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見てきました!
面白かったですね
一回目の戸締まりのシーンから冒険感がたまらなかったんですが、徐々に見えてきた過去との向き合うというテーマに心が揺れました
お約束の恋愛がちゃんと結論に結びついてるのは素晴らしい…
ということで、酒を入れながらその辺の感想を書いていきます
以下の目次の「震災とミミズ」くらいから考察にあたる部分になりますが
なにぶんキモオタのきしょい妄想でしかないのでその辺はあしからず
—追記—
3/12にやっと2回目を見たので追加しました
看过了!真的很有趣,从第一次关门的情节开始就充满了冒险感,但渐渐地,直面过去这个主题深深触动了我。约定俗成的恋爱元素与最终的结论紧密相连,这真是太棒了……所以,我一边喝酒一边写下这些感想。以下目录中,从“地震和蚯蚓”开始是考察的部分,但因为归根结底都只是死宅的恶心妄想,还请多多包涵——追记——3月12日终于看了第二次,所以追加了一些内容。
目次
戸締まりの冒険
震災とミミズ
思い出さなくなった記憶
すずめとダイジンと戸締まり
今の肯定と過去の救済
細かい描写で気になったところ(追記あり)
目录
关门的冒险
地震和蚯蚓
不再想起的记忆
铃芽、大臣与关门
对现在的肯定与对过去的救赎
一些在意的小细节(有追记)
后记
これは純粋にワクワクした
天気の子の時もそうでしたが、厨二心をくすぐる物語を作るのが何とうまいことか
これまた天気の子もそうでしたが(あれはあれで好きなんですが)最近は警察機構とかがちゃんと絡んでしまう対魔作品って割と多い気がして
そこから一線を引いて、ちゃんと一部の人しか知らない非日常だったのは久々ですごい良かった
序盤の戸締まりのシーンでもののけ姫感ちょっとあるなーと思って見てましたが、やはり現代ファンタジーなだけあって感覚はちょい違いますね
さらに天気の子を引き合いに出しますが、家出、ともすれば駆け落ちって形式がそもそも好き
あとやっぱ少年少女だけが知ってる世界の危機がええですわ
映像のパワーもあって(オープンカーでドライブのシーンはちょいCG感強くてあれだったけど)、脳死で見るだけでもちゃんと面白いしワクワクできる作品だなと思いました
这部分真的让人兴奋。和《天气之子》那时一样,他真的很擅长创作能够打动中二心的故事。《天气之子》也是这样(虽然我也很喜欢),但最近感觉有很多对魔作品都会涉及到警察机构之类的,而这部作品与之划清界限,真正做到了只有一部分人才知道的非日常,这点真的太棒了。序盘关门的情节,让我觉得有点像《幽灵公主》,但果然现代奇幻还是有点不一样的感觉。再拿《天气之子》做比较,我本身就喜欢离家出走,或者说是私奔的形式。还有果然只有少年少女才知道的世界危机最棒了。再加上影像的力量(虽然敞篷车兜风的场景CG感有点强),即使不带脑子看,也能感到有趣和兴奋,真是一部不错的作品。
地震を起こすミミズが現れる前、必ず緊急地震速報のアラートが鳴ります
これは劇中に「ミミズ」が現れるのと同時に、地震大国日本に住む我々視聴者の中にある大地震の記憶を呼び起こす合図でした
ミミズを恐怖の象徴たらしめているのは、その能力でも絵面の不気味さでもなく我々の記憶だったと思います
草太とすずめは世界の危機を救っているのではなく、被災者が過去に抱えた傷であり、そうでない大多数の人間が忘れた災害の記憶と闘っていたと思います
ミミズは負の記憶
それを封じるのは、あえていうならその土地で暮らした人たちの正の記憶
最終的に、正の記憶により日本を救うというこの物語の構造が、死ぬのなんて怖くないと言ってしまうすずめ個人をも救うことになるわけなのでよくできてるなと思います
