく》のある所へ養子にくるのだから土産《みやげ》がなくてはおかしいと云うので、免許か目録の書付《かきつけ》を握って来る気だろう、それに違いない、あゝ感服、自分を卑下《ひげ》した所が偉いねえ」
孝「殿様、私《わたくし》は一寸《ちょっと》お屋敷へ帰って参ります」
相「行《ゆ》くのは御主用《ごしゅよう》だから仕方がないが、何もないが一寸《ちょっと》御膳を上げます少し待ってお呉れ、善藏まだか、長いのう、だが孝助殿、又直《すぐ》に帰って来るだろうが主用だから来られないかも知れないから、一寸奥の六畳へ行って徳に逢ってやっておくれ、徳が今日はお白粉《しろい》を粧《つ》けて待っていたのだから、お前に逢わないと粧けたお白粉が徒《むだ》になってしまう」
飯「そう仰しゃると孝助が間《ま》をわるがります」
相「兎に角アレサどうか一寸逢わせて」
飯「孝助あゝ仰しゃるものだから一寸お嬢様にお目通りして参れ、まだ此方《こちら》へ来ない間《うち》は、手前は飯島の家来孝助だ、相川のお嬢様の所へ御病気見舞に行《ゆ》くのだ、何をうじ/\している、お嬢様の御病気を伺《うかゞ》って参れ」
といわれ孝助は間を悪がってへい/\云っていると、
婆「此方《こちら》へどうぞ、御案内を致します」
とお徳の部屋へ連れて来る。
孝「これはお嬢様長らく御不快の処《ところ》、御様子は如何様《いかゞさま》でございますか、お見舞を申し上げます」
婆「孝助様どうかお目を掛けられて下さいまし、お嬢様孝助様が入らっしゃいましたよ、アレマア真赤《まっか》に成って、今まで貴方《あなた》が御苦労をなすったお方じゃアありませんか、孝助様がお出《い》でに成ったらお怨《うらみ》を云うと仰しゃったに、唯《たゞ》真赤に成ってお尻で御挨拶なすってはいけません」
孝「お暇《いとま》を申します」
と挨拶をして主人の所へ参り、
孝「一旦《いったん》御用を達《た》して、早く済みましたら又上《あが》ります」
相「困ったねえ、暗くなったが何が有るかえ」
孝「何がとは」
相「何サ提灯《ちょうちん》があるかえ」
孝「提灯は持って居ります」
相「何が無いと困るがあるかえ、何サ蝋燭《ろうそく》があるかえ、何有るとえ、そんなら宜《よろ》しい」
孝助は暇乞《いとまごい》をして相川の邸《やしき》を立出《たちい》で、大曲りの方を通れば、前に申した三人が待伏《まちぶせ》をして居るのだが、孝助の運が強かったと見え、隆慶橋《りゅうけいばし》を渡り、軽子坂《かるこざか》から邸《やしき》へ帰って来た。
孝「只今帰りました」
というからお國は驚いた。なんでも今頃は孝助が大曲り辺で、三人の中間《ちゅうげん》に真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀で打《ぶ》たれて殺されたろうと思っている所へ、平常《ふだん》の通りで帰って来たから、
國「おや/\どうして帰ったえ」
孝「貴方様《あなたさま》がお居間の御用があるから帰れと仰しゃったから帰って参りました」
國「何処《どこ》から何《ど》うお帰りだ」
孝「水道端を出て隆慶橋を渡り、軽子坂を上《あが》って帰って来ました」
國「そうかえ、私《わたし》ゃ又今日は相川様でお前を引留《ひきと》めて帰る事が出来まいと思ったから、御用は済ませて仕舞ったから、お前は直《すぐ》に殿様のお迎いに行《ゆ》っておくれ、そして若《も》しお前がお迎いに行《ゆ》かない間《うち》にお帰りになるかも知れないよ、お前外《ほか》の道を行《い》って、途中でお目に懸らないといけない、殿様は何時《いつ》でも大曲りの方をお通りになるから、あっちの方から行《ゆ》けば途中で殿様にお目に懸るかも知れない、直に行《い》っておくれ」
孝「へい、そんなら帰らなければよかった」
と再び屋敷を立出《たちい》で、大曲りへかゝると、中間《ちゅうげん》三人は手に/\真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を捻《ひね》くり待ちあぐんでいたのも道理、来《こ》ようと思う方《ほう》から来ないで、後《あと》の方から花菱《はなびし》の提灯《ちょうちん》を提《さ》げて来るのを見付け、慥《たしか》に孝助と思い、相助はズッと進んで、
相「やい待て」
孝「誰だ、相助じゃねえか」
相「おゝ相助だ、貴様と喧嘩しょうと思って待っていたのだ」
孝「何をいうのだ、唐突《だしぬけ》に、貴様と喧嘩する事は何もねえ」
相「汝《おの》れ相川様へ胡麻《ごま》アすりやアがって、己《おれ》の養子になる邪魔をした、そればかりでなくおれの事を盗人《ぬすっと》根性があると云やアがったろう、どう云う訳で胡麻を摺《す》って、手前《てめえ》があのお嬢様の処《ところ》へ養子に行《ゆ》こうとする、憎《にッこ》い奴、外《ほか》の事とは違う、盗人根性があると云ったから喧嘩するから覚悟しろ」
と争って居る横合《よこあい》から、龜藏が真鍮巻の木刀を持って、いきなり孝助の持っている提灯を叩き落す、提灯は地に落ちて燃え上る。
龜「手前《てまえ》は新参者の癖に、殿様のお気に入りを鼻に懸け、大手を振って歩きやアがる、一体《いってえ》貴様は気に入らねえ奴だ、この畜生め」
と云いながら孝助の胸《むな》ぐらを取る。孝助は此奴等《こいつら》は徒党《ととう》したのではないかと、透《すか》して向うを見ると、溝《どぶ》の縁《ふち》に今一人踞《しゃが》んで居るから、孝助は予《か》ねて殿様が教えて下さるには、敵手《あいて》の大勢の時は慌《あわ》てると怪我をする、寝て働くがいゝと思い、胸ぐらを取られながら、龜藏の油断を見て前袋《まえぶくろ》に手がかゝるが早いか、孝助は自分の体《からだ》を仰向《あおむ》けにして寝ながら、右の足を上げて龜藏の睾丸《きんたま》のあたりを蹴返《けかえ》せば、龜藏は逆筋斗《さかとんぼう》を打って溝《どぶ》の縁へ投げ付けられるを、左の方《ほう》から時藏相助が打ってかゝるを、孝助はヒラリと体《からだ》を引外《ひきはず》し、腰に差《さし》たる真鍮巻の木刀で相助の尻の辺《あたり》をドンと打《ぶ》つ。相助打《ぶ》たれて気が逆上《のぼ》せ上《あが》るほど痛く、眼も眩《くら》み足もすわらず、ヒョロ/\と遁出《にげだ》し溝《どぶ》へ駆け込む。時藏も打《ぶ》たれて同じく溝へ落ちたのを見て、
孝「やい、何をしやアがるのだ、サア何奴《どいつ》でも此奴《こいつ》でも来い飯島の家来には死んだ者は一疋《ぴき》も居ねえぞ、お印物《しるしもの》の提灯を燃やしてしまって、殿様に申訳《もうしわけ》がないぞ」
飯「まア/\もう宜《よろ》しい、心配するな」
孝「ヘイ、これは殿様どうしてこゝへ、私《わたくし》がこんなに喧嘩をしたのを御覧遊ばして、又私が失錯《しくじ》るのですかなア」
飯「相川の方《ほう》も用事が済んだから立帰《たちかえ》って来たところ、此の騒ぎ、憎い奴と思い、見ていて手前が負けそうなら己《おれ》が出て加勢をしようと思っていたが、貴様の力で追い散らして先《ま》ず宜《よ》かった、焼落《やけお》ちた提灯を持って供をして参れ」
と主従連立《つれだ》って屋敷へお帰りに成ると、お國は二度恟《びっく》りしたが、素知らぬ顔で此の晩は済んでしまい、翌朝《よくあさ》になると隣の源次郎が済《すま》してやってまいり、
源「伯父様お早うございます」
飯「いや、大分《だいぶ》お早いのう」
源「伯父様、昨晩大曲りで御当家の孝助と私共《わたくしども》の相助と喧嘩を致し、相助はさん/″\に打《う》たれ、ほう/\の体《てい》で逃げ帰りましたが、兄上が大層に怒り、怪《け》しからん奴だ、年甲斐もないと申して直《すぐ》に暇《いとま》を出しました、就《つ》いては喧嘩両成敗の譬《たとえ》の通り、御当家の孝助も定めてお暇になりましょう、家来の身分として私《わたくし》の遺恨《いこん》を以《もっ》て喧嘩などをするとは以ての外《ほか》の事ですから、兄の名代《みょうだい》で一寸《ちょっと》念の為《た》めにお届《とゞけ》にまいりました」
飯「それは宜《よろ》しい、昨晩《ゆうべ》のは孝助は悪くはないのだ、孝助が私の供をして提灯を持って大曲りへ掛ると、田中の龜藏、藤田の時藏お宅《うち》の相助の三人が突然《いきなり》に孝助に打ってかゝり、供前《ともまえ》を妨《さまた》ぐるのみならず、提灯を打落《うちお》とし、印物《しるしもの》を燃《もや》しましたから、憎い奴、手打にしようと思ったが、隣《となり》づからの中間《ちゅうげん》を切るでもないと我慢をしているうちに、孝助が怒《おこ》って木刀で打散《うちゝ》らしたのだから、昨夕《ゆうべ》のは孝助は少しも悪くはない、若《も》し孝助に遺恨があるならばなぜ飯島に届けん、供先《ともさき》を妨げ怪《け》しからん事だ、相助の暇に成るは当然《あたりまえ》だ、彼《あれ》は暇を出すのが宜《よろ》しい、彼奴《あいつ》を置いては宜しくありませんとお兄《あにい》さまに申し上げな、是から田中、藤田の両家へも廻文《かいぶん》を出して、時藏、龜藏も暇を出させる積りだ」
と云い放し、孝助ばかり残る事になりましたから、源次郎も当てが外《はず》れ、挨拶も出来ない位な始末で、何《なん》ともいう事が出来ず邸《やしき》へ帰りました。
十
さて彼《か》の伴藏は今年三十八歳、女房おみねは三十五歳、互《たがい》に貧乏世帯《じょたい》を張るも萩原新三郎のお蔭《かげ》にて、或時《あるとき》は畑を耘《うな》い、庭や表のはき掃除などをし、女房おみねは萩原の宅《たく》へ参り煮焚《にたき》洒《すゝ》ぎ洗濯やお菜《かず》ごしらえお給仕などをしておりますゆえ、萩原も伴藏夫婦には孫店《まごだな》を貸しては置けど、店賃《たなちん》なしで住まわせて、折々《おり/\》は小遣《こづかい》や浴衣《ゆかた》などの古い物を遣《や》り、家来同様使っていました。伴藏は懶惰《なまけ》ものにて内職もせず、おみねは独りで内職をいたし、毎晩八ツ九ツまで夜延《よなべ》をいたしていましたが、或晩《あるばん》の事絞《しぼ》りだらけの蚊帳《かや》を吊《つ》り、この絞りの蚊帳というは蚊帳に穴が明いているものですから、処々《ところ/″\》観世縒《かんじんより》で括《しば》ってあるので、其の蚊帳を吊り、伴藏は寝※《ねござ》[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、92-4]を敷き、独りで寝ていて、足をばた/\やっており、蚊帳の外では女房が頻《しき》りに夜延をしていますと、八ツの鐘がボンと聞え、世間はしんと致し、折々清水の水音が高く聞え、何《なん》となく物凄《ものすご》く、秋の夜風の草葉にあたり、陰々寂寞《いん/\せきばく》と世間が一体にしんと致しましたから、此の時は小声で話をいたしても宜《よ》く聞えるもので、蚊帳の中《うち》で伴藏が、頻りに誰《たれ》かとこそ/\話をしているに、女房は気がつき、行灯《あんどう》の下影《したかげ》から、そっと蚊帳の中《うち》を差覗《さしのぞ》くと、伴藏が起上《おきあが》り、ちゃんと坐り、両手を膝についていて、蚊帳の外には誰《だれ》か来て話をしている様子は、何《なん》だかはっきり分りませんが、何《ど》うも女の声のようだから訝《おか》しい事だと、嫉妬《やきもち》の虫がグッと胸へ込み上げたが、年若とは違い、もう三十五にもなる事ゆえ、表向《おもてむき》に悋気《りんき》もしかねるゆえ、余《あんま》りな人だと思っているうちに、女は帰った様子ゆえ何《なん》とも云わず黙っていたが、翌晩も又来てこそ/\話を致し、斯《こ》ういう事が丁度三晩の間続きましたので、女房ももう我慢が出来ません、ちと鼻が尖《とん》がらかッて来て、鼻息が荒くなりました。
伴「おみね、もう寝ねえな」
みね「あゝ馬鹿々々しいやね、八ツ九ツまで夜延をしてさ」
伴「ぐず/\いわないで早く寝ねえな」
みね「えい、人が寝ないで稼いでいるのに、馬鹿々々しいからサ」
伴「蚊帳の中へへいんねえな」
おみねは腹立《はらたち》まぎれにズッと蚊帳をまくって中へ入れば。
伴「そんな這入《へい》りようがあるものか、なんてえ這入《へい》りようだ、突立《つッた》って這入《へえ》ッちゃア蚊が這入《へえ》って仕ようがねえ」
みね「伴藏さん、毎晩お前の所へ来る女はあれはなんだえ」
伴「何《なん》でもいゝよ」
みね「何《なん》だかお云いなねえ」
伴「何でもいゝよ」
みね「お前はよかろうが私《わたし》ゃ詰らないよ、本当にお前の為に寝ないで齷齪《あくせく》と稼いでいる女房の前も構わず、女なんぞを引きずり込まれては、私のような者でも余《あんま》りだ、あれは斯《こ》ういう訳だと明かして云ってお呉れてもいゝじゃないか」
伴「そんな訳じゃねえよ、己《おれ》も云おう/\と思っているんだが、云うとお前《めえ》が怖がるから云わねえんだ」
みね「なんだえ怖がると、大方先の阿魔女《あまっちょ》が何《なん》かお前《まえ》に怖《こわ》もてゞ云やアがったんだろう、お前が嚊《かゝあ》があるから女房に持つ事が出来ないと云ったら、そんなら打捨《うっちゃ》って置かないとか何とかいうのだろう、理不尽《りふじん》に阿魔女《あまっちょ》が女房のいる所へどか/\入《へい》って来て話なんぞをしやアがって、もし刃物三昧《はものざんまい》でもする了簡《りょうけん》なら私はたゞは置かないよ」
伴「そんな者じゃアないよ、話をしても手前《てめえ》怖がるな、毎晩来る女は萩原様に極《ごく》惚れて通《かよ》って来るお嬢様とお附《つき》の女中だ」
みね「萩原様は萩原様の働きがあってなさる事だが、お前《まえ》はこんな貧乏世帯《びんぼうじょたい》を張っていながら、そんな浮気をして済むかえ、それじゃアお前が其のお附の女中とくッついたんだろう」
伴「そんな訳じゃないよ、実は一昨日《おとゝい》の晩おれがうと/\していると、清水の方から牡丹の花の灯籠を提《さ》げた年増《としま》が先へ立ち、お嬢様の手を引いてずっと己《おれ》の宅《うち》へ入《へえ》って来た所が、なか/\人柄のいゝお人だから、己のような者の宅へこんな人が来る筈《はず》はないがと思っていると、其の女が己の前《めえ》へ手をついて、伴藏さんとはお前《まえ》さまでございますかというから、私《わっち》が伴藏でごぜえやすと云ったら、あなたは萩原様の御家来かと聞くから、まア/\家来同様な訳でごぜえますというと、萩原様はあんまりなお方でございます、お嬢様が萩原様に恋焦《こいこが》れて、今夜いらっしゃいと慥《たしか》にお約束を遊ばしたのに、今はお嬢様をお嫌いなすって、入《い》れないようになさいますとは余《あんま》りなお方でございます、裏の小さい窓に御札が貼《は》ってあるので、どうしても這入《はい》ることが出来ませんから、お情《なさけ》に其の御札を剥《はが》してくださいましというから、明日《あした》屹度《きっと》剥して置きましょう、明晩《みょうばん》屹度お願い申しますと云ってずっと帰《けえ》った、それから昨日《きのう》は終日《いちにち》畠耘《はたけうな》いをしていたが、つい忘れていると、其の翌晩又来て、何故《なぜ》剥して下さいませんというから、違《ちげ》えねえ、ツイ忘れやした、屹度明日《あした》の晩剥がして置きやしょうと云ってそれから今朝畠へ出た序《ついで》に萩原様の裏手へ廻って見ると、裏の小窓に小さいお経の書いてある札が貼ってあるが、何《なに》してもこんな小さい所から這入ることは人間には出来る物ではねえが、予《かね》て聞いていたお嬢様が死んで、萩原様の所へ幽霊になって逢いに来るのがこれに相違ねえ、それじゃア二晩《ふたばん》来たのは幽霊だッたかと思うと、ぞっと身の毛がよだつ程怖くなった」
みね「あゝ、いやだよ、おふざけでないよ」
伴「今夜はよもや来《き》やアしめえと思っている所へ又来たア、今夜はおれが幽霊だと知っているから怖くッて口もきけず、膏汗《あぶらあせ》を流して固まっていて、おさえつけられるように苦しかった、そうすると未《ま》だ剥してお呉《く》んなさいませんねえ、何《ど》うしても剥しておくんなさいませんと、あなたまでお怨《うら》み申しますと、恐《おっ》かねえ顔をしたから、明日《あした》は屹度剥しますと云って帰《けえ》したんだ、それだのに手前《てめえ》に兎《と》や角《こ》う嫉妬《やきもち》をやかれちゃア詰らねえよ、己《おれ》は幽霊に怨みを受ける覚えはねえが、札を剥せば萩原様が喰殺《くいころ》されるか取殺《とりころ》されるに違《ちげ》えねえから、己はこゝを越してしまおうと思うよ」
みね「嘘をおつきよ、何《なん》ぼ何《なん》でも人を馬鹿にする、そんな事があるものかね」
伴「疑《うたぐ》るなら明日《あした》の晩手前《てめえ》が出て挨拶をしろ、己《おれ》は真平《まっぴら》だ、戸棚に入《へい》って隠れていらア」
みね「そんなら本当かえ」
伴「本当も嘘もあるものか、だから手前《てめえ》が出なよ」
みね「だッて帰る時には駒下駄の音がしたじゃアないか」
伴「そうだが、大層綺麗な女で、綺麗程尚《なお》怖いもんだ、明日《あした》の晩己《おれ》と一緒に出な」
みね「ほんとうなら大変だ、私《わたし》ゃいやだよう」
伴「そのお嬢様が振袖《ふりそで》を着て髪を島田に結上《ゆいあ》げ、極《ごく》人柄のいゝ女中が丁寧《ていねい》に、己《おれ》のような者に両手をついて、痩《やせ》ッこけた何《なん》だか淋しい顔で、伴藏さんあなた……」
みね「あゝ怖い」
伴「あゝ恟《びっく》りした、おれは手前《てめえ》の声で驚いた」
みね「伴藏さん、ちょいといやだよう、それじゃア斯《こ》うしておやりな、私達が萩原様のお蔭《かげ》で何《ど》うやらこうやら口を糊《すご》して居るのだから、明日《あした》の晩幽霊が来たらば、おまえが一生懸命になって斯うおいいな、まことに御尤《ごもっと》もではございますが、あなたは萩原様にお恨《うらみ》がございましょうとも、私共《わたくしども》夫婦は萩原様のお蔭で斯うやっているので、萩原様に万一《もしも》の事がありましては私共夫婦の暮し方が立ちませんから、どうか暮し方の付くようにお金を百両持って来て下さいまし、そうすれば屹度《きっと》剥《はが》しましょうとお云いよ、怖いだろうがお前は酒を飲めば気丈夫になるというから、私《わたし》が夜延《よなべ》をしてお酒を五合ばかり買っておくから、酔った紛《まぎ》れにそう云ったら何《ど》うだろう」
伴「馬鹿云え、幽霊に金があるものか」
みね「だからいゝやね、金をよこさなければお札を剥さないやね、それで金もよこさないでお札を剥さなけりゃア取殺《とりころ》すというような訳の分らない幽霊は無いよ、それにお前には恨《うらみ》のある訳でもなしさ、斯《こ》ういえば義理があるから心配はない、もしお金を持って来れば剥してやってもいゝじゃアないか」
伴「成程、あの位訳のわかる幽霊だから、そう云ったら得心して帰《けえ》るかも知れねえ、殊《こと》によると百両持って来るものだよ」
みね「持って来たらお札を剥しておやりな、お前考えて御覧、百両あればお前と私は一生困りゃアしないよ」
伴「成程、こいつは旨《うめ》え、屹度《きっと》持って来るよ、こいつは一番やッつけよう」
と慾というものは怖《おそろ》しいもので、明《あく》る日は日の暮れるのを待っていました。そうこうする内に日も暮れましたれば、女房は私《わたし》ゃ見ないよと云いながら戸棚へ入るという騒ぎで、彼是しているうち夜《よ》も段々と更《ふ》けわたり、もう八ツになると思うから、伴藏は茶碗酒でぐい/\引っかけ、酔った紛《まぎ》れで掛合う積りでいると、其の内八ツの鐘がボーンと不忍《しのばず》の池《いけ》に響いて聞えるに、女房は熱いのに戸棚へ入り、襤褸《ぼろ》を被《かぶ》って小さく成っている。伴藏は蚊帳の中《うち》にしゃに構えて待っているうち、清水のもとからカランコロン/\と駒下駄の音高く、常に変らず牡丹の花の灯籠を提《さ》げて、朦朧《もうろう》として生垣《いけがき》の外まで来たなと思うと、伴藏はぞっと肩から水をかけられる程怖気立《こわけだ》ち、三合呑んだ酒もむだになってしまい、ぶる/\慄《ふる》えながらいると、蚊帳の側へ来て、伴藏さん/\というから、
伴「へい/\お出《い》でなさいまし」
女「毎晩参りまして、御迷惑の事をお願い申して誠に恐れ入りますが、未《ま》だ今夜も御札が剥がれて居りませんので這入《はい》る事が出来ず、お嬢様がお憤《むず》かり遊ばし、私《わたくし》が誠に困りますから、どうぞ二人のものを不便《ふびん》と思召《おぼしめ》してあのお札を剥して下さいまし」
伴藏はガタ/\慄《ふる》えながら、
伴「御尤《ごもっとも》さまでございますけれども、私共《わたくしども》夫婦の者は、萩原様のお蔭様で漸《ようや》く其の日を送っている者でございますから、萩原様のお体《からだ》にもしもの事がございましては、私共夫婦のものが後《あと》で暮し方に困りますから、どうぞ後で暮しに困らないように百両の金を持って来て下さいましたらば直《すぐ》に剥しましょう」
と云うたびに冷たい汗を流し、やっとの思いで云いきりますと、両人は顔を見合せて、暫《しばら》く首を垂れて考えて居ましたが。
米「お嬢様、それ御覧《ごろう》じませ、此のお方にお恨《うらみ》はないのに御迷惑をかけて済まないではありませんか、萩原様はお心変りが遊ばしたのだから、貴方《あなた》がお慕《した》いなさるのはお冗《むだ》でございます、何《ど》うぞふッつりお諦《あきら》めあそばして下さい」
露「米や、私《わたし》ゃ何うしても諦める事は出来ないから、百目《ひゃくめ》の金子《きんす》を伴藏さんに上げて御札を剥がして戴《いたゞ》き、何うぞ萩原様のお側へやっておくれヨウ/\」
といいながら、振袖《ふりそで》を顔に押しあて潜々《さめ/″\》と泣く様子が実に物凄い有様《ありさま》です。
米「あなた、そう仰しゃいますが何うして私《わたくし》が百目の金子を持っておろう道理はございませんが、それ程までに御意《ぎょい》遊ばしますから、どうか才覚をして、明晩持ってまいりましょうが、伴藏さん、まだ御札の外《ほか》に萩原さまの懐《ふところ》に入れていらっしゃるお守《まもり》は、海音如来《かいおんにょらい》様という有難い御守《おまもり》ですから、それが有っては矢張《やッぱり》お側へまいる事が出来ませんから、何うか其の御守も昼の内にあなたの御工夫でお盗み遊ばして、外《ほか》へお取捨《とりすて》を願いたいものでございますが、出来ましょうか」
伴「へい/\御守を盗みましょうが、百両は何《ど》うぞ屹度《きっと》持って来てお呉んなせえ」
米「嬢様それでは明晩までお待ち遊ばせ」
露「米や又今夜も萩原様にお目にかゝらないで帰るのかえ」
と泣きながらお米に手を引かれてスウーと出て行《ゆ》きました。
十一
二十四日《か》は飯島様はお泊り番で、お國は只《たゞ》寝ても覚めても考えるには、どうがなして宮野邊《みやのべ》の次男源次郎と一つになりたい、就《つ》いては来月の四日に、殿様と源次郎と中川へ釣《つり》に行《ゆ》く約束がある故、源次郎に殿様を川の中へ突落《つきおと》させ、殺してしまえば、源次郎は飯島の家《うち》の養子になるまでの工夫は付いたものゝ、此の密談を孝助に立聞《たちぎ》かれましたから、どうがな工夫をして孝助に暇《いとま》を出すか、殿様のお手打《てうち》にでもさせる工夫はないかと、いろ/\と考え、終《しま》いには疲れてとろ/\仮寝《まどろ》むかと思うと、ふと目が覚めて、と見れば、二間《けん》隔《へだ》っている襖《ふすま》がスウーとあきます。以前は屋敷方《がた》にては暑中でも簾障子《すだれしょうじ》はなかったもので、縁側はやはり障子、中は襖で立て切ってありまするのが、サラ/\と開《あ》いたかと思うと、スラリ/\と忍び足で歩いて参り、又次のお居間の襖をスラリ/\と開けるから、お國はハテナ誰かまだ起きて居るかと思っていると、地袋《じぶくろ》の戸がガタ/\と音がしたかと思うと、錠《じょう》を明ける音がガチ/\と聞えましたから、ハテナと思う内スウーットンと襖をしめ、ピシャリ/\と裾《すそ》を引くような塩梅《あんばい》で台所の方へ出て行《ゆ》きますから、ハテ変な事だと思い、お國は気丈な女でありますから起上り、雪洞《ぼんぼり》を点《つ》け行《い》って見ると、誰もいないから、地袋の方を見ると戸が明け放してあって、お納戸縮緬《なんどちりめん》の胴巻が外の方へ流れ出して居たのに驚いて調べて見ると、殿様のお手文庫の錠前を捻切《ねじき》り、胴巻の中に有った百目《め》の金子《きんす》が紛失《ふんじつ》いたしたに、さては盗賊《どろぼう》かと思うと後《あと》が怖気立《こわけだ》って憶《おく》するもので、お國も一時《じ》驚いたが、忽《たちま》ち一計を考え出し、此の胴巻の金子の紛失したるを幸《さいわい》に、之《これ》を証拠として、孝助を盗賊《どろぼう》に落し、殿様にたきつけて、お手打にさせるか暇《ひま》を出すか、どの道かに仕ようと、其の胴巻を袂《たもと》に入れ置き、臥床《ふしど》に帰って寝てしまい、翌日になっても知らぬ顔をしており、孝助には弁当を持たせて殿様のお迎いに出してやり、其の後《あと》へ源助《げんすけ》という若党が箒《ほうき》を提《さ》げてお庭の掃除に出てまいりました。
國「源助どん」
源「へい/\お早うございます、いつも御機嫌よろしゅう、此の節は日中《にっちゅう》は大層いきれて凌《しの》ぎ兼ねます、今年のような酷《きび》しい事はございません、何《ど》うも暑中より酷しいようでございます」
國「源助どん、お茶がはいったから一杯飲みな」
源「へい有難うございます、お屋敷様は高台《たかだい》でございますから、余程風通しもよくて、へい御門は何うも悉《こと/″\》く熱うございまする、へい、これは何うも有難うございまする、私《わたくし》は御酒をいたゞきませんからお茶は誠に結構で、時々お茶を戴きまするのは何よりの楽《たのし》みでございまする」
國「源助どん、お前は八ヶ年前《ぜん》御当家へ来て中々正直者だが、孝助は三月の五日に当家へ御奉公に来たが、孝助は殿様の御意《ぎょい》に入《い》りを鼻にかけて、此の節は増長して我儘《わがまゝ》になったから、お前も一つ部屋にいて、時々は腹の立つ事もあるだろうねえ」
源「いえ/\何《ど》う致しまして、あの孝助ぐらいな善《よ》く出来た人間はございません、其の上殿様思いで、殿様の事と云うと気違《きちがい》のように成って働きます、年はまだ廿一だそうですが、中々届いたものでございます、そして誠に親切な事は私《わたくし》も感心致しました、先達《さきだっ》て私の病気の時も孝助が夜《よッ》ぴて寝ないで看病をしてくれまして、朝も眠《ね》むがらずに早くから起きて殿様のお供を致し、あの位な情合《じょうあい》のある男はないと私は実に感心をしております」
國「それだからお前は孝助に誑《ばか》されているのだよ、孝助はお前の事を殿様にどんなに胡麻をするだろう」
源「ヘエー胡麻をすりますか」
國「お前は知らないのかえ、此の間孝助が殿様に云付《いいつ》けるのを聞いていたら、源助は何《ど》うも意地が悪くて奉公がしにくい、一つ部屋にいるものだから、源助が新参ものと侮《あなど》り、種々《いろ/\》に苛《いじ》め、私《わたくし》に何も教えて呉れませんで仕損《しくじ》るようにばかり致し、お茶がはいって旨《おい》しい物を戴いても、源助が一人で食べて仕舞って私にはくれません、本当に意地の悪い男だというものだから、殿様もお腹をお立ち遊ばして、源助は年甲斐もない憎い奴だ、今に暇《いとま》を出そうと思っていると仰しゃったよ」
源「へい、これは何《ど》うも、孝助は途方もない事を云ったもので、これは何うも、私《わたくし》は孝助にそんな事をいわれる覚えはございません、おいしい物を沢山に戴いた時は、孝助殿お前は若いから腹が減るだろうと云って、皆《みん》な孝助にやって食べさせる位にしているのに何《なん》たる事でしょう」
國「そればかりじゃアないよ孝助は殿様の物を掠《くす》ねるから、お前孝助と一緒にいると今に掛り合いだよ」
源「へい何か盗《と》りましたか」
國「へいたッて、お前は何も知らないから今に掛り合いになるよ、慥《たし》かに殿様の物を取った事を私は知っているよ、私は先刻《さっき》から女部屋のものまで検《あらた》めている位だから、お前はちょっと孝助の文庫をこゝへ持って来ておくれ」
源「掛り合いに成っては困ります」
國「夫《それ》は私が宜《よ》いように殿様に申上げて置いたから、そっと孝助の文庫を持って来《き》な」
といわれて、源助はもとより人が好《い》いからお國に奸策《わるだくみ》あるとは知らず、部屋へ参りて孝助の文庫を持って参ってお國の前へ差出《さしいだ》すと、お國は文庫の蓋《ふた》を明け、中を検《あらた》める振《ふり》をしてそっと彼《か》のお納戸縮緬の胴巻を袂《たもと》から取出《とりだ》して中へズッと差込んで置いて。
國「呆《あき》れたよ、殿様の大事な品がこゝに入っているんだもの、今に殿様がお帰りの上で目張《めっぱ》りこで皆《みんな》の物を検《あらた》めなければ、私のお預《あずか》りの品が失《なく》なったのだから、私が済まないよ、屹度《きっと》詮議《せんぎ》を致します」
源「へい、人は見かけによらないものでございますねえ」
國「此の文庫を見た事を黙っておいでよ」
源「へい宜《よろ》しゅうございます」
と文庫を持って立帰《たちかえ》り、元の棚へ上げて置きました。すると八ツ時、今の三時半頃殿様がお帰りになりましたから、玄関まで皆々《みな/\》お出迎いをいたし、殿様は奥へ通りお褥《しとね》の上にお坐りなされたから、いつもならば出来立てのお供《そな》えのようにお國が側から団扇《うちわ》で扇《あお》ぎ立て、ちやほやいうのだが、いつもと違って欝《ふさ》いでいる故、
飯「お國大分《だいぶ》すまん顔をしているが、気分でも悪いのか、何《ど》うした」
國「殿様申訳《もうしわけ》のない事が出来ました、昨晩お留守に盗賊《どろぼう》がはいり、金子が百目《め》紛失《ふんじつ》いたしました、あのお納戸縮緬の胴巻に入れて置いたのを胴巻ぐるみ紛失いたしました、何《なん》でも昨晩の様子で見ると、台所口の障子が明いたようで、外《ほか》は締りは厳重にしてあって、誰も居りませんから、よく検《あらた》めますと、お居間の地袋の中にあるお文庫の錠前が捻切《ねじき》ってありました、それから驚いて毘沙門《びしゃもん》様に願《がん》がけをしたり、占者《うらないしゃ》に見て貰うと、これは内々《うち/\》の者が取ったに違いないと申しましたから、皆《みんな》の文庫や葛籠《つゞら》を検めようと思って居ります」
