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口頭での感想共有は散々したのに文字に起こしてなかったのに気づきました
このアニメ見て文字がすげぇって学んだはずなのに
三章までは感想ですが、四章はほぼ考察チックな内容になります
僕は原作未読のアニメ勢で、原作者や担当編集のインタビューを網羅してたりもしないので、鵜呑みにはせず、良くてタウマゼインを感じる程度に留めてもらえると幸いです
明明已经口头分享了很多感想,却发现还没写成文字。看了这部动画,我明明应该学到文字的厉害之处,结果……前三章是感想,第四章几乎是考察性的内容。我没读过原作,也不是动画党,也没有完整地看过原作者和负责编辑的访谈,所以请不要全盘相信,最好是抱着感受“惊异”的心情来看待。
目录
一章
二章
三章
四章
后记
ラファウが死ぬシーンで一気にハマった
一つの作品で主人公が変わっていく作品にはジョジョという成功例はあるにはあるけども、ジョジョみたいに何かを成し遂げて次に行くって感じじゃないし、少なくとも僕が知ってる範囲ではやってる漫画見たことなくて新しく感じました
ですがなにより、そういう漫画がないのって商業的に不利だからだと思います
売れれば売れるだけキャラクターグッズ展開ができる方が作品として強いし
そうじゃなくても「このキャラが好き」があれば楽しめる作品は参入ハードル低いし
ジャンプ読んでても結局キャラクターが良くないと漫画は始まらんなと思うので
そんな中で、本作はめちゃくちゃいいキャラだったラファウが死ぬことで作品の向かう先をしますような導入になっていたと感じます
世界の常識を疑う作品の幕開けとして完璧だと思ったし、僕自身キャラクター至上主義には(僕自身結局そういう作品が好きではあるけど)疑問は感じてたし、これは最後まで見ねばと思いました
「この作品は知性、理性といった、動物的本能を超えた人間の強さを描いてるんだ」という期待を持って見始められたので、最高の導入だったと思います
拉法乌死的场景一下子吸引了我。虽然在一个作品中主人公不断改变,有《JOJO》这样的成功案例,但《JOJO》是完成了什么之后才走向下一个阶段,至少在我所知的范围内,没有看过这样的漫画,感觉很新颖。但是,我认为没有这样的漫画,最主要的原因是商业上的不利。作品能卖得越多,角色周边的展开就越有利,即使不是这样,只要有“我喜欢这个角色”就能享受的作品,参与门槛也很低。即使是看Jump,我也觉得如果角色不好,漫画就无法开始。在这样的情况下,本作通过拉法乌的死,成为了展现作品走向的开端。我认为作为一部怀疑世界常识的作品的开端,这堪称完美。我自身对角色至上主义(虽然我自身最终还是喜欢这样的作品)也抱有疑问,所以觉得必须看到最后。因为我抱着“这部作品描绘的是超越动物本能的人类的知性和理性”的期待开始观看,所以这是一个最好的开端。
ドラマとしてはこの章が1番好きだった
バデーニさんいいですよね
賢い奴の嫌なところがちゃんと出てるけど、むしろ好きになれるような魅力があるこの塩梅が
余談ですが、禁書を読むために視力を失う件は、ミーミルの泉を飲むために左目を差し出したオーディンの逸話からきてそうだなと思います
エピソードとしてはピャスト伯が真理に辿り着くまでの経緯がすごく良かったです
想いの強さを最も表現できるのは、それに費やした時間だと思います
ピャスト伯のそれは自分と先人たちの人生を足した途方もない時間だったことと、それが一夜にして崩される絶望感はくるものがありました
ですが死の間際、地動説を体験として理解した瞬間のピャスト伯には真理に辿り着いた喜びがあったように思います
人生を否定されても真理に辿り着く喜びが勝つ、知性に対する純粋さには胸がすくものがありました
あと、この章ではグラスをはじめとして、死生観や宗教観を語るキャラが多かったように思います
それぞれ自分にはなかったけど筋は通った価値観を持っていたのが面白かったです
バデーニが人生を特別にする瞬間に立ち会うたびリバースするのとかはったりきいてていいですよね