在引起地震的蚯蚓出现之前,一定会响起紧急地震速报的警报。这既是剧中的“蚯蚓”出现,同时也是唤醒居住在地震大国日本的我们观众心中关于大地震记忆的信号。将蚯蚓变成恐怖象征的,不是它的能力,也不是画面的怪异,而是我们的记忆。草太和铃芽拯救的不是世界的危机,而是受灾者过去所抱有的伤痕,以及大多数人遗忘的灾害记忆。蚯蚓是负面的记忆,而封印它的是,如果要说的话,就是在那片土地上生活的人们的正面记忆。最终,通过正面记忆来拯救日本的这个故事结构,也拯救了说出“死亡并不可怕”的铃芽个人,我觉得这部分做得非常好。
被災者に向けたストーリーから一度離れて
幸運にも被災したことのない僕のような人はこちらに目がいったのではないでしょうか
目を逸らしがたい思い出のない僕らへの問いかけは、11年の東北の震災も、神戸で起きた大震災も、さらに過去に起きた災害の凄惨出来事を思い出さなくなっていないか?ということかと思います
ミミズと戦う場所は、忘れ去られた廃墟
災害で忘れられた区画でした
序盤は、まあ廃墟とかそんな場所ってたくさんあるよね、と思うわけなんですが、見ていくにつれて災害の跡という共通点が見えてきて、楽しかった思い出とその日常が一瞬で崩れ去った過去が見えてくるのが印象的でした
…と言っても、そういう悪い記憶だけを説教くさく思い出させるだけなら後ろ戸は閉じないので、別の忘れていたことを思い出させる工夫があったなと思います
それが懐メロですね
ドラマ性が強すぎるすずめに変わって、芹澤は「観客の目を現実の過去に向ける」という役割を一身に担ってたなと思うのは、この懐メロと中古車の設定です
なんかやたらと古いもの好きですよねこいつ
そして、震災の記憶や懐メロに続いて日本人が忘れてしまったものは
神、つまりダイジンとサダイジンなのかなと思います
最後、要石になってミミズを止めようとした2人を救ったシーンも、「困った時の神頼み」って感じでしたね
無宗教国家の国民に困った時だけ思い出される神が、このテーマの作品に登場するのはまあ納得感があります
从面向受灾者的故事稍微抽离,像我这样幸运地没有遭受过灾害的人,可能会更关注这部分吧。对于不愿面对痛苦回忆的我们来说,作品提出的问题是,我们是否已经不再想起11年的东北地震、神户大地震,以及更早之前发生的那些灾难的惨状?与蚯蚓战斗的场所,是被遗忘的废墟,是被灾害所遗忘的区域。序盘,我只是觉得,嘛,废墟这种地方有很多啊,但随着剧情的发展,我看到了灾害遗迹这个共同点,曾经快乐的回忆和日常生活瞬间崩塌的过去浮现出来,让人印象深刻……即便如此,如果只是说教般地唤起那些糟糕的记忆,后门是不会关闭的,所以作品中还加入了唤起其他被遗忘之事的用心之处。那就是怀旧歌曲。芹泽代替了戏剧性过强的铃芽,承担了“将观众的目光引向现实的过去”的这一角色,我觉得这要归功于怀旧歌曲和二手车的设定。总觉得他非常喜欢旧事物。并且,继地震的记忆和怀旧歌曲之后,日本人所遗忘的,是神,也就是大臣和左大臣吧。最后,拯救了想要变成要石来阻止蚯蚓的两个人的场景,也很有“临时抱佛脚”的感觉。在无宗教国家的国民遇到困难时才会被想起的神,出现在这部作品的主题中,也算是有说服力。
「すずめの子にはなれなかったよ」は序盤ですずめがダイジンにかけた「うちの子になる?」という言葉へのアンサーですが
さらに環さんがすずめにかけた「うちの子になろうよ」ともかかってましたね
さて、ここからは妄想成分が一層濃くなります
ダイジンとは何者だったのか
要石になる条件とは何かについてです
ダイジンは、環さんがいなかった世界のすずめです
もちろん本人ではなく、似たように震災で親を亡くして、誰にも拾われなかった誰か、という意味です
そして要石になるのは、「帰る場所を失った人」です
理由は先ほど言った「うちの子に…」の対比ですが、他にもあります
ややこしいかもですが、この根拠となるものを列挙していきます
草太が要石になったのは、草太の身内は死にかけの祖父しかおらず、祖父が死ねば天涯孤独であり、帰る場所がないから(両親出てきてないけど、まあ死んでるんでしょ(なんか言われてたっけ?))