飯「そんな事をするには及ばない、内々の者に、百両の金を取る程の器量のある者は一人もいない、他《ほか》から這入《はい》った賊《ぞく》であろう」
國「それでも御門の締りは厳重に付けておりますし、只《たゞ》台所口が明いて居たのですから、内々の者を一《ひ》ト通り詮議をいたします、……アノお竹どん、おきみどん、皆《みんな》此方《こちら》へ来ておくれ」
竹「とんだ事でございました」
きみ「私《わたくし》はお居間などにはお掃除の外《ほか》参った事はございませんが、嘸《さぞ》御心配な事でございましょう、私なぞは昨晩の事はさっぱり存じませんでございます、誠に驚き入りました」
飯「手前達を疑ぐる訳ではないが、おれが留守で、國が預り中の事ゆえ心配をいたしているものだから」
女中は
「恐れ入ります、どうぞお検《あらた》め下さいまし」
と銘々《めい/\》葛籠《つゞら》を縁側へ出す。
飯「たけの文庫には何《ど》ういう物が入っているか見たいナ成程たまかな女だ、一昨年《おとゝし》遣《つか》わした手拭《てぬぐい》がチャンとしてあるな、女という者は小切《こぎれ》の端でもチャンと畳紙《たとう》へいれて置く位でなければいかん、おきみや、手前の文庫を一ツ見てやるから此処《こゝ》へ出せ」
君「私《わたくし》のは何《ど》うぞ御免あそばして、殿様が直《じか》に御覧あそばさないで下さい」
飯「そうはいかん、竹のを検《あらた》めて手前のばかり見ずにいては怨《うら》みッこになる」
君「どうぞ御勘弁恐れ入ります」
飯「何も隠す事はない、成程、ハヽア大層枕草紙《まくらぞうし》をためたな」
君「恐れ入ります、貯《た》めたのではございません、親類内《うち》から到来をいたしたので」
飯「言訳《いいわけ》をするな、着物が殖《ふえ》ると云うから宜《い》いわ」
國「アノ男部屋の孝助と源助の文庫を検《あらた》めて見とうございます、お竹どん一寸《ちょっと》二人を呼んでおくれ」
竹「孝助どん、源助どん、殿様のお召《めし》でございますよ」
源「へい/\お竹どんなんだえ」
竹「お金が百両紛失《ふんじつ》して、内々《うち/\》の者へお疑いがかゝり、今お調べの所だよ」
源「何処《どこ》から這入《はい》ったろう、何しろ大変な事だ、何しろ行って見よう」
と両人飯島の前へ出て来て、
源「承わり恟《びっく》り致しました、百両の金子《きんす》が御紛失《ごふんじつ》になりましたそうでございますが、孝助と私《わたくし》と御門を堅く守って居りましたに、何《ど》ういう事でございましょう、嘸《さぞ》御心配な事で」
飯「なに國が預り中で、大層心配をするから一寸《ちょっと》検《あらた》めるのだ」
國「孝助どん、源助どん、お気の毒だがお前方二人は何《ど》うも疑《うたぐ》られますよ、葛籠《つゞら》をこゝへ持ってお出《い》で」
源「お検《あらた》めを願います」
國「これ切《ぎ》りかえ」
源「一切合切《さいがっさい》一世帯《ひとしょたい》是切《これぎ》りでございます」
國「おや/\まア、着物を袖畳《そでだゝ》みにして入れて置くものではないよ、ちゃんと畳んでお置きな、これは何《なん》だえ、ナニ寝衣《ねまき》だとえ、相変らず無性《ぶしょう》をして丸めて置いて穢《きた》ないねえ、此の紐《ひも》は何だえ、虱紐《しらみひも》だとえ、穢《きたな》いねえ、孝助どんお前のをお出し、此の文庫切りか」
と是から段々ひろちゃくいたしましたが、元より入れて置いた胴巻ゆえ有るに違いない。お國はこれ見よがしに団扇《うちわ》の柄《え》に引掛《ひっか》けて、すッと差上げ、
國「おい孝助どん此の胴巻は何《ど》うしてお前の文庫の中に入っていたのだ」
孝「おや/\/\、さっぱり存じません、何う致したのでしょう」
國「おとぼけでないよ、百両のお金が此の胴巻ぐるみ紛失《ふんじつ》したから、御神鬮《おみくじ》の占《うらない》のと心配をしているのです、是が失《な》くなっては何うも私が殿様に済まないからお金を返しておくれよ」
孝「私《わたくし》は取った覚えはありません、どんな事が有っても覚えはありません、へい/\何ういう訳で此の胴巻が入っていたか存じません、へえ」
國「源助どん、お前は一番古く此のお屋敷にいるし、年かさも多い事だから、これは孝助どんばかりの仕業《しわざ》ではなかろう、お前と二人で心を合せてした事に違いない、源助どんお前から先へ白状しておしまい」
源「これは、私《わたくし》はどうも、これ孝助々々、どうしたんだ、己《おれ》が迷惑を受けるだろうじゃないか、私は此のお屋敷に八ヶ年も御奉公をして、殿様から正直と云われているのに年嵩《としかさ》だものだから御疑念《ごぎねん》を受ける、孝助どうしたか云わねえか」
孝「私《わたくし》は覚えはないよ」
源「覚えはないといったって、胴巻の出たのは何《ど》うしたのだ」
孝「何うして出たか私《わたくし》ゃ知らないよ、胴巻は自然《ひとりで》に出て来たのだもの」
國「自然《ひとりで》に出たと云ってすむかえ、胴巻の方から文庫の中へ駆込《かけこ》むやつがあるものか、そら/″\しい、そんな優しい顔つきをして本当に怖い人だよ、恩も義理も知らない犬畜生とはお前の事だ、私が殿様にすまない」
と孝助の膝をグッと突く。
孝「何をなさいます、私《わたくし》は覚えはございません、どんな事が有っても覚えはございません/\」
國「源助どん、お前から先へ白状おしよ」
源「孝助、己《おれ》が困る、己が智慧《ちえ》でも付けたようにお疑ぐりがかゝり、困るから早く白状しろよ」
孝「私《わたくし》ゃ覚えはない、そんな無理な事を云ってもいけないよ、外《ほか》の事と違って、大《だい》それた、家来が御主人様のお金を百両取ったなんぞと、そんな覚えはない」
源「覚えがないと計《ばか》り云っても、それじゃア胴巻の出た趣意が立たねえ、己まで御疑念がかゝり困るから、早く白状して殿様の御疑念を晴《はら》してくれろ」
とこづかれて、孝助は泣きながら、只《たゞ》残念でございますと云っていると、お國は先夜《せんや》の意趣を晴《はら》すは此の時なり、今日こそ孝助が殿様にお手打になるか追出《おいだ》されるかと思えば、心地よく、わざと
「孝助どん云わないか」
と云いながら力に任せて孝助の膝をつねるから、孝助は身にちっとも覚えなき事なれど、証拠があれば云い解く術《すべ》もなく、口惜涙《くやしなみだ》を流し、
孝「痛《いと》うございます、どんなに突かれても抓《つね》られても、覚えのない事は云いようがありません」
國「源助どん、お前から先へ云ってしまいな」
源「孝助云わねえか」
と云いながらドンと突飛《つきと》ばす。
孝「何を突き飛ばすのだね」
源「いつまでも云わずにいちゃア己が迷惑する、云いなよ」
と又突飛ばす。孝助は両方から抓ねられ突飛ばされたりして、残念で堪《たま》らない。
孝「突き飛ばしたって覚えはない、お前もあんまりだ、一つ部屋にいて己の気性も知っているじゃアないか、お庭の掃除をするにも草花一本も折らないように気を附け、釘一本落ちていても直《すぐ》に拾って来て、お前に見せるようにしているじゃアないか、己《おい》らの心も知っていながら、人を盗賊《どろぼう》と疑ぐるとは余《あんま》り酷《ひど》いじゃアないか、そんなにキャア/\いうと殿様までが私《わたくし》を疑ぐります」
始終を聞いていた飯島は大声を上げて、
飯「黙れ孝助、主人の前も憚《はゞ》からず大声《おおごえ》を発して怪《け》しからぬ奴、覚えがなければ何《ど》うして胴巻が貴様の文庫の中《うち》に有ったか、それを申せ、何うして胴巻があった」
孝「何うして有りましたか、さっぱり存じません」
飯「只《たゞ》存ぜぬ知らんと云って済むと思うかえ、不埓《ふらち》な奴だ、己《おれ》が是程目を懸けてやるにサ、其の恩義を打忘《うちわす》れ、金子を盗むとは不届《ふとゞき》ものめ、手前ばかりではよもあるまい、外《ほか》に同類があるだろう、さア申訳《もうしわけ》が立たんければ手打にしてしまうから左様心得ろ」
と云放《いいはな》つ。源助は驚いて、
源「どうかお手打の処《ところ》は御勘弁を願います、へい又何者にか騙《だま》されましたか知れませんから、篤《とく》と源助が取調べ御挨拶を申上げまする迄《まで》お手打の処はお日延《ひのべ》を願いとう存じます」
飯「黙れ源助、さような事を申すと手前まで疑念が懸るぞ、孝助を構い立てすると手前も手打にするから左様心得ろ」
源「これ孝助、お詫《わび》を願わないか」
孝「私《わたくし》は何もお詫をするような不埓をした事はない、殿様にお手打になるのは有難い事だ、家来が殿様のお手に掛って死ぬのは当然《あたりまえ》の事だ、御奉公に来た時から、身体は元より命まで殿様に差上げている気だから、死ぬのは元より覚悟だけれど、是まで殿様の御恩に成った其の御恩を孝助が忘れたと仰しゃった殿様のお言葉、そればかりが冥途《よみじ》の障《さわ》りだ、併《しか》し是も無実の難で致し方がない、後《あと》で其の金を盗んだ奴が出て、あゝ孝助が盗んだのではない、孝助は無実の罪であったという事が分るだろうから、今お手打に成っても構わない、さア殿様スッパリとお願い申します、お手打になさいまし」
と摩《す》り寄ると、
飯「今は日のあるうち血を見せては穢《けが》れる恐れがあるから、夕景になったら手打にするから、部屋へ参って蟄居《ちっきょ》しておれ、これ源助、孝助を取逃《とりに》がさんように手前に預けたぞ」
源「孝助お詫を願え」
孝「お詫する事はない、お早くお手打を願います」
飯「孝助よく聞け、匹夫《ひっぷ》下郎《げろう》という者は己《おのれ》の悪い事を余所《よそ》にして、主人を怨《うら》み、酷《むご》い分らんと我《が》を張って自《みず》から舌なぞを噛み切り、或《あるい》は首をくゝって死ぬ者があるが、手前は武士の胤《たね》だという事だから、よも左様な死にようは致すまいな、手打になるまで屹度《きっと》待っていろ」
と云われて孝助は口惜涙《くやしなみだ》の声を慄《ふる》わせ、
孝「そんな死にようは致しません、早くお手打になすって下さいまし」
源「これ孝助お詫びを願わないか」
孝「どうしても取った覚えはない」
源「殿様は荒い言葉もお掛なすった事もなかったが大枚《だいまい》の百両の金が紛失《ふんじつ》したので、金ずくだから御尤《ごもっと》もの事だ、お隣の宮野邊の御次男様にお頼み申し、お詫言《わびごと》を願っていたゞけ」
孝「隣の次男なんぞに、たとえ舌を喰って死んでも詫言なぞは頼まねえ」
源「そんなら相川様へ願え、新五兵衞様へサ」
孝「何も失錯《しくじり》の廉《かど》がないものを、何も覚えがないのだから、あとで金の盗人《ぬすみて》が知れるに違いない、天《てん》誠《まこと》を照《てら》すというから、其の時殿様が御一言でも、あゝ孝助は可愛相《かわいそう》な事をしたと云って下されば、そればっかりが私《わたくし》への好《よ》い手向《たむけ》だ、源助どん、お前にも長らく御厄介になったから、相川様へ養子に行《ゆ》くように成ったら、小遣《こづかい》でも上げようと心懸けていたのも、今となっては水の泡、どうぞ私《わたし》がない後《のち》は、お前が一人で二人前《ふたりまえ》の働きをして、殿様を大切に気を付け、忠義を尽《つく》して上げて下さい、そればかりがお願いだ、それに源助どんお前は病身だから体《からだ》を大切《だいじ》に厭《いと》って御奉公をし、丈夫でいておくれ、私は身に覚えのない盗賊《どろぼう》におとされたのが残念だ」
と声を放って泣き伏しましたから、源助も同じく鼻をすゝり、涙を零《こぼ》して眼を擦《こす》りながら、
源「わび事を頼めよ/\」
孝「心配おしでないよ」
と孝助はいよ/\手打になる時は、隣の次男源次郎とお國と姦通し、剰《あまつさ》え来月の四日中川で殿様を殺そうという巧《たく》みの一伍一什《ぶしゞゅう》を委《くわ》しく殿様の前へ並べ立て、そしてお手打になろうという気でありますから、少しも憶《おく》する色もなく、平常《ふだん》の通りで居る。其の内に灯《あかり》がちら/\点《つ》く時刻と成りますと、飯島の声で、
「孝助庭先へ廻れ」
という。此の後《あと》は何《ど》うなりますか、次囘《つぎ》までお預《あずか》り。
十二
伴藏の家《うち》では、幽霊と伴藏と物語をしているうち、女房おみねは戸棚に隠れ、熱さを堪《こら》えて襤褸《ぼろ》を被《かぶ》り、ビッショリ汗をかき、虫の息をころして居るうちに、お米は飯島の娘お露の手を引いて、姿は朦朧《もうろう》として掻消《かきけ》す如く見えなく成りましたから、伴藏は戸棚の戸をドン/\叩き、
伴「おみね、もう出なよ」
みね「まだ居やアしないかえ」
伴「帰《けえ》ってしまった、出ねえ/\」
みね「何《ど》うしたえ」
伴「何うにも斯《こ》うにも己《おれ》が一生懸命に掛合ったから、飲んだ酒も醒《さ》めて仕舞った、己《おら》ア全体《ぜんてい》酒さえのめば、侍《さむれえ》でもなんでも怖《おっ》かなくねえように気が強くなるのだが、幽霊が側へ来たかと思うと、頭から水を打ちかけられるように成って、すっかり酔《よい》も醒め、口もきけなくなった」
みね「私が戸棚で聞いていれば、何《なん》だかお前と幽霊と話をしている声が幽《かす》かに聞えて、本当に怖かったよ」
伴「己《おれ》は幽霊に百両の金を持って来ておくんなせえ、私《わっち》ども夫婦は萩原様のお蔭《かげ》で何《ど》うやら斯《こ》うやら暮しをつけて居ります者ですから、萩原様に万一《もしも》の事が有りましては私共《わたくしども》夫婦は暮し方に困りますから、百両のお金を下さったなら屹度《きっと》お札を剥《はが》しましょうというと、幽霊は明日《あした》の晩お金を持って来ますからお札を剥してくれろ、それに又萩原様の首に掛けていらっしゃる海音如来の御守《おまもり》があっては入る事が出来ないから、どうか工夫をして其のお守を盗み、外《ほか》へ取捨てゝ下さいと云ったは、金無垢《きんむく》で丈《たけ》は四寸二分の如来様だそうだ、己も此の間お開帳の時ちょっと見たが、あの時坊さんが何か云ってたよ、抑《そ》も何《なん》とかいったっけ、あれに違《ちげ》えねえ、何《なん》でも大変な作物《さくもの》だそうだ、あれを盗むんだが、どうだえ」
かね「どうも旨いねえ、運が向いて来たんだよ、其の如来様はどっかへ売れるだろうねえ」
伴「何《ど》うして江戸ではむずかしいから、何所《どこ》か知らない田舎へ持って行って売るのだなア、仮令《たとい》潰《つぶ》しにしても大《たい》したものだ、百両や二百両は堅いものだ」
みね「そうかえ、まア二百両あれば、お前と私と二人ぐらいは一生楽に暮すことが出来るよ、それだからねえ、お前一生懸命でおやりよ」
伴「やるともさ、だが併《しか》し首にかけているのだから、容易に放すまい、何《ど》うしたら宜《よ》かろうナ」
みね「萩原様は此の頃お湯にも入らず、蚊帳《かや》を吊りきりでお経を読んでばかりいらっしゃるものだから、汗臭いから行水をお遣《つか》いなさいと云って勧《すゝ》めて使わせて、私が萩原様の身体を洗っているうちにお前がそっとお盗みな」
伴「成程旨《うめ》えや、だが中々外へは出まいよ」
みね「そんなら座敷の三畳の畳を上げて、あそこで遣わせよう」
と夫婦いろ/\相談をし、翌日湯を沸かし、伴藏は萩原の宅《うち》へ出掛けて参り、
伴「旦那え、今日は湯を沸かしましたから行水をお遣いなせえ、旦那をお初《はつ》に遣わせようと思って」
新「いや/\行水はいけないよ、少し訳があって行水は遣えない」
みね「旦那此の熱いのに行水を遣わないで毒ですよ、お寝衣《ねめし》も汗でビッショリになって居りますから、お天気ですから宜《よ》うございますが、降りでもすると仕方がありません、身体のお毒になりますからお遣いなさいよ」
新「行水は日暮方表で遣うもので、私《わたくし》は少し訳があって表へ出る事の出来ない身分だからいけないよ」
伴「それじゃアあすこの三畳の畳を上げてお遣《つけ》えなせえ」
新「いけないよ、裸になる事だから、裸になる事は出来ないよ」
伴「隣の占者《うらない》の白翁堂先生がよくいいますぜ、何《なん》でも穢《きたな》くして置くから病気が起ったり幽霊や魔物などが這入《はい》るのだ、清らかにしてさえ置けば幽霊なぞは這入られねえ、じゞむさくして置くと内から病が出る、又穢くして置くと幽霊がへいって来ますよ」
新「穢くして置くと幽霊が這入って来るか」
伴「来る所《どころ》じゃアありません両人《ふたり》で手を引いて来ます」
新「それでは困る、内で行水を遣うから三畳の畳を上げてくんな」
というから、伴藏夫婦はしめたと思い、
伴「それ盥《たらい》を持って来て、手桶《ておけ》へホレ湯を入れて来い」
などと手早く支度をした。萩原は着物を脱ぎ捨て、首に掛けているお守《まもり》を取りはずして伴藏に渡し、
新「これは勿体《もったい》ないお守だから、神棚へ上げて置いてくんな」
伴「へい/\、おみね、旦那の身体を洗って上げな、よく丁寧《ていねい》にいゝか」
みね「旦那様此方《こちら》の方をお向きなすっちゃアいけませんよ、もっと襟《えり》を下の方へ延ばして、もっとズウッと屈《こゞ》んでいらっしゃい」
と襟を洗う振《ふり》をして伴藏の方を見せないようにしている暇《ひま》に、伴藏は彼《か》の胴巻をこき、ズル/\と出して見れば、黒塗《くろぬり》光沢消《つやけ》しのお厨子《ずし》で、扉を開《ひら》くと中はがたつくから黒い絹で包《くる》んであり、中には丈《たけ》四寸二分、金無垢《きんむく》の海音如来、そっと懐中へ抜取《ぬきと》り、代り物がなければいかぬと思い、予《か》ねて用心に持って来た同じような重さの瓦の不動様を中へ押込《おしこ》み、元の儘《まゝ》にして神棚へ上げ置き、
伴「おみねや長いのう、余《あんま》り長く洗っているとお逆上《のぼせ》なさるから、宜《い》い加減にしなよ」
新「もう上がろう」
と身体を拭《ふ》き、浴衣《ゆかた》を着、あゝ宜《い》い心持《こゝろもち》になった。と着た浴衣は経帷子《きょうかたびら》、使った行水は湯灌《ゆかん》となる事とは、神ならぬ身の萩原新三郎は、誠に心持よく表を閉めさせ、宵《よい》の内から蚊帳《かや》を吊り、其の中で雨宝陀羅尼経《うほうだらにきょう》を頻《しき》りに読んで居ります。此方《こちら》は伴藏夫婦は、持ちつけない品を持ったものだからほく/\喜び、宅《うち》へ帰りて、
みね「お前立派な物だねえ、中々高そうな物だよ」
伴「なに己《お》らたちには何《なん》だか訳が分らねえが、幽霊は此奴《こいつ》があると這入《へい》られねえという程な魔除《まよけ》のお守《まもり》だ」
みね「ほんとうに運が向いて来たのだねえ」
伴「だがのう、此奴《こいつ》があると幽霊が今夜百両の金を持って来ても、己《おれ》の所へ這入《へい》る事が出来めえが、是にゃア困った」
みね「それじゃアお前出掛けて行って、途中でお目に懸ってお出《い》でな」
伴「馬鹿ア云え、そんな事が出来るものか」
みね「どっかへ預けたら宜《よ》かろう」
伴「預けなんぞして、伴藏の持物《もちもの》には不似合だ、何《ど》ういう訳でこんな物を持っていると聞かれた日にゃア盗んだ事が露顕して、此方《こっち》がお仕置《しおき》に成ってしまわア、又質に置くことも出来ず、と云って宅《うち》へ置いて、幽霊が札が剥がれたから萩原様の窓から這入《へい》って、萩原様を喰殺《くいころ》すか取殺《とりころ》した跡をあらためた日にゃア、お守が身体にないものだから、誰《たれ》か盗んだに違《ちげ》えねえと詮議になると、疑《うたぐ》りのかゝるは白翁堂か己《おれ》だ、白翁堂は年寄の事で正直者だから、此方《こっち》はのっけに疑ぐられ、家捜《やさが》しでもされてこれが出ては大変だから何《ど》うしよう、これを羊羹箱《ようかんばこ》か何かへ入れて畑へ埋めて置き、上へ印の竹を立てゝ置けば、家捜しをされても大丈夫だ、そこで一旦身を隠して、半年か一年も立って、ほとぼりの冷めた時分帰《けえ》って来て掘出《ほりだ》せば大丈夫知れる気遣《きづかい》はねえ」
みね「旨い事ねえ、そんなら穴を深く掘って埋めてお仕舞いよ」
と、直《すぐ》に伴藏は羊羹箱の古いのに彼《か》の像を入れ、畑へ持出《もちだ》し土中《どちゅう》へ深く埋めて、其の上へ目標《めじるし》の竹を立置《たてお》き立帰《たちかえ》り、さアこれから百両の金の来るのを待つばかり、前祝いに一杯やろうと夫婦差向《さしむか》いで互《たがい》に打解《うちと》け酌交《くみかわ》し、最《も》う今に八ツになる頃だからというので、女房は戸棚へ這入《はい》り、伴藏一人酒を飲んで待っているうちに、八ツの鐘が忍ヶ岡に響いて聞えますと、一際《きわ》世間がしんと致し、水の流れも止り、草木も眠るというくらいで、壁にすだく蟋蟀《こおろぎ》の声も幽《かす》かに哀《あわれ》を催《もよ》おし、物凄く、清水の元からいつもの通り駒下駄の音高くカランコロン/\と聞えましたから、伴藏は来たなと思うと身の毛もぞっと縮まる程怖ろしく、かたまって、様子を窺《うかゞ》っていると、生垣《いけがき》の元へ見えたかと思うと、いつの間にやら縁側の所へ来て、
「伴藏さん/\」
と云われると、伴藏は口が利けない、漸々《よう/\》の事で、
「へい/\」
と云うと、
米「毎晩上《あが》りまして御迷惑の事を願い、誠に恐れ入りまするが、未《ま》だ今晩も萩原様の裏窓のお札が剥《はが》れて居りませんから、どうかお剥しなすって下さいまし、お嬢様が萩原様に逢いたいと私《わたくし》をお責め遊ばし、おむずかって誠に困り切りまするから、どうぞ貴方様《あなたさま》、二人の者を不便《ふびん》に思召《おぼしめ》しお札を剥して下さいまし」
伴「剥します、へい剥しますが、百両の金を持って来て下すったか」
米「百目の金子慥《たしか》に持参致しましたが、海音如来の御守《おまもり》をお取捨《とりすて》になりましたろうか」
伴「へい、あれは脇へ隠しました」
米「左様なれば百目の金子お受取《うけと》り下さいませ」
とズッと差出《さしだ》すを、伴藏はよもや金ではあるまいと、手に取上《とりあ》げて見れば、ズンとした小判の目方、持った事もない百両の金を見るより伴藏は怖い事も忘れてしまい、慄《ふる》えながら庭へ下《お》り立ち、
「御一緒にお出《い》でなせえ」
と二間梯子《にけんばしご》を持出《もちだ》し、萩原の裏窓の蔀《したみ》へ立て懸け、慄える足を踏締《ふみし》めながらよう/\登り、手を差伸ばし、お札を剥そうとしても慄えるものだから思う様《よう》に剥れませんから、力を入れて無理に剥そうと思い、グッと手を引張《ひっぱ》る拍子に、梯子がガクリと揺れるに驚き、足を踏み外《はず》し、逆《さか》とんぼうを打って畑の中へ転《ころ》げ落ち、起上《おきあが》る力もなく、お札を片手に握《つか》んだまゝ声をふるわし、唯《たゞ》南無阿弥陀仏/\と云っていると、幽霊は嬉しそうに両人顔を見合せ、
米「嬢様、今晩は萩原様にお目にかゝって、十分にお怨みを仰しゃいませ、さア入《いら》っしゃい」
と手を引き伴藏の方を見ると、伴藏はお札を掴《つか》んで倒れて居りますものだから、袖《そで》で顔を隠しながら、裏窓からズッと中《うち》へ這入りました。
十三
飯島平左衞門の家《うち》では、お國が、今夜こそ予《か》ねて源次郎と諜《しめ》し合《あわ》せた一大事を立聞《たちぎ》きした邪魔者の孝助が、殿様のお手打《てうち》になるのだから、仕すましたりと思うところへ、飯島が奥から出てまいり、
飯「國、國、誠にとんだ事をした、譬《たとえ》にも七《なゝ》たび捜して人を疑ぐれという通り、紛失《ふんじつ》した百両の金子が出たよ、金の入れ所は時々取違えなければならないものだから、己《おれ》が外《ほか》へ仕舞って置いて忘れていたのだ、皆《みんな》に心配を掛けて誠に気の毒だ、出たから悦んでくれろ」
國「おやまアお目出度《めでと》うございます」
と口には云えど、腹の内では些《ちっ》とも目出たい事も何《なん》にもない。何《ど》うして金が出たであろうと不審が晴れないで居りますと、
飯「女どもを皆《みんな》こゝへ呼んでくれ」
國「お竹どん、おきみどん皆《みんな》こゝへお出《い》で」
竹「只今承わりますればお金が出ましたそうでおめでとう存じます」
君「殿様誠におめでとうございます」
飯「孝助も源助もこゝへ呼んで来い」
女「孝助どん源助どん、殿様がめしますよ」
源「へい/\、これ孝助お詫事《わびごと》を願いな、お前は全く取らないようだが、お前の文庫の中から胴巻が出たのがお前があやまり、詫ごとをしなよ」
孝「いゝよ、いよ/\お手打になるときは、殿様の前で私《わたくし》が列《なら》べ立てる事がある、それを聞くとお前は嘸《さぞ》悦ぶだろう」
源「なに嬉しい事があるものか、殿様が召すからマア行こう」
と両人連立《つれだ》ってまいりますと、
飯「孝助、源助、此方《こっち》へ来てくれ」
源「殿様、只今部屋へ往って段々孝助へ説得を致しましたが、どうも全く孝助は盗《と》らないようにございます、お腹立《はらだち》の段は重々御尤《ごもっとも》でござりますが、お手打の儀は何卒《なにとぞ》廿三日《ち》までお日延《ひのべ》の程を願いとう存じます」
飯「まアいゝ、孝助これへ来てくれ」
孝「はいお庭でお手打になりますか、|※《ござ》[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、125-11]をこれへ敷きましょうか、血が滴《た》れますから」
飯「縁側へ上がれ」
孝「へい、これはお縁側でお手打、これは有がたい、勿体《もったい》ない事で」
飯「そう云っちゃア困るよ、さて源助孝助、誠に相済まん事であったが、百両の金は実は己《おれ》が仕舞処《しまいどころ》を違えて置いたのが、用箪笥《ようだんす》から出たから喜んでくれ、家来だからあんなに疑《うたぐ》ってもよいが、外《ほか》の者でもあっては己が言訳《いいわけ》のしようもない位な訳で、誠に申しわけがない」
孝「お金が出ましたか、さようなれば私《わたくし》は盗賊《どろぼう》ではなく、お疑《うたぐ》りは晴れましたか」
飯「そうよ、疑りはすっぱり晴れた、己が間違いであったのだ」
孝「えゝ有がとうござります、私《わたくし》は素《もと》よりお手打になるのは厭《いと》いませんけれども、只《たゞ》全く私が取りませんのを取ったかと思われまするのが冥路《よみじ》の障《さわ》りでございましたが、御疑念が晴れましたならお手打は厭いません、サヽお手打になされまし」
飯「己が悪かった、これが家来だからいゝが、若《も》し朋友《ほうゆう》か何かであった日にゃア腹を切っても済まない所、家来だからといって、無闇に疑《うたぐ》りを掛けては済まない、飯島が板の間へ手を突いてこと/″\く詫びる、堪忍して呉れ」
孝「あゝ勿体ない、誠に嬉しゅうございました、源助どん」
源「誠にどうも」
飯「源助、手前は孝助を疑《うたぐ》って孝助を突いたから謝《あや》まれ」
源「へい/\孝助どん、誠に済みません」
飯「たけや何かも何か少し孝助を疑ったろう」
竹「ナニ疑りは致しませんが、孝助どんは平常《ふだん》の気性にも似合ないことだと存じまして、些《ちっ》とばかり」
飯「矢張り疑ったのだから謝まれ、きみも謝まれ」
竹「孝助どん、誠にお目出度《めでとう》存じます、先程は誠に済みません」
飯「これ國、貴様は一番孝助を疑り、膝を突いたり何かしたから余計に謝まれ、己でさえ手をついて謝ったではないか、貴様は猶更《なおさら》丁寧に詫をしろ」
と云われてお國は、此度《こんど》こそ孝助がお手打になる事と思い、心の中《うち》で仕済ましたりと思っている処《ところ》へ、金子が出て、孝助に謝まれと云うから残念で堪《たま》らないけれども、仕方がないから、
國「孝助どん誠に重々すまない事を致しました、何《ど》うか勘弁しておくんなさいましよ」
孝「なに宜《よろ》しゅうございます、お金が出たから宜《い》いが、若《も》しお手打にでもなるなら、殿様の前でお為になる事を並べ立《たて》て死のうと思って……」
と急込《せきこ》んで云いかけるを、飯島は、
飯「孝助何も云って呉れるな己にめんじて何事もいうな」
孝「恐れ入ります、金子は出ましたが、彼《あ》の胴巻は何《ど》うして私《わたくし》の文庫から出ましたろう」
飯「あれはホラいつか貴様が胴巻の古いのを一つ欲しいと云った事があったっけノウ、其の時おれが古いのを一つやったじゃないか」
孝「ナニさような事は」
飯「貴様がそれ欲しいと云ったじゃないか」
孝「草履取の身の上で縮緬《ちりめん》のお胴巻を戴いたとて仕方がございません」
飯「此奴《こいつ》物覚えの悪いやつだ」
孝「私《わたくし》より殿様は百両のお金を仕舞い忘れる位ですから貴方《あなた》の方が物覚えがわるい」
飯「成程これはおれがわるかった、何しろ目出度《めでた》いから皆《みんな》に蕎麦《そば》でも喰わせてやれ」
と飯島は孝助の忠義の志《こゝろざ》しは予《かね》て見抜いてあるから、孝助が盗み取るようなことはないと知っている故、金子は全く紛失《ふんじつ》したなれども、別に百両を封金《ふうきん》に拵《こし》らえ、此の騒動を我が粗忽《そこつ》にしてぴったりと納まりがつきました。飯島は斯程《かほど》までに孝助を愛する事ゆえ、孝助も主人の為《た》めには死んでもよいと思い込んで居りました。斯《か》くて其の月も過ぎて八月の三日となり、いよ/\明日《あす》はお休みゆえ、殿様と隣邸《となり》の次男源次郎と中川へ釣《つり》に行《ゆ》く約束の当日なれば、孝助は心配をいたし、今夜隣の源次郎が来て当家に泊るに相違ないから、殿様に明日《みょうにち》の釣をお止《や》めなさるように御意見を申し上げ、もし何《ど》うしてもお聞入《きゝいれ》のない其の時は、今夜客間に寝ている源次郎めが中《ちゅう》二階に寝ているお國の所へ廊下伝いに忍び行《ゆ》くに相違ないから、廊下で源次郎を槍玉《やりだま》にあげ、中二階へ踏込《ふみこ》んでお國を突殺《つきころ》し、自分は其の場を去らず切腹すれば、何事もなく事済《ことずみ》になるに違いない、これが殿様へ生涯の恩返し、併《しか》し何うかして明日《みょうにち》主人を漁《りょう》にやりたくないから、一応は御意見をして見ようと、
孝「殿様明日《みょうにち》は中川へ漁に入《いら》っしゃいますか」
飯「あゝ行《ゆ》くよ」
孝「度々《たび/\》申上げるようですが、お嬢様がお亡くなりになり、未《ま》だ間《ま》もない事でございまするから、お見合《みあわ》せなすっては如何《いかゞ》」