作为电视剧,我最喜欢这一章。巴杰尼先生真不错,把聪明人的令人讨厌之处都展现出来了,但我反而能喜欢上他,这种恰到好处的程度。题外话,为了阅读禁书而失去视力这件事,感觉像是为了喝弥米尔之泉而献出左眼的奥丁的轶事。作为故事,皮亚斯特伯爵到达真理的经过非常好。我认为最能表现思念的强烈程度的,是为此花费的时间。皮亚斯特伯爵的时间是自己和先人们的人生加起来的漫长的时间,而这种时间在一夜之间崩塌的绝望感,让人感同身受。但是在临死之际,皮亚斯特伯爵在作为体验理解地动说的瞬间,似乎感受到了到达真理的喜悦。即使人生被否定,到达真理的喜悦也胜过一切,对知性的纯粹让人感到畅快。还有,在这一章中,以格拉斯为首,讲述生死观和宗教观的角色似乎很多。他们各自拥有我所没有,但又合情合理的价值观,这很有趣。巴杰尼每次在见证人生变得特别的瞬间都会倒退,这种虚张声势的感觉真不错。
この章の主人公はドゥラカよりはノヴァクだったなと思います
死に様と、ヨレンタとのドラマ的に
個人的には1番面白さ的には控えめだった章でした
なんだかんだ、こういうストーリーでもキャラが大事だなと思った
あと、三章は信じるもののために何を捨てられるか、って話だったと思うんですが
ドクターストーンが似てることを明るく楽しくやってたなと思っていて、1,2章に比べて新しい発見がなかったのも大きいかも
这一章的主人公与其说是杜拉卡,不如说是诺瓦克。因为他的死法和与约兰塔的戏剧性关系,对我个人而言,这是最不有趣的章节。我觉得无论如何,在这种故事中,角色还是很重要的。还有,我认为第三章是关于为了自己所相信的东西能舍弃什么,但是我觉得《Dr.STONE》以明亮快乐的方式做着类似的事情,而且和1、2章相比,没有新的发现也是一个重要原因。
この章があったから感想書きたくなったし、この作品が描いている内容の深みが増したなと思った
この章ではラファウが再登場しますが、これを語らねば四章は始まらないと思います
僕は、このラファウは「ラファウ、オグジー、ドゥラカ、これまでの三章で地動説のために生きてきた人間の象徴」で、ラファウの名前と顔をしているのはあくまで象徴であることを伝えるための表現だと解釈しました
四章のラファウは、一章のラファウのように知性と自負があり、オグジーのように地動説(というか知性)を信仰していて、ドゥラカのように目的のためなら犠牲を厭わないことができる人間だったと思います
ぱっと見いい人だったし、この作品の中で「知性とは」の結論として提示された「タウマゼイン」について語っていたのは彼でした
ですが彼は同時に、ノヴァクとも同じような性質を持っていて、己の信じるものの障害になる人間を殺すことに何の躊躇いもありませんでした
アルベルトの親がラファウに殺されたエピソードは、これまで僕たちが「良い人間だ」と思っていた主人公たちは、一歩間違えるだけでこの作品における悪役であるところのノヴァクのような振る舞いをしてしまうことを示すものだったのではないか思います
ラファウという象徴的なキャラクターを使って、これまでの主人公たちの「知性」や「信念」は、ノヴァクの「狂気」と同じである、と
視聴者がこれまで正しいと思っていたものを否定される感覚は、先人の残した資料と矛盾なく天動説を否定されたピャスト伯を想起させられます
で、我々がピャスト伯であるならば、真理に辿り着くという救いがあるわけですが
それがタウマゼインだったんだなと思います
つまり
真の知性とは「己の信じるものの正しさを証明し、それによって、いかなる犠牲を払ってでも他者の誤りを正す価値のある真理を得られるもの」ではなく、自分の常識すらも「疑うこと」である
これがこの作品の描く真理だったんじゃないかと思います
ただ、「真理」という言葉はこの作品で何かを学んだ人間が使うには少し強すぎる気がするので、「この作品における知性の正体に関する提案」とした方が良いかもしれません
というのも、アルベルトの地動説に関するタウマゼインのきっかけは、これまで主人公たちの狂気が繋いできた本だったんですよね
もしも狂気を否定したいのなら、こんな最後にはしないはずです