ダイジンが要石にならないと言っていた頃は、「すずめのうちの子になれる」と思っていた頃であること
ボロボロだった見た目に生気が宿ったのは帰る場所を得たから
また、サダイジンに比べ、ダイジンは小さい
「遊ぼう、遊ぼう」と言動も幼い
日本では死者は仏、つまり神様(めちゃ語弊のある言い方)になりますが、ダイジンが神になったのは幼い子供の頃だったのでしょう
それこそ、常世にいたすずめくらいに
と、こんなところじゃないでしょうか
ダイジンとすずめの命運を分けたのは環さんであり、帰るべき家があったことだと思います
そうなると、サダイジンが環さんに障って酷いことを言わせたのは、すずめをもう一つの要石にしたかったから、帰るべき場所を奪いたかったのではないでしょうか(今思うとここでダイジンのとった行動はサダイジンを制止していたようにも思えます。ダイジンはすずめを好きなので)
(ここまで書いて、すずめを失うと帰る場所を失うダイジンは?となりましたが
まあその時にはダイジンの代わりは草太が務めてたからセーフでしょう)
ここまで考えてようやくタイトルであり、話のキーになる戸締まりの意味がわかってきました
戸締まりは、再びその家に帰るためにするものです
この物語は帰る場所を失った人の話ではなく、旅に出て帰ってくるための話なのです
“我没能成为铃芽的孩子啊”是序盘铃芽对大臣说的“要成为我的孩子吗?”这句话的回应,同时也与环对铃芽说的“要成为我的孩子吗”相关联。接下来,妄想成分会更加浓厚。关于大臣究竟是什么人,以及成为要石的条件是什么。大臣是,环不在的那个世界的铃芽。当然不是本人,而是指相似地因地震失去双亲,却没有被任何人收养的某个人。而成为要石的,是“失去了归宿的人”。理由是前面说的“要成为我的孩子……”的对比,除此之外还有其他。可能有点复杂,但我会列举出作为这一依据的事物。草太之所以会成为要石,是因为草太的亲人只有濒临死亡的祖父,一旦祖父去世,他就会变得孤苦伶仃,没有归宿(虽然父母没有出现,但应该已经去世了吧(有提到过吗?))。大臣说自己不能成为要石的时候,是它还认为自己“可以成为铃芽的孩子”的时候。破破烂烂的外表重新焕发生机,是因为它获得了归宿。另外,与左大臣相比,大臣体型更小,“一起玩吧,一起玩吧”的言行也很幼稚。在日本,死者会成为佛,也就是神灵(一种非常有争议的说法),但大臣成为神灵的时候,应该是年幼的孩子时期吧。就像身处常世的铃芽一样。大概就是这样。区分了大臣和铃芽命运的是环,以及她拥有应该回去的家。这样一来,左大臣触碰环,让她说出过分的话,是不是为了让铃芽成为另一个要石,为了夺走她应该回去的地方呢?(现在想想,大臣在这里采取的行动,似乎是在阻止左大臣。因为大臣喜欢铃芽。)(写到这里,我想到一旦失去铃芽,就会失去归宿的大臣呢?嘛,那时候应该有草太代替大臣,所以没问题吧。)思考到这里,我终于明白了作为标题,也是故事关键的关门的意义。关门,是为了再次回到那个家而做的。这个故事不是关于失去归宿的人的故事,而是关于外出旅行后归来的故事。
さて、最後に常世のすずめを救ったのはすずめ本人でした
やっと始めに触れたすずめの救いの話です
この作品は辛い過去を忘れるための作品ではなく、むしろ思い出させる作品だったと思います
その辛い過去を癒すのは、過去を忘れることではなく
おばさんと12年過ごして、草太と恋をした今この瞬間を肯定することでした
すずめが「死ぬのは怖くない」と言っていたのは、震災で突如親を失った絶望からでした
生きるのも死ぬのなんて運でしかないなんて、理不尽に死んだ親の死を受け入れるための建前でしかなったのでしょう
その建前を取っ払えるほどすずめを変えたのが恋だったと思うと、エンタメとして用意されたラブロマンスにも意味が生まれて胸が熱くなります
もちろん、環の愛情もそうですが
一度要石になった草太が「おかえり」と言われて終わる話は流石に美しかった
最后,拯救常世铃芽的是铃芽本人。终于说到了开头提到的铃芽的救赎。这部作品不是为了忘记痛苦的过去,而是为了唤起过去的作品。治愈那段痛苦的过去,不是忘记过去,而是肯定与姑姑一起度过的12年,以及与草太相恋的当下这一瞬间。铃芽说“死亡并不可怕”,是因为地震突然夺走了她的双亲,让她陷入绝望。活着还是死去都只是运气而已,这只是为了接受不讲道理地死去的双亲的托词。而改变了铃芽,让她抛弃了那个托词的,我认为是恋爱,这让作为娱乐而准备的爱情故事也产生了意义,让人内心激动。当然,还有环的爱,但是曾经成为要石的草太说着“欢迎回来”结束的故事,实在是太美好了。
あんま中身がないですが、せっかくなので書きます
虽然没什么内容,但还是写一下,毕竟都写到这里了。
具体的には忘れちゃったんですが、書いてましたよね?