飯「己《おれ》は外《ほか》に楽《たのし》みはなく釣が極《ごく》好きで、番がこむから、偶《たま》には好きな釣ぐらいはしなければならない、それを止《と》めてくれては困るな」
孝「貴方《あなた》は泳ぎを御存じがないから水辺《すいへん》のお遊びは宜《よろ》しくございません、それともたって入っしゃいますならば孝助お供いたしましょう、何うか手前お供にお連れください」
飯「手前は釣は嫌いじゃないか、供はならんよ、能《よ》く人の楽みを止める奴だ、止めるな」
孝「じゃア今晩やって仕舞います、長々御厄介になりました」
飯「何を」
孝「え、なんでも宜しゅうございます、此方《こちら》の事です、殿様私《わたくし》は三月二十一日に御当家へ御奉公に参りまして、新参者の私を、人が羨《うらや》ましがる程お目を掛けてくださり、御恩義の程は死んでも忘れはいたしません、死ねば幽霊になって殿様のお身体に附きまとい、凶事のない様に守りまするが、全体貴方は御酒を召上れば前後も知らずお寝《やす》みになる、又召上がらねば少しもお寝みになる事が出来ません、御酒も随分気を散じますから少々は召上がっても宜しゅうございますが、多分に召上ってお酔いなすっては、仮令《たとい》どんなに御剣術が御名人でも、悪者がどんなことを致しますかも知れません、私はそれが案じられてなりません」
飯「さような事は云わんでも宜しい、あちらへ参れ」
孝「へえ」
と立上がり、廊下を二足《ふたあし》三足《みあし》行《ゆ》きにかゝりましたが、是《こ》れがもう主人の顔の見納めかと思えば、足も先に進まず、又振返って主人の顔を見てポロリと涙を流し、悄々《しお/\》として行《ゆ》きますから、振返るを見て飯島もハテナと思い、暫《しば》し腕拱《こまぬ》き、小首かたげて考えて居りました。孝助は玄関に参り、欄間《らんま》に懸《かゝ》ってある槍をはずし、手に取って鞘《さや》を外《はず》して検《あらた》めるに、真赤《まっか》に錆《さ》びて居りましたゆえ、庭へ下《お》り、砥石《といし》を持来《もちきた》り、槍の身をゴシ/\研《と》ぎはじめていると、
飯「孝助々々」
孝「へい/\」
飯「何《なん》だ、何をする、どう致すのだ」
孝「これは槍でございます」
飯「槍を研いで何《ど》う致すのだえ」
孝「余《あんま》り真赤《まっか》に錆《さび》ておりますから、なんぼ泰平の御代《みよ》とは申しながら、狼藉《ろうぜき》ものでも入《い》りますと、其の時のお役に立たないと思い、身体が閑でございますから研ぎ始めたのでございます」
飯「錆槍《さびやり》で人が突けぬような事では役にたゝんぞ、仮令《たとえ》向うに一寸幅《すんはゞ》の鉄板《てついた》があろうとも、此方《こちら》の腕さえ確《たしか》ならプツリッと突き抜ける訳のものだ、錆ていようが丸刃《まるは》であろうが、さような事に頓着《とんじゃく》はいらぬから研ぐには及ばん、又憎い奴を突殺《つきころ》す時は錆槍で突いた方が、先の奴が痛いから此方が却《かえ》っていゝ心持《こゝろもち》だ」
孝「成程こりゃアそうですな」
と其の儘《まゝ》槍を元の処《ところ》へ掛けて置く。飯島は奥へ這入り、其の晩源次郎がまいり酒宴《さかもり》が始まり、お國が長唄の地《じ》で春雨《はるさめ》かなにか三味線《さみせん》を掻きならし、当時の九時過まで興を添えて居りましたが、もうお引《ひけ》にしましょうと客間へ蚊帳を一抔に吊って源次郎を寝かし、お國は中《ちゅう》二階へ寝てしまいました。お國は誰が泊っても中二階へ寝なければ源次郎の来た時不都合だから、何時《いつ》でもお客さえあればこゝへ寝ます。夜《よ》も段々と更け渡ると、孝助は手拭《てぬぐい》を眉深《まぶか》に頬冠《ほおかむ》りをし、紺看板《こんかんばん》に梵天帯《ぼんてんおび》を締め、槍を小脇に掻込《かいこ》んで庭口へ忍び込み、雨戸を少々ずつ二所《ふたところ》明けて置いて、花壇の中《うち》へ身を潜《ひそ》め隠し縁の下へ槍を突込《つきこ》んで様子を窺《うかゞ》っている。その中《うち》に八《や》ツの鐘がボーンと鳴り響く。此の鐘は目白の鐘だから少々早めです。するとさらり/\と障子を明け、抜足《ぬきあし》をして廊下を忍び来る者は、寝衣姿《ねまきすがた》なれば、慥《たしか》に源次郎に相違ないと、孝助は首を差延《さしの》べ様子を窺うに、行灯《あんどう》の明りがぼんやりと障子に映るのみにて薄暗く、はっきりそれとは見分けられねど、段々中二階の方へ行《ゆ》くから、孝助はいよ/\源次郎に違いなしとやり過《すご》し、戸の隙間《すきま》から脇腹を狙って、物をも云わず、力に任せて繰出《くりだ》す槍先は過《あやま》たず、プツリッと脾腹《ひはら》へ掛けて突き徹《とお》す。突かれて男はよろめきながら左手《ゆんで》を延《のば》して槍先を引抜《ひきぬ》きさまグッと突返《つきかえ》す。突かれて孝助たじ/\と石へ躓《つまず》き尻もちをつく。男は槍の穂先を掴《つか》み、縁側より下へヒョロ/\と降り、沓脱石《くつぬぎいし》に腰を掛け、
「孝助外庭へ出ろ/\」
と云われて孝助、オヤ、と言って見ると、恟《びっく》りしたは源次郎と思いの外《ほか》、大恩受けたる主人の肋骨《あばら》へ槍を突掛《つきか》けた事なれば、アッとばかりに呆《あき》れはて、唯《たゞ》キョトキョト/\として逆上《のぼせ》あがってしまい、呆気《あっけ》に取られて涙も出ずにいる。
飯「孝助こちらへ来い」
と気丈な殿様なれば袂《たもと》にて疵口《きずぐち》を確《しっ》かと押えてはいるものゝ、血《のり》は溢《あふ》れてぼたり/\と流れ出す。飯島は血に染《し》みたる槍を杖として、飛石伝《とびいしづた》いにヒョロ/\と建仁寺垣の外なる花壇の脇の所へ孝助を連れて来る。孝助は腰が抜けてしまって、歩けないで這って来た。
孝「へい/\間違《まちがい》でござります」
飯「孝助己《おれ》の上締《うわじめ》を取って疵口を縛れ、早く縛れ」
と云われても、孝助は手がブル/\とふるえて思うまゝに締らないから、飯島自ら疵口をグッと堅く締め上げ、猶《なお》手をもって其の上を押え、根府川《ねぶかわ》の飛石の上へペタ/\と坐る。
孝「殿様、とんでもない事をいたしました」
とばかりに泣出《なきいだ》す。
飯「静かにしろ、他《ほか》へ洩れては宜《よろ》しくないぞ、宮野邊源次郎めを突こうとして、過《あや》まって平左衞門を突いたか」
孝「大変な事をいたしました、実は召仕《めしつかい》のお國と宮野邊の次男源次郎と疾《とく》より不義をしていて、先月《あとげつ》廿一日お泊番《とまりばん》の時、源次郎がお國の許《もと》へ忍び込み、お國と密々《ひそ/\》話して居る所へうっかり私《わたくし》がお庭へ出て参り、様子を聞くと、殿様がいらっしゃっては邪魔になるゆえ、来月の四日中川にて殿様を釣舟から突落《つきおと》して殺してしまい、体能《ていよ》くお頭《かしら》に届けをしてしまい、源次郎を養子に直し、お國と末長く楽しもうとの悪工《わるだく》み、聞くに堪え兼ね、怒りに任せ、思わず呻《うな》る声を聞きつけ、お國が出て参り、彼此《かれこれ》と言い合《あい》はしたものゝ、源次郎の方には殿様から釣道具の直しを頼みたいとの手紙を以《もっ》て証拠といたし、一時《じ》は私《わたくし》云い籠められ、弓の折《おれ》にてしたゝか打たれ、いまだに残る額の疵《きず》、口惜《くやし》くてたまり兼ね、表向《おもてむき》にしようとは思ったなれど、此方《こちら》は証拠のない聞いた事、殊《こと》に向うは次男の勢い、無理でも圧《おさ》え付けられて私はお暇《いとま》になるに相違ないと思い諦め、彼《あ》の事は胸にたゝんでしまって置き、いよ/\明日《みょうにち》は釣にお出《いで》になるお約束日ゆえお止め申しましたが、お聞入れがないから、是非なく、今晩二人の不義者を殺し、其の場を去らず切腹なし、殿様の難義をお救い申そうと思うた事は|《いすか》の嘴《はし》と喰違《くいちが》い、とんでもない間違をいたしました、主人の為に仇《あだ》を討とうと思ったに、却《かえ》って主人を殺すとは神も仏もない事か、何《なん》たる因果な事であるか、殿様御免遊ばせ」
と飛石へ両手をつき孝助は泣き転がりました。飯島は苦痛を堪《こら》えながら、
飯「あゝ/\不束《ふつゝか》なる此の飯島を主人と思えばこそ、それ程までに思うてくれる志忝《かたじけ》ない、なんぼ敵《かたき》同士とは云いながら現在汝の槍先に命を果すとは輪廻応報《りんねおうほう》、あゝ実に殺生は出来んものだなア」
孝「殿様敵同士とは情ない、何《なん》で私《わたくし》は敵同志でございますの」
飯「其の方が当家へ奉公に参ったは三月廿一日、其の時某《それがし》非番にて貴様の身の上を尋ねしに、父は小出の藩中にて名をば黒川孝藏と呼び、今を去る事十八年前、本郷三丁目藤村屋新兵衞という刀屋の前にて、何者とも知れず人手に罹《かゝ》り、非業の最期を遂げたゆえ、親の敵《かたき》を討ちたいと、若年の頃より武家奉公を心掛け、漸々《よう/\》の思いで当家へ奉公住《ずみ》をしたから、どうか敵の討てるよう剣術を教えて下さいと手前の物語りをした時、恟《びっく》りしたというは、拙者がまだ平太郎と申し部屋住の折《おり》、彼《か》の孝藏と聊《いさゝか》の口論がもとゝなり、切捨てたるはかく云う飯島平左衞門であるぞ」
と云われて孝助は唯《たゞ》へい/\とばかりに呆れ果て、張詰めた気もひょろぬけて腰が抜け、ペタ/\と尻もちを突き、呆気に取られて、飯島の顔を打眺《うちなが》め、茫然として居りましたが、暫《しばら》くして、
孝「殿様そう云う訳なれば、なぜ其の時にそう云っては下さいません、お情のうございます」
飯「現在親の敵と知らず、主人に取って忠義を尽す汝の志、殊《こと》に孝心深きに愛《め》で、不便《ふびん》なものと心得、いつか敵と名告《なの》って汝に討たれたいと、さま/″\に心痛いたしたなれど、苟《かりそ》めにも一旦主人とした者に刃向《はむか》えば主殺《しゅうごろ》しの罪は遁《のが》れ難し、されば如何《いか》にもして汝をば罪に落さず、敵と名告り討たれたいと思いし折から、相川より汝を養子にしたいとの所望《しょもう》に任せ、養子に遣《つか》わし、一人前の侍となして置いて仇《かたき》と名告り討たれんものと心組んだる其の処《ところ》へ、國と源次郎めが密通したを怒《いか》って、二人の命を絶たんとの汝の心底、最前庭にて錆槍を磨《と》ぎし時より暁《さと》りしゆえ、機を外《はず》さず討たれんものと、態《わざ》と源次郎の容《かたち》をして見違えさせ、槍で突かして孝心の無念をこゝに晴《はら》させんと、かくは計らいたる事なり、今汝が錆槍にて脾腹を突かれし苦痛より、先の日汝が手を合せ、親の敵の討てるよう剣術を教えてくだされと、頼まれた時のせつなさは百倍増《まし》であったるぞ、定めて敵を討ちたいだろうが、我が首を切る時は忽《たちま》ち主殺しの罪に落ちん、されば我髷《まげ》をば切取って、之《これ》にて胸をば晴し、其の方は一先《ひとまず》こゝを立退《たちの》いて、相川新五兵衞方へ行《ゆ》き密々《みつ/\》に万事相談致せ、此の刀は先《さき》つ頃藤村屋新兵衞方にて買わんと思い、見ているうちに喧嘩となり、汝の父を討ったる刀、中身は天正助定なれば、是を汝に形見として遣《つか》わすぞ、又此の包《つゝみ》の中《うち》には金子百両と悉《くわ》しく跡方《あとかた》の事の頼み状、これを披《ひら》いて読下《よみくだ》せば、我が屋敷の始末のあらましは分る筈、汝いつまでも名残《なごり》を惜しみて此所《こゝ》にいる時は、汝は主殺《しゅうころし》の罪に落るのみならず、飯島の家は改易となるは当然《あたりまえ》、此の道理を聞分けて疾《と》く参れ」
孝「殿様、どんな事がございましょうとも此の場は退《の》きません、仮令《たとえ》親父《おやじ》をお殺しなさりょうが、それは親父が悪いから、かくまで情《なさけ》ある御主人を見捨てゝ他《わき》へ立退《たちの》けましょうか、忠義の道を欠く時は矢張《やはり》孝行は立たない道理、一旦主人と頼みしお方を、粗相《そそう》とは云いながら槍先にかけたは私《わたくし》の過《あやま》り、お詫《わび》の為に此の場にて切腹いたして相果てます」
飯「馬鹿な事を申すな、手前に切腹させる位なら飯島はかくまで心痛はいたさぬわ、左様な事を申さず早く往《ゆ》け、もし此の事が人の耳に入《い》りなば飯島の家に係わる大事、悉《くわ》しい事は書置《かきおき》に有るから早く行《ゆ》かぬか、これ孝助、一旦主従《しゅうじゅう》の因縁を結びし事なれば、仇《あだ》は仇恩は恩、よいか一旦仇を討ったる後《あと》は三世《せ》も変らぬ主従と心得てくれ、敵同士でありながら汝の奉公に参りし時から、どう云う事か其の方《ほう》が我が子のように可愛くてなア」
と云われ孝助は、おい/\と泣きながら、
孝「へい/\、これまで殿様の御丹誠を受けまして、剣術といい槍といい、なま兵法に覚えたが今日却《かえ》って仇となり、腕が鈍くば斯《か》くまでに深くは突かぬものであったに、御勘弁なすってくださいまし」
と泣き沈む。
飯「これ早く往け、往かぬと家は潰《つぶ》れるぞ」
と急《せ》き立てられ、孝助は止むを得ず形見の一刀腰に打込み、包を片手に立上り、主人の命《めい》に随って脇差抜いて主人の元結《もとゆい》をはじき、大地へ慟《どう》と泣伏《なきふ》し、
孝「おさらばでございます」
と別れを告げてこそ/\門を出て、早足に水道端なる相川の屋敷に参り。
孝「お頼ん申します/\」
相「善藏や誰《たれ》か門を叩くようだ、御廻状《ごかいじょう》が来たのかも知らん、一寸《ちょっと》出ろ、善藏や」
善「へい/\」
相「何《なん》だ、返事ばかりしていてはいかんよ」
善「只今明けます、只今、へい真暗《まっくら》でさっぱり訳がわからない、只今々々、へい/\、どっちが出口だか忘れた」
コツリと柱で頭を打《ぶ》ッつけ、アイタアイタヽヽヽと寝惚眼《ねぼけまなこ》をこすりながら戸を開《ひら》いて表へ立出《たちい》で、
善「外の方がよっぽど明るいくらいだ、へい/\どなた様でございます」
孝「飯島の家来孝助でございますが、宜《よろ》しくお取次を願います」
善「御苦労様でございます、只今明けます」
と石の吊してある門をがッたん/\と明ける。
孝「夜中《やちゅう》上《あが》りまして、おしずまりに成った処《ところ》を御迷惑をかけました」
善「まだ殿様はおしずまりなされぬようで、まだ御本《ごほん》のお声が聞えますくらい、先《ま》ずお這入《はい》り」
と内へ入れ、善藏は奥へ参り、
善「殿様、只今飯島様の孝助様が入《いら》っしゃいました」
相「それじゃアこれへ、アレ、コリャ善藏寝惚てはいかん、これ蚊帳の釣手を取って向うの方へやって置け、これ馬鹿何を寝惚ているのだ、寝ろ/\、仕方のない奴」
と呟《つぶや》きながら玄関まで出迎え、
「これは孝助殿、さア/\お上《あが》り、今では親子の中何も遠慮はいらない、ズッと上れ」
と座敷へ通し、
相「さて孝助殿、夜中《やちゅう》のお使《つかい》定めて火急の御用だろう、承りましょう、えゝ何《ど》う云う御用か、何《なん》だ泣いているな、男が泣くくらいではよく/\な訳だろうが、どうしたんだ」
孝「夜中上り恐れ入りますが、不思議の御縁、御当家様の御所望に任せ、主人得心の上私《わたくし》養子のお取極《とりきめ》はいたしましたが、深い仔細がございまして、どうあっても遠国へ参らんければなりませんゆえ、此の縁談は破談と遊ばして、どうか外々《ほか/\》から御養子をなされて下さいませ」
相「はいナア成程よろしい、お前が気に入らなければ仕方が無いねえ、高は少なし、娘は不束《ふつゝか》なり、舅《しゅうと》は此の通りの粗忽家《そゝッかしや》で一つとして取り所がない、だが娘がお前の忠義を見抜いて煩《わずら》うまでに思い込んだもんだから、殿様にも話し、お前の得心の上取極めた事であるのを、お前一人来て破縁をしてくれろと云ってもそれは出来ないな、殿様が来てお取極めになったのを、お前一人で破るには、何か趣意がなければ破れまい、左様じゃござらんか、どう云う訳だか次第を承わりましょう、娘が気に入らないのか、舅が悪いのか、高が不足なのか、何《な》んだ」
孝「決してそういう訳ではございません」
相「それじゃアお前は飯島様を失錯《しくじ》りでもしたか、どうも尋常《たゞ》の顔付ではない、お前は根が忠義の人だから、しくじってハッと思い、腹でも切ろうか、遠方へでも行《い》こうと云うのだろうが、そんな事をしてはいかん、しくじったなら私《わたくし》が一緒に行って詫をしてやろう、もうお前は結納まで取交《とりかわ》せをした事だから、内の者、云い付けて、孝助どのとは云わせず、孝助様と呼ばせるくらいで、云わば内の忰《せがれ》を来年の二月婚礼を致すまで、先の主人へ預けて置くのだ、少し位《ぐらい》の粗相が有ったッてしくじらせる事があるものか、と不理窟をいえばそんなものだが、マア一緒に行こう、行ってやろう」
孝「いえ、そう云う訳ではございません」
相「何だ、それじゃアどう云う訳だ」
孝「申すに申し切れない程な深い訳がございまして」
相「はゝア分った、宜しい、そう有るべき事だろう、どうもお前のような忠義もの故、飯島様が相川へ行ってやれ、ハイと主命を背《そむ》かず答《こたえ》はしたものゝ、お前の器量だから先に約束をした女でもあるのだろう、所が今度の事を其の女が知って私が先約だから是非とも女房にしてくれなければ主人に駆込んで此の事を告げるとか、何とか云い出したもんだから、お前はハッと思い、其の事が主人へ知れては相済まん、それじゃアお前を一緒に連れて遠国へ逃げようと云うのだろう、なに一人ぐらいの妾はあっても宜しい、お頭《かしら》へ一寸《ちょっと》届けて置けば仔細はない、尤《もっと》もの事だ、娘は表向の御新造《ごしんぞ》として、内々《ない/\》の処《ところ》は其の女を御新造として置いてもいゝ、私《わたくし》が取る分米《まい》を其の女にやりますから宜しい、私《わたくし》が行って其の女に逢って頼みましょう、其の女は何者じゃ、芸者か何《な》んだ」
孝「そんな事ではございません」
相「それじゃア何んだよ、エイ何んだ」
孝「それではお話をいたしまするが、殿様は負傷《ておい》でいます」
相「ナニ負傷で、何故《なぜ》早く云わん、それじゃア狼藉者《ろうぜきもの》が忍び込み、飯島が流石《さすが》手者《てしゃ》でも多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》、切立《きりた》てられているのを、お前が一方を切抜けて知らせに来たのだろう、宜しい、手前は剣術は知らないが、若い時分に学んで槍は少々心得ておる、参ってお助太刀をいたそう」
孝「さようではございません、実は召使の國と隣の源次郎が疾《とう》から密通をして」
相「へい、やっていますか、呆れたものだ、そういえばちら/\そんな噂もあるが、恩人の思いものをそんな事をして憎い奴だ、人非人《にんぴにん》ですねえ、それから/\」
孝「先月の廿一日、殿様お泊番《とまりばん》の夜《よ》に、源次郎が密《ひそ》かにお國の許《もと》へ忍び込み、明日《みょうにち》中川にて殿様を舟から突落し殺そうとの悪計《わるだく》みを、私《わたくし》が立聞《たちぎゝ》をした所から、争いとなりましたが、此方《こちら》は悲しいかな草履取の身の上、向うは二男の勢《いきおい》なれば喧嘩は負《まけ》となったのみならず、弓の折にて打擲《ちょうちゃく》され、額に残る此の疵《きず》も其の時打たれた疵でございます」
相「不届至極な奴だ、お前なぜ其の事を直《すぐ》に御主人に云わないのだ」
孝「申そうとは思いましたが、私《わたくし》の方は聞いたばかり、証拠にならず、向うには殿様から、暇《ひま》があったら夜《よる》にでも宅《うち》へ参って釣道具の損じを直して呉れとの頼みの手紙がある事ゆえ、表沙汰にいたしますれば、主人は必ず隣へ対し、義理にも私はお暇《いとま》に成るに違いはありません、さすれば後《あと》にて二人の者が思うがまゝに殿様を殺しますから、どうあっても彼《あ》のお邸《やしき》は出られんと今日まで胸を摩《さす》って居りましたが、明日《あした》は愈々《いよ/\》中川へ釣にお出《いで》になる当日ゆえ、それとなく今日殿様に明日《あした》の漁をお止め申しましたが、お聞入れがありませんから、止むを得ず、今宵《こよい》の内に二人の者を殺し、其の場で私が切腹すれば、殿様のお命に別条はないと思い詰め、槍を提《さ》げて庭先へ忍んで様子を窺《うかゞ》いました」
相「誠に感心感服、アヽ恐れ入ったね、忠義な事だ、誠に何《ど》うも、それだから娘より私《わし》が惚れたのだ、お前の志は天晴《あっぱれ》なものだ、其の様な奴は突放《つきッぱな》しで宜《い》いよ、腹は切らんでも宜いよ、私《わたし》が何《ど》のようにもお頭に届《とゞけ》を出して置くよ、それから何うした」
孝「そういたしますると、廊下を通る寝衣姿《ねまきすがた》は慥《たしか》に源次郎と思い、繰出す槍先あやまたず、脇腹深く突き込みましたところ間違って主人を突いたのでございます」
相「ヤレハヤ、それはなんたることか、併《しか》し疵は浅かろうか」
孝「いえ、深手でございます」
相「イヤハヤどうも、なぜ源次郎と声を掛けて突かないのだ、無闇に突くからだ、困った事をやったなア、だが過《あやま》って主人を突いたので、お前が不忠者でない悪人でない事は御主人は御存じだろうから、間違いだと云う事を御主人へ話したろうね」
孝「主人は疾《と》くより得心にて、わざと源次郎の姿と見違えさせ、私《わたくし》に突かせたのでござります」
相「これはマア何ゆえそんな馬鹿な事をしたんだ」
孝「私《わたくし》には深い事は分りませんが、此のお書置に委《くわ》しい事がございますから」
と差出す包を、
相「拝見いたしましょう、どれこれかえ、大きな包だ、前掛が入っている、ナニ婆《ばあ》やアのだ、なぜこんな所に置くのだ、そっちへ持って行《ゆ》け、コレ本の間《ま》に眼鏡があるから取ってくれ」
と眼鏡を掛け、行灯《あんどん》の明り掻き立て読下《よみくだ》して相川も、ハッとばかりに溜息《ためいき》をついて驚きました。
十四
伴藏は畑へ転がりましたが、両人の姿が見えなくなりましたから、慄《ふる》えながらよう/\起上り、泥だらけの儘《まゝ》家《うち》へ駈け戻り、
伴「おみねや、出なよ」
みね「あいよ、どうしたえ、まア私は熱かったこと、膏汗《あぶらあせ》がビッショリ流れる程出たが、我慢をして居たよ」
伴「手前《てめえ》は熱い汗をかいたろうが、己《おら》ア冷《つめ》てえ汗をかいた、幽霊が裏窓から這入《はい》って行ったから、萩原様は取殺《とりころ》されて仕舞うだろうか」
みね「私の考えじゃア殺すめえと思うよ、あれは悔しくって出る幽霊ではなく、恋しい/\と思っていたのに、お札が有って這入れなかったのだから、是が生きている人間ならば、お前さんは余《あんま》りな人だとか何《なん》とか云って口説《くぜつ》でも云う所だから殺す気遣《きづかい》はあるまいよ、どんな事をしているか、お前見ておいでよ」
伴「馬鹿をいうな」
みね「表から廻ってそっと見ておいでヨウ/\」
といわれるから、伴藏は抜足《ぬきあし》して萩原の裏手へ廻り、暫《しば》らくして立帰《たちかえ》り、
みね「大層長かったね、どうしたえ」
伴「おみね、成程手前《てめえ》の云う通り、何だかゴチャ/\話し声がするようだから覗《のぞ》いて見ると、蚊帳《かや》が吊って有って何だか分らないから、裏手の方へ廻るうちに、話し声がパッタリとやんだようだから、大方仲直りが有って幽霊と寝たのかも知れねえ」
みね「いやだよ、詰らない事をお云いでない」
という中《うち》に夜《よ》もしら/\と明け離れましたから、
伴「おみね、夜が明けたから萩原様の所へ一緒に往って見よう」
みね「いやだよ私《わたし》ゃ夜が明けても怖くっていやだよ」
というのを、
伴「マア往きねえよ」
と打連《うちつ》れだち。
伴「おみねや、戸を明けねえ」
みね「いやだよ、何だか怖いもの」
伴「そんな事を云ったって、手前《てめえ》が毎朝戸を明けるじゃアねえか、ちょっと明けねえな」
みね「戸の間から手を入れてグッと押すと、栓張棒《しんばりぼう》が落ちるから、お前お明けよ」
伴「手前《てめえ》そんな事を云ったって、毎朝来て御膳を炊いたりするじゃアねえか、それじゃア手前手を入れて栓張だけ外すがいゝ」
みね「私ゃいやだよ」
伴「それじゃアいゝや」
と云いながら栓張を外し、戸を引き開けながら、
伴「御免ねえ、旦那え/\夜が明けやしたよ、明るくなりやしたよ、旦那え、おみねや、音も沙汰もねえぜ」
みね「それだからいやだよ」
伴「手前《てめえ》先へ入《へい》れ、手前はこゝの内の勝手をよく知っているじゃアねえか」
みね「怖い時は勝手も何もないよ」
伴「旦那え/\、御免なせえ、夜が明けたのに何怖いことがあるものか、日の恐れがあるものを、なんで幽霊がいるものか、だがおみね世の中に何が怖いッて此の位怖いものア無《ね》えなア」
みね「あゝ、いやだ」
伴藏は呟《つぶや》きながら中仕切《なかじきり》の障子を明けると、真暗《まっくら》で、
伴「旦那え/\、よく寝ていらッしゃる、まだ生体《しょうてえ》なく能《よ》く寝ていらッしゃるから大丈夫だ」
みね「そうかえ、旦那、夜が明けましたから焚《た》きつけましょう」
伴「御免なせえ、私《わっち》が戸を明けやすよ、旦那え/\」
と云いながら床の内を差覗《さしのぞ》き、伴藏はキャッと声を上げ、
「おみねや、己《おら》アもう此の位《くれえ》な怖いもなア見た事はねえ」
とおみねは聞くよりアッと声をあげる。
伴「おゝ手前《てめえ》の声でなお怖くなった」
みね「何《ど》うなっているのだよ」
伴「何うなったの斯《こ》うなったのと、実に何《なん》とも彼《か》とも云いようのねえ怖《こえ》えことだが、これを手前《てめえ》とおれと見たばかりじゃア掛合《かゝりえい》にでもなっちゃア大変《てえへん》だから、白翁堂の爺さんを連れて来て立合《たちえい》をさせよう」
と白翁堂の宅へ参り、
伴「先生/\伴藏でごぜえやす、ちょっとお明けなすって」
白「そんなに叩かなくってもいゝ、寝ちゃアいねえんだ、疾《と》うに眼が覚めている、そんなに叩くと戸が毀《こわ》れらア、どれ/\待っていろ、あゝ痛《い》たゝゝゝ戸を明けたのに己の頭をなぐる奴があるものか」
伴「急いだものだから、つい、御免なせえ、先生ちょっと萩原様の所へ往って下せえ、何うかしましたよ、大変《てえへん》ですよ」
白「何うしたんだ」
伴「何うにも斯うにも、私《わっち》が今おみねと両人《ふたり》でいって見て驚いたんだから、お前《めえ》さん一寸《ちょっと》立合って下さい」
と聞くより勇齋も驚いて、藜《あかざ》の[#「藜《あかざ》の」は底本では「黎《あかざ》の」]杖を曳《ひ》き、ポク/\と出掛けて参り、
白「伴藏お前《めえ》先へ入んなよ」
伴「私《わっち》は怖いからいやだ」
白「じゃアおみねお前《めえ》先へ入れ」
みね「いやだよ、私だって怖いやねえ」
白「じゃアいゝ」
と云いながら中へ這入ったけれども、真暗で訳が分らない。
白「おみね、ちょっと小窓の障子を明けろ、萩原氏、どうかなすったか、お加減でも悪いかえ」
と云いながら、床の内を差覗《さしのぞ》き、白翁堂はわな/\と慄《ふる》えながら思わず後《あと》へ下《さが》りました。
十五
相川新五兵衞は眼鏡を掛け、飯島の遺書《かきおき》をば取る手おそしと読み下しまするに、孝助とは一旦主従《しゅうじゅう》の契《ちぎ》りを結びしなれども敵《かたき》同士であったること、孝助の忠実に愛《め》で、孝心の深きに感じ、主殺《しゅうころし》の罪に落さずして彼が本懐を遂げさせんがため、態《わざ》と宮野邊源次郎と見違えさせ討たれしこと、孝助を急ぎ門外《もんそと》に出《いだ》し遣《や》り、自身に源次郎の寝室《ねま》に忍び入り、彼が刀の鬼となる覚悟、さすれば飯島の家《うち》は滅亡致すこと、彼等両人我を打って立退《たちの》く先は必定お國の親元なる越後の村上ならん、就《つ》いては汝孝助時を移さず跡追掛け、我が仇《あだ》なる両人の生首提《ひっさ》げて立帰り、主《しゅう》の敵《かたき》を討ちたる廉《かど》を以《もっ》て我が飯島の家名再興の儀を頭《かしら》に届けくれ、其の時は相川様にもお心添えの程偏《ひとえ》に願い度《た》いとのこと、又汝は相川へ養子に参る約束を結びたれば、娘お徳どのと互いに睦《むつ》ましく暮し、両人の間に出来た子供は男女《なんにょ》に拘《かゝ》わらず、孝助の血統《ちすじ》を以て飯島の相続人と定めくれ、後《あと》は斯々云々《こう/\しか/″\》と、実に細かに届く飯島の家来思いの切なる情《なさけ》に、孝助は相川の遺書《かきおき》を読む間《ま》、息をもつかず聞いていながら、膝の上へぽたり/\と大粒な熱い涙を零《こぼ》していましたが、突然《いきなり》剣幕《けんまく》を変えて表の方へ飛出そうとするを、
相「これ孝助殿、血相変えて何処《どこ》へ行《ゆ》きなさる」
と云われて孝助は泣声を震わせ、
孝「只今お遺書《かきおき》の御様子にては、主人は私《わたくし》を急いで出し、後《あと》で客間へ踏込んで源次郎と闘うとの事ですが、如何《いか》に源次郎が剣術を知らないでも、殿様があんな深傷《ふかで》にてお立合なされては、彼が無残の刃の下に果敢《はか》なくお成りなされるは知れた事、みす/\敵《かたき》を目の前に置きながら、恩あり義理ある御主人を彼等に酷《むご》く討たせますは実に残念でござりますから、直《すぐ》に取って返し、お助太刀を致す所存でございます」
相「分らない事を云わっしゃるな、御主人様が是だけの遺書《かきおき》をお遣《つか》わしなさるは何の為《た》めだと思わッしゃる、そんな事をしなさると、飯島の家《いえ》が潰《つぶ》れるから、邸《やしき》へ行《ゆ》く事は明朝までお待ち、此の遺書の事を心得てこれを反故《ほご》にしてはならんぜ」
と亀の甲より年の功、流石《さすが》老巧《ろうこう》の親身の意見に孝助はかえす言葉もありませんで、口惜《くやし》がり、唯《たゞ》身を震わして泣伏しました。話かわって飯島平左衞門は孝助を門外《もんそと》に出し、急ぎ血潮滴《した》たる槍を杖とし、蟹のように成ってよう/\に縁側に這い上がり、蹌《よろ》めく足を踏みしめ踏みしめ、段々と廊下を伝い、そっと客間の障子を開《ひら》き中へ入《い》り、十二畳一杯に釣ってある蚊帳の釣手《つりて》を切り払い、彼方《あなた》へはねのけ、グウ/\とばかり高鼾《たかいびき》で前後《あとさき》も知らず眠《ね》ている源次郎の頬《ほう》の辺《あた》りを、血に染《し》みた槍の穂先にてペタリ/\と叩きながら、