またピャスト伯の話に戻りますが、ピャスト伯と先人たちの誤りだって無駄だったわけではありませんでした
バデーニが地動説を確信するには、先人が残した膨大な資料が必要不可欠だったことは自明かと思います
ですが、だからこそ、本作の提案は「疑うこと」であり
「誤っていると結論づけられたかのように見えた狂気も、よくよく検討すると正しかったのでは?」「そもそも正誤、善悪の二元論で語れることではないのでは?」
と、疑う余地を残したんじゃないでしょうか
因为有了这一章,我才想写感想,我觉得这部作品所描绘的内容的深度增加了。在这一章中,拉法乌再次登场,如果不谈论他,第四章就无法开始。我认为,这个拉法乌是“拉法乌、奥古斯、杜拉卡,是到目前为止的三章中为地动说而活着的人的象征”,以拉法乌的名字和面孔出现,仅仅是为了传达这只是一个象征。第四章的拉法乌,像第一章的拉法乌一样拥有知性和自负,像奥古斯一样信仰地动说(或者说是知性),像杜拉卡一样为了目的可以毫不犹豫地牺牲。他看起来是个好人,并且是在这部作品中,作为对“知性是什么”的结论而提出的“惊异”。但他同时,也拥有和诺瓦克相似的性质,为了自己所相信的东西,杀害妨碍自己的人也毫不犹豫。阿尔贝特的父母被拉法乌杀害的故事,表明了我们至今为止认为的“好人”的主人公们,只要稍微犯错,就会做出这部作品中的反派诺瓦克一样的行为。用拉法乌这个象征性的角色,让观众感受到,至今为止主人公们的“知性”和“信念”,和诺瓦克的“疯狂”是一样的,否定了观众至今为止认为正确的东西,这让人联想到被先人留下的资料毫无矛盾地否定了天动说的皮亚斯特伯爵。如果说我们是皮亚斯特伯爵,那么就有到达真理的救赎,那就是“惊异”。也就是说,真正的知性不是“证明自己所相信的东西的正确性,并因此,不惜付出任何牺牲也要纠正他人的错误,从而获得有价值的真理”,而是“怀疑”自己的常识。这或许才是这部作品所描绘的真理。但是,对于在这部作品中学到了一些东西的人来说,“真理”这个词似乎有点太强了,所以最好说是“关于这部作品中知性的本质的提案”。因为阿尔贝特关于地动说的“惊异”的契机,是至今为止主人公们的疯狂所连接起来的书。如果想要否定疯狂,就不会做出这样的结局。让我们回到皮亚斯特伯爵的故事,皮亚斯特伯爵和先人们的错误也不是没有意义的。巴杰尼确信地动说,先人留下的庞大资料是必不可少的,这是不言而喻的。正因为如此,本作的提案是“怀疑”,并且“被认为已经得出结论是错误的疯狂,如果好好地重新审视,会不会是正确的呢?”“原本就不能用对错、善恶的二元论来讨论吗?”,留下了怀疑的余地。
ぶっちゃけ文字にしてまとめるまで、1〜3章のキャラは間違ってたんだよな〜ってところで思考が止まっていたので、文字に起こすって大事だなと思いました
やっぱ文字は奇跡なんだよな(本編の文脈無視)
あとちょっと話が逸れるので四章で書かなかった話で、またまたピャスト伯の話をしますが
彼の知性は三章までのキャラで1番タウマゼインみが強かった気がします
満ちた金星のことをずっと覚えてたし、最後にはオグジーやバデーニの言うことを否定しなかったし
あとちゃんと真理に辿り着いて死んだのは実はタウマゼインって良いよね!ってスタンスの現れなのでは?って思ったり
と、こんなところで思ったことのうち、誰かに言いたいことは書ききった気がします
また何かの語れそうな作品があったら感想書きます
なくても毎週ジャンプの感想書いてるので暇な人は読んでください
ではまた!
说实话,在整理成文字之前,我的思考一直停留在“1~3章的角色是错的啊~”的地方,所以我觉得写成文字很重要。果然文字是奇迹啊(无视正篇的语境)。还有,稍微跑题一下,这是第四章没有写到的,再次说一下皮亚斯特伯爵的故事,他的知性是三章为止的角色中最有“惊异”的味道的。他一直记得满盈的金星,最后也没有否定奥古斯和巴杰尼所说的话。还有,正确地到达真理并死去,实际上是展现了“惊异真好啊!”的立场吗?像这样,我想说的话,想对别人说的话,似乎都写完了。如果以后还有什么能说得上的作品,我会写感想的。即使没有,我每周都会写Jump的感想,所以闲暇的人请读一下吧!那么再见!