舞台が宮崎だとわかった時、「あれ?盛岡って俺の記憶と違う場所にあったのか?」と焦りました
盛岡だと、事前に告知されていた地震や津波のアラートに関する注意喚起と一致するから納得って感じで見てたんですが…
まあ最終的に回収されたのでよかったです
具体内容我记不太清了,但是有写吧?当我知道舞台是宫崎的时候,我很慌张,“诶?盛冈是在我记忆中不同的地方吗?”。如果是盛冈的话,和事先告知的关于地震和海啸警报的注意事项是一致的,所以我带着认同感看了下去……嘛,最终还是回收了,太好了。
宮崎のうしろどに行く時、一度目は飛び越えてたけど二度目はそもそも避けられてましたね
見てるとき気になったから覚えてたけど、単に颯太がきてるんやなーって前振りの描写でしたね
特筆することなし
去宫崎的后门时,第一次是跳过去了,但第二次就直接避开了。看的时候就很在意,所以记住了,但那只是草太要来的预示描写吧。没什么特别的。
ちょっと面白かった
日常的に見てるあの画面を、戦記ものとかでよく見るキャラの移動経路を見せるシーンに使うのはちょっとなるほどなとなった
これ以外にも、日常の何気ないあるあるとか、そういう要素を拾って綺麗に見せてたなと思います
有点有趣。把日常生活中经常看到的那个画面,用在战记作品中经常出现的显示角色移动路线的场景中,真是让我觉得“原来如此”。除此之外,作品中还拾取了日常生活中不经意的小细节,并将它们漂亮地展现了出来。
宿もバーも荒れてましたね、元々は
それがすずめがきた途端繁盛
神様がおわしたから、ってことかな?
ダイジンが来たらなのかな?
すずめでもダイジンでもなく、要石になりかけてた草太のせいかも
旅馆和酒吧都很萧条,原本是这样,但铃芽一来就变得兴隆起来。是因为神灵降临了吗?是因为大臣来了吗?既不是铃芽也不是大臣,而是因为要变成要石的草太吗?
常世の中に飛び込んだすずめの後ろには月が描かれてました
月は死の象徴として描かれたりもするものなので、この世界は死後の世界に通じてると強調する描写でしたね
後ろ戸を締めるのはそこで暮らした人たちの想い的なことは言ってたけど、歯に布着せずに言うなら災害で死んだ人のことだよってことですかね
跳入常世的铃芽身后,描绘着月亮。月亮也被描绘成死亡的象征,所以这是强调这个世界与死后的世界相连的描写。虽然说过关闭后门,需要生活在那里的人们的想法,但如果直白地说,那就是因为灾害而死去的人们的事情吧。
なんで?
なんかありそうだけどこれマジでわかってない
知識量と推察力不足を痛感
あとどうでもいいけど、ダイジンって大地震と関係あるネーミングですか?