飯「起《おき》ろ/\」
と云われて源次郎頬が冷《ひ》やりとしたに不図《ふと》目を覚《さま》し、と見れば飯島が元結はじけて散《ちら》し髪で、眼は血走り、顔色は土気色《つちけいろ》になり、血の滴《した》たる手槍をピタリッと付け立っている有様を見るより、源次郎は早くも推《すい》し、アヽヽこりア流石《さすが》飯島は智慧者《ちえしゃ》だけある、己と妾のお國と不義している事を覚《さと》られたか、さなくば例の悪計を孝助奴《め》が告げ口したに相違なし、何しろ余程の腹立《はらだち》だ、飯島は真影流の奥儀《おうぎ》を極《きわ》めた剣術の名人で、旗下《はたもと》八万騎の其の中に、肩を並ぶるものなき達人の聞えある人に槍を付けられた事だから、源次郎はぎょっとして、枕頭《まくらもと》の一刀を手早く手元に引付けながら、慄《ふる》える声を出して、
源「伯父様、何をなさいます」
と一生懸命面色《めんしょく》土気色に変わり、眼色《めいろ》血走りました。飯島も面色土気色で目が血走りているから、あいこでせえでございます。源次郎は一刀の鍔前《つばまえ》に手を掛けてはいるものゝ、気憶《きおく》れがいたし刃向う事は出来ませんで竦《すく》んで仕舞いました。
源「伯父様、私《わたくし》をどうなさるお積りで」
飯島は深傷《ふかで》を負いたる事なれば、震《ふる》える足を踏み止めながら、
飯「何事とは不埓《ふらち》な奴だ、汝が疾《とく》より我が召使國と不義姦通《いたずら》しているのみならず、明日《みょうにち》中川にて漁船《りょうせん》より我を突き落し、命を取った暁に、うま/\此の飯島の家を乗取《のっと》らんとの悪だくみ、恩を仇なる汝が不所存、云おう様《よう》なき人非人《にんぴにん》、此の場に於《おい》て槍玉に揚げてくれるから左様心得ろ」
と云い放たれて、源次郎は、剣術はからっ下手《ぺた》にて、放蕩《ほうとう》を働き、大塚の親類に預けられる程な未熟不鍛錬《ふたんれん》な者なれども、飯島は此の深傷《ふかで》にては彼の刃に打たれて死するに相違なし、併《しか》し打たれて死ぬまでも此の槍にてしたゝかに足を突くか手を突いて、亀手《てんぼう》か跛足《びっこ》にでもして置かば、後日《ごにち》孝助が敵討《かたきうち》を為《す》る時幾分かの助けになる事もあるだろうから、何処《どっ》かを突かんと狙い詰められ、
源「伯父さま私《わたくし》は何も槍で突かれる様な覚えはございません」
飯「黙れ」
と怒りの声を振立てながら、一歩《ひとあし》進んで繰出《くりだ》す槍鋒《やりさき》鋭く突きかける。源次郎はアッと驚き身を交《かわ》したが受け損じ、太股へ掛けブッツリと突き貫き、今一本突こうとしましたが、孝助に突かれた深傷《ふかで》に堪《た》え兼ね、蹌々《よろ/\》とする所を、源次郎は一本突かれ死物狂いになり、一刀を抜くより早く飛込みさま飯島目掛けて切り付ける。切付けられてアッと云って蹌《ひょろ》めく処《ところ》へ、又、太刀深く肩先へ切込まれ、アッと叫んで倒れる処へ乗し掛って、恰《まる》で河岸《かし》で鮪《まぐろ》でもこなす様に切って仕舞いました。お國は中《ちゅう》二階に寝ていましたが、此の物音を聞き附け、寝衣《ねまき》の儘《まゝ》に階子《はしご》を降り、そっと来て様子を窺《うかゞ》うと、此の体裁《ていたらく》に驚き、慌《あわ》てゝ二階へ上《あが》ったり下へ下りたりしていると、源次郎が飯島に止《とゞ》めを刺したようだから、お國は側へ駈付《かけつ》けて、
國「源さま、貴方《あなた》にお怪我はございませんか」
源次郎は肩息をつきフウ/\とばかりで返事も致しません。
國「あなた黙っていては分りませんよ、お怪我はありませんか」
といわれて源次郎はフウ/\といいながら、
源「怪我はないよ、誰だ、お國さんか」
國「貴方《あなた》のお足から大層血が出ますよ」
源「これは槍で突かれました、手強《てづよ》い奴と思いの外《ほか》なアにわけはなかった、併《しか》し此処《こゝ》に何時迄《いつまで》こうしては居《い》られないから、両人《ふたり》で一緒に何処《いずく》へなりとも落延《おちの》びようから、早く支度をしな」
と云われてお國は成程そうだと急ぎ奥へ駈戻り、手早く身支度をなし、用意の金子や結構な品々を持来《もちきた》り、
國「源さまこの印籠《いんろう》をお提《さ》げなさいよ、この召物《めしもの》を召せ」
と勧められ、源次郎は着物を幾枚も着て、印籠を七つ提げて、大小を六本|《さ》し、帯を三本締めるなど大変な騒ぎで、漸々《よう/\》支度が整ったから、お國とともに手を取って忍び出《い》でようとする処《ところ》を、仲働きの女中お竹が、先程より騒々しい物音を聞付け、来て見れば此の有様に驚いて、
「アレ人殺し」
という奴を、源次郎が驚いて、此の声人に聞かれてはと、一刀抜くより飛込んで、デップリ肥《ふと》って居る身体を、肩口から背びらへ掛けて斬付《きりつ》ける。斬られてお竹はキャッと声をあげて其の儘《まゝ》息は絶えました。他《ほか》の女どもゝ驚いて下流しへ這込むやら、又は薪箱《まきばこ》の中へ潜《もぐ》り込むやら騒いでいる中《うち》に、源次郎お國の両人《りょうにん》は此処《こゝ》を忍び出《い》で、何処《いずく》ともなく落ちて行《い》く。後《あと》で源助は奥の騒ぎを聞きつけて、いきなり自分の部屋を飛びだし、拳《こぶし》を振《ふる》って隣家《となり》の塀《へい》を打ち叩き、破れるような声を出して、
源「狼藉ものが這入りました/\」
と騒ぎ立てるに、隣家《となり》の宮野邊源之進はこれを聞附《きゝつ》け思う様《よう》、飯島のごとき手者《てしゃ》の処《ところ》へ押入る狼藉ものだから、大勢《たいぜい》徒党《ととう》したに相違ないから、成るたけ遅くなって、夜が明けて往《ゆ》く方がいゝと思い先《ま》ず一同を呼起《よびおこ》し、蔵へまいって著込《きごみ》を持ってまいれの、小手《こて》脛当《すねあて》の用意のと云っているうちに、夜《よ》はほの/″\と明け渡りたれば、もう狼藉者はいる気遣《きづかい》はなかろうと、源之進は家来一二人《にん》を召連れ来て見れば此の始末。如何《いかゞ》したる事ならんと思うところへ、一人《ひとり》の女中が下流しから這上《はいあが》り、源之進の前に両手をつかえ、
「実は昨晩の狼藉者は、貴方様の御舎弟《おしゃてい》源次郎様とお國さんと、疾《と》うから密通してお出《い》でになって、昨夜殿様を殺し、金子衣類を窃取《ぬすみと》り、何処《いずく》ともなく逃げました」
と聞いて源之進は大いに驚き、早速に邸《やしき》へ立帰り、急ぎお頭《かしら》へ向け源次郎が出奔《しゅっぽん》の趣《おもむき》の届《とゞけ》を出す。飯島の方へはお目附が御検屍《ごけんし》に到来して、段々死骸を検《あらた》め見るに、脇腹に槍の突傷《つきゝず》がありましたから、源次郎如き鈍き腕前にては兎《と》ても飯島を討つ事は叶《かな》うまじ、されば必ず飯島の寝室《ねま》に忍び入り、熟睡の油断に附入《つけい》りて槍を以《もっ》て欺《だま》し討ちにした其の後《のち》に、刀を以て斬殺《きりころ》したに相違なしということで、源次郎はお尋ね者となりましたけれども、飯島の家《いえ》は改易《かいえき》と決り、飯島の死骸は谷中新幡随院へおくり、こっそりと野辺送りをしてしまいました。こちらは孝助、御主人が私《わたくし》の為《た》めに一命をお捨てなされた事なるかと思えば、いとゞ気もふさぎ、欝々としていますと、相川はお頭から帰って、
相「婆アや、少し孝助殿と相談があるから此方《こちら》へ来てはいかんよ、首などを出すな」
婆「何か御用で」
相「用じゃないのだよ、そっちへ引込《ひっこ》んでいろ、これ/\茶を入れて来い、それから仏様へ線香を上げな、さて孝助殿少し話したい事もあるから、まア/\此方《こっち》へ/\、誰にもいわれんが、先以《まずもっ》て御主人様のお遺書《かきおき》通りに成るから心配するには及ばん、お前は親の敵《かたき》は討ったから、是からは御主人は御主人として、其の敵を復《かえ》し、飯島のお家再興だよ」
孝「仰せに及ばず、もとより敵討の覚悟でございます、此の後《のち》万事に付き宜《よろ》しくお心添《こゝろぞえ》の程を願います」
相「此の相川は年老いたれども、其の事は命に掛けて飯島様の御家《おいえ》の立つように計らいます、そこでお前は何日《いつ》敵討に出立《しゅったつ》なさるえ」
孝「最早一刻も猶予致す時でございませんゆえ、明《みょう》早天《そうてん》出立致す了簡です」
相「明日《あした》直《す》ぐに、左様かえ、余り早《は》や過ぎるじゃないか、宜しい此の事ばかりは留《と》められない、もう一日々々と引き広ぐ事は出来ないが、お前の出立前《ぜん》に私《わし》が折入《おりい》って頼みたい事があるが、どうか叶《かな》えては下さるまいか」
孝「何《ど》のような事でも宜しゅうございます」
相「お前の出立前に娘お徳と婚礼の盃だけをして下さい、外《ほか》に望みは何もない、どうか聞済《きゝす》んで下さい」
孝「一旦お約束申した事ゆえ、婚礼を致しまして宜しいようなれど、主人よりのお約束申したは来年の二月、殊《こと》に目の前にて主人があの通りになられましたのに、只今婚礼を致しましては主人の位牌へ対して済みません、敵討の本懐を遂《と》げ立帰り、目出度《めでた》く婚礼を致しますれば、どうぞそれ迄お待ち下さるように願います」
相「それはお前の事だから、遠からず本懐を遂げて御帰宅になるだろうが、敵の行方《ゆくえ》が知れない時は、五年で帰るか十年でお帰りになるか、幾年掛るか知れず、それに私はもう取る年、明日《あす》をも知れぬ身の上なれば、此の悦びを見ぬ内帰らぬ旅に赴《おもむ》く事があっては冥途《よみじ》の障《さわ》り、殊に娘も煩う程お前を思っていたのだから、どうか家内だけで、盃事《さかずきごと》を済ませて置いて、安心させてくださいな、それにお前も飯島の家来では真鍮巻の木刀を差して行《ゆ》かなければならん、それより相川の養子となり、其の筋へ養子の届をして、一人前《ひとりまえ》の立派な侍に出立《いでた》って往来すれば、途中で人足などに馬鹿にもされず宜《よ》かろうから、何《ど》うぞ家内だけの祝言を聞済んでください」
孝「至極御尤《ごもっと》もなる仰せです、家内だけなれば違背《いはい》はございません」
相「御承知くだすったか、千万忝《かたじ》けない、あゝ有難い、相川は貧乏なれども婚礼の入費の備えとして五六十両は掛ると見込んで、別にして置いたが、これはお前の餞別に上げるから持って行っておくれ」
孝「金子は主人から貰いましたのが百両ございますから、もう入りません」
相「アレサいくら有っても宜《よ》いのは金、殊に長旅のことなれば、邪魔でもあろうがそう云わずに持って行ってください、そこで私が細《こまか》い金を選《よ》って、襦袢《じゅばん》の中へ縫い込んで置く積りだから、肌身離さず身に著《つ》けて置きなさい、道中には胡麻の灰という奴があるから随分気をお付けなさい、それに此の矢立をさしてお出《い》で、又これなる一刀は予《か》ねて約束して置いた藤四郎吉光の太刀《たち》、重くもあろうが差してお呉れ、是と御主人のお形見天正助定を差して行《ゆ》けば、舅と主人がお前の後影《うしろかげ》に付添っているも同様、勇ましき働きをなさいまし」
孝「有りがとうございます」
相「何《ど》うか今夜不束《ふつゝか》な娘だが婚礼をしてくだされ、これ婆、明日《あした》は孝助殿が目出度《めでた》く御出立だ、そこで目出度い序《つい》でに今夜婚礼をする積りだから、徳に髪でも取り上げさせ、お化粧でもさせて置いてくれ、其の前に仕事がある、此の金を襦袢へ縫込んでくれ、善藏や、手前は直《すぐ》に水道町の花屋へ行って、目出度く何か頭付《かしらつ》きの魚を三枚ばかり取って来い、序でに酒屋へ行って酒を二升、味淋《みりん》を一升ばかり、それから帰りに半紙を十帖《じょう》ばかりに、煙草を二玉に、草鞋《わらじ》の良いのを取って参れ」
といい付け、そうこうするうちに支度も整いましたから、酒肴《さけさかな》を座敷に取並べ、媒妁《なこうど》なり親なり兼帯《けんたい》にて、相川が四海浪静かにと謡《うた》い、三々九度の盃事《さかずきごと》、祝言の礼も果て、先《ま》ずお開きと云う事になる。
相「あゝ/\婆ア、誠に目出度かった」
婆「誠にお目出とう存じます、私《わたくし》はお嬢様のお少《ちい》さい時分からお附き申して御婚礼をなさるまで御奉公いたしましたかと存じますと、誠に嬉しゅうございます、あなた嘸《さぞ》御安心でございましょう」
相「婆ア宜《いゝ》かえ、頼むよ、おいらは明日《あした》の朝早く起るから、お前飯を炊かして、孝助殿に尾頭付きでぽッぽッと湯気の立つ飯を食べさして立たせてやりたいから、いゝかえ、緩《ゆる》りとお休み、先ずお開《ひらき》と致しましょう、孝助殿どうか幾久しく願います、娘はまだ年もいかず、世間知らずの不束者だから何分宜しくお頼み申す、氷人《なこうど》は宵の中《うち》だから、婆アいゝかえ、頼んだぜ」
婆「貴方《あなた》は頼む/\と仰しゃって何でございます」
相「分らない婆アだな、嬢の事をサ、あすこへちょっと屏風を立廻《たてまわ》して、恥かしくないように、宜しいか、それがサ誠に彼女《あいつ》が恥かしがって、もじ/\としているだろうから旨くソレ」
婆「旦那様なんのお手付きでございますよ」
相「此奴《こいつ》わからぬ奴だナ、手前だって亭主を持ったから子供が出来たのだろう、子供が出来たのち乳が出て、乳母に出たのだろう、ホレ娘は年がいかないからいゝ塩梅《あんばい》にホレ、いゝか」
婆「貴方は本当に何時《いつ》までもお嬢様をお少《ちい》さいように思召《おぼしめし》ていらっしゃいますよ、大丈夫でございますよ」
相「成程目出たい、宜《い》いかえ頼むよ」
婆「旦那様、お嬢様お休み遊ばせ」
と云っても、孝助はお國源次郎の跡を追い掛け、兎《と》や斯《こ》うと種々《いろ/\》心配などして腕こまねき、床の上に坐り込んでいるから、お徳も寝るわけにもいかず坐っているから、
婆「左様なれば旦那様御機嫌様宜しく、お嬢様先程申しました事は宜しゅうございますか」
徳「貴方少しお静まり遊ばせな」
孝「私は少し考え事がありますから、あなたお構いなくお先へお休みなすって下さいまし」
徳「婆《ばあ》やア一寸《ちょっと》来ておくれ」
婆「ハイ、何《なん》でございます」
徳「旦那様がお休みなさらなくって」
と云いさして口ごもる。
婆「貴方お静まりあそばせ、それではお嬢様がお休みなさる事が出来ませんよ」
孝「只今寝ます、どうかお構いなく」
婆「誠にどうもお堅過《かたすぎ》でお気が詰りましょう、御機嫌様よろしゅう」
徳「あなた少しお横におなり遊ばしまし」
孝「どうかお先へお休みなさい」
徳「婆やア」
婆「困りますねえ、あなた少しお休みあそばせ」
徳「婆やア」
とのべつに呼んでいるから孝助も気の毒に思い、横になって枕をつけ、玉椿《たまつばき》八千代《やちよ》までと思い思った夫婦中《なか》、初めての語らい、誠にお目出たいお話でございます。翌日《あした》になると、暗いうちから孝助は支度をいたし、
相「これ/\婆アや、支度は出来たかえ、御膳を上げたか、湯気は立ったかえ、善藏に板橋まで送らせて遣《や》る積りだから、荷物は玄関の敷台《しきだい》まで出して置きな、孝助殿御膳を上《あが》れ」
孝「お父様《とっさま》御機嫌よろしゅう、長い旅ですからつど/\書面を上《あげ》る訳にも参りません、唯《たゞ》心配になるのはお父様のお身体、どうか私《わたくし》が本懐を遂げ帰宅致すまで御丈夫にお出《い》であそばせよ、敵《かたき》の首を提《さ》げてお目に掛け、お悦びのお顔が見とうございます」
相「お前も随分身体を大事にして下さい、どうか立派に出立して下さい、種々《いろ/\》と云いたい事もあるが、キョト/\して云えないから何も云いません、娘何《な》んで袖を引張《ひっぱ》るのだ」
徳「お父様、旦那様は今日お立ちになりましたら、いつ頃お帰宅になるのでございますのでしょう」
相「まだ分らぬ事をいう、いつまでも少《ちい》さい子供のような気でいちゃアいけないぜ、旦那さまは御主人の敵討に御出立なさるので、伊勢参宮や物見遊山に往《ゆ》くのではない、敵を討ち遂げねばお帰りにはならない、何だ泣《なき》ッ面《つら》をして」
徳「でも大概いつ頃お帰りになりましょうか」
相「おれにも五年かゝるか十年かゝるか分らない」
徳「そんなら五年も十年もお帰りあそばさないの」
と云いながら潜々《さめ/″\》と泣き萎《しお》れる。
相「これ、何が悲しい、主《しゅう》の敵を討つなどゝ云う事は、侍の中《うち》にも立派な事だ、かゝる立派な亭主を持ったのは有難いと思え、目出度い出立だ、何故《なぜ》笑い顔をして立たせない、手前が未練を残せば少禄の娘だから未練だ、意気地《いくじ》がないと孝助殿に愛想《あいそ》を尽かされたら何《ど》うする、孝助殿歳がいかない子供のような娘だから、気にかけて下さるな、婆ア何を泣く」
婆「私《わたくし》だってお名残《なご》りが惜しいから泣きます、貴方も泣いて入らっしゃるではございませんか」
相「己は年寄だから宜しい」
と言訳をしながら泣いていると、孝助は、
「さようならば御機嫌よろしゅう」
と玄関の敷台を下《お》り草鞋を穿《は》こうとする、其の側へお徳はすり寄り袂《たもと》を控え、涙に目もとをうるましながら、
「御機嫌様よろしく」
と縋《すが》り付くを孝助は慰《なだ》め、善藏に送られ出立しました。
十六
白翁堂勇齋は萩原新三郎の寝所《ねどこ》を捲《ま》くり、実にぞっと足の方から総毛立つほど怖く思ったのも道理、萩原新三郎は虚空を掴《つか》み、歯を喰いしばり、面色土気色に変り、余程な苦しみをして死んだものゝ如く、其の脇へ髑髏《どくろ》があって、手とも覚しき骨が萩原の首玉《くびったま》にかじり付いており、あとは足の骨などがばら/\になって、床の中《うち》に取散《とりち》らしてあるから、勇齋は見て恟《びっく》りし、
白「伴藏これは何《なん》だ、おれは今年六十九に成るが、斯《こ》んな怖ろしいものは初めて見た、支那の小説なぞにはよく狐を女房にしたの、幽霊に出逢ったなぞと云うことも随分あるが、斯様《かよう》な事にならないように、新幡随院の良石和尚に頼んで、有難い魔除《まよけ》の御守《おまもり》を借り受けて萩原の首を掛けさせて置いたのに、何《ど》うも因縁は免《のが》れられないもので仕方がないが、伴藏首に掛けて居る守を取って呉れ」
伴「怖いから私《わっち》ゃアいやだ」
白「おみね、こゝへ来な」
みね「私《わたくし》もいやですよ」
白「何しろ雨戸を明けろ」
と戸を明けさせ、白翁堂が自ら立って萩原の首に掛けたる白木綿の胴巻を取外《とりはず》し、グッとしごいてこき出せば、黒塗光沢消《つやけし》の御厨子にて、中を開けばこは如何《いか》に、金無垢の海音如来と思いの外《ほか》、いつしか誰か盗んですり替えたるものと見え、中は瓦に赤銅箔《しゃくどうはく》を置いた土の不動と化《け》してあったから、白翁堂はアッと呆れて茫然と致し、
白「伴藏これは誰が盗んだろう」
伴「なんだか私《わっち》にゃアさっぱり訳が分りません」
白「これは世にも尊《とうと》き海音如来の立像にて、魔界も恐れて立去るという程な尊い品なれど、新幡随院の良石和尚が厚い情《なさけ》の心より、萩原新三郎を不便《ふびん》に思い、貸して下され、新三郎は肌身放さず首にかけていたものを、何《ど》うして斯様《かよう》にすり替えられたか、誠に不思議な事だなア」
伴「成程なア、私《わっち》どもにゃア何《なん》だか訳が分らねえが、観音様ですか」
白「伴藏手前を疑る訳じゃアねえが、萩原の地面内《うち》に居る者は己と手前ばかりだ、よもや手前は盗みはしめえが、人の物を奪う時は必ず其の相《そう》に顕《あら》われるものだ、伴藏一寸《ちょっと》手前の人相を見てやるから顔を出せ」
と懐中より天眼鏡を取出され、伴藏は大きに驚き、見られては大変と思い。
伴「旦那え、冗談いっちゃアいけねえ、私《わっち》のような斯《こ》んな面《つら》は、どうせ出世の出来ねえ面だから見ねえでもいゝ」
と断る様子を白翁堂は早くも推《すい》し、ハヽアこいつ伴藏がおかしいなと思いましたが、なまなかの事を云出して取逃がしてはいかぬと思い直し、
白「おみねや、事柄の済むまでは二人でよく気を付けて居て、成《なる》たけ人に云わないようにしてくれ、己は是から幡随院へ行って話をして来る」
と藜《あかざ》の杖を曳きながら幡随院へやって来ると、良石和尚は浅葱木綿《あさぎもめん》の衣を着《ちゃく》し、寂寞《じゃくまく》として坐布団の上に坐っている所へ勇齋入《い》り来《き》たり、
白「これは良石和尚いつも御機嫌よろしく、とかく今年は残暑の強い事でございます」
良「やア出て来たねえ、此方《こっち》へ来なさい、誠に萩原も飛んだことになって、到頭《とうとう》死んだのう」
白「えゝあなたはよく御存じで」
良「側に悪い奴が附いて居て、又萩原も免《のが》れられない悪因縁で仕方がない、定まるこッちゃ、いゝわ心配せんでもよいわ」
白「道徳高き名僧智識は百年先の事を看破《みやぶ》るとの事だが、貴僧《あなた》の御見識誠に恐れ入りました、就《つ》きまして私《わたくし》が済まない事が出来ました」
良「海音如来などを盗まれたと云うのだろうが、ありゃア土の中に隠してあるが、あれは来年の八月には屹度《きっと》出るから心配するな、よいわ」
白「私《わたくし》は陰陽《おんよう》を以《も》って世を渡り、未来の禍福を占って人の志を定むる事は、私承知して居りますけれども、こればかりは気が付きませなんだ」
良「どうでもよいわ、萩原の死骸は外《ほか》に菩提所も有るだろうが、飯島の娘お露とは深い因縁がある事故《ゆえ》、あれの墓に並べて埋めて石塔を建てゝやれ、お前も萩原に世話になった事もあろうから施主に立ってやれ」
と云われ白翁堂は委細承知と請《うけ》をして寺をたち出《い》で、路々《みち/\》も何《ど》うして和尚があの事を早くも覚《さと》ったろうと不思議に思いながら帰って来て、
白「伴藏、貴様も萩原様には恩になっているから、野辺の送りのお供をしろ」
と跡の始末を取り片付け、萩原の死骸は谷中の新幡随院へ葬ってしまいました。伴藏は如何《いか》にもして自分の悪事を匿《かく》そうため、今の住家《すまい》を立退《たちの》かんとは思いましたけれども、慌《あわ》てた事をしたら人の疑いがかゝろう、あゝもしようか、こうもしようかとやっとの事で一策を案じ出《いだ》し、自分から近所の人に、萩原様の所へ幽霊の来るのを己が慥《たし》かに見たが、幽霊が二人でボン/\をして通り、一人は島田髷《しまだまげ》の新造《しんぞ》で、一人は年増で牡丹の花の付いた灯籠を提《さ》げていた、あれを見る者は三日を待たず死ぬから、己は怖くて彼処《あすこ》にいられないなぞと云触《いいふら》すと、聞く人々は尾に尾を付けて、萩原様の所へは幽霊が百人来るとか、根津の清水では女の泣声がするなど、さま/″\の評判が立ってちり/″\人が他《ほか》へ引起《ひっこ》してしまうから、白翁堂も薄気味悪くや思いけん、此処《こゝ》を引払《ひきはら》って、神田旅籠町《かんだはたごちょう》辺へ引越《ひっこ》しました。伴藏おみねはこれを機《しお》に、何分怖くて居《い》られぬとて、栗橋《くりはし》在は伴藏の生れ故郷の事なれば、中仙道栗橋へ引越しました。
十七
伴藏は悪事の露顕を恐れ、女房おみねと栗橋へ引越《ひっこ》し、幽霊から貰った百両あれば先《ま》ずしめたと、懇意の馬方久藏《きゅうぞう》を頼み、此の頃は諸式が安いから二十両で立派な家《うち》を買取り、五十両を資本《もとで》に下《おろ》し荒物見世《あらものみせ》を開きまして、関口屋《せきぐちや》伴藏と呼び、初めの程は夫婦とも一生懸命働いて、安く仕込んで安く売りましたから、忽《たちま》ち世間の評判を取り、関口屋の代物《しろもの》は値が安くて品がいゝと、方々《ほう/″\》から押掛けて買いに来るほどゆえ、大いに繁昌を極《きわ》めました。凡夫盛んに神祟りなし、人盛んなる時は天に勝つ、人定まって天人に勝つとは古人の金言宜《うべ》なるかな、素《もと》より水泡銭《あぶくぜに》の事なれば身につく道理のあるべき訳はなく、翌年の四月頃から伴藏は以前の事も打忘れ少し贅沢《ぜいたく》がしたくなり、絽《ろ》の小紋の羽織が着たいとか、帯は献上博多を締めたいとか、雪駄《せった》が穿《は》いて見たいとか云い出して、一日《あるひ》同宿の笹屋《さゝや》という料理屋へ上《あが》り込み、一盃《ぱい》やっている側に酌取女《しゃくとりおんな》に出た別嬪《べっぴん》は、年は二十七位だが、何《ど》うしても廿三四位としか見えないという頗《すこぶ》る代物《しろもの》を見るよりも、伴藏は心を動かし、二階を下りて此の家《や》の亭主に其の女の身上《みのうえ》を聞けば、さる頃夫婦の旅人《りょじん》が此の家へ泊りしが、亭主は元は侍で、如何《いか》なる事か足の疵《きず》の痛み烈《はげ》しく立つ事ならず、一日々々との長逗留《ながどうりゅう》、遂《つい》に旅用《りょよう》をも遣《つか》いはたし、そういつ迄も宿屋の飯を食ってもいられぬ事なりとて、夫婦には土手下へ世帯《しょたい》を持たせ、女房は此方《こちら》へ手伝い働き女として置いて、僅《わず》かな給金で亭主を見継《みつ》いでいるとかの話を聞いて、伴藏は金さえ有れば何うにもなると、其の日は幾許《いくら》か金を与え、綺麗に家に帰りしが、これよりせっ/\と足近く笹屋に通い、金びら切って口説《くど》きつけ、遂に彼《か》の女と怪しい中になりました。一体此の女は飯島平左衞門の妾お國にて、宮野邊源次郎と不義を働き、剰《あまつ》さえ飯島を手に掛け、金銀衣類を奪い取り、江戸を立退《たちの》き、越後の村上へ逃出しましたが、親元絶家《ぜっけ》して寄るべなきまゝ、段々と奥州路を経囘《へめぐ》りて下街道《しもかいどう》へ出て参り此の栗橋にて煩《わずら》い付き、宿屋の亭主の情《なさけ》を受けて今の始末、素《もと》より悪性《あくしょう》のお國ゆえ忽《たちま》ち思う様《よう》、此の人は一代身上《いちだいじんしょう》俄分限《にわかぶげん》に相違なし、此の人の云う事を聞いたなら悪い事もあるまいと得心したる故、伴藏は四十を越して此のような若い綺麗な別嬪にもたつかれた事なれば、有頂天界《うちょうてんがい》に飛上り、これより毎日こゝにばかり通い来て寝泊りを致しておりますと、伴藏の女房おみねは込上《こみあが》る悋気《りんき》の角も奉公人の手前にめんじ我慢はしていましたが、或日《あるひ》のこと馬を牽《ひ》いて店先を通る馬子を見付け、
みね「おや久藏さん、素通りかえ、余《あんま》りひどいね」
久「ヤアお内儀《かみ》さま、大きに無沙汰を致しやした、ちょっくり来るのだアけど今ア荷い積んで幸手《さって》まで急いでゆくだから、寄っている訳にはいきましねえが、此間《こないだ》は小遣《こづかい》を下さって有難うごぜえます」
みね「まアいゝじゃアないか、お前は宅《うち》の親類じゃないか、一寸《ちょっと》お寄りよ、一ぱい上げたいから」
久「そうですかえ、それじゃア御免なせい」
と馬を店の片端に結《ゆわ》い付け、裏口から奥へ通り、
久「己《おら》ア此家《こっち》の旦那の身寄りだというので、皆《みんな》に大きに可愛《かわい》がられらア、この家《うち》の身上《しんしょう》は去年から金持になったから、おらも鼻が高い」
と話の中《うち》におみねは幾許《いくら》か紙に包み、
みね「なんぞ上げたいが、余《あん》まり少しばかりだが小遣《こづかい》にでもして置いておくれよ」
久「これアどうも、毎度《めいど》戴いてばかりいて済まねえよ、いつでも厄介《やっけえ》になりつゞけだが、折角の思し召しだから頂戴いたして置きますべい、おや触《さわ》って見た所じゃアえらく金があるようだから単物《ひとえもの》でも買うべいか、大きに有難うござります」
みね「何《なん》だよそんなにお礼を云われては却《かえ》って迷惑するよ、ちょいとお前に聞きたいのだが、宅《うち》の旦那は、四月頃から笹屋へよくお泊りなすって、お前も一緒に行って遊ぶそうだが、お前は何故私に話をおしでない」
久「おれ知んねえよ」
みね「おとぼけで無いよ、ちゃんと種が上《あが》っているよ」
久「種が上るか下《さが》るか己《お》らア知んねえものを」
みね「アレサ笹屋の女のことサ、ゆうべ宅《うち》の旦那が残らず白状してしまったよ、私はお婆さんになって嫉妬《やきもち》をやく訳ではないが旦那の為を思うから云うので、あの通りな粋《いき》な人だから、悉皆《すっかり》と打明けて、私に話して、ゆうべは笑ってしまったのだが、お前が余《あんま》りしらばっくれて、素通りをするから呼んだのさ、云ったッて宜《い》いじゃアないかえ」
久「旦那どんが云ったけえ、アレマアわれさえ云わなければ知れる気遣《きづけ》えはねえ、われが心配《しんぺい》だというもんだから、お前さまの前へ隠していたんだ、夫婦の情合《じょうあい》だから、云ったらお前《めえ》も余《あんま》り心持も好《よ》くあんめえと思ったゞが、そうけえ旦那どんが云ったけえ、おれ困ったなア」
みね「旦那は私に云って仕舞ったよ、お前と時々一緒に行くんだろう」
久「あの阿魔女《あまっちょ》は屋敷者だとよ、亭主は源次郎さんとか云って、足へ疵《きず》が出来て立つ事が出来ねえで、土手下へ世帯《しょたい》を持っていて、女房は笹屋へ働き女をしていて、亭主を過《すご》しているのを、旦那が聞いて気の毒に思い、可愛相にと思って、一番始め金え三分くれて、二度目の時二両後《あと》から三両それから五両、一ぺんに二十両やった事もあった、ありゃお國さんとか云って廿七だとか云うが、お前《めえ》さんなんぞより余程《よっぽど》綺《き》…ナニお前《まえ》さまとは違《ちげ》え、屋敷もんだから不意気《ぶいき》だが、なか/\美《い》い女だよ」
みね「何かえ、あれは旦那が遊びはじめたのは何時《いつ》だッけねえ、ゆうべ聞いたがちょいと忘れて仕舞った、お前知っているかえ」
久「四月の二日からかねえ」
みね「呆れるよ本当にマア四月から今まで私に打明けて話しもしないで、呆れかえった人だ、どんなに私が鎌を掛けて宅《うち》の人に聞いても何《なん》だの彼《か》だのとしらばっくれていて、ありがたいわ、それですっかり分った」
久「それじゃア旦那は云わねえのかえ」
みね「当前《あたりまえ》サ、旦那が私に改まってそんな馬鹿な事をいう奴があるものかね」
久「アレヘエそれじゃアおらが困るべいじゃアねえか、旦那どんが己《お》れにわれえ喋《しゃべ》るなよと云うたに、困ったなア」
みね「ナニお前の名前は出さないから心配おしでないよ」
久「それじゃア私《わし》の名前《なめえ》を出しちゃアいかねえよ、大きに有難うござりました」
と久藏は立帰る。おみねは込上《こみあが》る悋気《りんき》を押え、夜延《よなべ》をして伴藏の帰りを待っていますと、
伴「文助《ぶんすけ》や明けてくれ」
文「お帰り遊ばせ」
伴「店の者も早く寝てしまいな、奥ももう寝たかえ」
といいながら奥へ通る。
伴「おみね、まだ寝ずか、もう夜なべはよしねえ、身体の毒だ、大概にして置きな、今夜は一杯飲んで、そうして寝よう、何か肴《さかな》は有合《ありあい》でいゝや」
みね「何もないわ」
伴「かくやでもこしらえて来てくんな」
みね「およしよ、お酒を宅《うち》で飲んだって旨くもない、肴はなし、酌をする者は私のようなお婆さんだから、どうせ気に入る気遣《きづか》いはない、それよりは笹屋へ行ってお上《あが》りよ」
伴「そりゃア笹屋は料理屋だから何《な》んでもあるが、寝酒《ねざけ》を飲むんだから一寸《ちょいと》海苔《のり》でも焼いて持って来ねえな」
みね「肴はそれでも宜《い》いとした所が、お酌が気に入らないだろうから、笹屋へ行ってお國さんにお酌をしてお貰いよ」
伴「気障《きざ》なことを云うな、お國が何《ど》うしたんだ」
みね「おまえは何故そう隠すんだえ、隠さなくってもいゝじゃアないかえ、私が十九《つゞ》や廿《はたち》の事ならばお前の隠すも無理ではないが、こうやってお互いにとる年だから、隠しだてをされては私が誠に心持が悪いからお云いな」
伴「何をよう」
みね「お國さんの事をサ、美《い》い女だとね、年は廿七だそうだが、ちょっと見ると廿二三にしか見えない位な美い娘《こ》で、私も惚々《ほれ/″\》するくらいだから、ありゃア惚れてもいゝよ」
伴「何《なん》だかさっぱり分らねえ、今日昼間馬方の久藏が来《き》やアしなかったか」
みね「いゝえ来やアしないよ」
伴「おれも此の節は拠《よんどこ》ろない用で時々宅《うち》を明けるものだから、お前《めえ》がそう疑ぐるのも尤《もっと》もだが、そんな事を云わないでもいゝじゃアねえか」
みね「そりゃア男の働きだから何をしたっていゝが、お前のためだから云うのだよ、彼《あ》の女の亭主は双刀《りゃんこ》さんで、其の亭主の為にあゝやっているんだそうだから、亭主に知れると大変だから、私も案じられらアね、お前は四月の二日から彼の女に係《かゝ》り[#「係《かゝ》り」は底本では「係《かゝり》り」]合っていながら、これッぱかりも私に云わないのは酷《ひど》いよ、そいっておしまいなねえ」
伴「そう知っていちゃア本当に困るなア、あれは己が悪かった、面目ねえ、堪忍してくれ、おれだってお前《めえ》に何か序《つい》でがあったら云おうと思っていたが、改まってさてこういう色が出来たとも云いにくいものだから、つい黙っていた、おれも随分道楽をした人間だから、そう欺《だま》されて金を奪《と》られるような心配はねえ大丈夫だ」
みね「そうサ初めての時三分やって、其の次に二両、それから三両と五両二度にやって、二十両一ぺんにやった事があったねえ」
伴「いろんな事を知っていやアがる、昼間久藏が来たんだろう」
みね「来やしないよ、それじゃアお前こうおしな、向《むこう》の女も亭主があるのにお前に姦通《くッつ》くくらいだから、惚れているに違いないが、亭主が有っちゃア危険《けんのん》だから、貰い切って妾にしてお前の側へお置きよ、そうして私は別になって、私は関口屋の出店《でみせ》でございますと云って、別に家業をやって見たいから、お前はお國さんと二人で一緒に成ってお稼ぎよ」
伴「気障《きざ》な事を云わねえがいゝ、別れるも何もねえじゃアねえか、あの女だって双刀《りゃんこ》の妾、主《ぬし》があるものだから、そう何時《いつ》までも係り合っている気はねえのだが、ありゃア酔った紛《まぎ》れにツイ摘食《つまみぐ》いをしたので、己がわるかったから堪忍してくれろ、もう二度と彼処《あすこ》へ往《ゆ》きさえしなければ宜《い》いだろう」
みね「行っておやりよ、あの女は亭主があってそんな事をする位だから、お前に惚れているんだからお出《い》でよ」
伴「そんな気障な事ばかり云って仕様がねえな………」
みね「いゝから私《わたし》ゃア別になりましょうよ」
と、くど/\云われて伴藏はグッと癪《しゃく》にさわり、
伴「なッてえ/\、これ四間《けん》間口の表店《おもてだな》を張っている荒物屋の旦那だア、一人二人の色が有ったってなんでえ、男の働きで当前《あたりめえ》だ、若《わけ》えもんじゃあるめえし、嫉妬《やきもち》を焼くなえ」
みね「それは誠に済みません、悪い事を申しました、四間間口の表店を張った旦那様だから、妾狂いをするのは当前《あたりまえ》だと、大層もない事をお云いでないよ、今では旦那だと云って威張っているが、去年まではお前は何《なん》だい、萩原様の奉公人同様に追い使われ小さな孫店《まごだな》を借《かり》ていて、萩原様から時々小遣《こづかい》を戴いたり、単物《ひとえもの》の古いのを戴いたりして何《ど》うやら斯《こ》うやらやっていたんじゃアないか、今斯うなったからと云ってそれを忘れて済むかえ」
伴「そんな大きな声で云わなくってもいゝじゃアねえか、店の者に聞えるといけねえやナ」
みね「云ったっていゝよ、四間間口の表店を張っている荒物屋の旦那だから、妾狂いが当前だなんぞと云って、先《せん》のことを忘れたかい」
伴「喧《やかま》しいやい、出て行きやアがれ」
みね「はい、出て行きますとも、出て行きますからお金を百両私におくれ、これだけの身代になったのは誰のお蔭《かげ》だ、お互にこゝまでやったのじゃアないか」
伴「恵比須講の商いみたように大した事をいうな、静かにしろ」
みね「云ったっていゝよ、本当にこれまで互に跣足《はだし》になって一生懸命に働いて、萩原様の所にいる時も、私は煮焚《にたき》掃除や針仕事をし、お前は使《つかい》はやまをして駈《かけ》ずりまわり、何うやら斯うやらやっていたが、旨い酒も飲めないというから、私が内職をして、偶《たま》には買って飲ませたりなんどして、八年以来《このかた》お前のためには大層苦労をしているんだア、それを何《なん》だえ、荒物屋の旦那だとえ、御大層らしい、私ゃア今こう成ったッても、昔の事を忘れない為に、今でもこうやって木綿物を着て夜延《よなべ》をしている位なんだ、それにまだ一昨年《おとゝし》の暮だっけ、お前が鮭《しゃけ》のせんばいでお酒を飲みてえものだというから……」
伴「静《しずか》にしろ、外聞《げえぶん》がわりいや、奉公人に聞えてもいけねえ」
みね「いゝよ私ゃア云うよ、云いますよ、それから貧乏世帯を張っていた事だから、私も一生懸命に三晩《みばん》寝ないで夜延をして、お酒を三合買って、鮭のせんばいで飲ませてやった時お前は嬉しがって、其の時何と云ったい、持つべきものは女房だと云って喜んだ事を忘れたかい」
伴「大きな声をするな、それだから己はもう彼処《あすこ》へ行かないというに」
みね「大きな声をしたっていゝよ、お前はお國さんの処《ところ》へお出《い》でよ、行ってもいゝよ、お前の方で余《あんま》り大きな事を云うじゃアないか」
と尚々《なお/\》大きな声を出すから、伴藏は
「オヤこの阿魔」
といいながら拳《こぶし》を上げて頭を打《う》つ、打たれておみねは哮《たけ》り立ち、泣声を振り立て、
みね「何を打《ぶ》ちやアがるんだ、さア百両の金をおくれ、私ゃア出て参りましょう、お前は此の栗橋から出た人だから身寄もあるだろうが、私は江戸生れで、斯《こ》んな所へ引張《ひっぱ》られて来て、身寄親戚《たより》がないと思っていゝ気に成って、私が年を取ったもんだから女狂いなんぞはじめ、今になって見放されては喰方《くいかた》に困るから、これだけ金をおくれ、出て往《い》きますから」
伴「出て往《ゆ》くなら出て往くがいゝが、何も貴様に百両の金を遣《や》るという因縁がねいやア」
みね「大層なことをお云いでないよ、私が考え付いた事で、幽霊から百両の金を貰ったのじゃないか」
伴「こら/\静《しずか》にしねえ」
みね「云ったっていゝよ、それから其の金で取りついて斯う成ったのじゃアないかそればかりじゃアねえ、萩原様を殺して海音如来のお像を盗み取って、清水の花壇の中へ埋めて置いたじゃアないか」
伴「静にしねえ、本当に気違《きちげ》えだなア、人の耳へでも入ったら何《ど》うする」
みね「私ゃア縛られて首を切られてもいゝよ、そうするとお前も其の儘《まゝ》じゃア置かないよ、百両おくれ、私ゃア別に成りましょう」
伴「仕様が無《ね》えな、己が悪かった、堪忍してくれ、そんなら是迄お前《めえ》と一緒になってはいたが、おれに愛想《あいそう》が尽きたなら此の宅《うち》はすっかりとお前にやってしまわア、と云うと、なにか己があの女でも一緒に連れて何処《どこ》かへ逃げでもすると思うだろうが、段々様子を聞けば、あの女は何か筋の悪い女だそうだから、もう好加減《いゝかげん》に切りあげる積り、それともこゝの家《うち》を二百両にでも三百両にでもたゝき売って仕舞って、お前を一緒に連れて越後の新潟あたりへ身を隠し、もう一と花咲かせ巨《でっ》かくやりてえと思うんだが、お前最《も》う一度跣足《はだし》になって苦労をしてくれる気はねえか」
みね「私だって無理に別れたいと云う訳でもなんでもありませんが、今に成ってお前が私を邪慳《じゃけん》にするものだから、そうは云ったものゝ、八年以来《このかた》連添っていたものだから、お前が見捨てないと云う事なら、何処《どこ》までも一緒に行こうじゃアないか」
伴「そんなら何も腹を立てる事はねえのだ、これから中直《なかなお》りに一杯《ぺい》飲んで、両人《ふたり》で一緒に寝よう」
と云いながらおみねの手首を取って引寄せる。
みね「およしよ、いやだよウ」
川柳《せんりゅう》に「女房の角を□□□でたゝき折り」で忽《たちま》ち中も直りました。それから翌日は伴藏がおみねに好きな衣類《きもの》を買って遣《や》るからというので、幸手へまいり、呉服屋で反物《たんもの》を買い、こゝの料理屋でも一杯やって両人《ふたり》連れ立ち、もう帰ろうと幸手を出て土手へさしかゝると、伴藏が土手の下へ降りに掛るから、
みね「旦那、どこへ行《ゆ》くの」
伴「実は江戸へ仕入《しいれ》に行った時に、あの海音如来の金無垢《きんむく》のお守を持って来て、此処《こゝ》へ埋めて置いたのだから、掘出《ほりだ》そうと思って来たんだ」
みね「あらまアお前はそれまで隠して私に云わないのだよ、そんなら早く人の目つまにかゝらないうちに掘ってお仕舞いよ」
伴「これは掘出して明日《あした》古河《こが》の旦那に売るんだ、何《なん》だか雨がポツ/\降って来たようだな、向うの渡し口の所からなんだか人が二人ばかり段々こっちの方へ来るような塩梅《あんべい》だから、見ていてくんねえ」
みね「誰も来《き》やアしないよ、どこへさ」
伴「向うの方へ気を付けろ」
という。向うは往来《おうらい》が三叉《みつまた》になっておりまして、側《かた》えは新利根《しんとね》大利根《おおとね》の流《ながれ》にて、折《おり》しも空はどんよりと雨もよう、幽《かす》かに見ゆる田舎家《いなかや》の盆灯籠《ぼんどうろう》の火もはや消えなんとし、往来《ゆきゝ》も途絶《とだ》えて物凄《ものすご》く、おみねは何心《なにごゝろ》なく向うの方へ目をつけている油断を窺《うかゞ》い、伴藏は腰に差したる胴金造《どうかねづく》りの脇差を音のせぬように引《ひっ》こ抜き、物をも云わず背後《うしろ》から一生懸命力を入れて、おみねの肩先目がけて切り込めば、キャッとおみねは倒れながら伴藏の裾《すそ》にしがみ付き、
みね「それじゃアお前は私を殺して、お國を女房に持つ気だね」
伴「知れた事よ、惚れた女を女房に持つのだ、観念しろ」
と云いさま、刀を逆手《さかて》に持直し、貝殻骨《かいがらぼね》のあたりから乳の下へかけ、したゝかに突込《つきこ》んだれば、おみねは七顛八倒の苦しみをなし、おのれ其の儘《まゝ》にして置こうかと、又も裾へしがみつく。伴藏は乗掛《のしかゝ》って止《とゞ》めを刺したから、おみねは息が絶えましたが、何《ど》うしてもしがみついた手を放しませんから、脇差にて一本々々指を切り落し、漸《ようや》く刀を拭《ぬぐ》い、鞘《さや》に納め、跡をも見ず飛ぶが如くに我家《わがや》に立帰り、慌《あわたゞ》しく拳《こぶし》をあげて門《かど》の戸を打叩《うちたゝ》き、
伴「文助、一寸《ちょっと》こゝを明けてくれ」
文「旦那でございますか、へいお帰り遊ばせ」
と表の戸を開く。伴藏ズッと中《うち》に入り、
伴「文助や、大変だ、今土手で五人の追剥《おいはぎ》が出て己の胸《むな》ぐらを掴《つか》まえたのを、払って漸く逃げて来たが、おみねは土手下へ降りたから、悪くすると怪我をしたかも知れない、何《ど》うも案じられる、どうか皆《みんな》一緒に行って見てくれ」
というので奉公人一同大いに驚き、手に/\半棒《はんぼう》栓張棒《しんばりぼう》なぞ携《たずさ》え、伴藏を先に立て土手下へ来て見れば、無慙《むざん》やおみねは目も当てられぬように切殺されていたから、伴藏は空涙《そらなみだ》を流しながら、
伴「あゝ可愛相な事をした、今一ト足早かったら、斯《こ》んな非業な死はとらせまいものを」
と嘘を遣《つか》い、人を走《は》せて其の筋へ届け、御検屍《ごけんし》もすんで家《うち》に引取り、何事もなく村方へ野辺の送りをしてしまいましたが、伴藏が殺したと気が付くものは有りません。段々日数《ひかず》も立って七日目の事ゆえ、伴藏は寺参りをして帰って来ると、召使のおますという三十一歳になる女中が俄《にわか》にがた/\と慄《ふる》えはじめて、ウンと呻《うな》って倒れ、何か譫言《うわこと》を云って困ると番頭がいうから、伴藏が女の寝ている所へ来て、
伴「お前《めえ》どんな塩梅《あんべい》だ」
ます「伴藏さん貝殻骨から乳の下へ掛けてズブ/\と突《つき》とおされた時の痛かったこと」
文「旦那様変な事を云いやす」
伴「おます、気を慥《たし》かにしろ、風でも引いて熱でも出たのだろうから、蒲団《ふとん》を沢山《たんと》かけて寝かしてしまえ」
と夜着《よぎ》を掛けるとおますは重い夜着や掻巻《かいまき》を一度にはね退《の》けて、蒲団の上にちょんと坐り、じいッと伴藏の顔を睨《にら》むから、
文「変な塩梅《あんべい》ですな」
伴「おます、確《しっ》かりしろ、狐にでも憑《つ》かれたのじゃアないか」
ます「伴藏さん、こんな苦しい事はありません、貝殻骨のところから乳のところまで脇差の先が出るほどまで、ズブ/\と突かれた時の苦しさは、何《なん》とも彼《か》とも云いようがありません」
と云われて伴藏も薄気味悪くなり、
伴「何を云うのだ、気でも違いはしないか」
ます「お互に斯《こ》うして八年以来《このかた》貧乏世帯を張り、やッとの思いで今はこれ迄になったのを、お前は私を殺してお國を女房にしようとは、マア余《あんま》り酷《ひど》いじゃアないか」
伴「これは変な塩梅《あんべい》だ」
と云うものゝ、腹の内では大いに驚き、早く療治をして直したいと思う所へ、此の節幸手に江戸から来ている名人の医者があるというから、それを呼ぼうと、人を走《は》せて呼びに遣《や》りました。
十八
伴藏は女房が死んで七日目に寺参りから帰った其の晩より、下女のおますが訝《おか》しな譫言《うわこと》を云い、幽霊に頼まれて百両の金を貰い、是迄の身代に取付いたの、萩原新三郎様を殺したの、海音如来のお守を盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋《うず》めたなどゝ喋《しゃべ》り立てるに、奉公人たちは何《なん》だか様子の分らぬ事ゆえ、只《たゞ》馬鹿な譫語《うわこと》をいうと思っておりましたが、伴藏の腹の中では、女房のおみねが己に取り付く事の出来ない所から、此の女に取付《とッつ》いて己の悪事を喋らせて、お上《かみ》の耳に聞えさせ、おれを召捕《めしと》り、お仕置《しおき》にさせて怨《うら》みをはらす了簡に違いなし、あの下女さえいなければ斯様《かよう》な事もあるまいから、いっそ宿元《やどもと》へ下げて仕舞おうか、いや/\待てよ、宿へ下げ、あの通りに喋られては大変だ、コリャうっかりした事は出来ないと思案にくれている処へ、先程幸手へ使《つかい》に遣《や》りました下男の仲助《なかすけ》が、医者同道で帰って来て、
男「旦那只今帰《けえ》りやした、江戸からお出《い》でなすったお上手なお医者様だそうだがやっと願いやして御一緒に来てもらいやした」
伴「これは/\御苦労さま、手前方は斯《こ》う云う商売柄店も散らかっておりますから、先《ま》ず此方《こちら》へお通り下さいまし」
と奥の間へ案内をして上座《かみざ》に請《しょう》じ、伴藏は慇懃《いんぎん》に両手をつかえ、
伴「初めましてお目通りを致します、私《わたくし》は関口屋伴藏と申します者、今日《こんにち》は早速の御入《おいり》で誠に御苦労様に存じまする」
医「はい/\初めまして、何か急病人の御様子、ハヽアお熱で、変な譫語《うわこと》などを云うと」
と言いながら不図《ふと》伴藏を見て、
「おや、これは誠に暫《しば》らく、これはどうも誠にどうも、どうなすって伴藏さん、先《ま》ず一別以来相変らず御機嫌宜しく、どうもマア図《はか》らざるところでお目に懸りました、これは君の御新宅《ごしんたく》かえ、恐入ったねえ、併《しか》し君は斯《か》くあるべき事だろうと、君が萩原新三郎様の所にいる時分から、あの伴藏さんおみねさんの夫婦は、どうも機転の利《き》き方、才智の廻る所から、中々只の人ではない、今にあれはえらい人になると云っていたが、十指《じっし》の指さす処鑑定《めがね》は違わず、実に君は大した表店《おもてだな》を張り、立派な事におなりなすったなア」
伴「いやこれは山本志丈さん、誠に思い掛けねえ所でお目にかゝりやした」
志「実は私も人には云えねえが江戸を喰い詰め、医者もしていられねえから、猫の額《ひたえ》のような家《うち》だが売って、其の金子を路用として日光辺の知己《しるべ》を頼って行《ゆ》く途中、幸手の宿屋で相宿《あいやど》の旅人《りょじん》が熱病で悩むとて療治を頼まれ、其の脉を取れば運よく全快したが、実は僕が治したんじゃアねえ、ひとりでに治ったんだが、運に叶《かな》って忽《たちま》ちにあれは名人だ名医だとの評が立ち、あっちこっちから療治を頼まれ、実はいゝ加減にやってはいるが、相応に薬礼をよこすから、足を留《と》めていたものゝ実は己ア医者は出来ねえのだ、尤《もっと》も傷寒論《しょうかんろん》の一冊位は読んだ事は有るが、一体病人は嫌《きれ》えだ、あの臭い寝床の側へ寄るのは厭《いや》だから、金さえあればツイ一杯呑む気になるようなものだから、江戸を喰い詰めて来たのだが、あの妻君《さいくん》はお達者かえ、イヤサおみねさんには久しく拝顔《はいがん》を得ないがお達者かえ」
伴「あれは」
と口ごもりしが、
「八日あとの晩土手下で盗賊《どろぼう》に切殺されましたよ、それから漸《ようや》く引取って葬式《とむらい》を出しました」
志「ヤレハヤこれはどうも、存外な、嘸《さぞ》お愁傷《しゅうしょう》、お馴染《なじみ》だけに猶更《なおさら》お察し申します、あの方は誠に御貞節ないゝお方であったが、これが仏家《ぶっか》でいう因縁とでも申しますのか、嘸まア残念な事でありましたろう、それでは御病人はお家内ではないね」
伴「えゝ内の女ですが、なんだか熱にうかされて妙な事を云って困ります」
志「それじゃア一寸《ちょっと》診《み》て上げて、後《あと》で又いろ/\昔の話をしながら緩《ゆる》りと一杯やろうじゃアないか、知らない土地へ来て馴染の人に逢うと何だか懐かしいものだ、病人は熱なら造作《ぞうさ》もないからねえ」
伴「文助や、先生は甘い物は召上がらねえが、お茶とお菓子と持って来て置け、先生此方《こっち》へお出《い》でなせえ、こゝが女部屋で」
志「左様か、マア暑いから羽織を脱ごうよ」
伴「おますや、お医者様が入《いら》っしゃったからよく診《み》ていたゞきな、気を確《しっ》かりしていろ、変な事をいうな」
志「どう云う御様子、どんな塩梅《あんばい》で」
と云いながら側へ近寄ると、病人は重い掻巻《かいまき》を反《は》ね退《の》けて布団の上にちゃんと坐り志丈の顔をジッと見詰めている。
志「お前どう云う塩梅で、大方風がこうじて熱となったのだろう、悪寒《さむけ》でもするかえ」
ます「山本志丈さん、誠に久しくお目にかゝりませんでした」
志「これは妙だ、僕の名を呼んだぜ」
伴「こいつは妙な譫語ばッかり云っていますよ」
志「だって僕の名を知っているのが妙だ、フウンどういう様子だえ」
ます「私はね、此の貝殻骨から乳の所までズブ/\と伴藏さんに突かれた時の」
伴「これ/\何を詰らねえ事をいうんだ」
志「宜しいよ、心配したもうな、それから何《ど》うしたえ」
ます「貴方《あなた》の御存じの通り、私共夫婦は萩原新三郎様の奉公人同様に追い使われ、跣足《はだし》になって駈《かけ》ずり廻っていましたが、萩原様が幽霊に取付かれたものだから、幡随院の和尚から魔除の御札を裏窓へ貼付けて置いて幽霊の這入《はい》れない様にした所から、伴藏さんが幽霊に百両の金を貰って其の御札を剥《はが》し」
伴「何を云うんだなア」
志「宜しいよ、僕だから、これは妙だ/\、へい、そこで」
ます「其の金から取付いて今はこれだけの身代となり、それのみならず萩原様のお首に掛けてる金無垢の海音如来の御守を盗み出し、根津の清水の花壇に埋め、剰《あまつさ》え萩原様を蹴殺《けころ》して体《てい》よく跡を取繕《とりつくろ》い」
伴「何を、とんでもない事を云うのだ」
志「よろしいよ僕だから、妙だ/\ヘイそれから」
ます「そうしてお前、そんなあぶく銭《ぜに》で是までになったのに、お前は女狂いを始め、私を邪魔にして殺すとは余《あんま》り酷《ひど》い」
伴「どうも仕様がないの、何をいうのだ」
志「よろしいよ、妙だ、心配したもうな、これは早速宿へ下げたまえ、と云うと、宿で又こんな譫語を云うと思し召そうが、下げれば屹度《きっと》云わない、此の家《うち》に居るから云うのだ、僕も壮年の折《おり》こういう病人を二度ほど先生の代脉《だいみゃく》で手掛けた事があるが、宿へ下げれば屹度云わないから下げべし/\」
と云われて、伴藏は小気味が悪いけれども、山本の勧めに任せ早速に宿を呼寄せ引渡し、表へ出るやいなや正気に復《かえ》った様子なれば、伴藏も安心していると今度は番頭の文助がウンと呻《うな》って夜着をかむり、寝たかと思うと起上り、幽霊に貰った百両の金でこれだけの身代になり上り、といい出したれば、又宿を呼んで下げてしまうと、今度は小僧が呻り出したれば又宿へ下げてしまい、奉公人残らずを帰し、あとには伴藏と志丈と二人ぎりになりました。
志「伴藏さん、今度呻ればおいらの番だが、妙だったね、だが伴藏さん打明けて話をしてくんなせえ、萩原さんが幽霊に魅《みい》られ、骨と一緒に死んでいたとの評判もあり、又首に掛けた大事の守りが掏代《すりかわ》っていたと云うが、其の鑑定はどうも分らなかった、尤《もっと》も白翁堂と云う人相見の老爺《おやじ》が少しは覚《けど》って新幡随院の和尚に話すと、和尚は疾《とう》より覚《さと》っていて、盗んだ奴が土中《どちゅう》へ埋め隠してあると云ったそうだが、今日《きょう》初めて此の病人の話によれば、僕の鑑定では慥《たしか》にお前と見て取ったが、もう斯《こ》うなったらば隠さず云ってお仕舞い、そうすれば僕もお前と一つになって事を計《はから》おうじゃないか、善悪共に相談をしようから打明け給え、それから君はおかみさんが邪魔になるものだから殺して置いて、盗賊《どろぼう》が斬殺《きりころ》したというのだろう、そうでしょう/\」
といわれて伴藏最早隠し遂《おお》せる事にもいかず、
伴「実は幽霊に頼まれたと云うのも、萩原様のあゝ云う怪しい姿で死んだというのも、いろ/\訳があって皆《みんな》私《わっち》が拵《こしら》えた事、というのは私が萩原様の肋《あばら》を蹴《けっ》て殺して置いて、こっそりと新幡随院の墓場へ忍び、新塚を掘起し、骸骨《しゃりこつ》を取出し、持帰って萩原の床の中へ並べて置き、怪しい死《しに》ざまに見せかけて白翁堂の老爺《おやじ》をば一ぺい欺込《はめこ》み、又海音如来の御守もまんまと首尾好《よ》く盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めて置き、それから己が色々と法螺《ほら》を吹いて近所の者を怖がらせ、皆あちこちへ引越《ひっこ》したを好《よ》いしおにして、己も亦《また》おみねを連れ、百両の金を掴《つか》んで此の土地へ引込《ひっこ》んで今の身の上、ところが己が他《わき》の女に掛り合った所から、嚊《かゝ》アが悋気《りんき》を起し、以前の悪事をがア/\と呶鳴《どな》り立てられ仕方なく、旨く賺《だま》して土手下へ連出して、己が手に掛け殺して置いて、追剥に殺されたと空涙で人を騙《だま》かし、弔《とむら》いをも済《すま》して仕舞った訳なんだ」
志「よく云った、誠に感服、大概の者ならそう打明けては云えぬものだに、己が殺したと速《すみやか》に云うなどは是は悪党アヽ悪党、お前にそう打明けられて見れば、私はお喋りな人間だが、こればッかりは口外はしないよ、其の代り少し好《この》みがあるが何《ど》うか叶えておくれ、と云うと何か君の身代でも当てにするようだが、そんな訳ではない」
伴「あゝ/\それはいゝとも、どんな事でも聞きやしょうから、どうか口外はして下さるな」
と云いながら懐中より廿五両包を取出し、志丈の前に差置いて、
伴「少《すく》ねえが切餅《きりもち》をたった一ツ取って置いてくんねえ」
志「これは云わない賃かえ薬礼ではないね、宜しい心得た、何《なん》だかこう金が入ると浮気になったようだから、一杯《ぺい》飲みながら、緩《ゆる》りと昔語《むかしがたり》がしてえのだが、こゝの家《うち》ア陰気だから、これから何処《どこ》かへ行って一杯やろうじゃアねえか」
伴「そいつは宜《よ》かろう、そんなら己《おい》らの馴染の笹屋へ行《ゆ》きやしょう」
と打連立《うちつれだ》って家《うち》を立出《たちい》で、笹屋へ上り込み、差向いにて酒を酌交《くみかわ》し、
伴「男ばかりじゃア旨くねえから、女を呼びにやろう」
とお國を呼寄せる。
國「おや旦那、御無沙汰を、よく入《いら》っしゃって、伺《うかゞ》いますればお内儀《かみ》さんは不慮の事がございましたと、定めて御愁傷な事で、私も旦那にちょいとお目に懸りたいと思っておりましたは、内の人の傷も漸《ようや》く治り、近々《きん/\》のうち越後へ向けて今一度《ひとたび》行《ゆ》きたいと云っておりますから、行った日には貴方にはお目に懸ることが出来ないと思っている所へお使《つかい》で、余《あんま》り嬉しいから飛んで来たんですよ」
伴「お國お連《つれ》の方に何故御挨拶をしないのだ」
國「これはあなた御免遊ばせ」
と云いながら志丈の顔を見て、
國「おや/\山本志丈さん、誠に暫《しばら》く」
志「これは妙、何《ど》うも不思議、お國さんがこゝにお出《い》でとは計らざる事で、これは妙、内々《ない/\》御様子を聞けば、思うお方と一緒なら深山《みやま》の奥までと云うようなる意気事筋《いきごとすじ》で、誠に不思議、これは希代《きたい》だ、妙々々」
と云われてお國はギックリ驚いたは、志丈はお國の身の上をば精《くわ》しく知った者ゆえ、若《も》し伴藏に喋べられてはならぬと思い、
國「志丈さんちょっと御免あそばせ」
と次の間へ立ち。
國「旦那ちょっと入っしゃい」
伴「あいよ、志丈さん、ちょいと待ってお呉れよ」
志「あゝ宜しい、緩《ゆっ》くり話をして来たまえ、僕はさようなことには慣れて居るから苦しくない、お構いなく、緩くりと話をして入っしゃい」
國「旦那どう云うわけであの志丈さんを連れて来たの」
伴「あれは内に病人があったから呼んだのよ」
國「旦那あの医者の云う事をなんでも本当にしちゃアいけませんよ、あんな嘘つきの奴はありません、あいつの云う事を本当にするととんでもない間違いが出来ますよ、人の合中《あいなか》を突《つッ》つく酷《ひど》い奴ですから、今夜はあの医者を何処《どっ》かへやって、貴方《あなた》独りこゝに泊っていて下さいな、そうすれば内の人を寝かして置いて、貴方の所へ来て、いろ/\お話もしたい事がありますから宜《よ》うございますか」
伴「よし/\、それじゃア内の方をいゝ塩梅《あんべい》にして屹度《きっと》来《き》ねえよ」
國「屹度来ますから待っておいでよ」
とお國は伴藏に別れ帰り行《ゆ》く。
伴「やア志丈さん、誠にお待ちどう」
志「誠にどうも、アハヽあの女はもう四十に近いだろうが若いねえ、君もなか/\お腕前《うでめえ》だね、大方君はあの婦人を喰っているのだろうが、これからはもう君と善悪を一ツにしようと約束をした以上は、君のためにならねえ事は僕は云うよ、一体君はあの女の身の上を知って世話をするのか知らないのか」
伴「おらア知らねえが、お前《めえ》さんは心安いのか」
志「あの婦人には男が附いて居る、宮野邊源次郎と云って旗下《はたもと》の次男だが、其奴《そいつ》が悪人で、萩原新三郎さんを恋慕《こいした》った娘の親御《おやご》飯島平左衞門という旗下の奥様附《づき》で来た女中で、奥様が亡くなった所から手がついて妾と成ったが今のお國で、源次郎と不義をはたらき、恩ある主人の飯島を斬殺《きりころ》し、有金《ありがね》二百六十両に、大小を三腰とか印籠を幾つとかを盗み取り逐電《ちくでん》した人殺しの盗賊《どろぼう》だ、すると後《あと》から忠義の家来藤助《とうすけ》とか孝助とか云う男が、主人の敵《かたき》を討ちたいと追《おっ》かけて出たそうだ、私の思うのは、あれは君に惚れたのではなく、源次郎が可愛《かあい》いからお前の云う事を聞いたなら、亭主のためになるだろうと心得、身を任せ、相対間男《あいたいまおとこ》ではないかと僕は鑑定するが、今聞けば急に越後へ立つと云い、僕をはいて君独り寝ている処へ源次郎が踏込んでゆすり掛け、二百両位の手切れは取る目算に違《ちげ》えねえが、君は承知かえ、だから君は今夜こゝに泊っていてはいけねえから、僕と一緒に何処《どっ》かへ女郎買に行ってしまい、あいつ等《ら》二人に素股《すまた》を喰わせるとは何《ど》うだえ」