→追記
大事な役割を担う大臣であり、大神の意味も込めてダイジンらしいっすね
金ロー公式Xより
为什么?感觉有什么含义,但这我真的不知道。深感知识量和推测力不足。还有,虽然无关紧要,但大臣的名字是与大地震有关的命名吗?→追记 似乎包含着承担重要角色的大臣,以及大神的意思。来自金ロー公式X。
要石になった草太に会いに行くすずめが、草太の部屋でシャワーを浴びてましたね
物語的には汚れた身体を洗うためですけど、要石(神様)に会いに行くために身を清める沐浴が必要だったんだなって気づきました
忘れられているモノとして描かれている神に対して礼を失してはいけないので、確かに必要なプロセスですね
去见变成要石的草太的铃芽,在草太的房间里洗了澡。从故事层面来说,是为了洗去身上的污垢,但我意识到这是为了去见要石(神灵)而进行净身的沐浴。对于被描绘成被遗忘之物的神灵,不能失礼,所以这确实是必要的流程。
すずめがダイジンを追って家から出ていくシーン
草太とすずめが東京のみみずを止めるために草太の家から出ていくシーン
どちらも鍵を閉める描写がなかったですね
それ以外のシーンでは鍵を閉める描写が必ずワンカット挟まっていたので、意識的だと思います
草太はまさにこの後要石となったので、”帰るべき家”をなくしたという意味合いは強そうです
铃芽追逐大臣离家出走的场景,以及草太和铃芽为了阻止东京的蚯蚓而离开草太家的场景,都没有关闭门的描写。而在其他场景中,一定会穿插一个关闭门的描写镜头,我认为这是有意识的。草太正是在此之后成为了要石,所以失去了“应该回去的家”的含义似乎更加强烈。
私の人生返してよの流れで口元が一度アップになるんですが、そこでは他のシーンでは描かれてないほうれい線が
見た目若く見えるけど、もうアラフォーだということを強調するシーンになってました
ドキッとするの演出だったな〜と改めて
在我的人生还给我的剧情中,口部有一次特写,在那里可以看到其他场景中没有描绘的法令纹,这成为了强调她看起来年轻,但其实已经快四十岁的场景。再次觉得这是一个让人心惊的演出。
蝶が飛んだらシーンがやたらと多かったですね
正直気に留めもしてなかったんですが…
蝶は死者の魂や先祖の象徴らしくて、ラストシーンでは2人のすずめの近くに2匹の蝶が飛んでいました
両親か?これと思うと余計泣けました
公式Xでも死者の魂であることに触れられてたのでここは間違いなさそう
蝴蝶飞舞的场景特别多。说实话我完全没有在意……蝴蝶似乎是死者的灵魂和祖先的象征,在最后的场景中,有两只蝴蝶在两个铃芽的附近飞舞。难道是双亲吗?想到这里就更想哭了。官方X也提到了是死者的灵魂,所以这里应该没错。
どんなにいい映画を見ようと、被災者の傷は癒えない
癒せるのは、震災から今まで生きてきた本人だけです
だから常世からすずめを助け出したのは、親でも環さんでも草太でもなく、すずめだったんだと思います
助け出した時のセリフだって、すずめ以外には絶対にかけられない言葉でした
震災をエンタメにして金を稼ぐこと自体どうなんだ、と思う人もいるでしょうが
監督は「お前たちをこの映画で救ってやる」という傲慢な偽善者ではなく、「自分にできることは震災を忘れないことと、被災してからの人生を肯定することだけだ」と、真摯な姿勢で3年間制作に取り組んだのではないかと感じずにはいられませんでした
とまあ、震災を経験してない僕が薄っぺらい感想言っても仕方ないので、後書きもそこそこにこの記事は終わります
久々に長々と感想を書きたくなるアニメでした
だいぶ勢いで書いたのでガバがあっても許してくださいと保険をかけつつ、また次の記事でお会いしましょう
ではまた
无论看多么好的电影,受灾者的伤痕都不会痊愈。能够治愈伤痕的,只有从地震到现在一直活着的本人。所以从常世中救出铃芽的,不是双亲,也不是环,也不是草太,而是铃芽。救出铃芽时的台词,也只有铃芽才能说出口。将地震娱乐化并以此赚钱这件事本身怎么样呢,可能有人会这么想,但导演并不是“我会用这部电影拯救你们”的傲慢伪善者,而是以真挚的态度,在三年时间里认真制作,秉持着“我能做的只有不忘记地震,以及肯定灾后的人生”的想法。嘛,毕竟没有经历过地震的我,说些肤浅的感想也没办法,所以后记就到此为止吧。这是一部久违的让我想要写长篇感想的动画。因为写得比较急,所以可能会有疏漏,请大家多多包涵。那么,我们下篇文章再见吧。