伴「むゝ成程、そうか、それじゃアそうしよう」
と連立《つれだ》ってこゝを立出《たちい》で、鶴屋という女郎屋へ上《あが》り込む。後《あと》へお國と源次郎が笹屋へ来て様子を聞けば、先刻《さっき》帰ったと云うことに二人は萎《しお》れて立帰り、
源「お國もうこうなれば仕方がないから、明日《あした》は己が関口屋へ掛合いに行《ゆ》き、若《も》し向うでしらをきった其の時は」
國「私が行って喋りつけ口を明かさずたんまりとゆすってやろう」
と其の晩は寝てしまいました。翌朝《よくちょう》になり伴藏は志丈を連れて我家《わがや》へ帰り、種々《いろ/\》昨夜《ゆうべ》の惚気《のろけ》など云っている店前《みせさき》へ、
源「お頼ん申す/\」
伴「商人《あきんど》の店先へお頼ん申すと云うのは訝《おか》しいが、誰だろう」
志「大方ゆうべ話した源次郎が来たのかも知れねえ」
伴「そんならお前《めえ》其方《そっち》へ隠れていてくれ」
志「弥々《いよ/\》難かしくなったら飛出そうか」
伴「いゝから引込《ひっこ》んでいなよ……へい/\、少々宅《うち》に取込《とりこみ》が有りまして店を閉めて居りますが、何か御用ならば店を明けてから願いとうございます」
源「いや買物ではござらん、御亭主に少々御面談いたしたく参ったのだ、一寸《ちょっと》明けてください」
伴「左様でございますか、先《ま》ずお上《あが》り」
源「早朝より罷《まか》り出《い》でまして御迷惑、貴方《あなた》が御主人か」
伴「へい、関口屋伴藏は私《わたくし》でございます、こゝは店先どうぞ奥へお通りくださいまし」
源「然《しか》らば御免を蒙《こう》むる」
と蝋色鞘《ろいろざや》茶柄《ちゃつか》の刀を右の手に下げた儘《まゝ》に、亭主に構わずずっと通り上座《かみざ》に座す。
伴「どなた様でござりますか」
源「これは始めてお目に懸りました、手前は土手下に世帯《しょたい》を持っている宮野邊源次郎と申す粗忽《そこつ》の浪人、家内國事《こと》、笹屋方にて働女《はたらきおんな》をなし、僅《わずか》な給金にてよう/\其の日を送りいる処、旦那より深く御贔屓を戴くよし、毎度國より承わりおりますれど、何分足痛《そくつう》にて歩行も成り兼ねますれば、存じながら御無沙汰、重々御無礼をいたした」
伴「これはお初にお目通りをいたしました、伴藏と申す不調法もの幾久しく御懇意を願います、お前様の塩梅《あんばい》の悪いと云う事は聞いていましたが、よくマア御全快、私《わっち》もお國さんを贔屓にするというものゝ、贔屓の引倒しで何《なん》の役にも立ちません、旦那の御新造《ごしんぞ》がねえ、どうも恐れ入った、勿体《もってい》ねえ、馬士《まご》や私のようなものゝ機嫌気づまを取りなさるかと思えば気の毒だ、それがために失礼も度々《たび/\》致しやした」
源「どう致しまして、伴藏さんにちと折入って願いたい事がありますが、私共《わたくしども》夫婦は最早旅費を遣《つか》いなくし、殊《こと》には病中の入費《いりめ》薬礼や何やかやで全く財布《さいふ》の底を払《はた》き、漸《ようや》く全快しましたれば、越後路へ出立したくも如何《いか》にも旅費が乏しく、何《ど》うしたら宜《よ》かろうと思案の側から、女房が関口屋の旦那は御親切のお方ゆえ、泣附いてお話をしたらお見継《みつ》ぎくださる事もあろうとの勧めに任せ参りましたが、どうか路金《ろぎん》を少々拝借が出来ますれば有り難う存じます」
伴「これはどうも、そう貴方のように手を下げて頼まれては面目がありませんが」
と中は幾許《いくら》かしら紙に包んで源次郎の前にさし置き、
伴「ほんの草鞋銭《わらじせん》でございますが、お請取《うけと》り下せえ」
と云われて源次郎は取上げて見れば金千疋《びき》。
源「これは二両二分、イヤサ御主人、二両二分で越後まで足弱《あしよわ》を連れて行《ゆ》かれると思いなさるか、御親切序《つい》でにもそっとお恵みが願いたい」
伴「千疋では少ないと仰しゃるなら、幾許《いくら》上げたら宜《よ》いのでございます」
源「どうか百金お恵みを願いたい」
伴「一本え、冗談言っちゃアいけねえ、薪《まき》かなんぞじゃアあるめえし、一本の二本のと転がっちゃアいねえよ、旦那え、こういう事《こた》ア一体《たえ》此方《こっち》で上げる心持次第《しでい》のもので、幾許《いくら》かくらと限られるものじゃアねえと思いやす、百両くれろと云われちゃア上げられねえ、又道中もしようで限《きり》のないもの、千両も持って出て足りずに内へ取りによこす者もあり、四百の銭《ぜに》で伊勢参宮をする者もあり、二分の金を持って金毘羅参《こんぴらまい》りをしたと云う話もあるから、旅はどうとも仕様によるものだから、そんな事を云ったって出来はしません、誠に商人《あきんど》なぞは遊んだ金は無いもので、表店《おもてだな》を立派に張って居ても内々《ない/\》は一両の銭に困る事もあるものだ、百両くれろと云っても、そんなに私《わっち》はお前《めえ》さんにお恵みをする縁がねえ」
源「國が別段御贔屓になっているから、兎《と》やかく面倒云わず、餞別として百金貰おうじゃアねえか、何も云わずにサ」
伴「お前《めえ》さんはおつう訝《おか》しな事を云わっしゃる、何かお國さんと私《わっち》と姦通《くッつ》いてでもいるというのか」
源「おゝサ姦夫《まおとこ》の廉《かど》で手切《てぎれ》の百両を取りに来たんだ」
伴「ムヽ私《わっち》が不義をしたが何《ど》うした」
源「黙れ、やい不義をしたとはなんだ、捨て置き難《がた》い奴だ」
と云いながら刀を側へ引寄せ、親指にて鯉口《こいぐち》をプツリと切り、
「此の間から何かと胡散《うさん》の事もあったれど、堪《こら》え/\て是迄穏便沙汰《おんびんざた》に致し置き、昨晩それとなく國を責めた所、國の申すには、実は済まない事だが貧に迫って止《や》むを得ずあの人に身を任せたと申したから、其の場において手打にしようとは思ったれども、斯《こ》う云う身の上だから勘弁いたし、事穏《おだや》かに話をしたに、手前《てめえ》の口から不義したと口外されては捨置きがてえ、表向きに致さん」
と哮《たけ》り立って呶鳴ると、
伴「静《しずか》におしなせえ、隣はないが名主のない村じゃアないよ、お前《めえ》さんがそう哮り立って鯉口を切り、私《わっち》の鬢《びん》たを打切《うちき》る剣幕を恐れて、ハイさようならとお金を出すような人間と思うのは間違《まちげ》えだ、私なんぞは首が三ツあっても足りねえ身体だ、十一の時から狂い出して、脱《ぬ》け参《めえ》りから江戸へ流れ、悪いという悪い事は二三の水出し、遣《や》らずの最中《もなか》、野天丁半《のでんちょうはん》の鼻《はな》ッ張《ぱ》り、ヤアの賭場《どば》まで逐《お》って来たのだ、今は胼《ひゞ》皹《あかぎれ》を白足袋《しろたび》で隠し、なまぞらを遣《つか》っているものゝ、悪い事はお前より上だよ、それに又姦夫々々《まおとこ/\》というが、あの女は飯島平左衞門様の妾で、それとお前がくッついて殿様を殺し、大小や有金《ありがね》を引攫《ひっさら》い高飛《たかとび》をしたのだから、云わばお前も盗みもの、それにお國も己なんぞに惚れたはれたのじゃなく、お前が可愛いばッかりで、病気の薬代《やくだい》にでもする積りで此方《こっち》に持ち掛けたのを幸いに、己もそうとは知りながら、ツイ男のいじきたな、手を出したのは此方の過《あやま》りだから、何も云わずに千疋を出し、別段餞別《はなむけ》にしようと思い、これ此の通り廿五両をやろうと思っている処、一本よこせと云われちゃア、どうせ細《ほそ》った首だから、素首《そっくび》が飛んでも一文もやれねえ、それにお前よく聞きねえ、江戸近《ぢか》のこんな所にまご/\していると危ねえぜ、孝助とかゞ主人の敵《かたき》だと云ってお前を狙っているから、お前の首が先へ飛ぶよ、冗談じゃアねえ」
と云われて源次郎は途胸《とむね》を突いて大いに驚き、
源「さような御苦労人とも知らず、只の堅気《かたぎ》の旦那と心得、威《おど》して金を取ろうとしたのは誠に恐縮の至り、然《しか》らば相済みませんが、これを拝借願います」
伴「早く行《ゆ》きなせえ、危険《けんのん》だよ」
源「さようならお暇《いとま》申します」
伴「跡をしめて行ってくんな」
志丈は戸棚より潜《もぐ》り出し、
志「旨かったなア、感服だ、実に感服、君の二三の水出し、やらずの最中《もなか》とは感服、あゝ何《ど》うもそこが悪党、あゝ悪党」
これより伴藏は志丈と二人連れ立って江戸へ参り、根津の清水の花壇より海音如来の像を掘出す処から、悪事露顕の一埓《らつ》はこの次までお預りに致しましょう。
十九
引続きまする怪談牡丹灯籠のお話は、飯島平左衞門の家来孝助は、主人の仇《あだ》なる宮野邊源次郎お國の両人が、越後の村上へ逃げ去りましたとのことゆえ、跡を追って村上へまいり、諸方を詮議致しましたが、とんと両人の行方が分りませんで、又我が母おりゑと申す者は、内藤紀伊守《ないとうきいのかみ》の家来にて、澤田右衞門《さわだうゑもん》の妹《いもと》にて、十八年以前に別れたが、今も無事でいられる事か、一目お目に懸りたい事と、段々御城中の様子を聞合《きゝあわ》せまする処、澤田右衞門夫婦は疾《とく》に相果て、今は養子の代に相成って居《お》る事ゆえ母の行方さえとんと分らず、止《や》むを得ず此処《こゝ》に十日ばかし、彼処《あすこ》に五日逗留いたし、彼方此方《あちこち》と心当りの処《ところ》を尋ね、深く踏込んで探って見ましたけれども更に分らず、空《むな》しく其の年も果て、翌年に相成って孝助は越後路から信濃路へかけ、美濃路へかゝり探しましたが一向に分らず、早《は》や主人の年囘《ねんかい》にも当る事ゆえ、一度江戸へ立帰らんと思い立ち、日数《ひかず》を経て、八月三日江戸表へ着《ちゃく》いたし、先《ま》ず谷中の三崎村なる新幡随院へ参り、主人の墓へ香花《こうげ》を手向《たむ》け水を上げ、墓原《はかはら》の前に両手を突きまして、
孝「旦那様私《わたくし》は身不肖《ふしょう》にして、未《ま》だ仇《あだ》たるお國源次郎に|《めぐ》り逢わず、未だ本懐は遂げませんが、丁度旦那様の一周忌の御年囘に当りまする事ゆえ、此の度《たび》江戸表へ立帰り、御法事御供養をいたした上、早速又敵《かたき》の行方を捜しに参りましょう、此の度は方角を違え、是非とも穿鑿《せんさく》を遂げまするの心得、何卒《なにとぞ》草葉の蔭からお守りくださって、一時《いっとき》も早く仇の行方の知れまするようにお守り下されまし」
と生きたる主人に物云う如く恭《うや/\》しく拝《はい》を遂げましてから、新幡随院の玄関に掛りまして、
「お頼み申します/\」
取次「どウれ、はア何方《どちら》からお出《い》でだな」
孝「手前は元牛込の飯島平左衞門の家来孝助と申す者でございますが、此の度主人の年囘を致したき心得で墓参りを致しましたが、方丈様御在寺《ございじ》なればお目通りを願いとう存じます」
取「さようですか、暫《しばら》くお控えなさい」
と是から奥へ取次ぎますると、此方《こちら》へお通し申せという事ゆえ、孝助は案内に連《つれ》られ奥へ通りますると、良石和尚は年五十五歳、道心堅固の智識にて大悟《だいご》徹底致し、寂寞《じゃくまく》と坐蒲団の上に坐っておりまするが、道力《どうりょく》自然に表に現われ、孝助は頭がひとりでに下がるような事で、
孝「これは方丈様には初めてお目にかゝりまする、手前事は相川孝助と申す者でございますが、当年は旧主人飯島平左衞門の一周忌の年囘に当る事ゆえ、一度江戸表へ立帰りましたが、爰《こゝ》に金子五両ございまするが、これにて宜しく御法事御供養を願いとう存じます」
良「はい、初めまして、まアこっちへ来なさい、これはまア感心な事で…コレ茶を進ぜい…お前さんが飯島の御家来孝助殿か、立派なお人でよい心懸け、長旅を致した身の上なれば定めて沢山の施主《せしゅ》もあるまい、一人か二人位の事であろうから、内の坊主どもに云い付けて何か精進物を拵《こしら》えさせ、成るたけ金のいらんように、手は掛るが皆此方《こちら》でやって置くが、一ヶ寺《じ》の住職を頼んで置きますが、お前ナア余り早く来ると此方で困るから、昼飯《ひるはん》でも喰ってからそろそろ出掛け、夕飯《ゆうはん》は此方で喰う気で来なさい、そしてお前は是から水道端の方へ行《ゆ》きなさろうが、お前を待っている人がたんとある、又お前は悦び事か何か目出度《めでた》い事があるから早う行って顔を見せてやんなさい」
孝「へい、私《わたくし》は水道端へ参りまするが、貴僧《あなた》は何《ど》うしてそれを御存じ、不思議な事でございます」
と云いながら、
「左様ならば明日《あした》昼飯を仕舞いまして又出ますから、何分宜しくお願い申しまする、御機嫌よろしゅう」
と寺を出ましたが、心の内に思うよう、何うも不思議な和尚様だ、何うして私《わたし》が水道端へ行《ゆ》く事を知っているだろうか、本当に占者《うらないしゃ》のような人だと云いながら、水道端なる相川新五兵衞方へ参りましたが、孝助は養子に成って間もなく旅へ出立し、一年ぶりにて立帰りました事ゆえ、少しは遠慮いたし、台所口から、
孝「御免下さいまし、只今帰りましたよ、これ/\善藏どん/\」
善「なんだよ、掃除屋が来たのかえ」
孝「ナニ私だよ」
善「おやこれはどうも、誠に失礼を申上げました、いつも今時分掃除屋が参りまするものですから、粗相を申しましたが、よくマア早くお帰りになりました、旦那様々々孝助様がお帰りになりました」
相「なに孝助殿が帰られたとか、何処《どこ》にお出《い》でになる」
善「へい、お台所にいらっしゃいます」
相「どれ/\、これはマア、何《な》んで台所などから来るのだ、そう云えば水は汲んで廻すものを、善藏コレ善藏何をぐる/\廻って居《お》るのだ、コレ婆《ばゞ》ア孝助どのがお帰りだよ」
婆「若旦那がお帰りでございますか、これはマア嘸《さぞ》お疲れでございますだろう、先《ま》ず御機嫌宜しゅう」
孝「お父様《とっさま》にも御機嫌宜しゅう、私《わたくし》も都度々々《つど/\》書面を差上げたき心得ではございまするが、何分旅先の事ゆえ思うようにはお便《たよ》りも致し難《がた》く、お父様は何うなされたかと日々お案じ申しまするのみでございましたが、先ずはお健《すこや》かなる御顔《おんかお》を拝しまして誠に大悦《たいえつ》に存じまする」
相「誠にお前も目出たく御帰宅なされ、新五兵衞至極満足いたしました、はい実にねえ烏《からす》の鳴かぬ日はあるがと云う譬《たとえ》の通りで、お前のことは少しも忘れたことはない、雪の降る日は今日あたりはどんな山を越すか、風の吹く日はどんな野原を通るかと、雨につけ風につけお前の事ばかり少しも忘れた事はござらん、ところへ思いがけなくお帰りになり、誠に喜ばしく思いまする、娘もお前のことばかり案じ暮らし、お前の立った当座は只《た》だ泣いてばかりおりましたから私がそんなにくよ/\して煩《わずら》いでもしてはいかないから、気を取り直せよといい聞かせて置きましたが、お前もマア健かでお早くお帰りだ」
孝「私《わたくし》は今日江戸へ着き、すぐに谷中の幡随院へ参詣《さんけい》をいたして来ましたが、明日《あした》は丁度主人の一周忌の年囘にあたりまするゆえ、法事供養をいたしたく立帰りました」
相「そうか、如何《いか》にも明日《あした》は飯島様の年囘に当るからと思ったが、お前がお留守だから私でも代参に行《ゆ》こうかと話をしていたのだこれ婆ア、こゝへ来な、孝助様がお帰りになった」
婆「あら若旦那様お帰り遊ばしませ、御機嫌様よろしゅう、貴方《あなた》がお立ちになってからというものは、毎日お噂ばかり致しておりましたが、少しもお窶《やつ》れもなく、お色は少しお黒くおなり遊ばしましたが、相変らずよくまアねえ」
相「婆ア、あれを連れて来なよ」
婆「でも只今よく寝んねしていらッしゃいますから、おめんめが覚めてから、お笑い顔を御覧に入れる方が宜しゅうございましょう」
相「ウンそうだ、初めて逢うのに無理にめんめを覚《さま》さして泣顔ではいかんから、だが大概にしてこゝへ連れて抱いて来い」
娘お徳は次の間に乳児《ちのみご》を抱いて居りましたが、孝助の帰るを聞き、飛立つばかり、嬉し涙を拭いながら出て来て、
徳「旦那様御機嫌様よろしゅう、よくマアお早くお帰り遊ばしました、毎日々々貴方のお噂ばかり致しておりましたが、お窶れも有りませんでお嬉しゅう存じまする」
孝「はい、お前も達者で目出たい、私が留守中はお父様の事何かと世話に成りました、旅先の事ゆえ都度々々便りも出来ず、どうなされたかと毎日案じるのみであったが、誠に皆《みんな》の達者な顔を見るというは此の様な嬉しいことはない」
徳「私は昨晩旦那様の御出立になる処を夢に見ましたが、よく人が旅立《たびだち》の夢を見ると其の人にお目にかゝる事が出来ると申しますから、お近いうち旦那様にお目にかゝれるかと楽しんで居りましたが、今日お帰りとは思いませんでした」
相「おれも同じような夢を見たよ、婆アや抱いてお出《い》で、最《も》うおきたろう」
婆々《ばゞ》は奥より乳児《ちのみご》を抱いて参る。
相「孝助殿これを御覧、いゝ児《こ》だねえ」
孝「どちらのお子様で」
相「ナニサお前の子だアね」
孝「御冗談ばかり云っていらっしゃいます、私《わたくし》は昨年の八月旅へ出ましたもので、子供なぞはございません」
相「只《たった》一ぺんでも子供は出来ますよ、お前は娘と一つ寝をしたろう、だから只一度でも子は出来ます、只一度で子供が出来るというのは余程《よっぽど》縁の深い訳で、娘も初《はじめ》のうちはくよ/\しているから、私が懐姙をしているからそれではいかん、身体に障《さわ》るからくよ/\せんが宜しいと云っているうちに産み落したから、私が名付け親で、お前の孝の字を貰って孝太郎《こうたろう》と付けてやりましたよ、マアよく似ておる事を、御覧よ」
孝「へい誠に不思議な事で、主人平左衞門様が遺言に、其の方養子となりて、若《も》し子供が出来たなら、男女《なんにょ》に拘《かゝわ》らず其の子を以《もっ》て家督と致し家の再興を頼むと御遺言書にありましたが、事によると殿様の生れ変《がわ》りかも知れません」
相「おゝ至極左様かも知れん、娘も子供が出来てからねえ、嬉し紛れにお父様私は旦那様の事はお案じ申しまするが、此の子が出来ましてから誠によく旦那様に似ておりますから、少しは紛れて、旦那様と一つ所におるように思われますというたから、私が又余《あんま》り酷《ひど》く抱締めて、坊の腕でも折るといけないなんぞと、馬鹿を云っている位な事で、善藏や」
善「へい/\」
相「善藏や」
善「参っています、何《なん》でございます」
相「何だ、お前も板橋まで若旦那を送って行ったッけな」
善「へい参りました、これは若旦那様誠に御機嫌よろしゅう、あの折は実にお別れが惜しくて、泣きながら戻って参りましたが、よくマアお健かでいらっしゃいます」
孝「あの折は大きにお世話様であったのう」
相「それは兎も角も肝腎の仇《あだ》の手掛りが知れましたか」
孝「まだ仇には廻《めぐ》り逢いませんが、主人の法事をしたく一先ず江戸表へ立帰りましたが、法事を致しまして直《すぐ》に又出立致します」
相「フウ成程、明日《あす》法事に行《ゆ》くのだねえ」
孝「左ようでございます、お父様と私《わたくし》と参りまする積りでございます、それに良石和尚の智識なる事は予《かね》て聞き及んではいましたが、応験解道《おうけんげどう》窮《きわま》りなく、百年先の事を見抜くという程だと承わっておりまするが、今日和尚の云う言葉に其の方は水道端へ参るだろう、参る時は必ず待っている者があり、且《かつ》慶《よろこ》び事があると申しましたが、私の考えは、斯《か》く子供の出来た事まで良石和尚は知っておるに違い有りません」
相「はてねえ、そんな所まで見抜きましたかえ、智識なぞという者は趺跏量見智《ふかりょうけんち》で[#「趺跏量見智《ふかりょうけんち》で」は底本では「跌跏量見智《ふかりょうけんち》で」]、あの和尚は谷中の何とか云う智識の弟子と成り、禅学を打破ったと云う事を承わりおるが、えらいものだねえ、善藏や、大急ぎで水道町の花屋へ行って、おめでたいのだから、何かお頭付《かしらつき》の魚を三品ばかりに、それからよいお菓子を少し取ってくるように、道中には余り旨いお菓子はないから、それから鮓《すし》も道中では良いのは食べられないから、鮓も少し取ってくるように、それから孝助殿は酒はあがらんから五合ばかりにして、味淋《みりん》のごく良いのを飲むのだから二合ばかり、それから蕎麦《そば》も道中にはあるが、醤油《したじ》が悪いから良い蕎麦の御膳の蒸籠《せいろう》を取って参れ、それからお汁粉も誂《あつ》らえてまいれ」
と種々《いろ/\》な物を取寄せ、其の晩はめでたく祝しまして床に就《つ》きましたが、其の夜《よ》は話も尽きやらず、長き夜も忽《たちま》ち明ける事になり、翌日刻限を計り、孝助は新五兵衞と同道にて水道端を[#「水道端を」は底本では「水道橋を」]立出《たちい》で切支丹坂《きりしたんざか》から小石川にかゝり、白山《はくさん》から団子坂《だんござか》を下《お》りて谷中の新幡随院へ参り、玄関へかゝると、お寺には疾《と》うより孝助の来るのを待っていて、
良「施主が遅くって誠に困るなア、坊主は皆《みんな》本堂に詰懸《つめか》けているから、さア/\早く」
と急《せ》き立てられ、急ぎ本堂へ直りますると、かれこれ坊主の四五十人も押並《おしなら》び、いと懇《ねんごろ》なる法事供養をいたし、施餓鬼《せがき》をいたしまする内に、もはや日は西山《せいざん》に傾く事になりましたゆえ、坊様達《ぼうさんたち》には馳走なぞして帰してしまい、後《あと》で又孝助、新五兵衞、良石和尚の三人へは別に膳がなおり、和尚の居間で一口飲むことになりました。
相「方丈様には初めてお目にかゝります、私《わたくし》は相川新五兵衞と申す粗忽な者でございます、今日《こんにち》又御懇《ごねんごろ》な法事供養を成しくだされ、仏も嘸《さぞ》かし草葉の蔭から満足な事でございましょう」
良「はいお前は孝助殿の舅御《しゅうとご》かえ、初めまして、孝助殿は器量と云い人柄と云い立派な正しい人じゃ、中々正直な人間で余程怜悧《りこう》じゃが、お前はそゝっかしそうな人じゃ」
相「方丈様はよく御存じ、気味のわるいようなお方だ」
良「就《つ》いては、孝助殿は旅へ行《ゆ》かれる事を承わったが、未《ま》だ急には立ちはせまいのう、私が少し思う事があるから、明日《あす》昼飯《ひるめし》を喰って、それから八《や》ツ前後に神田の旅籠町《はたごちょう》へ行《ゆ》きなさい、其処《そこ》に白翁堂勇齋という人相を見る親爺《おやじ》がいるが、今年はもう七十だが達者な老人でなア、人相は余程名人だよ、是《こ》れに頼めばお前の望みの事は分ろうから往《い》って見なさい」
孝「はい、有り難う存じます、神田の旅籠町でございますか、畏《かしこま》りました」
良「お前旅へ行《ゆ》くなれば私が餞別を進ぜよう、お前が折角呉れた布施は此方《こちら》へ貰って置くが、又私が五両餞別に進ぜよう、それから此の線香は外《ほか》から貰ってあるから一箱進ぜよう仏壇へ線香や花の絶えんように上げて置きなさい、是れだけは私が志じゃ」
相「方丈様恐れ入りまする、何《ど》うも御出家様からお線香なぞ戴いては誠にあべこべな事で」
良「そんな事を云わずに取って置きなさい」
孝「誠に有り難う存じます」
良「孝助殿気の毒だが、お前はどうも危い身の上でナア、剣《つるぎ》の上を渡るようなれども、それを恐れて後《あと》へ退《さが》るような事ではまさかの時の役には立たん、何《なん》でも進むより外《ほか》はない、進むに利あり退《しりぞ》くに利あらずと云うところだから、何でも憶《おく》してはならん、ずっと精神を凝《こら》して、仮令《たとえ》向うに鉄門があろうとも、それを突切《つッき》って通り越す心がなければなりませんぞ」
孝「有難うござりまする」
良「お舅御さん、これはねえ精進物だが、一体内で拵《こしら》えると云うたは嘘だが、仕出し屋へ頼んだのじゃ、甘《うも》うもあるまいが此の重箱へ詰めて置いたから、二重とも土産に持って帰り、内の奉公人にでも喰わしてやってください」
相「これは又お土産まで戴き、実に何ともお礼の申そうようはございません」
良「孝助殿、お前帰りがけに屹度《きっと》剣難が見えるが、どうも遁《のが》れ難いから其の積りで行《ゆ》きなさい」
相「誰に剣難がございますと」
良「孝助殿はどうも遁れ難い剣難じゃ、なに軽くて軽傷《うすで》、それで済めば宜しいが、何うも深傷《ふかで》じゃろう、間が悪いと斬り殺されるという訳じゃ、どうもこれは遁れられん因縁じゃ」
相「私《わたくし》は最早五十五歳になりまするから、どう成っても宜しいが、貴僧《あなた》孝助は大事な身の上、殊《こと》に大事を抱えて居りまする故、どうか一つあなたお助け下さいませんか」
良「お助け申すと云っても、これはどうも助けるわけにはいかんなア、因縁じゃから何うしても遁るゝ事はない」
相「左様ならば、どうか孝助だけを御当寺《ごとうじ》へお留《と》め置きくだされ、手前《てまい》だけ帰りましょうか」
良「そんな弱い事では何うもこうもならんわえ、武士の一大事なものは剣術であろう、其の剣術の極意というものには、頭の上へ晃《きら》めくはがねがあっても、電光《いなづま》の如く斬込んで来た時は何うして之《これ》を受けるという事は知っているだろう、仏説《ぶっせつ》にも利剣《りけん》頭面《ずめん》に触《ふ》るゝ時如何《いかん》という事があって其の時が大切の事じゃ、其の位な心得はあるだろう、仮令《たとえ》火の中でも水の中でも突切《つッき》って行《ゆ》きなさい、其の代りこれを突切れば後《あと》は誠に楽になるから、さっ/\と行きなさい、其のような事で気怯《きおく》れがするような事ではいかん、ズッ/\と突切って行くようでなければいかん、それを恐れるような事ではなりませんぞ、火に入《い》って焼けず水に入って溺《おぼ》れず、精神を極《きよ》めて進んで行きなさい」
相「さようなれば此のお重箱は置いて参りましょう」
良「いや折角だからマア持って行《ゆ》きなさい」
相「何方《どちら》へか遁路《にげみち》はございませんか」
良「そんな事を云わずズン/″\と行《ゆ》きなさい」
相「さようならば提灯《ちょうちん》を拝借して参りとうございます」
良「提灯を持たん方が却《かえっ》て宜しい」
と云われて相川は意地の悪い和尚だと呟《つぶや》きながら、挨拶もそわ/\孝助と共に幡随院の門を立出《たちい》でました。
二十
孝助は新幡随院にて主人の法事を仕舞い、其の帰り道に遁《のが》れ難き剣難あり、浅傷《あさで》か深傷《ふかで》か、運がわるければ斬り殺される程の剣難ありと、新幡随院の良石和尚という名僧智識の教えに相川新五兵衞も大いに驚き、孝助はまだ漸《ようや》く廿二歳、殊《こと》に可愛いゝ娘の養子といい、御主《おしゅう》の敵《かたき》を打つまでは大事な身の上と、種々《いろ/\》心配をしながら打ち連れ立ちて帰る。孝助は仮令《たとえ》如何《いか》なる災《わざわい》があっても、それを恐れて一歩でも退《しりぞ》くようでは大事を仕遂げる事は出来ぬと思い、刀に反《そり》を打ち、目釘《めくぎ》を湿《しめ》し、鯉口《こいぐち》を切り、用心堅固に身を固め、四方に心を配りて参り、相川は重箱を提《さ》げて、孝助殿気を付けて行《ゆ》けと云いながら参りますると、向うより薄《すゝき》だゝみを押分けて、血刀《ちがたな》を提げ飛出して、物をも云わず孝助に斬り掛けました。此の者は栗橋無宿の伴藏にて、栗橋の世帯《しょたい》を代物付《しろものつき》にて売払い、多分の金子《かね》をもって山本志丈と二人にて江戸へ立退《たちの》き、神田佐久間町《かんださくまちょう》の医師何某《なにがし》は志丈の懇意ですから、二人はこゝに身を寄せて二三日逗留し、八月三日の夜《よ》二人は更《ふ》けるを待ちまして忍び来《きた》り、根津の清水に埋《うず》めて置いた金無垢の海音如来の尊像《そんぞう》を掘出し、伴藏は手早く懐中へ入れましたが、伴藏の思うには、我が悪事を知ったは志丈ばかり、此の儘《まゝ》に生《い》け置かば後《のち》の恐れと、伴藏は差したる刀抜くより早く飛びかゝって、出し抜けに力に任して志丈に斬り付けますれば、アッと倒れる所を乗《の》し掛り、一刀逆手《さかて》に持直し、肋《あばら》へ突込《つきこ》みこじり廻せば、山本志丈は其の儘にウンと云って身を顫《ふる》わせて、忽《たちま》ち息は絶えましたが、此の志丈も伴藏に与《くみ》し、悪事をした天罰のがれ難く斯《かゝ》る非業を遂げました、死骸を見て伴藏は後《あと》へさがり、逃げ出さんとする所、御用と声掛け、八方より取巻かれたに、伴藏も慌《あわ》てふためき必死となり、捕方《とりかた》へ手向いなし、死物狂いに斬り廻り、漸《ようや》く一方を切抜けて薄《すゝき》だゝみへ飛込んで、往来の広い所へ飛出す出合がしら、伴藏は眼も眩《くら》み、是《こ》れも同じ捕方と思いましたゆえ、ふいに孝助に斬掛けましたが、大概の者なれば真二《まっぷた》つにもなるべき所なれども、流石《さすが》は飯島平左衞門の仕込で真影流に達した腕前、殊《こと》に用意をした事ゆえ、それと見るより孝助は一歩《あし》退《しりぞ》きしが、抜合《ぬきあわ》す間もなき事ゆえ、刀の鍔元《つばもと》にてパチリと受流し、身を引く途端に伴藏がズルリと前へのめる所を、腕を取って逆に捻倒《ねじたお》し。
孝「やい/\曲者《くせもの》何《なん》と致す」
曲「へい真平御免《まっぴらごめん》下さえまし」
相「そら出たかえ、孝助怪我は無いか」
孝「へい怪我はございません、こりゃ狼藉者《ろうぜきもの》め何等《なんら》の遺恨で我に斬付けたか、次第を申せ」
曲「へい/\全く人違いでごぜえやす」
と小声にて、
「今この先で友達と間違いをした所が、皆《みんな》が徒党をして、大勢で私《わっち》を打殺《うちころ》すと云って追掛《おっか》けたものだから、一生懸命に此処《こゝ》までは逃げて来たが、目が眩んでいますから、殿様とも心付きませんで、とんだ粗相を致しました、何《ど》うかお見逃しを願います、其奴《そいつ》らに見付けられると殺されますから、早くお逃しなすって下されませ」
孝「全くそれに違いないか」
曲「へい、全く違《ちげ》えごぜえやせん」
相「あゝ驚いた、これ人違いにも事によるぞ、斬ってしまってから人違いで済むか、べらぼうめ、実に驚いた、良石和尚のお告げは不思議だなアおや今の騒ぎで重箱を何処《どこ》かへ落してしまった」
と四辺《あたり》を見している所へ、依田豊前守《よだぶぜんのかみ》の組下にて石子伴作《いしこばんさく》、金谷藤太郎《かなやとうたろう》という両人の御用聞《ごようきゝ》が駆けて来て、孝助に向い慇懃《いんぎん》に、
捕「へい申し殿様、誠に有難う存じます、此の者はお尋ね者にて、旧悪のある重罪な奴でござります、私共《わたくしども》は彼処《あすこ》に待受けていまして、つい取逃がそうとした処を、旦那様のお蔭で漸《ようや》くお取押えなされ、有難うございます、どうかお引渡しを願いとう存じます」
相「そうかえ、あれは賊かい」
捕「大盗賊《おおどろぼう》でござります」
孝「お父様《とっさま》呆れた奴でございます、此の不埓者め」
相「なんだ、人違いだなぞと嘘をついて、嘘をつく者は盗賊《どろぼう》の始りナニ疾《と》うに盗賊にもう成っているのだから仕方がない、直《す》ぐに縄を掛けてお引きなさい」
捕「殿様のお蔭で漸く取押え、誠に有り難う存じます、何《ど》うかお名前を承わりとう存じます」
相「不浄人を取押えたとて姓名なぞを申すには及ばん、これ/\/\重箱を落したから捜してくれ、あゝこれだ/\、危なかったのう」
孝「然《しか》しお父様、何分悪人とは申しながら、主人の法事の帰るさに縄を掛けて引渡すは何うも忍びない事でございます」
相「なれども左様《そう》申してはいられない、渡してしまいなさい、早く引きなされ」
捕方は伴藏を受取り、縄打って引立て行《ゆ》き、其の筋にて吟味の末、相当の刑に行われましたことはあとにて分ります。さて相川は孝助を連れて我《わが》屋敷に帰り、互に無事を悦び、其の夜《よ》は過ぎて翌日の朝、孝助は旅支度の用意の為《た》め、小網町《こあみちょう》辺へ行って種々《いろ/\》買物をしようと家《うち》を立ち出《い》で、神田旅籠町へ差懸る、向うに白き幟《のぼり》に人相墨色《すみいろ》白翁堂勇齋とあるを見て、孝助は
「はゝアこれが、昨日《きのう》良石和尚が教えたには今日の八ツ頃には必ず逢いたいものに逢う事が出来ると仰せあった占者《うらないしゃ》だな、敵《かたき》の手掛りが分り、源次郎お國に廻《めぐ》り逢う事もやあろうか、何にしろ判断して貰おう」
と思い、勇齋の門辺《かどべ》に立って見ると、名人のようではござりません。竹の打ち付け窓に煤《すゝ》だらけの障子を建て、脇に欅《けやき》の板に人相墨色白翁堂勇齋と記して有りますが、家の前などは掃除などした事はないと見え、塵《ごみ》だらけゆえ、孝助は足を爪立《つまだ》てながら中《うち》に入《い》り、
孝「おたのみ申します/\」
白「なんだナ、誰だ、明けてお入《はい》り、履物《はきもの》を其処《そこ》へ置くと盗まれるといけないから持ってお上《あが》り」
孝「はい、御免下さいまし」
と云いながら障子を明けて中《うち》へ通ると、六畳ばかりの狭い所に、真黒《まっくろ》になった今戸焼《いまどやき》の火鉢の上に口のかけた土瓶《どびん》をかけ、茶碗が転がっている。脇の方に小さい机を前に置き、其の上に易書《えきしょ》を五六冊積上げ、傍《かたえ》の筆立《ふでたて》には短かき筮竹《ぜいちく》を立て、其の前に丸い小さな硯《すゞり》を置き、勇齋はぼんやりと机の前に座しました態《さま》は、名人かは知らないが、少しも山も飾りもない。じゞむさくしている故、名人らしい事は更になけれども、孝助は予《か》ねて良石和尚の教えもあればと思って両手を突き、
孝「白翁堂勇齋先生は貴方様《あなたさま》でございますか」
白「はい、始めましてお目にかゝります、勇齋は私だよ、今年はもう七十だ」
孝「それは誠に御壮健な事で」
白「まア/\達者でございます、お前は見て貰いにでも来たのか」
孝「へい手前は谷中新幡随院の良石和尚よりのお指図《さしず》で参りましたものでございますが、先生に身の上の判断をしていたゞきとうございます」
白「はゝア、お前は良石和尚と心安いか、あれは名僧だよ、智識だよ、実に生仏《いきぼとけ》だ、茶は其処《そこ》にあるから一人で勝手に汲んでお上り、ハヽアお前は侍さんだね、何歳《いくつ》だえ」
孝「へい、二十二歳でございます」
白「ハア顔をお出し」
と天眼鏡を取出し、暫《しばら》くのあいだ相を見ておりましたが、大道の易者のように高慢は云わず
白「ハヽアお前さんはマア/\家柄の人だ、して是まで目上に縁なくして誠にどうも一々苦労ばかり重なって来るような訳に成ったの」
孝「はい、仰せの通り、どうも目上に縁がございません」
白「其処《そこ》でどうも是迄の身の上では、薄氷《はくひょう》を蹈《ふ》むが如く、剣《つるぎ》の上を渡るような境界《きょうがい》で、大いに千辛万苦《しんばんく》をした事が顕《あら》われているが、そうだろうの」
孝「誠に不思議、実によく当りました、私《わたくし》の身の上には危《あやう》い事ばかりでございました」
白「それでお前には望みがあるであろう」
孝「へい、ございますが、其の望みは本意が遂げられましょうか如何《いかゞ》でございましょう」
白「望事《のぞみごと》は近く遂げられるが、其処《そこ》の所がちと危ない事で、これと云う場合に向いたなら、水の中でも火の中でも向うへ突切《つッき》る勢いがなければ、必ず大望《たいもう》は遂げられぬが、まず退《しりぞ》くに利あらず進むに利あり、斯《こ》ういう所で、悪くすると斬殺《きりころ》されるよ、どうも剣難が見えるが、旨く火の中水の中を突切って仕舞えば、広々とした所へ出て、何事もお前の思う様になるが、それは難かしいから気を注《つ》けなけりゃいけない、もう是切り見る事はないからお帰り/\」
孝「へい、それに就《つ》きまして、私《わたくし》疾《と》うより尋ねる者がございますが、是は何《ど》うしても逢えない事とは存じて居りますが、其の者の生死《しょうし》は如何《いかゞ》でございましょう、御覧下さいませ」
白「ハヽア見せなさい」
と又相《そう》して、
白「むゝ、是は目上だね」
孝「はい、左様《さよう》でございます」
白「これは逢っているぜ」
孝「いゝえ、逢いません」
白「いや逢っています」
孝「尤《もっと》も今年《こんねん》より十九年以前に別れましたるゆえ、途中で逢っても顔も分らぬ位でありまするから、一緒に居りましても互いに知らずに居りましたかな」
白「いや/\何でも逢って居ます」
孝「少《ちい》さい時分に別れましたから、事に寄ったら往来で摩《す》れ違った事もございましょうが、逢った事はございません」
白「いや/\そうじゃない、慥《たし》かに逢っている」
孝「それは少さい時分の事故《ゆえ》」
白「あゝ煩《うる》さい、いや逢っていると云うのに、外《ほか》には何も云う事はない、人相に出ているから仕方がない、屹度《きっと》逢っている」
孝「それは間違いでございましょう」
白「間違いではない、極《き》めた所を云ったのだ、それより外に見る所はない、昼寝をするんだから帰っておくれ」
とそっけなく云われ、孝助は後《あと》を細かく聞きたいからもじ/\していると、また門口より入《い》り来るは女連れの二人にて、
女「はい御免下さいませ」
白「あゝ又来たか、昼寝が出来ねえ、おゝ二人か何一人は供だと、そんなら其処《そこ》に待たして此方《こっち》へお上り」
女「はい御免くだされませ、先生のお名を承わりまして参りました、どうか当用《とうよう》の身の上を御覧を願います」
白「はい此方《こっち》へお出《い》で」
と又此の女の相をよく/\見て、
「これは悪い相だなア、お前はいくつだえ」
女「はい四十四歳でございます」
白「これはいかん、もう見るがものはない、ひどい相だ、一体お前は目の下に極《ごく》縁のない相だ、それに近々《きん/\》の内屹度《きっと》死ぬよ、死ぬのだから外に何《なん》にも見る事はない」
と云われて驚き暫《しばら》く思案を致しまして、
女「命数は限りのあるもので、長い短かいは致し方がございませんが、私《わたくし》は一人尋ねるものがございますが、其の者に逢われないで死にます事でございましょうか」
白「フウム是は逢っている訳だ」
女「いえ逢いません、尤《もっと》も幼年の折に別れましたから、先でも私《わたくし》の顔を知らず、私も忘れたくらいな事で、すれ違ったくらいでは知れません」
白「何《なん》でも逢っています、もうそれで外に見る所も何《なに》もない」
女「其の者は男の子で、四つの時に別れた者でございますが」
という側から、孝助は若《も》しやそれかと彼《か》の女の側に膝をすりよせ、
孝「もし、お内室様《かみさん》へ少々伺いますが、何《いず》れの方かは存じませんが、只今四つの時に別れたと仰しゃいます、その人は本郷丸山辺《あた》りで別れたのではございませんか、そしてあなたは越後村上の内藤紀伊守様の御家来澤田右衞門様のお妹御ではございませんか」
女「おやまアよく知ってお出《い》でゞす、誠に、はい/\」
孝「そして貴方《あなた》のお名前はおりゑ様とおっしゃって、小出信濃守様の御家来黒川孝藏様へお縁附《かたづき》になり、其の後《ご》御離縁になったお方ではございませんか」
女「おやまア貴方は私《わたくし》の名前までお当てなすって、大そうお上手様、これは先生のお弟子でございますか」
と云うに、孝助は思わず側により、
孝「オヽお母様《かゝさま》お見忘れでございましょうが、十九年以前、手前四歳の折お別れ申した忰《せがれ》の孝助めでございます」
りゑ「おやまアどうもマア、お前がアノ忰の孝助かえ」
白「それだから先刻《さっき》から逢っている/\と云うのだ」
おりゑは嬉涙《うれしなみだ》を拭い、
りゑ「何《ど》うもマア思い掛《かけ》ない、誠に夢の様な事でございます、そうして大層立派にお成りだ、斯《こ》う云う姿になっているのだものを、表で逢ったって知れる事じゃアありません」
孝「誠に神の引合せでございます、お母様お懐かしゅうございました、私《わたくし》は昨年越後の村上へ参り、段々御様子を伺《うかゞ》いますれば、澤田右衞門様の代も替り、お母様のいらっしゃいます所も知れませんから、何うがなしてお目に懸りたいと存じていましたに、図《はか》らずこゝでお目に懸り、先《ま》ずお壮健《すこやか》でいらッしゃいまして、斯《こ》んな嬉しい事はございません」
りゑ「よくマア、嘸《さぞ》お前は私を怨んでおいでだろう」
白「そんな話をこゝでしては困るわな、併《しか》し十九年ぶりで親子の対面、嘸話があろうが、いらざる事だが、供に知れても宜《よ》くない事もあろうから、何処《どこ》か待合《まちあい》か何かへ行ってするがいゝ」
孝「はい/\、先生お蔭様で誠に有難うございました、良石様のお言葉といい、貴方様の人相のお名人と申し、実に驚き入りました」
白「人相が名人というわけでもあるまいが、皆こうなっている因縁だから見料《けんりょう》はいらねえから帰りな、ナニ些《ちっ》とばかり置いて行くか、それも宜かろう」
りゑ「種々《いろ/\》お世話様、有り難う存じました、孝助や種々話もしたい事があるから斯うしよう、私は今馬喰町《ばくろちょう》三丁目下野屋《しもつけや》という宿屋に泊っているから、お前よ一ト足先へ帰り、供を買物に出すから、其の後《あと》へ供に知れないように上《あが》っておいで」
白「嘸《さぞ》嬉しかろうのう」
孝「さようならば、これから直《すぐ》見え隠《がく》れにお母様のお跡に付いて参りましょう、それはそうと」
と云いつゝも懐中より何程か紙に包んで見料を置き、厚く礼を述べ白翁堂の家を立出《たちい》で、見え隠れに跡をつけ、馬喰町へまいり、下野屋の門辺《かどべ》に佇《たゝず》み待って居《お》るうちに、供の者が買ものに出て行《ゆ》きましたから、孝助は宿屋に入《はい》り、下女《おんな》に案内を頼んで奥へ通る。
りゑ「サア/\/\此処《こゝ》へ来な、本当にマアどうもねえ」
と云いながら孝助をつく/″\見て、
「見忘れはしませぬ幼顔《おさながお》、お前の親御孝藏殿によく似ておいでだよ、そうして大層立派におなりだねえ、お前がお父様《とっさま》の跡を継いで、今でもお父様はお存生《ぞんしょう》でいらッしゃるかえ」
孝「はい、お母様此の両隣の座敷には誰も居りは致しませんか」
りゑ「いゝえ、私も来て間もないことだが、昼の中《うち》は皆《みんな》買物や見物に出かけてしまうから誰もいないよ、日暮方は大勢帰って来るが、今は留守居が昼寝でもしている位だろうよ」
孝「フウ、左様なら申上げますが、お母様は私《わたくし》の四つの時の二月にお離縁になりましたのも、お父様があの通りの酒乱からで、それからお父様は其の年の四月十一日、本郷三丁目の藤村屋新兵衞と申す刀屋の前で斬殺《きりころ》され、無慙《むざん》な死をお遂げなされました」
りゑ「おやまア矢張《やっぱり》御酒《ごしゅ》ゆえで、それだから私アもうお前のお父《とっ》さんでは本当に苦労を仕抜いたよ、あの時もお前と云う可愛い子があることだから、別れたいのではないが、兄が物堅い気性だから、あんな者へ付けては置かれん、酒ゆえに主家《しゅか》をお暇《いとま》に成るような者には添わせて置かんと、無理無体に離縁を取ったが、お行方の事は此の年月《としつき》忘れた事はありませぬ、そうしてお父様が亡くなっては、跡で誰もお前の世話をする者がなかったろう」
孝「さアお父様の店受《たなうけ》彌兵衞と申しまする者が育てゝ呉れ、私《わたくし》が十一の時に、お前のお父さんはこれ/\で死んだと話して呉れました故、私も仮令《たとえ》今は町人に成ってはいますものゝ、元は武家の子ですから、成人の後《のち》は必ずお父様の仇《あだ》を報いたいと思い詰め、屋敷奉公をして剣術を覚えたいと思っていましたに、縁有って昨年の三月五日、牛込軽子坂に住む飯島平左衞門とおっしゃる、お広敷番《ひろしきばん》の頭をお勤めになる旗下屋敷に奉公住《ずみ》を致した所、其の主人が私をば我子《わがこ》のように可愛がってくれましたゆえ、私も身の上を明《あか》し、親の敵《かたき》が討ちたいから、何《ど》うか剣術を教えて下さいと頼みましたれば、殿様は御番疲れのお厭《いと》いもなく、夜《よ》までかけて御剣術を仕込んで下されました故、思いがけなく免許を取るまでになりました」
りゑ「おやそう、フウンー」
孝「すると其の家《うち》にお國と申す召使がありました、これは水道端の三宅のお嬢様が殿様へ御縁組になる時に、奥様に附いて来た女でございますが、其の後《ご》奥様がお逝《かく》れになりましたものですから、此のお國にお手がつき、お妾となりました所、隣家《となり》の旗下《はたもと》の次男宮野邊源次郎と不義を働き、内々《ない/\》主人を殺そうと謀《たく》みましたが、主人は素《もと》より手者《てしゃ》の事故《ゆえ》、容易に殺すことは出来ないから、中川へ網船《あみぶね》に誘い出し、船の上から突落《つきおと》して殺そうという事を私《わたくし》が立聞しましたゆえ、源次郎お國をひそかに殺し、自分は割腹しても何うか恩ある御主人を助けたいと思い、昨年の八月三日の晩に私が槍を持って庭先へ忍び込み、源次郎と心得突懸《つッか》けたは間違いで、主人平左衞門の肋《あばら》を深く突きました」
りゑ「おやまアとんだ事をおしだねえ」
孝「サア私《わたくし》も驚いて気が狂うばかりに成りますと、主人は庭へ下りて来て、ひそ/\と私への懴悔話《ざんげばなし》に、今より十八年前の事、貴様の親父《おやじ》を手に掛けたは此の平左衞門が未《ま》だ部屋住にて、平太郎と申した昔の事、どうか其の方の親の敵と名告《なの》り、貴様の手に掛りて討たれたいとは思えども、主殺《しゅうころ》しの罪に落すを不便《ふびん》に思い、今日までは打過ぎたが、今日こそ好《よ》い折からなれば、斯《か》くわざと源次郎の態《なり》をして貴様の手にかゝり、猶《なお》委細の事は此の書置に認《したゝ》め置いたれば、跡の始末は養父相川新五兵衞と共に相談せよ、貴様はこれにて怨《うらみ》を晴してくれ、然《しか》る上は仇《あだ》は仇恩は恩、三世《せ》も変らぬ主従《しゅうじゅう》と心得、飯島の家《いえ》を再興してくれろ、急いで行《ゆ》けと急《せ》き立てられ、養家先なる水道端の相川新五兵衞の宅へ参り、舅と共に書置を開いて見れば、主人は私を出した後《あと》にて直《す》ぐに客間《きゃくのま》へ忍び入り源次郎と槍試合をして、源次郎の手に掛り、最後をすると認めてありました書置の通りに、遂《つい》に主人は其の晩果敢《はか》なくおなりなされました、又源次郎お國は必ず越後の村上へ立越すべしとの遺書にありますから、主《しゅう》の仇を報わん為《た》め、養父相川とも申し合せ、跡を追いかけて出立致し、越後へ参り、諸方を尋ねましたが一向に見当らず、又あなたの事もお尋ね申しましたが、これも分りません故、余儀なく此の度《たび》主人の年囘をせん為めに当地へ帰りました所、不図《ふと》今日御面会を致しますとは不思議な事でございます」
と聞いて驚き小声に成り、
りゑ「おやマア不思議な事じゃアないか、あの源次郎とお國は私の宅《うち》にかくまってありますよ、どうもまア何《なん》たる悪縁だろう、不思議だねえ、私が廿六の時黒川の家《うち》を離縁になって国へ帰り、村上に居ると、兄が頻《しき》りに再縁しろとすゝめ、不思議な縁でお出入の町人で荒物の御用を達《た》す樋口屋《ひのくちや》五兵衞《へえ》と云うものゝ所へ縁付くと、そこに十三になる五郎三郎《ごろさぶろう》という男の子と、八ツになるお國という女の子がありまして、其のお國は年は行《い》かぬが意地の悪いとも性《しょう》の悪い奴で、夫婦の合中《あいなか》を突《つッ》ついて仕様がないから、十一の歳《とし》江戸の屋敷奉公にやった先は、水道端の三宅という旗下でな、其の後《ご》奥様附《づき》で牛込の方へ行ったとばかりで後《あと》は手紙一本も寄越さぬくらい、実に酷《ひど》い奴で、夫五兵衞が亡くなった時も訃音《しらせ》を出したに帰りもせず、返事もよこさぬ不孝もの、兄の五郎三郎も大層に腹を立っていましたが、其の後《ご》私共は仔細有って越後を引払い、宇都宮の杉原町《すぎはらまち》に来て、五郎三郎の名前で荒物屋の店を開いて、最早七年居ますが、つい先達《せんだっ》てお國が源次郎と云う人を連れて来ていうのには、私が牛込の或るお屋敷へ奥様附で行った所が、若気の至りに源次郎様と不義私通《いたずら》ゆえに此のお方は御勘当となり、私《わたくし》故に今は路頭に迷う身の上だから、誠に済まない事だが匿《かく》まってくれろと云って、そんな人を殺した事なんぞは何とも云わないから、源次郎への義理に今は宇都宮の私の内にいるよ、私は此の間五郎三郎から小遣《こづかい》を貰い、江戸見物に出掛けて来て、未だこちらへ着いて間も無くお前に巡り逢って、此の事が知れるとは何たら事だねえ」
孝「ではお國源次郎は宇都宮に居りますか、つい鼻の先に居ることも知らないで、越後の方から能登へかけ尋ねあぐんで帰ったとは、誠に残念な事でございますから、どうぞお母様がお手引をして下すって、仇を討ち、主人の家の立行《たちゆ》くように致したいものでございます」
りゑ「それは手引をして上げようともサ、そんなら私は直《すぐ》にこれから宇都宮へ帰るから、お前は一緒にお出《い》で、だがこゝに一つ困った事があると云うものは、あの供がいるから、是《こ》れを聞き付け喋られると、お國源次郎を取逃がすような事になろうも知れぬから、こうと……」
思案して、
「私は明日《あす》の朝供を連れて出立するから、今日のようにお前が見え隠れに跡を追って来て、休む所も泊る所も一つ所にして、互に口をきかず、知らない者の様にして置いて、宇都宮の杉原町へ往ったら供を先へ遣《や》って置いて、そうして両人で相図《あいず》を諜《しめ》し合《あわ》したら宜《よ》かろうね」
孝「お母様有り難う存じます、それでは何うかそういう手筈《てはず》に願いとう存じます、私《わたくし》はこれより直《すぐ》に宅《たく》へ帰って、舅へ此の事を聞かせたなら何《ど》のように悦びましょう、左様なら明朝早く参って、此の家《うち》の門口に立って居りましょう、それからお母様先刻つい申上げ残しましたが、私は相川新五兵衞と申す者の方《かた》へ主人の媒妁《なかだち》で養子にまいり、男の子が出来ました、貴方様には初孫の事故お見せ申したいが、此の度《たび》はお取急ぎでございますから、何《いず》れ本懐を遂げた後《あと》の事にいたしましょう」
りゑ「おやそうかえ、それは何《な》にしても目出度い事です、私も早く初孫の顔が見たいよ、それに就《つ》いても、何《ど》うか首尾よくお國と源次郎をお前に討たせたいものだのう、これから宇都宮へ行《ゆ》けば私がよき手引をして、屹度《きっと》両人を討たせるから」
と互に言葉を誓い孝助は暇《いとま》を告げて急いで水道端へ立帰りました。
相「おや孝助殿、大層早くお帰りだ、いろ/\お買物が有ったろうね」
孝「いえ何も買いません」
相「なんの事だ、何も買わずに来た、そんなら何か用でも出来たかえ」
孝「お父様《とっさま》どうも不思議な事がありました」
相「ハヽ随分世間には不思議な事も有るものでねえ、何か両国の川の上に黒気《こくき》でも立ったのか」
孝「左ようではございませんが、昨日良石和尚が教えて下さいました人相見の所へ参りました」
相「成程行ったかえ、そうかえ、名人だとなア、お前の身の上の判断は旨く当ったかえ/\」
孝「へい、良石和尚が申した通り、私《わたくし》の身の上は剣《つるぎ》の上を渡る様なもので、進むに利あり退くに利《さ》あらずと申しまして、良石和尚の言葉と聊《いさゝ》か違いはござりません」
相「違いませんか、成程智識と同じ事だ、それから、へえそれから何《なん》の事を見て貰ったか」
孝「それから私《わたくし》が本意を遂げられましょうかと聞くと、本意を遂げるは遠からぬうちだが、遁《のが》れ難《がた》い剣難が有ると申しました」
相「へえ剣難が有ると云いましたか、それは極《ごく》心配になる、又昨日のような事があると大変だからねえ、其の剣難は何《ど》うかして遁れるような御祈祷でもしてやると云ったか」
孝「いえ左ような事は申しませんが、貴方《あなた》も御存じの通り私《わたくし》が四歳の時別れました母に逢えましょうか、逢えますまいかと聞くと、白翁堂は逢っていると申しますから、幼年の時に別れたる故、途中で逢っても知れない位だと申しても、何《なん》でも逢っていると申し遂《つい》に争いになりました」
相「ハアそこの所は少し下手糞だ、併《しか》し当るも八卦《はッけ》当らぬも八卦、そう身の上も何もかも当りはしまいが、強情を張ってごまかそうと思ったのだろうが、其所《そこ》の所は下手糞だ、なんとか云ってやりましたか、下手糞とか何とか」
孝「すると後《あと》から一人四十三四の女が参りまして、これも尋ねる者に逢えるか逢えないかと尋ねると、白翁堂は同じく逢っているというものだから、其の女はなに逢いませんといえば、急度《きっと》逢っていると又争いになりました」
相「あゝ、こりゃからッぺた誠に下手だが、そう当る訳のものではない、それには白翁堂も恥をかいたろう、お前と其の女と二人で取って押えてやったか、それから何うした」
孝「さア余り不思議な事で、私《わたし》も心にそれと思い当る事もありますから、其の女にはおりゑ様と仰しゃいませんかと尋ねました所が、それが全く私《わたくし》の母でございまして、先でも驚きました」
相「ハヽア其の占《うらない》は名人だね、驚いたねえ、成程、フム」
是より孝助はお國源次郎両人の手懸りが知れた事から、母と諜《しめ》し合わせた一伍一什《いちぶしじゅう》を物語りますると、相川も驚きもいたし、又悦び、誠に天から授かった事なれば、速《すみやか》に明日《あす》の朝遅れぬように出立して、目出度く本懐を遂げて参れという事になりました。翌朝《よくちょう》早天に仇討《あだうち》に出立を致し、是より仇討は次に申上げます。
二十一
孝助は図らずも十九年ぶりにて実母おりゑに廻《めぐ》り逢いまして、馬喰町の下野屋と申す宿屋へ参り、互に過《すぎ》し身の上の物語を致して見ると、思いがけなき事にて、母方にお國源次郎がかくまわれてある事を知り、誠に不思議の思いをなしました処、母が手引をして仇《あだ》を討たせてやろうとの言葉に、孝助は飛立つばかり急ぎ立帰り、右の次第を養父相川新五兵衞に話しまして、六日の早天水道端を出立し、馬喰町なる下野屋方へ参り様子を見ておりますると、母も予《か》ねて約したる事なれば、身支度を整え、下男を供に連れ立《た》ち出《い》でましたれば、孝助は見え隠《がく》れに跡を尾《つ》けて参りましたが、女の足の捗《はか》どらず、幸手、栗橋、古河、真間田《まゝだ》、雀《すゞめ》の宮《みや》を後《あと》になし、宇都宮へ着きましたは、丁度九日の日の暮々《くれ/″\》に相成りましたが、宇都宮の杉原町の手前まで参りますと、母おりゑは先《ま》ず下男を先へ帰し、五郎三郎に我が帰りし事を知らせてくれろと云い付けやり、孝助を近く招ぎ寄せまして小声になり、
母「孝助や、私の家《うち》は向うに見える紺《こん》の暖簾《のれん》に越後屋《えちごや》と書き、山形に五の字を印《しる》したのが私の家だよ、あの先に板塀があり、付いて曲ると細い新道のような横町《よこちょう》があるから、それへ曲り三四軒行《ゆ》くと左側の板塀に三尺の開《ひら》きが付いてあるが、それから這入《はい》れば庭伝い、右の方《ほう》の四畳半の小座敷にお國源次郎が隠れいる事ゆえ、今晩私が開きの栓《せん》をあけて置くから、九ツの鐘を合図に忍び込めば、袋の中《うち》の鼠同様、覚《さと》られぬよう致すがよい」
孝「はい誠に有り難うぞんじまする、図《はか》らずも母様《はゝさま》のお蔭にて本懐を遂げ、江戸へ立帰り、主家《しゅうか》再興の上私《わたくし》は相川の家《いえ》を相続致しますれば、お母様をお引取申して、必ず孝行を尽す心得、さすれば忠孝の道も全うする事が出来、誠に嬉しゅう存じます、さようなれば私は何方《どちら》へ参って待受けて居ましょう」
母「そうさ、池上町《いけがみまち》の角屋《すみや》は堅いという評判だから、あれへ参り宿を取っておいで、九ツの鐘を忘れまいぞ」
孝「決して忘れません、さようならば」
と孝助は母に別れて角屋へまいり、九ツの鐘の鳴るのを待受けて居ました。母は孝助に別れ、越後屋五郎三郎方へ帰りますと、五郎三郎は大きに驚き、
五「大層お早くお帰りになりました、まだめったにはお帰りにならないと思っていましたのに、存じの外《ほか》にお早うござりました、それでは迚《とて》も御見物は出来ませんでございましたろう」
母「はい、私は少し思う事があって、急に国へ帰る事になりましたから、奉公人共への土産物も取っている暇もない位で」
五「アレサなに左様御心配がいるものでございましょう、お母《っか》さまは芝居でも御見物なすってお帰りになる事だろうから、中々一ト月や二タ月は故郷《こきょう》忘《ぼう》じ難《がた》しで、あっちこっちをお廻りなさるから、急にはお帰りになるまいと存じましたに」
母「さアお前に貰った旅用の残りだから、むやみに遣《つか》っては済まないが、どうか皆《みんな》に遣《や》っておくれよ」
と奉公人銘々《めい/\》に包んで遣わしまして、其の外《ほか》着古しの小袖半纒《はんてん》などを取分け。
五「そんなに遣らなくっても宜《よろ》しゅうございます」
と申すに、
母「ハテこれは私の少々心あっての事で、詰らん物だが着古しの半纒は、女中にも色々世話に成りますからやっておくれ、シテお國や源次郎さんは矢張奥の四畳半に居りますか」
五「誠にあれはお母様《かゝさま》に対しても置かれた義理ではございません、憎い奴でございますが、強《しい》て縋《すが》り付いて参り、私故にお隣屋敷の源次郎さんが勘当をされたと申しますから、義理でよんどころなく置きましたものゝ、嘸《さぞ》あなたはお厭《いや》でございましょう」
母「私はお國に逢って緩《ゆっ》くり話がしたいから、用もあるだろうが、いつもより少々店を早くひけにして、寝かしておくれ、私は四畳半へ行って國や源さんに話があるのだが、是でお酒やお肴を」
五「およし遊ばせ」
母「いや、そうでない、何も買って来ないから是非上げておくれよ」
五「はい/\」
と気の毒そうに承知して、五郎三郎は母の云付けなれば酒肴《さけさかな》を誂《あつら》え、四畳半の小間へ入れ、店の奉公人も早く寝かしてしまい、母は四畳半の小座敷に来たりて内にはいれば、
國「おや、お母様《はゝさま》、大層早くお帰り遊ばしました、私《わたくし》は未《ま》だめったにお帰りにはなりますまいと思い、屹度《きっと》一ト月位は大丈夫お帰りにはならないとお噂ばかりして居りました、大層お早く、本当に恟《びっく》り致しました」
源「只今はお土産として御酒肴《ごしゅこう》を沢山に有り難うぞんじます」
母「いえ/\、なんぞ買って来ようと思いましたが、誠に急ぎましたゆえ何も取って居る暇《ひま》もありませんでした、誰も外《ほか》に聞いている人もないようだから、打解けて話をしなければならない事があるが、お國やお前が江戸のお屋敷を出た時の始末を隠さずに云っておくんなさい」
國「誠にお恥かしい事でございますが、若気の過《あやま》り、此の源さまと馴染《なれそ》めた所から、源さまは御勘当になりまして、行《い》き所のないようにしたは皆《みん》な私《わたし》ゆえと思い、悪いこととは知りながらお屋敷を逃出し、源さまと手を取り合い、日頃無沙汰を致した兄の所に頼り、今ではこうやって厄介になって居りまする」
母「不義淫奔《いたずら》は若い内には随分ありがちの事だが、お國お前は飯島様のお屋敷へ奥様付になって来たが、奥様がおかくれになってから、殿様のお召使になっているうちに、お隣の御二男源次郎さまと、隣りずからの心安さに折々《おり/\》お出《いで》になる所から、お前は此の源さまと不義密通《いたずら》を働いた末、お前方が申し合せ、殿様を殺し、有金大小衣類《きるい》を盗み取り、お屋敷を逃げておいでだろうがな」
と云われて二人は顔色変え、
國「おやまア恟《びっく》りします、お母様《かゝさま》何をおっしゃいます、誰が其の様な事を云いましたか、少しも身に覚えのない事を云いかけられ、本当に恟り致しますわ」
母「いえ/\いくら隠してもいけないよ、私の方にはちゃんと証拠がある事だから、隠さずに云っておしまい」
國「そんな事を誰が申しましたろうねえ源さま」
と云えば、源次郎落着《おちつき》ながら、
源「誠に怪《け》しからん事です。お母様もし外《ほか》の事とは違います、手前も宮野邊源次郎、何ゆえお隣の伯父を殺し、有金衣類《いるい》を盗みしなどゝ何者がさような事を申しました、毛頭覚えはございません」
母「いや/\そうおっしゃいますが、私は江戸へ参り、不思議と久し振りで逢いました者が有って、其の者から承わりました」
源「フウ、シテ何者でございますか」
母「はい、飯島様のお屋敷でお草履取を勤めて居りました、孝助と申す者でなア」
源「ムヽ孝助、彼奴《あいつ》は不届至極な奴で」
國「アラ彼奴はマア憎い奴で、御主人様のお金を百両盗みました位の者ですから、どんな拵《こしら》え事をしたか知れません、あんな者の云う事をあなた取上げてはいけません、何《ど》うして草履取が奥の事を知っている訳はございません」
母「いえ/\お國や、その孝助は私の為には実の忰《せがれ》でございます」
と云われて両人《ふたり》は驚き顔して、後《あと》へもじ/\とさがり、
母「さア、私が此の家《や》へ縁付いて来たのは、今年で丁度十七年前の事、元私の良人《つれあい》は小出様の御家来で、お馬廻り役を勤め、百五十石頂戴致した黒川孝藏と云う者でありましたが、乱酒《らんしゅ》故に屋敷は追放、本郷丸山の本妙寺《ほんみょうじ》長屋へ浪人していました処、私《わたくし》の兄澤田右衞門が物堅い気質で、左様な酒癖《さけくせ》あしき者に連添うているよりは、離縁を取って国へ帰れと押《おし》て迫られ、兄の云うに是非もなく、其の時四つになる忰を後《あと》に残し、離縁を取って越後の村上へ引込《ひきこ》み、二年程過ぎて此の家に再縁して参りましたが、此の度《たび》江戸で図らずも十九年ぶりにて忰の孝助に逢いましたが、実の親子でありますゆえ、段々様子を聞いて見ると、お前達は飯島様を殺した上、有金大小衣類まで盗み取り、お屋敷を逐電したと聞き、私は恟りしましたよ、それが為飯島様のお家は改易になりましたから、忰の孝助が主人の敵《かたき》のお前方を討たなければ、飯島の家名を興《おこ》す事が出来ないから、敵を捜す身の上と、涙ながらの物語に、私《わたし》も十九年ぶりで実の子に逢いました嬉し紛れに、敵のお国源次郎は私の家に匿《かく》まってあるから、手引をして敵を打たせてやろうと、サうっかり云ったは私の過り、孝助は血を分けた実子なれども、一旦離縁を取ったれば黒川の家の子、此の家に再縁する上からは、今はお前は私の為に猶更《なおさら》義理ある大切《だいじ》の娘なりや、縁の切れた忰の情《なさけ》に引かされて、手引をしてお前達を討たせては、亡くなられたお前の親御樋口屋五兵衞殿の御位牌へ対して、何うも義理が立ちませんから、悪い事を云うた、何うしたら宜《よ》かろうかと道々も考えて来ましたが、孝助は後《あと》になり先になり私に附きて此の地に参り、実は今晩九時《こゝのつどき》の鐘を合図に庭口から此家《こゝ》に忍んで来る約束、討たせては済まないから、お前達も隠さず実はこれ/\と云いさえすれば、五郎三郎から小遣《こづかい》に貰った三十両の内、少し遣《つか》って未《ま》だ二十六七両は残ってありますから、これをお前達に路銀として餞別に上げようから、少しも早く逃げのびなさい、立退《たちの》く道は宇都宮の明神様の後山《うしろやま》を越え、慈光寺《じこうじ》の門前から付いて曲り、八幡山《わたやま》を抜けてなだれに下りると日光街道、それより鹿沼道《かぬまみち》へ一里半行《い》けば、十郎《ろう》ヶ峰《みね》という所、それよりまた一里半あまり行《ゆ》けば鹿沼へ出ます、それより先は田沼道《たぬまみち》奈良村《ならむら》へ出る間道《かんどう》、人の目つまにかゝらぬ抜道《ぬけみち》、少しも早く逃げのびて、何処《いずこ》の果なりとも身を隠し、悪い事をしたと気がつきましたら、髪を剃《そ》って二人とも袈裟《けさ》と衣《ころも》に身を窶《やつ》し、殺した御主人飯島様の追善供養致したなら、命の助かる事もあろうが、只不便《ふびん》なのは忰の孝助、敵の行方の知れぬ時は一生旅寝の艱難困苦《かんなんこんく》、御主《おしゅう》のお家も立ちません、気の毒な事と気がついたら心を入れかえ善人に成っておくれよ、さア/\早く」
と路銀まで出しまして、義理を立てぬく母の真心《まごゝろ》、流石《さすが》の二人も面目《めんぼく》なく眼と眼を見合せ、
國「はい/\誠にどうも、左様とは存じませんでお隠し申したのは済みません」
源「実に御信実《ごしんじつ》なお言葉、恐れ入りました、拙者も飯島を殺す気ではござらんが、不義が顕《あら》われ平左衞門が手槍にて突いてかゝる故、止むを得ず斯《かく》の如きの仕合《しあわせ》でございます、仰せに従い早々逃げのび、改心致して再びお礼に参りまするでございます、これお國や、お餞別として路銀まで、あだに心得ては済みませんよ」
國「お母様《はゝさま》、どうぞ堪忍してくださいましよ」
母「さア/\早く行《ゆ》かぬか、かれこれ最早《もは》や九ツになります」
と云われて二人は支度をしていると、後《うしろ》の障子を開けて這入りましたはお國の兄五郎三郎にて、突然《いきなり》お國の側へより、
五「お母様少しお待ちなすってください、これ國これへ出ろ/\、本当にマア呆れはてゝ物が云われねえ奴だ、内へ尋ねて来た時なんと云った、お隣の次男と不義をしたゆえ、源さんは御勘当になり、身の置所がないようにしたも私ゆえ、お気の毒でならねえから一緒に連れて来ましたなどと、生嘘《なまぞら》を遣《つか》って我をだましたな、内に斯《こ》うやって置く奴じゃアねえぞ、お父様《とっさま》が御死去《ごしきょ》に成った時、幾度《いくたび》手紙を出しても一通の返事も遣《よこ》さぬくらいな人でなし、只《たった》一人の妹《いもと》だが死んだと思ってな諦めていたのだ、それにのめ/\と尋ねて来やアがって、置いてくれろというから、よもや人を殺し、泥坊をして来たとは思わねえから置いてやれば、今聞けば実に呆れて物が云われねえ奴だ、お母様《はゝさま》誠に有り難うございまするが、あなたが親父へ義理を立てゝ、此奴等《こいつ》を逃がして下さいましても天命は遁《のが》れられませんから、迚《とて》も助かる気遣《きづか》いはございません、いっそ黙っておいでなすって、孝助様に切られてしまう方が宜しゅうございますのに、やいお國、お母様《かゝさま》は義理堅いお方ゆえ、親父の位牌へ対して路銀まで下すって、そのうえ逃路《にげみち》まで教えて下さると云うはな実に有り難い事ではないか、何《なん》とも申そう様《よう》はございません、コレお國、この罰当《ばちあた》りめえ、お母様《かゝさま》が此の家へ嫁にいらッしゃった時は、手前《てめえ》がな十一の時だが、意地がわるくてお父様とお母様と己との合中《あいなか》をつゝき、何分家が揉めて困るから、己がお父《やじ》さんに勧めて他人の中を見せなければいけませんが、近い所だと駈出して帰って来ますから、いっそ江戸へ奉公に出した方が宜かろうと云って、江戸の屋敷奉公に出した所が、善事《いゝこと》は覚えねえで、密夫《いろおとこ》をこしらえてお屋敷を遁《に》げ出すのみならず、御主人様を殺し、金を盗みしというは呆れ果てゝ物が云われぬ、お母様が並の人ならば、知らぬふりをしておいでなすッたら、今夜孝助様に斬殺《きりころ》されるのも心がら、天罰で手前達《てめえたち》は当然《あたりまえ》だが、坊主が憎けりゃ袈裟までの譬《たとえ》で、此奴《こいつ》も敵《かたき》の片割《かたわれ》と己までも殺される事を仕出来《しでか》すというは、不孝不義の犬畜生め、只《たった》一人の兄妹《きょうだい》なり、殊《こと》にゃア女の事だから、此の兄の死水《しにみず》も手前《てまえ》が取るのが当前《あたりまえ》だのに、何の因果で此様《こんな》悪婦《あくとう》が出来たろう、お父様《やじさま》も正直なお方、私も是までさのみ悪い事をした覚えはないのに、此の様な悪人が出来るとは実になさけない事でございます、此の畜生め/\サッサと早く出て行《ゆ》け」
と云われて、二人とも這々《ほう/\》の体《てい》にて荷拵《にごしら》えをなし、暇乞《いとまご》いもそこ/\に越後屋方を逃出しましたが、宇都宮明神の後道《うしろみち》にかゝりますと、昼さえ暗き八幡山、況《まし》て真夜中の事でございますから、二人は気味わる/\路《みち》の中ばまで参ると、一叢《むら》茂る杉林の蔭より出てまいる者を透《すか》して見れば、面部を包みたる二人の男《おのこ》、いきなり源次郎の前へ立塞《たちふさ》がり、
○「やい、神妙《しんびょう》にしろ、身ぐるみ脱いて置いて行《い》け、手前達《てめえたち》は大方宇都宮の女郎を連出した駈落者《かけおちもの》だろう」
×「やい金を出さないか」
と云われ源次郎は忍び姿の事なれば、大小を落し差《ざし》にして居りましたが、此の様子にハッと驚き、拇指《おやゆび》にて鯉口を切り、慄《ふる》え声を振立《ふりた》って、
源「手前達《てまえたち》は何だ、狼藉者」
と云いながら、透《すか》して九日の夜《よ》の月影に見れば、一人は田中の中間喧嘩の龜藏、見紛《みまご》う方《かた》なき面部の古疵《ふるきず》、一人は元召使いの相助なれば、源次郎は二度恟《びっく》り、
源「これ、相助ではないか」
相「これは御次男様、誠に暫《しばら》く」
源「まア安心した、本当に恟りした」
國「私も恟りして腰が抜けた様だったが、相助どんかえ」
相「誠にヘイ面目ありません」
源「手前は未《ま》だ斯様《かよう》な悪い事をしているか」
相「実はお屋敷をお暇《いとま》に成って、藤田の時藏と田中の龜藏と私と三人揃《そろ》って出やしたが、何処《どこ》へも行《い》く所はなし、何《ど》うしたら宜かろうかと考えながら、ぶら/\と宇都宮へ参りやして、雲助になり、何うやら斯《こ》うやらやっているうち、時藏は傷寒《しょうかん》を煩《わずら》って死んでしまい、金はなくなって来た処から、ついふら/\と出来心で泥坊をやったが病付《やみつき》となり、此の間道《かんどう》はよく宇都宮の女郎を連れて、鹿沼の方へ駈落するものが時々あるので、こゝに待伏せして、サア出せと一言《ひとこと》いえば、私は剣術を知らねえでも、怖がって直《じ》きに置いて行くような弱い奴ばっかりですから、今日もうっかり源様と知らず掛かりましたが、貴方に抜かれりゃアおッ切られてしまう処、誠になんともはや」
源「これ龜藏、手前も泥坊をするのか」
龜「へい雲助をしていやしたが、ろくな酒も飲めねえから太く短くやッつけろと、今では斯《こん》な事をしておりやす」
と云われ、源次郎は暫《しば》し小首を傾《かた》げて居りましたが、
「好《い》い所で手前達に逢うた、手前達も飯島の孝助には遺恨があろうな」
龜「えゝ、ある所じゃアありやせん、川の中へ放り込まれ、石で頭を打裂《ぶっさ》き、相助と二人ながら大曲りでは酷《ひど》い目に逢い、這々《ほう/\》の体《てい》で逃げ返った処が、此方《こっち》はお暇《いとま》、孝助はぬくぬくと奉公しているというのだ、今でも口惜しくって堪《たま》りませんが、彼奴《あいつ》はどうしました」
源「誰《たれ》も外《ほか》に聞いている者はなかろうな」
相「へい誰《たれ》がいるものですか」
源「此の國の兄の宅《たく》は杉原町の越後屋五郎三郎だから、暫《しばら》く彼処《あすこ》に匿《かく》まわれていたところ、母というのは義理ある後妻だが、不思議な事でそれが孝助の実母であるとよ、此の間母が江戸見物に行った時孝助に廻《めぐ》り逢い、悉《くわ》しい様子を孝助から残らず母が聞取り、手引をして我を打たせんと宇都宮へ連れては来たが、義理堅い女だから、亡父五兵衞の位牌へ対してお國を討たしては済まないという所で、路銀まで貰い、斯《こ》うやって立たせてはくれたものゝ、其処《そこ》は血肉を分けた親子の間、事によると後《あと》から追掛けさせ、やって来《き》まいものでもないが、何《ど》うしてか手前《てめえ》らが加勢して孝助を殺してくれゝば、多分の礼は出来ないが、二十金やろうじゃないか」
龜「宜しゅうございやす、随分やッつけましょう」
相「龜藏安受合《やすうけあい》するなよ、彼奴《あいつ》と大曲で喧嘩した時、大溝《おおどぶ》の中へ放り込まれ、水を喰《くら》ってよう/\逃帰ったくらい、彼奴ア途方もなく剣術が旨いから、迂濶《うっか》り打《たゝ》き合うと叶《かな》やアしない」
龜「それは又工夫がある、鉄砲じゃア仕様があるめえ、十郎ヶ峰あたりへ待受け、源さまは清水流れの石橋の下へ隠れて居て、己達《おらたち》ゃア林の間に身を隠している所へ、孝助がやって来《く》りゃア、橋を渡り切った所で、己が鉄砲を鼻ッ先へ突付けるのだ、孝助が驚いて後《あと》へさがれば、源さまが飛出して斬付けりゃア挟《はさ》み打ち[#「挟《はさ》み打ち」は底本では「狭《はさ》み打ち」]、わきアねえ、遁《に》げるも引くも出来アしねえ」
源「じゃアどうか工夫してくれろ、何分頼む」
と是から龜藏は何処《どこ》からか三挺《ちょう》の鉄砲を持ってまいり、皆々連立ち十郎ヶ峰に孝助の来るを待受けました。
二十一の下
さて相川孝助は宇都宮池上町の角屋へ泊り、其の晩九ツの鐘の鳴るのを待ち掛けました処、もう今にも九ツだろうと思うから、刀の下緒《さげお》を取りまして襷《たすき》といたし、裏と表の目釘《めくぎ》を湿《しめ》し、養父相川新五兵衞から譲り受けた藤四郎吉光の刀をさし、主人飯島平左衞門より形見に譲られた天正助定を差添《さしぞえ》といたしまして、橋を渡りて板塀の横へ忍んで這入りますと、三尺の開き戸が明いていますから、ハヽアこれは母が明けて置いてくれたのだなと忍んで行《ゆ》きますと、母の云う通り四畳半の小座敷がありますから、雨戸の側《わき》へ立寄り、耳を寄せて内の様子を窺《うかゞ》いますと、家内は一体に寝静まったと見え、奉公人の鼾《いびき》の声のみしんといたしまして、池上町と杉原町の境に橋がありまして、其の下を流れます水の音のみいたしております。孝助はもう家内が寝たかと耳を寄せて聞きますと、内では小声で念仏を唱えている声がいたしますから、ハテ誰《だれ》か念仏を唱えているものがあるそうだなと思いながら、雨戸へ手を掛けて細目に明けると、母のおりゑが念珠《ねんじゅ》を爪繰りまして念仏を唱えているから、孝助は不審に思い小声になり。
孝「お母《っか》さま、これはお母様のお寝間でございますか、ひょっと場所を取違えましたか」
母「はい、源次郎お國は私が手引をいたしまして疾《とく》に逃がしましたよ」
と云われて孝助は恟《びっく》りし、
孝「えゝ、お逃し遊ばしましたと」
母「はい十九年ぶりでお前に逢い、懐かしさのあまり、源次郎お國は私の家《うち》へ匿《かく》まってあるから手引きをして、私が討たせると云ったのは女の浅慮《あさはか》、お前と道々来ながらも、お前に手引きをして両人を討たしては、私が再縁した樋口屋五兵衞どのに済まないと考えながら来ました、今こゝの家の主人五郎三郎は、十三の時お國が十一の時から世話になりましたから実の子も同じ事、お前は離縁をして黒川の家《いえ》へ置いて来た縁のない孝助だから、両人《ふたり》を手引をして逃がしました、それは全く私がしたに違いないから、お前は敵《かたき》の縁に繋《つな》がる私を殺し、お國源次郎の後《あと》を追掛けて勝手に敵をお討ちなさい」
と云われ孝助は呆れて、
孝「えゝお母様、それは何ゆえ縁が切れたと仰しゃいます、成程親は乱酒でございますから、あなたも愛想《あいそ》が尽きて、私の四ツの時に置いてお出《で》になった位ですから、よく/\の事で、お怨み申しませんが、私《わたくし》は縁は切れても血統《ちすじ》は切れない実のお母さま、私は物心が付きましてお母様はお達者か、御無事でおいでかと案じてばかりおりました所、此度《こんど》図《はか》らずお目にかゝりましたのは日頃神信心《かみしんじん》をしたお蔭だ、殊《こと》にあなたがお手引をなすって、お國源次郎を討たせて下さると仰しゃッたから、此の上もない有難いことと喜んでおりました、それを今晩になってお前には縁がない、越後屋に縁がある、あかの他人に手引をする縁がないと仰しゃるはお情ない、左様なお心なら、江戸表にいる内に何故《なぜ》これ/\と明かしては下さいません、私も敵の行方を知らなければ知らないなりに、又外々《ほか/\》を捜し、仮令《たとえ》草を分けてもお國源次郎を討たずには置きません、それをお逃がし遊ばしては、仮令今から跡を追かけて行《い》きましても、両人《ふたり》は姿を変えて逃げますから、私には討てませんから、主人の家を立てる事は出来ません、縁は切れても血統《ちすじ》は切れません、縁が切れても血統が切れても宜しゅうございますが、余りの事でございます」
と怨みつ泣きつ口説き立て、思わず母の膝の上に手をついて揺《ゆす》ぶりました。母は中々落着《おちつき》ものですから、
母「成程お前は屋敷奉公をしただけに理窟をいう、縁が切れても血統《ちすじ》は切れない、それを私が手引きをして敵を討たなければ、お前は主人飯島様の家を立てる事が出来ないから、其の言訳《いいわけ》は斯《こ》うしてする」
と膝の下にある懐剣を抜くより早く、咽喉《のど》へガバリッと突き立てましたから、孝助は恟《びっく》りし、慌《あわ》てゝ縋《すが》り付き、
孝「お母様《っかさま》何故《なにゆえ》御自害なさいました、お母様ア/\/\」
と力に任せて叫びます。気丈な母ですから、懐剣を抜いて溢《あふ》れ落《おち》る血を拭《ぬぐ》って、ホッ/\とつく息も絶え/″\になり、面色《めんしょく》土気色に変じ、息を絶つばかり、
母「孝助々々、縁は切れても、ホッ/\血統《ちすじ》は切れんという道理に迫り、素《もと》より私は両人《ふたり》を逃がせば死ぬ覚悟、ホッ/\江戸で白翁堂に相《み》て貰った時、お前は死相が出たから死ぬと云われたが、実に人相の名人という先生の云われた事が今思い当りました、ホッ/\再縁した家の娘がお前の主人を殺すと云うは実に何《なん》たる悪縁か、さア死んで行《ゆ》く身、今息を留めれば此の世にない身体、ホッ/\幽霊が云うと思えば五郎三郎に義理はありますまい、お國源次郎の逃げて行った道だけを教えてやるからよく聞けよ」
と云いながら孝助の手を取って膝に引寄せる。孝助は思わずも大声を出して
「情ない」
と云う声が聞えたから、五郎三郎は何事かと来て障子を明けて見れば此の始末、五郎三郎は素《もと》より正直者だから母の側に縋り付き、
五「お母様《っかさま》/\、それだから私が申さない事ではありません、孝助様後《あと》で御挨拶を致します、私はお國の兄で、十三の時から御恩になり、暖簾《のれん》を分けて戴いたもお母様のお蔭、悪人のお國に義理を立て、何故《なぜ》御自害をなさいました」
と云う声が耳に通じたか、母は五郎三郎の顔をじっと見詰め、苦しい息をつきながら、
母「五郎三郎、お前はちいさい時から正当《しょうとう》な人で、お前には似合わない彼《あ》のお國なれども、義理に対しお位牌に対し、私が逃がしました、又孝助へ義理の立たんというは、血統《ちすじ》のものが恩義を受けた主人の家が立たないという義理を思い、自害をいたしたので、何《ど》うかお國源次郎の逃げ道を教えてやりたいが、ハッ/\必ずお前怨んでお呉れでないよ」
五「いゝえ、怨む所ではありません、あなたおせつないから私が申しましょう、孝助様お聞き下さい、宇都の宮の宿外《しゅくはず》れに慈光寺という寺がありますから、其の寺を抜けて右へ往《ゆ》くと八幡山、それから十郎ヶ峯から鹿沼へ出ますから、貴方《あなた》お早くおいでなさい、ナアニ女の足ですから沢山は行《ゆ》きますまいから、早くお國と源次郎の首を二つ取って、お母様《っかさま》のお目の見える内に御覧にお入れなさい、早く/\」
と云うから孝助は泣きながら、
孝「はい/\お母様、五郎三郎さんがお國と源次郎の逃げた道を教えて呉れましたから、遠く逃げんうちに跡追っかけ、両人《ふたり》の首を討ってお目にかけます」
という声漸《ようや》く耳に通じ、
母「ホッ/\勇ましい其の言葉何《ど》うか早く敵を討って御主人様のお家《いえ》をたてゝ、立派な人に成って呉れホッ/\、五郎三郎殿此の孝助は外《ほか》に兄弟もない身の上、また五郎三郎殿も一粒種だから、これで敵は敵として、これからは何うか実の兄弟と思い、互に力になり合って私の菩提を頼みますヨウ/\」
と云いながら、孝助と五郎三郎の手を取って引き寄せますから、両人《ふたり》は泣く/\介抱するうちに次第々々に声も細り、苦しき声で、
母「ホッ/\早く行《ゆ》かんか/\」
と云って血のある懐剣を引き抜いて、
「さア源次郎お國は此の懐剣で止《とゞ》めを刺せ」
と云いたいがもう云えない。孝助は懐剣を受取り、血を拭い、敵を討って立帰り、お母様に御覧に入れたいが、此の分では之《こ》れがお顔の見納めだろうと、心の中《うち》で念仏を唱え、
孝「五郎三郎さん、どうか何分願います」
と出掛けては見たが、今母上が最後の際《きわ》だから行《ゆ》き切れないで、又帰って来ますと、気丈な母ですから血だらけで這出しながら、虫の息で、
母「早く行《ゆ》かんか/\」
と云うから、孝助は
「へい往《ゆ》きます」
と後《あと》に心は残りますが、敵を逃がしては一大事と思い、跡を追って行《ゆ》きました。先刻からこれを立聞きして居た龜藏は、ソリャこそと思い、孝助より先《さ》きへ駆けぬけて、トッ/\と駆けて行《ゆ》きまして、
龜「源さま、私《わっち》が今立聞をしていたら、孝助の母親《おふくろ》が咽喉《のど》を突いて、お前《なれ》[#「お前《なれ》」はママ]さん方の逃げた道を孝助に教《おせ》えたから、こゝへ追掛《おっか》けて来るに違《ちげ》えねえから、お前《めえ》さんは此の石橋の下へ抜身《ぬきみ》の姿《なり》で隠れていて、孝助が石橋を一つ渡った所で、私共が孝助に鉄砲を向けますから、そうすると後《あと》へ下《さが》る所を後から突然《だしぬけ》に斬っておしまいなさい」
源「ウム宜しい、ぬかっちゃアいけないよ」
と源次郎は石橋の下へ忍び、抜身を持って待ち構え、他《ほか》の者は十郎ヶ峰の向《むこう》の雑木山《ぞうきやま》へ登って、鉄砲を持って待っている所へ、かくとは知らず孝助は、息をもつかず追掛《おっか》けて来て、石橋まで来て渡りかけると、
龜「待て孝助」
と云うから、孝助が見ると鉄砲を持っている様《よう》だから、
孝「火縄を持って何者だ」
と向うを見ますと喧嘩の龜藏が、
龜「やい孝助己を忘れたか、牛込にいた龜藏だ、よく己を酷《ひど》い目にあわせたな、手前《てめえ》が源様の跡を追っかけて来たら殺そうと思って待っているのだ」
相「いえー孝助手前《てめえ》のお蔭で屋敷を追出されて盗賊《どろぼう》をするように成った、今此処《こゝ》で鉄砲で打ち殺すんだからそう思え」
と云えばお國も鉄砲を向けて、
國「孝助、サア迚《とて》も逃げられねえから打たれて死んでしまやアがれ」
孝助は後《あと》へ下《さが》って刀を引き抜きながら声張り上げて。
孝「卑怯《ひきょう》だ、源次郎、下人《げにん》や女をこゝへ出して雑木山に隠れているか、手前《てめえ》も立派な侍じゃアないか、卑怯だ」
という声が真夜中だからビーンと響きます。源次郎は孝助の後《うしろ》から逃げたら討とうと思っていますから、孝助は進めば鉄砲で討たれる、退《しりぞ》けば源次郎がいて進退此《こゝ》に谷《きわま》りて、一生懸命に成ったから、額と総身《そうしん》から油汗が出ます。此の時孝助が図らず胸に浮んだのは、予《かね》て良石和尚も云われたが、退《ひ》くに利あらず進むに利あり、仮令《たとえ》火の中水の中でも突切《つッきっ》て往《ゆ》かなければ本望《ほんもう》を遂げる事は出来ない、憶《おく》して後《あと》へ下《さが》る時は討たれると云うのは此の時なり、仮令一発二発の鉄砲丸《だま》に当っても何程の事あるべき、踏込んで敵《かたき》を討たずに置くべきやと、ふいに切込み、卑怯だと云いながら喧嘩龜藏の腕を切り落しました。龜藏は孝助が鉄砲に恐れて後《あと》へ下《さが》るように、わざと鼻の先へ出していた所へ、ふいに切込まれたのだから、アッと云って後《あと》へ下《さが》ったが間に合わない、手を切って落すと鉄砲もドッサリと切落して仕舞いました。昔から随分腕の利《き》いた者は瓶《かめ》を切り、妙珍鍛《みょうちんきたえ》の兜《かぶと》を割《き》った例《ためし》もありますが、孝助はそれほど腕が利いておりませんが、鉄砲を切り落せる訳で、あの辺は芋畑が沢山あるから、其の芋茎《ずいき》へ火縄を巻き付けて、それを持って追剥《おいはぎ》がよく旅人《りょじん》を威《おど》して金を取るという事を、予《かね》て龜藏が聞いて知ってるから、そいつを持って孝助を威かした。芋茎だから誰にでも切れます。是《こ》れなら圓朝にでも切れます。龜藏が
「アッ」
と云って倒れたから、相助は驚いて逃出す所を、後ろから切掛《きりかけ》るのを見て、お國は
「アレ人殺し」
と云いながら鉄砲を放り出して雑木山へ逃げ込んだが、木の中だから帯が木の枝に纒《から》まってよろける所を一刀《ひとたち》あびせると、
「アッ」
と云って倒れる。源次郎は此の有様を見て、おのれお國を斬った憎い奴と孝助を斬ろうとしたが、雑木山で木が邪魔に成って斬れない所を、孝助は後《うしろ》から来る奴があると思って、いきなり振返りながら源次郎の肋《あばら》へ掛けて斬りましたが、殺しませんでお國と源次郎の髻《もとどり》を取って栗の根株に突き付けまして、
孝「やい悪人わりゃア恩義を忘却して、昨年七月廿一日に主人飯島平左衞門の留守を窺《うかゞ》い、奥庭へ忍び込んでお國と密通している所へ、此の孝助が参って手前と争った所が、手前は主人の手紙を出し、それを証拠だと云って、よくも孝助を弓の折《おれ》で打《ぶ》ったな、それのみならず主人を殺し、両人《ふたり》乗込んで飯島の家を自儘《じまゝ》にしようと云う人非人《にんぴにん》、今こそ思い知ったか」
と云いながら栗の根株へ両人《ふたり》の顔を擦付《すりつ》けますから、両人とも泣きながら、
「免《ゆる》せえ、堪忍しておくんなさいよう」
というのを耳にも掛けず、
孝「これお國、手前はお母様《っかさま》が義理をもって逃がして下すったのは、樋口屋の位牌へ対して済まんと道まで教えて下すったなれども、自害をなすったも手前故だ、唯《たった》一人の母親をよくも殺しおったな、主人の敵親の敵、なぶり殺しにするから左様心得ろ」
と、これから差添《さしぞえ》を抜きまして、
孝「手前のような悪人に旦那様が欺《だま》されておいでなすったかと思うと」
といいながら顔を縦横《たてよこ》ズタ/\に切りまして、又源次郎に向い、
孝「やい源次郎、此の口で悪口《あっこう》を云ったか」
とこれも同じくズタ/\に切りまして、又母の懐剣で止《とゞ》めをさして、両人《ふたり》の首を切り髻《たぶさ》を持ったが、首という物は重いもので、孝助は敵を討って、もうこれでよいと思うと心に緩《ゆる》みが出て尻もちをついて、
孝「あゝ有難い、日頃信心する八幡築土明神《まんつくどみょうじん》のお蔭をもちまして、首尾よく敵を討ちおおせました」
と拝みをして、どれ行《ゆ》こうと立上ると、
「人殺《ひとごろし》々々」
という声がするからふり向くと、龜藏と相助の二人が眼が眩《くら》んでるから、知らずに孝助の方へ逃げて来るから、此奴《こいつ》も敵の片われと二人とも切殺して二つの首を下げて、ひょろ/\と宇都宮へ帰って来ますと、往来《ゆきゝ》の者は驚きました。生首を二つ持《もっ》て通るのだから驚きます。中には殿様へ訴える者もありました。孝助はすぐに五郎三郎の所へ行って敵を討った次第をのべ、殊《こと》に
「母がまだ目が見えますか」
と云われ、五郎三郎は妹《いもと》の首を見て胸塞《ふさ》がり、物も云えない。母上様《おっかさま》は先程息がきれましたというから、この儘《まゝ》では置けないというので、御領主様へ届けると、敵討《かたきうち》の事だからというので、孝助は人を付けて江戸表へ送り届ける。孝助は相川の所へ帰り、首尾よく敵を討った始末を述べ、それよりお頭《かしら》小林へ届ける。小林から其の筋へ申立て、孝助が主人の敵を討った廉《かど》を以《もっ》て飯島平左衞門の遺言に任せ、孝助の一子《し》孝太郎を以て飯島の家を立てまして、孝助は後見となり、芽出度く本領安堵《ほんりょうあんど》いたしますと、其の翌日伴藏がお仕置になり、其の捨札《すてふだ》をよんで見ますと、不思議な事で、飯島のお嬢さまと萩原新三郎と私通《くッつ》いた所から、伴藏の悪事を働いたということが解りましたから、孝助は主人の為《た》め娘の為め、萩原新三郎の為めに、濡《ぬ》れ仏《ぼとけ》を建立《こんりつ》いたしたという。これ新幡随院濡れ仏の縁起《えんぎ》で、此の物語も少しは勧善懲悪《かんぜんちょうあく》の道を助くる事もやと、かく長々とお聴《きゝ》にいれました。
(拠若林藏筆記)
底本:「圓朝全集 巻の二」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年7月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の二」春陽堂
1927(昭和2)年12月25日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼《あ》の」と「彼《あの》」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2010年2月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
[#…]は、入力者による注を表す記号です。
「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
「魚+節」
27-14

-->
「蓙」の左の「人」に代えて「口」
52-11、92-4、125-11

-->
「目+(離れたくさかんむり/(罘-不)/冖/目)」
74-2

-->
「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」
74-2、74-2

-->